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【7月22日 補講日報告②(愛葉・橋本)意見・感想】
授業に出席された方はこちらに意見・感想を書き込んでください。 なお、こちらに書き込むことで出席とみなします。〆切は7月22日(月)23:59までとします。これを過ぎると出席点に加算されませんので、〆切厳守でお願いいたします。
3回生の報告に入りましたので、以下の条件での書き込みをお願いいたします。
*報告者2人分(1コマ分)で1投稿 ・報告順に従い、
①―さんへ
②〜さんへ と宛名を明示してから本文を書き込む。
報告お疲れ様でした。4回の河嶋です。
①橋本さんへ
講義内でも言いましたが、神戸―福原の港・土地上の特徴を捉える事で、福原遊郭の独自性の一視点になると思いました。横浜・函館・長崎は1859年に開港し、神戸は1867年に開港され、このギャップが重要だと思いました。
②愛葉さんへ
講義内でも言いましたが、どの時代に焦点を置くかによって、見る視点や仏教の立ち位置そのもの、「天皇」「国家神道」と宗教全般との関係が異なってくるので、先ずはどこの時代を対象にするかを明確にすべきだと思いました。後、中世に於いて「永平寺は朝廷の庇護下に入った」とあったが、この関係が近代にまで如何に繋がっていたのか、ここが重要だと思いました。以下、参考文献です。
〇末木文美士「近代日本の仏教と国家」『宗教研究』79巻2号、2005年、547-568頁
〇林淳「近代仏教と国家神道:研究史の素描と問題点の整理」『禅研究所紀要』34号、2005年、85-103頁
〇島薗進・高埜利彦・林淳・若尾政希編『シリーズ日本人と宗教:近世から近代へ. 1 (将軍と天皇)』春秋社、2014年9月
〇島薗進・末木文美士・大谷栄一・西村明 編『近代日本宗教史』1-6巻、春秋社、2020年9月―2021年7月
〇畑中章宏『廃仏毀釈:寺院・仏像破壊の真実』筑摩書房、2021年6月8日
〇島薗進『戦後日本と国家神道:天皇崇敬をめぐる宗教と政治』岩波書店、2021年11月26日
〇羽賀祥二著『明治維新と宗教』法藏館、2022年7月
〇小池孝範「明治前期における愛国思想の展開と曹洞宗での受容―教化思想の形成をめぐって―」『プロテウス』22号、2023年、131-153頁
報告お疲れ様でした、3回生の鬼木です。
【橋本さん】
要約できず長くなる気がしたので質疑の際にはお話しせずにいたのですが、この場を借りて述べさせていただきます。以下、駄文失礼します。
まず、性風俗史研究の位置付けとしての遊郭を取り上げるにおいて、「居留地内遊郭」と「洋妾」という特徴を挙げつつ、他の遊郭研究とうまく差別化を図ることが出来ていた点が非常に素晴らしいと感じました。居留地内遊郭の特質として、日本人女性と外国人男性との関係性というものが重要になってくると思われるのですが、やはり外国人男性の側から見てみるというアプローチは必要になってくるように思われました。そこで、この外国人男性の側からの事例の1つとして個人的に興味深いと感じられたのが小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)という人物です。彼はイギリス出身の文筆家で、兵庫県神戸市に在住していたことからも、外国人居留地と密接な関係にあったようです。また何より八雲自身が節子という女性と婚姻関係にあり、日本人女性と外国人男性との関わり合いという観点からも何かしら記述が残っている可能性が高いです。もちろん、節子自身は遊女(いわゆる今回取り上げられていたような「洋妾」)ではなかったため今回報告にあった洋妾に関する方針における遊郭研究に直結する手がかりとなることはあまり望めませんが、これとはまた別に、八雲を見ることの利点は「外字新聞」の存在にあります。神戸外国人居留地における外字新聞の変遷は、1868年にA・T・ワトキンス刊行の『ヒョーゴ・アンド・オオサカ・ヘラルド』から1899年の『ジャパン・クロニクル』に至るまで非常に複雑かつ量も膨大なのですが、1891年にロバート・ヤングにより刊行された『コーベ・クロニクル』という外字新聞では八雲がその社説を手掛けたとされています。ほかの方の遊郭研究に関するものを見ても、やはり1番の壁は史資料の少なさという部分になるということで、こうした居留地内における外字新聞の存在は当時の居留地内の実情を知る上での大きな助けになってくれる可能性があるのではないかと思われます。加えて、以前にも自分の方からお話ししたように、また有恒先生からも今回情報提供があったように、港崎遊郭の存在は福原遊郭との比較対象として非常に有益であるように思われました。この港崎遊郭に関連してパークスの存在が挙げられるのですが、居留地内遊郭における港崎遊郭と福原遊郭をつなぐ存在として、柴田剛中という人物について調べてみるのも面白いのではないかと思われました。柴田に関しては長くなったので端折らせていただきます、ぜひ調べてみてください。以下、関連文献です。
◾️明田鉄男『日本花街史』雄山閣、1990年。
◾️大久保葩雪『花街風俗志』日本図書センター、1983年。
◾️滝川政次郎『遊女の歴史』至文堂、1965年。
◾️中野栄三『遊女の生活』雄山閣、1969年。
◾️中野栄三『廓の生活』雄山閣、1981年。
◾️日本遊覧社編『全国遊郭案内』日本遊覧社、1930年。
【愛葉さん】
永平寺といえば日本史の教科書で何度か出会ったことがある程度でしたが、天皇家とのつながりが深いという点において非常に興味深い寺院であるように思われました。質疑の際にもお話ししましたが、神仏分離というよりは廃仏毀釈の方が明治期以降の永平寺を見る上では合致しているように思われ、ともすれば天皇家と神道という2つをどのように見るか、また明治期における永平寺を近代国家における宗教上のどこに位置づけるのかが重要となってくるように思われました。
報告お疲れ様でした。3回生の鈴木です。
①橋本さんへ
洋妾というと幕末期に主に西洋人男性の相手をさせられた女性のイメージがありましたが、今回取り上げられていた福原遊郭では、清国人との関わりが取り上げられているので大変興味深いと思いました。社会学的観点からの論文ではあるのですが、外国人男性と日本人女性の関わりについて洋妾から国際結婚まで幅広く取り扱っているものがありましたので関連文献として提案させていただきます。
◯嘉本伊都子(1997).「国際結婚」の歴史社会学的研究 : 1636-1899. 総合研究大学院大学博士論文
②愛葉さんへ
明治天皇が永平寺に対して様々なことをしており、時代が変わっても権力者との関係性が続いていることは興味深い点だと思いました。また、明治期の廃仏毀釈や神仏分離の時代にも時代に即した態勢を整えていったということですが具体的にどのようなことをすることで時代に合わせていったのかという点が気になりました。この部分に他の寺社との違いが明確に見られるのであれば、その部分を見るのも面白いのではないかと思いました。
報告お疲れ様でした。3回生の陰地です。
①愛葉さんへ
近世において永平寺は大名や江戸幕府の保護下にあったとのことですが、永平寺と朝廷との繋がりは近世時点でどの程度あったのかが気になりました。近代における永平寺と朝廷との関係を今後もテーマとするのであれば、それ以前の関係もある程度踏まえる必要があるのではないかと感じました。
②橋本さんへ
なぜ今回福原遊郭に焦点を当てたのかが気になりました。居留地遊郭は他にもたくさんあると思いますが、その中から福原遊郭を選んだ理由はなんなのでしょうか。
お二人とも、報告お疲れ様でした。4回の山本です。
① 橋本さん
今回登場したのは洋妾は日本人ですが、外国人が連れて来た外国の女性が風俗店を営む・風俗店で働くといった事例はなかったのでしょうか。
私が研究分野(1950〜60年代の自衛隊と民衆)の話になりますが、当時占領軍(米軍)が旧日本陸軍基地に進駐した際、基地周辺に風俗街が形成され、かつ米兵が連れて来た女性を周辺農家が泊めたり、その農家の子供が彼女等の身の回りを世話をして小遣いを貰い、学校に行かなくなったりといった事態が発生しました。これによって風紀の乱れが全国的に問題視され、周辺農家の婦人たちが米軍反対運動を巻き起こす、というのが一つの流れとしてあります。
このような、外国人の女性が神戸に渡って来て、その他の外国人、又は日本人を相手にしていたという話は聞いたことがないので、この手の史料を探すというのは如何でしょうか。
② 愛葉君
天皇とお寺との関係について、そういえば禅寺が天皇家と関わりを持つことが少ないことに気付きました。
京都に限れば、門跡寺院となるのは仁和寺や三千院といった密教が基本で、妙心寺や東福寺といった禅寺(もう少し厳密に言えば臨済宗)で門跡寺院になっている所は、恐らく無い筈です。
ですので永平寺のみにこだわらず、まずは臨済宗全体と天皇家との関わりを見るのが良いかと思います。
報告お疲れ様でした。4回生の塚本です。
①橋本さんへ
今回は、福原遊郭に固執しすぎたとご自身で振り返られていたと思いますので、一度、近代日本の遊郭社会全体に関する研究を見られると、福原遊郭の特徴も明らかになるかと思います。
また、他の居留地における遊郭や、遊女と外国人との関係性に着目した研究もより一層参照されると良いかと思います。
以下、以上の事柄に関連する文献と史料を挙げさせていただきます。
〔関連文献〕
◦佐賀朝・吉田伸之【編】『シリーズ遊郭社会2:近世から近代へ』(吉川弘文館、2014年)
◦人見佐知子『近代公娼制度の社会史的研究』(日本経済評論社、2015年)
◦佐賀朝「居留地と遊郭社会:横浜・大坂・東京を素材に(小特集 植民地と都市そして地域)」『都市史研究』5巻(都市史学会、2018年)85〜94頁
◦佐賀朝「居留地付き遊郭の社会構造:東京築地・新嶋原遊郭を素材に」『部落問題研究:部落問題研究所紀要』(203)(部落問題研究所、2013年)2〜47頁
◦中條直樹・宮崎千穂「ロシア人士官と稲佐のラシャメンとの“結婚”生活について」『言語文化論集』23巻1号(名古屋大学大学院国際言語文化研究科、2001年)109〜130頁
◦中條直樹・宮崎千穂「ロシア人の見たロシア人士官と稲佐のラシャメンの "結婚" について」『言語文化論集』23巻2号(名古屋大学大学院国際言語文化研究科、2002年)171〜192頁
②愛馬君へ
質問の際にも述べましたが、今後永平寺を見ていく際には以下の点に注目して調べられると、展望が明らかになると思います。
①永平寺と同じく総本山である總持寺との関係性
②曹洞宗の近代的学問機関である、駒澤大学において天皇がどのように認識されているか
以上の2点は、近代以降の曹洞宗と天皇ないしそれを中心とする近代的学問機関との関係性を見る上で必要な視点だと思うので、ぜひこの点に着目されると良いと思います。
以下、関連する文献と史料を挙げさせていただきます。
〔関連史料〕
◦曹洞教會発行『星華:曹洞教會雜誌』(1928〜1935年)1〜2、4〜40号
◦曹洞宗務院社會課発行『曹洞宗社會課時報』(1938〜1940年)No. 1 (昭13)-32號 (昭15)
〔関連文献〕
◦井桁碧「仏教と「国家」:近代国家の成立に関して」『宗学研究』第36号(曹洞宗総合研究センター、1994年)275〜280頁
◦工藤英勝「曹洞宗と国家:両祖号に関連して」『宗学研究』第32号(曹洞宗総合研究センター、1990年)205〜210頁
◦工藤英勝「曹洞宗と国家㈢:『宗報』における政教論」『宗学研究』第35号(曹洞宗総合研究センター、1990年)257〜262頁
◦工藤英勝「曹洞宗と国家㈣:第一次世界大戦の動向を中心に」『宗学研究』第36号(曹洞宗総合研究センター、1994年)269〜274頁
◦工藤英勝「曹洞宗と国家㈤:明治期軍人布教」『宗学研究』第36号(曹洞宗総合研究センター、1995年)310〜315頁
◦工藤英勝「曹洞宗と国家㈥:太平洋戦争と教団・教学・教学者」『宗学研究』第38号(曹洞宗総合研究センター、1996年)249〜254頁
◦石井公成「道元を国家主義に利用した人たち:「行学一如」問題に注意して」『駒沢大学然研究所年報』第34号(駒沢大学禅研究所、2022年)280〜255頁
①橋本さん
福原遊郭の独自性を探求する研究非常に興味深く聞かせていただきました。
それとともに今回の発表においては、独自性の部分について洋妾に焦点を当てて研究されていましたが、人見さんの先行研究と被るであろうもののこれらを研究するのであれば、廃娼運動について触れることは必須なのではないかと感じました。
福原遊郭における洋妾をめぐる政策は1868年からの史料を提示していましたが、廃娼運動自体も1869年から始まったといわれており、それらの潮流と福原遊郭の動きの違いが少し見えずらかったです。その潮流の中での洋妾独自の動きというのが見えたらより良いのではないかと思います。
それとともに、1872年にはマリア・ルーズ号事件が起きたことで一層廃娼運動が活性化しましたが、そのことと外国人との婚姻許可はなにか関係があるのか気になりました。
②愛葉さん
先生方がおっしゃっていたように、私もなぜ曹洞宗の中でも永平寺にのみ焦点を当てて研究するのか疑問だったので、質疑応答でしっかりと答えをいただけて良かったです。
それを踏まえてやはり、永平寺を扱うならば更に多くの曹洞宗の史料に当たる必要も感じました。
〇吉田時夫『曹洞宗と天皇制について考える』
という本もあるため、先行研究として読めば参考になると思います。
報告お疲れさまでした。3回生の愛葉です。
・橋本さん
遊郭に関しての発表でしたが、見当違いかもしれませんが遊郭の運営は政治の影響も関わってそうな印象があります。そのため、行政側の史料も見てみるとより福原遊郭について捉えることができるのではと思いました。
報告お疲れさまでした。3回生の溝口です。
①橋本さんへ
時代や地域は異なるものの、私も公娼制度に関心を持っているため大変興味深い発表でした。名附遊女・仕切遊女が発生した当時は遊女らが外国人を忌避していたのに対し、福原の遊女らはむしろ日本人客を避ける傾向にあったという点がおもしろいと感じました。
「つる一件」について、この騒動はどれほど影響力を持っていたのか気になりました。こういった騒動は頻繁に起こっていたのでしょうか。
②愛葉さんへ
廃仏毀釈の流れの中で、朝廷と親密な関係にあった永平寺の特殊性が非常に興味深かったです。朝廷はなぜ廃仏毀釈の風潮にあっても永平寺と深い関係を築いていたのか、疑問に思いました。何か朝廷側にメリットがあったのでしょうか。
報告お疲れ様でした。3回生の八木宣大です。
橋本さん
神戸の福原遊廓についての研究で、先行研究も薄い分野であることから可能性を秘めているテーマだと思いました。居留地の遊廓が公娼として設定された経緯を踏まえると、その枠組み作りや制度設定などに政治が関わってくると思います。特に当時の外交・貿易などの政策について研究するのもありなのではないかと思いました。そうすれば他の港町遊郭との関係性も見やすくなるのではないかと思います。
もう既に上がっていますが、質疑応答中述べた参考文献を記します。調べたところ国書データベースで閲覧できるようなので、ぜひ一度見てみて下さい。
◯日本遊覧社『全国遊郭案内」日本遊覧社、1930年。
愛葉くん
永平寺と天皇の関係性という今までにはない研究で興味深く聞かせて頂きました。特に大葬用具の下賜などには特別な意味合いがあったと思われますし、今後関係性を研究することはとても意義のあることなのではないかと思いました。今回は永平寺の視点に絞った研究でしたが、今後は天皇から見た永平寺を研究していくと相互の視点から関係性を検討できるのではないかと思います。
報告お疲れ様でした。4回生の木全です。
①橋本さん
福原遊郭を中心に取り扱い、居留地遊郭の独自性を見ようという視点が独特で面白い観点だと感じました。
今年の3回生は遊郭を取り扱った研究が多く、それぞれの報告でいろいろと学ばせていただいていますが、どれも史料が少ないという枷があると思うので、那波さんも述べられていたように遊郭内部を確認するのにも限界があると思いますので、何かしらほかの観点からのアプローチは考えておく必要があると感じます。
先行研究に挙げられていた人見さんが超えるべき壁かつ一番の難所だと思うので、そこをどう乗り越えるのか楽しみにしています。
②愛葉くん
永平寺と聞くと、雪の積もる冬は春の雪解けを待たないと抜け出せないといったような話くらいしか知らなかったので、永平寺そのものの研究というのは非常に新鮮味あるテーマだなと思いました。
今回の報告では天皇家との関連から永平寺の存在について考察していましたが、表題及び「はじめに」の最初に記載されている「近代における永平寺」を取り扱うのであれば、少し研究対象としての像がぼかされているように感じます。報告の際に聞けばよかったのですが、永平寺について概観的な研究を進める場合、今回取り扱った天皇家との関係性以外にはどんな観点から見ようとしているのかという点が気になったので、その点をもう少しリストアップして「おわりに」で述べられていた多角的にとらえていくという点をクリアにしていただければ問題ないかなと思います。
また、曹洞宗系の大学に駒澤大学があるため、そこをみてみると良いのではといった話が質疑の際に出ていたと思いますが、愛知にある愛知学院大学も同様に曹洞宗系の大学なので、駒澤大学ほどではないと思いますが何かしらヒントがあるかもしれないと思い、書かせていただきました。愛葉君も愛知県出身なので帰省の際にでもフラッと立ち寄れたら立ち寄ってみるといいと思います。
報告お疲れさまでした。3回生の片岡です。
午後から頭痛がしており、若干意識が飛んでいてすみません。分かる範囲でコメントさせていただきます。
①橋本さん
遊郭の研究ということで、洋妾(らしゃめん)という形態から福原遊郭の独自性についての研究はなかなか面白いと思いました。ただ、報告内で指摘が合った通り遊郭の研究自体にはある程度限界があり、別の観点からみることを検討するのも必要なのかなと感じます。後に川田さんの報告を聞いたうえでパッと思ったものなので聞き流してもらっても構わないのですが、洋妾(らしゃめん)を取り扱った後世の作品なども当時どう思われていたかを知る手掛かりになったりしないかなと思いました。
②愛葉さん
近代の永平寺についての研究で、研究動機がしっかりしていた反面で着地点があまり見えてこなかったので、次回までに何を明かしたいかを考えた方が良さそうですね。永平寺の廃仏毀釈に関してですが、全日本仏教会における曹洞宗のページで記述があったので一度確認してみてはいかがでしょうか?改めてですが、お二方報告お疲れさまでした。今後も頑張ってください。
報告お疲れ様でした。3回生の高井です。
①橋本さん
まず発表内容がとても独自性があり興味深く発表を聞いていました。また、複数の史料を駆使して論を進めていた点も素晴らしいと感じました。
これからもお互い発表や研究など頑張って行きましょう。
②愛葉さん
愛葉さんも発表内容に独自性がありとても面白い研究テーマだと感じました。レジュメなども詳しく書かれていて、準備などをきちんとされていたことが伺えました。ただ他の方も言っていたように、どの時代を対象にするのかをある程度絞った方がより研究精度が上がるのではないかと感じました。
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