[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
ロシア・韃靼・ユーラシアスレ
2377
:
OS5
:2025/07/14(月) 09:07:02
https://news.yahoo.co.jp/articles/f540ff684ae9056338c61f8f7b8fbfbff7a42ade
独立派台頭、虐殺否定論はびこる 民族融和の理想遠く ボスニア和平30年
7/14(月) 7:10配信
時事通信
分離独立運動を率いるドディク氏のポスターを掲げる支持者ら=2月26日、ボスニア・ヘルツェゴビナ北部バニャルカ(AFP時事)
【ベルリン時事】「第2次大戦後の欧州で最悪の虐殺」と呼ばれるスレブレニツァ事件(1995年)が起きたボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の和平合意から今年で30年。
主要3民族のうち、セルビア人勢力の間で分離独立派が台頭し、事件を巡り「集団虐殺ではなかった」との否定論がはびこっている。民族対立は先鋭化し、融和を目指した和平の理想とはほど遠い現実に直面している。
「われわれには力強い国家が必要だ。(イスラム教徒の)ボスニャク人やクロアチア人ではなく、セルビアとともにその基盤を作りたい」。ボスニアを構成する「セルビア人共和国」を率いるドディク大統領は今月6日の演説で、隣国セルビアとの統合が最終目標だと言い切った。
紛争に区切りを付けた95年のデートン合意は、セルビア人共和国と、ボスニャク系とクロアチア系が統治する「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」にそれぞれ高度な自治を認め、分断が固定化された。融和の機運は乏しく、「国造りの失敗」(米シンクタンク)との見方がもっぱらだ。
紛争末期にセルビア人勢力が東部スレブレニツァで8300人以上のボスニャク人を殺害した事件について、国際司法裁判所は民族排除を目的とした「ジェノサイド(集団殺害)」と認定した。しかし事件から30年の節目を迎えた今月11日、セルビアのブチッチ大統領は「恐ろしい犯罪」との位置付けにとどめた。
こうした虐殺を矮小(わいしょう)化する動きに対し、ボスニャク人代表者は同日行われた事件の追悼式で「30年間ウソや否定論を聞き続けてきた」と語り、いら立ちをあらわにした。
ただ、ボスニアは統一した国家として欧州連合(EU)加盟を目指しており、汚職対策などで一定の成果が出るなど融和の芽は残っている。セルビア系の分離運動を率いるドディク氏を巡っては今年2月、和平合意を監視する国際機関の決定に背いたとして、禁錮1年と6年間の職務禁止の一審判決が下され、分離運動にも転機が訪れている。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板