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新【たった一人の反乱】太田述正 目指せ!日本独立5【避難所スレ】
629
:
文責・名無しさん
:2025/08/24(日) 15:50:59 ID:RHiWnflQ
>で、取り敢えず、景品はつかないが、「・・・・史観」なのか、あてずっぽうでもいいので考えてみて欲しい。
「拡大摂関家史観」当てにならない天皇家や幕府に変わり、日蓮主義になりそうな奴を成否は別として各所に送り込んで行った。
>縄文人を無理やり戦わせるためのショック療法だったってのが私の見解(コラム#省略)
田中義一の陸軍改革が起因じゃないかという方もいますね。いずれにせよ娑婆の空気を抜くには方法はそれくらいしかない。↓
「陸軍に関しては1908(明治41)年12月に【軍隊内務書】が改定されたことが、大きな転機になっている。軍隊内務書とは、連隊長の職務は何であるか、
中隊長の職務は(省略)・・といったことや、兵卒が起床から就寝までどのように行動すべきか、などなどを規定した本のこと。
それまで部隊において兵卒は【給養班】という単位で寝起きし、食事していた。この給養班は基本的に同年兵で構成された。
それが前述の軍隊内務書改定で【内務班】という単位で寝起きや食事などをするようになった。内務班では軍隊に入った年度が違う者同士が混在する。
俗っぽく書けば、同級生だけで修学旅行みたいな雰囲気だった給養班が、先輩後輩の関係が存在する体育会の合宿のような内務班に変ったということ。
こうなると古兵(先輩)による私的制裁が行われやすい環境になってしまう。そして内務班では下士(当時は下士“官”とはいわなかった)が班長となり、班の責任を負う。
自分の成績を良くしたければ、班員である兵卒に厳しくなる。
日露戦争は1904〜1905(明治37〜38)年なので、当時はまだ同年兵だけで寝起きするのが基本だった。ただし、その時代でも演習や前線における戦闘中は、
もちろん古兵や上官と一緒になって行動した。
軍隊内務書の改定を主導したのは、陸軍省の軍務局軍事課長であった田中義一大佐。のちに総理大臣になった人物だから、軍人時代もいろいろと改革を行った。
田中大佐の主導によって【在郷軍人会】を作ったのも同じ時代のこと。田中義一は内務班をひとつの家族のような形にしようと考え、中隊長が父親、班長が母親、古兵が兄、
初年兵が弟という立場で、身近で「母親」(この時代の父親はエラすぎて、遠くにいて細かいことまでは口出ししない)や「兄」が「弟」の面倒を見て育てていくという理想があったらしい。
その「面倒を見る」というのが、極端に悪い結果として現れたのが私的制裁。」
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14179922659
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