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聖典引用 板
61
:
うのはな
:2011/12/17(土) 16:58:14 ID:El6gIMAw
大東亜戦争に際して
大東亜戦争のときに於いて、連合軍が欧州戦線を速かに収拾せんがために出動したけれども、
適当な上陸地点がない。イタリーの南端シチリー島を上陸地点として選んだが、其処には堅固無類の
トーチカ陣があり、白人の軍隊も黒人の軍隊も皆全滅した後に、最後に選ばれたのが、ハワイの日本民族第二世の
軍隊で、時の生長の家ハワイ白鳩会長たる宮川和子さんが祈りをこめた生長の家の聖経『甘露の法雨』をポケットに入れ、
「我れ『甘露の法雨』と共にあるから敵弾では傷つかない」との信念をもって上陸に成功し、
『甘露の方雨』に機関銃弾が当りながら傷つかなかった兵隊が沢山あったと云うのである。
その為に連合軍が速やかにヒットラー軍を爽撃して欧州戦線を収拾することができたのでありました。
このためアメリカでは「こんな速かにヨーロッパ戦線が片付いたのは日本民族のお陰だ」とて
日本民族に対する尊敬と好意の念がさかんに起ったので、戦後、内地の日本人が食糧に困窮し産業資金に窮乏している時に、
ガリオア資金の名の下にて食糧を供給してくれたり、エロア資金の名の下に日本の産業復興資金を供給してくれたりして、
現在のように天之岩戸景気から更に行き過ぎてレジャーブームを湧き立たせる程になったのも、日本の重大時期に際して
聖経『甘露の法雨』を吾々に授けられた住吉大神が如何に日本民族に恵福を与えるために活動せられたかが分るのであります。
『白鳩』誌 昭和37年4月号74頁 谷口雅春 先生
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