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南 京

1NAME:2012/08/23(木) 21:49:19
南 京

96NAME:2019/07/18(木) 22:56:39
当時の日本側の見方

 『スマイス報告』は、昭和15年、興亜院(1938年に設置され、42年に大東亜省に吸収)に勤務していた吉田三郎氏が上海に調査に行き、同所でアメリカ長老教会のミリカン夫人を知り、同夫人から紹介された金陵大学のベイツ教授から説明を受けた時に入手する。北村教授の前掲書中の「『スマイス報告』の徹底的検証」から、当時の日本がどのように見ていたかが分かる。

 吉田氏は「こういうものを世界中に配って基金を集めているのです。その中には南京地方に於ける農産物の調査、南京地方の人口調査等、いわゆる科学的調査を標榜しつつ、そのことによって日本が飛んでもないひどいことをやっているような印象を世界中に統計を通して与えている。しかしよく見ると科学的な研究という面を被った排日宣伝文書であります」と報告を見抜く。

 その理由として、「南京地方における損害の統計を作る場合に、(中略)火災の場合についていえば、支那軍が逃げる時に放火したために焼けたものまで皆その中に一緒に入れてある。・・・これで見ると皆日本軍がやったことのように見えるのです。斯様に巧妙なる科学戦争というものが世界中に、この機関を通してまかれている事実を見た」というように、的確に指摘している。

 また、ベイツ教授は「今度の戦争による被害が支那全体でどの位あるかということを書いたものですが、それを是非読んで貰う必要ある」として「WHAT WAR MEANS」を紹介する。吉田氏は上海の書店で入手する。 殺人競争の章を見て、「材料は日本の新聞から取ってありました。何々少尉武勇伝という記事がそのまま載せてあったのであります。そういうように新聞記者が日本の文献その他日本側に不利な情報を編集してできているのがこの本でありまして、かような排日的な宣伝文書は外国人の間に多く読まれている」として危惧する。

 ミリカン夫人にこのことを話すと、「ぎょっとして『あれはあまりよい本ではない。あの書物は熱を以て書かれているのだから、歴史家があれをそのまま談じては困る。あなた方は歴史家であるから、もっと客観的にものをみなければならない。・・・ああいうものが全部であると思われては困る』と言って居りました」と、外国人でも疑問視していたことを指摘している。

 「その書物を見ますと、日本の官憲の或る部分はこの書物を出すことを支持していると書いてある。・・・恐らくそれは嘘だろうと思います。この書物による利益は皆赤十字社に寄贈すると書いてある。なかなか上手に出来ています。かような種類の本がどんどん売れているのですから全く困ったことです。日本の左翼の人がそれを訳すことを許可してくれといって盛んにミリカンのところへ来る」と聞いたと述べる。

おわりに

 当時の日本人の方が賢明ではなかっただろうか。世間の信用をバックに、戦争に伴う「通常の犯罪」(もちろんないに越したことはない)を「大虐殺」に衣替えさせるのに米国人宣教師たちが大いに関係していたのだ。 すべては全世界に巧妙に張り巡らせていた国際宣伝処の仕業であったことが今や明確になってきたのではないだろうか。

 日本軍も犯罪は犯した。しかし、それは中国が主張するような人道に悖る何十万人の市民を虐殺するなどではなかった。 中国は依然として「南京大虐殺」を主張し、拡大流布さえしようとしているが、論点のすり替えや証拠資料としていたものの撤去など、綻びも見えてきた。 日本は決然と否定することが大切ではないだろうか。

97NAME:2020/03/29(日) 01:43:30
南京虐殺はあったのか
https://blog.goo.ne.jp/goo3360_february/c/4b57f4088f6d4becf2823e896eeab9a2
徳川義親の伝記にも、こう書かれていた。
張本人が松井石根軍団長の幕僚であった長勇中佐であるということを、藤田くんが語っていた。
南京から長勇中佐が上海特務機関にきて、藤田くんに会った。
長中佐は藤田君にこう語ったという。
前線で機関銃をすえている兵士に長中佐は、「あれを撃て」と命令した。

98NAME:2021/05/05(水) 22:00:05
>「日本軍の命令と服従について」
決定版【南京大虐殺】洞 富雄 徳間書店の中に以下の文章(p297)があります。
http://web.sfc.keio.ac.jp/~gaou/cgi-bin/mondou/html/024539.html

・・・・以下引用・・・・・
長中佐は藤田くん(藤田勇)にこう語ったという。
日本軍に包囲された南京城の一方から、揚子江沿いに女、子どもをまじえた市民の大群が怒濤のように逃げていく。そのなかに多数の中国兵がまぎれこんでいる。中国兵をそのまま逃がしたのでは、あとで戦力に影響する。そこで、前線で機関銃をすえている兵士に、長中佐は、あれを撃て、と命令した。
中国兵がまぎれこんでいるとはいえ、逃げているのは市民であるから、さすがに兵士はちゅうちょして撃たなかった。そこで長中佐は激怒して、「人を殺すのはこうするんじゃ」と、軍刀でその兵士を袈裟がけに切り殺した。おどろいたほかの兵隊が、いっせいに機関銃を発射し、大殺戮となったという。
>・・・・以下引用終わり・・・・(ヒデ)

99NAME:2021/05/05(水) 22:05:48
南京虐殺はあった!
2020-08-12 22:56:18 | 太平洋戦争
https://blog.goo.ne.jp/goo3360_february/e/f816c93ad741f78e5b484818e3b36734

https://youtu.be/yrLPTGCXPr0

100NAME:2021/05/05(水) 22:06:14
衝撃。「南京虐殺は無かった」という誤魔化しを覆す記録映像が、日本で公開されていた。 テレビ史上、初めてCG化された南京大虐殺。民放の社会派ディレクターが退社前に全身全霊をかけて制作した入魂のドキュメント。NHKですらこれほど南京の真実に迫ったものを作ったことはない。日本軍は補給軽視の作戦の結果、数万の捕虜を養えず暴動が起きる前に皆殺しにした。虐殺否定派に問いたい。後ろ手に縛られ、戦闘する意思も手段も放棄した人間を背後から殺害することが、虐殺でなく何なのかと。投降した兵士であろうと便衣兵(ゲリラ※実際は南京城内にはいなかった)であろうと、白旗をあげた人間を殺してはいけない。
※推薦動画【永久保存版】南京大虐殺の証拠〜当時の記録映像と生存者の確実な証言(32分)https://youtu.be/uyVeMusrS-k
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南京占領軍への当初の命令は「青壮年はすべて敗残兵、又は便衣隊(ゲリラ)と見なし、­すべて逮捕監禁すべし」。つまり、老人と子ども以外の中国人男子は全員逮捕監禁せよと­いう厳命。だが、捕虜10万人の食料も収容する施設もない。やがて命令は「捕虜を処分­(処刑)、殲滅(せんめつ)せよ」に変わった。『ハーグ陸戦協定』では「武装解除した­捕虜の虐殺」を戦争犯罪としている。ネット上では多数のデマが流れているため、よくあ­る質問と答えを以下にまとめる→

・日支事変は国際法上の“戦争”ではないため『ハーグ陸戦協定』は当てはまらない。→­ならば平時の殺人であり戦犯以前に殺人罪。
・虐殺証言で登場する元日本兵は中国共産党に洗脳された中国帰国者(中帰連)。→南京­戦に投入された部隊は捕虜にならず帰国しており、中国共産党は無関係。
・捕虜虐殺を見ていない海外ジャーナリストがいる。→虐殺現場は街から4キロ離れた揚子江­の川岸。中心街で殺害したのではない。
・南京入りした後発補充部隊は「虐殺はなかったと聞いている」と証言している。→「な­かった」と証言する元兵士は全員が事件後に南京市入りしている。しかも伝聞の証言であ­り説得力なし。何より、軍の公式記録である第66連隊の部隊記録に捕虜殺害の数が記録­されており、その数は加害兵士の陣中日記や証言と一致している。
・捕虜の暴動が起きたので仕方なく殺した→この話は戦後に現場指揮官の1人が戦犯指定を逃れるためにでっち上げたものと2018年に判明。暴動説はデマが確定。

〔まとめ〕南京を占領した日本軍は、各部隊とも自軍の10倍近くの捕虜を得て、その処­理に困って殺害に至った(例えば山田支隊1500人に対して15000人の捕虜が発生­し幕府山事件が起きた)。本来、捕虜ならば軍法会議、捕虜以外は軍律会議の判­決で処断せねばならない。便衣兵が「ハーグ陸戦協定違反」であろうとなかろうと、丸腰­の人間を裁判抜きで殺害するのは戦争犯罪。“南京事件否定派”の意見は国際社会で通用­しない。
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101NAME:2021/05/05(水) 22:06:51
〔補足・通州事件〕【通州事件…ネット右翼が知らない3つの事実】
(1)通州事件は、日本人104名と朝鮮人108名、計212人が殺害された。朝鮮人の死者の方が多いが、当時の朝鮮は日韓併合下にあったため「邦人200人以上」としている。
(2)通州事件は日本軍の誤爆事件が先にあった。襲ってきた中国人部隊は元々親日派で、日本軍が育てた子飼いの部隊。誤爆事件で飼い犬に手を咬まれた。
(3)日本軍は通州からヘロインなど大量の麻薬を大陸に流していた(毒化政策)。その悪行が中国人から反発を買った。
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〔補足2・便衣兵のせいというデマ〕
第一次上海戦では便衣兵(ゲリラ)の攻撃を受けたが、第二次上海戦では便衣兵からの攻撃はないに等しかった。特に南京城内では報告皆無。南京戦では「国際法を違反した便衣兵」は存在せず、虐殺を正当化する理由にはならない。仮に便衣兵がいたとして、日本が他国を武装して占領するから装備に劣る相手側が「祖国を守るため」にゲリラ戦を選んだのであり、加害者がそれを虐殺の理由にするのは酷い話。侵略していなければそもそも便衣兵になる必要もなかった。
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〔補足3・人口のデマ〕
否定派は「南京の人口が占領後に10万人増えているのがいい証拠」という。これは簡単に説明できる。南京一帯で戦闘が行われているわけで、南京市の国際安全区に避難民がなだれ込んでいるだけ。
参考までに以下のやり取りも紹介。
KAZUYA氏「人口20万人の南京で、30万人殺したという。ファンタジー的だ」
記者「20万人というのは南京市の特定地域(国際安全区)の人口の推計で、市全体のものではない」
KAZUYA氏「知っています。耳を引くためにオーバーな言い方をしています」
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〔補足4・犠牲者30万人に根拠はあるか〕
1927年に国民政府が南京を首都に定めて以降、南京市政府は市内の常住人口について統計資料を保存している。1935年に100万人の大台を突破し、虐殺9カ月前の1937年3月の調査では101万9667人で、戸数は20万810戸(南京の首都警察庁調べ)。この3月時点の100万人は、虐殺肯定派、否定派とも見解が一致している。その後、日本軍の連日の空襲で人口が減り始め、11月20日に国民政府が重慶への首都遷都を宣布、さらに日本軍の接近が伝えられたことで住民が激減、11月23日に南京市政府(馬超俊市長)は「現時点で人口は約50万」「ただし今後20万人の周辺難民の流入を予測」と国民政府軍事委員会に報告している。実際、膨大な数の農民が難民となって城内に避難した。南京守備部隊、常住人口、流動人口の合計が約60万人、そして虐殺後の人口が30万人強であることから、中国側が主張する犠牲者30万人は、「最大値としては」あり得る数字だ。
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102NAME:2021/05/05(水) 22:07:12
〔補足5・消えた遺体について〕
南京守備隊(5万人以上)の処刑は揚子江の河岸で行われ、遺体は大河に流されたことが日本軍の記録で明らかになっている。いったい何万人が揚子江に投げ込まれたのか不明ではあるが、墓がない大きな理由のひとつ。次が重要な点。日本側が考える南京事件は、期間が「1937年12月13日の南京陥落から17日の入城式まで」、場所は「南京城内で行われた掃討戦」としているケースが多いのに対し、中国側は期間が「南京戦から3カ月」、場所は「南京周辺の農村を含んだ広大な地域」であり、この時点で両者が主張する数字が合致するはずがない。中国が嘘をついているのではなく、単に期間と場所が異なるだけ。それゆえ、一般市民の墓は点在しており、ここを掘れば数万人の遺体があるといった場所がない。ちなみに埋葬隊記録では155,000体。これは焼き棄てられた死体や、揚子江に投げこまれた死体を計算に「入れていない」。
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〔補足6・パール判事について〕
「パール判事が日本の戦争行為に理解を示した」というのは保守派のデマ。パール判事は日本軍の残虐行為に激怒している。東京裁判は、新しく作った法律で過去の行為を処罰できないという法学者の信念から「無罪」としたのであって、「日本は悪くない」とは言ってない。南京大虐殺では「宣伝と誇張を出来る限り考慮しても、なお残虐行為は日本軍が占領したある地域の一般民衆、また、戦時俘虜に対し犯したものであるという証拠は圧倒的である」と虐殺を認め断罪している。パール判事の息子は、東條英機の伝記映画『プライド』が東條を美化するため自分の父を利用していると憤慨し、田中正明(勝手に松井石根大将の文章を改変し、日本に「南京事件はなかった」と嘘をまき散らした張本人)に抗議している。
パール判事の激しい批判:
・張作霖爆殺事件は「無謀でまた卑劣である」「殺人と言う卑怯な行為」
・満州事変を「非難すべきもの」
・満州国建設を「手の込んだ政治的狂言」
・南京虐殺やフィリピンでの虐殺を事実と認定し「鬼畜行為」と批判。南京大虐殺について20箇所以上の残虐行為を指摘したうえで「鬼畜の性格を持っている」と断じ、戦争指導者は無罪であっても、殺人・強姦など通例の戦争犯罪の実行者に対する処罰は(新法で後から処罰ことですら)「正当である」と述べている。
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この問題を語るとき、もう少し相手の立場になって考えてみませんか。終戦時に中国にいた日本軍は105万5700人。そして日本軍には補給がまともになく、基本は現地調達。農村から命綱の牛馬鶏を奪い、穀物を奪いながらの行軍、占領です。そして少なくない部隊で強姦が起きています。抵抗すれば殺害。
この歴然たる事実を正面から見つめ、どうかネットにデマを広めないよう、同じ日本人として心からお願いします。
★その他、南京大虐殺否定派の疑問は以下の3つのリンク先で100%解決されると思います。
「南京事件FAQ」 https://seesaawiki.jp/w/nankingfaq/
「南京事件資料集」 http://kk-nanking.main.jp/index.html
「南京事件ー日中戦争 小さな資料集」http://yu77799.g1.xrea.com/

大事なことなのでもう一度。「人口20万の都市で30万は殺せない」デマにはくれぐれも注意を。20万人は南京特別市の一部である南京城の中のさらに一部である安全区の人口に過ぎず、犠牲者30万人が発生したという地域は南京城の外、南京特別市の広い範囲を対象にしたものです。

「1万人以上銃殺した」と証言したのは、会津若松第65歩兵連隊の兵士。「白虎隊」に因んで「白虎部隊」として尽忠報国、上官の命令には絶対服従だった。実は私の父も、会津若松出身なので、昭和16年8月に「会津若松第65歩兵連隊」に入営した。南京攻略はその3年前のことであり、「南京攻略時の虐殺」については全く知らされていなかったようだ。箝口令でも敷かれていたか。

103NAME:2021/05/05(水) 22:07:32
最大の疑問点は、毛沢東がこの話題に関して一度も口にしたことのないということ。
https://www.multilingirl.com/2017/03/nanjing.html

104NAME:2022/02/25(金) 18:18:01
1990年10月1日、石原慎太郎 「南京大虐殺について「中国側の作り話」「うそ」と主張
https://antiracism-info.com/database/123876/

石原慎太郎代議士が、雑誌『文芸春秋』2月号で、真意を詳しく説明している。そこで石原氏は、「(虐殺の)数がいわれているものの1000分の1だろうと100分の1だろうと、不法な殺人はもとより人道にもとるし、虐殺は虐殺でしかない。私は日本軍が当時大陸で残虐な行為をまったく行わなかったなどというつもりもない」「日本軍の不法な殺りくが、かなりの数であったことも間違いないが、30万という異常な数ではあり得なかったことも確かだと思う。われわれは今、改めて自らの歴史を検証する権利と、子孫に対する責任があるはずだ」「それは、アメリカや中国との友情をないがしろにし、損なってもいいということではない。自分たちの未来、運命を切り開いていくために必要な情報を自分で摂取し、自らの情報空間を構築していく必要がある」などと述べた。

105NAME:2022/02/25(金) 21:10:47
河村たかし氏や石原慎太郎氏に
https://suyiryutei.exblog.jp/17870588/

河村たかし名古屋市長が「南京事件というのはなかったのではないか」と発言したのは20日のこと。相手は中国共産党南京市委員会の訪日代表団なのだから、なるほど度胸はある。最近の嫌中ムードに乗って、その“度胸”を売りにするのが狙いだったのだろうか。

南京事件というのは、日中戦争さなかの1937年に起きた、日本軍による住民虐殺事件。酔流亭もつい最近、TVドラマ『カーネーション』のことを書いた一文でこの事件にふれた。黙っているわけにはいかない。
それにしても市長の挙げた理由というのが「終戦を南京で迎えた父親が現地で優しくされた」ことだとは。ならば逆の認識も可能であったのに。しかるに、中国人というのは何かあればそこにつけ込んでくる連中だという、他ならぬ河村氏のような人たちがまき散らす中国人イメージに氏自身がとらわれているのだろう。そういう民族が、虐殺が事実なら相手に寛大であるはずはない、と思い込んでいるのだ。
だが、与那覇潤氏(『中国化する日本』の著者)が述べているように、「南京事件そのものがなかったとの考えを支持するプロの歴史学者はいない」(朝日2/24朝刊)のである。ならば、にもかかわらず河村氏の父が南京で「優しくされた」のであるなら、それは中国の人々の度量の広さをこそ意味するだろう。恩を仇で返す日本のポピュリスト政治家とは反対に。

もちろん戦後の中国は理想の社会とは遠いだろうし、そこに住む人々も様々だ。しかし、あの戦争に対して、日本によってあれだけの被害を受けながらも、悪いのは当時の政府であって人民ではないという立場を中国政府が基本としてきたことには、私たちはやはり頭が下がるのである。石橋湛山が1960年に述べた以下の言葉を思い出さないわけにはいかない。
「・・・しかも相手は暴虐の限りをつくした日本に対して、仇を恩で返すことを国是とし、いっさいの報復主義を排して逆に手を差し伸ばして来ている。それが容易なことではないことは、立場をかえてみれば自明である・・・」(『池田外交路線へ望む』岩波文庫『石橋湛山評論集』276ページ)。

さて、河村氏を「正しい」と弁護に立ったのが石原慎太郎・東京都知事である。24日の会見で言うことに、
「・・・あれだけの(旧日本軍の)装備、期間で40万の人を物理的に絶対殺せっこない」。
40万人が犠牲になったと、誰が言っているのだろうか。事件そのものを否定する歴史学者はいないが、犠牲者数については諸説あり、論争も繰り返されてきた。中国政府の主張は30万人である。これに対して、主に日本側から、もっと少ない数字も出されている。
石原氏は耄碌して言い間違えたというより、過大な数字を持ち出すことで「そんなに殺せっこない」という自説を際立たせたかったのだろう。被害をもたらした側の国の政治家が、こういう問題でこんなデタラメな数字の操作をやってはいけない。世界に対して恥ずかしいことである。


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