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【廃道・隧道】山さ行がねが応援スレ【冒険・探索】
264
:
とはずがたり
:2015/01/20(火) 12:04:08
これはずげえ。こんな所に災害復旧ということで高率で国費が投入されるのは我慢ならんな。
とっとと指定解除して廃道にすべきである(;´Д`)
集落跡の記述をみると歴史の重みも感じざるを得ないのであるけど。。
r10はr27とともに金沢から砺波へ出る主要地方道。r10は湯涌温泉,r27は医王山経由。r27の整備っぷりは素晴らしい。
【日本最凶険道】開かずの富山県道54号線@2013−OP
https://www.youtube.com/watch?v=NSrazCJSg20
富山県道54号福光上平線
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%B1%B1%E7%9C%8C%E9%81%9354%E5%8F%B7%E7%A6%8F%E5%85%89%E4%B8%8A%E5%B9%B3%E7%B7%9A
古くは塩硝街道とよばれ、五箇山で産出した塩硝を金沢まで運ぶ重要なルートであった。
沿線集落跡[編集]
刀利:刀利集落はダム水没に伴い、1961年(昭和36年)に解村式を行い、1963年(昭和38年)に廃村。水没地東方山頂に刀利城跡があり、城主は宇野宗右衛門で佐々成政、前田利家に仕えたという。刀利は下刀利と上刀利に分かれ、現在の刀利山崎公園の直下、標高554mの丸山の南方に下刀利、700mほど上流に上刀利があった。上刀利には学校があった。
瀧谷:上刀利の更に上流にあった集落。ダム水没に伴い、1961年(昭和36年)に解村式を行い、1962年(昭和37年)廃村。
中河内:刀利ダムからの水没は免れたが1966年(昭和41年)に解村式を行い、廃村。現在は無住地。現在の国土地理院の地形図には地名すら載っていない。福光町立南部小学校中河内分校・福光町立福光中学校中河内分校跡の石柱が立てられている。この地は江戸期には遊廓があり、「中河内で見たような女郎が、今朝は湯涌の町で見た」の小唄[1]が残されている。昭和初期まで、ここから赤堂(あかんどう)山、大倉山を越えて、石川県石川郡犀川村の倉谷集落に通ずる道があった[2]。
下小屋:猿ヶ山西麓にあった集落。中河内と同様、刀利ダムからの水没は免れたものの、1966年(昭和41年)に解村式を行い、廃村。現在は無住地。現在の国土地理院の地形図には地名すら載っていない。福光町立太美山小学校下小屋分校跡の石柱が立てられている。昭和初期まで、ここから月ヶ原山を越えて、石川県石川郡犀川村の倉谷集落に通ずる道があった。1821年(文政4年)8月測量の『三洲測量図籍』[3]によると、「下古屋」とある。
気になったので逝ってみた。←女性あ8あいだオブローダーの方みたいだ♪
富山県道54号
http://www.geocities.jp/classicmegu/kiniikir54.html
平成9年頃は乗用車でも通り抜けれたのですが、今は完璧に四輪を阻む体勢。
東海北陸自動車道が併走して開通した事もあり、
後は放置&廃道の一途を辿っています。
ヘタレなおばちゃんですので、こういった道は徒歩と逝きたいワケですが
距離が長いしブナオ峠ってのを越えなくちゃあかんので、体力的に無理と悟り
レイドでおっかなびっくりの突撃となったのです。
使用車TT250Rレイド 2006.6.11探索
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