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【6月13日 2限 意見・感想】
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講義に出席された方はこちらに意見や感想、アドバイス、参考史料(資料)等を書き込んでください。なお、こちらに書き込むことで出席とみなします。〆切は6月13日(木)23:59までとします。これを過ぎると出席点に加算されませんので、〆切厳守でお願いいたします。
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報告お疲れさまでした。3回生の橋本です。
分量の多い充実した内容のレジュメを、重要な部分をかいつまんで時間内に発表していた点がすごいと思いました。平田晋策の思想・行動と平田を取り巻く政治的事象について、十分な史料を集めて踏まえた上でご自身の考察をされていたので参考にさせていただきたいと思いました。
単純な疑問なのですが、海軍司令部がパンフレットを購入する際に平田のものは800冊/200円で、福田海軍少将のものは500冊/400円で購入されており、単価に差がありますが、海軍関係者であることや身分が関係していたのでしょうか。それとも単純にパンフレットのクオリティーの差でしょうか。
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報告お疲れ様です。3回生の溝口です。
多角的な視点から「平田晋策と国家主義・国家社会主義団体との関係」というテーマを捉えていらっしゃって、非常に聞きごたえのある発表だったと思います。
五・一五事件に関して、世論は被告人に同情的であり実際に最高刑も無期懲役であったことなど、この事件に肯定的な意見が当時の社会では主流であったのに反して、平田は自身の軍隊観から批判的な意見を持っていたとおっしゃっていました。こういった世間や軍とは異なる考えを述べる存在は、当時はどのように認識されていたのでしょうか。
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報告お疲れ様でした。3回生の鈴木です。
多くの史料を踏まえ、多面的に平田晋策の思想について考察しており、非常に丁寧な発表であると感じました。五・一五事件に対しての平田の視点は、当時の世論とかなり異なるものであることが示されていましたが、これを取り上げて賛成される例や、近い意見を主張する例はどの程度見られたのかという点が気になりました。
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報告お疲れさまでした。4回生の塚本です。
今回の報告では、1930〜32年における平田晋策の政治動向・思想について、当時の「革新団体」での動向等と結びつけて考察されていたと思います。
質問の際にも述べましたが、当時の陸軍の内部動向(荒木貞夫の台頭など)を受けて、平田が“一致団結した軍部”という勢力に期待をし、それを先導する形で「統制経済」等の主張をしたのではないかと思いました。もしそうだとすると、当該期における専門的な軍事知識を用いた“オピニオンリーダー”としての一面を浮かび上がらせられるのではないかと思いました。
また質問時には言えませんでしたが、平田がソ連に対して一定の評価(政治―経済―軍事が「ぴったり」)をしているように、当時の日ソ関係に対する視点も必要かと思いました。特に満洲情勢にはソ連が深く関わっているため、この視点は必要かと思いました。
最後に、質問の際に述べた論文等の紹介をいたします。
吉田裕「満州事変下における軍部:「国防国家」構想の形成 」『日本史研究』第238号(日本史研究会、1982年)pp.39〜74
北岡伸一「陸軍派閥対立(一九三一〜三五)の再検討:対外・国防政策を中心として」『年報 近代日本研究 1:昭和期の軍部』(山川出版社、1979年)pp44-95
桑田翔「荒木貞夫陸相期の陸軍と経済政策」『東京大学日本史学研究室紀要』第25号(東京大学大学院人文社会系研究科・文学部日本史学研究室、2021年)pp.47-63
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報告お疲れさまでした。3回生の愛葉です。
発表を聞いて、内容が非常に充実していると感じました。海軍軍令部が平田のアメリカ批判のパンフレットを大量に購入していましたが、この購入したパンフレットはどのような形で活用されたか疑問に感じました。
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報告お疲れ様です。三回生の山際です。
三回生時の報告の内容がまとめられていたことが理解の一助になりました。史料も豊富でとても聞き応えがありました。
「統制経済」や「五・一五事件」に対する「革新団体」と平田のスタンスの差異が興味深かったです。特に、「五・一五事件」に関して、事件を起こした青年将校に対し国民や軍部が同情を示し、荒木貞夫が「涙なきを得ない」とまで言っている一方で、平田が「如何にしても弁護の余地が発見出来ない」と断じているところが面白いと感じました。
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報告お疲れさまでした。三回生の大西です。
レジュメの作成の仕方や引用の仕方、先行研究の作り方など、いろいろなことを学べるとても良い報告だったように思います。今後の参考としたいと思います。内容に関してなのですが、最後の五一五事件事件のところで、なぜそこまで痛烈な批判をするのだろうと思っていました。例えば国民や軍部であれば、彼らに多少なりとも同情をしたり、荒木や大角らも至純であるとしている。何か平田をそこまで強く意志づけるものがあったのかと思った。
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報告お疲れ様でした。3回生の八木宣大です。
極めてレベルの高い報告内容で、十河先生も仰った通り学部生のレベルを大きく上回る質・量であったように感じました。また、前回報告の補足レジュメもありがたい配慮でした。
質問でもお聞きしましたが、史料15の「警告的意思表示」が殺人を含む実力行使までを含むのかが少し気になりました。平田が五・一五事件を非難したのは「天皇政治の軌道外に外れようとする危険がある時」ではないケースだったからとのことでしたが、それは具体的にどのようなケースを指すのかは重要であるように思います。五・一五事件を非難する文脈だとはいえ、「許される」場合があるとまでまで明記するのには深い意味があるように感じました。
レジュメ形式、参考文献の記載、註の文章など参考にさせていただきます。
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報告お疲れ様でした。レベルの高い報告だったと思います。「五・一五事件」に対する平田と軍部の人間の受け止め方の違いがとても面白かったです。
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報告お疲れ様です。3回生の三浦です。
とてもレベルが高く聞き応えのある内容だったと思います。レジュメもとても見やすかったので参考にさせていただきます。
平田は満蒙政策を主張し、同地における日本人の生活権を確保すべきとの内容がありました。石原莞爾などが唱えた「五族協和」などの思想に対して平田はどのように考えていたのか気になりました。また、平田の主張が当時の国民にどの程度浸透し、受け入れられていたのかも気になりました。
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報告お疲れ様でした、3回生の鬼木です。
平田晋策という極めてマイナーな人物についての研究でありながらも、軍事的観点や外交的視点、経済的視点に至るまで、幅広い視座から平田に対するアプローチがかけられており、非常に聞き応えのある報告であったように思います。報告を聞く中において、個人的に特に関心を寄せたのは満州の情勢に関する部分でした。例えば、【史料10】においては日本の理想的軍事形態について述べられていましたが、その中において日本は「海洋国家」であるとともに「大陸国家」でもある、との主張があったと思います。日本は確かに「海洋国家」ではあるのですが、「大陸国家」かと問われると些か疑問符が付くところであり、ともすると、この「大陸国家」という語には「満州」という存在が含意されているように思われます。また、【史料8】においても、「満蒙を包む雄大なる統制経済の新日本」という記述があり、この史料からも満州という存在が如何に重要であったかが見て取れます。ともすると、平田が満州という存在を考える上において軍事的観点や外交的観点、経済的観点から絶対に考慮しなければならなかった国家がひとつ浮かび上がってくるように思われました。ここを深掘りすることによって、平田の主義的変遷・挫折ないしは【史料15】に見られるような、その後に「皇道」的思想を抱くようになるに至った根本的要因を考えるにあたっての一助となってくれるのではないかと思われました。末筆ではありますが、これほどの情報量と史資料の渉猟は大変な労力を要するものであったと察せられます。報告、本当にお疲れ様でした。
(質疑の際に少々体調が優れず、満足な口述が怪しかったため、本当は直接お聞きしたかったことを述べさせていただきました。駄文、ご容赦ください笑)
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報告お疲れ様でした。4回の山本です。
日本近現代史における自分の関心が「軍」にあるので、平田の軍に対する思想には特に興味深く思いました。
筒井清忠は『天皇・コロナ・ポピュリズム』で、当時の人々が政党より中立的存在として軍人を求め、結果として五・一五事件をマスメディアが評価したと語っています(一般書なので、この見方が妥当かは分かりませんが)。
平田の軍隊観は飽くまで「天皇の軍隊として五・一五事件はよろしくない」という感じに受け取れますが、当時の世論における軍隊観への反応や相互の影響は無かったのかなと思いました。
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報告お疲れさまでした。4回生の福田です。
今回の報告では、当時の右派思想人の系譜の中で国家社会主義者の立ち位置に着目して気になった点がありました。日本の国家社会主義は西欧とは異なる独自の発展をなしていたので、多様な思想家がいたと思いますが、平田に関しては、アジア主義の有無と天皇観の2点が気になりました。
当時の平田の天皇観が天皇機関説的な考えだったのか、国家神道的な考えだったのかということや、日本人の生活権についてはどこまでを日本人としているのかで、平田が合理的な感覚を有していたのか、宗教的な感覚を有していたのかが推察できるのかなと思いました。
た
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