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準シュダオン氏について語るスレ

1天照 ◆MO30b8Jwoo:2012/05/14(月) 12:01:26 ID:lJ4VMJiQ0
ここでは以前の参加者であった「準シュダオン」氏について語るスレです。
考察や分析、その他準さんのことに特化したスレです。

2Boo:2012/05/14(月) 13:51:03 ID:Mjl4dd/.0
さっそくですが

http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1329404331/l50

で、相も変わらず溝の減ったレコードやってますね。

3ラシン ◆xvojmuQ90o:2012/05/14(月) 15:52:22 ID:0iokvgUQ0
棕櫚さんへ

辞典では下記のようにブッダの根本教理から種々の広義解釈、
続いて、初期仏教時代の説、部派仏教時代の説と明確に区分して、
解説記述されています。
部派仏教時代の(ー中略ー)した部分を挿入しておきます。
【初期仏教・部派仏教】という括弧書きはこのとおりです。

 ー岩波仏教辞典第二版ー95頁 縁起の項ー
 
 縁起えんぎ
 縁によって生起すること.ゴータマ・ブッダ(釈迦)の悟りの
 内容を表明すると伝えられる.仏教の根本教理の一つ.
 生存の苦悩はいかにして生起し,また消滅するのかを示す.
 諸法の因果関係.此れを縁とすること.ー後略ー

 【初期仏教・部派仏教】

 初期仏教時代の縁起説は,苦しみ悩む有情が主題となったため,
 老死という苦しみの原因を無明(無知)に求める〈十二支縁起〉
 〈十二因縁〉説が代表的なものであった.

 続く部派仏教時代には, これを過去世・現在世・未来世の三世に
 わたる業の因果関係とみる三世量重の〈業感縁起〉説として解釈
 することが行なわれたが(説一切有部),一般諸科学の発達に促されて
 世界観も広がったため,客観世界や客観的現象までも説明しうる〈六因・
 四縁・五果〉(説一切有部)や〈二十四因縁〉(南方上座部)というような
 縁起説も説かれるようになった.
 しかしこの段階までの縁起説は,迷いの世界(有為)のみを説明する
 ものであり,悟りの世界(無為)は縁起の中に含まれなかったから,
 悟りは”滅”や”解脱”と表現され,縁起を超越し縁起を滅した
 世界とされた.

4ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2012/05/14(月) 19:12:05 ID:SmEF4Oe2O
>356:準シュダオン :2012/05/14(月) 12:06:36.93 ID:Vt2RcHm/
>「しゅろ」さんは縁起の法で涅槃へ行く、と考えているようですが、それは違うよう
>ですよ。阿含時代は、縁起の法に逆らって涅槃へ行く、と考えられていたようです。
>また、岩波仏教辞典から引用しましょう、「逆流(ぎゃくる)」の説明です。
>逆流→「広義には、生死輪廻の流れに逆らい、悟りに向かって進むこと」
>    と、説明されています。
>    また、狭義には四向四果の預流の古い漢訳語、と説明されています。

>管長本にも、預流を逆流の聖者ともいう、生死の流れに逆らうという意味、とありました。
>どうですか?しゅろさん。阿含時代は、生死輪廻をすることが縁起の法であり、その縁起に
>逆らって、輪廻・縁起を超越することが悟りなのだ、と考えていたと思いませんか?
>だから逆流の聖者というのでしょ?

私は準シュダオンさんにブラフマダンダ(完全無視)の態度をとると表明しました。
早速我慢できず挫折ですか?と、からかわれるかもしれないが、実は準シュダオンさん
を相手にする気は毛頭なく、しかし、その書き込み内容によって読者が
騙されやしないかと心配して、老婆心ながら解説したいのです。
幸い天照さんのおかげでしたらばには来れなくなったし、あちらも2ちゃんねるの
本スレではない所を選んで書いてくれている。
準シュダオンさんはこれを見てあちらでレスをするかもしれないが、それはそれとして、
彼と対話しなくてよいのは助かります。
皆さん、逆流という言葉なんかに騙されてはいけません。
逆流とは縁起に逆らうことではありません。
我々は縁起によって無明無知を起源とする煩悩があることによって苦もまた生起し、
しかし煩悩を滅することによって縁起縁滅により苦の生もまた滅することが可能です。
その結果として輪廻も滅してしまいます。
しかしこれを縁起に逆らったとは言いません。
苦と輪廻を生起する煩悩の流れに逆らったのです。
人間というものはつい低きに流れてしまいがちです。
煩悩が漏れ出てしまいがちです。その流れに逆らうのです。
朝眠くていつまでも寝ていたいですよね。しかしその怠惰の煩悩に逆らって起きるわけです。
要するに怠けないで勤勉努力しなさいと説く。
さすれば輪廻にも逆らって止められる。
これも縁起縁滅あればの光明です。

5ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2012/05/14(月) 19:47:16 ID:SmEF4Oe2O
>356:準シュダオン :2012/05/14(月) 12:06:36.93 ID:Vt2RcHm/
>どうですか?しゅろさん。阿含時代は、生死輪廻をすることが縁起の法であり、その縁起に
>逆らって、輪廻・縁起を超越することが悟りなのだ、と考えていたと思いませんか?

ここが違うのです。
生死輪廻が起こるだけなら
「これあるによりて彼生ず」だけではありませんか?
しかし縁起の悟りとは
「これあるによりて彼生ず。これなきによりて彼滅す」がセットになっています。
この縁起縁滅をまとめて縁起と言うのです。
物事、存在の生も滅も共通する法則として縁起と言うのです。
これは桐山さんも説いていることなんです。
だから縁起自体は悪でもなければ善でもない。
清浄でもなければ不浄でもない。
これを縁起空と言う。
空とは善も悪も清浄も不浄もないのです。
だから苦の生起する法則であると同時にそれは苦を滅する法則でもあるのです。
だから福音なんですよ。
縁起がなければ苦を滅することができないのです。
煩悩は滅したけれど関連しあう縁起が滅されてしまったから苦もまた滅することが
不可能になってもうたなんて話になります。
アゴン宗の信者さんは私の書き込みを読んで、それは桐山さんもそう説いている
と思いませんか?
私の書いていることは桐山本の「般若心経瞑想法」から読み取れるんですよ。
桐山さんは悪いことには執着するなが色即是空だが、空即是色とは善いことには
執着せよと示した。
空を積極的な取り組みとしたわけです。
だから縁起空も、苦を滅することができるのも縁起あればこそとして
縁起を悪や不浄とみなさず、寧ろ福音として悟り、理解すべき教えとしています。
準シュダオンさんだけがここを読み取れず、桐山さんが説きもしない
縁起を滅した世界、縁起に逆らう世界なんて足を引っ張っているのがわかるでしょう。
ただ桐山さんは逆流だから反重力であり、それは普通の生活実践では駄目で
チャクラの開発をせねばならぬなんてトンデモオカルトに仕立て上げた。
しかし逆流とは煩悩に逆らうことなんだから、誘惑に負けそうな苦しい面はあっても
努力して克己せよと説くだけです。

6天照 ◆MO30b8Jwoo:2012/05/14(月) 20:12:27 ID:wtgU4wCM0
>>4-5 本当に納得です。このように納得がいく解説を準さんがしてたら見直せるというか少しは
理解できるのですが、釈尊は愚か桐山教祖まで言わないトンデモ論を言う始末には手におえない。
もちろんユビさんの解説はちゃんとしているから納得が出来るのであって、妄想よりも逸れている
狂人老人の論は理解できないし、接したくも無い。
むしろ今のこの状態はすがすがしく、とても落ちつける。

またユビさんの言われている「挫折」なんてとんでもない。
私は新参者ですが流れはある程度過去ログや深山さんの過去からの指摘で有る程度把握しています。
むしろ今までよく我慢できたものだと思うほどです。
ユビさんは嫌気が指してもブラフマダンダを行い理路整然をする予定なのを私がカットした。
挫折なんて微塵も思いません。別な人が思ってもそれは状況を知らないからです。挫折などしてませんよ。

7天照 ◆MO30b8Jwoo:2012/05/14(月) 20:20:15 ID:wtgU4wCM0
統一スレ 366

「これは、縁滅と縁起滅は違うと屁理屈をこく深山さんとユビさんに対する、
お返しの屁理屈なわけさ。過去の業に縁って現在の生存があるということは、
今の生存は、縁起しているから生存しているというわけよ。
だから、縁起(今の生存)滅というのが正しい、というのが私の理屈よ。」

戯けが。マトモな論もいえないくせに屁理屈を言ったのを自己暴露。
皆さん見てみなさい。正論を説いていたような姿勢が実は”屁理屈だった”
と自白している。こういう馬鹿が「準老人」なのです。

もちろん屁理屈だろうというのはわかっていたし嘘だろうというのも感づいていた。
ただそれを言う前に引用を調べないと増谷先生まで失礼することに成るので私は
本を持ってないこともありお伺いした。

ついさっきまで紳士ぶって「私の論は正しい」といいながら数時間後には「屁理屈だ」
というこのオバカで間抜け。まるで桐山教祖とクリソツです。

化けの皮がはがれるには早すぎるって。ボケ老人。

8ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2012/05/14(月) 20:44:49 ID:SmEF4Oe2O
>356:準シュダオン :2012/05/14(月) 12:06:36.93 ID:Vt2RcHm/
>すべては因縁によって生起している、ガンも横変死も生老病死も。
>ガンも横変死も生老病死も、それらの因縁をすべて断じて解脱する、というのが
>管長の阿含経解釈でしょう。学者の「さとりは縁起の滅した世界」との記述と、
>一致しているでしょう。

皆さん、ここに省略のゴマカシがあることに気が付いてください。
まずこの前に彼は深山さんらは渇愛の煩悩を滅しても無明を滅しない限り輪廻滅は
得られないことがわかっていないなどと決め付けている。
無明という高度な煩悩を滅して初めてアラハンという最高位に達し輪廻もなくなる
のはその通りで、それがわからないなんてのは準シュダオン氏の勝手な決め付けです。
しかし無明などは最期の仕上げの後回しでよいから、今為すべきことは
それよりも低い煩悩から減らしていくことではないか?
欲貪や瞋恚含めた五結を断ずればアナゴンであり、出家でもない我々はまず
こちらから目標にしてでも実践を進めるべきです。
ところが彼は今度は欲貪や瞋恚なんてシュダオン果を得てから初めて取り組めば
よいのだ、まずは我見をなくすことだなんて説く。
で、いつまで経っても欲貪や瞋恚をなくすところまでは行かぬまでもせめて減らす
ような努力の道を始めることすらしない。
つまり先延ばし、先送りです。
要するに煩悩を減らすなんて修行をしたくない言い訳です。
退職したいと願い出る。ならばさっさと辞表を提出すればよいものを、残務整理が
どうこう言い訳して、しかしてその残務整理すらも手つかずで辞表を出さない。
要するに退職なんかする気がないのと同じです。
我々は涅槃という境地が輪廻もなくなることを否定したことは一度もありません。
煩悩を完全に断じれば輪廻はなくなります。
彼はその究極の輪廻もなくなる涅槃だけを砦に批判側にイチャモンをつけているのです。
しかしてその究極の涅槃って、ガンの因縁切りとどう関係ありますか?
十二縁起の説くところは無明や渇愛の煩悩を滅して最終的には老病死などの苦も
滅する方程式になります。
しかし老病死の苦がなくなるということはその前提に生がなくなる、生まれてこなく
なることです。
これって生きていながらガンにはならないという桐山因縁解脱とは違いますよね?

9ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2012/05/14(月) 21:02:22 ID:SmEF4Oe2O
>356:準シュダオン :2012/05/14(月) 12:06:36.93 ID:Vt2RcHm/
>すべては因縁によって生起している、ガンも横変死も生老病死も。
>ガンも横変死も生老病死も、それらの因縁をすべて断じて解脱する、というのが
>管長の阿含経解釈でしょう。学者の「さとりは縁起の滅した世界」との記述と、
>一致しているでしょう。

すべては因縁によって生起している。
しかして因縁とはこの関係の法則の総体であり、厳密には無明や渇愛などの煩悩が
あるからまず人間としての生を受けるという苦が生起する。
人間として生じてしまったからには老病死の苦を受けることは免れない。
いや、苦を必要以上に苦と拡大しなくても老病死は避けて通れません。
これは老病死だけでなく四苦八苦の八苦の方も然りです。
それを必要以上に苦だと懊悩せぬまでも別離がなくなるなんてことはあり得ません。
だから生を受けたが、ガンにはならないよ、死ぬことは免れないにしてもせめて
事故死するようなことにはならないよなんて教えではないのです。
それならばそのような表現が経典に記述されているはずです。
それを示すのにこんな下手な記述であるはずがない。
経典から読み取れることは、ガンはなしよ、事故死もなしよ、老衰はアリよ
なんて話ではなく、生存そのものがなくなる縁起の法則です。
だから因縁・縁起解脱なんてのは用語的にもないし、桐山さんが説く現世利益の
運命転換の意味も絶対に見いだせません。
準シュダオンさんは輪廻滅を示すのが限界なんです。

10ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2012/05/14(月) 23:13:47 ID:SmEF4Oe2O
>365:準シュダオン :2012/05/14(月) 15:13:46.35 ID:Vt2RcHm/
>そうそう↑。だから、阿含時代は、解脱したら縁起のない世界へ行く、と考えたらし
>いのよ。なにしろこの世に生まれてこない、のだからね。

皆さん、ご覧ください。
これが縁起を滅した世界を否定する証拠です。
解脱してから後、縁起のない世界に行くのならば釈尊は生前解脱していなかった
ことになる。
死んで初めて解脱したことになる。
しかし有余依涅槃という言葉があるように、釈尊は生きている間涅槃を得て
死んで後肉体の束縛がなくなり無余依涅槃を得た。
生きている間はチュンダの供養を受けて食あたりになり下痢が続いた。
寝るしかなかった。そして臨終に至った。
ちゃんと縁起の中に生きている。それでも既に解脱者だったのです。
死んでようやく解脱者となり縁起のない世界に行ったと釈尊を罵りたいわけですね。
そして準シュダオン氏は面白いことを書いている。
もう生まれ変わってこなくなると。
わかっているではないか?
彼の目指すのは死んでもう生まれて来ないことなんですね。
これで桐山因縁解脱の擁護が出来なくなった。
ガンの因縁を切るとはガンにならずに健康体で生き長らえるが桐山因縁解脱です。
それともなにかえ?(準シュダオン氏の口真似)
ガンの因縁を切るとはとにかく死んで生まれ変わってこなくなることを指すのかえ?
ほら、彼は議論に勝ちたくて肝心の桐山因縁解脱を擁護するどころか否定してしまった。
だからこんな奴にかまう必要は無い。

12天照 ◆MO30b8Jwoo:2012/05/15(火) 06:29:25 ID:oKi4TDqA0
大爆笑ですね。輪廻転生瞑想法で「来世はよりよい世界を」を肯定しつつ、仏教を語れば「転生しないのが正しい」といい、
肝心の縁起滅を建てれば転生論が立たず、転生論が立てば仏教正論が成り立たない。

そもそも準さんの言う縁起滅は成り立たないと諸兄様方が論破されている。
しつこく、尚且つトンデモ論をいうからこのように成り立たなくなってくるのですよね。
相変わらずボケと笑いを提供してくれる「桐山新喜劇団員」ならではのサービスです。
しかも団員でありながら団長の「桐山氏」の顔に泥を塗る行為は笑いを得るための行為(仕事?)
とはいえ、団長にまで普通は恥をかかせないものですが笑いのためならトコトンやる。
それこそ昔ドリフで「いかりや長介さん」をトコトン酷い目にあわせるようなコント内容があったが、
あれのように笑いのためならTOPまでもコテンパンにするという徹底振りには確実に笑いを取れる。

ここまで笑いのプロ根性があるとは改めて準さんの凄さがわかりました。
笑いのためなら教祖までもコテンパンに打ちのめす。
今のお笑い界には職人も生粋のプロがいないといわれているが、こんなところにとてつもないプロが
居たとは驚きを隠せない。アマチュアのままでいさせるのが惜しいほどの仕事ぶりです。

13棕 櫚:2012/05/15(火) 11:00:51 ID:zgeHTVig0
>>3、引用ありがとうございました、らしんさん。

気づきませんでしたのですぐ引用典拠させてもらいます。

14天照 ◆MO30b8Jwoo:2012/05/16(水) 21:01:53 ID:xj7F4VVk0
早速統一スレにも準氏に向けての雑言が出てきましたね。

準氏の擁護ではないが、「エロ爺シュダオン」と投稿がある。
でも準氏は別段エロ内容を言っているわけでもないし、エロさを披露したことも無い。
正確にはエロなのは「桐山靖雄」です。
色川さんやその他の女性と疑惑が上がっている教祖が「エロ」なのです。

でもそういったエロ教祖を崇拝し阿含宗の信仰をしているのだから「エロ爺シュダオン」
といっているのでしょうね。準さんには迷惑な事です。

15天照 ◆MO30b8Jwoo:2012/05/17(木) 06:25:29 ID:MEbBWSwM0
お、早速「準爺はエロではないよ」との書き込みがwww
素直な方が居て嬉しいなあ。

しかし、相手も懲りずに一行揶揄。
これは又これで面白い。

え?喜んでどうするって?
人生面白いことも無いとやってられませんって。
(そう言う問題かい?)

2chは規制ができない板ですから、揶揄も止められない。
こういうのが規制できない板の宿命です。

まあ、元々掲示板はそれがデフォなんですから、観念するしかないと。
居心地が悪ければ模索することですよ。
もちろん揶揄になど負けない(というか何も感じないかと)準さんですから
屁とも思って感じてないでしょうけどね。

16棕 櫚:2012/05/17(木) 12:28:22 ID:bmq3yOns0
スレとちょっとズレるんですがブッダ最後の旅にあるんですが、
釈迦がアーナンダ言ったことば、 「ヴェーサリーは楽しい、 いろんな霊樹の地は楽しい、
修業を完成した如)は、 四つの大きな霊力を修したので、 もし望むなら寿命のある限りこの世に
とどまるであろうし、、、」 というのはどうも煩悩を滅した釈迦らしくない言葉であるように
感じますけど私の間違いかなあ。 。。

17ラシン ◆xvojmuQ90o:2012/05/17(木) 17:17:22 ID:0iokvgUQ0
>>16 名前:棕 櫚 投稿日: 2012/05/17(木) 12:28:22 ID:bmq3yOns0
>というのはどうも煩悩を滅した釈迦らしくない言葉であるように
感じますけど私の間違いかなあ。 。。

(仏陀その生涯と思想 増谷文雄)
「では比丘たちよ、有聞の聖弟子と無聞の凡夫とは、いかなる点に
 おいて異なっているであろうか。
 比丘たちよ、よく聞き、よく思ってみるがよい。未だ正法を
 聞かざる凡夫は二種の受を感ずる。それは身における受と
 心における受とである。
 それはたとうれば、第一の箭をもって刺され、さらに第二の箭を
 もって刺されるに似ている。
 彼はいまだ正法を了知せざるがゆえに、もし五欲において楽受を
 うければ、それが愛執するがゆえにさらにたちまち欲貪の煩悩の
 縛するところとなる。
 またもし苦受をうくることあれば、それに対して瞋恚を生ずるが
 ゆえに、また瞋恚の煩悩のとらうるところとなる。
 
 それに反して、すでに教法を聞くことを得たる聖弟子は、
 ただ一つの受を感ずるのみである。
 これをたとうえれば、身における受は感ずるけれど、
 心における受を感ずることはないであろう。
 これをたとうれば、第一の箭をもって刺され、されど第二の箭を
 受くることなきに似ている。
 なんとなれば、彼はすでに正法を知るがゆえに、もし五欲において
 楽受をうけても、彼はこれに愛執することなきがゆえに、
 その心をさわがしその意を乱すにいたらず。
 またもし苦受を味わうことがあっても、彼はそれに対して瞋恚を
 生ずることなきがゆえに、また煩悩の擾乱するところがない。
 これを第二の箭を受くることなしというのである。」

18ラシン ◆xvojmuQ90o:2012/05/17(木) 17:19:02 ID:0iokvgUQ0
>>16 名前:棕 櫚 投稿日: 2012/05/17(木) 12:28:22 ID:bmq3yOns0
>というのはどうも煩悩を滅した釈迦らしくない言葉であるように
感じますけど私の間違いかなあ。 。。

ー解説引用ー
わたしどもは、ともすれば、仏陀もしくは阿羅漢といえば、苦楽ともに
滅しつくして、寒厳枯木のごとき存在となりきっているかに考えがちである。
だが、釈尊の子の説法は、明らかにそのような考え方は間違いであることを
語っている。聖者といえども、聖弟子といえども、凡俗の人々とおなじように、
「楽受を感じ、苦受を感じ、非苦非楽受をも感ずる」のである。
美しいものを見ては美しいと感じ、愛しいものを見ては愛しいと感ずる。
また、醜いものをみれば醜いと感じ、憎いものをみれば憎いと感ずる。
そのことは少しも異なるところがない。
だが、彼らはけっして「第二の箭」を受けないのである。「第二の箭」を
受けざるがゆえに、苦受もまた楽受も、さらに彼らの心の平和をかき乱す
にいたらないと釈尊は説いている。(仏陀その生涯と思想 増谷文雄)167頁

19棕 櫚:2012/05/17(木) 18:29:27 ID:bmq3yOns0
>>17−18

どうも説明すみません。
ただそうなると釈迦も他のアラカンも身には感じるが第二の矢を受 けないなら、
美しいとか楽しいとか心に感じるのはダメなんじゃないかと思いま すが、、、。
第一の矢は身で第二の矢は心なんですから何か納得がいきません? ?

20名無しさん:2012/05/17(木) 19:20:43 ID:5WTRwxgw0
煩悩に執着する凡夫は「楽受」を感ずれば繋縛されて感じ、「苦受」を感ずれば繋縛されて感じ、「非苦非楽」を感ずれば繋縛されて感ずる。
仏弟子は「楽受」を感じれば繋縛を離れてこれを感じ、「苦受」を感ずれば繋縛を離れてこれを感じ、「非苦非楽」を感ずれば繋縛を離れてこれを感ずる。
つまり
凡夫→繋縛されて感じる、 仏弟子→繋縛を離れてこれを感じる。 つまり「○受」によって煩悩が立ち上がらない。
第一の矢を受けても煩悩が生起しないので第二第三の矢を受けない。

21名無しさん:2012/05/17(木) 20:18:00 ID:5WTRwxgw0
>美しいとか楽しいとか心に感じるのはダメなんじゃないかと思いま すが、、、。

人間は生きている限り、感覚器官(五感)は正常に情報を伝達します。
微風がふけば涼しいと感じ、花を見れば美しいと感じ、素敵な音色を聴けば心地よく感じるでしょう。
だが、仏弟子はそれらに執着しない。執着が無ければ煩悩は生起しません。
つまり
涼しいと感じ、美しいと感じ、心地よく感じても煩悩が生起しないので、第二の矢は受けない。

22ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2012/05/17(木) 20:57:48 ID:SmEF4Oe2O
>>16:棕 櫚12/05/17(木) 12:28:22 ID:bmq3yOns0
>釈迦がアーナンダ言ったことば、 「ヴェーサリーは楽しい、 いろんな霊樹の地は楽しい、
>修業を完成した如)は、 四つの大きな霊力を修したので、 もし望むなら寿命のある限りこの世に
>とどまるであろうし、、、」 というのはどうも煩悩を滅した釈迦らしくない言葉であるように
>感じますけど私の間違いかなあ。 。。

これは経典のこの部分の前後を注意深く読めばそのような誤解には陥らないと思います。
たしかに誤解を招きやすい表現ではありますけどね。
釈尊はヴェーサリーは楽しいとあちこちの霊域をさして楽しいと連発し、
四神足を成じた自分にとってはいつまでも長く滞在して楽しむことができる。
ああ、それなのにそれなのに、アーナンダよ、おまえといったら思慮が浅いために
如来に対していつまでもお留まりくださいと嘆願しない。
二度嘆願されてもそれを退けたろうが、しかし三度嘆願されたら皆の為に
如来はこの世に留まろうとしたかもしれない。それなのにそれをしなかったのは
アーナンダよ、おまえの過失である、と釈尊はアーナンダにひつこく何度も何度も
責めているように見えますよね。棕櫚さんの言うように釈尊らしくない。
しかしこの少し前を 再度読んでください。
アーナンダは実に三度釈尊にお留まりくださいと懇願して釈尊は拒否されているのです。
あれ?おかしくね?
その答えは釈尊がおまえの過失だおまえの過失だとボロクソに
アーナンダをたしなめたかのように見える文章の次を読むとよくわかる。

23ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2012/05/17(木) 21:08:54 ID:SmEF4Oe2O
>>16:棕 櫚12/05/17(木) 12:28:22 ID:bmq3yOns0
>釈迦がアーナンダ言ったことば、 「ヴェーサリーは楽しい、 いろんな霊樹の地は楽しい、
>修業を完成した如)は、 四つの大きな霊力を修したので、 もし望むなら寿命のある限りこの世に
>とどまるであろうし、、、」 というのはどうも煩悩を滅した釈迦らしくない言葉であるように
>感じますけど私の間違いかなあ。 。。

しかあーーし!と釈尊はこれまでのくどくどしたお説教から語調を変えるかのごとく
説く内容を変えているのです。
しかし考えてもみなさい。私が説いてきたことを。
この世の美しいものも変化し滅び、そんなものに心を囚われてはならず
捨て去らねばならないのである。
私はおまえたちもヴェーサリーもすべてを捨てて3ヶ月後には入滅すると断言する。
これをどう考えるか?
ヴェーサリーが美しいのはその通りなんだが、実はそんなものに囚われてなど
いないのです。
アーナンダにおまえの過失だなんて木魚を叩くがごとくいじめてなどいないのです。
美しいからいつまでも留まろう、それは人情ですよね。
それをキッパリ否定してみせたのです。
おまえたちにとっては如来を長くこの世にいてもらうことこそ本望であろう。
だからアーナンダが懇願しなかったらそれはアーナンダの過失であり、それは
アーナンダの責任である。
ただし君らの本望である如来に対する依存心の立場から見るとね。
しかし私は敢えてそれを退けて3ヶ月後には入滅すると宣言断言した。
ヴェーサリーが美しかろうと長く留まることが可能であろうと、私は私の意志で
これを捨てると宣言したのです。
事実ヴェーサリーを離れて田舎のクシナーラへ向かう。
なんでこういうややこしい説き方をしたか?
これが釈尊流の方便説法なんですよ。
さんざん相手に対して、こうすることができたのに〜と強調するだけ強調しておいて
最後はそれを全否定してみせる。
素晴らしいインパクトの強い説法です。
よいか!私の教えを再度思い出せ!
執着などしてはいかんのだぞ! 捨て去るべきなんだぞ!
つまり釈尊は教育者だったのです。
先生の本懐はヴェーサリーは美しいことを認めこそすれ、そこに留まりたいなんて
煩悩は完全に離れていることがわかります。
以上が私の解釈なんですが、いかがでしょうか?

24ラシン ◆xvojmuQ90o:2012/05/17(木) 21:12:35 ID:.st0wrT.0
>>19 名前:棕 櫚 投稿日: 2012/05/17(木) 18:29:27 ID:bmq3yOns0
>第一の矢は身で第二の矢は心なんですから何か納得がいきません? ?

20名無しさんの説明に尽きることですが、これからは私見で言説します。
釈尊も聖弟子もたとえ解脱しても、人間としての生体機能があり、
そのために美醜や苦痛は感じると思います。
ただし、それは第一の箭=身体、第二の箭=心、という単純な
区分けではありません。
「ブッダ最後の旅」にあるように、釈尊は鍛冶工のチュンダの食施で
病に伏してしまい、アーナンダに喉の渇で水を求め、体力を消耗して
座床をチュンダカに求めたりと、
それは、人間の苦痛を俗人と同じように受けています。
しかし、それによって心が乱されない、苦痛によって厭世的になったり、
他人をののしり、他人を恨むような悪心や害心が全く無い。
桐山さんのような、美食に耽溺したり愛人に執着したり逃げたり、
どんな事が起きても、他者や先祖や部下への責任転嫁も無いのです。
釈尊は、チュンダの供養は大いなる功徳がある、
とまでアーナンダに伝言させているほどです。

 そこで尊師は右脇を下につけて、足の上に足を重ね、獅子座をしつらえて、
 正しく念い、正しくこころをとどめていた。(ブッダ最後の旅126頁)

釈尊は、このように重篤の病においても心の安定(=八正道)を
実践していたのでしょう。
それが第二の箭(心の状態)において、錯乱を受けない、錯乱しないことです。
「第二の箭を受けず」との意味は、この聖道の実践者であるからと解釈できます。

25ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2012/05/17(木) 21:13:35 ID:SmEF4Oe2O
いやあ〜、しかし準シュダオン氏スレでも準シュダオン氏を取り上げず
別の話題で沸くようになったのは痛快なるかなw

26ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2012/05/17(木) 21:41:22 ID:SmEF4Oe2O
四神足で得られるものも捨てようってなわけだ。

27棕 櫚:2012/05/17(木) 21:47:43 ID:OSEIXSxc0
どうもすみません、スレチなのに>20さんからの論説やラシンさんのお経の解釈と、
ユビキタスさんのザックバランでありながら中核をついたご説明にびっくり仰天です。
何と言いますか私の釈迦の解釈はヤバいですね、 準シュダオンさんの道に入りそうで、、w
でも本当に感謝です、。
批判派のみなさんの経験知には驚き桃の木ってやつです。
納得できたと言うか自分のバイアスに気づかされました.。
釈尊流の方便説法、なるほどねえ、、、私、 もっと仏典読まないといけないです。
もしかして準シュダオンさんへの反論もヤバイかもw

28ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2012/05/17(木) 22:40:26 ID:SmEF4Oe2O
>>27:棕 櫚12/05/17(木) 21:47:43 ID:OSEIXSxc0
>どうもすみません、スレチなのに

いや、準シュダオン氏スレであることが、スレチでも敢えてレスする原動力になりましたw
こちらは方便説法でもなんでもないが。

>もしかして準シュダオンさんへの反論もヤバイかもw

いやいや、私も最初読んで怪訝に感じたくらいで、大切なことは準シュダオンさんと
違って柔軟に受け入れができることですね。

29深山:2012/05/17(木) 22:42:54 ID:mF5LETb20

>>16 :棕 櫚:2012/05/17(木) 12:28:22 ID:bmq3yOns0
>とどまるであろうし、、、」 というのはどうも煩悩を滅した釈迦らしくない言葉であるように

引用した内容については二つに分けて考えたほうがいいかと思います。

1.苦を説いた解脱者が楽しいと言うのはおかしくないか。
2.無常を説いた如来が永遠に生きるというのはおかしくないか。

2についてはユビキタスさんが書いていますので、省略します。
1について言うなら、おかしくはありません。
一つ目の回答は、「楽しい」の中身が違う点です。
棕櫚さんは、楽しいという中身を普通の意味に考えていますね。
我々のように俗人は欲望や執着を充たすことを楽しいと感じる。
だが、釈尊のいう楽しいとはそういう意味ではありません。
釈尊は、執着もなく、欲望に囚われることもなく、こういう重荷がなく、
霊樹の下で寝起きすることが楽しいのです。
欲望や執着を持つ我々から見たら無一物の路上生活者で楽しくないが、
釈尊は楽しいのです。
ヴェーサーリーの街は多くの人が釈尊に帰依し、その教法を尊重し実践した。
これは釈尊にとって楽しいことです。
つまり、自らも煩悩に囚われることなく、またヴェーサーリーの人たちも
煩悩を減らす努力をしている様子は、釈尊にとって楽しいことです。
だから、ヴェーサーリーを振り返りながら、楽しいと言ったのです。
(この振り返った場所は今でも崩れた遺跡として残っています)
釈尊は、楽しいという言葉は用いたが、我々のいうようなオモシロ可笑しい
という意味ではなく、解脱の道を歩むこと自体を楽しいと言っているのです。
こういう俗人が考える意味とは違う使い方をするのは珍しくない。
たとえば「真のバラモン」という表現は釈尊がカーストを肯定したのではありません。
カーストのバラモンではなく、清浄の比丘のことです。
これが一つ目の回答で、これだけでも十分なのだが、もう一つ、ラシンさんが
>>17-で引用し、>>20-21さんが説明している別な観点から説明します。

30深山:2012/05/17(木) 22:45:47 ID:mF5LETb20
>>19 :棕 櫚:2012/05/17(木) 18:29:27 ID:bmq3yOns0
>第一の矢は身で第二の矢は心なんですから何か納得がいきません? ?

棕櫚さんは、解脱者とは何も感じないと誤解しているのではありませんか。
解脱者とは何も感じないのではなく、感じたことに囚われない人たちです。
感じるとは第一の矢であり、囚われるのが第二の矢です。
第一の矢が肉体のみ、第二の矢が心という意味ではありません。
煩悩の誘いは常にあるが、彼らはそれに捉えられることがなかった人たちです。
釈尊ですら、常に煩悩のささやきがあったことは、あなたの引用した
経典の中にも、悪魔が釈尊にささやく場面があるのをみれば十分です。
釈尊のいう悪魔とは煩悩です(と本人も説明している)。
つまり、釈尊でさえも、死ぬまで煩悩が語りかけていた。
だが、煩悩に囚われ左右されることはなかった。
これが第二の矢に射貫かれなかったという意味です。

31深山:2012/05/17(木) 22:49:31 ID:mF5LETb20
>>19 :棕 櫚:2012/05/17(木) 18:29:27 ID:bmq3yOns0
>第一の矢は身で第二の矢は心なんですから何か納得がいきません? ?

解脱者もおいしい食べ物を食べればおいしいと感じる。
だから、釈尊は腐ったようなまずい味だとわかり、
自分以外の者には食べさせるなとチュンダに指示した。
この判断どおり、釈尊はこれを食べて食あたりになり、亡くなった。
ブッダガヤのある地域を釈尊は「美しい」と後に語っています。
だから、そこから推測するなら、解脱者も美人を見れば、
その女が美しいと認識したはずです。
解脱とは美醜の判断がつかなくなることではありません。
しかし、そこからが俗人の私とは違う。
私は美人を見ると、美しいと感じるだけでなく、本能的に血圧が上がり、
瞳孔が開き、口元がにやつき、身体の一部に血液が集中し、
頭の中には欲望とあらぬ妄想が広がる。
つまり、第二の矢に射貫かれたというよりも、積極的に射貫かれる(笑)。
煩悩の誘いに喜んで乗っかる。
この点では桐山さんと同じです。
だが、解脱者や清浄の比丘たちは違います。

32深山:2012/05/17(木) 22:52:45 ID:mF5LETb20
>>19 :棕 櫚:2012/05/17(木) 18:29:27 ID:bmq3yOns0
>第一の矢は身で第二の矢は心なんですから何か納得がいきません? ?

解脱者レベルになると、美人も姿の美しい雌牛も同じなのでしょう。
だから、釈尊は、美人の娘を提供しましょうという申し出に、
「糞の入った袋はいらない」と拒絶している。
つまり、釈尊から見たら、美人とは「糞の入った美しい袋」です。
釈尊も袋が美しいのはわかる。
だが、そんなものは釈尊は欲しくない(私や桐山さんのような俗人は違う)。
ただし、初心の比丘はそうはいかず、我々と同じような煩悩が起きてくる。
そこで彼らは自分に起きた煩悩を観察する。
俗人の私がニヤニヤしながらエリカ様のお姿を頭から足先まで観察している間、
彼らは自分の中に起きた欲望という煩悩を観察する。
目線が俗人と清浄の比丘では正反対なのです。
俗人の私は煩悩と一心同体であり、利害が完全に一致しているから、
美女の目線や声や香水など五感によって、積極的に煩悩と協調する。
自分と煩悩との間に何の差も隙間もありません。
だが、比丘たちは煩悩と一体ではなく、煩悩をまず観察する。
美人ではなく、自分を見る。
ここに凡夫と聖者の境があります。

33深山:2012/05/17(木) 22:55:21 ID:mF5LETb20
>>19 :棕 櫚:2012/05/17(木) 18:29:27 ID:bmq3yOns0
>第一の矢は身で第二の矢は心なんですから何か納得がいきません? ?

煩悩を観察し、分析し、考察するのが比丘たちの修行です。
そこで使われる手法が縁起であり、基本は無常や無我です。
それらの説明は別として、まず、観察によって煩悩と自分とを
分離するというこの作業に驚きませんか。
私は指摘されるまで気がつかなかった。
なにせ、煩悩とは表裏一体、生まれてからずっと、いや前世からの大親友ですから、
これをまるで他人のように観察するなど、友を裏切る行為です(笑)。
ところが、これがすごい効果がある。
どう効果があるかは棕櫚さん自身が試してください。
欲望、執着、怒り、慢心などがわき起こった時、それを観察するのです。
対象となる相手を見るのではなく、自分の心に起こったこれらの
感情を観察するのです。
つまり、エリカ様を見るのではなく、エリカ様を見ている自分を見る。
いきなり煩悩を押さえつけようとせず、静かにただ観察するのです。

34深山:2012/05/17(木) 22:59:54 ID:mF5LETb20
>>19 :棕 櫚:2012/05/17(木) 18:29:27 ID:bmq3yOns0
>第一の矢は身で第二の矢は心なんですから何か納得がいきません? ?

他のスレで、「欲望をなくしただけで解脱するなら苦労しない」
などと桐山さんの口真似をする老人脳がいた。
彼らは釈尊の説いた方法をまったく知らないし、知る努力もしない愚か者たちです。
彼らがこういう態度を取る理由は煩悩と不離一体で、煩悩から離れたくないからです。
だから、「八正道などつまらない倫理道徳、オシエだ」などと侮蔑する。
そこまで侮蔑するなら、せめてそのつまらないという倫理道徳を
守ってから発言すればいいのに、自らは病気になるほど美食飽食を続け、
愛人を何人も囲い、名誉欲を垂れ流しにして、信者を騙し、
霊感商法で金を集め、社会的な成功を得ようとしている。
こんな普通の倫理道徳すらも守らない者には言う資格すらない。

35深山:2012/05/17(木) 23:02:22 ID:mF5LETb20
>>16 :棕 櫚:2012/05/17(木) 12:28:22 ID:bmq3yOns0
>とどまるであろうし、、、」 というのはどうも煩悩を滅した釈迦らしくない言葉であるように

そこで棕櫚さんの質問についてまとめます。
一つには、釈尊のいう「楽しい」とは、我々のように煩悩に基づいた「楽しい」
ではなく、中身が違います。
二つ目には、解脱者も美醜や、快不快の違いはわかるが、俗人と違い、
彼らはそれに囚われることがありません。

36深山:2012/05/17(木) 23:07:05 ID:mF5LETb20
>>27 名前:棕 櫚 投稿日: 2012/05/17(木) 21:47:43 ID:OSEIXSxc0
>もしかして準シュダオンさんへの反論もヤバイかもw

老人介護をご苦労様です。
縁起についての反論は簡単です。
1.岩波仏教辞典の「縁起の滅した世界」とは部派仏教の説明である。
2.その証拠に、阿含経にはどこにも縁起滅など存在しない。
議論の軸足をこの2点に置き、彼の詭弁に惑わされないことです。
彼は木に竹を接ぎ、さらに石ころまで接ぐような人です。
今回の議論も2を追求して、阿含経のどこに縁起滅があるのかという
指摘に、準シュダオンさんが調子に乗って増谷博士の名前を出してしまった。
天照さんが彼のシッポを放さずに追求した。
あるはずがないから、追求され、追い詰められ、ボコボコに殴られても、
「このくらいで許してやる」と言っているのが今の準シュダオンさんです。
彼は一生あのままでしょう。
疑問があれば、今回のように遠慮せずに質問してください。
本当の意味での議論の場にしましょう。

37ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2012/05/17(木) 23:41:04 ID:SmEF4Oe2O
ヴェーサリーと言えばヴァッジ族の都で、強大な王の支配する大国の侵略の危機
がありながらも共和政治を行っていた。
釈尊もまたヴァッジ族がいかに優れた人たちであるのか、侵略をさせない為にもその
賢明なる共和政治について言及説明しています。
お世辞ではなくそのように高く評価していた。
だからそんなヴェーサリーにいることは楽しいことなんです。
享楽的な楽しみではなく倫理的にも納得のいく楽しさです。
あとヴェーサリーと言えばあの遊女アンバパーリーがいますね。
アンバパーリーはどこかのちかげ様どころの比ではないほど色っぺー女だったとか。
こら!若き人、アーナンダよ。
鼻の下伸ばしてないで四念処しとけとは言わなかったと思いますがw

38棕 櫚:2012/05/17(木) 23:42:31 ID:PZi2kwMY0
>29―36 名前:深山 投稿日: 2012/05/17(木) 22:42:54 ID:mF5LETb20
>解脱者とは何も感じないのではなく、 感じたことに囚われない人たちです。
>釈尊のいう悪魔とは煩悩です(と本人も説明している)。
つまり、釈尊でさえも、死ぬまで煩悩が語りかけていた。
だが、煩悩に囚われ左右されることはなかった。
これが第二の矢に射貫かれなかったという意味です。

そうですねすごく解りやすい解説です、 自分には無理ですけど釈迦はそうだったのですね。
そしてあの世以外のことじゃなく、 今の世だから欲望を解りやすく悪魔と言ったんですね。
神とかチョウとか言えば凄いと思うのはオカルトでオウムと変わらない、解脱すれば何でも後は
オウケイなんて言う準シュダオンさんはやはり浸食されていると思います。

>自分以外の者には食べさせるなとチュンダに指示した。
この判断どおり、釈尊はこれを食べて食あたりになり、 亡くなった。

そう言う意味でしたか!、、 今読んでいるのですがなんで食べ物を捨てさせたのかが解りました。

>つまり、エリカ様を見るのではなく、 エリカ様を見ている自分を見る。
いきなり煩悩を押さえつけようとせず、 静かにただ観察するのです。

そうです、響いて、しまうんですよねw解ります、 でも自己観察それも自分以外の目でと言うことですね。

>>35―36

何とか理解できましたとっても解りやすいので、 でも自分的には凄い難しいと言うかそこまでしないとアカン?
でも私は修行者じゃないし理解はできるのですから私も、、 あごん批判は資格ありかと自己マンです。
準シュダオンさんの理屈はそういう意味でも、ムリと思いました。
2ちゃんの準シュダオンさんは本当にアカンです。 詳しく教えていただいてありがとうございました。

39棕 櫚:2012/05/18(金) 00:46:25 ID:430.qK1U0
>25 名前:ユビキタス ◆18iA.mwnDU 投稿日: 2012/05/17(木) 21:13:35 ID:SmEF4Oe2O
いやあ~、しかし準シュダオン氏スレでも準シュダオン氏を取り上げず
別の話題で沸くようになったのは痛快なるかなw
>36 名前:深山 投稿日: 2012/05/17(木) 23:07:05 ID:mF5LETb20
疑問があれば、今回のように遠慮せずに質問してください。
本当の意味での議論の場にしましょう。

桐山ゲーカとあごん宗批判の根底には今回の皆さんのような阿含経の余計な反論のないスムーズな
本当の解釈が必要じゃないかと思うんです。
折角の教説の時に要らない異説で邪魔されると、うザと言うか理解がとんでしまいますw
私の不勉強から考えても批判にはこういう解説をしていただくことがすごく大切と思います。
スレタイは変ですがw、 基本と言いますか原典と原点になるし私はアリガタイです。
天照さんはいかがでしょうか?
ここって批判板とは違ってもアリかなと思うんですけど。

40天照 ◆MO30b8Jwoo:2012/05/18(金) 05:29:38 ID:D3yVe2Y.0
>>39 棕櫚さん、 皆さんの詳しい解説を受けられて良かったですね。
批判側はこのようにちゃんと質問すれば丁寧に答えてくれます。
私も過去においても現在でも何かわからないことがあれば伺ったりします。
やはりわからない点は調べるのはもちろん、素直に聞く姿勢も必要だと感じています。
(クレクレ君はちょっと何ですが)

そして私も最初躊躇しました「スレ違いかどうか」は確かに「違う」といえば違うの
ですが、棕櫚さんは今統一スレに行って議論に参加しているのもあり、その最中で
「ブッダ最後のたび」を読んでいて疑問に思ったので質問されたのかな、と感じたので
「良いんじゃないかな」と何も言いませんでした。

また例えですが私も「阿含宗退会者&退会を考えている方スレ」にて『通りすがりの者』
さんが来られまして色々論じておりましたが、途中で@chs−1の方に誘導しました。
それは最初あのスレに来たということは「将来退会したい」と考えておられるのだと
把握し私はその旨で会話しておりました。

ところがそうではなく単なる書き込みに近い動機だったので、それではあのスレでは
続ける意味が無い。普通の論じならやはりしたらばか@chs−1の方がいいので
「そちらへ」ということで途中から移動をお願いしたのです。

そういうように例えばスレ趣旨に沿ってと長く専用に論じる際にはスレ趣旨にあった
板が良いかもしれません。今回の棕櫚さんの問いは私のような状況ともちょっと違うのと
おそらくそんな長く論じるようでもないし、幸い準氏専用スレは始まったばかりで
記事数も少なかったので「良いでしょう」ということでした。

そう言うわけでもしも今回のように単発で「どこで質問すれば良いかな」の際はメインの
「ザビビ継承スレ」(第五十九章などのスレ)とし、関連性があるならその該当スレで
良いかと思います。
またスタートがその該当スレであっているかどうかわからないが始められた。
途中で「スレに合わないな」と気づいた場合は私のように「移動」されても構いません。
また微妙で判断に困る場合は私に聞いても構いません。

今回の場合はそのような理由で解説が終わり一区切りまで待つ気がありましたので私は
何も言わなかった次第です。もちろん私も勉強になりました。
この度はよろしかったと思います。

41天照 ◆MO30b8Jwoo:2012/05/18(金) 05:43:29 ID:D3yVe2Y.0
話は変わって準さんが居なくなる前に「バウッダ」を引用しておりましたね。
バウッダがようやく届きましたので確認したら、どうも準さんの解説のようにならない。

確かに引用している箇所はありましたしわかるが、準さんの言うような「縁起滅」にはならない。
該当箇所をスキャンして掲示し質問したいと考えています。
もうちょっと時間が掛かるので後になりますが、ちょっとだけ先に書かせていただきました。

おそらく結論に近い一言

「準氏は勝手に湾曲した思考で持論を展開する癖が濃厚」

42ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2012/05/18(金) 07:58:00 ID:SmEF4Oe2O
>>39:棕 櫚12/05/18(金) 00:46:25 ID:430.qK1U0
>スレタイは変ですがw、

これは干柿さんあたりが詳しいと思うが、今から40年位前に少年ジャンプで
「トイレット博士」という漫画が連載されていた。
当初主人公はウ●コの研究をする科学者のトイレット博士とその助手だった。
ところがいつのまにか、一郎太とその仲間たちにスナミ先生を加えた者たちの
友情マタンキの話になった。
肝心のトイレット博士はほとんど出て来なくなり、たまに出て来た時も
どうなってるの?と本人にぼやかせていた。
それでも漫画のタイトルは最後までトイレット博士だった。
したがってこのスレも話があらぬ方向に進んだように見えても、準トイレット博士を
語るスレのままでよいのでは?
マタンキ!

43ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2012/05/18(金) 08:15:42 ID:SmEF4Oe2O
>>41
バウッダはそこに書いてあることを素直にそのまま読んで受け止めればよいわけです。
バウッダで三枝先生の書いている仏教では超自然的な存在に頼ることを否定し、
苦の原因となる外界の現象は何ら変わらないが、受け止める
主体の自分の変化を説明しています。
それを私に示されて改めて気付いた準トイレットさんは学者の解釈なんて体験が
ないからわからないなどと腐すわけです。
自分の都合が悪くなると学者の説を否定し、そうでない時はトンデモ解釈で
学者を担いで根拠のつもりにしています。

44棕 櫚:2012/05/18(金) 09:43:40 ID:LQkNbd0I0
天照さん、了解です。
スレチじゃないかと思いながらも皆さんに甘えてチョット心配でした。
ユビキタスさんの例えに笑っちゃいましたが、アリなんですね勿論 kyを
読んでの話しと理解してますが、、、。
今回はありがとうございました。

46天照 ◆MO30b8Jwoo:2012/05/19(土) 04:32:49 ID:SYHD4pwA0
ユビさん、懐かしいですね。私の若き良き時代の頃のことですから非常にピンと来ます。
良く漫画でも他の何かでもその流れが良いとなれば、最初のコンセプトから逸れてもウケる
ほうをメインに置いて進行してゆくやつですね。

とりいかずよし氏もあれが最たるものでしたね。後は不発で今どこへ、ですねw
七年殺しは良く流行って私もやられたものです。今思えばやり返してやればよかった。

準トイレット呼びはユニーク。おそらく準さんはピンと来ないかも?
逸れて逸れまくる準さんには、非常に適したユビさんユーモラスさが生きているHNですね。

バウッダの件了解です。
そうなんですよね。読んでいくとどうしても準さんのような解釈にならない。
そこで先ずはスキャンする前に一言書きたくなったのです。

そしてついでに言いますと、その説明の最中に12因縁なども出てきます。
準さんがバウッダの事項の際にも述べているように、あの学者さんの言っていることに
沿いながら自分の考えが正しいという風にしたい意図が見て取れます。
つまり批判側がいつもしている根拠を示す引用スタイルを真似て準さんもさも自分が
学者さんの引用を行い「ほらね。自分の言いがかりじゃないでしょう」としたい旨がわかる。

ですが、引用しても都合の良い箇所だけとか途中で逸れるので本当に本の原文やら実際の
本を見れば「あれ?何か変じゃない」と気づきます。

人を「本を持ってないそう言うやつと論じたくない」と馬鹿にしていたが本を持ってたら
余計反論されるじゃないかと(大笑い)
むしろ本を持ってないから持ってない人を誤魔化せるんじゃないかと。

あの人はそう言う面でも非常に抜けてて御馬鹿。
バウッダを見ててどうにも不可解だったのですが、それは準さんのトンデモを探すからです。
ユビさんの言われたように素直に見るには別段問題は無いのです。納得です。

47ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2012/05/19(土) 08:35:17 ID:SmEF4Oe2O
>>46
七年殺し「天怒りて非道を断つ。臨兵闘者皆陳列在前」と九字を唱えてやることに笑いました。
私はその当時に桐山密教を知り、観音慈恵会に入信したのです。
さてアゴン宗の信者、元信者がバウッダを買ったら読まねばならないのは
第三章の阿含経の思想です。
重要なことが述べられているので引用してみましょう。
私の持っているのは文庫本ではない小学館から出た3000円もするヤツです。
その113〜114頁です。

阿含経に満ちているあまたの「問い」は、すべてみずから現に体験している苦しみ、
悩みから発せられ、そのそれぞれに対して釈尊はその質問者の現実に即して答える。
ただし苦悩そのものを即座に解消するような、いわば直接的な手段や方策というよりは、
むしろ苦悩に対処してゆくべきその在り方をとりあげて、それを熟慮しつつ、
「答え」がなされる。いわば、外部の情況その他は不変のままありながら、
みずから苦悩としているところが、実は苦悩ではなくなり、いつしかその苦悩が
その内部において消え、安らかな境地にもたらされる、そのような図式を描いて
展開する、と解してよい。
釈尊は、その「答え」において、人間の力を絶した創造主としての神も、
また祈祷や呪術に応じて魔力をふるう神秘も、ことごとく退けており、
一切の不可思議で超自然的なものは排し、捨てる。そうではなくて、あくまでも
この現実に徹し、この現実に即し、終始この現実において解決しようとする。
この意味において、釈尊は、総じて仏教は、つねにこの現実を直視し、凝視するという立場に基づく
現実主義、と表現され得よう。

いかがでしょうか?私はこれを引用してスレに示し、準シュダオンさんも
読み直し再発見したのです。
ちなみに私もバウッダを購入して読んだのはまだ信者の頃です。
ここの部分は読み落としていたわけではなかろうがスルーしていた。
そもそも桐山さんによると阿含経から成仏法を発掘、発見したのは自分だけと言うのです。
学者も発見していたものをこの桐山も遅ればせながら発見したという論調ではない。
学者も気付かぬものを自分が発見したと主張するのです。
だから学者の見解と異なる部分があって当然と考えてました。
それを準シュダオンさんみたいになまじ学者説が桐山説を証明しているかのように
試みること自体、桐山さんを理解していないことになります。

48ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2012/05/19(土) 08:39:06 ID:SmEF4Oe2O
ああ、小学館のバウッダは3000円ではなく2800円でした。

49天照 ◆MO30b8Jwoo:2012/05/19(土) 21:01:49 ID:Vm/nn0Mo0
ユビさんの2chでの書き込みを見てひらめいたw

ゲイカ発「輪廻転生瞑想法」を推奨・賞賛する馬鹿どもへ。

釈尊の教えに逆らい、輪廻して「来世はヨイヨイ」としたいなら因縁解脱する意味無いじゃん。
そんなに輪廻を楽しみたいなら因縁解脱の修行など放棄するべきじゃね?

あんたら自己崩壊しすぎなんだよ。

50干柿:2012/05/19(土) 22:03:40 ID:LzYL8o4A0
トイレット博士じゃなく「仏陀最後の旅」の例の部分ですが、蒸し返すようで
恐縮ですが、たしか、釈迦の神格化がもう始まっている、たぶん後から挿入
されたのではなかろうか?と中村博士が解説していたような気がします。
というのは釈迦は不死なのだがアーナンダが引き止めなかったため入滅した
というようなニュアンスで強引に書かれているので、やはり変な感じしますよね
ちょっと手元にないのでソース示せませんけど、でも楽しみに関する
解脱者の見解はみなさまがたの考えのとおりだと思います。
(ちなみにトイレット博士のスナミ先生のモデルだった当時のジャンプの
編集者の角南氏は現在、学研のムーでなんか連載されてますけどw)

51天照 ◆MO30b8Jwoo:2012/05/20(日) 05:47:16 ID:swWoetBg0
新しいPCに中々インスコが上手く行かず頓挫の自分です。
今後上手く行かなかったらカメラで取るか画像をはしょりながら論じるかにします。
もう少々時間が掛かります。

さて、>>50のことですが、そうですか。
いや、スッタニなどもそうですが、たまに理解できない事項がありますね。
例えば今うろ覚えでその箇所は後で出したいと思いますが、気になったのは釈尊が
「地獄云々」を言っていることです。

あの世とか中有界とか説いてなかったはずの釈尊が「地獄」というのを言うのは理解できない。
棕櫚さんが疑問をもたれたように私も数点あったのですが、割愛していました。
私も遅い自白になりますがどうも経典訳の学者さんたちを疑問視するわけではないが、
釈然としない箇所があるのはやはり有りましたね。
干柿さんが言われたのが結構あるならやはりそこは注意しながら行かないと危険ですね。
それでなくても「阿含経が全ての様な言い方・解釈をするな」という輩も実際居ますからね。

52ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2012/05/20(日) 07:38:53 ID:SmEF4Oe2O
>>51
地獄も説いてますし、輪廻も説いています。
もちろん科学で証明できないものばかりです。
それなりに悪いことをした人は地獄に堕ちます。
しかし桐山さんみたいに誰も彼も地獄に落としません。
今回の著書でも桐山さんは死んですぐに冥界に行けるものは稀だと書いている。
阿鼻野街道を歩いて斉の広場に行く。断層を飛び越えられず、三途の川に落ちて
地獄、餓鬼、畜生界のいずれかに赴く。
そこで罪の清算をして初めて冥界に落ち着きやがて輪廻する。
悪業を為した者という条件ですらなく、ほとんどの人はこのコースだと脅かす。
このコースを回避したくばわが商品を買えというわけです。
一方釈尊は悪いことをするなだけです。
悪いことしたら地獄に堕ちるが、しなけりゃ堕ちないわけです。

53ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2012/05/20(日) 08:03:13 ID:SmEF4Oe2O
>>50
いやいや、不死なんてのは解脱者でもあり得ないです。
それこそ縁起を滅してしまいます。
アーナンダが懇願して可能だったかもしれないことはせいぜい少しだけ長生きするかしないかだけです。
釈尊が長生きして助かるかのように見えるのは弟子たちにとってです。
しかしいつまでも釈尊頼みでは結局依存の煩悩を乗り越えられない。
だからいつまでも生きていることは大局的にも宜しくないのです。
それでも80まで長生きした釈尊の臨終の言葉の一つは「私は全てを説き尽くした」です。
もっと教育してやらにゃいかんところをアーナンダの野郎が鈍感だから
あ〜、なんだ、このやろうなんてぼやいたりしないのです。

54天照 ◆MO30b8Jwoo:2012/05/20(日) 14:41:32 ID:MRsnE3qo0
>>52 読み返したら私の表記(表現・発言)がおかしいですね。撤回いたします。

よく調べて自分の疑問点を見つけてから改めて疑問点を挙げたいと思います。
ユビさん、お手数をおかけしたのと丁寧にお答えいただきありがとうございます。

55棕 櫚:2012/05/21(月) 12:46:31 ID:Y1tPFsxE0
ネットでも調べても判然としないんですが冥界ってなんか違います ね。
単に死後の世界だったり地獄だったりと魂が行く世界みたいですよ 。
それじたいが桐山ゲーカの言う冥界なんてあやふやだと思います。
阿含仏教で冥界や冥土なんて概念があるんでしょうかね。
冥界だの霊界だのって釈迦的に合わないような気がします。

56ユビキタス ◆18iA.mwnDU:2012/05/22(火) 00:01:28 ID:SmEF4Oe2O
準シュダオン氏、したらばから永久追放決定ですな。
バンザーイ\(^ー^)/バンザーイ\(^ー^)/バンザーイ\(^ー^)/

57名無しさん:2012/06/01(金) 14:01:26 ID:5WTRwxgw0
2chで準さんが相も変わらず、懲りもせず縁起滅の自己主張を続け、さらに
「諸行無常は馬鹿でも理解できるが、十二縁起は利口でも理解不能なんです。」
なんて、暴言を吐きながら、訳のわからん十二因縁説教を展開しています。

準さんの十二因縁説は議論の対象にもなりませんが、釈尊の説法として是非とも
理解したい内容でもあります。
しかしこれが曲者で、仏教を専門にしておられる方々の説明も千差万別でとても
理解した上で書いているとは思えぬ内容ばかりです。
桐山さんも「般若心経瞑想法」の124p〜140pで説明していますが、これも学者の
受け売りに近く、私としては納得できる内容に程遠い。

さらに上座部の「三世両重の因果」、いわゆる三世にわたる因縁論として説く
方法もあり、ただ、このやり方は誤りだと言われているが、自分の目と脳で確かめてみる
価値はあると思う。

これに関連し、ネットで十二因縁に関して気になる内容があったので載せておきます。
いわゆる三事和合説に則った十二因縁です。

(出典 http://homepage3.nifty.com/sukha/Thero_bukkyo_kara_miru_si.html
3番目の支は、「識」(Vinnana) です。ここでは、結生識(patisandhi vinnana)を意味します。
「行に縁って、識が生まれる」

(出典 http://homepage3.nifty.com/sukha/Thero_bukkyo_kara_miru_si.html
今の意識は、過去の善悪の業に条件づけられています。つまり、依存しているのです。今の生は過去と連結して成り
立っている(再生)という意味で、ここは非常に重要なところです。どのようにして過去の行為が、現在の誕生の条件
になるのでしょうか。物質科学の分野では、その原因を今生だけに限って探求していますし、生物学者は、父と母の
結合が誕生の因縁であると言います。お釈迦さまは、そのどちらも不適切であると言われました。
人間は「心と身体の集合体」であり、心の働きを無視して、身体の機能(精子と卵子)だけから生命が誕生することは
非論理的であるとおっしゃいました。ですから身体の機能のほかに、「識」という要素が必要なのです。
たとえば、ろうそくの芯と油だけでは炎は生じません。たとえ多量の油に芯を浸しても、燃えやすい芯を使っても、
炎は出ません。芯と油のほかに、外から炎をつける必要があるのです。

(出典 http://homepage3.nifty.com/sukha/Thero_bukkyo_kara_miru_si.html
死ぬ瞬間の業は、その直後に、結生識を生み出します。それが新しい物質(精子と卵子)と結合して、次の「生」を生み出す
のです。つまり結生識を主として、新しい名色(心と身体)nama-rupa が生起するのです。臨終直後には、このように過去の
意業の果が現れるのです。科学者たちは「エネルギーは不滅であり、形を変えながら保持し続ける」と言っています。それでは
何が生存から生存へと移転するのでしょうか? 業ですか、業の果ですか、識ですか?

これは非常に微妙な内容ですが、無明 → 行 → 識 → 名色 → 六処 → 接触 →・・・・
で、3番目の「識(しき)」を在世への転生時の原初的な意識(心)として捉える見方です。
つまり、ぶっちゃけ、母親の胎内にて芽生えた命を識=結生識としている点です。

58ラシン ◆xvojmuQ90o:2012/06/01(金) 16:37:06 ID:0iokvgUQ0
>57
>で、3番目の「識(しき)」を在世への転生時の原初的な意識(心)として捉える見方です。
つまり、ぶっちゃけ、母親の胎内にて芽生えた命を識=結生識としている点です。

話しの腰を折るかたちになりますが、
それらの考え方もアビダルマ論師の瑣末で煩雑な考察です。
釈尊の説く「識」は、識別作用で用いられます。
十二因縁じたいは、苦が成り立つ十二の関係性です。
無明〜・・・生・老・病・死という相依性、縁りて次が生じる
連綿性をあらわす真理です。
そのなかに識別作用があり、それに縁って名色という物心両面の
対象としての五蘊が生じる、そしてそれに縁って、、、、、。
これを順観と逆観(消滅)することによって因果の道理を
明らかにし無明を悟るとの結論に至ります。
釈尊の立場では、「死」に対しても無記です。
出典された内容も「死」への観察は無常を気づくための瞑想です。
それが釈尊が説いた「小マールンキャ経」の毒矢の譬えです。
世界が永遠であろうとなかろうと、有限であろうとなかろうと、
生命と身体が同一であろうとなかろうと、人が死後存在しようとしまいと、
人は生まれ、老い、死に、嘆き、悲しみ、苦しみ、憂い、悩むのですから、
はやく毒矢を抜くことが先決との教えであり、生あるうちに煩悩を滅する
との意味になります。

59名無しさん:2012/06/02(土) 10:58:59 ID:5WTRwxgw0
>それらの考え方もアビダルマ論師の瑣末で煩雑な考察です。
>釈尊の説く「識」は、識別作用で用いられます。
>十二因縁じたいは、苦が成り立つ十二の関係性です。
>無明〜・・・生・老・病・死という相依性、縁りて次が生じる
>連綿性をあらわす真理です。

本の受け売りではなく、ラシンさんが理解され納得された十二支縁起説を
是非とも伺いたいものです。

60名無しさん:2012/06/02(土) 14:58:34 ID:5WTRwxgw0
>>57 の内容をラシンさんが「アビダルマ論師の瑣末で煩雑な考察」と一刀両断に切り捨てられました。
確かに、どこかの本にもその様に書いてあります。

一般の学者の研究などから外れる論説かもしれませんが、専門分野の先生方がどう考えているかを
考察する資料にはなると思います。興味のある方はご覧ください。

<初期仏典における十支縁起説の成立>
http://archives.bukkyo-u.ac.jp/infolib/user_contents/repository_txt_pdfs/kiyou31/D031L001.pdf

<龍樹の縁起説(3)『中論頌』第26章「十二支の考察」について(1)>
http://archives.bukkyo-u.ac.jp/infolib/user_contents/repository_txt_pdfs/bukkyo95/BR095L053.pdf

<禅心理学的生命観 ―人間の生命現象を中心に>
http://www.nichibun.ac.jp/graphicversion/dbase/forum/text/fn150.html

その他
「十二支縁起(における識)は我論?」受動意識論からの批判 
http://www.dia.janis.or.jp/~soga/excha335.html

質問  原始仏典 相応部教典内 十二因縁について
http://okwave.jp/qa/q4207388.html

仏教への教義:十二縁起と八正道
http://jrf.cocolog-nifty.com/religion/2009/02/post-1.html

悟りへの道「十二因縁」
http://homepage2.nifty.com/shusse-kannon/budda/budda5.htm

<ブッダの悟り>
http://space.geocities.jp/insightbuddha/index.html

61ラシン ◆xvojmuQ90o:2012/06/02(土) 19:21:30 ID:.st0wrT.0
>59
>本の受け売りではなく、ラシンさんが理解され納得された十二支縁起説を
是非とも伺いたいものです。

貴方が出典されているのは、スリランカの上座仏教(テーラワーダ仏教)ですね。
パーリ五部がテーラヴァーダに属していても、スリランカの上座仏教が、
正確に継続されているとは不明で、藤本晃先生も根拠を明確にできていません。
ですから当然、多分にアビダルマの解説に従っています。
もっともパーリ五部じたいが、すでに部派仏教の時代を経て伝承され護持されてきた
経緯を認める学説があるのですから、その経典解釈も部派の影響を受けて反映されていると
考えられるものです。

また私の考えと言うならそれは、上記のように辞典や学説による解釈(受け売り)です。
その受け売りが、準シュダオンさんに見るように同文解釈でも大きく違いが出ると考えれば、
その意味では貴方の求めには、>>58ですでに答えていて、それが私の理解し納得した限界です。

62天照 ◆MO30b8Jwoo:2012/06/26(火) 06:47:46 ID:xEssvLDo0
どうでもいいことでしょうが少々。

2chでコテハンを入れないで書き込んでいるようですね、準爺。
いまさらコテハンを入れるのが面倒くさくなった???
そんなはずはないでしょう。

相変わらずのお馬鹿ぶりですが私はある種「よかったなあ」と思っています。
なぜなら批判側だけでない人からもレスがついていて意見や相手をしてもらえているからです。
こちらのしたらばではなかなかないことですから、準老人にはいい刺激になるでしょう。
相変わらずマイペースですけどね。

63akb55:2012/06/26(火) 22:25:48 ID:XeG8xf1k0
準さんは屁理屈で長寿の因縁と現役の因縁と言ってそれを名無し氏に
追求されてコテハンを入れる事が出来ないのでしょう。自業自得ですね。
さっさと謝れば良いのでしょうが性格的に出来ないのでしょう。

64棕 櫚:2012/06/27(水) 09:32:10 ID:nr8qyd6I0
>相変わらずマイペースですけどね。

www準シュダオンさんはマイペースと独りよがりになってしまっていますね。
天照さんは2チャンに書かないんですか?
最近2チャンもあまり反論ネタがなさそうですけどね。て言うか変なチャクラおっさんが
張りついてしまってオカルト板みたいです。

65天照 ◆MO30b8Jwoo:2012/06/27(水) 14:38:39 ID:xEssvLDo0
>>63 akb55さん、お久しぶりです。
そうでしたね。それがコテハン使わない原因でしたか(笑)
まさに自業自得ですね。準老人は謝る事を知らないので突っぱねるままでしょう。

>>64 恐れ入ります。2cへは気が向いたとき書くようにしています。
コテハンは最近は避けているので、私が投稿しても気づきにくいと思います。

オカルト板のようなのは納得です。ああいうことを昔から言っていてやめない。
本当にイカれた老人です。自分だけが一番で立派だと言って止まない。

チャクラ開発と性格は連動しない、というのがありますが、彼を見ていれば良くわかる。
個人的にはジスイ氏は開発などできてないと思いますけどね。
仮に百歩譲って開発できてたとしても逝っている脳や性格では終わっています。
たとえ頭が良くなくても人に愛され罪を犯さない人間であるほうがずっと立派だと
思う私でした。

66棕 櫚:2012/06/29(金) 21:07:49 ID:U5EesFxQ0
>チャクラ開発と性格は連動しない、というのがありますが、 彼を見ていれば良くわかる。

ほんとですねwなんか人格もノーリンクみたいでまだ暴れ狂ってますねw
その点ここは管理がいいのでそういうフザケ基地がいなくて安心です。
しかし、桐爺下もほんと名誉欲がハンパないですねえ、 また学位ですってw
まだいる昔の法トモに聞いた話ですが、 例の洋上法要ってほんとに船の上で護摩をたいたらしいですよ。
船舶法とかなんかに引っ掛からないんでしょうか。 内陣の護摩形式を外でやるのもおかしいでしょうから、
でもほんとに護摩壇を組んだのかは解りませんが。
ただそのなかで一日だけ大雨で中止になったそうなんですが信者さんたちはその日の夕方に虹が出たのでこれは素晴らしい
やっぱりゲーカは力あるんだ、 英霊さんたちがよろこんだと、 すんごく満足していたようです 。
その虹の光景は道場でビデオにされて流されているそうですよw
そういえば何年か前のロシア法要も虹が出て奇跡だと騒いでいたような?
あごん宗は虹が出れば成仏供養の証しなんかい! って言いたくなりますが法トモには言えませんでした。
彼は一番近い身内を亡くしているので、、、 私は出来るだけお金など掛けない様にと言うのが精一杯でした。

67天照 ◆MO30b8Jwoo:2012/06/29(金) 23:23:51 ID:xEssvLDo0
棕櫚さん、情報ありがとうございます。
そうですか。虹で誤魔化されていますか。
法友の方へは厳しくはいえないでしょう。
意見は「できるだけお金はかけないように」で良いかと思います。

「チャクラ開発と性格は連動しない」は私が掲示板運営をする少し前に一修行者さんから
チャクラ開発を一般の方で成し得た人のブログを教えてもらい、その方が実際言っていた
言葉と失念しましたがある本での著者さんも言っていた言葉でした。

両者はチャクラ開発をして不思議体験をしたそうですが、性格というのは別なんだそうで、
何も知らない私にとってはチャクラ開発がなされれば自動で性格も変わると勝手に想像
していたのですが実際はそうではなく、性格というのはチャクラが開発された(覚醒した)
から変わるというものではないという発言に驚いたものでした。

ですが、よく考えれば欺瞞を知ってゲイカの性格や言動、またジミズ氏の言動も見れば
「ああ、かのチャクラ開発者が言っていたのは本当だな」と頷けますね。
それで私がよくこの「チャクラ開発と性格は連動しない」というのを持ち出します。

よく擁護派は批判側を馬鹿にし醜悪を晒しながら意見しますが、本当にみっともない。
チャクラ開発云々を言う前に人間として、大人として、社会人としてどうなのか。
かつ宗教を講じる人でありながらそのようで良いのか、といわれる元となります。

体験者が言うから、というだけでなくゲイカから性格に問題があるのですから、私はここに
非常に問題を提起するわけです。
教団内で「心解脱」をいう本人からできてないわけですからね。
信者さんのすべてがそうではありませんが、教祖に似ている人が集まるのはある意味あるかと。
特に準さんを見ていると強く思う私でした。

68天照 ◆MO30b8Jwoo:2012/07/24(火) 16:14:03 ID:xEssvLDo0
2chでの準老人は相変わらず馬鹿だねえ。
無関係さんは信者じゃないんだって。
そういうことも忘れているのか? さすが超一級の馬鹿。
リアル世界で相手にしてもらえないからクダを撒いているのだろうが迷惑だ。
私が2chの管理人なら永久に追放かアク禁だな。あのジジイ。

69天照 ◆G4AbdjJFjY:2012/10/14(日) 12:12:47 ID:bm6cfmlo0
2ch見ていると本当に馬鹿丸出しだねえ。追放してよかったw

深山さんもおっしゃっているように、頭が正常に機能してないみたいですね。
もともと偏屈な性格だと思うが、脳梗塞で頭も余計逝ったみたい。

死ぬまでああなのかな、と思うね。

74干柿:2013/03/03(日) 19:48:18 ID:lQ62pxBc0
虹にせよ現形にせよ、形にごまかされてしまっているんですよね。
それが法要との関連があるのかないのかはわかりかねますが
もし、関連性があるとしてもですよ、実際の中身はどうなんだ?
ということです「本当に供養になっているのか」という事実は
それだけでは誰にもわからないことです。
私もそんな感じで騙されていたのでよくわかりますw
では、「本当のとこはどうなのか?」ということは、まったくわからない
ことなのでしょうか?
いいえ、わたしはそうは思いません。教団や管長および幹部の方々の生活やら
生き方、考え方、実際の信者の方々の信仰による変わり方を観察し考えて
みれば自ずから答えは明確にでてくるはずですよね。
明確に観察するヴィバサナーにより、いとも簡単に幻覚は崩れ行きます。
もっとも、そのような探究心もわかずマインドコントールに酔っている状態では
無理かと思いますが

75干柿:2013/03/03(日) 20:08:52 ID:lQ62pxBc0
しかし、雨があるから虹がでるんでしょうよ、
それより雨で中止になったという事実のほうが重要だと思うのだが
洗脳頭では奇跡がおきたとかいう方向にしか考えられなくなるんですね。
ロシアのシベリアの法要を企画し紛争した阿含宗の理事でしたか(本職は浄土真宗の住職だとか)
本当だったらその功徳によりよりよくなるはずでしょう。
ところが真冬の二月にゴルフをしていて急性心不全でと突然亡くなってしまった。
また、群馬の御巣鷹山の法要を立ち上げて活躍した中心人物で別院で法律相談とか開いていた
弁護士で古くからの信者だった方が癌であっけなく亡くなったこともありました
(まだ50代だった)供養法要って別に奇跡などおきたりはしません
これが実際の「事実」なんですョw

76死処の生をみよ:2013/03/05(火) 09:29:34 ID:qwkHTBww0
死しょの生を見よ。
釈迦の弟子のまかなん尊者が、仏教を広める為に
横変死してしまう。
しかし釈迦は、たとえ横変死しても、と厳しく
説法された。
絶対に救われるとは、とかないんですね。
釈迦は、カルマが、重く、たとえ横変死しても、
死んだ後の生を見よ。と、説法された。
法を信じ死んだものは、たとえ横変死しても
死後良き処へ生まれ変わると!
阿含経典で、説法されてます。
死処の生を見よ!
釈迦の言葉は、重いです。
この先達も、必ず成仏していますよ。
死処の生を見よ!

77名無しさん:2013/03/05(火) 14:31:50 ID:RT2..7zk0
>>76
>法を信じ死んだものは、たとえ横変死しても死後良き処へ生まれ変わる
阿含宗の法を信じ死んだものは、たとえ横変死しても死後良き処へ生まれ変わるということでしょうか?
たとえば阿含宗のどんな法を信じることがお釈迦様の仰る法を信じることになるのでしょうか?
教団名だけなら○○の科学→阿含の科学と改名すれば=お釈迦様の法を実践してる教団と錯覚しませんか?
何を根拠にお釈迦様の法を実践してる教団だとお考えなのでしょうか?失礼ですがあなたは阿含経を読んだこと御座いますか?

78干柿:2013/03/05(火) 22:05:56 ID:lQ62pxBc0
>>76
だから〜wあんたの言っている法って桐山阿含宗の法のことですよね
釈迦の名をかたったインチキだから、いや、それ以上に釈迦を利用して騙して
いる教えや法でよきところへ生まれ変わるとかありませんからねw
ホント阿含宗がインチキだと気づいたとき愕然としましたよ
釈迦の仏法とは似ても似つかぬ偽物など知らずに騙され信仰していたらどうなるか
実際、死に方も良い人少ないし、信仰者の態度としても先達ほどひどい人が
多かった、こりゃ阿含宗なんか信仰してたら地獄行きだってね。
やめて客観的にみられるようになって、なんて酷いモノ信じていたんだ!と
ますます確信がもてましたね地獄教阿含宗ってw

88matuko:2014/04/21(月) 21:43:30 ID:DBvVAz7w0
阿含では、やはり、教わったこともある。
しかし、会員である間は、金、金、金とひっきりなしに際限なくかき集められ、休まされることはない。
大半は、大金持ちではなく庶民である会員の懐から。それは、根こそぎといっていい。魔法の呪文が解けてから、やはり、どのように折り合いをつけていくか。
必ず、プラスも得る形で締めたい。


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