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【廃道・隧道】山さ行がねが応援スレ【冒険・探索】
651
:
とはずがたり
:2021/04/12(月) 10:38:14
>>647
>>650
おお,この頁詳しい。岩内線国富駅の専用線迄絡んでるとは!!!S32では国富にあるのは住友金属鉱山。佐賀関は勿論日本鉱業で,日窒はあちこちに鉱物出荷してたんだな。
ヤンマーの工場は駅の西側に拡がって居る。
http://nishimiyaushiro.blog18.fc2.com/blog-entry-741.html?sp
日窒鉱業土倉鉱業所→ヤンマーディーゼル木之本工場専用線(北陸本線木ノ本駅)
専用線跡
2018/09/2422:33 0 0
日窒鉱業土倉鉱業所の索道から鉱石を積替えていた専用線。
鉱山は1965(昭和40)年に閉山になりますが2年後の1967(昭和42)年9月には同じ土地にヤンマーディーゼル(現・ヤンマー)木之本工場が竣工しています。
鉱山時代は選鉱された黄銅鉱や黄鉄鉱の精錬所へ積出しや鉱山で使用する資材の到着に使われていたようです。
この専用線や索道ができる前に鉱山から馬車で隣の中ノ郷駅へ鉱石を輸送していた頃から出荷先の精錬所はばらばらだったようで北海道の国富精錬所(敦賀港〜小樽は船舶輸送、小樽から函館本線経由、旧・岩内線国富駅より専用線が分岐)や大分県の日鉱佐賀関(関西から船舶輸送か)など非常に遠くまで送られていました。
2018(平成30)年9月26日追記
土倉鉱山が日窒鉱業の手に渡り1934(昭和9)年11月に土倉〜木ノ本13,201mの架空索道が開業。
翌1935(昭和10)年2月には木ノ本駅に隣接して木之本硫酸工場を起工、1937(昭和12)年2月に操業開始しています。
この工場では土倉鉱山から索道で送られてくる黄鉄鉱、黄銅鉱から硫酸を精製していたようですが1943(昭和18)年5月に解体とのこと。
戦後の航空写真を見ると日窒鉱業の敷地が広い割にガランとしてるのはプラント跡地となっていたためのようです。
kinomoto_p.jpg
硫酸を生成した後の銅は敦賀港まで貨車で運び当時日窒の本拠地だった朝鮮半島の日窒鉱業興南精錬所(現・朝鮮民主主義人民共和国咸鏡南道咸興市)へ送って製錬していました。
ヤンマーディーゼルになった後は現在までトラクターを生産していますが専用線は原材料の到着か製品出荷に使っていたものと思われます。
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