- 1 :鎮魂歌1号 ◆u8h76JnKYY :2014/10/31(金) 19:41:39
- その絶望、括目せよ。
- 36 :鎮魂歌1号 ◆u8h76JnKYY :2014/12/04(木) 03:01:14
- ↑クズレスお疲れ
カエレゴミムシ
- 37 :名無しさん :2015/05/23(土) 00:54:08
- 色々なことが込み合っている、しかし自分がやろうとしてきたことは、二つに分けられて完成し、しかも自分自身をも失わない状態で迎えたのであるから、一段落がつけたのであると思うのである。それでここで、次にどう進めばいいのか悩んでいるところであるが、独り言もらちがあかず、紙にも書き出すことが出来ず、誰かの所へと行き話そうにも批判的な論調となり、自分に向き合って話をしてみることにした。三つのサイトの紹介は止めて・・というか出来なくなり、またやらない・・手が動かない状態である。その失敗にも何かしら意味はあったのではあろうが、長いことよくもまあ対して良いこともなかった、お寺の紹介なぞしたものだと呆れるばかりなのである。私は今日は随分遅くに目が覚めて、器の削りがあったので図書館へは行かずに、室内で座りそして近所の土手で万葉集を読んだ。その後削り始めたが、その前に五部を自分の名前を、住所を書かずに日蓮宗さんの寺院へ奉納をした。すると、心臓が痛くなり、胸も苦しくなる。そのまま横になり、少しタカマハラナヤサで紹介をしたのだが、昼寝をしてしまった。起きてから何故か急に実家へと行き食事を食べさしてもらった。そう、考え悩んでいたのは、ある君のことである。私は今少しづつこの個人的な作業からは少し・・離れられないのであるが、見切りがついてきているので、彼女が欲しいと考えその君を思い出したのだ。今月はとても千束に行けるようなお金もなく、よっぽど借りようかとも考え悩んだのである。来月農業体験に行く前に、行けるかどうかであろう。お茶の方は、宛にしなくてもいいであろう・・しないほうがいいだろう。世界の違う人、今回の農業が済めばこの団体とも何かしら明確な見切り、見定めも出てくるであろうから、語学を早いところ止めたのも、でも茶は保留にしたのもそのためだ。その後の一月、これが勝負とはなるであろう。向こうも大勢であり、全ての人が残るわけではない。だから無理をして形見の狭い思いをしてやり続ける必要はないであろう。私は今紹介も出来ず、コトタマ学をサークルをやろうかと、やり始めようかとも考えたが、出来なかった・・この上は今行っている五部の送付と、八十の歌をひたすら沢山、日々やっていくより他にない。その道を極める・・人に教えることもなく、短歌会に参加して余計な教授を受ける必要もなく、ひたすらこの道をやっていくのだ。だが、この一段落がついた時点では、彼女は真剣に考えた方がいいであろう。と千束の子を思い出したのである。ただ性愛というだけでなく、長いこと女性との身近な付き合いがないから、丁度妹の娘等と遊びに出かけるような、そのような思いも今の自分には大切である。病院のデイケアもあり、異性が特定されればまたお寺の音楽会・・に参加したっていいのである。ということを考えていたのである。結局病院では病院のお寺ではお寺の神社では・・と所々の恩恵を無視するような形ではあるかも知れないが、私が何か大きな変化をする・・とすると異性・特定の付き合いを持てる女性との繋がりが持てるか、にかかっているのであり一番無難に考えると千束の君だ・・が問題はそれが上手く行くかどうか、また一度もう一度が最後となるであろう。もうそれが四度目である。前回器をもらってもらい、次は新宿御苑の散歩とか・・明治神宮に誘う・・連絡先を知らせるより他にはない、それで駄目ならそれまでだ。これは覚え書きにしておく。今回は・・明日の歌会に参加するかどうかであるが、悩むところだ。
- 38 :春日 :2015/06/01(月) 00:29:45
- 公園にかすむ無人は遊戯座のコアラかパンダ我が物とする
歩きながら無人の公園にコアラやパンダの乗り物を見掛けた。時折頭の中で、あの女の子と上手くいくかも・・的な事を考えるが、一人ではない。特定の二人をコアラとパンダに置き換え考えてみたりした。
幼児は父の手を取り連れ引きて駅の階段大股にゆく
子供を美化する訳ではないが、先日電車に乗ろうと階段をのぼっていたら、小さい子が父に手を取られ、ゆっくりとのぼっていたのである。まあ子供の目線で考えると、大変な苦労なんだろうな、と冷静に後ろから眺め考えていた。
空仰ぎ天網のごとき電線が通りや家の間ひしめく
金町から小岩まで、夕方自転車を押して歩いたが、ふと空を見上げると、青い空に電線が走っている、横切っているのが印象的に思われた。天網は大げさだが、空に網が張り渡らされている、そのような感じを受けた。
チャーハンの大盛り食べるためだけに自転車へ乗り隣町まで
午後二時に目覚め、図書館へでも行こうと自転車に乗って出掛けた。途中書紀を読み終わらせ、ある店のチャーハン大盛・・すごい大盛を食べる事も考えていた。何と、図書館は休みで、土手で本だけよんだが、チャーハンも・・いまいち。新小岩の店の方がうまい。 (省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
- 39 :名無しさん :2015/07/08(水) 17:07:28
- まずじぶんはさくじつふうとうをだしてそのごしょうかいをはじめててからおおきくたいちょうをくずしたそのわけはそのまえのひにとまりででかけておおざけをのんだせいだともいえるのであるがむこうにいるあいだはかなりたいちょうがよくてかえってくるときもそのときにはじめておおきなむねのつかえをかんじたというていどなのであったさくじつかえってきてからふうとうをだしてしょうかいをはじめてたいちょうをくずしそしてくすりをのみえいがをみてごみもだせずふろにもはいらずにねむってしまいおきたらごごのさんじであったのであるたんかはたんかだけとしてよけいなはなしはつけくわえずうぇぶでこうしてはなしをしてみるくわえてしょうかいもしないきょうとにいっていたときすべてがよくすごせたというわけではないがふうとうのさぎょうをやらなかったことによりずいぶんとにちじょうのささいなことまいにちをすごしてときにひととはなししょうかいをしたらたいちょうをくずすしょうかいはときにじぶんをかいほうもするがとくにわたしがやらねばということではとうぜんなくてしかもわたしはかいにはおくしてもいないのであるからそれをしてきもちをへこませるみうごきができなくなるというのはほんまつてんとうなのであるそれゆえふうとうのさくせいをこんすたんとにやりおおせていくことにこそいみがあるのであるそこでじぶんのなまえをしるすということうつわはできるだけひとにあげるということではあろうかいまはとにかくあきんていのやそのうたをじぶんのしめいとじゅうしょでもってつくりあげてだしてしまうことがほんじつやるべきしごとなのであろうかもくようかきんようのごごにはくりにっくにはいきたいとおもっているふうとうのりょうほうはじぶんのなまえをかくということそしてうつわはじぶんなりにはんせいしていまのままつづけていくよりほかにはないのであるだからふうとうにはじぶんのなまえとしめいでかんせいさせておくることにはするのである
- 40 :名無しさん :2015/07/08(水) 17:18:07
- こんかいのぜんたいてきなないようをあきらかにするとこどものときにしんせきがあそびにきていてそのときみながねしずまったときにわたしはあだるとだかななだかわすれたがそれをてれびでみてざぶとんのあいだにいんけいをつきさしてゆするじいをしていたところをあねのひとりにこえをかけられたということであろうほうけいはときにじいをじょちょうさせるというかかわらないのであるがそれをよりたのしますくわえてほんとうのせいこうはできずらいからみょうなこんぷれっくすをもつようになるのであるだからそのことがあきらかにもんだいだっってせんずりをなんじかんもかけてやるけどいざおんなのこをまえにしたらなにもできないぺにすではしょうがないのであるからそこからこうてんではそのしゅじゅつをしてそのしゅじゅつのあとにぺにすがおかしくなりいたみをともなうものであったのできゅうきゅうしゃをよんではこばれるのであるしんじゅくのびょういんまでさいれんがひびきわたるのではあったそのことがけっきょくそのときたくしーでいけばいいものをわたしはきゅうきゅうしゃのなかでぱんついちまいになりすわりうなだれていたのではあったくらいやみのよるあかいさいれんとおとがなりひびいていたかどうかははっきりとはおぼえてはいなくてしょうかいはいらずときにこうしてはなしときにたんかにしてだすひととはなすのはいのだけでよろしくまたひとりごとはとくにしないがおもうざぜんのあとなんかにはこうしてこころにたまったものをそとへとだすのではあるしょしきにかんしてはわくはかいてけさないでもいいとしてもしんぺんをつかうことにしようとおもうのでありじぶんのなまえをしようすることしょくじとあわせてそのさぎょうをすてぽすとへとうかんするところまでをやることにしよう
- 41 :名無しさん :2015/07/08(水) 18:40:58
- というわけでふうとうをいっぴつきnていのひとことをそえておくるところまでやりおおせたふうとうにはいっぴつをそえておくることこれはほうのうでもおなじにするそしてしょうかいはせずにことばをもってみずからをせいぎょするよりほかにはないであろうとおもうのであるそこでいまのないようをやすいたんかにしてだすことことたまのまなびとしてむずかしくしてうたとしてだすこともかのうなのであるがうつわのせいけいもあるきのうはふろにないっていないためそれでゆっくりとふろにつかりたいきもちもありみるえいがもあるからたんかはたんかのみでにしゅくらいにまとめてだすことがかのうではあるだろうしうつわのせいけいはそれほどじかんがかかるというわけではなくあしたいこうのけずりにてまどるということであるからせいけいをすませたらそのあとにめものたんかをかたづけるのがよいのかもしれないではあろうかしょうかいのひつようはない
- 42 :辻 :2016/03/25(金) 09:33:30
- 薬をのむ量が半年前より少し増えて、基本薬は不動だが、頓服の薬をよく飲むようになった。にもかかわらず本当に苦しい時があり、今も京都から帰って来たばかりで眠いし疲れているのは確かだが、何かが不足している気がして横になって〈ああだ、こうだ〉と口からもらしていたのである。歌の内容を別けて、吐露しようというこころみ。
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