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Tohazugatali Economic Review

1770とはずがたり:2016/12/09(金) 18:58:53
>>1603は中国の話し。

『政治は技術にどうかかわってきたか 人間を真に幸せにする「社会の技術」』
森谷正規2004朝日新聞社
を読む。

第4章 海外各国にみる技術と政治
3 車もテレビも壊滅したロシア

ソ連が成立してまず立てた技術・産業政策が1920年にスタートした有名なゴエルロ計画(ソビエト社会主義共和国電化計画)。大電力系統を全土に建設して豊富で低廉な電力を安定的に供給。

電化に必要な発電機,変圧器などは海外から輸入。ドイツや英米が輸出。輸入の為の外貨は農林産物の輸出で賄った。大恐慌後は農産物価格の下落で技術の自立を模索。ナチスの台頭で米ソは接近してアメリカが技術援助。
ソ連が目指したのはボイラーの大型化。米国の援助で成功。

次ぎに手を着けたのが鉄鋼。革命後の混乱で操業可能設備は半分ほど。
「第一次五ヶ年計画」で大量の大型の聖戦設備と製鋼設備の新設を計画した。当初は苦労したが1930年代に大きな成果が現れ始めた。

大きな成果をあげ得たのは豊富な労働力があったこと。軍事力も当初はドイツの,大戦中は英米の技術を導入して戦後忽ち軍事大国化した。

遅れて追い上げた鉄鋼技術も戦後には既に優れた水準にあって溶けた鋼をそのまま鋳造する連続鋳造も1953年に世界に先駆けて開発した。
日本も70年代には連続鋳造や高圧にして効率を上げる高炉光圧操業技術,炉頂の高圧ガスを発電に利用する高炉炉頂圧発電技術等数多くの技術をソ連から導入した。ソ連は73年には鉄鋼生産量で世界一となっている。

併し連続鋳造と並んで戦後鉄鋼技術革新の一つであるLD(純酸素上吹き)転炉(wikiに拠ると製鋼用転炉は製鉄所、特に高炉で鉄鉱石を原料として銑鉄を生産するところから転炉工程によって製鋼を行い、圧延工程などによって最終製品の製造までを同じ敷地内で行う銑鋼一貫製鉄所の設備の一つであるとのことで,LD転炉とは炉の上部から水冷ランスで、高圧(約10Kg/cm2)の純酸素を炉内の溶銑中に吹き込む方式の転炉である。)は導入したものの一向に生産比率(何と何の比率?)は伸びなかった。必要な酸素供給の拡大が出来なかった事,ソ連では機械加工に塑性加工が少なく切削加工が多くて切り屑が多く出るが再利用の為にそれを投入するのが転炉では無く平炉(wikiに拠ると平炉(へいろ、Open Hearth furnace, OH)とは、蓄熱室を有する反射炉の一種の平型炉で、主に鉄の精錬に用いられる。、転炉や電気炉の発展により、現在では東欧などで生産が見られるだけである,とある。平炉と転炉は互いに代替物で,折角連続鋳造を可能にする技術革新発明できたのにそれを活かせる転炉では無く平炉がメインだったと云う事の様だ)だったが,平炉の巨大化は難しく生産効率が悪かった。

圧延では自動車や家電製品に必要な薄くても強度が十分にある薄板の生産に応える努力をせず,薄板とは云え日本の3〜4倍の厚みがあった。

炉頂圧発電も日本ではエネルギーショック以降導入が進んだのに対してソ連では余り進まなかった。
戦後,鉄鋼が技術革新時代に這入って一時期トップを走っていたソ連は改良や普及で遅れをとったと云うかそれをやるインセンティブが無く次第に先進性を失っていった。

化学産業では合成ゴムの技術では優れていた。航空機や装甲車のタイヤにゴムが不可欠だったのに対して天然ゴム資源を持たないソ連は必死で開発して1931年に世界初の合成ゴム工場完成させた。しかしそれを乗用車のタイヤに向けて技術を高度化させる事は無かった。同様に,民生の用途が主であるプラスチックの開発,生産は進まなかった。ポリエチレンの工場は技術導入で建設したものの,需要家が内製する傾向が強くなって化学メーカーが設備の大型化が出来なかった。

とは所感:畢竟,社会主義経済では経済合理性に基づいて技術革新が進められないと云う面に尽きるのである。


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