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「小説 人間革命第十巻に学ぶ」

1副管理人Z:2009/06/20(土) 21:36:18
一念の章前半 説教オヤジ氏
同 後半   Kasshini氏

脈動の章前半 京阪いこか氏
同 後半   ぜんまい氏

跳躍の章前半 抜刀人氏
同 後半   説教オヤジ氏

嶮路の章前半 やまいぬ。氏
同 後半   河内平野氏

展望の章前半 やまいぬ。氏
同 後半   ヒューレボ氏

125副管理人Z:2009/06/21(日) 00:00:16
河内平野:2009/06/05(金) 01:45:33


惰性も一つの軌道である以上、新しい軌道の敷設が先行すべきであった。
(p251 後3)

126副管理人Z:2009/06/21(日) 00:00:51
河内平野:2009/06/05(金) 01:48:43


座談会の良い悪いは、この破折精神の強弱にあるというのである。
東京方面の惰性的な座談会の実態を衝いたものであった。
(p253 1)

127副管理人Z:2009/06/21(日) 00:01:27
河内平野:2009/06/05(金) 01:51:40


座談会に新しい人をつれてくるのを忘れていた。
おなじ顔の人がおなじ話を繰返す。これでは惰性になって、新しい
人を救うという精神を喪った座談会になってしまう。
(p253 後3)

128副管理人Z:2009/06/21(日) 00:03:00
河内平野:2009/06/05(金) 01:53:44


憶測はさらに疑心を生み、疑心はさらにあらぬ中傷へと変わっていった。
(p256 後4)

129副管理人Z:2009/06/21(日) 00:03:31
河内平野:2009/06/05(金) 01:57:06


会員はすべて手弁当でなんらの報酬も望まず、各々が推薦した責任
として精いっぱい動いただけである。ただ動いて、しかも推薦責任
を全うすべく自発的に動いている。
(p257 8)

130副管理人Z:2009/06/21(日) 00:04:01
河内平野:2009/06/05(金) 01:59:12


戸田城聖は日程を立てて、日本列島を北から南へと東奔西走して寧日
がなかった。 指導と激励のためである。
(p257 後5)

131副管理人Z:2009/06/21(日) 00:04:32
河内平野:2009/06/05(金) 02:08:36


代々身延日蓮宗であったことから、彼の父は宗教に懲り、法華経や
御書を研究しているうちに、家業をほとんど顧みず、京都などの
身延派寺院で三年の修行の後、僧籍までも得た。ところが、身延派の
教義は誤りであるといって、みずから「基調社」なるものを結成し、

神戸、京都、福岡、熊本などで布教しはじめ、本尊までもみずから
書写して信者に与えるという、とんでもないところまでいってしまった。
母も熱心な信者で、結核を病み、時に狂熊を演じたが、それもこの信仰の
力によるものと錯覚していた。
(p259 後6)

132副管理人Z:2009/06/21(日) 00:05:45
河内平野:2009/06/05(金) 02:12:35


四十五歳までは金を残そうと思わなくてよい。事業で儲けようとは
しないで、信心活動一本で頑張ってみなさい。人間は四十五をすぎて
から自分のことは考えればよい。それまで信心一本でやってみなさい
(p263 4)

133副管理人Z:2009/06/21(日) 00:06:20
河内平野:2009/06/05(金) 02:17:02


任せると、やらせるとは、たいへんな違いだ。そんなだらしのないことで
どうする。私は君を地区部長にしたが、地区部長をまかせているのではない。
やらせているのです。放任ではない。ここのところを勘違いしているようでは、
君は地区部長としても事業家としても落第です
(p265 2)

134副管理人Z:2009/06/21(日) 00:06:50
河内平野:2009/06/05(金) 02:19:29


指導を求め、それを一つひとつ厳しく実践しぬくことに学会幹部として
の岡田一哲の人間形成があった。
(p265 後7)

135副管理人Z:2009/06/21(日) 00:07:28
河内平野:2009/06/05(金) 02:25:25


選挙の公明な活動は、これらの妨害にあって神経的に攪乱された。
各地に散っていた首脳幹部は、他候補との競り合いよりも、純真な
会員の人権が無視された事実に憤激した。

そこで毎日、妨害対策本部と連絡をとりながら当局に対する抗議と
処置に忙殺される始末だった。

(p268 9)

136副管理人Z:2009/06/21(日) 00:08:05
河内平野:2009/06/05(金) 02:29:04


当局の創価学会に対する無知と、会員の法律知識の欠如による無知とが
輪をかけて一つになり、重なる無知が非常識な事件の続発をもたらした
というのが、おそらく真相に近いといってよい。
(p269 後6)

137副管理人Z:2009/06/21(日) 00:08:42
河内平野:2009/06/05(金) 02:31:24
No21

出陣は、まず一家の信心をかためることからはじまった。
(p270 後2)

138副管理人Z:2009/06/21(日) 00:11:22
河内平野:2009/06/05(金) 02:36:28
No22

誰も彼も、もう家にじっとしていられなくなった。
街頭へ街頭へと、会員は誰にいわれたのでもなく、みずからの使命を
自覚して飛び回った。あちこちで警察の干渉が頻発していたが、その影
に怯えるよりも、使命の重さの自覚のほうが、はるかに勝っていたのである。
(p272 後3)

139副管理人Z:2009/06/21(日) 00:11:59
河内平野:2009/06/05(金) 09:36:20
No23

山本伸一は、一つ一つ適切な指導を与えたり、関係者を急遽派遣して、
その処置にあたらねばならなかった。現実は、まことに厳しく複雑と
いってよい。この厳しくも複雑な事態を乗り越えねば、広布の現実的
展開は進まない。
(p274 3)

140副管理人Z:2009/06/21(日) 00:12:36
河内平野:2009/06/05(金) 09:36:57
No24

いよいよ決戦段階にはいった七月初めの朝、山本伸一は首脳幹部を前にして
御書をひらき、新池御書の一節を読みはじめた。
(p275 7)

141副管理人Z:2009/06/21(日) 00:13:12
河内平野:2009/06/05(金) 09:37:34
No25

この御書のとおりであります。みんな力をあわせて一丸となって今日まできた。
(p275 後3)

142副管理人Z:2009/06/21(日) 00:13:42
河内平野:2009/06/05(金) 09:38:12
No26

東京からやってきて、幾月ものあいだ毎日毎日、私に叱られながらよくやってくれました。
ありがとう。今日からは、思う存分、思い切りやってください。
ここまできて、もし負けるようなことがあったら、それこそ大阪の人が可哀想です。
(p276 後1)

143副管理人Z:2009/06/21(日) 00:14:19
河内平野:2009/06/05(金) 09:38:44
No27

伸一は、これでよし、勝てる、となぜか思った。
各拠点の責任ある幹部が、最後の最後の瞬間まで緊迫感を持続している
(p277 後4)

144副管理人Z:2009/06/21(日) 00:14:56
河内平野:2009/06/05(金) 09:54:33
No28

どの報告も楽観的でいちおう景気はよかったが、彼の心の肌に感ずるものは、
数字的な報告とは反対なものであった。楽観の裏には油断がひそんでいた。
(p278 後2)

145副管理人Z:2009/06/21(日) 00:15:37
河内平野:2009/06/05(金) 09:55:22
No29

全国的な支援活動が、なにゆえにあれほど妨げられなければならなかったのか

・・・・・・・・・・・今の世の中は、宗教などというものを、いささかも信頼していない。
宗教は死んで衛生無害なものと思い込んでいる。ところが信頼すべき唯一の宗教が、
世間の風にはじめて身をさらすと、たちまちこの騒ぎである。
日蓮正宗・創価学会の宗教が生きていることを、世間ははじめて知るに及んで
(p279 8)

146副管理人Z:2009/06/21(日) 00:16:14
河内平野:2009/06/05(金) 09:56:00
No30

おそらく彼らははじめての挫折を知って驚愕するだろう。
広宣流布も、いよいよ険しい道にさしかかったのだ
(p280 6)

147副管理人Z:2009/06/21(日) 00:33:11
やまいぬ。 :2009/06/06(土) 09:18:29
「春木征一郎が第三位のまま、当選確実というアナウンサーの声がひびいた。
途端に、わーッという歓声があがった。待望の『不可能を可能にした』成就の瞬間である。
人びとは、やった、やった! と跳びあがり、つづいてバンザイ、バンザイ! と絶叫しながら、なかには
抱きあいながら喜びのあまり涙を流すものもいた。(略)
山本伸一は、ひとり静かに横になっていた。彼の胸中は喜びよりも東京の模様が心配であったにちがいない。
いや、戸田会長の胸中の苦悩と激務による健康を、ひたすら心配していたのである。」(文庫版P282  L.5−)

148副管理人Z:2009/06/21(日) 00:33:48
やまいぬ。 :2009/06/06(土) 09:19:09

「湧きたつ興奮のなかで、伸一はさっきから腕時計をちらちらと見ていた。そして、そっと席を立ち、別室で身支度を
整えていた。(略)
『ながながお世話になりました。よかったね。ありがとう』
『いいえ、いいえ、室長…』
『これから東京に帰ります。皆よろこんでいるね。よかった。…日露戦争の乃木将軍は、一将功成って万骨を
枯らしたが、私は、一将功成らずとも、関西の同志が一人のこらず幸福になってくれれば、それでいいのです』
伸一の言葉は、ひとり呟くように、しみじみとしたものだった。管理人は絶句して答えることもできなかった。」
(P283 L.12)

149副管理人Z:2009/06/21(日) 00:36:26
やまいぬ。:2009/06/06(土) 09:21:10


(非常に長くなりますが、ここはノーカットで)
「航空機は厚い雲の層をやぶってやがて雲海の上に出た。果てもない蒼穹の下に浮かぶ真っ白な雲は、
生き物のようにさまざまな格好をしていて、それがまた徐々に崩れてあらたな姿態をつくりつつあった。
この世ならぬ雲海の世界は、あくまで澄み透り、地上の世界をまったく遮って、さっきまで続いたここ半年の
苦闘の種々(くさぐさ)を、とおい過去の足跡として想いうかばせていた。
伸一は、それらの苦闘が実を結んだ結果に身をゆだねて、他人事のように客観視する余裕を得たのである。
――苦しいといえば、あれほど苦しい戦いもない。愉しいといえば、あれほど愉しい戦いもない。
苦楽というものは、本来ひとつのものなのかもしれない。しかし、そういえるのも勝利の栄光が
結果したからではないか。もし敗れたとしたならば、苦しさだけが残るのではないだろうか。彼は慄然とした。
彼の一念は、やがて東京の戸田のことだけを考えるのであった。
雲海の着想は、未来へと向かった。――広宣流布の長い旅程のなかにあって、あのような油断ならぬ苦闘から、
わが友の会員は永久に免れることがないのだろうか。会員は今後ますます激増する。広布の時が
熟しているからだが、その旅程のなかで、選挙のたびに同志の支援活動も何年かを隔ててつづくだろう。
すると、世間は創価学会がなにか政治的野心でもあって活動していると思うだろう。学会を政治集団と誤解して、
権力もさまざまな干渉をしてくる。創価学会は、あくまでも人類の永遠の幸福をねがっての広宣流布という
希有の使命を担った宗団でなければならぬ。しかし、このたびのように選挙によって政治とのかかわりも
無視して進むわけにもいかない実践段階であることも、現に否定することはできない。
現実の社会にあって、政治の占める比重は極めて大きい。現実社会へとかかわっていく以上、政治的側面が、
当初、どうしてもクローズアップされてしまうことも事実である。そのため、一種の政治的集団のように
社会が見ることも免れないであろうか。
この尊い純粋なる信仰の団体を、いささかたりとも政治化していくように見られることは、残念でならない。
信仰を利用しながら政治家をねらう者も出てくるであろう。これもまた排除していく必要がある。
大阪での戦いは勝った。東京は敗色濃厚である。ともに壮烈な戦いであった。その死闘ともいうべき
戦いのなかで垣間見たものは、政治というものの底知れない魔性であった。広宣流布をすすめる以上、
その魔性との対決をもはや避けることはできない。かといって進むには、その政治の泥沼に足を踏み入れ
なければならないだろう。すると学会の学会の広大にして偉大な使命を矮小化することになる危険性は
ありはしまいか。このたびのような選挙活動は、どうしても通らなければならない関所ということに
なるのだろうか。
だが、選挙がどうあれ、根本の信心というものを忘れることがあってはならない。創価学会が政治だけを
目的とするのであれば、こんな苦しみはないはずだ。そこに広宣流布を現実社会で進めなければならない
創価学会固有の苦悩がある。未聞の作業がある。これにはそれ相応の覚悟がなくてはならないはずだ。
この避けがたい問題に、いかに対処すべきか。
ともあれ、広宣流布の実践活動というものは、政治、教育、文化、学術、平和運動へと多大の推進をして
いかねばならないはずだ。それを、政治を偏重する社会の通念が、学会を歪んで見、偏狭な政治集団として
しまうのだろうか。
 伸一は、雲海のなかから突然湧き出たような疑問と、その矛盾に思い沈んでしまった。
彼はふと雲海の裂け目の下に、美しい海岸線のつらなるのを見た。」
 この山河にはなんの矛盾もないように見えるが、そこに棲息する人間社会は、なにゆえに矛盾に矛盾が
かさなり、混沌たる様相を呈するのだろうか、と思い沈んだ。いまの彼に解けぬ矛盾は、あまりにも大きく、
また重大に思われた。勝利の直後のこの雲海の着想を、わが師戸田城聖に問い質したら、師はなんと
言われるであろうか。
 彼の心は東京へと、本部へと、戸田の膝下へと急いだ。航空機の飛翔は、いまの彼にはひどくのろく思われた。
勝利の後の反省は、栄光の陶酔を許さず、彼の醒めた心を苛(さいな)んでいた。」(P284 L.10−)

150副管理人Z:2009/06/21(日) 00:37:30
やまいぬ。:2009/06/06(土) 09:21:44

「戸田城聖は、会長室にあって不機嫌であった。
彼が戦いすんで、九日の丑三時に予感した不安が、そのまま白昼にさらされている思いがして不愉快であった。
――(略)大阪というもっとも険しい山は越えたのに、いちばんなだらかな山と思えた東京が越えられなかった。
(略)東京の幹部は何をしていたのか、油断もいいところである。明暗をわかつ油断のおそろしさを、いまさらの
ように噛みしめていた。」(P289 L.9−)

151副管理人Z:2009/06/21(日) 00:38:08
やまいぬ。:2009/06/06(土) 09:22:45

「いよいよ険しい山にかかってきたな。大事なのは信心だなあ、伸ちゃん」(P290 L.11−)

152副管理人Z:2009/06/21(日) 00:38:44
やまいぬ。:2009/06/06(土) 09:23:22

「このたびの五〇パーセントの勝利と敗北は、彼には敗戦とさえ映った。
――しかし、まったくの敗戦ではない。あのもっとも至難とした大阪が見事に勝ったではないか。してみれば
時期尚早というには当たらぬ現実がある。錯雑微妙なところである。
 大阪の勝利をもたらした山本伸一の存在は、いまの戸田城聖にとって広宣流布の未来を卜(ぼく)する
唯一の星であった。七百年来、不可能とさえ思われた難行の広宣流布を可能へと推進するのもまた、
現時点にあっては山本伸一であろうという、いま鮮明に湧き起こってきた確信ほど、思いに沈んだ戸田に
救いとなるものはなかった。
 戸田の思索は続いた。――端緒はひらかれた。わが創価学会は、今後ますます信心強きものの宗団で
なければならない。創価学会は幹である。幹が盤石でありさえすれば、枝や葉も、果実もやがて豊かな
ものになっていくだろう。現会員四十余万の一人ひとりの信心こそ問題としなければならない。信心の懇切な
指導育成こそ、いつの時代にも絶対の要請としなければならない。さもなければ、広宣流布は空中の楼閣と
なって終わるだろう。懼(おそ)るべきことだ。量の問題も大切だが、それよりも質に重要な原因があると
いわなければならない。」(P293 L.12−)

153副管理人Z:2009/06/21(日) 00:39:18
やまいぬ。:2009/06/06(土) 09:23:56

「化儀の広宣流布という未曽有の大運動は、あらゆる分野にわたっての連続革命、連続運動である。
しかし、あくまでも仏法を基調とした平和文化への昇華でなくてはならない。もともと広宣流布とは、
人類社会のあらゆる分野に妙法を土壌として真の人物を育てる活動でなければならぬ。なんのかんのと
いっても、救世の真の新しい政治家も、この土壌なくしては誰も育てることはできないと、確信をもって
言いきることができる。(略)ともかく、原点たる信心即学会精神というものを、いかにして永続せしめるかに
重大なる課題がある。」(P295 L.3−)

154副管理人Z:2009/06/21(日) 00:39:58
やまいぬ。:2009/06/06(土) 09:24:27

「戸田の心は、戸田自身を激しく苛(さいな)んだ。――今回の戦いで、多くの会員に苦戦を強いてしまった。
会員は、この苦戦をもかえりみず、何の利害もなく、身を粉にして戦ってくれた。選挙法にうとかったこともある。
新しい力の擡頭(たいとう)をこころよしとしない背後の勢力もあった。にもかかわらず、ただ純粋に、
同志の勝利を願って健闘してくれた。もっとゆとりをもって、伸びのびと戦える道はないものか……。
 戸田は誰よりも深く会員を思いやる人であった。彼にとって、会員の苦悩ほど辛いものはなかった。
彼の脳裡には、いとおしい会員の顔がつぎつぎと浮かんでくるのである。彼は、会員の苦悶、苦痛が
痛いほどわが胸をしめつけるのを感ずるのであった。」(P296 L.12−)

155副管理人Z:2009/06/21(日) 00:40:45
やまいぬ。:2009/06/06(土) 09:25:04

「どこまでいっても信心であり、そして人間に的があるのです。一人の人間における偉大な人間革命を
終始一貫問題にしなければならない。そのために政治の分野にも真の政治家を育成することが、
これからの課題となってきたところだよ」(P299 L.16−)

156副管理人Z:2009/06/21(日) 00:42:18
ヒューレボ ◆DlyW/s8ibQ:2009/06/05(金) 18:22:39
「そのとおり。しかし手を拱【こまね】いていては、いつまでも育たない。その第一歩として、こんどのような支援活動をやった。しかし、その広宣流布の道程が、いかに険難であるかを思い知らされたような気がする。
 伸ちゃん、現実は修羅場であり戦場だな。社会の泥沼には権力闘争が渦巻いている。そのなかで妙法の政治家を育てていくんだから、相当の覚悟が必要だ。まず、権力の魔性と対決することになる」
「たしかに、そのとおりです。オーストリアの作家シュテファン・ツヴァイクが“権力にはメドゥーザの眼光がある”と書いているとおりですね」
 伸一の語った“メドゥーザの眼光”というのは、ギリシア神話に出てくる物語で、メドゥーザという女神が、見る人すべてを石と化してしまう話である。
 権力の魔性にあって、将来ある妙法の政治家が石と化してはかなわない。
 思いめぐらして戸田は、呟くように言った。
「この権力の魔性という怪物は、信心の利剣でしか打ち破れないんだ。それは、社会の仕組みもさることながら、深く人間の生命の魔性に発しているからだ。この見えざる『魔』に勝つものは『仏』しかないからだよ」
 部屋には、誰も入って来なかった。
 二人の師と弟子だけの率直な真摯な対話は、二時間あまりもつづいていた。
p.300-3行目〜


 将来、二十年先か、三十年先か、五十年先になるかわからないが、妙法の土壌からまったく新しい真の政治家が出現したとしたらどうだろう。多数の民衆の衆望というものを担った偉大な一世を風靡【ふうび】するような政治家が、われわれの土壌から出たとする。衆望のおもむくところ、民衆はその政治家を信頼するに足るとして、彼の政策遂行に協力せずにはいないだろう。こうなると、この政治家を中心として民衆自身の望む政党もできるであろう。
 こうなると、いまの会員の支援など問題でなくなる。社会の広汎な民衆の支持こそ基盤となる。つまり、会員は選挙権の行使に気をつかわなくて済むに至るだろう。時代とともにここまで拡散しなければ政治の分野の広宣流布とはいえないのではないだろうか。
p.302-9行目〜


 戸田は伸一と語りあっているうちに、知らずしらず広宣流布の未来図を話していた。話しているうちに、おのずと描かれたのである。
 伸一はその未来図を遠く望むように眼を細めて言った。
「創価学会が社会に拡散して、壮大な人間触発の大地となる。そこから、人類の輝かしい未来が眼前に展【ひら】ける、まことに雄大な構想ですね――ずいぶん先の将来に思えますが・・・・」
「遠いといっても、百年も先ということにはなるまい。しかし私の生涯に、そのような時代がくるとは思えない。伸ちゃん、君たちの時代だ。それも後半生の終わりごろからその傾向が顕著にあらわれてくるのじゃないかな」
 伸一は戸田の顔を瞶【みつ】めながら、あの雲海の世界の悠久さに身をおいていることを知った。
 そして戸田の言説は、行きつくところ、ことごとく彼への遺言のふうを帯び、彼の心身を引き締めた。
p.303-後3行目〜

157副管理人Z:2009/06/21(日) 00:42:55
ヒューレボ ◆DlyW/s8ibQ:2009/06/05(金) 18:24:18
「創価学会は、間違いなく宗教界の王者になるにちがいない。そのことによって、社会のあらゆる分野に、政治や経済や教育や文化の世界に、真に優れた人物を送り出すことができる。それが使命なのだ。それらの人たち、一人ひとりの偉大な人間革命が、新しい世紀における人類社会に偉大な貢献をすることになる。政体とか政権とかいったものは、大きくみれば、民衆の意思によって、その時代時代で変わっていくものだ。そんな移ろい易いものに眼を奪われ、民衆自身に光をあてなければ、この厄介な社会を寂光土化する広宣流布の仕事は決してできません。
 われわれの仕事は、今は世間は誤解こそすれ、誰ひとり理解しないだろう。それで結構、人目につかなくて結構。しかし、いずれは世間が瞠目【どうもく】する時が、きっと来る。その時になって、はじめて広宣流布という未聞の偉業を理解し、やっと賛嘆することになるのです」
 このとき、山本伸一は、「雲海の着想」の疑問が、壮大な未来の光輝に照らされていることを感じた。
p.305-2行目〜


 その意気消沈した会員の言動を耳にするにつけ、まず戸田自身が奮いたたなければならなかった。――反省から展望へと思索はつづいていたが、躊躇【ちゅうちょ】なく新段階へと広宣流布の途を拓くことが、なによりも急務である。さまざまな情勢は、それの断行を彼に迫っていた。
p.308-8行目〜


7月12日、西下【さいか】した山本伸一は、逞【たくま】しく日灼けした関西の人びとを前にして、中央公会堂の壇上から呼びかけた。
「今日の幹部会を皆さんとともに歓喜のなかに開くことができたことを、喜びあいたいと思います。ほんとうにご苦労様でした。
 しかし、勝利に陶酔【とうすい】していることは危険です。これからが大事なのです。今後、広宣流布の長い旅路をつづけなければなりません。その場合、勝つときも負けるときもありましょう。勝っておごらず、負けても卑屈になることはありません。どこまでいっても私たちには信心しかない。一時の勝敗ではなく、根本の信心の核をつくり、苦楽を共にしつつ、何ものにも崩れない創価学会を築きあげていくことです。これが真実の勝利なのです。
 今回やっと関西勝利の伝統をはじめて築いたところです。どこまでも御本尊を信じきって前進すること以外に、私たちの途【みち】はないのです。
 広宣流布の遠征のなかにあって、輝かしい伝統をまもって、常勝関西の歴史を築いてまいろうではありませんか」
 楔【くさび】は強く正確にうたれた。人びとの喜色満面の顔に、あらたな緊張が漲【みなぎ】った。
p.309-1行目〜

158副管理人Z:2009/06/21(日) 00:43:28
ヒューレボ ◆DlyW/s8ibQ:2009/06/06(土) 14:20:09
 戸田城聖は、最後の講演で、彼自身の心情を率直に語って、全国の幹部を労【いたわ】りつつ、さまざまな世評に惑わされることのないように戒めた。
「こんどの選挙は、勝ったようであり、負けたようであり、すこぶる混乱を呈しております。
 私自身が混乱を呈しておるのでありますから、皆さんも、日本の各階層も混乱を呈し、えらい騒ぎなんですな。
 世間では、学会から三人も参議院議員が出るなどということは、夢にも思っていないことでありましたから、こっちが三人落として残念がっているのに、向こうは三人当選してびっくりしている。
 それでご承知のように、新聞ではそうとう騒ぎたてた。こんどは、雑誌で書きたてられている。毎日、毎日、押しかけられて困っている。だから、いろいろと悪くも言うでしょうし、よくも言うでしょうが、そんなことで信心のぐらつくことのないように、まっすぐな信心に立ってもらいたいと思います。
 なにも、新聞でほめられたからといって、嬉しがることもなければ、悪口を言われて驚くこともなければ、われわれの信仰は、ただ一途【いちず】の信仰でなければならないと思うのであります」
 戸田はなんの強がりも気負いもなく、ただ淡々と語っていた。
 正鵠【せいこく】な平常心というものが厳然としていて、聴くものの耳に素直に通【かよ】った。つまらぬ世評に動揺したり、悔恨【かいこん】で胸を塞がれていた会員の心は、凍えた土が太陽に溶かされるように、いつか暖かく溶解していった。
 戸田は今後の活動の指針をあたえて、言葉短に言った。
「今後の折伏でありますが、どこまでも立派な信者をつくっていく、日蓮大聖人様のお心にかなった立派な信者をつくっていくという心持ちで、しっかりやっていただきたいんです。
 今月の折伏は、長らく闘争してきた結果、休戦したらしい。戦いを休んだらしい。だから数も九千(休戦)だ。皆、一万やっては悪いと思って遠慮したらしい。来月からは遠慮はいりません。立派な信者を数多くこしらえて、大御本尊様にお礼を申しあげていただきたいと思います」
 新しい展望による一つの転換期であった。
p.311-2行目〜

159副管理人Z:2009/06/21(日) 00:44:05
ヒューレボ ◆DlyW/s8ibQ:2009/06/06(土) 14:21:16
 最大の議題は、今後の学会の実際的な運営に関する慎重な検討であった。学会行事の中心は座談会とし、それも組座談会を主力として、たとえ三人、五人でも組長の発意【ほつい】で月に適宜に開いても差し支えないということになった。戸田城聖が出獄後の再建期に、みずから実践した方式に則【のっと】ったわけである。これまでは折伏実践のない会合が、いたずらに多すぎた。支部幹部会、地区部長会、班長会、組長会というように、これだけで月のうち五日が費やされていた。これらの会合を極力廃し、草創の溌剌【はつらつ】たる息吹を、もう一度組織の尖端から呼びおこそうとしたのである。
p.313-7行目〜


 戸田は草創の再建期にあっては、毎晩のように座談会に出席した。それも三人、五人の小人数【こにんずう】の座談会からはじまったのである。現在の首脳幹部は、その頃、戸田に随行して、それらの座談会で折伏を学び、指導のなんたるかを具【つぶさ】に会得した。想い出しても、生き生きとした楽しい会合であった。具体的実践ほど人を成長させるものはない。形式を打破した闊達【かったつ】自在な小会合ほど、生命と生命の触れあう親しさが軸となって、そこに固い団結も同志も同志愛も学会精神の脈動も生まれる。信心という姿なきものの実在は、溌剌と心の通う座談会にこそ忽然【こつぜん】とあらわれるのである。
 幾多の会合の忙しさに紛れて、自然と座談会を軽視する幹部の動向を、戸田はきびしく規制し形式主義に陥る弊害を除去しようとした。これには山本伸一の座談会を組座談会までおろした大阪闘争の背景が、一つの教訓となっていたことは言うまでもない。
p.314-1行目〜

160副管理人Z:2009/06/21(日) 00:44:37
ヒューレボ ◆DlyW/s8ibQ:2009/06/06(土) 14:22:31
 最後に、戸田城聖は、九月からの新方針・組座談会の実施について、その根本精神を縷々【るる】として懇切に説いた。座談会についての学会草創からの伝統と実践確信とが、輝くばかりにひらめいていた。
「・・・・来月からといっても、明日からですが、組座談会を中心にするといったら、みんなとんでもないことが始まるみたいにあわてている。それというのも、今の幹部、地区部長にしても、二代目という人が多い。会長が二代目だからしようがないとしても、人のつくった地盤で地区部長になり、その椅子にでんと座っている人が多い。自分一人で地区を育ててきた人は少ない。だから組座談会というと、とんでもないことが始まったみたいに思うのです。
 私は牧口会長以来、組座談会ばかりやってきた。行くというと、二人か三人しかいない。今日は集まりがよいというときでも、二十人くらいのものです。そのなかに大反対の者が相当おる。そういう座談会がほんとうの座談会です」
 戸田は現在の座談会が形式に流れ、組長、組員の信心の育成の場となっていないばかりか、親しさのまったく喪われた会合になってしまったことを痛撃した。
「・・・・法華経のなかに『法華経を持つものあれば、立って仏がきたように迎えをせよ』といわれている。
 いったい、三人だって同志がおったら、喜んで話しあって帰って来なければならない。たった一人でもよい、ひとりでも、その一人の人に、ほんとうの妙法蓮華経を説く。たった一人でも、自分が心から話しあい、二人で感激しあって帰ってくる。たった一人の人でも聞いてくれる者がある。この一人が大事なのです・・・・。
 私たちは最初、座談会をやったときは一人か二人、あるいは三人のために遠いところまで出掛けたものです。その草創期の精神を忘れずに組員を真面目に育ててもらいたい。そうすれば、あなたがたの地区に組員が百人いたら、二百や四百世帯の折伏は楽にできるはずです。それを組長教育もしないで、班長を集めてふんぞり返って威張りくさっている・・・・」
 まことに地区部長や支部長には耳の痛い話であった。
 戸田は組織に巣くう官僚性というものが、どんなに人材を殺してしまうかを考えながら痛烈な批判を下してから、次のように結んだ。
「あなたがたも幹部になった以上は、もう肚を決めてほんとうの仏道修行を組座談会でしてください。そうして、ほんとうに苦労した地区部長、ほんとうに磨きあげた幹部の一人ひとりになってください。そして、この世の人生を悔いなく信念の人として飾ってください。おほめくださるのは御本尊様です。幹部たちにほめられたいなんて考える必要はないのです。
 人びとにほめられようなんて思って生きているのは愚かです。私たちは御本尊様にほめられるようになろうじゃないか。また人間にいくら悪くいわれても、いくら叱られても、御本尊様に叱られないようにしようではありませんか。これが真の日蓮門下であり、信仰精神の極理なのです」
p.318-後5行目〜

161副管理人Z:2009/06/21(日) 00:46:04
以上。

162副管理人Z:2009/06/21(日) 00:49:09
求道者(旧HN):2009/06/11(木) 09:35:03


「勝利の要諦」とのことなので…
人間革命10巻で「勝利の要諦といえばこれしかない!」と
思っていますが、どうでしょう?
************************************************************
「私どもは、立派なご本尊をいただいている。
世間の人びとの常識では、とうてい不可能と思い込んでいることを
可能にする力がご本尊にはあるのです。
ただあきらめて不可能と思っている人は、妙法の力を知らない人
たちです。すべてを可能にする人は、その妙法の力をひきだすことの
できる人です…………
 いま、私たちのおかれた立場や、合理的な考えになれてしまった
頭脳では、不可能と思えるでしょう。
しかし、無量の力をご本尊は秘めていることを、大聖人は明確に
教えていらっしゃる。これを信ずるか、信じないかは私たちの問題
です。
……まず強情な祈りによって、不可能を可能にする実践が勇んで
出てこなければなりません」

「まず、強盛な祈りから始めるわけでありますが、ただ唱題して
祈りに祈って祈りあげればよいかというと、それだけではどうにも
なりません。誤解のないように言いますが、これが第一の要諦です。
第二の要諦は最高の作戦、最高の行動です。
……第一の要諦だけでも駄目であり、第二の要諦でだけでも駄目で
ある。このふたつの要諦が調和したとき、不可能も可能となり勝利を
得ることができると確信いたします。
この調和させるものは何かというと、それが信心なのです。
ですから、信心が根本であると申し上げるのもそのためです。
 最高の作戦、最高の行動とは、どんな作戦、行動よりも法華経の
兵法、つまり信心から出た作戦、行動を用いる以外にないのだ、
それが最高の作戦であり、最高の行動になるということです」
************************************************************

163副管理人Z:2009/06/21(日) 00:50:44
京阪いこか ◆AIo1qlmVDI :2009/06/07(日) 04:24:10
*実践のなかで、みずから悟らせるしか方法はない。

*指導者の価値は、その人事で決まる。
 
*保守と革新との絶妙の組み合わせである。

*日蓮大聖人の仏法は、所詮「行」につきる。
 行ずれば行じただけ、その結果は過不足なく現われざるをえない。

*勇気は決意を生む。この決意のきわまるところに、実践としての「行」が始まる。

*志を同じくする同志の親和力【団結】

*個人指導の滲透は、一人ひとりの会員の【信心の脈動】となった。

*師弟の呼吸

164次回、HNをいれます。ごめんなさい!:2009/07/24(金) 01:38:51
今週末までにこのスレッドを削除されない場合は
聖教新聞社に通報いたしますのでご了承下さい。

165説教オヤジ:2009/07/25(土) 00:02:39
>>164
ワシからも是非そうして下さいとお願いをいたします。

そして、次回からはHNを入れてくださいね。

166管理人:2009/08/04(火) 20:15:59 ID:RF10sDDI0
>>164
それで「聖教新聞社」の見解はどうでしたか?

167副管理人Z:2009/08/04(火) 22:49:16 ID:DaGn6AP20
>>166
正直言って、怪しいですね。「偽いこか氏」と同じ串を使用しての書き込みです。

172エキストラオ:2009/12/11(金) 09:57:37 ID:qx/cASp60
★勝利の要諦についてグダグダと 述べる本があるらしいが・・勝利なんてものは目指してはいけませんね。勝者・敗者の区別になんの意味があるのだろうか・・仏の教えはそんな偏狭偏頗なことは説いていません。もし仏教を説くと云う人物が・『勝利セよ』と・つぶやいた瞬間・外道になりますよ。なぜか・・心の外に法を求める行為が・勝利せよ・だからである。我が一念をさして精進していく・自行と仮他以外に仏は説いていない。 勝利を口にしてはおしまいです。・・

174-:2013/06/19(水) 14:05:01
Superbe!


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