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仏教大学講座講義集に学ぶ 【 “宝塔”の意義について 】
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:
美髯公
:2015/05/19(火) 23:34:31
次に「宝塔品二十箇の大事」に入っていきたい。「第三 四面皆出の事」(P.740 ②) に「御義口伝に云く四面とは生老病死なり四相を以て我等が一身の
塔を荘厳するなり」と説かれている。
宝塔品には、宝塔の相を明かして「四面に皆、多摩羅跋栴檀の香を出して、世界に充徧せり」と説いてある。この四面とは、我等が生老病死の四相であると
仰せなのである。本来、生老病死とは人間生命の根源的な苦悩である。その苦悩をもって「我等が一身の塔」すなわち自身の生命を荘厳するとは
一体どういう事なのか。
たとえば病気。我々が病気故に御本尊を持ち、自らの生命を開拓し、宿命転換ができたとする。そして妙法の仏力・法力を我が身の上に実証しゆく事は、
まさしく我が生命を荘厳したことになる。「このやまひは仏の御はからひか・そのゆへは浄名経・涅槃経には病ある人仏になるべきよしとかれて候、
病によりて道心はをこり候なり」(「妙心尼御前御返事」 P.1480 ①) と述べられている通りである。また死についていえば、大聖人が御本尊を顕される
機縁になった熱原の法難に際し、神四郎、弥五郎、弥六郎の三人の農民が不惜身命の信心を貫いて首をはねられた。たとえ無名の庶民の死であったとしても、
彼等の名は“熱原の三烈士”として、七百年後の今日に至るまで日本国中、否全世界に語り継がれている。死が一身を荘厳したのである。
このように、生きる事、老いる事、病気で苦しむ事、そして死という最大の苦悩さえもが自身の生命を荘厳していく事になる。そこに南無妙法蓮華経の
偉大な功徳力がある。「我等が生老病死に南無妙法蓮華経と唱え奉るは併ら四徳の香を吹くなり」(P.740 ③) とは、その原理をいわれているのである。
四徳とは、常楽我浄である。常とは、三世にわたって永遠に連続して不滅である事。楽とは、生死、煩悩の苦を明らかに見つめ、それを即、涅槃、菩提の
楽にしていく事。我とは、仏という無上の我が宇宙に遍満している事。浄とは、染法を離れ、浄法にして鏡の如く清浄な事をいう。我々の生老病死という
四相それ自体が、ありとあらゆる人々にこの四徳の薫風を与えていく。「四面に皆、多摩羅跋栴檀の香を出して」とは、そうした四徳の香りを表している
だと、大聖人は仰せなのである。
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