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地域綜合スレ

1とはずがたり:2003/10/24(金) 14:51
市町村合併情報
http://www.glin.org/prefect/upd/index.html

スレッドの進行方法などは>>2

4869とはずがたり:2016/05/16(月) 10:37:54
地方から都市への人口移動の減少には少子化が原因として確かにあるんだけど,地方から都市への若者の移動は優秀な人材の移動であったと,若い頃に地方から都市部(関西も一応都市部だと思っている)へ移動してきた俺は思ってゐて,移動が減ったと云ふのは「優秀な」人材(この優秀は戦後経済に特有に利いた一定のと云う限定付きかも知れないけど)が既に地方に方に残ってゐないのか,地方の優秀な人材が地方と中央の格差の中で能力を発揮出来なくなってゐるのかどちらなのかが気になってゐる所。この筆者もさう云ふ視点は持ってゐる様ではある。

賢者の知恵
2016年05月11日(水) 貞包英之 日本人が「移動」しなくなっているのはナゼ? 地方で不気味な「格差」が拡大中大都市と地方の、幸福と不幸
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48598
文/貞包英之(山形大学准教授)

地方から出ることをためらう人びと

現在の「地方創生」の声の賑やかさには、これまでにない特徴がある。

地方都市の「消滅」に対する危機感があおられ、巨額の税金がそれを回避するという名目で地方に投入されている。しかしその一方で、地方を居心地のよい場所とみなす声も少なくない。

ベストセラーになった藻谷浩介らの『里山資本主義』から、ネットで話題のイケダハヤト氏のブログまで、地方はしばしば快適で、金がかからず、ひょっとすれば人情のある場所としてもてはやされているのである。

たしかに地方を理想化する声だけなら、かつてもみられた。魂の故郷として地方を称えることは、たとえば戦前の農本主義や、1970年代の第三次全国総合開発計画(三全総)でみられたことである。地方を純朴な場とみなす一方で、都会の風俗の堕落を嘆き、その都会によって地方が汚染されていると批判すること――それがこれまで地方賛美のひとつの型になってきた。

ただし現在の賛美の声において興味深いのは、地方が理念的にもちあげられるだけではなく、集団的な「移動」の変容というかたちで、地方への固執が実際に確認されることである。

たしかに地方に向かうUターン、Iターンの動きが大きくなっているわけではない。しかし地方に入ってくる人が減るのに応じて、地方からの転出者も少なくなっていることが確かめられる。

たとえば下のグラフは東京、中京、大阪の三大都市圏に移動した人口を示したものである。長期的にみれば移動者は1970年に158万人を記録して以降、70年代、また90年代なかばや00年代末に目立って減少し、2011年には最盛期の半分の79万人にまで減っている。

移動の退潮を引き起こしたのは、ひとつには少子高齢化である。日本では10代後半から20代の若者の移動率が高いのであり、それゆえ少子化による若者層の縮小はそれだけ移動者数の減少にむすびつく。

ただ移動が少なくなっているのは、そのためだけではない。詳述はしないが、若者自体の移動率の減少も目立つのであり、その両者が重なることで移動者は急減している。

こうした移動の減速が一概に悪いかといえば、そうはいえないだろう。地方を出る若者が減ったのは、端的にいえば地方が「豊か」になったからではないか。地方に快適な家が立ち並び、また巨大なモールがつくられることで、都会発のモードに遅れない暮らしが容易になった。

それに加え、商業環境の充実は、雇用の場――ただし非正規的なものが多い――を誰にでも開きつつある。これまでのように受け継ぐ土地や資産やコネを持たなくとも、地方に留まることのできる状況が生まれているのである(参照:巨大化するショッピングモールは、地方都市の「最後の希望」か「未来の廃墟」かhttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1146061388/3063-3065)。

4870とはずがたり:2016/05/16(月) 10:38:20
>>4869-4870
移動は階層化し、地方は閉塞する

以上のような見方を、ここで否定したいわけではない。知らない人の多い大都市で、古くて狭い家に住み、長い通勤時間に耐え暮らすことに比べれば、地方の暮らしのほうがよっぽど「快適」とみる見方も、一定の説得力をもっている。

ただしだからといって地方から出る人の動きが小さくなっていることを、手放しで喜ぶことはできない。最大の問題は、移動の減少が均一にではなく、格差を伴い起こっている恐れが強いことである。

たとえば近年、大学進学のため、また大学卒業後に就職のために地方を出る人びとはかならずしも減っていないのに対し、進学や就職のため県外に出る高卒者や専門学校卒の人びとは減少している(学校基本調査)。

それはつまり移動が階層化されていることを意味しよう。学歴、そしておそらく特別の資産やコネをもたない者は、地方を出づらい傾向が高まっているのである。

言い換えるならば、「移動できる者」と「できない者」の二極化が、地方では進んでいる。近年、国境さえ超える社会的な移動が活発になっていることがしばしば話題になっているが、移動の拡大には、あくまで学歴的、資産的な偏りが大きいのである。

問題になるのは、そのせいで地方社会の風通しが悪くなっていることである。学歴に優れ、資産を持つ「社会的な強者」がいち早く抜けていく地方で、なお留まる人びとには、これまで以上に地元の人間関係やしきたりを大切にすることが迫られる。地方を出る可能性が低いとすれば、それらを何よりの資源としてサバイバルしていかなければならないためである。

結果として、地方には、「地域カースト」的とでも呼べる上下関係が目立つようになっている。移動の機会の減少は、それまでの人間関係を変え、ちがう自分になる可能性を奪う。

それによって子供のころからの関係がたびたび持ちだされ、補強されていくのであり、そのはてに飲み屋や「まちづくり」の場などで大きな顔をするのはいつも一定の集団――最近「ヤンキーの虎」などと呼ばれもてはやされ始めているが――になり、そうではない人は地元でこっそり暮らすという分断が、地方社会で強められているのである。

(以下犯罪と結びつけて説明が続くがそちらは省略。但し地方で豊かに暮らしながら上京して困窮して犯罪に至った2例をみると地方の閉塞感としては興味深い。)

貞包英之(さだかね・ひでゆき)
山形大学准教授。1973年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻博士課程単位取得満期退学。専攻は社会学・消費社会論・歴史社会学。著書に『地方都市を考える 「消費社会」の先端から』『消費は誘惑する 遊廓・白米・変化朝顔〜一八、一九世紀日本の消費の歴史社会学〜』など。


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