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資料集

24タム ◆M/L2k2Eq72:2010/05/27(木) 19:42:41
●1991年『釈迦の本心/角川文庫 H3.9.25初版』P85
>この「波羅蜜多」という言葉について、いま一度、説明を加えておくとするならば、「波羅」という言葉は、これは「パーラ」とインド語では言って、「内在する」という意味です。「心の奥底の」、という意味です。「蜜」というのは、これは蜂蜜の蜜ですが、「非常に価値あるもの」「値打ちのあるもの」という意味です。「多」は、それが多いという様、こんこんと湧いてくる様を言います。すなわち、心の井戸を深く掘ったら、こんこんと湧いてくる叡智、そういう意味で「波羅蜜多」という言葉を使っているのです。

●1992年『大川隆法の霊言 1992.1.10第一刷 1992.2.20第二刷』P79
〔この「波羅蜜多」について佐伯教授は次のように説明してくれました。「波羅蜜多はサンスクリット語の paramita(パーラミター)を漢字で音写したものですから、波羅蜜多そのものに意味はありません。したがって、この解釈はサンスクリット語そのものから意味を探らなければなりません。言語学的に parami(最高の)+ta(状態)と分解し、『究極最高の状態』と解釈する説もありますが、中国や日本では param(彼岸に)+ita(到った)、つまり『彼岸に至る行』と解釈するのが普通です。なんですか、蜜は蜂蜜の蜜で、非常に価値あるものだ、なんて」〕
・註 上記paramitaの最初と最後のaは、上に一本線があるやつです。

●1997年『釈迦の本心/1997.11.20初版 1998.1.13第7刷』第3章波羅蜜多の思想
>漢訳の「波羅蜜多」というのは、インドの言葉パーラーミター(P?rami?)の音写で、到彼岸、つまり「理想状態に達すること」という意味ですが、「波羅蜜多」は意訳もよくできています。「波羅」を「内在する」、あるいは「心の奥底の」という意味にとり、「蜜」は「非常に価値あるもの、値打ちのあるもの」、「多」は「こんこんと湧いてくるさま」に意訳すると、筋が通ります。


□参考 例文仏教語大辞典 石田瑞麿著
>はらみつ 波羅蜜 (梵)パーラミターp?ramit?の音写。波羅蜜多とも書く。到彼岸、度無極(どむごく)、度と訳す。迷いの此岸からさとりの彼岸に到る意味で、通常は菩薩(ぼさつ)がそのために修する行(ぎょう)のこと。 〜略〜
*註 変換できないやつは「?」にしました。
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●1991年『釈迦の本心/角川文庫 H3.9.25初版』P45
>菩提樹下(ぼだいじゅか)において悟りを開いた〜略〜
・註 カッコ内は本では、ふりがなの形になってる。

●1992年『大川隆法の霊言 1992.1.10第一刷 1992.2.20第二刷』P108
〔これは日本語の問題。「ぼだいじゅか」ではなく「ぼだいじゅげ」なのです。
「まぁ、仏教関係者が "じゅか" なんて言ったら、聞いてる方が恥ずかしくなってしまうような間違いです」(佐伯教授)〕

●1997年『釈迦の本心/1997.11.20初版 1998.1.13第7刷』第2章八正道の発見
>さて、菩提樹下(ぼだいじゅげ)において釈迦が悟りを開いたとき〜略〜

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=9acja1a4n2j3xa1a12q0wa4h8la4ka5ha5t&sid=1835217&mid=20355




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