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【5月22日4限 意見・感想】
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授業に出席された方はこちらに意見・感想を書き込んでください。
なお、こちらに書き込むことで出席とみなします。〆切は22日(木曜日)23:59 までとします。
これを過ぎると出席点に加算されませんので、〆切厳守でお願いいたします。
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お疲れ様です。3回生の西出匡希です。
大和が特攻に含まれていたこと自体に自分は驚きました。なぜなら、自分の中での特攻の意味は、人々が敵軍に自ら命を捨てて突撃するという意味だと考えていたからです。また、特攻にも認められていないものがあるということにも興味を持ちました。突撃したもの全てが特攻に含まれていると考えたからです。
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おつかれさまです。3回の神田です。
特攻隊戦没者慰霊顕彰会が戦後60年を期に、大和を準特攻であると認定したとのことで、会内部で世代交代がなされたのではと質問しましたが、会のトップがどのような立場(士官出身であるか等)の人物が歴任していたのと、会の見解の相関がわかると面白いのではないかと思いました。
また、大和を準特攻と認定したのち、顕彰会の会員数等に影響があったのか気になりました。
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報告お疲れ様です。3回生の岡田です。
終戦後の戦争観に関して、戦艦大和観と特攻観という切り口で考察されていて、戦艦大和の「準特攻」についての考察はとても説得力があるものだと思いました。そして、研究のオリジナリティを生み出すアプローチとして手本になるようなものだったのですごいと思いました。
講義内の質問者の方からも挙がっていましたが、特攻隊戦没者慰霊顕彰会について、その中身を明らかにしていくことが大切だと私も感じました。
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報告お疲れ様です。3回生の清水爽翔です。
戦艦大和が終戦からかなりの年月を経た後に「准特攻」として扱われたということに関して、特攻観や、大和に関わる側の人々の認識との関連から考察されている点は非常に興味深かったです。また、軍上層部と遺族はどちらも海上特攻を「特攻」と認識していたのにも関わらず、志願制度による特攻には二階級特進があった、一方、命令による特攻の場合は、二階級特進がなかったという一規則において、特攻というものの認定意識が大きく異なる点は大変印象に残りました。そのような中で、沖縄へ向かう戦艦大和は史料14に見られるように、もちろん単体で行動していたわけではなく複数の艦艇で行動していたのも事実であると思います。このため、大和の「特攻」「准特攻」に対しては、同じ艦隊の中でも、大和とそれ以外の艦艇での特攻に対する認識の違いや、大和を含む艦隊という大きな枠組みで見てみるのも面白いのではないかと思いました。
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報告お疲れ様です。三回生の大西です。
戦艦大和が準特攻扱いされていたのがどうしてなのか、楽しく聞かせていただきました。史料レジュメの20で気になった事があります。史料には最後の二行目のところに「史実混乱を避けるために」と書いてあったのですが、どうして混乱に至るのかが気になりました。また、特攻した人の史料に関して、もっと回想録などが集まれば史料に厚みが出ると思いました。
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報告お疲れ様です。四回生の山際です。
二階級特進に関して、政府や軍部側で何か基準が定められていなかったのか疑問に思いました。
また、戦艦大和の沖縄出撃が「準特攻」として取り上げられるまでに60年の年月を要したとのことでしたが、そこに至るまでにどのような出来事や価値観の変化があったのか気になりました。
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報告お疲れ様です。3回生の榊原です。
戦艦大和が準特攻と区分されていることは大変興味深く、内容も大変面白かったです。内藤さんがおっしゃられた通り、戦艦大和の船員たちが二階級特進扱いにならなかったのは、当時の海軍がごたついて混乱していたからだと思います。また、戦艦大和と作戦を共にした巡洋艦矢矧などの船員たちはは二階級特進にはならなかったのか気になりました。
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報告お疲れ様です。4回生の三谷です。
暗中模索の中、よくここまで方向性を打ち出せたと思います。戦艦大和の特攻の特異性や、元特攻隊員の苦悩などが明確に伝わり、また特攻隊戦没者慰霊顕彰会の戦後日本の戦争観に対する見解なども示唆に富んだものであったと言えます。戦後60年という節目における大和ブームが、大和特攻を周知させる契機となった点について、戦前と戦後の大和特攻の世間一般での受け止め方を比較検討するのも面白いのではないかと思いました。引き続き大変な作業が続くとは思いますが、内藤さんにとってより良い卒論となるように願っています。大変お疲れ様でした!
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お疲れさまです。3回生の塩野崎日菜です。
特攻が組織的に行われたものだということは知っていたのですが、「二階級特進」や「準特攻」などといった言葉の存在、また戦後に至ってまでその内実の検証が行われてきたということにとても驚きました。
こういった問題は世相の反映による史料の変化なども大きく、なかなか難しい調査になるのかなと感じました。これからも頑張ってください!
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報告お疲れ様です。3回生の坂井です。
戦後に特攻観に変化があったということに驚きました。特攻隊に関する映画などがありますが、そこで描かれる特攻は美化されたもののように感じます。朝鮮戦争や高度経済成長によって、特攻隊や戦争に対する忌避感が薄くなったと説明されていましたが、まさにそれが現在の特攻隊美化につながっているのだなと報告を聞いていて感じました。また、戦艦大和の沖縄出撃が「準特攻」として取り扱われているということが非常に興味深かったです。私自身、今まで「準特攻」という言葉を知らなかったため、この言葉がどの程度認識されていたのかが気になりました。
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お疲れ様です。4回生の石山です。
あまり焦点の当てられない大和特攻の研究は非常に面白い研究であると感じました。
大和が天一号作戦に参加したとき、既に軍内部で「特攻」の意識があったのか疑問に感じました。
特攻戦没者慰霊顕彰会など、慰霊団体にはコンタクトできるかと思いますのでまた相談いただければと思います。報告お疲れ様でした。
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ご報告お疲れ様です。
3回生の山中と申します。
戦争の体験者がそれぞれ生きているのが少ないない中で、今まで「特攻」と「準特攻」が区別されなかったのかを雑誌などから考察しているのはとても面白いと思いました。また、先行研究整理の仕方がとても参考になったので、今 自分の発表に生かしていきたいなと思いました。
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報告お疲れ様でした。4回生の溝口です。
特攻という難しいテーマに対し、特攻隊戦没者慰霊顕彰会を軸に据えるという発想はとても興味深かったです。
先生もおっしゃっていたことですが、特攻の定義が団体、個人によって異なるため、特攻と準特攻の差異が複雑化しているのかなと思いました。また、顕彰会が1993年を境に大和を特攻と認識し始めた経緯に関しても興味を持ちました。
色々とお忙しい中、報告準備をするのは大変だったと思います。本当にお疲れ様でした!
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報告お疲れさまです。3回生の仲澤です。
大和が準特攻として扱われていることに驚きました。また特攻として成功した時の判定が曖昧であることも初めて知りました。特攻であると認定する判定が、明確に決められていないことが、大和の特攻の扱いに影響しているのだろうと思いました。
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報告お疲れ様でした。4回生の高井です。
特攻というかなり希少かつ独自性のあるテーマを多くの史料を用いて多角的な視点から考察していた点がとても興味深く、私も見習わなければと思いました。
個人的に1点、報告では特攻観について主に特攻隊員などの視点で述べられていたイメージでしたが、当時の政府や国民、他国などは特攻についてどう捉えていたのかが単純に疑問に感じました。
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報告お疲れ様です。3回生進藤です。
戦後日本における「特攻」の顕彰が、単なる追悼にとどまらず、戦争観や社会の価値観とも関わる複雑な問題であることがよく分かりました。特に戦艦大和の出撃が他の特攻と異なる点を持っていたことや、その扱いが変化してきた背景が丁寧に説明されており、史料を通じて理解しやすかったです。特攻隊慰霊顕彰会の考え方の変遷も、史料を通して具体的に捉えることができ、とても興味深い内容でした。
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報告お疲れ様でした。3回生の鈴木すみれです。
「準特攻」という存在を知らなかったため、特攻の定義によって隊員の死後の扱いが変わってくることにとても驚きました。時代背景によって特攻観が変化することにも興味が湧きました。質疑応答にも追加情報を添えて丁寧に答えており、特攻についての理解を深くされているのが伝わりました。
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報告お疲れ様です。3回生の貝吹です。
大和が準特攻として取り上げられるまで戦後60年もの時間を要したことに驚きました。大和の出撃によって戦死された隊員は二階級特進がないが、遺族の中には二階級特進を信じている人がいたという史料が興味深かったです。
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