■掲示板に戻る■ ■過去ログ 倉庫一覧■
【10月27日4限 意見・感想】
-
授業に出席された方はこちらに意見・感想を書き込んでください。
なお、こちらに書き込むことで出席とみなします。〆切は11月2日(水)23:59までとします。これを過ぎると出席点に加算されませんので、〆切厳守でお願いいたします。
-
3回生の加納誠也です。報告お疲れさまでした。
昔の警察(特に戦前の警察)に対して、私個人としてはあまり良いイメージを持っていなかったのですが、どうしてそのような発想が生まれるのかという点を、拷問に関する報道とそれへの対応という観点から考えることができました。
気になったのは、警察内部で行われた意識改革を経て、その後どうなったかという点です。これに関して、卒論の執筆に取り組まれる際には、現在研究されている範囲(期間)よりもやや広い範囲を前もって軽く触れたうえで、議論を展開してみるのも1つの手なのではないかと感じました。
-
報告お疲れさまでした、3回生の舘野です。
拷問に対する意識は、社会情勢(戦争などなど)によっても変化するものだとは思いましたが一つの画期として大正時代があったのかなと思いました。
報告の際、正直自分でもポンコツな質問をしたと思っているのですが、おそらくあの時の自分は、自己評価と他者からの評価を別に捉えた方が良いのではないかということを言いたかったのだと思います。
また、大正3・4年に拷問記事が増加しているとのことでしたが、その後の件数の変化も見ておいた方が、より3・4年が画期であるということに説得力を持たせられるのではないかと思いました。3・4年が増加傾向にあるだけで、まだ画期といえるほどの変化にはない可能性もありうると思いました。
卒論完成まであとわずかですが、頑張ってください。
-
報告お疲れ様です。4回生の新山です。
前回までの報告では拷問の実態調査が中心でしたが、今回は拷問実態に加え、その処分の変化にも目を向けられており、その上拷問が警察や司法の視点からどう捉えられていたのか、それに対してどのような対応をしたのかということにも注目されていた点がとても興味深かったです。
私も調べてみたところ、藤巻さんが指摘されていた通り1906年の警視庁改革は名ばかりの実態を伴わないものであったように感じられ、第二章に係る史料を見たところ拷問対応の画期を迎える大正3年4年あたりに警察が具体的・根本的な体質改善を本格始動させた(せざるを得なくなった?)と考えるのが妥当であると個人的には思いました。裏付けになるもの、変化の要因が見つかるとなお良いですが、拷問の画期を発見できたのは大きな進歩だと思います。調査年代が私とは少し違いますが、宗教はやたら人権擁護を謳うので、もし人権に関する使えそうな記述を見ることがあれば共有します。
社会の状況だけでは語れない、もっと零細な動向を見ないといけないというところでたくさんの史料にあたる必要があるようですが、お互い卒論提出までの短い期間を有意義に使ってがんばりましょう!
-
報告お疲れ様でした。3回生の幡鎌です。
まず初めに、今回の報告では大正3年と4年の拷問記事を中心に取り上げていましたが、大正5年以降に拷問記事は存在していたのかが気になりました。
また、今回の報告では拷問記事と警察の意識変化について述べられていましたが、対象年以外では拷問記事がないという理由で、拷問が全くなかったと言い切るのは少し難しいのではないかと思いました。そう考えると、拷問があったけれど記事にされなかった場合もあるのではないかなと感じました(実際に拷問があったか無かったというよりも拷問を記事として取り上げるようになった当時の社会の意識の変化の方が重要かと思われます)。
卒論の中ではやはり大正3年、4年に多く記事が見られるようになった要因が重要になってくると思います。警察内での意識変化に伴って、大正4年以降に拷問記事が減少したというのはその通りだと思いますが、社会的背景(質疑応答内でも触れられていた大正デモクラシー、人権擁護論など?)と結びつけて、大正3年、4年に記事が増加した原因についても触れられると良いと思いました。
卒論の完成、応援しております。頑張ってください。
-
報告お疲れ様でした。3回生の牧大雅です。
一般に、先の感想でも述べられているように、実際の拷問と記事化されている拷問の件数の間にはかなりのギャップがある、という点には注意が必要だと思います。となると、記事化されなかった拷問に関しては今となっては拾おうにも拾いようがないもの、と史料上ではなってしまいます。
また、「拷問を記事として取り上げるようになった当時の社会意識」という点に関しても、まず拷問を当時のどんな社会現象と結びつけて意識変化を説明するのか、をまず第一に絶対に明確にして説明する必要があります。そのうえで、それらに相関関係があることを証明して、はじめて
「拷問を記事として取り上げるようになった当時の社会意識」を述べるための準備が整うと云うことになります。授業内では、自由•平等•人権意識の高まりが関連しそうな要因として挙げられていましたが、本当にそれらの一部でも当時の拷問事件と結びつけて社会意識の変化を説明できる、
といいうるのかを慎重に検討するべきです。なぜならば、当時の社会意識の変化と一括りにいうのは簡単ですが、「社会意識」は「変化するものだ」という思い込みを一度取っ払ってみる必要があるからです。現代でも言いうることですが、社会的な風潮が〜とマスコミで言われるような事柄は、実際
多くの人々にとっては全く浸透していない事柄だった、つまり一部の界隈で盛り上がっているに過ぎない事柄を針小棒大に取り上げて全体的な傾向に結びつけられることが極めて多い、と思います。手当たり次第になんとなく、関連しそうな事柄を当時の拷問事件と結びつけるのではなく、きちんと
目的意識をもって今後の研究を進めるといいと思います。
残余僅少となりましたが、卒論完成まで頑張って下さい。
-
報告お疲れ様でした。4回生の小出です。
今回の報告は明治大正期の拷問事件の記事と警察の意識についての研究だったと思いますが、記事の件数の増加や集中などの事実を初めて知りそこから当時の様々な状況が憶測できてとても面白かったです。
1つ疑問に思ったのは、大正4年以降の記事の件数はどのように変化したのかということです。ここが明らかになっているのであれば、文章の中で明記していただけると、本当に大正3、4年に記事が集中していると言えると思いました。
また報告の中でご指摘があったかと思いますが、自分も記事の集中、増加がなぜ起こったのかが、すごく気になりました。今から調査し、完璧に提示するのは難しいと思いますが、分からないままの場合でも、卒論の中で課題としてあげるのがいいかと思いました。
残り少ない期間ですが、卒論完成に向けてお互い頑張りましょう。
-
報告お疲れ様でした。4回生の鳥井です。
今回は拷問実態に加え、警察などからどのように捉えられていたのかに触れていた点が興味深かったです。他の方から言われていたことと重なりますが、拷問を扱う記事が増えた理由について、警察によって増やされたのか、あるいはメディア側が増やしたのかが気になりました。警察が問題視したと報告にありましたが、メディアで取り上げられた数の増加に焦点を当てるのであれば、警察が記事を通して世間が抱くイメージを意図的に作っていたという可能性もあると思います。警察が積極的に表に出したくないことが記事によって出てしまったという場合であれば、記者や出版社がどのような思想を持っていたのかなど、記事を書いたメディア側を中心に調べていく必要があるのかなと思いました。
残り時間も僅かとなっていますが、お互い卒論まで頑張りましょう。
-
報告お疲れさまでした。4回生の斉藤亘輝です。
拷問に関する記事の増加から画期が見出されており、その背景についての考察内容も興味深い研究だったと感じます。
個人的には見出されていた警察内部における意識変化の具体的な内容が気になりました。当時警察内部で自らの心構えについて見直すように叫ばれていたことは理解できたのですが、実際に何かルールが制定されるようなことはあったのでしょうか。
また、【史料10】の静岡県の事件に関して、加害者は確かに警察官であるものの暴行が取り調べを行う中でされていない点が、その他に挙げられていた事例と異なっており気になりました。拷問の範囲をどのように設定するかにもよりますが、単に警察官が起こしたトラブルとも捉えられると感じました。
卒論の提出まであと少しですが、お互い頑張りましょう!
-
報告お疲れ様です。3回生の桂淳志です。
明治期大正期の拷問に関する記事と警察内部の意識変化を繋げた報告だったと思いますが、個人的には史料12の傍線が引かれていない箇所が結局大事なのかなと感じました。そこには時代の思想から見て人身の自由を拘束するようなことはしてはならないと書いており、警察の意識の変化はそうせざるを得なかった部分が大きかったのかなと思います。拷問記事が増えたのも大正政変などでメディアのの強さが増し、警察内部もこのメディアの影響を無視することができなくなったために拷問に対する意識の変化を促進させようとしたのではないかと思いました。
-
報告お疲れ様です。4回生の天井です。
拷問記事の件数に関してですが、変化を見るならその前後のことも必要かなと思います。今回は大正3、4年とその前の話はありましたが、その後がなかったのでそこをまとめることが出来ればより明確な変化と言えるのではないでしょうか。また、警察内部が変化したとおっしゃっていましたが、それだけでなくメディアの変化もあった可能性があると思いました。大正時代は雑志なや新聞などが多様化して色々な系統のものが出できたので、警察関係や拷問記事、それ以外にも事件や社会主義者への捉え方、記事の書き方も変わっていたのではないかと感じました。余力があればそこも見てみると良いかもしれません。
個人的にですが、人物や語句について脚注がもっとあれば、藤巻さんの発表が伝わりやすくなりそうだなと思ったので、卒論ではそこも意識してみるといいのではないかと思いました。
-
報告お疲れ様です。4回生の山内優里です。
拷問に関する記事に加えて警察の意識の観点も入っており、とても興味深い内容でした。拷問の記事の件数に関してですが他の方も言われているようにメディアによって増やされたのかどうかが気になりました。卒業論文執筆期間があと1ヶ月くらいしかなく大変な時期に差し掛かっていますが一緒に頑張っていきましょう。
-
報告お疲れさまでした、3回生の大脇です。
どのような拷問があったのかというのが史料もあり非常に分かりやすかったです。
報告の際にお話しされていたら申し訳ないのですが、表レジュメの結果の部分に「事実なし」とあったのはどうやって確かめられたものなのでしょうか?
どうやって確認したのかが気になりました。新聞などで事実なしと書かれていたとしても、記者がどこからその情報を得たんだろうかと感じました。
現代でもあるように警察官が隠蔽したり嘘をついたりしていることもあったのかなとふと思った次第です。
また、この当時の警察はどのような存在だったのかなというのも気になりました。
史料にもこの時代の思想から見ても、とあったように、社会の流れや思想を追うことで新たな発見があるのかもしれません。
卒論完成まで頑張ってください!!!
-
報告お疲れさまでした、3回生の大脇です。
どのような拷問があったのかというのが史料もあり非常に分かりやすかったです。
報告の際にお話しされていたら申し訳ないのですが、表レジュメの結果の部分に「事実なし」とあったのはどうやって確かめられたものなのでしょうか?
どうやって確認したのかが気になりました。新聞などで事実なしと書かれていたとしても、記者がどこからその情報を得たんだろうかと感じました。
現代でもあるように警察官が隠蔽したり嘘をついたりしていることもあったのかなとふと思った次第です。
また、この当時の警察はどのような存在だったのかなというのも気になりました。
史料にもこの時代の思想から見ても、とあったように、社会の流れや思想を追うことで新たな発見があるのかもしれません。
卒論完成まで頑張ってください!
-
お疲れ様です。4回生の安田祐輝です。
今回の報告では、大正3年〜4年の拷問記事を多く取り上げられていて、きちんと調べられていたと感じた。ただ、史料4の事例は、拷問と関係があるのかなと疑問に感じた。また、明治45年までは拷問があったとしても報告されず、大正3年頃に取り上げられるようになった可能性もあるのかなと感じた。
-
報告お疲れ様でした。3回生のZHAOです。
強制力を行使して理不尽に相手を屈服させる行為は拷問の最も著しい特徴ともいうべきだと感じました。時代の変化とともに法律意識が転換しつつあり、人々が拷問への意識も変わったと分かりました。警察内での拷問の意識も徐々に変わりましたので拷問記事の減少と関連するんのです。史料の部分で意識の変化と人権が重視されていたことが二つの要点だと考えています。
-
報告お疲れさまでした。3回生の戸川です。
現在の日本における警察の取り調べの現場では拷問は行われないので、なかなかイメージしにくい話ではありました。拷問が行われるのは、警察が圧倒的な力をもつとともに、臣民の批判などを気にしないからではないかと思いながら聞いていました。
ただ、大正3年・4年のメディアの報道を受けて警察内部の意識が変化したことを知り、戦前の行政もある程度世論の目を気にしていたことがわかりました。私の戦前の行政に対する理解も少し変わった気がしています。
卒論の完成をお祈りしています。
■掲示板に戻る■ ■過去ログ倉庫一覧■