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人口問題・少子化・家族の経済学

1とはずがたり:2006/05/24(水) 08:37:24
深刻な少子高齢化・都市人口の変遷・女性の社会進出を巡る話題など

リンク
http://members.at.infoseek.co.jp/tohazugatali/pop.html

1053名無しさん:2015/06/07(日) 17:20:17
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150605-00010002-yomidr-hlth
寝たきり老人がいない欧米、日本とどこが違うのか(1)
読売新聞(ヨミドクター) 6月5日(金)12時19分配信

 世界一の長寿を誇る日本は、医療技術が進歩したばかりに、高齢者が意識のない状態で何年間も寝たきりになる国でもある。読売新聞の医療サイト「ヨミドクター」でそんな状況に疑問を投げかけ、反響を呼んだブログ「今こそ考えよう 高齢者の終末期医療」。このブログに大幅加筆して、『欧米に寝たきり老人はいない―自分で決める人生最後の医療』(中央公論新社、税抜き1400円)を6月10日に出版する内科医、宮本顕二・礼子夫妻に話を聞いた。(ヨミドクター編集長・岩永直子)

 ――なぜこのテーマで書かれたのですか?

 夫妻「日本では高齢者が終末期に食べられなくなると、点滴や経管栄養(鼻チューブ、胃ろう)で水分と栄養が補給されます。本人は何もわからないだけでなく、とても苦しいたんの吸引をされ、床ずれもできます。栄養の管を抜かないように手が縛られることもあります。人生の終わりがこれでよいのだろうかとブログで発信すると、多くの読者から体験に基づいた切実な意見が寄せられました。これを本にして多くの人に紹介し、高齢者の延命問題を一緒に考えたいと思いました」


 ――ヨミドクターのブログ連載は、非常に反響が多かったです。なぜこれほど関心を集めたと思いますか。

 宮本礼子「多くの人にとって切実な問題となっているからだと思います。たとえば、私の認知症外来は、家族の方も一緒に診察室に入っていただきます。そして、お話しできる患者さんには、『将来、食べられなくなった時に、胃ろうや鼻チューブで栄養を補ってほしいですか』と聞きます。一部の患者さんは『わからない』と言いますが、多くの患者さんは『そんなことはされたくない。そうなったらもうおしまいだわ』と言います。その時、家族も必ず自分の希望を言います。『私も望まない』と言う人ばかりです。『尊厳死協会に入っています』と言う人もいて、皆さん関心が高いです。『自分の親は何年も胃ろうで生きていて切なかった』という人もいます。そういう人は、意思がより強固です」。

 「そして、マスコミの影響もあるのでしょう。何年も前から胃ろうの問題はあちこちで取りあげられるようになってきました。また、胃ろうや鼻チューブや点滴の高齢者があまりにも増え、必ず誰か知り合いに使っている人がいます。関心を持たずにはいられませんよね」

 宮本顕二「多くの人が80歳、90歳まで長生きするようになり、寝たきり老人も増えました。同時に、そういう姿を見ている人も増えているのでしょうね。そして、考えるのではないでしょうか、「自分の親にはどうするか、自分の場合はどうするか」と。


 ――終末期の高齢者に延命治療が普通に行われる背景に、どんな状態でも延命すべきと思い込んでいる医師が多数いると書かれています。先生方は問題意識を持つ前は、どのような対応をしていましたか。

 礼子「医学生時代は終末期医療の教育を受けませんでした。医療現場では終末期医療について、先輩や同僚と話をすることはありません。そのため、延命に対して問題意識を持つまでは、点滴や経管栄養を減らすとか、行わないとかは考えもしませんでした。むしろ、脱水状態や低栄養にしてはいけないと思っていました。終末期の高齢者だからといって、医療の内容を変えることはしませんでした」

 顕二「僕が研修医の時は患者が亡くなる時まで濃厚な医療をやっていました。たとえば、がん末期の患者が亡くなる時は心臓マッサージをして、同時に人工呼吸器を付けるのは当たり前でした。当然そうするものだと思ってやっていました」

 礼子「ただ、高齢者は体力が違いますから、大腸の内視鏡とか、胃カメラとか、検査に耐えうるかどうかは、考えて決めていました」

1054名無しさん:2015/06/07(日) 17:20:29
>>1053

 ――患者の家族の方でも、延命医療を望む人はいるのではないですか?

 礼子「最近はいないですが、以前は、家族の中には、『他の家族が着くまでは生かしておいてほしい』と言う人がいて、心臓マッサージを家族が来るまで続けたことがありました。また、最近でも『生きているだけでいいから』とアルツハイマー病の終末期の患者に、経管栄養を希望する家族もいます」

 顕二「家族からの要望は、病気によっても違います。がんだと、結局亡くなるのだから延命処置は意味がないと、家族は思っています。問題はがん以外の病気です。がん以外の病気で亡くなることに納得できない家族が多く、延命処置を望む人は多いですね」


 ――2007年にスウェーデンに終末期医療の視察に行かれて、先生方の意識も変わられたのですね。何が一番印象的でしたか。

 礼子「スウェーデンが初めての海外視察だったのですが、食べなくなった高齢者に点滴も経管栄養もしないで、食べるだけ、飲めるだけで看取(みと)るということが衝撃的でしたね。脱水、低栄養になっても患者は苦しまない。かえって楽に死ねるとわかり、夫と私の常識はひっくり返ったのです。そして施設入所者は、住んでいるところで看取られるということも、日本の常識とは違うので驚きました。視察先の医師も、自分の父親が肺がんで亡くなった時に、亡くなる数日前まで普通に話をしていて、食べるだけ、飲めるだけで穏やかに逝ったと言っていました」

 顕二「日本では、高齢で飲み込む力が衰えた人は、口内の細菌や食べ物が肺に入って起きる『誤嚥ごえん性肺炎』を繰り返して亡くなることが多いです。誤嚥(ごえん)性肺炎の論文もほとんど日本人の研究者が書いているのです。当時も今も誤嚥性肺炎対策が高齢者医療の重要なテーマです。この誤嚥性肺炎について、スウェーデンで尋ねたら、『何それ?』ときょとんとされたのが衝撃でした。スウェーデンでは、誤嚥性肺炎を繰り返すような悪い状態になる前に亡くなっているので、あまり問題にならないのです。延命処置で病気を作って、かえって患者を苦しめている日本の現状を強く認識しました」


 ――日本の終末期医療とは全く違うと感じたのですね。

 礼子「180度違いました。日本は終末期の高齢者であっても、医療の内容を変えることはありません。一方スウェーデンでは、緩和医療に徹しています」

 顕二「肺炎でも点滴も注射もしない。それは日本とは全く違うので驚きでした。スウェーデンは、当初、認知症治療がどうなっているのかを見るのが目的だったのです。しかし、終末期医療の違いにびっくりして、次のオーストラリア視察は、終末期医療の視察に目的が変わりました」

 礼子「オーストラリアに行った理由は、緩和医療に熱心に取り組んでいる国と聞いたからです。しかし正直なところ、スウェーデンがあまりにも日本と違うことをしているので、スウェーデンだけが特殊な国ではないかと思い、他の国の実態を確かめに行ったのです。そうしたら、日本のほうが特殊な国だった。ただ、よく考えてみると、日本も昔はスウェーデンと同じで、食べられなくなった高齢者はリンゴの搾り汁を口に含む程度で、家で穏やかに亡くなっていました。昔の日本の終末期医療は、今のスウェーデンやオーストラリアと同じであったことに気がつきました」

 顕二「スウェーデンに行った時、研修医の時にお世話になった、ベテランの副院長のことを思い出しました。僕ら研修医はがんがん延命処置をするわけですが、副院長は当時の僕から見たらのらりくらりで何もしない。しかし、僕ら研修医が手を尽くした患者さんが亡くなった時、その患者さんの状況はというと悲惨なのです。血が飛び散って、点滴によるむくみもひどい。だから、看護師が家族をいったん外に出し、患者さんの体をきれいにしてから対面させたものです。一方、副院長が看取った患者さんは皆きれいで穏やかでした。当時の副院長の思いが、今になってわかりました」

 礼子「帰国後に、以前勤めていた病院で報告会をしたんです。その病院は、99歳でも胃ろうを作るし、終末期であっても人工呼吸器をつけたり血液透析をしたりする、スウェーデンとは正反対の病院でした。点滴や気管に入っている管を抜かないように、体がベッドに縛り付けられる患者さんの姿に、『年を取るのが恐ろしい』、『このようなことが許されるのか。医療が高齢者を食い物にしている』と怒っていた看護師もいました。そのためか、私の報告に対して、現場の看護師から称賛の声が上がりました。『私も年を取った時に、こういう亡くなり方をしたい』と。海外視察で、日本の高齢者の終末期の悲惨さは許されないことであることに気づき、この現状を変えるために何かしようと思い始めたのです」

1055名無しさん:2015/06/07(日) 17:20:39
>>1054

 ――スウェーデン、オーストラリア、オーストリア、オランダ、スペイン、アメリカと6か国の終末期医療を視察し、その様子が本の中で詳しく紹介されています。無意味な延命治療をしないというプラス面も書かれていますが、必要な治療が受けられないなどの、マイナス面も書かれています。

 礼子「医療は過少でも過剰でもないことが理想ですが、その国の医療制度が反映されるので、その実現はなかなか難しいです。良いことばかりではないです。日本ならば助かる肺炎の患者さんも、この国では亡くなるだろうと思いました。そのため、諸外国のまねをするのではなく、日本の終末期医療のあり方を模索することが大事だと思います。

 顕二「海外の医療状況を紹介している本を読んでみても、いいことしか書かれていない。リハビリが素晴らしい、とか。でも日本のリハビリだって素晴らしいし、決して欧米にひけを取らない。そもそも根本から、終末期医療の考え方が違うということをこの本で伝えたかったんです」

 「延命処置をしないというと勘違いされるのですが、何もしないわけじゃない。延命処置はしなくても、緩和医療には手を尽くす。延命処置をする時間があったら、緩和医療に時間や人を割こうというのが、海外視察を通じて学んだことです」


 ――海外に比べ、日本は終末期の緩和医療はおろそかにされていますか?

 顕二「海外では、がん以外の患者にもモルヒネを使い、痛みや苦しさを緩和することを重視していますが、日本ではあまり使いません。また、日本では延命処置をしないことが緩和医療につながると理解している医療者は少ないです。点滴の針を刺したり、尿道にカテーテルを入れて、つらい思いをさせます。水分も過剰に投与するので、痰(たん)が多く、痰を吸引する苦しみを与えています。ストレスから消化管出血もよく起こします。誤嚥性肺炎を繰り返し、発熱や呼吸困難が起きます。問題は濃厚な延命処置を行って、患者を苦しめていることに気がついていない、あるいは気がついても目をつぶっていることと思います。その視点に立つと、日本では緩和医療がおろそかにされていると思います」

【略歴】
◆宮本顕二(みやもと・けんじ)
 北海道中央労災病院長、北海道大名誉教授。1976年、北海道大卒。日本呼吸ケア・リハビリテーション学会理事長。専門は、呼吸器内科、リハビリテーション科。「高齢者の終末期医療を考える会」事務局。

◆宮本礼子(みやもと・れいこ)
 桜台明日佳病院認知症総合支援センター長。1979年、旭川医大卒。2012年に「高齢者の終末期医療を考える会」を札幌で立ち上げ、代表として活動。

1056名無しさん:2015/06/07(日) 17:22:18
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=119446
宮本顕二・礼子夫妻(2)なぜ、自然死ができないのか

 ――お二人は、2012年に「高齢者の終末期医療を考える会」を、札幌で立ち上げました。どのような会なのですか?

 宮本礼子「高齢者が穏やかな最期を迎えられるために、医療・介護関係者向けの講演会と市民公開講座をそれぞれ年1回開催しています。『平穏死のすすめ』を書かれた石飛幸三先生にも講演していただきました。来年は『大往生したけりゃ医療とかかわるな』を書かれた中村仁一先生にビデオ講演をお願いしています。お二人とも、終末期の高齢者には無駄な延命処置をするべきではないと考えている医師です。毎回400人近くの参加があり、関心の高さを感じます」


 ――一方、本の中で、「終末期医療の問題に、大半の医師は積極的にかかわろうとしない。むしろ解決を妨げている」と厳しく指摘もされています。

 礼子「例えば、私が今までに勤めた病院では、高齢者の終末期医療について『これでいいのか』と問題提起をした医師は誰もいませんでした。ブログのコメントには、問題意識のある先生が『これでいいと思っている医師は一人もいません』と書いていますが、現状を変えようとして行動を起こす医師はなかなかいません。私は、北海道にそうした会がなかったので、自分で作りました」


 ――医師は疲れているのでしょうか。

 礼子「自分一人の力では変えられないと思っているのではないでしょうか。延命に対する国民の意識の問題、医療制度・診療報酬の問題、看取みとってくれる自宅や施設の受け皿の問題など、問題がたくさんあり過ぎて、どうしようもないと思っているのではないでしょうか」

 宮本顕二「家族との対応ひとつにしてもそうです。たとえば、今の状況で、自分の考えに従って自然な看取りを実践しようとしても、患者の家族に一人でも反対者がいれば、後で訴訟に巻き込まれる可能性があります。それを防ごうとしたら、ものすごく手間と時間をかける必要があります。家族に説明する時間も10分や20分で済むはずがありません。しかも繰り返す必要があります。多忙な医療現場でそんな余裕はないでしょう」

 礼子「病院経営の問題もあります。今や、療養病床の半分以上、多分7、8割は、経管栄養や中心静脈栄養で延命されている人たちです。そのため、点滴や経管栄養を行わなかったり、中止したりすると、患者さんは2週間ほどで亡くなるので、病床が空き、病院経営が苦しくなります。しかし、2030年には死亡者が今より40万人増加し、看取り先の確保が困難になると言われているので、延命しないことがベッド不足を解決するカギになります」


 ――診療報酬上の対策は講じられているのでしょうか。

 顕二「胃ろうについては動き出しました。昨年から胃ろうを作る時の診療報酬が減額になりました。また、胃ろうを年間50件以上作っている施設では、作る前にのみ込む機能の検査をしないと診療報酬がさらに減額になりました。しかし、胃ろうを作ったからと言って、胃ろうの患者を診ている病院の診療報酬が上がるわけではありません」


 ――先生方は医師ですが、病院経営側から、終末期の医療に口を出されることがありますか?

 礼子「直接はありません。しかし療養病床は、中心静脈栄養や24時間の持続点滴を行ったり、人工呼吸器をつけたりすると診療報酬が高くなります。そうすると、点滴も何もしないで看取る患者は診療報酬が低いので、経営的には不利になります。そのため、診療報酬が低い人は何名までに抑えてください、と言われます。診療報酬が低い人は、入院できないことが多いです。」


 ――そうなると、声を上げても無駄だとあきらめてしまう医師が多いのもわかりますね。

 礼子「そうですね。一番の問題は、点滴も経管栄養も行わずに死んでいける場所がないということです。自宅でも看取ってくれる医師が少ないし、家族も介護しきれない。施設はどうかというと、92歳の夫の母が有料老人ホームに入っていますが、少量しか食べなくなってきています。家族は、できればそこで看取ってほしいと思っていますが、訪問診療をしている先生は、いざとなったら病院に行ってほしいと言っています」

 顕二「僕も、母はもう年だからここで看取ってほしいと言っています。でも、訪問診療の医師からは、心筋梗塞や肺炎などを疑ったら、救急車を呼ぶとはっきり言われています。結局は静かな看取りの場がないのです」

1057名無しさん:2015/06/07(日) 17:22:33
>>1056

 ――進行性の難病患者の例も本の中で挙げられています。1人目は、意思疎通ができなくなったら人工呼吸器を外してほしいと病院に要望し、倫理委員会でもその要望を尊重することにしたのに、院長の判断で受け入れなかった例です。2人目は、ALSの患者ご本人が、「自力で呼吸ができなくなったり、食べられなくなったら人工呼吸器や胃ろうは使わないと宣言している」とコメントされた例。3人目は、ALSの患者さんと病院実習で交流した経験から、「生きなくてもいい権利」を訴えた救急救命士のコメントです。終末期の高齢者の差しひかえとは違う議論になると思うのですが、いかがですか。

 礼子「意思表示ができる時は、本人の意思を尊重することが基本です。本人の意思が無視されるのは問題です。人工呼吸器も、経管栄養も、本人の意思が尊重されるべきだと思います。本人の意思であれば、選択した内容に私は何の意見もありません」

 顕二「こうした終末期医療の記事を書くと、ALSや筋ジストロフィーの人のことが必ず出てきます。でも、彼らは意思表示がしっかりできる。自分で判断でき、自分で選択できるんです。その選択を認めないという、そちらの方が問題だと言っているんです。終末期の高齢者とは、そういう意味で違うんです」


 ――ただ、高齢者の場合は、人工呼吸器や経管栄養などの延命処置はしない方がいいと主張していらっしゃる。

 礼子「そう思います。その方が穏やかな最期を迎えられますので」


 ――そもそも医学的にプラスにはならない終末期の高齢者の延命処置と、進行性の難病の患者の延命処置は、違う意味合いがあると思います。個人的には、意思表示ができるかどうかで、延命するかどうかの線引きをすることにも、迷いを感じます。

 顕二「別問題です。それを一緒にして議論すると、平行線になって意味はありません」

 礼子「進行性の難病患者は意思表示できる人ですから。意思表示できなくなったら、こうしてほしいというのを残しておけばいい」


 ――高齢者についても事前の意思表示は必要と訴えていらっしゃいますね。

 礼子「終末期の延命問題を扱うと、色々な意見が出てきます。延命は正しい、正しくない、という問題ではないので、公平性を期すためには、本人の事前指示に従うのが一番よいと思います。現状では家族が延命するかどうかを決めています。しかし、それを何とかしなくてはいけないと思っています」


 ――欧米ですと、そもそも医学的適応のないことは、患者の意思にかかわらず、最初から医師の判断でやらないと書かれていますね。

 顕二「そうです。しかし日本の場合は、その病院に人工呼吸器などの装置があればやらざるを得ない」

 礼子「本人や家族からどうしてもやってほしいと言われれば、できる施設を探して紹介するようにしないと、私たち医師の責任が問われます」

1058名無しさん:2015/06/07(日) 17:22:45
>>1057

 ――本の中で、日本の医学会は、終末期の高齢者の延命は医学的に意味がないことを示すべきと書かれています。

 礼子「そう思います。家族の葛藤を書いたところで触れましたが、本人の意思が示されていない限り、家族はどちらの判断をしても悩むのです。『断るのも地獄、やるのも地獄』とおっしゃった家族がいました。だから、医学会が終末期の高齢者の延命は医学的に意味がないことを示せばよいのです。そうすると、家族は肩の荷を下ろせます。延命処置をするかしないか二つの選択肢を示されると、家族は決断した後に、『これで良かったのか』と悩みますので。私は家族に選択をしてもらう時には、必ず、自分の意見を言います。『患者さんはこういう状態だから医学的に意味はなく、やらない方が楽だと思います』と。」

 顕二「インフォームド・コンセント(説明の上の同意)と言うと、若い医師は、同じ価値づけをして選択肢を示します。でも、それでは家族は困ります。優先順位を付けてあげるのが、専門職の仕事だと思います。」

 礼子「『私はこれを勧めます』とか『自分が患者ならこれを選びます』と」

 顕二「『自分の親だったら、こうします』とか」


 ――医学的に意味はないということを示すだけではなく、看護師さんでもいいから、現場レベルで、「むくんで、たんが増えます。たんを定期的に吸引することになると本人はかえって苦しいです」とか、わかりやすい言葉で伝えてあげる必要があるのでは。

 礼子「私はそういうふうに説明をします。『点滴を500ミリリットルしたら、こうなります。しなかったらこうなります』と。過去の経験をありのままに伝えます。そうすると、『先生にお任せします』と言われることが多いです。食べるだけ、飲めるだけにすると決めると、患者さんを見舞う家族の表情も良くなります。もう先がないとわかるので、足しげく通って来て、『先生、ゼリーを3口食べました』と何気ないことに喜びを見いだすようになります。延命処置をして、先の見えない時間を憂鬱ゆううつに過ごすよりも、最後の時間を患者さんと共に大切に過ごすようになります。」



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【略歴】
◆宮本顕二(みやもと・けんじ)
 北海道中央労災病院長、北海道大名誉教授。1976年、北海道大卒。日本呼吸ケア・リハビリテーション学会理事長。専門は、呼吸器内科、リハビリテーション科。「高齢者の終末期医療を考える会」事務局。

◆宮本礼子(みやもと・れいこ)
 桜台明日佳病院認知症総合支援センター長。1979年、旭川医大卒。2012年に「高齢者の終末期医療を考える会」を札幌で立ち上げ、代表として活動。

(2015年6月5日 読売新聞)


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