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ロシア・韃靼・ユーラシアスレ

397チバQ:2015/06/26(金) 22:32:29
http://mainichi.jp/select/news/20150627k0000m030084000c.html
ロシア:プリマコフ氏が死去 エリツィン政権で外相や首相
毎日新聞 2015年06月26日 21時42分

 【モスクワ杉尾直哉】ロシアのエリツィン政権で外相、首相を歴任したエブゲーニー・プリマコフ氏が26日、死去した。85歳だった。ソ連崩壊(1991年)後の混乱から国内経済を立て直し、欧米との対決姿勢を取る今日のロシア政治・外交の原形を作った。

 死因は明らかにされていない。関係者によると最近、体調を崩して入院していた。プーチン大統領は深い弔意を遺族に伝えた。露大統領府によると、プーチン氏は1カ月前にプリマコフ氏を訪ね、国際問題について考えを聞いていたという。

 ロシアがルーブル危機に直面した98年に首相就任。8カ月間の在任中、体調不調のエリツィン大統領に代わって事実上の「大統領代行」を務めた。日露交渉では北方領土の「共同経済開発」を提案した。「国営企業の強化」を訴え、経済の立て直しに貢献したと評価されている。

 中東専門家としても知られる。91年2月の湾岸戦争の地上戦が始まる直前、ソ連政府特使としてイラクに派遣され、フセイン大統領から停戦の用意があるとの発言を引き出した。

 プリマコフ氏は29年、ウクライナの首都キエフで生まれた。60年代にソ連共産党機関紙「プラウダ」の特派員として中東に駐在し、フセイン氏らと知り合った。ゴルバチョフ時代の89年に党中央委員、ソ連最高会議連邦会議議長などを歴任した。91年に秘密警察・国家保安委員会(KGB)が解体された際、新たに設置された対外情報庁(SVR)の初代長官を務めた。

 96年、外相に就任。北大西洋条約機構(NATO)の東方拡大に強く反対した。99年に訪米のため政府専用機で大西洋を移動中、NATOの旧ユーゴスラビア空爆を知り、抗議のため方向転換し帰国した。こわもてぶりでも知られ、プーチン氏や露外交関係者から敬意を込めて「パトリアルフ」(最長老、先覚者の意味)と呼ばれてきた。

 一時はエリツィン大統領の後任とも言われていた。政界から離れた後は産業団体代表などを務めたが、外交問題への発言は常に注目されてきた。昨年のウクライナ危機でも、プーチン氏によるクリミア編入を「ロシアの利益を守るため当然のことをした」と述べ、「お墨付き」を与えた。


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