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仏教大学講座講義集に学ぶ 【 日蓮大聖人の生涯 】
73
:
美髯公
◆zkpDymnu/M
:2015/11/23(月) 14:21:08
さらに「三沢抄」には「法門の事はさどの国へながされ候いし已前の法門は・ただ仏の爾前の経とをぼしめせ」(P.1489 ⑦)とあるが、日寛上人はここに、
所破と所顕の二義があるとしている。所破とは佐渡以前に於いては真言を破していないからであり、所顕とは同じく三大秘法の大御本尊を顕わさなかったが故
であると。それでは何故、佐渡以前に於いては、真言を破折しなかったのであろうか。同じく「三沢抄」に「此の国の国主我が代をも・たもつべくば真言師等
にも召し合わせ給はんずらむ、爾の時まことの大事をば申すべし、弟子等にもなひなひ申すならばひろうしてかれらしりなんぞ、さらば・よもあわじと・をもひて
各各にも申さざりしなり」(P.1489 ⑦)とある。この様に大聖人は以前から真言宗を民族、社会を滅亡させる元凶と見なし、公場対決によって理論闘争の決着を
付けようと考えていた事が分かる。ここに佐渡以前に於いて、敢えて真言を破折しなかった大聖人の真意が明らかである。
佐渡以後に於いては、専ら真言を破折し、三大秘法の仏法を顕わしたのである。その理由は先に述べた通りであるが、更に付け加えれば、一念三千の実体である
三大秘法の大御本尊建立に当たって、真言宗が天台家から盗んだ一念三千を、あたかも自宗の教義であるかのように宣揚している玉石混淆の誤りを正し、真実の
一念三千の法門を世に知らしめんが為であったと考えられる。
最後に日寛上人の述べた所顕、すなわち三大秘法の大御本尊建立の義から、この「撰時抄」の立場を考えてみたい。大聖人はインド、中国、日本三国に渡る仏教
史の中で、伝教大師が法華経円頓の戒壇を叡山に建立した事に対して高く評価している。それは「されば伝教大師は、其の功を論ずれば竜樹天親にもこえ天台・
妙楽にも勝れてをはします聖人なり」(P.264 ⑤)と記している事からも明らかであろう。この様に伝教の戒壇建立を宣揚したのは、翌年の「報恩抄」(P.293)に
おける三大秘法の開顕、更に「三大秘法禀承抄」(P.1021)における滅後の弟子への戒壇建立の委託等の、一連の所顕の伏線であったと考えられる。つまり、
「撰時抄」は三大秘法の大御本尊建立のプレリュ-ドを奏でたものと言う事が出来よう。
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