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名古屋社会情報

1名古屋:2012/04/11(水) 21:18:49
日本国民よ!危機感を持て!無知は罪なり!

2名古屋:2012/04/11(水) 22:12:19
プレアデスの智恵


母なる地球  

私たちは大地を Mother Earth (母なる地球) と呼んでいます。母なる地球とは私たちの創造主そのもののことです。地球上のあらゆる生命はこの母なる地球から生まれてくるのです。
  もちろん人間ばかりでなく、多くの動物や植物、鉱物、水、土、‥‥といったものもすべて、母なる地球から生まれました。私たちは同じ母を持つ兄弟であり、姉妹なのです。
  私たちは、母なる地球の恵みなしには一時も生きていくことはできません。また、兄弟姉妹の恩恵なしには生きられないのです。

  地球は生きています。そして、私たちすべては、その母なる地球の子どもなのです。
  また、私たちチェロキー族は、空や宇宙のことを Father Sky (父なる宇宙) と呼び、敬っています。
  長老は口癖のように、創造主である Mother Earth と Father Sky への感謝を忘れてしまうとき、大変なことが起こると言っていました。
  チェロキーインディアンの教えには、何万年もの間こう言い続けられてきたものがあります。

  母なる大地から、いつも恵みをもらうばかりではいけない。
  大地にも恩返しとして感謝の気持ちを捧げなくてはならないのだ。私たちはただやみくもに奪ってはいけない。必要なものだけを取ればいい。
  植物からの恵みを得るときには、まず最初の1本に祈りを捧げる。
  聖なる煙草の葉を備え、新しい息吹をいただくことに感謝する。
  必要な量以上はけっして取ることはない。恵みをけっして無駄にしないために。
  これが自然の原則であり、大自然の秩序なのだ。

  狩りの前にも私は祈りを欠かしたことはありません。今までに多くのバッファローを狩ってきましたが、一度もその矢をはずしたことはありません。私の射った矢は必ず背中から心臓を貫き、一撃のうちにバッファローは大地に倒れていくのです。
  私は矢を射る前には必ず「私の兄弟たちのために、あなたの命を奪うことをお許しください。そのかわり、私にもいつか死が訪れ、私の身体は土に還り自然の一部に戻って、新しい命となってあなたたちの命ともつながっていくのです。今回あなたの命を大切に使わせていただくことに感謝します」と念じながら射るからです。
  私たちチェロキーインディアンはバッファローを神と考え、崇めています。
  大事な生活の糧となるバッファローのすべてを、けっして無駄にはしません。大切に使い果たすことで感謝の念をあらわしているのです。

  私たち地球上の生き物のために、創造主は恵みの雨を与え、浄化の雪を降らせてくれます。嵐や雷や竜巻でさえ、それらは何か意味があって起こるのです。
  もしも私たちが雨の精霊に対して敬意を払わなくなれば、雨が降らない日は何日も続き、人々は水不足で困るか干ばつに見舞われることでしょう。
  感謝を忘れたとき、大雨が降り続き、洪水が起こるかもしれません。
  「グレートスピリッツである森羅万象のすべてがつながりあい、支えあっている」という究極の真理は、「すべての生命は大きなひとつの輪の中にあってつながっているというチェロキーの輪の思想」に基づいています。

  輪には、始まりもなく終わりもありません。
  すべての生命は輪のようにつながりあって、支えあって生きているのです。人間も人間だけでは生きていくことができないことを教えています。
  チェロキーインディアンの精神は輪の中にあります。
  すべては聖なる輪の中にあるのです。
  私たちのまわりの自然をみてもそれがよくわかるでしょう。
  母なる地球も、そして月も太陽も星もすべて輪からできています。私たちの体をかたちづくっている細胞もまた、基本は球であり、すなわち輪から成り立っているのです。
  木の葉は地上に落ちて土の栄養分となり、土は多くのさまざまな生命を養います。木にできたたくさんの木の実を小鳥やリスなどの小さな動物がついばみます。狼やコヨーテなどがそのリスを食べても、けっして必要以上の狩りはしません。
  やがて彼らも死を迎え、土に戻っていく日がくるのを知っているからでしょう。
  こうして生命は大きなひとつの輪の中に生き続けます。
  生き物はみんな輪の中にいることを知っているのです。

3名古屋:2012/04/11(水) 22:14:40
 聖なる輪の教え  

地球上に生きるものすべてがひとつの大きな輪でつながっているという、この調和の考えを表したものが「聖なる輪」であり、チェロキーインディアンの哲学ともいえます。
  チェロキーには、すべての生命はみんなつながりあっているという考え方が根本にありますが、これは精神的なものばかりでなく、物質的なものにもあてはまります。

  私たちは、だれかが困っているときには必ず手を差し伸べ、必要なものを与えます。
  物質はそのもの自体に価値があるのでなく、それを喜んでくれる相手に渡されるときに一番価値が高くなるものなのです。
  チェロキーには見返りなど期待する気持ちはまったくありません。だれかに何かをあげることで喜んでくれたなら、それがすなわち私の喜びにつながってきます。だれかの喜ぶ顔を見ることが、私にとって最高の幸せなのです。

  大切にしているものほど、人にあげる価値があるものだと思っています。ほんとうに自分の大切なものをどれだけ気持ちよく手放せるかでその人の価値が決まるともいわれています。
  これは“ギブアウェイ”と呼ばれ、与え尽くしの精神につながるものです。
  困った人がいれば、何も言わなくても必ず助けの手を差し伸べる。食べる物に困っている人には、気持ちよく自分の食べ物を分け与える。そんなあたりまえのことをいっているだけです。

  もちろんもらう側もその好意に甘えるばかりではありません。その気持ちが物で返せないときには、何かできることをしたり、感謝の気持ちを表現したりします。けれども、自分がもらうために何かをあげるとか、働いた報酬として何かをもらうというのではないのです。そこには人間同士、生き物同士の心の通いあいが存在しています。必ず喜びや愛があるのです。
 そのお返しは必ずしももらった人にしなくてもいいのです。将来自分のまわりに困っている人がいれば、その人を助けてあげてもかまいませんし、できるときにできることをすればいいのです。

  輪の思想は利他の精神にもつながっています。ギブアウェイ同様に「生きとし生けるものは、すべてひとつにつながっている」という思想がここでも流れているのです。

生まれ変わりの真実  

  私は自分の死を恐れたことは一度もありません。
  その時期がくれば、また生まれ変わるということを知っているからです。私は何度もパッケージ(肉体)を変えながら生まれ変わってきたことをはっきり覚えています。
  私は前の世界で多くのことをやり残してしまいました。だから、そのために今世は私の存在のすべてを使って、私が本当にやらなければならない大きな仕事に取りかかり始めたのです。

  スピリット(魂)は何度も違うパッケージ(肉体)に移り変わり、そのたびに多くのことを学んでいきます。私たちはグレートスピリット(偉大なる精霊たち)に近づくために、まわりの生き物すべてを慈しみ、愛し、調和の道を歩んでいます。
  たしかに、今の魂が肉体から離れるときには、両親や夫婦、友人や子供たちと、しばらくのあいだ別れ別れになってしまいます。その別れは悲しいものかもしれません。けれども、またすぐ会えるのですから、そう心配する必要もありません。
  ほんとうに会いたいと願うならば、あなたの大切な人とは必ず来世で会うことができるのですから。
  肉体は変わったとしても、会ったときにこの人と会いたかったのだと、きっとわかるはずなのです。

4名古屋:2012/04/11(水) 22:16:47
銀色の貝殻  

  チェロキーの伝説には「浄化のとき、我々の前に銀色の貝殻に乗った同胞がやってくる。彼らは逃げ出したいという人を次の星へ連れていってくれるというだろう。しかし、彼らと一緒に逃げ出そうとは思わない方がいい。別の星は、この母なる地球ほどは私たちには住みやすいところではないからだ」とあります。
  私はけっしてこの母なる地球を置き去りにすることはありません。私の多くの兄弟たちといつまでもここで暮らしていくつもりです。

  この「銀色の貝殻」とは、おそらく私たちがUFOと呼んでいるもののことなのでしょう。ほかのインディアンの部族の中にも、よく似た宇宙船の伝説が数多く伝えられています。
  鷹は、この父なる宇宙には高度な文明を築いている惑星が数多くあり、私たちのことを知っている地球外生命は存在していると言っています。

 目に見えないものの存在  

  インディアンの預言には大きく分けて2つの共通項がみられます。ひとつは、どれもが世界の大きな変化に言及していること、そしてもうひとつは、インディアンの伝統的な考え方の重要性、特に母なる大地(地球)への敬意の念を表明していることです。

  目に見えるものは自然界にあるほんの一部です。
  見えないものにこそ、大きな意味が隠されていることを私たちはしらなければなりません。
  私たちの内なるスピリットの声に耳を傾け、母なる地球の浄化を始めなければなりません。この過程を通して、見えない部分、すなわち意識の奥深い部分を揺り起こさなければならないのです。

  人々は、夢を見る能力を合理主義によって忘れてしまったかのようです。一刻もはやく内なる力を呼び覚まさなければなりません。内なる目で見ることを再び学ばなければ、これから起こる変化に対応できないのです。たとえば、襲ってくる大きな地震を予知したり、自分の会いたい人と何の連絡もなく会えたりできるようにしておかなくてはなりません。
 
けがされた大地  

  母なる地球の大きな変化についてチェロキーに伝わる預言はこう告げています。

  母なる地球が自らの治癒力をコントロールするとき、あるところでは異常に雨が降り、あるところでは異常に渇く。またあるところでは異常に暑く、あるところでは異常に寒くなる。
  季節があまり急激に変わるために、季節と季節の区別ができなくなってしまうときがくる。
  これは母なる地球の変化の前兆である。このとき、地球の生き物は、なぜそんなことが起きるのかを知らなければならない。

5名古屋:2012/04/11(水) 22:19:59
原子力発電所という時限爆弾  

  原子力発電所による事故の悲惨さも、これまで数々ありました。世界には現在500基以上の原子力発電所があります。これらは、エネルギーの確保のため必要だという理由から、建設が急がれました。けれども、その安全性はあとまわしになっています。
  1986年に起こったチェルノブイリ原発事故では、大量の放射能が放出され、「広島」の原爆の数百発分に相当する死の灰が振りまかれました。この影響で、およそ10年たった現在も、白血病や甲状腺ガンの子どもが急増し、奇形の家畜もどんどん生まれています。被爆者の数は少なくとも66万人にのぼるといわれ、今なお放射能汚染は、ヨーロッパばかりか地球全体として続いているのです。
  放射能汚染の危険性やその恐ろしさは、原爆を経験している日本人ならほかの国以上に切実に感じているはずです。その痛みを世界に向けて発信していくべきでしょう。けれども、日本は世界有数の原子力発電所推進国というのが現実です。(中略)
  私たちが、夏の暑い日や冬の寒い日に特別に多く使う電力のために、あるいは全国に300万台以上あるといわれる飲料の自動販売機や、また24時間開いている施設などのために、原子力発電所が必要なのでしょうか。
  便利で快適な生活の代償として、危険を承知のうえで原子力発電所を使わなければならないという矛盾の根本的な原因を知ることです。

  彼の話を聞くうちに、その根本的な原因が、おそらく欧米社会が近代につくりだした魔のルール「経済」という仕組みにあると私は感じていました。
  「経済」とは、大量生産、大量消費によって成長するお金絶対主義の社会の基盤となっているもののことです。
  資本主義の社会においては、このお金を儲けることが、何をおいても大切なことなのです。
  けれども、産業革命以降のこの300年間、私たち現代人があたりまえのことだと思ってきたこの社会のルールは、実は自然のルールとまったく逆だったのです。
  大量に電気を使えば、大口顧客として電気代は割引になります。たくさん物を買えば安くなるのが経済のルールです。けれども、これは自然のルールには当てはまらないのです。
  「1本の木を切るだけなら何もしなくていいのだが、10本切るなら10本、100本切れば1000本植える必要がある」。鷹たちは自然の摂理を知っています。これが自然のルールです。

  東南アジアで今日、頻繁に起きている深刻な大洪水は、大切な森林がなくなったことが大きな原因です。従来の森林がもっていた豊かな保水力がなくなってしまったため、大雨が降ると雨水は森に蓄えられずに、一気に川に流れ出してしまうからです。

  チェロキーの預言には「もしもこのまま母なる地球が傷つけられ、人間がすべての生き物に対して敬意を払わないならば、西暦2000年ごろにアメリカ西海岸が大洪水やハリケーンによって滅んでしまう」とあります。
  合衆国の各地でも大洪水や大地震が起こるでしょう。運よく大洪水からまぬがれることができたとしても、今度は干ばつがやってきます。
  貴重な水はどんどん減ってしまい、残ったわずかな水もすでに汚染のために飲めなくなってしまいます。大都市には伝染病が蔓延し、重い不治の病に苦しむのです。

浄化の日

  チェロキー族のメディスンマンだったローリングサンダーはこう言い残しています。

  人間がある場所を汚すとそれはたちまち広がってしまう。
  まるで、体内に転移するガン細胞のように‥‥。
  それゆえ地球はいま病んでいる。人間が母なる地球をあまりにひどく扱っているせいなのだ‥‥。
  今後起こりうる災害は、母なる地球がその膿を取り除いて自然に還るための微調整なのだ。このことに気づくことはとても重要である。
  高等生物たちが自由な意志を持ち、健康であり続けたいと願うように、母なる地球もそう望んでいる。母なる地球も私たちと同じひとつの生命体であり、意志を持っているからなのだ。

6名古屋:2012/04/11(水) 22:23:43
  母なる地球の状態を知れば知るほど、浄化の日が来るのはそう遠い未来ではないことが感じられます。そのときがいつかはわかりません。けれども、すでに浄化は起こっているのです。母なる地球の変動はもう始まっています。
  母なる地球は知性をもつゆえに、この多くの汚染や破壊、激しい争いをなんとか止めようとしているのです。それははっきりとわかる形であらわれてきています。
  地震や津波、洪水、干ばつ、‥‥といった自然災害として、その多くが私たちの身近にやってきています。私たちは、今までになかった被害を目の当たりにしているはずです。
  けれども誤解しないでほしいのです。これは、けっして母なる地球の怒りではありません。これは、母が子供たちに示す深い愛情のあらわれなのです。私たちの子供たち、孫たち、そして地球に生きる多くの生命の存続のためにも、地球自身が癒されなければならないからです。
  今、癒されなければ、手遅れになってしまうからです。
  母なる地球はできるだけ多くの生き物に大きな被害が出ないように、十分に気づかっています。でも、母なる地球の病状が中途半端なものではないだけに、人間やほかの動物にとっては厳しい試練となることは仕方のないことなのです。この試練から私たちは多くのことを学ばねばなりません。
  母なる地球を癒すのは私たち一人ひとりだからです。

 輪の思想〜けっして終わりではない  

  これから大きな変化はやってくるが、それはこの世の終わりではないと鷹は言います。

  もしも、多くの人たちが The End of the World (世界の終わり) だというぐらいの何か重大な出来事が起こったとしても、それは、ある価値観から新しい別の価値観へのトランスフォーメーション(変容)にほかなりません。
  世界の終わりは、すなわち新しい価値観による世界の出現なのです。
  もしも「母なる地球」を敬う気持ちや、大自然と調和しながら生きていくという姿勢があれば、何も恐れることはありません。変化こそが次の世界への夜明けを誘うものなのですから。
  これから訪れる物質的災害から自分の身を守りたいならば、その方法はたったひとつしかありません。先住民族たちの生き方や考え方を学ぶことです。頭でなく心で。そう、母なる地球を慈しみ、すべての生き物を敬う気持ちを思い出すことだけなのです。

地球の大きな変化

  世界はまもなく混沌とした時代を迎えるでしょう。
  人間はすでに母なる地球の子供ではなくなりつつあるからです。人間はすべての存在に対して傲慢になりすぎ、地球を破壊しすぎてしまいました。
  我々は大急ぎで、母なる地球のすべての恵みについて感謝の気持ちを思い出さなければなりません。この地球上の出来事は、すべて母なる地球の恩恵なのだということを。
  今、母なる大地が徐々に大きな変化を起こしはじめました。
  これからいろんなことが起こってくることでしょう。人間そのものが、どこかに連れ去られていくような大きな異変も避けられません。この異常な気候こそがその象徴であり前兆なのです。それを避けようとすることよりも、私たちはまず、どうしてそんなことが起こるのかその意味を問わねばなりません。
  世界中で起こりはじめた大きな変化を止める術はもうありません。
  どんなに高度な科学技術をもってしても、地震も津波も止めるどころか予知することすらできません。それは起こるべきときに、起こるべくして起こるのです。
  地球の浄化のための身震いは、母なる地球が生き続けるためにどうしても必要なことなのです。
  私が地球の大きな変化を否定しないのは、それが地球にとっても、すべての生き物にとっても必要なことだと思うからです。変化による警告がなければ、地球と調和しない人間によって、母なる地球はぼろぼろにされてしまうかもしれません。

  私たちチェロキーも多くインディアンの指導者たちも、母なる地球の大きな変化を「浄化=Purification」と呼んでいます。必要なときにそれはやってくるのだと悟っています。
  もちろん、この浄化はなまやさしいものばかりではありません。いままで起こった異常気象や大地震のように多くの生命が母なる地球に還っていくかもしれません。もしかすると想像もできない大きな規模の浄化かもしれないのです。
  どんどん悪化する地球環境のせいで、あと数十年で生き物は陸上では棲めなくなってしまうといわれています。早くどうにかしていかなければ、私たちすべての生物がこの地球で生きられなくなってしまうかもしれません。
  母なる地球が寿命通りに(あと50億年近く)生き続けるためには、どうしても地球の浄化活動は必要なことなのです。

7名古屋:2012/04/11(水) 22:31:25
月のUFOとファティマ第3の秘密


 なぜマリアはファティマの地を選んだのか?

●それにしても、1917年の大奇跡の舞台に、無名に等しいポルトガルの一寒村ファティマがなぜ選ばれたのだろう?
 はっきりしていることは、大奇跡によってファティマの名が瞬く間にポルトガル中に、ついでヨーロッパ中に知れわたり、まもなく世界中で崇められるカソリックの聖地になったという事実である。そこには何らかの意味が必ず隠されていたはずである。
 よく知られている定説としては、イスラムの預言者モハメッドの娘のファーティマのことで、ファーティマはイスラム圏では理想の女性とされ、とくにシーア派では彼女の手をかたどった護符を愛用し、これを「マリアの掌」と呼んでいるという。
 そして10世紀になって、北アフリカのシーア派のイスラム王朝の始祖アル・マブティーがファーティマの子孫と称し、そこにファーティマ王朝が設立された。その一つのアルカセル城の提督の娘にファーティマ姫がいた。
 ファーティマ姫はゴンザーロの率いるキリスト教側の襲撃にあって捕らえられ、キリスト教に改宗することを条件にゴンザーロと結婚させられた。しかし、姫は結婚後に若くして死ぬ。ゴンザーロは悲痛のあまり修道士となって妻の亡きがらを納める修道院を造った。その修道院の周りに小さな集落ができたのが現在のファティマだという。

●最近、山内雅夫氏著『聖書の呪い』(カッパブックス)を読んでハッとした。その本の最後には次のように述べられていたからである。

  聖母が降臨したファティマという地名は、ひじょうに象徴的だ。ファティマの名前の由来は、アラビアの月の女神なのだ。
 ファティマはもともと宇宙創造の女神であって、その意味は、太陽の根源、エデンの園の木、月と宿命を意味する太母神にほかならないのだ。

●なぜファティマが1917年の大奇跡の地に選ばれたのか。ファティマという名前の由来は宇宙創造の女神、つまり「月と宿命」を意味する「月の女神」だったかららしい。 ファティマで聖母がルシアに「第3の予言」を授けた際に、「10月の奇跡には、私が誰で、何の目的で、どこから来たかを教えます」と告げた。
 「誰?」とは人類のルーツとなる地球外超生命、「どこから来たのか?」は「天界」つまり彼らの前哨基地「月」からで、ファティマに出現した聖母マリアはまさに「月」と宿命を意味する「月よりの女神」を示唆、象徴していたわけである。

 人類を成人させるためのプログラム

  神の名は宗教によって違う。しかし、その名前がどうあれ、それが指し示している、ある同一の至高の存在がある。それは人間の祈りを聞く人格神だと思う。これは宇宙体験が与えた確信だ!    ―― アポロ10号、17号のジーン・サーナン

●月から帰還した宇宙飛行士たちの高邁な表現に接すると、彼らはみな敬虔なクリスチャンで、哲学書などを読みふけっていると思うだろうが、彼らの大部分は陸軍や海軍の士官学校出身で、人文系文化に関する知識はハイスクール卒業生の平均レベルだといわれいている。
 思索するよりも体の訓練を重視する技術系、あるいはスポーツ系の人たちと思えばよい。
 その人たちがみな「有神論者になった」というように、月に行って人生を根底から変えるようなインパクトを体験した。
 月でいったい何があったのだろう?
 短期間でアポロ飛行士のようにみなが一様に極端なインパクトを受けた例はかつてなかった。
 言うまでもない。月で「地球外文明」の活動を現実に目撃したからで、巨大極まりない異星の飛行体が、人類テクノロジーではとても及ばないような超航法で飛び回るのを見れば、そのショックは想像を超えるものがあるだろう。
 まさに彼らは神(サンタクロース)を見たのだ。私もジョンソン宇宙センターから大量に入手したアポロの月面スライドを大画面で見ていると、実際に背筋が寒くなってくる。そこには想像以上に多くのUFO(光体)が飛び交っているのが確認される。しかし、小さな光体写真では一般の人は興味を示さないと思うので紹介しないだけである。
 月の裏側を初めて肉眼で見てきたアポロ8号のフランク・ボーマン船長は、第一声で「サンタクロースを見た」とヒューストンに送信してきた。
 その状況は1989年11月20日、テレビ朝日「水曜スペシャル・満月と宇宙の謎」でも放映された。
 番組中、インタビューを受けたジム・アーウィンは「サンタクロースは地球外文明を意味する暗号」であるとハッキリ肯定していたのに、何のニュースにもならなかった。彼らは固く口止めされているためアメリカ国内では話せないことも、日本は遠いのでわりと気楽に秘密を明かしているのだ。それでも日本人は誰も問題にしない。

8名古屋:2012/04/11(水) 22:33:14

●アポロ飛行士たちは、月の異星文明の活動を確認しただけではない。大事なことは、月における宇宙生命(神)の強烈な思念エネルギーを、各人の脳がキャッチしたらしいことだ。それは「人間の祈りを聞く人格神」という彼らの言葉に共通して表現されている。
 彼らが撮ってきたUFOの写真と彼らの言葉とを総合して解釈すると、どうやら月は聖書の「ゴッド」と総称される「宇宙生命」の人類監視センターだったようである。

●月の引力に象徴されるある種のエネルギーが、人類の精神構造に深く関与してきた事実は、最近の研究でも証明されつつある。そのようなデータがA・L・リーバー著『月の魔力』には豊富に提出されている。
 こう考えると、テクノロジー的に増幅された思念エネルギーが地球に向けて常時放射され、人類史を意識的に誘導してきた――というような驚倒すべき結論に至らざるを得ない。
 そのような観点から聖書をよく読めば、なるほどとうなずける記述が非常に多く存在する。

●テレパシーによる言葉の伝達はもちろん、たとえば聖母マリアのホログラフを見せるくらいのことは、現代科学の延長線上においても可能ではないだろうか。ましてや、聖書のゴッドのすることだから‥‥。
 そしてこのゴッド(神)は、時には強力な介入も行なったようで、その一端がツングース大爆発やファティマの大奇跡なのだろう。したがって、聖書とは「人類へ手渡された教育書」と解釈できる。そのエンディングが未完の人類の「終末」となろう。

 予言的中率は100パーセント

●日本人でも聖書を知らない人はいないと思うが、宗教観の違いで誤解も多く、世界の人が常識とする最低限の知識さえ欠落しているようである。まず聖書に対する日本人の誤解から正しておく。

 1.聖書はキリスト教の正典ではない。

 日本人は聖書をすぐにキリスト教と結びつけるが、旧約聖書はキリスト教の発生以前に書かれたもので、直接的な関係はない。おおまかにいえば「旧約」プラス「タルムード」がユダヤ教、「旧約」プラス「コーラン」がイスラム教、「旧約」プラス「新約」がキリスト教と考えてよい。

 2.聖書は宗教書ではない。

 カソリックでは、聖書を歴史書、教訓書、預言書、律法書、諸書の5つに分類している。また、聖書は1冊の本ではなく、それぞれが独立した書物(旧約39、新約27)をまとめたもので、書かれた年代や著者も別々である。

 3.聖書がユダヤ人だけを選民として、他はゴイム(豚)と同等の劣等人種としている
   が、それはイスラエル人のことを言っているのではない。

 ユダヤ人というとアインシュタインやキッシンジャーなどの白系人種を考えがちだが、アーサー・ケストラーによると、本来のユダヤ人とはスファラディといわれる系統で、世界各地に分散され、日本人のルーツにも色濃く入っていると言う。

 4.聖書は単なる伝承ではない。

 聖書に書かれていることについて考古学者が発掘などの実証的方法で取り組みだしたのは19世紀からで、今日まで着々とその成果が積み重ねられている。真実性が疑われていたバベルの塔やイエリコの町、アブラハムの出生地ウルの実在、ノアの大洪水の記述などが次々と証明され、今では聖書の記述は歴史的真実というのが常識となっている。 もちろん、聖書の記述すべてが科学的に解明されたわけではない。エゼキエル書に述べられているUFOとしか思えない記述や、モーゼに代表される奇跡現象などは、神学的にも解明不可能とされている。

 5.聖書の中で「預言書」が重要な位置を占めている。

 特に旧約の時代には、エリア、イザヤ、ダニエルといった不思議な預言者たちが次々に登場して、未来に起こる出来事を予言し、その的中率の高さはノストラダムスなどの比ではない。
 新約、旧約を問わず聖書預言で面白いのは、それぞれの書かれた年代も人物も異なるのに、巨視的には同じことを述べていること、しかもそれぞれの欠落部分をジグソーパズルの断片のように補い合っていることである。つまり、聖書預言の全体は、66書ですべてが構成されているともいえるのである。

9名古屋:2012/04/11(水) 22:34:13
 6.聖書の「神」は、日本人の概念でいう「神」とは根本的に異なる。

 聖書のゴッドとは、本来は「ヤーウェ」すなわち「存在するもの」という意味で、「生きてある」と明確に告げている。したがって日本の神様のような「霊的」な存在ではなく「世に実在するもの」である。

 7.聖書は「人間は神によって創られた」としている。

 重要なことは「人間は動物とは異なり、神に似せて造られたもの」という概念である。

 8.聖書では「キリストの復活」が重要な意味を持っている。

 キリストは十字架にかけられて殺され、生身の体で復活した。これが何を意味しているのかといえば、「人類の終わりと復活」が現実に起こることを象徴している。
 聖書で最も大事なことは、全体を貫く終末思想で、「人類には必ず終わりが来る」と伝えている。つまり、聖書の最大の目的とは「人類の終わりと再生」を伝えることなのである。

 9.聖書の予言は100パーセントに近い確率で的中してきた。

 これは恐るべきことを意味している。つまり未完である人類終末も現実に成就されることを意味しているからである。
 聖書全体を貫く思想と目的が「人類終末」にかかわる予言だが、それを最もわかりやすく伝える記述が「イザヤ書」46章10〜11である。

  わたしは終わりの事を初めから告げ、まだなされない事を昔から告げて言う。「私のはかりごとは必ず成り、わが目的をことごとく成し遂げる」と。――わたしはこの事を語ったゆえ、必ずこさせる。わたしはこの事をはかったゆえ、必ず行なう。

 ゴッドの計画する「人類終末」は必ず成就すると、聖書は明確に述べているのである。

 人類は創られて、品種改良された!

 すでに欧米ではダーウィンの進化論はニセ科学として崩壊しつつあり、新人類の誕生は何らかの外的な干渉によるという学説が定着しつつある。
 とくに重要と思われるのが「出エジプト記」〜「申命記」である。
 モーゼは目的地カナンに着くまで300万人ともいわれるイスラエルの民を引き連れて、砂漠を40年間も放浪するわけだが、昼は「雲の柱」、夜は「火の柱」と形容されるものに導かれながら、紅海を真っ二つに分けてエジプト軍の追っ手を壊滅させるなど、多くの超常現象が述べられている。
 この「雲の柱」「火の柱」という記述についてはいまだに不可解のままで、火山のことだという人もいる。しかし、40年間も噴火が続いたとは考えにくいし、「常に民衆の上にあった」と述べられている。
 ここで、旧西ドイツ政府がUFO現象調査を委託したH・オーベルト博士(フォン・ブラウンの師)が1953年に記者会見で発表したUFO目撃パターンの一部を紹介しておく。

10名古屋:2012/04/11(水) 22:35:58
  目撃されるUFOのほとんどは円盤型だが、巨大な円筒の物体に随伴して飛ぶ現象も目撃され、それ自体、時には巨大な雲のように見える。そして陽光下では金属製の表面を見せるが、夜間の場合は自ら発光し、色彩はスピードと密接に関連する変化を示し、加速の際は著しい。

 これらを単純に解釈すれば、ゴッドと呼ばれる宇宙生命が何らかの目的のもとにイスラエルの民に40年間も砂漠を放浪させ、他との接触を完全に絶った上で、現代風にいえば「無菌室」に入れて品種改良のごときものを行なったとしか思えない。
 しかも上空から常に葉巻型のUFOが監視し、食料は天から補給されるマナに限定されて、違反すると即座に殺されるという非情さである。
 たとえは悪いが、品種改良を目的とした羊の群れ(イスラエルの民)の番犬がモーゼで、飼い主が上空にいるゴッドという図式だ。次の記述はその状況をよく表現していよう。

  主は彼らの前に行かれ、昼は雲の柱をもって彼らを導き、夜は火の柱をもって彼らを照らし、昼も夜も彼らを進み行かせられた。(出エジプト記・13章21)

  昼は幕屋の上に主の雲があり、夜は雲の中に火があった。彼らの旅路において常にそうであった。(出エジプト記・40章38)

  主の使いは、しばの中の炎のうちに現れた。しばは燃えているのに、そのしばはなくならなかった。モーゼは言った。「行ってこの大きな見ものを見、なぜしばが燃えてしまわないかを知ろう」。(出エジプト記・3章2〜3)

  シナイ山を下ったとき、モーゼは、さきに主と語ったゆえに、顔の皮が光を放っているのを知らなかった。人々がモーゼを見ると、彼の顔の皮が光を放っていたので、彼らは恐れて近づかなかった。(出エジプト記・34章29〜30)

 この記述は着陸したUFOと放射能らしき存在を彷彿とさせる。

  イスラエルの人々は、人の住む地に着くまで40年の間マナを食べた。(出エジプト記・16章35)

  イスラエルの人々もまた再び泣いて言った。「ああ、肉が食べたい。(中略)われわれの目の前には、このマナのほか何もない」。
 マナは、コエンドロの実のようで、色はプドラクの色のようであった。民は歩き回って、これを集め、ひきうすでひき、またうすでひき、釜で煮て、これをもちとした。その味は油菓子の味のようであった。夜、宿営の露がおりるとき、マナはそれとともに降った。(民数記・11章4〜9)

  うずらの肉がなお彼らの歯の間にあって食べつくさないうちに、主は民にむかって怒りを発し、主は非常に激しい疫病をもって民を撃たれた。(民数記・11章33〜34)

 聖書学者によると、マナの正体はシナイ半島からワディ・アラバにかけて山野に自生するマナ・ギリョリウの枝に付着するマナ虫の分泌物が固まったものとされる。
「夜、宿営の露がおりるとき、マナはそれとともに降った」とあるように、たとえは悪いが、我々が水槽の魚に上から餌を撒くのと同じ印象を受けるのである。
 主(ゴッド)が日本で言う神のごとき抽象的な存在ではなく、「生きて世に在る者」と表現される「宇宙超生命」であることは次の記述でもわかる。

  火の中から語られる神の声をあなたが聞いたように、聞いてなお生きていた民がかつてあったであろうか。(申命記・4章33)

  われわれは火の中から出るその声を聞きました。きょう、われわれは神が人と語られ、しかもなおその人が生きているのを見ました。(申命記・5章24)

  彼は北斗、オリオン、プレアデスおよび南の密室を造られた。彼が大いなる事をされることは測りがたく、不思議な事をされることは数知れない。(ヨブ記・9章9〜10)

  多くの人が彼に驚いたように、彼の顔だちはそこなわれて人と異なり、その姿は人の子と異なっていたからである。彼は多くの国民(くにたみ)を驚かす。王たちは彼のゆえに口をつぐむ。それは彼らがまだ伝えられなかったことを見、まだ聞かなかったことを悟るからだ。(イザヤ書・54章14〜15)

  雲のように飛び、はとがその小屋に飛び帰るようにして来る者はだれか。(イザヤ書・60章8)

 脳機能の大部分がなぜ閉じられたままなのか?

11名古屋:2012/04/11(水) 22:37:06

●ゴッドは神であり、その人類飼育のプログラムが聖書で、総仕上げが「終末」である。ゴッドの意図するところは何だろうか?
 新約、旧約を問わず、聖書それぞれの各預言は、書かれた年代も人物も異なるのに同じことを述べ、しかも互いの欠落している部分を補い合っている。したがって、全体を通してみるとゴッドの真意の大要はつかめてくる。
 まず聖書の基本観となるのは「神は生きて世に在り、ヒトは神に似せて創られた不完全なもの」で、終末の目的は「人は神と同格になる(神の国に入る)」と明確に述べられていることである。

●筆者の拙い推理の1つだが、現在ヒトの脳構造の神秘がクローズアップされつつある。中でも不思議なことは、脳はその機能のホンの一部分しか使われていないことである。
 使われていないという意味は、脳機能の大部分が閉じられているということで、これは進化論的に見ても、生物学的にも、遺伝子工学的にも理屈に合わない。となると考えられることは、外的な干渉によってクローズされている――という考え方だろう。

●人類の進化をもたらす遺伝子が、すでに脳には組み込まれているのだが、何かの意志によってか、時期が到来するまではその機能が封じられている。そこからたまに漏れ出るのが超能力といわれるもので、そういえばエドガー・ケイシーのように脳に何かのショックを受けてから超能力が発揮できるようになったという人が多いのもうなずける。
 意図的にクローズされているなら、それはいつか必ず全開される運命にある。それが聖書のメインテーマである「人類の終わりと再生」の真の目的ではあるまいか?
 そうした前提で聖書全体を読めば、多くの不可解な記述も無理なく理解できるのである。

  神は、彼らに鈍い心と、見えない目と、聞こえない耳を与えて、きょう、この日に及んでいる。(ローマ人への手紙・11章8)

  見よ、侮る者たちよ。驚け、そして滅び去れ。わたしは、あなたがたの時代にひとつのことをする。それは人がどんなに説明して聞かせても、あなたがたがとうてい信じないような事なのである。(使途行伝・13章41)

  御旨(みむね)の奥義を、自らあらかじめ定められた計画に従って、わたしたちに示してくださったのである。それは時の満ちるに及んで実現されるご計画にほかならない。(エペソ人への手紙・1章9〜10)

  わたしたちは今や神の子である。しかし、わたしたちがどうなるのか、まだ明らかではない。彼が現れる時、わたしたちは、自分たちが彼に似るものとなることを知っている。(ヨハネの第一の手紙・3章2)

  この知恵は、この世の者の知恵ではなく、隠された奥義としての神の知恵である。世の始まらぬ先から、あらかじめ定めておかれたものである。目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、神は、ご自分を愛する者のために備えられた。(コリント人への第一の手紙・2章6〜9)

  ここであなたがたに奥義を告げよう。わたしたちすべては、眠り続けるのではない。終わりのラッパの響きとともに、またたく間に、一瞬にして変えられる。このとき聖書に書いてある言葉が成就するのである。(コリント人への第一の手紙・15章51〜54)

  女の産んだ者の中で、ヨハネより大きい人物はいない。しかし、神の国で最も小さい者も、彼よりは大きい。(ルカによる福音書・7章28)

12名古屋:2012/04/11(水) 22:38:09
 ここで明確に述べられているように、閉じられた(眠っている)脳機能が全開すれば、人類は神に似た超能力者に一変すると聖書は語っているのである。これはまさに、サナギが蝶に変態する以上の生物学的な変化となるが、それも一瞬のうちに行なわれるというから凄い。
 今まで人類を保育してきた脳ボックスの秘められた鍵も、なんらかのテクノロジーのもとにまたたく間に解除されるのだろう。そうなれば、いまの人類には想像もつかない凄い超文明社会が現出されてくることになる。
 それはまさに『幼年期の終わり』(アーサー・C・クラークの小説の題名)で、やっと人類も宇宙的な「成人式」の時代へと入ることになる。

 いつ、どのように解除されるのか?

●問題は時期だが、それのわかりやすい記述が「マタイによる福音書」第24章である。
 そこでは弟子の「世の終わりはいつ、どんな前兆があるのか?」という問いに、イエスは次のように具体的に答えている。

  多くの者が自分がキリストだといって人を惑わす。
 また、戦争と戦争のうわさを聞くが、あわてるな。戦争は起こるがまだ終わりではない。
 あちこちに飢饉が起こり、また地震があるだろう。しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである。
 多くの偽預言者が起こって多く人を惑わす。また不法がはびこり、多くの人の愛が冷える。そして、それから最後が来る。
 預言者ダニエルによって言われた荒らす憎むべき者が聖なる場所に立つのを見たならば、人々は山に逃げよ。屋上にいる者は、家からものを取り出そうとして下におりるな。畑にいる者は、上着を取りにあとへ戻るな。その日には身重の女と、乳飲み子をもつ女は不幸である。その時には、世の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような大きな艱難が起こるからである。もしその期間が縮められないなら、救われる者は一人もないであろう。しかし、選民のためには、その期間が縮められるであろう。
 その時に起こる艱難の後、たちまち日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。また彼らは大いなるラッパの音とともに御使いたちをつかわして、天のはてから地のはて至るまで、四方からその選民を呼び集めるであろう。
 いちじくの木からこの譬えを学びなさい。その枝が柔らかになり、葉が出るようになると、夏の近いことがわかる。そのように、すべてこれらのことを見たならば、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。これらの事がことごとく起こるまでは、この時代は滅びることがない。
 その日、その時は、だれも知らない。天の御使いたちも、また子も知らない。ただ父だけが知っておられる。人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう。すなわち、洪水の出る前、ノアが箱舟に入る日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていた。そして洪水が襲ってきて、いっさいのものをさらって行くまで、彼らは気がつかなかった。人の子が現れるのも、そのようであろう。
 そのとき、二人の者が畑にいると、一人は取り去られ、一人は残されるであろう。
 だから目を覚ましていなさい。いつの日にあなたがたの主が来られるのか、あなたがたにはわからないからである。思いがけない時に人の子が来るからである。

13名古屋:2012/04/11(水) 22:39:03
 ちなみに「いちじくの木」とは、古くからイスラエルという国のシンボルで、これはイスラエルという国が熟してきたら‥‥ととれるのである。
 「終わり」の前に実現すべき条件があることも、多くの聖書預言は語っている。したがって、それが実現されていなければ、絶対に「終わり」は起きないことになる。その絶対条件とは、イスラエル国家の再建である。

  主はあなたを散らされた国々から再び呼び集められるであろう。――主はあなたの先祖が所有した地にあなたを帰らせ、あなたはそれを所有するに至るであろう。(申命記・30章3〜5)

  見よ、わたしは、わたしの怒りと憤りと大いなる怒りをもって、彼らを追いやったもろもろの国から彼らを集め、この所に導き帰って、安らかに住まわせる。(エレミヤ書・32章37)

 仮借のない迫害にさらされて2000年以上もの流浪を経た後に、とうとうユダヤ民族は1948年5月14日にイスラエル国家を再生した。ここに「いちじくの木」は最初の葉をつけたわけだが、その日付が20世紀後半の直前だったことも暗示的だった。
 それから日が経つにつれ「いちじくの木」の枝は柔らかになって、多くの葉も出てきたことは、現在の中東情勢を見ればわかるだろう。
 どうやら、盛夏も近いようである。

●「終わり日」はどのようになるのだろうか。それを聖書に見てみよう。

  主の日は盗人のように襲ってくる。その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼けつくされるであろう。(ペテロの第二の手紙・3章10)

  主は言われる。「わたしは地のおもてからすべてのもの――人も獣も一掃し、空の鳥、海の魚をも一掃する。わたしは悪人を倒す。わたしは地のおもてから人を断ち滅ぼす」(ゼパニア書1章3)

  主は言われる。全地の人の三分の二は断たれて死に、三分の一は生き残る。わたしはこの三分の一を火の中に入れ、銀をふき分けるように、これをふき分け、金を精錬するように、これを精錬する。(ゼカリア書・13章8〜9)

 終わりの時の日本人

●アポロ飛行士たちは月に行ってサンタクロースが現実に存在するのを見て、帰還後はみなが宗教的人生へと方向を変えた。敬虔なクリスチャンだったオルドリンのように、アルコール中毒で精神が不安定になった者もいたが‥‥。
 私もファティマ事件を知らなかったら、聖書も単なる宗教書と思っていたろうし、執拗にUFO問題を追及することもなかったろう。UFO=ファティマ奇跡=聖書というものが一体であるがゆえに恐ろしいのである。

●ゼカリア書によれば、「終わりの日」には全地から三分の二の人が断たれ、三分の一が生き残ると述べられている。
 聖書はハッキリと次のように述べている。

14名古屋:2012/04/11(水) 22:40:23
  芽が生え出て実を結ぶと、同時に毒麦もあらわれてきた。――毒麦を集めようとして、麦も一緒に抜くかもしれない。収穫まで、両方とも育つままにしておけ。収穫の時になったら、刈る者に、まず毒麦を集めて束にして焼き、麦の方は集めて倉に入れてくれと言いつけよう。
 収穫とは世の終わりのことで、刈る者は御使いたちである。だから毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそのとおりになるであろう。(マタイによる福音書・13章26〜40)

 日本の現状はどうだろう。新聞に連日のように報道される政治家たちに代表される動物にも劣る恥知らずな行動。それらが日本人の民意を代表する人間の顔かと思うと、情けなさに目を覆いたいばかりである。
 「武士は食わねど高楊枝」の日本人特有のサムライ美学はどこへ消えたのか。それどころか、仏教でいう「餓鬼道」に堕ちた人物ばかりがばっこしている。おそらくこのままでは「終末」が起こらずとも日本の没落は必至だろう。それほど日本人の品性は堕ちるところまで堕ちている。世界を救う人物が日本から出現するという人もいるが、とうてい今の私には信じられない。
 神界から日本の現状を見ると、上位と下位の霊位が完全にひっくり返っているという。

●日本の将来が悲観的という理由を大別すれば、3つある。

 1.日本民族としての真の宗教がない。(民族としての哲理が存在しない)

  日本人には真の宗教というものはない。仏教(お盆)や神道(正月)に由来する行事もあるが、すべて形式的なものである。
 以前は道徳観念などを親や学校が教えていたからまだよかったが、いまや日本人として有すべき最低限の民族哲理さえ存在しないし、それが日本人全体の節制のなさにもつながっている。
 クリスチャンでもないのにクリスマスやハロウィンを祝ったりする程度は罪はないが、これほど節操のない国は地球上のどこにも存在しない。人はどう在り、どう生きるべきかという民族の美学が存在しないから、政治家や官僚たちが国会喚問でも平気でウソをつく。
 この世に生まれてきたからには、人を押しのけ、人より良い暮らしをして、精一杯おいしいものを食べて快楽を追求しなければ損という「旅の恥はかき捨て」的な日本人がいかに多いことか。

 2.富んでいる。

 いまの日本人なら「富むことがなぜ悪いのか」と言うだろう。戦後の日本人すべてが国をあげて「富む」ことを最大の目標にしてきたからである。
 聖書は明確に次のように述べている。

  富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通るほうが、もっとやさしい。(ルカによる福音書・18章25)

  愚か者よ、あなたの魂は今夜のうちにも取り去られるであろう。そしたら、あなたが用意した物はだれのものになるのか。(ルカによる福音書12章20)

 人間には錯覚がつきものだが、中でも「今の状態は永遠に続かない。自分が必ず朽ちる(死ぬ)」ことを忘れている人があまりに多い。
 生まれてきた時は裸で、死ぬときも裸。土地や財産や権力などすべて神からの一時的な借り物で、自分の所有物などは何一つない。妻や子供、自己の肉体すらそうなのである。
 なのに貴重な生を無為にすり減らし、富と権力を得ようと狂奔している日本人のなんと多いことか。日本の1人あたりのGNPは世界一。世界から収奪した資源の浪費も世界一。おかげで東南アジアの森林がはげ山になった。アフリカでは飢えで人が毎日死んでいるというのに、これでは終わりの日でなくても、必ず日本は没落するであろう。

  富んでいる人たちはわざわいだ。慰めを受けてしまっているからである。今満腹している人たちはわざわいだ。飢えるようになるからである。今笑っている人たちはわざわいだ。悲しみに泣くようになるからである。(ルカによる福音書6章24〜25)

15名古屋:2012/04/11(水) 22:41:18
イエスは、貧しい人、飢え乾いている人、圧迫されている人は幸福だと、はっきり宣言し、同時に「富んでいる人は不幸」と警告している。
 のどの乾きで砂漠をさまよう人がオアシスを見つけたら、天国に来たと思う。だが毎日を宮殿で美味飽食している人には、砂漠からわき出た水なぞ汚水にしか見えない。そうした人間は必ず不幸になると言っているのである。

  わざわいなるかな。彼らは家に家を建て連ね、田畑に田畑を増し加えて、余地をあまさず、自分ひとり、国のうちに住まおうとする。(イザヤ書・5章8)

 どう見ても、今の日本の状態にぴったりだろう。

 3.人々(特に女性)がおごり高ぶっている。

 聖書とりわけイザヤ書では、「終わりの日」近くになると、人々がおごり高ぶるとくどいほど述べられている。(中略)

●私は時おり、頭を休める時は近くの公園を散歩することにしている。
 そこでは清浄な風が吹きわたり、木々に小鳥がさえずって、青い空を見上げれば雲が白く流れてゆく。このような時に神の恩寵を感じるのは私だけではあるまい。
 だが、ふと思う。この素晴らしい世界が、いつまで続くのかと。
 聖母マリアの悲痛な囁きが聞こえてくる。

 人には良心がある。その良心を無視することこそ罪である。
 人が現在の忌むべきことをやめないかぎり、天罰は必ずもたらされる。
 私の子供たちよ。悲しいことですが多くの人は私の警告を投げ捨てている。
 ファティマでの警告を無視している。
 私は終わりの時まで多くの所に出現し、いくたびも涙を流すでしょう。
 私の足許に戻って来なさい。私はこれをくりかえします。
           メジュゴルエでの聖母メッセージより

 はたして人類に未来はあるのだろうか。それはあなた方それぞれの生き方にかかっていると聖母は告げているのだ!

16名古屋:2012/04/12(木) 12:52:19
精神世界で人々を惹きつけるノウハウ 


りょうさんが精神世界に関する考察というすばらしい考察を披露してくださいました。
その前にmaomaoさんがこれが精神世界の舞台裏だ! という衝撃の 卓見を披露してくださいました。
それらを読んでいたら、 見えてきたことがありました。
精神世界が人々を強力に魅了したのに、その結果が何故悲惨な ものになってしまったのでしょうか?
maomaoさんが精神世界の 奧には落とし穴があると警鐘を鳴らしてくださいました。
なぜ精神世界には落とし穴 あるのでしょうか。

黄金の巻第50帖
霊媒通じてこの世に呼びかける霊の九分九分九厘は邪霊であるぞ。
霊媒とは宗教や精神世界の 教祖的存在も含まれるの でしょうが、ほとんどが邪霊だったとは!
なぜ邪霊が人々を惹きつけるのでしょうか?
教祖的存在がなぜ人々を 魅了できるかの説明が以下にあります。

竜音之巻第13帖
或る種の霊は、自分自身は高度な神界に住んでゐると誤信してゐるものもあるが、
こうした霊が感応した場合は自信を以って断言する場合が多い、
人間が知らぬ世界のことを、自信を以って強く告げられると、
多くのサニワは参って了ふぞ。
われわれは「自信をもって 断言する」人に惹かれます。
霊や宇宙の世界の話 は普通われわれは全く感知できません。
それらの未知の情報について「真実は、こうである」とはっきりした口調で断言されると つい、「そんなことが分かるなんてすごい」と思って しまいます。
なぜなら、自分に言われたことを否定できる情報が無いからです。
そして否定できないので言われたことを信じてしまいます。
信じるだけならいいのですが、 その情報に「これを信じると 健康になる、裕福になる」 などの現世利益のおまけがついて いると、「隣人にも 教えてあげよう」とつい親切心が出てしまいます。
これが、宗教などの組織が大きくなる必須のポイント なのかもしれません。

①人々の知らない霊の世界のことを断言して話す。
②そしてそれを現世利益と 関連づけて断言する。
世界の大宗教は、みな この方式で人々を魅了してきたと言ってもいいのかも。
神示は、われわれが断言する 人に弱いことを以下のように 説明しています。

悪神かかりたなれば自分では偉い神様がうつりてゐると信じ込むものぞ。
可哀さうなれどそれも己の天狗からぞ。
取違ひからぞ。
霊媒の行見ればすぐ判るでないか。
早う改心せよ。
世間を見渡すと偉い神様がうつってきていると信じ込んでいる教祖だらけですね。
ところが高度なところからの 通信は肉体には感応が弱いという(大問題?)があると説明しています。
ということは、偉い神様と関係あると思った瞬間、それは妄想であったということのようです。

目に見へぬ所からの通信は高度のものほど肉体的には感応が弱くなり、
暗示的となるものであるぞ、
ドタンバタン、大声でどなり散らすのは下の下。
神もフトマニに従わねばならん。
順を乱すわけには参らん、

17名古屋:2012/04/12(木) 12:53:33
高度の霊が直ちに肉体人に感応することはなく、
それぞれの段階を経て感応するのであることを忘れてはならんぞ、
下級霊は現実界と紙一重の所に住んでゐるのであるから、
その感応は極-めて強く、
如何にも尤人民の目にうつるものであるぞ、
上の内容の中に以下の部分があります。

高度の霊が直ちに肉体人に感応することはなく、
それぞれの段階を経て感応するのであることを忘れてはならんぞ、
「高度な霊が直ちに肉体人に感応することはなく」という部分は理解できますが、 「それぞれの段階を経て感応するのであることを忘れてはならんぞ」の説明がどこかに あるのでしょうか?
「段階を経て」ってどういう意味?
「段階」って具体的に何を意味するのでしょうか?
まさかと思うのですが、

①ルナさんが教えてくださったようなことを最初のステップとして
② それの反論的なmaomaoさん情報などをセカンドステップとする
③りょうさんメールみたいな考察が加わる
というような 段階を経て感応する、つまり伝えてくださる、と言われているなら、それは な〜るほどなのですが・・・
どなたか神示をよく読んでおられる方、おわかりになったら教えてくださると ありがたいです。
ただ、どなたも、内奥の自分は神につながっているのだそうです。

地震の巻第16帖
考えること、意志すること、行為することの根本は、肉体からではない。
霊的な内奥の自分からである。
この内奥の自分は、神につながっている。
故に、自分自身が考え、意志し、行為するのではなく、自分と云うものを通じ、肉体を使って、現実界への営みを神がなし給うているのである。
其処に、人が地上に於ける司宰者たる、また、たり得る本質がある。
ここで↑大変なことを言っています。
われわれが考えたり行為しているのは 自分自身が考えたり行為しているのではない、とのこと。
自分のしていることは神がされているとのこと。
こんなことを言われると、はたととまどいます。
凡人の自分が神様?
そんな馬鹿な〜、と思いたくなります。
ところが、最近の精神世界の 話では、自分の心の鏡が ホログラフィーのように外界に投影されていると言っています。
自分が神であるからこそ、こんなことが出来るのかも。
自分は神であるから、自分が神であると自覚もできるし、 凡人であると思いこむこともできる、ということかも。
ただ、自分が神と言っても 邪霊が「おまえは神だ」と大声で伝えてくる神ではなく、 強力な補聴器でもつけないと 聞こえないようなささやきしかしない高度な神なのでしょう。
いや、直接にはささやかないとまでも言っています。
邪霊の場合は、「おまえは神だ」とはっきりと告げてくると 神示は言っています。
人間の内奥に鎮座される本当の神は、あまりにもうっすらとしか伝えてこないので、 自分の内奥を一生懸命見つめないと分からないとのことです。
これらのことをまとめると 人々を強力に惹きつける大宗教に成長するには、霊界情報などの人々が知らないことを 根拠にして「これをすれば こういう御利益がある」と現世利益を強力に断言することをしなければならない、ということのようです。

18名古屋:2012/04/12(木) 12:54:09
そのノウハウが分かれば、 どなたでも、大宗教を造ることが出来るということになります。
まず悪霊を招いて、人々の知らない霊界情報を教えてもらう。
その教えてもらった情報を 少しアレンジして箔をつけて 「こういう情報が分かる自分の言うことを実行すれば、健康になったり裕福になったりの 現世利益がある」と断言すれば いいわけです。
あとは宣伝のうまい宣伝係を やとえばいい・・・
ヒットラーがその典型的な例なのでしょう。
ヒットラーが“あいつ”に 教えてもらい、ゲッペルス(ヨーゼフ・ゲッベルス)という宣伝相と手を組んだことはよく知られています。
ただ、そんなことをすると その人の人生の末路が悲惨になるようです。
宗教の教祖は上記のような やりかたで人々を惹きつけることに成功しても、自分自身は大病などで不幸になるし、教団も 分裂してしまうようです。
その良い例は昭和が匂う教祖O氏にも載っています。
ただ、そのような不幸な状態になるのも、その方の深奥には本当の神様がおられるので 不幸な現象を身の回りにホログラフィーとして見せて、 その人に反省を促して いるのかも。
人間ですから勘違いして人心を惑わすというような失敗をしても、 反省できるようになっているのでしょう。
またO氏の場合は、強力な龍神に憑依されてしまったがうえに、自分の意志が働かなかったのかも。
龍神でも、正しいことを行うタイプも、間違ったことをしてしまうタイプもいるようです。

19名古屋:2012/04/12(木) 13:00:01
制御されている私たち 原発推進の内なる空気 金原ひとみ(東京新聞) 


 長女の小学校入学や、マンションの購入なども人並みに考え、ある程度の未来を見据えながら、来月の出産に向けて入院の荷物をトランクに詰め、長女のおさがりの新生児服を洗濯して綺麗きれいに畳み直し、あと僅わずかとなった三人での生活をかみしめるように一日一日を過ごしている時、地震が起きた。
 三月十二日、福島第一原発の1号機で水素爆発が起きた三時間後、私は娘の手を引き夫と三人で岡山に向かった。あの日、私の見据えていた未来は消えた。
    *
 放射能、原発、メルトダウン、どの言葉も私は正確には理解できなかった。ただ、避難を勧めてくれた人々の口調や、夫が提示するさまざまな情報から、恐ろしいことが起きたのだとは分かった。避難先で私は、放射能について調べ続けた。チェルノブイリ関連の動画を見て、放射能の単位から、α線、β線、γ線の違い、除染の方法、放射能の感受性が最も強いと言われる乳幼児への影響。目が覚める度ツイッターで原発情報を確認し、唯一の頼りであったインターネット上でも情報統制が始まってからは、海外のニュースを掻かき集めた。食べ物の暫定基準値が引き上げられたことを知った時からは、海外移住も考え始めた。
 四月、私は岡山で娘を出産した。夫と離れて暮らし、長女は岡山の保育園に通わせ始めた。悩んだ挙げ句、次女は母乳で育て、人に預ける時は輸入ミルクを飲ませることにした。長女にはお弁当、水筒、おやつを持参させた。飲食物は九州のものか輸入ものを買い、牛乳とヨーグルトは禁止し豆乳を飲ませている。放射能を心配する親を、気にしすぎだと揶揄やゆする人もいるらしい。人は多少被曝ひばくしても平気なのかもしれない。でも、平気じゃないかもしれないのだ。よく分からない以上、私は食べさせたくはないし、東京に戻りたくはない。
 原発はすぐにでも全炉停止した方がいい。二度とこんなことは起こってほしくないし、今回の件で、今や一部の利権のためだけに原発があることが、周知の事実となったからだ。食べ物の基準値は引き上げ前の値に戻し、汚染食品が乳幼児の口に入らないよう規制する。そして危険とされる場所に住む人々
の疎開は国が全面的に援助し、生活を保障する。
 こういう誰にでも分かるはずのことができないのは、政府や東電の社員が悪人だったり、無能だからではないのだろう。反原発の総理大臣にも、原発推進の流れは変えられなかった。天皇がそれを望んでも変わらないだろうむ数万人がデモを起こしても、デモに行かなかったその何百倍、何千倍もの人々が願っていても、変わらないままだ。
 既に放射能の危険性を考えなくなった人は多い。何もできないのが分かっていれば、余計に辛つらいだけだからだ。命より大切なものはないと言うが、失業を理由に自殺する人が多いとされるこの国で、失業を理由に逃げられない人、人事が恐こわくて何もできない人がいることは不思議ではない。
    *
           
 しかし多くの人が癌がんで死ぬ可能性よりも、個々の人間とは無関係、無慈悲に動いていくこの社会に対して、私たちが何もできないことの方が、余程絶望的かもしれないのだ。
 私たちは原発を制御できないのではない。私たちが原発を含めた何かに、制御されているのだ。人事への恐怖から空気を読み、その空気を共にする仲間たちと作り上げた現実に囚とらわれた人々には、もはや抵抗することはできないのだ。しかしそれができないのだとしたら、私たちは奴隷以外の何者でもない。それは主人すらいない奴隷である。

20名古屋:2012/04/12(木) 13:04:36
愛知県でこんな状況なのかよ…
こりゃ、5年後、10年後の日本はどうなっていることやら…

なぜ、愛人宅は居心地が良いのか? 
武田邦彦

家に帰ると口うるさい女房がいるけれど、愛人のところは居心地が良い・・・とつい昔の粋な男は愛人の家に足を向けてしまう。なんで、男にとって奥さんより愛人のほうが良いのだろう。

昔からなじみで心優しい飲み屋の女将さんも「それで止めときなさいよ」とはいわない。それに比べて女房は「また飲むの!検査で引っかかるわよ!」といやな顔をする。自分のことを本当に心配してくれる人をいやがる・・・人の心はふわふわと飛ぶ綿のようだ。

人の関心を引こうと思ったらその場限りで、相手の喜ぶことをすれば良い。でも、本当にその人のことを愛していたら、末が心配だ。元気で人生を全うしてもらいたいと思うと、どうしても口うるさくなる。それが「妻」と「愛人」の差だが、しょうがない男の性(さが)で愛人の口車に乗ってしまう。

なぜ、「福島の人がかわいそうだ。被曝など大したことはない」と言うのだろう。なぜ、放射線の高いところで子供を育てている人をそのままの状態で応援するのだろう? なぜ、汚染された土地で農作物を作る農家の人を励ますのだろう? 原発事故以来の私の疑問だったが、最近、読者からのメールもいただき、わかってきたような感じがする。

被曝による健康被害は5年、もしくは10年先にでる。でも、地震と原発で心に傷を負った人を「かわいそう」と思い、「そこにいても大丈夫だよ」と言えば、健康被害がでるまでは相手はいい気持ちのなってくれるだろう。「良薬口に苦し」だ。

「武田さんは冷酷だ。福島の人をこれ以上、苦しめるのか!」と言われて、正直、なにを言っておられるのかわからなかった。

「愛人の論理」なら、福島の人の心を短期間だけ慰めることができるだろう。これが今のNHKの路線だ。最近、NHKのアナウンサーが人の良さそうな顔をして「絆!」と叫んでいると、「ああ、愛人路線だな」と思ってしまう。

奥さんの論理なら、1平方メートル4万ベクレル以上のところに住んでいれば、心配で心配でたまらないので、一言、「逃げた方が良いですよ」と言うだろう。

どちらの論理もあり得るが、私はこれからも「奥さんの論理」で行きたいと思う。私は日本人だ。これからも日本に住むし、子供たち(日本人のみんなの子供たち)も長く日本に住む。私のことを「子供たちをダシにして」と非難する人もいるが、そんなことは私にとって意味もないことだ。

瓦礫でもおなじだ。瓦礫を心配するのはこれから10年先、20年先に日本列島が汚染されたら子供にすまないと思うからで、今だけを考えれば瓦礫を引き受けてお金をもらった方が良い。

ちなみに、東京都が瓦礫を引き受けて処理するところは、東京電力の子会社(95%株式保有)の「東京臨海リサイクルパワー」だ。原発を爆発させ、その瓦礫を処理して膨大な税金をもらう。それが東電である。

ある自治体では、市長がかつて社長を務めていた会社、今は親族が社長を務めるところが瓦礫を引き受ける決定をしている。

お妾さんでも口汚く奥さんをののしることは少ない。それなのに、危険な地域に住んでいる人や汚染した土地で農作物を作っている農家の方に移動を勧めるとバッシングを受け、瓦礫を引き受けない方が良いと言うと罵倒される。

愛知県の幼稚園の給食から実に1キログラム1400ベクレルという高濃度のセシウムがでた。暫定規制値の14倍。子供の安全をまもる値の32倍である。それでも県は「健康に影響はない」と言っている。

21名古屋:2012/04/12(木) 13:13:26
サンクチュアリー祈り

中央アメリカはコスタリカの広大な高原のイメージに触発された表現だ,と作者の横山俊光さんは語る。巨大な球体のひびわれた球面にまとわりつく蝶,地平におびただしく散乱する貝殻群,ルーマニアの彫刻家ブランクーシの『眠るミューズ』のようにように瞑目して地表に横たわる人の頭部,孵化(ふか)を待つ卵たち,飛び交う鳥の群れ,天空に光る上弦のおぼろ月......。

サンクチュアリ(聖域)は心の安らぎの場,祈りの場でもある。作者がこの幻想的な心象風景で訴えたいのは,文明の滅びであり,同時に再生の希求であり,平和への祈りであろう。戦争のない地球への希求でもあるのだ。寓意と象徴の巧緻(こうち)な,そして詩情豊かな作品である。(林紀一郎・美術評論家)
         エチオピア・ラリベラの祈る修道士

アフリカの主の祈り

もしあなたが 神の子として生きていないならば、「父よ」とは言わないでください。

もしあなたが 自分のエゴイズムの中に 閉じこもっているとすれば、「私たちの」とは言わないでください。

もしあなたが この地上のことばかり考えているとするなら、「天におられる」とは言わないでください。

もしあなたが自分の栄光のこと、名誉のことしか考えないならば、「あなたのみ名が尊ばれますように」とは言わないでください。

もしあなたが 物質的な成功を考えているとすれば「み国がきますように」とは言わないでください。

もしあなたが 気に入ったことばかり受け入れているとすれば、「み心が行われますように」とは言わないでください。

もしあなたが 貧しい人々のパンのために働かないなら、「私たちの今日の糧をお与えください」とは言わないでください。

もしあなたが 兄弟姉妹に対する憎しみを味わっているとすれば、「私たちの罪をお赦しください」とは言わないでください。

もしあなたが 誘惑を体験するように身を置くとすれば、「私たちを試みられないように」とは言わないでください。

もしあなたが 善のためにコミットしないなら、「私たちを悪から守ってください」とは言わないでください。

もしあなたが 主の祈りのことばを 真剣に受け取っていないなら、決して「アーメン」とは言わないでください。

22名古屋:2012/04/12(木) 13:21:42
心して読んでいただきたい。
終戦の意義


1945年、昭和20年8月15日という日は、我々日本人にとって、どういう意義のある日であったのであろうか?私は1940年、昭和15年生まれであるため、終戦の時は5才で、まだ小学校にも上がっていなかったので終戦の時の雰囲気というものは全く気が付かなかった。
父や母がどういう反応を示したかも記憶にない。
終戦、敗戦ということが大変なことだなあ、とおぼろげながら理解できるようになったのは町に進駐軍が闊歩するようになってからである。
町で見かけた進駐軍のジ−プと、それに乗っているGIの姿を見て終戦、敗戦、アメリカに負けたということが実感として理解できたわけである。後年になって、新聞や雑誌で、その時、皇居前広場で座して慟哭している日本人の姿を見るに至って不可解な思いがしたものである。
何故にあの人々は皇居に向かって頭を下げ泣いているのか理解できなかった。
しかし、この光景は1994年、北朝鮮で金日成が死去した時もあれと同じ事が起きたわけである。                     
日本がポツダム宣言を受諾して戦争を終決させるということも考えてみれば不思議なことである。
日本は中国大陸に対しては確かに侵略的な領土拡大という意味で、彼の地を蹂躙したことは免れないないであろうが、アメリカに対しては経済封鎖に対する自衛的要因もあるわけで、橋本竜太郎のいうように、太平洋戦争の全部が侵略的はなく、侵略的な部分もあるが防衛的な部分もあった、と云う見解は私は正しいと思う。
この問題は、先の大戦の範囲をはっきりと定義しないことには、侵略的であったかなったかという答えにはならないと思うが、それを定義したとしても、日本の過去を拭い去ることは出来ないわけで、将来のあり方に対しては何の貢献にもならないと思う。
だからといって加害者である我々がきれいさっぱりと忘れ去ってもいいか、といえば答えは否である。
問題は、こうした些細な言葉の挙げ足取りによって、政治をコントロ−ルしようとする周辺の国家の偏狭な思考にあるわけで、中国とか韓国が心配するほど我々は覇権主義に陥っているわけではない。
今日の日本で、誰が戦争を肯定し、戦争に向かおうとしているのか、今の日本人では誰一人そういう者はいないわけである。 
戦前の日本は確かに軍人の天下で、軍人が国政をコントロ−ルしていたが、戦後の日本では軍人、自衛隊員というのが如何に形見の狭い思いをしているのか日本周辺の諸国家は日本の現実というものを直視すべきである。
今の日本には周辺の諸国家に脅威を与えそうな雰囲気というものが一切存在しない。
戦前の日本と戦後の日本の分水嶺が1945年、昭和20年8月15日という日である。戦前の日本に決別したこの日に、皇居前の玉石の上に正座して頭を垂れ、慟哭している我々と同じ民族、同胞の姿というのは何を暗示しているのであろう。明治以来の大日本帝国の終焉を悲しんでいるのであろうか?
それとも戦争中に戦死した親族を悲しんでいるのであろうか? 
はたまた、米英に負けたという現実を悲しんでいるのであろうか?
国家総力戦というプロジェクトが挫折したこと悲しんでいるのであろうか?
天皇陛下の心中を察して悲しんでいるのであろうか?
おそらくこの全部がその人たちをああいう態度を取らしめた原因であろう。私の個人的な見解では、先の大戦は歴史の必然であったと思う。
歴史の必然という意味は戦争を肯定しているわけではなく、おそらくあの時期に起きなくてもいずれ遅かれ早かれ起きていたに違いないという意味である。
明治維新で近代化した日本は、近代化の手本である西洋先進国と同じ事をしようとしたわけである。
その同じ事というのは、極端な言葉でいえばアジアの蔑視である。
西洋先進国というのは、西洋の先進的な文化、特に軍事力というものでアジアを支配していたわけで、日本は、近代化の途中で西洋列強と同じ事をしようとしたわけである。 
というのも、この時点で、西洋列強というのは、アジアの諸民族を植民地支配する、ということはいわばアジアを蔑視していたことに他ならない。        
日本も近代化の途中で、そういう先輩としての西洋の物真似というか、後塵を拝して、西洋に追い付き追い越せという雰囲気の中に浸っていたわけである。
それが先の大戦の前の日本であったと思う。
そのことは言い換えれば、情報の発達がそうせしめたという面もあると思う。
明治の初期の段階から我々の先人たちは西洋に物事を学ぼうとしたわけで、艱難辛苦をものともせず、学識経験を西洋列強に学びに行ったわけで、その結果として、西洋は素晴らしく、西洋列強のやっていることは学ぶに値するものである、という認識が国民全体に蔓延したものと推測している。

23名古屋:2012/04/12(木) 13:22:23
これはひとえにアジアの蔑視に他ならない。
この時点の西洋列強はことごとく中国を蚕食し、植民地を世界規模で維持していたわけで、西洋がやっていることならば我々がやっても許されるであろうというのが戦前の日本人の認識ではなかったかと思う。
歴史というものは常に流れているわけで、これを止めると云うことは何人とも出来ないわけで、そういう歴史の必然性から考えれば、先の大戦というのは起きるべくして起こったというべきであろう。
西洋先進国が辿ったと同じように、彼らが中国に植民地を作っている、我々もそれを真似て中国に進出しようとする、日本の中国大陸における覇権をアメリカがおもしろく思わない、したがって経済封鎖を行なう、アメリカと戦うという図式が出来上がる。
この一連の流れは歴史の必然であって、世界の流れというものがこういう方向に向かっていたわけで、ここであの当時、日本が中国からあっさり手を引いたとしても、いずれの日にか同じ事が起きたに違いない。
今日の世界共通の認識として帝国主義による植民地支配ということは「悪」であるという定説が出来つつあるが、第2次世界大戦以前ではそういう認識は世界各国に共通して存在していたわけではなく、日本が敗けたからこそ、そういう定説が定着したわけである。
この日本が戦争に敗けたという意味は、一人日本だけの問題ではなく、世界の価値観を転換せしめた大きな問題意識を含んでいると思う。
西洋先進国、ヨ−ロッパ諸国にとっても、アジアの小さな島国の日本の行動が脅威であったわけで、日本の行動を誉め讃えることはできないにしても、日本が西洋先進国や、アメリカに対して挑戦したことによって、アジアにおける西洋先進国の秩序が混乱を来し、それがアジア諸民族の独立につながったことは否めないと思う。
日本がポツダム宣言を受諾して連合国に降伏するというのも妙なことである。
日本はアメリカ、イギリス、オランダに対しては確かに宣戦布告をしているがソビエットに対してはそれを行なっておらず、中国に対しては不戦条約の締約国として、戦争という言葉を意識して避けてきた経緯があるわけで、1945年の時点で、日本はアメリカとの戦争には敗けていたが、ソビエットとは終戦の1週間前までは交戦していなかったわけである。
そして中国大陸というのは日本軍が占領支配していたわけである。
中国大陸には旧日本軍が生存しており、目下交戦中であるにもかかわらず、日本本国がB−29の絨毯爆撃と2発の原子爆弾で焦土と化し、交戦意欲を失ったわけである。
交戦意欲を失ったというよりも、日本民族の絶滅を防ぐ意味の方が大きかったかもしれない。
昭和天皇の決断は、日本民族の絶滅を防止するために日本本土決戦を回避するように気持ちが動いたのかもしれない。

24名古屋:2012/04/12(木) 13:23:55

主権国家として、主権の主張として戦争という手段が取られ、その結果として、主権の基盤とする日本本土が丸裸にされ、主権の延長線上にある中国大陸で、アメ−バ−の触角のように旧軍隊が生き残り、邦人が生き残っていたわけである。
そして、天皇陛下の終戦の詔勅で、外地に生存していた旧軍人がいっせいに武器を地上に置くことにより、支配するものとされた側が主客転倒したわけである。
アジアの解放という場合、アジアの民族が、民族自身の力で成し遂げたものはありえない。第2次世界大戦後のアジアの諸民族の独立ということも、アジアの人々が自らの力で成しえたものではなく、日本がアジアにおける西洋列強の力による支配という秩序を破壊したからこそ成し得たわけで、そのことは、今日のアジアの人々は認めたくない事実であろうが、西洋列強の秩序を破壊する過程において、アジアの人々に苦痛を強いたことも事実であろうが、それがなければアジア人々は独立を勝ちえなかったのではないかと思う。西洋の支配から免れるのに、無痛分娩のように何の苦痛もともなわない、ということはありえないことで、我々、日本人も、西洋の支配受けないようにするためには同胞の血で血を洗う抗争を繰り返した結果として、西洋列強の支配を免れたわけである。
19世紀後半から20世紀前半にわたる西洋列強のアジアにおける帝国主義的植民地支配というのは、ヨ−ロッパ文化のアジア支配であったわけである。
アジアにはヨ−ロッパ風の帝国主義という概念がなかったわけで、もともとアジアに存在しない概念というものを真っ先に吸収したのが我々、日本民族であったわけである。
だからこそヨ−ロッパ人と同じ発想にたって他国に主権を延ばし、国益を図るという発想に陥ったものと思う。
そしてそれを「善」と思い違いしたわけである。
日本がポツダム宣言を受諾すると同時に、アジアの民衆は、彼らを支配していた西洋人には歯向かうことを止め、日本人に対して報復を繰り返したわけである。
これがB、C級戦犯の処置というものである。
戦争が終わった時点で、アジアの諸民族はまだ西洋列強としての宗主国の意向を無視できなかったという言い訳は我々には通用しない。
1945年、昭和20年8月15日という日は、日本ばかりでなくアジアの人々にとっても特別の日であるはずである。
連合国側にとっては戦勝記念日であり、我々にとっては文字どおり敗戦記念日である。
しかし、あの先の大戦、第2次世界大戦の戦勝国というのはアメリカ一国しかありえない。そして、我々は、中国大陸では、相手国を占領しておりながら戦争に敗けるという不合理なことになったわけである。
我々の戦争を肯定するつもりはないが、その後の朝鮮戦争では、韓国の軍隊とアメリカ軍は海に追い落とされそうになったわけであるが、中国に進出していた旧日本軍は、あのような状況に陥っていたわけではない。
この現実を今に生きる我々はどう考察したらいいのであろう。
朝鮮戦争の後に起きたベトナム戦争というのも、アメリカ地上軍はサイゴンから放馳駆された、まさしくアメリカはベトナムの地上戦では敗けて、北ベトナムの共産勢力が勝ったわけである。
ところが我々の中国に進出した地上軍というのは、中国の地を追い払われたわけではない。それでも日本本国が戦争に敗けたので、出先である軍隊も、主権の主張としての行為が意味を成さなくなったという意味で敗北したわけである。

25名古屋:2012/04/12(木) 13:24:37
私の個人的な見解では、日中戦争に引き続く一連の戦争の責任は、日本の軍部の制度疲労がもたらしたものだと思う。
軍部の独断専行を許した政治家の責任というのは二次的なものだと思う。
しかし、ここで注意しなければならないことは、軍部の独断専行を許したのが政治家だけではなく、我々国民の側も徹頭徹尾、軍国主義に凝り固まっていたことも事実であろうと思う。
南京陥落の時の提灯行列の例を見るまでもなく、出征兵士を見送るときの風景、庶民の表情というのも軍国主義の発露に他ならない。
その軍国主義に100%傾倒していた価値観が、1945年、昭和20年8月15日を境に180度転換してしまったわけである。
この日までは皇居を遥拝していた人々が、一夜にして民主主義者として振る舞うようになったわけである。
これを変節といわずして何が変節であろうか。
厳密に云えば、終戦の日に変節したわけではなく、マッカアサ−元帥が日本に進駐し、彼が日本の占領政策を牛耳るようになってからというべきであろうが、我々が国家の危機に直面すると如何に巧みに生き延びるのかという手本かもしれない。
地球上の全人類について、国家の危機、民族の危機に直面して、如何に巧みに生きるかという問題は大命題に違いない。
明治維新直前の日本は、まさにこの大命題を見事にクリア−したわけであるし、戦後の日本の発展段階でも、オイル・ショックなどというのはその類の事例である。
終戦、敗戦における我々日本人の価値観の転換というのは、他の民族では経験のないことであろうと思う。
逆説的であるが、この価値観の転換がスム−スに出来たからこそ我々は、戦後世界に冠たる国になりえたのかもしれない。
民族として、価値観の転換の出来ていない国がいわゆる中国であり、朝鮮民族であろうと思う。
我々は先の大戦を忘れたわけではない。
忘れていないからこそ、再びあのようなことをしてはいけないという自制心があるわけで、今日の日本の周辺国家の危惧というものは、今の日本には存在し得ないわけである。
かっての軍国主義から民主主義への転換、平和主義への転換というのは、民族の存亡をかけた賭けであったわけである。
というのは、昭和天皇が戦争を終決させる決意をしているにもかかわらず、徹底坑戦を叫ぶ一部の軍人がク−デタ−まがいのことをしでかしたことは歴史上の事実で、その意味で、あのク−デタ−が成功していたとしたら日本民族というのはこの地上から抹殺されていたのかもしれない。
事ほど左様に戦前、戦中の日本では軍人の横暴がひどかったわけである。

26名古屋:2012/04/12(木) 13:26:53

私は昭和15年生まれで、終戦の日は満4才であったので自分自身の感慨というものは何一つないし、両親の反応というものも全く記憶にない。
しかし、長ずるにしたがって書物とか映画とか、又は他のメデイアで終戦の日の光景を見るたびに、何故あの人達が泣いているのか不思議でならなかった。
そして、この文章を綴るにあたって庶民の側から戦争を回想した手記の類を2、3読んでみた。
やはりその中には、あの日、あの玉音放送を聞いて分別ある大人が泣いているというシ−ンが随所に表れているわけで、何故、あの日のあの時に、終戦の瞬間、敗戦の瞬間、平和到来の瞬間に、分別ある大人が泣いているのか不可解であることにかわりはない。
自分なりに考察してみると一つや二つの理由ではないと思う。
まず第一番に、皇国日本が戦争に敗けるということはない、という信念に裏切られた、という現実があったろうと思う。
そして二番目には、これだけ戦争に協力していたのに力が及ばなかった、という挫折感からきた面もあると思う。
この二つに関連して、様々な細部の感情の綾があの日あの時の涙となって人々の頬を濡らしたのではないかと想像する。  
思えば、戦争遂行ということは、一大国家プロジェクトであったはずで、戦争を始めたいじょう勝たなければ意味がないわけである。
昭和16年12月8日の真珠湾攻撃は大勝利と国民に鼓舞宣伝され、国民は提灯行列までしてそれを慶賀とし、この幸先のよい出だしを大歓迎したわけである。
それが4年半後には、祖国は灰燼と化し、広島と長崎には新型爆弾を見舞われ、ポツダム宣言を受諾せざるを得ない状況に置かれた、ということはその時の日本国民にとっては耐えがたい感慨であったに違いない。
それが人々の落涙となったものと想像する。
あの戦争は一部の軍人の独断専行によって深みにはまり込んだ、というのが私の戦争感であるが、その一部の軍人というのが陸軍の軍人で、海軍の側は常に陸軍に振り廻されていたという印象を個人的は感じているが、大局的な目で敗戦の原因というものを考えてみると、陸海軍とも組織疲労をしていたように思う。
戦争にまつわる庶民の手記を読んでみると、庶民というのは常に健気に生きているが、これが同じ我々の組織としての行動となると全く個人の意思と相反する行動となって表れてくる。
個人としては善良な人間も、集団となり、組織となると、その善良さを喪失し、横暴を極める、という事態になってしまうところに我々の民族としての欠陥があるような気がしてならない。
終戦の日、玉音放送を聞いて落涙した人々は、個人として一生懸命国家に奉仕して、その結果が、終戦、敗戦であったところに遣る瀬なさを感じていたに違いない。
終戦の日が昭和20年8月15日、その前日の状況を想像してみると、日本の主要都市の大部分は灰燼と化し、その中でも辛うじて存在し得た工場は、学徒動員の中学生や、女子挺身隊の人々が汗水垂らして長時間勤務に耐え、炭坑では朝鮮からの強制連行された人々が働き、国防婦人会ははたきで防火訓練や竹槍の訓練にかりだされ、少年戦車兵がしごきを受け、中国大陸の日本陸軍は、国民党の軍隊と共産党の軍隊と戦い、そのいずれもが識別できないゲリラ戦であったろうし、満州ではソビエットの軍隊に蹂躙されていたわけである。
そういう状況下でも、我々の先輩は、日本が勝つと思って日夜勉励努力していたわけである。
それが一夜にして終戦、敗戦、ポツダム宣言受諾ということになれば、その人々の挫折感というものははかり知れないものがあったに違い。
私は戦争を肯定するつもりはないが、そういう状況下に置かれてもなお奮闘努力する我々の潜在能力というものは日本民族の誇りであり、大和民族の特質であると思う。
しかし、これは西洋諸国にも同じような気質は存在するわけで、戦前の日本のように、こういう我々の特質が我々だけのものである、と思い上がってはならないと思う。
我々は太平洋戦争に敗けた原因はアメリカの物量に敗けたと思いがちであるが、アメリカも我々と同じ程度か、それ以上に国民的努力をしていたことを知るべきである。
戦前、戦中の我々の同胞は、我々のみが世界で優れた民族だと思い違いをしていたが、実際には、アメリカ人も戦争遂行にはきわめて努力し、粉骨砕身勉励努力していたわけである。
日本もアメリカも、双方で必死の努力をしていたが、結果的に資源の豊富なアメリカ側に軍配があがったと云うわけで、我々の敗因は、資源の不足分を精神力で補おうとしたところに敗因があったわけである。
戦後50年たった今、考えてみると、戦争遂行には主義主張というのは関係ないように思う。

27名古屋:2012/04/12(木) 13:29:03
戦前、戦中の日本というのは、言うまでもなく軍国主義一点張りであるが、アメリカはこの時点で民主主義の国であり、ソビエット連邦というのは、この時点で共産主義の国であったわけで、我々が天皇制をいただく軍国主義であったから戦争に敗けた、という理由にはならないと思う。
要は、戦争というものを政治の延長とみなせば、リ−ダ−に資質の問題だと思う。対米戦に限って云えば、日本が戦争を仕掛けたときはル−ズベルト大統領であり、終戦の時はトル−マン大統領であったわけである。
日本側は東条英機であり、鈴木貫太郎であったわけである。
そして対戦国同志のリ−ダ−の駆け引き次第で、戦争というものは大きくもなれば小さくもなるわけで、このことから考えると、我々の政府の側は最後の最後まで開戦という事に消極的であったはずである。
アメリカ側のリ−ダ−は、日本に先に口火を切らせて、アメリカ国民を戦争遂行に駆り立てる策謀をしたわけで、政治のテクニックとしても、アメリカ側のリ−ダ−の方が一枚も二枚も上手だったというわけである。
政治が下手であるということは、戦後50年たった今でも変わることのない我々の特質の一つである。
経済一流、政治は三流という表現がそれを如実に表している。政治が三流という意味の中には、日本の戦前の植民地支配のことも内在していると思う。それは戦後50年も経った今でも、旧植民地の人々から戦後補償の問題を云々言われるというところにそれが表れていると思う。
それはつまり、植民地支配時代の政治が悪かったのと同時に、戦後50年の対外的な政治的発言が下手であったということに他ならない。
このことは言葉を換えて言えば、戦前の我々がアメリカ人は怠惰で、日本人の精神主義の前では歯が立たない、という間違った先入観で思い上がっていたのと同じで、戦後の我々は、平和主義で我々は今後一切争いということは避け、金で解決します、という思い上りに他ならない。
よって旧植民地時代に被害をこうむったと思っている人々は、日本は今後、力を振り廻すことがないことを承知で、金の無心をしているわけである。
下衆な言葉で言えばナメられているわけである。歴史の評価に関して、我々が注意してみなければならないに事は、時代によって評価が違ってくるということである。
戦前の日本陸軍が中国に進駐して満州国を作るというのは明らかに日本陸軍の独断専行で、日本政府の不拡大方針に反するものであるし、天皇陛下も不拡大方針であったことを忘れてはならない。
いわゆる政府の命令、天皇陛下の命令に反する行為であったわけである。

28名古屋:2012/04/12(木) 13:29:44
そして、昨今もてはやされている杉原畝女元リトアニア大使がユダヤ人を多数救助したとして人道上称賛されているが、これも命令違反であった事には変わりないわけである。
同じ命令違反でも評価が真二つに分かれているわけである。
ここにも組織と個人の発想の違いが潜んでいるように思う。
杉原畝女元リトアニア大使は、個人の意思で命令違反を犯したが、旧関東軍というのは組織として、組織ぐるみで命令違反を犯したわけで、その時点で、日本政府及び天皇陛下はその命令違反を厳しく取り締まることが出来ず、事後承認する形で追認したところにその後の禍根が残ったわけである。
国家の主権と国家のリ−ダ−との関係を考えてみると実に難しい問題に突き当たる。出先の軍隊が独断専行で邪な行為をしたとき、相手方の方は主権者としての抗議をし、それを受てこちら側が、素直に謝罪すれば戦争にはならないと思う。
これは主権者であるリ−ダ−同志の判断次第である。
しからば、戦前、戦中の日本では、誰が主権者であったのかといえば、やはり天皇陛下であったような気がする。
すると日本政府というのは一体何であったのだろうか? 
私の個人的な見解では、戦前、戦中を通じて天皇陛下、昭和天皇というのは象徴にすぎなかったと思う。
問題は、政府そのものが軍人に支配されていたところに問題があり、軍人が天皇を現人神と奉り、国民にそれを強要したからにほかならないと思う。
何故そうなったかといえば、やはり政党政治が死滅してしまって、政治家が自らの信念を放棄し、軍人が幅を効かせる土壌を提供してしまったからに他ならないと思う。軍隊というのは、何処の主権国家でも武装集団であり、現政府を転覆させるに一番近い距離にいるわけで、ク−デタ−というのは、軍隊以外の組織では出来えないわけである。
戦前、戦中の日本の政治というのは、ク−デタ−でないはないが、軍政になってしまっていたとみなしていいと思う。
民主的は方法で、合法的な軍政が出来上がってしまったわけである。
昨今の政治の舞台で、「国民の合意」という言葉がしばしば登場するが、太平洋戦争、大東亜戦争の前夜というのは、国民の側で、「鬼畜米英撃ちてしやまん」、という大合唱であったわけである。
真珠湾攻撃の大勝利での東京都内、一般市民の提灯行列というのは日本が戦争をすることを肯定し、その勝利に酔い痴れていたわけである。
これは昭和12年の日本陸軍の南京入場の際に日本の市民がその事を快挙として認識して起こした提灯行列に範を示すものと想像するが、この事自体が、戦後の評価では南京大虐殺につながるわけで、その事実認定に関しては様々な憶測が飛びかっているが、真珠湾攻撃の大勝利といえるものも、日本はアメリカの罠に填まった事を戦後に至まで我々の先輩諸兄は知らずに過ごしたわけである。
戦争というものが政治の延長であるとすれば、統治者としては、統治に関して不具合な情報は国民に報せず、統治に際して都合の良い情報は国民に流し、自らの統治に万全を期すということは日本といわずアメリカでも同じように行なわれていたわけである。

29名古屋:2012/04/12(木) 13:31:49
問題は、戦前の日本人が、何故に軍人に政治の引導を渡してしまかというところである。提灯行列で軍の行動を快挙として崇める根底には、やはり当時の我々の庶民の生活苦が潜んでいたのではないかと思う。軍国主義とかファッショを庶民の側が望んでいた、ということは言えるのではないかと思う。それともう一つ見逃してならないとは、政治家にとって政治というのは職業である、ところが我々の政治批判というのはアマチュアの域を出ることがなく、これはいくら説得力のある論旨でも遊びの延長でしかない。

戦後の意義

60年安保であれだけ政府批判が横行しても当時の自民党政府というのは崩壊しなかったわけで、その結果から推して、あの時の反政府運動、反体制運動というのは一体何であったのかと自問すれば、一言で云って遊びにすぎなかったということである。
戦前の我々先輩諸兄が、軍人に政治の要を明け渡したことは、それが庶民の願望であり、軍国主義がその時代の庶民の心の中に蔓延していたわけである。
かっての共産主義国の成立の過程を見ても、共産主義を受け入れる前提の前には国民の渇望があったわけで、国民とか、一般市民の渇望のない主義主張というのは受け入れられないはずである。
戦前・戦中の我々の先輩諸兄が軍国主義に陥ったのは、我々、一般庶民の側に、それを受け入れ、渇望する要因があったからこそ、それが日本国民全体のコンセンサスとなりえたわけである。
その背景には、我々の日常生活があまりにも貧しかったということがあったに違いない。その時代の日本民族の深層心理の中には、日本が貧しさから脱却するには、西洋先進国の植民地支配を打破し、アジアの諸民族を西洋列強の植民地から開放し、日本がアジアでリ−ダ−シップを発揮し、アジアの平和と安寧を確保しなければ誰がそれを遂行し得るのか、という危機感があったに違いない。
その当時の日本国民、我々の先輩諸兄は、この理念の元で富国強兵に励み、日本軍のアジア進出をその前提の行動として見ていたに違いないが、現実の軍の行動というのは、この理念とは掛け離れたものであり、軍の行動ばかりでなく、日本人の行動そのものが理念と掛け離れてしまったわけである。
これは無理もないことで、日本がそう思って行動しても、それを受け入れるアジアの民衆にとっては、そういう我々の理念を疑いの目をもち、信頼するもしないも、彼らの問題であり、日本の進出を侵略ととらえる風潮というのは必然的に出来上がっても致し方ないことである。
彼らにしてみれば、目の青い西洋人に支配されることは致し方ないが、同じ皮膚の色の日本人が偉そうな理念を振りかざして迫ってこられても素直には信じられない事であったに違いない。
戦前・戦中の我々日本人の行動というのは実に健気である。
赤紙一枚で、あらゆる青年男子、壮年男子が徴兵に応じ、兵一人の命の値段は一銭五厘のはがき一枚より安いということが云われた時代である。
そういう雰囲気の中で、我々の先輩諸兄は滅私奉公を強要され、苛酷な経済統制の中で生き永らえてきたわけである。
軍人による政治の結果として未曽有の世界戦争に巻き込まれ、貧困から脱出するつもりの方策が、より一層の貧困を招き、ただ単に生きんために、又は個人の小さな夢をかなえるために、戦後50年、身の安全のみを考えて生き続けた結果が世界的なGNPの向上となってしまった、と云う現実は何とも皮肉な結果である。
しかし、我々の大衆行動、戦前ならば提灯行列、戦後ならば安保反対のデモ行進というのは、遊び以外のなにものでもない。

30名古屋:2012/04/12(木) 13:33:06
戦前の政治家で、軍人以外の政党政治家が、何故に政治の主導権を軍人に明け渡してしまったのか、という疑問に突き当たると、やはりこれは明治憲法の欠陥に突き当たるのではないかと思う。
憲法というのは言わずもがな、人間が頭の中で考察したものである以上、100%完全なものというのはありえないわけで、それを「不磨の大典」として、アンタッチアブルなものとしてしまったところに日本の過誤が潜んでいたといわなければならない。
その意味で、戦後の日本社会党の論議も同じ轍を踏んでいるが、自社連立内閣では、どうなるかは、はなはだ興味あるところである。
昭和天皇を「現人神」としたり、明治憲法を「不磨の大典」としてアンタッチアブルなものにしてしまう、というテクニックは為政者の姑息な政治的手腕である。
これは我々のみの特質ではなく、共産主義体制のもとでも、指導者を神格化して政治的安定を作り出す、という手法はもちいられている。
明治憲法のもとで天皇を前面に出されると、日本人というのは、塩を掛けられたナメクジのようにしゅんとなってしまうわけである。
昭和天皇は立憲君主に撤しようと心つもりしているのに、その媒体を勤める政治家、この時点では、軍人の高級幹部連中が天皇の意を解する事無く、虎の威を借りる狐よろしく、邪な策謀を画策していたわけである。
そして国民は、そういう軍人に期待を寄せ、軍の行動というものを追認していたわけである。
そのことのなかに、当時の日本国民のなかに戦争を肯定し、中国における日本の植民地拡張を是認する雰囲気があったわけである。 
その雰囲気に押されて、政党政治家は政党の解散を黙認し、大政翼賛会に修練されていったわけである。
あの時代が民主主義の時代だったとはとても言い切れるものではないが、国民の合意というのは戦争を肯定し、植民地支配を肯定し、アジアの開放のためには多少のアジアの人々の苦痛も致し方ない、というのが国民的なコンセンサスであったわけである。
昨今、政治を語る場合、「国民のコンセンサスを得る」ということと、政治家のリ−ダ−シップということが同時に言われているが、その意味で、先の大東亜戦争というものを眺めてみると、国民は「鬼畜米英撃つべし」というコンセンサスで一致したのを、天皇陛下が「俺の命令なしで一兵たりとも動かしてはならない」というきわめて強烈な専制君主としての発言があれば、あの戦争はありえなかったに違いない。
政治のあり方としては、専制政治よりも、民主政治の方が国民は、はるかに幸せであるに違いないし、君主の在り方としても、専制君主よりも立憲君主の方が国民としては幸せであるに違いない。
今日、我々が軽々しく国民の合意という場合、戦前、戦中の東京都民の提灯行列の意味というものを考え、政治家のリ−ダ−シップと云う場合、世界史上の独裁者の行動というものを吟味すべきである。
政治家というのは、リ−ダ−シップを発揮するのではなく、コ−デイネイタ−として利害の調整能力を発揮すべきである。あの真珠湾攻撃を快挙とみなしての東京都民の提灯行列というものが、戦後は、反政府運動、反体制運動としての示威行為としてのデモ行進に変貌したのは、まさしく昭和20年8月15日の終戦を境にした価値観の逆転の結果だと思う。
これが同じ日本人、日本民族の姿である。
180度、相反する価値観を同時に合わせ持っているわけである。     
戦前は、国粋主義に基づく右翼思想、戦後は、共産主義に基づく左翼思想。
いづれも人間の考えた理念による物の考え方の違いであるところが共通しているわけであるが、これは宗教と同じで、人々が宗教に固執するということは、それが人々の潜在的欲求であると同時に、時代という環境に支配されるという面があると思う。
戦前の提灯行列もその表れであるし、戦後の示威運動もその表れであると思う。
本来、政治家というのは、こういう民衆の潜在的欲求を先取りして、時世の流れに合うようにコントロ−ルするのが立派な政治であるはずであるが、これは一見簡単なようで、政治の理想であるわけで、そう安易に出来るものではない。

31名古屋:2012/04/12(木) 13:34:01
戦後50年を経過した時点で、我々が歴史を反省する場合、民衆の潜在的欲求と政治家、あの時代に政治というものがあるとすれば、政治家の理念のギャップの差異が如何にして生まれたのか、ということを解明する必要があると思う。
今日、我々は安易に国民の合意とか、住民のコンセンサスという言葉を使っているが、こういう耳触りの良い言葉に惑わされることのないように心しなければならないと思う。
時代の雰囲気とかム−ドと云うことをよくよく注意して観察する必要があると思う。
平成7年、1995年が終戦から50年目にあたるという事で、今年はそれに関する著述が色々出現することと思うが、その手始めに中日新聞が今年の2月になってから元陸軍参謀の瀬島龍三氏のインタビュ−を掲載している。
ここにも既に戦前の政治の不合理が露呈している。
戦前の、特に太平洋戦争前夜の政治というのは、そのまま軍政になっており、軍人がそのまま政治を司っているという感じである。 
それでいて帝国議会というのは消滅していたわけではなく、戦前、戦中、戦後を通じて存在しつづけていたわけである。
瀬島龍三氏のインタビュ−を読むまでもなく、戦前、戦中の日本の舵取りをしてきた政治の中枢にいた人々が、極めて天皇陛下に忠実であった、ということは歴史的事実としてよく知られていることであるが、天皇の意思を具現化する術を知らなかったというところが問題であろうと思う。
というのは、これらの人々が、天皇陛下、昭和天皇が心底平和主義者で戦争を好んでいなかった、軍事的拡張主義とか兵力による統治を嫌っていた、ということを知らなかったところに意志の食違いが潜んでいたわけである。
昭和天皇というのは、基本的に学者であるわけで、生物を研究する自然科学の学者を軍人が統治者に奉り上げてしまい、雲の上に奉り上げてしまったところが日本の過誤の元である。
この時代に我が日本が、シビリアン・コントロ−ルでなかった、というところにその根本の問題が潜んでいたわけであるが、これは歴史の必然で致し方ないところである。
明治時代に、日本が参考にしたのがドイツの憲法であった以上、ドイツと運命をともにしたのは歴史の必然であったに違いない。
第2次世界大戦を戦っていた交戦国の首脳の心のうちというのは、ほとんど同じものではなかったかと思う。
日本の天皇陛下も、アメリカのル−ズベルト大統領も、イギリスのチャ−チルも、ドイツのヒットラ−も、ソ連のスタ−リンも同じように戦局の一進一退に一喜一憂していたにちがいない。 
こういう状況下で、日米対戦について云えば、我々はアメリカを侵略したわけではない、真珠湾攻撃というのは戦闘の一場面であって、侵略したわけではない。
それに引き替え、中国に対しては明らかに侵略の意図があったわけで、アメリカは日本の中国に対する侵略に対して戦争をする気になっていたわけである。
その上、第2次世界大戦というのは、アメリカにとって2正面戦争であったわけで、これを敢えて行なったということは、アメリカにとって日本の中国侵略ということがよほど腹に据えかねたわけである。
これがアメリカの理念であり、或る一種の人種差別でもあったとみなしていいと思う。
しかしながら、そこには民主主義に基づくシビリアン・コントロ−ルがみごとに具現化され、日本は頑なな国粋主義による天皇制のもとで、統治者の意に反する戦闘が繰り広げられていたわけである。

32名古屋:2012/04/12(木) 13:34:56
 
この違いはマネジメントの違いといえるかもしれない。
統治をする側の立場から見ると、マネイジメントの問題になると思う。
アメリカのル−ズベルト大統領は、軍を上手にマネイジメントし、日本の昭和天皇は、軍のマネイジメントに失敗し、的確な情報を与えられず、自らの意思を的確に上位下達し得なかったということが出来ると思う。今に生きる我々は、統治者が天皇陛下である、ということに納得出来ない感情があるが、この時代の明治憲法ではそうなっている以上、致し方ないことで、要は、それを補佐すべき立場の側近の責任だと思う。
統帥権というものが天皇直属の権利である以上、国民の側からそれを云々することは憲法上不可能なことで、政治家が沈黙せざるをえなかったのも致し方ない。
要するに天皇陛下は裸の王さまで、統帥権という軍の特別権威のもとで、軍事政権が幅を効かす要因が潜んでいたわけである。
第2次世界大戦を戦った交戦国にとって、戦争遂行ということはその国々にとって巨大な国家プロジェクトであったわけである。
昨今になって、アジアの人々から日本が強要した強制労働ということに言及して、その補償問題がとり沙汰されているが、第2次世界大戦で戦った国同志というのは、いずれも先進国で、その国民というのは、戦争遂行のため、アジアの人々が云うところの強制労働を自ら買って出たわけである。
これは我々日本人もさることながら、アメリカでも、イギリスでも、ドイツでも、ソビエットでも同じ事が云えると思う。
日本でも女子挺身隊という名のもとで、婦女子でも率先して軍需産業に労力を提供し、戦争遂行という国家プロジェクトを成し遂げようとしたわけである。
それとまったく同じ意味で、アメリカでも、イギリスでも、ドイツでも、ソビエットでも同じ事が展開していたわけである。
戦前、戦中の日本では、女性兵士というのはあまり聞いた事がないが、所外国の中には、女性の兵士までいたわけである。
特に共産主義国では男女平等の意味で、女性の兵士というのがかなり多数散見されたようである。
特に、中国とかソビエットでは女性の戦闘員というのもあったようである。
我々、日本民族というのは、実に上手に統治される民族で、天皇制の元での軍国主義でも一致協力して国家プロジェクトの遂行に協力を惜しまないが、これを自らの発案で何かをなそうとするときになると、意見百出して纏らず、まさしく自ら作り上げる民主政治というものが下手である。
大衆の合意にもとづけば坂を転がり落ちるし、リ−ダ−・シップに期待を掛ければ、あさっての方向に向う、といった具合に昔も今も経済一流、政治は三流という諺は言いえて妙である。   
第2次世界大戦を連合軍側と連盟側という分け方をしてみると、連合軍側が勝利をし、連盟側が敗北を期したわけであるが、この両者の違いというのは、政治理念の違いということが云えると思う。
確かに、アメリカも、イギリスも、フランスも、かっては帝国主義による植民地支配を実施し、アジアを蚕食したことは事実であるが、既に、この時点で帝国主義を脱却して、古い帝国主義というものを押さえ込む新しい思想に切り変わっていたに違いない。
ソビエットというのは、共産主義というものに取りつかれて新しい国家理念を作り、中国はそういう過程の一部にすぎなかったに違いない。
理念で戦争を勝利に導く、ということはありえないと思うが、理念が強力な戦争遂行の手段、つまり政治としての国家プロジェクトの遂行に貢献するということはいえると思う。我々の場合は、合理的な戦争のセオリ−というものを無視して、国家神道をいただく精神主義に偏りすぎて、人を統治する科学という物を蔑ろにしたところに戦争の敗因があったものと思う

33名古屋:2012/04/12(木) 13:35:56
戦争遂行のための科学的で合理的な考え方を無視して、そういう意味の研究を怠ってきたところに問題があったものと思う。
その具体的な例が、外来語の排除というわけで、英語を敵性語として排斥する感覚があったわけである。
敵を知ることが戦いの基本であるにもかかわらず、その基本である相手国の言語を排斥し、研究する事自体を利敵行為とみなす我々の感覚が軍のトップから庶民に至るまでの普遍的な合意となっていたところに、破れるべくして破れた原因があると思う。
そして、近代の国家総力戦という認識が薄く、戦いというものが関ケ原の戦いという認識から脱し切っていなかったところに、近代戦争に敗北した理由があると思う。
人はだれしも理念と感情で以て生きているわけで、理念というのは、生きた頭脳で以てコントロ−ル可能な思考であり、感情というのは、思考によるコントロ−ルが不可能な部分である。
政治というものは本来、理念で行なわれるべきであるが、我々、日本民族の政治というのは、しばしば感情に左右されるわけで、東京都民の提灯行列というのは南京陥落なり、真珠湾攻撃の成功ということを国民感情の発露として表現したものである。
そこにある国民感情というのは、中国を武力支配することを是認し、アメリカと戦争することを是認する国民感情があったわけである。
あの時、理念とか理性で、この二つの事件を見れば、それがどういう国際世論を引き起こし、アメリカの対日感情を刺激するのか、ということを考えなければならなかったわけである。
我々、日本人の政治が常に3流といわれているのは、政治に感情が入り込んでいるからである。
感情に左右される政治というのは、独り善がりの政治になりがちである。
アメリカの対日戦に関して云えば、日本が中国に武力で進出するということは、アメリカの国益に反する事であったわけである。
そのサインは、日米交渉の全編を通じて出されていたわけで、日本側がアメリカの真意というものを見損なっていたことに原因があると思う。
このことは即ち外交の失敗であると同時に、軍事的な側面からみても、アメリカの真意を正確に把握できなかった、という情勢分析の失敗である。
これは私の持論でもある戦術と戦略の発想の違いがここにあるわけである。
あの時代の日本の工業水準というものは極めて高度なものがったわけで、それ故に、ゼロ式戦闘機の誕生があり、戦艦大和や武蔵の建造があったわけであるが、これらの物が戦争という実践の場で十分にその能力を発揮しきれていない。
ゼロ式戦闘機はその当時優秀なるが故に後続機の開発が遅れ、戦艦大和と武蔵は、世界最高の機能を持っているが故に、日本海軍の象徴的存在として、その温存のみに腐心するあまり、その能力を実際の戦闘で余すところことなく発揮しえずして海の藻屑として消え去ってしまったわけである。
兵器の使い方、用兵の論理としての戦術戦略の相違についても、我々は無知であったわけである。
中国大陸では、宵闇に紛れて、大きな罵声で、中国人の集落を攻撃すれば先方は逃げていってくれたわけである。
だからこそ、三八式歩兵銃で十分であったわけである。
よって銃器の改良と云うこともお座成りになってしまったわけである。

34名古屋:2012/04/12(木) 13:36:55
我々がこれまでに経験した戦闘というのは、この程度のものであったわけである。
それが故に、関ケ原合戦の延長線上の認識でしかなかったと云うのが私の持論であるが、日米戦というのは、そういう段階の戦闘ではなかったわけである。
そして、国民の側としての戦争というものは、アメリカの市民も日本の国民も、被統治者としての参戦という意味では、戦いに行く以上、手柄の一つも立てようというのが偽らざる心境であったと思う。
あの戦争で命を落としたのは日本人ばかりでなくアメリカ人も同じように多数の命を失ったわけである。
しかし、アメリカ側には、日本の特別攻撃隊のような自殺を強要するような用兵というのはありえなかったわけで、そういう状況に陥った、ということは既に敗北ということを考える時期にきていたわけである。
そういう状況に立たされても、それに気付かず、運を天に任せるような用兵というものは、科学というものを冒涜するものである。
死を賭けた仕事、命にかかわるミッションというものは、アメリカにもあるには違いないが、それはベストを尽くしても成功する確立が低いという意味で、始めから自殺を強要するミッションとは異質の物である。
最近、ある本を読んでいたら、終戦の時、自殺をした日本将兵の数は500人ちかくいるということは記されていた。
その中でも有名のが阿南惟幾大将の自決であり、東条英機の自殺未遂であるが、これらの人々は、天皇に対して申し訳ないという心情で自殺をしたわけで、そこには国民とか臣民に対する悔悟の念は微塵も存在していないわけである。
明治憲法下の軍人は、天皇にのみ責任を負っている、という理屈はわからないでもないが、天皇が臣民のことを思い、世界平和のことに心を配っている事を知れば、こういう軍人による軍政ということにはならなかったはずである。
天皇が立憲君主政に撤しようと思っている片方から、専制君主に祭り上げて、軍人の高級幹部連中が専制君主を代弁する形で、政治の延長としての戦争を遂行したところにこういう結果を招く原因があったわけである。
その過程において、政治家の沈黙も、マスコミの国粋主義、軍国主義に迎合した戦意高揚をはかるがごとき報道の姿勢も、反省されるべき事実であろうと思う。
あの時代に日本の軍隊が南京を陥落させたり、真珠湾攻撃でアメリカの戦艦を何隻も沈めたという事実は、あの当時の日本人の国民感情からして、まさしく快挙の一言であったに違いない。
ということは、言葉を返して云えば、あの当時の日本人にとって、世界が我々をどういう目で見ていたのか、という点でまさしく盲目になっていたわけである。
しかし、これは国内においては盲目でも致し方なかったが、海外にいた日本の知識人にとっては、盲目ではなかったわけである。
しかし、そういう人々からも、戦争批判というものは起こらず、日本の国策を肯定する意思表示しかなかったわけである。
何処の国の庶民も、政府や政治家の考えていることを十分知ったうえで生きているわけではない。
政府の決めた方針に忠実に生きようとするのが比較的穏健な国民の在り方である。
ところが我々の国策決定の段階では、国民から選出された政治家よりも、天皇からの勅命によって選ばれた軍人の方の発言権が強い、という状況では政治が国民から離れ、極めて非民主的な国策決定であったわけである。
あの当時の日本人にとって、天皇制というのは一体何であったのであろう。

35名古屋:2012/04/12(木) 13:37:44
戦争に敗けたからといって、500人もの将兵が自ら命を絶ち、玉音放送を聞いて玉砂利に正座して頭を垂れている我々先輩の姿というのは、天皇とどういう関わりを持っていたのであろう。
軍隊は確かに天皇の軍隊であったに違いない。
しかし、あの当時盛んに議論された「国体の護持」ということは、天皇陛下の肉体の護持ではなかったはずで、天皇陛下を含む、天皇の統治する土地を含めて、日本古来の領土とその上に生息する人間を含んだ言葉と、私は勝手に解釈しているが、軍隊は、「国体の護持」ということを自ら放棄していたわけである。
もし本当に軍隊が「国体の護持」と云うことを真剣に考えていたら、日本本土の空襲ということを科学的な手段と方法で阻止すべきであった。
その意味ではアメリカのB−29を迎撃できる戦闘機の開発を真剣に考え、運を天に任せるような作戦というものはありえないはずである。
「戦いは時の運」などという確立の低い作戦は、断固実施すべきではなかったはずである。「国体の護持」ということをそれこそ真剣に考えれば、アメリカとの戦争というものはありえなかったにちがいない。
既にアメリカとの戦争に足を踏みいれた時から、「国体の護持」という大義名分は空証文となっており、物事を決めるときの建前にすぎなかったわけである。
あの時代に天皇陛下を「現人神」と称して遥拝を強要した人々の心理というのは、今の次元で言えば、いい大人がエロ写真の陰毛を芸術かエロかと議論しているようなもので、実に大人げないというか、馬鹿というか、浅ましき人間の業である。  
そして、その当時のマスコミというのも、遥拝を強要する側に立っていたわけで、今日のマスコミが芸術かエロかの論議で反体制側につくのと同じ構図であり、当時のマスコミが体制ベッタリで、今日のマスコミが反体制ベッタリという構図も、あの終戦という価値観の転換を境にして起きてきた現象である。
日本のマスコミというのも、日本の他の産業と同様に過当競争を強いられており、強烈な個性というものを出しえず、術からく「右へ倣え」の姿勢から脱却できないでいる。
よって、あの時代においても、政府批判、軍部批判ということはありえず、最終的には、国威掲揚、戦意高揚という意味で、軍国主義に迎合する他なかったわけである。
しかし、問題は終戦、敗戦という時点における変わり身の早さである。
価値観の転換の早さが問題である。
長い歴史的な時間の経過とともに、次第次第に価値観が変化するというのなら不思議でも何でもないが、1945年、昭和20年8月15日という一日で、価値観が180度変わってしまうといういのはいかにも不節操、無節操ではなかろうか。
1994年、突然、社会党の村山政権が誕生したようなもので、これまでの歴史的な価値観が一夜にして180度変わる、ということはまともな精神の持ち主にとっては信じられないし、考えられないことである。

36名古屋:2012/04/12(木) 13:39:24
あの時のマスコミ


戦後に生きる我々の価値観の転換というのは、厳密に云えばマッカアサ−元帥が東京に進駐して5大改革を実施してからというのが本当であろう。
しかし、その心の準備というのが既にこの時点で完成していたわけである。
その前日まで、徹底交戦を唱え、500人もの将兵が敗戦を屈辱と感じ、自ら命を断っているのに庶民の側というのは、そういう意識も何もなく、昨日までの鬼蓄米英をきれいさっぱり忘れてしまっているわけである。
そして、ここでもマスコミ、特に新聞というのが、実におこがましく、知識人ぶってオピニオン・リ−ダ−よろしく、国民に自重を促しているわけである。 
今日、マスコミというのは新聞、テレビ、ラジオという媒体は、第4の権力と思い上がっているが、この時代のマスコミ、特に新聞というのは、実に日和見で、体制ベッタリ、軍ベッタリであったわけである。
もっとも、知識人の自由な意見というものを押さえ込む社会的風潮というものがあったことは承知しているが、沈黙も、ある意味で、そういう風潮を追認する手段であったわけである。
素直な考え方をすれば、この当時の日本人である以上、日本軍の勝ち戦というものは慶賀な事柄であることに替わりはないわけで、その意味で、日本軍が勝っている間は異論というものはありえないわけである。
真珠湾攻撃に成功して東京都民が提灯行列をしている時に、敢えて反戦的な発言をするという意味がないわけである。
言い換えれば、国民の潜在意識のなかに埋没してしまっているわけである。
つまり自分自身、知識人そのものが、国民感情に埋没して、事の善し悪し、世界からの視点、そういう結果になった経緯について、気が回らなかったわけである。
それが当時のマスコミの姿であったわけである。
当時の体制ベッタリのマスコミが、今日、第4の権力とまで思い上がるようになったのは、戦後の民主化のもとでの言論の自由、表現の自由という、彼らにとっては有り難い概念が、国民のコンセンサスを得るようになったからに他ならない。
彼らの言い分によると、国民の知る権利と報せる権利というのが、彼らの社会的存在理由であるかのように思い込んでいるが、彼らの過去が体制ベッタリで、軍国主義を吹聴し、国民を戦争に駆り立てる戦意高揚に大いに貢献した過去がある、ということを忘れてもらっては困る。
人間というのは、全く一人では生存できない生きもので、複数の人間が集まって社会というものを構築しなければ生きられないという以上、その複数の人間の集団が、集団ごとに隣り合わせに存在した場合、その境目のところでは多少のいさかいが起きるのは致し方ない。
そういう状況下では、情報の伝達が、いさかいの処理には有利に作用することは火を見るより明らかである。
マスコミというのは、そういう意味で、情報の伝達を使命とするものであるが、資本主義社会のマスコミ、特に新聞というのは、ニュ−ス・ペ−パ−という商品を国民に売って商売が成り立っている以上、その商品に付加価値を付けなければ商売が成り立たないわけである。
だから戦前、戦後を通じて、新聞紙上に必要最小限の情報以外に、時によっては軍国主義を吹聴し、戦意高揚、国威高揚の付帯記事を列挙し、時によっては反政府、反体制、共産主義を是認するかのような記事が掲載されるわけである。
要するに、商品として面白可笑しく脚色されるわけである。
これは日本の新聞ばかりでなく、世界中の新聞が同じような宿命を背負っているわけであるが、かっての共産主義国のように、独裁的な専制国家では、資本主義的な要因というのは極端に低減して、それこそ必要最小限の記事しか掲載されない事は論を待たない。
今日の新聞を始めとするマスコミ業界というのは、マス・コミニケ−ションと云う意味から程遠く、本来の情報の伝達という使命は、ほんの付足しで、その大部分は娯楽としての意味しか存在しない。
娯楽の中に、ほんの少し真の情報が散りばめられているというのが実情である。

37名古屋:2012/04/12(木) 13:41:09
戦後処理の困難さ


日本人が、日本に進駐してきたマッカアサ−元帥をどういう目で見ていたのかは不思議な感慨である。
片一方で、今まで天皇陛下万歳と叫んでいた我々の同胞は、あの日を境にしてマッカアサ−万歳となったわけである。
マッカアサ−がトル−マン大統領の逆鱗に触れて解任され、日本を離れる時の我々の同胞の惜別の情というものは不思議な光景である。
一言で云って、戦前、戦中、戦後の日本人の生活で、まだ町の中には焼け跡が残っている時代でも、戦後の生活が一番良かったわけである。
戦前、戦中に、日本の国策に則って海外、特に満州とか朝鮮にわたった人々の引き上げの問題が未解決の時代でも、焼け跡での我々同胞の生活は、苦しいことに替わりはないが、それでも発言の自由はあり、空襲警報に怯えることもなく、飢えの問題さえ解決できれば、戦後の生活の方が明らかに自由で朗らかであった。
平成7年2月19日、以前から注文しておいた毎日新聞が戦後50年を記念して発行した「戦後50年」という写真集が手元に届いた。
その見開きのペ−ジに掲載されている広島、長崎、東京、大阪の空襲の跡、つまり焼け跡の写真を見ると、実に見事に焼け払われている。
まさしく1月17日の阪神震災の瓦礫を処理した跡の写真と同じである。
この太平洋戦争、日本読みで大東亜戦争の後も、世界では戦争が絶えなかったわけである。特に、、アジアでは1948年、昭和23年の朝鮮戦争、1960年代のベトナム戦争などが行なわれたわけであるが、日本があの戦争でこうむった以上の被害というのはありえなかったように思う。
朝鮮でも、ベトナムでも、一つの都市が壊滅させられたという状況は存在しないと思う。人の命の数でも、日本がこうむった以上の被害というのはありえなかったように思う。
ベトナム戦争では、アメリカ兵がベトナム人に残虐な行為をしたというので世界中で話題になり、日本でも話題が沸騰し、映画にもなっているが、日本が戦中にB−29によって一つの都市が灰燼に化したという事実は如何に説明すべきであろうか?    
変な言い方であるが、朝鮮戦争にしろベトナム戦争にしろ、あの時代、対日戦以外のアメリカの戦争というのは、アメリカとして真剣に戦争をしていなかったのではないかと思う。逆の表現をすれば、アメリカは戦争相手が日本だったからこそ、一つの都市を灰と化しても良心の呵責に値しなかったわけである。
相手が日本人だったからこそ、あのように徹底的な殲滅作戦をしても、良心に訴える悔悟の念がなかったわけである。
その歴然たる証拠が、2発の原子爆弾の使用であったわけである。
原爆の使用というのは、戦争の相手が、先に、宣戦布告の前に、真珠湾攻撃を仕掛けた日本であったからこそ行なわれたわけである。
戦艦大和も、ゼロ式戦闘機も、自らでは作り得ない朝鮮の人々や、ベトナムの人々に対しては、アメリカという国は都市の焼却も原子爆弾の使用もしなかったわけである。
アメリカの国威を脅かす可能性のある日本だからこそ、アメリカは日本を徹底的に焦土とすることを決意したわけである。
昨年、アメリカのスミソニアン博物館で、原爆投下に使用されたB−29と、原子爆弾の模型の展示をめぐって世論が沸騰して話題になったが、アメリカ人にとって原子爆弾の使用というのは、戦争を終決させるための一つの選択であったことは間違いないことであろう。
あの爆弾で、100万のアメリカ人将兵の命が救われた、という彼らの論法もあながち無視するわけにはいかないと思う。
占領のため日本に進駐してきたアメリカ人にとって、日本の徹底交戦というのが一番の脅威であったことは否めない事実であろうと思う。
しかし、我々の側は、多少のトラブルはあったとしても比較的素直にアメリカの進駐を認めたわけである。

38名古屋:2012/04/12(木) 13:41:52
考えてみれば、あの焼け跡の写真を見れば、日本側にあれ以上の交戦の意欲も手段も方策も武器も存在し得なかったというのが事実ではなかろうか。
武器がないので竹槍で交戦しようとしたわけであるが、こういう非現実的な国策?実情から遊離した噴飯物のアイデア?行政サイドの指導に批判の声が出せなかった状況、批判をさせない体制側の圧力、その体制に迎合する国民の側の雰囲気というものが結局は戦争という泥沼から抜け出すことができなかった原因ではなかろうか。マッカアサ−というのは、最初、厚木飛行場に、例のパタ−ン号で来て、その後、横浜に進駐し、最後に東京に進駐したわけである。
その道中で、焼け跡を見たときの感想というものは一体どういうものであったのであろう。日本の占領政策を実施するにあたって、彼はどういう感想で以て、日本の現実、彼らの戦争の結果としての焼け跡を見て、如何なる感想を持ったのであろうか?
今、我々は、回想という時間を超越した視点で焼け跡という言葉を使っているが、一つの都市を灰燼に帰す、という事は本来人道上許されべきことではないはずである。
飛行機による空中からの無差別攻撃ということは、その下に生存している非戦闘員を含む老若男女の市民がいる、ということを無視した行為である。
国家総力戦だから致し方ないという論法は、差別意識そのものである。
アメリカの対日戦というのは、私の個人的見解では、差別意識以外の何物でもないというものであるが、原子爆弾の使用、B−29による都市の絨毯爆撃というのは、交戦相手が肌の黄色い黄色人種の日本人だからこそ、彼らの良心の呵責に引っ掛かるものがなかったわけである。
黄色人種の日本人だからこそ、この地球上から抹殺しても、彼らの良心は痛まないという論理ではなかったかと思う。
これは彼らの敵愾心が如何に強かったかということで、それに引き替え、その後の朝鮮戦争やベトナム戦争の彼らの戦い方というのは遊びの延長のようなもので、真剣味が欠けていたわけである。
彼らがそういう心境に陥るのは、その時の交戦相手が、アメリカの国威とか権威に直接的にぶつかりあう可能性が薄いので、ある意味で油断していたわけである。
国家の総力をあげてまで戦う相手と認識し得ず、その分、強烈な敵愾心もわかず、相手国の領土から撤退するという意味で、対日戦とは異質の戦争をしていたわけである。
彼らが、対日戦に掛けては異常な敵愾心で戦ってきた背景には、日本がアメリカの国威や権威を脅かす存在であったからに他ならない。
それを如実に示したのが真珠湾攻撃であり、それが悪いことに宣戦布告の後になってしまったことが、彼らの敵愾心を異常に奮い立たせる原因を、我々の側で作ってしまったわけである。
しかし、戦後50年経って、今、あの時代の焼け跡の写真を眺めてみると、日本の戦後の復興というのも実に驚異である。
我々自身が驚くべきことであるので、当のアメリカ人が、今の日本を見れば我々以上に驚くに違いない。

39名古屋:2012/04/12(木) 13:42:31
日本に進駐してきたマッカアサ−の目に写るものといえば焼け跡しかなかったに違いない。終戦を、我々国民が、実感として感じたのは、天皇陛下とマッカアサ−元帥が並んだ写真ではなかったかと思う。
今まで神として崇めてきた天皇陛下が、連合軍極東最高司令官、進駐軍としての最高司令官のマッカアサ−の前ではいかにも貧相に見え、今までの国民感情からすれば、国辱ものである。
そして、翌年正月の天皇陛下の人間宣言ということは、我々の同胞が、戦争に敗けたという実感を肌で感じさせる事件であったに違いない。
そして、時がたつにしたがって、進駐軍による戦争犯罪人の摘発ということで、戦争責任という問題がクロ−ズ・アップされてくるわけであるが、この問題が大きくなれば、当然天皇の戦争責任という問題が浮上してくることは否めない。
そういう状況下で、天皇陛下がマッカアサ−元帥のもとに出向いたということは、ある意味で驚異的なことである。
その結果が例の写真となったわけであるが、その意味で、日本の天皇陛下、昭和天皇の行為というものは、世界の指導者の範となりうべき要因を含んだ行為だと思う。
過去の歴史では、又、世界の歴史において、政治の延長としての戦争に敗けた統治者というのは、祖国を捨て、亡命するのが常識であり、その際に私有財産というものを如何に上手に隠匿するか、又は持って逃げるというのが彼らの腐心するところである。
しかし、日本の天皇も、その時の内閣総理大臣鈴木貫太郎も、そういう言動は微塵もなかったわけである。
終戦、敗戦というときに、天皇陛下も政府の要人も、自らが生かさせてもらえるとは思っていなかったに違いない。
少なくとも、報復の処置ぐらいはあるものと、心の準備は怠りなくしていたものと思う。天皇陛下の免罪ということは、アメリカ側の占領方針の中であらかじめシナリオが出来ていたこととはいえ、その事実は我々の側では知る由もなく、天皇陛下がマッカアサ−の前に出頭するときの陛下の気持ちとしては、死を賭けたものであったにちがいない。
戦後の日本人として、進駐軍の実態がおぼろげながらも理解しえる段階になると、戦争に敗けるという事が、平和の象徴のように見えてきたのではないかと思う。
あの重苦しい灯火官制の幕や、嘘の大本営発表もなく、電灯というものを際限なく付けれるというのは、ある種の幸福感ではなかったかと思う。
しかし、その裏側には極めて切迫した食糧難があり、当然のこととして、空襲で焼かれた都市には住宅も不足していたわけで、人々の生活は楽なものではなかったに違いない。
戦時中は空襲警報に怯え、生死の境をさまよう恐怖がなくなった、という現実は、一縷の明かりとして人々に希望を持たせたに違いない。

40名古屋:2012/04/12(木) 13:43:10
戦時中の鬼蓄米英、撃ちてしやまん、というスロ−ガンが色褪せたことだと思う。
この日本の戦後処理の問題というのは実に大変なことであったに違いない。
昨今、アジア諸国は日本の戦後処理が不十分であった、というクレ−ムをつけているが、あの時代背景を考え合わせると、あの状況下で、よくもあれだけ出来たものと思う。 
食糧難、住宅難、復員軍人の問題、海外からの引き上げ者の問題、アジア諸国からの強制労働者の送還、その片一方で進駐軍、占領軍の要求に応えなければならない、という状況下での戦後処理である。
そして、主権は占領軍に握られて、日本政府としては一事が万事、連合軍最高司令官マッカアサ−、GHQにお伺いを立てなければいけない、という状況下での戦後処理である。日本から帝国軍人が消滅した途端に、歴史の正面に浮上してきたのが日本の官僚制度と、その官僚たちの手腕である。
日本の帝国軍人の組織というのも官僚機構そのものである。
軍官僚といわれるように、軍の上層部というのは、官僚そのものであったが、戦後の日本で、戦後処理をした官僚といのは、軍官僚とは異質の行政官僚であったわけである。
戦時中は、これら行政官僚の出番というのは薄かったが、敗戦ということで、軍人の出番がなくなると、これら行政官僚が手腕を振るうチャンスが生まれたわけである。
旧帝国軍人の資質が劣っていたから日本が敗けたというわけではなかろうが、軍人というのは、戦うことが職業であるわけで、そういう軍人に政治の主導権を渡したところに我々、日本人の過誤があったわけである。
それに引き替え、行政官僚というのは、もともとがコ−デイネイタ−の素養を持ち合わせているわけで、戦争以外の国難の処理には、その能力を十分に発揮したものと思う。
戦後、我々は、連合軍の占領の賜として、戦後民主主義というものをアメリカから移植されたわけであるが、その中での国政選挙で選出される国会議員というのは、選挙という洗礼を受けることはあっても、本人の学識経験を問われる、という意味の試験というのはありえないわけである。
その意味からすると、戦後の国会議員というのは、一種の人気投票で選出されるが、官僚というのは、国家公務員である以上、国家試験というものを通過してきているわけである。その意味では、戦前の官僚も、同じような経緯を踏んで官僚になっているわけで、その経緯の中で、人間に関する科学という意味で、軍人の受ける教育よりも、官僚が受けてきた教育の方が幅広い自由度があり、視野の広い観点でものを見、判断する事が出来ると思う。

41名古屋:2012/04/12(木) 13:46:02
ここから最重要

教育改革について

今の人々には信じられない事かもしれないが、この終戦、敗戦の際に、我々が受けたアメリカン・デモクラシ−というものを一番顕在的な姿で継承しているのは自衛隊だと思う。特に、航空自衛隊ではないかと思う。
陸上自衛隊、海上自衛隊というのは、旧軍の残滓を引きずっているところがあるが、航空自衛隊というのは、旧軍の伝統というものが一切存在しない組織であるが故に、アメリカン・デモクラシ−という気風を一番色濃く残していると思う。
というのは、日米安保条約で、航空自衛隊というのは日常的にアメリカ空軍と接触しているわけで、その意味で、アメリカン・デモクラシ−の意味を一番継承している組織ではないかと思う。
その具体的な例として、レベルに合わせた学校で、業務上の教育というものを実施し、その評価の仕方が点数主義ではなく教育の効果を見るという発想にいかされていると思う。我々、日本人の学校というものに抱く概念というのは、点数の良い者が優秀であるという認識であるが、そういう概念を超越して、教育の効果を計るという目的でテストが実施される、という意味では我々にはない発想が生きていると思う。
この発想の違いは、日本の教育とアメリカの教育に関する発想の違いだと思う。
戦後の日本で、教育制度もすっかりアメリカナイズされたように我々は思いがちであるが、文部省の行なっている今日の学校制度というのは、やはり日本人が日本人に行なう教育の枠を逸脱する事無く旧態依然とした枠組みである。
ただ6・3・3制という表面の変化のみである。
これは戦後のGHQの命令を、日本の文部官僚が上手にスポイルして、GHQの要求す教育の民主化ということを、根本を変える事無く、表面のみ変えたようにGHQに見せ掛けて、その実、我々の基本的な概念まで変革することを回避した結果ではないかと想像する。確かに、戦後の教科書は、GHQの命令で、今までの教科書に墨を塗ってその場を切り抜けた、つまり民主教育をしている振りをしたわけである。
しかし、あの当時の状況を考え合わせれば、教育の基本にまでおよぶ概念の変革までは、我々の手におえなかったのではないかと思う。
しかし、今述べたように、航空自衛隊の業務に関する教育の課程では、教育の概念そのものがアメリカナイズされているわけである。
そこで行なわれるテストというのは、個人の適性を判断するものであったり、教育の効果を計るテストであったりで、点数の良い者を選抜する意味のものではない。
この発想の違いというのは、同じデモクラシ−という考え方のうえにたって考えると、大きな違いである。
我々はGHQから教育の民主化を命令されたにもかかわらず、表面のみの改革で、真の民主化ということはせずにおわってしまったわけである。
これが同じような民主主義のアメリカと、戦後の日本の教育の違い、となって表れているものと思う。
戦後50年たった時点で、日米双方とも教育の荒廃が起きていると思う。
日本の荒廃は初等教育に表れ、アメリカの荒廃は高等教育に表れていると思う。
見方によっては、これはあべこべになっているのかもしれない。
日本では高等教育が荒廃し、アメリカでは初等教育が荒れているのかもしれない。
終戦で、アメリカ軍が真っ先に心配したことは日本の神道の復活である。 
天皇制を頂点とする日本の神道が日本をあれほどまでに戦争に駆り立て、神風特攻隊として、自らの命を顧みることなく、アメリカの軍艦に飛び込んでくる日本の精神主義を恐れていたわけである。
占領で日本に進駐してきたアメリカの軍人にとって最も恐かったのは、そういう日本人の精神主義であったに違いない。
その精神主義の培養に、日本の教育が深く関わり合っている、と彼らは思い込んでいたものと思う。
あの時点で、日本の教育というのは、改革の時期に到達していたと思う。
極端な国粋主義の吹聴とか、軍国主義の鼓舞という事が、学校の教育の現場で行なわれるという実態は、いかにも教育の荒廃そのものである。
今時のように、教育の荒廃という場合、生徒の側の荒廃ならまだ可愛い面があるが、教育をする側が、軍国主義を宣伝慰撫するような教育というのは、行政サイドの改革の時期にきていたわけである。
その背景には、軍人の専制政治ということが横たわっていた、という状況は理解し得ないでもないが、そういう状況に、戦前の文部官僚が何一つ抵抗しなかった、というとろに文部官僚のひ弱な面があったわけである。

42名古屋:2012/04/12(木) 13:48:21
ということは、何度も繰り返すが、国民の側に、戦争に協力することが国策遂行に貢献することである、という今の価値観で言えば間違った概念があったわけである。
そういう概念で固まった文部官僚が、GHQの「民主化教育にせよ」という改革の司令を検討吟味した結果、表面上の制度の改革のみで、民主教育の中身の概念の改革にまで考えが至らなかったことは致し方ないと思う。
第一、彼らにしてみても、アメリカの教育がどういうものであるのか、というとがわからない以上、それ以上の改革はありえなかったに違いない。
いきおい目に見えるところの改革で、その場を糊塗したわけである。
それまでの我々の教育というものに対する概念というのは、先生という一段偉い人が、生徒に知識を授けるという概念であった。
そしてテストというものは、優秀な成績をとったものを選抜し、他を振るい落とすための手段であったわけである。
しかし、アメリカで行なわれている教育というのは、生徒に知識を如何に上手に分け与えられるか、という教える側の問題であり、教えるテクニックの問題であったわけである。これは理にかなった考え方であると思う。
教えを受ける側は、知らないから教えてもらいにくる訳で、そういう子供を前にして、点数の悪い生徒を抱える、ということは教える側の責任の問題となるのが道理であると思う。子供の知能が千差万別である、ということは普遍的なことで、物覚えの早い子供もいれば、遅い子供のいることは世の常である。
日本の古来の教育というのは、物覚えの悪い子供は切り捨てて、早い子供を引き上げるというシステムになっていたわけである。
戦前のように、子供のうちでも全部が学校にいかない時代ならば、これでも通用したかもしれないが、時代が下がって、児童の全員がなにかしらの学校にいく時代になると、当然落ちこぼれの問題が生じてくるわけである。我が民族の普遍的な性癖として、付和雷同という気風がある。
そして、その不和雷同を、国家が率先して推進するという面がある。

43名古屋:2012/04/12(木) 13:48:52
教育の問題にもそれが如実に表れているわけで、戦前の日本の教育制度には、まだ個人の能力と家計の状況に合わせて選択の幅が広かったが、戦後の我々は、GHQの教育改革を真に受けて、それこそ文字どおり猫も杓子も高等教育を望むようになった。
だから一部の革新的な人々が唱えているような、高校全入という非現実的なスロ−ガンが罷り通るようになったわけである。
人は何人であろうとも高校を卒業すべし、という考え方は、人間の尊厳を無視した考え方である。
それは勉強の嫌いな子供、学校教育についていけない子供の人権を無視した暴論である。その考え方の裏には、今時高校を卒業していない人間は人間ではない、という差別意識と裏腹の考え方である。
人は高校など卒業していなくても、立派に社会に貢献することは出来る、という考え方を否定しているにすぎない。
中学生の全員を高校に入学させることが教育の民主化である、と勘違いしているわけである。
ここに義務教育というものに対する認識と、教育の民主化の違いが真に理解されていない理由が潜んでいるわけである。
義務教育の本質は、あくまでも読み、書き、算盤の段階でいいわけで、これが十分浸透していれば、国家としての知的レベルというのはかなり高水準で維持されると思う。
中学生の全員を高等学校に入学させる、という考え方は世間のム−ドをストレ−トに反映した付和雷同的な主張にすぎない。
高学歴社会というものが、一種のム−ド的な雰囲気の中で世間に浸透し、それを先取りしたつもりで、一部の進歩的な人々が、高校全入という主張をしているにすぎないと思う。今の日本が高学歴社会になった、というのは基本的に日本が豊かになった証拠であると同時に、戦前の日本が軍国主義一色で塗りつぶさられたのと同じ社会的要因の結果だと思う。戦前の日本男子が、ことごとく軍人、特に職業軍人に憧れたのと同じで、戦後の日本というのは、軍人の社会がビジネスマンの社会となり、その中で立身出世に一番手取り早い手段は、高学歴でビジネス界に参入することである。
我々、日本人というのは、そういう嗅覚を民衆レベル、大衆レベルで敏感に感じとることが出来る民族で、今、世間で何が一番注目を集め、身を処すのに有利か、という展望をかぎとるわけで、その表れが戦前の軍国主義であり、戦後の経済復興を超越した高度経済成長である。
中学生の全員を高等学校に入学させよ、という主張は、こうした潜在的な潮流に便乗した主張であり、人間の基本的要因を無視した主張である。
人にはそれぞれに基本的な生れ乍らの生き方があり、思考力、知的好奇心、判断力、記憶力等、差があるわけで、それを全く画一的に総括して、人たるもの全員高校を卒業すべきである、という論調は暴論以外のなにものでもない。
しかし、こういう暴論をも世間に発表できる、という土壌はマッカアサ−が行なった改革、占領政策の結果であることは疑う余地がない。
我々は、マッカアサ−と、彼の率いるGHQによって、あらゆる価値観を引っ繰り返されたが、その中でも、教育の民主化ということが今日の社会にも大きく影響している一つである。
しかし、我々の民主主義と云うものは、あくまでも外圧によって強制された感が拭い去れないわけで、真の民主主義とはかなり違った、日本式の民主主義になってしまっている。教育の問題でも、全員を高校に入学させることが教育の民主化である、という風に思い違いをしているわけで、民主主義というものと平等主義というものが混乱してしまっていると思う。     
全員を高校に入学させる、という発想は平等主義に他ならない。
何でも平等にすればそれが民主化である、という考え方は根本的に間違っている。
これは人間の個性というものを無視した、人権蹂躙に値するもので、真の民主主義からは程遠いものである。

44名古屋:2012/04/12(木) 13:51:30
教育の本質


我々が真の民主主義というものを真に理解し得ないのは、民主主義というものが、所詮、外来の考え方であるところにその根源があると思う。
民主主義というものが、仏教の伝来と同じように、または漢字の伝来と同じように、今日、日本で普遍的に考えられてきていると思っているものでも、その根源が外国に根ざしているところに真の理解がえられない理由があると思う。
特に、今日の我々の規範となっている資本主義を標榜する一方で、民主主義というのは人間の「業」の部分を内在している、という現実を無視して、理想論の中での民主主義であるので、理念と現実のギャップが大きすぎるわけである。
戦後の教育の民主化の中で、一番大きな考え方の変化というのは、教育を受ける側の自主性の尊重ということだと思う。
小学校の段階から、この自主性の尊重ということで、活発に意見を云うことが求められてきたわけであるが、これは裏を返せば、我儘な主張を尊重するということであり、我々が古来美徳としてきたところの、謙譲の精神、控えめな態度、と云うものを真っ向から否定するものである。
でしゃばりのおっちょこちょいが、大きな声で騒げば、それが評価されるということである。いかにも付け刃的な思考である。
世の中で、本物が姿を消して、偽物が蔓延すれば、その偽物が本物と認知されかねないわけである。
それが今日、戦後50年を経た日本の民主主義の本当の姿ではないかと思う。
戦後の教育の民主化で強調された自主性ということをもう少し掘り下げて考える必要があるのではなかろうか?
もともと初等教育をはじめ、高等教育においても、教育とか学校という概念のもとでは、知らないことを教える、つまり知識の切り売りが基本であるはずである。
教える側と教えられる側、というのは歴然と対比した立場であるはずである。
先生という立場は、教える立場に撤しなければならないし、生徒というのは、教えられる立場、知識を授けられる立場であるはずである。
アメリカ人、占領時代のアメリカにおける教育の基本をなしていた考え方というのは、初等教育の段階では、先生の教えるテクニックとして子供に自由に発言させて、子供同志の会話の中から、先に習得した生徒が遅れて習得しようとする生徒に影響を与えることを期待した、子供同志の自主的発言を尊重したものであって、その発言の後ろ盾には、成熟した大人の監視のもとでの自由発言、という意味がこめられているに違いない。
ところが我々は、その自由発言の部分のみ見て、子供の自主性を重んじなければならないと、早とちりしたわけである。

45名古屋:2012/04/12(木) 13:52:16
世界中に生きているあらゆる種族、民族でも、教育の問題というのは、次世代を担う大事な問題である、という認識は共通しているわけで、それ故に、各民族で、それぞれに知恵を絞っているわけである。
アメリカの教育の荒廃ということは、日本より早い時期に到来したわけである。
どこの主権国家でも、教育が荒廃するということは国力が直接的に反映していると思う。国力の衰退が、国民の意欲を喪失し、それが教育現場に跳ね返ってくるわけである。
そして、生徒はその被害者であり、先生の堕落がそれを助長するわけである。
今日の日本での教育現場での最大の課題は、いじめの問題だと思うが、これを教育の問題としてとらえるところがすでに異質である。
人間社会が人間の集団とすれば、人間の集団では、いじめの問題というのはついて回るわけで、それを素直に受け入れようとしないところに頭でっかちな人間像が浮かんでくるわけである。
いじめで中学生が自殺する、世間もマスコミも、これを教育の問題として取り上げようとしているが、これは教育の問題ではなく、人の生き方の問題である。
ある意味で、その人の運命であり、その中学生の寿命であるわけである。
人がいじめに会うたびに死んでいたら、人の命などいくつあっても足りないわけである。今、生を受けている人々は、そのいじめを自分の力でいくつも乗り越えて生きてきた人々で、いじめという云い方をするから教育の問題にすり変わるのであって、人が乗り越えるべき人生のハ−ドルだとすれば、これは個人の問題にすり変わるわけである。
いじめを克服する、というのも人生の大きなハ−ドルであるはずである。
こういう問題がクロ−ズ・アップされるようになった背景というのは、いわゆる平等主義で、人と争うことを否定したところにあると思う。
一つ殴られたら殴り返す、という人間としての基本的人権を「悪」としたところに、中学生の自殺の問題が潜んでいると思う。
人に殴られても殴り返すことが「悪」だと教えられた中学生は、自分の忿懣を爆発させるところを失うわけで、それが内面化して、自殺という自己逃避に陥るものと思う。
戦後の日本の教育で、一番問題なのは、義務教育の段階から、生徒の自主性を尊重するという大義名分のもとに、管理教育を否定するところにあると思う。
尤も、今日の管理教育というのが別の目的から行なわれているところに問題があるが、初等教育に対して、一定の管理が必要である、という認識には一部の知識人というのは強行に反対している。
初等教育の段階で、生徒の側に自主性を認める、というのはいささか民主主義というものをはき違えた考え方だと思う。 
人間の形をしているから幼児も死にかけの老人も一様に基本的人権がある、という考え方は基本的に間違っていると思う。
だから殺してもいい、という極端な思考は論外であるが、幼児につぐ児童、未成年者というのは、成熟した大人の保護のもとで、その監視のもとでの自主性ということを考えなければならないと思う。
いじめの問題で、先生が生徒と一緒になって葬式ごっこの仲間に入っていたというニュ−スがあったが、当時のマスコミというのは、葬式ごっこの部分に焦点を合わせて糾弾していた。

46名古屋:2012/04/12(木) 13:52:55
生徒の発案でそのゲ−ムが行なわれていてすれば、その事自体は、戦後の教育理念からすればそう的外れなことではないと思う。
問題があるとすれば、ゲ−ム感覚の授業の方がよほど問題である。
だからといって、小学生や中学生に、謹厳そのもののような授業をしたところで、生徒がついてこないのは火を見るより明らかであり、ゲ−ムを通しての教育というものは認めるとしても、その後には、一般常識に則った成熟した大人の監視が存在する、ということが重要なことである。 
先生が生徒と同じ知的レベルに下がってしまってはならないということである。
戦後の日本では、資本主義的自由主義体制のもとで、全く自由な環境の中での理想的な教育というものは、基本的に落第と飛び級を認めたエリ−ト教育こそが理想であると思う。その意味で、日本の戦後の教育というのは、とびきりのエリ−トを養成するよりも、底辺のレベル・アップを図る、という趣旨に撤していたように思う。まさに平等主義である。それでいて、片一方で個性の尊重という矛盾したことを唱えているわけである。
生徒の個性を尊重しようとしたら、優秀な生徒はどんどん先に進ませなければならないのに、その方はお座成りにして、成績の悪い生徒に集中的に知識を切り売りし、記憶させようとする、ところに大きな矛盾があると思う。
尤も、優秀な生徒は、学校サイドの教えを待つまでもなく、自ら自分の道を開拓する、ということは言えるので、その方からの問題提起はないに等しいわけである。
しかし、教育費の公平なる負担、という平等主義の観点からすれば、優秀な生徒は軽く、出来の悪い生徒は、教育費というものがより多く掛かっているわけである。
資本主義体制のもとで、自由競争の観点にたてば、教育も自由競争であって然るべきである。
優秀な生徒はどんどん先に進み、遅れた子供は、それにふさわしい教育を受けることが出来る、というのが本当の意味での教育の民主化ではなかろうか?

47名古屋:2012/04/12(木) 13:54:17

教育の問題を考えるとき、戦前、戦中の記録映画とか、テレビの画面でみる学徒出陣の映像は今日どうのように考察すればいいのであろう。
昭和18年、大学や旧制高等学校、専門学校の生徒に対する徴兵猶予が停止され、明治神宮外苑で行なわれた出陣学徒の壮行会で、雨の中を、学生服にゲ−トルを巻いて行進する大学生に、東条英機が檄を飛ばしている映像は、当時の国民の感情に強く訴えるものがあったものと思う。
あの時、行進に参加した学生は、心の内に何を秘めていたのであろうか?
あの映像に出てくる顔というのは、今の日本人からは消え失せた如何にも凛凛しく、逞しく、国を思う心がにじみ出ているように見受けられる。
今、あの映像を見るかぎり、あの当時の大学生が、真剣にアメリカとの戦争に勝とう、と思って参戦したものと思う。
戦後「きけわだつみの声」という反戦の趣旨の本が出版されたが、あれはこういう学徒出陣の手記を列記したものであるが、それが昨今、あの手記は、反戦の部分のみ抜粋したものである、という意味の発言があった。
つまり、あの手記の本にならなかった部分には、時の国家、体制側に迎合した部分が隠されていたというものである。
庶民としての学生が、時の国家、その時の体制に迎合する、ということはある意味では民族の尊厳にかかわることで、常に反体制が立派な事であるとは限らないと思う。 
第2次世界大戦では、日本の学生のみが国家に貢献してわけではなく、アメリカでも、イギリスでも、ドイツでも、およそ主権国家たる国民は、それぞれの国家に忠誠を尽くしたわけである。
主権国家の国民たるもの、それが当然の義務であったわけで、日本人だけが特別に悪かったわけではない。
しかし、戦後の民主教育というものは、国民が国家に対して滅私奉公することは「悪」である、という間違った考えを植え付けようと画策したわけである。
しかし、最高学府で、思考力も判断力も人並み以上であるべきその当時の大学生が、嬉々として戦場に向う、という姿は私の受けた戦後教育では理解できないものがある。教育概念の違い

48名古屋:2012/04/12(木) 13:55:53
そういう印象からして、私は先の太平洋戦争、大東亜戦争というのは、当時の日本国民の総意によって、それを軍部が代行したのではないか、と想像する所以である。
政治と国民が遊離していた、という事実は否めないが、その遊離する過程において、日本人の庶民、一般大衆は、軍部が、我々の願望を満たしてくれるのでないか、という希望に基づいて、軍部の独断専行を事後承認するのにやぶさかでなかったのではないかと思う。その過程において、文部省が軍の要望を受け入れる、青少年を軍国少年にしたてあげる、軍国主義に基づいて、天皇を頂点とする日本神道を強制する、という過程があったのではないかと思う。
我々が安易に軍国主義に陥ったのは、突き詰めれば、日本が貧しく、封建制度の意向から真に脱却しえず、近代化と封建制度の狭間に位置していたからだと思う。
明治憲法というのは、その前の封建制度を根本から否定するものではなく、その封建制度の全面否定というのは、マッカアサ−とGHQによる占領政策になってからの改革で初めて日本は封建制から脱却したわけである。 
戦後教育の最大の効果というのは、日本の封建制度を打ち破ったという事ではないかと思う。
日本の封建制度というのは、個人の尊重よりも、家の存続を尊重するという面があったわけで、その家の概念を壊したのが他でもない戦後民主主義であったわけである。
家の概念を打ち破ることと、真の民主主義とは基本的な部分で大いに違うわけである。
その最大の相異点というのが、個人と家の関係であろうと思う。
戦後の日本の民主主義というのは、この個人の尊重という点が、今まで家を中心に考えられてきた生活信条から脱却した点であろうと思う。
しかし、日本においては、封建制の打破という思考も、自らの民族の力で成し得たわけではなく、アメリカ占領軍の押しつけがましい政策によってそれが成されたわけで、その意味で、日本の戦後民主主義というものは、いわば接木されたようなものである。
よって、元の木の部分を引きずって今日に至っているわけである。
そこに日本の民主主義がいびつになり、時には平等主義に成り代わってしまう不思議さが潜んでいるわけである。
戦前、戦中の日本社会が、封建思想に凝り固まったままで近代化という西洋の真似事に現つを抜かしたところに敗戦という起死回生のチャンスが来たわけである。
日本の家制度というのも、封建時代にはそれなりの整合性はあったわけで、社会の生産基盤が農業であるかぎり、封建制度というのは、農業を継続するための合理性に富んでいたわけである。
つまりは、農業の生産性を維持するためには、長男にのみ財産を継承し、私有財産を子供の数に分配することは、農業の生産性にとってはマイナスの要因であったわけである。
戦後、我々が高度経済成長を経ていくらか豊かになると、農家の次男三男は、近代工業に従事することにより、また農業の近代化により、農業に人手がいらなくなったので、家制度よりも、個人の尊重というか、個人の価値観が見なおされたわけである。
これは事象が逆になっているのかもしれない。
つまり、戦後の貧困の中で、農家が次男三男を養うことが出来ないので、その人々が都会に流入して、高度経済成長を支えたというべきかもしれない。
農家の次男三男が家を出る、ということが個人の尊重というデモクラシ−の本質を促したのかもしれない。
それは同時に、家制度の崩壊という現象であり、民主主義に一歩近付いた、ということかもしれない。
戦後の教育現場では、この民主化と平等主義が複雑に入り交じって、大きな混乱を呈したわけである。
敗戦という一大パニックで、価値観が混乱した事は否めないが、庶民レベルで眺めてみれば、マッカアサ−やGHQが大きな教育改革を実施した、という面と同時に、農家の次男三男の離農という問題も影の要因になっていたものと思う。
戦前、戦中の封建主義の時代には、一家の主人というのが絶大な権力を持っていたわけで、その頂点に天皇陛下が存在したわけである。

49名古屋:2012/04/12(木) 13:57:03
いきおい、学校教育というのも、その範疇で教育が行なわれ、親に孝行することが天皇陛下にも仕える事である、という天皇制と日本神道の合体した教育が行なわれたわけで、その中には個人の尊重ということは片鱗もなかったわけである。
戦後の教育で一番の過誤は、個人の尊重という場合、子供も一人前の個人と定義したところに大きな矛盾があるわけである。
初等教育を受けているような幼児、ないしは児童にまで、一人前の大人と同じ人権があると、誤認して教育をしようとしたところに大きな過ちが潜んでいたものと思う。
だから、子供の自主性を重んじよ、という一見耳障りのいい発言が一世を風靡するようなことが起きたわけである。
今日、学校現場でいじめの問題が起きると、学校に非難が集中するが、いじめの根源は、いじめをする家庭の中の親の教え、躾の問題である。
第一、いじめを受ける子供の親というのも、幼少の頃にはいじめを受けていたかも知れないのに、自分の子供がいじめを受けていることを親に言わなかった、と悔悟しているが、そんなことは人の子であってみれば当然のことである。
小中学校の子供の問題だと、何もかもが学校の責任に転嫁する風潮があるが、この頃の子供の問題というのは、すべからく親の責任である。

学校側としては、親の責任である、ということはっきり言う必要があると思う。
学校側の教育がすべていいとは言いきれないが、学校の責任と、親の責任をもう少しはっきりと区別して論評をすべきである。
子供と大人の境界線をどの時期に線引きするか、という問題は色々論議もあろうかと思うが、一応常識的には18才で選挙権を持つようになったら大人とみなしていいかと思う。それまでの子供のトラブルは、すべてその両親の教育や躾の問題とみなしていいと思う。戦後の民主教育というのは、この親の責任をすべて学校に負わせようとしている。
その根源は、戦後の学校教育ではPTAの存在にあると思う。
生徒と、先生と、両親というのは密接に関連していることは非の打ち所がないが、学校教育に、学校の授業に両親の存在というのは不合理である。
人間形成という意味の教育には、この3者がお互いに関連しているという論理は整合性があるが、学校の教育現場に、両親の存在というのは不必要である。
PTAの存在というのも、その対象が幼稚園のようなものなら意義があるが、小学校や中学校の生徒にまで、教育について親の介入を認めるということは、親としての教育とか躾の問題をも学校に負担させようという発想である。
だから学校の外での問題まで学校側に責任を負え、という発想につながるわけである。
子供を育てる、ということは親だけでは、社会人としての、また個人の能力を引き出す面において不十分であり、どうしても学校という公共施設での教育ということが必要であるが、学校で教えるべきことと、親として当然教えるべき事、というのははっきりと分別することが必要である。
今、問題となっているのは、当然、親として教えておくべきことまで学校に肩代わりさせよう、とするところに公共教育の大きな矛盾があるわけである。
いじめの問題で学校サイドが右往左往するのは、教育委員会の存在が気に掛かるからであろうと思うが、この教育委員会という制度も、GHQの占領政策の置土産である。

50名古屋:2012/04/12(木) 13:58:47
戦前の文部省の教育には、この制度がなかったが故に、軍国主義の吹聴に教育の場が利用されたことの反省から生まれたものと推察するが、これもアメリカの制度のコピ−そのものだと思う。

アメリカの制度をそのまま日本に導入しても、民主主義の根源が大きく違うので、そのままでは日本では機能しないわけである。
故に日本的に改良が加えられるわけであるが、それがまた一段と異質な民主主義というものを作り出すわけである。
アメリカの自治というのは、文字通り、自ら住民が政治を行なう、という趣旨で出来ているわけである。
よって教育についても、特に公共教育については、地域の住民がその教育の規範を決め、その規範に則って、我々は地域住民にこういう公共教育を提供しますというものである。その規範の中には、学校で教える内容に関するものから、学校で教える部分と、家庭で躾ける部分の使い分けの部分も当然あると思う。
よって、自分の住む州と、隣の州では教育内容が違うということはある思う。
その違いは、教育委員会の考え方の違いであるはずである。
日本の教育委員会の制度も、基本的にはアメリカの制度を模倣、ないしはコピ−したものであるので一応各県単位になっている。
そして初期の頃は、この委員の選定が公選であったものが後には任命制になった。
つまり、民主主義的に一歩後退したわけである。
我々、日本人というのは、自らで作り上げた民主主義とか自主という概念が希薄である。アメリカのように、豊かな国土に渡り移って国家を作る、という経験を持たない我々は、古来より、綿々と、長老という先住者の支配とか統制を受けて民族が生存し続けたわけで、自治という観念、概念というものが不得手である。
自らの教育を、自らの発想でコントロ−ルせよ、と言われてもそう方策が見当らなかったに違いない。
だから制度のみ、言われるままに教育委員会を作り、6・3・3制の学校制度を作ったものの、その運用に至っては試行錯誤の連続であったに違いない。
それを当局側に立って眺めれば、教育委員会なるものも文部省の言うがままの教育方針を追従するのが一番無難な生き方であったわけである。
このお上の言うことに黙って従うことが、文部省の国家管理を助長し、軍国主義を吹聴した根源であることに気が付いた一部の人々は、ここで少々の抵抗を試みた結果が、各県で多少の教育方針の違い、となって今日に至っているわけである。
今日、学校側の一挙手一投足を、教育委員会が生殺与奪の権利を握っているような感がある。
アメリカの制度をそのまま真似ても、日本にはアメリカよりも長い大和民族の歴史があるわけで、システムのみ導入しても、それがそのまま通用しないわである。
よって、日本流に運用するわけであるが、これを教育に限って言えば、文部省の廃止ということになってしまう。
教育に関して、各県の教育委員会が自信と情熱をもって教育に専念すれば、文部省という国家機関は不要となるわけである。
こうした、真の意味での独立独歩のデモクラシ−、住民の自治、というのは我が国土の住民には馴染まないと思う。
戦前の日本人も、戦後の日本人も同じ大和民族である。
戦前の日本人が教育の場では国家による統制に翻弄された結果が敗戦という一大エポックを招いたにもかかわらず、我々は、国家という概念なしでは生きてはいられないわけである。

51名古屋:2012/04/12(木) 13:59:25
戦前は教科書も一科目について国定教科書は一種類しかなかったが、戦後は数種類の中から教育委員会が選定したものを選択するというシステムになり、ある意味では民主化ということが言えるが、それよりも前に、出版業界の救済処置のようなものである。
戦前の日本経済というのは、軍国主義のもとで産業全般が軍需産業に傾斜していたが、戦後は軍需産業というものが皆無になったわけで、民間の企業活動を支援するためには、この民主化という方策が産業界に活路を付けたようなものである。
その意味で、民主化が産業復興に貢献しているという構図が成り立っているように思う。敗戦直後のマッカアサ−と彼のGHQによる日本の民主化というのは、教育ばかりでなく、日本の社会制度のあらゆる部分にまで至っているわけで、教育の民主化というのは、その一環にすぎない。
その民主化の恩恵を一番受けたのは他ならぬ日本共産党と共産主義者である。
言論の自由と、思想・信条の自由と、教育の民主化により、共産主義者と、その同調者というのは、戦後社会的生存権を与えられたわけで、暴力を肯定し、ク−デタ−で社会改革を起こそう、という政党が他の政党とともに生存権を与えられたわけである。
そして、これらの思想が教育現場にも浸透してきたということである。
その結果として、教育の現場が、労働組合として労働争議の場となったことである。
この時代の教職員というのは、公務員として薄給であったことは否めないが、公務員というのが高級を取る時代の方が本当は間違っていると思う。
しかし、今日では公務員の方が民間企業よりも高級を取る時代になっている。
そこに戦後50年の時代の変化を感じ、官民格差の是正が叫ばれる所以である。
戦後の諸改革で、共産党や共産主義者が、他の民主的なまたは穏健な思考をする政党とともに市民権を与えられると、戦前の反動として、これらに理解を示すことが進歩的であるという一種の錯覚が世間を風靡し、我々の民族の基本的民族性であるところの付和雷同により、猫も杓子も擬似共産主義者になってしまったわけである。 
これは戦前の我々がことごとく軍国主義者となり鬼蓄米英撃ちてしやまん、と叫んでいたのと同じ現象である。
大衆というのは、事ほど左様に頼りない存在である事を我々は心して覚えておくべきである。
これが国民のコンセンサスの実態であることを肝に命じて忘れてはならないと思う。封建制度とその時代の考え方が、敗戦という一大パニックでまったく価値観を失い、新しい民主主義という価値観に置き変わったとき、人々の精神的混乱は計り知れないものがあったろうと想像できるが、こういう状況下では、共産主義というものが地盤を築く最良の環境であったことは否定できない。
人々は、食うものもなく、住むところもなく、職業もなく、ただ日々の糊塗をしのぐが精一杯の時代に、理念や、理想や、希望を語ったところで何の足しにもならなかったことは頷ける。
しかし、我々の諸兄は、そういう状況から立ち上がったわけで、その結果として今日があるわけである。
戦後の復興というのは、私自身の成長と軌を一つにしているわけで、幼少の頃、小牧の小便臭い映画館で見たニュ−ス・フイルムに写しだされた戦災孤児の姿を見て、自分と同じ年ごろの子供がああして街頭で寝起きしているのを見るにつけ、自分の境遇が何とも幸福に感じられたものである。
決して豊かな生活をしていたわけではないが、少なくとも私には、両親と住む家があったわけである。

52名古屋:2012/04/12(木) 14:00:02
そんなことを子供心にも感じた時代があったわけであるが、今、毎日新聞が発行した「戦後50年」という写真集を見ると、その頃の状況が写しだされている。
あの戦災孤児というのは、その後どういう人生を送ったのであろう。
それを知りたいと思って、図書館からそれに関連した手記を借りだして読んでみたが、手記というのは、所詮、手記の域を出ておらず苦労話の連続であり、私に直接感動を与えるものは少なかった。
考えてみれば、今生きている大人、少なくとも、私の世代以上の大人というのは、太平楽に生きてきた人はいないわけで、生まれて50年以上も生きながらえれば、苦労話の一つや二つは抱えているわけである。
私自身の人生を記すだけでも、それなりに変化に富んだ物語り、というものは出来上がるわけで、今に生きている人々、特に、私の世代以上に生きた人々は、それぞれが波瀾万丈に富んだ人生を歩んできたに違いない。
敗戦後50年足らずにして、我々の国は世界に冠たる経済大国になったが、それは、国民一人一人の波瀾万丈の人生の集大成があったわけである。
戦後の我々は、武力行使による国際摩擦の解決という手段を一切放棄することにより、ただただ生きんがために、食わんがために、日夜自分の仕事に精を出すことにより、期せずして経済大国になってしまったわけである。
しかし、戦後50年という時間の経過からして、ここらで自分自身の世界における立場、というものを深く反省する時期に至っていることは確かである。
50年前の、敗戦直後の日本というのは、軍事力はもとより経済力も無に等しかった。
地球上では、ただの4つの島からなる東アジアの小さな領域にすぎなかった。
戦勝国のアメリカは、この太平洋に浮かぶ小さな島を、反共の砦として、不沈空母として、守ることに自信と活力に満ちていた。
しかし、50年、半世紀という時間の経過とともに、この小さな4つの島は、世界経済に大きな影響力を示すようになってきた。
我々は、地球上のあちらこちらで小さな紛争が絶え間なく続いているにもかかわらず、経済のみに専心していれば、この地球上にトラブルは起きないと思い込んでいた。
ところが、今では、我々の知らないうちに、日本が地球規模の経済に大きく関わり合っていることを知らなければならない。
我々は、日本の経済だけを心配していれ済む時代を通過してしまって、今では、我々の経済活動が、世界に、または地球規模で、どういう結果をもたらすのか、ということまで考慮しなければならないほど日本の経済力が大きくなったことを悟らなければならない。
我々は、経済活動で全世界を制覇するとか、地球規模で全世界に経済戦争をする、などという野心は毛頭ないわけであるが、これも我々の思い込みで、日本以外には、そのことを真剣に危惧している人々もいるわけである。
我々は、戦争を放棄した以上、経済活動で生きていかなければならない、と思い込んでいるが、この考え方そのものが我々の思い込みに他ならない。
地球規模で世界に住む人々のことを考えると、その人たちにとっては、日本が普通の国になって、戦争をも容認して、時と場合によっては、彼らと共に戦場に赴くことを期待している人々の存在を知るべきである。

53名古屋:2012/04/12(木) 14:00:48
日本は戦争を放棄しているので一切の武力行使には加担する気はありません、では通用しないし、世界が日本に期待するのは、経済力に応じた武力行使のリスクを負う、という気概であって、経済力にかまけて世界の富を買い漁りる事ではないということである。
戦後50年経って、日本には貿易の黒字が貯まって貯まったしょうがない。
それは円の高騰と云うことも大きな要因である。
終戦直後には1ドル360円であったものが、今では1ドル80円ぐらいで上下しているわけである。
ドルの値段が5倍になったわけである。
これは日本の国内産業、特に輸出産業にとっては大きな痛手のはずであるが、日本の企業は、こういう試練を生産性の合理化でいとも簡単に克服してしまったわけである。
本来ならば、日本の輸出産業は、値段をそれに合わせてアップしなければならないのに、合理化でその円高の部分を吸収してしまうか、生産拠点をアジア等に移してコスト・ダウンを計ることによって、こうした試練を克服してしまったわけである。
日本が貿易立国でやっていかれるのも、世界秩序というものが、自由貿易を是認する、という安定した状況下で機能しているわけで、その安定が崩れた場合、世界が日本に対して経済力に相応したリスクを要求してくることは火を見るより明らかである。

54名古屋:2012/04/12(木) 19:44:57
マスコミの異常な嘘   

国の経済問題を語るのは非常に難しいことです。なぜなら多くの人は
個人の財布と国の財布を同じ感覚で捉えているからです。

経済学者、財務省、政治家、経済評論家のほとんど誰もが財政赤字
について語り、そしてほとんど誰もが原則的にそれに反対しています。
ところが誰一人として自分自身、口にしていることが分かっていません。

「国の財政負債1千兆円」という巨額の数字の前では誰もが思考停止に
なってしまい、国の破綻を想像してしまいます。

国の借金1千兆円という数字は単に長面上に積み重なった意味の無い
数字だといったら反論が5万と来そうです。そこで理解していただく
ためにまず金融政策の要である中央銀行(日本銀行)の役割について
考えてみましょう。

イギリスの中央銀行は1844年に設立され、日本銀行も1882年(明治
15年)に設立されました。つまり維新政府はそれまで租税を組織的に
徴収する力もなく無税国家だったのです。

だから明治政府は巨額の財政支出のほとんどを直接紙幣を発行して
まかなっていたのです。

明治政府は政府紙幣を発行してインフラストラクチャー整備や諸産業へ
の融資で企業を育て、戊辰戦役の戦費や日清戦争の準備金などで巨額の
紙幣を剃りました。そのうえ廃藩置県にともなう旧藩の藩札等の償還
なども、巨額の通貨を発行したにもかかわらず、当時はインフレにも
ならず、むしろ物価は安定していました。

イギリスやフランス、ドイツをお手本にしていた明治政府は明治15年に
中央銀行を作り通貨の発行業務を移管しましたが中央銀行はまだ通貨量
を調整する権限を持っていません、つまり政府主導で中央銀行の独立性
は担保されていませんでした。

だからいくらでもお金を印刷できたために明治政府は超スピードで西洋
に追いつき、近代化を成し遂げることができたのではないかと、私は
思っています。少し極論です。

現在中央銀行のない国はありません。中央銀行は通貨量を調整する権限
を持つために各国においては大きな影響力をもっています。

しかしどこの国においても政府は完全雇用と好況を求めているために
中央銀行に対して金融緩和をもとめることになりますが、中央銀行に
政府の要求を断る権限がなければインフレーションになる可能性がある
と誰もが考えました。

そこで先進国では「通貨の番人」としての権限を持たせるために中央
銀行を政府から独立させたのです。つまり現代においては中央銀行の
独立性が低かったり、インフレ抑制に積極的でなかったりする国の通貨
は信認されにくいという考えになりました。

ところがサブプライムローン問題やリーマンショックで世界大恐慌の
入口に立った欧米は、中央銀行の独立性など構っていられなくなり、
政府の意向でお札を大量に刷り,大恐慌をかろうじてふせぎました。

しかし不思議なことに欧米先進国ではこれほど大量にお金を刷ったではこれほど大量にお金を刷ったにも
かかわらずインフレがおこりませんでした。

ひるがえって日本を見た場合、中央銀行(日本銀行)の独立性が多大の
弊害をもたらしています。EUが2倍強、アメリカが3倍の通貨を刷った
にもかかわらずインフレを恐れた日本は1.5倍しか発行しませんでした。
日本は円高になりデフレスパイラルを加速させたのは当然の結果です。

そこで今日の本題に入ります。紙幣を直接発行していた維新政府は
財源を誰かに借金するという概念そのものを特に必要としなかった。
ところが明治政府は先進ヨーロッパを見習って、直接紙幣を発行する
システムを廃止し、中央銀行が間接的に紙幣を発行するシステムに
変更しました。

明治政府は税金を徴収する組織を急速に整えましたが、それでも財源が
たりません。通貨発行で直接まかなう事ができなくなった政府は不足
する資金は国債発行(借金)に頼る他ありませんでした。

その借金(国債)を銀行、保険会社、個人などの市中から調達する場合,
市中における通貨流通量が変わらないために、インフレが起こりにくく
なるというのが先進国の考えです。

今までの説明で少しは国の借金の正体が見えたのではないかと思います。
つまり通貨を直接発行出来た維新政府がもし今日まで続いて入れば借金
はゼロです。その代わり超インフレになっていたかもしれません。

55名古屋:2012/04/12(木) 19:45:47
国の自国通貨建て国債発行(借金)は国民の資産です。政府の1千兆円
の借りている相手は日本国民です。国債発行が円建である限り何も恐れる
事はありません。中央銀行(日本銀行)を設置した時から国の借金(国債)
が増えて行くのは当たり前の運命です。現に欧米先進国でも借金が増え
続けています。

日本は帳面上の借金が増え続けると同時に本当に価値ある対外純資産も
増え続けています。対外純資産は国が直接使えるわけではありませんが、
日本企業の力は日本国の余裕です。そして1991年以来20年連続で世界
最大の債権国になっています。

その上個人の金融資産が日本銀行作成の資金循環統計によれば1500兆円
という巨額です。つまり日本は「世界最大の大金持ちの国」なのです。

あ〜それなのにそれなのに、愚かで勉強しないマスコミは今日も「国の
借金は世界中で最悪の水準にある。普通の家庭なら、破産寸前である」と
書いています。

56名古屋:2012/04/12(木) 19:47:55
経済の無知は国を滅ぼす 

前回は、「初期の明治政府は中央銀行がまだ設立されていなかった為に
直接紙幣を発行していた。だから国の借金という考えもなかった」と
国の借金の正体を書いてみました。

しかし前回の説明では疑問がいろいろ沸き起こってきたのではないか
と思われます。

おそらく一番の疑問は「国債の発行は借金ではない、自国通貨建ての
国債なら何も恐れることはない」と書いた事に疑問が黒雲のように沸き
起こってきたと思われます。

「それでは国債をこのまま発行し続けて借金(国債発行額)が国民の
金融資産である1500兆円を突破すればどうなるのですか?」
現実には戦争でも起こさない限り国民の金融資産を超えることはまず
ありえません。

何故なら政府が国債によって手に入れたお金を使うことによって再び
国民の手元に帰ってくるからです。そして再び銀行にあずけることに
なります。現に政府の借金(国債発行)が膨らむと同時に国民金融資産
も増えていっています。それ故「国の自国通貨建て国債発行(借金)は
国民の資産である」と言えるのです。

そして政府の発行する国債は市中だけで買うのでなく日銀が直接引き
受ければ政府はお金に困ることはありません。つまり国民と政府の間で
お金がぐるぐる回るだけなのです。

長期国債の「日銀引き受け」には国会の議決がいることになっていますが、
短期国債なら国会の承認はいりません。つまり市中の状況や銀行の行動
とは全く無関係にいくらでも国債を日銀に引き受けさす事ができます。

この流れは一見複雑に見えますが初期の明治政府が直接お札を印刷した
事と同じです。つまり国債を発行することは間接的にお札を刷ること
なのです。

ということは自国通貨建ての国債発行は借金でも負債でもありません。
同じ負債でも個人や企業の負債とは中身が根底から違うということが
分かっていただけたと思います。

それではなぜ財政法が長期国債の「日銀引き受け」を国会の議決がなけ
れば禁止したのか?もし「政府が何のためらいもなく国債発行を続けれ
ば、財政規律が緩み、無駄な支出が増加する恐れがある」と西欧先進国
は考えたのです。つまり極端なインフレを恐れたのです。
それならば政府の国債発行(通貨発行量)が適正かどうかは何を基準に
判断すれば良いか?もちろんインフレ率です。

日本は20年間デフレが続いています。これは明らかに「政府がもっと
国債を発行して円を供給しろ」というメッセージです。政府は減税して
国債を大量に発行しなければいけないのに逆に公共事業を半減して消費
税をアップしようとしています。

日曜日のテレビ番組「そこまで言って委員会」で三宅久之氏は「西欧で
は消費税は15%〜20%、日本はまだ5%、このままなら日本は潰れてし
まう,消費増税10%は必要だ」と叫んでいました。三宅氏の政治的コメン
トではおおむね賛同していますが、このご老人は日本を破滅さすTPPも
賛成しています。経済に関しては老害だと言わざるをえません。

今までの話は、ややこしくしないために外国との取引を除外して思考
しました。もし地球上に日本という国しかなければ上記の単純な話で事
は済みますが、地球上には約200の国が存在して各国それぞれ自国通貨
を発行しています。

57名古屋:2012/04/12(木) 19:48:34
ここから少し日本から離れて世界の金融の流れ、金融の歴史を知らねば
理解することは難しいと思います。

北朝鮮という怪しい国ですら自国通貨を発行していますが、世界中の
誰もが北朝鮮の通貨では物を買うことはできません。ただの紙切れです。
北朝鮮が外国から物を買うには基軸通貨であるドルが必要です。
日本から買うときにはドルか円で支払います。だから以前はマッタケや
海山物を日本に売って円を手に入れていました。日本に存在している
朝鮮総連がパチンコで稼いだ円を北朝鮮にせっせと送金していました。

ドルを手に入れるには貿易で稼ぐ以外ありませんが北朝鮮は手っ取り早く
偽ドルを印刷しています。

このような偽札を作らさないためにも、また自国通貨を大量に刷って
暴走する歳出に歯止めをかけるために19世紀末には金本位制が国際的
に確立しました。

金本位制とは各国の中央銀行が保管している金と同額の紙幣を発行し、
金と紙幣の等価関係が保証されている制度です。

しかし1929年には世界大恐慌が起こったため、多くの国が金本位制
を離脱し、金の保有量とは関係なく通貨を発行する管理通貨制度に移行
しました。

第二次世界大戦後、アメリカは世界一の金保有量を誇っていたので、
米ドルが基軸通貨として金と並び,国際通貨になったため、再び金ドル
本位制(プレトンウッズ体制)が確立しました。

しかし1971年ニクソンは金とドルの兌換を禁止する声明を発し、金本位
制は完全に終焉を迎えました。貿易が増大し経済が膨れたために貨幣量
の制約では抗しきれなくなり、また有効な刺激策を打てずに不況が深刻
化したという認識が各国で一致したからです。

金本位制の縛りが無くなったアメリカは基軸通貨の強みでドルを際限
なく刷って超輸入大国になり、世界の総輸入額の20%近くを占めるまで
になりました。有難いことに、ドルは基軸通貨です。アメリカ政府は
ドルをどしどし印刷して、輸入代金を支払うことができます。

そのおかげでアジア諸国を中心にその他の新興国は対米輸出の増大で国
が発展し豊かになっていきました。06年まで5%超の成長を記録した
国は104ヵ国に達しました。このようにアメリカは世界中の国々を浮上
させる経済成長の大波を起こしたのです。

58名古屋:2012/04/12(木) 19:49:46
経済を知らない経済学者 

経済の話を3回連続で書いてきました。しかし私は経済学者ではありま
せん。それ故私の経済学は過去の著名な経済学者の思想に過度に影響
されることはありませんでした。常に一ビジネスマンのリアルな目で
世界経済を眺めてきました。

経済を研究している日本の学者のほとんどは過去の著名な学者の論や
経済用語を拝借して、うまくかみ合わないにもかかわらず、これらの
経済用語の持つ概念を日本の経済現象にはてはめて思考してきました。

そして日本の経済学者たちが現在の経済的低迷状態から我が国を脱出
させる方法についての声高で混乱した議論を聞くたびに私は常にいら
だちを感じてきました。

これらの経済学者たちの頭は国の経済と個人の経済の区別ができていま
せん。それ故いくら議論しても間違った答えしか出ないのは当然のこと
です。

国の財布を個人の財布でしか思考出来ない経済学者にとって「個々人に
とって悪であることが国の場合には美徳でありうる」と言っても理解は
出来ないと思います。

そして日本人が直面しているもっとも大きな問題は、新しく登場した世界
経済秩序の最も注目されることについて描写したり説明したりするときに、
経済学者のほとんどがイギリス・アメリカの伝統的な学問を土台にして
発言していることです。

今日、世界経済が大きく変質している状況のなかで彼らの言語は時代遅れ
になっていることに全く気がついていません。

医学や科学の世界では過去の研究の土台の上に現在の新しい知識が
積み重なって発展していきますが、経済はそうではありません。過去の
古びた経済知識では今日の変質した経済を理解することは不可能です。
むしろ日本では時代遅れの経済学はトンデモナイ障害になっています。

現在の硬直した日本の経済学者は16世紀にコペルニクスが唱えた地動説
を信じる事が出来ずにいまだに天動説を信じているようなものです。
空を見れば太陽や星は東から出て西にしずみます。地面が動いている
ことなどまったく感じません。地球が止まっていて天が動いていると考
えるのは知識のない当時としては当然の思考です。

しかし困ったことに日本の経済学者や財務省の人たちは天動説的な発想
しか出来ないことが問題なのです。だから天動説の財務省の指示で動か
されている馬鹿な野田首相は「国の借金は1千兆円」「国はもうすぐ
破産する」という時代遅れの天動説を信じてしまったのです。

そして日本の中枢にいる東大や京大のエリートたちやエコノミストが
発する「普通の家庭なら、破産寸前の借金体質」というセリフに国民
全てが暗い気持ちにさせられてしまいました。

政府の債務が経済的苦境の物差しではないばかりか、それと何ら明確な
関係もないということを理解できない学者は経済の重要なことについて
語る資格はありません。

4月7日の産経新聞の{日本の未来を考える}として伊藤元重東大教授
のコラムが載っています。「私のような経済学者から見れば今の日本の
財政状況を見て、危機感を覚えないのは不思議だ。消費税の引き上げも
出来なくてはどうしようもない」と愚かな増税論を書いています。

政府が長年のデフレである景気後退に直面して、帳面上の債務と財政赤
字を抑える目的で公共事業を半減して、税収維持のために税率を引き上
げれば、国のビジネスや経済全体に対する影響は重大なものになる事が
理解できない人は経済学者とは言えない。

毎日財布の中身と相談しながらスーパーでお買い物をしている主婦に
等しい、と言ってもけっして誇張ではありません。

消費税を上げれば会社はその顧客を失うことになり、その顧客は政府
自体でもありえようし、あるいは増税や政府支出の削減でその購買力が
減らされた一般市民ともいえます。

ところが驚くほど多くのエコノミストや政治家たちはまさにそのような
政府支出削減や増税に賛意を表しています。

この人たちは一体いつになれば「国の国債発行は借金ではない」「国の
借金は問題ではない」ということが理解できるのでしょうか?

つまり国債発行権(通貨発行権)こそ個人と国家の根本的な違いであり
通貨発行権を持つ政府に金つまりになることは起こり得ない。
円建ての借金しか持たない日本政府には借金を返せなくなるという心配は
全くないということがなぜ経済学者には理解できないのでしょうか?

物事は必ずしも目に見えるとおりではないということにきずかない
日本の経済学者たちを見れば、まさに群盲象を撫ぜるというインドの
寓話を思い出します。

59名古屋:2012/04/12(木) 20:55:50
 あるヤクザの親分!

1,あるヤクザの親分、金筋の親分だ。
チンピラでは、ありませんよ!
2,一生懸命、一人で、静かに神社で、拝んでいた。ボディガードの子分たちは、ビシッとスーツを着て、回りを警戒していた。
3,明日は、死ぬかもしれない。
4,博士は、たまたま、その神社の傍を、歩いて通っていた。
いかにも黒塗りの車、カタギなら、すぐ判る。
5,ボディガードたちは、まだ若い。
まだ、イケイケ、ドンドンだ。
しかし、何度も修羅場を駆け抜けてきた、
親分は、そうではない。
経験が、格が違うのだ!!!
6,その親分は、神社で、真剣に、神に、祈っていた。
その祈りは、神は、知っていた。
7,貧しい子供時代、
虐げられた、いじめられた、子供時代。
砂を噛むような、世間の差別。
8,力だけが、唯一、生きる術、だった。
9,いいですか、諸君!
なんと、神は、知っているのですよ。すでにね。
10,カルマが、カルマの結果が、なんと、今世で、その親分に、顕現しているのだ!!!
神は、知っていて、放っているのだ。
11,いいですか、
神は、放っているのです。カルマが、今、その親分に、出ているのだ。
良い悪いでは、ありませんよ。
過去のカルマが、今、その人の状況なのだ。
12,神の道に入ると、
ドット、カルマが、あなた方に出る。
今まで、溜まっていた毒が、いっぺんに、あなたに出るのだ。
13,では、神は、一切、助けないのか???
そんなことはない!
神は、、すでに、あなたを、知っているので、あなたに相応しい、方法で、教えるのだ。
ゆえに、一人一人、神は、違った方法で、なんと、あなたに、教えるのだ。
憶えておきなさい、
神は、あなただけに、あなた独自に、あなたに合致した方法で、教えるのであり、隣に座っている、隣で、聴いている、オッサンに、言っているのでは、ありませんよ!!!
生半可な、気持で、神の道に、入っては、いけませんよ。
いいですか、いったん、神の道に、入ったら、決心したら、オンナの、腐ったような、泣き言は、通用しませんよ!
神が、あなたを、いいですか、殺すのですよ!!!

60名古屋:2012/04/12(木) 21:02:56
宗教にのめり込む、間抜け!

宗教にのめり込む、間抜け!
1,何でも、鵜呑みに、信じてはいけない。
所謂、世俗信仰は、無条件で信じるから、騙されるのだ。
詐欺師の手口なのだ。
信じなさい、そうすれば、救われる。
高額を寄付しなさい、そうすれば、救われる。
アホなんですよ!救われません!
一刻、安心感がでるだけ(大爆笑)。
2,理性的な信仰姿勢には、科学的な、論理的な考察が必要なのだ。
3,過去、他で、よく言ったが、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、仏教、ヒンズー教、神道などなど。それぞれの神は、違うのかいな???
いいですか、それぞれの宗教の、最高神ですよ。
最も、最上位の、神は、
それぞれの宗教で、違うのか?
なのですよ。
2番目の神では、ありませんよ(爆笑)。
4,それぞれの宗教の最高神が、もし、違っていたら、いいですか、最高神が、2神存在するのですよ。
論理矛盾なのだ!!!
この簡単な、事例が、理解出来ない、アホ!
いや、うちの神のほうが、上や、いやいや、オレの方の神の方が、上や。
病気やね(爆笑)。
5,宗教になると、論理も、理性も、放り出す、アホたち!
6,宇宙の運行は、論理的に、制作されているから、人類が、衛星を打ち上げたり、ロケットを、飛ばして、軌道上に、衛星を、のせれるのですよ。
科学計算、数学的計算が、出来るから、火星まで探査衛星を送れたんでしょうがなあ! 
その宇宙を、作ったのが、神でしゃろうがなあ!(大爆笑)。
神に論理性、理性、知性が、無かったら、この宇宙は、規則的に、運行はされない。
当たり前の話や、ないか。7,アホは、宗教の話になると、この理性を、放り捨てる(爆笑)。
理性があるから、科学が、発達したのだ。
したがって、理性なき、独断の思い込み、の、アホは、悪想念、自我の、操り人形なのだ。
ゆえに、いつまでたっても、アホなまま!!!(爆笑)。
神でも、釈迦でも、救えないがなあ!!!(爆笑)。珍念は、理性的な自己判断能力を、自己決定権を、
放棄したから、未だに、信じたまま、信じるですよ、盲信、信じこむ、という、誤った、やり方をしたから、いまだに、アホなまま、なのだ!

61名古屋:2012/04/12(木) 23:31:48
4次元時空理論とタイムトラベルの知的冒険



「西方向に航行する飛行機の中に置かれた時計は,逆方向に進む飛行機に置かれた時計より早く進んでいることを知っていましたか?最近まで知りませんでした。東に向かって飛ぶ飛行機の乗客の時間は,西に向かって飛ぶ飛行機の時間より進みが遅い。勿論わずかな時間の遅れです。これをホーキンズ博士は「双子のパラドックスー矛盾ー」と呼んでいます。」

タイムトラベルのパラドックス

神戸大学・理学部 松田卓也

バックトゥーザフューチャー

タイムトラベル(時間旅行)というのは、多くの人の夢であろう。実際、有名なH.G.ウエルズの「タイムマシン」(1895)をはじめ、多くのSFなどで取り上げられてきた。タイムマシンは時間的に過去や未来へ自由に旅行できる機械のことで、航時機などと訳されている。日本では小松左京の「地には平和を」などがタイムトラベル小説の代表であろう。映画でもいろいろ取り上げられてきたが、代表的なものにマイケル・J・フォックス主演、ロバート・ゼメキス監督の「バックトゥーザフューチャー・シリーズ」があげられる。

 タイムトラベルに関してもっとも有名なパラドックスは「親殺しのパラドックス」である。タイムマシンに乗って、自分が生まれる前の過去にさかのぼり、自分の親を殺すと、自分はいったいどうなるのかという逆説である。「バックトゥザフューチャー」(1985)では、親殺しのパラドックスが少し違った形で登場する。映画ではマーティーという高校生が主役である。彼はマッドサイエンティストのドクが発明したタイムマシンである自動車デロリアン号に乗って過去にさかのぼる。そして、マーティの父と母の高校生時代にたどり着く。父親となるはずの若者は恥ずかしがりで、なかなか母親となる女性に近づけない。それどころか、母親になるはずの女の子は、自分の未来の子供であるマーティーにほのかな恋心を寄せるのであった。両親が結婚しないとマーティーは生まれない。映画では、その危機が迫ると、マーティーの写真が薄れていくというように表現してあった。しかし、こんなことで問題は解決しない。写真が薄れようが、マーティー本人は厳然といるのだから。マーティーは、そこで未来の父親と母親の仲を取り持とうとする。映画ではマーティの努力は実を結び、両親はめでたく結ばれるのであった。


 「バックトゥーザフューチャー2」では、マーティーは今度は未来へと飛ぶ。そこで見かけた「スポーツ年鑑(1950−2000)」を持ち帰る。それで未来のスポーツの結果が分かり、大もうけできると考えたからだ。ところがその年鑑は悪い友達に奪われ、歴史が改変されてしまう。友達が大金持ちになり、マーティーの父親は死に、母親は悪い男と再婚させられる。マーティーは歴史を元へ戻すべく、活躍をはじめる。

未来へのタイムトラベル

 バックトウーザフューチャー2では未来へ行って未来の情報を持ってくるのだが、行くことは必須ではない。未来に自分が行かなくても、居ながらにして未来の情報だけを知ることができれば、未来のスポーツの結果は分かるはずだ。だから競馬などで大もうけできることは確かである。そこで私はタイムマシンを二つに分類したい。人間を含む物体を時間を超えて未来や過去へ送るタイムマシンを物体移動型のタイムマシンとよぼう。それに対して情報を未来や過去に送る機械、これを情報移動型のタイムマシンと呼ぼう。

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 タイムラベルの別の分類として、未来へのトラベルと過去へのトラベルがある。このなかで、未来へのタイムトラベルには原理的な問題は存在しない。冷凍睡眠という技術がある。人間を低温状態で保存して老化を防ぎ、未来に再生するという方法だ。ロバート・ハインラインの「夏への扉」というSFは冷凍睡眠を利用して未来へ行き、自分を裏切った恋人と友人に復讐しようと言う話である。SFレベルではなく、不治の病になった人を冷凍睡眠させて、その病気の治療法が開発されているであろう未来へ送り込むことを真剣に考えたり実行したりしている金持ちがいる。これは未来への物体移動型のタイムマシンである。

 未来への情報移動型のタイムマシンとしては、タイムカプセルというものがある。たとえば1970年に開催された日本万国博覧会のときにタイムカプセルが埋められた。最近、保存状況を調べるために発掘されたと新聞記事にあった。また実際、未来へのメッセージを送るためのタイムカプセルを販売している会社も存在する。これは未来への情報移動型のタイムマシンであり、ここに物理的、論理的な問題点は全くないことは容易に理解できよう。問題が生じるのは過去へのタイムトラベルなのである。

ウラシマ効果と双子のパラドックス

 冷凍睡眠やタイムカプセルは、真の意味でタイムトラベルではないと思われる人がいるかも知れない。真の意味で未来へタイムトラベルする物理的方法は存在する。それは特殊相対論によるウラシマ効果を利用する方法である。これは後に述べる、過去へのタイムトラベルでも利用される。特殊相対性理論では、高速で移動する物体に積み込まれた時計は遅れるという効果がある。実際、飛行機に原子時計を積み込んで、この効果を確かめた実験も存在する。大気上空で宇宙線と空気分子が衝突してミューオンという素粒子が発生する。ミューオンの寿命は非常に短く、たとえ光の速さで走っても地上には到達しないはずである。ところが地上でミューオンは観測される。その理由は、ミューオンが光速に近い速度で運動しているために、ミューオンの時計が遅れ、地上から見ると寿命が延びたように見えるのである。そのため地上にまで到達する。このように運動する時計の遅れという現象は、完全に確立した現象である。このことをことさら強調するのは、なかにはこれが常識に反するから間違いであると主張する反相対論論者がいたり、そんな本が出回っていたりするからである。

 ここに非常に高速の宇宙船が存在するとする。それは光の速さの60%もの速さで航行できるとする。その場合、宇宙船上の時計の遅れは0.8にも達する。つまり地上での10年が宇宙船では8年にしかならないのだ。双子の兄弟がいたとして、弟は地球に残り、兄は宇宙船に乗って6光年離れた星まで宇宙旅行をするとする。6光年を光速の0.6倍の速度の宇宙船で行くと、地球から見て10年かかる。しかし宇宙線の兄の時計では8年しかたっていない。兄は目的の星に到着した後、すぐに反転して地球に戻るとする。兄が地球にたどり着いたときに、地球では20年が経過したことになるが、兄の時計では16年しか経過していない。つまり兄が弟より4歳若くなる。これがウラシマ効果である。

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 ここで双子のパラドックスについて少し説明しよう。上で述べたウラシマ効果は奇異な感じがする。なぜなら地球に残る弟から見れば、兄は光速の6割で運動して、その時計が遅れるかも知れないが、兄から見れば、地球と弟が反対方向に光速の6割で運動していることになるので、時計が遅れるのは弟のほうではないかという疑問が生じる。ポイントは兄が目的の星で宇宙船の方向転換をするところにある。この時点で兄とそのロケットは大きな加速運動をする。そして大きな見かけの重力を感じる。しかし弟と地球は、兄の方向転換時に加速運動をしないし、見かけの重力も感じない。つまり兄と弟は完全には相対的ではないのである。双子のパラドックスの解説に関しては、本書の佐藤勝彦さんの解説を参照のこと。私は雑誌パリティの「相対論の正しい間違え方」と題する連載記事で双子のパラドックスを詳細に解説している。(松田卓也、木下篤哉、2000年03,04号)

 さてウラシマ効果を用いれば、未来へのタイムトラベルは可能であることはすぐに分かる。先の例では、兄は16年しか経過していないのに、20年先の地球にたどり着いた。ロケットの速度を上げたり、行き先の星までの距離が増えると、ロケットと地球の時間差は、原理的にはいくらでも大きくすることができる。浦島太郎が竜宮城から戻ってみると数百年たっていたという話は、原理的には不可能ではない。竜宮城は海の下ではなく、遠くの星にあったのではないだろうか。

ブラックホールとワームホール

 未来へ物体や情報を送り込むことに、なんの原理的問題もないことが分かった。問題は過去へ物体や情報を送り込むことである。これは一見不可能であるように思えるが、原理的には可能であると主張する物理学者もいる。その中でも有名なのは、アメリカの相対論の大御所であるキップ・ソーンである。彼はワームホールを用いたタイムマシンを1988年にフィジカル・レビュー・レターズ誌で提案した。

 一般相対性理論はブラックホールという奇妙なものの存在を予言する。これは重さの割には大きさが非常に小さなもので、重力が非常に強くなる。そこで光すらも、そのものから外へ出ることができなくなる。だからブラックな穴(ホール)なのである。ブラックホールは一般相対論がその存在を予言した非常に奇妙な存在ではあるが、宇宙にはたくさん存在していると考えられている。実際、X線星や活動銀河の中心核のいくらかはブラックホールの候補とされている。
 一般相対論はブラックホールのほかにホワイトホールというものも予言する。これはブラックホールとは逆に、重力はあるのに、何者もその中に落ち込めないと言う、さらに奇妙な存在である。もっともホワイトホールは理論的には存在しうるが、実際的には存在しないと言うのが普通の考えである。それはたとえば、熱が低温から高温に自然に流れることは、エネルギーの保存則とは矛盾しないと言う意味で、原理的にはあり得ても、実際的にはほとんどないのと同じことである。

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 さてそのブラックホールとホワイトホールをつないだものはワームホールといわれる。ブラックホールに飛び込んで、ホワイトホールから出ると、別の宇宙へ飛び出すことも原理的には可能である。

キップ・ソーンのタイムマシン

 普通ブラックホールには事象の地平面というものがある。これがあるワームホールは、問題のタイムマシンには使えない。なぜならワームホールを抜けることができないからだ。そこで何らかの方法で負のエネルギーを作り出すことができたとすると、事象の地平面のないワームホールを造ることが原理的にはできる。このワームホールは宇宙のある地点と、同じ宇宙の別の地点を結ぶトンネルのようなものである。宇宙を普通に航行すると、とても距離が遠いのに、ワームホールを通過すると、非常に近いということがある。SFによく使われるワープ航法というのは、このようなワームホールを使ったものが考えられる。宇宙船の速度は、ワームホール内では光速度を超えないとしても、外の宇宙から見ると、光速度を越えているように観測される。これは実は重大な問題で、後で述べるように、光速度を越えることが可能なら、タイムマシンが作れるのである。

 ソーンによるタイムトラベルの方法は、ウラシマ効果を利用するものである。何らかの手法で、負のエネルギーを作り、事象の地平面のないワームホールを造る。その一つを地球にとどめておいて、もう一方を高速度で宇宙旅行させ、遠くの星で反転させて再び地球へ戻す。するとさきほどのウラシマ効果のために、宇宙旅行した方のホールは時間があまりたっていない。そこで実験者はそのホールに飛び込み、地球においてあったホールから出てくる。すると過去へ戻れるというのである。

 この考えにはもちろん強力な反対もある。ソーンとならぶ相対論学者として高名な、英国のスティーヴン・ホーキングはその一人である。彼は時間順序保護仮説なるものを唱え、ソーンの言うようなタイムマシンはたとえできても爆発してしまって機能しないと述べている。

負のエネルギーとワームホール

 その問題を回避したとしても、ワームホールを造るには負のエネルギーが必要である。エネルギーがゼロである空間から正のエネルギーだけを引き出すことはできない。負のエネルギーとともにならば、エネルギー保存則に矛盾しないで、原理的には引き出すことができる。負のエネルギーというのは、質量が負であるから、重力が引力ではなく、反発力になるのである。そのためにブラックホールの事象の地平面ができるのを押さえることができる。ここで言う負のエネルギーはインフレーション宇宙論で現れるものとは異なる。

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 負のエネルギーは実際、1948年にオランダのカシミールによって発見されたカシミール効果によって、その存在が確認されている。帯電していない2枚の平行な金属板を置くと、それが引き合うという現象がある。平行板の間の真空に揺らぎが生じて、空間のエネルギー密度が負になったと考えられている。平行板の間隔が狭いほど引き合う力も大きい。実はここが問題になるのである。つまり大きな領域で大きな負のエネルギーを作ることはできない。量子論に特有の、ハイゼンベルクの不確定性関係とある意味で似ている。

 負のエネルギーを作る別の方法として、スクイーズド真空状態を利用する方法がある。これは強力なレーザー光で物質を励起して一対の光子を作り出す。この光子が真空の揺らぎを押さえて、空間に正エネルギー領域と負エネルギー領域を作り出すというのである。ここでも問題は、負のエネルギー領域を作ると、必ずそれに対応した、あるいはそれ以上の正のエネルギー領域ができてしまうことだ。負のエネルギーを、そう都合良く作り出すことはできそうにもない。
 
超光速通信

 以上の話は、物体を超光速で運ぶとか、過去へ運ぶ話であった。先に述べたように、情報だけを超光速で運んでも、タイムマシンを作ることができる。その可能性について述べる。情報を運ぶ最も速い手段は光、電磁波である。光の速さは光速と決まっているようなものだが、そうではないという実験がある。それはドイツのニムツ教授による1992年の実験である。マイクロ波を発生させて、それを二つに分離する。一方は空気中を伝わって検出器に届くが、他方は障害を通過して届く。電波は障害を波の形では通過しないが、量子力学で知られているエバーネッセント領域の中を通過する。量子力学的に言えば、光子がエバーネッセント領域をトンネル効果で通過したわけだ。ところがこの光子の速度が光速度を超えているという。この実験はその後、世界のいろいろのところで追試されて、現象自体は確認されている。その速度は実験によっては、光速の1.7倍であったり4倍であったりする。

 さて問題は一つの光子が光速度より速く伝わったかどうかではない。量子力学的に言えば、それは不確定性関係の範囲で可能である。問題は情報を光速度より速く伝えることができるかどうかである。情報を伝えない超光速はいくらでもある。サーチライトのビームを回転させる。そのビームの当たったところは、光の点が通り過ぎる。この光の点の速さは、それが到達する距離を大きくすれば、いくらでも大きくできる。こんな超光速はなんの情報も運ばないので、タイムマシンにすることはできない。先の実験で電磁波が超光速で伝わったとして、問題はその速度が位相速度か群速度かということである。情報を運ぶのは群速度だからだ。位相速度は光速より速くなったとしても、群速度がそうならない限り、情報を超光速では運べないのである。

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 NHKでも放映されたBBCの「タイムマシン」いう番組があった。ここではソーンがキャスターになって、彼のタイムマシンのアイデアを話し、ホーキングも出ていた。また負のエネルギーの実験も紹介された。その番組でニムツ博士も登場して、彼の装置を見せた。同じような実験をしたアメリカ系中国人のチャオ博士は、超光速現象は認めるものの、それは情報を運べないとする立場を述べた。それに対してニムツ博士は、マイクロ波にモーツアルトの交響曲第40番を載せて、それを障害を通過させた後、録音した。その音楽をパナソニックのテープレコーダで再生しながら、「モーツアルトはアメリカ人には情報ではないかも知れないが、ヨーロッパ人には情報である」という皮肉で応対した。

 この問題に関しては国際会議なども行われ、いろいろ議論されているようだが、決着はついていないと思う。もっともこの現象を利用して過去に情報を送ろうとすると、ニムツ博士も認めているように、地球からアンドロメダ銀河まで障害物をおいて、そのなかを電波を伝わらせる必要があるという。全くナンセンスである。ここでも分かることは、仮に過去に情報を送ることができたとしても、非常に近い過去、たとえば100億分の1秒前とか、であろう。意味のある過去に情報を送ろうとすると、非常に長い障壁を必要とするので、それを通過するには巨大なエネルギーが必要になる。負のエネルギーの場合と同様に、意味のある超光速を得るには、非常識に大きいエネルギーを必要とするのである。

熱力学第二法則と時間の矢

 ソーンのタイムマシンを含め、今までに提案されたすべてのタイムマシンには、時間の矢の考察がないことが筆者(松田)と東北大学の二間瀬敏史には不満であった。それで我々はタイムマシンに関する独自の考察をした。それを以下に紹介しよう。

 そもそもタイムマシンに意味があるのは時間に方向があるからだ。時間は過去から未来に流れると感じられる、いわゆる時間の矢が存在する。人間は過去の出来事は変更できないが、未来の出来事は自由意志で選択できると信じている。昨日の夕食のメニューは変更できないが、今日の夕食に何を食べるかは自由である。過去の記憶はあるが、未来の記憶はない。

 いっぽう時間と対比して空間には、前も後ろも右も左も区別なく行くことができる。つまり空間はその方向に関して対称的である。しかし時間は後ろに進むことができず、常に前進しかない。タイムマシンがあれば強力だと思われるのは、このように時間に方向性があること、つまり時間が非対称的だからだ。時間を逆行できるタイムマシンができたら、昨日の夕食のメニューを変えることができるかも知れないのである。

 先に述べたように人間の意識に関しては、過去と未来には圧倒的な非対称性がある。これを意識の時間の矢と呼ぶ。人間の意識だけではない。人間の歴史も、地球の歴史も宇宙の歴史もしかりである。これを歴史的時間の矢とよぶ。

 時間の過去と未来の非対称性(時間の矢)の原因に関しては、19世紀のボルツマン以来、長い研究と論争の歴史がある。今までの多くの議論は時間の矢の原因を、熱力学第二法則に求めるものであった。熱力学第二法則とは、熱は高温から低温の方向に流れ、その逆は自然には起こらないというものである。「自然に」というところが重要である。冷蔵庫では熱は内部の低温部から周りの高温部に流れているが、それは電力を供給して冷却器を動かしているからである。

 熱力学第二法則は明らかに時間の過去と未来を区別する、つまり時間の矢を導入する。この法則は他の物理法則と比べて異質である。熱力学第一法則とはつまりエネルギー保存の法則であり、これは自然界の基本法則であると考えられている。この法則をなにか他の法則から導出することはできない。それに対して第二法則は、他の物理法則から導出可能ではないかと考えられてきた。ボルツマンはそれをニュートン力学から導こうとした。しかしそれは多くの批判にさらされて成功しなかった。しかしボルツマンの研究を契機として、その後さまざまな研究がなされ、決着を見ないままに現在に至っている。熱力学第二法則は、他の法則から導出できない基本法則なのか、導出可能な二義的な法則なのか。多くの物理学者は後者の立場をとっている。

67名古屋:2012/04/12(木) 23:36:25

 なぜなら、物理法則の基本法則はほとんどが、時間対称的なのである。ニュートン力学、電磁気学、相対性理論、量子力学すべてそうである。時間対称とは、難しく言えば、時間の方向を反転しても、物理法則を記述する方程式は形を変えないことである。わかりやすく言えば、ある現象をビデオで撮り、それを逆回しにしても、そのビデオの映像は不自然ではないということだ。たとえば太陽を回る惑星の運動がある。それをビデオに撮り、逆回しして、太陽系を知らない宇宙人に見せたとしたら、特に異を唱えないであろう。つまり物理の基本法則には時間の矢はないのである。

 しかしガラスコップが机の上から落ちて粉々になる現象、たばこの煙が広がっていく現象、これらをビデオに撮り逆回しすると、明らかにおかしい。宇宙人でもそのおかしさはすぐに分かるはずだ。これらの現象に熱力学第二法則が関与しているのである。基本法則はすべて時間対称なのに、第二法則が関与する現象は、時間非対称的である。そして我々の身の回りでおきる現象の多くは、ビデオを逆回しすると不自然な現象、つまり時間の方向がある現象なのだ。

波動の矢

 時間の矢を示す自然現象として、もう一つ重要なものに、波動の矢がある。放送局のアンテナから電波を放出すると、その電波は「未来の方向に向かって」広がっていく(これを専門的には遅延波とよぶ。)決して過去の方向に向かって広がっては行かない。何を当たり前のことをと言われるかも知れない。しかしこれが当たり前ではないのである。先に述べたように電磁波を記述するマクスウエルの方程式は、時間に関して対称的である。すると未来に向かって広がる電磁波もあれば、過去に向かって広がる電磁波(先行波とよぶ)も同様にあってよいはずなのだ。過去に向かって広がるとはどういうことか。水の波で考えよう。水面に石を落とすと波紋が広がっていく。そして池の縁に達すると一部は反射し、一部は吸収されるであろう。これをビデオに撮り逆回しすると、池の周りから波がある一点に集中してくるように見える。これがつまり過去に向かって広がる波を、過去から未来の方向に向かって眺めた様子である。ところでこんな現象は、普通はないのである。マクスウエル方程式からは、先行波を排除する理由はないのに、自然界には存在しないのである。放送局のアンテナから放出された電波の大部分は宇宙に向かって広がっていく。もし先行波があれば、宇宙のかなたから電波が地球に集まってくることになるのだ。なぜ自然界に先行波が存在しないのか。それは熱力学第二法則から導かれるという説、それとは独立だという説などある。

68名古屋:2012/04/12(木) 23:37:06
松田・二間瀬のタイムマシン

 先にも述べたように、ソーンたちのタイムマシンには、時間の矢の考察が入っていない。もし時間の矢を考えないのなら、実はタイムマシンなんて比較的簡単に作れるのである。一つの電子を考える。これは過去から未来へと存在している。ところが電子が未来から過去へと存在したらどうなるか。それは我々の目からは陽電子と見えるということが素粒子論の知識から分かっている。陽電子、反陽子に代表される反粒子は、実はタイムトラベルしている普通の粒子であると解釈できるのである。

 そこでタイムトラベルするデロリアン号を作るには、反粒子を集めて作った反物質を材料にして、反デロリアン号を作ればよいのだ。反デロリアン号が過去から未来に存在することは、デロリアン号が未来から過去へとタイムトラベルしていることと解釈して問題はない。デロリアン号をタイムトラベルさせるには、具体的にはこうする。粒子加速器を用いて大量の反陽子、反中性子をつくり、それを集めて反原子核をつくる。それに陽電子を加えて反原子をつくる。反水素のほかに反鉄とか反ゴムなどもつくる。これらを集めて、もとのデロリアン号D1にそっくりのデロリアン号D3と反デロリアン号D2をつくる。このとき、D2とD3は対生成で作ったので、構造などは全く同じだが、材料はD3が物質、D2が反物質という点だけ異なる。反デロリアン号D2を他の物質と接触させないように大事に保管しておく。そして未来のある時点でデロリアン号D1と接触させる。物質と坂物質が接触すると、対消滅のため大爆発してエネルギーになってしまう。こうしてD1とD2は対消滅する。

 さてこれでタイムトラベルはできたのだ。どういうことかというと、デロリアン号D1が未来のある時点でタイムトラベルをはじめD2となる。それが過去のある時点で、タイムトラベルを中止して普通のデロリアン号D3になる。こう考えると、デロリアン号がタイムトラベルしたと解釈できるのである。

 ここで読者は疑問をもたれるであろう。そんなのはタイムトラベルではない。マーティーはどうしたと。そうマーティーをタイムトラベルさせるには、マーティと反マーティーを作らねばならないのである。そんなことができるわけはない。フランケンシュタインじゃあるまいし人権に反する。人間では問題が大きいので、ロボットで話をしよう。人間同様の知能があるロボットができる時代の話だ。そうするとロボットと反ロボットを作ることは、原理的には問題はない。

69名古屋:2012/04/12(木) 23:37:48

 しかし、このロボットのタイムトラベルは実は、魂のないロボットのタイムトラベルなのである。魂をタイムトラベルさせなければならない。具体的に言えば、未来から来たマーティーは未来の記憶を持っているのである。ここが重要な点で、先の知能のないデロリアン号とは本質的に違う点だ。タイムトラベルしてきたロボットには未来の記憶がなければ、常識的な意味でタイムトラベルしたと言うことはできない。

 そこでロボットに未来の記憶を持たせなければならない。どうするか。それは未来を予測してロボットD2の人工頭脳に入れておくのである。そうすると未来から来たと称するロボットD2は、未来はかくかくしかじかであるということができる。嘘臭い話しと思われるかも知れないが、矛盾はないのである。その未来予測が当たるかどうか。それは時間スパンが短ければ短いほど、良く当たるであろう。タイムトラベルするロボットが、狭い環境に閉じこめられて外界の影響が少ないほど、未来予測は当たるであろう。

 つまり松田・二間瀬流のタイムトラベルは、短期間、狭い場所に限定すればするだけ成功率が高くなるのである。ここにもハイゼンベルクの不確定性関係に似た関係が成立する。タイムトラベルの時間間隔をのばそうとすると、それだけ投入するエネルギー量を増やす必要がある。

 冷蔵庫は熱を低温から高温に流し、熱力学第二法則の時間の矢を逆転させているという意味では、一種のタイムマシンなのである。広い部屋を冷却するには、より多くのエネルギーが必要である。その関係と同じことなのである。私たちの主張は、タイムマシンを論じるには、時間の方向、つまり時間の矢のことを考えなければ意味がないということだ。

 タイムマシンを考えると言うことは、時間の本質を考えると言うことで、物理学だけでなく、生物学、脳科学、情報科学、哲学とも関連する実に奥の深い問題である。 


科学朝日原稿・「時間の矢」
                     
時間についての常識と、物理学における非常識

われわれは現在、過去、未来など時間に関してのさまざまな概念をもっている。しかしこういった概念は、現代の物理学と調和させるのが難しいといったら、驚かれるであろうか。

常識では、過去は過ぎてしまったことで、それを変更することはできない。未来はまだ存在していないので、自由意思によってある程度は変更できる。昨日の夕食は変更不可能だが、明日の夕食はどうとでも決めることが出来る。過去の記憶はあるが、未来の記憶はない。このように過去と未来は対称的ではない。この一見、自明と思われる事実も、物理学においては自明ではないのである。

70名古屋:2012/04/12(木) 23:38:30

時間は過去から未来のほうに向かって流れていくと、われわれの常識は告げている。この時間の非対称性をさして、英国の天文学者エディントンは「時間の矢」とよんだ。光陰矢の如しというくらいだから、時間の矢とはなかなかうまいネーミングである。時間の矢を物理学的にどのように説明するのか、というのが時間論の最大の問題である。

ニュートン力学の時間対称性

まずは、物理学の基本であるニュートン力学から考えてみよう。ニュートンの運動方程式において、時間t を-tに置き換えたとしても、運動方程式の形は変わらない。時間を含む部分が二乗の形になっているからである。このことをさして、ニュートンの運動方程式は時間反転に対して不変である、あるいは時間対称であるという。

ニュートンの運動方程式で記述される、例えば振り子の振動を考えよう。ここ では振り子に働く空気の抵抗とか、軸受けの摩擦は考えないとする。すると振り子は永久に振動を続けるであろう。この様子をビデオに撮り、それを逆回しする。ビデオを見ただけでは、それが順送りか逆送りかをいうことはできない。どちらの運動も自然だからである。つまりビデオを逆回ししたような運動も、ニュートンの運動方程式の解になっている。このことからして、ニュートン力学では過去と未来は対称的であり区別はつかず、時間の矢は存在しない。

しかし、空気の抵抗や軸受けの摩擦を考えると事態は異なる。振り子の振動は、もしゼンマイのような動力源がないのなら、やがて停止するであろう。そのようすをビデオにとり、逆回ししたら、それが異様であることはすぐわかる。止まっていた振り子がだんだんと大きく振れだすからである。この現象には、摩擦とか抵抗といったものが関与している。それはあとで述べる熱力学第二法則と関連している。熱力学第二法則まで考えにいれると、時間の方向性が発生する。そのことを、熱力学的時間の矢という。

ここで問題ととなるのは、空気の分子までニュートンの運動方程式にいれて解けば、それは完全に可逆(時間対称)であるはずなのに、どこで非可逆性(時間の矢)が入り込むのだろうかということだ。

71名古屋:2012/04/12(木) 23:39:10
その他の基本法則の時間対称性

ここまではニュートン力学について述べたが、事態は特殊相対論、一般相対論になっても変わりないのである。つまりアインシュタインの方程式も時間対称になっている。一般相対論で現れるブラックホールというものがある。これを時間反転したものはホワイトホールとよばれている。

ニュートン力学とならんで古典物理学のもうひとつの柱に電磁気学がある。その基本はマクスウエルの方程式である。この方程式も時間反転に対して不変になる。このことを分かりやすくするためには、電磁波の伝播を記述する波動方程式を考えると、これは2階の偏微分方程式である。この波動方程式を解くと、二種類の解が得られる。それを遅延解と先行解とよぶ。

池に石をなげいれると、波紋が外に向かって広がる。これが遅延解である。この様子をビデオにとり、それを逆回ししてみると、池の淵から波紋が、ある一点に集中してくるように見える。これが先行解である。先行解は過去に向かって波動が伝播していくと解釈することもできる。遅延解と先行解はそれぞれ、おたがいを時間反転したものになっている。遅延解も先行解も、波動方程式の解として、数学的にはどちらも許される。しかし、現実には先行解はない。もし電波の先行解があれば、過去に向かって通信を送ることができ、さまざまなタイムパラドックスを生じる。先行解を捨てて、遅延解をとるのは経験的な理由であるが、これを波動の時間の矢とよぶ。

ここまでは古典物理学であった。量子力学でも基礎方程式であるシュレディンガーの方程式は、時間対称である。電子の運動を記述するディラックの方程式も時間対称である。電子を考える。これを時間反転したもの、つまり時間を逆行する電子は、電子の反粒子、つまり陽電子とみなせる。このことはCPT定理から出てくる。

以上をまとめると、ニュートン力学、電磁気学、相対論、量子力学、いずれをとっても、その基本方程式は時間反転に対して不変であり、時間対称的である。つまり時間の過去と未来の区別は、理論そのものからはでてこない。

熱力学第二法則と熱力学的時間の矢

物理学の法則としては、もっと経験的なものも存在する。熱力学第二法則がその例である。「熱は温度が高いほうから低い方へ流れる、その逆は自然には発生しない」という経験事実を定式化したものが、熱力学第二法則である。もちろん冷蔵庫やクーラーでは、熱を低いほうから高い方へ流すことができる。これは系が孤立していなくて、外部から手を加えているからである。熱力学第二法則は、厳密に言えば孤立系、つまり外界との物質やエネルギーのやり取りのない系で成立する。熱力学第二法則は熱の流れのほかに、たばこの煙の拡散現象、摩擦現象などにも適用される。熱力学第二法則は、非可逆な現象、つまり時間的に非対称な現象を記述している。このようにして現れる時間の非対称性を熱力学的時間の矢とよぶ。

72名古屋:2012/04/12(木) 23:39:49

熱力学第二法則を、もっと定量的に述べたものがエントロピー増大の法則である。エントロピーとはクラウジウスという19世紀の学者が導入した熱力学的量である。これを用いると、熱力学第二法則は「孤立系のエントロピーは増大する(減少しない)」と言い表す事ができる。

ボルツマンによる熱力学第二法則の「証明」 19世紀末、オーストリアの物理学者ボルツマンは、熱力学第二法則を気体の分子運動にニュートン力学を適用することにより証明しようと試みた。そして一見成功したかにみえた。ところが、その証明の問題点をさまざまな人により批判された。

ボルツマンは統計力学を創始して、つぎのような結論に達した。エントロピーは確実に増大するのではなく、統計的に増大するのであると。つまりエントロピー増大の可能性は減少の可能性よりも圧倒的に高いと。そこで生まれたのが、ボルツマンによる有名なエントロピの定義式S=klogWである。ここでS,k,Wはエントロピー、ボルツマン定数、場合の数である。

こうすると、低エントロピー状態とは場合の数の少ない、特殊な状態である。一方、高エントロピー状態は場合の数の多い、ありふれた状態である。だから初期に特殊な低エントロピー状態にあれば、その後はありふれた状態に移る可能性が高いのは当然であろう。

しかし問題は、それではなぜ、初期の状態が低エントロピー状態なのか、ということである。それは宇宙が熱的に非平衡であり、そのような低エントロピー状態が用意できるからである。つまり問題は宇宙論にまで立ち入らねばならない。

進化の時間の矢

熱力学第二法則によれば、世界の状態はエントロピーの低い状態、つまりより整然とした秩序だった状態から、エントロピーの高い状態、つまりより秩序の無い状態に向かうはずである。ところが宇宙を見ると、宇宙初期の一様な状態から、銀河や星がうまれ、そのなかで惑星が生まれ、地球という惑星の上で生命が誕生した。生命も単純な単細胞生物から多細胞生物へ、低級な生物から高級な生物へと進化した。そして人間がうまれ、社会ができた。社会も単純な原始社会から、高度に発展した社会へと進化してきた。これらの事実は、エントロピーの増大というよりは、むしろ減少を思わせるものである。つまり宇宙全体のエントロピーは増大していくはずなのに、われわれのまわりではエントロピーはむしろ減少している。このような進化の方向を、進化の時間の矢とよぶ。これは、熱力学的時間の矢と矛盾しているように見える。

73名古屋:2012/04/12(木) 23:40:28
ベルギーのノーベル賞物理学者プリゴジンたちは、熱平衡から離れた系における熱力学、つまり非平衡系の熱力学を展開し、そこでは秩序があらわれることをさまざまな例からしめしている。問題は、われわれのまわりが熱的に非平衡であるということだ。そうであるからこそ進化がおこり、さまざまな複雑なものが発生しうるのだ。

宇宙論的時間の矢

われわれの回りがどうして熱的に非平衡かという疑問をつきつめていくと、宇宙の始めにまでたちいたる。宇宙の始まりは、高温、高密度の物質と光が一様に分布していた。通常の熱力学の常識では、この状態は熱平衡のはずである。すると、それ以上エントロピーは増大しない、いわば終局的な状態のはずである。ところが重力まで考慮に入れると、この状態は熱平衡どころか、それからもっとも隔たった状態なのである。重力まで考慮にいれた重力熱力学では、物質の密度分布は一様より非一様のほうがエントロピーが高いとされている。その究極はブラックホールである。宇宙は時間がたつにつれてブラックホールがごろごろある状態に進んでいくが、現在はその終局的状態からははるかに離れている。つまり熱 的非平衡な状態なのだ。このことが、地球、生命、社会の進化の根源的な理由である。

結論をいえば、物理の基礎法則は時間対称であっても、その方程式にかせられる初期条件、境界条件といったものが時間非対称であるので、時間の矢が発生するのである。もっとはっきりいえば、宇宙の初期状態が、熱平衡から隔たっていたからである。

世に擬似科学の種はつきまじ

筆者は科学朝日の4月号で、相対論は間違っているとする擬似科学説のいくつかを具体的に批判した。ところがそれが出版される前から、筆者のその議論を批判する本が出版されるしまつである。なんのことはない、筆者の文は擬似科学本の宣伝になり、かれらの飯の種になってしまっている。擬似科学者には、フリーライターといった人のほかに、物理学でない分野の大学教官も交じっている。かれらは専門書を勉強するのではなく、啓蒙書を読んで、それを誤解して、その誤解した理論を攻撃するというのがひとつのパターンとなっている。

74名古屋:2012/04/12(木) 23:41:07

最近、熱力学第二法則を批判する擬似科学書もでた。しかも筆者の本を半分読んで誤解して、批判しているのである。もっときちっと読んでから批判して欲しいなあ。でも具体的に筆者が反論すると、また疑似科学の飯の種になるのでこれで止める。パソコン通信のニフティサーブの科学フォーラム物理会議室、SFフォーラム超科学会議室、インターネットのfj.sci.physicsには、これら疑似科学本を批判する文が山のように投稿されている。日本の若者の良識は健在である。オウムばかりが理工系エリートの集まるところではないのである。

文献

「時間の逆流する世界・・・時間・空間と宇宙の秘密」松田卓也、二間瀬敏史著、丸善、1987年。

科学は言いっ放しではなく、観測、実験による実証が必要である。本書は時間 対称宇宙の実証可能性を論じた。ある疑似科学者は本書を攻撃しているが、本書 は知的冒険と考えるべきである。「時間の逆流のような問題を、そもそも問題と 考えるかどうかが問題である」とはホイラーの含蓄あることばである。

「時間の本質」松田卓也、二間瀬敏史著、講談社現代選書、1993年、熱力学第二法則と宇宙論の関係を論じた。

「皇帝の新しい心」ロジャー・ペンローズ著、林一訳、みすず書房、1994年、人工知能と物理学の関係を論じた大著。なかで著者独自の時間の矢の理論を展開している。それによれば宇宙の初期条件と終末条件の違いが、熱力学第二法則を規定しているとする。

「時間の矢、生命の矢」ピーター・コヴニー、ロジャー・ハイフィールド著、野本陽代訳、草思社、1995年、化学と生物における時間の矢も論じている。プリゴジンなどブリュセル学派の立場に立つ。

75名古屋:2012/04/12(木) 23:53:03
▽[大東亜戦争]硫黄島決戦
 昭和20年(1945年)2月19日、米軍が硫黄島に上陸します。よく、「沖縄は日本唯一の地上戦」といわれますが、これは誤りです。テレビでもまだ間違ったまま報道されます。もう少し言うと南サハリンや千島列島でも戦闘があります。日本領という定義だとペリリューなども該当するでしょう。
 
 栗林中将は昭和19年(1944年)5月に父島へ赴任し、米軍は硫黄島に来ると予見して、全長28キロに及ぶ地下陣地構築を指示します。サイパンの水際作戦は艦砲射撃による防御射撃を招き、意味が薄いと考え、ペリリューでとった内陸での防御を採択しました。 米軍は上陸したものの一発の銃弾も飛んでこない。島南部の飛行場占拠を目指し進みます。そして日本軍の隠蔽陣地から猛射を浴びます。進めばいつの間にかどこからともなく猛射を浴びる。ロケット弾が「ヒュー」という音を立てて飛んでくる。あまりの惨状に発狂する米兵が続出したといいます。
 
 木更津からは神風特攻隊「第二御楯隊」が組織されます。
定森中尉
「敵艦に体当たりする一瞬は二百七十分の一秒ぐらいだという。敵艦の二百メートル前からが二秒、自分は何とか笑って突っ込めそうだ。単機で巨艦上の敵兵一千以上に挑むのは男冥利につきますわ」
 第二御楯隊は空母サラトガ、護衛空母ビスマルク・シーに突入。サラトガは大破戦場離脱、ビスマルク・シーは轟沈。護衛空母ルンガ・ポイントほか輸送船らも大火災を起こします。これに硫黄島の守備隊が呼応して米砲兵陣地を猛射し、夜間には米爆薬庫を襲撃し爆破に成功しました。
 
 しかし、日本軍は次第に戦力を消耗していき、3月17日「帝国海軍万歳、勝利を確信す」の電文が海軍の最期になります。3月18日には栗林中将から最期の電文が大本営に入電されます。
 3月16日米軍は硫黄島の占領を正式に発表。「26日と9時間の戦いで海兵隊戦死傷者24,127人、その歴史百六十八年で最も厳しかった」
 
 3月26日、栗林中将、市丸少将らは最期の突撃を敢行。この奇襲は成功し、米軍の戦闘機整備隊と工兵大隊を殺傷し、建設大隊や野戦病院、米軍トラック30両を爆破炎上させました。結局斬込隊262名が戦死。翌27日までに栗林中将を初め陸海軍の司令官と幕僚は自決して果てました。
「硫黄島」を書いたビル・D・ロス
「硫黄島は集団の勇気および個人の勇気が問われたランドマーク(画期的事件)であった。その戦いは、人類がおそらく二度と目撃するとは思えないほど強烈なものであった」

76名古屋:2012/04/13(金) 12:25:26
「自分の中に答えがある」についてのお返事 


「自分の中に答えがある」の中で、私にご質問頂きましたのでお返事させて頂きます。
精神世界やソフト・ニューエイジそのもの全てが悪なのではありません。
精神世界は自分探しをしている人にとって、とても居心地のよい場所なのだと思います。
バシャールなどチャネリング本や、精神世界の本も読むと癒されたり気付きもあって楽しいものです。
そこには「悪」の要素など微塵も感じられないものです。
では、何が問題なのかと申しますと、ソフト・ニューエイジはニューエイジの誘い水となっている場合が少なくないのです。
(ここでいうニューエイジとは、キリスト教を葬り去った後に現れる、ルシファー教理による新しい世の意味。 )
いかにも素晴らしい知性を持ち真っ当な話をする人(指導者)の様に思えたり、それらの著書からもとても窺い知ることが出来ないという場合がほとんどです。
そして、ニューエイジは瞑想やチャネリングに興味を抱かせて「宇宙意識」などとチャネリング(交信)することを安易に勧めます。
著名なソフト・ニューエイジの教祖は、「サムシング・グレート」などと呼んでいますが、サムシング・グレートが「ルシファー」であることも否定できないのです(チャネリングによる邪神・邪霊の憑依の危険性についても前に触れさせて頂きました)。
最初は愛好会のような楽しい集まりの場であっても、深く関われば関わるほどマインドコントロール、秘儀伝授、イニシエーションなどが行われ、知らず知らずの内にルシファーに近づいているという場合もあるのです。
何を信じるのも個人の自由だと言いますが、自己啓発などと言って「やれば出来る」、「あなたには出来る」などと洗脳されて歯止めがきかなくなって暴走したり、ニューエイジ系のカルト集団の中には、時として犯罪を犯すことも厭わぬようになるので困りものなのです。
人を騙す場合は、99のまことしやかな話をして信用させ、1つの嘘を信じ込ませるのが常套です。
ですから、99のまことしやかな話を聞いても、本性を見抜けない場合もあるのです。
最初から胡散臭さの漂うような物であれば、人は誰も騙されません。
騙そうとする人を信用させる為に、作り話など嘘偽り、他人の信用まで自分のために利用する(この場合、騙そうとする人と自分を信用させる為に利用する人を使い分ける)など、あらゆる手を使うものなのです。
そして、「この人に限って...まさかこの人が...」という者に人はコロッと騙されるのです。
そして騙されている人は、たいてい疑うことを知らない善良な人であったり、自分の「業」によって自分自身が引き寄せていたりします。
では、例えば誰かがチャネリングで得た情報をブログで紹介されたとして、チャネリングした相手が、(自称)宇宙人、(自称)キリスト、(自称)マリア、(自称)守護霊、(自称)ハイアー・セルフなどなどであったとして、それらがことごとく、邪神や邪霊である場合だってあり得るのではないでしょうか?
チャネリングした人に悪意がなくても、(自称)宇宙人、キリスト、マリア、守護霊、ハイアー・セルフと名乗った存在が99のまことしやかな話を並べ立てたからと言って、全面的に信用して受け入れることが出来るものなのでしょうか?
例えば、とあるお社でご神託を受けたとして、御神体がもうお社から去っていて、代わりに狐や狸など動物霊が取り憑いていたら、そのご神託は信用出来るものなのでしょうか?
この他にも、じっちゃんの話、ばあちゃんの話、妹の話、臨死体験者の話などなど挙げていけばきりがなく、中には故意につくり話を書き込んで面白がっている輩もいることでしょう(ホームページやブログと異なり、誰が書き込んだかも分からない「掲示板」など要注意だと思います)。
以上のことからお察し頂けたと思いますが、まことしやかなチャネリングの話など星の数ほどありそうですので、それらがまことしやかな話をしているからといって、いちいちかまっていても仕方がないということだと思います。
ですから、素性のよく分からない情報は鵜呑みにせずに、客観的に眺めてみる必要があると思います。
(追伸)
話は変わりますが、太陽(ミロク)原理は、それらが記された様な内容で具現化するのかどうかは別にして、神話や予言、ご自身の(予知)夢、その他あらゆる情報について科学的な見地から考察されたものだと思います。
随分以前に、太陽(ミロク)原理は一度忘れ去られてしまうと言っていたことが脳裏をよぎります。

77名古屋:2012/04/13(金) 12:35:17
政治の腐敗


戦後の改革の中で特筆すべき事は、日本共産党が進駐軍によって開放されたことは周知の事実であるが、それと前後して、日本の政党が復活したことである。
政党の復活という事は、戦後いち早く民主化の道を歩んだことになるわけであるが、問題は、戦前、大政翼賛会に収斂された政党が、何故に、戦後のこの時期に復活し得たのかという疑問である。
1945年、昭和20年の政党の復活を正確に記すと、
    昭和20年10月10日、日本共産党の徳田球一らが釈放され、
         11月 2日、日本社会党が結成され、党首片山哲、
         11月 9日、日本自由党結成、党首鳩山一郎、
         11月16日、日本進歩党結成、党首鶴見佑輔
のように、続々と政党が誕生したわけであるが、これらの政党は、戦時中は一体何をしていたのかといいたい。
共産党のように、獄中にあれば致し方ない面があるが、戦時中は大政翼賛会のもとで、軍事政権に肩入れしておきながら、その軍事政権が消滅したとたんに、雨後の竹の子のように表れてくる、ということはあまりにもおこがましい行為ではなかろうか。
価値観の転換などという表現では表しきれない不道徳極まりない行為ではなかろうか?
戦前の政党政治が、大政翼賛会に収斂されていく過程が、日本の軍部が政治の主導権を確立していく過程とオ−バ−・ラップしているわけである。
政治家に多少とも民主政治というものの理解があれば、その過程で、もうすこし軍部の専横に抵抗があってもよかったのではなかろうか。
私は個人的に共産主義に同調するものではないが、政治家とすれば、もう少し、かっての日本共産党のように、国家権力とか、国家体制とか、軍国主義の蔓延に抵抗してもよかったのではないかと思う。 
ここに我々の事なかれ主義というものが埋没していると思う。
「勝てば官軍」「亭主の好きな赤烏帽子」、など我々の民族の本質を見透かした諺が示しているように、戦前、戦中の政党人というのは、そのことごとくが事なかれ主義に埋没してしまって、何の抵抗も示さなかったことが、あの戦争が日本国民のコンセンサスのうえに成り立っていたという論拠になると思う。
明治憲法が明治の時代には有効に機能したとしても、それがそのまま昭和の時代に機能するかどうか、という疑問が微塵だに出現しなかったところが、日本国民の最大の過誤である。
そして、それを発見、発表、啓蒙しなかった政党人の罪も、当時の日本国民のコンセンサスと同様、罪深いものであると思う。
例の、治安維持法があったという現実は否めないが、我々の日本民族というのは、法の解釈を厳密に行なう民族ではない。
法律を、自分の都合によって、如何様にも拡大解釈する民族である。

78名古屋:2012/04/13(金) 12:35:54
ましてや治安維持法というのは 共産主義者を対象とした取締を目的としたものである以上、拡大解釈で切り抜けることが容易であるはずである。
それをそうしなかったのは、自らが軍国主義に精神的同調をしていたからに他ならない。少なくとも、世間の動向に同調することが身の安全を保持する手段であった、と思っていたに違いない。 
政治家が自分の身を案ずるあまり、発言を控え、沈黙を守る、ということはいかにも偏狭な一人よがりの処世術である。
軍国主義と、皇国史観に凝り固まった日本神道に汚染された血気盛んな青年将校の一部の反乱が恐くて、物も言えない政治家では明治憲法を見なおす勇気もなかったに違いない。だから、アメリカの占領という外圧で、初めて明治憲法の改定が実現したわけである。
マッカアサ−が憲法改正を日本政府に通達して、最初に日本政府が提出した憲法というのは、全く明治憲法を踏襲するものであったといわれている。
このことは、当時の政治家にとって、憲法の不備ということが眼中になかったということに他ならない。
尤も、この当時の政治家というのは、戦前、戦中を生きぬいてきた人間であって、いわばその当時の体制にベッタリくっついていたわけで、あの戦争の意義というものが、全く理解されていなかった、ということが云えると思う。
日本が負けた、という意味を真に理解せず、ただ単に戦闘に破れた、という意識しかなかったものと思う。
日本の政治が、軍人によって牛耳られ、軍人が政治をしたものだから世界の理解を得ることができず、天皇陛下の意向に反してまで無益な戦争をしでかした、という因果関係も真に理解されていなかったに違いない。
そして、あの戦争で散っていった数多の青年の命の重さ、ということも真に理解し得ず、敗戦、終戦、軍部がいなくなった、だから自分の出番だ、という発想は実におこがまし限りである。
戦前、戦中には、政治的な発言が、治安維持法や、特高(特別高等警察)に監視されて自由に発言できなかった、という言い訳はただ単なる言い訳にすぎない。
これらの法律やシステムというのは、共産主義を対象としたものであるし、我々の民族の特質として、赤を黒とでも言い包める法律の拡大解釈という特技があるわけで、言い逃れようとすれば、どういう風にでも言い逃れる術は持っていたはずである。
それをしなかった理由は、自らが体制側の人間になって、事なかれ主義で、鳴りを潜めていたわけである。
それが戦後、軍部の圧力というものがなくなると、一斉に花開いたわけである。
そして、戦後は民主主義の大合唱となるわけである。
この豹変ぶりというのは、あまりにも不節操ではなかろうか?
魂を悪魔に売り渡したような者が、その悪魔の存在が薄れると、一斉に民主主義者となって表面に表れてきたわけである。
私は個人的には反共主義者であるが、終戦、敗戦の折りに、開放された日本共産党の発表した「人民に訴える」というアジテ−タ−は実に説得力があると思う。
旧体制側が、治安維持法や特高(特別高等警察)で取り締まった側の発言が異様に説得力がある、という現実をこの時代の政治家はどう受けとめていたのであろう。
戦争の理由や原因がいかなるものであったとしても、現実に生きている人間にとっては、明日の米の確保が最大の問題であったはずで、この時代の政党は、スロ−ガンを掲げるのに苦労したことと思う。

79名古屋:2012/04/13(金) 12:36:36
労働者のストライキ権というのも、我々は進駐軍・GHQから与えられたもので、自らの力で勝ち取ったものではない。
しかし、いったん与えられたものである以上、あたかも自らが勝ち取った権利のごとく、その意向を100%活用しようとするところに浅間しさが感じられる。
戦後になって、日本各地で労働争議が頻発したが、これも政治家の沈黙と同じで、戦前、戦中と戦後で、企業の労働条件が一夜にして苛酷になったわけではない。
苛酷な労働条件は継続的に以前から存在していたわけであるが、取り締まるべき治安維持法や特高があったればこそ、人々は沈黙していたわけである。 
進駐軍・GHQが、そういう圧力を除去したとたんに、そういう組合活動というものが頭を持ち上げ、団体交渉と称して、多数で経営側を吊し上げて気勢を上げる、という闘争の方法が行なわれるようになったわけである。
そして、それが民主化という美名のもとに正当化されるようになったわけである。
労働者の権利ということも大事なことには代わりはないが、権利の裏側には義務が付帯していることをなおざりにしての権利の主張というのはどうも納得出来ない。
賃上げを実施すれば、その見返りに合理化を受け入れなければならないわけで、企業が利潤を上げている時は、賃上げも出来るであろうが、経営が赤字の時は無謀な賃上げというのは企業をつぶしかねない。
日本の戦後民主主義というものは、アメリカからの圧力による押しつけであるが故に、我々自身が意識改革をして勝ち取ったものではない。
それ故に、あくまでも付け刃で、真の民主主義というものには程遠いものである。
しかし、この真の民主主義、又は真の正義というものも、時代と、その背景によって価値観が移動してしまうもので、生きとし生けるものにとって、真の正義とか、善とか、正しい事、と云うものは存在しない虚空のものなのかもしれない。
戦前の皇国史観に基づく軍国主義も、その時代にあっては正義であったわけで、戦後の日本的ご都合主義の民主主義というのも、その時代背景の中では正義であったわけである。すると、真の正義とか、真の善というのは、その時代時代に民衆の共感を覚える事柄は、一時的な善であったわけである。
この一時的な善というのが問題なわけで、善が一時的なるが故に、時代が変わると、あの時の善は悪であったという矛盾が生じてくるわけである。
我々の先輩諸兄が行なった明治維新というのは、今流の表現で云えば政治改革であり、政治機構の改革であったわけである。
この時点で、我々の先輩諸兄の潜在意識の中には、世界とか日本以外の国の存在というものが眼中になく、そして、日清、日露の二つの対外戦争で勝利をおさめたことが、我々は、強く、神州不滅の国である、という思い込みを我が民族を精神的に支配してしまったわけである。
そうなる理由の一つが、我々が元来農耕民族である事と、四周を海で囲まれた孤島の住民であった、という地理的条件がそうならしめたものと思う。
農耕を支えるためには、封建的社会基盤が民族の存続のための必須条件で、我々は1945年の終戦に至まで、基本的に封建的精神土壌に生息していたわけである。
しかし、近代化、工業化と封建的精神土壌とは合い入れない矛盾を含んでいるわけで、この矛盾のはけ口が、戦前、戦中の海外雄飛と称しての国外脱出であったわけである。

80名古屋:2012/04/13(金) 12:37:23
戦後、そういうはけ口が閉ざされると、それは内部に跳ね返って来るようになったわけで、それが戦後日本の民主主義と称するものではないかと思う。
終戦の間際まで、「天皇陛下万歳」と唱えていたものが、一夜明けると「朕はたらふく食っている米よこせ」というスロ−ガンとなって表れるわけである。
これは変わり身の早さというべきか、変節というべきか、抑圧からの開放というべきか、言い方は如何様にもとれるが、これが民衆、大衆というものの本音であることに変わりはないと思う。
国民のコンセンサスというものの本質だと思う。


マッカアサ−と彼のGHQが、日本民族の封建主義思想を根底から覆そうと思って、我々に民主主義いうものを押しつけようとしたことも半分は成功しているが、残りの半分は、日本流に改竄された民主主義というものになってしまったわけである。
我々の民主主義というものが中途半端なものになった最大の所以は、我々の順法精神の欠如だろうと思う。
我々の民族性の一つに、我々は法律を字句通りに解釈しない、という性癖があるように思う。
つまり、法律というものを、自分の都合のいいように解釈するというものである。
その背景にある潜在意識は、法律というものが最低のモラルである、という認識が存在せず、それは我々の行動を規制するものである、という逆の発想があるわけである。 
法律が我々の行動を規制する、と考える意識の中には、法とは自分の欲望を満たすのに不都合なもので、これをクリア−するには如何なる手段方法があるのかという発想で、自らのアンチ・モラルが法律を作くらざるを得ない状況を作り出している、という視点が抜けおちているわけである。
その根底には、法律は、お上が庶民を規制するものであって、庶民側は、その盲点を潜り抜けるのが金儲けの醍醐味である、という風に解釈している向きがある。
これは封建的な精神土壌そのものである。
江戸時代の百姓町民の精神的基盤と軌を一にしているわけである。
明治維新というのが政治改革であったとしたら、それは工業近代化への政治的改革であったわけで、精神の面では、依然として、それ以前の封建思想から脱却できないでいたわけである。
マッカアサ−と彼のGHQは、そういうものを打破しようとしたが、民族の潜在意識までは変革し得なかったわけである。
そして、今日、我々のデモクラシ−というのは、日本流の異質なデモクラシ−として社会を睥睨しているわけである。
戦後、政治の状況がそれを如実に物語っている。
司法、立法、行政の三権分立ということは、建前上は、戦前から存在していたわけであるが、その運用に至っては、封建主義思想から脱却できないでいた戦前の在り方は、民主的な運用というものとは程遠く、その混乱の一大要因が、三権分立の前に、軍部の存在そのものがこれらの機能を封鎖していたところにあったわけである。
あらゆる権力が、軍部の意向を最優先に施行したが故に、とても民主的とは程遠い存在でしかなかったわけである。

81名古屋:2012/04/13(金) 12:38:29
そういう状況を作り出したのが、明治憲法下の政治家であったわけであるが、私の個人的な考えでは、この政治家が軍部の独断専行を許した背景には、政治家自身が軍国主義に陥り、ファッショを容認し、それが国民のコンセンサスになっていたが故にそういう経緯を辿ったと思っている。
そして、終戦によって、日本の軍部の存在というものが皆無になったとたん、政治家というのは、偽善面をして表面に出てきたというのが私の認識である。
私の論理にたてば、戦後の政治というのは、20代30代の政治家から出発しなければならなかったのではないかと思う。
それ以上の年令の政治家というのは、いわゆる太平洋戦争を肯定し、推進し、協力してきた人々で、戦争を容認してきた人々のはずである。
しかし、戦後の総選挙でも、選出された人々というのは、今まで軍人の影に隠れて戦意高揚に走っていた人々であったわけである。
戦争というものを国家、主権国家の一大プロジェクトととらえれば、国家の国策に協力することは、その国民としては当然な事で、その意味では、当時の政治家にも非の打ち所はないということが云えるが、それならば戦後に至っても、その所信を貫く覚悟が必要だと思う。
時の政府に迎合して、軍国主義になったり、平和主義になったり右往左往する国民と、その国民から選出された政治家にとって、真の正義とか、真の善というのは一体何んであろうのか?
戦後の日本の政治というのは、三権分立の基本部分において、保守と革新の二極分化が進み、一つの事柄に、必ず裏表がついて回るようになった。
大政翼賛会のように雪崩を打って国策に協力する姿から、何もかもが推進派と反対派に2分割されるようになった。
これも極めておかしなことであるが、これが民主化の名のもとに、反対することに意義がある、という錯覚に陥ったごとく、物事のことごとくに反対意見という怪物が闊歩するようになった。
その良い例が、1951年、昭和26年のサンフランシスコ講和条約と、日米安保条約の締結が、悪と認識する日本社会党をはじめとする革新政党の主張である。
サンフランシスコで行なわれた対日講和会議と同時に行なわれたアメリカとの日米安全保条約というのは、その10年後、20年後にも、たびたび日本の政界を揺るがす大騒動をもたらしたわけであるが、ここに日本の政治の未熟さが潜んでいると思う。
太平洋戦争というものは、日本の軍国主義者によって、アジアを戦火に巻き込んだとはいえ、その時代の西洋先進国の帝国主義による植民地支配という従来の旧秩序を破壊し去ったことは否めない。
そういう日本の過去を、世界各国が一応水に流して、日本の新しい出発、民主的な日本の再興というものを承認する、という日本にとっては有り難い講和会議であるにもかかわらず、日本民族の内部に、それに反対するということは、いかにも政治的にお粗末な意識であるとしか言い様がない。
戦前の国粋的な民族意識の反省があったとしても、あまりにも自虐的で、ひ弱な意識としか言い様がない。
安保条約の存在というのは戦後の日米関係のアキレス腱である。
しかし、日本の戦後というのは、アメリカとの関係なしでは成り立たないわけで、日米安保を廃棄して、日本独自で安全を確保しようと思えば、戦後の日本の経済復興というのはありえなかったわけである。
また、日本独自の安全保障というのは、再軍備に陥りやすい一番の近道でもあったわけである。
日本は平和憲法があるから戦争をしません、という自己主張というのはいかにも手前かってな絵空事で、問題は、アジアの周辺の国、およびアメリカ、イギリス、中国、ソ連という国がそれを信じるか信じないかということである。
戦争というのは、あらゆる戦争が自己防衛という言い方で正当化されるわけで、わが国はあの領土が欲しいから戦争をします、という主権国家というのはありえないわけである。あらゆる戦争が自尊自衛のための戦争であるわけである。

82名古屋:2012/04/13(金) 12:38:59
そういう過去から脱出するために、世界52ヵ国がサンフランシスコに集まって、対日講和条約を締結して、日本という過去を持った国でさえも、宇宙船地球号の乗組員の一員に加えよう、という善意の集まりに対して、何故に、日本民族の内部から反対を唱える理由があるのであろうか?
国策といわず、庶民の日常茶飯事に至るまで、何か物事をしようとするときに賛否両論が出ることは致し方ない。
そして、それが民主的なことでもあるわけであるが、問題は、物事をするかしないかを決定する決断の仕方にあると思う。
そして、決断として推進するという方針がきまったら、国民がこぞってそれに協力することが民主社会のル−ルではないかと思う。
ならば、先の大戦も、日本国民がこぞって協力した結果ではなかったのかと反論されそうであるが、先の大戦の反省としては、国策決定が軍国主義による、領土拡張主義を是認したところにあるわけで、その過程において、賛否両論が成立し得なかったところが問題であったわけである。
賛否両論が密室の中にあったわけで、公開されなかったところが問題である。
物事に対する公開の場での賛否両論が論争されるようになると、確かに民主的ではあるが、その議論を突き詰めていくと、売国奴的発言まで飛び出しかねないし、事実、売国奴的な思考や発言まで容認せざるを得なくなるわけである。
特に今日、憲法問題を論ずる場においては、日本民族でありながら日本民族を否定しかねない、売国奴的発言でさえもが容認されようとしている。

83名古屋:2012/04/13(金) 12:39:34
日本人の一員でありながら日本民族を否定しかねない、主権国家の主権を自ら放棄しかねない発言が、民主的という美名のもとに大手を振って罷り通るのが今日の現状である。
昭和26の時点で、日本の講和条約締結を反対した当時の社会党をはじめとする革新政党の先見性というものは一体何であったのかといいたい。
対日講和条約というのは、世界の52ヵ国が日本の過去を免罪し、日本の再興を認めてくれた条約であったわけであるが、その52ヵ国の中で、中国とソビエット連邦、一部の東欧諸国が反対したのみで、これらの国はいずれも共産主義国であったわけである。  
あの時点で東西冷戦は既に始まっており、その舞台が朝鮮半島であったわけである。
日本の近隣の朝鮮半島で、既に自由主義陣営と共産主義陣営がホットな戦いを行なっている時に、この共産主義に遠慮してというか、共産主義の国家というものを夢想していたというか、間違ったイメ−ジを抱いて共産主義国家をも賛同する講和条約でなければならない、という発想は一体どこから出てきたのであろうか?
この時点において、日本社会党をはじめとする革新政党が、全面講和でなければ駄目だ、という論拠は間違った認識にもとづく思い違いであったことが、その後の歴史が証明しているわけであるが、間違った思い違いという面では、戦前の軍部の指導者と同じ轍を踏んでいるわけである。
歴史というのは、その時々の指導者の間違った思い違いで、過誤を繰り返してきているわけであるが、政権野党というのは、その責任というものを一切取ることなしに、結果が良ければ、それに反対したという事実は雨散霧消してしまうものらしい。
突き詰めれば、野党の責任というのはいたって無責任極まりなく、その地位はいたって安泰である。
何が何でも反対さえ唱えていれば、野党の政治責任ということは容認される、ということであり、そこに野党の存在理由があるとでも言っているみたいである。
考えてみれば気楽な稼業である。
民主主義というものは最大多数の最大幸福を追究するものである、というのは真理であると思う。
すると、最大公約数に入らない部分というのは一体どうすればいいのか、という疑問が当然起きてくるわけであるが、この部分は、あっさりと切り捨てるのが民主主義そのものが抱えた矛盾であると思う。

84名古屋:2012/04/13(金) 12:40:15
その意味では、共産主義による平等主義の方が、人間の幸福により貢献できるのではないかと思い込みがちであるが、共産主義というのは、それこそ最大幸福というものが反対に犠牲になるわけである。
戦後の我々の唱える民主主義というのは、最大幸福では不服で、全員が同じ幸福を享受するというのが革新を自称する人々の主張である。
対日講話条約に絡む与党と野党の対立も、反対する共産主義の国に義理立てをして、全世界が同じように賛同する対日講和条約でなければならない、という日本社会党の主張する全面講和というものが、この平等主義を具現化したものだと思う。
平等主義と自由主義というのは相容れない考え方で、複数の人間を平等に扱おうとすれば自由というものが封鎖されるわけで、自由のない平等ということになれば、これは管理社会でしかない。
詰まる所、共産主義でしかないわけで、この考え方の行き詰まりが、ソビエット連邦の崩壊という形で、その後世界に証明されたことも既成の事実である。
この昭和26年の段階では、社会主義が崩壊するなどいう事は信じられもしなかったが、人々は、その後の時代に、自由主義を取るべきか、社会主義を取るべきか、試行錯誤の最中であったことは確かである。
その試行錯誤の段階で、日本社会党をはじめとする日本の野党勢力というのは、社会主義に比重を置いて、その方向に日本の将来を指向させようと画策していたわけである。
その方策として、民主化という言葉が、合い言葉のように叫ばれていたわけである。
民主化の反対語は保守反動と呼ばれ、保守は悪であるとのイメ−ジを植え付けようとやっきになっていたわけである。
ところが、現実の政治の動向というのは、この保守勢力によって、戦後の日本の政治は運用されてきたわけで、それが日本の高度経済成長というものを推進してきたわけである。対日講和条約に際して、日本の国論が二分したわけであるが、これは日本の政治というよりも、国際政治の場というほうが適切で、日本はあくまでも受動的な立場であったわけである。
講和条約で、日本の独立を許すか許さないかの選択は、彼らの側、つまり世界52ヵ国の側の問題で、我々は彼らの決定を素直に受け入れるかどうかの問題であったわけである。日本側で全面講和か単独講和かの議論の余地は全くないはずである。
全面講和というのは、共産主義国家を含んだ52ヵ国全部と講和条約を締結するというもので、単独講和というのは、この時点で賛成する諸国だけでも条約締結をする、というものであるが、こういう状況下で、我々の選択の幅というものはありえないように思う。
占領という状況から抜け出して、一刻も早く国際社会で信頼を回復したい、というのがあの時代に生き延びた我々民族の願望ではなかったかと思う。
そういう状況下で、我々の中の一部が、全面講和でなければ駄目だ、という主張の根拠というのは一体何であったのであろう。
占領下という状況では、日本の国家主権を発揮するということはありえないわけで、政治的決定の大部分は、占領軍、GHQに牛耳られていたわけである。
その中で、自らの国家意志を、自らの国民の選択に委ねよう、日本の独立という主権国家としての根幹をなす事柄についてさえ、我々の諸先輩は、反対意見というものを表明していたわけである。
まさしくこれは、我々は独立に値する国家ではない、と自らが内外に主張しているようなものである。

85名古屋:2012/04/13(金) 12:41:58
第2次世界大戦、太平洋戦争、大東亜戦争という我々の民族にとって未曽有の事柄に敗北したが故に、我々の民族の中の一部の人々は、自らのアイデンテイテイ−を自ら放棄するほどの精神的ショックを受けた、ということが云えると思う。
こういう人々は、あの戦争という、民族の興亡をかけた戦いに命をかけて反対するほどの勇気もなく、戦争が終われば終わったで、物分かりの良いGHQや、日本政府に反抗して、自らの自虐的精神の発露として、体制側の施行する事に反対をしていたわけである。
ここにあるのは戦後の反省と称する美辞麗句で塗り固められた自虐精神のみで、我々の民族全体の先行きのことを考慮することのない、その場限りの自虐的精神のみで、極論的に云えば、党利党略以外のなにものでもない。
政党政治が党利党略を追求することは、民主主義の政治体制のもとでは、ある程度容認されるべきことである。
しかし、その党利党略というのがあくまでも国民の希望、願望、欲求を集約したものであるならば致し方ないが、我が国の政治的風土というのは、大方が体制側に無条件に服従するという面がある。
占領下で、独立か占領の継続か、という選択を迫られれば、大方の日本人ならば、独立の方を選択するに違いない。
その後の日本の歴史がそれを証明しているわけであるが、ならば、この時、全面講和を主張して、独立に反対した我々の一部の先輩の言い分は、どんな存在意義があったのかという疑問にぶつかるわけである。
私の独断と偏見による推察では、我々が独立か、占領の継続か、という選択に迫られたとき、日本人たるもの一人残らず独立を希望していたと思う。
ところが戦後の民主主義というのは、常に反対勢力の存在がなければ民主主義の意義が薄れるわけで、反対意見があればこそ、民主主義が成り立っているという認識のもとで、全員一致、満場一致で事が決まってしまうと民主主義が死んでしまうと思い込んでいたに違いない。
確かに、この考え方は整合性があると思う。
先の戦争は、戦前の日本国民が、それこそ満場一致で戦争遂行に協力したようなものである。
よって、どんなに国民が望んでいることでも、一応もっともらしく反対意見を表明しなければならない、という使命感にとらわれていたに違いない。
我々の大和民族、日本民族というのは、古来から体制側に従順であったわけではない。
江戸時代の封建制度華やかなりし頃から、人々の反発、反抗、不服従という例は数えきれないほどあるわけで、秀吉が百姓を生かさぬよう殺さぬように施策していたころより、その限界を超えた場合は、民百姓は命を懸けて反乱を起こしているわけで、この反逆精神というのは、戦後の民主主義の時代になると漁り火のように燃え上がったわけである。
むしろ戦前、戦中の、挙国一致して戦争遂行する、という現象の方が異常な状態であったと思う。
しかし、体制側が国民の望む施政をしようとしたとき、それに反対するということは、かなりむつかしい問題だと思う。
民主主義の世の中では、満場一致で体制側に協力するというのでは、チェック機能を旨とする革新政党の存在意義が薄れてしまうわけで、日本の革新政党というのは、不安定な立場にたたされているわけである。

86名古屋:2012/04/13(金) 12:42:33
歴史というのは常に体制側の歴史であって、反体制、反政府側の歴史というのは歴史になり得ないわけである。
しかし、歴史である以上、常に成功例ばかりではないわけでり、失敗の歴史から我々はその失敗の原因を研究をすることにより、よりよき将来の選択を学ぶべきであると思う。
世の中というのは、自分を中心に回っているわけではなく、常に周囲の状況の変化に追従する柔軟性をもたなければならないわけである。
我々は4周を海で囲まれた島国であるので、周囲の状況というものにどうしても鈍感になりがちである。
我が民族は、小さな4つの島の中だけで衣食住が成り立っているわけではない。
この状況は戦前、戦中、戦後を通じていささかも変わっていないわけで、日本の政治は、そのまま国際政治に繋がっているわけである。
戦後の民主主義の中で、日本の革新政党というのは、この部分に弱いところがある。
体制側がアメリカ一辺倒になっているのは、占領下という状況下では致し方ない面があるが、それに対して日本の革新政党というのは、東西冷戦のもう一方の雄、ソビエット連邦を自らの陣営のバック・ボ−ンにしようとしたところに日本の革新政党の読みの浅さがあったと思う。
戦後、世界が、宇宙船地球号が、東西冷戦でアメリカとソビエットに分断されたとき、日本の体制サイドは、占領下という状況で、アメリカ側に加担しなければならなかった状況は致し方ない、それに反し、反体制、革新側はソビエットに加担する以外存在意義がなかったわけである。
このような深層心理を考えてみると、日本の革新政党というものが、日本民族の願望や希望を希求するということよりも、そのバック・ボ−ンのソビエットの利益を追求して止まない、というおかしな日本人が出現するわけである。
日本の革新政党がソビエットをはじめとする共産主義国の利益追求のため、日本の施策に反対意見を吐露する、というおかしな関係に陥ったわけである。

87名古屋:2012/04/13(金) 12:43:05
民主主義


占領という状況下で我々はアメリカ型の民主主義というものを強制されたが、アメリカ型の民主主義というのは、アメリカという国の成立からして、世界的なレベルで比較すれば一番理想に近いものであると思う。
しかし、宇宙船地球号には、太古より人々、人間という生きものが生息していたわけで、その意味では、アメリカ大陸も同様であるが、アメリカ型の民主主義というのは、その太古より生息していた人々の存在を無視して、近代人が、法によって近代的な民主主義というものを確立しようとした最初のモデルである。
人間が、人間の知恵で、人間を末長く生きながらえさせる為の方策を考えたのがアメリカ型の民主主義だと思う。
アメリカ型の民主主義には封建時代というものが欠落しているわけで、地球上のその他の文明の発祥の地では、人々は太古より生き長らえているために、必然的に、封建時代というトンネルを経過してきているわけである。
ところがアメリカ大陸で出来上がった民主主義というのは、こうした確執というものがないうえに、人が人の英知を集めて試行錯誤のうえに出来上がった民主主義であるが故に、太古より文明をもち、封建時代というタイム・トンネルを経た民族にとっては、あくまでも異質な考え方であるわけである。
戦後の日本の民主主義というのもその例にもれず、真の民主主義からは異質なものに変質していると思う。
戦後の我々は、アメリカ占領軍から強要された民主主義というものを平等主義と履き違えている向きがある。
しかし、アメリカ型の民主主義というのは、基本的に自尊自衛で競争原理が建前である。戦後50年にして、日本は確かに世界でも有数な豊な国になったが、その国民が、今、声を大にして叫んでいることが福祉の充実ということである。
ところが、この福祉の充実ということは、基本的にアメリカ型民主主義とは相反することで、そのことは、数年前に失速を見た、社会主義国、共産主義国の没落の二の舞をするということに他ならない。
今、政治を語ろうとする人、特に、選挙に打って出ようとする人、政治家になろうとしている人は、福祉の充実ということを合い言葉のようにして声高に叫んでいるが、これはアメリカ型の民主主義というものを根底から否定しようとしているわけである。
アメリカ型の民主主義が独立自尊を建前とし、競争原理で成り立っている、ということは、我々のような島国で、人口過密な国では誠に「しんどい」事である。 
だから、日本型の民主主義に改良されている、というのはあまりにも善意に解釈しすぎである。
むしろ、アメリカ型の民主主義に対する理解が足りないというべきであろうと思う。
アメリカ型の民主主義の根本にあるのは個人の確立ということに他ならない。

88名古屋:2012/04/13(金) 12:43:40
このことは、18才以上の人間は何事も自らの意志で決断、決定、遂行しなさいということである。
これは並大抵のことではないわけで、我々の日常生活ではこういうことはありえない、ということが我々には解っていないわけである。
例えば、数年前、愛知県の旭が丘高校の服部良弘君がハロ−インの銃で撃たれた事件があった。
アメリカの民主主義で云う個人の確立ということは、自らの身の安全は自らの銃で確保しなさいということである。
だからこそ憲法で銃の保持が規定され、自らの身の安全を維持するためには、我々には想像もできないほどの神経をすり減らしているわけである。
アメリカの民主主義というのは、銃による治安の上に成り立っているわけで、その根底に流れている深層心理まで我々は考慮くする事無く、言葉のみ安易に借用して、民主主義と言っているにすぎない。
民主主義というのは、代償、乃至は、対価なしに成り立つものではないわけで、アメリカの場合は、市民の銃器保持ということがそれである。
だからこそ民主主義の国でありながら、ある一面では治安の悪い犯罪の多い国となっているわけである。
それに引き替え、我々の国は、日本型民主主義なるが故に、ある面から見れば管理された平等主義の国ということが云えると思う。、
日本人ならば日本型の民主主義で結構である、という論法はいささか狭量な発想で、自分さえよければ後はどうなっても構わない、という発想に通じるものである。
戦前、戦後を通じて、日本という国は、我が国だけでは生き残れない、文字通り、独立自尊が出来ない国である。
江戸時代の鎖国などということはとても実現し得ない国になってしまったわけである。
もっとも我々の日常生活のレベルを江戸時代以下におさえれば出来るかもしれないが、人類史上、文化を後退させるということはありえないわけで、それが出来な以上、我々の生きる道は、世界の人々と仲良く共存共栄する他ないわけである。
そのためには、一国平和主義では、世界に対して論理性に欠けるわけである。
日本の独立ということは、その第一歩でもあるわけであるが、その第一歩からして、日本の革新政党が反対したということは、彼らもきっと辛い立場であったに違いない。
心を鬼にして、自らの民族の独立に反対しなければならなかった当時の革新政党の政治家も、きっと辛い思いをしたに違いないと想像する。

89名古屋:2012/04/13(金) 12:44:26

日本のサンフランシスコ平和条約の話が先になってしまったが、その前に、本当は憲法制定の話が先にならなければならないが、これについては前述してあるので深入りすることを避け、今の日本の憲法の存在意義について私見を述べるに止める。
私の個人的な考え方では、今の日本国憲法は、当然、改正が必要だと思う。
これは第9条の戦争放棄だけの問題ではなく、憲法というものが主権国家の規範を規定するものであるとすれば、50年という歳月を経れば、当然、諸般の事情は変化しているわけで、それに合わせた、新しい理念の創製ということは必要だと思う。
先の大戦が、明治憲法を「不磨の大典」として、改正の機会も見直しの気運も封殺したところにそれが悪用される基盤があったわけである。
そして戦後の平和憲法も、平和憲法なるが故に、触ってはならないという革新勢力の大合唱のもとで、50年という、半世紀にもわたる長期において、一度も見なおす機会も与えず今日に及んでいるわけであるが、これは由々しき事だと思う。
我が国の有史以来の歴史の中で、外国人による憲法の押しつけ、ということに我々が反発し得ない、しない、出来ない、黙ってそれを受け入れる、ということは我々の民族のアイデンテイテイ−を放棄するにも等しいことだと思う。
敗戦、終戦という未曽有の混乱の中で、一時避難的に容認するというものなら、ある程度致し方ない面があるが、それを恒久的なものにして、日本の誇りである、というような論法はいささか自虐的すぎるし、反対の為の反対にすぎない。
そもそも、あの憲法の起草者そのものが、「そう長続きするものではない、一時的なものである」という認識で考えられたものを、受け取る側で、「不磨の大典」的な発想で以て固執すること自体がおかしいわけである。
戦争放棄の規定を入れる入れないで論争するにしても、外国から押しつけられた憲法を、後生大事に保持する理由にはならないわけである。
主権国家の憲法が、他の主権国家の意図のもとに作成され、その主権者である国民が、それを後生大事に承る、という構図も、戦前、戦中の天皇制の擁護に匹敵するほどの愚考である。 
これはサンフランシスコ講和条約に反対する日本人の姿と同じで、陳腐以外のなにものでもない。
日本国憲法の改正に反対する勢力があるとすれば、日本の周辺のアジア諸国の反対ならば、日本の過去を鑑みて納得できる面もあるが、日本民族自らが、自国の、しかも占領軍の押しつけによる憲法を後生大事に承っている図というのも、はなはだ理解に苦しむところである。

90名古屋:2012/04/13(金) 12:45:05
こういう憲法が50年も生き長らえるという現実は、我々、大和民族、日本民族というのが法律の規範ということを強く意識せず、法というものを自分勝手に、自分に都合にいいように解釈しているという証左である。
我々は法律に対する考え方が寛容すぎる民族である。
我々の民族にとっては、民族の生存は、法律の制定よりも前からあるわけで、法律というのは、人間の行動規範を束縛するもので、我々の行動が法律に縛られる事など御免こうむるという気風がある。
法律というのは、支配者の都合で、どういう風にも解釈できるので、支配の為の方便にすぎないという意識で、庶民というのは、一切、法というものを信用していないわけである。事実、いくらでも拡大解釈して、それが通用しているわけである。
自衛隊の存在なども、拡大解釈以外のなにものでもない。
自衛隊を創設するについて、憲法改正をしてこなかったが故に、明らかに憲法違反であるにもかかわらず、アジア最大の軍事力になってしまっているわけである。
1994年、村山内閣は、今まで憲法違反と、声高に叫んでいたその自衛隊を容認するということで政権を確立したわけであるが、これでは政権さえ取れば、赤を黒とでも言い包めるに等しい行為である。
我々が法律を信用していない、ということは我々の日常生活にいくらでも存在する現象である。
これは法律の方にも無理があるわけで、守れないような法律が歴然と生きているわけで、それに人命尊重というサブ・タイトルがくっついて、人命の前には、法律は用をなしていない、という結果になっている。
人命や、人権の前では、法律も影が薄く、法の毅然たる施行は、人道主義に反する、という評価が蔓延する次第である。
こういう我々の民族的心情が、憲法であらゆる戦争を放棄しているにもかかわらず、自尊自衛の戦争は容認される、という論法のもとで自衛隊が創設されてきているわけである。自衛隊の創設に関して、本当のところは、アメリカの極東政策の一環として作られたものであるにもかかわらず、日本政府の見解は、こういう憲法の拡大解釈のもとでの、言い訳がましい論法が罷り通るところが日本人の法律に対する潜在的な認識である。
我々の日常生活というのは、法律で禁止しているからその行為はしない、というものではなく、我儘一杯行動しておきながら、法律に触れると運が悪かったという認識である。
規制緩和を唱えながら、何かトラブルがあると「政府は何をしているのか、法律で規制せよ」という、無いものねだりするわけである。
そういう風に、我々、日本国民というのは、憲法というものが、外国の圧力により、外国の圧迫のもとで出来上がっているにもかかわらず、いざ自主憲法を作るという段階になると、アレルギ−症状を呈するわけである。
アレルギ−症状の根源は、憲法改正が再軍備に繋がるのではないか、という危惧にある事は自明のことであるが、再軍備を恐れるあまり、我々の手による民主的な自主憲法の制定までも拒否する、という愚を犯しているわけである。
確かに、我々の戦後50年というのは、我々にとっては平和な50年であったが、これは我々が自ら築いたものではなく、東西冷戦の谷間で、必然的な周囲の環境によってもたらされたものであり、周囲の環境という場合、世界が自由主義経済システムという環境を維持してくれたからである。
そういう環境の中で、我々は経済の復興のみに専心でき、軍備というマイナスの出費を押さえる事が出来たからである。

91名古屋:2012/04/13(金) 12:45:42
法を蔑ろにするということは、我が民族にとって、人間の生存が先で、法の方が後から出現した、という近代思想の反省からきていることかもしれないが、そのことは、我々の民族がいかに民主主義という、新しい、人間が思考した考え方に馴染めないのか、という事でもあると思う。
我々が生まれ落ちたこの土地では、法律の存在よりも前から日本古来の処世術というものがあったわけで、この処世術の中には、支配する側のものと、支配される側のものの、二種類があったものと思う。
人間が集団で生きていくためには、支配する側か、支配される側の、二種類のグル−プのどちらかに属さなければならなかったわけである。
数の上では支配される側の人口が多いのは云うまでもないが、こちらの側は、法律の存在などは無関心に従来の習慣法が生きていたわけで、そういう状況、環境下であってみれば近代的な法律というものは遵守しようがしまいが、日常生活には直接の影響が無かったに違いない。
だから、近代的な法律というものが整備されたとしても、法律というのは、運用する側の問題であって、一般庶民の日常生活を規制するものでしかないわけであり、自分の都合にあわせて、自分の都合のいいように解釈するわけである。
戦前、戦中の軍部というのは、民衆を戦争に駆り立てるために、その威力を最大限に利用し、戦後の進歩的知識人というのも、戦前、戦中の軍部と同じように、自らの主張に正当性を加味するために、自らの都合にいい風に解釈し、体制批判に利用しているのである。アメリカの民主主義の場合、法律というのは、アメリカ国民の利益を保護するために、自ら作って、自らをそれに従属させる、という関係で成り立っているが、我々の場合も、建前は国家という場で、国民から選出された国会議員によって立法されているが、庶民感覚からすれば、未だにお上から押しつけられたという意識を拭いされないでいる。

92名古屋:2012/04/13(金) 12:46:22

戦後の法律が、国民から選出された国会議員によって作られているとしたら、日本国憲法というのは、その過程を経ずして出来上がっているわけである。
少なくとも占領下に制定されたものである以上、独立を得た後の日本では、占領下の憲法とは別のものを考えるべきであったと思う。
それをせずして今日まできたということは、我々が、憲法というものを全く顧みる事無く、あってもなくてもたいして我々の日常生活には差し障りがない、と判断していたからに他ならない。
「憲法を改正すると軍国主義に陥る」という発想も憲法を蔑ろにした発想である。
事程左様に、我々、日本民族というのは成文法に不寛容なわけで、法律というものを信用していないということである。
法律を信用する前に、我々の個人のエゴイズムを前面に出して、個人の願望が受け入れるかどうかが、問題となるわけである。
我々が憲法を改正するかどうかの問題は、あくまで日本国内の問題であり、地球規模で眺めれば、文字通り井戸の中の蛙の争いのようなもので、他の国から見れば、日本国内の問題にすぎない。
日本国内でいくら議論が沸騰したところで部外者にとっては痛くも痒くもない問題であるはずである。
しかし、その部外者から見ても、占領軍から押しつけられた憲法を後生大事に抱えている国民というのは、理解に苦しむのではなかろうか。
そのことは、民族の自主独立というものを自ら放棄しているにすぎない、と映っているに違いない。
そういう国民が世界で信頼を勝ち得る事は出来ないわけで、あくまでもエコノミック・アニマルという蔑視に耐える他ないわけである。
戦後の我々は、国の誇りとか、民族の誇りというものを失ってしまったわけで、あるのは金儲けのみである、という印象を世界にばらまいたわけである。
分け隔てのない平等社会ということは、言葉を裏返して云えば、野心も、希望も、民族の誇りも失って、ただただ唯我独尊、自分一人が損害をこうむらなければそれで由とする発想に陥った証拠である。
これは一見民主的な社会のように聞こえかもしれないが、真の民主主義社会というのは、こんな綺麗事では済まされないわけで、自由、博愛、平等と云うのは、勝ち取るものであり、自ら築くものであるはずである。
戦後、日本の民主主義というのは、これらの要因を占領軍から授けられたような印象を受けるが、占領中は致し方ないにしても、独立した暁には、自らの憲法を、自らの力で作り出すぐらいに気概をもっても世界は称賛こそすれ非難することはないと思う。
憲法改正が軍国主義に繋がるという論拠は、実に陳腐な言い草で、そういうことを云う政党が公認の政党であること自体が日本の異質を表していると思う。

93名古屋:2012/04/13(金) 12:47:40
あの大戦を経過して、日本人の中で、誰が軍国主義を肯定し、誰が徴兵制を是認し、誰が戦争をしたがっているのか、いたらその具体的な例を上げてもらいたいと思う。
西洋の狼少年の寓話のように、ありもしない亡霊を恐れて、ありもしないシナリオに怯えて、我々の精神が歪んでしまったに違いない。
我々が今自主憲法を作るということは真の民主主義に一歩でも二歩でも近付く事である。戦後の日本の民主主義というのは、占領軍の占領政策の一環として、占領政策の都合上、便宜的に、あるいは一時緊急避難的に制定されたものであって、「不磨の大典」ではありえないわけである。
戦争を放棄するということは、実に曖昧な表現で、そもそも戦争という言葉の解釈からして、漠然としたものであり、現行憲法で放棄した戦争というのは、主権の延長としての戦争であって、その意味からすれば、侵略戦争を意味していると思われるので、自衛のための戦争ならば許される、というのが今日的な憲法解釈である。
しかし、その字句を厳密に読めば、自衛の為の武力行使も放棄していることは明らかである以上、この憲法解釈は拡大解釈といわざるをえない。
法律の字句に拡大解釈の余地がある、と云うこと自体が不備であるわけで、先の大戦で辛苦を舐めた我々の先輩諸兄が、「戦争」という語句から、「遺棄すべきもの」というイメ−ジが抜けきれないのも致し方ないことではあるが、現実の世の中の動きというのは、そういう感傷を許さない場面の連続である。

94名古屋:2012/04/13(金) 12:48:20
我々は、国土が海で囲まれて、異民族との接触の生の場面に遭遇する機会というのが少ないので、我々は井戸の中の蛙ですませているが、現実の世界の動きというのは、そういう生易しいものではないはずである。 
日本国憲法の問題は、日本国民の問題である以上、その問題に嘴を入れてくる主権国家というのはないのが当然である。
これを裏返してみれば、外圧がないので、我々は何一つ変えられない、ということにもなるわけで、これでは民族の誇りもアイデンテイテイ−もないということに他ならない。
日本国内にいるかぎり、そういったものに無縁で過ごせるが、一度外国との接触の場に遭遇すると、それでは済まされなくなるわけである。
例えば、国旗一つとっても、諸外国の人々は、自らの国の国旗には誇りを持っているが、我々は、国旗を敬うという概念すら欠如しているわけで、国旗はスポ−ツのシンボルぐらいにしか思っていないわけである。
我が国が敗戦、終戦の結果、江戸時代の鎖国状態を強いられたならば致し方ないが、講和条約で、世界の仲間入りを認められたわけで、そういう環境下におかれてみると、ミニマムの常識として、世界の常識をある程度は受け入れざるをえないわけである。
一国平和主義というのも、舞台が日本の治世圏の中のことだけならば、ある意味で致し方ないが、今の日本というのは、我が国一国のみで生存しているわけではなく、世界の国々との連携の中で生きているわけで、そのことを考えれば、一国平和主義というのはあまりにも自分勝手な言い分にすぎない。
我々が未だに自主憲法を制定していない、ということは我々にとって憲法というものはあってもなくても生存には差し支えないということである。
だからこそ、占領軍の強制によった出来た憲法を後生大事に維持しつづけているわけである。
その背景には、民族の誇りも、愛国心も、忠誠心も、全てどこかに置き忘れて、ただただ食わんが為に粉骨砕身、経済競争にのみ、身を擦り減らしてきたわけである。
戦後の日本の革新勢力というものが、憲法改正にも反対し、講和条約の締結にも反対し、安全保障条約にも反対してきた理由の一つは、反対する事で、食うことが出来る商売が成り立っているということである。
革新勢力というのは、政治をする人々ではなく、政治を食物にして商売をしている人々の集団であるということに他ならない。 
そのことは保守を旗印にしている人々についても同じ事が云えるが、日本の政治家というのは、政治を食物にして商売をする人々のことである。
政治屋を選出する選挙というのも、一種のお祭りで、日本という、太古より連綿と継続した人民の国では、本質的な政策論争で政治が語られることはなく、地縁、金縁、権縁で、本当に政治を語ろうとする人は、選挙で振るい落とされてしまうわけである。
本当に、真剣に憲法改正を論ずれば、選挙で選出されず、福祉を唱え、橋の一本でも作った人が選挙で選ばれる、という構図から抜けきれないのが、今の日本の戦後民主主義として罷り通っているわけである。
それが戦後日本の民主主義の実態である。
日本の政治というのは、立法府としての国会、行政府としての官庁、法律の番人としての司法という風に三権分立になっている事は周知の事実であるが、肝心要の立法府を構成する国会議員というのは、資格試験というものが全く不要で、それならばこそ、民主的という認識に立っているが、これも一種の平等主義である。
平等ならば全て由とする風潮がここにもあるわけで、政治というものが政党の党利党略に陥る原因もここにあるわけである。
平等が罷り通っているからこそ、数の原理で多数決で事が決まるわけであるが、多数決で決まれば、少数意見を尊重せよ、という意見が出てくるわけで、これでは一体どういう方法で決めればいいのか、という疑問が起きるわけである。

95名古屋:2012/04/13(金) 12:53:21
国会議員が極めて平等意識によって選出される、というところに地域エゴが出るわけで、地域エゴが政治の本質を議論することを阻んでいるわけである。
アメリカの民主主義というのは、地域エゴ、企業エゴ、利益集団のエゴというものを正面から捉えているので、そのエゴを政治に反映させるための方策が認められている。
我々の戦後民主主義による国政というのは、地域エゴを否定しながら、国会議員というのは裏で地域エゴの実現に奔走する、と云う構図が現実の姿で、ここに国政の本音と建前の矛盾があるわけである。
我々の戦後民主主義による政治が、真に本物であるとすれば、国政の場で地域エゴの実現に奔走する姿というのは邪道のはずである。
ところが我々の国会議員というのは、族議員という表現が示すように、利益集団の代表の様を呈しているわけで、国政を論ずるよりも、権益獲得の方が、その人の実力を計るバロメ−タ−になっている感がある。
よって、政治家が真剣に国政を論じていると、その国会議員は次の選挙で落選してしまい、地元に橋の一本も掛けた議員は、地元に貢献したとして、また次の任期を任せられるのである。
このことは、突き詰めて云えば、選挙する側の政治感覚の問題である。
国会議員になろうとする人よりも、その人を選出する側の問題のはずであるが、我々庶民の政治感覚というのは、そこまで意識改革が進んでいないわけである。
だから、戦後50年経っても、経済一流政治は三流という評される次第である。
官僚になるには国家公務員試験があり、裁判官には司法試験という難関が科せられているが、国会議員とか、地方議会の議員になるには禁治産者以外を除けば誰でも立候補を出来るわけで、その意味では、議員の資格審査という篩は全く無いわけである。
いかにも平等を絵に書いたようなものである。民主的そのものである。
そして、その答えは多数決原理で、多数を獲得したものが勝ちである。
逆に云えば、共産党のように、党の締め付けで、何が何でも棄権を防止して、自らの党に議席を与えようと画策する政党が有利なことは言うを待たない。
ここに再び村の論理が介在することになるわけである。
我々、日本民族というのは、古来より農耕民族の特徴として、村意識を脱却できないでいる。
社会が近代化しても、自分の属する団体が、一種の村という運命共同体である、という観念から抜けきれないでいるわけで、戦後、進駐軍によって民主主義というものを強制されたとしても、その根底に流れている深層心理の中では、旧態依然たる村落共同体としての意識を合わせ持ったまま、民主主義という表層面のみ声高に叫んでいたにすぎない。
口から出る言葉は民主主義であっても、その奥には、江戸時代から連綿と継続している封建主義という亡霊を意識していたわけである。
封建思想を内在した民主主義ということは、極論的に言えば、地域エゴ以外のなにものでもなく、地域エゴということは、すなわち村落共同体としての自らの集団のみ利益をこうむれば後は野となれ山となれという一種の無責任主義である。
我々が戦後の日本国憲法を一度も見なおそうという気運が起きなかったことは、日本国憲法の存在というのが世界の動向にはまたく関係の無い事柄であるが故に、他国が干渉してこなかったわけで、これも当然なことであるが、全く日本国内の問題であるかぎりにおいて、他の主権国家が嘴を差し挟む余地はないけれど、そういう真空状態の存在なるが故に、我々の民は、自らの憲法をある意味で蔑ろにして済ましてきたわけである。

96名古屋:2012/04/13(金) 14:09:42
■ 警察官と暴力団の癒着
<NIさんより>岡山で警察内部のゴタゴタで暴力団に助っ人を頼んだ件が発覚しています。報道では機器の使い方に注意されたりして言動に腹が立ったというのが事件の動機という事ですが、どうで「俺の愛人になれ、ラブホテルに行こう」と言ったが断られたとかそんなところではないでしょうか。
 私の見立てでは暴力団担当をさせていたがどうも捜査情報が流れ過ぎる、過度で個人的な利益供与を受けているという癒着の噂が強い、かといって留置管理や免許センターに飛ばすのもメンツが潰れ過ぎるという事で中を取って通信司令室配属にしたのではと見ています。昔東京でも同じような事があり、マスコミ対策が功を奏し表に出なかったという事例があったというのを論壇で見た事があります。
 普通はこういう事件があっても記者クラブ対策で表に出ないのでしょう。警察というのは紳士淑女の集まりではないなぁと改めて感じた事件でした。

(コメント)地方自治体の警察なんていらないんです。どうせ装備品もすべて国家予算で、人件費だけが地方自治体なんですから、この際、警察庁をトップとした国家警察にさっさと切り替えて、全国統一採用形式に改めましょう。日本は狭いんですから、FBI方式で十分です。そうすれば、地方のダニである都道府県議とかに気を使う必要もありません。


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