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日蓮聖人の本尊観

105ワラシナ:2002/08/12(月) 22:32
「現象仏と内面仏の二重内面」2

5、こう考える事の利点の一つは、「本因妙無仏時代にいかに発心修行が成立し得るのか」という問題がうまく処理されてくる事がある。
円教菩薩修行者の内面に内面仏が宿る瞬間を仏との出会い発心修行に匹敵させる、そして胸中の内面仏を自身の師匠に扱い、自身はそれに仕える立場、僧位に置く、そうすれば内面仏と言う人、その内面仏の所持する法を師匠にした師弟関係が成立する。それが玄義でいう「本仏に成立している別体三宝」の他に成り立っているもう一方の「本僧に成立する一体三宝」になると思う。

6、更に宗祖の工夫は内面仏の内面を因行面=主観性、果徳面=客観性の二重性で独立させたことにあった。その根拠として「因行果徳の二法」の「法」を類通三法妙三軌説と考えるからである。
この考えの応用範囲は広くて此処では論じきれない。
(h14・8・4)


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