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法華経について

164マターリ:2005/11/13(日) 18:04:22
念仏無間地獄抄に法華経からの引用があります。(P97、2行目)

法華経第二比喩品に云わく「若人信ぜずして此の経を毀謗せば、即ち一切
世間の仏種を断ぜん、其の人命終して阿鼻獄に入らん、一劫を具足して
劫尽きなば更生れん、是くの如く展転して無数劫に至らん」

以上の文は、仏を罵るよりも、法華経の経典を憎む方がはるかに罪が深い
という考え方だと思います。

法華経が作られ始めた昔を振り返ると↓

専門の比丘の教団から考えると、教えといえば、自分達が口伝えに伝えて
きた釈尊の言葉だけを指すはずでした。しかし、専門の比丘でもない在家
の信者たちが、それも釈尊の名によって新しい経典を作ろうというのです
から、専門の比丘の教団の人々は、猛烈に憤慨したと思われます。

したがって彼らは、在家の信者達に猛烈な非難を浴びせかけたと思われる
のです。当然、法華経を受持し、説く者に対する憎しみも相当なものがあっ
たと思われます。そして憎しみがエスカレートすると、言葉だけでなく、
暴力までふるうようになり、在家の信者達への熾烈な迫害となっていきまし
た。

しかし迫害をされればされるほど、法華経を結集した在家の信者達の団結は
強固になり、ついに比丘の教団に対抗する大乗仏教教団に発展していきまし
た。

したがって、法華経の経典に書いてある罰論は、比丘の教団が在家信者に
対して実際に行った迫害に対して、在家信者が反発心とともに、怒りと
憎しみをもって書き綴った文ではないかと、私は考えています。
猛烈な迫害を加えられた被害者であれば、加害者に対し「地獄へ落ちてし
まえ」と呪うのも、人間として自然な感情ではないか?と思われます。

しかし、こうした事情を知らない後世の人々が、経典の一字一句をそのまま
信じ込んでしまった場合、とんでもないことになると思います。
「恐ろしい呪いの言葉」となって人々を、がんじがらめに縛り付ける恐れが
あると思います。こういう点を考慮に入れて、御書を拝読する必要があると
思われます。


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