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漫画・ライトノベル以外の書籍スレ
1
:
真ナルト信者
:2017/02/08(水) 19:12:46 ID:???
漫画・ライトノベル以外の書籍なら純文学でも文庫でも新書でもレピシ本でも攻略本でも難しい本でもOK
感想を書いたり、内容をまとめたりとかしてみたらどうでしょう
189
:
修都
◆7VC/HIVqJE
:2017/10/29(日) 20:39:29 ID:byLobR8.
川添昭二『北条時宗』を読みました。
江戸時代から賞賛され、特に幕末以降はずっと賞賛され続けた時宗についての本ですね。
実際、元(モンゴル)軍を撃退した時の指導者だったわけで、その点での功績は大きいですが、時宗以降に得宗(北条氏嫡流)独裁専制体制が確立していったようですね。
あと、元の使者を無視したり切ったりしたのは元からすればめちゃくちゃだったわけで、さらにいえば元(モンゴル)軍とはいえ実質は高麗軍だったり南宋軍で士気も低かったので暴風がなかったとしても日本は勝てたんじゃないかと、この本を読んでたら思いましたね。
それにしても時宗のお兄さんの時輔かわいそう
190
:
園田英
:2017/10/30(月) 22:41:07 ID:b/RTQnPw
ああアレを忘れるとは
追記
ドイツ編ではロンギヌスの槍の探索もあり「その本質を考えなければ分からない」言われてたが
…第3部か第4部で詐欺グループの名前だけ主犯の髭親父処刑したとある小隊長さんのグチ話が載ってたが
これが一応ヒントらしかったがあれだけじゃ
「作者さん散々キリスト教作中で使ったくせに盛大にディスるなあ」としか思えないって
(前に使ったのも「先代神父はキリスト教よりも仏教が優れてるから改宗した。
それがこの修道院の最大の秘密だ!」だったが)
後「”妖精のように可憐””頼りな気なおどおど顔”…これは同じ表現です」
もどこがだ!?と突っ込みたい(とりあえず作者に表現能力が低い事は分かった)
どこぞのバッドマンとダースベイダーは似てるから誤魔化せると同レベルじゃねーか
(これの場合、聞き役が「そんな似てるの?」と問い突っ込み役が「気になるならウチでビデオ借りてください」
言ってるので分かってやってますが)
191
:
P4
:2017/11/02(木) 19:08:35 ID:gVk8kjHE
あれはヤッターマンのギャグじゃなかったんだ・・
教えてくれてありがとうございます。
192
:
修都
◆7VC/HIVqJE
:2017/12/03(日) 12:36:42 ID:mMM/Egmk
峰岸純夫『新田義貞』を読みました。
この本では、新田義貞は実直な東国武士が鎌倉幕府を滅ぼしてしまったために中央政界に躍り出ざるを得なくなり、足利尊氏とも対立してあっけなく死んでしまったという評価のようですね。
幕府を滅ぼしたのも、尊皇心があったとかそんな話では当然無く、北条氏先生の鎌倉幕府がいると新田家は守護になることはできなかったところに幕府の徴税の仕方に不満をもったということが大きな要因だったようですね。
面白かったのは、あまりにあっ気なく死んだので、太平記では悲劇性を盛り上げるために義貞の遺族の話を書いているというところかな
193
:
修都
◆7VC/HIVqJE
:2017/12/03(日) 18:05:21 ID:mMM/Egmk
井上智勝『吉田神道の四百年』という本も読みました。
明治時代まで神道界のトップに居続けた吉田家について論じた本です。
吉田家は戦国時代以降、勢力を強くしていくのですがその理由は、もののけ姫じゃないですがそれぐらいから人間が自然や宗教儀礼に手を加え出したからのようです。
というのも、人間がそういったものに手を出しても大丈夫だという理屈を考えたり神に対してお札や称号を与えたりする役割を吉田家が担っていたからのようです。
ただ、吉田家を有名氏にするために伊勢の御神体が自分達のところにやってきたということを言っていたので伊勢からは嫌われ続けていくことになるのですが。
吉田家は神をつくることも行っていたようで、秀吉も吉田家がいなければ神にはなれなかったようです。
家康に関しては仏教の説がだいぶ取り入れられてしまって吉田家としては面目を潰されたようですが、神職者を統括する役割を幕府から与えられて江戸時代においても神道界のトップにいるはずでした。
ただ、吉田家がそのような役割を担わされたことに不満をもつ神職者は伊瀬をはじめとして数多く、そのような神職者たちは吉田家の神道の考え方がいかに間違っているかを主張するようになります。
また、吉田家に対抗する存在としてかつぎされたのが白川家で、吉田家と白川家は勢力争いをはじめていきます。
吉田家が神職専門者だけを配下にしていたのに対し、白川家は神職専門ではないものまで神職者として配下にしていたようですが、吉田家も勢力争いのためにそうせざるを得なくなっていくようです。
そして近代へのつながりでいうと、幕府は仏教は統制下におくことはできたけれど実は神道に関してはそれができていない。
あくまでも神道は朝廷につながるものだった。しかも白川家が神職者をどんどん増やしたので結果的に明治時代になってから朝廷につながる神職者がすごい増えていたということになるようですね
194
:
修都
◆7VC/HIVqJE
:2017/12/09(土) 12:33:17 ID:mMM/Egmk
藤田達生編『小牧・長久手の戦いの構造』を読んでいます。まだ途中ですがなかなか面白いですね。
内容的には本能寺の変前後から始まっていますけど、まず足利義昭は信長の傀儡ではないという視点の本のようですね。
さらに言えば、義昭追放後も将軍の権威は無くなったわけではない。近年、本能寺の変は義昭と光秀が通じていたことから起こったと言われていますけど、これは妥当な見解かもしれませんね。
ちなみに光秀は農民に殺されますが、落ち武者狩りというのはむしろ勝者側が村を動員して行わせていたんだという考え方になってきているようですね。
そして義昭の権威が一気に落ちたのは賤ヶ岳の戦いのようです。というのも義昭が通じていた柴田勝家が負けてしまった。さらに義昭と通じていた毛利家が意思統一できず何も出来なかったということが大きかったようです。
話としてはここから小牧・長久手になっていくんですけど、小牧・長久手は天下分け目の戦いだったのだというのがこの本の視点のようです。
というのも、家康は軍勢的には明らかに劣っていたので色々な勢力に応援を要請していた。それに対して秀吉も色々な勢力に応援を要請した。
だから結果的には小牧・長久手の戦いは、小牧・長久手だけで戦闘が行われていたわけではなく、色々な所で家康方か秀吉方に分かれて戦っていた。
そういう意味で、天下分け目の戦いと呼ぶにふさわしい戦いだったようですね。
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