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【12月21日4限 意見・感想】

1 : 河嶋直 :2023/12/21(木) 16:08:24
授業に出席された方はこちらに意見・感想を書き込んでください。
なお、こちらに書き込むことで出席とみなします。〆切は12月27日(水)23:59までとします。
これを過ぎると出席点に加算されませんので、〆切厳守でお願いいたします。
3回生の報告に入りましたので、以下の条件での書き込みをお願いいたします。
・報告者2人分(1コマ分)で1投稿
・報告順に従い、①―さんへ
        ②〜さんへ と宛名を明示してから本文を書き込む。


2 : 河嶋直 :2023/12/21(木) 16:10:07
報告お疲れさまでした、3回生の河嶋です。
①松尾くんへ
戦前と戦後、日本国憲法以降、天皇・皇族の行動の規制(日本国憲法第 「内閣の助言と承認」)が必要であり、「象徴天皇制」も確立する、また「人間宣言」以降、天皇制の捉え方が変わるなど、今までの御召の様相を変えたと思うので、体制側を見るのも良いのではないかと思いました。以下、参考文献です。
茶谷誠一「戦後巡幸からみる象徴天皇像の形成」『日本史研究』702号、2021年、61-65頁
瀬畑源「敗戦直後の宮内省の天皇制政策:昭和天皇「戦後巡幸」前期(一九四六年)に焦点をあてて」『日本史研究』702年、2021年、31-54頁
瀬畑源「敗戦直後の宮内省の天皇制政策:昭和天皇「戦後巡幸」前期(一九四六年)に焦点をあてて」『日本史研究』697号、2020年、6-8頁
瀬畑源『昭和天皇戦後巡幸資料集成』ゆまに書望、2019年
真辺美佐『戦後巡幸と宮内府改革』『交通史研究』94巻0号、2019年、65-69頁
瀬畑源「象徴天皇制における行幸―昭和天皇「戦後巡幸」論」河西秀哉編『戦後史のなかの象徴天皇制』吉田書店、2013年
瀬畑源「昭和天皇「戦後巡幸」の再検討——一九四五年十一月「終戦奉告行幸」を中心として」『日本史研究』573号、2010年、22-45頁
舟橋正真「昭和天皇の「戦後巡幸」と宮中側近の動向:一九四五年から一九四八年を中心に」『立教大学大学院文学研究科史学研究室紀要』2巻号、2010年、41-54頁
瀬畑源「象徴天皇制の形成過程:宮内庁とマスメディアの関係を中心に」一橋大学 博士 (社会学) 甲第601号 2010年11月30日
瀬畑源「昭和天皇「戦後巡幸」の再検討——一九四五年十一月「終戦奉告行幸」を中心として」『日本史研究』573号、2010年、22-45頁
瀬畑源「昭和天皇「戦後巡幸」における天皇報道の論理——地方新聞の報道を手がかりとして」『同時代史研究』3巻号、2010年、51-63頁
鈴木しづ子「天皇行幸と象徴天皇制の確立」『歴史評論』298号、1975年、53-66頁
坂本孝治郎「戦後地方巡幸の終結と護国神社参拝の開始——静岡新聞にみる一九五七年の参拝キャンペーン」『学習院大学法学部研究年報』18巻号、1983年、71-170頁
坂本孝治郎「戦後地方巡幸と国民体育大会——北海道新聞にみる一九五四年のコートシップ・ドラマ」『学習院大学法学部研究年報』17号、1982年、21-188頁

②赤坂くんへ
史料的制約もあると思いますが、日中戦争に於ける兵士の戦場生活に焦点を当てるならば、講義にでもあったように他の戦線や兵士階級の比較をするのが大事になるのではないかと思いました。


3 : 牧大雅 :2023/12/24(日) 13:20:07
報告お疲れ様でした、4回生の牧大雅です。
①赤坂君
過酷な戦場の現実を、兵士が娯楽に触れることを通じてどう乗り越えたのかを解明したいとおっしゃっていたように記憶しております。今回は、戦場生活における娯楽について触れた日記を用いて
ましたが、結果的には先行研究をどうのりこえたのかが曖昧になっていたように思いました。戦場における兵士は、様々な階級の、様々な立場で戦争に向き合う人々の集団で構成されており、いわ
ゆる「兵士」という言葉の定義次第で「兵士の視点から戦場を見ようとする試み」の最終的な完成型は異なってきます。この研究が、娯楽を媒介として軍隊と社会とのつながりをみる一視座を提供
できるような研究になるとよいと思いました。なお、軍事社会学の諸研究成果も参照してみると何か取り入れられる視点があるかもしれません。
②松尾君
松尾君の天皇観は基本的に「人間宣言」なるものを転換点として、神性→象徴へと天皇像が社会全体とじて修正されたという構図で成り立っています。まずは、国民の側が天皇自体をどう捉えてい
たのかを史料に基づいて見直しつつ、この構図が本当に成り立つのか考えてみて下さい。御召列車への登場を通じて天皇と地方との関わりが形成されるにつれ、国民の側の天皇に対する認識の変化
生じたのかもしれないという仮説をたてるのは良いのですが、問題は「国民」の定義をどうするのかが問題です。地方新聞や市史にあたるのは良いですが、そんなに都合よく天皇に対する「国民」
の認識が如実に表れた文が見つかるのか疑問ですし、御召列車が立ち寄る各拠点周辺の「国民」の、天皇に対する認識が地方新聞や市史に書いたものと本当に一致するのか、少し曖昧になっている
のではないでしょうか。御召列車の運行に携わる人々も「国民」の一員であることに相違はないですし、公的立場にない民間人を対象にするのか、公的立場にある「国民」も対象にするのか、をま
ずは明確にすべきだと考えました。


4 : 鈴木菖子 :2023/12/27(水) 19:06:00
報告お疲れ様です。4回生の鈴木菖子です。

①松尾くんへ
 5.まとめのところで、天皇の送迎の際に戦前は半強制的であったとされているが、ただ送迎のルールがあるだけで、国民はほとんどの人が自分の意思で自発的に送迎をしていたのでないかと感じた。現代の人々が天皇を見たいという単純な思いで送迎をするように戦前の人々にもあまり深い思いはなかったというようにも捉えられるのではないかと思った。多くの人々の声を集めてどんな思いがあるのかよく調べてみてください。

②赤坂くんへ
 階級と同様に戦場がどこと規定するかによっても内容は大きく変わってきます。中国戦線の駐屯部隊がどこも似たような場所だったのか、違うならどんなところが違うのが具体的に整理しておくと、日記を読む際に参考になると思いました。体力消費量や人間関係など関係することは多くありそうです。


5 : 代田大地 :2023/12/27(水) 20:21:33
報告お疲れ様でした。3回生の代田です。
①松尾君へ
御召列車の変遷と国民の行動と認識の変化について理解することが出来ました。国民の中に御召列車を動かしていた人達の思いがあったのかが気になりました。
②赤坂君へ
戦場の兵士達の娯楽についてよく分かりました。戦場にいる他の階級や人達の娯楽に対する反応や比較が気になりました。今後も頑張って下さい。


6 : 赤坂知哉 :2023/12/27(水) 21:29:09
松尾くん
 コピーに行ってたので、半分ほどは聞けていませんが、国民が天皇をどう捉えきたのかを研究するのであれば、天皇や政府側ではなく、国民側からの史料が重要なのではないかと思いました。先生がおっしゃていたような地方新聞や雑誌など、探せば多くの史料があるのではないでしょうか。頑張ってください!


7 : ZHAO WENBO :2023/12/27(水) 22:51:19
報告お疲れ様です。4回生のZHAOです。
①松尾くんへ
天皇像は国民の意識から見るとすごく重要な存在だと思います。多角的な視点から幅広い文献を参考にしたらオリジナリティのほうが出やすいです。
これからも研究頑張ってください。
②赤坂くんへ
中国戦場の兵士たちの日常生活について理解を深めました。大変興味深いです。個人的には中国戦線以外の太平洋戦線、ミャンマーにおける日本兵たちの生活に少し触れたら内容のほうが充実になれると思います。
これからも研究頑張ってください。


8 : 阪口颯太 :2023/12/27(水) 22:57:04
報告お疲れ様でした。4回生の阪口です。
①松尾さんへ
御召列車の運行形態の変化を追うことで、天皇に対する国民の意識変化を追うという研究はかなり面白いと思います。ただし、先生方のご指摘にもおりましたように、現状、史料はほぼ、木戸の日記となっており、これでは、木戸の考えは見えても大衆がどのように感じていたかは分からないと思います。一つ、地方新聞を活用すれば、より大衆目線で天皇や御召列車がどのように映っていたのかが分かるのではないかと思いました。大変だとは思いますが、これからも頑張ってください。
②赤坂さんへ
まず、中国戦線に注目するのか、それとも分析を他の戦線に広げていくかは早いうちに決めておくといいかと思います。その上でもし中国戦線に絞るのならば、中国戦線が他の戦線に比べてどういった特徴があったのかを明らかにしておくと、研究の意義が生まれると思いました。先生方からのアドバイスも参考にしながら頑張ってください。


9 : ZHU Yiqi :2023/12/27(水) 23:36:03
報告お疲れ様です。3回生のシュです。
①松尾くんへ
御召列車の変遷という視点から国民の天皇像を見るのはとても新鮮な角度だと思います。これからも研究頑張ってください。
②赤坂くんへ
中国戦場の兵士たちの日常生活日記を取り上げて、興味深い発表でした。ほかの戦線との比較はもちろん、発表にも取り上げたように占領区に飲食店などを運営する民間人がいるため、戦地にいる戦闘員ではない群体の生活も良い角度ではないかと思います。これからも研究頑張ってください。


10 : 塚本遼平 :2023/12/28(木) 01:09:38
報告お疲れさまでした。3回生の塚本です。

①松尾君へ
戦後における御召列車の運行形態の変化から、象徴天皇制に向かう中での、国民の天皇に対する意識変化を考察する観点は興味深く感じました。
これまでのコメントの方々とも重複することではありますが、まず研究対象である”国民”の範囲を、取り上げる事例と共に具体化していく必要があると思います。それによって今後取り組む、地方における新聞や雑誌といった同時代的史料も絞られ、探しやすくなるのではないかと思います。
それともう一点、これは質疑の際にも述べましたが、地方目線の史料に加えて、天皇をはじめとする宮中に関係する人物・組織が記した同時代的史料も活用するに越したことはないと思います。なぜなら、戦後こうした組織(木戸幸一が所属した内大臣府や宮内省)は解体・改組していくこととなるとともに、象徴天皇制への変化も起きていることから、こうした宮中側の人物たちがある種の危機感を持って、天皇を国民に”アピール”する必要性があったと推察されるからです。
こうした点も視野に入れられると、今後の研究の可能性も広がるのではないかと思います。
ご参考までに、1945年に宮内次官、1946年に戦後初の侍従長に就任した大金益次郎(1894-1979)が著した『巡幸余芳』(新小説社、1955年)をお伝えします。
この書籍は、大金が天皇に供奉した戦後の巡幸(昭和21-22年)に対する感想や当時の状況について記したものであり、戦後初頭の巡幸を知るに当たり、役立つかと思います。ちなみにこの書籍は、国立国会図書館デジタルコレクションの送信サービスで閲覧可能です。

①松尾君へ
戦後における御召列車の運行形態の変化から、象徴天皇制に向かう中での、国民の天皇に対する意識変化を考察する観点は興味深く感じました。
これまでのコメントの方々とも重複することではありますが、まず研究対象である”国民”の範囲を、取り上げる事例と共に具体化していく必要があると思います。それによって今後取り組む、地方における新聞や雑誌といった同時代的史料も絞られ、探しやすくなるのではないかと思います。
それともう一点、これは質疑の際にも述べましたが、地方目線の史料に加えて、天皇をはじめとする宮中に関係する人物・組織が記した同時代的史料も活用するに越したことはないと思います。なぜなら、戦後こうした組織(木戸幸一が所属した内大臣府や宮内省)は解体・改組していくこととなるとともに、象徴天皇制への変化も起きていることから、こうした宮中側の人物たちがある種の危機感を持って、天皇を国民に”アピール”する必要性があったと推察されるからです。
こうした点も視野に入れられると、今後の研究の可能性も広がるのではないかと思います。
ご参考までに、1945年に宮内次官、1946年に戦後初の侍従長に就任した大金益次郎(1894-1979)が著した『巡幸余芳』(新小説社、1955年)をお伝えします。
この書籍は、大金が天皇に供奉した戦後の巡幸(昭和21-22年)に対する感想や当時の状況について記したものであり、戦後初頭の巡幸を知るに当たり、役立つかと思います。ちなみにこの書籍は、国立国会図書館デジタルコレクションの送信サービスで閲覧可能です。

②赤坂君へ
中国戦線の兵士―しかも学徒兵―が著した戦場での日記をもとに、非日常的な戦場での”日常”生活に関して報告を行ったのは非常に興味深かったです。
報告後のコメントで先生方が述べられた通り、一般の兵隊とは異なる、当時のインテリ層から出た”学徒兵”という存在に着目するのは、当時の軍隊内にあった、世間で重視される出身層が軍隊内ではどう見られ、それによって当時の学徒兵はどのような事を考え、どのような境遇に陥ったのかという、軍隊(非日常)と世間(日常)を結び付けられる画期的な研究になるのではないかと思いました。
なお、兵士の待遇については、戦線(中国戦線、南方戦線など)や期間(日中戦争初期、太平洋戦争末期など)によっても異なります。特に学徒兵については、今回取り上げられた田辺利宏(1941年戦死)以降になると、多くの学徒兵が士官待遇のものの、速成教育によって戦場へ駆り出されました。しかし今回の田辺は可久平氏との事でしたので、こうした対象とする戦線や期間によって、学徒兵を取り巻く環境は大きく異なることを念頭に置く必要があるかと思います。


11 : 塚本遼平 :2023/12/28(木) 10:39:16
>>10 3回生の塚本です。
間違って松尾君へのコメントが重複してしまったので、修正して送らせていただきます。

①松尾君へ
戦後における御召列車の運行形態の変化から、象徴天皇制に向かう中での、国民の天皇に対する意識変化を考察する観点は興味深く感じました。
これまでのコメントの方々とも重複することではありますが、まず研究対象である”国民”の範囲を、取り上げる事例と共に具体化していく必要があると思います。それによって今後取り組む、地方における新聞や雑誌といった同時代的史料も絞られ、探しやすくなるのではないかと思います。
それともう一点、これは質疑の際にも述べましたが、地方目線の史料に加えて、天皇をはじめとする宮中に関係する人物・組織が記した同時代的史料も活用するに越したことはないと思います。なぜなら、戦後こうした組織(木戸幸一が所属した内大臣府や宮内省)は解体・改組していくこととなるとともに、象徴天皇制への変化も起きていることから、こうした宮中側の人物たちがある種の危機感を持って、天皇を国民に”アピール”する必要性があったと推察されるからです。
こうした点も視野に入れられると、今後の研究の可能性も広がるのではないかと思います。
ご参考までに、1945年に宮内次官、1946年に戦後初の侍従長に就任した大金益次郎(1894-1979)が著した『巡幸余芳』(新小説社、1955年)をお伝えします。
この書籍は、大金が天皇に供奉した戦後の巡幸(昭和21-22年)に対する感想や当時の状況について記したものであり、戦後初頭の巡幸を知るに当たり、役立つかと思います。ちなみにこの書籍は、国立国会図書館デジタルコレクションの送信サービスで閲覧可能です。

②赤坂君へ
中国戦線の兵士―しかも学徒兵―が著した戦場での日記をもとに、非日常的な戦場での”日常”生活に関して報告を行ったのは非常に興味深かったです。
報告後のコメントで先生方が述べられた通り、一般の兵隊とは異なる、当時のインテリ層から出た”学徒兵”という存在に着目するのは、当時の軍隊内にあった、世間で重視される出身層が軍隊内ではどう見られ、それによって当時の学徒兵はどのような事を考え、どのような境遇に陥ったのかという、軍隊(非日常)と世間(日常)を結び付けられる画期的な研究になるのではないかと思いました。
なお、兵士の待遇については、戦線(中国戦線、南方戦線など)や期間(日中戦争初期、太平洋戦争末期など)によっても異なります。特に学徒兵については、今回取り上げられた田辺利宏(1941年戦死)以降になると、多くの学徒兵が士官待遇のものの、速成教育によって戦場へ駆り出されました。しかし今回の田辺は可久平氏との事でしたので、こうした対象とする戦線や期間によって、学徒兵を取り巻く環境は大きく異なることを念頭に置く必要があるかと思います。


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