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羞恥のM検場

1名無しさん:2020/09/21(月) 23:20:25
徴兵検査には,婦人会(既婚)や処女会(未婚)の女の見学があった。徴兵検査場
で花婿を探す者もあったという。徴兵検査礼状には「フンドシ着用のこと」となっ
ていてフンドシ一枚でてきぱきとうごくのだが、普通 M検は,ついたての中でやった
そうだ。よく体操の時、パンツを忘れ,昔はフリチンでさせたりした事もあるそうだ
が、どこの世界にも間抜けなヤツはいるもので、100人200人となると必ず一人や二人
はいるもの。特に都会でサラリーマン生活をしていて、フンドシなど付けた事がなく
パンツをはいて来た物は、ビンタを食らった上,フンドシ姿も気恥ずかしいだろうに
可愛そうにその場でパンツを取らされ、そのまま最初からフリチンのブラブラの素っ裸
で検査場に出ていかなければならなかったという。勿論隠したり女々しいことは許されない。

2名無しさん:2020/09/21(月) 23:20:54
小山内宏著三恵書房1975刊「絵とき日本陸軍」「絵とき日本海軍」に絵
がある。
また、NHK取材班編「赤紙」創元者1997に徴兵検査の素っ裸の写真が
載っている。
 (この写真は,毎日新聞社1955「写真・昭和30年史」の写真である。

岩波写真文庫101(復刻ワイド判50)「戦争と日本人]岩波書店1987
に素っ裸で こちらを向いている伝説的な写真が載っている。
本籍地の同級生や、同級の女が見ていてもその前でフンドシ一枚すらつけな
い露もない姿で,勿論隠したり女々しいことは許されない。朝から終わりまで
、地獄の羞恥の一日。強制露出の一日。

また九州やその他の地区では,全員最
初から素っ裸で行われたという。都会暮らしのインテリでも、たとえば九州出
身者は,地もとの九州の小学校の講堂とかでうける。徴兵検査令状には「ふん
どし着用のこと」とは書いてなく忘れる必要はない。全てが検査場に着くと,
来ている物は全て脱ぎ生まれたままの姿になって,たとえ朝顔の蕾でも,ずる剥
けでも,大きくても小さくても,毛深くても、パイパンでも,色が白くても黒く
ても隠さず,てきぱきと行動しなければならない。身長・体重は勿論M検さえ全裸,
ついたてもない広広とした講堂の中で,様々な羞恥が繰り広げられる。
[赤紙]や「絵とき日本陸軍」「絵とき日本海軍」のとおり。当時20歳の身長は
5尺5寸といわれ、165センチ台,今の中学生でもそのくらい。M検では6割が
包茎だったという。性器検査は,徴兵検査のハイライト。まず陰嚢をぐいと掴みぐ
りぐりした上で,親指人差し指で,指を丸めるようにして陰茎の根元を掴み下に向け
て絞るように強くしごくようにも揉みしだく,その上で包皮を剥く。剥くといっても,
環状溝が露になるまで剥くので生易しいことではない。たとえ,ずる剥けでも,
さらに剥きあげることなので、朝顔の蕾では大変なこと。
しかし,剥くのよりもっと大変な目にあうこともある。
徴兵検査場では,その雰囲気からして,とても立つような雰囲気ではないとい
う。 最初から裸で,女がいたら、とても恥ずかしく立たないで、縮みあがっ
てしまうだろう。 これから恥ずかしい事の順番を待つ者もたまらない。
包茎の一物を縮こませ,毛の中に隠れてしまうくらい羞恥にどうしようもないと
いう者もいる。嫌らしい検査官は剥かない代わりに,先端の皮を指でさする。
そして,敏感なところをいじめられようやく起ちあがった頃,もじもじして逃れ
ようとするのを、「どうした,まだまだ、まだだめだ・・まだ先が出てこんで
はないか…」とやる。勿論出そうになっても手を押さえたり抵抗は許されない。
次の順番を待つ同じようにちじ込ませている者も,次は自分も同じ目にと思うと
たまらなくなってくる,そして早く女があっちへ行ってくれないかなと祈る。

3名無しさん:2020/09/21(月) 23:22:49
昭和9年生まれ。29年に大学受験。M検を受けました。
徴兵検査で恥ずかしい思いをした兄に、検査の仕方を聞いてました。
徴兵検査でのM検は性病を持っているかいなかの検査です。性病患者は尿道から膿が出ます。検査官は性器を強く扱いて膿を出そうとします。大人数の検査ですからかなり乱暴に扱ったようです。
兄は、検査官の前に性器を晒しても勃起しなかったそうです。検査官にしてみれば、性器を見られるのに慣れていると判断。生意気な奴といびられたそうです。
たいていの人は勃起して、なかには触っただけで射精する者もいたそうです。
大学受験のM検は、性器の調査で、統計を取るためにしたと聞きます。
サイズ・長さ、太さ、(平常時、勃起時)
形状・正常(皮が反転)仮性包茎、真性包茎
射精はさせませんでした。

4名無しさん:2020/09/22(火) 09:09:43
M検は被験者を全身脱衣させ、性器や肛門を検査した。検査の内容は鼠径部、睾丸、陰茎の目視と触診を行い、包皮をめくり、亀頭を露出させ、陰茎を按圧して性病の罹患を検査し、肛門部では臀部を開脚させ、痔疾、痔瘻の有無を検査した。 「陸軍身体検査規則」(1928年3月26日陸軍省令第9号/昭和3年第15号)第二十三条七号で軍隊での検査方法が確立された。

「陰部ノ検査ハ受検者ヲシテ脱褌セシメ両脚ヲ開キ検者ニ正面シテ立タシメ鼠蹊部、陰茎、陰嚢、精系、睾丸及副睾丸ノ異常ノ有無ヲ検査シ排尿ノ難易、遺尿ノ有無ヲ検シ必要アルトキハ排尿セシメテ尿ノ性状ヲ検査ス」とした。


M検って具体的にはいつまで続いたんたんだろうか?
具体的な終末時期を分野ごとに挙げるとどうなるのかな?

自分は1970年代前半の生まれだが、自分自身についてはM検の経験は無し。
同世代では、警察と自衛隊でM検をされた者がいる。


中学3年の男子です。
僕は小学校高学年3年間に3回の身体検査のときに男子のみ「ちんちん検査」(名前は自分で考えました)なるものがありました。
いつもこの検査の時は男子だけ呼び出されて保健室の廊下に並んで、一人づつ中に入って、学校の先生が1人か2人と保健の先生(女)に性器を見せていろいろして終わりです。
小学4年の検査の内容は、ちんちんの皮をむくみたいなことに、荒れていないかを見ていたんだと思います。
そのあとの5年からは、それまでのに加えて、先生がちんちんを握ってこするみたいのをしていました。
6年の時は射精(初めての経験でした)してしまって頭の中がまっ白になったのを覚えています。
ちなみに、どれも検査の時は女の先生で一人3分くらいかけてやっていたので、一クラスの検査にいち1授業分は使っていました。
ちなみに女子にはこういう検査はありませんでした。

5名無しさん:2020/09/22(火) 09:12:56
大学入試身体検査で、昭和30年代くらいまでは、パンツまで脱ぐのが
あたりまえだったそうです。


パンツ一枚なんて、小学校、中学校では当たり前、大学入試では、パンツ一枚
も許されず、全部脱いでしまわねばならないのが当たり前だった頃、受験し
た人いると思います。


20年前の家庭教師の話、その頃医学部の入学試験の身体検査では、徴兵検査以上
の検査が行われていたそうです。学問的データーの収集のためと称して、ペニスの
長さ、太さの測定、(それも平常時と勃起時)包茎かどうか、射精の距離、精液の
量の測定まで行われていたとか書き込みを見たことあります。受験生は嫌でたまら
なかったのですが、これを受けないと合格できないので受けたとか、今では考えら
れませんね。

20年前6大人になった名無しさん05/01/29 08:16:50>>8
素朴な疑高校生の時に家庭教師をしてもらっていた先生がある大学の医学部を受験
したときにM検らしきものを受けた話を聞いたことを思い出しました。
自〇大学だったかな・・・?
医学部への入学試験時における身体検査の話、 弱い立場の受験生に、強制された、
徴兵検査以上にきびしい身体検査ですが、 医者というのは人間の器官は試料くら
いに思ってますから、受験生も 同じように扱われたのでしょう。




旺文社「蛍雪時代」 昭和33年4月号には、今年昭和33年度から変わったこと
としてM検が廃止されたとある。勿論33年度とは33年4月からで、その原稿を
書いた33年3月にはまだ32年度で、容赦無く裸にして実施されたと思われる。
多分、昭和15年生まれはM検を受けたはずである。
もう少し、遅れたら私も・・ああ!。



M検のMは何の事?


ほとんどない大学入試のM検を受けた人の体験談があった。

・・検査の最後の当たり、別室の方に集められ、なんか異様な雰囲気だったという。
そして医師のような人から、パンツも全部脱ぐように言われた、かなり厳しく言われ
たという。そしてしかたなく脱ぐと、前に詰めさせられたというから全員全裸姿か。
そして検査を受けたのだが、検査のあたりに若い女性が10人くらいいて、よそ見も
しないで、しっかりそこをみつめていたという。アレなんだったのでしょうか・、本
人も今になってもわからないそうだ。




M検って、主に学生用語・・受験で必須だった。
Male,Masculineの略・・「男」の略・・男の検査

6名無しさん:2020/09/22(火) 09:14:12

慶大入試にM検が課されていた頃・・
http://www.choshinet.or.jp/~hiro/mitakai/j-boat.htm


東大入試にM検が課されていた頃・・
平成5年(1993年)5月1日読売新聞夕刊1面下段《よみうり寸評》
「昭和31年まで,全国の国公私立大では,入試合格者に対して,”エム検”が
実施された。エムとは往年の俗語で,男性自身のこと。たとえば,東大では,
広大な七徳堂(旧武道場)がエム検会場だった。横に並んだ7,8組の医師・
看護婦チームの前に,一糸まとわぬ若者数百人が行列したのは壮観だった。」
「全国の国公私立大」といったら,全部の大学だ!うらやましい。
やってもらいたかった〜!

7名無しさん:2020/09/22(火) 09:17:37
2005/05/07
昔話1 船の学校の二次試験   ・・東京商船大学
  http://wine.air-nifty.com/book/2005/05/post_17ca.html

随分、昔のこと
ここは、女子禁制の学校
一次試験の合格者が、体育館に集められた。
募集要項に、「健康な日本国男子に限る」と書かれているため、体力検査などがあるのだ。 反復飛び、背筋力、肺活量などは普通の検査。
面白い検査が一つ、上から直径5cmほどのロープが下がっている。
これに、何秒掴まっていられるか?
本当は、片手で10秒掴まってられなければならないのだが、受験勉強でなまった体には非常にキツイ。
せいぜい5秒ですが、1秒と保たないヤツがいる。
当然、2次試験に落ちるはずなのだが、、、大目に見てもらってるようだ。
そして、健康診断の最後が「M検」。
カーテンの向こうで、パンツを脱いで、医者の検査を受ける。
恥ずかしいやら、寒いやら、、、反対側を向いてお辞儀をすると、お医者さんの目の前には、、、、、、
「パシッ」
お尻をちょっと叩かれて検査は終了。
今でも、あの検査の目的がよくわからない。
まさか、女性が入り込むのを防止するため?

8名無しさん:2020/09/22(火) 09:18:44
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/sepia/1106578252/

9名無しさん:2020/09/22(火) 09:22:06
慶応では,学科試験の後,「明日は身体検査を行います。全てを検査します、清潔にしてきてください。」といわれる。当日,20人一組とし
パンツ一つで並ぶ,まず最初の者がモデルになって型を説明,肛門検査も。終わるとすぐ、
パンツを取り去り本当の検査を受ける。人前でパンツを脱ぐなど死ぬ ほど恥ずかしいおぼっちゃんでも,
順番が来たら直ちに脱ぎ差って、 前に立つ。

M検で不合格になった者として,痔婁(千葉大),副睾丸炎(神戸大)その他がある。徴兵検査の型を踏襲し、
包皮は環状溝が出るまでばっちり剥き上げられるそうだ。
当時18歳の平均身長は160センチ,今の中学生位。当時大学に進学するのは,今よりずっと少ない。
中には例外もいたことだろうが、勉強(とオナニー)しか知らない受験生を素っ裸にして性器から肛門
まで男の全てを検査したのだ。受験が迫り,孤独な深夜の受験勉強に疲れすることは皆同じ、嫌な事で進まないと手は内股に向かうだろう。
そして引っ張り出し…・・そして、もう絶対しないぞと心に誓いつつ,またしてしまう。
一夜に何回も何回もしてしまう、それが受験勉強だ。受験生にとって,M検とは,その恥ずかしい秘密を明かす場でもある。 毎日一人嫌らしくいじめているところを晒すのだ。
包皮に包まれている者は,精液が恥垢となってたまっている。M検で包茎をめくったら,亀頭にいっぱい黴が生えていたという。環状溝が出るまでばっちり剥き上げ
られるそうだから,たとえずる剥けでも、もう一段剥き上げられるのだ。包茎の者にはたまらないだろう。そんなことを慶応でさえ,大勢の前でしたという。M検を受けなかったら,
どんなに良い成績を取っても合格はない。順番が来たら,どんなに恥ずかしくともパンツを取り去り生まれたままの裸で進み出る。肛門検査も手足をピンと伸ば
して股を広げ,手形足型に合わせ検査官の前に尻を晒す。どうしても手足が曲がってしまうらしいが、ピンとなるまで検査をしない。次の順番を待つ者も次は自分があのようにと思うと他人事ではない。
M検場は次々に剥き上げられる受験生の恥部から発する恥垢の匂い、クーパー氏腺の匂いなど男の匂いでいっぱいになるそうだ。

10名無しさん:2020/09/22(火) 09:22:54
昭和30年には,九州大学では受験の際予め提出する身体検査票に新たに性器・肛門も追加された事が蛍雪時代に乗っている。願書に添付
する身体検査票に普通 の身体検査が従来からあったのだが,
新たに大学病院で性器・肛門についても泌尿器科で検査を受け提出とある。つまり二重に厳重に検査されるとるのか、実習台にされるのだ。
大学病院の検査となると普通 、普通の病院の外来のようなところではないのが普通。学問研究や医学生やインターンの修習・実習のためで、
インターンや看護婦が何人も見学し,受験生一人に対し,教授が検査のあと、何人ものインターンが一人ずつ交替で触って検査し、検査実習をするのかも。
受験生となれば,拒否すれば願書提出できないのだ。
パンツをとらせ、拒否出来ない受験生にインターンの目の前で自慰行為をさせ、平常時と勃起時のサイズや角度、硬さ、採取した精液の量 、…・睾丸の
サイズなど、ついでになかとれないどんな検査実習や、「受験生」という名の病人ではない青春盛りの貴重なデータでも取ることでもできる。1000人いれば貴重なデータとなる!?。

11名無しさん:2020/09/22(火) 09:23:28
やっぱ,大学入試で大抵の大学でM検やっていたっていうの本当なんだね。
>12は読売新聞の記事なんだから,そのとおりなんだろうけど,
武道場がどの位広いか分からないけど,数百人の受験生が一糸まとわぬ
全裸で7,8列に並んで検査されたなんて想像すらできない。広いといったって
7,8列ともなれば列と列の間隔は3mかせいぜい5m位か。前の奴のケツを
みるより隣の列の先頭が剥かれてしごかれるの丸見えだったんだろうなー。
>72がリアルに言っているように,行列していれば,前の奴との間隔は
50センチもないだろう。そいつが目の前でパンツを脱いで検査されるんだから,
前の奴の体温や匂いまで肌で感じるし,直近で医者の手つきを見ていれば,
今医者が何をしているか,逐一分かるだろうな。
このサイトをずっと見ると,自治医大(№4),慶応(11),東大(12)、神奈川
県警(25),防大、自衛隊(29、32),東京商船大(64),松山大(65),
京都府立医大(70)などの大学や隊があがっているから,多分ほかのほとんど
の国,公,私立大学がやっていたことは納得。でも,当然勃起した奴はいたはず。
そういう奴はどうしたんだろう。想像すればする程興奮してくる。

12名無しさん:2020/09/22(火) 20:37:04
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/sepia/1106578252/443-n

13名無しさん:2020/09/22(火) 20:40:00
http://youkou.blog27.fc2.com/blog-entry-220.html

14名無しさん:2020/09/22(火) 20:41:04
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/news/1347/1561098766/l50

15名無しさん:2020/09/22(火) 20:42:25
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/16648/1564272959/

16名無しさん:2020/09/23(水) 08:36:42
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/sepia/1106578252/443-n

17名無しさん:2020/09/23(水) 08:38:19
松山商科大学で1972(昭和47)年にM検を受けた人が今はもう65歳か…
遠い昔の話しだねえ

18名無しさん:2020/09/24(木) 22:22:28
国民体力検査
少年が怯えたM検ということであれば、徴兵検査もさることながら、もうひとつ実際に中学生からあった『国民体力検査』があると思います。

おく民体力検査は予備徴兵検査とも言うべきもので、昭和15年9月から17歳以上徴兵検査前までの男子たるもの翌昭和16年4月からは15歳以上(その年11月30日で)、つまり、中学三年生以上。体力検査は疾病検査、身体測定、体力検査(体力章検定)殻なり疾病検査にはM検を含む予備徴検査というべきもの。

自分は、戦後十数年立った昭和30年代半ばごろだったが、中学三年生の春の身体検査
のとき、パンツ一枚で身体検査を受け、順番に並んで順番を待つのだが、もう少しで
自分の番がチ被いた頃、先に終わって出てきたヤツガ「チョウヘイエンサするあらパンツ脱げってゾ』といったのだ。。

ええっと思った、それは困るよ嫌だよ、そう思ったものだ。。だがだんだんちかずいてくるのだ、、結果的にソレハウソだった、かつがれたのだ。その頃毛が生え、ヒミツの行為に耽って、自分だけ女いやらしい行為をしているのだろうかと思っていた。敏感な包皮をも魅し抱き何回も難解もして非常に敏感になっていた
昭和17年、中学生に実施した性器検査では発毛の平均年齢は14歳だっとという
そんな恥ずかしい年頃に変わりない中学生が、本当に恥ずかしいから履いているパンツ二手を変えて脱いでしまう、それははずあしかったことでしょう、それも『体力手帳』を渡され徴兵検査まで毎年受け泣けれならなかったという。。
 ,
思春期丸出しの毛の生えかけの中学生で毎年全裸にさせられて ーーというのです。
その恥ずかしさはよくわかるのです

昭和19年2月からは、徴用の耐えの職業能力深刻年齢を、12歳以上60歳以下に改正され、すぐにその徴用が行われたヽ。中学校2年生で放校(退学9になった中学生はすぐ徴用され、筑豊炭鉱に贈られたそうだ。贈られた後尾刻印体力検査は受けただろう。。

徴用徴用身体検査は、どんなものだったろう。16歳以下でこうした検査場に送られたものも少なくないだろう。
ずるむけでも完全に剥きあげる、おちろん朝顔の蕾でも容赦なく、それは少年兵やせ戦後の大学入試でもそうだったようだ。

徴用は遊んでいるものということで厳しい。放校になった中学生は、わずか13,4で下着も許されない巣裸で検査場に贈られ奇異しい身体検査を受ける。

素裸の身体検査は少年でもたくさんあったのだ。

19名無しさん:2020/09/24(木) 22:30:42
国民体力検査は予備徴兵検査とも言うべきもので、昭和15年9月から17歳以上徴兵検査前までの男子たるもの翌昭和16年4月からは15歳以上(その年11月30日で)、つまり、中学三年生以上。体力検査は疾病検査、身体測定、体力検査(体力章検定)殻なり疾病検査にはM検を含む予備徴検査というべきもの。
実際には、もっと早く中学2,3年で自主的に行った中学校もあったという。

自分は、戦後十数年立った昭和30年代半ばごろだったが、中学三年生の春の身体検査
のとき、パンツ一枚で身体検査を受け、順番に並んで順番を待つのだが、もう少しで
自分の番がチ被いた頃、先に終わって出てきたヤツガ「チョウヘイエンサするからパンツ脱げってゾ』といったのだ。。

ええっと思った、それは困るよ嫌だよ、そう思ったものだ。。だがだんだんちかずいてくるのだ、、結果的にソレハウソだった、かつがれたのだ。その頃毛が生え、ヒミツの行為に耽って、自分だけ、いやらしい行為をしているのだろうかと思っていた。敏感な包皮を揉みしだき何回も何回もして非常に敏感になっていた
昭和17年、中学生に実施した性器検査では発毛の平均年齢は14歳だっとという
そんな恥ずかしい年頃に変わりない中学生が、本当に恥ずかしいから履いているパンツ二手を変えて脱いでしまう、それははずあしかったことでしょう、それも『体力手帳』を渡され徴兵検査まで毎年受け泣けれならなかったという。。
 ,
思春期丸出しの毛の生えかけの中学生で毎年全裸にさせられて ーーというのです。
その恥ずかしさはよくわかるのです

昭和19年2月からは、徴用の耐えの職業能力深刻年齢を、12歳以上60歳以下に改正され、すぐにその徴用が行われたヽ。中学校2年生で放校(退学9になった中学生はすぐ徴用され、筑豊炭鉱に贈られたそうだ。贈られた後尾刻印体力検査は受けただろう。。

徴用徴用身体検査は、どんなものだったろう。16歳以下でこうした検査場に送られたものも少なくないだろう。
ずるむけでも完全に剥きあげる、おちろん朝顔の蕾でも容赦なく、それは少年兵やせ戦後の大学入試でもそうだったようだ。

20名無しさん:2020/10/06(火) 15:32:38
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/16648/1566480737/

21名無しさん:2020/10/14(水) 23:37:49
陸軍身体検査規則 徴兵と志願、12歳のM検
[書誌情報]

責任表示:
木谷俊男 編著
出版者:
[木谷俊男]
出版年月日:
2003.2
請求記号:
AZ-666-H3
書誌ID:
000004023794

22名無しさん:2020/11/04(水) 18:38:21

身体検査の歴史とM検 : 健康優良児表彰、その光と影

図書 [木谷俊男], [2003] <Y94-H2851>


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