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提督たちの憂鬱について その77
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空襲でも生き残った谷中の五重塔が、戦後の不倫心中で放火炎上した悲劇。この世界では、逆行した誰かが防いでくれるかな?
松山城も、戦前と戦後に放火された。
前者は昭和8年。自身の境遇(出生と家族関係の不幸、梅毒)への憤懣から、日本各地の宗教施設に学校など、地元の人々が誇りとする建築を炎上させる事で嘆き悲しむ大勢の姿に喝采していた古川義雄。
こいつは、絶対に自分は死刑にならないと勝ち誇っていて、捕まった時にも「宇和島城に放火に来た」等と供述しており…判決は死刑。
後者は昭和24年。精神障碍者で、水の手が少ない(井戸一つ)の山上本丸で火をつけると、消すのが大変で皆が困るだろうから火を付けた。空襲でも焼けなかった大事な門が燃えて、皆が泣いているのが楽しかったと供述し……責任能力なしで無罪。
これも、何とか誰か防いでくれないかな。
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