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「客観的事実」とは?
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<font color=#FF0000>わめ★</font>[TRACKBACK]
:2005/09/26(月) 00:22:07
Re: 「合理性の放棄」の問題 (わめ)
2005-09-25 20:02:06
Libra師匠がわかんなくなってくるのは、わめがしっかり師匠のコメントを理解できないままに、お返事をしてしまっているのが原因ですねw汗
> A.批判に耐えているとして、暫定的に受け容れられている言明。
ある限られた範囲=暫定的のつもりでしたので、もちろんAです。^^
また自他共に可謬性を認め合っていきたいと思っています。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/sports/20126/1121911824/r1
(わめの掲示板での議論のルール)
> ちなみに、よくいわれる「学会員の対話能力の欠落」の原因は、《自らの理
> 論の可謬性に絶望的に無自覚である》ということにあるとわたしは思っていま
> す[*2]。
これは学会員に限らず、何かに盲信状態の方の特徴のように思います。
> わめさんは Libra のような人間は稀だといわれますが、わたしはそんなこ
> とは決してないとおもうのです。すでに時代は「信仰的模倣時代から理性の時
> 代」[*3]へ移っているとおもいます。
たしかに実感としてもその傾向はあるように思います。
そう考えると、わめがリアルでもネットでも、学会員や他の宗教を盲信する方と接する機会が多過ぎることが、素直にそう受け取れない原因なのかもしれませんね。(^^;;
> わめさんが「言葉の持つ神秘性」という表現を使って問題にされようとして
> いる事というのは、言葉じたいに内在する問題というよりは、むしろ、言葉を
> 使ったり受けとめたりする側の問題なのかなという印象をもちます。すなわち、
> 「合理性の放棄」の問題なのかなと。
「合理性の放棄」とまでいかなくとも、「合理性」を軽視している方を多く見かけることからそのように感じてしまっているのかもしれません。
よくよく考えてみると、Libra師匠が言われる「自らの理論の可謬性に絶望的に無自覚」な方を対象として、「言葉の持つ神秘性」に恐れを抱いていたのかもしれません。
これはわめも長くそうだったから、そのことの原因と考えられることに、強く拒否反応を示しているだけに過ぎないのかもしれません。
仏教を学会教学により学ぶことにより、初めて仏教用語に触れ、そのそれぞれの語句の意味を知ることが、そのまま”真実”として頭にインプットされてしまったように思うし、盲信に至る方の落とし穴ではないかとの思いがあるようです。
> 以上で、書いておくべきことはわたしなりにだいたい書いたつもりです。
ありがとうございました。^^
お示しくださったリンク先(曽我さんサイト含む)は、何度か読んでおりますが、Libra師匠とのお話の中で、また少し理解できたことがありましたので、改めて読み返してみようと思います。
> さて、わたしは、明日からまたふだんの生活にもどって別のことに集中しな
> ければなりません。残念ですが、ここにお邪魔するのは今日の深夜までにさせ
> て頂きたいとおもっています。その時点で一応の区切りがつくかどうか(汗)。
(´・ω・`)ショボーン
タイムリミットまでにお返事いただけるか分かりませんが、わめは「合理性の放棄、あるいは軽視」の方と話し合う機会が多く、わめはそのような方を対象としての思索に、重きを置いているようです(今まで自覚していなかったのかもw汗)。
この「合理性の放棄、あるいは軽視」の方の意識改革の手立ては、如何にしていけばよいか、何かアドバイスが頂けましたらありがたいです。
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