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死後の世界ってなんや

1妖怪王:2002/05/14(火) 23:36
死後の世界ってなんでしょうか。
何故、国によって違うのか、宗教によって違うのか
本当にあるのか。丹波さんの話はマジなのか。皆さん、どうぞ
激論をいたしましょう。

2肉球マニア:2002/05/15(水) 00:04
んー。何でしょうね〜。死後の世界はあると思いますが、
丹波さんのお話はわからないです。
死後の世界は今とは逆で、若くなると聞きました。
そして、また生まれ変わると聞いた事があります。

3妖怪王:2002/05/15(水) 00:21
魂に年齢はないのでいたい年齢でいれるのかな。

4Toroia:2002/05/15(水) 00:23
大学の授業で、死後の世界についてのアンケートがありました。
その結果、
死後は無と考える人が5割
冥界に行くと考える人が1割5分
転生すると考える人が1割5分
態度保留が2割でした。

私は最初の「無」を選びました。

5Toroia:2002/05/15(水) 00:24
ところで妖怪王さん、私のページへのlinkはありますでしょうか。

6ここぷり:2002/05/15(水) 10:49
すいません。toroiaさん、システム担当の私(ここぷり)が忘れてました。
本日やってますね。

やはり、臨死体験などは実は新でない生体反応の範囲でしょうか。意外に無が多いですね。

7Toroia:2002/05/15(水) 14:56
どうもです。

8妖怪王:2002/05/16(木) 11:11
死後の世界、つまり臨死体験、って奴は多くの人が体験してるけど。
三途の川とか、河原とかで表現されているのは、死後硬直で脳が次第に衰弱
してきている。−−−そういう体の状態を脳が察知しているのだ、このような
説を見た記憶があります。いかがでしょう。

9Toroia:2002/05/16(木) 18:07
死後硬直は体が死んでしばらくしてから起こるので、
体は生きていて脳は死んでいる?臨死体験だと関係ないと思います。

10石丸まく人:2002/05/16(木) 20:21
う〜ん確かめてくるんで死なない程度に後頭部たたいてください!。
もしわしが死んだら120兆円戴きますけど(笑)
な…何トンカチ持ってんですか?え…いや嘘ですからな…何本気にしてるんで…(絶命)

11馬鹿・たくろー:2002/05/17(金) 10:58
では魂が抜けきったばあい…始るのが完全なる臨死体験なのか?
魂が抜けた時点で,臨死ではなく死の範疇では?
わからなくなってきた。みなさん,生の範囲 臨死の範囲 死の範囲を決めてからにしましょう。

12ここ&ぷりちゃん:2002/05/17(金) 12:15
TVで見たんだけど、夢の中でいっぱい蝋燭のある部屋にいて、これが人間の寿命の登録か〜って思っていたら
1本消えそうな蝋燭があって、息を吹きかけて消したらお爺さんが亡くなった人や、
大工の人が、閻魔大王がいる所の門の修理に行ったら、閻魔大王に「カンナを持ってきたか??」と聞かれ、
持っていないと言うと「今すぐ持ってこい」と言われ目覚めると病院だったらしい
これも死後の世界??

13Toroia:2002/05/17(金) 18:36
>>11
臨死体験の場合、魂というか意識はまだ人間の中です。
だから、蘇生して「臨死体験」を語ることが出来るのです。
生死の境は、科学や哲学でさえ厳密な定義が出来ていないのですから、
やるなら別スレッドを立てたほうがよいかもしれません。
>>12
フジテレビでしたっけ?
死後の世界ではなく、夢の中の世界でしょう。

14妖怪王:2002/05/17(金) 22:18
なんか落語の死神っぽいな(笑)カンナうんぬんとかね

15ここ&ぷりちゃん:2002/05/18(土) 20:26
え〜テーマが【臨死体験】だったので、夢の話とは思いませんでした(途中から見ていたんで…)
昔似たような話を聞いたことがあったんで…

16篁晴彦:2002/12/30(月) 02:10
仏教の観念からいきますと、現世つまり色の世界にある私たちの体は霊と魂
そして肉体からなっていると説かれています。
 色の世界に存在する意識と空の世界に存在している意識は同じものです、
般若心経では、このことを色即是空といって説いております。
 私が思うに、死後の世界というのも色と空のように紙一重の存在なのでは
ないかと思います。
 今ここに生きている現世こそが彼岸の世界でありまた現世ではないのかと
思います。

17篁晴彦:2002/12/30(月) 02:10
仏教の観念からいきますと、現世つまり色の世界にある私たちの体は霊と魂
そして肉体からなっていると説かれています。
 色の世界に存在する意識と空の世界に存在している意識は同じものです、
般若心経では、このことを色即是空といって説いております。
 私が思うに、死後の世界というのも色と空のように紙一重の存在なのでは
ないかと思います。
 今ここに生きている現世こそが彼岸の世界でありまた現世ではないのかと
思います。

18いしい:2002/12/31(火) 00:13
ちょっとデンジャーかな(笑)。

立花隆の「臨死体験」なんて読んでいると、いろいろな証言がでてきますよね。
彼の場合は死にゆく人が生への執着を失う時に形となってあらわれるものが
あの世の世界だと思っているふしがあると思います。
(「証言・臨死体験」の体験談の配列などを考えて)

実は私も似たようなことを思うんですよ。
脳のメカニズムっていうのはやっぱり生存を主体として成り立っていると思う。
けど、そのメカニズムが崩れる時には別の世界が見えてくる。
たとえば私は大学生の頃に外国で麻薬の類をやったことがあります。
(当然、今はやってませんよ)
結構強いものをやったことのある人ならわかると思いますが、完全にトリップし
ている時ってあまりの心地よさに「このまま死んでもいいな」的な気分になる
ことがあります。
あるいは自分が生の世界にいるのか死の世界にいるのかわからなくなる。
で、ボーと目の前にひろがる世界を見つめながら、「これが天国かな」なんて
真剣に思ったりする。
一度だけバッドトリップしたことあるんですが、その直前に一度だけ究極の
世界を見たことがありまして(苦笑)。

で、ですね、臨死体験によってあの世を見た人の体験談を読んでいると、
いつもあのバッド・トリップの直前状態を思い浮かべるんですよ。
とにかく、すごく似ている。目の前に広がる世界もそうだけど、その空間にいる
時の気持ちが同じなんです。
(これは体験したことのある人しかわからないと思いますが)

臨死体験のあの世を読み聞きするたびに思うんですが、人って死ぬ瞬間に
生への執着がくずれ、一瞬脳のシステムが変化するんだと思うんです。
脳から生への執着がくずれ、変化したシステムが垣間見る世界が臨死体験者の見た
あの世だとしたら、麻薬によって変化した脳のシステムが垣間見る世界も同じよう
ものになる時があるんじゃないかなって感じることがあります。
つまり、何らかの作用によって脳から生への執着が消える時、脳が見る世界があって
それが臨死体験者の見るあの世じゃないか、ということです。
ただ、こうした世界が「完璧な死後」もつづくかどうかは知りませんが。。。


*これは十代の頃の若かれし頃の体験をもとにした話です(笑)。
よい子の皆さんは決して真似をしないように。
麻薬というのは最悪ですよ、本当に。何十人もの重症患者を見てきた
経験から断言します。

19いしい:2002/12/31(火) 00:15
ちょっとデンジャーかな(笑)。

立花隆の「臨死体験」なんて読んでいると、いろいろな証言がでてきますよね。
彼の場合は死にゆく人が生への執着を失う時に形となってあらわれるものが
あの世の世界だと思っているふしがあると思います。
(「証言・臨死体験」の体験談の配列などを考えて)

実は私も似たようなことを思うんですよ。
脳のメカニズムっていうのはやっぱり生存を主体として成り立っていると思う。
けど、そのメカニズムが崩れる時には別の世界が見えてくる。
たとえば私は大学生の頃に外国で麻薬の類をやったことがあります。
(当然、今はやってませんよ)
結構強いものをやったことのある人ならわかると思いますが、完全にトリップし
ている時ってあまりの心地よさに「このまま死んでもいいな」的な気分になる
ことがあります。
あるいは自分が生の世界にいるのか死の世界にいるのかわからなくなる。
で、ボーと目の前にひろがる世界を見つめながら、「これが天国かな」なんて
真剣に思ったりする。
一度だけバッドトリップしたことあるんですが、その直前に一度だけ究極の
世界を見たことがありまして(苦笑)。

で、ですね、臨死体験によってあの世を見た人の体験談を読んでいると、
いつもあのバッド・トリップの直前状態を思い浮かべるんですよ。
とにかく、すごく似ている。目の前に広がる世界もそうだけど、その空間にいる
時の気持ちが同じなんです。
(これは体験したことのある人しかわからないと思いますが)

臨死体験のあの世を読み聞きするたびに思うんですが、人って死ぬ瞬間に
生への執着がくずれ、一瞬脳のシステムが変化するんだと思うんです。
脳から生への執着がくずれ、変化したシステムが垣間見る世界が臨死体験者の見た
あの世だとしたら、麻薬によって変化した脳のシステムが垣間見る世界も同じよう
ものになる時があるんじゃないかなって感じることがあります。
つまり、何らかの作用によって脳から生への執着が消える時、脳が見る世界があって
それが臨死体験者の見るあの世じゃないか、ということです。
ただ、こうした世界が「完璧な死後」もつづくかどうかは知りませんが。。。


*これは十代の頃の若かれし頃の体験をもとにした話です(笑)。
よい子の皆さんは決して真似をしないように。
麻薬というのは最悪ですよ、本当に。何十人もの重症患者を見てきた
経験から断言します。

20あーりん:2003/03/05(水) 11:15
以前,友人が意識不明の重体で生死の境をさまよった時のことを話してくれました。
「気がついたら目の前に花畑と川があり ○に紀の字の入った帆をかけた大きな船が
やってきた。紀伊国屋文左衛門の船!?と思ってあっけにとられていると…」
ここで彼女は家族の呼び声に目覚めて意識を取り戻したそうです。
ウチの母も死にかけの時に「花畑に川が流れていて、大きくて綺麗な船が来たが、
乗りそこねてしまった」と言ってました。(三途の川?は上流まではてしなく
花畑が続いていたとかも)
そしてその数日後、船の次の便で逝ってしまいましたが。
最近は大型船に乗って渡るんですかねぇ??

21電脳ブラックジャック:2003/04/03(木) 20:01
死んだ後の死霊さんと人間づきあいをしています。
これって邪道かな…とたまに思いますが、最近は開き直りました。
よかったらHP見に来て下さい。
http://www38.tok2.com/home/blackjack/

22けせら:2003/07/03(木) 11:15
掲示板では、2度目の投稿になります。
失礼致します。

私の臨死体験(?)でよければと思い、書き込みさせて頂きます。

私は7歳の頃に事故で生死の境をさ迷っていた事があります。
後で親に聞いたところ、丸3日間、意識がなかったとの事ですが、
その間の事なのか、車にぶつかった時の一瞬の事なのか、
時間の感覚というものがないので、自分では判りません。

よく、ドラマなどで、死んだ人が霧がかった白い世界に
いる様子などを見た事があると思いますが、
それに近い、でしょうか。
もっと白を濃くしたような・・・上手く言えないんですが、
牛乳風呂に頭まですっぽりつかったような、白。
白い車の色のような・・・。
ほんとに何と言っていいのか判りません。

現実のように肉体がある感じではなく、
「意識」ないし「魂」というのが本当なのか。
私は肩口から上、かろうじて「自分」というものがある感じで、
そこから下は、その白い世界(?)と一体になっているような感覚でした。
少しでも、気を抜こうものなら、ズルッと引きずり込まれそうな・・。

自分がなくなる感覚、抹消される感覚は
一言では言い表せないのですが、とにかく、気持ち悪かった事だけを
覚えています。

その後、ただ、白くて平衡感覚もないはずのところに、
ふと、節穴程度の幸せそうな場所が遠くにあるのに気が付き、
そちらに意識が向きかけた途端、ゴオーッとものすごい恐怖感が
押し寄せてきました。

私が覚えているのはそこまでです。

ほんとに、ボキャブラリーがなくて、上手く言葉に出来なくて
申し訳ありません。

体験して思った事なのですが、
「死」というのは、人間に起こる究極の自然現象では
ないかと、考えています。
とにかく、有無を言わせないあの感じ・・。
とにかく恐いです。

科学的に、脳が停止する際に「脳内モルヒネ」が発生する
事により、色々な幻覚を見るのだと聞いた事がありますが、
私にとっては、どちらでもいいと、思っています。

死は死です。

必ず、もう一度あそこに行かなければならないのなら、
出来れば老衰でお願いします。(誰に言ってるんだ(;・∀・))

23妖怪王:2003/07/05(土) 18:28
僕も臨死体験はあります。
というか死んだ祖母に呼ばれて、気が付いたら川をすべっていく大きな舟の上
でした。
川縁はガジュマルのような木がしげり、ゆっくりと流れていたように思えました。
幸い舟の上で祖母と会うことができたのですが、祖母に「おまえはしょうがないな〜」
と半分あきれられ、そのあとぐんぐんと上空に引き上げられ、気が付くと自宅のベット
でした。あれはなんだったんでしょうか。

24ぐれ猫:2003/08/04(月) 22:25
わたしは信心深いネコマタ(大笑)ですから、死んだ後のことはいいんです。
その後だっていきてますから。(笑)
わたしにとって素直に喜べないで問題なのは「死」そのものなんですよ。
死後もいきてるからだいじょうぶ また会えるよとは 言ってあげれるんですけど
「死」については、「おめでとう。ばんざい!」とは言ってあげれない未熟な
ぐれ猫で〜す。

25ぐれ猫:2003/08/04(月) 23:02
また、ぐれ猫です。 ちょっと思い出したんですが、 むかし 
最悪な臨死体験をしたことがあるんです。それは、大体の概念は
「けせら」さんの体験記述された情況を ほうふつとさせるもの
だったのですけど、私の場合「漆黒の闇」の空間を 底なしに
沈んで行く 落ちていくという体験でした!(泣) タスケテー。
ミルク風呂とコールタール鍋の違いとは、あんまりデスー。
・・・だけど、今は昔。何故か 助かりましたモン。
死んだあとも生きておれるヨ。とみんなに言ってあげれます。
・・・・なんだか、わけの分からない話になってゴメンなさい。

26妖怪王:2003/09/07(日) 23:10
落ちる感覚、そして頭の方に抜ける感覚とくるようですが。

27ぐれ猫:2003/09/14(日) 20:02
「死後の世界」っていう話しですが・・・、う〜む。
生きていたものが生物としては もっていた身体が分解した後でも 
いわば 固有の「意識」というべきものは 存在しつづけ経験
し続けているという 一見 矛盾した状態がありうるということが
前提となりますよねエ。どう言ったらいいんでしょうかね?

28キャスパー:2003/09/15(月) 15:15
人間が「死」について考える時、少なからず「死=生の延長」という考え方が出てきているように思います。
生きている時に、どうしても理解できない物が「死」ではないかと思いますから。

神話や伝承でよくある「死後の世界」観って、少なからず日々の経験が反映されてるフシがありますしね。
(良いコトすれば報われて、悪いコトしたら罰があたって、たどり着くまでに試練があってetc)
それも、社会的文化が発達していた所によく見られる傾向なんですが。
(↑例:往生要集、エジプト死者の書、バルド・ソドルなどなど)
ポリネシアなどの、はるか昔から生活形式が変わらない部族の方では天国のような死後の世界しかありませんし。
せめて死んでからぐらいは衣食住に困らないような暮らしがしたい、と言うような。
まあ、例外はいっぱいあるでしょうが;<宗教によってね

最近の「お花畑に川が流れてて、向こうで亡くなった人が手招きしてた」って言うので
あの川を「三途の川だ」っていう例えをする事が良くありますけど、
三途の川って本来は怖いんじゃ・・・; 地獄絵巻とかでよぅ。
半生半死だから、綺麗な所に見えるのかな?

29妖怪王:2003/09/16(火) 22:20
死後の世界ってやはり言葉や形にできないのかも、文化的にいろいろ表現
してますが、本質的には物質じゃないですよね。観念の世界かもしれませんな。

30タンバ:2003/10/15(水) 19:40
この世界が死後の世界であっても不思議ではありません。
前見た映画にお化けが自分がお化けではないと信じ、現実の世界がたまに
現れるのをみてお化けが怖がっていたというのを見たことがあります。
お化けからしたら、この世界があの世であり、われわれがお化けです。
死後の世界とあの世とは相対的ということです。

31馬鹿taku:2003/12/16(火) 15:50
となると我々の本籍はどこ?
あの世ですかな。


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