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「部室」板/4

671純粋教理批判:2015/10/17(土) 07:06:48 ID:yPuEDcac
教理は二項対立を階層的に組み立てることで成り立っているということはすでに述べました。教えとは考えが異なるものを攻撃するさいにも、まったく同様の二項対立がもちいられます。

教理は唯神論と唯物論の二項対立を立てて、マルクス思想を唯物論として否定します。マルクス思想にしてもすべてが間違いというわけではないはずなのに、教理はこれを唯物論として排除します。

志恩さんが「排他性の犠牲になったことはない」といっておられますが、生長の家の考えを述べているかぎり犠牲になることはたしかに少ないでしょう。違う考えを述べようものなら、たちまちにして、迷い、人間知、唯物論として切り捨てられます。

教理の二項対立をオリジナルとするなら、信徒がもちいる二項対立はオリジナルの忠実なコピーということがいえるでしょう。オリジナルから排除の仕方を学んだ信徒は、オリジナルをコピーすることで自分の気に入らない考えを排除するようになります。

たんにコピーするならまだしも、オリジナルは信徒にコピーを欲望させているとさえいえるでしょう。オリジナルは、二項対立の劣ったほうの項を排除するという方法をくり返し信徒に教え込むからです。

やがて信徒は、オリジナルから習った方法を自分でもちいるようになります。どういうときにかと言えば、気に入らないものを排除したいと信徒が欲望するときにです。

気に入らないもの、自分にとって不都合なものを排除したい、とする欲望を信徒はもともと持っていたはずですが、オリジナルから習い覚えた方法はこうした欲望をさらに助長させます。

通常では困難なことであっても、オリジナルをコピーしさえすれば、いとも易々と気に入らないものを排除できるわけですから、排除の欲望は当然のごとく助長されます。オリジナルはコピーを欲望するよう仕向ける、ということがいえるはずです。


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