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新・鉄道綜合スレ

2289チバQ:2018/09/13(木) 23:00:29
新幹線開業を境に地位低下

青函トンネルを抜ける「白鳥」。かつて蟹田駅にも停車していた=2008年3月(筆者撮影)

北海道新幹線の開業後、列車がめっきり減った蟹田駅=2018年8月(筆者撮影)
2002(平成14)年の東北新幹線・八戸開業、2010年の東北新幹線全線開通・新青森開業に合わせて、海峡線を行き来する列車は再編されたが、蟹田駅は津軽半島の拠点としての地位を守り続けた。特急が停車するたび、多いときは数十人が乗り降りした。東北新幹線全線開通時の2010年12月のダイヤ改正後には、特急10往復すべてが蟹田に停車するようになった。

しかし、2016年の北海道新幹線開業を境に、その光景は見られなくなった。津軽線と北海道新幹線は、津軽二股―奥津軽いまべつ間で容易に乗り継げるように見える。しかし、蟹田以北の津軽線の列車は1日わずか5往復にとどまり、待ち合わせ時間も長いため、接続機能は乏しい。多くの時間帯は、いったん青森まで戻り、さらに新青森駅まで乗り継いで、新幹線に乗る必要がある。

海峡線時代、蟹田から1時間半ほどで着けた函館まで、今では2時間半から4時間前後を要する。新幹線時代が訪れて、蟹田からは皮肉にも北海道が遠くなった。「風の町」に北海道新幹線は逆風を吹かせた。

地元はどう受け止めているのか。そもそも、北海道新幹線は何らかの恩恵をもたらしたのか。外ヶ浜町役場を訪れて、総務課の阿部清幸課長らに話を聞いた。

「新幹線の運賃が高くなったこともあり、住民からは『函館に行きづらくなった』という声を聞くことが多い」「わが家も以前なら、年に1回は函館へ出掛けていた。料金が安い割に、海を渡って小旅行気分に浸れた」「身内が県の南部に嫁いでいますが、帰省のとき、東北新幹線から奥羽線、津軽線の乗り継ぎが不便になった、と困っています」――。

通勤通学や日常生活への影響は限定的なようだが、特急列車の全廃は、暮らしの満足度に薄からぬ影を落としている様子だった。

一方の恩恵は、まだ目に見えにくい様子だ。在来線の利便性低下が、鉄道ファンの周遊性低下を招いている、という推測もある。


特急が姿を消した蟹田駅=2018年8月(筆者撮影)
沿線の人口減少や高齢化に伴い、北海道新幹線の開業前から、津軽線の利用者はじりじり減少していた。そこで、地域のイベントや祭りに合わせて、津軽線の利用促進と沿線の活性化の方策を探ろうと、JR東日本の青森運輸区職員らが5年ほど前、自治体と協力して「ガニ線プロジェクト」を立ち上げた。

その成果の一端として、2017年からは、町が毎年8月に開いているマラソン大会に合わせて臨時列車が運行するようになった。「1つの町のマラソン大会のために、臨時列車が走行するのは珍しい、と、その臨時列車が目当てで来訪した鉄道ファンもいた」と阿部課長。「1時間待っても乗りたい列車づくりを目指したい」「サイクルトレインや自転車愛好家との連携に活路を見いだせないか」。阿部課長らは思いをめぐらす。

北海道新幹線の通勤利用も
北海道新幹線開業がもたらした変化は、今別町でもいくつか耳にした。先にこの連載「若者を惹きつける『日本一小さい新幹線の町』」で紹介したように、今別町は県内で最も人口減少と高齢化が激しく、2018年6月現在の人口は約2700人、高齢化率は52%に達する。

それでも、町に伝わる伝統芸能「荒馬踊り」を伝承しようと、夏には全国から多数の若者が訪れるなど、町の姿は人口減少社会の将来像にいくつものヒントを投げかけてくる。

今回の訪問で、青森市から町の診療所に通う医療スタッフの1人が、冬季限定ながら、新幹線通勤に移行したという話を聞いた。北海道新幹線が地域の持続可能性を直接、左右し始めている形だ。

8月上旬の「荒馬まつり」には今年も全国から200人以上の若者が集まったほか、青函トンネル開通30周年を記念してJR北海道がイベントウォーク「ヘルシーウォーキング」を開催、130人ほどが参加して、例年以上のにぎわいがあったという。


奥津軽いまべつ駅を通過するH5系と貨物列車用線路(中央)、津軽線(左)=2018年8月(筆者撮影)
奥津軽いまべつ駅は1日平均乗車人員が60人という“最少の新幹線駅”ながら、「この日は午前10時台、はやぶさ1号、16号合わせて約130人もの乗降があった」と町役場の岩渕健企画財政課長は感慨深げに振り返る。


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