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名古屋社会情報

23名古屋:2012/04/12(木) 13:22:23
これはひとえにアジアの蔑視に他ならない。
この時点の西洋列強はことごとく中国を蚕食し、植民地を世界規模で維持していたわけで、西洋がやっていることならば我々がやっても許されるであろうというのが戦前の日本人の認識ではなかったかと思う。
歴史というものは常に流れているわけで、これを止めると云うことは何人とも出来ないわけで、そういう歴史の必然性から考えれば、先の大戦というのは起きるべくして起こったというべきであろう。
西洋先進国が辿ったと同じように、彼らが中国に植民地を作っている、我々もそれを真似て中国に進出しようとする、日本の中国大陸における覇権をアメリカがおもしろく思わない、したがって経済封鎖を行なう、アメリカと戦うという図式が出来上がる。
この一連の流れは歴史の必然であって、世界の流れというものがこういう方向に向かっていたわけで、ここであの当時、日本が中国からあっさり手を引いたとしても、いずれの日にか同じ事が起きたに違いない。
今日の世界共通の認識として帝国主義による植民地支配ということは「悪」であるという定説が出来つつあるが、第2次世界大戦以前ではそういう認識は世界各国に共通して存在していたわけではなく、日本が敗けたからこそ、そういう定説が定着したわけである。
この日本が戦争に敗けたという意味は、一人日本だけの問題ではなく、世界の価値観を転換せしめた大きな問題意識を含んでいると思う。
西洋先進国、ヨ−ロッパ諸国にとっても、アジアの小さな島国の日本の行動が脅威であったわけで、日本の行動を誉め讃えることはできないにしても、日本が西洋先進国や、アメリカに対して挑戦したことによって、アジアにおける西洋先進国の秩序が混乱を来し、それがアジア諸民族の独立につながったことは否めないと思う。
日本がポツダム宣言を受諾して連合国に降伏するというのも妙なことである。
日本はアメリカ、イギリス、オランダに対しては確かに宣戦布告をしているがソビエットに対してはそれを行なっておらず、中国に対しては不戦条約の締約国として、戦争という言葉を意識して避けてきた経緯があるわけで、1945年の時点で、日本はアメリカとの戦争には敗けていたが、ソビエットとは終戦の1週間前までは交戦していなかったわけである。
そして中国大陸というのは日本軍が占領支配していたわけである。
中国大陸には旧日本軍が生存しており、目下交戦中であるにもかかわらず、日本本国がB−29の絨毯爆撃と2発の原子爆弾で焦土と化し、交戦意欲を失ったわけである。
交戦意欲を失ったというよりも、日本民族の絶滅を防ぐ意味の方が大きかったかもしれない。
昭和天皇の決断は、日本民族の絶滅を防止するために日本本土決戦を回避するように気持ちが動いたのかもしれない。


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