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【11月9日2限 意見・感想】
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授業に出席された方はこちらに意見・感想を書き込んでください。
なお、こちらに書き込むことで出席とみなします。〆切は11月15日(水)23:59までとします。
これを過ぎると出席点に加算されませんので、〆切厳守でお願いいたします。
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報告お疲れ様でした。4回生の幡鎌です。
報告の際に質問したことをまとめます。まず、「はじめに」の部分で岡村司について研究する意義付けの説明が少ないと感じました。書き方次第で研究意義はどうにでもなると思うので、岡村の軽い経歴紹介の後に岡村に注目する意義を説明できればより本論に入りやすくなるのかなと思いました。また、それと関連してですが、当時の学生はどれくらい地元との関係があったのか気になりました。今回の報告を聞いていて、当時としては、岡村は比較的地元と交流があった学生だったのかなと思います。山崎先生が中川小十郎に言及されていると思いますが、簡単には地元に戻ることができなかった中川(?)と比較的地元に戻りやすかった岡村(?)やその他の帝大生で郷土に対する認識の違いについて言及できれば、岡村の独自性や郷土について2章で触れる意義が強まるのかなと思います。
また、様々な会に岡村が参加していたことについて触れてしましたが、それは岡村独自の動きなのか、当時の帝大生で一般的なことであったのかが気になりました。(どちらと取るかで説明の仕方が変わってくるのかなと思います。)加えて、岡村以下の席次の同期生がどのような進路を辿ったのかが気になりました。成績上位者は間違いなく優秀だと思いますが、そもそも帝大に入学した時点で他の同期生もエリートであると思いました。これは当時の帝大生を全体の中でどう位置づけるのかという点と関わってくると思います。
全体としては非常に分かりやすく報告で、面白い研究視点だと思います。
まだまだ大変な時期は続きますが、卒論完成にむけて残り一か月ちょっと頑張りましょう。
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報告お疲れ様でした。3回生の河嶋です。
講義内でもありましたが、岡村司に対する焦点が希薄になってしまっていたと思います。質問に於いて岡村の思想に述べさせてもらいましたが、先生方が仰っていた通り、古河郷友会や茨城議会での立ち位置やその影響力、帝大生の中での岡村の立ち位置などを見る事で岡村の特徴が現れ、独自性がより強固になるのではないかと思いました。
*交友会=広島県学生団 山香次郎吉、秦野健二が所属 (秋山雅之介伝記編纂会『秋山雅之介伝』昭和16(1941)年、360-361頁
*岡村司「我が人生観」『日本及日本人 (爽秋)(1584)』1986年10月、14-20頁
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報告お疲れさまでした。3回生の塚本です。
講義内で指摘されていた岡村司の、帝大内の丙戌会と同郷人組織(茨城義会など)における立ち位置の深堀が必要であると思います。
”2章 郷土の結びつき”で、就職の受け皿や学資供給等の役割が指摘されておりましたが、”帝大生”としての岡村が、郷土における役割の点で、帝大の他の学生と違っている特徴を探し出すのが必要なのではないかと思いました。
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報告お疲れ様でした。四回生の横井です。
岡村司日記を詳細に見、帝大生の人脈の広がりについての論を立てることができていたと思います。報告でも上がっていましたが、岡村司を中心にする意味をもう少し深掘りできればすごくいい研究になるのではと思います。
まとめの部分で、帝大生の学生生活には、競争ばかりではない面が浮き彫りになったと書かれていましたが、史料レジュメを見る限り、そこまで同期と力を合わせている印象は受けなかったので、その点の史料を補強してもいいかもしれません。
卒論完成にむけて頑張りましょう。
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報告お疲れさまでした。5回生の村上です。
今回の報告は岡村司を視点に、当時の帝大生がどのような生活を過ごしていたのかを明らかにするものであったと思います。
日記の記述を多く用いながら、論が展開されていて、夏までの成果が存分に反映されていたと思います。
さて、気になった点としては、そもそも帝国大学とはどのような機関だったのでしょうか。
吉田君にとっての当たり前が我々にとっての当たり前とは限りません。そのため、ある程度明治期における帝大について記していただけると良かったのではないかと感じます。
また、他の方々がおっしゃっていますが、岡村司を取り上げる理由があまりわかりませんでした。
ここをしっかり明記するとそれだけで論文のオリジナリティに繋がると思うので、思案してみてはいかがでしょうか。
残り1か月一緒に頑張りましょう!!
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報告お疲れ様でした。3回生の赤坂です。
当時の帝大生について、細かく分かる報告であったと思います。他の多くの方も言われていましたが、なぜ岡村司なのかという理由付けが必要なのではないでしょうか。なぜ岡村なのかというところを深掘りできれば、オリジナリティが明らかになると思いました。
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報告お疲れ様でした。3回生の赤坂です。
当時の帝大生について、細かく分かる報告であったと思います。他の多くの方も言われていましたが、なぜ岡村司なのかという理由付けが必要なのではないでしょうか。なぜ岡村なのかというところを深掘りできれば、オリジナリティが明らかになると思いました。
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報告お疲れ様でした。3回生の赤坂です。
当時の帝大生について、細かく分かる報告であったと思います。他の多くの方も言われていましたが、なぜ岡村司なのかという理由付けが必要なのではないでしょうか。なぜ岡村なのかというところを深掘りできれば、オリジナリティが明らかになると思いました。
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ご報告お疲れさまでした。3回生の山田です。
今回の報告では、岡村司を取り巻く人脈について注目した発表であったと思います。
当時のエリート層であった帝国大学の法学部という所謂勝ち組の人達の当時の進路や各団体との繋がりを知ることができ、とても興味深く聞かせていただきました。
これは、本当に私の個人的な感想なのですが、『帝大生』という大きな枠組みで考えると、法学部では、確かに政治家、官僚、学者が多かったと考えられますが、例えば経済学部等では銀行等への民間就職、文学部では学校職員への就職が多いなどを考慮すると、題名で”帝大法科学生・岡村司”等と明記しても内容が法科学生を中心としていることもあり、更に分かりやすいのではないかと思いました。
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報告お疲れ様でした。3回生の安藤です。
岡村司より見る帝大生をテーマにした内容だったように思います。前期に引き続き、帝大生がどういう位置づけだったのか再度考えさせられました。先生もおっしゃっていた通り帝大というブランドにもう少しこだわってみるのもよいのではないかと個人的に感じました。
時期的にも忙しいと思いますが、卒論完成まで頑張ってください!
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報告お疲れ様でした。4回生の深山です。
岡村司自体というよりもやはりその周辺であったり県人会等の団体に注目して今後の研究を進める中で立ち上げた会の特徴が出てくることによって岡村司を取り上げる意義が出てくるのかなぁと思いました。
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報告お疲れ様でした。
4回生の遠山歩楓です。
一点、気になったところは競争ばかりだと語られがちな帝大生であるけども実は繋がり(?)みたいなのもあった(大事にしていた)という点です。知識不足な意見かもしれませんが、これまでの報告を聞いていると競争のイメージは帝大に入る前のことなのかな?という印象を抱きました。なので、(関係性を大事にしていたということを前提として)帝大生として過ごす中でも、例えば就職に関して帝大の中で熾烈な競争関係があったのか、またその点に関してどれくらい注目されてきたのかどうかなども提示していただけると、より分かりやすかったなと思いました!
あと1ヶ月と僅かな時間ですが、お互い頑張りましょう!!
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報告お疲れ様でした。3回生の八木です。
今回の報告で岡村と帝大生の関連が薄くなってしまったように感じました。他の方もおっしゃってるように関連性を高めるとさらに良い研究になるのではないかと思いました。また余談ですが、章立ては一度研究をまとめたポスターを作ってみるとどこに要点を持ってきて章立てをするかが行いやすくなるのでおすすめです。
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