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【6月27日 2限 意見・感想】
授業に出席された方はこちらに意見・感想を書き込んでください。 なお、こちらに書き込むことで出席とみなします。〆切は6月27日(木)23:59までとします。これを過ぎると出席点に加算されませんので、〆切厳守でお願いいたします。
3回生の報告に入りましたので、以下の条件での書き込みをお願いいたします。
*報告者2人分(1コマ分)で1投稿 ・報告順に従い、
①―さんへ
②〜さんへ と宛名を明示してから本文を書き込む。
報告お疲れ様でした。4回生の岡崎蓮です。
〇内藤くんへ
「一撃講和論」に軸を置いた終戦構想に絡めて、特攻隊が継続した理由に着目する研究は、非常に興味深いなと思い、聞いていました。
報告を聞いていて、「一撃講和論」に注目するならば、それに賛同する意見ももちろんですが、反対する意見もあるとあったので、その部分を具体的に上げられると対置する上で良いのかなと思いました。また、太平洋戦争全体的な流れ、背景に対してどのような位置づけができるのかを明らかにすると、その全体像としてそれはどのようなものかということが分かるところがあるのかなと考えます。
そして、軍内の中で、特攻隊に対して、生還保証から十死零生という考えになった転換点に注目して、その遷移を描き出すことも今回の思考に繋がってくるので、必要かなと思いました。
〇石山くんへ
広島県呉市における、海軍の受容に焦点を当てた研究(受容には、様々なジレンマあり)に関する研究ということで、第二次産業が全国平均よりも多いという特徴持つ呉市の歴史を見る視点のひとつとして面白いなと思っていました。
報告を聞いていて、呉市民の受容に焦点を当てるのであれば、実際にその様子を見ていた、現在も生きている人に聞き取り調査を行えると、よりその様相を捉えやすいかなと思いました。
また、呉市における戦後の貧しい状況という実態を詳細にすると、より説得力があがるかなと考えていました。そして、軍転法を受けた4都市の動向が類似傾向にあるというところから、4都市の中で呉市を上げたその特異性を明らかにできるのであれば、そこを指摘できるとより呉市を取り扱う意義として説得力があがると思います。
報告お疲れさまでした。4回生の田中です。
○内藤さんへ
まず、研究と関係がありそうな山本智之氏の先行研究を見直すべきだなと思いました。
また、特攻隊と一撃講和の関係について深堀をするためには、やはり、一撃講和に関する史料は必要だなと思いました。先行研究や史料の調査を進めていけば、さらに幅が広がった研究になりそうだなと思います。
○石山さんへ
個人的には、戦前の呉市と軍の密接な関係を明らかにするために、当時の呉市を描写した文学作品に触れていることに興味深く感じました。
研究自体もかなり興味深く、研究への熱心さが感じられました。
報告お疲れ様でした、3回生の鬼木です。
【内藤さん】
これまでの特攻隊関連の研究において、実際に出撃を経験した方や隊員の親族の方などへのアプローチに重きを置いた、ある意味ではオーラルヒストリー的な観点を有する種々の研究とは異なり、特攻隊という存在の背後に存在する軍事制度的ないしは軍事計画的な観点から特攻隊に対してアプローチを掛ける捉え方は非常に興味深く、個人的には面白い内容であるように思われました。報告後にお話しした際に内藤さんの現状における「特攻隊の性質的画期」が1944年10月に必ずしも拘泥していないことがよく伝わりましたので、今後においてもそのような幅広い視野のもとで研究に勤しんでいただきたいと思います。加えて、河嶋さんと3人でお話しした際にも挙げられました通り、御前会議はもちろんのこと、軍令部や参謀本部などといった諸会議において特攻隊がどのように取り上げられていたのかを見ることは非常に有意義かと思われますので、ぜひご参考に。
【石山さん】
自分自身、もともとは大日本帝国海軍の戦艦に関する研究をしたいと考えていた時期があったこともあり、今回の報告は大変興味深く拝聴させていただきました。個人的に気になった点としては(質疑の際に取り上げられていた気もしますが…)、呉市と広島市の間における海上自衛隊受け入れの時期に関する反応の差異といった部分であったように思われます。海上自衛隊受け入れに関して賛否の声が上がっていたことは転換法当時の住民投票などからも見られる通りではありますが、呉という1つの市である前に広島県という大枠が存在すること、ならびに核の脅威をどの地域よりも実感しているという特質からも、広島という市ないしは県との関わり抜きには呉という軍港都市を語りきれない部分があるように思われました。今回の参考文献に広島市史や広島県史といったものが挙げられていなかったため、まだまだ美味しい情報は出てくると思います。瀬戸内海を望む研究テーマ同士、お互い頑張っていきましょう。
①内藤君へ
報告お疲れ様でした。4回の河嶋です。
特攻の構想が、その実施まで御前会議で上奏されなかったと仰っていましたが、個人的にはなりますが、まあ、あの「十死零生」の構想を上奏しない事は無いと思うので、『昭和天皇実録』や『奈良武次日記』、『河井弥八日記』、『若槻礼次郎回顧録』などを参照すると良いと思いました。後、やはり、参謀本部(陸軍)と軍令部(海軍)の部長や次長といった人物の史料から特攻の構想(軍)と内閣(政)の講和構想の接着点が見られるのではないかと思いました。以下参考史料です。
〇軍事史学会編/黒沢文貴・相澤淳監修『海軍大将嶋田繁太郎備忘録・日記』1-3巻、錦正社
〇六本木基正『及川古志郎(海軍大臣海軍大将)の軍歴と日本』六本木基正、2016年10月
〇畑中丁奎『戦争の罪と罰:特攻の真相』芙蓉書房出版、2015年8月
②石山君へ
報告お疲れ様でした。4回の河嶋です。
講義内でも言いましたが、明治19(1886)年に「海軍条例」によって海軍区(横須賀、佐世保、舞鶴、呉)に鎮守府が配置されたが、この鎮守府が、どういった管轄(軍か、国かなど)で、どこまでその都市の自治に関与していたのか、海軍区の特性を見る必要があると思いました。戦後の自衛隊を見るにしても、戦前からの「連続性」はあるので、戦前に於ける呉の特色、呉での海軍の特徴を見るを踏まえる必要があると思いました。以下参考文献です。
〇中原雅人『自衛隊と財界人の戦後史:支援ネットワークの形成とその意味』ミネルヴァ書房、2024年3月
報告お疲れ様でした。3回の梅野です。
①内藤さんへ
特攻隊の研究は僕の知っている限りでは主に特攻隊に指名された隊員等の研究が多く、手法についてもオーラルヒストリーで現在存命されている方が少なく、研究も困難な分野だと思いますが、特攻隊と終戦工作を結びつけるのは新鮮な視点で面白いと思いました。
また、終戦工作の先行研究と特攻隊が導入された時期の先行研究を読むことで、当時の軍内部の関係性も浮き彫りになると思いました。
②石山さんへ
まず論証するために史料だけでなく、呉市における各種製品製造額など表を使う点が素晴らしい点と思いました。
また、戦後呉市が海上自衛隊を受容する際に当時の市議会議員の左派系の人たちはどのような行動を取っていたのかという全貌や戦前の呉市を描写した岩田豊雄氏の作品を何故使用するに至ったのかも個人的に気になりました。同時に、今後の展望で呉市での実地調査についてですが、オーラルヒストリーを使うならばの話ですが、呉市の誰を対象にするのかも気になりました。
①内藤さんへ
特攻隊の構想が生まれてから実際に特攻隊が編成されるまでの流れが時系列順でまとめられていたので理解しやすかったです。
参考文献の表記に関して、既に触れられていたら申し訳ないのですが、片瀬一男氏の著作(一重鉤括弧なので論文?)に関して、その論文が収められている雑誌等の情報が必要なのではないでしょうか。
②石山さんへ
史料が多く、とても聞き応えのある発表でした。発表を聞いていて、呉の軍港都市という性質は戦後になっても受け継がれており、社会情勢の変化や外部からの要求に合わせてその形態を変化させていったのだと感じました。「平和都市化」という理想と、再軍備が求められている日本という現実のギャップが存在し、その落とし所が海軍から海上自衛隊へのスライドだったのだろうと思います。
お二人共報告お疲れ様でした、4回の山本です。
① 内藤君
「一撃講和」に関連して、Wikipediaに「対支一撃論」というページがあるのを見つけました。曰く、「国民政府は日本軍による強力な一撃を加えるだけで屈服し、早期講和に持ち込める」という考えのようです(参考文献として今岡豊『石原莞爾の悲劇』(芙蓉書房出版、1999年新装版)が掲げられています)。
これを鑑みると、「一撃講和」は戦況が苦しくなってきたために創出された構想というとりも、もしかしたら抑々軍部内、或いは政府内で結構な影響を持ち続けていたものなのかも知れないな、と思ったので一応共有しておきます。
② 石山君
今後住民の受容を知る上で見ることになるのは、取り敢えず自治体としての動きを見るならば、議会の議事録になるかと思います。受け入れるならば必ず市議会で承認されてからになる筈ですし、住民が反発していたらしていたで議題に上がる筈です。住民がどう考えていたかについては、新聞の地方紙になると思います。あとはそれらの史料に仕える内容が書いてあることを祈るしかないかな、という感じです。
自分も同じテーマで研究を進めていますが、同じテーマで悩みながら進めているからこそ糸口の提示は難しいですね、ごめんなさい。とにかくお互い頑張りましょう。
最後に、口頭でも伝えた史料の読みを記しておきます;一寸=ちょっと
報告お疲れ様でした。3回生の八木宣大です。
①内藤くん
「特攻」という終戦時のシビアなテーマについて扱った研究で、複雑な経緯を史料を用いて説明しきったレジュメは立派でした。文献複写の関係で「早期講和」についての説明が欠けているとのことでしたが、本文レジュメでは問題なかったように思います。
ポピュラーなテーマであるが故に先行研究も多いようですが、どこに論点を絞るかで方向性も見出せるのではないかと思います。「招集」について絞るのか、「出撃地」に絞るのかなどやり方は多数あると思いますが、先行研究を熟読して疑問点を整理すれば何かしら見つかるかもしれません。山崎先生もおっしゃっていたように「死んで帰ってこい」という非人道的な命令が下されるまでにどのような意思決定が下されたのかは複雑なプロセスが存在すると思います。その解明をどんな新しい視点からできるか、それに尽きると思います。一緒に頑張っていきましょう。
②石山くん
同じ3回生でこれだけ自分のテーマについて詳細に説明できるのはすごいと思いました。膨大な量を短い時間で説明しきれたところもお見事だったと思います。
個人的には、途中で出てきた獅子文六の文学作品をいかに活用するのかが気になりました。「文学作品」という性質上史料としての扱い方もまた変わってくると思います。その作品に載っている情報が全て岩田氏の目を通されたものだという点に留意すれば面白い着眼点の研究になりそうだと思います。
あとはやはり「受容」の実態をどのように明らかにするかだと思います。オーラルヒストリーや議会の議事録など、複数ある選択肢を組み合わせて石山くんなりの歴史像を立ち上げてみてください。石山くんの地元ではないそうですが、地元の人に手がかりを聞いてみるのも面白いかもしれません(というか、それがオーラルヒストリーかもしれませんね)
報告お疲れ様でした。4回生の鶴味です。
内藤さん
発表通して面白く聞かせていただいたんですが、先行研究整理をした上で何を論点にするのか、歴史的意義をもう少し明確に書いた方がいいのかなと思いました。
自爆攻撃思想が戦前から航空部隊内に存在していたということが史料5を基に述べられていましたが、追い詰められた末の苦肉の策としての特攻だというイメージがあったので、これは意外でした。またダパオ誤報事件に関して、初めて聞いたので興味深かったです。
研究頑張ってください。
石山さん
文学作品を史料に戦前の呉市がどのようなものであったかを捉えるのは面白い発想だなと思いました。全体的にわかりやすかった印象ですが、8p最後の「自尊心を表面化させ、自衛隊を受容した」という部分はやや早合点なのかなと感じました。自衛隊が市民の同意を得るために行なっていたキャンペーン等の有無を調べて、そういったものがあった場合、そのキャンペーンに対する市民の反応から、市民が自衛隊を受け入れた理由がわかるのかなと思います。
また自衛隊受容に反対の立場であった中国新聞に対して、賛成の立場を取っていたメディアの史料があれば当時の世論がわかりやすくなるとも思います。
わかりにくい感想でも申し訳ないですが、研究頑張ってください。
報告お疲れ様です。3回生の石山です。
(内藤君へ)
特攻を単なる攻撃手段として考察するのではなく、終戦と結びつける内容は面白い研究だと思いました。少し話した内容ですが、私の報告で出てきた「特殊潜航艇」(回天とは性質の差異も要調査?)も十死零生の兵器でしたので、これを特攻兵器とみなすとまた新たな視点から考察できるかもしれません。(ただ、開戦一番の兵器なので終戦工作の性質は無いかもしれません。)
また、陸海軍の区別をしたうえでミクロな視点から、それぞれがどのような立場にあったのか、兵器の運用実態なども見られると良いかもしれません。
報告お疲れ様でした。
報告お疲れ様です。3回生の三木詩織です。
①内藤さんへ
特攻隊という、有名で且つ研究も沢山ありそうなテーマを取り上げたことは凄いと思いました。が、レジュメを見ていて、何がテーマになるのか、また意義は何なのかというところがいまいち分からなかったので、つぎの報告の際は記載していただけると嬉しいです。
②石山さんへ
海軍と呉市民の関係の研究と当時のことを描いた文学作品を絡めるのは、あまり見ない研究だなとオリジナリティを感じてとても面白いと思いました。
報告お疲れ様でした。4回生の八木です。
①内藤さんへ
質疑の際にあった、「構想」と「工作」の意味の違いについてですが、私はニュアンスの違いはあると思いますが使い方は間違っていないのではと感じました。みなさん構想は机上の話を練ることを指し、工作は実行に移すというような感じでしたが、工作も「破壊工作を練る」「工作を仕掛ける」「工作をする」といったように行動に移す動詞的な意味合いではないと思います。うまく伝えられなくて申し訳ないですが、この部分をはっきりとさせると一撃講和の輪郭が掴みやすくなると思いますので頑張ってください。
②石山さんへ
ビール工場に少し関連しますが水質は非常に重要であったと感じました。若干話が逸れたご意見になりますが、広島は牡蠣が有名だと思います。この中で生牡蠣として食べられるのは沖合の牡蠣で、熱処理を加える必要がある食用牡蠣は岸に近いところで養殖されます。理由として岸辺は広島市内から流れた生活排水などによりプランクトンなどの栄養素が豊富であるため、味は濃くなりますがその分食中毒になる可能性も高まるからです。つまり牡蠣的には栄養素が豊富であるものの水質は汚いのです。
船舶のドックで最も行われる業務は塗装の塗り直しで、理由は船底に付着したプランクトン等の部分から腐食が始まったりすることが多く、海洋生物がつかないように塗料を塗る必要があります。つまり水質が綺麗な場所で行う必要があるのです。したがって、人間の飲料を生産できるほどのポテンシャルを持った呉市は戦艦ドックを造設するのに最適であったのではないかという地政学が絡んでいるような気がしました。
①内藤さん
交流会で山田先輩が、特攻隊は研究し尽くされたテーマで難しいと仰っていたので内藤さんはどうなさるのかと気になっていましたが、丁寧に先行研究整理をした上でご自身の方向性を見出していた点がすごいも思いました。
②石山さん
まず、自身の研究の方向性をきちんと明確に絞っている点がさすがだと思いました。レジュメ量も多く、石山さんなりに深く研究されていたため熱意が伝わってきました。質疑応答の際も、直接報告に関係していない補足的な内容も詳しく説明されていたため、研究テーマへの関心度が伝わってきました。私の研究の参考にさせていただきたいと思いました。
報告お疲れ様です。3回生の片岡です。
まず、全体に関して、授業内で空咳が多くすみませんでした。
内藤さんへ
特攻隊というテーマについて、当初と「=死」で意味合いが変わるのは個人的に衝撃でした。現在の私が言えることではないのですが、研究自体にどのような意義が持たせられるかは今後の課題になりそうでした。また、授業内で述べられていた通り、語句の使い分けを明確にするのは大切だと感じました。
石山さんへ
史料が多く、非常にしっかりしており、オリジナリティの部分も説明されていたため、自身としても参考にしたい限りです。この研究においてはオーラルヒストリーも大事そうですね。実地調査は大変だと思われますが、頑張ってください。
改めて、お二方とも報告お疲れ様でした。
報告おつかれさまです。3回生の小林です。
①内藤くん
特攻隊と終戦を組み合わせたのがとても興味深い研究テーマだなと思いました!講義内でもあったように特攻隊が御前会議などでどのように認知されていたのか気になったので次の報告を楽しみにしています!
②石山くん
広島の呉に注目した研究でとても面白かったです。個人的に舞鶴のことも気になったので、もう少し比較してみても面白いのではないかと思いました!
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