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【4月13日4限 意見・感想】
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授業に出席された方はこちらに意見・感想を書き込んでください。
なお、こちらに書き込むことで出席とみなします。〆切は4月20日 (水)23:59 までとします。
これを過ぎると出席点に加算されませんので、〆切厳守でお願いいたします。
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報告お疲れ様でした。4回生の牧大雅です。
幕末維新期に関する研究はどのような視点から試みられてきたのかが分かりやすくまとめられた
先行研究整理だったと思います。先行研究が多く蓄積されている分、どのように整理すればよい
のか迷われたかもしれませんが、研究史をよく理解されているな、と思いました。
個人的に課題として感じたのは、質疑の中であったように広島藩に着目して日和見藩評価を修正
することの意義を明確に見出すこと、及び先行研究の視点に足りない点を自分の研究で補おうと
する際の<研究の意義>の説明の仕方です。前者に関しては質疑にあった内容なので説明を省き
ます。3回生だったときの報告や先輩の報告レジュメを見ていると「〜研究は管見の限りほとん
ど見られない」という説明が頻繁に登場します。中にはここにとどまらず自分が新たに提起する
視点によってなにが明らかになると想定されるのか、という研究の利点や展望を詳しく述べたも
のも見られますが、今回の大脇さんの説明では「自分の研究視角のどういう点が先行研究とは異
なるのか」が「先行研究より」の記述からは全く分かりませんでした。「〜研究は管見の限りほ
とんど見られない」では、研究論文の序章として書くべき内容としては不足しています。序章は
研究の全体像を短くまとめたものなので非常に重要ですし、説明不足を極力避けるよう努めるべ
きだと思います。
これからも研究活動頑張りましょう!
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4回生の加納誠也です。報告お疲れ様でした。
先行研究がしっかり調べられているだけでなく、前回の報告以上に広島藩の動きを整理できているように思えました。
今後の方針として、対象を慶應期に絞るのか、明治初期まで拡大させるかについて悩んでいるとのことでしたが、個人的には、すぐに方針を決めるようなことはせずに、明治初期の史料をいくつか読んだ上で決めても良いのかなと感じました。
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3回生の松尾です。報告お疲れ様でした。
広島藩に関する青山忠正氏の先行研究や、広島藩の動向に関する本文で出てきた「浅野家は長州毛利家に対して同情的な立場を取った」という箇所が個人的に少し引っかかりました。特別親戚関係があるという訳でもないのに、あまり攻撃したり敵対するようなことを何故避けたのか、長州征討における幕府と長州藩の調停及び対幕府の政権奉還構想という要素だけでは、長州征討時の広島藩の動向の実態について解明することは難しいのではないかと感じました。これは史料などの根拠がない想像の域を出ない安直な考えですが、例えば、「先代の広島藩は財政難に苦しんでおり、長訓・長勲の代になって改革が行われたことで徐々に藩政を立て直したものの、長州征討の前線として広島藩が位置づけられたために戦禍を受ける可能性があり、それを避けるために調停に積極的に動いた。」というような広島藩の歴史や内情に起因する動向が存在する可能性は無いのかと思いました。
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報告お疲れ様でした。3回生の八木大輔です。
広島藩の位置付けや動向を先行研究からよく整理されていると思いました。
今回の発表では広島藩は優柔不断という印象を受けました。しかしながら、記憶が曖昧でどこまで正しく覚えているが不鮮明ですが
1回生の研究入門で山崎先生に広島には造幣局の支部があることを教わりました。硬貨を作ることは重要であり、この支部が広島にあることは
大きな政治的役割があると考えられます。また、呉海軍基地が置かれるなど広島は明治時代以降、重要な立ち位置に置かれています。
広島という立地が大きく関わっているとは考えられますが、そのポストを任せられるということはそれまでの立ち振る舞いも少しは関係しているのではないかと考えられます。
なので差し出がましいとは思いますが、優柔不断な広島という地域が責任を任せられるようになるまでの進化を辿れば、広島藩の考えが浮かび上がるのではないかと思いました。
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報告お疲れ様でした。5回生の村上です。
今回の報告は、丁寧に事実経過を追い、広島藩がなぜ「日和見」あるいは「依勢進退」と言われるような政治的な動きをしていたのかに迫るといったものであったと思います。
今後他藩との関わりを見ていくのであれば、近隣藩だけでなく、一度藩主の親類を洗い、親戚がいる藩との関わり(いわゆる血縁)を見てもいいのかなと思いました!
報告の1ヶ月前からぴあらでコツコツレジュメを書いていた姿にはただただ頭が下がるばかりです。今後も就活や教育実習で大変だと思いますが、体に気をつけて、お互いに研究を頑張りましょう!
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報告お疲れさまでした、4回生の舘野です。
注釈が細かくつけられており、幕末の知識が全くない私としては非常にありがたかったです。
個人的に抽象的かなと思ったのは、広島藩が期待された役割についてです。質疑応答でもありましたが、ほかの藩と協議したりと意外と行動していたのにもかかわらず、「日和見」と称されたということは、求められた役割は武力だったのでしょうか。広島藩の昔の功績や、藩主の考え(文治か武力か)が気になりました。レジュメを見ている感じ、広島藩としては(浅野さんたちの意見なんでしょうか?)平和的な解決を望んでいるのかなとも思いました。
就活も忙しいですが、研究頑張りましょう。くずし字、いつでも手伝います。
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報告お疲れさまでした。3回生の木全です。
幕末期における広島藩の動向と評価について、史料や先行研究をもとにとても丁寧にまとめられていたと思います。
報告の時に先生方からも尋ねられていたと思いますが、広島藩の「日和見」がどの立場から見たものであったのかという点が気になる点であったので、その点がもう少し調べられると良いのではないかと思いました。また、今後の方針としても事前に挙げられていたものや先生方から言われたものと様々ありますが、前者で進める場合には、他藩との関係性や広島藩が周囲の藩に与える影響面などについて考えていくと広島藩がどのような考えをもって行動していたのかが分かってくるのではないかと思いました。
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報告お疲れさまでした。3回生の塚本です。
幕末や広島に関する先行研究や、対象期の広島藩の動向を詳細に整理されていたと感じました。
私が質問した際に答えていただいた、広島藩の軍事力に対する低い評価がそのまま広島藩の評価に結び付いたという内容にある程度納得するとともに、広島藩自体がどの程度自身の軍事力の程度を自覚していたのか気になりました。もし自身の軍事力に自信がない、もしくは兵力の温存を図りつつも政局で大きな影響力を及ぼそうとしていたならば、単なる日和見藩ではないと個人的には考えました。
また、先生方が指摘された大名同士の縁戚関係だけでなく、分家出身か嫡流なのかどうかも関係しているように思います。理由としては、嫡流であれば代々の家老たちとの関係性が濃厚ですが、分家から来た場合、浅野家累代の家老よりも自身が連れてきた家老に力が行くように感じるからです。ちなみに日本大百科全書によると、浅野長勲は分家出身のようです。
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4回生の武部です。報告お疲れ様でした。
広島藩が幕末期に大きな藩で力を持っていたことが初耳でとても面白い発表でした!
薩長と並んで同盟を組むほどの大きな藩で、周りからの注目度も高く動向に視線が集まる中で、薩長と比べると行動力が少なかったから日和見と評価されたのかなと思いました。
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3回生の服部です。報告お疲れ様でした。
広島藩が日和見であったかに関して広島藩の軍事力についての話が出てきましたが、他藩と比較した際の広島藩の軍事力の詳細について興味を持ちました。広島藩についての史料には限りがあるということで、他の藩に広げて研究していくのも一つの手だと思いました。
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報告お疲れさまでした。4回生の戸川です。
すごく詳細に研究されていて、参考になることばかりでした。ただ質疑で申したとおり、どうしても「日和見」に依りすぎているような印象をもちました。これから岡山藩や鳥取藩などを見ていくことと思いますが、一旦立ち止まって「日和見」が何かを考えてみるといいと感じました。
これからも一緒に頑張っていこう!
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報告お疲れ様です。3回生の岡崎蓮です。広島藩が日和見藩だという見解があること自体初めて見聞きしましたが、その先行研究に関してしっかりと整理されており、読み込みの量がすごいなと感じました。それとともに、報告の中で広島藩に焦点が絞られた報告だったので、質疑応答の場面でもありましたが、他藩から見た広島藩はどうだったのかなどが見えにくかったところが少し気になりました。そのような視点を気にすると、先生方がおっしゃる通りその全体像が見えてくると思いました。
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報告お疲れさまでした。4回生のZHAOです。
広島藩の動向について深く理解させていただけました。史料や先行研究もこまかく整理されてすごいと思います。幕末の知識に対する視野を広げさました。とくに広島藩の軍事力に関する情報に大変興味深いです。
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報告お疲れ様です。4回生の桂です。
幕末期の広島藩の動向を藩主浅野長訓や世子長勲にも注目して分析し、それを評価する報告だったと思います。
全体を聞いていて思ったのが、他藩は広島藩をかなり重要視していたということです。報告の時にも言いましたが、大久保書翰からは討幕できないかもしれないことへの焦りが読み取れますし、池田茂政書翰の中の打診も含めたら、広島藩がどちら側か関係なく重要な藩だと認識されていたのだろうと思います。バランサーみたいだと授業中には述べましたが、シンプルに他藩の中では味方にしておきたい藩だったのだろうと感じました。
それが軍事力から来るものなのか地理的位置から来るものなのかはわかりませんが、頼られる藩なのか利用価値が高い藩なのかは見極めるべきだと思いました。
また「薩摩藩は西郷らと藩主久光で違う行動をとっていたけど、広島藩は一枚岩で動けていたのか」について疑問に思ったのですが、先生が仰っていた藩主の影響力について研究したらその辺も見えてきそうで面白いなと感じました。
かなりのプレッシャーの中での報告でしたが、お互い助け合いながら報告できて良かったです。これからも研究やゼミ活動、その他諸々相談し合いながら頑張っていきましょう!!
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報告お疲れ様でした。3回生の岩間です。広島藩は日和見であるという事でしたが、山崎先生がおっしゃっていたように日和見の中でも種類があり広島藩は力をある程度持っている上での日和見であるので日和見という定義は難しいと思いますが、他藩との繋がりを調べて今後研究していけば良いと思います。
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報告お疲れさまでした。3回生の山田です。
幕末期は、やはり薩摩・長州・土佐・肥前などが有名で私自身広島藩が力を持っていたということを知らなかったのですが、その4つの藩と近い位置関係にある広島藩の立ち位置、また幕府との関係など力を持つ藩だからこその日和見なのかなどとても興味深かったです。
また、私自身広島には縁があるのでその点でもとても興味深く発表を聞くことができました。
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報告お疲れさまでした。3回生の河嶋です。幕末の広島藩の印象は、幕府と長州との仲介者という認識が強く、実際にどのような動きをしていたのかは知らなかったので、今回の報告で広島藩の動向を詳細に聞けたのが、個人的に非常に良かったです。広島藩の立ち位置(日和見かどうか)というのは、確かにより多くの広島藩周辺の藩の動向を見ていく方法が良いと思いますが、史料が新政府側のが多いとあったように、新政府側の史料を使って新政府が幕末後「日和見」と定めた藩すべての動向・定めた理由(分かる範囲)を広島藩と比較する事で、他の日和見藩との共通点や相違点が示され、広島藩が「日和見」と考えられた要因(核心)の部分が見えてくるのではないかと思いました。
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報告お疲れ様でした。4回生の幡鎌です。
誰から見た「日和見」であるかという話がありましたが、山崎先生が仰っていた「日和見」藩の類型化と同時に、誰が(どの研究者、どの視点で)「日和見」藩という評価をしていたのか一度まとめてみても良いのかなと思いました。(余裕があればですが、、)
先生方の話を聞いた感じでも、掘り下げがいのある非常に良いテーマだと思います。
まだまだ大変な時期が続くと思いますが、一緒に頑張りましょう。
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報告お疲れ様でした。3回生の岸です。幕末期における広島藩の動向について、先行研究て分かりやすくまとめられていて私も今後報告があるときに参考にさせて頂きたいなと思いました。また、幕末期において、広島藩は弱小ではなかったにも関わらず、歴史上であまりに伝わっていないという新しい発見もあり、面白かったです。
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報告お疲れ様でした。3回生の橋本です。
今回の発表で、先行研究をすごく丁寧にまとめられていてわかりやすかったです。それだけでなく史料レジュメもわかりやすく、年表もあって広島藩の動向を理解することができました。
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報告お疲れ様でした。3回生の田中拓磨です。
幕末・明治維新期に活躍した反幕府側の藩を薩長土肥しか知らなかったため、幕末期の広島藩の動向を初めて知りました。広島藩の動向の内容がとても面白かったです。薩長土肥と比べて、広島藩があまり有名ではないのは、広島藩が、政府側から日和見だと言われていたこともあるのかなと思いました。私は、広島藩の動向を聞くと、広島藩を日和見であったと言い切ることはできないと思いました。何を基準として、日和見とするのかを見直す必要があるなと思いました。
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報告お疲れ様でした。4回生の横井です。
報告でも出ましたが、日和見藩というのは、あくまで薩長から見た時の評価のように私は思います。そのため、私は、なぜ土佐が日和見藩扱いをされなかったが気になりました。薩長から見れば、広島よりかは、むしろ土佐の方が日和っているように見えると思うのですが。土佐と広島の相違点を探せば、広島藩が冷遇気味だった理由についても掘り下げることができるのではと、少し考えました。
次の報告も楽しみにしています。
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報告お疲れさまでした。3回生の安藤です。
正直広島藩がどのような存在でどのような役割をしていたのかということは全く知りませんでした。詳細に書かれていたため、すごくわかりやすかったです。史料の集め方や使い方、先行研究整理など色々をぜひとも参考にさせていただきたいです。
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報告お疲れまです。4回生の鈴木菖子です。
先行研究のまとめがしっかりと行えていて参考にさせて頂きたいと思いました。
史料を使う時はその史料が作られた背景やその時代の背景をよく考えるように心がけようと思います。
今後も研究共に頑張りましょう。
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報告お疲れさまでした。
三回生の横山です。
薩長土肥ばかりに目が向きがちな幕末期ですが、広島藩の動向が幕末期の日本に於いてそして倒幕に於いてどの様に影響を及ぼしたのかということが伺い知れてとても良かったです。
引き続き同時代の広島藩に着目するのならば他の日和見藩とされている藩の動向を調べ広島藩の違いを挙げつつ、何故広島藩が日和見藩であると断じられたのかについて考えても良いかも知れません。
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報告お疲れさまでした。5回生の渡邊大貴です。
発表内容や構成、参考文献、史料の引用もしっかりしており、とても読みごたえがあり
今後の発表の参考になりました。
幕末の動乱期に倒幕派として行動を起こしたのは、後に明治政府で活躍する薩長土肥の出身者たち
だけであると思っていましたが、広島藩が小御所会議まで新政府の中心にいたということは
知らなかったのでとても驚きました。
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報告お疲れ様です。3回生の福田です。
史料の消失によって歴史がまた一つ消えてゆくのは非常に悔やまれることだなと思いました。それと同時に仕方ないことでもありますが、広島藩に関する謎に包まれた幕末期の動向と日和見藩についての説明が興味深かったです。
日和見とされる各藩の動向も踏まえるとより幕末期の主人公的な扱いをされる藩と違ってどのように時代を駆け抜けたかどうかが分かって面白いかもと思いました。
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報告お疲れ様でした。4回生の吉田圭佑です。
3回秋よりも広島藩の動向・評価についてよく詰めて考えられていてすごかったです。皆さんおっしゃっていましたが、史料が誰によってどのような意図で書かれたのかということを念頭に置いて史料を読むことが大切だと思います。様々な視点から広島藩に対する評価を見るためには幕府側の史料があるといいのではないかと思いましたが、とりあえずは今後史料見ていく中で都度その史料の性格を考えながら研究を進めていけばますますいい研究になっていくのではないかと思います。
これからも卒論に向けて頑張っていきましょう!
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報告お疲れ様でした。三回生の大西知明です。
幕末維新期の広島藩を中心として、先行研究をかなり広く調べられていて、調べ方も参考になりました。
また、これまで幕末維新期の研究としては、あまり脚光を浴びてこなかった広島藩を研究して新たに位置付けるというのは大変意義深いと感じました。
報告の中で気になったこととしては、質疑でも触れられていたことですが、やはり「日和見」という基準が薩長側からつけられた烙印であり、
一方向的な研究になってしまっているということです。史料の残存状況等にもよるかもしれませんが、当時の幕臣や一会桑からの視点があると、面白くなるのではないかと思いました。
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報告お疲れ様でした。三回生のシュです。
今回の発表では幕末期における広島藩の動向について詳しく説明していて、自分は幕末期についてあまり知識がなくて意見が書けないが、広島藩は佐幕と勤王の立場ではなく「日和見」の位置を選び、
広島藩の動向や同じく「日和見」を選ぶ藩との横断的な比較により、広島藩的な「日和見」の特徴を分析した。また山崎先生がおっしゃった通り、藩と幕府などの関係だけでなく、諸藩の間で相互的な関係も藩の立場に影響するので、広島藩と他の藩の関係を考察した新たな観点ができるかもしれません。
完成度の高い報告で、参考になりました。
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報告お疲れさまでした。3回生の白井です。
丁寧な構成で広島藩やその周辺の細かな動きが理解でき、大変興味深い内容でした。広島藩についてはあまり知識がなかったのですが、発表を通して広島藩に限らず幕末は各藩の動きが一貫していなかった点を再認識でき、それぞれのシビアな読み合いや動きを調べる面白さが伝わってきました。
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