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聖典引用 板

778金木犀:2012/06/02(土) 12:24:24 ID:j28jHRaM
『生長の家』誌昭和52年8月号から、
【八月の法語】 谷口雅春先生 より(5)

三十日の法語  “十三千大千世微塵数(じゅうさんぜんだいせんせみじんじゅ)”の意味するもの

「十三千大千世微塵数」と、わたしは数(すう)と普通に訓(よ)む字を“じゅ”と読みましたが、仏教では数という字を「じゅ」と読む慣例になっているからであります。

それは念珠のことを「じゅず」と言う時にも、数(じゅ)と珠(じゅ)と書いて「じゅず」と読みます。

大千というのは千を二乗した数です。つまり千に千をかけた数です。千を三乗した(千を三べんかけ合した)数であるという説もありますが、ともかく“大千”というのは千の二乗又は三乗の数です。そしてその数を十三千倍したのが十三千大千でありまして、その次に“世”とありますのは“世界”の事で、これは“蓮華蔵世界”の如く、中心に須弥山のある太陽系統みたいなものを、一“世界”と当時のインドの人は考えたのです。一つの太陽系統が一世界、その太陽系統を千の二乗した数を十三千倍した実に多数の太陽系世界を微塵にすりつぶして歯磨き粉のような微粒子にして、その歯磨き粉の微粒子の数一個を一つの言葉であるとして数えただけの文字又は用語が、竜宮に秘められてあった。『華厳経』の“上本”に書いてあったと言うんですから、『華厳経』のコトバの数は無限の数なんですね。

何しろ太陽系統一つを、すりつぶして歯磨き粉みたいな微粉末にしただけでもその微粉末の数は大変なもんだけれども、十三千大千という多数の世界をすりつぶして、微粉末にした、その粉末のひとつひとつが竜宮界に秘められている華厳経に書かれている文字の数であるなんていうことになると、もうこれは数えようがないということになるわけなんです。

このことは何を意味するかというと、華厳経というのは、そんな紙や竹篇に書いた経文ではない、“海の底”即ち「創造の本源世界(うみのそこにあるせかい)」にある所のあらゆる真理のコトバそのものが華厳経である。この“あらゆる”真理のコトバという意味が、この無限数の文字で綴られた経典が華厳経であるんだと、いうようにこの神話は解釈できるわけであります。

さてお釈迦さんは、この驚くべき真理のコトバを、華厳経に於いてそのものズバリとお説きになったのですが、先刻(さっき)言いましたように、お釈迦さんが亡くなって四百年か八百年経って龍樹菩薩という霊的天才が現れて、神通力によって「創造の本源世界(うみのそこ)」なる竜宮に渡って『華厳経』を読破し、その簡略本を地球上へ持ち上がって来た。それが、今地球に伝わっているところの『華厳経』であると、こういうことになっているんです。


三十一日の法語  華厳経の描いた大宇宙の霊的構造

その『華厳経』はどういうことが書いてあるかというと、この大宇宙の霊的構造が書いてある。すなわち、宇宙の中心座にベローシャナ仏、毘盧遮那如来、盧舎那仏、大日如来、天照大御神、その具体的、人格的、顕現として天皇が中心にまします、こういう霊的構造の世界がこの宇宙であり、この霊的構造は毘盧遮那如来が「正法を演説し給うた」そのコトバの展開として出現した世界であるから、「金剛の厚地にして永遠に破壊(はえ)されない実相」である。それは、“常”の世界であって、無常の世界ではない。それはイエス・キリストが「主の祈り」に於いて「神意(みこころ)の天に成れる世界」と説いた世界であり、従って“苦”の世界でなくて天国的“楽”の世界であり、それは“神意(みこころ)”という“大我”が中心にまします“浄”の世界である。すなわち“常楽我浄”の金波羅華の実相世界を釈尊は成道の最初の説法に於いてお説きになったが、その真理は時期尚早として秘められていたのでありますが、今や時節到来、この荘厳なる宇宙構造が開示されんとしつつあるのであります。

【この法語は9月号に続くことになっていますが、9月号を所持していないためここで終わらせて頂きます。】


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