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2021/9/19ライプニッツとカントの空間論の対立

1横山信幸:2021/07/11(日) 22:40:42
ザロモン・マイモン「超越論的哲学についての試論」とその他関連の著作を題材にして、ライプニッツとカントの空間論の違いを考えたいです。

ウィトゲンシュタイン「論考」6.36111でも取り上げられていた「不一致対称物問題」(いわゆるカントの右手問題)の対するライプニッツとカントの考え方の違いや、ライプニッツ・ヴォルフ学派による「直線の定義」とカントのそれの違いを考察することで、ライプニッツの合理論とカントの超越論的哲学の対立の意味を掘り深めることを目指してみます。


「超越論的哲学についての試論」は、現在邦訳書籍はないが新潟大学の平川訳が以下で公開されているのが無料で読めます
ttps://niigata-u.repo.nii.ac.jp/records/29483#.YGh1VM9xe00

ただ、発表内容はまだあやふやで固まってないところも多いので、もしかしたら大幅に変更させてもらうかもしれません。
それからまた後で、それ以外にも参考テキストをいくつか追加で挙げさせてもらうと思います。
それも含めてよろしくお願いします

2横山信幸:2021/07/11(日) 22:59:56
ライプニッツの合理論的な概念でもって空間を把握するのと、カントの超越論的な感性的直観と悟性概念とでもって空間が把握されるのの違いが、「不一致対称物問題」と「直線の定義」とのそれぞれの対し方に表れているように思われて興味をもちました。
ライプニッツやウィトゲンシュタインのような相関主義的な立場では「右手と左手は合同」としカントは「右手左手は違う」とする。ライプニッツヴォルフ学派は「直線は一つの線、曲線は複数の線からなるもの」と定義し、カントは「直線とは最短」と定義しています。そこに、両者の世界観の違いが表れてると思われます。その辺りを考えてみたいと思います

3ウラサキ:2021/07/12(月) 08:07:05
横山さん、
「相関主義」とは「相対主義(relativism)」の事でしょうか?
もし違うのであれば、英訳と、その意味の違いを御教示頂ければ幸いですm(_ _)m

4横山信幸:2021/07/12(月) 10:39:28
ウラサキさん、
相関主義は、メイヤスー「有限性の後で」に出てきた用語です(原書のスペルは分かりません)。
【相関主義】我々は思考と存在の相互関係にはアクセスできるが、存在そのものにアクセスすることはできないとする存在論の主義。相関の向こう側への「乗り越え」は不可能だとする

というものです

5ウラサキ:2021/07/12(月) 12:47:48
横山さん、有難うございます。
定義を読む限りは、カントも相関主義に思えますが、、

6横山信幸:2021/07/12(月) 14:41:31
カントと相関主義の関係ですか?そこはあまり考えてませんでしたが、確かに、カントが相関主義のなかでどのような位置づけになるかという観点は重要だと思います。


(メイヤスーは強い相関主義と弱い相関主義の区分をしたうえで「自然の数理科学化はいかにすれば可能か」という問いを立てそれを「カントの問題」と名づけていました。メイヤスーの問いのなかでカントはかなりの中心人物であったと思います)

7横山信幸:2021/07/12(月) 17:12:38
あ、すみませんごめんなさい。僕が上でウィトゲンシュタインやライプニッツが相関主義的でカントが違うみたいに書いてましたね。自分で忘れて見落としてました。失礼しました。
そしてこれは僕がいい加減な表現をしていました。
メイヤスーの区分では、相関主義のなかでも、物自体の存在を許さないタイプの存在論が「強い相関主義」で、物自体の存在を許すタイプを「弱い相関主義」とします。そうした上で、僕は
「ライプニッツやウィトゲンシュタインのような強い相関主義的な立場では「右手と左手は合同」としカントは「右手左手は違う」とする」
と言わなければなりませんでした。訂正します

8おぐす:2021/07/12(月) 20:22:07
横山さん
メイヤスー「有限性の後で」の内容はほとんど忘れましたが「弱い相関主義」の場合、超越的なもの(例えば神の存在)を否定はしない(許す)ということだったでしょうか。

9横山信幸:2021/07/12(月) 20:41:20
おぐすさん、
(今回の発表ではメイヤスーに深入りするつもりはあまりないのですけど、お答えします。
僕も「有限性の後で」はほとんど忘れてるのですが、残してたメモを張り付けておきます。)

相関主義は、強い相関主義と弱い相関主義の2種の相関主義に分類される。
【弱い相関主義】物自体の思考可能性が許されるとするタイプの相関主義。存在者は我々との相関性においてのみ認識可能であり相関性においてのみ価値を持つが、相関性の外の思考可能性がすべて禁じられるわけではない、とする立場である。カントの批判哲学において、我々は物自体をアプリオリに認識できないとされ、物自体の認識は禁じられている。しかし、物自体が無矛盾であってそれが存在することを知っているともされ、物自体の思考可能性は許されている。
【強い相関主義】物自体の思考可能性を許さないタイプの相関主義。即自的なものは認識できないだけじゃなく、思考することもできない。〈即自〉と言われているものは、所詮〈私たちにとっての即自〉でしかない、とする(相関的循環)。物自体が在ると言えないだけではなく、無いとさえ言えない、とする。
例えば、矛盾を真にしてしまえるような「魔」や、論理的不整合を覆してしまえるような「魔」を想定するとする。強い相関主義においては、そのような「魔」はもはや語り得ず、それが居るとか居ないとか言うことの真偽は、その論理性の失効ゆえに、意味を失効してしまう。だから、我々はその魔について「何かを知っている」とすることが不可能になる。知っていると言おうとしても、それは「論理的に真偽づける言語的システム」から外れたような非言語的な知でしかなく、けっきょく、自分で「知っているつもり」になっているだけでしかない、とする。メイヤスーは、強い相関主義の哲学者にウィトゲンシュタインやハイデガーを挙げている

以上です。

10おぐす:2021/07/12(月) 22:24:02
横山さん
メモ貼布ありがとうございます。メイヤスーはどちらかというと「弱い相関主義」を支持していたような。うーん、忘れました。
どっちにしても今回の横山さんの発表には絡んでこないかな。
発表、楽しみにしています。

11横山信幸:2021/08/01(日) 12:50:50
関連する本を3つあげておきます)

①カント「純粋理性批判」から「付録、反省概念の多義性について」
②カント「プロレゴーメナ」第1部

こっちを中心的に扱います。
あと、上で書いていた
③マイモン「超越論的哲学のついての試論」
は、補助的に扱います

12横山信幸:2021/08/01(日) 17:36:39
前半は久保共生さんの前回発表の「私的言語は可能か」の続きをしてもらって、後半に僕の「カントとライプニッツの空間論」の話をします。
(まだ僕の発表準備が全然できてないので、久保さんの話が長びいて僕の発表時間がなくなっても良いなあと個人的には思っています。その時には火雨さんの発表のさらにあとに繰り下げてもらいます。)

13ウラサキ:2021/08/01(日) 20:44:28
>>11
「②「プロレゴ―メナ」第1部」とは「第1章 純粋数学はどうして可能か」のことでしょうか?

14横山信幸:2021/08/01(日) 22:21:21
ウラサキさん、
>>13
それです。僕の見てる中公クラシックス版では「先験的主要問題第1部 いかにして純粋数学は可能か§6~§13」となってました。

「第1章」とされてるやつもあるんですね

15ウラサキ:2021/08/02(月) 04:17:44
>>14
私は岩波文庫版を参照しました。

16ウラサキ:2021/08/02(月) 04:17:44
>>14
私は岩波文庫版を参照しました。

17ウラサキ:2021/08/05(木) 04:45:17
Wikisource から、『プロレゴメナ』該当箇所の英訳をプリントアウトして読んでいますが、
明快な英文で訳されていて、岩波訳よりもむしろ分かり易いですね。
『存在と時間』読書会の時にも感じましたが、哲学書の英訳は直訳にこだわらず翻訳者が自分の解釈を英文で書いているという印象です。
でも、日本語訳は中々ネット上に無いテクストも英文なら大抵ネット上で無料入手可ですので、
つくづく英語を勉強していて良かったと痛感致します(^^;)

18ウラサキ:2021/08/05(木) 04:45:18
Wikisource から、『プロレゴメナ』該当箇所の英訳をプリントアウトして読んでいますが、
明快な英文で訳されていて、岩波訳よりもむしろ分かり易いですね。
『存在と時間』読書会の時にも感じましたが、哲学書の英訳は直訳にこだわらず翻訳者が自分の解釈を英文で書いているという印象です。
でも、日本語訳は中々ネット上に無いテクストも英文なら大抵ネット上で無料入手可ですので、
つくづく英語を勉強していて良かったと痛感致します(^^;)

19ウラサキ:2021/08/05(木) 04:48:01
あれ、すみません。何故かダブって投稿されてますね。
どなたか、可能なら削除お願いしますm(_ _)m

20ウラサキ:2021/08/05(木) 04:48:02
あれ、すみません。何故かダブって投稿されてますね。
どなたか、可能なら削除お願いしますm(_ _)m

21ウラサキ:2021/09/13(月) 08:13:07
カント関連で一つ小ネタを用意します。
以前、この会で取り上げた『純粋理性批判』第2版序論の中の「すべての変化はその原因を持つ」という判断が「純粋」か、そうでないか?
について御子柴義之という人がユニークな(と思われる)解釈をされていますので紹介したいと思います。

22横山信幸:2021/09/14(火) 23:49:11
ウラサキさんもネタを出される?
久保さんが前の私的言語の回の残りを出されることになってましたから、時間が窮屈になるかもしれませんね。それなら、僕のネタは再来月に回してもらっても良いですよ(あんまりきちんとした発表準備をしてないのでけっこう本気で言ってます)。

23ウラサキ:2021/09/15(水) 03:57:35
私もどちらでも結構です。
小ネタですからすぐ終わる(10分くらい)と思います。
久保共生さんの発表が終わり次第、私が小ネタを出して、
まだ時間があれば、他の方にも小ネタを募り、もし特に無ければ、
横山さんが「途中経過発表」ということでどうでしょう?

24横山信幸:2021/09/15(水) 07:45:54
今回、欠席いたします。ぼくの発表は「無し」でお願いします。今回のぼくの発表を期待してくださっていた方がもしいらっしゃったなら、たいへん申し訳ありません

25ウラサキ:2021/09/15(水) 08:06:25
ああ、残念。
では、横山さんの発表は11月に回って頂いて、
今回は久保共生さんの発表の続き終了後は小ネタ集という事になりますかね?

26ウラサキ:2021/09/20(月) 13:03:46
小ネタに関して、ヤマウチさんから「中世哲学においてeine Ursache(一つの原因)は神のこと」という貴重な示唆を戴き感謝しております。

27ヤマウチ:2021/09/20(月) 19:19:35
カントの命題「すべての変化は原因を持たなければならない」についてなのですが、
「一冊でわかるシリーズ 論理学」グレアム・プリースト 岩波書店 の
3章の後半に 神の宇宙論的証明の解説があり、
”「すべての出来事には原因がある」という文は曖昧である”とし、
宇宙論的証明はこういう曖昧さにつけこんでいると述べています。
以上 参考文献の提示でした。

28ウラサキ:2021/09/21(火) 03:48:45
おお、その本、原書Oxford Very Short Introductionで読んでいたのですが,
すっかり内容を忘れていました。
まだ本棚にある筈ですので再読してみようと思います。

29ウラサキ:2021/09/21(火) 10:58:50
通勤時に該当箇所を読んでみました。
確かに'Everyting has a cause'という英文はプリーストの主張通り曖昧だと思います。
しかし「すべての変化は原因を持たなければならない」という日本文を、
∃y ∀x xCy
と解釈する日本語話者がいるでしょうか?私を含め、殆どの人が
∀x ∃y xCy
と解釈するのではないかと思います。
そして、それが私や御子柴氏がカントのあの説明に疑問を感じた理由ではないでしょうか?


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