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法華経について

41snow:2005/09/29(木) 13:57:20
わめさん、ありがとうございます(^-^)
「納得!」の部分と、「新たな疑問」がわきました。
「納得!」部分…
「日蓮は"業"とか"功徳"とかを、
 民衆を法華経の行者にするための"方法"として、
 わかりやすく誘導するために用いた。
 究極的には"業"とか"功徳"よりも、
 法華経の説く考えに従った生き方をすることを目指した」

「非学会員の前向きな物事のとらえ方(軽くすんだ、など)と、
 学会員の"業""功徳"のとらえ方は、同じ、またはとても似通っている」
(↑繰り返しますが、違うところがあったらご指摘ください)

「新たな疑問」部分…
「熱心で、勉強もしている学会員さんが、
 いつまでたっても法華経に帰依する生き方そのものよりも、
 "業""功徳""罰"などの、
 いわば入口段階で止まってしまっているように感じられるのは、なぜか。」

 例)実家の近所の激しく活動熱心な婦人部さんの言
  「うちは私がしっかり信心しているから、
   いろんな困難が起きても、軽くすんでいる。
   功徳だ!
   しかし、家族が反対し続けているから、いつまで経っても
   完全に業を取り除くことができない」

「学会の論理に寄らなくても、
 同じような前向きな考え方に到達する人はたくさんいるのに、
 それでもなお他を排して自分たちの論理だけを最高とするのか。
 または、同じような考え方に到達した人を見たときに、
 本当に自分たちの持つ理論だけが最高なのかどうかを検証する人はいないのか。
 なぜ、他の理論からでも同じ考え方に到達できるのかを検証しないのか。」

ふ〜、お昼休みの割に、小難しいこと考えちゃった(苦笑)
またのぞきに来ます。


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