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【6月20日 4限 意見・感想】
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授業に出席された方はこちらに意見・感想を書き込んでください。なお、こちらに書き込むことで出席とみなします。〆切は6月20日(木)23:59までとします。これを過ぎると出席点に加算されませんので、〆切厳守でお願いいたします。
3回生の報告に入りましたので、以下の条件での書き込みをお願いいたします。
*報告者2人分(1コマ分)で1投稿 ・報告順に従い、
①―さんへ
②〜さんへ と宛名を明示してから本文を書き込む。
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報告お疲れ様でした。4回の河嶋です。
①鬼木君へ
【史料9】に於いて谷は「民権論ではなく、むしろ王権論にあり」とあり、「民権論」と「王道論」を二項対立的に捉えられ、「王道論」=「尊王論」と仰っていたが、そうすると、「民権論」(啓蒙思想・国民政治)は「王道論」(天皇制)を破壊するものと捉えられるのではないかと感じました。ただ、谷の「王道論」(親政)と「民権派」の障害は、「藩閥」であり、これを敵対する関係では一緒だと思いましたが、谷の「王道論」は土佐派の中でも異色だと言えると思うので、谷の思想・政治構造を理解する必要があるのではないかと思いました。
②泉君へ
レジュメに於いて「本研究では、森恪が軍部主導の独裁的政治体制を念頭に置いていたという従来の見解と否定的な立場から、森がなぜこのような認識をもつようになったのか」とあったが、この文脈だと森が結局、「軍部主導の独裁的政治体制」を持って居たという文脈になるので、注意すべきポイントだと思いました。個人的には、森恪は、白鳥敏夫や鈴木貞一(統制派)、石川慎吾(艦隊派)など「日本主義」思想を持つ人間と関係を持ったために、その評価が先走った結果、そのような評価になったのかなと思いました。後、森の内政面に着目するならば、やはり、彼の「政党政治論(観)」と「三井物産の経験」が重要になってくると思いました。以下参考文献です。
〇畠山武『昭和史の怪物たち』文芸春秋、2003年8月
〇森恪「鐵自給策の一大障碍」『東方時論』3巻8号、1918年8月
〇森恪「明日の女性に約束する=先づ婦人公民権!」『婦人公論』3号、1930年3月
〇森恪「《大民政黨の危機》餘りに官僚的な」『中央公論』5月号、1930年6月5月
〇森恪「滿蒙と我が特殊權益座談會」『文藝春秋』10月号、1930年10月
〇森恪「フアッシヨを語る座談會」『政界往来』3巻6号、1932年
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報告お疲れさまでした。4回生の木全です。
①鬼木くん
土佐藩に着目して、土佐藩の特異性を佐々木及び谷から読み解こうとする研究は大変面白い着眼点だと感じました。また、分かりやすくまとめられており、一目見てパッと理解できるのもよかったです。
塚本君が質疑の際に聞いていたかと思いますが、薩長土の関係性を見出そうとする様子が持たれていたのではといった話がありましたが、府中における存在感が薄い分、宮中での存在感を発揮してある程度並び立つような関係性でもあったのかなと思いました。そこからある種土佐藩の特異性にもつながっていくようにも思いました。
②泉くん
森恪の動向に注目し、その政治思想を分析した研究だったと思います。
今回は森以外をあまり扱わなかった手前、森の持っている思想が誰の何と比較した際に「独特」であるのかがわかりづらかったと思いました。
森にフォーカスしすぎずに部分ごとに俯瞰で見れるとより森の思想が鮮明に浮かび上がってくると思います。
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報告お疲れ様でした。3回生の梅野です。
①鬼木さんへ
藩閥政治で何故土佐藩出身者は首相や大臣の輩出が少ないのかというテーマが比較的理解しやすい研究で面白いと思いました。
個人的にはレジュメの構成が良く、例えば、見出しの数が多いことで何を論じようとしているかが一目でわかるような点や史料レジュメについても発表を聞いている方が史料の漢字などが難しくて読み取れない用に本文レジュメでその史料から何が読み取れるかなどわかるため、今後の発表の参考になりました。
②泉さんへ
森恪の政治思想の先行研究を否定して新しい森恪像を探る研究で面白いと思いました。
しかし、ほかの方が指摘しているとおり「独特」という誰と比較して「独特」なのかとほかの人物の政治思想を比較すると森恪の立ち位置が明確になると思いました。
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報告お疲れ様でした。四回の白井です。
①鬼木さん
鬼木さんは土佐藩が好きなのでしょうか?
②泉さん
本文レジュメ4頁での小林論文に関する記述ですが、興味があったので確認してみたところ、該当箇所の後に逆接がついていました。
このレジュメでの記載方法では、論文で実際に書かれている内容と逆転したことが書かれてあるかのような認識を生んでしまうように思います。
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報告お疲れ様でした。3回生の鈴木です。
①鬼木さんへ
西南雄藩でありながらも、土佐藩が首相が選出されない特異性に注目して、佐々木高行と谷干城という2人の人物から糸口を掴もうという視点は、テーマを達成しつつ、視野を適度に絞っていて良いと思いました。しかし、この2人の立場が土佐藩の一般とは異なることも考えられるので、おおまかな範囲で他の土佐藩の人間の行動や思想についても触れて、比較されるとさらに明確になるのではないかと思います。
②泉さんへ
森恪の思想について、複数の事象から研究されていて興味深い研究でした。他者の視点から見た森についてや、当時の森と近しい立場の人の間での一般論などを取り上げると、さらに森の独特な思想を示せるのではないかと思いました。
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報告お疲れ様でした。3回生の山内です。
・鬼木さんへ
「土佐藩出身の総理大臣がいないのか」というテーマ設定がすごく興味深かったです。そういえば考えたことないなと思いました。
・泉さんへ
森氏の独特さ、をどのように出すのか今後楽しみにしたいと思いました。
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報告お疲れ様でした。4回生の塚本遼平です。
①鬼木君へ
西南雄藩として土佐藩を捉え、明治期における政界の実権を掌握できなかったのかについて、佐々木高行・谷干城を中心に報告されており、大変興味深かったです。
質問の際にも述べましたが、“土佐藩”という繋がりがどこにあったのかということが気になりました。資料提供にも挙げる、谷干城の伝記である『谷将軍』によれば、谷が山内豊範〔元土佐藩藩主・侯爵〕から、山内家が創設した高知県立海南高等学校(現 高知県立高知小津高等学校)の経理の全権や、息子の豊景の教育を委託されたと書いてありました。そのため、旧土佐藩主家との関係性もある程度は見受けられるのかと思いました。
また明治維新に関わった土佐藩士の中には、脱藩浪士が数多く居り、長州藩などとの関わりが幕末期から強かったため、長州との提携に動きやすかったのではないかと思いました。
それと、板垣退助と谷干城の反目に関係している事象であると思うのですが、明治3年の土佐藩で行われた財政改革をうけて、これを土佐で主導していた谷と、東京に居た板垣・後藤象二郎との対立が生じ、板垣・後藤が谷を退陣させたことで板垣と谷が分離したと、『高知県の歴史』(山川出版社、2001年)pp.292-293には書いてありました。何かの参考になるかと思い、述べさせていただきます。
最後に先ほど述べた、板垣・谷の関係性や土佐藩の改革(板垣が進めたとされる「人民平均の理」も含む)に関すると思われる文献と、谷と山内家との関係性に書かれた史料を下に挙げておきます。
【文献】
〇荻慎一郎・森公章・市村高男・下村公彦・田村安興『高知県の歴史』(山川出版社、2001年)
〇小林道彦『近代日本と軍部 1868-1945』(講談社、2020年)
→在京の板垣・後藤と国元の谷・片岡健吉との政治対立の記述がある
〇髙木翔太「人民平均の理:形成過程と評価の再考」『高知市立自由民権記念館紀要』(24) (高知市立自由民権記念館、2019年)pp.1-12
【史料】
〇山崎正董 [述]『谷将軍』(熊本城阯保存会、1933年)
〇平尾道雄『子爵谷干城伝』(富山房、1935年)
②泉君へ
政友会の幹部ながらファシズム台頭のきっかけをつくったとされる、森恪に着目した報告で大変興味深かったです。
上殿君の研究同様、当時の政党組織や党内の派閥、目指していた政策といった面を、泉君の場合は政友会を中心に見ていく必要があると思います。当時の政友会の動向や政治における方向性を押さえることで、その中に森をどのように位置づけることができるのか、より明確になるかと思います。
下の方に、当時の政友会に関する文献と資料を挙げておきます。
特に文献では、井上寿一氏の本では政友会・民政党の政策についての情報が、奥健太郎氏の本では政友会の派閥に関する情報が得られると思います。それと古川隆久氏の本は、当時の政友会代議士の前田米蔵に関する人物史研究のため、政友会について調べる際や、今後人物史の研究を行う上でも参考になるかと思います。
また下の史料は、昭和初期に政友会が出した政策に関する本なので、もしかすると役立つかもしれません。
【文献】
〇粟屋憲太郎『昭和の政党』(小学館、1983年)
〇井上寿一『政友会と民政党』(中央公論新社、2012年)
〇奥健太郎『昭和戦前期立憲政友会の研究:党内派閥の分析を中心に』(慶応義塾大学出版会、2004年)
〇古川隆久『政党政治家と近代日本:前田米蔵の軌跡』(人文書院、2024年)
【史料】
〇立憲政友会 [編]『政治講座』(日本政治学会、1926年)
〇立憲政友会 [編]『政治講座 続編』(立憲政友会本部、1927年)
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報告お疲れ様でした。4回生の竹村勇輝です。
鬼木くんへ
土佐藩から首相がひとりもでていないという着眼のもと、土佐藩が当時の実権を握れなかったことについて色々と考察されていましたが、あまり知識のない私からすると単純に土佐藩に有力者が少なかったからという理由もあったのではないかなと思いました。
土佐藩の中で首相候補に上がっていた人物のことを取り上げ、その人がなぜ選ばれなかったのかを調べてみたら個人的に面白いのかなと感じました。
泉くんへ
現時点で先行研究で述べられていない観点を見つけ、史料を用いて発表できていたので良かったと思います。
その一方で、森恪を調べるにあたっての動機ははじめにのところで理解出来たのですが、森恪を取り上げることでどのような意義であったり意味があるのかについてはあまり述べられていなかった印象を受けました。
これから研究を進める上で、森自身だけでなく彼を取り巻く環境にも目を向けながら価値を見出していってほしいです。
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報告おつかれさまでした。3回生の小林です。
①鬼木くん
今まで薩長がメインでその次に土佐藩だったのを、土佐藩にフォーカスを当てた研究でとても興味深い内容でした!説明も丁寧でとても分かりやすかったです。レジュメも見やすかったので自分の発表の時の参考にしたいです!
②泉くん
森恪という人物について全く知らなかったですし、今まで注目されていなかった人物を研究するのは非常に面白いと思いました。他の人もおっしゃっているように、別の人物と比較することで森恪の独特さが際立つと思いました!
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報告お疲れ様でした。3回生の八木宣大です。
鬼木くん
薩長による藩閥政治が展開された明治維新において、「薩長土肥」の土佐はどのような位置関係にいたのか。画期的でとても面白い視点であり、土佐藩の解明とともに薩長の二大勢力を俯瞰できる研究になるのではないかと興味深く聞かせて頂きました。
報告内容も初回報告ということを踏まえて情報量がまとめられており、聞いていて内容が理解しやすい発表になっていたと思います。レジュメの各項目や構成についてもその意図が明確に理解できるように作成されており、鬼木くん自身がいかに研究と真剣に向き合っているのかが伝わってくる内容でした。
さて先程時間の都合で割愛した質問ですが、洋行後の谷干城が一部から民権論者とされたのはなぜなのかが気になりました。谷を思想的な面から追いかけるのであれば洋行の際に何かから影響を受けたのか、または誤解を招く発言があったのか、さては本当に民権論に傾きかけたのか。史料を用いてそこを解明するのは大変かもしれませんが、その後の自由民権運動などを踏まえると谷と板垣の関係性を論じる上で重要な点になるのではないかと思いました。
これからも切磋琢磨していきましょう。
泉くん
森恪の政治思想についての報告で、軍国主義とは違う独自の思想を持っているという視点が面白いと思いました。僕自身その分野に明るくないので建設的なコメントが出来るかが不安ですが、先行研究に森の生涯について記したものがあるのが気になりました。人物史として森を扱うのであれば、どのようにオリジナリティを見出すかが今後の課題なのではないかと思います。また、先生方も仰るように史料より先に推測、洞察が来てしまっているように感じました。僕も今日の報告で同じ反省をしているのですが、論証前の考察はあくまで「仮説」だということを忘れずにやっていく必要があると思います。
一緒に頑張っていきましょう。
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報告お疲れ様でした。4回生の服部です。
①鬼木君
西南雄藩の中でも土佐藩に注目し、なぜ土佐藩出身の総理大臣がいないかという問いをたてている点が非常に興味深かったです。
②泉君
私も史料講読で森恪に触れたことがあったので興味深く聞かせてもらいました。
あまり参考にはならないかもしれませんが、『鈴木龍二回顧録』というのに森恪のことが少し書かれていたと思います。
お二人とも頑張って下さい。
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報告お疲れ様でした。3回生の森倉です。
①鬼木さん
まず、鬼木さんの報告は聞く側が理解しやすいようにレジュメや説明の仕方に工夫がなされてい非常に感心しました。私も報告の際には鬼木さんを見習おうと思います。西南雄藩についての知識が少ない私ですが、報告で「土佐藩出身の首相が、誰1人選出されていない」という問題提起から始まったことで、史料を用いての考察が頭に入ってきやすく、100%ではないですが理解できました。レベルが高い研究だとは思いますが頑張ってください。
②泉さん
泉さんの報告では、先行研究を通して研究者の様々なアプローチから現れる森恪像について理解ができました。私自身、森恪という人物を初めて知ったので、今回の報告から森恪という人物をある程度理解できました。ここで、レジュメの作りのことになってしまうのですが、もう少し字のポイント数を変えたり、大事な部分を太字にするなどの工夫があれば、聞く側がさらに理解できる報告ができたのではないかと感じました。
史料を通して森恪を新たな視点から考えられることを導き出したことはすごいことだと思ったので、今後も引き続き頑張ってください。
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報告お疲れ様でした。4回生の赤坂です。
①鬼木君へ
土佐藩出身者が明治期に政界の実権を掌握できなかったのかについて、佐々木高行・谷干城に着目されていて興味深かったです。すでにされているでしょうが、土佐藩に関する先行研究は数多くあると思うので、取りこぼすことのないようしっかり見ていく必要があると思います。
②泉くんへ
先行研究とは違う泉くんの視点から史料を用いて発表できておりわかりやすく、よかったと思います。一方で、森恪を研究する動機は、はじめにを呼んでかよくわかりましたが、森恪を研究してどのようなことが分かるのか、どのような意義や意味があるのかについてはっきり出来たらよりいいのではないかと思います。
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報告お疲れ様です。3回生の三浦です。
①鬼木くん
今まで注目されていなかった土佐についての研究でとても面白いと思います。土佐が新政府において実権を握れなかった理由は様々あると思いますが、私が考えたのは土地柄や土佐の人柄が挙げられると思いました。現代においても、「〇〇出身の奴は〜」などといった偏見をよく聞きます。当時の土佐は何かと反発や抵抗をする人が多かったのではないでしょうか。このことを東島誠氏は『〈つながり〉の精神史』の中で「江湖」の思想として紹介しています。そのような観点から考察しても面白いと思いました。
②泉くん
森の研究を内政の観点から考察するという点に面白さを感じました。
森の満蒙観について触れられていましたが、森は満州を「領有」するという考えではなかったとありました。しかし、これでは満州を「独立」させるという意味でも捉えることができると思います。
また、森が中国ナショナリズムについてどう考えていたのか気になりました。
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報告お疲れ様でした。4回生の鶴味でした。
鬼木さん
西南雄藩研究において、土佐藩という新しい視点を持ったのはおもしろいと思いました。ですが土佐藩からのみの視点に絞ってしまうのは、やや危険なのかとも思いました。また肥前藩は総理大臣や各省大臣において、土佐藩と酷似している点があるため、併せて見るのも面白いと思います。
研究頑張ってください。
泉さん
難しい内容でついていくのが大変でしたが、非常に面白い研究内容でした。ただ先生もおっしゃられていましたが、先行研究整理を踏まえて何を論点にするかが少し曖昧だったと感じました。
研究頑張ってください。
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報告お疲れ様です、3回生の中川美祈です。
鬼木くんへ
政界の実権が薩長に掌握されており、土佐藩からは首相が1人も出ていないことに対して考察されていて、あまりフォーカスされていなかった土佐藩について知ることができ、興味深かったです。
泉くんへ
先行研究を多く取り上げられていたのにも関わらず、泉くんなりの森恪像の考察を立てられていてすごいなと思いました。別の人物との比較や、他者からみた森恪像をも盛り込んで、パワーアップした泉くんの森恪像がどのようなものであるのかを次に聞くのが楽しみです。
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報告お疲れさまでした。4回生の福田です。
①鬼木君へ
今回の報告では、明治期の土佐藩閥の特異性についてでした。個人的に陸軍閥における薩摩閥と土佐閥が内部闘争をしていたことや、陸軍と民権派との対立によって土佐閥としてのまとまりが薄くなったという方向性で見てみるのもどうかなと思いました。
板垣がどのような態度をとっていたのか、土佐藩閥の有力者たちが藩閥のアイデンティティをどのように考えていたのかが分かるような、土佐藩閥の見方を再構築する研究になると思いましたので、ぜひ頑張ってください。
②泉君へ
森恪とファシズムとの関係から出発して、森の内政観とは何かという話でした。森が中国の財界で活躍したことも踏まえて植民地経営、拓殖についての森の考え方と、産業の統制を考えるファッショ的な考えを調べてみてもいいかなと思いました。
戦前の拓殖という経済政策とファシズムとの接点についての研究につながるとも思うので、論点の引き出しを頑張ってください。
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報告お疲れ様でした。4回生の安藤です。
①鬼木君
凄く斬新なテーマで考えたことがあまりないものだったため、非常に興味深かったです。視点や角度を変えるだけでもたくさんの面白さが生まれてくるのではないかと感じました。非常に面白い内容だと感じました。これからも頑張ってください!
②泉君
一次史料がない難しさはよくわかります。だからこそ、質疑応答でもあった通り、全てがオリジナリティにつながると思います。とても面白くなりそうなテーマだと感じました。まずは、森恪の生活環境等に目を向けてみてもよいのではないかと感じました。これから頑張ってください!
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報告お疲れ様でした。3回生の上殿です。
➀鬼木さんへ
西南雄藩の土佐に、注目した研究で面白かったです。また、レジュメもとても見やすく、内容をより理解することができました。
➁泉さんへ
自分の研究に関連する分野であるので、興味深く報告を聞かせていただきました。森恪の政策が横田の政策に、影響を受けているのではないかという内容が、特に、興味深かったです。
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報告お疲れ様でした。4回生のシュです。
鬼木さん
西南諸藩の研究について薩長がメインのイメージが強いでしたが、土佐からの研究が特に面白いと感じました。
泉さん
森恪に関する研究を興味深く聞かせてもらいました。レベルの高い研究と感じました。しかし、先生のおっしゃられた通り、史料と論点の関係をもっと整理した方が良いと思います。
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報告お疲れ様でした。3回生の渡邉です。
①鬼木さんへ
土佐藩出身の首相が一人も選出されていないというテーマのもと、様々な立場の藩や政府が絡む難しい内容になりがちな報告内容を、レジュメの用語や口頭などで噛み砕いて報告してくださったので、どのような点に着目し、どんな研究がしたいかが明確に理解することができました。レジュメの構成や報告の仕方など、自身の報告にも参考にさせていただきたいと思います。さらに充実した次回の報告も楽しみにしています。
②泉さんへ
史料講読の授業から興味をもったことをテーマにし、先行研究や史料から森の思想を細かくまとめられていたので、森恪という人物をよく知らない私でもどのような考えの人物なのか理解することができました。質疑応答の中でもでていたのですが、比較対象を見つけて森がどのような点で独特であったかが見出せるとさらに面白い研究になると感じました。次回の報告も楽しみにしています。
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報告お疲れさまです。三回生の北村です。
①鬼木さんへ
西南雄藩のなかで土佐藩出身の総理大臣がいないという非常に面白い視点だと思いました。確かに、明治維新以降軍では薩長が力を持ったり、土佐藩のイメージはないので、この研究が今後どう行き着くか非常に楽しみです。
②泉さんへ
様々な視点から見た森像の解説、非常に面白かったです。森についてあまり詳しくないので調べながら発表を聞いていました。発表の内容というより、泉さん自身が森の研究によりどのような歴史的意義があるのかをハッキリとさせたら、もっと研究が進みやすくなるのではないかと思いました。
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