- 1 :あんぷり :2015/11/20(金) 06:49:48
- 一、学際性の体系化によって、「学問の統合」は起こり得るのか?
二、「学問の統合」が起こった場合、統合された学問は巨大であるため、結果として「別個の専門性」が保たれていた場合の方が進歩速度は速いのでは? 三、また「統合学問」が生まれた場合、「専門性」を学ぶことが社会的に軽視され、学問の発展性が損なわれる可能性があるのでは? 四、出来上がった「統合学問」を学ぶことが「人間」に可能であるか
- 2 :べーべ :2015/11/20(金) 06:55:07
- 俺も手元の資料をまとめながら、自分なりに考えてみるぜ。
- 3 :べーべ :2015/11/29(日) 01:33:56
- 回答遅くなり申し訳ない。
今から三時までに自分が考えたことの概略を書いてみる。 詳述と細かい検討は、別日に。
- 4 :べーべ :2015/11/29(日) 01:35:12
- 回答遅くなり申し訳ない。
今から三時までに自分が考えたことの概略を書いてみる。 詳述と細かい検討は、別日に。
- 5 :べーべ :2015/11/29(日) 03:07:32
- 一、学際性の体系化によって、「学問の統合」は起こり得るのか?
「学際性」という言葉の意味する輪郭線がハッキリとしていくにつれて、 そこまでの議論で色々な方法論が成熟していくと思う。 そしてそれを利用して、今まで別物だと思われていた学問と学問が統合される、 ということは十分に起こることだと思う。 この辺に関しては、「学問の統合」の定義と、その定義からどれだけ離れて「学際性の体系化」が分布するかで 実際に起こる現象と、それにまつわるてんやわんや、人間のかかわり方も変わりそう。
「学問の統合」は何が成立すると起こる現象なのか。 実際に、異なるジャンルと認識されていた分野同士が「統合」されたときは、 それは何がクリアされたから「統合」されたといえたのだろう。 統合、システム、体系、系統…これらの言葉の意味することってなんだろう。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
- 6 :べーべ :2015/11/29(日) 04:44:30
- 相対論が登場しても古典物理学の意義は残ってる。
それは「極端に速いモノや極端に重いモノでなければ、古典力学でも十分に正確な近似が得られるから」みたいだ。 円の半径を求めるときに、日常生活の範囲なら、3や3,14で円周率を考えてもいいのと同じ。 「学問の統一」を考察するとき、統一後の個別の学問がどうなるか? については、この辺と同じような形になりそう。 パソコンで、人間が扱うならGUIはすごく便利!というのと一緒かなと。
- 7 :名無しさん :2015/11/29(日) 05:02:21
- 時間、コスト、カロリーの節約などの人間的な事情から
必要な情報を残しながらも情報を縮約する~という技術は大切で、
近似で考える、概算で考える、モデル化して考える、 次元圧縮という処理をして考える、
などの方略のように 人間はどこかで計算資源を節約する必要がある。 (パソコンのGUIというやりかたが パソコンにとっては必要なくても、人間にとっては必要なのと同じ感じ) だから 十分に精度の高い近似が取れる範囲において たとえ学問の統合があったとしても個別の専門性は残るはず。
(ちゃんと書くなら、 (省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
- 8 :名無しさん :2015/11/29(日) 05:03:51
- 話が込み入ってしまった。
後日にもっと繋がりを明確にした上で再投稿します。 込み入った部分は疑問点一以降に関わる部分にあたります。 とりあえず本日はこれにて。
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