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【7月29日補講(水谷) 意見・感想】
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授業に出席された方はこちらに意見・感想を書き込んでください。
なお、こちらに書き込むことで出席とみなします。〆切は8月4日 (金)23:59 までとします。
これを過ぎると出席点に加算されませんので、〆切厳守でお願いいたします。
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4回生の加納誠也です。報告お疲れ様でした。
宮城における御成について、前回の報告より、より具体的に示していたと感じました。
また、史料があるかどうかは分かりませんが、民衆の目線から描かれた史料があれば、それを研究に反映しても面白いのかなと思いました。
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報告お疲れさまでした。3回生の塚本です。
今回の報告では、直宮を除けば皇族の中で一番皇室と血筋が近い閑院宮家の載仁親王(以後、閑院宮と記述)を事例として取り上げられており、その「御成」に対する表現には皇族イメージ形成の流れの一端を浮かび上がらせることが出来たように、拝聴して感じました。
報告内の史料において、閑院宮が日本赤十字社関連の旅程で仙台によく訪れていたこともあり、こうした赤十字に関連して新聞以外でも取り上げられるのではないかと思いました。また少し調べてみると、閑院宮は日清戦争時に伝令将校として活躍されたことから、軍人となることが決まっている皇族の表象には、こうした”軍人”としての要素も大きくかかわっているのではないかと思いました。
したがって今回の報告のように、新聞記事に着目するのに加え、赤十字や軍関連の記事も参照することで、皇族の表象(特に閑院宮)については判明することがあるのではないかと思いました。
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報告お疲れさまでした、4回生の牧大雅です。
直宮以外の皇族表象イメージの研究を通じ、皇室が地域社会とどのような関係性をもっていたのかを明らかにしたい研究だと理解しました。疑問なのですが、閑院宮載仁親王を取り上げる理由の一点目で「同一の人物を追うことで、属人的な要素から現れてくる差異の影響が小さくなる」とのことですが、何を書いているのか意味がよく分かりませんでした(単純に文の意味が理解できない)。
まず、「皇族イメージ」がどういった概念で、どういった事象に対して用いる用語であるのかを自分なりに定義する必要があると思いました。また、直宮以外の代表例として閑院宮載仁親王を取り上げる以上、当然他にも直宮がいないのか、その人物たちには焦点化する価値がないのか、といった疑問を解消できるような事例を取り上げる意義の説明がないと単一事例を取り上げる研究の有用性
が揺らいでしまうように思います。閑院宮載仁親王を取り上げる理由は一応説明してあるものの、特に閑院宮載仁親王でないといけない理由にはならないように思いました。
今回の問いである「皇族イメージがどのように形成されていったのか」を解明するにあたり、閑院宮載仁親王を取り上げるだけではやはり不十分なように思います。やはり、地域社会側の史料をふんだんに用いるとともに、宮内庁所蔵の史料を用いて皇族イメージの形成過程を追う必要があると思いました。また、イメージという抽象的な概念の形成過程を分析するとはどういうことなのか
(=どんな分析手法をもちいればよいのか)という根本的な問いについても一回考えてみてはいかがでしょうか。
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報告お疲れさまでした、4回生の牧大雅です。
直宮以外の皇族表象イメージの研究を通じ、皇室が地域社会とどのような関係性をもっていたのかを明らかにしたい研究だと理解しました。疑問なのですが、閑院宮載仁親王を取り上げる理由の一点目で「同一の人物を追うことで、属人的な要素から現れてくる差異の影響が小さくなる」とのことですが、何を書いているのか意味がよく分かりませんでした(単純に文の意味が理解できない)。
まず、「皇族イメージ」がどういった概念で、どういった事象に対して用いる用語であるのかを自分なりに定義する必要があると思いました。また、直宮以外の代表例として閑院宮載仁親王を取り上げる以上、当然他にも直宮がいないのか、その人物たちには焦点化する価値がないのか、といった疑問を解消できるような事例を取り上げる意義の説明がないと単一事例を取り上げる研究の有用性
が揺らいでしまうように思います。閑院宮載仁親王を取り上げる理由は一応説明してあるものの、特に閑院宮載仁親王でないといけない理由にはならないように思いました。
今回の問いである「皇族イメージがどのように形成されていったのか」を解明するにあたり、閑院宮載仁親王を取り上げるだけではやはり不十分なように思います。やはり、地域社会側の史料をふんだんに用いるとともに、宮内庁所蔵の史料を用いて皇族イメージの形成過程を追う必要があると思いました。また、イメージという抽象的な概念の形成過程を分析するとはどういうことなのか
(=どんな分析手法をもちいればよいのか)という根本的な問いについても一回考えてみてはいかがでしょうか。
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報告お疲れさまでした、4回生の牧大雅です。
直宮以外の皇族表象イメージの研究を通じ、皇室が地域社会とどのような関係性をもっていたのかを明らかにしたい研究だと理解しました。疑問なのですが、閑院宮載仁親王を取り上げる理由の一点目で「同一の人物を追うことで、属人的な要素から現れてくる差異の影響が小さくなる」とのことですが、何を書いているのか意味がよく分かりませんでした(単純に文の意味が理解できない)。
まず、「皇族イメージ」がどういった概念で、どういった事象に対して用いる用語であるのかを自分なりに定義する必要があると思いました。また、直宮以外の代表例として閑院宮載仁親王を取り上げる以上、当然他にも直宮がいないのか、その人物たちには焦点化する価値がないのか、といった疑問を解消できるような事例を取り上げる意義の説明がないと単一事例を取り上げる研究の有用性
が揺らいでしまうように思います。閑院宮載仁親王を取り上げる理由は一応説明してあるものの、特に閑院宮載仁親王でないといけない理由にはならないように思いました。
今回の問いである「皇族イメージがどのように形成されていったのか」を解明するにあたり、閑院宮載仁親王を取り上げるだけではやはり不十分なように思います。やはり、地域社会側の史料をふんだんに用いるとともに、宮内庁所蔵の史料を用いて皇族イメージの形成過程を追う必要があると思いました。また、イメージという抽象的な概念の形成過程を分析するとはどういうことなのか
(=どんな分析手法をもちいればよいのか)という根本的な問いについても一回考えてみてはいかがでしょうか。
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報告お疲れ様でした。4回生の一ノ瀬風雅です。
今回の報告を聞いていて、皇族と天皇、皇太子で使われる言葉に差がなく、目に見える差はなかったという印象を受けた。もしかすると当時は天皇家全体が神聖視されていたせいで、使われる言葉には大きな差が出なかったのではないかと思った。
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