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【6月20日 2限 意見・感想】

1 : 河嶋直 :2024/06/20(木) 11:25:46
授業に出席された方はこちらに意見・感想を書き込んでください。 なお、こちらに書き込むことで出席とみなします。〆切は6月20日(木)23:59までとします。これを過ぎると出席点に加算されませんので、〆切厳守でお願いいたします。
3回生の報告に入りましたので、以下の条件での書き込みをお願いいたします。
*報告者2人分(1コマ分)で1投稿 ・報告順に従い、
 ①―さんへ  
 ②〜さんへ と宛名を明示してから本文を書き込む。


2 : 岡崎蓮 :2024/06/20(木) 12:34:43
報告お疲れ様でした。4回生の岡崎蓮です。

①八木くんへ
「准勅祭」を歴史学的にこれまで研究されてくることが少なく、そこに着目して研究するという点においてこの研究の面白さなのかと漠然と考えていました。
報告を聞いていて、歴史学的に研究をするというのは具体的にどのような点を指摘しているのかは曖昧であると少し思いました。「地方史」的な性格と神道という「宗教史」的な性格、そして「天皇」関係が深く関わっているという性格を持つものなので、それぞれの点において分析を進めていくと良いと思うのですが、対象としたい時期がどこなのかなと疑問に感じました。あまり広く見すぎると、社会的変化等々も合わせて見ないといけなくなるため、非常に困難になるように考えます。したがって、対象としたい時期は明確化した方が良いと思います。史料を他に多く見るのであれば、国立国会図書館デジタルコレクションで見れるものも多いので、国学的要素を考えるなら『國學雑誌』もあるので、見てみると良いと思います。

②上殿くんへ
政友本党の性格を、これまで注目されてこなかった幹部連中に注目して、その視点で明らかにしていくという点で面白さを感じました。
まず、体裁的な話なのですが、史料1において「結構」となっていますが、「決行」の誤変換なのかなと思いましたが、意味合いが異なってくると思うので注意が必要かなと思いました。
続いて、内容についてですが、政友本党がこの時期に割と重要な位置づけにあることは報告の中でも、質問の中でも明らかだったかなと思います。今回、中橋徳五郎を中心として述べられていたかと思いますが、中橋徳五郎自身の史料も見てみると良いかなと思いました。彼自身が何か感じて、書いているものもあると思うので、それを見つけて、史料として用いることができると彼自身のより詳細なところがわかる上、最終的に目指すべきところにも繋がるのかなと思いました。


3 : 田中拓磨 :2024/06/20(木) 12:58:41
報告お疲れ様でした。4回生の田中です。

①八木さんへ
准勅祭の定義の範囲が武蔵国から東京府になった際に、12社から10社に減少したことが気になりました。2社減った理由、その背景についての詳細が気になりました。
史料を用いながら、オリジナリティを作成しようとしているのが良いなと思いました。また、報告レジュメから、研究への熱心さが伝わりました。

②上殿さんへ
原死後から二大政党の確立までの各政党の状況について、オリジナルの図で示してくださったことで、当時の情勢についてわかりやすくなり、それについて理解することができました。
もしかすると、私が間違えているかもしれませんが、中橋徳五郎、山本達雄、杉田定一といった、政友本党の人物から政友本党が小政党ではないことを論じたいのかなと思いました。


4 : 溝口当子 :2024/06/20(木) 16:26:50
報告お疲れ様でした。3回生の溝口です。

①八木さんへ
私はこの分野にはまったく詳しくないのですが、補足レジュメの語句の説明や丁寧な説明のおかげで、非常に理解しやすかったです。また、今回初出の史料を扱っていらっしゃった点が印象的でした。
的外れかもしれませんが、京都二十二社の方は「京都」と言いながら所在地が京都ではない神社も含まれていますが、東京十社の方はすべて東京に存在していることについて、東京周辺の地域の神社が準勅祭に含まれなかったのはなぜだろうと思いました。

②上殿さんへ
時系列で各政党の動向を追った図が発表の理解に非常に役立ったので、有難かったです。発表内容自体も、レジュメの構成や論理的な説明から無駄のないすっきりしたものであると感じました。
今回は発表で取り上げられていませんでしたが、先行研究整理において言及されていた他の党内幹部に関する考察についても楽しみにしております。


5 : 山本駿介 :2024/06/20(木) 17:56:29
お二人とも、報告お疲れ様でした。4回の山本です。
① 八木君
 「武蔵国」が「東京府」に変容したという考察は非常に面白いなと思いました。個人的に現在の都道府県の括りがどのように受容されたかという点に関心を持っているので、その問に対する1つの答えになりそうで、興味深く思います。
 ただ今回の史料だけでは、まだ彼等が「東京」という空間意識を持ったか否かを決定づけるには不十分だと思います。単純に、行政単位がそうなったからそれに従っただけ、ということも考えられるので、書翰や日記といったプライベートな史料を見る必要がありそうです。
② 上殿君
 多分私が政治史に疎いからだとは思うのですが、レジュメの書き方について気になった点を以下コメントします。
 P2からの「概説」で経緯を丁寧に説明してくれているのは良いのですが、P5以降の内容や別紙の図が、その「概説」内のどこの時点の話をしているのかが分かりにくく感じました。イベント(何回目の選挙か、等)だけでなく、何年から何年なのかも記して貰えると有難かったです。


6 : 塚本遼平 :2024/06/20(木) 18:14:05
報告お疲れ様でした。4回生の塚本遼平です。

①八木君へ
今回の報告は、明治初期の神社行政に関する新たな視点を提示する面白い内容でした。
質問の際にも述べさせていただきましたが、①准勅祭社の行事を従来通りに当該神社の神官が行なっていたのか、②准勅祭社の社格ないし当該神職の位階に変化はあったのかが、重要になってくるのではないかと思いました。なぜなら、従来までの東京における神社を、新しい“准勅祭社”として“格”を創造・維持する必要が出てくるためです。
その点に着目すれば、二十二社(東京十社)が選ばれた理由や、それが廃された背景についても明らかになるかと思います。

②上殿君へ
政友本党の歴史的意義についての報告で興味深かったです。
今回は中橋徳五郎に着目した研究内容で、中橋周辺にいた鳩山一郎など少壮代議士の活躍を中心に当該期の政治情勢が上手くまとめられていたと思います。
質問の際にも述べさせていただきましたが、今後政友本党が解党して政友会や民政党にそのメンバーが移り、派閥を形成するため、少し先の政治史の流れも見られる方がよいかと思います。そのため、政友本党側だけではなく、政友会や憲政会側からも見る事で、当時の政友本党の歴史的意義が具体的に見出だせるのではないかと思います。
また、当時の政党周辺にいた院外団や、政党人が何の議員(衆議院議員か、貴族院議員か)にも着目すれば、政友本党の構造が分かると思います。
参考になるかと思う参考文献と史料を挙げておきます。ちなみにここで取り上げる益谷秀次(1888.01.17 – 1973.08.18)は政友会・政友本党・自由民主党などの政党を歴任した政党人で、小川平吉(1870.01.02 – 1942.02.05)は政友会の重鎮で鉄道大臣に任じられた人物です。

粟屋憲太郎『昭和の政党』(小学館、1983年)
奥健太郎『昭和戦前期立憲政友会の研究:党内派閥の分析を中心に』(慶応義塾大学出版会、2004年)
森田寛希「大正末期立憲政友会における党路線の模索:普選後の政局をめぐって」『史学雑誌』132編第10号(史学会、2023年)pp.1504-1527

政友本党誌編纂所 編『政友本党誌』(政友本党誌編纂所、1927年)
鳩山一郎『私の自叙伝』(改造社、1951年)
中正雄『益谷秀次』(益谷秀次伝記刊行会、1967年)
小川平吉文書研究会 編『小川平吉関係文書 1』(みすず書房、1973年)
小川平吉文書研究会 編『小川平吉関係文書 2』(みすず書房、1973年)


7 : 河嶋直 :2024/06/20(木) 19:12:02
報告お疲れ様でした。4回の河嶋です。
①八木君へ
「二十二社」の制度の話があったが、平安時代(白河天皇治世)に確立した「社格」制度であり、平安中期以降、国家の重大事や天変地異の時など、大事件が発生した際には朝廷より使者を使遣わされ、特別の奉幣を受けた「二十二社」で、「皇城鎮守神」と呼ばれていたらしいですが、「十社」も禁裏=江戸城を守っており、ただ、平安京は「教王護国寺」(南)・「鞍馬寺」(北東)・「神護寺」(北西)が守護しているのですが、「皇城」を守っていた点は非常に興味深いと思いました。また、「近代社格制度」が誕生するけれども、これは「延喜式」を模倣したのであり、明治維新の核となる「王政復古」の理念と関わってくるのではないかと思いました。以下参考文献です。
〇岡田莊司・小林宣彦編『日本神道史』増補新版、吉川弘文館、2021年5月

②上殿君へ
レジュメに於いて「政友本党の性格や党内の動向及び、政友本党に所属していた代議士を分析する」とあったが、政策・党派・人物・構造など様々な視点で捉える必要があり、それを見るには各個人の史料(書簡・関係文書)を見るしかないと思いました。高橋光威、田中隆三、松浦五兵衛、小橋一太、山本達雄、元田肇、中橋徳五郎、杉田定一、川原茂輔、鳩山一郎、桜内幸雄、中村啓次郎は国立国会リサーチで調べると出て来るので、調べて下さい。以下参考文献です。
〇阿部武司他編『朝倉毎人日記』全6巻(近代日本史料選書9)、山川出版社、1983-1991(日記・来簡・自伝草稿)


8 : 木全諄 :2024/06/20(木) 19:23:34
報告お疲れさまでした。4回生の木全です。

①八木くん
明治維新期における新しい神社政策としての「准勅祭」の研究、非常に興味深いと感じながら聞かせていただきました。
報告時に複数人から述べられていたかと思いますが、私も各神社における社格の要素を考慮すべきかなと思いました。既にご存知でしたら申し訳ありませんが、少し調べてみると明治維新以降に「近代社格制度」というものが成立して神社の等級化がなされたということだったので、それに照らし合わせて十社ないしは十二社を見ていくと当時それにどのように該当していたのかわかるのではないかと思います。
すごく面白い論点だと感じたので今後も期待しています。

②上殿くん
床次竹二郎の動向から政友本党の分析をした研究で、私自身政党史などは詳しくないのですが、分かりやすくまとめられていたのは大変良かったです。
授業の際にも述べさせていただきましたが、床次以外から政友本党の分析がなされていないために政友本党の分析をして性格を明らかにするという目的があると述べられていましたが、それを通してどうしたいのかまで書かれていたらより分かりやすく良い報告になったと思います。質疑の際にはある程度お答えいただけたので、今後はそれも考慮しつつ研究を進めていってもらえればと思います。


9 : 鈴木琴葉 :2024/06/20(木) 19:58:47
報告お疲れ様でした。3回生の鈴木です。

①八木さんへ
勅祭社という観点から、東京の捉え方について考察していくという視点が非常に興味深いと思いました。先行研究への問題点整理も見やすく、内容がしっかりしていながらも無駄なことが少ないすっきりとした発表だと感じました。他の方もすでにご指摘されていますが、やはり准勅祭の定義の範囲が減少した点が気になりました。

②上殿さんへ
近代政治史にあまり詳しくはないですが、手描きの補足資料もあり、全体的に見やすさもあるわかりやすい丁寧な発表だったと思います。「おわりに」で示された人物たちについても、今後の発表で取り扱うようですので、視点が増えることでさらに細かな分析がされると思われるのでとても興味深く思っております。


10 : 梅野友翔 :2024/06/20(木) 20:16:01
報告お疲れ様でした。3回生の梅野です。

①八木さんへ
東京十社である亀戸神社や王子神社があるのですが、明治維新期には今の王子や亀戸はその地域の副都心としてまだ開発が行われてないと思うのですが、東京十社として指定されてから王子や亀戸は副都心として開発されたのでしょうか。
もし、東京十社を理由として開発されたなら、当時の東京十社の重要性を少しでも把握できると思いました。

②上殿さんへ
各時代の政党の変遷の図がとても理解しやすかったです。政友本党の性格や党内の動向及び、政友本党に所属していた代議士を分析することについてですが、政党の地盤は地方だと思うので地方の代議士の日記や当時の地方新聞も参考になると思いました。


11 : 横山真太郎 :2024/06/20(木) 21:09:28
報告お疲れ様です。4回生の横山です。

①八木さんへ
今回取り上げた勅祭社・准勅祭社を用いて東京に係る捉え方の変容を示そうとする着眼点は非常に良いものだと感じました。
准勅祭社を取り上げること、東京意識の変遷を示そうとするところ、どちらをメーンに据えるかで史料調査の方向性ひいては今後の研究の方向性が変わっていくと思います。

②上殿さんへ
自作の表を用いて説明してくれたので当時の政治の流れがとてもわかりやすくなりましたので、その工夫は良いと思います。
レジュメの体裁の点、より具体的なテーマとそれに沿う史料探しと言った点がこれからの課題として挙げられると思いました。
一緒に頑張りましょう。


12 : 山際こころ :2024/06/20(木) 21:18:08
報告お疲れ様です。三回生の山際です。

①八木さん
目新しい研究テーマで、発表を聞いていてとても興味深かったです。他の方も言及しておられましたが、京都二十二社に対してなぜ東京が十社なのか気になりました。また、東京十社の選定はどのような基準で行われたのか、選定する過程で不満や異論が出なかったのか疑問に思いました。


図を見ながら説明を聞くことができたので内容を把握しやすかったです。先行研究では、政友本党の分析に際して幹部らについてあまり触れられていないとのことでしたが、単純に史料が少ないゆえに研究が進まなかったのか、それとも史料は十分あるものの軽視されてきたのでしょうか。幹部らの書翰や彼らに関する新聞記事が残っているのであればそれらを活用するとより良い研究になると思いました。


13 : 山際こころ :2024/06/20(木) 21:21:21
報告お疲れ様です。三回生の山際です。

①八木さんへ
目新しい研究テーマで、発表を聞いていてとても興味深かったです。他の方も言及しておられましたが、京都二十二社に対してなぜ東京が十社なのか気になりました。また、東京十社の選定はどのような基準で行われたのか、選定する過程で不満や異論が出なかったのか疑問に思いました。

②上殿さんへ
図を見ながら説明を聞くことができたので内容を把握しやすかったです。先行研究では、政友本党の分析に際して幹部らについてあまり触れられていないとのことでしたが、単純に史料が少ないゆえに研究が進まなかったのか、それとも史料は十分あるものの軽視されてきたのでしょうか。幹部らの書翰や彼らに関する新聞記事が残っているのであればそれらを活用するとより良い研究になると思いました。


14 : 小林希颯 :2024/06/20(木) 21:57:39
報告おつかれさまでした!3回生の小林です。
①八木くん
語注があったり説明が丁寧だったりしたのですごく分かりやすい発表でした!今まで研究されなかった分野ということで興味深い内容だったと思います!質問させていただいたように、東京の神社と京都の神社を比べてみたらいいと思いました!
②上殿くん
政党の変遷の図があったため説明もすごく分かりやすかったです。それぞれの図に年代の表記があるとより分かりやすくなると思いました。


15 : 大西知明 :2024/06/20(木) 22:16:06
報告お疲れさまでした。三回生の大西です。

①八木さん
東京で選ばれた十社について、なぜその十社が選ばれて、他のごまんとある神社が選ばれなかったのか、なぜ京都では二十二あった准勅祭社を減らす必要があったのか(もしかしたら気が付いたら減っていただけかもしれないですが)を深堀りしていくと、質疑でも少し触れられていた、明治維新の国家神道の形成にも迫ることができるのではないかと思いました。
②上殿さん
まず、政党の変遷について、僕もよく分かっていない部分があったので、図で示していただいたので分かりやすかったです。内容としては、脱党した中橋についていろいろと考察されており、簡単な意義付けもされていたが、先行研究で触れられていた、杉田や元田がどこに行ってしまったのだろうと思った。


16 : 橋本明日香 :2024/06/20(木) 22:43:11
報告お疲れさまでした。3回生の橋本です。

①八木さんへ
新出の史料を使用していらっしゃいましたが、想像ですが膨大な量の史料を読んだ上での引用だと思うので綿密な作業が裏にあったのだろうと思いました。今後東京十社のそれぞれの日誌を読み内部事情を把握していく必要性が出てくるとのことですが、塚本先輩もおっしゃっていたように八木くんならこの大変な研究もやり遂げられると思います!

②上殿さんへ
手描きの図など、聞き手の理解を促進する配慮があったため、政党の動きや変遷を辿りながらスムーズに理解することができました。今後また別の人物に焦点を当てて研究を進めていくと思うので、より多角的で深い研究になっていくのが楽しみだなと個人的に思いました。


17 : 川田竜史 :2024/06/20(木) 23:29:18
報告お疲れさまでした。4回生の川田です。

八木君へ
東京奠都と准勅祭設置とを関連付ける着眼点が面白く、見やすくまとまっているレジュメでありがたかったです。
その中で京都での二十二社の勅祭社制度と東京十社の制度の共通点だけでなく、相違点や新たに追加された点にも注目すると准勅祭設置の意味も見えやすくなる部分もあるのかなと感じました。
神社にある史料もあるとのことで収集が大変なところもあると思いますが、頑張ってください。

上殿君へ
図なども用いて政友本党の動きなどがわかりやすく書かれていてよかったです。
私自身の課題でもありますが、政友本党の動きなどを明らかにすることによって何を解明したいのかという部分を見つけることができれば、より良い論文になると思います。
今後は見ていく人物が増え、史料や先行研究も非常に多くなってくると思うので大変な部分も多いと思いますが、頑張ってください。


18 : 片岡巧月 :2024/06/20(木) 23:33:15
報告お疲れ様でした。3回生の片岡です。

①八木さん
授業内で言われていた通り、東京十社がどのような経緯で選ばれたのかについて気になりました。情報量が多く史料整理も大変だと思いますが頑張ってください。

②上殿さん
図示など、聞く側への工夫が見られたのが良かったです。些細なことで申し訳ないですが、レジュメを読んでいる際に若干読点(、)が多いように感じました。少し注意していただけるとありがたいです。改めてですが、お疲れさまでした。


19 : 三浦光太郎 :2024/06/20(木) 23:38:32
報告お疲れ様です。3回生の三浦です。

①八木さん
見慣れない語句などに説明を加えていて、理解しやすかったと思います。
質問の時にも申し上げましまが、やはり国体との関係性が気になります。江戸から明治についての研究なので幕末にも視点を移す必要があると思います。近代の国体思想を創出したといわれる後期水戸学は朱子学だけではなく神道学も折衷した思想でした。後期水戸学についても分析すると面白くなるのではないかと思いました。

②上殿さん
政治史ということでなかなか難しくはありますが、自分の研究にもかぶるところがあるので面白く聞かせていただきました。
一緒に頑張っていきましょう!


20 : 八木大輔 :2024/06/20(木) 23:51:44
報告お疲れ様でした。4回生の八木です。

①八木さんへ
質疑の際に塚本君や山崎先生がおっしゃていたことに付随してになりますが、やはり僕自身は役割があったから準勅祭社に選ばれたのではなく役割を持たせるために選んだのではないかと考えました。明治元年から神社整理の話が出てきており実際に実行し始めたのは明治末期と記載がありました。そこで一気に数を減らす神社に含ませないように役割を与えたような気がします。

②上殿さんへ
私自身政治史・政党史について全く詳しくないので、今回の図のレジュメは非常にわかりやすかったです。今後の自分の報告でも見習いたいと思いました。当時の新聞などがあまり挙げられていなかったので当時の世論などを写す史料があるとより行いたい政策や人員配置が浮かんでくるのではないかと思いました。


21 : 高井結菜 :2024/06/20(木) 23:57:57
報告お疲れ様でした。3回生の高井です。

①八木さん
3回生初めてのゼミ発表だったにも関わらず、完成度が高く説明なども簡潔で分かりやすかったです。テーマもかなり独自性があるもので着眼点が面白いと感じました。私のとても単純な疑問で既出だったら申し訳ないのですが、神社は東京十社や京都二十二社など出てきましたが、他の日本の都市に同じような扱いの神社群のようなものがあったのかがとても気になりました。

②上殿さん
上殿さんも八木さんと同じようにテーマがとても独自性があり、とても興味深い着眼点であると感じました。私は政治史などは高校日本史程度の知識くらいしかなく疎いのですが、特に政党などの推移などを表した手書きの図はとても丁寧かつ一目で分かりやすく、政治史に疎い私でもすぐに理解できたほど素晴らしかったのでぜひ自分の発表の時にも参考にしたいです。


22 : 福田敬知 :2024/06/20(木) 23:58:07
報告お疲れさまでした。4回生の福田です。

①八木君へ
明治新政府樹立の際の、神社(東京十社)についての報告でした。吉田と白川は京都の方で有力だという話を伺いましたが、東京への影響力はあったのかが気になりました。
また明治神祇官制のもとで京都の神社グループの主張と東京の神祇官制側の国学者も加わった神社グループの主張に差異があり、意見対立があったかどうか調べるのもいいかなと思いました。
近代神社研究の新しい視点につながると思うので、頑張ってください。

②上殿君へ
中橋と政友本党の関係、そして加藤〜田中内閣期における政界再編についての報告でした。季武嘉也の『大正期の政治構造』は政界再編期に床次や横田がどのラインで提携をしていたかというような政局が分かりやすく示されているので紹介させていただきます。
当時の政友会へ戻っていった政友本党の代議士の考えを一人ずつ見ていくのもいいかと思いました。昭和初期の政局はこまごまとしているので、大変だと思いますが、頑張ってください。


23 : 鬼木翔大 :2024/06/21(金) 00:16:44
報告お疲れ様でした、3回生の鬼木です。

①八木君へ
3回生報告の先鋒、大変お疲れ様でした。以前からのご自身の有言実行、なかなかに良い3回生報告の流れを作っていただけたのではないかと思います。まず研究内容に関しては以前から詳しく内容の相談をしていただいていたため、それらがふんだんに盛り込まれていて充実していたように思われます。個人的には東京の12社が10社になったという部分は興味深く、ここには何かしらの物語があるように思えてなりませんでした。調査が幅広く大変かとは思いますが、東京合宿をメインにお互い頑張りましょう。

②上殿君へ
初日からの報告、大変お疲れ様でした。内容は王道に大正政治史ということで、なかなかに難しい研究テーマではあるのですが、以前から政治史に対するご自身の「好き」という気持ちが全面的に感じられており、大いに化けてくれることを期待しています。自分自身が気になっている小橋元雄という人物のご子息に小橋一太という方がおられまして、この方は清浦奎吾なんかとも深い関係性がある人物なので、ぜひ見ていただきたい(そして有意義な情報があれば、ぜひ教えていただきたい)ところです。


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