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田中スレ
1とはずがたり:2003/10/27(月) 23:52
田中真紀子と田中甲の「無党派」連合特集。
なんか起きるのかね?

2とはずがたり:2003/10/27(月) 23:52

http://jbbs.shitaraba.com/study/bbs/read.cgi?BBS=2246&KEY=1036413264&START=541&END=545&NOFIRST=TRUE

どうなったんでしょう,これ。

http://www.yomiuri.co.jp/hochi/news/may/o20030527_10.htm
江田氏が新集団設立へ
 橋本龍太郎元首相の秘書官から政界に転じた江田憲司衆院議員(47)が、同僚の無所属議員とともに、新しい議員集団「自立した議員を目指す会」を設立することが27日、明らかになった。


無所属議員と「自立した議員を目指す会」
 特定の利益団体などとの「しがらみ」がない議員が結束することで、永田町に根強く残る「政官業の癒着」を断ち切ることが結成の目的。ほかに川田悦子、田中甲、山村健の各衆院議員、黒岩宇洋参院議員が参加する。

 当選以来、自民・民主など各党からの強い勧誘を拒み、無所属を貫いている江田氏は「企業団体献金を受け取り、選挙で票をもらえば恩返しという“しがらみ”に染まりたくない。それぞれの議員がしがらみから自立することが『政治とカネ』の問題を解決する第一歩になる」と話す。

 自ら後援会を解散、政治資金パーティーも行わないなどクリーンな政治活動にこだわり、民主党の労組依存体質を批判して離党した田中甲衆院議員(45)は、当選3回で同会では先輩格になるが「自立した議員の間では当選回数は関係ない。この面でも政党の常識を変えていきたい」と話した。同会では最初の活動として、今国会中に衆参両院の全議員を対象に「政治とカネ」の問題についての意識調査を行う予定。

3とはずがたり:2003/10/27(月) 23:53

千葉スレより。田中甲のスタンス

03/06/01 10:33
中日新聞2面

〜25%しか植民地支配知らぬ〜田中甲衆議院議員(46)
 「アジアの歴史で日本がどう加害者だったか、若い世代はあまりにも知らな過ぎる」(中略)
 「事実を伝えるという、学校教育で重要な事が欠落している。掘り下げていくと、政府が過去から目を背けてきた事に行き着く」と指摘。
 「自虐的な史観を持つのではなく、近隣諸国と共通の会話が出来る意味で、歴史の事実を明らかにして、しっかり教えないといけない」と強調する。
 
 そこで必要なのが、2000年11月に自らが中心となり超党派で衆院に提出し、継続審議になっている国立国会図書館法改正案の早期成立だと言う。同法案は、国会図書館に「恒久平和局」を設け、
朝鮮半島からの強制連行や従軍慰安婦問題、生物化学兵器開発など、まだ明らかになっていない日本の「過去」を調べる内容だ。

 「有事法制整備などで、近隣諸国から『日本は戦争に向かっているのでは』と見られている。今こそ、過去の事実を主体的に明らかにし、過ちは二度と繰り返さない姿勢を示せば、どれほどの安心感を与える事か」
 「平和」には拘ってきた。1996年に訪中し、当時の江沢民国家主席から「中国に核抑止は必要。過去の歴史を良く学んで欲しい」と言われたのが、「加害者としての日本」を強く意識し始めたきっかけと言う。
有事法制関連三法案には「無条件で米国に協力する事になりかねない」と、議員の9割が賛成した衆院本会議の採決であえて反対に回った。

 「日本国再生」が政治家としての目標。「個人も地域も国家も自立が重要。そのために最初に必要なのが、過去の事実を明らかにする事だ」

4とはずがたり:2003/10/27(月) 23:53

http://www.google.co.jp/search?q=cache:w1Iu8ZpitMEJ:newsflash.nifty.com/news/tp/tp__yomiuri_20030808ia21.htm+%E5%B0%8A%E5%91%BD%E3%80%80%E5%B1%B1%E6%9D%91&hl=ja&ie=UTF-8
元民主党の山村議員、新会派「尊命」に入党(読売新聞)
 山村健衆院議員は8日、「尊命(たける)」(代表・田中甲衆院議員)に入党し、田中氏とともに衆院に新会派として届け出た。山村氏は昨年12月、民主党の代表人事をめぐる混乱を批判して離党を表明。民主党から除籍され、無所属となっていた。これに伴う衆院の新勢力分野は次の通り。▽自民党243▽民主党・無所属クラブ116▽公明党31▽自由党22▽共産党20▽社民党・市民連合18▽保守新党10▽尊命2▽無所属14▽欠員4

[読売新聞社:2003年08月08日 22時19分]

7とはずがたり:2003/10/27(月) 23:57
真紀子出馬について
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/2246/1036413264/1153-1154
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/2246/1036413264/1162
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/2246/1036413264/1165
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/2246/1036413264/1169
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/2246/1036413264/1234 >>>8

1154 名前: とはずがたり 投稿日: 2003/10/02(木) 17:29

2チャンネルのカキコどころか堂々と共同通信が流すのかー>真紀子=民主党提携

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031001-00000329-kyodo-pol
真紀子氏、出馬うかがう 民主推薦?自民が戦々恐々

 衆院解散・総選挙を前に田中真紀子前外相の動向に、自民党が戦々恐々としている。検察当局から秘書給与疑惑は「シロ」とのお墨付きを得て、田中氏が次期総選挙への出馬をうかがっていることから、「反自民」の行動に出るのではないかとの観測があるからだ。
 自民党は昨年6月、党紀委員会で2年間の党員資格停止処分を下し、事実上、田中氏を議員辞職に追い込んだ。検察当局の不起訴処分について安倍晋三幹事長は「司法は司法の判断」と指摘、党の処分とは別次元だと表向き平静を装うが、党幹部の1人は「次期衆院選に出馬し、民主党が推薦するのではないか」と、田中氏への警戒感を隠さない。
 田中氏の選挙区は衆院新潟5区だったが、議員辞職に伴う補選で現職は自民の星野行男氏に。今回は星野氏のほか、白川勝彦元自治相が無所属で出馬を表明、民主、社民両党に推薦を要請している。
 民主党幹部は「(旧自由党党首の)小沢一郎氏のところに、2、3回、田中氏本人から電話があったようだ」と証言。電話の内容は定かでないが、政権奪取を目指す民主党に田中氏が協力する意向なのではないかとの憶測が広まった。(共同通信)
[10月1日23時56分更新]

8とはずがたり:2003/10/27(月) 23:58
1234 名前: とはずがたり 投稿日: 2003/10/20(月) 09:57

http://www2.asahi.com/senkyo2003/news/TKY200310200057.html
「今後」語らぬ田中真紀子氏 新潟5区

 総選挙に無所属で立候補を表明している田中真紀子前外相(59)の活動が、地元の新潟5区ですっきりと受け止められていない。どのような立場でどういう政治活動を目指すのか。本人の口から明確な説明がないまま、水面下では無所属同士の連携を模索するなど「隠密行動」が続いている。

 19日午前。前日夕に新潟県入りした真紀子氏は、自民公認で立候補予定の前職星野行男氏の地盤である小千谷市や川口町を回った。

 白いシャツにベージュのスラックス姿。中学校の体育祭で観客と握手して回った後、小学校の文化祭にも顔を出した。

 11日からの3連休には、14市町村ある選挙区内の支持者宅二十数軒を約束なしで駆け抜けた。いずれも10〜20人程度の小さな会合。秘書給与の流用問題が不起訴となったことを真っ先に口にし、「今度来るときはタスキをかけて来ます」という程度で、多くは語らなかった。

 新潟5区には、星野氏のほか、民主党推薦予定の白川勝彦氏、共産党の斎藤実氏がすでに立候補を表明していた。

 真紀子氏は8日になって、無所属で立候補する意思を表明した。長岡市の地元事務所へ電話で伝え、報道関係者には事務所を通じて電話連絡するという異例の形だった。

 その3日前。真紀子氏は長岡市で議員辞職以来1年2カ月ぶりに記者会見。しかし「天命の重さというものを強く感じた」と述べただけ。自らの自民党員資格や党籍についてこだわりを見せた。

 真紀子氏は無所属議員を中心としたグループを作る構想を温めているのではないか。こんな見方も出始めた。昨年8月に議員辞職した際、自民党から党員資格停止処分を受け実質的な議員活動がままならなくなったことを理由に挙げたからだ。

 新潟県内の無所属立候補予定者は、真紀子氏から「一緒にがんばろう」などと打診を受けているという。

 また真紀子氏は、「日本フロンティアの会」などと連携してマニフェスト作りをしてきた前職の田中甲氏(千葉5区)らのグループから、当選後に自民、民主以外の「第3極の市民政党」を目指そうと誘われている。

 こうした真紀子氏の「反自民」連携の動きが水面下にとどまっている背景には、「夫の直紀参院議員が来年改選を迎えるという事情が影響している」と他の陣営は見る。前回、自民党公認がもらえず無所属で戦った直紀氏は、当選後に自民党入りしたからだ。

 真紀子氏の水面下の動きについて、後援会幹部からは「何の説明もない」との不満も出ている。

 ある地元議員はこう分析する。

 「政治的立場は明らかにしないまま選挙戦になだれ込み、当選したらその時の政治状況しだいで一気に動くという腹づもりではないか」

(10/20 06:45)

9とはずがたり:2003/10/27(月) 23:59

1235 名前: とはずがたり 投稿日: 2003/10/20(月) 09:58

160chより。

75 名前: 名無しさん 投稿日: 2003/10/19(日) 21:34

千葉5:田中甲、神奈川6区:勝又恒一郎、静岡1:田辺信宏、新潟5:田中真紀子
福井1:笹木竜三、兵庫12区:山口壮、広島5区:三谷光男、大分1区:吉良洲司か
とりあえず声掛けましたよってだけのことか


前外相らに新党参加打診 田中甲前議員が電話
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031019-00000134-kyodo-pol
 田中甲前衆院議員(衆院千葉5区、諸派)が、衆院選出馬を表明している無所属の田中
真紀子前外相に総選挙後の新党結成を呼び掛けていたことが19日明らかになった。田中
甲氏周辺が明らかにした。
 田中甲氏が前外相に新党参加を打診したのは今月17、18の両日。いずれも電話で
「総選挙後に、自民党でも民主党でもない『市民の政党』結成を一緒に目指したい」と呼
び掛けた。
 これに対し前外相は「今の日本政治は閉塞(へいそく)感に覆われている。既存政党の
しがらみの中で政治が行われることがいいとは思わない」と述べたが、参加するかどうか
は明言していないという。
 田中甲氏は19日までに、前外相のほか衆院神奈川6区、静岡1区、福井1区、
兵庫12区、広島5区、大分1区の各選挙区から出馬予定の無所属候補にも新党参加を働
き掛けている。(共同通信)
[10月19日20時41分更新]

10とはずがたり:2003/10/27(月) 23:59

1254 名前: とはずがたり 投稿日: 2003/10/20(月) 22:36

>>1234-1236
どんな形になるのかね?保守新党が合流したりして(笑)

http://www2.asahi.com/senkyo2003/localnews/niigata/TKY200310200223.html
真紀子氏「新党」も視野 政党・陣営に激震

 総選挙に向けて、無所属で5区に立候補を予定している田中真紀子前外相が同じく無所属の立候補予定者に連携を働きかけているのは、当選後の新党旗揚げも視野に入れていることが19日、分かった。議員立法できるような会派結成を目指しているのではないかとの見方があったが、政界再編もにらんで主導権を握ろうとの狙いとみられる。対する政党、各陣営に激震が走った。

 ◎後援会幹部「自民飛び出し賢明」

 「新党」構想を、真紀子氏の支持者らは肯定的に受け止めているようだ。

 六日町の後援会幹部の富所健太郎さんは19日早朝、真紀子氏の秘書から20日に予定の会合の案内を受けたばかり。「新党」の話は知らされていないという。

 真紀子氏はこの日、六日町の支持者らを訪ねたが、富所さんは「堂々とやればいい。マスコミが集まれば宣伝になるのに」といい、「『田中』を支えるのはどこでも同じ」と話した。

 塩沢町の後援会幹部は「また自民党批判、小泉批判をすれば『除名』になる。その前に飛び出すのは賢明だ」。小千谷市の後援会幹部は「どういう形であれ付いていく。元々、真紀子党なんだから」と動揺した様子はなかった。

 その一方、「細川(護熙氏)新党の時のような動きでも狙っているのだろうか。地に足が着いていないような気がするが……」と首をかしげる魚沼地方の首長もいる。

 5区で真紀子氏と争うことになる星野行男氏はこの日夕、長岡市でミニ集会を開催。取材に対して「天国のお父さん(故・田中角栄元首相)が悲しんでいる」と話した。「新党」について「少人数で何ができるのでしょうかね」と話した。

 白川勝彦氏は「メンバーの顔ぶれ、各選挙区の構図をみてみないと、新党の政治的立場がはっきりせず、何とも言えない」と話した。

 ◎連携に前向き姿勢 2区・藤島陣営

 2区から無所属で立候補を予定する藤島正之氏は「(真紀子氏陣営から)知人を介して接触はあった」とした上で、「新党」の話については「具体的には聞いていない」と話した。

 接触は、藤島氏が当選した場合に自民または民主といった政党に入るのかどうか、藤島氏の考え方を聞く形だったという。

 藤島氏は「まず、議席を得ることが先決だ。当選したとしても、私は自民党にも民主党にも入らない。これまでも主張しているように、新たな政界再編を目指していくことに変わりはない」と語った。

 2区では、近藤基彦氏(自民)と藤島氏の争いを軸に各予定者による激しい支持票の取り込みが展開されている。保守支持層が大半を占める2区で、真紀子氏が「新党」を結成すれば、少なからず影響を与えそうだ。

 藤島氏は真紀子氏と国会議員として以前から近しい関係にある。連携するのかどうか。同陣営としては、今後の動きを見据えるとしながらも、真紀子氏との連携に前向きな姿勢をうかがわせている。

11とはずがたり:2003/10/27(月) 23:59
1255 名前: とはずがたり 投稿日: 2003/10/20(月) 22:36

 ◎積極的に参加検討 6区・風間氏

自民党の公認争いに敗れ、6区に無所属で立候補予定の風間直樹氏は、「新党」への参加を前向きに検討している。

 真紀子氏の夫の直紀氏と支持者が重なる部分がある風間氏は18日夕、直紀氏と秘密裏に会談している。

 上越市内の結婚式場であったこの会談で、直紀氏サイドは「もう一歩頑張ってくれれば(真紀子氏が)応援に入る」などと話したという。「新党」入りがとりざたされるリストには風間氏の名前はないが、真紀子氏側の関係者は「風間氏の応援について検討している段階」と話している。

 風間氏自身は「極めて前向きに参加を検討している。国民のためになるマニフェストを掲げる政策集団なら望むところだ」と話す。自民党員ではあるが、真紀子氏の真意を見極めて判断したいとしている。

 一方、風間氏との自民党公認争いに勝った高鳥修県連会長の長男修一氏は、「自分の主張を有権者の皆様に訴えるだけ」と言っている。

 民主党県連代表で同区に立候補する筒井信隆氏は「真紀子さんと風間さんとの話で、こちらが関知することではない」と話している。

 ◎「政権への態度、早く明らかに」民主県連

 県内の各政党は様々な反応を見せた。

 「各党の中枢が抜けて作る新党でなければインパクトは小さい」とみる自民県連幹部は「真紀子さんは自民の内部から党批判をして喝采(かっ・さい)を浴びた人。党の外から批判しても野党と同じなだけ。真紀子さんのプラスにはならないんじゃないか」と話した。

 一方、民主党県連の筒井信隆代表は「政権交代の側につくのか、連立政権の4党目として入るつもりなのか、まずは早急に明らかにしてほしい。どっちつかずは政治の世界ではありえない。政権交代の側につくのなら、協力も含め、対応を検討したい」と話した。

 社民党県連の近藤正道代表は「マニフェストなど詳しい中身がわからないので答えようがない」と前置きしたうえで、現行の選挙制度は、政党本位であるために無所属候補が不利であるとの認識を示し、「田中さんが自民党に入れなければ別の道を選ぶ、というのは一般論ではよくわかる行動だ」と話した。 

 (10/20)

12とはずがたり:2003/10/28(火) 00:00

1261 名前: とはずがたり 投稿日: 2003/10/21(火) 00:07

離党はするみたいです。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031021-00000001-kyodo-pol
真紀子氏、自民離党の意向 新党参加は否定

 衆院選で新潟5区から無所属で出馬することを表明した田中真紀子前外相(59)は20日、新潟県長岡市で開いた後援会幹部の会合で「離党せざるを得ない」と述べ、自民党を離党する考えを表明した。田中甲・前衆院議員から総選挙後の新党結成を念頭に連携を呼び掛けられていることについては「誰が当選するかも分からない」と語り、新党参加を否定した。
 関係者によると、前外相は「自民党籍の有無を党ははっきり返事しないが、すっきりして出馬したい」と述べた。後援会幹部に離党すべきかどうか意見も聞いたが、賛否は分かれたという。
 新潟5区で自民党は、星野行男前衆院議員(71)を公認候補として擁立する予定で、星野氏らが前外相と争うことになる。(共同通信)
[10月21日0時5分更新]

13とはずがたり:2003/10/28(火) 00:06

横山は森に褒められて喜んでたみたいだ。木村の所へ挨拶に行ったり駄目だ彼奴。

1264 名前: とはずがたり 投稿日: 2003/10/21(火) 00:30

>>8-9(1261-1262) >>10-11(1254-1255) >>8-9(1234-1236)
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/2246/1036413264/1258

真紀子は民主よりも田中甲より?
甲,真紀子,笹木,藤島(あと名前出てないけど横山とか)あたりに対しては民主党の候補者を引っ込めてまで協力申し出ても良いんじゃない?白川の処遇が問題だけど来夏の参院選へでも回って貰えばよい。村越は県議になったばかりだし笹木の相手は即席の落下傘,坂上はもういい歳だ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031021-00002068-mai-pol
<共通政策構想>連携打診に真紀子前外相「自民ではダメだ」

 田中甲・前衆院議員(尊命)は20日、東京都内で記者会見し、無所属候補に「共通政策」を掲げ選挙に臨む構想を呼び掛けるとともに、新潟5区で無所属出馬する田中真紀子前外相に連携を打診したことを明らかにした。田中甲氏によると、前外相に18日に電話で自民党籍の有無を確認したところ自民党批判を展開したという。(毎日新聞)
[10月20日22時3分更新]

14とはずがたり:2003/10/28(火) 00:06

1285 名前: とはずがたり 投稿日: 2003/10/22(水) 14:11

越山会キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!

http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/tanaka_makiko.html?d=22fuji29718&cat=7
真紀子“越山会”13年ぶり復活!小泉に反撃 (夕刊フジ)

 真紀子支援、越山会復活-。次期総選挙(11月9日投・開票)で最大の注目候補、田中真紀子前外相(59)=新潟5区=を支援するため、父・角栄元首相(故人)の後援会「越山会」が13年ぶりに復活することが22日、明らかになった。かつて「鉄の団結」を誇った後援会復活の背景には、単なる選挙対策だけでなく、小泉純一郎首相が推進する「都市重視、地方切り捨て」へのレジスタンス(=抵抗運動)といった狙いもありそうだ。

 【真紀子支援で結束】

 「後援会解散から10年以上たつが、やはり『越山会』という名前が最も地域を結束させる力がある」

 旧越山会幹部はこう打ち明ける。

 関係者によると、復活するのは新潟県六日町の「六日町越山会」。週内にも県選挙管理委員会に政治団体として届け出る。最終的には数100人規模の組織になるとみられる。

 【最盛期は会員10万人】

 越山会は昭和28年、角栄元首相の戦友たちが中心になって第1号支部が結成。その後、旧新潟3区の市町村の隅々まで広がり、最盛期で330支部、会員約10万人を数える巨大後援会となり、地元では「越山会にあらずんば、人にあらず」とも称された。

 名前の由来は、郷土の英雄、上杉謙信が加賀・能登攻めに成功した際に詠んだ詩歌にちなむとされ、「山を越えて都へ攻め上がろう」という角栄元首相の天下盗りの意気込みを示したものといわれる。

 新潟5区で、敵となる自民の星野行男氏も越山会幹部として、知られていた。

 昭和58年10月、角栄元首相はロッキード事件の1審裁判で有罪判決(外為法違反)を受けた。同年12月の総選挙で自民党は議席を減らしたものの、角栄元首相は越山会がフル活動し、空前の22万票を得て圧勝した。

 【復活の事情】

 先の秘書給与ピンハネ疑惑では、東京地検が「嫌疑なし」の不起訴処分を下したとはいえ、一部報道などで政治的打撃を受けた真紀子氏。「これまで選挙の実動部隊だったファミリー企業も、有権者の企業選挙に対する厳しい視線もあって行動が制約されている」(地元事情通)という。

 そこで、父・角栄元首相の政界引退を受け、平成2年に解散していた越山会の復活が浮上したようだ。今後、六日町以外にも一気に拡大する可能性がある。

 【地方切り捨てに抵抗か】

 さらに、越山会復活の背景には小泉改革の実態といえる「都市重視、地方切り捨て」への反発もあるという。

 小泉政権は「財政難」を理由に地方交付税や公共事業削減を進めており、地方の中小企業倒産や失業者増大は深刻な事態。大企業が集中する東京近郊とは違い、地方によっては失業率10%前後という地域もある。

 前出の旧越山会幹部が言う。

 「旧越山会は角栄元首相の後援会だったが、会則には『田中角栄を支持する』との文句はなく、『豊かな郷土づくり』を基本理念としていた。批判も多かったが、角栄先生は地方に光を当てた。新越山会は真紀子さんを先頭にして、弱っている地方を奮い立たせる戦いを進めたらどうか」

 真紀子氏は内々の会合では「日本を変えるには、今の自民党ではダメだ」と話しているが、28日の公示日まで公の場で演説は行わないという。

 新越山会をバックにして、どんな選挙戦を展開するのか。

[ 2003年10月22日(水)13時0分 ]

15とはずがたり:2003/10/28(火) 00:06
真紀子,自民党に離党届提出
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/2246/1036413264/1286-1287

16とはずがたり:2003/10/28(火) 00:07

1323 名前: とはずがたり 投稿日: 2003/10/26(日) 11:17

http://mytown.asahi.com/niigata/news01.asp?kiji=5061
政界再編めざす真紀子氏、他候補の応援も

 「自民でも民主でもない。私の目標は、政界再編です」−−。田中真紀子氏は25日、長岡市のホテルで開かれた記者会見で、自らの政治姿勢を明確にした。すでに県内外の複数の無所属立候補予定者と政策面でのすり合わせも行い、選挙期間中には応援演説にも赴くとした。また「再編」に向け、来夏の参院選も視野にいれているという。

 総選挙での政治姿勢を問われた真紀子氏は、はっきりした口調で「政界再編です」と答えた。

 郵政民営化や道路公団の問題、消費税引き上げ、イラクへの自衛隊派遣などを挙げ、自民、民主両党ともに「意見が右から左まで混在している」と述べた。そのうえで、「選択肢が二つしかないのではなく、違った道もあっていい」とし、政策別に政界再編の方向を目指す考えを示した。

 一方、自民党県連は、夫の直紀参院議員に対し、この総選挙で県内の自民公認候補の応援を要請している。しかし、交渉は進展していない。直紀氏の関係者によると、同氏は25日までに要請を断る意向を固めた。真紀子氏も会見で「社会の基本は夫婦」と語った。直紀氏は周囲に「公認を返上してもいい」と漏らしており、総選挙後に離党し、真紀子氏に同調するのは確実とみられる。

 関係者によると、直紀氏は今月中旬、創価学会に強い影響力を持つ人物と秘密裏に会談。「小選挙区は真紀子氏、比例は公明で」とのバーターを持ちかけたという。

 真紀子氏本人や、後援会幹部もすでに関係者と接触。固い「学会票」の取り込みを狙っている。

 その学会をかつて厳しく批判した白川勝彦氏が民主党の公認を求め、同じ5区に立候補する。

 真紀子氏は民主党について「(合併は)よくぞやった」「敬意を表す」と、微妙な言い回しをしている。真紀子氏から自民批判を引き出したい民主党は、県連が推薦を申請した白川氏の扱いを保留にしている。

 真紀子氏の発言に対して、「『政界再編』など、レコードが10年前に戻った話。試行錯誤があり、今の民主党ができた。私は『政権交代』を訴えていく」と批判する白川氏。前日には、菅直人代表と電話で直談判し、改めて民主党の公認を求めた。菅代表は「政治的、戦略的に極めて大切なので、真紀子氏の動向を見守りたい」と答えたという。


議員・党員から離党届
 5区から無所属で立候補する田中真紀子氏を応援するため、自民党に離党届を出す地方議員や党員が出始めている。真紀子氏が党本部に突きつけた「離党届」が、5区の同党をゆさぶっている。

 自民党は、5区で前職の星野行男氏を立てて戦う。しかし、真紀子氏の立候補表明後の10日、ある同党県議の後援会は、内部分裂を避けるため、今回の総選挙には自主投票で臨むことを決めた。

 会員に配られた文書には「諸般の事情を勘案して、今回は特定の候補を推薦しないという判断に達した」とある。

 六日町やその周辺では、田中氏に同調して「離党」を申し出る町議や党員が出始めている。

 「真紀子さんを応援したい。(自民候補と敵対することで)党規違反になってはいけない」という党員に、地元党支部の幹部は慌て、「おとがめなしにするから、思いとどまってくれ」と引き留めに躍起になっている。

 自民党長岡支部の幹部にも、真紀子氏の後援会幹部が名を連ねる。その一人は「星野さんにも義理立てしないといけないから、今回は動かずに、寝ているよ」と話す。

 一方、離党届を出したり、県内外の無所属の立候補予定者に選挙後の連携を呼びかけたりする真紀子氏への反発もある。同党のある市議は「勝手すぎる。自民党の対立候補と連携しようとしている真紀子さんを、今回は応援できない」と言う。

 真紀子氏の後援会幹部は「離党宣言」による支持者離れを恐れ、「秘書給与問題は不起訴処分になった。むしろ、党員資格停止処分にした党の方に非がある。それなのに自分から離党する理由はない。支持が得られるかどうか」と心配する。

(10/26)

17とはずがたり:2003/10/28(火) 00:08
真紀子新党,小沢が保守系を率いて合流?

http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/koizumi.html?d=27fuji29951&cat=7
真紀子、新党決断…反自民無党派連合 (夕刊フジ)

 真紀子、反自民の新党決断!? 次期衆院選(28日公示、11月9日投開票)に完全無所属で出馬表明した「渦中の人」田中真紀子前外相(59)を中心とする「真紀子新党」の動きが活発化している。無所属で出馬予定の元自民党系候補者の一部が真紀子氏に応援演説を依頼するなど、無党派連合を目指す真紀子氏の爆発力に期待する声が高まっているためだ。議員辞職から1年2カ月。「自民はダメ。将来、政界再編に動く」と言明した真紀子氏が復活の狼煙(のろし)を上げた。

 【応援依頼殺到】

 自民離党で新潟5区(長岡市など)から出馬する真紀子氏に新たに応援依頼をしたのは、群馬2区から無所属で出馬予定の森田修氏(54)。「真紀子氏とは反自民の点で共同歩調がとれる。桐生市なら距離的に遠くない。ぜひ来て」と熱烈なラブコールを送る。

 新潟6区(上越市など)の風間直樹氏(37)陣営では、11月5日の集会に真紀子氏の参加を取り付けた。陣営では有権者への配布文書に「反自民」の文字を大きく刷り込むなど、真紀子氏の基本方針に完全同調する。

 このほか、真紀子氏には新潟県内外の10数人から同様の応援依頼が殺到しているという。

 【真紀子節炸裂】

 26日夕に放映されたTBSの「報道特集」では、選挙区内を“ドブ板選挙”で走り回る真紀子氏の密着ルポを放送した。

 25日に長岡市で行った記者会見以上に、後援者に対し、“真紀子節”で吠(ほ)えまくっていることが明らかになった。

 「自民党はクモの巣城でひっからまって何もみえない。今の政治はモノを決めないでしょ。先送りばかり」

 「小泉首相は今後3年間(首相を)できる保証がない人。国民の嫌がることを言わずに無責任だ」

 しゃがれ声の真紀子節で自民党や小泉首相をこうばっさり切りつけ、戦闘モードは早くも全開となっている。

 【墓前に出馬報告】

 28日の衆院選公示を前に、真紀子氏は27日、新潟県西山町にある父、角栄元首相(故人)の実家を訪問し、裏山にある父親の墓前に無所属での出馬を報告する。

 真紀子氏はこれまでも角栄元首相の命日(12月16日)はもちろん、昨年8月に議員辞職した際も3日前に墓参するなど、重要な局面ごとに区切りの報告を行ってきた。

 今年9月に長岡市入りして実家を訪れた際は墓参りしなかった。今回は正式な出馬会見を行ったことを受け、公示前日の父への報告となり、「真紀子氏の本気度の表れだ」(地元関係者)と受け止められている。

 【小泉は連携拒否】

 真紀子氏に袖にされた小泉純一郎首相(61)は26日の民放テレビ番組で、今後連携できないとの考えを強調した。

 真紀子氏が首相を再三批判していることに、「(首相は)お気の毒といわれているから、かなわない」と述べた。

 ただ、「自民党総裁になるときは(真紀子氏が)原動力になった」と振り返り、恩を感じていることも強調した。

 反自民の真紀子爆弾の炸裂が怖いのか、「触らぬ神にたたりなし」なのか、複雑な胸中を開陳する形となった。

 【民主は対立せず】

 真紀子氏との連携に未練を残す民主党は26日、「民主党本部としては田中氏と選挙で対立する選択は取らない」との方針を決定した。

 真紀子氏が立候補する新潟5区でどの候補も公認、推薦しないことを決め、党新潟県連が推薦を決めている無所属元職の白川勝彦元自治相(58)の党推薦を見送るなど、こちらも真紀子氏配慮の姿勢をみせている。

 民主党は菅直人代表らが真紀子氏との連携に期待感を示すが、真紀子氏は「民主党は言うに及ばず。菅さんは社長の器じゃない。社長と専務(小沢一郎氏)が逆じゃない」と、親密な小沢カードを温存した上で連携を拒否する構えを示している。

 あくまで無党派層をターゲットに、無党派連合を目指している。

 【ヘッドハンティング】

 真紀子氏が狙うのが与野党からのヘッドハンティング構想だ。

 25日の会見でも「政策の一致する自民党や民主党の方もいらっしゃいます」と述べ、自民、民主両党を牽制(けんせい)した。

 小泉政権の目玉である石原伸晃国交相(46)と「食事を共にした」とも述べ、現職閣僚と接触した事実を明かした。

 自民vs民主のガチンコ対決に突如割って入った真紀子氏の動向次第では、衆院選の結果に地殻変動を起こす可能性もあり、永田町にピリピリムードが漂い始めた。

[ 2003年10月27日(月)18時0分 ]

18とはずがたり:2003/10/28(火) 00:12
>>17
群馬2区の森田修の名が新たに挙がりましたな。
それにしても解任騒動で無能な石原伸晃と連繋?無能派だ…。

19とはずがたり:2003/10/28(火) 00:14
694 名前: とはずがたり 投稿日: 2003/10/27(月) 21:00

民主党が冷たいのか,白川が期を見るのに疎いのか?

http://www.asahi.com/politics/update/1026/006.html
民主、新潟5区で白川氏推薦せず 田中真紀子氏に配慮

 民主党は26日、総選挙で新潟5区から無所属で立候補する白川勝彦元自治相を推薦しないことを決めた。同夜、菅代表と岡田克也幹事長が党本部で話し合って決めた。

 民主党新潟県連は県連レベルで白川氏の推薦を決めており、党本部にも推薦を申請していた。しかし、田中真紀子前外相が新潟5区からの立候補を表明していることから、民主党本部は「なお国民的人気のある田中氏を敵に回さない方が得策」(幹部)と判断した。

(10/26 22:01)

20おりーぶの木:2003/10/31(金) 00:46
(・∀・)イイ!!ねぇ。真紀子さん。民主党と連携は決まったようなもんか?
「小泉さんは全然勉強していないけど、菅(直人民主党代表)さんは本当によく勉強している」といい、民主党との連携に含みを持たせるような発言も飛び出した!

http://newsflash.nifty.com/news/ts/ts__fuji_320031030048.htm
真紀子爆弾さらにヒートアップ、小泉メッタ切り(夕刊フジ)[産経新聞社:2003年10月30日 17時16分]

 【真紀子節炸裂(さくれつ)=10時45分】

 「(変人宰相の)“生みの親”といわれるけど、なんで私があんな年寄りの親なの」

 まず、小泉首相を老人扱いし、「総裁選で推したときとは、言ってることとやってることが全然違う!」と、“豹変(ひょうへん)ぶり”を猛烈に批判した。

 「行列のできる幹事長」と知られる人気沸騰中の49歳の安倍幹事長についても、キツーイ一発で切り捨てたという。

 「ウチの父ちゃん(=角栄元首相)は47歳で幹事長になりました。『若い、若い』といわれてるけど、どこが若いんですか」

 「あれは腹話術の人形。(裏で)小泉首相がギャーギャーしゃべらせてるだけ」
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

21とはずがたり:2003/10/31(金) 16:21
真紀子系は藤島,風間,笹木でしょうか?
ラブコールは森田辺りからもかかってるようですが。
同じく田中甲らと合わせても風間以外は民主党前職ともバッティングしないし何とか協力できないかねえ?

http://www2.asahi.com/senkyo2003/news/TKY200310300350.html
「真紀子節」まだ封印中? 自民は気がかり

 自民党に離党届を提出し、衆院新潟5区に無所属で立候補した田中真紀子前外相。今のところマスコミの目に触れる公の場所では、小泉首相や自民党への批判は抑えているが、支持者を前にした集会では舌鋒(ぜっぽう)鋭い「真紀子節」も。一方の同党幹部は、選挙戦の台風の目になりかねない同氏の言動は気がかりだが、「挑発に乗ると思うつぼだ」と静観している。

 ●健在?

 「自民党は蜘蛛(くも)の巣城だ。山拓は女郎蜘蛛だ」

 「安倍(晋三)幹事長の話し方は腹話術みたい。誰かが後ろで操っている」

 公示日の28日、新潟県六日町。田中氏は報道陣を閉め出した講演会で、山崎拓副総裁や安倍幹事長をやり玉に挙げた。29日に同県堀之内町で開いたミニ集会では、不起訴処分が決まった自身の秘書給与流用疑惑に触れ、「(党に提出する)書類におむつをしないと、でたらめな情報が垂れ流しになる」と、党の対応を痛烈に皮肉った。

 もっとも、マスコミが詰めかける公の場ではそうした批判は影を潜め、特に直接の首相攻撃は避けている。25日の出馬会見で「自民党への思いは冷めた」「小泉さんはお気の毒」と言い放ったあとは、沈黙を保っている。来夏の参院選で改選を迎える夫直紀氏を抱えて、自民党との関係を決定的に悪化させたくないとの思いもうかがえる。

 一方、田中氏は「非自民・非民主」の立場から政界再編を目指す考えも明らかにしている。自民党公認候補と争う無所属候補からの応援要請が相次いでおり、31日には新潟2区に、11月5日には同6区に入る予定だ。ただ、県外候補の応援は当面、11月4日の福井1区にとどめており、「全国展開」にはほど遠い。

 ●さわらぬ神に……

 「私は誰からも批判されている。真紀子さんだけじゃない。野党、マスコミ、評論家、もう批判されっ放しですから」

 小泉首相は30日のインタビューで、田中氏の政権批判が選挙戦に与える影響を尋ねられ、こうかわした。

 自民党の心配は、田中氏の言動と民主党などの動きが連動して、無党派層を中心に「反小泉自民党」の空気が強まる展開。ただ、いまのところ田中氏の動きが中央に波及していないため、幹部間では「新潟県内はともかく、全国的には心配ない」との声がまだ多数意見だ。

 田中氏の政界再編発言に対しても、首相は「無所属でどう活動していくのか。それを各党の議員がどう判断するか」。党幹部も、民主党との連携の可能性について「選挙中はない。小沢一郎氏が彼女をパンダとして使うかどうか。それも選挙結果次第だ」と語る。とにかく、「真紀子節」が他勢力に利用されてほしくない――。そんな心境のようだ。

(10/30 21:41)

22おりーぶの木:2003/10/31(金) 18:10
もっとマスコミの前面に出てウィットに富んだ小泉政権批判を繰り広げて欲しいものです。
彼女ほど彼の正体をわかりやすく暴き出す事が出来る人物はいないのですから。

23とはずがたり:2003/11/02(日) 00:11
結構踏み込んだ発言来た?

http://www.asahi.com/politics/update/1101/004.html
田中真紀子氏、「比例は民主に」 演説で投票呼びかけ

 衆院新潟5区に無所属で立候補している田中真紀子前外相が1日、新潟県大和町での街頭演説で比例区は民主党に投票するよう呼びかけた。田中氏が、特定の政党を支援する発言をしたのは初めてだ。

 公示以降、報道関係者を入れない集会では小泉政権批判、自民党批判を続ける田中氏。この日の演説では「比例制度とは小選挙区で落った人があがるんですよ。裏からそろっと入ってくる」「オラがこんな一生懸命戦って自民党公認を落としても、比例で自民党と書けば比例であがってくる。ヤマタク(山崎拓・自民党副総裁)もそう。ワケのわかんないアンちゃんたち、おとっつあん、おっかさんもみんな比例で入ってくる」と述べ、重複候補の復活当選の仕組みを批判した。

 田中氏は、この日不在者投票を済ませたと話し、「比例は民主党と書きました」と明かした。さらに、「よっぽど好きなら自民党でも結構だが、もし田中真紀子と書くのなら、2枚目は社民党か民主党か、共産党か。まあ民主党だと思いますよ。そうでないと落ちたはずの人が比例であがってくる」と述べた。

(11/01 20:35)

24とはずがたり:2003/11/02(日) 14:07
防衛庁出身の藤島氏は真紀子の応援演説の中で自分はセンターレフトだと主張されて痛しかゆし?

http://www2.asahi.com/senkyo2003/localnews/niigata/TKY200311010247.html
田中真紀子氏、2区の無所属・藤島氏を応援

 総選挙に5区から無所属で立候補している田中真紀子氏が31日、2区にやはり無所属で立候補している藤島正之氏の応援のため佐渡に入った。真紀子氏は総選挙後、「非自民・非民主」の立場から政界再編を目指しており、当選した無所属候補と連携する考え。応援もその一環で、今回総選挙で他候補の応援演説をしたのは初めて。

 真紀子氏は両津市、佐和田町の2カ所で藤島氏の応援演説をした。演説で真紀子氏は「政界のねじれを改めるため、時間がかかっても政界再編を目指す」と主張。小泉政権を対米追従と批判し「私はセンターレフト(中央から左寄り)」と述べた。

 (11/01)

25とはずがたり:2003/11/14(金) 00:37
結局,田中甲は惨敗,江田は惜敗でよく書かれているところの==このスレ終了==って奴ですね。

真紀子は勝利したものの藤島,笹木,森田,田辺,勝又等みな敗退で当選した後に無所属議員連合の構想は全くなりませんでしたな。

それにしても田中甲の負けッぷりは如何に?彼はもっと個人的人気があるかと思ってました。

藤島,笹木あたりは民主党候補が居ないんだし真紀子共々民主党からでようさ。

26とはずがたり:2003/11/19(水) 17:57

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031119-00000084-kyodo-pol
外交不在、自民党変わらず 早速小泉批判の真紀子節

 議員バッジを胸に記者の質問に答える田中真紀子氏=19日午前、国会
 
 自民党を離党し、「民主党・無所属クラブ」に所属することになった田中真紀子前外相は19日午前、初登院して早速記者団に小泉純一郎首相の政治姿勢や日本外交を厳しく批判した。
 田中氏は「(首相は)初めから(改革を)やってらっしゃらない。『自民党をぶっ壊す』とか言っていたが、それは願望。なった瞬間に森派の方たちに囲まれて動きが取れなくなった。(首相に)なられたことですべて終わった。かつての自民党政治とどこも変わっていない」と酷評。特にイラク問題をめぐり「日本の外交のやり方は物事の順番が逆だ。外務省に乗っかっているからそうなる。完全にこの内閣は外交不在だ」などと切り捨てた。
 国会での首相との直接対決については「私は別に考えていない。(民主党には)たくさんの優秀な先輩や専門の方がいるので、一切意識していない」と述べるにとどまった。(共同通信)
[11月19日11時51分更新]

27とはずがたり:2003/11/20(木) 19:32
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/democratic_party.html?d=20fuji31018&cat=7&typ=t
真紀子vs川口外相、「女の戦い」年明けに火ぶた (夕刊フジ)

 真紀子、川口外相と激突-。久々に国会に復帰した田中真紀子前外相(59)が特別国会で、衆院外務委員会に所属することになった。19日、登院した真紀子氏は早速、「この内閣は外交不在だ」と、小泉内閣へ爆弾投下。川口順子外相との女の対決も要注目で、怨念の外交問題でのバトルが激しさを増しそうだ。

 「この内閣は完全に外交不在。外交のやり方の順番が逆。外務省に乗っかってるからそうなる」。ニュー真紀子はどこへやら、19日の本会議に姿を見せた真紀子氏は激辛トークを展開した。

 注目の所属委員会については、民主党の菅直人代表(57)が、国対幹部に「できるかぎり本人の希望に添うようにしてほしい」と指示。来年1月からの通常国会でも引き続き同委員会に所属する見通しだ。ただし、特別国会では同委員会の実質審議はなく、川口順子外相と「前・現外相対決」は、年明けの通常国会までお預けか。

 だが、小泉首相には既に“戦闘モード”全開。「『自民党をぶっ壊す』と言っていたが、それは願望。総理になったことで、すべて終わった」と切り捨てた。

 一方、新たな仲間となった民主党議員には、愛きょうを振りまいた。本会議場で次々とあいさつをしてくる議員に笑顔で対応。民主党会派入りのお膳立てをしたとされる小沢一郎氏(61)に至っては自分から席を立ち、握手をするなど、実になごやかな雰囲気。

 だが、党内では「小泉さんとおおいにやりあってほしい」(鳩山由紀夫前代表)と期待する声がある一方で、「『情』の人だから論理的な人が多い民主とうまくいくのか」(生方幸夫氏)、「拉致問題などについては無知な人。知ってから話をしてもらわないと」(西村真悟氏)など、“新兵器”に不安の声もあがっている。

[ 2003年11月20日(木)13時0分 ]

28デモクラット:2003/11/20(木) 20:06
>>26-27
でも、真紀子が外務大臣だったときに外交が存在したのだろうか。
いろんな人を敵に回すだけで、本業ではあまり印象がないのですがね。
皮肉なお話。

29とはずがたり:2003/11/20(木) 20:09
>>28
確かに停滞ばかりが目に付きました。
しかも指輪が無くなったのどうだのと低次元の話しばかりで…

30とはずがたり:2003/12/17(水) 11:22
民主党は来夏の参院選は無所属の田中直紀,社民公認の近藤直道並列推薦で二議席独占だ!

http://www.asahi.com/politics/update/1217/007.html
自民県連、田中直紀議員の処分要求 真紀子氏応援問題

 自民党新潟県連(会長・稲葉大和衆院議員)は17日、今秋の総選挙で田中直紀参院議員が党公認候補を応援せず、妻の真紀子衆院議員を応援したのは党規違反だとし、安倍幹事長に処分検討の党紀委員会を開くよう求めた。直紀氏は来夏の参院選新潟選挙区(改選数2)で党公認が内定しているが、処分しだいでは、公認取り消しの可能性もある。

 県連によると、直紀氏は新潟5区で党公認候補からの応援要請を拒否し、無所属で立候補した真紀子氏を応援した。また、同2、6区でも公認候補の応援要請を断るなど、十数件の党規違反があったという。 (12/17 11:01)

31とはずがたり:2003/12/17(水) 23:15
福島5区はもう吉田氏がいるしねえ。新潟で頑張るしかないのか。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031217-00000028-jij-pol
真紀子氏応援してない=「今後も自民で活動」−田中参院議員

 先の衆院選で自民党前職の対立候補を応援したとして同党新潟県連が田中直紀参院議員の処分を党執行部に要請している問題で、田中氏は17日、党本部で堀内光雄総務会長に会い、「応援はしていない。反党行為はしていない」と県連の指摘を否定した。
 県連によると田中氏は衆院新潟5区で無所属で当選した前外相で夫人の真紀子氏を応援したとされる。これについて、田中氏は「(応援演説の)マイクも握ったことがない」と否定。「今後も自民党議員として活動したい」として、真紀子氏と一線を画し、自民党候補として来年夏の参院選で再選を目指す考えを伝えた。 (時事通信)
[12月17日23時1分更新]

32おりーぶの木:2003/12/17(水) 23:24
>>28-29
つーかその前はしっかりした外交が展開されていたとでも?
外務省の問題が明らかになっただけマシですよ。確かに大臣の資質としては?だが他の連中なんてそれこそ何もしてないんだから似たようなもの。
所詮は自民党政権に期待するだけ無駄というもの。

33とはずがたり:2003/12/17(水) 23:29
>>32
菅が厚生相の時はちゃんと役人を働かせながら解明していったのに,真紀子の時は外務省が麻痺状態に陥った印象が強いです。

34おりーぶの木:2003/12/17(水) 23:33
>>33
そこのところが決定的な差なんでしょうね。
ちなみに私が指しているのは外務省に限定した話で、真紀子氏の前はしっかりとした理念に基づく外交が出来てたのかなと。
それを思えば、、問題が明るみに出ただけましなんじゃないかと思いますが。

35とはずがたり:2004/03/10(水) 05:33
http://www.excite.co.jp/News/politics/20040309192420/Kyodo_20040309a105010s20040309192424.html
田中前外相の棄権は不問 民主・菅氏が大甘裁定
共同通信 [ 03月09日 19時24分 ]

 民主党の菅直人代表は9日の記者会見で、田中真紀子前外相が5日の衆院本会議で2004年度予算案の採決を棄権したことについて「私自身は許容範囲かなと思っている」と不問に付す考えを示した。
 田中氏は会派「民主党・無所属クラブ」に所属する際に菅氏に対し、首相指名選挙と予算案の採決では、会派の決定(今回は反対)に従うと約束していた。
 これに関連し「田中氏から理由を聞いたか」との質問が出たが、菅氏は「私は直接はこの件で(田中氏と)話していないし、特別な報告は聞いていない。幹事長や国対関係者がいろいろ話をしたと理解している」と述べるにとどまった。
                           

共同通信

36とはずがたり:2004/06/16(水) 14:21

「恥!恥!」10連発…真紀子、小泉メッタ斬り (夕刊フジ)
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/koizumi.html?d=16fuji39738&cat=7&typ=t

 真紀子、“ダメ息子”をメッタ軌り−。15日の衆院本会議で、自ら「生みの母」と認めていた“変人”内閣の不信任案に初めて賛成票を投じた田中真紀子前外相(60)=無所属=は、小泉純一郎首相(62)を「政治家として極めて恥ずかしい存在」とこきおろした。

 夫、直紀氏(63)が7月11日投票予定の参院選に自民党公認で出馬するが、そんなことはお構いなしの真紀子氏。

 不信任案が与党の反対多数で否決された後、報道陣に「3年前はちょっと期待して(首相を)売り込んだわけですからね。担いだ責任を非常に感じています」と懺悔(ざんげ)してみせた。

 “親不孝息子”には「とても不誠実で不まじめ。外交も年金も混乱を招いているにもかかわらず、本人は平然とし、ちゃかしている」と非難。国会審議のないままブッシュ米大統領に多国籍軍への参加を約束したことに関しても「総理大臣の職務権限をしっかり考えたことがないんじゃないですか」と切り捨てた。

 さらに、「強い人には面と向かってものを言えない人」「国内外で言うことがまったく違う。場当たり主義なのよ。役人もみんな笑っている」「閣僚の放言が目に余るけど、小泉さんごときが注意するなんて恥ずかしいことじゃない」…などと言いたい放題。

 2年前の外相更迭劇以来、プライドの高い真紀子氏は小泉批判を強めていたが、参院選に向け、首相を「恥ずかしい存在」と約10回も“連呼”。自民公認の夫の立場は、この方の頭にはないようで…。

[ 2004年6月16日()13時0分 ]

37とはずがたり:2004/09/23(木) 18:33
<田中真紀子さん>都内で物損事故 後進で停車中の車に接触
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040923-00000013-mai-soci

 前外相の田中真紀子衆院議員(60)が22日、東京都内で自動車を運転中、物損事故を起こした。警視庁本富士署によると、午後2時半ごろ、文京区本郷6で、田中氏の自動車が生花店の駐車場から後進して区道に出たところ、区道に停車していた飲食業の男性(31)の自動車と接触した。双方にけがはなかった。
(毎日新聞) - 9月23日3時2分更新

38とはずがたり:2005/04/13(水) 23:47:09
田中真紀子議員:小泉首相を厳しく批判 初出演のラジオで
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20050414k0000m040045000c.html

 田中真紀子衆院議員(61)=無所属=は13日、ラジオ番組にレギュラーのコメンテーターとして初出演し、小泉純一郎首相について「自分で頭が悪いのに気づかない」などと厳しく批判した。小泉首相から02年に外相を更迭された「恨み」からか田中氏は、中国などに関する外交問題をやり玉に怪気炎を上げた。

 番組は、文化放送の「寺島尚正ラジオパンチ!」(水曜日の正午から1時間)で、生出演した田中氏は寺島尚正アナウンサー(46)と掛け合いの形でコメントした。

 国連安保理の常任理事国入りや竹島問題などで中国と韓国に反日感情が高まっていることに「小泉さんの靖国神社参拝が中国・韓国との関係を損ねている」と指摘。「あの方の資質が非常によく表れている。よほど頭が悪いのか。冷酷でわがままで、あまのじゃく」と人格にまで踏み込み、「中国と仲良くできないようではだめ。相手の立場に立って考えるべきだ」と“忠告”まで飛び出した。[青島顕]
毎日新聞 2005年4月13日 19時48分

39とはずがたり:2005/04/21(木) 20:55:49
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1036413264/2048-2051n
補選で応援に駆け付けた真紀子

40とはずがたり:2005/09/03(土) 16:50:52

真紀子、地元ジワリ像反「角栄銅像に屋根」で確執
旧越山会にも決別ムード
http://www.zakzak.co.jp/top/2005_09/t2005090302.html

 知名度と故・田中角栄元首相の地盤を継承し、余裕の選挙戦を展開する田中真紀子氏(61)=写真上。だが、新潟5区(長岡市、小千谷市など)では「角栄先生」像をめぐるトラブルをはじめ、真紀子氏に冷酷な仕打ちを受けた元首相の旧越山会メンバーを中心に、真紀子氏離れが加速している。一方の自民党公認、米山隆一氏(38)は旧山古志村村長との連合が裏目に出て、「投票用紙の書き間違い」問題が浮上。両陣営とも足並みの乱れが目立っている。

 「これまで女性特有のヒステリーだと思って気にしなかったが…」とあきれ顔なのは、旧入広瀬村(現・魚沼市)元村長の須佐昭三さん(78)。

 旧越山会では幹事長の要職を務め、「村内で角栄先生の得票率を最高90%にしたこともあった」(須佐さん)という。

 須佐さんは上越新幹線JR浦佐駅前にある「田中角栄先生像」を管理する「角友会」会長だが、昨年11月に真紀子氏側から「銅像に屋根をつけるべきだ」と要求され反発。2月には真紀子氏に近い田中角栄記念館(西山町)から六日町簡易裁判所に「屋根を付ける」などの調停が申し立てられた。

 「銅像の製作者の先生にも確認したが、『屋根を付けるとデザインがおかしくなる』といわれた。ボランティアで草ひとつ生えないよう管理しているのに、真紀子は集会で『草ぼうぼうでペンペン草が生えていたので私が取ったのよ。クモの巣が張っている』と言った。集会には銅像の清掃をする者もいた。その目前でだ。もってのほか!」(須佐さん)

「田中角栄先生像」に真紀子氏(写真上)が「屋根つけろ」と妙な要求をし、旧越山会の反感を買った=新潟県魚沼市、JR浦佐駅前
 像は昭和60年10月、元首相の尽力に感謝し、支持者ら約1万2000人から約2億円を集めて完成した。しかし、「田中家からは1銭も頂いてないと記憶している」(須佐さん)という。

 今年6月下旬には銅像の台座と碑文に赤ペンキで×印が書かれる不穏な事件も発生。須佐さんは「子供のいたずらじゃない。真紀子憎しでやったんだ」と推測する。

 結局、「数日前の話し合いで、管理は田中家に譲り、角友会は解散することに決めた。若い者も含めて怒っている者は多い」(同)という。

 このほか「越山会には深いかかわりがあった」という小千谷市の自営業女性(71)も真紀子氏に疑問を持つ一人。「真紀子さんが1年生議員のとき、自民党本部と国会見学に呼ばれて行った。今ではそんな支援者ツアーは一切ない」と距離感は遠くなるばかり。

 地元市議は「角栄先生のころは東京に陳情に行くと温かくもてなされた。真紀子氏は事務所のあんちゃんが出てきて『知りません。陳情は受け付けない』と門前払い」と、今回は米山氏の運動に力を入れる。

 米山氏はそんな地元民の意をくみ、集会では「子供のころは雪が深くて大変だった。政治の力で道路に消雪パイプができ、関越道や上越新幹線もできて便利になった」と、角栄氏の偉業をベタ褒めする戦略に出る。

 また、東大卒、司法試験合格、米ハーバード大付属病院研究員という華麗な個人情報てんこ盛りの履歴書をコピーして配り、知名度と人気のある旧山古志村村長の長島忠美氏(54)と行動をともにして知名度の低さをハネ返そうと必死だ。

 それでも「どうしても長島氏が目立ってしまう。じいちゃん、ばあちゃんが多いので投票用紙に『長島』と書いてしまう心配がある。選挙区は『米山』、比例は『自民』と特別にビラを作った」(地元市議)。

 「そもそも長島さんが小選挙区で出ればよかった」という地元の声もあるが、「真紀子さんがつじ説法で本気になれば、負けることはわかっているから出なかったんだよ」と、複数の地元関係者は証言する。

 別の地元市議は「選挙区には『田中=神』という人や、若い人でも真紀子氏人気は根強く、真紀子氏が優勢なのは間違いない。果たしてどれだけの票差になるかに、注目が集まっている」と話している。

<新潟5区>
 ◎田中真紀子61 無前
  米山 隆一38 自新
  斎藤  実47 共新
[表の見方]◎=当確 △=優勢 ▲=劣勢 ☆=横一線
(候補者名は届け出順)
ZAKZAK 2005/09/03

41とはずがたり:2007/05/26(土) 12:55:12
>特に、振られた格好になる民主党は困惑気味。本会議場で真紀子氏とひそひそ話をしていた鳩山由紀夫幹事長(60)は「にこやかに否定されておりました」と語ったが、硬い表情。
民主にしたら単純に1議席減るわけだが,特に民主党の組織の為に働こうという気は更々無い印象だし良いんじゃないかな。今の民主にはこのヒトは使いこなせんわ。

真紀子氏意味深「再編したい」…国民新党が会派入り打診
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070526-00000084-sph-soci
5月26日8時2分配信 スポーツ報知

 無所属で民主党の衆院会派に所属する田中真紀子元外相(63)が、国民新党系の会派から移籍の打診を受けていることが25日、分かった。真紀子氏は「政界再編は私のモットーだが、(移籍話は)うわさです」と報道陣を煙に巻いたが、この日夜に国民新党幹部と会談し、最終調整を図ったとも見られている。7月の参院選を前にした真紀子氏の移籍話。選挙後の政界再編のきっかけになりうる可能性もあり、目が離せなくなってきた。

 衆院本会議後に報道陣に囲まれた真紀子氏は「それはうわさだと思います」と答え、移籍話を一蹴したかに見えた。だが「政界再編は私のモットー。与党が(衆院で)3分の2の多数を持っている今の状況はバランスが悪い。政界再編をしたいというのが私の信念」と意味深な発言をした。

 一部報道では、国民新党が参院選に向け、圧倒的な知名度と女性票獲得を狙い、真紀子氏にアプローチしたとされる。25日、綿貫民輔代表(80)は「移籍話は知らない。考えたこともない」と火消しに回ったが、亀井久興幹事長(67)は「私だけで決められることではない。先方に気持ちがないのに考えても仕方がない」と慎重。この日夜、真紀子氏と会食、移籍に向けた話し合いを行ったと見られている。

 真紀子氏は03年の自民離党後は政党には属さず、院内会派「民主党・無所属クラブ」に入り、政界再編を訴え続けた。再三、民主党入りがうわさされたが、立場を崩さなかった。移籍を視野に入れるのは、参院選後にキャスチングボートを握る可能性もある国民新党の会派に入ることで自らの発言力を取り戻す狙いがあると見られる。

 真紀子氏の移籍話浮上に永田町は騒然。特に、振られた格好になる民主党は困惑気味。本会議場で真紀子氏とひそひそ話をしていた鳩山由紀夫幹事長(60)は「にこやかに否定されておりました」と語ったが、硬い表情。一方、24日に移籍話を聞いたという渡部恒三元国対委員長(75)は「真紀子氏の知名度は国民新党にとってメリットがあるな」となぜか笑みを浮かべていた。

 だが、真紀子氏が“もろ刃の剣”になる場合も。参院選後に自民党との連携も視野に入れる国民新党は、自民党内の「真紀子アレルギー」を考慮し、受け入れに躊躇(ちゅうちょ)する向きもあり、情勢は不透明。選挙後の政界再編の引き金になる可能性もあり、一段と注目を集める。

 亀井氏との会食後、記者団に対し「政治は生きものだからアンテナを高くして判断していく」と述べた真紀子氏。波乱含みだ。

最終更新:5月26日8時2分

42とはずがたり:2007/05/26(土) 12:55:33

そんなことねぇだろう。真紀子ぐらい簡単に取り込める筈。なんなら真紀子抜きでもいけるであろうし。
>自民党には田中氏へのアレルギーも強く、田中氏が会派入りすれば、自民党との関係修復は困難になるとの見方が強い

田中真紀子氏と国民新・亀井幹事長 連携強化で一致
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070526-00000016-san-pol
5月26日8時0分配信 産経新聞

 田中真紀子元外相(無所属)は25日夜、国民新党の亀井久興幹事長らと都内のレストランで会談し、参院選後の政局を見据えて国民新党と連携を強化することで一致した。田中氏は政界再編に強い意欲を見せており、国民新党との連携により、参院選後の政局はますます流動的になった。

 会談は田中氏が経営する東京・目白のイタリア料理店を貸し切りにして行われた。会談では、田中氏が参院選での選挙協力やその後の政局について幅広く協議し、大筋で方針は一致したという。

 会談後、田中氏は記者団に「衆院の3分の2を与党が占め、何でも法案がバンバン通ってしまうことに大変な不信感を持っており、政界再編は絶対必要だという認識を共有した」と述べた。会派入りについては「政治は生き物なのでアンテナを高くして判断していく」と言葉を濁した。亀井氏は、「今の政治をどう見るかという方向性は田中氏と一緒だ」と述べた。

 田中氏にとって、国民新党との連携は存在感を示すチャンスとなる。一方、国民新党には発信力をアップできるメリットがあり、両者の思惑は一致したようだ。

 田中氏は、小泉政権発足時の13年4月に外相に就任。14年1月に更迭された後、秘書給与横領疑惑で議員辞職。15年11月の衆院選で復活当選した。その後、「民主党・無所属クラブ」入りし、小泉純一郎前首相や自民党を批判してきた。

 一方、国民新党は17年夏、郵政民営化に造反し、自民党から離党した元衆院議長の綿貫民輔代表らが結成。現在衆院4人、参院4人で、衆院会派は6人が所属する。保守色の強い議員が多く、安倍晋三首相とのわだかまりは少ない。自民党の一部には参院選後に国民新党との連携を模索する動きがある。ただ、自民党には田中氏へのアレルギーも強く、田中氏が会派入りすれば、自民党との関係修復は困難になるとの見方が強い。民主党との関係にも影響を及ぼすため、国民新党がどのようなかじ取りをするか注目される。

最終更新:5月26日8時0分

43とはずがたり:2007/05/26(土) 12:56:20
さてそうぞうに真紀子に拡大気味。まだ新党日本や大地・キシローもいるぞ。

田中真紀子氏、国民新党会派入り きょう最終合意へ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070525-00000009-san-pol
5月25日8時0分配信 産経新聞

 田中真紀子元外相(無所属)が、衆院会派「民主党・無所属クラブ」を離脱し、「国民新党・そうぞう・無所属の会」に入る方向で調整していることが24日、わかった。25日に国民新党の亀井久興幹事長と会談して最終合意する見通し。国民新党は知名度の高い田中氏と連携することで夏の参院選の集票効果を狙ったとみられるが、自民党に“真紀子アレルギー”が強いだけに、参院選後の政局を見据えると、自民党との関係修復は遠のきそうだ。

 関係筋によると、田中氏の会派入りを働きかけたのは下地幹郎衆院議員(無所属)。今月8日、国民新党会派入りした下地氏は、党幹部の意向を受けて田中氏と接触を重ねてきた。「田中氏の知名度と発信力は参院選にプラスになる」(関係者)と踏んだようだ。

 田中氏にとっても、少数会派にいた方が国会での質問回数が増え、活躍の場が広がる。田中氏は会派入りに意欲を示し、25日夜、亀井氏と都内の飲食店で会談して会派入りの最終条件を詰める。

 参院選の結果次第では国民新党がキャスチングボートを握る可能性があり、自民党の一部には国民新党との連携を模索する動きが出ていた。小泉政権で外相を更迭された後、小泉純一郎前首相や自民党批判を続けてきた田中氏の会派入りは、こうした動きに冷や水を浴びせる可能性がある。

最終更新:5月25日8時0分

44やおよろず:2007/06/04(月) 07:34:25
田中角栄スレとして強制的に占領させてもらいます!

45やおよろず@角栄語録:2007/06/04(月) 07:42:12
「政治とは生活だ!」


 「国民に職を用意し、衣食住を向上させる」
 戦後復興期の角栄の政治理念である。
 岸内閣後の池田内閣において、自信を深めていくことになる。

 寵愛を受けながら是々非々で師をみていたという小沢一郎
 政治生活最後の決戦に用意したフレーズは、師の言葉であった。
 1ヵ月半、国民生活に何を用意できるのかが問われている。

46やおよろず@角栄語録:2007/06/04(月) 07:59:07
「用地は地元で出しなさい」


 新潟県砂利協会創立15年記念式典での演説より
 「公共事業はやる。ただし、有料制度が大幅に採用される。用地は全部地元で出しなさい」
 高度成長期が終わったことを力説し、公共事業の国依存の転換を訴えてのヒトコマ。

 地方分権により、負担と効用のバランスを考えた意思決定方針を採用することが必要である。
 国負担となれば、負担を度外視して、効用ばかりを追い求めるようになる。
 巨大プロジェクトが一巡した今となっても、国依存の公共事業体質は変化するところはない。
 田中とともに建設利権の権化とされる小沢一郎は、自身の持論でもある、地方分権を最大限アピールしなければならない。

47やおよろず@角栄語録:2007/06/04(月) 08:04:00
「これからは東京から新潟へ出稼ぎに来るようになる」


 60年代末、幹事長時代の整備新幹線計画について
 
 現在、角栄の目論見とは逆に、新幹線について富を吸い取る効果が指摘されている。
 もちろん、東京から新潟に出稼ぎに来る人間は、ほとんどいない。

48やおよろず@角栄語録:2007/06/04(月) 08:07:48
「一家族が三台持っている車を、一台でも節約して、自転車にしたらどうですか、というのが行革です」


 81年、国が推し進める行政改革について演説。
 角栄の例えは、常に平易である。

49やおよろず@角栄語録:2007/06/04(月) 08:16:12
「過密と過疎は楯の両面である」


 日本列島改造論の骨格となる思考は、都市政策調査会長に就任した67年当時のもの
 「都市改造と地方開発は、いまや同義語である」
 「将来を予測して現状を改めるという態度が必要だ」

 40年前の思考である。
 都市と地方の「格差」などといわれるが、後者を無視してはならない。
 将来を予想した場合、現状への対策が40年前と同一なはずはない。

50とはずがたり:2007/06/04(月) 13:01:26
良スレのよかーんヽ(゚∀゚)ノ

康夫ちゃんなんかもここで取り扱えばいいなと思ってたんですけどこういう使い道もあったか。
一番偉い田中先生を忘れてたわい。

東京一極集中の排除にこの国は30年程やっきになってきたけど,不況を脱出するエンジンには一極集中が必要だったのでしょうかねぇ。
俺もアンチ東京で1/3世紀ちょい頑張ってきたけど結局首都圏の最外縁部に住まうことになってるし・・

51やおよろず:2007/06/04(月) 18:04:14
角栄関連本から、語録として抜粋していきます。

ある程度の効果はあったんでしょけど、如何せん、権力が東京に一極集中ですからね。
工場や道路よりも、権限や研究機関・教育機関の分散も必要なんでしょうね。
筑波開発も、その流れなんでしょうけど・・・

52やおよろず@角栄語録:2007/06/04(月) 18:11:49
「国民の中に思想の38度線が引かれる」


62年、通常国会衆院本会議にて
社会党訪中団が中国共産党と反米路線で一致したことに対するもの
国際社会での対立構造を、日本に持ち込むことには批判的であった。


日本の政治議論を不毛なものにしているのが、保革対立。
しかも、本家の米・ソ対立がなくなり、中国や北朝鮮は共産主義というより帝国主義。
こんな中、いまだ保革対立が続いているのだから、当然建設的なものにはならない。
同時期に脱イデオロギーを掲げた江田三郎が社会党で基盤を失っていくのも、因果なもの。

53やおよろず@角栄語録:2007/06/04(月) 18:21:29
「イデオロギーで割り切る観念的な平和は存在しない」


65年、社会党・成田書記長との往復書簡より
「平和とは、現実の妥協を積み重ねる困難な過程である」とも
日韓国交正常化に係る朝鮮問題に関する議論でのヒトコマ

イデオロギー対立を嫌った、現実政治家としての一面を覗かせるもの
平和=バラ色という図式にはなく、平和は困難の中にしか存在しないのかもしれない
平和を追求する困難を避けてはならないのだろう

54とはずがたり:2007/07/07(土) 13:53:54
しばらく新党日本スレにでもしましょう。

新党日本ピンチ、政党交付金が出ない!?
http://www.nikkansports.com/general/p-gn-tp0-20070707-223301.html

 荒井広幸参院議員(49)と滝実衆院議員(68)が「解党宣言」し、事実上分裂状態になった新党日本が、今月20日に交付予定の政党交付金約4000万円を受け取らない可能性が出てきた。新党日本には年間約1億6000万円の交付金が4回に分けて交付される。同党は総務省に交付金の請求書を提出済みだが、政党助成法によると、国会議員がいない政党に交付金は出ない。同党関係者は6日、請求書を取り下げることもあり得るとの考えを示した。

 党の存続を明言している田中康夫代表(51)らはこの日、荒井氏らに党役員会の開催を通知したが、「解党したのだから役員会自体が存在しない」との返答があっただけ。話し合いも「離党」などの手続きも進展はない。荒井氏らは「交付金を受け取る意思はない」とし「解党宣言」の書類を総務省に提出したというが、総務省は「確かにいただいたが、何ら法的に効果のあるものではない」と困惑気味だ。

 「党が交付金をもらう資格がなくなったと届けるにも、正式な(離党)手続きなしにはできない。対処に困っている」と同党関係者。今回、総務省に出した請求書を取り下げても、参院選で1人当選すれば再交付されるが、参院選を前に当座の資金繰りに苦労しそうだ。

[2007年7月7日8時39分 紙面から]

55やおよろず:2007/07/09(月) 01:56:04
http://www2.asahi.com/senkyo2007/localnews/nara/OSK200707070084.html

滝氏は05年、郵政民営化法案に反対して自民党を離党し、
新党日本に参加した。自民党への復党については「非自民ということは
念頭に置いてやってきた」と否定。参院選では民主党の中村哲治氏を
支援する方針を表明しているが、「民主党にくら替えすることはない」と話した。

56とはずがたり:2007/07/09(月) 16:27:23
>>55
代議士がだぶついている自民に滝は全く不要ですもんね。
自民党にあんたは要らないって早速云われたか?w
全文転載。

離党の滝氏、自民復党は否定 参院選は中村哲氏応援
http://www2.asahi.com/senkyo2007/localnews/nara/OSK200707070084.html
2007年07月07日

 滝氏によると、田中康夫代表が6月末、滝氏を含む役員らに知らせないまま「党内全員一致で決めた」と同党マニフェストの追加事項を記者発表。「独断的で許しがたい」と5日、荒井氏とともに田中代表に解党を要求したが受け入れられなかったためという。

 滝氏は05年、郵政民営化法案に反対して自民党を離党し、新党日本に参加した。自民党への復党については「非自民ということは念頭に置いてやってきた」と否定。参院選では民主党の中村哲治氏を支援する方針を表明しているが、「民主党にくら替えすることはない」と話した。

57名無しさん:2007/07/20(金) 01:01:53
「首相はバカだから成蹊大」真紀子暴言にOB反撃
http://www.zakzak.co.jp/top/2007_07/t2007071923.html

 “ビッグマウス”の田中真紀子元外相(63)が、安倍晋三首相(52)の母校である成蹊大を暗に見下しながら、安倍首相を批判したことが波紋を広げている。成蹊といえば成城、学習院などとともに旧制高校の流れをくむ由緒正しい名門校。スマートな成蹊カラーに憧れて入学する学生も多い。それだけに成蹊出身の著名人も、今回の発言には怒りを通り越してあきれ返っている。ちなみに、真紀子氏は早大商学部のご卒業ですが…。

 「『さすが田中真紀子さん』というか、『やっぱり田中真紀子さん』というか、バカバカしすぎてコメントする気にもなれない」

 こうあきれるのは、永田町で安倍首相を除き、唯一の成蹊大出身の古屋圭司衆院議員(54、写真左)。

 問題発言は17日、新潟県内の講演会で飛び出した。東大時代に首相の家庭教師を務めた自民党衆院議員から聞いた話として、「(首相は)本当に勉強嫌いで頭が悪かったそうだ。彼は『あれだけ教えれば、どんなにバカでも慶応くらいは入れたはず』といまだに悔やんでいる」とブチ上げた。

 自民党議員の話を引用した形とはいえ、裏を返せば、安倍首相はバカだから慶応に入れず、慶応より「下」の成蹊に入学したと言っているに等しい。成蹊出身者にとって、聞き捨てならない発言なのだ。

 成蹊OBで米国政治に詳しい民間シンクタンク幹部は「成蹊は東京で知られている大学だから、新潟の真紀子さんは成蹊を知らなかったんですかねえ。でも、東京で育ったらしいし…。その割には成蹊を知らないんですかねえ」と嫌みたっぷり。

[90年余の歴史]
 成蹊は小学校から大学まであるが、ある大物法曹関係者も「(首相は)小学校から大学まで一貫して通った。すばらしいことだ。どこの大学がいいとか、悪いとかは関係ない。卒業生はすばらしい校風の成蹊学園に誇りを持っている」と不快感を示す。

 成蹊学園は90年余の歴史を誇り、三菱財閥4代目総帥の岩崎小弥太が創設に寄与していることから、三菱系の企業に就職する卒業生は多い。

 同時に自由な校風から、直木賞作家の石田衣良(47)、桐野夏生(55)、小池真理子(54)、俳優の中井貴一(45)、鶴見辰吾(42)、女優の片桐はいり(44)の各氏ら個性派も輩出している。ちなみに、ホリプロの堀義貴社長(41)やフジテレビの高島彩アナウンサー(28)も卒業生だ。

 アイドル評論家の北川昌弘氏も、OBで個性派のひとり。「お父さんの田中角栄元首相は低学歴でも立派な首相だったじゃないですか。そう考えると、安倍首相の学歴を引き合いに、その手腕を評価するのはクエスチョンですね」と真紀子節の矛盾点をチクリ。

 ただ、一方で「正直なところ、安倍首相は首相になる時期が早すぎたんじゃないですかね。大失敗して恥かかないうちに、退いて頂きたいというのが同じ大学を卒業したものとしての本音」と不安ものぞかせていた。

58とはずがたり:2007/08/01(水) 01:49:21
康夫ちゃんの当選で助成要件恢復かね。
結果として小林興起や荒井なんかをダシに政党要件を満たして有利な参院選を戦えた訳で案外したたかですな。

新党日本、助成要件失う
2議員の離党で
http://kyoto-np.jp/article.php?mid=P2007072600145&genre=A1&area=Z10&mp=

 新党日本は26日午後、荒井広幸参院議員と滝実衆院議員の離党で所属する国会議員がいなくなったため政党交付金を受給する要件を失ったことと、両氏が支部長を務める支部の閉鎖を総務省に届け出、受理された。

 政党助成法では(1)所属する国会議員が5人以上(2)国会議員1人以上で、最近の衆院選か過去2回の参院選のいずれかで得票率が2%以上−のどちらかを満たすことが政党交付金を受ける要件になっている。
 新党日本は所属国会議員が荒井氏ら2人で、2005年の衆院選比例代表の得票率が2・42%だった。(共同通信)

59とはずがたり:2007/09/11(火) 22:02:59
即戦力になるかな?

田中康夫氏、官僚を質問攻め 民主党会議に初登場
http://www.asahi.com/politics/update/0911/TKY200709110372.html
2007年09月11日17時42分

 「私ばかり質問してごめんなさい」。参院の民主党系会派に加わった新党日本の田中康夫代表が11日朝、年金保険料の横領・着服問題をテーマにした民主党の政策部門会議に姿を現し、出席した官僚を質問攻めにした。小沢代表から同党の「戦力」として期待される田中氏が、国民の関心の高いテーマで早速「共同戦線」を張った格好だ。

 同会議は50人以上の議員が出席して立ち見も出る盛況ぶり。田中氏は「退職者と現役職員全員の聞き取り調査はやるのかやらないのか」。受給者124万人分の未払いが明らかになった企業年金連合会幹部には、受給者の住所把握などどんな対策を講じてきたのか文書による回答を求めた。

 会議後、田中氏は「役人は責任逃れをしようとするので文書で出させないと。(長野県)知事時代もそうしてきた」と語った。

60とはずがたり:2007/11/17(土) 13:31:00

黒川氏 真紀子氏“口説いていた”
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2007/11/16/08.html

 10月12日に心不全で亡くなった建築家・黒川紀章氏(享年73)のお別れの会が15日、東京・南青山の青山葬儀所で行われた。
 森喜朗元首相、亀井静香衆院議員、建築家の安藤忠雄氏、4月の都知事選で戦った発明家ドクター・中松氏とタレントの桜金造ら約2000人が参列。葬儀委員に名を連ねた東京都の石原慎太郎知事は「急な公務のため」(事務所)欠席した。
 喪主を務めた妻で女優の若尾文子(74)は式の前に会見。「亡くなったという実感がわかない。日がたつにつれ、黒川の存在が大きくなって困っているんですよ。だから思い出さないようにしています」と心情を吐露。参列者へは「建築家・黒川紀章の名前を1日でも長く皆さまの記憶にとどめていただけたら、これ以上の喜びはございません」と何度も涙をぬぐいながらあいさつ。
 祭壇は白や薄緑のバラやピンポン菊など、約1万2000本の花で飾りつけられた。中央には、若尾が選んだ仕事中の黒川氏の遺影。献花を終えた田中真紀子衆院議員は「黒川先生から(共生新党の)副代表をやらないかと言われ(信じられず)最後まで笑い転げたんです。本当に申し訳ないことをした」と話した。[ 2007年11月16日付 紙面記事 ]
(スポニチ)

61とはずがたり:2008/01/16(水) 13:05:29

長野市の新党日本支部解散 田中氏、都内に住民票移転
http://www.shinmai.co.jp/news/20080116/KT080115ATI090014000022.htm
1月16日(水)

 新党日本が長野県第1支部(長野市)の解散を総務省に届け出たことが15日、分かった。同党の平山誠総務局長は信濃毎日新聞の取材に対し、党代表で同支部長を務めていた田中康夫参院議員(比例代表)が、昨年12月下旬に住民票を北佐久郡軽井沢町から都内に移したことを明らかにした上で、「長野県に住んでいない人が支部長を務めていると、実体がないということになる」と説明した。

 一方、同局長は「支部長を務める人が見つかれば、支部をつくる」とも述べた。

 同支部は田中氏が知事在任中の2005年11月、衆院比例北陸信越ブロック内の5県で政治活動を行う政治団体として総務省に届け出た。翌年3月、事務所を軽井沢町にある田中氏の自宅から長野市南石堂町の雑居ビルへ移転した。

 昨年7月の参院選で田中氏の選挙運動に携わった上田市の会社役員によると、事務所は参院選の選挙事務所として使用して以降、ほとんど使われなくなっていたという。

 田中氏は昨年10月、06年8月の知事選後に設立した政治団体「信州を思う53万人の会」も解散している。

62とはずがたり:2008/02/11(月) 03:29:49

芳生が浅野批判・安倍擁護したと書いてありますけどこの辺どうなってんでしょうか?

反 「新党日本」 宣言 〜 「田中康夫」 「有田芳生」 を落選させよう!
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-363.html

カルト糾弾第一人者「有田 芳生」のHPが閉鎖! @安倍晋三と統一教会、裏側に暗躍する"巨悪の影"をデコードせよ
http://interceptor.blog13.fc2.com/blog-entry-559.html

2006-06-18 ■安倍ヨイショに忙しいテレビ芸人・有田芳生って何者ですか?
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20060618

63とはずがたり:2008/09/21(日) 19:23:34
これ,なんなんでしょうかね!?

189 名前:無党派さん[sage] 投稿日:2008/09/21(日) 18:14:16 ID:lQfy/2CA
鳩山「田中康夫は、ひょっとしたら日本一の大物と戦うかもしれない」

64とはずがたり:2008/09/26(金) 23:06:46
マジっすかね?

661 名前:無党派さん[] 投稿日:2008/09/26(金) 23:01:55 ID:cvz/OCh6
直紀がやっと離党

662 名前:無党派さん[sage] 投稿日:2008/09/26(金) 23:01:57 ID:zXQXkgnN
田中直紀離党キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!!

663 名前:神戸市民A ◆wOKz9aFq1k [sage] 投稿日:2008/09/26(金) 23:01:59 ID:I9rtGNaT
田中直樹参院議員が離党@報ステ

664 名前:無党派さん[sage] 投稿日:2008/09/26(金) 23:01:59 ID:W4kk81pX
田中直紀離党

665 名前:大分者 ◆NeTnPphJw2 [sage] 投稿日:2008/09/26(金) 23:01:59 ID:ihVmdCpU
田中直紀 自民党離党@報ステ

666 名前:無党派さん[] 投稿日:2008/09/26(金) 23:02:00 ID:zLg+TmXn
田中(夫)離党

667 名前:無党派さん[] 投稿日:2008/09/26(金) 23:02:02 ID:o+ooNdWF
田中直紀離党

668 名前:無党派さん[sage] 投稿日:2008/09/26(金) 23:02:13 ID:yGiovzIb
ついに離党したか。
時間かかったね。

669 名前:無党派さん[] 投稿日:2008/09/26(金) 23:02:18 ID:Oiue2pKP
>>650
ひでえやつだな。
どんなやつなんだ?中山って奴は?


670 名前:無党派さん[sage] 投稿日:2008/09/26(金) 23:02:18 ID:VI4FG1lh
直樹砲今頃来たーーーーーー

671 名前:無党派さん[sage] 投稿日:2008/09/26(金) 23:02:27 ID:vDVsQURU
真紀子パパ離党、嫁とともに@報ステ

672 名前:無党派さん ◆UVotersb9o [] 投稿日:2008/09/26(金) 23:02:32 ID:IL5SE0xy
田中直紀氏、自民離党!
by報道ステーション

673 名前:無党派さん[sage] 投稿日:2008/09/26(金) 23:02:34 ID:3uXW/Jfe
直紀離党か……改易クラブ効果−1

65とはずがたり:2008/09/26(金) 23:21:39
2005年総選挙の時の記事の一部
>もともと田中家の地盤でなかった3区や6区で直紀後援会に入っているのは、地元の自民国会議員に不満を持つ非主流派保守系が多い。直紀氏サイドの動きについて自民県連幹部は「明らかな党規違反だ」と断じた上で、「離党を視野に入れた確信犯かもしれない」と推測する。

3区や6区の不満分子も直紀後援会には居るようだ。

「郵政民営化反対」自民参院議員2氏
水面下の対応 対照的
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1089950050/1551

 11日の衆院選投開票日まであと3日。各陣営が最終盤の追い込みに奔走する中、郵政民営化関連法案に反対票を投じた自民党の桜井新、田中直紀の県関係参院議員2氏は選挙戦の表舞台に姿を現していない。同党の本県6選挙区の公認候補がすべて郵政民営化賛成を明確にしているという事情もあるが、桜井氏は事務所スタッフが党公認候補陣営に参加。一方、田中氏のほうは後援会が非自民候補の支援に動いており、水面下での対応は対照的だ。

桜井 新氏 「公認」陣営へ秘書らが協力
田中直紀氏 自民対抗馬を後援会が支援

 郵政民営化関連法案に反対した衆参両院議員の一部が新党に移る一方、桜井、田中両氏は自民党にとどまっている。
 小泉純一郎首相ら同党執行部が郵政民営化を今衆院選の争点に掲げる上に、法案に反対した議員に離党勧告を行う方針も示しており、両氏は微妙な立場に置かれている。そのため、自民党県連は両氏に対し同党公認候補への応援要請を行わなかった。
   ■   ■
 「会を設立した田中直紀参院議員、田中真紀子さんとともに行動することを誓い、私の決意といたします」
 7日、1通の封書が6区有権者のもとに届いた。文面には6区民主党前職の名前が記され、封書の差出人名は「地方切り捨ての政治を変える会」、同会の連絡先は「田中なおき上越事務所」。同封された別の文書には、同会が小選挙区はこの民主前職、比例代表には国民新党をそれぞれ推薦したことが明記されている。

 3区では、国民新党新人の選対本部長に田中直紀後援会幹部が就任。同陣営によると、3区後援会の多くがこの新人候補を、一部は社民党新人候補の応援で動いている。
 後援会関係者によると、3区の直紀後援会は当初、社民新人の支援を決定。しかし、国民新党の候補擁立を受けて方針を撤回し、国民新党の候補を支援する方針に転換したという。

 後援会が非自民候補の応援で動きを加速させる一方、直紀氏本人は公の席に姿を見せていない。公示日に5区出馬した妻の無所属前職の出陣式に顔を出したものの、報道陣の問いかけには堅く口を閉ざしていた。

 もともと田中家の地盤でなかった3区や6区で直紀後援会に入っているのは、地元の自民国会議員に不満を持つ非主流派保守系が多い。直紀氏サイドの動きについて自民県連幹部は「明らかな党規違反だ」と断じた上で、「離党を視野に入れた確信犯かもしれない」と推測する。

66B層活用会議 ◆S3/.7DxKSg:2008/09/26(金) 23:28:21
田中直紀はついこの前、首相指名選挙で麻生太郎と書いたんだろ?
説明責任を果たすべきだと思いますね

67とはずがたり:2008/09/27(土) 00:10:35
河合議員よりも本気か。

田中直紀参院議員が離党届 
http://www.47news.jp/news/flashnews/

自民党の田中直紀参院議員が細田博之幹事長に離党届を提出。細田氏は受理せず「幹事長預かり」。
2008/09/26 23:41 【共同通信】

68とはずがたり:2008/09/27(土) 00:12:06
>>66
記者会見開いてとことん自民党の駄目なところ,許せない所を挙げて説明責任果たして欲しい所ですな。

69とはずがたり:2008/09/27(土) 00:26:55
党内環境似たもの同士の渡辺と田中の交換かw
>自民党県連の渡辺惇夫幹事長は「県連に連絡はなく、驚いている。自民公認で当選したにもかかわらず、これまでも党勢拡大に積極的ではなく、おかしいと思っていた。今回の離党は誠に遺憾」と述べた。吉田六左エ門衆院議員は「突然のこと。新潟の議員の集まりにも出席されないことが多かった」と話した。

田中参院議員、自民に離党届
http://www.niigata-nippo.co.jp/pref/index.asp?cateNo=3&newsNo=113635

 自民党の田中直紀参院議員が26日、党本部に離党届を提出したことが明らかになった。田中氏は離党理由を「諸般の事情」としたが、新潟日報社の取材に対し「衆院解散・総選挙が近く、無所属になり自由な立場で活動したい」と述べた。

 田中氏は同日夕、党本部で細田博之幹事長、石原伸晃幹事長代理と面会し、離党届を出した。党側は受理せず「預かり」とし、29日に再度協議することとした。田中氏は週明けに、所属する古賀派にも説明する予定。

 民主会派に所属する妻の真紀子衆院議員には「相談していない」と語った。次期衆院選での党方針に左右されない支援活動や、今後の政局を見据え離党を決断したとみられる。離党の背景について自民党県連関係者は「小沢民主と連携している真紀子氏が衆院選で自民批判を展開するため、自民とのしがらみを断つために直紀氏に離党を迫ったのだろう」との見方を示した。

 自民党県連の渡辺惇夫幹事長は「県連に連絡はなく、驚いている。自民公認で当選したにもかかわらず、これまでも党勢拡大に積極的ではなく、おかしいと思っていた。今回の離党は誠に遺憾」と述べた。吉田六左エ門衆院議員は「突然のこと。新潟の議員の集まりにも出席されないことが多かった」と話した。

 田中氏は1983年、衆院福島3区(当時)で初当選。96年の衆院選で落選、98年に参院へくら替えし、新潟選挙区で当選した。農林水産副大臣などを歴任。2005年、郵政民営化関連法案に反対票を投じた。その後、衆院選で真紀子氏や他党候補を応援したとして党員資格停止1年(執行猶予2年)の処分を受けた。2010年に改選を迎える。

新潟日報2008年9月26日

70とはずがたり:2008/09/28(日) 00:55:15
>民主会派入りの可能性については「国会活動がしやすいようにしていきたい。声をかけていただくところがあれば、誠実に対応したい」と述べた。
可能性を結構滲ませてると云えましょうかね。民主系で2議席確保はそれなりに難しいような気もするが07年であれだけやれたのだから田中後援会が本気になれば可能か。

「自由な立場で妻を応援」 田中直参院議員が会見
2008.9.27 18:48
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/080927/stt0809271849008-n1.htm

 自民党本部に離党届を提出した田中直紀参院議員は27日、新潟市内で会見し、「解散総選挙を間近に控え、(民主会派に属する妻の)真紀子衆院議員を含めて自由に応援できる無所属の立場で臨みたい」と述べ、離党を決意した理由を説明した。

 田中氏は2年後の参院選に立候補する意向も表明。民主党、民主会派入りの可能性については「国会活動がしやすいようにしていきたい。声をかけていただくところがあれば、誠実に対応したい」と述べた。

71名無しさん:2008/09/28(日) 09:29:44
現在、民主党の新潟の議席は0ですから、公認候補+推薦で田中という感じでしょう。

72とはずがたり:2008/09/28(日) 10:45:51
>>71
おお,現職は社民でしたね。忘れてました
公認出して07年の様な構図自,民2,社,共とするか,社民と田中に推薦出して04年の様な構図にするのか。
野党系独占の為には社民に載る04年方式の方が可能性高そうですけど,新潟社民との共闘は崩壊してますので,此処は07年方式で正々堂々勝負でしょうな。
自民は今回の衆院落選組みが出てくることになりましょうかね。

73とはずがたり:2008/10/28(火) 00:35:28
このスレタイは元々真紀子と甲であった。
ここ最近は康夫と直樹の話題ぐらいだけど。。
久しぶりに総選挙スレで話題にのぼったので転載。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1146286762/

6056 名前:北海道5区民[] 投稿日:2008/10/21(火) 18:58:57
民主党の2次公認出ましたね、33名が公認候補に
千葉5区の村越は、何があったんだろう
http://www.dpj.or.jp/news/?num=14345
次期衆院選の第2次公認候補33人を発表

 さらに、千葉県第5区の村越祐民公認内定候補については内定取り消しを発表した。

6058 名前:名無しさん[] 投稿日:2008/10/21(火) 19:22:03
>>6058
赤松によれば、地元でもうひとり出馬に意欲を示している人物がいるとのこと。
内定取消は、この人物と村越を白紙の状態で競い合わせるための措置で、
村越の公認の可能性がなくなった訳ではない、と一応はフォローしていたが、もう無理だろーなー。

6064 名前:千葉9区[] 投稿日:2008/10/21(火) 20:17:17

http://www.minshu-c.com/news.html#081020
http://blog.hirotami.jp/?eid=773793

2008年10月20日
政治活動再開
  五年間反省し、色々と考えてきました。
 初心に戻り、市川・浦安のためにそして日本のために懸命に働きたいと思います。
 姿を見たら是非声をかけて下さい。
 2008・10・20 政治活動を再開致しました。
posted by 田中甲
http://koh-tanaka.seesaa.net/

6066 名前:名無しさん[] 投稿日:2008/10/21(火) 21:02:17
>>6064
田中は、オレの記憶に間違いがなければ、
鳩山が民由合併を持ち出す以前から、当時の小沢自由党党首を講師役に勉強会を主宰するなど、
小沢グループとの連携に積極的だった。
小沢が代表を務める今こそ失地回復のチャンスと睨んで猛チャージをはじめたか。

だったら、それもいいんじゃないの。
こういうしたたかなまでの生命力を持った政治家がこれからの「与党・民主党」には必要だよ。

6068 名前:とはずがたり[] 投稿日:2008/10/21(火) 21:38:56
なんと。。
田中は順当なら千葉県知事選,そうでなくても参院二人目とかじゃないでしょうかねぇ。

6069 名前:とはずがたり[] 投稿日:2008/10/21(火) 21:47:19
へぇ。。そんな発言があったんですねぇ。
地元でもうひとり出馬に意欲を示している人物はまぁ田中甲であってるんでしょうな。。

2003年の田中甲との分裂選挙を制した村越への俺の評価は高いんですけど,05年の4万票差の敗北へ執行部の評判は悪いんですかねぇ。

この時の票差に田中甲が自民で動いた故の結果だとすると田中甲への配慮を民主が見せたとするなら取り込まないと勝てないという判断でしょうかね。
此処で民主に取り込んだ上で田中甲を千葉県知事候補としたりするのが真っ当な落とし所の様な気がしますがねぇ。

■2005年選挙得票
1 薗浦健太郎 自由民主党 新 132,691 当選
2 村越祐民 民主党 前 94,528
3 師岡徹 日本共産党 新 18,227

■2003年選挙得票
1 村越祐民 民主党 新 76,671 当選
2 薗浦健太郎 自由民主党 新 64,393
3 田中甲 諸派 前 41,883
4 黒沢秀明 日本共産党 新 13,919

74とはずがたり:2008/10/28(火) 00:37:00
6074 名前:千葉五区民[] 投稿日:2008/10/22(水) 00:38:19
>>6064
つい最近、駅前の田中甲の「後援会連絡所」の立て看板が、文字だけの古びたものから、カラフルな顔写真入りのものに変わりましたが、やはり国政再挑戦するんですな。
(ちなみに、昨日は薗浦が駅頭で朝立ちをしていました)
新党さきがけ〜旧民主党〜民主党時代は一貫して鳩山側近だったわけですし、幹事長の後押しは公認に向けて追い風となりますね。
問題は労組を批判して離党した事によって断絶した連合との関係でしょうか。
活動再開した10月20日とは、奇しくもちょうど十年前に新党さきがけが解党した年でもあります。
村越には気の毒ですが、元さきがけ支持者の私は、田中甲の復党公認に期待を寄せています。

6076 名前:元山口者[] 投稿日:2008/10/22(水) 00:49:45
地元の人物とは、この人↓でしょう
(2chからの受け売りだが)

http://www.fumito.jp/cgi/index.html
2008年10月21日(火)23:48  代表面談
朝の活動を行徳駅(東西線)にて行わせて頂きました。今日も沢山の皆さんにお声掛けや、握手もさせて頂きました。
その後は地元を回らせて頂き、夕方に党本部へ。小沢代表と面談し、今後について話しをさせて頂きました。今、この
画面で色々とお話したい事もありますが、まずは明日の新聞を見て頂きたいと思います。
明日、ご報告させて頂きます。
----
この人と、村越で横の世論調査をやるのではなかろうか
田中甲は、「初心に帰り」と言う下りから労組に頭を下げることはなく
連合との関係を重視する今の小沢路線には相容れないのでは・・・

6077 名前:千葉五区民[] 投稿日:2008/10/22(水) 01:08:51
>>6076
早合点してましたが村越と公認を争うのは小泉文人県議だったのですね!

いずれになるにせよ五区総支部に亀裂が走るのは避けられませんね。
参院選のときは村越小泉の二人が駅でビラを配ってるシーンも見かけたのですが…
田中甲はまた「独自の戦い」なんでしょうか。

6082 名前:とはずがたり[] 投稿日:2008/10/22(水) 02:12:13
>>6076-6077
末松も結局公認だし村越が結局公認になるのでは?
それにしても村越の評判というか調査の結果で悪いんですかねぇ

6085 名前:名無しさん[] 投稿日:2008/10/22(水) 08:46:14
>>6076
民主・衆院5区小泉県議出馬意欲
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/chiba/news/20081022-OYT8T00036.htm

6087 名前:官兵衛[] 投稿日:2008/10/22(水) 08:52:40
>>6076>>6077
私は、個人的には、田中甲氏の息子で、現職の市川市議である田中幸太郎氏も良いと思うのですが如何なものでしょうか?(再来年の参院選千葉選挙区候補としても良い人材ではあると思いますが)

6088 名前:片言丸[] 投稿日:2008/10/22(水) 09:45:32
小泉文人が公認される気がしますけどね。
相手候補がショボくて自民党の地盤でもないのに、調査で相当リードされてるとしたら、差し替え対象にされても仕方ないかも。。
村越は、衆院選落選後、公認辞退するという話も一時期あったと思いますが、どういう人なんだろう。
やおよろずさんが以前から村越への評価が低くて、慧眼だなと思いました。

6089 名前:官兵衛[] 投稿日:2008/10/22(水) 09:57:04
村越氏は、前回落選してから、去年の参院選の千葉選挙区候補を目指していたと聞いた事があります。しかし、結果は、長浜、加賀谷両氏が公認され、結局、次期総選挙公認内定者になったとも聞いています。

6092 名前:千葉五区民[sage] 投稿日:2008/10/22(水) 12:59:33
>>6087
村越は県議に初当選してわずか半年で国政に転身し、県議を腰掛けや踏み台と思っているのか、と批判を浴びました。
田中幸太郎も昨年市議になったばかりの新米議員です。
将来性はありますが、実績はまだまだこれからです。
若ければよい、二世で知名度があればよい、と「ステップアップ」への誘惑もあるでしょうが、先ずは一期、市議をきちんと務めてほしいと思います。

75とはずがたり:2008/10/28(火) 00:37:18
>>73-75

6094 名前:とはずがたり[] 投稿日:2008/10/22(水) 13:17:51
>村越氏は、前回落選してから、去年の参院選の千葉選挙区候補を目指していたと聞いた事があります。
村越もふらふらしてる感じもあって評判悪いんでしょうかね。
小泉県議も本部へ直訴する等県連からは反撥は当然ですし,この件選挙区に尾を引かなければ良いんですけど。。

>相手候補がショボくて自民党の地盤でもないのに、調査で相当リードされてるとしたら、差し替え対象にされても仕方ないかも。。
末松や海江田も相当離されてると云う報道がありましたが,結局公認されましたよね。
一次公認外された大泉もポスター増えて街宣も増えたなぁと思ってたら無事2次公認されたみたいですので,喝入れの意味も大きいのかも,と思います。

6120 名前:千葉五区民[sage] 投稿日:2008/10/23(木) 22:44:44

私の行動範囲はアパートマンションが多いせいか村越、薗浦いずれのポスターもほとんどみかけません。
たまにある村越のは新しいデザインですが、薗浦のは完全に色あせた麻生との二連ポスターばかりです。

6194 名前:千葉五区民[sage] 投稿日:2008/10/26(日) 22:03:28
千葉五区の件、この部分が載っている記事は未出と思いましたので貼っておきます。
月70万が消えるのは痛いですね。

村越氏内定取り消し 県連内に反発の声も 民主二次公認
http://www.chibanippo.co.jp/news/chiba/politics_economy_kiji.php?i=nesp1224642623
>公認内定は同党県連が決定。各内定者は活動資金として月七十万円の支援を受けていたが、内定取り消しで活動資金もストップする。

>>6121
>それだけにあの甲の不可解なぶち切れ離党・引退は残念でした。
>彼の行動は民由合併を先取りをもしてましたしね。
>千葉県知事選に堂本の後継指名を得て出てくると期待してるんですけど。
労組批判をぶって、民主を離党しましたが、真意はなんだったのでしょうね。
森田実なんかが裏があるようなことを書いてましたが、どうも眉唾っぽい気がします。
「離党にあたって」(http://www.eda-jp.com/katudo/2001/tanaka.html)の提言は至極真っ当なものですが。
離党表明して、一度は鳩山に党改革を担保させて思いとどまって、でも投票日直前で支持を表明した堂本が知事選で当選して、
結局離党表明、反党行為で除籍…
鳩山側近として、五十嵐文彦、簗瀬進に続いて、さきがけから真っ先に飛び出し、
鳩山の意も受けて自由党との連携を深めてたはずですが、
鳩山に砂かけて党を去ったかたちになりましたしね。
不可解です…
もし次期総選挙で国政再挑戦ともなれば、薗浦を利するだけなんでやめて欲しいですけどね。
やはり自民党に取り込まれたのかな?
堂本の後継もないですね。森田を応援するようです。
http://koh-tanaka.seesaa.net/article/108461119.html
2008年10月22日 先ずは勉強会から
 テーマは環境・教育。
 来春ですが幕張メッセ国際会議場でシンポジウムを開きます。
 ゲストスピーカーには千葉県の未来に強い関心を持つ森田健作さん他
 私も過去8年間環境悪化する三番瀬に何の対策もしなかった千葉県政や環境省にもの申したいと思っています。
 教育に関しては、諸外国の道徳教育と日本の実情を比較します。
 森田さんも文部政務次官の経験から熱く日本の教育の問題を語ってくれるでしょう。
 こうご期待!

6198 名前:とはずがたり[] 投稿日:2008/10/26(日) 23:21:50

田中甲に関してはホントに唐突で不可解でした。森田の云う事は信用成らないにせよ何かネタ掴まれて強請られたとかそんな感じさえ受ける程だった気がします。
今回は健作を応援するんですねぇ。と云う事は自民に軸足を移したと云う事でしょうか。残念です。
6199 名前:千葉五区民[sage] 投稿日:2008/10/26(日) 23:54:53
>>6198
知事選に関しては、前回の堂本再選時は堂本は支持してなかったのではないかと思います。
ソースがないので確たることは言えませんが、公明、民主、社民の各県連に加え、連合千葉の推薦を受けた堂本をアンチ労組の田中甲が応援するとは思えないので…
市議県議時代は自民だったわけですし、労組アレルギーがある以上は、民主と組むことは無いんでしょうね、残念ながら。

6253 名前:とはずがたり[] 投稿日:2008/10/28(火) 00:20:34
>>6199
なんか彼が自分が政治生命賭けて応援した堂本ものらりくらりとはやって来てますけど甲の理想とは遠そうですなぁ。。
で,県知事選で森田となりますと,彼自身の政治活動再開ってのは森田応援するだけなんでしょうか,自身の無所属衆院出馬もあるんでしょうかねぇ。気になる所ではあります。

76とはずがたり:2008/10/31(金) 00:52:20
ちょいと前の記事ですけど,http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1146286762/6110でも褒められたし活躍してますねぇ〜。

主戦場の参院 野党挑発、麻生首相歯ぎしり 来週、混迷の予算委へ
2008.10.3 20:55
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/081003/plc0810032055015-n1.htm

参院本会議で時折、麻生首相の声色をまねながら質問する新党日本の田中康夫代表。奥は(左から)中川昭一財務相兼金融担当相、与謝野馨経済財政担当相、麻生太郎首相=3日午後、参院本会議場(酒巻俊介撮影)

 麻生太郎首相は3日、参院本会議の代表質問に臨み、3日間の日程を終えた。野党が過半数を占める参院では首相の言動をあげつらい、徹底的に攻め立てた。初日こそ民主党の小沢一郎代表に対し、逆質問で対決姿勢を鮮明にした首相だったが、“敵地”ともいえる参院では同じ答弁を繰り返す「安全運転」に徹した。衆院解散・総選挙の行方が不透明な中、与野党の対決は来週から予算委員会へと突入する。

 「上から目線の坊ちゃん内閣を率いるあなたは、おじいさま(吉田茂元首相)のセリフをお借りすれば、『バカヤロー』とつぶやきたい衝動に駆られているかもしれません」

 「麻生バッシング」の急先鋒(せんぽう)として登場したのは、新党日本の田中康夫代表だった。昭和28年、吉田元首相が衆院予算委員会で野党議員に「バカヤロー」と発言し、これが衆院解散につながったことを揶揄(やゆ)したものだ。時おり、首相のモノマネを交えながら挑発する田中氏に対し、首相は苦虫をかみつぶしたように下を向き続けた。

 2日の衆参両院本会議の代表質問で、平成20年度補正予算案の「早期成立」を8回も訴えた首相だが、3日は1回も触れないまま。最優先とする補正予算の成立は参院の意向次第という状況でもあり、いたずらに野党側を刺激しないためにも、挑発に乗らないよう心がけたとみられる。

 首相は、野党が重ねて追及する懸案のテーマについても、抑揚なく同じ答弁を繰り返した。

 後期高齢者医療制度の見直しは「1年を目途に幅広い検討を進める」、増加する社会保障費の財源は「自然増の抑制に加え、財源も勘案の上、予算編成過程で検討する」と、「検討」の言葉を連発。こうした答弁ぶりを国民新党の自見庄三郎副代表に「自民党総裁選の際の歯切れのよい発言に比べ、随分あいまいだ」と突っ込まれても、調子は変わらなかった。

77とはずがたり:2008/10/31(金) 00:52:35
>>76-77
 「太郎VS一郎」の初対決で注目された今国会の序盤戦は、首相が異例の「逆質問」というスタイルをとり、小沢氏を揺さぶる戦術に出た。しかし、小沢氏が政権奪取を念頭に「所信表明」と銘打ち逆質問を無視したため、首相は6日から始まる予算委での党首対決に方針を転換した。

 その後の答弁で、「ぜひ小沢代表と議論し、国民の前で違いを見せたい」と発言したのは、自ら「話し下手」という小沢氏が予算委に登場しないことは百も承知の上での「挑戦状」だった。各種世論調査で、次の首相候補について、小沢氏に大きく水をあけていることも自信につながっているようだ。

 3日間の代表質問を終えた首相は3日夜、首相官邸で記者団に対し、「きちんと丁寧に正々堂々とやっていく、それだけです」と平静を装った。さらに、補正予算成立のメドに対する質問には、昼間の代表質問とは一転して、余裕たっぷりにこう、答えた。

 「成立は1日も早いほうがいい。月曜日(6日)に上げていただくなら月曜日でもいいでしょうが、そうはいかないでしょうからねぇ」

 首相は、野党が重ねて追及する懸案のテーマについても、抑揚なく同じ答弁を繰り返した。

 後期高齢者医療制度の見直しは「1年を目途に幅広い検討を進める」、増加する社会保障費の財源は「自然増の抑制に加え、財源も勘案の上、予算編成過程で検討する」と、「検討」の言葉を連発。こうした答弁ぶりを国民新党の自見庄三郎副代表に「自民党総裁選の際の歯切れのよい発言に比べ、随分あいまいだ」と突っ込まれても、調子は変わらなかった。

 「太郎VS一郎」の初対決で注目された今国会の序盤戦は、首相が異例の「逆質問」というスタイルをとり、小沢氏を揺さぶる戦術に出た。しかし、小沢氏が政権奪取を念頭に「所信表明」と銘打ち逆質問を無視したため、首相は6日から始まる予算委での党首対決に方針を転換した。

 その後の答弁で、「ぜひ小沢代表と議論し、国民の前で違いを見せたい」と発言したのは、自ら「話し下手」という小沢氏が予算委に登場しないことは百も承知の上での「挑戦状」だった。各種世論調査で、次の首相候補について、小沢氏に大きく水をあけていることも自信につながっているようだ。

 3日間の代表質問を終えた首相は3日夜、首相官邸で記者団に対し、「きちんと丁寧に正々堂々とやっていく、それだけです」と平静を装った。さらに、補正予算成立のメドに対する質問には、昼間の代表質問とは一転して、余裕たっぷりにこう、答えた。

 「成立は1日も早いほうがいい。月曜日(6日)に上げていただくなら月曜日でもいいでしょうが、そうはいかないでしょうからねぇ」

78とはずがたり@アーカイブ:2008/12/16(火) 18:53:56
スポニチアネックス
020415
真紀子氏“政界フリー宣言”新党結成か

 秘書給与ピンハネ疑惑で揺れる田中真紀子前外相が、地元の新潟県長岡市の支援者との会合で“政界フリー宣言”とも取れる発言をしていたことが14日、分かった。疑惑表面化後、ほぼダンマリを決め込んでいる真紀子さんだが、打ち解けた雰囲気の中で、自民党時代の終焉(しゅうえん)を強調。自民離党、真紀子新党の可能性を探ろうとの、内心を吐露したものとして注目されそうだ。

 真紀子さんの注目発言が飛び出したのは、11日昼に都内で開かれた支援者との会合の場。参院新潟選挙区の補欠選挙が告示され、真紀子さんが自ら主宰する議員立法の勉強会の出席をドタキャンするなど、何かと真紀子さんの話題が多い日だったが、身内の集まりで安心したのか、国政全般について大いに語ったという。

 関係者によると、真紀子さんは、日本進歩党や日本自由党など、父の故田中角栄元首相の政治家としての歩みを引き合いに出しながら、終戦間もないころから現在の自民党まで、日本の保守政治の流れに言及。そして、自民党1党支配からくる弊害が出てきているとして「現在の自民党は脱皮する時に来ている。“自民党よし”の時代は終わった」などと、自民党政治は終焉の時期に来ているとの認識を示したという。

 その上で、自らの政治家としての身の振り方に言及。国政の場ではフリーの立場で模索していきたいという趣旨の発言をし、「与党でも野党でもたくさんの人が出てきて活躍してほしい」と述べたという。

 真紀子さんはこれまでにも「自民党の歴史的使命は終わった」として、党や派閥にとらわれない自立した政治家が増えていくのが望ましいとの認識を示している。支援者との会合では、自民党誕生までの政党の変遷に触れ、かつ、与野党問わず有能な人材の出現に期待を表明していることから、自民党を離党して政治的同志を結集し、真紀子新党を旗揚げしたいという思いがにじんだものとも言えそうだ。

 このほか、秘書給与ピンハネ疑惑にも反論。自身に対する一連の批判に対しては「異常」と称し、週刊誌に情報を提供している人間については「許せない」との思いを述べたという。

 また、自身の応援の有無が最大の焦点になっている新潟補選に関しては、首相官邸や山崎拓自民党幹事長が周囲に「自民党公認候補が勝てば外相更迭を国民が支持したことになる」と話していると指摘。こうした状況下では、自民党候補の応援には動けないと話した。

79とはずがたり:2009/01/29(木) 21:36:04
「田中秀征氏の政治団体が解散届提出」
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1146286762/7590

80とはずがたり:2009/03/14(土) 13:53:56
田中康夫氏が小沢氏抜きの政権交代ない
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1068688996/4140

 新党日本の田中康夫代表は13日、…「小沢氏の党運営と選挙態勢をつくる能力は、民主党内で非常に評価が高い。小沢氏なしでは政権交代はあり得ない」と激励した。
 また29日投開票の千葉県知事選に関し…小沢氏は「無党派層の支持を拡大することが重要だ」として現地入りを含めた民主党推薦候補の支援を要請、田中氏も快諾した。
[2009年3月13日18時8分]

81とはずがたり:2009/06/29(月) 21:35:56
田中康夫氏、衆院鞍替えを民主に打診 自民・菅氏の地元
2009年4月18日3時5分
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1146286762/8472

 新党日本代表の田中康夫参院議員が次の衆院選で神奈川2区から立候補する「鞍(くら)替え」について、民主党の鳩山由紀夫幹事長と相談していることがわかった。現職は麻生首相側近の菅義偉・自民党選挙対策副委員長。小沢代表と親しい田中氏は「側近対決」に意欲をみせているという。

三村氏のブログ
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1146286762/8474
朝日の記事の件について

3日前くらいに、県連代表の笠さんから、鳩山幹事長が記者にそんな話をしたらしいが、当然あり得ない話で、幹事長は、田中康夫氏のゆさぶり作戦に乗っただけで、「実際にそんな話はあり得ないから、三村君には謝っておいてくれ。」と鳩山幹事長が言っていたよ、ということを聞いていた。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1240552224/1049
1049 名前:必ずや政権交代を。[] 投稿日:2009/06/29(月) 20:32:16
こんなの見つけました。

 310 名前:無党派さん :2009/06/29(月) 20:24:05 ID:SdiLpdB8
 この話が明日決まりとなるのか?

 http://www.asahi.com/politics/update/0417/TKY200904170354.html


明日ニコ動で緊急生放送するらしいし(内容は未定ですが)
もし発表するとして三村氏との関連はどうなるのでしょうね〜

82とはずがたり:2009/07/15(水) 12:37:00

久々の真紀子節「麻生さんは定額給付金だけ」
2009.7.15 09:58
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090715/stt0907150959003-n1.htm

 田中真紀子元外相(65)が14日夜、東大阪市で行われた次期衆院選候補者の応援演説会に登場、麻生首相と自民党を久々の真紀子節でこきおろした。

 8月30日の衆院選投開票が決まって一夜明けたこの日。真紀子さんは亀井静香国民新党代表代行(72)の要請で、地元から出馬する国民新党の女性候補者(46)の応援演説を行った。

 麻生首相について、先日のラクイラ・サミット(イタリア)を取り上げ「(記念撮影で)麻生さんだけウエイターみたいだった」と“先制口撃”。さらに「麻生さんがやったのは定額給付金だけ。それ以外に何をやったのか。(1万2000円は)税金で納めたのが返ってきただけ」と切り捨てた。

 また、「都議選で麻生さんは『民主党は政権交代ばかり口にする』と口をひんまげて言ってたけど、我々野党が国の予算を握って、日本を変えていかなければならないのです」と吠え、700人以上の聴衆を沸かせた。

83千葉9区:2009/07/17(金) 23:07:33
田中Channel:逸材 後藤雄一の落選を惜しむ
http://www.love-nippon.com/cgi-bin/player.pl?channel=t_channel&order=1&mode=0&self=1&quarter=2009_03

ってのがありました。
東京比例に引っ張ってくるか!?

84とはずがたり:2009/07/23(木) 16:40:16
平山の名が消えた件
民主と日本が合併すると比例名簿を民主と併せることが出来るらしいので公示直前に大々的に民主と日本の合併をぶち上げる可能性はあると思う。
で,代表代行がまた1人増えると云う訳だ。
それまで田中代表はテレビ討論番組にもバンバン顔出してもらって顔を売っといて貰えばよい。

790 名前:無党派さん ◆UVotersb9o [] 投稿日:2009/07/23(木) 16:29:38 ID:fLQFxfCN
>774
新党日本サイトから名前が消えた。

現在
http://www.love-nippon.com/3_Member.htm
2008年2月14日現在
http://web.archive.org/web/20080214035141/http://www.love-nippon.com/3_Member.htm

85とはずがたり:2009/08/05(水) 12:37:47

【09衆院選】連合は田中康夫氏不支持 兵庫8区
2009.8.4 21:15
http://sankei.jp.msn.com/politics/election/090804/elc0908042115009-n1.htm

 連合兵庫は4日、衆院兵庫8区(兵庫県尼崎市)に民主の推薦を受けて出馬する新党日本代表、田中康夫氏(53)の支援を見送り、社民新人の市来伴子氏(32)の支持を正式に決めた。神戸空港をめぐる長年のわだかまりなどが理由。

 「脱しがらみ、脱組織」を掲げる田中氏は静観の構えだが、注目区の情勢はさらに波乱含みとなった。

 連合兵庫はこれまで、民主公認候補の擁立を要請してきた経緯もあり、民主県連も「それぞれの立場を尊重してやるしかない。政権交代を勝ち取るという共通目標には変わりない」(黒田一美・選対委員長)と冷静に受け止めている。

 市来氏の支持決定について、連合兵庫の辻芳治事務局長は「田中氏と新党日本から推薦要請はなかったし、新党日本とは政策協定も結んでいない」と説明。

 神戸空港問題で田中氏が連合を名指しで批判したことに「強い反発もある」としたうえで、田中氏の長野県知事時代の連合長野との関係も調べて決定したという。

 田中氏は連合兵庫の決定についてはコメントしなかった。

 一方、市来氏陣営の塩見幸治事務局長は「ありがたい話。最大限に票を上乗せするよう頑張りたい」と歓迎。

 田中氏と対決する公明前職の冬柴鉄三氏(73)の陣営は「相手のことに一喜一憂している余裕はない。淡々と自分のペースで戦い続けるだけ」と無関心を装ったが、その動向については「引き続き注目していく」と警戒もしている。

86とはずがたり:2009/08/05(水) 12:40:07

田中康夫氏 アウェーの洗礼?事務所借りられない
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2009/08/05/02.html

尼崎市内の夏祭り会場、名刺を配ったり、出店の焼鳥やかきごおりなどを口にしながら、市民にアピール
Photo By スポニチ

 新党日本・田中康夫代表(53)が民主党の推薦を受け、参院議員から鞍替え出馬を表明したことで注目を集める兵庫8区(尼崎市)。7期連続当選、議員生活23年を誇る連立与党の大物、公明党・冬柴鉄三元国交相(73)は、抜群の知名度を誇る刺客を送り込まれ、守りの戦いを余儀なくされている。(桑原 淳)

 先月24日、選挙区の尼崎市内で開かれた田中氏出馬会見。民主党の鳩山由紀夫代表以下、同党県連の有力者がズラリと顔を並べ、打倒・冬柴氏にかける本気度が表れた。鳩山氏は会見後の演説にも帯同し、蜜月関係を印象づけた。

 陣営は最大の弱点である地域性の乏しさをカバーするため、尼崎出身のコラムニスト・勝谷誠彦氏(48)も動員。95年の阪神・淡路大震災後に神戸市でボランティア活動をしたり、神戸空港反対運動に参加するなど兵庫県とのつながりがあるとはいえ、地元になじみのあまりない田中氏の知名度アップを図っている。

 古くからの居住者が多い街だけに「突然来て、なめとんのか」など新参への厳しい声も根強い。だが、脱ダム・県財政の黒字化など2期6年務めた長野県知事時代の実績を基に語る田中氏の声は、政権交代を期待する世論を強力な追い風に、有権者に広がりつつある。

 平均所得が低く、生活保護受給率が県内で高い土地柄を踏まえ「“アマガサキドリーム”の期待を抱き、この地に住む人々とともに中央集権・既得権益を廃す」と訴える田中氏。有権者からは「実績があるから説得力を感じる」と好感視する声も聞こえてくる。

 冬柴氏一辺倒だった勢力図も変化しつつあり、阪神尼崎駅前で食堂を営む店主は「最近は“政権を代えて尼崎を変えてほしい”と話す人も増えている」と語る。夏祭り会場に姿を見せた際には一緒に記念撮影を求める人が殺到するなど、イメージを生かした顔見め作戦も奏功しているようだ。

 そんな中、想定外に“苦戦”しているのが、出馬表明から10日以上たっても決まらない選挙事務所探し。不動産業者との話ではOKでも、家主が新党日本や田中氏が借り主だと知ると、難色を示すケースが多いという。地元関係者は「地元の名士でもある冬柴陣営に表立って反旗を翻すことに、難色を示しているのでは」と分析する。

 自民・民主両党の“代理戦争の地”に乗り込んだ田中氏という“嵐”が無風だった地に巻き起こした波風は小さくない。

[ 2009年08月05日 ]

87とはずがたり:2009/08/07(金) 02:16:25
3046 名前:千葉9区[] 投稿日:2009/08/06(木) 21:00:55
http://www2.asahi.com/senkyo2009/news/TKY200908060235.html
民主、田中真紀子氏を初めて推薦 新潟5区
2009年8月6日18時52分
 民主党は5日付で、衆院新潟5区から無所属で立候補する田中真紀子元外相(65)の推薦を決めた。田中氏は02年に公設秘書給与の流用疑惑で自民党から党員資格を2年間停止され、03年に離党。過去2回の総選挙は無所属で政党の推薦を受けずに当選してきた。今回初めて民主党の推薦を受けることになる。

 田中氏は父の角栄元首相に師事した小沢一郎代表代行と親しく、国会では03年から民主党系会派で活動。08年の朝日新聞のインタビューでは、総選挙後の与野党伯仲を念頭に「新党ができれば政策決定に主導権を取れる」と語っていたが、総選挙での民主党優勢が伝えられる中、さらに距離を縮めたと言えそうだ。

88とはずがたり:2009/08/08(土) 16:04:19
馬淵も前途洋々たる政治家になりましたねぇ。奈良市長選でも豪腕を見せたし。
なんと田中角栄に憧れての政治家入りか〜。
よって此処へ転載。
>もともと田中角栄元首相の強いイメージにあこがれがあり、民主党の野田佳彦幹事長代理らと知遇を得たのが転身のきっかけとなった。
>当選した馬淵氏が真っ先に取り組んだのが、田中元首相の研究。道路特定財源制度を議員立法で作り上げた同首相の答弁を国会議事録ですべて読破した。それが下地となり、08年、道路整備の中期計画で国土交通省が将来の需要推計を多く見積もった古いものを使用していたことを認めさせるなどして、知名度は全国区になった。

夏にかける:もう一つの戦い/1 馬淵澄夫氏(民・前) 「将来」見据え全国行脚
 <衆院選まであと23日>
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1240552224/3201

 ◇政権準備の夏にかける
 衆院解散を2日後に控えた7月19日。民主党の馬淵澄夫前衆院議員(48)=当選2回=は福岡県柳川市の市民会館大ホールで同党立候補予定者(野田国義前八女市長)の応援演説に立っていた。

 「ここには道路の政官業癒着の権化のような人がいる」

 柳川市は自民党道路族のドン、古賀誠選対本部長代理の地元。そこで、道路問題に関する国会追及で名をはせた馬淵氏が宣戦布告する姿は、政権交代の「切り込み隊長」と言えるものだった。

 OA関連会社役員から政治家に。もともと田中角栄元首相の強いイメージにあこがれがあり、民主党の野田佳彦幹事長代理らと知遇を得たのが転身のきっかけとなった。03年、2度目の挑戦で奈良1区から初当選を果たした。

 当選した馬淵氏が真っ先に取り組んだのが、田中元首相の研究。道路特定財源制度を議員立法で作り上げた同首相の答弁を国会議事録ですべて読破した。それが下地となり、08年、道路整備の中期計画で国土交通省が将来の需要推計を多く見積もった古いものを使用していたことを認めさせるなどして、知名度は全国区になった。

 「馬淵さんの日程は党管理になる」。党本部から、こう告げられた。柳川は全国行脚の第1弾。7月31日には、金子一義国交相の地元岐阜へ。愛知、大阪、静岡などと候補予定者の応援に飛び回り、6日は広島と佐賀。「地元に入るのは3分の1程度」(地元秘書)。

 各地で欠かさずに訴えるのが、高速道路の無料化。今回の衆院選を「税金を天下り法人・官僚から国民に取り戻す選挙」と位置付け、その最重要政策と考えるからだ。

89名無しさん:2009/08/12(水) 16:26:38
http://www.niigata-nippo.co.jp/09syuinsen/kiji/2009/07/post_11.html

衆院選 直紀氏、民主支援を示唆
 昨年自民党を離党し無所属の田中直紀参院議員は18日、村上市で報道陣に対し「衆院選の公示までに私自身の立場を明確にし、候補者の応援ができれば」と述べ、衆院選で民主党候補を支援する意向を示唆するとともに、自身の民主会派入りに含みを持たせた。新潟3区の民主候補予定者・黒岩宇洋氏については「応援する」と明言した。
 田中氏は自民時代、妻で民主会派に属する田中真紀子衆院議員(5区、無所属)を応援したなどの理由で党の処分を受けるなどしたが、昨年、離党。県内に一定の「田中票」を持ち、動向が注目されていた。
 田中氏は「県内では5区のみならず、応援できれば。自由な形で考え、候補者を見て、応援したい」と述べ、県内民主候補の支援を前向きに検討していく考えを示した。
 民主が初めて独自候補を擁立した3区については「3区に限っていえば、(民主の黒岩氏を)応援する」と明言。「当選すれば下越の発展のためになる」と強調した。
 自身の所属については、民主会派入りに含みを持たせた一方、無所属のままでいることも「選択肢だ」とした。

2009年07月19日

90名無しさん:2009/08/12(水) 16:28:01
http://www.niigata-nippo.co.jp/09syuinsen/kiji/2009/07/post_28.html

参院選意識か、妻支援期待か―田中直氏が民主に接近 


衆院選の民主党候補予定者の集会であいさつする田中直紀参院議員=24日、聖籠町
 衆院選を前に、昨年自民党を離党した無所属の田中直紀参院議員が民主党に急接近している。3区の民主新人の支援を鮮明にしたほか、他の県内民主候補の支援や、自身の民主会派入りの可能性を示唆している。田中氏の動きについて政界関係者の間では、田中氏自身が改選を迎える来年7月の次期参院選をにらんだ動きとも、5区で衆院選を戦う妻の真紀子氏への支援を期待しているともささやかれている。民主側には期待と困惑が交錯している。

 「衆院選では、まず家内(真紀子氏)に当選してもらいたい。次いで黒岩さんに当選してほしい。組織を挙げて応援したい」。24日、聖籠町で開かれた3区の民主候補予定者・黒岩宇洋氏の集会。駆け付けた田中氏は支援姿勢を強調してみせた。
 3区の自民候補予定者は、田中氏の義父・角栄元首相とロッキード事件をめぐり対立関係にあった稲葉修元法相の長男・稲葉大和前衆院議員。一定の「アンチ稲葉票」を握る田中氏の支援を黒岩氏は「心強い」と歓迎する。一方、稲葉氏は「私の支持者にも直紀先生の支持者がおり、かなり影響は出る」と厳しい表情で語った。

 田中氏は今月「衆院選公示(8月18日)までに、立場を明確にしたい」と民主会派入りに含みを持たせる発言をした。参院選を控える中、田中氏の動きに対し「自身の“身分保障”に向けた布石では」と、参院選を民主候補として戦いたいのではないかとみる政界関係者は多い。
 「田中家ブランド」の威光は2区や4区、さらに1区や6区でも残る。保守層の切り崩しが課題の民主にとって田中氏の支援を歓迎する声は多く、2区から立候補予定の鷲尾英一郎前衆院議員は「政権交代のために連携できればいい」と期待感を示す。
 だが、民主県連としては田中氏との連携には慎重姿勢だ。県連主流派は参院選で独自候補擁立を目指しており、「田中氏に恩を受けると、参院選で公認してほしいとの声が県連内で強まりかねない」(主流派幹部)との懸念がある。また「田中支持者も衆院選では既に民主にかなり流れている。応援をもらえば、ムードづくりに一定の効果はあるが、どこまで実票につながるかは不明」(県議)とみる向きもある。

 無所属の真紀子氏は連続5回当選で民主会派に属すが、民主支持労組などからの支援は十分得てはいない。「夫が民主に尽くす姿勢を示すことで、妻への支援を期待しているのでは」。5区内ではこんな推測も出ている。
 真紀子氏は、田中氏の民主支援の動きについて「本人に聞いて。本人のことだから」と語った。

91名無しさん:2009/08/12(水) 16:28:31
http://www.niigata-nippo.co.jp/09syuinsen/kiji/2009/08/post_33.html

民主党が田中氏を推薦―新潟5区
 民主党は6日、衆院選で新潟5区から出馬する無所属の田中真紀子前衆院議員を推薦すると発表した。田中氏が同党の推薦を受けるのは初めて。
 田中氏は無所属だが民主党会派に属している。田中氏自身は推薦を求めていなかったが、同党は「民主会派で活動されており、こちらから出すことを決めた」としている。
 田中氏は「民主党の岡田克也幹事長から頼まれて全国各地で応援演説を行っているから(推薦を)くださったのではないか。ありがたくいただいた」と話した。
 衆院選で同党は計269人の小選挙区候補者を決定。推薦は田中氏を含め、社民党や国民新党の公認候補者ら計25人となった。

2009年08月07日

92名無しさん:2009/08/12(水) 16:29:01
http://www.niigata-nippo.co.jp/09syuinsen/kiji/2009/08/post_34.html

民主の田中氏推薦で、陣営追い風ムード
 衆院選で5区から出馬する無所属の田中真紀子前衆院議員が、民主党から初めて推薦を受けることが決まった。県内全6選挙区で「自民対民主」を基軸とした戦いとなる構図が鮮明となった。田中氏の陣営では、民主系の議員や労働組合からの支援が強まるとみて「追い風になる」との歓迎ムードが大勢。ただ古参の自民党員の後援会幹部など一部には不協和音も出ている。
 党本部の6日の推薦決定を受け、民主党5区総支部は田中氏を支援する方針。佐藤信幸・同支部幹事長は「政権交代に向け、田中氏を応援したい。(支持団体の)連合新潟内には社民支持で動いている労組もあるので、民主系労組に支援を求めていく」と話した。
 田中氏の後援会幹部の一人も「民主の推薦は後押しとなる。選挙は水もの。広く支援を受けた方が良い」と前向きに受け止める。
 しかし、故田中角栄元首相以来の自民党員の後援会メンバーには戸惑いの声も。「『民主党の推薦を受けては、ついて行けない』との批判の電話が仲間から来ている。民主に乗った方が得策と判断したのだろうが、本人の思うようにいかないのでは」とみる。
 これに対し、田中氏は「私は『田中党』ですので問題ない」と話し、自民支持者離反の懸念を否定した。
 一方、前回選挙で田中氏に2万2千票差まで詰め寄った自民党・米山隆一氏は強気の姿勢で、「推薦を受け取るなんて、ここまで追い込んだのかという思い」と語る。ただ、陣営は「推薦が出なければ一番良かったが、しょうがない」と一定の影響があると受け止めている。
 社民党・伊部昌一陣営は、民主公認候補がいない5区で連合新潟の加盟労組に秋波を送ってきただけに田中氏に票が流れるのを警戒する。長部登・選挙対策委員長は「5区で民主、社民が協力できないことは残念なことだ」と憤る。「影響はゼロではないが、民主が推薦したからといって労組は田中氏を熱心に応援するとは思えない」と、戦略を変えずに支持固めに奔走する考えだ。
 5区では候補を出さない共産党の大矢健吉・中越地区委員長は「田中氏にとっては、無党派層食い込みへ追い風になるのでは」と分析する。
 今回の推薦が来年7月の参院選に影響するとの見方も。田中氏の夫で自民党を離党し無所属の田中直紀参院議員の後援会関係者は「民主の支援を受けるのにつながるのではないか」とみている。

2009年08月08日

93名無しさん:2009/08/12(水) 16:29:34
http://www.niigata-nippo.co.jp/09syuinsen/kiji/2009/08/post_38.html

田中真紀子氏が民主入り検討
 衆院選で5区から出馬する前職の田中真紀子氏(無所属)=民主推薦=は11日、民主入りの可能性について「考えなければいけない」と述べ、今後検討する考えを明らかにした。同日、長岡市での事務所開きの後、報道陣の質問に答えた。

 田中氏は、自民を離党後、法案骨子を作っても国会に提出できなかったとして、「無所属の限界で、できなかった面もかなりある。(6選を目指す)中堅なんだから実行しなきゃならない。閣僚ポストなんかより議員立法をやりたい」と語った。

 田中氏は過去2回の衆院選では無所属で出馬しており、今回初めて民主からの推薦を受けた。

2009年08月12日

94とはずがたり:2009/08/12(水) 16:50:43
あざーす。このスレを活用して頂いて感涙っす(`・ω・´)

古参の支持者のメンタリティは未だ未だ自民党なんですねー。。

95名無しさん:2009/08/15(土) 00:13:54
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4209805.html

無所属の田中真紀子議員、民主党入りへ
動画を他のプレイヤーで見るWMP高 WMP低  無所属の田中真紀子元外務大臣が、民主党に入党することになりました。

 田中元外務大臣は国会では民主党と統一会派を組んでいますが、民主党関係者によりますと、15日に新潟入りする民主党の鳩山代表とともに会見し、正式に民主党への入党を発表します。

 また、去年自民党を離党した夫の田中直紀参院議員も同じ会見に臨み、夫婦揃っての民主党入りとなります。

 田中氏は、今回の衆院選で民主党から初めて推薦を受けることが決まっていましたが、これにより民主党公認となる見通しです。

 田中氏は今週11日、「無所属では限界があり、自民党と民主党の2大政党の中で、何らかの対応を考えなければならない」と述べていました。(14日22:48)

96とはずがたり:2009/08/15(土) 00:18:21
転載しようとしたら素早いお仕事有り難うございます。

国新会派とかに属してる時期無かったでしたっけ?>真紀子

喋れる真紀子は破壊力有りますがなかなか使いこなすの大変だし,行政能力は欠如しているのも外相経験で明らかですし,入閣はもってのほかですし使い方は慎重にやらないとダメでしょうね。。

97とはずがたり:2009/08/15(土) 11:40:26
外相経験で判りましたが真紀子は入閣させるべきではないです。議員立法の総責任者的なポスト新設して収めて置くのが良いかと。

田中真紀子氏公認へ 民主 新潟5区 直紀氏にも入党要請
2009年8月15日 朝刊
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1240552224/3615

田中真紀子氏が民主に入党、公認受け出馬へ
http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin2009/news1/20090814-OYT1T01184.htm

 無所属の田中真紀子・元外相が民主党に入党し、衆院選新潟5区から同党公認で出馬することが14日、明らかになった。

 15日に鳩山代表が新潟県長岡市を訪ね、共同で記者会見して発表する。

 無所属ながら国会で民主党と統一会派を組む田中氏について、民主党は8月6日に推薦を発表した。公認となるのは、保守層に人気のある田中氏にあやかって衆院選をさらに優位に進めたい民主党側の思惑があるようだ。田中氏も、政権交代が現実味を帯びてきたことから同党入りを判断したものとみられる。
(2009年8月15日03時05分 読売新聞)

田中真紀子氏が民主入り検討
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1240552224/3604
2009年08月12日 新潟日報

98名無しさん:2009/08/15(土) 12:09:32
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00161046.html

無所属の田中 真紀子元外相、夫の田中直紀議員とともに民主党に入党へ

無所属の田中 真紀子元外相が、夫・田中直紀参議院議員とともに、民主党に入党することになった。15日午後から民主党の鳩山代表とともに記者会見し、正式に発表する。
田中氏は14日、都内で「わが身の処し方をしっかり決めて、理想は言ったけれど、現実に政策を実行するために、自分の立場を明確に、いよいよしなければならない時が来たと思っています」と演説した。
田中氏は、12日に鳩山代表と会談して民主党に入党すること決めたということで、15日午後1時から、新潟・長岡市で、鳩山代表も同席のうえ、会見して正式に表明する。
田中氏は現在無所属で、衆議院で民主党の会派に入っており、今回の衆院選で、初めて民主党の推薦を受ける予定だったが、民主党の公認候補として立候補することになった。
また、夫で無所属の田中直紀参院議員も同時に民主党に入党する。

99片言丸:2009/08/15(土) 12:14:46
今日の田中美絵子・岡田克也演説会
(下道で行ったら演説は間に合いませんでしたw)
http://b.pic.to/ypjug
http://imepita.jp/20090815/437001

100とはずがたり:2009/08/15(土) 12:26:23
>>99
おお,乙です。
そーいえば田中スレに新たなる対象政治家の登場っすね>美絵子様

肝腎の恵美子さんのお顔が前のオッサンの携帯で隠れとるんですけど(;´Д`)

101片言丸:2009/08/15(土) 12:41:11
金沢市と加賀市をはしごしたら田中さんの演説にまにあわなかつたのですよ…写真も握手もなんとか間に合いましたが
奥田は捨てて田中に絞ればよかったなぁ
奥田の演説は意外に力強い感じでしたが

102とはずがたり:2009/08/15(土) 13:44:24
なるほど。
加賀→田中,金沢→奥田ですな。
奥田の頼りなさが解消されつつあるなら心強いです。。

103名無しさん:2009/08/15(土) 13:50:15
もう会見終わったみたいですね。
夫婦で入党で確定。

http://www.47news.jp/CN/200908/CN2009081501000368.html

真紀子氏、夫婦で民主入り 公認出馬へ鳩山氏と合意
 民主党の鳩山由紀夫代表は15日午後、新潟県長岡市のホテルで、無所属の田中真紀子前衆院議員、夫の田中直紀参院議員と会談し、両氏が民主党入りすることで合意した。真紀子氏は18日公示の衆院選で新潟5区から民主党公認候補として出馬することになった。

 会談後に鳩山氏と田中夫妻がそろって記者会見し発表した。

 真紀子氏は、秘書給与疑惑の発覚で自民党党紀委員会から2年間の党員資格停止処分を受け、2002年8月に議員辞職。自民党に離党届を出して03年衆院選に無所属で出馬し、当選後、民主党系会派入りした。
 03、05年衆院選では民主党の推薦を受けていなかったが、同党は今月6日、初めて推薦を決めていた。

 直紀氏は昨年10月に自民党を離党、無所属で活動してきた。

2009/08/15 13:20 【共同通信】

民主党入りで合意し、記者会見する(左から)田中真紀子氏、鳩山代表、田中直紀参院議員=15日午後、新潟県長岡市のホテル
http://img.47news.jp/PN/200908/PN2009081501000369.-.-.CI0003.jpg

104名無しさん:2009/08/15(土) 13:54:08
入党は民主側からの要請。
>入党は、田中元首相に師事し真紀子氏とも近い民主党の小沢一郎代表代行ら同党側が要請。

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2009081500125

田中真紀子氏が民主入党=新潟5区で公認、直紀氏も
 衆院選で新潟5区から出馬する無所属の田中真紀子元外相は15日午後、夫で無所属の直紀参院議員と新潟県長岡市でそろって記者会見し、民主党に入党したことを明らかにした。真紀子氏は「有権者に約束したことを実現するには、少人数ではできない。組織にいないといけないと強く感じた」と説明した。会見には鳩山由紀夫代表も同席。民主党は同区で真紀子氏を公認する。
 真紀子氏は故田中角栄元首相の長女。小泉内閣発足とともに外相に就任したが、2002年に更迭された。公設秘書給与の流用疑惑で議員辞職し、03年に自民党を離党。同年の衆院選で返り咲いた後は民主党会派に所属してきた。同年と05年の選挙では民主党の推薦を受けず、今回初めて推薦を得ていた。直紀氏も昨年、自民党を離党している。 
 入党は、田中元首相に師事し真紀子氏とも近い民主党の小沢一郎代表代行ら同党側が要請。真紀子氏は会見で「確実に二大政党になる」と語り、衆院選後の政権交代が現実味を帯びていることも考慮して決めたと強調した。手続きは14日に済ませたという。民主党としては、知名度の高い真紀子氏の入党を全国的な集票増につなげたい思惑がありそうだ。(2009/08/15-13:38)

105とはずがたり:2009/08/15(土) 15:41:06
>>99-102
写真でかっw

岡田民主党幹事長らが3区で応援演説
http://mytown.asahi.com/ishikawa/news.php?k_id=18000000908150003
2009年08月15日

2区の田中美絵子氏への支持を訴える民主党の蓮舫参院議員(手前右)=小松駅前

 民主党の岡田克也幹事長が14日、衆院石川1〜3区の立候補予定者の応援のため県内入りした。中能登町のJR能登部駅前で3区に立候補を予定している近藤和也氏(35)と「新しい政治を、新しい政治家の近藤さんと一緒に始めよう」と演説し、政権交代と近藤氏支援を訴えた。15日はJR金沢駅前と加賀温泉駅前で演説する予定。
 岡田氏は駅前を埋めた約600人(主催者発表)を前に、党のマニフェストにふれて「月額2万6千円の子ども手当を『子どものいない人は損をする』と言う人がいるが損得で論じてほしくない。社会全体で支えねばならない」と理解を求めた。自民党が批判する財源問題については「今までの仕組みを前提にやればできないが、ゼロベースで(事業を)見直し、必要のないものは思い切ってやめていけばいい」とした。
 また、同党の蓮舫参院議員も同日来県し、1〜3区の立候補予定者と街頭演説した。
 蓮舫参院議員は、小松市のJR小松駅前で2区の田中美絵子氏と共に選挙カーに上がった。「この4年間、国民の生活で何か良くなったものはありますか。かわったのはただ一つ、総理だけがころころと代わった」と自公政権を批判した。この後、金沢市と津幡町でも街頭に立ち、民主党への支持拡大を呼びかけた。

106名無しさん:2009/08/15(土) 18:34:35


>直紀氏は、来年夏の参院選に民主党公認で出馬するかどうかについて、「先のことだ」と明言を避けた。

http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin2009/news1/20090815-OYT1T00729.htm

田中真紀子氏、夫とともに民主入党を発表
 民主党の鳩山代表は15日、新潟県長岡市内で、元外相の田中真紀子前衆院議員、田中直紀参院議員とともに記者会見し、夫妻が14日付で民主党入りしたと発表した。

 両氏とも無所属だったが、真紀子氏は衆院選に新潟5区から民主党公認で出馬する。

 真紀子氏は記者会見で、「無所属で7年間過ごしてきたが、有権者に約束したことを実現するには、一人や少人数ではできない。確実に二大政党になる。組織にいなければならないと感じた」と述べ、自分から民主党入りを求めたことを明らかにした。

 鳩山氏は、「2人とも発信力が強いので、(入党は)有権者にプラスの影響がある」と語った。一方、直紀氏は、来年夏の参院選に民主党公認で出馬するかどうかについて、「先のことだ」と明言を避けた。

(2009年8月15日18時25分 読売新聞)

107名無しさん:2009/08/15(土) 18:35:19
>鳩山氏は会見で「参院の議席の数が死活的に重要だ」と指摘した。

http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090816k0000m010022000c.html

衆院選:田中真紀子、直紀両氏 民主党に正式入党
 民主党の鳩山由紀夫代表は15日、衆院新潟5区前職で元外相の田中真紀子氏と夫の田中直紀参院議員と、新潟県長岡市のホテルで記者会見し、両氏の民主党入党と真紀子氏の党公認での立候補を発表した。国民的人気のある真紀子氏から衆院選で全面的な協力を得ると同時に、参院の議席数を増やす狙いがある。鳩山氏は「大変ありがたいこと」と、両氏の入党を歓迎した。

 民主党は先月、党の反対を押し切って神奈川4区から出馬を決めた浅尾慶一郎参院議員を除籍(除名)処分にした。参院は単独過半数に届かず、今回の衆院選で勝利したとしても、参院での過半数を維持するため社民、国民新両党との連立が必要だ。鳩山氏は会見で「参院の議席の数が死活的に重要だ」と指摘した。

 真紀子氏が10日に鳩山氏の個人事務所を訪ね、入党の意向を伝えた。入党と公認の手続きは14日に済ませたという。入党の理由について真紀子氏は「有権者への約束を実現するには組織にいなければならない」と説明。決断が衆院選公示直前になったのは「お盆の間、仏壇の前で両親や先祖に相談した」ため、とした。

【山田夢留】

108名無しさん:2009/08/15(土) 18:48:09
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090815/stt0908151802003-n1.htm

【鳩山・真紀子会見】(1)真紀子氏入党「大変うれしい」 (1/3ページ)
2009.8.15 17:58

民主党入りで合意し、記者会見する(左から)田中真紀子氏、鳩山代表、田中直紀参院議員=15日午後、新潟県長岡市のホテル 民主党の鳩山由紀夫代表は15日午後、田中真紀子元外相が民主党に入党したことを発表し、「大変うれしいおしらせだ」と述べた。新潟県長岡市内のホテルで田中真紀子、直紀両氏とともに記者会見した。

 会見の詳報は以下の通り。

 

田中真紀子、直紀両氏入党

鳩山由紀夫民主党代表「まず冒頭、私のほうから申しあげます。きょうは大変うれしいお知らせでありまして、田中真紀子前衆院議員と田中直紀参院議員お二人がそろいまして、民主党に入党していただくことになりました。手続き的には、入党の手続きは、昨日すまさせていただいたということになります。今週の月曜日、10日ごろのことだったと思っておりますが、真紀子前衆院議員、私の事務所までお出ましをいただいて、そのご意向を拝聴させていただきました。今まで無所属として長く活動してまいったけれども、これからはいろんな議員立法とか、自分の思いを立法措置として世に問うて成立をさせていくためには、やはり政党に所属をしたい。考え方が一番近い民主党で行動をともにしていきたい。強い意志をお述べいただきました。大変ありがたいことだということで、私どもとすれば、常任幹事会で入党の手続きをとらせていただくわけですが、常任幹事会、事実上、もうなくなっておりまして、三役に一任いただいておりますので、三役すべてにお諮りをさせていただいて、入党の手続きをとらしていただいたわけでございます」

鳩山氏「同時に田中直紀参院議員におかれましても、今日まで自民党を離れて、無所属で活動してこられたわけでありますが、考え方の問題も含めて、それからやはり、一緒に民主党の仲間として活動をしたいと強い意欲を示していただいたこともございまして、大変それもありがたいことでございます。特に民主党におきましては、参院の議席の数が非常に、死活的に重要でもございますし、重鎮として今日まで活躍してこられた直紀参院議員が入党していただけることも大歓迎だということでございます。私どもといたしましては、そろって、ご夫婦そろって民主党に入党していただけることを心から歓迎を申しあげたい。ついては、長岡で記者会見をされるということでありましたので、私がこちらにおじゃまをして、記者会見ということにいたした次第でございます。私からは以上、報告を申しあげます」

田中真紀子前衆院議員「経緯は今、鳩山代表がおっしゃったとおりでございます。で、事務的なことはもう選挙中でもありますから終了しているということでございますけれども、改めて書面で入党の私どもの申込書を持参いたしましたので・・・」

109名無しさん:2009/08/15(土) 18:48:28
>>108

鳩山氏「ああ、恐縮です」

真紀子氏「この場をお借りしてお届け申しあげたいと思います。よろしくお願いいたします(と述べ、入党申請書を鳩山氏に手渡す)。それから、個々の質問でもあると思いますけど、私のほうから前もってお話しさせていただきたいと思います。この経緯はみなさまが、唐突と思う方、順当と思う方、いろいろ受け止め方はあろうかと思いますけれども、まず私の支持母体のみなさまに対しては、かなり前からいろんな方にヒアリングをしておりまして、そして全部の方が自分たちはこの16年間、田中党であると思って信じて田中真紀子をずっと推挙して選挙活動もやってきているという中でいろいろな意見もありましたけれども、自民党にまだ籍がある、まだ私の支持者も含めまして、田中真紀子の決断に従いますと。全力を挙げて選挙戦も戦う。なおかつ今後も支持を続けるという力強い意見をみなさまからいただきまして、私は本当に一候補者として、議員として、過去の活動も含めてこれに身に余る光栄はないというふうに思っています。政治家としていろいろな考え方の方がおられるんですけれども、全員が一本化して田中真紀子の行動を支持すると言ってくださることに大変に感動いたしました。責任の重さも感じました」

真紀子氏「もう1つは、現在の衆参両院の民主党員の方から、(書類を示し)このような書面をいただいておりまして、嘆願書というのはおおげさですけれども、名前はあえて隠しますけれども。特に7月7日のへんがですね、8日もそうですが、七夕さまで願いがかなうということだと思いますけれども、文書は『元外務大臣、衆院議員、田中真紀子先生、ならびに農林水産副大臣、参院議員、田中直紀先生におかれましては、われわれの同志として、民主党に入党いただき、政権交代を実現し、民主党が政権政党として国民の期待に応えられるよう、ご指導いただくことを切にお願い申しあげます』という書面が若手からたくさん寄せられました。そのときには、私はこれはありがたいけれども、私の現在の考えと違うからといって、書面だけをお預かりをして、今、東京の方に保管してございます。大変重い責任を感じました」

110名無しさん:2009/08/15(土) 18:48:38
>>109

真紀子氏「それと同時に、私は2002年に自民党から党員資格停止という処置を受けました。その理由は、あらぬ秘書給与なるものが週刊誌に出たために、そういうお金に関する嫌疑のかかる人を党員にしておくわけにはいかないということで、党員資格停止になりました。2002年のことです。その後、検察等の調べで、これは完全に事実無根であって潔白であるということが証明されました。にもかかわらず復党という話はありませんでした。その中で私は今日まで実質、7年間無所属で、そして離党後は民主党の会派として大変優遇していただきながらも自分の思い、それから私を支持してくださる多くの方々の思いを実現するために、無所属で実質7年間過ごしてまいりました。その結果、一番感じていることは、今回もし当選できればですが、中堅議員として政治家として折り返し地点になるわけです。そこで実際、有権者のみなさまにお約束したことを実現するには、少数の政党を組むことも可能でしょうけれども、1人や小人数ではこれは実現できません。確実に2大政党になります。したがって、そうであれば組織に所属をして、自分が有権者のみなさまに約束をしてきたこと、私が一政治家として思っていることを実現するためには組織にいなければならないということを強く感じました。その結果として、今回、今月の9日、10日、それから12、13(日)と幹部の方々にご相談申しあげ、快諾をしていただきました。その結果こういうふうになったということをご報告申しあげます」

田中直紀参院議員「鳩山民主党代表、わざわざお出かけいただきまして、大変光栄に存じます。私の場合は、いよいよ衆院選があるということでございますので、7月に入りまして新潟県の31の市町村の後援会の方々とご相談申しあげました。今後の行動につきましては理解をしていただいたところでございます。それから先の通常国会でございますけれども、終盤に参院においては問責決議案が提出をされまして、私は賛成をいたしました。今の麻生内閣には期待ができないという立場で無所属でありますが、投票をさせていただいたわけであります。したがいまして、これからの政治活動の場としたしまして、歴史的なこれからの政権交代を目指す選挙の中で、なんとしても民主党に新しい政策をしていただいて、国民の期待に応えていただきたい。私もその一員として汗を流していきたい。そんな思いをいたしまして、入党することにいたしました。昨日手続きは済ませております。承認していただいて、ありがとうございました。民主党の議員会長であります輿石東先生にもお目にかかりご理解いただいたことも大変ありがたく思います。私もしっかりと、新潟県あるいは国のために頑張らさせていただきたいと思います」

111名無しさん:2009/08/15(土) 18:49:50
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090815/stt0908151825004-n1.htm

【鳩山・真紀子会見】(2)真紀子氏入閣「人事、まったく考えていない」 (1/3ページ)
2009.8.15 18:16

民主党入りで合意し、記者会見する(左から)田中真紀子氏、鳩山代表、田中直紀参院議員=15日午後、新潟県長岡市のホテル 

入党の経緯

 −−入党までの経過としていつごろ決断したのか

真紀子氏「本当にお盆の、ついこの間のお盆。今もお盆中でございますけれども、お盆の13日。これははぐらかしではなくて、両親をはじめ、ご先祖さまが黄泉(よみ)の国から帰ってまいりまして、お仏壇のところで本当に沈思黙考して、自分がどうするべきかということを非常に考えました。そのときに、最終的に大体方向性は決めていたんですが、最終的にこれならば両親にも納得してもらえるだろうと思いました」

 −−真紀子氏から公認依頼をしたということでいいのか

「もちろん。結構です」

 −−民主党からは先週推薦を受けているが

「私はあまりこだわっていませんけれども、2回とも、それでも私は無所属でトップ当選をずっとさせていただいているということに非常に感謝と責任を感じていました。そして今回、推薦もいただいて、先ほどお見せした若い人たちからの署名を見てですね、やっぱり・・・。もう1つは、率直に言って少し生臭いんですが、私は昨年の参院選挙ですか?前回のあのときも12件、応援にうかがいました。民主党の。それから今回も国民新党の方に頼まれて行ったり、それから平沼新党の関係の方も応援で頼まれて行ったりもいたしました。それで自民党の現職だった方からも、つまり立候補する方からも来てほしいとか、それから自民党の若い方からも婦人部から言われているから真紀子さん、来てくれと言われて、そのとき本当に悩みました。私は。なんで自民党の人が私に言ってくるのかと。そうだ、私が旗幟(きし)鮮明にしないから。民主党会派と言っていても、民主党のことを私は非常に理解していて、民主党とともに、心身ともにあるんですけれども、やっぱり有権者からすると、旗幟鮮明にしないと分かりにくいんだなということが分かりましたので、もちろん自民党には行きませんけれども、旗幟鮮明にしようと思ったのが本当に13日の日、お盆の。非常に責任を感じていましたので、ご先祖さまとご仏壇の前で相談しました」

直紀氏「たまたま一緒に入党することになりましたけれども、家内も入るから私も入るということではございませんで、私も7月から立場を明確にしたいと。県内の方々に公示前までには活動の場を明確にしたい。候補者のところにもうかがいましたが、貢献会のみなさん方も応援し定員じゃないかという状況がございました。県内の方々に会いまして、公示前までには今後の活動の場を明確にしたいということでお話を申しあげてきました。後援会のみなさま方も応援していいのではないかと。こんな状況のございました。また、県内の方々、民主党の候補者からもご要請がございまして、民主党に入らせていただいて、幅広く公認候補の応援をしていきたいということも考えました。公示前に入党させていただいたということです」

 −−(夫婦)2人で相談したのか

直紀氏「いや、特に相談はいたしませんが、まあ、身近でございますから、あうんの呼吸があったのかもしれません」

 −−同じ日に入党申請した

直紀氏「私は参院の現職でありますので、本部の扱いになりますので、私は本部のほうに手続きをさせていただきました」

112名無しさん:2009/08/15(土) 18:50:17
>>111

来年の参院選

 −−直紀氏は来年の参院選に民主党公認として出馬するのか

直紀氏「まだ先のことでございますから今はコメント差し控えます」

 −−来年の参院選では新潟県選挙区に社民党現職がいるので、民主、社民両党が共闘できないのでは

鳩山氏「それはまた来年になって、現実にどなたが立候補されるかということも含めて今、態度を明らかにされませんでしたので、そのときに考えればよいと思っております」

 

人事

 −−真紀子氏が民主党に入党したことで、閣僚ポストを要求したのではないか

真紀子氏「一切ありません。私は有権者にお約束したいろいろな政策、思い、それを無所属ではほぼ実現できなかったんですね。時間がかかって。それで2大政党になるからには組織の中に入らないと、その場がないと政策というものは絶対、議員立法1つもできないということを学びました。その結果です」

 

有権者への説明

 −−(真紀子氏が出馬する)衆院新潟5区の有権者には民主党に入って何を実行すると訴えるのか

真紀子氏「一番、民主党さんの政策ですごいと思っているのは農業問題ですね。切実に思っております。それからあとは社会保障制度いろいろありますけど、医療、介護、保険。それぞれの政策が非常に現実的であるというふうに思っております。ですから、政策面で一番連携をできればいいと思っておりますけれども。あとは消費税の問題なんかも私はかねがね複数税率論者でありますので、そういうことも提言していきたいと。財政再建の問題ですね」

113名無しさん:2009/08/15(土) 18:50:27
>>112

比例重複立候補

 −−比例名簿には自身の名前を載せないか

真紀子氏「比例はいたしません。ずっと同じように私は真剣勝負。一発勝負でやりたいと思っております。大体前から私は、落っこちた人が入るっていうのは大学受験もそうですけど、おかしいじゃないですか。有権者が納得しない制度ですよ。国会議員の一部の方は『それは困るよ。僕のポストがなくなるから』と言うけど、それは自分の勝手であってですね、本気でやらないと。みんな一生懸命生きているんですから。ですから、落っこちたけど入るって制度は私は廃止したい。民主党にこれはぜひ、提言したいぐらいです」
入党のデメリット

 −−民主党に入るデメリットは

真紀子氏「アクションを起こせばリアクション、必ずあるものです。世の中。そのリスクは十二分に分かっていますし、去る人は去っていくでしょうし、黙って投票する方もおられることは十二分に分かっています」

 

民主党公認

 −−真紀子氏の公認手続きは

鳩山氏「現職そして衆院が始まると選挙の直前でありますから、前職になっておりますが、その入党問題に関しては常任幹事会のマターであります。常任幹事会はすでに事実上なくなっておりまして、その前に代表一任というか、3役に基本的に一任をとりつけております。したがいまして、この問題に関しても3役にお任せをいただいているマターだという認識の中で、先ほど申しあげましたように、真紀子氏のほうからお話がありましたので、喜んで3役に諮りましたところ、みなさん大歓迎だということで手続きはそこで基本的に終了ということでございます」

 −−入党と同時に公認もしたということか

鳩山氏「公認問題もそうです。公認に関しましても当然そこで同じように決着をさせていただきました」

 

人事

 −−衆院選に勝利して鳩山氏が首相になった場合、真紀子氏を閣僚ポストなどで処遇する考えはあるか

鳩山氏「総選挙の後の人事に関しては、私はまだ当然のことながら、選挙はそんなに生やさしい問題ではないと認識をしております。これは、先般、田中真紀子氏がお訪ねいただいたときにも、そんな簡単な話ではないぞということで、ご協力をいただいて、この厳しい戦いを乗り切っていこうという話をいたしました。したがいまして、この人事の問題に関して、私もまったく考えているような状況じゃありません。ただ、当然のことながら、それぞれ有能な方々、大変発信力の強い方々でありますだけに、大いに頑張っていただきたいということは申しあげておきますが、人事のことに関しては、一切私はまだ考えてはおりません」

 −−真紀子氏は政界再編という言葉をよく使っていたが、選挙後は民主党、自民党の2大政党制が固定化されていくと判断したのか

真紀子氏「その通りです。選挙後か、前かということは、非常に悩みました。ですが、有権者の方々の気持ちでいうと、私はポスターもすべて無所属というもので作ってきましたので、それのまた修正とか、シールを張るとか、そういう事務的作業が今、鋭意やっているところなんですが、選挙後ですと無所属だと思って投票した、田中党だと思っていた方々に対する背信になる可能性もありますね。絶対について行く方もいるけれども、相じゃない方たちがおられた場合に。ですから先ほどいったように、公示になる前に旗幟鮮明にして、そしてご批判なり、応援なりをいただくほうがフェアだろうと。投票者の立場から考えて。で、今の時点で、事務的にはちょっと混乱してご迷惑をおかけしておりますが、事務方の関係者には。あえてそのようにいたしました」

114名無しさん:2009/08/15(土) 18:51:34

http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090815/stt0908151833005-n1.htm

【鳩山・真紀子会見】(3)小泉、安倍両氏の靖国参拝「理解する」 (1/3ページ)
2009.8.15 18:28

民主党入りで合意し、記者会見する(左から)田中真紀子氏、鳩山代表、田中直紀参院議員=15日午後、新潟県長岡市のホテル 

追悼式典欠席

 −−記者会見はなぜ、きょうだったのか。きょうは終戦記念日で、東京では全国戦没者追悼式典がある。追悼式典をキャンセルしてまで、どうしてもきょう記者会見しなければならなかったのか

鳩山氏「いわゆる武道館での追悼の式典に関しては、もともと羽田(孜)元首相が強いご希望を持っておられて、党を代表して毎年出席されておられます。したがいまして、最高顧問にむしろご出席をいただきたいということで、今回も最初からそのようにしておりました。すなわち私がそのことで日程を変更したということではありません。当然のことながら、この、いわゆる終戦記念の日におけるメッセージその他はすでに発出をしているところでございますし、このお二人の入党は、大変民主党にとっても意義のあるお話をいただいたものですから、あえてこちらにおじゃまを申しあげたということでございます」

真紀子氏「私もきょうは終戦記念日だったことが偶然だけれども、非常に後で振り返ってみると、意味があったかなというふうに思っています。友愛というのが鳩山家のみなさまのスローガンであり、鳩山代表の思いでございます。友愛はすなわち戦いをしないと。人に対する思いやりということだと思いますし、私も戦後の日本は不戦の誓いで、平和憲法を守り、そして経済発展をして国民が幸せになるという2本の柱でやってきたと思います。したがいまして、本当に戦争が2度と起こらない、平和な日本と平和な世界に対する貢献ということのスタートになるといいなと。きょう、今くる列車の中で、新聞で終戦記念日を見ながら、ああ、結果的にはそういうふうなことになるのかなという思いを抱いてまいりました」

 

元首相の靖国参拝

 −−きょう小泉純一郎、安倍晋三両元首相が靖国神社を参拝された。それについての考えは

鳩山氏「私は元首相、現職の首相ではありませんから、その方々が個人的な意思のもとで追悼の念を靖国神社に参拝をして発信されるという思いを表されるということに関しては、それはご本人の個人的な行動だと、そのように思っておりますので理解をします」

 −−民主党は新しい追悼施設の建設を推進する方針だが、それについて考えは

真紀子氏「村山内閣および小泉内閣の時に閣僚だった私は、靖国参拝は閣僚としてはしておりません。それで、第3の追悼施設。私はむしろ閣僚として、かなり当時の福田(康夫)官房長官に申しあげたことがあったぐらいで、具体的には千鳥ヶ淵のですね、戦没者…。何ていうのですか?あそこは千鳥ヶ淵…。あそこがいいんじゃないですかと。実際、私、行ってみたんですけど、隣に農林省の施設がありまして、道が狭くてですね、アクセス道路が非常に悪いなということも分かったんですけれども、ぜひ第3の施設を作ってですね、戦没者の霊を弔うというところは作るべきだというふうに考えています」

115名無しさん:2009/08/15(土) 18:51:45
>>114


 

暫定税率

 −−田中角栄元首相は民主党が廃止を公約しているガソリン税の暫定税率の成立に関わったり、大型公共事業による利権政治の象徴と見なされている。長女の真紀子氏が、そういう政治をただそうとしている民主党に入ることをどのように整理しているのか

鳩山氏「私は時代の流れというものを認識することが大変重要だと思います。高度経済成長期に何が必要だったのかということになれば、たとえば高速道路を、国民のみなさまのためにできるだけ早く整えることも必要性が大変強くあったのではないかと思います。したがいまして、このような状況の中でさまざまな施策が作れられて、暫定税率というものも作られた。しかし時代の流れ、国民のみなさま方の意識の変化、あるいは生活スタイルの変化、あるいは経済状況の変化、さまざまあると思います。そのような中で、私どもとすれば、暫定税率というもの、すなわちガソリン税などは一般財源化をするべきだと。道路の時代ではなくて、人の命を直接的に大事にする政治に変えるべきではないかと、そのように考えておりまして、そのような中で、暫定税率は福田内閣の時に一般財源化をされましたけれども、一般財源化をされるとすれば、暫定税率の意味合いがなくなるわけですから、当然、なくなってしかるべきだと、そのように感じております」

鳩山氏「なお、申しあげれば、私も田中角栄先生に、弟(鳩山邦夫前総務相)に連れられてですね、まだ政治家になる前、目白邸へおじゃまを申しあげて、そこで私はもともと福田派に入る可能性が一番高かったんでありますが、福田赳夫先生がお目にかかっていただけなかったものですから、そのときに弟が属していた田中派、田中角栄先生のところに連れて行ってもらいました。40分ほど、長い列の陳情客が非常に列をなしていましたけれども、40分、私のために時間を費やしていただいて、派閥を超えて君を応援してやるという気持ちを述べていただいた。大変暖かい、人情深い田中先生のおかげで私は北海道に赴くことができた。そのように考えております」

真紀子氏「暫定税率の問題ですけれども、あれは当時の父の現役でいた時代の公共事業、インフラ整備というファクターが1つ、もう1つはどうやって税収を増やすか。モータリゼーションの時代に向けて。将来。そして現実にモータリゼーションしたときに。そういう観点であの時代の中で生きていたものなんです。あれから数十年もたって今、道路族や役人たちが死守して使っていること自体が時代が合わないんですよ。われわれはあの時代の政治家ではありません。ですから父と娘の関係でありましてもですね、父があの時代に先取りをして仕事をしたことでありますし、当時の議員の認識で。今はそれに拘泥するつもりはありません。もっと一般財源化して、もっと必要な財源は限られていますから、もっと福祉でありますとか、農業であるとか、他の景気対策に回してしかるべきではないでしょうか。それが遅々として自民党の時代遅れの感覚。それにうんざりしております」

 

田中元首相への報告

 −−父上の田中元首相にどのように報告したのか

真紀子氏「ですから、お盆の13日には相当懊悩(おうのう)いたしましたけれども、父ならどう答えるかな。支持者の方が一番大切ですけれども、想像…。1日じゃありませんけれども、常に行ったり来たりの考えがあるわけですから。その中で、当然じゃないかと。自民党は終わってしまっているのに、なんで足踏みして私が7年間も無所属でいたのかと。無所属なんか何もできないよと。小人数で集まったって、この間はたとえば、渡辺喜美さん(元行政界各担当大臣、みんなの党代表)がグループに入らないかとかですね、いろんな方からいただきますけれども、数は少なくとも政策ベースでもって果たしてあの方たちはみんな合っているのか。どっかで他の大きな党に吸収されちゃうのか。そういうことをいろいろ考えた場合に、やっぱりしっかりした考えの似た人たちの組織に入ることが政治家の要諦だと。父ならいうだろうなと。私がそのことに気付かなかったことに随分時間がかかったなというふうに思っています」

116名無しさん:2009/08/15(土) 18:52:30
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090815/stt0908151836006-n1.htm

【鳩山・真紀子会見】(4)国立追悼施設「争点にしたくない」
2009.8.15 18:33

民主党入りで合意し、記者会見する(左から)田中真紀子氏、鳩山代表、田中直紀参院議員=15日午後、新潟県長岡市のホテル 

新潟県での選挙戦

 −−新潟県内では全6選挙区で自民党と民主党の公認候補が出そろって戦うことになったが、党代表としての決意は

鳩山氏「先般、私も4つほど新潟におじゃまして選挙区を回らさせてもらいました。大変みなさん、元気よく若い候補者でありましたが、有権者のみなさんに支持を訴えている姿を見て、相当いけるなということを実感いたしました。さらに今回、田中真紀子氏が入党いただき、筒井(信隆前衆院議員)君も元気でがんばっておりますから、6選挙区すべて小選挙区で勝利できる、その態勢が整ったと、そのような認識をいたします。当然のことながら、選挙は油断というものが最も最大の敵でありますから、心の中の油断だけを1人1人が決して持たないように努力をしなければいけないと。真紀子氏が入党されたおかげで、これで新潟は大丈夫だという安心感になってしまうと、それが一番危ない状況でございます。いうまでもありません。直紀氏にも入党していただいたわけでありますから、このお二人が民主党に加わったおかげで、新潟はさらに厚みをましたことはいうまでもありませんが、油断だけは決してなさらぬようにという檄は飛ばしておかなければならないなと思います」

 

選挙戦への影響

 −−民主党公認で戦うことは自身の選挙事情を考えた場合、プラスであると判断したのか

真紀子氏「私はこれは、プラス、マイナスがあるとは思っておりません。私の現在の決断をどれだけ、1人でも多くの方に分かっていただけるか、私は政治に対する熱い思いがあって、政治というものこそ夢を現実のものにできる立派なツールであると思っております。政治のすごさはそこにあると思っているんです。したがいまして、本当に言っていることを現実に1つでもできる。政治がすばらしいものなんだということを1人でも多くの有権者の方々に分かっていただけるように、この選挙戦後、その後も日々、毎日、研鑽(けんさん)を積んでいくと。その覚悟のほどがご理解いただければ何もマイナスにはならないと思っております」

117名無しさん:2009/08/15(土) 18:52:44
>>116

祖父

 −−お互いに父が自民党の重鎮だった鳩山氏と真紀子氏の2人が民主党で政権交代を果たすことについての思いは

鳩山氏「まず、祖父、一郎(元首相)がご案内の通り、自由民主党を結党いたしました。その中で、田中角栄首相が大変大きな力をその後、発揮をされて、日本の高度経済成長にふさわしい経済的な発展をもたらしたのは政治的な安定があったからだと思います。それぞれ大変大きな役割を果たしたと思っております。しかし、一方で、私は自民党の政治的な役割は終焉(しゅうえん)をしたと、そのように感じております。これは田中角栄先生もどう思っておられるか分かりませんが、私も墓参をしたときに、一郎、祖父に対して、祖父が今、生きておっても私の行動を認めてくれたのではないかと。自民党の現在の姿というものは、決して彼がその当時望んでいた姿ではないのではないかと。今必要なのはむしろ、健全な2大政党政治を日本で作り上げていくことだと必ず分かってくれる。そのような思いを墓の前で伝えてまいりました。きっとそのように思ってくれているのではないかと思いますし、その思いは田中角栄先生にも伝わっていくのではないかなと、そう期待をしているところでございます」

 

国立戦没者追悼施設

 −−麻生太郎首相が靖国神社に代わる国立追悼施設について疑問を呈した上で、これは選挙で争点化すると答えている。争点化する考えはあるか

鳩山氏「戦争によって亡くなられた方を追悼するということに関して、必ずしも大きな争点化をするようなイシューにはしたくないと、心の中ではそう思っております。争点化を一方でされたときに、当然、そのことに関しては、それなりの思いというものは申しあげるべきところであるとは思っておりますが、これは古賀誠先生(自民党選対本部長代理)もお話をされておられるように、天皇陛下がまだ靖国にこの長い間ですね、行っておられないというような現実があります。陛下にも安らかにですね、お参りしていただける、参拝していただけるような施設が、私は必要なのではないかと。A級戦犯が合祀(ごうし)をされているという状況の中で、靖国に行かれない。また行くべきではないと言われる方々もいるという状況でありますだけに、私は国立の宗教性のない追悼施設。先ほど千鳥ヶ淵の話も真紀子氏のほうからされましたけれども、そういったことも視野に入れながら、行動して党としても取り組んでいくべきではないかと。粛々と行いたいなと、むしろそう思っております」

 

民主党のメリット

 −−真紀子氏と直紀氏が入党することで、どの点が民主党にプラスか

鳩山氏「まずお二人、大変に先ほども申しあげましたけれども、政治家としての発信力の強い方でございます。この、いわゆる発信力が強いということは、非常に党にとっても大変なメリットというか、ありがたいことで、いわゆるメディアに対して、民主党が訴えていく政策というものを、お二人から発信していただける。あるいはご自身の思いを発信していただくということによってですね、有権者のみなさま方に大きなプラスの影響を持っていただけると思っておりますので、心から歓迎を申しあげたいということでございます」


選挙応援

 −−選挙応援はどのようにするのか

直紀氏「民主党に入党しました。党公認候補は全力を挙げて応援したいと思います。当然新潟県下の6選挙区。家内も含めてですね、選挙区の方に力を入れたいと思います。北陸信越地域のみなさん方ともつきあいは深いわけでございますので、また縁があった方は応援させていただきたいと思います」(完)

118千葉9区:2009/08/15(土) 20:44:32
自民みたいに「幹事長代理特別補佐」みたいな役職あげてマスコミに出演させるか?w
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2009081500267
田中元外相、比例重複せず=鳩山氏「発信力がメリット」−民主
 民主党に入党した田中真紀子元外相は15日午後、新潟県長岡市での記者会見で、「比例はしない。(小選挙区の)真剣勝負、一発勝負でやりたい」と述べ、衆院選で新潟5区と比例代表北陸信越ブロックとの重複立候補はしない考えを示した。また、最終的に13日に入党を決めたことを明らかにした。
 田中氏は、入党に際し民主党政権が誕生した場合の閣僚ポストを要求したとの見方について「一切ない」と全面否定。同席した鳩山由紀夫代表も「人事のことに関しては、まだ一切考えていない」と述べた。
 父の故田中角栄元首相が所属した自民党に対し、田中氏は「今、拘泥(こうでい)するつもりはない。自民党の時代遅れの感覚にうんざりしている」と語った。
 一方、鳩山氏は、真紀子氏と夫の直紀参院議員の入党に「2人は発信力の強い方。党にとっても大きなメリットだ」と期待を表明した。民主党はこの後、真紀子氏を新潟5区で公認することを正式発表した。 (2009/08/15-18:45)

119千葉9区:2009/08/15(土) 21:04:54
http://www.asahi.com/politics/update/0815/TKY200908150207.html
民主党入り、亡き父が「背中押した」 真紀子氏が説明
2009年8月15日20時5分
 田中真紀子元外相(衆院新潟5区)と夫の田中直紀参院議員(新潟選挙区)は15日、新潟県長岡市で民主党の鳩山代表と記者会見し、同党に14日付で入党したことを正式に表明した。かつてはともに自民党に属していたが、真紀子氏は03年、直紀氏は08年に離党し、無所属だった。

 会見で真紀子氏は、後援会幹部らと相談していたことを明らかにし、「確実に2大政党になる。有権者に約束してきたことを実現するには組織にいなければならない」と入党の理由を説明した。真紀子氏の父、故角栄元首相は自民党の第6代総裁。「お盆の13日には相当懊悩(おうのう)したが、『しっかりした、考えの似た人たちの組織に入ることが政治家の要諦(ようてい)だ』と父なら言うだろうと」と語った。

 真紀子氏は衆院新潟5区に民主党推薦で立候補する予定だったが、14日付で公認となった。会見では比例区と重複立候補しない考えも示した。

120名無しさん:2009/08/15(土) 21:37:29
鳩山代表「強い発信力を歓迎」 真紀子氏入党で不安要素も
民主党の鳩山由紀夫代表は15日午後、新潟県長岡市のホテルでの記者会見で、田中真紀子元外相の
入党について「政治家として、有権者に対する発信力が強い。非常にありがたく、大きなプラスだ」と歓迎
した。

民主党にとって、田中角栄元首相を父に持ち、知名度抜群の真紀子氏の“口撃力”は魅力的。また、参院
で野党が過半数を維持するため、夫の直紀参院議員の入党も願ってもない好材料だ。

ただ、真紀子氏は外相時代に駐米大使や事務次官人事をめぐり首相官邸と対立し更迭されたり、秘書
給与流用疑惑が指摘されたりと、トラブルメーカーの側面も。「損得勘定はまだ分からない」(中堅議員)
のが実情だ。 角栄氏が発案した道路特定財源であるガソリン税などの暫定税率廃止は、民主党マニフ
ェスト(政権公約)の柱の一つ。無駄な公共事業の削減や高速道路の無料化など、民主党の政策には
“田中政治”を否定する側面が極めて強い。

だが真紀子氏は記者会見で「あれは父の時代に生きていたもの。数十年、自民党の道路族や役人が
死守したが、もう時代に合わない。拘泥するつもりはない」と、“遺産”を否定した。

入党に際し、ポストの約束があったのではないかとの質問に対し真紀子氏は「一切ありません」ときっぱり
否定。比例代表との重複立候補を辞退する意向を表明し「小選挙区で落っこちても比例で復活当選する
という制度は廃止したい」と強調した。
http://www.47news.jp/CN/200908/CN2009081501000765.html

121とはずがたり:2009/08/15(土) 21:51:49
貼り付け有り難うございますヽ(´ー`)/

>>111
>率直に言って少し生臭いんですが、私は昨年の参院選挙ですか?前回のあのときも12件、応援にうかがいました。民主党の。それから今回も国民新党の方に頼まれて行ったり、それから平沼新党の関係の方も応援で頼まれて行ったりもいたしました。それで自民党の現職だった方からも、つまり立候補する方からも来てほしいとか、それから自民党の若い方からも婦人部から言われているから真紀子さん、来てくれと言われて、そのとき本当に悩みました。
それぞれ誰でしょうかね?

>>118
それいいかもw
幹事長と云わず代表特別輔佐でええんちゃうかー。

122千葉9区:2009/08/15(土) 22:23:22
筆頭代表代行特別補佐w

123千葉9区:2009/08/16(日) 10:31:55
http://www.asahi.com/politics/update/0815/TKY200908150328.html
「角栄の時代」と決別 田中真紀子・直紀氏、民主入り(1/2ページ)
2009年8月16日8時10分

 「我々はあの時代の政治家ではない。時代は変わった」。田中真紀子元外相は15日、高度経済成長の時代を振り返りながら、夫の直紀参院議員と一緒に民主党への入党を表明した。故角栄元首相を父に持ち、自民党の象徴ともいえた「田中家」のくら替えは、2大政党時代が到来した中、自民党が置かれた厳しい状況を象徴するものともいえそうだ。

 「確実に2大政党になる。有権者に約束したことを実現するには、1人や少人数ではできない。組織にいなければならないと強く感じた」

 真紀子氏は、民主党入りの理由をこう語った。18日公示の総選挙で新潟5区から立候補予定の真紀子氏は、同党公認となる。

 同党は今月5日に真紀子氏の推薦を決めたばかり。真紀子氏は10日に鳩山代表の事務所を訪れ、入党の意向を伝えたという。鳩山氏は、党三役の了解を得たとしている。

 鳩山氏は「政治家として発信力の強い方。党が訴えていく政策を2人から発信していただける」と歓迎した。

 鳩山代表の祖父、故一郎氏は初代の自民党総裁だった。その党で故角栄元首相は「利権の象徴」とされた。後に、民主党が批判する道路特定財源や大型公共事業は角栄氏が推し進めたものだ。それぞれ孫、娘にあたる鳩山代表と真紀子氏が、民主党で共に政権交代を目指す。鳩山氏は「祖父も私の行動を認めてくれたのではないか」と話した。

 真紀子氏は93年の衆院選に無所属で当選。自民党で外相などを務めたが、02年8月、秘書給与流用疑惑で議員辞職した。03年11月の衆院選に無所属で当選した後、民主会派入りした。

 一方、直紀氏は、改選を迎える来年7月の参院選については「まだ先のこと」とし、明言しなかった。(奈良部健)

■「驚きないが残念」自民県連幹事長

 田中真紀子、直紀両氏の民主党入りについて、自民党新潟県連の渡辺惇夫幹事長は15日、「予想されたことで、驚きはない。ただ、県内の自民党議員の中には田中角栄元首相の下で勉強した政治家も多い。今回の民主党入りは残念。自分の政治信条に基づいた行動だと思うが、もし角栄元首相が生きていたら、真紀子氏の行動を残念に思ったのではないか」と話した。

124名無しさん:2009/08/16(日) 13:58:17
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/scope/CK2009081602000097.html

<政権選択>民主と田中真氏 思惑一致 夫婦で入党 集票期待、騒動に不安
2009年8月16日 紙面から

 田中真紀子元外相が十五日、民主党に入党した。同党には衆院選に向け田中氏の圧倒的な知名度で支持をさらに拡大する狙いがある。田中氏も政権交代を見据え、同党に所属すれば影響力を回復できるとの思惑があり、両思いの入党だ。ただ、田中氏は数々のもめ事を引き起こしてきた経歴もあり、「民主党政権」は心配の種も抱え込んだ。 (竹内洋一)

 鳩山由紀夫代表と田中氏、夫の直紀参院議員は新潟県長岡市でそろって記者会見した。真紀子氏は衆院新潟5区に民主党公認で出馬、直紀氏も入党した。ともに以前は自民党に所属していたが、真紀子氏が二〇〇三年、直紀氏は〇八年に離党し無所属だった。

 鳩山氏は真紀子氏の入党で「新潟県の六小選挙区すべて勝利できる態勢が整った」と強調。さらに「真紀子氏は発信力が強い。党にとって大きなメリットがある」と全国的な集票にも期待を示した。

 真紀子氏は「自民党の時代遅れの感覚にはうんざりしている」と早くも自民党攻撃を仕掛けた。

 直紀氏の入党にも意味がある。参院の民主党会派は過半数に届いておらず、たとえ一議席でも数を増やしておきたいところだ。鳩山氏は衆院選後の政権運営をにらみ、「参院の議席数が死活的に重要だ」と強調した。

 一方、真紀子氏は入党の理由を「有権者に約束してきたことを実現するには、組織にいなければならないと強く感じた」と説明。〇二年の外相更迭などで影響力を失っていた真紀子氏には、小沢一郎代表代行という後ろ盾のある民主党入りは格好のチャンスだ。

 ただ、真紀子氏が外相時代に部下の官僚を一方的に批判し、外交を停滞させた騒動は民主党が掲げる「政治主導」と評価できるような代物ではなかった。

 真紀子氏は今のところ、入閣にこだわっていないようだが、「民主党政権」で重要ポストに就くことになれば、トラブルが再現されない保証はない。

125名無しさん:2009/08/16(日) 14:43:44
>民主県連の佐藤信幸幹事長(県議)も戸惑いを隠せず、「推薦のほうが(昔からの支援者など)票
>を取りやすいと思うが、真紀子さんも強い危機感があったのだろう」と険しい表情だった。
>直紀氏は来年の参院選で改選を迎えるが、県連も独自に候補の擁立を検討していただけに、
>今後の調整に難題を抱えた格好だ。

http://mainichi.jp/area/niigata/news/20090816ddlk15010089000c.html

選挙:衆院選 真紀子氏民主入り 県連戸惑い、対立陣営警戒 /新潟
 ◇強い危機感の表れ?
 田中真紀子前衆院議員と夫の田中直紀参院議員が15日、夫婦そろって民主党入りを表明し、真紀子氏は5区から民主公認で立候補することになった。無所属から一転して公認となることに、対立陣営からは驚きや警戒の声が上がった。公示直前の急な方針転換に、民主党県連も戸惑いを隠せない。

 長岡市で開いた記者会見には鳩山由紀夫民主党代表も同席。真紀子氏は「有権者との約束を実現するには、無所属でなく組織にいなければならないと強く感じた」と説明した。

 事前に後援者の意見を聞いたといい、「(初当選以来)16年間、『田中党』として応援してもらい、今回も私の決断に従うことで一本化してくれた。父(故田中角栄元首相)も『なぜ無所属のまま、足踏みしているんだ』と思っていただろう」と述べた。「去る人は去っていくし、黙って投票してくれる人もいる」と強調した。

 真紀子氏は03年に自民を離党。同年と05年の衆院選は無所属で当選し、国会では民主党の会派に属していた。

 5区から立候補を予定する自民の米山隆一氏は、この日の街頭演説で「公認を受けたのは、そうしなければ当選が危うくなったからだ。田中さんをここまで追いつめた」と訴えた。選挙への影響については「民主の追い風は受けるだろうが、従来の自民支持層は離れる。こちらにとって、プラスかマイナスかは難しい」と分析した。

 一方、社民の伊部昌一氏の選対幹部は「労組と真紀子氏は水と油。連合がどれだけ動くか」と労働組合の動きを注視している。

 鳩山代表らが田中夫婦の民主入りと真紀子氏の公認の手続きを済ませたのは14日。6日に推薦を発表したばかりだっただけに、急な方針転換に、民主県連の佐藤信幸幹事長(県議)も戸惑いを隠せず、「推薦のほうが(昔からの支援者など)票を取りやすいと思うが、真紀子さんも強い危機感があったのだろう」と険しい表情だった。

 一方、直紀氏は会見で「今後、県内の民主候補の応援に全力を挙げる」と述べた。直紀氏は来年の参院選で改選を迎えるが、県連も独自に候補の擁立を検討していただけに、今後の調整に難題を抱えた格好だ。【長谷川隆、小川直樹】

126とはずがたり:2009/08/19(水) 08:04:24

<新党日本>田中康夫代表、民主政権入りに前向き
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090814-00000000-mai-pol
8月14日0時1分配信 毎日新聞

 新党日本の田中康夫代表は13日、衛星放送「BS11デジタル」の報道番組に出演し、衆院選後に民主党政権が誕生した場合の自身の役割について「(国民新党の)亀井静香さんや私のような者が、政権をより国民の期待に応える(ようにする)触媒たりうるのではないか」と述べ、入閣も含め政権を内部から支える構えがあることを明らかにした。田中氏は民主党の小沢一郎代表代行や亀井氏と古くから親交がある。【西田進一郎】

127名無しさん:2009/08/31(月) 13:21:20
http://www.asahi.com/politics/update/0831/TKY200908300260.html

新党日本・田中代表「連立の中でもひるむことなく行動」2009年8月31日2時9分
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両手をあげて当選を喜ぶ田中康夫氏=尼崎市の事務所、西畑志朗撮影

支援者らとお茶で乾杯する田中康夫氏=尼崎市の事務所、西畑志朗撮影
 衆院で議席を持たない新党日本は、田中代表が参院議員を辞職して「くら替え」出馬を決断。公明党元幹事長・冬柴鉄三氏の地元である兵庫8区に乗り込んだ。

 田中氏は長野県知事時代からの持論の「脱しがらみ、脱なれあい」を訴え、知名度と、推薦を受けた民主党の後押しを得て選挙戦を展開。「国の制度を根底から改める『改国』を」と、独自色をアピールし続けた。

 田中氏は30日夜のテレビ番組で「連立の中でもひるむことなく、一緒に議論して、提言して、行動していく」と述べ、民主党との連立に前向きな姿勢を示した。

128名無しさん:2009/09/09(水) 20:10:53
http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90003011&sid=aqKqYGHY8FG0&refer=jp_asia

【経済コラム】「美女軍団」が日本の男社会を揺さぶる−W・ペセック
  9月9日(ブルームバーグ):「美女軍団」−。男女同権論者なら、日本を刷新しようとしている女性たちをこう呼ぶことはよもやないだろう。

8月30日の衆議院選挙の女性当選者は、過去最多の54人に達した。女性の地位が低いことで悪評高い経済大国にとっては画期的な出来事だ。新しい視点や考え方は、日本が何十年も経験したことのない未知の要素だ。恩恵をもたらす可能性もあるだろう。

日本になお男女差別がまん延していることを疑うなら、選挙戦で森喜朗元首相(72)が対抗馬の田中美絵子候補(33)を「スタイルが良く、女性だから担がれた候補」と皮肉った発言をどう解釈すればよいだろう。森氏はかつて石川県で旅行代理店に勤務していた田中氏が対抗馬であることに憤りを感じたようだ。その憤りは、田中氏の「女性としての魅力」に惑わされないよう有権者に訴えるほどだった。

よりまともな国なら、日本の足かせとなっている自民党長老議員の1人である森氏には引導が渡されていたはずだ。同氏ができの悪い首相だったことは言うまでもない。森氏の差別的な発言も落選につながる可能性があったように思える。森氏は田中氏を制したが、得票数の差は数千票だった。

浮き彫りになったのは「日本だけは特別」という従来の考え方がもはや通用しない現実だ。人口の半分を占める女性を「美女」だの「女刺客」だのという言葉で片付けてしまうことの是非は、かつては差別問題の範疇(はんちゅう)だった。それが今では、経済協力開発機構(OECD)も注目する経済問題になった。OECDは、女性の社会進出は日本の潜在成長率の向上につながるとみている。

不平等な扱い

国連も日本の女性差別の現状に苦言を呈した。国連女性差別撤廃委員会は先週、日本政府に対し、差別根絶に向けた是正措置を取るよう勧告した。

日経平均株価構成企業225社に女性の最高経営責任者(CEO)は1人もいない。日本政府がまとめた「男女共同参画白書」によると、日本女性の政財界への社会進出度ランキングは、モルドバ、タンザニアに次ぐ54位。世界全体に占める日本経済の割合を考慮すれば、この順位はかなりひどいものだ。

ただ先月の衆院選で示されたように、状況は変わりつつあるのかもしれない。

このコラムの愛読者ならその理由をいくつか挙げられるだろう。今回の衆院選で最も重要な結果の1つは、選挙結果次第で女性の地位を変えられる可能性のあることが分かったことだ。これまでの選挙では、マクロ経済や大企業の問題が焦点になったが、今回は国民そして国民が直面する課題に注目が集まった。

棚上げという選択肢なし

自民党は女性問題にほとんど取り組んでこなかった。同党の経済政策は、全力を挙げて変革を回避することに重点が置かれた。1990年代から2000年代初めにかけて、成長の原動力を無駄の多い公共事業に託してきた。疲弊した企業を救済し、競争力の乏しい産業を保護し、円相場を安く抑え、銀行を支援して不良債権処理の先送りを可能にさせた。

この結果、日本経済は過去15年間にわたって低成長にとどまり、公的債務も国内総生産(GDP)のほぼ2倍の規模に膨らんだ。それでも自民党は「日本の人口1億2600万人の半分を占める女性をもっと活用すれば労働の質と経済成長の向上につながる」という海外エコノミストの意見に真剣に耳を傾けようとはしなかった。

民主党の鳩山由紀夫次期首相は同じ間違いを犯してはならない。女性の発言権、それも衆院選で当選した女性の発言権が拡大した今、男女差別の問題を避けて通るのは難しい。

この問題を棚上げにするという選択肢はない。政権与党にかつてないほどの女性議員が誕生したのだから。(ウィリアム・ペセック)

(ウィリアム・ペセック氏は、ブルームバーグ・ニュースのコラムニストです。このコラムの内容は同氏自身の見解です)

-- Editors: David Henry, James Greiff.

更新日時 : 2009/09/09 15:33 JST

129名無しさん:2009/09/09(水) 20:11:09

http://news.livedoor.com/article/detail/4335058/
どこが悪い!コスプレライターの過去
2009年09月07日10時00分 / 提供:ゲンダイネット
 先の衆院選で石川2区から立候補し、初陣ながら森喜朗元首相を相手に大接戦を演じて、比例復活を果たした田中美絵子氏(33)。小沢ガールズきっての美女との呼び声も高い彼女の意外な過去が明らかになった。

 4日発売の「フライデー」によると、かつて、「渋谷有栖」のペンネームで、風俗ライターとして活躍していた時期があるというのだ。

 田中氏は「別冊ブブカ・エキサイティング」の02年12月号から04年2月号まで10回にわたり、コスプレ姿で風俗嬢にインタビューを試みる「美人コスプレライターありすの風俗嬢対談〜美女VS.美女のホンネバトル〜」という連載企画を担当。話題を集めたという。フライデーにはチアガールの扮装をした田中氏のパンチラショットも掲載されている。

 周囲は「へぇ〜っ」とザワついているが、パンチラも辞さずの体当たり取材は見上げた根性。この貴重な経験を国政の場でも生かしてほしい。

(日刊ゲンダイ2009年9月4日掲載)

130名無しさん:2009/09/15(火) 20:32:20
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2009/09/15/01.html
河村たかし市長 田中美絵子氏は「ええ議員になる」
 名古屋市の河村たかし市長が14日、自身の元秘書で風俗ライターやヌード披露が話題となっている“小沢ガールズ”田中美絵子氏=民主党比例北陸信越=にエールを送った。会見では「頑張り屋」を5連発したほか「ええ娘」などとべた褒め。“華麗な経歴”については知らされていなかったが「逆境を克服して立派な議員になるだろう」と話した。

 市役所内での定例会見で、市からの報告を終えた河村氏は突然「お話ししたいことがあります。石川県で初当選した田中美絵子さんについて、この際、お話をさせていただきたい」と自ら切り出した。

 「彼女は人生の苦しい時に、下積みの苦労をなんとかしようということで、生きようとする努力の中でいろんなことがあったと。きっと逆境を克服してきた立派な議員になるだろう。むしろこういう人たちが国会議員になって、庶民のことをいろいろ話していってほしい」とエール。田中氏のことを「頑張り屋」と5回も紹介したが、「夜は夜でなかなか酒飲み。彼女は日本酒をよう飲む頑張り屋さん」と酒豪っぷりまで明かした。

 田中氏は民主党の平田健二参院議員の秘書を経て、07年春から09年春ごろまで河村氏の秘書を務めていた。当初から「“私は議員として世の中の役に立ちたい”と言っていた」という。

 河村氏は元部下のため、忙しい公務の合間を縫い衆院解散後、3度にわたり石川2区入りし演説。そのかいあってか、“超大物”自民党の森喜朗元首相に約4000票にまで肉薄。田中氏は見事比例復活を果たした。

 小沢ガールの1人とされる一方、話題になるのはコスプレ姿での風俗ライターや、出演した映画「盲獣VS一寸法師」(04年公開)へのヌード出演、出会い系雑誌の袋とじ企画に「彼氏募集」モデルとして登場するなど“艶系”過去ばかり。

 これには「僕もあそこまで聞いておりませんでしたけど。人生ってそんなものじゃないですか」と話したが、「(国会には)金にまみれたいろんな話があるが、彼らよりはるかに純情で人生の努力の足跡が見られる。ええ議員になるんじゃないかと思います」といつも通りの“名古屋弁”で太鼓判を押した。

[ 2009年09月15日 ]

http://npn.co.jp/article/detail/21134688/
田中美絵子氏 仰天過去がまたまた発覚
 民主党・田中美絵子衆院議員(33)の仰天過去がまたまた発覚した。奇人系のお笑い集団「大川興業」に所属していたことがあると、きょう15日発売の写真週刊誌「FLASH」が報じている。

 同誌によると、大川興業関係者は田中氏について「7、8年ほど前、(事務所の)オーディションに合格し、演劇作家の新人見習いとしてやってきました」などと約1年間所属していた事実を認めている。作家見習いのはずがなぜか目標は女優・高島礼子さんで、ガッツがあったという。

 田中氏はきょう15日に都内で開かれる党議員ガイダンスに出席する予定で一連の記事への対応が注目される。
 コスプレ風俗ライターに始まり、乳出し映画出演、ピラミッド登頂など勇ましい経歴が次々と明るみに出る中、またひとつ伝説が加わった。

131名無しさん:2009/09/15(火) 20:32:36
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090915/stt0909150735005-n1.htm
民主・田中美絵子氏、大川興業所属だった (1/2ページ)
2009.9.15 07:34

このニュースのトピックス:政権交代

経歴が問題になっている民主党の田中美絵子氏 民主党の新人衆院議員、田中美絵子氏(33)=比例北陸信越=の『仰天過去シリーズ』がエンドレスモードに突入。14日、今度は芸能事務所「大川興業」に所属していたことが分かった。15日発売の写真週刊誌「FLASH」が報じている。

 次々に公表していなかった経歴が明らかになる中、依然、田中氏は“雲隠れ”したまま。15日は民主党が都内のホテルで「新人・元職議員ガイダンス」を開催予定。民主党はもとより、田中氏の対応が注目される。

 コスプレ風俗ライター、エログロホラー映画でのバスト丸出し、サブカル雑誌の出会い系企画に登場。イケイケの過去が明らかになっている田中氏の“シリーズ第4弾”はこちらだ。

 15日発売の「FLASH」に「田中美絵子議員『乳首ヌード』と『大川興業団員』の過去」と題する記事が掲載されている。芸能事務所「大川興業」に所属して活動をしていたという内容で、「7、8年ほど前、(事務所の)オーディションに合格し、演劇作家の新人見習いとしてやってきた」などとする関係者の談話がある。在籍期間は約1年だった。

 田中氏は今月5日、コスプレ風俗ライターをしていたことを認めるコメントを出したが、その後は完全に“雲隠れ”したまま。13日には地元の石川県小松市で稲刈りイベントが行われ、田中氏は当選直後に参加を関係者に約束していたが、結局、これも欠席した。

 民主党は新人議員らに対し、マスコミ取材には慎重に対処するよう、3日に文書で指示。さらに「小沢代表代行やその周辺からはかん口令が出されている」(党関係者)。こうした動きは、イコール“美絵子隠し”ともとれるが、それもいよいよ限界(!?)を迎えた。

 民主党は15日午後、都内のホテルで「新人・元職議員ガイダンス」を開催する。民主党では「出席の義務があるとは案内の文書には書いていない」とするが、“産みの親”小沢一郎代表代行(67)らが講師役などとして新人議員の心得を指南する予定だけに、まず欠席は考えられない。万が一、欠席となれば、騒ぎをいたずらに大きくするだけで、田中氏のイメージダウンも必至だ。

 田中氏の後援会事務所(石川県小松市)は「出欠の文書は本人が出したはずだが、どうするのか聞いていない」としている。果たして姿を現すのか、それともバックレか。注目度は「のりピー級」だ。

132名無しさん:2009/09/15(火) 20:34:16
http://www.sanspo.com/shakai/news/090915/sha0909151954021-n1.htm

民主の田中美絵子議員が謝罪「生きるために…」
2009.9.15 19:54
操作メニューをスキップして本文へ 印刷するブックマーク :田中美絵子議員【フォト】 民主党の田中美絵子衆院議員がホラー映画へのヌード出演や風俗ライターだった経歴が明らかになった問題で、田中議員は15日、都内でホテルで報道陣の取材に応じ、「世間をお騒がせし、心からおわびします」と謝罪した。

 田中議員は「厳しい経済状況の中で、生きるためにいろんなことに挑戦した」としたうえで、「社会的弱者の目線に立ったぬくもりのある政治をしたい」と述べた。

133名無しさん:2009/09/15(火) 21:34:30
http://www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20090915152.html
田中美絵子議員 週刊誌の職歴報道で「お騒がせして…」
 風俗ライターなどの職歴が一部の週刊誌などで報じられた民主党の田中美絵子衆院議員(33)は15日、都内で報道陣の取材に「世間をお騒がせしたことについて、心からおわび申し上げたい」などと語った。

 田中氏は「わたしは非常に厳しい経済状況の中で生活して、生きるために必死で仕事をしてきた。また、いろんなことにも挑戦した」と弁明。「これからがスタート。気持ちを新たに社会的弱者の視点に立った政治をしたい」と抱負を語った。

[ 2009年09月15日 20:27 ]

134とはずがたり:2009/09/16(水) 00:33:24
民主スレの奴転載しようかと思いましたが,既に貼り付けてありましてありがとうございます。

いやぁすっかり田中スレの主人公っすねー。

135名無しさん:2009/09/16(水) 19:47:40
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20090916-OHT1T00010.htm

田中美絵子氏、満面笑みで騒動釈明「生きるために必死だった」


民主党の両院議員総会を終えた田中美絵子氏(中央)はかすかに笑みを浮かべながら会場を後にした バラエティー豊かな過去が次々と明らかになる、民主党の田中美絵子衆院議員(33)が15日、一連の報道を受け、ついに口を開いた。都内のホテルで行われた両院議員総会終了後、コスプレ風俗ライターやヌードで映画出演した経歴について「厳しい経済状態の中で、生きるために必死だった」などと釈明。経験を生かし「弱者の目線に立った温かい政治」の実現を宣言した。ただその後の質問は受け付けず、先輩議員に守られて去る過保護ぶり。本来の持ち味は封印されたままだった。

 「危ないよ!」「ここの取材許してないよ!」。SPやスタッフの怒号が飛び交うもみくちゃ状態の中、田中氏は鳩山由紀夫代表とあいさつを交わした後、ついに取材に応じた。両院議員総会の感想などを質問された後「世間をお騒がせしたことを、心からおわびを申し上げたい」と謝罪。「私、非常に厳しい経済状態の中で生活をして参りまして、生きるために必死で仕事をして参りました。また、いろんなことにも挑戦させていただいた」と説明した。

 石川2区で、森喜朗元首相(72)を相手に大善戦し、比例復活当選した「政界の井上和香」。雑誌でコスプレ風俗ライターとして活動していたことが今月4日に報じられ、5日には文書で事実を認めた。だが、その後も映画のヌード出演、エジプトでピラミッドに登っての“逮捕歴”、サブカル誌で袋とじの出会い系コーナーに登場、お笑い集団「大川興業」への所属など、過去がさみだれ式に報じられた。

 しかし田中氏はなぜかこれらを説明せず。かたや、かつて秘書を務めた河村たかし名古屋市長が定例会見でかばうなど、フィーバーは過熱。田中氏は両院議員総会の前に「新人・元職議員ガイダンス」にも出席したが、“永田町の主演女優賞”目当ての報道陣には、異様な熱気が漂った。

 田中氏はさまざまな経験で「政治が弱い立場の方に光を当てることができる大きな存在と知った」と言う。「社会的弱者の目線に立った、ぬくもりのある温かい政治を行って参りたい」と結んだ。

 約50秒間、満面の笑み。しかし唇は震え、何かを読み上げるような口調。その後「なぜもっと早く説明しなかったのか?」「有権者に事前に言うべきでは?」の質問には答えず、松木謙公衆院議員(50)から堅く守られ、再びもみくちゃになって、無言で去っていった。

 比例復活とはいえ、約12万人から信任を得て当選した国会議員。いくら若い女性でも“守られすぎ”は不可解だ。なお、この「田中氏絡み」の話題に“ドン引きムード”も漂っている。

 「ぶって姫」で話題をさらった姫井由美子参院議員(50)は「気にすることなく、がんばって。アドバイス? 特にないです」と、ひきつり気味の笑顔。「元キャバ嬢」の経歴を力に変えた太田和美衆院議員(30)は「田中さんのことですが…」と問われると「ああ…」と、笑顔で手を振り、去った。田中氏と談笑した田中真紀子衆院議員(65)は「初めてお会いして、報道も全然知らないんです」と豪快に笑った。

136名無しさん:2009/09/16(水) 19:48:27
http://www.sanspo.com/shakai/news/090916/sha0909160504003-n1.htm
民主・田中氏、お騒がせ謝罪「生きるため…」 (1/2ページ)
2009.9.16 05:02
操作メニューをスキップして本文へ 印刷するブックマーク :両院議員総会後、報道陣に囲まれる田中美絵子氏。謝罪後、大混乱のうちに会場を後にした(撮影・寺河内美奈)【フォト】 数々の仰天過去が明るみに出た田中美絵子衆院議員(33)=比例北陸・信越=が15日、都内ホテルで行われた民主党の「新人・元職議員ガイダンス」と「両院議員総会」に出席した。騒動後、初の公の場ということで取材陣が殺到。田中氏は総会後、「世間をお騒がせし、心からおわびします」と謝罪したものの、食い下がるマスコミをかき分け立ち去った。

 新人議員ながら、取り囲むマスコミの数はすでに鳩山由紀夫代表(62)以上だった。

 15日午後2時から、東京・紀尾井町のホテルニューオータニで開かれた「新人・元職議員ガイダンス」。民主党が新人や元職議員に「議員の心得」などを講義するために開催され、田中氏は午後1時48分ごろ姿を現した。コスプレ風俗ライター、エログロホラー映画でのバスト丸出し、サブカル雑誌での出会い系企画登場などが明らかになる中、マスコミの前に登場するのは今月5日の当選証書受け取り以来だ。

 グレーのパンツスーツに白い開襟シャツ。約200台のカメラの前を通り過ぎる際にはストロボが一斉にたかれ、田中氏は“民主党の井上和香”と呼ばれる、これ以上はないほどの笑み。石川2区で森喜朗元首相(72)を“伐採”寸前まで追い込んだ“キラースマイル”全開だ。

 ガイダンスでは冒頭、菅直人代表代行(62)があいさつ。当選を祝福しながらも「4年後は大逆風のなかで戦うことを覚悟してもらいたい」とくぎを刺した。

 続いて民主党の衆参全議員が参加しての両院議員総会が開かれた後、報道陣が田中氏に群がった。田中氏は「世間をお騒がせし、心からおわびします」とまずは謝罪。続いて「わたしは非常に厳しい経済状況の中で生活して、生きるために必死で仕事をしてきた。また、いろんなことにも挑戦した」「これからがスタート。気持ちを新たに社会的弱者の目線に立ったぬくもりのある政治をしたい」と釈明した。

 その間、わずか数分。報道陣から「なぜ隠していたんですか」「今まで説明しなかった理由は」などと質問が飛ぶ中、田中氏は引きつった表情で会場を後にした。取り囲んだカメラマン数人が転倒。会場の外に出ても報道陣の囲みは解けず、いらだった党職員らしい男性が「エリア内でって言ってんだろうが!」と罵声を浴びせる。

 ようやくマスコミを閉め出してエレベーターに乗り、大混乱の中、“ヒロイン”は消え去った。

137名無しさん:2009/09/16(水) 19:49:12
http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp3-20090916-544286.html
過去丸裸の姫おわび「生きるために必死」記事を印刷する

 15日の民主党の両院議員総会終了後、党幹部の誰よりも記者団が囲む人数が多かった。映画でヌードシーンを演じるなど、さまざまなお騒がせの過去を報じられてきた新人議員の田中美絵子氏(33=比例北陸ブロック)が、初めてこれらの件について口を開いた。田中氏は「みなさんにおわび申し上げたい」とした上で「私は非常に厳しい経済状況の中で生活して、生きるために必死で仕事をしてきました。いろいろな経験の中で、政治を志すきっかけになりました」と弁明。1つ1つについて言及したわけではないが、過去の経歴について否定はしなかった。

 「はいっ、時間がないので!」。関係者の一声でわずか数分の囲み取材は終了。もっと話を聞こうと、田中氏を中心とした記者たちの大きな集団は「押すな」「危ねえぞ」の怒声を伴いながら会場のホテル内を大移動。脚立につまずいて倒れる記者などもおり、パニック状態となった。

 田中氏は8月の衆院選で、自民党森喜朗元首相の刺客として石川2区から出馬した小沢ガールズの1人。森氏を追い詰め、比例で復活当選を果たした。しかし、初当選の喜びに浸る間もない今月4日、写真週刊誌がコスプレ風俗ライターだった経歴を掲載。この一件については翌日、田中氏側から事実を認める文書が報道各社にあったが、これを皮切りに次々とお騒がせの過去経歴が発覚していった。

 9日発売の週刊誌では、04年公開の映画でヌードシーンを演じたことが分かり、11日発売の写真週刊誌では、04年にサブカル誌の「カレシ募集企画」の袋とじ企画にモデルとして登場。さらに15日には、大川興業に所属していた過去にまで及んだ。

 この日、両院議員総会の前に行われた「新人・元職ガイダンス」への出席が久しぶりの公の場となった。両院議員総会の会場への移動の際は、やや疲れの見える顔だったが、常に笑顔は絶やさなかった。「これからがスタート。気持ちを新たに社会的弱者の視点に立った政治をしたい」と抱負を語った。

 [2009年9月16日9時14分 紙面から]

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090916/plc0909161102010-n1.htm
【新政権発足】「お騒がせしたことをおわびしたい」経歴問題で田中美絵子氏が改めて謝罪
2009.9.16 10:57

このニュースのトピックス:政権交代

特別国会に召集され登院する田中美絵子氏=16日午前、国会(寺河内美奈撮影) ホラー映画へのヌード出演や風俗ライターだった経歴が明らかになった民主党の田中美絵子氏(33)は初登院の16日、午前9時前に国会議事堂正門前に姿を見せた。多くの報道陣に一斉に囲まれると、「政権交代が実現する歴史的な日に、議員として参加できることを光栄に思う」と話した。

 田中氏は15日に都内のホテルで開かれた同党の「新人・元職議員ガイダンス」などの終了後、取材に応じ、一連の問題について謝罪。初登院でもこの問題に質問が及ぶと、「お騒がせしたことをおわびしたい。厳しい経済情勢の中でいろんなことにチャレンジさせていただきました」と、同様の内容で改めて謝罪。「格差社会の是正に取り組みたい」と話し、足早に議事堂内へと向かった。

138名無しさん:2009/09/16(水) 19:51:46
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20090916/plt0909161156002-n1.htm
美絵子センセイ、第一声は謝罪「生きるために色んなことした」
2009.09.16
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田中美絵子議員【拡大】
 「世間をお騒がせしましたことについておわび申し上げたい」

 コスプレ風俗ライター、エログロホラー映画でのバスト丸出し、大川興業所属…など、数々の「仰天過去」が明らかになった民主党新人の田中美絵子氏(33)=比例北陸信越=の当選後の“第一声”は謝罪だった。

 田中氏は15日、都内のホテルで行われた両院議員総会に出席。仰天過去騒動後、初の公の場とあって報道陣が殺到した。「最近の報道の説明を」と問われた田中氏は謝罪から切り出し、「厳しい経済状況の中で生活をしてきた。生きるためにいろんなことにも挑戦した」と釈明した。

 ここで取材は打ち切られたが、それでも「なぜ隠していたのか」などと報道陣からは質問の嵐。田中氏はもみくちゃにされつつも、ボディーガード役の民主党若手議員に守られ、無言で会場を後にした。

http://npn.co.jp/article/detail/45768768/
田中美絵子氏がついに認めた! 裸一貫からの議員生命を誓う
 「厳しい経済状況の中で、生きるためにいろんなことに挑戦した」。仰天経歴が次々と明らかになった民主党の田中美絵子衆院議員(33)が15日、都内のホテルで開かれた党両院議員総会後、報道陣の取材に応じ、小沢新幹事長の前でその赤裸々な過去を堂々と認めてみせた!

 鳩山政権誕生を翌日に控えた民主党は15日、都内のホテルで新人・元職議員を対象にしたガイダンスと両院議員総会を行った。
 この日の注目は、風俗ライターの過去が明らかになって以来、メディアの前から“雲隠れ”していた田中美絵子氏が会場に姿を現すかどうか。一部ではズル休みして回避するのではとの情報もあったが、田中氏は堂々とした足取りで、笑顔で会場入りした。
 会場には「小沢ガールズ」を含む143人が初集合。菅直人代表代行らから国会議員としての心構えなどの説明を受けた。続いて行われた両院議員総会では、田中氏は自ら先輩議員らにあいさつをし、その表情は早くもやる気に満ちあふれていた。

 総会終了後には、鳩山由紀夫代表や小沢一郎新幹事長らと握手を交わす。その後、50人以上の報道陣に囲まれながら初めてその仰天経歴について口を開いた。
 「世間をお騒がせし、心からおわびします。非常に厳しい経済状況の中で生活をして参りまして、生きるために必死で仕事をし、また色んな事にも挑戦をさせていただきました」
 カルト映画でおっぱいをさらした過去や、出会い系サイトのサクラを務めたり、大川興業に所属していたことなど、一連のスキャンダルを初めて認めた。
 さらに「社会的弱者の目線に立ったぬくもりのある政治をしたい」とも誓い、必死に追いかける報道陣をガードするベテラン議員に肩を抱かれて会場を後にした。記者の「映画に出た感想は?」などの質問には終始笑顔のまま無言だった。
 本紙は田中氏に接近し、ヌード出演情報の決め手となったあごのホクロを確認。映画通りの“微乳”だが、30代とは思えないとろけるようなピンクの唇は期待の美人議員の名に恥じない妖艶さ。失われた10年と呼ばれて数年。田中氏には、こんな美人が体を張らなくてはいけなかったほどの厳しい経済状況を忘れされるような改革を期待したい。(関)

139名無しさん:2009/09/18(金) 22:10:58

http://www.team-nippon.com/index.html
チームニッポン 編集長 平山 誠

  去る8月30日、平成19年参議院議員選挙に立候補から2年を経て
繰り上げ当選により参議院議員に就任いたしました。
 この上は、「みんなが楽しい日本」の実現に向け一生懸命努力してま
いりたいと存じます。
 また、引き続きチームニッポン編集長として「おかしいことは変えていこう」
の気概を持って、「信じられる日本」を実現するため積極的に行動してまいる
決意です。
 何卒格別のご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます

平成二十一年九月吉日

140名無しさん:2009/09/19(土) 00:01:50
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20090917-OHT1T00052.htm
田中美絵子氏“カテナチオ”初登院
国会に初登院し、多くのカメラに囲まれる民主党・田中美絵子氏 16日召集の特別国会に、8月の衆院選で当選した新人議員が初登院した。143人の大所帯の民主党の新人のなかには、バラエティー豊かな過去が次々と明らかになっている田中美絵子衆院議員(33)の姿も。さっそく初日から衆院第一議員会館6階で「おわびツアー」を敢行した。

 国会正門前に姿を現した田中氏には“護衛”がついていた。コスプレ風俗ライター、ヌードでの映画出演、エジプトでピラミッドに登っての“逮捕歴”、雑誌の袋とじ出会い系コーナー登場、大川興業所属…。次々と判明する経歴が注目される新人議員に、前日の民主党両院議員総会終了時も同伴した松木謙公衆院議員はじめ、この日は衛視6人がガード。前回衆院選で話題に上った杉村太蔵氏のフィーバー時の4人を上回る「カテナチオ」(サッカー・イタリア代表が誇る鉄壁の守備)が敷かれた。

 報道陣の怒号のなか田中氏は、一夜明けてもほぼ同じ文言での説明に終始した。「一連の報道に関しまして、お騒がせ致しましたこと、まず心からおわび申し上げたいと思っております」「私は非常に厳しい経済状態の中で生きるために仕事をしてきましたし、いろんなことにチャレンジさせていただきました。これらの経験を踏まえ、社会的弱者の目線に立った温かい政治を行っていきたい」。セリフを唱えるように話した。

 議事堂の敷居をまたぎバッジを受け取ると、議員会館へ。小沢ガールズの部屋が多いことで「ガールズ・ストリート」とも呼ばれる第一議員会館6階のすべての民主党議員の部屋へあいさつを兼ねた「おわびツアー」行脚。真っ先に向かった小沢一郎幹事長の部屋(2つ隣)では「お騒がせして申し訳ありませんでした」と腰を鋭く曲げて謝罪したが、報道陣には時折笑顔をみせながらも「急いでますので」と答えるだけだった。

http://www.sanspo.com/shakai/news/090917/sha0909170504005-n1.htm
民主・田中氏、第5の名「中田美保」発覚 (1/2ページ)
2009.9.17 05:04
操作メニューをスキップして本文へ 印刷するブックマーク :初登院当日、また仰天過去が明るみに出た田中美絵子氏。登院板のボタンは真紀子氏と康夫氏の間でした=16日午前【フォト】 仰天過去が次々と明るみに出た民主党の田中美絵子衆院議員(33)=比例北陸・信越=は16日、他の新人議員らとともに初登院し、「お騒がせしたことをおわびしたい」と前日15日に続いて陳謝した。だが、晴れの一歩を踏み出したその日、ツアーコンダクター時代の体験をもとに、下半身ネタ満載の暴露記事を雑誌に執筆していたことが発覚。いったい、打ち止めになるのはいつ?

 田中氏は午前9時前、国会議事堂正門前に黒のスーツ姿で登場。たちまち取材陣に包囲された。

 「政権交代が実現する歴史的な日に、議員として参加できることを光栄に思います」

 正面を向いてハキハキと抱負を語る田中氏。だが、一連の“経歴”問題について、あらためて謝罪もした。

 「お騒がせしたことをおわびしたい。厳しい経済情勢の中でいろんなことにチャレンジさせていただきました」

 都内で前日15日、民主党の会合終了後に語った内容と同じだった。

 「格差是正に取り組みたい」と述べ、念願の議員バッジを着用。新たなスタートを切った記念すべきその日に、消し去りたい(?)過去もまた表面化してしまった。

 田中氏がツアコンを務めていたことはすでに知られているが、17日発売の写真週刊誌「フライデー」(10月2・9秋の合併号)によると、実はその時代の経験を生かした、きわどい暴露記事を2004年4月発売の雑誌「別冊BUBKA」04年6月号に書いていたというのだ。

 「フライデー」によると、「深夜、隣の部屋でドライバーとガイドが大声でエッチしているのはよくあること」「お酒が入るとよく手や肩を触られましたが、されるがままでした」などと、下ネタがこれでもかとばかり記されていたという。

 筆名は「中田美保」。「田中美絵子」はもちろん、これまでにもバスト丸出し女優「菊地美絵子」、コスプレ風俗ライター「渋谷有栖」、雑誌の出会い系袋とじモデル「椎葉恵美」とさまざまな名前を持っていたことが分かっているが、ついに5つ目が明らかになった格好だ。

141名無しさん:2009/09/23(水) 11:03:02
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20090923-OHT1T00019.htm

亀甲縛りを思い出せ!元見習い美絵子議員に大川興業総裁が初エール
 お笑い集団「大川興業」に見習いとして在籍していた過去が明らかになった民主党の田中美絵子衆院議員(33)。大川豊総裁(47)が、沈黙を破り渦中の“弟子”を初めて語った。「彼女は『小沢ガールズ』である前に『大川ガールズ』だった」と主張する総裁。通り一遍の謝罪コメントを繰り返す田中氏に対し、舞台で「亀甲縛り」を披露するなど、どんなことにも恥じることなく挑戦した「あの頃を思い出せ」とエールを送った。

 あれは、確か2001年2月のことだった。田中…いや、当時は(結婚していたため)まだ菊地美絵子さんだったわけだが、作家志望ということで大川興業のオーディションを受けにきた。

 ダンディ坂野やカンニング竹山など、新人発掘には定評のある寺田体育の日が、面接を担当。彼女の志望動機は「文章で人を喜ばせてみたい」。かつて、いじめを受けた経験などから、自分自身に不安があり「自分を変えたい」との思いがあったようだ。

 合格はしたが作家“見習い”なので、当然ノーギャラ。うちは入ってきた人全員に「人のために汗をかけ」と言う。菊地も例外ではなく、けいこ場のぞうきんがけやトイレ掃除もやっていた。

 本人にとっては刺激的な毎日だったと思う。スクリーンを縫っていたのが、手にミシンをかけてしまい、救急車で運ばれたこともあった。風俗ライター時代に特技を「亀甲縛り3分」と公表していたことが、すでに報じられているが、最初の相手はうちの若手です。ある舞台で暗闇の中、「光るロープで亀甲縛り」という演出があり、同じ頃にいた若手芸人を相手に練習を重ねていた。

 書き手も演者の気持ちを知るべきという考えから、作家も舞台に立つ経験をするのが、うちの慣例。菊地はジャージーに赤い上履きで、別の女の子とたしか「女2人」というコンビを組み、その時は自分が書いたネタをやったはず。

 当時、オレたちが舞台で「土瓶、茶瓶、ビンラディン」というネタをやっていたところ、米で同時多発テロ(01年9月11日)が起き「ビンラディン」が、突如クローズアップされた。そこで菊地は「大川興業はすごい」と、衝撃を受けたようだ。

 「悩む前に動け」が大川興業のモットー。政治の取材現場にもついてきていたから、その頃から政治に興味を持っていたのだろう。

 経歴をいろいろと報じられていますが、当時の印象では、説明から逃げる人ではなかったはず。大川興業に参加する際も、ヌードを披露した映画「盲獣VS一寸法師」に「監督にほれ込んで出演しました」と明らかにして入ってきた。我々も「それはいいことだ。堂々とやれ」と応援していた。

 大川興業を辞めて風俗ライターに挑戦する際には、メールで相談を受けた。「AV嬢が使い捨てになったり、風俗嬢が組合を作れずにいる業界の問題点にも目を向けるべき」とアドバイスしたはず。今回の「コスプレ風俗ライター」報道にも、そういう視点を持っていたことを説明し、堂々とすべきだった。

 菊地は本当は、自分でいろいろ説明したいんじゃないか。あの頃を思い出して、生かしてほしい。ちなみに面接を担当したはずの寺田は8月30日、営業先の石川県でポスターを見て「きれいな人が出てるなぁ」と思っただけで、菊地とは気づかなかったらしい。亀甲縛りされていた芸人はさすがに最近気がついて「ね、ねぇさん…」と、絶句していましたが。

 ◆大川 豊(おおかわ・ゆたか)1962年2月14日、東京・豊島区生まれ。47歳。明大在学中の83年に学ラン集団・大川興業を結成。85年、153社の就職試験に落ち、自ら代表取締役となって大川興業株式会社を設立した。当初は主にテレビで活動したが、後に舞台を中心とした小劇団的な活動に移行。政治ウオッチャーとしても定評があり、著書に「日本インディーズ候補列伝」(扶桑社)などがある。2001年、大川興業総裁選で江頭2:50に敗北、06年総裁選で返り咲く。164センチ、59キロ。血液型O。

142名無しさん:2009/09/27(日) 13:59:47
http://woman.infoseek.co.jp/news/entertainment/story.html?q=25fuji320090925007

美絵子先生のアレ見えるDVD、レンタルランク3位に
美絵子先生のアレ見えるDVD、レンタルランク3位に(写真提供 産経新聞社)
 森喜朗元首相に善戦した民主党の新人衆院議員、田中美絵子氏(33)=比例北陸信越=が仰天ヌードを披露していたホラー映画「盲獣vs一寸法師」(石井輝男監督)のDVDが有権者!?からまたまた“熱い支持”を得た。
 レンタル店頭にあるDVDは常に貸し出し中で、TBS系「ランク王国」のDVDレンタルランキング3位にも輝くなど快進撃を続けている。
 また急遽追加注文を受けた3日間で5000枚の追加生産を決定し9月下旬までにレンタル店に納品されるという。
 レンタル販売元のクロックワークスによると「一般のお客さんはもちろん、レンタル店や卸の担当者からのは問い合わせが殺到し、商品は一時在庫切れ状態となった」そうで、まだまだ“お宝ヌード”に注目が集まりそうだ。

[2009年9月25日17時0分]

143とはずがたり:2009/10/25(日) 16:20:40
【甘口辛口】センスが違う…小沢ガールズの美人
2009.9.6 12:26
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090906/stt0909061231003-n1.htm

「美人コスプレライター」として活躍していた経歴が明らかになった民主党の田中絵美子氏。小沢チルドレンに衝撃過去!?「美人コスプレライター」として活躍していた経歴が明らかになった民主党の田中絵美子氏。小沢チルドレンに衝撃過去!?

 私事で恐縮だが、かつて風俗嬢を取材した時、裸同然の姿を前にドギマギした思いがある。人物紹介記事だったが、上司から「このテの記事は君には無理だな」とサジを投げられた。突っ込んだ質問と読者の興味をソソる表現が必要なのに、アッサリしすぎていたからだ。

 その点、小沢ガールズの中で屈指の美人といわれる彼女はセンスが違う。先日の衆院選で自民党の森喜朗元首相(72)を落選寸前まで追い込み、比例区で復活当選した民主党の田中美絵子氏(33)だ。2002年から04年まで、雑誌の風俗ライターとして活躍した経歴が写真誌に報道され、話題になっている。

 驚くのは、文章表現力だけでなく、担当した連載記事で毎回、田中氏自身もチアガールなどコスプレ姿を披露した点。さらに、風俗嬢の裸の胸にタッチするなど、そこまでやるかと感心してしまった。本人は5日、素っ気ないコメントで過去の仕事を事実として認めたが、当時の風俗嬢も心を開いて取材に応じた様子がうかがえる。田中氏の度胸と熱意、好奇心のたまものではないか。

 風俗関連では、同じ民主党の太田和美衆院議員(30)は、06年の補欠選挙期間中、キャバクラ嬢歴を報じられたが、当選後「社会経験として、ほんの少し働いていた」と発言、動じなかった。また、鋭い舌鋒で知られる民主党参院議員、蓮ホウ氏(41)は、20代でグラビアアイドルからタレントに転身したころ、鼻っ柱の強さからか「なまいき蓮ホウ」と言われた。

 田中氏は今も明治大学大学院で政治学などを学ぶが、過去の経験で磨いた感性も武器になる。胸を張って、日本の抱える数々の課題に鋭く斬り込み解決してほしいものだ。(森岡真一郎)

144とはずがたり:2010/03/14(日) 19:46:19

>田中氏は、首相について「準備も心づもりもなく首相になった。
俺もそういう気がしてる。

田中真紀子氏、首相を酷評 小沢氏は称賛
2010.3.13 16:57
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100313/plc1003131705004-n1.htm

 「首相は資本主義の申し子。生活者感覚のないずれた地球人だ」−。民主党の田中真紀子元外相は13日、民放番組に出演し、鳩山由紀夫首相や閣僚らを酷評した。

 田中氏は、首相について「準備も心づもりもなく首相になった。こういう国家を作ると世界に発信しないといけないのに言っていることとやっていることが違う」などと批判。「(政権発足から)半年も経ってしまったので今しっかりと目標、方向性を示さないと瀬戸際に来ている」と指摘した。

 また、内閣支持率下落の理由として「閣僚の多くは高学歴の労働貴族だ。そんな人たちと資本主義の申し子の首相がバーチャル(仮想的)な政治をやっている。生活感、体臭、汗、温もりといった五感に訴えるものがない」と説明した。

 一方、民主党の小沢一郎幹事長については「唯一の政治のプロフェッショナルだ。あらゆる政策に精通し、修羅場も越えてきた」と称賛。「権力の二重構造なんて言われたら不本意だろうから、本人が首相をやったらいい」と述べた。

145名無しさん:2010/03/15(月) 08:48:47
>>144
> 準備も心づもりもなく首相になった。

鳩山さんについて書くのはスレ違いになるかもしれませんが、彼は「準備も心づくりも」出来る範囲でしていたけれど、首相という座の重荷は想像以上だった、のではないかと思います。
「こういう国家」というのも抽象論としては完成してるように見えるので、そこを現実の政策等に落し込むための手段・手駒(情報やブレーン)等で恵まれてない感じ。
そしてそれらは野党暮らしが長かったのが一番の原因で、もし大連立で内閣入りなり与党の立場なりを更に身近に味わえていれば、もっと上手く立ち回れたのではないかなと。

しかし真紀子さんはつくづく政治評論家になるべき人だったと思いますね。
彼女に代議士としての議席を与えるのは、文芸評論家に小説書かせてるようなもんで本人のためにも勿体無い気がする。
そんなもん書いてる間にもっと有意義な評論書いた方が良いよ、と。

146とはずがたり:2010/03/15(月) 10:06:34
>>145
少なくとも首相になる気があるんならあんな杜撰な資金管理してなかったんじゃないでしょうかねぇ。。
なんか小沢が急に代表辞任して棚ぼたで成った感じがして,本人は昔からその気はあったのかもしれませんが,ピントがずれてたような気がしなくもないです。。

147とはずがたり:2010/06/06(日) 12:12:14

【菅代表誕生】「ドタバタでいいと思わない」「選挙管理内閣だから」菅代表就任で真紀子節“炸裂”
2010.6.4 13:56
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100604/stt1006041356015-n1.htm

 菅直人氏の代表選出について、民主党の田中真紀子元外相は「順当なところ、私も経験ということで菅直人さんに投票した」と評価。一部報道で、樽床伸二氏に激励の電話をかけたとされたことについては「それはウソ。ずっと前に昼間に話したが、激励なんてどなたにも言っていない」と否定した。

 「国民目線、生活者目線で仕事するには菅先生」と持ち上げる一方、「本来、こんなドタバタで内閣総理大臣になる人を選んでいいとは思わない」と苦言も呈し、一部から田中氏の代表就任を望む声があったことについては、「光栄だが、今回は選挙管理内閣だと思うから、辞退申し上げた」と切り捨てた。

 また、石井一参院議員は、菅新代表について「反省しながら前進するという感じ」と評価し、「選挙も近づいている。時間との勝負。国民は民主党の新しい決意をそれなりに評価してくれると期待します」と話した。

148とはずがたり:2015/01/07(水) 11:30:28

「田中王国」の落日 “音なし”真紀子に地元離反
http://dot.asahi.com/wa/2014111800106.html
(更新 2014/11/19 11:30)

 前回の総選挙で自民党の長島忠美氏(63)に3万票近くの大差をつけられ、父・田中角栄元首相から強固な地盤を受け継いだ新潟5区で歴史的な敗北を喫した田中真紀子氏(70)。

 その後、地元では引退説もささやかれたが、昨秋、民主党から公認の内定を取りつけた。果たして反撃の準備はできているのか。地元議員がこう語る。

「真紀子さんの動きはまったくわからないんですよ。落選してからずっと、帰ってきた姿を見たことがありませんし、新潟で活動している気配がない。そもそも前々回の選挙あたりから、後援会活動と称して回ってくるのは、地域で見かけたことがない人ばかりで、自身が取締役を務める越後交通の関係者ではないかとささやかれている。求心力は低下したと思います」

 国会議員人生初の落選を受けても、以前から指摘されていた“地元不在”は相変わらずのようだ。

 そんな中、地元では、ある重大な異変も起きているという。真紀子氏の後援会関係者がこう明かす。

「真紀子さん陣営にボランティアスタッフを派遣していた有力な支持基盤のひとつが、自民党に寝返りつつある雰囲気です。代替わりしたオーナーが『支援を見送ろうか』と言っているようです。最近、ごく親しい関係者だけを集めて真紀子さんのミニ集会が開かれましたが、盛り上がりに欠けていたそうです」

 地元の市議会関係者も、厳しい評価を語る。

「現職の長島さんは実直で、よく地元に来られています。真紀子さんは忘れられつつありますよね」

 真紀子氏の後援会「まきこ会」のスタッフの証言。

「事務所から特に連絡はありません。出馬はするのでしょうが、まだ何もわからない状態です」

 夫の田中直紀参院議員も

「先週末には一度地元に入っていたけど、それ以上のことはわからない」。

 お祭り前夜にしてはあまりに寂しい真紀子氏の周囲。国会に再び、あの賑やかな毒舌が響く日は来るのだろうか。

※週刊朝日 2014年11月28日号より抜粋

149とはずがたり:2015/09/09(水) 19:29:12

芸能界の「田中会」発足!田中律子、爆問・田中、田中みな実アナら
http://www.msn.com/ja-jp/news/entertainment/%E8%8A%B8%E8%83%BD%E7%95%8C%E3%81%AE%E3%80%8C%E7%94%B0%E4%B8%AD%E4%BC%9A%E3%80%8D%E7%99%BA%E8%B6%B3%EF%BC%81%E7%94%B0%E4%B8%AD%E5%BE%8B%E5%AD%90%E3%80%81%E7%88%86%E5%95%8F%E3%83%BB%E7%94%B0%E4%B8%AD%E3%80%81%E7%94%B0%E4%B8%AD%E3%81%BF%E3%81%AA%E5%AE%9F%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%82%89/ar-AAe5QVH?getstaticpage=true#page=2
デイリースポーツ/神戸新聞社 8 時間前

 女優でタレントの田中律子が9日、爆笑問題・田中裕二や田中みな実アナウンサーらと「田中会」を発足させたことをブログで発表した。

 芸能界にはベッキーやローラの「ハーフ会」、ミッツやKABA.ちゃんらの「オネエ会」、小島よしお、髭男爵らの「一発屋会」などが存在するが、今回誕生したのは、芸能界の田中姓による「田中会」。NHKの「人名バラエティー集まれ!田中」(23日後7時30分~8時43分)という史上初の田中特集番組で集結したタレントらで結成した。他のメンバーは、女優・田中美里、お笑いコンビ8・6秒バズーカの田中シングル、本名が田中のGENKINGやキンタロー。、本名の旧姓が田中の伊集院光ら。

 田中律子は2012年にカメラマンと離婚しており「私は1度田中を離脱して、また戻ってきて田中になりました(笑)出戻り田中」と説明。「田中が集まり、田中について語り合う…田中による、田中のための田中に送る田中番組(笑)」と番組を紹介した。

 だがこれほど田中姓の芸能人が集まるのは初めてで、終了後に「この日に、田中会が発足されました」と、速攻で会が出来たことを明かした。近々、宴会も予定されており「田中というお店を探して、田中会をやる予定です」と田中尽くしを予告していた。

150名無しさん:2015/09/27(日) 13:34:14
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150923-00000002-wordleafv-soci
佐藤・鈴木は東日本型、田中・山本は西日本型? NHKが人名バラエティー
THE PAGE 9月23日(水)14時30分配信

 日本は世界的にも名字が多い国だ。その数なんと10万種類以上。「鈴木」や「佐藤」のようなメジャーなものから「勘解由小路(かでのこうじ)」「鼻毛(はなげ)」のような珍しいものまで、幅広いラインナップを誇る。

 そんな数ある名字の中から「田中」にスポットを当て、名字の歴史から日本をひもとくのが、NHKの雑学バラエティ番組「集まれ田中!」(23日夜放送)。コメンテーターを務める姓氏研究家の森岡浩氏は、「『田中』は『山本』とともに西日本に多く、東日本型なのは『佐藤』『鈴木』」と語る。

なぜ日本は名字の種類が多いのか
 日本で一番多い名字は何だろうか。名字をめぐるランキングはいろいろなところで出ており、過去には「鈴木」がトップだとしたものもあったが、森岡氏によると、現在では「佐藤」がもっとも多い名字として定着しているという。そして2位に「鈴木」、3位が「高橋」、4位に、今回の番組の主役となる「田中」が入り、5位は「渡辺(渡邊)」と続く。

 日本人の名字は10万種類以上あるといわれている。これは世界的に見ても非常に数が多く、トップ5には入るという。その理由について、森岡氏は、明治時代に戸籍ができるまでは、人々は自分で自由に名字をつくることができたからだと説明する。また、現在は人口1億人超であるなど、人口が多いことも要因になる。

 江戸時代には武士以外は名字を持っていなかった、という解説が過去にはあったが、森岡氏は実際はそうではなかったと否定する。

 武士とはそもそもが武装した農民であり、兵農分離が行なわれ始めたのは織田信長以降の戦国時代後期。徳川幕府の江戸時代に士農工商が確立されるが、関ヶ原の合戦で敗れた大名の家臣の中には農民になったものもいたという。そうした農民には先祖代々受け継がれた名字があったはずで、実際に農民の名字を記した史料も見つかっている。つまり、「公式に名字を名乗る」ことが許されていなかっただけで、実際には自作農や商家など、ある程度の立場の家であれば、庶民も江戸時代以前に名字を持っていたと考えられている。

151名無しさん:2015/09/27(日) 13:34:39
>>150

地名由来が多い日本の名字
 日本の名字で一番多いのは、「地名」に由来するものだという。それも、都道府県や市町村のような大きな単位のものではなく、大字小字のような小さなものからつけたものも多かった。そのために、いろいろなバリエーションの名字が出来た。

 それは「家と家を区別するためだった」と森岡氏は説明する。名字が同じ親戚同士では、「大阪のいとこ」「名古屋のおじさん」のように、それぞれが住んでいる場所で区別するのが一般的だろう。昔は親戚はもっと近くに住んでいることが多かったため、「○○の」の地名の部分は、小さな地名が入る。同じ村に同じ名字が集った場合は、その集落で一番偉い支配者の家系だけがその地名を名乗り、それ以外の人たちは、小字のような集落内のさらに小さな地名を名乗った、というわけだ。

 また、名字の分布には地域差がある。森岡氏によると、東日本に多いのは「佐藤・鈴木」。「高橋」や、藤原氏の末裔であることが多い「藤」がつく名字の「斎藤」「加藤」なども多い。一方、西日本は「山本・田中」型だという。そのほか、「中村」「吉田」「松本」のような地形に由来した名字が多いのも特徴だ。

企画のきっかけは「コンプレックス」
 同番組は、爆笑問題の田中裕二さんと田中みな実アナウンサーの「W田中」がMCを務め、ゲストにタレントや一般人らたくさんの「田中さん」が集い、名字の歴史をひもといていく。出演者に「田中」という名字への思い入れを聞いた。

 「シンプルすぎて今まで名字について考えることはほとんどなかった」と話すのは田中アナ。ただ今回の番組で、「田中」のルーツや奥深い歴史を知ることが出来たと語る。田中裕二さんは、「田中」といえば田中角栄元首相を思い浮かべるといい、「でもプロ野球選手には、マー君(田中将大投手)が出るまでは有名な選手があまりいなかった」と野球好きらしく振り返る。そんな田中さんに、相方の太田光さんは「ポピュラーな名字といえば『吉田』で、『吉田』といえば吉田茂元首相。でも番組には出てこない。『吉田』をもっと掘り下げてもよかったのでは」とツッコみ、笑わせていた。

 ちなみに、「吉田」は森岡氏作成のランキングによると11位。今回の番組で取り上げた「4大名字(佐藤・鈴木・高橋・田中)」からは、すべて首相が輩出されている。

152名無しさん:2015/09/27(日) 13:35:03
>>151

 この番組の実現を熱望していたのも、NHKの田中涼太ディレクターだった。田中ディレクターは、企画のきっかけは「田中コンプレックス」だったと語る。

 「自分の人生に特にドラマチックなことが起きないのは、この平凡でパッとしない“田中”のせいだとどこかで思っていた。例えば“早乙女凉太”だったら、きっと人生違ったはず」。そんなとき、茶人の千利休の幼名が「田中与四郎」だったことを知り、歴史上の偉人が一気に身近な存在になった。千利休も「田中コンプレックス」を抱えていたのかな、などと想像をふくらませるうちに「田中」という名字の“時空を超える”力に気づき、今回の番組の誕生につながったのだという。田中ディレクターは「名字の世界の入り口として田中はうってつけ」だったと“自画自賛”しつつ、意外な日本の歴史も発見できるとして同番組をアピールしていた。

 番組は23日午後7時半からNHK総合で放送される。

《参考》森岡浩氏のサイト「日本人の名字」(http://home.r01.itscom.net/morioka/myoji/index.html

153とはずがたり:2016/06/21(火) 12:04:34
良く読んだら京都スレ対象ネタだな。。

参加できるのは「田中さん」だけ! 謎すぎるツアーの数々が誕生するまで
http://www.excite.co.jp/News/bit/E1466145479594.html
Excite Bit コネタ 2016年6月21日 07時50分
ライター情報:篠崎夏美/イベニア

154とはずがたり:2016/06/22(水) 12:19:20
田中角栄の婚外子が売り歩く形見の硯 自民からの出馬もならず
http://www.excite.co.jp/News/politics_g/20160619/DailyShincho_509631.html
デイリー新潮 2016年6月19日 05時52分 (2016年6月22日 11時51分 更新)

 留まるところを知らない「田中角栄」ブーム。関連本の出版が相次ぎ、石原慎太郎著『天才』は、今上半期最大のベストセラーとなるほどの売れ行きを見せている。しかし、そんなチャンスに蚊帳の外なのは、長男・田中京氏(64)。懐は、季節外れの木枯らしが吹きっぱなしだという。
 ***
「長男」と言っても、京氏の実母は、神楽坂で長らく芸者を生業としてきた故・辻和子さん。いわゆる婚外子で、田中真紀子元外相とは異母姉弟の間柄だ。

 昨年末以降、京氏が来る参院選で自民党からの出馬を模索していたのは既に報じられている。

 しかし、
「党内部でも、真剣に検討する向きはありませんでした。いくら流行りでも『角栄の長男』だけで当選できるほど甘くはないですよ」(自民党関係者)
と、いつの間にか立ち消えとなってしまっていた。

あまり面立ちは似ていない?

■200万と100万
 確かに元首相の息子とはいえ、政治とはこれまでほとんど接点のなかった身。還暦をとうに超えた歳になって突然の“出馬宣言”には、首を傾げざるを得なかったけれど、

「ここ数年、ずっとお金に困っていますからね」
と“実情”を明かすのは、長年の知人である。

 もともと京氏は会社勤めの後、銀座、続いて神楽坂でバーを経営。角栄氏から億単位と目される遺産も受け継いでいる。

 だが、
「事業がなかなかうまく行かず、ここ数年は店の家賃も支払えないほどでした。資金繰りのため、名古屋の実業家に300万円を2度、借りに行きましたが、2度目は期限までに返すことが出来ず、仲介者に追い込まれてやっと返したくらい。…

結局、経営は上向かず、昨年6月、5年以上続けた神楽坂の店を閉じ、生活の糧を失いました」(同)
 そうした苦境の中、京氏が目を付けたのは、亡き父の形見の品だったという。

「角栄さんが愛用していた硯を大小2つ、形見として持っているのだそうです。1つは、総理就任記念の三重県製、もう1つは中国製。友人に対し、“買い手が付かないかなあ”と相談していました。でも、彼が付けた値は200万円と100万円。ホントに角栄さんが使ったのかどうかわからない代物ですし、今でも買い手は付かないままなのです」(同)

 こうしたタイミングでの“出馬宣言”だったから、
「やっぱり金目当てだったのかね」(同)
 と“陰口”を叩かれてしまう始末なのだ。

 そんな京氏にこれらの件を訊ねてみると、
「父の硯? 興味ある人に見せたことはあるけど、売ろうとするわけないじゃないですか!」
 とご機嫌斜め。以降は、まったく応対してくれなくなった。
「最近の京さんは、中国関係のビジネスに食い込もうとしていますよ」
 と言うのは、別の知人。

「中国にとって、角栄さんは『日中国交正常化』を実現させた大恩人。その長男だから、彼が出ていくと喜ばれるのです。中国相手に仕事をしている会社の顧問になったり、在日中国人に講演をしたりして食いつないでいるのが現状。中国人からは“政治家にまたチャレンジしてほしい”とすごい人気ですけどね」

 政治評論家の小林吉弥氏によれば、
「この角栄ブームはまだ続いていく。生誕100年を迎える2年後がピークになると思います」

「ワイド特集 うまい話に裏がある!」より
「週刊新潮」2016年6月16日号 掲載

155とはずがたり:2016/06/22(水) 14:17:53
世間は疑問…田中康夫氏が「おおさか維新」に寄生した理由
http://dot.asahi.com/wa/2016061500037.html
(更新 2016/6/16 07:00)

「田中康夫にはがっかりしたよ」「この人、リベラルかと思っていたが」

 元長野県知事で作家の田中康夫氏(60)が、おおさか維新の会から立候補。同会はタカ派イメージが強いこともあり、ネット上に困惑と疑問の声が広がっている。

 6月8日、田中氏は参院選東京選挙区から出馬することを正式に表明。都内で開いた会見では、こうした疑問の声に対する説明に力点が置かれた。

「おおさか維新の会(以下、お維)が掲げる地域主権の確立、中央集権と既得権益を打破することは、私が信州の地で行ってきたこととベクトルは同じです」

 お維が発表した憲法改正案の「幼児期から大学までの教育完全無償化」「統治機構改革」「憲法裁判所の設置」を高く評価する。

「これはどこの憲法でしょうかと問われたとき、少なからぬ人がヨーロッパ、とりわけ北欧の憲法と思われるのではないか。お維が掲げているのは国民の権利と、国家の義務を明確にするものだと思っています」

 田中氏は1980年、ベストセラー小説「なんとなく、クリスタル」で作家デビュー。2000年から長野県知事を2期6年務め、“脱ダム宣言”で話題となった。05年、国政政党「新党日本」代表に就任。参院議員、衆院議員を歴任したが、12年の衆院選で落選していた。

 会見には、お維の馬場伸幸幹事長、下地幹郎政調会長らも同席。よどみない口調で語る田中氏の話を、神妙な面持ちで聞いているといった体である。田中氏の知人が語る。

「新党日本のころに国民新党と統一会派を組んでいたが、そのころから仲のいい下地氏に誘われたことも理由の一つ。それ以上に、夫人から『このまま終わっていいの?』と背中を押されて決心したようです」

 だが、いくら言葉を尽くしてみても、やはり違和感は残る。お維には、国会で「アホバカ」「ふざけるなよ、お前ら」など“暴言”議員が跋扈(ばっこ)しているからだ。田中氏と親交のある東京・世田谷区長の保坂展人氏が、困惑した様子で語る。

「田中さんが政界に復帰してくるのは歓迎で、大いに応援したいと思っていた。しかし、安倍首相とも親密なお維からと聞いて大変驚いている。これまでの田中さんの発想や政治行動とかけ離れていて、首を傾げてしまう。お維は、安倍政権を信任する立場だが、その点も同じなのでしょうか」

 一方、先の知人は田中氏の今後の動向をこう見る。

「田中さんはトリックスターですから、いろいろなことを言ってケムに巻くが、お維を自分のカラーに染めていこうと思っているはずです。会見までに、橋下徹氏(顧問)とさえ会っていない。霞が関の既得権益を撃つための孤塁となっていくのではないか」

※週刊朝日 2016年6月24日号

156とはずがたり:2016/07/11(月) 10:37:16

参院選 民進・田中直紀氏が落選、真紀子氏は姿見せず 「角栄王国」が名実とも崩壊…
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160711-00000524-san-pol
産経新聞 7月11日(月)6時25分配信

 民進党の元防衛相、田中直紀氏(76)が落選した。これまで3回当選した参院選の新潟選挙区から比例代表にくら替えし、4選を目指したものの得票は最後まで伸びなかった。

 直紀氏は11日午前4時半ごろ、新潟市中央区の事務所に姿を見せ「比例代表として思うところはしっかりと伝えてきた。支えていただいた方に感謝します」と、約30人の支持者らを前に淡々と敗戦の弁を述べた。妻で元首相の角栄氏の娘、真紀子氏(72)の姿は、そこにはなかった。

 衆院16回の当選回数を誇り「コンピューター付きブルトーザー」と呼ばれた角栄氏が昭和22年の初当選以来、新潟県で築き上げた「田中角栄王国」が名実ともに崩壊した瞬間だ。角栄氏の後継者となり外相も務めた真紀子氏、そして直紀氏と69年にわたって守り続けてきた「田中」の議席がついに国会から失われた。

 敗戦の弁で直紀氏は「皆さまに評価していただいている『田中政治』については、田中家としては誇りを持っている」と述べ、角栄王国が日本の政治に果たした役割を強調した。

 その上で事実上の政界引退を表明した。「結果はしっかりと受け止め、これからは地域の一人として、地域の発展のために努力していきたい。私も経済人の一人。今後も政治への思いは持ち続けたいが、財界人として地域を支えていきたい」

 平成24年12月の衆院選では当時、文部科学相だった真紀子氏が新潟5区で敗れ、比例での復活も果たせず落選。角栄氏の初当選から65年続いた議席を失い、角栄王国の地盤は約3年半前の時点で既に事実上、崩れ落ちていた。

 直紀氏は22年の参院選では44万票近くを集め、新潟選挙区(改選数2)でトップ当選を果たした。だが、今回から改選数が1つ減って「1人区」になったことから、自民党候補との対決を避けて比例に転出した経緯がある。

 この結果、民進党が新潟選挙区に擁立する候補を決められない状態に陥り、野党陣営が混迷するきっかけとなった。もっとも、混迷の引き金を引いた直紀氏自身も、今回の参院選では票の集まり具合を見通せず、社長を務める越後交通グループや角栄氏の時代から続く後援会などを中心に支持固めを進めてきた。

 街頭演説や集会では安倍晋三政権の経済政策「アベノミクス」を批判し、金融緩和策に頼らない戦略的な経済政策への転換を訴えた。選挙期間中、真紀子氏も新潟県内の街頭でマイクを握り「主人には志がある」とアピール。「アベノミクスはアホノミクス」などと皮肉り、相変わらぬ真紀子節で直紀氏を支えたが、及ばなかった。

 今回の選挙戦について直紀氏は次のように総括した。「一党支配という異常な状況を打破したいと考えてきた。新潟で育ち、地域の代表として臨んだが、努力不足だったことは否めない」

157名無しさん:2016/07/17(日) 23:06:45
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016071100419&g=pol
角栄氏以来の議席失う=直紀元防衛相の落選で=田中家【16参院選】

 10日投開票の参院選比例代表に立候補した民進党の田中直紀元防衛相(76)が落選した。これに伴い、義父に当たる故田中角栄元首相の1947年の衆院初当選以来、田中家が70年近く連綿と守ってきた議席が国会から消えることになった。 

 直紀氏は69年に角栄氏の長女の真紀子元外相と結婚。83年衆院選で実父の地盤だった旧福島3区から出馬し初当選した。98年に角栄氏ゆかりの参院新潟選挙区に移り、3回当選。自民党を離党して2009年に真紀子氏と共に旧民主党入りし、野田内閣で防衛相を務めた。
 角栄氏の引退後も、直紀、真紀子夫妻の少なくとも一方は議席を維持してきたが、最後まで残った直紀氏の落選で途絶えた。直紀氏は11日、自身のウェブサイトで「期待に応えられず申し訳ない。政治の改革に向けて微力ながら努力していく」と敗戦の弁をつづった。(2016/07/11-11:50)

http://www.yomiuri.co.jp/election/sangiin/2016/news/20160711-OYT1T50069.html
田中康夫さん及ばず…無党派層へ浸透狙ったが
2016年07月11日 10時46分

 おおさか維新の会の田中康夫さんは、衆参合わせて3度目の国政進出はならなかった。

 11日午前0時半頃、東京都港区麻布十番の事務所に姿を見せ、「私の考えを一人でも多くの人に理解してもらおうとしたが、届いたことと届かなかったことがある」と、支持者らを前に述べた。

 同党の公認候補として立候補を決めたのは6月と出遅れた。選挙戦では「真に国民の利益を考えているのは誰か」と訴え、作家としての知名度や長野県知事時代の実績をアピール。たすきをかけない独自のスタイルで、既存の慣習にとらわれない姿を前面に出しながら各地で演説をこなして無党派層への浸透を狙った。

 演説の様子はインターネットでも流し、若者を対象にした座談会を開くなど、18歳選挙権を意識した活動も展開したが、特定の組織や団体の支援がなく、あと一歩及ばなかった。

2016年07月11日 10時46分 Copyright c The Yomiuri Shimbun

http://www.asahi.com/articles/ASJ787QGQJ78UTIL05H.html
田中康夫氏、維新で国政復帰ならず 都知事候補と誤解も
2016年7月11日02時08分

 おおさか維新が「重点選挙区」と位置付けた東京選挙区で、元職の田中康夫氏(60)の4年ぶりの国政復帰はならなかった。田中氏は11日未明、都内の事務所に姿を見せ、集まった支持者ら約50人に深く頭を下げ、「9条改正には明確に反対、と訴えたが伝わらなかった」と悔しさをにじませた。

 舛添要一前都知事の問題を引き合いに、街頭演説で「身を切る改革」を強調。長野県知事時代に自ら報酬をカットしたことをアピールした。

 しかし、序盤は「都知事選候補」と誤解された。野党が政権の「補完勢力」と批判する維新からの立候補に、違和感を抱く支援者もいた。そうした分かりにくさが、無党派層に期待したほど支持が広がらない要因となった。

158とはずがたり:2016/07/18(月) 08:31:38
田中直紀氏陣営、無届け文書送付 公選法違反容疑か
http://news.goo.ne.jp/topstories/nation/78/2c29c3d75a0c4cd1be9dd808f8ee95d2.html
(朝日新聞) 03:00

 参院選比例区に民進党公認で立候補し、落選した田中直紀・元防衛相(76)の陣営が、参院選公示後に選挙管理委員会に届けていない文書を有権者に送っていたことが17日、分かった。新潟県警も把握しており、公職選挙法違反(法定外文書の頒布)の疑いもあるとみて捜査を始めた模様だ。

 公選法は、選管に届け出たビラやはがき以外を公示後に頒布することを禁じている。公示前であっても、選挙や候補者を特定して投票を呼びかけることはできない。

159名無しさん:2016/07/30(土) 14:29:12
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016072600881&g=pol
田中元首相は権力乱用せず=生活・小沢氏が回顧

 生活の党の小沢一郎代表は26日、田中角栄元首相の逮捕から40年にちなんで東京都内で開かれた会合に出席し、「田中先生はあれだけの力を擁していたにもかかわらず、自分の保身のために国家権力を行使するという発想がなかった」などと元首相を回顧。「民主主義国家の政治家として、大事な基本の考え方だ」と語った。

 一方、安倍政権について、「自分たちの地位保全のために国家権力を行使し、テレビや新聞を抑えている」などと批判。「こんなことはかつての自民党の政治家は決して考えなかった」などと断じた。
 小沢氏は、自民党時代に旧田中派に所属。元首相は小沢氏の「政治の師」とされる。 (2016/07/26-20:28)

160名無しさん:2016/07/31(日) 15:09:47
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160727-00000505-san-soci
田中角栄逮捕40年 石原慎太郎・元東京都知事 金権政治は角さんの罪じゃない
産経新聞 7月27日(水)8時31分配信

 戦後最大の疑獄事件「ロッキード事件」で田中角栄元首相が逮捕されてから27日で40年となった。米ロッキード社の旅客機売り込みに端を発した事件では東京地検特捜部が計16人を受託収賄罪などで起訴して「最強の捜査機関」と呼ばれる契機となった。

 1976(昭和51)年、米上院外交委員会多国籍企業小委員会(チャーチ委員会)で同社副会長のアーチボルド・カール・コーチャン氏が「政財界の黒幕」と称された児玉誉士夫氏や「政商」と呼ばれた国際興業社主の小佐野賢治氏、総合商社の丸紅を通じ、複数の日本政府高官に工作資金を渡していたと証言。検察庁と警視庁、国税庁は合同捜査態勢をとり、特捜部が田中元首相らを逮捕した。

 田中元首相への世論の批判は高まったものの、派閥の結束を背景に“闇将軍”として政界への影響力を保持。ただ、昭和60年に竹下登元首相が田中元首相に反旗を翻して「創政会」を旗揚げ、2年後に竹下派(経世会)として正式発足後、影響力は衰退した。公判では11人の有罪が確定したが、田中元首相ら5人は死亡で公訴が棄却された。

 最近は政治指導者としての田中元首相の手腕やその遺産を再評価する動きもある。

 ■石原慎太郎・元東京都知事 金権政治は角さんの罪じゃない

 角さんは非常に義理人情に厚いリーダー像の象徴で、エリート官僚もとりこにしてきた。

 日本全体を機能的な都市にし、合理的に道路や空港を使用できるようになったのは角さんのおかげです。私たちはその中に今、生きているわけです。各県に地方空港を造り、日本中に高速道路を造り、新幹線が走り、リニアが走るという、国土を非常に使いやすく便利にした。

 人口問題は日本の国力だから、歯止めはなかなか難しい。角さんだったら人口を増やすために奇想天外な面白い手を打ったんじゃないか。しかもそれを推進するレトリックをあの人だったら持ってると思う。だって、「日本列島改造論」って誰も思いもつかなかったものでしょう。

 《田中の首相在任中の昭和48年、若手政治家の政策集団「青嵐(せいらん)会」を立ち上げ、「金権政治」を批判した》

 自民党の歴史をながめてみれば総裁選はみんなカネカネカネでしたわけです。それは容易に変わるもんじゃなかった。その伝統にのっとって角さんはカネをあつめて、権力の座をしとめたんだから。角さんの罪でもなんでもない。選挙でべらぼうなカネが使われたのも、総理総裁の自負としてせざるを得なかったのでしょうね。

 角さんとの象徴的なエピソードはスリーハンドレッドクラブ(神奈川県)での話に尽きるね。

 金権政治を批判後、ゴルフ場のテニスコートでテニスをしてクラブハウスに引き揚げたとき、仲間の参院議員がいた。私を見ていかにもバツが悪そうな顔をし、許しを請うように片手を挙げました。それを見て向かいに座っていた相手がけげんそうに振り返って、それが角さんでした。

 私もびっくりして、まずいなと思ったんだけど、「おお石原君、久しぶりだな、こっち来て座れよ」と手招きした。私は「先般はいろいろご迷惑おかけしてすいません」と頭を下げたら、「ああ、お互いに政治家だ。気にするな」って。

 「まあ、ちょっと付き合って一杯飲めよ」とウエーターを呼んで「おい、ビールをもう1つ」。これは、何という人だろうと思わぬわけにはいかなかったね。

 角さんは好きだね。私はあの人を好きだったんですね。関心がありましたもの、非常に。関心があるっていうのは好きになる前兆なんじゃないのかな。あんな中世的なバルザック的な人間いませんよ。(石元悠生)

161名無しさん:2016/07/31(日) 15:10:49
http://www.news-postseven.com/archives/20160202_381693.html
石原慎太郎氏 宿敵だからわかる天才・田中角栄の「霊言」
2016.02.02 11:00

 田中金権政治を批判する急先鋒だった石原慎太郎氏が、『天才』というタイトルで上梓した新刊は、田中角栄の人生を一人称で書くというまさかの“霊言”だった。幼少期の吃音コンプレックスから政界入り、角福戦争やロッキード事件の内幕、家族との軋轢までが、すべて「角栄目線」で描かれている。なぜいま角栄なのか。石原氏に聞いた。

 * * *
 政治から引退した直後に、森元孝さんという早稲田大学の教授が、『石原慎太郎の社会現象学──亀裂の弁証法』という本で、俺の小説について緻密に評価してくれた。日本の社会は狭量だから、著名な政治家が良い小説を書くということを認めないんだ。だから、この本で自分の文学が浮かばれたと思った。

 その感謝を込めて食事に誘った席で、森さんが「石原さん、あなた実は田中角栄という人物が好きなのではないですか?」と聞くから、「たしかに、現代にあんな中世期的でバルザック的な人物はいないので、とても興味がありました」と言ったんだ。すると、「あの人のことを一人称で書いたらどうですか」と提案してきた。彼は俺の『生還』や『再生』といった一人称の小説を高く評価してくれていたから。それで「面白い、書いてみよう」と。

 これまで政治家であることで自分の文学に申し訳ないことをしてきたと思っていたけど、これは政治家を経験しなければ書けなかった。本当に皮肉な取り合わせだと思うね。

〈その言葉には理由がある。石原氏は約40年前に「君 国売り給うことなかれ──金権の虚妄を排す──」(文藝春秋1974年9月号)を発表。今回のあとがきにも「私はまぎれもなく田中角栄の金権主義を最初に批判し真っ向から弓を引いた人間だった」と記している。〉(〈 〉内は編集部。以下同)

 後悔しているのは、文藝春秋(2011年11月号)に「田中角栄の恋文」という記事が出て、(秘書で愛人だった)佐藤昭子の娘が本当の実子で、しかも当時、リストカットや飛び降り自殺未遂までしていたとわかったこと。気の毒だとおもったし、楯突いて申し訳なかったという気持ちもある。

 一方で、金権政治を批判した後、こんなことがあった。スリーハンドレッドクラブ(高級ゴルフ場)でテニスをしていて昼食を取りにクラブハウスに引き揚げようとしたら、たまたま玉置和郎(青嵐会に参加していた参院議員)がいたんだよな。俺を見てびっくりした顔をして、バツが悪そうに片手を挙げている。それを見て向かいに座っていた相手が怪訝そうに振り返って、それが角さんだったんだ。

 俺もびっくりして、まずいなと思ったんだけど、「おお石原くん、久しぶりだな、こっち来て座れよ!」と手招きする。そこで俺は「いろいろご迷惑おかけしてすいません」と頭を下げたら、「お互いに政治家だ、気にするな」って。「テニスは身体にいいんだよな」とか言いながら、一杯飲めとボーイを呼んで「おい、ビールをもう一つ」。それは、飲まないわけにはいかない。
 
 その体験は、ショックとも感動とも違う。あぁ、こんな人間っているのかなと思ったね。

〈そして、かつて批判した金権主義についても、いまは別の視点を持つ。〉

 たしかに、金権が角さんに権力を持たせた。しかしあの人のおかげで、日本は変わったじゃないか。現代は歴史の一コマだし、私たちはその中で生きている。いまテレビを見るとくだらんお笑い番組が多くて、まさにかつて言われた「一億総白痴化」が起こっているけど、これも日本人の文化の一片なんだ、高いか低いかの差はあってもね。

 この現実のなかに私たちは生きてるわけで、それをだれがつくったかって、すべて角さんがつくったんだよ。テレビもそうだし、新幹線や高速道路、空港もそう。日本(の都市間の距離)を狭くした。

 角さんのどこが政治家として天才なのか。彼には予見性があり、さらに正確な文明史観を持っていた。今後やってくる新しい文明に対する、世界の社会の変化に対する予感みたいなものがあったということ。それは、今の政治家には一人もいない。それから、本当のインテリもいない。だって、角さんっていうのは超インテリだよ、『六法全書』を暗記しちゃったんだから。

※週刊ポスト2016年2月12日号

162名無しさん:2016/07/31(日) 15:14:01
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48554
2016年05月06日(金) 週刊現代
石原慎太郎がいま明かす「私が田中角栄から学んだこと」人を見て、先を見通す天才だった

今太閤、闇将軍。閉塞する現代日本で田中角栄が空前のブームだ。かつては「政敵」だった石原慎太郎氏も、実は角さんが好きだった。近著『天才』で田中角栄を活き活きと描いた石原氏が語る。

なぜ役人をうまく使えたか

田中角栄は29歳で初当選したとき、地元でこう呼びかけました。

「裏日本といわれている雪国の新潟を表日本にするには三国峠をダイナマイトで吹っ飛ばしてやればいい。そうすれば新潟に雪は降らなくなって、その土を日本海にもっていけば佐渡島を陸続きにできる。そうなったら、逆に東京から人が新潟に出稼ぎに来るようになる」と。

むちゃくちゃだけど、これは、殺し文句だと思うね。

こういう郷土愛の延長に国への愛着があって、角さんは日本をより機能的、文明的に改良しようとした。役人をうまく使ってね。

役人を使うのがうまかったというのは、言い換えれば役人を馬鹿にしていたということですよ。

だって、彼らには発想力というものがない。僕も長いあいだ都知事をやりましたけど、知事というのは一種の「独裁者」的存在でね。これは僕じゃなくて橋下(徹)君が言った言葉だけども、ある意味でそうだと思う。発想力と権限をもった政治家が指揮しないと、役人は動かない。国政も同じことですよ。

そういう意味では角さんは官僚出身の政治家を馬鹿にしていたと思う。福田赳夫もそう。

一般には「角福戦争」と呼ばれて、角さんと福田さんは総理の座を争ったとされているけど、政治家としては角さんのほうが数段上。戦う前からすでに角さんが総理になる方向で勝負はついていたと思いますよ。少なくとも角さんはそう確信していたはずだな。

163名無しさん:2016/07/31(日) 15:14:19
>>162

角さんのすごいところは、政治力というよりも、人間の能力ですよ。予見性というのかな、先を見通せるだけの文明史「勘」をもっていた。いまの政治家は発想力がないし、教養もない。歴史も知らないでしょ。まして文明史「勘」をもった政治家なんていませんよ。

彼はね、河井継之助に似ているんですよ。司馬遼太郎さんの『峠』という作品に、越後長岡藩の家臣だった河井継之助が若い頃、上越国境の三国峠を雪崩に巻き込まれながら死ぬ思いで越えて江戸に出てくる話がある。

ところが江戸に来てみると、冬空はカラリと晴れてカラっ風が吹いていて、越後と江戸の風土の違いを痛感する。と同時に中央に対する反感が生まれ、戊辰戦争で明治新政府に楯ついて最後は自滅してしまうわけだけど、角さんにも継之助と重なるところがある。

角さんの場合、雪の峠道を越えてきたわけじゃないかもしれないが、東京に対する憧れと反感というか、鬱屈した感情があったんでしょうね。それは郷土愛の裏返しといってもいい。

あれだけ骨身を削って故郷のために尽くせば、そりゃ新潟の人たちは角さんのことを絶対に忘れませんよ。

いま上越新幹線や関越道を利用している人たちがみんな、今日こんなに便利になったのは田中角栄のおかげだと思っているわけではないでしょう。けれど、新潟の人たちにとって、田中角栄はいまも記憶から拭いがたい存在であることに変わりはない。

人を見る天才だった

たしかに私は、田中角栄の金権主義を最初に批判し、真っ向から弓を引いた人間でした。いまさらこんなものを書いて世に出すことで「政治的な背信」と言われるかもしれませんが、政治を離れたいまこそ、政治に関わった者としての責任でこれを記しました。

歴史というものの重みを知ってもらいたいと思ったし、ヘーゲルが言うように、歴史とは人間にとって何よりも大事な現実ですからね。

私自身は商売に携わったことはないし、人からカネをもらったこともない。選挙も自分のカネでやりましたけども、一方で自民党の戦後の歴史というのは、要するに金権主義なんですよ。

そういう自民党の中でのしあがっていくには、金権という方法論しかなかったんでね。だから金権そのものは角さんのというよりは、自民党の体質だったわけです。

164名無しさん:2016/07/31(日) 15:14:37
>>163

ただ、あの人が商売の天才だったことは間違いないね。戦争中に25歳で田中土建工業を設立して、短期間で業界50社以内の売り上げにしている。すごい話ですよ。

たんなるカネ儲けの才能だけじゃなくて、人を見る目、人間観も鋭い。僕が角さんはすごいなと思うのは、ニクソン元米大統領やキッシンジャー元米国務長官がベタ褒めした周恩来元首相のことを彼はまったく評価していないことでね。

周恩来は毛沢東の足元にじゃれている「チンコロ」だと。そんなことを言ったのは田中角栄ただ一人ですよ。周恩来は役人として優れていただけで、毛沢東の下で生きながらえた。何度も失脚の危機を乗り越え、「不倒翁」と呼ばれたのは、彼が小物だったからだと角さんは見抜いた。結局、役人を馬鹿にしていたということです。

そんな田中角栄にてこずったのが米国でした。米国に頼らない角さんの資源外交が彼らの逆鱗に触れて、それでロッキード事件によって彼を葬ったわけです。

ロッキードは気の毒だった

ロッキード事件当時、私は国会議員のなかで、一人だけ外国人記者クラブのメンバーでね。古参の米国人記者がロッキード裁判を傍聴して驚いていました。

ロッキード社副会長が日本で起訴されないことを条件に証言し、それが裁判の証拠として採用された。しかも、当の副会長に対して反対尋問さえ許されない、という日本の司法のありように首をひねっていたのを覚えています。

私もあのとき米国の策略に騙された一人だったけれども、いまにして思えば、あのロッキード事件は角さんが気の毒だった。角さんは航空機トライスターの購入をめぐって賄賂を受け取ったとして逮捕されましたが、ロッキード社に関しては他にもP3C対潜哨戒機の導入をめぐる、もっと大きな疑惑があった。こちらに関与している政治家はもっとたくさんいたんですよ。

ところが、これは完全に黙殺されてしまった。だから、あのロッキード裁判はいろんな意味でめちゃくちゃです。

165名無しさん:2016/07/31(日) 15:14:55
>>164

今回の執筆にあたって、様々な文献を参考にしましたが、『文藝春秋』('11年11月号)に、角さんが「越山会の女王」と呼ばれた秘書・佐藤昭さん(後に昭子と改名)に宛てたラブレターが掲載されていました。これを読んで、気の毒なことをしたなぁと思った。

私が田中金権批判の引き金を引きましたが、それに続いて、当時、立花隆氏の「田中角栄研究?その金脈と人脈」と、児玉隆也氏の「淋しき越山会の女王」という2本の論文が発表された。

田中金権批判が盛り上がる中、角さんと佐藤昭さんの一人娘、あつ子さんがリストカットをして、自殺未遂をしたんです。私は彼女のことを、昭さんの連れ子だと思っていたんですが、実際は角さんの実子だったんだね。あの恋文を読んで後ろめたい思いをしましたね。

一方で、田中真紀子さんにしてみたら、自分の母親が生きているのに、それ以外にお妾さんが二人いて、それぞれに子供がいたら、女性としては許せないよね。角さんは真紀子さんから責められて辛かったと思います。

角さんには5歳で亡くなった長男がいましたが、彼が生きていたら、随分違っただろうと思います。息子から見れば、男として共感はできないまでも、まあ許してはくれたんじゃないかな。父親を真紀子さんほどには咎めなかったと思います。

結局、ロッキード事件が長く尾を引き、晩年、田中派に創政会ができて裏切られる形になってしまいました。本人はずっと復権するつもりでいただろうけど、ロッキード裁判が長引いたこともあって、ああいう結果になってしまったな。

角さんとの思い出のなかで印象的だったことがあります。'75年の東京都知事選挙に僕が出馬(美濃部亮吉に敗北)し、再び国政に戻ってからまもなく、ゴルフクラブで角さんと遭遇したときのことです。角さんのほうから、いかにも懐かしげに声がかかった。

「おお石原君、久しぶりだな、ちょっとここへ来て座れよ!」

そう言って手招きして立ち上がり、自分から立って窓際の椅子を持ち運び、自分の横に据えてくれたんです。

あのときは強烈だったね。角さんからすれば、僕なんか、「俺に弓引いたけしからん奴だ」という評価だったでしょう。そんな人間に対しても、あのとき「ちょっとこっちへ来いよ」と言った。ある意味、こいつはよく俺に手向かったなと思われたかもしれないね。

166名無しさん:2016/07/31(日) 15:15:31
>>165

まあ、しかし、彼ほど先見性に富んだ政治家はいなかったというのが正直な思いでね。彼のような天才がまだ生きていて、政治家として復権していたらと思うことはよくありますよ。

都知事時代、自分がやろうとしてできなかったことはたくさんありますが、もし角さんが元気で相談していたら実現できたかもしれないと思う。

いつか、角さんの墓前で

いまの政治について言えば、世界情勢は緊張していて、日本は身動きのとれない難しい状況に置かれている。

そうした中で安倍(晋三)君は安倍君なりによくやっていると思いますよ。ただ、角さんだったら、もう少し奸智に長けた、いろんな手を打っただろうね。はったりをかまして、米国や中国を恫喝してみせたりもしたんじゃないか。

どっちにしても、これから日本は大変ですよ。ヨーロッパの成熟国家はもう駄目になるだろうし、日本は中国との関係をどうするか。それに、いつまた大震災が起きるかわからない。僕はもうすぐ死ぬからいいけども、子供や孫たちは大変だ。

僕は人気がないから、長生きできました(笑)。人気者はみんな早死にするんだ。いい人でいることを強いられるからかな。裕次郎もそうだし、美空ひばりもそうだし、勝新(勝新太郎)だって老人という年齢じゃなかった。市川雷蔵さんなんて、37歳で死んだんだから。

これはきっと神様の摂理なんだな。だから、おれは長生き。角さんの娘の真紀子さんがうまいことを言ったねえ。「石原慎太郎は暴走老人だ」って。言い得て妙で、自分でも気に入って使わせてもらっていますよ。真紀子さんは、口のうまさでは父親の「天才」を受け継いでいるのかもしれない。

じつはこの本を出した縁で、角さんのお墓参りがしたいんですけど、お墓は新潟の家の敷地内にあるから、入れない。東京にもお墓があるかと思ったら、ないんだな。

せめて目白のお宅にお邪魔して、仏壇があったら拝ませてもらいたいんだけど、どうかなあ。おそらく入れてもらえないんじゃないかな(笑)。

「週刊現代」2016年5月7日・14日合併号より

167名無しさん:2016/08/27(土) 11:27:27
http://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2016_0825.html?utm_int=detail_contents_tokushu_004
“角栄ブーム”政界でも?
08月25日 16時15分

かつて「今太閤」、「庶民宰相」などと称され、人気を集めた田中角栄元総理大臣。没後20年以上がたった今、政界にも身を置いた石原慎太郎さんが、田中角栄の生涯を一人称で書いた作品、『天才』が、ことし上半期で、最も売れた本になり、各地の書店では、彼をテーマにした本の出版が相次ぐ“角栄ブーム”が続いています。ことしは、田中角栄が、大手商社を通じてアメリカの航空機メーカーから、違法なカネを受け取ったとされる「ロッキード事件」で逮捕されてから40年にあたります。現役の政治家たちは、どう受け止めているのか?そして、なぜいま“角栄”なのか?ブームを通して見える政治の課題は?政治部与党クラブの徳丸政嗣記者と野党クラブの相澤祐子記者が取材しました。

国会でも売れ行き好調
国会議事堂の片隅で70年近く営まれている書店「五車堂書房」を、8月中旬にのぞくと、ここにも、石原慎太郎さんの『天才』をはじめ、田中角栄をテーマにした10種類ほどの書籍や雑誌が並んでいました。

社長の幡場益さんに話を聞くと、「普通、1つの本は、どんなに売れても10冊程度だが、『天才』は、もう50冊以上は売れた。極めて異例だよ。今の議員たちに、ぜひ角栄さんを学んでほしいね」とひと言。相乗効果もあって、ほかの“角栄本”の売れ行きも好調だということです。

角栄の「功」にスポット
新潟の農家に生まれ育った田中角栄。高等小学校を卒業後、働きながら夜間学校に通ってみずから建設会社を興した苦労人です。終戦直後に、政界に転じると、ほどなく頭角を現し、1972年に、54歳の若さで、総理大臣まで上り詰めました。

店頭に並ぶ“角栄本”の多くは、田中角栄の、庶民目線で国民的人気を集めた姿や、こまやかな気配り、巧みな人心掌握術、並外れた決断力で、いわゆるたたき上げとして、1国の宰相にのぼり詰めるまでのサクセスストーリーを描いたり、彼が残した名言を紹介したりと、その功績に、スポットをあてるものが目立ちます。

派閥で“角栄本”を推奨!
そんな“角栄ブーム”を、今の政治家は、どう受け止めているのか?。
自民党の二階俊博幹事長(77)率いる派閥では、田中角栄が残した「ことば」を集めた本を、所属議員に配り、一読を推奨していました。

二階氏は、政界入りの際、田中角栄に師事したこともあってか、いまの永田町には、二階氏ほど派閥の仲間を大切にする政治家はいないという評もあります。
ここ最近も、新たなメンバーが次々と加わり、結束力を強める姿は、派閥の力の衰退が叫ばれる自民党内で、独特の存在感を放っています。
こうした中で、派内で“角栄”の魅力を再考しようという機運が出てきているのです。
本を読んだ、二階派の若手衆議院議員、勝沼栄明氏(41)は、「いちばん印象に残ったのは、『政治とは、つまり事を為すこと』という言葉。スローガンだけを掲げる無責任な政治家とは違い、角栄氏は、東京一極集中を打破しようと『日本列島改造論』を掲げ、都市と地方の格差解消のために『事を為した』。政治家として、どう結果を出していくか考えるうえで、学ぶところはあまりに多い」と話していました。

田中角栄を政治の師と仰ぐ、二階氏はこう話します。
「田中先生は、政治の本質、政治が果たすべき役割を、とことん突き詰めて考えていた。私なんか、とても、とても及ばないが、若手にとっては、学ぶに値する偉大な政治家で、もっと早く見つめ直すべきだったと思う」。

愛弟子の1人も再考
石破茂・前地方創生担当大臣(59)は、今回のブームを受けて、かつてみずからが仕えた、田中角栄に向き合う時間が増えたといいます。

石破氏の父、石破二朗元参議院議員は、田中角栄の盟友でした。石破氏は、父が亡くなったあと、田中角栄の強い後押しで、政治の世界に飛び込んだ、いわば、愛弟子の1人です。田中派の派閥事務所で秘書として修行しながら、立候補に向けた準備を進めた石破氏。
「角栄流の選挙のノウハウをたたき込まれた。『握手した数しか票は出ない』と、徹底して地元を回るよう言われた。その行動力を持つ田中先生は、私にとって、『魔神』と言うべき人だったし、圧倒的な存在感で、まさに『神』の領域だった」と、当時を振り返りました。そして、石破氏は、「田中先生の考え方は、私が自民党の幹事長として選挙指揮にあたる際にも、大いに生かすことができた」と話し、今後も、田中角栄の選挙戦術などを、派閥の若手議員をはじめ、後進の指導や育成にも生かしていくということです。

168名無しさん:2016/08/27(土) 11:27:39
>>167

野党の議員にも波及
“角栄ブーム”は、野党議員の間にも及んでいます。

民進党の細野豪志・元環境大臣(45)。最も尊敬する政治家の1人に田中角栄をあげています。
細野氏が政治家として魅力を感じているのは、田中角栄の演説力です。
「分かったようなことを言うな。気の利いたことを言うな。そんなものは聞いている者は、一発で見抜く。借り物でない自分の言葉で全力で話せ」という、角栄のフレーズをみずからに刻み込んでいるといいます。
また、細野氏は、田中角栄が、名前や入省年次などを頭にたたき込み、巧みに使いこなした、官僚の「操縦術」を見習い、仕事をした官僚の経歴を、きちんとメモにする取り組みを始めたということです。
細野氏は、「政治家は、いろいろな人に関心を持ってもらわなければできない仕事で、そのためには、こちらも相手に関心を持たなければいけない。田中角栄の最大の魅力は、みずからの力ではい上がった『たたき上げ』という部分だ。今の自民党は、圧倒的に世襲の議員が多いが、本来、政治家は、大衆の中から出てくるもので、国民も、そういう政治家の登場を求めているはずだ」と話していました。

田中角栄に憧れて政治の道に入った野党議員もいます。
民進党の馬淵澄夫・元国土交通大臣(56)です。

民主党政権下の2011年8月に行われた代表選挙に立候補した馬淵氏は、投票直前の演説で、小学6年生のときに学校で、田中角栄が自民党総裁に選ばれたテレビ中継を見たことが、政治を志すきっかけになったと明らかにしました。
「いつかは田中角栄さんみたいに総理大臣になって、この国を動かしてみたい」と憧れを強めた馬淵氏は、田中角栄と同じ道を歩みたいと大学卒業後、建設会社に入り、衆議院議員となると、まず、国会に残されている田中角栄の議事録をすべて読んだといいます。
馬淵氏は、演説で、「家族や生活を守ることが政治の使命」だとする考え方に通じるところがあるとする一方、田中角栄が作った仕組みを、時代の変化に合わせて見直していく必要があると強調しました。

なぜ“角栄ブーム”?
いちばん身近で田中角栄を支えた人は、このブームをどう見ているのか。長年、秘書を務めた朝賀昭さんは、「親父は、何より、国民に政策を訴え、得票に結びつける表現力があった。立法能力や決断力、それに先見性や責任感など、政治家に必要なあらゆる能力を兼ね備えた、まさに『天才』だった。加えて、温かみのある政治家だった。社会が、殺伐として冷たい一方、今後進むべき方向について的確な答えが見いだせない中、親父のような力強く、かつ、優しいリーダーを求めているのではないか」と話しています。

ブームから見える課題は?
政治家のオーラルヒストリーを手がけてきた政治学者の御厨貴(みくりや・たかし)東京大学名誉教授は、「田中角栄には、功績の一方で、『カネと数の力』で利権誘導し、「金権政治」という悪しき政治手法を生んだ罪の部分もあり、その功罪両面を冷静に見る必要がある」と話しました。
そのうえで、御厨氏は、ブームを通して見える、今の政治の課題について、「人材の欠如という決定的な課題を映し出している。『安倍一強』、『自民一強』などと言われるが、ややもすれば、『ポスト安倍は安倍』にもなりかねず、国民から見れば、期待できる、次のリーダーがいないという状況だ。政治家がいわば『小者』になっていて、そのことが、“角栄的”な存在を求めるブームにつながった側面はあると思う。次代を担う政治家を育てる取り組みが各党に求められている」と指摘しました。
空前の“角栄ブーム”。その功罪の両面を見つめ、今後の政治はどうあるべきなのか、向き合う機会にしたいものです。

政治部
与党クラブ
徳丸 政嗣 記者
政治部
野党クラブ
相澤 祐子 記者

169名無しさん:2016/09/22(木) 15:00:40
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160922-00000011-zuuonline-bus_all
今なぜ「田中角栄」元首相が評価されているのか
ZUU online 9月22日(木)11時9分配信

強いリーダーシップを求めるかのように田中角栄・元首相(1918-93)に注目が集まっている。今なぜ再び彼なのか。それには時代を大きく動かした「男の器」に多くの人が酔いしれる魅力があるからに他ならない。昭和の宰相・田中角栄論を語るには、その親分肌に触れないわけにはいかない。

■人心掌握術を記した早坂茂三氏

田中角栄氏のような人物が求められているが、彼について語るならまず秘書だった故・早坂茂三氏についても触れなければなるまい。1955年に早稲田大学政治経済学部を卒業後、東京タイムズの政治部記者として知り合い、田中氏が脳梗塞で倒れた85年まで政策担当秘書を務めた。

小学校しか卒業していない田中氏が総理大臣に昇りつめていく途中、大切にしたのは人間関係であり、義理、人情だった。大卒の早坂氏が小学校しか出ていない国会議員の秘書を務めたのは、相当の魅力が田中氏にあったからだろう。彼は後に田中氏人身掌握術などを『田中角栄 頂点をきわめた男の物語』(PHP)にまとめている。

不思議な事に、吉田茂、岸信介、池田勇人、佐藤栄作の4首相経験者も、いまの田中氏のように回顧され、「再びあのような人物を」といった待望論が出てくることはないようだ。それは田中氏のライバルで「角福戦争」を争った福田赳夫氏も然りだ。

■政治家のあるべき資質

戦後最大の疑獄事件といわれるロッキード事件。米国航空機製造大手ロッキード社の旅客機受注をめぐり、1976(昭和51)年に明るみに出た汚職事件だ。この事件で田中氏はリベートを受け取った疑惑がもたれ、逮捕までされている。

「金権政治」として批判もされるが、政治に金がかかる事は国民は良く知っている。とはいえ、先日辞任した舛添・東京都知事の場合のように、公私混同と私腹を肥やすのが「政治に金がかかる」ということではない。

ロッキード事件のような出来事があったにもかかわらず、その後も田中氏への支持が厚いのは、「信念」を持っているからではないだろうか。政治の世界では、きれい事だけでは事を進めることができない。有権者の多くが「数がなければ政治は動かせないし、その数を集めるには金が必要」と考えており、田中氏のような人物に信念や覚悟、リーダーシップを感じられるのがブームの理由と考えられる。

■「日本列島改造論」に大きな期待

田中氏といえば「日本列島改造論」が有名だ。特徴として挙げられるのが東京などの大都市への過密を地方に分散させるビジョンを提示していることだ。都市と地方の距離を縮めるには航空網の整備、新幹線、高速自動車道の建設、情報ネットワークの形成により時間距離を縮めそれも解消する。この「夢のビジョン」に、時代もあって国民が大きな期待を寄せた。

こうしたビジョンを提示できることは、政治家、リーダーとして非常に重要な資質だ。例えば米国ケネディ大統領が「月に人を送る」と宣言した時、米国民が大きな夢を共有した。人類にとっても大きな価値であり、人が夢やロマンを抱くことのできるビジョンを提示することは、政治家にとってはきわめて大きな価値がある。

170名無しさん:2016/09/22(木) 15:00:52
>>169

■田中氏にあって現代のリーダーにないもの

自民党の二階俊博予算委員長は雑誌の対談で田中氏について、「今日まで先生を超える人に会ったことはありません」と言っている。彼は当選10回の重鎮。運輸相、経産相、自民党総務会長、国対委員長などを歴任しているが、過去に新進党や保守党などにも籍を置いてきている。

長年のキャリアで根気や胆力を身に付け、与野党問わず幅広い人脈を持つ二階氏が言うには、田中氏は「国民にも政治家にも上から下まで、否、下から上まで気を配り、人心を引きつけていく」人物だという。そのうえで、「何に対しても、常に真剣勝負でした」と述べている。

一方、書官として田中氏に仕えた小長啓一・元通産次官によれば、「1年生議員から政調会長になる10年間で議員立法を25本以上成立させ、すべてご自分が主答弁者でした」という。法案作成から答弁まですべて自身がやるということは、役人と同じレベルの知識が必要なのだ。

法案を作るときに苦労する部分、ポイントまで把握している。そこがほかの政治家とは全然違うというわけだ。法案を作る過程で、各省庁に所属する若い官僚と仲良くなった。田中氏が首相になった頃には彼らが各省の局長クラスとなっており、電話1本で懇意に話せたという。その際も、役人に指示するといった感じではなく、昔の同志として話をしている感じで、役人をも惹きつける魅力となっていたと言われている。

田中氏はいつも、仕事は人に任せて、自分は責任を取ると言っていたという。今回あまり取り上げなかったが、たしかに彼に対するネガティブな評価や意見も少なくない。「是」ばかりでなく「非」とともに受け止められている行動もある。

しかし、豪快な親分肌で、未来を示すのことのできるビジョナリーであるからこそ、先行き不透明な現代において、あらためて評価されているのだろう。(ZUU online編集部)

171とはずがたり:2016/10/14(金) 08:47:29

石破茂氏 末期がんの父に託された田中角栄への「辞表」
http://www.news-postseven.com/archives/20161011_453638.html
2016.10.11 16:00

【石破茂氏が「父の死」に際して見たものは】

 自分の「最期」について考えるとき、最も身近な“お手本”となるのは、両親が亡くなった時のことではないだろうか。厳しかった父、優しかった母はどうやって人生を締めくくったのか──。衆議院議員の石破茂氏(59)が、「父の死」に際して見たこと、学んだことを明かす。

 * * *
 参議院議員だった父の膵臓がんが発見されたとき、もうすでに手遅れの状態でした。鈴木善幸内閣で、父が自治大臣に就任してすぐの1980年秋のことです。

 その年の12月に手術を受けましたが、私は手術の前日、父に呼ばれて、「わしが死んだら財産をこう分けろ」などと懇々と説明されました。

 その日、父は最後に封筒を取り出し、「これを明日、田中のところに持っていけ」といいました。田中とは、父の親友だった田中角栄・元首相のことです。「これは何ですか」と聞くと、父は「辞表だ。わしは明治の人間だから、死んだ時に辞表が出ていなかったというのでは、天皇様に申し訳ない」といったのです。

 翌日、目白にあった田中邸を訪ねて辞表を手渡すと、田中先生は一瞬絶句して、「立派だ」とだけ口にしました。

 手術後、医師から「もって2年、短くて半年」と宣告された父は故郷の鳥取に戻り、市内の病院に入院。当時、三井銀行に勤めていた私は毎週末、父の見舞いのために夜行特急で鳥取に戻っていました。

 8月の終わり頃、母から電話がありました。その日の朝、父が「田中が見舞いに来てくれてとても嬉しかった。あれは夢だったのか?」と嬉しそうに話していたというのです。「死ぬ前に田中先生に会わせてあげられないか」と母に懇願され、恐る恐る目白に電話すると、田中先生は「わかった。すぐ行く」と短くおっしゃいました。

 当時、田中先生はロッキード事件で刑事被告人の身で、東京を離れるには裁判所の許可が必要でした。それでも先生は数日後には父を見舞ってくれました。公判中に地元・新潟に戻る以外で東京を離れたのは、その時が初めてだったそうです。

 父が息を引き取ったのは9月中旬。73歳でした。東京に戻っていた私は臨終に間に合いませんでした。母と親戚、信頼する秘書たちに囲まれた父は、「後を頼むぞ」と言い残して亡くなった。私の何十倍も立派な父でした。

 鳥取での葬儀には田中先生が駆けつけてくれました。葬儀後、田中邸にお礼に行くと「おい、青山斎場を予約しろ。俺は葬儀委員長をやると約束したんだ」と秘書の早坂茂三さんにいいつけて、東京の葬儀で葬儀委員長を務めてくれたのです。最初で最後の“田中派葬”でした。

 そのお礼にまた目白まで伺うと、「再来年の衆議院選挙に出ろ。鳥取の葬儀に来てくれた人のところ、全員回ってこい。選挙の票はそこからだ!」と命じられました。私が躊躇すると、田中先生は「自分さえ良ければいいのか、このバカ者!」と一喝されました。父の死は、政治の道のスタートでもあったのです。

 最初の選挙のプレッシャーは本当にキツかった。選挙前に飛行機で東京に行く時はいつも、「この飛行機、墜ちないかな」と心の中で願っていたほどです。

 そんな思いをして政治家になったので、自分としてはこの先いつ死ぬか、どんな死に方をするかわかりません。ただ、本当に畳の上で終わることができるとすれば、「みなさん、お世話になりました。ありがとう」とお礼をいってお別れをしたいです。

●いしば・しげる/鳥取県生まれ。慶應義塾大学法学部卒業後、三井銀行(現・三井住友銀行)に入社。父・石破二朗氏の死を受けて1986年、衆議院議員選挙で初当選。その後、防衛大臣、地方創生担当相などを務める。

※週刊ポスト2016年10月14・21日号

172とはずがたり:2016/10/18(火) 21:06:43
天皇を驚かせた田中角栄の流儀とは? 保阪正康が読み解く
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%82%92%E9%A9%9A%E3%81%8B%E3%81%9B%E3%81%9F%E7%94%B0%E4%B8%AD%E8%A7%92%E6%A0%84%E3%81%AE%E6%B5%81%E5%84%80%E3%81%A8%E3%81%AF%EF%BC%9F-%E4%BF%9D%E9%98%AA%E6%AD%A3%E5%BA%B7%E3%81%8C%E8%AA%AD%E3%81%BF%E8%A7%A3%E3%81%8F/ar-AAj4uWm#page=2
dot. 12 時間前

 天皇陛下の生前退位などを検討する有識者会議のメンバー6人が決まり、議論が本格化しそうだ。この問題で皇室への注目度が一段と高まっている。一方、今年は空前の「角栄ブーム」も続いている。天皇と田中角栄の関係性をノンフィクション作家の保阪正康さんが読み解く──。
* *  *
 天皇と田中角栄が国民の関心事となっている。その背景を考察するため、「昭和」という時代を三つに分けて整理してみよう。

 まず、昭和元年から昭和20年9月2日まで。太平洋戦争を進めてきた日本は同年8月15日、ポツダム宣言を受諾する意思表示をして敗戦を受け入れた。だが、国際法的には9月2日が敗戦となる。ここまでを「昭和前期」とする。

 敗戦の結果、米国を中心とする連合国の占領支配を受ける。サンフランシスコ講和会議で講和条約が結ばれ、日本が国際社会へ復帰するまでが「昭和中期」。敗戦から講和条約が発効された昭和27年4月28日までの6年8カ月だ。

 それ以後、昭和64年1月7日までを「昭和後期」としたい。

 この三つの時代には、総勢32人の首相がいた。昭和前期に15人。中期に5人。後期に12人。それぞれの時代を代表する総理大臣は誰だろうか。

 昭和前期の中心は太平洋戦争だったのだから、やはり東條英機ということになる。軍人首相と言っていい。

 昭和中期は占領期で、米国を中心とする連合国との間にどういう関係をつくるかが最大の課題だった。その点では、外交官出身の吉田茂が代表的な総理大臣と言っていいだろう。

 昭和後期は誰か。「沖縄を返してもらった佐藤栄作だろう」「高度経済成長政策を採った池田勇人じゃないか」など、いろいろな考えがあるだろう。私は、もっとも妥当性のあるのは田中角栄だと考える。戦後民主主義を具体的に体現した首相だったからである。

 昭和中期に新憲法が施行され、女性が選挙権を得た。ほかの様々な市民的権利も実ってくる。GHQの占領支配が終わって昭和後期になると、本格的なデモクラシーの時代を迎える(戦後民主主義あるいはアメリカンデモクラシーと呼ぶ)。田中角栄はその時代を代表する存在だった。

 票を集めて多数派を形成するのが、政治的権力である。大衆的な「集票の個性」をもっていないと、首相の座に就けない。田中にはそれがあった。戦争に負けて散々な目に遭った日本は、この時期に復興していく。高度経済成長を突き詰めていく田中の存在は、復興のシンボルたり得た。

173とはずがたり:2016/10/18(火) 21:06:54
>>172-173
 田中は、「便利だ」「おいしいものを食べたい」「いい暮らしがしたい」という私たちの欲望を政策化した初めての政治家だった。きれいごとは言わない。国民の欲望をそのまま、正直に政策化した。

 東條英機、吉田茂と田中角栄を並べてみると、すぐにその違いに気づく。

 東條は陸軍大学校、吉田は東大法学部を出たエリート。田中は学歴に頼らず、自分の力でのし上がった。昭和前期、中期であれば、官僚制の底辺にいるような存在だっただろう。それが、戦後民主主義の中では首相になることが可能だ。

 首相になると、天皇としばしば会う。官僚出身者、あるいは長く政治家をしてきた人たちは、天皇に会ううえでのルールについて、ごく自然に覚える。

 例えば、東條英機の時代であれば、天皇のところに上奏に赴いたとき、天皇の目を見ないというのがルールだった。目を見ると天皇の考え方が分かるから、決して見ない。戦後であれば、政治と距離をおいた天皇からの質問にも、詳しい話はできない。政治的判断を天皇に求めることになってしまうからだ。

 田中角栄は、そうしたルールを見事に破った。

 田中が首相だったときの宮内庁長官・宇佐美毅によると、天皇に内奏をした田中の退出後、天皇は驚いた表情をしていたという。

 ふつう、内奏は5~10分程度だが、田中は30分ぐらい使っていた。天皇が「経済はうまくいっていますか、どうですか」と聞く。佐藤栄作や池田勇人なら「景気は一時的に悪いですけど、大丈夫です」などと抽象的に答える。

 ところが田中は、次の国家予算や貿易収支の額から赤字国債の発行予定まで延々と説明し、「私の内閣において、このことを実行します」みたいなことまで言っていたという。天皇はびっくりしたわけだ。

 様々な関係者の話を聞いた私の結論だと、田中は天皇への尊崇の念を他の首相よりは持っていない。持たないことが彼の強みでもあった。


 天皇は自分の前に上奏に来る人物は、官僚出身者、あるいは練達な政治家ばかりだったから、どういう態度をとるかを知っている。だから、田中角栄を初めて見たときには愕然としたに違いない。「この男は、私を陥れるのではないか。私に敵対しているのではないか」と。

 昭和中期には社会党の片山哲が首相になっている。社会主義、共産主義というのは、天皇制にとって最大の敵。天皇は「大丈夫だろうか」と不安に思ったはずだ。でも、片山はクリスチャンで社会民主主義者であり、共産主義とは一線を画していた。話をしているうちに、天皇は片山を大好きになったらしい。片山の首相退陣後も、事あるごとに片山が宮中へ来られるような行事を考えるよう、侍従たちに言っている。

 田中角栄は無論、共産主義者ではない。しかし、天皇を前にした田中の態度は、他の首相とは違った。田中ほど、天皇に明確な立場をとった人はいない。俗っぽい言葉で言うと、天皇に対し、「あなたも人間だろう。いや、立場上、大変なのはわかる。でも、私も大変なんです」と。そういう態度だったと思える。

※週刊朝日  2016年10月21日号より抜粋

174とはずがたり:2017/02/21(火) 08:42:47

田中元防衛相が民進離党
http://www.jiji.com/jc/article?g=pol&k=2016102200293

 民進党の田中直紀元防衛相が党本部に離党届を提出し、受理されたことが22日分かった。新潟県連が同日開いた常任幹事会で報告された。受理は9月20日付。
 田中氏は7月の参院選比例代表に出馬し落選。その後、参院選で選挙管理委員会に無届けの文書を有権者に配布したとして書類送検され、公職選挙法違反罪で罰金30万円の略式命令を受けた。不服申し立てをせず、今月20日から5年間の公民権停止となった。(2016/10/22-22:12)

175とはずがたり:2017/04/17(月) 21:42:43
田中角栄は地方に永続的な成長をもたらさなかった論

田中角栄が地方に持ってくるはずだった工業はどこへ消えたか。 (No.1035)
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1066974699/2924-2926
2016.09.03
木下斉 HitoshiKinoshita

176とはずがたり:2017/07/16(日) 16:48:31
田中角栄の娘 酒と薬に逃げて自殺未遂繰り返した過去明かす
NEWSポストセブン 2012年5月18日 07時00分 (2012年5月18日 07時33分 更新)
http://www.excite.co.jp/News/society_g/20120518/Postseven_108767.html

“越山会の女王”と呼ばれた母・佐藤昭とオヤジ・田中角栄が、娘の私に遺してくれたことはいったい何だったのか――。2年前の3.11に逝った母。その三回忌を前に、激動の昭和を懸命に生きた父母の素顔を娘・佐藤あつ子さんが綴る書籍『昭 田中角栄と生きた女』が発売された。
 遊びたい盛りだった小学4年生、あつ子さんはすでに塾通いをしていたという。私立中学を受験する準備のためだ。後に、慶応義塾中等部に合格するが、本人の希望ではなく母の一存だった。
「テレビで演説をしている政治家の先生たちも、オヤジですらも、母に逆らう人は誰ひとりいませんでした。いつも家の中の中心は母で、私はその陰」(あつ子さん・以下同)
 小学校から帰ると母は麻雀室から顔を出して「おかえり~。塾の帰りは朝賀(昭)くん(田中角栄氏の秘書)が迎えに行くから」と声はかけてくれるが、食事はお手伝いさんが作ったものをひとりで食べた。
『ルーシー・ショー』や『宇宙家族ロビンソン』などの米ドラマを見ているときだけが楽しかった。
 それでも母のいいつけを守り、母の困りそうなことはいわない“いい子”のあつ子さんにも限界がきた。思春期にはいったころのことだ。
 お酒を飲むことを覚え、当時流行ったサブカルチャーの影響で“ラリる”ことを知る。お酒と鎮痛剤と睡眠薬。さらに咳止め薬を一気のみして、自分をわからなくした。
 恋愛がうまくいかなくなるたび、酒と薬に逃げて自殺未遂を繰り返した。母はオロオロはしたが、事後処理は秘書の朝賀さんに任せた。「なぜそんなことをするのか」と、膝を交え面と向かってくれることは、一度もなかった。
※女性セブン2012年5月31日号

177とはずがたり:2017/07/16(日) 16:49:23
田中角栄 北方四島交渉でソ連に「イエスかノーか?」と強気
2010.12.19 17:00
http://www.news-postseven.com/archives/20101219_8410.html

高等教育を受けずに首相まで上り詰め、「今太閤」として絶大な人気を誇った田中角栄。その交渉力についてジャーナリストの松田賢弥氏が解説する。

* * *
1973年、角栄は首相としてモスクワを訪れ、ソ連共産党中央委員会書記長・ブレジネフとの会談に臨んだ。席上では会談後に発表される日ソ共同声明の文言が検討されていた。その中に<第二次世界大戦の時からの未解決の諸問題>との言葉があった。

当時、外務省東欧第一課長として会談に同席していた新井弘一の著書などによれば、角栄は、「この<諸問題>に北方四島の返還問題は含まれるのか?」とブレジネフに舌鋒鋭く迫ったという。

領土問題の存在をソ連に認めさせようとしたのだ。

4本の指を突き立てた角栄に対し、ブレジネフは、「ヤー、ズナーユ(私は知っている)」と曖昧な答えで逃げを打つ。角栄はそこでたたみかけるように、「含まれるのか、含まれないのか。イエスかノーか?」と机を叩いて迫り、ブレジネフはついに「ダー(イエス、その通り)」と応じた。

相手が誰であろうが、言うべきことは言う。角栄が交渉で物怖じしなかったのは、背負っているものの「重さ」を感じていたからだろう。故郷・新潟をはじめ、貧しい生活、不遇に苛まれる国民たちの声なき声。角栄は政治家になる過程で、最も大切にすべきものは何かを、自身の肌で、体で、学んでいた。だからこそ退かなかった。退くことなどできなかったのだ。

※SAPIO2011年1月6日号

178とはずがたり:2017/09/13(水) 12:06:18
こっちにも転載

1674 名前:チバQ[] 投稿日:2017/09/13(水) 07:04:17
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170913-00529939-shincho-pol
田中真紀子、政界復帰に色気 「新潟補選」地元詣での日々
9/13(水) 5:59配信 デイリー新潮
田中真紀子、政界復帰に色気 「新潟補選」地元詣での日々
イタリアンレストランで、中国人の先生から中国語を学んでいたという
 やはり、“過去の人”扱いには我慢ならないタイプなのである。自民党の長島忠美元復興副大臣の急死に伴い、10月22日、衆院新潟5区で補欠選挙が行われることになった。むろん、かつてその地に王国を築いた田中真紀子元文科大臣(73)は、気もそぞろ。これまで頻繁に新潟入りし、地元とのパイプ維持に余念がなかったのだ。

[その他写真]田中真紀子

 ***

 8月22日、文化放送のラジオ番組に生出演した真紀子氏は、補欠選挙への出馬について質問されると、思わせぶりな発言を連発した。

 曰く、「私は、DNAの端から端まで、細胞全部、政治の塊だと思っていますし、最大の生きがいは政治だと思っています」「本当に心底、政治が素晴らしいと思っている大バカ者なんです」。

 さらには、旧知の河野洋平元衆院議長から「国民的人気があって、突破力があって、ペラペラ喋れるから、あなたが中心になって女子党をつくれ。それしか、安倍さんを倒す方法はないかもしれない」と、“真紀子新党”の結党を勧められたことも明かした。

 俄然、政界復帰に色気を見せているのである。

 真紀子氏が議員バッジを外すことになったのは、2012年の総選挙。亡くなった長島元復興副大臣相手に敗北を喫し、比例復活も果たせなかった。

 落選後は、何をしていたのか。

「現在、真紀子さんは、ファミリー企業である越後交通の会長を務めています」

 と明かすのは、元秘書である。

「確かに、取締役会に出席したり、稟議書を決裁したりと、こなさなければならない仕事はある。とはいえ、週に3日ほども、新潟・長岡にある本社に顔を出している。しょっちゅう戻っているのは仕事とは別に、政界復帰のために地元との繋がりを保っておきたいからではないでしょうか。事実、後援会組織は一旦解散した格好になっていますが、事務所は維持されたままで、いつでも再開できる状態になっています」

コリゴリ
 しかし、再び、民進党から出馬するのは容易ではなさそうである。

 民進党新潟県連の関係者に聞くと、

「万一、党本部が真紀子さんを立てようとしても、地元の合意はなかなか得られません。なぜなら、14年に行われた前回の総選挙で敵前逃亡したからです。真紀子さんは議員バッジを外してからというもの、県連の役員会に姿を現さなくなり、参院選のときも一切協力しなかった。そのため、県連は新潟5区に別の候補者を擁立しようとしていました」

 ところが、当時の海江田万里代表が、頭越しに真紀子氏を候補者に決めてしまったという。

「我々としては、仕方なく真紀子さんを応援する態勢を整えていたのですが、彼女は負け戦になると分かった途端、恥を掻きたくなかったからか、勝手に出馬を辞退した。振り回されてばかりで、もう関わるのはコリゴリです」(同)

 では、真紀子氏はどうするつもりなのか。

 東京・目白の田中邸近くにあり、彼女がオーナーを務めるイタリアレストランから出てきたところを直撃すると、

「出るとも、出ないとも……。うっははは」と大笑いし、煙に巻くばかり。

 果たして、じゃじゃ馬復活となるか。

「週刊新潮」2017年9月7日号 掲載

179とはずがたり:2017/09/25(月) 16:18:28
370 名無しさん 2017/09/25(月) 15:50:51
小池新党 目玉候補本命の「角栄の孫」に断られていた
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170925-00000004-pseven-soci
「角栄氏の孫にあたる公認会計士の田中雄一郎さんです。母は元外相の田中眞紀子氏、父は元防衛相の田中直紀氏という政界サラブレッド。小泉進次郎氏にも見劣りしない血筋の雄一郎さんなら、間違いなく話題になる」(同前)

その雄一郎氏に出馬を促してきたのが民進党離党後、小池新党への合流が噂される木内孝胤・代議士だ。木内氏の父が角栄氏の秘書官を務めた関係から、雄一郎氏とは幼少の頃から交流があるという。

8月13日、長野県軽井沢市で開かれた会食の席に木内氏と細川護熙・元首相らとともに雄一郎氏の姿があった。複数の政界関係者は「雄一郎氏を口説くための会合だった」と話す。木内氏に話を聞いた。

「その日、彼は数日前に罹った食中毒のためすぐ帰ったから選挙の話はしませんでした。私が雄一郎さんに出馬の打診をしたのはその約1週間後です。でも“選挙に出ませんか?”と訊ねたら“出ません”と断わられましたよ」

雄一郎氏が代表を務める会社を通じて取材を申し込んだが、「プライベートに関することは一切答えない」との回答だった。かくして小池新党の迷走は続く。

180とはずがたり:2017/10/22(日) 07:25:49
田中真紀子「(枝野代表は)なかなか立派」 「(前原代表は)何も知らない政治家」
https://www.j-cast.com/2017/10/19311644.html?cx_recsOrder=3&cx_recsWidget=articleBottom#cxrecs_s
2017/10/19 17:26 印刷

外相などを歴任した元衆院議員の田中真紀子氏(73)がラジオ番組で、立憲民主党の枝野幸男代表にエールを送った。

田中氏は自民党の安倍晋三総裁や、希望の党の小池百合子代表、民進党の前原誠司代表らには「毒舌」を吐いた一方で、枝野氏にだけは衆院選で「ぜひ勝ってほしい」と述べている。



181とはずがたり:2017/12/27(水) 15:27:53

動かぬ「田中家」、今後は写真あり
衆院5区 真紀子氏ら国政意欲否定
http://www.niigata-nippo.co.jp/news/politics/20171030354696.html

 22日投開票の衆院選の県内小選挙区は野党側の4勝2敗で終わった。その総選挙に統合された新潟5区の補欠選挙では当初、かつて地盤とした田中真紀子元文部科学相(73)や田中氏の長男の雄一郎氏を擁立する動きがあったものの、実現しなかった。2人は国政への意欲を否定するが...

【政治・行政】 2017/10/30 11:50

182とはずがたり:2018/04/05(木) 21:57:06

田中真紀子氏、小泉進次郎議員の発言を痛烈批判「本気で取り組むなら自分が質問しないと」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180328-00000093-sph-soci
3/28(水) 9:07配信 スポーツ報知

 元外務大臣の田中真紀子氏(74)が28日放送のTBS系「ビビット」(月~金曜・前8時)に出演し、学校法人「森友学園」への国有地売却に関する財務省の決裁文書の改ざん問題で、衆参両院の予算委員会で開かれた当時の財務省理財局長だった佐川宣寿氏(60)の証人喚問について独自の視点を示した。

 田中氏は、一連の改ざん問題で自民党の小泉進次郎議員(36)が25日の自民党大会で「これは与党野党、まったく関係ない。今日総理が言った『徹底的に真相究明をやる』と。その言葉通りの徹底究明。これをやらなければいけない」などと発言していることに触れ、「小泉、ナニ次郎さんだったかな?息子さん?」とした上で「自民党のバッヂ付けているんだったら、これおかしいって言えばいいものを、ぎりぎり評論家みたいなことを言っていて」と断じた。

 その上で小泉氏の発言に「あれは若い子なのに、汚いと思う。お父さんのやり方を真似しているのかも分からないけど。もっと本気で取り組むんだったら、自分が質問しなければいけない。あの人は30年前の安倍さん、30年経ったら今の安倍さんになる子ね」と指摘していた。

183とはずがたり:2018/06/08(金) 15:55:03
此処だな。

「日本一選挙に強い男」中村喜四郎は、なぜ新潟県知事選に本気で挑むのか
https://www.excite.co.jp/News/society_g/20180608/Bunshun_7716.html
文春オンライン 2018年6月8日 11時00分

 69歳のベテラン政治家が、永田町の玄人たちをざわつかせている。衆院議員・中村喜四郎。衆院選で14戦無敗を誇り、「最強の無所属」の異名を取るその男が、地元・茨城から遠く離れた新潟の地で神出鬼没の動きを見せている。

 新潟県知事選(6月10日投開票)の告示前日、中村は県内で講演した小泉純一郎が、野党6党派が推薦する女性候補者と握手する場面をセット。1990年代の自民党で中村と盟友関係にあった山﨑拓を通じて、小泉の意向を水面下で探り、超党派の「原発ゼロ共闘」を演出した。

■衆院ナンバー3の古株でありながら
 告示後も3度にわたり新潟入り。自民・公明両党が支持する男性候補者と競り合う中越地方で「極秘のローラー作戦」を展開し、同地方のホールでは500人の聴衆を前に「新潟から女角栄を生みだしていただきたい」と熱弁を振るった。選挙戦終盤には野田佳彦とともに街頭でマイクを握り、知られざる雄弁家の一面を見せつけた。

 議員生活40年。小沢一郎、野田毅に次ぐ衆院ナンバー3の古株でありながら、一部の政治通を除けば、忘れられた存在だ。それも無理はない。1994年3月にゼネコン汚職事件で逮捕され、自民党を離党してから四半世紀が経とうとしている。その間、国会の議場では1度しか発言したことがないのだ。

 しかし、衆院茨城7区では熱狂的な支持を集め、麻生太郎側近の自民党現職に5戦5勝。中村の応援に森喜朗や古賀誠ら引退した大物たちが入ったこともあり、同じ中学校の後輩である公明党代表の山口那津男とも気脈を通じている。比例復活なし、政見放送なし、選挙カーは1台限り――などという無所属の制約をものともせず、服役中で出馬を断念した2003年の総選挙を除けば、無双の勝負強さで「孤高の1議席」を守り続けている。
■マスコミ嫌いの中村が、1度だけ師匠・角栄について語った
 そのしぶとさは、ロッキード事件の逮捕後も選挙区トップで5戦全勝した新潟の偉人・田中角栄を彷彿とさせる。事実、中村は「田中角栄秘書」を政治の原点としている。選挙戦術、スピーチ術、人心掌握術に至るまで、20代の頃から見よう見まねで学び取った。果たして、40歳で「戦後生まれ初」の入閣を成し遂げ、一時は「将来の総理候補」と目された。その後、事件で転落してもなお、政界の重鎮からは「日本一選挙に強い男」(小泉純一郎談)として一目置かれている。

 マスコミ嫌いで知られる中村が政治家人生40年の中で、たった1度だけ、師匠・角栄について饒舌に語ったことがある。4年前の2014年、私(常井健一)が担当した初の単独インタビューである。その時は一部のコメントを「文藝春秋」(2014年8月号)に寄稿した角栄の人物評伝に載せただけで、紙幅などの都合上、愛弟子による「オンリーワンの角栄論」を十分に読者に届けることができなかった。

 だが、今回の新潟県知事選、中村が継承した〈角栄直伝の選挙戦術〉が投票結果をどれだけ左右するか――が一部の政界関係者の間で注目されている。これを機に、長く封印されていた「幻のインタビュー」を思い切って公開し、中村の原動力になっている田中角栄との師弟関係に迫りたい。(文中一部敬称略。政党名などは2014年当時の呼称で記載してあります)

■もし私が当選したらロッキード選挙で「全国最年少当選」
――中村さんは国会に議席を持つ田中角栄「最後の弟子」と言われております。秘書時代、若手議員時代を通して教えを受けた直伝の選挙戦術とはどのようなものだったのでしょうか。

 選挙というものは机上の空論ではなく、足を棒にして足で稼がなくちゃ勝てないという基本をいつも訴えていた人だったですよね。それをまともに聞ける人か、聞き流しちゃう人かどうかが、選挙に強いか弱いかの差になっていったと思います。

 私は大学を卒業してから4年ほど砂防会館(東京都千代田区平河町)にあった田中事務所にいて、1歳年上の鳩山邦夫さんなんかと一緒に秘書として働いていました。その間、ちょうどロッキード事件が起こって、田中さんが逮捕された直後の総選挙(通称・ロッキード選挙)に27歳で出たんですね。衆議院が解散になった日、私は田中さんに「いろいろ申し上げたいことはありますが、頑張ってください。もし私が当選したらロッキード選挙で『全国最年少当選』は田中角栄秘書ということになります。もし、私が負けても、(旧東京8区から出た)鳩山邦夫(当時28歳)がおります。どちらかが初当選して、『最年少』になれば、田中さんの事件に対するアンチテーゼを世間に示せるので、頑張ります」と言ったのを鮮明に覚えています。

184とはずがたり:2018/06/08(金) 15:55:18

 総選挙の開票中、田中さんは私が出馬した茨城3区の状況を、どこよりも関心持って見ていたそうです。私が当選したことをものすごく喜んだ。「中村は最高点(選挙区トップの得票)で合格した。ちゃんと約束を果たした、あっぱれだ」と言っていたと、後に事務所の人たちから聞かされましたよ。

■選挙区内のほとんどの家を訪ねた
――田中角栄は初めて選挙に挑む新人に「戸別訪問3万軒、辻説法5万回」を課したと語り継がれています。

 私は初めて選挙に出る前、4年間で11万軒を歩いたんですよ。選挙区内のほとんどの家を訪ねた。田中先生から言われたからやったわけではないんですけど、私が初当選したら「中村に歩けと言ったら、ちゃんと歩いた。だから当選した」ということを仰っていたそうです。田中さんは私が自分から決めてやったことを知っていながら、「オレの弟子はそうやった。それでトップ当選している。オレの言うこと聞いている奴は強いんだ」と言い聞かせていたと聞きました。

「歩く」ということはテクニカルな点でも重要ですけど、やっぱり田中さんの場合、「人の気持ちも大切にする」という考えがその基本にありました。この人たちは何を欲しているのか、どうすればこの人たちの気持ちを惹きつけられるのかを瞬時にして見分ける。そういう政治家としての感性は、歩かないと磨かれない。だから、できるだけ歩いて身につけろと言っていたんですけど、普通の人にはその意味がわかりません。

 だから、田中さんに言われても聞き流しちゃう人は割と政治的に恵まれないまま終わっていったし、田中さんの持っているセンスをモノにするために盗もうとした人は選挙に強くなっていった。小沢一郎さんなんかも、羽田孜さんなんかも、田中さんの良い面を盗んだ人たちです。そういう人たちが田中派の流れを汲んで動いて、政治の表舞台で大きくなっていったんじゃないですかね。

■ヘリコプターは田中イズムの象徴だった
――田中角栄は地道な戦術だけでなく、総理時代にはヘリコプターを使って、派手に全国行脚をすることもありました。

 田中さんの頃は、いかにして候補者本人が一生懸命闘っている姿を見せ、それを応援してもらえるように周りの人々を巻き込んでいくか。マンパワーで勝敗を決めていくような選挙で、割と国民に近いところで勝敗が決まっていたわけです。

 ヘリコプターは、そういう田中イズムを全国的に広げようというひとつの象徴だったのでしょう。つまり、ヘリコプターを使ってまで駆けつけるだけでも、「あの田中さんがあそこまでしても勝たせる価値のある候補者なんだ」というメッセージを送ることができる。支持者への叱咤激励にもなる。陣営内にも「自分たちも頑張ろう」という雰囲気ができて、それぞれの能力をギリギリまで発揮しようとなる。そういうことが勝敗にも影響するということを、信じて疑わなかった時代ですよね。非常に顔が見える選挙、やりがいがある選挙でした。

 もちろん世論調査をかけたり、県会議員や首長レベルの人脈を全国に持つように心がけていたと思うんですが、そういうことよりも、やっぱり基本を大切にしていたんじゃないですか。

 そういう意味では、今の選挙と根本的に違います。今は、マニフェストをマスコミにどう売り込むかとか、いわゆるイメージで風を吹かせる選挙をやっているわけですよ。「風」に乗り遅れれば、当選できない。努力する者が勝ち、汗かいた者が生き残れるような選挙で、シンプルな戦い方ができたのが昔の選挙だったのが、今は高学歴とか、ブームとか、何だかわからないような形で当落が決まってしまう。

■人の心をつかむのが卓越していました
――中村さんはそもそもどうやって田中事務所に入れたのでしょうか。その経緯を教えてください。

 私の父(先代・中村喜四郎)が1971年末に参院議員在職中に亡くなった後、翌年の補選(参院茨城選挙区)に私の母(中村登美)が無所属で出たんですよ。父は自民党で大平派だったのに、大平正芳さんは一方的に水戸駅前に来て、自民党の公認をもらった別の候補(山口武平)の応援演説をやっていった。

 ところが、終盤になって「どうも中村が強いぞ」という情勢になった。すると、(当時通産相の)田中さんが自民党候補の応援に来た際、何を言ったかといえば、「中村喜四郎(先代)は大変立派な政治家だった。筑波に研究学園都市を持ってきたのは彼だった。彼を失ったことは大きい」と。そう言って帰っていった。

185とはずがたり:2018/06/08(金) 15:55:32

 大平さんは自民党公認候補を応援に来て、未亡人の母に対しては一言もメッセージを発しない。田中さんは未亡人に向けたメッセージを送っていく。そういうことでも人の心をつかむのが卓越していましたよ。やっぱり、人の感性に響く。選挙に対する研ぎ澄まされた感性があった。
 それで、母は当選した。当選した後、母は大平派には絶対行かないということになって、田中のところに行くわけですよ。その時、田中さんは「困ったことがあったら何でも言え」と、経済的に困っているんじゃないかという感覚で言ったら、母は「頼むことはない。息子を秘書にしてくれ」と言った。でも、「それはダメだ」と言われた。

 そこは田中さんの合理的なところなんです。私が秘書になるということは、将来、衆院選に出るということ。そうすると、当時の茨城3区(定数5)には赤城宗徳(当時佐藤内閣の農相)、丹羽喬四郎(同運輸相)、北沢直吉(元官房副長官)のベテラン3人がいたから、みんな敵に回すことになる。そこに登坂重次郎(同厚生政務次官)も含めれば自民党は4人いる。たった1人の子分を出すのに4人も敵に回すのはダメだ、と合理的な考え方をするんです。母はずいぶん粘ったけど、どうしてもダメ。「まあ、1回連れてきてくれ」ということで、後日、私が田中さんに会いに行った。

 私は事情を聞かされ、「それなら、わかりました。私が当選しても絶対に田中派に入りません」と言ったら、田中さんは「それなら、うちに来い」と迎え入れてくれた。こうして、田中事務所に押しかけて秘書になることが決まりました。

 ただし、田中さんからは「その代わり、20年も勤めている秘書が朝7時に来るんだから、その前に来い」とも言われました。私はずっと朝6時に出勤した。だから、田中さんは私が(1976年に)選挙に出る時に一つも反対しなかったし、反対しないどころか私が初当選したら「オレが教えてやったから当選した」というふうに私のことを自慢話のようにアッチコッチでされた。そういういきさつがあったんです。

■「この人のために汗かこう」という気持ちに
――自民党候補の応援に来た角栄が、「敵」である無所属候補にもエールを送る。茨城の中村派も悪い気はしなかったということですね。

 心、鷲づかみですよ。後年、母が病気になって入院した時、田中さんがロッキード裁判の公判を終えてから病室にお見舞いに来たことがありました。それでね、1時間も病室にいた。ただ来たんじゃない。あの田中角栄が1時間もいた。そういうことがしっかりと家族の心をつかむんですよ。「この人のために汗かこう」という気持ちにさせる。

 形だけではない。「田中さんはやっぱり苦労している人だから」と、人の心に届く。みんなの力をつかんでしまう。大衆政治家ですよ。これも選挙の極意というか、まあそういうものに通じるものがある。とにかく卓越していた。私だって後年、(ゼネコン汚職で逮捕されて)裁判を抱えている時にはとてもそんなつもりにはなれなかった。そういう経験をしてから、改めて田中さんはスゴイと思いました。

――中村さんは1976年の総選挙で衆院議員になった後、1985年に田中派を飛び出し、竹下登さんと金丸信さんが立ち上げた創政会(後の竹下派「経世会」)に参加しました。中村さん自身にとっては「経世会のプリンス」として頭角を現すスタートラインとなりました。ところが、その直後、田中角栄は脳梗塞で倒れます。

 竹下さんがグループを束ねて田中派を出ていこうとした時、あくまでも「田中派の総理を作る」というのが我々の意志でした。「竹下さんを次のリーダーにする」ということではなくて、田中派にはこれだけ人数がいるんだし、みんなずっと田中さんの言う通りにやってきたんだから、もうそろそろ仲間の中から(田中さん以外の)総理大臣を出してもいいだろうという思いでした。

 ところが不幸なことに、あの時の田中さんの心理ではそうと受け止められず、「謀反だ」と受け取ってしまった。それで、お酒なんかも非常に飲んだりして、体調を崩されてしまった。

 だけど、田中さんと竹下さんを比べるような考え方なんて全くなかったですよ。我々の親分は田中角栄であり、親分の下で竹下さんを総理にするんだ。そういう考え方だったんですが、そういうふうに捉えてもらえなかったことが、私にはさびしかった。

186とはずがたり:2018/06/08(金) 15:56:13
>>183-186
■実体と違う田中角栄像が出来上がってしまった
――田中角栄は総理時代にも、政権運営に批判が強まる中で突然入院することがありました。あの頃、中村さんは田中事務所に勤めていましたが、近くで見ていて総理の体調が悪そうだという印象はありましたか。

 いやいや、体調が悪いというよりも、無理している感じですよ。「ゴルフを何ラウンド回った」とか言って、自分の体力を誇示することによって、「オレは逆境は乗り越えられるんだ」と自分に言い聞かせ、無理をしていた。近くで見ていても、それがありありとわかる。ストレスもあったのに、私は「そこまで無理してゴルフをやる必要があるのかな」と思いました。
 私もその後、同じように(ゼネコン汚職)事件で追及を受け、刑事被告人になる経験をしましたが、やはり目に見えないプレッシャーとの戦いになります。私もそれを払いのけよう、払いのけようとして、非常に無理していたという感じはありましたね。

――総理時代には衆参で1度ずつ国政選挙をしているのですが、「今太閤」と呼ばれ、国民的人気が高かったと言い伝えられる割には芳しい結果を出せていません。私はそのナゾを追い続けているのですが、「選挙の神様」はなぜ一番の勝負時に本領を発揮できなかったのでしょうか。

 総理になる前は非常に期待されたし、政策も魅力的だったと思われましたが、総理になってからは「金権政治家」と叩かれていました。田中さんの能力とか魅力とかいうのは、総理になってからは国民にとって逆にマイナスに映ってしまった。そういうような中で田中さんの能力は、総理大臣になってからはあまり発揮できなかった。

 やっぱり田中さんのようなタイプが総理大臣になるということは、日本社会の中で非常に抵抗感が強かったんじゃないですか。「総理を1回やらせてみたい」という興味はあっても、いざなってみると、成り上がり者ということで、そういうものに対して叩こうという全体的な雰囲気、ネットワークが形成されていたように感じますね。

 だから、今振り返ってみると、非常に特異なキャラクターだったし、それをうまく活かせるような態勢作りを周りの人たちもしてあげることができなかった。そのために、力が発揮できないまま総理を辞めることになってしまった。

 退陣後は「院政」というような、国民が望んでいないようなことを自民党の中で展開していった。そうすると、非常に特異な魅力を持った人、大衆的な人でもあるのにかかわらず、国民から見ると「黒幕の元締め」みたいなイメージ。どんどん実体と違う田中角栄像が出来上がってしまったんです。ロッキード事件が、さらにそういう方向に強く持っていったということですね。

※#2〈 四半世紀も眠っていた「田中角栄の愛弟子」が安倍一強打倒に動き出した 〉につづく
(常井 健一)

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