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聖典引用 板
1814
:
「訊け」管理人
:2012/12/15(土) 23:54:35 ID:???
十六日の経言――
災厄除けの言葉
神は吾が光であり給い、吾が救いでありたまう。されば吾れ誰をか恐れんや。神は吾が護りであり給う。されば吾れ誰をか恐れんや。吾れは吾が経験する一切の事物のうちに吾れを導き給う神を感ずる。神が吾れを護り給うとき、吾れに何等の災厄もないのである。神がわれを慰めたまう時、吾れに何等の悲しみもないのである。吾れは神の曇りなき愛、完たき心にいだかれているのである。吾れは神の保護を漏れる恐れを知らない――神の在(い)まさざる所はないからである。
吾れは『善』そのものに取り巻かれているのである。吾れは『善』そのものの懐にいるのである。神の愛は吾れを取巻きて、吾がうちに、そして吾が外に、周(あま)ねく、在(まし)まして、吾れを見捨て給わないのである。
吾れ闇を歩むとも、神は吾が光であり給う。吾れ海を航するとも、神は吾が羅針盤にてあり給う。吾れ孤(ひと)りいるときも、神は吾が羅針盤にてあり給う。吾れ孤(ひと)りいるときも、神は吾が伴侶にてあり給う。されば吾れ誰をか恐れんや。吾れには恐るる所のものも人もないのである。吾れに死は来たらない。生命(せいめい)のみが凡てであることを知るからである。吾れは暗黒に見ゆる谷を歩むとも光明はつねに吾れに附き随う。吾れに禍は来たらない。禍と見ゆるものは進一歩の過程である。吾れは生命(いのち)、神は生命(いのち)、凡ては生命(せいめい)であるのである。吾れはいまより信仰と、自信力とをもって進み行くのである。
神の恵み深き護りに感謝いたします。
『日々読誦三十章経』より謹写――
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