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【2023年度】山崎ゼミ ゼミ外質問

1 : 深山玲於奈 :2023/03/28(火) 18:10:27
このスレッドでは、ゼミ時間外の場である掲示板上で、発表者に対する質問・意見や、研究で相談したいことをお書きください。

ゼミでは活発な議論がなされますが、時間は有限ですので、どうしても伝えそびれた質問や意見が出てくると思います。他にもゼミ時間内では思いつかなかったが後になって思いつくようなこともあると思います。また、自身の研究で不安や疑問に思うことを先生は勿論、同ゼミ生にも相談したいと思うことがあると思います。それらの、研究に関する「伝えきれなかったこと」「相談したいこと」などをこのスレッドではお書きください。

〈例〉
 ●ゼミの時には時間がなくて言えなかった質問・意見
 ●ゼミ内では思いつかなかったが終わってからふと疑問に思ったこと
 ●今週の発表で出た議論についての補足
 ●発表者の研究に参考になりそうな史料や先行研究の案内
など、他にも研究に関係すると考えられることは積極的にこちらの掲示板で発信していただければ幸いです。



★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★注意☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

ただし、以下のルールを守っていただくようよろしくお願いいたします。

 一 誰にあてた質問・意見なのかを冒頭に示すこと

   (例)Aさんへ ○○の発表内容に対する追加の質問(もしくは意見)です

 一 いただいた質問・意見に対しては御礼と自分が確認をしたという意味を込めて、必ず回答を書き込むこと

   (例)Bさんへ
     ○○についての質問(もしくは意見)ありがとうございます。
     Bさんの質問(もしくは意見)の内容について……(以下略)

宛先と御礼の言葉は必ず示していただきますようよろしくお願いいたします。


〈〈些細な事でも構いません!皆さんの思いついたその質問や意見が、よりよい研究を生み出すヒントになる可能性は大いにあります!!〉〉


この場でも色々と意見を出し合って、お互いに研究を深めていきましょう。
では、よろしくお願いいたします。


2 : 塚本遼平 :2023/04/10(月) 00:12:42
3回生の塚本遼平です。
桂さんへ 4月6日4限の発表内容に対する追加の質問です。

一つ目の質問です。報告の最後で、対外政策以外を考察する旨を述べられたため、本筋から外れる質問と思いますが、発表レジュメのp6で言及された、(第三次)桂内閣による“中国への積極的な外交”とは具体的に何を指すのでしょうか。
保留されていた2個師団増設の実行や、対華二十一カ条要求のように、軍備拡張・利権拡大を露骨に行った後の第二次大隈内閣の場合は、“積極的な外交”と捉えられるのですが、軍部大臣文官制の採用などに表れる軍部抑制方針がどのような“積極的外交”に結びつくのか疑問に思い、質問させていただきます。

もう一つ質問なのですが、以下の点で山本は、桂太郎と類似の政策方針を持ち“、山縣閥”に代わる薩派の中の“山本閥”を確立していたように思うのですが、桂さんはどのように考えますでしょうか。
①発表レジュメのp7〜11で述べられた、山本の“領土保全主義”・“軍部大臣の現役規定の撤廃”・“内閣による対外統治機構の統括”という政策方向に関してですが、後ろの2つは桂内閣の時に行われた軍部抑制策と類似しているように思い、両内閣の違いよりも、政策方向の連続性を象徴しているように感じました。
②山本内閣期の内大臣が薩摩出身の元老たる大山巌であるため、p10の【史料28】にある山本の侍従長就任によって、両職を兼任した桂太郎のように、内大臣・侍従長を薩派で占めることになると思います。そのため私は、山本は"第二の桂太郎"として自身の派閥を確立しようとしていたと考えます。

以上2つの内容の質問を送らせていただきます。二度、質問の方法を間違えてしまい大変申し訳ございませんでした。
何卒よろしくお願いいたします。長文失礼しました。


3 : 桂淳志 :2023/04/10(月) 17:39:27
>>2
塚本君へ
質問ありがとうございます。

一つ目の質問
自分は第三次桂内閣については専門外なので、その内容について小林道彦さんの研究を参考しています。ですのであまり詳しいことは述べられませんが、小林さんの著書の中には積極的な外交の具体例は書かれておらず、桂新党への参加を決めた人物たち(詳しい人名は手元に本が無いのでご了承ください)が中国の領有を望んでいたことを根拠に挙げていました。恐らく具体的なことを述べている史料が無いのだと思います。
元々桂が軍縮推進派ではあったのですが、軍部抑制方針は国民の反感を抑えるために行おうとしていた事柄として小林さんは見ています。軍部抑制方針で国民からの支持を得て、積極的外交の礎を作るみたいな感じだと思うので、実行する時期は異なるものと思われます。
自分の説明が下手すぎるので、小林道彦さんの著書を読んでいただけるとありがたいです。


2つ目の質問
まず、山本と桂が類似の政策方針を持っているという点ですが、これは季武さん(先生方がコメントの時に一緒じゃないの?って言ってた人です)が述べています。今回の先行研究整理では抜きましたが、元老との世代交代や経済力の充実といった点で桂と山本は提携していて、桂・西園寺・山本で政権運営が行われていた時代を桂園権時代としています。これを踏まえて①、②に答えます。
①政策方向の連続性について西園寺・桂・山本の中で一貫したものがあるのは事実です(行財政整理を筆頭に)。ただ現役規定撤廃という結果だけ見たら一緒のように見えますが、桂が積極的に文官制を取り入れようとしたのに対し、山本が後備役・予備役を入れることを渋っていたのを比べると、違いがあるのかなと感じます。
また、対外統治機構については全く反対の動きです。桂による関東都督府の民政庁化は満州統治機構の独立性をもたらすものですが、山本による関東都督府の外務省管轄化は満州統治機構を内閣の中に押し込めるものなので、これも意味合いは違うのかなと思います。
②まず訂正ですが、大山が内大臣になったのはその後の第二次大隈内閣期です。そして、大山は薩摩出身ですが、藩閥意識が無かった人物として有名でした。確かに宮中勢力の掌握に宮内大臣・侍従長・内大臣に就任することは必要であるためそこに山本の意志が見えていると思いますが、これだけでは派閥確立とは言えないと思ってます。

最後に山本閥についてですが、山本を慕って山本を推そうとした人たちはたくさん居たけど、山本自身は表舞台に出るのを好ましく思っていなかったというのが僕の認識です。また、本人に閥族意識があったのかも怪しいと思っています(原敬日記に閥を持つのが嫌いという記載あり)。まあ周りにめちゃくちゃ推されているので山本閥だと言えるのかもしれませんが、僕は薩派の外れ値が山本と考えております。
あと、これは個人的な話ですが、閥族意識や閥族同士での対立というもので話を片付けてしまうのはつまらないなと思ってしまうので、敢てそこには触れないようにしている節もあります(笑)。


初回から熱心に質問して下さりありがとうございます。
かなり長文で書きましたが、まだ気になるところがあれば直接話しかけてくれると嬉しいです。




4 : 塚本遼平 :2023/04/10(月) 23:17:52
>>3
桂さんへ
>>2で述べた質問についてご回答いただき大変ありがとうございます。

1つ目の質問
小林道彦さんの著書に関する第三次桂内閣の説明について説明していただき、大変ありがとうございます。
国民感情に対する政策としての軍部抑制方針を、桂太郎が対外積極策の基盤として用いるという考えは非常に興味深いので、後日、小林さんの著書を読もうと思います。


2つ目の質問
授業内で話題となっていた桂園権時代と絡めて分かりやすく答えて頂き、ありがとうございます。
①軍部大臣や対外統治機構に関する改革の類似性で、桂と山本権兵衛の間に同一性を感じましたが、両者の詳細や意義が異なるのを知り、結果のみ見て考えるのはいけないと実感いたしました。

➁まず初めに、大山巌の内大臣就任時期について誤りを指摘していただき、誠にありがとうございます。
また①と同様に、複数の対象がともに持つ類似事例から容易な断定を下す傾向にあることをご指摘いただきありがとうございます。
授業中で話されていた通り、人物を出身地や縁戚等で断定してはいけないことを改めて実感いたしました。
なお、どうしても明治期の説明として”閥族”の強調が為されていたことから、今後は多数の史資料から研究対象を冷静に判断するよう努力したいと思います。


最後に、稚拙な誤りを含んだ私の質問に丁寧に答えて下さり、大変ありがとうございます。
これからも何卒、ご指導のほどよろしくお願いします。長文失礼いたしました。

塚本


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