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【3月20日 補講日報告(三谷・北村)意見・感想】
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授業に出席された方はこちらに意見・感想を書き込んでください。
なお、こちらに書き込むことで出席とみなします。〆切は21日(金曜日)23:59 までとします。
これを過ぎると出席点に加算されませんので、〆切厳守でお願いいたします。
3回生の報告に入りましたので、以下の条件での書き込みをお願いいたします。
*報告者2人分(1コマ分)で1投稿 ・報告順に従い、
①―さんへ
②〜さんへ と宛名を明示してから本文を書き込む。
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報告お疲れ様でした、3回生の高井です。
まず昨日の補講に午前中しか出席できなかったため、書けるのが三谷さんの報告に対する感想のみになるので、その点は了承願います。
①三谷さん
まずテーマについて、他の方が中々取り上げていない斎藤実や朝鮮統治など特定の人物や事柄に絞っている点はとても独自性があり興味深く感じました。ただその中でもなぜ斎藤実や香椎源太郎といった特定人物に着目したのかや他の方や先生も言われていたように、言葉の使い方で少し差別的な表現を使用していた点や全体的に内容の抽象度が高い点が少し気になりました。特に内容の抽象度に関しては私も改善しなければならない点なので、お互い卒論に向けて頑張りましょう。
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報告お疲れさまでした。4回生の福田です。
①三谷さんへ
今回の内鮮融和に関する発表について、朝鮮における日本人実業家と総督府の関係に着目されていた内容でした。
しかし、統治側の視点に帰結しており、朝鮮人側のアクションについての言及がありませんでした。今回の報告のように、内鮮融和のような考えが出てきたのは総督府による統治が芳しくなかったからであり、総督府が文化統治に苦しんでいたのは、朝鮮人のナショナリズムによる隔たりがあったからです。朝鮮人への懐柔策としての内鮮融和の側面がある一方で、懐柔される朝鮮人側はそれぞれの立場でどのような意思を持っていたのか気になるところです。植民地史研究では、双方向的でない研究が先行研究が多いのでしょうか。反体制側の朝鮮人と体制側の総督府・日本人実業家の間に朝鮮人のアクターが関係することは確実であるにもかかわらず、発表後の議論でもやはりそれは捨象されやすい視点であることを改めて認識しました。そのアクターの存在が朝鮮の実状を浮き彫りにするシステムを構築していると思います。今後、実状を調べ上げてからどのような問題意識を提起したいかという三谷君の考えによりますが、まずは関係性を透明にすると問題点の整理に繋がると思いました。
・朝鮮総督府『朝鮮 (91)』1922年10月、P444
・『工業雑誌』51(655),工業雑誌社,1919-07、P48
・『朝鮮公論』8(1),朝鮮公論社,1920-01、P74
上記史料には、朝鮮殖産銀行が朝鮮人実業界にも融資を試みていることが述べられており、その数年後には、朝鮮人実業家による韓一銀行の設立や韓相龍なる実業家についての記述もあるので、史料は他にもある程度は存在すると思います。
銀行の融資システムは財界における根幹部分なので、これを基に考えると銀行―日本人実業家―朝鮮人実業家の関係性モデルを見出せます。様々なアクターの関係性をなるべく透明化すると、論点は自然と出てくると思います。引き続き研究頑張ってください。
②北村さんへ
陸軍新聞班がどのように行動して1920年代にプロパガンダ活動を行っていたのかについて焦点が当てられていました。まず、今回取り上げられた朝日と読売の違いに関して、淡々としている読売に比べて、朝日は大仰に取り上げているという北村さんの所感が気になりました。1920年代の朝日新聞は非戦論に舵を切っていたため、朝日がそのような論調だった(少なくともその論説に関しては)のはなぜなのか見ていくのも重要だと思います。
また、当時の社会状況を考えてみると、大学アカデミズムの権威が発達し、デモクラシーにおける民本主義・社会主義の普及によって、国家による思想の統制を強めるという点に着目する必要はあります。そうなると、内務省管轄と陸軍管轄の関係が浮上しますが、そことメディアの関係性の区別も整理することは重要だと思います。そして、北村さんが言及していた、大新聞より中小新聞へのアプローチが大きかったことについて、先行研究ではどのような論点で述べられていたのでしょうか。気になった点としては、大新聞と中小(政党寄り)新聞の講読層を見る事かと思いました。
もう一点、関東大震災の際に大新聞がデマを流布して、虐殺につながったことから、1924年前後におけるメディアのリテラシーを社会との関係性にも着目してみると立体的な視座を得るようにも思われました。
政治的な動きと同時に当時のメディア産業を透明化することで関係性を把握できると、一気に論点が見つけられると思います。大変だと思いますが、頑張ってください。
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報告お疲れさまでした。4回生の塚本です。
掲示板への書き込みが遅れてしまい、すみません。
①三谷さんへ
朝鮮総督や総督府官僚などの統治構想に重点を置く先行研究とは異なり、政財界の繋がりが強い植民地朝鮮の性質に着目して、朝鮮半島在住の日本人実業家の統治観という視点を提示したのは、大変面白かったです!
一方で、当時の朝鮮半島在住の日本人実業家が、議会制度の無い当該期の朝鮮において、総督府による政治にどこまでの影響力を及ぼすことが出来たのか、現時点で不明確な点も多いため、それを解明していくことが一番の課題ではないかと思いました。
ですが、今回取り上げられた史料内でも、日本が朝鮮半島における同化政策を進めていく中で、同地域の産業発展を重視しているなど、政治と経済が必然的に関係しあう状況にあったことを読み取ることが出来ます。そのため、より丹念に朝鮮半島を取り巻く政治・経済の状況を見ることで、三谷さんの研究が進展するのではないかと思いました。
最後に、参考になりそうな文献を1つ紹介して、感想を終了いたします。
【文献紹介】
◦今西一「帝国「日本」の自画像―1920年代の朝鮮「同化」論—」『立命館言語文化研究』第8巻第3号(立命館大学国際言語文化研究所、1997年)5〜22頁
→ciniiで閲覧可能。
北村さんへ
1920年代を、日本の軍国主義化のターニングポイントとするご自身の問題関心に沿って、陸軍省新聞班を「情報インフラ」として社会に受容されていった点に着目した点は、聞いていて、とても興味深かったです!
今回の報告で主に取り上げられた桜井忠温は、「有名軍人文士」という自信の立場を活かして、対外交流や執筆をしており、かなり個人に依拠した活動をメインにしていたように感じました。個人的には、その後の新聞班長が桜井のような個人活動をメインとした態度をとっていたのかを比較することで、1920年代から30年代にかけての陸軍によるメディア戦略の特質について、浮かび上がらせることが出来るのではないかと思いました。
最後に、新聞班の活動に関して記述が見える史料・ツールを紹介して、感想を終了いたします。
【史料紹介】
日本近代史料研究会『日本近代史料叢書B-4 鈴木貞一氏談話速記録下』(日本近代史料研究会、1974年11月)
→新聞班長を務めていた鈴木貞一(在職機関:1933〜34年)のインタビューを掲載。NDLデジタルコレクションの送信サービスで閲覧可能であり、全文検索で「新聞班」と検索すると、鈴木の新聞班長時代の出来事についての証言を見ることが出来る。桜井よりも後の時代にはなるが、新聞班の活動に関して参考になる点もあると思い、紹介。
【ツール】
「テーマ別歴史資料検索ナビ アジ歴グロッサリー」
→アジア歴史資料センターのHP内にあるツールで、アジ歴の資料検索のナビゲーション機能も備わる。組織の概要を知ることが出来るのに加え、関連資料へのスムーズなアクセスも可能。陸軍省新聞班でもヒットする。
最後に、2年間ありがとうございました!
3回生の皆さんは進学後も頑張ってください、応援しています!
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