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【11月7日 4限 意見・感想】

1 : 河嶋直 :2024/11/07(木) 10:49:13
授業に出席された方はこちらに意見・感想を書き込んでください。
なお、こちらに書き込むことで出席とみなします。〆切は11月7日 (木) 23:59 までとします。
これを過ぎると出席点に加算されませんので、〆切厳守でお願いいたします。


2 : 河嶋直 :2024/11/07(木) 17:02:42
報告お疲れさまでした、4回の河嶋です。
レジュメの最後のところで、「1952年4月から始まる給食において当初の計画は、全額を父兄が負担することになっていたが、半額を国庫で負担するようになり、」とあったが、アメリカの資金援助が消滅し、その負担を国民全負担というのは、突拍子も無い政策であり、国民負担という面で1949年・50年・51年・52年以降でどのように変化したのかを見ると良いと思いました。


3 : 鬼木翔大 :2024/11/07(木) 17:57:33
報告お疲れ様でした、3回生の鬼木です。
今回の報告においては学校給食の制度的存続とそれに伴う社会的・政治的背景が綿密に描かれており、非常に興味深く拝聴させていただきました。質疑応答の際にも申し上げましたとおり、やはり米麦統制や敗戦直後の財政面といった事柄を考慮に入れて検討すると、学校給食制度とそれら諸問題との間において登場したパン(粉食奨励の一環としての新主食)の存在は目を見張るものであり、学校給食制度の存続という観点においてパンを語らない手はないのではないかと思われました。これに関しては、特に「おわりに」でも岩間さんご自身が言及されていた通り、史料的な不足が否めない(とのことでした)第2章の2節「学校給食存続へ」というパートにおいて大きな効果を発揮できる可能性を秘めていますので、ぜひ積極的に検討していただければと思います。以下、参考文献です。
・増田澄夫「麦自給上の諸問題について」『食糧自給力の技術的展望』農林統計協会、1976年、91〜109頁。
・横山英信『日本麦需給政策史論』八朔社、2002。
・横山英信「戦後小麦政策と小麦の需給・生産」『農業経済研究』77巻3号、日本農業経済学会、2005年、113〜128頁。
・横山英信「新基本法・『戦後農政の全面的再編』下における麦生産と麦政策」『アルテス・リベラレス』第75号、岩手大学人文社会科学部、2004年、49〜71頁。
・渡部岳陽「米政策改革下における助成金帰属問題-仙台市の取り組みを事例に-」『2004年度日本農業経済学会論文集』日本農業経済学会、2004年、137〜144頁。


4 : 白井岳歩 :2024/11/07(木) 18:23:44
四回生の白井です。

全体的に冗長な表現が多く、少し読みづらく感じました。

例えばレジュメ1頁
「文部省は学校給食を存続させるために補正予算から補うことを要求したが、大蔵省は給食予算の占める割合が大きすぎると学校 給食打切り案を出し、ここに学校給食最大の危機が到来した。」

修正例
「文部省は学校給食を継続するため、補正予算からの財政支援を求めた。しかし、大蔵省は給食予算の割合が財政に過大な負担をかけているとし、学校給食の打ち切り案を提示した。この結果、学校給食制度はその存続において最大の危機に直面することとなった。」

私も悪文を書きがちですが、卒論に向けて共にブラッシュアップしていきましょう。


5 : 泉晴輝 :2024/11/07(木) 18:35:47
報告お疲れさまです。三回生の泉です。全体的にお米のことしかわからなかった印象なので、パンのことにも触れるべきだと思いました。また、先行研究に関しても、もう少しボリュームを増やして従来の研究と自分の研究の違いをもっと明らかにしても良いのではないかと思いました。


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7 : 福田敬知 :2024/11/07(木) 18:39:31
報告お疲れさまでした。4回生の福田です。
今回の報告で、厚生省に関する記述が最後の対応の部分に限られているのですが、厚生省が当時の栄養問題を取り扱う中で、給食問題の対応として各省庁にどのようなはたらきかけをしていたのか、設けると立体的な論になると思われました。
史料提供ですが、本史料のP562から1953年以降の厚生省の栄養対策や米不足への対応が書かれていますので、紹介させていただきます。
・厚生省20年史編集委員会 編『厚生省20年史』(厚生問題研究会、1960年)

二ヶ月を切りましたが、卒論制作、一緒に頑張りましょう!


8 : 山本駿介 :2024/11/07(木) 18:40:32
報告お疲れ様でした、5回生の山本です。
授業内でも言われていたことですが、朝鮮戦争勃発後の米麦統制の際に各省庁の動きが見られていないことや、厚生省の動きもあまり追えていない点が気になりました。その辺りを追加し、構成を工夫すれば、良い卒論が書けると思います。
またどこまで岩間君の研究に関わるかは分かりませんが、『農業史研究』の54巻(2020年)に、戦後の日本での食料統制、同じく東ドイツでの食料統制に関する論文があったので、共有しておきます。どちらも社会主義に着目したものみたいですね。
・永江雅和「戦時・戦後日本における食糧統制と共同経営―戦後日本農業における社会主義への眼差し」
・足立芳宏「農業・食糧統制から社会主義建設へ―東ドイツ農業の戦後史」

卒論提出まで残り僅かとなりました。お互いに頑張りましょう。


9 : 八木大輔 :2024/11/07(木) 20:00:54
報告お疲れさまでした。4回生の八木です。
質問でも触れましたが、需給の割合と予算の振り分けを明確にすると良いのではと感じました。戦後の食糧難(供給不足)によって物価高になるが、朝鮮戦争や家庭での食糧不足、小児の栄養不足(需要増)によって不釣り合いが起きているため、給食の予算が足りないという細かな部分も見ると良いと思います。
また、予算の振り分け先が給食供給施設の建造による給食システムの構築なのか、物価高であるがそれでも食料を確保して給食を提供するために材料を確保するために使用されたのかを明確にしないと、一口に予算でまとめてしまうとどこが改善につながるところか分かりにくいと感じます。また、農林省の予算が需要側に使われて食料確保に動いたのか、供給側に使われて米麦の生産量増大に使われたかによっても給食との関係性が変わってくると思います。
残り1か月ですが、一緒に頑張りましょう!


10 : 鈴木琴葉 :2024/11/07(木) 21:00:57
発表お疲れ様です。3回生の鈴木です。
農林水産省のページによれば、1960年代には既に米が余り始めており、1970年には減反政策が始まったようですが、同サイトで扱われているコラムの学校給食の記事では、米飯が給食に正式導入されたのが1976年であると紹介されており、むしろ米があまり始めているにも関わらず米飯への移行が見られず、パンを主食とする時代が続いていたと推測されます。このことから、食の欧米化は成功したように思えます。これに関して気になった点があるため、質問させていただきます。食料品の安定供給、余り物資の活用という点では講義内で説明していただいた麦の消費の部分と同様に、米の消費を考えることも出来るのではないかと考えられるのですが、代表的なメニューというものを見ても揚げパンやソフト麺など小麦製品が多いように思いました。説明いらずの米飯が省かれやすい可能性はありますが、余り物資の消費という点では麦の時ほど重視されていないように見えたので、麦の消費を重視する理由が他にもあるのではないかと気になりました。


11 : 溝口当子 :2024/11/07(木) 21:09:43
報告お疲れ様でした。3回生の溝口です。
学校給食を題材に当時の財政状況を論じるという視点が特異だと感じ、興味深かったです。
私たちの世代の学校給食は米食中心だったと思いますが、私の母親世代はパンが週4回で米は週1回だけだったと聞いたことがあります。1955年以降、食の欧米化を図るためにパン食が推奨されていたとおっしゃっていましたが、その流れは長く続いたのでしょうか。


12 : 松尾 樹 :2024/11/07(木) 21:46:37
報告お疲れ様でした。4回生の松尾です。
個人的には学校給食の負担状況について少し気になりました。父兄や、後に国家からの負担という状態ではありましたが、家庭ごとの児童数や、広く言えば学校ごとにも規模の大小があるので、給食への負担額に幾分かの差異があったのか、また、それに関連して国会や政府では内部で何かしらの意見が出されていたのか疑問に感じました。


13 : 三浦光太郎 :2024/11/07(木) 22:10:55
報告お疲れ様です。3回生の三浦です。
学校給食から当時の財政状況を考察するということで非常に興味深く聞かせていただきました。
一つ疑問に感じたことは、給食費の分担割合です。国側が負担する割合と保護者側が負担する割合などを明確にできれば、全体のより良い理解につながると思います。
また、当時の税収がどれだけであり、給食に使われているのはどれくらいの割合なのかも気になりました。


14 : 岸愛深 :2024/11/07(木) 22:22:03
報告お疲れ様でした、4回生の岸です。
既にご指摘は入っていると思いますが、全体的にお米にフォーカスされている様子が伺えましたが、それと対比して給食におけるパンの重要性なども提示した方が、対比関係などでよりお米に関しての内容が際立つのではないかと思いました。
残り卒論まで少しの時間ですが、お互いに頑張りましょう。


15 : 小林希颯 :2024/11/07(木) 22:54:51
報告おつかれさまでした
3回生の小林です。

学校給食と日本人の食の欧米化がつながっていることが面白く感じました。
お米不足が解消されてからもパンの給食が主流になっていたので、そこに食の欧米化以外の理由もあるのかなと思いました。


16 : ZHU Yiqi :2024/11/07(木) 23:02:17
報告お疲れさまでした。4回生のシュです
学校給食を経験したことがないが、映像とかによって日本の学校におけるパン食の普及を意識したことがあります。
報告中では主に財政状況とかを考察して説明していただきましたが、当時の世論の中ではパン食が米食より体に良いという言論が流行っていた、また第二次世界大戦の終戦によって小麦の生産が過剰化になったアメリカ国内の政治政策も考察を入れた方もありだと思います。
色々大変な時期で、お互い頑張りましょう。


17 : 中川美祈 :2024/11/07(木) 23:04:09
報告お疲れ様です、3回生の中川美祈です。
学校給食に健康面だけではなく、教育面や国内外の信頼維持、将来の日本を担う子供達に対する政府の責任など様々な側面を持っていることが分かり、興味深かったです!
個人的な質問になりますが、パンに変えたことによって何かしらの問題点はなかったのか気になりました。(パンにすることによって午後の授業に影響が出るというように子供達の学習面に影響はでなかったのかやパンの味についてなど)
また、他の方が指摘されていましたが、主食を米に戻そうというような運動があったのかどうか、米と麦のバランスについても調べてみたら面白そうだなと思いました!
卒論作成大変だと思いますが、頑張って下さい!


18 : 竹村勇輝 :2024/11/07(木) 23:11:35
報告お疲れ様でした。4回生の竹村です。
今回の内容では、特に戦後の日本の予算についてや米麦についての取り組みを史料を元によくまとめられていた印象を受けました。
その一方で、これまでずっとテーマとしてあげていた学校給食とそれらのつながりの部分がいまいち弱いのかなと個人的に感じました。
この両者の因果関係の部分をもう少し補強し、第2章の最後の内容も膨らませることが出来れば、さらに良いものになると思うので今1度考えてもらえたら嬉しいです。


19 : 梅野友翔 :2024/11/07(木) 23:28:59
報告お疲れ様でした。3回生の梅野です。
素朴な疑問ですが、戦後の給食の研究で先行研究では全国のPTA連合会、学校長代表、日教組を中心とした学校給食制度の確立の研究が中心で政府目線からの学校給食に対する研究への取り組みが少ないことに興味が湧いたのと同時に疑問を感じました。GHQは治安維持のために学校給食を導入したのなら、僕個人的な感想ですが、給食という制度がとても重要であると思うのでボトムアップだけでなく、政府のトップダウンの研究も今までにあるのではと思いました。
また、当時の給食費がどのくらい政府の予算に使われてるかで給食の重要性も分かると思いました。


20 : 安藤大輝 :2024/11/07(木) 23:42:47
報告お疲れ様でした。4回生の安藤です。
給食の中でもお米に言及して深めていくのはなかなか面白いなと個人的には思っていました。日本ならば米と勝手に思っていたため、個人的にすごく興味を持ちました。パンとの比較も面白いと思います。
残りの日数は少ないですが、お互い頑張りましょう!


21 : 渡邉凪紗 :2024/11/07(木) 23:52:23
報告お疲れ様でした。3回生の渡邉です。
学校給食の存続について、先行研究ではあまり見られてなかった政府サイドの視点を見つけ、研究されていて面白いと思いました。現代では主食の1つとしてパンが認識されていますが、この学校給食存続に伴って、日本でもパン食が広められ、主食の1つとして確立されていったことが分かりました。


22 : 上殿浩明 :2024/11/07(木) 23:53:11
報告お疲れ様です。3回生の上殿です。
財源がなく、学校給食が難しくなったことで、パン食に繋がったことが面白いなと思いました。
また、パン食が学校給食に導入された後などの周辺の情報を入れることで、よりわかりやすい研究になると思いました。


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