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他宗、他派をホメよう

1管理者:2002/08/29(木) 17:43

スレッドテーマのご提案がありましたので。スレッドを立ち上げます。

提案文は以下の通りです。

13 名前: あ 投稿日: 2002/07/25(木) 04:41

「他宗、他派をホメよう」スレッド、というのは、いかがでしょうか。

過激ですか?

20ドプチェク:2002/09/13(金) 19:31
「四箇の格言」は、国柱会の田中智学氏が掲げられたという事ですけれども、あの呼び名は、そんなに歴史が浅いものなのでしょうか・・・?

それと、不勉強者である私の実につまらない質問なのですが、日蓮聖人の何かの御書における律宗に対しての批判の中に、確か「小乗仏教は日本という国柄には合わない」といったような記述があったと記憶しているのですけれども。
もし、そうであるのなら、日本以外の国では肯定され、聖人は律宗を全面的には否定されていなかったという事になるのではないのか?と、思ってもみるのですが・・・
それとも、こういった表現は、聖人が一つの方便的な意味合いで用いられたものなのでしょうか・・・?

21顕正居士:2002/09/13(金) 20:43
ドプチェクさん。

四箇格言は遺文の中にその通りの文章は見い出せません。きわめて近い表現は
あります。遺文全体の発想を後世の人がまとめたものです。四箇格言の初出は
不明確ですが、近代の表現ではありません。

南山律は漢訳仏教唯一の整足した戒律であり、代わるシステムはありません。
南山律は中国の南山大師が研究整備したものであり、南山宗は大乗仏教です。

日蓮の遺文の一つは南山律への疑問を述べています。しかし、疑問の内容は
記されておらず、その後、発展した文章を見い出せません。日蓮は実際上は、
南山律を終生維持したようです。ただし、日蓮が比叡山で受けたのは菩薩戒
だったでしょう。最澄の(無意味な)戒壇独立によって、比叡山で菩薩戒を
受けたのみでは、サンガに所属しないことになり、東大寺の戒壇で受戒する
必要が続きました。比叡山を下る場合は具足戒を維持する規定でありますが、
精神的の規定に過ぎない。戒律に関する悩みは結局、解決せず、三大秘法中、
戒壇は滅後の遺弟に委ねたのであります。

具足戒/ サンガの法律。受けた者は、国際共通にサンガの成員となり、その
権利を享受し、義務に従う。釈尊が制定した。

菩薩戒/ サンガの成員であるか否か問わず、仏教徒がまもるべき48箇の規定

22菊水護国:2002/09/13(金) 21:27
毎日の行で「四箇格言」を強く唱えると堅樹院日好さんも言ってますから、田中さんが最初ではありませんね。

23ドプチェク:2002/09/15(日) 01:54
顕正居士さん 菊水護国さん

ご教示、ありがとうございました。

「四箇の格言」は、やはり田中智学氏が最初ではなかったのですか。
何れにせよ、宗祖歿後における後世の人によってネーミングされたわけなのですね。

私には、戒律に関しての事はわかりませんけれども、ただ、日蓮聖人は、僧侶とし
ての規範というべきものを、生涯、守り続けたといったところなのでしょうか。
少しばかりお話が逸れてしまうかもしれませんが、宗祖が身延時代に信徒からのご
供養である酒を飲まれていた事につきましては、どのように考えればよいのでござ
いましょうかね?

スイマセン。自分でも、何だかよくわからないまま、実に取り留めのない事を述べ
てしまいまして(^.^;)。

24顕正居士:2002/09/15(日) 03:48
上野殿母尼御前御返事(弘安4年、真翰在身延山)

すでに、食も殆ど、とゞまりて候上、雪はかさなり、寒はせめ候。身のひゆる
事石のごとし。胸のつめたき事氷のごとし。しかるに、この酒温かにさし沸か
して、かつかう(霍香)をはたとくい切て、一度飲みて候えば、火を胸にたくが
ごとし、湯に入るににたり。

不飲酒戒は五戒の一つですが、他の四戒は性戒(本質的の戒)、不飲酒戒は
事戒(便宜的の戒)です。釈尊の教団は酒を飲むことを最初は禁止しなかった
のですが、一部の人には飲酒が記憶を失うなどの不都合な作用がある理由から
追加されました。

チベットは寒冷、不毛の地で、肉食や飲酒が生存に必要であり、衣服もインド
と同じのは無理です。だから肉食、飲酒、衣服等の規定が地方化しています。

戒律はサンガの法律であって、サンガの成員はこれに従う。在家者はサンガで
なく、国家の法律に従う。仏戒と国法が共にまもれない場合は仏戒を捨てる。
自衛隊員は有事の際に不殺生戒を捨て、和平後に更めて受ければよいのです。

25いちりん:2002/09/15(日) 12:22
>最澄の(無意味な)戒壇独立によって、比叡山で菩薩戒を受けたのみでは、サンガに所属しないことになり、東大寺の戒壇で受戒する必要が続きました。

最澄のいわば遺志で比叡山に戒壇がつくられますよね。最澄の宿願でありました。この戒壇によって、名実ともに比叡山天台宗は、独立した宗派となるのだと思います。

ところが、比叡山で授ける戒律、梵網経によるところの「大乗菩薩戒」でしたので、東大寺などによる受戒とはちがって、ゆるやかなものですよね。かたや250戒、かたや10戒ほどの差がありましょうか。

それで、道元が中国に禅を学びに行くときに、行き先がおなじ兄弟子の坊さん(明全)はすぐに上陸が許されたのに、道元は許可が下りずに、三ヶ月も船に逗留させられます。

どうして、明全がすんなりと上陸が許されたかというと、明全は比叡山での戒律を受けていたにもかかわらず、さらに東大寺での戒律も受けていたんですね。それで、正式な僧侶と認められた。ところが、道元は比叡山での大乗菩薩戒のみなので、正式な僧侶とは認めてもらえず、上陸許可に時間がかかった。……というよような研究があります。

当時の中国は、もちろん大乗仏教の国でしたが、僧侶になるには、250戒を受ける必要があった。東大寺なども同様ですよね。ところが、日本の比叡山では、それを簡略化した「大乗菩薩戒」ということですよね。

26いちりん:2002/09/15(日) 13:25
「四箇格言」ですが、「格言」というような言い方は、なにか新しそうですね。もしかしたら、やはり明治あたりからでしょうか。。

ともあれ、日蓮さんが他の宗派を、インパクトのあることばで集約したのが、「四箇格言」というわけですが。

それで、ひとつひとつ見ていくといいかなあと思ったり。

まず、「念仏無間」といいますけど、この念仏は、「法然の浄土宗」ですね。まあ、法然の尊敬していた、善導とか道しゃくとかも入るのでしょうが。
で、親鸞の教えは、日蓮さんは知らなかった。当時、ものすごい勢いで広まっていたのは、法然の念仏だったのでしょうね。

ちなみに、念仏そのものは、天台宗でもありますよね。天台のつくりあげた「四種三昧」という行法に「常行三昧」があって、それは九十日間、不眠不臥で阿弥陀如来のまわりを、念仏を称えながら古き続けるというものでした。
天台宗の勤行も、自我偈をよみますが、最後は念仏とを称えて終わります。「朝題目、夕念仏」と言われるわけですね。

親鸞の教えと法然の教えは、おんなじようですけど、かなり違いますね。
また、はたから眺めていると、「多神教と一神教」くらいのちがいがある。あるいは「日蓮宗と日蓮正宗」ほどの違いがあります。

真宗の人たちと話をしていると、来世往生なんて考えは、あんまりないですね。来世に救われるために念仏を称えるわけではない。そもそも、念仏は、ほとんど称えないですし。つまり、念仏を来世に生まれるための行という意識は、100パーセントないんですね。真宗は。

それで、「すでに救われている」というのが、教義の中核にあるんだなあと思います。すでに阿弥陀さんによって救われていると。そうして、称える念仏は、ありがいこっちゃという感謝のあらわれてあると。

まあ、かなり大ざっぱな観察ですが、そんな感じです。
というわけで、「念仏無間」といいいましても、日蓮さんのなかには、法然の教えでのことであり、親鸞は法然の教えとも、かなり違っているということ。(違うというか、さらに徹底したということなんでしょう)。そして、念仏そのものの行は、天台宗でもずっとやっていたということ。

27顕正居士:2002/09/15(日) 23:50
日本の仏教

は葬儀のソフト方面を担当する業種といえます。ハード方面は葬儀会社です。
だから、日本で「宗教」というと、「カルト」のことをいいます。葬式仏教と
カルト以外、ほぼありませんから。仏教圏の諸国の中で、日本の仏教だけが
どうして今のようになったを考えると、最澄の菩薩戒主義にいきあたります。

日本人は法に疎い?
http://www.urban.ne.jp/home/junsoyo/kai/kmemo/khiro4-2.htm

なぜ比叡山は堕落したのか?
http://www5a.biglobe.ne.jp/~ananda/saicho.htm

故事留學趣談
http://ge.tnua.edu.tw/~huimin/hmfile/hm15%20.htm

28いちりん:2002/09/16(月) 01:26
坊さんが葬儀を担当しなかったならば、
お寺にお墓がなかったならば、
お寺さんが世襲制で家業として子どもが継承しなかったならば、
ずいぶんと、違いますよね。

きょうは、ある曹洞宗の立派なお寺さんを訪問したのですが、境内にお墓があって(あたりまえですけど)やはりエネルギーは落ちますね。

お寺が墓守の場所になってしまっている。
坊さんが墓守になっている。
坊さんが、葬儀屋の下請けになっている。

そういうお寺さんには、若い人が学びに来るわけはありませんよね。だって、魅力がないもの。エネルギーがないもの。辛気くさいもの。

まだカルトのほうが、どきどきして、エネルギッシュで、おもしろくて、いろんな体験ができるわけです。

29いちりん:2002/09/16(月) 13:31
先日、ある機関誌の取材で、比叡山のふもとに酒井阿闍梨(さかい・あじゃり)を訪ねました。

この方は、千日回峰行を、二度も満行された方です。千日回峰行というのは、深夜から明け方にかけて、比叡山全山の霊跡や御堂を礼拝しながら、30キロの山道を歩き続ける行です。

1年から3年目までは各百日、4年から5年目までは各二百日、6年目は百日、7年目は二百日と回峰し、7年間で満行、千日となります。

700日目のとき、9日間にわたって、断食、断水、不眠、不臥で明王堂にこもって護摩を焚く行があります。
そのあとは、100日ずつ1日60キロ、そして八百一日目から九百日目までは、京都市内の神社・仏閣を巡拝する「大廻り」といわれ、その行程は1日に80キロという想像を絶したものです。 この千日の全行程は、ほぼ地球を一周するほどの距離なのです。

まあ、とにかくすさまじい行です。九日間の、断食、断水、不眠、不臥などというのも、人間の限界を超えたものでしょう。

そういうことを、酒井阿闍梨という方がされてきました。

酒井阿闍梨は、比叡山の横川をおりた飯室の不動堂におりました。
お会いしてみると、なんともさっぱりした方です。もって生まれた性格なのかどうか知りませんが、こだわりというものが、ほとんどないような方でした。ここまで行を徹底すると、こだわりがとれてしまうかなあとも思いました。

そして、お顔がすばらしい。今年、七十五になるというのですが、風呂上がりのようなすがすがしい顔をされていました。

ということで、酒井阿闍梨のお話を、紹介させていただきます。

30いちりん:2002/09/16(月) 13:32
「腹がまえ」というテーマでの取材でしたので、「腹をかまえる」とは、どんなことかと、体験を通してお聞きしたわけです。
以下、いつくかにわけて、ご紹介します。

---------------------------------------

 ●笹舟が、あっちこっちにぶつかりながら

 千日回峰行をやったから、「あいつにはなにか腹がまえがある」と思っているかもしれないけど、ぼくにはそんなものはないんだ。

 人生というのは、自分に応じた道を見つけて、一所懸命にやっていけばいいだけのこと。それだけだよ。道が見つからないのは、見つけようとしないだけ。見つけようとしたら、きっとなにか見つかるよ。

 みんな難しいことを考えすぎる。だから、わからなくなってしまう。考えても始まらない。自然に生きていくってことだよ。

 笹舟が、あっちこっちにぶつかりながら、川をどんどんと流れていく。ぼくなんか、そんなふうにして、仏さまに導かれて、気がついたら比叡山で行をやっていたという程度なんだよ。

 はじめて比叡山に来たのは、おばさんのお供で、丁稚みたいに荷物を持ってついてきたんだ。お寺の客間で待っているうちに、ぐーぐーと眠ってしまった。それが初めの一歩だったよ。

 出家したのは三十九のときで、坊さんになっても、ぼくにはなにもないから行き場がない。体を使ってやる行がいいだろうと思って、そちらに進ませてもらった。最初の三千回の五体投地の行も、九十日間の「常行三昧」のときも、痛いとか苦しいということよりも、「なんとまあ気持ちがいいなあ」と思ってやっただけだよ。行をやっていると、確実に手ごたえがあったわけだね。


 ●行は始めもなければ終わりもない

 ぼくにとって、行というのは、やらなければしょうがないからやるだけ。行には、始めもなければ終わりもないんだ。その道に入ったらストップなしだ。この先どうなるかなんて、わからないし、どうでもいい。ただひたすら進むだけだ。おしまいはないんだ。

 もう千日回峰行は終えたけれども、その精神は続いているよ。仏さまから「また千日回峰をやれ」と言われたら、いつでもやるという心構えがあるんだろうなあ。行は無始無終という約束をしている限り、また出て行かなくちゃならないんだ。

 ぼくは難しいことは知らなくて頭が空っぽだから、自由に動けるんだよな。ところがみんなは、知識が多くて考えすぎなんだ。考えすぎると自然の力が出なくなる。ありのまま自然の姿を受け止めて生きるようなればいい。自然というのは、仏さまであり神さまだよ。だから、自然に感謝していくのが大切なんだ。

 回峰行というのは、ただ山道を走るだけじゃなくて、礼拝行なんだよ。『法華経』の不軽菩薩の礼拝行だ。草とか石とか木とか、すべてに礼拝する行だ。難しいことはいらない。ただ拝んでいるだけのこと。

 雨の日は、ただ正直に雨に打たれて歩く。風の日は風に吹かれてひたすら歩くだけ。そこに無始無終ということばが出てくるんだよ。

 歯を食いしばってやるのが修行だという人もいるけど、ものごとをやるには、楽しんでやるのと、苦しんでやるのと二とおりしかない。芸術家でも、その道を楽しんでやっている人は、明るくていい作品ができる。どうせやるなら、楽しくやったほうがいい。

31いちりん:2002/09/16(月) 13:33
酒井阿闍梨のお話です。

---------------------------------------
 ●恥をかくのは当たり前

 いまの世の中は、いろいろと行き詰まっていて「この先どうなるんだろう」と心配している人もいると思う。でも、工事現場で砂を運ぶような仕事でも、なんでもあるわけだ。どんな仕事だって、ぽーんと入っていけば、やっていけるもんだよ。生きていく姿勢をつくろうと思ったら、くらいついていかなくちゃいけない。

 こないだまで社長をしていて、「あいつ、とうとうあそこまで落ちたのか」と言われたっていいじゃないか。そのうち、「あいつのためになにか考えてやろう」という人が出てきたりするもんだよ。

 不軽菩薩というのは、人を軽んじないという意味と、人から軽んじられるという意味と両方あるんだよね。ぼくの経験からいうと、両方だよ。

 ぼくなんか、恥の中で生まれて恥で育ったようなものだ。だから、恥をかくのは当たり前なんだ。「おまえはバカだ」と言われたって、「それもそうだよなあ」と平気でいるよ。どうでもいいんだ。「いいえ、違います」なんていう必要もないものね。

 なかには、ぼくのことを、生き仏のように思っている人もいたって、それは向こうが勝手に思っているだけで、ぼくはいつもと同じなんだ。「そんなもんじゃないよ」といっても、「いいえ、謙遜しないでください」って言われる。だから、世の中は、こんなもんかいなあと、楽しくてしようがない。
 
 ●決めた時間に行をすると、確実になにか変わってくる

 一般の人が、生活の中で、行をするとしたら、大切なことは、毎日、同じ時間でやるってことだね。なにも一時間も二時間も坐れというわけじゃない。

 たった五分でもいいから、決めた時間が来たら必ずやるんだ。夕方の六時でも、朝の五時でもいい。そうすると、だんだんと形になってきて、五分だと思っていても、三十分も坐っているようになってくる。それを毎日、やり続けるんだ。

 これは一日に一回やればいいいうのと違うんだ。決めた時間にやるところに、価値が出てくるんだ。坐ることでも、写経でも、「延命十句観音経」を読むのでもいい。庭に水をまくことでもいい。何でもいいから、自分で決めた時間に、毎日、やり続ける。

 かんたんなようだけど、これが難しい。三日目まではできても、四日目、五日目になると、きつくなってくる。そのうちに、「一日くらいはさぼってもいいや」という気持ちになる。それで、いちど崩してしまうと、もうできなくなってしまうんだ。

 毎日、やり続けていくと、確実になにか変わってくるよ。腹がまえが出てくるんだね。それに、日常のなかの思わぬところで、いいアイデアが浮かんでくる。

 ただ気をつけるのは、行をやっていると、「おれは行をやっているぞ」と、普通の人と違うということをアピールしたくなる。なにをしても、こだわったら駄目なんだ。だから、それこそ修行なんだよ。もう、なんにもなくなっちゃったらいい。なんにもないってのが、いちばん気が楽だよ。

32いちりん:2002/09/16(月) 13:34
酒井阿闍梨のお話です。

---------------------------------------
 ●一日一生

 ぼくは一日一生と思っている。

 回峰行で山を歩いているときは、動の世界。帰ってきて、草鞋を脱ぐと静の世界。夕方、すべてが終わって寝る。そして、翌朝は、また動の世界に入る。その繰り返しだ。

 動は生であり、静は死だ。死の世界は、生まれ変わるための準備だ。朝になったら、新しい自分がよみがえったと思ってやっていく。

 今日の自分は、今日でおしまい。明日は明日で、新しい人生だ。朝が来たら、また違う自分ということで、サラっと新しい感覚でいけばいい。

 ぼくは、今日のことは夕方になったら、みんな忘れてしまう。「そんな話をしたかなあ」なんて、みんな忘れてしまうんだ。だから気楽なもので、にこにこしてしまう。

 一日一生という気持でいれば、余分な荷物はいらないよ。今日のいざこざは、今日でおしまいで、明日まで持っていくことなんかない。ケンカしたやつに、翌日、道ばたで遭ったら、新しい出会いだ。「よう!元気か」といえばいい。

 そんな生き方になれば、女の人なんかお化粧しなくても、肌のツヤが出てきて、ぴかぴかして、ぺっぴんさんになってしまうよ。

 ●仏さまにおまかせする

 みんなが幸せになって、静かに平和に暮らせれば、それでいいんだ。

 自己を中心に考えて、自己を正当化しようとすると、すべておかしくなってしまうよ。あいつは、謝ったとか謝ってないとか、そんなことどうでもいいんでな。

 悪いものは悪くて、いいものはいいんだ。それだけのことで、それでいいじゃない。

 自然は山あり谷あり、登り道あり平坦な道ありだ。すべては、自然を中心に考えていけばいい。花一本でも、そこから学ぶものがある。自然に逆らわないようにして、自然にまかせて、でんと構えて待っているより仕方がない。

 すべてのものは、動いている。なにごとも、自分の思うようにはならないんだ。さきのことなんかわからない。

 ぼくは回峰行をしているとき、ぜんぶ仏さんの力でさせてもらっていると思ったよ。人間の力なんか、たかが知れている。だから、「腹をかまえる」とかいっても、結局のところ「仏さまにおまかせる」ということなんだなあ。

33犀角独歩:2002/09/16(月) 17:39

> 27

日本にはカルトと、葬式仏教(ソフト)・葬儀屋(ハード)しかない。その原因は菩薩戒を作った伝教にある…、端的にまとめればこのようはことを記されている。
顕正居士さんは、わたしが勝手に憶測していたより遙かに進歩的、かつ本質から論じる方であると思いました。

参考に上げられている三つのジャンプ。HIROさん、アーナンダさんの文章もなかなか面白いものでした。しかし、三つ目、故事留學趣談は細かいところまで意味が取れませんでした。「漢文は訓読しましょう」とはかつての顕正居士さんの私への注意でした。できましたら、他のロムの方のために訓読をお願いします。

私は六巻抄を考える段まで、日蓮以前に戻ってしまうと話がごちゃごちゃになって理解ができなくなるから、ここで線を引こうと度々提案してきたのですが、かくいう私自身、その提案を緩め、さらにカルト・マインド・コントロールという側面からも見直し始めるなど、いまや、この掲示板は多彩になりました。

いちりんさんのところ、楽市楽座のような分類があると、もっと見やすく理解の助にもなるだろうと思いながら、混乱の一端を担った自分がいうのもおこがましいと思っている次第です。

34顕正居士:2002/09/16(月) 21:56
恵敏法師の留学談話から

在日本的第二年,有一次在同學會上,我被分配照顧一位學妹。因為毎年台灣都
會有新的的留學生來,所以在同學會中,都會安排老生照顧新生,幇他找房子、
辯理入學手續。因為剛到日本,人地生疏,語言也還不通,所以需要老生帶著他
去辯這些事情,否則實在無法順利地安頓下來。

那位學妹請我帶彼去找房子,我説:「好阿!」然後就帶彼到一家房屋仲介公司
找房子。進到那家公司之後,我就對小姐説:「我們要找一間房子。」沒想到對
方一開口就稱呼我們:「貴夫婦……」,他以為我們是一對夫婦,要來找房子的
。在台灣絶對不可能發生這種情形。在台灣,一位出家人帶一位女衆去找房子時
,對方絶對不會稱呼他們「貴夫婦」。可是,在日本這種環境裡,縱使一個出家
人帶著一位女朋友在街上走,他們也不會覺得奇怪。甚至於他們也會主動和汝交
朋友,因為他們不會認為出家人交女朋友是不應該的。

日本での2年目、ある時の同學會で、私は一人の學妹を世話することになった。
毎年、台湾から新しい留学生が来るので、それで同學會は、新人を先輩が世話
して、アパートを捜したり、入学手続を代行したりの安排をするのである。
日本に来たばかりでは、事情に疎く、言葉も通じないから、先輩が彼と一緒に
此らの事柄を処理する必要がある。でないと安楽に生活を始める方法がない。

その學妹が私と一緒にアパートを捜して欲しいというから、私は「もちろん」
と答え、アパートを捜すため彼女と一緒にある不動産斡旋屋に行ったのです。
そのオフィスに入って、私が小姐のことを云った。「私達はアパートを捜して
います」と。相手が私達に云った開口一番が「あなたがたご夫婦……」である
とは思いもよらなかった。彼は私達が夫婦であり、アパートを捜していると
おもったのである。台湾でこうした状況が発生することは絶対にあり得ない。
台湾では出家者が女性と一緒にアパートを捜していて、相手が「あなたがた
ご夫婦」と呼ぶことは絶対にあり得ない。しかし日本の特殊な環境の下では、
たとえ出家者が女友達と一緒に街を歩いていても、全く奇怪に思われない。
場合によってはナンパしていると思われるだろう、出家者がガールフレンドを
作るのはおかしいなどとはぜんぜん見なされていないからである。

35犀角独歩:2002/09/16(月) 22:53

顕正居士さん:

愚鈍な私のために、訳をいただきましたことを感謝申し上げます。

36孤独な迷子:2002/09/21(土) 00:14
いちりんさん

 はじめまして、よろしくお願いします。

 レス<29>〜<32>読ませていただきました。うまく表現できませんが、感動しました。
 こういう生き方をしている方もいるのだなーと。読んでいて、何かさっぱりしているというか、拘りがないというか、自然に生きているという感じですね。

 良いお話を読ませていただきました。有り難うございます。

37いちりん:2002/09/21(土) 10:06
孤独な迷子さん

ありがとうございます。酒井阿闍梨は、ほんとにこだわりのない、気さくなさっぱりした方でした。そして、お顔がすばらしい。童のような無邪気な笑顔、つるっとした肌の輝きがありました。

わたしは仏がどうだら、やれ三身だの久遠がどうたらと論議しても、それはラチがあかないんだろうなと思っているのです。だって、見たこともあったこともないものの話をするわけですからね。生まれつきの盲人たちが、見たこともない光の色を論じているような。見たことがないから、話は複雑になりますよね。もしも、見てしまえば、話は簡単、と。

それで手っ取り早いのは、じかに、仏さんのような人に出会うと、なんとなくわかる、という考えでいます。「実物」や「手本」をじかに見たり、試したりするのか好きなのです。

もっとも、なかなかそういう人には会えないのですが、しかし、なにかの縁で、達人のようなすばらしい人には、出会う機会もありますよね。

で、わたしは、今回、酒井阿闍梨に出会って、ひとつつかんだのは、仏さんという境地は、もしかしたら、いつもこだわりのない人、瞬間瞬間こだわりがない人をいうんだろうなということでした。

修行というものは、あたりまえだけど、体を通して行じていくわけですよね。そして、仏教は、体の体験だということ。体を通してわかっていくということ。

そして、行を深めれば深めるほど、こだわりがなくなっていくものなんだなあ、と。

なにかをひとつひとつ「落としていく」んだろうな。「捨てていく」んだろうなと思いました。
それで、そういうことは、何宗でも何教でも、あるいは宗教でなくても、なんでもいいんでしょうね。ヘタな宗教ほど、こだわりが強くなってしまうわけです。わたしはそう思っています。

38ドプチェク:2002/09/22(日) 22:29
顕正居士さん

レス遅くなってしまいましたが、24でのご教示、ありがとうございました。

>>24

>不飲酒戒は五戒の一つですが、他の四戒は性戒(本質的の戒)、不飲酒戒は
>事戒(便宜的の戒)です。釈尊の教団は酒を飲むことを最初は禁止しなかった
>のですが、一部の人には飲酒が記憶を失うなどの不都合な作用がある理由から
>追加されました。

>チベットは寒冷、不毛の地で、肉食や飲酒が生存に必要であり、衣服もインド
>と同じのは無理です。だから肉食、飲酒、衣服等の規定が地方化しています。

出家者の禁酒に関しては、そういった事情があったのでしたか。
ならば、酒を口にする事それ自体は、そんなにまで目くじらを立てるようなものではないというわけなのですね。

日蓮聖人もチベットでの場合同様、相当の寒さの中で過されていましたので、お酒は健康を維持する上での薬代りの役目を果していたのでしょうね。
同時に、信徒からの真心の供養に対して感謝を込める意味でも。
顕正居士さんが掲載して下さいました「上野殿母尼御前御返事」にございます、子の南条七郎五郎を亡くして悲嘆に暮れていた上野母尼御前からのそれ(供養の酒)に対しては、きっと特別の感慨を抱きながら、口に含まれていた事なのでしょうね。
あのお話は、何とも言えない気持ちになってまいります。

39みかん:2002/10/01(火) 08:00
>>18
>なにしろ律宗は二乗不成仏・女人不成仏の小乗仏教であることをお忘れではないですか。

西大寺の真言律宗は真言宗なんですけどね。もちろん小乗仏教ではありません。
鎌倉時代にできたあたらしい教理です。
あまりにも的外れなご発言には、「折伏教典」を見ているのかとおもいましたよ。

40ワラシナ:2002/10/05(土) 20:57
「真宗」という月刊誌

0、いつもながらこの雑誌の教団機関誌としての安定感に感心しているものです。その長所を以下に並べます。

1、週刊誌サイズ、厚さ三ミリほどで活字びっしり、中身は読み応えある記事が一杯詰まっていて250円。この値段で実現できているのは多分購読者数が多いせいだろうと思う。価格と中身とのバランスに感心するのです。勿論紙質は劣りますが。

2、中身に移れば、真宗学の講義録などには、信者が当然抱くであろう所の内面的の疑問点が何の躊躇もなく織り込まれている。「懐疑への寛容」を感ずるのである(その許容範囲は当然真宗学内部で閉じているのであろうが)。

3、教団運営面でみれば、ほんとに羨ましいのが宗議会での答弁抄録掲載と一般質問の全文掲載。

4、教団運営面に感じたで次の羨ましさをいえば、宗学の社会への展開、応用教化学で、社会福祉事業と思えるような実践がごく自然に慣習のようになっている事。宗教人格練磨から始まった教育事業が学校法人としてそれを補完する様な体制になっている事。相乗効果になっている要領のよさ、うまいシステムなのである。教団が幼児から青少年にいたるまでの教育事業、学校運営を取り入れるようになっているのは過去からの伝統であろうが、最初にこれを思いついた人の英知に驚嘆するものである。

(*今日これをもたない教団がどれほどもろいか、未来への可能性絶無か、無力なことか。)

41犀角独歩:2002/10/05(土) 23:16

> 宗学の社会への展開、応用教化学で、社会福祉事業…今日これをもたない教団がどれほどもろいか、未来への可能性絶無か、無力なことか

まったく仰るとおりで、出来てもいない社会との融合を、あたかも出来ているように錯覚し、自己教団ないでしか通用しない“常識”で社会の一員であると錯覚することがいかに幻想であるか。

人の汚物も触ったことのない、傷ついて流れている血糊も触れたことのない人々の言う立正安国・世界平和のいかにも虚しい響きを私は大石寺系に感じます。

脱却後、どうしても社会福祉に携わらざるを得なかった私は、このワラシナさんの問題意識に強く同調します。

42初心:2003/09/10(水) 17:37
>38
忍性(良観)さんたちの公共事業は、民衆から資金を募って行われたもので、
これら事業以外の(通常の?)法務等で手に入った財を施したようなものでもなかったが、
おそらくは民衆の必要に応じた事業案を練るなどした、公共福祉の事業としては
一脈すぐれたものはあったんだろうと思う。あの時代にすごいことだ。すばらしい社会活動家ぶりである。

しかし、これ以降はスレ違いになるのだろうが、
仏門に身を投じたものとして、仏法にてらして、ブッダの視点、御本意にてらしてどうだったのか。
小乗はもとより権大乗も広まり、法華経までもすでに広まった日本国において、どうだったのか。

衆生の根本の、生死の苦しみを救い、宇宙法界というこの世界の最奥の立脚点よりみて、
真実理想の方向へと導く仏法、これに奉仕すべき仏弟子の立場に置いて、
本当に責任を果たしているといえるのか。たとえ医王如来と世間から呼ばれようとも、
すべての如来の本懐を、求めれば知りうる日本国にありながら、その一番大事なことを
衆生に施すことを、しようとでもしているか。
忍性たちの社会的成功によってかえって、民衆は真実佛教の道から遠ざかり、
無明の闇に迷ってしまっているのではないか。
佛教者のつとめである、衆生救済、菩薩行実践のために、なにが真実佛教の道かを
世に明らかにするとともに世をおおう迷いの雲を晴らし、
またその真実を一切衆生に、人々に伝えなければならぬ。
十数年の求道研鑽を経て、御題目口唱行に決定(けつじょう)し、旭が森の時をむかえた
宗祖の思いはそのようなものではなかったか。

日蓮門下を名乗るお互いが、忍性を再評価することは別として、
宗祖をそのように見てしまっているというのは悲しい限りです。
われわれもまた、上に書いた観点からたとえ相手のかのマザーテレサであっても、
宇宙法界、このせかいの真実のすがた、その道理からは反すると言わねばならならいし、
そうしてみずからも口唱し、人にもすすめる中で正しい道を指し示しつづけることが
すくなくともそう努力することが、
宗祖への大恩を報じ、またそのみこころをつぐことにつながるものであるはず。

無論、それぞれの分々において、それだけのことをいうに足る人間であるよう、
つとめるすがたがなければ、また真に御本意をくんで、口だけでない、ほかに疑いようのない
まごうことなき正法たる現証をいただくことができなければ、誰もその言動を本気で相手にしないでしょうが…。

43アネモネ:2003/09/10(水) 18:52
初心さん

はじめまして。ぶしつけながら、少し質問をさせて下さい。

>仏門に身を投じたものとして、仏法にてらして、ブッダの視点、御本意にてらしてどうだったのか。小乗はもとより権大乗も広まり、法華経までもすでに広まった日本国において、どうだったのか。

忍性(良観)の行いは、仏法にてらして、ブッダの視点、御本意に叶ったものではないのですか?

>衆生の根本の、生死の苦しみを救い、宇宙法界というこの世界の最奥の立脚点よりみて、真実理想の方向へと導く仏法、これに奉仕すべき仏弟子の立場に置いて、本当に責任を果たしているといえるのか。

果たしているとはいえないのですか?

>佛教者のつとめである、衆生救済、菩薩行実践のために、なにが真実佛教の道かを世に明らかにするとともに世をおおう迷いの雲を晴らし、またその真実を一切衆生に、人々に伝えなければならぬ。

ここでいう、伝えねばならぬという「真実佛教の道」とはどういうことですか?

>われわれもまた、上に書いた観点からたとえ相手のかのマザーテレサであっても、宇宙法界、このせかいの真実のすがた、その道理からは反すると言わねばならならいし、そうしてみずからも口唱し、人にもすすめる中で正しい道を指し示しつづけることがすくなくともそう努力することが、宗祖への大恩を報じ、またそのみこころをつぐことにつながるものであるはず。

マザーテレサの行いが正しい道ではないとみなされる、その「宇宙法界」、「この世界の真実のすがた」、「その道理」というものを、説明していただけませんでしょうか。
よろしくお願いいたします。

44愚鈍凡夫:2003/09/10(水) 21:13

初心さん、始めまして。愚鈍凡夫です。
小生は、アネモネさんの言うことに賛同します。
今日の命を繋ぐことに追われる人たちに、「宇宙法界論」が何の足しになりますか。
高尚な法理よりも、一片のパンのほうがはるかに価値がある場合もあるのですよ。
卓越した宗教家として、マザーテレサは身を以て知っていた。そう思います。

45アネモネ:2003/09/12(金) 10:33
愚鈍凡夫さん

>44
ありがとうございます。
先日は、シルクロードのとても興味深いレスを頂きながら、なんだかバタバタしておりまして、ご返信のレスもせず失礼をしておりました。
私は昔、ユダヤ問題に嵌ってしまいまして、それから興味を持つようになったんです。車も飛行機もない時代に、大陸や海を渡って文明が行き交っていたなんて、想像を絶するスケールのロマンがあり興味が尽きないです。
最近は意見が合いますね(笑)
今後ともよろしくお願いいたします。

46愚鈍凡夫:2003/09/12(金) 20:28

アネモネさん、こちらこそ宜しくお願いします。
マザーテレサの言葉で、感動した言葉は沢山あるのですが、3つほど紹介したいと思います。

「私は福祉活動をしているのではありません、私にとって大切なのは、群衆としての人々ではなく、個々の魂なのです」

「余った物、残り物は要りません。私たちが仕えている貧しい人たちは、あなた方からの憐れみも、見下すような態度も必要としていないのです。彼らが必要としているのは、あなた方の愛と親切なのです」

「貧しい人々のみじめさ、物質的な貧しさばかりでなく、その精神的な傷口にも私たちは手当をしてあげねばならないのです。私たちが彼らと1つに結ばれてその悲しみを分かち合う時にのみ、彼らの生活に神をもたらし、また彼らも神に近づいて癒されるのです。」

いつも、この人の中に不軽菩薩を見ていました。

47初心:2004/07/19(月) 14:39
>>43
律宗の教義がどうなのか、っていうところで勝負しなきゃだめなんじゃないか>忍性
ってことです。

いろいろむずかしい言葉を使いましたが、わたしは日蓮聖人の教えを信奉しています、っていうことである程度の
こたえになるでしょうか?。

48とんび:2005/12/17(土) 07:26:28
西山本門寺の話がでましたので、あえてこのスレッドに書き込みます。

松本師の話を、西山本門寺系の宗派の教義ととらえます。

 納得のいかない点があります。
以前、松本師とお話した際、聖人御難事の「余は二十七年なり」の解釈についてです。
いわゆる、「大難の年数を数えただけ」と主張されます。
 私は、どう読んでも、日蓮さんは、文意において「立宗より二十七年目で出世の本が
いを遂げた」(趣意)としか読めないのです。
 この点は、私は正宗よりの解釈です。

 そこで、日興跡条々事において、「弘安二年の大御本尊は、日目に之を相伝す。本門
寺に懸け奉るべし」の文をあげると、
 弘安二年の御本尊は、万年救護御本尊であるというのです。弘安二年に万年救護御本
尊は顕していないと思いますが、なぜそうなるのかはわかりません。

 日蓮門下も、聖人御難事の文意や開目抄の「しうしふも」「したしふも」「したしきふも」
とか解釈が分かれます。日蓮さんは、御本仏であるという主張から、菩薩であるという主張や
法華経のしゃく門や本門の解釈でもいろいろと違うのでしょう。

49独学徒:2005/12/17(土) 11:04:25

とんびさん、こんにちは。

所謂「万年救護本尊」は、弘安二年の時点で既に図顕されています。

松本師の、「弘安二年の大御本尊」=「万年救護本尊」の論拠は、彰往考来さんが、「現代人が納得できる日蓮教学」473のご投稿であげられています、ペンネーム蓮悟空著「変質した創価学会」に明らかです。
松本師は同書にて、日精上人の「家中抄」を論拠にあげています。

富士門家中見聞上(富士宗学要集第5巻―154頁)
「又弘安二年に三大秘法の口決を記録せり、此の年に大曼荼羅を日興に授与し給ふ万年救護の本尊と云ふは是れなり、日興より又日目に付属して今房州に在り」

つまり、松本師の言われる「万年救護本尊」は、北山の弘安三年の「万年救護本尊」等ではなく、文永十一年十二月の保田妙本寺のものとわかります。

http://www.lbis.jp/gohonzon/016.htm

いずれにしましても、松本師の教学解釈は、偽書・真偽未決書といわれる「相伝書」(本因妙抄など)によるところも多いようです。
「日興跡条々事」も、ここでは一級資料となりえません。
こちらも彰往考来さんの言われたとおり、三学無縁さんが専門的な研究成果を残されています。

50犀角独歩:2005/12/17(土) 11:14:55

とんびさん

まず、何故、このスレを選ばれるのか、不思議に思います。

> 松本師の話を、西山本門寺系の宗派の教義

このような理解は西山にも、松本さんにも迷惑なのではないでしょうか。

> 聖人御難事の「余は二十七年なり」の解釈

この点は、堀亨師の解釈がそうだということです。

『熱原法難史』に」「先師がかつて直ちに『聖人御難事鈔』の余は二十七年、この文を以って戒壇本尊(板本尊)顕彰(アラワス)の依文(タヨルブン)とされたようだが直接の文使はないようである」

つまり、石山がいうところもまちまちであるということです。
特に松本さんの説と言えるものではありません。


> 日興跡条々事…弘安二年の大御本尊…弘安二年に万年救護御本尊は顕していない

この点も既に言い古されていることであり、松本さんの説ということではありません。
れんさんが既に詳細を記されたことなので、掻い摘みますが、要は日精が弘安2年に万年救護本尊を日興に授与されたことを指していうことです。

> 日蓮門下も、聖人御難事の文意や開目抄の「しうしふも」「したしふも」「したしきふも」とか解釈が分かれます。日蓮さんは、御本仏であるという主張から、菩薩であるという主張や法華経のしゃく門や本門の解釈でもいろいろと違うのでしょう。

これも十分に論議されてきたことですが、そもそも『開目抄』真蹟は明治の大火で燃えてなくなっています。写本、伝本で種々説があり、いまだ特定されていないということです。日蓮本仏の違い、日蓮大菩薩、と法華本迹説は関係ありません。

51パンナコッタ:2005/12/17(土) 12:10:12
とんびさん、
蛇足ですけど、「聖人御難事」は、弘安二年十月一日の執筆です。
なんで、十二日に作られたとされる板本尊の証拠となるのでしょうか?

52犀角独歩:2005/12/17(土) 13:39:18

ついでに、「御書」によって、記せば

弘安2年10月12日に日興に宛てた手紙に「熱原の百姓等安堵せしめば、日秀等別に問注有るべからざるか」と記されています。
この手紙は二つのことを意味します。一つは手紙を送ったということは日興は身延にいなかったこと、もう一つは、12日の時点で日蓮は熱原衆が生きていると思っていることです。

そして同17日に「今月十五日酉時御文、同じき十七日酉時到来す。彼等御勘気を蒙るの時、南無妙法蓮華経と唱へ奉ると云云」とあり、ここで日蓮は15日に刑が執行されたことを知ったわけです。

しかし、「本門戒壇の大御本尊」の日付は12日、時系列が一致しないというのが、いままで議論してきたことです。

松本さんが、以上の点を踏まえていたかどうかは、失念しましたが、以上の次第です。

なお、『御伝土代』にいう弘安二年の本尊、日興跡条々事(偽書)にいう弘安二年本尊、そして、日精がいう弘安二年本尊、そして、いまある彫刻本尊が同一のものである証拠は何一つありません。これも既に議論してきたことです。

ご覧いただいたかどうかわかりませんが、今の彫刻は弘安3年5月9日の日禅授与漫荼羅を原本とし、臨模・作為した模造品です。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/doki.html
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/itamandarasingi.html

53れん:2005/12/17(土) 19:48:34
とんびさん
大黒師の編纂にかかる日興門流上代事典の日興跡条々事の項目には『大石寺日精「家中抄」の自筆正本「富士門家中見聞稿本零編」(〈研〉六・三四三)が本書に解釈を加える中に「日興カ宛身所給等トハ者是レ板御本尊ノ事也。今在2当山1也」と記されているが、同書頭注等は日精正筆には「…是万年救護御本尊事也。今在房州妙本寺也」と書かれていたのを、大石寺第三十一代・日因が引線・抹消して万年救護→板、房州妙本寺→当山と改字した事実を指摘している』と記されています。ちなみに妙本寺の万年救護本尊の図顕年月日は曼陀羅そのものに「文永十一年太才甲戌十二月日」と記されている通りです。日精の記述はつまり、この保田の大曼陀羅は弘安二年にいたり日蓮より日興に授与されたとしていると言うことです。
日興跡条条事は独歩の仰る通り偽書です。現在公開されている条条事の写真にみえる「御本尊」の筆字と大石寺六世日時筆「日興上人御伝草案」の中の「御本尊」の筆字が同じ筆運びなので、恐らく日時の作成にかかる文書でしょう。
なお、日時の日興上人御伝草案には熱原法難の時「大聖人御感あって日興上人と御本尊にあそばす」とあって、弘安二年の熱原法難時に日興への上人号授与の曼陀羅の日蓮の事績が述べられており、いくつかの大石寺日行・日時・日影・日有の曼陀羅の首題の経字の書体に、弘安二年に日蓮が曼陀羅に使用した首題の経字の書体が書写されていることから、初期石山には弘安二年に日蓮図顕の日興への上人号授与曼陀羅が存在していたものと思います。 なお、話が変わりますが、興風第十五号所収の池田令道師の「日重本録内御書に関する一考察」には弘安二年十一月六日付けの治部殿御返事(写真版を拝した池田師の記述によると本書は龍門御書と同内容・本文は日興代筆・署名花押は日蓮真蹟とのこと)が京都本圀寺に現存していることを紹介しています。このことから、弘安二年十一月六日には日興は身延に帰山していたことがわかります。

54れん:2005/12/17(土) 20:56:27
53の訂正です。
誤 独歩の仰る通り
正 独歩さんの仰る通り


初歩的な作文ミスで“さん”を付け忘れ大変失礼いたしました。ご無礼の段、何卒御海容ください。

55とんび:2005/12/17(土) 21:14:01
れんさん、彰往考来さん、犀角独歩さん、独学徒さん、パンナコッタさん
丁寧なレスありがとうございます。

 皆さんが、指摘される通りだと思います。
 松本師については、犀角独歩さんの、まさにいわれるところです。私が、松本師
の本を購入し、その内容や、松本師から聞いた言葉を、安易に引用してしまったこ
とが、良くなかったと思います。
 そのことにより、松本師や西山本門寺さんに迷惑がかかることを恐れます。
 
 私自身、蓮華寺事件も板曼荼羅事件も関心がありません。
 又、教えてくださったアドレスは今後参照したいと思います。

 みなさんの板曼荼羅へのご指摘は、文献上、的を得ている内容に思います。
 ただ、正宗の方にとっては、信仰の対象なので、私個人は、発言に慎重になって
しまいます。
 
 「日興跡々事」が偽書であるという指摘は、はじめて聞きました。大石寺版の御
書では、真跡が大石寺に現存するとありました。
 
 あちこちに視点がいってしまい申しわけないのですが、御本尊においては、浅井
会長の指導でもあったように、題目の主題の真下に、日蓮さんの御判形が、顕して
あるのは、やはり日蓮さんの意図があるものと感じます。
 あと日精上人は、正宗においては異流儀の管首だったというので、あまり信頼さ
れてはいないと思われます。

 実は、松本師の「南無妙法蓮華経要義」の本で、顕正会ではほとんど聞いたことの
ないことがあり、いずれアップしようと思っていたことに、「貞観政要」があります。

 他にもいくつかあるのですが、松本師は、あまり公人的な立場の人では、ないので、
その人の、言葉を持ち出すのは、問題があるかな..と思います。

 今気づくのもなんですが、創価学会版の仏教哲学大事典を所蔵しています。あまり
利用することがなかったのですが、そこから得られる情報もあるかと思います。
 ただ私は、池田大作氏は、好きではありませんが。信じている人には、ごめんなさい
です。

 それからこのスレッドを選んだのは、どこのスレッドに投稿していいのかわかなかった
ので、無難な所を選びました。
 私自身、発言の際は、もう少し慎重になり、できるだけ文献を示せるようにし、また、
できれば、仏教用語なり他の知識を得て発言した方が良いと思いました。

56パンナコッタ:2005/12/17(土) 22:23:30
とんびさん、
貞観政要なら、ここにUPされてますよ。
 http://www.genshu.gr.jp/DPJ/database/bunken/syahon/jiki_sya.htm

57犀角独歩:2005/12/18(日) 10:39:36

> 「日興跡々事」が偽書

これを真書であると言っているのは、石山門下ぐらいのものでしょう。
真筆大石寺にありといいながら、いまだ影本を出さないこと、引用されるたびに文章が違っていることで信頼性はありません。本物であれば、真筆の写真を発表すれば事足ります。

> 浅井会長の指導…日精上人は、正宗においては異流儀の管首

日精が異流儀の管首、いや貫主というのは要法寺系だという意味でしょうが、その要法寺の天原山六万坊義を援用しているのが顕正会でしょう。

また、日精が異流儀で信用ならんというのであれば、顕正会は石山から破門されて勝手に冨士大石寺を名乗っているだけです。何の信用があるというのでしょうか。

創価学会の仏教大辞典は、何でもかんでも「生命」で説明してあって、奇妙ですね。
仏教辞典であれば、わたしは織田佛教大辞典をお薦めします。

58とんび:2005/12/18(日) 21:47:26
パンナコッタさん、こんばんは。

さっそくの、ご紹介ありがとうございます。
私は、法門よりも、こういう話の方が、関心があります。
顕正会での信心活動において、原動力が、いわば仏国実現でした。
そんな理想社会など、あるわけなしい、今この娑婆世界が既に仏国であるともいえる
と思います。日蓮さんが、「極楽百年の修行は穢土の一日の功徳におよばず」(報恩抄でしたか)
と申しています。
 ですから、理想社会・良い社会においての仏道修行は、どのような意味があるのか...
という問いもあります。

 それは置いておきますが、やはり私の頭では、御書や経文、そして貞観政要も言葉が現代
言葉でないので、すんなりと入ってきません。
 でも紹介して下さった、貞観政要は読んでみたいと思います。

 また、「南無妙法蓮華経要義」を読んで感じたのは、正宗での折伏観とは違う..という
ことです。あくまで、人の振る舞いの上に法を説く・折伏するというのがあるようです。

 日蓮正宗は、創価学会、顕正会を生み出しました。また、将来同じような団体になりえる
講中も存在しているように思います。ですから、日蓮正宗は、基本的に何かが欠けているよ
うに思います。

59とんび:2005/12/18(日) 22:29:48
犀角独歩さん、こんばんは。

管首は、かんず(貫主)と書くつもりの誤記でした。
正宗では、日目上人が日興上人の一番弟子、最も信頼していた弟子と教えられました。
しかし、松本師との話の中で、「日代上人が、本当の一番弟子で、ちゃんと文書も残っている(趣意)」
ということを聞きました。それを支持するわけではないのですが、それが事実なら、大石寺の歴史が
清流であるとかいう根拠が崩れていくように思います。

 聖人御難事の記述で、「余は二十七年なり」の部分を、文字通り、立宗宣言から大難の年数だけを書
いたものである。とするものと、その文が、前文にかかり、余は出世の本がいが二十七年目にあたるのだよ..と
あえて読ませている..と解釈するものとあると思います。

 私は、あえて後者をとるなら、日蓮さんは、曼荼羅図顕を本がい、とされたのではなく、それ以外のことに
本がいをみいだされたものではないかと..感じています。
 たとえば、法門でとらえると。
 佐渡以前の教えは仏のに前の経とおぼしめせ(趣意)のごとくなら、佐渡以後が法華経のようなものととらえ
ると、曼荼羅の御判形が、主題の真下にかかるとされる、弘安年からが、法華経の寿量品のごとくの大事な
時期であり、そういう大事な法門があるよ..というような。

 曼荼羅の図顕と法門又は日蓮さんの振る舞いに、関連性があるのでは..と思ったりします。

60パンナコッタ:2005/12/18(日) 23:14:43
とんびさん、
「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし。日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり。
無間地獄の道をふさぎぬ。此の功徳は伝教・天台にも超え、竜樹・迦葉にもすぐれたり。極楽百年の修行は穢土一日の功に及ばず。
正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか。是れはひとへに日蓮が智のかしこきにはあらず、時のしからしむるのみ」
 は、ご指摘の通り報恩抄の一部ですが、残念ながら未存の断簡部分ですね。 だから、これが蓮祖が本当に書いた文なのかと
この板では慎重に扱う というスタンスをみなさん採っています。

貞観政要はあくまで唐の政治書物である という前提を踏まえておいてください。
  http://www.tabiken.com/history/doc/I/I302R100.HTM

>正宗での折伏観とは違う..
蓮祖そのものが折伏という言葉で、はたして布教していたのでしょうか?
摂受と折伏のスレで過去活発に議論がなされましたので、そちらを参考に。

一度に多くのことを吸収しようと思っても混乱の度合いを増すだけですので、各項目毎にノート等に纏めていった方が、
良いのではないでしょうか。

61犀角独歩:2005/12/19(月) 00:47:35

とんびさん

> 管首は、かんず(貫主)と書くつもりの誤記

誤記はわたしもしょっちゅうです。了解しました。


> 松本師…日代上人…本当の一番弟子…文書も残っている(趣意)」

この文書は何を指すのかわかりませんが、「一番弟子は一人」という固定観念にとらわれていると思います。『白蓮弟子分与申御筆御本尊目録事』を見れば日興第一の弟子は複数出てきます。重須本堂では日代、しかし、檀所では日順で、石山では日目であったということはではないでしょうか。当時、唯授一人相承などという事実は確認できません。

> 「余は二十七年なり」

わたしはこの文意は文字通りだと思いますよ。ただし、本尊との関係は見出せないと言うことです。

> 曼荼羅の御判形が、主題の真下にかかる

これは建治3年(56歳)、第41大漫荼羅の段階で既にその兆候が見られます。
つまり、実際と違っています。自分の芽で確認されてみてください。
http://nichirenscoffeehouse.net/GohonzonShu/041.html

62犀角独歩:2005/12/19(月) 00:49:10

【61の訂正】

誤)芽
正)目

眠くて誤打連発です。もう寝ます。

63れん:2005/12/19(月) 09:15:01
横レス失礼します。
とんびさん。
松本師の言われる文書とは西山本門寺にある日興置状(日代宛八通遺状)でしょうが、これも、正本の影本は公開されておらず、真偽未決文献であり、その扱いは条々事に近いものでしょう。執行海秀師の興門教学の研究に「これらの置文については古来より真偽の論があって、その成立には難しい点がある。けれども日代は日興の甥である関係から、日興が日代に重須を譲ったことは事実であろう」と述べており、石山六世日時の談話を記録した大石記に「重須の在所等の付弟は上人より日代に付け給ふなり」とあり、日興が重須を日代に譲ったのは事実と私も考えます。
独歩さんも仰っておられますが、「日興第一弟子」と記される門下は「白蓮弟子分与申御筆本尊目録事」には十三人の僧俗が記録されていますから、一番弟子は十三人となります。
ただし、日興は入滅のおよそ三ヶ月前の正慶元年十一月三日に書写し、日目に授与した曼陀羅に「最前上奏仁新田卿阿闍梨日目授与之、一中一弟子也」(御筆写真ならびに解説は日興上人御本尊集362〜363ページ)と授与書きしております。日目への授与書「一中一弟子也」の文意は、日興が第一の弟子とした門下の中でも日目を第一であるとするものでしょう。しかし、石山等で今日言われる意味での唯授一人血脈相承はこの時点では存在しません。よって日興は石山主職は日目、重須主職は日代、重須談所の学頭職は日順に付し、門徒の首長は日目と定めたということでしょうね。
松本師は西山の法縁ですから日代を日興の“本当の”一番弟子と拝したいという心情は理解できますが、日興の確かな真筆でそれを証するものは無いのが事実でしょう。

64彰往考来(しょうおうこうらい):2005/12/19(月) 16:54:20

>48 聖人御難事の「余は二十七年なり」の解釈について

「聖人御難事」の「余は27年なり」(『日蓮大聖人御書全集』昭和47年第67刷(初版:昭和27年)、創価学会、1189頁)の文をもって出世の本懐とするかどうかということですが、「聖人御難事」以外の蓮祖御書ではこのような年限記述はどうなっているでしょうか?
石山(富士大石寺)の資料ではその点を指摘した記述をみかけたことがありませんが、戒壇本尊(富士大石寺蔵の伝・弘安2年10月12日図顕とされる板漫荼羅)を否定する立場の人からは、27年出世の本懐説を否定するため指摘されることがあります。
以下、「聖人御難事」以外の蓮祖御書での年限記述をまとめてみます。御書の引用と頁は創価学会版『日蓮大聖人御書全集』です。
「中興入道消息」(弘安2年11月30日:1332頁)
「去ぬる建長五年四月二十八日より今弘安二年十一月まで二十七年が間・退転なく申しつより候」
「智妙房御返事」(弘安3年12月:1287頁)
「日蓮此の二十八年が間」
「諌暁八幡抄」(弘安3年12月:585頁)
「今日蓮は去ぬる建長五年癸丑四月二十八日より今年弘安三年太歳庚辰十二月にいたるまで二十八年が間又他事なし」
「八幡宮造営事」(弘安4年5月:1105頁)
「この法門申し候事すでに廿九年なり」

美濃周人氏が指摘しているように、執筆年と年限を並べてみましょう。
27年(弘安2年):「聖人御難事」
27年(弘安2年):「中興入道消息」
28年(弘安3年):「智妙房御返事」
28年(弘安3年):「諌暁八幡抄」
29年(弘安4年):「八幡宮造営事」

こうしてみると、私は27年というのは開宗からの年月を示しているにすぎないと考えます。もし、弘安2年に出世の本懐をとげられたのならそれ以後の御書に、引き続き28年、29年と出てくるのが説明つきません。
これらの御書のうち、「中興入道消息」は真蹟不在の録内御書、「八幡宮造営事」は真蹟不在の録外御書ですので、偽書の可能性があり割引いて考える必要がありますが、これらを除去しても結果は変わらないと思います。当然ながらこの二つの御書は米田淳雄編『平成新修日蓮聖人遺文集』(平成7年、日蓮宗妙法山連紹寺)には入集していません。
残り三点の御書の真蹟所在は「聖人御難事」と「智妙房御返事」が中山法華経寺、「諌暁八幡抄」が富士大石寺です。石山に「諌暁八幡抄」の御真筆があり、そこに「今日蓮は去ぬる建長五年癸丑四月二十八日より今年弘安三年太歳庚辰十二月にいたるまで二十八年が間又他事なし」とあって前年(弘安2年)のことが書かれていないことは非常に意味深いものがあると思います。この「諌暁八幡抄」の記載と「聖人御難事」の記載との関連について石山の資料にはこのような論点からのアプローチはなかったと思います。

<参考資料>
蓮悟空『変質した創価学会』(昭和47年、六藝書房、181頁)
美濃周人『日蓮正宗創価学会 謎の暗黒史』(1994年、三一書房、33頁)

65とんび:2005/12/19(月) 23:52:09
れんさん、こんばんは。

なんとなく、わかりました。
日目上人も日代上人もそれぞれ、日興上人に重んじられていたということは、
事実のようですね。

66とんび:2005/12/20(火) 00:22:39
パンナコッタさん、こんばんは。

報恩抄の該当部分の真跡が、「ない」という事実は、はじめて知りました。
真偽の問題をつきつめることは、大事だと思いますが、真跡や信頼できる古写本でない
いわゆる、真偽未決や偽書の疑いのある御書でも、慣れ親しんだ御書の一節や信仰の要
となっていた御書の一節が、数多くあるので、発想の転換が必要な気もしています。

 ただ、真跡がなく、偽書の疑いがあっても、慣れ親しんだ、御書の一節を頭から取り
除くは大変です。

 たとえぱ、法華本門宗血脈相承事(本因妙抄)や法華本門宗要抄など、自宗の都合の良
いように偽作されていると、思われるものでも、たとえば写本の際に、最後の方だけ付
け足したり、いくつかの部分だけ変えたりして、作られた、偽書もあるのかな..と。

 そうであるならば法門的には、そういう御書の一節であっても参考に成りえるのでは
ないかな..とも思います。

 折伏の過去のスレッドを読み始めています。
 一度に、いろいろなものを一辺に読み切れないので、少しずつです。
 簡単には吸収できませんね。

67とんび:2005/12/20(火) 01:19:36
訂正します。

報恩抄の該当部分の真跡が、「ない」という事実は、はじめて知りました。
真偽の問題をつきつめることは、大事だと思いますが、真跡や信頼できる古写本でない
いわゆる、真偽未決や偽書の疑いのある御書でも、慣れ親しんだ御書の一節や信仰の要
となっていた御書の一節が、数多くあるので、発想の転換が必要な気もしています。



報恩抄の該当部分の真跡が、「ない」という事実は、はじめて知りました。
真偽の問題をつきつめることは、大事だと思います。真跡や信頼できる古写本でない
いわゆる、真偽未決や偽書の疑いのある御書でも、慣れ親しんだ御書の一節や信仰の要
となっていた御書の一節が、数多くあるので、発想の転換が大変な気がします。

 に訂正します。

68彰往考来(しょうおうこうらい):2005/12/20(火) 07:28:20

>66 法門的には、そういう御書の一節であっても参考に成りえるのでは
とんびさん、

偽書はあくまで偽書です。偽書をもとに法門を語ることはできません。これと真偽未決御書とは区別する必要はあります。
偽書が有益であるとしたら宗史学的な観点からだけでしょう

69パンナコッタ:2005/12/20(火) 12:25:43
とんびさん、
蓮祖の真蹟断簡というのは実に数百あり、メモ書きのような物や下書き、何編か集めて
一つの書簡になっていたりします。 いつ・どこで・だれが・何の目的でそのように
したのかがはっきりしていない物が多数あり、簡単に切り文で引用される懸念もあるため、
未存・未決部分の取り扱いについては、やはり慎重を期した方がよいでしょう。

仮に後代の人物が蓮祖の考えとは違う自分の主観を書き、そこにこの断簡部分を混ぜて
”日蓮遺文”を主張したら、はたしてその文全体が蓮祖の意向となりえるでしょうか?

あくまでも一教団が信者向けにアピールしている事と、蓮祖自身が主張している事は、
明確に立て分けなければなりません。  これは引きづっている過去の、
蓮祖に仮託した”教団に服従させる思考”との決別でもあると思いますよ。


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