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Fate/clockwork atheism 針音仮想都市〈東京〉Part2

1 : ◆0pIloi6gg. :2024/09/16(月) 22:36:04 Q9AUdRZw0



「カムパネルラ、僕たち一緒に行こうねえ。」ジョバンニが斯う云いながらふりかえって見ましたらそのいままでカムパネルラの座っていた席にもうカムパネルラの形は見えずただ黒いびろうどばかりひかっていました。ジョバンニはまるで鉄砲玉のように立ちあがりました。そして誰にも聞えないように窓の外へからだを乗り出して力いっぱいはげしく胸をうって叫びそれからもう咽喉いっぱい泣きだしました。もうそこらが一ぺんにまっくらになったように思いました。

                                   ――宮沢賢治〈銀河鉄道の夜〉



 wiki:ttps://w.atwiki.jp/clockgrail/


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2 : ◆0pIloi6gg. :2024/09/16(月) 22:37:32 Q9AUdRZw0
【基本ルール】
マスター資格のある人間が『古びた懐中時計』を手にすることで仮想世界の東京二十三区に転移します。区外の世界は存在しません。
この懐中時計には、"エネルギーを必要とせずに動く"こと以外に異常性はありません。

マスター達には聖杯によって仮想都市の社会ロールが与えられます。
サーヴァントを失ったマスターは三〜六時間後に消滅します。
制限時間は本人の容態や持った能力値によって左右されますが、マスター単独での六時間以上の生存は不可能です。
本編開始時の時間軸は「2024年5月3日」とします。


 『神寂祓葉』およびそのサーヴァント・『オルフィレウス』は最終章まで必ず生存します。


【予約について】
予約はトリップを付けてこのスレッドで行ってください。
期限は延長なしの二週間とします。

過度な性的描写については、当企画では原則禁止とさせていただきます。

執筆が間に合わなかった、または別な何らかの理由で予約を破棄した場合、その予約に含まれていたキャラクターを再度予約出来るまでには「5日間」のインターバルを設けるものとします。
投下されたお話に登場したキャラクターは投下完了後「24時間」でふたたび予約が可能になります。

※予約期限、および書き手参加の条件などについては今後本編の進行度合いに応じて変更される場合がございます。
 その際には都度本スレでアナウンスいたしますので、ご確認ください。

【本編でのキャラ設定の追加などについて】
基本的に本編では設定追加を制限しませんが、やりすぎない程度に。かつ、前の話と矛盾することがないようにご注意くださいませ。
〈はじまりの六人〉に関しては、OP末尾にありますように、『本編では前回の聖杯戦争の記憶を取り戻しています』。
こちらも掘り下げる際にはくれぐれも矛盾や前提の破綻などにご注意ください。

【時間表記】
未明(0〜4時)/早朝(4〜8時)/午前(8〜12時)/午後(12〜16時)/夕方(16〜19時)/日没(19時〜20時)/夜間(20〜24時)
とします。本編開始時の時間帯は「午後12時」となります。

【状態表】
以下のものを使用してください。

【エリア名・施設名/○日目・時間帯】

【名前】
[状態]:
[令呪]:残り◯画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]
基本方針:
1:
2:
[備考]

【クラス(真名)】
[状態]:
[装備]:
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]
基本方針:
1:
2:
[備考]


3 : ◆0pIloi6gg. :2024/09/16(月) 22:38:10 Q9AUdRZw0
新スレになります。
引き続きどうぞよろしくお願いいたします。


4 : ◆0pIloi6gg. :2024/09/18(水) 00:03:02 EMQDptF.0
アルマナ・ラフィー&ランサー(カドモス)
悪国征蹂郎&ライダー(レッドライダー(戦争)) 予約します。

また時間帯表記について、作中の季節に合っていないと気付いたので以下のように変更します。
(旧)未明(0〜4時)/早朝(4〜8時)/午前(8〜12時)/午後(12〜16時)/夕方(16〜19時)/日没(19時〜20時)/夜間(20〜24時)
(新)未明(0〜4時)/早朝(4〜8時)/午前(8〜12時)/午後(12〜16時)/夕方(16〜18時)/日没(18時〜20時)/夜間(20〜24時)
wikiの方では既に修正させていただきました。まだお話の時間的には少し先の話ですが、こちらでよろしくお願いいたします。


5 : ◆A3H952TnBk :2024/09/21(土) 18:59:04 Ai9xA1ws0
投下します。


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6 : HEADHUNT ◆A3H952TnBk :2024/09/21(土) 18:59:57 Ai9xA1ws0



 周凰狩魔は、千代田区から退くことを選んだ。
 聖杯戦争の同盟者であり、新たに手を差し伸べた”逸れ者“――覚明ゲンジに一旦休息を与えるためだった。
 先の邂逅にて。ゲンジは“バーサーカーの50体同時現界”という無謀にも等しい意地を見せつけた。
 それは紛れもなく驚嘆に値する所業だったものの、結果としてゲンジは己の魔力を使い果たしていた。

 出来ることならば〈刀凶聯合〉の首領・悪国征蹂郎の追撃を続行したかった。
 しかし相手が現場から既に離れている可能性は高く、更に長居をし過ぎればあの一帯を覆う“精神汚染の瘴気”の影響を受けるという危惧があった。
 自分はまだいいが、体力の消耗が著しいゲンジを引き連れた状態で悪国を追撃することは難しい。
 ゲンジは魔力の底が尽きている以上、汚染への抵抗力も大きく低下している可能性が高い。
 それにあれだけの騒動があれば、警察もじきに動き出しているだろう。
 あの場に留まり続ければ、要らぬ横槍を入れられて他主従の目を集める危険性もあった。

 狩魔はそう判断して、戦局から離脱することにした。
 敵を追い詰めて確実に喰らいつくことよりも、新たに引き込んだ仲間の回復を優先したのだ。

 狩魔が撤退した先は、新宿の歌舞伎町だった。
 都内屈指の歓楽街。愛と欲望が渦巻く、娯楽と退廃の街。
 そこには〈デュラハン〉の主要な縄張りが集中する。
 拠点となる施設を数多く確保している他、配下の不良や半グレも数多く存在する。
 あの一帯は狩魔にとって、自らの領地に等しい。
 彼がゲンジと遭遇した千代田区の西側は、新宿に直接面している。
 それ故に時間や労力を掛けずに退くことが出来た。

 そして同時に、そこは〈刀凶聯合〉が襲撃すると予告した場所だった。
 狩魔にとっては、仮に彼らが12時間後という口約束を待たずして仕掛けてきたとしても構わなかった。
 奴らの方から早々に面を拝みにやってくるのなら、此方としても都合が良い。探す手間が省ける。
 尤も千代田区で派手に暴れたことからして、すぐに強襲へと踏み込んでくる可能性は低いとも踏んでいた。
 故に奴らが宣言を踏み倒して殴り込みを掛けてきたとしても、それまでにゲンジの回復は間に合う。

 懸念があるとすれば――〈刀凶聯合〉もまた、更なる戦力を確保した場合だ。
 狩魔は今後の抗争に備え、そしてこの東京に蔓延る“規格外の敵”を相手取るために、戦力の拡充を見据えた。
 この聖杯戦争において、特記戦力(バランスブレイカー)は間違いなく存在する。
 いずれ訪れる大きな波に備えるためにも、対抗可能な同盟関係を築く必要があった。
 その結果として彼は覚明ゲンジと原人のバーサーカーを引き込むことを果たした。

 とはいえ、ゲンジは度胸こそあれど、決して“強い”主従ではない。
 未だに奥の手を隠し持っている可能性もあるが、実力そのものはゴドフロワと共に目の当たりにしている。
 いずれ成長する余地はあるとはいえ、彼らだけではまだ波を乗り越えるには足りない。

 聯合を早々に潰して、連中の勢力を取り込むことも視野に入れてはいるが。
 彼らも同じように同盟の必要性に迫られ、戦争を勝ち抜くための集団を形成している可能性は低くない。
 それ故に今はまず、自分達の勢力を拡張する必要がある。
 特記戦力との対決。〈刀凶聯合〉との抗争。それらを超えるためにも、備えねばならない。

 やがて狩魔達は、新宿へと帰還する。
 ゲンジは一先ず、自力で何とか歩ける程度には回復していた。
 とはいえ、いまだに消耗していることには変わりない。
 故に今は、〈デュラハン〉の息が掛かったバーやクラブが入っている雑居ビルで休息を取らせる。
 そこで改めて今後の方針や戦力についても確認を取る。
 狩魔はゴドフロワとも擦り合わせた上で、そう決めた。

 
 ――そして狩魔は、思わぬ来訪者と遭遇することになる。





7 : HEADHUNT ◆A3H952TnBk :2024/09/21(土) 19:00:19 Ai9xA1ws0



 歌舞伎町の最果て、クラブやホテルなどが並ぶ通り。
 潰れた煙草が地面にへばりつき、酒のアルミ缶が転がる雑踏。
 猥雑なネオンの数々は、日中であるが故に光を発することもない。
 夜に目を醒ますこの街は、陽の光の下では静まり返る。
 此処は、真っ当な道を歩めない“誰か”の隠れ家である。

「――おう、悠灯か」
「どうも、狩魔サン」

 路地裏で煙草を吸っていた少女が、狩魔に片手を上げて挨拶した。
 黒い地毛が覗きつつある金髪。質素なパーカーにジーンズ。
 あどけなさを残す顔には、幾つもの痣が刻まれている。
 ポケットにはいつもの銘柄。アメリカンスピリットのライト。
 インディアンの絵が描かれた、黄色い箱だった。
 
 狩魔は、その少女のことを知っていた。
 幾度となく世話を焼き、その身を案じていた。
 手駒になるかもしれない、恩を売っておけば使える、若くて無鉄砲な不良。
 ――そう語りつつも、結局は“性分”として面倒を見ている相手だった。
 
 華村 悠灯。
 この雑踏を孤独に生きる、不良少女だった。





8 : HEADHUNT ◆A3H952TnBk :2024/09/21(土) 19:01:02 Ai9xA1ws0



 渋谷にて、シッティング・ブルは“青き騎兵”の存在を確認した。
 生前より連なる、不俱戴天の敵。決して相容れぬ、因縁の存在。
 この戦争を戦い抜いていけば、いずれ再び相見えることになる。
 第七騎兵連隊の指揮官、ジョージ・アームストロング・カスター。
 彼がサーヴァントとして呼び寄せられていることを、認識したのだ。
 早々に撤退されたことで追撃は叶わなかったものの、この地に居ることを把握できただけでも大きな収穫だった。

 英霊が、生前の伝説を背負っているならば。
 宿縁もまた、そう容易くは断ち切れないのだろう。
 例えサーヴァントとして呼び寄せられようとも。
 清算すべき過去は、己を追い立てるのだ。

 シッティング・ブルはそれを悟った。
 それ故に――この聖杯戦争で勝ち抜くことを、改めて決意した。
 救われなかった同胞達の救済。
 あの時代を生きたアメリカ・インディアンを救済する“新天地”を創る。
 無残な末路を迎えた者達を、“運命”の一言で片付けることなど出来なかった。
 その為にも、彼は己の過去を乗り越えねばならなかった。

 胸の内の虚無と絶望は、今もなお彼を蝕み続ける。
 大戦士の魂は、荒涼と枯れ果てている。
 それでも彼は、同胞を救うために戦わねばならなかった。
 そして、己を召還した少女の為にも。

 己が未来を見つけられず、閉塞の運命を突き付けられ。
 そうして、希望を求めることを選んだ――悠灯の為にも。
 シッティング・ブルは、聖杯を掴み取らねばならなかった。
 
 カスターを追う過程で、あの“復讐者”とも遭遇した。
 奪われし者。矜持を踏み躙られ、それ故に憎悪に囚われた悪神。
 シッティング・ブルは、アヴェンジャーが如何なる存在であるのかも悟っていた。
 あの英霊に対し、憐れみと虚しさを抱く想いはある。
 出来ることならば、彼と争うことは望みたくない。

 だが、彼はサーヴァントであり。
 聖杯を求めて馳せ参じた英霊であり。
 消えぬ憎悪を滾らせる、狂熱の焔だった。
 その道程を止めることなど、容易いことではない。
 そして、アヴェンジャーが抱く怨念を理解できるからこそ。
 シッティング・ブルは、彼を引き留めることを躊躇った。

 あの復讐者とも、いずれ再び対峙する時が来るかもしれない。
 聖杯戦争で競い合う敵として、戦う瞬間が訪れるかもしれない。
 それ故に、シッティング・ブルは覚悟をする。
 
 因縁と再会し、奪われし者と遭遇し。
 そしてこの地には、蝗害を始めとする“厄災”が蠢いている。
 今はまだ、辛うじてこの東京の安息が保たれている。
 しかし、それが崩れ落ちるのも時間の問題だろう。
 シッティング・ブルと悠灯は、共にそのことを察していた。

 聖杯戦争の戦火は、これから拡大していく。
 強大な主従が跋扈し、徒党を組む主従も出てくるだろう。
 その波へと乗じなければ、恐らく災いの渦へと飲み込まれる。
 故に彼らは、備えなければならなかった。


9 : HEADHUNT ◆A3H952TnBk :2024/09/21(土) 19:02:08 Ai9xA1ws0

 単独の主従である悠灯達には、“戦力”が必要だった。
 この波を超えるためにも、“同盟”を見据えねばならなかった。

 ――なあ、キャスター。

 そうして、悠灯はシッティング・ブルに提案した。

 ――ひとり、当てがある。

 聖杯戦争の“参加者”かもしれず。
 自分たちの“同盟者”に成り得る。
 そんな一人の男との接触を。

 ――本当にマスターなのかも分からないし。
 ――敵になるか、味方になるかも分からないけど。

 シッティング・ブルは、自らの使い魔を各所に飛ばしている。
 蛇や鴉の五感を通じて、この東京で虎視眈々と戦局を観察している。
 そんな中で、急速に勢力を伸ばしている集団がいた。
 〈刀凶聯合〉。二十三区の東側を縄張りにする半グレ組織。
 悠灯達は、彼らの異常なまでの進撃を感知していた。

 ――それでも、会う価値はあると思う。

 そして、彼らと真っ向から敵対する者がいる。
 破竹の勢いで勢力を拡大する軍勢と、真正面から拮抗する集団がいる。
 悠灯が会おうとしているのは、その頭領だった。
 あの連中を相手取り、対立関係を成立させることが出来る。
 彼が“関係者である可能性”は、それだけで十分だった。

 ――あの人には、野暮用もあるしさ。
 ――ただの“借りモン”の話。

 新宿の歓楽街の奥底。
 クラブやホテルなどの雑多な施設が並ぶ、泥と欲望の掃き溜め。
 それこそが“周凰狩魔”の主要な縄張りだった。
 彼と会うためには、その辺りへ行くのが手っ取り早い。
 其処で待ち伏せていれば、自ずと顔を合わせることが出来る。
 悠灯は、それを知っていた。





10 : HEADHUNT ◆A3H952TnBk :2024/09/21(土) 19:02:37 Ai9xA1ws0



 周凰狩魔は知っている。
 華村悠灯は、いつも独りだ。

 不良というものは、身内とつるむことを好む。
 逸れ者、鼻つまみ者だからこそ、気の合う仲間と群れを成して奔放に振る舞うものだ。
 しかし、悠灯は違っていた――誰ともつるまず、いつだって孤独だった。

 独りで雑踏を彷徨い、煙草を吸いながら気ままに過ごし、たまに喧嘩に明け暮れる。
 少女でありながら、男たち顔負けの腕っぷしと度胸の持ち主。威勢が良く、喧嘩っ早く、野犬のように獰猛。
 だからこそ悠灯は誰ともつるまずに居られたし、他の不良達からも敬遠されていた。

 悠灯と積極的に関わろうとするのは、周凰狩魔だけだった。
 一匹狼として掃き溜めに生きる少女を案じて、何度も世話を焼いていた――デュラハンの一員でなくとも。
 多くの逸れ者達に手を差し伸べ、不良のカリスマとして振る舞っている狩魔だからこそ、悠灯と何の蟠りもなく交流することができた。
 そんな狩魔に対し、悠灯もまた気を許している節があった――生育環境では得られなかった父性のようなものを、心の何処かで見出していた。

 とはいえ、あくまで悠灯は常日頃から孤独に過ごしている。
 誰とも積極的に関わらず、野良犬のように街角を彷徨い続けている。
 そんな彼女が、自分から狩魔へと会いに来るというのは、彼自身にとっても意外なことだった。

「お前からなんて珍しいな。用か」
「ちょっと借り物あったんで」

 開けた路地裏で目立たぬように、彼らは会話を交わす。
 そう言いながら、悠灯は懐から“それ”を取り出して。

「ほい」

 ひょい、と悠灯がキャッチボールのように投げる。
 狩魔が片手で受け止めて、掌の中身を確認する。
 それは鈍い銀色の発火用器具。
 使い込んで久しいオイルライターだった。

「ジッポ借りっぱなしだったんで」

 ほんの一週間ほど前。
 悠灯は狩魔と新宿で偶々顔を合わせて、なし崩しで一緒に煙草を吸うことになった。
 その時ちょうど悠灯がライターを切らしてて、「いつも吸ってんだろ。持っとけ」と言ってオイルライターを渡していた。
 それを返しに、わざわざ顔を出してきた――ということらしい。

「何だ。それくらい気にしねえのに」
「嫌っすよ、狩魔さんから借りパクとか」
「どうせまたライター切らすんだろ」
「今度は気をつけるんで」

 やれやれ、と言わんばかりに苦笑する狩魔。
 悠灯は誰ともつるもうとしないのに、変なところで律儀なのだ。
 そういうところに可愛げがあるのだと、狩魔は知っている。


11 : HEADHUNT ◆A3H952TnBk :2024/09/21(土) 19:03:20 Ai9xA1ws0

「そういや――」

 そうして悠灯は、ひょいと視線を狩魔のすぐ隣へと向ける。
 彼の側に立つ見慣れぬ少年を、じっと見つめていた。

「誰っすか。そいつ」
「ゲンジ。新入りだ」

 ポン、と狩魔は自身の隣に立つ少年の肩を叩く。
 明らかな身内同士のやりとりにバツが悪そうに佇んでいたゲンジだったが、話題が自身に移ったことで思わず動揺する。

「また掴まえてんすか、あたしみたいなヤツ」
「……ま、そんなトコだな」

 居心地悪そうに立つゲンジをまじまじと見つめる悠灯。
 狩魔の“いつもの癖”は、悠灯もまた知っている――この人は“こういう人間”なのだと、彼女は理解している。
 居場所のない逸れ者に慈悲の手を差し伸べて、自らの身内に引き込む。孤独な誰かの拠り所として、カリスマで在り続ける。
 それが周凰狩魔という人間だった。悠灯はそのことを分かっていた。彼女もまた、そうして手を差し伸べられた一人だったから。

「あ……どう、も」

 じっと見つめられていたゲンジは、おどおどと言葉を紡ぐ。
 ――ゲンジは学生としての日々において、ずっと孤独だった。周囲からは蔑まれ、嘲笑われ、親しい友人もいなかった。
 他人との交流があるとすれば、せいぜい父親の民生委員の付き添いくらいだった。
 彼にとっての“他者”とは、往々にして孤独に染まってしまった老人達だった。
 だから彼は、対人関係というものに慣れていない。
 自らのサーヴァントさえも言葉を発しないのだから、尚更だった。

 彼にとって“不良”というものは、忌避すべき存在だった。
 小学生の頃には、所謂“ガキ大将”やその取り巻きから散々に揶揄われたのだから。
 中学、高校になってからも、彼らは遠巻きから自分を鼻で笑うように観察してくる。
 そのうえ、目の前の相手は女子である。ゲンジにとって、同世代の女子は恐怖の対象に等しかった。

 彼女達は決まってゲンジの容姿や所作を蔑んで、距離を起きたがる。
 ゲンジの何気ない仕草さえも、まるで虫螻が這い回ってるかのように忌み嫌う。
 そんな女子の眼差しに、ゲンジは何度も心を抉られてきた。
 その何気ない嫌悪が、ゲンジにとっては腹を突き刺す刃のようだった。

「そいつ不良なんですか?あんまそうは見えないっすけど」
「さあな。どっちだって良いだろ、誘ったのも俺の勝手だ」

 ――とはいえ、悠灯はあくまであっけらかんと振る舞っていた。
 ゲンジにはそれほど関心を抱くこともなく、寧ろ彼を引き込んだ狩魔に対して意識を向けていた。
 そのことに関して、ゲンジは微かな安堵と仄かな寂しさを覚えていた。
 他人から目を向けられることは痛い。
 けれど、他人に何の感情も向けられないのも、遣る瀬無さがある。

「つか悠灯。無茶してねえだろうな」
「暫くは下手に喧嘩するな、特に〈刀凶聯合〉には手ェ出すな――でしょ。分かってますよ」

 そんなゲンジの感情をよそに、狩魔と悠灯は言葉を交わし続ける。


12 : HEADHUNT ◆A3H952TnBk :2024/09/21(土) 19:04:21 Ai9xA1ws0
 
 狩魔は以前、悠灯に対して釘を刺していた。
 “痛い目見たくないんだったら、今は喧嘩は控えておけ”。
 “特にあいつらは、適当に喧嘩売っていい相手じゃない”。

 それは狩魔が聖杯戦争に関与しているからこその忠告だった。
 既に戦火は各所に広がり、町の陰に聖杯戦争の参加者が潜んでいる。
 今までのように一匹狼として喧嘩に明け暮れていれば、きっと悠灯は何処かで犠牲となる。
 そう考えたからこそ、狩魔は自制を促したのだ。

「大丈夫っすよ。最近あんまケンカやってないし」
「どうだかな。お前喧嘩っ早いだろ」
「あたしだって反省くらいはしますよ」

 ――そんな心配をしたのは、まさしく悠灯が“危なっかしいヤツ”だったからだ。
 何かしらのバックを持つこともなく、たった独りで彷徨い歩く孤独な野犬。
 悠灯という少女は、そういう人間だった。
 それでいて喧嘩も辞さない彼女が未だに五体満足で居られることは、奇跡に等しかった。

 悠灯の強さは、少女としては異常だった。
 何か身体を鍛えてる訳でもなければ、武術を学んでいる訳でもない。
 それでいて彼女は、束になった不良達を傷だらけになりながら叩きのめす。
 天性の喧嘩の才能、そして向こう見ずな意地としか言いようがない。
 そしてだからこそ、彼女は一匹狼で居られるのだ。

 そんな悠灯だからこそ、狩魔は案じていた。
 自力で乗り切れる強さを持っているからこそ、彼女は無謀も辞さない。
 生来の才能でごり押せるからこそ、彼女は無茶をしでかす。
 そういった生き方を貫いているが故に、戦場と化しつつある東京で悠灯は“何か”に巻き込まれるのではないかと。
 狩魔はそう思って、彼女に何度も釘を刺していたのだ。

 例え悠灯が、この舞台で作られた“虚構の存在”だったとしても。
 狩魔にとっては、面倒を見ている後輩の一人なのだ。

 悠灯もまた、そんな狩魔の気遣いを理解している。
 周凰狩魔は、巷で恐れられる凶暴な半グレであり。
 そして、多くの悪童達から慕われる兄貴分だった。
 ヤクザ相手にさえも一歩も引かず、己の筋を貫き通す。
 己の仲間を守るためならば、どんな悪党にも喰らいつく。
 ただの不良とは一線を画す勢力を持ち、裏社会でもその名を知られている。

 そんなカリスマだからこそ――自分のようなちっぽけなガキも、気に掛けてくれる。
 悠灯はそのことを理解していた。
 それ故に、狩魔について知らねばならないことがあった。
 〈刀凶聯合〉という凶悪な集団を前にしながら、一歩も引かぬ彼について。

「……あのさ、狩魔さん」

 ほんの少しの沈黙を経た後。
 悠灯が、ぽつりと呟く。

「聞きたいこと、あるんすけど」
「どうした。畏まりやがって」


13 : HEADHUNT ◆A3H952TnBk :2024/09/21(土) 19:04:54 Ai9xA1ws0

 ここ最近の〈刀凶聯合〉は、不自然なほど力を付けているらしく。
 ただの半グレでありながら、ヤクザさえも凌ぐ“過剰な重武装”を行っているという。
 悠灯もそのことは噂で聞いていたし――シッティング・ブルが使役する“霊獣”の偵察で、既にその様子も確認していた。

 ただの不良集団にしては不釣り合いなほどの装備で戦力を増強し、急速に勢力を伸ばした〈刀凶聯合〉。
 アウトサイドを居場所とする悠灯は、常日頃からその噂を聞いていたし。
 実際に偵察で実態をある程度掴んでいたからこそ、彼らが聖杯戦争と関与している可能性を察知していた。

 そんな彼らとの拮抗状態を成立させているのは、他でもない周凰狩魔が率いる〈デュラハン〉。
 最早ただの愚連隊の域ではない〈刀凶聯合〉と、真っ向から対立関係にある。
 悠灯とシッティング・ブルは、その首領である周凰狩魔を“グレー”と見做していた。
 
 だからこそ、彼女達はこうして彼との接触を試みた。
 限りなくクロに近い〈刀凶聯合〉に加えて、各所を騒がせる“蝗害”。
 奪われた者の成れの果て、“白き悪神”。
 そして、宿縁の相手である“騎兵隊”。
 迫り来る厄災と戦火を前に、同盟者が必要であると考えた。

「刀凶の奴ら、随分と派手にやってますよね」

 そうして悠灯は、狩魔と接触した。
 彼がマスターであるのか。味方になり得るのか。
 腹を探るように、それを確かめようとした。
 悠灯は、狩魔には何度も世話になっている。
 それは間違いのない事実であり――しかし、狩魔がどういう人間であるかも薄々勘づいていた。

 ――この人は、あたしが敵だったら。
 ――たぶん、あたしのことも殺せる。
 ――そんな気がするのだ。

 それは、悠灯が狩魔の頼もしさを知っているから。
 周凰狩魔という不良の“怖さ”を知っているから。
 そんなふうに、朧げに確信を抱くことができた。

 だから悠灯は、すぐには話を切り出せず。
 こうして、水面下でのやり取りを選んだ。
 その遠回りが結果として、第三者による横槍を挟む結果となる。

 
「狩魔さん、あいつらと――」


 悠灯が言葉をつづけようとした、次の瞬間。
 ――“なにか”が、姿を現した。

 赤い影が、空中から勢いよく降ってきたのだ。
 毛むくじゃらの強靭な肉体を躍動させて。
 そのまま悠灯へと目掛けて、頭上から飛び掛かった。
 
 それは、かつて滅びの運命を辿った原人。
 バーサーカーのサーヴァント、ネアンデルタール人。
 覚明ゲンジが従える、異端の英霊だ。





14 : HEADHUNT ◆A3H952TnBk :2024/09/21(土) 19:05:23 Ai9xA1ws0



 覚明ゲンジにとって、最大のアドバンテージとは何なのか。
 本来なら駆け引きの中で探っていく情報を、瞬時に視覚化できることだ。
 彼の目には“人間の感情”が見える。それは長年の観察眼や洞察力といった類いの代物ではない。
 確固たる情報として、個人の“心理”を目視することができるのだ。

 彼は“腹の探り合い”をする必要すらない。
 他人の心情や意識。その形、向き、大小。それら全てを見通すことができる。
 故に彼は条件さえ噛み合えば、誰よりも早く“敵の存在”を掴み取る。
 あの群衆の中で、魔術による隠密の看破ではなく――ただ目視するだけでアルマナ・ラフィーというマスターの存在を察知したように。
 時間経過と共に少しずつ魔力を取り戻したゲンジは、狩魔と悠灯が掛け合いをする中で己の魔術を行使した。

 理由はささやかだった。
 結局、この少女は何を思っているのだろうか。
 そんなちょっとした好奇心で、異能を発動したのだった。

 周鳳狩魔と遣り取りを交わす少女、華村悠灯。
 彼女が狩魔に向ける矢印は、仄かな“親近”であり、そして“緊張”と“警戒”だった。
 それだけではない――少女から覗く“緊張”と“警戒”は、行く宛のないベクトルとして周囲にも向けられていた。
 それは酷く朧気で、向かう先もないまま散っていくような代物であったものの。
 しかし確かにゲンジの目には“形ある感情”として映っていた。

 終点となる相手がその場にいない矢印。本来ならば視認の対象から外れる筈の“感情”。
 しかしそれを行き場のない矢印として認識できたのは、狩魔との対峙によって悠灯の“緊張”が高まっていたからだった。
 ゲンジは少女が見せる感情の揺らぎを目の当たりにして、動揺と焦燥を抱く。

 姿の見えぬ敵の存在を警戒し、眼前で対峙する相手を警戒し、絶え間ない緊張に包まれている――。
 それは往々にして、聖杯戦争の参加者が見せる感情だった。
 ただの民間人にしては不自然な感情の指向性を目の当たりにして、ゲンジは相手がマスターであることを半ば確信していた。

 ゲンジはこの一ヶ月で、自らの従者を使役して多くの命を手に掛けてきた。
 他者を殺めるという手段を、彼は既に掴み取っている。
 しかし彼は、魔術師でもなければ戦士ではない。
 異能に目覚めてから日の浅い、ただの少年でしかない。
 幾ら殺人を積み重ねようとも、彼は荒事においては未だ半人前に過ぎないのだ。
 故にゲンジは狩魔の判断を待たずして、殆ど条件反射的に、独断で奇襲を敢行した。
 ――その判断の是非を見極める前に。

 何より、彼には身に覚えがあったのだ。
 咄嗟に動かなければ何かを喪うかもしれない、そんな状況を。

 “まさか、殺されるなんて”――。
 “まさか、そんなことになるなんて”――。

 きっと、そんなふうに油断していたから、ゲンジの父親は入れ墨の老人に刺殺されたのだ。
 そうしてゲンジは、この場で誰よりも先に決断した。
 彼の猜疑心は、慌ただしく駆り立てられた。





15 : HEADHUNT ◆A3H952TnBk :2024/09/21(土) 19:06:15 Ai9xA1ws0



 空中からの奇襲を仕掛けるネアンデルタール人。
 次の瞬間、風を切るように“それ”は虚空より姿を現す。
 茶色の体毛に身を包んだ“鷹”が、弾丸の如く原人の前に立ちはだかる。

 “精霊の指輪”。シッティング・ブルが作成し、悠灯に身に付けさせた魔術器具。
 装着者の任意、または窮地において発動し、自然の化身である“霊獣”を呼び寄せる。
 “原人”による奇襲によって指輪が即座に機能し、悠灯を護るべく鷹が召喚されたのだ。
 
 そうして鷹は霊力を纏った翼を羽ばたかせ、悠灯を庇うように原人へと突撃する。
 しかしその嘴が敵を捉えることは叶わず――原人へと触れる前に、鷹は魔力と化して霧散する。
 灰に帰るかのように消滅した霊獣。その現象を前にして、悠灯は意表を突かれたように目を丸くする。

「――んだよッ」

 悠灯の口元から、思わず悪態が溢れる。
 ネアンデルタール人が保有するスキル、『霊長の成り損ない』はあらゆる文明の恩恵を否定して無効化する。
 その効果は武具や機械のみならず、現生人類の文化が生み出した魔術にさえも機能する。
 シッティング・ブルの呪術によって作られた“精霊の指輪”さえも、彼の前では何の意味も成さない。
 呼び寄せられた精霊は魔力へと戻り、在るべき自然へと還る――悠灯は、己を守る盾を剥がされた。

 赤毛に覆われた右腕が、悠灯に迫る。
 痣だらけの顔を力任せに掴むべく、手のひらを伸ばす。
 そして――ほんの刹那の合間に、新たな影が割り込む。
 悠灯を守るように立ちはだかった影“シッティング・ブル”は、ネアンデルタール人の右腕を迎え撃つ形でトマホークを振り上げた。

 叩き込まれる斬撃――しかし、原人の右腕には鈍い切り傷が刻まれるのみ。
 ネアンデルタール人は仰け反りつつも、怯むこともなく地面に着地する。

「無事か、悠灯よ」
「……なんとかな」

 トマホークを構えるシッティング・ブルは、背後に立つマスターへと呼びかける。
 雪崩込んだ状況に驚きつつも、悠灯は強がるように応える。

 『霊長の成り損ない』の影響下に置かれた武具は、鋭利なだけの石器同然に成り下がる。
 故にトマホークの直撃も決定打とはならない。されど、シッティング・ブルは動じない。
 彼は“神秘の否定”に類する能力を持つことを即座に理解し、次なる行動に出た。

 ネアンデルタール人の放った石器の刺突を躱しつつ、すぐさま返す刀でトマホークを振り下ろし――その頭蓋を膂力によって粉砕した。
 頭部を打ち砕かれたネアンデルタール人は地にひれ伏し、そのまま霧散する魔力と化して消滅する。

 シッティング・ブルは呪術師であると同時に、ラコタ・スー族の大戦士である。
 狩猟民族の英雄である彼は、生半可な魔術師(キャスター)とは比較にならぬ白兵戦能力を持つ。
 如何に歴史の浅い英霊と言えども、“個”としての名すら残さぬ古代人類とは明確な格の違いが存在する。


16 : HEADHUNT ◆A3H952TnBk :2024/09/21(土) 19:06:45 Ai9xA1ws0

 こうして英霊が一騎、姿を消した――否。
 まだ終わってない。終わっては、いないのだ。
 雑居ビルの屋上から、立て続けに二つの影が降り立つ。
 ずさりと緩慢な動きで受身を取り、その影はシッティング・ブルを挟み撃ちにする形で囲む。

「……“個”ではなく、“群”の英霊という訳か」

 先程の英霊と全く同じ姿をした、赤毛の猿人が2体。まるで群れの仲間が駆け付けたかのように、彼らはぬらりと姿を現す。
 ネアンデルタール人の宝具『いちかけるご は いち(One over Five)』。
 死体を重ねることで、彼は同胞を生み出せる。マスターであるゲンジは、数多のネアンデルタール人を霊体としてストックしている。
 そうして2体の原人は枝に岩刃を括り付けた槍を構えて、シッティング・ブルへと向ける。

 警戒するように目を細めた先住民の大戦士――すぐさまもう一振りのトマホークを実体化させ、二刀流のような形で両手に握る。
 前後に立ちはだかる2体の英霊を牽制し、傍らに立つ悠灯を守りながら、緊迫の狭間で構え続ける。
 槍の矛先。手斧の刃。互いに闘志を相手に向けながら、沈黙と共に睨み合う。

「――ゲンジ」

 しかし一触即発の対峙は、その声と共に打ち止めとなる。
 眼前の状況を注視していた周凰狩魔が、ゲンジを制止するように彼の左肩に自らの右手を乗せる。

「もういい。手ェ出すな」

 間髪入れずに、もう一騎のサーヴァントが現界。
 十字架の剣を腰に携えた聖騎士が、シッティング・ブルと片方のネアンデルタール人の間に立ち塞がる。
 “いつでも鞘から抜ける”と両者を牽制するように、聖騎士のバーサーカーが剣の柄に触れる。
 何処か不服な様子をちらつかせながら、カチカチと柄を動かして金属音を鳴らしていた。

「無理すんなよ」

 戸惑うような表情を浮かべていたゲンジに対し、狩魔は身を案じるように呟く。
 その言葉に驚いたように、思わずゲンジは目を丸くし――それから間もなく、ゲンジの身体からどっと力が抜けた。
 その場で両膝を突き、立つこともままならぬ疲弊感に襲われる。
 同時に2体のネアンデルタール人も現界を保てずに霊体化し、その場から姿を消した。

 つい先刻、ゲンジは50体以上ものネアンデルタール人を同時召喚するという無茶を行ったばかりなのだ。
 下手すれば魔術回路が焼き切れてもおかしくはない無謀だった。
 時間経過によって幾らか魔力は回復しているとはいえ、今なお消耗していることには変わりない。
 緊張の中で自分自身を誤魔化していたとはいえ、未だサーヴァントを万全に使役できる状態ではないのだ。

 伸し掛かるような疲労感に襲われ、膝をついた状態で呆然とするゲンジ。
 そんな彼の様子を、狩魔は呆れたように流し見る。
 
「後先考えず勝手な真似しやがって」

 やれやれと言わんばかりに、狩魔は呟く。
 その煩わしげな様子に、ゲンジの胸の内からは思わず負い目が込み上げるが――。
 
「――だが、余計な手間が省けたのも事実だ。
 その点に関しては、よくやった」

 その上で、狩魔は評価をする。
 誰よりも先に判断し、行動を起こしたゲンジを。
 結果として“華村悠灯がマスターである”という確証を得られたことも含めて、狩魔は静かに激励をする。
 茫然としていたゲンジは何も言わず、ただこくりと頷いた。

 なけなしの魔力を振り絞ったことで、ゲンジは矢印の魔術を発動することさえ出来ない。
 ゆえに狩魔が何を思っているのかも認識することはできないが――今のゲンジには、最早その必要もなかった。

「立てるか、ゲンジ」
 
 何故なら、狩魔の声色と態度によって、ゲンジはすぐに察することが出来たからだ。
 自らの行為を反省しつつ、少しでも“誰かに認められた”ことに対して、ゲンジは仄かな笑みを浮かべていた。
 そうして狩魔から差し伸べられた手を、ゲンジは暫し見つめて。

「……立て、ます」

 それからゲンジは、そう答えた。
 狩魔の手を取り、地に付いていた膝を動かした。

「大丈夫、です……周鳳さん」
 
 よろよろと、疲労に震えながらも。
 胸の内から込み上げる、衝動に後押しされるかのように。
 その両足で、ゆっくりと立ち上がった。

 いつものゲンジなら、自分の心の在処さえも定かではなかった。
 しかし今は、ほんの僅かにでも、自分という存在が此処にあるような感覚があった。
 それは確固たる現実なのか、それとも朧げな期待が抱く幻覚なのか――その答えは、まだわからない。





17 : HEADHUNT ◆A3H952TnBk :2024/09/21(土) 19:07:28 Ai9xA1ws0



 ――実際のところ、狩魔と悠灯が互いをマスターと認識し合うのは時間の問題だった。
 既に悠灯は警戒と疑念を抱いていた中での相対だった。
 狩魔もまた、自らの洞察力で悠灯をマスターと見抜くのはそう難しいことではなかった。
 腹の探り合いさえ済ませれば、共に確信を掴めていただろう。

 しかし、ゲンジはその過程を飛び越えた。
 駆け引きすら経由することなく確信を得て、真っ先に行動へと出た。
 その独断を狩魔は咎めつつ、行動力と結果は認める――ゲンジと“原人のバーサーカー”の特異な能力を改めて確認できたことも含めて。

 狩魔は淡々と思考し、先程の出来事を振り返る。
 ゲンジはあの場でバーサーカーを動かし、迷うことなく悠灯への奇襲を仕掛けた。
 腹の探り合いや駆け引きといった段階を踏まずして、ゲンジは“判断”することが出来たのだ。

 ――ゲンジが目に見えない“何か”を認識していることを、狩魔は出会った直後から薄々感づいていた。
 でなければ、自らのサーヴァントの能力を悉く無効化されるという窮地の中で、あんな“笑み”を浮かべることは出来ない。
 恐らくは異能によるものだろうが、後でそのことについて問い質す必要がある。

 そして、もう一つ。
 “原人のバーサーカー”は、英霊として紛れもなく貧弱な存在である。そのことは明白な事実だ。
 しかしそれは、あくまで超人であるサーヴァントの尺度で測った場合の評価である。
 “現生人類のあらゆる英知”を否定する彼の能力は、寧ろマスターに矛先を向けた時にこそ脅威と化す。

 例えば――魔術師があらゆる魔術を封じられた時、この英霊に立ち向かう術はあるか。
 例えば――異能に目覚めたばかりのマスター達がその力を無効化された時、この英霊の攻撃を凌げるのか。

 単体の主従として考えれば十分にリスクはある。
 原人のバーサーカー自体が貧弱なのだから、逆に敵襲を受けた場合の防御力と迎撃能力の低さは致命的だ。
 されどそのリスクは、“徒党を組む”という至ってシンプルな手段によって解消される。

 敵の主力への対処や迎撃は他の主従に任せ、原人のバーサーカーを遊撃や奇襲に徹させることが出来るようになる。
 あるいはバーサーカーの複製体と“武具や魔術を劣化させる能力”を利用し、集団戦闘における盾役や撹乱役を担わせることも不可能ではないだろう。
 “英傑”には程遠く、単独では活かすことも困難。
 しかし他の同盟者による援護やカバーを交えることで、捨て置くことの出来ぬ“厄介な弱者”と化す。

 マスターの自衛手段、または立ち回りの肝を他の主従に委ねる。
 そのこと自体がまた別のリスクに成り得るとはいえ、戦術面でのアドバンテージがそれ以上に勝る。
 ゲンジもそれを理解しているだろう。ゲンジはまともではないが、自分達が弱小であることを客観視できない愚者ではない。
 だからこそ、当分は“同盟関係”を捨て置かないだろうと狩魔は考えた。

 ――どちらにせよ、当面は利害に関係なくゲンジを抱えるつもりでいるが。
 狩魔はゲンジを打算によって値踏みする。戦争の同盟者として、勝ち抜くための手駒として。
 しかし結局のところ、その根底にあるものは”逸れ者“に対する慈悲であり、かつて己が与えられた”救いの手“の反復だった。
 幾ら狂気を飼い慣らし、幾ら暴力を振るい続けても、周凰狩魔という孤独な悪童はそこに行き着くのだ。





18 : HEADHUNT ◆A3H952TnBk :2024/09/21(土) 19:08:07 Ai9xA1ws0



 立ち上がるゲンジに対し、何処か期待を抱くかのような笑みを微かに見せて。
 それから狩魔の視線は、眼前の少女へと向けられる。

「なあ、悠灯」
「……なんすか」

 シッティング・ブルに庇われるように立つ悠灯は、狩魔の呼びかけに対してぶっきらぼうに答える。
 少年を連れて歩き始めた狩魔は、少しずつ悠灯の方へと向かっていく。

「手ぇ空いてるよな」
「知ってるでしょ。いつもヒマっすよ」

 狩魔は問いかけながら、一歩一歩と彼女の側へと近づく。
 悠灯はシッティング・ブルに「大丈夫だよ」と一言伝えて、彼を控えさせる。

「群れる気はあるか」
「……今は、そういう気分っすね」
「だったら、都合が良い」

 語り掛けながら直ぐ側まで歩み寄ってきた狩魔を、悠灯はじっと見つめていた。
 次に出てくる狩魔の台詞を、悠灯は既に察していた。

「話がある。一緒に来い」

 すれ違いざまに、狩魔はそう呟く。
 そうして悠灯の横をゲンジと共に通り過ぎて、狩魔は歩き続けた。
 
 ――結果オーライと言えば、聞こえは良いが。
 予期せぬ第三者にペースを崩され、危うく一悶着になりかけた。
 そのことに関して、悠灯は何とも言えぬ思いを抱きつつも。

「わかってますよ」

 振り返った悠灯は、狩魔の背中へと目を向けた。
 かつ、かつ、とコンクリートの地面を踏み頻りながら進んでいく後ろ姿を、暫しの間見つめる。
 それから一呼吸置いて、意を決したように悠灯は踏み出した。

「あたし達もそろそろ、デカい波に備えたかったんで」

 そうして悠灯は、掃き溜めの雑踏を進んでいく。
 街の影へと潜む悪童達の行軍に、少女もまた加わっていく。

 ――“行くよ、キャスター”。
 悠灯から念話でそう告げられたシッティング・ブルは、彼女を追って霊体化をしようとしたが。
 背後に立つ気配が未だに此方へと視線を向けていることに気づき、彼は振り返る。

「……人類の祖先か、古の原始人か、あるいは滅びた猿人の類いか」

 金色の髪を短く切り揃えた騎士が、独りごちるように言葉を紡いでいた。
 伊達眼鏡のズレを指先で直しながら、シッティング・ブルを視界に収める。

「あのバーサーカーの真名は存じませんが――彼を称するに相応しい当世の言葉があるとすれば、大方そんなところでしょう」

 もう一騎のバーサーカー、ゴドフロワ・ド・ブイヨン。
 十字軍の指導者――狂信の聖騎士。


19 : HEADHUNT ◆A3H952TnBk :2024/09/21(土) 19:09:43 Ai9xA1ws0

 彼はゲンジのサーヴァントである“原人のバーサーカー”について振り返り、持論を説くかのように語り続ける。
 その場に佇むシッティング・ブルは、何も言わない。

「だとすれば、あの英霊は科学という虚構が生み出した“幻想”に過ぎない」

 ゴドフロワは、異教徒もまた人間であることを知っている。異教徒にも、それぞれの信仰があることを知っている。
 そのうえで彼は、“十字架への祈り”を選択しているのだ。聖書こそが、神の御言葉こそが真実であると、教義を内面化している。

「偉大なる神は、我々を在るがままに創られたのですから。人に“原初の姿”や“進化の分岐点”などありはしない」

 故に彼は、そう語ることに迷いを抱かない。
 世界を生み出したのは自然の神秘でも、地球が歩んだ進化の歴史でもない。
 すべては、全能なる神による創造物である――ゴドフロワはそう確信している。

 では何故、ゴドフロワは己の見解を説き始めたのか。
 それはあの少女――華村悠灯が従えていた英霊が、明らかなる“異教徒”であったからだ。
 そして救世主(キリスト)なき世界の英霊と、立て続けに出会う羽目になったからだ。
 だから当てつけるように、彼は“世界の正しき姿”について語ったのである。

「聖書とやらの教えか」
「おや、少しは学があるようですね」

 淡々と問うシッティング・ブルに、ゴドフロワは僅かながらも感心するように呟く。
 シッティング・ブルは、既に聖騎士の“十字架の剣”を見ている。
 その言動も含めて、彼が“如何なる英霊”であるかも悟っている。
 ――生前、何度も対峙してきた。敬虔なる白人そのものである。

「無神論者の黄色人種が蔓延る箱庭に馳せ参じ、あの“原人のバーサーカー”や貴方のような英霊と出会うことになった。
 ……つくづく私は、疑いそうになりますよ」

 そうしてゴドフロワは、煩わしげに言葉を続けた。
 正しき信仰を持たない時代への――聖書の教義から外れる“異端の英霊”への不服を零すように。

「私がこの舞台に喚び寄せられたのは、もしや異教徒共の“教化”という使命を課せられた為ではないか。
 あるいは、異教徒共から聖杯という聖遺物を守護する為なのではないか――と」

 “十字の聖騎士”が向けた冷淡な眼差し――その視線の先に佇む“先住民の大戦士”。
 互いに警戒と敵意をその瞳に宿しながら、睨み合うものの。両者を召喚したマスター達は、既に結託の道へと進んでいる。
 故に彼らは、これ以上踏み込むことはしない。独断で利害関係を無下にするほど、この英傑達は愚かではない。

「……生憎だが、私に聖書は不要だ」

 そうして彼らは、相容れぬと理解しながら。
 あくまでこの場においては、矛を収める。
 険しい表情を浮かべながら、シッティング・ブルは淡々と言葉を紡ぎ。

「君達の“天国”に、我々の居場所はない」

 その一言を最後に、自らの肉体を霊体化させた。
 この場では争わぬ。だが、忘れる事なかれ。我らは“道を分かつ者同士”である――そう言わんばかりの台詞に、ゴドフロワは苦笑を浮かべる。

「言われずとも、分かっていますよ」

 相手の答えなど、とうに察していた。
 聖なる言葉を軽んじる蛮族の不敬に対し、怒りを覚えたりはしない。

 古今東西で名を馳せ、各々の伝説と信仰を背負って喚び寄せられる英霊――それがサーヴァントなのだから。
 我らは元より相容れぬ。異なる信念、異なる矜持、異なる神をその魂に刻み込んでいるのだから。
 ゴドフロワはそれを理解している。だからこそ、冷静に受け止めることが出来る。
 そしてそれ故に、敵を討ち滅ぼすことに何の躊躇いも抱かずにいられる。

 ゴドフロワ・ド・ブイヨンは、強靭にして敬虔なる騎士だ。
 彼の向かう先には、異教徒の屍の山が積み上がる。
 誰よりも理知的に振る舞いながら、彼は自らの狂気を道具として飼い慣らすのだ。

「――“Deus lo vult(神が望まれるがままに)”」

 己の信仰を改めて示すように、祝福の言葉を呟き。
 ゴドフロワもまた霊体化をして、その場から姿を消した。





20 : HEADHUNT ◆A3H952TnBk :2024/09/21(土) 19:10:19 Ai9xA1ws0



 掃き溜めの不良達を統べる、若き神格。
 狂気の手綱を駆る、孤独な狼――周凰狩魔。

 己を壊して這い回る、ちっぽけな少女。
 死にゆく運命を前に、生を望んだ野犬――華村悠灯。

 閉塞と絶望に身を沈めた、呪われし少年。
 寂寞の果てに心を求める、奈落の虫――覚明ゲンジ。

 三人の若者が、雑踏を往く。
 来たるべき戦火を見据えて、行進する。
 その胸に、各々の思いを抱きながら。
 彼らを守護するのは、一筋縄では行かぬ英霊達。
 狂信の聖騎士。荒野の呪術師。滅びゆく原人――。

 デュラハン。
 それは首を喪った、悪しき精霊。
 それはアタマを失くした、悪童の群れ。
 眠らない街を駆ける、暴威の十字軍。

 集うのは、未来なき若者たち。
 明日を取り零した、孤独な逸れ者たち。
 宛もなく闇を彷徨う、“ひとでなし”たち。
 雑踏の片隅で、彼らは厄災に備える。
 喧騒の影に潜み、牙を研ぐ戦奴となる。

 “戦争”への道筋は、着々と作られていく。
 掃き溜めの果てに、“役者”は引き寄せられる。





21 : HEADHUNT ◆A3H952TnBk :2024/09/21(土) 19:10:50 Ai9xA1ws0

【新宿区・歌舞伎町の路地/一日目・午後】

【周鳳狩魔】
[状態]:健康
[令呪]:残り3画
[装備]:拳銃(故障中)
[道具]:なし
[所持金]:20万程度。現金派。
[思考・状況]
基本方針:聖杯戦争を勝ち残る。
1:刀凶聯合との衝突に備える。
2:特に脅威となる主従に対抗するべく組織を形成する。
[備考]

【バーサーカー(ゴドフロワ・ド・ブイヨン)】
[状態]:健康
[装備]:『主よ、我が無道を赦し給え』
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:狩魔と共に聖杯戦争を勝ち残る。
1:レッドライダーの気配に対する警戒。
[備考]


【覚明ゲンジ】
[状態]:疲労(大)
[令呪]:残り3画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:3千円程度。
[思考・状況]
基本方針:できる限り、誰かのたくさんの期待に応えたい。
1:周鳳狩魔と行動を共にする。
2:今後も可能な限りネアンデルタール人を複製する。
[備考]
※アルマナ・ラフィーを目視、マスターとして認識。

【バーサーカー(ネアンデルタール人/ホモ・ネアンデルターレンシス)】
[状態]:健康(残り51体)
[装備]:石器武器
[道具]:
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:今のところは、ゲンジに従い聖杯を求める。
1:………………。
[備考]


【華村 悠灯】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:精霊の指輪(シッティング・ブルの呪術器具)
[道具]:なし
[所持金]:ささやか。現金はあまりない。
[思考・状況]
基本方針:今度こそ、ちゃんと生きたい。
1:暫くは周鳳狩魔と組む。
[備考]

【キャスター(シッティング・ブル)】
[状態]:健康
[装備]:トマホーク
[道具]:弓矢、ライフル
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:救われなかった同胞達を救済する。
1:復讐者(シャクシャイン)への共感と、深い哀しみ。
2:いずれ、宿縁と対峙する時が来る。
[備考]
※ジョージ・アームストロング・カスターの存在を認識しました。
※各所に“霊獣”を飛ばし、戦局を偵察させています。


22 : 名無しさん :2024/09/21(土) 19:11:09 Ai9xA1ws0
投下終了です。


23 : ◆l8lgec7vPQ :2024/09/23(月) 00:26:29 .nDtfO9.0
投下します


24 : 第三の戒め ◆l8lgec7vPQ :2024/09/23(月) 00:28:27 .nDtfO9.0

―――おとうさま、どうして泣いているのですか?

 少女がその背に問うことは結局、最期まで出来なかった。
 机に向かって丸めた小さな背中、老いさらばえ骨ばった腕、禿げ上がった頭を掻きむしる節くれだった指先。
 時折上がる、絞り出すような苦悶に満ちた呻き声が、男の哀絶を伝えてくる。

 ―――おとうさま、どうしてそんなにも、辛そうに泣いているのですか?

 少女に、声をかけることは許されていなかった。
 父の仕事の邪魔だけは、絶対にしてはならない。
 だから、言い付けの通りに、じっと黙って、震える背中を見つめている。

 老いた男は一心不乱に何かを書きなぐり、それを乱暴に横線で打ち消し、また書いて消して、紙を握りつぶし、遂には乱暴に引き裂き投げ捨てた。
 ひらりと舞い上がった皺くちゃの用紙の一片が、少女の足元に滑り落ちる。
 拾い上げれば、そこにはいつもの父の字で、物語の結びが書かれてあった。
 悲劇に襲われた男女が、カミサマ救われて幸せな結末を迎える。素敵な素敵な大団円、なのに。

 ―――おお、神よ、神よ、何故。

 繰り返される、か細い、うめき声。父は苦しんでいる。
 仕事中の父はいつもそう嘆き、痛んでいる。
 苦しみながら、それでも再び筆を取って机に向かう。

 少女にとって、そんな父の姿を見るのは辛かった。
 何故、父はあんなにも辛そうに書くのだろう。
 まるで何かの罰のように、藻掻くように腕を動かし続けるのだろう。

 ―――こんな奇跡は起こらない。これは、これは冒涜だ。

 少女は父の描く物語が大好きだった。 
 初めて劇場で父の上演を見た日のことは、一生忘れないだろう。
 物語の中で悲劇に見舞われる人々、それでも強く懸命に生きる彼らは、最後は神の手によって報われる。
 感動して、高揚して、こんなにも素晴らしい物語を紡ぐ父を誇りに思った。

 窓の外からは絶えず人々の歓声が聞こえる。
 アテナイ国はいま、にわかに沸き立っている。戦争に勝ち、国全体が勝利の高揚に包まれている。
 大衆は次の物語を求めている。父の次作を、彼の描く悲喜劇を、更なる刺激を求めている。
 少女もまた、その一人、だけど。

 ―――神よ、神よ、どうして。

 父はずっと痛んでいる。
 一体何が、彼を苦しめているのだろう。

 ―――何故あなたは、このような悲劇を、お許しになるのだ。
 
 他ならぬカミサマが、人を救うはずのカミサマこそが、父を苦しませているのだろうか。
 父の描く物語に出てくるカミサマのように、この世界のカミサマは、父の苦しみを取り除いてくれないのだろうか。

 未来を想像して、少女は震えた。
 彼はこのまま苦しみ抜いた果てに、答えを得られず孤独に死に果てる。
 そんな報われない最後を想像するのが、ひどく恐ろしかった。

 まだ小さな少女は何も知らない。
 父の苦悩も、アテナイの国が行った戦争の実態も、真実なんて呼ばれるものは、何も知らなかった。
 だけど、一つだけ。何も知らない少女でも、一つだけ、確信できることがあった。
 
 人は救われるべきだ。
 物語のなかで、懸命に生きていた彼らのように、最後には報われてしかるべきだ。
 父もそう、父の苦悩も、痛みも、報われぬまま終わっていい筈がない。

 悲劇は、悲劇のままで、終わってはならない。
 父の描く物語のように、誰かが拾い上げてあげなきゃだめだ。
 大団円を迎えなきゃうそだ。

 ―――おとうさま、わたしは、おとうのさまの物語が、だいすきです。

 この世界に、父の物語に出てくるような、素敵なカミサマがいないなら。
 父を救ってくれる、悲劇を打ち破る最高のカミサマがいないなら。

 ―――わたしが、おとうさまを救ってあげられたら。

 それが、後に五番目の機神となる少女の、始まりの願いだった。






25 : 第三の戒め ◆l8lgec7vPQ :2024/09/23(月) 00:30:19 .nDtfO9.0

 率直に言って失敗だった。もっと慎重に考えて行動するべきだったのだ。
 雪村鉄志は深い溜め息を噛み殺しながら、取り出した財布の中身を確認する。
 レジに表示された金額は予算を遥かに超え、顔が引き攣るのを隠せている自信はない。
 正直、今からでも「やっぱりナシで」と言いたいところだが。

「とぉっても、よくお似合いですよ〜」

 状況はもはや、それを言い出せる雰囲気ではなかった。
 満面の笑みで見つめてくる年若い女性店員。
 その視線の先、雪村の隣には西洋人形のような少女が立っている。

「娘さんですか?」
「そう、あー……いや、知り合いの子を預かってるというか、そんな感じで……」
「そうなんですか〜いや〜ホント可愛いですね。え、ハーフの子ですか?
 肌真っ白でお人形さんみたい。私もつい気合い入っちゃいまして、全力コーディネートしちゃいました!」
「はは……ヨーロッパの子みたいですよ……ははは……あの、ここカード使えます?」

 サーヴァント、マキナ。
 少女は数刻前までの白いドレスではなく、紺色のワンピースを身に纏っていた。
 
「いえす。ほめられました。ますたー」
「……ああ、良かったね」

 時間は30分ほど前まで遡る。
 魔力痕の調査と、それに付随した戦闘を何とか切り抜けた雪村は、かねてからの予定に間に合わせるべく、ここ中目黒に移動してきた。
 少し早く着いたので、ついでにマキナの見た目を誤魔化すための服を購入しようと、適当なショッピングモールに入った。
 と、そこまでは良かったのだが。

 雪村はレディースファッションに疎い。
 娘が小さい頃、数回は一緒に買いに行った経験があるものの、流石に一式を独断で揃えられる程の知識は無かった。
 よって仕方なく、試着室の中でマキナを実体化させ、適当な服を放り込んで試行錯誤していたところ、運悪くやる気に満ちた店員に見つかってしまい。
 「アレも似合います、これも合います、すごく可愛いです」と、勧められる間に、とんでもない予算オーバーと相成っていたのだった。
 
 長袖のロングワンピースは機械の手足を隠すために必要だった。
 手袋とニーソックス、あとブーツも同様に。
 しかし頭にちょこんと乗ったベレー帽子や、首から下げたロザリオのネックレスは確実に余計だ。
 子供の服だからと舐めてかかった結果がこれ。そもそも入る店を間違えた感も否めない、もっと無難なファストファッションの店を探せば良かった。
 してやられたと言いたいが、しかし勧めてきた店員の熱意にも嘘は感じられず、なにより、

「……? どうしましたか、ますたー?」

 小首をかしげ、こちらを見上げてくる少女の姿。
 つい先程までずっと無表情で、着せ替え人形と化していた彼女の、着飾った姿。
 まあ、確かに、似合っている。あの店員の言う通り、とても可愛らしい。

「いや、なんでもねえよ」

 確かに手痛い出費ではあった。反省こそあれど、しかし不思議と後悔する気にはならない。
 その理由を、雪村はあまり考えないことにした。

 二人でショッピングモールを歩きながら、雪村はふと思う。
 新しい服を買って、しかしマキナには特段テンションが上がった様子はない。
 これまで一緒に過ごした経験から、この一見無機質な少女が意外と素直な性格をしていることは把握していた。
 嬉しいときは喜色が現れ、先程の戦闘のように、哀しいときは目に見えて沈んでいた。

 少女はあまり認めたがらない様子だが、機械でありながら、神を目指すと宣言しながら、時折人間らしい感情が垣間見える。
 ということは、彼女はあまり服装には興味がなかったのだろうか。
 だとしたら空振りだったかもしれない。


26 : 第三の戒め ◆l8lgec7vPQ :2024/09/23(月) 00:32:29 .nDtfO9.0

 実際、気分転換も兼ねていたのだ。
 先刻の戦闘、高乃河二とそのサーヴァント、ランサーとの戦いにおいて、マキナは有用性を示せなかったと、そう考えている様子だった。
 要するに、明らかにへこんでいた。

 ならば、これはひょっとすると、わかりやすいご機嫌取りだったのか。
 いつだったか、娘がへそを曲げてしまったときに、やったような。

(……なんだそりゃ、馬鹿か俺は)
 
 内心で己に毒づいて、その愚かな思考を否定する。
 決して重ねまいと、決めたはずだ。この少女を、何かの代わりにはしてはならないと。
 なのに、つい無意識にそんなことを考えていたとしたら。
 それはきっと冒涜だろう。消えてしまった娘にとっても、目の前の純粋な少女にとっても。

「なあ、嬢ちゃん、このあと……」 

 振り払うように傍らの少女に声をかけようとして、ようやく雪村は気付いた。
 数歩後ろで、マキナは歩を止めていた。

「……い」 
「嬢ちゃん……?」

 少女は足を止めたまま、ある方角をじっと見つめている。

「……神は笑わない、神は怒らない、神は泣かない、神は怠けない」

 そしてなにやら、小さくもごもごと、自分を戒めるように繰り返し呟いていた。

「神は笑わない、神は怒らない、神は泣かない、神は怠けない」
「おーい、嬢ちゃん」
「神は笑わない、神は怒らな……ハッ……あ、ますたー、ええっと……あの、いえす、だいじょぶです! いきましょう!」
「なにを見てたんだ?」
「見てません、なにも見てません、神は怠けません」
「まてまてまて」

 機械的に首を動かし、ずんずんと先に行こうとする少女の肩に手を置き、先程まで彼女が見ていた方向を見る。
 そこにはCDショップと併設された書店があった。

「嬢ちゃん……本に興味あんのか?」
「い……のん、のんです、行きましょう」
「それか、音楽か?」
「…………」
「両方か?」
「……………………………い、いえす」

 消え入りそうな声で呟く少女が、再びその方角を見る。
 服屋に入ったときとは比べるべくもない、輝きがその眼には湛えられていた。

「なんか買ってほしいもんとか、あるか?」
「……そ、それはだいじょぶです。その、ただ、ちょっと近くで……ああ、えと、違います、行きましょう、ますたー」

 申し訳無さそうに、恥じ入るように、視線を落とす少女。
 なぜか、雪村もつい、目を逸らしてしまう。

 この場合、どうするのが正しいのだろう。
 どう振る舞うのが、正しいマスターの在り方なのだろう。
 どう振る舞うのが、正しい人の在り方なのだろう。

 そもそも自分はどう在りたいのだろう。
 分からない。ただ「重ねてはならない」と、それだけを心の何処かで思っている。
 迷うこと数秒、己の出した答えが、果たしてどの立場として正しいものだったのか、この時の雪村には結局分からないままだった。

「……そうだな、じゃあこうしようか、嬢ちゃん」





27 : 第三の戒め ◆l8lgec7vPQ :2024/09/23(月) 00:33:29 .nDtfO9.0

 陽気なBGMの響く店内を、少女は一人、歩いている。
 マキナと呼ばれる機巧の少女は、買ってもらったばかりのワンピースを翻しながら、書店の中をきょろきょろと見回していた。
 新書コーナーで足を止め、高く積まれた商品(ほん)、の一冊を手に取ってみる。

「…………」

 この時代の書物や音楽に興味があった事も、お店に入ってみたいと思っていた事も、マスターには見抜かれていた。
 実際、マキナは少し興奮している。理想の神様らしく、努めて冷静に、機械的に振る舞おうとしていたけれど、最新の文化に触れて高揚する心を抑えきれない。
 一方で、どこか落ち着かないような気持ちもあった。そわそわして、じっとしていられないような、焦燥に近いなにか。

 理由は、すぐに思い至った。
 いま、少女の傍にはマスターがいない。少しの間、別行動する事になっていた。
 マスターが食事をとっている間、マキナはここで自由に本や音楽を鑑賞して良いと。
 気になる物があれば買っても良いと、おこづかいまで貰ってしまった。

 勿論、念話が通じる距離は保っていて、マスターに何かあれば直ぐに駆けつけられる。
 一様の保険も掛けておいた。
 だけど、それでも、落ち着かない。

(……呆れられて、しまったのでしょうか)

 心に引っかかっていたのは、多分その事だった。
 先ほどの戦闘で、マキナはマスターに有用性を示すことが出来なかった。
 単純火力では敵を圧倒していた筈なのに、戦略によって上回られ、うろたえる失態すら見せてしまった。

 敵は本職の将、気に病むことはないと、マスターはフォローしてくれたけれど。
 それでも勝たなければならなかったのだ。どんな条件であろうと、襲い来る悲劇を迎撃し、勝利しなければならなかったのだ。
 マキナが理想とする神ならば、至るべき平和機構、完成された救済装置ならば、出来たはずだ。
 なのに、上手くできなかった。マキナはそれが悲しい。

 失望されてしまったかもしれない。
 だから今、置いて行かれてしまったのだろうか。
 そんな不安が、ちくちくと心を刺す。

 そもそも、この状況そのものが落ち着かない。
 マスターを傍で守護するのがサーヴァントの大事な役割の筈だ。もしもの時、先ほどの戦闘のように、マキナの判断が遅れてしまったら。
 想像するだけで、のんびり本を見ている気分ではなくなってしまう。早く、早く、挽回したい。

 こんな俗っぽいものに興味なんかない。
 神は、怠けないのだから。いつだって一生懸命に、人を救うために頑張らないといけないのだから。
 そう自分に言い聞かせ、マスターの元に戻ろうと本を置いて歩き出し、ああだけど、少しだけ音楽も聴いてみたいような。
 なんて思って、CDショップの方をチラリと見た、そのときだった。

「……あ」

「ん……おや、これは、これは」

 狼毛皮のロングコート。
 全身に身につけた金のアクセ。オールバックにした黒い長髪。
 そして、なによりその巨体。身長2メートルを超える長身の女性。

「かわいい同類がいたもんだね」

 CDショップの視聴コーナーで、ノリノリでロックを鑑賞する。
 なんとも俗っぽいカミサマと目が合った。






28 : 第三の戒め ◆l8lgec7vPQ :2024/09/23(月) 00:34:52 .nDtfO9.0

 そのワンフロア階下、ファミレスのテーブル席にて昼食を取りながら、雪村は依頼人を待っていた。
 探偵業、それが今日メインのスケジュールであり、彼が中目黒までやってきた理由だった。
 道中で発見した魔力痕跡の調査が二組の主従と遭遇させ、戦闘にまで発展したことは流石に計算に入ってはいなかったが。
 それでも幸い、待ち合わせの時間に遅れる事態にはならなかった。

 雪村が聖杯戦争開始以後も、探偵業を続けている理由は2つある。
 まず、単純な資金源であるということだ。この一ヶ月、東京という限られたフィールドの中で生きていくために、彼は仕事を続ける必要があった。
 つい先程も予定外の出費があったばかり、口座の残高には常に余裕がない。
 もう一つは情報源だ。彼が聖杯戦争に臨む理由である、ニシキヘビの捜査。
 それだけでなく、多くの魔術師を内包するこの街は異変に包まれている。依頼を通して街の情勢を理解する、これは情報戦の一環なのだ。

 などと言えば聞こえは良いが、実際の所、調査が順調とは言いがたかった。
 蛇の尻尾は未だ掴めぬまま、過ぎていく時間と深まる街の混迷に、焦りが無いと言えば嘘になるだろう。
 
 時間がない。
 それは直感だった。

 今まで情報収集を行ってきた幾つかの怪異は全て、魔術師絡みと推定できる。
 蝗害、消える団地居住者、横行する若者の暴力抗争、各所で発生する火災。
 傍目には一ヶ月かけて、じわじわと進行してきた異常値の数々。

 だが、もう既に猶予がないような。
 もうすぐ致命的な事態が、決定的な何かが、この街に訪れるような。
 嫌な予感があった。そして雪村は、この手の勘を外したことがない。

 指定された時間まで、もう少し時間がある。
 待ち人を待つ間、彼は箸を動かしながら、先程出会った二組の主従を思い返す。

 高乃河二とそのサーヴァント、ランサー。
 琴峯教会の少女(シスター)とそのサーヴァント、アサシン。

 彼らと協力協定を結ぶことは、選択肢に入るだろうか。
 おそらく様々な事態が水面下で進行しているこの街で、一人でやれることには、どうしたって限界がある。
 雪村はこの一ヶ月の調査を通じて、それをよく理解していた。

 一時的でも、味方がいるに越したことはない。
 聖杯戦争という舞台が、いずれ争い合う定めを強制したとしても。
 彼らが本質的に悪人でないのなら、その順番を後ろ倒しできるだけでも、悪くない話だ。

(それに――)

 父の仇を追う少年。
 教会を守るシスター。

 それぞれ、別の意味で、思うところはある。 

(ああ、それにしても)

 箸を止め、雪村は思った。

(……落ち着かねえ)

 気がささくれだってしょうがない。
 その理由は、もうとっくに分かっている。
 気になるのだ、上階の様子が。具体的には、サーヴァントの様子が。

(……俺は何をやってんだろうな) 

 だったら離れなければ良かったのだ。
 一人にしなければ良かったのだ。一緒にいればよかったのだ。

 一人で頭の中を整理したい気分だったから。
 少し一人にしてやった方がいいと思ったから。
 マキナにとっても気分転換なるだろうと考えて。

 全部、後付の言い訳だ。
『この子を、一人にするのが心配だ』なんて、サーヴァントに向けるには馬鹿げた思考を否定したかっただけだ。
 本来、一人になって心配されるのは雪村の側だろう。護られるのはマスターの側だ。
 マキナもそう言っていたしそれが正しい。マスターとサーヴァント、その関係性を考えれば、感覚がおかしいのは雪村の側だ。
 それを雪村も十分に理解している。だからこそ、己の感覚を否定するための、あえての別行動。


29 : 第三の戒め ◆l8lgec7vPQ :2024/09/23(月) 00:39:05 .nDtfO9.0

 だが、結局自覚してしまっているなら、それは欺瞞でなくて何なのだろう。
 パスはしっかりと繋がっている。互いに念話を送らないだけで、いつでも会話出来る、駆けつけられる距離を保っている。
 なのに、少女を目の届かないところに、一人にしてしまっているという実態に、己の中の何かが異を唱えている。

(マスターとしては、これが正しいんだろ? 違うのか?)

 少女は人ではない。戦いの道具だ。
 マスターならばその認識が正しく、少女自身そのように運用されることを望んでいた。
 だが、割り切れない心が、どこかにある。
 マスターとして正しく振る舞うほど、人として必要な何かを取りこぼしてしまうような気がして。
 だけど、同時に、少女を何かの代わりにだけは、してはならないと思ってもいて。
 結局、どう接するのが正しいのだろう。分からない。

(――嬢ちゃん、聞こえるか?)

 気づけば、声をかけてしまっている。
 己は結局のところ、マスターとしては失格なのかもしれない。

(――そろそろ、合流するかい?)

 でも、まあ、それでもいいか、と思うことにした。
 少女を一人で放置して平気な感性が合格なら、別に落第でもかまわない。
 そんな、半ば開き直りの心境で、マキナを呼び戻そうとしたのだが。

(――のん、ますたー。それは出来ません)

 返答は意外かつ、異常の発生を伝えるものだった。

(――たった今、敵性サーヴァントと遭遇しました。当機はこれより対応に入ります)

 箸を投げ捨てる勢いで立ち上がる。
 周囲の客が驚いて雪村を見るが、気にしている場合ではない。
 最悪のタイミングだった。自分の迂闊さに目眩がする。

(――いや待て、嬢ちゃん! 俺もすぐそっちに――)  

「こんにちは」

 そして間の悪さとは連鎖するものだ。
 今になって、待ち人がやってきてしまった。
 
「くそ――ああ、悪いが、たったいま……」

 急用が、と続けようとした言葉が途切れる。
 煤の、匂いがした。

「あなたが探偵さん、ですか?」

 その男はよれたダークスーツを纏う、二十代前半くらいの温厚そうな青年だった。
 目の細い柔和な顔つきを補強するように、リムレスの眼鏡をかけている。

「……いや、すまん、依頼人だな。どうぞ、座ってくれ」

 若白髪の交じる頭髪は整えられていて、雪村のそれと違い怠惰な印象はない。
 スーツ姿と相まって寧ろ、厳かな行事に向かうような。
 草臥れた印象の中に、ある種の厳粛さを感じさせる装いだった。

「ええ、僕が依頼人の―――」
 
 だが雪村にとって、そんなことは全てどうでもよかった。
 重要なのは男が、微笑みながら翳した、手の甲。
 そこにある紋様。氷の結晶のような、あるいは炸裂する炎のような、樹枝状の六角。

「赤坂亜切と申します。今日は、よろしくお願いしますね」

 令呪と呼ばれる。
 それが、男の立場を、何より鮮明に物語っていたから。




30 : 第三の戒め ◆l8lgec7vPQ :2024/09/23(月) 00:42:02 .nDtfO9.0

 その直上、喫茶店のテーブルにて、彼女達は向かい合っていた。

 多数の金装飾に身を包んだ長身の女傑と、清楚な身なりをした小柄で可憐な少女。
 方向性こそ真逆なものの、どちらも欧州の気風を纏う、異国の美女二人――厳密には二柱の、組み合わせは非常に目立っている。
 しかし周囲から向けられる好奇の視線を気にすることもなく、彼女らは真っ直ぐ、互いを推し量るように視線を交錯させていた。

「何か飲むかい? 奢るよ」
「のん、当機に経口の補給は必要ありません。それに、お小遣いはちゃんと貰っています」
「そうかい、んじゃあアタシは遠慮なく」

 すごご、と音を立て、新作フラペチーノを一息に吸い上げる大女。
 対面に座る少女の前にはコップ一杯の水だけが置かれており、口を付けた形跡はない。
 
「ぷはぁ……美味いね、コレ。現世ってのは良いもんだ。なあ楽しんでるかい、お嬢ちゃん」
「のん、神は怠けません。当機は、果たすべき目標、至るべき神の器の完成に向かって邁進するのみです」
「硬いねえ。せっかくの機会だってのに勿体ないよ」
「むむ……当機に、あいすぶれいく、必要ありません。それにお嬢ちゃん、ではありません」

 表面上、世間話でも始めそうな気安いやり取り。

「クラス:アルターエゴ。機体銘:機密につき隠匿。製造記号:機密につき隠匿。当機には通称として『マキナ』が設定されています」

 しかし少なくとも少女――マキナにとって、これはただの英霊同士の交流ではない。

「その神性、召喚に際して多少の劣化は免れなかったようですが、当機の視覚はごまかせません。実に名のある女神の一柱とお見受けいたしました」

 目前の女性から立ち昇る、マキナよりも遥かに格上の神威。
 直接的な暴力は未だ振るわれていない。
 しかしこれは、戦いであった。そして、挑戦であった。

「当機は最新鋭の神として、旧代の神に問答を望みます」

 マキナが自らの神性を引き上げ、理想の救世神に到達する為に。
 超えねばならぬ、古き神という壁。
 神と神の、戦いである。

「いいよ、何でも聞きな、お嬢ちゃん」
「お嬢ちゃんではありません」
「くっはは、悪い悪い、何でも聞きなよ、マキナ」

 マキナは思いつく限り真剣な言葉を選んで。
 しかし挑まれた側は依然、気安い調子のままで。

「では……当機の通称は先程提示した通りですが、これより開始する問答のため、貴女の通称を伺いたく。
 勿論、今が聖杯戦争の期中であることは承知しております。クラス名のみであっても構いません。当機も機体名と製造記号は秘匿し――」
「スカディだ。ヨロシク」
「―――へ?」

 これには流石に、マキナも一時停止せざるを得なかった。

「ああ悪い、クラスは"アーチャー"だ。そっちのが重要だったかい?」
「ええ……あの、その……いいのですか?」
「アンタが聞いたんだろ?」
「でも……真名……」
「それもそっか、やっちまったねえ。……まあ、なんでも聞きなって言っちまったしね」

 狙ってやったとするならば、それは凄まじい効力を発揮していた。
 聖杯戦争において、戦力の底や弱点の発露を避けるため、可能な限り秘すべしとされている真名をあっさり溢して置きながら、女にはまるで反省した様子はない。
 だが結果として、マキナは本題に入る前から出端を挫かれている。目の前の存在の真意が全く掴めない。
 何なんだこの女神は、天然なのか、豪胆なのか。
 他の奴らには内緒だよ、と悪戯っぽく笑いながらウィンクまで決めてくる。

 スカディ、あるいはスカジ、北欧神話に登場する『狩猟の女神』にして『霜の巨人』。
 出会ったときから感じていた欧州の気風、逞しい筋肉で覆われた長身。
 全てしっくりくる。一応、嘘をついている可能性も排除は出来ないけれど。
 何もかもイメージ通りすぎて、疑うほうがバカバカしくなるくらい明朗な女性だった。

「で、では、女神・スカディ。―――当機は貴女に問いましょう」

 なんとか気を取り直して、マキナは再びスカディと向き合った。
 そう、こんなところで躓いてはいられない。ここからが本題なのだ。
 マキナの大願、新しき神として完成に至り、無謬の平和機構を構築すること。


31 : 第三の戒め ◆l8lgec7vPQ :2024/09/23(月) 00:43:55 .nDtfO9.0

 心しか救済し得ない、旧世代の神々から人々が脱却するための知見。
 否定すべき古き神、その理解を深めることは不可欠なのだ。
 己が完成させるべき、『創神論』のパーツを集めるために。

「貴女は、なんのために、聖杯を求めますか?」

 だからいま、この奔放な女神と一対一で話し合う機会を得られたことを、マキナは僥倖だと捉えていた。
 単純に戦いに勝ち抜いて、聖杯を得られたところで、それはエネルギー問題の解決という性能面の改善に留まる可能性が否めない。
 マキナは自らの心で至る必要がある。その理想の完成に。

「聖杯? 理由? アタシの願望が何かって意味かい、そりゃ?」
「いえす。聖杯にかける貴女の、神としての望みを、当機は質しているのです」

 故に問おう。
 若輩ながら、同じ神として。
 答えてみせろ古き神。
 この現世に降り立ち叶えんとする、人のための大望を。

「そういや考えてなかったよ。いい男でもいりゃ紹介してもらおうかね」
「おとこ」
「ていうか聖杯なんかにゃ、あんま興味ないんだよね。アタシは」
「きょうみない」
「そ、言ってみりゃ旅行に来たようなもんさ。アタシはここで、思う存分狩りを楽しんで、好きにやるのが望みだよ」
「…………」

 マキナは、ふるふると機械の身体が震えるのを感じる。
 やはり、思った通り、いや思った以上だった。
 スカディの伝承は知っている。
 というより北欧神話全体の伝承を把握していたマキナは、正直に言って彼女の答えに大きな期待が在ったわけではなかった。
 
 女神・スカディ。巨人から神族の仲間入りを果たしたという経歴を持つ彼女。
 その物語に、人の救済を謳うモノは少ない。そも、北欧の神話全体として、人の救済を主題に置いてはいないのかもしれない。
 それは人が生きる前の、神たちの物語だ。だが、彼らに対する信仰は今も現世に生きている。
 目の前に存在する女神にだって、狩猟の女神としての信仰、山の女神としての信仰は、現代の人々に伝えられている。
 彼女に救いを求め、願う人達が居るはずなのだ。

 そんな彼らを、人を、彼女が愛しているならば、在るのではないかと考えた。
 彼女なりの、女神としての、人を救う為の理想。
 最新鋭の神として、否定すべき解であったとしても、マキナの至るべき理想の、パーツの一つになればと。

 だが、齎された答えは、否定するまでもない。
 この女神には、そもそも、人を救うつもりなどないのだから。

「貴女は―――」 

 だから、マキナは諦めとともに、確信だけを深めた。
 この女神から得られるモノはない。
 旧式の神からは、やはり早急に脱却せねばならない、その確信をより強く得ただけだと。
 そう思って、

「貴女は人を、愛していないのですか?」
「ぷ、はっ……くく」

 しかし、その時、空気が変わった。

「くっははははははッ! そう聞こえたかい?」

 冷たい風、欧州の北部、厳しい山岳の、それは凍土の風だった。

「いやはや、可愛いお嬢さんだ。純粋ってのは罪だねえ。そう真っ直ぐに聞かれちゃあ腹も立てられない」

 椅子を軋ませ、豪快に手を叩いて笑いながら、スカディは目元の涙を拭い。
 コップに残っていた氷を一口にあおった。
 ぼりぼりと口の中で結晶を砕きつつ、じゃあ次はアタシの番だが、と続けてみせる。

「察するに、アンタの望みは人を救うことかい、若いの」
「いえす。当機は完成された救済装置、全ての悲劇の迎撃者、無謬の平和の構築こそを、到達点と定めています」
「いいねえ。とっても可愛らしい理想だよ。じゃあもう一つ、だったらアンタは、人を愛しているんだね?」
「いえす。当機は人類には救う価値があると判断しております」
「そぉかい。だったら―――そりゃあ問題だよ」
「一体なにが―――」

 と、口を挟もうとした瞬間だった。
 女の巨体が身を乗り出し、覆いかぶさるように、マキナの顔を至近距離で見つめてくる。

「いいかいお嬢さん。こりゃ女神の先達からの忠告さ。よく聞きな」


32 : 第三の戒め ◆l8lgec7vPQ :2024/09/23(月) 00:46:01 .nDtfO9.0

 巨体に気圧されたつもりはない。
 だが女の発する強烈な神威が、少女に二の句を継がせない。
 何故、と。マキナは思う。
 何故こんな奔放な神が、ここまで純烈な神性を放つ。

「人を愛する神に、人は救えない。アンタの愛が、いつかアンタの道を阻むだろう」

 何を言っている。何を根拠に。幾つもの反論が瞬時に浮かんで、だけど言葉にして繰り出す前に。
 女神は離れ、再び椅子に深く腰掛けた。ぎじと、椅子が悲鳴のような軋みを上げる。

「ところでアタシの今の主人(マスター)はね。そりゃあ酷い奴でさ」
 
 そして急に、話を変えた。
 だがマキナには分かっている、きっと本質的な話題はズレていない。

「馬鹿で、愚かで、なんならちょっと気持ちの悪い、最低最悪の男さ」

 けどね、と続けて。
 スカディは笑った。それは一貫して、奔放なる彼女の、純粋な笑みに見えた。

「人を何人も殺して、何とも思わない。悪いとも思っちゃいない。
 この平和な国の常識で測りゃ、人間のクズの見本みたいな殺人鬼。
 けどね、アイツは愛のために生きている」

 沢山の人を不幸して、一人の幸福を追い求めている。
 それは一体、誰のためか。
 他でもない"自己"という、最も身近な人間のための愛。

「まるで喜劇の主人公さ」

 可愛いだろう、とスカディは笑う。
 それは本気の言葉に聞こえた。

「アンタの主人(マスター)はどうだい? 今どんな物語の渦中にいる?
 喜劇かい? それとも?」

 スカディが何を言いたいのか。
 マキナは少しだけ、分かった気がした。

「アタシは人を愛しているよ」

 あくまでスカディの理論であり、全ての神に共通するわけでは無いだろう。
 しかし、少なくとも彼女が人を救わない理由については、マキナは理解できる気がした。

「アタシはね、"人の全て"を、愛しているんだ」

 愛そうか、殺そうか。そんな二択は、そもそも彼女には無い。それらは一択に包括されている。
 だからスカディは、人類を救済しようなんて思わない。
 正すべき愚かさも、諌めるべき悪意も、殺人鬼の喜劇も、マキナが迎撃せんと挑む悲劇ですらも、彼女は愛してしまえるから。
 それほどまでに、人を愛でることが可能ならば。

「さて、もう一度、聞こうじゃないか。アンタは、アンタの愛(りそう)で、人の全てを救えるかい?」

 切り返されたのは行き詰まりの問答だ。
 人の愚かさを愛せないなら、人を愛していると言えるのか。
 愚かさすら愛すると飲み込むなら、人を救う大義はどこへいくのか。

 一転して追い詰められたマキナは答えを探る。
 この女神に返すべき解は今、マキナの心に在るのだろうか。

「当機は……」

 実に、有意義な問答だったと言わざるをえない。
 マキナが目指す理想への道で、きっとこれは、避けては通れぬ交錯だった。
 だからマキナはゆっくりと、その答えを音にしようとして。

「当機は―――」

「おっと残念、時間が来たみたいだ」

 突然立ち上がったスカディに対して、意識を切り替えざるを得なかった。
 先ほどまでと、状況は一変している。
 放たれる神威に、戦意が乗った。つまり問答の終わりと、そして、後に待ち受けるものの開幕を告げている。

「なあ、マキナ。アンタにアタシは認められないかもしれないが。アタシはアンタを気に入ってる。
 何故だか分かるかい? 人を救いたいなんて願うアンタは、実に人間らしくて可愛いからさ。
 アタシは、人間が好きだからね。だからアンタの事も好きさ」

 ともすれば喧嘩を売っているような。
 マキナにすれば、間接的に存在を否定されているような物言いだったが。
 スカディはあっけらかんと、悪意なく言い放つ。

「別に嫌味を言いたいわけじゃないよ。
 アタシの仲間にもアンタみたいに人を気にかける奴はいたし、アタシだって自分が神として上等なんて思っちゃいない。
 殊更、アンタの理想を、否定するつもりはないさ」

 それすら愛してしまえるからねえ、と。
 少しだけ冗談めかして頬を緩める。


33 : 第三の戒め ◆l8lgec7vPQ :2024/09/23(月) 00:48:33 .nDtfO9.0

「当機も、貴女という神を、少し理解できた気がします。その上で――」

 マキナもまた立ち上がり、その巨体と向き合った。
 眼前に在るは、美しき女神。
 巨人としての特性が強く現れていて尚、いまのマキナよりも数段上の神位に立つ彼女に。
 マキナはそれでも、告げなければならない。

「当機は、貴女を否定します。スカディ、旧き女神よ。
 貴女と貴女のマスターが繰り広げる喜劇の外周で、多くの人々に故なき悲劇が降りかかる」

「きっとそうなるだろうねえ。だったら? アンタはどうするって言うんだい?」

「無論、迎撃します。
 当機は全ての悲劇の迎撃者、人の手による理想の救世神。
 当機が―――これより貴女の敵となります」

「くっ……!」 

 瞬間、遂にその本性が開帳された。

「は――――はははははははははッ!! あはっはっはっはっはッ!!!」

 大笑する女神を中心に、凶暴な冷気が拡散する。

「いいねぇ! 実に可愛い! よくぞ吠えた! 良い啖呵だよお嬢ちゃん!」

 マキナの機械腕とは対象的な、荘厳な筋肉に覆われた腕を撓らせ、伸ばした手に握られるのはイチイの大弓。

「だったら次に会うときは、ちゃんと敵として愛してやる。
 アンタも、その時までには、しっかり答えを用意しとくんだね」

 次いで発生した事象は、不幸な偶然の重なりだった。
 いや、もしかすると、全て敵の仕組んだ状況の結果だったのかもしれないが。

(―――嬢ちゃん、悪い。緊急事態だ、使うぞ―――!)

 動き出す敵と、突如、思考に割り込んだマスターからの念話。
 優先するべきものはどれか、選択を迫られたマキナは、混乱の中で正解を選び取る事ができた。
 マスターからのオーダーに応え、第2宝具発動のプロセスに同意する。
 何よりマスターの安全を最優先する。
 代わりに、目の前のサーヴァントに対する動きが僅かに遅れ―――

「それじゃ、生きて会えたらまた話そう。小さくて可愛いカミサマちゃん」

「―――ッ!」

 その剛弓の一射が、足元の床を貫く。
 爆散する冷気と吹き上がる霜に、一瞬塞がれた視界が戻ったときには、目の前の巨体は嘘のように消えていた。

『最後に、一言だけ置いていこうか。アタシはアンタを気に入ったからね』

 代わりに残されたのは、床に穿たれた大穴と、残響する言の葉だけ。

『アタシはね、カミサマに条件なんてもんは無いと思ってる。けどね―――』
 
 穴の底は果てしない。
 最下層のフロアまで、その一撃は及んでいた。
 離脱する為だけにしては、あまりにも大きい破壊痕、大きすぎる被害状況。

「―――ますたー!」

 その途方もない威力を計測するよりも、まずやるべきは階下にいた筈のマスターの安否確認。
 恐慌状態に陥った喫茶店を後にして、マキナは駆け出した。
 ぱたぱたと、空の右袖を振り乱しながら。




34 : 第三の戒め ◆l8lgec7vPQ :2024/09/23(月) 00:50:40 .nDtfO9.0

 少し時間は遡る。

 そのとき、雪村に配られたカードは3つの名前と2枚の写真だった。
 赤坂亜切と名乗った彼は、木製のテーブル上にその前提条件を提示する。

「身辺調査をお願いしたいのは、この3人です。
 最低限、潜伏している場所を特定していただけると助かります。日中の行動パターンが分かると、より嬉しいですが」

 淀みなく、すらすらと、目の前の優男は柔らかい調子で話し続ける。
 雪村の緊張を察することもなく、いやもしかすると全て分かった上で行っている行為かもしれない。
 全て、雪村を揺さぶるための所作なのかもしれない。

「一人目、蛇杖堂寂句。通称ジャック。この男については、居場所までは分かってる。あの『蛇杖堂記念病院』の名誉院長ですよ。
 だから彼を調べるならより深くお願いします。
 つまり具体的には、そうですね……契約しているサーヴァントのクラス……真名とまでは言いませんが、宝具……まあ姿形くらいは特定していただけると。
 いやもちろん、奴の病院や屋敷に仕掛けられた"備え"の情報を持ち帰って頂くだけでも、十分な成果と捉えます。
 この老獪と対面して、口がきける状態で帰ってこれるなんて、流石に高望みでしょうから」

 だが、揺さぶりにしてはあまりにも露骨すぎた。
 出会い頭に、まるで見せつけるように晒された令呪。
 マキナが上階で遭遇したサーヴァントのマスターこそ、十中八九この男だ。
 今のところサーヴァント戦には発展していないようだが、であれば尚のこと、雪村はここを動くことが出来ない。
 マスターとしての、敵の意思を見極めなければならない。
 
「次、二人目、ノクト・サムスタンプ。中年の外人傭兵です。この写真の映りは悪いですが、まあ目立つ奴だから問題ないでしょう。
 蛇杖堂とは逆に、日中の潜伏先さえ分かれば万々歳ですね。奴の行動に制限が在ることは把握してるので、場所の情報さえあれば後は僕が直接叩きます。
 ただしコイツの場合、寧ろ直接の接触こそを避けてください。間違っても、交渉によって情報を引き出そうなんて思わないことですね。
 電話越しの会話すら勧めません。これは絶対に控えるよう忠告します。僕も、敵の傀儡が増えるのは面倒くさいですから」

 熟考する雪村の心境を置き去りに。
 日常的な口ぶりで、朗らかに、ぺらぺらと、男は異常な言葉を垂れ流す。

「で、三人目、ホムンクルス36号。こいつがまた怠い奴でね。引きこもりのくせに、忘れた頃に肝心な所で刺しに来る、陰湿な生命体ですよ。
 コレに関しては写真を用意することが出来ませんでした。
 なので口頭で説明しますけど、いわゆる旧式のホムンクルスですよ。昔ながらの瓶詰めのやつ。
 僕はコイツ以外見たことないですけど、何十年も前はそういうのが主流だったそうですね。
 調査は工房の場所だけで問題ありません。それっぽい候補地を見つけても、入ろうなんて考えない方がいいですね。
 死にたいなら止めはしませんけど、潜入するなら僕に場所を伝えてから―――」

「おい、待て」

 そこで遂に耐えきれず、雪村は男を制した。

「お前、なんで知ってる?」

 何を前提に話している。
 当たり前に語っていやがる。
 必要な説明が、段取りが抜けているだろうが。

「あ、そうか」

 そこで男はやっと気づいたのか。
 はたと表情を変え、ズレかけていた眼鏡を直し。

「そりゃそうか、説明が抜けてましたね。すみません」

 そしてぬけぬけと、ズレたことを言い放った。

「2回目なんですよ。僕も、コイツらも、だから顔と名前を知ってるって、それだけの事です」

「いや違えよ!」

 そんなことは聞いていない。
 というよりさっきからずっと聞いていない情報を流し込まれ続けている。
 それも事実なら特ダネ物の情報だ。

 今コイツはなんと言った? 2回目といったのか?
 それはどういう意味だ。なんて馬鹿でもわかる。
 2回目。それは1回目を前提に発せられる言葉以外にありえない。
 つまり今、雪村が巻き込まれているコレは―――

「俺が同業(マスター)ってことをだ。
 なんで知ってんだって聞いてんだよ!」
「あ、そっちか」
「お前なあ……」

 出会い頭に令呪を見せつけられたとしても。
 カマを掛けられている可能性が排除できない以上、自らボロを出さないように気を配っていたのがアホらしい。
 あまりにも、赤坂は雪村がマスターである前提で話をし過ぎている。


35 : 第三の戒め ◆l8lgec7vPQ :2024/09/23(月) 00:53:32 .nDtfO9.0

 だが、全くバレるような心当たりは無いのだ。
 この街で探偵として活動する以上、依頼人としてマスターが現れる可能性も考慮はしていた。
 とはいえ、出会う以前にバレているケースなんて想定していない。
 メールのやり取りも、今日ここに至る段取りも、ボロを出すような要素は無かったはず。
 一体いつ、どの段階で知られていたのか、それが問題だ。
 何か致命的なミスをしているとすれば、早急に修正しなければならない。

「僕も今日、探偵さんと会うまでは知りませんでした。
 つまり単純な話です。僕のサーヴァントは眼が良いんですよ。別にそちらが何か大きな失敗をしたわけじゃない。
 こんな方法で敵の位置を特定できるのは彼女くらいだろうし」

 それは余りに無体な回答。驚異的は視力。反則級の千里眼。
 魔力の気配、脅威への警戒、そういった諸々が思いつきもしないほどの長距離間で成立する索敵。
 一般的な魔術師やサーヴァントの魔力探知の範囲外、そこからでも敵を補足できる狙撃手が居たとすれば。
 この男のサーヴァントには、見られていたというのか、雪村とマキナのやりとり、その一部始終を。

「まさか、別に東京都内全域を一度に見渡してるわけじゃない。
 ただ今日は待ち合わせ場所が決まってましたからね。
 ちょっと早めに来て、この建物を中心に、接近してくる対象の中に、事前に聞いてた風体に集中して索敵させただけですよ」

 ここに来る途中、外でマキナを呼び出し、あるいは霊体化させた瞬間を見られていたのか。
 あるいは、そんな決定的瞬間で無かったとしても、魔術を知る者としての所作を捉えられたか。
 一体いつから補足されていたのだろう。確かに、聞いてみれば単純極まるカラクリだった。

「そんないい眼があるなら、探偵なんて雇わずに自分で探れって言いたいですか?
 でもね、目で見つけて殺す、なんて単純な方法で潰せるなら苦労はない。
 奴らは生かしちゃおけない紛い物だし、面倒くさくてたまらないけど、残念ながら実にしぶとい屑共だ」

 赤坂亜切は、実に忌々しいと言わんばかりに、吐き捨てるように、それを認める。

「眼が在ると分かっているなら誰だって警戒する。
 もっと上手いやつなら、分かってなくてもそうしてる。
 そもそも、街にある"眼"が、僕のアーチャーの両眼だけだと思いますか?」

 無垢なる忠誠は未だその所在を悟らせず。
 渇望を内包した数式は街中に生物を介した網(しかい)を放ち。
 畏怖の暴君に至っては、見つかること自体をそもそも問題と捉えていない。
 他二人の亡霊も皆そう、それぞれ剣呑で、厄介だ。

「お前さっき、二回目と言ったな」

 そして、この状況を飲み込んだ雪村は改めて、そこに踏み込んだ。

「ええ、"僕ら"にとって、この聖杯戦争は二度目です」
「最初は、何人いた?」
「7人、つまり普遍的な聖杯戦争だったわけですよ。最初はね」
「やり直しにでもなったのかよ」
「いいえ、きちんと勝者が決まりましたよ。残念ながら、それは僕ではないですが」
「じゃあ……なんでお前は――――」

 それを聞くとき、雪村は目眩に耐えなければならなかった。

「なんでお前は、今、ここにいる」
「生き返ったから」

 案の定、強烈な目眩に襲われた。
 予想できた筈の、回答だったにも関わらず。

「なぜこの街が、未だに社会機能を維持できているか、あなたは理解していますか?」

 日常という綺羅びやかな装飾が取り払われ、内側からグロテスクな何かが覗き始めている。
 当たって欲しくない直感が、今まさに的中しようとしている。
 ずっと疑問だった。襲い来る蝗害、増え続ける行方不明者、頻発する暴力事件。
 混沌を極める街の情勢。なのになぜ、未だ決定的な事件が起こらない。最期の喇叭が吹かれない。

「それはね、僕らが"まだ、全員揃っているから"ですよ」

 彼らは互いを敵視している。
 いや、正確には、 互いしか敵視していないのだ。
 屑星共め、死ねばいい、厄介なと、鬱陶しく思い合い。
 己が実力の底を晒さないよう力を抑え、他の者たちの弱みを見逃すまいと、虎視眈々と牽制し合っている。


36 : 第三の戒め ◆l8lgec7vPQ :2024/09/23(月) 00:59:55 .nDtfO9.0

 だが、その拮抗こそが、最期の防波堤だったとすれば。
 崩れてしまえばどうなる。何が起こる。
 一度目を経験したという彼らが、互いという枷を外されてしまったら。
 無秩序な破壊を許されてしまったら。危うい均衡の、どれか一角でも欠けてしまったら。
 その時やっと、彼らにとっての本当の聖杯戦争が始まるのかもしれない。
 そして、その状況こそを、眼前の男は望んでいるのだ。 

 おそらく複雑に絡み合う相性が齎した、水面下の膠着状態。
 裏を返せば彼らは、雪村を含む"それ以外の存在"を、現段階では、おそらく敵とすら認識していない。 
 何故か、それは単純な話。敵ではないからだ。その気になればいつでも散らせる木端に過ぎないからだ。
 だからこの男は、雪村の正体を知ってなお気安く、当たり前のように、便利に活用しようと考えたのか。

「ナメやがって……」

 雪村鉄志の尺度で見て、少なくとも赤坂亜切は既に立派な脅威だった。
 使役するサーヴァントの性能の一旦と、彼の立ち振舞いを見て、それは十分な確信となっている。
 そして、なによりも、

「あはは、それは違いますよ。僕は何も貴方達を軽視しているわけじゃない。
 "彼女"が招いた新しき星を、侮るなんて真似はしません。僕以外の六人もきっと、そう考えているでしょう。
 それにホラ、僕はこう見えて、あいつらと違って、マトモな方で―――」

「―――通電(スパークル)」

 テーブルの下、雪村は左手に杖(ボールペン)を構えていた。
 体に直接触れなくとも、いま何が向けられているか、対面の男にも分かっているだろう。

「五月蝿えよ。妙な真似すれば撃ち抜く」

 だが、赤坂亜切はまるで怯む様子もなく、肩をすくめる余裕すら見せていた。

「酷いなあ。僕は純粋に、貴方に依頼がしたくてここに来たってだけなのに」 

「―――あのな、お前、煤くせえんだよ。葬儀屋」

「なんだ……思ったよりモノを知ってるのか」

 雪村の現役時代、特務隊がその実在こそ確認していたものの、上層部から『決して手を出すな』と言われていた魔術使いの犯罪者が3人居る。
 そのうちの一人。葬儀屋。魔術師専門の暗殺者。
 年齢、容姿、一切が不明であったが、ただ一つ、手がかりが在るとすれば。

「阿呆が、カマかけたんだよ」

 煤の匂い残る殺害現場。
 その犠牲者は全て、焼死体で発見されたという。

「へぇ、いや悪いね、確かにちょっとナメてたよ、オッサン」

 赤坂亜切。
 彼は、雪村これまで対峙してきた多くの魔術使い、犯罪者達。
 その共通項を同時に備えた男かつ、その何れとも比べ物にならない程の―――

「てめえ今まで何人殺した。マトモぶるなんざ100年遅えよ、殺人鬼」

「はは、確かに、今日はもうやっちゃった後だしなあ、流石に誤魔化しきれてないか」

 血の匂い、否、血の跡すら消し去るほどの、焦げ付いた悪意を以て笑う。
 現代に潜む、異能の鬼だった。
 
「で、どうする探偵さん? ここで僕を撃って殺すかい?」

 顔を傾けた男の眼鏡が、僅かにズレる。

「おい動くな。妙な真似すりゃそうなる。ついでだ、今ここで、残りの3人の情報も話せ」
 
「<一回目>の? いやあそれは出来ないね。そいつは今回の依頼の報酬とさせてもらおう。
 一人の情報につき、一人の情報と交換だ。どうだい? 悪くないだろう。
 今回、僕から提供した三人の情報は、つまり前金ってとこさ」

「ふざけてんのか」

 この期に及んで交渉の体を崩そうとしない赤坂に、雪村の苛立ちが滲む。
 
「撃ちたきゃ撃てばいい。白昼堂々と殺し合いが始まるだけだ。
 でもあんたはそれをしない。何故か? やりたくないからさ。
 だから僕達はまだ話ができる、探偵さんと、依頼主としてね」


37 : 第三の戒め ◆l8lgec7vPQ :2024/09/23(月) 01:06:22 .nDtfO9.0

 どこまでもナメた態度に沸き立つ怒りを堪えながら、雪村は深く息を吸った。
 落ち着け。確かに、ここで殺し合いを始めるのは望んでいない。だがこの男の余裕はどこから来ている。
 雪村が周囲の人間を巻き込みたくないと読んでいる。果たしてそれだけなのか。

「だったら―――」

 魔術使い同士の戦闘は先手必勝。それが現役時代から変わらない雪村の基本方針だ。
 だが、いま何かを見落としてはいないか。
 今まで遭遇したどの主従よりも、目の前の相手が危険かつ脅威であることは明らかだ。
 直ぐ様マキナに行動を指示するべきか、いや上階の状況が見えない以上、迂闊には動けない。
 あれ以降、マキナからの念話は未だに無いが、パスに異常が無いということはあちらも膠着しているのか。
 
「―――蛇を、知ってるか?」
「……蛇?」

 思考を整理する時間を稼ぐため。
 雪村はそれを口にした。
 ニシキヘビ、雪村が追う仮想の大敵。

「蛇、蛇の如き魔術師ねぇ。イメージからしてジャックのことじゃないだろうけど。
 うーん心当たりがあるような、ないような。実は僕、人の名前を憶えるのが苦手でさ」
「そりゃ意外でもなんでもねえな」

 なんの情報も出てきそうに無かったが、そもそも大して期待などしていなかった。
 しかし、赤坂は止まらず、聞いてもいない話を続ける。

「じゃあさ、僕からも質問いいかい?」 
「俺からてめえに教えることなんざねえよ」
「酷いなあ。不公平だろそんなの。ねえ、おっさんのサーヴァントを見せてくれよ。たぶん女の子だよね?」
「さあな、てめえのサーヴァントが見たんじゃねえのか?」
「アイツは気まぐれだし、たまに言うこと聞かないんだよ。でも黙ってるってことは多分女の子じゃないのかなあ。
 だったら会ってみたいんだ、ちょっと確認したいことがあってさ」
「……なにを、確認してえんだよ?」

 すると、赤坂は満面の笑みを浮かべた。
 ズルりと眼鏡がずり落ち、糸のような細めの右側が、僅か、開かれる。
 紅蓮に染まる、凶の視線が走り。

「いやあ、なに―――ちょっと僕のお姉(妹)ちゃんかどうかをね」

 その瞬間、雪村鉄志は、目の前の存在こそ、今すぐ排除せねばならぬと確信した。

「―――点火(シュート)!」
「おいおい!!」

 跳ね上がる赤坂の全身。
 座席ごと吹き飛びながらも大笑するその身体に一切のダメージは見られない。

「酷いじゃないか!!」

 爆裂する炎、拡散する悪意、隣のテーブルに着地した赤坂の全身が燃えている。
 あの炎が鎧となって、ガンドの一撃を防いだのか。

「化け物が……」

 一撃で決めれなかったことは、雪村にとって致命的な失態だった。
 撃ったこと自体に後悔はない。もはや話し合いは無意味。目の前の悪意は、今すぐ倒さなければならないと確信して撃ったのだ。
 放置してしまえば、より大きな被害が約束されている。
 だが、こうして白昼の戦いが始まってしまった。もはやただでは終われない。沢山の人が死ぬ、雪村の力が及ばないばかりに。

「僕はただ、家族(きょうだい)に会いたいだけなんだ。
 オッサンにも家族は居るんだろう? 僕の気持ちがわからないかなあ」
「わからねえよ。イカれた犯罪者の頭の中なんざ」
「そうかなあ。僕とオッサンに大した差なんかと思うけど。
 オッサンもきっと、家族思いのいい人なんだろ。まあ、そこは別に興味ないけど」

 だが、最悪の事態を想定していた雪村に対し、意外にも赤坂の態度は平坦なままだった。

「やりあってもいいけど、"約束"を破るとアーチャーの奴が煩いし。アイツ怒ると怖いんだよ。
 実際、他に話すことも無さそうだし、今日のところはここまでか。
 依頼が進んだら、メールで連絡をお願いします」

「お前、どこまで人をナメてやがる」

 それどころか、あくまでも依頼人の立場を崩さず。
 歯牙に欠けぬと言わんばかりに去ろうとしている。

「それじゃあ、また。情報、期待してますよ、探偵さん」
「待て―――」

 言葉を切ったのは、強烈な凶兆を感じ取ったからだ。

「――あ、でもそうだな。
 さっきのはちょっと痛かったし、お返しだけしとくか」

 その対応が間に合ったのは、恐らく雪村の魔術回路の特性があったからに過ぎない。

「撃て、アーチャー」

 背を向けて去っていく男を追撃する余裕などない。
 頭上から迫りくる壊滅の波濤に、袖を捲った右腕を突き上げる。

(―――嬢ちゃん、悪い。緊急事態だ、使うぞ―――!)
 
 刹那の後、落下する彗星の如き閃光に、雪村の全身は飲み込まれていた。




38 : 第三の戒め ◆l8lgec7vPQ :2024/09/23(月) 01:12:00 .nDtfO9.0

 百貨店内部で発生したガス爆発。
 後にそのような理由付けが行われる破壊痕を後にして、赤坂亜切は歩いていた。
 大混乱の渦中を抜け、雑踏に紛れ込むようにして立ち去っていく。

「意外だねえ〜。アンタ、我慢できたのかい?」

 その隣には、長身の弓兵が並んでいる。
 どこかしら上機嫌な女神は、殺人鬼の隣を軽やかに進む。

「君が煩いからだろ。こんなガラクタまで嵌めさせてさ」
「いいじゃないか、よく似合ってる」

 掛け慣れない眼鏡を外し、深くため息をつく。
 日中、能動的な狩りは一回まで、それが今日、亜切に告げた弓兵の戒めだった。
 その一回は、すでに午前中に使ってしまっている。
 別に勝手な決まりを守る義理もなく、寧ろ平気で破ってばかりの亜切だが、戦闘行為をどこか神聖的に扱っているスカディはそこを蔑ろにすると、たいてい機嫌が悪くなる。
 そうなるといつも面倒な状況に陥るのだった。
 それに亜切もまた、日の高いうちからの消耗を避ける事に異論はない。

「……まあ、少なくとも、サムスタンプの奴が生きてる間はね」

 それは亜切が嫌悪し、同時に警戒せざるをえない敵の一人。
 夜になると奴が動き出す。ならば、備えを怠ってはならない。
 昼間から羽目を外しすぎて、遅れを取るなど言語道断。

 亡霊達が織りなす水面下の膠着は決して建前ではない。
 彼らは互いを無視できない。それは事実だ。
 どれだけ互いに嫌悪し蔑もうと、どれも皆、同じ太陽に見出された星の一つと知っている。

「そうかいそうかい偉いねぇ〜ヨシヨシ」
「やめろっての、今日はなんでそんなに機嫌いいんだよ」
「いやあ、可愛い子にあっちゃてさあ」
「なんだよそれ、女の子か? 詳しく聞かせろよ。妹力高かったのか?」
「ヤダね〜。アンタには教えない」
 
 去りゆく彼は亡霊(レムナント)。
 この世界に影を落とす災厄の嚇炎。

 けれど、傍らの弓兵は微笑みを絶やさない。
 遍く全ての人類に向けた愛と同じ熱量で、男の悪意を包み込む。

「ほおら、夜に向けて準備するんだろ。楽しませてくれよ、マスター」
 
 天の日は未だ高く。燻っている。
 しかしそれが落ちたときにこそ、針音の街に、悪意の炎は放たれるだろう。





39 : 第三の戒め ◆l8lgec7vPQ :2024/09/23(月) 01:16:58 .nDtfO9.0

「ますたー、お怪我はありませんか?」

 瓦礫の散乱するファミレスの店内にて、雪村は再びマキナと向き合っていた。

「ま……なんとか……な……」

 コンクリートの欠片を押しのけ、ゆっくりと立ち上がった雪村の片腕は今、漆黒の装甲に覆われている。

「おかげで助かったよ、嬢ちゃん」

 マキナの第二宝具、『熱し、覚醒する戦闘機構(デア・エクス・チェンジ)』。
 防御特化型フォーム:アテネ。その限定展開。
 別行動に移る前、もしもの時のために、雪村の右腕に装着していた腕時計。
 それはマキナの右腕を媒体に、自己改造で変形させた物だった。

「あの……当機は……また」
「いや、謝るな」

 ぴしゃりと、なんとすれば今まで一番厳しい口調で発せられた静止に、マキナの声が途切れる。
 はっと顔を上げると、雪村の視線がマキナを見下ろしていた。
 真っ直ぐに、いつものように視線を逸らすことなく。

「今回ばかりは俺が悪い。嬢ちゃんがなんと言おうが、俺の責任だ。すまん」

 マスターとして、立ち回りを誤った。
 その結果がこのザマだと、雪村は思う。

「色々考えなきゃならんことは多いが、まずは生き残らなきゃな」

 殺人鬼との邂逅は、雪村にって大きな意味があったのかもしれない。
 齎された多くの情報と一緒に、己がどれ程腑抜けていたかを理解させられた。
 3年のブランクはやはり、大きい。
 それに――

「だから今後は、なるべく一緒にいよう。
 俺達はチームだ。戦うための連携を見直して、出来るなら仲間を探して、生き残るために、お互いに考え続けよう」

 重ねないように、なんて。
 意識することは、考えてみれば重ねていることの証明でしかない。
 ならば、どうしようもなく、引きずられてしまうなら――

「これからも――」

 やはりいっそ、開き直ってしまえばいいか。
 そう、雪村は決断したのだった。

「頼りにしてるよ。嬢ちゃん……いや、マキナ」

 機構の少女もまた、その声に応える。
 いつも通りの無表情に、ほんの僅かな弾みを乗せて。

「―――いえす。あい・こぴー。ますたー」 






40 : 第三の戒め ◆l8lgec7vPQ :2024/09/23(月) 01:23:41 .nDtfO9.0



 赤坂亜切とそのサーヴァント、スカディは既に去り。


 雪村鉄志とそのサーヴァント、デウス・エクス・マキナもまた、破壊の痕跡を後にする。


 百貨店、スカディの精巧なる射撃技術による物か、針の目を通すような奇跡が重なったのか、死傷者の一人も出なかったその場所から、役者たちが退場する。

 
 だが最期に、マスターの背を追う少女は、そこに残された声を聞いていた。



『最後に、一言だけ置いていこうか。アタシはアンタを気に入ったからね―――』



『アタシはね、カミサマに条件なんてもんは無いと思ってる―――』



『人を救いがたがるカミサマがいたっていい。殺したがるカミサマもいたっていい。でもね―――』
 


『カミサマには一つだけ、絶対の前提があるんだよ。それが何か分かるかい? お嬢ちゃん―――』



『殺すにせよ、救うにせよ、愛でるにせよ、カミサマは、人がいなきゃ成り立たない―――』



『つまりカミサマってやつはみーんな、寂しがりやさんなんだろうね―――』



『アンタが本当に問うべきはきっと、アタシじゃない。アンタは多分、会うべきさ。そしてもう一度、問うべきさ―――』



『古き神じゃない、最新の神でもない。"現の神―――この世界のカミサマ"ってやつにさ』









【目黒区・中目黒/一日目・午後】


41 : 第三の戒め ◆l8lgec7vPQ :2024/09/23(月) 01:27:48 .nDtfO9.0

【赤坂亜切】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:『嚇炎の魔眼』
[道具]:魔眼殺しの眼鏡(模造品)
[所持金]:潤沢。殺し屋として働いた報酬がほぼ手つかずで残っている。
[思考・状況]
基本方針:優勝する。お姉(妹)ちゃんを手に入れる。
1:適当に参加者を間引きながらお姉(妹)ちゃんを探す。
2:日中はある程度力を抑え、夜間に本格的な狩りを実行する。
3:他の〈はじまりの六人〉を警戒しつつ、情報を集める。
[備考]
※彼の所持する魔眼殺しの眼鏡は質の低い模造品であり、力を抑えるに十全な代物ではありません。


【アーチャー(スカディ)】
[状態]:健康
[装備]:イチイの大弓、スキー板。
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:狩りを楽しむ。
1:日中はある程度力を抑え、夜間に本格的な狩りを実行する。
2:マキナはかわいいね。生きて再会できたら、また話そうじゃないか。
[備考]


【雪村鉄志】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:『杖』
[道具]:探偵として必要な各種小道具、ノートPC
[所持金]:社会人として考えるとあまり多くはない。良い服を買って更に減った。
[思考・状況]
基本方針:ニシキヘビを追い詰める。
1:ニシキヘビに繋がる情報を追う。
2:〈一回目〉の参加者とこの世界の成り立ちを調査する。
3:マキナとの連携を強化する。
[備考]
※赤坂亜切から、〈はじまりの六人〉の特に『蛇杖堂寂句』、『ホムンクルス36号』、『ノクト・サムスタンプ』の情報を重点的に得ています。

【アルターエゴ(デウス・エクス・マキナ)】
[状態]:健康
[装備]:スキルにより変動
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:マスターと共に聖杯戦争を戦う。
1:マスターとの連携を強化する。
2:目指す神の在り方について、スカディに返すべき答えを考える。
[備考]
※紺色のワンピース(長袖)と諸々の私服を買ってもらいました。わーい。


42 : ◆l8lgec7vPQ :2024/09/23(月) 01:28:10 .nDtfO9.0
投下終了です


43 : ◆0pIloi6gg. :2024/09/30(月) 18:00:41 z5koI3cY0
投下します。


44 : Los,Los,Los ◆0pIloi6gg. :2024/09/30(月) 18:02:35 z5koI3cY0


 率直に言うと、悪国征蹂郎は己の"過去"へさしたる執着はない。
 何故ならそれは、もう過ぎてしまったことだから。
 終わった何かを振り返るよりも、今此処にあるものを考えたい。その方が有意義だし、正しいことだと彼は考えていた。
 征蹂郎はこの今を愛している。孤独だった自分にできた初めての居場所、こんなつまらない男を慕ってくれる仲間達の存在を何より尊く感じている。
 だからこそ征蹂郎は、自分の宝である今この瞬間を穢す者を決して許さないのだ。
 
 その彼が"今"、らしくもなく終わったことを述懐していた。
 所属していた暗殺者養成施設の最終試験。渡った先は、かれこれ数年に渡り内戦が繰り返されている火薬庫の国だった。
 当時の征蹂郎は何も思うことはなかったが、改めて思い返すとアレはまさしく地獄絵図であったと断言できる。
 死体が多すぎて墓が足りず、泣きながら娘の死体をゴミ焼却炉に投げ入れる母親がいた。
 全身枯れ枝のように痩せ細っているのに、腹だけが餓鬼のようにぷっくりと膨れた子ども達がいた。
 清潔な水が飲めないので汚れた川の水を飲み、視神経を寄生虫に冒されて住人のほとんどが視力に問題を来している集落があった。
 射撃練習と称して捕虜を撃ち殺し、その日のおかずを賭けてスコアを競い合うゲームに興じる政府の部隊があった。
 そんな地獄の中でさえ、征蹂郎は一度たりとも過たなかったし足を止めなかった。
 彼は、ただ殺した。標的に迫る上で必要な要所の人間を殺し、降った火の粉を払うために命を奪った。何人殺したのかなんてさっぱり覚えていないが、少なくとも両手足の指の数を全部足しても足りないだけの数であることだけは確かだ。

 ――"彼女"を見たのは、そんな無数の殺人履歴(メモリー)のひとつ。

 外界との関わりを断ち、独自の文化習俗を受け継いで細々と暮らしていたとある集落が、その日の舞台になった。
 集落の人間はその断絶性から、件の内戦に表立って関与することはなく各々の暮らしを続けていたと聞く。
 だからこそ、征蹂郎の標的が逃げ込むにはうってつけの場所だったのだろう。
 半ば人狩りの暴徒化した政府軍の突入。それに対する住民の恐慌。そして悪国征蹂郎の介入。
 地獄が生まれる条件は、奇しくもすべて揃っていた。

 征蹂郎は暗殺者ではあったが、殺人鬼ではなかった。
 だからこそ彼が殺す主立った相手は話の通じない政府軍の兵士となったのだったが、正直なところ、いちいち区別して殺していたわけではない。
 仕事を遂行する障害であるなら殺す。道を塞ぐ石を退けるように摘み取り、命を奪う。
 それを思えばきっと、自分もまた彼女にとっては忌まわしい記憶の、封じ込めたいつかの日の象徴のひとつなのだろうと征蹂郎は思う。
 あの日――、少女は泣いていた。
 何がなんだかも分からず、返り血と泥にまみれてしゃくりあげていた。
 かの国ではありふれた景色のひとつでしかなかったそれが、今は因果となって征蹂郎の対面の椅子に座っている。
 背丈は大して伸びていない。肉付きは、以前よりもいくらか健康的に見える。
 ただ。その幼い両目に宿る光はどこまでも暗く、人形の眼窩に填まったガラス玉のように無機質だった。

「……すまないな。こんな場所で」
「別に、構いません」

 邂逅した当時、少女――アルマナは傍目にも分かるほど自分に対して動揺を示していた。
 だが今は気もだいぶ落ち着いたのか、人形めいた雰囲気にそぐう物静かさでちょこんと征蹂郎の前にいる。
 今、征蹂郎達がいるのは〈刀凶聯合〉が所有するアジトの内のひとつだった。
 この部屋からは出払わせているが、隣室には数人の仲間が今も臨戦態勢で待機している。アルマナに対しての備えではなく、現状の最大の敵であるチーム〈デュラハン〉の襲撃を警戒しての迎撃体制だ。
 聯合のメンバーには既に聖杯戦争についての話を共有してある。最初はだいぶ驚かれもしたし、冗談とも疑われた。が、征蹂郎がその手のジョークとは無縁の性格をしていることがその時ばかりは幸いした。


45 : Los,Los,Los ◆0pIloi6gg. :2024/09/30(月) 18:03:20 z5koI3cY0

 いい仲間を持った、と改めてそう思う。
 誰ひとり、人外魔境に身を投じることを怖じるものはいなかった。
 嫌だと、死ぬのは御免だと、背を向けて去る者がいたとしても自分は決して責めなかったのに、誰もが征蹂郎のために戦うと言ってくれた。
 刀凶聯合は一蓮托生。ひとりが皆のために、皆がひとりのために戦う。
 その"皆"には、征蹂郎(じぶん)も例外でなく入っていたのだ。それを知った時は、柄にもなく胸が熱くなる感覚を覚えたものだ。
 そう、まったくもって柄でもない。
 自分の本質は今も変わらず、あの国で業を揮った時のそれのままだというのに。

「それで」

 少女が口を開く。
 本当なら友人と外を駆け回ったり、流行りのアニメの感想に花を咲かせているべき年齢であるにも関わらず、その声はひどく平坦だった。
 
「……聞きたいことは色々あるが、オレの用向きはさっき語った通りだ。
 交渉。情報交換。キミの方からオレに求めることがあれば、条件次第にはなるが応えても構わない。
 あまり肩肘を張らずに……あくまで対等な間柄で、オレはキミと話がしたいと思っている」
「……、対等。ですか」

 自分で口にしておいて何だが、これほど空寒い言葉もないなと思った。
 結局のところ、最後に生き残れるのはただひとりなのだ。
 聖杯を、〈熾天の冠〉なる聖遺物を戴冠できる人間はひとりだけ。
 であれば道を異にする他人/敵の言う"対等"という言葉の重みなど、文字通り毛ほどもないのは自明なのに。

「情報交換についてはともかく、協力関係については双方の信頼関係が築けるかどうかに依るかと思います。
 それに少なくとも今の段階では、お互いに相手の語る情報へ完全に信を置くことはできないのではないでしょうか」
「む……」
「私達も無為にこの一ヶ月を過ごしてきたわけではありません。敵と交戦したこともあれば、掴んでいる未確定の情報もあります。
 あなた方の握る情報に興味はありますが、現状私はあなたのことを信用できていません。対等に関わり合う相手としては、些か不適と感じています」
「それは……言われてみれば、そうか……」

 実のところ征蹂郎は決して、戦争に精通しているわけではない。
 何故なら彼は一軍を背負って勝利に邁進する将ではなく、それに使われて仕事をこなすべく育てられた"兵器"だったからだ。
 まだ銃だの砲だのが幅を利かせる前から開発され、現代の戦場に至っても一定の価値を認められる恐るべき凶器――暗殺者。
 故に征蹂郎は、少女・アルマナの言葉に素直に舌を巻かされた。
 まさか十歳そこらの幼女に言い負かされる日が来るとはついぞ思わなかったが、聯合を背負う者としては笑えない体たらくだろうと自らの不明を恥じる。
 ましてや自分は彼女にとって、日常の崩壊の一端を担った存在なのだ。
 それが真摯な言葉とやらだけで同じ道を歩けると考えたのは、成程確かに血の通わない道具の思考であったと言う他ないだろう。

「……オレは」

 征蹂郎は考える。
 彼は道具だったが、今はそうではない。
 役目を、行き場を、価値を失った自分に居場所をくれた仲間達を守りたいと自分の頭で考え、背負って行動するひとりの王だ。
 王は考えなければならない。常に頭を回し、不格好にでも成長と進歩を重ね続けなければならない。
 未だ手探りながら、人の温かい部分と向き合い続けている悪国征蹂郎。荒くれ者達の王さまは、たどたどしく少女に問うていた。

「オレは……キミに、謝るべきなのだろうか」


46 : Los,Los,Los ◆0pIloi6gg. :2024/09/30(月) 18:04:25 z5koI3cY0
「……質問の意味が分かりません」
「オレはかつて、キミの世界に戦乱を運んだ。
 言い訳ではなく事実として、あの日のことはオレが仕組んだ悲劇ではなかったが……それでも、崩壊の一因を担った自覚はある」

 征蹂郎は考える。
 自分があの時、あの路地で彼女に声を掛けたわけ。
 その場で別れても良かったにも関わらず、手を差し伸べたわけ。
 合理の産物だと言ってしまえばそれまでだ。あの時、征蹂郎には手を差し伸べる理由があった。
 忌まわしき首無しの騎士共と渡り合うに辺り、少しでも多くの情報を手に入れることは急務だった。だが今思えば、それだけではなかったと征蹂郎は思う。

「オレが言っても、嘘臭い台詞かもしれないが……」

 自分という死の、悲劇の象徴を前にして。
 アルマナはあの時、明らかに平静を乱していた。
 そうなった他の理由にも心当たりはあったが、恐らく彼女の素は"あれ"なのだろう。
 彼女は理性を用いて、自分を歯車たれと戒めている。
 その生き方を、心を殺しながら選び取っている。

 何故? ――決まっている。
 すべての根源は、あの日だ。あの日の、あの集落。鏖殺の二文字にあらゆる尊厳を凌辱された、哀れな心優しき人々の村。
 そうだ、彼処で。征蹂郎の見ている前で、アルマナ・ラフィーは失ったのだ。

「……居場所を失うことの恐ろしさは、今のオレなら分かるつもりだ」

 自分の生きる場所を。
 自分が、偽りなく自分であれる場所を。
 いついかなる時でも、自分を受け入れてくれる――そんな、居場所を。

 悪国征蹂郎は"居場所"に縛られている。
 何もない自分というものを知っているからこそ、自分をそうでなくしてくれた"彼ら"に感謝の念が尽きることはない。
 刀凶聯合。居場所と呼ぶには少しばかり剣呑な場所かもしれないが、それでも征蹂郎にとって聯合は帰るべき場所であり、心の柱であった。
 アルマナにとってはそれが、あの集落だった。
 彼女だけが知る物語があったろう。
 彼女だけが知る絆が、あったろう。
 されどそのすべては今や血と薬莢にまみれ瓦礫の下。
 誰がやった? 全員だ。あの日あの場所にいた、アルマナ達以外の全員だ。
 全員が、彼女達の居場所を壊しながら戦った。

「謝れ、というのなら……敵味方の垣根を越えて、頭を下げよう。キミには……オレにそれを要求する権利がある筈だ」

 ……謝るべきかどうかをその対象に聞くというのは、世間一般的には神経を逆撫でする行為であろう。
 しかし征蹂郎は、何も自分の人間的未熟さに胡座を掻いて決定権をアルマナに委ねたわけではない。
 彼女がもしも、再会した時のような取り乱しぶりを今も見せていたのなら征蹂郎は頭を下げた。
 だが今のアルマナは感情のシャッターを下ろしてしまったかのように落ち着いていて、どこか機械的にさえ見えた。

 だから、どちらを選ぶかをその幼い身体に委ねることにした。
 征蹂郎なりに相手の心というものに歩み寄った結果の判断だった。
 それを受けてアルマナは少し黙り、それからまた口を開く。


47 : Los,Los,Los ◆0pIloi6gg. :2024/09/30(月) 18:05:22 z5koI3cY0

「不要です。過ぎたことに固執するつもりはありません」
「……過ぎた、こと?」
「はい。私がこの場であなたにどんな感情を向けようと、それであの日の犠牲がなかったことになるわけでもありませんから。
 でしたらそのような不毛なことについて時間を割くことには意味がないのではないかと、アルマナはそう思います」
「……そうか、キミは……」

 問いかけようとして……やめた。
 自分にその権利はないと思ったからだ。
 人というものは、道具として生きれば生きるほど人間味を失っていくことを征蹂郎は知っている。
 あの施設でもそういう同胞を山ほど見てきたし、征蹂郎自身もそのきらいは少なからずあった。
 今の言葉を受けて、悪国征蹂郎はアルマナ・ラフィーという少女がどうやって自分の心を守ってきたかを理解したのだ。

 感情のシャットダウン。
 意識的な情動の抑制。
 自分の内情ではなく、自分という存在の持つ役割だけを重視する。
 悲しみや憎しみ、不安や恐怖。そうした感情を直視して自分で自分の心を削るのは無駄なことだと断じて。
 幼い心を冷たく鈍く哀しい合理性の鎧で最適化することで、地獄を見た少女は歩み続けてきたのだろう。
 足に障害を持った人が、移動のために車椅子や義足を用いるように。
 アルマナは自分の足で歩くために、自分の心に鎧を拵えた。
 そうして生きる姿はまるで、物言わぬひとつの歯車のよう。

「先ほどはああ言いましたが、私としても同盟相手を確保したい気持ちはあります」
「……対等ではない関係ならば良い、ということか」
「少しだけ語弊があります」

 アルマナは、征蹂郎に対し感情の籠もらない顔でそう言った。
 征蹂郎も一軍の将だ。彼女に対し個人的に思うところはあれど、不平等な同盟を結ばされ搾取されるとなれば話は別である。
 しかしアルマナが言わんとすることは、彼の想像とはやや違っていた。

「さっきの発言は、あくまでアルマナの私見を述べたまでのことでした。
 正しくは、あなたがどんな話を私にしていただいたところで、私はそれに対する回答権を持ちません」
「それは……どういう?」
「私は契約者であると同時に、従者です。
 "私達"と盟を結ぶ、ないし何かしらの取引をしたいということであれば、必然アルマナの仕える御方の許可を得なければなりません」
「そうか……。そういう関係性も、あるのか」

 征蹂郎は、サーヴァントだの魔術だのそういう世界には然程精通していない。
 魔術師の存在は知っていたし、それを考慮して仕事をこなすパターンについても施設である程度叩き込まれてはいる。
 だが実際のところ彼は暗殺者として実戦に出る前に終わってしまったなり損ないに過ぎず、結局最後まで直接お目にかかることはできずじまいだった。

 征蹂郎のサーヴァントはとりわけ特殊だ。
 バーサーカークラスでもないというのに、意思の疎通が全くできない。
 そんなサーヴァントをあてがわれたものだから、征蹂郎はサーヴァントというものは皆おしなべてこうなのだと思い込んでいた。
 が、どうやらアルマナの話を聞くに彼女の英霊は自分のとは全く質の違った存在であるらしい。
 考えてみれば確かにそうだ。サーヴァントが皆あのような話の通じないモノであるのなら、念話などはじめから不要ではないか。
 よもや今までオレは勘違いをしていたのか……と内心軽い衝撃を受けながらも、征蹂郎は返す。

「では……キミが仕える英霊に、話を通して貰うことは可能だろうか」

 ともすれば彼女達主従の関係性は、あの〈赤き騎士〉を従えていく上でも役立つ資料になるかもしれない。
 半ば道具と割り切って扱えばいいことは承知していたが、蝗害の進行に伴い不安定な兆候が見え隠れし始めたのは不安要素だった。
 その意味でも、此処でアルマナ陣営には一歩踏み込んでおきたい。
 そう考えた征蹂郎が申し入れるのと、応える声が響くまでに間断はなかった。



『――――その必要はない』


.


48 : Los,Los,Los ◆0pIloi6gg. :2024/09/30(月) 18:06:09 z5koI3cY0
 ゾ――、と。
 瞬間、悪国征蹂郎は全身の毛が逆立つような悪寒に硬直した。
 暖かな晩春の午後が、途端に真冬の野外に塗り替えられたような感覚だった。
 
「……驚いた、な……」

 征蹂郎は、自分を客観視することができている。
 己は、所謂普通の人間とはまったく縁遠い存在であると知っている。
 物心ついた頃から殺し殺されの世界で生き、それだけを極めてきた人間。
 その実感は愛する仲間達と過ごす時間の中でさえ幾度となく感じ取ってきた。
 しかし今この瞬間を以ってそれがただの自己陶酔じみた思い上がりでしかなかったのだと理解する。
 自分など、所詮どこまで行ってもひとりの人間でしかない。決して、それ以上でも以下でもないのだと。
 全身を支配する悪寒と、すぐにでも平伏したくなるような圧力の前に心底思い知っていた。

「はじめからずっと、そこにいたのか……」

 声の主は、アルマナの護衛役とばかり思っていた物言わぬ骨の兵士だった。
 それが竜牙兵という名を持つことを征蹂郎は知らなかったが、支障はない。
 何故ならそれはもはや、竜牙兵などという木偶ではなくなっていたからだ。

『頭が高いな。王の御前であるぞ――平伏しろ』
「ッ……」

 佇む姿形は、決して恐るるに足らない骨の人形。
 されどそこから放たれる気配存在感は圧倒的の一言。
 存在するだけで空間を支配し。
 声を放てば骨身を揺らし。
 その命令には、重力にも似た威圧が伴う。

 そんな、恐るべき――人智などとうに超えた"王"がそこにいた。

「悪いが……、……それは、できない」

 ともすればすぐにでも跪いて、傅きたくなる。
 それはもはや、生物としての本能に似た衝動だった。
 恐ろしい。殺しを極め、戦地を歩き、命を屠った悪国征蹂郎をしてそう思う。
 だが、それでも征蹂郎は膝を屈さぬまま王の声に逆らった。

「此処は……オレ達の居場所だ。少なくともこの場においては、王は……おまえじゃない」
『この儂を前にして王を名乗るか。玉座も持たぬ童の分際で』

 刀凶聯合は、征蹂郎を寄る辺にして成り立っている集団だ。
 はぐれ者達の集う場所、血縁でない絆と言えば聞こえはいいが、その存在は征蹂郎なくして維持できない。
 例えば忌まわしきデュラハンならば、構成員が一人二人殺された程度で全軍が向かってくることはないだろう。
 しかし聯合は違う。彼らにとって一事は万事、ひとりの痛みは全員の痛みなのだ。
 どこまでも前向きに歪。赤信号を皆で渡れば怖くないと、大真面目に言い張っている童(ガキ)の集団。
 ――故に征蹂郎は、悟っていた。自分という王/頭を失えば、刀凶聯合は必ずやその自重を保てずに空中分解すると。

 だから、征蹂郎は人の身にありながら王として立つことを選んだ。
 英霊の王に、あくまでも対等の立場として対峙する。
 玉座なき王。その姿に、もうひとりの〈王〉は冷たく鼻を鳴らした。


49 : Los,Los,Los ◆0pIloi6gg. :2024/09/30(月) 18:06:48 z5koI3cY0

「王さま、何故……」
『至らぬ従者への叱責は後に回す。まずは貴様だ、ならず者の頭目よ』

 驚いているのは悪国征蹂郎だけではなく、アルマナ・ラフィーもそうだった。
 あくまで護衛用兼裁量で動かせる戦力として貸与されていた竜牙兵が、何故王の声で喋り君臨しているのか。
 分からないが、王が語ろうとしないのならばアルマナにそれを問い質す権利はない。
 事実、彼女の王はアルマナへの対応は一言で済ませ、征蹂郎に意識のすべてを割いていた。

『確認する。貴様は今、己はこの場の王であると吹いた。相違ないか?』
「……ああ。撤回するつもりはない」
『笑止。単なるゴロツキの放言であった方がまだ救いがあったな』
「……ずいぶんな言われようだが。その心を問うてもいいか?」
『良いぞ。一言で事足りるからな』

 見下されている――。
 征蹂郎はあまり自分個人の体面を気にする質ではなかったが、それでも分かるほどにその声色には諦念が渦巻いていた。
 人外と人間の間に存在する力の差を持ち出してそう言っているのではない。それも分かる。
 では何故。その答えは、宣言通りただの一言で征蹂郎にぶつけられた。

『貴様は王の器ではない。そうも卑小では、統治者の任は務まらん』

 いつから聞いていたのかは知らないが、この短時間で何を偉そうにと。
 そんな小手先の反論を挟む余地を許さない重みがその言葉にはあった。
 理由など今度は問うまでもない。
 この王が、征蹂郎が生まれるよりも遥か以前から玉座を恣にしていたであろうこの偉大なるものが。
 彼がそう言うのであれば、それは疑う余地なく真理なのだとまたしても本能がそう理解させてくる。
 そして事実、続く言葉は悪国征蹂郎というゴミ山の王を痛烈ながら正確に捉えた指摘だった。

『王とは君臨し、統べる者。正道であれ悪道であれ、己の意思決定でひとつの国を導く者。
 民があるから王なのではない。王があるからこそ、人は民たり得るのだ。
 国を己の居場所などと呼ぶならそれは王として卑小に過ぎる。
 逆だ――己こそが民の居場所で、国なのだと思わねば話にもならぬ。その点、貴様は論外だ』

 悪国征蹂郎は、威張り散らすことに興味はない。
 刀凶聯合という名前にだって、殊更の執着はきっとない。
 征蹂郎にとって大切なのは、それを構成する仲間(たみ)だからだ。
 自分を受け入れてくれた、存在することを認めてくれた居場所こそが大切なのであって。
 征蹂郎は一度として自分を誇ったことはないし、ひけらかしたこともない。

 玉座など要らないのだ、征蹂郎には。
 王権など要らないのだ、征蹂郎には。
 彼はただ、自分が自分であれる場所があればいい。
 自分と共に居てくれる仲間がいればいい。
 それさえあればそこがゴミ山だろうが地獄だろうが――構わない。
 征蹂郎はそれで良いと考え。
 彼の前に立つ古の王は、だからおまえは駄目なのだと批判する。


50 : Los,Los,Los ◆0pIloi6gg. :2024/09/30(月) 18:07:26 z5koI3cY0

『玉座を守り、王権を揮う先達として見るに堪えん。疾く跪き、常人として生きることを儂に誓うがいい。
 性根の下らぬ屑どもが連れ合って遊ぶ惨めに目くじらを立てるほど狭量でもないが、面と向かって侮辱されたなら儂の沽券にも関わる』

 社会の裏側に蔓延るならず者達も、由緒正しきどこかの王も、面子を大切にするという点では共通している。
 舐められたのでは顔が立たない。顔を潰されたままでは、面子が立たない。
 卑小なならず者に面と向かってオレとおまえは同格だと表明されたまま、なあなあにして引き下がっては言われた側の名に傷が付くのだ。
 だからこそアルマナの王は、征蹂郎に屈服と屈辱を求めた。
 名乗った偽りの王権を自ら捨て、己に跪いて非礼を詫びろとそう言っている。
 そのことを理解した上で、征蹂郎は口を開いた。

「……あんたの指摘は、確かにもっともだ。
 自分で言っておいて何だが……柄ではないな、と思った。
 オレが王だなんて何かの冗談としか思えない。オレは……そんな肩書きに見合うような人間じゃない」
『……それで?』
「その証拠に……大層な矜持も、持っていない。
 跪いて靴を舐めて命を繋げるのなら、オレは迷わずにそうすることができる。
 だから……正直な話、あんたの命令に従ってもいいんだ。オレは」

 ――、一瞬の沈黙を挟んで。
 だが、と、征蹂郎が言う。
 その眼光は鋭く尖り、鈍い殺意を湛えていた。

「だが……オレの仲間を屑と侮辱するのなら、侮辱に見合うだけの反抗はさせてもらう」

 王の自覚はないし自負もない。
 ただ、居場所を守れるモノであればいい。
 それが征蹂郎という人間だったが、しかし。いやだからこそか。
 愛する居場所を、仲間を、屑と侮蔑されて黙っていられる道理はなかった。
 君臨するばかりで民が浴びせられた泥を見過ごすようなら、そんな王は糞だろうと断ずるように。
 征蹂郎は正真の王に震えなく、臆することなく反目する。

 その不敬に対して、アルマナの王は静かに言った。

『良かろう。大人しく服従するようであれば手間も省けたが、ならず者に利口さなど求めてもいない』

 そして同時に、ゆらり……と、骨の躯体(からだ)を揺らめかせる。
 陽炎のようにどこか不確かで、されど巌のように頑然とした存在感。
 どんな形であれ一度でも武というものに触れた者なら一発で分かる、圧倒的な完成度がそこにはあった。

 確信する。
 この先一瞬でも気を抜けば、自分などの命は芥のように消し飛ぶと。
 その上で征蹂郎は、気付けば骨の髄まで染み付いた臨戦の構えを取っていた。
 それは生物としての防衛本能であると同時に、曲がりなりにも王を名乗った者としての意地のようでもあった。
 
『打ち込んでみよ。この儂が、これより貴様を推し測ってやる』
「穏やかではないな……。そのか細い躯体で、オレのサーヴァントに勝てるとでも思っているのか……?」
『その答えは、貴様が誰より知っているだろう』
「……、……」

 ――まったくもって、その通りであった。
 征蹂郎はこの局面で、従僕であるレッドライダーを出すことができない。
 何故ならアレには際限というものがないからだ。
 ついでに言うなら分別もない。少なくない人数の仲間がいるこの建物の中で出すには、赤騎士の暴虐は苛烈すぎる。
 そして何より、征蹂郎自身未だに正確な全貌を掴めていないあの"喚戦"が問題だった。
 我が身可愛さに剣を抜けば、ともすれば単に命を落とす以上の最悪の結果が待っている。
 だから征蹂郎は、この場ではサーヴァントに頼るというもっとも安直な選択肢を取れない。

『――時に。
 王とは冷徹なものだ。特に、分を弁えぬ不敬者には』

 それを承知の上で、真なる王はゴミ山の王を試している。
 価値を示せと、神々のように無理難題を押し付けるのだ。

『見るに能わぬと看做せば殺す。その時は、己の不明を恥じながら世界に溶けよ』

 能わねば死。
 剣は抜けぬ。
 逃げれば、命よりも大切な何かを失う。
 欠落者にとっての最初の試練。
 かつてすべてを手にした古の王が、がらくたの王冠を戴く仮初の王に真価を問う。



◇◇


51 : Los,Los,Los ◆0pIloi6gg. :2024/09/30(月) 18:08:20 z5koI3cY0



 政治家を殺したことはある。
 民兵を、悪徳商人を、暴徒を殺したことはある。
 だが、触れられぬモノを殺した試しはない。
 悪国征蹂郎。刀凶聯合の鬼子に、生涯最大の緊張が走る。

 懐から取り出し拳に填めたのは、赤く錆び付いた無骨な手甲だった。
 レッドライダーの宝具『剣、飢饉、死、獣』で具現化させ、携帯していた神秘武装。
 神秘を含有しない現代の人間である故、通常の手段では征蹂郎はサーヴァントに太刀打ちできない。
 その欠陥を埋め合わせるために生み出させた備えのひとつだったが、実際に対面してみるとその何と頼りないことか。

 要人が暗殺を恐れて小刀や小銃を携帯するようなものだ。
 そんなものでは大体どうにもならないと分かっていながら、無いよりはマシだからと備える小手先。
 征蹂郎は実感を伴って理解する。人間が英霊と事を構えねばならない事態は、そうなった時点で九割方失敗であると。
 何しろ恐らくは真体ではない、単なる触覚のたぐいを前にしてさえこれなのだ。
 全身の血液が冷え切り、威圧感に骨身が軋む。
 これは人間が相見えていい存在ではないと、研ぎ澄まされた本能が警鐘を鳴らしている。

 ――立ち姿は半身。
 膝は緩く曲げ、微かに前傾の姿勢を取る。
 手刀の形にした右手を構え、付け根を手透きの左で握り締める。
 その奇矯な構えを見て、竜牙兵を介して彼を観測する古王は言った。

『暗殺拳か』
「……!」
『何を驚く。王の君臨に対し暗殺の影は常に付き物だ。 
 私の国にも拳を凶器とする者はいた。拳(それ)ならば懐に忍ばせられるように尺を切り詰める理由もない』

 征蹂郎の頬に、冷たい汗が伝う。
 暗殺拳とは無刀の凶刃。
 隠す必要がなく、丸腰のまま抜ける凶器に他ならない。

 極めた者の拳は、剣とも銃とも違う変幻自在の破壊を可能にする。
 例えばそれは、本来直線の破壊力しか実現できない筈の拳を蛇のように撓らせ、理解不能の軌道を描く蛇拳であり。
 そして悪国征蹂郎が体得し、赤き喚戦で底上げされた一撃必殺の抜刀拳である。
 これらはまさしく技巧の極み。サーヴァントにすら通用し得る、番狂わせの鬼札として十分に機能する。

 ――が。
 それはひとつ、絶対的な前提条件が満たされている場合の話。


52 : Los,Los,Los ◆0pIloi6gg. :2024/09/30(月) 18:08:49 z5koI3cY0

『ただの一度として、通じなかったがな』

 相手が、初見であること。
 言い換えれば、こちらの手札が"それ"であると認識していないこと。
 この前提が崩れている場合、暗殺拳士の格上相手の勝率は著しく目減りする。

 ただし、征蹂郎の拳は厳密には暗殺拳とは似て非なるものだ。
 何故ならその拳の本質は殺人拳。
 一撃で敵を砕き討ち取る、問答無用の絶対暴力。
 喚戦により強化された威力を以ってすれば、まだ通用の余地はある。
 征蹂郎は冷静だった。だから構えは崩さず、意識だけをどこまでも研ぎ澄ましていく。

 ――勝機のほとんどは初撃にある。

 敵にこちらの拳の実態が割れていない初撃だけが、掟破りの正面突破を可能にし得る。
 求められるのは後先を考えた逃げや日和見ではなく、全身全霊を込めた一撃。
 幸いにも、敵は驕っている。征蹂郎を取るに足らない格下と認識し、推し測ってやろうという気でいる。
 その慢心こそが、無体な殺人拳をねじ込む最大の隙になる。
 靴底が床を擦った。それを前触れとして、悪国征蹂郎の姿が消失した。

「――〈抜刀〉」

 八極拳の達人に匹敵する瞬速の移動。
 超短距離に限り、あらゆる反応を置き去りにする暗殺者の歩法。
 それを以って接敵した征蹂郎の右手が、王に向けて華を爆ぜさせる。

 これぞ殺人拳、〈抜刀〉。
 居合の要領で腕一本に単体では実現不能のエネルギーを乗せ、放つ一撃。
 赤騎士の加護/呪いを受けた征蹂郎は既に人間を超越している。
 その拳は宝具類似現象、英霊の霊核さえ砕き得る威力の発揮を可能としていた。
 王を討つべく放たれた無刀の一振り。
 侮辱の代償に見舞った爆裂の拳は、文字通りの無骨さで佇む古王の器を打ち砕かんとして。

「ッ……!?」

 軌道を反らされ、空を切った。
 初めての事態に征蹂郎の脳が驚愕で支配される。
 あり得ない――馬鹿げている。
 彼がそんな感想を抱いてしまったことは決して責められない。


53 : Los,Los,Los ◆0pIloi6gg. :2024/09/30(月) 18:09:24 z5koI3cY0

『読みやすい。
 構えが抜剣に似ている時点で、何が出るか予想が付いた』

 古き王は、放たれた〈抜刀〉へ下から手を添えたのだ。
 その上で力を込め、征蹂郎の一撃を上方へと物理的に反らしたのである。
 言わずもがな、言葉で語るほど簡単な芸当ではない。
 常人がこれを真似れば、触れた腕が瞬時にひしゃげて終いだ。

 古王は、超速で迫る殺人拳を驚異的な動体視力で正確に目視した上で。
 真下からそれに触れ、竜牙兵の柔軟性に乏しい躯体でありながら繊細な手遣いで接触部に発生する筈の衝撃を逃がした。
 そうしながら、とん、と軽く押して反らすことで〈抜刀〉を攻略した。
 それが今起こったことのすべて。
 言わずもがな――常軌を逸する神技である。

『つまらぬ。死んで詫びよ』
「がッ……!」

 殺人拳の空振りは、使い手の死を意味する。
 次の瞬間、征蹂郎は頭部に走る衝撃によって床へ叩き伏せられていた。
 咄嗟に微かでも受け身を取れたのは、彼が優れていたが故に手繰り寄せられた幸運だ。
 もしもそうしていなければ、悪国征蹂郎の頭蓋骨は中身ごと粉砕されていただろう。

『刎頸に処す』

 真上から響く王の宣告が、逃れようのない死を直感させる。
 振り上げられた骨の剣は、今や単なる骨屑のチープな武器にはとても見えない。
 見てくれは何も変わっていないのに、振るう中身が違うだけでこうも荘厳に見えるのか。
 そしてその処断には微塵の容赦も、情けもない。
 王を魅せられなかった興ざめな道化に対し、下された判決は死罪。
 王が直々に振るう処刑鎌は、征蹂郎の首を切断するべくギロチンのように落ちて――

「……、舐め、るな……!」

 迫る死を前に、征蹂郎は額から流血しながらも躍動した。

『無様。地に伏してもまだ身の程が分からぬか』
「そんな、もの……気にしたことも、ない……」

 そう、文字通りに躍動したのだ。
 伏せた状態から爪先だけで地を蹴り、糸を真上に引かれたマリオネットのように跳ね上がった。
 斬首の運命を跳ね除け、次は踵で天井を蹴り古王の頭蓋へ迫る。
 骨剣と征蹂郎の足が――レッドライダーに具現化させた鉄を随所に仕込んである――、衝突した。


54 : Los,Los,Los ◆0pIloi6gg. :2024/09/30(月) 18:10:02 z5koI3cY0

「ぐ……!」

 拮抗が成立しない。
 一撃で、ゴム毬のように跳ね飛ばされる征蹂郎。
 古き王は動かない。動く意味がないからだ。
 刀凶聯合の主にして、単純なフィジカルだけであれば演者たちの中でも随一であろう征蹂郎を赤子のように扱う。
 これこそがサーヴァント。これこそが、古の時代の王。
 神々が実在し、英雄が当たり前に生まれ、喜劇と悲劇が交雑し続ける神話の生き証人。

 征蹂郎が再度肉薄する。
 熊を狩ろうとする蜂のように涙ぐましい抵抗だ。
 〈抜刀〉を攻略された今、彼の攻め手は見る影もなく弱化していた。
 王はそれを、微かな身じろぎと剣を合わせることだけで躱し防いでいく。
 
『やはり卑小だな、儂の視界に含めてやる価値もない。そして貴様、何か忘れておらぬか』

 侮蔑にも似た嘆息が響いた。
 征蹂郎にはそれが、災害の前の地鳴りのようにおぞましく聞こえた。
 もはや剣も、技も用いはしない。
 目障りな羽虫を振り払うように腕を振って、それで征蹂郎の攻撃を弾いた。
 次に来るのは――、――古き王の、剣技。

『――儂は、死ねと言ったぞ』

 征蹂郎の技がどれだけ優れていようが、その肉体はどこまでも現世を生きる人間相応のものでしかない。
 英霊の剣を受けられるスペックというものがそこにはない。
 だからこそ、これを受ければ征蹂郎の身体がどうなるかは自明だった。
 豆腐のように切り裂かれ、泣き別れにされる。
 あの手この手で引き伸ばしていた死の瞬間が、王の決定により一秒後の事象に固定された。

 征蹂郎にとってこれを防ぎ得る手立ては、ひとつしかない。
 彼は一瞬の逡巡の後、両手を組んで頭上に構えた。
 そこにはレッドライダーに具現化させた手甲が装備されている。
 これだけが唯一、王の拳を防いでくれる可能性のある備えだった。
 
 そして――激突。

「……ッ……! ご、ぁ……!」

 想像を絶する衝撃に、一瞬意識が飛びかける。
 両腕が軋み、毛細血管が断裂して痛々しい内出血をもたらした。
 次いで響くのは破砕音。受け止めた手甲が砕けた音だ。
 商売道具である両手まで砕かれなかったのはせめてもの幸いだったが、しかしどの道征蹂郎はこの時点で詰んでいる。

『終わりだ』

 何故ならこの間合いでは、どうやってももはや逃げられない。
 古き王、骨の躯体に宿った〈それ〉が剣を引く。
 槍術の構えだった。そう、彼の本領とは剣ではなく槍。
 確実に殺すと告げるその一撃が放たれれば、今度という今度こそ征蹂郎には打開の手立てがない。


 故にこそ――悪国征蹂郎にとって、此処が最後の起死回生の好機(チャンス)なことには疑いの余地がなかった。


55 : Los,Los,Los ◆0pIloi6gg. :2024/09/30(月) 18:10:53 z5koI3cY0


「〈抜〉――――」


 体勢は不十分。
 込められたエネルギー、同じく不十分。
 確殺には程遠い、打つ前からそれは分かっている。
 だが重要なのは討つことではない、勝つことではない。
 
 王の剣撃を受け止めた体勢のまま、征蹂郎は密かに右足を引き、左足でそれを支えていた。
 征蹂郎の拳は殺人拳。暗殺拳よりも威力に優れるが、その代わりに些か愚直で読みやすい。
 そう――拳だけならば。

 征蹂郎の殺人拳は人間相手に使えば明らかな過剰威力だ。
 だから、大抵はこれだけで事が足りてしまう。
 暗殺という言ってしまえばまどろっこしいステージに入る必要が彼にはない。
 しかし今。征蹂郎は殺人拳では届かぬ敵(モノ)を相手にしている。
 よってこの瞬間、恐らく実戦では初めて。
 悪国征蹂郎は、己が拳の悪辣の真髄を開帳した。


「――――〈刀〉ッ!」


 〈抜刀〉において重要なのは部位ではなくそのプロセス。
 居合の要領で四肢のうち二肢を扱い、放つことにある。
 つまり、厳密には腕である必要はないのだ。
 "殺人拳"である必要は、ないのである。
 
 とはいえ拳に比べればその威力は格段に落ちる。
 よってこれはあくまでも次善策、第二の刃に過ぎない。
 しかしだからこそ、状況によっては殺人拳以上に優れた暗殺芸として機能する。
 その状況とはまさに今。放たれた足による〈抜刀〉は王の間隙を突いて轟き、彼の反応を待たずして――骨の躯体、その胸板を打ち抜いていた。



◇◇


56 : Los,Los,Los ◆0pIloi6gg. :2024/09/30(月) 18:11:25 z5koI3cY0



『何とも不格好な一撃よ。
 死物狂いで当てたとて、それで殺せなければ目眩ましの火薬と変わらぬわ』

 ――しかし、今の〈抜刀〉はあまりに不完全だった。
 足で放ったこと以前に、体勢も込めた力も必殺を完遂するには程遠い。
 だから成し遂げられた結果は、王の躯体を数歩後退させた程度のもの。
 竜牙を打ち砕くことは叶わず、王はまだ威厳を保ってそこにいる。
 対して征蹂郎は片膝を突き、息を切らして顔に血を滴らせている。
 勝利とは決して呼べない絵面が、そこにはあった。

 だが、これでいい。
 何故なら征蹂郎に求められていたのは、王殺しという解りやすい勝利ではなかったから。

「……あんたは、打ち込んでみろ、と言った筈だ」
『…………』
「だから……打ち込んだ。まさか、二言はないだろうな」
『は』

 そう、この古き王が彼に求めたのは魅せること。
 見るに能わぬと看做せば殺す。
 であれば、無理矢理にでも見せてやればいい。
 それができれば、征蹂郎は王の無茶振りに応えられたことになり。
 それでも殺すと言うなら、打って変わって王の威厳が失墜する。

 王の言葉には責任が伴う。
 単に横暴を振るうだけでは、人はその振る舞いを愚王と揶揄するだろう。
 この厳しい王が"本物"であるならば、決してそちらに堕することはしない筈だ。
 征蹂郎は彼を、その王としての人格を信用していた。そこに賭けて、躍ったのだ。
 
 もしも王が愚王であったならば、その時はこちらとて容赦しない。
 此処で赤騎士を動かし、刀凶聯合の頭目として敵を撃滅するまでだ。
 そうなれば不利を被るのは彼らの方。
 王は仮の器に収まっており、にもかかわらず心臓であるアルマナが居合わせてしまっているこの状況は必ずや致命的な結果を生むだろう。
 さあ、どうすると。
 決断を求める征蹂郎に、王は表情筋などある筈もない骨の躯体で笑みを浮かべた。
 親愛の笑みではない。不敬者、あるいは敵手に対し浮かべる攻撃の笑みだ。


57 : Los,Los,Los ◆0pIloi6gg. :2024/09/30(月) 18:11:50 z5koI3cY0

『王たる儂を試すか、ゴミ山の主よ』
「……試すさ。ゴミ山だろうと、卑小だろうと……オレは、オレの居場所を守る〈王〉でなくちゃいけない。
 あんたは、オレに説教を垂れたが……結局、自分の国を守れない王さまってのが、一番落第だろう……?」
『小僧めが、一端に語るでないわ』

 しかし王は、意外にもその剣を静かに下ろした。
 アルマナとの会談のために設けていた椅子に腰を下ろし、足を組む。
 机に肘を突いて、片膝を突いたままの征蹂郎を見やる姿は見窄らしい骨の躯体でありながら、まさしく王たる者の威厳に溢れていた。

『良かろう。いかにも、王に二言はない』
「……そう、か」
『儂に力添えすることを許す。貴様と有象無象どもの働きに応じた見返りもくれてやろう。
 だが足りねば処断する。儂は寛大だが盲目に非ず。常にその首には刃が添えられていると思え』
「言い返したいところはあるが……この際だ、譲歩する。但しそれはオレからも同じだということを、忘れるな」
『ふん――分かったなら血を拭い、身なりを整えて来い。
 薄汚い鼠と顔を突き合わせる趣味はない。五分、時間をくれてやる』

 征蹂郎は軋む身体で、ゆっくりと立ち上がった。
 王の属国に成り下がるつもりはない。
 この居場所を譲り渡すことは、何人たりにもして堪るものか。
 だが今の戦いで、確信した。
 聖杯戦争とは正真正銘の人外魔境、個の武力では罷り通れない修羅道そのものであると。

 使えるものがあるなら、すべて使ってやる。
 勝つために。それよりもまずは、死んだ仲間の無念を晴らすために。
 去り際、褐色の少女と目が合った。

「……悪かった。驚かせてしまったな」

 喧嘩を吹っかけられたのはむしろ征蹂郎の方なのだが、何となくそう言わずにはいられなかった。
 そんな征蹂郎にアルマナは、ぺこりと小さく頭を下げるのだった。



◇◇


58 : Los,Los,Los ◆0pIloi6gg. :2024/09/30(月) 18:12:28 z5koI3cY0



 ――老王カドモスは、竜牙兵(スパルトイ)達に自由意思というものを与えていない。
 それは宝具『我が許に集え、竜牙の星よ(サーヴァント・オブ・カドモス)』の真価を損ねる采配だ。
 だが、存在をあえて希薄化させることでできるようになる芸当もある。

 そのひとつが、悪国征蹂郎に対して見せたものだった。
 竜牙兵へ自身の魂を疑似憑依させ、一時の触覚として扱う。
 魔力消費の観点から此処までの戦いでは使わなかった手段だが、戦況の移行に伴いカドモスはこれを解放した。
 
(……申し訳ありませんでした、王さま。罰は何なりと受けます)

 征蹂郎を待つ間、アルマナは念話でカドモスに詫びた。
 今回のことを、アルマナは自らの失態だと捉えていた。
 
(――アルマナよ。おまえは何故、奴に従ったのだ)
(それ、は……)

 何しろ、悪国征蹂郎との接触に際してアルマナは王への報告を怠ってしまっていたのだ。
 これは偵察役として、何より従者としてあってはならない怠慢だ。
 王はさぞや憤るだろう。そう覚悟しての謝罪だったが、それに返ってきたのは問いかけだった。
 言葉が詰まってしまう。そうだ、何故あの瞬間自分はいつも通りにできなかったのだろう。
 感情を遮断して、目の前の事態にただ対処する。
 今の自分はもう、それができるようになって久しい筈なのに。

(…………頭のなかが、ぐるぐるして…………)

 それは――アルマナらしからぬ、王の従者にあるまじき、子どもの言い訳のような拙い答えであった。
 自分でも何を言っているんだろうと、そう思う。
 これでは火に油を注ぐだけではないかと。
 が、カドモスは暫し沈黙して。

(――アルマナよ)

 重々しく、言葉を発した。

(あの男は善からぬモノを自らに憑かせている。
 故に命ずる。この先、おまえは決して立ち止まるな)
(……はい)
(迷うな、惑うな、とは言わぬ。
 ただの人間であるおまえにそれは不可能だろう。
 アレに憑いているのはそういう厄災だ。人間ごときで逆らえる現象ではない)


59 : Los,Los,Los ◆0pIloi6gg. :2024/09/30(月) 18:13:00 z5koI3cY0

 カドモスは、戦というものを知っている。
 それこそ、嫌というほどに知っている。
 だから、すぐに悪国征蹂郎に付き纏うその気配に気付くことができた。
 戦火の気配。死と、歪んだ喝采の気配。……ひどくありふれた悲劇の気配。

 そして、彼の推測は当たっていた。
 征蹂郎のサーヴァント、終末を告げる赤き騎士の能力/災害。
 〈喚戦〉。精神を乱し、人心を揺るがす悲劇の肥料。
 常に自分を律するアルマナが征蹂郎との対面で心を乱したのはその影響だ。
 悪国征蹂郎は、厄災(いくさ)に憑かれている。
 居場所を守るのだと豪語するならば、決して連れ合ってはならないモノを宿してしまっている。

(だが、決して足を止めるな。戦場で足を止めれば、それは死に直結する)

 迷うのは許す。
 惑うのも許す。
 だが止まるな。
 王の命令は、いつになく寛大で。
 アルマナは思わず、少し呆気に取られてしまった。

(話は終わりだ。次は許さぬ)
(は……い。わかりました、王さま)

 車道に走り出そうとする犬のリードを引いて躾けるような。
 あるいは、窓の外に飛び立とうとした小鳥へこんこんと語るような。
 そのいつもとは違う叱責に、少しだけ違和感を持ったものの。
 アルマナはこくりと頷いて、征蹂郎が戻るのを待つことにした。

 ――老王は誰より悲劇を知っている。
 自分がどれほど、それに纏わりつかれているかを知っている。
 おぞましき〈喚戦〉と、悲劇に呪われた愚かな王。
 この巡り会い自体が既に悲劇の種であろうと、カドモスはそう感じていた。

 求めるのは聖杯だけだ。
 己は、己の国を救わねばならぬのだ。
 すべての栄光を、最初から存在しなかったことにして。
 あの呪われた国にあったすべての嘆きを、零にする。
 そのためには、今この小鳥に死なれては困る。
 断じて、それ以外の意図はないと。
 己は間違いなど犯してはいない、と。
 どうしようもなく老いてしまった栄光の国の王は、合理と不合理の境目を枯れた足取りで歩み続ける。


60 : Los,Los,Los ◆0pIloi6gg. :2024/09/30(月) 18:14:18 z5koI3cY0
【中央区・刀凶聯合拠点のビル/一日目・午後】

【悪国征蹂郎】
[状態]:疲労(中)、頭部から流血、両腕にダメージ
[令呪]:残り3画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円程度。カード派。
[思考・状況]
基本方針:刀凶聯合という自分の居場所を守る。
0:アルマナ陣営と話をする。
1:デュラハンとの衝突に備える。
2:アルマナと交流し、情報を得る。
[備考]
※異国で行った暗殺者としての最終試験の際に、アルマナ・ラフィーと遭遇しています。
※聯合がアジトにしているビルは複数あり、今いるのはそのひとつに過ぎません。

【ライダー(レッドライダー(戦争))】
[状態]:損耗なし
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:その役割の通り戦場を拡大する。
1:ブラックライダー(シストセルカ・グレガリア)への強い警戒反応。
[備考]

【アルマナ・ラフィー】
[状態]:健康、落ち着いた
[令呪]:残り3画
[装備]:カドモスから寄託された3体のスパルトイ。
[道具]:なし
[所持金]:7千円程度(日本における両親からのお小遣い)。
[思考・状況]
基本方針:王さまの命令に従って戦う。
0:もう、足は止めない。王さまの言う通りに。
1:日中は情報収集。夜は王の命令に従って戦闘行動。
2:悪国征蹂郎から情報を引き出し……その後は……。
[備考]
※覚明ゲンジを目視、マスターとして認識。
※故郷を襲った内戦のさなかに、悪国征蹂郎と遭遇しています。

【ランサー(カドモス) ※スパルトイの一体に憑依中】
[状態]:竜牙兵躯体の胸部にダメージ(中)
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:いつかの悲劇に終焉を。
1:アルマナめ、厄介なモノを……。
2:悪国征蹂郎のサーヴァント(ライダー(戦争))に対する最大限の警戒と嫌悪。
[備考]
※『我が許に集え、竜牙の星よ』の一体に意識を憑依させています。
 本体は拠点である地下青銅洞窟に存在していますが、その正確な位置は後の書き手さんにおまかせします。


61 : ◆0pIloi6gg. :2024/09/30(月) 18:14:39 z5koI3cY0
投下終了です。


62 : ◆0pIloi6gg. :2024/10/01(火) 03:53:06 QI/iZzDU0
神寂祓葉
楪依里朱 
高天小都音&セイバー(トバルカイン)
伊原薊美&ライダー(ジョージ・アームストロング・カスター) 予約します。


63 : ◆0pIloi6gg. :2024/10/05(土) 16:58:57 UMGulyGw0
キリのいいところまで書けたので、前編を投下します。


64 : 不純喫茶 ◆0pIloi6gg. :2024/10/05(土) 16:59:53 UMGulyGw0



 伊原薊美は、奇しくも数時間前に言葉を交わした〈天使〉がそうしたように、自身のサーヴァントとの合流を果たしていた。
 国立代々木競技場での小競り合い。
 恐るべき東洋人の復讐鬼と交戦し、見事に鉛弾を撃ち込み堂々凱旋したのだとカスターは薊美に声高に語ってくれた。
 だが実のところ、薊美はそれを話し半分程度に聞いていた。
 ジョージ・アームストロング・カスターという男は、華々しく堂々とした見栄っ張りだ。
 彼はいつだって性急で、自身の栄光をしばしば誇張してひけらかす。
 "自分の名声に取り憑かれた、尊大で愚かな人殺し"――いつかどこかの俳優が口にしていた彼への評も、まあ間違いではないのかもしれない。
 きっと本人には悪気も騙す気もなく、単に持って生まれた性分なのだろうが、そんな男と分かっているから"まあ、痛み分けかやや優勢程度の状態で退いたのだろうな"と薊美は脳内補完した。
 
 それにどの道、サーヴァントを脱落させられたわけではないのなら戦功の細部にはあまり意味がない。
 重要なのは殺せたか、殺せなかったか。
 今回のカスターは後者であった。ならば重要なのは彼がいかに勇敢に戦ったかではなく、そこに付け添えられたある報告の方だった。

 響いた、笛の音。
 忌まわしく、この上なく不吉な大自然の声。
 最期まで恐れ知らずの突撃を止められなかったこの男が、無策にかち合うには具合の悪さを覚える相手。
 
(宿敵――、ですか)
(然り。この時代ではどうも誤解されがちなようだが、私はなぁ。
 奴ら先住民族のことをそこまで苛烈に嫌っているわけではないのだ)
(でしょうね。そういうタイプには見えないもん、あなた)
(ふはははは! ええいかにも! このカスター、生前は予てより気持ちの良い男と評判だった!)

 "カスター将軍"に対する薊美の印象は、まさにその自称の通りであった。
 喜びも悲しみも爽やかに笑い飛ばし、そこに存在するだけで誰かの灯火になれる前進の権化。
 嫌いな奴はとことん嫌うが、好きな奴は実の親か兄のように慕う、そんな人物。
 だから、彼が先住民族に対し悪意は抱いていなかったというのは実際事実なのだろうと薊美は思う。
 彼はそういう陰険なことができるタイプではない。良くも悪くも、カスター将軍は光なのだ。

(……だが、なあ。奴に関しては、うむ。少々話が別と言う他ありませんな)
(嫌いなの?)
(まさか。アレは先住民族にしておくには惜しい人材です。
 もしも奴が私と同じ星条旗の使徒だったなら、どれほど国益に貢献したか分からないとまで思うとも。
 だから、そうさな。やはり、宿敵と呼ぶ他にはないのでしょうなあ)

 先住民族(インディアン)相手にこんな物言いをするのは、どうにも背中がむず痒くなりますが――。
 そう言ってカスターは、いつになく自虐的な笑い声を響かせた。

(……あのさ、ちょっと気になったんだけど)
(はい。何でしょうかな?)
(私もこの一ヶ月で、あなたに関してはちょっとだけ勉強しました。その時に当然、例の戦いの知識も付けたつもり)
(ははあ、それはそれは。なんというか、お恥ずかしい。いつになくしおしおと縮こまってしまいそうだ)

 伊原薊美は、紛れもなく天才と称されるたぐいの人間である。
 彼女は自分に注がれる"期待"に応えるためならば、際限なく行動する。
 それはこの聖杯戦争においても、まったくもって不変だった。
 自分のサーヴァントのことをよく知らなくて脱落だなんて三文芝居めいた結末、薊美が認められる筈もない。
 だから自分なりの手管で知識を蓄えた。その甲斐あって、今こうしてカスターに疑問を問える。

(――『リトルビッグホーンの戦い』に、シッティング・ブルは参戦していない。多くの主要な文献は、そう伝えてたんだけど)
(は?)


65 : 不純喫茶 ◆0pIloi6gg. :2024/10/05(土) 17:00:49 UMGulyGw0
(まあ相手も有名人だったみたいだから、あなたが知ってること自体にはそれほどの疑問はないよ。でも、そんな宿敵みたいに表現するほどの相手かなって)

 勇ましきカスター将軍の落日となった、かの戦い。
 カスター将軍は状況把握を怠ったまま、無謀な突撃作戦を敢行して討ち取られた。
 そう伝わっている。シッティング・ブルなる呪い師が戦いの顛末を予言したという話は見つかったが、当の彼は『サン・ダンスの儀式』による生傷が癒えておらず、参戦することはなかったという言説が主流となっていた。
 なのに、カスターがこうも件の呪い師を意識しているのは一体どういうことなのか。話の筋が通らない。
 薊美の疑問に、カスターは間抜けな声をあげて……しばし沈黙した後、少し唸って、言った。

(……ははあ、成程成程。そう伝わっているのか……。いやはや歴史とは面白いものだ。いや、或いは誰かがそう望んだのかな?)
(ライダー?)
(ああ失敬。ううむ、語り聞かせる分には構わないのですがな。いささか長い話になるもので、さて何から話したものか)

 歴史の真実、なんて言い回しは詐欺師の十八番だが、歴史の張本人がそれを語るなら話は変わってくる。
 薊美は手元のエスプレッソを啜って喉を潤しながら、続くカスターの言葉を待っていた。
 薊美が問うた歴史との矛盾。それに対し、彼は解を持っているようだったから。

(まず結論から言うとだな。このカスター、無謀ではあってもそこまで阿呆ではないのです)
(そうなんだ)
(弾丸など当たると思うから当たる。よしんば当たったとして、急所でなければ掠り傷と大差はない。
 とはいえ、現実的に考えて一の小隊で万の大軍を鏖殺するのは不可能でしょう?
 だからそれなりに考えるし、あれこれ悩みもするのです。その上で突破可能と見れば、後は迷う理由などありませんが)


66 : 不純喫茶 ◆0pIloi6gg. :2024/10/05(土) 17:01:10 UMGulyGw0

 アメリカ西部開拓時代。
 それはもはや神が世界の裏側に隠れ、科学が神秘を凌駕し始めた現代と地続きの"近代"である。
 なればこそ、そこに英雄の席はない。
 カスターは確かに類稀なる英傑だったのだろうが、それでも無策で戦功を重ねられるほど甘い時代ではなかったということ。

(熟慮し、その上で"行ける"と判断し、勝利のヴィジョンを脳裏に描いて突撃する。
 そこまでできた私が、私の第7騎兵隊が……先住民族の数頼みの浅知恵に遅れを取ると思いますかな?)
(……でも、例の戦いではあなたが戦果を急ぎすぎたって話だけど?)
(ええ確かに。マーカスもジョン大佐も、親愛なるナイフも口を酸っぱくして言っていましたな。
 ですからまあ、多少は私の瑕疵もあったのでしょう。思えば向こう見ずだった気もするし。
 だがそれでも――あの日彼処に居たのはこのジョージ・アームストロング・カスターだ)

 理屈は無茶苦茶だ。
 というか、そもそも理屈になっていない。
 だが、それを理屈にしてきたのが彼だ。
 カスター将軍で、〈カスター・ダッシュ〉なのだ。
 だから薊美も、口を噤むしかない。
 カスターはカスターだから問題ないのだと当の本人に断言されては、返す言葉などある筈もないだろう。

(にもかかわらず私は、忌まわしき予言の通りになった。愛する第7騎兵隊は藻屑と消えたのです。
 犬死になどであるものか。愚かな死などであるものか! カスターは、我が同胞らは、星条旗の下に勇ましく戦った!
 その上で尚滅ぼされたからこそ、あのリトルビッグホーン川はおぞましき悲劇だったのだ!
 あるべき歴史が、あってはならない歴史に書き換えられた、偉大な祖国の歴史に残る汚点の一日だったのです!)

 いつも通り、どこかドラマチックに。
 それでいて、ヒロイックに。
 過大に、過剰に、誇張して、カスターは語る。
 
 ジョージ・アームストロング・カスター。
 勇敢にして無謀、公明正大にして残虐無道。
 光闇をくっきりと併せ持ちながら、翳ることを知らぬ戦場の太陽。
 それが沈むと予言した、ひとりの呪い師がいた。
 パイプの灰の警告を聞けなかった男の末路を夢に見た、先住民族の男がいた。
 歴史には語られぬ接点。『リトルビッグホーンの戦い』で顔を合わせることはなかったにも関わらず、互いに互いを認識し合っている違和。
 その答え合わせがまさに、歴史になったその人の口から語られるというところで――

 薊美が今いるチェーンの喫茶店の扉が開いて、ふたりの少女が入ってきた。
 ひとりは、白い少女だった。
 もうひとりは、白と黒の少女だった。
 
 薊美は、白い少女を見た。
 そちらに、視線を引き寄せられた。
 時間の認識が、数秒ほど飛んだ。
 え、とその不可解に戸惑って。
 それからようやく、自分が"時間を忘れていた"ことに思い当たるのであった。



◇◇


67 : 不純喫茶 ◆0pIloi6gg. :2024/10/05(土) 17:01:44 UMGulyGw0



 喫茶店、コーヒーショップ『ギャラクシー』。
 現在では47都道府県のすべてに店舗展開を行っているチェーン店。
 チェーンの喫茶店とは思えない高クオリティ、かつ"映える"商品の提供で若者を中心に大きな支持を集めている。
 『ギャラクシー』は首都の東京では数百軒もの店舗展開を行っていた。
 これはその一軒。新宿区の端にある、一軒の『ギャラクシー』店舗での一幕である。

 窓際の一席で、ふたりの少女が向かい合って座っていた。
 ひとりは、白黒の少女。髪の毛から衣服、持ち物まですべてがブロックノイズ状の白黒(ツートン)で纏められている。
 東京は首都であると同時に文化の中心だ。地方では変人扱いを受ける趣味でも、この街では日常の一風景として受け止められる。
 だがそんな街においても、この"白黒"はあまりに目立つ存在であったと言っていい。
 そして真に恐ろしいのは、その彼女と対面するもうひとりの少女が、白黒の存在感に何ら劣らずそこにいることだった。

「――や。久しぶりだね、イリス」

 美しいというよりは、可憐、という表現の似合う少女だ。
 人懐っこい笑顔に、均整の取れた肉体。
 白髪は蚕の絹糸のようで、なのにその頭頂付近からぴょんと弧を描くアホ毛が一切知的な印象を抱かせない。
 大半の人間はただの美少女として片付ける。だがごくわずかな人間には、常軌を逸した存在として映る。
 これはひとえに、そういう存在。そう思って見ると、白黒の少女が浮かべる諦観にも似た顔に味わいが滲んでくるだろうか。

 世界の大半の人間は、気付けない。
 この邂逅が、少なくともこの仮想都市においては紛れもない神話の出来事であると。
 
「あんたさあ」
「うん?」
「本当変わんないよね。分かっちゃいたけど昔のまんま」

 白黒の少女――楪依里朱はそう言って、自分の前に運ばれてきた水を口に含んだ。
 対面に座る彼女の名は、神寂祓葉という。
 かつてひとつの運命を制し、そして今はすべての演者に運命を差し向けたゲームマスター。
 絶対的な世界の主役であり、同時に破滅的な運命の終局(ラスボス)。
 この世界において最も美しく、最も醜いもの。
 そんな万人の大悪は、しかし致命的なまでに頭が悪い。

 だから祓葉は、何を取り繕うでもなく、それらしいきっかけを演出して再会を誘うでもなく。
 ただ一通、イリスにメールを送り付けただけだった。
 その気になればどんなドラマも奇跡も演出できる癖をして、まるでただの友達相手にするように気安くこの喫茶店へと呼び出したのだ。
 祓葉は、平気でそういうことができる。この世界でただひとり、彼女だけがあらゆるセオリーに縛られていない。


68 : 不純喫茶 ◆0pIloi6gg. :2024/10/05(土) 17:02:26 UMGulyGw0

「あんた、私達に何したか覚えてないの」
「覚えてるよ」
「だったらさ、そのあんたがのうのうと接触してくるのって煽り以外の何物でもないと思うんだけど」
「んー……。私だって誰でも構わなかったわけじゃないよ?
 私はみんなが大好きだけど、あの中で友達って呼べるのってイリスだけだもん。
 昔もよくやったじゃん。私が突然メールして、イリスがぷりぷり怒りながら待ち合わせ場所に来る流れ」
「いい思い出みたいに言うな」

 今回はたまたま理由があった。
 でもこの女はきっと、理由がなくてもそのうち同じことをしていただろう。

 その時何故と聞いたなら、こんな風に答えたはずだ。
 ――『友達と遊ぶのに、理由って必要かな?』なんてことをきょとんとした顔で平然と宣う姿が優に想像できる。
 そんな光景が驚くほど鮮明に脳裏に想像できたものだから、イリスは苦虫を噛み潰したような顔でため息をついた。
 彼女の言動を完璧に脳内で再現できてしまうくらいには、自分はこの最悪な女に脳を焼かれてしまっている。

「……それで?」

 注文の品が来るまで待ってやるとか、そういう気を利かせるつもりは生憎とない。
 こちらだって暇ではないのだ、誰かさんのせいで。
 大方ろくな用ではないのだろうが、何にしろ早めに切り上げてしまうに限る。
 イリスは胸焼けにも似た不快感を堪えながら、祓葉にこう促した。

「相談って何。言っとくけど、同盟とか協力とかは絶対お断りだから」
「しょぼーん……。そういうつもりで来てもらったわけじゃなかったけど、それでも面と向かって言われると傷つく〜……」
「鼓動のしないその胸に手当てて聞いてみなよ」

 楪依里朱が神寂祓葉と組むことはもう二度とない。
 それこそ、祓葉と組むくらいならあの屑星どもを当たった方がまだマシだ。
 だからこそ、改めて突き付けた絶縁状。祓葉は落ち込んだような顔をしているが、心を軋ませているのは明らかに彼女ではなくイリスだ。
 
 ――そう、こんなに憎んでいるのに。
 顔も見たくないほど、忌まわしく思っているのに。
 自分で吐いた絶縁の言葉で、自分の心が悲鳴をあげる。
 ほら見ろ、こんなにもおまえは呪われている。
 六つの災い星のひとつ、〈未練〉の白黒。
 誰より過去を呪っているのに、誰より過去に呪われた愚かな女。イリスはテーブルの下で、静かに拳を握り締めた。


69 : 不純喫茶 ◆0pIloi6gg. :2024/10/05(土) 17:03:05 UMGulyGw0

「……ほら、早くして。私に何を聞いてほしいの」
「うぅ……。うん、それなんだけどね――こんなこと相談できる人、私ってイリスしか知らなくて。
 今もどうすればいいかぜんぜん分かんないんだよ〜……自分ひとりで考えててもわー!ってなっちゃうし」
「早くしろって言ってる。早く本題に入ること」
「……じゃあ、言うよ? 言うね? ほんとに言っちゃうよ?」
「帰っていい?」
「だめ! 言うから帰んないで!? ……よし。うん、行きます。言います。言えます」

 そら見ろ、もう切り替えている。
 人の心とか気持ちなんて気にもしない
 分かった風にしているよりもたちが悪い。
 この女は、人の心に寄り添うことができる。
 寄り添った上で、それを一時の気持ちで簡単に裏切れるのだ。
 だから誰もが失敗した。誰ひとりこいつに勝てなかった。
 みんなが――神寂祓葉に、魅入られた。

 こうして対面しているだけで、胸の奥が狂おしいほど苦しくなってくる。
 この感情に名を与えてはならない、それをした日が私の最後だとイリスは必死に自制していた。
 〈はじまりの六人〉の中で最も凡庸にして最も月並み。そして、最も幼稚。
 だからこそイリスは、誰より己の狂気を恐れていたのだろう。だが。


「実はね、私、その……………………ぷ。プロポーズ、されちゃったんだぁ……!!」


 祓葉が軽く頬を染め、落ち着かなくくねくねしながら言った言葉に――そんな悶々としたものはすぐさま吹き飛ばされた。


「……、あ゛?」


 口に含んだ水を吹き出さなかった自分を褒めてやりたい気持ちでいっぱいだった。
 おとなしく暮らすことのできない女と知ってはいたが、こいつは一体何をやっているのか。
 イリスは眉間にありったけの皺を寄せながら、苛立ちと当惑でもって親友の悩み相談に乗らされていく。



◇◇


70 : 不純喫茶 ◆0pIloi6gg. :2024/10/05(土) 17:03:42 UMGulyGw0



「あのね、あのね。
 私、前の時みたいに仲間がほしかったの。
 やっぱり聖杯戦争ってチーム戦してなんぼ、みたいなとこあるでしょ?」
「……私とアギリみたいな枠を確保しようとしたってこと?」
「そうそう! だからね、前々から気になってた人に会いに行ってみたんだ〜。
 結構年上さんなんだけどすっごい若くて、顔もかっこいいの。甘いマスク? って感じの!」

 〈前回〉の聖杯戦争にて。
 神寂祓葉は、楪依里朱と共に戦っていた。
 七人のマスターの中でも最も巨大な戦力を保有していた蛇杖堂の妖怪爺と戦う際には、最凶の殺人鬼である赤坂亜切とも手を取り合った。
 あの時間はどうやら、この怪物にとっても相当に楽しい時間だったらしい。
 いい思い出だから、今回も同じことをやろうとした。もう不運な一般人の皮など被れぬ身でありながら、今回の同盟者/犠牲者を探し出した。

 ――そうして祓葉が出会ったのは、あるひとりの若き陰陽師だった。
 名を香篤井希彦。天才、麒麟児。そして、恋多き人。

「そしたらその人、
 "同盟の条件として――神寂祓葉さん。
  貴女と、結婚を前提としたお付き合いをさせて下さい!"……だって〜! きゃ〜! どうしようイリス、私こんなの初めてだよ〜〜!」
「……、……」

 普通、同盟を打診してきた相手にその回答を返すことは狂人と疑われてもおかしくない行為である。
 もしくは相手の提案に頷く気がなく、悪意を以っておちょくっているかのどちらかだ。少なくともイリスだったらそう捉えるだろう。
 だが、こと神寂祓葉という少女がそこに一枚噛んでいるのならば、馬鹿げたことに理屈が通ってしまう。
 昔の彼女ならばいざ知らず。今の祓葉はもはや、あらゆる人間の目を焼く地上の星として成立してしまっているから。
 当然、そういうこともあるだろう。何せイリスの憶測では既にひとり、"自分達"の中にさえそのきらいのある人間がいるのだし。

「イリス?」

 あえてその感情を狂気になぞらえて名を与えるならば、〈恋慕〉――といったところか。
 なるほど、実にわかりやすい中てられ方だ。
 何しろ祓葉は本性云々を抜きにしても、男も女も誰でも認める抜きん出た美貌の持ち主である。
 そこに今の彼女の性質が加算されれば、そういう狂気(バグ)を起こしてしまう人間がいたとしてもそう不思議ではない。

「あのぉ……」
「何」
「えっと……なんか、怒ってる……?」
「怒ってない」
「いやでも、顔怖」
「怒ってない」

 その冷静な分析を踏まえて、あるいは一度脇に除けて。


71 : 不純喫茶 ◆0pIloi6gg. :2024/10/05(土) 17:04:19 UMGulyGw0

 非常に。
 非常に――不快であった。

 今鏡を見たなら、そこにはさぞかし機嫌の悪そうな渋面が映っているのだろう。
 だが別に改める気にもなれなかったし、目の前で上目遣いで見つめてくる祓葉(バカ)に配慮してやるなど以ての外だ。
 
「……で? あんたはどうしたいのさ」
「どうって」
「そいつと付き合いたいの? 結婚を前提にして。
 まあ出会ってすぐの相手に求婚できるような尻軽とか、自分勝手なあんたには合ってるかもね。
 うん、それもいいんじゃない? 好きにすればいいと思うよ。アギリや誰かさんはブチ切れるだろうけど、私は別に止める義理もないし」
「やっぱり怒ってるぅ……」

 もう一度言おう。
 非常に、本当に、とてつもなく不快だった。
 楪依里朱は今、まさに不快の絶頂にいた。
 仮に此処にシストセルカの奴が同行していたなら、帰りしなに街のひとつでも地図から消していたかもしれない。

 何故こんなに気分が悪いのか? 決まっている。それは、言語化できる。
 まず第一に、祓葉が新たに同盟相手を作ろうとしていること自体が腹立たしいし。
 その枠組みを越えた関係に進もうという可能性が彼女の中に一ミクロンでも存在している事実に何より腹が立つ。
 もう一度繰り返そうとするくらいには楽しかったという過去を、どうして赤の他人でなぞろうとするのか。
 出会ってすぐに惚れて甘い言葉を囁いてくる相手がそんなにも良いのか?
 イリスには理解できない。理解不能な何かに祓葉が一時でも心を揺らされていると思うと周りのすべてをぶち壊したくなってくる。
 不快。不愉快。苛立ち。殺意にも似た怒りを押し込めながら、店員が持ってきたコーヒーを自分の前に置く。
 ブラックコーヒーだ。横にはお好みで入れてね、という意味で小さなミルクが添えられている。

「逆に聞くけどさ、あんたに散々振り回された挙句今もこうして使い潰されてる私が、何も思わないと本気で思ってたわけ?」
「だってこんなこと相談できるの、イリスくらいしかいなかったんだもん……」
「お抱えのクソ科学者に聞いてもらえばいいじゃん。まあ同じ顔されると思うけど」
「ヨハンにそんな難しい話ができるわけないでしょ!?」
「難しい話ができない科学者はもう廃業しろよ」

 ミルクの蓋を、ゆっくりと剥がす。
 その容器を指先で摘み、持ち上げながら。
 イリスはもう一度深いため息をついて――それから、呆れたように言った。

「……まあでも、真面目な話。
 可哀想だな、ってしか思わないかな」
「かわいそう? ……私が?」
「あんたにプロポーズしてきたって奴」

 ミルクが、コーヒーカップの上へと運ばれる。
 そのまま傾ければ、ややとろみのついた白色がコーヒーの水面に向けて流れ落ち始めた。

「本当に可哀想。たぶんまだ、自分が何に惚れたのかも分かってないんでしょ」


72 : 不純喫茶 ◆0pIloi6gg. :2024/10/05(土) 17:05:16 UMGulyGw0

 ――楪依里朱はムカついている。
 だがその憤りは、あくまでも神寂祓葉に向けられたもので。
 彼女に求婚したという、名も知らぬ若き陰陽師に対するものではなかった。

 むしろ彼に対してあるのは、哀れみ。
 殴られ蹴られても親の愛を信じる幼子を見るような。
 段ボール箱の中で、健気に飼い主を待つ捨て猫を見るような。
 そんな、ある種盲目な弱者に対する感情だった。
 
「大体、狂気だなんてあまりに大袈裟。
 あんたはあらゆるモノの目を焼くけれど、その輝きにはムラがある。
 例えば今この店に居合わせた客どももあんたを見てるけど、すぐおかしくなったりはしないでしょ。
 あんたの言うそいつは、本当の太陽を知らない。本当の祓葉(あんた)を知らないまま、半端に焼かれて舞い上がってるだけ」

 神寂祓葉の最も恐ろしいところは、そこにあるのだ。
 この女は紛れもない星でありながら、同時にひどく気まぐれだ。
 だから大抵は、気付かない。彼女がどれほどの怪物かに気付けない。
 気付けないまま関わって、彼女を自然に過小評価して、物語を進めていく。
 そして最終的に――今までの認識と遥かにかけ離れた輝きを見せられて、目を焼かれる。

 イリスは、祓葉に出会ってしまった"彼"に対して何も知らない。
 聞こうともしていないし、聞いたとしても無駄に律儀な祓葉は答えなかったろう。
 それでも、可哀想に思う。件の彼がこのまま祓葉と関わり続ければ、いずれ"その時"に直面するだろうから。

 例えるならば、"その時"は核の炸裂に似ている。
 今までの常識、認識、そのすべてが一瞬で破壊される。
 だから、それを見る前にはもう決して戻れない。
 "彼"はそのことを知らないのだろう。
 かつてイリスが、五人のマスターが知らなかったように。
 知らぬまま、神寂祓葉を"理解した"と思い込んでいるのだろう。

 ――これが哀れまずにいられるものか。
 名も知らぬどこかの誰かは今まさに、〈はじまりの六人〉をなぞろうとしているのだから。
 出会い。過小評価。そして、約束された崩壊。
 心からご愁傷様だ。狂気の果てに辿り着いたなら、その時は話くらい聞いてやろうと思うくらいには。

「そいつのためを思うんだったら関係切ってどっかに消えな。
 あんたがそいつと関わり続けることで、与えてやれるものは何もない。
 奪うだけ。得意でしょ? 誰かから奪うことは。焼き焦がすことは。そうやって私達を生み出したんだもんね、あんたは」

 祓葉は何も言わない。
 何を言われているのかわからない、というような顔をしていた。
 そうだろうな、と思う。
 思わず笑いがこみ上げた。ミルクを傾けていく。

 ……コーヒーの、黒い水面に。
 ミルクの、白い波紋が上塗りされる。
 二色の色彩が、カップの中を満たす。

「本当に変わんないよ、あんたは。
 ムカつくくらいにあの頃のままだよ。
 そんなあんたのことが、私は――」

 白黒(ツートン)が、完成する。

「――本当に、殺したいくらい大嫌い」


73 : 不純喫茶 ◆0pIloi6gg. :2024/10/05(土) 17:05:56 UMGulyGw0

 

 その時、カップが爆発した。
 同時に吹き出す、白と黒の破片。
 目を見開いた祓葉の顔が色彩に隠される。
 零れたコーヒーとミルクの雫が、机に落ちて。
 そこから、やはり白と黒の二色。
 白黒(ツートンカラー)が、ブロックノイズ状にお互いを喰い合いながら店内の全域を忽ちに覆い尽くした。


「あんたさ、どの面下げて私を呼び出したの」


 叫喚と混乱。
 それを一顧だにせず、異変の中心で佇む少女もまた白黒だった。
 髪色から服装、持ち合わせている私物まで、徹底した二色構造。 
 自身の生活と存在を徹底的に縛ることで、楪の魔術はその効果を増幅させる。
 
「私が、祓葉(あんた)だから仕方ないって、ぜんぶ許して忘れてるとでも思ってた?」

 居合わせた人間の安全など、この女は気にしない。
 気にする理由もなければ、気にしている余裕もないからだ。
 その証拠に、ほら。至近距離で白黒の炸裂を食らいながら、水滴の向こうから現れた少女の顔は傷ひとつ負っていない。
 変わらず――見惚れるほどに、キレイだ。

「忘れないよ。他の誰が忘れても、私以外のぼんくら共が忘れても、私だけは絶対に忘れない」

 ――忘れられない。
 何故なら彼女の狂気は〈未練〉。
 過ぎたことを思い続ける。
 過ぎたものを、想い続ける。
 受けた痛みも、感じた怒りも。
 そして、過ごした時間も。
 すべてを〈未練〉として記憶し、魔女は今もずっと狂っているのだ。


「此処で殺してやるよ、祓葉。そのために、私はこのクソみたいな街にいるんだ」


 少女の名前は、楪依里朱。
 その眼はもう、元の世界を映さない。
 太陽を見つめすぎると、失明してしまうから。
 彼女は、太陽を知っている。
 出会ってはならない、見つめてはならない、この世で最も眩しくあたたかいものを知っている。
 太陽に魅入られ、そして捨てられた過去の戦影。

 ――今は。
 ――蝗害の魔女。



◇◇


74 : 不純喫茶 ◆0pIloi6gg. :2024/10/05(土) 17:06:38 UMGulyGw0



 イリスは次の瞬間、躊躇なくテーブル越しの祓葉の顔面へ前蹴りを放った。
 その靴底までもが、病的なほど徹底して白黒に二分されている。
 色彩は楪の魔術師にとって力となる。よって今、イリスの蹴りには重さ数トンのトラックをさえ蹴り転がせる力が宿っていた。
 だというのにそれが、軽々と片手で受け止められる。
 爛漫に微笑んだ祓葉の手のひらに止められたら、あとはイリスではわずかほども動かせない。

 だが、動揺はしない。
 イリスは誰より祓葉を知っている。
 〈はじまりの六人〉の中では彼女が一番幼稚で月並みだろうが、それでも祓葉と過ごした時間の長さならば他に大差をつけて勝る。
 楪依里朱ほど、神寂祓葉を知っている人間はこの世界に存在しない。

 たん、とバック宙の要領で後ろへ下がりつつ。
 さっきまで自分が腰掛けていたソファを白黒の色彩で染め、分解して無数の槍に変える。
 赤坂亜切との小競り合いでも見せた芸当だ。白黒の槍による包囲攻撃。単純だが威力は高く、少ないリソースで放てて効率もいい。
 祓葉の右手が、さっきイリスの蹴撃を受け止めたそれが――光に遮られる。
 次の瞬間、そこに生じていたのは眩く輝く〈光の剣〉だった。
 〈はじまりの六人〉ならば誰もが知る祓葉の剣。かつて、彼ら彼女らの命を奪い尽くした恐るべき冒涜の剣。

 それが、振るわれる。
 光の瞬き、あどけない一閃。
 技の冴え、経験の蓄積、一切そこにはない。
 イリスの知る通りの、そこからほぼ成長のない一閃。
 にもかかわらずその煌めきが、白黒のことごとくを撃滅する。
 祓葉はそれを誇らない。
 イリスもそれに驚かない。
 片やこの世界の現人神。
 片や、〈はじまりの六人〉。〈未練〉に呪われた狂人。
 であれば必然、そのような初歩的なやり取りの必要はなかった。

「私ね」

 祓葉が口を開く。
 開きながら、席から立ち上がる。
 右手には光の剣、彼女が敵を討つための刃。
 その切っ先が自分に向けられている事実に、イリスの狂気は疼きを訴える。

「イリスのこと、今でも好きだよ」
「あんたはみんなにそう言うでしょ」
「かもね。でも、やっぱりいちばんの友達は今でもイリスだと思う」

 人たらしの極みのような台詞を、今でも平気で宣うのがこの女だ。
 ファム・ファタールと呼ぶには些か知性が足りない。暗さも儚さも足りない。
 それでも、神寂祓葉は他人を狂わせる女としては間違いなくひとつの完成形だった。
 そうでなければ、こんな悪夢のような物語は、運命は紡がれてすらいないのだから。

「だから嬉しいよ。イリスがこうして私を本気で殺しに来てくれる――私と本気で遊んでくれることが、すごく嬉しい!」
「死ねクソ女」

 いけしゃあしゃあと放たれた妄言に対する返答は冷ややかかつ、言葉の通りに極大の殺意に満たされていた。


75 : 不純喫茶 ◆0pIloi6gg. :2024/10/05(土) 17:07:39 UMGulyGw0
 空間が変質する。逃げ遅れた客のひとりを呑み込んだが、イリスはそんなこと気にも留めない。
 ぐじゃぐじゃに混ざり合って、けれど偏執的な白黒構造は今も変わらず健在のままで。
 渦を巻いた白黒が、祓葉という奇跡を凌辱するべくその版図を改めて広げ始めた。

 ――楪の魔術は〈色間魔術〉。読んで字の如く、二色の色彩を司る。
 空間に存在する全物質を二色のどちらかに定義し、その内で実現可能な事象のすべてを思いのままにする。
 字面だけを読めば、神の如き術式だ。この世のすべてを思いのままにし、この世の果てにさえ辿り着ける魔術だ。
 
 だが、楪の魔術師は歴代ずっとその域にまで辿り着くことができなかった。
 何故なら彼らはあくまで常識の内に囚われた、ただの人間に過ぎなかったから。
 されど。今のイリスは、楪の希望たる少女はもはやただの人間などではない。
 〈はじまりの聖杯戦争〉は、経験した死は、祓葉への狂気は彼女を異次元の領域に押し上げた。
 
「わわっ。すごい、めちゃくちゃ強くなってるじゃんイリス!」

 赤坂亜切との交戦で、イリス自身も驚いた。
 力量の向上は、まさに以前とは段違い。
 扱いにくい魔術を苦心しながらやりくりしていた楪依里朱はもういない。
 今やイリスの魔術は、楪家の秘奥は、サーヴァントにさえ通じる領域にまで高め上げられている。
 彼女が経験した離別と屈辱と、芽生えた狂気の因果が、宿命に翻弄されるばかりの未熟な娘をひとりの魔女へと変じさせていた。

 白黒の渦は、引き込まれれば生命としての全尊厳を凌辱される実質的な死の渦潮だ。
 一度呑んでしまえば書き換えも組み換えも自由自在。少なくとも今のイリスには。
 それを見た祓葉は焦るでもなく、むしろ親友の成長を喜んでいた。
 そして遊び相手の強さに、心から高揚していた。

「こりゃ私も、負けてらんないなあ!」

 祓葉は逃げない。
 イリスに踏み込むために、渦に自ら足を入れる。
 当然、白黒に触れたことで足元から瞬く間に染められていく。
 こうなればもはや〈魔女〉にとっては自由自在、思うがまま。
 である筈なのに――白黒の侵食が、腰丈まで達した時点で急に止まってしまう。

 この時点で既に、道理を完全に外れている。
 なぜ、サーヴァントでもないただのいち人間が強化された白黒の侵食に抗えるのか。
 祓葉の足が当然のように前へと進む。
 それに伴って、纏わり付いていた白黒が朝霧のように儚く吹き散らされた。

 祓葉が来る。
 この都市において、それは最大の窮地に他ならない。
 光の剣を握り微笑む奇跡の子――世界の主役。
 だとしても、黒白の魔女は揺るがない。
 揺らがぬまま、討つべき敵をしかと見据える。


76 : 不純喫茶 ◆0pIloi6gg. :2024/10/05(土) 17:08:20 UMGulyGw0

「――あんたの方こそ、前よりずいぶん無茶苦茶だね。本当、目眩がするくらい」

 光の剣が、振るわれて。
 白黒の剣が、それを受ける。
 本来なら成り立たないはずの鍔迫り合い。
 それがいつ崩れるかすら彼女の気分次第なのだと心底実感しながら、イリスは眉根を寄せた。

「あのさあ。あんた、なんであの時私を刺したの」

 ――メールアドレスは変えていなかった。
 思えばそれすら、ひとつの未練だったのかもしれない。
 祓葉からいつか連絡が届くことを無意識に祈って、待っていたのかもしれない。
 だというのに、あるいはだからこそ、祓葉から相談があるから会いたいというメールが届いた時、イリスは一瞬喜んでしまった。

 次の瞬間、かつてないほどに自分を恥じた。
 自分がこうまで浅ましく醜い生き物だと思ったのは、これが初めてだった。
 あんなことをされても。こんな有様に成り果てても。
 自分はまだ、神寂祓葉に執着している。彼女と過ごした夢のひとときを、女々しくこうまで回顧している。
 
 友達なんて要らないと思っていた。
 自分が誰かに心を開くことはなく、相手もそれを望みはしないと信じていた。
 その心の壁を、馬鹿みたいな明るさでぶち壊してくれた女。
 伸ばしては空を切るばかりだった、鳥籠の中の手を掴んでくれた女。
 楪依里朱にとっての、初めての友達。
 そして今は、何に代えても殺すべき忌まわしの宿敵。

「あんたにやりたいことがあるのなら、私は付き合ってやってもよかった。
 呆れるし怒るかもしれないけど、それでもあんたに背を向けることなんてしなかったよ。
 ねえ、答えてよ祓葉。あんたにとって"友達(わたし)"は、一緒に馬鹿をやる価値はないその他大勢のひとりだったの?」

 振るわれる、光の剣。
 その輝きはあの時見たのとまったく同じ。
 楪依里朱を、あの青春を終わらせた光が、今も自分勝手な笑顔と共にこの眼前で舞い踊っている。
 ならば無謀と分かっても、イリスはこうせずにはいられなかった。
 組み替えた白黒を成形し、一振りの剣を造り上げる。
 輝くことしかできぬ光を穢す、中途半端の白黒を。〈色彩の剣〉を。

「答えて」

 訴えるように、乞い願うように紡がれた問い。
 それに、祓葉は薄く口元を歪めた。
 そして出てきた答えは、あの日の真実は。
 それは――


77 : 不純喫茶 ◆0pIloi6gg. :2024/10/05(土) 17:08:56 UMGulyGw0


「うぅん。なんでだろ?」


 あまりにも。
 あまりにも――


「……ふざ、けんなっ!」


 イリスは次の瞬間、辛うじて押し殺していた激情を反射的に溢れ出させていた。
 なんでだろ。なんでだろ、と言ったか、この女。
 自分でも分からないまま、私を殺したのか。
 理由もなく、ただ気まぐれに、あの日々を終わらせたというのか。

 許さない、認めない。
 やはりこいつだけは、こいつだけは――!

 激情のままに振るう色彩の剣が、光の剣と真っ向から火花を散らす。
 色間魔術の構造は複雑怪奇。よって楪の魔術師は、他の何にも優先してその理論と扱いを叩き込まれる。
 理屈としては、プログラミングによく似ている。白と黒の配列、目視可能な範囲から不可能な領域までもを常に把握し人智を半ば超えた演算能力で欲しい結果を打鍵し続けるのだ。
 例に漏れずその原理で造り上げたこの色彩剣にも、無体極まりないいくつもの仕掛けが散りばめられている。
 接触を介して発動する位置ズレの強制。エネルギーの撹乱。五指を動かす神経の瞬間的なシャッフル。
 
 色間魔術とは、突き詰めてしまえば"理論上、なんでもできる"能力だ。
 楪の魔術師は誰も真の意味で人間を超えることはできなかった。
 だから無駄に複雑で結果の伴わない、言うなれば徒労そのものの術式でしかなかったわけだが――

 今のイリスは違う。
 彼女は間違いなく、歴代最高位の色間魔術師だ。
 純粋な戦闘能力でも、アギリや寂句といった埒外の怪物共に並べる。
 だというのに。

「ごめんね。でもね、本当にわかんないんだ。
 なんでだろうね? 私、イリスとしたいこともっとたくさんあったはずなのに」

 その無法を、無体を、祓葉はまるで端から存在しないように踏み越えてくる。
 打ち合う度に剣身が軋む。打ち込まれた白黒の数式が子どもじみた無茶苦茶で否定される。
 悪夢だ。そうとしか形容のしようがない。
 いつだってこの少女は、どこかの誰かの悪夢であり続けている。


78 : 不純喫茶 ◆0pIloi6gg. :2024/10/05(土) 17:09:42 UMGulyGw0

「強いて言うなら、終わってほしくなかったのかな。
 私が本当の"私"になれた、心の躍る遊びの時間。
 それがもうすぐ終わっちゃうことが、本当の本当に嫌だったのかも――」

 剣だけではどうやっても追いつけない。
 進軍してくる悪夢を、阻みきれない。
 そう判断したイリスがバックステップと共に出現させたのは百にも届く白黒の鏃だった。
 それを、一発一発が音速を超える次元違いの速度で一斉に射出させる。
 鏃は祓葉を取り囲むように出現している。よって回避不能、必ず被弾を強いる悪辣極まりない弾幕の槍衾が実現する。
 これならどうだ、と、この後生まれる結果が分かっているにも関わらずありもしない希望に縋る魔女の矛盾を嘲笑うように。

「だからね。私、今本当に楽しいよ!」

 光剣一閃。
 それで鏃の半分が粉々に消し飛ばされる。
 後ろの鏃は問題なく発射され、祓葉の身体を一瞬にして蜂の巣に変えた。
 
 だがそれだけだ。祓葉の足は止まらず、与えた傷は立ちどころに再生されていく。
 予想通り。愚かな科学者が彼女に与えた禁断の玩具は、今も最強の生命体をそうあらせ続けている。
 
「もう一度イリスと、みんなと遊べて――本当に幸せなの!」
「……そうかよ」

 ギリ、と、砕けそうなほどに奥歯を噛み締めた。
 こうなることは分かっていた筈だ。
 自分では、たとえ何をしたって神寂祓葉に勝てない。

 あのシストセルカでさえ、初見だったとはいえ遅れを取った怪物だ。
 それに単身で突撃を敢行して、何かがどうにかなるとでも思っていたのか。
 そうやって自分の愚かさを客観視することはできているのに。
 今この瞬間でさえ、死への恐怖よりも彼女の言い草に対する怒りの方が遥か勝っているのがますます救えない。

「……私は、あんたとだけでよかったよ」

 色彩の剣を、通用する筈がないと分かっている得物を強く握りしめる。
 何のために? 決まっている。目の前の女を殺すためだ。忌まわしい過去を濯ぐためだ。
 そうやって、もう一度。今度こそ。こいつの、永遠の一番になってやるためだ。

「おまえさえいれば! 私は! それでよかったんだ!!」

 咆哮と共に、色彩の剣を肥大化させる。
 光の剣の写しのような太刀ほどのサイズから、少女の細腕では振るえないサイズの大剣へと組み替える。
 この〈未練〉ごと、目の前の救えないところに堕ちていった過去を断ち切るべく。
 楪依里朱は鼻血を垂らすほどの過思考過演算を重ねながら、紛れもない過去最高の色彩を描きあげた。
 ともすれば英霊の宝具にさえ比肩し得る、超規格外の芸当。
 あまねく針音を司る科学者が称するところの〈宝具類似現象〉、それに確実に達する巨大なる白黒。
 それを一気呵成に、裂帛の気合を込めて振り下ろす。
 
 死ね、私の〈未練〉。
 消えろ、私の過去。
 さよならだ、私の青春。

 落ちる一閃、迎え撃つ光。
 衝突は一瞬。その刹那に、響く、彼女の言葉。


79 : 不純喫茶 ◆0pIloi6gg. :2024/10/05(土) 17:10:12 UMGulyGw0


「やっぱり――――イリスは強いね」


 噛みしめるように紡がれた言葉と共に。
 人生最高の創造が、光の剣により折り砕かれた。
 散らばる白黒の残骸、色彩の返り血が白々/黒々と舞う。
 わかりきった結末。最初から読めていた終わり。
 きっと次の瞬間には、祓葉の剣は自分の胸を貫くだろうと悟る。

 そう――"あの時"と同じように。

「まだ、だ」

 ふざけるな。
 それだけは、認めるものか。
 そうと決心すれば判断はもはや瞬時だった。

「……こんなところで、終わってやるものか――!」

 色間魔術、魔女を魔女たらしめる術式のその秘奥。
 〈色彩〉の解放に踏み切るべく、イリスは魔力を回転させる。

 本当は正念場まで取っておくつもりだった。
 だがこの先、これ以上の"正念場"など決してありはしないと理解した。
 ならば出し惜しみなどもはや愚行でしかない。
 楪家の探究と妄執の集大成。色を起点に超越へ至るという思想、理論の到達点。
 二つ名の〈魔女〉から正真の〈魔女〉へと自らを変じさせるジョーカーを今まさに切らんとして――そこで。



《Garry Owen, Garry Owen, Garry Owen――!!!》



 けたたましいラッパの旋律と合唱が木霊して。
 それと同時に、青き騎兵達の放つ鉛弾の雨が、踊るふたりの少女へ殺到した。


80 : ◆0pIloi6gg. :2024/10/05(土) 17:10:43 UMGulyGw0
投下終了です。
後編も期限までには。


81 : ◆0pIloi6gg. :2024/10/08(火) 22:49:27 EoqfeOTo0
中編・後編を投下します。


82 : 一緒に居た時の方が、あたし可愛かったなあ(前編) ◆0pIloi6gg. :2024/10/08(火) 22:52:26 EoqfeOTo0
◇◇


 
 父は、芸能を愛する人だった。
 映画、演劇、人が演ずる〈物語〉。
 銀幕の中にこそ神は宿る。
 人が想像を以って創造し、知恵を凝らした舞台の上には神話が出づる。
 
 そんな父のことが、薊美は好きだった。
 だから、彼女も当然として芸の世界に歩んでいった。
 その第一歩になったのは、父の知り合いが勧めてくれた子ども演芸教室であった。
 
 最初の印象は、思ったよりも本格的だな、と感じた。
 子ども演芸と言うから学芸会まがいのレベルなのだろうと思っていたけれど、巧拙あれど誰もが自分の芸と真剣に向き合っていた。
 薊美には才能があった。それでも、経験はなかった。
 後に王子さまと呼ばれる少女が初めて踏んだ、演芸の舞台。
 新入りの彼女に話しかけてくれた女の子は、その教室では半ば顔役として扱われている、薊美と同じく本気で芸の道を志している娘だった。

 かわいく凛々しく、歌っても踊っても彼女がいるだけで場がひとつの絵になる。
 ドラマや映画でお茶の間に知られる子役達と比べても遜色ない、そんな華がその子にはあった。
 
 ――薊美ちゃんもいつか、私みたいになれるよ。

 そう言って微笑んでくれた彼女の顔を、今も薊美は覚えている。
 とはいえそれは、尊敬しているからではない。
 右も左も分からない自分に手を差し伸べてくれた恩を今も抱いているからなんて感動的な理由ではない。

 通い始めて最初の舞台で、伊原薊美は主役に抜擢された。
 それから一度として、薊美以外の子が主役に選ばれることはなかった。
 教室には芸能関係者と思しき、見知らぬ大人たちが頻繁に出入りするようになった。
 誰もが薊美のことを尊敬し、その芸に憧れ、羨望と嫉妬の目線を向けるようになった。
 私みたいになれるよ、と言ってくれたあの子は、薊美に話しかけてこなくなった。
 ただ、いろんな感情をごちゃまぜにしたような。
 そんな泣きそうな顔で時々、舞台の端から見つめてくるだけだった。

 薊美は、その顔を今でも鮮明に思い出せる。
 アレが、王冠を剥ぎ取られた王子の姿だ。
 冠を剥がれ、靴を脱がされ、光に塗り潰された哀れな宝石。
 自分を宝石だとそう信じ、現実を知って崩折れたガラス玉。
 
 ああなってはいけない。
 自分は、ああはならない。
 手なんて差し伸べているからそうなるのだ。
 やはり生きる上で、輝く上で、魅了する上で大切なのはただ歩むこと。
 道に転がるその他大勢になんて目もくれず、凛と無慈悲に進み続けること。
 私は足元の林檎を拾わない。靴底で踏み潰して、先に行くだけ。
 それでいいのだと、あの子の凋落は薊美にそう教えてくれた。

 そんな幼い日のことをなぜだか今、薊美は思い出していた。



◇◇


83 : 一緒に居た時の方が、あたし可愛かったなあ(前編) ◆0pIloi6gg. :2024/10/08(火) 22:53:26 EoqfeOTo0



 伊原薊美が"彼女達"に対して下した采配は、決して間違ったものではなかった。

 たまたま立ち寄った喫茶店の中で、ひときわ目を引いていたふたりの少女。
 何しろ店内の全員に聞こえるような声で"聖杯戦争"のワードを出していたのだ、故に彼女達が"そう"であることはすぐに分かった。
 薊美にとって、自分以外のマスターを見かけた経験はこれが初めてだった。
 だからこそ、薊美の前にはいくつか選択肢があった。
 そのすべてを反故にさせたのは、他の誰でもない彼女達自身である。

 あろうことか彼女達は、白昼堂々、まだ他の客が大勢いる店内で何に憚ることもなく戦闘行動を開始し始めたのだ。
 最初に仕掛けたのは白黒の方だった。恐らくは魔術、そう呼ばれる技能であるのだろう手段で大きく仕掛けた。
 それに、白髪の方も応じ始めた。眩く輝く光の剣を片手に、理解不能な現象を次々引き起こす白黒の少女に一歩も退かず立ち向かい出した。

 ――マスター。
 ――どうしますかな?

 脳裏に響くカスターの言葉に、薊美は考えた。
 状況的に考えて、ひとつ明らかなことがある。
 あのふたりはどちらも、サーヴァントを連れていない。
 マスターであることに疑いの余地はないが、なまじ腕が立つ故の油断なのか、英霊を連れている様子がないのだ。
 仮に連れているのなら、今この局面でそれを出さない理由がない。

 そして同時に、彼女達は異能を扱える連中だ。
 それも極めて高度。少なくとも元が一般人である薊美に言わせれば、十分すぎるほどに人間を超越している。
 恐らくマスターとしての素養も、常人あがりの自分よりよほど優秀なのだろう。
 であれば、取るべき選択肢はひとつだった。白昼の都心でそれをやることにリスクはあるが、上手く行けば二つの主従を壊滅に追いやれるのだからリターンは十分すぎるほどある。

 殺すべきだ。ここで。

 伊原薊美は、自分の歩みのために他者を踏み潰すことに抵抗がない。
 何故なら彼女はそれが自分の使命であると信じているから。
 微笑みながら誰かの希望を踏み潰して、すべてを踏み越えて輝いてこそ自分という光は成り立つのだと疑わないから。
 舞台が芸能であれ戦争であれ、生き方は何も変わらない。
 そして躊躇もない。誰かの将来を奪うことも、誰かの命を奪うことも、薊美にとってはそう大差がない。
 そうしなければ死ぬというのなら、そのようにするだけだ。

 いつも通り。至って、普段通り。
 冷血の王子、茨の冠を戴く君は何も変わらず。
 ただ華麗に、ただ無慈悲に、足元の林檎を踏み潰す。

 その筈だ。
 薊美はそう信じていた。
 だが、彼女の視線は常に一点を見ていた。
 踊り狂う少女達の片割れ。光の剣を握り、先に仕掛けた黒白の魔女を圧倒する白い少女。


 ――ひと目見た瞬間、"現代の脱出王(ハリー・フーディーニ)"が誰の話をしていたのか理解した。


84 : 一緒に居た時の方が、あたし可愛かったなあ(前編) ◆0pIloi6gg. :2024/10/08(火) 22:54:07 EoqfeOTo0


『――備えなさい、茨の君。
 美しく咲き続けたいのなら、あなたは"太陽"に勝たなきゃいけない』


 足元に転がる果実は踏み潰さなければならない。
 万人の光たる王子さま。無慈悲に微笑む女王さま。
 望まれた星(スター)は、望むままに輝き続けなければならない。
 それができなければ、無駄で心を曇らせれば、いつしか茨の王冠は剥ぎ取られてしまう。
 あの日の彼女がそうだったように。舞台端から主役を見つめる、そんな端役に成り下がる。
 伊原薊美にその日は永遠に訪れない。今日の日まで、それを疑ったことは一度としてなかった。

 見た目は美しく、声は凛と響き、立ち振る舞いのひとつにさえ隙がない。
 誰もが認める、喝采で迎える、燦然と輝く茨の王子。
 彼女は眩いものを知らない。いつだって薊美が一番眩しかったから。
 己以上に輝く"誰か"というものを、薊美はこの方見たことがなかったから。

 そんな薊美の視界に今、得体の知れない〈光〉が映っている。

 完璧とはおよそ程遠く、高貴な品性など備わっているとは到底思えない知能に欠けた女。
 締まりのない笑顔に王子の名は似合わない。女王の無慈悲も感じられはしない。
 およそすべての要素を比べても、薊美が勝っていることに疑いの余地はない。
 なのに、何故だか。目が離せない。自然と視線を引かれ、釘付けにする何かがそこにはあった。

(そうだね。あなたに任せようかな、ライダー)
(ふむ。それは、このカスターめに采配を任せるという意味で?)
(ううん)

 王子は迷わない。
 女王は揺るがない。
 迷わず揺れぬからこそ人はそれを"君臨"と呼ぶのだ。
 伊原薊美は舞台の王。その芸に神を宿らせた無二の傑物、輝きの占有者。

 それでも。
 薊美は今、そうなって初めての感覚を覚えていた。
 この感覚になんと名を与えればいいのか自分でも判断が付かない。
 腹の中でコールタールのようにどろついた何かが悪さをしているような。
 少なくとも愉快ではない、なんとなく落ち着かない感覚がとぐろを巻いている。
 
 ――ああ、そうか。
 ――嫌悪か、これは。
 ――見たくない、と思っているのか、私は。

(狩り方は任せる、って意味)

 誰かを踏み潰すのは日常茶飯事。
 だけど、踏み潰す相手の顔なんていちいち見ない。
 その薊美が初めて、顔を見てから踏み潰すことを決めた。
 目障りだから。存在すること自体が鬱陶しいから、意識して靴底を振り上げた。
 主役の舞台を邪魔立てするなら、その要因は排除しなければならない。
 聖杯戦争の演者としての合理的判断と、舞台上の王族としての感情的判断。
 ふたつの理由を主訴として、伊原薊美は青き軍靴の英雄に誅戮を命じた。

 かくして、殲滅戦の開幕を告げるラッパは鳴り響いた。
 無数の銃声を伴って、高貴なる騎兵隊が花摘みの演目を開演させる。
 将官はカスター。"狩り"に長けた、星条旗を背負う軍人英雄。
 ふたりの少女をこの世から消すための、結果の見えた狩りが幕を開ける。

 
 伊原薊美は間違っていない。
 その判断は、戦略的にもひどく正しい。いっそ、残酷なほどに。
 ただひとつ、そこに間違いがあったとすれば。
 

 この物語(うんめい)の配役を、知らなかったこと。



◇◇


85 : 一緒に居た時の方が、あたし可愛かったなあ(前編) ◆0pIloi6gg. :2024/10/08(火) 22:55:18 EoqfeOTo0



 アメリカ陸軍第7騎兵連隊、〈Garry owen〉白昼堂々の出陣である。
 異国の大地であろうが、彼らの勇猛とその進軍の音色は変わらない。
 更に言うなら、為すべきことを為すために響かせる銃火の調べも。
 行進と共に放たれた銃弾は、情け容赦なく娘ふたりを殺すべく迸った。
 女子供を殺すに弾丸を要するようでは未熟、非効率。無垢な林檎とは馬で踏み潰すもの。

 されど、敵が怪物であるならば狩りが成立する。
 進軍せよ、蹂躙せよ。我らは星条旗の使徒、合衆国の聖なる騎兵隊なり。
 道を開けよ、頭を垂れよ。降伏か死か、疾く選べ。
 傍若無人の凶弾に対し、少女達の視線が向かった。

 光の剣が振るわれ、弾幕を蹴散らす。
 白黒の帯が床を裂いて顕現し、魔女を守るカーテンと化す。
 それぞれの手段で防弾を済ませたふたり。
 最初に口を開いたのは、黒白の魔女の方だった。

「鬱陶しいな」
「あはは。聖杯戦争って感じだぁ。前もあったよね、こういうの」
「あったね。あの腐れマジシャンが手引きした"仕掛け"共が突っ込んできた時」
「そうそう! なんか懐かしいなぁ……。ハリー、元気してるかなぁ」

 魔女と、もっと理解の及ばない白き者が昔話に花を咲かせる。
 そこには恐れというものがまったく存在していない。
 魔女は辟易し、白色はむしろこの事態を歓迎して見える。
 はあ、とうんざりしたようにため息をひとつ吐く魔女に。
 白い少女は、微笑みと共に問いかけた。

「で、さ。これ、どうしよっか」

 その言葉の意味するところは、ひとつだ。
 それを汲み取って、魔女は答える。
 ごく端的に。それでいて、ごく酷薄に。

「踏み潰すだけでしょ。雑に行くよ、祓葉」
「オッケー、じゃあ一時休戦だね。昔みたいに息合わせよっか、イリス」

 こうして、二度と交わることのなかったふたりが同じ方向を向く。
 驚天動地の奇跡は、しかしそれ以外のすべてにとっては悪夢とまったく同義。
 楪依里朱が一歩後ろへと下がり、神寂祓葉は逆に前へと一歩出た。
 向かう先には恐るべき第7騎兵連隊。グロリアス・ギャリーオーウェン。
 死を超えてカスターの爪牙と化した連隊はもはや数などという些末な概念からは恒久的に解き放たれている。
 尽きることなく地平線の果てから現れて、ラッパの音色と共に敵を虐殺する、西部開拓時代にインディアンが見た恐怖そのもの。

 それを前にひとり立つことの愚かさたるや、言葉に尽くせはしない。
 女子供を前に、壮烈なる騎兵隊が臆し歩みを止めることなどあり得ない。
 大義のためなら輝きのままに悪魔へ成れる軍人どもは、この都市でも変わらぬ殺戮を布き続けるだろう。


86 : 一緒に居た時の方が、あたし可愛かったなあ(前編) ◆0pIloi6gg. :2024/10/08(火) 22:56:20 EoqfeOTo0

「さあ皆、征くぞ! このトーキョーに、我らの旗を打ち立てる第一歩だ!! 存分に歌おう、我らの敵が果てるまで――!!」

 再びの一斉射撃、その只中を軍馬に跨る命知らずが疾走する。
 壮絶なる蹂躙の流れ弾は逃げ遅れていた一般人を数名ほど虐殺したが、必要な犠牲に彼らは一切頓着しない。
 青き死の旋風、歪なる栄光がひた走る。
 Garry Owen, Garry Owen, Garry Owen――勇ましい歌と共に。

 弾幕を切り飛ばしながら疾走する異国の娘に、カスターは雄々しい笑みでもって突貫する。
 彼は恐れを知らない。恐れていては、彼の望む勝利と戦功は勝ち取れない。
 勝って賞賛され、栄誉を賜るということに生涯を費やした恐るべき少年将官。
 〈カスター・ダッシュ〉が少女達の幻想を引き裂く。世界で最も偉大な国に仕えた軍人として、必ずや聖なる御旗を突き立てるために。

 〈光の剣〉と、カスターのサーベルが真正面から激突する。
 凄絶なまでの火花を散らしながら打ち合う少女と、若き軍人。
 ライトノベルの一幕を現実に切り出してきたような光景が、白昼の喫茶店の中で繰り広げられている。
 祓葉も、カスターも、共に笑っていた。笑いながら、この状況を不思議とも思わず殺し合っていた。

「ねえ、おじさん!」
「geezer(おじさん)などと呼ばれる歳ではないが、何かね!?」
「ぎゃりーおーうぇん、ってなに!?」
「ははははは! そうか、この国の人間は聞き覚えがないか! 君はもう少し勉強をした方がいいようだ!!」

 カスターが繰り出す刺突を、祓葉はがむしゃらに振り回した剣で弾く。
 しかしカスターも退かず、踊るように殺戮の剣身を躍らせていった。
 まさしく人でなしどもの舞踏会(ダンス・マカブル)。
 聖杯戦争という演目の華々しさを体現するような光景に、男と女が興じている。

「しかし問われたならば答えよう! 〈Garry Owen〉とは即ち我ら!
 神の教えに従い、合衆国の使命に従い、野心のままに為すべきことを為す者達! 壮烈なる我が騎兵連隊の名である!」
「なんかよくわかんないけど、かっこいいね!」
「ははは! そうだろう、そうだろう! 我々はいつだとて格好良いのだよ!」

 まるで父と娘か、叔父と姪か。
 そんな気安く、微笑ましさすらある会話を繰り広げながらの殺陣。
 双方ともに流派や技巧といったものには乏しく、故に彼らの打ち合いは実に原始的だった。
 
 なのにチープさ、拙さ、見苦しさがそこから一切感じ取れない。
 極上の役者を用いたならば、それだけで自然と舞台が最上へ近付くとでも言うように。
 過去の華と現代の華、あまりに眩すぎる主役どもの殺し合いは泥臭くも燦然だ。
 どこまでもヒロイックで、それ以外の要素がひとつたりとも介在しない。
 されど無謀のきらいはあれど将官として連隊を率いたカスターと、猪突猛進以外を知らない祓葉とではあまりに年季の差があった。

「君もなかなかの美麗さだが、肌の色だけが惜しい。
 もし次に生まれ変わることがあるのなら、ノアの子(Albino)にでも生まれ直すといい!」

 軍馬を用いての、華麗なる方向転換(ターン)。
 からの、懐のライフル銃を用いての銃撃。
 祓葉の腹に風穴が空く。白白とした少女の腹から臓物の欠片がこぼれる様は冒涜的だ。


87 : 一緒に居た時の方が、あたし可愛かったなあ(前編) ◆0pIloi6gg. :2024/10/08(火) 22:57:19 EoqfeOTo0

 だが――カスター将軍は"良心の呵責"を知らない。
 大義を追う時、星条旗の使徒として馳せる時。
 ジョージ・アームストロング・カスターは、気高き獣となる。

「撃て(Fire)! 撃て(Fire)! 栄光のままに我らの使命を果たそうぞ!!」

 途端カスターの後方より、祓葉に向けて雪崩込む騎兵達の群れ。
 未だに射撃を続けている歩兵達は流れ弾のフレンドリーファイアを気に留めもしない。
 今や彼らは無謬の伝説、人類史にその隊ありと認められた限界を知らぬ軍勢。
 栄光狂いの連隊は、どれほど無法であろうと所業のすべてを大義の二文字で片付ける。
 此処が狭く遮蔽物に溢れた室内であろうとも構うことはない、騎兵戦のセオリーに喧嘩を売りながら彼らは溢れ出しては突撃し続けるのだ。

《Garry Owen, Garry Owen, Garry Owen――!!!》

 女子供は馬で殺すのだと、カスターはかつて言った。
 それをまさに今、彼はこの東京でもやろうとしている。
 銃弾の雨で蜂の巣に変えよう、できぬのならば馬で踏み殺そう。
 何も怖じることはない、躊躇うことはない。

「――案ずるな! "いつもの通り"だ!!」
《Garry Owen, Garry Owen, Garry Owen――!!!》

 我らはいつもそれをやってきた。
 尊いものを踏み潰す蹂躙走破が、回避不能の詰みとして少女に迫る。
 逃れ得るすべはどこにもない、そんなものがあるなら彼らの通った道はもう少し小綺麗だったろう。
 語る言葉はヒロイック、踊り舞う姿はドラマチック。されど所業のすべてはグロテスク。
 これぞカスター。これぞ第7騎兵隊。英傑(ヒーロー)という名の暴風が、いつも通りの結果を生み出さんと吹き荒れて。

「かっこいいから、私も歌っちゃお」

 されど。
 神寂祓葉は、笑みを絶やさず。

「ぎゃりーおーうぇん、ぎゃりーおーうぇん、ぎゃりーおーうぇ――ん!」

 拙い和製の発音で、蹂躙の歌を真似ながら。
 前へ出た。剣を振るった。
 それだけで――彼女に迫った騎兵、五体が真横に両断された。

「ぎゃりーおーうぇん!」

 前へ出る。
 殺す。

「ぎゃりーおーうぇん!」

 笑顔のままに、光が軍馬ごと誉れ高き騎兵隊を泣き別れにしていく。
 後方の歩兵隊列が放つ弾丸のすべてをついでに迎撃しつつ、漏れた弾が腹やら胸やら撃ち抜いても気にしない。
 覚えたてのメロディを口ずさみながら、下校途中の子どもが木の枝を振り回して上機嫌に足を弾ませるように。
 
「ぎゃりーおーうぇん、ぎゃりーおーうぇん――」

 技術も何もない、ただのゴリ押しで第7騎兵隊の猛威すべてを解決していくのだ。
 回避、引き撃ち、囮に特攻。戦場における戦術のことごとくがこの時点でほぼその意味を成していない。
 誉れの騎兵隊が、壮烈の軍勢が、少女の舞踏に合わせて血霧と化していく。
 紛れもなくただのマスターである、人間である筈の少女がアイヌの鬼人と同じだけの戦果を息吐くように挙げている。
 
「ぎゃりーっ、おーうぇ――ん!」

 次の瞬間、光の刀身が爆発的に延長された。
 違う――刀身が描くその軌跡に沿って、斬撃が飛翔(と)んだのである。

 剣士のリーチは得物の全長と腕の長さで決まる。
 その大前提を真っ向から否定する異常現象。
 死の旋盤と化した光剣は、結果として進軍中だった騎兵隊の八割を斬殺した。
 カスターの笑みは絶えず、されど驚きと焦りに彼の頬を汗が一滴伝う。


88 : 一緒に居た時の方が、あたし可愛かったなあ(前編) ◆0pIloi6gg. :2024/10/08(火) 22:58:31 EoqfeOTo0

「なんと……出鱈目なッ!」

 カスターは狩りを知る者だ。
 人間が人間を狩るという行為に深く精通している者だ。
 戦争ではなく虐殺にこそ真価を発揮する、栄光狂いの獰猛な獅子。
 穢神シャクシャインにさえ一歩も退かずダンスを踊った男は今、未だかつて覚えのない不条理な何かと対峙していた。
 
「だがこの栄光が尽きることはない! 何故なら我らは大勢であるが故に!」

 軍馬を犠牲に宙へ逃れ、カスターは辛うじて万死の斬撃を回避する。
 それと同時に空中からライフル弾を発射し、少女への牽制にも余念はない。
 カスターの武芸もまた、彼の生きた時代と同じく現実と地続きだ。
 人間が加護や異能に依らず、狂的な鍛錬にも依ることなく身に着けられる範疇の技法と戦術。
 されどカスターの取り柄とは射撃の腕でもサーベルの扱いでも、ましてや馬術でもない。
 彼の美点は臆さないこと。恐れに慄き、臆病風に吹かれるという当たり前の弱さを知らないこと。

「そう――我らはッ!」

 そしてカスターの喝破に応えるように、騎兵隊は現れ続けるのだ。
 つい今しがたほぼ全滅の憂き目に遭ったにも関わらず、既に祓葉に蹴散らされたのとほぼ同じだけの軍勢が補充されている。

《Through the street like sportsters fight,
Tearing all before us(まるで極星の瞬きのように、すべてを引き裂く)!!!》

《Garry Owen, Garry Owen, Garry Owen――!!!》

 歌が響く、絶望が這い寄る。
 蹄の音と軍靴の音が埋め尽くす。
 光を呑む、功に飢えた"時代の英雄"どもがやってくる。
 
「野蛮なる黄色い猿(イエローモンキー)よ! 本物の戦いというものを教えてやろう!」

 ラッパの音色に随伴する弾丸の雨。
 既に、これが有効打にならないことはカスターも理解している。
 この少女はもはやヒトであってヒトではない、吸血鬼(ヴァンパイア)のように不滅であると。
 であればどうする。簡単だ、銃で殺せないならもっと他のやり方を試せばいい。

 首を刎ねよう、心臓を抉り出そう。
 それで駄目なら皮を剥ごう、何でもいろいろ切り取ってみよう!
 合衆国の歴史とは創意工夫の積み重ね。
 聡明なる米国人らしく、威風堂々と不可能の壁に挑もうではないか!

「Garry Owen, Garry Owen, Garry Owen――!!!」

 カスターも歌う、獰猛に歌う。
 銃弾を単なる足止め役に使いながら、少女の姿をしたモンスターの、そのすべてを奪うべく彼の軍勢がひた走る。
 しかし。学習するのは、何もかの国の専売特許に非ず。
 猿が胡桃の割り方を学び取るように、祓葉もまた次のやり方を思いついていた。

「そっかそっか。草むしりって、根っこから抜かないとダメだっておばあちゃんが言ってたや」


89 : 一緒に居た時の方が、あたし可愛かったなあ(前編) ◆0pIloi6gg. :2024/10/08(火) 22:59:33 EoqfeOTo0

 言って見据えるのは、連隊を率いる者。
 ジョージ・アームストロング・カスター、英雄の顔を祓葉は見ていた。
 やることが決まったなら、彼女は何も迷わない。
 道で見かけた子猫に駆け寄るように、獅子へ向かって一目散に駆け出すのだ。

 そしてまた、戦場が不条理に支配される。
 寄せ来る騎兵隊の嵐の中を、何も損なうことなく祓葉は走っていく。
 山道を走る車にぶつかって、蛾や甲虫が次々潰れていくように。
 第7騎兵隊の勇士どもが、当たり前みたいに形を失っていく。

 それだけだ。これは、ただそれだけの光景でしかない。
 虐殺する側とされる側、その力関係がまったくあべこべになっている。
 丸腰の先住民が、かつてカスターの騎兵隊に何もできず踏み潰されたのと同じだ。
 誰も何もできない。工夫を凝らして不死破りに挑もうにも、そもそも触るところまで辿り着けない。
 となるとカスター自身が直接彼女に致命傷を与え、試行錯誤していくしかないのだったが……
 
「ふッ――台風(ハリケーン)に隊をぶつけているようだな。まったくやってられないぞ、これは!」

 はて困った。
 勇ましく吼えてみたはいいが、どうにも勝てる気がしない。
 目標通りカスターの前まで辿り着いた祓葉の剣をなんとか頬を掠める程度の損害に留めながら、カスターは補充した新たな軍馬で後退する。

 ジョージ・アームストロング・カスターは、英霊としてはそう優れていない。
 神秘の薄い近代英霊としては十分に破格だろうが、神話の時代を生きた正真正銘の英雄達と比べれば些か以上に格が落ちる。
 何しろ彼の戦いはあまりに愚直。無法ではあるが、その無法が通らなかった場合において彼の打開力は極端に低下する。
 台風に銃や馬で勝負を挑んでも誰も勝てない。まさにその理屈が、今カスターを苦しめていた。

(恥は承知でマスターを連れて退くか? うーん、でもなあ。見ろこのキラキラした瞳を。逃がしてくれる手合いの眼じゃないぞ)

 進軍を選んだ薊美と、それに応じたカスターの判断は確かにあの場では間違いではなかった。
 どうやら旧知の間柄らしい"そこそこできる"マスター同士が、不用心にもサーヴァントを連れずに殺し合いに興じている。
 であればそこを突いて一網打尽にしてしまうのが良手だという判断自体はちゃんと頷ける理屈の筈だ。
 まさか誰も、此処までだとは思わない。
 サーヴァントと互角以上に渡り合い、無尽の騎兵隊を単身で総崩れにし、兵法をすべて無効化してくるような災害まがいのマスターがいるだなんて想像するわけもない。

 薊美の周囲には数人の騎兵を警護役として配置している。
 今のところ祓葉は彼女に興味を示していないが、後ろで控えているイリスの存在が不気味だった。
 もしもこの戦況で薊美を狙われれば、カスターでは庇ってやれそうにない。
 誰がどう見ても退き時だが、果たして素直に逃がしてくれるかどうか。

(――ふむ。少し早いが、背に腹は代えられないな)

 であれば、逆転の発想だ。
 どうせ無茶なら、後ろではなく前へ進む手もある。
 そして幸い、カスターにはその手段があった。


90 : 一緒に居た時の方が、あたし可愛かったなあ(前編) ◆0pIloi6gg. :2024/10/08(火) 23:00:28 EoqfeOTo0

 ただ、あまり易々と切りたいカードではない。
 伊原薊美の魔術師としてのキャパシティは凡庸だ。
 魔力の消費という観点から見て、この手は尾を引く可能性があった。
 されどカスターは前進の貴公子。人を超え英霊と化して尚、その〈カスター・ダッシュ〉は健在である。

(マスター!)
(分かってる。"使う"んでしょ)
(ははは、話が早いな! ――良いか?)
(良いよ。出し惜しみしてここで死んだら元も子もない。でも、その代わり)

 脳裏に響く薊美の声。
 それが、カスターに厳命を科した。

(絶対にここで仕留めて。あなたの栄光を信じます)

 その声は、いつも揺らぐことのない彼女らしからぬ口調に聞こえたが。
 ゴーサインが出たのなら、もはや振り返ることを忘却するのがこの男。
 都心の真ん中に川を流す。この戦場を、あの川へと塗り替える。
 友達だ、と必死に叫ぶ哀れな男を穴だらけの死体に変えたいつかのように。
 より無駄のなく、より容赦のない、最高効率の虐殺で不死を討つ。

 判断したカスターは、サーベルを叩き付けた反動を利用して再び軍馬を降り祓葉から距離を取った。
 軍馬など足止めにならないと分かっているが、それでもわずかの時間は稼げる。
 その小さな猶予こそが、血の川を此処に流す源流となってくれると信じた。

「実に見事だ、極東の猿よ。君は強く、そしてそれ以上に恐ろしい!
 だが知っているかね? 我々は――合衆国(われわれ)の戦いは、もっと恐ろしいぞ!!」

 魔力の横溢が、行き止まりの戦況を書き換え始める。
 現代から近代へ、現在から過去へ、泰平から戦火の時代へ。
 時は19世紀初頭。後に最も偉大な国と呼ばれる合衆国が、平和を望む先住民族との戦いに明け暮れていた時代。
 勇ましく、華やかな勝利の歴史。おぞましく、醜悪な殺戮の歴史。
 それが針音の音色を止め、此処に再現される!




「――祓葉、"入れ替え(スイッチ)"」



 ……その凶変に、水を差す声が小さく響いた。

 次の瞬間、カスターは今度こそ笑うのも忘れて驚愕に目を見開く。


91 : 一緒に居た時の方が、あたし可愛かったなあ(前編) ◆0pIloi6gg. :2024/10/08(火) 23:01:28 EoqfeOTo0



「……な、に……!?」



 後ろに退いた筈の彼の位置が、突如、剣を振り上げた祓葉の目の前へと"転移"したのだ。
 理解不能。意味不明。道理の通らない非常事態(エマージェンシー)が、カスターの宝具解放を停止させる。
 そんな彼の姿を、黒白の魔女は冷ややかに見つめていた。
 英雄を見る目ではない。足元でのたくる、みすぼらしい毛虫を見つめる眼差しだった。

 既にこの喫茶店は、魔女の色彩に侵されている。
 祓葉との対決の折に、その工程は完了していた。
 色の配置を組み替えることによる、強制的な位置座標の入れ替え。
 勝利を確信した瞬間に挟み込まれた性悪の一手は、狙い通り最高の効き目をもたらした。

 微笑む怪物が、剣を振り下ろす。
 カスターに防御の手段はない。この間合い、この状況ではもはや何をどうしても追い付かないからだ。
 彼にできることは、散っていった同胞達と同じく祓葉の光剣の露と消えることだけ。

 薊美が、令呪の使用を即決する。
 それ以外に彼を逃がす術はないと、その優秀な頭脳はすぐさま理解した。
 "令呪を以って命ずる。私を連れて全力で撤退して、ライダー!"
 

「――おい、オッサン」


 そう口にしようとした、矢先のことだった。

 振り下ろされる筈の光剣と、斬り伏せられる筈の軍人の間に。
 一振りの無骨な剣が割って入り、その"偉大なる死"を阻んだのは。

「一応聞くが、アテはあんだろうな?」
「……!」

 褐色の、偏屈そうな雰囲気の滲んだ幼い娘だった。
 年格好で言えば祓葉やイリスよりも数段は幼く見える。
 だがその細腕が、恐るべき光の剣を見事に止めてみせていること。
 そんな信じ難い事実が、彼女がカスターと同じく人理の影法師であることを物語っていた。

 端的な問いに、カスターは驚く。
 しかし次の瞬間には、いつもの笑顔が戻ってきた。
 大胆不敵にして残虐無道。
 輝きのままに彼方へと走る、実に"カスター将軍"らしい貌で――

「――ああ、あるとも」

 カスターは笑った。
 同時に、今度こそ川の風が吹く。
 世界が、国土が、形はそのままに塗り替わる。
 さながら、旗を突き立てられたが如くに。日本の首都の一角が、異国の川岸へと定義(テクスチャ)を変えていく。

「ご覧あれ、眩き異国の怪物(モンスター)よ!
 そして我が連隊の、星条旗の使徒たる我らの足音を聞くがいい!!」

 ジョージ・アームストロング・カスターは英雄である。
 だがそれ以上に、彼は"殲滅者"である。
 
 相容れぬものを、相容れぬままに殺し続けた惨劇のさきがけ。
 愛国という大義のもとに、栄光という報酬のもとに、どこまでも残酷に駆けた血塗れの男。
 彼の背中はさぞ眩しかっただろう。彼の顔はさぞ恐ろしかっただろう。
 星条旗を共に背負う同胞には"勇気"と"勝利"を。神の与えた正しき大義に背く敵には"絶望"と"敗北"を。

 二面性の極み、栄光と暗黒を抱き締める益荒男の。
 その矛盾を象徴する〈ある悲劇〉が、此処に再演される――!


「『朽ちよ、赤き蛮族の大地に(インテンス・ソルジャーブルー)』――!!」


 刹那。
 四方八方逃げ場のない、出どころの"存在しない"鉛の雨が、ふたりの少女へ殺到した。



◇◇


92 : 一緒に居た時の方が、あたし可愛かったなあ(前編) ◆0pIloi6gg. :2024/10/08(火) 23:02:21 EoqfeOTo0



 ライダーのサーヴァント、ジョージ・アームストロング・カスターの第二宝具。
 『朽ちよ、赤き蛮族の大地に(インテンス・ソルジャーブルー)』。
 固有結界には遠く、されど生半な結界術とは一線を画する"領域の展開"を行う。

 再現されるのはカスターの所業の中でも最も悪名高い、ワシタ川の戦い――もとい"ワシタ川強襲虐殺作戦"の惨憺である。
 この領域の内側では、あらゆる者に敵と味方いずれかの役柄(ロール)が割り振られる。
 その判断基準はすべてがカスターの認識に依る。そしてこの時、彼の敵として認められた者は無条件で、狩猟される先住民に墜ちるのだ。

 尽き果てることなく、フルオートで敵を追撃し続ける全方位からの飽和銃撃。
 領域の内側に存在する限り、どこへ逃げ隠れようとこの銃撃からは逃れられない。
 大義の名のもとの、圧倒的な殲滅行動を再現する、人類史の汚点そのもの。
 そして此度、ワシタ川のインディアンと化したのは神寂祓葉と楪依里朱。異国の異教徒たるふたりであった。

「ちっ」

 イリスが舌打ちを鳴らす。
 追い詰められた鼠が厄介な牙を出してきた、という気持ちだった。
 サーヴァントとしてはあのライダーは恐らく凡庸、凡俗。
 一度経験しているから分かるが、そう大した敵ではないと思っていた。
 だが、やはりこの局面まで生き残ってきただけのことはあるらしい。

(結界……いや、領域? 私の色彩も上塗りされてるな……面倒臭い)

 シストセルカがいれば数秒ですり潰せる相手にかかずらわねばならない、この状況が実に疎ましかった。
 どこかの誰かさんの設定した無駄に長い時間がせっせと選別した生き残りのサーヴァントども。
 どうせ最後は全員殺すのに、遊び相手の質にこだわる悪徳にはほとほと反吐が出そうだ。
 
 だがそれでも、多少面倒である、という以上の問題ではない。
 たかだか銃撃だ。たかだか、逃げ場のない狩場というだけだ。
 そんなもの、今の自分にはもはや敵ですらない。
 そう思いながらイリスは迫る銃撃を防ぐべく、足元に設定した白黒(ツートン)を励起させて防御壁を形成する。

 が。

「……っ、づ……!?」

 その次の瞬間、彼女の右肩を一発のライフル弾が撃ち抜いた。
 衝撃と激痛にたたらを踏む。手で抑えた患部からはどくどくと血が溢れ、熱が白い手を伝っていく。

 馬鹿な。何故――この程度の英霊が繰り出す弾丸など、色彩の壁を越えられる筈がない。
 不可解な事態に眉根を寄せるイリスの耳に、ひどく不快な男の笑い声が届いた。

「どうかね、初めて味わう銃弾の熱は。おためごかしの軍隊もどきしか持たないこの国では味わえない美味だろう?」

 カスターが、不敵な顔で嘲笑っている。
 激痛以上の不愉快にイリスは顔を歪めた。
 それと同時に理解する。

(宝具の効果か……! 何らかの理屈で、私の魔術の防御力を著しく弱めてる……!)

 イリスの顔を見て、彼女が思い至ったことに気付いたのだろう。
 正解(Exactly)と――カスターが白い歯を見せて嗤った。


93 : 一緒に居た時の方が、あたし可愛かったなあ(前編) ◆0pIloi6gg. :2024/10/08(火) 23:03:18 EoqfeOTo0

 
 『朽ちよ、赤き蛮族の大地に』は、カスターの主観に基づき再現される燦然たる殲滅劇である。
 此処での主役は常に彼。これは偉大な大義を背負い、神を信じ、星条旗のもとに銃把を握る、"アメリカ人"の大舞台だ。
 したがって領域に取り込まれた異民族、そして異教徒は無条件で彼の凝り固まった愛国心を押し付けられる。

 頑張るな、知恵を凝らすな、逃げ隠れるな――降伏か死か、疾く選べ。
 防御はできず。耐久も許さず。かすり傷で済むなんて幸運は舞い降りない。
 どこまでも理不尽で、どこまでも自分勝手な"栄光"の具現。
 カスター将軍の晴れ舞台に、気高き敵など一切不要なれば。


「わわ……大丈夫、イリス?」
「……逆にあんたはなんで大丈夫なの。頭半分吹っ飛んでるけど」
「なんでだろうねぇ。ヨハンのおかげかな? やっぱり」
「…………何でもいいけど、私はあんまり大丈夫じゃない。最悪令呪でサーヴァント呼ぶ、とっても屈辱だけど」

 唯一の例外は、やはりというべきか神寂祓葉だった。
 彼女の体内に埋め込まれた永久機関は、既存の科学から完全に逸脱している。
 そこから生み出され続ける無限のエネルギーが祓葉を無敵たらしめるロジックは、正確に言うと"再生"ではない。
 異常加速された細胞分裂による"新生"だ。
 耐えるのではなく、新たに生まれている。
 便宜上は再生と呼称するが、その実原理は人体の自然回復機能とはまったく別な理屈に基づいている。
 だから悪辣なるカスターの陶酔に付き合わされることなく、彼女は変わらずあるがままの最強を維持していた。

 とはいえイリスはそうもいかない。
 〈はじまりの六人〉も所詮は人間なのだ。さっきは肩だからよかったが、頭部だったらもう死んでいる。
 だからこそ、蛇杖堂記念病院強襲に向かわせた虫螻の王を呼び戻し、眼前の敵を食い尽くさせようと思ったのだったが――

「? なんで?」
「は?」
「そんなことしなくてもよくない?」

 祓葉は吹き飛ばされた半面を再生させながら、小首を傾げた。
 苛立ちの極みのような顔をするイリスに、少女は言う。

「だってイリスがいて、私がいるじゃん」

 〈光の剣〉を握った右腕を、力こぶを作るみたく掲げて。
 むふー、という擬音が聞こえてきそうな締まりのない笑顔を浮かべる。
 脳裏に去来するいつかの青い春。されど祓葉は、人の気持ちなど考えない。


94 : 一緒に居た時の方が、あたし可愛かったなあ(前編) ◆0pIloi6gg. :2024/10/08(火) 23:03:59 EoqfeOTo0

「負ける理由、なくない? あの頃とおんなじでしょ」
「……、はぁああああぁああ……」

 これだから、こいつは嫌いなのだ。
 こういうことを平気で言うから、関わりたくないのだ。
 そう思いながら、銃火の只中でくしゃりと白黒の頭髪を乱す。
 それからイリスは、ため息混じりに口を開いた。

「……一度しか言わないし、聞かれても言い直さないからよく聞いて。この領域を打破する方法は大まかに三つ」
「意外とたくさんあるね!」
「ひとつはあのクソアメ公を殺すこと。あいつの宝具でこうなってる以上は、大元を殺せば領域は維持できなくなる筈。
 ふたつめはあそこでナイト様に守られてる、あいつのマスターを殺すこと。
 ただこっちは望み薄。何しろアメ公側にもう一騎サーヴァントが付いてるから、マスター殺しなんてそう簡単にはさせてくれないと思う。
 だからこのふたつの中から選ぶんだったら前者かな。間違いなくあんたなら殺せる相手だし」
「わかった。じゃあ、みっつめは?」

 イリスが片膝を突く。
 そして地面へ、右手で触れた。

「――今から"探る"。この意味分かるよね」
「うん。懐かしいね」
「私を守れる?」
「守るよ。あの頃と同じ」

 祓葉は満足気に、イリスへ背を向ける。
 守ると言っても、銃撃は全方位から絶えず押し寄せる。
 防御ではなく純粋に迎撃することで多少は防げるが、それでもイリスを襲う魔の手を零にはできない。
 そんな状況で、どうやって祓葉ひとりでイリスの防衛を可能にするというのか。
 そう問うことに、きっと意味はない。

「――私達、負けたことないもんね」

 どうにかするのが、神寂祓葉だ。
 楪依里朱はそれを知っている。
 嫌になるほど、いつも誰よりすぐそばで見てきた。

 かくして始まる。
 これより始まる。
 演目、〈ワシタ川の戦い〉。
 星条旗の使徒による異民族の虐殺劇。

 ――迎え撃つは。
 ――最強のふたり。



◇◇


95 : 一緒に居た時の方が、あたし可愛かったなあ(前編) ◆0pIloi6gg. :2024/10/08(火) 23:04:57 EoqfeOTo0



 高天小都音がコーヒーショップ〈ギャラクシー〉に居合わせたのはまったくの偶然だった。
 仁杜の部屋を出て、メンタルの整理と状況把握を兼ねてどこかの店に入ろうとした。
 だが治安悪化と蝗害騒動の影響でか、近場でよく知る店がことごとくやっていない。
 なので仕方なく、新宿にまで足を伸ばしてギャラクシーに入ったのである。

 最初から、そのふたりは目を引く客だった。
 特に白黒の方だ。変人奇人など一日歩けば必ず見かける天下の東京でも、此処まで突飛な外見などそうはいない。
 思わずちらちら視線を送って、『最近の若者すごいな……』とおっさんめいた感想を抱いていたのだったが――
 そしたら会話の中に"聖杯戦争"という単語が飛び出したので、小都音は思わずコーヒーを噴きそうになった。
 
 するといきなりふたりで戦い出すわ、やたら声のでかい軍人っぽいサーヴァントが出てくるわでもうめちゃくちゃである。
 逃げてもよかったのだが、折の悪いことに小都音の席は店の中でも奥の方だった。
 なので退散するには銃弾飛び交い色彩舞い踊る辺りを通らねばならず、八方塞がりだったのだ。
 どうすんだよこれ、と心底絶望していた時、小都音に念話で語りかけたのは彼女のサーヴァント・セイバー。

(…………ふざけやがって。コトネお前、マジでとんでもないところに呼び腐りやがったな)

 原初の鍛冶師、生き竈のトバルカインが――本当に面倒臭そうな声色に一抹の戦慄を込めてこう言った。

(え、なに。あの軍人そんなにやばいの? いやなんとなく真名に察しは付くけど。
 ギャリーオーウェンってアレでしょ、アメリカの悪名高き第7騎兵隊。
 確かに"カスター将軍"はビッグネームだけど、近代の英霊だしあんたならぜんぜん行けるんじゃ)
(違ぇよ莫迦。私が言ってんのは、あのガキの方だ)
(……白い方? 白黒の方?)
(白い方)

 そっち!? と思った。
 でも反面、納得もあった。
 何しろ明らかにヒス持ちっぽい白黒があれこれ攻撃してた時からして、あの白い少女は異常だった。
 ましてや軍人――推定カスター将軍の騎兵隊に対しても、終始圧倒し続けている。
 とはいえ世に言う魔術師という人種ではあのくらいありふれたものなのでは、とも思っていた。
 
 その認識が間違いだったことを、トバルカインは頭を抱えたそうな台詞ひとつで小都音に教える。

(ありゃとんでもねえバケモンだぞ。
 おいコトネ、今すぐ決断しろ。逃げるか、ワンチャンに懸けて首獲るか)
(ちょ、ちょっと待って。今考えてるから!)
(考えるくらいなら即逃げだ。はっきり言って私はアレと関わりたくない)

 ……このセイバーがこうまで言うのだからよっぽどなのだと、小都音も理解した。
 あの軽薄で胡散臭いロキの時は、嫌悪も露わに即斬りかかっていたのだ。
 悪即斬ならぬ気に入らない奴即斬、それがトバルカインという英霊の生き方である。
 その彼女が"関わりたくない"と言う。では果たして、あの少女は一体どれほどの存在なのか。

 逃げるのが最適解なのは、考えずともわかる。
 でもそれでいいのか。
 何か見落としてはいないか。
 何か、なにか――凡人にあるまじき速度で脳を回して、小都音は半ばがむしゃらに答えていた。

(……ワンチャン、ない? あの"少年将官"と手を組んで、上手いこと)
(…………ああそう、私に無茶してこいって言うんだナお前は。
 関わりたくないって言ってんのに、死地に首突っ込んでてんてこ舞いに踊ってこいと。
 は〜〜〜やだやだ。トバルカインは薄情なマスターを持ちました。薄情だしおまけにアホです、ひぃん)
(い、一応考えがあるの! 私だっていろいろ考えてんだから!!)

 そう、考えはあった。
 ただそれは、トバルカイン及び推定カスター将軍が"彼女達"に勝たないと始まらない。
 だからこれはあくまで博打。無理そうなら令呪を使ってとんずらするしかないし、そうであってもそうでなくても後で不貞腐れた生き竈の機嫌取りに奔走する羽目になること請け合いの大勝負。

(……あの子と私で生き延びるためなら、多少の修羅場は覚悟の上だよ。だからお願い、セイバー)
(……、……)
(アレ、殺して)
(…………分かったよ。分かったが、今日の晩メシは私に献立決めさせろよナ!)

 ――こうしてトバルカインは、主である高天小都音の命を受けてカスター将軍に加勢する。
 人間ふたりと英霊二騎、本来ならば成り立つはずもない戦端の開幕。
 虐殺の皮を被った、運命の行く末を占う激突が、宇宙の名を冠したコーヒーショップの中でその幕を開けた。



◇◇


96 : 一緒に居た時の方が、あたし可愛かったなあ(後編) ◆0pIloi6gg. :2024/10/08(火) 23:06:18 EoqfeOTo0



「ちょい、お前さん」

 トバルカインが、傍らの騎兵に声をかけた。
 無愛想。不躾。礼儀も何もありはしない。
 そもそもこれはそういうものを意に介さない。

「悪りいナ。ちょっと馬降りてくれるか?」

 騎兵は応えない。 
 彼らはカスターの軍勢であり、同胞である。
 なればこそ、ぽっと出の小娘の不躾な要望/横暴に応えるはずはないのだ。
 だから無言。それが一秒の半分ほど続いた時、彼の首が飛んだ。

「降りろっつってんだよ。手間ぁ掛けさせんな、雑魚が」

 首から上を失った騎兵を蹴り落として軍馬に跨る。
 馬とかいつ以来だよ、とぼやくトバルカインに、豪放な笑い声が響いた。

「ははははは! 無礼を働いてくれるな、名も知らぬ英霊よ!」
「声がうるせえ品がねえ黙れクソ。助けてやった恩忘れんじゃねえぞダボが」
「うむ、忘れてなどいないとも。先ほどは実に助かった。いやはや、まったく死ぬかと思ったな!」
「大体てめえ剣の使い方がなってねえんだよ。見ててやきもきしたわ」
「これは手厳しい。それで――」

 トバルカインの乱入は、カスターにとって予期せぬ幸運だった。
 薊美の令呪に頼るしかない状況が、詰みが、彼女の介入により首の皮一枚繋がった。
 その結果がこの凶弾飛び交う虐殺舞台だ。
 カスター将軍が持ち得る、記憶する、最大最高の殲滅劇が此処にある。

「――友軍、ということで宜しいのだな?」
「今はな。てめえのより優先して獲りたい首がある」
「それは何より! 肌の色が若干惜しいが、いやはや実に心強い味方ができたものだ!
 しかし安心されたし! この私、正しいことを為すならば有色無色にはさほど頓着しない良識派です故!」
「よーしあんまり喋るなよオッサン。手が滑ってブチ殺しそうだからな〜??」

 さて、と。
 並び立つ原初と近代、殺すということのエキスパート達が行く手に立つ少女を見据える。
 光の剣を握り立つ彼女が、この弾雨の中で変わらず佇み続けているのかいかなる理由か。
 わからないし、考えたくもない。考えたところで、意味などないと分かっているからだ。
 
「最前線(フロントライン)は任せても構わないかね。どうも私ではアレに及べなそうだ」
「最初からそのつもりだ。あんたは後ろの白黒か、私が引き出した隙を使って首なり心臓なり狙え」
「了解(オーケイ)。敵と轡を並べるのは些か業腹だが、今は共に星条旗を背負おうか」
「願い下げだ。トリガーハッピーの国なんぞロクなもんじゃねえ。
 偉大を自負する連中ってのはよ、いつか自分で上げたハードルに躓いて大損こくもんなのさ」

 今考えるべきことは、眼前のふたりを殺すこと。
 手管を尽くして、ふたつの命を奪うこと。
 処刑でも虐殺でも構わない、問わない、何でもいい。
 静かに合意を交わしたふたりの虐殺者は、それと同時にすぐさま動いた。
 先陣を切るのはトバルカイン。敵方の隙を伺いつつ駆け回るのはカスター。
 神寂祓葉・楪依里朱――〈はじまり〉を討つための共闘戦線が此処に成立する。


97 : 一緒に居た時の方が、あたし可愛かったなあ(後編) ◆0pIloi6gg. :2024/10/08(火) 23:07:40 EoqfeOTo0

 赤銅の刀鍛冶が軍馬を駆る。
 ひと駆けで、人でなしは"人でなし"に肉薄した。
 振るう刃は神速必殺。既存どの流派にも属さない、ただ殺人に特化した最高効率の斬撃が首筋を狙う。

「わわわわ」

 だが防がれる。
 両者の剣はあまりにも対照的だった。
 片や技の極み、片や稚拙の極み。
 本来ならば戦いなど到底成立し得ない。
 なのに成立している、形になっている。この不条理はいかなるものか。

 軍馬を駆りながら、乗馬中とは思えない身のこなしと手数を実現するトバルカイン。
 カスターや祓葉と同様に、そこには特定の型と呼ばれるものが存在しない。
 いや、そう言っては語弊がある。正確には、斬撃ひとつひとつで毎回型が変わっているのだ。
 流麗から不格好に。誠実から不実に。現実から虚構に。太刀がころころと顔を変える。
 だからこそトバルカインの剣には、"読む"という概念がまったく通じない。
 祓葉がズブの素人であったことが、この時ばかりは功を奏した。極めていればいるほど、人殺しのためだけの剣はより悪辣さを増すからだ。

 そしてトバルカインの放つ斬撃はそのすべてが、当たり前に急所狙いだった。
 脳と首と心臓。この三点だけに攻撃のすべてを集中させている。
 神寂祓葉が不死者であることは先の戦いを見て既に承知済みだ。
 であれば、即死以外の結末に意味はない。もっとも仮にそうでなくとも、この殺人鬼は同じ手を使っただろうが。

「はっ、やいねぇ……!」
「てめえが遅えんだよ」

 容易い敵だ。少なくとも此処までは。
 ただ、不気味なのは――彼女の振るう剣だった。

 トバルカインは、刀剣審美というスキルを所有している。
 武器に対する究極の理解度。見れば活かし方も壊し方もすべてが分かる生き竈に、武器を持って挑むのはその時点で愚行になってしまう。
 その生き竈の目から見て、祓葉の握るあの〈光の剣〉は特に面白みも見どころもない普通の刃物という認識でしかなかった。
 構造のどこにも粋というものがない、こだわりというものが感じられない。まったくつまらない、見る価値もない凡刀である。
 
 だが、トバルカインは光の刀身に微かな"脈動"を見ていた。
 比喩でなく、剣自体が小さく……一秒に一度、ナノレベル程度の脈拍を刻んでいる。
 妖刀の類であれば珍しいことではない、だがあの無機質な刀身にそんな禍々しい自我(エゴ)が宿っているとはどうも思えない。
 とはいえだ。

(このガキがさっきから見せてる戦いぶりは明らかに異常だ。そもそも私と打ち合えてる時点でおかしい。
 光剣(こいつ)が何か悪さしてる可能性は十分にあンな――よし)

 疑わしきは摘む、が殺しの基本である。
 トバルカインは此処で急に狙いを変えた。
 結果、既に急所狙いという魂胆に気付いていた祓葉の反応は露骨に遅れる。


98 : 一緒に居た時の方が、あたし可愛かったなあ(後編) ◆0pIloi6gg. :2024/10/08(火) 23:08:18 EoqfeOTo0

「っ、ぎ……!?」
「とりあえず達磨にしてみっか」

 祓葉の右腕が、肘の部分から寸断された。
 光の剣が宙を舞う。
 咄嗟に祓葉は残る左手を伸ばして剣を追うが、それもあっさりと切断される。
 両腕と得物を失った少女の腹に続いて一閃すれば、残ったのは四肢と臍から下を失った無惨な身体のみだ。
 此処まで三秒。たったの三秒で、トバルカインは神寂祓葉という少女の人体としての全尊厳を剥奪した。

 その上で、満を持して"殺す"ための一刀を振り下ろす。
 地に落ちた祓葉の心臓に切っ先は落ち、抵抗する術のない達磨を貫いた。
 トバルカインは過たない。絶対に、その剣は狙いを外さない。
 今回も彼女の目論見は完全に遂行され、四肢を失った祓葉は原初の剣で心臓を穿たれた。
 此処でトバルカインは剣から伝わる奇妙な感触に気付き、「へえ」と感嘆したような声を漏らす。

「成程な。心臓に何か入れてンのか」

 正しくは、金属を貫いた感覚があった。
 これが不死のからくりだろう、そしてそれを今砕いてやったわけだ。
 セオリー通りならこれで不死は途切れ、この無茶苦茶な生き物は此処までに負った傷と代替心臓の損壊が原因で死に至る。
 その筈だったが、そこでトバルカインの剣は小さな手のひらに掴まれた。
 
 再生を果たした、祓葉の右手だった。

「あー、痛かったぁ……。なんか最近痛い思いばっかりしてる気するぅ……」

 ち、と舌を鳴らすトバルカイン。
 無理からぬことだ、想定される限り最も面倒な事態になったのだから。
 神寂祓葉の不死のトリックは心臓にある。だが、それは単に力の源泉であるというだけであって、急所でも何でもない。
 こうなるといよいよもって、"殺す"ということを成し遂げるのが現実的でなくなってくる。
 再生が完了する前に細切れにする単純作業を延々と続けてエネルギー切れを狙うか、と剣を抜こうとした腕が――しかし動かない。

 手のひらが裂けることなど気にもせず刀身を握る祓葉の手が、どうやっても退かせないのだ。
 トバルカインの筋力はAランクに達する。歴戦の豪傑も裸足で逃げ出す怪力を宿している筈の彼女が、人間相手に力比べで手をこまねいている。
 剣で行われた綱引きの結果は、刃物の方が込められた力に耐えられず砕け散るという形で幕を下ろした。
 ガラスのように割れて飛び散るトバルカインの剣。握るものをなくして空を掴んだ祓葉の手が、ヴヴン、と音を鳴らす。

「……!」

 咄嗟に地を蹴って下がりつつ、トバルカインはさっき腕ごと奪ってやった〈光の剣〉が転がった筈の位置を見た。
 が、そこにもう光剣は存在していない。
 
(存在として"在る"んじゃなくて、こいつの意思に応じて"現れる"のか!)

 これにより、当初考えていた攻略法のほとんどが否定されたことになる。
 不死は潰せず、怪力は絶やせず、武器も奪えない。
 腰を据えて一晩二晩でも殺し続ければエネルギー切れでの破綻も狙えるのかもしれないが、トバルカインはその望みは薄いだろうと考える。
 実際にエネルギー切れという概念が存在するのかどうかをさておいても、些か非現実的なアイデアであると言わざるを得ない。

「ふぅ、直った直った。じゃあ次は……」

 そう、何故なら――

「――こっちからいくよっ!」
「ぅ、おッ……!?」

 この女は、不死云々を抜きにしても普通ではないからだ。


99 : 一緒に居た時の方が、あたし可愛かったなあ(後編) ◆0pIloi6gg. :2024/10/08(火) 23:09:15 EoqfeOTo0

 祓葉の振るった光剣を、懐から抜き出した代えの刃物で受ける。
 瞬間、トバルカインが足代わりにしていた軍馬の背骨がへし折れて即死した。
 ひしゃげた馬体が地面に沈み、トバルカインは転がるようにして光剣の下から逃れるしかなくなってしまう。

 明らかに、祓葉の膂力は先ほどの比ではなく上昇していた。
 自前の剣で完璧に受け止めた筈なのに、込められていた力が強すぎて馬が潰れたのだ。
 新調したばかりの剣だが、もう既に内部構造のあちこちがひび割れているのがトバルカインには分かる。
 人類史における最高峰の鍛冶師が仕上げ、実用に足ると踏んで持ち歩いていた得物が、一度の打ち合いで事実上の半壊を喫した。
 更に厄介なことに、上がっているのは力の桁だけではない。

 速度も然りだった。
 相変わらず動き自体は稚拙だが、さっきまで完全に圧倒されていたトバルカインの速さを今の祓葉は凌駕している。
 その速さから、一撃必殺に達して余りあるだろう剛剣を叩き込みに来るのだからますます災害じみていた。

「ライダー!」
「無論――分かっているとも!」

 業を煮やしたトバルカインの叫びに、呼応する勇敢な声ひとつ。
 祓葉と彼女の後ろに控えるイリスに対してのみ害を成す殺戮の弾幕を背に、カスターの騎兵隊が殺到する。

「いやはや、それにしても本物の不死身とは! 景気が良くて羨ましいなあ!」

 実際――カスターは今、マスター共々かなりの無茶をしている。
 第一宝具『駆けよ、壮烈なる騎兵隊』と第二宝具『朽ちよ、赤き蛮族の大地に』の同時発動。
 カスターの騎兵隊は不滅であるが、それでも永久機関のようには行かない。
 長引けば長引いただけ薊美の魔力は削られ、これが尽きればすなわち第7騎兵隊の終わりだ。
 既に相当数を補充している上での、この殲滅劇(りょういき)の展開である。消耗がないわけがなかった。

「怖じ気付くなよ者共! 晴れ舞台だ、陽気に行こうぜ! Garry Owen, Garry Owen, Garry Owen――!!!」
《Garry Owen, Garry Owen, Garry Owen――!!!》

 旧日本軍のお株を奪う神風特攻。
 騎兵による数に物を言わせた制圧攻撃は、最初から人員の生存を念頭に置いていない。
 更に言うなら、これで殺し切れるとももはやカスターは期待していなかった。
 
「心配するな! 無意味な死だったなどとは誰にも言わせん! 何故ならこれは"大義の戦争"であるが故に!!
 カスターが問おう! 諸君、お前達には何ができる!?」
《Oh we can dare and we can do(我々は挑み、戦うことが出来る)――!!!》

 現に騎兵隊は、片っ端から祓葉の光剣にすり潰されていく。
 身体能力の著しい向上を経た上で振るわれるそれに触れた騎兵は、軍馬共々文字通り"爆散"していた。
 血塗れの光輝が、そこにいる。
 天使のような顔をした、血塗れの悪魔がそこにいる!
 されど。

「……そう。団結した我々は、いつだとてこの国の歴史を変えていくのだ」

 彼らが命がけで挑み、死んだことのその証は、血飛沫と臓物の霧となって祓葉の視界を遮る。


100 : 一緒に居た時の方が、あたし可愛かったなあ(後編) ◆0pIloi6gg. :2024/10/08(火) 23:10:03 EoqfeOTo0
 如何に不死身でも、超人的でも、視界を物理的に遮ってしまえば盲目と同じ。
 盲目ならば怖くなどない、所詮はただの暴走機関車だ。
 そしてそんな気高き地獄絵図を塗って跳び回るのは、時代を越えて"カスター将軍"と手を組んだ原初の"生き竈"。

「まったくクソみてえな全体主義だな。てめえが死んだ後に遺る栄光なんざ、無いのと同じだろうがよ」
「ははは! 君とはまったく価値観が合わないようだな! やはり有色人種とのやり取りは気を遣う!」
「気を遣ってそれなら、あんたに必要なのは勲章じゃなくて道徳の教科書だよ」

 生まれ出ては突撃し続ける騎兵隊の群れ。
 祓葉を穿ち、更に彼女の友人をも常に狙うことで彼女の動きをある程度抑制する弾幕。
 トバルカインは――そのすべてを足場にしながら、驚異的な身体能力で躍動していた。

 軍馬の頭を踏み、それを駆る騎兵の頭を蹴り、自分には害を生まない銃弾をすら時に蹴り飛ばす。
 そうして高速で跳ね回りつつ、十重二十重の斬撃を網のように放って間断なく祓葉を切り刻んでいるのだ。
 祓葉が如何に高速化していると言えども、そこにはトバルカインに及べるだけの技がない。
 ならばこれはまさしく、凶暴な猛獣を狩るのと同じだ。
 数多の命を屠り、死の山嶺を築き上げてきた生き竈の彼女が、今更獣狩りを仕損じる道理はなかった。

 トバルカインの剣戟は、一度たりとも空振らない。
 時折光剣に受け止められることこそあったが、百発放った内の五か六がそうなっただけだ。
 後の九十以上はすべて、祓葉の肉を手足を切り刻んだ感覚を担い手に与えていた。

 人間ならば死んでいる。
 英霊だろうと死んでいる。
 不死身でさえ、苦痛に耐えかねて心が折れるかもしれない。
 しかしそんな血霧の隙間に、トバルカインは見た。

「――――ッ」

 にまぁ、と。
 変わらぬ微笑みで佇む、血まみれで傷だらけの少女の顔を。
 瞬間、背筋にいつぶりかの悪寒が走る。
 北欧の巨人王にさえ一歩も退かなかったトバルカインが、確かな戦慄に毛穴を粟立てた。

(ちったあ堪えた素振りくらい見せろってンだよ、バケモンが……!)

 思わず剣を握る手に力が籠もった。
 生理的な嫌悪感が、彼女にそうさせたのだ。
 そんな時に限って剣が、光剣に弾かれてしまう。
 だが今回は、力加減を誤ったことが災いした。
 これまで巧みな剣遣いでほぼほぼ損耗をゼロにすることで持ち堪えさせていた刀身が、またしても砕け散ったのである。

 ノっている祓葉と打ち合うとなれば、それこそ宝具級の神秘でも帯びていなければ得物が持たない。
 こんな相手と千合以上も切り結びながら刀身を維持し続けていたトバルカインには驚愕だが、一度のミスがその積み重ねを台無しにする。
 そして次の刃を抜くまでの一瞬の隙で、足止めされていた怪物が喜悦満天に血霧の中から飛び出した。

「――あは、捕まえた」

 トバルカインに向かってくる、微笑みの怪物。白い悪魔。
 死をこの上なく身近に感じさせられながらも、トバルカインはそれに笑みで応じることにした。

「――阿呆が。アガり過ぎだぜ、後ろの嬢ちゃんはいいのかよ?」
「っ……!?」

 祓葉が今度は、本当の焦りを顔に浮かべた。
 咄嗟に後ろを振り向こうとしたので、その首を切り落とす。
 首が宙を舞ったことで、望み通り後ろの景色は見られただろう。
 自分へ突撃してくる騎兵隊の波に紛れる形で真横を抜け、イリスの方へと駆けていく、ジョージ・アームストロング・カスターの姿が。


101 : 一緒に居た時の方が、あたし可愛かったなあ(後編) ◆0pIloi6gg. :2024/10/08(火) 23:10:53 EoqfeOTo0


 ――この戦いでも神寂祓葉は十二分に驚異的なことをやっていた。
 単独でのトバルカイン、並びに第7騎兵隊との戦闘。
 イリスに向かう弾丸も、自身がカバーできる方向のものは剣戟の余波だけで大半を散らしている。
 祓葉の存在が、イリスを弾幕から守る巨大な壁となっていたのだ。
 それでも補える箇所は一方向だけだが、色彩の魔女として開花した今のイリスなら残りはなんとか迎撃できる。

 これだけのことができるマスターと言えば、この聖杯戦争においてさえごく限られるだろう。
 ただし、彼女の悪癖もまた健在だった。
 戦いを楽しみすぎること。興が乗り、テンションが上がれば上がるほど、どんどん周りが見えなくなっていくこと。

 だから、トバルカインと騎兵隊を隠れ蓑にして自分という壁を抜ける者の存在にまでは気が回らなかった。
 ――カスター将軍、堂々の進軍。祓葉という嵐をくぐり抜けて魔女狩りに挑む、命知らずの〈カスター・ダッシュ〉である。
 

「……あの馬鹿」

 イリスが顔を顰める。
 床に片膝と片手を突いたままの格好で、彼女は迫りくる蛮勇の米国人を見つめていた。
  
 正直な話、此処までの戦いになるとは思っていなかった。
 実際、この煩わしい"領域"さえなければ危なげなく勝てていた自信がある。
 能力はともあれ肉体は人間どまりであるイリスにとって、防御を貫通する弾幕というのは致死的な脅威だ。
 だからこうして大事な作業に専心している中でも、貴重な脳のリソースをわざわざ迎撃に割かなければならなくなっている。
 黒白をイリスの髪と同じくブロックノイズ状に配置し、球状に広げた自動迎撃システムだ。
 とはいえ過剰思考の代償か、さっきから鼻血が止まらない。ついでに頭痛もだ。祓葉に関わるとろくなことがない、そう思っていた。

 そんな中で、更なる不運がイリスを襲う。
 カスター将軍の進撃が、祓葉をすり抜けて自分に迫ってきたのだ。

「卑怯とは言うまいね、魔女のお嬢さん。君達は実に恐ろしい冒涜者だ――よって、いつも通り手段を選ばず屠ることにした」

 舌打ちと共に、既に色の配置を終えた付近の地面を波打たせる。
 そうして放つのは、色彩の津波だった。
 昔ならば単なる足止め。だが、今はそうではない。
 
 ――《Garry owen》、悪名高き第7騎兵隊。
 ――19世紀程度の神秘ならば、自分でも十分相手ができる。

 イリスはそう判断し、カスターを殺す目的で波を起こした。
 事実、カスターの強みは連隊の召喚による物量攻撃にこそある。
 彼自身は一介の将官に過ぎず、一騎討ちでは英霊としては凡夫の部類だ。
 黒白の魔女が向ける本気の殺意、本気の術式でならば討ち取れない相手ではない。


102 : 一緒に居た時の方が、あたし可愛かったなあ(後編) ◆0pIloi6gg. :2024/10/08(火) 23:11:52 EoqfeOTo0
 その判断自体は、決して驕ったものでもなかったといえる。が。
 波を起こしけしかけてから、イリスはひとつの違和感に気付いた。

(……! 剣が、変わってる……?)

 カスターの武器が、いかにもひと昔前の軍人然とした直刀のサーベルから変わっていたのだ。
 形状自体は似通っている。祓葉の光剣のように振るって斬るのではなく、刺して貫くことを主用途とした騎兵好みの直刀だ。
 だが華美さが抜けている。名誉や勇ましさ、そうしたものを表現する装飾が欠かれている。
 そして、逆に――素人目にも分かるほどに、刃物としての完成度が洗練されている。

 カスターが色の津波に突撃した。
 その剣は、もう無様に砕けない。
 波を切り裂き、色を分かち、騎兵の進軍を続行させる。
  
 ――あのセイバーか!

 イリスが気付くのと、カスターが御満悦顔で感想を呟くのはほぼ同時だった。

「うむ、実にいいサーベルだ! 少々私が振るうには貧乏臭いのが玉に瑕だが……魔女狩りのお供として申し分ないな!」

 白と黒、色彩の残滓を踏み越えて、カスター堂々進軍す。
 目指すは魔女の首級、そして心臓。
 不死身の怪物を殺す前に、確実に潰せる果実を踏む。
 カスターは戦功を愛する。何故ならそれは"栄光"になるからだ。
 聖杯戦争においても、いや聖杯戦争だからこそ彼はその生き方を決して曲げない。
 時空を超え、世界を超え、戦場たる機械じかけの都市に集った役者ども――
 首を獲って皮を剥いだなら、その栄誉は格別の果肉となって自分の心を満たすと分かっているからだ。

 そしてイリスは、窮地に立たされる。
 カスター将軍との正面戦闘。
 普段ならばいざ知らず、祓葉が守っている一方以外の全方位から飛んでくる弾丸を捌きながら特上の業物を握った騎兵を相手取るのは至難だ。
 魔女はその座を追われるのか。六つの衛星のひとつが、早くも此処で墜ちるのか。

 その結末を告げたのは、他でもない魔女(かのじょ)自身の声だった。


「祓葉」


 名前を呼ぶ。
 愛おしい/憎らしい友の名を。
 再生を果たし、トバルカインとの戦闘を続行している祓葉の動きが一瞬止まる。
 今度は振り向きはしない。分かっているからだ、イリスが次に何を言うのか。


「――見つけた。ちょうど、あんたの足元だ」


 言葉の意味を理解できるのは、祓葉だけ。
 トバルカインはもちろんのこと、カスターさえ理解していない。
 だが祓葉は違った。愛らしい笑みを浮かべながら、渾身の大振りでトバルカインを強制的に後退させる。
 そして言うのだ。親友の合図に呼応して、叫ぶのだ。

「おっけー! ここだね!?」

 叫ぶや否やに祓葉が取った行動。
 その意味もまた、イリスにしか伝わらない。
 祓葉は握った光剣を、自分の足元に突き立てていた。
 怪力で床が割れる。選定の剣さながらに、光の剣が突き刺さっている。


103 : 一緒に居た時の方が、あたし可愛かったなあ(後編) ◆0pIloi6gg. :2024/10/08(火) 23:12:46 EoqfeOTo0

「ぶっ壊せ」
「あい分かった!」

 やり取りはそれだけ。
 だが、次の瞬間。

 ――突き立てた光剣が、これまでのとは次元の違う眩さで輝きを帯びた。

「……!?」

 トバルカインが瞠目する。
 英霊でさえ、あまりの眩しさに目を細めた。
 光は治まることなく、溢れ出し続けている。
 同時に撒き散らされているのは、規格外の熱量だった。
 止まりきれなかった騎兵達が、瞬く間に灼かれて塵と消えていく。
 
「――何だ?」

 進むことしか知らない将軍さえ、イリスの反撃に遭うリスクを承知で馬を止めた。
 振り向けば、その勇ましく華々しい顔をも光が照らす。
 カスターの威光が、彼のものでない光にかき消される。

「何が、起きている……?」
「よく見ときなよ、クソ軍人」

 光の真ん中で、神寂祓葉が立っている。
 彼女だけが、その光に存在を許されていた。
 カスターの騎兵が蒸発するほどの熱光にさえ、そのあどけなさは愛されている。
 いや、あるいは。これだけの光をもってしても、灼き尽くせないほどに彼女は眩しいのか。

「――アレが、私達が挑まされるモノだ」

 魔女の、様々な感情が綯い交ぜになった声。
 剣は、天使のように光を放ち続ける。
 誰もが、その光景を見つめていた。
 だからこそ誰もが、それを見た。


 ――――ぴしり、と。世界に、亀裂が入る瞬間を。


104 : 一緒に居た時の方が、あたし可愛かったなあ(後編) ◆0pIloi6gg. :2024/10/08(火) 23:13:12 EoqfeOTo0


「界統べたる(クロノ)――――」


 ヒビが、広がっていく。
 世界が、悲鳴をあげる。
 もしくは、喝采だったかもしれない。
 皮肉にも界の崩れる音は、万雷の拍手によく似ていた。

 いつの間にか、尽きない筈の弾幕がやんでいる。
 過去の悲劇、人類史の汚点。痛みと嘆きの殲滅劇。
 誰かにとっての晴れ舞台(セメタリー)で、誰かにとっての地獄(インフェルノ)だったいつかの日。
 人類史が続く限り決して消えることのない、虐殺の記憶。
 それを、その涙と恨みさえもを、抱きしめて癒やすように。
 よくがんばったね、と語りかけて頭を撫でるように。
 優しく抱擁しながら、灼熱でもって灼き尽くすように――。
 光は轟き、手に取る奇跡の真名は謳われる。


「――――勝利の剣(カリバー)」


 名を告げると共に、ひび割れていた"何か"が砕け散った。
 ソルジャー・ブルーの栄光と、インディアンの悲劇。
 驕りも嘆きも等しく、奇跡の前に散華する。撃滅され、許される。
 神寂祓葉は今、カスターの領域そのものを破壊したのだ。
 
 ――川の風がやんで。
 ――悲鳴と喧騒に揺れる、都市の空気が戻ってくる。



◇◇


105 : 一緒に居た時の方が、あたし可愛かったなあ(後編) ◆0pIloi6gg. :2024/10/08(火) 23:14:10 EoqfeOTo0




 外は、コーヒーショップの悲劇で阿鼻叫喚の様相を呈している。
 だが一方で、店内はまったくの静かだった。
 誰もが、言葉を失っていた。

 栄光狂いの騎兵隊が、いつしか足を止めている。
 物言わぬ走狗である筈の彼らが口を開けて棒立ちを晒している姿は、まるで無声映画のワンシーンのよう。
 あれほど絶えず喧しく響いていた銃声も、軍馬の蹄音も、勇壮な歌も今は聞こえない。

 カスターが、走ることを今だけは忘れていた。
 視線の先には、剣を突き立てたままの少女がいる。
 やがてそれが、ゆっくりと床から引き抜かれた。
 領域が崩れ、劇終を迎えた舞台でひとり立つ白きもの。
 この世の何も憎まない、天使のようなあどけない顔。
 万人、万物に注がれ、そのすべてを平等に壊すのだろう微笑み。
 たなびく白髪、血に濡れた衣服、均整の取れた体つき。
 そして、何よりも――彼女がそこに存在するというごく単純で明快な事実。

「――――なんと、美しい」

 忘我の境に立ちながら、カスターは半ば無意識にそう呟いていた。
 文明を踏み躙り、栄光の礎とすることに何の呵責も抱かない男が、勝利に取り憑かれた魔人が、今この瞬間だけは目の前の美に感嘆している。
 その顔は、神の降臨を目の当たりにした聖職者のそれによく似ていた。
 神の使徒を自称した男が、矛盾そのものの体験に身を震わせているのだ。
 
 これはきっと、冒涜と呼ばれる概念を体現した存在なのだろうとカスターは悟る。
 恐ろしき〈白〉だ。
 おぞましき〈光〉だ。
 そして、美しき〈勝利〉だ。
 神と国に従い、勝利のための殲滅を重ねてきた男にとっては最大の皮肉。
 信ずる神とはまったく違った形で、ジョージ・アームストロング・カスターは、自由の女神を見た。〈極星〉を、見た。

「――おい! ボーッとし腐ってンじゃねえ!」

 トバルカインが叫ぶ。
 瞬間、カスターは「うむ!」と叫んだ。
 つい一秒前まで茫然自失とした姿を晒していた男とは思えない、堂々たる声であった。

「これ以上は馬鹿にも分かる負け戦だ! Peace with honor(名誉ある撤退)と行こう!
 日に二度の撤退はいささか沽券に関わるが、今日のカスターは慎重派とさせていただく!!」

 ジョージ・アームストロング・カスター、高らかなる撤退宣言である。
 軍馬の踵を返し、颯爽と薊美を抱えて去ろうとするカスター。
 追撃として迫る白黒をサーベルで捌く背中は、敗走を喫した側には似合わない勇ましさに満ちている。
 そんなカスターに、トバルカインが叫んだ。

「コラ! 助けてやった代金がまだだぞ、私とウチのマスターも乗せてけ!!」
「ははは! 馬なら無数にある、勝手に使い給え! というか言わなくても勝手に乗るだろう君は!」
「ちっ、クソ野郎が――行くぞコトネ、さっさと掴まれ!」

 哀れな騎兵のひとりを蹴り落として、未だ呆然としているコトネを小さい身体で抱えるトバルカイン。
 そのまま、彼女もカスターに続く形で地獄と化したコーヒーショップから撤退していく。
 これ以上は付き合いきれない。
 いずれは本気で向き合わねばならない相手とはいえ、今はその時ではない。
 こんなモノ、シラフで向き合っていられるか――苦渋と辟易を胸に、小さな刀鍛冶は眉間にたっぷりの皺を寄せた。


 ……こうして。
 平和な午後を血と光で染める、先取りされた最終決戦はエンドロールを迎える。
 後に残されたのはたくさんの破壊と犠牲と、そして〈主役〉とその相棒(バディ)のみ。
 針音の都市に神は実在する。ただしそれは、偉大なモノではないけれど。



◇◇


106 : 一緒に居た時の方が、あたし可愛かったなあ(後編) ◆0pIloi6gg. :2024/10/08(火) 23:14:58 EoqfeOTo0



「――追わないの?」
「そうしたいのは山々だけど、勝ちじゃなくて逃げを狙われたら流石に面倒かな。
 ある程度削りは入れられたし、これでも結果としては上々でしょ。あんまり高望みしたら罰が当たるよ」

 ……楪依里朱が吹き荒ぶ鉄風雷火の中で行っていたのは、カスターの領域の陥穽を探る/創る試みだった。
 魔女は色彩を操る。その力を活用し、床を起点に色を潜り込ませて領域そのものの削りに徹していた。
 結界術の延長線であれば、そこには必ず付け入る隙がある。
 色彩の浸潤によって生まれたごくわずかな陥穽であっても、祓葉の力と出力ならば結界を抉じ開けて破壊することができる。
 前回の聖杯戦争でも用いた、ふたりの十八番と呼んでもいい戦法だ。
 たとえ領域でなく固有結界であろうとも、"成った"祓葉と魔女として成長したイリスのふたりならば同様に破ってみせただろう。
 もっとももう二度と、彼女達が並んで戦う奇跡は起こり得ないだろうが。

「まあ、あんたが追いたいんだったら勝手にすれば。そこまで介護してやる義理もないし」
「ん〜……イリスが追いかけないなら私もやーめた。それに、その方が面白くなりそうだし。強かったなーあのふたり」
「あんたね、いつか絶対その悪癖のせいで足元掬われるよ」

 あんたのことだし、負けはしないんだろうけど。
 続く言葉は、癪なので心のなかに留めておくことにした。

 ともあれ、これで晴れて共闘は終わったわけだ。
 水を差してくる敵がいなくなったのなら、またふたりの関係は元通り。
 青春の残骸、腐乱したいつかの成れの果て。
 そういう間柄に戻って、それきりだ。

「続き、する?」
「……やめとく。ていうかあんたさ、私のこの腕見えないの」
「そのくらいイリスならすぐ治しちゃうじゃん。便利だよね、イリスの魔法。私もそのうち習ってみたいな」
「魔法じゃなくて魔術だって何度言えば分かんの。あとあんたには絶対無理。馬鹿に使える術じゃない」
「イリスもヨハンも口開けば私のことバカとかアホとか、私にだって心ってものがあるんだけどな……?」
「心のある人間は友達の胸いきなりぶっ刺しません。ていうか私の前で男の名前出すな」

 まるで昔のままのように語らっているのに、致命的なほどに以前とは違う。
 そのズレを、イリスは改めてひしひしと感じていた。
 祓葉はどうだろう、と考えようとして、やめる。
 考えるまでもない。こいつは、今も昔もこれからも、きっとずっと同じだ。
 こいつの中ではあの青春も、この腐りきった現在も、地続きの同じ夢の中なのだろうと思う。
 こいつはそういう生き物なのだ。そういう、本当に救えないほど純粋な生き物。

「じゃあ、私そろそろ行くから。もう連絡してこないでね」
「寂しいなあ。私はいつだってイリスとおしゃべりしたいし、また遊びにも行きたいのに」
「それを捨てたのはあんたでしょ、祓葉」

 あの日の青春はもう腐乱して蛆が湧いている。
 どんなに恋しくても、二度と蘇ることはない。
 だから今、改めて"さよなら"を告げるのだ。
 ありったけの殺意と、とびっきりの後悔を乗せて。

「――次は殺すから。あんたを殺して、私は先に行く」

 魔女は、太陽に魅入られた少女は、最後にそう言った。
 〈未練〉を振り切るために、告げた"さよなら"。
 それに対し、やっぱり過去は笑っていた。
 ただし、少しだけ困ったような顔で。
 微笑みながら、踵を返すイリスに言うのだ。


「……そんな顔しないでよ、イリス」

 狂い、堕ちさらばえ、それでもどうしようもなく"少女"を抜け出せない哀れな魔女は。
 ついさっきの自分が、そして今の自分がどんな顔をしているのかも、分からないのだった。


107 : 一緒に居た時の方が、あたし可愛かったなあ(後編) ◆0pIloi6gg. :2024/10/08(火) 23:15:24 EoqfeOTo0
【新宿区・コーヒーショップ/一日目・午後(夕方寸前)】

【楪依里朱】
[状態]:魔力消費(中)、不機嫌、右肩に銃創とそれに伴う出血、未練
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:数十万円
[思考・状況]
基本方針:優勝する。そして……?
0:さよなら、私の青春。
1:祓葉を殺す。
2:蛇杖堂を削りつつあわよくば殺す。……そろそろ戦果を聞いてみるか。
[備考]
※天枷仁杜(〈NEETY GIRL〉)とネットゲームを介して繋がっています。相手がマスターであるとは知りません。
 必要があればトークアプリを通じて連絡を取ることが出来るでしょう。

【神寂祓葉】
[状態]:健康、わくわく、ちょっと寂しい
[令呪]:残り三画(永久機関の効果により、使っても令呪が消費されない)
[装備]:『時計じかけの方舟機構(パーペチュアルモーションマシン)』
[道具]:
[所持金]:一般的な女子高生の手持ち程度
[思考・状況]
基本方針:みんなで楽しく聖杯戦争!
0:またね、イリス。
1:結局希彦さんのことどうしよう……わー!
2:面白くなってきたなー!
[備考]
二日目の朝、香篤井希彦と再び会う約束をしました。


108 : 一緒に居た時の方が、あたし可愛かったなあ(後編) ◆0pIloi6gg. :2024/10/08(火) 23:15:49 EoqfeOTo0
◇◇



 ――薊美ちゃんもいつか、私みたいになれるよ。

 ――もうやだ。

 ――追いつけないよ。

 ――■■■■さんは、あんなにも遠い。

 ――ねえ、なんで?

 
『美しく咲き続けたいのなら、あなたは"太陽"に勝たなきゃいけない』



◇◇


109 : 一緒に居た時の方が、あたし可愛かったなあ(後編) ◆0pIloi6gg. :2024/10/08(火) 23:16:18 EoqfeOTo0



 薊美も、それを見た。
 光り輝く、星を見た。
 
 自分が主役でない舞台というものを、薊美は初めて経験した。
 
 銃弾吹き荒び、剣閃飛び交い、血飛沫舞い散る殲滅劇。
 あの場において、伊原薊美は完全に蚊帳の外の脇役でしかなかった。
 無理からぬことだ。薊美は王子ではあっても、戦士ではない。
 そう言い訳をすることは簡単だ。薊美が"伊原薊美"でさえなかったら、当然としてそう言っていただろう。
 
 けれど彼女は、どうしようもないほどに"伊原薊美"だった。
 茨の王子、並ぶものなき女王さま。
 舞台の上で輝くことを運命付けられ、その生き方に逆らうことをしない稀代の天才。
 そう自負しているからこそ、薊美にはあの時逃げ場がなかった。
 眼を瞑ることも逸らすことも知らない少女は、あの光から逃れることができなかった。

 現実という舞台で輝く極星、あるいは太陽が、そこにあった。
 
 主役を追われたあの子の顔を思い出した。
 自分を妬み疎んで、それでも何もできず袖を噛むしかできない端役どもの顔を思い出した。
 そうして最後に、父の顔を思い出した。
 
 ――『薊美(アザミ)。僕の大切な娘』
 ――『君は、素晴らしい才能に恵まれているんだ』
 ――『僕だけじゃない。皆だって信じている』
 ――『君なら御姫様にだって、王子様にだってなれる』
 ――『その素質を輝かせる道を歩むべきだと、僕は願っている』

 ああ、そうだ。
 伊原薊美は、素晴らしい才能に恵まれている。
 王子にだって、女王にだって、何にだってなれる輝きの子。
 父は薊美を心から愛し、薊美も父を心から愛していた。
 彼の期待に応えるために人生を捧げてもいいと思えるくらいには、惜しみなき無償の愛を心地よく思ってきた。
 
 素晴らしい才能があって。
 皆がそれを信じて。
 お姫様にも、王子様にもなれる。
 その素質を輝かせる道を、歩んでいる。

 そんな"誰か"が、もしも他にいたのなら。
 そしてそれが、あり得ないことだが。
 あり得ないことだが、自分よりももっと眩しかったなら。
 その時、あの心優しい父の瞳は。
 変わらず自分だけに、注がれ続けるのだろうか。
 それとも。


110 : 一緒に居た時の方が、あたし可愛かったなあ(後編) ◆0pIloi6gg. :2024/10/08(火) 23:17:11 EoqfeOTo0

「――ねえ、君」

 肩を揺すられて、薊美は自分が茫然としていたことに気付いた。
 らしくない失態だ。あってはならない間抜けさだ。
 苛立ちを覚えながらも、肩を揺すった女を見上げる。
 名も知らない女だった。けれど、彼女が自分と同じ――聖杯戦争の参加者であることを薊美は知っている。
 褐色肌の剣士(セイバー)。あの太陽と真っ向から渡り合っていた、薊美のカスターと同じ人智を超えた存在。
 それを使役する彼女の姿は、しかしひどく平々凡々としていた。人は見かけによらないと言うのは、少し使い方が違うだろうか。

「大丈夫? 怪我とかしてない?」
「……はい。大丈夫です」
「そっか、強いんだね。私は正直全然大丈夫じゃないよ、まだ心臓ばっくんばっくん言ってるし」

 たはは……と疲れた顔で笑う姿に、少し安堵する。
 見慣れた凡人の顔だ。掃いて捨てるほどいる、林檎の表情だ。
 何故、そんな当たり前に安堵しなければならないのか。
 "例外"など、自分を除いてはただのひとりも存在しないというのに。
 
「ねえ、物は相談なんだけど」
「……なんですか?」
「今、誰かと組んでたりする?」
「特には。……ただ正直、聖杯戦争を見くびってたなと感じてます。
 これまではともかく、これからは少し考えて行かないといけないかも」

 薊美の言葉を受けて。
 じゃあさ、と女は続けた。

「私と、ちょっと一緒に来てくれないかな」
「……どこへ?」
「私が今組んでる子のところ。
 ちょっと……いや、めちゃくちゃ……死ぬほど……変わってる子だけど、私がいれば大丈夫だと思うから」

 その言葉の意味するところが分からない薊美ではない。
 たとえ今、人生の中で数度と経験していない感情の乱れ――動揺に曝されていたとしても。
 才色兼備を地で行く薊美の頭は、目の前の女の提案の意味をちゃんと理解していた。

「……なるほど。利用させてやるから、利用しろ――ってことですか」
「……まあね。でもそういうものなんでしょ、聖杯戦争って」
「否定はできないかも」
「ならいいじゃん。正直私も、いたずらに身内を増やすつもりはなかったけど……アレを見た後だと話が別」

 すなわち、相互利用を前提にした同盟だ。
 戦力を寄与し合い、頭抜けた強者の存在に対抗する枠組みを作ろうと彼女は言っている。
 その薊美の推測は、彼女自身も認めている通り、完璧に的中していた。


111 : 一緒に居た時の方が、あたし可愛かったなあ(後編) ◆0pIloi6gg. :2024/10/08(火) 23:18:09 EoqfeOTo0

 高天小都音が危険を承知で祓葉・イリス組と薊美組の交戦に介入したのにはふたつの理由がある。
 まず第一に、神寂祓葉と楪依里朱のふたりが素人目で見ても分かるほど、明らかに危険な人物だったこと。
 実力も、白昼堂々人目も憚らず殺し合いを始める精神性も、完全に小都音にとっては理解の外にあるそれだった。
 だからこそ、凡人なりに考えて――要らない火の粉を被るかもしれないリスクよりも、あのふたりを彼処で排除できる可能性に賭けた。
 これがひとつ目の理由。そしてもうひとつは、まさしく伊原薊美及びそのサーヴァントに対する打算であった。

「あんな連中がいるなら、私みたいな"普通"のマスターは味方を増やして事に当たらないと話にならないと思ったの」

 自分と仁杜の同盟は戦力だけ見れば今の時点でも十分すぎるほど申し分ないが、情報も戦力も多いに越したことはない。
 もちろん誰でもいいわけではないが、小都音の眼から見て伊原薊美という少女は"話の通じる"相手に見えた。
 何しろこちらの同盟は、ひとり使い物にならないヤツが混ざっているのだ。
 勢力を無駄に巨大化させて崩壊の危険を高めるのは本意ではないが、それにしたって自分以外にもう少し"まともな"人間がいてくれた方が多角的な戦況に対応できるのではないかと考えた。

「それで恩を売りに来たと」
「ヤな言い方するなぁ……。まあその通りなんだけど」
「したたかですね、お姉さん」
「私がしたたかにならないと色々大変なの、こっちは」

 遠い眼をする小都音を見て、薊美はいろいろと察した。
 察するに既にいるという彼女の同盟相手が、よほど"アレ"なのだろう。
 できるならこの血で血を洗う戦いの中で変人奇人と関わり合いにはなりたくない、その気持ちは強い。
 ただ――実際、自分が今持つ戦力だけでどうやってあの怪物を倒すか、というのは薊美にとっても急を要する課題だった。

 輝きの怪物。
 針音都市の〈太陽〉。
 現代の脱出王が預言した薊美の未来。
 今、伊原薊美という人間が何を置いてでも排除せねばならない極星。
 あの存在してはならない存在をどう空から射落とすのか。
 考えを巡らせていて、ふと薊美は自分の心がひどく荒れ狂っていることに気付いた。

 ――ああ、そうか。
 ――そりゃそうだよね。

 しかし失望はなく。
 ただ、納得だけがあった。
 これは自分の人生だ。
 〈伊原薊美〉のためだけの舞台で、筋書きなのだ。
 
 そこに無粋に割り込んで、主役を名乗る誰かがいる。
 足元の林檎としてではなく、自分の先に佇んで見つめてくるモノがいる。


112 : 一緒に居た時の方が、あたし可愛かったなあ(後編) ◆0pIloi6gg. :2024/10/08(火) 23:18:57 EoqfeOTo0

「……殺したくなるのも、当然だ」
「え?」

 目の前に小都音がいるのも構わず、気付けば薊美は呟いていた。
 薊美のことを袖から見つめ、仰ぎ見るしかない者達は誰も知らない。
 彼女が実は、その涼しげな顔と王冠の下に、静かな苛烈と激情を飼っていることなど。
 「なんでもないですよ」と笑って、薊美は小都音へ向き直る。
 そんな彼女の顔は、いつも通りの〈伊原薊美〉のまま。
 誰かを踏み潰して進む、蹂躙の貴公子のまま。
 この先も、彼女は多くの林檎を踏み潰していくだろう。
 
 けれど――意味を持って踏み潰すのは、これが最初で最後だ。

「いいですよ。まずはお話から、で良ければ」

 神寂祓葉。
 地上の太陽。
 白い極星。
 ――〈主役〉を気取る、薊美の舞台の冒涜者。
 
 薊美には目的ができた。
 脱出王には感謝が尽きない。
 おかげで、為すべきことがすぐ分かったから。

 薊美は笑う。
 握った拳を隠して笑う。
 その拳からは――高貴とは無縁のどす黒く濁った血が一筋、地面へ滴り落ちていた。


113 : 一緒に居た時の方が、あたし可愛かったなあ(後編) ◆0pIloi6gg. :2024/10/08(火) 23:19:57 EoqfeOTo0
【新宿区/一日目・午後(夕方寸前)】
【高天小都音】
[状態]:健康、祓葉戦の精神的動揺(持ち直してきた)
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:トバルカイン謹製のナイフ
[所持金]:数万円。口座の中身は年齢不相応に潤沢。がんばって働いたからね。
[思考・状況]
基本方針:生き残る。……にーとちゃんと二人で。
1:女の子(薊美)との交渉。場合によっては、一時の協力。
2:ロキに対してはとても複雑。いつか悪い男に引っかかるかもとは思ってたけどさあ……
3:アレ(祓葉)マジで何? やってられないんだけど普通に……。
4:流れで交渉始めちゃったけどにーとちゃんが喋れるタイプの子じゃなくないか?
[備考]

【セイバー(トバルカイン)】
[状態]:疲労(中)、むしゃくしゃしている
[装備]:トバルカイン謹製の刃物(総数不明)
[道具]:
[所持金]:数千円(おこづかい)
[思考・状況]
基本方針:まあ、適当に。
1:(極めて巨大なストレスと不平不満による声にならないうめき声)
2:ヤバそうな奴、気に入らん奴は雑に殺す。ロキ野郎はかなり警戒。
[備考]

【伊原 薊美】
[状態]:魔力消費(大)、静かな激情と殺意
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:騎兵隊の六連装拳銃
[所持金]:学生としてはかなりの余裕がある
[思考・状況]
基本方針:全てを踏み潰してでも、生き残る。
1:殺す。絶対に。どんな手を使ってでも。
2:お姉さん(小都音)と話す。場合によっては、一時の協力。
[備考]
※マンションで一人暮らしをしています。裕福な実家からの仕送りもあり、金銭的には相応の余裕があります。
※〈太陽〉を知りました。

【ライダー(ジョージ・アームストロング・カスター)】
[状態]:疲労(大)
[装備]:華美な六連装拳銃、業物のサーベル(トバルカインからもらった。とっても気に入っている)
[道具]:派手なサーベル、ライフル、軍馬(呼べばすぐに来る)
[所持金]:マスターから幾らか貰っている(淑女に金銭面で依存するのは恥ずべきことだが、文化的生活のためには仕方のないことだと開き直っている)
[思考・状況]
基本方針:勝利の栄光を我が手に。
1:情けない限りだが、しかし良い物を見た。
2:やはり、“奴ら”も居るなあ。
3:“先住民”か。この国にもいたとはな。
[備考]
※魔力さえあれば予備の武器や軍馬は呼び出せるようです。
※シッティング・ブルの存在を確信しました。


114 : ◆0pIloi6gg. :2024/10/08(火) 23:20:20 EoqfeOTo0
投下終了です。


115 : ◆uL1TgWrWZ. :2024/10/09(水) 08:33:28 jVs/.kB20
高乃河二&ランサー(エパメイノンダス)
琴峯ナシロ&アサシン(ベルゼブブ/Tachinidae)
雪村鉄志&アルターエゴ(デウス・エクス・マキナ)

予約します。


116 : ◆0pIloi6gg. :2024/10/09(水) 15:14:02 WZMhNLHU0
神寂縁&アーチャー(天津甕星)
赤坂亜切&アーチャー(スカディ)
レミュリン・ウェルブレイシス・スタール&ランサー(ルー・マク・エスリン) 予約します。


117 : ◆di.vShnCpU :2024/10/09(水) 23:28:02 5suO/7ak0
ノクト・サムスタンプ
煌星満天&プリテンダー(ゲオルク・ファウスト(+メフィストフェレス))
バーサーカー(ロミオ)

予約します。


118 : ◆0pIloi6gg. :2024/10/15(火) 01:20:49 7SDthl8Y0
投下します。


119 : 君は「引力」を信じるか? ◆0pIloi6gg. :2024/10/15(火) 01:21:23 7SDthl8Y0


 その少年は、その時を迎えるまではごく普通のありふれた子どもでしかなかった。
 
 流行りの漫画を読み、流行りのアイドルを好み、流行りのゲームを遊ぶ。
 友人は多いが、クラスの中心的な立場ではない。
 当時から既に成績だけなら他の追随を許さなかったが、彼はそれを誇りには思っていなかった。
 将来の夢はない。強いて言うなら公務員にでもなって、安定した暮らしをしたいという程度のものだった。

 強いて言うなら、性癖だけは異常であったかもしれない。
 自分より年下――それも小学校低学年から未就学児などに対してしか、恋愛感情と性欲を向けることができない。
 そういう素質は当時からあった。だが当時の彼は思春期の真っ只中である十三歳だ。
 第二次性徴を迎えて程ない多感な時期の少年が、"そういう"性癖に傾倒すること自体はそう珍しいこととも呼べないだろう。
 この世には様々な形の"性愛"が存在する。彼にとってはたまたまその対象が幼い娘であったというだけ。
 その証拠に、彼が人生のレールを大きく間違えた運命の日に至るまで、縁は欲情こそすれども実際に日本の刑法において犯罪と看做される行為に手を染めたことはなかった。

 その日は、えらく暑い夏の日であった。
 茹だるような熱気で、アスファルトからも陽炎が立ち昇るような猛暑日だった。
 帰り道。少年は、前方を歩く赤いランドセルを背負った少女を見つけた。
 少年の性的嗜好はいわゆる小児性愛(ペドフィリア)に分類されるものであったが、これまでその嗜好を行動に移したことはない。
 この日もそうだった。彼を突き動かしたのは、性欲とは完全に別種の衝動だったのだ。


 ――――――――ふと、欲しくなった。


 遊びの約束でもしているのか、鼻歌交じりに弾む足取りで家路につく少女のことが、どうしても欲しくなった。
 思えばそれは、"魔が差した"というやつだったのかもしれない。
 非行とは無縁の優等生が、つい出来心で会計を済ませていない文房具を懐に押し込んでしまうような。そんな衝動に、よく似ていた。

 ただひとつ違うのは、彼には今この瞬間が自分という生物にとっての岐路であるという自覚があったことだ。
 此処でこの黒い衝動に抗って踵を返せば、自分はこの先二度とこんな感情を芽生えさせることはないだろうと確信していた。
 だが逆に、それをしてしまえば今此処にいる自分は満たされることなく少しずつ薄れ、消えていくのだとも感じていた。
 白と黒、過去と未来の交差点。そういう場所に立っているのだと知り、少年は一瞬だけ足を止めた。

 しかしそれだけだった。
 次の瞬間、彼は進む方を選んでいた。
 その後少年が、少女に何をしたのかは語るに及ばないだろう。
 彼の決断の六時間後にドブ川で発見された哀れな少女の死を皮切りに、日本は連日の少女殺しに震撼することとなっていく。

 鳴り響くサイレンの音、臨時休校を報せる学校からの連絡網、マスコミがこぞって繰り広げるセンセーショナルな報道――
 自分という殺人鬼を探し出すべく日本中が躍起になっているのを目の当たりにしても、彼の胸に恐怖はついぞなかった。
 あったのは悦びだけだ。誰より自由であること、自分の行動によって他者の心と体、更にその存在までもを支配すること。
 これまで味わったどの快楽よりも凄まじい陶酔感に、悪魔となった少年は歓喜し、自分の選んだ道が間違っていなかったのを確信した。

 自分は自由で、支配する側の存在なのだという実感を得るための連続殺人。
 六人の命を奪った咎を他人に押し付け、無実の誰かが自分の代わりに永遠の不自由に囚われた時には心が躍った。
 極上の成功体験を得て、自分の〈起源〉を自覚した少年はもはや止まらない。
 ただ奪うのではなく、ただ殺すのではなく、すべてを奪い支配することに彼は病的なほど固執した。

 その上で――決して証拠を残さず、探らせず、自分という存在が蠢いていることを悟らせない。
 この世で最も自由に欲望の果実を貪りながら、一方でそれを誤魔化すための工作と手管は完璧なまでに徹底する。
 大胆と慎重を共に最高の領域で併せ持ち、後に〈支配の蛇(ナ―ハーシュ)〉を名乗る肉食の蛇は肥え太っていった。

 気付けば、肉体も人間のそれではなくなっていたが。
 文字通りの"人で無し"になったことさえ、男にとっては悦びだった。
 文明という藪の奥底へ常に潜み、永久に恐怖と不幸ですべての人類を支配する蛇の怪物。
 それは彼にとって、まさしく理想のカタチそのものだったから。

 そうしてこの国は、今も密かに支配されている。
 誰も気付かぬまま。誰も気付けぬまま。気付いていられぬまま。
 ――今も。彼の食い物にされ続けているのだ。


120 : 君は「引力」を信じるか? ◆0pIloi6gg. :2024/10/15(火) 01:21:58 7SDthl8Y0
◇◇



 スマートフォンが着信を告げた。
 ディスプレイには、見慣れた名前が躍っている。
 安心できる名前だった。ほっと、なんだか胸を撫で下ろしてしまう。
 レミュリンにはなんでも相談できる家族という存在がいない。
 仮にいたとしても"本当のこと"なんて話せるわけもないのだけど、心の拠り所にはなってくれただろう。
 けれどもう一度言うが、レミュリンにはそれがいない。もうずっと昔に、ある日突然すべて失ってしまった。
 今は頼れる父親のような相棒が居てくれるが、それでもやはり、自分の人となりをよく知っていて、自分も相手のことをよく知っている――無条件で心を委ねられる。そういう存在というのは、多いに越したことはなかった。

「あ……もしもし、ダヴィドフ神父。こんにちは」
『こんにちは。ご機嫌いかがかな、レミー』

 アンドレイ・ダヴィドフ神父。
 都内某区、白鷺教会に身を置く本職の聖職者だ。
 彼は、この再現された"東京都"での聖杯戦争にレミュリンが参加するに当たって、正しくはそのロールを成立させる上で、この世界により用意された知人である。
 異国から留学生として東京へやってきた身寄りのないレミュリンの後見人。
 言ってしまえばそれだけの魂の通わない"誰か"……冷たい言い方をすれば聖杯戦争を矛盾なく成立させる上での舞台装置でしかないのだったが、レミュリンはこの人のことが好きだった。

 教会に通う習慣はなかったが、神父というものと語らうことがこれほど心を落ち着かせるものだとレミュリンは知らなかった。
 ダヴィドフはいつだって優しく、親身になってレミュリンの話を聞いてくれる。
 つまらない世間話であっても朗らかに微笑んで相槌を打ち、彼もお返しとばかりに面白い話を振って自分を元気づけてくれる。
 実のところ、レミュリンは此処までの一ヶ月で既に何度も彼に励まされ、勇気を与えられてきた。

「あはは……。元気ですよ。最近ちょっとだけ寝不足だけど、悩みって言ったらそのくらいで」

 そういえば、父はこんな人だったと記憶している。
 決して厳格ではないが、人としてとてもあたたかな人だった。
 今にして思えば彼も自分には言えないものをいくつも抱えていたのだろうが、その辛さや苦労を表に出さない人だった。
 だから、なのかもしれない。この神父と語らう時には決まって、いつもより少しだけ素直になれるのは。

『君が困ったように笑う時は、決まって何か悩んでいる時じゃないか』
「そんなことないですよー……ところで神父さん、何かご用ですか?」
『ああ。実はだね、ちょっとわけがあって連絡先が変わってしまうから――その旨を伝えたかったんだ。
 教会が例の〈蝗害〉に巻き込まれそうでね。やむなく別の区に移り住むことになったから、君には一応伝えておこうと思って』

 流石は聖職者だと思う。
 まさに、レミュリンは今悩んでいる真っ最中だったからだ。
 〈脱出王〉との遭遇。彼女が伝えた、レミュリンという少女がずっと求めていた真実。

 それはさながら、物語のページを読み飛ばしたみたいな唐突だった。
 青天の霹靂。過程も然るべき経緯も、すべてがさらりと消し飛ばされて。
 まるでスカーフの中からコインを取り出す手品のように、それはレミュリンに告げられた。


121 : 君は「引力」を信じるか? ◆0pIloi6gg. :2024/10/15(火) 01:22:44 7SDthl8Y0


 ――君の御両親とお姉さんを焼き殺した犯人は、この聖杯戦争に、マスターとして参加している。
 ――赤坂亜切。
 ――対魔術師専門の暗殺者。
 ――その目で見るだけで人を焼く、発火能力者(パイロキネシスト)。
 ――ロンドンの魔術の名門スタール家の唯一の生き残りである君には、彼に報復する権利がある。


 〈脱出王〉はやはり、奇術師として超一流だった。
 彼女がレミュリンにかけた言葉はまさに奇術(マジック)。
 その運命を無理やりにでも加速させる、お節介な親切だったのだから。
 レミュリン・ウェルブレイシス・スタールはもう、彼女と出会う前には戻れない。
 どうやったってそれは不可能だ。何故なら、レミュリンはもう知ってしまったから。
 自分の探していた答え。探すべき、あるいは挑むべき運命。
 親を殺した仇の名と得体を知らされて尚、何も変わらずにいられる子どもなど居やしない。

「……蝗害、ですか。あの」
『恐ろしい限りだよ。今、この東京は恐怖と不安で満ちている。
 ぼくの愛した国とその民が、夜も眠れないといつだって羽音に怯えているんだ…… 
 ぼくはこの仕事を常々誇りに思っているが、今ほど十字架を切るたびに無力感を覚えたことはない』
「そ――そんなこと言わないでください、神父さま。
 ダヴィドフ神父の祈りはきっと、怯えている人達の心を照らしていると思いますよ」
『はは……そう言ってもらえると少しは気も楽になるよ。やっぱり君は優しい子だ、レミー。ご両親の教育がさぞや良かったのだろう』

 こうして後見人の神父と談笑している時でさえ、レミュリンの脳裏には顔も知らない魔術師の名前がぐるぐる踊り続けている。
 アギリ・アカサカ。赤坂亜切。炎を操る魔術師というその特性は、レミュリンの家族を襲った悲劇とあまりに合致していた。
 それに何より、あの〈脱出王〉はつまらない嘘で人を誑かすような人間ではないと、あのわずかな時間で既に少女はどこか悟っていたのだ。
 
 仇は割れた。
 運命は加速した。
 では、自分は。
 何をどうして、どこを目指せばいいのだろう。
 あの〈三つの選択肢〉の、どれを選べばいいのだろう。

『ところで、レミー』
「え? あ……はい。なんでしょう、神父さま」
『やっぱり、君は今とても悩んでいるようだ』
「っ」

 気を抜くとついつい上の空になってしまう。
 そこで不意に話を切り替えられて、ついしどろもどろになってしまった。
 そんな有様では、一度ごまかした話を蒸し返されてしまっても仕方はないだろう。
 ましてや相手は現職の神父なのだ。祈り、懺悔を日々山ほど聞いて慰めるのが仕事のお人なのだ。
 
『言いたくないことならそれで構わないが……よかったら、ぼくに聞かせてくれないか。
 ぼくが解決できることなら力を貸すし、そうでなくても話し相手くらいにはなれると思うんだ』


122 : 君は「引力」を信じるか? ◆0pIloi6gg. :2024/10/15(火) 01:23:24 7SDthl8Y0
「神父さま……」

 きゅ、とスマートフォンを握る手に力が籠もった。
 その言葉は、今のレミュリンがいちばん求めていたものだった。
 〈脱出王〉が去って、時間が経つにつれてどんどん心のなかで膨らんでいく惑いの風船。
 もう少女のちいさな心はいっぱいいっぱいだ。誰かに聞いてほしい、そんな弱さが生まれてしまうことを誰が責められようか。

 ただ、大恩ある神父を"こちら"の世界に引き込むのは気が咎める。
 だから本当のことを、ありのまま伝えることはどうしてもできない。
 仮に伝えたとしても、この"神父さま"なら親身になって協力してくれるのだろうが――
 それをした結果彼の身に何か起こったなら、その時自分はきっととても後悔する。
 少しの逡巡と躊躇い。その末に、レミュリンは震える口をゆっくりと開いた。

「……どうすればいいか、わからなくなってしまって」
『続けなさい』
「ずっと探していたものが見つかったんです。ずっと知りたかったことが、予想もしない形で判ったんです。
 でも、あまりに突然のことだったから……わたし、自分がそれを知ってどうしたいのかも決められてなくて。心が、ぐるぐるして……それで……」
『……ふむ』

 時間さえあれば、いつかは自分の心というものが分かったかもしれない。
 目指すべき道、取るべき選択。過去に向き合う顔というものを、決められたかもしれない。
 でも、レミュリンの運命は彼女に選択の猶予を許してくれなかった。
 ジェットコースターのようにやってきた"その時"に、レミュリンの心はちっとも間に合わなかった。
 復讐がしたいのか。許すのか。それとも、ただ真実が知れればそれでよかったのか。
 答えは得た。でも納得ができない。あの日の解への、向き合い方がわからない。
 そんなレミュリンの告白に、神父は少し押し黙って。

『多くは聞かないことにする。想像だが、それは君にとってとても大切なことなのだろう。
 善いことか悪いことかは別として、君の人生にとても大きく関わることなのだろう。現に君は、それをぼかしてぼくに伝えている』
「っ……ごめん、なさい」
『謝らなくていいさ。人間誰しも秘密にしたいことや、人に知られたくないことというのはあるものだ。
 ぼくにだってあるとも。若い頃はずいぶん火遊びをしたものでね、教会に通うご婦人が聞いたら頬をぶたれてもおかしくはない』

 だからぼくは、君に"何があった"とは聞かない。
 神父は言う。
 その声は、レミュリンのねじくれた心を少しずつ落ち着かせてくれる優しさに溢れていた。

『ただ、神に仕える者として……人生の先輩として、君に言えることはないわけじゃない』
「……、……」
『君がほんの少しでも、その"真実"に思うところがあるのなら、背を向けるべきではないだろう』

 思うところがあるのかなんて、自問するまでもない。
 率直に言って、大ありだった。
 レミュリンは今も、あの日の喪失に囚われている。
 どんなに楽しいことをしていても、美味しいものを食べていても、ふとした拍子に亡くした家族のことを思い出してしまう。


123 : 君は「引力」を信じるか? ◆0pIloi6gg. :2024/10/15(火) 01:24:19 7SDthl8Y0

 レミュリンの家族の件は、彼女以外にとってはもうとっくの昔に終わったことだ。
 魔術協会の処理はつつがなく済み、社会的にも不運な事故として処理された。
 そしてきっと、殺した側もそうなのだろうとレミュリンは思っている。
 終わった話、済んだ話。時の砂漠に紛れて埋もれた、いつかの話。
 世界で今もそれを引きずっているのは、レミュリンだけ。
 自分だけがまだ、あの日の痛みに足を引かれ続けている――。

『自分の心を押し殺して背を向けて、そうして家に帰って、君はぐっすり眠れるかい?
 いいかい、レミー。生きる上で大切なのは、自分の気持ちと折り合いを付けることだ。
 逆に言えばどうしても折り合いが付けられないなら、それをなあなあにしておくべきではない。
 過去に呪われたままでは、人間はいつまで経っても前へは進めないんだよ。進んだつもりで、堂々巡りを繰り返すだけだ』

 神父の話を聞いて、レミュリンは考える。
 自分は、折り合いを付けられるだろうか。
 あの過去に。そして、アギリ・アカサカに。
 結論は、すぐに出た。

 ――無理だ。わたしはどうやっても、家族(みんな)の顔を忘れられない。

「……ダヴィドフ神父」
『なんだい』
「わたし、知りたいです」
 
 何故、あんなことになったのか。
 あの日、本当は何があったのか。
 知りたい。知らないままでは、何にも納得できないままだ。
 加速した運命が自分に与えた答えと、さらなる疑問。
 心のなかに閉じ込めてきた、時が忘れさせてきた、激情にも似た感情が古傷の開くみたいに滲み出してくるのがわかった。
 そんなレミュリンに、神父は言った。

『ならば、君は知るべきだ』

 レミュリンは、唇を噛む。
 神父の言葉を、今は一言一句聞き逃したくなかった。
 教誨を求めて教会の門を叩く人はきっとこんな気持ちなのだろうと思った。

『進みなさい、レミュリン・ウェルブレイシス・スタール。
 君の進む道の名をわたしは知らないが、きっとその先に君の望む答えがあると思う』

 ――答えは得た。そして、答えは出た。
 わたしは、知りたい。
 あの日のことを。あの日を産んだ"仇"のことを。
 知らなければきっと、わたしはいつまで経っても前に進めない。
 復讐したいからとかじゃない。ただ純粋に、知りたいのだ。
 わたしから家族を奪った人の口から、その答えを聞きたいのだ。

 ダヴィドフに礼を言って、レミュリンは通話を切った。
 傍らのランサーが「どうした?」と問いかけてくる。
 レミュリンは少しの緊張と共に、彼へと向き直り。
 そして、さっきまでとは見違えた真剣な顔で、言った。


「ランサー。わたし――アギリ・アカサカに会いたい」


 そうしないと、この"熱の日々"はきっと終わらない。
 少女は進む。答えを求めて。
 背中を押してくれた恩人の言葉を胸に、レミュリンの聖杯戦争はこの時ようやく、本当の意味で始まりを迎えたのかもしれなかった。


124 : 君は「引力」を信じるか? ◆0pIloi6gg. :2024/10/15(火) 01:24:54 7SDthl8Y0
◇◇



 長く悪事を働き続けるのは、誰にでもできることじゃない。
 夜な夜な布団の中でがたがた震えながら、追跡の手が来ないようにと祈っているような人間では少なくとも不可能だ。
 長く楽しむためには工夫が要るし、頭脳が要る。そして何より、経験が要る。
 もっとも必要ないのは運だ。悪さを正しく重ねていれば、必然的にそこに運の介入する余地など生まれない。
 
 例えば、これは初歩中の初歩だが――
 関わりを持つことになった人間の情報は、どんな手を使ってでも掘れる限りで掘り尽くす。
 興信所に頼ったりなどしない。自分の手と足、そして顔で集めていくのだ。
 そうして知った"真実"を馬鹿正直に伝えるのは、言うまでもなく意味のないことだ。
 ただし自分の記憶の中で塩漬けにするのも、これまたやっぱり意味がない。
 人間は誰しも、自分を理解してくれる他者というものに飢えているものだ。
 したがって誰かに思い通りになってほしい時、この手を使わない理由はない。

 あくまで自分は、あなたのことなど何も知らないよ、と装う。
 その上で絶妙な塩梅で、相手の人生経験における肝の部分を使うのだ。
 的を射すぎてはいけない。言葉と薀蓄で巧みに舗装して、甘い言葉で口説くように語りかける。
 すると、面白いほどに効果が出る。まるで天啓を得たみたいに、自分の進んでほしい方向に歩み出す。
 もちろん、念入りに信頼関係を構築してきた相手なら尚のこと、効果は覿面に発揮される。

 自らの手を汚すのは、どうしても自分でなくてはいけない時だけに留める。
 例えば、子どもを喰らう時などがまさにそうだ。そこには打算ではなく欲望があるから。
 他人に任せられる仕事は、すべてそうすればいい。尻尾を出さなければ、そこに狡猾な蛇は存在しないも同じだ。
 彼はずっとこうして世の中をコントロールしながら、証拠のひとつも残すことなく殺し、喰らい、弄んできた。
 場合によっては偽りのゴールを用意して、違和感を抱いた側の人間に満足感と成功体験を与えて慰めてやる。
 万物を支配するフィクサーが本気になれば、自分自身でさえ"利用された"ことに気付かぬまま手を血に染めた卑劣な悲劇の殺人者を用立てるのさえ造作もないことである。
 百年後にまで語り継がれるだろう悲惨な事件事故の影にさえ、時に彼の存在がある。蛇はどこにでもいて、どこにもいないのだ。


 レミュリン・ウェルブレイシス・スタールは彼にとって殺すべき敵であり、同時にいつか喰べたい候補のひとりだった。
 だが問題がひとつ。彼女の連れている英霊は恐らく、どこかの神話体系における最高位に近い存在だ。
 蛇の擬態はおよそ完璧だが、蛇杖堂の老人がしてみせたように、見抜ける手合いが出てこないとも限らない。
 レミュリンは彼にとって愛しい仔だったが、彼女のサーヴァントは彼にとって邪魔である。
 だから、体よくレミュリンには運命に挑んでもらうことにした。〈葬儀屋〉への接近を誘導したのがそれだ。まさかいるとは思わなかったが。

 レミュリンがどんな答えを出すにせよ、相手が悪名高き禍炎では血の流れない結末はあり得ない。
 そこで彼女のサーヴァントが脱落してくれれば御の字。葬儀屋・赤坂亜切を相討ちにでもしてくれれば更に上々。
 もしレミュリン自身まで命を落とすことになったら残念だが、幸い食いでのありそうな獲物は彼女以外にもいる。
 芳醇な果実をひとつ駄目にしてしまっても、バスケットから次の林檎を取り出せばいいだけだ。
 どう転んだところで、蛇は損をしない。それどころかレミュリンの頑張り次第では、更に追熟した彼女を食らえると来ている。
 問題は彼女の運命を"加速"させた何者かの存在だが、これを蛇はさほど重要視していなかった。
 藪をかき回せば虫が跳ねる。鼠が走り、猫が鳴く。酔狂な誰かの気まぐれでもたらされる混乱は、蛇に這いずる隙を与えてくれる。


125 : 君は「引力」を信じるか? ◆0pIloi6gg. :2024/10/15(火) 01:25:33 7SDthl8Y0


「それにしても……知った顔が多いな」

 『アンドレイ・ダヴィドフ』の顔で、蛇は感嘆したように息を吐いた。
 この顔は、敬虔なロシア人の少年を支配して手に入れたものである。
 蛇は食らった子どもの未来を支配し、己が物として扱う。幸せな、あった筈のいつかの皮を被る。
 少年を食うのは趣味ではないが、顔は多いに越したことはないし、性別の多様性もあって困ることはない。
 いつも美味い肉ばかり食べられたら幸せだが、健康のためには好きでもない野菜も食べる。彼にとって少年を食うのはそういうことだった。
 楽しむためではなく、目的あっての食事。メインディッシュの脇に添えられた葉野菜を口に運ぶようなものだ。

「空回る道化に、代行者の娘。経営に失敗した果樹園の狗、義肢作りの家の次男……彼の親はなんで殺したんだったかな……。
 ともかくその他諸々含めてずいぶん集まったものだねぇ……特に困るわけでもないが、運命の"引力"というやつかな?
 彼らの持って生まれた運命は、僕という宿命に向かうことを望んでいると? いや、流石にそこまでは言い過ぎか」

 意外なことだが、この蛇は過去に何度か捕食に失敗している。
 彼は英霊を寄せ付けぬほど強靭で、悪魔も逃げ出すほどに狡猾な存在だ。
 それでも時に、それこそ運命のいたずらというものを疑うような奇跡の偶然で、難を逃れる獲物がいる。
 琴峯教会の忘れ形見がまさにそれだ。少なくとも蛇は、彼女のことは本気で捕食するつもりだったのだから。
 ともかくそういうことがあった時、蛇はその獲物にはもう固執しないように務めている。
 きっぱりと諦めるのだ。念のため自分を阻んだ要因は排除するが、運命に守られた子どもからは視線を外す。

 無論、生き延びた彼や彼女に対する温情ではない。
 そうした方が無難で利口だから、というだけのことだ。
 また食えそうな機会が回ってきたなら、その時改めて毒牙を伸ばせばいいだけのこと。
 急ぐ理由はなにもない。この世には少女も少年も、掃いて捨てるほど溢れているのだから。

「〈葬儀屋〉と縁のある顔を早い内に捨てたのは正解だったね。
 彼の殺し方は解りやすい。予選の内に気付いて、なるべく自然な形で"死んだ"ことにしておいたが……我ながら気が利くというかなんというか。僕のかわいいレミーに要らない手がかりを与えるのは本懐じゃないからな」

 蛇は表の社会と裏の社会、そして魔術の社会にもその魔手を伸ばしている。
 レミュリンに悲劇を齎した〈葬儀屋〉の存在を感知した時点で、蛇は過去、彼へ接触した際に使っていた顔を捨てた。
 どの道ヤクザの理事長という顔は少々荒事に近すぎる。何かと治安の悪いこの街で暗躍するには不向きだったので、特に損失ではない。

 そう、彼は早い段階から自身と縁(よすが)のある者達の捕捉を完了していた。
 琴峯教会に関しては苦労しなかった。既にダヴィドフ神父として、電話越しだが接触も果たしている。
 高乃家の次男を捕捉できたのは偶然だ。蛇はその嗜好上、全国の幼稚園及び小中高校における児童生徒の在籍状況を常に把握している。
 特にこの世界では都内だけにアンテナを張ればよかったので、早めに高乃河二の存在に気付くことができた。
 雪村鉄志は昔の顔で簡単に動向を掴めたし、暗殺者養成施設/果樹園の生き残りは、彼が殺した人間の外傷ですぐに察せた。

 脅威とまでは思っていない。
 ただ、興味深いとは思う。
 この狭い箱庭に、自分の縁者がこれだけ集まっている事実。
 そこに蛇は、何か見えない力の存在を感じずにはいられなかった。


126 : 君は「引力」を信じるか? ◆0pIloi6gg. :2024/10/15(火) 01:26:22 7SDthl8Y0

「案外、今回の雪村くんはいいところまで行くかもなぁ……ふふ、彼は昔から草の根を分けて泥に塗れるのが得意だった。
 そして本当に大切なものは取りこぼす。本当に求めているものは決して手に入らない。まったくかわいい後輩だよ、実にいじらしい……
 僕に辿り着くことは不可能だとしても、そのうち手を打っておいた方がいいか」

 蛇は、先刻会ったもう一匹の蛇との会話を思い出していた。
 老獪な男だった。よもやこうも早く、自分を見抜く手合いが現れるとは思わなかったのもある。
 実に惜しいと思う。アレがまだ幼年の頃に遭遇できていたなら、自分は今の比にならない躍進を遂げていただろう――欲を言えば少女であったら尚よかった、本当に惜しまれる――。

 誰かに驚かされたのは、ずいぶんと久方ぶりの経験だった。
 この世界にはやはり、この自分でさえ完全には掌握することのできない"何か"が満ちている。
 であれば現状に対する認識はいくらか改める必要があるだろう。
 我ながららしくない台詞ではあるが、此処では〈支配の蛇〉さえ混沌を描きあげる絵具の一色でしかないらしい。
 その事実に屈辱は感じなかった。むしろ、どろりとした欲望の雫がニューロンの底から滲み出してくるのを感じる。
 運命。引力。不可解。いいじゃないか、実に唆る。
 率直に言って。支配、してみたくなる。

「面白い。来てごらんよ、僕のところまで。来れるものならね」

 その時はご褒美に、僕のすべてをお見せしよう。
 にた……と、白い牙を覗かせながら蛇は笑う。
 蛇は己を探るものを許さない。そこには必ず、天罰にも似た厄災が降り注ぐ。
 だがもし仮に、それさえ乗り越えてニシキヘビの実像に辿り着く者が現れたのなら。
 それでもやはり、蛇は悦ぶのだろう。
 悦び、歓迎し、両手を広げながら、支配(ハグ)をする。

 彼はミステリーの範疇にはいない。
 真相を解き明かし、殺人犯を見つけたならば。
 そこで待っているのは正真正銘、この世の理から解き放たれた一匹の蛇だ。
 〈主役〉、〈はじまりの六人〉、そのどちらでもないもう一体の異常存在。

「さて。蛇杖堂のご老人から良い情報も聞けたことだし、データベースを照会しつつ吉報を待とうか」

 〈支配の蛇〉という不条理が――とぐろを巻いてそこにいる。


127 : 君は「引力」を信じるか? ◆0pIloi6gg. :2024/10/15(火) 01:27:01 7SDthl8Y0
◇◇



「……ああ、やっと思い出した。
 そういえば昔いたなあ、蛇みたいなヤツ」

 ファミレスでの一件、雪村鉄志との接触。
 それから少しした頃に、赤坂亜切は目黒区内の路上でぽんと柏手を打っていた。

「あのオッサン、間の悪さで損をするタイプだな。
 もう少し僕との世間話を続ける根気があったら、少しは役にも立てたかもしれないのに」
「なーにひとりでブツクサ言ってんのさ」
「君には関係ない話だよ。君が未来の妹候補カッコカリと抜け駆けしてる間にいろいろあってね」
「興味の有無を決めるのはアタシさ。いいかい? アタシは蚊帳の外ってヤツが嫌いなんだ。隠してもいいけど根に持つよ、ほら話した話した」
「……分かったよ。君に粘着されるのは僕としてもストレスが溜まりそうだ」

 肩を竦めて、亜切は嫌そうな顔で嘆息した。
 この破綻者にこんな顔をさせられる存在は希少である。
 彼のサーヴァントである巨人の女神と、後は精々蛇杖堂の暴君くらいのものであろう。

「〈蛇〉を知らないかと問われてね。僕は興味のない相手を覚えるのが苦手だから、その時は思い出せなかったんだが」
「蛇、ねえ。蛇毒なら持ち合わせはあるけど」
「そういう話じゃない……いや、あるのかもしれないけども。
 とにかく、此処で言うのは在り方の話さ。蛇のように狡猾で実像の掴めない、そういうヤツを知らないか聞かれてるんだと僕は解釈した」
「性格悪いヤツを知ってるかって話? そんなの掃いて捨てるほどいると思うけどねぇ」
「そりゃそうだ。だからまあ、それなりに名なり実力なりのある手合いを探してるんだろう。
 咄嗟には思い出せなかったが、思えばひとり"ぽい"のが居た。もうずいぶん前の話になるけどね」

 〈葬儀屋〉。
 あるいは〈禍炎〉。
 決して過たず、つまらぬこだわりや呵責に左右されることのない念発火能力者(パイロキネシスト)は魔術絡みの裏社会で重宝されていた。
 要人暗殺。復讐。権力闘争。金さえ払えば必ず仕事をこなして帰ってくる存在は、何かとしがらみの多い魔術師の業界では稀有だった。
 それは赤坂亜切がまだ本当の光を知らなかった頃。
 本当に追うべき家族(だれか)を見つけられず、幽鬼のように世を漂っていた頃のこと。
 彼にある依頼を持ち込んだ魔術師がいた。東洋人の男だった。亜切と同じ、日本を生まれ故郷とする男であった。
 
「名前は、確か……山本。山本テーキチ……テーイチ? だったかな。そんな名前だった気がする」
「なんだい。勿体つけといてうろ覚えかい」
「しょうがないだろ。依頼人の顔や名前なんていちいち覚えてないし、此処まで思い出せてるだけでも褒めてほしいね」

 亜切は人の名前を覚えない。
 というか、得意でない。
 "こう"なってからはその欠点も多少改善されたが、世界が狂気に色づく前となると実に朧気だ。
 しかし逆に言えば、その頃の彼でさえ多少印象に残しているということの意味は際立つ。


128 : 君は「引力」を信じるか? ◆0pIloi6gg. :2024/10/15(火) 01:27:54 7SDthl8Y0

 その男の名は、表でも裏でも有名だった。
 殺し屋は仕事をする前に、まず依頼人を調べる。
 何分恨みを買いやすい職業である、依頼人が実はこちらを嵌めようとしているなんてことは珍しくもないのだ。
 だから調べた。結果として、件の山本某は"表"ではヤクザの幹部候補生として名を馳せていた。
 そして"裏"では――ある暗殺者養成施設の運営を一手に担う、野心溢れる守銭奴として知られていた。

「結論から言うと、僕はそいつを結構警戒してた。少しでも不穏な素振りが見えたら始末するつもりだったんだ。結局最後まで、危惧してたようなことは起きないまま終わったけれどね。僕は仕事をして、奴さんは報酬を払った。それだけの縁(えにし)だった」
「それを、アンタは蛇と思った?」
「思ったさ。人間が同族を蛇と呼ぶ時、そうさせる要素は突き詰めると"頭の良さ"だろう? そいつは頭が良かった。プランの指定がとにかく事細かでね、おまけにそれに従うと気持ち悪いくらい上手くいく。うん、こうして振り返ると今の僕でも警戒するだろうな」

 彼が〈葬儀屋〉に依頼した仕事。
 それ自体は、決してなんてことのないものだった。
 結局山本某も最後まで亜切を裏切ることはなく。亜切も、彼の期待に背くことなく仕事をこなした。

「僕がわざわざ記憶の引き出しの奥に残してた理由はそういう非凡さにもあったんだろう。確かに言われてみれば蛇のような男だった。言動もそうだが、ほら、蛇って一般論としては気持ち悪い生き物だろ? 僕もあんまり好きじゃない。とにかく、そっちの意味でもだね」

 赤坂亜切が知る限り、雪村鉄志が行方を探す蛇に類する存在は彼だけだ。
 そしてその男は、この世界にも存在していた。だが、今はもういない。
 広域指定暴力団烈帛會理事長『山本帝一』。彼は数週間前、敵対する暴力団組織による暗殺という形で落命している。
 そういうことに、なっている。何故巨大な立場と価値を持つ顔を蛇が切り捨てたのか、その理由は先に述べた通りだ。

 さりとて。
 文字通り雲を掴むようなものである〈ニシキヘビ〉狩りにおいて、赤坂亜切に過去接触していたキナ臭い"蛇の如き男"の存在が小さくない意味を持つことは間違いなかった。
 とはいえ無論、狂気の徒と化した亜切が自ら鉄志へそれを伝えに行くなんて殊勝な真似をすることはあり得ない。
 彼は試されている。己が運命に、積怨の真実に向かう引力を持つか否かその可能性を問われている。
 あるいは亜切が彼へ持ちかけた"依頼"をこなすことができれば、気まぐれな葬儀屋に対価を払わせることも可能だろうが、さて。

「――おいアーチャー。聞いてんの?」
「ん? ああ、悪い聞いてなかったわ」
「……人に話せ話せとせがんでおいてそれはないだろ、君。
 まあ神様なんて勝手なモノだし、ある意味"らしい"のかもしれないけど」
「そうじゃないよ」
「は?」

 訝しげに眉をひそめる亜切をよそに、スカディは遥か遠くの空を見ていた。
 顔に浮かぶ笑みは、この女神の……狩人の気性を体現するような獰猛。
 雪村鉄志の連れる幼神に向けた顔とは違う、闘志の滾る笑みがそこにはあった。


129 : 君は「引力」を信じるか? ◆0pIloi6gg. :2024/10/15(火) 01:28:49 7SDthl8Y0


「――何見てんだよ、って思ってさ」


 同時に、矢の如く放たれる女神の殺気。
 亜切でさえ骨身が震えるのを感じる神代の威圧が向かう先には、何もないし何も見えない。
 人間はおろか英霊でもまず同じだったろう。この針音都市の中にさえ、彼女と同じ視座を持てる英霊がどれほどいるかという話だ。

 されどスカディは確かに、彼方からこちらを視ている存在を感知していた。
 彼女は女神にして狩人たる存在。その瞳と、天に奉じられた星の眼は敵として立つ者を決して見逃さない。
 空の果てから何かが視ている。見世物じゃねえぞと、女神はそれに中指を立てる。
 次の瞬間の、ことであった。距離にして確実に二桁kmは先であろう空の彼方に、小さな黒点が生まれたのは。
 
 ああ、そういうことか――と亜切は納得する。
 と同時に、黒点の来る方角から半身を翻し、スカディの後ろに立った。
 理解したからだ、アレが何か。

 それは、矢である。射程距離、速度、命中精度、そして込められた殺意。
 すべてにおいて並の次元にはない……英霊の弓。逃げることなど不能、そもそも普通は感知することさえ不能。
 空の彼方よりやって来て、神の裁きのように敵を屠り去る。


 そんな、黒い流れ星。



◇◇


130 : 君は「引力」を信じるか? ◆0pIloi6gg. :2024/10/15(火) 01:29:17 7SDthl8Y0



 アーチャー・天津甕星がスカディを捕捉したのは、ひとえに先ほど彼女の放った"矢"のせいだ。
 彼女は、悪神である。そうと定められ、記録されたモノである。
 屈強な天津神を薙ぎ払い、傲慢なる天に恐怖と戦慄を与えた〈神の敵対者〉である。
 故にその知覚能力は、こと忌々しき神々に対しては通常の数倍もの能力を発揮する。
 そして、理解した。自身の感覚を揺らしたこの神が、ともすれば此度の戦の勝者になっても不思議ではないだけの怪物であることを。

「やべ……まずかったかな。ちょっと判断早すぎた?」

 ついでに言うなら、なんとなく気に食わない気配だった。
 自分の存在を誇示することに躊躇がなく、大上段から周りの命を見下ろしてくる――実に神らしい気配を感じた。
 
 そんなモノが、驚くべきことに自分の視線に気付き。
 数十kmは離れているこの地点まで届き、霊基を震わせるような殺気を飛ばしてきた。
 天津甕星は神の敵対者である。ので当然に、彼女は神を嫌っている。
 憎むとか軽蔑するとか、それ以前の段階で天津甕星は"それら"が好きでない。
 神が神たるその在り方、自分達を地の人間を導き見守る者だと驕り腐ったその態度がとにかく気に食わない。
 ただでさえ嫌いな生き物が、事もあろうに喧嘩を売るような真似をしてきたから。
 だからつい衝動のままに弓を引き、煩いよ馬鹿、と言わんばかりに死の極星を撃ち放った。

 まさしく、神をも恐れぬ所業。
 神に弓を引く短慮。そしてそれを可能にする、神の如き御業。
 
 少女のまま神の座に上り詰めた凶星は、雪村鉄志の幼神と根っこの部分ではさほど大差ない。
 違うのは前を向いているかふて腐れているかの違いであって、だからこそ一時の衝動で暴力を振るう。
 とはいえ、もしかするとまずいことをしてしまったかもしれない、とやった後でそう思うくらいの理性があるのも事実で。

「……とりあえず逃げよっか。無いとは思うけど、わざわざここまで殺しに来るならその時はその時ってことで」

 弓を下ろして踵を返し、ぴゅう、と神の敵たる悪神はこの場を離れることにした。
 忌まわしいが、自分の願いを叶える上で極上の協力者である〈蛇〉をこんな癇癪の後始末にかかずらわせるわけにはいかない。
 こうして、星神は狩猟の神を矢で射るという大不敬をやらかし。
 私は何も知りませんよ、みたいな顔ですたこら去っていったのだった。



◇◇


131 : 君は「引力」を信じるか? ◆0pIloi6gg. :2024/10/15(火) 01:30:46 7SDthl8Y0
【新宿区・路上/一日目・午後】

【レミュリン・ウェルブレイシス・スタール 】
[状態]:健康、決意
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:大きな花束(山越風夏に渡されたもの)(なんとなく持ったままでいる)
[所持金]:6万円程度(5月分の生活費)
[思考・状況]
基本方針:――進む。わたしの知りたい、答えのもとへ。
1:まだ決めきれてはいない。でも、神父さまの言葉に従おう。
[備考]
自分の両親と姉の仇が赤坂亜切であること、彼がマスターとして聖杯戦争に参加していることを知りました。
山越風夏のことを、大道芸人だと認識しています。

【ランサー(ルー・マク・エスリン)】
[状態]:健康
[装備]:常勝の四秘宝・槍、ゲイ・アッサル、アラドヴァル
[道具]:緑のマント、ヒーロー風スーツ
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:困ったことになったな……
0:そうするんだな、レミュリン。
1:レミュリンがこの先何を選択したとしても、ヒーローとしてそれを支える。
2:俺は過保護すぎるのか……?
[備考]
予選期間の一ヵ月の間に、3組の主従と交戦し、いずれも傷ひとつ負わずに圧勝し撃退しています。
レミュリンは交戦があった事実そのものを知らず、気づいていません。
ライダー(ハリー・フーディーニ)から、その3組がいずれも脱落したことを知らされました。


【???/一日目・午後】

【神寂縁】
[状態]:健康
[令呪]:残り3画
[装備]:様々(偽る身分による)
[道具]:様々(偽る身分による)
[所持金]:潤沢
[思考・状況]
基本方針:この聖杯戦争を堪能する。
0:運命、ねえ。本当にあるのかもな、そういうのも。
1:楪依里朱に興味。調べて趣味に合致するようなら、飲み込む。
2:蛇杖堂寂句とは当面はゆるい協力体制をとりつつ、いつか必ず始末する。
[備考]
奪った身分を演じる際、無意識のうちに、認識阻害の魔術に近い能力を行使していることが確認されました。
とはいえ本来であれは察知も対策も困難です。

神寂縁の化けの皮として、個人輸入代行業者、サーペントトレード有限会社社長・水池魅鳥(みずち・みどり)が追加されました。
裏社会ではカネ次第で銃器や麻薬、魔術関連の品々などなんでも用意する調達屋として知られています。

楪依里朱について基本的な情報(名前、顔写真、高校名、住所等)を入手しました。
蛇杖堂寂句との間には、蛇杖堂一族に属する静寂暁美として、緊急連絡が可能なホットラインが結ばれています。

赤坂亜切の存在を知ったため、広域指定暴力団烈帛會理事長『山本帝一』の顔を予選段階で捨てています。
山本帝一は赤坂亜切に依頼を行ったことがあるようです。


132 : 君は「引力」を信じるか? ◆0pIloi6gg. :2024/10/15(火) 01:31:17 7SDthl8Y0
【???(神寂縁とはある程度離れている)/一日目・午後】

【アーチャー(天津甕星)】
[状態]:健康
[装備]:弓と矢
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:優勝を目指す。
0:やっべ……。一応逃げよ。
1:当面は神寂縁に従う。


【目黒区・中目黒/一日目・午後】

【赤坂亜切】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:『嚇炎の魔眼』
[道具]:魔眼殺しの眼鏡(模造品)
[所持金]:潤沢。殺し屋として働いた報酬がほぼ手つかずで残っている。
[思考・状況]
基本方針:優勝する。お姉(妹)ちゃんを手に入れる。
0:面倒臭いことになる予感がしてきたぞぅ。
1:適当に参加者を間引きながらお姉(妹)ちゃんを探す。
2:日中はある程度力を抑え、夜間に本格的な狩りを実行する。
3:他の〈はじまりの六人〉を警戒しつつ、情報を集める。
4:〈蛇〉ねえ。
[備考]
※彼の所持する魔眼殺しの眼鏡は質の低い模造品であり、力を抑えるに十全な代物ではありません。

【アーチャー(スカディ)】
[状態]:健康、すごい笑顔
[装備]:イチイの大弓、スキー板。
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:狩りを楽しむ。
0:(にっこり)
1:日中はある程度力を抑え、夜間に本格的な狩りを実行する。
2:マキナはかわいいね。生きて再会できたら、また話そうじゃないか。
[備考]
※笑顔の意味はおまかせします。


133 : ◆0pIloi6gg. :2024/10/15(火) 01:31:50 7SDthl8Y0
投下終了です。


134 : ◆l8lgec7vPQ :2024/10/15(火) 06:07:53 zP7vkQb60
アンジェリカ・アルロニカ&アーチャー(天若日子)
ホムンクルス36号/ミロク&アサシン(継代のハサン)
蛇杖堂寂句&ランサー(ギルタブリル/天蠍アンタレス)
輪堂天梨&アヴェンジャー(シャクシャイン)
ライダー(シストセルカ・グレガリア)

予約します


135 : ◆0pIloi6gg. :2024/10/15(火) 17:40:49 7SDthl8Y0
山越風夏(ハリー・フーディーニ)&ライダー(ハリー・フーディーニ)
華村悠灯&キャスター(シッティング・ブル)
周凰狩魔&バーサーカー(ゴドフロワ・ド・ブイヨン)
覚明ゲンジ&バーサーカー(ネアンデルタール人/ホモ・ネアンデルターレンシス) 予約します。


136 : ◆di.vShnCpU :2024/10/16(水) 00:05:49 0Cdl9Tm20
予約分、投下します。


137 : 暗躍する火種、掲げられる松明 ◆di.vShnCpU :2024/10/16(水) 00:07:08 0Cdl9Tm20

Q:

 前回の聖杯戦争で、東京は焼けました。誰のせいでしょう?


A:

ノクト・サムスタンプの答え

「そいつは難しい問いだな。単一の原因ではないのは確かだ。
 もちろん最後のトドメとなったのは祓葉さ。
 俺たちの予測を超える速度で成長した彼女は、最終的に全てを焼き払う剣を手に入れた。
 俺自身は拝めずに終わってしまったが、最後に残ったものを一掃したのは、彼女であるのは間違いないだろう。

 ただ、その前の段階でなぁ……。
 どうにも火力の高いサーヴァントが多かったのもあって、その巻き添えって側面もある。
 どいつもこいつも、一般人や建物の被害を顧みず、派手にぶっ放してくれたのはある。
 蛇杖堂の爺様の私兵も、結果的にはかなりの大暴れをした。
 ガーンドレッドの魔術師どもが〈脱出王〉を始末しようと、広範囲を吹っ飛ばすトラップを多用していた時期もある。
 まあ、一言では言い尽くせねぇよ。

 ……俺かい?
 俺の所はささやかなものさ。
 なにしろ抱えていたサーヴァントはアサシンだ。
 広範囲攻撃なんてものには縁がないのは分かるだろう?
 もちろん、色々と策は練らせてもらったがね。
 うちは『手駒』ごとまとめて焼き払われるばかりの、被害者だったよ」


楪依里朱の答え

「はァ? そんなの決まってるじゃない。
 最後のことだけを言うなら祓葉だけど……
 ノクトよ。ほとんどあいつひとりのせい。どうせ本人はしらばっくれるだろうけどね?」


ホムンクルス36号の答え

『私はあの戦いを途中からしか知らない。なので推測が混じるが。
 最も責を問われるべき者を一人挙げるのであれば、それはノクト・サムスタンプだろう。
 期せずして彼の握っていた手札の一枚を知ることができた今、それ以外の結論にはならない』


赤坂亜切の答え

「だれか一人と言うなら、ノクトだろうね。
 あのみっともない男が面倒なことをしてくれて、それでみんなタガが外れたんだ。
 他のみんなを責めるのは酷というものさ。おそらく、そうでもしなければ身を守れなかったんだからね」


〈脱出王〉の答え

「んー。私を追い回して雑な罠を空振りしまくってたガーンドレッドの人たちも面倒だったけど……
 やっぱそれよりもノクトだよねぇ!
 観客のはずの一般人をけしかけてくるんだもん、やんなっちゃったよ。
 他のみんなも、多少は迷ったりしたようだけど、結局最後は容赦なくなぎ倒すしさ。
 まあそのおかげで、私も本当に魅せたい観客――つまり、あの子の存在に気付けたのはあるんだけどね!」


蛇杖堂寂句の答え

「ふざけた問いをするな。
 あの詐欺師に決まっておろう。
 そもそもにおいて、私も、赤坂の小僧の飼い主も、この東京がホームグラウンドだ。
 楪の一族にとっても、一時的にでも当主を派遣できる、貴重な縁ある土地だったはずだ。
 我々は、可能ならば東京という都市を損ねたくはなかったのだ。
 東京を温存したまま、聖杯戦争を終わらせたかったのだ。
 それが多くの者にとっての暗黙の了解だったのだ。

 それを、あいつが、台無しにした。
 雇い主とどういう話をつけたのかは知らないが、あの傭兵は『東京そのもの』を武器として振るった。
 我らは護身のために振り下ろされた武器を打ち払い、結果、東京は砕け散った。

 我が蛇杖堂家の実行部隊についても、雑に使い潰してくれおって……。
 それで結局はあの白き厄災に殺されたというのだから、迷惑千万な無能よ」



  ★ ★ ★


138 : 暗躍する火種、掲げられる松明 ◆di.vShnCpU :2024/10/16(水) 00:08:19 0Cdl9Tm20



「…………マジかよ…………」

お昼過ぎ。
彼にとっての日常の、いつもの通りに起床したノクト・サムスタンプは、ベッドの上で文字通り頭を抱えた。

恋に狂えるバーサーカー、ロミオが居ない。
まあそれはある程度は覚悟していたことだった。
あの気まぐれな男は、意識して嘘をつくような人物ではないが、約束をした所でそれを守り切る能力がない。
主従を結ぶ霊的なリンクは健在で、ノクトの寝ているうちに倒されてしまった、などという最悪は回避できている。

だが……
サーヴァントと繋がる不可視の絆を探ると、ノクトにとっては馴染み深い、魔術的な違和感を伝えてくる。

「……大胆な奴らだな。
 まさか普通の魔術師が英霊相手にそんな無謀をする訳がないし、となると、本命はキャスターか。勘弁して欲しいぜ」

何らかの魔術的な契約が、英霊ロミオと結ばれている。
これが並大抵の魔術師ならばそこまで看破することは出来ないだろうが、あいにくとノクトは並大抵ではない。
まさしく彼の専門分野である。
そして、恋するロミオの困った性状と合わせて考えると、ごく少ないパターンの範囲に可能性を絞り込める。

「使い魔からの情報と合わせると……あー。なるほどな。
 よし見当はついた。
 まだ『仕込み』が終わってねぇんだがな。しょうがねぇか」

ノクト・サムスタンプは、その巨躯をベッドから起こす。
半裸のまま晒された褐色の肌には、びっしりと刻まれた複雑な刺青。
服を着る間も惜しんでスマートフォンを手に取り、どこかへと電話をかける。

『……誰だ? この番号を知る者は限られるはずだが』
「おう、社長さんかい? 俺だよ、俺」
『お前は誰だと聞いている。悪戯や間違い電話なら切るぞ』
「いい反応だ。きっちり『効いて』いるな」
『だから悪戯なら……』
「――ノクト・サムスタンプの名において命じる。『目覚めよ』」

電話の向こうから聞こえてきていた、不機嫌さを隠そうともしない、どこか尊大な男の声は。
ノクトが電話越しに『力ある言葉』を放った途端、豹変した。

『――何か御用でしょうか、ご主人様』
「お前の力と知恵を借りたい。取り次いで欲しい相手がいる。 
 あと、適当な肩書きが欲しい。向こうが無視できない名乗りを上げたい」
『なんなりと用意しましょう。もう少し詳しいお話をお聞かせ願えますか』

ノクトに社長と呼ばれた男は、ノクトの急な無茶振りに怒ることもなく、淡々と従順に言葉を返す。
まさしく忠実な奴隷。比喩でもなく生殺与奪の権すら握られた、哀れな傀儡である。

実に一ヵ月。
この東京という街は、ノクト・サムスタンプという男に、実に一ヵ月もの仕込みの時間を与えてしまった。
手間もかかり、乱発もできない契約魔術であるが……その長い手は、深く、クリティカルな所にまで届いていた。



  ★ ★ ★



英霊ゲオルグ・ファウスト……もしくは、プリテンダー・メフィストフェレスは、不機嫌だった。

〈天使〉との対談のアポイントメントと、聖杯戦争におけるある種の協力関係を取り付けた直後。
彼の下に、無視の出来ない急な一報が入ったのである。

『ごめんねぇ、ヨハンちゃん。アタシも断り切れなくって』
「それは構わないのですが、どういうものなのですか、『特別相談役』という役職は」
『アタシも初めて聞いた肩書きよォ。そんなヒトが居るなんて今までウワサにも聞いたことはないわ』

顔なじみの、テレビ局の敏腕プロデューサーである。
何故かオカマ言葉である以外は極めて優秀な人物であり、多方面に顔の利く便利な男だ。
アイドルのプロデューサーであるファウストにとっては貴重なコネクションであり、今後の活動の要のひとつになる相手だった。
例の爆発炎上悪魔降臨オーディションも、彼との縁で得たチャンスだったのだ。

その便利な協力者が、『それよりも上』から振られた無理難題として、とある要件を持ってきた。
テレビ局の『特別相談役』とやらが、アイドル煌星満天、およびそのプロデューサーと、直接面会したいと言うのだ。
それもあまりにも急な日時を指定して。


139 : 暗躍する火種、掲げられる松明 ◆di.vShnCpU :2024/10/16(水) 00:08:49 0Cdl9Tm20

過剰なおもてなしは不要、そちらの事務所にこちらから伺います、そうお時間は取らせません……
などと、気を使ったようなことを言っては来ているが。
背後にテレビ局の社長の影をチラつかせてのソレは、「断ったら今後どうなるか分かっているだろうな?」という、脅しでもある。
今後も何かとテレビ局の影響力を利用したいファウストたちには、とりあえずは従うという選択肢しかない。

「前情報なしで挑むしかありませんか……分かりました。お手数をかけて申し訳ありません」
『何か困ったことになったら言ってね、アタシはヨハンちゃんの味方のつもりだから』

困惑するテレビ局プロデューサーに重ねて礼を述べると、電話を切る。
気持ちは有難いが、その『特別相談役』とやらと本格的に対立した場合、一社員に過ぎない彼にできることは無いだろう。
煌星満天を擁する事務所は短期間のうちに広い交友関係を築いていたが、会社のトップの篭絡などにはまだ手が回っていない。
むしろスピードを優先して番組制作の現場とのコネクションを優先したのだが、裏目に出てしまったらしい。
大きなため息をつく。

「あ、あの、プロデューサー、大丈夫……なんだよね?」
「安請け合いをしたいところですが、まだ何がどうなるか分からない、というのが本音ですね」

心配そうに電話を見守っていた煌星満天の問いかけに、プロデューサーは軽く首を振る。
かなりの厄介事が向こうから押し掛けてきた。それは間違いない。
しかしその、厄介事の種類が絞り切れない。

よりによって今日という日に何かが起きる理由については、心当たりならひとつある。
しかしあまりにも早い。ありえないくらいに早い。
コトが起きてから向こうが用意したにしては、どう考えても早すぎる。
ならばこの可能性は除外しても良いのか。

ではたまたまタイミングが合致したというだけで、他の聖杯戦争関係者からのアプローチか。
元々、煌星満天が悪魔化する姿を世に示した時から、何らかの形で他の主従が接触してくる可能性は覚悟していた。
弱みを握って脅すにせよ、同盟を提案してくるせよ、ハメて倒そうとしてくるにせよ。
それらはいつか必ず来るはずのものだった。
では、それが今来たということなのか。

あるいは聖杯戦争関係者以外でも、あれだけ目立った煌星満天に、思惑をもって近づく者があってもおかしくはない。
造られた偽りの世界とはいえ、この東京に生きる人々は、それぞれに考えて立ち回って自分の人生を生きている。
先ほどの番組プロデューサーもそうだ。
特にアイドルとしての知名度を求めるこの主従にとって、そういった一般人の動きは無視できない。
下心からの枕営業の提案などであれば高い代償を支払わせる所だが、立場を濫用してのサインの求めなどであれば応える価値もある。

何が来ても、それぞれ対応するための備えは一応用意してある。
しかし、安請け合いは出来ない。無責任に「大丈夫です」とは言えない。

悪魔は意外と、嘘はつかないものなのだ。
嘘をつくことが出来ない、と言い換えてもいい。
誤解を招く言葉を計算づくで口にすることはあっても。
重要な情報を意図的に伏せることはあっても。
全くの嘘と分かっていることを、自覚をもって言うことはしないものなのだ。

がちゃり、と扉が開く。
事務所の女事務員が、顔を覗かせる。

「あの、CEO」
「なんですか急に」
「お客様がお見えになりました。応接室でお待ち頂いています」
「もう来たのですか?!」

いくら何でも早い。予告された時刻よりさらに一回り早い。
この事務所はキャスター・ゲオルグ・ファウストの……プリテンダー・メフィストフェレスの『工房』である。
そのつもりで予め備えておけば、入ってくる者全てを直接見ているが如く認識可能ではあるのだが。
どうやらその猶予すらも与えてもらえないらしい。
英霊は腹を括る。

「では行きますよ、煌星さん」
「は、はいっ!!」

こういう場には不向きなコミュ障アイドルだが、同席を指示されてしまっては仕方がない。
彼は後ろに煌星満天を引き連れて、応接室へと向かう。
果たして、そこには……

「よぉ、お邪魔してるぜ。
 面白い会社だな。精霊が受付嬢をしてるなんてよ。ありゃ人工霊か?」
「……貴方は」
「どうやら御招待されたようだったんでな、来てやったぞ。
 どうした、お前も笑えよ。計画通りだろう?」

嫌でも目を引く、巨躯の男が、陽気に、しかし油断のならない目つきで笑っていた。



  ★ ★ ★


140 : 暗躍する火種、掲げられる松明 ◆di.vShnCpU :2024/10/16(水) 00:09:17 0Cdl9Tm20



座っているから分かりづらいが、推定身長190cm程度の巨体。安物のソファが軋みを上げている。
プロレスラーと言われても納得してしまうはちきれんばかりの筋肉を、仕立てのいいスーツに押し込んでいる。
肌の色は日本人ではありえない褐色。
複雑な紋様を描く刺青が顔や手に見えて、おそらくほぼ全身に及んでいる。

「……とんでもない人ですね。あれ全部『契約書』ですか。
 全体像を見ないと断定できませんが、何かしらの上位存在との重大な契約。それもおそらく一柱ではなく複数」

契約魔術に長けたファウストは、その刺青の真価を一目で見抜いた。
違反をすれば命くらいは簡単に消し飛ぶような、あまりに強烈な魔術的な契約だ。
それによる恩恵も、おそらくそれに見合うレベルのもの。
己の工房たる事務所の中であれば負けることはあるまいが、それでも力押しは避けるべき相手と認識した。

どう見てもカタギではありえない。
隠す気もなく裏の、魔術の世界の住人。
それが『特別相談役』なる、よく分からない、しかし無視もできない肩書きを名乗って、自分の工房に乗り込んできている。

「おや、君も来たのかい!?」
「手間を掛けさせるな、ロミオ。
 せめて一報くらいは入れてくれ」
「それは済まなかった!
 何しろ愛しの『ジュリエット』と出会えてしまったんだ、多少のことは許してくれないか!」
「まあこっちも期待してないがね」

いつの間にか実体化していた英霊ロミオと、気安く言葉を交わす。
間違いない。
ファウストが一度は無さそうだと捨てかけた、第一の可能性。
サーヴァントを奪われたマスターが、向こうからやってきたのだ。

英霊ロミオと交わした契約の中には、知らない第三者がいる場では基本的に姿を隠せ、という条文がある。
煌星満天を守るために致し方ないと判断された時のみ、出てくることが許されている。
そのロミオが何のためらいもなく、緊張感もなく出てくる。
そんな相手はロミオの本来のマスター以外にはありえない。
ようやく理解が追いついた煌星満天が、声を上げる。

「えーっと、つまりこの人、えーーっ!?」
「煌星さんは黙っていてくれませんが。
 ……笑いはしませんが、驚かされました。想定よりもだいぶ早い」
「ノクト・サムスタンプだ。
 お察しの通り、そこのバーサーカーを召喚した魔術師だ。聖杯を巡って戦うライバル同士ってことになるな」
「私はキャスター。英霊戦争の習いで、名を伏せる失礼はお許し下さい。
 仮初の名として『ヨハン』と名乗っております。
 そちらの煌星さんに召喚され、彼女のプロデューサー業を務めております」
「……偶然の一致か? あんま気分は良くねえな。
 ああ、悪いが握手は無しだ。そんなつまらないペテンは無しにしようぜ、お互いにな」

ノクトと名乗った巨漢は何やらよく分からないことを呟きつつ、差し出された右手を拒絶する。
契約を弄ぶ魔術師たちにとって、握手に乗じて何かを仕込むなんてことは初歩の初歩。
プロデューサーはわざとらしく嘆息してみせる。

「他意はなかったのですがね。まあいいでしょう。
 しかし話が早いのは確かです。
 そこのロミオさんは既に我々との契約下にあります。この意味はお分かりですね?」
「俺だってこの時代ではそこそこやれる方だっていう自負があるがね。
 英霊、それもキャスター相手に魔術比べを挑むほど無謀じゃないさ。
 俺の実力では、お前がバーサーカーと交わした契約を解呪することは出来ない。その認識でこの場に臨ませてもらっている」
「では……」
「なので、違うアプローチをすることにした」

敗北を認めつつ、畳みかけようとしたプロデューサーを遮って、魔術師は笑う。
底意地の悪い笑みを浮かべて、そして言い放った。

「――既に東京のテレビ局全て、そのトップ陣を押さえさせてもらった。
 この急ごしらえの名刺の会社の社長だけじゃない。
 全てだ。
 なのでもし俺がその気になれば……例えば、アイドルひとり干すことくらい、簡単だ。
 そっちが路上ライブだけで頑張るんだ、とか言い出したら、尻尾巻いて逃げ帰ることしか出来ないがね」



  ★ ★ ★


141 : 暗躍する火種、掲げられる松明 ◆di.vShnCpU :2024/10/16(水) 00:10:31 0Cdl9Tm20



「――ほ、干すって、困りますそんなの!」
「煌星さんはまだ黙っていて下さい」
「――ノクト、キミと言えども彼女を困らせるようなら、僕もキミの敵になるぞ?」
「てめぇも黙ってろ。
 せめて最後まで話をさせろ。心配しなくても悪いようにはならねえよ、多分な」

双方の役立たずの脊髄反射の発言を、双方の智将が素早く止める。
素早く互いに目配せを交わす。
互いに主導権を握りたい状況ではあるが、まずは互いの足手まといへの対処が先決だった。

「こうなったら駆け引きとか抜きでぶっちゃけちまうとな。
 俺としても、いっそこのまま同盟でも結べれば有難いんだ。
 さっき言ったのはただの牽制だ。
 万が一、最悪のケンカ別れになったらそういうこともできるぞ、というだけの話だ」
「それは分かります。
 そのカードを持っていて、我々と本格的に敵対するのであれば、予告なしに切った方が確実だ。
 こうして出向いて警告してくれている時点で、そちらにそれ以上の思惑があることはすぐに分かります」
「てか、悠長に駆け引きとかしてたら、お互い面倒なことになりそうだな。
 ここはひとつ、腹を括って、お互いの手札をオープンしてしまおう」
「その方が良さそうですね」

これがノクトとヨハン、二人きりでの面会であったのならば、事実ひとつ確認するのに熾烈な探り合いがあったのだろうが。
いつ暴発するか分からない無能な味方の前では、双方ともにそれを諦めた。
視線を交わすだけで、お互いにそれを悟っていた。

「俺にとって芸能活動への干渉は、まあそんなことも出来る、くらいの余技でな。
 本当は報道関係を支配したくてテレビ局に手を突っ込んでいたんだ。まだ完全とは言い難い段階だがな」
 ちなみに『特別相談役』ってのは、俺の影響力の誇示のためについさっき捏造させた、何の意味もない肩書きだ」
「十分過ぎるアピールですよ。
 貴方にそれができる、というだけのことで、私たちは強硬策を選ぶことが出来ない。
 特にアイドルにとってはスキャンダルは大きなダメージになります。
 仮にそれが根も葉もないものだったとしても、手痛い損害を受けてしまう」
「そういう使い方も視野には入っていた。
 またそれとは別の話として、同時進行で、俺はそっちの嬢ちゃんのことも探っていた。例の番組を発端としてな」
「ああなるほど。
 それで手筈が良かったのですか」
「事務所の位置も確認して、近くに宿も押さえて、さあどう交渉するかなって時に、ロミオがお前らに引っ掛かった。
 まあ結果オーライだ。互いに利用する気だって言うんだから、話もスムーズだ」
「ですね」
「確認するぞ。
 そこの嬢ちゃんが起こしたあの現象は、お前の宝具の影響ってことでいいんだな?」
「はい。私の宝具です。
 魔術師の使う魔術ではなく」
「他者強化型の宝具。ある種の能力の委譲。
 それで、戦力にはなるのか? 実際の戦闘において」
「現時点では目晦まし程度ですね。ただ、まだまだここから、大きく伸びる余地がある」
「成長型の能力か。納得だ。
 お前はその能力を使って、聖杯戦争を勝ち抜けると思っているんだな?
 神話に名を残す英雄だろうと、英霊の座を騙して抜けてきた神霊だろうと、真っ向勝負が可能だと」
「はい。理論上、それだけの出力は期待できるはずです。
 彼女の能力を最大限まで育てきることができれば、ですが」
「成長の条件は」
「知名度です。
 この東京における、アイドル煌星満天の知名度。
 英霊が受ける土地ごとの知名度補正を、より極端にしたものと思って頂きたい」
「なるほど。そのためにもアイドル活動で人気を獲得したいと」
「はい」
「そしてそのための時間稼ぎ、成長途中の護身のために、ロミオの戦力が欲しかったと」
「はい。
 こちらとしてもロミオさんが彼女に惚れ込んで付いてきたのは計算外でしたが、渡りに船でした」
「……ちょ、ちょっと、プロデューサー!?
 さっきから聞いてたけど、そういうのって認めちゃっていいの!?
 もっとこう、普段の調子で曖昧に誤魔化したりとか……!」
「ここは駆け引きに使う部分ではないものでしてね」
「可愛いお嬢ちゃんだなぁ。素直で分かりやすいぜ」

あまりにも怒涛の勢いで開示される自陣営の秘密の数々に、煌星満天は我慢しきれなくなって声を上げるが。
プロデューサーからは片手で払うように宥められ、褐色の巨漢にはニンマリとした笑みを向けられただけだった。
ちなみにノクト・サムスタンプという男、意識して笑って見せると、かえって怖く見える。
咄嗟に悲鳴を上げずに耐えた煌星満天のことは、褒めてやってもいいくらいだろう。


142 : 暗躍する火種、掲げられる松明 ◆di.vShnCpU :2024/10/16(水) 00:11:03 0Cdl9Tm20

「こちらからもロミオについて説明しよう。
 こと白兵戦に限れば一騎当千、一対一で互いに手の届く距離なら、誰が相手でも負ける気がしない。
 こないだも、えーっと何て言ったっけな、ギリシャ神話の大英雄のセイバー相手に、真正面から挑んで完勝した」
「ほう。そこまでとは」
「ただし、相手を瞬殺できるようなタイプではない。基本的に戦闘は長引くと思っておけ。
 向こうが搦め手や飛び道具を使ってきた時にどうなるかは、まだ正直、データが揃っていない」
「なるほど、彼も成長型ですか」
「こちらは一回毎にリセットされるようだがな。
 まあそれでも、初期状態でも誰が相手でも瞬殺はされないくらいの実力は期待していい」
「十分でしょう」
「既に分かっているかと思うが、こいつは困った性質を持っている。
 女なら誰を見ても『ジュリエット』にしちまうんだ」
「嗚呼、それは心外な言われようだぞ、マスター!
 僕の心は常に『ジュリエット』一筋だ!
 悪戯な運命が何度でも僕らを引き裂くだけで、星がまた同じ所を巡るように、僕の心はいつだって変わりはしない!」
「……と、当人は言っているが、まあ、そういうことだ。
 幸か不幸か、今までの『ジュリエット』はどれも『短命』でな。
 なので大した保証にもならないが……俺の知る限り、生きている『ジュリエット』を置いて浮気したことはない。
 気休め程度に、頭の片隅に入れておいてくれ」
「いえ、十分過ぎる情報です。ありがとうございます」

プロデューサーは頭を下げる。
どうやら互いに似たタイプの思考の持ち主。
こんな所であえて嘘を混ぜる理由がない。
ひょっとしたらロミオはまた新たな恋を見つけて走り去ってしまうのかもしれないが、仮にそうなっても、ノクトの責任ではない。

「ロミオは当面、お前らに貸しておく。
 上手く使ってやってくれ。くれぐれも雑に使い潰すんじゃないぞ。お前らにとっても得難い戦力のはずだ」
「よろしいのですか?」
「ちと厄介な相手が複数居てな。
 俺としても手札が足りずに困っていたんだ。
 成長型の能力は、多少迂遠ではあるが、状況を打破する切り札にもなりえる。
 先行投資のつもりで、貸しにしておくさ。
 俺の持つテレビ局上層部へのコネクションで、お嬢ちゃんの仕事を支援してやってもいい」
「それはまた利子の取り立てが怖いですね」
「困ったときはお互い様だろう?
 それにお前らにとっても、いずれ対立するはずの相手だしな。
 無為無策で襲われるよりは、俺の助言が聞ける体制でいたいはずだ」
「英霊を手放して、貴方自身はどうされるのですか」
「やれることは限られちまうが、しばらくはサーヴァントなしで暗躍するさ。
 正面からのケンカで勝てるほどじゃないが、逃げ隠れするならいくつか手はある」

至極最もなプロデューサーの問いに、ノクトは己の顔面の刺青を指さして答える。
何らかの高位の超自然存在との契約。
なるほど、英霊を真正面から打破できるモノはほとんど居ないだろうが、逃げに徹するなら勝算がない訳ではない。

「この契約を抱えているおかげで、昼夜逆転生活を強いられていてね。
 さっきロミオの自由を許してしまっていたのも、そのせいだ。
 俺が寝ている間にもそれなり以上の判断ができる同盟相手を、探していたんだ」
「そして私が御眼鏡に叶ったと。なるほど理解しました。
 ところで、こちらからも質問よろしいですか?」
「何だい?」

あまりにも高速の情報交換と意図の確認が一通り済んだ、その一瞬の隙を狙い済まして。
キラリと眼鏡を光らせて、悪魔は鋭く言葉で刺した。

「何回目ですか? この聖杯戦争」




  ★ ★ ★


143 : 暗躍する火種、掲げられる松明 ◆di.vShnCpU :2024/10/16(水) 00:12:04 0Cdl9Tm20



数秒の沈黙。
破ったのはやはり、煌星満天だった。

「何回目って……プロデューサー、一体、何を言って」
「…………やられたな。
 つまらないカマ掛け、そうだろう?」
「はい。
 ダメで元々だったので、適当に言って見ました。まさかとは思っていたのですが」
「確か二回目だったよね、マスター?
 嗚呼、運命の悪戯で、一度は破れたはずの想いに再び向き合うマスター!
 僕にとっては初めての舞台ではあるのだが!」
「お前は黙ってろロミオ。話がややこしくなる」

短い刹那に、驚きと、焦りと、納得と、自嘲の笑みと、コロコロと表情を変えたノクト・サムスタンプは。
観念したかのように溜息をついた。

「悪いな、正直まだ侮っていた。
 まさかこんなに素早く見抜かれるとは思っていなかった」
「違和感は最初からあったのですが、そうですね、一番の要素は、貴方が用意周到過ぎたことでしょうか。
 いかに一ヵ月ほどの時間があったとしても、最初から確信を持って動いていなければ届かない所に手を届かせていた。
 まるで、既に何度か経験していたかのように」
「そこのバーサーカーがネタバレしてくれた通り、まだたったの二回目だよ。
 それも一回目は七人のマスターと七騎の英霊からなる、ごく普通の聖杯戦争だった。
 主従の組み合わせもシャッフルされちまったし、情報や経験の優位なんてほとんど残っちゃいねぇよ。
 まあ、お前たちみたいな『新規参加組』と比べれば、多少は心構えも違うんだろうけどな」
「では先ほどおっしゃっていた、煌星さんの成長に期待する『厄介な相手』というのも」
「悪いがそこから先は、流石の俺も口が堅くなるぞ。
 今の時点では欲張り過ぎだ。せめて信頼と実績を稼いだ後にしろ。これから知る機会はいくらでもあるはずだ」
「失礼致しました」

隣で聞いていた煌星満天にとっては、よく分からないやりとり。
かろうじて彼女にも理解できたのは、このノクトという男にとって、この聖杯戦争は二回目だということ。
そして、既に契約で縛ったロミオとともに、どうやら当面、共闘することになるらしい、ということだった。

「……えっ、待って、つまりそこの変質者だけじゃなくって、この怖い人とも組むの?!」
「声に出てしまってますよ煌星さん」
「わはは、素直な嬢ちゃんだ。
 すまんなあ、生まれついての強面で」
「ああ愛しのジュリエット、怯えることはないよ! この男はこう見えて、恋に生きる一途な男なのさ!」
「え……恋、ですか……?!」
「余計なこと吹き込むんじゃねぇよ」
「それはもう、死の運命すらも覆して挑む第二の挑戦さ!
 彼の恋路の険しさと言ったら、並大抵の神話では太刀打ちなんてできないほどさ!」
「そこの狂人の戯言は真面目に聞くんじゃねぇぞ。
 バーサーカーとは会話ができねぇってのが聖杯戦争の常識だ」

経験豊富な先達として、常識まで教えてくれる。
そんな厳つい外見の愉快な同盟相手は、どこか楽しそうに煌星満天を見やる。

「ただまあ……俺としても、気になるな。
 お嬢ちゃん、あんた、トップアイドルになるんだって?」
「は、はい。その、まだ道のりは遠いですけど……そのつもりです」
「この俺の心も、奪ってみるか?」

からかうような問いかけに、少女は一瞬だけ悩んだ。
一瞬だけだった。
迷いと不安を振り払うかのように、大きな声で応える。

「い……いつか必ずっ! なので、が、頑張りますっ!!」
「いい返事だ。期待してるぜ。
 ……なのでそうだな。ここはお嬢ちゃんに選んでもらうか」
「え? 選ぶ?」

ドサドサドサッ。
満天が首を捻ったその瞬間、ノクトは応接間のテーブルの上に、いくつかの書類をぶちまけた。
何かの企画書である。それも複数。

「さっきも言ったが、俺はここしばらく、報道関係を押さえようと奔走していてな……。
 なので、今すぐアイドルに回せる仕事ってのは限られちまうんだが。
 確か『報道バラエティ』って言う番組ジャンルだったか?
 話題急上昇中のアイドルでもなんとかねじ込めそうな仕事をいくつか持ってきた」
「手が早いですね」
「こういうのは鮮度が大事だからな。そして本人にやる気が無けりゃなんともならん。
 危険が無いとは言わないが、そうでもなけりゃ知名度アップは望めないだろう?
 最悪、ロミオがついてりゃ死ぬことはねえだろうし」

嫌な予感が煌星満天の背筋を伝う。
ノクト・サムスタンプはニンマリと笑う。例の無表情より百倍怖い、あの笑顔で。


144 : 暗躍する火種、掲げられる松明 ◆di.vShnCpU :2024/10/16(水) 00:12:46 0Cdl9Tm20

「さあ選択の時間だ。どちらも被害甚大な現地からの体当たりレポート。
 アドリブ勝負の自己アピールチャンスだ。
 リアクション芸が映える話題のアイドルにピッタリの仕事。

 東京を揺るがす二つの災厄。『蝗害』と『半グレ集団の大規模抗争』。

 どっちに行ってみたい? どちらも嫌だ、は通らないからな」

どちらとも無縁の煌星満天ですら、どちらも聞いたことのある特大の災厄。
可能な限り避けて通ってきた、見えている特大地雷。

「…………嫌ァァァァァーーーーーーーーーーーッ!!!!!」

あまりの無茶振りに、煌星満天は天井を仰いで、ちょっとだけ泣いた。



【台東区・芸能事務所/一日目・夕方】

【煌星満天】
[状態]:健康、色々ありすぎて動揺したりふわふわしたりで心がとても忙しい
[令呪]:残り三画
[装備]:『微笑む爆弾』
[道具]:なし
[所持金]:数千円(貯金もカツカツ)
[思考・状況]
基本方針:トップアイドルになる
1:どっちもやだーーーーーーーー!
2:魅了するしかない。ファウストも、ロミオも、ノクトも、この世界の全員も。
[備考]
 聖杯戦争が二回目であることを知りました。

 ノクトの持ち込んだ『蝗害の現地リポート』『半グレ抗争の現地リポート』のどちらを選ぶかは、後続の書き手にお任せします。


【プリテンダー(ゲオルク・ファウスト/メフィストフェレス)】
[状態]:健康
[装備]:名刺
[道具]:眼鏡
[所持金]:莫大。運営資金は潤沢
[思考・状況]
基本方針:煌星満天をトップアイドルにする
0:輪堂天梨と同盟を結びつつ、満天の"ラスボス"のままで居させたい。
1:ノクトとの協力関係を利用する。とりあえずノクトの持ってきた仕事で手早く煌星満天の知名度を稼ぐ。
2:時間が無い。満天のプロデュース計画を早めなければならない。
3:天梨に纏わり付いている"まがい物"の気配は……面倒だな。
[備考]
 ロミオと契約を結んでいます。
 ノクト・サムスタンプと協力体制を結び、ロミオを借り受けました。
 聖杯戦争が二回目であることを知りました。


【バーサーカー(ロミオ )】
[状態]:健康、恋
[装備]:無銘・レイピア
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:ジュリエット! 嗚呼、ジュリエット!!
1:ジュリエット!! また会えたねジュリエット!! もう離しはしないよジュリエット!!!
2:キミの夢は僕の夢さジュリエット!! 僕はキミの騎士となってキミを影から守ろうじゃないか!!!
3:ノクト、やっぱり君はいい奴だ!!ジュリエットと一緒にいられるようにしてくれるなんて!!
[備考]
 現在、煌星満天を『ジュリエット』として認識しています。
 ファウストと契約を結んでいます。


145 : 暗躍する火種、掲げられる松明 ◆di.vShnCpU :2024/10/16(水) 00:13:21 0Cdl9Tm20



  ★ ★ ★



前回の聖杯戦争で組んだ『アサシン』は本当に良いパートナーだった。
ノクト・サムスタンプは、考えても仕方ないことと理解しつつ、それでも何度でも考えてしまう。
あいつが今回も手元に居てくれれば、こんな相手と泥縄で組んで、こんな茶番を演じずとも済んだろうに。

と言っても、一般論で言えば、あまりアタリとは言い難いサーヴァントではあった。
そもそもアサシンである。マスター狙いの一手に特化したような、ほとんどハズレのクラスである。
さらに言えばそのアサシンの中でも、彼は殺傷力に恵まれてはいなかった。
もちろん英霊として座に刻まれるくらいだから基本的な身体能力はある。
けれど肝心の宝具が、殺傷力とは異なる方向に特化していた。

さらに言えば、そのアサシンの持つ能力は、ノクトの元々持っていたスキルとだいぶ被る性質があった。
多少の方向性の違いはあったが、どちらもヒトを支配し利用するもの。
サーヴァントとマスターで能力が被るなんてことは、普通、嘆いてしかるべき事態である。
多くの場合、どちらかの持ち味が損なわれてしまう。

それでも、他ならぬノクト・サムスタンプにとっては、彼はベストなパートナーだった。
思考の回転の速さ。
ノクトの意図を素早く察する聡明さ。
汚れ仕事を厭わない、その非情さ。
ノクトが昼夜逆転生活で寝ている間についても、全ての判断を任せて問題がないくらいの代理人でもあった。

何より――ノクトの魔術と重なる部分のある、そのアサシンの宝具は。
他の主従に大きな混乱と疑心暗鬼を生み出した。

手間と時間がかかり連発は出来ないが、一般人を深く強くコントロールできるノクトの契約魔術。
用途は限定されるが、多くの一般人を一瞬でコントロール下に置けるアサシンの宝具。
この組み合わせは、他の主従からはどこまでがサーヴァントの仕業で、どこからがマスターの魔術かの判断を困難にした。
数多の一般人が一瞬で深く強く支配されるとの、幻想を描き出した。

結果として、多くの場合、降りかかる火の粉を払うために、過剰な反撃が行われ、数多の犠牲が出ることになった。
東京という街も、その過程で多くが焼けた。

「ほんと、お前が居てくれたらなあ……。
 偉大なるハサン・サッバーハ。
 暗殺教団の中興の祖。
 人呼んで、『継代』のハサン」

もはや縁の繋がっていない、かつての相棒の名を、彼は誰にも聞こえない小さな声で呼んだ。


【台東区・芸能事務所/一日目・午後】

【ノクト・サムスタンプ】
[状態]:健康、恋
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:莫大。少なくとも生活に困ることはない
[思考・状況]
基本方針:聖杯を取り、祓葉を我が物とする
0:当面はサーヴァントなしの状態で、危険を避けつつ暗躍する。
1:ロミオは煌星満天とそのキャスターに預ける。
2:とりあえず突撃レポート、行ってみようか?
3:当面の課題として蛇杖堂寂句をうまく利用しつつ、その背中を撃つ手段を模索する。
4:煌星満天の能力の成長に期待。うまく行けば蛇杖堂寂句や神寂祓葉を出し抜ける可能性がある。
[備考]
 東京中に使い魔を放っている他、一般人を契約魔術と暗示で無意識の協力者として独自の情報ネットワークを形成しています。

 東京中のテレビ局のトップ陣を支配下に置いています。主に報道関係を支配しつつあります。
 煌星満天&ファウストの主従と協力体制を築き、ロミオを貸し出しました。

 前回の聖杯戦争で従えていたアサシンは、『継代のハサン』でした。
 今回ミロクの所で召喚された継代のハサンには、前回の記憶は残っていないようです。


146 : ◆di.vShnCpU :2024/10/16(水) 00:13:54 0Cdl9Tm20
投下終了です。


147 : ◆di.vShnCpU :2024/10/16(水) 00:23:11 0Cdl9Tm20
あっ失礼しました、ノクトの方の状態表も時刻を夕方とします。


148 : ◆0pIloi6gg. :2024/10/18(金) 23:54:07 ZRI4jekM0
投下します。


149 : 天竺 ◆0pIloi6gg. :2024/10/18(金) 23:54:47 ZRI4jekM0


 時刻はじき十六時になろうとしていた。
 日が傾き、何となく肌寒くなってくる時間帯だ。
 いわゆる夕方。黄昏時にはまだ早く、逢魔が刻にもまだ早い。

 逢魔が刻とは、他界と現実を繋ぐ時間の境目であるとされる。
 昼と夜が入り混じり、光と闇が交差する。
 魔物や妖怪が蠢き始め、正常の蓋が外れて災いが這い出てくる。
 だから昔の人は夕方という時間帯を畏れ、魔に逢うぞと子を戒めた。
 
 されどこの街においては、特定の時刻をそう呼称して警戒することに意味はない。
 何故か。簡単だ。この街はそもそもからして、魔の側が築いた幽世の仮想都市であるからだ。
 魔が築き、魔が統べる都市に、たまさか人間が迷い込んでいる。
 だから此処では、昼夜を問わずに魔が歩く。魔に、出逢う。
 
 剣呑な身形の青年が、人のいない路地の一角で煙草を吸っていた。
 煙草の味を好きと思ったことはないが、ニコチンの緩い酩酊には用がある。
 フィルター5ミリの、物々しい外見とは裏腹に軽く微かに甘い煙草を吹かして。
 佇む男の名は、狩魔。魔を狩る者、と名付けられた、首のない騎士(デュラハン)の大元締めであった。

 煙草を覚えたのは暴走族に入ってすぐのことだった。
 何故非行少年が煙草を吸い始めるのか。格好いいからだ。少なくとも狩魔の周りは、皆そう。
 元々大柄で顔立ちも端正な部類である彼が煙を吹かす姿は当時から大層絵になった。
 彼自身、気の置けない仲間と並んで煙を味わう時間は心地よかった。
 そんな思い出があるから、嫌煙分煙の潮流が主流になった今でも狩魔はこの吸引する毒物に金を払い続けている。
 煙草はいい。気が落ち着くし、何より人を待つ時の手慰みには最適である。
 周凰狩魔は今、人を待っていた。

「やあ。お待たせ」

 斜陽の照らす路地の向こうから、すたすたと歩いてくる影があった。
 少女だ。金髪で大柄、両腕にタトゥーを彫り込んだ明らかに反社の香りがする青年と交流するには、明らかに不似合いな美少女。
 ただ彼女が凡庸で幼気な娘であるのか、正確には狩魔の華に見合わない平々凡々とした娘であるのかと言われれば、その答えは否になる。
 不似合いなのは年齢と容貌だけ。その装いに限って言うなら、彼女はこの半グレにも決して劣らない存在感を有していた。

 濃い茶髪のベリーショートに、男女どちらにも受けるであろう中性的な顔立ち。
 纏っているのは、マジシャンやステージスターを思わせるタキシード。
 今から舞台にでも出るのかというほど丹念に施されたメイクは、元々絶世であるその見た目を更に高めあげている。
 そんな少女が、見るからに犯罪の匂いのする厳つい男に駆け寄っていく様はライトノベルの一頁のような非現実感を伴っていた。


150 : 天竺 ◆0pIloi6gg. :2024/10/18(金) 23:55:39 ZRI4jekM0

「人呼んどいて遅刻してんじゃねえよ」
「やはは……。いやあ面目ない。遅れるつもりはなかったんだけどね、君時間にうるさいから」
「当たり前だろ。約束した時間を守るってのは人間として最低限のことだろうが。味方か敵かも未だに解んねえ奴なら尚更だ」
「君って確かに優秀な男ではあるんだろうけど、時々ちょっとズレてるよね」
「お前にだけは言われたくねェーよ。……で」

 彼には今、対等な人間というものがいない。
 対等な"怪物"ならばいるが、周りにいるのは部下と舎弟だけだ。
 この東京において、かの騎士以外に狩魔へこんな口を叩ける人間は今のところ他にいない。
 ましてや味方でも敵でもない、そんな微妙な立場に居ながら。本人もそれを否定しない、微妙な関係性でありながら。
 されど彼女という人間を知る者であれば、誰ひとりそれに違和感を抱きはしないだろう。
 彼女は常にこうなのだ。こういう生き方しか知らないし、できないし、やらないのだ。

「何の用だよ。山越」
「迷ったんだけどね、私は〈デュラハン(きみたち)〉につくことにしたよ」

 何故なら山越風夏は、奇術師だから。
 天性のマジシャン。現代の〈脱出王〉。
 ステージに立って人を驚かすことを生業とする演者が他人に遜っているようでは三流以下だと、彼女はそう自認している。
 風夏の言葉を聞いた狩魔は、わずかに沈黙した。
 長くなってきた灰を手元の携帯灰皿に落とし、もう一度煙草を口に運んで、少しミルキーな煙を吸い込む。
 肺に入れて、ニコチンを回して、透明感のある白色の煙を吐き出して。

「……どういう風の吹き回しだ? お前は終わるまでずっとのらりくらりしてるもんだと思ってた」
「簡単なことさ。その方が面白いと思った。私がそういう理由でしか行動しないことは君も知ってるだろう?」
「それで説明になると思ってるんなら、お前はもう少しコミュニケーションってもんを学ぶべきだな」

 回答になっていない、けれど彼女が口にする場合に限ってはこの上なく明快な"回答"であるその言葉を聞いて、狩魔は思い出していた。

 山越風夏と周鳳狩魔が縁を結んだのは、彼がこの世界で演者として覚醒し間もない頃のことだ。
 〈デュラハン〉のメンバーが経営しているバーで酒を飲んでいると、いきなり彼女が入店してきた。
 ガキの来る場所じゃねえぞ、と諌めるバーテンダーの声を無視して、風夏は狩魔の隣に座り。
 そしていきなり、こう言ったのだ。彼にしか分からない言葉を、弄した。

『――やあ、周凰狩魔くん。楽しんでるかい、聖杯戦争を』

 その日から、風夏と狩魔は文字通り敵でも味方でもない関係を続けてきた。
 狩魔は彼女のサーヴァントを知らず、そして彼女に自分の騎士を見せることもしていない。
 何故残忍なるデュラハンの長がそんな得体の知れない相手を生かしているのかと言えば、毒にも薬にもならないからだった。
 山越風夏は時折現れる。何か介入してくるわけでもなく、何を求めてくるでもなく。
 警戒をやめたわけではないが、かと言って目くじらを立てることに意味はないのだと理解するのは早かった。
 
 何故なら彼女は、何かと敵対する、という行動原理を基本的に持たない。
 奇術師の仕事は戦い競うのではなく、自分の技術で誰かを楽しませて魅せること。
 無害と呼べば言い過ぎだ。いずれは殺さねばならない相手であるのは変わらない。
 だが逃げること、生き延びることにかけて超一流のマジシャンを相手に進んでそれをする旨味は現状、どうにも薄い。
 そんな結論を導き出した結果、狩魔は自分勝手な奇術師の接触をとりあえず今日まで許していた。

 が――此処で、事が大きく動いた。
 どこにも付かず、誰にも利さず、敵対もしない自由人(フリーマン)。
 その彼女が自分達に力を貸すと、そんならしくなすぎる言葉を吐いてきたのだ。


151 : 天竺 ◆0pIloi6gg. :2024/10/18(金) 23:56:30 ZRI4jekM0

「冗談だよ。半分はね」

 訝る狩魔の目線に、風夏は肩を竦めて苦笑した。
 はっきり言うが、狩魔はこの〈脱出王〉を信用はしていない。
 信用できる要素が欠片もないし、何より奇術師に信頼を置くことほど馬鹿げた話もないだろう。
 人を嵌めて騙し驚かせるのを生業に生計を立てている人種に胸襟を開くなんて、馬鹿のすることだ。
 詐欺師に財布を見せて懐事情の相談をするようなものである。仕事柄、誰かのカモになる気は毛頭なかった。

 狩魔がそう考えるし、そう考えていることは風夏も承知していたのか。
 彼女は続いて、今度はもう少し具体的な"理由"を彼に語り始める。

「君さ、〈刀凶聯合〉ととうとう雌雄を決するんだろう?」
「地獄耳だな。今更驚かねえが」
「嵐が起こるのは大歓迎だ。それは私の目的を叶える上で、必ずや大きな一助になる。
 そこに〈脱出王(わたし)〉の奇術が混ざれば、たちまち極上の舞台が完成すること請け合いさ」
「頼んだ覚えがないのは俺の気の所為か?」

 そう、この程度で今更驚きはしない。
 山越風夏という人間/演者について狩魔は必要以上に突っ込んだことがない。
 聞いたところで意味深にはぐらかすだけだろうと思っていたし、彼女も自分について語ろうとすることはなかった。

 ただ――私見で言うならば、この女は確実に一般人(カタギ)ではないのだろうと思っている。
 何しろ明らかに挙動が異常だし、勘と耳の良さも然りだった。
 語った覚えのない情報がいつの間にか知られている。
 どこそこのマスター同士が派手に揉めてどちらが勝ったどちらが死んだと、見ていなければ知り得ない情報を平然と語ってくる。
 自分と同じく裏社会の人間なのか、魔術師なのか、それともまったく別な"何か"なのか。
 だからこそ狩魔は、ついさっき行われた"宣戦布告"について当たり前のように言及してきた風夏へ驚かずに済んだのだ。

「悪国征蹂郎。彼も面白い男ではあるけどね、とはいえ私はあの子達とはノリが合わないと思うんだよなあ。
 だって彼ら、古き良き不良漫画って感じの集団だろ? そういう熱血路線はちょっと私のスタイルと違うんだよねえ」
「分からんでもないな。悪国もその腰巾着共も、まさか俺みたいには行かないだろうよ」
「だろ? だったらまだ気の合うノリも合う君らとつるんでた方が、私も仕事がしやすい。
 君達は空き時間に私の小粋な手品でひと笑いできる。お互い良いことしかないってわけだ」
「突っ込まねえからな、ていうか勿体つけんなよ。それだけじゃねえんだろ? どうせ」
「流石。勘のいい観客は大好きだよ。舞台は演者と観客の共同芸術だ」

 にんまり、と笑う風夏。
 性格はどうあれ見た目は文句のつけようがない美少女なので、彼女が煙草を吹かす狩魔の隣にちょんとしゃがんでいるとそれだけで絵になる。
 エモーションを感じさせる、そんな光景が路地の片隅にぽつんと存在していた。

「私は基本、来る者拒まないスタイルなんだけどね」
「……、……」
「刀凶聯合(かれら)のサーヴァントに関しては、ちょっと例外なんだ。
 アレは面白くない。せっかくの役者たちを自分好みの野蛮(ノリ)で歪められちゃ堪らないよ」


152 : 天竺 ◆0pIloi6gg. :2024/10/18(金) 23:57:24 ZRI4jekM0
「――どういうことだ? お前、ヤツのサーヴァントまで知ってんのか」
「推測だよ。聯合に対しては以前から興味深く見せて貰ってた。
 だが、彼らにある程度以上接触すると決まって精神の不調が起きるんだ。
 具体的には、普段なら押し殺せる程度の感情が急に抑え難い衝動となって込み上げてくる。
 まるで目に見えない誰かに戦え、殺せ、と焚き付けられているみたいでね。貴重な体験ではあったけど」

 山越風夏は、〈現代の脱出王〉はすべての演者を祝福している。
 そこに偽りはない。何故なら彼女は、生粋のエンターテイナーであるから。
 演者・観客のひとりひとりが見せる輝きを心から歓迎し、それが舞台をより面白くするようにと心から願う。
 ましてや彼女が再演を誓う〈世界の主役〉は、そんな考え方に笑顔で同調してくれるたぐいの人間だ。
 であればこそ、風夏が演者の一個人に悪感情を抱くということは基本的にない。
 が。聯合の頭、悪国という男が従える英霊――その"喚戦"は、彼女にとってごくごく希少な例外だった。

「私の見立てが正しければ、悪国征蹂郎のサーヴァントは恐らく自我(エゴ)に乏しいひとつの装置だ。
 そこもマイナスポイントだね。機械なりに学んで前に進むならいいが、そこで止まっているなら見どころに欠ける。
 それが周りの演者を乱す力なり何なり放っているってんならますます微妙だ。
 殺すこと、戦うこと、狂うこと。どれも大歓迎だが、それが機械に操作された結果なら価値は一気に目減りする。
 誰かの計略や悪意で踊らされてるんならいいけどね。私の見立てだと、聯合のサーヴァントに"それ"はない。美点も欠点もないんだよ。可愛くないだろ?」
「話長ぇよ。一言でまとめろ」
「ぶー。相変わらずつれないヤツだな」

 存在するだけで、周りの演者を狂わせる。 
 そのくせそこには、自我らしいものが乏しい。
 与えられた役割に殉ずるだけの、舞台装置。
 それが周りに誰彼構わず電波を飛ばし、狂わせる。
 個人の願いも欲望も、善意も悪意もなく。
 ただシステマチックに、闘争というごくシンプルな型への鞍替えを強制してくる。
 それは娯楽を愛し、世界を舞台と見立てる奇術師にとっては――

「じゃあ一言にまとめるよ。
 個人的に、とっても気に食わない」

 ――そう、たいへん気に入らない。

 先ほど自分の口で述べた通り、悪意や策があるならいいのだ。
 例えばサムスタンプの魔術師などは平気で他人を懐柔し、道具として扱うだろう。
 使われた側は運が悪ければ自分が"使われている"ことにさえ気付けないまま、最悪死ぬまで踊らされる。
 これはいい。何故ならそこには、ノクト・サムスタンプという演者の意思と素晴らしいパフォーマンスがあるから。
 けれど。善も悪も持ち合わせないただの"装置"がそれをすることには、この奇術師は難しい顔をする。
 だってそれはつまらない。彼女にとってそれは、およそ三流のエンターテインメントと看做さざるを得ない退屈だった。

「だから悪国征蹂郎はともかく、彼のサーヴァントには早めにご退場願いたいんだ。
 ただしどうもあれらは腕が立つ。どうしようかと思ってたところで、君らが本格的に揉める話を聞いたわけ。まったく渡りに船だよ」
「お前の思想やこだわりに興味はねえが、確かにこっちとしても悪くない提案だな」

 山越風夏は、まず確実に狩魔が現在確保している仲間達の誰よりも逸脱した能力の持ち主だ。
 こと暗躍することにかけて、狩魔は彼女以上の人間を知らない。
 その風夏が自分達の側について聯合との戦いに参加してくれるのなら、これは実に旨みの大きい話である。
 何しろ相手は暴の究極。闘志で結束し、復讐心で燃え上がり、武装して群れをなした無法者の軍団だ。
 単純な戦力で比較した場合、〈デュラハン〉は華村悠灯、覚明ゲンジの加入を踏まえてもまだ劣るだろうと狩魔は考えている。
 だからこの話を断る理由はない。だが、狩魔は狡猾な上に慎重な男。


153 : 天竺 ◆0pIloi6gg. :2024/10/18(金) 23:58:07 ZRI4jekM0

「で、お前は俺に何をして欲しいんだよ」
「何、って。今言った通りだよ、悪国征蹂郎のサーヴァントを討伐してほしい。
 君でなくても構わないが、とにかく私が"喚戦"と仮称しているつまらないシステムを壊してほしいんだ」
「それは分かったよ。けどよ、どうせそれだけじゃねえんだろ?」
「……、……」
「お前はどんな目的だろうが素直に人の下につくタマじゃねえ。
 奇術師ってのは要するに詐欺師の類友だろ? 手品の道具にされる気はねえぞ」
「流石。よく心得てるじゃないか、嬉しいね」

 露骨な不信を突き付けられても、風夏は怒るどころか言葉の通り、実に嬉しそうな顔を見せた。

「君の言う通り。私は必要なら誰かと協力もするけれど、首輪を付けられるつもりはないんだ。
 エンタメを届ける側が権力者の機嫌を取るほど、見てて興ざめなものはないだろう?」

 〈脱出王〉は今も昔も自由の極み。
 九生を奇術に費やし続けたハリー・フーディーニにとって、首輪も鎖も従うものではなく抜け出すものである。
 これはそんな存在だから、"前回"の聖杯戦争でもただの一度しか捕まらなかった。
 光の剣に身を裂かれるまで、風夏/ハリーは地獄と化した東京をひたすらに跳ね回り続けたのだ。
 禍炎をすり抜け契約を騙し、蛇をおちょくって白黒を怒らせ、盲目を愛玩した稀代のトリックスター。それが彼。今は、彼女。

「だから見返りとか条件というよりは単純な断りなんだけどね。
 私は君に加担するが、私を思い通りに動かせるとは考えない方がいいってだけ」
「なら心配無用だな。犬の調教から始める余裕はウチにはねえよ」
「宜しい。君は君の戦いをしながら、私の奇術が生み出した結果を甘受して戦うだけでオッケーだ。
 後は何も望まない。ああ、いや……君達がこの舞台をより激しく愉快に盛り上げてくれればそれでいい、かな。
 ところで」

 しゃがんだ格好のまま、風夏は顔だけを狩魔に向けた。
 いたずらっ子のような、どこか挑発的な笑顔だった。

「――君、悪国征蹂郎に勝てるのかい?」

 ……山越風夏は奇術師であって、魔術師でも戦士でもない。
 つまり彼女がデュラハンに協力するにせよ、聯合打倒の主戦力にはなり得ないということだ。
 彼女をその使い方で運用するなど阿呆であるし、第一本人も釘を刺した通り、命じられたとて風夏はその路線では動かないだろう。
 彼女が加担しようがすまいが、聯合の心臓であるところの悪国征蹂郎は他の誰かが倒さねばならない。
 そして恐らく、その役割を担わされるのは周鳳狩魔。首の無い騎士を統べる首領である。

「私も直接相見えたわけじゃないけどね、彼はなかなか強いよ。
 というかほとんど人間をやめてる。手段さえあれば、彼の拳は英霊にさえ通じるだろう」
「知ってるよ。奴に報復(カエシ)入れられたヤクザは頭部を粉砕されていたらしい。不良好きの刑事から聞いた話だ」
「君も結構できる方なのは知ってる。でも流石にあそこまで怪物じゃあないでしょ。
 その上でもう一度、興味本位で問うけれど――君は、悪国征蹂郎に勝てるのか?」
「勝てる」

 ……大仰な脅かしを踏まえた上で、風夏の口から再度紡がれた"質問"。
 それを受けての狩魔の返しは、即答だった。

「あの野郎には弱点がある。でかい弱点だ。それを知ってる以上負けは無い。俺達が群れである限りはな」


154 : 天竺 ◆0pIloi6gg. :2024/10/18(金) 23:58:42 ZRI4jekM0
「大きく出たね。もっと詳しく根拠を聞いてもいいかい?」
「答えてもらえる身分だと思うか? ちょっとは日頃の行い見直せよ」
「ははっ、言うと思った。……まあいいよ。どの道力を貸すことには変わらないんだ。せいぜいその時を楽しみにさせて貰うとするさ」

 周鳳狩魔は、自分の能力というものを常に客観視している。
 だから彼は自己を過信しないし、過小評価もまた然り。
 腕っぷし、資金力、影響力に付いてくる人員の数。
 そしてこの世界で新たに得た、〈異能の力〉。
 その上で考えても、悪国征蹂郎は間違いなく難敵だった。
 あちらも馬鹿ではないのだ、よほどのぼせ上がってでもいない限りは自分と同じく味方を擁し始めているだろう。
 英霊を連れ、ともすれば異能を持った、演者(アクター)の味方を。

 だが、勝てる。
 狩魔は、〈脱出王〉にそう断言する。
 それがらしくもない慢心の産物なのか、それとも本当に手立てがあって言っているのか。
 今此処で明かされることはなく、風夏も食い下がることなく引き下がった。

 奇術師は面白いもの、愉快なもの、魅せるものを愛する。
 そういう意味では、彼の今の即答は彼女に対するパーフェクトコミュニケーションだったと言っていいだろう。
 躍動するエンターテインメントとそこに向かう情熱は誰にも、彼女自身にさえも止められない。
 そんな生き物なのだ、九生の果てまで人を驚かし続けることを約束されたこの女は。
 目当てのテレビ番組を楽しみにする子どものような顔でわくわくしている奇術師に、次は狩魔から言葉を投げる。

「話は終わりか?」
「うん。そういうことで承知しておいてくれよ。何かあったらまた現れるから」
「そうか。じゃあ此処からは、ただの世間話になるんだが」
「あは。珍しいね、君ってば私にはいつもつっけんどんなのに」

 茶化すような風夏の物言いを無視して、狩魔は二本目の煙草に火を点けた。
 
「――お前、この街を仕組んだ奴の仲間かなんかか?」

 勿体つけて話すのは性に合わない。
 だから直球で、ある程度確信を伴った疑問を投げかける。
 風夏は動揺した素振りも見せず、逆に笑顔で問い返した。

「なんでそう思う?」
「お前がどうしようもなく性根のねじくれた愉快犯なのは知ってる。
 だがそれにしても、お前のはあまりに節操が無すぎる。
 目先のことに集中するんじゃなく、この東京のすべてを気にしてるように見える。
 なあ、山越。お前は一体、誰のためにせっせと舞台を整えてんだ?」


155 : 天竺 ◆0pIloi6gg. :2024/10/18(金) 23:59:31 ZRI4jekM0

 誰のために、舞台を整えているのか。
 "誰のための"舞台を整えているのか。

 彼女は生粋の奇術師だ。
 道理に縛られず、常識を意に介さず、その生業のままに躍動する。
 それは分かる。だが的を一点に絞らず、街のすべてを気にして準備に勤しむ理由は何なのか。
 すべての演者を平等に楽しませたい? 恐らく違う。何故なら自分達はあくまで"演者(アクター)"。舞台を眺めるのではなく、舞台に上がった側なのだ。
 ステージスター・山越風夏が楽しませたがっている人間は別にいる……狩魔にはどうにもそう思えてならなかった。
 そんな彼に、風夏はぱちぱちと手を叩いた。称賛と喜びの込められた拍手だった。"そうでなくちゃ!"という高揚が伝わってくる。

「よく気付いたね、あえて私から言うつもりはなかったんだけど」
「馬鹿でも気付くだろ。付け加えるならお前、いちいち言動が意味深すぎんだよ。裏がありますよって言ってるようなもんだ」
「ただ、厳密には少し違う。私は"彼女"の仲間ではないよ。どっちかというと、その逆」
「……"彼女"、ね。こんな乱痴気騒ぎが自然発生はしねえだろと思ってたが、やっぱり誰か絵を描いた奴がいるんだな」

 狩魔としては正直、面倒な話だ、以外の感想は出てこない。
 聖杯戦争に勝つだけでも重労働だというのに、その上で黒幕の相手までさせられるなど絶対に御免だ。
 無論立ちはだかるのなら押し退ける気概はあるが、それはそれとして気の重い話ではあった。
 
「目的は?」
「知らない。分かってても教えないけどね、ネタバレは悪だから」
「だろうな。そこは期待してなかったよ」
「でもこれだけは教えてあげよう。君の言う通り、私の観客は彼女ひとりだ。
 前回の聖杯戦争で私達を一人残らず鏖殺し、熾天の冠を戴いた〈世界の主役〉。
 彼女を楽しませるために、山越風夏はせっせと汗水垂らして頑張ってるわけさ」
「……、待て。お前今なんて言った?」

 主役云々の部分には、正直なところそれほどの驚きはない。
 重ねて言うが黒幕の存在は狩魔にとってある程度想定していた事態だった。
 だが風夏が付け足す形で口にした"そのワード"には、さしもの狩魔も眉を顰める。

「この聖杯戦争は二周目だよ。二回目、って言う方が正しいけど。
 何しろ〈熾天の冠〉を求めて戦う以外は何から何まで別物だからね」
「……それで、お前らみたいな引き継ぎ組もいるってわけか」
「その通り。私達〈はじまりの六人〉は、一回目の記憶を引き継いだまま今回の聖杯戦争に参加している」

 狩魔は考える。
 彼女の話は冗談じみているが、嘘を吐く質でないことは皮肉にもこれまでの交流で分かっている。
 その上で、彼女の言う〈はじまりの六人〉とやらに対して周凰狩魔が抱いた印象は――危険視すべきだ、というものだった。


156 : 天竺 ◆0pIloi6gg. :2024/10/19(土) 00:00:12 rEDSSnFQ0

「――強いよ、彼らは」

 極限の状況は容易に人を変える。
 修羅場を潜った人間がその瞬間から別人のように変容した事例は、狩魔もよく知っていた。
 何故なら他でもない、自分自身がそうだから。
 父親を殺した瞬間に世界が開けた。自分が、今までの自分ではなくなったのを強く感じた。
 そうした変容の結果としてでき上がったのが今の周凰狩魔だ。
 狂気を道具として携え、目的のために人を殺すことを何とも思わない"人でなし"。
 そんな狩魔だからこそ分かる。〈はじまりの六人〉は、十中八九危険人物の集団であると。

 人は、簡単に壊れるのだ。
 きっかけひとつで、瞬時に別人になれる。
 山越風夏ほどの常識を外れた人間が、手放しに主役と呼んでもてなそうとしている"誰か"。
 それに殺され、最終的に蘇らされて再び運命の鉄火場に放り込まれた六人の演者。
 まともである筈がない。ともすればこの〈脱出王〉に匹敵する異常性を持った人間が、この東京にあと五人も存在する――やはり居たのだ。狩魔がずっと警戒し続けてきた、規格外の特記戦力(バランスブレイカー)どもは。

「覚えとくよ。初めてお前の口から有益な話を聞いた気がする」
「ひどいなあ。……でも、そうした方が賢明だ。
 彼らと来たらどいつもこいつも過激だからね。私みたいなのは例外中の例外だよ」

 ややもすると、本当に敵対視すべきは悪国征蹂郎ではなく彼らだったのかもしれない。
 今更吐いた唾を飲む気もないが、この段階でこれを知れた事実は大きいだろう。
 刀凶聯合との抗争はあくまでも通過点だ。聯合を征した暁には、聖杯を見据えて進まなければならない。
 つまり山越風夏や彼女の言う〈主役〉、そして他五人の異端者達の首を獲ることも遠くない内視野に入れる必要があるのだ。

「じゃ、そういうことだから。私はそろそろ行くよ」
「待てよ」

 用は済んだし、サービスもしてあげた。
 いつも通り気ままにそう言って、立ち去ろうと立ち上がった風夏を狩魔が呼び止める。

「まだ何かあるのかい? いいよ、言ってごらん。答えられるかは分からないけど」
「すぐそこのライブハウスだ。そこに、俺の集めた仲間がいる」
「……〈演者〉?」
「ああ。いつものバーはさっき聯合のカチコミ食らっちまってな。今はそっちを溜まり場にしてる」

 考えなければならないことは多い。
 山越風夏が自分達に与すると宣言したことも。
 そして彼女が語ってくれた、自分の与り知らない"前回"がらみの話も。
 いつの間にかフィルター際まで燃焼していた煙草を揉み消し、三本目を取り出しながら。
 周凰狩魔は、〈デュラハン〉の新たな仲間に対して、実にリーダーらしいことを言った。

「顔合わせくらい済ませて行けよ。あいつら結構過敏になってるからな、後でゴタゴタするのは避けたいんだ」



◇◇


157 : 天竺 ◆0pIloi6gg. :2024/10/19(土) 00:00:50 rEDSSnFQ0



 あの後――。
 華村悠灯は、狩魔のチームが経営するライブハウスへ連れられた。
 そこで聞かされた話の内容は、概ね予想した通りであった。

 周凰狩魔は、自分と同じく聖杯戦争のマスターで。
 目下血みどろの抗争を演じている刀凶聯合の頭(ヘッド)も、恐らくマスターである。
 覚明ゲンジとは交戦を経て、見込みがありそうなのでスカウトした。
 その後で自分との一件があった――聯合との決戦は深夜。
 それまでの間に聯合を潰し、悪国という男を殺す手立てを整えねばならない。
 当たり前に殺人が前提として話が進んでいくことに、今更ながら強烈な非日常を感じはしたが……それこそ今更だ。

 自分はもう、聖杯戦争を勝ち抜いて願いを叶える覚悟を決めている。
 それを阻もうとする輩がいるのなら蹴散らして進むと、腹を括っている。
 だから緊張はあったが、動揺はなかった。協力してくれるか、という狩魔の言葉に迷いなく頷いて……話は呆気なく終わった。

 狩魔は人と会う用があると言って席を外し、悠灯は何をするでもなくハウスの中だ。
 デュラハンの構成員が出入りすることはあるものの、かと言って何か手伝うことがあるわけではない。
 言うなれば、狩魔が戻るまで悠灯は手持ち無沙汰だった。
 それはいい。正直、狩魔とその仲間達という後ろ盾を得られたことでどこか落ち着かなかった心が幾らか安らいだのを感じていた。
 最近ずっと気を張りずくめだったので、休めること自体は悪くなかった。
 問題は――その休息を共にする、"もうひとり"がこの場にいることであった。


(……、気まずい……)


 そう――気まずい。
 気まずいのである、とても。
 対面の椅子に座って、何をするでもなくじっとしている少年の存在がとても気まずい。
 共通の話題などあるわけでもないし、何よりさっきあんなことがあったばかりだから余計に気まずい。
 これからは当面仲間としてやっていくことになるであろう、覚明ゲンジという少年。彼の存在が、今の悠灯にとっては悩みの種だった。

 ゲンジ自身、英霊を用いていきなり殴りかかった相手に多少の負い目を感じているのだろう。時折そわそわしている様子が窺える。
 不良である悠灯に言わせれば、もじもじするくらいなら最初からやるんじゃねえよという感想なのだったが、狩魔の手前もあって面と向かってそういう苛立ちをぶつけるのも気が引けた。
 お互いの英霊が気を利かせてくれればいいのだが、悠灯のキャスターはムードメーカー的な素質とは一切無縁の寡黙な堅物であるし、ゲンジのに至ってはどう見ても原始人か何かにしか見えなかった。
 つまり、助け舟のたぐいは期待できないということだ。はあ、と小さくため息をついて――改めて、少年のことをじっと見つめてみた。

(にしても、なんてーか……個性的な顔してるよな、こいつ)

 人の美醜に対するこだわりは特にないが、そんな悠灯でさえ眼前の少年に対する一番の印象はこれだった。
 覚明ゲンジは、お世辞にも整った顔立ちをしていない。単に不細工というわけでもなく、まさに個性的なのだ。
 近いものを挙げるならそう、歴史の教科書で見た北京原人。あれによく似ていると思う。
 そんな彼が原始人じみたサーヴァントを召喚しているのも、ある種の縁やゆかりなのか。
 そう考えていると、ゲンジが一瞬、ちら――と悠灯の顔を見た。
 どこか値踏みするような、煮え切らない表情だ。そこでふと、イラっと来た。


158 : 天竺 ◆0pIloi6gg. :2024/10/19(土) 00:01:36 rEDSSnFQ0

(一体なんで喧嘩売られた側のあたしが、売ってきた奴の顔色窺わなきゃいけないんだよ)

 狩魔のスカウトしてきた相手だ。自分の個人的な好き嫌いであの人に迷惑をかけるつもりはないが。
 ただ、流石に睨むくらいはしてもバチは当たらないのではないだろうか。
 ていうかさっきのことについて一言くらいあってもいいだろ、これから曲がりなりにも一緒にやってくんだから。
 考えれば考えるほど今まで感じてた気まずさが怒りに変わっていく。
 よし、睨み付けてやろう。そう思ってゲンジに視線を向けた、瞬間。

「……げほ、ごほっ」

 ゲンジが視線を逸らして、咳払いをした。
 途端、なんだか見透かされたような気持ちになって噴出しかけた苛立ちが引いていく。
 すると、ゲンジは。

「……、……」

 ハッと悠灯のことを見て、それからまた視線を外した。
 挙動不審ではあるが、そこにはやはり気まずさが見て取れる。
 けれどなんだかその様子は、自分が感じていた気まずさとは違うもののようにも見えて。
 なんだか少し可笑しく/可怪しく感じて――気付けば悠灯は、口を開いていた。

「……何だよ、さっきから。あんた、あたしの心でも読めんの?」
「……!」

 口にしてから、少しだけ自己嫌悪を覚えた。
 なんというか、これでは女の腐ったみたいじゃないか。
 女子同士のいじめというか、それと程度が変わらない。
 
 少し頭を冷やすべきだな、と自戒する。
 狩魔とのことがあってちょっとは気を落ち着かせられたつもりだったが、それでもやはり色々張り詰めているものはあるらしい。
 だからと言ってこれから組んでいく相手にフラストレーションをぶつけてるようじゃ、せっかく得たアドバンテージを捨てるのと変わらないだろう。
 悠灯は不良だが、かと言って激情や不満を恥も外聞もなく撒き散らし、それを"尖ってる"とか言って開き直る人種のことは嫌悪していた。
 要するに、分別はあるのだ。だから一言詫びくらい入れておこうと思い、こっちもこっちでさっきとは別な意味の気まずさを抱えてもう一度口を開こうとしたところで――

「……ぁ、いや……」
「……、え」

 覚明ゲンジが、明らかにしどろもどろとしていることに気が付いた。
 は? なんで? と思ったところで、自分の言った言葉を思い出す。
 心でも読めるのか、と自分は言った。妙な反応を見せたゲンジへ咄嗟に出た、苛立ち混じりのつまらない揶揄だった。
 なのにそれを受けたゲンジは怒るでも萎縮するでもなく……どう答えるべきか、どう取り繕うべきか。
 読心能力などなくても分かるほど露骨に、そんな様子を見せていたのだ。

「いやいや、冗談だって。あたしもちょっと気が立ってたっていうか……」
「ぁ――そう、か。なら、良いんだ」
「……え。ちょっと、何」

 自分でも、顔が引きつっているのが分かった。
 さっきのは本当にただの意地悪のつもりだったのだが、ではこの反応はなんだ。
 これでは、まるで――

「あんた、本当に"読める"の?」
「……、……」

 ――本当に、心が読めるみたいじゃないか。
 それを言い当てられ、動揺しているみたいじゃないか――。


159 : 天竺 ◆0pIloi6gg. :2024/10/19(土) 00:02:10 rEDSSnFQ0

 悠灯の言葉に、ゲンジは押し黙った。
 だが彼も彼で、"狩魔の連れ"である自分への負い目があったのだろう。
 少しの逡巡の末、原人のような顔をした少年はその容貌とは裏腹のどこかおどおどした様子で……小さく、頷いた。
 
「……読めるなんて、大したものじゃない。けど」
「マジかよ……」

 悠灯も子どもではない。
 いや未成年(こども)なのだが、自分の感情を全部逐一表に出すような恥さらしではない。
 にもかかわらずさっきの彼の反応には、明らかな違和感があった。
 見透かされているような、全部知られているような。もとい、"見られて"いるような。
 だからあんな言葉が出たのだったが、こうして面と向かって認められると流石に驚きに打ちのめされる。
 
 ゲンジという男に対して、悠灯が知ることはまだ多くない。というか、ほぼ何も知らないに等しい。
 それでも、問い詰めてきた相手にこうも自然な反応で嘘を答えるなんて器用な真似はできないだろうことは何となく分かっていた。
 それに、此処で行われているのは聖杯戦争だ。魔術師なんて嘘みたいな存在が集い、英霊という悪い冗談そのものな連中を招き寄せて殺し合いを演じる、そんな非日常の壺中なのだ。
 であれば当然――"心を読める"能力者なんてものが紛れていたって、おかしくはない。
 
「あんたは…………、いや」

 どんな風に心を読んでるの、とつい聞きそうになったが、やめた。
 答えるわけがないと思ったからだ。自分が彼の立場だったなら、出会って間もない相手にすんなり自分の虎の子を打ち明けるわけがない。
 なので、悠灯は口にしかけたその不躾な質問を引っ込めた。
 代わりに投げかけたのは、彼に対して出会った当初から抱いていた疑問。

「…………あんたはさ、なんであの人に従ってんの?」
「なんで、って――」
「あたしは前から付き合いあったから、狩魔さんがどういう人かは知ってる。
 だけどあの人、見た目怖いっしょ。口数多いタイプでもないし、実際怖い人なのも間違いないし」

 自分のような不良が感化されるのは、自分で言うのも何だが分かる。
 悠灯自身、周凰狩魔という"先輩"に対してどこか懐いてしまってる自覚はあった。
 後輩に優しいからとか、面倒見がいいからとか、そういうだけじゃない。
 それだけなら、擦れに擦れまくっている自分は信用など寄せない自信がある。

 なのに狩魔は、どこか例外だった。
 不良をしていれば、彼の怖い部分も嫌でも耳に入る。
 どこそこのヤクザと揉めてるだとか。
 シノギを横取りした半グレを制裁しただとか。
 狩魔の舎弟が経営する闇金に強盗(タタキ)かました不良が、次の日東京湾で水死体で上がったとか。
 それでも、不思議と悠灯は彼を"怖い"とは思わなかった。
 もっと率直に言うと、嫌いになれなかったのだ。


160 : 天竺 ◆0pIloi6gg. :2024/10/19(土) 00:02:42 rEDSSnFQ0

「……、……」

 問われたゲンジは、また少し黙った。
 答えるべきか。答えていいのか。答えるとして何と表現しようか。
 そんな葛藤の末に、彼はその原人のような顔で少し遠慮した表情を浮かべる。
 気恥ずかしさではない。自分なんかがこれを言っていいのか、という後ろめたさがそうさせているように、悠灯には見えた。

 けれど、ゲンジは口を開く。
 言葉にする必要があると判断したから。
 彼も彼で、華村悠灯という少女に初対面から"かまして"しまったことには思うところがあったのだろう。
 そうでなくても、自分が初めて"ついていってもいい"と思えた相手が大事にしている人に不誠実なのは良くないと思ったのかもしれない。
 兎角、ゲンジは言った。自分の心の内を、その不器用な口で吐露することにした。

「あの、人は……おれに、"期待"、してくれたから……」
「――そっか」

 覚明ゲンジは明かさない。
 そして華村悠灯も問わないことに決めたが。
 彼の異能は、他人の感情を矢印として視認する。
 本人の言う通り、読心だなんて便利で万能なものじゃない。
 そこまで応用の利くものだったなら、ゲンジの人生はこうも落ちぶれていないのだ。

 けれどゲンジはあの時、確かに見た。
 自分へ"期待"するその矢印を。
 だからゲンジは、応えたいと思った。
 見下され軽んじられ続けてきたこんな原人(ゲンジ)に、その矢を向けてくれるあの人に。

「……まあ、何となく分かるよ。あの人はなんつーか、別け隔てないんだよな。
 かと言って手当たり次第でもないんだ。あんなナリして人たらしとか笑えるけどさ」

 そして悠灯は、ゲンジの言っていることが分かってしまう。
 華村悠灯は擦れている。どうしようもなく、彼女は孤独である。
 都会の落とし物。大勢の"しあわせ"からあぶれた、孤独な子ども。
 そういう子は得てして人間不信で、善意で差し伸べられた手でも反射で振り払うのが常だ。
 ましてや耳触りのいいだけの言葉や優しさなんて、すぐに見透かす。
 なのに悠灯が狩魔に懐いている理由は、彼のことをついぞ嫌いになれなかった理由は――

「あの人は、あたしやあんたをちゃんと"見て"る」
「…………ああ。確かに、そんな感じだ」


161 : 天竺 ◆0pIloi6gg. :2024/10/19(土) 00:03:24 rEDSSnFQ0
「だよな。どこへ行けとも言わないし、どうしろとも言わないんだ。そりゃ毒気も抜かれるってもんだよ」

 周凰狩魔は、何も求めないのだ。
 こっちへ来い、とか。
 あっちへ行け、とか。
 何も求めない。何も言わない。
 ただ、"先輩"としてそこにいるだけだ。
 必要ならば手は貸してくれる。最低限の忠告はしてくれる。
 だが、それ以上は言わない。そこには、何の打算もないのだ。

 それは――悠灯のような"擦れた"子どもに対して、あまりに強かった。
 世界の理不尽と冷たさを嫌というほど知り、嫌になって。だから擦れて、荒れて、暴れる。
 そういう子ども達にとって、自分を個人として認め語りかける"先輩"は、あまりに強い。
 だから気付けば悠灯は、狩魔を煙たがらなくなっていた。
 謙りはしないし、機嫌を取る真似もしない。それでも、信用するようになってしまっていた。

「……おれには、目的がある」
「へえ、ちょっと意外。あるんだ? 願いとか」
「……ある。おれはそれを、きっと誰にも譲れない。
 譲ってしまったら、おれが今までやってきたことが……何の意味も持たなくなる」

 ゲンジもまた、そうだった。
 彼は誰より人の心が分かる。そういう力があるから。
 打算、悪意、それが嫌でも見抜けてしまう。
 だからあの瞬間は、覚明ゲンジにとってひとつの瀬戸際だった。
 もしもあの時見た矢印が違う感情だったなら、自分は脱兎と化して撤退していただろう。
 そうなったらもちろん敵わない。つまりあそこで覚明ゲンジの聖杯戦争が終結していた可能性は、往々にしてある。

 でもそうはならなかった。
 彼の向ける感情には、一切の嘘がなく。
 心の底から――自分に"期待"を寄せてくれていた。
 故に応えた。そして負けた。そして、こうなった。

「でも……おれは、今は……。
 もう少し、あの人の仲間でいたいと、思ってる。
 あの人に見てもらいたいと、そう思ってる」

 ゲンジには――いや。
 ゲンジにも、願いがある。
 そのために、此処までで幾多の命を犠牲にしてきた。
 だからこそ走り切らなければいけないとそう思っている。
 足を止めることはもはや許されないのだと、分かっている。
 いずれこの時間は終わるだろう。
 原人(じぶん)が首のない騎士(デュラハン)でいられる時間に限りがあることは、よく分かっている。

 それでも。 
 今は。
 もう少しだけ――
 あの心地よい"期待"に応えていたいのだと。
 ゲンジはそう思っていた。だから伝えた。それに、華村悠灯は「は」と笑った。
 決して馬鹿にしたような声には聞こえなかったし。
 現にゲンジの眼には、彼女が自分に対して向ける矢印が視えていた。

 そこに、あるのは。

「……華村悠灯。まあさっき聞いてると思うし、実際あたしも聞いてるんだけど、さ」

 ――まだかすかで、朧気だけれど。
 ――たしかな、"共感"。


162 : 天竺 ◆0pIloi6gg. :2024/10/19(土) 00:03:57 rEDSSnFQ0

「――あんたは?」

 さっきのは、ファーストコンタクトとしては最悪と言ってよかった。
 だから一応、改めてやっておくべきだろうと思ったのだ。
 悠灯は何も社会性がないわけじゃない。
 ただそれを表に出すべき場面がなかっただけ。
 そうしようと思う瞬間が、どうにもやって来なかっただけ。
 曲がってしまった、そうなるしかなかった子どもの根っこのところは、意外に純粋(シンプル)だったりするものだ。

「……ゲンジ。覚明、ゲンジだ」

 それはゲンジも同じこと。
 嘲笑と悪意と、そして嫌悪に晒され続ける人生だった。
 同じ方向を向いて対等に轡を並べる相手など、できた試しもなかった。
 だがもしそんな存在ができたなら、その"共感"に向き合うくらいはできる。

「……その、さっきは、悪かった。
 おれ、慣れてないんだ。こういう状況に」

 正確に言うと、"慣れすぎている"のかもしれない。
 けれどそれを伝えても、混乱させてしまうと思ったからそうは言わなかった。
 咄嗟に動かなければ、そこで何かを喪う。
 父の二の舞になるのはごめんだから、あの時ゲンジはすぐに動いた。
 矢印が見えてしまうこともその行動を後押ししたことは言うまでもない。

「あの人が殺されるかもしれないと、思った」
「……何だよそれ。あんた、心読めるんじゃないの」
「言っただろ。そんな、便利な力じゃないんだ。おれのは」

 もしもこれが悠灯が思っていた通りの、"心を読む"力だったなら。
 覚明ゲンジはあんな行動は取らなかっただろうし、そもそもこんな世界に落ちてくることもなかっただろう。
 ゲンジのは見えるだけだ。人が人に向ける感情を、矢印として見るだけの能力。
 だからゲンジの力では、感情の機微というものが分からない。
 華村悠灯が狩魔に向けていた"緊張"と"警戒"、その裏側までを見通せない。

「ふーん……。まあでも、ちょっと分かるかも。
 中途半端に心が分かるのって、便利って言うより腹立ちそう」
「……そう、だな。おれは、嫌な気持ちになる方が多かったけど」
「あたしだったら誰彼構わずガン飛ばして喧嘩になってるよ、絶対」

 悠灯からゲンジに対する矢印が、此処でその名を変えた。
 "共感"から、"親近感"へ。まだ相変わらず細い矢印だが、それはゲンジにとって小さくない喜びを抱かせてくれる変化だった。
 いずれ敵になる相手だと分かっていても、やはり嬉しいものは嬉しいので困ってしまう。
 どんな形でも、誰かに認められるというのはそれだけで嬉しいものだ。
 ゲンジは今まで、そういうことにはとんと無縁の人生を送ってきたから。
 こんなんじゃ駄目だと思う自分もいたけれど、まだそこの折り合いを付けられるほどゲンジは大人じゃなかった。


163 : 天竺 ◆0pIloi6gg. :2024/10/19(土) 00:04:42 rEDSSnFQ0

 悠灯も悠灯で、彼への親近感は自覚していた。
 実際に話してみて、なんとなく分かったからだ。
 彼はきっと、自分と同じ。神も信仰も、生きる希望もない人生を。
 そんなボロ切れのような生き方をしてきた、そうするしかなかった"子ども"なのだろうと。

 彼の眼と、紡がれる言葉が、悠灯に否応なくそう理解させた。
 考えてみれば納得でもあった。ゲンジは凡そ不良向きの性格をしているとは到底思えないが――
 周凰狩魔という人は、自分達のような後輩にはとても優しい男だから。
 彼が拾ってきたという時点で、ゲンジもまた自分と同じ社会の残骸(ジャンク)なのだと気付くべきだった。
 気付けていればああして気まずい思いをすることもなかったろうし、不便な生き方をしてるのは自分も大概なのかもしれない。
 そう思って、悠灯は自嘲するように苦笑した。ゲンジはそれを、不思議そうな顔で見つめている。
 原人っぽい顔の彼がそんな顔をするのは、なんだかシュールで、そしてコミカルだ。

「とりあえず分かったよ。あたしもガキじゃないんだし、もうさっきのことは掘り返さない」
「……助かる。おれも、あんたのことは、信用するよ。あんたは、悪い人には見えないから」
「どうだかね。……いい人でもないよ、あたしは」

 煙草を取り出す。今日はちゃんと、ライターも新品のを携帯している。
 アメスピを一本取り出して、唇で挟む。
 ちなみにアメスピは燃焼効率がとても悪いタバコなので、一本でけっこう長く吸うことができる。
 万年懐に木枯らしが吹いている悠灯のような若者にはこだわり抜きにしても優しいのだ、こいつは。

「……吸う?」
「……煙草は、あんまり好きじゃない」
「そ」
「けど……」

 す、とゲンジが控えめに手を出してくる。

「……今は、吸ってみてもいい」
「何だそりゃ」

 は、と悠灯は笑った。
 そして、一本差し出す。
 ゲンジが掴んだところで、先端に火を点けてやった。
 それから自分の咥えたそれにも火を点ける。
 二本の紫煙が燻ゆって、嗅ぎ慣れた香りがふたりの間を満たした。

 不良漫画の一ページみたいなシチュエーションだと思った。
 まあ実際、間違いでもないのかもしれない。
 敵対するチームとの抗争、暴力で暴力を制する時間の始まり。
 違うのは使う武器が拳でもバットでもなく、サーヴァントという超常の兵器であることだけ。


164 : 天竺 ◆0pIloi6gg. :2024/10/19(土) 00:05:17 rEDSSnFQ0

「……げほっ、ごほ……!」
「まあ嫌いな奴が吸えばそうなるよな」
「……こんなの、よく吸うな……」
「人から貰ってその言い草はないだろ」

 思えば、人と組んで喧嘩をするというのは初めてのことだった。
 悠灯は常に、ひとりで戦ってきた。
 男だろうが女だろうが、売られた喧嘩は必ず買う。
 徹底的にぶちのめして、二度と逆らわせない。
 誰の明日も考えない、そんな生き方を続けてきて。
 気付けば目の前から、自分の明日が失くなっていた。

 ――ゲンジが、願いを捨てられないと言ったように。
 ――悠灯も、それを捨てられない。

 生きたい。生きたいのだ、ただ生きていたい。
 苦しみの象徴でしかなかった明日(みらい)が、今はこんなにも恋しい。
 そのために自分はいつか、狩魔やゲンジとも戦うことになるだろう。
 これはその時が来るまでの、ほんの束の間の安息。
 一本の煙草が燃え尽きるまでに味わえるヤニの味とニコチンの重たさのような、いずれ終わる座興でしかない。

 誰かと一緒に戦うのは、最初で最後。
 だからこそこの時間には、きっと価値がある。
 箱の中に残った最後の一本。
 違うのは、コンビニに駆け込んだって"これ"には代えがないこと。

 悔いなく、ただ走り抜きたい。
 ゴールテープの向こう側を見るため。
 そこで、今度こそ人として生きるため。
 冷たい都会を、悠灯は走る。
 いつ壊れるかも分からない足で、必死に。


 ――と。


「っ……!?」

 
 そこで不意にゲンジが、顔を青褪めさせて明後日の方を向いた。


165 : 天竺 ◆0pIloi6gg. :2024/10/19(土) 00:06:22 rEDSSnFQ0
 悠灯も釣られて彼と同じ方を向き、そして眉間に皺を寄せる。
 ついでに中腰になった。いつ何があっても対応できるようにだ。
 視線の先には、見知らぬ女がいた。
 右手に刻まれた令呪(それ)を隠すどころか、むしろ見せびらかすようにして――立っていた。

 女は、手を叩いていた。
 拍手をもって、悠灯とゲンジを笑覧している。
 てめえ、とか。誰だ、とか――警戒を込めた悪態を口に出す前に、彼女は言うのだ。

「やっぱり狩魔は見る目があるね。実に将来性を感じるキャストを揃えたじゃないか」
「……お前――何言ってんだよ。中二病か?」
「大丈夫、警戒しないでいいよ。君達ほどお行儀のいい形ではないけれど、私もこの〈デュラハン〉の仲間だから」

 くるり、とその場でひと回りしてみせる。
 悠灯は隠そうともせずに眦を鋭くしているが、気にした様子は見られない。
 だがゲンジは、ただ沈黙していた。
 信じられないものを見るような眼で少女を見つめ、固まっている。
 その様子に気付いてか、少女は彼の方に視線を移した。
 そしてまた、にこり、と人懐っこそうな顔で笑うのだ。

「君はなかなかがんばり屋さんだね」
「え……」
「大丈夫、その努力はいつかきっと報われるだろう。
 それは"あの子"がいちばん喜ぶたぐいの懸命さだ。
 変わらず励むといい――そうすれば君は、ともすれば私達にも届くかもしれない」
「……、……!」

 悠灯はますます顔を厳しくする。
 ゲンジと彼女の間に面識があることへの驚きとか、だったらこいつのこの反応は何なんだとか、気になることは無数にあるけれど。
 それよりもいきなり現れて意味深なことをぺらぺらと並べ立て始めた怪しい女への猜疑心の方が勝っていた。
 
「おい。あたしを置いて話進めんなよ」
「ああ、ごめんごめん。ただ、さっき言ったことは本当だから安心していいよ。
 何より、此処に私を通したのは他でもない狩魔自身だ。彼のお墨付きということであればちょっとは信用もしてもらえるかな?」
「まず名前くらい名乗れ」
「山越風夏。〈現代の脱出王〉、って聞いたことない?」

 悠灯は不良だが、それでもその名前は聞いたことがあった。
 各地での公演や、ストリートライブ的に行う路上マジックショー。
 魔法のような奇術で混乱の東京を癒やす、稀代の若きエンターテイナー。
 マジシャン。〈現代の脱出王(ハリー・フーディーニ)〉。
 
「君の名前も知ってるよ。華村悠灯」


166 : 天竺 ◆0pIloi6gg. :2024/10/19(土) 00:07:12 rEDSSnFQ0
「なんで知ってんだよ……」
「そこはそれ。私はそういう生き物だから、ということで納得してくれると嬉しいな。
 自分の個人情報をどうやって調べ上げられたかなんて、聞いてもあんまり愉快な話じゃないでしょ」

 悠灯は、彼女が何者であるかを知らない。
 〈現代の脱出王〉が、本物の〈脱出王〉であることも。
 彼女が、彼女達が見て、体験して、歩んできた旅路も。
 何も知らないが、しかし非常に奇怪な気分になったのは確かだった。
 まるで、生きている人間と話していないような。
 人の姿をした幻、アスファルトから立ち昇る真夏の陽炎。熱で魘されながら見る荒唐無稽な白昼夢。
 そんなひどく不確かな存在と言葉を交わしているような、不安ともつかない感情に苛まれている。

「詳しい話は狩魔から聞くといい。
 もしあまり上手く行ってないようだったら仲裁してあげるのもやぶさかじゃなかったけど、この様子だとそれは必要なさそうだし」
「おい、話はまだ――」
「ああ、でも。これだけは伝えておこうか」

 苛立って手を伸ばした悠灯。
 その手が、するりと空を切る。
 手の届く範囲にいた筈なのに、相手が動いた風には見えなかったのに、何故か手応えというものがない。
 
「優しい子。君に限って言えば、多少急いだ方がいいかもしれない」
「は……?」
「保ってあと数日ってところだろう。君の終わりは、きっと糸が切れるように訪れる」
「……ッ!」
「そして私の経験則上、安穏の時間はそれほど長くは続かない。
 そうなれば君は戦火に晒され、回路を動かせばその分残り時間は減っていく。
 今のままではいけないよ、悠灯。明日に辿り着きたくば、君はいち早く"何者か"にならなきゃいけない」

 ――心臓に、穴が空いたような気がした。

 分かっていたことではあった筈だ。だが、見ないようにしていたことだった。
 この世界に来る前に宣告された、命の終わり。
 それからひと月近い時間が経過しているのだから、当然残された時間も少なくなっている。
 ましてや今の悠灯は魔術回路を得、サーヴァントを使役することで常にそれを回し続けている状態だ。
 悪化しない筈がない。未来のために終わりを早めながら、華村悠灯は歩んでいる。
 そしてその足が止まる時間は、悠灯が思っていたよりもすぐそばにまで迫っていた。

「それじゃあ、これから仲良くしてくれると嬉しいな。
 私が此処に居座ることはまあないだろうけど、時々顔を見せには来るからさ――」

 ――期待しているよ、ふたりとも。

 そんな言葉を言い残して、煙のように〈脱出王〉は消え失せる。
 追おうとする気にもならなかった。
 頭がくらくらする。胸が風船でも突っ込まれたように張り詰めて、息がうまくできない。
 立ち上がった筈の椅子に崩折れるように身を預けて、指の力で吸いかけの煙草をへし折った。

「……何だってんだよ、本当に」

 噛み締めた奥歯が軋みをあげていた。
 握った拳に向ける先がないことが、こんなに不便だなんて知らなかった。
 悠灯の空は今も灰色のまま。何も変わらぬまま、ただ時間だけが迫ってくる。
 まだ何者でもない少女はひとり、防御反応のように殺気立ちながら、迫る"その時"に恐怖していた。

 ――死にたくない。

 何度も繰り返した願いがもう一度、胸の中で反響した。



◇◇


167 : 天竺 ◆0pIloi6gg. :2024/10/19(土) 00:07:50 rEDSSnFQ0



 "期待"。
 山越風夏がゲンジと悠灯に向ける矢印は、それだった。
 それを嬉しく思うよりも、ゲンジは激しく動揺していた。
 出会うと同時に確信した。その矢印を見るなり理解した。

 ――こいつは、あの"白い少女"に矢印を向けていた〈六人〉のひとりだと。

 証拠として彼女からは、常識では考えられない極太の矢印が伸びて何処かへ飛んでいた。
 恐らくこの矢印の向かう先に、ゲンジがあの日見た少女がいるのだろう。
 そう思うと激しい動悸で何も言葉が出てこなくなった。
 やはり、そうだったのだ。この聖杯戦争は、決して万人に平等なんかじゃない。
 ブラックホールと、その周りを渦巻き吸い寄せられる無数の星々で形成された異形のゲーム盤。
 それがこの都市の真実なのだと、ゲンジは今一度そう突き付けられた。

 彼のそんな感情に、気が付いたみたいに。
 山越風夏は、覚明ゲンジを見つめて微笑んだ。
 今までゲンジが一度も向けられたことがないような、満面の笑顔だった。
 
『君はなかなかがんばり屋さんだね』
『大丈夫、その努力はいつかきっと報われるだろう。
 それは"あの子"がいちばん喜ぶたぐいの懸命さだ。
 変わらず励むといい――そうすれば君は、ともすれば私達にも届くかもしれない』

 心臓が、今までとは違う意味で高鳴った。
 その言葉を聞いた時の喜びは、もう筆舌になど尽くせない。
 ゲンジは、此処に来るまでに彼なりの努力を山ほど重ねてきた。
 そう、本当に。"山ほど"、重ねてきたのだ。
 それには意味があった。〈脱出王〉は認めてくれた。
 あの子が一番喜ぶことだと、言ってくれた。
 
 本当に。
 泣きそうになるほど、嬉しかった。

 この舞台には、主役がいるのかもしれない。
 主役がいて、それを見つめる主要人物達がいる。
 彼らを超えて輝くことの難しさなど、語るまでもない。


168 : 天竺 ◆0pIloi6gg. :2024/10/19(土) 00:08:09 rEDSSnFQ0
 けれど。美しき主役は、挑むことを許してくれる。
 誰もに、輝く権利を認めてくれている。
 それは舞台というよりも、むしろ皆で卓を囲んで遊んでいるみたいな気安さで。
 ゲンジはこの時確かに、遊ぼうよ、という少女の声を聞いた気がした。

 ああ――――おれも、行って、いいのか。
 遊んで、いいのか。

 遊びに誘われることなんてほとんどない人生だった。
 たまに呼ばれてもそれは使い走りだとか、その特異な容貌を見世物にして笑うだけの用向きなことがほとんどだった。
 そんな自分に、遊ぼうと求めてくれる誰かがいる。
 ならば。こんな自分のことも、遊び相手のひとりとして認めてくれるというのならば……

「…………行くよ。必ず、そこに」

 戦おう。
 聖杯戦争を知ろう。
 強くなりたい。
 願いを叶えるために。
 いつか"彼女"に会うために。
 〈刀凶聯合〉を踏み潰そう。
 自分へ期待してくれた、あの人のために。

 "自分のため"は、最後の最後。
 今はまだ、"誰かのため"でいい。
 はるか昔人類の祖先が、数多の生を繋いで進化を遂げていったように。
 革命を待つ原人たる自分も、歩みと共に進んでいこう。

 覚明ゲンジは興奮していた。
 彼の人生において初めてのことだった。
 彼もまた、今はひとりの〈首のない騎士〉。
 赤き聯合を鏖殺するべく、首なしの原人が燃えていた。



◇◇


169 : 天竺 ◆0pIloi6gg. :2024/10/19(土) 00:08:43 rEDSSnFQ0



「ほら、特に問題なかったでしょう。
 そういうタイプじゃないんですよ、彼女。気味の悪い存在ではありますけどね」

 金髪の騎士が、肩を竦めて呪術師(シャーマン)の男にそう告げた。
 シッティング・ブルの表情は険しい。
 彼が警戒するのも頷けることではある。
 何故なら今、あの山越風夏という少女は――サーヴァント二騎の認識を完全に掻い潜って、突然あの部屋に姿を現したのだから。

 ゴドフロワ・ド・ブイヨンは既に風夏と面識を持っている。
 したがってアレがどういう人間で、どういう異常者なのかも弁えていた。
 神出鬼没にして生粋のエンターテイナー。戦いとは明らかに違った何かを見据えて東京という舞台を駆け回るマジシャン。
 極めて得体は知れないが、だからこそある意味では読みやすい。
 〈脱出王〉は楽しませる者であるから、その分無体な殺意とは無縁の存在である。
 仮に彼女がそう動くようになるのなら、その前には必ずご丁寧に予兆を示す筈だとゴドフロワは読んでいる。
 兎角、常識では測れない存在なのだ。彼女には彼女の視点でしか見えない別の戦いがあり、それに向けて動いている以上は破滅的な結果をもたらす存在では現状ない。もしそうでなかったならば、ゴドフロワはとっくにアレを全霊あげて滅ぼしていただろう。

「私がこうして静観し、狩魔が許している。その時点で無問題(モーマンタイ)です。ふふ、慣れない言語を使ってみました」
「……、……」
「第一、もし本当に危害を加えようとしていたならあなたの術が作動していたでしょう。
 そうならなかったという時点で、やはり〈脱出王〉は私の知るままの存在であったということ。
 いささか羽音の鬱陶しい、昼夜を問わず飛ぶ蝶のようなものですよ」
「……君は、本気でそう思っているのか?」

 騎士の言葉に、呪術師はそう問い返す。
 それは暗に、『私はそうは思わなかった』と告げているのと同義だった。

「アレの在り方は"いたずら好きな精霊"に似ている。
 だがそこに、致命的な汚濁の染みが窺える。
 ヒトに似て非なる何かだ。身体も魂も、その人格も。彼女は狂気に冒されている」
「でしょうね。流石にアレが普通の人間、っていうのは通らないと私も思います」
「彼女は厄災の呼び水だ。いずれ必ず、このトーキョーに破滅を運ぶぞ」
「はい、同意見です。ですがね、キャスター。それは"私達"への破滅ではないでしょう?」

 シッティング・ブルは、生まれついて人並み外れ霊的な才覚を有していた。
 物心ついた頃から精霊を知覚し、神秘と繋がり共に暮らしてきたワカン・タンカの申し子だ。
 その彼が見る山越風夏という少女は、"おぞましく哀れな人形"に見えた。
 魂を真黒に灼き焦がされ、火傷が痒みを訴えるように、狂気を発露して歩くしかない"誰か"の残骸。

 哀れで、そして――どうしようもないほど、おぞましい。
 シッティング・ブルは、この都市で度々怖気立つような凶兆を感じてきた。
 今なら分かる。自分の背筋を寒からしめていたのは、アレとアレに類する存在だ。
 予言などせずとも分かる。いずれこの東京は、想像することもできない厄災に呑まれると。
 危機感を持ってそう語る呪術師に、騎士は笑みを絶やさずこう言った。

「どうせいずれは皆殺しにするしかないんです。
 だったら都合がいいじゃないですか、彼女達には精々地獄みたいな内輪揉めを頑張っていただきましょう」


170 : 天竺 ◆0pIloi6gg. :2024/10/19(土) 00:09:36 rEDSSnFQ0
「……やはり君とは、価値観が合わないようだ」
「ですね。でも、今はあなたも我々と同じ首なしの騎士だ。
 仲良くとまでは行かずとも、轡を並べてのんびりやっていこうじゃないですか。
 お互いに甘い汁を吸い合って、いつか来る聖絶の日に備えればいい」

 視線を外す。
 分かっていたことだが、根本的に考え方が違いすぎた。
 この騎士は蹂躙する側、侵略する側の英霊だ。
 そのきらびやかな傲慢さは、シッティング・ブルにとある男の顔を思い出させる。
 一度破った相手ではあるが、次はそう容易くも行かないだろうと思っていた。
 宿命とは"運命"だ。きっと必ず、自分はまたあの"ソルジャー・ブルー"と対峙する時が来る。
 今度は侵略する側、される側という間柄ではなく――共に熾天を争う、正真正銘の敵同士として。

(……悠灯)

 己の不甲斐なさに、シッティング・ブルは静かに拳を握った。
 いずれ伝えねばならないことではあった。
 いや、彼女自身どこかでそれを自覚はしていたに違いない。ただ、見ようとしてこなかっただけで。

 華村悠灯は強く、弱い娘だ。強いままに弱く、弱いままに強いのだ、彼女は。
 だからこそ、迫る終わりを直視すれば走ってしまう。
 動き続けている時計の針。いつか終点に行き着く命の廻り。
 それは彼女の願いを思えば、正しいことであるのかもしれない。
 だがシッティング・ブルには、どうしてもそうは思えなかった。
 そうなってしまったら――もう、止まれない気がしたのだ。
 まさしく、そう。歯止めを忘れ、地平の果てまで駆け抜けた、ソルジャー・ブルーのように。


 思惑、絆、高揚と迷い。
 あらゆる感情を首の代わりに乗せて、騎士団もまた剣を研ぐ。
 彼らは〈デュラハン〉。首のない騎士。
 赤き荒野を踏破して、その願いを踏み潰す。


 ――そう、荒野だ。荒野が広がっている。
 赤き、血染めの荒野が。奈落への道が。
 それは、闘争の騎士を弑する旅路。
 そして、厄災すらも乗りこなして熾天に至り、それぞれの願いを叶えるための……――


171 : 天竺 ◆0pIloi6gg. :2024/10/19(土) 00:10:04 rEDSSnFQ0
【新宿区・歌舞伎町の路地/一日目・夕方】

【周鳳狩魔】
[状態]:健康
[令呪]:残り3画
[装備]:拳銃(故障中)
[道具]:なし
[所持金]:20万程度。現金派。
[思考・状況]
基本方針:聖杯戦争を勝ち残る。
0:……最初の六人、ね。
1:刀凶聯合との衝突に備える。
2:特に脅威となる主従に対抗するべく組織を形成する。
3:山越に関しては良くも悪くも期待せず信用しない。アレに対してはそれが一番だからな。
[備考]


【新宿区・歌舞伎町のライブハウス/一日目・夕方】

【覚明ゲンジ】
[状態]:疲労(中)、高揚と興奮
[令呪]:残り3画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:3千円程度。
[思考・状況]
基本方針:できる限り、誰かのたくさんの期待に応えたい。
0:――おれも、いくよ。
1:周鳳狩魔と行動を共にする。
2:今後も可能な限りネアンデルタール人を複製する。
3:華村悠灯とは、できれば、仲良くやりたい。
[備考]
※アルマナ・ラフィーを目視、マスターとして認識。

【バーサーカー(ネアンデルタール人/ホモ・ネアンデルターレンシス)】
[状態]:健康(残り51体)
[装備]:石器武器
[道具]:
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:今のところは、ゲンジに従い聖杯を求める。
1:………………。
[備考]


【華村 悠灯】
[状態]:健康、動揺
[令呪]:残り三画
[装備]:精霊の指輪(シッティング・ブルの呪術器具)
[道具]:なし
[所持金]:ささやか。現金はあまりない。
[思考・状況]
基本方針:今度こそ、ちゃんと生きたい。
0:何だってんだよ。……分かってたよ、クソ。
1:暫くは周鳳狩魔と組む。
2:ゲンジに対するちょっぴりの親近感。とりあえず、警戒心は解いた。
3:山越風夏への嫌悪と警戒。
[備考]


172 : 天竺 ◆0pIloi6gg. :2024/10/19(土) 00:10:17 rEDSSnFQ0

【キャスター(シッティング・ブル)】
[状態]:健康
[装備]:トマホーク
[道具]:弓矢、ライフル
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:救われなかった同胞達を救済する。
0:――悠灯。
1:復讐者(シャクシャイン)への共感と、深い哀しみ。
2:いずれ、宿縁と対峙する時が来る。
3:"哀れな人形"どもへの極めて強い警戒。
[備考]
※ジョージ・アームストロング・カスターの存在を認識しました。
※各所に“霊獣”を飛ばし、戦局を偵察させています。

【バーサーカー(ゴドフロワ・ド・ブイヨン)】
[状態]:健康
[装備]:『主よ、我が無道を赦し給え』
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:狩魔と共に聖杯戦争を勝ち残る。
1:レッドライダーの気配に対する警戒。
[備考]


【新宿区・歌舞伎町のライブハウス→???/一日目・夕方】

【山越風夏(ハリー・フーディーニ)】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:舞台衣装(レオタード)
[道具]:マジシャン道具
[所持金]:潤沢(使い切れない程のマジシャンとしての収入)
[思考・状況]
基本方針:聖杯戦争を楽しく盛り上げた上で〈脱出〉を成功させる
1:他の主従に接触して聖杯戦争を加速させる。
2:悪国征蹂郎のサーヴァントが排除されるまで〈デュラハン〉に加担。ただし指示は聞かないよ。
3:うんうん、いい感じに育ってるね。たのしみたのしみ!
4:レミュリンの選択と能力の芽生えに期待。
[備考]
準備の時間さえあれば、人払いの結界と同等の効果を、魔力を一切使わずに発揮できます。


【ライダー(ハリー・フーディーニ)】
[状態]:健康、呆れ顔
[装備]:九つの棺
[道具]:
[所持金]:潤沢(ハリーのものはハリーのもの、そうでしょう?)
[思考・状況]
基本方針:山越風夏の助手をしつつ、彼女の行先を観察する。
0:(こいつこれだから昔馴染みに揃ってウザがられてるんだろうな……って顔)
1:他の主従に接触して聖杯戦争を加速させる。
[備考]
準備の時間さえあれば、人払いの結界と同等の効果を、魔力を一切使わずに発揮できます。


173 : ◆0pIloi6gg. :2024/10/19(土) 00:10:41 rEDSSnFQ0
投下終了です。


174 : ◆0pIloi6gg. :2024/10/20(日) 03:59:40 TuU.eEv.0
ノクト・サムスタンプ&バーサーカー(ロミオ)
煌星満天&プリテンダー(ゲオルク・ファウスト/メフィストフェレス)予約します。


175 : 名無しさん :2024/10/20(日) 22:46:57 XyR8fYvo0
高天 小都音&セイバー(トバルカイン)
天枷 仁杜&キャスター(ウートガルザ・ロキ)
伊原 薊美&ライダー(ジョージ・アームストロング・カスター)
予約します。


176 : ◆A3H952TnBk :2024/10/20(日) 22:47:41 XyR8fYvo0
>>175
すみません、鳥付け忘れてました。


177 : ◆0pIloi6gg. :2024/10/22(火) 17:40:53 EUNnvOiI0
投下します。


178 : ――demon,In the name of devil. ◆0pIloi6gg. :2024/10/22(火) 17:42:18 EUNnvOiI0


 
 悪魔との取引。
 キリスト教圏に伝わる文化的モチーフであり、人と悪魔の間で執り行われる契約のことを指す。
 悪魔は若さや知識、富や名声を引き合いに人間を誑かして、その対価に契約者に魂を要求する。

 多くの場合、これらの寓話は契約者の破滅によって幕を閉じる。
 悪魔の手引きで得た美点が元となって堕落するか、あるいは悪魔を騙し込もうとして敢えなく敗北し、死よりも悲惨な末路を遂げる。
 だが時に狡猾な人間が悪魔の裏をかき、魂を明け渡すことなく悪魔をやり込める例も散見される。
 子や信徒を諭す道徳的モチーフとして語られることもあれば、間抜けな悪魔をせせら笑う喜劇として語られることもあるが――
 いずれにせよ、"悪魔と取引をしてはならない"という認識はキリスト教徒の大多数に共有されている認識と考えて相違ない。


 またの名を、〈ファウストの取引〉もしくは〈メフィストフェレスの取引〉とも呼ぶ。


.


179 : ――demon,In the name of devil. ◆0pIloi6gg. :2024/10/22(火) 17:42:56 EUNnvOiI0
◇◇



 ――demon,In the name of devil.(悪魔の名のもとに)



◇◇


180 : ――demon,In the name of devil. ◆0pIloi6gg. :2024/10/22(火) 17:44:27 EUNnvOiI0



 いっぱいいっぱいだ。
 もういっぱいいっぱいである。
 それが、煌星満天の現状に対する率直な感想だった。

「ねえ……今日、いろんなことありすぎじゃない……?」

 どん底といちばん上を交互に体験し続けている。
 最高と最悪の間をバウンドしまくっている。
 まるでスーパーボールか何かになった気分だと、満天はげっそりした顔でそう思った。
 顔が良いだけの変態をボディーガードにされたかと思えば、憧れの〈天使〉とちゃん付けで呼び合う仲になれて。
 かと思えばどう見てもカタギじゃない謎の入れ墨男に恐喝され、今は地獄みたいな二択を迫られている。
 
 ノクトは「決まったらメールで連絡しろ」と言い残して既にファウストの事務所を立ち去っている。
 が、それをいいことに話を反故にしたならあの男がさっき以上の恫喝的手段を取ってくるだろうことは満天でも分かる話だった。
 選択の猶予はもう然程残されていない。

 選択肢はふたつ。
 〈蝗害〉と、〈抗争〉。
 どちらもアイドルとは縁もゆかりもない、というかあってはならないたぐいの命題である。
 というかアイドルでなかったとしても絶対に関わりたくない、人生で一度も視界に入ってほしくないテーマだった。
 とはいえ満天にはどっちの地獄かを選ぶ権利はあっても、選ばないという道は選べない。
 芸能界を掌握しているというあの入れ墨男に逆らえば、もう後はプロデュースとかそういう以前の話になってしまう。
 なので選ばなくちゃいけないのだが、もちろん誰だってこんな二択には向き合いたくない。
 煮えたぎる血の池地獄で泳ぐか針山地獄で串刺しにされるかをわくわくしながら選べる奴がいたならそいつは破綻者である。
 満天は(今は悪魔だけど)そういう非凡さとはまったく無縁な人間だった。今後とも無縁なままでいたいとも思っている。

「ね、ねえ――あのさ。まさかとは思うんだけど、ほんとに行かせるわけじゃないよね?
 あのおっかないおっさんはああ言ったけどさ、キャスターは良いアイデアとかもう浮かんでるんでしょ?
 まさか自分のアイドルをそんなヤバい場所に送り込むプロデューサーなんていないもんね、うんうん。
 私はキャスターのことよ〜〜く分かってるから大丈夫だよ。愛想ないし無茶言うし何でも勝手に決めるけど、根っこの部分では私のこと」
「残念ですが、こうなっては"選ばない"のが一番の悪手です。我々は既に、どちらの地獄がマシか考えるフェーズに入っています」
「ひ、ひぃん……ワ、ワァ……」

 さめざめと泣く満天。
 さっきまでの夢見心地のような幸福はもうどこかへ飛んでいってしまった。
 禍福は糾えるなんとやらというけれど、それにしたっていささか緩急を付けすぎじゃないか。
 こんなに振り回さなくたっていいじゃないか、と満天は本当にこの世の終わりのような気分になった。
 そんな彼女に、「煌星さん」とキャスター……ファウストが声を掛ける。声色はいつも通りの冷静。単調。感情の宿らない、クールなそれだ。


181 : ――demon,In the name of devil. ◆0pIloi6gg. :2024/10/22(火) 17:45:50 EUNnvOiI0

「あなたは典型的なシングルタスク型です。よってあまり多くのことを考えさせると途端にボロが出て滅茶苦茶になりますね」
「う……自覚はあるけど、なんで今急にディスって来るの……? キュートアグレッションってやつ……?」
「それに希望的な情報を与えると途端に気が抜けるきらいもあります。飴と鞭の使い分けが大変な、非常に面倒臭……プロデュースのしがいがある方だと言えます」
「今面倒臭いって言わなかった?」
「なので基本、あなたに共有する情報と方策は意図的に絞ってきました。
 煌星さんにはあくまでアイドルとしての活動に注力していただきたかったので。
 ――ですが、今回の件は流石に例外です。私も鬼ではありませんし、何より煌星さんの言う通り、今日はいろいろありすぎている」

 ふう、と小さく嘆息して。
 ファウストは眼鏡の奥の双眸を、怜悧に輝かせる。
 鈍い光だ。燦然たる輝きとは違う、鈍色の光だった。

「まず第一に。
 件の話ですが、実のところ我々にとってもそれほど悪い話ではありません」
「……えっ? ――いやいやいやいや! どこが!?
 バッタまみれになってYOU DIED...するか半グレに揉みくちゃ(物理)されるかの二択のどこがいい話なの!?」
「この都市で起こっている災いを最前線で見聞きできれば、その分今後どうやって活動していくかのビジョンを明確にすることができる。
 それに、輪堂天梨以外のマスターとも情報共有や、場合によっては協定を結べる可能性があります。
 無軌道で無作法な暴力に積み上げたものを積み木の如く崩されるリスクを減らしつつ、我々の最大の弱点である戦力面での不足を補える」
「ぅ、うーん……。まあそれはそうかも、だけど……でも危険なのは事実でしょ。
 リスク回避のためにもっとおっきなリスクを背負ってたら意味なくない……? 本末転倒、っていうか……」
「そうですね。ですからこれはハイリスクハイリターン、私ならば確実性を取って選ばない選択でした。
 だがこうなった以上は仕方がない。大きなリスクを背負って、より大きなリターンを勝ち取るしかありません。
 それができればあの男に対しても本当の意味で対等、ともすればそれ以上に接することができる。案外数時間後には、煌星さんがあの威丈高な男を顎で使っているかもしれませんよ」
「後が怖いからあんまりうれしくないかも……」

 まったく安心できる話ではなかったが、しかしファウストの言うこと自体は満天にも分かる。
 〈蝗害〉も〈抗争〉も、この都市で現在進行形で起こっている聖杯戦争絡みの問題なのだ。
 特に前者は満天がマスターとして此処に来た時点で既に始まっていた異常であり、今も被害をもたらし続けている。
 
 つまり、いつ自分の身に降りかかってもおかしくない戦争の火というわけだ。
 ファウストの言う通り、ある日突然これらの暴力が満天をぐちゃぐちゃに蹂躙したって何の不思議でもない。
 であればそうなる前に実情を知り、対処なり回避なりのすべを見つけ出すのもひとつの手である――理屈は通っている。
 
 とはいえ、これはファウストによるある種の慰めであることも満天は分かっていた。
 得られるリターンは確かにあるが、それにしたって不確実すぎるしリスクの方が巨大すぎる。
 情報欲しさに命を落としたら何の意味もない。ファウストはスパルタだが、度を越えた無茶はさせないことを満天は知っている。
 こうなったからには気持ちを切り替えて、事態を最大限に利用するしかない――彼の考えはそんなところだろう。
 どちらにせよ、これから満天が文字通り死ぬほど過酷な弾丸ツアーに出かけねばならないことは変わらない。

「それに……」
「……それに?」
「いえ。これは今伝えるべきことではありませんでした」

 小さくネクタイを直して、ファウストは話を切る。
 彼の言わんとした内容は満天には想像もつかないが、彼がこうして口を滑らせかけるというのは少し珍しい光景だった。


182 : ――demon,In the name of devil. ◆0pIloi6gg. :2024/10/22(火) 17:46:51 EUNnvOiI0

「ところで。
 あちらが待ってくれる時間には限度があるでしょう。そろそろどちらの仕事にするか決めなくてはなりません」
「……う゛。あ゛〜……やっぱり……?」
「私の意見は後に回しましょう。まずは煌星さん、あなたの意向を聞かせていただきたい」
「意向も何も、許されるならどっちにも行かないでとんずらしたいんだけど……」
「なるほど。これからは路上ライブ路線に切り替えると」
「い、言ってみただけだってば……! んぅー……う゛ーーーーー……!!!」

 文字通り頭を抱えて、濁点たっぷりの唸り声をあげる満天。
 絵面こそコミカルだが、彼女にしてみれば大袈裟でなく運命の分かれ道になり得る場面だ。
 どちらを選ぼうが地獄は地獄。できることならお近づきになりたくない世界が広がっていることは変わらない。
 それでも、どちらかひとつ選ばなければいけないというのなら。

 ――満天はゆっくりと、おっかなびっくり口を開いた。

「どっちかって言うなら…………バッタのほう……」
「理由をお聞きしても?」
「いや、だって……反社と関わるのは干される干されない以前の話じゃん。
 もし後でヘンなゴシップ捏造されても嫌だし、生きて帰るの前提だったらまだそっちの方がマシかなって……」

 アイドルに限らず、芸能人という仕事が日本中の妬み嫉みを一身に集めるものだということは満天もよく知っている。
 ただちやほやされるだけで済むならいいが、どんなにキラキラ輝いていても、その光の影では誰かが虎視眈々と悪意の牙を研いでいるものだ。

 ……そのことを満天は、憧れるあの子を通してよく実感した。
 もっとも、本当はただでさえコミュ障なのに血の味に飢えてナイフ舐めてそうな人種(満天個人の偏見である)となんてまともに関われるわけがないので、そういう意味でお近づきになりたくなかったというのもあったが。
 とにかく、血なまぐさい不良達の抗争に首を突っ込むよりはまだ獰猛なバッタの群れの方がいい。満天はそう判断した。
 "意向"と"理由"を聞いて――ファウストは「なるほど」と呟き、頷く。

「煌星さんの考えはよく分かりました」
「いや、できればどっちも行きたくないっていうのが一番だけどね?
 私虫嫌いだし……バッタのあのでっぷりしたお腹想像するだけで今も鳥肌立ってるし……」
「私も同じ考えです。どちらか選ぶなら、〈蝗害〉の方が理に適っている」

 満天のうじうじ台詞についてはスルーしつつ、ファウストが表明した意見は彼女に対する同調だった。
 〈抗争〉よりは〈蝗害〉の方がいい、と。ファウストはそう言ったのだ。

「断っておきますが、これに関しては煌星さんの意思に委ねるつもりでした。
 経緯がどうあれ仕事は仕事です。煌星さんが"自分に合う"と思ったなら、私の意見よりもその感覚を優先するべきですから」
「合う合わないで選んだわけじゃないけど……理に適ってる、ってどういうこと?」
「〈抗争〉は最悪恨みを買います。あの男が〈蝗害〉と並んで提示してきた時点で、そこには聖杯戦争の影が差しているのでしょう。
 であれば両勢力、共に複数のマスター及びサーヴァントを抱えている可能性が高い。
 そんな場所に姿を晒し、名を轟かせることに意味はありません。それよりはまだ、〈蝗害〉というある種共通の敵を調べた方が有益です」
「……あ、確かにそれもあるか……。
 聖杯戦争について知ってる側からしたらこのタイミングで首を突っ込んでくる奴なんて、自分は関係者ですって言ってるようなものだよね」

 争っている両勢力を平等に取材するなど不可能である。
 どうやっても片方が敵となり、しかも残った方が味方になってくれる保証もない。
 つまり、危険と今後抱えるリスクに対してリターンが極端に少ない。
 単純な危険性で言うなら蝗害の方が上かもしれないが、それでもどうせ身体を張るなら徒労以下の結末になる可能性は避けた方が賢明だろう。


183 : ――demon,In the name of devil. ◆0pIloi6gg. :2024/10/22(火) 17:48:27 EUNnvOiI0

「では、〈蝗害〉でよいのですね」
「……っ」
「もう一度言いますが、今回の件に関しては煌星さんの意思を尊重します。
 〈抗争〉と関わるデメリットを伝えましたが、〈蝗害〉だって決して順風満帆とは行かない難題です。
 ――最悪死ぬ。我々が共に、夢半ばで敗退する。その危険性を等しく孕んでいることに変わりはありません」

 満天が唇を噛む。
 命を懸ける/賭ける――それはこの世界では当然のことで、みんながやっていること。
 でもこうして改めてそのことを直視すると、とてもではないがすぐに頷けなどしなかった。

 選ぶしかない。選ぶしかないなら、こっちだと。
 決まっていても、身体は石のように固まってしまう。
 仕方のないことだった。煌星満天はアイドルで、今は悪魔でもあるけれど。
 それ以前に、どうしようもないほどに、ひとりのどこにでもいるような少女だったから。

「……五分後に、もう一度同じ質問をします。それまでに今度こそ決めておいてください」
「あ――キャスター!」

 ファウストは身を翻した。
 五分。それは生き死にの懸かった命題に対するシンキングタイムとしてはあまりにも短い。
 だが満天が今彼のことを呼んだ理由は、その時間設定に文句をつけたいからではなかった。
 スーツ姿のプロデューサー。見慣れた背中に、満天は少し戸惑った声色で言葉をかける。

「その……もしかして、怒ってる……?」

 ファウストの言葉はいつも通り理路整然としていて、合理主義な性根を隠そうともしないものだ。
 にもかかわらず満天がこう思った理由は、それはもうひと月の付き合いによるものと言うしかない。
 声のトーン。話す速さ。些細な仕草のひとつひとつ。雰囲気。
 頭の悪い自分に、やけに饒舌かつ詳細に物を語ること。
 
「あ、えと……私も、さ。一応、ちゃんとできることやるつもりではある、よ。
 うん――いろいろ言ってるけど、どうしても出ちゃうけど。
 キャスターが私のこと考えてくれてるのは分かってるし、だから……」

 しどろもどろ、おずおず……と。
 借りてきた猫のように縮こまって、視線を泳がせながら。
 それでも自分の相棒にして、プロデューサーたる彼に言葉を紡ぐ満天。
 その姿を見て、ファウストは一瞬だけ停止した。
 だが次の瞬間には再び歩みを進め始める。その上で、彼女へ言うのだ。

「それは杞憂というものです、煌星さん。
 あなたはよくやっている。今この状況においても、死物狂いで考えて賢明に逆境へ立ち向かっている。
 先の〈天使〉との接触にしてもそうだ。アレはあなたの頑張りがなければ成し遂げられない成果でした」


184 : ――demon,In the name of devil. ◆0pIloi6gg. :2024/10/22(火) 17:49:05 EUNnvOiI0
「で、でも……」
「――どうかお気になさらず。
 今日に限って言えば、あなたは何も間違いを冒していない。それに、この不満は……」

 ――煌星満天は、十分すぎるほどに"頑張っている"。
 ファウストはいつも通りの角張った言葉を通じてそう語る。
 逆境の中にあっても自分の意見を持ち、言葉にできることもそうだし。
 何よりやはり先刻の、〈天使〉……最強のアイドルたる輪堂天梨とのコミュニケーション。
 あれは、間違いなくファウストだけでは成し得ない成果だった。
 だからこそ。その心配は杞憂であると、ファウストは満天へ言うのだ。

 悪魔は、人の子へ語るのだ。

「……自分自身に対するものですから」

 マスターとはサーヴァントを従える者。
 サーヴァントとはマスターに使役される者。
 
 されど煌星満天とはアイドルで。
 ゲオルク・ファウストとはプロデューサーである。

 アイドルとは導かれ輝く者。
 プロデューサーとは導き輝かせる者。

 ――ゲオルク・ファウストは怒っている。自分自身の不徳に。
 悪魔は、苛立っている。契約を結んだ愚かな人間に情けをかけられている事実に。
 
 メフィストフェレスは、憤っている。
 そして同時に、この世の何より残酷に研ぎ澄ましている。
 人の営みを嘲笑い、破滅を運ぶ己の気性を。
 己が目的を何より尊び、賢しらな慢心を弄ぶ本来の在り方を。
 思い出しながら対峙する。光に灼かれ狂いし"かの者"と。
 悪魔とすら契約を結び、熾天に辿り着かんとする"人間"と。

 悪魔を契約を結んではならない。
 その先にあるのは、必ずや闇色の破滅であるから。

 悪魔を嘲ってはならない。
 嘲笑う側である筈のモノを見下せば、それは威信にかけてあらゆる"悪"を練ってくるから。

 策謀と策謀が交差する。
 見えざる線にて、呉越同舟を装いながら喰らい合う。
 ヒトの形を残した少女はそこへ辿り着けないし、何より今宵の悪魔がそれを望んでいない。
 彼らは共に、輝きの影にあるもの。
 万象すべてを照らす光の星の傍らに侍る、仄暗い闇の輩(ともがら)なれば。


(さあ――――状況を整理しよう)


 闇より深く、黒より冥く。
 人と悪魔は駆け引きを交わす。
 それは知恵ある者にしか見えぬ世界。
 おぞましき、地獄へ落ちる瀬戸際の攻防。

 いつだとてヒトは思い、悩み。
 悪魔は、それに付け込む。

 然るべき国ならば子どもでも知っている普遍の寓話が。
 この仮想都市にても、当然のように繰り広げられようとしていた。



◇◇


185 : ――demon,In the name of devil. ◆0pIloi6gg. :2024/10/22(火) 17:49:59 EUNnvOiI0



 らしくない姿を見せた。
 ゲオルク・ファウストは反省と共に今しがたの自分を振り返る。
 否、この場においては"ゲオルク・ファウスト"と呼ぶのは不適であろう。
 彼の真実は悪魔そのもの。ヒトを誑かし、試し、知恵を競べ合う寓話の住人そのもの。

 すなわち、悪魔〈メフィストフェレス〉。
 ファウストを詐称してこの仮想都市に舞い降りた醜悪なるモノ、汚穢なるモノ。
 愛すべからざる光、闇色の天体そのものである。

(――奴はこの東京の芸能を司っている。少なくとも、そのようにあれる立ち位置を有している)

 煌星満天というアイドルを掌握するべく手を伸ばした魔術師は、まさしく傑物であった。
 社会戦に限るならば、かの男……ノクト・サムスタンプという男は紛れもなくこの聖杯戦争のトップランカーであろう。
 たかだかひと月で彼は社会を支配した。芸能というひとつのジャンルを、統括した。
 まさに悪魔の如き手合いである。常人では決して、彼の領域に並び立つことは適うまい。
 それを可能とするならば、その時点でまともな人間ではない。よってノクトもまた、決して尋常の質ではない。
 ノクト・サムスタンプは狂っている。狂気のように先鋭化された情熱と、それに伴い伸びた能力がこの偉業を可能としている。
 正真の悪魔でさえ認める所業。〈はじまりの六人〉かくやあらん。されども、今の彼は完全無欠に非ず――悪魔は、そう確信していた。

(……が、思えば実に白々しい。
 奴が聖杯戦争を経験済みだとするならば尚のこと、ほざいた言葉には矛盾が同伴している。
 一時とはいえ思うようになってしまった事実は恥じるに値するが、されるがままに終わらなかったことだけは評価点となり得るか)

 芸能を司る。
 機嫌ひとつで、発言ひとつで人間ひとりの進退を決められる。
 なるほど、確かに脅威だろう。
 煌星満天という駆け出しのルーキーにしてみればそれは生死を握ったに等しい圧力であろう。
 
 だが。
 此処は正常な、尋常な社会ではなく。
 いつ崩れるとも知れない曖昧な天秤の上に成り立った仮想都市である。
 群れなす民は虚構。聖杯戦争のためだけに用立てられた"それらしい"舞台装置。
 それを踏まえて考えれば、先の邂逅で魔術師が弄した言葉にはひとつ明確な欺瞞が見えてくる。

『なのでもし俺がその気になれば……例えば、アイドルひとり干すことくらい、簡単だ。
 そっちが路上ライブだけで頑張るんだ、とか言い出したら、尻尾巻いて逃げ帰ることしか出来ないがね』

 奴自身そのことを自覚していた根拠はある。他でもない、奴の吐いた言葉がその論拠だ。


(――詐欺師め。こんな世界で大衆へ映像を届ける機構(システム)に"干された"からと言って、それが何だという?)


 この世界は、砂上の楼閣である。
 都市機能のすべてが、波打ち際に拵えられた砂の城に等しい。

 すなわち脆い。
 すなわち儚い。
 いつ消えてもおかしくなく、消えたとて誰も驚かない。


186 : ――demon,In the name of devil. ◆0pIloi6gg. :2024/10/22(火) 17:51:17 EUNnvOiI0

 何しろ現在進行形で都市を食む〈蝗害〉を抱えているような状態なのだ。
 そんな世界のメディア――テレビ、雑誌、ラジオ、ネット配信。
 そうした諸々が、一体いつまで持続するというのか。
 考えてみれば分かる。どう考えても時間の問題だ。
 今夜か、明日か、明後日か。どう過大に評価してもそれ以上は保たないだろう。
 何だったら今この瞬間に社会を壊す"何か"が起きて、すべてが崩れ去っても不思議ではない。

 芸能界という枠組み自体が、持続可能かつ安定が共通観念として保証された"社会"の中でのみ許される砂の城だ。
 であればその前提が何ひとつ満たされないこの社会で、それにこだわることに意味はない。皆無と言って、差し支えない。
 少なくとも悪魔はそう思うし、そんな存在を相手に大立ち回りができるあの男にしたって気付いていないわけはない。
 つまり、あの場で魔術師が口にした脅迫に価値はない。にもかかわらず、何故悪魔をも驚かせられる詐欺師がそんな見得を切ったのか。
 理由は複数考えられる。だがその最たるものは、間違いなくこれであろう。

 ――煌星満天はその程度の言葉で揺らされるくらいに、月並みな"人間"でしかないからだ。

 満天にとって。
 アイドルとは、画面の中で輝く者。
 整備されたステージの上で人々を照らす者。
 それは決して間違いではなく、悪徳でもない。
 泰平の社会、世界屈指の"安全"に保証された国で育った少女の常識がそれであることは至極健全かつ真っ当である。
 そんな彼女にとってあの脅し文句は、間違いなく覿面に効き。
 かつ彼女の〈プロデューサー〉は、その場では正論を突き付けられない。

 じきに崩れ去る社会など気にするだけ無駄だなんて、それは"導く者(プロデューサー)"に口にできる言葉ではないからだ。

 口にすれば信用を失う。
 心が離れる。
 プロデュースは途切れ、シンデレラの魔法は解ける。
 そうなれば何がどうであれメフィストフェレスの敗北だ。
 あの言葉は煌星満天だけに向けられた悪意で、指摘することのできない狡猾な虚言だった。

(己を魅せるステージなど、手段を問わなければ幾らでもある。
 戦火の中、死骸の山、絶望の淵、世界の存亡……挙げ連ねれば両手の指でも足りない。
 そしてそのすべてがこの都市では当たり前に実現可能な範疇だ。
 既得権益の結集で成り立った衆生の社会に追放されたところで、その社会が地獄ならば輝く術に事欠く筈もない)

 "路上ライブ"でいい。
 何なら、その方が場合によっては効率で勝る。
 死にゆく世界にひとり立つ希望の星。
 勇気と輝きをもって立つ姿に民衆が何を思うかは歴史が証明している。
 手段を選ばなければ、大衆の星(ジャンヌ・ダルク)なんていつでも生み出せるのだ。

 そしてじき、世界は死を迎える。
 末期の病巣を幾つも抱えたこの針音都市の余命は、誰がどう見ても残りわずか。
 であれば"そっち"の路線に切り替えた方が利口なのは明らかだ。
 だがメフィストフェレスは、悪魔たる彼はそれをせず。
 魔術師の持ち掛けてきた取引に歩みを止め、その掌で踊る道を選んだ。
 ――彼のプロデュースするアイドルは、最効率の道に耐えられる超人ではないからだ。


187 : ――demon,In the name of devil. ◆0pIloi6gg. :2024/10/22(火) 17:52:07 EUNnvOiI0

(つくづく腹が立つ。よもやこの悪魔(おれ)が、人間に足元を見られるとはな)

 最短距離を選んで事を進めるのは簡単だ。
 しかしそれでは、悪魔の願望は満たされない。
 目先の利益を重んじて、目指すところへの着地をしくじるようではそれこそ本末転倒だ。
 ノクト・サムスタンプは、煌星満天のプロデューサー/サーヴァントがそれを選べないことさえ承知していた。

 だからああして、世界の不変性を前提にして揺さぶった。
 それをすれば、そんな世界で生まれ育った少女は必ずや意のままに揺れ動くから。
 そこに寄り添えば足が止まる。寄り添わなければ、すべてが崩れる。
 まさしく妙手。人間の詐欺師は、あの時悪魔をすらも己が物差しで推し測り操ってみせた。
 
 かくも不自由なものだ、ヒトに寄り添うというものは。
 そして――かくも腹の立つものだ。
 ヒトに、嘲笑われるというものは。

(だが透けているぞ。お前だとて、こんな見え透いた手を弄したくはなかった筈だ)

 事もあろうに、導き/謀るべき契約者に噴飯を見抜かれるとは。
 かつてない屈辱だ。同時に、懐かしき感覚だ。
 メフィストフェレスは人間という生き物を、その真髄を、他のどの同族よりも知っている。
 彼はかつて、それを見たから。
 それを見てしまったからこそ、こうして神敵たる悪魔にあるまじき茶番めいた過程にうつつを抜かしているから。

(魔術師。お前は今、行き詰まっているな)

 知っているからこそ、見透かせるからこそ、悪魔は怒り闘志を燃やす。
 愛すべからざる光とは、すなわちすべてのヒト、その叡智に対する大敵。
 隣人にして、いついかなる時も破滅に誘う油断ならない陥穽なれば。
 
(少なくとも、俺達のような零細の主従を小間使いにしなければならない程度には不自由を強いられている。そうだな? 不遜なる人間め)



◇◇


188 : ――demon,In the name of devil. ◆0pIloi6gg. :2024/10/22(火) 17:53:06 EUNnvOiI0



 個人タクシーの運転に揺られながら、ノクトは過去を述懐する。
 もちろん運転手には暗示を施し済みだ。よってこの空間にいる"意志ある人間"は、実質ノクトひとりと言って差し支えない。
 満天の許を去ったのは、無論彼女に対する情けなどではない。
 答えを聞くのも、その後追って指示することも遠隔で済む話だ。仲良く連れ立って取材に向かうわけでもなし。
 であれば足を止めて時間を無為に使うよりも、返事を待ちながら別な案件に取り組んだ方が合理的というもの。
 ノクト・サムスタンプは、そういう考え方をする男だった――それはさておき。

 〈はじまりの聖杯戦争〉にて、ノクト・サムスタンプが召喚したサーヴァントはおよそ最高の相棒と言ってよかった。
 ノクトは魔術師としては、決して物差しの目盛りを逸脱した存在ではなかった。
 だが彼はその手管、そして計略を回す脳髄の出来において極めて非凡だった。
 それは形式と既得権益に支配された魔術界にて轟く美点ではなくとも。
 勝利することが目的にして最善とされる、聖杯戦争という土俵においてはこの上なく輝く鈍色の宝石であった。

 彼の存在は常に、他六人にとっての悩みの種だった。
 黒白、禍炎。奇術師に盲目のホムンクルス。
 老獪なる現人蛇の眉をさえ顰めさせる働きを、ノクトは常に成してきた。

 その暗躍を、時に蛮行を支えてきたのが彼のサーヴァントであったことに疑いの余地はない。
 魔術師の脳髄と英霊の異能は、間違いなく最大の噛み合いを見せた。
 社会を操り、人心を操り、東京という都市ひとつを管轄下に置いて勝利を希求した。
 誰もノクトを止められない。だから蛇杖堂を筆頭に、舞台そのものを壊して彼に対抗し始めたのは必然の流れだったと言っていい。
 結果として東京は崩壊し、第一次聖杯戦争は最悪の形でその幕を閉じる。
 されど――唯一無二の〈白〉を知った今で尚、かの戦いを経験した者達の頭にはサムスタンプの名と存在が刻み込まれている。
 詐欺師。大悪党。あらゆる行動を起こす時、常に彼の顔と名前がついて回る。
 それほどまでに暴れたのだ、ノクトは。そしてこの"二度目"の聖杯戦争でも、ノクトは同じ手段で覇権を握ろうとしていた。

 が。
 
「……分かってたことだが、前ほど上手くは行かねえな」

 此度、ノクトが招いたサーヴァントは策謀とは無縁の狂戦士。
 前回は不可能であった、戦力差を埋め得るサーヴァントでは間違いなくある。
 しかし彼には、〈継代〉ならばできた仕事のすべてができない。
 よって生まれるのは当然の不自由。ノクト・サムスタンプという魔術師をして、ひと月もの時間を費やしながら"都市のすべてを道具にできていない"事実が彼の悪戦苦闘を物語っている。
 仮に今も彼の隣に暗殺教団の主が侍っていたならば、冗談でなく主従の数が今の半分程度までは削られていたことだろう。

 〈継代のハサン〉の宝具。『奇想誘惑(ザバーニーヤ)』。
 それは衆生を操る異能。無垢で、無辜である市井の民を暗殺者に変える力。
 まさしくノクトの手管と、最高の相性を発揮する魔技だ。
 かの暗殺者の存在があれば、ノクト・サムスタンプは都市ひとつをすら思いのままに操る神になれた。
 されど今、〈継代〉の異能は彼の傍になく。
 だからこそノクトは恋に狂った美青年の戯言に嘆息しながら、来たる決戦の時に備えて牙を研ぎ続けるのを余儀なくされている――。


189 : ――demon,In the name of devil. ◆0pIloi6gg. :2024/10/22(火) 17:54:01 EUNnvOiI0

(あいつの不在を除いても、やはり前回とは事情が違いすぎる。
 祓葉め、おてんばにも程があるぞ本当に。いくら楽しかったからって、規模を広げすぎだ)

 数十組、ともすればそれ以上の参加者。
 選別が進んだ今ですら、恐らく二十組以上の主従が残っている現状。
 頭数の多さは不測の事態を招く。戦力の把握は困難を極め、確固に与えられた社会能力は迷路のように複雑怪奇。
 此処までは先刻も振り返った内容。
 そしてノクトの頭を悩ませているのは、前回と比べ、目に見えてサーヴァントの水準(レベル)が上がっていることもあった。

 ――聖杯戦争とはルール無用、常識の通用しない世界。
 そんな土俵でさえ策謀で動き、戦力以外の観点で盤面を支配しようとするなら相応の能力とセンスが必要になるのは自明だ。
 だが、だとしても。どれだけ完璧にやれたとしても、覆しようのない根本的な天敵というものが存在する。
 〈継代〉を欠いた今だからこそ、そして祓葉が羽目を外しまくっている今回だからこそ浮かび上がるその問題。
 それは、煌星満天に課した"難題"にも顕れていた。
 策を練り、細工を凝らして外堀から盤面を支配しようと目論む者達の天敵。
 詐欺師を喰らう者。それは、いつだとて……

 策や奸計の通用しない、もっと言うなら話がそもそも通じない。
 その上、圧倒的な暴力を持ち合わせた――"特記戦力(バランスブレイカー)"とでも呼ぶべき存在である。

 当然の話だが、頭脳戦というのはそれを理解できる相手にしか通用しない。
 
 例えば契約書を片手にあれこれ甘い言葉を囁いたとして、返答が拳や銃弾であったら何の意味もない。
 話は聞かない、サインもしない、その上でお前の全部を寄越せと殴りかかってくる手合いはいつだって策士の天敵だ。

 〈蝗害〉は、まさにその最たる例だった。
 総数不明の大群ですべてを貪る黒い暴風に契約書とペンを差し出したところで、次の瞬間には骨まで食い尽くされて終わるだけ。
 そうでなくとも前回の聖杯戦争で、ノクトがこれに近い手段で対抗されていたことは先に述べた通りだ。
 〈継代〉を失い、相対的に以前より小回りの利かなくなったノクトにとっては、以前にも況してこの手が苦しい。
 それは先日交戦した褐色肌の少女……真名をトバルカインというあの英霊との時にも心底痛感した点であった。

(覚悟の決まった馬鹿どもに、蝗害のような災害連中。
 極めつけに、前回に輪をかけて怪物になってるだろう祓葉……まったく頭が痛い。いつから聖杯戦争は馬鹿の見本市になったんだ?)

 ノクトに足りないものは絶対的に戦力だ。
 ロミオがいるのに何を贅沢な、と言われたならノクトは瞬時にこう返す。
 それで足りるわけがねえだろ、と。敵の頭数が前回の数倍に増えているのだ、狂戦士の無茶苦茶一辺倒で勝ち抜けるほど甘い筈がない。
 単一の武力ではなく、陣営レベルでの"戦力"をこそ、サムスタンプの魔術師は欲している。

(〈蝗害〉を従えてるのは――最悪の事態を想定して顔見知りに絞って考えてるが、まあ十中八九イリスだろ。ていうか既にそう決め撃ってる。
 サーヴァントの性質を知らない以上なんとも言えないが、あまりに駒の動かし方が直情的で無責任すぎる。
 祓葉に袖にされてやさぐれモードの白黒(メンヘラ)が八つ当たりまがいに暴れさせてると考えると、それが一番現状と合致する)

 前回の戦争を共にしたマスター達は、ノクト・サムスタンプのやり口というものを嫌というほど知っている。
 万一本当に〈蝗害〉=〈はじまりの六人〉の誰かという図式が成り立つのなら、ノクトにしてみれば居場所を突き止められた時点でゲームオーバーだ。
 ロミオは狂っているのを除けばたいへん優秀なサーヴァントだが、それでもあの規模と暴威を発揮できる怪物相手では防戦が精々だろうことは想像に難くない。
 白兵戦で強いのと、戦争で勝てるのとは別問題なのだ。怪力無双の荒くれ者でも、拳銃を持った集団に囲まれたら終わりなのと同じ。
 おまけにノクトのようなコツコツ積み立てて地盤を築く質の魔術師は、ああいう土地ごと一切合切喰らい尽くすタイプの手合いとは絶望的なまでに相性が悪い。最悪、一ヶ月かけて積み上げた体制が小一時間でパーになる。考えただけで死にたくなる話だ。
 蛇杖堂寂句に協力を申し込んだのも、あの老人も自分ほどではないにしろ、そういう手を取られると困る部類だと見込んだからという側面もあった。持ちつ持たれつでスコアを稼げたならそれで良し。もしも自分より先にあっちが壊滅的な暴力に晒されたならそれはそれで良いモデルケースになる。
 ノクトの意図など当然あの老獪な蛇には筒抜けだろうが――別にそこは構わない。
 お前の弱みを知っているぞと言外に示すのは交渉術の基本だ。足元を見られないためには、まず先に足元を見るのが一番なのである。


190 : ――demon,In the name of devil. ◆0pIloi6gg. :2024/10/22(火) 17:55:08 EUNnvOiI0

 
 その点、煌星満天の登壇はノクトにとって不測の事態でこそあったが、同時に渡りに船でもあった。
 腹に一物抱えた知恵者の奸計を逆に利用し、友好を装って事実上の首輪をつける。
 NPCとは明確に異なる"資格持ち"を動かしながら、偵察と更なる契約の余地を見出せる。
 彼女には二つの選択肢を提示こそしたものの、実際のところ、満天達がどちらの仕事を選ぶかは読めていた。
 それこそまさに、〈蝗害〉だ。反社案件はアイドルにとってご法度……というのはさておいて、あの頭の切れるキャスターが望まない形で自分の要石を喧伝して回る方を選ぶとは思えない。
 対等の皮を被った小間使い。上下関係を紐付けた契約関係。
 気付いた時にはもうしがらみで雁字搦め。一挙一動すべて、ノクトの指先に委ねるしかない――要するにいつものやり口だ。

 
 そう思っていた。
 だが満天と実際に対面し、あのキャスターの話を聞いて……少し、事情が変わった。

(精霊……いや、悪魔に近かったな。映像で見るのとじゃだいぶ印象が違った。
 あのキャスター、一体何者だ? ひょっとすると思っていた以上のビッグネームかもしれねえな)

 煌星満天。彼女は、本物になろうとしている。
 幻想種との干渉を根源到達への手段と信じた一族の末裔であるノクトは、妖精、精霊、その他様々な"本物"に触れ契りを交わしてきた。
 その彼だからこそすぐに分かった。今は幼体に過ぎないが、彼女の生物としての区分は間違いなく"あちら側"の存在と化している。
 
 キャスターの宝具による後天的な悪魔化。
 彼女のアイドルとしての知名度の上昇に伴って成長する、最年少の悪魔。
 もちろん伏せられている情報も無数にあるのだろうが、キャスターの説明は概ねノクトの認識と合致していたので、少なくとも語られた部分に関しては真実だろうと推察できた。
 正直に言って、驚いた。横紙破りも甚だしい。とうとうそんな無茶苦茶まで飛び出してくるかと天を仰ぎたくなった。
 
 だが――

(――使える。あの小娘は上手く使えば、道理を跳ね除けて戦果を持ち帰る打ち出の小槌になり得る)

 蛇杖堂に満天の話を共有するつもりはない。
 する意味がない。
 ノクトの計略を以ってしても難敵極まりないあの老君を出し抜けるかもしれない金の卵だ、誰が教えてなるものか。

 〈はじまりの六人〉の中に、もはや只人などひとりもいない。
 能力的な話でもそうだが、何より精神面で彼らは既に尋常ならざる領域に達している。
 太陽に眼を灼かれ、植え付けられた狂気のごとき渇望。
 彼らは主義も思想も、辿ってきた人生も性質もまるで違う亡者達であるが。
 しかしある一点において、彼らは常に共通している。


191 : ――demon,In the name of devil. ◆0pIloi6gg. :2024/10/22(火) 17:55:44 EUNnvOiI0


 ――その行動のすべてが、最終的に神寂祓葉という〈太陽〉に帰結すること。


 神寂祓葉を魅せること。
 神寂祓葉に、勝利すること。
 そしてそれは、合理と理性を尊ぶ傭兵崩れのこの男でさえ例外ではない。

 〈蝗害〉を討ちたいなど所詮は目先の目標だ。
 本当に探しているのは、求めているのは更にその先。
 あの不条理そのもののような少女へ届く、熾天をも射止める輝きである。

 ノクト・サムスタンプは、それを見つけた。
 まだまだ未熟で、祓葉の輝きとなど比べるべくもない幼体だが。
 その荒削りなんてものではない原石に、彼は可能性の光を見た。
 天へと至り宇宙で歌う、そんな未来の片鱗を見た。

 完成した煌星満天ならば、神寂祓葉に届くかもしれない。
 苦境と苦心の中に舞い降りた願ってもない〈地の矛〉。
 それはノクト・サムスタンプにとって注視せざるを得ない"希望"であり。
 そして同時に――悪魔を手玉に取り切れない、"弱み"でもあった。



◇◇


192 : ――demon,In the name of devil. ◆0pIloi6gg. :2024/10/22(火) 17:56:24 EUNnvOiI0



(今ならば分かる。奴ら〈はじまりの六人〉が誰に殺され、誰に蘇らされ、そして誰を目指しているのか)

 元々、メフィストフェレスはその可能性を脳裏の片隅に置いていた。
 聖杯戦争が、二度繰り返されている可能性だ。
 この針音都市は聖杯戦争という儀式のセオリーをあまりに無視しすぎている。
 監督役はおらず、仮想世界とはいえ民間への被害も完全に野放し状態。
 ずっと疑問には感じていた。何故、この針音の聖杯戦争はこうまで歪であるのかと。

 それに対してのひとつの答えとなり得る仮説が、"聖杯戦争二周目説"だった。
 まずはじまりに誰かが聖杯を手に入れ、神の如き力を持って世界を創造した。
 目的など見当もつかないが、責任感や真面目さとは無縁の人物が玉座に座ってしまった結果だと考えれば辻褄は合う。
 言うなれば、どうしようもなく自分勝手な子どもが作り上げた箱庭。
 子どもだからつまらないルールには反発するし、設けもしない。
 みんな好き勝手振る舞って殺し合い、その果てに勝ち残れたなら万々歳。
 幼稚、勝手、無責任で超弩級の馬鹿。そんな神がこの都市のどこかにいるとすると、話が通ってしまうことにある時気付いた。

 とはいえ、メフィストフェレスはこの説を本気で追っているわけではなかった。
 辻褄は合うし話が通っているというだけで、仮説にしたってあまりに荒唐無稽が過ぎる。
 偶然と曲解から生まれる陰謀論と大差ない愚説として、ほぼ一笑に伏していたと言ってもいい。
 されどそんな馬鹿の極みのような話が、思わぬところで正解と認められてしまった。

 聖杯戦争は二周目だ。
 頭の悪い神は実在する。
 そして。
 メフィストフェレスは――恐らく既に、それを視ていた。

 〈天使〉輪堂天梨のライブを偵察した帰り道。
 路傍ですれ違った、白髪の少女。
 悪魔の中の悪魔に、無条件の戦慄を抱かせた"光"。
 根拠は皆無に等しいほど薄弱だが、メフィストフェレスという悪魔の直感が間違いないと断じている。


(あの〈白い少女〉だ。あの餓鬼が奴らの、そしてこの世界の〈太陽〉だった)


 アレが、この世界の神だ。
 針音の都市を生み出せしモノ。
 〈熾天の冠〉を最初に戴冠した王者。
 己とは似て非なる、愛すべからざる光。
 神の如き悪魔、悪魔の如き神であったのだ。


193 : ――demon,In the name of devil. ◆0pIloi6gg. :2024/10/22(火) 17:57:27 EUNnvOiI0


 ノクトとのやり取りの傍らで、恋する狂人が口を滑らせたのを悪魔は覚えていた。
 『嗚呼、運命の悪戯で、一度は破れたはずの想いに再び向き合うマスター』。
 『この男はこう見えて、恋に生きる一途な男なのさ』。
 『それはもう、死の運命すらも覆して挑む第二の挑戦さ』。
 『彼の恋路の険しさと言ったら、並大抵の神話では太刀打ちなんてできないほどさ!』。
 バーサーカーの吐く言葉など、取るに足らない戯言。真に受ける方がどうかしている。
 
 されど。
 最も有名な"恋する男"が――たとえ狂気の中にあったとしても、〈恋〉で法螺を吹く筈がない。
 向く方向の定まった狂気は、時に賢者の智慧よりもよほど信用に足るものだ。
 神は実在し、そしてノクト・サムスタンプは神に懸想している。
 そう仮定し、メフィストフェレスは改めて神の人物像に思いを馳せた。


(……幼稚。自分勝手。無責任。そして、純粋)

 何故、自分が下した敗者達を蘇らせた?
 ノクトは主従の組み合わせがシャッフルされたと語っていた。
 厄介な相手が複数いるとも。であれば、仮称〈はじまりの六人〉全員が蘇生され、もう一度マスター資格を与えられていることはほぼ確実。
 
 ――何故? その行為に、何の意味がある?
 
 普通に考えればデメリットしかないことは明らかだ。
 手の内と人となりがバレている、おまけにその手で屠ったのなら悪感情もひとしおだろう。
 神にどんな目的があるにせよ、その行動に合理的な理由は見当たらない。
 だがこれを先ほど挙げた人物像に照らし合わせて考えると、ひとつ仮説が浮かんでくる。本当に、頭の痛くなるような話だが……

(もう一度、遊びたい)(今度はもっと大勢で)
(気心の知れた相手も呼んで)(つまらないルールも、縛りもなし)
(もう一度みんなで、"聖杯戦争"というゲームを楽しみたい……?)

 悪魔とは人を見透かし、甘言を囁くもの。
 故に人心にはこの世のどんな生き物より精通している。
 だからこうして、わずかな情報だけでも人物の本質に辿り着ける。
 の、だが。導き出された解は、悪魔でさえ顔を顰めずにはいられない最低最悪。
 邪悪よりたちの悪い純真無垢だ。この世に存在してはならない種類の光であると言う他はない。


194 : ――demon,In the name of devil. ◆0pIloi6gg. :2024/10/22(火) 17:58:06 EUNnvOiI0

(――く)

 故に悪魔は、その最悪を祝福する。

(そうかそうか。確かにこれは難儀な恋路だなあ)

 あまりに見る目がないが、焦がれたのはお前の落ち度だ。
 悪魔が嗤う。嗤いながら、自分へ挑んだ人間について考える。

(お前は決して、己の狂気(こい)から逃れられない。
 どれほど賢しらに合理主義を気取ろうと、最終的には愛しの太陽に向かってしまう。
 そうでなければお前達は、光に灼かれた亡者どもは黒焦げの魂を保てないのだろう?)

 ノクト・サムスタンプは間違いなく、弩級の知恵者だ。
 その手腕、油断ならなさ、秘める脅威性は本物の悪魔でさえ舌を巻く。
 事実一度はやり込められた。少なくともメフィストフェレスはそう思っている。
 だが惜しい。本当に惜しまれることに、二度目の生を得た彼は完全な存在ではなくなってしまった。

 徹底した合理主義に基づいた、一寸の無駄もない男。
 その魂に、今はひとかけらの矛盾が根付いてしまっている。
 完璧であればあるほど、それが矛盾した時に生まれる影響は大きいものだ。
 そして。悪魔とは、そういう弱みに嬉々として付け込むからこそ、恐れられてきたのである。
 悪魔と取引してはならないと、そう言い伝えられているのである。

(ならばお前はもう――俺の契約者(アイドル)を捨てられない)

 お前は俺に、俺のモノに、希望を見たな。
 であれば仲良くやろう、末永く。
 恋する素敵なお前には――このシンデレラストーリーと心中する権利をくれてやる。



◇◇


195 : ――demon,In the name of devil. ◆0pIloi6gg. :2024/10/22(火) 17:59:21 EUNnvOiI0



 アイドルとしての知名度の向上が、悪魔・煌星満天の成長とリンクする。
 それは本来なら、実にわかりやすく、そして"やりやすい"趣向だった。
 芸能界の要点を軒並み押さえ、それ以外の分野にも幅広く手を伸ばしているノクト・サムスタンプである。
 彼の合理主義と、この地で地道に準備した権力人脈その他諸々を最大限に活用し。
 なおかつ、手段を選ばないでいいのなら――都市の誰もに知られた最強のトップアイドルを作り上げるなど、至極造作もないことだった。
 それこそ一日でもあれば、ノクトは満天をトップアイドルとして、ひいては対特記戦力用の秘密兵器として完成させられる自信があった。

 ただ。
 ひとつだけ、頭の痛い問題もあった。


(……クソッタレが。あの野郎、まさか此処まで見越してやがったのか?)


 ――――煌星満天の人間性が、あまりにも月並みすぎたことである。

 あのわずかな時間の対話でも十分に分かった。
 満天は凡人だ。おまけに、たぶん馬鹿だ。
 長所より欠点の方が間違いなく多いし、本人もそれを自覚しているから劣等感が強く、自分という人間に自信をまったく持っていない。
 そのくせ理想だけは高い。彼女はキャスターの意向云々を抜きにして、本気でトップアイドルの座を目指している。
 ひねくれていながら同時に純真。まったく矛盾している。合理性の欠片もありゃしない。
 だからこそ煌星満天は今、恐るべき契約魔術師の頭を意図せず悩ませることに成功していた。

(本人の意思を無視して条件だけ満たさせるのは簡単だ。だがそうやって出来上がった〈悪魔〉は、使い物になるのか?)

 理想と現実のギャップに潰れて沈まれては元も子もない。
 それに、嵌められたと怒り狂われれば祓葉にも届き得る新たな特記戦力が、感情のままに自分へ向かってくることになる。
 そして、一番の問題は……

(いや、そもそも……本当に"それだけ"か? だとしたら話が上手すぎやしねえか――?)

 ゲオルク・ファウスト/メフィストフェレスの言葉以上の情報を、ノクト・サムスタンプは持たないということ。

 ここは駆け引きで使う部分ではないと、キャスターは満天に言っていた。
 であれば駆け引きに使う部分とはどこか。
 決まっている。悪魔・煌星満天という存在のロジック、そのブラックボックスの部分すべてだ。

 満天に対する期待は、単にキャスターの言葉を鵜呑みにしてのものではない。
 恐らくこの針音都市の誰よりも、"本物"と触れ合った経験が豊富である故のきわめて合理的な期待である。
 事実、動画で見た時よりも今の彼女は人外として洗練されているように見えた。それも、ノクトの期待を後押しした。
 蝗害を駆逐し、旧い顔馴染みどもを鏖殺し……そして最後には、かつて届き得なかった天星を射落とす。
 そういう希望を、彼に抱かせた。何がどうあっても、結局ノクトもまたひとりの亡者なのだ。

 ――神寂祓葉という宿命から、彼ら六人は決して逃げられない。


196 : ――demon,In the name of devil. ◆0pIloi6gg. :2024/10/22(火) 18:00:12 EUNnvOiI0

 祓葉に届くかも、という希望は例外なく彼らを縛る。
 蛇杖堂寂句が、天蠍にそれを見たように。
 〈脱出王〉が、最上の舞台を目指して躍動するように。
 一度見てしまったなら、抱いてしまったなら彼らはそれを捨てられない。

 ノクト・サムスタンプは先の直接対決にて、間違いなく煌星満天とそのサーヴァントに首輪を付けたが。
 しかし同時に、ノクト自身もまた彼女達に首輪を付けられた。
 煌星満天という悪魔(アイドル)を、もうノクトは忘れられない。
 彼はあの時、捕まえたと同時に、捕まったのだ。



◇◇



 悪魔メフィストフェレスと、アイドル・煌星満天の交わした〈契約〉についておさらいをしよう。

 煌星満天は、メフィストフェレスから輝くための力を賜った。
 悪魔の力だ。完成すればこの都市の神にも手が届くかもしれない、とても大きな力だ。
 対価として悪魔は、彼女に"希望と充足"を求めた。劇的なる瞬間。彼のかつての契約者が見た、留まりたいと願うほどの刹那を。
 その方法に、満天は自らの大願成就をもって応ずると誓った。
 すなわちシンデレラストーリーの大団円。トップアイドルという夢を叶える姿をもって応えると述べたのだ。

 以上をもって契約は成立。
 満天の物語は始まり、彼女は輝きの頂点へと続く階段を登り始めた。
 されど、悪魔との契約はいつだって無情なもの。
 誓いを反故にすればその瞬間に契約者は死に、魂は悪魔の胃袋の中へと堕ちる。

 満天が諦めること。
 満天の心が折れること。
 それが"回収"の条件である。
 以上をもって契約は不履行となり、ペナルティが下る。そして真なる悪魔が、悪魔と取引した愚かな人間の魂を糧に顕現する。

 ――そしてこの部分についての話を、メフィストフェレスはノクトに対して意図的に伏せていた。


197 : ――demon,In the name of devil. ◆0pIloi6gg. :2024/10/22(火) 18:01:02 EUNnvOiI0


(お前は優秀だ。上手く使えば、俺達にとっても大きな益をもたらす。
 だから代わりに使われてやる。せいぜい仲良くやろうじゃないか、こちらはとっくにその構えだ)


 シンデレラストーリーを踏み躙ることは簡単だ。
 乙女の夢見る心を弄び、悪意のままに押し上げることは実に容易い。
 だがあいにく。煌星満天は、それで満足できるほど利口ではない。

 煌星満天は現実をよく分かっていて、その上で夢を追いかけている。
 少女の理想は強情で、だからこそズルで叶えても満足しない。それどころか、十中八九ぺしゃりと潰れる。
 瞬間、契約の不履行は確定し。望みの"瞬間"にありつけなかった悪魔は、満天の魂を喰らって顕現する。
 天の太陽へも届くかもしれないアイドルの矢は放たれぬまま、十二時過ぎの魔法は解けてしまう。

 これは"もしも"の話であるが。
 仮に満天が、理想に達するためなら周りのすべてを果実同然に踏み躙って進める質だったならば。
 そんな"茨の女王"めいた人間であったならば、どんなに血の通わない過程であろうが魔法は解けなかったろう。

 けれど煌星満天は泥臭い。ダメダメで、抜けてて、要領が悪くて、コミュ障で、そのくせ理想はとっても高い。
 故に彼女は認めない。望まない道で叶えた夢、スポットライトでは満足できない。
 だから、ノクト・サムスタンプでは彼女のプロデューサーたり得ないのだ。
 彼のやり方はとても理に適っていておまけに最高速度だが、今宵のシンデレラは非常に面倒臭い。


(しかし俺達の契約に関しては、何ひとつ手を出させない。
 焦れったい思いをしながら、じっくりと、まっとうな手段でこの末子成功譚を応援してくれ。
 せっかちは良くないぞ? 無理に手を引けばせっかくの希望(あくま)が台無しだ。のんびり行こうぜ、なあ――――)


 ノクトのああも直接的な接触は想定外だった。
 彼に"仕事"を押し付けられ、協力関係という名の首輪を付けられたのは失態だった。
 満天を〈蝗害〉という危険に近付けなければならないことも、正直今から頭痛さえ覚えている。
 だが。それでも、悪魔メフィストフェレスによる煌星満天育成計画の大筋は変わっていないし変えるつもりもない。

 ――満天をトップアイドルにする。
 ――この滅びゆく都市で、それでも彼女の理想を遂げさせる。
 ――天の御使いを超えて輝く地の星を、実現させてみせる。

 神を超えるなどまだまだ先の話だ。
 そもそも前提の契約が履行されていない。
 〈天使〉も超えていないのに〈神〉を見据えるなんて鬼が笑うというもの。
 

「――――この俺に上等かましたんだ。望み通り、ケツの毛まで毟り取ってやるよ」



◇◇


198 : ――demon,In the name of devil. ◆0pIloi6gg. :2024/10/22(火) 18:01:52 EUNnvOiI0



「一勝一敗、ってか?
 俺は高えぞ、このエセプロデューサーが」

 此処まで、詐欺師と悪魔は一言の言葉も交わしていない。
 それどころか通信も交わしていない。彼らの思考は己の中で完結している。
 だとしても、彼らほどの次元になれば。
 与えられた情報と、垣間見た相手の人となりだけで、こうして心理戦を交わし合える。
 
 互いに首輪を付け合った形になったことは、もはや認めるしかない。
 もっと俗っぽく言うならば一勝一敗。
 詐欺師と悪魔は、互いに白星を献上し合った形だ。
 
 されど腹立たしいことに、得の方がその屈辱に勝っている。
 これはメフィストフェレスも感じていることだ。
 規格外に頭のいい男がふたり、利害の一致なれども手を組んだ。
 そしてノクトの方は、その上で蛇杖堂の怪物とも関係を築けている。
 蛇杖堂を利用しつつ、いずれ蹴落とす算段を立てられた事実は非常に大きい。
 あの老人は怪物だ。どう崩すかと手をこまねいていれば、気付いた時には奴の腹の中という可能性も大いにあり得る。

 ――〈プロデューサー〉との共謀。
 ――成長した〈悪魔〉による強制排除。

 ふたつの作戦を構えられるようになったことは、ノクトにとって間違いなく前進だった。
 その上〈蝗害〉、そうでなくとも〈抗争〉への調査まで進むのだから願ったり叶ったり。
 焦れったいサクセスストーリーを眺めなければならないことだけは不服だったが、こればかりは必要経費と飲み込むしかなかった。

 いいだろう、上等だ。
 お前の手管に乗ってやる。
 ただし、俺は高いぞ。
 期待に応えられないようであれば、ふたり仲良く地獄(ゲヘナ)へ還って貰う。

「……ああ、それにしても」

 ふう、と小さく息を吐く。
 車窓から覗く空には、雲の切れ間から覗く太陽。
 じっと見ていると、だんだん視界が濁ってくる。
 虹彩が訴えるこの痛みが、心地よくなったのはいつからだろう。
 〈夜の女王〉から賜った妖精眼(グラムサイト)さえ灼く星の光。
 あの輝きに、ノクトは今も囚われている。ロミオはそれを、恋と呼んだ。


「――神を撃ち落とす灯、か。そりゃ、なんとも悪くない響きだ」



◇◇


199 : ――demon,In the name of devil. ◆0pIloi6gg. :2024/10/22(火) 18:02:33 EUNnvOiI0



 ノクト・サムスタンプ。
 そして彼の同類どもは、メフィストフェレスにとっても目障りな存在である。
 可能であればどこかのタイミングで一斉に排除したい。
 だが少なくとも、今はまだそれを考えられる状況ではない。
 ひとまず満天、及び彼女のアイドル活動を支え導く周辺環境に対しては暗黙のセーフティーネットを張り防衛線とした。
 であれば今度は、こちらが奴との契約を履行する番。
 悪魔としての思考を終え、プロデューサーとしての――ゲオルク・ファウストとしての顔に戻る。

 輪堂天梨には既に、会談の予定時刻と場所を送信してある。
 〈蝗害〉or〈抗争〉の調査とどちらを優先するかは臨機応変に判断したいところだが、その前に問題がひとつ。

 時計の針は、ファウストが満天に踵を返してからちょうど五分後を示していた。
 刻限だ。これ以上の猶予は与えられない。
 眼鏡を掛け直し、再び少女の前へと出る。
 
「さあ、煌星さん。回答を」

 紡いだ言葉は端的、されど冷血ではない。
 悪魔メフィストフェレスもまた、ノクト・サムスタンプのことを心からは笑えない。
 サムスタンプの魔術師は、恋を知って完璧ではなくなった。
 そしてメフィストフェレスの悪魔は、疑問を抱いた結果今も探求を強いられ続けている。

 少女が、悪魔の顔を見た。 
 深呼吸の末、ゆっくりとその口を開く。
 そうして、はっきりとした声音で紡がれた"回答"に。
 悪魔は、かつての契約者の顔で、静かに口元を歪めた。


200 : ――demon,In the name of devil. ◆0pIloi6gg. :2024/10/22(火) 18:02:59 EUNnvOiI0
◇◇



ご依頼の件について


 Kiraboshi-6660@xxxxx.ne.jp

 宛先:RandJ-28@xxxxx.ne.jp

 お世話になっております。

 先ほどの件ですが、話し合いの結果、〈蝗害〉の調査の方でお引き受けさせていただきます。
 つきましては人員、および提供いただける設備についての提示をお願いできればと思います。
 お互いにとって実のあるお仕事になるよう祈っております。

 引き続きどうぞよろしくお願いいたします。



◇◇


201 : ――demon,In the name of devil. ◆0pIloi6gg. :2024/10/22(火) 18:03:52 EUNnvOiI0



【台東区・芸能事務所/一日目・夕方】

【煌星満天】
[状態]:健康、色々ありすぎて動揺したりふわふわしたりで心がとても忙しい
[令呪]:残り三画
[装備]:『微笑む爆弾』
[道具]:なし
[所持金]:数千円(貯金もカツカツ)
[思考・状況]
基本方針:トップアイドルになる
0:……やるしかない、んだもんね。
1:魅了するしかない。ファウストも、ロミオも、ノクトも、この世界の全員も。
[備考]
 聖杯戦争が二回目であることを知りました。

 ノクトの持ち込んだ『蝗害の現地リポート』『半グレ抗争の現地リポート』のどちらを選ぶかは、後続の書き手にお任せします。
 ノクトの見立てでは、例のオーディション大暴れ動画の時に比べてだいぶ能力の向上が見られるようです。


【プリテンダー(ゲオルク・ファウスト/メフィストフェレス)】
[状態]:健康
[装備]:名刺
[道具]:眼鏡
[所持金]:莫大。運営資金は潤沢
[思考・状況]
基本方針:煌星満天をトップアイドルにする
0:小僧が――悪魔に上等かましたんだ、覚悟はあるんだろうな?
1:輪堂天梨と同盟を結びつつ、満天の"ラスボス"のままで居させたい。
2:ノクトとの協力関係を利用する。とりあえずノクトの持ってきた仕事で手早く煌星満天の知名度を稼ぐ。
3:時間が無い。満天のプロデュース計画を早めなければならない。
4:天梨に纏わり付いている"まがい物"の気配は……面倒だな。
[備考]
 ロミオと契約を結んでいます。
 ノクト・サムスタンプと協力体制を結び、ロミオを借り受けました。
 聖杯戦争が二回目であることを知りました。

 輪堂天梨との対談の日時や場所を決めて既に彼女に連絡しています。
 具体的な日時や場所は後続の書き手にお任せします。

【バーサーカー(ロミオ )】
[状態]:健康、恋、ごきげん
[装備]:無銘・レイピア
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:ジュリエット! 嗚呼、ジュリエット!!
0:覚悟を決めた顔も……凛々しい〜〜〜〜!!(かわいいね! トゥデイズロミオポイント加算だ)
1:ジュリエット!! また会えたねジュリエット!! もう離しはしないよジュリエット!!!
2:キミの夢は僕の夢さジュリエット!! 僕はキミの騎士となってキミを影から守ろうじゃないか!!!
3:ノクト、やっぱり君はいい奴だ!!ジュリエットと一緒にいられるようにしてくれるなんて!!
[備考]
 現在、煌星満天を『ジュリエット』として認識しています。
 ファウストと契約を結んでいます。


【台東区→移動中/一日目・夕方】

【ノクト・サムスタンプ】
[状態]:健康、恋
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:莫大。少なくとも生活に困ることはない
[思考・状況]
基本方針:聖杯を取り、祓葉を我が物とする
0:満天達に仕事に関する指示を行う。俺は高ぇぞ、悪人面め。
1:当面はサーヴァントなしの状態で、危険を避けつつ暗躍する。
2:ロミオは煌星満天とそのキャスターに預ける。
3:とりあえず突撃レポート、行ってみようか?
4:当面の課題として蛇杖堂寂句をうまく利用しつつ、その背中を撃つ手段を模索する。
5:煌星満天の能力の成長に期待。うまく行けば蛇杖堂寂句や神寂祓葉を出し抜ける可能性がある。
6:満天の悪魔化の詳細が分からない以上、急成長を促すのは危険と判断。まっとうなやり方でサポートするのが今は一番利口、か。
[備考]
 東京中に使い魔を放っている他、一般人を契約魔術と暗示で無意識の協力者として独自の情報ネットワークを形成しています。

 東京中のテレビ局のトップ陣を支配下に置いています。主に報道関係を支配しつつあります。
 煌星満天&ファウストの主従と協力体制を築き、ロミオを貸し出しました。

 前回の聖杯戦争で従えていたアサシンは、『継代のハサン』でした。
 今回ミロクの所で召喚された継代のハサンには、前回の記憶は残っていないようです。


202 : ◆0pIloi6gg. :2024/10/22(火) 18:04:18 EUNnvOiI0
投下終了です。


203 : ◆uL1TgWrWZ. :2024/10/23(水) 00:14:07 33rwzzAo0
投下します。


204 : 殉教者のことば ◆uL1TgWrWZ. :2024/10/23(水) 00:15:13 33rwzzAo0

 ここしばらく多忙を極めている琴峯教会ではあるが、多忙も続けば日常として受け入れ始めてしまうのが人間という生き物で。
 あるいは住民の不安と恐怖に起因する多忙が、住民側の不安と恐怖への麻痺で薄まったのか。
 …………あるいは、人々を救わぬ神に見切りをつけてしまったのか。

 理由はともかくとして――――午後も昼過ぎという時間になれば、ある程度余裕が出てくるようになった。
 救いを求めてやってくる信者たちにも、当然だが自分の生活というものがある。
 教会で不安と恐怖を吐き出して、彼らの日常に帰って行ったのだろう。
 まだまだ救いを求めてやってくる信者はいるが、なんにせよピークタイムは過ぎた……といったところである。

 連日の多忙には慣れて来たナシロではあったが、今日は特に疲れた。
 理由は考えるまでもない。つい先ほど、聖杯戦争参加者同士の戦いに介入したためであろう。
 やったことはヤドリバエに魔力弾を撃たせてすごんだだけだが、それでも殺し合いに割って入る緊張感は中々の疲労感を与えるに十分なものであった。
 自分たちは今、殺し合いの儀式の渦中にいるのだという実感。
 積極的に関わるつもりがナシロに無いとはいえ、いつまでも無関係でいられるわけではない。
 身の振り方を、考える必要があるか。
 ふと空いた時間にひと息つきながら、そんなことを思案していた時のことだった。

「琴峯さん、貴女にお客様がいらっしゃいましたよ」
「……私にですか?」

 年老いた修道女――白鷺教会という知古の教会に頼んで臨時で手伝いに来てもらった女性――が、ナシロを呼びに来る。
 普段から朗らかな女性だが、それにしたって妙にニコニコしているような気がする。
 はて、救いを求めにやってきた信者……ならばわざわざナシロを指名で尋ねはすまい
 ナシロは琴峯教会の責任者ではあるが、同時に一介のシスターに過ぎないのだから。
 とすると……ナシロ個人に用があるとは考えにくいし、琴峯教会の経営に関する話だろうか。
 この老シスターが嬉しそうなのは、なにかポジティブな話でもあるのだろうか……とも思ったのだが。

「――――ええ、琴峯さんのクラスメイトの男の子です。お話したいことがあるそうで……」

 ……来客の正体に予想がつき、そして老シスターが妙に嬉しそうな理由にも予想がつき、ナシロは深くため息をついた。



   ◆   ◆   ◆


205 : 殉教者のことば ◆uL1TgWrWZ. :2024/10/23(水) 00:15:48 33rwzzAo0



 ――――そして、教会裏庭。

「おまえ、なんて言って私を呼んだんだ?」
「大事な話があるので琴峯さんと話す時間をもらうことはできないだろうか、と伝えたが」
「……ああそう。大事な話ね……」

 命に係わる話をしようというのだから、大事な話には違いあるまい。
 だがあの老シスターはまさかナシロたちが殺し合いの相談をするのだとは夢にも思わないだろう。
 結果として彼女がどんな“勘違い”をしたのかは火を見るより明らかであった。ナシロはげんなりした。

「……まぁいいや。それで? 改めてなんの用だよ、高乃」

 そういった面倒臭さを一旦脇に置き、ナシロは目の前の少年――――高乃河二を改めて見据える。
 あの伊達男風のサーヴァントは連れていないのか、霊体化しているのか。姿は見えない。
 悪気も他意もなくナシロを呼び出したに違いないこの男は、当然ナシロの感じた面倒臭さにも考えが及んでいないのだろう。
 それは少しムカついたが、とはいえ悪気の無いことを責めても仕方ない。
 もう少しうまいやり方もあっただろうとは思うが、それを求めるのはナシロ側のワガママだ。故にこれは脇に置く。

「僕からの話は単純で、公園の後始末は無事に終わったという報告だ」
「ん。ありがとうよ。助かった……けど、まさかそれだけのために私を呼び出したわけじゃないだろ?」
「ああ。……誓って騙し討ちをする意図は無いので正直に伝えるが……」

 ここで河二は少しバツが悪そうに、いくらかの間を置いた。

「……先ほど交戦した雪村鉄志から接触を受け、琴峯さんを交えての交渉を希望されている」
「…………さっきのオッサンが?」
「そうだ。今はすぐ近くで、僕のランサーと共に待機してもらっている。
 琴峯さんが構わなければ彼らをここに呼ぶし、拒絶するのならこのまま彼らを連れて撤収するが……どうだろうか?」

 先ほど殺し合いをしていて、他ならぬナシロが介入して戦いをやめさせた二組が、揃って話をしにくる。
 ……冷静に考えて凄まじい状況ではあるが、ナシロはさほど動揺しなかった。
 雪村鉄志は理性的な人物に見えたし、目の前の河二にしたってそうだ。
 戦って失ったものがあるわけでもなし、むしろ軽い交戦を経て多少なり戦力と人格が知れている相手と交渉の席に着きたいと考えるのは自然なことなのだろう。
 そしてその輪の中に、ナシロも入れたいという話なわけだ。
 ナシロは少し考えるそぶりを見せてから、いくらかの警戒を乗せた声で訊ねた。

「なら正直に答えろ、高乃。
 おまえ、あの探偵とどこまで話した上でここに来たんだ?」

 既に河二と鉄志の間で十分な話し合いがあり、強固な関係が結ばれているというのなら――――ナシロはこの交渉を蹴るつもりでいた。
 それは三組での交渉ではなく、二組と一組の交渉になるからだ。
 ナシロとて聖杯戦争に対して身の振り方を考えるべきだとは思っていた身である。
 故に交渉自体は望むところですらあったが、仕掛けられた網に自分からかかりに行くほど愚かなつもりも無い。交渉の席にも有利と不利の概念はあるのだ。

「いや……交戦の意志が無いことと、話したいことがあること。
 そして琴峯さんと知り合いかどうか。知り合いなら声をかけてほしいということ。
 僕が彼から聞いたことはそのぐらいだ。僕は知り合いだと答え、今に至る」
「ふぅん……なんで私とおまえが顔見知りだって思ったんだろうな」
「態度でわかる、のだそうだ。カマをかけられたのかもしれないが」
「なるほど、中々の名探偵ってわけだ」

 ひとまず最低限のラインはクリア。
 話に不自然な点も感じられない。
 無論、河二が回答を誤魔化す可能性もあるにはあったが……

「――――それ、嘘でないって誓えるか?」
「――――誓おう。高乃の名と、亡き父に」


206 : 殉教者のことば ◆uL1TgWrWZ. :2024/10/23(水) 00:16:29 33rwzzAo0

「………………そうか」

 言葉だけの誓い。
 だが、ナシロはそれを信じることにした。
 河二が何を尊び、何を信奉するのか、ナシロはなにも知らない。
 けれど代名詞で呼ばれることを嫌がるほどに、高乃の名と両親を敬愛していることは伺えている。
 ……そしてやはり、彼がその敬愛する父を喪っているのだということも。

「わかった。くどいこと聞いて悪かったな。交渉には応じるよ」

 ひとまず、交渉の席につくぐらいのことはしていいだろう。
 河二は短く礼を言ったが、礼を言われるようなことでもない。
 ともあれ恐らくは念話でサーヴァントと連絡を取った河二と、しばらくは待機の時間となる。
 まぁじきに鉄志やランサーたちもやってくるだろうとはいえ、無言で待つのもなんだか気まずいものがある。

「…………そういえばおまえ、休校中の課題どうしてる?」

 というわけで、ナシロは無難な雑談を振った。学校の話である。

「ああ、あれならもう終わらせたが」
「終わっ、おま、手際いいな……」
「学校の課題にかかずらっている場合ではないからな……早急に終わらせたよ。そういう琴峯さんはどうなんだ?」
「……私は全然だよ。正直あんまり時間が取れてない」
「…………僕の分を書き写すか? 僕は構わないが」
「いや、いいよ。ちゃんと自分で終わらせるし、そこまで落ちぶれたつもりはないさ。ありがとな」
「そうか……すまない、出過ぎたことを言ったな」
「謝んなって。別におまえが謝ることでもないだろ?」

 学業に纏わる、他愛のない雑談。
 仮想の学校、仮初の転校生、一ヵ月程度の付き合いとはいえ、学友は学友だ。
 今までろくに会話をしたことがない相手でも、それなりに共通の話題として成り立つものである。
 元より堅物同士、雑談というにはいささか硬い話題ではあったがそれなりに話に花が咲く。

「待たせたなマスター……なんだ随分仲良さげじゃねーの。会話もしたこと無いって言ってなかったか?」
「お前らこの状況でもちゃんと勉強してんのか……最近のガキはしっかりしてんなぁ」

 と、その雑談も来客……河二のランサーと雪村鉄志、そしてマキナの登場で中断となった。
 革ジャン姿のエパメイノンダスも、長袖のワンピースを着たマキナも、その見目麗しさから相応の存在感こそあるものの、古代の英霊とは思えぬほど現代社会の風景に溶け込んだ格好をしていた。
 むしろギリシャ系美男美女に挟まれたジャパニーズ中年男性の鉄志がいっそ場違いに浮き気味な感もあった。鉄志からすれば大きなお世話であろうが。

「しっかりしているもなにも、学生の本分は学業だろう」
「今は忙しいとか他にやることがあるとか、そうやってサボる理由を探すのは性分じゃないんだよ私は」
「ははぁー、日本の未来は明るいなオイ……」

 鉄志は関心と呆れが混ざったような声を出した。
 彼が学生の頃は、こんなにも真剣に学業と向き合ったことはなかった。理解の外の生き物を見た反応である。

「……ともかく、改めて……探偵の雪村鉄志だ。まずは話を聞いてくれるってことで、感謝する」
「サーヴァント・アルターエゴ。設定通称マキナです。よろしくお願いします」

 礼を告げる鉄志、折り目正しく頭を下げるマキナ。
 一度名乗った名を改めて名乗るのは、己の立場を明確にする意図。

「高乃家次男、高乃河二だ。こちらこそ、一度礼を失した宣戦布告を行った僕に声をかけてくれたことに感謝を」
「そのサーヴァント、ランサーだ。……俺もなんか通称とか考えた方がいいかねぇ」
「……僕に聞かれても困る」

 河二が返したのは握り拳を覆って示す、堂に入った包拳礼。
 この中で最も交戦的な陣営として、矛を収めるという改まった宣言。


207 : 殉教者のことば ◆uL1TgWrWZ. :2024/10/23(水) 00:17:32 33rwzzAo0

 さて。
 こうなると当然、ナシロも名乗る流れだろう。
 無論それ自体は望むところなのだが……致し方あるまい。

「琴峯ナシロ、この教会を預かってる管理者だ。それから――――」

 そこで言葉を切り、ナシロは念話で合図を示した。
 同時に響く、微かな蝿の羽音。
 音に違和を感じた瞬間には、その悪魔はナシロの傍に侍っている。
 薄く白い外套を纏い、その白を塗り潰さんばかりの黒の長髪を垂らし、背に透明な翅を畳んだ、酷く妖しく嗤う、少女。

「――――――――はじめまして、皆さん」

 じとりとした圧迫感が、場を包む。
 威圧感。
 あるいは嫌悪感。
 本能がその存在を拒むような、魂の拒絶反応。
 それを嘲笑うように、少女は笑みを深く。

「ナシロさんのサーヴァント、アサシンです。お見知り置きを」

 精神干渉に対して強い抵抗力を持つマキナだけが少女の放つ威圧の気配から逃れ、しかし場の緊張を読み取って鋭い視線を向けている。
 あの時、公園での戦闘に介入した悍ましき威圧感の正体。
 あれはこのサーヴァントが、姿を見せぬままに放っていたものなのだと、直感が理解する。
 緊張走る空間に、ナシロがひとつ、大きくため息をついた。

「……やめろアサシン。そういうのは」
「おやおや。わたしはご挨拶をしただけなんですけどね?」
「アサシン」

 有無を言わさぬナシロの非難を受け、アサシンは肩を竦める。
 瞬間、場を支配する醜悪な嫌悪感が薄らいでいった。

「…………すまん。ごらんの通り、真っ当なサーヴァントじゃないんだ。
 とはいえ、私だけ……しかもアサシンのサーヴァントを隠しておくわけにもいかないだろ。同席させてもいいか?」

 申し訳なさそうに弁明するナシロだが、実際のところは相当心中穏やかではない。
 恐るべきアサシンのサーヴァント、ベルゼブブ――――しかしてその正体は、ぽんこつクソ雑魚コバエなのだ。
 蝿の王ベルゼブブに由来する強力な力こそ保有するものの、その強力な力を十全に発揮することなど夢のまた夢なぽんこつ具合。
 現状、ヤドリバエの切れる最も強力で確実なカードはベルゼブブ由来の威圧によるハッタリであり――――それはつまり化けの皮が剥がれてしまえば使えなくなってしまう儚いカードが頼みということで。
 この状況でアサシンたるヤドリバエの姿を見せないという不誠実な態度は道義としても心情としても論外だが、ヤドリバエを人前に出すということはナシロたちにとって極めてリスキーな行動でもある。
 虎の威を借る狐ならぬ、悪魔の威を借る小蝿であるヤドリバエが迂闊な発言でボロを出さないか、内心では細い綱の上を渡っている気分であった。

「……問題ねぇさ。むしろ心遣いに感謝したいぐらいだ」

 果たして一連の流れに何を感じたのか、鉄志は懐から煙草の箱を取り出し……一本吸おうとして、やめた。
 煙草で気分を落ち着かせようとして、この場の未成年比率に思いあたってやめたのだろう。
 誰に言われるわけでもなく喫煙エチケットを気にする姿は、どことなく哀愁が漂っていた。

「さて……お前らに集まってもらったのは、まぁだいたい察しもついてるだろうが……
 その“本題”に入る前に、お前らに話しておきたいことがある」
「情報交換か?」
「いや、情報“提供”だ。前提として話さにゃならんことだし……話した時点で、俺の目的は何割か果たしたことになるからな。
 俺の推論も混じるが、まぁ少し聞いてくれや」

 エパメイノンダスの確認に返答しつつ――――雪村鉄志は、話し始めた。
 彼らと別れた後に出会った男について。

 即ち――――――――この聖杯戦争の、“前回”について。



   ◆   ◆   ◆


208 : 殉教者のことば ◆uL1TgWrWZ. :2024/10/23(水) 00:18:19 33rwzzAo0




「――――――――“一回目”、だと?」

 にわかには信じがたい――――その意図を言外に含めつつ、ナシロは眉をひそめた。

 赤坂アギリなる、魔術師専門の暗殺者と遭遇したこと。
 彼のサーヴァントである弓兵の真名が、狩猟の巨神スカディであったこと。
 ここまでは飲み込める。
 悪魔のベルゼブブは聖杯戦争じゃ呼び出せないとかいう理屈で“これ”なのに、女神のスカディとやらは本人が出て来るのかよ、とナシロは少し思ったが、まぁ飲み込める。ナシロはハズレを引き、赤坂アギリはアタリを引いた。それだけの話だ。

 だから飲み込めないのは――――彼が、そして“彼ら”が、一度目の聖杯戦争の敗者であり、蘇って“二度目”たる今に挑む亡者である、ということ。

「……ふざけた話だし、信じられねぇのも無理はねぇ。
 だが、俺はこれ自体は嘘じゃねぇと思ってる。嘘じゃないとした方が、状況が飲み込みやすすぎるしな」
「…………そうだな。確かに、納得できる点は多い」

 怪訝そうなリアクションを見せたナシロに対し、河二は驚愕こそすれすぐに理解を示した。

「高乃……確かに、聖杯の奇跡なら死者の蘇生も可能とは聞いたけどな。
 その数が六人ってなると、流石に話が違ってこないか? そんなになんでも願いが叶うものなのかよ、この儀式は」
「思考の順序が逆なんだ、琴峯さん。
 確かに死者の蘇生はそう簡単に為し得る奇跡じゃない。
 だが……僕たちは既に、“この世界に作られた命”をいくつも見ているはずだ」
「――――――――。」

 この世界に作られた命。
 ……そうだ。
 この戦争の舞台は偽りの東京、針音響く仮想の箱庭であり――――そこに住まう人々は、全て魂持たぬ虚像である。
 ナシロが先ほど言葉を交わした老シスターも、彼女を応援に寄越してくれた白鷺教会のダヴィドフ神父も、教会にやってくる信者たちも、学校で共に過ごすクラスメイトたちも、街中ですれ違う人たちや立ち寄った店で働く人たちも、本物ではない。
 魂の通わぬ舞台装置……だがこの一ヵ月、そのことを強く感じる瞬間が一度でもあっただろうか?

 いいや。
 いっそ恐ろしいほどに、違和感を覚えることは無かった。
 彼らはまるで本物のように、考え、喜び、悲しみ、苦しみ、日々を生きているように見えた。

「――――――――生者の再現ができるのなら、死者の再現ができない道理も無いだろう」

 無論それは、この偽りの東京の中でのみ存在を許された地縛霊に過ぎないのだろうが。

「結果が既に存在するのなら、前提を論じることに意味はない。
 そもそもからして、東京という規模の都市を……1000万人近い人間ごと再現して、一ヵ月以上維持していることからして十分に異常だ。
 通常の手段で不可能なら、通常ではない手段を取っているという理解をした方がわかりやすい」
「ああ。冷静に考えりゃ、聖杯規模の奇跡でもなけりゃこんな聖杯戦争が成立すらしねぇだろうからな」

 参加者の選定の仕方だって異常だ。
 参加者の数だって異常だ。
 事実として成立されているから飲み込んでいただけで、この聖杯戦争は最初から、なにもかもが異常なのだ。

「聖杯を取って願いを叶える権利が手に入ったってのに、なんでわざわざ二回目なんかを……」
「それは正直わからん。イカれた戦闘狂なのかもしれんし、より大きな願いを求めてのダブルアップ宣言なのかもしれんが……なんにせよ、サーヴァントが聖杯と相性のいい奴だったんだと俺は睨んでる。
 普通のサーヴァントとして活動する分には使えない、現実改変規模の奇跡を起こす宝具を聖杯の力で無理やり起動した、とかな」


209 : 殉教者のことば ◆uL1TgWrWZ. :2024/10/23(水) 00:19:26 33rwzzAo0

 その推論は、鉄志が契約するサーヴァントがデウス・エクス・マキナであったからこそ辿り着いたもの。
 彼女が持つ、しかし現状使用不可能な第三宝具『律し、顕現する神鋼機構(デウス・エクス・マキナ)』のように、荒唐無稽で、しかしそれだけに封印された能力を聖杯の力で引き出した、とか。
 これはあまりに具体的過ぎる推論ではあったが、少なくとも聖杯というリソースを十全以上に扱えるサーヴァントを優勝者は従えていたのだろうと鉄志は予測していた。
 神話級の魔術師であるとか、星を開拓した発明家であるとか……そういった類のサーヴァントを。

「……ほんとにふざけた話だよ。
 後手に回ってる自覚はあったが、そもそもからして先手を取る権利ってのが俺達には無かったわけだ」

 “前回”の仔細はともかくとして――――所詮は懐中時計に導かれた“巻き込まれ”に過ぎない鉄志たちに比べ、ある程度明確に聖杯戦争に臨んでいた“二度目”の連中は心構えからして違う。
 一度は“死ぬまで”聖杯戦争を戦い、互いの手の内を知りながら再戦の権利を与えられた亡者ども。
 聖杯戦争の成り立ちと、他六人の手の内を知っているという情報アドバンテージは微々たるものではあるが、それでもあるとないとでは大きく話が変わってくる。
 鉄志たちが状況を理解しようと奔走している間に、彼らはとっくに睨み合いを始めていたのだから。

「で……今わかってる“二回目”連中四人の情報を共有して、本題はなんだ?」

 エパメイノンダスが話の続きを促す。
 この聖杯戦争が二回目であり、継続して参加している亡者たちがいる……ここまでは前提で、本題は別にあるという話だった。
 といっても、ここから切り出される話となると大方の予想はつくところであったが。

「まぁだいたい予想はしてると思うが――――結論から言えば、お前らと同盟を結びたい」

 その“本題”には、やはりこの場の誰もが驚愕を示さなかった。
 前提や詳細はともかくとして、行きつく提案はそれであろうというのは、この話し合いが持ち掛けられた時点で想像のつくことだ。
 ならば会話の焦点となるのは、ともかくとした前提や詳細の部分。

「では聞こう。同盟の目的と期限は?」

 故にそこを訊ねれば、鉄志は忌々しげに眉をひそめた。

「……俺の勘が言ってんだ。
 これ以上後手に回ってると、取り返しのつかねぇことになるってよ」

 質問に直接は答えず、しかし。

「昨夜、板橋区が大規模な蝗害と季節外れの猛吹雪、そして大規模な火災で壊滅的な被害を受けた話はニュースでやってたろ」
「流石に知ってるよ。どっかの陣営が派手にやり合ったんだろうとは思ったけど……そうか、その赤坂アギリってのと、スカディってのが片割れか」

 火災と吹雪。
 なるほど、それが発火能力者と霜の巨人の主従によるものだというのは、理解しやすい予測だ。
 彼らが蝗害の主と交戦した結果として、板橋区は甚大な被害を受けたのだろう。

「少し調べたが、蝗どもの活動が今日は大人しい。派手にやり合って痛み分けってとこかね」
「つまり――――状況が動く、と?」

 ゆっくりと鉄志は頷き、肯定を示した。
 …………厳密に言えば、鉄志の推理は僅かに間違っている。
 昨夜に蝗の主とアギリたちが交戦したのは事実だが、それは小競り合いに過ぎない。
 蝗たちが大人しいのは、その後に無謀にも“太陽”に挑み、イカロスの如く翼を灼かれたためだ。

 とはいえ、導き出された結果の推測には不足が無い。
 蝗の主が“亡霊”の手駒であるかどうかは不明――状況証拠や赤坂アギリの態度からしてその可能性は高いと見ている――だが、なんにせよ状況が動くに足る不均衡が生まれた。
 アギリがわざわざ探偵を頼ったのがその証左だろう。
 彼には明確に他の“六人”の状況を特定し、始末する意図があった。
 その動きがアギリのみであると考えるのは…………いくらなんでも、楽観的過ぎるだろう。

 この東京は戦場なのだ。
 この一ヵ月、ずっとそうだった。

「蝗害、半グレ抗争の過激化と暴徒の出現、独居老人の連続行方不明、前回参加者のうち所在が知れてる蛇杖堂記念病院の名誉院長――――恐らく今日明日にはどれかに火が着く」
「あるいはその全てに、か」

 東京を蝕んできた、聖杯戦争の魔の手。
 それらの緊張が今、限界を迎えて決壊しようとしている。
 鉄志の懸念はそういう話であり、確かにそれはある程度の現実味を帯びていた。

「俺とマキナだけじゃ対応しきれねぇ。
 だからお前らの力を借りたい……それが目的で、期限は状況が動き出すまでだ」


210 : 殉教者のことば ◆uL1TgWrWZ. :2024/10/23(水) 00:20:29 33rwzzAo0

 状況が動き出したら、また改めて同盟を継続するか考えればいい。
 だがひとまず、状況が動き出すまでは手を組み、均衡の決壊に伴う濁流に押し流されないようにしたい。
 手が足りないなら増やせばいい。
 最終的に聖杯を巡って争うにせよ、より規格外に凶悪な陣営や出来事があるのなら多少なり協力し合うことはできるはずなのだ。

「なんなら一緒に戦わなくたっていい。情報をこまめに共有し合えるだけでも意味があるからな」
「さっきの前提を話した段階で目的が何割か果たせてるってのはそういうことか……」
「情報のパイプだけでも繋いでおきたいということだな」
「そうだ」

 それは同盟と呼ぶには緩やかな協調関係だが、それだけでも十分に意味があった。
 とにかく、急速に動き得る状況に喰らい付くだけの手数を求めて交渉を持ちかけているのだから。

「ふむ……………ランサー、貴方はどう思う?」

 河二はしばらく思案の様子を見せてから、相棒たる不敗の将軍に訊ねた。
 ここまで時折話の続きを促す程度で控えていたエパメイノンダスは、興味深そうに微笑を浮かべている。

「ま――――いいんじゃねぇの?
 軽くやり合って実力と傾向もある程度わかってるし、確かにあの蝗害みたいな規格外の災厄とやり合うなら単騎じゃ苦しい。
 ちゃんと解散も視野に入ってるし、かなり悪くない話だと思うぜ」

 だが、と。
 エパメイノンダスは鉄志とマキナを、油断なき瞳で真っ直ぐに見据えた。
 口元では微笑を象りつつも、目元は猛禽の如く鋭いそれで。

「――――むしろ、そっちこそそれでいいのかよって、俺は思うけどな」

 なにを――――と口を挟むよりも早く、エパメイノンダスは破顔した。

「つーわけで、同盟には乗ってもいいが条件をひとつ付け加えさせてもらおうか!」
「…………条件?」
「おうとも。同盟を組むからには、お互いの弱みのひとつぐらいは握っとかないと安心できないだろ? 現代じゃ相互破壊保証っつーんだったか」

 なるほど同盟を持ちかけたのは……“お願い”をしているのは鉄志側であり、それを受ける河二・エパメイノンダス側には条件を加える権利がある。
 もちろん、突きつけた条件を飲むかどうかまで含めて交渉なわけだが……

「『同盟に参加する陣営は秘密をひとつ開帳する』、ってのはどうだ?」
「秘密ってのは……例えば真名とかか?」
「真名でもいいし、宝具の詳細でもいいし、別のもんでもいい。とにかく秘密だよ。例えば――――」


211 : 殉教者のことば ◆uL1TgWrWZ. :2024/10/23(水) 00:21:02 33rwzzAo0

 エパメイノンダスが、どこか嗜虐的な笑みを浮かべる。


「――――――――『俺がエウリピデスの大ファンである』、とかな」


 やられた、と鉄志が感じた時にはもう遅い。
 彼の傍らで、マキナが明らかな動揺を見せてしまっている。

 エウリピデス……マキナの“製造記号”であり、物語をご都合的にハッピーエンドに導くデウス・エクス・マキナを多用したことで知られる古代ギリシャの悲劇作家。
 ……マキナの、英霊デウス・エクス・マキナの依り代となった少女の、父親であったヒト。

 その名を出したのは、決して偶然ではあるまい。
 カマをかけられたのだ。
 マキナの真名におおよその予測を立て、見事に予測を確信に変えたのだ。

「……ほらな。ちょっとした冗談ひとつで、そっちの秘密をひとつ掠め取っちまった」
「なっ、ち、ちがっ、わたしは……」
「――――テメェ……」
「腹立つだろ? 俺が言いたいのはそういうことだよ」

 動揺するマキナ。
 エパメイノンダスを睨む鉄志。
 何食わぬ顔で肩を竦める、エパメイノンダス。

「こう見えて、複数の国家からなる大同盟を盟主として指揮してたこともあってな。
 言っちゃあなんだが“同盟”ってもんの取り扱いに関しちゃ相当熟達してる自負があるし、間違いなく俺が一番この同盟を“しゃぶりつくせる”だろうよ」

 エパメイノンダス――――ボイオティアというひとつの地方をまとめ上げ、スパルタやアテナイといった大国を打ち破ったテーバイの名将。
 都市国家同士の連携で成り立つ古代ギリシャで覇を唱えるということは、国家間の同盟関係を巧みに利用する手練手管を持つこととイコールだ。
 そんなエパメイノンダスと――――その真名を知らずとも、この名将と同盟を結ぶということは――――


「もっかい聞くが――――――――お前らこそ、俺らと同盟を結んじまっていいのかよ?」


 徹底的に利用される――――そのことを、受け入れられるか。
 エパメイノンダスの支配と搾取を受け入れてまで同盟を結ぶのかと、今問われているのだ。
 ……同盟を打診する、という形で最初に頭を下げたのは鉄志である。
 しかしこれでは、あまりにも……“従属”の形になってしまう。
 これを受け入れるのであれば、明確に同盟内の上と下が決まってしまう。

 河二は口を挟まない。
 これが将軍エパメイノンダスの戦い方のひとつだと理解しているからだ。
 協力の余地はあれど、あくまで他の陣営は競争相手。
 なればこそ勝てる土俵での戦いを譲る理由などどこにあろう?

 甘く見ていた、と言わざるを得まい。
 鉄志が持ち掛けたのは妥当な同盟交渉であり――――妥当であるからこそ、相手の力量を見誤った。
 多少鉄火場慣れしているとはいえ、所詮は一介の私立探偵。
 むしろそういった政治的駆け引きを不得手とする、泥臭い刑事であった鉄志にとって――――“将軍”という人種は未知の領域であったのだ。


212 : 殉教者のことば ◆uL1TgWrWZ. :2024/10/23(水) 00:22:01 33rwzzAo0

 残念ではあるが、交渉を打ち切って退くべきか。
 鉄志の脳裏にその考えが過った時――――


「………………あー、こっちからもいいか?」


 遠慮がちに手を挙げて割って入ったのは、琴峯ナシロであった。
 その隣ではヤドリバエが、どことなく不機嫌そうに唇を尖らせている。

「そっちで盛り上がってるところ悪いんだけどさ。一応私らも話に混ぜて貰わねぇと」
「おっと、確かにそりゃそうだな。
 それでどうだ? お嬢さん方は、この同盟に乗り気なのかい?」
「まぁな。で――――秘密だったか? どっちみち同盟組むなら話すつもりではあったんだが……」

 果たして今の状況を理解しているのか、いないのか。
 ナシロはいくらかのバツの悪さを滲ませながら、しかし特に緊張するでもなく。



「――――アサシンの真名はベルゼブブだ」



 爆弾を、投下した。

「なっ――――」
「……と言っても、本物の悪魔ってワケじゃない。
 あくまで大悪魔ベルゼブブの力を借り受けた……ヤドリバエってわかるか? まぁハエだハエ。
 ハエがベルゼブブの力を借りて使えてるだけで、戦闘とかはほとんどできないんだよ。
 威力はともかくエイムがクソでな。だから正直、戦力としては期待しないでくれ」

 各々が驚愕する間も無く、ナシロは全てを開示した。
 全て――――そう、全てを。

「も〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜なーんで全部言っちゃうんですかねぇナシロさんってば!!
 私の正体バラしちゃったら、その蝿王様の力だって一部使えなくなっちゃうんですよ?」
「仕方ないだろ。同盟組むんだったら隠し通すのは無理があるし、命を預けあう相手にそんな大事なことを隠すのは誰が許そうと私が許さん」

 その情報はまさしく、ナシロとヤドリバエにとっての生命線。
 先刻発揮して戦果を挙げた威圧的嫌悪感も、正体がバレてしまえば効力を失う。
 蝿の王ベルゼブブというメッキを剝がされて残るのは、戦闘センス皆無のコバエのみ。
 絶対に明かしてはいけない情報を、ナシロは何の躊躇もなく開示してしまったのだ。

「なっ、ばっ、おまっ……正気か嬢ちゃん!?
 今の俺とランサーの会話を聞いてなかったのか!?」

 詰め寄るように鉄志が叫ぶ。
 たった今、エパメイノンダスが鉄志に従属を迫っていたばかりなのだ。
 ならば自らの腹を見せるが如き告白は、弱者による従属の宣言か?
 それにしてはあまりにも、ナシロの態度は堂々としていた。

「……この世界は作り物で、私ら以外の住民も本物じゃないってのは、私もわかってるんだがね」

 堂々と、自然体で、しかし瞳には強固な意思を。

「それでもあの人たちは、毎日うちの教会に来るんだよ。
 神のご加護に救いと安寧を求めて、また不安を抱えながら自分達の日常に帰って、毎日を戦ってるんだ」

 それは、魂無き傀儡たちが入力に対して見せる反応に過ぎないのかもしれない。
 東京が脅かされれば市民たちは不安と恐怖に苛まれるという、単純なシミュレーションに過ぎないのかもしれない。
 不安と恐怖に苛まれながらも都市機能を維持するという、NPCの挙動に過ぎないのかもしれない。

 ――――――――けれど。

「主は預言を残して我々を見守ってくださっているが、我々を直接お救いくださることはない。
 なら、主に仕える私たちぐらいは人々のために頑張らないと、神を信じる甲斐ってもんが無いだろう?」

 ナシロは神を、それほど信じていない。
 神が人を救うのなら世の中の悲劇はもっと少ないはずだし、信じる者が救われるなら敬虔であったナシロの両親は亡くなっちゃいないだろう。
 神は特に愛する者を天の国に迎えるという考えは、遺された生者が親しい者の早世に折り合いをつけるための方便に過ぎないのだと理解している。

「ありがとな、探偵さん。あんたの推理のおかげで、覚悟が決まったよ」

 けれど知っている。
 救いを求める人々の祈りは、どうしようもなく本物であることを。
 神が直接人を救うことは無くとも、信仰が人の支えとなって心を救けることはあると。
 そして聖職者の役目とは、信仰の支えで救われた分、それを人々に還元していくことにあるのだと、知っている。
 そういう人たちの背中を見て育ったから、知っているのだ。

 ナシロは神を、それほど信じていないけれど。
 信仰で人が救われて欲しいと、そう思うから。


213 : 殉教者のことば ◆uL1TgWrWZ. :2024/10/23(水) 00:23:05 33rwzzAo0

「あの人たちを見捨てちまったら、私はもう私じゃなくなっちまう。
 ……ずっとどうにかしたいと思ってたけど、どうしたらいいのかわからなかった。
 そんな私が、ようやくあの人たちの力になれるんだったら――――」

 一片の曇りなき瞳で、堂々と。
 胸を張って、琴峯ナシロは高らかに宣言した。


「――――――――――――せいぜい、うまく使われてやるよ」


 殉教者の如き、気高き降伏の意志を。

 ……しん、と場が静まり返った。
 誰もが、ナシロの宣言をゆっくりと理解していた。
 その恭順はあまりにも気高く、力強いものだった。
 遅れて、最初に動いたのは――――


「――――――――わっはははははは!!! アンタ、面白れぇ奴だなァ!!」


 ――――やはりというか、エパメイノンダスであった。
 破顔一笑、先ほどまでの威圧的な微笑はどこへやら。
 腹を抱え、膝を叩いてゲラゲラと笑い転げている。

「……ランサー、僕は――――」
「あー、わかってるわかってる。みなまで言うなよマスター」

 見かねたか声をかけた河二を制し、エパメイノンダスは改めてナシロと向き合った。
 流石に決意の宣言を目の前でこれほど笑われたのはナシロとしても中々腹に据えかね、一発殴ってやろうかとも思ったのだが。

「あーあ――――――――俺の負けだよ、お嬢ちゃん」

 ――――意外にも、彼の口から出たのは敗北宣言であった。

「…………は? いきなりなにを……」
「俺のマスターは“善意には善い報いが返って欲しい”とか考えてるクチだからな。
 そういう善意の化身みたいなとこ見せられちまったら、もうコージはお前のことをないがしろにできねぇ。
 そんでもって俺はマスターの意向を無視できるほどのロクでなしでもねぇ。
 お前らをコキつかって使い潰す俺の算段はもう立ち行かなくなっちまったのさ。
 ここは引かせといて後で足元見るだけ見れるタイミングで吹っ掛けようと思ってたんだがなァー。負けだ負け! わっはっは!」
「……あまり見透かしたようなことを言うなランサー。事実ではあるが……」

 ……高乃河二は、競争相手への攻撃に躊躇を持たない実に模範的な魔術師である。
 復讐という強固なモチベーションも相まって、この聖杯戦争においては十分に好戦的な態度を取っている。
 だが本質として、彼は善を好み悪を憎む素直な感性を持ち合わせているのだ。

 だから、弱いのだ。
 こういう、無私の心で誰かのために戦える人を見ると、報われてほしいと思ってしまうのだ。
 善因善果・悪因悪果――――善の行いには善き報いを。悪しき行いには悪しき報いを。
 世の中がそんな都合のいいものではないと理解しているけれど、どうかそうあって欲しいと思ってしまうのだ。

 思ってしまうのだから、やはりこれは河二とエパメイノンダスの敗北である。
 他の陣営を利用して食い潰そうという策略は、尊き善意にて打ち砕かれた。
 この“敗北”が己のせいであると理解している河二はエパメイノンダスに申し訳なさそうな表情を示し、エパメイノンダスはそれすらも笑い飛ばした。

「……雪村鉄志と、マキナ。貴方がたにも謝罪する。
 僕はもう、この同盟を私欲のために運用することはできない。貴方の提案に従おう」
「…………やれやれ、思わぬところから助け船が入っちまったな」

 随分と追い詰められた盤面を、横から急に引っ繰り返されてしまった格好だ。
 鉄志からすれば、ナシロに対して借りがひとつといったところだろう。


214 : 殉教者のことば ◆uL1TgWrWZ. :2024/10/23(水) 00:24:17 33rwzzAo0

「……おい。状況が飲み込めないんだが。どういうことだ?」
「俺らは喜んでこの同盟に参加するし、二心なくお前を助けるって話だよ。
 さて――――負けちまったからには賠償もしとかねーとか」

 エパメイノンダスと河二が簡単に視線を交わし、河二が静かに頷く。
 念話による会話。
 といってもこの短さとなると、簡単な確認を取っただけのこと。
 なんの確認を取ったのかといえば、他でもなく――――


「――――我こそは忠実なるスパルトイの末裔、偉大なるカドモスの遠き子ら、愛深きテーバイ最後の英雄、エパメイノンダス!!
 そして我が宝具は生前率いて栄光を共にせし『神聖隊』、その機能的再現たる150対300の自立駆動する槍と盾!!
 以上敗戦の賠償として我が軍機をふたつ、ここに開示するッ!!」


 高らかにして堂々たる、真名と宝具の開帳。
 ともすれば宝具は秘したヤドリバエのそれを超える、完全なる手の内の開示。
 ぽかん、と口を開けてそれを眺めるナシロを、テーバイの不敗将軍はまた笑い飛ばした。

「……まっ、この国じゃそんなに知られてねぇらしいからな! 口惜しい話だが、後で調べておいてくれ! わっはっは!」

 スパルトイだのカドモスだのエパメイノンダスだの、ほとんど聞き覚えの無い単語の数々。テーバイは世界史の授業で聞いたような気もしたが。
 横で聞く鉄志にとっても聞き覚えの無い名であったし、ヤドリバエにしても同様。
 この中でその名に覚えがあるのは、同じく古代ギリシャを生きたマキナのみであったろう。

「…………ランサーにはもうバレちまったしな。こっちも名乗っちまうか」
「いえす、ますたー」

 続いて鉄志が、どこか強い決意を滲ませたマキナを見やり、促す。
 マキナはこくりと大きく頷くと、ナシロにもエパメイノンダスにも負けじと、堂々と小さな胸を張った。

「クラス:アルターエゴ。機体銘:『Deus Ex Machina Mk-Ⅴ』。製造記号:『エウリピデス』。
 即ち真名を『デウス・エクス・マキナ』――――全ての人類を幸福へと導く、最新の人造神霊です」

 ヒュウ、とエパメイノンダスが口笛をひとつ。
 わざとらしいリアクション。もうマキナの真名を知っていたであろうに。
 しかしマキナはそれに反応を示さず、真っ直ぐにナシロを見据えて続ける。

「私の目指す真なる機神は、貴女の信じる旧式の神とは違いより完璧かつ具体的な救済を世の中にもたらす設計となっております」
「………………いや、急に面と向かって旧式の神とか言われてもだな……もしかして今、喧嘩売られてるか?」
「あっ、いえっ、そうではなくて、あの……」

 神をそれほど信じていないナシロだが、流石に正面から旧式などと言われるとカチンと来るものはある。
 デウス・エクス・マキナ――――舞台演出上の、物語をご都合のハッピーエンドへと導く概念のことであったか。
 今こうして、自分の失言のリカバリーも思いつかずにわたわたしている少女がそんな立派な存在にはとても見えないのだが……
 ナシロは傍らのヤドリバエを見て、まぁ真面目そうな分こっちよりはマシか……と思った。ヤドリバエは慌てるマキナを指さして笑っていた。やめろ。


215 : 殉教者のことば ◆uL1TgWrWZ. :2024/10/23(水) 00:25:37 33rwzzAo0

「そっ――――そうではなく! ですね……その……」
「……ごめんな。大丈夫、冗談だよ。ほんとは他に言いたいことがあるんだよな?」

 このままでは埒があかないと判断し、ナシロは膝をついて視線の高さをマキナに合わせた。
 仕事上、子供の相手は慣れている。
 宗教家というものは子供に優しいのだ。基本的に。
 ゆっくりで大丈夫だと伝えて、マキナの言葉がまとまるのを待ってから。

「その……私とは異なる神に仕えているとはいえ、貴女の信仰形態は信者のモデルケースとして極めて模範的なものだと判断しました。
 当機はあらゆる悲劇を迎撃するための存在であり、貴女がたを直接救済しないという貴女の神とは設計コンセプトを異にするものですが――――」

 幼い機神は、大人に夢を告げる子供のように宣言する。

「――――――――だからこそ貴女から、信仰というものを学習させていただこうと思います」

 ナシロの信仰は、愛と赦しの宗教と言われているもので。
 だというのに信者であるナシロ自身が、神による救済を否定するというのなら。

 ――――――――人を愛する神に、人は救えない。

 ……スカディの言葉が、マキナの中でフラッシュバックする。
 あの問答に答えを出すために――――ナシロの信仰を知ることは、きっと有益だろうから。

「……ですので、以後よろしくお願いします」

 マキナは折り目正しく、頭を下げるのだった。

「…………こう寄ってたかって褒めそやされると、流石にこっぱずかしいな……」
「ふんっ! 言っておきますけど、ビッグなドリームを目指して頑張る未来の規格外枠はもうわたしのものですからねおチビちゃん!」
「………………のん。訂正を求めます。私は可変機構を持つため体格も変動しますし、そもそも目算にして貴女の方が4cmほど小型です。“おチビちゃん”という呼称は適切ではありません」
「ははぁーん。絶対値じゃなくて相対値を持ち出す辺り自覚はおありのご様子で?
 かわいいコバエちゃんと4cmしか変わらない有様でよくもまぁ神様なんて名乗れましたねぇ!」
「妙な対抗意識で煽るな馬鹿」
「ひぎゃんっ!」

 嬉々としてマキナを煽り始めたヤドリバエをチョップで黙らせ、マキナに詫びを入れつつ――――改めて。

「それじゃあ――――これで三陣営同盟は無事結成、ってことでいいんだな?」
「らしいな……お嬢ちゃんのおかげだよ」
「ああ。これからよろしく頼む」

 “元公安機動特務隊隊長”雪村鉄志並びに、“人造機神”デウス・エクス・マキナ。
 “復讐拳士”高乃河二並びに、“不敗将軍”エパメイノンダス。
 “善なる修道女”琴峯ナシロ並びに、“悪魔のヤドリバエ”ベルゼブブ/Tachinidae。

「さて、それではどの案件に介入するつもりなんだ?」
「有力かつ確実なのは、蛇杖堂記念病院を張り込むか新宿周辺で発生してる抗争に乗り込むかなんだが……」
「……独居老人の連続行方不明ってのも気になったな私は。あれもそうなのか?」
「わからんが、可能性は高いと見てる。いっそ二手に別れちまうのも手だな……」
「さきほど貴方が言った通り、情報を適時共有できるだけでも大いに意味はあるからな。それもいいと思う」
「なら、アサシンには気配遮断がある。様子見ぐらいはこれでも……」

 ――――以上三陣営六名による同盟は、ここに締結した。



   ◆   ◆   ◆


216 : 殉教者のことば ◆uL1TgWrWZ. :2024/10/23(水) 00:26:07 33rwzzAo0




 ……そして、三陣営による話し合いがひと段落したタイミング。
 ふと、エパメイノンダスの革ジャンの裾を引く小さな手。

「――――ランサー……エパメイノンダス将軍。貴方にひとつ、確認を取りたいことが」

 振り向けば、やはりというかそこにいたのは小さな機神マキナ。
 どうせ話もひと段落したのだし、とエパメイノンダスは膝をつき、視線を合わせて会話に応じる構えを取る。

「ああ、構わんぜ。わざわざこのタイミングで聞くってことは、個人的な話か?」
「のん、いえす。……先ほどの会話について、少し」

 ああ、と。
 それだけで、エパメイノンダスは少女の言わんとすることを理解した。

「先ほど貴方が言った――――『エウリピデスのファンだ』という発言は、私から情報を引き出すための虚言だったのでしょうか?」

 無表情に尋ねるマキナの瞳からは、その確認の真意は読み取れない。
 けれど態度と言葉から読み解くなら、恐ろしく簡単に意図がわかる。

 ――――怒りと、不安と、期待。

 エパメイノンダスはまさかこのデウス・エクス・マキナの依り代となった少女がエウリピデスの実の娘だとは想像していないが、それでも創造主と創造物という意味では親子に等しい関係なのだと理解できる。

 そんな“父親”をブラフに使われた、怒り。
 “父親”はブラフ程度の価値しかないのだろうかという、不安。
 そして“父親”のファンだというエパメイノンダスの言葉が真実であって欲しいという、期待。

 まったく、なんと雄弁な無表情であることだろう!
 エパメイノンダスは思わず噴き出しそうになりながら、それでもやっぱり我慢できず、からからと笑った。

「――――安心しろ。俺があの爺さんのファンだってのはマジの話だよ」

 エウリピデス――――エパメイノンダスが幼い頃にはまだ存命していた、アテナイの偉大な悲劇作家。
 異国、もっと言えば敵国の詩人であったが、それでも彼の描く悲劇はテーバイにも届き、十分な人気を博していた。

「少しアテナイ贔屓が過ぎるのが難点だが……まぁそこはしょうがねぇ。
 俺は悲劇も好きだが、悲劇の結末を堂々と覆すあの大胆さが特にいい。
 描く悲しみが真に迫ってるからこそ、それが最後に覆されると胸が空く――――なんて」

 遠き過去、生前に眺めていた演劇の光景を瞼に描きつつ。

「――――まさしく当人の前で言うと、口説いてるみたいでよくねーな?
 まさか機械仕掛けの神そのものと会って話ができるとは、聖杯戦争ってのは本当に面白いもんだ!」

 そう言って、ウィンクひとつ。
 不敗の将軍は、悪戯っぽく微笑んだ。

「――――そう、ですか……」
「おうとも、フィリッポスがいたらあいつのためにサインをねだってるとこさ!
 あいつもエウリピデスの芝居が好きでな……やっぱマケドニア人はエウリピデスが好きなんだなぁ」

 エウリピデスの最期は、マケドニア宮廷に招かれ、マケドニア最高位の神域で芝居を披露し、そのまま彼の地で没したと伝わっている。
 このニュースは当時のエパメイノンダスもテーバイで耳にし、偉大な詩人の死を悲しんだものだ。

「――――おいランサー、少し確認したいことがあるんだが……」
「おっと、呼ばれちまった。悪いなマキナ、偉大なるエウリピデスが生み出した芸術について語らうのはまたの機会ってことにさせてくれ」
「…………いえす、のん。ありがとうございました」

 鉄志に呼ばれてそちらへと向かっていくエパメイノンダスを見送りながら。
 マキナは――――ひとりの少女は、どこか遠くを見ていた。

 ――――――――おとうさま。

 脳裏に描くは、偉大な悲劇詩人の背中。
 一心不乱に悲劇を描き、悲劇を否定する男の背中。

 ――――――――おとうさま、あなたは……

 彼の名は、彼の芸術は、ちゃんとアテナイの外まで届いていた。
 誰もが彼の生み出したものを賞賛し、遠くマケドニアの地ですら最も貴い扱いを受けた。
 それでも最後まで――――最期まで悲劇と向き合い続けた、あの人は。

 ――――――――あなたは、なにとたたかっていたのですか?

 ……機神の心に、またひとつ。


217 : 殉教者のことば ◆uL1TgWrWZ. :2024/10/23(水) 00:26:45 33rwzzAo0




【世田谷区・二子玉川エリア/一日目・夕方】

【雪村鉄志】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:『杖』
[道具]:探偵として必要な各種小道具、ノートPC
[所持金]:社会人として考えるとあまり多くはない。良い服を買って更に減った。
[思考・状況]
基本方針:ニシキヘビを追い詰める。
1:ニシキヘビに繋がる情報を追う。
2:同盟を利用し、状況の変化に介入する。
3:〈一回目〉の参加者とこの世界の成り立ちを調査する。
4:マキナとの連携を強化する。
[備考]
※赤坂亜切から、〈はじまりの六人〉の特に『蛇杖堂寂句』、『ホムンクルス36号』、『ノクト・サムスタンプ』の情報を重点的に得ています。

【アルターエゴ(デウス・エクス・マキナ)】
[状態]:健康
[装備]:スキルにより変動
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:マスターと共に聖杯戦争を戦う。
1:マスターとの連携を強化する。
2:目指す神の在り方について、スカディに返すべき答えを考える。
3:信仰というものの在り方について、琴峯ナシロを観察して学習する。
4:おとうさま……
[備考]
※紺色のワンピース(長袖)と諸々の私服を買ってもらいました。わーい。


【高乃河二】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:『胎息木腕』
[道具]:なし
[所持金]:それなり(故郷からの仕送りという形でそれなりの軍資金がある)
[思考・状況]
基本方針:父の仇を探す。
1:同盟を利用し、状況の変化に介入する。
2:琴峯さんは善い人だ。善い報いがあって欲しいと思う。
[備考]
※ロールとして『山梨からやってきた転校生』を与えられており、少なくとも琴峯ナシロとは同級生のようです。
※雪村鉄志から『赤坂亜切』、『蛇杖堂寂句』、『ホムンクルス36号』、『ノクト・サムスタンプ』並びに<一回目>に関する情報と推論を共有されています。


218 : 殉教者のことば ◆uL1TgWrWZ. :2024/10/23(水) 00:27:18 33rwzzAo0

【ランサー(エパメイノンダス)】
[状態]:健康
[装備]:槍と盾
[道具]:革ジャン
[所持金]:なし(彼が好んだピタゴラス教団の教義では財産を私有せず共有する)
[思考・状況]
基本方針:マスターを導く。
1:同盟を利用し、状況の変化に介入する。
2:琴峯ナシロは中々度胸があって面白い。気に入った。
3:カドモスと会ってみたいなぁ!
[備考]
※カドモスの存在をなんとなく察しているようです。


【琴峯ナシロ】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:修道服
[所持金]:あまり余裕はない
[思考・状況]
基本方針:教会と信者と自分を守る。
1:信者たちを、無辜の民を守る。そのために戦う。
2:なんか思ったより状況がうまく運んでちょっと動揺。
3:教会を応援に任せるのが心苦しい。
[備考]
※少なくとも高乃河二とは同級生のようです。
※琴峯教会は現在、白鷺教会から派遣されたシスターに代理を任せています。
※雪村鉄志から『赤坂亜切』、『蛇杖堂寂句』、『ホムンクルス36号』、『ノクト・サムスタンプ』並びに<一回目>に関する情報と推論を共有されています。

【アサシン(ベルゼブブ/Tachinidae)】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:聖杯を手に入れ本物の蝿王様になる!
1:ナシロさんが聖杯戦争にちょっと積極的になってくれて割とうれしい。
2:あんなチビっこ神霊には負けませんけど!蝿の王なんですけど!
3:ばんごはんたのしみだなぁ。
[備考]


【全体備考】
※雪村鉄志、高乃河二、琴峯ナシロの三陣営が同盟関係を結びました。彼らがどういった組み合わせ(三組合同を含む)で行動し、どの案件に介入していくのかは、後続の書き手にお任せします。


219 : ◆uL1TgWrWZ. :2024/10/23(水) 00:27:41 33rwzzAo0
以上、投下終了です。


220 : ◆l8lgec7vPQ :2024/10/23(水) 04:10:56 EeCmN6bE0
予約分、前編を投下します。


221 : ◆l8lgec7vPQ :2024/10/23(水) 04:14:18 EeCmN6bE0

 クラス、バーサーカー。
 真名、婆稚阿修羅王。
 それが、〈一回目〉の聖杯戦争にて、ホムンクルス36号が召喚したサーヴァントであった。

 "前回"の聖杯戦争。
 未だ全貌の明かされない戦いにおいて、ガーンドレッド家は必勝を期していた。
 ホムンクルス36号を創造し、極東の島国へ末端の魔術師と共に派遣した一族。
 慎重と秘匿を家訓に掲げる彼らは迂遠な手段に終始し『聖杯戦争の結果など二の次、今回はあくまでホムンクルスの実験場と捉えている』。
 といったポーズを気取りながら、実のところ全陣営の中で最も本気であり、必死だった。

 用途こそ不明だが、彼らは〈熾天の冠〉を喉から手が出るほど欲していたのだ。
 自らの意思を獲得したホムンクルスは、〈一回目〉の自陣営について、そのように振り返っている。
 
 ホムンクルス36号が自らをミロクと定義する前。
 序盤から中盤戦に至るまでの詳細な戦闘経過は今も曖昧な記憶となっているが、ガーンドレッド家が採用した基本戦略については把握している。

 それは悪辣極まる遊撃(ゲリラ)戦法。
 彼らは自陣営のサーヴァントを爆弾(ボム)と呼んでいた。
 過剰なまでに狂化深度を底上げして召喚したサーヴァントは一切の制御を受け付けず、もとより彼らは制御するつもりがなかった。

 霊体化を解いたバーサーカーは周囲一帯を修羅場と定め、過日の帝釈天との戦闘を再現する。
 修羅道の化身が目にする全てが討ち倒すべき敵であり、狂乱する戦闘神の瞬間最大出力は草の根も残さぬ、文字通り爆弾の如しであった。

 無論、見境が無いということは自陣営が近寄ることもできず、高すぎる破壊力は工房の防衛や長時間戦闘には適さない。
 隠れ潜みながら、局所的な大混乱と番狂わせを齎す、暴れ馬(ピーキー)な性能。
 その真価とは、他陣営から見て、それが唐突に目の前に現れる奇襲性にある。
 混戦の真っ只中、撤退戦が終わる直前、不用意な偵察行為の応報等、クリティカルなタイミングで炸裂するように仕込む爆弾。
 一切指示を受け付けない代わりに正面戦闘では負け無しの武力を、彼等はブービートラップのように扱ったのだ。

 召喚者としてホムンクルス36号に求められたのはバーサーカー起動時の苦痛の肩代わり、そして安全装置としての役割。
 派遣された三人の魔術師は"信管"と呼んでいたが、"心臓弁"がより正しい例えであったと36号は考えている。
 魔力という血を瞬時に流し、堰き止める弁としての機能。
 これが無ければ奇襲性は担保されず、なにより意図的に暴走させたサーヴァントを強制停止させることができない。

 つまるところ、召喚者(マスター)とは名ばかりの、罠を起爆し再利用するための装置。
 それが、前回の聖杯戦争における、中盤までのホムンクルス36号の実態だった。

 召喚者の叛意を許さぬよう、不自由な旧式ホムンクルスとして創造するのみならず、ステータスにも極端な調整を加えられた。
 感知、解析、知識に極振りされたパラメータは従者とは真逆の方向に尖りきっており、戦略面での弱点を補うと同時に、
 魔力保有量を極小にすることで術行使すらも制限する徹底ぶり。
 現場で意思決定を行う三人の魔術師も、魔力を大食いするバーサーカーを起動するために、ホムンクルスに魔力を置換するべく調整された特別製。


222 : ◆l8lgec7vPQ :2024/10/23(水) 04:14:38 EeCmN6bE0

 特別のサーヴァント、特別のマスター、特別の魔術師達。
 大量のコストを投入して挑んだ本気の聖杯戦争に、結局、ガーンドレッド陣営は敗北を喫したのである。
 それでも中盤までは三人の魔術師の読み通りに進んだ筈だ。
 遊撃戦の罠は効果的に作用し戦場の主導権をある程度握ることに成功した彼等は、他陣営と互角以上の立ち回りを成し遂げていた。

 開戦当初、彼等が特に警戒した陣営が2つある。

 一つ目は異色なる闖入者。
 脱出王とそのサーヴァント・ライダー。
 彼等はその在り方からして、ガーンドレッド陣営の天敵と言っても全く過言ではなかった。
 奇襲と番狂わせで立ち回ろうと画策した彼等にしてみれば、定石そのものを掻き乱す予測不能の厄介者。
 それも稀代の脱出王(トリックスター)の参戦は想定外であり、早急に潰す必要性に駆られたのだ。

 2つ目の陣営は、開戦以前から存在を把握しており、脱出王とは別の意味で脅威に成り得る事が明らかだった。
 そのため、事前に入念な下調べと準備を進めていた。
 だが、結局のところ、彼等が用意してきた"対抗策"を実行する機会は巡ってこなかった。

 理由はシンプルなものである。
 その前に、唐突に、見るも無惨にあっさりと、ガーンドレッド陣営は自滅したのだ。
 他陣営から見ればまるで意味不明な経緯での脱落。
 ガーンドレッド本家も、三人の魔術師も、他陣営の誰一人として、予想出来なかった特異点によって齎された破滅。

 誰も警戒していなかった最弱の少女と、"信管"でしかなかったホムンクルスの、偶然の接触。
 ホムンクルス36号を、ミロクへと変えてしまった少女の笑顔。
 些細な、なんてことない触れ合いが、ガーンドレッドの大願を呆気なく崩壊させたのだった。
 その後〈一回目〉がどのような結末を迎えたのかは、もはや語るまでもない。

 だが、もしも、仮の話。
 あの少女が居なければ、聖杯戦争はどうなっていたのだろうか。
 殺し合いが順当に進んだ場合、誰が勝ち残ったのだろうか。
 ガーンドレッド陣営に果たして勝機はあったのだろうか。

 そんな事を考察することに、きっと最早なんの意味もない。
 しかし、敢えて、一つを選ぶなら。

 瓶の中の赤子は述懐する。
 単純スペックのみで測るなら、開戦当時、最も強く君臨した筈の陣営とは。
 総合的に、もっとも勝者に近かった者とは。


 ―――やはり、あの男だったろうな、と。





223 : 狂騒病棟 ◆l8lgec7vPQ :2024/10/23(水) 04:15:21 EeCmN6bE0

 病院という場所は、正直今でもあまり好きじゃない。

 大事な人と分かれた思い出の舞台は、いつもそこだったから。

 小さい頃にお父さんが、その数年後にお母さんが居なくなった。

 どちらも、なんてことない普通の病気。

 誰にとっても平等(ランダム)に訪れる運命のような、よくある死病だった。

 母の最期の姿を、今でもたまに夢に見る。


 ―――アンジェ、その刻印は我が家系の誇りです。


 薄暗い病室の中、息が止まるまでの僅かな猶予。

 痩せ衰えた母の姿を、幼いわたしが、たった一人で見つめている。

 思えば自分の死期を悟った母が、刻印(しるし)を私に移植すると告げた時、果たしてそれは分岐点だったのか。

 あのとき首を縦に振らなければ、失望を受け入れてでも固辞していれば、わたしの運命は変わったのだろうか。


 ―――後は、頼みましたよ。


 母は最期に残すものに、家族としてではなく、魔術師としての言葉を選んだ。

 わたしはそれが堪らなく悲しくて、本当は泣きたかったのに。


 ―――ああ、よかった。アンジェ、どうかあなたの代で、少しでも、一族の悲願に前進がありますよう……。


 精一杯の作り笑顔で、きっとゴールには辿り着かない、空虚な運命(バトン)を受け取ったのだ。

 





224 : 狂騒病棟 ◆l8lgec7vPQ :2024/10/23(水) 04:16:26 EeCmN6bE0

 悪鬼、暴君、数式、魔女、そして脱出王。
 ホムンクルスから提示された五つの情報、そのいずれかを選び取り、辿ること。
 あるいはその全てを避けるべき脅威として遠ざけること。
 選択肢。突然5枚ものカード(情報)を配られた場合、多くの者は判断に迷う。
 アンジェリカ・アルロニカもまた、それなりに迷った。
 迷いながらも素早く結論を下し、行動を開始出来たのは、彼女の手に、既に6枚目のカードが存在していたからだった。

 ホムンクルスと出会う以前、遭遇していた一人の少女。マスター単独でありながらサーヴァントに引けを取らぬ戦闘能力を見せつけた存在。真夜中の白光。
 彼女を見た時から、アンジェリカの瞼の裏には光の残滓が消えぬまま。
 アンジェリカが巻き込まれた聖杯戦争はきっと、時計塔で聞きかじったそれと比べて全く異質のモノだ。
 針音の街には恐ろしいものがいる。それも一つではない。
 その脅威達と、何の覚悟も準備もなく遭遇することこそ、致命的な事態に発展するような、薄暗い気配。

 明らかな危険を避け、安全な場所で息を潜めて期を待つ。そういったサバイバルの鉄則に反してでも、知る必要がある。
 そう思った。その判断は、果たして正しかったのか。
 答えは未だ見えぬまま、今、少女の前には城が聳え立つ。 

 漂白されたコンクリートの外壁。均一に並べられた窓枠の列。
 正面玄関まで近づいてしまえば、軽く首を上向けた程度では視界に収め切ることができないほどの、泰然たる白い巨塔。

 ――蛇杖堂記念病院。都内でも有数の大病院である。

 その場所に至る理由はそう複雑でもない。
 ホムンクルスとの邂逅の後、自宅に戻ったアンジェリカはアーチャーとの話し合いの上、偵察行動に出ることを決定した。
 ある意味では順当な流れだろう。ホムンクルスから齎された情報の中で、工房の場所が明確なマスターはただ一人。

 蛇杖堂寂句。
 魔術師、蛇杖堂一族の現当主にして、日本医学会に絶大なる影響力を持つ蛇杖堂記念病院の名誉医院長。
 そして"前回の聖杯戦争"に参加していたという、マスターの一人。

『いやはや、これはなんとも潔癖な城塞だな、アンジェ』
『城っていうか病院だけど……まあ、もしかしたら別に間違ってないのかも。
 これが全部工房だとしたら、相当な規模っていうか。そんなのアリかーって感じね』

 病棟のエントランスホールを前に、アンジェリカは思案していた。
 自宅からそう離れていなかったという理由もあり、目の前まで来たは良いものの。
 侵入に及ぶか否かの判断に迷いが生じている。

 通常、魔術師の工房とはアンジェリカの自宅のような一軒家であったり、その地下であったりが一般的なものだ。
 ホテルのワンフロアを工房化するなんて例もあるが、それも建造物の限られた区画が精々といったところ。
 ホムンクルスからの情報通り、この病棟全てが工房だというのなら、それは神殿の領域に近い。
 だが現実として、それほどの備えを完成させたという信憑性には、幾つもの疑問が湧き上がる。

 まず病院という場所が、そもそも工房や神殿といった魔術師の領域には不適当であるからだ。
 昼夜問わず不特定多数の一般人が出入りし、魔力の巡りも悪い近代科学の集合地。
 そんな場所を拠点に定めるなど、真っ当な魔術師には絶対にあり得ない発想だろう。
 しかも間違いなく、侵入することそのものに危険は無いと言い切れる。そうでなければ病院というシステムが成り立たない。
 見てくれは巨大でありながら、患者に混じってどこまでも入り込めてしまう病院という場所。
 転じて、それは内側から容易に崩されてしまう、ハリボテに等しい砂上の楼閣ではないか。  
 
「……そんなの工房として成り立ってない。でも、だからこそ不気味なのかも」

 侮るなかれ。
 あのホムンクルスはこの城主を、〈一回目〉において、"総合力では最も強かった"とまで言い切ったのだ。
 
『そっちはどう? アーチャー』
『屋上から中庭までざっと覗いたが、罠らしき物は見当たらぬ。
 とはいえ内がどうなっているかは入ってみるまでなんともだな。
 進むか、引くか。後はマスターの判断よ』

 霊体化させたままのアーチャーと念話を交わしながら、アンジェリカ・アルロニカは思案する。

『どうする? 私はアンジェの意思を尊重するぞ』

 今のところ、アーチャーが強く止める様子はない。
 アンジェリカ自身の見立てとしても、ただ入るだけなら危険はない筈だ。
 安全を優先して早々に引き上げるのは簡単だが、それで得られるものはなにもない。
 進むべきだ。しかし、心のどこかで、何かが引っかかっている。

「…………」

 日は少しずつ、落ち始めている。
 だが日没までは少しばかり、時間があった。

「…………よし、決めた」





225 : 狂騒病棟 ◆l8lgec7vPQ :2024/10/23(水) 04:19:12 EeCmN6bE0

 ガラス越しに過ぎ行く風景を眺めている。
 透明な膜の向こう、流れていく民家の屋根、横切る電柱、曇り空。
 ホムンクルスの短き手足は瓶の檻に囲われ、外界に影響を及ぼすことはない。
 それでも彼が今、時速70キロ程の高速で移動できているのは、彼を抱えたサーヴァントの超人的脚力によるものだ。

「……なんというか、大将のやりてえこと、叶えてえ目標ってのは、俺様もある程度は理解したんだがよ」

 黒い影が住宅街を跳ね回る。
 アサシンのサーヴァント、継代のハサンはホムンクルスの入れられた瓶を抱えたまま、屋根から屋根へと飛び移り、移動を続けていた。

「けどな、結局、なんで大将がその……カムサビ某の為に、そこまで体張るかってのは、未だに納得できてねえのが正直なところだ」

 一度、町工場に戻った後、方針を整理したうえで。
 再度活動を開始した彼等は、動きながら今後の方針について話を続けていた。

『無理もないことだ。貴殿は未だ光に触れていない。
 だが、一度照らされてみれば、仕えるに値する光を目にすれば、理解できるはずだ。
 故に、その時まで、どうか私に従ってほしい』

「ハイハイ、俺様も別に大将の見立てを疑ってるわけじゃねえよ。
 大将の能力は変わり種だが、解析や感覚ついて言やピカイチだ。
 今まで何組か摘んできた中でよおく分かったし、そこは信頼してるつもりだぜ」

 けどなあ、とアサシンは心の中で付け足す。
 勝つための意志が希薄というのはやはり心配になる。
 ミロクにとって聖杯は二の次かもしれないが、アサシンにとっては替えの効かない第一目標。
 事と次第によれば、鞍替えも検討からは外せない。

 だが一方で、仕えるべき光という言葉には無視できない響きがあった。
 もしかすると、それはアサシンの願い、"答え"に直結する重要な鍵になり得るのだから。 

「とりあえず、そのカムサビサンを拝見するまで、ちゃんと従うつもりだよ」
『感謝する』
「それはいいとしても、だ。もう一回だけ確認するが、さっきの話……マジなんだな?」
『さっき、というのは?』
「大将が言ってた、再定義、ってやつの件だよ」
『……ふむ』

 少しだけ溜めを作ってから、ミロクは言い切った。

『私は至って真剣に伝えたつもりだが』
「だよなぁ……大将そういう冗談言うタイプじゃねえもんなぁ……」

 トホホと肩を落とすアサシンを見上げながら、ミロクは先ほど町工場で話した内容を思い返す。
 二度目の聖杯戦争に挑むに当たり、ホムンクルス36号、ミロクは自らの在り方を再定義することを決めた。
 それは脱出王の言葉をきっかけに齎された契機。

 ──―過去の焼き直しなんてやめた方がいい。

 過去に、一度目に、後悔など無い。"彼女"の生存と勝利を願って、身を捧げた。
 その行いが間違いであったとは思えない。
 だが同時に、一度目と同じ行動を辿るだけでは、この忠誠(きょうき)を果たすことは出来ぬという事も分かった。

 彼女に勝利を届ける。かつてはそれだけで良いと思った。
 だが、2度目が始まった今、それだけでは成らぬと知っている。
 最後の一人まで勝ち残る。それだけでは、きっとあの少女は満足しない。
 何故なら、彼女は既に1度勝っている。勝利して尚、満足できなかったからこそ、2度目があるのだ。


226 : 狂騒病棟 ◆l8lgec7vPQ :2024/10/23(水) 04:20:32 EeCmN6bE0

 故に、次に届けるものは、ただの勝利に非ず。
 ただの勝利(せいはい)以上に、少女が欲するもの。
 そうして新たに定義した、2度目の生の使い道、新たな動き。
 ミロクが"彼女"に届けるべき、勝利よりも価値のある、『最も素晴らしきもの』とは―――

「やれやれ、世話の焼けるマスターに呼ばれちまったもんだ」

 アサシンはその方針を聞いた時、まず素直に呆れた。
 呆れると同時に、更に一層興味が湧いてしまったのも事実。
 この変わり者のマスターがそこまで熱を上げる少女とは、一体どれほどのものなのか。
 故に今のところ、契約を反故にする気も起きず、文句を言いながらも無茶振りに付き合っている。
 本音としては、この脆いマスターには工房でじっとしていてほしいのだが。

 とはいえ、厄介ごとのお鉢が回ってくるのは何も初めてではない。
 先代ハサンが急死した時の混乱を思えばなんのその。
 つまり、継代のハサンは結局のところ、とても面倒見の良いサーヴァントなのであった。

「けどま……こういう事があるから憎めねえ。ずるいね大将。ホントに言う通りになっちまってる」
 
 そして今、蛇杖堂記念病院。
 その広大な敷地の2百メートルほど手前にて、アサシンは足を止め、己がマスターの読みの深さを素直に称えた。
 
『別に大した推測でもない。提示した数パターンの想定の、内一つが運良く当たっただけだ』

 アサシンが覗く双眼鏡。
 その中には大病院の中に入っていく少女の背中があった。
 今日、休戦協定を結んだばかりの同盟相手、アンジェリカ・アルロニカ。

『蛇杖堂の暴君。奴の居城はあの少女の工房から近い位置にある。私の話を聞いてしまった以上、無視はできまい。
 遅かれ早かれ、場所と状態の確認程度は行うのが自然な動きだろう』

「なるほどな。それで『前回の参加者の中で、総合力で測るなら一番強え』、なんて過剰な持ち上げまでかまして焚き付けたわけだ。悪いねえ大将」

『いや、蛇杖堂の実力については、何一つ誇張していないが』

「そうなのかよ……」

 さて、アンジェリカは今、大敵の工房に侵入した。
 期待した札が、まずは一枚。

 在り方を再定義した結果生まれた、新たな目的。
 それとは別に、ミロクは前回からの方針そのものを覆すつもりもない。
 つまり、太陽を勝利に近づけるという、転じて、及ぶ危険を排除するという、至極単純な忠誠のカタチ。

 太陽を害する者の排除。
 ミロクが知る限り、最大最悪の敵とはなにか。
 何れ全て屠るべき忌まわしき屑星ども、ミロク以外の〈はじまりの六人〉、その中で、最速で殲滅すべき脅威とは。

『蛇杖堂寂句。奴しかいまい』

 前回、最も彼女を死に近づけた男。
 そして6人の中で最も、明確に彼女を討たんとする意思の確固たる者。
 気質に限った話ではない。その潤沢な備えは決して放置の許されない台風の目だ。
 老蛇の知恵に時間を与えれば与えるほど、備えは強化され根城を盤石にしてしまう。


227 : 狂騒病棟 ◆l8lgec7vPQ :2024/10/23(水) 04:21:12 EeCmN6bE0

 故に、蛇杖堂の暴君を滅する機会を見逃すことは、絶対にできない。
 あの男の恐ろしさを知る者であれば、決して無視することは許されない、超えるべき共通の鬼門。
 これに関してのみ、ミロクは他の亡霊達と意見を同じくすると考えていたのだが。

「で、結局のところ、仕掛けるのかい? 大将」

『……まだ、手札が足りていない』

「そりゃそうだ、安心したぜ。ひと目見りゃ分かる、ありゃ無理。
 アサシン一騎で崩すにゃ、ちょいと規模がでかすぎる工房だ」

『そうだな……行こう』

「了解。今日は出直し、また後日、チャンスがあればってことで」

『そうではない』

「……え?」

 手札は2枚。
 1枚はアサシンのサーヴァント。それも、前回の聖杯戦争でその高い性能を証明した暗殺者の伝説。
 そして、もう1枚。

『我々も彼女らに続こう。急ぎ、奴の工房に侵入する』

 2枚目はアンジェリカ・アルロニカとそのサーヴァント、アーチャー。
 ある程度の誘導はかけたものの、殆ど幸運の働きによって、居合わせた彼女たち。
 そして、

「おいおい……そりゃ確かに、あのアーチャーがいりゃあ多少は勝算も出てくるかもしれねえけど、にしたって……」
『それだけではない。たった今、状況が変わった』

 ここで更に引き当てた、3枚目。
 ホムンクルス36号の驚異的な魔力感知は、サーヴァントよりも早く、それを感じ取っていた。

『事は今に大きく動く。時間がない。アサシン、済まないが貴殿にも……』
「あーはいはい、また体張れって言うんだろ? ったく、わかりましたよっと」

 最期に、伏せていた4枚目。
 これで札は揃った。ミロクはそう判断した。
 必勝、と言えるほどの手札かと問われれば、断言することは出来ない。
 だが後にも先にも、蛇杖堂の暴君に対し、これほどの手で勝負できる場がやってくる保証はどこにもない。

 新たに定めた目的も、忠誠の完遂も。
 全ては太陽の光が絶えず注がれてこそ。
 
 己が狂気を遂げるため。
 ガーンドレッドのホムンクルス36号ではなく。
 〈はじまりの六人〉、その一人、ミロクとして。
 彼は今、その真価を問われる初陣へと臨むのだった。






228 : 狂騒病棟 ◆l8lgec7vPQ :2024/10/23(水) 04:22:26 EeCmN6bE0

 一歩、踏み込んだ瞬間に理解した。
 アンジェリカも、その従者(サーヴァント)も、今、自らが怪物の腹に入り込んだ事実を。

 少女は思わず反射的に振り返る。
 背後、内と外の境界線、エントランスホールの自動ドアが緩やかに閉まっていく。
 ガラス越しに見える外は変わらず、午後の斜陽に満たされた平凡な風景。

 今いるエントランスの状況も、外から見ていた時と何ら変化は見られない。
 患者や見舞いに来た家族、病院スタッフやドクターが歩き回る日常の景色。
 それでも、何かが切り替わったことがハッキリと分かる。

「これって……」
『ふむ……』

 いまや疑うべくもない。
 この病院は、工房、要塞、どちらも否、その実態は檻に近いものだ。
 侵入してみてやっと分かる。確かにこれなら、内側にいくら入りこまれても関係ない。

『むむ……なるほど、なるほど。
 結界の守りが内向きに働いている……と、どうやら、城主は大した偏屈者のようだな。
 私の千里眼も、魔力探知も、敷地の内部までに抑えられてしまっている』

 アーチャーの念話に心中で頷き返しながら、アンジェリカは慎重に院内を進んでいく。
 一般の患者と一緒にエレベーターに乗り込み、4階のナースステーションまで来ても、視界に怪しいものは確認できない。
 それでも魔術師であるならば、どんなに勘の悪い者でも感じ取れるはずだ。
 建造物全体から発せられる強烈な圧迫感。壁、床、天井、その全てに内向きの対魔術防御が仕込まれている。
 要するに、内部からの破壊工作にこそ対策を特化することで、病院と工房の施設機能を両立させているのだ。

「でも……それだと、別の疑問が出てくるよね」
『そんな"あべこべ"な要塞を作る意味は何なのか、ということだな』

 内への防御に特化することで、多数の一般人が出入りする公共施設を、破壊工作に強い工房に変えたカラクリは理解できた。
 だがそうすると今度は外部からの単純打撃に脆く、広大な施設規模に意味を見出すことが出来ない。
 一応、巨大なコンクリートの塊を、単純なる物理防壁として扱っているという解釈もあり得るが。 

 エントランスからいつでも簡単に外に出れることも確認済み。
 不用意に入り込んだ魔術師を捉えるトラップも確認できない。
 結局、意図のわからない施設であることに変わりはない。

 結界を構築するために院内に打ち込まれた楔。要石の数は想像もできない。
 実際、各フロアをつぶさに見ても、全ての場所を特定する事は出来なかった。
 掛けたコストに対して、あまりにリターンが少なく感じる。

「いや全然わかんないんだけど……効率的なのか非効率なのか、でも……」

 少なくとも、とアンジェリカは思う。
 これほど複雑な備えを成立させた魔術師が、意味もなく巨大な工房を構えたとは考え難い。
 何か、まだある筈だ。気づけていないカラクリが残っている。

 ふと、廊下の窓から差し込んだ日が妙に眩しく感じて、アンジェリカは足を止めた。
 陽光は少しずつ、だが確実に傾き始めている。
 調査に没頭するあまり、いつの間にかそれなりの時間が経ってしまっていたようだ。
 侵入前にアーチャーと取り決めた調査時間は『2時間以内』、そろそろ潮時だろう。

 少し開いた窓から涼しい風が吹き抜ける。チチチ、と中庭の小鳥の鳴き声が耳に届く。
 音も風も絶たぬまま、内と外を結界で分かつことを成功させている。
 それだけで、凡百の魔術師の腕ではないと言い切れるのに、ずっと感じる引っ掛かりは何なのだろう。
 アンジェリカのよく知る型や礼式に拘る魔術とはまるで違う。これでは、まるで……。
 
『ときに、アンジェよ』

 黙考していたアンジェリカの意識を引き戻したのは、少し寂しげな従者の声だった。
 
『ん、なに? アーチャー、なにか気付いた?』

『いや……一度、聞いておかねばならぬと思っていたことなのだが』

 珍しく歯切れの悪い従者の調子。
 敵地とはいえ霊体化させたまま長く放置してしまい、少し拗ねてしまったのか。
 などと考えていたアンジェリカに、

『―――アンジェは、同朋を殺めたことはあるか?』
 
 発せられた問いは、意外と真剣な内容だった。


229 : 狂騒病棟 ◆l8lgec7vPQ :2024/10/23(水) 04:23:24 EeCmN6bE0

『なに……いきなり』

『そうだな、すまぬ。だがやはり、これは聞いておくべきことだと、ふとな』

 霊体化したアーチャーが何を見ているかは分からない。
 周囲には沢山の患者や医療スタッフ、日常を生きる人々の姿。
 そして、どこかの病室を覗き込めば、死に近い誰かの姿を認める事もできるだろう。
 病院、生と死の、日常と非日常の交差点。アンジェリカにとって、今でも少し苦手な施設。
 この場所に、弓兵は何かを感じ取ったのだろうか。それとも単純に、ずっと聞くタイミングを考えていたのだろうか。

『人を、殺したことは……』

 少女は深く息をすって、答えを告げた。

『まだないよ』

 それでも、とアンジェリカは思う。

『でも、それは偶々、まだってだけで』

 いつかの、学友との決闘を思い出す。

『魔術師として、ちゃんと殺し合ったこともあるから分かる』

 アンジェリカにとっては些細な失言、だけど学友にとっては重大な侮辱を切っ掛けに、始まってしまった決闘。
 友人の拳には殺意があった。だからアンジェリカも殺意をもって応えるしかなかった。
 だから、死ななかったのも、殺さなかったのも、ただの結果論でしかなかった。

 犠牲は最小限に抑えたい。そう、心から思っている。
 人の善性を捨てたくない。
 それは普通の人生を始めるための、失くしちゃいけない切符であるように思うから。
 だけど、どうしても避けられない犠牲なら。今は、まだ、

『必要なら、わたしは人を殺してしまえる』

 そんな人でなしの一人なんだよと、告げた。
 だって、アンジェリカ・アルロニカは、まだ魔術師だから。
 手首に刻まれた刻印が、それを証明し続けている。
 アルロニカ家の魔術を継ぐ魔術師アンジェリカである限り、その運命は逃がしてくれない。

 この戦いに勝ち抜いて、綺麗さっぱり魔術と縁を切る、そのときまでは。
 運命を否定し、自分の選んだ『普通の人生』を始めるまでは。
 どれほど"人として"の善性をかき集めたたって、"魔術師として"の自分は消えてくれない。
 
 いまは、まだ、アンジェリカは魔術師だ。
 少し哀しいけど、そんな答えを、受け入れるしかない。
 だからこそ、この小さな従者には安心してほしかった。

『大丈夫、わたし、覚悟なら出来てるから』
 
『違うぞ……アンジェ、それは……』

 霊体化したアーチャーは表情が見えない。
 なのに何故か、アンジェリカは感じ取ってしまった。
 今、この従者は悲しんでいる。だが、一体何を、
 
『違う……?』

 彼はいま、アンジェリカの何を、否定しようとしたのだろう。

『いや、相済まぬ。やはりいま話すことではなかったな』

 アーチャーはそれ以上続けるつもりもないようで。
 少女もまた、一旦、追求するのを止めた。

『……お腹もすいたし、そろそろ引き上げよっか』
『そうだな』

 話の続きは今日の夜、晩ごはんを食べながらでも遅くはない。
 これ以上の長居で成果を得られる気配もなし、いざ帰路につかん、と。
 一階を目指して歩き出した。その直後だった。

「―――え、嘘でしょ」

『―――ふむ、不味いな』

 マスター、サーヴァント、同時に察知する。
 たった今、魔術工房はその意味を反転させた。
 内向きに閉じていた結界が裏返るように外へ展開されていく。
 圧迫感が消え去り、アーチャーの千里眼や魔力探知も本来の射程に及ぶようになる。
 これが何を意味するのか、複雑怪奇な結界の意味を、アンジェリカはようやく理解したのだ。


230 : 狂騒病棟 ◆l8lgec7vPQ :2024/10/23(水) 04:24:47 EeCmN6bE0

 結界の指向性を裏返すなんて芸当を仕込む為の、コストや技術など想像もつかない。
 だが、理由だけならば簡単に読み取れる。
 つまり、内側を守る理由がなくなったから、外側の守りに切り替えた。それだけのこと。
 そして、内側の守りを固める理由が無くなる要件とは。

『どうやら城主が戻ったようだ』

 蛇杖堂寂句。人呼んで―――

「……ドクター・ジャック」

 一階の方から僅かなどよめきが上がる。
 吹き抜けから見下ろしたエントランスホールには、果たして、その男の影があった。

 180センチ近い高身長。
 卒寿に至る年齢を一切感じさせぬ筋骨。
 灰色のコートの裾が、ほんの一瞬視界を過ぎ去る。

 今や全てのカラクリに答えが与えられていた。
 工房であり城塞であり檻でもある大病院は、城主の在否によってその役割を変えるのだ。
 登城の際には要塞に、そして空けているときは、檻、あるいは―――

『罠だ、アンジェ。すぐに退くぞ』

 入り込んだ魔術師が敷地外に及ぶ探知能力を喪失する。
 内向きの結界の副次効果に見せて、実態は鉄格子の落下を悟らせぬ仕込みだったとしたら。

「うん、窓から……いや、正規ルートから出ないと警報に絡め取られる可能性もあるし。
 慎重にやり過ごして、正面エントランスから脱出しよう」

 幸い、未だに格子は降りていない。
 エントランスから出るぶんには安全だろう。
 敵はまだアンジェリカに気づいていない。

 彼が最初に向かうのはおそらく院長室。
 そこが工房の最奥とすれば、たどり着かれた時点で侵入がバレてしまう可能性がある。
 何れにせよ、面倒な事態に発展する前に、敷地の外に出るべく動き出そうとした。
 その矢先、

『―――!』
 
『なに? もう見つかっちゃった?』

 絶句するアーチャーの声音は襲い来る異常事態を予感させた。
 
『違う! 奴にはまだ勘付かれておらぬ……が、しかし……ええい不覚ッ、もう説明している時間もないぞ!』

 突如として霊体化を解いたアーチャーがアンジェリカの腕を掴む。
 彼の視野がおそらく何らかの脅威を捉え、警報に引っかかる危険を承知で窓からの脱出を図ろうとしていると分かった。
 しかし結局、それが果たされることはなかった。

「……あの、アンジェリカさん。ですよね?」

 アンジェリカのもう一方の腕を掴む手が、そのラストチャンスを潰してしまったから。

「あんた……誰?」

 それはピンク色のパジャマを着た、三十代半ば程の年齢に見える女性患者だった。
 アンジェリカは話したことも見たこともない。見ず知らずの他人。
 そんな女性が、名前を呼び、腕を掴んでくる。
 最初は、バレたのだと思った。この病院の主に。
 だが、すぐにおかしいと気付いた。

 アンジェリカはこの素人然とした女性の気配に、触れられるまで気づくことすら出来なかった。
 そしてなにより、嫌悪感を顕にしたアーチャーの反応が、その推測を裏付ける。

「なんの真似だ暗殺者。よもや舌の根も乾かぬ内に裏切るつもりか?」

 素早く回り込んだアーチャーは片手で女の腕を払い除け、もう片方の手で握った矢を首元に突きつけている。

「さすがだぜ。やっぱ目が良いな、弓兵」

 女の目元にほんの一瞬、白き髑髏の仮面が現れるやいなや。
 すう、と輪郭が薄れ、景色に溶けていくと同時に。

『早い再会になったな。アンジェリカ・アルロニカ』 

 間髪入れず頭に叩き込まれた念話によって、呆気なく答え合わせが為されたのであった。


231 : 狂騒病棟 ◆l8lgec7vPQ :2024/10/23(水) 04:25:40 EeCmN6bE0

「ホムンクルス……!」

『まず誤解しないで頂きたいのだが、我々の同盟関係は続いている。其方を害する意思はない』

 思考に直接差し込まれる、ホムンクルスの念話。
 今日聞いたばかりの声を忘れるわけもない。

『ただ、これから起こる事態を思えば、いま其方に去られると困る故、少し引き止めさせてもらった』

「都合の良い事ばかり言ってくれるな。やはり貴様ら、気に入らぬぞ」

「アーチャー、抑えて」

 努めて冷静に、アンジェリカは息を整えた。
 周囲を見渡せば、あれだけ居た筈の患者や医療スタッフが見当たらない。
 皆、病室やナースステーションに戻ってしまったのか、辺りは静寂に包まれている。
 誰もない廊下の真ん中で、姿の見えないホムンクルスの念話だけが脳に届く。

『いずれにせよ貴殿らにはもう、選択肢はない。状況はそちらの弓兵が理解しているはずだ』

 アーチャーは答えない。
 先ほど何かに気づいて以降、様子がおかしい。
 アーチャーはもう、アンジェリカの腕を掴んで強引にこの場を離れようとしていない。
 それはつまり逃げるという行為が、今やなんの意味も為さないことの証明ではないのか。

『では改めて、我々は其方に協力する。共に、この危機を脱しよう』
  
 そうして、白々しい共闘宣言とともに、訪れるタイムリミット。
 壮絶なる脅威の気配とともに、2つの恐ろしい出来事が同時に起こった。

 無人の廊下、既に患者もスタッフも居なくなった、静まり返ったその場所に、遠く、足音が鳴る。
 こつ、こつ、と。それは近づいてくる。
 いま、廊下の向こうに人影が見える。
 翻る白衣。威風堂々の佇まい。この城塞の支配者。

 目前に迫る、蛇杖堂寂句。
 暴君の到来。そして―――

 病院という工房、要塞が、戦闘態勢を整える。
 換気のために空けられていた廊下の窓、病室の扉が一斉に締まり、ひとりでにロックされる。
 風も絶え、小鳥の声も絶え、傾いていた日光すら―――陰り―――。

 最期の変化は、流石におかしいとアンジェリカは気付いた。
 時は夕刻、迫る逢魔が刻。
 それでも、日没まではまだ早い、はずなのに。

 ―――ぶぶ。

 耳に届く、不快な羽音。 

 ―――ぶぶぶ、ぶぶぶぶ。

 ガラス戸に衝突する黒い塊。
 日食のように窓からの陽光が途絶えていき、闇が世界を侵食していく。
 薄暗い廊下に、空間を歪めるような異音だけが切り込んでいく。

 ―――ぶぶ、ぶぶぶぶ、ぶぶぶ、ぶぶぶぶぶ。
 
 ビリリと、閉め切れられた窓が大音響の振動で揺れている。
 少女は一瞬、巨大なウーハーを乗せた何かが接近しているのかと思って、あり得ないと直ぐに分かる。
 ここは4階であり、聞こえる方向は一方向ではない、360°全方位から、かき鳴らされる不快な羽音と、
 素人が聞いても分かる程度には調子の外れたギターソロ。それが徐々に近づいてくる。

 ―――ぶぶぶぶぶ、ぶぶぶぶぶぶぶ、ぶぶぶぶぶぶぶぶぶ、ぶぶぶぶ、ぶ。

 一層、不気味さを際立たせる電子音のロック、羽音の合唱が織りなす不協和音。
 窓に、外壁に、豪雨の如くに叩きつけられる無数の黒。
 日を喰らい、空を貪るように旋回する。飛蝗の大軍。悪夢のような包囲網。

 今や何もかも手遅れとなった状況で。
 アンジェリカ・アルロニカは、自らが立つ位置を理解した。
 それはおそらく、人生で初めて経験する本物の、死地であると。


 
 ―――第三の騎士、黒き終末が来たる。



 もう、誰も逃げられない。  
 







232 : 狂騒病棟 ◆l8lgec7vPQ :2024/10/23(水) 04:29:37 EeCmN6bE0

 東京の街を砂嵐が横断する。
 空を覆い尽くすように飛来し、津波の如くうねり逆巻く黒き暴風。
 目を凝らして見れば砂の一粒一粒に翅が生え、足が有り、顎が開き、生命として自立していると分かるだろう。

 吹き荒ぶ黒点の全てが生きている。蠢いている。
 個々として、同時に一体として、軍勢としての生命活動を持続している。
 喰らい、産み、喰らい、産み、また喰らう。その繰り返し。

 それは神の時代から途切れなく続く災厄。
 人の世を終わりに導く黒の騎手。
 文明を滅ぼすたった4つの冴えたやり方、その3つ目。

 飢餓の権能。
 飛蝗の軍勢、サバクトビバッタ。
 ただ滅び逝く地平の暴風(Schistocerca gregaria)。
 
 異常に塗れた針音の聖杯戦争。
 その中でも単純武力トップクラスの騎兵(サーヴァント)が襲来する。

 主の命を受け、定められた狙いは蠍飼う暴君の根城。
 蛇杖堂記念病院。
 はじまりの六人、蛇杖堂寂句の本丸である。

 聳え立つ白塔に到達した黒波は衝突の勢いそのままに旋回を開始。
 漆黒の台風(ハリケーン)が巨大建造物を飲み込み、完全包囲を実現する。
 羽音で包み込み、陽光すら断ち切り、外界との交通経路を遮断する。
 群れはいま、取り囲んだモノの内外の何もかも、一切合切残さず貪り食うと決定を下した。
 その司令塔がここに、

「G―――!」

 空中を滑りながらカタチを成す。  

「――――GIGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGAAAAAAAAAAAAA!!!!!」

 爆音奏でるギターソロ。
 大病院を取り囲んだハリケーンの障壁、吹き荒ぶ黒嵐の中から伸びる手足。
 形成されるつなぎの服装、この頃お気に入りのキャラメイク。
 背中を黒嵐に押し上がられるようにして、空中を滑らかに飛行する黒髪の男。
 その両腕には、一本のエレキギターが握られていた。

 アンプに繋がっているわけもなく。
 そも、ギターそのものが蟲の集合体で作られた模造品。
 にも関わらず掻き鳴らされた弦は強烈な電子音を弾き出し、不気味な旋律(ロック)を拡散させる。
 ギュイイと放たれた異音はハリケーンの反対側に衝突し、障壁を形成する蟲達の羽音によって更なる鳴音(ハウリング)を巻き起こす。

「やっぱ病院ってやつは好かねえなぁー。薬臭くて食欲失せるわ」

 適当な演奏を続けながら男は、シストセルカはそう言って嘲笑うように口端を上げた。

「まあけど、噛みがいはありそうでなによりだな」

 神話級の災害が襲い来る悪夢のような景色のなか、ここにもう一つ在りえぬ事態が発生している。
 蛇杖堂記念病院は未だ原型を留めてそこに在った。
 蝗害の到来から既に3分経過、たとえ巨大なコンクリートの塊であろうと、常ならば1分もかからず食い尽くされている。
 それを未だに、内部の人間を食うことはおろか、外壁に穴すら開けられていない。


233 : 狂騒病棟 ◆l8lgec7vPQ :2024/10/23(水) 04:31:09 EeCmN6bE0

 病棟の窓や壁に、あらゆる方角から殺到した飛蝗の数は既に5千匹を優に超えている。
 にも関わらず、それらは堅牢な防御結界を前に全て弾かれ落とされ続けている。
 認めよう。なるほどこれは、凄まじい要塞だ。
 たった一匹でも侵入を許せば瞬時に崩壊に追い込むシストセルカの軍勢を、ただの一匹も通さないという無茶を実現して対応し切っている。

 ―――会えば分かるよ。

 主(マスター)の言葉を思い出す。
 確かに、これは退屈しなさそうだ。
 神寂の少女に散らされた戦力は未だ回復途中にある。
 だが万全な状態にないとはいえ、マスターの仕立てた防御結界だけで飢餓の軍勢を押し留める。
 それほどの相手がここに居るのだ。

「空振らなくて良かったぜ」

 シストセルカに下された命令は『嫌がらせ』。
 留守中に陣地を荒らし回るだけでも良かったし、寧ろよっぽど簡単な仕事になったろうが、やはりそれではつまらない。
 こうして、きちんと正面から戦うことが出来て良かった。ちゃんと食い殺すことが出来てよかった。
 と、彼は自らの勝利を疑うべくもない前提として、本気でそう考えている。

「それで? どうする? いつまでも引きこもっていられねえぞ」

 今のところよく耐えている。しかし時間の問題でもあった。
 いくら蛇杖堂の備えが盤石であったとしても、シストセルカが全快でなかったとしても、このまま無限に耐え忍ぶ事はできない。
 一刻も早く黒き軍勢の侵攻を止めなければ、やがて結界は崩れ、一匹が内部に到達する、それだけでゲームセットだ。

 敵は動く必要に駆られている。その筈だった。
 しかし、なかなか敵のサーヴァントが現れる気配がない。
 このまま削りきって終わり、そんな結末は簡単だが、つまらない。
 シストセルカが徐々に冷めた気分になってきた、到達から5分後のタイミングにて。

「―――来たな」
 
 病院の屋上に、2つの像が結ばれる。
 従者(サーヴァント)。
 この場においては、黒き終末を退けるべく使わされた2騎の英霊。

 一つは槍兵、赤い髪、真っ赤な甲冑で全身を覆った、異形の者。
 一つは弓兵、黒き髪、小柄な体躯に平安の直衣を纏う、美しき者。
 
「おおっと、デザートまで付いてくんのかよ。どっちが主食かわかんねえけど」

 敵は2騎。つまり狙いとは別の陣営も巻き込んでしまったらしい。
 結果として2対1。
 うーんツイてるなと、シストセルカは心から思って、旋回する嵐に号令をかけた。

「喜べお前ら、今日は豊作だ。腹いっぱい喰って帰ろうぜ!」

 槍を構える蠍、矢を番える神。
 殺到する黒き暴虐。

 襲い来る終末と、迎え撃つ神威。
 今ここに、数多の神話がせめぎ合う、英霊の戦いが始まった。









234 : ◆l8lgec7vPQ :2024/10/23(水) 04:34:13 EeCmN6bE0
前編、投下終了となります。
残りも期限内には投下します。


235 : ◆0pIloi6gg. :2024/10/24(木) 01:45:40 V01w5reU0
赤坂亜切&アーチャー(スカディ)
アーチャー(天津甕星)
キャスター(オルフィレウス)
香篤井希彦&キャスター(吉備真備) 予約します。


236 : ◆l8lgec7vPQ :2024/10/29(火) 06:07:56 9EI5ki7s0
投下します


237 : 歩き出す脱、言念、且つ自暴論(前編) ◆l8lgec7vPQ :2024/10/29(火) 06:12:37 9EI5ki7s0

 結論からいうと、輪堂天梨がその騒動に巻き込まれたのは不幸な偶然によるものだった。
 日中の外出を終え、渋谷から自宅に戻る帰り道。
 時刻は夕方、迫る逢魔が刻の道中に、少女はそれに行き合った。

 徐々に落ち始めた陽の光は傾きを得て、建造物の影を伸ばし、明暗の境を如実に表す。
 曇り気味の空は燃えるような茜に染められ、幻想的な美しさと不気味な怪しさを同居させる。

 自宅近くの人通りのない道を、天梨はひとり歩いていた。
 心の内側では、今日あった様々なことが巡っている。

 伊原薊美との邂逅。
 煌星満天との通話。
 そして、知らされた、重要な事実。

 ――私のクラスはキャスター。そして同時に、今は"彼女"のプロデューサー業も兼任しています。

 煌星満天はマスターだった。
 天梨と同じ、この聖杯戦争に招かれた者の一人だった。
 真実は、天梨に悲しみと希望を同時にもたらした。 
 あの純烈で真っ直ぐな少女が、戦いに巻き込まれていたという、悲しみ。
 あるいは、この子と一緒に、力を合わせて状況を打開できるのではないかという、希望。
 色々なことが起きて、少し混乱してしまったけれど、

(……やっぱり、少しだけ、嬉しい気持ちの方が強いな)

 初めて出来た仲間。同盟関係。その響きを反芻して思う。
 マスターとして、ずっと一人ぼっちだった天梨にとって、どれだけ安心できる響きだったことか。

(ごめんね。満天ちゃん、ほんとはこんなこと、思っちゃいけないのに)

 あの子が、ここに居てくれてよかった。
 言い換えれば、自分と同じように巻き込まれてくれてよかったと、そういう意味になってしまう。
 それでも天梨は、彼女が同じ立場っだと分かったとき、嬉しかった気持ちを否定できない。

(駄目駄目、せっかく気分が上向いてきたんだから)

 自虐的になってはいけないと、天梨は思い直す。
 伊原薊美との会話や、満天との通話によって、今日は確かな勇気を貰えた気がする。
 また、胸の真ん中が黒くならないように、前をみなければ。
 それに今日は偶然にも時間があったけれど、明日からまた忙しくなるかもしれない。

 新たに入ったお仕事、アイドル同士の対談イベント。
 輪堂天梨と煌星満天の対談バトル。その段取り合わせに大人たちは大慌てで奔走しているようだった。
 天梨はマネージャー業にそこまで明るくないけれど。
 それでも普通ではあり得ない勢いでスケジュール調整が行われていることは分かる。
 場所が仮想の東京であることを差し引いても異常な手際だった。
 さらに今、ぴろり、と鳴ったスマホを開けば、トークアプリに新たなメッセージが届いていた。

『天梨さん。お疲れ様です。ひとまず報告だけになりますので返信は結構です。
 進行している対談イベントの件なのですが、早くも会場と時間の候補が決まりそうです。
 ただ、公開対談の後、可能なら〈ライブパフォーマンス〉を行う、なんて案も上がっていて―――』
 
 マネージャーの余裕なさげな文章から、交渉相手に振り回されているのは明らかだった。
 想像以上の速さで調整が進んでいく。
 相手側の事務所が綿密な根回しをしていたとしか思えないし、それだけでも説明がつかない。
 やはり、あのプロデューサー兼キャスターは只者ではないようだった。


238 : 歩き出す脱、言念、且つ自暴論(前編) ◆l8lgec7vPQ :2024/10/29(火) 06:14:02 9EI5ki7s0

 そして天梨が考えなければならないのは、少し先の未来に設定される対談イベントだけではなかった。
 足を止め、スマホの画面に指を滑らせ、数十分ほど前に届いたメッセージを確認する。
 敏腕プロデューサー、煌星満天のサーヴァントから届いた、会合場所と時間。

 ――見たところ、厄介なモノに憑かれているようですから。

 今日、彼らと会うことで、状況は変わるのだろうか。
 先の見えない状況に、光は差すのだろうか。
 聖杯戦争そのものの問題に加え、天梨は悪魔に憑かれている。
 恐ろしい、だけど哀しい人、暗く燃える復讐者。
 その気配はいまも、天梨の傍らにずっとある。
 
 キャスターから告げられた時間までは、まだ少し猶予がある。
 なので、一度自宅に戻り、身なりを整えてから出向こうと、そう思っていたのだが。

「ねえ、君。前をむいたほうがいいよ」

 突然、悪魔の声と息が、耳にかかった。
 ぞわりと、寒気が走る。

「―――え?」

 顔を上げ、すぐにおかしいと気づいた。
 薄暗い、辺りが急激に暗くなっている。
 時刻は夕方、まだ日没には早いはずなのに。

 ―――……きち。

 前方の路上。ぽてりと落下した小さい礫から、ざらついた鳴き声がした。

 ―――きちきちきち、ぎ……ぶぶ。

 さらに数匹落ちてきて。
 連続する、蟲の鳴き声、そして。

 ―――ぶ、ぶぶぶぶ、ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ。

 堰を切るように、襲来する羽音。

「うそ……なんで……!?」

 この街に住まい、それを連想できぬ者は、もはやいない。
 天梨もまた連日のニュースで聞いてはいたが、目の当たりにするのはこれが初めてだった。
 テレビでは確か、昨日から沈静化していると報道されていたはずなのに。

「蝗害……」

 沈む日を喰らうように、空を埋め尽くす飛蝗の群れ。
 東の方角から飛来した一軍が、天梨のいる地区を通過しようと迫っていた。
 気づいたときには既に遅い。接触まで、もう数十秒の猶予もない。

「どうしよう……どうしたら……!」

 自宅まではまだ少し距離がある。走って辿り着くよりも、蝗害の到達のほうが早いだろう。
 周囲を見回しても、閑静な住宅街に駆け込めそうな建物は見当たらない。
 どう考えても迎撃するしか道はなく。
 ああ、そうか、だから彼は出てきたんだと、天梨はようやく理解した。

「アヴェンジャー……」
「うん? どうしたんだい?」

 なのに彼は、アヴェンジャー・シャクシャインは、天梨の背後から動こうとせず。
 あまつさえ少女の両肩に手を置いて、軽く首を傾げてみせた。
 アスファルトに長く伸びた、天梨とアヴェンジャーの重なる影。
 そこに映るアヴェンジャーの頭が横に倒れ、かかる橙色の髪が天梨の首をくすぐるように撫でる。

「君は僕に、何かしてほしいことがあるのかな……?」

 耳元で、ニタニタと嗤いながら彼は言う。

「ちゃんと言葉にしてくれないと。君は、僕に、この虫螻(パッタキ)共を、どうしてほしい?
 命令がないとほら、僕もどうすればいいか、分からないだろう?」

 相変わらず、本当に意地悪だなあと、天梨は思う。

「大丈夫、安心してよ。あれらは人間じゃない。蟲でも、サーヴァントだったとしても、一緒だ。
 君の言う"殺しちゃいけないもの"には当てはまらない。
 でも、僕はちゃんと君の言葉で聞きたいから、命令があるまで動けないな」

 それにほら、"練習"は必要だろう、と悪魔は優しげに囁く。


239 : 歩き出す脱、言念、且つ自暴論(前編) ◆l8lgec7vPQ :2024/10/29(火) 06:14:40 9EI5ki7s0

「たった一言命じるだけさ。殺せ……って。
 それだけのことだよ。君はなにも失わない。
 人を殺すわけでもない。降りかかる火の粉を払うだけ。試してみなよ、ほら」

 これは練習、慣らし、だ。
 
「…………ぁ」

 アヴェンジャーが心待ちにしている、その時。
 堕天の時、天使が人の死を願ってしまう、その時に。
 天梨が躊躇なく、その破滅の呪文を舌の上に乗せるための、慣らし。

「言ってごらん。ほら、一言でいい。『殺せ』。それだけで済む」

 ―――ぶぶぶぶぶ、ぶぶぶぶ。

「…………い……やだ……」

 目の前に迫る恐怖に、うまく息ができない。
 恐怖を打開するために、たった一言、天梨はアヴェンジャーに告げるだけでいい。
 『殺せ』と声にするだけで、彼は目の前の虫を斬り払い、瞬時に危険を取り除くだろう。
 簡単なことだ。なのに、それは致命的な破滅に続いている気がして、動けない。

 心のなかで、恐怖に負けた自分が叫ぶ。
 アヴェンジャーの言う通り、命じてしまえ。言うだけだ。
 それで何が変わる、人が死ぬわけじゃない、何も失うはずがない。

 だけど同時に、絶対に声に出してはならないと警告する自分もいた。
 一度だけ、天梨は暗い感情を吐き出してしまったことがある。

 ―――死ねばいいのに。

 誰もいない部屋の中で、行方もわからぬまま放たれた呪いの言葉。
 だけどそれを口にした瞬間の寒気、そして胸を貫くような開放感を憶えている。
 早く忘れなきゃいけないと分かっているのに、未だに消えない、感じたことのない感覚。
 天梨はそれが、なによりも恐ろしかった。

「怖いんだろ、じゃあ言えよ。言わなきゃ死んじゃうんだぜ。仕方ないじゃないか。君は悪くない」

 背後、耳元で、甘い声がする。
 喉がカラカラに乾く。
 目前には無数の漆黒の礫が、津波のごとく押し寄せる。

 あと、数秒の猶予もない。
 怖い、恐ろしい、でも嫌だ。

「言えよ」

 ―――ぶぶぶぶぶ、ぶぶぶぶ。

「言えよ、ほら」

 ――――ぶぶぶぶぶ、ぶぶぶぶぶぶ。

「言え」

 ――――ぶぶぶぶぶぶぶ、ぶぶぶぶぶぶぶぶ。

「アヴェンジャーお願い……」

「ああ、なんだい?」

 天梨は大きく息を吸い。
 ぎゅっと目を閉じて、喉も裂けんばかりに絶叫した。



「――――止めてッッッ!!!」



 刹那、覚悟していた蝗害の到達は訪れない。
 代わりに耳元で、冷めたような舌打ちが鳴った。
  
「強情なやつ……君って、本当につまらないよな」

 天梨の両肩から手が離れ。
 ため息を吐き出しながら、アヴェンジャーが抜刀する。
 固く目をつぶったまま、その刃鳴りの音を聞いていた。
 
「……? なんだ、これは」

 だから天梨はその時、彼が一体何に驚いたのかを、知ることは出来なかった。










240 : 歩き出す脱、言念、且つ自暴論(前編) ◆l8lgec7vPQ :2024/10/29(火) 06:16:58 9EI5ki7s0

 空が枯れる。
 旋回する黒の嵐が光を遮断し、小規模な夜を構築する。
 闇に塗りつぶされた病院の廊下は静まり返っている。
 いかなる魔術によるものか、パニックは訪れず、人気のない廊下に、ただ、甲高い足音だけが響く。

 かつ、かつ、かつ、と。
 堂々たる気風を纏うその歩み。
 近づいてくる人影は陽光の耐えた今、はっきりと見ることは出来ない。
 非常灯の薄緑に照らされ、輪郭だけが浮かび上がっている。

 180センチに近い高身長。
 翻る白衣の裾。
 そして、はち切れんばかりに蓄えられた全身の筋肉。
 現役ラガーマンもかくやといった図体(シルエット)が、ゆっくりと接近してくる。

 アンジェリカは己の身体が緊張を訴えていることを自覚していた。 
 心拍数が上昇し、不要な力が指先に痺れを及ぼす。
 今目の前にいる存在に、壮絶なプレッシャーを感じている。
 だが同時に、その要因が何であるかを掴みかねていた。
 単純なる魔術師としての格、危険度、いや、それだけではない。

「……………ふむ」

 廊下の中央、男の歩みが止まる。
 アンジェリカの前方、彼我の距離は10メートル。

「外の虫に内の鼠……出勤早々騒がしいことだ」

 唐突に、ぱっと廊下の蛍光灯が点灯する。
 結果として、突然闇から出現したかのように、男の容姿が浮かび上がった。

「なんの用だ小娘。私は忙しい、物見遊山なら疾く消えろ。虫ごと払う面倒が潰す面倒に勝らぬ内にだ」

 蛇杖堂寂句。人呼んでドクター・ジャック。あるいは、灰色のジャック。
 長い白髪を肩にかけた老人。
 厳しい顔に刻まれた皺から推測するに、60代程の。
 しかしその体躯は筋骨隆々の偉丈夫であり、ホムンクルスの提供した情報によると。

(もう90歳って話よね……魔術師は年いっても比較的若く見えるって言うけど、これはいくらなんでも……)

 事実ならば驚異的な身体構築(フィジカルデザイン)。
 魔的なケアと弛まぬ鍛錬の合一によって実現した、様々な意味で、男は正に魔術師だった。
 熟練、否、老練の、アンジェリカよりも遥か高みに位置する魔術師、であると、同時に――

「お初にお目にかかる。其方、この城の主であろう」

 そこで、アンジェリカが口を開くよりも先に、傍らのアーチャーが前に出た。

「まずは留守中に忍び入った非礼、謹んでお詫びする」

「…………アーチャーのサーヴァントか、分かりやすいことだ」

「いかにも、私は弓兵であり、其方が今、必要とする戦力である筈だ」

 工房の主との遭遇、蝗害の襲撃、不穏なホムンクルスの暗躍。
 アンジェリカは努めて冷静に、この状況の整理を行った。
 結果、ハッキリと言える事実が一つあるとすれば。
 現時点で最も立場の危うい陣営は自分達であるということだった。

『アンジェ、ここは私が取り持つぞ』

 従者から走る念話に心中で頷く。
 外は蝗害に包囲され脱出困難、内では敵地の城主と対面させられている。
 内と外、双方の陣営を同時に敵に回してしまってはひとたまりもない。
 よって一刻も早く、アンジェリカ達は目前の男との交渉を纏める必要があった。
 
「見ての通り、我々は外から襲ってくる虫共とはなんの関係もない。
 偶然巻き込まれただけの、つまり其方と同じ立ち場なのだ。
 我々には時間がなく、そして協力し合う余地がある。如何か?」

 そこで活きるのがアーチャーのスキル、神の選抜。
 対人交渉で大きな補正が得られる、神に選ばれし神のトーク力。
 彼の声音は耳に心地よく不思議な安心感を与え、見た目の美しさと相まって場の緊張を解きほぐす。
 適材適所。この場においてもスムーズな交渉を実現し、安全を確立する。

「…………」

 にも、関わらず、男はその声に応えない。
 それどころか、先程から一度も、アーチャーと目を合わせようともしていない。
 訝しむアンジェリカの目だけを、値踏みするように見据えて、男は重ねて告げた。

「言葉の意味が分からないかね。
 では、無能にもわかるよう丁寧に言ってやろう。
 10数える内に病院の敷地から退去しろ。さもなくば、強制的に排除するまでだ」


241 : 歩き出す脱、言念、且つ自暴論(前編) ◆l8lgec7vPQ :2024/10/29(火) 06:18:40 9EI5ki7s0

 更に続けて、アーチャーをスルーして放たれた傲慢な言動。
 外は蝗害来襲の真っ只中。出来るはずのない無茶な要求だ。
 侮られている。不快感が胸にじわりと広がるも、アンジェリカは弱みを見せない。
 冷静に、冷静に、と自分を落ち着かせる。
 そんなマスターの様子を見て軽く頷きながら、アーチャーは更に交渉を続けようとして、

「なあ、ご老人―――」

「耳がついていないのか? 私は貴様に話しているのだ、小娘。
 使い魔に頼らねば会話もままならんか。
 それとも未熟さ故にサーヴァントに洗脳でもされた木偶なのか。
 何れによ、主体性すら維持出来ぬ底抜けの無能というわけだ。なるほど、話す価値も見い出せんな」

「あんたね……」

 流石に、頭にきた。アンジェリカはアーチャーより一歩前に出る。
 なぜ会ったばかりの男に、ここまでボロクソ言われなければならないのか。
 何より、アーチャーに対する態度にこそ、ムカついた。
 どこまでも彼をコケにした、あからさまな挑発に頭に血が昇っていく。
 それをどうにか、ぐっと抑え込み、なるべくたっぷりと冷ました声で言い返した。

「なんか言いたい放題言ってくれたけど。
 そっちこそ、話しかけられてるんだから返事くらいしたら? 耳が遠いの、おじいちゃん?」

『アンジェ……』

『分かってる。ごめん。でも、ちゃんとやるから』

「――舌のよく回る使い魔とは会話するな。
 魔術師同士における交渉の鉄則も知らんのか。
 無作法を咎めるなら、第一声を従者に発させた貴様にこそ非があると知れ」

「……知らないっての、そんな勝手な作法(きまり)……!
 だったら、わたしの方からちゃんと言えば満足?
 "私達が虫退治に協力してあげる"。だからあんたも"自分の陣地を維持してみせて"。
 嫌ならあんたこそ、外と内のサーヴァント、両方からの挟み撃ちになるけど?」

 腹の探り合いもへったくれもない、強引な押し付け。
 しかしアンジェリカは自身の持てる最大限の合理的見地をもって、そのカードを提示した。
 結局交渉はここに行き着くはずだし、お互いじっくり話し合う時間も無いのだから、かまわない筈だ。

 アンジェリカとジャック。
 敵地である分、アンジェリカの方が不利であることは間違いないが、蝗害を計算に入れてしまえば、
 立場はイーブンとまではいかなくとも、協力しあう目は出てくる。
 加えてアンジェリカのサーヴァントはアーチャー。
 飛行する蝗害に取り囲まれた状況を打破するために、弓兵の飛び道具は有効。
 つまりアンジェリカ達はジャックにとって、利用価値がある筈なのだ。

「――――ク」

 一つ、嫌な含み笑いを差し込んで、ジャックは鷹揚に頷く。

「実に不細工な交渉だったが、まあいいだろう。
 ギリギリ及第点だ。貴様のアーチャーの値打ちは認めてやらんでもない」

 そして、傍らの虚空に向かって声をかけた。

「―――そういうことだ。貴様も対処に向かえ、ランサー」

 男の背後、空間が歪む。
 廊下の風景が蜃気楼のように揺らめき、中空を裂くように異形の脚部が伸び上がる。
 まずアンジェリカの目に飛び込んできたのは、目を刺すような真紅。
 真っ赤な光沢を放つ甲冑が、蛍光灯の光を反射しながら顕現する。

 3対6本の足を天井と壁に這わせ、マスターの背後で臨戦態勢をとる赤き異型。
 その展開された脚部の全長は2メートルを超えている。
 中央、本体と目される人型の少女はやや小柄で物静かな見た目であったが、
 彼女自身も赤い髪に赤い瞳、赤い槍を携えし、赤一色の不気味なワンカラー。

「よろしいのですか。と発言します」
「何がだ」
「目前の主従と協力し、蝗害の対処に当たる。で、よろしいのですか?
 という確認です。マスター・ジャック」
 
 老獪なるマスターと、異型なる少女。それは異質な組み合わせだった。
 特に目の前に現れた紅きサーヴァントはどう見ても正道の英霊ではない。
 恐らくは反英雄か、あるいはそれに準ずるイレギュラー。

「もう一つ、同盟対象への救援要請は行わないままで、よろしいのですか?」

「話を聞いていなかったのか? 私はアーチャーの価値を認めると言ったのだ。
 ―――クク。それに、この状況であの詐欺師を呼び込めと?
 貴様は相変わらず無能だな、自ら敵を増やしてどうする。
 あの男が事態を聞きつければ大喜びで我々を討ちに来るぞ。
 幸い、こうも完全包囲されていては、新手の侵入も不可能だろうがな」

「なるほど、納得いたしました。
 それでは当機構はマスターの指示通り、外敵への対応に当たります」

「分かればいい。
 アーチャー、貴様もさっさと行け。
 屋上ならば出られるよう調整してある」


242 : 歩き出す脱、言念、且つ自暴論(前編) ◆l8lgec7vPQ :2024/10/29(火) 06:19:45 9EI5ki7s0

 霊体化していくランサー。
 対して、アーチャーは動かない。
 老蛇の不遜な声を無視して、その場に立ち続けている。
 
「どうした。それとも、気が変わったか?」

 それが意趣返しであることを、アンジェリカは気づいていた。
 
「アーチャー」
「なんだ、アンジェ?」

 不遜なる男の声を、彼はもう聞かない。
 アーチャー、天若日子はサーヴァントだ。
 他ならぬ、アンジェリカ・アルロニカのサーヴァントなのだから。
 
「ありがと。もう行って、ここは大丈夫だから」
「―――承知した」

 主の命によってのみ、従者は駆ける。
 定められし戦場へと。

「すぐに戻る。必ず」

 薄れていく弓兵の姿。
 2騎の英霊が戦地へと送られた後。
 その場には二人の魔術師(マスター)だけが残された。

 冷たい空気が張り詰める病院の廊下。
 少女は、対峙する偉丈夫と向き合ったまま。
 その距離変わらず10メートル。

「―――さて、次だ」
  
「サーヴァントの援護でもするつもり?」

「いや。まだそれには及ばん。
 実に面倒だが、一つ、ここに些事が残っている」

 瞬間、男の逞しき全身に淡い光が走り抜ける。
 魔力回路が励起されているのが分かった。
 相手から見て、己も同じように見えているだろう。
 アンジェリカは自らの魔術刻印に魔力を通しながら、深い息を吸い込む。

「……ま、そうよね。そりゃそうか」

 きっと、アーチャーはこの展開まで避けようと、努力してくれたのだろう。
 交渉は最低限成功したと言っていい。
 だけど、それはやっぱり最低限だった。

 外敵(こうがい)に対抗するための協力打診。
 互いのサーヴァントを向かわせ、場の崩壊を防ぐ一案。
 合意に至った一つのライン。

 互いのサーヴァントを、互いから剥がして。
 残るマスターは仲良く談笑しながら吉報を待ちましょう。
 とは当然、ならない。これは平等な休戦協定ではないからだ。

 ジャックにとってアンジェリカは所詮、自らの陣地に侵入してきた鬱陶しい鼠である。
 その事実は、最初から何一つ変わっていないのだ。
 アンジェリカ側が"頼んで"、ほんの少し条件を聞いてもらったに過ぎない。
 結局のところ、これは外敵が迫る中、内部でのサーヴァント戦を避けましょうという提案でしかなく。
 マスター戦をしないとは、誰も言っていないのだ。
 先ほど、ジャックはこう言った。

『貴様のアーチャーの値打ちは認めてやらんでもない』

 ならばマスターの、アンジェリカ自身に対する評価は―――言うまでもない。
 これから、試されるのだ。魔術師としての関わりを通して。
 アンジェリカの嫌う、非日常の価値観をもって。
 
 相手のマスターを殺してしまえば、屋上でのサーヴァント戦に悪影響が出るだろう。
 だから手を出せない、なんて甘い目算。
 殺しさえしなければいい、魔力さえ供給できるなら、相手の手も足も千切って捨てて問題ない。
 少なくともジャックは、アンジェリカをそう出来ると考えている。
 だから今、暴君は敵の魔術師(マスター)に牙を剥く。

「摘む前に一応、聞いてはおくか」

 ジャックが一歩、また一歩、こちらに踏み出す。
 敵は簡単にアンジェリカを捻り潰せると考えている。
 格下であると、その見立ては多分、間違ってはいない。

「―――魔術師ならば名乗ってみせろ、新たに招かれた演者の一人よ。貴様は、聖杯に何を求める?」

 だから、アンジェリカの勝利条件とは、敵の予想を上回り勝利するか。
 あるいはアーチャーが戻るまで耐えきること。
 少女の手首。刻印に、光が灯る。
 いつかは消し去りたい運命の象徴、だけど今だけは必要な、それは戦う手段だった。


243 : 歩き出す脱、言念、且つ自暴論(前編) ◆l8lgec7vPQ :2024/10/29(火) 06:20:05 9EI5ki7s0


「わたしは……アンジェリカ・アルロニカ」

 その願いを口にすることを何度、躊躇っただろう。
 魔術師としては最低の願望。悲願を託した両親への裏切り。
 何度、自分を嫌いになりかけたかわからない。
 それでも、結局捨てることの出来なかったこの夢を、あの英霊は笑わなかった。
 良い夢だと言ってくれた。だから今日、アンジェリカは初めて、対峙する敵に、堂々と宣言する。

「わたしは、魔術と縁を切りたい。
 刻印を捨てて、魔術師を辞めて、普通の……自分の人生を選びたい。
 そのために、わたしは、あんたを倒して生き残る」

「―――ク」 

 案の定、老魔術師は嗤った。
 愚かな願いだと、嗤われることは分かっていた。
 だから悔しくはない。腹も立たない。
 ただ、自らの願いの為に、目の前の敵に挑むだけ。

「――――クク、ク」

 そのための、構えを取る。
 足を少し開いて立ち、両の拳を軽く握り、片側の腕を前へ。

「――――アルロニカ……その刻印……そうか」

 全魔術回路完全励起。
 魔術刻印に流し込んだ魔力は雷光に変じ。
 全身の神経伝達を急激に活性化させ、

「――――そうか貴様、オリヴィア・アルロニカの遺児か」

 踏み出す脚を強く――
 待て、今この男は、なんと言った。 

「ク―――ククク……いや、あの女の娘が……ク――そうか、そんな巫山戯た望みをもって、〈二度目〉の私の前に立つか」

 魔力に変調こそ起こさず耐えきった。
 それでもアンジェリカは少なくない衝撃に瞠目しながら、対峙する老魔術師を見る。

「あんた、お母さんを知ってるの?」

「知ってるか、だと? あの"雷光"を。
 加速思考を突き詰めた果てにある体内時計の変質。
 衛宮とは別アプローチで時間操作を究めんとした、時計塔(ロンドン)の異端だろうが」

 そんな話は初めて聞いたし、母と話したこともなかった。
 母の魔術師としての顔を、アンジェリカは深く知ろうとしてこなかった。

 だって、知りたくもなかったから。
 父の死後、研究に没頭する魔術師としての母を、どうしても好きになれなくて。
 アンジェリカ好きな母の表情は、いつだって魔術から離れた所にあった。
 晩御飯のとき、極稀の休日、ふと気を抜いた時に見せる、普通の母親としての微笑みが好きだった。

「呆れた無能だな。親の功績も知らぬとは。
 ああ……そうか、そうだったな、確かに貴様はそう言ったか。
 『魔術と縁を切りたい』、……ク、なるほど良いだろう」

 今、ジャックは先程までとは別の理由で嗤っているように見える。
 ようやく、彼はアンジェリカ・アルロニカという存在に興味を持ったのだ。
 それが良い兆候とは、どうしても思えなかったけれど。

「よかろう、どうせ外が静かになるまでの時間潰しだ」 

 老蛇の巨躯が構えを取る。
 〈はじまりの六人〉、その一人。
 蠍飼う暴君が今、アンジェリカの敵となる。

「―――来い、小娘。少し診てやろう」 



 


 ◇


244 : 歩き出す脱、言念、且つ自暴論(前編) ◆l8lgec7vPQ :2024/10/29(火) 06:21:41 9EI5ki7s0

 真昼の夜に、黒い嵐が吹き荒ぶ。
 飛来する飛蝗の軍勢はその全てが意思を持った銃弾だ。
 取り囲むハリケーン、全方位から奔る一斉掃射が出鱈目な軌道で内部の捕食対象に殺到する。

 病院施設に備えられた魔術機巧が即時反応する。
 夜間、敷地内や外壁を照らす為に備えられていた数機のサーチライトが駆動し、仕込まれた魔術を解き放つ。
 照射される光束(ルーメン)。3000℃に及ぶ熱線がぐるりと旋回し、迫る蝗害の一団を薙ぎ払う。
 更に同時、病棟の周囲に2重の結界障壁が展開され、撃ちもらした蟲の礫を尽く焼き尽くした。

 魔術師、蛇杖堂一族の技巧を結集して備えられた陣地形成。
 〈2回目〉の聖杯戦争では寂句の判断により、一族の私兵の全てが退去してしまっているものの、
 かつて彼らを指揮することで張った陣は問題なく機能する。

 それは〈1回目〉の時点で猛威を振るった強健なる戦闘要塞であった。
 同時に複数の陣営を相手取って不足なしの大規模魔術工房。
 加えて、一回目における彼のサーヴァントは弓兵(アーチャー)だったのだ。
 要塞の攻略から逃げたところで、内側から狙撃を通される。
 それは非常に凶悪な組み合わせだった。
 ノクト・サムスタンプの暗躍によって私兵全てのコントロールを奪われた後も。
 不毛な焦土作戦の応酬に移行した後も。彼が揺るがぬ優位をもって君臨し続けた理由の一つ。
 それは彼が神を貫く槍と引き換えに弓を手放した後も、泰然と聳え立ち、威光を損なっていない。

 だが、それでも、


 "―――モーター回りゃ何時でも最高"

 "―――エンジン全開、スロットルは福音の如し"

 足りない。
 神代を渡る蝗害を免れるには、まるで不足している。

 "―――na na na na na na na na na na na"

 迸る熱線も、構えられた障壁も、黒き軍勢を押し留める事はできない。
 規格外の破壊行為を実現する異型英霊。
 常識を遥かに超えた冗談じみた物量規模は、展開された攻勢防御を容易く押し切り、空中の魔力障壁に激突する。

 そして、真の異常はそこから始まるのだ。
 布を引き裂くような異音と共に結界に黒点が染み。
 焼けていく蟲たちは怯むことなく突撃を継続しながら、徐々に黒の版図を広げていく。

 おぞましい光景であった。
 生半可な宝具であれば無傷で凌ぐほどの巨大障壁が、何の捻りもない蟲の殺到に侵されている。
 シストセルカの保有スキル、神代渡り。あらゆる存在を平等に喰らう防御貫通。
 神の時代から現代に至るまで、不滅を誇る飢餓の災厄は餌の噛み応えに頓着しない。
 そして一匹でも蝗害の侵入を許せば、そこからはあっという間の捕食劇。
 蛇杖堂の一族が凝らした結界技術の妙を嘲笑うように、畑の穀物と同じ要領でブチブチと食い千切っていく。

 "―――ドライブしようぜ"

 "―――捻じくれを突っ切って進め"

 追い打ちに、とぐろ巻くハリケーンの気流に乗って、彼らの司令塔がエレキギターを掻き鳴らし。
 調子外れの旋律(ロック)を撒き散らしながら突っ込んでくる。
 放たれた蹴り込みが大きく黒点を膨張させ、いま遂に破られた障壁から内側へと、蝗害の群れが雪崩込んだ。

 "―――俺の愛、俺の愛、俺の暴風(ハリケーン)"

 その瞬間こそを、弓兵は待っていたのだ。

「―――天界弓(てんかいきゅう)」

 結界は破られる。
 しかし破るという動作が挟まるならば、的は必然的に絞られる。
 故にいま、病棟の屋上に立つ彼が敵を射止めることは、実に容易い。

「―――天之麻迦古弓(あめのまかこゆみ)」

 一射にて滅相。アーチャー、天若日子の宝具。
 天界弓・天之麻迦古弓。溜めの短さに反して、飛距離、威力、全てが凄まじい。
 漲る神威を迸らせながら放たれた一射は箒星のような軌道を描き、上方から接近していた飛蝗の一軍を薙ぎ払うに留まらず。

「―――うおわッッ!」
 
 彼らの先頭に立って突っ込んでいた司令塔の、全身すら消し飛ばしていた。
 空中で爆散する黒群れの断末魔を聞きながらも、アーチャーは表情を変えずに次の矢を番う。
 彼は理解している。当然、これで終わりではない。

「っ〜〜痛ぇなあ〜〜〜!」

 空中で黒の軍勢が纏まり、再びツナギ姿の男性像を縁取った。
 
「気持ちよく歌ってんだから邪魔すんなよ」

「いや、それは済まぬ! あまりに聴くに耐えなかったものでな!」

 対峙する、弓兵と騎兵。
 アーチャーは屋上に陣取り、襲い来る襲撃者を見上げている。
 ライダーは中空で群れを統括し、こちらを狙う守護者を見下ろしている。

「かぁ〜! ったく芸術を理解できねえ奴ばっかで嫌んなるね」

 ツナギ男の姿に、まるでダメージは見られない。
 ギターごと吹き飛んだことで一時的に演奏は止まっていたが、実際に痛みを感じているかすら疑問だった。


245 : 歩き出す脱、言念、且つ自暴論(前編) ◆l8lgec7vPQ :2024/10/29(火) 06:22:20 9EI5ki7s0

 ツナギ男のシルエットに囚われてはならない。シストセルカ・グレガリアは軍勢だ。
 司令塔のカタチを崩したところでさして意味などない。
 苦労して破壊したところで、一時的に指揮が途絶える程度の効果しかあげられないだろう。
 極単純な討伐手段を提唱するならば、無数の飛蝗、その全てを一度に叩き潰すことであり。
 それが現実的か否かは、既に論ずるまでもなく。

「てか近づいてみりゃ余計に薬くせえぞ。不味そうな重箱(べんとう)だなこりゃ」

「ふむ、だったら帰ってほしいのだがなあ……」

「ハッ、そりゃできねえ相談だ。俺もいい加減夕食にありついて、完全復活といきてえところだし。
 つーか、そもそも味とか割りとどうでもいいんだわ」

 質より量ってね。
 と、シストセルカは腕を回し、手中に集めた蟲で、今度はギターではなく、金属バットを形成する。

「じゃあ、次だ。
 凌いでみろよ。あと何発耐えられるか知らねえけどな」

 彼はバットを指揮棒のように振るい、蠢く大軍を突撃させる。
 今度は左右2方向から同時に迫りくる蝗害の奔流。
 それに対し弓兵は、瞬時に2射を放ち対応。
 舞うような軽快さで、高威力の宝具を合わせてみせる。

 更に続けて、今度は4方向からの同時襲撃。
 それもやはり、目にも止まらぬ4射による迎撃が実現する。
 各軍勢の真中に箒星が撃ち込まれ、通過した衝撃の余波だけで虫螻の一団が纏めて吹き飛ぶ。

 圧巻の威力と射撃技術。
 しかしこの次は8方向。その次はおそらく、16方向からの襲撃に至る。
 倍加していく圧力に、尚も対応しようと弓兵が新たな矢を番えようとしたとき。
 彼の耳元で、ぶぶヴと、ざらついた不穏の音が鳴った。

「――――!」

 それは忍び寄る伏兵。
 軍勢による飽和攻撃の最中、下方から紛れ込ませた別働隊。
 迂回し接近していた数十匹の飛蝗が、足元から跳ね上がるようにしてアーチャーの側頭部に踊りかかっていた。
 大軍による押し潰しを散々見せた後での、少数個体による不意打ち。

 アーチャーは見切っている。
 反応して躱すことも、叩き払うことも、彼にとっては容易だろう。
 しかし、迫りくる8方向からの軍勢を撃ち落としながら行うことは、決して容易ではない。

「―――ふむ」

 故に、彼女の援護は実際のところ、非常に有効に機能していた。
 
「なかなか出来るようだな。槍兵よ」

 紅き鎧が甲高い金属音を鳴らし、その度に虫の断末魔が響き渡る。
 3対6本の足と真紅の槍が縦横無尽に旋回し、飛来する礫の全てを叩き落とす。
 豊富な手数でもって、弓兵(ほうだい)を守護する。
 それが、この戦場における赤きランサーの役割であった。

「それほどでもありません。と、当機構は謙遜します。
 この場で有効な反撃手段を有しているのはアーチャーである貴方のみ。
 当機構は露払いに徹しているに過ぎません」

 涼し気な無表情のまま、異型の少女は弓兵の周囲を躍動する。
 槍兵の赤槍は現状、蝗害を刺すに遠い。
 ランサー、ギルタブリル。隠された名を、天蠍アンタレス。
 彼女にとってシストセルカは、あまり良い相性の敵とは言えなかった。

 スキルは有効に作用するはずだ。
 敵に報いを与えるべき傲慢は十分に確認できる。
 が、槍撃の範囲外から物量攻撃を仕掛けてくる相手では、突き刺すべき霊核を特定できない。
 そも軍勢であるシストセルカに核が存在しているどうかさえ、未だ不明なままだった。


246 : 歩き出す脱、言念、且つ自暴論(前編) ◆l8lgec7vPQ :2024/10/29(火) 06:22:35 9EI5ki7s0

 どちらかと言うと、好相性なのは今援護しているアーチャーの方だ。
 傍らから高き神性が立ち昇っているのを感じる。
 こちらであれば、天蠍の尾は深々と突き刺さり、注入する毒は致命の効力を発揮するだろう。
 敵味方が逆なら簡単だったなと、彼女は平坦な思考を維持しながら、

「気になることがあります」

「ん、どうした?」

 ちら、とランサーはアーチャーの衣服に目を向けた。

「その服、直衣と呼ばれるものと推測しますが、当機構が読んだ文献に描かれた挿絵とは随分違って見えます」 

「おお、これか? これはな、実はちょっぴり自己流に改造したのだ! 興味があるのか?」

「はい。少しだけ。英霊は自らの霊衣を改変できるものなのですか?」

「ふふふ、この戦が終わった後であれば、コツを教えてやってもよいぞ」

「分かりました。
 では当機構はほんの少しだけ、守護対象生存の重要度を上昇させます」

 絶望的な戦場、黒い雨の中、交わされる軽口。
 その最中にも、蝗害の軍勢は荒れ狂い、箒星の矢は空に昇り、赤き槍は旋回を続ける。
 放たれた矢は既に20射を超えている。
 その全てが一個軍隊を壊滅させる成果をあげ、行軍を阻み、未だ病院内へ嵐の到達を許していない。

 それでも彼等は、敵の総軍の1割すら削れていないのだった。
 現状を押し留め、タイムリミットを引き伸ばすことが精一杯。
 病院の敷地を覆うハリケーンの規模、巨壁を形成するそれは、数えるという発想を最初から放棄させてしまう。 

 顕現する悪夢のような終末の風景。
 そして襲い来る蝗害の、たった一匹でも院内への到達を許せば、それだけで彼等の敗着なのだ。
 大病院が内包する大量の患者、病院関係者達。施設そのものの魔素。
 新鮮な肉、食料を手に入れた群れは、新たなエネルギー源を手に入れた蝗害は、いよいよ手が付けられなくなる。
 そうなってしまえば、敵は数を減らすどころか更に勢力を増し、一瞬にしてすり潰されることは目に見えていた。

「なあ、あとどれくらい遊べんだ?
 いい具合に運動して、心地よく腹が減る程度には頑張ってくれよ、なあ!」

 羽音が止む気配はない。悪夢の侵攻は終わらない。
 あまりに規格外の総体規模を誇る怪物。
 針音に招かれた数々の異常個体の中ですら、彼はとびきり異端の最高級(ハイエンド)。
 誰がどう見ても明らかに、状況は絶望的だった。

「……いいや、悪いが、ここでの夕餉は諦めていただく」  

 それでも弓兵は怯まず、次の矢を握りしめる。
 厄災を打ち払い、神々すら鏖殺する矢を番える。

 今、同じように絶望的な戦いに臨んでいるであろう主(マスター)。
 アーチャーが戻ると信じて、戦い続けるいじらしい少女に、応えてやりたいと思うから。

「なるべく早く退席いただこう」

 そして、もう二度と、思いを残して消え去ることはないと、心に決めていたから。
 勇猛なる神は、迫りくる終末の大軍へと鏖殺の矢を放つ。

「此方は、人を待たせているのでな―――!」







247 : 歩き出す脱、言念、且つ自暴論(前編) ◆l8lgec7vPQ :2024/10/29(火) 06:35:16 9EI5ki7s0

 途切れなく続く防戦。刻一刻とアンジェリカの体力は削られていく。
 敵地での孤軍奮闘。状況は限りなく最悪に近い。
 今、彼女の命を繋いでいるものは敵の慢心と、もう一つ。

『―――右拳、続けて左蹴撃、後の右手刀は誘いだ、乗るな』 

 脳に直接響き渡る音声(ナビゲート)。
 ホムンクルス36号による、言葉だけの援護であった。
 廊下は静まり返っており、人の気配は無い。
 しかし彼は間違いなく、彼女の近くにいるようだった。
 アサシンの気配遮断に紛れたまま、アンジェリカに念話を送り、超感覚によって敵の動きを先読みして伝えてくる。

『次、左肘。距離を詰めて膝。
 注意しろ、後退にも限度はある。廊下の行き止まりまで残り30メートル。それまでに転身せねば敗着だ』

(あんた達ね……! ちょっとは自分で戦えっての……!)
 
 同盟相手である、ホムンクルスとアサシン。
 敵の知り得ない隠し玉。
 彼等はアンジェリカにとって、伏せたままの最後の切り札。

『申し訳ないがそれはまだ出来かねる。いま我々が強襲したところで決定打にはならない』

 しかし現状、アンジェリカの側が彼等に使われている状況になっていた。
 
『今暫く、耐え忍んでもらえると助かる。次、膝頭を狙った踏み込みが来る。気を抜くな』

「ああ―――もう―――どいつもこいつも―――ッ!」

 まったくもって、ふざけるなと言いたかった。
 唸りを上げて迫る拳を死に物狂いで回避する。
 上半身を捻るように傾け、首を捻って衝突から逃す。
 老蛇の剛腕、丸太の如き筋肉の砲弾がアンジェリカの耳元を通過し、至近距離で巻き起こる風圧と空裂の音波が脳を揺らした。
 刹那、混濁する意識。

『追撃が来る。構えを解くな』

(言われ……なく……とも……っ!)

 からのリカバリー。生まれた隙を潰すべく、脳に血を回し、回路に魔力を通し、次の一撃に間に合わせる。
 未だ歪む視界の右下、敵の白衣、その裾が跳ねた。
 蹴りが来る。
 分かっているのに回避が追いつかない。
 よって妥協案、合わせて引き上げた脚のガードに、薙ぎ払うようなミドルキックが直撃する。

「――っ〜〜〜!!!」

 引き伸ばされた時間の中で、脛を割られるような痛みを存分に味わう。
 視界が赤く明滅する。それでも、魔力の流れを止めてはならない。ここが正念場だった。
 綱渡りのようなバランス感覚でもって、地につけたままの逆足へと力点を移す。
 そうして作る脱出口。蹴られた勢いを利用して、アンジェリカは自ら後方に吹き飛んだ。

『悪くない。その調子で時間を稼げ。我々の準備が整うまで』

「……っ……くっ……!」

 床を転がるようにして強引に距離を離し、息を整える猶予を得る。
 ここまで僅か2分30秒程度の戦闘時間。
 にもかかわらずアンジェリカが受けた打撃は右肩、左脇、そして先ほどの左脛の、既に3箇所に及び、引き換えに通した攻撃はたったの一発。
 それも初撃、「好きに撃ってみろ」と宣った傲慢な挑発に応えたそれだけで。
 その一撃をもって、蛇杖堂寂句はアンジェリカの実力を冷徹に推し測っていた。

「加速させた精神に身体機能が追いついていない。
 端的に言って、鍛え方が甘いのだ。
 時計塔の魔術師にしてはマシな部類だが、しかし充分ではない」

 男は廊下の中央で汗一つかいた様子もなく。既に息を切らせた様子のアンジェリカを冷たい視線で観察している。
 反して彼の全身から立ち昇る闘気は達人のそれだ。これが齢90に至る老翁などと、やはり信じられない。
 身に纏う筋肉は飾りでは無かった。どこか機械的な機微で繰り出される技はどれも鋭く、採掘機めいた破壊力に満ちている。

「次は、少し速く撃つが、対処できなければ、別に死んでもかまわんぞ」

「―――ッ!」

 露骨な侮りに対して、少女には反論の間も、息を整える猶予も与えられない。
 出し抜けに踏み込んできた老蛇が放つ、3連携の当身技。
 定められた照準は天倒、勝掛、水月。全て人体急所を捉えた剛速の貫手。
 どれ一つ、まともに受ければ無事では済まない。れっきとした殺意が装填されている。

「集電磁制御(Electro alter)―――」

 手首に刻まれた印が強烈に発光し、その異能を発現(まわ)す。
 目にも止まらぬ死の邪手を、限界まで減速(かそく)させた体感(しこう)で見極める。

「電雷速(volt accel)―――!」

 迸る電流、走り抜けるシナプスの連動と躍動する身体。
 全力の魔術行使、極限まで鈍化させた時間進行の中、敵の拳はなお速い。
 それはアンジェリカが過去一度も経験したことのない異常事態だった。
 2倍速に跳ね上げた体感速でもってして、捌くのが精一杯のスピードと技のキレに驚愕を禁じ得ない。


248 : 歩き出す脱、言念、且つ自暴論(前編) ◆l8lgec7vPQ :2024/10/29(火) 06:38:21 9EI5ki7s0


 身体を沈めて2撃を躱し、最後の1発は腕のガードで受けながら更に退く。
 先程から致命打こそ避けているものの、反撃に転じる機会が見い出せぬまま削られ続けている。

 高速思考に身体がシンクロしていなければ十分ではない。
 ジャックの指摘は正しい。思考速度を最大限に活用した戦闘行動が実現できていない。
 時計塔の模擬戦において、それで困ることなどなかった。しかし今、強敵との命のやり取りにおいては、明確な欠点だと分かる。
 実に腹立たしい。胸がムカついて、肩が震えそうになる。アンジェリカは、この老人が気に食わないと、心から思う。
 
「下段からの攻撃予兆に対して、安易な跳躍。
 実に浅慮な動きだ。持ち前の魔術刻印の性能に胡座をかき、読み合いを疎かにするから今のような単純なフェイントに引っかかる。
 いったい時計塔では何を教えている? 未だに『魔術師に格闘技能は不要』などと宣っているようなら、やはり嘆かわしき無能の坩堝だな。
 無能が無能共を教育したところで、無能以上が生み出される日は来るまいよ」

 殺す気満々で殴りかかりながら、同時に説教じみた講釈をたれ続けるその姿勢。
 言葉の端々に滲む傲慢な態度。
 自分以外は愚者しかいないとでも言いたげな、人を見下した言動の数々。
 気に食わない、気に食わない、そして、何よりも許しがたいのが―――

「この……ば……かにして……っ!」

 いま受けた重い拳にも、なんら魔力付与は為されていない。
 ジャックは戦闘開始以後、一度として魔術を使っていないのだ。

 遂に廊下の端に到達し、進退は窮まった。
 敵は素の身体技能のみで、肉体に刻まれた老練の技のみで、魔術師としてのアンジェリカを追い詰めている。
 馬鹿げている。この老体は、老いてなお、いや老いてこその達人なのか。

 人を治す医師(たつじん)は、誰よりも人の壊し方に精通する。
 長い歴史の中で、魔術師は忘れていった。自らが魔術師である前に、人間であることを。
 だが、蛇杖堂の一族は決して忘れない。この世に魔があろうが無かろうが、臓を壊せば人は死ぬのだ。

「どうした、なにか不満か?
 魔術は嫌いなのだろう?
 お望み通り貴様の言う、"普通"の技能で相手をしてやっているのだが」

 その強敵が今、余計な加減を行っている理由など、一つしか思い浮かばない。
 嫌味で悪辣な、大上段からの挑発行為。
 老蛇の毒が、アンジェリカ・アルロニカのプライドを毀損する。

 魔術師の世界を忌避し普通の人生を望む少女に対し、敢えて魔術の通らない"技巧"のみで圧倒する行為。
 その技巧に、アンジェリカ自身は魔術回路の全力稼働に頼らなければ対処できていないという現実を突きつける。
 明らかに、意図的に示されている皮肉。
 彼に加虐の趣味があるわけではない。対敵に陥穽を突きつける、身に染み付いた癖でしかなかった。
 技術面だけでなく心理面ですら、意識することもなく、彼にはそれが出来てしまう。

「貴様は何故、魔術師を嫌う?」
 
「なぜって――そんなの――」

 生まれた頃から、バトンの中継者でしかないから。
 一代では成し遂げられぬ使命のために用意されたランナー。
 そのくせ生涯、ゴールには至ることがないという、アンジェリカに定められた、くそったれな運命。
 
「……クク、そうか。
 では貴様の望む"普通の人生"とは何を指す?」

「それは……魔術とは関わりのない……」

「論点が違う。魔術のない貴様の"普通の人生"とやらには、他の願いを鏖殺してまで成すべき何が在るのだと聞いている」

「――――」
 
 その陥穽に、何故気づかなかったのだろう。
 
「魔術師など、その多くの存在がくだらない、無能共の集まりだ。
 根源到達を目標に生きるなど馬鹿げている。その点については私も同意してやろう。
 だが、貴様の認識とは全く別の理由だ」

 魔術師から降りても人生は続いていく。
 
「それが叶わないからではない。
 今も昔も、根源の到達など、私にとっては手段でしかない。
 目的に至るための通過点。幾つか在る選択肢の一つに過ぎん。
 手段を目的とする者など、等しく"無能"だ。誰の話か分かるか、小娘」

 アンジェリカは今、降りることを目的としている。
 降りてまで成し遂げたい何か、選びたい自らの人生。
 そうまでして、何がしたい。欠けていたのはその視座。
 あるいは、それを見つける、物語。


249 : 歩き出す脱、言念、且つ自暴論(前編) ◆l8lgec7vPQ :2024/10/29(火) 06:38:54 9EI5ki7s0

「根源にたどり着けない中継者?
 だったらいま、貴様が参加している儀式はなんだ?
 貴様の一族の凡俗な悲願を叶えるならば、勝ち抜いて聖杯に願えば良い筈だろう」

 その通り。たどり着けないはずのゴールは存在した。

「だが、貴様はそれを望まなかった」

 それでもアンジェリカ・アルロニカは、自らの願いを之と定めた。
 なぜか、それは―――

「縁を切りたいのは魔術ではなく、魔術師で在ることを望む遺志だろう。
 貴様は普通の人間ではない。
 だが魔術師にもなりきれぬ半端者。
 たわけが、魔術師を辞めたい、などと、魔術師になってからほざくがいい」

 今、アンジェリカはやっとわかった。
 ずっと感じていた、老蛇に対する嫌悪感。不快感の理由。  
 眼の前で魔術師を語るこの男こそ、あまりにも魔術師の類型に反している。

 蛇杖堂の長。
 医師(ひと)と魔術師。本来、両立不能な筈の2つの道を、傲慢にも邁進する暴君。
 ある意味ではアンジェリカの懊悩に対する、一つの答えだったのかもしれない、その姿。

 そうして確信する。
 アンジェリカ・アルロニカは、この男を倒さなければならない。
 自らの願いの証明のために。
 だが、今はまだ、

「故に貴様は無能なのだ。
 "奴"が新たに呼んだ星の中でも、躍進の余地のある者は限られている。
 貴様は器ではない。せめて本物の恐怖を知らぬまま、正常なまま逝ける幸運を噛みしめろ」

 現実問題として力が足りない。
 迫る老蛇、唸る拳、躱しきれない。
 目前の脅威に、アンジェリカは痛む脚に力を込めて。

『―――生きたいか? アンジェリカ・アルロニカ。

 ―――生存を望むなら、後方に手を翳せ』

 開示される伏せ札。
 その念話を聞くと同時、仰向けに倒れるように自ら床に身を投げ出した。
 鼻先を通過する敵の拳。伸ばした指先に触れる、冷たくて硬い瓶の感触。
 ガラス越しに合わされる、赤子の小さな手のひら、そして―――

『―――【同調/調律(tuning)】』
  
 脳天からつま先まで、落雷に貫かれたような衝撃が走る。
 瞬間、アンジェリカの全てが整っていた。
 回路の繋ぎ目が舗装され、最適化が為されていく。

「―――貴様」

 そして放たれるカウンター。
 雷速で跳ね上がるアンジェリカの足刀は紫電を湛え、老魔術師の右脇腹に命中し数歩後ろに下がらせる。
 未だかつてない魔力流のコントロールでもって、この戦闘が始まって以来、初めての反撃を成し遂げていた。

『―――良い時間稼ぎだった。それでは我々も参戦しよう』

 吹き飛ぶ病室のドア。
 ロックされていたそれらが一斉に開放され、瞬く間に静寂が破壊される。

 遮音の魔術がかけられていた壁や戸を打ち破り、吐き出される大量の人の列。
 患者、看護師、医師。
 病室やナースステーションに押し込められるように保護されていた者たちが、一斉に開放されたのだ。

「―――なんだ、なにが起こって――!」

「虫―――窓に虫―――!」

「先生―――■■さんの様態が―――!」

 先程までの静けさが嘘のように、巻き起こる騒乱。
 院内の至るところから湧き上がる狂奔の気配。
 そして、それは今、

「……蛇杖堂……院長……?」

 老魔術師の背後にも、唐突に現れ。

「一体、何が起こっているんですか!? 外が暗くなったと思ったら、急に病室から出られなくなって、それでわ―――バ―――ぁ!」

 その若い医師は、男の放った裏拳の一撃で呆気なく昏倒した。
 床に倒れた拍子に、手に持っていた凶器(メス)が跳ね、廊下を滑っていく。


250 : 歩き出す脱、言念、且つ自暴論(前編) ◆l8lgec7vPQ :2024/10/29(火) 06:39:42 9EI5ki7s0

 衝突音が連鎖する。今、倒れたのは一人ではなかった。
 注射器を握りしめた看護師が、折り重なるようにして崩れ落ちる。
 続けて、点滴のスタンドで殴りつけようとした患者が吹き飛んでいく。

「憶えのある光景だな。なるほど確かに、そういった事態も想定して然るべきか」

 殺到する、院内全ての医師、看護師、患者たち。
 その行き先は全て、一人の男。病院の主、蛇杖堂寂句へと。
 手に凶器を携え、無謀にも突貫する。

「悪趣味なんだけど。これ、あんたの仕業?」

『いかにも。施設内の結界を一部損壊させ、一般人を開放した』

 身を屈めたアンジェリカの隣に立つ看護師。
 その腕の中にホムンクルスの浸る瓶が抱えられていた。

 無関係な市民を催眠によって尖兵に変える、継代のハサンの宝具。
『奇想誘惑(ザバーニーヤ)』は一般人が多く存在する場でこそ、機能を十全に発揮する。
 病院というフィールドは、正にお誂え向きの施設だった。
 
「……そうか、貴様が来たか。ホムンクルス」

 ホムンクルス36号の本格介入。一対一の戦いが終わり、開始される乱戦。
 パニック映画のように混沌とした環境で、老魔術師は全く揺るがない。
 迫りくる病院関係者を次々と打ち倒しながら、数メートル前方のアンジェリカと、その傍らに視線を投げる。

「ガーンドレッドの無能共はどうした?」

『彼等は既に役割を終えた』

「―――ク、貴様、自ら脳幹を切除したのか?
 たとえ不出来な脳だろうが、貴様は誰かに使われてこそ、活きる道具だったろうに。
 嘆かわしい話だ。まさしく考える脳を失った入れ物に何ができる?」

 旧知の仲らしき会話、というにはあまりに温度が低すぎる。
 互いに互いを容認できない。
 それは不倶戴天の者が衝突する際に発せられる摩擦音。

「挙げ句、不用意にも私の目にアサシンの宝具を晒し、自らの姿を晒すとは。
 掴んだ幸運を溝に捨てたな。
 所詮不出来な生命、一度死んだところで不出来ということか」

『ぬかせ、蛇杖堂。
 お前とて、私がアサシンを晒したことの意味を理解しているはずだ。
 蛇の牙城は今日、ここで崩れる』 

「かもしれんな。しかし代金は置いていけ。貴様のことだ、生きて出られぬ覚悟はしてきたのだろう?」

 迸る殺意が、老魔術師とホムンクルスとの間で衝突する。
 直後、ジャックの背後から、手術着の患者と、オペ着の外科医が肩を並べて襲いかかった。
 しかし一呼吸の間もなく、打ち上がった上段回し蹴りが彼等の顎を砕き散らす。

「ちょっと……」

 ホムンクルスのやり口も、正直、アンジェリカには容認できていない。
 しかし今はそれよりも、一切の躊躇なく患者を叩きのめす白衣の姿に呆れ果てていた。

「あんた、さ……医者なのよね……?」

 このとき、アンジェリカが溢した言葉。
 それはやはり、彼にとっては非常にズレた質問だったのだろう。

「……そうだが?」

 男は医師であり、同時に、魔術師でもあるだから。

「それがどうした?」

 暴君は傲慢に、人を治し、人を壊せる。

  





251 : 歩き出す脱、言念、且つ自暴論(後編) ◆l8lgec7vPQ :2024/10/29(火) 06:41:39 9EI5ki7s0


 放たれた矢の数はもはや数え切れず。
 撃ち落とした虫の数など最初から数えてもいない。
 打ち上がる矢は幾度となく蝗害の群れを引き裂き、司令塔と見られる男の身体を損壊させている。

「思ったより粘るじゃねえか。いい具合に腹も減ったぜ」 

 結果として、与えたダメージは微小。
 蝗害の総軍規模にさしたる変化は見られない。
 病院を取り囲む飛蝗の大軍は勢いを減じる気配もない。

 しかし永遠のように感じられた防衛戦にも終わりが見え始めた。
 アーチャー、天若日子は潮目の変化を感じ取る。
 外ではなく内の、彼のマスター、アンジェリカ・アルロニカの戦場にて、今何かが起こっている。

 魔力のパスを通じて感じ取る、主の微細な変化。
 果たして吉兆なのか、凶兆なのかは分からなかったが。
 このまま消耗戦を続けても、未来がないことはわかっていた。

 現状、彼等は利用されている立場にある。
 眼の前の蝗害、病院を支配する老魔術師、あるいはホムンクルス。
 どの思惑に従っても、アーチャーとアンジェリカにとって、良き未来を得ることはできないだろう。
 もっとも立場を危うくする彼らは、見定める必要があった。自らの勝利条件、その根幹を。

(第2宝具であれば、虫どもの壁を破ることは可能か……?)

 対神宝具、『害滅一矢・天羽々矢』。
 アーチャーの最大火力を発揮可能なそれであれば、蝗害にまともな損害を与えることはできる。
 殲滅にこそ至らなくとも、病院を取り囲む黒き旋風に風穴を開け、アンジェリカを連れて脱出することも不可能ではないはずだ。

(しかし、それには……)

 近くで飛びかかる虫達を撃退している赤きランサーと目が合う。
 アーチャーを護衛する彼女は、事実上の目付け役を兼ねていた。
 病院を見捨て、マスターを連れての脱出に踏み切れば、仮初の協力関係は一瞬して破綻する。
 第2宝具発動にはそれなりの溜めも発生するため、意図を見透かされてしまえば危険に陥るのはこちらの方。

 彼女を敵に回してでも、動くべきか。機を見るべきか。
 タイミングは分かっている。
 高ランクの千里眼を有するアーチャーには、その未来が見えていた。
 だが訪れる機会を如何に使うかは、彼と、彼のマスターにかかっている。


「……………おっと、そろそろか?」

 
 シストセルカが声に喜色が混じる。
 ピシ、と。アーチャーの足元から、悲鳴のような金属音が生じた。
 それは遠くない未来に予見していた事態。

(時が来たか……しかし……)

 彼等が選択を迫られる、動くべき、否、動くほかない機会の筈だった。
 しかし今、アーチャーは心中で警戒を強める。

(これは私の読みより相当早いぞ……何か、良からぬ企てがあるな……)

 やはり施設の内部で、何かがあったとしか考えられない。
 不確かの到来に、決断を迫られた彼の足元で今。

 一匹の虫が侵食する。
 遂に、外壁の結界が崩壊し、最終防衛ラインが突破されたのだ。

「―――ありつかせて頂くぜ」

 蝗害の顎が、王手をかけた。
 ここに対峙した陣営は、それぞれの決断を提示する。
 巻き込まれた彼女らもまた―― 

「佳境だな。準備はよいか、アンジェ」








252 : 歩き出す脱、言念、且つ自暴論(後編) ◆l8lgec7vPQ :2024/10/29(火) 06:42:50 9EI5ki7s0

 2度開催された聖杯戦争。
 その〈1回目〉と〈2回目〉の違い。
 大きな変化の一つとして、従者の召喚条件の差異がある。

 2回目において、〈はじまりの六人〉も、新たに集められた演者達も、全て平等な条件によって行われた召喚。
 自らの運命に任せたアトランダム。
 そこに針音の仮想東京が許容する霊基のイレギュラー性も相まって、様々な混沌や特異個体が現れた。
 いま、病院を襲う蝗害もその一つ。

 しかし1回目の時点ではそうではなかった。
 土壌の特異性は抑えられ、聖杯戦争の秩序と手順が存在していた。
 つまり、そうであるが故に、1回目でなけれは出来なかったこともある。

 たとえば、触媒を利用したサーヴァント召喚。
 狙ったサーヴァントを引き当てるという行為。

 ノクト・サムスタンプが自らにとって最適のアサシンを選び抜いたように。
 蛇杖堂寂句が構えた要塞から狙撃を放つアーチャーを登用したように。
 ガーンドレッドの魔術師が、爆弾となるバーサーカーを構築したように。
 
 この点は2つの聖杯戦争における大きな差異であると、ホムンクルス36号――ミロクは考えている。
 そしてもう一つの差異。
 事前に土壌に根ざした工房を準備できるという、1度目の強み。
 それをそのまま引き継いでいるという意味で、蛇杖堂寂句の優位は絶対的であった。
 必ず、早期に手を打たなければならない。

 結果として、彼等はここに対峙し、その時点で、ホムンクルス36号は勝利している。
 以前の彼であれば、自らの生死に頓着なく、ひたむきに一人の少女の勝利だけを望んだ彼であれば、この時点で勝っていた。
 しかし、今の彼の勝利条件は、以前とは少し違っている。

 故に――

『次の連携打撃は2連と見せかけた5連構成。腕の動きに惑わされず、足元の警戒を怠るな』

 ミロクはアンジェリカ・アルロニカの支援を継続する。
 自らの特性を存分に活かし、彼女の戦線を維持し続ける。

「あんた……わたしに、なにしたのよ……!」

 少女と白衣の偉丈夫との交戦は続いている。
 アンジェリカの声音には困惑が含まれていたが、その動きは先ほど迄とは明らかに変わっていた。
 電光の身体強化、動きのキレが急激に上昇している。
 加速思考に運動量が追いつき始めた。つまり、ジャックの指摘した弱点が改善されつつある。

『それほど特別な事はしていない。君の回路を少し整えただけだ』

 確かに彼は特別な力を与えたわけでも、魔力付与(エンチャント)による外的強化を行ったわけですらなかった。
 これは全て、アンジェリカ・アルロニカが元々備えていた才覚によるもの。
 彼に無いものを与える力はない。そもそも彼には周囲を援護する為の魔力保有量がないのだから。
 ただし彼は、魔術師として最高の分析力と感覚器を備えたホムンクルスは、魔術回路を操ることに関しては"自他の区別なく"超抜の技術を持つ。

 魔術回路の調整。
 才ある者にとっては転機と成りうる精密技巧。

 それは彼を創造したガーンドレッドすら、意図していなかった隠されし才覚。
 かつて爆弾の信管、3人の魔術師の魔力をサーヴァントに置換する変換器であった彼の、調整機器(チューナー)としての副次機能。
 彼の手管によって今、アンジェリカ・アルロニカは、その才能を数段飛ばして開花させたのだ。

「そんな勝手に……!」

 アンジェリカの文句は戦闘の打撃音にかき消される。
 急激な能力上昇を持ってしても、今の彼女には余裕がなかった。
 対敵の脅威は未だに最高値を維持している。

 超高速で打撃技の応酬を継続する二人の魔術師。
 同時並行で片側、老魔術師には多数の尖兵が襲いかかっていた。
 アンジェリカの相手をしながら、『奇想誘惑(ザバーニーヤ)』によって操られた者たちを蹴散らし続ける。 
 やはりこの場で最も恐るべしは蛇杖堂寂句、暴君は未だにその実力の底を見せていない。

 飛来する剛腕の当身を躱し、アンジェリカが反撃のミドルキックを撃ち込む。
 それを受けた蛇手が少女のブーツを掴み、極め技に移行。
 すかさず靴底から雷撃が放たれ、男の腕を弾くも隙を潰しきれてはいない。
 危険域から身体を逃がそうとするアンジェリカに襲いかかる追撃、させじと割って入るアサシンの尖兵達。


253 : 歩き出す脱、言念、且つ自暴論(後編) ◆l8lgec7vPQ :2024/10/29(火) 06:43:27 9EI5ki7s0

 まさに大混戦。
 継続される戦闘。
 吹き飛んでいく患者達を横目に、アンジェリカはふと、状況の奇妙さに空を仰ぎそうになる。

『身体強化のコントロールが不十分だ。攻撃に用いる電撃と防御に用いる電撃、バランスよく使い分けろ。
 頭から手先、足先、均等に魔力を回すイメージを持つことだ』

 脳裏に響き渡る。
 ホムンクルスの淡々とした指摘。

「踏み込みが甘いな小娘。少しばかり動きがマシになった途端に体力切れか。
 先程から蹴り技ばかりで単調に尽きる。格闘戦で癖を読まれることは即ち、敗着と同義と知れ」

 耳朶に突き刺さる。
 蛇杖堂の突き放すような説教。

 なんなのだろう、この状況は。
 期せずして、まるで修行でもつけられているかのようだった。
 敵も味方も容赦などない。紛れもない命のやり取りの渦中にありながら。

「あんたたち―――」

 ここにいるのは、最高峰の魔術講師と、最高峰の技術講師。
 最高の鬼教官たちに囲まれて、少女は急激な飛躍を成し遂げる。

「ほんと、最悪―――!」

 ああ、ふざけるなと言いたい。
 これは〈はじまりの六人〉、その二人が繰り広げた闘争。
 亡霊共の板挟み。その中央にて、巻き込まれた少女は今、一人静かにキレていた。
 
 そうして、永遠に感じられた数分の先。
 遂に、戦況が動く。
 最初のドミノを倒したのはやはり、この戦場の絵を描いた張本人。
 忠誠の示した一手が、無敵の暴君に王手をかけた。

『―――大将、いいんだな?』

『ああ、やってくれ。アサシン』

 どこか、遠くで響き渡る、致命的な破壊音。
 施設内部から齎される、結界の崩壊。
 病院内にて、障壁結界を維持するために仕込まれた楔と要石。
 その全てを破壊して回っていたアサシンがたった今、最後に残された防波堤を踏み砕き。

 ぱりん、と。
 軽い音と共に、ジャックの足元に黒い礫が落下した。

 病院の長い廊下の中央部。
 外と内を隔てる窓ガラスに、こぶし大の穴が空いている。

 その場にいた全員の動きが静止する。
 ジャック、アンジェリカ、ミロク、操られたままの患者達。 
 全員が動きを止め、床に落ちた塊を注視していた。

 ―――きち。

 そして小さく、鋭く鳴る。
 虫の音。
 蝗害、土地喰らいの軍勢、決して通してはならない一匹の侵入。

 ―――き、ち、ちちち、ぎぎぎ、が、が。

 少しずつ、声に変わる音。
 こじ開けられる陣地の守り。

「―――が、ぎぎ、ぎ、あ、ああーあ、あ、あ、あ―――よお、聞こえてるか、爺さん?」

 虫の一匹。
 シストセルカの声を伝える振動。
 それは、老魔術師へと、遅まきの宣戦布告を執り行う。

「イリスからの伝言だ。

 『存分に死ね、老害(クソジジイ)。その性根に相応しく、蟲の糞にでも転生しろ』

 ―――だとよ」

 一斉に爆裂する廊下の窓ガラス。
 殺到する黒き嵐。 
 貪り食われる患者達、削り取られるコンクリートの壁、破壊し尽くされる地盤の全て。

 遂に訪れた盤面崩壊。
 阿鼻叫喚の地獄が顕現し、ここに長く続いた一連の騒動の、最終局面が訪れた。








254 : 歩き出す脱、言念、且つ自暴論(後編) ◆l8lgec7vPQ :2024/10/29(火) 06:45:05 9EI5ki7s0

 蛇杖堂寂句は自らが天才であることを知っている。
 彼は若い頃から魔術においても医術においても優れた技量を発揮し、他者に遅れを取った事など一度もない。

 しかし彼は、世の中には己以上の才覚が存在することを知っている。
 生まれつき定められたスペックの最大値で測るなら、その上限にはキリがない。

 しかし彼はそういった才に溢れた者達の中に、己より優れた能力を持った存在を見出すことは殆ど無かった。
 彼等は決まって、ある一つの重要な素養を欠いている。
 即ち、自らの豊かな才の本質を見極め、引き上げる頭脳の欠如。才があったとて能のない、無能だ。
 才と、才を伸ばす能、兼ね揃えた真の天才はほんの一握り。
 
 蛇杖堂寂句は、自らが本物の天才であることを知っている。
 そして今は、本物の天才ですら、破綻するほどの畏怖を知っている。

「侮られたものだな」

 そして彼は、知り得た全てに手を打つ事ができる。
 
「蝗害。仮想の東京を貪り、私の工房を喰える程に総体を肥やした災厄の乗り手か」

 吹き荒ぶ黒嵐を前に。
 伸ばした白衣の両袖口から、銀の光沢を放つ長細い装置が滑り出る。

「ガーンドレッドの置き土産。
 無能なりに考えたわけか、私の目を虫と鼠に向けさせ、貴様の存在と狙いを秘匿する。
 なるほど、結界を崩した手際については、少しばかり評価してやらんでもない……が」

 両手に掴んだそれは何の変哲もない、高圧ガス運動によって作用するアルミ製のスプレー缶だった。

「それで? 貴様らは私が、コレになんの対策も講じていないと思ったのか?」

 既知の悪意など、彼の脅威には成り得ない。
 ノズルから噴射される微粒子が瞬く間に廊下の空気を飲み込んでいく。
 噴霧に触れた飛蝗の全てが床に落ち、みるみる内に全身を白く染められ、悶え苦しみながら動きを止める。

 対害虫特効礼装。
 作成のために今回、彼が主として使用した原料は下記の2つ。

 まず、1つ目。高実島除虫菊。
 現在は輸入に頼る殺虫の花。
 シロバナムシヨケギクに代表される天然の殺虫成分(ピレトリン)。
 これを取り寄せるにおいて、寂句は本場地中海よりも寧ろ国内産であることに拘った。
 第二次世界大戦以前、日本が世界一の生産国であったその花。
 なかでも、高実の菊畑はかつて島を真白に染め上げるほど見事なものだったという。

 高齢化によって過疎化の進むその島に、現在も隠れ潜む魔術師の一族。
 希少な技術を細々と伝える彼等が、ほんの僅かな種だけを継承する特製の魔花。
 即ち、虫害の魔を滅する為の製粉である。

 そして、もう一つ、昆虫病原糸状菌。
 昆虫に襲いかかる自然界のカビ病。
 中でもこれは、飛蝗を狙い撃ちする為の白きょう菌である。
 先ほど説明した製粉によって霊的な強度を確保した後、飛蝗を落とすための指向性を得るべくブレンドした。

 そうして完成した殺虫剤。
 彼に出来ぬ訳が無い。
 蝗害という情報を与えてしまっては。
 そして、一ヶ月という準備期間を与えてしまっては。
 
 虫害との戦い。
 それは人類の歩みとほぼ同義。
 人が自然の中で稲を植えたその日から始まった。
 長い長い、終わることのない戦いの歴史。
 魔術と科学、双方の技術を知る男が備えた、蝗害への対策。

「―――貴様こそ、愚かな魔女に伝えておけ」

 足元で悶え苦しむ飛蝗を踏み潰し、寂句は白衣を脱ぎ捨てた。

「少しは成長してみせろ。
 今日、貴様に比べれば、ホムンクルスの方がよっぽどマシな成果をあげたぞ」

 顕になる、白衣の内側、灰色のタクティカルスーツ。
 その全身には、先程の殺虫剤が大量に装着されていた。
 空になったスプレー缶を投げ捨て、新たな2本を手に取ると同時。
 頭上、院内全てのスプリンクラーから同様の成分が散布され始める。

「以上だ。反論があるなら、次は自分で言いに来い」

 白煙で院内が満たされていく。
 飛蝗との短いやり取りを終わらせた彼の、視線の先、未だ残された演者が立つ。

 アンジェリカ・アルロニカ。
 ホムンクルス36号/ミロク。
 彼等の分岐点がここに在る。




255 : 歩き出す脱、言念、且つ自暴論(後編) ◆l8lgec7vPQ :2024/10/29(火) 06:47:43 9EI5ki7s0

『では、手筈通りに頼む』
  
 ホムンクルスの姿が薄れて消えていく。
 アサシンの気配遮断によって患者達に紛れ、狂乱する院内に溶け込んでいく。

 その場に残されたアンジェリカも、姿を消したミロクも、状況に差異はない。
 結局のところ、彼等はここから逃げられない。

 ホムンクルスの目的が、蛇杖堂の工房を破壊する事だったことは明らかだ。
 第ニ目標として城主の殺害まで視野に入れ、彼は暗躍を続けていた。

 結果、第一目標は達成されたと言っていい。
 しかし第ニ目標の実現は、今や極めて難しくなっている。
 工房の備えを破壊し、蝗害の侵入を実現した。彼等は城塞崩しに成功したのだ。
 一方、対虫害礼装の白煙に満たされていく院内は、もうすぐ黒嵐の手が及ばなくなってしまう。
 蝗害を利用した殺害計画が頓挫した以上、第一目標の達成のみを成果として撤退するべき。
 
 そうなると状況は逆転する。
 ホムンクルスもまた、狩るものから狩られるものへ。
 外に逃げれば蝗害の顎、内に残れば蛇の牙の餌食だ。

「待たせたな、アンジェ」

「うん、おかえり。アーチャー」

 欲するは状況を打開する突破口。
 其の為に用意した役者がここに。
 
 悪あがきのように、蝗害が最後の突貫を試みる。
 院内が完全に白煙で満たされ、手がつけられなくなる前に。
 城主のいるフロアを爆撃せんと、うねりながら向かってくる。

「散らすぞ」

「うん、なんとなくあの虫は気に入らないし。
 思いっきり撃っていいよ、アーチャー」 

 そこに、屋上の防衛戦を終え、帰還した弓兵が矢を番える。
 すぐに赤き槍兵も追ってくるだろう。
 その前に、彼等は行動する必要があった。
 
「では、神威の片鱗をお見せしよう」

 拡散する鳴響と突風。 
『害滅一矢・天羽々矢(がいめついっし・あめのはばや)』。
 害意を貫く剛の一射。その限定開放。
 病棟の窓と壁を抉り取りながら放たれたそれは、立ちはだかる黒旋風の一面に風穴を開け、地に再び茜色の日差しを取り戻した。

『ご苦労だった。ここから先は我々に任せてもらおう』

 呼応して動き出すホムンクルスの陣営。
 先程の一射で吹き飛んだ壁の向こう、院外の敷地に飛び出していく患者達。
 蟲の立ち入れぬ院内、安全圏から自ら身を晒した哀れな彼等の末路は明らかだった。

 響き渡る悲鳴と咀嚼音。
 未だ催眠状態にある手駒の全てをもって、継代のハサンは道を作る。

 囮として大量の患者がエントランスから吐き出され、貪り食われていく。
 血に染まる病院の敷地、その中央に完成する一本の通り道。
 折り重なる肉のトンネル。
 旋風に開いた穴に繋がる、大量殺戮の上に成り立つ、唯一の脱出口。

『道は長く保たない。すぐに其方も続け』

 端的な言葉を最後に、念話が途切れた。
 ホムンクルスとアサシンは、既に外に逃げてしまったのだろう。
 しかしアンジェリカはその場を動かぬまま。


256 : 歩き出す脱、言念、且つ自暴論(後編) ◆l8lgec7vPQ :2024/10/29(火) 06:52:23 9EI5ki7s0

 少女の背後。
 果たしてそこに、もう一つ、選択肢は存在した。

 アンジェリカ・アルロニカが生き残る道は2つ。
 一つは今、ホムンクルスが提示した脱出口を抜け、蝗害を突破して逃げ延びる道。
 もう一つは、安全圏となった院内に留まる道。つまり、

「あのさ、アーチャー」

 背後、廊下の先、未だそこに立つ男を―――

「いま、わたしが考えてること、バカだって思う?」

 蛇杖堂寂句を打倒する。その選択肢。

「言ったはずだぞ。私はアンジェの意思を尊重するとな」

 どちらが正しいか。
 そんな事は論ずるまでもない。
 
 ここまで必死に戦い抜いて、やっとたどり着いた出口が目の前にあって、何故使わない。
 合理的な判断ができる者なら分かるはずだ。
 どちらが正しく、どちらが愚者の判断であるか。
 そんな事は、アンジェリカだって分かっている。

「ごめんね。わたし、あめわかのこと言えないよね。だってわたしも――」

 無関係な一般人を虫に食わせて作られた道。
 犠牲者の血と肉で舗装された、もっとも論理的な選択肢。
 冷静な魔術師なら何一つ迷わず選ぶことができる、その正解を。

「気に食わないから」

 少女は蹴った。
 いま、選んでいるのだと分かったから。
 正面には、魔術師としての正しき道。

 そして背後に存在する。
 なんとも過酷な、生きる希望が1%もあるか分からない、不正解。
 それでも、アンジェリカの唯一納得できる、人としての道ならば。

「アーチャーはランサーを抑えて」

「承知した」

 少女はゆっくりと振り返る。
 廊下の先、立ちはだかる一人の魔術師。
 蠍飼う暴君。
 
 勝ち目のない大敵に向かって、駆け出していく。
 あの男は問うた。魔術師を辞めて何をしたいのかと。
 その視座が欠けていると。

「しょうがないから、最後まできっちり相手してあげる。嫌味ジジイ」

 背後で塞がっていく蝗害の風穴、崩壊していく血と肉の道。 
 もう取り返しはつかない。
 だけど少なくとも、そんな道を歩んだ先に、アンジェリカのやりたいことは、ないのだと。
 それだけは、分かっていたから。

「それに―――さっき好き放題言ってくれたお返しだって、まだ出来ていんだから―――!」



 ◇


257 : 歩き出す脱、言念、且つ自暴論(後編) ◆l8lgec7vPQ :2024/10/29(火) 07:00:13 9EI5ki7s0

 訪れた決着は、実に静かなものだった。

「まさか戻って来るとはな。
 正直言って、少し驚いたぞ。貴様、ここまで愚かだったか」

「うるさい……自分でもわかってるっての」

 雷光纏う少女の拳を受け止める、老人の胸筋。
 しかし、そこに一切のダメージは見られない。
 
「あんた、さ。
 わたしのこと、魔術師じゃないって言ったっけ?」

「ああ、貴様にはその素養も適正も感じられん。
 いくら才覚があったところで。
 せいぜい魔術使いの端くれが似合いだろう」

「―――そ、ありがと。
 "お前は魔術師じゃない"。
 なんて、わたしにとっては最大の褒め言葉かもね」

「貴様の解釈など、どうでもよいわ」

 ――違うぞ……アンジェ、それは……。
 ――覚悟ではなく、諦めではないのか?

 あの時きっと、従者は、そう言おうとしたのではないか。

「……でもやっぱり、わたしはまだ、魔術師なんだと思う。
 わたしがわたしを……ごほっ……そう認めてしまう以上……きっと……」

 どさりと、少女の身体が崩れ落ち、男の足元に転がった。
 廊下の床に、血溜まりが広がっていく。
 この交錯において、男は少女に何もしていない。

「その傷で私に挑むとはな。
 既に相当の出血だ。数時間と保つまい」

 つまり、怪我は衝突の以前からあったことになる。
 少女の脇腹から血と一緒にこぼれ落ちる、飛蝗の死骸。
 それは黒嵐が院内に突入した際、少女の身体に食いついた個体だった。

「蛮勇、無謀、いや殆ど自殺だな。貴様は恐れを知らぬつもりだろうが……」

「あ、でも、それは否定しとく」
 
 仰向けに倒れたまま、少女の眼が、男の眼を捉える。

「本当に怖いものを、わたし、知ってるから」


258 : 歩き出す脱、言念、且つ自暴論(後編) ◆l8lgec7vPQ :2024/10/29(火) 07:05:05 9EI5ki7s0


 徐々に輝きを減じていく少女の目には、しかして今も白光が残っている。
 あの夜、見てしまった、あり得ざる太陽。

 魔術と同じように、知ってしまえば、知る前には戻れない呪いのような輝き。
 焼き付けられた刻印のように、それは今も瞳で燻り、消えない。

「だからわたし、あんたなんて怖くないよ」

 少女は意識を失う寸前。
 男の眼の中に、よく似た輝きを見た気がした。

「ねえ、あんたは、何がそんなに怖いの……?」

 それきり少女は瞼を閉じた。


「そうか――クク、そうか、貴様……もうすでに焼かれていたわけか」


 見たところ、血を流す少女は重傷だ。内臓が物理的な破壊と、魔術的な呪いの合わせ技によって損傷している。
 世界的な名医であっても、一流の治療術師あっても、その命を救う事は難しいだろう。
 ほんの一握りの天才。医術と魔術を双方極めた、天才の中の天才でしか不可能な外科手術を試すしか無い。
 そんな、貴重な被検体(しょうれい)であるならば。

 周囲を見渡せば、静まり返った廊下に、動く影は2つきり。
 男を守護する赤いランサーと、それに対峙するアーチャー。

 2騎の視線が彼に刺さる。
 それらが何かを発する前に、男は端的に告げた。

「すぐに執刀する、退け」 

 少女を抱えあげ、周囲の医師に指示を飛ばし始めた老医師に、彼等は一拍遅れて声を上げた。

「どういうつもりだ? 敵を助けようというのか」

「マスター・ジャック。
 その少女は敵対する魔術師の一人であると、当機構は認識しているのですが」

 その時彼らが発した言葉。
 やはり、彼にとっては非常にズレた質問だったのだろう。


「……そうだが?」


 男は魔術師であり、同時に、やはり医師でもあるだから。


「それがどうした?」


 暴君は傲慢に、人を壊し、人を治せる。








【港区・蛇杖堂記念病院/一日目・夕方】


259 : 歩き出す脱、言念、且つ自暴論(後編) ◆l8lgec7vPQ :2024/10/29(火) 07:13:06 9EI5ki7s0

【蛇杖堂寂句】
[状態]:健康、ダメージ(小)、魔力消費(小)
[令呪]:残り3画
[装備]:手術着
[道具]:各種の治療薬、治癒魔術のための触媒(潤沢)、「偽りの霊薬」1本。
[所持金]:潤沢
[思考・状況]
基本方針:他全ての参加者を蹴散らし、神寂祓葉と決着をつける。
0:アンジェリカ・アルロニカの外科手術を執刀する。
1:神寂縁とは当面ゆるい協力体制を維持する。仮に彼が楪依里朱を倒した場合、本気で倒すべき脅威に格上げする。
2:当面は不適切な参加者を順次排除していく。
[備考]
神寂縁、高浜公示、静寂暁美、根室清、水池魅鳥が同一人物であることを知りました。
神寂縁との間に、蛇杖堂一族のホットラインが結ばれています。
蛇杖堂記念病院はその結界を失い、建造物は半壊状態にあります。また病院関係者に多数の死傷者が発生しています。

蛇杖堂の一族(のNPC)は、本来であればちょっとした規模の兵隊として機能するだけの能力がありますが。
敵に悪用される可能性を嫌った寂句によって、ほぼ全て東京都内から(=この舞台から)退去させられています。
屋敷にいるのは事情を知らない一般人の使用人や警備担当者のみ。
病院にいるのは事情を知らない一般人の医療従事者のみです。
事実上、蛇杖堂の一族に連なるNPCは、今後この聖杯戦争に関与してきません。

アンジェリカの母親(オリヴィア・アルロニカ)について、どのような関係があったかは後続に任せます。


【ランサー(ギルタブリル/天蠍アンタレス)】
[状態]:健康
[装備]:赤い槍
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:神寂祓葉を刺してヒトより上の段階に放逐する。
1:蛇杖堂寂句に従う。
2:ヒマがあれば人間社会についての好奇心を満たす。


【アンジェリカ・アルロニカ】
[状態]:重傷、気絶、魔力消費(大)
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:ヒーローのお面(ピンク)
[所持金]:家にはそれなりの金額があった。それなりの貯金もあるようだ。時計塔の魔術師だしね。
[思考・状況]
基本方針:勝ち残る。
1:―――意識喪失。
[備考]
ミロクと同盟を組みました。
前回の聖杯戦争のマスターの情報(神寂祓葉を除く)を手に入れました。
外見、性別を知り、何をどこまで知ったかは後続に任せます。

【アーチャー(雨若日子)】
[状態]:健康、
[装備]:弓矢
[道具]: ヒーローのお面
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:アンジェに付き従う。
0:アンジェ……。
1:アサシンが気に入らない。
[備考]


260 : 歩き出す脱、言念、且つ自暴論(後編) ◆l8lgec7vPQ :2024/10/29(火) 07:15:14 9EI5ki7s0









「あーついてねえ。マジで」

 その頃、シストセルカ・グレガリアは嘆いていた。
 彼の眼下、巨大病院は内部から溢れ出した白煙に包まれている。

 対害虫特効礼装。
 狡猾な老魔術師の殺虫剤が撒き散らした毒。
 食事の為に用意されたはずの重箱は、今や汚染された毒袋と化してしまったのだった。

 忌々しい。
 本当に腹が立つ、しかし実際、もう食えたものではない。

 ムカつくので、煙が晴れるまでここに居座ってやろうかとも考えた。
 包囲し続ける限り、彼らが出てこれない状況には変わりないのだから。
 しかし、何時間足止めをくらうかわからない上に、

「まじかよ、こんな時にイリスのやつ、なにやってんだ?」

 戦闘が落ち着いた結果。
 シストセルカはようやくその異変に気づいたのだった。
 捕食によって外部から多くの魔力を取り込める彼は、基本的にはマスターから供給される魔力に頼っていない。
 よって、普段からあまり意識はしていないのだが、

「ひょっとして帰った方がいいのかね、コレ」

 マスターである楪依里朱に異変が起こっている。
 魔力のパスを通じ、その程度の変化には気づくことができた。
 恐らくは数時間以内に戦闘行為に及んだが、今正に戦っている最中か。

 詳細まではわからない。どうするべきか、彼は思案する。
 楪依里朱はマスターとして強い。
 それは把握している、しかし単独で火力の高いサーヴァントに襲われた場合はどうだろう。

「くそ……しょうがねえ」

 ゆっくりと、シストセルカは飛蝗の群れを撤退させていく。
 夕食を平らげ損ねたのは憤懣やる方ないが、大本の供給源を失っては元も子もないのである。

 それに、オーダーされた注文。
 『嫌がらせ』についてはある程度果たした筈だ。
 更地にするとまではいかなかったが、肝心要の大結界を潰された上に、施設を半壊させられた病院は既に要塞としての機能を喪失している。

「あ〜〜〜くそ、でもやっぱムカつくな〜〜〜!」

 先ほど逃げた霊基、その追撃に差し向けた分隊だけを置いて、蝗害は撤退していく。
 満腹とはいかずとも、だいたい六分目といった腹を抱えて、災厄は主の元へ戻るのであった。




【港区・蛇杖堂記念病院 付近/一日目・夕方】



【ライダー(シストセルカ・グレガリア)】
[状態]:戦力2割減(回復中)
[装備]:バット(バッタ製)
[道具]:
[所持金]:百万円くらい。遊び人なので、結構持ってる。
[思考・状況]
基本方針:好き放題。金に食事に女に暴力!
1:嫌がらせ終了。一旦、イリスの様子を見に帰るか。
2:祓葉にはいずれ借りを返したいが、まあ今は無理だわな。
[備考]
※〈蝗害〉を止めて繁殖にリソースを割くことで、祓葉戦で失った軍勢を急速に補充しています。







261 : 歩き出す脱、言念、且つ自暴論(後編) ◆l8lgec7vPQ :2024/10/29(火) 07:20:08 9EI5ki7s0


 こうして、ホムンクルス企てた計略は、ほぼ全てが成功を見た。
 蛇杖堂の牙城を崩し、そのうえで生存する。

 第4の伏せ札。
 ガーンドレッドの残した計画。
 一回目の聖杯戦争にて、ホムンクルスが読み取っていた、病院の結界、その要所。
 結局実行されることのなかった破壊工作を切り札として、彼は老蛇の牙城に挑んだのである。

 そのうえで、1回目の彼であれば病院内部に侵入した時点で結界を崩し、そのまま蝗害か老蛇に潰され、死んでいた筈だ。
 彼の目的は病院という要塞を崩し、神寂祓葉の生存率を上昇させること。
 以前であれば、それだけでいいと思っていただろう。

 しかし今の彼は、アンジェリカ・アルロニカを利用することで、成果と生存を両立させようと画策した。
 彼に誤算があったとすれば一つだけ。
 最後の脱出段階になって、アンジェリカが彼のプランに乗らなかったことだ。

 魔術師として冷静な判断を下せば、ミロクの案を蹴るなどあり得ない状況で。
 彼女は蛇杖堂との対決を選択した。

 結果として困るのはミロクの側だった。
 蝗害から逃げ切る算段には、アンジェリカのアーチャーによる援護が不可欠だったからである。
 催眠状態の人間を囮にするだけでは、やはり限界があったのだ。

「こりゃあ……不味いな……!」

 追撃を振り切れず、飛蝗の群れに食いちぎられていくアサシンの霊体。
 住宅街を転がるようにして逃げ延びた彼らがたどり着いた終着点。

「大将―――ッ!!」

 魔力不足により実体が保てず、像を解かれるアサシンの姿。 
 するりと、ホムンクルスの入れられた瓶が、薄れていくアサシンの手からこぼれ落ちる。
 
『―――そうか、ここまでか』

 襲い来る飛蝗の一団。
 泥溜まりに落下した瓶は破損こそ免れたものの、もはや動くことも出来ず。
 ミロクは己の最期を悟った。

『―――無念だな』

 結局、その脳裏の景色は、固定されたまま。
 決して色褪せぬ、かつて身を焼いた少女の笑顔だけが、今も。










262 : 歩き出す脱、言念、且つ自暴論(後編) ◆l8lgec7vPQ :2024/10/29(火) 07:21:43 9EI5ki7s0


「――――止めてッッッ!!!」

 夕暮れの住宅街。
 迫る逢魔が刻、少女の叫び声が響き渡る。

「……? なんだ、これは」

 アヴェンジャー、シャクシャインはその光景を目撃した。
 迫る蝗害の一軍。
 恐怖に追い詰められた輪堂天梨は、それでも頑なに、アヴェンジャーが望む言葉を発しなかった。
 直接的に命を脅かされてなお、虫螻に対してすら、殺戮の命令を下さない少女。

 とはいえ彼も、本当に少女を死なせるわけにはいかない。
 苛立ちながら剣を抜き、迫る蝗害を焼き尽くした、その寸前だった。

(一瞬、飛蝗(パッタキ)共の動きが止まったか?)

 天梨の叫び。
 「止めて」という言葉を聞き入れたかのように、黒き軍勢は動きを止めていたのだ。

(は―――まさか、こいつ)

「アヴェンジャー、助けてくれたの?」 

「…………」

 恐る恐る目を開いた天梨が、傍らのアヴェンジャーを見上げている。
 彼女は気づいていない。
 いま、己が何をしたのか。

(いやはや、恐れ入った)

 アヴェンジャーとて、彼が〈動物会話〉のスキルを所持していなければ、気づくことが出来なかっただろう。
 先程の一瞬、間違いなく蝗害の群れは、少女の言葉に従ったのだ。

(そういうことかよ―――ああ、なんて)

 少女の魔術について、彼は少し前から察していた。
 だが確信を得たのはつい先程、それも、彼の予想を超える異常性をもって、発揮されたのだ。

 なんて―――冒涜。
 少女の翼は、虫螻すらも魅了する。

「どうしたの、アヴェンジャー」

「いいや、なんでもないさ」

「……? あれ?」

 不自然に黙る従者に、訝しんだのも一瞬。
 少女の注意は直ぐに逸れた。

 何事もなかったかのように戻って来る、夕暮れ景色。
 蝗害の過ぎ去った後、路上の片隅に転がる、薄汚れた何かを見つけたから。

「……なんだろ……これ」

 近寄って見下ろすと、それはガラスで出来た瓶であるようだった。
 表面が土と泥で汚れていて、中身は見えない。
 内側からごぽりと、苦しげな音が聞こえたような気がして、少女はそっと撫でるように触れてみる。

「――――ッ!」

 瞬間、手のひらから脳天を貫き、そのまま爪先まで駆け下りる、落雷のような衝撃。
 全身の血管が引き伸ばされるような錯覚の中で。
 天梨は小さく、けれど確かな声を、聞いたのだった。



『――――見つけた』








263 : 歩き出す脱、言念、且つ自暴論(後編) ◆l8lgec7vPQ :2024/10/29(火) 07:27:31 9EI5ki7s0

 曖昧な記憶の底、彼はビンの中で味わった痛みを思い出す。
 赤く発光し、ごぼごぼと泡立つ人工羊水。45センチ程しかない総身に走る痺れ。脳天から脊髄へと落下する衝撃。鳩尾で炸裂する灼熱。
 バーサーカーを動かす際に、いつも与えられた絶大なる苦痛。その感情の名が、苦しみであることすら、彼は知らなかった。

 ガーンドレッド本家は勿論、共にこの地に着いた三人の魔術師の誰一人として、彼を人間扱いすることはなかった。
 そのことについて、彼は特段恨みを抱いてなどいない。なにしろ彼自身、自らを生物ではなく道具として定義していたのだ。
 当時の観点でみれば、"ホムンクルスを仲介してサーヴァントに魔力を送る装置"であった魔術師達もまた、
 ガーンドレッド本家にしてみれば道具の一つに過ぎなかったのかもしれない。
 
 あの場に人間は居なかった。今にして彼は思う。
 サーヴァントも、サーヴァントを支配する召喚者も、召喚者を支配する三人の魔術師も。
 みな等しく道具だった。
 何かに"仕える"、いや何に仕えているかすら誰も理解できぬままに、"使われる"だけの道具に過ぎなかった。


 ―――ねえミロク。私たち、友達になろうよ。


 その言葉を憶えている。
 その笑顔を忘れることができない。
 その意味を何度反芻したことだろう。

 友達―――友人、それは対等であること。

 ミロクはどうしても、認めることが出来なかった。
 自らが彼女と対等であるなどと。
 たとえ彼女がそれを心から望んでくれていたのだとしても。

 彼は、彼女の友人にはなれなかった。
 自らをそうて定義することが出来なかった。

 故に、彼の狂気は忠誠なのだ。
 彼は認めることが出来ない。
 彼自身も、他の六人も、彼女が親友だと語る誰も、彼も、器ではない。 
 我らとて所詮、衛星に過ぎない。
 彼にとって、彼女に並び立つ存在など、未だこの地上の何処にも居ないと断言できる。
 だが、それでもなお、彼女がそれを欲しているのなら。

 ―――今度、私の一番の親友を紹介するよ。

 彼女に贈るもの。
 ミロクが彼女に届けるべき、勝利よりも価値のある、『最も素晴らしきもの』とは―――
  
 ―――だからさ、いつか、ミロクの友達も紹介してね。

 彼女に、並び立つべき存在。
 真に相応しき友。

 居るとすれば、彼女が集めた新たな星たち、その中に。
 狂気に焼かれる衛星ではない。
 彼女と同等の重力を持ち得る、太陽の如き特異点。

 ――恒星の資格者。

 その候補達。
 未だ、覚醒に及んでいないのかも知れない。
 そうであっても不思議ではない。あの少女とて、最初からそうであった訳ではないのだから。

 ならば、そのためにこそ、ミロクは在るのだと定義する。
 この聖杯戦争で、神寂祓葉と並び立つに相応しき極光を見出し、覚醒に導く。
 それがホムンクルス36号が自らに課した、新たな存在意義なのだった。

「……なんだろ……これ」

 そして今、ガラス越しの手に触れた、一人の少女。


『―――【同調/調律(tuning)】』


 瞬時、その回路を解析したミロクは確信に至る。


『―――見つけた』


 まずは一人。恒星の核。天の翼。
 その予感を胸に、無垢なる赤子は瞳を閉じた。







 
【港区・蛇杖堂記念病院/一日目・夕方】


264 : 歩き出す脱、言念、且つ自暴論(後編) ◆l8lgec7vPQ :2024/10/29(火) 07:33:02 9EI5ki7s0

【港区・路上/一日目・夕方】


【輪堂天梨】
[状態]:精神疲労(小)、ちょっとだけ高揚してる(無自覚)
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:たくさん(体質の恩恵でお仕事が順調)
[思考・状況]
基本方針:〈天使〉のままでいたい。
0:ひとまず謎の赤子を保護。
1:一度自宅に帰った後、キャスターとの会合場所にいく。
2:アヴェンジャーは恐ろしい。けど、哀しい。
3:……満天ちゃん。いい子だなあ。
[備考]
※以降に仕事が入っているかどうかは後のリレーにお任せします。
※スマホにファウストから会合の時間と待ち合わせ場所が届いています。

【アヴェンジャー(シャクシャイン)】
[状態]:疲労(小)、全身に被弾(行動に支障なし)
[装備]:「血啜喰牙」
[道具]:弓矢などの武装
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:死に絶えろ、“和人”ども。
0:天梨の能力についてはあえて伏せる。
1:憐れみは要らない。厄災として、全てを喰らい尽くす。
2:愉しもうぜ、輪堂天梨。堕ちていく時まで。
3:青き騎兵(カスター)もいずれ殺す。
[備考]
※マスターである天梨から殺人を禁じられています。
 最後の“楽しみ”のために敢えて受け入れています。

【ホムンクルス36号/ミロク】
[状態]:疲労(大)、気絶中
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:なし。
[思考・状況]
基本方針:忠誠を示す。そのために動く。
1:神寂祓葉に並ぶ光を見出し、覚醒に導く。
2:アサシンの特性を理解。次からは、もう少し戦場を整える。
[備考]
アンジェリカと同盟を組みました。

【アサシン(ハサン・サッバーハ )】
[状態]:ダメージ(中)、霊体
[装備]:ナイフ
[道具]:
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:マスターに従う
0:疲れた……。毎回毎回、ほんと勘弁してほしい。
1:正面戦闘は懲り懲り。
2:戦闘にはプランと策が必要。それを理解してくれればそれでいい。
[備考]


265 : ◆l8lgec7vPQ :2024/10/29(火) 07:37:33 9EI5ki7s0
投下終了です。
すみません。
>>263 の現在地表記はミスです。
>>264 の表記が正確となります。


266 : ◆A3H952TnBk :2024/11/02(土) 16:05:16 rHlZ/9.c0
投下します。


267 : 一生存在証明、永遠を超えていけ ◆A3H952TnBk :2024/11/02(土) 16:06:26 rHlZ/9.c0



 東京都中野区、とあるマンション。
 外は陽が落ち始めて、窓からは茜色の光が射す。
 こじんまりとした内装ながら、それなりにきっちりと片付けられた一室。
 最低限の生活はできるが、間取りは決して広くはない。
 一人暮らしを始めたばかりの学生や新卒社会人が重宝するような、格安の物件だった。

 この部屋で生活する住民――天枷仁杜は、高学歴のエリートである。
 国内屈指の名門校であるT大卒。経歴の力だけで会社に入ったこともある。
 そんな彼女だが、その生活環境はさして裕福ではない。
 何故なら、収入が安定した試しが一度もないからだ。

 外に出るのが苦。人と目を合わせるのが苦。知らない人とやりとりするのが苦。
 怒られるのが嫌い、どやされるのが嫌い、無理させられるのが嫌い、そもそも社会で頑張るのが嫌い。
 口下手でしどろもどろ、何か喋れば失言と言い訳ばかり。お酒とゲームと自分に優しい人だけは大好き。
 そんなふうに完膚なきまでに社会性が破綻しているため、真っ当な定職はどれも長続きしなかった。

 正規での就業経験、最短三日。最長一ヶ月ちょい。
 夏場にみんみん鳴く蝉のように短く、儚い期間である。
 初就労時には会社をばっくれたので、振り込まれた給料も雀の涙のようだった。
 だから仁杜の収入の多くは、専ら人と会わずに済むバイトで成り立っていた。
 不安定な労働を転々と繰り返し、何とか食い繋いでいくばかりの日々だった。
 そのくせしてゲームへの課金や七色に光る電子機器の購入など、娯楽のための出費は惜しまない。

 生活能力なし。多少の蓄えはあるが収入不安定。なのに日々どんぶり勘定。誰かに甘えたいのに他人には無関心。
 図々しい癖に自分から身内に連絡を取るのは気が引ける。だから自発的に誰かを頼れたことはほぼ無い。
 親族に金銭を無心するほどの度胸も無いし、生活のことであれこれ言われるのは面倒臭い。
 そういう訳で、仁杜の生活はろくに矯正も改善もされたことはなかった。
 大企業にも顔が利くような学歴を背負っているにも関わらず、節制に勤しむ学生のような生活水準のままだった。

 仁杜の自宅は、それほど広くはない。
 そうした生活を送っている上に、他人を部屋に招くことを想定していないからだ。
 必要最低限、自分のスペースさえ確保できれば良し。どうせ出不精なのだから。
 ここはまさに天枷仁杜だけの城。だらけきって、怠けきった、夢見る引きこもりの閉鎖空間である。
 時おり尋ねてくるただ一人の友人――または現在の“同居人”を除けば、誰も出入りすることはない。

 そんな仁杜の根城に、あろうことか来客がいた。
 見ず知らずの相手が、靴を脱いで部屋に上がっていた。
 両親でさえ碌に呼んだことのない仁杜の家に、面識のない“彼女”が踏み込んでいたのだ。

 その客人は、眉目秀麗な美貌の持ち主だった。
 黒いショートヘアが目立つ、中性的な麗人だった。
 ひどく美しい正座で、静かに佇んでいた。

 背筋はぴんと真っ直ぐ。
 両脚をきっちり揃えて。
 膝に礼儀正しく両手を添えて。
 整った姿勢を保ち続けて。
 微動だにもせず、其処に在り続ける。
 その体勢を苦にも思わぬように、落ち着き払い。
 育ちの良さというものを、全身から滲み出している。
 
 他人に見られることを常に意識しているように。
 その顔には、自然な微笑みが作られていた。
 飾らず、気取らず、わざとらしさもなく。
 嫌味を感じさせない、柔和な表情だった。
 透明感のあるナチュラルなメイクが、その美麗な面持ちを際立たせていた。

 庶民的なマンションの一室にはとても似合わない、凛とした少女だった。
 端正で中性的な容姿も相俟って、この場で浮いているような趣さえ感じられる。

 客人の名は、伊原薊美。
 聖杯戦争のマスターだった。

 そんな薊美と真正面から相対するのは――この部屋の家主、仁杜である。
 後方で胡座を掻きながら控えるのは、彼女の同居人にしてサーヴァントであるキャスター・ロキだった。


268 : 一生存在証明、永遠を超えていけ ◆A3H952TnBk :2024/11/02(土) 16:07:27 rHlZ/9.c0

 目の前に現れた“未知の人物”を前に、仁杜は唖然としていた。
 真っ直ぐな正座を見せる客人とは真逆に、幼い子供のようにぺたりと座り込んでいた。
 まるでお化けか何かにでも会ったかのように呆気に取られて、ぽかんと客人を見つめている。
 困惑。動揺。衝撃。固まった仁杜の顔から、色々な感情が滲み出ている。

 薊美の隣に座るのは、仁杜にとって唯一の親友に当たる高天 小都音である。
  “会わせたい相手がいる。例のアレの関係者。色々あって、人手が必要になったから”。
 “にーとちゃんも顔を合わせてほしい。とはいっても初対面の相手だし、無理強いはしない”。
 小都音は仁杜の家を訪ねる前、彼女にそんな連絡を入れていた。
 遠回しではありつつも、すぐに聖杯戦争に関することだと伝わるような文面で送っていた。
 仁杜は暫しの間を置いてから「いいよ」と返信してきたので、こうして薊美を彼女の家へと連れてきたのだが――。

 仁杜はさっきからずっと硬直している。
 口をぽけっと開いたまま、呆然とした様子で薊美と向き合っている。
 薊美は相変わらず正座の姿勢のまま、微笑を貼り付けて仁杜を見つめ返している。

 ――にーとちゃん、オーケー貰ったから呼んだけど。
 ――やっぱ急に顔合わせさせるのはマズかったか……?

 沈黙の中で、小都音の内心に何とも言えぬ緊張と負い目が込み上げてくる。
 薄々感じてたけどにーとちゃん、伊原さん系の人は苦手なタイプだったか。
 いや、にーとちゃんはそもそも初対面の相手との交流自体が厳しかったか。
 やけに気まずさのある膠着状態を前にして、小都音はぽつぽつと思いを巡らせる。

 薊美もまた、口を開かない。
 まるで仁杜が何か話を切り出してくるのを待つように、ただ凛として座っている。
 お互いに何も言わず、何も動かない。
 流石にこれは助け舟を出した方がいいかもしれない。にーとちゃんも可哀想だし。
 小都音はそんな思いに至り、口を開こうとした矢先。

 ――突如として、仁杜の表情が崩れた。
 まさしく唐突だった。仁杜の顔が悲しげにしわくちゃになり、目元からは涙がポロポロと零れ落ちた。
 うぇ、うぇぇ、と涙声で呻き出す仁杜。そんな様子を目の当たりにして、思わず小都音も目を丸くする。
 小都音は動揺しながらも、慌てて仁杜に心配の言葉を掛けようとしたのだが。
 
「ロキえも〜〜〜〜〜〜ん!!!!」
「なんだい、にーとちゃん」

 すぐさま仁杜、号泣――堤防が崩壊するようにぶわっと泣き出した。
 そんな彼女のことをロキが“水田ドラ”の完璧な声真似をしながら受け止めた。
 仁杜はロキにがしっと抱きついて、彼の胸元でおいおい喚いている。

「ことちゃんが!!!!!ことちゃんが彼氏連れてきた〜〜〜〜〜〜〜!!!!!」

 ――やんややんやと、仁杜は斜め上の誤解によって騒いでいた。
 
 不意打ちを喰らって「はい!?」と思わず口に出す小都音。
 よぉーしよしよしと、苦笑しながら頭をポンポンと撫でてあげるロキ。
 呆れるように額に手を当てて、溜息を吐くトバルカイン。
 そして、相変わらず凛とした表情を崩さない薊美。
 見事なまでに三者三様の反応である。

「ロキくぅ〜〜〜〜〜〜〜ん!!!!ことちゃん取られちゃうよおおおお〜〜〜〜!!!!!!」


269 : 一生存在証明、永遠を超えていけ ◆A3H952TnBk :2024/11/02(土) 16:08:23 rHlZ/9.c0

 仁杜はなんだかんだと喚き続けている。
 流石に勘違いされたままでは困るので、小都音が口を挟む。

「いやいやにーとちゃん違うって違うから、落ち着きなさいってば。この子そういうんじゃなくて」
「こんにちは、彼氏です」
「いや乗らなくていいから」

 片手をびしっと上げて挨拶した薊美に、思わず小都音がツッコミを入れる。
 間髪入れずのツッコミを喰らって、薊美は微笑みと共に「ごめんね」と謝罪。
 涼しげな顔しといて変なところでノリ良いなこの子、と小都音は内心ぼやく。

「にーとちゃんにーとちゃん。俺もパッと見じゃ勘違いしかけたけど、あれ女の子だよ」
「え!!??じゃあ彼氏じゃなくて彼女!!!!?ことちゃんバチイケ女子捕まえたの!!!!?」
「はっはっはっは!!お嬢さん!!ダメだよそれは!!同性愛はいけない!!道徳に反する倒錯的行為だ!!」
「おい余計話ややこしくすんなクソライダー」
「おお!!!すまないセイバー!!!」

 混沌とした様相の中、さっきまで霊体化してたカスターまで堂々と割り込む。
 更なる勢いに満ちた殴り込みを仕掛けてきた。
 伊達男の突然の参戦に、呆れっぱなしだったトバルカインまでツッコミを入れた。
 条件反射的に飛び出た謝罪すら仰々しかった。
 肝心の仁杜は「えぇなになに!?誰!?このおじさん!!!」とカスターにドン引きしていた。
 元々大して広くもないマンションの部屋が一気に狭苦しくなった。

「高天さん」
「なに」

 仁杜達がわちゃわちゃしているのを尻目に。
 薊美は傍にいる小都音に、そっと話しかける。

「めちゃくちゃ変わってる子だ、ってここ来る前に言ってましたけど」
「うん」
「本当にユニークな人ですね」
「まぁ、うん……」

 微かな笑みを口元に浮かべながらそうぼやく薊美に、小都音はぐうの音も出ない様子で答える他なかった。
 その通りです。めちゃくちゃ変わってるし、めちゃくちゃ愉快です。
 そう言わんばかりに、小都音は脱力していた。

「なんていうかさ、伊原さん」
「はい」
「これもまあ、今更っちゃ今更なんだけど」
「はい」
「君んとこのライダーも大概クセ強いよね」
「面白いですよね、あの人」

 小都音のぼやきに、薊美は微笑みながら答える。
 本気で思ってるのか、ちょっと皮肉を込めて言ってるのか。
 いまいち掴めない薊美のリアクションに、小都音はほんのり苦笑いする。

 改めて振り返ると――我が強いというか、癖の強い面々である。
 自他共に認める自堕落引きこもりおばけのにーとちゃんは言わずもがなだが。
 得体の知れなさが未だに拭えない“ロキくん”といい、いつも声がデカくて堂々としてる“カスター将軍”――宝具からして半ば確定的である――といい、王子様みたいな顔して無駄にノリが良い伊原さんといい、ついでに気まぐれで無気力で図々しいウチの鍛冶師(トバルカイン)といい。
 思ったより変なメンツが集結してしまったのではないか。
 小都音は思わず、そんな不安をちょっぴり抱きかけた。

 こんなふうに、始まりは奇妙で、やいのやいのと騒がしかった。
 天枷仁杜はコミュ障だが、友達がいる前では図々しく喋るし、図々しく我を押し出してくる。
 だから普段のノリで遠慮なしにわちゃわちゃ振る舞えば、良くも悪くも注目を集めるのである。
 
 それでも、あくまで茶番に勤しむために此処へ来たわけではなくて。
 薊美もそう思ってか、ごほんと咳払いをしながら気を取り直していた。

 パン、パン、パン――。
 まるで演劇のコーチが生徒を指導するかのように、薊美が3度の手拍子を響かせる。
 場を静かにしつつ、周囲の注目を集めた。


270 : 一生存在証明、永遠を超えていけ ◆A3H952TnBk :2024/11/02(土) 16:09:20 rHlZ/9.c0

 部屋に響く音に仁杜は反射的にそちらの方へと意識を向けて、思わず口を閉じる。
 仁杜は「あ、騒ぎ過ぎたかもしれない」と不安がるみたいに、何処かオドオドしていた。
 そんな仁杜の沈黙と共に、他の面々もすぐに静まり返った。
 これから本題に入ることを察したように。
 
「ごめんなさい。急に訪れた上に、驚かせてしまって」

 薊美はそう言いながら、正座の姿勢のまま軽く頭を下げる。
 きっちりと折り目正しい一礼を前にして、仁杜は途端に大人しくなっていた。
 ――「あ、これ緊張してるな」と小都音はすぐに察する。
 そんな仁杜の様子を見てか、薊美も穏やかに微笑んで――そういう表情を意識して作るように――言葉を続ける。

「大丈夫ですよ。私、高天さんの彼氏でも彼女でもないので。
 お姉さんが随分と可愛らしいから、ちょっと冗談でからかいたくなってしまったんです」
「えっ?え、ふぇ?」

 その一言を前にして、仁杜はほんのり安心しつつ。同時に、不意を突かれたようにびくりと動揺する。

「……か、可愛い?かなあ?」
「お姉さん、可愛いですよ」

 それから暫しの間、仁杜はしんと沈黙して固まっていたが。
 やがてその表情がヘにゃりと綻び始める。
 お姉さんが可愛らしいから――そんなことを言われて、思わず照れてしまったらしく。

「……い、いやぁ……えへ、えへへへへ……その……それほどでも〜〜〜〜……」

 ふへへ、でへへへ、ぐふふふ――。
 仁杜、煽てられて露骨にニヤつきまくる。
 彼女は他人にさほど興味がないくせに、友達と自分を甘やかしてくれる人間のことは大好きだった。
 ずんぐり野暮ったい出で立ちで「うふ、うふふふふ」と喜ぶその姿は、さながら都会の落ちぶれたタヌキのようだった。

「ロキく〜ん」
「うーい」
「私かわいい〜?」
「当たり前じゃーん」
「ぐへへへへ」 
 
 あからさまに調子に乗り始めた仁杜のことを、小都音はやれやれと言わんばかりに眺めていた。
 そんな仁杜を相も変わらず微笑みと共に見つめる薊美。凛とした面持ちで、何処か穏やかに見守っているようにも見える。

「――では、改めまして」

 やがて仁杜が落ち着いたのを見計らうようにして、薊美はすっと再び口を開いた。

「私は伊原薊美と言います。
 有り体に言えば、聖杯戦争のマスター」

 改めて端的に、自己紹介の挨拶。
 この人が私のサーヴァントです、と堂々たる姿で腕を組むライダーを示した。

「高天さんから既にお話は伺っています。
 今後とも宜しくお願いします、仁杜さん」

 胸を張るライダーが傍に佇む中で、薊美は礼儀正しく一礼した。
 仁杜もまた「へへ、どうも……」と卑猥な中年男性のように微笑んだ。
 
 ――小都音は“高天さん”、仁杜は“仁杜さん”。
 両者の呼び方が姓名と異なっている理由は、至極単純な理由だ。
 “にーと”という名前のインパクトが強すぎたからである。





271 : 一生存在証明、永遠を超えていけ ◆A3H952TnBk :2024/11/02(土) 16:10:05 rHlZ/9.c0



 高天小都音から聞かされた通り。
 印象は「子供みたいな人」だった。
 もっと言うなれば「おかしな人」だった。
 
 無口かと思えば急にわんわん泣き喚き、軽く煽てればコロッと機嫌を良くする。
 前向きに捉えれば感情表現豊かと言えなくもないが、明らかにそれ以前の問題である。
 何かあれば一喜一憂の大騒ぎ。気分屋を絵に描いたような変人。
 稀に見る愉快な人物だったこともあり、薊美も思わず揶揄ってしまった。

 聖杯戦争という有事において関わりたい相手かというと、やはり否ではあるが。
 微笑みを顔に貼り付け、飄々と軽口を叩きつつも、心の中は淡々としたままである。
 感情と認識が分離したような浮遊感が、相変わらずぼんやりと漂い続けている。
 
 伊原薊美にとって衝撃だったのは、何よりその名だった。
 名前、天枷仁杜。にーと。
 現在、無職の引きこもり。ニート。
 つまり、ニートのにーと。

 ――いや、高天さん。ふざけてるんですか?

 ここに来る前に小都音からその名前と素性を聞いた際、薊美の口から飛び出た一言である。
 ニートのにーとちゃん。幾らなんでもそのまんま過ぎる。
 小都音が急に悪ふざけを言い出したのかと思ったが、れっきとした事実だった。
 世の中は本当に広い。自分でも知らない感性があることを思い知らされた。
 それ故か、ふと思ったことがあった。

 幼い頃から演劇の世界に足を踏み入れていた。
 演劇教室、同世代の子役が集まる劇団、役者志望の面々によるサークル、名門の演劇系学園。
 思えば色々な場所で、色々な相手(やくしゃ)を目にしてきた。

 小器用な素質を持ってて、飄々と役柄に嵌まれる子がいたり。
 声も身振りも荒削りだけど、無邪気な愛嬌を持った子がいたり。
 人が良くて、周囲をよく見てて、後輩たちの面倒見がいい子がいたり。
 いつも二番手、三番手の立ち位置ばかりで、だからこそ負けん気の強い子がいたり。
 舞台の上では華やかだけど、普段はぽけっとしてる変わり者の子がいたり。
 外国人のハーフか何かで、外見だけで周囲の目を引くことができる子がいたり。
 ひた向きな努力を重ねていても、いまいち華が無くて芽が出ない子がいたり。
 真摯であるが故に理想との落差に耐えられず、どんどん心を擦り減らす子がいたり。
 ただ単に目立ちたがり屋で、訳もなく楽しそうで能天気な子がいたり。
 社交性の高さで周囲から好かれて、しかし役者としては大した見所のない子がいたり。
 英才教育を受けたとか何とか豪語して、妙な特権意識で振る舞っている子がいたり。
 自分の身の程を受け入れられず、必死に足掻くように練習に励む子がいたり。
 吹けば容易く飛ぶような才能しかない癖に、それらしい理論武装で才人ぶってる子がいたり。
 目指す姿と実際の素質がまるで噛み合わず、不恰好な演技ばかり繰り返している子がいたり。
 親か指導者かに泣きついて、子供じみた言い訳を喚いてる子がいたり。
 いつの間にかふらりと舞台から降りて、以後演劇の世界から姿を消した子がいたり。
 ただの馬鹿がいたり。ただの雑魚がいたり――他にもたくさん居る。みんな覚えている。

 勝手に現れては、勝手に消えていった。
 大抵は短い付き合いだったけれど、少しは親しくなることもあった。
 世間話をする仲になって、時おり友達になって。
 そうなった相手も、結局は遅かれ早かれ過ぎ去っていく。
 胸を張って歩き続ければ、誰も彼もが勝手にぺしゃりと潰れていく。


272 : 一生存在証明、永遠を超えていけ ◆A3H952TnBk :2024/11/02(土) 16:10:51 rHlZ/9.c0

 記憶を探れば思い返すことはできるが、勧んで省みようと思ったことは特にない。
 いなくなってしまえば、もうどうだってよかったし。
 振り返って、慈しんだところで、なんの糧にもならないし。
 薊美にとっての道標である父からも、別に咎められることはなかった。

 誰もが大なり小なり、舞台の上で輝くことを望んで。
 演じることで何者かになろうとして、必死に足掻いて。
 成り上がっていく者もいれば、挫折へと落ちていく者もいる。
 走り続ける誰かも、立ち止まった誰かも、転げ落ちていった誰かも、みんな何かを求めて彷徨っていた。

 薊美の経験から言えることは、人間には“華”というものがある。
 容姿の美しさ。所作の華麗さ。あるいは、言葉では言い表せぬ魅力。
 努力や研鑽とは異なる領域にあるカリスマ性は、確かに存在していた。
 自分こそが王子であり、女王であるという自負こそが薊美の前提だが。
 そういう魅力を持っている役者は、それなりの道を駆け上がっていた。

 さて、目の前にいるこの女。
 天枷仁杜という人物は、何度見ても「おかしな人」だった。
 こんな有事において関わりたくない、奇人変人の類いである。

 気分屋で、情緒不安定で、呑気で、幼稚で。
 思わず苦笑いをしてしまう、“自堕落なぼんくら”である。
 だというのに、薊美はそれほど不快感を抱かなかった。
 如何にも怠惰な人間など、普段なら嫌悪の対象にもなりかねないのに。
 それでも、何故だか分からないけれど、言い知れぬ魅力のようなものを感じた。
 舞台で成功した者達と同じように、彼女には何かしらの“華”がある。

 太陽のように目が眩むような輝きではなく。 
 月のように鈍く、仄暗く、ぼんやりと朧げな光。
 薊美は何となく、仁杜にそんなものを見出していた。
 数々の役者を見てきた薊美だからこそ、ある種の確信があった。

 不思議な既視感があった。奇妙な感覚があった。
 天枷仁杜を見ていると、“あの白い少女”が時おり脳裏を過ぎる。
 核心の一端に触れつつも、その意味を理解することには、まだ至れなかった。





273 : 一生存在証明、永遠を超えていけ ◆A3H952TnBk :2024/11/02(土) 16:11:50 rHlZ/9.c0



 押し入れの奥底から引っ張り出した折畳式の小さなテーブルを囲む形で、6名はその場に座っていた。
 仁杜が一人暮らしを始めた際に実家の母親からプレゼントされた家具のひとつだったが、とうの仁杜はすっかり存在を忘れていた。
 度々仁杜の面倒を見ている小都音は覚えていたので、押し入れから掘り起こして即席で円卓会議の場を作ったのである。

 卓の広さにはあまり余裕はなく、小都音、薊美、仁杜のマスター三人が前面に居座る形となっていた。
 彼女達の傍や後方には、それぞれのサーヴァントが控えている。
 むすっとした表情を浮かべながら胡座を掻くセイバー、トバルカイン。
 腕を組んだ体勢でふんぞり返るように座るライダー、カスター将軍。
 何処か興味もなさげに、笑みも見せないまま仁杜の傍に座るキャスター、ロキ。

 結局こいつとテーブル囲むのかよ、とトバルカインは先んじてぼやいたが。
 嫌悪を向けられた張本人、ロキは適当にのらりくらりと受け流した。
 一瞬生じた微妙な緊張を他の面々が抑えた上で、改めて“話”を始めた。

 彼らは先んじて情報共有を行い、現状の認識を擦り合わせた。
 繰り返される大規模な蝗害を中心に、昨今の都内を騒がせている数々の災厄。
 混沌へと向かう社会の中で、着実に迫りつつある聖杯戦争の影。この一ヶ月の中での各々の接触や戦闘。
 例の“白い少女”と“白黒の魔女”との交戦、そして撤退――。
 それぞれの陣営にとっての不利益を齎さない範囲で、情報の交換が行われる。

「“蝗害”はたぶん、あの二人のどちらかの仕業だと思います」

 認識の擦り合わせが続いた末に、薊美がその推察を切り出した。
 あの二人――白い少女と、白黒の魔女のことだった。

「……だろうな。私もそう思っていた」

 小都音らの意識が薊美の方へと向けられる中で、トバルカインが同調するようにぼそりと呟く。
 カスターも腕を組んだ体勢のまま力強く頷いた。

「私達は、大なり小なり社会に潜むことを考えていました」

 薊美は言葉を続ける。
 彼らは、この一ヶ月という期間を生き抜いている。
 数多の敵が都市に潜む中で、如何にして立ち回るか。如何にして戦うか。
 そうした思考を重ねていくうちに、自ずと“常道”を見出していった。

「そもそも敵がどれだけ居るのかも分からないし、どれほどの戦力なのかも掴めない。
 だから少なくとも、ある程度“様子見”を大前提に動いてきました」

 この聖杯戦争の厄介な点とは、“敵の情報が一切存在しない”ことだった。
 そもそも敵が何人いるのか。どれほどの戦力規模なのか。
 敵マスターとは何者なのか。魔術師なのか、それ以外の何かなのか。
 他の陣営は如何なる地盤を築いているのか。如何なる戦力を抱えているのか。

 この戦いは、決して“公平性が保たれた競技”ではない。
 それぞれマスターであり、サーヴァントを従えている。
 平等であることが担保されているのは、たったそれだけの要素だ。
 戦力も地位も基盤も均一ではない以上、常に手探りの状態で敵の情報を探らねばならなかった。

 結果として、真っ当な陣営は慎重にならざるを得ない。
 様子見や小競り合い、あるいは仕込みに徹し、その過程で敵の断片を掴んでいく。
 他陣営らの注目を集めるような大規模行動は避け、社会に潜みながら虎視眈々と情勢を伺う。
 それこそが、この戦いを生き抜いた者達の“無難な立ち回り方”だった。
 ――それ故に薊美とカスターも、蝗害という“注目の的”への干渉は避けていた。

「けれどあの二人は、人目や被害を全く気にしていなかった。
 あの場で交戦を始めることに、何の迷いも見られなかった」

 だが、あの少女達は違った。
 眩い太陽を思わせる、白い少女。
 領域を支配する、白黒の魔女。
 彼女達は、何の躊躇いもなく死闘の火蓋を切った。
 それも白昼堂々、都内のカフェという衆目を集めやすい場所で。


274 : 一生存在証明、永遠を超えていけ ◆A3H952TnBk :2024/11/02(土) 16:12:43 rHlZ/9.c0

 突発的な戦闘のように見えたにも関わらず。
 両者はまるで焦る様子も見せていなかった。
 言うなれば、“そうすること”に慣れている。
 あるいは、そうしたところで何ら問題はないという自負を持っている。
 それが薊美の抱いた印象だった。

「”蝗害“も同じです。周囲からの注目も気にせず、殆ど災害のように各所を荒らしている。
 衆目を気にせずにあそこまで広域的な行動を繰り返せるのは、何かしらの戦術的な意味もあると思いますが。
 最大の理由があるとすれば、きっと相応の自信があるから」

 そして薊美は、“蝗害”へと話は繋げる。
 市街を襲う災厄は、あの少女達と同じように衆目を気にしない。
 むしろ積極的に攻勢へと出て、都内各地を荒らし回っていた。
 そこには戦術という視点以上に、実力の裏付けが感じ取れた。

「……あの二人は、サーヴァントを引き連れずに行動してた。
 それだけならまだしも、サーヴァント抜きでの戦いさえ敢行していた。
 実力があるからこその態度だと思いますが、単独で動いていた理由は多分それだけじゃない」

 もしもあの少女二人のどちらかが、“蝗害のサーヴァント”を従えているとすれば。
 立ち回りという点でも、実力という点でも、噛み合うのだ。

「サーヴァントの方も”遊撃“に徹させて都合がいい奴、ってことだろ」
「そういうことです」

 薊美の推察に対し、トバルカインが同意する形で口を挟む。
 サーヴァントに匹敵する戦闘力に加えて、突発的な交戦に対する“場慣れ”。
 衆目や他主従の監視すらも気に留めない、大胆不敵な立ち回り。
 そのような行動を取るマスターならば、サーヴァントもまた“同様のスタンス”である可能性が高い。
 マスターが積極的に動いているのだから、その従者がわざわざ消極や慎重に徹する必要などない。
 後衛を務めるキャスターのクラスならば話は別とはいえ。

 あの二人の少女と同様、派手な攻勢に出ることも厭わず、散発的な“遊撃”で各所を侵食する蝗害。
 蝗害が脅威となっているのは、それがゲリラ的な強襲だからである。
 突発的に現れ、嵐のように食い荒らし、また次の餌場へと飛ぶ――蝗の襲撃は、単独で成立する。
 そこへわざわざマスターを追従させる必要は、必ずしも存在しない。
 寧ろ蝗達と同じように単独での行動を可能とするならば、極力フットワークを軽くした方が効率も良い。

 主従双方に実力があり、それぞれ単独の遊撃に徹することが出来る。
 立ち回りをする上で、あの二人の少女と蝗害の相性は非常に良い。
 そして少女達も蝗害も、周囲の目に対して頓着をしていなかった。

「蝗害の動向を掴むことは、恐らく“あの二人”を追うことに繋がる」

 白い少女と、白黒の魔女。明らかな因縁を持っていた両者。
 どちらかの従者が“蝗害”の元凶だとするならば。

「私は、蝗害こそが“戦禍の中心”に最も近い手掛かりだと考えました」

 蠢く蝗達を追うことで、あの少女達へと辿り着ける可能性が高い。
 薊美はそう考えたのだった。

「――例の蝗害は、つい最近“沈静化”したそうだね。まるで嵐の前の静けさのように」

 薊美の推察に同意しながら、カスターもまた言葉を挟む。


275 : 一生存在証明、永遠を超えていけ ◆A3H952TnBk :2024/11/02(土) 16:13:27 rHlZ/9.c0

「“祓葉”と呼ばれていた白い少女。
 “イリス”と呼ばれていた白黒の魔女。
 マスター同士が接触していたことも、きっと無関係ではない」

 互いに呼び合っていた、あの少女達の名を振り返りながら。
 カスターは自らの推測と直感を、高らかに口にする。

「これからだ。これから“何か”が起こる。
 じきに猛々しい嵐が吹き荒れ――戦局が大きく動き出す!!
 私はそう踏んでいるのだ!!」

 あの戦いは、荒波を目前にした“序幕”である。
 少女達と蝗害が繋がる可能性を前にして、蒼き騎兵はそんな確信を抱いていた。

「この街はきっと、既に本格的な戦火を目前に控えている。私と高天さんは意図せずして“その一端”に触れた」

 そのカスターの言葉から繋げるように、薊美は再び口を開く。
 薊美が視線を向けたのは、もう一人のマスターである高天小都音。
 薊美と同じように、あの場で“二人の少女”を目撃した者だった。

「此処で乗らなければ、きっと私達は出遅れることになる。そう思いました」

 あの眩き太陽と、忌まわしき白黒の魔女。終末の使徒である蝗の群勢。
 それらが接続するものであり、じきにこの東京に戦火を齎すのならば。ここが一つの正念場となる。
 それまでの前提や立ち回りが覆され、戦いが新たな局面へと突入する可能性が高い。
 故にこの荒波に乗らなければ、自分達は後手に回ることになる。
 薊美はそう考えた。カスターもまた、それに同意していた。

「――そのへんは私も分かる。
 その上でだけど、一応リスクも確認しときたい」

 薊美の考えを理解しつつも、小都音が問いかける。
 
「他の主従も“同じような立ち回り”を考えるんじゃないかな、って。
 目立った渦中に首を突っ込むなら、相応の危険もあると思う」

 それは、リスクに対する懸念だった。
 仮にこれから戦局が大きく動くというのならば、同様の思考に至った複数の主従が集中して動き出すのではないか。
 そうでなくとも、当初の立ち回りのセオリーが示す通りに、虎視眈々と機を伺う他主従達が集まるのではないか。 

「セイバーのマスターよ、君の懸念もまた分かる!!」

 その懸念に対し、カスターが堂々と応える。

「偵察、観察、監視、様子見、覗き見!!あらゆる者達が状況を注視するだろう!!
 故にッ、野次馬じゃじゃ馬暴れ馬――どんな輩が割り込んでも不思議ではない!!
 乱戦となる危険性は間違いなく存在するという訳だ!!」

 まるで演説をする政治家のように捲し立てるカスター。
 その仰々しさを前に、トバルカインは思わず眉を顰めた。

「ひとたび踏み込めば、もはや後には引き返せないだろう!!我々はこれより鉄火場へと挑むことになるのだ!!」

 されど、リスクそのものは適切に認識している。
 かつて軍の将官だったが故に――状況の軽視によって壮絶な最期を遂げた男であるが故に、カスターは戦局の損得を理解する。

「うだうだ言ってるけどサ」

 それを察したからこそ、トバルカインも口を挟む。

「やる気なんだろ、アンタは」
「そうだ、セイバーよ」

 ――結局は、“それを理解した上でやるつもりだ”ということなんだろう。
 そう考えたトバルカインに対し、カスターは胸を張って応える。


276 : 一生存在証明、永遠を超えていけ ◆A3H952TnBk :2024/11/02(土) 16:14:40 rHlZ/9.c0

「ライダー。気持ち的にはめんどくせーけど、おたくの言いたいことは分かる」

 トバルカインは頭を軽く掻きむしり、如何にも煩わしげな態度を見せる。
 そのうえで彼女は、あくまでカスターの認識を理解していた。
 
「リスクさえ受け入れれば、寧ろこっちの視座が一気に広がる余地があるってこった。
 残存勢力の数や規模、それに対立構図。上手く行けば戦局を俯瞰的に捉えられるし、利害が一致すれば交渉をやれる余地もある」

 この聖杯戦争は、敵の情報というものを全て手探りで見つけ出す他ない。
 故に“複数の主従が集結するかもしれない状況”というものは、リスクのみならずリターンを得られる可能性に繋がる。

 敵陣営の戦力規模やサーヴァントの詳細把握、同盟・敵対関係の俯瞰視、あるいは乱戦による削り。
 情報と戦果を同時に得られるし、その中で他主従との利害一致があれば交渉することも出来る。
 また以後“出遅れた陣営”に対し、情報や戦況把握という点でイニシアチブを取れる余地もある。

「渦中に打って出ることは、却ってチャンスになる。そう言いてえんだろ」
「その通りだ、セイバーよ!!身の丈小さき幼子の割に良い眼を持っているな!!」
「うるせえよバカ、ていうかお前いっつも一言多いな斬り殺されてえのかボケ」

 余計な一言と共に讃えるカスターに対し、トバルカインはうんざりしつつ。

「……別に、闇雲に鉄を打ったって何も生まれねえってだけだよ。
 手順や材料を吟味しなきゃ納得の行く結果には繋がらない。それくらいは私もわかる」

 その上で、彼女は己の見解を語った。
 刀鍛冶と同じ。結果を得るためには、然るべき過程が必要となる。
 リターンを掴み取るためには、リスクを引き受ける覚悟を背負わねばならない。
 それを悟っているからこそ、カスターの物言いを理解していた。

 そして、それから間も無く。
 はぁ、と煩わしく溜息を吐きつつ。
 トバルカインは、己のマスターへと視線を向けた。

「――そういう訳だ、これで満足かよコトネ。
 私はハッキリ言って億劫だし、気分も最悪だ。
 白状すりゃあ、祓葉なんてバケモンにも正直関わりたくねえ」

 向けられた視線に対し、小都音は思わず息を呑む。
 トバルカインは、いつもの調子でぶっきらぼうに語る。
 そう、いつも通り。普段と変わらない、砕けた物言い。

「それでもやりてぇんなら、しょうがねえから付き合ってやる」

 しかし。小都音を射抜く眼は、紛れもなく問うていた。
 彼女がこれから選び取る“意思”を、見定めていた。

「その代わり、腹は括れよ」

 マジで――マジで嫌だけどな。そこはちゃんと分かれよマスター。
 そんなふうに悪態をつきつつも、トバルカインはハッキリと告げる。
 その眼の内奥に、刃のような殺気を宿しながら。

 己のサーヴァントに、覚悟を問いかけられ。
 胸の奥底から、緊張が迸るように駆け抜けていく中で。
 小都音は、ゆっくりと――自らの視線を動かした。
 
 小さなテーブルを挟んで、目と鼻の先。
 手を伸ばせば、容易く届くような距離。
 すぐ隣でぼんやりと座り込む、ただひとりの親友。
 ずっと傍で見つめ続けてきた、ただひとつの“お月さま”。

 ――天枷仁杜。
 目指すゴールは、二人いっしょ。
 共に生きて帰れる未来。

 果たして、そんな都合のいい道筋が存在するのか。
 死線の彼方に辿り着き、そのような結末が有り得るのか。
 はっきり言って、何の根拠も手掛かりもない。
 戦争の行く末について“何も知らない”からこそ、楽観に胡座を掻いているだけに過ぎない。

 仮に、生還へのチケットが本当に一枚だけだとして。
 自分は何の後腐れもなく、他のマスターを踏み越えていけるのか。
 親友である仁杜と対峙し、その先へと越えてゆけるのか。
 答えはわからない。何一つ、小都音の先行きは見えない。

 それでも、今は。
 仁杜と並び立って、進むことだけを考えていきたい。
 決して届かないと思っていた“天才”と、同じ資格を得てしまった。
 そんな数奇な運命を前にして、戸惑うことはあるけれど。
 少なくとも小都音は、何もかもを諦めたいとはまだ思わなかった。
 自分が生きることも、親友が生きることも。
 ――“こいつ”の手を取り続けることも、諦めたくない。

 だから、踏み出さなくてはならない。
 足並みを揃えて、前へと進んでいくためにも。
 この盤面で、戦い抜かねばならない。
 あの“大きな壁”を、乗り越えなければならない。
 そのことを、改めて噛み締める。


277 : 一生存在証明、永遠を超えていけ ◆A3H952TnBk :2024/11/02(土) 16:15:28 rHlZ/9.c0
 
 やがて小都音は、何も言わずにこくりと頷いた。
 トバルカインの言葉に向き合い、肯定の意思を示した。
 そんな彼女の答えに、トバルカインは同じく無言を貫く。
 やれやれと言いたげに眉間へ皺を寄せ、しかし神妙な面持ちのまま小都音の意思を受け止めた。

 ――腹括らなきゃなんねえのは、私も同じかもな。

 トバルカインは、振り返る。
 幾許か前の時刻。あの新宿のカフェでの交戦。
 己と真正面から打ち合い、そして眩い輝きを見せつけた、“白い少女”。
 網膜に焼き付くほどの“存在”を、脳裏に反響させ。
 彼女もまた、緊迫の中で気を引き締めていく――。

「それと……もうひとつ、気になったことがあるんだけど」
「んだよ、まだ話あんのかよ」

 そんな矢先に、再び小都音が口を開いた。
 ――いや、今ので話終わりじゃねえんだな。
 思わずトバルカインは突っ込みかけたが、いつものような悪態で済ませる。

「なんていうか、あの二人さ。
 カフェで堂々と聖杯戦争について話してて、まぁコーヒーとか吹き掛けたんだけど。
 それで。私は席とか近かったから、けっこう話の内容も聞こえて――」

 そういえばセイバーは聞いてた?と小都音が問いかける。
 トバルカインは首を横に振る――本格的な交戦が始まるまで、彼女は周囲に警戒を向けていた。
 あれこれ文句を言いつつも、敵襲や気配の接近に備えて、身構えるように待機していた。
 そのため小都音が盗み聞きしていた会話の内容までは把握していなかった。
 その後はあの激戦へと突入したため、そのことについて話す暇もなかったが。

「前みたいに仲間がほしかった、とか。
 聖杯戦争はチームで戦ってなんぼ、とか。
 あの娘たち……そんなこと話してたんだよね」

 だからこそ、小都音の語った話にトバルカインは呆気に取られる。
 何気なく耳にして、ずっと引っかかり続けていたこと。
 小都音は今後の指針や立ち回りの話を経て、それを打ち明けた。

「――待て。“前みたいに”?」

 その証言に対し、カスターが口を挟む。
 先ほどまでの芝居がかった大仰な態度は無く。
 微かに動揺するように、真剣に問い質した。

 ――“前の時みたいに仲間がほしかった”。
 ――“やっぱり聖杯戦争ってチーム戦してなんぼ、みたいなとこあるでしょ”。

 あの二人の少女が旧知の間柄であることは明白だった。それ自体はまだいい。
 しかし、その会話の内容は――まるで“前回”があり、既にセオリーも判明しているかのような物言いだった。
 とはいえ本来ならば、それだけではまだ確信たりえない。
 単にこれまでの一ヶ月間に両者の交戦や共闘があった、というだけの可能性もある。 
 
 だが、それでも“一つの可能性”に行き当たったこの場の面々にとって。
 それは思い違いの一言で捨て置けるものではなかった。

「ね、ねえ、薊美ちゃん……」

 カスター達に不穏と動揺が過った、その矢先。

「さっきから言ってた、イリスって人……」

 それまで会話に参加せず、沈黙していた“三人目のマスター”がおずおずと口を開いた。
 彼女は会話の流れで今は聞き手に回っていた、薊美へと問いかける。

「なんか……もっとどんな感じだったか、わかる?」
 
 天枷仁杜――彼女の方へと、皆の視線が向けられた。





278 : 一生存在証明、永遠を超えていけ ◆A3H952TnBk :2024/11/02(土) 16:16:20 rHlZ/9.c0



 仁杜が承諾したから、場を受け入れたものの。
 ウートガルザ・ロキにとって、この会合は好奇心の外側にあった。
 端的に言えば、それほど関心が無かった――だから彼は大人しくしていた。

 元より高天小都音という“仁杜の月並みな友人”への関心が薄かったロキにとって、彼女が新たな同盟者の存在などはどうでも良かった。
 伊原薊美という少女は、小都音よりは少しくらい見どころがあるのかと思ったが――やはり天高仁杜には遠く及ばない“ただの人間”だった。

 気丈に振る舞っているようだが、結局は“本物の器”とは比べるまでもない。
 偽物の王冠を被り、高貴を気取っているだけの小娘だった。
 彼女が引き連れている喧しいライダーに至っては、小都音のセイバーにもまるで劣る。
 ただ虚勢を張っているだけの凡夫。霊基の格からして明白だった。

 ロキにとって新参者二人はさして魅力的ではなかった。
 かといってこの場で茶々を入れるような真似をする気もない。
 だから彼は、情報共有の際に最低限の付き合いで喋るのみだった。

 トバルカインは、露骨にこちらへの嫌悪を見せて牽制している。
 ロキはそれを飄々とかわしながら、沈黙を続けている。
 諸々の推察や今後の指針に関する相談に対しては口を挟まなかった。
 そして、仁杜はいずれの場面においても禄に喋っていない――頭が回らないからだ。
 
 仁杜は決して馬鹿ではない。寧ろ感性は鋭いし、本質的には敏い人間だ。
 しかし、自分で“やりたい”と思ったこと以外への気力に乏しい。
 騒がしい時は本当に賑やかだが、そうでない時は大抵ぼけっとしている。
 だから彼女はこういう場においても、ただぼんやりと話を見守るばかりの昼行灯と化す。
 さっきまで調子に乗ってニヤついていたのが嘘のようだった。
 ――たぶん会社でもこんな感じだったんだろうなあ、とロキはふと思う。

 尤も、ロキはそのことを咎めるつもりはなかった。
 何故なら、それが仁杜の個性であり。仁杜を仁杜たらしめる“堕落”と“逃避”だからであり。
 そんな仁杜のことが、ロキは好きだからである――皮肉や悪意ではなく、本心から。
 自らと最高の相性を誇る魂と出会えた。
 それだけでも、この聖杯戦争に喚ばれた意味はある。
 そう確信できるだけの価値が、仁杜には存在していた。

 そして、幾ら小都音や薊美達が話を重ねようと、結局“仁杜は外に出ない”という結論に繋がる。
 この一ヶ月の間、仁杜はろくに外出などしていない。
 家事も物資調達も偵察も戦闘もロキがこなしている。
 仁杜は家で食っては遊んで寝るばかりの生活だった。
 無論、立ち回りさえ練っていない。ロキもそんな彼女を小突いたりしなかった。
 仁杜というマスターを得たロキならば、単独での暗躍と遊撃だけで戦果を挙げられてしまうのだから。

 だからこの会合に、自分達が居座っている意味があるとすれば。
 高天小都音という仁杜にとって唯一の“外部との接点”が、勝手に情報整理や現状把握に努めてくれることに尽きた。
 小都音達もまた“あの白い少女”と邂逅を果たし、そして敗残したようだった。
 故に彼女達は、あの“極点”を見据えた立ち回りを練っている。

 小都音という人間は何の魅力もない、平凡な木偶人形だ。それでも仁杜にとって、小都音は友人らしかった。
 仁杜と小都音はお互いを切り捨てない。ロキは悪辣で狡猾だが、そんな仁杜を裏切るような真似はしない。
 ならば小都音に関しても「使えるところでは適当に使っておこう」というふうにロキは考えることにした。
 仁杜に代わってあちこち駆け回ってくれる適当な小間使い。親しげな使い走り。そういう認識である。


279 : 一生存在証明、永遠を超えていけ ◆A3H952TnBk :2024/11/02(土) 16:16:58 rHlZ/9.c0

 その点に関しては、都合が良かった。
 元よりロキは、仁杜を無理にでも外に出そうという気はなかった。
 小さな部屋。狭い箱庭。閉鎖された空間――それが仁杜に相応しい居場所だった。
 自分の世界に閉じこもり、現実から逃避し続けてくれる方がロキにとっても良かった。

 ロキの能力はマスターとの“認識の共有”に大きく依存する。
 今のロキが最高のパフォーマンスを発揮できているのは、ひとえに仁杜が超弩級のボンクラだったからだ。
 仁杜は都合の悪い“現実”を決して見ない。いつだって甘い“夢”の中に生き続けている。
 そんな彼女だからこそ、幻想を力にするロキとのずば抜けた同調を果たしている。
 故に仁杜には無理に厳しい現実を直視してもらう必要はなかったし、仁杜自身もその気はないことをロキは知っていた。

 情報共有や有事の際に協調はするが、ご存知の通り“にーとちゃん”はこういう人間だ。
 無理に動かす気はないし、自身も彼女を守る必要がある。だからこっちはこっちで好きにやらせてもらう。
 ――ロキはそんな理屈を用意するつもりだった。
 小都音は仁杜の人柄を誰よりも理解している以上、無理強いはしないだろう。
 薊美もまたこの場で無用な波風を立てないよう、小都音に同調することが見えている。

 どんな争乱が起ころうと、天枷仁杜は変わらない。
 自堕落にぐうたら過ごし、現実と隔絶した“幻想”に浸り続ける。
 それでいい。それ故に彼女は“逸材”足り得るのだから。

「ね、ねえ、薊美ちゃん……」

 されど時に、“逸材”であるが故に。
 仁杜は、ロキの想定を外れることがある。

「さっきから言ってた、イリスって人……」

 “前みたいに”――小都音の話にロキが少しばかり興味を惹かれた矢先だった。
 それまで会話に参加しなかった仁杜が、突然話題に食いついてきた。
 おずおずと、不安げに。しかし、何か非常に気になっている様子で。

「なんか……もっとどんな感じだったか、わかる?」

 ロキは、いつだって不敵な余裕を絶やさない。
 しかし、この時ばかりは――ほんの微かにでも、意表を突かれていた。





280 : 一生存在証明、永遠を超えていけ ◆A3H952TnBk :2024/11/02(土) 16:18:01 rHlZ/9.c0



 ――ぶっちゃけ、よくわからない。
 小都音達の会談を前にして、仁杜は率直にそう思っていた。

 この一ヶ月がどうこうとか、どんな敵がいたとか、ああだこうだとか、バッタだの事故だの災害だの行方不明だの何だの。
 皆があれこれ真面目な話をしていた。仁杜は一ヶ月間「外は危ないもんね。会社と行かなくていいし、ずっと引きこもってゲー厶してよっ」としか考えてなかった。

 外での荒事もロキがぜんぶ担ってくれていた。
 仁杜は知っている。“ロキくん”は凄くて、頼もしくて、なんでもしてくれる。
 彼が無茶をして傷つくかもしれないことは心配だったけれど、ロキはいつだってあの笑顔と共に飄々と帰ってきてくれる。
 だから仁杜は甘やかしてくれるロキにぜんぶ委ねて、無職ライフをほかほかと送り続けてきた。

 小都音達の話はよくわかんなかったし、どこか他人事のような感覚があったけれど。
 同時に、“ことちゃんもずっと頑張ってたんだな”――なんて思いが込み上げてきた。
 自分は無職で、ぼんくらで、自堕落で、ダメ人間。
 それくらい仁杜自身もぼんやり分かっている。認めたくないけど。
 けれど小都音は今も、こうして薊美達と話し合っている。

 昔からそうだ。“ことちゃん”は偉い。仁杜はそんなことを思う。
 いつも不甲斐ない自分の面倒を見て、世話を焼いてくれてる。
 “あの天枷さんとつるんでる”なんて陰口を叩かれても、気にしないで友達でいてくれる。
 自分も見てないところで色んな努力を重ねて、コツコツと頑張ってる。

 それは、今も同じだった。
 仁杜がだらだら過ごしてる間も、小都音はちゃんと考えて、何かをやっている。
 そんな小都音のことを、仁杜は純粋に“すごいなぁ”と思っていた。

 仁杜は、自分が一番好きだけど。
 自分の友達でいてくれる人も好きだった。
 小都音もそうだったし、ロキもそうだった。
 そして、この空想の世界でもうひとり――彼女には“友達”がいた。

「“イリス”って子について?」
「うん。見た目とか、そういうのだけでもいいから」

 仁杜からの問いかけに対し、薊美が応える。
 突然口を開いた仁杜に少し驚いている様子だった。
 
 オンラインの狩ゲーで、“その娘”はいつも同じような装備で固めていた。
 全身白黒の下位装備。髪色も含めて偏執的なまでの白黒コーデ。
 マルチプレイで色んな素材を掻き集めているにも関わらず、いつまでもその姿のまま変わらない。
 縛りプレイのようなもの、と本人は語っていたけれど。
 多分そういう“見た目”を貫くこと自体に物凄く拘りがあるのだろうと、仁杜はなんとなく察していた。

 彼女のハンドルネームは〈Iris〉。
 ほんの少し前に喧嘩別れのような形になっていた、仁杜の“友達”だった。

「髪の色も、服装も、みんなツートンの白黒で固めてて……。
 魔術もその色彩に関わってる感じだった。結界とか領域っていうのかな、ああいうの」

 薊美の説明を、仁杜は聞き続ける。
 ――“イリス”という名前の、“白黒”の魔女。
 小都音達の会談の中でそんなワードが飛び出てきたとき、仁杜は思わず不意打ちを食らったような気持ちになった。
 小都音や薊美達が戦った敵の片方。これからの戦いで間違いなく立ちはだかる大きな壁、らしい。
 どちらかがバッタのマスターかもしれないらしく、しかし仁杜にとってはそれ以上に重要なことがあった。

 皆がずっと話し込んでいて、上手く割り込めなかったけれど。
 ある懸念に行き当たって、動揺が走って、それから一瞬黙り込んで。
 その間に割り込むように、仁杜は問いかけたのだ。


281 : 一生存在証明、永遠を超えていけ ◆A3H952TnBk :2024/11/02(土) 16:18:52 rHlZ/9.c0

「口とか、悪かった?」
「――え?」
「その子!口とかって、悪かったりした?」

 仁杜の更なる疑問に、薊美は面食らうような反応をする。
 口が悪かったか。そんなことを気にする余裕はあまり無かった。
 だから薊美は、傍にいるカスターへと話を振る。

「……ライダー、どうだった?」
「おやおや、奇妙な質問だね!!」
「淑女(レディ)が問いかけてるから、貴方も答えなきゃだよね」
「レディ……う、うむ!!まぁ、うん!!そうだな!!彼女も、見方によっては……うむ!!レディなのだろうな!!」

 微笑む薊美に対し、カスターは笑みを引き攣らせた何とも微妙な表情を見せる。
 彼が視線を向けた先にいるのは、質問者である仁杜。
 ――アメリカの麗しき淑女には程遠い、無職で引きこもりの独身女性である。
 
「にーとちゃんのことナメてるよコイツ」
「薊美ちゃんはイケ女だったのにな〜〜〜」
「すまん!!!悪気はないのだ!!!」

 頬杖をついて胡座を掻くロキに小突かれ、仁杜にまで小突かれる。
 第七騎兵連隊の輝かしき将軍は、妙な申し訳なさで思わず平謝りをかました。
 それから気を取り直して、カスターは咳払いをする。

「して、“イリス”という少女のことだね!!
 まぁ、ふてぶてしかったんじゃあないかな!?
 片割れである“祓葉”はまだ愛嬌があって快活だったがね!!
 “イリス”の方は幾らか、こう、窶れた雰囲気があったな!!」

 白い少女は快活だったが、白黒の魔女は口が悪いといえば悪かった。
 雰囲気も窶れているといえば、窶れていた。
 カスターも思わぬ質問に対し、少々歯切れの悪い答えを返す。
 如何なる口調で喋っていたか。あの混戦の中で、そんなことにまで意識を向ける者は早々いない。

 とはいえ、仁杜からすれば“それだけ”でも十分だった。
 何も得られないよりは、ずっとましだった。

「ことちゃんも、なにか覚えてない?さっき会話とか聞いてたんだよね?」
「えっ?うーん……」

 仁杜は立て続けに、小都音にも問いかけた。
 小都音は暫し悩むように考え込んでから、口を開いた。

「……まぁ、色々と“こじれてる”っぽかったかな」

 少しばかり考え込んだ末に出てきた両者の印象は、そういった関係だった。

「誰かに告白されたとか何とかで、相談してたらしくて。
 恋バナっていうか……そういうのを話せる関係なんだと思ったけど。
 でもあの二人、結局そっからドンパチしてさ。ほんとビックリした」

 戦闘が起こる前にぽつぽつと聞こえた会話からして、“そういう話”が出来るくらいの間柄らしくて。
 そうした遣り取りの末に決裂して、あろうことか戦いにまでなって。
 その最中にも、何やら言い争っている姿が見え隠れして。

「なのに……なんだろ。一緒に戦った途端、息ぴったり?みたいな」

 だというのに、騎兵隊が乱入した直後から。
 あの二人の少女は、阿吽の呼吸で共闘を果たしていた。

「――どういう仲だったんだろ。あの娘たち」

 あの乱戦は、本当に熾烈なものだった。
 誰が脱落したとしても、決して不思議ではなかった。
 その死線の狭間で、見え隠れしていたものがあった。
 半ば見過ごしかけていた“それ”は、仁杜の問いかけによって掘り起こされた。


282 : 一生存在証明、永遠を超えていけ ◆A3H952TnBk :2024/11/02(土) 16:20:01 rHlZ/9.c0

 仁杜は、数時間前の出来事を振り返っていた。
 ネットゲームでのチャットを介した遣り取り。
 普段よりも悪口の切れ味がなかった“友達”。
 何か悩んでいる様子だったけど、素気なくはぐらかされて。
 大きな地雷を踏んだらしくて、そのまま突き放されて。
 ――トークアプリの返信は、未だに来ない。

 小都音達が会った“イリス”について、仁杜は考えていた。
 込み入った事情を背負っているらしい、その“白黒の少女”のことを。
 確かなことは、仁杜の“友達”は何かを抱え込んでいるということで。
 その“イリス”もまた、何かを背負っているらしいということだった。

 さっき喧嘩別れしてしまった狩友が、実は聖杯戦争のマスターでした。
 そんな都合の良い偶然が有り得るのか、なんて仁杜は一瞬でも思ったけれど。

 ――有り得る。ぜったい有り得るよ。
 ――だって、“ことちゃん”だってそうだったもん。

 偶然を超越した運命みたいものは、間違いなく存在する。
 仁杜は半ばそんな確信を得ていた。
 たった一人の親友、高天小都音でさえもマスターだったのだから。

 イリスという少女のことを噛み締めて。
 仁杜は思い馳せるように、ほんの微かに俯いていた。

「あとさ!その、もう一つ気になったことなんだけど……」

 そして、小都音達の会話を小耳に挟んでいたうえで。
 仁杜には、ずっと引っ掛かり続けていたことがあった。

「その祓葉って子とか、やばいチートみたいなのも居て。
 けど、ことちゃん達も薊美ちゃん達も、あれこれ話し合ってて。
 色々ちゃんと考えててすごいなって、思ってたんだけど――」

 仁杜は“よくわからない”なりに、少しは会話を小耳に挟んでいた。
 上手く咀嚼は出来なかったし、大抵は頭の中をすり抜けていったけど。
 それでも、仁杜は曲がりなりにも要点を掴んでいて。

「あれ?ってちょっと引っかかったというか」

 そんな中で、ふと思い至ったことがあったのだ。

「前にロキくんから聞いたんだけど。
 聖杯戦争って、ほんとは魔術師同士でやるものなんだよね?」

 魔術師たちが古今東西の英霊を召喚し、たった一つの願望器を求めて争う儀式。
 それこそが聖杯戦争である。仁杜は自らのサーヴァントからそう聞いていた。
 実際、この舞台でもロキは何度も魔術師と相対して戦っていたらしく。
 そのことに対し、仁杜は「ロキくんってほんとに強いんだなぁ」と呑気に思っていた。

 それ以上のことは深く考えていなかった。
 勝てば一生不労所得で生活。永遠にゲーム三昧。ラッキーでウハウハ。毎日がフィーバー。
 仁杜が考えていたのは、聖杯で得られる利益のこと。そしてロキと仲良く過ごせる時間のことだった。
 他のことは知らないし、興味もなかった。
 自分以外のマスターも、小都音や薊美以外には出会ったことがなかった。
 だから仁杜は聖杯戦争に対する思考を止めていた。

 しかし、こうして会談を聞いていて。
 今の仁杜の頭の中には、ひとつの疑問があった。

 ――なんかさ、こうして普通に戦いのこと考えてるけど。
 ――よくよく思えば変じゃない?だって、私はさ。
 ――っていうか、ことちゃんも薊美ちゃんも。
 ――違うじゃん、ぶっちゃけ。


「私たちって魔術師じゃなくない?なんで喚ばれたんだろうね」

 
 その一言が呟かれた瞬間。
 しん、とその場が鎮まり返った。


283 : 一生存在証明、永遠を超えていけ ◆A3H952TnBk :2024/11/02(土) 16:21:35 rHlZ/9.c0

 薊美も、カスターも。小都音も、トバルカインも。
 仁杜が何気なくぼやいた言葉を前に愕然とし、目を丸くしていた。
 ただ一人、ロキだけが動じることもなく真顔で頬杖を付いている。

 あまりにも初歩的な事実であり。
 最早わざわざ語るべきでもない現実であり。
 しかし、それ故に見落されていたことだった。

 それは、薊美も、小都音も、仁杜も。
 ある一点では、同じということだった。
 彼女達は――魔術師でも何でもないのだ。

 聖杯戦争の存在すら、知る由はなかった。
 叶えるべき願いも、根源への悲願もなく。
 魔道の世界とは無縁の人生を歩んできた。
 だというのに、彼女達は“マスター”として呼び寄せられたのだ。

 それだけならば、何てことはない。
 ただ“セオリーを大きく外れた、無作為なマスターの選出”というだけに留まる。
 その時点で異常ではあるのだが、彼女達がわざわざ論ずることではない。

「令嬢(マスター)よ」

 ――しかし。
 ――しかし、だ。
 
「イリスという少女曰く、祓葉とは“我々が挑まされるモノ”だそうだ」

 カスターが、その言葉を反芻した。
 ”太陽“の輝きが、己の神話を打ち破った瞬間。
 その奇跡を見届けた白黒の魔女が告げた、避けられぬ運命を指し示す一言を。

「……ねえ、ライダー。それにセイバーも」

 その言葉を耳にして。
 薊美は、ある可能性に思い至っていた。

 聖杯戦争は、魔術師同士の闘争である。
 にも関わらず、魔術師ではない者が何人も喚ばれている。
 しかも薊美達が示すように、後付けの魔術回路まで手に入れているのだ。
 まるで“聖杯戦争の道理を覆すこと”が初めから大前提であるかのようだった。
 この儀式は、本来のあるべき姿に全く固執していない。

「あの祓葉って娘さ」

 薊美は、言葉を続ける。
 人目も憚らない場慣れした立ち回りに加え、均衡を崩壊させる力を持った主従の存在。
 この聖杯戦争が“二度目の開催”であり、既にセオリーが割れているという可能性。
 魔術師同士による殺し合いという本来の在り方を覆すマスターの人選。
 魔術と無縁の“一般人”を舞台に上げ、後付けの異能を付与するという手段。
 イリスが“私達が挑まされる者”と評した祓葉。
 見る者の眼を余すことなく灼き尽くす、祓葉の“極光”。
 これらの構図の中で、一つの疑問が浮かび上がる。

「あれは“魔術師”なの?」

 神寂祓葉は、果たして“魔術師”なのか。
 薊美の問いかけに、カスターとトバルカインが即答する。

「いいや、違うな」
「断じて違ぇよ」

 彼女と直に戦ったからこそ。
 両者は、そのように断言ができる。


284 : 一生存在証明、永遠を超えていけ ◆A3H952TnBk :2024/11/02(土) 16:22:29 rHlZ/9.c0

 あの白い少女は“我々が挑まされる者”であり。
 あの白い少女は“魔術師”ではない。
 その答えによって、ピースが嵌め込まれた。

 なぜ“魔術師以外”からも喚ばれたのか。
 この聖杯戦争自体が“魔術の儀式”とは異なる領域にあるからではないか。
 魔術師側の常識から完全に逸れた、外法の催しだからではないか。
 だとすれば、一体誰がそんなことを目論んだのか。
 この戦いを始めた者がいるとすれば、それは“魔術師とは異なるモノ”なのではないか。

 “魔術師同士の闘争”という有るべき姿に固執せず。
 自らも“魔術師”ではないからこそ、常人のマスターが選出されている。
 そして後付けの異能を付与され、焚き付けられている。

 “我々が挑まされる者”。“地上で輝く太陽”。
 英霊さえも超越する“異端の存在”。
 そして、“前回”の可能性を仄めかした張本人。
 ――なぜ“祓葉”は、あれだけの器と力を備えているのか。

 アレは本当に、自然発生的に出現しただけの強者なのか。
 薊美達と同じように、ただ巻き込まれただけのマスターなのか。
 なぜあの極星は、“前回”の存在を仄めかしていたのか。
 なぜ彼女は、あれほど堂々と動いていたのか。
 本来の在り方から明らかに外れている、今回の聖杯戦争とは――“魔術師ではない黒幕”が介在しているのではないか。

 あの強大な輝きが、薊美達の脳裏で反響し続ける。
 そうであると断言しても、決して不足はない。
 それだけの風格があった。それだけの説得力があった。
 そして、その疑念を埋めていくだけの“可能性”が揃っていた。

「――要するにさ」

 核心の片鱗へと行き当たり、誰もが沈黙する中。
 ただ一人だけ、飄々と笑みを浮かべながら口を開く者がいた。
 衝撃と動揺に沈むこの場を、まるで揶揄い嘲笑うかのように。

「あの娘が“黒幕”なんじゃないの?」

 恐れることもなく、ロキはあっけらかんと言い切る。
 彼らが辿り着いてしまった、あまりにも大きな答えを。





285 : 一生存在証明、永遠を超えていけ ◆A3H952TnBk :2024/11/02(土) 16:23:21 rHlZ/9.c0



 じわり、じわりと。
 退屈な凍土が融け落ちていく。
 月明かりが緩やかに、そして確かに。
 氷雪の穴蔵を照らしていく。

 ゆらり、ゆらりと。
 冷え切っていた意識に、熱が取り戻されていく。
 仄かな月光が、静かに射していくように。
 今はまだ小さく、しかし紛れもない炎が、揺らめいていく。

 それまでテーブルへと向き合っていた仁杜。
 彼女は今、ロキの方へと振り返っていた。
 その眼差しは、もう一人の親友である彼に訴えかけている。

 ――ロキくん。私さ。

 ああ、薄々感じていたが。

 ――お出かけしたいかも。

 やっぱり、そう来るよな。
 ロキは思わず苦笑する。

 仁杜はいつも引き篭もって、自分の世界だけに居座っていた。
 外界へと赴く意思は無かったし、その必要さえも無かった。
 全てはロキという相方が飄々と片付けるのだから。
 
 しかし今、彼女はいつになく聖杯戦争への興味を示していた。
 “イリス”という魔女への強い関心を向けて、自発的に情報を聞き出していた。
 そうして、この聖杯戦争の核心的な異常性を指摘し。
 仁杜はこうして、この一ヶ月で初めて、行動するという意志を見せている。

 仁杜が“イリス”と如何なる接点を持つのか、今はまだ掴めていないが。
 仁杜は動かないという、ロキの目論みは思わぬ形で外れた。
 しかし、憂うことは無かった。咎めるつもりも無かった。
 ひとつ、思い至ったことがあったからだ。
 
 光の根源。この世界の神格。全てを超越する特異点。
 己が生み出した幻獣さえも切り裂いた、文字通りの怪物。
 あの白い少女――“祓葉”。

 蝗害を追うことは、二人の少女の手がかりを掴むことに繋がる。
 そして、仁杜は“イリス”に強い興味を示している。
 “イリス”を追えば、恐らくは“祓葉”への道筋も拓かれる。

 ロキは、考えた。
 天枷仁杜を――“祓葉”と接触させる。

 あの“白い少女”は、紛れもなく極点だった。
 そして天枷仁杜は、彼女に最も近い素質を持つ。
 もうひとつの極点。異端の特異点。神に迫る可能性を持つ存在。
 そんな仁杜を、もしも“神”と直接接触させたならば。
 如何なる反応を見せて、如何なる覚醒へと至るのか。

 ロキは、自らが博打を打とうとしていることを自覚していた。
 仁杜が外に出ることを許し、剰えあの“白い少女”への接触へと向かわせる。
 一歩間違えれば、仁杜の未来を閉ざすかもしれない。
 あの強大な光を目の当たりにして、仁杜の現実感は負の方向へ一変する余地もある。
 彼女の成長を食い止めかねないという危険も否定はできない。
  
 しかし、それでもロキは仁杜を信じていた。
 この“月”が、“太陽”へと肩を並べることを。
 堕落し、零落し、人として落ちぶれたこの女。
 それでも特異点としての素質を持ち続けた仁杜は、ただでは転ばない。
 そう確信していたからこそ、ロキは見届けたいと思っていた。

 ――ああ、そうこなくっちゃ。
 それでこそ“俺”の愛おしき半身。
 夜に咲く月は、己の予想をも超えて往く。
 幻惑の奇術師は、待ち受ける運命に歓喜する。

 なあに。
 神を嘲ることには、慣れっこさ。
 




286 : 一生存在証明、永遠を超えていけ ◆A3H952TnBk :2024/11/02(土) 16:24:06 rHlZ/9.c0



 情報共有と考察を経た会談が一旦終わり。
 主従はそれぞれの相棒と共に、念話で打ち合わせをしていた。

 伊原薊美とカスターは、優れた才人である。
 同時に彼女達は、“虚構の月(ペーパー・ムーン)”だった。
 かつてカスターが伝聞や作劇の中で偶像と化したように、薊美もまた舞台の上で偶像と化す。
 天性の才覚と周囲からの風評によって、自らの実態すら超える姿を演じてみせる。

 だからこそ二人は本物の神話には届かない、“銀幕の神格(ジョン・ウェイン)”に過ぎない。
 彼女達は英雄として堂々と、傲岸に振る舞う――英雄には遠く及ばないにも関わらず。
 そして、先ほどの死線において、彼らは“真の英雄”を前に敗退した。

 ジョージ・A・カスターはあの“白い少女”に対し、既に自らの底を見せている。
 恐れ知らずの強運、勇猛果敢な立ち回り。無数の騎兵隊を使役する召喚宝具、そして民族浄化を具現化した殲滅宝具。
 その全てを行使して“少女”へと挑み、持てる力を振り絞り、最後は“眩い光”によって伝説ごと打ち砕かれた。

 全弾を使い果たし、そのうえでカスターは神寂祓葉には及ばなかった。
 それこそが紛れもない事実だった――しかし、それでも。

『――例え敵が“神”だとしても、私は挑む』

 それでも尚、カスターは断言する。
 勝利への行進を、決して止めはしないと。

『情けないことに、今の私はまさにスターゲイザーだ。
 しかし……アレから逃げれば、今度こそ“挫折者”として終わる。
 故に、戦わねばなるまい。太陽を撃ち落とさねばなるまい。
 真なる栄光の道へと進むために』
 
 あの少女に挑まねば、自分達は敗者として終わると。
 あの少女を見据えてこそ、自分たちの道は切り開かれるのだと。
 それを確信していたが故に、カスターは揺るがずに告げる。

 カスター将軍は、二流の英霊だ。
 神秘の時代には程遠く、歴史の逆風に吹かれ、栄光すらも色褪せている。
 しかしそれでも、決して足を止めることはしない。
 そんな己を自覚しているが故に、彼は“歴史の極星”になることを望んでいるからだ。

『そのうえで、敢えて問わせて貰おう。
 君は――大丈夫かね、令嬢(マスター)』

 カスターは決して引き返さない。
 誉れ高き栄光を見据えて、軍靴を響かせ続ける。
 
 故に彼は、己がマスターに覚悟を問う。
 先程トバルカインが小都音に問いかけたように。
 これより鉄火場へと突き進む上で、薊美の意思を見定めることにした。

『……ライダー』

 薊美は、そんな彼の言葉を前にして。
 迷いを抱き、足踏みすることはなかった。

『私の答えは、ひとつ』

 ぱちんと、戯けるようにウインク。
 それから薊美の表情が、不敵な微笑みへと変わる。
 悠々と洒落込みながらも、その瞳の奥底に獰猛な殺意を宿す、“優雅で無慈悲な女王”の顔だった。

『“運命は星が選ぶのではない。我々自身の意思が決めるのだ”』

 ――薊美の返答は、堂々たる不敵な台詞だった。
 それは、古典文学から引用された粋な言い回しであり。
 神を前にして自らの想いを突き通すことを示す、傲岸なる宣言だった。

『はっはっはっは!!!シェイクスピアか!!!
 その一節は“ハムレット”だったかな!!?』
『これは“ジュリアス・シーザー”』
『そう!!!それだ!!!間違えた!!!』

 カスターは思わず、念話で高らかに笑った。
 ――まさに、期待通り。そう来なくては、我がマスターよ。
 そう言わんばかりに、彼は心底愉快そうに喜びを見せた。
 
『そうでなくてはなぁ、“傲岸なる令嬢(トゥーランドット)”よ!!
 その意気や良し!!神でさえも首を落としてやろうではないか!!』

 自らのサーヴァントからの惜しみなき賛辞を前にして、薊美は微笑みを絶やさず。
 その笑みの裏側で――改めて決意を固めていた。
 
『さて!!では“戦争”の先人として、ひとつ君に助言を与えさせて頂こうか!!』

 そして、カスターが話を切り出す。
 確固たる決意を見せつけた薊美に、ある道を指し示す。
 それは、この戦争を戦い抜くための助言だった。
 
『――この一ヶ月で、君の能力について検証する機会は何度かあった』

 この聖杯戦争に呼び寄せられたマスターは、魔術師の血族でなくとも“魔術回路”を獲得する。
 そして時に、個々の“異能”と呼ぶべき力を体得する。
 薊美はその結果として、他者を魅了する魔術を手に入れていた。


287 : 一生存在証明、永遠を超えていけ ◆A3H952TnBk :2024/11/02(土) 16:25:21 rHlZ/9.c0

 これまでの発動に関して振り返れば、“魅了”の異様は決して優れたものではなかった。
 規模は限定的であり、持続もごく短時間に留まっていた。
 薊美自身も異能という不慣れな技術に対し、扱いを持て余していた節があった。

 対面した相手に“好印象”を抱かせて、遣り取りを誘導させること以外で言えば。
 主な使い道は、専ら緊急措置としての“回避”や”撹乱“のためだった。

 敵に狙われた際に魅了を発動し、自身に向けられた攻撃をわざと外させるとか。
 敵の認識を一瞬だけ揺さぶって、行動の隙を作るとか。
 あくまで保険としての防御手段、咄嗟の回避を成立させるための装置。
 あるいは、その延長線上としての撹乱手段。
 これまで行使してきた薊美の異能は、あくまで補助的な能力に過ぎなかった。

『――“茨の女王”を自負するなら、もっと大胆になれ』

 この栄光たる騎兵は、そんな彼女の在り方に一石を投じる。

『“太陽”を落としたければ、小手先の技で満足してはならない』

 それでは足りない。そんな小細工は君らしくない。
 もっと堂々と振る舞うべしと、カスター将軍は告げる。

『君の異能とは、要するに“自分の魅力で相手の心を刺すこと”だ。
 己の存在感によって他者の目を奪い、思考を揺さぶる――私も常日頃からやっている』

 カスターは常に、騎兵隊の輝かしき凱歌を唄う。
 己が率いる軍勢を鼓舞し、高らかなる行軍を行う。
 ――彼は英傑としては二流だ。しかし、そのカリスマは決して偽りではない。
 彼は確かに合衆国民の心を虜にし、模範的な開拓者として祭り上げられていたのである。

『それに魅了とは、敵を惑わすだけではない。
 味方を鼓舞する力でもある。そして私の宝具は“部隊”を呼び寄せるものだ』

 そうしてカスターは、言葉を続ける。
 己のマスターに対し、道しるべを示し続ける。

『私を参考にしろ。君は私のようになれる。
 カリスマを演じろ、強運を演じろ、主役を演じろ。
 それらを“君の演技”へと昇華させろ。高らかに歌ってみせろ。
 役に成り切り、演じることは――君の十八番だろう?』

 固有の異能を単なる“窮地の回避手段”という矮小な技術に落とし込めるのではない。
 舞台の演者である薊美の素養と噛み合わせ、そのポテンシャルを最大限に引き出すのだ。

 “魅了”とは精神干渉の術。他人の思考や認識を刺し、直接的に心を揺さぶる力。
 ここが限界ではない、未だ伸びしろはある。
 使い魔を中心とする自軍を鼓舞し、弾すら避け切る強運の主役として振る舞い、より大胆に敵を惑わし撹乱してみせろ。
 そして、思うがままに歌ってみせるがいい――そのように蒼き騎兵は道を示す。

『そのうえで我々も全力でカバーする。勇猛なるソルジャー・ブルー達が君を守る盾となろう』

 無論、自分も“女王の君臨”を支える。君の舞台は全力で担ぎ上げる。
 カスターはそう伝えたうえで、結論として告げる。

『本来の君は”舞台女優“。高らかに壇上へと立ち、自己を主張すべき役者なのだ』


288 : 一生存在証明、永遠を超えていけ ◆A3H952TnBk :2024/11/02(土) 16:26:08 rHlZ/9.c0

 伊原薊美。君は、英霊の後方で控えている器ではない。
 戦いを他人事と思うな。自らの領域ではないと思い込むな。
 この聖杯戦争を、君の舞台のひとつへと変えてみせるのだと。
 カスターは、全身全霊の激励を行った。

『――私もまた、この地にて“運命”が待ち受けている。
 シッティング・ブル。あの偉大なる大戦士が、確かに存在している。
 君も己の運命を乗り越えろ。私は従者としてそれを支える』

 自身のサーヴァントから背中を押された“茨の君”。
 伊原薊美は、自らの戦う術を見出される。
 何処か遠い物のように思えていた戦争が、己の根幹へと肉薄していく。
 演じること。役者として振る舞うこと。それこそが、異能を更に高めるだろう。
 カスター将軍が示した道筋を、薊美は見据えて。
 その口元には、知らず知らずのうちに、不敵な笑みが浮かんでいた。

 ――上等だ。ずっとそうして生きてきた。
 ――それこそが、誰にも譲れない武器だ。

 例え、この道を選ぶことさえも。
 あの“白い少女”の掌の上だったとしても。
 あの“無垢な輝き”の思い通りだったとしても。

 茨の王子は、構うことはない。
 さらりと微笑み、凛として振る舞う。 
 何故なら、いつだって彼女の戦場は“そこ”にあったから。

 舞台の上に立ち、何かを演じること。
 伊原薊美の戦いは、常に“演じること”の中にあった。
 ――あの白い少女、祓葉への殺意に目覚めてから。
 彼女の中の魔力は、燃え盛る炎のように昂っていた。





289 : 一生存在証明、永遠を超えていけ ◆A3H952TnBk :2024/11/02(土) 16:26:55 rHlZ/9.c0



 ――そして、あの祓葉という少女について。
 ――薊美には思うことがあった。
 ――殺意と憎悪という、負の感情とは異なる領域で。

 色々な場所で、色々な相手(やくしゃ)を目にしてきた。
 色々な演劇で、色々な登場人物(にんげん)を咀嚼し続けてきた。
 舞台の世界で数多の場数を踏んできた薊美は、他者を観察することに慣れている。

 仮に、この聖杯戦争が本当に二度目であるのなら。
 あの“白い少女”が本当に黒幕であるのなら。
 なぜ彼女は、聖杯戦争を再び始めようと思ったのか。
 
 一度目の聖杯戦争が存在し、尚且つ彼女が黒幕であるのなら。
 既に勝敗というものは決しているのではないか。
 更に言うのなら、祓葉は聖杯そのものを掌握しているのではないか。
 にも拘らず、なぜ再び戦争を始めることとなったのか。

 何か、聖杯というシステムにまつわる思惑があったのか。
 再び戦いへと身を投じねばならない意図があったのか。
 あるいは、既に心身が破綻しているのか。
 幾つかの理由が浮かんでいた中で、薊美は自身の記憶にある祓葉の姿を掘り起こし。
 ひとつ、強く印象に残ったことがあった。

 あの少女は。
 祓葉は、ひどく楽しそうだった。
 まるで玩具を与えられた子供のように。
 遊び相手を見つけられた幼子のように。
 彼女は奔放に、戦争を楽しんでいた。

 祓葉は、孤高そのものだった。
 圧倒的な輝きを放つ、白き太陽だった。
 茨の王子が嫉妬するほどに、彼女は君臨を果たしていた。
 にも拘らず、彼女は遊びを楽しんでいた。
 自身に向き合ってくれる者がいることを、心から喜んでいた。

 ああ、自分とはまるで違う――薊美は、そう思う。
 茨の君は、孤高を貫く蹂躙者だった。
 有象無象はすべて、転がる果実に等しい。
 自身と並び立つ者を決して許さず、余すことなく踏み潰していく。
 だからこそ、祓葉が楽しんでいることが奇異に映っていた。

(孤高でいるのが、嫌なのかな)

 薊美は、そんなことを思う。
 あの祓葉という少女が、孤独を望んでいないように見える。
 あれほどまでの神格であり、蹂躙者であるにも関わらず。
 遥か彼方に座する自身と向き合ってくれる、友達を求めているように思えた。

(――へんなの)

 その気持ちが、薊美にはよくわからなかった。
 理屈として飲み込むことはできても、まるで感情移入できない。

(わけわかんない)

 だって、意味なんて無かったから。
 友達なんてものを得られたところで。
 自分と向き合ってくれる遊び相手を見つけられたところで。
 孤高を嫌って、独りぼっちというものを拒絶したところで。

(お父さんは別に褒めてくれないもん)

 くり、くり、くり――。
 薊美はぼんやりとそんなことを思いながら。
 自分の横髪を、右手の指で弄っていた。
 些細な癖が抜けない、小さな子どものように。





290 : 一生存在証明、永遠を超えていけ ◆A3H952TnBk :2024/11/02(土) 16:27:49 rHlZ/9.c0

 

 全ての黒幕たる極星、“特異点”。
 光に灼かれし狂想の使徒、“始まりの六人”。
 彼らは眩き太陽を中心に集い、再演の針音を刻み続ける星群――“七つの星(アステリズム)”。

 この世界に喚ばれし、名もなき役者(マスター)達。
 彼らもまた、ひとたび神寂祓葉が放つ極光に触れれば、何かしらの“影響”を受けていく。
 特異点の熱は遍く者達の魂を侵食し、その存在を焼き付けていく。
 まるで彼女という孤独な星が、自身に引き寄せられる“遊び相手”を求めるかのように。

 そんな永劫の恒星に運命を狂わされ、そして蘇った“六人”。
 彼らは死すらも覆され、特異点への狂気に駆られる亡者と成り果てた。
 光に網膜を灼かれ、残骸のような意志に沿って奔り続ける。
 行き着く果てはすべて、“あの白い光”へと収束していく――。
 それはもはや人の在り方ではなく、極星の引力に従う“衛星”に等しかった。

 彼らが、既に――“特異点の亜種”と化しているのなら。
 この針音の聖杯戦争を加速させるのは、極光の太陽だけに留まらない。
 
 全てを灼いた太陽と、その光の使徒と化した最初のマスター達。
 始まりの聖杯戦争を経た“七人”自体が、役者を導く“運命の引き金”に成りうるとしたら。
 あるいは、かつて“凍原の赫炎”や“蝗害の魔女”などが神寂祓葉に灼かれて、その能力を変質・進化させたように。
 星群である“七人”という存在そのものが、役者たちの“才能/異能”を更なる高みへと導く“起爆剤”になるとしたら。

 始まりを知る“七つの星”は、遍く者たちに運命と狂気を伝染させていく。
 神寂祓葉が、この世界の理を司る“神格”ならば。
 彼女に灼かれし六人は、理に従う“眷属”に等しいのだから。

 そして、世界にひとつの摂理があるならば。
 例外もまた、往々にして存在するのだ。

 



291 : 一生存在証明、永遠を超えていけ ◆A3H952TnBk :2024/11/02(土) 16:28:27 rHlZ/9.c0



 天枷仁杜は、自堕落で、出不精で、滅多に外に出ようとはしない。
 必要に迫られない限り、自室という小さなお城の中に閉じこもり続ける。
 それが彼女にとっての安息であり、自分の心をいそいそと守るための殻だった。

 しかし――時おり、本当に時おり、仁杜は大胆な行動力を見せることがある。
 まだ二人が子どもだった頃の在りし日に、小都音を誘って“数十年に一度の流星群”を見に行ったように。
 小都音はそのことを、何となしに理解している。
 そして仁杜が“イリス”という少女について問い質したとき、小都音は彼女のそんな姿を思い返していた。
 だから、なんとなく察していた。

 自分の知らないところで、仁杜には何か思うところがあって。
 そのために、動き出そうとしている。
 全貌は分からずとも、小都音は半ば確信していた。
 小都音にとって彼女は、ただ一人の親友だったから。

『――おう、コトネ。お前ホントに面倒なことに首突っ込みやがったな』

 そんな思いを巡らせていた矢先に、トバルカインが念話でそう告げてくる。
 確かに覚悟は問うた。鉄火場に関わり、いずれあの祓葉とも対峙するという意思も受け止めた。
 だが、あいつが黒幕なんて話までは聞いていない――そう言いたげに、うんざりした声色だった。
 
『ごめん、セイバー。でも、遅かれ早かれこうするしか無かったんでしょ』
『……まあな。マジで頭が痛くなるけどサ、それは否定できねえ』

 それでも、自分達の選択はいずれは避けられないものだった。

『お前のダチと生きるにせよ、そうでないにせよ。
 あの化け物を超えなきゃいけねぇんなら、及び腰になる訳にはいかない』
『うん……そうだよね』
 
 加速していく戦線。常道を外れた主従の存在。
 凡百の陣営に過ぎない自分達のような面々は、リスクを引き受けてでも踏み出さねばならない。
 小都音はそれを理解していたし、トバルカインもまた噛み締めていた。

『“祓葉”、この舞台の黒幕かもしれない小娘。
 直に対峙したからこそ、敢えて言い切るがな』

 そして、先ほどの会話を振り返り。
 トバルカインは、祓葉という少女のことを語る。

『確かにあいつは“太陽”のように見えた』

 あのカフェで真正面から打ち合い、鎬を削り合い。
 ライダーの伝説さえも超越してみせた、その姿を目の当たりにした。
 故にトバルカインは、祓葉の異常性が肌に染みるように感じ取れる。

『私が諦めたものを、あいつは持ってやがった』

 それだけではない。
 トバルカインが抱き続けていた諦観に対し。
 あの祓葉は、それを飛び越えていく答えを内包していた。


292 : 一生存在証明、永遠を超えていけ ◆A3H952TnBk :2024/11/02(土) 16:29:26 rHlZ/9.c0

『産む必要も、受け継がせる必要もない。自分の限界を、次の世代に託す必要なんかない。
 自分ひとりで全てを“完結”させちまう。自分だけで“究極”へと至って、何もかも終わらせる……』

 トバルカインは、己の才に絶望を抱いていた。
 幾ら鉄を打てども、鍛えども、望みし究極には届かない。
 果てなき時を費やしても尚、理想を掴み取ることは出来ない。
 そのことに気付いた瞬間から、彼女は堕落へと進んでいった。

 しかし、あの祓葉は違う。そんな挫折を容易く超越している。
 たった一人で全てを完結させ、たった一代で永遠を体現し。
 ただひとつだけの、究極へと至っている。
 それはトバルカインが切望し続け、ついに得られることのなかったものだった。

『……理想すら掌握してのける、真の才能だよ』

 あれは、究極だ。
 あれは、完璧だ。
 あれは、伝説だ。
 トバルカインは、確信する。
 あの少女は、全てを凌駕する才能を備えている。

『あんな眩しいモンは、拝んだことも無かった』

 だからこそ、トバルカインは祓葉への畏怖を抱く。
 自らが最期まで掴み取れなかった理想を体現する、あの輝きに対する動揺を抱く。
 それでも、黒幕であるにしろ、そうでないにしろ。
 彼女と向き合わねば、きっと自分達は先へは進めない。

 のらりくらりと、乗り切っていくつもりだった。
 怠惰に、飄々と、歩んでいくつもりだった。
 しかし、錬鉄の刀鍛冶にも、運命というものは等しく立ちはだかる。
 そのことを悟ったからこそ、トバルカインは覚悟を引き締める。

『――ねえ。あのさ』

 ――しかし。
 そんな矢先に、小都音は呟く。

『“祓葉”……あの女の子さ』
 
 トバルカインの畏怖に理解を示しつつも。
 何処か上の空であるかのように。

『凄かった。ほんとに凄かったし、びっくりした』

 小都音は、ぽつりと嚙み締めながら呟く。
 彼女もまた、あの場で極光を目の当たりにした。
 英霊の神秘さえも超越する輝きを、目撃した。

『でも……なんか、違う気がする』

 しかし。それでも。
 小都音は、呆然と言葉を紡ぐ。

『私は正直、あの娘……』

 トバルカインも、カスターも、あの祓葉を畏れていた。
 その輝きを前にして、慄きを抱いていた。
 理解はできる。あの途轍もない存在は、確かに脅威そのものだった。
 しかし、それでもなお、小都音は――。


『そんなに“眩しい”って思わなかった』


 呆気に取られたように、そう告げた。
 トバルカインは思わず、衝撃を受ける。

『お前、マジで言ってんのか?』

 あの化け物の、あの“輝き”を見て。
 英霊の神秘さえも穿った、あの“一撃”を目の当たりにして。
 それでもなお、そんなことを宣えるのか。
 トバルカインはそう言いたげに、目を丸くして問い質した。
 けれど、小都音は――。
 
『……うん』

 未だに実感を掴めないように。
 ぼんやりとしたまま、コクリと頷いた。





293 : 一生存在証明、永遠を超えていけ ◆A3H952TnBk :2024/11/02(土) 16:29:59 rHlZ/9.c0



 高天小都音は、今さら“太陽”に灼かれることはなかった。
 何故なら彼女は、とっくの昔に“それ”を知っていたから。
 もっと無垢で、もっと綺麗な光を知っていたから。
 自分のすぐそばで輝いていた――“ちいさな月”に打ちのめされたから。
 ふたりきり。真夜中の天体観測。あの日に見た情景を、決して忘れることはない。
 
 天枷 仁杜。
 星空に輝く月。
 特異点の卵。
 彼女こそが。
 小都音にとって。
 たったひとつの“極星”。

 ――高天小都音。
 ――彼女は、極光の狂気に焼かれない。
 ――誰よりも“月並み”な存在であり。
 ――それ故に彼女は、仁杜の手を掴んでいた。





294 : 一生存在証明、永遠を超えていけ ◆A3H952TnBk :2024/11/02(土) 16:30:42 rHlZ/9.c0

【中野区・マンション(仁杜の部屋)/一日目・夕方】
【高天 小都音】
[状態]:健康、祓葉戦の精神的動揺(持ち直してきた)
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:トバルカイン謹製のナイフ
[所持金]:数万円。口座の中身は年齢不相応に潤沢。がんばって働いたからね。
[思考・状況]
基本方針:生き残る。……にーとちゃんと二人で。
1:伊原薊美たちと共闘。とりあえず穏便に収まってよかった。
2:ロキに対してはとても複雑。いつか悪い男に引っかかるかもとは思ってたけどさあ……
3:アレ(祓葉)はマジでヤバかった……けど、神様には見えなかった。
[備考]
※“特異点の卵”である天枷仁杜に長年触れ続けてきたことで、他の“特異点”に対する極めて強い耐性を持っています。

【セイバー(トバルカイン)】
[状態]:疲労(小)、むしゃくしゃしている(収まった)
[装備]:トバルカイン謹製の刃物(総数不明)
[道具]:
[所持金]:数千円(おこづかい)
[思考・状況]
基本方針:まあ、適当に。
1:めんどくせェけど、やるしかねえんだろ。
2:ヤバそうな奴、気に入らん奴は雑に殺す。ロキ野郎はかなり警戒。
3:あの祓葉は、私が得られなかったものを持っていた。
[備考]

【伊原 薊美】
[状態]:魔力消費(中)、静かな激情と殺意
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:騎兵隊の六連装拳銃
[所持金]:学生としてはかなりの余裕がある
[思考・状況]
基本方針:全てを踏み潰してでも、生き残る。
1:殺す。絶対に。どんな手を使ってでも。
2:高天小都音たちと共闘。仁杜さん、ホントにおかしな人だ。
3:孤高が嫌いなんだろうか。だとしたら、よくわからない。
[備考]
※マンションで一人暮らしをしています。裕福な実家からの仕送りもあり、金銭的には相応の余裕があります。
※〈太陽〉を知りました。
※自らの異能を活かすヒントをカスターから授かりました。

【ライダー(ジョージ・アームストロング・カスター)】
[状態]:疲労(中)
[装備]:華美な六連装拳銃、業物のサーベル(トバルカインからもらった。とっても気に入っている)
[道具]:派手なサーベル、ライフル、軍馬(呼べばすぐに来る)
[所持金]:マスターから幾らか貰っている(淑女に金銭面で依存するのは恥ずべきことだが、文化的生活のためには仕方のないことだと開き直っている)
[思考・状況]
基本方針:勝利の栄光を我が手に。
1:神へ挑まねば、我々の道は拓かれない。
2:やはり、“奴ら”も居るなあ。
3:“先住民”か。この国にもいたとはな。
[備考]
※魔力さえあれば予備の武器や軍馬は呼び出せるようです。
※シッティング・ブルの存在を確信しました。
 
【天枷 仁杜】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:数万円。口座の中にはまだそれなりにある。
[思考・状況]
基本方針:優勝して一生涯不労所得! ……のつもりだったんだけど……。
0:“イリス”というマスターに会いたい。
1:ことちゃんには死んでほしくないなあ……
2:薊美ちゃん、イケ女か?
[備考]
※楪依里朱(〈Iris〉)とネットゲームを介して繋がっています。相手がマスターであるとは知りません。
 必要があればトークアプリを通じて連絡を取ることが出来ますが、今は反応が無いようです。

【キャスター(ウートガルザ・ロキ)】
[状態]:健康
[装備]:
[道具]:
[所持金]:なし(幻術を使えば、実質無限だから)
[思考・状況]
基本方針:享楽。にーとちゃんと好き勝手やろう
0:お楽しみはここからだ。
1:にーとちゃん最高! 運命の出会いにマジ感謝
2:小都音に対しては認識厳しめ。にーとちゃんのパートナーはオレみたいな超人じゃなきゃ釣り合わなくねー?
[備考]
※“特異点”である神寂祓葉との接触によって、天枷仁杜に何らかの進化が齎される可能性を視野に入れています。


[共通備考]
※神寂祓葉こそが黒幕である可能性に至りました。
※この3組が今後共に行動するのか、あるいは別れて行動するのか、またこれから如何に動くのかは後のリレーにお任せします。


295 : 名無しさん :2024/11/02(土) 16:30:59 rHlZ/9.c0
投下終了です。


296 : ◆0pIloi6gg. :2024/11/02(土) 19:50:28 rv0hW16E0
投下します。


297 : シューニャター ◆0pIloi6gg. :2024/11/02(土) 19:52:02 rv0hW16E0



 神は律するものだ。
 法を律し、行為を律し、そうして後世に道を示すものだ。
 故にこそ、神は己が定めた規律に背く者へはしばしば罰を下す。
 
 スカディは今、"狩り"を諌めている。
 日中、能動的な狩りは一度まで。
 それが此度の神の戒めであり、背けばたとえ運命共同体たる亜切にさえ彼女は不興を示すだろう。
 スカディは狩猟の神である。これを司る彼女がまさか自分で定めた法を蔑ろになどする筈がない。
 少なくとも日が落ちるまでの間は、その弓が無情な狩人として迸ることは考え難かった。
 
 だが。
 狩りではなく喧嘩であるのなら。
 ましてやそれが同業者に売り付けられたものであるのなら――話は大いに別である。

 結論から言うと、スカディは現在進軍していた。
 何処に。決まっている。自分に喧嘩を売った、黒い流星の主の許へだ。
 彼女の顔に怒りの色はない。むしろ笑みが浮かんでいる。
 されど、その笑みは万感の殺意にも勝る恐ろしいものだと赤坂亜切は知っていた。

「なあ。別に買わなくていい喧嘩なんじゃないのかい、これ。
 君が挑発したから売り言葉に買い言葉で撃ってきたってだけのしょうもない話なんじゃないの」
「神はメンツの生き物だよ、アギリ。理由がどうあれ、砂かけてきた輩を殴り返さず泣き寝入りじゃ沽券に関わるってもんさ。
 それに」
「……それに?」

 亜切をして、あの射撃には驚いた。
 相当な長距離に及ぶ射撃だった。
 弓兵のクラスに当て嵌まる英傑は数いれど、あそこまでの射程と精度、そして威力をすべて兼ね備えられる使い手はかなり限られる筈だ。
 何なら亜切はこの時点で既に、仕掛けてきたのが同郷たる〈はじまりの六人〉の誰かの可能性もあると踏んでいる。
 なればこそ突き進むなら慎重になりたい。そんな彼の意向を、率直に言って狩りの女神はガン無視していた。

「――同族に売られた喧嘩だってんなら、尚更さね」
「……ああ、そういうこと。何となくそうかとは思ってたけど、やっぱりそういう感じなんだ?」
「どうも気配が妙だから、厳密にはもしかすると違うかもしれないけどね。
 でもまあ、概ね間違いじゃないのは確かだ。であればまあ、舐められるわけにもいかないだろ」

 同族。すなわち、同じ神。
 ヒトの不敬ならば鼻で笑って見逃すこともあるだろう。
 いやスカディの気質からすればその時点で怪しいかもしれないが、それはさておき。
 喧嘩を売った相手が同じ"神"で、そして舞台が聖杯戦争という鉄火場の究極であるのならば――確かに見過ごせる道理もないか、と亜切は思った。


298 : シューニャター ◆0pIloi6gg. :2024/11/02(土) 19:52:45 rv0hW16E0

 敢えてこの国の文化になぞらえて語ろう。
 反社会的勢力――いわゆるヤクザや半グレは、メンツの生き物である。
 いかに有力な裏社会の人間だろうが、やられっぱなしで黙っていれば"下を向いている"と笑われる。
 だから彼らは報復(カエシ)をするのだ。自分が自分の世界で自分として生き続けるために、自分のメンツを守るのだ。
 
 そして神もまた、メンツの生き物である。
 日本で言うならば神木伝承、ないし怪談のたぐいが有名だろう。
 霊験あらたかな神木を切った者に祟りが降りかかる。ともすれば、族滅と相成る。
 しかし誠意を込めて謝罪をし、心の籠もった供物を捧げれば時に許されることもある。
 要するに"手打ち"だ。筋を通したなら、神や霊は時に不敬を許す。
 だが通さぬ者に彼らは容赦をしない。容赦なく殺す。手抜かりなく潰す。
 国は違えど文化も違えど、スカディもまたそういう流儀(ノリ)を重んじる神であることに疑いの余地はなかった。
 何故なら彼女が"そう"であるからこそ、今まさに雪靴の神は弓を片手に彼方の星と撃ち合いを繰り広げているのだから。

「理由はどうあれ、誰かに向けて弓引いたからには責任取るのが道理さね。
 いったい何処の神か知らないが、思う存分語り合っていこうじゃないのさ。
 アタシは付き合うよ、先にあちらが潰れちゃったらその限りではないけどね」

 ――その光景を一言で形容するならば、ミサイルの撃ち合い、であった。
 
 一体何キロ先から来ているのかも分からない、黒い流星の弾雨。
 これに対抗すべくスカディの射る、鋭利にして重厚なる弓撃。
 絵面の派手さは前者に譲るが、しかし威力も速さも全く譲らない。
 雪村鉄志へ放った一矢が、彼女にとってはただの呼吸にも等しい通常攻撃だったのだとよくわかる道理を逸した神域の矢。
 超長距離と言っていい間合いで撃ち合いが成立している理由はひとつ。
 スカディも、そして恐らく仕掛けてきた側である流星の弓兵も……互いに互いの位置座標をリアルタイムで認識し続けているという点にある。

「……まったく先方には同情するよ。喧嘩を売る相手は選ばないとね」

 狩猟の千里眼。
 そして天に瞬く父スィアチの両眼。
 ふたつの眼を併せ持つスカディは、あらゆる敵を見逃さない。

 ただし惜しむらくは、今が昼……とまでは言わずとも、未だ太陽の沈まぬ夕暮れの時間帯であること。
 昼に星は瞬かぬ。太陽の光ある状態では、星の輝きが照らせる範囲は著しく制限される。
 もしも現在の時刻が夜であったなら、スカディは文字通り地の果てまでも敵を追い詰め直接対決に持ち込んだだろう。
 だがまだ幾らか時刻が早い。だからこそ、現状の戦いの争点は"相手が星の眼の見据える範囲外に逃げ出すか""その前に仕留めるか"というところに落ち着いていた。

 追うはスカディ。
 逃げるは、命知らずにも狩猟の神へ矢を射った何処かの神擬き。

 夕暮れの空を駆ける、雪靴の矢。
 狩猟の女神が本気になれば、その射程は区など容易に越える。
 彼女の矢は冗談でも何でもなく、敵方の心臓さえ射抜き得る凶器そのものとなって彼方へ轟いているのだ。
 だからこそ、未だに間断なく黒い流星が降り注ぎ続けている。
 飛んでくる矢を迎撃しながら、それらの射手を抹殺するための流星群。
 亜切としては嘆息するしかない光景だった。
 こんな"前回"でもそうそう見なかったほどに冗談じみた光景が、この戦いが終わるまで自分の日常になるのだという実感ゆえのことだ。


299 : シューニャター ◆0pIloi6gg. :2024/11/02(土) 19:53:48 rv0hW16E0

(頭が痛いね。そもそもなんでこいつの矢を相殺なんて出来てるんだよ)

 北欧の、実在する女神。
 スリュンヘイムの麗しき花嫁。
 狩猟の神の矢を、姿も見えぬ敵は当然のような顔で相殺し続けている。
 亜切と彼女がこれまで屠ってきた英霊たちの中に、スカディの矢をまともに凌げた者は誰ひとりとしていなかった。
 それもその筈だ。文字通りルールの網目をすり抜けて現界した横紙破りの化身であるスカディは、そもそもサーヴァントの範疇を超えている。
 聖杯戦争に招かれ得るようなお行儀のいい英霊どもでは、女神にして巨人たる彼女の矢を防ぐにはあまりにも役者不足だ。

 赤坂亜切の経験した、前回の聖杯戦争――〈はじまりの聖杯戦争〉も、十分すぎるほどに規格外な戦いだった。
 聖堂協会の所有する〈熾天の冠〉を用い、開催が告げられた聖杯戦争。
 本来ならば厳格に管理され、そのもとに運営され、幕を閉じる筈の戦いであったのだ。
 が、そうはならなかった。まず第一にあったのは、此度の聖杯戦争に一族の命運を賭していたガーンドレッド家の妨害。
 慎重の皮を被りながらも、本懐に対してはなりふり構わない欧州の一族は事前に選定されていた聖堂教会の構成員を限りなく自然な形で抹殺することに余念なかった。これにより、〈はじまりの聖杯戦争〉は最初から半ば破綻した状態で幕を開けた。
 
 そんな不安定に目を付けない蛇杖堂とサムスタンプのはぐれ者ではない。
 蛇杖堂寂句とノクト・サムスタンプは、半壊状態の監督役、及びその一員達の排除と足止めに余念なかった。
 その結果として、誰も極東の島国を舞台に繰り広げられる乱痴気騒ぎに歯止めは掛けられなかった。
 いや、誰もその気がなかった――というべきか。

 動員され続ける無辜の市民。
 一向に果たされることのない運営の責務。
 崩壊していく都市、加熱していく各陣営の抗争。
 そして、産声をあげる〈本物〉。

 まさに地獄絵図だ。
 誰かの身勝手で常にどこかの歯車が狂っていた。
 それなのに無理やり聖杯戦争というシステムを動かし続けたものだから、最終的に特級の破綻が生じてしまった。
 ルールとは守る者があってこそ成立する、なんてよく言ったものだと思う。
 仮に誰かひとりでも正義を愛し、規範を守ることを尊ぶなんて輩がいたのなら、物語の行く末はもう少し違っていたのかも――

「……は。いや、それはないな」

 亜切はふと浮かんだ益体もない考えを一笑によって切り捨てた。
 神寂祓葉という規格外が目覚めてしまった時点で、自分たちの役柄が何であれ結末はアレ以外になかっただろう。
 それに――崩れゆく世界に眉を顰める者ならいた。合理ではなく、情や義憤でそんな顔をする者達が。
 例えば、楪依里朱のセイバー。そして他でもない、赤坂亜切自身のサーヴァントもその手合いだった。

 亜切のランサーは、端的に言うなら彼とは反りの合わない英霊であった。
 いや、合わなくなった……というのが正しいだろうか。
 赤坂亜切は最初から"こう"だったわけではない。
 神寂祓葉という光に灼かれることで、そうして初めて彼は妄信の炎鬼に変容したのだ。
 亜切の英霊はその堕落を否とし、最後まで引き戻そうと苦心していたことを覚えている。
 その事実に対しては結局何の感慨もないのだが、アレは哀れな生き物だったな、と思い返して苦笑する程度には記憶は濃かった。


300 : シューニャター ◆0pIloi6gg. :2024/11/02(土) 19:54:23 rv0hW16E0

 今のほうが、亜切としては余程やりやすく、そして気分もいい。
 狂い果てたと言えば聞こえは悪いが、良い酒を呑んで心地よく酔っているような夢見心地だ。
 しがらみがないから、だとか。自分で選択して歩む道だから、だとか。そんな健気な理由ではない。
 ――この道を進んだ先に待つ、最高の家族との未来が楽しみで仕方がないからだ。

 スカディのさっぱりとした気性も悪くない。
 彼女は神らしく、善悪に拘るということをしない。
 物言いが癪に障ることやその流儀を煩わしく思うことはあれど、その圧倒的な武力を亜切は愛している。
 規格外づくめの聖杯戦争においてはとても貴重な、眼前すべての障害物を力で押し退けて進めるワイルドカード。
 そんな存在が他でもない、お姉(妹)ちゃんとの未来に焦がれる自分の許へと舞い降りたのだ。
 
 だって、そんなのまるで――運命みたいじゃないか。
 口角が緩む。ついつい高揚に酔い痴れてしまうのも無理はない。
 だからこそこの状況に辟易の念こそ抱けども、悲観の念は微塵もなかった。

 赤坂亜切は夢を見ている。
 彼はただ、夢だけを追いかけている。
 それは星と星の激突という神話そのものの絵図を前にしても一切変わっていない。

 空の果てより来る黒い流星群。
 星の末弭の先にある生命、あまねく死すべしと祈る漆黒を。
 雪原を駆り/狩る女神の矢が、真正面から殴り飛ばす。
 都度迸る激震は、比喩でなく街を震わせていた。
 が、亜切もスカディもそのことを気にも留めない。
 狂人の耳には端役の阿鼻叫喚など届きさえしないのだ。
 
 足元の蟻を気に留める人間がいないように。
 揺れる大地に足を止める巨人もまたいない。
 進撃する。ただ、進む。
 狩猟ではなく、戦争のために足跡を刻み続ける。
 
 さながらそれは、禍炎の悪鬼の夢への歩みそのもの。
 他の何も顧みず、空の星へと手を伸ばす旅路。
 邪魔するならば焼き殺す。邪魔をせずとも焼き殺す。
 一切鏖殺の果てにこそ、夢見た団欒があると信じて。
 進むは悪鬼。統べるは女神。
 なまじ彼女は神だから、天からの罰さえ殴り飛ばしてしまう。

 
「――ん?」


 そんなふたりの歩み、正しくは。
 弓を射りながら進む女神の足が、おもむろに止まった。


301 : シューニャター ◆0pIloi6gg. :2024/11/02(土) 19:55:17 rv0hW16E0

「どうした? アーチャー」
「……ちッ。興の削げる真似してくれるじゃないか」

 はあ、と嘆息してスカディが弓を下ろす。
 それと同時に、彼方から飛来する流星の後続も絶えた。
 やはりスカディが撃ち返すから、あちらも已むなく撃ち続けていたらしい。
 肝っ玉が大きいのか小さいのか分からないが、今や重要なのは黒き星の神ではなくなっている。

「ああ、なるほどね。誰だか知らないけど、今日はずいぶん命知らずが多いみたいだ」

 ――赤坂亜切は恐るべき殺し屋であるが、しかし魔術師としての彼はさほど卓越した使い手ではない。
 そも、亜切自身に大成を目指す野心のようなものが欠片もなかったのだから致し方のないことではあるが、彼はあくまでも魔術師ではなく超能力者、魔眼遣いなのだ。
 その彼でも分かるほど明確な異常が、今まさに世界を、もとい彼らの周囲を覆い尽くしつつあった。
 
 日の光が――消えていくのだ。
 世界が無明の闇に覆い尽くされ、闇よりも冥く落ち込んでいく。
 誰が見ても明らかな結界術の行使。それも間違いなく、一介の魔術師の所業ではなかった。
 神代の巨人女神が"囚われる"まで気付けなかったほどの手管である。どう考えても人間技ではない、サーヴァントの宝具に類する事象だ。
 大方あの黒き流星との撃ち合いを察知して欲に駆られた第三者の仕業なのだろうが、事実上敵の腹の中に収められたも同然の状況であるというのに、スカディも亜切もまったく焦ってはいなかった。

「こちとら喧嘩なんて久方ぶりだからね、けっこう心が躍ってたってのに……」

 どこの誰だか知らないが、まったくもって命知らずだと言う他ない。
 女神の興を削ぎ、挙句自分たちと正面切って揉めようとするなんて。
 それは過信でも驕りでもない、ただ頑然たる現実に基づいた憐れみである。
 〈蝗害〉の本丸とさえ殴り合える、この聖杯戦争における最大武力の一角。
 傍らに控える主ですら、成長著しい黒白の魔女と殺し合える正面戦闘のエキスパート。
 わざわざ逃げ場のないリングまで拵えてくれるとは、滑稽通り越して頭が下がるというものだった。

 女神の眼光。
 同族の神でさえ恐れ慄いた剣呑の究極が、結界の主たる主従へと注がれる。
 彼らは逃げも隠れもすることなく、無明の只中に佇んでいた。
 大した度胸だと亜切は思う。勇敢と無謀の区別が付いていないことを除けば、実に見上げたものだと。


「――まずは不躾をお詫びします。話しても聞いてくれなそうだったので、こういう手段を取るしかありませんでした」


 そう言って胡散臭いほど様になった笑みを浮かべたのは、亜切よりも幾らか年上に見える青年であった。
 亜切も大概整った人相の持ち主だが、彼のそれはまさしく"甘いマスク"と呼んで差し支えないものだ。
 これほど見目麗しいなら、道を歩いているだけで女子諸君の熱い視線を浴びるのも日常茶飯事であるに違いない。
 そんな男が、光なき無明の中に立っている。慇懃に礼をする彼を、亜切は軽んじる姿勢を隠そうともせず鼻で笑った。

「ご丁寧にどうも。ただ見る目はないみたいだね。話の通じる相手に見えたかい、僕らが」
「まさか。"彼女"としのぎを削った〈はじまりの六人〉のお一人に、そんな侮り抱ける筈もありません」

 ――が。
 その挨拶代わりの悪意に歪んだ笑みが、一瞬にして形を変える。
 亜切が眉を顰めた。その眉間に顕れた皺が、彼の放った言葉の持つ重さを物語っている。

「申し遅れました。僕は香篤井希彦、と申す者です」

 この聖杯戦争が、一度目でないことを知っている。
 過去にあった大きな戦争の、その後日談であることを知っている。
 そして、"彼女"の存在と輝きを知っている。
 であれば〈はじまりの六人〉たる赤坂亜切は、決してその言葉を無視できない。
 その事実を目の当たりにして、希彦と名乗った青年は麗らかに微笑した。

「どうか話を聞いていただきたい。
 これは僕と、あなた――"彼女"に魅せられた者同士にとって、決して悪くないご相談になる筈ですから」

 

◇◇


302 : シューニャター ◆0pIloi6gg. :2024/11/02(土) 19:55:57 rv0hW16E0



 天津甕星は、悲劇の神である。
 いや、正確に言うならば神ですらない。
 神に限りなく近く、そう呼んでも差し支えないだけの武力を持ちながら、決してそれらと交わることがない。
 神の傲慢を憎み、武力をもって否を唱える――〈神の敵対者〉。それが彼女だ。
 故にその在り方は、英霊でありながら限りなくヒトのそれに近い。というかそのままと言っていい。
 直情的で向こう見ず。自分の運命にふて腐れていて、ひねているかと思えば時々とても素直。
 そんな性格だから、凍原の女神の挑発に対してついつい反射で矢を放った側面はあった。
 だが彼女自身、今はそんな自分の性根と軽率な行動を心底後悔させられていた。

「……っ、ひー……!」

 言い訳をするならば、こうなる。
 まさか撃ち返してくるなんて思わなかったのだ。
 何せあちらとこちらは相当な距離が空いている。少なくともどう頑張ってもお互いの姿が視認できる間合いではない。
 星神たる天津甕星は、宝具の限定解放およびスキル『慟哭の金星』の効果によって超長距離の狙撃を可能としている。
 それこそ、本気でなりふり構わないのならば東京都内のすべてを射程に収められる程度には、彼女は射手として卓越していた。
 だからこそ、反撃が来ないのを前提にして矢を放った。煽ってんじゃねーぞカス、というささやかな苛立ちで起こした行動だった。
 そしたらなんか反撃が飛んできた。これには天津甕星もびっくり。ワー!と叫ぶ勢いで矢を放ちながら、逃走の足取りを早める羽目になった。

(こっわ! いやヤバすぎでしょ聖杯戦争! 天津神のヘタレどもの方がまだぜんぜん穏便だったんですけど!?)

 何故位置を把握されているのか、については察しがつく。
 何せ彼女は、まがい物なりに星神の型に嵌められた存在なのだ。
 この世でもっとも高くから地上を見下ろすもの。
 それが星の神であることを、天津甕星という神号を与えられた少女はよく知っている。
 おそらくは敵もまた自分と同族。ないし、星に類する"眼"の宝具を持つ弓兵であると理解した。

 理解したはいいが、それでも戦慄は尽きない。
 今はまだせいぜい夕方と呼べる時間帯に入ったかどうかというところ。
 空の星など見えるわけもなく、道理に倣えば星(あちら)もそれは同じの筈である。
 にもかかわらず――昼の段階で此処まで視て、正確に追うことができるとは。

 いけ好かない神の典型とばかり思っていたが、その本質を取り違えていた。
 アレは、狩人だ。野山を駆け回り、兎や鹿を狩猟して暮らしを営む猟師のたぐいだ。
 ただ追討すると言っても、天津神の杜撰で驕り散らかしたそれとはわけが違った。
 感情任せのように見せかけて徹底した理詰め。逃げ場を、行動の余地を的確に奪う弓撃。
 それこそ感情任せに壊すのが取り柄の天津甕星には、絶対にできない種の芸当であった。
 戦闘狂でもない天津甕星としては、なるだけああいうおっかない手合いとは関わり合いになりたくない。
 ああいう規格外は、現代を生きる邪神そのものである蛇に任せておけばいいのだ。
 主のために首級をあげるなんて殊勝な心とは無縁の星神は、故に最初から抗戦の選択肢を捨てていた。


303 : シューニャター ◆0pIloi6gg. :2024/11/02(土) 19:56:51 rv0hW16E0

「とは言っても……ああもう、いつまで追いかけてくんのよクソデカ女!!」

 着弾する度に英霊の五体でさえ消し飛びかねない威力を撒き散らす巨人の矢を横目に、流星を乱射しながら天津甕星は毒づく。
 
 最悪、真名解放。
 余技ではない、正真正銘の"星の矢"を抜くことも視野に入れるべきか。
 神威の大星は強力無比だ。此処まで撃ってきた矢とは威力も速度も比較にならない。
 ただし反面、星神の擬体そのものを練り込み放つ大星は彼女自身の生命力を削り取る。
 よって可能なら、正念場が来るまで温存しておきたい手段ではあった。
 選択を迫られる。黙っていれば儚げで妖しげな美少女が舌打ちをし、苛立ちのままに顔を歪めた。


 ――が。


「……、あれ」

 そこで不意に、天の彼方から来る矢が途絶えた。
 狐につままれたような顔をしつつ、天津甕星も流星を射る手を止める。
 それからは待てど暮らせど、あの恐ろしく冴えた矢が向かってくる気配はない。

(やっと諦めた? いや、そういう質には見えなかったけど……。
 私があいつの観測範囲外に出られたのか、それとも――)

 白昼堂々アレだけ派手に戦(や)っていたのだ。
 誰か、漁夫の利なり何なり狙って行動でも起こしたか。
 真実がどれであるにしろ、天津甕星としてはようやく胸を撫で下ろせる展開だ。
 実に疲れた。本当に肝を冷やした。これに懲りて、もう雑に煽るような真似はしないことにしようと誓った。
 そうして振り返り、さあ帰ろうと一歩を踏み出したところで……


「――――っ」

 そこで少女神は、西日の照らす路地に佇む小さなシルエットを認めた。

 咄嗟に敵だと気付き、一度は下ろした矢に手を掛ける。
 いつからいたのか。何故、直接見るまでその存在に気付けなかったのか。
 理由はひとつだ。他に意識を割いていてはつい見落としてしまうほど、英霊としての気配が矮小(ちい)さすぎたから。

 水色の髪の少年だった。
 少なくとも見た目には、そう見える。
 だが青年のようにも、老人のようにも感じさせる……蜃気楼のように朧気な印象を孕んだ影であった。
 当代風のジャケットの袖を余らせ、両の瞳で時を刻む不可解な存在。
 天津甕星は先ほどまで撃ち合っていた雪靴の女神に対し向けていたのとはまた別種の警戒でもって、その小さな影を睥睨する。


304 : シューニャター ◆0pIloi6gg. :2024/11/02(土) 19:57:43 rv0hW16E0


「暗殺者(アサシン)……ってわけじゃなさそうだけど。どこの誰で、なんの用? 見てたなら分かるでしょ、こっちは今疲れてるんだよね」

 彼に対して分かることは、現状ひとつだけ。
 このサーヴァントは、自分がこれまで見てきたどの英霊よりも"弱い"。
 見かけで判断するのは愚策とか、そういう次元の話ですらないと断言できる。
 気配の希薄さ、頼りなさ。およそ鍛錬や研鑽とは無縁であろうか細い手足。
 ともすれば、本当にサーヴァントなのかと疑いたくなるほどの貧弱さ。それがひと目で分かるからこそ、逆に警戒が高まった。
 
 そう、弱すぎるのだ。

 何から何まで、あまりに弱く。
 お世辞にも、此処まで進んだ聖杯戦争の舞台に相応しい存在だとは思えない。
 だからこその不気味さと、そんな存在が術を弄するでもなく自分の前へ立っている奇妙さ。
 それが天津甕星の臓腑に、なんとも据わりの悪いものを広がらせていた。

「お前の事情に興味はない。ボクはボクの都合でしか動かない」
「……は? なに、喧嘩売ってんの?」
「あいにく、おまえのように馬鹿にはなれない性分でな」
「――うん、よし。それ以上喋らなくていいわやっぱり」

 今度のはさっきのとは違う。
 癇癪のまま武力を振るうわけではなく、かと言って売られた喧嘩を買うわけでもない。

「なんかあんたは、此処で殺しておいた方がよさそうだから」

 単純に、理解できないから殺すのだ。
 色鮮やかな体色の虫が路傍を歩いていたから、なんとなく踏み潰してしまうように。
 心の平静を保つために、目の前にある不安の種を摘み取ることにした。
 弓に矢を番え、流星を引き絞る。至近距離で直撃すれば欠片も残らない天災の星が、この期に及んでも表情を変えない少年の五体を消し飛ばさんとして。


「――――〈蛇〉は元気か?」
「……は?」
「蛇だ。名を神寂縁。"彼女"にとっては叔父だったかな。碌でもない女の血縁に相応しい性的倒錯者……覚えはあるだろう、天津甕星?」
「――、――」


 その矢は放たれることなく、構えたままの格好で停止した。
 天津甕星の顔に浮かぶ表情は、苛立ちでも戦慄でもない。
 ただ、絶句していた。それもその筈だ。
 今この少年が言った言葉には、自分たち以外この世の誰も知らない筈の情報が含まれていたのだから。


305 : シューニャター ◆0pIloi6gg. :2024/11/02(土) 19:58:31 rv0hW16E0

「あんた、一体…………」

 何故、自分の真名を知っている。
 何故――"あの男"の名前を知っている。

 〈支配の蛇(ナーハーシュ)〉。
 社会の闇、黒幕。命を喰らって肥え太り、魂の数だけ顔を持つ起源覚醒者。
 死徒や神、悪霊のいずれとも似て非なる体質を持ちながら、英霊さえ凌駕する暴力を秘めた突然変異種。
 それほど強いにも関わらず、あの蛇は藪に紛れることを好む。
 名を偽り、顔を偽り、自分に迫る者は弄ぶか殺すかして必ず排除する。
 天津甕星の知る限り、この針音都市で彼の名を知る者は三人。
 自分。彼自身。そして蛇の擬態を看破した、ジャックとかいう魔術師。
 その筈だった。しかし此処に、真実まったく感知しなかった例外が躍り出た。

「蛇杖堂の老害に接触したなら聞き及んでいるだろう。
 現在は過去と地続きで、過去の残骸は何食わぬ顔でこの都市を闊歩している」
「……おい、質問に――」
「ボクもそのひとりだ。クラス・キャスター。聖杯戦争の〈はじまり〉を識る者。そして」

 天津甕星にとって、蛇と魔術師の会話は知ったことでない内容が大半だった。
 彼女は自分を蛇の暴力装置と自覚している。どだい智謀は苦手な性分だ。わざわざ頭を痛めることもないだろうと思い、相手が下手な行動を起こさないかどうかだけに意識を傾けていた。
 そんな彼女でも分かったことだ。どうやらこの世界は、聖杯戦争は、何処かで誰かが繰り広げたそれの焼き直しでしかないらしい。
 であればこそ、あの嫌味な魔術師の同類だという彼の言葉はさしもの天津甕星も無視できるものではなかった。

「それを征した者。神寂祓葉という女と共に、聖杯戦争を再び興した"黒幕"だよ」

 ……運命の〈加速〉を望むのは、舞台設営に奔走する奇術師だけではない。
 何故なら彼女がそれを狙う前から、この男はそうなることを望んでいる。
 壮大なジュブナイルの頁を、風情も糞もなく読み飛ばすように。
 彼は最初から、あらゆることにおいて、最後の一頁(エンディング)以外に興味を持っていないから。

 ――彼は黒幕。造物主に仕え、利用し、大願成就を目指して一意専心に歩み続けるなり損ないの救世主。

 そして。
 彼も、彼らもまた、聖杯戦争を戦い馳せる役者のひとり。
 そうあることを、都市の神たる少女は望んでいるから。
 だからこうして、黒幕たる彼は恥も外聞もなく表舞台に上がってきたのだ。



◇◇


306 : シューニャター ◆0pIloi6gg. :2024/11/02(土) 19:59:38 rv0hW16E0



「神(アタシ)の邪魔をするなら、命を賭けろよ」

 無明の中で、静かに名を告げた青年――希彦。
 それに対する女神の返答は、徒手による頭蓋への一撃だった。

 スカディは女神であり、同時に巨人でもある。
 その腕に込められた暴力は、およそ規格外と言って差し支えない。
 無論、ひ弱な人間の肉体で耐え凌げるものでは決してなかった。
 そして、これに反応することもまずもって不可能だ。
 巨人の感覚ではただ拳骨を落とすだけのつもりでも、人間にとっては超高速で迫る隕石の直撃に等しい。
 よってこの瞬間、香篤井希彦の死が確定した。

「……は。何だい、えらい肝の据わった餓鬼だと思えば」

 ……筈が、此処に女神さえ驚かせる不可解な事象が発現する。
 
 スカディの拳が直撃した筈の希彦の頭部は、歪みも凹みもましてや砕けなどすることなく、薄笑みを浮かべたまま存在を継続させていたのだ。
 骨肉を砕くなんてことはおろか、薄皮一枚さえ破けていない。皮膚に赤みが生じることすらしていない。
 ならば巨人の鉄拳でさえ及べないほどの強度が彼にあるのかといえば、どうやらそれも正確ではなかった。
 何故なら殴りつけたスカディの側も一切の痛痒を感じていないどころか、"自分は今本当に彼を殴ったのか"どうかさえ判然としない、なんとも居心地の悪い空白を感じる羽目になっていたから。

「そりゃ備えのひとつもしますよ。僕らだって馬鹿じゃないんです。
 白昼堂々"神代の戦い"を演じてのけるような規格外のご婦人と丸腰で相対するなんて、とてもとても」
「ハ! 歯の浮くような台詞を吐くもんじゃないよ。
 ……だが、まあいい。そういうことならこの場でアタシに出来ることは皆無だ。
 大人しくアンタの描いた絵の背景に成り下がってやろうじゃないのさ。おたくの爺さまに感謝することだね」

 赤坂亜切もまた、スカディに遅れてこの空間の異常性を認識していた。
 彼も彼で、魔眼封じの眼鏡を外し――自身の魔眼を行使する選択に出ていたからだ。
 が、結果は不発。炎は生じず、焼死体は生まれない。
 これは赫炎の発火能力者(パイロキネシスト)である彼にとって、生まれて初めての経験だった。

「なるほどね。あらゆる力、いや事象そのものの流動を阻んでいるのか。
 太陽と月を隠して世界を無明に落とし、それを以って不動不変の境地を擬似的に造り上げる――言葉で言うほどたやすい芸当でもないだろうに。こりゃ確かに、僕ららしいやり方じゃ打つ手はなさそうだ」

 ため息混じりの言葉に、希彦の数メートルほど背後の空間に座り込んだ白髭の老人がニヤリと笑った。
 此処まで一言も口走らずに静観しているが、アレがこの結界の主で、そして希彦のサーヴァントであることに疑いの余地はないだろう。
 
「どこかで聞いたことのある姓だと思っていたけど、おかげさまで思い出したよ。
 伝統の安売りでインチキ臭い占い界隈と同等に成り下がった絶滅危惧種……にしちゃ見事じゃないか」
「否定は出来ませんね」

 亜切が笑い、希彦も笑う。
 互いに笑みを向け合っているというのに、そこに和やかな雰囲気は欠片もない。

 万物は陽と陰の間で絶えず流動している、だからその両方を閉ざせば世界は変化することのない無明に沈む。
 その発想は、陰陽思想の骨子とも言うべきものだ。亜切に限らず、魔術の世界に生きる者であれば誰でも気付けるほどに解りやすい。
 そして香篤井という苗字。"陰陽師の名門の末裔"という境遇そのものを触媒にし、極みに達した術師を呼び込んだというところだろう。
 もっともこれほどの芸当ができる陰陽師など、歴史をひっくり返しても片手の指の数に届かない程度には限られる。
 手の内を晒し、かつ真名の候補さえ絞らせる――それだけのリスクを背負う覚悟をもって、希彦は今悪鬼の主従と相対していた。


307 : シューニャター ◆0pIloi6gg. :2024/11/02(土) 20:00:37 rv0hW16E0

 そんな姿勢は、亜切にも伝わっている。
 どの道打つ手がないのなら、思惑に乗ってやるのも一興だろうと判断した。
 眼鏡を掛け直し、話だけは聞いてやる、と無言の内にそう示す。
 希彦はそれを受けてまた微笑し、「恐縮です」と思ってもいない台詞を吐いてのけた。

「実のところ、彼女からすべてを聞かされたわけではありませんでした。
 ただ交わした会話の内容と、こちらのサーヴァントの推察。
 それを元に考えた結果、どうやら僕らがやらされているのは"二度目"の聖杯戦争であるらしいと分かりました。
 であれば彼女の性格上、以前殺し合った連中……もといご友人を役者として招いている可能性が高いなと」
「優秀じゃないか。つまり僕に接触した時点では、関係者だという根拠まではなかったと。僕はまんまとカマをかけられたわけだ」
「根拠ならありましたよ。あなたのサーヴァントの戦いぶり、その力量が根拠だった。
 もっとも確信ではなかったので、カマをかけさせていただいたのもまた事実ですが」

 多少癪ではあったが、この程度で噴飯するほど亜切はプライドが高くない。
 それに、目の前の男に対する純粋な興味の念もあった。
 祓葉がまたぞろ誰かに粉をかけているのは想定内。
 だが、ではどのように関わったのか。そしてどのような影響が生まれているのか。
 彼女をよく知る先人として、いずれ彼女の兄か弟になる身として、知っておきたいと思ったのだ。

「……で? 君は僕のお姉(妹)ちゃんとどういう関係なのかな」
「お姉……えっ?」
「聞こえなかったかい? 僕のお姉(妹)ちゃんとどういう関係なんだ、と聞いたんだよ」
「は、はあ……。ええと、ですね……。
 その、一言で言い表していいものかは分からないのですが――」

 理解不能な台詞が出てきたことに、一瞬希彦は素っ頓狂な声を出した。
 だが、すぐに相手が狂人であることを思い出したのだろう。
 特に抱いた違和感を追及するでもなく、しかして引き続き歯切れ悪く言葉を詰まらせた。

「おいおい、男がモジモジするなよ気持ちの悪い。
 君、僕より歳上だろう? お姉ちゃん力の高い女の子なら眼福だけど、同性にされてもサブイボが立つ」
「し、失礼しました。……何分これを人に伝えるのは初めてでして。
 僕なら平常運転でスマートにやれるものとばかり思ってたんですが……いやあ、僕もまだまだだなあ」

 眉を顰めて急かす亜切に、希彦はやや染めた頬をぽりぽりと掻きながらぼやいた。
 もし仮にこの無明が展開されていなければ、この時点で亜切は話を打ち切って彼を燃やしていただろう。
 だがそんな禍炎の悪鬼はこの時まだ知る由もなかった。
 この程度で苛つくなんて馬鹿らしいと、そう思えるくらいの爆弾がこの後投下されることになるなどとは。


「実はですね――先刻、神寂祓葉さんにプロポーズをさせていただきまして…………」


 ……。
 時が止まった。
 亜切が硬直して。
 彼の後ろで退屈そうに欠伸を漏らしていたスカディさえ、「へ?」と口に手を当てた格好のまま固まっている。
 希彦は照れ臭そう、されど満更でもなさそうな顔で口元を緩ませ、結界の主である老人は天を仰いでくつくつ含み笑いを漏らしていた。
 そんな一瞬よりやや長い、時間にしておそらく数秒の沈黙が開けた時。

「…………あ゛?」

 奇しくも炎の狂人は、求婚を受けた本人からこの話を告白された黒白の魔女と同じリアクションを返していたのだった。



◇◇


308 : シューニャター ◆0pIloi6gg. :2024/11/02(土) 20:02:18 rv0hW16E0



 黒幕。
 神寂――祓葉。
 唐突すぎる告白を受け、天津甕星は唇を噛んでいた。
 理解が追い付かない。今ほど自分の地頭の悪さを呪った試しはなかった。

「話を進めて構わないか? 呆けるのはいいが、ボクの時間は物分かりの悪い馬鹿のために流れているわけじゃないんだ」
「はっ。…………いいよ、続けて。でも聞く価値なしとみなしたらこの場で撃ち殺すからね。現時点でもう既に結構殺したくなってるから」

 遠慮もへったくれもない悪態。
 少女期そのままの気の短さが、この時ばかりは役に立った。
 脳が怒りで活性化されて、なんとか強引にでも思考を続行することができたからだ。
 天津甕星の威嚇は無視しつつ、少年――〈はじまり〉の科学者(キャスター)は言葉を続けた。

「ジャックとの対峙でお前達は何を聞かされた? 奴のことだ、どうせ何か情報を渡してきただろう?」
「……それをあんたに教えなきゃいけない理由は? いきなり黒幕とか名乗ってきた相手に教えてやる義理とか、どう考えてもひとつもないと思うんだけど?」
「はあ。分かってはいたが、本当に頭が悪いんだな」
「あ゛ん? やるか?」
「ボクがお前に持ちかけているのは要求じゃなく取引だ。
 お前がボクを信用するしないは勝手だが、その時はお前の雇用主を直接訪ねることになる。
 どうあれ結果が変わらないのなら、余計な手間はお互い省いた方が合理的だと思わないか?」
「いちいちムカつく喋り方すんなこいつ……」

 天津甕星は心の中で祓葉なる人物に少し同情した。
 とはいえ、同じ姓を持つあの男があんな醜悪な毒蛇なのだ。
 これと勝ち抜いて聖杯戦争を"再走"している祓葉とやらも、どうせ碌でもない女なのだろうが。

 それはさておき。
 少し悩んで――天津甕星は結局、求められた情報を開示することにした。
 蛇に許可を仰いでもよかったが、なるべくならあの変態とは話したくない。
 脳裏にあれの粘っこい声が響くのは、結構本当に不快なのだ。

「……楪イリスとかいうガキを狙え、みたいな話だったよ。
 ジジイの趣味にもギリギリ合致する年齢だったらしくて、あいつも結構乗り気」
「腹立たしいが最善手だな。知っていたのか山勘なのかは知らないが、あの蝗に対抗できる存在はそれこそ〈蛇〉くらいのものだろう。
 ボクとしては赤騎士や雪靴も有力候補だと思うけれど、チョイスとして最善なのは否めない」
「蝗? えっ、じゃあもしかして〈蝗害〉の元締めってこと?」
「そういうことだ。ボクとしても彼女達は有用な存在だから、おまえ達にその仔細を教えてやるつもりはないが」

 天津甕星の眉間に再び皺が寄る。

「……教えてやるつもりはない、って。本気で言ってるんだったら今度こそ本当に怒るけど?」
「早合点は馬鹿の特徴だ」
「よし。ころーす」
「〈蛇〉を追っている男がいる。何の因果か、つい先ほどそれが〈蛇〉に怨恨ある者達と合流した。紆余曲折はあったろうが、生憎彼らは善玉揃いだ。ボクの見立てでは、同盟関係に発展した可能性が高い」
「……なんであんたにそれが分かんのよ」
「忘れたか? ボクはこの都市の"黒幕"だぞ。これも仔細を答えるつもりはないが――ゲーム盤の役者どもの挙動は常に把握している。この都市において、ボクが知り得ない情報はひとつもないと思え」

 荒唐無稽に過ぎる話だが、〈蛇〉の真名を知っているという事実がそれに無二の根拠を与えている。
 だから天津甕星は黙り込むしかなかった。
 それを納得と判断してか、キャスターは続ける。

「善玉というのが厄介でな。小心と笑ってくれてもいいが、恐らく彼らはいずれこの都市そのものに弓を引く。
 聖杯獲得よりも生還枠を増やすために黒幕(ボクら)を打倒しようと考えることは想像に難くない。そういう連中だ」
「マジで小心じゃん。そんなの摩訶不思議な黒幕さんパワーでどうにかすればいいんじゃないの」
「基本はそれで済む。ただ一騎、忌まわしいモノが混ざっている」
「忌まわしいモノ?」


309 : シューニャター ◆0pIloi6gg. :2024/11/02(土) 20:03:09 rv0hW16E0
「真名を"デウス・エクス・マキナ"。古代アテナイの詩人、エウリピデスの仔だ。
 ボクはこれを〈救済機構〉と呼んでいる。ともすれば七つの人類悪に比肩し得る、鋼の神性だよ」

 ――デウス・エクス・マキナ。
 ――機械仕掛けの神。現代ではその名は、もっぱらこう言い換えられることが多い。

 "ご都合主義"、と。

「救済機構が完成を迎える確率は限りなくゼロに等しい。
 砂漠の砂の中から、一粒のガラス片を見つけ出すようなものだ。
 だが、ボクにはその"ゼロではない確率"が忌まわしい。
 ボクは奇跡が実在してしまった時、世界がどうねじ伏せられるのかを知っている。だから可能ならば、速やかに排除したい」
「……座が寄越した知識はそんな英霊が出てくること自体"あり得ない"って言ってるけど?
 それを脇に置くとしても、そのことと私が提供してやった情報がどう関係するのか分からない」
「分からないか? 万能の願望器よりも目先の善性を優先するような連中が、都市を蝕み命を喰らう〈蝗害〉を捨て置く筈がないだろう。
 ――それに、救済機構のマスターは〈蛇〉を追う復讐者だ。彼らの生存は、いずれお前達主従を脅かすかもしれない」

 楪依里朱という当座の標的と、それが統べる〈蝗害〉。
 善人揃いの同盟と、そこに混ざった〈救済機構〉。
 黒幕側の抱えてしまった危険因子と、ニシキヘビを追う復讐者ども。
 利害が一致する。神寂の姓を持つふたつの陣営の歯車が、此処で噛み合った。

「救済機構を排除しろ、天津甕星。それはきっとお前達にとっても益となる」

 ――物語を読み飛ばすのは臨むところだが、その結末を変えられては敵わない。
 ヨハン・エルンスト・エリアス・ベスラーは同族嫌悪を承知で、最新の神の死を望んでいた。



◇◇


310 : シューニャター ◆0pIloi6gg. :2024/11/02(土) 20:04:04 rv0hW16E0



 香篤井希彦のサーヴァント・キャスター。
 真名を吉備真備という老人が形成したこの結界術は、彼らにとって奥の手と言っていいカードであった。

 だが、それを出し惜しまなかったのは特に希彦にとっては幸運だったに違いない。
 もしも不変の無明が展開されていなければ、彼の末路が黒焦げ火達磨だったことは想像に難くないからだ。
 赤坂亜切から発せられる殺気に、浮かれていた気分もすぐさま吹き飛ぶ。
 なんだかんだで恵まれた環境で、困難に見舞われることなくのびのび才を開花させてきた希彦にとって。
 それは間違いなく――人生で初めて目の当たりにする、本気の殺意というものだった。

「…………まあ、返事は保留にされてしまいましたがね。
 しかし彼女からの返事が色好いものである可能性が少しでもある以上、それまでにやれることはやっておきたいんですよ」

 希彦は筋金入りのナルシストである。
 彼は自分を天下にふたりといない神童だと思っているし、なまじその信仰を貫けるだけの才覚を有していた。
 その彼が今、ともすれば膝を屈しそうなほどの圧力を覚えている。
 同じ人間を前にしているとは思えない圧迫感と焦燥感。真冬の野外に裸一貫で放り出されたみたいな寒気が、骨の髄までを凍えさせてやまない。

 だとしてもその臆病風を表に出さずに済んだのは、希彦の人並み外れて高い自尊心と。
 そしてやはり、神寂祓葉という運命の女(ファム・ファタール)と出会ったことに背を押された結果だったのだろう。
 祓葉に伴侶として認められたいと願う自分が、たかだか彼女の旧敵程度に臆しているわけにはいかない――
 そんな思いが希彦にこれまでなかった芯を与えていた。良いことか悪いことかは別として、男はもうただの現実を知らないナルシストではなくなっていたのだ。
 それに、此処で臆さないことには単なる形式以上の意味がある。
 希彦の想定する"神寂祓葉を知る者"達の弱点。これを引き出せればこの接触は対等どころか、自分が一方的に目の前の先人をしゃぶり尽くせるものに変わる余地さえある筈だと、希彦は信じていた。

「彼女を知り、その尊さを知るあなたの現状に対する私見を聞きたい。
 その上で、あわよくば共に彼女の進む道を整備したい。それが、僕がこうして対話を持ちかけた理由です」

 故に然と告げる、自分の意思を。
 微塵も譲らず、まず対等として見据える。
 亜切の視線の鋭さとそこに込められた情念は、彼が希彦とは明確に質の違う存在であると物語っていたが。
 意外にも次に亜切が口にした言葉は、剣呑な脅迫や恫喝とは無縁の問いかけだった。

「――君は」
「……はい?」
「君は、彼女とどのくらいの付き合いなのかな?」
「……僕の拠点としているアパートを彼女が訪ねてきたんですよ。
 そこで対話をして――すぐに理解しました。彼女はまさしく星で、そして花だと」

 神寂祓葉という少女をひと目見た時の衝撃は、今でも忘れることができない。
 世界のすべてが色褪せたような、白飛びしたような感覚があった。
 美女には目がないと自覚していたが、そのすべてがあの瞬間に過去になった。


311 : シューニャター ◆0pIloi6gg. :2024/11/02(土) 20:04:59 rv0hW16E0
 断言できる。アレと並ぶモノなど、この世にひとりとしているはずがない。
 まさに運命。自分という麒麟児のもとにやってきてくれた高嶺の花、僕だけのファム・ファタール。
 だからこそ、彼女に対して口にした言葉のすべてに後悔などあるはずもなく。
 彼女と紡ぐ未来予想図の輝かしさが、今希彦に正真正銘の狂人と相対する勇気を与えていた。

「僕は彼女を手に入れる。たとえ彼女が僕の求婚を拒んだとしても、僕はこの歩みを止めないでしょう。
 察するにあなたも、僕と同じように彼女の輝きに焦がれた男であると見受けますが――如何に?」

 たとえ何であれ、この燃え盛るような〈恋慕〉は止められないし止めさせない。
 堂々たる断言。見方によっては、宣戦布告ともなり得る言葉を希彦は吐いた。
 これに対し、赤坂亜切。〈妄信〉の悪鬼は――怒りでも、殺意でもなく。


「はっ」


 乾いた。
 心底、呆れたような。
 そして――心の底から憐れむような。
 そんな失笑をひとつ、こぼした。


「ああ、何かと思えばそういう感じね。
 はいはい、分かりました。
 いいよ、協力ね。承ろうじゃないですか、うん」


 そこにはもう、さっき見せた殺意は毛ほども残っていない。
 こうなると、希彦は呆気に取られるしかなかった。
 さながら別人だ。火山と大河を交互に見せられたようなもの。
 二の句が継げず戸惑う彼に、亜切は続ける。

「一度しか言わないので、頑張って記憶してくださると。
 蛇杖堂寂句、ホムンクルス36号、ノクト・サムスタンプ、そして〈脱出王〉ことハリー・フーディーニ。
 これが僕の追っている〈はじまりの六人〉の名前です。"彼女"のことを想いその敵を排除したいと思うなら、これらの名前を排除することが賢明でしょう。僕としてもあなたが消してくれるのだったら、面倒が省けて助かる」
「……それは、どうも。優先順位を聞いてもいいですか?」
「はいもちろん。と言っても、あなたにお願いしたいのは最後のひとりです。
 〈脱出王〉、ハリー・フーディーニ。どうにもこいつは捕まらなくてね。
 逃げ足が速い上に頭も回る、面倒な鼠です。そう考えると陰陽道に精通し、世界を点でなく面で見つめるあなた方はこれを捕まえるのにうってつけの人材でしょう。今は果たして男なのか女なのかわかりませんが、何分目立ちたがりなので身元の特定にはそう苦労しないかと思います。戦闘や策謀とも違う分野で躍動する手合いなので、ある意味〈六人(ぼくら)〉に触れるなら最もハードルが低いかなぁと」
「ひとり足りないような気がするのですが」
「残りはイリスという少女です。ただ彼女は相対的にいろいろマシで、期待してる働きもあるのでね。基本的には無視して結構」


312 : シューニャター ◆0pIloi6gg. :2024/11/02(土) 20:05:35 rv0hW16E0

 ――唇が貼り付くような据わりの悪さに、一転希彦は苛まれていた。
 先ほどまで、希彦は目の前の魔人に対して優位を握っていた自信がある。
 先手を取って真備の宝具に取り込んだ上で、神寂祓葉との縁というカードを切り精神面でも上を行った。
 祓葉への執着という狂気に浮かされた彼らは、あの麗しい少女が絡めば誰も冷静でいられない。
 実際に彼女へ灼かれた希彦にはそれが分かったから、殺意がその先に発展しない無明を活用し揺さぶりをかけた。
 ……のだが、むしろ遭遇した時より相手を冷静に――冷めさせてしまっているらしいこの状況は如何なる事態か?

「……なるほど、分かりました。
 ちょうどこの街で、〈現代の脱出王〉というフレーズを耳にしたことがあります。
 僕らなりのアプローチで躍動する手品師を掴んでみせましょう。その後どうするかは、こちらに委ねていただく形でも?」
「できれば殺してほしいですが、まあお任せしますよ。もし殺せるなら上々、殺せなかったらやっぱりね、という感じなので」
「あなたが先人なのは認めますけど、僕はずいぶん低く見積もられているようですね」
「はは。気に障りました?」
「まあ、少々。とはいえこの先は戦果で魅せるとしましょう。今は存分に先輩風を吹かせてもらって構いません」

 香篤井希彦の自尊心を少なからず傷つける物言いに腹が立たなかったと言えば嘘になる。
 サーヴァントである吉備真備にさえ、こうも露骨に見下された試しはない。
 ただ此処で憤懣を露わにしたところで、せっかく掴んだ"前回"の残滓を無駄にしてしまうだけだ。
 受けた屈辱は忘れない。今はそれでいい。どうせ時が来れば、この男がご執心の"彼女"は自分と共に歩むことになるのだから。

 ――そうなった時、思う存分に滑稽さを笑ってやるとしよう。
 甘いマスクの下に野心を隠して、希彦は思いの丈を噛み殺した。

「連絡先は……ああ、この結界は電化製品のスイッチも入らなくなるのか。
 じゃあ解いた後にお渡ししますよ。解除を見計らって焼き殺すなんて無粋はしませんのでご安心を」

 スマートフォンをしまいながら言う亜切。
 思うところはあるが、希彦の望んでいた関係性の締結に漕ぎ着けることはできた。
 彼女との約束の時間が来るまでに、〈脱出王〉ないし亜切が伝えた三人のどれかの首でも獲れば。
 それを手土産にすることができたなら、彼女に求婚した身として箔も付くだろう。
 悪くない流れだ。やはり自分は、世界に、そして運命に愛されている。
 華やぐ未来を見据えながら、香篤井希彦は〈はじまり〉の悪鬼との邂逅を終えた。
 失ったものは何もなく、得たものは討つべき敵の名と、恐ろしい女神を引き連れた殺人鬼との縁。

 すべては順風満帆に進んでいる。
 希彦は未だ、それを疑いもしない。
 嗤う悪鬼の瞳と、背後から己を見つめる老人の視線の意味に気付くこともなく。
 〈恋慕〉に魅せられた男の聖杯戦争は、酩酊のような熱暴走を始めていた。



◇◇


313 : シューニャター ◆0pIloi6gg. :2024/11/02(土) 20:06:32 rv0hW16E0



「……話は分かった。確かに、あいつにとっても、"私"にとっても悪い話じゃない」

 幾ばくの沈黙の後、天津甕星はため息と共にそう吐き出した。
 如何にやさぐれてはいても、彼女も聖杯に用のない英霊ではないのだ。
 むしろ天津甕星は、聖杯を手にすることによる真の意味での昇天をこそ望んでいる。
 もう置いていかれたくない。神になどならず、ただの星として消えてしまいたい。
 
 その願いを、よく分からないご都合主義に食い潰されては堪ったものではない。
 それを言うならこのキャスターの陰謀も同じなのだったが、導線が示された以上、先に叩くべきがどちらかは明らかだった。

 神寂縁は強大だ。
 忌まわしく、またひどくおぞましい生き物だが、人でも英霊でもない魔物としておよそアレ以上の境地はそうそうないだろう。
 ましてやその上で、彼の纏うヴェールが健在のままであり続けるのなら――〈支配の蛇〉は単純に最強である。
 そこに迫ろうとしている過去の遺物どもを蹴散らしつつ、傲慢な救済者を排除できるというのは悪い話でもない。
 そして天津甕星という英霊は、星の弓神は、そういう仕事にこの上なく長けている。
 神さえ射殺す黒き流星。未完成で不完全な幼神など、瞬きの内に消し飛ばせる筈だ。

「いいよ、受けてあげる。呪われた姓に楯突く奴らは、早めに消えてもらいましょう」

 ただ、と天津甕星は続けた。
 その瞳で、時計の双眸を見据え。
 口にしたのは、ごく個人的な疑問だった。

「――あんた、何が目的でこんなことやってんの?」
「……お前に話す必要性が浮かばないが?」
「あのね、ちょっとは胸襟ってもんを開きなさい。
 こちとら使い走りになる気はないのよ。
 要求はするけど譲歩はしませんじゃ、命令を聞く気も失せるってものでしょ」
「偉そうに。東洋の擬神ごときが、このボクに説教か?」
「あんたさぁ。私がそのナントカ機構に肩入れして、手組んで自分を殺しに来るとか思わないわけ?」

 呆れたように言う天津甕星に、キャスターはわずかに眉を寄せた。

「意味がないな」
「あるでしょ。この世界の神はあんたらだ。
 私が驕り高ぶった神を相手にした時に何をするか、まさか知らないわけじゃないわよね」

 実際、警戒の度合いで言うならば彼と祓葉に対する方がよほど強いのだ。
 それもその筈。いつ出来上がるとも分からない幼い神と、既に出来上がっている舞台の支配者どもならどちらが火急の問題かは明白である。
 それなのにこうまで偉そうに、上から目線で頼み事が出来る神経にはもう苛立ちを通り越して感服ものだった。
 自分も人のことは言えない自覚はあるが、いくら何でも此処までじゃない。


314 : シューニャター ◆0pIloi6gg. :2024/11/02(土) 20:07:23 rv0hW16E0

「……蛮人だな。中つ国の程度が知れる」

 キャスターは、黒幕の少年は面倒臭そうに嘆息した。
 猿の気持ちは分からん、とばかりの態度は変わらずだが、しかし彼なりに一理あると感じた部分もあるらしい。
 不機嫌を隠そうともせず顔に貼り付けつつ、少年は先の問いに答えることに決めたようで。

「人類文明の完成だ」
「……完成?」
「別に隠し立てすることでもない。実際、既に気付いた輩もいるようだし」
「おーい煙に巻くな。ぜんぜん分かんないっつの」
「それに、お前には対価として渡すつもりだった。
 これを渡せば、ボクの素性など簡単に割れてしまうだろう。
 よかったな、中つ国の蛮神。馬鹿なりに賢者の一手先を行けたわけだ」
「…………」

 やっぱり殺してやろうかこいつ……とこめかみ辺りの血管をひくつかせながら、天津甕星は"それ"を受け取る。

「……何――これ?」
「この世界に踏み入るための鍵として撒いた、〈古びた懐中時計〉。その完成版だ」

 "それ"は、時計であった。
 思えば確かに蛇の居室で見た覚えがある。
 動力源を必要とせず、永久に動き続ける記録装置。
 ただ蛇の部屋にあったものよりも、これは新鮮な輝きを帯びていて……英霊ならばすぐに分かるほど明確な、静謐と暴性を兼ね備えた恒星の如き力の脈動を放っていた。

「幾つかの制約を組み込んではいるが、基本的にボクとその契約者に対する敵対行動以外であれば支障なく動く」
「炉心、ってこと……?」
「そうだ。魔力効率の急上昇に加え、お前の宝具が持つ欠陥を補うことにも用をなせるだろう。
 かつては英霊でさえ装着に堪える代物ではなかったが、今は既に最適化を終えてある。その気になれば生まれたての赤子や、死にかけた子犬でさえ運用することが可能な万能炉心だ。
 ボクの知る限り、この都市でこれを最も上手く扱えるのはお前達の主従だと思う。
 どう使うもお前次第。忌まわしの怪物を更に手のつけられない全能者にするも、屑星の霊基を真の神性に近づけるために用いるも良し。貴重な実験データとして糧にさせてもらう」

 エネルギーの枯渇という概念を克服した装置、あるいは炉心。
 それはこの現代においては、既に実現不能、机上の空論の烙印を押されて久しい。
 純粋力学と熱力学が揃って否を突き付け、皮肉にも"それ"が空想であると確かめる過程は人類の科学に小さくない進歩をもたらした。
 近代科学史の徒花。いや、そう呼ぶにも値しない枯れ尾花。

 ――その例外が今、古の悪神の手に握られている。本来であれば天津甕星にその意味を理解できるほどの知能はないのだったが、英霊の座が現界に伴い彼女に与えた知識が、この〈万能炉心〉が生半な宝具などとは比べ物にならない奇跡革新の産物であることを理解させていた。
 そして同時に、英霊の真名をも。
 人類史の徒花にして枯れ尾花たる、ある詐欺師の名を浮かび上がらせる。


315 : シューニャター ◆0pIloi6gg. :2024/11/02(土) 20:08:00 rv0hW16E0

「なるほど、ね。にわかには信じ難いけど、そういうことなら納得できたわ。
 道理で弱いわけ。そもそも召喚されるに足る霊基を持ってたことすら疑わしいわよ」

 これが触れ込み通りの代物なら、世界のひとつふたつは簡単に救えるだろう。
 エネルギー問題は過去、現在、そして未来に渡り人類を悩ませ続ける永遠の課題だ。
 それが、この時計ひとつで吹き飛ぶ。正しくはそこに込められた理論が、恒久的に解決する。

「……ま。こんなものを渡されたんじゃ、袖にするわけにもいかないよね」

 何しろ天津甕星という一個人もとい一英霊にしたって、この炉心で弱点がひとつ消し飛んだのだ。
 彼女の宝具は、自身の霊基そのものを矢に込めて放つ。
 したがって過度に連発出来ない欠点を持つのだったが、無制限の魔力供給を可能とするこの外付けパーツがあれば――
 天津甕星は、その黒い流星は真の意味で果てを知らない、神滅の流星群となって天を覆い尽くすに違いない。

「それはそうと、もうひとつ質問していい?」
「まだあるのか」
「あんたもさっき自分で言ってたけど、私に話持ってくるより蛇(あいつ)に直接行った方が早かったんじゃないの」
「……それは」

 〈蛇〉の素性を特定できるほどに都市のすべてを知り尽くしているのなら、当然直接接触することも可能だった筈。
 確かに可能なら顔を突き合わせたくない相手なのは否定しないが、その方がいろいろと話が早かったのではないか。
 そんな天津甕星の疑問に、キャスターは珍しく口ごもった。
 「?」と首を傾げる彼女へ、少年はややあって。

「お前は、ボクの知り合いに似ていたからな。
 一から新たな人間と話す手管を模索するよりは、既存のノウハウを応用できる相手を選んだ方が合理的だと判断したまでだ」
「……、なにそれ。あんた人見知りなの?」
「黙れ。話は終わりだ」

 最後まで憮然な態度のまま踵を返すキャスターの脳裏には、ツートンヘアの少女の顔が浮かんでいた。
 祓葉ほどでないにしろ頭を悩ませてくれたかつての同盟者のあしらい方を、今回も応用したわけだ。
 
 彼は、人間を嫌っている。
 人間は愚かで、非効率的で、話すだけで心労が募る。
 だが、それらの織りなす文明はその限りではない。
 万華鏡のように広がり、美しき社会を描き上げる営みの結晶体。
 これを美しいと思うからこそ、ヒトとして生まれた彼による神話は幕を開けたのだ。

 救済機構(デウス・エクス・マキナ)など無用。
 必要なのはヒトの幸福ではなく、物語全体の幸福なれば。
 故に彼は、エウリピデスの仔の対極にある存在だった。
 その愛は確かに人類へと向けられているが――決して個人を見つめない。



◇◇


316 : シューニャター ◆0pIloi6gg. :2024/11/02(土) 20:08:59 rv0hW16E0



「驚いた。アンタ、もっと怒り狂うもんかと」
「そこまで心狭くもないよ。まあ一瞬イラッとはしたけどね」

 香篤井希彦との接触を終え、亜切はスカディを伴いながら光と変化を取り戻した町並みの中を進んでいた。
 あの後、別に何があったわけでもない。そして亜切の方も、希彦達に何かしようとはしなかった。
 結界が解かれてから連絡先の交換を行い、何かあれば連絡するように伝えて別れた。それだけだ。

「あの爺様はなかなか曲者だねぇ。潰しといた方が良かったんじゃないかい?」
「これは驚きだな。神代育ちの君のお眼鏡に適うとは」
「強さで言うなら上はいるだろうが、アレの厄介さは老練さだろうよ。
 力比べや目先の勝ち負けに固執せず動いてくる術師ってのはいつの時代も厄介なモンさ。
 ……まあアタシらが今までの話全部反故にして襲いかかったところで、奴さんがそれを想定してなかったとも思えないが」
「同意見だ。けどまあいいさ、思いがけない形で手札が一枚増えたんだ。
 彼、今が一番楽しい時期だろうからね。向かう先が〈脱出王〉にしろサムスタンプのクズにしろ、精々突撃かまして削ってくれたらありがたい」

 今の時点でも既に日常のヴェールがだいぶ捲れてきているが、だからこそ日が落ちて夜になればより上の混沌が待っているのは確実だ。
 であればやはり、今のうちはなるべく消耗を抑えつつ、来たる本物の地獄に備えたい。
 "流星の弓兵"の襲撃というアクシデントがあったとはいえ、今もその方針は不変だった。

 とはいえ、香篤井希彦という新たな役者が接触してきたことにはさしもの亜切も驚いた。
 その上、まさかこの世界で生まれた新たな祓葉案件とは。
 陰陽道という前回は存在しなかった方向のアプローチで〈脱出王〉を捕らえられるなら万々歳だし、そうでなくてもあの新たな"被害者"が亜切の敵に少しでも大きな不確定要素としてぶつかってくれれば重畳。
 どう転んでも亜切は損をしない。それに――

「……く、はは。それにしても幸せ者だなあ、彼」
「幸せ者?」
「ああ。あの様子だと彼はまだ、本当の彼女を見てないんだろう?
 これを幸せと呼ばずしてなんと呼ぶのかって話だよ。
 彼はこの先、ほぼ確実にもう一度お姉(妹)ちゃんに灼かれることになるんだ」

 ――なかなかに、見ごたえのある道化が出てきた。そういう意味でも、希彦と語らった時間は有意義だった。

「今の彼は……まあ〈恋慕〉ってところかな。
 僕のお姉(妹)ちゃんに欲情を向けた罪は万死に値するが、自覚があるだけサムスタンプよりはマシだね」

 イリスやジャックならば憐れむだろう。多分ノクトもそのクチだ。
 ハリーは笑う。ホムンクルスは、素直に怒るか色々考えるかどっちだろうか。
 そして赤坂亜切は、道化めと笑いながら、もう一度灼かれることの出来る彼を心から羨んでいた。
 神寂祓葉という生物の"本当の輝き"も知らぬまま、幼気な狂気を発露させた希彦には。
 この先もう一度、灼かれる機会が残されている。あるいはその時こそが、彼が本当の意味で〈はじまりの六人〉の立つ場所へ足を踏み入れる瞬間とも呼べるかもしれない。

「香篤井希彦さん。
 あなたはその時――――どんな狂気(かお)をするのかな」

 悪鬼は嗤う。
 道化を嗤う。
 どう転ぼうが最後にはすべて燃やし尽くすと決めているのに、悪趣味な愉楽に酔える性根はまさしく悪鬼のそれだった。



◇◇


317 : シューニャター ◆0pIloi6gg. :2024/11/02(土) 20:09:36 rv0hW16E0



 『秘封之法・陰陽无色(ひふうのほう・いんようむしき)』。
 結界宝具。唐土の日月を封じた秘術を再現する、サーヴァント・吉備真備の"奥の手"である。

 ただし奥の手と言っても、無限の物量で相手を圧殺するだとか、生前の友軍を召喚するだとかそんな分かりやすい強さをこの宝具は持たない。
 結界の範囲内における日月、もとい陰陽の観念を封じ込め、一切不変の無明を現出させるのだ。
 攻撃は出来ず、起こせる行動の種類も相当に限られる。亜切がスマートフォンを起動させることすら出来なかったのがその証拠だ。
 無論、真備や希彦だけは無明の中で自由に行動できる――なんて抜け道も存在しない。
 要するに、雑に使えば"何も起きない"宝具。華々しさとはまったく無縁で、戦闘の有利不利にはまず寄与しない難儀な鬼札を、今回希彦は"圧倒的な格上とノーリスクで対話する"ために使わせた。

 結果として、その試みは成功したと言っていい。
 現に亜切と彼の女神は希彦達に何も出来ず、交渉という希彦の目的はつつがなく完了した。
 得たのは〈はじまりの六人〉が一人からの認知と、彼以外の面々の情報。更には自分達の陰陽道(スタイル)で上手くアプローチ出来る可能性のある〈脱出王〉という蝶の存在まで教えて貰えた。
 魔力以外何も失わず、得るものだけは多かった……これが大成功でなくて何なのかという話であろう。

「……ああくそ、まだ腹が立つ。
 なかなか居ませんよ、この僕にあんな馬鹿にしたような態度が取れる人間なんて」
「そりゃそうじゃろ。お前なんぞ奴さんからすれば文字通りただの小僧みたいなもんじゃ。
 それが背伸びしてあれこれ奮闘しとるんじゃから、まあ微笑ましくもなるだろうよ」

 ぶつぶつとぼやきながら歩く希彦の足取りに、しかし祓葉と会う前のような現状への迷いや焦りは見受けられない。
 神寂祓葉という明確な"目的"を得た希彦は、此処では宙ぶらりんになりがちだったその優秀さを存分に発揮できるようになっていた。
 進む道の定まった天才。これが強くないわけがない。
 サーヴァントの一挙一動に振り回されていた頃の希彦はもういない。香篤井家の神童はこれより、家の名に恥じぬ辣腕を振るいこの戦争を馳せていくことだろう。
 それを支えるのは、陰陽道の極致に達した偉大なる先人。
 すべてを見通す千里眼こそ持たねど、逆に言えばそれさえあったなら、冠位(グランド)の位階にさえ手を掛けることが可能であったに違いない傑物だ。絵に描いたような盤石の布陣で、陰陽師主従は都市にその名を轟かせようとしている。

「のう、希彦よ。
 お前――あの赤坂っちゅう男を見て、どう感じた?」
「……そうですね。癪に障る奴でしたが、まあ思ったほどではなかったです。
 僕はもっとこう、対峙するだけで格の差で動けなくなるようなのを想像してたので。
 一瞬気圧されかけはしましたけど、アレなら僕とそう大差はないでしょう。勝てますし、思い通りにもならずに済みそうです」
「そうかい」

 希彦は振り返らない。
 そのため、後ろを歩く老人が肩を竦める動作をしたのには気付かなかった。


(――恋は盲目とはよく言ったものよ。眼が曇っちまっとるな)


 香篤井希彦の優秀さについては、吉備真備も十分に認めるところだ。
 にもかかわらずおちょくるような真似ばかりしているのは、それを素直に言葉に出して伝えると、希彦はますます天狗になるからだ。
 世の中には褒められて伸びる人間と、逆に褒められることで駄目になる人間がいる。
 真備の眼から見て、希彦は明確に後者だった。とはいえどこかで現実にぶち当たり、地面を転がって泥にまみれて、そうして学んでいけば間違いなく大物になるだろうと踏んでいたが――だからこそ真備にとっても、あの〈太陽〉との邂逅はまったくの想定外であった。


318 : シューニャター ◆0pIloi6gg. :2024/11/02(土) 20:10:43 rv0hW16E0

 希彦は恋に蝕まれている。
 もとい、曇らされている。
 平時の希彦であれば、寄る年波を受けて迷走気味であるとはいえ、香篤井という名門を背負って立つ麒麟児たる彼であれば、間違ってもあの"悪鬼"に対し"思ったほどではなかった"なんて台詞は出ない筈なのだ。

 真備の眼には、赤坂亜切という男はまさしく一体の鬼に見えた。
 瞳に地獄の爛炎を宿し、全身から煤と脂の香りを醸して佇む禍炎の悪鬼だ。
 更に彼に侍る神の女は、天を衝く巨体を有した、触れる者皆凍て殺す死の化身に見えた。
 まさに地獄絵図だ。それと向かい合う希彦の姿は、地獄絵に向かって弁を垂れているかのようだった。

 真備は自分が影法師であることを自覚している。
 言うなれば人類史という灯りが映し出した絵であり、残響であり、蜃気楼であり、白昼夢。
 無論その惰弱な霧に終わることを良しとするほどこの老爺は物分かりのいい男ではなかったし、受肉して新たな知識を蓄え、定命の限界のその先に達したいという欲望のもとに聖杯戦争へ臨んでいるのだったが――

(はぁあ、面倒臭いわ。星に爪を届かせたのは褒めるべきじゃが、かと言って"連中"のように成り果てちゃ意味がないわ。
 そもそもあんなんだから前回負けたんじゃろ、連中。
 焼き直しで先人気取りのロクでなしどもに倣ったところで待ち受ける運命は蝋の翼よ。人が太陽に近付くってのはそういうことじゃ)

 かと言って、悠久の時を超えて自分を呼び出したこの小僧を単なる破滅待ちの道化として使い潰すほど真備は冷淡でもなかった。
 散々おちょくり笑い者にしてきたし、実際彼の実力は真備の基準で考えればそこまで高いものとは呼べない。
 陰陽道全盛の時代に比べれば精々並より少し見どころがある程度。しかし、この現代で天才だ神童だと持て囃されるのは分かる。
 此処まで神秘が衰退し、こと陰陽道に関して言えば技術の継承とその立ち位置すら朧気な見世物紛いになりさらばえている時代だ。
 香篤井希彦は間違いなく天才である。少なくとも真備が、こんなけったいな戦に放り込まれたことを勿体なく思う程度には。

 ――おまえ達が誰であろうが、何をしようが、すべては些事だ。
 ――端役が舞台端で如何な名演を魅せようと、それが物語の結末を変えることはない。
 ――絶対的な主役の存在は、その他一切を霞ませる。

 傲慢な科学者(キャスター)の声が脳裏へ反芻される。
 真備は憤るでもなく、老人らしからぬ白い歯を覗かせていた。

「驕りおってからに。切れた端役が火でも放てば、舞台なんぞ簡単に台無しだろうがよ」

 くつくつ、と真備は笑う。
 老いて益々壮んなる彼は臆病を知らず、停滞を知らない。
 棗の筒に覆われた賽の出目が何であれ、彼には関係などないのだ。
 ましてや餓鬼のまま大人になったような、そんな青二才の思うままになって終わるなど断じて御免である。

 現在の不完全を許せない男は、神の如き力を手に入れた夢想家は、最後に一体何をするのだろう?
 真備は未だ、絶えることなく廻り続ける時計という奇跡を知らない。
 よって科学者の素性に辿り着ける根拠が、彼にはまだない。

 されど、この時点でも既に想像はできる。
 すべての"過程"を許せない男が目指す、未来。
 地獄と呼ぶには華々しく、されど浄土と呼ぶには偏執が過ぎる彼方。
 おそらくそれは、この惑星に存在するあらゆる"不完全"の、強制的な……

(ま、ええ。知識の蒐集って観点じゃ、確かに得難いモノが集められるだろうよ。さしもの儂も話に聞く限りでしか知らんからなぁ) 

 老陰陽師が、空を見上げる。
 作り物の空、針音の天空。
 鼻を擽る香りは爽やかそのもの。
 されどそこに微か混じる"それ"を、吉備真備は見逃さなかった。

 陰陽で世界を観測し、時に操作する大術師。
 そんな彼だからこそ、この舞台の誰より早くそれに気付く。
 今の時点ではまだ、だから何だという話でしかないが。
 それでも――知る者がいるのといないのとでは、話はまったく別で。


「人類(ヒト)を愛しすぎるってのも考え物よのぅ――――ケモノ臭えぞ、お前さん」



 棗の筒のように、閉ざされた世界。
 その内側で、賽は廻り続けている。
 からころ、からころ。
 最後に浮かび上がる目は、未だ無明の底。



◇◇


319 : シューニャター ◆0pIloi6gg. :2024/11/02(土) 20:11:44 rv0hW16E0
【目黒区・中目黒/一日目・夕方】

【赤坂亜切】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:『嚇炎の魔眼』
[道具]:魔眼殺しの眼鏡(模造品)
[所持金]:潤沢。殺し屋として働いた報酬がほぼ手つかずで残っている。
[思考・状況]
基本方針:優勝する。お姉(妹)ちゃんを手に入れる。
0:いやあ、羨ましいよ。僕ももう一度灼かれたいものだ。
1:適当に参加者を間引きながらお姉(妹)ちゃんを探す。
2:日中はある程度力を抑え、夜間に本格的な狩りを実行する。
3:他の〈はじまりの六人〉を警戒しつつ、情報を集める。
4:〈蛇〉ねえ。
[備考]
※彼の所持する魔眼殺しの眼鏡は質の低い模造品であり、力を抑えるに十全な代物ではありません。
※香篤井希彦の連絡先を入手しました。

【アーチャー(スカディ)】
[状態]:健康
[装備]:イチイの大弓、スキー板。
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:狩りを楽しむ。
1:日中はある程度力を抑え、夜間に本格的な狩りを実行する。
2:マキナはかわいいね。生きて再会できたら、また話そうじゃないか。
[備考]


【香篤井希彦】
[状態]:魔力消費(中)、〈恋慕〉、赤坂亜切への苛立ち
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:式神、符、など戦闘可能な一通りの備え
[所持金]:現金で数十万円。潤沢。
[思考・状況]
基本方針:神寂祓葉の選択を待って、それ次第で自分の優勝or神寂祓葉の優勝を目指す。
0:赤坂亜切の言う通り、〈脱出王〉を捜す。
1:神寂祓葉の返答を待つ。返答を聞くまでは死ねない。
2:すっかり言い忘れてしまった。次に彼女に会ったら「好きです」と伝える。それまでは死ねない。
3:上手く行ったときのデートコースも考えておかないと。夜にはホテルに連れ込むことを目指すとして、そこから逆算で……!
[備考]
二日目の朝、神寂祓葉と再び会う約束をしました。

【キャスター(吉備真備)】
[状態]:健康
[装備]:
[道具]:『真・刃辛内伝金烏玉兎集』
[所持金]:希彦に任せている。必要だったらお使いに出すか金をせびるのでOK。
[思考・状況]
基本方針:知識を蓄えつつ、優勝目指してのらりくらり。
1:面白いことになってきたのぉ。
2:希彦については思うところあり。ただ、何をやるにも時期ってもんがあらぁな。
3:と、なると……とりあえずは明日の朝まで、何としても生き延びんとな。
[備考]


【練馬区/一日目・夕方】

【アーチャー(天津甕星)】
[状態]:疲労(小)、気疲れ(中)
[装備]:弓と矢
[道具]:永久機関・万能炉心(懐中時計型)
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:優勝を目指す。
1:当面は神寂縁に従う。
2:〈救済機構〉なるものの排除……、一応あの変態にも話通さないとダメ? ダメだよね。はぁ。
[備考]
※キャスター(オルフィレウス)から永久機関を貸与されました。
 ・神寂祓葉及びオルフィレウスに対する反抗行動には使用できません。
 ・所持している限り、霊基と魔力の自動回復効果を得られます。
 ・祓葉のように肉体に適合させているわけではないので、あそこまでの不死性は発揮できません。
 ・が、全体的に出力が向上しているでしょう。


【キャスター(オルフィレウス)】
[状態]:健康、今になって祓葉のさっきの報告にイライラしてきた
[装備]:
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]
基本方針:本懐を遂げる。
1:作業に戻る。が、必要であれば盤面にも干渉する。
2:あのバカ(祓葉)のことは知らない。好きにすればいいと思う。言っても聞かないし。
3:〈救済機構〉始めとする厄介な存在に対しては潰すこともやぶさかではない。
[備考]


320 : ◆0pIloi6gg. :2024/11/02(土) 20:12:12 rv0hW16E0
投下終了です。


321 : ◆0pIloi6gg. :2024/11/02(土) 20:12:31 rv0hW16E0
ホムンクルス36号/ミロク&アサシン(継代のハサン) 
輪堂天梨&アヴェンジャー(シャクシャイン) 予約します。


322 : ◆0pIloi6gg. :2024/11/03(日) 01:09:55 QwOaoxB20
外見の設定をしていなかったことに気付いたので、wikiで高天小都音の人物ページを一部追記しました。


323 : ◆0pIloi6gg. :2024/11/06(水) 14:14:40 Uj0ORIvA0
投下します。


324 : アンチノミー ◆0pIloi6gg. :2024/11/06(水) 14:17:59 Uj0ORIvA0



 例えるならそれは、冬場の静電気に似ていた。
 ドアノブなんかに触れた時バチッとなって、思わず手を引いてしまう日常の一風景。
 それに似ているけれど、しかし絶対的に違う。
 天梨はその現象の意味を理解してはいなかったが、それでも何か、自分の身体に不可逆的な異変が生じたことだけは分かった。

 何、今の――。
 いまだ早鐘を打ち続ける心臓の脈動を感じながら、天梨はそんな言葉を口に出そうとして。
 その瞬間、苛立ちも露わに剣を振り上げるアヴェンジャー・シャクシャインの姿を見た。

「え……」
「心配しないでいい。今回は俺の都合ってことにしてやるよ」

 シャクシャインは憎悪の化身だが、天梨の前でそれを露骨に見せたことは少ない。
 彼はいつだって飄々と笑い、嘲りながら天梨に怨嗟を囁くばかりで。
 憎むモノに対する感情を爆ぜさせ荒れ狂うようなことはあまりなかった。
 が、今の彼は明確な敵意と怒りでもって少女の前に転がる"モノ"を見下ろしていて。

「――余計な真似しやがって、生まれ損ないの人形(ニポポ)風情が」

 振り下ろされる妖刀を止めることさえ、天梨には間に合わない。
 何故シャクシャインが怒っているのかさえ分からないし、まず足元に転がる"それ"は泥に塗れてそもそも何かも分からない状態なのだ。
 それの中身が何であるかを、恐るべき復讐者は彼女に決して伝えないだろう。

 そういう意味でも、これは"例外"なのだ。
 輪堂天梨ではなく、シャクシャインの事情で殺す。
 彼と彼女の繰り広げる、天国と地獄のせめぎ合いとは無関係に屠る。
 さながら、望まれない忌み子を殴り殺して間引くように。
 堕ちた英雄の妖刀は振り下ろされ、そして――。


「悪いね。その憤懣は理解できるが、こっちにも事情があるんだわ」
「……!」


 転がるガラス瓶を中身ごと粉砕する寸前のところで、一本のナイフによって阻まれた。
 砕け散る銀片。瓶は割って入ったナイフの主に抱えられ、シャクシャインの眼前から離脱する。
 されど、彼としても逃すつもりは毛頭ない。
 月並みな表現をするならば、楽しみにしていた米櫃に手を突っ込む無粋を犯されたのだから。
 彼の『血啜喰牙(イペタム)』はすぐさまに血吸いの風と化し、瓶を抱えた髑髏面の怪人に殺到した。


325 : アンチノミー ◆0pIloi6gg. :2024/11/06(水) 14:18:38 Uj0ORIvA0

「ちょっ、アヴェンジャー……!?」
「逃すかよ、糞が」

 ――アイヌの妖刀・イペタム。
 直訳で〈人喰い刀〉を意味するそれは、ひどい大食漢な上に担い手すら選り好みする。
 気に入った相手には使われてやるし、力まで寄越す羽振りのいいひょうきん者。
 しかし気に入らなければ担うことを許さないどころか、切っ先を翻して喉笛を掻き切ってくる傍若無人な暴れ馬。
 こうなる以前から英雄として名を馳せ、思うままに振る舞い続けてきたシャクシャインには当然に力があった。
 その力にイペタムは平伏どころか共鳴し、世に生まれ出ててから最高の相性を発揮し敵を鏖殺し続けている。
 無慈悲なるソルジャー・ブルーさえ血煙に変えた剣戟の嵐が、担い手の殺意を燃料にして遥か異国の〈山の翁〉を切り刻む。

 であれば瞬時にひき肉同然の惨殺死体が出来上がりそうなものだが……こちらが神話なら相手もまた神話。
 人類史に"死の恐怖"として名を残した暗殺者の顔役は、悪魔(シャイターン)など見慣れている。

「まず話を聞いてもらうことは出来ないかね。白昼堂々ってのは互いに旨味が薄いと思うんだが?」
「仕掛けといた側の台詞じゃないだろ、鼠野郎(エルム)」

 〈山の翁〉――ハサン・サッバーハ。
 暗殺教団の三代目にして、先代の死により生じた混乱と内紛を平定した"中興の祖"。
 それこそが〈継代〉の名で畏れられた、この男の正体であった。
 彼の最大の偉業は崩壊寸前の教団を再編し後世に繋げたことであったが、ではこの男は折衝だけが取り柄の事務屋だったのかと言えば。
 当然、その答えは否である。何故か。前提として力のない者に、凶手の集団は付いて行かないからだ。
 現代より遥かに力量の大小が重視される時代。頭のいいだけの弱者に、コミュニティを牽引することは叶わない。

 煮え滾る獰猛な殺意そのものの剣戟を、継代のハサンは最小限の動きと最大効率の負傷で躱していく。
 一度の接触で砕けたナイフの代替品は今は亡きガーンドレッドの魔術師達が持ち込んでいた、多少の武装強化が施されているだけのなまくらだったが、それでも生き延びるだけが目的なら十分すぎた。
 極まった剣術家にも匹敵する刃の扱いと、押し寄せる衝撃/剛力の最も弱い点を察知してやり過ごす絶大な鍛錬量に基づく立ち回り。
 蹂躙だけが能の騎兵隊ではまず不可能であろう柔軟そのものの殺陣が、誰がどう見ても勝ち目のない戦いをのらりくらりと延長させる。
 内心の焦りと諦観は髑髏面の内側に留め、決して相手に悟らせない。暗殺者にあるべき振る舞いを、継代はこの状況でさえ徹底していた。

 が――だとしてもまともにやれば勝ち目など存在しないことは変わらない。
 シャクシャインは怪物である。まさしく、シャイターンの如き魔性である。
 振るう妖刀の獰猛さもさることながら、憎悪の炎で猛り狂う"堕ちた英雄"の突撃はそれそのものが一個の災害だ。
 いかに優れていようとも、暗殺者にこれを正面突破せよと求めるのは酷というもの。

 よって必然、継代の奇跡じみた善戦に翳りが見え出すのは早かった。
 シャクシャインは技すら使っていない。ただ前へ、前へ前へ前へ。
 反撃など許さず前へ進む。それだけで、妖刀の斬撃網は破滅的なまでにその密度を増していく。
 暗殺者と戦士。専門外と専門分野。鼠と猛禽の対決が、次第に対決の体をすら成さなくなっていく。
 もう数秒もあれば血啜りの牙は暗殺者の全身を暴食するだろう状況になったところで、髑髏面に隠れた彼の口が声を発した。

「……いい加減溜飲は下がっただろ。この辺で勘弁してくれよ」
「寝言は寝てから言うもんだ」
「そうかい。じゃあ、寝言かどうかは後ろのお嬢ちゃんに判断して貰おうかね」
「何?」


326 : アンチノミー ◆0pIloi6gg. :2024/11/06(水) 14:19:16 Uj0ORIvA0

 訝しげに眉を顰めたシャクシャイン。
 瞬間、継代はたん、と上へ跳んだ。
 同時に、彼とその振るう刃の軌跡で遮られていた背後の景色が露わになる。
 誰がどう見ても危険そのものである白昼の殺し合い。そこにあまりに不似合いな多くの群衆(ギャラリー)達が、躍る英雄と彼の主人に視線を送っていた。

「っ……!」

 天梨が息を呑む。
 その顔色が、サッと青褪めた。
 日々無数の悪意に曝され、生きながらに人生を歪曲され、それでも呪いのひとつも吐けない少女。
 押し寄せる蝗害にさえ殺意を放つことのできない彼女のことを感情の籠もらない瞳で見つめながら、彼らは皆一様に自分の首へ刃を突き付けている。

 ある者はガラス片。ある者は落ちていた釘。
 ある者は包丁で、またある者は自分の爪。
 自殺に用いるには心許ない道具が大半だったが、老若男女の垣根なく整然と並んだ彼らが皆一様にそうしている光景の異様さが、自らの命を人質にした脅迫行為に激しい説得力を与えていた。
 チッ、とシャクシャインが心底忌まわしそうに舌を打つ。
 彼は、いや"彼も"知っているからだ。輪堂天梨という少女は、この状況に耐えられる精神構造をしていないことを。

「あ、アヴェンジャー! ダメ……!」

 案の定、震えた声がシャクシャインの続く凶行を制止する。
 状況が状況だから、で無辜の市民を虐殺できる人物なら、彼女は一体どれほど楽に生きられたろうか。
 そして自分も、どれほど仕事が楽だったか――復讐鬼は一瞬の逡巡の後、苦い顔で刀を下ろした。

「……いちいち言わなくても判ってるよ。君がそういう人間なことは嫌ってほど知ってる」

 天梨の性根は知っているが、今ほどそれを忌々しく思ったことはない。
 今回のこれは単なる悪意ではなく、正当なる報復としての殺戮行動だった。
 あのガラス瓶の中に入っていた"何か"が、〈天使〉の身体を穢したことにシャクシャインは気付いている。
 それが彼には許せない。自分が味わう筈だった美酒を、あろうことかこんな鼠まがいの卑怯者どもに横取りされたのだ。


327 : アンチノミー ◆0pIloi6gg. :2024/11/06(水) 14:19:51 Uj0ORIvA0

 ましてその狼藉を働いたのが下劣な暗殺者だったというのもまた、彼の不興に拍車をかけていた。
 不意討ち。奸計。いずれもシャクシャインにとって憎悪すべき悪徳そのものである。
 そんな手合いに"またも"してやられた事実に、否応なく生前の最期が想起される。
 もしも今天梨の意識がなかったならば、彼は嬉々として髑髏面の暗殺者へ想像できる限り最も惨たらしい死に様を提供していただろう。
 ガラス瓶の中の生き物に関してもそうだ。死毒の炎で骨まで焦がし、魂まで焼き尽くして殺していたと断言できる。

「分かってくれて何よりだ。
 これから話し合おうって相手にする手段じゃないのは承知だが、文句はこの"大将"に言ってくれ」
「ハッ。出来損ないの飼い主(ニシパ)を持つと大変だな」
「あんたに言われたかないが、否定は出来かねるな」

 ――暗殺教団の主は、自らの秘伝に天使(ザバーニーヤ)の名を与える。
 この継代のハサンもまた、その例外ではなく秘伝の奥義を有していた。
 名を『奇想誘惑』。神秘の域にまで達した極限の技術、持つ得体は"催眠術"。
 視線ひとつで人間を傀儡に変え、一瞬にして呵責を知らない暗殺者を仕立て上げる、こと市街戦において最悪の御業。
 
 蛇杖堂記念病院での試み自体は成功し、一定の成果をあげた。
 だがそこに生まれたたったひとつの誤算が、彼らを窮地に追いやった。
 神さえ喰らう蝗害からの、結果の見えた逃走劇。
 その最中、継代のハサンは手当たり次第に見かけた人間へ自身の奥義を行使していた。
 万一蝗害の猛追を生き延びることが出来たとして、誰の目にも分かる這々の体を狙い撃たれれば今度こそ命運は尽きる。
 だからこそ優秀なる〈山の翁〉は、絶望の中でさえ一縷の希望が叶ったその後のことを想定し、必要な行動を行い続けていたのだ。
 
 そんな事前準備が、斯くして結実の時を迎える。
 輪堂天梨という"殺せない"マスターに対し、この世のどんな武力より覿面に効く脅しとして。

(――大将よ、いいんだな?
 眠りこけたのはおたくの落ち度だ。俺がこれから取る選択があんたの想定と違っても、後で恨み言言うんじゃねえぞ……?)

 とはいえ、未だに首の皮一枚で命運が繋がっている状況なのは変わっていない。
 継代の背筋を伝う冷たい汗。砂漠の夜よりも激しく骨の髄を寒からしめる慄気の中、それでも暗殺者は己が成すべきことを成す。

「こちらに交戦の意思はない。話し合いのテーブルを設けてもらいたい」

 この酔狂な大将ならばそう言う筈だと、おぼつかない理解度で眠るホムンクルスの思考をエミュレートする。
 最適解は誰がどう見ても撤退だが、それではただ失っただけで終わってしまう。
 どの道『奇想誘惑』がある限り、敵方のマスターの意思決定には縛りをかけられるのだ。
 状況の優位はこちらにある。だから焦るな、落ち着け――この窮地を掌握しろ。

 継代のハサンは、可能なら天でも仰ぎたい気分だった。
 こんなもの、まったくもって暗殺者の仕事ではない。
 そう嘆く一方で、ああ生前は組織の傾きを立て直すために嫌んなるほどこういう役回りしたなあ、としみじみ思ったりもしていて。
 いつになったら己の厄日は終わるのだろうかと、仮面の下で誰にも届かない小さなため息をひとつこぼした。



◇◇


328 : アンチノミー ◆0pIloi6gg. :2024/11/06(水) 14:20:47 Uj0ORIvA0



 ――意識が、泥濘のような眠りの底から浮上する。

 ガーンドレッドのホムンクルスはすべてにおいて効率的に設計されていた。
 継続的な運用を度外視しているからこその、道具としての利便性に最特化させた生態。
 例えばその一例に、睡眠行為が不要であること。そして何らかの理由で意識が断絶した時、脳が過剰駆動することによりごく短時間でブラックアウトから回復できる……というものがある。

「…………、…………」

 そんな特異体質を持つ彼にとって、今回の数十分にも及ぶ気絶は歴代でも屈指の暗転時間(スコア)だった。
 どうやらあの狂騒の病院決戦は、想像以上にミロクの体力を消耗させていたらしい。
 思えば前回はガーンドレッドの魔術師達が健在だったこともあり、こうして自ら矢面に立って戦う機会はほとんどなかった。
 我が身の不自由を改めて噛みしめながら開いた瞼の先に広がる視界は、ちっぽけな部屋の中であった。

 響くのはミロクが知る由もない"流行り"の歌。
 テーブルの上には曲を送信するための機械と、二本のマイクが置かれている。
 壁と一体になった座椅子が四つ、向かい合うように並んでいて。
 ミロクの隣には、彼に付き従い命令を果たす髑髏面の暗殺者が。
 そして対面には剣呑な目つきをした青年と、意識を失う前に見た〈天の翼〉が座っていた。

「あ、起きたんだね。えと、大丈夫……?」
『――活動上の問題はない。意識の曇りも既に晴れている。総じて、心配には及ばない』
「そ、そっか。ならよかったや」

 にへ、と優しい微笑みを浮かべる少女の姿。
 見るからに殺気剥き出しの、彼女のサーヴァントであろう青年。
 あからさまに"とりあえず"見繕ったのだと分かるこの空間。
 視界に入る情報だけで、ミロクはどうやら自分の願望通りの展開を辿ったのだと理解した。

(すまない。また手間を掛けたな、アサシン)
(本当だよ。あんたには暗殺者って言葉の意味を懇々と語り聞かせる必要がありそうだ)
(その際は慎んで傾聴させてもらおう。此度のことに関しては申し開きのしようもない)
(今までも申し開きがほしいこといっぱいあったけどなあ……)

 ――さすがは〈山の翁〉、暗殺教団の中興の祖。
 十九人の当主の中でも、場を作ることにかけては随一であろう〈継代のハサン〉。
 主なき状態でさえその意を汲み、描きかけの絵を完成させてくれるとは。

 ミロクは今、素直に彼の奮闘と能力に感謝していた。
 どうりで"あの男"が重用しただけはあると、継代には話したことのない過去の記憶に思いを馳せながら。
 念話を切り、改めて対面に座る少女に視線を向けた。可憐な娘だ。その華やかさは、ともすればミロクの主君にも迫るものがある。

 ・・・・・・・・・・
『我が従僕の言った通り、こちらに交戦の意思はない。
 ただしそれだけでは納得行かぬこともあるだろう。私の働いた行為に見合うぶんの対価は支払うつもりだ』
「ああそう。なら遠慮なく尋問させて貰おうかな。対価は支払ってくれるんだろ? 人形(ニポポ)よ」

 ミロクの言葉に対し、少女――輪堂天梨をさしおいて言葉を発したのはその隣に座る青年であった。
 組んだ足をテーブルの上に投げ出し、顎を突き出して侮蔑と不快の感情を隠そうともしていない。
 が、それを不当とミロクは思わなかった。
 今口にした通り、先に手を出したのは己の方だからだ。敵意を向けられる謂れが、彼にはある。

「――お前、こいつに何をした? ……ああいや、違うな。何のためにあんな真似をした?」

 ……意識を失う直前、ミロクは己に触れた少女へ魔術を行使した。


329 : アンチノミー ◆0pIloi6gg. :2024/11/06(水) 14:21:46 Uj0ORIvA0
 ガーンドレッドのホムンクルスは事実上、魔術を使うことができない。
 その例外は解析と調律だ。気配探知と、探知した使い魔及び術式に対する介入。
 それだけが道具である彼らの能である。故にあの時ミロクが遣ったのも、この力だった。

 ――【同調/調律(tuning)】。
 ――魔術回路の解析と、その調律。

 聖杯戦争においては"ほぼ"無意味の域に留まっていた才覚を読み解き、喚起した。
 病院でアンジェリカ・アルロニカに対してやったのと同じ芸当だ。
 したがって輪堂天梨は今、もはやミロクに触れた/触れられた以前とは別の位階に達している。
 彼女のアヴェンジャー・シャクシャインはそれを見抜いていた。
 だから何のために、と問う。これに対してミロクは、隠し立てするでもなく答えた。

『我が目的のため。正しくは、我が奉ずる主君のため』
「ぼかしてんじゃねえよ。そのナリで頭まで白痴(エパタイ)なら笑えねえぞ?」
『誤魔化しているつもりはない。
 先の行動の意図と私の目指すところを語るには、長い話が必要になる。
 求めるなら端的に語ることも可能ではあるが、勧めはしない。本質を知らずして聞けば認識の齟齬が生じるたぐいの話だ』
「……ちッ」

 そう、誠意を示すつもりはあるのだ。
 聖杯戦争において騙し合いは常。
 常に相手を陥れ、破滅させることを念頭に置くのはセオリーである。

 が、此処で悪意を織り交ぜればすべてが破算になることをミロクは理解していた。
 何故なら今、自分の目の前にいるのは陥れるべき敵ではなく。
 この広大な針音都市の中からようやく見つけ出した――

『……肯定とみなし、話を始める』

 ――かつて見上げ、仰ぐことしかできなかった。 
 ――あの"天"へと続くかもしれない、白い翼の〈天使(きぼう)〉であるのだから。


『我が名はホムンクルス36号。この針音の聖杯戦争が始まる前の、言うなれば〈はじまりの聖杯戦争〉に列席した七人のひとり』
「……え?」


 天梨の驚きの声が、歌の響く個室……カラオケルームの中に小さく漏れる。
 世界の秘密を語る場としてはあまりにも俗で粗雑な正方形の中で、かつて光を見たホムンクルスは話し始めた。


『この聖杯戦争は、我々が馳せた戦場と地続きの運命線上に存在している』



◇◇


330 : アンチノミー ◆0pIloi6gg. :2024/11/06(水) 14:23:12 Uj0ORIvA0



 聖杯。それは――万物の願いを叶える、至高の聖遺物である。

 これをめぐり争うことを"聖杯戦争"と呼び。
 聖杯を求む魔術師たちは英霊を招き寄せ、従者(サーヴァント)として使役する。


 2024年1月。東京都内にて、聖杯戦争が開催された。
 聖堂協会の所有する〈熾天の冠〉を用い、開催が告げられた聖杯戦争。
 名乗りをあげた者は数多く、されど資格を得られた者はセオリー通りに七人。
 七人のマスターと、七騎のサーヴァントにより行われた、あらゆる魔術師の悲願を叶えるための戦いである。

 複雑に交差して絡み合う策謀と陰謀。
 行使される武力、日増しに苛烈化していく戦線。
 同盟、裏切り、工作、反則まがいの裏技に至るまであらゆる手管が飛び交い、摩天楼東京は魔境と化した。
 目指すは聖杯。狙うは成就。誰一人己の願いと未来を譲る気などなく、繰り広げられる誇りと汚濁に塗れた殺し合い。



 その均衡を破ったのは、魔術師ですらないひとりの少女だった。



 半ば偶然、巻き込まれるようにして戦火に身を投じた哀れな娘。
 呼び出したサーヴァントも、戦力的にほぼ意味を成さないと言っていい最弱の魔術師(キャスター)であった。
 だから誰もが気にしていなかったし、せいぜい他所の手札を引き出す当て馬にでもなれば御の字と高を括っていた。

 だが、少女は勝った。
 目の前に現れる、すべての争いに勝利した。
 臆することなく前線に立ち、何度も傷つき、時に致命傷さえ負いながらそれを跳ね除けて粉砕した。
 ある者は、それを奇跡と呼び。
 またある者は、悪夢と呼んだ。

 奇跡としか形容できない不条理。
 悪夢としか表現できない理不尽。

 光の剣を、その右手に握りしめ。
 いついかなる時でも微笑みながら、快活に、踊り舞うように勝利を重ねるハイティーン。
 


 ――こんばんは! えっと、直接会うのは初めてだよね!
 ――私は祓葉。神寂祓葉! 神さまが寂しがって祓う葉っぱ、って書いて、祓葉!
 ――ねえ。あなたの、お名前は?



 都市の焼け落ちる絵を背景に。
 空まで赤く染まるような、戦火の日に。
 使い潰されるさだめだった人造の生命は、運命に出会った。



◇◇


331 : アンチノミー ◆0pIloi6gg. :2024/11/06(水) 14:23:47 Uj0ORIvA0



「――――その馬鹿げた話を信じろって?」

 〈はじまりの聖杯戦争〉。
 無法で無法を制する、規則不在の大闘争。
 陰謀と暴力が吹き荒れ、世界有数の摩天楼を削り潰した悪夢の戦。
 そしてその中に産声をあげた、光り輝く主人公(ヒロイン)。
 
 神寂祓葉。
 光の剣持つ、この世の太陽。

 道具でしかなかった、三六番目のホムンクルス。
 それに生きる意味を与えた、ひとりの少女。
 単騎にて英霊を凌駕し、運命を切り払い。
 おそらくは己の死後に聖杯を掴み、針音の仮想都市を創造した者。
 この聖杯戦争は〈第二次〉で、彼女の幼気を慰めるための箱庭で。
 すべての演者と英霊には、いつか彼女に挑む使命が科されている。
 ミロクはそれを語った。語り終えて最初に返ってきたのは、訝る思いを隠そうともしない復讐者の殺気であった。

「さっきお前のことを白痴(エパタイ)と呼んだけど撤回するよ。馬鹿でももう少しまともな嘘を吐く」

 無理はない。
 ミロクとて、いきなりこれを聞かされたなら狂人の戯言と切り捨てるだろう。
 それほどまでに、すべてが馬鹿げている。
 英霊をねじ伏せ、運命を凌駕し、聖杯を手にしてかつての馬鹿騒ぎをやり直す無邪気な極星。
 そんなモノ、実在する筈がない。この世の道理のすべてに反している。
 そう思うのが普通だ。シャクシャインの怒りを短慮と嗤える者は、きっとこの世に存在しない。

「なあ。我慢してやってたけどさ、そろそろもういいか?
 こっちは腸が煮えくり返ってんだよ。危うく全部台無しだ。誰の許可を得て俺のモノに手ぇ付けてんだ、手前」

 堕ちた英雄の手が、妖刀の柄を掴む。
 横溢する殺気が、ガラス越しにミロクの肌を刺す。
 娯楽の場である筈のカラオケルームが、刹那にして処刑場へと姿を変える。

「……やるってんなら構わないが、一応言っておくぞ。
 既に店員や客は支配下に落としてる。無辜の市民の犠牲を、あんたのマスターは承服できるのか?」
「ハハ、そりゃ大変だ。で? そいつらがこの部屋に到着するまでに何秒かかる?
 それまでに俺が君ら二人を細切れにする方が早いって思いつく発想力はないか?
 もうちょっと考えて言葉を選べよ鼠野郎。君の曲芸で俺の首が獲れるってんなら話は別だけどな」

 一触即発。
 満ちる殺意は爆発寸前。
 愉しみを、大願を、無粋な企てで穢された復讐鬼の怒りは極めて烈しい。
 そしてそれが爆発したなら、その瞬間もう暗殺者の手には負えなくなる。
 だからこその緊迫。微塵でも触れ方を誤れば途端にすべて終わる瀬戸際。
 張り詰めた空気を破ったのは――この場でもっとも無力な少女の声だった。


332 : アンチノミー ◆0pIloi6gg. :2024/11/06(水) 14:24:45 Uj0ORIvA0

「……ま、待って。私は、信じてもいいと思うよ」
「あ?」

 輪堂天梨。
 ホムンクルスが見初めた、〈天の翼〉。
 彼女の言葉に、苛立ちを隠そうともせず眉根を寄せるシャクシャイン。
 びく、と小さく身体を跳ねさせながらも、少女の口から前言を撤回する言葉は出なかった。
 その代わりに紡がれるのは、無力な弱者なりの私見。

「そりゃ、正直……そんなことあるわけないっていうような話だったけどさ。
 でも――えと、意味なくない? 今此処でそんな嘘つく理由って……ある?」
「ふわっとしたことしか言えないなら黙ってなよ。そんなだから君は――」
「ないでしょ……!? だって、……こういう言い方はしたくないけど。
 たぶん、アヴェンジャーの方があっちのアサシンより強いじゃん。
 それなのに信じてもらえないような嘘で切り抜けようとするなんて、それこそヘンな話だよ」

 信じるにも値しないような、荒唐無稽な"世界の秘密"。
 が、あまりに現実離れしているからこそ、逆説的にそこへ説得力が生まれる。
 シャクシャインのように怒りを覚えていない天梨は、だからこそそこに辿り着けた。

「……だからお願い、もう少しだけ待って。
 戦うなら、話を全部聞いてからにしたいの」
「……本気で言ってんの? それ。
 アサシンとそのマスターに対して言うに事欠いて"お話"するって?
 お花畑もここまで来ると悲惨だね。自分の命を狙う凶手にも博愛主義を貫くつもりかい?」
「――いいから! 私は、この子の話を聞いてみたいの!
 話も聞かないで、何も知らないで、決めつけるとか、そんなの…………っ」

 その先の言葉を、天梨は紡がなかった。
 口にしたらきっと、黒くなってしまう。

 ――そんなの、あいつらと同じじゃん。

 顔のない大衆の悪意を知る彼女故の言葉は、誰の耳にも聞こえぬままであったが。
 果たしてそんな弱さが、シャクシャインの言葉を借りるならば悲惨な博愛主義が。
 今この場では、あるホムンクルスを窮地から連れ出す導きとなる。

『……非現実的な話なのは百も承知だ。だが、これが真実。誓ってひとつの嘘もない』

 そう、嘘などではない。
 この世のどんな嘘でもあの神話を騙れない。
 事実は小説より奇なりとよく言うが。
 ミロクの見た事実は、神話よりも奇怪極まりないナニカであった。

『私は今も、我が主君――神寂祓葉への〈忠義〉をもとに存在し、活動している』

 元より用が済めば臨終を迎えるだけの肉人形。
 願いは持たず、仮に聖杯が手に入ることがあるならその用途は主のために。
 それは揺るぎなく、存在の意味も朧気なホムンクルスの唯一の支柱としてあり続ける大志の筈だった。
 だが。そこに楔を打ち込んだのは、忌まわしく笑うひとりの奇術師(マジシャン)。


 ――過去の焼き直しなんてやめた方がいい。今のままでは、君の忠義が行き着く着地点は前と同じだろう。


333 : アンチノミー ◆0pIloi6gg. :2024/11/06(水) 14:25:12 Uj0ORIvA0


『だが。今のままでは真の忠節は果たせぬ。
 噛み砕いて言うならば、彼女の意に添えぬ。
 だからこそ此度、私は"その先"を望んでいる。主従の間柄だけに完結しない、"その先"を求めるように自らを再定義した』


 己の死後、黒白は何をしたのだろう。
 あれら宿敵どもは、彼女とどう決着したのだろう。
 
 思うたびに、情を知らぬ炉心(のうずい)が鼓動する。
 その鼓動の名を、ホムンクルスは知らない。
 だがこのままではいけないことだけは本能的に解していた。
 忌まわしくも鬱陶しい〈脱出王〉が己に唱えた戯言。
 それが、永遠に続く筈だった停滞を動かす油となって歯車を回す。

『祓葉(かのじょ)は未知を愛しているという。
 己が筋書きを凌駕し、魅せてくれるモノを待望しているという。
 であれば彼女の従者たる私にできること、目指すべきことはひとつしかない』

 そう、すなわち。

『彼女の想定を超え、ともすれば上回りさえする光を。
 我が魂を今も焦がしてやまない最美の星と並びすべてを圧する重力を。
 新たなる恒星として輝く未知を。探し出し導くべきであると、私は熟考の末に得心した』

 ミロクは、人付き合いを知らない。
 彼がまともに関わったことのある人間は自分を見下ろす魔術師達と、光輝く少女だけだ。
 だとしても今。見出した真の大義を目前にして、ミロクは目の前に座る新たな人間を見据えていた。
 
『私が御身に触れた理由。触れ、その可能性を拓かせた理由。すべてを、今此処に形容する』

 ――我が大義。
 ――我が狂気。
 ――我が身のすべてを賭して。


『――――私は、御身という星が欲しい。それを魅せたいのだ、我が主に』



 断じた言葉に誓って嘘はなく。
 だからこそ、英雄は今度こそ剣を抜いた。
 浮かぶ殺意は、此処までで最大のモノとして煮え滾っている。
 次に口を開けば殺すと、その精悍なる凶相が告げていた。


334 : アンチノミー ◆0pIloi6gg. :2024/11/06(水) 14:25:49 Uj0ORIvA0

 故にミロクは黙る。そうするしかない。
 必然、次に紡がれる音は〈天使〉の聲。

「……なんで、私なの」
『眩しかったから』
「他にも、凄い子ならいっぱいいるよ」
『御身の輝きは、彼女に似ている』
「……わかんないよ。私、そんな大した人間じゃない」

 ふるふる、と首を横に振る動作はどこか自虐的で。
 ミロクは故に、一考する必要があった。
 想定外だったのは見初めた彼女の、自己肯定感の低さ。
 いや、だからこそ彼女は星の資格を有するに至ったのか。
 このわずか数分の接点では本質を見抜くには到底至れず。
 彼女の従える復讐者は、もう殺意の爆発を目前にしている。
 
 であればこそ。
 ミロクに取れる選択肢は、もはやひとつだった。

『……理解した。ではこちらも新たな誠意を示そう』

 継代の彼が身構える気配。
 だが構いはしない。
 説明は後に置く。

『名は』
「え。あ……天梨。輪堂、天梨。だけど」
『承知した』

 今優先すべきは何よりも、誰よりも。
 目の前に座る彼女であると判断し、その上で口を開き。



『――我が従僕、アサシンへ令呪を以って命ずる。
 ホムンクルス36号が輪堂天梨へ意図的に虚言を弄した際、速やかにこれを抹殺せよ』


 
 狂気のままに、決して覆せぬ誓いの言葉を吐いた。



◇◇


335 : アンチノミー ◆0pIloi6gg. :2024/11/06(水) 14:26:29 Uj0ORIvA0



「おい――正気か、あんた」

 継代のハサンが絶句の中絞り出す声が、虚しく響く。
 無理はない。その証拠に、天梨もシャクシャインも言葉を失っていた。
 令呪とはすなわち、英霊に対して要石が保持できる絶対の命令権。
 些細な言葉遊びで覆せるモノではなく、一度口にすれば不変の縛りとして永久に戒める枷だ。
 であるというのに、今、ホムンクルスの彼はその一画を切った。
 魔術師にとって生命線でさえあるそれを、自身の誠意の証明として躊躇なく捨てたのだ。
 これで絶句しないなら、それはもはや聖杯戦争の何たるかを知らないことと同義である。
 そう断ぜるほどにあり得ぬ選択。しかしこと己の心を示すならば、この上なく最上であろうジョーカー。

『これより私は御身へ嘘を吐けない。聞きたいことがあるならば存分に聞くがいい』

 道理に照らすなら自殺行為以外の何物でもないが、復讐者の凶刃を抑えるには適解だった。
 何故ならこの時点で、ミロクの言葉には嘘がないという証明ができてしまった。
 つまりその吐く言葉はすべてが嘘偽りのない彼の本音で、忠誠のすべてで。
 本来暗殺者を従えるマスターが弄するような奸計が一切ないことを、開け広げにするものであったから。

「な……なんで? 駄目だよ、そんなことしたら……」
『何も駄目ではない。対価は払うと言った筈だ』
「でも――」
『それよりも、疑問があるなら尋ねてほしい。私の知ることであれば何なりと答えよう』

 魔術師ではない、ずぶの素人でさえ分かる致命。
 が、ミロクには真実何ひとつ秘めた計略などなかった。
 強いて言うならば、目の前の彼女こそが計略(それ)。
 見出した新たなる存在意義を果たせるならば、それにすべてを捧げることに欠片の躊躇いもない。

「…………っ」

 天梨は、示された誠意に対して押し黙るしかなかった。
 無理もない。彼女からしてみれば、総じて何がなんだか分からないままなのだから。
 神寂祓葉。世界の主役。極星。この世界の、絶対なる太陽。ホムンクルスの主。
 話に聞くだけでも頭の痛くなるような、出鱈目な人だと思った。
 そんな相手に自分なんかが何かできるはずもない。謙遜でも何でもなく、事実としてそう思うしかなかった。
 なのに、自分を見据えるガラス瓶の中の赤子(かれ)の瞳はどこまでもまっすぐで。


336 : アンチノミー ◆0pIloi6gg. :2024/11/06(水) 14:27:09 Uj0ORIvA0

「私は、何をすればいいの……?
 そんなこと言われたって、私にできることなんて、何も……」

 故に切って捨てることもできず、たどたどしくこんなことを言うしかなかった。
 それに対しても、ミロクは律儀に答えるのだ。

『先ほども話したが、私は彼女に未知という可能性を示せればそれでいい。
 前回とは異なるモノを、光を。示し彼女の微笑みを引き出せれば、それだけで私は冥利に尽きる』
「だ、だから……! 私なんにもできないよ……!?
 魔術だって使えないし、アヴェンジャーがいなかったら戦うこともできないし……!」
『そうだな。確かに先ほどまではそうだったろう。
 が、無礼を承知で私がその前提を書き換えた。
 同調にして調律(tuning)。先刻御身が私に触れた時、その魔術回路を調律させて貰った。
 御身のアヴェンジャーはそれを分かっているから、ああも怒り狂っているのだ』
「ちょう、りつ……?」
『然り。御身は今、最低でも並以上のレベルで魔術を行使できるようになっている』

 ……そんなことをいきなり言われても困る。
 天梨の混乱はもっともで。
 それを見通せないホムンクルスでもなくて。

『では試してみよう。私に意識を集中させてほしい』
「……、こう?」

 天梨が、言われるがままにミロクを見つめる。
 宝石のような瞳が、造り物の命を見据える。
 やはりその輝きは、どこか"彼女"に似ていた。
 情を知らない心臓が、理解不能(きたい)の鼓動を打つ。

『――その上で、更に意識を先鋭化させてみろ。
 魔術を使う、不可能を成す、道理をねじ伏せる……あるいは、世界へ己という存在を示す。
 そんな確かな意識をもって、スイッチを押すイメージだ』

 ミロクが解析した際、彼女の魔術回路はひどく微弱で未熟だった。
 閉塞した血管のようなものだ。澱みが溜まり、正常に巡っていない状態。
 彼がやったのは、その澱みを取り除いて舗装する行為。
 魔術ひとつで他人の回路を強化増設できるならこれ以上はないのだが、残念ながらそこまでホムンクルスは逸脱していない。
 あくまでも背中を押す程度、障害物を除去する程度のことがせいぜいだ。

「……う――」

 ミロクを見つめて唇を噛み締め、集中を高めていく天梨。
 そうしている姿さえ絵になるのは、流石〈天使〉と呼ばれる少女と言ったところか。
 白い肌にじわり、と脂汗が滲み始める。
 今のところ、まだそれらしい異変は起こっていない。


337 : アンチノミー ◆0pIloi6gg. :2024/11/06(水) 14:27:47 Uj0ORIvA0

(スイッチを押す、って言われても……ぜんぜん、分かんないけど……)

 天梨は、集中を切らさないままに考える。
 未だに混乱の方が勝ってはいるのだが、そんな中ですら向けられた期待に誠心誠意応えようとしてしまうのは職業病か。

(それに通じるものだったら、他のことでもいいのかな……?)

 少女は自力の発想で、そこに行き着く。
 ミロクが調律するまで、天梨の魔術回路は言うなれば半開きの蛇口だった。
 自分の意思とは無関係に常に漏れ出し、魔術を行使し続けている状態。
 その時点でも才覚の片鱗は滲んでいたと言えるが、半開きでは所詮威力はささやかなものだ。
 
 が、今の天梨はそれを完全に開くことができる。
 魔術回路の開閉という概念を会得したわけだ。
 であれば後は、残りの蛇口を捻り切るだけでいい。

 ――魔術回路は"開く"ことで初めて術の行使が可能になる。
 開き方は千差万別。故に、ミロクの言葉に縛られず独自のイメージを見つけようとしたのは慧眼だったと言える。
 ある魔術師は、撃鉄を描き。ある魔術師は、想像の中で己が心臓を貫くという。
 では、輪堂天梨にとっての"スイッチ"とは。オンオフ、開閉。そのイメージは――

「……すぅ……」

 ……描いたのは、ステージに立つ自分の姿だった。
 壇上にひとり立ち、マイクを握り、息を吸い込む。

 そして口を開き、声を吐き出す。

「――はぁ……!」

 少女から偶像へ。
 天梨から天使へ。
 自己を切り替え、蛇口を開く。
 天性のアイドルたる彼女にとっての撃鉄(トリガー)は、歌うこと。

 瞬間、天梨は自分の中で何かが弾ける音を聞いた。
 火花の音に似ている、とそう思った。
 自分の中を巡る幾本もの線の、その内側を色とりどりの火花(サイリウム)が走る。
 なのに不思議と痛みはなく、意識が冴え渡る感覚だけがあった。
 
 同時にその場へ、異変が起こる。
 目に見える異変ではない。
 炎は出ないし、雷は鳴らず、何かが壊れたわけでもない。
 されど場の全員――ミロクのみならず、シャクシャインも継代のハサンも、同時にそれを知覚した。


338 : アンチノミー ◆0pIloi6gg. :2024/11/06(水) 14:28:34 Uj0ORIvA0

「……へえ。こいつは」
「……、……」

 継代は驚いたように髑髏面の口元へ手を当て。
 シャクシャインは相変わらず不機嫌そうに、だが微かに視線を動かす。
 天梨はそんな周りの反応にも気付かず、小さく息を切らしている。
 ミロクは――汗を垂らして呼吸を整える天梨の対面で、自分の短い腕を動かし。

『なるほど。こういう形で発現するか』

 声色はいつも通りに淡々と、しかし確かに天梨が成功したことを確認していた。
 
「はあ、はあ……。どう、かな……?」
『身体能力に向上が見受けられる。しかも私だけでなく、サーヴァント達にも影響が及んでいるようだ』
「えっ。言われた通り、あなたのことだけ見てたつもりだったんだけど……」
『何も失敗ではない。それどころか、ある意味では期待以上の結果と言える』

 ミロクは未だ、彼女がどういう人間で、何をして暮らしているのかを知らないが。
 要するに輪堂天梨という少女は、どこまでも至高のアイドルだったらしい。
 
『自身が友好的に認識している相手に対し、強力な身体強化作用を及ぼす。
 強化魔術の類だな。しかし、初回にして既にこのような……』
「……えっと。つまりゲームで言うバフ魔法、みたいなこと?」
『認識としては正しい。が、これは御身が思っている以上に高度な芸当だ。非凡と言う他ない』

 魔術師にとって物質の強化は基礎の基礎、初歩の初歩である。
 だがこの強化対象が無機から有機、"生物"相手となると難易度は天井知らずに上昇する。
 理由としては単純で、生き物に対しては自分の駆使する魔力が通りにくいからだ。
 にもかかわらず天梨は回路をまともに開いて初回で他人へ、それも複数人へ強化を施すことができた。
 
「うーん……。なんか、あんまり自分じゃピンと来てないけど……」

 その上で、当人は大して疲労している様子もない。
 息切れはどちらかというと回路を開く際の集中に伴うものであり、魔術の行使自体にはまったく反動を感じていないように見える。
 〈古びた懐中時計〉を介して後天的に獲得した回路だというのもあるかもしれないが、だとしても驚異の才能と言う他はなかった。

 しかし、そこには一切の攻撃性が見られない。
 こうまで他者強化に特化している辺り、天梨の魔術師としての適性に"攻撃"は含まれていない可能性が高いと、ミロクは推測する。
 魔術として力(こえ)を届け、それを受け取った者の肉体に呼応とでも呼ぶべき反応を生じさせる。
 後に天梨の職業を知ったミロクは強い納得を覚えることになるのだったが、それほどまでに彼女らしい形での能力発現だった。
 アイドルとは歌って踊り、ファンへ笑顔を与えるもの。
 まさしくこれは、そのままの力だ。傷つけるのではなく高めることにのみ秀でた天使の羽ばたき――名付けるならば。

『【感光/応答(call and response)】、といったところか』

 感光と応答。
 コールアンドレスポンス。


339 : アンチノミー ◆0pIloi6gg. :2024/11/06(水) 14:29:08 Uj0ORIvA0

「コーレス……そう言われるとちょっと飲み込めたかも。もしかしてこれ、技名とかも大事な感じ?」
『魔術のイメージを掴む上では有用だろう。再現性の担保に一役買うのは間違いない』
「あっ、割とちゃんとした理由あるんだ? 必殺技は名前があった方がかっこいいとか、そういうことじゃないんだね」
『魔術師として日が浅い御身であれば尚更、イメージの固定で得られる恩恵は大きい。決めておいて損はないだろう』

 ……周りの人にバフを与える魔術。
 まだ微妙に頭は追いつききっていないが、天梨としてもこの成長は少し嬉しかった。
 
 脳裏に蘇るのは、傷ついて帰ってきたアヴェンジャーの姿。
 この力があれば、これからはあんな悲しい姿を見なくても済むかもしれない。
 この期に及んでも、さっきあんなに追い詰められても、天梨は人理の果てから自分のもとへやって来た相棒のことを案じていた。
 その安堵が伝わったのか、シャクシャインの眉間に刻まれた皺が不快そうに深みを増したが――話はそれに構わず進んでいく。

『ただしもうひとつの力に関しては、その必要はないな』
「……もうひとつの、力?」
『やはり、自覚はなかったか』

 静観していたシャクシャインの殺意の桁が、瞬間にして膨れ上がる。
 それを感じ取れないのは天梨だけ。
 ミロクを覆うガラスの檻が物理的な圧力で軋み、継代が戦慄するほどの地獄が間近で脈動している。
 その先を言えば殺すと比喩でなく告げていたが、しかしミロクにはもはやどうしようもない。
 虚実を禁じると誓ったのは他でもない彼自身。
 であれば二重の狂気に憑かれた白痴の赤子に、問いの答えを遮る権利はなく。
 天使と悪魔の善悪闘争、ねじれ絡み合う歪の絆へ、真実という名の泥を垂らす。


『平時はきわめて弱く、しかし有事には爆発的に効果を増す魅了(チャーム)の魔術だ。
 それを御身は無自覚に、途切れることなく展開し続けている。
 なんの消耗もすることなく、驚異的な効率で――恐らくはこの都市を訪れてから今に至るまでずっとな』

 
 斯くして爆弾は、壮絶とは無縁の静かな声音でこの部屋に投下された。



◇◇


340 : アンチノミー ◆0pIloi6gg. :2024/11/06(水) 14:29:45 Uj0ORIvA0



 ――天梨も、そこまで鈍くはない。
 思えば違和感はずっとあった。
 元の世界と、この針音の都市で自分を取り囲む環境は限りなく同じだけれど、ひとつだけ決定的に違っていたから。

 アイドル・輪堂天梨は、活動休止寸前だったのだ。
 無理もない。事実無根のゴシップは、大衆の悪意で伸ばされて、泥のように社会へ広がっていく。
 問題発言のひとつで表舞台を追われるのが当たり前の世界は、如何に実力があろうが、埃まみれのスターを重用などしない。
 手早く切り捨てて、誠実(クリーン)をアピールする。どこの事務所だって当たり前にそうしている。

 なのにこの世界では、一向にその気配がない。
 仕事は常に舞い込み、自分へ皮肉を吐いてくる関係者もいない。
 ネット上では絶え間なく燃え盛り続けているのに。
 リアルの天梨に面と向かって悪意をぶつける者は、天使の羽ばたきを嘲笑する者は、誰もいない。
 
 
 どうして?
 その答えは今、ガラス瓶の中の赤子によって示された。


「――――そっか」


 天梨は、どこか茫然とした声で言った。
 ショックを受けている風ではない。
 かと言って、凄い力だと喜んでいるのでもない。
 ただ、すべてに納得したような声だった。

「そういうこと、だったんだ」

 顔を合わせている時は、みんな優しい。
 誰もが、〈天使〉を愛してくれる。
 けれど顔の見えない相手は、変わらない。
 誰もが、〈天使〉を穢す言葉を吐き続ける。
 矛盾の答えは、単純だった。
 他でもない天梨自身が、そのすべてをねじ伏せていた。
 歌でもなく。踊りでもなく。
 ただ、その力で――〈天使〉のような輝きで、すべてを魅了していた。


341 : アンチノミー ◆0pIloi6gg. :2024/11/06(水) 14:30:39 Uj0ORIvA0

『どの程度意識的に行使できるのかは未知数だが……』

 ミロクは語り続ける。
 シャクシャインの暴力は吹き荒れず、吹いたとしてももう遅い。
 爆弾は投下され、既に弾けた後だ。
 仮に此処で暗殺者の主従を挽肉に変えたとして、天梨の心からその真実が消えることはもはやないのだから。

『少なくとも、都市の人形どもは誰も御身に敵意を抱かないだろう。
 直接顔を合わせているならば。その天使の如き魅惑が届く相手であるならば』

 世界は何も変わっていない。
 社会は何も変わっていない。
 大衆は何も変わっていない。
 変わったのは、輪堂天梨ただひとり。
 懐中時計に触れ、魔術師となった少女だけだ。

『……やはり、告げない方がよかっただろうか?』

 問いの答えを伝えたミロクは、少しの間を置いて言った。
 力の抜けたように椅子へ凭れる天梨の様子に気付いたのだろう。
 が、天梨はそんな彼に向けてへにゃりと笑った。

「ううん。むしろ教えてくれてよかったかも」

 それは、嘘偽りのない本心だった。
 投下された爆弾は、確かに少女のこれまでの常識を破壊する衝撃を生んだが。
 されども、彼女の英霊が危惧するような事態を生みはしなかった。
 世界と、自分自身への失望。段階を踏まずの、急激な堕天。
 英雄の愛憎と、そこにある歪んだ絆を一撃で台無しにする最悪はもたらさなかった。
 
「なんか……これじゃほんとに〈天使〉みたいだね。
 嘘も吐き続けたらほんとになるって言うけど、流石にちょっとびっくり」
 
 ただそこにいるだけで、誰かを笑顔にする。
 何の技術もなく努力もなく、存在そのものが世を華やがせる。
 うぬぼれでもなんでもなく、それは人間の在り方ではない。
 天上のモノ――〈天使〉の姿だ。神の使いではなく幸福の象徴としての、在り方だ。

 だからこそ、迷えるホムンクルスは彼女を自己の行く末を支える柱と認識した。
 神をも貪る害虫の群れでさえ魅了させ、ねじ曲げる力。
 人の枠に収まらない、されど"太陽"のものとは明確に違った優しい光。
 恒星の核。もしくは幼体。〈天の翼〉。希望であり、同時に未知。


342 : アンチノミー ◆0pIloi6gg. :2024/11/06(水) 14:31:27 Uj0ORIvA0

『少々、想定と違う反応だ』
「え?」
『自身が無自覚に周りのすべてを魅了する術を行使していたというのは、日常のすべてが嘘であったと突き付けられるのに等しい。
 誓って悪意を持って告げたわけではなかったが、ともすれば絶望に膝を屈しても不思議ではないと思っていた』
「……全部伝えてから言う? それ」
『今でなければ、互いにとって致命的な事態を招く恐れがあったのでな』

 淡々と語りながら、ミロクは内心で目の前の少女への評価を改めていた。
 認識を誤っていた。ただしそれは下方修正ではなく、むしろ逆だ。
 
 ――これほどまでに、悪意を示せないのか。

 英霊の虫を殺せず。
 奇襲同然に回路へ干渉した自分に不信さえ示さず。
 世界に対する認識の崩落に等しい"真実"にすら、力なく笑う。
 普通ならば、度を越したお人好しとは馬鹿の同義語だ。
 しかし聖杯戦争という、命さえ賭け金にしなければならない状況でもそれを貫けるというなら、それはもはや単なる悪癖の領域を過ぎている。
 
 ――ひとつの、狂気だ。
 生物として明確に軸が違っていると、そう認めざるを得ない。

『日常の崩壊は加速し続けている。我々もつい先ほど、近隣の病院で大規模な戦いを演じてきたばかりだ』
「っ――病院で……!?」
『社会機能の維持は、そう遠くない内に限界を迎えるだろう。
 そうなればもはや交戦の意思に関わらず、誰でも舞台に引きずり出される乱世の幕開けとなる。
 そうなってから真実を知ったのでは遅すぎる。頭を抱えて蹲るところを轢き潰されては、笑い話にもなるまい』

 この聖杯戦争は、前回にさえ輪をかけて異質すぎる。
 前回の聖杯戦争は自陣営含めて横紙破りの温床だったが、今回はもはやルールそのものが存在していない無法地帯だ。

 盲目の従者のままでいたなら、ミロクはそこに疑問さえ抱かなかったろう。
 けれど今は違う。〈脱出王〉の言葉が、彼に気付きを与えた。
 考えるまでもなく明らかな話だったのだ、最初から。
 何故この世界の神は無法も含めて前回を再現し、それどころか悪化すらさせたのか。

 決まっている。
 見たいからだ、未知を。
 前回のように熱く熾烈で先が読めず。
 それでいて、前回とはまるで違うイレギュラーだらけの聖杯戦争を。
 だからミロクの王は、ホムンクルスの神は、世界の創造に敢えて六日を掛けなかったのだ。

『ついては、此処からはマスター同士として話をしたい』

 新たな可能性を模索し、新たな忠義の形を造り上げることは大前提。
 だが、彼女に素晴らしき忠を届けるための道中で他の屑星どもや、未知の敵に踏み潰されては意味がない。

『――単刀直入に申し上げる。ホムンクルス36号は、御身へ同盟を申し込む』

 模索すべき可能性は、自身の忠の形だけに非ず。
 この混沌そのものたる都市を生き延びる、そのための可能性も引き出さなければ必ずどこかで限界が来る。
 既に一組の同盟相手を持つ身でありながら、ミロクは堂々と新たな契約を提示する。
 しかしそれは、魔術を倦厭する少女に対して提案したものとは明確に意を異にする交渉だった。



◇◇


343 : アンチノミー ◆0pIloi6gg. :2024/11/06(水) 14:32:16 Uj0ORIvA0



 アンジェリカ・アルロニカとの同盟を結んだミロクは、次に何をするべきかと考えた。
 そこで彼が参考にしたのは、他でもないかつての仇敵にして、今の怨敵。
 ノクト・サムスタンプという詐欺師の思考回路である。

 前回、彼の脳幹であるガーンドレッドの魔術師達は件の男が弄してくる手練手管に大層頭を痛めていたと記憶している。
 悪辣そのものの戦術は間違いなく前回の最優であった蛇杖堂寂句をさえ凌駕し、東京は事実上ノクトの手によって掌握されていた。
 だが、そんな男の手口に着想を得ようと思った理由は単に前苦しめられたからというだけではない。
 此度ミロクが召喚したサーヴァント……何の因果か、前回は敵に回っていた筈のある〈山の翁〉の存在が大きかった。

 最初は気が付かなかった。当然である。よほどのことでもない限り、自分から敵にサーヴァントの真名を明かす理由などない。
 しかし彼の宝具を実際に運用し、諜報、工作、情報収集その他諸々におけるあまりの利便性を実感すれば、自ずと勘付くものはあった。
 前回――ノクト・サムスタンプは間違いなく、今自分に仕えている〈継代のハサン〉と共に戦っていたのだと。
 それを悟ったなら、恐らく彼をミロクの比でなく上手く使いこなした詐欺師の手腕に学ぶのは当然の流れだった。

 継代の奥義は、彼が自由に動ける状況であればあるほど最大の悪辣さを発揮する。
 つまりミロクという常に行動に一定の不自由が伴うマスターの許では、まずその真価は発揮しきれない。
 穴蔵に籠もって吉報を待つ魔力炉心と化すやり方は、ガーンドレッドの的確な指示と人員あってのものだ。
 今回の針音都市であれを繰り返したところで通用しないのは見えているし、都市がかつて以上の速さで焦土になる見込みの強い現状ではそれは緩やかな自殺にしかならないだろう。
 ではどうするか。幾度かの修羅場を経てミロクが至った結論は、次のようなものであった。

 ――継代のハサンを、最優の暗殺者として行動させられる環境を作る。
 ――となるとその前に、自分が彼の庇護なしに生存できる環境が要る。

 ミロクことホムンクルス36号は、事実上マスター資格を持つただの"物"である。
 自律行動はできないし、誰かに持ち運んでもらわなければ移動もできない。
 だからミロクは、継代のハサンにその役を任せる必要があったのだ。
 しかし逆に言えば、運搬役さえ他に確保できるなら、もはや継代に自分の子守りをさせる必要はなくなる。

「信用できないね」

 投げ出した踵で強かにテーブルを打って、シャクシャインは疑念もあらわにそう言った。
 
「君さあ、さっきからどの口で殊勝ぶってんの?
 初手で勝手に人の身体を作り変えてくるような陰湿な生命体が同盟? 和平? 寝言は寝てから言うもんだよ」

 そこにあるのは、自分の〈天使〉に要らない干渉をやらかしたことへの怒りだけではない。
 北海道は日高の首長を務めたひとりの将としての側面が覗いていた。
 
 彼は決して他人を信じない。
 特にこの手の言葉に対しては、常に疑いと殺意の表裏一体で応じる。
 ましてや暗殺者を従えた礼儀知らず。端的に言って、信用する理由がない。

「令呪による虚言の禁止、いやはや実に白々しいじゃないか。
 三画使って絶対服従でも誓うってんなら別だが、言動の縛りなんていくらでも抜け道があるだろ。
 それに」

 歓迎は罠と思え。
 甘言は毒と思え。
 ……それは、アイヌの英雄が生涯最期に学んだ疵痕だ。

「お前、もうとっくにどこかと組んでるよな?」

 シャクシャインは、まるで見透かしたように指摘する。
 天梨は彼とミロクの間で、ひっきりなしに視線を移動させていた。
 
「近場で戦があったのは俺も感知してた。和人の病院で殺し合いがあったんだっけ?
 だとすると俺達が遭遇したあの飛蝗(バッタキ)どもはそこから流れてきた奴なんだろうな。
 おかしな話じゃないか。人形師のアサシン単独で、そんな地獄絵図にどうやって食い込んだっていうんだよ」


344 : アンチノミー ◆0pIloi6gg. :2024/11/06(水) 14:33:18 Uj0ORIvA0
『…………』
「誰かと組んで絵を書いたか、それに乗っかって狩りに興じた。
 で、最後はそいつにおっ被せて悠々と敵前逃亡。
 そんなとこじゃないのかな? 答えてみろよ、人形。嘘は吐かないんだろ?」
『貴殿と交わした誓いではない』
「チッ。……おい、マスター」

 煩わし気なシャクシャインの視線に、天梨はおずおずと口を開く。

「……、そうなの?」
『経緯に多少の差異はある。いささか露悪的な曲解も見られる。だが』
「…………」
『既に我々に同盟者が存在し、それを軸として病院での攻防を演じ――形はどうあれ逃げ延びて此処にいるのは事実だ』
「……!」

 ミロクは偽らず、先の戦いについて答える。
 そして、既に作っていた同盟者に関しても。

「そら見ろ。こういう生き物だぜ、"いつか裏切るけどそれまで手を貸してください"って素直に言われた方がまだ一考に値するね」

 手をひらひらと仰ぎながら、シャクシャインが嘲笑した。
 天梨の顔も強張る。確かにそれは説明を要する不実だろう。
 彼の指摘は性悪説に基づいた決め付けを多分に含んでいるが、ミロクが後ろ暗いものを抱えているのは確かだ。
 もっとも。そんな芳しからざる状況にも、ガラス瓶の中に浮かぶ赤子は動揺することなく答えた。

『……必要であれば、同盟者の詳細を明かすことは可能だ。御身が問うならばな、輪堂天梨』
「――え、じゃあ」
『だが個人的には、それは勧めない。私が情報を横流ししたことを知れば、確実に"あれら"は激昂し私への信用を捨てるだろう。大きな損失だ』
「ハハッ、おいおい! 取り繕う余裕もなくなったのか? 形だけでも和平を協議してる相手に言う言葉じゃないなあ!」

 からからと響く嘲笑。
 室内にじっとりと満ちる、破裂寸前の緊迫。
 だが。

『いいや、言わなければならない言葉だ』
「はあ?」
『今後の出鼻を挫く重大な損失だからだ。我々と、貴殿達にとって』

 その緊迫を、学び歩むモノが静かに畳む。

『私の提案に頷くのであれば、かの主従と貴殿達をも繋げよう』

 既に同盟相手がいるにも関わらず、彼らとは縁もゆかりもない他人へ新たにそれを申し込む。
 確かに不実の誹りを免れないコウモリ的な行動だが、ミロクはそもそも、これを問題だとすら認識していなかった。
 彼は見た目通り、赤子とそれほど変わらないレベルの人生経験しか持ち合わせていない。
 生誕/完成から半年と少し。本当の意味で戦場へ立ったのは、針音都市に訪れたその瞬間から。
 だからこそミロクの感性は一般的なものと比べて、それより少しズレている。
 ただしそれは"人の心に寄り添う"観点で見た場合の話であり――彼の思考と判断は、常にホムンクルスらしい冷静な合理に基づいていた。


345 : アンチノミー ◆0pIloi6gg. :2024/11/06(水) 14:34:00 Uj0ORIvA0

 ミロクは、自分が他の星々に比べて大きく劣っていることを自覚している。
 老蛇の悪辣には遠く。白黒の烈しさは持たず。赫炎の偏執に届かず。奇術師の変則を読めず。詐欺師の柔軟へ及ばない。
 まさに脳幹を切除した伽藍。保護者を失った捨て子。そんな自分に何が必要か、彼なりに考えた結果……

 ――必要なのはカードの枚数である、という結論に至った。

 数を揃え、可能性を吟味し、牙を研ぎ、状況に対処する。
 幸いにして、この都市に存在するのは星だけではない。
 ミロクが最初に出会った魔術師の少女のような、他の星達なら端役と切り捨てるだろう演者が大勢残っている。
 これを擁し、束ね、悪辣に、烈しく、偏執的に、変則形で、柔軟に戦局を馳せる人海戦術。
 端役に甘んじるつもりのないデブリを集めて組み上げ、己と目の前の〈翼〉を核に造られる宙(ソラ)への方舟。
 銀河の彼方で胸を高鳴らせ従者の帰還を待っているであろう女神へ捧ぐ、報恩の航海――

『……これは開示しても許される情報と判断し公開するが。
 恐らく、その主従は善良な御身と相性がいい。少なくとも険悪になることはない筈だ。
 アサシンの取る手口に顔を歪める手合いだと言えば、人物像の輪郭は伝わるか?』

 ――次は、会いに来てもらうのではなく。
   こちらから、あなたへ会いに行く。


『それでも信に値せぬと言うならば、潔くこの場は退く。
 御身とそこの復讐者を説き伏せられるだけの実績を積み、また出直すとしよう』


 手の内の開示を終え、ミロクは裁定を待つ罪人のように口を閉ざした。
 復讐者は論外と言うだろう。だが、それを従え――その悪意と相克を続ける少女はどうか。
 やれることはやった。思えば、こうまで頭を回した一日は生誕してから初めてだったかもしれない。
 選択権は天使に。合意か、拒絶か。返ってくる答えがいずれであれ、諦めるという選択肢はミロクにはない。
 誰にも渡しはしない、この翼を。そしてこれは決して己以外には育てられぬ器だと、彼は確信していた。

 天の御遣いが、口を開く。
 主なき天使。裁くことを知らぬ偶像。
 その下す裁定は――――



◇◇


346 : アンチノミー ◆0pIloi6gg. :2024/11/06(水) 14:34:39 Uj0ORIvA0



(俺はね、自ら誓ったことを曲げたりはしない。
 それをしたら台無しだし、何よりあの和人どもと一緒になってしまうだろう?
 俺にとって耐え難い屈辱で、魂の汚辱だ。だから今もこうして、この糞どもに滾る怒りを抑えてやってる)

 復讐者からの念話が、少女の脳内に響く。
 彼と彼女の交わす誓約。あるいは、この世でもっとも小さな善悪闘争。
 それは言うまでもなく、今この瞬間も続いていた。
 天梨が自らの口で望まない限り、シャクシャインは命を奪わない。
 彼にとって仇の群れに等しい現代日本の街並みを、そこに生きる人々を蹂躙しない。

 その誓いは健在だったが、しかし。

(――ただ、俺の奈落に抵触するなら話は別だ。
 こいつらが君を、いやこの俺を嵌めたと分かったなら、その時俺が何をするかは知らないよ)
(……、うん)
(それを分かった上で、君はこの生まれ損ない(ホムンクルス)を裁定したんだよな?
 だとしたら、ああ、分かっちゃいたけど君は本当に愚か者だ。自分から地獄へのレールを舗装してくれるなんて)

 この状況は彼という英霊にとって、あまりにも"地雷"だった。

 持ちかけられた和平。
 示された、聞こえのいい条件。
 誠意という名の甘い罠。
 言うに事欠いて、敵方の英霊は"暗殺者"。

 否が応にも想起される、屈辱。
 心からの失望と、英霊の座に堕ちてすら消えることのない憎悪。
 誰より過去に呪われ、同時に呪い続けているシャクシャインがもしも、この符号の上で裏切りに遭ったなら。
 和人の謀略で命を落としたあの日の再演が、針音の都市にて再び繰り広げられてしまったとしたら。
 
 ――その時天秤が誓いと憎悪のどちらに傾くのか、彼自身にすら分からない。
 
(……わかってる。けど、大丈夫。私は、この子を信じるよ)

 心音の高鳴りを感じながらも、天梨は然と頷いた。
 ホムンクルスに対して彼女が下した裁定、出した答えは、同盟の承諾。

 疑うことはきっと簡単だったし、その方が手早かったと天梨も思う。
 けれど不思議と、天梨にはミロクが嘘を吐いているとは感じなかった。
 これは常に他人の心に寄り添い、生態のように善意を撒いてきた彼女だからこそ得られた気付きなのかもしれないが。
 ガラス瓶の中から語りかける"彼"の言葉は常に理路整然としていて、無味乾燥を地で行く平坦なものだったけれど。
 なんとなく、それが――口調の老練さとは裏腹な、どこかいたいけなものに思えたのだ。

 見かけ通りのちいさな子どもが、一生懸命考えて話しているみたいな。
 嘘とか、悪意とか、そういうものの入る余地のないような。
 言い方は悪いけれど、そんな必死さを天梨は感じた。
 それを〈無垢〉と表現する語彙力は、彼女にはなかったが。


347 : アンチノミー ◆0pIloi6gg. :2024/11/06(水) 14:35:21 Uj0ORIvA0

(悲惨だな。
 自分をヒトでなくすると豪語してる奴のどこを信じられるのか、俺にはとんと理解できないね)
(――アヴェンジャーが何かしようとしたら、私が止めるから。それならいいでしょ?)
(飛蝗(バッタキ)ども相手に縮こまってた奴がよく言うよ。
 君は蜜で虫を集めるただの花だ。咲き誇るしか能のない花びらに、穢れたる神は止められない)

 だから、信じていいかもしれない、と思った。
 でもきっとその理由は、それだけではなくて。


 ――平時はきわめて弱く、しかし有事には爆発的に効果を増す魅了(チャーム)の魔術だ。
 ――それを御身は無自覚に、途切れることなく展開し続けている。


 シャクシャインの言う通り。
 輪堂天梨は、蜜で虫を寄せる花だった。
 天使の歌も踊りも微笑みも、何も関係などなかったのだ。
 半開きで固定された魔術回路が撒き散らすだけの芳しいフェロモン。
 生き地獄の日常へ処方された抗生物質。
 あるいはそれは、アイドルという存在にとって究極の冒涜。
 生きる意味、歩む価値の剥奪そのものに他ならない。

 自分に向けられる微笑みのすべては、ただの嘘でしかなかった。
 しかしそれを実感した時、押し寄せたものの名前は"絶望"ではなく。

 
 じゃあ、水をくれる人は大事にしないと。


 ああ、なら地獄から囁く彼や。
 目の前のこの子や。
 
 ――悪魔のあの子は、"私"を見てくれていたんだ、という感銘だった。

 馬鹿げた話だと自分でも思うけれど。
 本当に、ただ嬉しかったのだ。
 どれほど芳しく蜜を蓄えた花であろうとも。
 誰も水をくれなければ、いつか枯れてしまう。
 枯れた花の首はもげて、地面に落ちる。

 地獄には、堕ちたくない。
 それは、とても怖いことだから。
 胸の中にきっと、今も消えず灯っている黒いなにか。
 花の枯れた時、溢れ出すのだろう泥のようなもの。


348 : アンチノミー ◆0pIloi6gg. :2024/11/06(水) 14:36:10 Uj0ORIvA0


 消えぬ黒を抱えながら、白翼の少女は口を開いた。
 視線の先には、逆さで漂うホムンクルス。


「……えっと、じゃあ私がこれからあなたを持ち運べばいいのかな……?」
『私はこのガラス瓶の中から出られない。したがって自律行動することができない。
 アサシンのサーヴァントを従える上で、移動困難の制約は無視できないほど重い』
「そっか、動けないところを狙われたりしたら大変だもんね……うん、わかったよ」
『ありがたい。御身が力添えしてくれれば、アサシンも自由に活動できるのでな』
「――あ」

 いっしょに行動するのはいいけど、どうやってごまかそうかな……と考えたところで。
 天梨はふと、どうしても聞いておかなければいけないことがあるのに気付いた。
 
 なあなあにしておくわけにはいかないが、可能なら口にしたくはない疑問。
 すなわち。

「やっぱりアサシンさんは――人を、殺すの?」
『アサシン』
「時と場合によるが、まあイエスだな。不殺の暗殺者なんて不具と同義だ」

 天梨の質問に、継代が答える。
 答えを選んでいる様子はありありと伝わってきた。
 彼としてもやはり、主を携帯し保護してくれる同盟相手を逃したくはないのだろう。
 シャクシャインの存在は少々どころでなく不穏だが、はっきり言って贅沢を言える状況ではない。
 これ以上門外漢の正面戦闘と修羅場潜りを繰り返していたら命がいくつあっても足りない。
 下手に断言して、明らかに犠牲を出してほしくなさそうな彼女に同盟を反故にされる展開だけは避けねばならなかった。
 何せアンジェリカ達にミロクを任せることは間違いなくできないし、頷いてくれるとも思えないのだ。

「俺もシリアルキラーじゃないからな、意味もなく無闇矢鱈に殺し回る真似はしないが……。
 聖杯戦争はその名の通り戦争、殺し合いだ。敵を排除しなきゃ勝てるもんも勝てないし、俺達英霊はそのために現界してる。
 だからまあ――必要なら殺す。あんたの気持ちは分からんでもないが、そこは我慢してくれ」
「…………わかり、ました。ヘンなこと聞いて、ごめんなさい」

 浮かない顔ではあったが、とりあえず引き下がってくれたことに継代は胸を撫で下ろす。
 更に言うなら、此処で自分の大将が追加で誠意の大盤振る舞いを始めなかったことにも。
 もしそうなっていたら、いよいよもって鞍替えを検討しなければならなかったろう。


349 : アンチノミー ◆0pIloi6gg. :2024/11/06(水) 14:37:08 Uj0ORIvA0

「……あんたもそれでいいな? アヴェンジャーの兄さんよ」
「どうぞご自由に。ていうかこれの顔色なんて窺わなくていいと思うけどね。
 見ての通りのお花畑、現実と理想の区別もつかない大間抜けさ。
 こんな奴のわがまま聞いてたらにっちもさっちも行かないよ」

 は、と嘲るシャクシャイン。
 油断ならない男だが、この時ばかりは少し同情した。
 
『面倒と、苦労をかける。
 代わりに、私は御身の生存を保証することに専心しよう』
「ううん、私の方こそ本当にごめん。
 どうしてもそういうの……気にしちゃうんだ。アヴェンジャーの言う通り、私馬鹿だから」
『奔放は恒星の共通項であり非凡の証明だ。恥じることはない』

 小さく頭を下げる天梨に、フォローになっているんだかなっていないんだか微妙な言葉をかけるミロク。
 天梨にしてみればその慰めはあまり嬉しくないし、馬鹿だということを否定されてもいないのだったが、そこまで気の利いたことが言えるほど彼はコミュニケーションに精通していない。
 それでも、穴蔵のホムンクルスが此処までやれている時点で、彼の"主人"が見たなら「すごいじゃ〜〜ん!!! おっきくなったねえミロクも!!!」と無邪気にはしゃぐだろう。
 そういう意味ではミロクの新たな在り方を模索する旅路は、思いのほか順調に進んでいると言えるのかもしれなかった。

 天梨は。
 いまだに、自分がそんな大それた存在だとは思わない。
 神寂祓葉。光の剣を片手に、前回の聖杯戦争のすべてを薙ぎ払ったという〈太陽〉。
 すごいなあ、と思う。けど同時に、それ以上に、怖いなあ、と思う。
 自分がそんな風になれるだなんて、これっぽっちも思えないのが正直なところだ。
 今だってそうだ、わがままを言ってこれから一緒にやっていく人たちを困らせてしまった。
 対面の彼はそれを恥ずべきことではないと言ってくれたけれど――わがままは言うくせに、開き直るまではできないのが天梨だ。
 
 いつもうじうじして、くよくよしてばかり。
 アイドルになる前、クラスの子が「輪堂さんさ、いい子だけど正直ちょっとうざい時あるよね」と陰で話しているのを聞いた時の記憶がふと脳裏に蘇ってくる。
 こんなだからエンジェのみんなにも嫌われたのかな、と自嘲したくなった。


「それじゃ、これからよろしくね。ええと……」
『ホムンクルス36号だ』
「ほむんくるす、36ごう……、うー、ちょっと言いにくいね」
『――――』


 一瞬の、沈黙。
 されど、それは永遠にも等しい重みを持つ追憶。
 この一瞬(えいえん)の意味を、ホムンクルスだけが知っている。
 36番目のホムンクルスとして運用され、そのままに終わる筈だった彼だけが。

『……識別名にこだわりはない。呼びにくいのなら、好きに呼んで貰って構わない』

 ――この何気ない会話が、いつかの運命の再演(リバイバル)であることを識っていた。
 だから、こだわりはないなんてそんな嘘をついたのだ。

「うーん……。じゃあ、そうだなあ…………、……………………」



◇◇


350 : アンチノミー ◆0pIloi6gg. :2024/11/06(水) 14:38:15 Uj0ORIvA0



 ガーンドレッドのバーサーカー陣営のゲリラ戦術に対し、サムスタンプのアサシン陣営が打って出た。
 より簡単に言うならば、悪辣な詐欺師が売られた喧嘩をとうとう買ったのだ。
 相棒たる〈山の翁〉の宝具を最大まで活かし、社会基盤のすべてを津波のごとくに操って。
 蛇杖堂のアーチャー陣営という特級の爆弾までもを、ノクトはガーンドレッド殲滅のための兵器として投入した。

 標的となったのはバーサーカー陣営。
 誘導されていることを知りながら、敢えてそれに乗ったのがアーチャー陣営。
 単純に巻き込まれたのが、既に同盟を結んでいたセイバー陣営とキャスター陣営。
 当時まだ前これらの陣営と対蛇杖堂同盟を結成していなかったランサー陣営は見を選択し。
 ライダー陣営の〈脱出王〉と彼女の使役する、"本来なら聖杯戦争をあらん限り凌辱する筈だった英霊"も後の舞台に備えて同じく不干渉を貫いた。
 
 
 ――斯くして繰り広げられる、何度目かの激震。
 神秘秘匿を半ば以上にかなぐり捨てた殲滅戦。
 地獄絵図の様相を呈する夜の中、36番目のホムンクルスは"彼女"に出会った。


『ああもう、イリスったら……どこ行っちゃったんだろう。
 ――あれ。もしかして迷子になってるのって私の方? う……うわ〜〜〜ん!! イリス〜! ヨハン〜! どこ――!?』

 ガラス瓶を揺らすやかましい声。
 それと共に、少女はホムンクルスの安置されていた仮拠点へと入ってきた。
 ガーンドレッドの魔術師達が対応に駆られて出払っていたのも幸運だった。
 そうでなければ36号は、運命と出会わずして命を終えていただろう。

『って……んん? 君、もしかして』

 涙目で喚いていた少女は、彼の姿を見つけるなりきょとんとしてみせて。
 それから一転、目を輝かせながら36号のガラス瓶に駆け寄ってきた。

『やっぱりそうだ! バーサーカー陣営の、えっと……ホムンクルス!』

 36号はガーンドレッドの徹底した調整により、やって来た彼女へ対処する術を持っていなかったが。
 拠点を覆う結界の機能を用い、出張っている魔術師達に連絡することは可能だった。
 今にして思えばそんなことしたところで何も意味はなかったのだろうが――兎角、彼にはそうすることができた筈なのだ。
 なのに36号は結局それをしなかった。ともすればすべてが此処で破算になると分かっていて尚、人形のようにその来訪を受け入れた。

『こんばんは! えっと、直接会うのは初めてだよね!
 私は祓葉。神寂祓葉! 神さまが寂しがって祓う葉っぱ、って書いて、祓葉! キャスターのマスターだよ!』

 その理由は単純にして明快。 
 そして、笑えるほどに愚かで不合理。

 戦火の空を背景に立つ、白い少女。
 誰も真の意味で正視などしない道具(ホムンクルス)に、宝物でも見つけたような顔で微笑みかける姿。
 それが、あまりにも――価値も未来もない人形でさえ分かるほど、あまりにも――


351 : アンチノミー ◆0pIloi6gg. :2024/11/06(水) 14:39:01 Uj0ORIvA0


『――ねえ。あなたの、お名前は?』


 ――キレイ、だったのだ。

 もしかするとあの瞬間初めて、36番目のホムンクルスは"美しい"という概念を知ったのかもしれない。


『……ホムンクルス36号。ガーンドレッド家に仕える、ホムンクルスだ』

 36号が口にできたのは、そんな簡潔な台詞だけだった。
 何を言えばいいかも分からないし、そもそも知らない。
 だが名を聞かれていることは分かったので、単に個体名を答えることとした。
 すると少女はこてんと小首を傾げ、難しい顔をする。

『ホムンクルス36号? それがあなたの名前? うーん、呼びづらいなあ』

 そんなことを言われても困ってしまう。
 のだが、36号が何か続ける前に。
 妙案でも思いついたような顔で、ぽん!と少女は手を叩いた。
 そして、言ったのだ。


『――そうだ、『ミロク』! うん、それがいい! 今日からあなたは、ミロク!』


 無骨な個体名とはまるで異なる、生き物としての、ヒトとしての名前。
 価値も未来もない、使い潰されるだけが定めのホムンクルスに与えられた"識別名"。
 あの夜。あの瞬間、36番目のホムンクルス――ミロクの歯車は大きく狂い始めた。


『ねえミロク。私たち、友達になろうよ』

 
 彼は、その日たしかに――――運命に出会ったのだ。



◇◇


352 : アンチノミー ◆0pIloi6gg. :2024/11/06(水) 14:39:29 Uj0ORIvA0
◇◇



「……………………………………ホムっち?」
『ホムっち』
「あっ、えっと、イヤ!? だ、だったら考え直すけど!
 うううごめんね、私昔からネーミングセンスはその、いろいろアレで……!!」

 

◇◇


353 : アンチノミー ◆0pIloi6gg. :2024/11/06(水) 14:40:02 Uj0ORIvA0



 私たち、友達になろうよ。

 その言葉を憶えている。
 その笑顔を忘れることができない。
 その意味を何度反芻したことだろう。

 友達――友人、それは対等であること。


『今度、私の一番の親友を紹介するよ』


 ある夜、彼女はいつも通りの花咲く笑顔でそう言った。
 後に約束が果たされたその状況はきっと、彼女にとって本意ではないものだったのだろうが。


『だからさ、いつか、ミロクの友達も紹介してね』


 己(ミロク)と祓葉は従者と主人だ。
 忠誠で繋がれた縁の間に、友誼など成り立つ筈もない。
 神寂祓葉は天上の星であり、こんな塵屑のようなホムンクルスが並び立てるものではない。
 今もその認識は変わらない。再定義を経ても尚、ミロクは盲目の従者でしかなかった。

 故にミロクは星を探すのだ。
 彼女に並び立つ、真に相応しき友を。
 いずれ忠義を果たし、至高の未知を魅せるために。

 そうして今、彼は"再演"に立ち会った。
 かつての運命、過日の命名。
 意義の終わり、狂気のはじまり。
 それを繰り返す儀礼に直面している。

 ――そう、思っていた。

 だが告げられた名は、神の寿ぎには程遠い。
 センスがない、と切り捨てるウィットを彼は持たないが。
 心のどこかで、目の前の少女も同じ名を告げるものと思っていた自分に驚く。
 『ミロク』、と。36の数字をもじった尊き名を、天使の口は告げる筈だと信じていた。
 しかし結果はどうだ。天使はホムンクルスの方をもじり、マスコットキャラクターのような識別名を与えてのけた。


354 : アンチノミー ◆0pIloi6gg. :2024/11/06(水) 14:40:47 Uj0ORIvA0


 違う。
 これは、再演(リバイバル)などではない。
 そしてそれでは意味がない。


 ミロクは悟る。
 同時に理解する。
 やはり天使は、〈天の翼〉は未覚醒。
 恒星の資格を持ちながら、未だ地球の空を舞い続ける小鳥。

 彼女は、祓葉ではない。
 己が奉ずる主ではなく。
 この世界の神でもない。
 脳裏にリフレインするのは、やはりあの言葉。


 ――だからさ、いつか、ミロクの友達も紹介してね。


 ミロクの、友達。
 己の、友達。
 対等に縁を育み、同じ道を歩む者。
 主と従者の間にそれが成り立つ筈がない。
 だが、であれば。
 ひとりの演者と演者の間であれば、どうだろうか?


《ああ》
《そうか》
《私は、今》


 敬虔な従者たる彼は、決して主の意向を蔑ろにはしない。
 盲目の忠誠。それは、〈信仰〉と意を同じにするものだ。
 故に彼は、理解している。
 主が己に、"自分に相応しい友を連れてこい"などと言ったわけではないことを。
 あの時主は、こう言ったのだ。
 いつかあなたの友達を紹介してね、と――そう、あの雪原に咲く向日葵のような笑顔で命じたのだ。

《我が新たなる存在意義に則りながら――》

 ホムンクルス。
 土塊と同義の命。電池のような物体。
 友など望むべくもない生まれ損ないの人形。
 されど〈脱出王〉曰く祓葉は未知を望んでおり。
 現に舞台は、あらゆる未知を許容すると両手を広げている。

《――あの日の主命を、真に果たせる僥倖を得ているのか》

 ならば。
 祓葉に仕える我が〈盲目〉が成すべきこと、目指すべきこと、遂げるべきこと、それは――



◇◇


355 : アンチノミー ◆0pIloi6gg. :2024/11/06(水) 14:41:52 Uj0ORIvA0



『…………いや』

 少し頬を染めて、うんうんと唸りながら代案を探す天梨に。
 暫し沈黙していたミロクは、厳かに口を開いた。

『了解した。その呼び名で構わない』
「え……ほんとに? イヤだったらイヤって言ってくれても」
『識別名にこだわりはない、と言ったのは私だ。
 事実、文字数的にも個体名より遥かに少なく音節的にも利便性が高い。
 良い名であると判断した。円滑な関係を築くための努力に感謝する次第である』
「う、うん。それならいいんだけど……あの、そんないろいろ考えてつけたわけじゃないからね……?」

 天梨は少しばつが悪そうに、もじもじと身をよじる。
 ミロクはそれを見つめる。その視線がかえって彼女をもじもじさせていることを、ミロクは知らない。

「あ――私のことは、天梨でいいよ。天使の天に、果物の梨で、天梨」
『では、これよりそう呼称する。改めて宜しく頼もう、天梨』
「……うん。こちらこそよろしく、ホムっち。
 私からもいろいろ伝えたいこととか、相談しなきゃいけない人とかいるんだ。
 だからもう少しお話させてもらってもいいかな……?」
『無論だ』

 同盟は結ばれ、ともすれば決裂からの殺し合いに至っても不思議でなかった協議は一旦の落着を迎えた。
 継代のハサンは心底安堵したように嘆息し、シャクシャインは相変わらず面白くなさそうに時折舌打ちをしている。
 ただのカラオケルームで行われるにしてはあまりにも意味の大きい、意義の大きな協議だった。
 とはいえまだ、この後に控える"悪魔"との会合を含め、すり合わせなければならない事柄は多いのだったが……
 〈はじまりの六人〉、そのひとりを味方に擁した事実の大きさを天梨はまだ自覚すらしていない。
 
 恒星の資格者――そう呼ばれ得る者は、現在この針音都市に三人と一体存在する。
 自堕落なる月の写し身。北欧の奇術王を魅了し、刀鍛冶と青年将校を自軍に抱き込んだ女。
 今は遥か十二時の悪魔。悪辣な詐欺師が見初めた、決戦兵器の素養を持つ可能性の化身。
 忌まわしの救済機構。すべて平等に救う可能性を持つ、科学の獣と相反する新造の神。
 そして純白純善、天翼の君。太陽の如く眩しく、さりとて誰の瞳も灼かない、最も優しい光の御遣い。
 主星・神寂祓葉に届く可能性はどれも未だ未覚醒の埋没状態。
 だが、未知を愛する女神の望みは緩やかに満たされつつあった。
 そのことを誰より実感しながら、ホムンクルス36号……今や二つの識別名を持つに至った人形は暗殺者の声を聞く。

(英霊に効く胃薬に覚えはあるかい?)
(無い。そしてすまない。奔放が過ぎた自覚はある)
(いいよもう。あんたなりに俺へ思うところがあったってだけで、もう涙がちょちょ切れそうだ)

 継代のハサンは胃痛に苦しんでいたが、今はどちらかというと安堵と解放感に浸っている。
 その理由はもちろん、ミロクを運搬する役目が自分から輪堂天梨に移ったことにあった。
 文句を言いはしたものの、継代とて本当は分かっている。
 自力で移動することができないミロクがこの聖杯戦争で活動するためには、もといこの無法そのものな都市の道理(ノリ)に合わせようと思うならば……どうしても己の本領を発揮する機会には恵まれにくい、ということを。


356 : アンチノミー ◆0pIloi6gg. :2024/11/06(水) 14:42:54 Uj0ORIvA0

 だが、ミロクを守り動かす役目を他へ譲り渡せるのなら話は別だ。
 子守りあるいは介護から解放された〈山の翁〉は、存分に本分を果たすことができる。
 彼はもはや記憶などしていないが、前回の聖杯戦争で最悪の猛威を奮ったハサン・サッバーハの奥義。
 それを駆使し、他の屑星並びに排除に値する危険因子を舞台から蹴落とす、ないし勢力を削ぐ働きが可能となることだろう。

 唯一の懸念は輪堂天梨のサーヴァント・アヴェンジャー。
 露骨にこちらの陣営を敵視している彼の存在は問題だったが、それを帳消しにするのが天梨……ミロクの言葉を借りるならば〈天の翼〉。
 その底抜けの善性だ。復讐の炎には当分、彼女の善良さでもっての戒めが利く。
 突然接触からの干渉をかまして気絶された時は本当に天を仰ぎたくなったものだが、事が落ち着いてみれば都合のいい方へ転んでくれた。

(とはいえだ。流石にアレはやり過ぎだったんじゃねえか?)
(アレ、と言うと?)
(令呪だよ。虚言を禁じるなんて、今後の応用がまったく利かなくなるだろ。
 この国には取らぬ狸の皮算用、って諺があるらしいが……あんたのやってることはそれだったりしないよな?)
(返す言葉もない)
(マジかよ……)
(だが、貴殿も彼女の才能は理解できただろう。
 〈天の翼〉……恒星の資格者。これで目覚めたての発展途上だというのだから恐れ入る話だ)
(……まあ、それはそうだが……)

 天梨が初めて意識的に魔術を行使した瞬間。
 継代もまた、飛躍的な能力の伸びを自覚した。
 一体いつまでこれが続くのかは定かでないが、まさしく"トンデモ"だ。
 魔術回路の開き方も知らない素人が、魔術師としての第一歩で英霊含む複数対象に強化を施した。
 これがどれほど驚異的なことかは、魔術に対する知識を持つ者であれば自ずと分かる筈だ。

(これはただ一歩の小さき歩み。
 されど、いつかソラへ至る一歩と確信している)

 運命を超え、銀河へ至り、未知を成す器。
 誰も灼かない優しい光という、"彼女"の対極。
 その非凡は、継代も認める、認めざるを得ないところだった。
 
(……ま、太陽サマを知るあんたが言うならそうなのかもな。
 俺は未だにあんたらの言葉は、何か質の悪い戯れ言としか思えないんだけどよ)
(アサシン)
(ん?)
(今から私は、もうひとつ"戯れ言"を言う)
(――はい?)

 呆気にとられる継代。
 しかしミロクの声色は変わらず。

(貴殿に悪し様に働くものではない。
 しかしいささか突飛な発言だ。だから、要するにだな)
(……身構えろ、って?)
(然り)

 おい――何をする気だ、あんた。
 継代の肌に何度目かの冷や汗が伝う。
 結論から言うとこれからミロクが言わんとする言葉は、大局的にはそう大きい意味を持つものではないのだが、暗殺者にそれを知る由はない。
 困惑する彼をよそに、事前通告を済ませたミロクは〈天使〉へと意識を向けていた。


357 : アンチノミー ◆0pIloi6gg. :2024/11/06(水) 14:44:00 Uj0ORIvA0


『時にだが、天梨よ』
「……うん? 何?」
『もうひとつ、御身に要望がある』

 
 戯れ言。
 ミロク自身、その自覚はあった。
 聖杯戦争で口にする理由のない言葉。

 そして、無価値なる己にはまったく不似合いな言葉。
 そう理解した上でなお口を開くのも、すべては主に対する忠誠の一環。

『これは同盟者としてのものでも、まして脅しや建前で放つ言葉でもない。
 あくまで御身と対等の盟を結んだ、ひとりの演者(アクター)の言葉として聞いてほしい』
 
 おまえの友を紹介しろと、かつて主は従者たる彼に命じた。
 承った。必ずやあなたに並ぶ、珠玉の未知(とも)を魅せよう。
 そして同時に。
 

 至らぬ我が身と対等に歩み、時を共にした、我が"友"をあなたへ紹介しよう。



「天梨。――――私と、友になってはくれないだろうか」



 へ? と、天梨。
 あ? と、シャクシャイン。
 は? と、継代のハサン。
 

 この場全員の驚きを集めながらも、ガラス瓶の赤子の顔に恥や後悔の色はなく。


 "今、己はホムンクルスとしての念話ではなく肉声でそれを発言した"という事実にも気付かぬまま――
 ガーンドレッドの魔術師が念に念を入れ調整した役立たずの魔力炉が、何故かその身の程を飛び越えたことを見落としたまま――
 〈天使〉の声援(こえ)を受けた後に、そのあり得ぬ成長が生じた事実の持つ意味を自覚せぬまま――


 ――盲目のホムンクルスは、天使と呼ばれた人間に、友達になろうと希っていた。

 

◇◇


358 : アンチノミー ◆0pIloi6gg. :2024/11/06(水) 14:44:47 Uj0ORIvA0
【港区・カラオケボックス/一日目・夕方】

【輪堂天梨】
[状態]:精神疲労(小)
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:たくさん(体質の恩恵でお仕事が順調)
[思考・状況]
基本方針:〈天使〉のままでいたい。
0:へ?
1:一度自宅に帰った後、キャスターとの会合場所にいく――でもこれ家帰る暇あるかなぁ……?
2:ホムっちのことは……うん、守らないと。
3:アヴェンジャーは恐ろしい。けど、哀しい。
4:……満天ちゃん。いい子だなあ。
[備考]
※以降に仕事が入っているかどうかは後のリレーにお任せします。
※スマホにファウストから会合の時間と待ち合わせ場所が届いています。
※魔術回路の開き方を覚え、"自身が友好的と判断する相手に人間・英霊を問わず強化を与える魔術"を行使できるようになりました。
 持続時間、今後の成長如何については後の書き手さんにお任せします。
※自分の無自覚に行使している魔術について知りました。

【アヴェンジャー(シャクシャイン)】
[状態]:苛立ち、全身に被弾(行動に支障なし)、霊基強化
[装備]:「血啜喰牙」
[道具]:弓矢などの武装
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:死に絶えろ、“和人”ども。
0:あ?
1:鼠どもが裏切ればすぐにでも惨殺する。……余計な真似しやがって、糞どもが。
2:憐れみは要らない。厄災として、全てを喰らい尽くす。
3:愉しもうぜ、輪堂天梨。堕ちていく時まで。
4:青き騎兵(カスター)もいずれ殺す。
[備考]
※マスターである天梨から殺人を禁じられています。
 最後の“楽しみ”のために敢えて受け入れています。

【ホムンクルス36号/ミロク】
[状態]:疲労(大)、肉体強化、"成長"
[令呪]:残り二画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:なし。
[思考・状況]
基本方針:忠誠を示す。そのために動く。
0:輪堂天梨を対等な友に据え、真に主命を果たす。
1:神寂祓葉に並ぶ光を見出し、覚醒に導く。
2:アサシンの特性を理解。次からは、もう少し戦場を整える。
3:アンジェリカ陣営と天梨陣営の接触を図りたい。
4:……ホムっち。か。
[備考]
※アンジェリカと同盟を組みました。
※継代のハサンが前回ノクト・サムスタンプのサーヴァント"アサシン"であったことに気付いています。
※天梨の【感光/応答】を受けたことで、わずかに肉体が成長し始めています。
 どの程度それが進むか、どんな結果を生み出すかは後の書き手さんにおまかせします。

【アサシン(ハサン・サッバーハ )】
[状態]:ダメージ(小)、霊基強化、令呪『ホムンクルス36号が輪堂天梨へ意図的に虚言を弄した際、速やかにこれを抹殺せよ』
[装備]:ナイフ
[道具]:
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:マスターに従う
0:は?
1:正面戦闘は懲り懲り。
2:戦闘にはプランと策が必要。それを理解してくれればそれでいい。
[備考]


359 : ◆0pIloi6gg. :2024/11/06(水) 14:45:06 Uj0ORIvA0
投下終了です。


360 : ◆0pIloi6gg. :2024/11/07(木) 03:53:03 XzqiOLRA0
高乃河二&ランサー(エパメイノンダス)
琴峯ナシロ&アサシン(ベルゼブブ/Tachinidae)
雪村鉄志&アルターエゴ(デウス・エクス・マキナ)
神寂縁 予約します。
またこの予約分の時系列は、拙作『シューニャター』より前の時系列になる予定です。


361 : ◆A3H952TnBk :2024/11/08(金) 18:50:40 urRYOGMo0
レミュリン・ウェルブレイシス・スタール&ランサー(ルー・マク・エスリン)
楪依里朱&ライダー(シストセルカ・グレガリア)
予約します。


362 : ◆di.vShnCpU :2024/11/08(金) 22:49:44 EDOVjhso0
アルマナ・ラフィー&ランサー(カドモス)
悪国征蹂郎&ライダー(レッドライダー(戦争))
ノクト・サムスタンプ
予約します。


363 : ◆di.vShnCpU :2024/11/12(火) 20:55:43 6ujk5jQA0
予約分、投下します


364 : 押し売り来りて笛を吹く ◆di.vShnCpU :2024/11/12(火) 20:56:46 6ujk5jQA0

『お世話になっております。

 先ほどの件ですが、話し合いの結果、〈蝗害〉の調査の方でお引き受けさせていただきます。
 つきましては人員、および提供いただける設備についての提示を……』

「マメな野郎だな。だが有能だ。そっちは当面、お前に任せる」

徐々に赤く色づいていく街を走る、タクシーの中。
早速届いたメールの文面に、巨漢の男は顔をほころばせた。
すばやく手元で返信を書く。

「素早い判断に感謝する。
 先方の番組の関係者の連絡先を添付した。特別相談役の名を出せばスムーズに行くはずだ。
 おそらく〈蝗害〉の被害の強かった場所を巡り、嬢ちゃんが現地リポートをする格好になると思う。
 アイドルがやるのは珍しいとは聞いたが、芸能人という括りならいくらでもあるとも聞いた。
 向こうが期待しているのは面白いアドリブと、感情豊かなリアクションだ。被害の様子を素直に驚けばそれでいい。
 撮った映像は基本的に昼間の情報番組に使う予定らしい。
 もしスクープ映像が獲れれば夜のニュースに使う可能性もある。
 細かな所はそちらの判断に任せる――っと。こんな所か」

ノクト・サムスタンプ自身はTV業界のことを詳しくは知らない。
自分にないスキルは他人に委ねる。その割り切りに一切の躊躇はない。
下手に直接絡むよりも、あのプロデューサーと一般人の業界人を繋げて後は任せる方が賢明だ。
どのみち、ノクトとしては、何らかの形で〈蝗害〉に絡める糸口さえ得られればそれで良かったのだ。

一仕事を終えて、彼はタクシーの車内で目を閉じる。少し精神を統一し、使い魔とリンクする。
遠方で起きていたとある出会い、それを少し遅れて把握する。

「んで……こっちがロミオの気まぐれに振り回されてる間に、そっちはそんな状態か。
 まさか“あいつ”がそこまで出てくるとはな。
 となると、奴の狙いは……あー、面倒くせぇなあ……」

事態が急速に動いている。
ノクトが両にらみで気にかけていた、もうひとつの案件。
それがアイドルたちに対応している間に、決定的にバランスを欠こうとしている。
彼の望まない方向に、天秤が傾こうとしている。

ノクト・サムスタンプが、煌星満天たちに強引に提示した選択肢はふたつ。

〈蝗害〉と、半グレ集団の抗争。

いずれもノクトが同じくらいに気にかけていたものだ。
何らかの形で探りくらいは入れておかねばならなかったものだ。
けれどもノクトの身体はひとつきりで、それぞれ関与するのに慎重にならざるを得ない理由があった。

なので片方を外注した。
期せずして得られた一蓮托生の同盟相手に、無理を承知でブン投げた。
ついでにそれが原石を磨くための試練になるのならば万々歳だった。

「おいタクシー。行先変更だ。中央区の、いまから言うビルに向かえ」

残る片方は、元よりノクト自身が向かうつもりだったのだ。
ロミオを手放し、護衛のサーヴァントなしの心もとない状態ではあるが、しかし、ロミオが居てはやれないこともある。
ノクトはこの状況すらも利用し、大胆な一歩を踏み込むことに決めた。


 ◇ ◇ ◇


「じ、じゃあ、これで失礼するッス」
「……ああ。ありがとう」

手入れを怠った金髪がプリンになったような頭の青年が、やや引き攣った顔で応急箱を抱えて部屋から出ていく。
額と両腕に包帯を巻いた格好の悪国征蹂郎は、無理もないなと苦笑する。

何しろ、夕陽の差し込む部屋の中には、異形の客人がまだ居座ったままなのだ。
褐色の肌の少女は別に怯えるような対象ではない。
問題はその連れだ。
肉もないのに骨だけで動き、剣と盾で武装した骸骨。それが3体。
ファンタジー世界から抜け出してきたかのような、文字通りのスケルトン。
しかもそいつは、かの悪国征蹂郎にこれだけの傷を負わせるほどの手練れなのだ。

刀凶聯合のメンバーは、悪国征蹂郎から聖杯戦争に関する基本的な情報を聞かされていた。
古今東西の英雄や神々を、英霊として呼び出しての大戦争――
荒唐無稽ながらも、他ならぬ悪国の言うことだ。信じたはずだった。

けれど彼らは、こうして魔術でもなければありえぬモノを見るのは、これが初めてだったのだ。
ここまでのデュラハンとの抗争は、悪国がどこからともなく重火器を調達してくる以外は、常識の範疇の闘争に留まっている。


365 : 押し売り来りて笛を吹く ◆di.vShnCpU :2024/11/12(火) 20:59:07 6ujk5jQA0

「……うちのものが失礼した」
『良い。儂が生きた世でも竜牙兵(スパルトイ)は珍しいものではあった。神秘の絶えたこの時代なら尚更であろうよ。
 傷の検分と処置に手間をかけるのも致し方ない。儂とて貴様が戦力にならぬ展開は望んでおらぬ』

部下の無礼を詫びる征蹂郎に、骨の身体に宿りし王の意思は鷹揚に返す。
結局、王が「五分与える」と言った身支度は、数十分にも及ぶ応急処置となった。
血を流す征蹂郎の姿に慌てた刀凶聯合の仲間たちが、多少なりとも医療の心得のある仲間を呼びつけ、万全を期したのである。
救急隊員を務めきれずに半グレに堕ちてきた彼は、それでも、今すぐ救急車を呼ぶ必要があるかどうかくらいの判断は出来た。

無論、この苛烈な老王カドモスが、ただの仏心でそれだけの猶予を与えた訳ではない。
彼は彼で、見るべきものをきちんと見ている。

『貴様が屑と呼ばれるのを嫌った兵士どもも、練度は足りておらんが、士気は高いようだな。
 なるほど、貴様には過ぎた民よ。
 貴様の誇りのあり方、未だ認めてはおらんが、得心は行った」

カドモスの意思の宿る竜牙兵の放つ強烈なプレッシャーを前にしたのなら、並大抵のごろつきでは部屋に入ることも出来ない。
それを、彼らはビビりながらも、征蹂郎に何かがあってはいけないという想いだけで乗り越え、やるべきことをやったのだ。
細かな所作から戦闘訓練の不足は見て取れたが、時にこの士気の高さはそれにも勝る成果をもたらすことがある。

「……兵士ではない、仲間だ……が、そうだな。
 確かに、あいつらの存在がオレのプライドの根幹にある」
『ふん。
 それで、勝てるのか』
「……知っているのか」
「日本において『半グレ』と呼ばれる、裏社会の組織ふたつが激しい抗争状態にあることは把握しています。
 いま入ってきた者のひとりは『トーキョーレンゴー』と書かれたTシャツを着ていました。
 あなたと対面した当初は気づきませんでしたが、あなたが片方の組織のトップ、ということで間違いないでしょうか」
「……ああ。刀凶聯合の頭は、オレということになっている」

王の問いに、すばやく淡々と補足を入れる少女。
征蹂郎は彼らの推測を肯定する。

「もし仮に聖杯戦争がなかったとしたら、オレたち『刀凶聯合』とあいつらの『デュラハン』は、おそらくほぼ互角だ。
 そして、俺の従えるサーヴァントの支援を計算に入れれば、一般のメンバー同士ならオレたちの方に優位がある」

規格外の英霊レッドライダーが無尽蔵に提供する武器の数々は、刀凶聯合の一般構成員の戦力を一気に底上げしている。
ここまでの闘争では意識して抑えていたが、次の一斉攻撃に際しては全て解禁する予定になっている。
普段は拳銃の調達すら難しい半グレたちの、片方だけが、小銃や最新兵器を無尽蔵に扱える――
普通に考えて、刀凶聯合の勝利は揺るぎない。

「だが……どうやらあちらの頭も、聖杯戦争のマスターであるらしい。
 そして向こうもここまでは英霊をほとんど使っていない。
 これまではあちらの頭の傍で護衛に徹していたようだ。手の内が読めない」

周凰狩魔の傍に、最近になって新たなメンバーが張り付くようになったのは分かっている。
金髪の白人。通称ゴドー。
客分の用心棒、くらいの扱いだ。
どうやら大胆なことに、サーヴァントを普段から実体化させて従えているらしい。
だが彼らが暴力を振るうのは決まって狭い密室のような空間で、目撃者はおらず、戦力についてはほとんど情報らしい情報がない。
つまり、何が出てきてもおかしくないということだ。

向こうも英霊の能力で一般構成員を強化してくる可能性がある。
あるいは、英霊が宝具で軍勢を呼び出してくる可能性がある。
はたまた、英霊自身が圧倒的な戦力を有しており、単騎でこちらの構成員を一方的になぎ倒してくる可能性もある。

対して征蹂郎の従えるレッドライダーは、ひどく扱いにくい英霊だ。
敵の英霊にこちらの英霊をあてがって押さえ込む、相殺を狙う、という聖杯戦争の定石が使いづらい。
最悪、味方ばかりを巻き込んで破滅に導いてしまう可能性があるのだ。

ゆえにここまで、征蹂郎の率いる刀凶聯合は、やや後手に回っていた。
こちらから仕掛けることができずにいた。
だからこそ、仲間はデュラハンの犠牲になり――その報復のために、不明点が多いことを承知で、征蹂郎は重い腰を上げたのだ。

「既に敵には宣戦布告をしてある。今夜、新宿にある敵の拠点を襲撃するとの予告を出した」
『ゴミ山の覇権争いに興味はないが、相手も聖杯戦争の参加者となれば話は別だ。
 ここまで生き残っている時点で、いずれも一筋縄ではいかぬ相手なのも分かっている。
 貴様らの闘争に乗じて摘まむのも、やぶさかではない』


366 : 押し売り来りて笛を吹く ◆di.vShnCpU :2024/11/12(火) 20:59:51 6ujk5jQA0

既に事態は走り出している、そう告げられても、老王は揺らがなかった。
相互に利用しあう、あまりにもか細い協定。
それに則って王は告げたのだ。「お前の思惑に乗ってやる」と。
単騎でサーヴァントにも匹敵する戦力を持つ竜牙兵が、相手の英霊を正面から押さえ込むことができれば。
刀凶聯合の勝利はおそらく揺るぎない。ひいては、周凰狩魔というマスターの排除も成るだろう。

『だが……』
「まだ何かあるのか」
『向こうはどうなのだ。その首なし騎士とやら、あちらも他の主従を引き込んでいたりはしないのか』

提示されたのは、当然の懸念。
こちらが王とその従者と接触したように。
敵方にも何らかの出会いがあった可能性。
それが残る不安要素。

「……あいつに対等の仲間はいない。それは間違いない。
 また、知られている限りでは、不自然な付き合いをしているような相手はいない」
『ふむ』
「ただ、抗争が本格化してきた昨日今日は、流石に細かな足取りは追えていない。
 その僅かなうちに、例えばオレたち遭遇のような『何か』があったとしたら、流石に分からない」

互いに潜在的な脅威である間は、あるいは小競り合いで済んでいるうちは、監視や情報収集が出来ていた。
どちらも街の顔役でもあるのだ。緩い付き合いの相手は多いし、人の口に戸は立てられない。
だが抗争が本格化し、正面からの激突が間近である今、そういった緩い監視もほぼ途絶えていた。

何か、現状を探る方法はないのか――

「――3人だ。3組の主従が『デュラハン』側に加わっている。
 向こうのトップも含めれば、4組の主従ってことになるな。げんなりする人数だよ」
「……誰だ」

それは唐突に。
太い男の声が響き渡り、悪国征蹂郎は振り返る。
そこには人懐っこい笑みを浮かべた、しかし、明らかにカタギではない男が、部屋に踏み入ってくる所だった。
褐色の肌。大柄な体躯。みなりのいいスーツ姿だが、顔にまで及ぶ刺青を覗かせている。

征蹂郎も、少女も、王の意思を宿した骨の兵士も、それぞれに身構える中。
侵入者は両手を広げて交戦の意思がないことを示す。

「戦力と情報が必要なんだろ? 押し売りに来たぜ。
 俺はノクト・サムスタンプ。『傭兵』だ」


 ◇ ◇ ◇


「……外の仲間はどうした。見張りがいたはずだ」
「心配しなくても、少しぼんやりしてるだけだよ。魔術師の基礎の暗示の術だ。
 そっちの嬢ちゃんも使えるだろ?」
「たしかに私も使えますが、ここまで気配もなく行使できるのは驚きです」

答え次第ではここで〈抜刀〉する。
そんな殺気を滲ませる征蹂郎に、ノクトと名乗った男はそれでも笑みを崩さない。
魔術師の基礎と言われても、悪国征蹂郎には魔術の素養も知識もない。判断を下せない。


367 : 押し売り来りて笛を吹く ◆di.vShnCpU :2024/11/12(火) 21:00:29 6ujk5jQA0

『……貴様の気配には覚えがある。
 小さき霊を用いて嗅ぎまわっていた、鼠どもの主か』
「おう、覚えていてくれたのか、王様。
 光栄だぜ。
 まあもっともこっちからすると、使い魔を片端から竜牙兵(スパルトイ)に斬られただけの仲だけどよ」

竜牙兵に宿る王の意思は、ここまでの一ヵ月の間に何度かあった、ささやかな遭遇を思い出していた。
何かを探っている様子だった小さな使い魔の群れ。
もちろん拠点を探られたくない老王たちは、発見のたびに容赦なく殲滅していたのだが。
まさにその使い魔たちの魔力と同じ気配を、目の前の男は発しているのだった。

そんな二人のやりとりに、アルマナは軽い違和感を覚えて首を傾げる。
ここまでの流れに、その単語が出てくる理由がない。

「……あなたはこの方を、王さま、と呼んだのですか? 何故?」
「竜牙兵(スパルトイ)は後世の魔術師が模倣して、もはや素材がレアなだけの一般的な魔術に成り果てているが……
 あれほど強い竜牙兵を行使できるとなりゃ、『オリジナル』くらいしかありえねぇだろうよ」
『貴様……ッ!』
「まあ、真名が割れたからって分かりやすい弱点のあるお方ではないし、クラスも絞り込めねぇ。
 その声の様子だと年取ってからの姿で現界したのかね。
 どのみち、偉大なる王様と敵対する気はねぇよ。
 それに今日俺が売り込みに来た相手は、王様じゃなくて、そっちのお山の大将でね」

お前の真名を看破しているぞ。
その事実ひとつで老王と従者を牽制すると、ノクトは征蹂郎と向き合う。
何かを思い出そうとするかのように、征蹂郎は目頭を揉む。

「……そうだ、ノクト・サムスタンプ。覚えがある。その容姿は合致する。
 『非情の数式』、あるいは『夜の虎』。
 裏社会で名の知られる……凄腕の傭兵だ」
「ほう、リトルリーグにまで名を知られていたとはね。何と習った?」
「任務のためならどんな非情な手段も厭わない合理主義者。
 そして、可能な限り夜間戦闘を避けるべき相手。
 戦場にて遭遇するかもしれぬ強者のひとりとして……名を聞いたことがある」
「やれやれ、有名人になんてなるもんじゃねぇな。
 商売がやりづらくて仕方ない。
 なのでこの辺を最後に引退しようと思っていたんだがなぁ」

ノクトは大仰に肩をすくめる。
荒事を何でも引き受ける傭兵の業界は、名が無ければ買いたたかれ、知られ過ぎれば対策を取られる。
そんな難しいバランスの中で、ノクト・サムスタンプという男は、いささか「やり過ぎた」。
本来は彼にとって、夜間戦闘の巧者という強みは、見せ札ではなく伏せ札である。
ゆえに最後に一発大きなヤマを当てて退職金代わりにしようと目論んだのが、彼の第一回聖杯戦争の参加動機である。

「だが坊や、お前さんもまた、有名人だぜ。
 セージューロー・アグニ。
 あの有名な養成所の新エース。
 華々しいデビューを果たした後に消息不明。それと前後して養成所は壊滅したと聞いた。
 商売仇の閉店は喜ばしいことだったが、肝心のエースの行方不明はちと座りが悪くてよ。噂になってたんだ」
「……知られて……いたのか……」
「狭い界隈だ、新顔の情報はみんな気にかけるもんさ。
 どこかで野垂れ死んだという説が有力だったが、まさかこんな所で不良たち(バッドボーイズ)の頭に祭り上げられてるとはな」

殺し屋と暗殺者と傭兵とが交わってパイを奪い合う、狭い裏の仕事の世界。
僅かな情報の格差が生死を分ける。
なので、養成所の座学の授業で教えもすれば、その養成所の出身者もまた注目を浴びることになる。

「……さっき、向こうには4人いると言ったな。
 それもお前の『使い魔』とやらの能力か」
「おう。この情報はお近づきの印にサービスだ。ここについては代価を取る気はないぜ。
 名前も要るかい?
 周鳳狩魔。
 覚明ゲンジ。
 華村悠灯。
 そして……山越風夏。
 揃ってとあるライブハウスで顔合わせしている姿を確認した」
「……周凰以外は、どれも知らない名だな」
「どれも今日になってからの参戦だ。どいつもこいつも慌ただしいことだぜ」
「…………」
「一対一なら干渉せずに見守ろうかと思っていたんだが、流石に無視できない奴まで関わってきたんでね。
 そちらの王様がいくら強くても、ちょっとまぐれが起きるのが怖い。
 お節介かと思ったが、力を貸そうと思ってよ」


 ◇ ◇ ◇


368 : 押し売り来りて笛を吹く ◆di.vShnCpU :2024/11/12(火) 21:01:51 6ujk5jQA0


「……目的はなんだ。
 お前は傭兵と名乗ったな。その助力の代償に、何が欲しい」

喉から手が出るほど欲しかった情報と戦力が向こうからやってきたこの状況に、しかし征蹂郎は警戒を崩さない。
あまりにも都合が良すぎる。
なので、長考の果てに出たのは、そんな基本的な意図の確認だった。
ここは誤魔化せない場面と見たか、ノクトの顔から笑みが消える。真顔で端的に言い切る。

「……この抗争の果てに、残されたものが欲しい」
「残されたものとは」
「上手いこと向こうの親玉を倒せれば、その時点で残っているデュラハンの残党が欲しい。
 過剰な追い打ちを避けてくれればそれでいい。残党との接触も、残党の取りまとめも、こっちでやる。
 もちろん刀凶聯合とは敵対しないようにする。
 必要なら地盤でもカネでも何でも持って行って貰って構わない。
 俺が欲しいのは人員だけだ」
「…………」
「そして万が一、お前が力及ばず敗れて倒れたのなら、お前が後に遺すものが欲しい。
 多少なりとも残っているのなら、その時点での刀凶聯合の残存メンバー。
 それに、倒されていなければ、お前の従えているサーヴァント。
 取りまとめも契約もこっちで勝手に試みる。
 お前はただ、うなづくだけでいい。それだけで俺は命を賭けて戦場を走る」
「…………」

ふたつの可能性。
刀凶聯合が勝った場合と、負けた場合。
勝った場合はいい。
戦意喪失した敵の生き残りを、それでも殺すような残虐性は、征蹂郎には無い。
約束が守られるかどうかは不透明だが、後の始末がラクになるこの提案、正直言って悪くない。

そして、それに加えて、お前が勝手に負けた時にただ働きになるのは御免だ、という、なるほど傭兵らしい正直な要請。
しかし、それは。

『……虫のいい話だな、詐欺師め』
「その言い分だと、刀凶聯合が敗北した方が得られるものが多くなる計算になります。
 組織の人員に加えて、サーヴァントとの交渉権。
 あなたが真面目に戦う保証にならない」
『太古より、分かりやすい利益のために戦場に立つ者は存在した。為政者は期待し信頼して代価を払った。
 しかしそれらは決まって、後になれば賊となるのだ。
 こちらが一番苦しい時に、後ろから刺してくるのだ。
 中には、最初から裏切るつもりで潜り込んでくる輩までいる。
 ゆえにどの国も愛国心を抱く自国の兵を、手間をかけて育てて備えるのだ。
 傭兵よ、貴様などが信を得られると思うな』

老王は嘲笑い、少女は鋭い目で端的に申し出の瑕疵を指摘する。
悪国征蹂郎は無言だ。無言のまま、傭兵の次の言葉を待つ。
果たして老獪なはずの魔術師は、降参した、とばかりに首を振って微笑んだ。

「……容易くはねぇようだ。
 なので、欲張るのを諦めてぶっちゃけちまうとな。
 俺の本音としては、まず第一には、『お前のサーヴァントが惜しい』んだ」
「……オレの……こいつのことか……」

オオオオ………ン。
話題を振られたことを感知でもしたのか、姿も見せぬままに、赤き騎兵が啼く。
この場にいる全てのものが、直接目視せずとも肌に感じている、異常なる一騎。

「おまえがどこまで自覚してるかは知らないが、そいつは規格外中の規格外だ。
 広い範囲に影響を与える精神汚染の類も、俺好みだ。
 なので使いこなせないってんなら譲ってほしいくらいだが、規格外過ぎておそらく会話もままならねぇ。
 普通の英霊相手ならできる話し合いも、同意の取り付けも、とてもできる気がしない」
「…………」

ロミオを捨てての契約の乗り換えを、何度も真剣に検討してきたノクト・サムスタンプであるが。
もし本命というものがあるのだとすれば、それは悪国征蹂郎の従えるレッドライダーに他ならない。
だが、その乗り換えはあまりにも危険すぎる賭けである。
会話の成立しない相手に、交渉も何もない。
この針音響く東京での聖杯戦争では、サーヴァントを失ったまま無為に時を過ごせば、それだけで脱落するのだ。


369 : 押し売り来りて笛を吹く ◆di.vShnCpU :2024/11/12(火) 21:02:26 6ujk5jQA0

「なのでこの際、お前の契約下のままでいいから、奴にはもう少しこの東京に留まっていて欲しい。
 こんな所で脱落するのは、あまりにも勿体ない。
 どんな形であれ、居れば使いようはあるんだ。
 俺としては刀凶聯合が負けるよりも、刀凶聯合が勝ってデュラハンを撃破する方が都合がいい」
「……」
「とはいえ、これから始まるのは戦争だ。何が起きてもおかしくはない。
 どうせお前も先頭に立って切り込むんだろう? 危険は承知のはずだ。
 なので『保険』として、もしお前が倒されたとしても、契約を試みる切っ掛けくらいは残しておきたい」
「……ダメ元でも、最低限の希望は残しておきたいと……そういうことか……」

筋は通っている。
刀凶聯合の助っ人として全力を尽くす理由も、にも関わらず、征蹂郎が倒された展開も想定した約束をしておくことも。
レッドライダーが惜しい、その一点で、綺麗に整合性がついてしまう。

「ついでに、これは優先順位の下がる第二の要望なんだが。
 流石にこの辺で、俺も荒事を厭わない兵隊が欲しい。
 暴力を振るうことに慣れていて、そこそこの統制の取れた群れがあるとやれることが広がる。
 デュラハン残党だろうと、刀凶聯合の残党だろうと、俺にとっては大して差がないんだ。
 だが、お前の納得がなければ、そのどちらも掴めないだろう。お前の同意を取っておくことに意味がある」
「……なるほどな」

征蹂郎は納得する。
むしろ死闘に参加することへの報酬としては、第二の要望の方が本命なのだとも正確に理解する。
第一の要望はむしろダメだった時の保険。
むしろこのノクト・サムスタンプは、自由に動かせる手駒こそが欲しいのだ。
確かに人手があれば、聖杯戦争でやれることは増える。
傭兵として悪名高いこの男であれば、尚更だろう。


 ◇ ◇ ◇


(……格が違い過ぎるな)

老王は心の中で嘆息する。
いつの間にやら、ノクトと名乗る侵入者は、既に刀凶聯合の側に立って戦う方向で話が進んでいる。
意図の確認をしていたはずが、いつの間にやら条件の交渉に移っている。
ノクトは譲歩して手の内を明かして見せたように言っているが、これは最初から想定していたシナリオのひとつだろう。
横から多少の援護射撃もしてみたが、大筋ではここまで全てが傭兵の手のひらの上と言っていい。

悪国征蹂郎は決して愚かではない。短いやり取りの中で老王カドモスもそれは認めている。
気に食わない部分はあるが、むしろ優秀な方と言っていいだろう。

だが、絶対的に経験値が足りない。
こういった悪辣な交渉者とまともにやり合ったことも、おそらくないのだろう。
カドモス自身、こういう手合いの魂胆を見抜けるようになったのは、果たして玉座についてからいかほど経ってからだったろうか。

(アルマナよ)
(はい)
(儂はこの交渉が一段落したあたりで、いったんここより意識を離す。あとは基本的にお前の判断に任せる)

熟考する征蹂郎を前に、カドモスはアルマナに念話で告げる。
竜牙兵の一体への疑似憑依。魔力の消耗の観点から、ずっと続ける訳にはいかない芸当だ。
魔力の温存を考えれば、どこかで解除をしなければならない。


370 : 押し売り来りて笛を吹く ◆di.vShnCpU :2024/11/12(火) 21:03:05 6ujk5jQA0

(確認させてください。このまま彼らと共闘する方針でよろしいのですね?)
(そうだ。やることに変わりはない。
 機を見て他の主従を倒す。最優先はお前自身の安全。危ういと思えば退く。
 ただそこに仮初めの味方が増えただけだ)

既におよそ1ヵ月、この2人はこの方針で積極的な攻勢を行っている。
竜牙兵を指揮しての対サーヴァント戦闘においては、アルマナの経験は相当に豊富なものである。
まず判断ミスなどはありえない。王も少女に委ねることに迷いはない。

(だた、そこの傭兵を名乗る男には気を許すな。
 可能な限り同じ戦場で戦うことは避けよ。迂闊に背を預けることはならぬ)
(王さまは、彼が裏切ると考えているのでしょうか?)
(分かりやすい闇討ちなどはせぬであろう。
 おそらく、奴が吐いている言葉にも嘘はない。
 だが――同時に、全てを話してもおらぬ。きっと、何か重要なことを伏せている)

それはこのタイミングで彼が強引に戦線に加わろうとするに至った動機かもしれないし。
何かこの聖杯戦争の根幹にかかわる知識かもしれない。
なんにせよ、細かな言葉の選び方から、『何かを伏せている』。そう、直感的に悟っていた。

(理詰めだけで対応すると痛い目に遭う、そういう種類の厄介者だ。
 何が起きても驚かないくらいの心構えで備えよ)
(はい)
(今回は儂の判断で危うい賭けを選ぶこととする。ここが攻め時なのは間違いない。
 ただ、今回の戦に限り、ひとつこれまで禁じていた手段を解禁する)

これより挑むのは、危険人物と分かっている相手と肩を並べての闘争。
うまく行けば得られる戦果も多いが、間違いなく危険は大きい。
選択肢は、与えておかねばならない。

(アルマナ・ラフィー。
 いよいよもってどうにもならなくなった場合、竜牙兵を捨て駒にしての退却を許す。何があっても帰還せよ)
(それは……)
(無論、そうならぬように努力せよ。しかし優先順位を見誤ってはならぬ)
(……分かりました)

少女はうなづく。そして老王の言ったことを反芻する。
おそらくこの場にいる中で最も知恵が足りないのは自分だと、そう少女は自覚している。
ならば、考えるしかない。
今は分からなくても、彼らが何を材料にどう判断したのかを、考え続けるしかない。
そうやってこの1ヵ月、アルマナは生き延びてきたのだから――!


 ◇ ◇ ◇


「……3つ。条件を出そう」

結論から言って、悪国征蹂郎はノクト・サムスタンプを条件つきで受け入れることにした。
ただし彼にも譲れないものはある。

「ひとつ。オレにとって刀凶聯合というのは、そういう取引の対象になるようなものではない。
 おまえが手駒を欲しているというのなら、余計に渡す訳にはいかない。
 たとえオレが敗れたとしても、刀凶聯合のことは諦めてくれ」
「仕方ないな。意図を開示するしかないとなった時点で、読めていた要求だ。諦めよう」

たとえ悪国征蹂郎が倒された後の話だとしても、仲間を取引の材料に使うことは出来なかった。
この一線は譲ることが出来ない。

「ふたつめ。これはお前の評判も含めてのことだ。
 どんな理由があろうとも、刀凶聯合の仲間を意識的に犠牲にするような策は許さない。
 彼らにも危険が及ぶことは覚悟しているが、狙って捨て駒にしたりすれば、その時点で契約は御破算と思ってくれ」
「……ほんっとに、有名になんぞなるもんじゃねぇなァ。
 OK、ボス。今回はそういうのは無しで行こう」

悪名高き『無情の数式』を好きにさせれば、勝利の代償に味方が全滅している展開も十分にあり得た。
ここは釘を刺しておかねば、危なっかしくて味方に引き入れられない。


371 : 押し売り来りて笛を吹く ◆di.vShnCpU :2024/11/12(火) 21:03:51 6ujk5jQA0

「最後に。傭兵を名乗るのであれば、結果を出してもらおう。
 やる気なく戦うフリだけして戦列に並び、報酬だけ持っていくのは看過できない。
 ……4組いるという、デュラハン側の主従。
 最低でも1組、お前の手で蹴落としてもらう」
「妥当な要求だな。
 ただコッチにも事情があってよ、敵サーヴァントとの正面からの勝負はいささか厳しい。
 アサシンのように、敵マスターの首を狙って取る、という形でいいかい?」
「……いいだろう。
 もちろん可能であれば、1組と言わず、2組3組落とせるようなら落として貰って構わない。
 何らかの形でその貢献には応じよう」

果たすべきノルマと、ボーナスの可能性の提示。
何なら周凰以外は全て刈り取って貰っても構わないのだ。
毒杯と知って仰ぐなら、征蹂郎の側にとっても利益が最大になるようにするのは必然。

「……抗争はおそらく、今夜がヤマだ。
 契約期間は、次の夜明けまで。
 そこから先のことは、その時になってから改めて交渉することにしよう」
「了解した。
 改めてよろしくな。仲良くやろうぜ」
『酔狂なことだな。いつかきっと貴様の命取りとなるぞ』
「共闘が避けられないと言うのなら、せめてこの男からは離れた戦線を希望します」

老王と少女は不信の視線を崩そうとはしていなかったが。
裏社会で名の知れた傭兵が、己の傭兵としてのアイデンティティを提示して参戦した。
その事実を根拠に、悪国征蹂郎はこの危険な味方を味方につけることに決めた。

窓の外には、夕陽の最後の赤い光。
果たして陽が再び昇る時、合計で7組、7人、7騎の主従のどれだけが残っているのか。

戦場の無常を知る悪国征蹂郎は、ただ小さく拳を握りしめた。



【中央区・刀凶聯合拠点のビル/一日目・夕方】

【悪国征蹂郎】
[状態]:疲労(小)、頭部と両腕にダメージ(応急処置済み)
[令呪]:残り3画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円程度。カード派。
[思考・状況]
基本方針:刀凶聯合という自分の居場所を守る。
1:アルマナ、ノクトと協力してデュラハン側の4主従と戦う。
2:可能であればノクトからさらに情報を得たい。
[備考]
 異国で行った暗殺者としての最終試験の際に、アルマナ・ラフィーと遭遇しています。
 聯合がアジトにしているビルは複数あり、今いるのはそのひとつに過ぎません。
 養成所時代に、傭兵としてのノクト・サムスタンプの評判の一端を聞いています。

【ライダー(レッドライダー(戦争))】
[状態]:損耗なし
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:その役割の通り戦場を拡大する。
1:ブラックライダー(シストセルカ・グレガリア)への強い警戒反応。
[備考]

【アルマナ・ラフィー】
[状態]:健康
[令呪]:残り3画
[装備]:カドモスから寄託された3体のスパルトイ。
[道具]:なし
[所持金]:7千円程度(日本における両親からのお小遣い)。
[思考・状況]
基本方針:王さまの命令に従って戦う。
0:もう、足は止めない。王さまの言う通りに。
1:当面は悪国とともに共闘する。
2:傭兵(ノクト)に対して不信感。
[備考]
 覚明ゲンジを目視、マスターとして認識しています。
 故郷を襲った内戦のさなかに、悪国征蹂郎と遭遇しています。

【ランサー(カドモス) ※スパルトイの一体に憑依中】
[状態]:竜牙兵躯体の胸部にダメージ(中)
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:いつかの悲劇に終焉を。
1:当面は悪国の主従と共闘する。
2:悪国征蹂郎のサーヴァント(ライダー(戦争))に対する最大限の警戒と嫌悪。
3:傭兵(ノクト)に対して警戒。
[備考]
 『我が許に集え、竜牙の星よ』の一体に意識を憑依させています。
 本体は拠点である地下青銅洞窟に存在していますが、その正確な位置は後の書き手さんにおまかせします。


372 : 押し売り来りて笛を吹く ◆di.vShnCpU :2024/11/12(火) 21:05:31 6ujk5jQA0


 ◇ ◇ ◇


結局のところ、ノクト・サムスタンプにとってのかつての「本命」は、半グレの抗争――レッドライダーだった。

広範囲、無差別な精神操作。
一般人を介して広がるフィールドに、際限なく成長できる可能性。
かの〈蝗害〉にも匹敵する規格外。
実にノクト好みの戦力だ。

本当のところ、悪魔に身を転じるアイドルの方こそ、予備プランであった。
いや、実際に接触した後の感想としては、こちらを本命としてしまってもいいのかもしれない。
あれほどキレるキャスターが、あれほど危ない橋を渡ってまで育てようとしている才能。
そこに深く関与できたのは、ノクトにとって幸運だったのかもしれない。

ただ。
あちらは育つのが遅い。
というより、育つスピードが読めない。
とりあえず仕事を振って人々の耳目に触れる機会を作ってはみたが、いったいいつ「完成」するのか全く読めない。
アイドル育成計画の一本きりでは先が苦しい。

そうであれば、最低でも繋ぎの手段は要る。
そうしてやはり思考が向かうのは赤の騎士。そしてそれを従えるゴミ山の王だった。

ここまでノクトが半グレ集団に近づけずにいたのは理由がある。
あの困ったサーヴァント、バーサーカー・ロミオの存在だ。
半グレたちがつるんでいる場所は、かなりの部分、繁華街と重なる。
半グレの構成員は男性がほとんどを占めるが、女性も居ない訳ではないし、彼女連れの男もいる。
そんな所にロミオを従えて行けば、彼がどこに「ジュリエット」を見出すか分かったものではないのだ。

それこそロミオが惚れた相手が、背景のない一般人であれば何とでもなるのだが。
組織の幹部関係者だったり、他の聖杯戦争のマスターだったりすれば厄介この上ない。
相手次第では、ロミオがそのままノクトの敵に回る展開すらありえた。

かといってロミオにお留守番を命じてノクトだけが出かけていく訳にもいかない。
そうなればそうなったで、監視のないロミオがどこで「ジュリエット」と出会うか分かったものではなかった。
要するに、詰んでいたのである。

だが、ロミオが実際にアイドルをジュリエットと定めたことで、状況は一変した。
首尾よくロミオの監視役を他の主従に押し付けて、ノクト本人がフットワーク軽く暗躍する余地を得られたのである。

悪国征蹂郎には魔術の知識も素養もない。
レッドライダーはその無知を補えるような器用な存在ではない。
結果として、ノクトの使い魔や協力者たちは、ほぼ自由に刀凶聯合の内情を探り放題になっていた。
勝手知ったる他人の家のように、ノクトがあの場に踏み込めた理由でもある。

(とはいえ、アイツが……〈脱出王〉が動かなければ、俺ももう少し『見』に徹する気だったんだがな)

監視の目は敵であるデュラハンの方にも回している。
しかしこちらは通常のサーヴァントであり、あまり調子に乗ると逆探知される恐れがあった。
事実、何回か気配くらいは感づかれていた様子がある。
得られる情報が減るのも承知で、隠密性を重視した備えを施した使い魔を用意し、いくつかの拠点に派遣していたのだった。

そんな準備が功を奏して察知できたのが、あのライブハウスでの顔合わせである。
細かな言葉のやり取りまでは拾えなかったが、しかしその代わりに、とんでもないモノがノクトの監視網に引っ掛かっていた。

山越風夏。〈脱出王〉。

いったいどういう手品を使っているのか、ノクトの監視網をもってしても全く捕らえられないのが〈脱出王〉の動向だった。
どうやら魔術とは異質な技術、極限まで極まった奇術師の技の一端であるようなのだが。
彼女自身が、姿を見せても構わない。そう判断した時にしか、ノクトの目に触れる所には現れないのだ。

その例外が、起きた。
他の誰も気づいてなかったとしても、〈脱出王〉だけはそこにノクトの監視があることに気付いていたはずだ。
分かった上で、姿を晒した。
それは明確なメッセージ。

『ノクト、君が覗き見だけに留まっているのなら……赤い騎士は、ここで刈り取るよ』

かの〈脱出王〉がレッドライダーの在り方を嫌うのは、容易に想像のつくことだった。
これは困る。ノクトにとっては大変に困る。
結果として、こうしてノクト自身が前線に出張って身体を張るハメに至っている。


373 : 押し売り来りて笛を吹く ◆di.vShnCpU :2024/11/12(火) 21:06:17 6ujk5jQA0

(むしろモノは考えようだ。普段は捕まえようのない〈脱出王〉が、向こうから出てきてくれる。
 場を掻き乱す、赤の騎士の影響力もある。
 アイツを仕留めようと思ったら、これは千載一遇のチャンスでもあるわけだ)

譲れぬ〈狂気〉を抱いた6人の同族嫌悪の一環として、当然、ノクトと〈脱出王〉も互いを嫌っている。
嫌いつつ、互いに容易ではない相手と認めている。

前の聖杯戦争でも2人は何度か衝突していた。
極光に目を焼かれる前の〈脱出王〉は、聖杯戦争とは無関係の、東京に住む一般人たちを「観客」と定義していた。
その一般人を武器として振り回すノクトとは、まさに不倶戴天の仲だったのだ。
あの飄々とした態度の〈脱出王〉が、本気でノクトの命を狙ってきたのも一度や二度ではない。

他の4人にしたって、誰もがノクトのことを排除したいと願っていた。
ノクト・サムスタンプは、それほどまでに嫌われていた。
亜切は焼こうとし、ガーンドレッドの魔術師は〈爆弾〉を炸裂させ、蛇杖堂のアーチャーは超遠距離射撃を降らせた。
いずれもマスターひとりを狙うにはあまりにも過剰な火力が投入された。

その全てを、ノクトは凌いだ。
とうとう神寂祓葉の光の剣がその巨体を貫くまで、ノクトは誰にも倒されることはなかったのだ。

(こちらで3組、向こうで4組。いくらなんでも多すぎだ。
 流石にこの辺で剪定が必要だろうよ。
 たとえ大将戦が痛み分けに終わったとしても、最低でも「誰か」が退場しなきゃならない局面だ)

傭兵として長年戦場に身を置いてきたノクトは、ここは血が流れる局面だと直感する。
理屈を超えた嗅覚のような感覚で、確信する。

強い想いがあろうと。
譲れぬ事情があろうと。
これから伸びる余地を秘めた物語を抱えていようとも。
終わる時には容赦なく、ぶつん、と断ち切られるのが戦場というものだ。

そうして退場するのが〈脱出王〉になるなら一番いい。
そうでなくても、最低でも誰か一人はノクトが潰す約束になっている。
あるいは戦場に出る以上、ノクト自身が討たれる可能性だってある。
何しろノクトはサーヴァントを伴っていない。他の主従が備えている強力な手札を一枚欠いた状態なのだ。

しかしそこまで認識していながら、ノクト・サムスタンプは己の勝利を疑っていなかった。
誰かを適当に摘まんで、どちらに転んでも何らかの代価を掴む。
その結果を、まったく疑ってはいなかった。
何故なら。

もうすぐ、陽が落ちる。
夜の女王が統べる時間が来る。

〈夜を見通す力〉。

〈夜に溶け込む力〉。

〈夜に鋭く動く力〉。

養成所で学ぶ訓練生までもがその噂を知る、『非情の数式』『夜の虎』。


まもなく訪れる夜は、ノクト・サムスタンプのための時間である。



【中央区・刀凶聯合拠点のビル/一日目・夕方】

【ノクト・サムスタンプ】
[状態]:健康、恋
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:莫大。少なくとも生活に困ることはない
[思考・状況]
基本方針:聖杯を取り、祓葉を我が物とする
0:さて、それで誰の首を取りに行くのが最善かね。
1:当面はサーヴァントなしの状態で、刀凶聯合の傭兵として戦い、刀凶聯合側を勝利させる。
2:ロミオは煌星満天とそのキャスターに預ける。
3:当面の課題として蛇杖堂寂句をうまく利用しつつ、その背中を撃つ手段を模索する。
4:煌星満天の能力の成長に期待。うまく行けば蛇杖堂寂句や神寂祓葉を出し抜ける可能性がある。
5:レッドライダーに期待しつつも、アプローチに困っている。
[備考]
 東京中に使い魔を放っている他、一般人を契約魔術と暗示で無意識の協力者として独自の情報ネットワークを形成しています。

 東京中のテレビ局のトップ陣を支配下に置いています。主に報道関係を支配しつつあります。
 煌星満天&ファウストの主従と協力体制を築き、ロミオを貸し出しました。

 悪国征蹂郎と傭兵契約を結びました。
 期限は次の夜明けまで、ノクトのノルマはデュラハン側のマスターを最低一人は倒すこと。
 成功報酬は、デュラハンが倒されればデュラハン残党の一般構成員たちを自由にできる権利。
 悪国が倒されれば残されたレッドライダーとの契約を試みることのできる権利です。
 いずれも口約束ではありますが、契約魔術の糸口に利用できる可能性があります。


374 : ◆di.vShnCpU :2024/11/12(火) 21:06:33 6ujk5jQA0
投下終了です。


375 : ◆0pIloi6gg. :2024/11/13(水) 03:35:52 3T1G7Drs0
投下します。


376 : 夕ご飯を一緒に食べよう ◆0pIloi6gg. :2024/11/13(水) 03:36:35 3T1G7Drs0



 琴峯教会は、琴峯一家の自宅を兼ねた建造物である。
 それなりに由緒のある教会なのだが、ナシロが生まれた頃に不自然にならない形で居住スペースを増築した。
 娘の将来を縛りたがる両親ではなかったが、それでも神の教えとその信仰に親しみながら育ってほしいという願いがあったのだろう。
 あるいはただ単に、自宅と教会を行き来するのが面倒でそうしただけかもしれないし、もっと別な理由があったのかもしれない。
 何にしろ、琴峯夫妻が身罷った今となってはその理由は藪の中、だった。

 ナシロも人並みには友達がいる。
 ただ、教会の実質の責任者を務める彼女は基本的にいつも多忙だ。
 学校が終わって帰宅したら、あとの時間はシスターとしての活動に費やされることがほとんど。
 そんなライフスタイルなので、ナシロはこの数年友達と遊びに出かけたりした記憶がとんとない。
 ましてや自分の"家"に招くようなことは、間違いなく一度としてなかったと断言できる。
 だからこそ琴峯ナシロは今、その食卓を自分含めて六人もの面々で囲っている状況に不思議な新鮮さを覚えていた。

「……いいのか? こんな大勢で押しかけた挙げ句、ごちそうまでしてもらって」
「気にしないでくれ、腹が減っては戦はできぬって言うだろ。
 この先まともに飯を食う時間があるかも分からないんだ、今のうちに腹に溜めとかないとな」

 今、琴峯教会の食卓には数枚のピザと炭酸飲料のボトル、そしてチキンやポテトといったオードブルが所狭しと並んでいる。
 ヤドリバエとの約束もありどの道豪勢に出前でも取るつもりだったのだが、今言った理由で済ませられるうちに食事を済ませた方がいいだろうとナシロが判断した。
 英霊どもはと言えば、ヤドリバエはもちろんマキナもどこか茫然とした顔でピザを見つめ時々垂れかけた涎を啜っていた。
 ちなみにエパメイノンダスも「おお……こりゃ凄いな……!!」と慄いている。よかったね。

「何から何まで世話になりっぱなしだな。やっぱり代金は俺が出すよ」
「いや、いいよ。うちのアサシンはぽんこつだから、これからあんたらの世話になるのは確実なんだ。護衛代とでも思ってくれ」
「そうか……、いや、なら半分だ。せめて半分は出させてくれよ」
「なんだよ。強情だな」
「50近いオッサンが女子高生に晩メシ奢られてたら流石にいろいろ情けないんだよ察してくれ。俺の顔を立てる意味でも、素直に貰ってくれると嬉しい」
「……はは、真面目な人だなあんたも。じゃあわかったよ。それはありがたく受け取らせてもらう」

 鉄志とナシロは互いに苦笑し合う。
 そこで河二がひょい、と小さく手を挙げた。

「俺も多少は出すぞ。宅配ピザの相場には明るくないが、これだけ頼むとだいぶかかるだろう」
「おまえはおとなしく奢られとけ」
「以下同文、だな。ていうかお前らふたり、高校生にしては人間が出来すぎだろ。
 俺が学生の頃なんてもっとおちゃらけてたぞ。タバコ吸ってバイクでニケツしてたわ」
「……むぅ。揃って言われてしまっては、これ以上の主張は僕の我儘になるか」

 生真面目な誠実をぴしゃりと異口同音に切り捨てられ、手を下ろすまで数秒。
 こうしてやけに実直な高校生ふたりとくたびれた中年男性の三人、そのサーヴァント三体で夕餉の席は始まる。
 聖杯戦争の血生臭さなどまったくない、焼けたピザ生地のいい香りと食欲を刺激するサラミの香りに満たされたつかの間の休息。
 夕ご飯を一緒に食べるという、親睦会みたいな平穏の時間が、窓から射し込む夕日に照らされながらちょっと早めに幕開けた。



◇◇


377 : 夕ご飯を一緒に食べよう ◆0pIloi6gg. :2024/11/13(水) 03:37:27 3T1G7Drs0



「んむっ、はむ、はむもむむむむ……。
 なんれふかこれ、ナシロひゃん! ほんなおいひーもの、ふぁんでいままでたべふぁせてくれなかったんれふ!? このけちんぼ!!」
「飲み込んでから喋れ。行儀が悪いぞ」
「あうっ」

 ヤドリバエの成虫は基本的に花に集まり、蜜を吸って暮らす。
 幼虫期には宿主の肉を踊り食いしながら過ごすのだが、もちろん昆虫の肉と動物の肉の味わいは比較にならない。
 まして食への探究心がとても貪欲な民族の暮らす島国で進化発展を遂げまくった、健康度外視のジャンクフードである。
 初めてカップ麺や白米を食べた時と同じかそれ以上の感動に打ち震えながら、ヤドリバエは口の周りをべったべたにしピザを貪っていた。

「……はむ、あむ。
 複雑怪奇です。チーズのミルク感と肉類の味わいに、トッピングされている野菜類の苦味酸味が極悪なマッチングを果たしています。
 なんと冒涜的な味わいでしょう。神たる当機がいただいていいのか不安に駆られますね、もっきゅもっきゅ」
「要するに気に入ったんだな。そういえば食べさせたことなかったっけか」

 マキナは機械の身体を持つが、食べようと思えば人間用の食事を摂ることも無意味だが可能ではあるらしい。
 眼をきらきらと輝かせながら、ピザを両手でお行儀よく握ってはむはむ食べ進めている。
 なんだか聞く側の食欲が落ちそうな形容をしているものの、食べるペースは微塵も落ちていない。
 鉄志はそんな自分のサーヴァントに語りかけながら、チキンの脂をコーラで流し込んでいた。

「いやあ、この国はこと食にかけては現代随一だって聞いてたがこりゃ本当に凄いなぁ。
 俺の時代ならこれを巡って戦争が起きてても不思議じゃねえぞ。
 デュオニュソス神に一切れ分けてやりたいくらいだ。……おお、この揚げた芋も旨いなぁ!」
「そういえば、昔は香辛料を巡って本気で殺し合いが起こっていたと聞くな。そう考えるとあながち冗談でもないのか」

 エパメイノンダスは、現代ではこれが家で待っているだけで届けられることにえらく感嘆していた。
 河二はそんな彼に相槌を打ちつつ、間違いなくこのテーブルの中でいちばん小綺麗にピザを食んでいる。
 糧食としてはいささか過剰な脂かもしれないが、さっきナシロが言ったように腹が減っては戦はできぬもの。
 「自腹でもう一切れ頼んで、携帯食にしても良かったなあ」と将軍はぼやいていた。サーヴァントに食事は必要ないよ。

 ……とまあそんな調子で、サーヴァント達は現代の宅配ピザを大層気に入った様子だった。
 偽りの悪魔と新造の神と、テーバイの将軍が同じ卓を囲んで脂っこいピザを絶賛している光景はまるで何かの冗談だ。
 マスター陣は皆一様にそういう感想を抱いていたが、とはいえ改めてこれから自分達は組んでやっていくんだぞ、ということを共有し合うには上々の流れを辿っていると言えただろう。

「むむ……。この黒々と泡立つ名状し難い飲み物、人工咽頭に妙な刺激を感じます。攻撃の可能性が否定できません」
「ぷぷ! おこちゃまはコーラも知らないんですね! それでよくわたしにあれこれ口ごたえできたものです!」
「……のん。抗議します。貴女もこのピザに対していたく感動しているように見受けられました。虚言の可能性を指摘します」
「は〜〜? 言っときますけどわたしはこれまでにそうですねぇ、かれこれこのボトル一本分くらいはコーラを飲んでるかなあ」
「んなっ……!?」

 にひ、と悪い顔をするヤドリバエと仰け反るマキナ。
 こいつら実は相性いいんじゃないのか? とナシロはそれを見ていて思う。
 実は鉄志もまったく同じことを思っていた。少なくとも絵面だけ見ると完全に小学生同士のやり合いにしか見えない。
 現代経験という点で旗色が悪いと見たのだろう。マキナは「こほん」とわざとらしく咳払いをする。
 それから、改めてヤドリバエの方を見直して口を開いた。


378 : 夕ご飯を一緒に食べよう ◆0pIloi6gg. :2024/11/13(水) 03:39:09 3T1G7Drs0

「……非生産的なお話はこの辺にしておきましょう。
 当機はあなたに質問があります、アサシン・ベルゼブブ」
「ふふーん? いいですよ。なんでもお姉ちゃんが答えてあげますので」
「ヤドリバエでいいぞ。ぜんぜんベルゼブブじゃないしなこいつ」
「ナシロさん?」
「あい・こぴー。ではヤドリバエ」
「ナシロさん????」

 ベルゼブブ(ヤドリバエ)の抗議を受け流しながら紙で口元を拭っているナシロ。
 一見するとコメディめいたやり取りだが、マキナからヤドリバエに訊きたいことがあるのは本当だった。
 偽りなれどもベルゼブブ。その名を負って現界することを許された無辜の怪物。
 これは新造の神、そして救世の機械神となることを願う少女にとって願ってもない好機だったのだ。

「旧し……こほ、こほん。失礼。
 ナザレの救世主の大敵であり、地獄の大君主とされる大悪魔――蝿王ベルゼブブ。
 現代ではその悪名は、異なる宗教の神を忌み嫌い意図的に汚染されたものであるという見方が強いと聞き及んでいます」
「はぁ? そんなこと言われてるんですか? だったらド不敬ですけど」

 ヤドリバエがナシロの方を、なんとも不服そうな顔で見やる。
 話を振られたナシロは顎に指を当て、少し考えてから答えた。

「まあ、そうだな。バアル・ゼブルって異教の神を貶めるために邪神扱いしたって話は割と主流な筈だよ。
 ……自分の宗教の悪口はあまり言いたくないが、世界史ひっくり返すとウチも割とろくでもないことやってるからな。そう不思議じゃない」

 異教の最高神を糞山の王、それに集る蝿の王扱いして侮蔑する。
 立派な宗教差別であり、現代の価値観ではまったく褒められたものではないやり方だ。
 そんな注釈を聞いて頷き、マキナは続けた。

「ですが、ヤドリバエ。貴女の言動と曰くを聞くに、少なくとも"蝿王"という存在は実在しているような印象を当機は受けました。
 つきましては後学のために、貴女が力を借り受けている蝿王ベルゼブブについてお聞かせ願いたいのです」

 後学のため。
 至って生真面目な動機で問われたヤドリバエは、「んー」と少し考えて。

「まあ、いいですよ? 蝿王様はわたし達ハエ目の憧れなので、いくらでも語り聞かせてあげましょう」
「さんきゅーです。初めてりすぺ……りすぽくと……あ、リスペクトに値するお方と思えました」
「はあああああ!? このクールビューティーなお姉さんは最初っから最高のリスペクト対象でしょうが!!??」

 まったくこれだからちびっ子は……と呟くヤドリバエ。
 マキナがむっと眉を顰めたが、幸いこれ以上話が脱線することはない。
 脂と肉汁でべったべたの口元をふきふきして、ヤドリバエがいつになく静かに口を開いたからだ。
 今の会話の内容を借りるなら、そんな様子を見るにかの"王"が彼女にとって最大のリスペクト対象であることは確かなようだった。


379 : 夕ご飯を一緒に食べよう ◆0pIloi6gg. :2024/11/13(水) 03:40:03 3T1G7Drs0

「……まず最初に言いますが、わたしも本物の蝿王様にお会いしたことはありません。
 自分で認めるのはたいへん癪ですけど、わたしはあくまでねじ曲げられた存在――人が蝿(わたしたち)と蝿王様を結び付けて恐れる精神から生まれた存在ですからね。
 おチビちゃんは知らないかもですが人間ってほんと愚かでビビりなので、勝手に自分達の中で因果関係を作って真面目に怖がるんですよ。
 そんなにわたしたちが怖いなら、見かけるなりぺちって潰すのをまずやめろって話なんですが」

 彼女はあくまでヤドリバエ/Tachinidae。
 蝿をかの王の象徴として恐れる心、ある種の信仰が生んだ無辜の怪物。
 つまり彼女や、同じ理由で偽りの悪魔に貶められた蝿達は被害者の側なのである。

 ただひとつ。彼女達が真の蝿王を崇め、それになりたがっていることと。
 現に単なる存在や魂魄の汚染の範疇を超えた、悪魔の力を担い振るうことを除くならば。

「では、やはり蝿の王はそもそも存在しない可能性もあると?」
「いいえ? 存在しますよ」
「……会ったことがないのに、どうして断言できるのですか?」

 マキナの問いに、ヤドリバエは小さく笑った。
 変わらずそれは嘲りだったが、さっきまでの単に張り合うための貌ではない。
 夜空の星に手を伸ばす子どもを嗤うような、無知の滑稽を嘲る貌だった。


「――蝿王ベルゼブブは間違いなく実在します。
 わたしたち昆虫は人間やその他動物よりも強く本能で動く生き物ですからね、分かるんですよ」


 ぶぶぶぶぶぶぶ、という。
 蝿の羽音を、マキナは聞いた気がした。
 それが幻聴だったのか。
 あるいは自身の眷属に倣って嗤う誰かの声だったのかを、彼女は判別できない。
 マキナは精神に対する干渉を受けない。
 であればこれは、彼女自身が勝手に思い描いたイメージであるのか。

「居場所は知りません。生きているのか、死んでいるのかも知りません。
 そもそもこの世界……ナシロさんやあなたのマスターがたが生まれた場所に残っているのかも分かりません。
 ただ仮にいたとしても、わたしたち境界記録帯(ゴーストライナー)や人間程度の存在で知覚できる場所にはいないでしょう」

 その"音"に似た不穏は、食卓の全員が知覚していた。
 彼女の得体を知らない時に感じた、あの底冷えするような不穏と同じだ。
 蝿の羽音に似た、神経や知覚系にまとわり付くような凶兆。
 理由はわからないが、何故か急に歯が震えそうなほど恐ろしくなる。
 そんな、底のない恐怖。あるいは、天蓋のない恐怖。空にない星。

「真性悪魔という概念があります。英霊であるなら、あなたも知っていることとは思いますが」


380 : 夕ご飯を一緒に食べよう ◆0pIloi6gg. :2024/11/13(水) 03:40:49 3T1G7Drs0
「……第六架空要素。人間の願いに取り憑き、その願いを歪んだ方法で成就せんとする存在――その極み。ですか」
「はい、よくできました。
 まあ蝿王様はおそらくソレ、もしくはもっとわけの分からない何かなのでしょう。
 わたしたちは皆彼に憧れています、悪食のニクバエお姉ちゃんも厄介者のイエバエお兄ちゃんも、かわいい妹のツェツェバエちゃんなんかも。
 みんなみんなみぃんな、蝿王様になりたいんです。より正しくは、彼を継ぐモノになりたい。
 全知全能に相反する人知無能、その極北。真の全能者、本物の悪魔……世界という糞山を未来永劫抱擁し続ける、素晴らしき蝿の王様」

 真性悪魔、という単語に覚えがあったのは英霊を除けば雪村鉄志だけだったらしい。
 彼だけが訝しげに眉を顰め、マキナは真剣な顔でヤドリバエの、蝿王の眷属の言葉に耳を傾けている。
 矮小にして弱小なる蝿の言葉が、今この時だけは場を支配していた。
 それは彼女の仕業なのか。それとも、彼女を介して世界を見る何かの御業なのか。答えはこの次元に存在しない。

「改めて言いますが、わたしはかの王の真実を何も知りません。
 ヒトの身勝手で歪曲された尊いモノの成れの果てなのか。わかりません。
 それとも言い伝え通りの禍々しくおぞましい悪魔の王なのか。わかりません。
 救世主が長い戦いの末に放逐した、この世の地獄そのものだったのか。わかりません。
 
 でも、蝿王様は確実に存在する。
 今もどこかで生死を問わず、恐怖そのものとして在り続けているのです」

 ……マキナはそこで、自分が呼吸を忘れていたことに気付いた。
 英霊、境界記録帯とは言うに及ばぬ超常の存在。
 そうでなくとも機械の神である彼女にそんな行動は必要ない。
 なのに今この時、息が苦しいと感じていた。
 それは果たしてヒトの時代の名残だったのか。答えはその機体の内には存在しない。


「今こうしている間も、どこかでわたし達のことを見守っているかもしれませんよ?」


 すべては虚実のあわいの中。
 丑三つ時に見た居るはずのない女を、幽霊と見るか枯れ尾花と見るかの違い。
 悪魔は存在する、それも真実。悪魔は存在しない、それも真実。
 蝿の王とはそういうもの。聞こえた異音を、感じた不穏を預ける恐怖の依代。その化身。あるいは根源。

 だからこそ蝿王の実在は永遠に虚無と虚構と合理と矛盾の中。
 それらあらゆる要素の境界に揺蕩う夢幻の泡、不安の種、死産児の鼓動。
 想像妊娠、心理的瑕疵、子どもの絵、隣人の性癖、笑顔の集落、排水溝の先、用水路に佇む子、非通知着信。
 買った覚えのない本、ヴォイニッチ手稿、明晰夢、恐怖症、空想の鳥、水底の廃墟、回るドアノブ、油絵の下絵。
 もうこの世には存在しない言語、誰かのへその緒、片足の老人、猿の出る夢、背後の気配、蛍光灯の明滅、七不思議の八番目。
 合わせ鏡、余命宣告、赤黒く錆びた釘、犬の遠吠え、シュミラクラ現象、古いアルバムの写真、仏壇の中から響く音、人形のつむじの香り。
 異形の仏、人探しのポスター、自傷行為、緊急地震速報、蛇口の水音、シャボン玉に映る自分の背後、存在しない殺人事件。
 祖父の遺品のテープレコーダー、夜空の鳥、無人の屋台、深海、笛を吹く男、逆夢、近親相姦、無音配信、幻肢痛。
 遺影、白昼夢、娘の位牌、父の背中、無形の蛇、蝗の演奏、結末の違う物語、二つ目の太陽、狂気の衛星、蛆虫、蝿の王――――――――


381 : 夕ご飯を一緒に食べよう ◆0pIloi6gg. :2024/11/13(水) 03:41:47 3T1G7Drs0



「――はっはっはっはっはっは!! いやあ凄え語り口だな、魂まで震えるなんていつぶりの経験か分からん!!」



 満ちた澱みと、恐怖の濁り。
 それを断ち切ったのは、豪放磊落を地で行く男の声だった。
 ともすれば粗野と受け取られてもおかしくはないのに、春風のような爽やかさが荒々しい印象を帳消しにしている。
 声の主が誰であるかなど、今更問うまでもないだろう。
 無論、エパメイノンダス。古代ギリシャはテーバイに生を受け、神聖隊を牽引してスパルタの軍勢を打ち破った大将軍である。

「ちょっと! 虫(ひと)が気持ちよく語ってるところに水差さないでくださいよ、これだから乱暴者の人間英霊は!!」
「いやあ、すまんすまん。辛気臭いのはどうにも性に合わなくてなぁ。ほら、俺のチキンを一個あげるから許してくれ」
「え! いいんですか!? ふふん、今回だけは許してあげましょう……特別ですよ。ふふふふん」

 化けの皮が剥がれるとはまさにこのこと。
 勝ち誇ったような顔でチキンを受け取るヤドリバエの姿は、充満した不穏をかき消すには十分すぎるものだった。
 そんなヤドリバエの隣で、遅れて我に返ったナシロが咳払いをする。

「お前な、変なところで威厳出そうとするな。空気が読めないにも程があるぞ」
「聞かれたことに答えただけじゃないですか! そのおチビ神がこのベルゼブブ大先生に講義を乞うてきたんですよ!?」
「いやまあそれはそうだが……にしてもやり過ぎだ。本当に何か出てくるんじゃないかと思った」

 この威厳を少しでも初対面の時に見せられていたら話も違ったろうに、と思いつつ喉を潤す。
 何にせよ、ただ質問しただけで謎に本気を出されたマキナが流石に哀れだ。
 コバエのマスターとして一応フォローはしてやるべきか――そう考えるナシロだったが、それを行動に移す前に少女神の声が響いた。

「……なるなる。よくわかりました。いえ、何もわからないということがよくわかった、と言うべきなのでしょう」

 デウス・エクス・マキナは神である。
 ある心優しい、優しすぎるが故に破綻した詩人の娘を依代に顕現した救済機構。
 彼女は地上最新の神である。これまで生まれそして滅んだどの神々よりも多くの、無限大とも呼べる可能性を秘めている。
 だが新しさとは幼さとイコール。マキナは現状、己が神話を開闢(はじ)めるにはあまりにも未熟で無知だった。
 
 蝿の王。神の大敵。救世主の光と相反してゲヘナに蠢く永遠の悪意。
 理想の神を目指すならば、当然その敵となるものを見据える必要も出てくる。
 だからこそ質問した。その結果返ってきたのはともすれば火傷するような劇物の暗黒だったが、マキナは乱れた思考を収めながら頷く。

「ありがとうございます、ヤドリバエ。かの王の眷属たるあなた。当機はとても貴重なお話を伺うことができました」

 ぺこり、と小さく頭を下げるマキナ。
 ヤドリバエはと言うと、素直にお礼をされるとそれはそれで調子が狂うのか、なんだか微妙な顔をしていた。
 とはいえ、今の言葉はマキナにとってれっきとした本心だ。断じて皮肉ではない。実際、貴重なことを学べたのは事実なのだから。

 ――世界には、よくわからないものが溢れている。
 例えばそれは、機体の奥で今も脈を打ついつかの記憶のように。
 されどマキナの創神論を貫くならば、わからないから仕方がないなんて言い訳は通用しない。
 すべての悲劇を撃滅する永久不変のご都合主義に、手の届かない領域があるなど許されないのだから。
 であればこそ、ヤドリバエの語りを通じて大いなる悪魔、あるいはそれとも異なる混沌の存在を知れたことはまごうことなき前進だった。
 機体の記憶。雪靴の女神との対話。少なからず揺れていた芯が、得た知識で補強され確ある形を取り戻したのを感じる。


382 : 夕ご飯を一緒に食べよう ◆0pIloi6gg. :2024/11/13(水) 03:42:44 3T1G7Drs0

「返礼はいずれ、当機が理想を遂げた時に致します。
 当機は何処かで嗤う蝿の王に必ず辿り着き、撃滅した後にその実像を語り継ぐと誓いましょう」
「は〜〜? 蝿王様はあなたみたいなおチビちゃんに負けないんですけど??」
「のん。性悪な悪魔がいつまでも笑っているような世界は当機の理念に反します」
「ほうほう。ではさっそくひと笑いさせてもらいましょうか、ひょいぱく」
「……あっ!?」

 ヤドリバエがひょいと手を伸ばして、マキナの皿に取り分けられていたピザを拝借。
 こんな時ばかり目にも留まらぬ速さを発揮して口に運び、もちゃもちゃ食べながら憎たらしい笑みを向ける。

「んふふふふふ。ピザの一枚も守れないちびっ子神がスパデビ(※スーパーデビルの略)蝿王様に勝てるわけがありませんねぇ〜〜!
 寝言は寝てから言うものですよおチビちゃん! うふふふふふ!! あーおかしい! いつまでも笑っちゃえそうですねもきゅもきゅ」
「……、…………あい・こぴー。宣戦布告を承りました。これより当機、報復措置に入ります」

 俯きながら、わなわなと震えて拳を握るマキナ。
 その手がテーブルの上の、赤い液体の入った小瓶に伸びる。
 それを掴むなり、彼女はヤドリバエのキープしていたピザにぱしゃぱしゃと中身をかけ始めた。
 
「ぷーっくっく! 何をするかと思えばわざわざわたしのピザをおいしくしてくれるなんて。
 おチビちゃんらしい嫌がらせじゃないですか、かわいらしくてたいへんよろしいですね。
 さてこれを食べてもうひと笑いと洒落込みましょう。何をかけたか知りませんけど、わたしは成虫(オトナ)なので好き嫌いなんてしないんですよ?」

 余裕綽々。
 ぷーくすくす、と小馬鹿にして笑いながら、ヤドリバエは真っ赤に染まったピザを口元へ運んだ。
 次に起こることを、彼女以外の同席している全員が察する。
 ご満悦顔でピザを頬張ったヤドリバエの笑みが固まる。顔がだんだん赤くなっていき、脂汗が浮かんで、そして――

「――ひぎゃああああああああん!!?!? からーーーーーーーーーい!!!!!!! ひーーーーーっ!!??」

 想像通り、ある意味では期待通りの悶絶が響き渡る。
 タバスコに含まれているカプサイシンは多くの虫が嫌う刺激物だ。
 なのでこれを水に薄めて野菜や花に噴射すると、殺虫剤を使わずに害虫を追い払うことができるのである。
 そのことを知っていた人間がこの場にどれほどいたかはさておき、知らなくても、「ああこいつは調子に乗った分だけしっかり痛い目を見るタイプなんだな」という共通認識はもうなんとなく出来上がっていた。
 隣のナシロにひーん!!と泣きついたヤドリバエを見て、マキナはふんす、と成し遂げた顔をする。

「おいおい、食べ物で遊ぶのは感心しないぞ」
「それについては謝罪します。ですが、必要な戦闘行動でした」

 諌める鉄志に膨れ顔のまま答える姿は、まさに父と怒った娘といった構図で。

「ナシロさ〜〜〜ん!! 卑劣な罠にかけられました!! 舌がひりひりします、わたしにも報復の許可をください〜〜……っ」
「断固として却下する。ていうか、一から十までおまえが悪い。おとなしくしばらく悶絶してるんだな」
「そんなぁ……うぅ、からぁい……! 畑を守ってあげてる虫にあんなものかけるなんてあんまりですぅ……!!」

 ならばこっちは、姉と幼い妹だろうか。
 何はともあれ、三陣営同盟の食卓はおおむね賑やかかつ平凡な路線に思いの外するりと戻った。
 河二は黙々と食事を続けながら、思った以上にバランスのいい面々が集まったのかもしれないな、なんて感想を抱く。
 高乃家の食卓は亡き父が健在だった頃もここまでてんやわんやしてはいなかったが、まあ、それでも悪いものとは感じない。
 コメディ映画のワンシーンを見ているような心地になりながらコーラを嚥下する河二の隣で、「仲が良いなあ嬢ちゃん達」とからから笑っていたエパメイノンダスが、不意に絶賛悶絶中のヤドリバエへ口を開いた。


383 : 夕ご飯を一緒に食べよう ◆0pIloi6gg. :2024/11/13(水) 03:43:30 3T1G7Drs0

「だが真面目に、なかなか興味深い話だったぞ。
 ろくでもない存在だという認識はマキナちゃんと同じだが、一度死んだ身でまだ新しい知識を得れるってのは英霊ならではの悦びだ」
「はぁー……へぁー……。うう、でしたらこの非道な人道犯罪を未然に阻止してほしかったんですが……」
「ところで、俺からも一個質問をいいか? いや、ベルゼブブのことじゃないんだが」

 ちびちびとコーラを口に含んで辛みを消そうとしながら、ヤドリバエは涙目で首を傾げる。
 ナシロは「辛いもの食べて炭酸飲むと余計キツくなるんだが、まあいいお灸になるだろ」と思ってそれを見ていた。
 それはさておき、エパメイノンダスはポテトを一本口に運びつつ、抱いた疑問をコバエの少女へ投げる。

「虫に寄生するハエがいるってのは俺の時代でも知られてた。で、お前さんは"ソレ"なんだろ? ヤドリバエ、だったか」
「えぇ……まあ、はい。それが何か?」
「だったらアサシン。お前、あの〈蝗害〉を討ち取れるんじゃねえのかよ?」

 ナシロが、ハッと目を見開いた。
 河二も鉄志も、マキナでさえ同じだ。
 〈蝗害〉。東京を蝕む黒き厄災。
 無辜の市民達の心を最も不安で支配するそれは、いずれ向き合わねばならない課題のひとつだった。
 そこに提示された予想外の活路。
 ヤドリバエはおよそサーヴァントとしては最弱の一種と言っていいだろうぽんこつだが、しかしその生態は、こと同じ虫螻に対しては信じられないほどの無慈悲を発揮する。

 彼女達は圧倒的な生物多様性で自然界に群れをなしている。
 当人もとい当虫達にしてみれば子孫を残すため行動しているだけに過ぎないだろうが、その寄生が生態系にもたらす影響は実に甚大だ。
 増えすぎる個体数を間引き、いのちの均衡を取る大自然の調停者(ルーラー)。
 昆虫の殺人者(インセクト・マーダー)たるヤドリバエの中には、バッタやコオロギに代表される直翅目を標的とする種も少なくない。

 ――神代から現代まで世に蔓延り続ける〈蝗害〉の象徴たるかの種もまた、彼女達の寄生対象である。

「……うぅん」

 見えた希望、一縷の光明。
 しかしヤドリバエの反応は、なんとも煮え切らない微妙なものだった。

「ニュースで見ましたけど、アレってサバクトビバッタですよね。
 だったらまあ、イケるとは思いますよ? 今のわたしは何にでも産卵できますけど、やっぱり同族相手が一番クリティカルなので」
「そりゃ嬉しい返事だが。その口ぶりだと、何か不安要素がありそうだな?」
「〈蝗害〉にそれを操る親玉、核みたいな一匹がいるんだったら確かにわたしで殺れるでしょう。
 ただ、なんか……うーん。そう単純じゃない気もするんですよね、あの大食いども」

 人類に与えられる四つの死、それを司る騎士。その原型(アーキタイプ)。
 虫螻の王、神話すら暴食する節操を知らない大災害。
 彼らは一枚の葉と一体の神を同じ理屈で食い尽くすが、ヤドリバエに言わせればどこまで行っても昆虫の一種でしかない。
 であれば、昆虫の殺人者はそれを殺せる。いつも通り天敵として、飛蝗の体内に卵を産み付け死を与えるだろう。
 しかし問題がひとつあると、自然界の抑止力はそう語る。


384 : 夕ご飯を一緒に食べよう ◆0pIloi6gg. :2024/11/13(水) 03:44:20 3T1G7Drs0

「もしも特定の核がない場合。この都市じゅうに広がった群体の全部を引っくるめて"一体の英霊"として現界してるようだと、ちょっと気の遠くなる勝負になってきちゃいます。
 なんてったって今のわたし、一匹なので。最低でもあっちの勢力の三割くらいは眷属を増やさないとちょっと途方もないですね」
「な?」
「こらそこ! ナシロさん! 役立たないだろこいつ、みたいな顔で肩をすくめない!! デリカシーがないですよ!!!」

 もしかすると、狩る側として本能的に直感している部分があったのかもしれない。
 実際、その推測は当たっていた。
 英霊サバクトビバッタ/厄災シストセルカ・グレガリアは個でなく群、群にして個。
 特定の核を持たず、故に正攻法では鏖殺できないまさに災害そのものの暴風。
 一個体同士の戦いならばヤドリバエが優位を取るだろうが、億、兆、最悪それ以上の数に及ぶ飛蝗の軍勢を彼女一匹で駆逐するのはあまりに荷が重い。
 見えかけた希望はあっさり頓挫し、まだこの先も頭の痛いものを抱えながら進んでいくしかないかに思われたが……

「いや、やっぱり嬉しい返事だったぜこりゃ。アサシンよ、確認するが……お前、宝具で眷属を増やせるんだな?」
「できますよ。ナシロさんが許してくれないので、今のところ此処ではやったことないですけど」

 サーヴァント・ベルゼブブ/Tachinidaeは、正面戦闘に限って言えば確かにクソ雑魚のぽんこつである。
 が、戦って勝つことに主眼を置かず、かつ罪もない誰かの犠牲を厭わないなら彼女は実に凶悪なサーヴァントへ変貌する。
 ヤドリバエの名の所以でもある捕食寄生。卵を産み付け、魂を食らわせてその体内から眷属を羽ばたかせる。
 都市に掃いて捨てるほどいる市民を手当り次第に宿主にしていけば、大した時間もかけずにベルゼブブの眷属を量産できるのだ。
 流石に〈蝗害〉に比べれば絶対数で圧倒的に劣るものの、それでも第二の都市喰いとなる可能性を秘めた英霊であった。

 だがそれを徹底して戒め、禁じたのが彼女のマスターであるナシロだ。
 ナシロの愚直な善性はともすれば数千、数万の人命を救っていた。
 もし仮に、宿り蝿のベルゼブブを召喚したのが〈はじまり〉の詐欺師や医者であったならば――
 冗談でもなんでもなく、ひと月で万を超える蝿型悪魔の軍勢が誕生していたことだろう。

「わはははは、確かにそりゃ褒められたやり方じゃねえわな。うん、無論俺としても認めるわけにはいかん」
「はああああ、どいつもこいつもお利口ちゃんばっかりでヤんなっちゃいます。それで? だったらなんだって言うんです?」
「おう、だがそいつは相手が罪もない人間だってんなら、の話だ」
「……ああ、なるほど。そういうことですか」

 ヤドリバエは既に意図を理解したらしく、小さく息を吐いている。
 エパメイノンダスはしたり顔で、言葉を重ねた。

「例の〈蝗害〉や、魔術師どもが得意げな顔で飛ばしてる使い魔ども。
 そういう奴らを餌にしちまう分には許容範囲内だと思うんだが……どうだ? ナシロ」
「――なるほどな。それなら私も止める理由はない」

 ナシロも実際、それについては考えたことがある。
 ヤドリバエがあんまり頼りないのと、眷属を得た彼女が制御不能の存在になることを危惧して結局保留にしたままだったが、戦力面を補ってくれる同盟相手を得られた今なら別だ。
 コバエの動向に常に目を光らせておく必要はあるが、純粋な戦力増強ができるのはナシロとしても願ってもない話。
 味方なんて制御が利くなら多いに越したことはない。戦うにしろ情報を集めるにしろ、少数と多数では何から何まで話が違ってくる。


385 : 夕ご飯を一緒に食べよう ◆0pIloi6gg. :2024/11/13(水) 03:45:07 3T1G7Drs0

「ないんだが、そうだな。元々頼もうと思ってたことではあるんだが、私だけじゃどうも何をするにも不安が残る。
 こいつの眷属を増やしていくにしろまた別な方針を取るにしろ、やっぱり高乃か雪村さんのどちらかとは一緒に行動させてほしい」

 そう、それは何も眷属どうこうに限った話ではない。
 琴峯ナシロは、この場にいる三人のマスターの中で間違いなくいちばんの只人である。
 ヤドリバエの強弱抜きに、単独でこの魔境じみた都市へ挑むには自分じゃ役者が足りていない――と本人は思っていた。
 こうして食卓を囲む前に、ある程度今後を見据えた話し合いは済ませている。
 ただ具体的にどう組むか、までは決まっていなかった。ピザを食べつつそこを詰めよう、という流れで議論が一段落したからだ。
 なので改めて切り出したというよりは、いいタイミングなのでさっきの話の続きを切り出した、というのが正しいだろう。

「一応、あのヘンな時計の影響かな。魔術ってのを使えないわけじゃない。
 でも戦闘経験はゼロだ。多分だが、雪村さんの言ってた〈はじまり〉の連中に遭遇したら手も足も出ず虐殺される」

 勤勉な性分から、誰に言われるでもなくトレーニングの類は日課として重ねてきた。
 だがあくまでも護身術になるかどうか程度のレベルであり、殺し殺されが日常の魔術師達と張り合えるほどでは絶対にない。
 最初のアレは相手がヤドリバエという戦闘経験もセンスも皆無のコバエだったからどうにかなったというだけで、それでのぼせ上がるほどナシロの自己評価は高くなかった。
 一応は生存競争であるこの聖杯戦争で、無償で自分の護衛を務めさせるのは少々気が引けていたので、こうしてこちらから提供できるメリットができたことはナシロとしても安心だ。
 だからこその申し入れだったのだが、それに対して雪村鉄志が別な話で割り込んだ。

「あー、ちょっといいか? 話が逸れちまうんで、本当は後に回そうと思ってたんだが」
「……今話すのがちょうどいいかも、ってことか?」
「そうなる。というか、まさに琴峯に聞きたかった話でな」

 私に? とナシロが訝しげに眉を顰める。
 ヤドリバエのことだろうか。それとも、この身に宿った"力"のことか。
 しかし放たれた問いは、そのどちらでもなく。


「――琴峯。お前……この教会について、どこまで聞いてる?」


 そんなことを藪から棒に聞かれたものだから、眉間の皺は余計に深くなった。
 というか、質問の意味が分からない。
 考えても意図が読めず、やむなくこちらも質問で返すしかなかった。

「どこまで、って……なんだ。ウチの成り立ちでも知りたいのか?
 一応ウチはそれなりに歴史の長い、地域に根ざした教会って感じでやってるが……」
「質問の仕方が悪かった。
 誓って揶揄するつもりはないんだけどな――"お父さん"か"お母さん"から、この建物自体について何か聞いたことはないか?
 特別な仕掛けがあるとかそういうのだ。もしくはご両親が教会絡み以外に仕事を持ってたとか、ふらっと出かけたと思ったら怪我して帰ってくるようなことがよくあったとか、そんな話でもいい」
「…………何が言いたいんだ、あんた?」

 気を悪くしたわけではなく、純粋に理解ができずナシロはまたも問い返す。
 強いて言うなら確かに、教会の神父にしてはやけに出張の多い両親だったと記憶しているが――、それを今此処で問われる理由が分からない。
 鉄志との付き合いはまだせいぜい一時間少しというところだが、それでも他人のデリケートな部分をほじくり返して喜ぶ質の人間でないと思える程度には信用しているつもりだ。
 だからこそ何故そんなことを聞くのか、ナシロは疑問でならなかった。
 そんな彼女に対して鉄志は一瞬口ごもった後、やや言いにくそうに伝えた。

 ……琴峯ナシロにとって、まったく予想だにしなかった真実を。


「教会の所々に、魔術的な仕掛けが見られる」


386 : 夕ご飯を一緒に食べよう ◆0pIloi6gg. :2024/11/13(水) 03:45:53 3T1G7Drs0
「……、は?」
「家主が気付かない内に何者かが仕掛けたと考えられなくもないが、どれもこれも"外からの侵入を阻む""中の人間を守る"ための備えに見える」
「ま……待て待て。話がまったく見えない。じゃあ何か? 私の両親は実は魔術師で、子の私にだけはそれを隠してたって言いたいのか?」

 
 雪村鉄志は、厳密には魔術師ではなく"魔術使い"と呼ばれる存在である。
 コネも知識も本職の魔術師には遠く及ばない、せいぜい一般人上がりの浅さでしかない。
 ただ、途中で抜けたとはいえ警視庁の機密組織・公安機動特務隊に身を置いていた人間だ。
 専門的な知識は知れているが、魔術師や同じ魔術使い達が施した"仕掛け"に関してはある程度の見る目を有していた。
 だからこの教会へ踏み入った時は、驚かされた。教会のそこかしこに対魔、対悪霊用の備えが張り巡らされていたからだ。

「へ? ナシロさん、もしかして知らなかったんですか?」
「……アサシン。まさかお前も気付いてたのか?」
「気付いてたっていうか……あんまり所々に置いてあるもんだから、ナシロさんも何か聞かされてるもんだとばっかり。
 流石に境界記録帯(わたしたち)レベルの存在を弾けるほどではないみたいですけど、そのへんの悪霊や並の吸血種なら入れないくらいには要塞ですよ? 此処」
「――、――」

 ヤドリバエまであっけらかんとこんなことを言い出すものだから、いよいよ琴峯教会の跡取り娘は絶句するしかない。
 この反応を見れば瞭然だが、ナシロは亡き両親からそんな話はまったく聞いたことがなかった。
 ナシロにとって父と母はいつも人の心に寄り添い、祈りを捧げに来る人々を優しく受け入れる立派な人達で。
 それ以上でもそれ以下でもないと信じていたからこそ、鉄志の指摘とヤドリバエの言葉は大きくその心を揺らした。

「いや……でも、流石にただの偶然だろ。
 私も詳しくは知らないが、魔術師ってのは自分の魔術回路?を子孫に受け継がせることを大事にするらしいじゃないか。
 だったら娘の私がまったく知らなかったなんておかしい。父も母も聖職者だったから、たまたま魔除けとかそういう分野に心得があったってだけの話だと思うぞ」
「それにしては徹底しすぎてる。俺もいろいろと現場を見てきたから分かるが、これは明らかに知っている人間のやり方だ」

 鉄志にそう言われて、ナシロはますます混乱する。
 というのも、本当にまったく心当たりらしいものがないのだ。
 ヤドリバエは「ほら、あそことか」と部屋の隅を指差しているが、ナシロにはそこは何もない壁面としか認識できない。
 紛れもなく話の当事者であるにも関わらず、何か狂言や悪い冗談に嵌められているような心地だった。

「琴峯。さっき、"魔術を使えないわけじゃない"って言ってたよな」
「……ああ。言った」
「見せてもらってもいいか、魔術(それ)。もちろん強制はしないが、何か分かることがあるかもしれない」

 鉄志に促されて、ナシロは少し逡巡し。
 だが断る理由も思いつかず、静かに右手へ魔力を込めた。
 ナシロはこの口調やこれまでの物言いの通り、非常に生真面目な人間である。
 何もせずに過ごすということが耐えられず、少しでも暇があれば何か実になることをしようと試みてしまう。
 
 だからこの世界に来て、聖杯戦争と自分の置かれた立場と、そして宿った力について理解した時から今日に至るまで。
 教会の仕事や学業の合間を縫って、〈古びた懐中時計〉が覚醒させた自分の魔術を使い慣れることにも取り組んできた。
 より速く、より強く。努力家らしい愚直さで自身の力と向き合ってきた成果を、まさかこんな形でお披露目することになるとは思わなかったが。


387 : 夕ご飯を一緒に食べよう ◆0pIloi6gg. :2024/11/13(水) 03:46:21 3T1G7Drs0


「――――投影(エゴー)、開始(エイミー)」


 自分で設定した、魔術行使のコマンドワード。
 エゴー・エイミー(ἐγὼ εἰμί)。私は、存在する。
 己が存在を世界に告げることを、琴峯ナシロは自身の魔術の撃鉄としていた。
 同時に開放される魔術回路。それが極めて効率に悖る魔術であることもナシロは知らない。
 彼女の魔術の形はグラデーション・エア。投影魔術。水面に写した原点のその鏡像に、形を与えて現出させる術式。

 ナシロの手のひらに、一振りの剣が現出する。
 それは、十字架によく似ていた。
 握って振るうよりも、投げて貫くことに長けるであろう投擲剣。
 この扱いを覚えるのにナシロは相当難儀したが、今ではとりあえず、百発百中とは行かずとも八十中くらいはできるようになった。

「……これが私の魔術だ。たださっきも言ったけど、両親に学んだものじゃない。この世界に来て初めて身に着いた力だよ」

 息を吐いて、ナシロは言う。
 苦笑のひとつもしたい気分だったが、あいにく顔はそれを象ってくれなかった。
 隠しきれない動揺と混迷。それに輪をかける言葉を、鉄志が言う。

「――琴峯。お前、なんでその剣を選んだ?」
「なんで、って言われても……なんだろうな。
 自分でもうまく説明できないんだが、昔見た夢の中で、父親がこれを握ってた気がするんだ」
「なら、悪いが確定だ」
「……なんでそうなるんだよ」

 ナシロはわずかな不服を顔に宿して、鉄志を睨む。
 自分でも子どものようなことをしていると分かっていたが、止められなかった。
 亡き両親について好き勝手言われているようで、動揺も合わさってどうにも気分が悪い。
 だが雪村鉄志はそれで気を悪くするでもなく、"琴峯神父"の忘れ形見である彼女へ続けた。

「聖堂教会という組織がある。聞き覚えは……ないよな」
「聖堂――教会?」
「厳密には違うんだけどな、ざっくり言うならエクソシストみたいなもんだ。
 世界社会を脅かす魔性のモノを狩る、キリスト教の暗部ってやつだよ。
 で……その中に、代行者って言う奴らがいてな。俺も仕事で何度か顔を合わせただけだが、俺が会った連中はものの見事に超人揃いだった。
 魔を祓い、悪魔を殺す。信仰を貫き、その名のもとに敵を排する。身を粉にしてその大義に殉ずる、そういう集団だったよ」

 聖堂教会。
 代行者。
 それらもやはり、ナシロには馴染みのない言葉だった。
 が、しかし――


「お前の投影したその投擲剣の名は、"黒鍵"という。
 聖堂教会の戦闘信徒、代行者どものシンボルだ」


 続いた鉄志の言葉が、ありもしない点と点を線で繋いだ。
 


◇◇


388 : 夕ご飯を一緒に食べよう ◆0pIloi6gg. :2024/11/13(水) 03:46:56 3T1G7Drs0
◇◇



 聖堂教会。
 世界最大宗教、キリスト教の暗部組織。
 その存在意義は魔、異端の排除。
 現在は死徒、俗に言う吸血種の打倒を掲げている。
 〈はじまりの聖杯戦争〉では監督役として東京の土を踏み、悪辣な魔術師達の陰謀の前に露と散った。

 代行者。
 聖堂教会の戦闘信徒、エクソシストならぬエクスキューター。
 ヒトの身にありながらそれを超越した、悪魔殺しのプロフェッショナル。
 そのシンボルこそが黒鍵、そう呼ばれる概念武装の投擲剣。
 琴峯ナシロが夢に見た、いや、そう錯覚している――いつかの剣の銘(なまえ)である。



◇◇


389 : 夕ご飯を一緒に食べよう ◆0pIloi6gg. :2024/11/13(水) 03:47:24 3T1G7Drs0



 目眩がした。
 ナシロにとって、既に父母の死は振り切った過去でしかなかったが。
 それでも、元公安の魔術使いに伝えられた"真実"に衝撃を覚えないほど達観してもいなかったのだ。
 
 悪魔殺し。教会の暗部、戦闘信徒。
 この聖杯戦争のような、人智を超えた鉄火場を渡り歩く代行者。
 記憶の中の優しい微笑みとはまったくかけ離れた事実に、ナシロは絶句するしかない。

 だが、彼女が最も揺さぶられているのは亡き両親の素性に関してではなかった。
 それもあるが、仮にどんな裏の顔を持っていたとしてもナシロにとってふたりは優しき父であり、母だった。
 ならばその認識は、今更何を知ったところでコロコロ変わるものじゃない。
 自分の知らないところで悪魔やら悪霊やらを殺し回っていたとしても、ナシロは幻滅しないしそれどころか誇りにさえ感じる。
 父さん達は昼も夜も、表も裏も、文字通り人生のすべてを費やして誰かの心の安寧のために戦っていたのだ――その在り方はナシロにとって尊いもので、もういない両親への尊敬を強めるものであった。

 しかし。

「……ウチの両親の死因は、出張帰りの交通事故だった。
 山道のキツいカーブでさ、ハンドルを切り間違えたんだと」

 どうしても過ぎってしまう、疑問がある。
 琴峯夫妻の悲劇は、ごくありふれたものだった。
 聖職者の会合か何かに出かけて、その帰りの山道で事故に遭ったのだ。
 ハンドル操作を誤って谷底に落ち、即死だったと警察からは聞いている。
 
 事件性があったわけではない。
 巻き込まれた被害者がいたわけでもない。
 だからナシロは悲しくこそあったが、その死を飲み込むことができた。
 が――そんな過ぎた筈の記憶に今打ち込まれた一本の楔。

「そんな死に方、するのか? 悪魔だの何だのを相手取って回るような覚悟の決まった超人が」
「……しない、と断言はできねえ。どんなに極まってようが人間は人間だからな」

 優れた魔術師でも、大抵は不意を突いてナイフでも突き刺せばそれで致命傷だ。
 如何に聖堂教会の狩人といえど、人体の構造を一撃で粉砕されては生存の続行はまず不可能だろう。
 だから、交通事故くらいで死ぬことはない、と断言はできない。
 ただ、と鉄志。

「ただ、不自然な話だとは思う」
「――は。何だ、そりゃ」
「そりゃ全員が人間辞めてるってわけでもねえんだろうが、ちょっとばかし腕が立つだけで名乗れる肩書きじゃないのは確かだ。
 そんな人外スレスレの超人が、疲労や不注意で車の運転なんて簡単な作業をミスるかって言われたら……妙な話ではあるな」

 ナシロは乾いた笑いを零したが、その心臓はひどく荒い鼓動を刻んでいた。
 慣れ親しんだ自分の中の欠落が、此処に来て自分の知らない意味合いを持ち始めている。
 
 事故ではない、のなら。
 不運ではないのなら。
 悲劇ではないのなら。
 であれば、アレは。
 あの日にあったことは、この欠落の名は、まさか――


390 : 夕ご飯を一緒に食べよう ◆0pIloi6gg. :2024/11/13(水) 03:47:54 3T1G7Drs0


「……似ているな」


 さっきとは別な意味で張り詰めた空気。
 和やかとはとても言えないムードの中、ぼそりと呟いたのは高乃河二だった。
 話に割り込むではなく、思わずつい口から溢れた言葉、という様子だったが……
 そこで鉄志は、最初に彼と交戦した時の会話を思い出した。

「それは……自分と琴峯が、って意味か?」
「気を悪くしないでほしいんだが、僕も父を亡くしている」

 この技に覚えがあるか、とあの時河二は鉄志に問うた。
 だから鉄志は、覚えがあったらどうなるのだ、と返した。
 問いを受けると同時に、傍から分かるほどに冷えていく心。
 おそらく自分の中にある欠落(モノ)と同じ名を持つ、その怜悧さで。

 ――――――――父の仇を討つ。

 高乃河二は、確かにそう断言したのだ。
 だから鉄志は、彼がこの都市で目指す/探す物を知っている。
 が、その仔細までは聞き及んでいない。
 いまだ謎のヴェールに包まれた、藪の中に消えてしまった過日のこと。
 琴峯ナシロの話に何か感じるものがあったのか、河二はそれを、誰に問われるでもなく語り始めた。


「父は強い人だった。ランサーのおかげで僕も能力の伸びを感じるが、それでもまだ父の足元にすら及ばないだろう」

 
 口にする言葉が進むにつれて、徐々に声音が冷えていく。
 同時に視線の先で握られたのは、彼の得物であり、父との絆でもある霊木製の義肢(こぶし)であった。
 義憤とも覚悟とも違う感情のままに作られた拳には、確かな殺意が横溢している。
 義肢の使い方、拳の握り方、武術の何たるか、そしてそれを振るう者の心。
 あまりに多くのことを教えてくれた父・辰巳の顔を河二は一日たりとも忘れたことがない。

「その父が数ヶ月前、何者かの手によって殺された。
 父は魔術師だ、恨みを買っていたとしても不思議ではない。
 だがそれでも、そう簡単に不覚を取るような人じゃなかった。
 それがある朝――まるで事故にでも遭ったように、天命が訪れたように、ただ静かに殺されていた」

 ナシロは河二の話を黙って聞いている。
 ともすれば勝手な同情をするなと激昂されても不思議ではない場面だが、無神経な慰めとは似つかない重みが彼の発する声音にはあった。
 他殺と事故死。魔術師と代行者。琴峯夫妻と高乃辰巳の死は、要素だけ並べると似通っているどころかむしろ真逆に思える。
 しかし聖杯戦争という非日常の中で、同じ種類の欠落を抱えた者同士がこうして巡り会い。
 その不可解な死に納得しかねているというどこか運命的なこの状況が、似ていると言った河二の台詞に理屈以上の説得力を与えていた。

 そして――この教会に集った欠落者は、彼らふたりだけには留まらない。
 しばらく唇を噛んで何事かを咀嚼している様子だった鉄志が、厳かに口を開く。


391 : 夕ご飯を一緒に食べよう ◆0pIloi6gg. :2024/11/13(水) 03:48:30 3T1G7Drs0


「……俺は娘を攫われた。今も行方はおろか、誰がやったのかも分からないままだ」


 もっとも、鉄志の娘はナシロや河二の家族のように力があったわけではない。
 無力な、どこにでもいる普通の少女だった。

 しかし彼の娘、雪村絵里もまた――ある日、突然その姿を消している。
 言葉にするには躊躇があり。だからこそ今も"攫われた"という表現に留めたが。
 彼も心のどこかでは既に"それ"を理解していたからこそ、ふたりの話に並べる形で自分の欠落を切り出したに違いなかった。
 年齢も違う。立場も違う。時期も違う。どういう形で喪ったかも、すべて違う。
 ただ単に肉親を亡くしている三人が偶然集まっただけ、そう片付けるのは簡単だし、それが一番合理的だろう。
 
 されど。
 鉄志は今、鈍い高揚で静かにその魂を震わせていた。
 彼の勘が告げていたのだ。自分達三人の過去は、これもまた、一本の線で繋げる点なのではないかと。

「――俺は数年前まで、公安の機密部隊でとある事件を追っていた」

 そうして鉄志は、語り始めた。
 本当なら段階を追って明かしていくつもりだった自分の過去と戦う理由。
 この世界で、ともすれば聖杯の獲得よりも優先して追っているモノについてを。
 猛る心と、高乃河二の抱く激情と間違いなく同種であろう想いを燃料に、だがそれでいて淡々と。
 
 ――ある、仮定上の犯罪者にまつわる話をしていった。

 

◇◇


392 : 夕ご飯を一緒に食べよう ◆0pIloi6gg. :2024/11/13(水) 03:48:51 3T1G7Drs0



 雪村鉄志は、今でも思うことがある。
 その考えは敗北であると分かってはいても、馳せずにはいられない思いがある。
 
 もしもあの時、藪の中に架空の怪物を見出さなければ。
 無数の行方不明者達の事案に、共通項を探ろうとなんてしなければ。
 自分達は呪われていると騒ぐその声に、耳を傾けていれば。
 理想の正義と現実の等身大の中間を見つけ、腰を落ち着けていれば。
 蛇の尾など追いかけなければ――今も自分は夜ごと、娘の将来を空想しながらアルバム片手に酒でも楽しむ日々を送れていたのではないか。

 そんな、今となってはまったく益体もないことを。
 ついつい考えてしまう程度には、鉄志は凡人だった。

「ニシキヘビ――――?」

 鉄志の伝えた名を、ナシロが復唱する。
 河二は神妙な顔で、ただ静かに眉根を寄せていた。
 鉄志は錆び付いた機械のように重々しく、それに頷く。

 ニシキヘビ。
 証拠はなく、足跡すらもない、藪の中に潜んだきりの黒幕。
 それはヒトの命を、音もなく己の袂へ奪い去る。
 男なのか女なのか、老人なのか若者なのか、人間なのかそうでないのかすら鉄志は未だに解き明かせていない。
 真の意味で得体の知れない、さりとて確実に"居る"とだけは確信している殺人鬼の名。
 かつて鉄志達公安機動特務隊を蝕み、緩やかな崩壊へと追いやった、現代日本に刻まれた呪いである。

「……正直私は、映画の脚本か何かを聞かされた気分なんだが」
「責めねえよ。突拍子もない話なのは事実だ。
 少なくともまともな人間にできる芸当じゃあねえ――俺だって何度も思ったさ。本当にこんな奴存在するのか、って」

 鉄志は超人でも、名探偵でもない。
 公安にいた頃も、一心不乱に調査を続ける一方でどこかじゃこう思っていた。
 蛇なんて、本当にいるのか。もしかすると全部、刑事の勘とやらを拗らせた自分の妄想に過ぎないんじゃないのか、と。
 
「だが、今俺は確信してる。
 この嘘みたいな化け物は必ずどこかでとぐろを巻いて、おぞましい欲望を満たし続けてると」

 現に警察を辞めて以降、鉄志は歯車を動かすことを止めた。
 すべてを諦め、怠惰に浸り、藪から目を逸らして逃げるように暮らしてきた。
 その止まった秒針を再び動かさせたのは亡き同僚の刑事魂であり、そして〈古びた懐中時計〉だった。
 ナシロの言う通り、荒唐無稽極まりない話を追っている自覚はある。
 それでも今、雪村鉄志の心にもはや自分への疑いはない。
 ニシキヘビは実在する。今も藪の中に潜んで、どこかで自分達を見下ろしているのだと確信していた。


393 : 夕ご飯を一緒に食べよう ◆0pIloi6gg. :2024/11/13(水) 03:49:27 3T1G7Drs0

「……とはいえ、はっきり言って捜査の進捗は芳しくない。
 だからお前達にも何か知らないか聞こうと思ってたんだが、まさかこうなるとは思ってなかったよ」

 人智を超えた事件の捜査に携わり続けてきた経歴、そこで培われた経験。
 娘を奪われ欠落を抱えた、ひとりの父親としての執念。
 それらに加えて今、鉄志はある種の"運命"のようなものも感じている。
 それが自分の背中を、天国か地獄かは知らないが押していることを強く感じ取っていた。

 蛇に呪われ――娘を奪われ、同僚を殺された自分。
 代行者の両親を、その能力を鑑みれば不自然なほど呆気ない死で失った琴峯ナシロ。
 魔術師の父を、予兆も痕跡もない死神の所業じみた殺人で亡くした高乃河二。
 共通点はひとつ。そこには一切の足跡がない。
 三人三様の喪失。その真実はいずれも、藪の中に隠されて探し出せないまま今この時を迎えている。

 鉄志は改めて、ニシキヘビの実在を信じ直した。
 ひとつひとつなら偶然でも、三つ集まればその信憑性は跳ね上がる。
 何より彼の刑事としての、そして復讐者としての勘が断じている。
 琴峯夫妻の事故死も。高乃辰巳の殺害も。雪村絵里の失踪も。
 
 すべて、すべてすべて――信じられないほど狡猾で貪欲な、あの蛇の仕業であるのだと喚いてやまないのだ。


「正直、僕の抱いた感想も琴峯さんと同じだ」

 高乃河二は、しばらく閉ざしていた口を開くなりそう言った。
 すぐには信じ切れない。鉄志が嘘を吐いているとは思わないが、個人への信用とその語る仮説の信憑性を盲目的に結びつけるのは躊躇われる。

「ただ、頭の中には入れておく。優れた魔術師だった父を殺せるとなれば、相手はかなりの手練れだろうとは踏んでいた。
 蛇の実在、そして貴方の悲劇と僕の悲劇が線で結べるかどうかはまだ様子見だが――そういうモノがいるかもしれないという可能性は無視できない」

 が、彼の場合は進む道が既に決まっていた。だからこそ信じる信じないは別として、無視する選択肢はない。
 ニシキヘビ。もしそんなモノがいるのなら、必ずや探し出して問わねばならないだろう。
 すなわち、この技に覚えはあるか、と。
 覚えがないと言うなら邪悪として討てばいい。だがもしも、父の無念と鉄志の執念の行き着く先が同じであったなら、その時は。

「何か分かったらすぐに伝える。手間をかけるが、そちらからも情報の共有をお願いしてもいいだろうか」
「……助かるぜ。もちろんそうさせてもらう。正直、ひとりで追うにはでかすぎるヤマなんでな」

 その時は――この復讐を、必ずや遂げさせて貰う。
 河二にとって、相手がどこの誰であるか、何であるかはさしたる問題ではないのだ。
 重要なのはひとつ。己が父を殺したか、殺していないか。
 だからこそ河二が鉄志の捜査に力添えすると決めたのはもはや必然の流れだった。

 こうして鉄志は、久方ぶりに捜査協力者を獲得するに至った。
 それも、生半可な"呪い"では折れない意思と力を持った頼もしい"同類"だ。加えてひと月分の捜査成果を一足飛びで上回る成果まで得られたのだから、分泌されるアドレナリンの量は並大抵ではない。
 今度こそ逃さない。絶対にその巨体を白日の下に引きずり出して、然るべき報いを受けさせてやる。


394 : 夕ご飯を一緒に食べよう ◆0pIloi6gg. :2024/11/13(水) 03:50:00 3T1G7Drs0


 ふたりの復讐者。
 造られた世界、造られた都市にて仇を探す亡者たち。
 そんな男たちを前にして、しかし少女は未だどこか現実感のない動揺の中を揺蕩っていた。


「――――悪い。私はもうちょっと、考える時間が要りそうだ」


 ナシロは素直に鉄志と、そして河二にそう告げた。
 琴峯ナシロも、心に欠落を抱えている。
 自分を育ててくれた両親の死は、彼女にとっても確かに欠落と呼べる空白だった。
 だがナシロの場合、鉄志達とは少々事情が異なっていた。
 何故なら彼女は両親の死を、単なる不運が招いた悲劇だと信じていたから。
 そこに得体の知れないモノの影があるなんて考えたこともなかった。
 だからナシロは彼らと違って、自分の中の欠落と折り合いを付け、前へ進むことで人生を謳歌していたのだ。

 父は、あるいは母も、自分が知らないもうひとつの顔を持っていた。
 受け入れた筈だったその死は、事故ではなかったかもしれない。
 そしてその悲劇は、目の前にいるふたりの男達が経験したそれと繋がっているかもしれなくて。
 挙げ句両親を死に追いやった仇は、この都市のどこかにいるかもしれない――。

 それはナシロにとって、自分が信じてきた世界の輪郭が崩れ去るほどの衝撃だった。
 河二のようにすぐ順応などできない。
 何故ならナシロは、復讐者ではないから。
 己が空白に、それ以上の意味を与えたことのない人間だから。

「……いや、考えてくれるだけでも十分だ。
 こっちこそ悪かった。アレだけ捲し立てておいて言うことじゃないが、少し配慮が欠けてたな」
「謝らないでくれ。正直頭の中はぐちゃぐちゃだけど、教えてくれたことには感謝してるんだ。
 だから、そうだな……。これはたぶん、私が弱いだけだ。我ながら腹立たしいくらいだよ」

 頭をぐしゃりと掻いて、ナシロは苦笑する。
 力ない笑いだった。らしくない顔であったと、隣のヤドリバエの困惑した表情を見るだけで分かってしまう。

 ――まったく情けない。それなりにメンタルの強い方だと思ってたんだけどな。

 とはいえいつまでもこうやって悩んでいるわけにもいかない。
 早い内にこの感情を解体し、進む道を決めなければならないだろう。
 停滞を嫌い、正しく進むことを良しとするのがナシロだ。
 そんな彼女にとって、こうして自分が他人の足を引いてしまうという状況は極めて不本意かつ不服なものだった。
 数分か、数十分か。分からないが一時間はかけたくない。
 ふう、と肺の中に蟠っていた生温い息を吐き出して、新鮮な空気を吸い込み脳を活性化させようとした――その時である。


 ぷるるるる、るるるるるる。


 ……と、ナシロのスマートフォンが色気のない電子音で着信を告げた。
 見れば画面には知り合いの名前が躍っている。
 席を立ち上がり、ナシロは食卓の面々に対し悪い、と小さく会釈した。

「少し席を外す。話を続けててくれ」



◇◇


395 : 夕ご飯を一緒に食べよう ◆0pIloi6gg. :2024/11/13(水) 03:50:35 3T1G7Drs0


 教会の運営は、皆が思っているほど美しく神秘的なものではない。
 維持費はかかるし、庭園はちょっと手入れを怠るとすぐ見栄えが落ちる。
 庭仕事や掃除、祈りに来た人達の応対をしてくれるシスターにだって賃金を払わなければならない。
 目が回るほど忙しく、緻密な金勘定が必要になるそんな仕事に、ナシロはほぼほぼひとりで向き合ってきた。
 だが無論、いかにナシロが優秀だろうと現実問題として二十歳にもなっていないぺーぺーの女子高生が自分の努力だけで切り盛りするのは無理がある。よってナシロは基本的には自分の力で教会を切り盛りしていたものの、どうしても自分の力でどうにもならない領分に関しては、古くから付き合いのある馴染みの教会に助力を乞うことで切り抜けてきた。
 そんな教会はいくつかあったが、中でも最も長く深い付き合いをしてきたのが、今かかってきた電話の主。
 
『こんにちは。急に連絡してすまないね、今は大丈夫だったかい?』
「……はい、ちょっと客が来てますけど問題ないです。お疲れ様です、ダヴィドフ神父」

 白鷺教会の、アンドレイ・ダヴィドフ神父である。
 温厚で実直な人柄は、親を亡くしたナシロにとってとても頼れるものだった。
 多忙の極まっている最近の琴峯教会に応援を寄越してくれたのも他ならぬ彼なのだから頭が上がらない。
 信者の訪れが一段落したことと、直に教会を閉める時間なこともあって応援のシスター達には先ほど丁寧にお礼を言って帰ってもらったが、彼女達の助力がなかったら間違いなくナシロはパンクしていただろう。

 とはいえ、彼ら白鷺教会の聖職者達も大変なことをナシロは知っていた。
 白鷺教会は〈蝗害〉の侵食に伴って実質の帰宅困難区域と化し、今は此処と同じように人手不足の教会へ援軍として赴きサポートする活動を主にしているという。
 スマートフォンを握る手に力が籠もる。分かっていたことだが、聖杯戦争が都市と、そこに暮らす人々に与えている影響はあまりにも甚大だ。
 
「今日は応援の派遣ありがとうございました。特に混む日だったので、本当に助かりましたよ」
『なに、困った時はお互い様だよ。ぼくも君のご両親にはたくさん助けて貰ったからね』
「はは……そう言ってもらえると私も嬉しいですよ。それで、どういったご用件でしたか?」

 魂だとか、造り物だとか、そんなことはナシロにはよく分からないが。
 真実がどうであるにしろ、"善き人々"の幸福が理不尽に脅かされることには腹が立つ。
 自分も同じ穴の狢と言ってしまえばそれまでだが、そういう自虐じみた自己弁護に逃げて思考を停止させるのは醜いことに思えた。
 やっぱり、どうにかしなくちゃいけないよな――できるできないは別として、やらないって選択肢はない。
 思考の整理と決意の確認をしながら通話を続けるナシロに、優しい神父は思いもよらぬことを尋ねてきた。

『それなんだがね……君のクラスに、楪という女の子がいると思うんだ』
「――楪? ええ、まあ……そういう奴はいますけど。それが何か?」
『ほら。ぼくはスクールカウンセラーとして君の学校に出入りしているだろう?
 その兼ね合いでね、不登校児のお宅を訪問する話が今日決まったんだよ。
 最近は何かと情勢が不安定だから、そういう子達へのメンタルケアは欠かせないってことでね』
「ああ、なるほど……」

 ダヴィドフ神父は確かに、スクールカウンセラーとして度々ナシロの学校を訪れている。
 とはいえその役職上、自ら会いに行かない限りそうそう顔を見ることはない。
 普段から付き合いのあるナシロはともかく、転校生の高乃河二などは名前すら知らなくても不思議ではないだろう。


396 : 夕ご飯を一緒に食べよう ◆0pIloi6gg. :2024/11/13(水) 03:51:18 3T1G7Drs0

『ただその子が、まあ、結構難しい子だって言うじゃないか。
 人のプライベートを詮索するのは褒められたことじゃないが、ナシロちゃんの私見を聞いておきたいと思ってね。
 何か知っていればでいいんだが、ぼくに少し教授しては貰えないかな』
「……難しい子、ね。間違いじゃないとは思いますけど」

 事情は分かった。
 幸いにして、伝えられることもある。
 が、ナシロの表情は硬かった。
 どうオブラートに包んだもんかな、という逡巡が窺える顔であった。

 ――楪依里朱。ナシロ達と同じ学校、同じクラスに在籍している女子生徒。そして不登校児。
 ナシロの知る限り、彼女はこれまで一度も学校に登校していない。
 ひょんな偶然でその顔写真を見た時、ナシロは思わずぎょっとしたものだ。
 金髪や茶髪、そんな生易しいものではない。黒と白の二色を、ブロックノイズのように散りばめたツートンヘア。
 比較的お硬い校風で、生徒もお行儀のいい優等生がほとんどであるナシロの高校ではまず見ることのないようなぶっ飛び具合だったから。

「すみません。どうやってもあんまり良い言い方ができないんですけど」
『構わないよ、此処だけの話にしておこう。聞いているのはぼくの方だしね』
「……一言で言うと、"できればお近付きになりたくない奴"です」

 ナシロは一度だけ、彼女に直接会ったことがある。
 会ったことがあると言っても、ただの偶然だ。
 半月ほど前のこと。買い出しに行った帰り、道で偶然すれ違った。
 一度見たらまず忘れないツートンヘア。しかし、実物はそれどころではなかった。
 髪だけでなく首から下も、身につけているあらゆるモノを白と黒の二色で統一していたのだ。
 流石にあ然としたが、一応はクラスメイトだ。話しかけないのも薄情かと考え、思い切って挨拶をしてみることにした。

 ……その結果どうなったのかについてはあえて伏せよう。
 ちなみにナシロは今でもたまにあの日のことを思い出して、こめかみに青筋を立てながら静かに深呼吸することがある。
 要するに非生産的で、非友好的で、そしてとても不愉快なやり取りであった、ということだけ察して貰えれば十分だ。

「礼儀とか対人コミュニケーション能力とか、そういう以前の話ですね。
 自分の機嫌で他人を不快にさせることに何の抵抗もないっていうか、世界は全部自分中心で回ってるって考えてるタイプっていうか」

 ナシロは聖職者だが、聖女ではない。
 人の好き嫌いくらいは当たり前にある。
 特に件の楪依里朱のような、他人の心に無頓着な人間はどうにも好きになれない。
 要するにナシロとかの白黒不登校児は、水と油くらい相性の悪いふたりだったのだ。


397 : 夕ご飯を一緒に食べよう ◆0pIloi6gg. :2024/11/13(水) 03:51:53 3T1G7Drs0

「……って、こんな話でいいんですかね。なんか陰口叩いてるみたいで具合悪くなって来たんですけど」
『いや、ありがとう。実に参考になったよ』
「ならいいんですけど……。神父も気を付けてくださいね、最近いろいろ物騒じゃないですか」
『ナシロちゃんは優しい子だね。天国のご両親も、さぞや誇りに思っておられることだろう』

 両親。
 いつもならなんてことのないワードに、ずきりとこめかみが痛む。
 やっぱりまだ切り替えられてないな、とナシロは自嘲した。
 と同時に、覚えたものは罪悪感。

『――さっきも言ったが、人のプライベートを詮索するのはよくないことだ。
 だから深くは聞かないよ』

 ナシロの父もそうだったが、優れた聖職者はとにかく人の心に敏いものだ。
 だからこの人の前で少しでも暗い感情を抱くと、すぐにそれを理解されてしまう。
 自分のような半端者とは違う正真正銘の聖職者に、余計な心配をかけてしまうこと。
 そうさせてしまう自分の弱さに、琴峯ナシロは心底嫌気が差した。

『だが、君は強い子だ。神は乗り越えられる試練しかお与えにならない。
 まだ若いのだから、存分に迷い、あがき、自分の道を見つけなさい』
「……はい。ありがとうございます、ダヴィドフ神父」
『いやいや、助けてもらったほんの礼だよ。それではまた、ナシロちゃん』

 通話が切れる。
 ふう、と息を吐き出した。
 
「自分の道、か」

 真実は、いまだ藪の中。
 すべてが雪村鉄志の邪推でしかないのなら一番いい。
 だが、もしも。
 もしも彼の言う通り、両親の死が"不運な事故"などではなかったというのなら。
 それが分かった時、自分は……どうするのだろう。
 この未成熟な頭で何を考え、そしてどこへ足を踏み出すのだろう。

 若き殉教者は静かに迷う。
 神父の言う通り、ナシロはまだあまりに若かった。
 大義に生きて殉じた父母の域には到底及ばない、ひとりの迷い子でしかないのだった。



◇◇


398 : 夕ご飯を一緒に食べよう ◆0pIloi6gg. :2024/11/13(水) 03:52:34 3T1G7Drs0



「……大丈夫かね、琴峯の奴」
「心配ねえさ。何せ奴さん、この俺を唸らせた女だぜ?
 いつまでも燻ってるようなタマじゃないし、嬢ちゃん自身がそれを許さねえだろうさ」
「だといいんだけどな」

 鉄志の零した台詞に、エパメイノンダスが爽やかに笑って答えた。
 そうであればいいのだが、やはり気にしてしまうものはある。
 いずれ戦う相手だからと割り切れるほど、鉄志は非情にはなれなかった。
 モヤついたものを抱えながらも、しかしナシロの言い残したように、今は話を進める必要がある。
 鉄志は思考を切り替えて、河二とエパメイノンダスを交互に見て言った。

「時に、だ。
 そういうわけで俺はニシキヘビを追い、かつもっと多角的に情報を集める都合上、今後も単独行動を取らせて貰いたい」
「異論はない。その方が理に適っていると思う」
「ただ、そうだな。琴峯も自分で言ってたが、できればお前達にはあいつと一緒に行動してやってほしい。
 侮辱するつもりはねえけどよ、流石に戦力的に不安が残るからな。その分お前達には苦労を掛けることになっちまうが……」

 暗に貧弱呼ばわりされたと認識したのだろう、ヤドリバエは鉄志をジト目で睨みながら頬を膨らませている。
 実際その認識で合っているのだが、小さな少女の見た目でそれをされると娘の拗ねた顔とダブってしまい、少し心の古傷が疼いた。

「コージは異論ねえんだろ? なら俺も以下同文だ、"引き受けた"。
 そこのアサシンの指南役をやるのも面白そうだしなァ! うん、俺もまったく異論ねえぞ!」
「え゛っ。なんかナシロさんとは別なベクトルでスパルタっぽくて嫌なんですけど」
「スパルタァ? ノンノン、俺はむしろそいつらと敵対した側だぜ。ま、最後はブチ殺されちまったけどな! わっはっは」
「とほほ、脳筋とは話が噛み合いません」
「その呼称はいささか不適当だ。ランサーの取り柄は武力だけでなく軍略にもある。この同盟を組むまでの一連のやり取りでも、それは窺い知れたかと思うのだが」
「あなた達主従揃ってなんかちょっとズレてるんですよ! 真面目な顔してズレられるとツッコミに困るんですよね巻き込まれた側は!!」

 うがー! と頭を抱えるヤドリバエ。
 マキナはそれをふふん、とどこか得意げな顔で見つめている。
 とてもではないが、世界中に恐れられる蝿の王の眷属と、全人類の救済を願う新造の神の姿とは思えない。

「時間さえあればウチのマキナにも軽く手ほどきを願いたかったくらいだよ。
 敵としては厄介なことこの上ないが、味方になったら頼もしいことこの上ないなあんたは」
「そりゃどうも。だがな、マキナちゃんに関しては俺が鍛えるよりもあんたが連れ回した方が効果的だと思うぜ?」
「……へえ。理由を聞いても?」
「どっちも羨ましいくらいに伸びしろがある。が、凹んでる部分がそれぞれ違うのさ」

 エパメイノンダスは、戦士としても将としても、更には師としても秀でている。
 亡き父に鍛えられていたとはいえ、ただの人間である河二が彼の手ほどきを受けた結果ひと月でこれほど伸びたのだ。
 基礎の土台で遥か上を行く英霊に対してその辣腕が振るわれたなら、まず間違いなくかなりの伸びが得られるだろう。
 そんな彼にはもう既に、ヤドリバエとデウス・エクス・マキナ、幼き二体の英霊に足りないものが手に取るように分かっていた。


399 : 夕ご飯を一緒に食べよう ◆0pIloi6gg. :2024/11/13(水) 03:53:11 3T1G7Drs0

「ベルゼブブ……ヤドリバエはナシロの言う通り戦いの基本がなってねえ。
 だがその分そこさえマシにできれば、短時間でも格段な能力の向上が見込めるだろうよ。
 ただマキナちゃんの場合は、そうさな。足りないのは基礎というより応用――要するに経験だ。そこが絶対的に足りてない。
 自分の目で見て、戦って、死物狂いで学び取る。俺があれこれ指図するより、本人の創造と学習に任せるのがいい筈だ」

 マキナは自分の方を見て笑う将軍の言葉に、真剣な顔で小さく頷いた。
 そこには確かな説得力があったからだ。理屈もそうだし、マキナがついさっき得たまさに"経験"もそれを後押しする。
 雪靴の女神、スカディとの対話。神としての在り方を知り、自分が次に問いを投げるべき相手を知ったあの時間は実に有意なものだった。
 戦いもきっと同じなのだろうと、マキナは思う。対話の手段が言葉ではなく力、殺意に変わるだけ。
 実際に語らい、ぶつかり合って学び取り、糧にする。そうして一歩ずつ、当機(じぶん)は当機(じぶん)の神話を進めていく。
 
「あい・こぴー。ご指導感謝します、ランサー」
「礼を言われるようなことじゃないさ。モノにできるかどうかは結局マキナちゃんの頑張り次第なんだからな。
 ま……首尾よく強くなれたらその時改めて言ってくれ。そしたら俺も鼻が高いからよ!」

 もう一度こくん、と頷いて。
 マキナはヤドリバエの方を見た。

「というわけで当機は貴女に先駆けて、これより実戦訓練に臨みます。貴女も頑張って下さい、おチビさんのアサシン」
「はーーーーー!!?? なんですかその先輩ヅラは! よぅし表に出なさい! 蝿王様パワーでけちょんけちょんにしてやります!!」
「臨むところです。新造の神に古い悪魔では及べないことをお見せしましょう」
「お見せするな」

 ナシロに倣って(でも、ちょっと弱めの力で)マキナの頭にぺしっとチョップを落とす鉄志。
 それを指差して笑っていたら、何故か同じく弱めの力でチョップを落とされるヤドリバエ。
 「あなたは何なんですか!?」と抗議されて、「すまない。ただ、こうした方がバランスが良いかと思った」と弁明する河二。
 にわかに騒がしい食卓の面々を眺めながら、最後の一切れになったピザを豪快に頬張り見守るエパメイノンダス。
 
 ……こうして。欠落を抱えた者達とそのサーヴァントによるつかの間の平和は、なんとも賑やかに続いていった。



◇◇


400 : 夕ご飯を一緒に食べよう ◆0pIloi6gg. :2024/11/13(水) 03:53:57 3T1G7Drs0



 受話器を置いて、金髪の男が腕を組んだ。
 その室内は薄暗く、どこか胡散臭い裕福さで彩られている。
 男の顔/名前はアンドレイ・ダヴィドフ。
 白鷺教会の神父であり、今しがた琴峯ナシロへ電話を掛けていた心優しい聖職者その人。

 それを疑われたことは一度もない。
 いや、疑った者は皆死んできた。
 琴峯夫妻はいい線まで行っていたが、最後の最後まで結局この顔へ疑いを向けることはできなかった。
 事故に見せかけて代行者の夫婦を葬った涜神者は、ふむ、と声を漏らす。
 雪村鉄志の推理は正しい。ニシキヘビは実在し、その影は今も都市で這いずり続けている。
 星々の神話とは違う、ただおぞましく不愉快なサスペンスストーリー。
 蠢く蛇は、支配欲に憑かれた現代の魔人は、ナシロとの通話内容を反芻し――

「直情的で自分本意な性格。〈はじまりの聖杯戦争〉に列席した七人のひとり……。
 となると、楪依里朱のサーヴァントはやはり〈蝗害〉かなぁ。
 やれやれ面倒だな、アレは流石の僕もあまり関わり合いになりたくない手合いなんだが」

 ナシロが語った"楪依里朱"の人物評だけで、その従えるサーヴァントを言い当てた。
 神秘の秘匿も人命への配慮も一切皆無な〈蝗害〉の暴虐は、ナシロに聞いたパーソナリティと綺麗に一致する。
 蛇杖堂の暴君が科した時点で生半な課題ではないのだろうと思っていたが、よもやこれほどとは。
 これにはさしもの蛇も嘆息する。いつ殺そうか、蛇杖堂(アレ)……と本気で考える程度には、面食らわされた形だ。

「それに……琴峯教会に客人ねぇ。まさかとは思うが雪村くん、もう同類を探り当てたのかな?
 だとすればややもすると、高乃家の次男坊も合流してても不思議じゃないね。
 どうにも運命とやらは、僕を終わった話に近付けたがっているようだから」

 蛇は狡猾で用心深い。
 ナシロとの些細なやり取りで、琴峯教会に来客がいることを暴き出し。
 更に通話越しに聴力を集中させることで、それが複数人であることも看破した。
 具体的に誰の声であるかまでを聞き分けられなかったのは、彼ら彼女らにとって幸運だったに違いない。
 しかしだとしても、この時点で彼らの追うニシキヘビは、藪の中を見据える影が既に結集し始めている気配を感じ取ってしまった。

「どうしたものかね。泳がせるか、それともアーチャーに教会ごと吹き飛ばさせ揺さぶってみるか」

 辿り着いてみろ、と先刻語った口で、速やかで無駄のない排除択を思案する。
 それも彼の中では矛盾ではない。自分の所有物をどう使うかは自由だという理屈が当たり前に成り立っているから、その相反する思考を疑いもしない。


401 : 夕ご飯を一緒に食べよう ◆0pIloi6gg. :2024/11/13(水) 03:54:52 3T1G7Drs0

「ま、どうするにせよ……そろそろ僕も出てみようか。舞台、ってやつにね」

 金の長髪を両手でかき上げて、それと同時に今度はまた別なことを考える。
 さあ、どの顔を使おうか。
 幸いにして手札は無数。有名無名を問わないのなら蛇の顔は千を超えている。
 融通の利く身分を優先する? 悪くない。そういえば最近、芸能分野に関わらせている顔が妙な干渉を察知していた。
 誰も知らない顔を使ってみる? これもいい。無名とは誰の視界にも映っていないということ。どう育てるも思いのままだ。
 どちらも魅力的な択ではあったが、蛇が今回選んだのは――黒髪の、大人ではあるがまだあどけなさを残した女性の風貌だった。

 母体がよかったのか胤が優れていたのか、定かではないが顔の造形は実に佳い。
 背丈はやや小柄。女性として見るのであれば、平均的。
 体格は細身で、なのに貧相さを感じさせない。
 そんなうら若く美しい女の顔を、蛇は選択した。

「――役柄(ロール)は偶然〈古びた懐中時計〉を手にし、この都市に迷い込んだ非業の人。
 幸は薄く、しかし人並みの善性を忘れない。特定の願いよりも自分と、できるだけ多くの命の生存を選ぶ。
 懐中時計により開花した魔術は……そうだな、オーソドックスに身体強化にでもしておこう。
 四肢を柔軟に撓らせ、蛇のように敵を打ち砕き時に絡め取る。うっかり力を出しすぎないように気を付けないとだけど」

 その顔を知る存在は、蛇に喚ばれたやさぐれた疑神のアーチャーのみである。
 都市では何の身分も持たず、誰にも知られてはおらず、すべてと縁を持たない女。
 そう、誰も知らない。彼女の父であった男さえ、例外ではない。


 ――だって"彼"は、この魂(モデル)を大人にしてやれなかったのだから。


「えと、はじめまして。蛇杖堂絵里っていいます、わたし……あ、サーヴァントはアーチャーです……!」


 名前は悪意(リスペクト)を込めてそのままに。
 苗字は、面倒を押し付けてきたことへの当てつけでこれをチョイス。
 蛇杖堂の家に生まれ落ちながら、娘が道具になることを拒んだ親によって逃がされ、魔術の存在を知らずに市井で育った善良な子。
 蛇杖堂絵里。"雪村絵里"という少女の魂を使って生み出した新たな顔(ロール)で、〈支配の蛇〉は朗らかに笑った。



◇◇


402 : 夕ご飯を一緒に食べよう ◆0pIloi6gg. :2024/11/13(水) 03:55:27 3T1G7Drs0
【世田谷区・琴峯教会/一日目・夕方】

【雪村鉄志】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:『杖』
[道具]:探偵として必要な各種小道具、ノートPC
[所持金]:社会人として考えるとあまり多くはない。良い服を買って更に減った。
[思考・状況]
基本方針:ニシキヘビを追い詰める。
0:今後はひとまず単独行動。ニシキヘビの調査と、状況への介入で聖杯戦争を進める。
1:ニシキヘビに繋がる情報を追う。
2:同盟を利用し、状況の変化に介入する。
3:〈一回目〉の参加者とこの世界の成り立ちを調査する。
4:マキナとの連携を強化する。
5:そうか、お前らも――
[備考]
※赤坂亜切から、〈はじまりの六人〉の特に『蛇杖堂寂句』、『ホムンクルス36号』、『ノクト・サムスタンプ』の情報を重点的に得ています。

【アルターエゴ(デウス・エクス・マキナ)】
[状態]:健康
[装備]:スキルにより変動
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:マスターと共に聖杯戦争を戦う。
1:マスターとの連携を強化する。
2:目指す神の在り方について、スカディに返すべき答えを考える。
3:信仰というものの在り方について、琴峯ナシロを観察して学習する。
4:おとうさま……
5:必要なことは実戦で学び、経験を積む。……あい・こぴー。
[備考]
※紺色のワンピース(長袖)と諸々の私服を買ってもらいました。わーい。


【高乃河二】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:『胎息木腕』
[道具]:なし
[所持金]:それなり(故郷からの仕送りという形でそれなりの軍資金がある)
[思考・状況]
基本方針:父の仇を探す。
1:同盟を利用し、状況の変化に介入する。
2:琴峯さんは善い人だ。善い報いがあって欲しいと思う。
3:ニシキヘビなる存在に強い関心。もしもそれが、我が父の仇ならば――
[備考]
※ロールとして『山梨からやってきた転校生』を与えられており、少なくとも琴峯ナシロとは同級生のようです。
※雪村鉄志から『赤坂亜切』、『蛇杖堂寂句』、『ホムンクルス36号』、『ノクト・サムスタンプ』並びに<一回目>に関する情報と推論を共有されています。

【ランサー(エパメイノンダス)】
[状態]:健康
[装備]:槍と盾
[道具]:革ジャン
[所持金]:なし(彼が好んだピタゴラス教団の教義では財産を私有せず共有する)
[思考・状況]
基本方針:マスターを導く。
1:同盟を利用し、状況の変化に介入する。
2:琴峯ナシロは中々度胸があって面白い。気に入った。
3:カドモスと会ってみたいなぁ!
[備考]
※カドモスの存在をなんとなく察しているようです。


403 : 夕ご飯を一緒に食べよう ◆0pIloi6gg. :2024/11/13(水) 03:55:50 3T1G7Drs0
【琴峯ナシロ】
[状態]:健康、動揺
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:修道服
[所持金]:あまり余裕はない
[思考・状況]
基本方針:教会と信者と自分を守る。
0:はぁ。切り替えないと、な……。
1:信者たちを、無辜の民を守る。そのために戦う。
2:なんか思ったより状況がうまく運んでちょっと動揺。
3:教会を応援に任せるのが心苦しい。
4:ニシキヘビ……。そんなモノが、本当にいるのか……?
[備考]
※少なくとも高乃河二とは同級生のようです。
※琴峯教会は現在、白鷺教会から派遣されたシスターに代理を任せています。
※雪村鉄志から『赤坂亜切』、『蛇杖堂寂句』、『ホムンクルス36号』、『ノクト・サムスタンプ』並びに<一回目>に関する情報と推論を共有されています。
※ナシロの両親は聖堂教会の代行者です。雪村鉄志との会話によってそれを知りました。

【アサシン(ベルゼブブ/Tachinidae)】
[状態]:健康、むかむか
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:聖杯を手に入れ本物の蝿王様になる!
1:ナシロさんが聖杯戦争にちょっと積極的になってくれて割とうれしい。
2:あんなチビっこ神霊には負けませんけど!蝿の王なんですけど!修行すらやぶさかじゃないですよむきーーーー!!!!
3:ナシロさん、らしくないなぁ……?
[備考]


[全体備考]
※雪村鉄志により、ニシキヘビの存在が共有されました。



【???/一日目・夕方】

【神寂縁】
[状態]:健康、『蛇杖堂絵里』へ変化
[令呪]:残り3画
[装備]:様々(偽る身分による)
[道具]:様々(偽る身分による)
[所持金]:潤沢
[思考・状況]
基本方針:この聖杯戦争を堪能する。
0:うん。そろそろ舞台に上がろうか。
1:楪依里朱に興味。調べて趣味に合致するようなら、飲み込む。
2:蛇杖堂寂句とは当面はゆるい協力体制をとりつつ、いつか必ず始末する。
3:ナシロちゃん周りのことについては……どうしたものかねぇ。
[備考]
※奪った身分を演じる際、無意識のうちに、認識阻害の魔術に近い能力を行使していることが確認されました。
 とはいえ本来であれは察知も対策も困難です。

※神寂縁の化けの皮として、個人輸入代行業者、サーペントトレード有限会社社長・水池魅鳥(みずち・みどり)が追加されました。
 裏社会ではカネ次第で銃器や麻薬、魔術関連の品々などなんでも用意する調達屋として知られています。

※楪依里朱について基本的な情報(名前、顔写真、高校名、住所等)を入手しました。
 蛇杖堂寂句との間には、蛇杖堂一族に属する静寂暁美として、緊急連絡が可能なホットラインが結ばれています。

※赤坂亜切の存在を知ったため、広域指定暴力団烈帛會理事長『山本帝一』の顔を予選段階で捨てています。
 山本帝一は赤坂亜切に依頼を行ったことがあるようです。

※神寂縁の化けの皮として、マスター・蛇杖堂絵里(じゃじょうどう・えり)が追加されました。
 雪村鉄志の娘・絵里の魂を用いており、外見は雪村絵里が成人した頃の姿かたちです。
 設定:偶然〈古びた懐中時計〉を手にし、この都市に迷い込んだ非業の人。二十歳。
    幸は薄く、しかし人並みの善性を忘れない。特定の願いよりも自分と、できるだけ多くの命の生存を選ぶ。
    懐中時計により開花した魔術は……身体強化。四肢を柔軟に撓らせ、それそのものを武器として戦う。
    蛇杖堂家の子であるが、その宿命を嫌った両親により市井に逃され、そのまま育った。ぜんぶ嘘ですけど。


404 : ◆0pIloi6gg. :2024/11/13(水) 03:56:21 3T1G7Drs0
投下終了です。


405 : ◆0pIloi6gg. :2024/11/13(水) 03:57:54 3T1G7Drs0
アンジェリカ・アルロニカ&アーチャー(天若日子)
蛇杖堂寂句&ランサー(ギルタブリル/天蠍アンタレス) 予約します。


406 : ◆A3H952TnBk :2024/11/20(水) 00:24:57 yn9mofUA0
投下します。


407 : ジターバグ ◆A3H952TnBk :2024/11/20(水) 00:26:49 yn9mofUA0
◆◇◆◇


 一人の極星によって始められた、針音の聖杯戦争。
 起こるはずのなかった、奇跡を巡る二度目の闘争。
 作り出された虚構の東京を舞台に繰り広げられる殺し合い。

 数多の主従が入り乱れ、演者の選別が行われていた期間。
 本格的な戦いが始まるまでの、幕間の一ヶ月。
 ――この聖杯戦争に呼び寄せられて、間もない頃。

『ねえ、ランサー』

 マンションの一室、ソファの据えられたリビング。
 外部での“偵察”から帰ってきたランサーを見上げながら。
 彼のマスターであるレミュリンは、声を掛けた。

『どうした、嬢ちゃん?』
『その、私さ。このままでいいのかなって』

 その大きな体格を屈めて、膝を付くランサー。
 そうして彼は、ソファに座るレミュリンに目線を合わせた。
 ささやかな気遣いに好感を抱きつつ、少女は微かに顔を俯かせる。

『私って、ランサーを待つばかりで』

 外部への偵察。状況の把握。
 それらの行動に関して、レミュリンはランサーに頼っていた。
 この虚構の都市に呼ばれてから、彼女はあくまで日常を過ごし続けていた。
 
 聖杯戦争のマスターには、舞台上での社会生活を送るためのロールが割り当てられている。
 レミュリンもまた同様に、海外からの留学生として偽りの東京で暮らしていた。
 休校中の課題に手を付けたり、テレビを付けて気を紛らわせたり。
 時おり後見人であるダヴィドフ神父と連絡を取ったり。
 戦争はランサーが引き受けて、レミュリンはあくまで日常の中に身を置いていた。

 そのことについて、レミュリンはランサーを頼りにしつつ。
 やはり心の奥底では、思うところがあって。

『何の力にもなれてないんじゃないかな……って』
『――いいや、違うさ』

 そうして少女の口から溢れた負い目を、ランサーがキッパリと否定する。
 レミュリンは思わず目を丸くして、顔を上げた。
 その視線の先。彼女の目の前で、ランサーは明るく微笑んでいた。

『力になるか、ならないかじゃない。
 嬢ちゃんが願って、俺がそれに応えた。
 それで十分なんだ。それが、英雄ってもんなんだ』

 どんと胸を張るように、ランサーは笑顔でそう告げてくる。
 何処までも前向きで、清々しく、眩しいほどの姿だった。

 力になれているか、なれていないか。そんなことを気にする必要はない。
 君の願うところを、己が真っ直ぐに受け止めた。
 それだけで、戦う理由になる。命を張る動機になる。
 だから、気にする必要はない――ランサーは穏やかな眼差しで、そう伝えてくれた。

『言ったろ?君の笑顔は笑顔で満たすと』

 ランサーは、ヒーローだった。
 孤独だった自分を支えてくれる、優しい英雄だった。
 誰よりも優しく、誰よりも暖かく、その言葉には安心がある。

『大丈夫だ。俺が、此処にいる』

 そんな彼を、レミュリンは信頼していた。
 そんな彼に、レミュリンは救われていた。
 そして、だからこそ――後ろめたさもあった。


408 : ジターバグ ◆A3H952TnBk :2024/11/20(水) 00:27:27 yn9mofUA0

 ――それから、暫くして。
 ランサーは「もう少し調べたいことがある」として、再び外へと向かい。
 留守番となったレミュリンは、その身をソファに委ねて横たわっていた。

 レミュリンはこうして、一人で過ごす時間が多かった。
 それは聖杯戦争に関係なく、以前からそうだった。
 彼女は、物思いに耽ることが多かった。
 あの事件以来、レミュリンは内気で自信に乏しい少女になった。
 あまり笑顔を作ることも出来ず、心を閉じ籠らせがちになっていた。

 親しい友人というものも、数少ない。
 ましてや、過去のトラウマについて話せる身内は殆どいない。
 精々が、後見人である“神父様”にある程度相談できる程度であり。
 あの日の記憶について、誰かにしっかりと話せたのは――ランサーが最初だった。

 ランサーは、“気にしないでいい”と言ってくれた。
 その言葉によって、確かに救われるところがあった
 しかしそれでも、心の奥底には不安と閉塞が根付いていた。
 
 “あの日”と同じように、自分は真実の外側にいる。
 核心から遠く離れたところで、ひとり忽然と佇んでいる。
 そうして頑張っている誰かを、遠目で見つめることしかできない。

 きっと、同じだった。
 魔術師の家系に生まれて。
 魔術を知らずに育って。
 自分の心だけが、家族とほんの少し離れていた。
 そうしてレミュリンは、一人だけ生き残ってしまった。
 そう思うが故に、今の自分の無力について考えを巡らせてしまう。

 聖杯戦争のマスターは、総じて魔術師であり。
 しかし中には、そうでないものも呼び寄せられている。
 彼らにも後天的に魔術回路が補填され、異能への道筋が開かれる。
 ――レミュリンはそれを漠然と認識していた。
 聖杯戦争の知識が刷り込まれたことにより、マスターにまつわる基礎的な仕組みも何となく掴んでいた。
 そしてランサーからも話を伺っていたことで、彼女はそのシステムの存在を理解していた。

 しかし、自分には今だに“そういうもの”が目覚めていない。
 特殊な能力とか、戦うための異能とか。
 そういった超常的な技能を身につけられていなかった。

 そのことに関する負い目のようなものがあった。
 戦場に立つだけの力も持たず、何の手伝いもできない。
 幾ら彼が真っ直ぐに否定してくれようとも。
 結局自分は、ランサーにとって重荷なのではないだろうか。
 そんな不安が胸の内に宿っていて。
 
 そして。
 言い知れない罪悪感があった。
 それは、ランサーにも未だ告げられていない。
 自らの奥底に眠る、情景のことだった。

 ――ごうごう、ごうごう、と。
 心の内側で、脳裏の裏側で、魂の根源で。
 灼けるように鮮明な情景が、何度も反響する。

 それは、レミュリンにとって“悪夢”のイメージ。
 ランサーと出会ってからは、久しく見ていなかった色彩。
 この一ヶ月。少しずつ動き始める運命を前に、その紅色が蘇っていく。

 かつて見ることのなかった色。
 確かにあったはずの色。
 愛しい家族を奪っていった、死の色。
 拭えない過去の残滓が、其処に横たわっていた。

 きっとこの情景は、いつまでも自分を追い立てる。
 家族の喪失。日常の崩壊。その象徴として、心に宿り続ける。
 二年前の“あの日”から続く、癒えることのない呪い。

 それを振り切れる時が来るとすれば。
 家族を取り戻すという奇跡を果たした時か。
 あるいは――あの惨劇に決着を付けられた時かもしれない。

 身体に、仄かな熱が籠る。
 まるで神経に何かが走るように。
 炎にも似た熱さが、内奥から込み上げてくる。
 その違和感と恐怖に、少女は表情を歪める。

 少女が背負う呪縛。
 哀しみに灼かれる“熱の日々”。
 その情景の先にあるものを。
 レミュリンはまだ、見据えられていない。


◆◇◆◇


409 : ジターバグ ◆A3H952TnBk :2024/11/20(水) 00:28:16 yn9mofUA0



 空は少しずつ茜色に染まり。
 次第に仄暗い闇へと沈んでいく。
 陰の掛かった、暗色の赤と青。
 相反する色彩が混じり合い。
 夕暮れの時間へと溶け込んでいく。

 この都会で、星の輝きは見えない。
 煌めく光は、何処にも見当たらない。
 街を見下ろす空は、ひどく孤独で。
 何処までも続くように、果てしなくて。
 鮮やかな“色”だけが、其処に広がる。

 目の前にあるものは、空だけ。
 他には、何ひとつない。
 焼き付くような茜色と、闇に沈むような紺色。
 矛盾した色と色が、緩やかに動く。

 ――いつか、星でも見に行こうよ。

 かつて、そんなことを言われたのを思い出す。
 そんな調子でいつも、遊びや外出に誘ってきたのを思い返す。

 自分にとって、初めての友達。
 孤独を裂いてくれた、たった一人の親友。
 もう二度と交わることのない、憎らしい/愛しい少女。
 結局、果たされることのない約束になった。
 星を見に行く前に、二人の道は引き裂かれた。

 思い出は、虚しいだけだった。
 あの日の記憶など、遣る瀬無いだけだった。
 もはや取り戻すことのできない、美しき情景。
 幾ら手を伸ばしても、届くことはない。
 まるで星のように――遠い彼方で、煌めいている。

 ――白と黒。蝗害を統べる魔女。
 イリスは、芝生の上で仰向けに横たわっていた。
 ただ呆然と、空を見つめていた。


410 : ジターバグ ◆A3H952TnBk :2024/11/20(水) 00:29:33 yn9mofUA0

 そこは、渋谷区の広大な公園だった。
 休日には多数の親子連れが訪れる公共の施設であり。
 しかし夕暮れ時の今は、誰一人としてその場にはいない。
 東京の各所を襲い続ける災厄などの影響もあり、この芝生の広場も閑散としている。

 イリスは孤独に浸るように、じっと空の色彩を眺める。
 頭の中で入り乱れる感情を、安らかに落ち着かせるように。
 彼女はただ、沈黙の中に身を委ねている。
 仄暗い影に覆われた緑の上で、ツートンの色彩がコントラストと化す。

 ――次は殺すから。あんたを殺して、私は先に行く。

 記憶が、頭の奥底で転がり続ける。
 鮮明に、反響を繰り返す。

 ――そんな顔しないでよ、イリス。

 どれだけ狂って、どれだけ堕ちても。
 腐敗した“青春”は、心の中で尾を引いている。
 イリスは、それに別れを告げたばかりだった。
 遠い日の記憶と、決別したばかりだった。

 “あの女”は、変わらない。
 これまでも、これからも。
 かつて夢見た未来は、朽ち果てたまま。
 “あいつ”だけが、同じ時間の中を駆け抜けている。

 自分はもう、神寂祓葉と交わることはない。
 また“ふたり”で肩を並べるのは、これが最初で最後。
 あの共闘を経て、イリスは改めて悟った。

 過去を燃やして、割り切った。
 もう手に入らない輝きを捨てて、進むことを選んだ。
 身体に纏わりつく“あの日々”を、振り払うことを決意した。

 なのに。だというのに――想いは、晴れない。
 目の前に広がる澄んだ空とは違い、イリスの胸中では鬱屈が渦巻く。
 振り切ったはずの過去が、今もなおしがみついている。
 執着のような“未練”が、心を何度も掻きむしっている。

 満たされない。癒されない。
 空虚な器から、いつまでも溢れ続ける。
 なにかが、ずっと、絶え間なく流れ落ちていく。
 それが、イリスには、ひどく不快だった。

 だから、ただただ茫然と、空を見つめていた。
 この一ヶ月、常に死地の中に身を置いていた。
 多くの主従を葬り、多くの屍を乗り越えてきた。
 そんなイリスが、こうして束の間の“孤独”に浸っていた。
 自分の心を整理するかのように、何もない時間の中で横たわっていた。


411 : ジターバグ ◆A3H952TnBk :2024/11/20(水) 00:30:13 yn9mofUA0

 幾ら空を見つめようとも、現実は何も変わらない。
 自分と祓葉は断絶したままで、決別へと至って。
 いずれは殺し合い、決着をつける運命にあって。
 自身もそれを受け入れて――それが、イリスの前に転がるもの。
 
 救えない“あいつ”には。
 救えない“わたし”しかいない。
 だから、行き着く先は決まっている。

 イリスは、そう願っている。
 イリスは、それを嘆いている。
 イリスは、それに焦がれている。
 イリスは、それで苦しんでいる。
 イリスは、それだけを望んでいる。
 イリスは、それだけが――――。

 矛盾して、相反する感情が、幾度も交錯して。
 イリスはその度に、苛立ちと憂鬱を深めていく。
 だから、今は時間の中に心を委ねるしかなかった。
 彼女は静かに、芝生に身体を任せて。
 果てしない色彩を、じっと見つめ続ける。

 ――その最中だった。

 ざっ、ざっ、ざっ、ざっ――。
 イリスの耳に、その音が小さく響く。

 ざっ、ざっ、ざっ、ざっ――。
 遠く離れた地点から、少しずつ、少しずつ近づいてくる。
 一歩一歩、芝生を踏みしきる音が聞こえる。

 ざっ、ざっ、ざっ、ざっ――。
 それは、“誰か”の足音だった。
 閑散とした広場に現れた、他者の気配だった。
  
 茜と紺の空を見上げていたイリスは、ぴくりと表情を動かす。
 ゆっくりと、徐々にこちらへと向かってくる足音に、意識を向ける。
 その足音の主が、自分の方へと近付いていることを察する。
 明らかにイリスの存在を認識して、歩み寄っている――。

 苛立ちは、いまだに晴れない。
 鬱屈は、心で渦巻き続けている。
 それ故に、無愛想な表情のまま眉を顰めて。
 やがて一呼吸をして、少しでも心を落ち着かせる。

 足音の主が何者なのか、大方の予想はついていた。
 この舞台に立つ役者の一人が、嗅ぎつけてきたのだろう。
 魔力の残痕を辿ったか、あるいは先の戦闘でも目撃したか。
 どちらにせよ、対峙は余儀なくされる。

 故に、イリスは――ゆらりと起き上がる。
 まるで糸を引かれた、古めかしい人形のように。
 纏わりつく芝生の欠片を払い、すっとその場から立つ。

 相反する色が交差する空から、視界が移りゆく。
 芝生の生い茂った、広大な公園がそこに存在し。
 そして、十数メートル離れた地点で立ち止まる“影”があった。

 日没へと向かう影を背負いつつ。
 夕焼けの仄かな光に照らされている。
 肩まで伸ばした、色素の薄い金色の髪。
 緩やかな服を身に纏った、大人しげな少女。

 その瞳には、緊張と焦燥を宿しながらも。
 同時に、確かな意志を携えていた。

「……マスターってわけね」

 少女の右手に刻まれた紋様を見て、イリスは呟く。
 それは、分かりきっていたことだった。
 人気のない夕暮れの公園に現れた存在。
 わざわざ此方へと向かってきた来訪者。
 この聖杯戦争に呼び寄せられたマスターであることは、容易に感じ取れた。

 じっと見つめるようなイリスの眼差し。
 感情もなく、ただ淡々と見定めるように瞼を細めている。
 そんなイリスの様子に、少女は何処か内気な様子で臆するも。
 それでも呼吸を整えて、きゅっと表情を引き締めた。
 
 そして、ゆっくりと。
 少女は自らの名を告げる。

「私は……レミュリン・ウェルブレイシス・スタール」

 意を決するように、口にした名を聞いて。
 イリスは目を細めて、少女を見つめる。


412 : ジターバグ ◆A3H952TnBk :2024/11/20(水) 00:31:10 yn9mofUA0

「――スタール?」

 イリスは、その名に聞き覚えがあった。
 “時計塔”――ロンドンを拠点とする魔術師の最大組織、“魔術協会”の総本山。
 そこに所属する名門魔術師の中に、スタールという一族の名が存在していた。

 ――イリスが生まれ育った“楪の一族”は、“根源”への到達を目指すという点では典型的な魔術師の家系だった。
 しかし彼らは極東の国、九州奥地の村落に権威として根を張ったという点で異端だった。
 魔術の中心である欧州との交流を断ち、極めてローカルな未開の土地で彼らは独学の研鑽を重ねていた。
 故に彼らは外界との交流に乏しく、魔術協会の動勢も正確に把握できていたとは言い難かった。
 彼らは謂わば、自ら飛び込んだ井の中の蛙。貴族主義が蔓延る大海から遠ざかり、小さな世界で王を気取ることを選んだ弱小の一族。

 にも関わらず、なぜイリスはロンドンの魔術師“スタール”の名を把握していたのか。
 その理由は、単純なことだった――彼らの名を掴む機会があったからだ。

「アギリ・アカサカ」

 レミュリンが口にした“その名”を聞き。
 イリスは、改めて合点がいった。

「私の家族を殺した相手を追ってる」

 ――赤坂亜切。魔術師専門の暗殺者。
 “発火”の力を操る、悪辣なる魔眼使い。
 イリスは一回目の聖杯戦争において彼と敵対し、時には”病院に潜む怪物“を討つべく共闘した。
 そしてこの“二度目の戦争”でも、最後の戦いを見据えたうえで結託している。

 一回目の聖杯戦争においてアギリの存在を初めて認識した際、イリスは一族の手も借りつつその情報を調べた。
 ――“相棒”であった神寂祓葉が魔術の素人であったので、こういう仕事はほぼイリスの役目だった。
 アギリの手口や犯行、魔術師としての特性。暗殺者であるが故に情報は決して多くないが、手掛かりだけでも良しとしてその痕跡を探った。
 
 その中のひとつとして見かけたのが――“ロンドンの名門魔術師・スタール家の焼殺事件”。
 事件は“時計塔”によって淡々と処理され、表では以後省みられることも無く風化していったらしいが。
 暗殺者の介在が噂されたその一件の“犯人”として裏の世界で目されていたのが、あの“凍原の赫炎”だった。

 スタールの名を背負う少女。
 家族を殺した仇敵を追う“生き残り”。
 ――そもそも何故、この少女は今も殺されずに生きているのか。
 あの男が標的の一人をしくじったまま野放しにしているとは考え難い。
 なら、考えられる理由があるとすれば。

「……ああ」

 魔術師の家系でありながら、アギリに狙われなかった少女。
 魔力の気配を纏いながらも、術者の域にはまるで程遠い“独特の匂い”。
 豊潤な樹に育ちながら、未成熟のままぶら下がっている果実。
 その意味を、イリスは冷めた眼差しで理解する。

「“妹”ってとこね」
 
 ――魔術の世界ではよくあることだ。
 それは、神秘の秘匿ゆえの一子相伝。
 長兄や長女が魔道を受け継いだことで、何も知らされずに安穏と育てられた“第二子”。
 レミュリンという少女は、謂わばそういった類いの人間なのだろう。

「……うん。私は、妹だったから。
 魔術のことも、なにひとつ知らなかった」
 
 イリスは、レミュリンの肯定の言葉を聞き。
 気がつけば、ぴくりと表情が歪んでいた。
 言い知れぬ不快感が、顔をもたげた。


413 : ジターバグ ◆A3H952TnBk :2024/11/20(水) 00:32:00 yn9mofUA0

「けど、私は願ったの。もう一人は嫌だよ、って。
 それで、お姉ちゃんが持ってた“懐中時計”を手に取って。
 私は、この戦争に招かれた」

 イリスの胸の内から苛立ちが込み上げる中。
 そう語るレミュリンに、訝しむような眼差しを向けた。
 自らの姉が持っていた“懐中時計”によって聖杯戦争に参加した――その話に、彼女は疑問を抱く。

「……姉が、ねえ」

 彼女達〈はじまりの六人〉は、一度目の死を経た上で直接この世界へと招かれている。
 故に懐中時計を介してこの世界に招かれた〈演者〉達とは、幕開けからして異なる。

 しかし――この針音の聖杯戦争の原則として認識に刻まれているためか、あるいは“神寂祓葉”という根幹に深く接触しているためか。
 “懐中時計を手にすることで今回の聖杯戦争への参加資格を得る”という情報を、イリスは漠然と認識していた。

 ――こいつの“姉”とやらは、この聖杯戦争に招かれる資格を持った者だったのか。
 ――あるいは、資格を持っていたこいつ自身に時計が渡る運命だったのか。

 もしかすると、それについてもアギリが何か知っているのかもしれないが。
 自らには関係のないことだと判断して、イリスは一旦その疑問を打ち切る。

「それで、今日。私はある人に出会った」

 それから、レミュリンは一呼吸を置き。
 日中の出来事を追憶して、言葉を続けた。
 
「フーカ・ヤマゴエさん――〈脱出王〉って名乗ってた女の子。
 彼女がアギリ・アカサカについて教えてくれた」
「…………あ?彼女?」

 そしてイリスは、更なる疑問に行き当たった。
 〈脱出王〉。前回の聖杯戦争でも飄々と立ち回り、盤面を駆け巡ったトリックスター。
 そいつが参戦してることは別にいい。アギリの存在を掴んでいることも、どうだっていい。
 どちらにせよ、分かりきっていたことだ。

 しかし、なぜ女になっているのか――その点に関しては想定外だった。
 尤も、あいつは前回からして訳の分からない奴だったが。

「私は……どうすればいいのか、迷ったけど。
 ずっとお世話になってる人から、後押しされて。
 やっぱり、答えがほしいって思った」

 そんなイリスの疑問を知る由もなく。
 レミュリンは、決意の眼差しと共に言葉を紡ぐ。

「家族を喪った“あの日”のことを、知りたい」

 彼女は、確かな真実を求めていた。
 自分の人生を、前へと進めるために。
 答えを掴んで、納得を手にするために。
 そうしてレミュリンは、言葉を続けた。

「アギリ・アカサカと直接会って、話がしたい」

 なぜ彼女は、イリスに話をしたのか。
 なぜ彼女は、アギリの件を語ったのか。

「――あなたは、彼を知ってる人だと思った」

 断言するように告げたレミュリンに対し、イリスは目を細める。

「だから、あなたの魔力を感じ取って……“会ってみよう”って」


414 : ジターバグ ◆A3H952TnBk :2024/11/20(水) 00:32:47 yn9mofUA0

 まるで確信を得ているような一言に、問いを投げかける。

「一応聞くけど、理由は」
「あなたからは……〈脱出王〉と同じ感じがした」

 イリスから問われたレミュリンは、そう答えた。

「匂いが、同じだって思った」

 それは、魔力の気配であり。
 それは、身に纏う匂いだった。

 レミュリンは生来の魔術回路を備え、魔術師としての優れた素養を持つ。
 故に魔力に対しても、外付けの魔術回路を与えられたマスター達よりも敏感に感じ取れた。
 だからこそ、脱出王とイリスの相似にも鋭く感づくことができた。
 
 ――前回聖杯戦争の参加者。狂気に囚われた〈はじまりの六人〉。
 最初の死を経て蘇り、極星によってその眼を灼かれた彼らは、本質的に近い気配を纏っている。

 イリスは、真顔のままレミュリンを見据える。
 曲がりなりにも魔術師の血筋――“鼻は利く”らしい。
 そのことを認識したうえで、レミュリンを見つめて。 
 暫しの沈黙を経て、ぶっきらぼうに言葉を吐く。

「確かに、あいつのことは知ってる」

 ゆらり、ゆらりと。
 まるで幽鬼のように歩き出す。
 白と黒の装束が揺れる。

 ――――ざざざ。
 ――――ざり、ざりざりざり。
 
 イリスの頭の中で、砂嵐が乱れる。
 壊れたラジオのようなノイズが木霊する。
 自分を俯瞰して見つめようとしても。
 それ以上に、腹の底が煮えくり返る。

「大方、脱出王の奴にも思惑があるんでしょうけど」

 ぽつぽつと呟きながら。
 少しずつ、歩を進める。
 酷く冷ややかな眼差しを湛えながら。

 ――――ざりざり、ざりざりと。
 ノイズの音は一向に止まない。
 思考がただ不愉快に乱れ続ける。
 
 ピントが狂っていく。
 感情が荒れていく。
 白と黒の嵐が、脳裏の画面に映る。
 
 煩わしい。腹立たしい。
 うざったい。憎らしい。
 ただ、イライラする。

「知ったことじゃない」

 イリスは、レミュリンの前に立つ。
 目線を微かに上げながら、吐き捨てる。
 そんな白黒の少女と対峙して。
 レミュリンが、息を飲んだ矢先。

「今さ。機嫌悪いんだよ」

 ざりざり。ざりざり。
 ざりざりざりざり――――ぷつん。

 イリスの眼が、揺らめいた。
 白と黒。二つの色彩。原初の明暗。
 そして――。
 まるで炎が灯されるように。
 その瞳が、色に染まった。





415 : ジターバグ ◆A3H952TnBk :2024/11/20(水) 00:33:25 yn9mofUA0


 
 ああ。
 ただでさえ苛ついてたのに。
 尚更、腹が立つ。

 私は“一族”を背負わされた。
 零落へと向かう老いぼれ共に縛られた。
 誰とも対等な関係にはなれなかった。
 届かぬ理想を担う道しか与えられなかった。
 鬱屈と閉塞だけが、自分の世界だった。
 あの“忌々しい女”に会うまでは。
 
 けれど、こいつは。
 このスタール家の忘れ形見は。
 家督を継ぐ必要がなかった。
 初めから魔術師にならずに済んだ。
 だから。
 何も知らされずに、育っている。

 レミュリン・ウェルブレイシス・スタール。
 無垢な素人。生きる道を自ら選び取れた凡人。
 憎らしくなるほど、“普通”の人間。

 忌々しい。腹立たしい。
 わざわざ首突っ込みたいのかよ。
 さっさと諦めろよ。
 目を逸らせよ。
 そのまま安穏に浸ってろよ。
 捨てろよ。魔道の世界なんか。

 ――初めから自由だったくせに。
 ――なんの“未練”があるんだよ。





416 : ジターバグ ◆A3H952TnBk :2024/11/20(水) 00:34:52 yn9mofUA0



 イリスの足元を起点に、周囲一帯の芝生が“変化”する。
 まるでブロックタイル柄の床のように、地面が“白黒の二色”と化す。

 困惑と動揺をその顔に浮かべたレミュリンを庇うように。
 ランサーのサーヴァント――“長腕のルー”が、即座に霊体化を解除した。
 両手で握り締めた、一振りの槍。
 その長柄を振り上げて、眼前のイリスへと叩き付けんとした。

 しかし、次の瞬間。
 ――イリスの姿が、突如として消えた。
 振り上げた柄は、虚空を切ることになる。

 そして間も無く、イリスは全く別の地点へと姿を現す。
 白色の地面の上に佇んでいたイリスが、一気に後方へと下がったのだ。
 レミュリンから大きく間合いを取る形で、別の白色の足場へと転移した。

 即ち、瞬間移動。座標の転移。
 イリスが体得する“色間魔術”――その行使によって、同じ“白の領域”へと自在に移動した。
 先程まで十歩進めば手が届く距離にいたレミュリンとイリスは、一気に中距離戦の間合いと化す。

「ランサー、あれ……!!」
「ああ、嬢ちゃん!どうやら――」

 イリスが転移を発動した直後。
 彼女の周囲――白と黒のタイル状の足場から、“それら”は浮かび上がった。
 まるで色彩から分離するように、白黒それぞれの色に染まった“刃”だった。
 無数の凶器が、宙に滞空する。
 その矛先は、レミュリン達へと向けられている。

「ありゃあ、相当の手練れらしいな……!!」

 レミュリンは、目の前の光景に驚愕していた。
 視界に広がる、刃の列。数多の殺意の具現。
 これだけの数の暴威が、自分達を狙っている。
 そして――初めて目の当たりにする、魔術師の“術理”に戦慄していた。

 この聖杯戦争の中で、彼女は一度も戦闘を経験していない。
 サーヴァントは愚か、マスターとの対峙とも無縁だった。
 故に彼女は、魔術師の戦いというものを知らない。
 死地に身を置く異能者が、どれほどの存在であるのかも理解していなかった。

 彼女が初めて経験する、直接対決。
 その相手とは、極星に魂を灼かれた〈狂気の使徒〉だった。
 この聖杯戦争の核心に触れる、真性の魔人だった。
 それが如何なる苦難なのか。
 その意味を、レミュリンは叩きつけられる。

「散れ」

 魔女の一声と共に。
 宙に存在していた無数の刃が。
 まるで機関銃の掃射のように。
 次々に、レミュリン達へと目掛けて殺到した。

「嬢ちゃん!!絶対に――」

 迫り来る刃の雨を前にして、ルーは声を上げる。
 その手に槍を、強く握り締めて。

「――俺の傍から、離れるなよッ!!」

 そして、ルーが神速の斬撃を繰り出した。
 幾重にも交差する槍の残像が、無数の刃を打ち砕いていく。
 レミュリンはただ言われるがまま、ルーの傍で守られることしか出来ない。


417 : ジターバグ ◆A3H952TnBk :2024/11/20(水) 00:35:38 yn9mofUA0

 夕闇の公園を、地上の流星が駆け抜ける。
 白と黒。原初の色彩。二色で構成された、無数の刃。
 それらは地面から分離されるように生成され。
 宙空に“配置”されて、そして次々に放たれていく。

 ルーは、驚愕する。
 “色彩の魔女”が操る魔力の高まりに。
 その手で容易く使役される術式の規模に。
 この一ヶ月、彼が相見えてきたマスター達とは格が違う。
 
 それは最早、魔術師としての域を凌駕していた。
 大規模な領域の展開と、果てなく繰り返される波状攻撃。
 その出力は、並み居るサーヴァントにすら届く。
 
 今のイリスは――“あの”祓葉と真正面から戦える存在だ。
 ひとりの少女への“未練”に狂い、世界の理さえも超越してしまった魔人だ。
 直接戦闘という点において、この舞台の役者達の中でも屈指の実力を持つ。

 迫り来る数多の殺意と対峙しながら。
 その突出した魔力に驚嘆しながら。
 それでも英霊ルーは、決して取り乱すことはない。

 ――――総勢、数百以上。
 雨霰のように繰り広げられる、刃の嵐。
 地面に仕込まれた術式によって、フルオートで射出される殺意の乱打。
 台風の目のようにその中心に立つのは、騎士と少女。

 槍を振るう。無数の白黒の刃を弾き、砕いていく。
 その激流を突き抜けて、イリス本体へと攻撃を仕掛けようとした矢先。
 ――その最中に、レミュリンの死角からも幾度となく攻撃が飛んでくる。
 ルーはすかさずレミュリンの背後へ向けて槍を横薙ぎに振るい、その斬撃によって白黒の刃を粉砕する。
 そのまま彼は槍を薙いだ勢いのまま方向を転換し、再び四方から迫る刃を次々にいなしていく。

 ルーは、飛来する全ての攻撃を一本の槍のみで凌ぎ切っている。
 第一の槍『常勝の四秘宝・槍(ランス・フォー・ルー)』。近接戦闘に特化したルーの主力武装である。
 スキルである“幻の啓示”による高度な直感などの効果も含めて、ルーは迫り来る脅威を余すことなく迎撃し続けている。
 四方八方、死角すらも逃さず――その迅速な瞬発力によって、躍動を繰り返す。

 だが、彼はその場から動くことは出来ない。
 敵であるイリス本体を叩くことが出来ない。


418 : ジターバグ ◆A3H952TnBk :2024/11/20(水) 00:36:30 yn9mofUA0

 “自らが積極的に前へと出て攻め立て、敵にマスターを狙わせる隙を与えない”。
 それがルーの主たる戦術、単純明快なる強さだった。
 白兵戦において無二の実力を持つ彼が攻勢に出れば、敵は容易にマスターを狙うことも出来ない。
 それでも距離を取ろうとする敵に対しては、“第二の槍”による必中の投擲で打ち払う。
 遠近共に優れた技能を持つルーの前で、生半可な技は許されない。

 しかし、今は違う。
 ルーは、一撃たりとも傷を負っていない。
 されど、間違いなく“その場に抑え込まれている”。
 
 既に仕込まれていた“領域”による全方位からの断続的な攻撃。
 あらゆる方向から次々に飛来する波状攻撃。
 機動力の高いランサーならば、この弾幕を切り抜けて敵本体を狙うことも不可能ではない。
 だが今は、守るべきレミュリンの存在が彼を足止めさせる。
 弾幕に対する自衛の手段を持たない彼女は、ルーの守護がなければ確実に白黒の刃の餌食となる。
 360度から迫り来る攻撃、その全てが彼女にとっては致命打になり得るのだから。

 レミュリンは魔術師の血筋を引いているが、未だ異能には目覚めていない。
 幾らかの保険となる“自衛の手段”は託しているものの。
 彼女自身は戦士としての経験も技術も持たない、無力なマスターだった。
 故にルーは、レミュリンを守るために“傍に立ち続ける”しかない。
 如何に優れた武勇を持とうとも、あくまで彼は一人の戦士。
 その身ひとつで、己がマスターを守り抜く他ない。

 そして〈はじまりの六人〉であるイリスは、二度の聖杯戦争によって既にサーヴァントとの戦い方を熟知していた。
 全方位攻撃に加えて、初手からルーに対し“座標転移”の魔術を見せつけることで、彼を足止めさせることに成功した。

 ――“相手は対象の位置を転移させることができる”
 ――“下手に動けば、マスターと自分が転移によって分断される危険性がある”。
 ――“そうなれば、マスターを守り切れなくなる”。
 そんな警戒心をルーに抱かせて、その行動に対する心理的な制約を与えたのだ。

 そうしてランサーの得手となる高い敏捷性や白兵戦能力を防ぎつつ。
 マスターの守護に徹させることで、“遠距離攻撃の宝具”を使わせる余地も与えなかった。
 飛び道具を警戒すべきなのは、何もアーチャーのみに限らない。
 セイバーやランサーなどの英霊も時に強力な対城宝具を備えていることを、イリスは既に見知っている。

 大英霊であるルーは、足止めを食らわされる。
 次々に殺到する“白黒の濁流”を前に、彼は自らの主君を守る盾となり続ける。
 彼は、そうならざるを得ない。

「――――ランサーッ!!」
「大丈夫だ、嬢ちゃん……!!」

 迫る攻撃の雨を凌ぎ続けることしか出来ないルーに、レミュリンが声を上げる。
 自らを案じるその呼び声に対し、ルーは不敵な微笑みを返す。

「俺が此処にいる!!心配無用だ!!」

 槍を振るい、笑みを見せ、その大きな背中で少女を鼓舞する。
 ――ルー・マク・エスリンは、紛れもなく英雄の在り方を見せつける。
 君の歩む道は己が守り抜く。君の未来は己が共に切り開く。
 そう告げるように、彼は勇ましく戦い続ける。


419 : ジターバグ ◆A3H952TnBk :2024/11/20(水) 00:37:09 yn9mofUA0

「――――はぁぁッ!!!」

 槍を振るい、白黒の刃を弾き飛ばす。
 槍で薙ぎ払い、白黒の刃を打ち砕く。
 槍で穿ち、白黒の刃を次々に貫く。
 雷鳴のような瞬発力で、ルーは全ての攻撃に対処していく。

 色彩の嵐は、繰り返される。
 絶え間なく、ルー達へと襲い来る。
 刃の雨。刃の流星。
 死の舞踏の中で、ルーは幾度も槍を振るい。
 迫り来る殺意の群れを、余すことなく弾き落とす。

 死から蘇ったイリスは、最早サーヴァントに匹敵する実力を手にしている。
 今の彼女は、神話の英霊たるルーを足止めするほどの魔術を行使できる。 
 そしてイリスは、敵の格を理解しているからこそ決して油断しない。
 この槍兵は、先程の“騎兵隊のライダー”に比べれば遥かに高位の英霊である。
 ルー・マク・エスリンの真名を知らずとも、イリスはこの交戦によってそれをすぐに理解できる。
 
 ――だからこそ、奇妙なのだ。
 槍を振るうルーは、疑念を抱く。
 これほどの魔術師が、気付かぬ筈がないと。
 彼は既に、勘づいていた。
 
 確かにイリスは、ルーを足止めすることが出来る。
 一介のマスターとしては破格なまでの実力だ。
 しかしそれは、つまるところ“足止めが精一杯”ということに過ぎない。
 現にイリスは未だにルーへと傷一つ付けられていないし、レミュリンに攻撃を届かせることも出来ていない。

 全方位からの攻撃を幾ら続けようと。
 ルーに対しては、全く決定打にはならない。
 ただ、無益な消耗戦を続けているだけ。
 闇雲に魔力や体力を使うだけの、持久戦にしかならない。

 ルーは、只管に奮戦する。
 例え数百もの攻撃が迫ろうとも
 主であるレミュリンには、指一本も触れさせない。
 たった一振りの槍のみで、全てを凌ぎ切る。
 その獅子奮迅の活躍の中で、彼は疑念を抱いていた。
 無意味な消耗を繰り返すばかりの、白黒の魔女に対して。

 何か、意図がある。
 何か、思惑がある。
 まるで、時間を稼いでいるような。
 まるで、何かを待っているような。
 そんなルーの疑念は――間もなく、形を成す。





420 : ジターバグ ◆A3H952TnBk :2024/11/20(水) 00:37:56 yn9mofUA0



『おいおい――またキレてんのかよ』
『うっさい』
『つくづく気の短ェ女だな。こりゃ重病だ』
『今めちゃくちゃムカついてんだよ』
『おーおーやっぱり不機嫌モード入っちまってんな。ま、そんなトコだろと思ってたぜ』

『首尾は』
『例の爺さまに逢ったぜ』
『そう。どうだったの』
『心底忌々しいクソジジイだ』
『相変わらず、ってことね』

『例のホムンクルスと、お前が以前話していた“前回のアサシン”らしきヤツ。やっこさん方がつるんでやがった』
『は?』
『ジジイのせいで痛い目見たが、そいつらの介入もあって病院に打撃は与えられた』
『…………いや、あのアサシンいんのかよ。最悪』
『それと、ジジイからの伝言だ――――』

『――――で、そっちはフラれたか?
 お前が未練たらたらな“愛しの女”に。
 それとも、お前の方からフッたか?』

『ライダー』
『おう、何だい』 
『むしゃくしゃしてる。ちょっと付き合え』
『今の話無視かよ』

『あんたも苛ついてんでしょ?ジジイにやられて』
『……ま、そうだな。気晴らしの狩りって訳か』
『マスターの方は容易く御せる。あんたはサーヴァントを分断してくれればいい』

『あいよ。ま、色々と言いてェことはお互いあるだろうが』
『まあね』
『まずは帰参のご挨拶と洒落込もうか、イリス』
『……今だけは付き合ってあげる』


『――――ただいま、クソッタレ』
『――――おかえり、虫ケラ野郎』





421 : ジターバグ ◆A3H952TnBk :2024/11/20(水) 00:38:39 yn9mofUA0



 ――ぶうん――。

 何故、イリスは“交戦”を続けているのか。

 ――ぶうううん――。

 何故、イリスは“足止め”に徹することを選んだのか。

 ――ぶうううん。ぶうううん――。
 
 その答えが、夥しい数と共に飛来する。

 ――ぶぶぶぶぶ、ぶぶぶぶぶぶぶ――。

 その答えは、黒き厄災の如く姿を現す。

 ――ぶぶぶぶ、ぶぶぶぶぶ、ぶぶぶぶぶぶ――。

 彼らが、此処に“帰ってくる”からだ。
 “狩人の嵐(ワイルドハント)”が、やってくる。
 “漆黒の騎士(ブラックライダー)”が、現れる。

 ――ぶぶぶ、ぶぶぶぶ、ぶぶぶぶ、ぶぶぶぶぶ――。

 ――あぁ、めんどくせえ。
 うだうだと講釈垂れたが。
 真面目に語んのはやっぱ性に合わねェ。

 俺が戻るからって喧嘩おっ始めやがって。
 このメンヘラが、年中生理の不機嫌女か。
 お前はいっつも何かに苛立ってやがる。
 何かにキレて、当たってなきゃ気が済まねえ。
 そういう女(メス)だよ、お前ってのは。

 ま、苛ついてんのはお互い様だがな。
 だから、ちょっとくらいは付き合ってやる。

「全部奪って笑ってくれよ、マイハニー」

 なあ、英雄サマよ。
 “俺が此処にいる”だって?
 あァ、そうかいそうかい。
 そりゃ結構なこった。

 そんなてめえに朗報だ。
 “俺たち”も、此処にいる。

「“努力、未来、a beautiful star”――――!!!」
「“努力、未来、a beautiful star”――――!!!」
「“努力、未来、a beautiful star”――――!!!」
「“努力、未来、a beautiful star”――――!!!」

 ご機嫌よう、屑星ども。
 ロックンロールの時間だ。





422 : ジターバグ ◆A3H952TnBk :2024/11/20(水) 00:39:33 yn9mofUA0



 瞬間。
 白と黒に染まっていた世界が。
 けたたましい羽音と共に。
 突如として“漆黒”に埋め尽くされる。
 ――レミュリンの視界が、黒へと染まる。

 漆のような無数の流星が飛び交う。
 耳を劈く不協和音の狂騒。
 掻き鳴らされる回転鋸のような轟音。
 旋律。旋律、旋律。破壊と暴威の激奏。
 日没へと沈む世界を、蠢く群体が覆っていく。

 黒煌の身体と、肥大化した翅。 
 矮小なる昆虫が、無限の群勢を成す。
 それは謂わば、神話の具現。
 聖書にも記された、飢餓の具現。
 無尽蔵に湧く“漆黒”が、空を飛び交う。

 まさしく、死の舞踏だった。
 全てを蝕み、喰らい尽くす、暴食の濁流だった。
 その厄災の前では、何もかもが咬み潰されていく。

 日々繰り返されるニュースや、ダヴィドフ神父の話が少女の脳内で反響する。 
 ――蝗害。この東京を襲い、蝕み続ける嵐。
 それが今、眼の前に姿を現している。

 夕暮れを背負い、飛び交う闇。
 その禍々しさは、“黙示録”の如く。
 その神々しさは、“天国の日々”の如く。
 それは、余りにも狂暴なる神話だった。

「ックハハハハハ、ハッハッハッハ――!!!」

 すれ違いざまに襲い来る群勢を、ルーは尚も一本の槍のみで払い続ける。
 黒い濁流の波が、たった一振りの穂先によって次々に捌かれる。
 マスターには指一本たりとも触れさせない。そう吠えんばかりの奮戦を嘲笑うように、その哄笑が響き渡る。

 咄嗟に、ルーが背後へと振り返った。
 ルーン文字による防御術式を施した槍を縦に構えて、即座に守りの体勢を取る。
 それから刹那――ルーの身体が、勢いよく吹き飛ばされる。
 その場面を目の当たりにしたレミュリンは、驚愕と動揺の渦中へと叩き落される。

「ッらあ――――!!!!」

 無数の黒蝗が生む荒波に乗るように、その男は“形を成していた”。
 嘲るような笑みを、その口元に貼り付けていた。
 フードを深々と被ったツナギ服の怪人が、飛来と共にルーへと飛び蹴りを叩き込んだ。
 ――バッタの騎兵の飛び蹴り。即ち、ライダーキック。
 構えた槍に蹴りが食い込むように、ルーは怪人と共に吹き飛んでいく。

「お前が、あの“蝗害”――――!!」
「御名答だ、英雄様!!さぁ、俺と踊ってもらうぜ!!」

 ライダーのサーヴァント。
 サバクトビバッタ。
 シストセルカ・グレガリア。
 あるいは――“黒騎士を騙る者”。
 この舞台を食い荒らす虫螻の王が、帰参する。


423 : ジターバグ ◆A3H952TnBk :2024/11/20(水) 00:40:34 yn9mofUA0

 吹き飛ばされたルーは、その腕に力を込めて槍を振り上げた。
 その一振りで脚を弾かれたシストセルカは、そのまま無数の蝗へと分離。
 漆黒の渦と化した蝗の群れを前に、受け身を取ったルーは槍で応戦する。

 弾けるように散らばる蝗達が、宙を踊り狂う。
 飛来を繰り返す死の流星の数々を、躍動する槍撃が凌いでいく。
 時に隙を突くように“怪人”の形を成して奇襲するシストセルカを猛攻を、ルーは歯を食いしばりながら全て斬り払い続ける。

「ッ、『我は望まん、この先の(ゲイ・アッサ)』――――!!!」
「ハッ――させるかよッ!!!」

 飛蝗の群れを凌ぎながら、左手にもう一振りの槍を精製しようとした矢先。
 それがイリスを狙っての宝具発動であることを読んだシストセルカが、無数の蝗を暴風の如き勢いで突撃させる。
 更にはその波に乗るようにシストセルカ自身も突進――蝗で構築されたバットをフルスイング。
 その同時攻撃が迫り、ルーは第一の槍による迎撃を行う――第ニ宝具の発動は中断される。
 
 ――絶え間なく断続する波状攻撃。
 ――無数に分散する標的。
 それは先程までの魔女の包囲と同じように、白兵戦を得手とするルーを足止めするには十分だった。
 ましてや、その全てを槍一本で凌ぐことが出来た色彩の魔術とは違う。
 敵もまた英霊。サーヴァント。それも、神代から人類を襲う災厄の嵐である。
 神話の英霊たるルーにとっても、決して生半可な敵ではない。

「さっきから余所見ばっかしてんじゃねえよ。
 テメェの相手は俺だろ?そんなにマスターが心配か」

 サーヴァント同士の交戦が始まる。
 即ち、それが意味することは。
 
「――――嬢ちゃんッ!!!」

 既に、色彩の包囲攻撃は止まっていた。
 何故ならば、もう魔女自身がサーヴァントを足止めする必要がなくなったからだ。
 ランサーの相手はライダーが務める。戦局は分かたれた。
 つまり――レミュリンが一人、取り残される。
 
「あんたのナイトは、もう駆けつけられない」

 魔女/イリスが、嘲るようにそう告げる。
 魔術師ですらない少女に、残酷な現実を突きつける。

「此処で死ね。出来損ない」

 次の瞬間。
 レミュリンの眼前に。
 白黒の魔女が、姿を現す。
 
 転移魔術。
 座標移動による、空間の超越。
 イリスは自らを対象に、それを発動した。
 最早レミュリンを守護するサーヴァントは傍にいない。
 イリスは心置きなく、彼女を仕留めるために接近することが出来る。

 少女の目の前に、死が迫る。
 白と黒に身を包んだ死神が、立ちはだかる。
 




424 : ジターバグ ◆A3H952TnBk :2024/11/20(水) 00:41:17 yn9mofUA0

 

『進みなさい、レミュリン・ウェルブレイシス・スタール』

『君の進む道の名をわたしは知らないが、きっとその先に君の望む答えがあると思う』

『ランサー。わたし――』

『アギリ・アカサカに会いたい』
 
 



425 : ジターバグ ◆A3H952TnBk :2024/11/20(水) 00:42:07 yn9mofUA0



 ごうごう、ごうごうと。
 頭の中で、炎が揺れ続けている。
 何処かで、熱が燃え盛っている。
 まるで何かの始まりを、待ち続けるように。

 一歩を踏み出す、決意をした。
 真実を求める、覚悟を決めた。
 それでも、レミュリンは。
 まだ、現実を知らなかった。

 迫り来る暴威を前にして。
 本物の殺意を目の当たりにして。
 それでも心の底では、思い込んでいた。

 ――今回も、ランサーが何とかしてくれる。
 ――ランサーは強いから、大丈夫。
 ――きっと、ランサーがやっつけてくれる。

 これまでも、そうだった。
 彼が居てくれたから、レミュリンはずっと安心できた。
 ランサーが傍にいれば、全ては上手くいく。
 激化していく戦争に、確かなプレッシャーを感じつつも。
 そんなふうに、心の何処かで楽観していた。

 けれど、そんな筈がなかった。
 聖杯戦争とは、英雄同士の戦いで。
 ランサーが稀代の勇者であるように。
 敵もまた、歴史に名を刻む存在なのだから。
 
 自分を守り抜いてくれた従者は、傍にはいない。
 色彩の魔女が使役するサーヴァントの乱入によって、戦場は二分された。

 ランサーはライダーの奇襲によって、無数の蝗との応戦を余儀なくされている。
 そしてレミュリンは――ランサーとの分断を突き、瞬時に肉薄したイリスとの対峙に持ち込まれた。

 レミュリンの眼前に、転移したイリスが立つ。
 一対一の相対。この身ひとつでの、死線への突入。
 死の匂いが、一気に迫り来る。
 この一ヶ月で一度も経験したことのない窮地に、レミュリンの背筋が凍りつく。

 聖杯戦争。魔術師同士の殺し合い。
 その言葉の意味を、今この瞬間。
 少女は、その身を持って思い知らされる。

 ああ――自分はずっと。
 “この恐怖”を知らずにいられたのだと。
 レミュリンは初めて理解する。
 ずっと、ランサーが守ってくれた。
 ずっと、ランサーが戦ってくれた。
 自分は葛藤の中で、自分との問答に徹していた。
 
 しかし。それは、終着点ではない。
 自分との戦いは、全てではない。
 その先には、他者との対峙が待ち受けている。

「惚けんなよ」
 
 そして今、少女の前には試練が立ちはだかっていた。
 蝗害の魔女。〈はじまりの六人〉の一角。
 この舞台の脅威として君臨する、狂気の使徒。

「足掻いてみせろよ、愚図が」

 その殺意が、吐き捨てるような言葉と共にレミュリンへ向けられた。
 魔力が揺れ動く。何かが起こる。何かが発動する。
 敵は目と鼻の先。最早、逃げ場などない。


426 : ジターバグ ◆A3H952TnBk :2024/11/20(水) 00:43:14 yn9mofUA0

「令呪を以って、命じ――――」

 咄嗟に右手に魔力を集中させようとした。
 令呪の発動で、何とかランサーをこちらに引き戻そうとした。
 しかし、それよりも遥かに素早く。
 イリスの右手が、レミュリンへと迫っていた。

 白と黒。交互に塗られた指先、ネイルの色。
 まるで鍵盤を思わせる、鮮やかな二色のモノトーンカラー。
 その洒落た色味に、ほんの少し気を取られて。
 レミュリンは、迫る“爪先”への対処に遅れる。

 ――指先から、斬撃が叩き込まれる。
 手刀の一閃が、レミュリンを襲った。

 白と黒で交互に塗られたネイル、それ自体が“魔術礼装”。
 即ち、“色間魔術”を行使するための媒体。
 イリスが腕を振るうだけで、爪先を中心に“自己強化”と“斬撃の付与”が瞬間的に発動する。
 ただの手刀が、殺傷能力を伴った刃と化す。
 レミュリンの胸元に叩き込まれたその一撃は、彼女を大きく後方へと仰け反らせた――。

「――ん」

 しかし、イリスは気付く。
 直撃した筈だというのに、手応えが“浅い”。
 肉を抉るつもりで放った一閃は、レミュリンに打撃以上の手傷を負わせなかった。
 それはまるで、固い防具に阻まれたかのような感触だった。

 一瞬疑問を抱いたイリスだったが、すぐさまそのカラクリを見抜く。
 レミュリンの左手の甲。令呪とは異なる“古代文字の紋様”が、魔力に呼応するように浮かび上がっていた。

「ふぅん。ルーン魔術ね」

 北欧に由来する魔術系統。
 古のルーン文字を媒介に発動する術。
 ランサーによって刻まれし加護。
 肉体強化、魔術装甲――レミュリンの身体には、予め術式が施されていたのだ。

 ランサーとして召喚されたルーは、その出力を十全には発揮できていないものの。
 それでも神代の魔力が込められていることに違いはない。
 故に色間魔術が込められたイリスの手刀は、致命傷足り得なかった。

 それでも。
 その一撃は、レミュリンの思考を揺らした。
 少女の意識に、強烈な衝撃を与えた。
 ルーンの加護が無かったら、きっと致命傷になっていた。
 そのことを否応なしに思い知らされて、焦燥が極限まで高まる。

 恐怖が、背筋を走り抜けていく。
 不安が、胸の奥底から這い上がってくる。
 動揺が、心を何度も揺さぶってくる。
 助けを求める声が、喉から溢れかける。

 けれど、ランサーは傍にはいない。
 ここには、自分しかいない。
 敵は眼前にいて、他に身を守るものはない。
 自分を助ける者は、自分以外に存在しない。


427 : ジターバグ ◆A3H952TnBk :2024/11/20(水) 00:44:06 yn9mofUA0

 思考が何度も揺れ動く。
 吐き出しかける恐慌を、必死に堪える。
 喚いても、泣き叫んでも、何にもならない。
 だから、だから――。

 やるしかない。
 自分が、やるしかない。
 じゃなきゃ、殺される。
 ランサーの助けは、来ない。
 恐怖と緊迫の渦中で、レミュリンは必死に意識のピントを合わせる。

「――――くぅ、ッ!!!」

 仰け反り怯みながらも、破れかぶれに歯を食いしばるレミュリン。
 そのまま左手を拳銃のような形に構え――指先に収束させた魔力を、弾丸の如く放った。
 イリスはほんの僅かに眉間をぴくりと動かし。
 人差し指を振り上げて、爪先で弾丸を掻き消した。

 令呪を使う隙なんて、敵は与えてくれない。
 ランサーから予め授かっていた“自衛の術”がある。
 今は、これで切り抜けるしかないのだ。
 レミュリンは我武者羅になりながら、それを理解していた。

 
「っああああああ――――――――っ!!!!!!」
 
 
 自棄になりながら、レミュリンは叫んだ。
 全身の神経から、ありったけの魔力を引き出す。
 二発、三発、四発、五発、六発、七発、八発――。
 必死になりながらも、レミュリンは弾丸を次々に射ち続ける。

 されど、届かない。一撃たりとも魔女には届かない。
 近距離から放たれた魔力弾を、イリスは指先で軽く防いでいく。

 イリスは、冷めた眼差しを浮かべていた。
 放たれ続ける魔弾。その一発一発が、爪の斬撃でいなされていく。
 ただ指を振るうだけ。爪先で切るだけ。
 それだけの動作によって、レミュリンの意地は弾かれ、砕かれ、凌がれて。
 繰り返される魔弾は、まるで魔女に命中しない。
 児戯に等しい小技によって、その全てが容易く捌かれる。

「あのさぁ」

 イリスは、レミュリンが放つ技の仕組みを既に見破っていた。
 対象を指差し、呪いを与えるルーン魔術――“ガンド”。
 優れた魔術師は、呪い自体に弾丸のような破壊的質量を伴わせて射出することができるという。
 レミュリンが放っている魔弾も原理としては同じ。
 名門の魔術師の血筋であるが故に、それを行使できるだけの魔力を備えているのだろう。

「自前の技じゃないでしょ、これ」

 しかし、肝心の中身が伴っていない。
 呪いでも何でもない。術理が込められていない。
 つまり、ただ魔力を飛ばしてるだけの物理攻撃。 
 それなりの威力はあれど、技としては余りにも御しやすい。
 闇雲の射撃を、魔女は指先のみで淡々と潰していた。


428 : ジターバグ ◆A3H952TnBk :2024/11/20(水) 00:44:44 yn9mofUA0

「サーヴァントからの借り物ってとこね」

 レミュリンは生来の魔術回路を備えるが、魔術師ではない。
 謂わば魔術を行使できるだけの機能を搭載しながらも、魔術というアプリケーションをインストールできていないコンピュータだった。
 そんな中で、この聖杯戦争に招かれたことにより急拵えで魔術回路が開かれた。
 更にはランサーによって“ルーン”という外付けのソフトウェアが与えられた。

 結果、レミュリンは“借り物の魔術”が使えるようになっていた。
 ルーンの術式を介し、体内の魔力を射出する――ただそれだけの単純な技。
 有事の備えとしての、ささやかな自衛手段。
 サーヴァントであるランサーから与えられただけに過ぎない、即席の技巧だった。

「ほんと……下らない」

 道理でランサーが献身的に守っていたワケだ、とイリスは理解する。
 何故ならレミュリン自身は、素人そのものだったからだ。
 
「守りも攻めも、おんぶにだっこかっての」

 大まかな仕組みを察したイリスは、吐き捨てるように呟いた。
 魔術と無縁でいられた証を見せつけるようなレミュリンへの苛立ちを込めて。
 “親友だった少女”がいなければ死に物狂いで戦うしかなかった、かつての無力な自分への面影を重ねて。
 それだけではない、言い知れぬ嫌悪と憤りを胸の中に抱え込んで。

 そして、白黒の色彩が魔女の全身で荒々しく波打ち――肉体が瞬間的に加速する。

 僅かな瞬きの直後。
 レミュリンの胴体に。
 突き抜ける雷霆のように。
 鋭い衝撃が叩き込まれた。

 色間魔術によって肉体の瞬発力を引き上げたイリスが、目にも留まらぬ速さで突進。
 そのままレミュリンへと目掛けて、加速の勢いを乗せて膝蹴りを放ったのだ。

 ルーンの加護によって即死は免れども、サーヴァントに匹敵する存在である“魔女”の鉄槌は計り知れない威力を持つ。
 レミュリンは衝撃を相殺できぬまま地面を転がり、何度も血反吐混じりに咳き込む。

 間髪入れずに、“領域”が揺らめく。
 土汚れた地面が、白と黒のタイルへと変貌。
 ツートンカラーに二分された地面は荒海のように蠢き――白黒の奔流と化してレミュリンを襲う。

「あ、がぁっ――――!!!?」

 止め処なく押し寄せる二色の波。
 防ぐ術も、躱す術もなく。
 押し潰されるような衝撃が、レミュリンの身へと叩き込まれていく。


429 : ジターバグ ◆A3H952TnBk :2024/11/20(水) 00:45:28 yn9mofUA0

 白黒の荒波が、潮の満ち引きのように散っていく。
 攻撃を完了した濁流は、再びツートンの領域の中に沈んでいく。
 その場に残されたのは、嵐の餌食となった無力な少女――ルーン魔術の加護によって、色彩からの侵食は辛うじて逃れていた。

「がはっ、ごはっ……」

 それでも、濁流を喰らったレミュリンは、半ば満身創痍の状態で俯せに倒れていた。
 血反吐混じりに咽び、必死になって這いつくばろうと足掻いている。
 ルーンによる強化と防護が無ければ、一体何度命を落としていたのかも分からない。

 彼女が今なお生き長らえているのは、ひとえにルーが与えた魔術加護が機能しているからこそだった。
 施された防御術式により、彼女は生命を繋ぎ止めている。
 まだ終わらない。まだ首の皮は繋がっている。まだ、命は尽きていない。
 ――それ故に、両者の絶対的な力量差が浮き彫りになる。

「舐めてんのかよ」

 魔女が吼えて、追い打ちの如く蹴りを放つ。
 横たわるレミュリンにそれを躱すことは出来ず。
 腹部に叩き込まれた一撃によって、ボールのように地面を転がる。
 レミュリンの視界が、激しく揺さぶられる。抵抗する間もなく、苦痛が幾度も迸る。

「アギリを追いたいんでしょ?」

 蹲ったまま、何度も血反吐混じりに咳き込むレミュリン。
 ――そのすぐ傍へと、瞬時にイリスが出現した。
 白黒の色彩を基点にした座標転換。
 物理法則を超越した空間移動。
 この色彩の領域を、イリスは自在に支配する。

「だったらさぁ」
 
 目を見開くレミュリン。
 そんな彼女を見下ろす、イリス。

「もうちょっとくらい抵抗しろっての、三下ッ!!!」

 そして、右足が振り子のように振るわれて。
 二度目の蹴りが、蹲るレミュリンへと叩き込まれた。
 
 最早それは、技と呼べる代物ではなく。
 子供の癇癪のように、荒々しい一撃だった。
 しかし、それを繰り出したのは狂気に堕ちた“魔女”。
 そんな乱雑な打撃さえも、他者を死に至らしめる凶器と化す。

 だから――レミュリンは、先程と同じように。
 魔術防御によって、辛うじて生き永らえながら。
 容易く転がり、堕ちた虫のように地に這いつくばる。

 成すすべなく蹲る少女と、悠々と佇む魔女。
 それは最早、対等な戦いには程遠く――蹂躙と呼ぶべきものだった。

 レミュリンはただ魔術回路を備えているだけに過ぎず、未だ自力で戦う術さえ身につけていない。
 荒事は自らのサーヴァントが担い続け、彼女自身の実戦経験は皆無に等しかった。
 対するイリスは狂気に囚われたことで己が魔術の限界さえも超越し、魔人の域に到達した存在だった。
 眩き太陽、君臨する無神論――絶対的な恒星にその目を灼かれ、一度目の死を経て“魔女”と成り果てた。
 まるで格が違う。両者の実力には、圧倒的なまでの差があった。 
 
「ふぅー……はぁッ……」

 だというのに、イリスは。
 目元に手のひらを当てながら。
 揺らめく感情を抑え込むように。
 口元から零れる荒い息を、整えていた。





430 : ジターバグ ◆A3H952TnBk :2024/11/20(水) 00:46:17 yn9mofUA0



 ひどく、乾いていた。
 心は、乾ききっていた。
 足掻けども、足掻けども。
 喉は潤わず、満たされない。

 全ては些事だった。
 とうに過ぎ去った、在りし日の執着だった。
 もう得られることのない、過去の記憶。
 故に断ち切ることを選んだ、喪失の日々。
 なのに、腹の底は飢え続けている。

 ――ねえ、祓葉。

 強さを得ても、苛立ちは募るばかりだった。

 ――これがあんたの言う“みんな”?

 振り払うべき“未練”は、泥のように心にへばりついていた。

 ――あんたは“こんなの”が欲しかったの?

 歯軋りは止まらない。憤りは収まらない。

 ――私達を一度殺しても飽き足らずに。

 この針音の聖杯戦争で、数多の敵を屠ってきた。
 どれもこれも、今の自分とシストセルカの前では些細な石屑に過ぎなかった。

 ――私達だけじゃ満足できなくて。
 
 それが魔術師だけならまだしも――外付けの魔術回路を与えられただけの“素人”を、何人も目にしてきた。
 先刻の“騎兵のライダー”や“錬鉄のセイバー”を従えていたマスターのように、守られるしか能のない連中がごまんといた。
 
 ――“私だけ”じゃ満足できなくて。

 だからこそ、イリスは気に入らなかった。
 そして、かつての親友と袂を分かったからこそ。
 その鬱屈は、胸の底で止め処なく渦巻いていた。

 ――こんな“数合わせの雑魚ども”まで呼んだ?
 
 自分という存在さえも、あいつにとっては“みんな”の内でしかないのか。
 こんな塵芥のような奴でさえ、あいつにとっては同じ“遊び相手の一人”なのか。
 家督を継ぐ必要がなかった。ただそれだけで、何も知らずに生きる道を与えられた――こんな奴でさえ。

 ――ふざけんなよ、クソ。

 色彩の魔女に、自由なんてなかった。
 “あの女”と出会って、やっと自由を知った。
 その自由もまた、幼年期の終わりと共に腐り落ちた。
 望むものも、得られたものも、掌から落ちて。
 地面に横たわったまま、等しく朽ちていく。

 “あの女”は、自分を親友と呼んだ。
 “私”は、あいつの一番になりたかった。
 なのに、見つけられない。
 神寂祓祓にとって、楪依里朱は。
 如何なる価値のある存在なのか。
 その在処が、見つけられない。
 あの喫茶店での再会で、対話で。
 そんな現実を突きつけられた。
 
 だから、今度こそ決別した。
 あの日々は、もう二度と帰ってこない。
 束の間の友情は、既に朽ち果てている。
 この”未練“は、断ち切るしかない。
 この”思い出“を、仕留めるしかない。
 それを悟ったから、あのとき別れを告げた。
 もう二度と振り返らないと、己に言い聞かせた。

 なのに――ずっと。
 この心に、虫が集っている。
 どろりと群がる、蝿が蠢いている。
 煩わしくて、腹立たしくて、仕方がない。
 それを振り払うすべさえ、分からぬままに。
 少女は、吐瀉物のような想い吐き出す。
 

「消えて、なくなっちまえ」


 その言葉を、誰に告げたのか。
 彼女自身にも、分からなかった。
 魔女はただ、苛立ちが止まらなかった。
 白に染まり、黒に染まる。
 魂の色彩が、あべこべに入り乱れる。





431 : ジターバグ ◆A3H952TnBk :2024/11/20(水) 00:47:12 yn9mofUA0



 ふいに、昔のことを思い出していた。
 二年前。まだ十四だった頃、ある春の日。
 日常のすべてを失った、あの日の出来事。
 何も知らなかった自分を突きつけられた瞬間。
 魔術の世界に触れてしまった、運命の始まり。

 死の記憶。
 焔の悪夢。
 熱の日々。
 少女の心象風景。
 影のように纏わりついて。
 いつまでも、追い続けてくる。
 
 レミュリンはあの日から、孤独になった。
 世界を知らなかった少女は、忽然と取り残された。
 その先に待ち受けていたのは、もう二度と家族には会えないという現実。
 それを思い知って、この哀しみを拒絶することを求めて、あの懐中時計を手にした。
 姉から託されたような、小さな形見だった。

 まるで走馬灯のように、記憶が蘇る。
 どうにもならない壁にぶつかり、ただ這いつくばることしか出来ない。
 どうしようもなく弱い自分が、圧倒的に強い魔術師の前で土を噛む。
 刻一刻と、何も出来ない瞬間が流れていく。
 これが自分の最期なのだと、胸の内で誰かが囁いてくる。
 声の主はきっと、死神というやつなのだろう。

 ――アギリ・アカサカに、会いたい。
 その決意の意味を、レミュリンは思い知る。
 自分は、死線の彼方へと身を投じようとしているのだ。
 
 あの日の惨劇。あの日の喪失。そして、聖杯戦争。
 自分の旅路は、指し示された道標をなぞるばかりのものだった。
 何も知らないまま、誰かに奪われて、孤独に浸って。
 宛てもなく彷徨って、知りもしない運命に誘われて。
 戸惑いながら歩き続けても、事の本質からは程遠く。
 結局、自分ひとりでは何も出来やしない。

 あの〈脱出王〉に道を示されなければ。
 神父様に背中を押されなければ。
 きっと今日に至っても、何かを選び取ることは出来ていなかった。
 そして今、とうとうツケを払う時が来た。

 ――――神様は、やっと私にチャンスをくれた。
 ――――ずっと、そう信じ込んでいた。

 蝗害の魔女。求める真実に連なる存在と対峙し、レミュリンは否応なしに理解する。
 アギリ・アカサカを追うとは、こういうことだった。
 それは、この舞台の深淵へと突き進むということ。
 魔術師同士の死闘という、全く未知の世界に放り込まれるということ。
 そうなればもう、後戻りは出来なくなる。

 家族の仇を討ちたいのか。
 罪を問いただしたいのか。
 彼の意思を聞きたいのか。
 罪への贖いが欲しいのか。
 ただ真相を知りたいのか。
 
 どれを選び取るにせよ、確かなことがある。
 レミュリンは、半ば悟っていた。

 ――こちらが仇打ちや、戦いを望まなかったとしても。
 ――“平穏な解決”など、誰も保障はしてくれない。
 ――彼の居る世界とは、きっと色彩の魔女が立つ世界と同じだから。
 ――“無力な少女”のままでは、アギリ・アカサカと対峙できない。

 そうして、レミュリンは取り零すことになる。
 己の運命も掴めないまま、この場に横たわる。


432 : ジターバグ ◆A3H952TnBk :2024/11/20(水) 00:47:45 yn9mofUA0

 自分の物語を始めるには、余りにも遅すぎたのだと。
 そんな現実を思い知らされるように、少女は絶望の中に沈んでいた。
 色彩の魔女が、自分を手に掛けるのも時間の問題だろう。
 レミュリンは半ば諦めるように、眼の前の現実を見つめていた。


 けれど。
 横たわった視界の中で。
 掠れていく認識の中で。
 それでも、捉えたものがあった。

 
 遠く離れた地点で、無数の黒粒が飛び交っている。
 まるで嵐のように渦巻き、宙を踊っている。
 数多の羽音が重なり、けたたましい不協和音を生み出す。
 夥しい蝗の群れが、荒れ狂うように飛翔していた。

 死の匂いが、濃密に漂う。
 飢餓と退廃の匂いが、此処からも感じ取れる。
 あの場に立てば、あらゆる命が刈り取られる。
 穀物が食い荒らされ、枯れ果てるように。
 その場に存在する全てを、貪欲に飲み込んでいくのだろう。

 話には、何度も聞いていた。
 連日のニュースが、その被害を伝えていた。
 この街の日常を、彼らは食い続け、獰猛に貪っていた。
 先程のダヴィドフ神父からの話も、その脅威を如実に示していた。

 レミュリンはそれを恐れつつも。
 何処か遠い出来事のように思っていた。
 何故なら彼女は、対峙の道を選ばなかったから。
 
 自分には立ち向かう術も、立ち向かう意義もない。
 それを無意識に悟っていたから。
 そして自らの従者も無理強いをしなかったから。
 レミュリンはこの舞台における巨大な嵐から、目を逸らし続けていた。
 その“蝗害”が今、視線の先に存在している。

 そして――飛び交う暴威の中心に立つ、大きな影があった。
 一本の槍と、その身ひとつで、彼は勇ましく戦い続けている。
 獅子が吼えるように、英雄はその力を振るっている。

 その姿は、猛々しく。
 その姿は、雄々しく。
 その姿は、華々しく。
 その姿は、何よりも逞しく。
 誰かのために、立ち続けている。

 何のためにそこまで、なんて。
 そんな思いを抱くことさえ無粋だった。
 答えは、とうの昔に知っている。
 少女自身が、聞き届けている。





433 : ジターバグ ◆A3H952TnBk :2024/11/20(水) 00:48:10 yn9mofUA0



『お? 聞きたいか?』

『マスターに聞かれたからには、名乗らないわけにはいかないな!』

『クラスはランサー!』

『大英雄クー・フーリンを息子に持ち、長腕と称されるこの姿!』

『名を“ルー・マク・エスリン”!』

『安心しろ!名乗ったからには───』

『───君の未来は笑顔で満たす!」





434 : ジターバグ ◆A3H952TnBk :2024/11/20(水) 00:49:13 yn9mofUA0



 ――ランサー。
 
 あの優しい笑顔が、脳裏に蘇る。
 あの頼もしい姿が、記憶に浮かび上がる。
 この一ヶ月。この偽りの街。この偽りの日々。
 そんな中で、彼だけは確かな存在だった。
 
 初めて出会った日から、今に至るまで。
 レミュリンは、決してひとりではなかった。
 あまねく闇を払うように、彼は傍に居てくれた。
 自分の苦悩や葛藤を受け止めて、背中を支えてくれた。

 これから待ち受ける運命は、きっと過酷なものだ。
 それでも、安心してほしい。
 君には俺が着いている。俺が露払いを引き受ける。
 だから君は、自分だけの戦いに向き合えばいい。
 ――ランサーはそう告げてくれた。彼は、レミュリンにとってのヒーローだった。

 つい先刻、レミュリンは〈脱出王〉と出会った。
 その間、ランサーもまた彼女のサーヴァントらしき少年と相見えたという。
 彼が如何なる会話を交わし、如何なる事柄を突きつけられたのか、それは分からないけれど。
 しかしそれでも、レミュリンには思うところがあった。

 ――なあ、嬢ちゃん。
 ――俺は、嬢ちゃんのことを甘やかし過ぎなのかね?

 あのときの念話の意味を、レミュリンは掴むことが出来なかった。
 彼が思い抱いていたことを、察することが出来なかった。
 だからレミュリンは、月並みな言葉で感謝を告げることしか出来なかった。

 どうして急にそんなことを聞いてきたんだろう。
 あの場でレミュリンは、そう思うことしか出来なかったけれど。
 こうして追い詰められて、自分の無力さを思い知って、やっと理解することが出来た。

 自分はずっとそうだった。
 ランサーの優しさを、頼り続けてしまった。
 ランサーの強さに安心して、聖杯戦争を隅に置いてしまった。
 自分の中の恐怖と対峙するばかりで、眼の前の現実に向き合えていなかった。 
 だから、ランサーを不安にさせてしまった。
 
 自分はずっと、もたれかかっていたのだろう。
 サーヴァントであるランサーの勇ましい光に。
 それ故に、ランサーは疑念を突きつけられたのだと思う。
 ――レミュリンの一歩を自分が妨げているのではないか、と。
 
 ランサーのお陰で、レミュリンは戦いと距離を置くことができた。
 自分の敵を、自分の中の葛藤だけに押し留めることができた。
 けれど、もう心だけに向き合う時間は終わった。
 この舞台で。この戦争の中で。自分は、歩かねばならない。
 そのためにも、戦う力が必要だった。

 レミュリンは、既に悟っていた。
 この一ヶ月で、彼女は掴んでいた。
 自分の中に――“能力”の形は存在している。


435 : ジターバグ ◆A3H952TnBk :2024/11/20(水) 00:49:59 yn9mofUA0

 自分が如何なる異能を内包しているのか。
 それを彼女自身、漠然と理解していた。
 何故なら。魂に刻まれた、確固たるイメージが存在していたから。
 自らの力へと繋がる心象風景は、彼女の中に根付いていた。

 そしてレミュリンは、真の意味で“魔術と無縁な”マスター達とは違う。
 彼女はれっきとした魔術師の血筋であり、魔術師としての才能を備えている。
 固有の術理を発現させるハードルは、彼らよりもずっと低いのだ。
 既に素養を内包してる彼女は、その気になればすぐに異能への道筋を掴むことができる。

 だからこそ、レミュリンは踏み止まっていた。
 己の中のイメージが意味するものを、彼女は理解していた。
 それを形にすることを、彼女は避け続けていた。

 そして、それ故に。
 レミュリンは、ルーに対する罪悪感を抱いていた。
 自分の恐怖のために、彼の力になれず。
 そのことをルーにも許容させてしまった。

 この一線を飛び越えた先に待ち受けるもの。
 ここから先へと踏み込んだ先にあるもの。
 それは、きっと――――恐怖だった。
 自分の中に焼きつく絶望と向き合うことへの、深い怖れだった。

 黒く焼け焦げた、家族の姿。
 辛うじて人の形を残した、家族の姿。
 二度と応えてはくれなくなった、家族の姿。
 
 レミュリンにとって、“それ”が魔術の世界だった。
 死と喪失。絶望と理不尽。孤独の始まり。
 あの日より植え付けられた、トラウマの根源だった。
 
 自分がその世界に踏み込むことは、紛れもない恐怖であり。
 自分がこの異能を形にすることは、何よりもおぞましいことだった。
 そして、何よりも。命を懸けて戦うことが、怖かった。
 暴力や死というものは、家族みんなを奪っていったから。

 だからレミュリンは、この一ヶ月の間。
 自らの異能を目覚めさせることもないまま、生き延びてきた。
 神話の英雄であるランサーの実力に庇護され、己の力を引き出す局面から逃げ続けてきた。
 この舞台で、生き延びているマスターの中で、彼女だけが〈方向性〉を持たなかった。

 これまでは、それで良かった。
 ランサーが守り抜いてくれたから。
 自分の戦いを、葛藤の中に留められたから。
 けれど、もう。先へ進まなければならない。


436 : ジターバグ ◆A3H952TnBk :2024/11/20(水) 00:51:37 yn9mofUA0

 熱の記憶が、脳裏で揺らめく。
 自分の中の恐怖と絶望が、濃密に浮かび上がる。
 燃える。燃え盛る。まるで死と喪失を形作るように。
 レミュリンの神経に、熱が宿ってゆく。
 臓腑を灼かれるような苦痛が迸る。
 
 それでも、レミュリンは“その感覚”を引き出していく。
 その果てにあるものを、掴むために。
 その先にある道筋を、見つけるために。
 それは、今の自分にとって――必要なものだったから。

 ――ねえ、ランサー。

 あの“脱出王”から渡されて。
 なんとなしに荷物に入れたままだった“花束”。
 それが戦闘での衝撃によって、懐から零れ落ちていた。
 自分と同じように横たわる花束は、沈黙を貫いていた。
 しかし、次の瞬間。

 ――私は、答えを掴みたい。
 
 ごう、と。
 鮮やかな花弁に、紫炎が灯された。
 咲き誇る花々が、焼け落ちていく。
 心の情景が、過去の記憶と混ざり合う。
 姉の好きだった赤紫(マゼンタ)が、魂に溶け込む。

 ――あなたと、いっしょに。

 始まりの灯火。戦華の目覚め。
 薄い色彩の世界に、赤紫が燈る。
 覚醒の火蓋が、切って落とされて。
 そして、繚乱する。





437 : ジターバグ ◆A3H952TnBk :2024/11/20(水) 00:52:03 yn9mofUA0



 “熱の日々”。
 それは、少女の魂に焼き付いた心象風景。
 少女の始まりにして、少女の終わり。
 すべては、ここに辿り着く。





438 : ジターバグ ◆A3H952TnBk :2024/11/20(水) 00:52:31 yn9mofUA0



 ――――炎の世界を、そこに見た。
 それは、かつて見ることのなかった“熱”。
 そして、何処にもあるはずのなかった“赤紫”。
 死の色と表裏。少女の回路から燃え滾る、焔の色彩。

 イリスは、そのとき。
 目を見開き、眼前の光景を捉えた。

 レミュリンが、その喉から声を絞り出していた。
 ありったけの全身全霊を振り絞るように、吼えていた。
 そして彼女の周囲が、赤紫色に燃え上がっていた。
 何かが爆ぜて、撒き散らされるように、突如として“焔”に包まれていた。
 地面を覆う“白黒の領域”が、瞬時に焼き尽くされた。

 二分された色が、火の中へと焼け落ちる。
 ツートンカラーの術式が、炎の濁流に飲み込まれる。
 不定形に揺れ動く暴威が、この地に新たなる色彩を齎す。

 夕闇の世界に、眩き灯火が照らされる。
 赤と紫の入り混じる焔が、戦場に揺らめく。
 影に包まれていた戦場に、鮮やかな光が現れる。
 魔女が支配する地に、荒れ狂うような紅蓮が渦巻いた。

 立ち上った“熱の領域”を目の当たりにし。
 イリスの思考に、咄嗟の“危機感”が駆け抜ける。
 そして反射的に――背後へと跳んで後退した。
 
 そう、退いたのだ。
 それまで一切の手傷を負わず。
 圧倒的な力の差を見せつけていた魔女が。
 少女の“赤紫の焔”を前にして、初めて“回避”を選んだ。
 迫り来る熱を前に、警戒を抱いた。

 距離を取ったイリスが、瞼を細める。
 レミュリンの変容を、その眼で見据える。
 先程まで蹲っていた少女が、覚束無い足取りで立ち上がっていた。
 その周囲は鮮明な色彩に照らされ、激しく燃え上がっている。

 何が起きた。何が起こった。
 そう思考して、刹那の合間。
 イリスは、すぐに事の次第を理解する。

 針音の聖杯戦争。
 それは、本来起こるはずのなかった儀式。
 恒星たる少女が幕を開けた、異形の闘争。
 その舞台に役者の区別はない。
 魔術師も、異能者も、あるいは常人も。
 等しく“マスター”として喚び寄せられる。

 外付けの魔術回路を与えられ、マスターとしての資格を得た常人。
 彼らはいずれも“固有の能力”に目覚め、戦う術を手に入れていた。

「はッ」

 魔女の口元から。 
 嘲るように、乾いた笑みが零れる。

「皮肉なもんね」

 魔術とも、異能とも、区別がつかない。
 針音の聖杯戦争。その運命の歯車の中で、強引に引き出された才能。

「あの赫眼に殺された魔術師の“遺児”」

 ゆらりと、レミュリンが立ち上がった。
 その両瞳から、火炎の残光が迸る。
 燃え盛る魔力によって瞳孔が揺らめく。
 赤紫(マゼンタ)の焔が、周囲を焼き尽くす。

「そいつが、この土壇場で目覚めた力が――」

 それは、原初の属性。生命と死の象徴。
 最も明快で暴力的な、破壊の異能。

「――“それ”だなんてね」
 
 パイロキネシスに酷似した“炎の術”。
 それこそが、レミュリンの目覚めた力。


439 : ジターバグ ◆A3H952TnBk :2024/11/20(水) 00:54:00 yn9mofUA0

 名門魔術師の血筋に基づく、生まれ持って優れた魔術回路。
 この聖杯戦争に招かれたことによる、才能と素養への急激な後押し。
 “熱の日々”――自らの魔術回路を開き、そして異能を掴み取るきっかけと成り得た、鮮明なイメージの存在。
 ルーが与えた魔術知識と、“ルーン魔術の加護”による自らの魔力との親和。
 そして黒幕たる“極星”に連なる存在、〈はじまりの六人〉との立て続けの接触。

 そうして彼女の才能は、この死線の中で目覚めた。
 燻り続けていた原石は、赤紫に燃える輝きとして覚醒する。

 ――レミュリンは、外付けの魔術回路を与えられた常人とは違う。
 元より魔術師としての才覚を備え、高い素養を内包していた存在だった。
 故に彼女が土壇場で引き出した異能は、並の威力には留まらない。
 それは色彩を操る“蝗害の魔女”に、ほんの一瞬でも身の危険を感じさせるほどだった。

 レミュリンを起点に、赤紫の焔が展開される。
 そして、火災が急速に燃え広がるように――焔は一気に拡散していく。

 イリスは瞬時に地を踏み、白黒の障壁を前方に展開。
 迫る焔の濁流を防ぎつつ、チッと舌打ちをする。
 それまで白黒の領域に満たされていた空間が、新たに目覚めた焔に侵食される。
 魔女が掌握していた戦場が、赤紫の熱に飲み込まれていく――。
 
「――舐めんなよ」

 されど、イリスの思考は加速する。
 脳髄から火花が迸るような“演算”を瞬時に行い。
 魔女は初めて、レミュリンに対して“加減なし”の魔術行使へと踏み切る。
 魔力を温存しても仕留められる――その認識を、彼女は改めたのだ。

 地面が揺れる。水面が波打つように蠢く。
 魔女を中心に、色彩が波紋のように広がる。
 周囲一帯に仕込んでいた“色間の術式”。
 その出力を、一気に解き放つ。
 白と黒。地と焔が、二色へと分断される。

 黒色に飲まれた焔は、イリスが立つ白色の領域には触れられず。
 やがて闇のような色彩そのものが、燃え盛る焔を押し潰していく。
 拡散する波紋と化した黒色は、熱の世界を次々に呑み込んだ。
 
 レミュリンは、その双眸をかっと見開く。
 自らの内から芽生えた、赤紫に煌めく灼熱。
 その焔を次々に飲み込んでいく漆黒を前に、必死の形相で歯を食いしばる。
 両眼に灯る火炎の残光が、更に強く輝き始める。
 もっと。もっと、焔を――迫る色彩を超える熱量を、己の中から引き出さんとする。

 使い方は、感覚で理解していた。
 如何に生み出し、如何に操るのか。
 自らの手足を動かすことのように、レミュリンはそれを分かっていた。 
 だから、振り絞った。
 全力で、絞り出した。
 己の中に芽生えた力を。


440 : ジターバグ ◆A3H952TnBk :2024/11/20(水) 00:55:13 yn9mofUA0

 使い方は、感覚で理解していた。
 如何に生み出し、如何に操るのか。
 自らの手足を動かすことのように、レミュリンはそれを分かっていた。 
 だから、振り絞った。
 全力で、絞り出した。
 己の中に芽生えた力を。

 そして、次の瞬間。
 レミュリンの芯の奥底。
 ぷつりと、糸が切れるように。
 防波堤が、崩れ落ちるように。
 突如として、なにかが弾けた。

 今の感覚は、何なのか。 
 一体、何がどうなったのか。
 彼女自身、理解するのが遅れて。
 そして――荒れ狂う波のように。
 “それ”は、奥底から押し寄せてくる。
 

「ッ、が、ぎ、ああ――――っ!!!?!?」


 レミュリンは、その場で両膝を付いていた。
 苦痛に悶えて、己の身体を掻き毟るように抱いていた。
 焼け焦げるような痛みが、その魂の奥底から迸る。
 生きたまま火炎に包まれるような熱が、全身の神経を激しく駆け回る。

 熱い。熱い。熱い、熱い、熱い――――。
 肉体の芯から込み上げるものは、燃え盛るような“熱”だった。
 地獄の焔に身を投げ出すような苦悶の中で、少女は慟哭する。
 その身のあちこちから、赤紫の炎が漏れ出ている。
 
 レミュリンの魔術回路のトリガー。
 悪夢の具現。視界が焼ける“熱の世界”。魂に刻まれた心象風景。
 その鮮明なイメージは、固有の異能という領域にまで結びついた。
 そして余りにも鮮明であるが故に、その熱は少女を蝕む力にも成り得る。

 制御を一歩誤れば、レミュリン自身を蝕む。
 その魂が、魔術回路が、“熱の世界”によって侵食される。
 そんな危険性を孕んだ、諸刃の剣と化していた。

 ぶっつけ本番、土壇場での発現。
 そのような状況で強引に行使された、未知の異能。
 規模も限界も、当の本人が掴みきれていない。
 そんな中で“赤紫の炎”は、魔女にさえ肉薄するまでの火力を引き出された。
 がむしゃらの発動。ブレーキを踏まない、フルスロットルでの加速。
 結果として“その焔”は、今のレミュリンが制御できる範囲を容易く突破していた。


441 : ジターバグ ◆A3H952TnBk :2024/11/20(水) 00:55:51 yn9mofUA0

 イリスは、冷ややかに憐れむような眼差しでレミュリンを眺める。
 強力な異能を制御し切れず、自らが生む熱と焔に灼かれる――そんな少女の姿を、蔑むように見据えていた。

「無様ね。本当に」

 魔女が吐き捨てる言葉。
 それだけが、レミュリンの耳に届く。

「ハナから“真実”なんか求めなければ――」

 自らが生み出した焔に呑まれて。
 迫る黒色を前に、防ぐ術もなく。
 レミュリンの終焉が、刻々と迫る。
 逃れることのできない最期が、押し寄せる。

「自由のままでいられたのに」

 魔女が呟いた言葉に込められた感情。
 その意味も、掴むことが出来ないまま。
 レミュリンの意識は、業火の中に飲まれていく。

 あの日から、ずっと同じだった。
 少女が見る世界は、いつだって。
 焼け落ちるような、熱の日々だった。
 それ故か――少女の中で、微かにでも芽生えるものがあった。

 それは“答え”を求めて駆け抜ける焔でもなく。
 進むべき道を照らす、穏やかな光でもなく。
 自らの終わりを告げる、諦めの灯火だった。

 ――けれど、それでも。
 レミュリンは、足掻き続けていた。

 苦痛に身を灼かれながらも、諦念に纏わりつかれながらも。
 彼女は、生きることを求めていた。
 必死に手を伸ばし、なにかを掴むことを望んだ。

 それは、単なる死の恐怖への抵抗ではない。
 それは、単なる我武者羅の行動でもない。
 それは、自らの未来を望むための意志であり。
 それは、確固たる誓いだった。

 
 ――彼(ランサー)が、今も戦っているから。
 ――彼(ランサー)に、応えなきゃいけないから。


 レミュリンはただ、進むことを求めた。
 大切な人が、自分のために戦い抜いている。
 だから、生きなければならない。
 こんなところで、終わりたくない――。





442 : ジターバグ ◆A3H952TnBk :2024/11/20(水) 00:56:42 yn9mofUA0

 

 ――霊基の奥底に、熱が灯った。
 ――弾けるように、魔力が満ちた。

 無数に飛び交う蝗の群れを槍で凌いでいたルーは、双眸をかっと見開いた。
 己と接続する魔力パスに、急激な変化が訪れた。
 まるで神経に電流が駆け抜けるように、急速に熱を帯びていく。
 そして、ルーの全身を巡る魔力が、格段なまでに充足していく。

 黒蝗の嵐の狭間で、彼の目は“光”を捉えていた。
 赤紫色の燈火。熱の世界の具現。
 分断された戦場に現れた、新たなる焔。
 それが自らのマスターから出でしモノであることを、ルーは確信していた。

 レミュリンに、何かが起きている。
 大きな変化が、その身に生じている。
 それまで目覚めることのなかった力を、発現させている。
 
 それは、少女にとっての大きな一歩であり。
 それまで戦局に関わらず、従者に守られるだけだった少女にとって。
 紛れもなく、始まりへと向かう道標だった。
 
 “君は過保護が過ぎる”。
 それは、あの奇術師から告げられた言葉。
 己とマスターの在り方に投じられた一石。
 ルーの中で、その言葉が反響する。

 この一ヶ月の中で、ルーはレミュリンを支え続けていた。
 彼女は、魔術師ではない。戦いに身を投じる者ではない。
 故に露払いは己が引き受ける。君は、君の答えを導き出せばいい。
 そうしてルーは、少女に己の道と向き合う時間を与えるために、その日々を守り続けていた。
 
 だが――それだけでは、始まらない。
 彼女の運命は、この戦争の中にあった。
 自らの足で進み、対峙しなければ。
 レミュリンはきっと、掴み取ることが出来ない。

 そして、今。
 少女が、自らの足で立とうとしている。
 己の中の焔を、強く燈している。
 なれば――それを支えてやれずして、何が英雄か。 
 ルーの胸の内に、燃え盛るような“熱”が灯る。
 己が此処にいる意味を貫かんと、全霊を込めてその身を奮い立たせる。
 
 ――英雄が、吼えた。
 ――英雄が、駆けた。

 ありったけの魔力を振り絞り。
 迫る無数の黒蟲を、薙ぎ払っていく。
 次々に殺到する、暴食の翅虫。
 己を喰らわんとする、数多の牙。
 それでも、英雄は走る。
 眼前の壁を、一本の槍で貫く。
 
 邪魔だ。退け。往かねばならない。
 彼女の元へと、向かわねばならない。
 英雄は、肉体の全てを躍動させる。
 その力の全てを、少女のために振り絞る。

 ――届け。
 ――届け。
 ――届け!!

 大丈夫だ。
 もう苦しまなくていい。
 君の味方は、此処にいる。
 君を守るために、此処にきた。
 英雄の魂は、叫ぶ。

 そして、その口元に。
 颯爽とした笑みが浮かぶ。
 我武者羅の奮戦により。
 黒い波を突き抜けた英雄。
 彼は自然と、笑っていた。

「来い――――“第三の槍”よ!!」

 理由は、単純だった。
 ヒーローとは、いつだって。
 誰かのために、笑顔を届ける存在だからだ。





443 : ジターバグ ◆A3H952TnBk :2024/11/20(水) 00:57:24 yn9mofUA0

 

 その瞬間。
 少女の視界に。
 少女の世界に。
 新たな光が燈された。

 魔力が、風のように流れ込む。
 迫り来る“黒”を、弾くように遮り。
 癒やしの力が、少女の身を包み込む。
 荒れ狂う焔を、鎮めてゆく。

 自らの終焉を悟ったはずだった。
 成す術もなく、足掻くこともできない。
 何も掴み取れず、悪夢の情景に沈みゆく。
 そう思いかけていたレミュリンは、眼を丸くした。
 そして――彼女は、理解した。
 
 まだ、終わっていない。
 まだ、消えていない。
 希望の灯が、ここにある。

 黄金色に輝く髪。
 颯爽と靡く緑色のマント。
 大樹のように逞しい巨躯。
 突き立てられた氷鞘の槍を、固く握り締め。
 その男は、少女を庇うように立つ。

 大きな背中が、そこにあった。
 眩い程の後ろ姿が、眼前にあった。 
 君には俺が着いている、と。
 まるで、そう告げるように。
 気高き守護者として、少女を守り抜いていた。

 それは、この世のどんなことよりも優しく。
 陽の光が射すように、暖かく、頼もしく。
 己が生き様で未来を示す、英雄の姿だった。

「――ランサー……」

 レミュリンは、ぽつりと呟いた。
 声に交じる、僅かな動揺と困惑。
 死を覚悟した果てに、希望が待ち受けていた。
 やがて、その瞳から――深い安堵が零れる。
 進む道を照らす光を見出した少女は、知らず知らずのうちに。
 その口元に、小さな微笑みを浮かべていた。

 そして、少女を守る英雄もまた。
 颯爽たる笑みによって応える。
 ――遅れてすまなかった。
 その一言を添えて、彼は立ち続ける。

 少女の情熱が掻き消されぬように。
 その声が、暗闇を切り裂く。

 
「もう大丈夫だ、嬢ちゃん――――」 


 其の名は、ルー・マク・エスリン。
 ランサーのサーヴァント。 
 ケルト神話に語り継がれし、大英雄の父。
 長腕の異名を取る、輝光の導き手。
 

「――――俺が、此処にいる!!!」

 
 少女の祈りを守り抜き。
 少女と共に、歩み往く。
 彼は、ヒーローだった。


444 : ジターバグ ◆A3H952TnBk :2024/11/20(水) 01:01:03 yn9mofUA0

 宝具『鏖殺せよ、屠殺の槍と(アラドヴァル)』。
 太陽の如き熱を秘めた第三の槍は、穂先を凍り付かせる“氷の刃”によってその力を封じられている。
 ルーはその刃から“冷気の魔力”のみを放出し、“色彩”を防ぎつつ――レミュリンを包み込んでいた。

 炎熱に悶えた彼女の肉体と魔術回路が、瞬時に冷却されてゆく。
 全てを焼き尽くす“屠殺の槍”。その力を封じる氷の器は、暴発へと向かうレミュリンの焔さえも抑えてみせたのだ。

 そして冷却と共に、レミュリンの身を襲っていた炎熱の苦痛も癒やされてゆく。
 原初のルーンによる“治癒魔術”。氷結の魔力に混ぜ込まれたそれは、二重の加護となってレミュリンを守った。

「“蝗害の魔女”よ――残念だったな」

 ランサーの介入を許し、色間魔術を防がれたイリス。
 舌打ちする彼女のもとに、遅れてシストセルカも降り立つ。
 マスターとサーヴァント。分断された戦いを繰り広げていた面々は、再び主従として対峙する。

「うちのマスターはな、勇敢な嬢ちゃんなんだよ」

 睨むような眼差しと共に、魔力を研ぎ澄ませるイリス。
 表情を引き締め、氷槍を構えるルー。
 仕切り直された戦局は、沈黙の中で緊張に包まれる。
 互いに睨み合いを続けた中で、飄々と口を挟む者が居た。 

「――そういう訳らしいな。イリス、そろそろ引き際だぜ」

 へらりと嗤い、わざとらしく肩を落としながらシストセルカが告げる。

「……は?止める気?」
「ありゃ面倒そうだ。長引く前に止めとけ」

 不機嫌な眼差しで睨みつけるイリス。
 シストセルカは動じることもなく、敵を見据えながら言う。

「手頃な獲物を狩るだけならまだしも、今のこいつらと本格的に事を構えるってのは御免だぜ」

 ――少なくとも、サーヴァントさえ分断すれば片が付く。
 マスターは明らかな素人。イリスが一騎打ちに持ち込めば容易く終わると、シストセルカは考えていた。
 しかし、状況は変わった。ランサーのマスターに明らかな異変が起こり、その魔力が高まっていた。

 イリスも、シストセルカも、つい先程に“別の戦闘”を終えた直後。
 それでもイリスはシストセルカが到着すれば勝負が付く自信があったし、シストセルカもランサーさえ足止めすれば短期決戦で終わると見越していた。
 その目論見が外れた以上、シストセルカはあっけらかんと“撤退”を進言する。

「さっきも念話で伝えたろ、あのジジイからの伝言。
 “少しは成長してみせろ。テメェに比べればホムンクルスのがよっぽどマシな戦果を挙げた”――ってな」

 ニヤリと揶揄うように、釘を刺す一言。
 シストセルカの言葉に、イリスはぴくりと眉間に皺を寄せる。
 そして思わず、チッと舌打ちが零れた。
 魔女の向こう見ずな短慮を蔑み戒める、“老獪の暴君”からの言伝だった。

「癇癪には付き合ってやるが、それで身を滅ぼしたら堪ったもんじゃねえ。
 まだ痛み分けで済むんなら、そっちのがマシだ」

 やれやれ、とわざとらしい身振りをするシストセルカ。
 戯けるような態度の従者に、イリスは不快感を抱くように目を細めるが。
 ――やがて、不服な表情を浮かべたまま構えを解く。
 その身に纏っていた魔力が収束していき、蛇口を締めるように抑え込まれていく。

「勝手に“あいつ”に喧嘩売ったあんたにだけは言われたくない」
「ははッ――確かにそれもそうだ。失礼いたしました、我がマスター様」

 イリスは悪態をつき、対するシストセルカは慇懃無礼に答える。
 恐らく敵側もこれ以上の本格的な交戦は望んでいないだろうと、イリスとシストセルカは踏んでいた。
 土壇場での異能の覚醒。向こうにとっても未知数の状況で、どれだけの消耗になるかも分からない。
 故にここで自分達が退いたとしても、下手な追撃は仕掛けてこないと判断した。


445 : ジターバグ ◆A3H952TnBk :2024/11/20(水) 01:01:56 yn9mofUA0

「……レミュリン、だったわね」

 ――氷鞘の槍を構えるルーと、彼に庇われるように座り込んでいたレミュリン。
 魔女の呼びかけに、微かに顔を強張らせたのち。
 レミュリンは身体にのしかかる疲弊を押し切るように、その場から立ち上がる。
 ゆっくりと、確かな足取りで、少女はルーの隣に並び立った。
 その瞳に恐怖と不安を堪えながらも、確固たる意志を伴って“蝗害の魔女”を見据える。

「あんたが出会った“脱出王”に、あんたが追ってる“赤坂亜切”。
 あいつらに連なる奴らは、他にも存在する」

 そして、イリスは言葉を続ける。
 レミュリンが追う仇敵、赤坂亜切。
 レミュリンが出会った奇術師、“脱出王”。
 彼らに連なる存在――この聖杯戦争の始まりのマスター達について伝える。
 
 ノクト・サムスタンプ、精霊との取引による“契約魔術”を操る凄腕の魔術傭兵。
 ホムンクルス36号、ある魔術師の一族が用意した旧式のホムンクルス。従えるサーヴァントは、かつて猛威を振るった“継代の暗殺者”。
 そして蛇杖堂寂句、蛇杖堂記念病院を拠点とする医師――表と裏の双方に顔を持つ“怪物”。

 イリスが知る〈六人〉の情報と、その姿形。
 同盟者であるアギリを除く面々について、レミュリン達へと伝えた。
 己の敵対者達とレミュリン達との接点を作り、少しでも彼らを削る余地を作るために。
 アギリを追うこと――それはこの針音の聖杯戦争の核心へと迫ることだと、宣告するように。

「退くも進むも、あんた達の勝手。
 その代わり、相応の覚悟はすることね」

 そうして、イリスは身を翻す。
 待ち受ける壁を示唆する言葉を告げて。
 背を向けて、この場から去っていく。

 ――ねえ、祓葉。
 ――結局、あんたの思い通りになったのかもね。

 未だに、苛立ちは晴れない。
 しかし、少しだけ頭は冷えた。
 そんなイリスが思い抱いたことはひとつ。

 ――ああ。
 ――ほんとに、腹が立つ。
 ――あんたの遊び相手を。
 ――私が育てたみたいじゃない。





446 : ジターバグ ◆A3H952TnBk :2024/11/20(水) 01:03:20 yn9mofUA0



 どさりと、その場に尻餅をついた。
 呆然とした表情で、暗闇の空を仰いだ。

 直接対決に伴う緊張と疲労。魔力の消耗。
 嵐が去った後、その全てがレミュリンの身体にどっと押し寄せてきた。
 端的に言うならば――疲れた。そして、命を拾ったことへの安堵があった。
 そうしてレミュリンは、全身から力が抜け落ちた。
 
 やっと終わった。
 無事に、生き延びられた。
 掴み取った奇跡を前に、そんなことを思い。
 放心するように、彼女は虚空を見つめていた。

 少しずつ、仇敵へと近づいている。
 あの魔女もまた、アギリ・アカサカに連なっている。
 しかし、与えられた情報を咀嚼する余裕は、今はまだ無かった。
 彼女はただ、その場に茫然と佇んでいた。

 ――胸の内で燃え盛っていた炎が、鎮まってゆき。
 ――少女の意識もまた、急速に"現実"へと引き戻されていく。
 ――まるで、夢の世界から醒めるかのように。

 この聖杯戦争に招かれたマスターは、時に固有の力に目覚めることがある。
 魔術師であろうと、そうでなかろうと、決して区別はない。
 舞台に招かれた役者たちには、等しく"異能"や"魔術"という祝福を得る。
 そのことはルーから既に聞いていたし、レミュリンも感覚として掴んでいた。

 レミュリンの表情には、陰が掛かっていた。
 自らの力の本質を悟り、悲観を抱くかのように。
 少女は、その顔を俯かせていた。

 焔の力。焼き尽くす炎熱。
 敵を灰燼に帰す、紅蓮の渦。
 全てを飲み込む、業火の華。

 ――お母さん。お父さん。

 己の中で、受け入れる覚悟をした。
 それでも、感情は容易く割り切れない。
 自分が目覚めた異能というものは。
 後ろめたい記憶を呼び起こす、“哀しみ”の姿をしていた。

 ――お姉ちゃん。

 それは、穏やかな日常を終わらせた。
 あの喪失の記憶の、写身のようだったから。
 
 脳裏によぎるのは、焼け焦げた姿で横たわる家族の姿。
 もう二度と優しい笑顔を向けてくれることはない、愛しい人達の亡骸。
 在りし日の終焉を告げる、熱の記憶。

 己に芽生えた"新たなる力"。
 それは、あの悪夢の具現だった。
 己の中のトラウマが、形を成したものだった。
 死線を越えて、レミュリンはそのことを改めて直視する。

 故にレミュリンは、哀しみを抱いた。
 己の中に纏わりつく、呪いのような心象風景を嘆いた。
 この記憶からは逃れられないと、告げられたようだった。
 この呪縛に囚われ続けると、突きつけられたようだった。
 お前が背負った喪失は――いつまでも“ここ”にあるぞ、と。
 誰かが、そう囁いているような気がした。
 
「レミュリン!!」

 ――そんな葛藤を抱いた矢先だった。
 高らかなる声が、少女の意識を引き戻した。


447 : ジターバグ ◆A3H952TnBk :2024/11/20(水) 01:03:51 yn9mofUA0

 え、とレミュリンは声を漏らす。
 悲嘆の中に沈みつつあった中で、己の手を引く光がそこにあった。
 座り込んでいた少女と目線を合わせるように、男もまたしゃがみ込む。
 そうしてサーヴァント――長腕のルーは、清々しい笑みを見せる。
 大丈夫だ、心配することはない。そう告げるかのようだった。
 英雄は、少女の苦悩に寄り添いながら胸を張る。
 
「力とは、イメージを大切とする!
 如何なる技であり、如何なる意味を持つのか。
 それを規定するものとして“名”が存在する!」

 そう――宝具の持つ名が、英雄の背負う“伝説”を規定するように。
 名を持つことには確固たる意味があるのだと、ルーは告げる。

「故に、君の力!俺が名付けよう!」

 君が目覚めたモノは、決して“呪い”ではない。
 言葉には出さずとも、ルーは少女にそう伝えていたのだ。
 

「――『赤紫燈(インボルク)』」


 それ故に。
 レミュリンは、その名を聞き届けて。
 陰を背負っていた表情が、静かに晴れてゆく。

「それは火と陽の女神を称える聖日であり、春の訪れを祝うケルトの祭りを意味する」

 レミュリンにとって、春は哀しみの形をしていた。
 あの春の日に、家族と死別することになったから。
 それから二年の月日が経った冬の日に、彼女は姉の部屋で“懐中時計”を見つけた。
 緩やかな針を刻んでいた時間が、確かに動き出す音がした。
 
「君の聖なる焔は――“熱の日々”を終わらせる、祝祭の灯火だ」

 ルー・マク・エスリンは、春の訪れを告げる。
 それは少女が全てを喪った、哀しみの日の象徴としてではなく。
 彼女が悲嘆を乗り越え、己の道を切り開いていく――“始まりの季節”へと向かう祝福だった。

「……ランサー」

 その心に、暖かな光が射し。
 やがて少女は、口を開く。
 ――“自分は、君を甘やかし過ぎているのか”。
 あの時の言葉が、不意にレミュリンの脳裏によぎる。
 彼がそう呟いた真意を、最初は掴むことが出来なかった。
 
 けれど、今は。
 ルーに守られることしか出来なかった自分を直視し。
 そして、これまで自分を献身的に守り続けてくれていた彼の奮闘を自覚し。
 自らの焔に意味を与えてくれた“相棒”へと、感謝を告げた。
 その口元に、彼と同じようなほほ笑みを浮かべながら――。

 
「ずっと支えてくれて、ありがとう」


 ――この暗闇を切り裂く、英雄の声。
 それは少女の胸に宿る“言葉”となっていた。


448 : ジターバグ ◆A3H952TnBk :2024/11/20(水) 01:06:30 yn9mofUA0
【渋谷区/一日目・夕方】
【楪依里朱】
[状態]:魔力消費(中)、不機嫌、右肩に銃創とそれに伴う出血(魔術で止血済)、未練
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:数十万円
[思考・状況]
基本方針:優勝する。そして……?
0:ほんと、腹立つ。
1:祓葉を殺す。
2:一旦情報を整理。蛇杖堂への以後の方針も考える。
[備考]
※天枷仁杜(〈NEETY GIRL〉)とネットゲームを介して繋がっています。相手がマスターであるとは知りません。
 必要があればトークアプリを通じて連絡を取ることが出来るでしょう。
※蛇杖堂記念病院での一連の戦闘についてライダー(シストセルカ)から聞きました。
※今の〈脱出王〉が女性であることを把握しました。

【ライダー(シストセルカ・グレガリア)】
[状態]:戦力2割減(回復中)、疲労(小)
[装備]:バット(バッタ製)
[道具]:
[所持金]:百万円くらい。遊び人なので、結構持ってる。
[思考・状況]
基本方針:好き放題。金に食事に女に暴力!
1:相変わらずヘラってんな、イリス。
2:祓葉にはいずれ借りを返したいが、まあ今は無理だわな。
[備考]
※〈蝗害〉を止めて繁殖にリソースを割くことで、祓葉戦で失った軍勢を急速に補充しています。


【渋谷区・公園の広場/一日目・夕方】
【レミュリン・ウェルブレイシス・スタール 】
[状態]:疲労(大)、全身にダメージ(大・治癒魔術で応急処置済)、決意
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:6万円程度(5月分の生活費)
[思考・状況]
基本方針:――進む。わたしの知りたい、答えのもとへ。
1:ありがとう、ランサー。
2:神父さまの言葉に従おう。
[備考]
※自分の両親と姉の仇が赤坂亜切であること、彼がマスターとして聖杯戦争に参加していることを知りました。
※ルーン魔術の加護により物理・魔術攻撃への耐久力が上がっています。
またルーンを介することで指先から魔力を弾丸として放てますが、威力はそれほど高くないです。
※炎を操る術『赤紫燈(インボルク)』を体得しました。規模や応用の詳細、またどの程度制御できるのかは後のリレーにお任せします。
※アギリ以外の〈はじまりの六人〉に関する情報をイリスから与えられました。

【ランサー(ルー・マク・エスリン)】
[状態]:魔力消費(小)
[装備]:常勝の四秘宝・槍、ゲイ・アッサル、アラドヴァル
[道具]:緑のマント、ヒーロー風スーツ
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:英雄として、彼女の傍に立つ。
1:レミュリンをヒーローとして支える。共に戦う道を進む。
[備考]
予選期間の一ヵ月の間に、3組の主従と交戦し、いずれも傷ひとつ負わずに圧勝し撃退しています。
レミュリンは交戦があった事実そのものを知らず、気づいていません。
ライダー(ハリー・フーディーニ)から、その3組がいずれも脱落したことを知らされました。


449 : 名無しさん :2024/11/20(水) 01:06:45 yn9mofUA0
投下終了です。


450 : ◆0pIloi6gg. :2024/11/21(木) 03:13:22 tZWU9Urk0
投下します。


451 : 再教育 ◆0pIloi6gg. :2024/11/21(木) 03:13:55 tZWU9Urk0



 魔術の世界を好きだったことなんて一度もないし、きっとこれからもそうなれる日は来ないと断言できる。
 でも、両親のことは人並みに好きだった。
 優しかったし、魔術師の家でよくあるらしい虐待じみた教育や改造を叩き込まれることもなかった。
 だから死んだ時は、どっちもちゃんと悲しかった。
 もうこの人達に会うことはできないんだ、声を聞くことはないんだ、という当然の悲しさもあったし。
 あんなに頑張って追い求めたものに指先さえ掠めることなく死んでしまったことへの、哀れみもあったと思う。
 わたしはこうなりたくない、こんな風には終わりたくないと、改めてそう感じたものだ。

 ときどき、こう考えることがある。
 もしも魔術師になんてなりたくない、普通の人間として生きていきたい――と面と向かって伝えていたら、どうなっていたのだろうかと。
 結局別れの日が来るまで、それを口にすることはなかったけれど。
 今思うと、厳格だった父はともかく、母は案外話を聞いてくれたのかもしれない。

 要するに、わたしは逃げたのだ。
 魔術の世界から逃げるため、目の前の現実と戦うという行為から。
 
 心の中を諦観と失望で満たし、時計塔の講義や、研究に腐心する母の横顔に辟易し。
 なんでみんな、報われることもない悲願なんかに人生を捧げてるんだろうと、冷めた目で見下していた。
 そうまで嫌っておきながら、悲観していながら、行動を起こすことだけはしなかった。
 内心その自覚があったからこそ、あの傲慢な老蛇の言葉に反論のひとつも吐けなかったのだろう。

 無能。そう謗られても仕方のない生き方を、これまでわたしは続けてきた。

 停滞と表裏一体の、諦観。
 抱いた願いは、見るも無残に矛盾だらけ。
 尻に火が点いても、わたしは目を背け続けた。
 医者の痛烈な指摘(メス)で心を切り開かれ、抉り出した怠惰/病巣を見せつけられるまで。
 諦めと矛盾が織りなす螺旋の中で綺麗事を吐いて踊る姿は、さぞや滑稽に見えたろう。


 ――それでも、わたしは。この願望(みち)だけは諦められない。


 だからあの時、わたしは蹴ったのだ。
 優秀で冷酷な同盟者が作った避難経路。
 確実に、最短で、未来を開ける血塗れの道。
 示された正解を蹴って、詰みと分かって壁へ向かった。

 矛盾を指摘されたなら、それは正さなければいけないから。
 願いを叶えるために、願いを阻む闇へと挑んだ。
 その結果はこの通り、笑えるほどの惨敗だったけれど。
 それでもあんまり、後悔はしていない。
 よくできたじゃん、と自分を褒めてやりたい気持ちすらある。
 後悔しているのはもっと過去のこと。
 もう取り返しのつかない、失ってしまった日常のことだ。


452 : 再教育 ◆0pIloi6gg. :2024/11/21(木) 03:14:23 tZWU9Urk0


 

 ねえ、お母さん。
 わたしね、普通に生きたいんだ。
 手の届かない星を追いかけるんじゃなくて。
 歩けば手が届くような、ちっぽけな幸せを大事にしたいの。
 根源がどうとか、正直ぜんぜんピンと来なくてさ。
 どこかの誰かが開発した新しい魔術の理論とかよりも、流行りのテレビ番組とか、ファッションとかの話がしたかったよ。
 夜は普通に会社や学校の愚痴を話して、朝は行ってきますって元気に言って。
 ペットなんか飼ってみるのもよかったかもね。散歩の当番なんか決めてさ、すっぽかしたお父さんに嫌味言ったりも悪くなかったかも。
 お父さんってお硬い人だったけど、案外ああいうタイプって無償の愛みたいなのに弱かったりしたんじゃないかなーって今は思うんだ。

 ねえ、お母さん。
 ごめんね。

 わたし、ふたりにいろんなことしてもらったよね。
 なのにそれ、これから全部無駄にしちゃう。
 どうせって諦めて、伝えなきゃいけないことなんにも伝えてなかった。
 やり直せるならやり直したいけど、死んだ人を生き返らせるなんて"魔法"でもないとできないし。
 完全な蘇生は、それこそ奇跡でもなきゃ無理なんだっけ。お母さんが教えてくれたよね、これも。
 だから、こうして頭の中でしか謝れないし伝えられないけど。
 でも、親不孝なわたしのことを本当の天国からまだ見ててくれてるなら――ちょっとだけでも馬鹿な娘を応援してくれたら嬉しいな。




 ……そんな。
 まるで子どもみたいな、きっと魔術師なら益体もないって切り捨ててしまうような思考を重ねながら。
 わたしは、泥濘の中に沈んでいた意識がゆっくりと浮上していくのを感じていた。
 闇から光へ。現在から未来へ。絶望から希望へ。雷光の如く加速して、上へ上へと走り出す自我。
 
 アンジェリカ・アルロニカは浮上する。
 〈雷光〉の子として生まれながら、駆け抜けることを嫌った愚か者。
 それでもまだ、どういうわけかこの身体には時間が残されていたようで――



◇◇


453 : 再教育 ◆0pIloi6gg. :2024/11/21(木) 03:15:20 tZWU9Urk0



「っ――――は、ぁ」

 気付けばわたしは、ベッドの上で目を開けていた。
 見知らぬ白い天井と、少し硬いマットレスの感触。
 身体はずっしり重かったけど、疲労というよりは単なる寝起きの倦怠感に近かった。
 痛みはない。あんなに血を流したというのに、わたしの身体には管の一本も繋がれてはいなくて。
 わたしは、確か――と、過去と現在を理解という紐で結びつけようとしたわたしの耳に。

「……アンジェ! 良かった、目が覚めたのだな!?」
「っ……アーチャー……。声でかいよ、耳きんきんする……」

 耳慣れた相棒の歓喜の声が、甲高く響き渡った。
 思わず文句が口をついて出たが、その声のおかげで工程はすぐさま完了される。
 そうだ。わたしは、戦っていた。
 サーヴァントではないが、もしかするとそれより恐いかもしれない嫌味なヤブ医者と。

「身体に不具合はないか? 少しでも違和感があればすぐに言え!」
「……ない、と思う。むしろ此処に来る前よりも元気になってる感じすらする、かも」

 戦って、そして……負けた。
 あったはずの退路を蹴って、結果の見えた無謀に突撃したのだ。
 後悔はないけれど、我ながら無茶をやったものだと背中が冷える。
 万全でも勝てる相手じゃないのに、蝗に身体を食い破られた状態でそんな真似をしたのだから自殺行為も甚だしかった。
 
 ――ていうか、なんでまだ命があるんだろう。
 ホムンクルスとアサシンは退いて、あの場にいたのはわたしとアーチャーだけ。
 わたしが負けた後、アーチャーが頑張ってくれた?
 いやでも、この視界の景色はどこからどう見ても病院のそれだ。
 一体何がどうなって……と。混乱の中、彼に起きたことの仔細を問い詰めようとして。


「――悪運は強いようだな、アンジェリカ・アルロニカ。足掻くのが能なのは母親譲りか」


 忘れたくても忘れられない、死ぬほどムカつく声が耳朶を揺らした。
 怠さを堪えながら、咄嗟に上体を跳ね起こす。
 すると視界に映ったのは、やはりあの老人の顔だった。
 
 年波を感じさせない真っ直ぐな佇まい。
 鍛え抜かれた身体、煮え滾るマグマのような存在感。
 傲慢という言葉を人の形にしたならこうなるだろうか、というようなこの老人に――わたしはさっき、敗北したのだ。

 蛇杖堂寂句。
 〈はじまりの六人〉の、そのひとり。
 前回の聖杯戦争で、もっとも熾天に近かったという魔人。
 彼の顔に浮かんだ嘲りの笑みが、わたしの命を救ったのが誰なのかを雄弁に物語っていた。



◇◇


454 : 再教育 ◆0pIloi6gg. :2024/11/21(木) 03:16:20 tZWU9Urk0



 その時――天若日子は、困惑していた。
 アンジェリカがあの選択を取った時点で、彼は英霊として、彼女が順当に敗北した場合のことを考えていた。
 無論、真剣勝負で敗れたから潔く死を看取るなんて行儀のいい選択を取る気はさらさらなかった。
 アンジェリカが敗れ死に瀕したのなら、自分に出し得る最大の出力で目の前の主従に対抗する。
 結果、事態は危惧した通りになったのだが……ここでひとつ誤算が生まれた。

 蛇杖堂寂句。
 戦場と化した病院の主であり、アンジェリカが文字通り死力を尽くして戦った現代の医神。
 彼がおもむろにアンジェリカの身体を抱え上げ、執刀(なお)すなどと言い始めたのだ。

 さしもの天若日子も、これには面食らうしかなかった。
 というよりも、心の底から意図が読めなかったのである。
 敵に情けをかける男には見えない。
 本物を知っているから言えることだが、この老人の傲慢は、単なる悪癖を通り越して神の視点に近い。
 そんな男が何故、目の前でまんまと撃沈した敵を治すなどと言い始めたのか。
 分からないまま、天若日子のマスターはあれよあれよと手術室まで運ばれていってしまった。
 手術室は医者以外立ち入り禁止だ、などと言われる可能性も考えていたが、そういう物言いは掛からなかった。
 英霊はそもそも菌だとか汚れだとかとは無縁の幻想なので、特に問題とされなかった――ということなのだろうか。

「やはり内臓を食い破られているな。それだけでなく、腋窩動脈にも損傷が見られる。
 これでよくあれだけ持ち堪えたものだ。普通なら苦痛で失神していてもおかしくはない」

 淡々と語りながら、メスで傷口を開く老人。
 その一挙手一投足を、天若日子はひとつたりとも見逃さないよう目を光らせる。
 
「英霊となったサバクトビバッタは単純に噛み破るのではなく、傷口に部位損壊の呪いを含ませるのか。
 実に興味深い症例だ。英霊ならいざ知らず、人間では一匹に食い付かれただけでもほぼ確実に死ぬだろう。
 端から無能どもの腕に期待などしていないが、私以外の医者ではわずかな延命すら不可能だろうな」
「……自分ならばどうにかできる、と言いたげな口振りだな」
「そう言ったつもりだが? 言葉を咀嚼する時は耳だけでなく頭を使え。無能の誤解を訂正している間も、時間は変わらず流れるのだから」

 いい加減この物言いにも慣れてきたが、蛇杖堂寂句という人間そのものに慣れてはいけないと天若日子の本能的な部分が警鐘を鳴らしていた。
 英霊であり、神である、天孫降臨に際して地上へと下った天弓の担い手。
 悪しき神を射殺し、天の遣いをも撃ち、最期はそれが災いして裁きを受けた英雄。
 その彼をして、断ぜる。――この老人は、下手な英霊よりよほど恐ろしく、油断のならない怪物であると。

「それは失礼した。時に、御老体」

 寂句は変わらず、アンジェリカの患部だけを見つめている。
 が、彼の助手を務める医師たちは寒気に震え上がった。


455 : 再教育 ◆0pIloi6gg. :2024/11/21(木) 03:17:22 tZWU9Urk0

 単なる気温の低下とはわけが違う。
 骨身を冷やし、魂まで震わせる。
 本能まで震撼させる、神の殺気を感じ取ったからだ。
 

「我が友の身体を捌くことを許す。
 だが、くれぐれも妙な真似はするでないぞ」


 脅しではない。
 この場に居合わせた誰もが、それを直感する。
 現に寂句のランサーは、眉を顰めて静かに臨戦態勢を取っていた。
 もし少しでも間違いがあれば、命を救う筈の手術室に命を奪う殺意の神風が吹き荒れる。
 誰ひとり無事では済まない。天蠍の魔獣さえその認識だったというのに、当の老人は一切不変だった。
 天若日子の威圧をそよ風のように受け流しながら、一寸の無駄もない所作で死に向かう魔術師の身体を切開している。
 その姿に唇を噛み、天若日子は続けた。自分の主の命は彼の手腕にかかっていると理解はしている。が、それでも釘は刺さねばならない。

「貴様に倣って、私も傲慢に行かせてもらう。
 何も企てるな。何も欲するな。ただ我が友の命だけを救え」

 蛇杖堂寂句以外に、アンジェリカ・アルロニカの命を救える者は存在しない。
 それでも、命が助かる代わりに彼女が彼女でなくなるのなら。
 この怪物じみた医者の狂気/悪意に糸引かれる人形に成り果てるというのなら。
 天若日子は躊躇なく、アンジェリカが尊厳を保ったままに死ぬことを選ぶ。
 
 あの不器用な生き方と素朴な笑顔。
 神たる己に見せた、ヒトの生き様。
 そのすべてを、天若日子は愛している。
 愛するが故に、それが損なわれたならもうそこにいるのは"彼女"ではないと断ずる。
 であれば死を以って、これ以上奪われることを止めよう。
 更に死を以って、己の朋友を穢す者を滅ぼそう。
 天若日子は、そういう選択のできる存在だった。彼はヒトを愛するものだが――愛するが故に、それを壊せる。

「天佐具売は、さぞや楽な仕事だったろうな」
「……! 貴様――」
 
 放つ殺気の質が変わる。
 その嘲笑の意味を、天若日子に理解できない筈がない。
 天界弓……天之麻迦古弓を抜いた時点で覚悟はしていたが、いざ実際に真名を見透かされればどうしても緊張が走るのは否めなかった。

 直接的に罵るのではなく、より魂を突き刺す嘲り。
 ヒトを愛した神の失態をチラつかせて、寂句は嗤う。


456 : 再教育 ◆0pIloi6gg. :2024/11/21(木) 03:18:17 tZWU9Urk0

「零落した神を従える魔術師、なるほど確かに悪くない。
 あの〈雷光〉めの継嗣というのも評価に値する。
 薬、呪術、契約……手練手管を尽くして人形に変え、顎で使ってやるのも一興だろう」

 だが、と。
 話を続ける間も、彼の手は機械じみた速さと正確さで為すべきことを為し続けていた。
 速やかに損傷部位を露わにし、傷と受けた呪いの全貌を暴き立てる。
 同席している医師たちは、しかし研修医でもできるような最小限の仕事しかしていなかった。
 怠けているのではない。寂句の手術が速すぎて、誰ひとり付いていけないのだ。
 当たり前のように飛び出す道の術式に、理解も技術も追い付かない。
 そして寂句も、改めてそれを罵ることはしない。
 まるで最初から、誰も自分に並べはしないのだと理解しているように。

「瞳を灼かれた人形など、無能すぎて糸を結んでやる価値もない。
 愚者には愚者の使い道がある。その方が、"アレ"を相手取る上では有用だからな」
「……それは。あの白い少女のことを言っているのか?」
「天津神の小間使いよ。貴様は見るに堪えん無能だが、ひとつだけ評価してやる。
 よくぞ現在のアレを相手取り、生き延びられたものだ。
 あの輝きに比べれば〈蝗害〉など微風に等しい。真の厄災とは神でなく、理を喰らうモノのことを言う」

 そう。
 寂句は、知っているのだ。
 
 世の中には、計算だけでは罷り通らぬことがある。
 理屈では測れない、忌まわしいほどの混沌が存在する。
 そうでなければ、今頃自分は熾天の冠を戴き、次の行程へ移っていた筈なのだから。

 アンジェリカ・アルロニカを救うという選択。
 それは、かつての彼ならばしなかったろう行いだ。
 天若日子が危惧するように、奸計を埋め込んで人形にでもしようというならいざ知らず。
 純粋に命を救うべく執刀するなど、稀有な症例のデータを収集できる恩恵と比べても割に合わない。
 太陽に遭う前の寂句が見たなら、それこそ無能の一言で切って捨てていた筈だ。

「――喜べ。貴様がこの度認めた友とやらは、私の眼鏡に適ったのだ」

 だが、既に蛇杖堂の主は狂ってしまった。
 太陽網膜症。強すぎる光に灼かれた残骸(レムナント)。
 故にアンジェリカ・アルロニカは命を繋ぎ。
 手術室の中に、天の暴風が吹き荒れることもない。

 手術はつつがなく完了され、患者は程なくして目を覚ます。
 天神地祇、いずれも及ばず。
 原初の混沌さえ凌駕する、宇宙の混沌。
 白い光に照らされた、針音の仮想都市へと次代の〈雷光〉が帰還する。
 それが幸か不幸かは、分からないけれど。



◇◇


457 : 再教育 ◆0pIloi6gg. :2024/11/21(木) 03:19:14 tZWU9Urk0



「安心しろ、手術は成功した。
 治療の際に霊薬を使ったのでな、暫くは患部に熱感があるだろうが明朝には消える。
 魔術回路への損傷も見て取れなかった。これまで通り魔術を行使することも可能だろう、貴様にとっては皮肉であろうがな」
「……、そりゃ、どうも――なんだけどさ」

 服の上から傷口に触れると、縫合痕らしき凸凹を感じ取ることができた。
 確かに少し熱を持っている気はする。だが、痛みはやはり感じられない。
 手術は成功した、というのは本当なのだろう。
 しかし無論、だからと言って素直に「先生ありがとうございました!」なんて言えるわけもない。

「どういうつもりなの、あんた……」

 意味が分からないからだ、あの場でわたしを助けることの。
 もしや身体に何か仕込まれたかとも思ったが、そんなことをアーチャーが許すとは考え難い。
 いっそ身体の半分が機械に置き換えられていたとか、片腕が機関銃になってるとかそういうトンデモが出てきた方がまだ納得できたかもしれない。
 命を救われたことへの感謝を遥かに凌駕する疑念。それを素直に口に出したわたしに、老人はやはり嘲笑を向けた。

「どうもこうもない。その結果がすべてだ」
「いや、だから……! なんで敵のわたしを助ける必要があるのよ……!?」
「主従揃って無能だな、貴様らは。
 既に回答はしてやった。同じことを二度解説するほど親身にはなれん。詳しくはそこの無能一号に聞け」
「む、無能一号……」

 こいつ、マジで一回ボコボコにした方がいいんじゃないかな。
 いや、そうしようと思った結果ボコボコにされたんだけどさ。

 なんて思いながらアーチャーの方へ視線を向ける、わたし。
 するとアーチャーは、少し難しい顔をしながら話してくれた。
 手術室の中で、彼が寂句と交わした会話。
 最後まで目を光らせていたが、結局怪しい行動は見られなかったらしいこと。
 全部聞いても、しかしぜんぜん納得なんてできなかった。
 説明にしてはあまりに物言いが抽象的だし、凡人のわたしにはまったくピンと来ない。
 まるで、途中式と解が繋がらない――道理の狂った数式を見たような気分だった。

 ただ。
 わたしはそこで、あの白い女の子のことを思い出した。
 ついでに、わたしの意識が消える前……こいつが口にした、言葉のことも。


458 : 再教育 ◆0pIloi6gg. :2024/11/21(木) 03:19:54 tZWU9Urk0


『そうか――クク、そうか、貴様……もうすでに焼かれていたわけか』


 なんで、〈はじまり〉のひとりのこいつがそれを知っているんだろう。
 人間を生きたまま、魂まで灼く存在なんてあの〈白〉以外には考えられない。
 
 こいつ――蛇杖堂寂句も、確かに怖かった。
 あの〈蝗害〉もそうだ。けれど、一番じゃない。
 何故ならわたしは、あの白い輝きを知っている。
 白き滅び(セファール)。時計塔の授業で、悪趣味な講師が聞かせてくれた与太話を思い出した。
 わたしは。アレこそが、その白じゃないのかと本気で思う。
 そのくらいには、アレは途方もなく大きくて、悍ましくて……美しくて。
 
「……あのさ」

 次いで、ホムンクルスの言葉が脳裏をよぎる。
 はっきり言って、あいつらのことを信用できてるかというと今でも微妙だ。
 少なくとも価値観の合う奴らではない、それは確か。
 良くも悪くもただの"同盟相手"。そんなホムンクルスは、あの時わたしへこう言った。


『そうだ。"私ではない誰か"が聖杯を勝ち取り、二度目の聖杯戦争を始めたらしい』
『故に情報だ。"一組はであっていないため知らないが"…残り五組の情報なら幾らか渡せるだろう』
『私は私の忠節を示すため、動きを新たにする。
 "彼女"に最も素晴らしいものを届けるため───私は、自らを再定義する』


 あいつの、"主"。
 忠節を誓い、今も漕がれる相手。
 もしわたしがあいつの立場だったとしたらどうするだろう。
 命を懸けて、魂を賭して、二度目の生なんてものを得ても仕えたい相手がいたとして。
 その仔細を、たかだか利害関係で組んでる程度の相手に教えるだろうか。
 いいや、教えない。たぶん上手いこと隠して、バレないように努める筈だ。
 であればあいつの"主"は、きっと"出会っていないから知らない"と隠したもう一組で。
 それはおそらく、この世界を……聖杯戦争を仕組み、わたし達を運命へと放り込んだこの都市の神様。


 そんなもの。
 そんなことが、できる奴。
 わたしは、ひとりしか知らない。
 わたしはこの世界について、まだまだ何も知らないけれど――
 それでも断言できる。だってわたしは、あの光を知っているから。
 目に焼き付いて離れない、太陽みたいな白い恐怖を憶えているから。

「あんたも、あの子を知ってるの?」
「嫌というほど」

 わたしの投げた問いに、微塵の間も置かず寂句は即答した。


459 : 再教育 ◆0pIloi6gg. :2024/11/21(木) 03:24:08 tZWU9Urk0
 蛇杖堂寂句。ホムンクルスは、わたしにその詳細な人物像までは伝えなかったけれど――
 今なら分かる。こいつは間違いなく、"前回"のトップランカーだ。
 こんな化け物、同盟でも結んでなりふり構わず叩かないと倒すどころか勝負することすら難しいだろう。
 まともな形式と頭数で行われる聖杯戦争だったなら尚更。
 でも、恐らくこいつは失敗した。どこかでしくじって、負けて、死んで、それから蘇らされて此処にいるのだ。

 じゃあ――誰がそれをやったのか。 


「私がアレに抱いた狂気(かんじょう)は〈畏怖〉だ」
「畏怖……畏怖? あんたが?」
「アレは地上にあっていい生物ではない。新たな霊長と呼ぶにも度が過ぎる、この世全てを冒涜する白光だ。
 対抗しようと考えるなら、南米の蜘蛛を起こすことすら大真面目に視野に入るだろうよ。
 私の場合、気付いた時には既に遅かったがな。ク――我ながら笑えん無能を晒したものだ」


 その言葉は、この傍若無人な老人から出てくるにはあまりにも"らしくない"。
 なのにわたしは、初めてこいつに共感のようなものを感じていた。
 わかる。わかるよ。アレは確かに、怖い。
 同じ世界にいてほしくないと、相手の人となりも知らないのに本能でそう思った。
 
 例えばだけど、一足す一の答えが零だって言ってくる人間がいるとしよう。
 誰だってバカだと思う筈だ。それも、ちょっと真面目に関わりたくない部類の。
 でも、もしもそのありえない答えが真実であると目の前で証明されてしまったら?
 何をどう考えても理屈としておかしいことが、まるでそいつの機嫌を取るみたいに現実になってしまったら?
 わたしにとってあの夜のことは、そういうものだった。
 まるでそれは、そう。あの子のために、あるべき理屈が、ひとつの世界が狂っていくような……

「ホムンクルスに誑かされたのなら、既に"前回"の存在と役者については知っているな?」
「……まあ、触りくらいは。あいつ、細かいことは教えてくれなかったし」
「私もそこまで教えてやるつもりはない。いささか事情が変わったとはいえ敵は敵、端役は端役だ。生憎私は、他の無能どもほど他人の有能さを信用していないのでな」

 いつもの嫌味な台詞だけど、少しだけ納得があった。
 ホムンクルスはとにかく説明が足りなくて自分勝手な奴だけど、あいつなりに誠意というものを示そうとしていたように感じる。
 あいつの場合、なんというかそれが人の尺度とズレてるだけで……少なくとも悪意ありきで近寄ってきたわけじゃないことはなんとなく分かった。
 そういう意味では、あいつは他人というものを信じようとしているのだろう。期待しようとしている。何かを変える可能性があると思って、わざわざ知らせなくてもいい過去の話を打ち明けてきたのだと今なら思う。

 その点、この蛇杖堂寂句という男はそんな風にはまったく見えない。
 本人の言う通り、こいつは他人を頼らず、自分で事を収めようとするタイプに見える。
 じゃあ何故、あの状況でわざわざわたしなんかを助けたんだろう。
 矛盾という、この機械じみた男に一番似合わない言葉を想起しながら、わたしは続く言葉を待った。


460 : 再教育 ◆0pIloi6gg. :2024/11/21(木) 03:24:56 tZWU9Urk0

「しかし――既に灼かれているというならば、貴様を灼いた星の話くらいは聞かせてやってもいい」
「……星。それって、やっぱり」
「あの娘の名は神寂祓葉という。
 神を祓い、寂しがる葉……まったく笑えない皮肉だがな。寂寥で世界を滅ぼされては堪ったものではない」

 神寂――祓葉。
 その名前が口にされた瞬間、病室の気温がぐんと下がったように感じたのは、わたしが今もトラウマを引きずっているからなのか。

「アレ……何なの。
 魔術師? それとも、死徒とかいう吸血種? 幻想種との混ざり物とか言われても信じるけど」
「いいや? ただの人間だ」
「は……? いや、今冗談言うような場面じゃ」
「人間だよ。外付けされたモノの存在を除けば、神寂祓葉は確かにひとりの人間だ。
 構造で言うならば私や貴様よりも余程人間らしいとも。事実、聖杯戦争に関与するまでは普通の女子高生として過ごしていたと聞く」

 悪い冗談であってほしかったと、こんなに思ったことはないかもしれない。
 サーヴァントの矢を片手で撃ち落とすのが、人間?
 わたしみたいな半端者の魔術師でも、"魔法"級のモノだと分かるあの巨大な白狼を一太刀で斬り伏せるのが、わたし達と同じ人間だって?
 でも寂句の顔にふざけている様子はないし、そもそもこいつがそんな無駄を許容する人間じゃないことはわたしも分かっていた。

「現実を踏破する力を持つが、それを開花する機会に恵まれなかった徒花。
 しかし出会った英霊が悪かった。ヒトの肉体が抱える物理的限界を踏破する手段を得て、神寂祓葉は覚醒した。後は貴様の見た通りだ」
「……あんた達も、それで?」
「ああ。過程の違いはあれど、恐らく全員が奴の手にかかり討たれたのだろう。
 そしてどいつもこいつも、アレの輝きに灼かれ我を忘れている。
 望遠鏡で覗くだけでも目を灼く恒星に、我々は"触れて"しまったのだ。末路としては当然と言える」

 前回は、最初誰もその危険性に気付けなかった。
 だから皆、警戒することもなく自分達の戦いをしていた。
 巻き込まれた不運な一般人A。魔術師の戦いのいろはも知らない、無力で取るに足らないエキストラ。
 いつでも殺せる、だから重視しない。対策なんてもってのほか。
 戦場の片隅で勝手に死ぬだろうし、そうでなくても厄介な他を狩ってから悠々自適に追い詰めればそれでいい。
 わたしは初めて、寂句やホムンクルス達、"前回"の役者どもに同情した。
 だってそれは――あまりに喜劇じみた話じゃないか。それも役者を指差して笑うたぐいの、性格の悪い。

「この聖杯戦争は奴が始めたものだ。
 〈熾天の冠〉――聖杯の力によって我々を蘇らせ、悪びれもせず"遊び"と称して踊らせる。
 今も昔も、奴の心にあるのは子どもじみた欲求だ。アレは我々にも貴様らにも、等しく一片の悪意も抱いていない」
「ホムンクルスは、そのカムサビ某のことを主だって認識してるらしいけど」
「無能め、少し考えて分かれ。
 道具として生まれ、それ以外の世界を知らなかった赤子が、自己を対等と看做して微笑みかける地上の太陽を見たのだぞ?」

 そう返されると、沈黙するしかない。
 初めて、あの無愛想なホムンクルスに同情した。
 わたしは自分の生まれた世界を心底嫌だと思ってた。
 だけどあいつは、最初に見た外の世界が祓葉(アレ)だったってことなのか。

 だったら――そりゃ、そうもなるよな。何も不思議な話じゃない。


461 : 再教育 ◆0pIloi6gg. :2024/11/21(木) 03:25:43 tZWU9Urk0

「……話は分かったよ。未だに現実味がないけど、でもとりあえず理解はできた」
「理解? ふん――」
「どうせ"浅慮は無能の証だな。アレについては私でさえ未だ〜〜"とか言うんでしょ。
 こっちは病み上がりなの、偏屈お爺ちゃんのネチネチトークに付き合えるほど原状復帰できてません。そっちこそちょっとは分かってよ」

 半ば強引にお決まりの流れを吹っ切る。
 こうやってまともに話して改めて思うけど、こんなロジハラの化身みたいな奴に付いていく医者がいることが不思議でしょうがない。
 こいつのネチネチに青筋立てる余裕も、正直今はあんまりないのだ。
 だからぶった切ってから、無理やりにでも話の本題をねじ込むことにした。

「で。あんたは、わたしに何をしてほしいの?」

 そう、今気にするべき一番の本題はこれだ。
 だって、どう考えたっておかしい。
 蛇杖堂寂句は他人に可能性を求めない。
 神寂祓葉を超えるための光なんてものを探す気はないと、こいつはその偉そうな口で断言した。

 ならどうして、こいつはわたしを助けた?
 放っておけば死んで、未来の敵がひとり減っていたのに。
 矛盾してる。その矛盾が、命を繋いだ安堵に勝るほど気持ち悪い。
 事と次第によっては、この場でさっきの続きをすることになるかもしれない――いつでも"加速"できるように備えながら固唾を呑んだわたしに、老人は事も無げに答えた。

「別段、何も求めはしない」
「……、え?」
「無能の上に難聴か? 何も求めない。それ以上でも以下でもない」
「は……何よ、それ。そんなのぜんぜん理屈が通ってないでしょ」

 鬼の目にも涙、なんて話がこいつに適用できるとは思えない。
 訝しむわたしに、しかし寂句は呆れたように嘆息して。
 それから、実にこいつらしい理屈を並べ始めた。

「先程も言ったが、私は己以外のすべてに期待していない。
 白紙の大地を漁って星の聖剣を探す趣味はない。
 信用すべきは我が身以外になく、未来永劫その結論が覆ることもないだろう」
「なら、なんで」
「しかし、いずれ遂げる大願に向けて盤面を整える工夫はする。それは期待ではなく、企ての成功確率を引き上げる合理的な行動だ」

 皺の寄った、なのに衰えや見窄らしさは感じさせない顔が笑みを描く。
 やはりというべきか、それはわたしに対する嘲りの顔だった。

「祓葉と邂逅して生還し、その上で衛星のひとつ――ホムンクルスとの縁を持っている。
 不確定要素としては悪くない。故、踊り続けさせた方が私の益になると判断した。それだけのことだ」
「えーと。つまり、何。
 当て馬としていい感じだから、とりあえず助けてみたってこと?」
「無能らしい理屈の省略だが、大筋は合っている。
 貴様が何も成さずに犬死にしようが私の益になる金星を生もうが、どちらにしろそれで私に不利益が生じることはない。
 そして貴様がもう一度私に挑んだとして、その程度の実力と能力では決して私の牙城を脅かせなどしない。
 だから救ってやった。拾い上げてやった。これ以上まだ説明が必要か? ならば懇切丁寧に語ってやるが」
「オッケー、もう喋んなくていいよ。あんたが自分と祓葉以外の全部を平等に見下し腐ってることはよ〜〜く分かったから」

 マジでぶん殴ってやろうかこのクソジジイ。
 いや実際実行に移しても吠え面かく未来が毛ほども見えないからますます腹立つんだけど。


462 : 再教育 ◆0pIloi6gg. :2024/11/21(木) 03:26:32 tZWU9Urk0

 まあとりあえず、理屈は分かった。深く考えようとしたわたしが馬鹿だったってことも。
 つまるところこいつの行動方針は"アレ"――神寂祓葉の討伐に終始していて。
 だからこそ、それ以外の何も心からは見ていない。いや、見る価値もないんだろう。だって実際、こいつは依然として聖杯戦争という土俵における最強格だ。個人の能力、頭脳、持っている社会的能力、全部がわたしみたいな一般人崩れの魔術師とは格が違う。

 そんな男をして、注視せざるを得ないモノ。
 普通に戦っていたら聖杯戦争のひとつやふたつ制せてしまうような怪物でさえ、備えなければいけない規格外。
 わたしがあの夜に見たものは、それほどの存在なのか。改めて気の遠くなる思いがこみ上げたことを、どうか責めないでほしい。

「無能のために手を尽くした時間が一時間後には無駄になってるかもしれないよ。それでもいいの?」
「屑籠に放り投げたちり紙が的を外して床に落ちた程度のことだ。その時は思うこともあろうが、数秒後には忘れる」
「分かったよ。じゃあわたしは、あんたの気まぐれで助かったことを喜びながらそのニヤけ面を曇らせることに腐心するから」
「そうか。精々励むことだ」

 悪態をついてはみたものの、正直こいつと再戦するのは機会があるとしても相当後になるだろう。
 さっきも言ったけど、こいつは……蛇杖堂寂句という男は前回の勝者、神寂祓葉以外を基本的に問題としていない。
 つまり、敵対する理由が当面のところないのだ。ならこっちから進んで喧嘩を売る理由もない。
 それにわたしの方からしても、こんな何かの冗談みたいな化け物と進んで関わりたくはないし。

「……ところでなんだけど。助けてくれたついでにもうひとつお医者様の意見を聞いてもいいかな」
「吐くだけならば自由だ。答えるに値するか否かはこちらで判断するが」
「――偉くて強くて素敵なお医者様のあんたは……わたしは、これからどう行動すればいいと思う?」

 あっちが勝手なら、こっちも勝手をしたって構わないでしょ。
 それに、こいつを相手にするならそのくらいの気構えでいいと心底分かった。
 だからこその問い。だけど、本心から知見を聞きたいことでもある。
 
 今、わたしの中にはふたつの問題がある。
 ひとつは、聖杯戦争に勝利して願いを叶えること。
 もうひとつは、神寂祓葉という回避不能の"障害"とどう向き合えばいいのかってこと。
 ……ふたつめについては、正直考えたくもないけれど。
 あんな化け物と正面から向き合うなんて、絶対に御免被りたいけれど――それでもやっぱりこの〈都市〉に演者(アクター)として呼ばれたからには向き合わない選択肢はないのだろう。
 だから図々しいのは承知で問いかけることにした。どの道こいつとは、そんな遠慮とかするような間柄じゃないんだし。命の恩人なのは確かだけど死に瀕する原因を作ったのもこいつなんだからとんだマッチポンプだ。よって問題なし。誰がなんと言おうと、問題なしだ。
 そう開き直ったわたしに、老人は言った。

「私は貴様の人となりの詳細など知らん。よって出せる答えには限りがある。
 それでも、私見で構わないのならば――ホムンクルスを頼るがいい。アレは私ならば語らない情報を貴様に伝えるだろう。
 奴の取り柄は純真で、欠点も然りだ。それが良い方に作用するにせよそうでないにせよ、少なくとも停滞以上の成果は齎すだろうよ」
「……そ。やっぱりそういうことになるんだ」

 正直、知らない奴らの内輪ノリに巻き込まれてるみたいで気分はよくないけれど。
 神寂祓葉という神が始めた物語で奴の端役に終わらないためには、こいつらの存在は重要な鍵になる。
 実際に戦って、そして前回の肝の部分を聞いた今はその結論に深い納得があった。
 となると、端役のわたしにわざわざあっちから接触してきたホムンクルスは絶対に無視できない。
 あいつも大概問題のある奴だったけど、それでもこの嫌味ジジイに比べればまだ話の通じる相手なのは間違いないし。


463 : 再教育 ◆0pIloi6gg. :2024/11/21(木) 03:27:27 tZWU9Urk0

「話は終わりだ、速やかに退院しろ。言っておくが次に会うことがあれば、私は躊躇なく貴様を殺す」
「なっ、自分で助けておいて……!」
「確かにそうだが、それがどうした? 救った命は奪ってはならないという規則でもあるのか」
「まず人を殺しちゃいけないってルールが人間社会にはあるだろうがよ」

 この歳で此処まで俺様やってる奴、若い時どんなだったんだろう。
 気になるような、想像もしたくないような……。
 微妙な気持ちの中で立ち上がろうとして、ふと。

「あの。ところで、聡明なるジャック先生に聞きたいことがもうひとつあるんだけど」
「帰れと言った筈だが?」
「退院しろって言われても、わたしまだ手術受けてからせいぜい一時間ちょっとでしょ。動いていいの?」
「損傷箇所の修復には霊薬を用いたと言ったろう。
 それでもまあ、確かに普通ならば半日は安静にすべきだが……長々と居座られても鬱陶しいのでな、覚醒剤を投与しておいた」
「――おい待てこのヤブ医者。今なんて言った?」

 いや退院しろって、こっちガチの病み上がりなんだけど――と思ったので聞いてみたら、思わず耳を疑うとんでもない発言が飛んできた。

「早合点もまた無能の証だ、話は最後まで聞け。
 確かに一度でも摂取すれば極悪な依存性で瞬く間に廃人にできる改悪品も手元に無いではないが……生憎、貴様の保護者がずっと目を光らせていたのでな。 
 もしも私が奸計を弄していたなら速やかに戦端が開かれ、貴様は今頃この世に居なかったろうよ」

 嗜好性を排除して医療用に特化させた、市販品より多少優れたサプリメントのようなものだ、と。
 まだ説明が必要か? とばかりの調子で述べてくる寂句に、わたしはほんのわずかでも近付いた心の距離をたちまち後退させる。
 うん、前言撤回。やっぱりこいつら、どいつもこいつもとんでもないロクでなし集団らしい。
 まあ、本当に傷の痛みでのたうち回って半日動けないとか冗談にもならないのでありがたいっちゃありがたいんだけど、ぐぬぬぬ……。

 ……とりあえず。
 これ以上長居してると、お医者様の傲慢が今度は牙を剥いてきかねない。
 恐る恐る傷口に触れてみるけど、包帯こそ巻かれているが痛みはなかった。
 伸びをしても同じ。これなら確かに、行動しても問題はなさそうだ。

 アーチャーの方を見る。
 やや申し訳無さそうな顔をしていたので、思わず苦笑が出た。
 わたしが起きた時あんなにうるさかったのは、この様子を見るに喜びすぎてついつい我を忘れてしまった感じだったのだろう。
 なんていうか、あめわからしいな、と思う。本当に、わたしの喚んだサーヴァントがこいつでよかった。
 命は繋いだ。知るべきことも、知れた。ならそろそろ、また足を動かさないと。


464 : 再教育 ◆0pIloi6gg. :2024/11/21(木) 03:28:10 tZWU9Urk0

「正直、あんたにこういうこと言うのはすっごい癪なんだけど――ありがと、いろいろ助かった」
「仏の顔も三度まで、という言葉を知っているな?
 次はない、帰れ。無能の誠意などという糞の役にも立たん自己満足に私の時間を使わせるな」
「はいはい、言われなくても帰りますよっての」

 本当に可愛げのひとつもないジジイだ。
 二度と会いたくないし、何なら名前も聞きたくない。
 だいたいいくら健康上問題ないからって、ついさっきメスを入れた病人にこんな物言いができるか普通。
 わたしはベッドから立ち上がると、アーチャーに向けて頷いた。
 行こう、という合図だ。アーチャーはまだ少し心配そうだったが、わたしの様子を見て「とりあえず大丈夫」と判断してくれたらしい。彼も彼で頷き返して、いよいよわたしたちはこの地獄みたいな病院を後にする。

「――でも、なんかちょっと安心したよ。
 あんたのこと、最初はどうしたらこんな化け物に勝てるんだよって思ったけど」

 足は止めない。
 止めないまま、最後に一言。

「あんたも、ちゃんと灼かれてるんだね」

 挑発のつもりはない。
 悪態とも、思っていない。
 単なる事実を、感想を伝えただけ。
 そう、わたしは"祓葉"の話をこいつから聞いていて、ふとこう思ったのだ。

 あの時はあんなに絶望的に見えた蛇杖堂の魔人。
 恐ろしい〈蝗害〉を、眉ひとつ動かさずに退けた怪物。
 そんなこいつが、祓葉の話をしているときだけは――

 まるで。
 やんちゃな孫に頭を抱える、偏屈な"お爺ちゃん"のように見えたから。



◇◇


465 : 再教育 ◆0pIloi6gg. :2024/11/21(木) 03:28:43 tZWU9Urk0



 結局、寂句は何も言わなかった。
 追ってくることもなく、おかげでわたしは無事悪夢の病院を"退院"することができた。
 
「すまなかった、アンジェ」

 病院の中はというと、やっぱり大混乱に陥っていた。
 〈蝗害〉が侵食したのはわずかな時間だったけど、それでも被害は甚大だったらしい。
 ひっきりなしに行き来する担架、響く怒声と泣き声、床や壁の所々にこびり付いた、かつて人間だったのだろう血と肉片。
 もし地獄というものが本当に在るのなら、きっとこういう景色をしているのだろうと思った。

 なるべく見ないように努めたのは間違いなくわたしの弱さだ。
 一度足を止めてしまったら、すぐには進めない気がした。
 だから足早に、まるで無関係の他人のような顔で通り過ぎた。
 ――心の中で、ごめんなさい、ごめんなさい、と侘びながら。

「……なんであんたが謝るのさ、アーチャー」
「〈蝗害〉を討てなかった。ホムンクルスの企てに気付けなかった」
「あいつの一手がなかったら、今頃わたしたちも此処にいなかったでしょ」
「だとしてもだ。私が仕損じなければ、アンジェが傷つくことはなかった」

 今日あったことを、今日見たことを、わたしはきっと一生忘れないだろう。
 そして、忘れちゃいけないと思う。
 それが、生き延びた者の責任。無辜の彼らを巻き込んでしまった者の、責任。
 造り物だとか人形だとか、そういう言葉で片付けてしまったらわたしはあの医者と同じになってしまう。
 
 生きていたのだ、みんな。
 あの病院の患者たちは、誰もが生きていた。
 自分で生きて、歩いて、何かを考えていた。
 ならそれを"人間じゃない"なんて、わたしには言えない。
 あそこにいたのは、わたしと同じ人間だった。普通の人達だった。
 わたしたちの聖杯戦争のせいで、そんな"普通"の命が、数え切れないほど壊れた。

「――其方(とも)にそんな顔をさせることも、なかったのだ」

 鏡でもなけりゃ、自分で自分の表情(かお)は分からない。
 なんとか取り繕ってるつもりだったけど、そんなにひどい顔をしてたのか、わたしは。
 思わず自分に呆れた。失笑が、口をついて出た。


466 : 再教育 ◆0pIloi6gg. :2024/11/21(木) 03:29:18 tZWU9Urk0

「じゃあ、わたしだってそうだ」

 認めよう。
 わたしはきっと、今までどこかでこの戦いのことを軽く見ていた。
 所詮、わたしたちだけの話だと思っていた。
 でも、違った。わたしたちがしているのは、"誰か"の幸せを足場に行う殺し合いだ。
  
 戦えば戦うほどに、誰かの幸せが壊れていく。
 そうまでしてでも生き残る、それがアンジェリカ・アルロニカという人間に与えられた旅路のカタチ。
 命を足蹴にする。不幸を、許容する。
 最低限だろうが無差別だろうが、それで失われる命の値打ちは等しく等価だ。
 なんて――地獄。ああ、地獄はきっとあの病院だけじゃない。
 この世界のすべてが、そうなのだと今なら分かる。わたしは、それを見た。

「わたしが先に気付いてたら、防げた」
「……違う」
「わたしがもっと強くて、蝗が来る前にあいつを倒せてたら、防げた」
「違う」
「わたしが"願い"なんて抱かなかったら、誰も死なずに済んだ」
「――違うッ! 断じてそれは……違うぞ、アンジェ……!!」

 響く、アーチャーの……あめわかの声。
 今にも張り裂けそうな声音に、わたしはまた笑った。
 いや、あくまで笑ったつもりなだけで。
 本当はどんな顔をしていたかは――分からないけれど。

「……ほら。わたしだって、あめわかにそんな顔させちゃってる」

 もしも、魔術師としてもっと鍛錬を積んでいたら。
 お母さんやお父さん、時計塔の奴らと同じように一意専心叶うはずもない夢を追っていたら。
 わたしは、あの悲劇を防ぐことができたろうか。
 分からない。考えても、答えは出ない。イフとはどこまで行ってもただの空想、自慰以外の価値も意味も持たない。


467 : 再教育 ◆0pIloi6gg. :2024/11/21(木) 03:32:46 tZWU9Urk0

「ねえ、あめわか」
「……なんだ、アンジェ」
「戦うのって、辛いね」
「そうだな。私も、心底そう思う」

 天若日子という神のことを、わたしはもう知っている。
 デリカシーに欠けるかと思って本人には伝えてないけど、今の時代、図書館に通わずとも歴史や神話は文字通り片手間で調べられる。
 
 偉い奴の命を受けて地上に降り立った、弓持つ神様。
 凶暴な悪い神を討ち、けれど、地上を愛してしまった神様。
 戦い/大義の外の世界を、知ってしまい――
 そうして、天の罰を受けて露と消えた、徒花の神。

 蛇杖堂寂句ならば、無能と呼ぶのだろう。
 任ぜられた仕事を果たすだけで報われたのに、色気を出して逆賊に堕ちた莫迦と。
 でも、わたしはそうは思わない。それはきっと、自分の人生と重ねてしまうから。

「それでも、ね。わたしは――戦いたい。
 凄い理想なんてない。殉じるような信仰も、摩訶不思議な奇跡がないと叶わない野望もない。
 わたしは、ただわたしのためだけに、戦いたいとまだ思ってる」

 根源へ至るという、大義。
 すべての魔術師が抱える悲願。
 けれどわたしは、その外に目を向けてしまった。
 大義でない生きる意味を、求めてしまった。

 大国主命の娘に。
 下照比売に恋をした、彼のように。
 殉ずる以外の選択肢を、見つけてしまった。

「……あめわかは、こんなわたしでもついてきてくれる?」

 わたしは、生きたい。
 与えられた世界の、大義の、外側に行きたい。
 その願いが、地獄を知った今でも胸の中で燃え続けている。
 戦え、と。叶えろ、と。……乗り越えろ、と。
 太陽を知り、狂気を知り、地獄を知り、命の意味(おもさ)を知った今も炎が消えてくれないのだ。

 なんて、罪深い。
 なんて、情けない。
 なんて――必死なのだと、自分でも思うけど。


468 : 再教育 ◆0pIloi6gg. :2024/11/21(木) 03:33:21 tZWU9Urk0


「当然だ」


 そんなわたしに、ああやっぱり。
 あめわかは、疑いなんか挟む余地もない顔で、即答してくれて。

「アンジェ。私は御身の弓であり、御身の矢だ。
 だがそれ以前に、私は其方を朋友だと思っている」
「……うん。知ってる。しょっちゅう言ってるもんね、ソレ」
「なればこそ、私からアンジェの隣を離れることは決してない。
 目指す先が浄土であろうが、地獄であろうが。
 あるいはそれ以外の魔道であろうが――忠を捧げ友誼を結んだ以上は、お供をしよう」
「流石天津神そっちのけでランデブーに明け暮れた神様だ」
「ぬ……。ひ、否定はせぬがな。私とてそれなりにお上への引け目はあったのだぞ!?」

 ――よって、思う。
 ああ、やっぱり。
 わたしのサーヴァントが、こいつでよかった。
 大義ならざる夢を見たこいつは、わたしの幼稚な夢を否定しない。
 いつだって寄り添って。いっしょに戦って、背負ってくれる。
 口ではこう言ってるけど、本当にありがたく感じてる。誓って本心だ。
 
「あのさ、あめわか」
「……うむ」
「わたし、あめわかがサーヴァントでよかったよ」

 ホムンクルスもあのヤブ医者も、兎にも角にも言動に問題がある。
 ホムンクルスは言葉が足りないし、寂句は配慮とかデリカシーとか何から何まで足りなすぎる。
 直近で出会ったのがそんな論外どもだったから、せめてわたしは、思ったことを率直に伝えようと思えた。
 
「だから――お願い。こんなわたしと、これからも一緒に戦って」

 わたしは弱い。
 力も、心も。
 あめわかがいないと、戦えない。
 だからわたしは、星に願うように、こんなわたしを友と呼んでくれた神様に乞い願った。
 その祈りに、あめわかは。


469 : 再教育 ◆0pIloi6gg. :2024/11/21(木) 03:33:55 tZWU9Urk0

「しかと承った。これまでもこれからも、変わることなく我が弓は御身のために振るおう。
 だから、その……なんだ。こちらの方こそ、こんな私で良ければ――だな。末永く、共に。その」
「……ふふ。あははは。神様が恐縮してどうすんのさ」
「ぬ……! ぐ、ぐむむむ……」

 神様にしては可愛く、けれどわたしにとってはこの世の何よりも頼もしく、応えてくれた。
 少しからかってみたのは照れ臭さから。
 だけど心は、底の底まで安堵してる。
 ひとりじゃないんだ、って思えて。
 嬉しかった。そう、本当に……とっても、嬉しかったのだ。

「とりあえず、ホムンクルスに会おうと思ってる。
 あのクソジジイの話を聞くにあんちくしょう、説明不足も甚だしかったみたいだから。こってり絞るのも兼ねて、いろいろ聞きたいなって」
「……賢明だな。奴らのやり方は心底気に食わぬが、蛇のご老人よりか話が通じる相手なのは事実だ。
 髑髏面の暗殺者はともかく、赤子の方は打算ありきでも誠意のようなものを示そうとしていたように思うしな。
 ――いやそれにしたってアンジェをほっぽり出してさっさとトンズラこいたことには多分に思うところがあるが……」

 アサシン陣営――もとい、ホムンクルス。〈はじまり〉の欠片、衛星のひとつ。
 好き嫌いで言ったら、やっぱり好きではない。思うところはたくさんある。
 きっと価値観も違う。犠牲を出したくないわたしと、犠牲を当たり前に考えるあいつ。話し合いは難航するかもしれない。

「それでも、当の本人であるあの老人がホムンクルスを頼れと言ったのだ。改めて会って、話をしてみる価値はあるだろう」

 だとしても、会う価値がある。
 わたしもあめわかとまったく同意見だった。
 あいつは、寂句とは違う。
 曲がりなりにも他人と対等に関わろうという危害がある。
 そして、蛇杖堂の怪物と同じく……あの白い太陽に灼かれている。
 ホムンクルスとの縁は、力も思想の強度も足りないわたしが唯一持ち得るアドバンテージ。
 であれば他に選択肢はない。幸いにして今は、わたしにもあいつの足元を見れるだけの知識がある。

「じゃあ、決まりだね」
「……ああ。露払いは任せてくれ。
 不甲斐ない姿を晒した分、次こそは完璧に其方の近衛の任を果たしてみせよう!」

 得たものはひとつ。
 前回の、そしてこの世界の"根源(カミ)"。
 神寂祓葉という、拒むべき/超えるべき太陽。
 失ったものは、数え切れないほど。
 でも、わたしに振り返る権利はない。
 願いを抱き、それを遂げるためにひた走るのなら――振り向いて泣き崩れても、それは自慰めいた偽善に過ぎない。

 そうして、こうして、わたしはもう一度歩き出す。
 失敗と、現実。ふたつの古傷を抱えながら。
 目指すはホムンクルス、老獪な蛇と並ぶもうひとつの衛星。
 太陽を超え、狂気の向こう側に辿り着くため。アンジェリカ・アルロニカは、それでも進む。



◇◇


470 : 再教育 ◆0pIloi6gg. :2024/11/21(木) 03:34:42 tZWU9Urk0



「よかったのですか、マスター」
「質問をするなら主語述語を明瞭にしろ」
「マスター・ジャックであれば、あのアーチャーの眼を欺いて策を仕込むことも可能だったのでは?」
「無能め。貴様は天津神の尖兵を舐め過ぎだ。
 アレはわずかな悪意だろうがすかさず反応し、事を荒立たせていただろうよ。
 アルロニカの遺児の末路は私にとってそう重要ではないが、じきに夜が来るこの局面で不要な消耗を負うのは本懐ではない。
 以上だ。まだ訊きたいことがあるのなら、英霊としての沽券を担保に口を開くことだ」
「……失礼致しました。疑問への解は示されたので、口を閉ざします」

 アンジェリカ・アルロニカ。
 ホムンクルス36号。
 そして、楪依里朱の〈蝗害〉。
 三者三様三種の侵略は、いずれも蛇杖堂寂句を墜とすこと叶わず。
 されど、決して無意味ではなかった。

「この土地はもう使い物にならんな。
 犠牲は微々たるものだが侵入を許した時点で土地そのものが飛蝗どもの食欲に呪われた。
 結界を貼るにも陣を拵えるにも労力と結果が見合わん。業腹だが、陣地としては破棄するしかない」

 アンジェリカと彼女のアーチャーが、寂句の対応を幾らかでも遅らせた。
 それを良いことに飛蝗どもは増長し、ホムンクルスがそこへ付け込んだ。
 結果、備えは決壊して〈蝗害〉が一時なれども蛇杖堂記念病院ないしその聳える土地に"侵略"してしまった。
 その時点で、この土地は潰れた。〈蝗害〉への対処に抜かりはなかったと今でも思うが、想定外の猛悪さであったことは否めない。
 
 ――サバクトビバッタは群れを成す。
 群れを成し、地平を覆う暴風と化して視界のすべてを暴食する。
 生き物が餌を食えば、当然その後は糞をする。
 一匹二匹ならいざ知らず、数億数兆数京の飛蝗が垂れる糞だ。
 それは汚泥となり、彼らが食べ残した穀物さえもを腐らせる。
 そんな生態を再現するが如く、飛蝗どもの侵略を許した蛇杖堂記念病院の在る土地は腐敗の兆候をきたしていた。

 今や泥濘みの上に城を築いているようなもの。
 非常に脆く不安定で、引き出せる可能性がない。
 壊された結界や仕掛けの復元だけなら数時間と要さないが、やったとしても元通りにはまずならないだろう。
 以前より格段に脆く隙だらけで、簡単な介入で容易く崩れ去る砂の城が出来上がるだけだ。
 土地喰いの蝗害。その真価は、しっかりと発揮されていた。

「しかし楪の魔女め、思春期は未だに治らんと見える。
 此度の聖杯はずいぶんと寄り添った人選をするものだ。
 感情任せに運用しても一定の成果を挙げられる土地喰いの虫螻ども……なるほど奴の走狗としてはこの上ない逸材か」

 魔術師・蛇杖堂寂句の陣地としての蛇杖堂記念病院は破棄する。
 が、それでも寂句にとっては食い扶持をひとつ潰された程度の損害でしかない。
 反面、得られた情報は大きいと来た。中でも一番の釣果は、ホムンクルスとその英霊に関すること。


471 : 再教育 ◆0pIloi6gg. :2024/11/21(木) 03:35:32 tZWU9Urk0

「その点、よりにもよってあの赤子に喚ばれた〈山の翁〉には同情を禁じ得んな。
 無能ならぬ無脳と化した奇形児に扱える駒ではなかろうよ、アレは」

 他の〈はじまりの六人〉の例に漏れず、蛇杖堂寂句も彼の〈山の翁〉を知っていた。
 忘れられる筈もない。前回どれほどあのアサシンの手練手管に振り回されたことか。
 彼がまたも聖杯戦争の場に這い出てきた事実は脅威だったが、マスターがホムンクルスであるなら事の重要度は一気に低下した。
 前回の大暴れはノクト・サムスタンプという頭脳戦の怪物あってのもの。
 不自由が多く未熟で、その上脳幹たるガーンドレッド家を切り離したホムンクルスに扱えるカードでは断じてない。
 
 であれば、やはり期待すべきは。
 そして警戒すべきは、ノクト・サムスタンプか。
 じきに夜が来る。そうなれば、いよいよあの鬼人も本格的に動き出すだろう。

 ――さて。
 その時己は、どうするか。

「……それにしても」

 ふ、と寂句は笑みを零した。
 彼らしからぬ、どこか自嘲げな笑みだ。
 脳裏に再生されていたのは、"アルロニカの遺児"の去り際の言葉。


「無能なりに諧謔を拵えたか。愚直で幼稚だが、未熟者にしては悪くないエッジだ」


 ――昔の話をしよう。
 蛇杖堂寂句という男は、およそ完璧という言葉のこの上なく似合う魔術師であった。

 技術を旧新で判断せず、それが有用ならば最新の現代機器でも躊躇なく使う。
 だが逆に、いかに伝統的だろうが無用と判断すればあらゆる慣例に倣わない。
 "邪道の蛇杖堂"に生まれ落ちた久方ぶりの天才。
 されどその実情は、いつも通りの魔術師崩れ。魔術使いと大差のない、手段の模索に節操のない凡俗。
 彼をそう嗤う者は数いたが、実際に寂句と対面した上で、もう一度同じ口を叩けた者はいない。
 当代の蛇杖堂に触れた者は皆、口を揃えてこう言った。
 ドクター・ジャックに関わるな。あの男は、極めて危険な"異端"であると。

 そんな男が、〈熾天の冠〉と名された願望器を争奪するための儀式に名乗りをあげた。
 その知らせを聞き、ある者は取り寄せていた触媒を自宅の美術品に堕させる決意を固めた。
 時計塔のロードならば臨むところだ。狡知に長けた暗殺者、良いではないか自分の秘奥を見せてやる。
 しかし――この両刀を極めた魔人とルール無用で殺し合うのは御免被る。
 実際、かの人物の判断は慧眼であったに違いない。寂句はそんな魔術師の名前など、とっくに忘却の彼方へ遣ってしまっていたが。


472 : 再教育 ◆0pIloi6gg. :2024/11/21(木) 03:36:16 tZWU9Urk0

 爆弾魔のテロ行為が横行し。
 髑髏の死神を連れた詐欺師が駆ける。
 幕を開けた聖杯戦争でも、寂句は一度としてミスを冒さなかった。
 ただひとつ。最後に冒した、ただひとつだけを除けば。
 蛇杖堂寂句は揺るぎない最強のまま、聖杯戦争を制していたことだろう。


「ランサー。回答を許す」
「はい。マスター・ジャック」
「私は、狂って見えるか?」
「は……? ――あ、いえ」


 寂句は死んだ。無様に殺された。
 されど、彼の行く先は冥界ではなく再びの現世、再びの聖杯戦争だった。
 神の戯れ、稚児の我儘。
 暴君を終わらせた少女は、自分達を散々苦しめた彼をさえ当たり前のように蘇らせたのだ。

 聖杯戦争を共に楽しむ、"友達"として。
 そう、蛇杖堂寂句は蘇ってしまった。
 奇跡のような偶然で滅び去った男が、敗北を知った最強として再び都市に立ってしまった。

 であれば結末は決まっている。
 その采配に無駄はなく、次こそミスは冒さない。
 蛇杖堂の暴君が冠を戴き、誤った歴史を正す。
 ――彼が本当に、以前と同じ"彼"であるのなら。

「……そのようには見えません。この都市で当機構が見た貴方の姿は常に理知的で、いつも合理に従い行動されていたように思います」
「そうか。クク、やはり機械にヒトの機微は分からぬらしい」

 蛇杖堂寂句は、敗北してしまった。
 初めての敗北。今もって理解のできない愚行の末の、敗北。
 既に〈熾天の冠〉を争っていた時の寂句は存在しない。
 極東くんだりまで彼を尋ねてきた先代のアルロニカ、〈雷光〉と問答を交わした時の彼はもう何処にもいないのだ。


473 : 再教育 ◆0pIloi6gg. :2024/11/21(木) 03:36:54 tZWU9Urk0

 後天的不完全。
 あるいは、狂気。
 
 それが、敗れた寂句に告げられた病名である。
 完璧な道具であったホムンクルスが親離れなど覚えたように。
 完璧な詐術師であったサムスタンプが恋など知ったように。
 完璧な求道者であった寂句は――道理では語れぬ、恐ろしい/畏ろしい光を知ってしまった。

「良い機会だ、貴様に断じておこう。
 蛇杖堂寂句(わたし)は既に正常ではない。とうの昔に狂っている」

 九十年を費やした悲願への探求を捨てて、生物一個の追放に邁進しているのがその証拠。
 以前までの寂句なら、やるにしても本筋を進めつつサブプランとして聖杯の獲得も目指しただろう。
 だが今となっては、あれほど追い求めていた根源到達とその先の未来図になど、毛ほどの関心も抱けない。
 端的に言って、どうでもいいとすら思っていた。この変貌が狂気の賜物でなくてなんだというのか。

 寂句の言葉を聞いたランサー……天の蠍(アンタレス)と名付けられた英霊は、少し言葉を詰まらせた。
 何と返せばいいのか、純粋に分からなかったのだろう。
 まるでどこかの救済機構のようにもごもごと逡巡した後、不器用に声を発する。

「質問します。マスター・ジャックは……当機構に、ご自身の狂気を正してほしいのですか?」
「阿呆が。思い上がるな。
 この私がたかだか影法師ごときに進言を乞うような惰弱に見えるのか?」

 身も蓋もない返事に、アンタレスは今度こそ沈黙する。
 その様を一度鼻で笑って、寂句は言った。

「逆だ。
 貴様はこの道が狂人の戯れ言であると知った上で、何も語らず付き従え」
「……、……」
「狂気ならずして大義は成せぬ、などと無能めいた言い訳をするつもりはない。
 私は狂っている。故に狂気のままに、あの星を射抜かんとするのだ」
「――何のために、でしょうか」
「愚問。
 ただこの"種"の尊厳と、意義を護るために」

 神寂祓葉は、恐ろしい。
 アレはもはや、霊長の枠組みにいない。
 旧新ではなく、構造からして別物だと言わざるを得ない。
 仮に人類史の終端(オメガ)までもを見届けたとしても、アレに並ぶ種など生まれ落ちることはないと断言できる。


474 : 再教育 ◆0pIloi6gg. :2024/11/21(木) 03:37:20 tZWU9Urk0

 ――もうひとつ、恐ろしいことを挙げるとすれば。
 何故か不思議と、あの少女に対して敵意を抱けないこと。
 蝗害の魔女なら違うだろう。あるいは、アレだけが六人の中で唯一の異端なのかもしれない。
 寂句でさえ、祓葉について語り考えている時、たまに愕然とすることがある。
 不思議なほど、あの"光"を悪しく思えないことに。
 ともすれば能力だけはあるが致命的にそれ以外の出来が悪い、そんな後進を見ているような気分になることに。

 ああ、恐ろしい。
 なんと、おぞましい。
 込み上げる〈畏怖〉が、堕ちた暴君に使命をくれる。


 ――あの小娘は、もはや地上にあってはならぬ存在だ。


 過去と未来、そのすべてを棄てた。
 どうでもいいと、かなぐり捨てた。
 そうして手元に残ったのはひとつ、天の蠍。
 過ぎた光を宇宙(ソラ)に放逐する、最終兵器。
 故に寂句は他の残骸と違い、針音都市に希望を求めない。
 彼の希望はただひとつ。彼の未来もただひとつ。
 
『ジャック先生は怖いくらい優秀だけど、少し真面目すぎるみたいですね』

 そう苦笑した、かつて問答を交わした〈雷光〉の言葉を。
 思い出したが、振り返らない。
 蛇杖堂寂句は自罰を知らない。
 故に暴君。傍若無人。いかなる邪道であろうとも――――信じた正道のためならば、蛇杖堂はそのすべてを噛み分ける。


◇◇


475 : 再教育 ◆0pIloi6gg. :2024/11/21(木) 03:37:41 tZWU9Urk0


【港区・蛇杖堂記念病院/一日目・夕方】

【蛇杖堂寂句】
[状態]:健康、ダメージ(小)、魔力消費(小)
[令呪]:残り3画
[装備]:手術着
[道具]:各種の治療薬、治癒魔術のための触媒(潤沢)、「偽りの霊薬」1本。
[所持金]:潤沢
[思考・状況]
基本方針:他全ての参加者を蹴散らし、神寂祓葉と決着をつける。
0:この感情が狂気だとしても、為すべきことはひとつ。
1:神寂縁とは当面ゆるい協力体制を維持する。仮に彼が楪依里朱を倒した場合、本気で倒すべき脅威に格上げする。
2:当面は不適切な参加者を順次排除していく。
3:病院は陣地としては使えない。放棄がベターだろうが、さて。
[備考]
神寂縁、高浜公示、静寂暁美、根室清、水池魅鳥が同一人物であることを知りました。
神寂縁との間に、蛇杖堂一族のホットラインが結ばれています。
蛇杖堂記念病院はその結界を失い、建造物は半壊状態にあります。また病院関係者に多数の死傷者が発生しています。

蛇杖堂の一族(のNPC)は、本来であればちょっとした規模の兵隊として機能するだけの能力がありますが。
敵に悪用される可能性を嫌った寂句によって、ほぼ全て東京都内から(=この舞台から)退去させられています。
屋敷にいるのは事情を知らない一般人の使用人や警備担当者のみ。
病院にいるのは事情を知らない一般人の医療従事者のみです。
事実上、蛇杖堂の一族に連なるNPCは、今後この聖杯戦争に関与してきません。

アンジェリカの母親(オリヴィア・アルロニカ)について、どのような関係があったかは後続に任せます。
→かつてオリヴィアが来日した際、尋ねてきた彼女と問答を交わしたことがあるようです。詳細は後続に任せます。


【ランサー(ギルタブリル/天蠍アンタレス)】
[状態]:健康
[装備]:赤い槍
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:神寂祓葉を刺してヒトより上の段階に放逐する。
0:狂気――、ですか。
1:蛇杖堂寂句に従う。
2:ヒマがあれば人間社会についての好奇心を満たす。
3:霊衣改変のコツを教わる約束をした筈なのですが……言い出せる空気でもなかったので仕方ないですが……ですが……(ふて腐れ)


【港区・蛇杖堂記念病院付近/一日目・夕方】

【アンジェリカ・アルロニカ】
[状態]:魔力消費(大)、罪悪感
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:ヒーローのお面(ピンク)
[所持金]:家にはそれなりの金額があった。それなりの貯金もあるようだ。時計塔の魔術師だしね。
[思考・状況]
基本方針:勝ち残る。
0:ホムンクルスに会う。そして、話をする。
1:あー……きついなあ、戦うって。
2:蛇杖堂寂句には二度と会いたくない。できれば名前も聞きたくない。ほんとに。
[備考]
ミロクと同盟を組みました。
前回の聖杯戦争のマスターの情報(神寂祓葉を除く)を手に入れました。
外見、性別を知り、何をどこまで知ったかは後続に任せます。

蛇杖堂寂句の手術により、傷は大方癒やされました。
それに際して霊薬と覚醒剤(寂句による改良版)を投与されており、とりあえず行動に支障はないようです。
アーチャー(天若日子)が監視していたので、少なくとも悪いものは入れられてません。


【アーチャー(天若日子)】
[状態]:健康
[装備]:弓矢
[道具]: ヒーローのお面
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:アンジェに付き従う。
0:――アンジェは強いな。
1:アサシンが気に入らない。が……うむ、奴はともかくあの赤子は避けて通れぬ相手か。
[備考]


476 : ◆0pIloi6gg. :2024/11/21(木) 03:38:13 tZWU9Urk0
投下終了です。


477 : ◆l8lgec7vPQ :2024/11/21(木) 14:40:18 ssE5ip0w0
レミュリン・ウェルブレイシス・スタール&ランサー(ルー・マク・エスリン)
高乃河二&ランサー(エパメイノンダス)
琴峯ナシロ&アサシン(ベルゼブブ/Tachinidae)
神寂縁&アーチャー(天津甕星)

予約します


478 : ◆0pIloi6gg. :2024/11/22(金) 00:40:22 A6JCUVYg0
神寂祓葉
山越風夏(ハリー・フーディーニ)&ライダー(ハリー・フーディーニ)
華村悠灯&キャスター(シッティング・ブル)
バーサーカー(ゴドフロワ・ド・ブイヨン) 予約します。


479 : ◆0pIloi6gg. :2024/12/03(火) 02:25:51 bV3Gw9.Y0
投下します


480 : 君のつづき ◆0pIloi6gg. :2024/12/03(火) 02:26:23 bV3Gw9.Y0



 "記憶"という映像が、今日もあたしの中を流れていく。
 時に目まぐるしく、時に嫌味なほど緩慢。
 今の上映(それ)は、後者だった。

 あたしという物語のキャスト一覧に、父親の項はない。
 いつか、煙のようにどこかへ消えた生みの親。
 それ以上で、それ以下でもない。少なくともその存在は、あたしの人生になんの関係もなかった。
 
 記憶の中にある"家庭"の中にいるのは三人。
 あたしと、母親と、そしてその愛人。
 近隣の誰かが通報して、ケチな余罪も乗って両方揃って刑務所にぶち込まれて、それきり会ってもいないが。
 それでもあいつらの存在は、あたしという人間を形作る上であまりにも大きな影響を与えてくれた。もちろん、悪い意味で。

 手前の娘が鼻血吹いてても気まずそうな顔をするだけの母親も大概だったけど。
 我が物顔で家に入り浸っていたその愛人は、それ以上のクソだった。
 酒かパチンコ以外に生き甲斐も趣味もないクセに、毎夜臭い口で俺はどこそこの組と懇意にしてるヤクザ者なんだと嘯くばかり。
 今思えば、あんな歯抜け面の冴えないオッサンにそんな人脈あるわけねえだろ、って話だけども。

 ――おい、悠灯。
 ――お前はなぁ、いてもいなくても同じような人間なんだよ。
 
 ある日あいつは、部屋の隅で蹲ってるあたしにそう言った。
 いつ灰皿が飛んでくるか、はたまた灰皿に"される"のかと怯えているあたしを見る目は、厭らしく歪んでいた。
 いや、実際"そういう"気持ちもあったのかもしれない。だから手を出されなかったって点じゃ、あたしはまだ幸運だったんだろう。
 
 ――その証拠に、お前が泣いても喚いても誰も助けちゃくれねえだろ?
 ――"いないようなもの"なのさ、お前は。
 ――生きてようが死んでようが、だぁれも気にしねえんだ。寂しいなぁ、かっかっかっ。

 何がそんなに面白いのかビール腹を揺らして笑う顔を覚えている。
 それきりあいつは興味を失ったみたいにあたしから視線を外して、野球の中継を眺め始めた。
 そのあまりにもスムーズな、スイッチを切り替えるみたいな行動の移行は。
 まさに、あたしが"いてもいなくても同じ存在"であると証明してるみたいだった。

 普通なら、屈辱的な記憶なのかもしれない。
 悲しくて悔しくて、ともすれば一生脳裏に焼き付くような苦い思い出になるのが普通なのかもしれない。
 でもあたしの中にあるのは、当時も今も、すとんと落ちるような納得。
 あるいはそれは、あのクソがあたしにくれた唯一実のある経験だったのかも、しれない。


481 : 君のつづき ◆0pIloi6gg. :2024/12/03(火) 02:27:21 bV3Gw9.Y0

 いてもいなくても同じ。
 社会の塵、都会の石塊(ジャンク)。
 生きていたって誰も目に留めない。
 死んだって、誰も振り返らない。
 母親とクソが消えても、事実あたしの世界は本質的には何も変わらなかった。
 "灰色の世界"だ。白でも黒でも、まして突き抜けるような青なんかじゃ断じてない。

 混ざり物の灰色。
 曖昧の灰色。
 名もなき灰色。
 無価値の、灰色。

 何をしていても、楽しくない。
 生きる意味さえ、見出だせない。
 かと言って死ぬ意味もない。
 誰を殴ろうと、補導されて絞られようと、いつだって世界の色は同じ。
 あたしはついぞ、色(それ)と縁のないまま。
 気付けば、人生の行き止まりを視界に収めていた。

 自ら選んだ結末ではなく、ただ訪れるだけの結末。
 あたし個人を誰かが見つめ、もたらした終わりとは違う。
 無価値に、無感動に、満ちた月が欠けるように当然のものとしてやって来る終わり。
 華村悠灯(あたし)という物語の記された本の、最後の頁。
 無為に頁を捲り続けたあたしは、終わりが見えて初めて、ようやく希望を欲しがった。
 もう何もかも遅いのだと告げてくる、頭の中の理性を振り切って――走り始めた。

 それでも。
 死は、そんなのお構いなしに迫ってきてた。
 その事実を改めて突き付けられたあたしは今、あてもなく街を歩いている。
 
「……、……」

 ちょっと外の空気を吸ってくる。
 すぐ戻るから、心配しないで。
 
 ゲンジの奴にそう告げて、あたしはライブハウスの外に出た。
 すぐ戻る気なのは本当だ。狩魔さんに心配は掛けられないし、此処であの人達から離れるのは今後を見据える上でも愚策でしかない。
 無意味なことをしている自覚はあった。これはあたしの弱さで、どうしようもなく未熟な感情と向き合うための代償行為だ。
 不用意に外に出て、他の主従や〈刀凶〉の奴らに見つかったら只じゃ済まない――分かっているのに、足は止められなかった。

(――悠灯)
(大丈夫。ちゃんと分かってる)

 頭の中に響いた相棒の声に、あたしは迷わず返した。
 こいつはきっと、あたしという人間に終わりが近付いてきてることを認識してたんだろう。
 敏い奴なのはここまでの付き合いでちゃんと知ってる。
 じゃああたしは、分かってたなら言えよ、と悪態をつくのか。違う、流石にそこまでダサいガキにはなれない。
 それに、今言った通りだ。本当はあたしがいちばん、そのことを分かってたんだから。


482 : 君のつづき ◆0pIloi6gg. :2024/12/03(火) 02:28:18 bV3Gw9.Y0

(見ようとしてこなかっただけだ。"終わり"を直視するのは、怖いから。虚しくて、死にたくなるから。だから……)

 キャスターには、あたしのそんな感情も伝わっていたのだと思う。
 だからこいつなりに伝えるべき時を探していた、けれどその前にあの無遠慮なマジシャンが要らんお節介を焼いてきた。
 それだけのことだ。こいつも、ムカつくけど山越も、別に悪いことなんて何ひとつしちゃいない。
 
(悪いのは、あたしだ)

 答えは結局これ。
 あたしが弱いから。
 しみったれてるから、ガキだから。
 どんなに覚悟決めたつもりでも、自分の余命(おわり)さえまともに見つめられない未熟者だから。
 だから、こんなことになっている。
 リスクを犯して、相棒に心配かけて気負わせて、意味も価値もない散歩でせっせとメンタルケア。
 
 馬鹿みたいな話だ。
 思わず、反吐がこみ上げた。

(君は、何も悪くない)
(……そうかな)
(死とは、生物の根源だ。
 魂の奥底に眠る、宿命としての恐怖なのだ)

 死なない生き物はいない。
 一匹の蟻もひとりの人間も、生まれていつか死ぬという意味じゃ平等だ。
 違いがあるとすれば、死から解き放たれた存在。
 幽霊。もしくは――英霊。

(護国の大義を掲げ、数多の骸を重ねた英傑でさえも死に怯える。
 物言わぬ虫の一匹さえ、本能で捕食者から逃げ惑う。
 死を恐れる気持ちに優も劣もない。恥じることも、自戒することもないのだ)
(……キャスターも、そうだったのか?)
(当然だ)

 あたしの問いに、キャスターは即答した。

(幼い頃、野山を駆け回っていて足を踏み外した時には肝を冷やした。
 病に冒された同胞を看取った時にはいつか自分もこうなるのかと怯えた)
(そういうタイプには見えないけどな)
(私の場合はただ、死を賭してでも臨むべき大義があったからに過ぎない。
 そしてそれは、決して幸せなことではない。大義など、覚悟など、抱かず生きるに越したことはないのだから)

 そう言われると、あたしは何も言えなくなる。
 こいつがどんな生涯を過ごしたのかは知っているから。
 戦いと、屈辱の年月を過ごした末に、最後まで人の醜さに翻弄されて命を落とした男。
 シッティング・ブル――タタンカ・イヨタケという英霊の言葉は、あまりに重かった。


483 : 君のつづき ◆0pIloi6gg. :2024/12/03(火) 02:29:08 bV3Gw9.Y0

 あたしの人生は、どういう意味でもこいつに及ばない。
 栄光も、意味も、悲劇でさえも。
 迫ってくる終わりの重さすら、比べるべくもない。
 
 それでも、あたしは生きたかった。
 意味とか、価値とか、そういうのじゃなくて。
 あたしは、あたし個人の意思として、我儘として。
 生きて、与えられたラストページの先を見たかった。そこに、行きたかった。

 生きたい――行きたい。
 同じ重さで並んだ感情が、ぐつぐつと胸の中で煮え滾っている。
 浮かない顔で、そんな思いを抱えながら歩くあたしの姿は、端から見ればそれこそ幽霊のようだったかもしれない。

(ごめんな、頼りないマスターで)
(君は、立派な娘だ)
(ありがと。あんたにそう言って貰えると、ちょっとは気が楽になるよ)

 おべんちゃらではない、本心だ。
 あたしも、いつまでもこうしてしみったれちゃいられない。
 夜が来れば、きっと戦局も今まで以上に激しく動くだろう。
 そうでなくたって、刀凶の奴らとの戦いがあたしを待ってる。
 いつまでも迷ってはいられない。ガキでいていいのは、今だけだ。
 早く切り替えよう、早く――。言い聞かせるようにそう思いながら、足は小さな公園へ向かっていた。

 どこの街にも探せばひとつはあるような、申し訳程度の遊具とベンチが置かれただけの公園。
 公園っていうより、ほぼ街の休憩スペースって言った方が正しいような空間。
 そこでひと休みして、ライブハウスに帰ろう。
 そう思ってあたしはそこに足を向けたのだけど。


「――――――――」


 そこには、先客がいた。
 ブランコに座って、口笛を吹きながら小さくそれを揺らしていた。
 別に驚くようなことじゃない。
 時間はまだ夕方だし、東京の人口密度を思えば人と出くわさない方が難しい。それは分かってる。
 なのにあたしが、思わず足を止めてしまったのは……そいつが。

 そこにいた、あたしと同い年くらいだろう白い髪の女子高生が――まるで、太陽みたいに見えたから。



◇◇


484 : 君のつづき ◆0pIloi6gg. :2024/12/03(火) 02:29:49 bV3Gw9.Y0



 その少女は、別に何をしていたわけでもない。
 恐ろしげな儀式をしていたわけでなければ。
 意図して自分をよく魅せようと努力していたわけでもない。

 ただ、そこにいただけ。
 なんとなく休憩に訪れた公園で、時を過ごしていただけ。
 何を考えていたのかと言えば、何も考えていない。
 ぼうっと、晩春と初夏の狭間の夕暮れを過ごしていただけ。それに尽きる。
 
 だというのに、華村悠灯は足を止めた。
 彼女の英霊は、その瞬間だけ我を忘れた。
 主従揃って、見入っていた。
 初めてオーロラを目にした旅人のように、すべての思考を忘れてこの等身大の恒星を見つめていた。

「……あれ」

 その沈黙を、静止を切り裂いたのは、他でもない少女自身の声。
 こてん、と小首を傾げて、視線は悠灯に向けられている。
 次の台詞は、何を隠すでも探るでもなく。
 駆け引きなどまったく知らない幼子のように純粋な、ただ胸の内から出た言葉だった。

「ねえ。もしかしてあなた――マスター?」
「っ」

 悠灯は、問われて初めて、自分が呼吸を忘れていたことに気付いた。
 彼女の場合、少女の持つ"華"に魅了されたわけではない。
 その身体に満ち溢れる無限大の可能性に戦慄していたわけでもない。
 悠灯の理由は、間違いなく彼女だけのもの。
 死に冒され、終わりを間近に控えた人間ならではの、理由だった。

 華村悠灯は、自分に結末が近付いていることを認識していた。
 ただ、それを直視しないように努めていただけ。
 痛みはなく、違和感もないが、しかしその分粛々と肉体の枯死が進んでいることを感じていた。

 彼女の現状は老衰に似ている。緩やかな衰弱が、絶え間なく身体を蝕んでいる状態だ。
 それは悠灯の身体に宿った魔術がたまたま苦痛の緩和、麻痺に適したものだったからであって。
 もしその力が抜け落ちたなら、瞬間に重篤な末期症状と疼痛が彼女のすべてを蹂躙しただろう。
 痛いものを"痛い"とついぞ認識できなかったことが、華村悠灯にとっての幸福で、不幸。
 まだ二十歳にも届かない年齢でありながら、生物としての骨組みそのものが朽ち果て始めている。
 言うなれば枯れかけの幼木。そんな彼女の目から見て、この"白い少女"は――端的に、自分と正反対の存在に映った。


485 : 君のつづき ◆0pIloi6gg. :2024/12/03(火) 02:30:16 bV3Gw9.Y0

 頭の天辺から足の先まで、暴力的なほどの生命力で満ち溢れていた。
 まるで、命という概念が人の形を結んで顕れたようなエネルギッシュな存在感。
 肌も髪も白く、情報だけ挙げ連ねれば幸薄にも見える外見なのに、記号と目の前にある実情がひとつたりとも一致しない。
 浮かべる笑顔には憂いのひとつもなく、なのにそれが間抜けとも能天気とも思えない。
 実際、こいつには案ずるという情動自体が必要ないのだと、見る者に自ずとそう理解させる。
 自ら熱を持ち脈動し、光年の果てまでその光を行き届かせる太陽。その化身。

 悠灯は何の冗談でもなく本心から、これに対してそんな印象を抱いた。
 今もって灰色の世界が、この少女を視界に含めた瞬間に色を変えた。
 すべてが光に照らされ、青空より尚澄み渡る最上の美に晴れ渡っていくのを知覚していた。

「お前……」

 気付けば口は、唖然とした心境のままに動いている。
 ようやく口に出した言葉は、問いかけ。
 意味があるのかないのかも不明な、ただ愚直なだけの疑問。
 そう分かっていても、悠灯は目の前の存在にそれをぶつけずにいられなかった。

「お前…………何だ?」

 かつて、その輝きに挑んだ虫螻の王が零したのと同じ台詞。
 それを受けて、太陽は柔和に微笑んだ。
 そして答える。ただ一言、放たれた疑問への回答を。

「神寂祓葉。あなたと同じ、聖杯戦争のマスターだよ」



◇◇


486 : 君のつづき ◆0pIloi6gg. :2024/12/03(火) 02:31:11 bV3Gw9.Y0



(あのさ、キャスター)
(…………)
(こいつ――人間、なのか?)
(解らない)

 華村悠灯は、病み/闇に冒されていた。
 だからこそ、ひときわ敏感に少女の本質を感じ取れたのだろう。
 普通の人間ならただの底抜けに明るい娘と受け取るところを、ひと目で異常な生物であると認識することができた。
 問いを向けられたシッティング・ブルは、即答する。
 不明。精霊に親しみ、大いなる神秘を仰いで生きたスー族の戦士が、そう答えた。

(……こんなモノは、見たことがない。空の彼方に目を凝らしているようだ)

 分からない。そう言うしかなかったのだ。
 先の山越風夏を、彼はいたずら好きな精霊と指した。
 善悪ではなく、無邪気故に人心をかき乱すモノと。
 されどそこにひとつの染みがあると、彼は言ったのだ。
 しかし打って変わって――この祓葉という少女に関して、彼はまったくの不明を告げていた。

 空を見上げているよう、という形容が比喩でないことは悠灯にも伝わった。
 事実、彼女も同じ印象を抱いていたからだ。
 太陽。空の、宇宙の星。恒星。少なくとも、地上にあるべきではないモノ。
 大いなる神秘(ワカンタンカ)そのもののような、されどそれとは決定的に異なる存在でもあるような、白き不明。
 そんな存在が、悠灯とその相棒の視線の先でにこにこと微笑んでいる。

「あっ、大丈夫だよ。私、今は休憩中だから。サーヴァントも連れてないしね」
「……、自分ひとりでも余裕だからか?」
「私のサーヴァントよっっっわいの。今は少しマシになったけど、ほんとバトルのセンスとかそういうのからっきしでさ。
 おまけに人とお話するのが死ぬほどだいっきらいなコミュ障だから、今も絶賛引きこもり中なんだよ」

 ひらひら、と手を振って世間話のように言う少女は、その異常性を認識していないのだろう。
 弱いサーヴァントを抱えている。分かる。
 だから自分ひとりで好き勝手歩く、立場をひけらかす。サーヴァントもそれを許している。分からない。
 蟷螂は数多の虫を狩り殺すが、それを現実的な危険として恐れる人間などいないように。
 その在り方自体が自身の隔絶性を物語っていることを、少女は、祓葉は、認識すらしていない。

「こっちに来て、ちょっとお話していかない?」
「なんで」
「ライバルならいっぱいいるんだけどね、戦うこと考えずにお話できる友達って私あんまりいないんだ。
 唯一なんでも相談できる子とも、ついさっき別れちゃってさ。
 まあ私が悪いから仕方ないんだけど、たまにはバトらずにお話するのも悪くないかなーって思って。そういう友達もほしいなーって」
「……お前、頭に虫でも涌いてんのかよ」

 ついた悪態はしかし本心だ。
 正気とは思えない。
 でも、彼女にとってはそれでいいのだろうと分かってしまうから悠灯は形容しがたい気分になった。


487 : 君のつづき ◆0pIloi6gg. :2024/12/03(火) 02:32:03 bV3Gw9.Y0
 その粗野な対応に怒るでも萎縮するでもなく、祓葉は隣のブランコをぽんぽん、と叩いて。

「それに――あなた、悩んでる顔してるから」
「……ッ」
「私でよかったら話聞くよ。別に嫌になったら帰ってくれても構わないし。まあ気分的には、ちょっと悲しいけど」

 そんなことを、言った。
 そこに悪意は見て取れない。
 悠灯は不良だ。社会の塵(ジャンク)だ。
 路傍を生きる場所にして過ごしてきたからこそ――悪意には敏感である。
 不良でしかも女となれば、悪心ありきで近付いてくる輩はごまんといる。
 実際悠灯はこれまで、両手の指では足りないほどそんな輩を殴り倒してきた。
 だがその点、この白い少女からはそうした奸計の気配は微塵も感じ取れない。
 ただ純粋な善意とフレンドリーさだけがそこにあって、だからこそ悠灯としては困惑を隠せない。

 明らかに生物として、存在として異常なのに……鍛えられた本能は警戒も疑念も必要ないと告げている。
 事の道理が何ひとつ通らない異界の片鱗を、華村悠灯は確かに見ていた。

(なあ、キャスター……)
(やめておけ)

 なればこそ、悠灯が問う相手はひとりしかいない。
 念話で問うた見解は、しかし一言で事足りるものだった。

(これは、ヒトの手が及ぶモノではない。
 霊長、科学、魔術、生命――その遥か外にあるモノだ)

 その念話に込められた感情を言い表すならば、"畏怖"。
 悠灯は彼のこんな声を聞いたことがなかった。
 未熟な青二才とは正反対の、老練ささえ思わせる呪術師。
 そんな人物が張り詰めた声色で警告するこの状況に否応なく本能が警鐘(アラート)を鳴らす。
 そうしている間も少女はブランコを揺らしながら、急かすでも脅かすでもなくにこにこ微笑んでいる。
 進むか――逃げるか。岐路に立たされた悠灯はしかし、逡巡の末、前へ踏み出していた。

(悠灯……!)
(……悪い、キャスター。あんたの言うことが正しいのは分かってる)

 サーヴァント。人智を超え、生死をも超えた存在。
 あの"神話の世界"を生きて死んだ、英雄。
 その忠告が単なる小心である筈がない。
 どう考えても、彼が正しい。彼に従うべきだ。そう分かった上で、悠灯は選んだ。


488 : 君のつづき ◆0pIloi6gg. :2024/12/03(火) 02:32:42 bV3Gw9.Y0

(でも……)

 病んだ人間が生を求める気持ちは時に狂気だ。
 健常な明日を夢見る気持ちは、合理など容易く踏み越える。
 重篤な患者が枇杷の葉や怪しげな祈祷師に真理を見出すように。
 悠灯は、生きたいと願うからこそ、太陽へと踏み出していた。

(此処でこいつから逃げたら――あたし、これから一歩も進めない気がするんだよ)

 キャスターの制止を振り切って、見据える。
 白い太陽。改めて見つめても、最初に抱いた印象は変わらない。

「お前……元気なんだな、羨ましいよ」
「えへへ。それだけが取り柄なので」

 神寂祓葉、そう名乗った少女。
 彼女の身体には、一片たりとも病みがない。
 生きる、活力。前に進む、活力。明日を目指して歩む、活力――
 あらゆる正のエネルギーが満ち溢れ、それが恨めしいほどに躍動している。
 
 悠灯を朽ちていく幼木に例えるならば、彼女は千年の果てまで育ち森を覆う一本の巨木だ。
 それでも、いや、だからこそ悠灯は逃げなかった。
 殺したいほど恨めしい自分の対極(はんたい)に対して、逃げてはいけないと己を奮い立たせた。
 華村悠灯の人生は、はじまりから終わりまでずっと緩やかなる枯死だった。
 幸福の陽が彼女を照らすことはなく、人を人たらしめる栄養が行き渡らないので、当然の道理として朽ちていく。
 そんな人生だった。そしてそれはこの世界でも何ら変わってなどいないのだと、悠灯は〈脱出王〉の言葉で思い知らされた。

「あたしは――悠灯だ」

 要するに、悠灯は何かを変えたかったのだ。
 灰色のままに枯れていく自分の人生という名の枝を、天命という剪定から外してやりたかった。
 下から上へそしてまた下へシステムとして回る観覧車。その運行を止めたいと思った。
 故にこの世の何にも類することのない、祓葉という"異常"に触れることで何かを変えようと挑んだのだ。


 この女に触れることが、人間にとって何をもたらすのかなど知らぬまま。


 街角の塵(ジャンク)が、蒼天の星(たいよう)の隣に腰を下ろした。



◇◇


489 : 君のつづき ◆0pIloi6gg. :2024/12/03(火) 02:33:21 bV3Gw9.Y0



「悠灯は、聖杯戦争が楽しくないの?」

 意を決して、対話に臨んだ。
 そんなあたしの気持ちも知らずに、神寂祓葉は開口一番こう言った。

「楽しいわけねえだろ、こんなもん。理由でもなければ絶対関わりたくねえよ」
「えー。うーん、そんなもんなのかな普通は……」
「……お前は楽しんでんのか?」
「うん! すっごく楽しいよ、毎日――なんだろうなあ、世界が色づいて見えるくらい!」

 分かりきってたことだが、その上で改めて思ったことがある。
 こいつはたぶん、筋金入りの異常者だ。破綻じゃない。異常なんだ。
 "殺し合いを楽しんでる"って言ってる間も、顔にまったくそれをひけらかすとか自慢するような色がない。
 つまり、本心から楽しいと思って、そう言っているのだ。
 これを異常者と言わないでどう評すればいいのか、語彙のないあたしにはとても思いつかなかった。

「私はね、別に聖杯で叶えたい願いごとなんて持ってないんだ」
「……、なんだそりゃ。じゃあただ生きるために戦ってるってことか?」
「さっきも言った私のサーヴァントがね、どうしても聖杯で成し遂げたいことがあるんだって。
 だからそれに協力してあげてる感じかな。あの子、私以外に友達なんていないから」
「あべこべだな。正直まったく理解できねえ」
「あはは、だよねー。私の親友もおんなじようなこと言ってたよ」

 普通なら嘘吐け何を隠してる、って疑う場面なんだろうが――その気にはなれない。
 こいつと出会って数分そこらでも分かる。
 この女は、本当と嘘を織り交ぜるとか、策を弄するだとか、そんな高尚なことはできない手合いだ。
 言うなれば馬鹿。めちゃくちゃに馬鹿。何も考えてない風に見せて、本当に何も考えてない。
 不気味だけど、正直今のあたしにとっては助かる阿呆さだった。
 あたしだって頭はよくないし、知能戦より先に手が出るタイプだ。そういう意味じゃ、こういう状況じゃなかったら案外気の合う相手だったのかもしれない。

「聖杯戦争に出会うまで、私は私がよくわからなかった」

 祓葉は言う。
 こいつらしくない、どこか意味深な物言いだった。


490 : 君のつづき ◆0pIloi6gg. :2024/12/03(火) 02:35:14 bV3Gw9.Y0

「なんとなく全部上手くは行くんだよ。幸せだったし、それなりに楽しかったし。
 でも、どこかで思ってた。私の人生は、いつになったら本当に始まるんだろうって」
「……贅沢な悩みだな。一歩間違えたら嫌味だぞそれ」
「しょうがないじゃん、実際そうだったんだから……。
 けど、聖杯戦争に出会ってようやく納得できたよ。
 私はきっと、このために生まれてきたんだって。そのくらい楽しかったし、実際今も楽しんでる」

 あたしは、生きるために戦っていて。
 こいつは、楽しむために戦っているという。
 普段なら交わることはなく、交わりたいとも思えない女。

 その有様は、怖くさえある。
 ああ、そうだ。たぶんあたしは、こいつを"怖い"と思っている。
 拳も剣も交えることなく、可憐の裏に隠れた本質に気付けている。
 いずれ赤色矮星となって地球を飲み込む燃える恒星のように――触れるものをすべて灼く、狂おしい光。

 これに対する最適解は、背中を向けて逃げ出すことだ。
 まさしくキャスターの言う通り。近付かない、関わらない。見ない、見つからない。それ以上の選択肢はきっとない。
 なのに、なんであたしはこうしてこれと並んで言葉など交わしているのか。

「だけど悠灯は、あんまり元気じゃなさそうだね」

 その理由が、これだ。
 生の極北たるこいつを。
 死の道へ向かうあたしが、仰ぎ見るため。

「どうしてなのか聞いてもいい?」
「……あたしは――」

 こいつが太陽なら、あたしは奈落の虫だ。
 光の照らさない底の底で、のたくるように生きた虫。
 足をわななかせて触覚を震わせ、闇の中で砂土をかき分けて蠢く弱い生き物。
 
「病気なんだよ。気付いた時には、もう全部ダメになっちまってた」

 あたしは魔術師じゃない。
 たまたま身体に宿ってた力を闇雲に振り回しているだけの、言うなれば"魔術使い"だ。

 きっと、それがいけなかったのだと思う。
 もしも早い段階で誰かに力の使い方を教わっていたら。
 あたしにそれを教えてくれる誰かがいたのなら、きっとこうはならなかった。
 そうでなくてもせめて、あたしの身体に人とは違う特別なモノが宿っているのだと知る機会さえあったなら。
 案外その時点であたしは足を止めて、灰色の空に一片でも射し込む光のようなものを見い出せていたかもしれない。


491 : 君のつづき ◆0pIloi6gg. :2024/12/03(火) 02:35:59 bV3Gw9.Y0

「もう、時間がないんだとさ」

 正直、具体的な実感があるかどうかで言われたら、未だにそれはない。
 目眩がするわけじゃないし、急にゲロを吐いてのたうち回るわけでもない。
 身体が動きにくいなんてこともなく、むしろ体調は軽快な部類だ。
 魔術を常に使い続けて生きてきたあたしには、今更そのスイッチをオフにする方法も思い付かないので、命が尽きる時まで病みの苦しみとは無縁のままなのだろうと思う。
 
 けれど、漠然とした実感ならある。
 時計の針が天辺に向かい進んでいくように。
 もしくは、夜明けが迫って空が白んでくるように。
 刻一刻とあたしという人間が、そこへ向かっていることを感じる。
 すべての生き物に共通して待ち受ける、ひとつの結末。
 "死"という暗黒に、緩やかに吸い込まれていく感覚がずっとあった。

「悠灯は、生きたいんだ」
「ああ。生きたいよ」
「なんのために?」
「何かを、変えてみたかった。
 ……それができる何かに、祈ってみたくなったんだ」

 今思っても遅すぎると思う。
 あたしは、未来がなくなって初めて救いを欲しがった。
 魔術を知った。神秘を知った。願いを叶える奇跡を知った。
 そうなって初めて、祈ることを覚えたんだ。
 そうしたいと、願ったんだ。

「だからあたしは戦ってる。いや、戦うことにしたんだ」

 今までのように、何かへ八つ当たりするみたいな"喧嘩"じゃなくて。
 何かを勝ち取るために行う、本当の意味での"戦い"だ。
 思えばシッティング・ブルなんて英霊を喚べたのは、あたしなりに引き寄せた運命というやつだったのかもしれない。
 あいつは"戦い"を知っている……その世界から来た、神話の証人だから。

 ――"像"には、大きな力があるのだとあいつは言った。
 伝説はいつか語り継がれ、人々の魂へ永遠に残る"像"になる。
 なら、生きて今そこにある伝説を見たのなら。
 あまつさえそれに触れ、その輝きから何かを得られたのなら。
 それもまた、一個の"像"になるんじゃないのか。
 そう期待して、あたしはこいつの誘いを受けたんだ。こいつの隣に、座ったんだ。


492 : 君のつづき ◆0pIloi6gg. :2024/12/03(火) 02:36:53 bV3Gw9.Y0

 キャスターには後で頭を下げなきゃいけないだろう。
 でも今は、相棒に不義理を働いてでもこいつの"像"が欲しかった。
 時代への爪痕を残す、大きな力を――終わりゆく流れに逆らう何かを。
 あたしはこの輝く女に、求めた。それを、探そうとした。その結果として今がある。

「そっかぁ」

 祓葉は、隣のあたしを見た。
 間近で顔を見て、一瞬息を呑んだ。
 
「悠灯は、強いんだね」

 この時初めて、あたしはこいつに"怖い"以外の感情を抱いた。
 間近で、他の誰でもない自分に微笑む白い顔。
 何の混じり気もない、灰色でも黒でもない、圧倒的な白。
 その笑顔はきっと、あたしが十七年の人生で見てきたどれよりも何よりも――綺麗だったから。

 ああ、やっぱりこいつは、あたしとは違う。
 あたしたちとは、違う生き物なんだと思った。
 人間だとかそうじゃないとかそんな小さな話じゃない。
 この星のどこにも、ヒトが観測できる宇宙のどこにもいない唯一無二の存在。
 だってほら、その証拠に……あたし、今、思っちゃってる。
 こいつが今この瞬間華村悠灯(あたし)だけを見てくれてる事実に、なんとも言えない優越感さえ抱いちまってるんだ。

「強くなんか、ないよ」

 あたしは、絞り出すようにそう言っていた。
 素敵な奴に褒められたら何でもいいなんて浅ましい考えにはなれない。
 
「あたしはただ、泣きじゃくってただけだ」

 あたしは、欲しかっただけだ。
 自分がどうして、こんなに不幸なのか。
 それはきっと、自分は生きるに値しない生まれぞこないなのだと信じた。信じたかった。
 そうじゃないと道理が通らないと、本能がそう警鐘を鳴らしてた。
 だから暴れた。誰かを壊して、それ以上に自分を壊した。
 まさしく、感情の制御が効かずに泣いて四肢を振り乱す子どものように。
 そのどこが"強さ"なんだ。これはただの癇癪で、それ以上でも以下でもないとあたしは思う。

 でもそう答えたあたしに、祓葉は首を横に振った。
 実の母親よりも優しい顔で、静かな笑みを浮かべながら。


493 : 君のつづき ◆0pIloi6gg. :2024/12/03(火) 02:38:14 bV3Gw9.Y0

「泣いてる子が強かったらいけないなんてルールはないんじゃないかな」

 そんなことを、言う。
 意味がわからない。
 泣きながら拳を振り回す奴なんて滑稽以外の何物でもないし、あたしが赤の他人としてそれを見たって引くだろう。
 ダサい奴、格好悪い奴。そう判断して、見下す筈だ。

「私は頭悪いからさ、あんまり難しいことはわからないけど」

 だろうな。
 正直知性は感じない顔してるよ。
 けれど。

「理由が何でも、過去がどうでも、何かを叶えるために戦う人っていうのは――すっごく強くて、かっこいいと思うよ?」

 なのに、なんでそんな奴が知った風に断言する言葉が胸に響くのか。
 こんな見て分かる馬鹿の言葉に耳を貸すほど意味のないことなんてないと理性は冷めた結論を言い渡してくれているのに。
 それでも、愚直な慰めじみた言葉はあたしの中身に重たく響いた。
 
「それに、そんなこと言ったら私の友達なんてみんなダメダメになっちゃうよ。
 人でなしは前提条件で、そこにシスコンとか情緒不安定とか嘘は言ってない嘘つきとか追加されるんだもん。
 私はあの子達のことが好きだから、そういう意味でも悠灯には自分のことを弱いだなんて言ってほしくないな。
 悠灯は、もうちょっと自分のことを褒めてあげてもいいと思う! がんばってるね、えらいね、って!」

 こいつ"も"きっと、人でなしだ。
 それは間違いない。その姿を見なくても分かる。
 こいつは結局、どこまで言っても化け物なんだ。
 関わらない方がいいし、関わっちゃいけない。
 だからキャスターは、あたしがこれに向き合うことを止めた。
 実際に話してみて、それが正しかったことを心底実感する。

 これは、神寂祓葉は、怪物だ。
 人であってヒトではない。
 ヒトが、関わるべきでない存在。
 ひと目見て、実際話してみて、よく理解した。

 なのに。
 なのに――

「……は。何だよ、ソレ」

 何故、こんなにも報われたみたいな気持ちになるのか。
 まるで、そう。それこそ、捧げた祈りが報われたような。
 よく頑張ったね、と抱き締められたみたいな。
 そんな気持ちにならなくちゃいけないのか、なっているのか――。


494 : 君のつづき ◆0pIloi6gg. :2024/12/03(火) 02:38:58 bV3Gw9.Y0

「知った風な口利くなよ、お前。適当なコト、言いやがって」
「えへへ、ごめんね。ていうかよく言われる、主にいちばんの親友から」
「此処が聖杯戦争でよかったな。そうじゃなかったらお前、絶対いつか刺されて死んでるよ」

 何より、それを嬉しいと思ってしまった自分自身に腹が立つ。
 プライドはないのか、となけなしの自尊心でそう思わずにいられない。
 だからこそ余計に否定のできない真実として自分の中に刻まれていく現状があった。
 仮にこいつ以外の誰から同じことを言われたとしても、あたしは一笑に伏していただろう。

 でも――こいつから言われたのなら、話はどうしても別だった。
 何故ならこいつは化け物だから。死と縁のない、生命力の化身だから。
 今のあたしの、およそ正反対の境地にいる女。あたしの願いが叶ったその先にある、存在。
 命そのもの。可能性そのもの。そんな奴に面と向かって、華村悠灯という人間の歩みを認められたんだ。
 だからあたしは、心の中の動揺(よろこび)を隠すのに必死にならざるを得ない。
 死にかけの虫けらにだって、ダサい姿を晒したくないってくらいの色気はあるんだよ。

「お前から見て、あたしはさ」
「うん」
「強く、見えるのか」
「私は、弱い人間なんていないと思ってるよ」

 綺麗事。戯言。
 なのに、その言葉はとても眩しい。
 形だけの眩しさじゃない。
 あまねく命へ微笑む尊いモノの輝きだと分かる。
 ……あたしにでも、分かる。

「人間は、みんながんばってるんだから」

 私はそれを誰より知ってると、祓葉は臆面もなくそう言った。 
 まるで自分こそが神であると豪語するような傲慢と不遜。
 なのにそこには欠片の嫌味もない。
 故に平等の裏側にある、見下しにも似た悪徳すらそこには見て取れなくて。
 今度こそあたしは、口を噤むしかなかった。
 自傷(リスカ)じみた謙遜は、もうこの口から出てこない。
 根負け、という言葉が――なんとなく、拙い語彙しかない頭の中から浮かんできた。


495 : 君のつづき ◆0pIloi6gg. :2024/12/03(火) 02:39:41 bV3Gw9.Y0

「……そういうもんなの?」
「そういうもんなの」

 そこで。
 ぽふぽふ、とあたしの頭に感触を感じた。
 撫でられている、と気付くには一瞬遅れた。
 だってそれは、あたしの人生にはあまりにも縁のない感触だったから。

「悠灯は頑張ってるよ。他の誰が否定しても、私だけはそう認めてあげる」

 払いのけるのは簡単なのにそうできなかったのは何故だろう。
 こんなにもあからさまに舐められて、ひとつも敵意を抱けないのはどうして。
 まるで母親のように、いいや、違う。
 対等な"友達"のように微笑む祓葉を、あたしはただ見つめていた。
 そうすることしかできなかった。ヒトの世界で生きられなかったあたしが、今こうしてバケモノの微笑みに魅せられている。

「だからさ。悠灯――」

 運命論なんて小難しくてスピリチュアルなお題目に縁はない。
 母親は本棚にあれこれ胡散臭い占いの本を並べていたけど、あたしはそれを馬鹿なのかと思って見ていた。
 この世はもっとずっと冷たくて、呆れ返るほどに夢がない。
 そういう合理で、回ってる。理屈が造り、支配するのが人間の世の中の本質だとあたしは信じてた。
 でも、ああ。今なら、信じられるかもしれない。そう思った。そう、思わされた。

 運命は在る。
 そしてこいつが、それだ。
 あたしだけの、じゃない。
 この世界に招かれ戦うすべての"人間"にとっての――平等な"運命"。
 
 こいつは、何なんだろう。
 こいつは、誰なんだろう。
 神寂とは何で。
 祓葉とは、どういう理屈なんだろう。
 思うことはあまりにも多く。
 けれどそれを理解するにはあたしじゃあまりに頭が足りない。
 でも、きっとこの時この公園で、こいつに向き合うと決めたその選択は間違いじゃなかった。
 心のなかに広がる温かいものを抱えた病み/闇のすべてで受け止めながらそう思って。
 奇術師の言葉も迫る死への焦燥も吹き散らされていくような感覚を抱き止めながら、あたしは――





「――私のサーヴァントに、ひとつ頼んであげよっか?」





 そんな、純度百パーセントの善意から出たのであろう提案を、聞いていた。



◇◇


496 : 君のつづき ◆0pIloi6gg. :2024/12/03(火) 02:40:22 bV3Gw9.Y0



「……は?」
「悠灯、このままじゃ死んじゃうんでしょ。
 私は悠灯に死んでほしくないし、悠灯だってそれは嫌なんでしょ。
 だったら、私のサーヴァントに頼んで死なない身体にしてもらったらいいよ。
 最初は少し戸惑うかもしれないけど、すっごい便利なんだよ! うん、悠灯もこの先二度と悲しい顔しないで済むと思う!」
「……いや、えっ。お前、何言って……」
「ん。わかんない?」

 こてん、と祓葉は首を傾げた。
 あたしは、顔をしかめる。
 意味が解らなかった――いや、理解が追い付かなかったのかもしれない。
 
 そのくらい、それほどまでに。
 こいつが今あたしに言った"提案"は、予想の範疇を遥か超えるものだったから。

「治せるんだよ。悠灯の病気は」

 祓葉は言う。
 祓葉は笑う。
 悪意も含みも一切ない。
 十割の善意で、天使のように笑っている。

「私と同じからだになれば、悠灯は死なないで済むよ。
 好きなように生きられるし、今まで知れなかった楽しみだってたくさん知れる。
 そしたら分かるよ、世界がどんなに楽しいか――生きるってのは、とても素晴らしいことだから!」

 もしも。
 これが他の誰かの台詞だったなら、あたしは殴りかかっていただろう。
 何故ならこれはあたしの地雷だ。逆鱗だ。いちばん知った風な口を利かれたくない、それを許せない泣き所だ。
 なのに祓葉の言葉は今まで通りとても無垢で無遠慮で、だからこそ微塵の悪意も入り込む余地がなくて。

 ――生きるってのは、素晴らしいことだと。
 そう説く白い女の顔を、あたしはただ見つめるしかなかった。
 あたしは生きたい。そのために祈る。そして戦う。
 世界が灰色だろうが青空だろうが、拳を握ってがむしゃらに進む。
 その旅路のすべてを肯定し、微笑む宇宙の恒星。
 太陽の微笑みが、あたしの心より深い深淵を犯す。


497 : 君のつづき ◆0pIloi6gg. :2024/12/03(火) 02:41:13 bV3Gw9.Y0

「ヨハン…………、……あの子は堅物なんだけどね、なんだかんだ私には甘いんだ。
 だから私の友達が困ってるって全力で駄々こねたら一個くらいは歯車を譲ってくれると思うの。
 それで悠灯が健康になれたら、聖杯戦争も回るし私も友達をなくさないで済むし、悠灯は悩み事が消えて万事ハッピーじゃない?」
「……………………いや、だから。何言ってんのか、ぜんぜん分かんないんだけど」
「あ、そっか。そうだよね、普通信じられないかこんな話。
 えっとね、具体的にはこんな風になれるんだよ」

 そう言って。
 祓葉は、あたしの前に右手を出した。
 そして、その人差し指を左手で握った。

 それから、ぺきゃり、と。
 まるで枯れた木の枝へそうするみたいに、事も無げにへし折ってみせた。

 ――折れてひしゃげた白い指が。
 あたしの見てる前で、治っていく。
 時計の針を逆に回したみたいに。
 人間が本来持つ、治癒力というのを限界以上の領域で働かせたみたいに。
 傷はあり得ない速さで復元されて、一秒足らずで元通りになった。
 あたしはそれを、呆然と見つめるしかできない。
 そりゃそうだろ。当たり前だろ。
 こんなの、それ以外にどんな顔で見届けろって言うんだ?

「ね。どうかな」

 そうか。   /    『悠灯』
 やっぱりそうか。   /   『悠灯!』
 こいつは、悪魔だ。   /   『それは、悪魔だ』
 どうしようもなく眩しくて。   /   『耳を貸すな』
 どうしようもなく、おぞましい。   /   『言葉を聞いてはならない』
 そういう――白い悪魔。   /   『おぞましき、白い悪魔だ』
 そういうモノなんだと心底理解して。   /   『その輝きの果てに、君を待つモノは何もない』
 じゃあ、あたしはどうするのかと。   /   『それは』
 差し出されたこの、到達点を。   /   『これは――』
 あたしが願う理想のカタチそのものたる花を。   /   『大いなる"冒涜"だ』
 手に取るのか、それとも目を背けるのかと問われたところで。   /   『目を覚ませ、それは華などではないッ!』


「うん。とりあえず、まずはあなたが死にましょうか」


 聞き覚えのある声が響いて。
 その瞬間、隣に座る祓葉の頭が弾けた。
 あたしは、黙ったままそれを見ていた。
 あたしの隣には、キャスターが立っていて。
 公園の入口には、"あの人"の英霊(サーヴァント)が、ぞっとするような笑顔で立っていた。



◇◇


498 : 君のつづき ◆0pIloi6gg. :2024/12/03(火) 02:41:54 bV3Gw9.Y0



 ゴドフロワ・ド・ブイヨン。
 〈デュラハン〉の主、首のない騎士の元締め。
 周鳳狩魔という男に仕える狂信者が、石を投げた。
 たかが石、されど握り投げる者が英霊ならばそれは弾丸を遥か超える凶器となる。
 実際にその石ころは、この世界を統べる神の頭蓋、その右半分を吹き飛ばした。
 飛び散る血と脳漿が隣のブランコに座る悠灯の身体を汚す。
 しかし、狂信者の鉄槌を受けた白い冒涜者は、何食わぬ顔と声色で。

「いったぁ……。びっくりしたなぁ、もう」

 血液、脳漿、骨片。
 半壊した、天界の美顔。
 その全部を、損壊した事実自体が嘘だったみたいに巻き戻しながら。
 この世のどんな人間だろうと即死であろう傷跡を刹那にして復元しながら、困ったように唇を突き出していた。

「せっかく楽しくお話してたのに。いきなりにしてはひどすぎない?」
「はは、確かに無粋でしたね。しかし天地神明の冒涜者(アンチキリスト)たる貴女には相応しい行動かなあと」
「私をそう呼ぶの二人目だよぅ。でも……えへへ。悠灯、私以外にも友達いるんじゃん。なんか嬉しいな」

 不死。
 あまねく、あらゆる人間を平等に待ち受ける結末。
 "死"の、否定者。それを否定するモノ。
 その面目躍如を息吐く未満の容易さで成し遂げながら、神寂祓葉はそこにいた、居続けていた。
 砕けた顔面が再生している。飛び散った脳漿の不在を気にも留めていない。
 死徒と呼ばれる吸血種でもなければ通らない理屈を、少女はそこに存在するだけで成し遂げている。
 人の餌を食べ、日光の下に姿を晒し、あるがままに人理を否定する――世界を犯す特異点。

「狩魔の予想を超えている。こういうモノが居るだろうとは聞いていましたが、いやはやこれほどとは」

 呆れたように肩を竦める優男の眼は、しかし笑っていない。
 何かを強く信仰していればいるほど、信心の先にあるのが何であろうとこの女はそれを否定する。 
 悪気などなく、むしろ友好的な素振りさえ見せながら、尊いとされるモノを踏み潰すのだ。
 故に彼女は天地神明の冒涜者。黒き死でさえ滅し切れなかった、寂静の対極に佇む新生物。

「バーサーカー」
「ああ、すみませんね。
 私の出る幕でもないかと思ったのですが、ほら、あなたって根っこのところは穏和な質でしょう?
 どの道同じ結論になるにせよ、それまでに二言三言は"これ"が言葉を吐けてしまう。それは良くないことだと思いまして」
「……いや、礼を言う。確かに今回は、君が正解だった」

 金髪の、線の細い騎士。
 その隣に、明らかにキリスト教徒ではない外見の呪術師(シャーマン)が像を結ぶ。
 並び立つ二体の英霊。侵略した者と、弾圧された者。
 本来轡を並べて同じ方を向く筈のないふたりが今だけは共通の目的を持って並び立つ。


499 : 君のつづき ◆0pIloi6gg. :2024/12/03(火) 02:42:54 bV3Gw9.Y0

「神寂祓葉。星のように振る舞う、虚空の孔よ」
「その呼ばれ方は初めてだね」
「悪いがこれ以上、我が同胞へ君の声を聞かせるわけにはいかない」

 すなわち、冒涜者/大いなる神秘への対処。
 場合によっては、その撃滅。
 ワカン・タンカを隣人とするスー族の民のあり方にはそぐわない行動に見えるが、シッティング・ブルは今はこれが正しいと確信していた。
 それこそ、決して手を取り合うことの叶わぬ相手と共に戦うことを余儀なくしてでも。
 そうしてでも、これ以上その甘い声を己のマスターに聞かせてはならないと強く感じていた。
 ゴドフロワ・ド・ブイヨンとシッティング・ブル。冗談のような共闘戦線を前にして、少女は困ったように笑う。

「そっか。じゃあしょうがないね、悠灯」
「え。……あ、ッ」
「本当は悠灯のサーヴァント達とも遊んでみたいけど、今はちょっと休憩の気分なの。
 だから次会った時にでも、あなたの答えを聞かせて?」

 悠灯は、話しかけられて初めて自分が思考を忘れていたことに気付いた。
 勝手なことをするなと、シッティング・ブルを諌めるのさえ忘れていたのがその証拠だ。
 それほどまでに。思考だとか自我だとか尊厳だとか、そういう一切合切が吹き飛んでしまうほどに。
 華村悠灯にとって、神寂祓葉の提案してきた"選択肢"は衝撃的なものだったのだ。

「私はいつでも待ってるから。受け取るもよし、断るもよし、全部悠灯に任せるよ」
「っ……お、おい……!」
「だからまたいつか、私とこうしてのんびり話そうよ。もちろんバトルでもいいけどさ」

 引き止める悠灯をよそに、祓葉はブランコから腰を上げた。
 そしてすたすたと、二体の英霊の横を微笑んだまま通り過ぎていく。
 振り返って何かするでもなく、あまりに大人しく、あっけなく、この世界の〈主役〉は病みの少女の視界から去っていった。
 時間にするなら、恐らく五分かそこらの邂逅。なのに悠灯にとってそれは、これまでの人生で最も濃密な時間だった。

 灰色の時間を歩み、生きてきた華村悠灯。
 されど今の時間に、色を当て嵌めることはできない。
 それでも強いて言うのならば、白。
 網膜が灼かれ視野が奪われ、世界そのものが曖昧模糊と化したが故の、純白。
 現人神の去った公園で。悠灯は、目に見えて力を抜いた英霊達の姿をどこか他人事のような心地で見つめるしかできなかった。

「バーサーカー。君は、アレを知っていたのか」
「知っていた、と言うと語弊がありますね。
 とはいえ推測なら申し上げられます」
「……構わない。言ってくれ」
「黒幕で、元凶です。私達のいる"この"聖杯戦争の」

 あまりにも突拍子のない推測だったが、シッティング・ブルはそれを疑わない。
 いや、疑えない。アレを目にした今、その言葉には無二の説得力さえ感じられた。


500 : 君のつづき ◆0pIloi6gg. :2024/12/03(火) 02:44:33 bV3Gw9.Y0

「で。あなた、アレをどう見ました?」
「〈孔〉だ」
「言い得て妙ですね。ちなみに私は〈涜神者〉です」
「解らなくはないな」
「同じく。まあいずれにせよ、私達が必ず殺さなければならない存在だというのは間違いないですね」

 恐ろしいものは知っている。人並み以上に、識っている。
 理解できないものを排斥するヒトの傲慢。
 敵と定義した集団に対し、マジョリティたる人々が何をするのか、できるのか。
 男も女も乳飲み子も、老人も不具も殺して殺して尊厳ごと犯し尽くす鏖殺のソルジャー・ブルー。
 シッティング・ブルはこの世における恐ろしきもの、おぞましきものを目が腐るほど見続けてきた。

 だが、それでも。いや、だからこそ。今しがたまでこの公園に君臨していたあの"白"を、単なる悪性と同一視してはならないと理解できた。
 星に、現象に、大いなるものに善悪の区別はない。
 ただそこにあるだけの巨大な何か。どうしようもなく桁が違うことしか分からない、定義不能の"恐怖"。
 コズミックホラーという言葉をシッティング・ブルは知らなかったが、似た概念としては間違いなくそれに近かろう。

「どの道、狩魔はアレや……先の〈脱出王〉についてあなた方へ語り聞かせるつもりだったようです。
 というわけで散歩の途中に申し訳ないですが、一度ライブハウスに戻っていただいても?」
「異論はない。……が、知っていることは洗いざらい話して貰う。構わないな?」
「それはいいんですが――」

 ちら、と、騎士が未だ混迷の中にある少女へ目を向けた。
 
「もしかすると彼女には外れて貰った方がいいかもしれませんね、協議の時には」
「……、……」
「まあ、結論が出たら教えてください。"我々は"どちらでも構いませんのでね」

 それで、話は一旦終わり。
 周鳳狩魔は何かを知っている。
 悠灯達が、そしてゲンジ達も知らない何かを。
 恐らくは、この世界の根幹に関わる重大な秘密を握っている。
 これが共有される会議の席が持つ重要さは計り知れない。
 だが今、シッティング・ブルの脳裏にあるのはそんな広い世界のことではなく。
 悪夢でも見たような――/――悟りでも得かけたような顔で、小さく俯いている己が片翼のことだった。


501 : 君のつづき ◆0pIloi6gg. :2024/12/03(火) 02:45:09 bV3Gw9.Y0

(……悪い、キャスター。大丈夫だよ、狩魔さん達と話す時までにはしゃんとする)
(悠灯……君は)

 祓葉の言葉に一欠片でも悪意があったなら、シッティング・ブルはそれを見逃さなかった筈だ。
 しかしあの少女の言葉には、本当に誓って微塵の邪心もなかった。
 不遇な友人に対し、純粋な善意で救いの手を差し伸べていただけ。
 約定とは名ばかりの詭弁ばかり弄する白人どもとは違う、掛け値なしの素朴な愛がそこにはあって。

 だからこそ――鈍ってしまった。
 一瞬、考えてしまった。
 ゴドフロワの言う通り、言葉を放つ余地を与えてしまうところだった。

 
(君は――――神話(あちら)に、行きたいのか?)


 彼女がもしも、そう答えたのなら。
 自分は、どうするべきなのだろうと。
 思慮を、積んでしまった。

 今や、世界は色づいた。
 無声映画、白黒映画などとうに嗜好品。
 西部劇は、独立戦争は、百科事典の一頁。
 であれば神話とは、すなわち画面の向こう、信仰の彼方。
 そこに向かうとは、すなわち常世の向こう、道理の彼方。


(……わかんないんだ)


 華村悠灯にとって、聖杯とは"夢"であった。
 灰色の世界にただ一筋差し込んだ希望の光。
 だから彼女はこの都市に降り立って、夢想家(ドリーマー)になった。
 生きるために祈る。祈るために生きる。その歩みも道半ばだというのに、そこで。

 ――いないと信じてた神があっさり現れ、夢を叶えてあげようかと誘ってきた。

(あいつ、嘘とか、吐けないだろ)

 死を超越し、怪物になって得る未来。
 そんなもの人の生き様じゃないとか。
 人生は果てがあるから素晴らしいんだ、とか。
 その手の綺麗事を、悠灯は持ち合わせない。
 何故なら彼女は、病んでいるから。

 未来のない身体。
 日々強まるその実感。
 迫ってくる、命の終わり。
 エンドロール。終劇の時。
 今、この都市の誰よりもそれを知っている彼女は――故に綺麗事に逃げられない。

 どうすればいいと思う、とは、聞かなかった。
 だからシッティング・ブルも、沈黙するしかなかった。
 気まずいとかそういう話ではない静寂が互いの脳裏を満たす。
 そんな静けさの中でシッティング・ブルは、いつかある白人にかけた言葉を思い出していた。
 

 ――いいか。我々の言う"戦士"とは、君達が思うのとは違う。
 ――戦士とは、単に戦って殺す者に非ず。
 ――戦士とは我々のためにあり、誰かのために犠牲となる者のことだ。
 ――老いた者、か弱き者、未来ある子供達。
 ――そうしたすべてを守り抜くために、身命を尽くす者のことを言うのだ。


 寝物語に聞かされた戦士たちの不在は知っている。
 だからこそ、自分は勇気を振り絞ったのだ。
 だが、ああしかし。
 もしも今この身がひとりの"戦士"ならば――


 私は、何を答えとするべきなのだ。
 呪術師の問いに対し、返る答えはついぞなかった。



◇◇


502 : 君のつづき ◆0pIloi6gg. :2024/12/03(火) 02:45:56 bV3Gw9.Y0



『おお、なんとおぞましい――おぞましい、冒涜者(アンチキリスト)め!!』

 かつて自分にそう言った英霊(おとこ)がいたことを、神寂祓葉は思い出していた。
 英霊の名はジャン・シャストル。その名を聞いてピンと来るなら、それは相当な歴史通だろう。
 いや、もはや歴史よりも伝承だとかそういう畑に精通している者と看做せるかもしれない。
 とにかく、その男はそう有名な存在ではなかった。いやその本質を顧みるならば、英雄と称することさえ誤りであると言う他はない。

 ――ジェヴォーダンの獣、という獣害事件を知っているだろうか。
 18世紀のフランス・ジェヴォーダン地方に狼に似た凶暴な獣が出現し、百人弱もの人間を食らったという伝説である。
 ジャン・シャストルという英霊は、一言で言うならばその恐るべき事件の"仕掛け人"であった。

 敬虔なる信仰者であると同時に、魂の底まで悪意に捻れ切った〈歩く矛盾〉。
 獣を調教する(つくる)ということにかけて、神代の魔獣使い以上の才覚を有していた狩人。
 自らのシナリオで栄光を偽装し、遂には英霊の座にまで登り詰めた人類史に名を残す大ペテン師。
 前回の聖杯戦争において、筋書き通りならば聖杯とそれを巡る戦いをあらん限り凌辱する筈だった悪意の器。
 かつて神寂祓葉は、そんな男と相対している。
 その末に結末がどうなったのかは、彼女が今此処にいる事実と、矛盾螺旋の狩人を召喚した男(おんな)の末路が証明していた。


 夕焼けの照らす街を歩く、白い少女。
 細身の身体に、冥界(タルタロス)から来た鎖が這い寄った。
 


「わ」

 刹那にして巻き取られる両足と右腕。
 身動きを封じられたところに飛来してくるのは、蝙蝠に似た黒い鎌だった。
 祓葉は左手に光剣を創形。これで打ち払おうとするが、その安易な発想を嘲笑うように鎌の輪郭がブレる。
 蝙蝠は蝙蝠でも単独ではない。群れを成し、獲物に噛み付き、血を啜る――ミクトランの蝙蝠である。

 当然の帰結として、祓葉の身体は蝙蝠のカーテンに包まれた。
 無数の刃に切り刻まれて、黒い幕の中で血霧が荒ぶ。
 急所という急所を滅多切りにされているのだから当然に生存の確率は絶無だ。
 これぞ死の世界を飛ぶ妄念の蝙蝠。一度獲物とされたなら、人間はどうあっても彼らの牙から逃げられない。
 
 それが、ただの人間であったなら。


503 : 君のつづき ◆0pIloi6gg. :2024/12/03(火) 02:46:48 bV3Gw9.Y0

 ――光が弾けて、闇が四散する。
 内側で光剣の出力を上昇させ、力ずくで蝙蝠鎌の群れを滅却した。
 その内側から、血まみれの少女が現れる。
 潰れた眼、張り裂けた首筋、ちぎれかけた手足が目の前で繋がっていく。
 人を両手の指の数ほどは殺せる斬撃を受けたばかりとは思えないほど、彼女の表情は晴れやかだった。
 
「初めて見る武器だけど、やり方はあの頃と変わんないね?」

 足を動かし、前へ。
 小さな一歩だったが、それだけでタルタロスの縛鎖が悲鳴をあげた。
 零落した主神さえ縫い止める、死後の世界のひとしずく。
 その鋼が、少女の一歩にさえ耐え兼ねて阿鼻叫喚の声を漏らしているのだ。

「ねえ、姿は違うけど――あなた、ハリーでしょ?」

 祓葉の見上げた先。
 電信柱の頂上に、ちょんと佇む小さな影があった。
 赤毛の、小柄な少年だった。しかしその頭には猫耳が、臀部には同じく猫の尻尾が見て取れる。
 それを夕暮れの風にそよがせている姿は、まるで絵本の一頁を切り出してきたようだ。
 すわ妖精かと思うほどに非現実的な容姿だったが、祓葉は確信を持ってその真名を言い当てる。

「半分正解、半分間違いと言ったところだね。
 聞きしに勝るデタラメぶりで頭が痛いよ、神寂祓葉」
「ん――? あれ、もしかしてハリーじゃないの? おかしいなあ、確かに生き返らせた筈なんだけど」

 なんかサーヴァントになってるし、と首を傾げる祓葉。
 ミクトランの蝙蝠を滅ぼし、タルタロスの鎖に繋がれて汗の一滴も流していない。
 息吐くように道理をねじ伏せるという前評判通りの活躍に、猫耳のハリーは嘆息した。
 そんな彼をよそに、夕闇の影からぬるりとたおやかな笑みの少女が躍り出る。
 その顔を見て、今度こそ祓葉は旧友との再会を果たしたことに笑顔を花咲かせた。

「私はこっちだよ、祓葉」
「わー、久しぶりじゃんハリー! いつの間に分裂したの? そういう生き物だったっけ?」
「君に蘇らせてもらった"私"が、マスターとして英霊の"私"を召喚したのさ。
 だからどっちも『ハリー・フーディーニ』で間違いないよ。もっともそっちの彼は、私に比べてちょっと擦れてるけどね」
「へ〜……。なるほどね、よくわかんないけど楽しそうじゃん」
「わかんないか〜〜。私いま結構わかりやすく説明したつもりなんだけどなあ」

 こうして話している分には、ふたりはただの女友達にしか見えないだろう。
 少なくとも、かつて燃える都市を舞台に殺し合った仲であるとは思えない筈だ。
 もっともその頃、祓葉と語らう"現在"のハリー・フーディーニはひとつ前の生――男性として顕現していたのだったが。


504 : 君のつづき ◆0pIloi6gg. :2024/12/03(火) 02:47:53 bV3Gw9.Y0

「まあ、とにかくだ。
 私達はふたりのハリー・フーディーニで君の聖杯戦争に臨んでるってわけ」
「イリス達が聞いたらすっごく難しい顔しそうだね。
 前の時もハリーのマジックにはみんな翻弄されてたし。
 ノクトやジャック先生もすっごくイライラしててさ、すごいな〜って思ってたよ」
「ははっ、だったら何よりだ。斜に構えた大人達が子どもみたいに驚いてくれるほど、私達にとって嬉しいものはないからね」

 ひとりでさえ街ひとつを手玉に取れる奇術師。
 それが、現実的な戦闘能力まで兼ね備えたふたりに増えている。
 他に知れれば一気に討伐の優先度を引き上げられるだろう恐るべき事実だったが、聞いた祓葉も、明かした彼女も特に気にした様子はない。
 
「今は山越風夏と名乗ってる。だから君もそう呼んでよ、ハリーがふたりじゃ流石にこんがらがっちゃうでしょ」
「――ん。じゃあ風夏って呼ぶね。ふうか、ふーか。かわいい名前じゃない」
「お褒めに預かり恐悦至極。君も相変わらずのようで嬉しいよ、祓葉。主役が良くなきゃ舞台は映えない」
「他のみんなも頑張ってくれてるよ。私達の知ってる子達も、知らない子達も」
「知ってる。私もいろいろやっててね――その移動中にたまたま君を見かけたから、こうして寄ってみたってわけ」

 殺そうとしたことも殺されかけたことも、彼女達には大した問題ではないらしい。
 ある意味では、他のどの衛星達とも違う関係性のもとに関われる間柄。
 それがこのふたり。神寂祓葉と山越風夏という、破綻した少女達であった。

「あはは、やっぱりまた悪だくみやってるんだ? 風夏も変わんないねえ」
「私はそういう生き物だからね。まして前回は、マジシャンにとっては少々不本意な結末に終わってしまったから」
「一応聞いとくけど、シャストルのおじさんも居たりする?」
「まさか。彼はいい男だったけど、私とはちょっと芸風が違ったからね。こっちから共演をお願いすることはもうないよ」

 結局、詐欺師と奇術師は似て非なるものなのさ。
 そう言ってひらひらと手を振る風夏の姿は、夕焼けの景色によく映える。

「そういうわけだから、ぜひ期待して待っててよ。
 今回は前以上に見応えのある、素晴らしいものを君に見せてあげるから」

 それは――ひとり殺し殺されとは別の分野で戦う奇術師からの、神への宣戦布告だった。
 前回は魅せ切れなかった。趣向は悪くなかったと自負しているが、しかしあの時自分はまだ"彼女"のことを知らなかった。
 だから間違えた。死んだ。大掛かりなマジックショーでは、ひとつのミスが命取りになる。
 ハリー・フーディーニはあの炎の夜に、無様にも舞台の上で自爆したのだ。少なくとも風夏は、そう思っている。

 だが、今は違う。
 自分はもう、神寂祓葉を知っている。
 二度とその輝きを見逃さないように、魂にまで焼き付けた。
 もはや目的は"脱出"に非ず。たとえこの身が舞台の上で再び燃え尽きようとも、勝ち取るべき喝采があるのだと風夏は信じていた。


505 : 君のつづき ◆0pIloi6gg. :2024/12/03(火) 02:48:55 bV3Gw9.Y0

「私は今度こそ、君のために舞台を完遂する。
 至高にして至上、愉快にして痛快な、君のためのショーを見せてあげよう」

 ショーは成功させる。
 九生の果てまで続くこの魂に懸けて。
 輝くあなたに最高の高揚を届けるのだと、脱出の王は誓っていた。

 駒は既に揃いつつある。
 赤騎士討伐戦線。
 目覚めたる少女と復讐譚。
 幕の上がったショーを止められる者はこの世のどこにも存在しない。
 まして奇術を提供するのが、ハリー・フーディーニであるのなら。

「その時また、私にあの笑顔を見せてくれ」
「ふふ。うん、楽しみにしてる」

 祓葉の答えを聞いた風夏は、期待の言葉をかけられた幼子そのままに笑った。
 そして次の瞬間には、もういない。
 夕焼けの街には白い少女がひとりきり。
 ミクトランの蝙蝠も、タナトスの鎖も、猫少年も転生少女も、一時の夢のように姿を消している。
 今のやり取り、交わした誓い、その真実性を誰も保証できない。
 世界の主役たる彼女を除いては誰も、ハリー・フーディーニを捉えられないから。

「……私のためのショー、かあ。
 ふふ、それはすっごく楽しみだけど」

 過去の彼方に閉じられた頁を再び開こう。
 前回、ハリー・フーディーニは悪徳の狩人を召喚した。
 彼女の目的は聖杯戦争からの穏便にして、完全なる"脱出"。
 されど鼠のように小さく抜け出すのではマジシャンの名折れ。

 よってハリーは、あらん限りの跳梁を繰り返した。
 駆け回り、おちょくり、時に死にかけながら脱出劇のピースを満たす。
 "条件さえ揃えばこの世のあらゆる概念を『獣』へ改造できる"という、ジャン・シャストルの宝具。
 それを聖杯へと行使し、世界を喰む最新最強の『ジェヴォーダンの獣』を生み出し――乱痴気騒ぎをバックコーラスに悠然と自分だけが死の満たす柩(コフィン)から脱出する。

 果たしてその奇術は、罷り通る筈だった。何故なら誰も、ハリー・フーディーニを捕まえられないから。
 蛇杖堂が勝とうが他の誰かが勝とうが、聖杯戦争の終局で待ち受けるのは願望器の魔獣。
 人類愛ならぬ人類憎を泥のように煮え滾らせた、この世の悪意そのものが願いの番人を務めることは半ば確定していた。
 そう――神寂祓葉さえいなければ。

「ハリー……風夏も、いつか私以外の恒星(ほし)を見つけてくれたら嬉しいんだけどな」

 願望の成れ果てたる獣を調伏し。
 狩人の断末魔を聞き。
 奇術師の脱出を阻んで、戴冠した女。
 九生に渡り不変である筈の柔軟を、狂気一色に塗り潰した冒涜者。

 可能性の躍動を望み、誰よりそれを愛している女は、ひとり困った風に笑った。



◇◇


506 : 君のつづき ◆0pIloi6gg. :2024/12/03(火) 02:49:36 bV3Gw9.Y0



「どうだった?」
「一言、凄まじい。
 君がそうまで壊れた理由が分かったよ」

 猫耳の少年――ハリー・フーディーニの名を持つライダーは、主の問いにそう答えた。
 なるほど、確かにアレは"火"だ。
 過去を燃やす炎であり。未来を照らす灯であり。今を動かす炉心となり得るヒカリであった。
 仮に自分がこの"もうひとりのぼく"の立場だったとしても、きっと同じように灼かれ狂っていただろうことは想像に難くない。

「それはよかった。一度ね、実際に見せてあげたかったんだ。
 興味もあった。奇術を極め切った最果ての私が、果たしてこの私と同じ感想に至るのか」
「我ながら難儀な性根だね。比喩でなく幼い日の自分を見ている気分だよ。背中がむず痒くなってくる」
「黒歴史なんて軽い言葉で片付けないでよ。私はただ、あなたとは目指す道が違うってだけ」

 くすくすと笑う少女は、もはや"ハリー・フーディーニ"とは絶対的に違う生物だ。
 奇術師の宿痾、あるいは起源と呼び変えてもいいだろう、その名は〈脱出〉である。
 抜け出さずにはいられない。束縛、柩の中、大戦争、果てには死後の安息からさえも。
 それを追い求めることが"ハリー・フーディーニ"の存在意義であり、果てに至って枯れるまで変わらないアイデンティティだ。
 にも関わらず、山越風夏という名の是(ハリー)はもうそこに囚われていない。
 起源を、魂のかたちさえもを忘れてしまう光に灼かれた成れの果て。
 その姿は正しく、猫少年のハリーには狂人のそれに映った。

「……まあ、何でもいいよ。
 実際に見て、ぼくも少しやる気が出たのは否定しない。
 こればっかりは職業病だね。目の肥えた観客がいたなら、魅せる奇術をより洗練させたくなる――今のぼくにも、そのくらいのプライドは残っていたみたいだ」

 この通り、彼はこんなに成っても奇術師だ。
 故に仕事は選ばない。舞台を選り好みして公演を断る奇術師など三流と信じている。
 此度の観客を見た今も、その一点に関しては一切不変。
 だから文句はなく、モチベーションはむしろ上がっている。
 ただ。

「風夏。君にひとつだけ忠告しておく」
「うん? いいよ、何でも言ってほしいな。
 他でもない私自身の言うことなら一聴の価値はある。慎んで傾聴させてもらうよ」
「盲目は、奇術師にとって悪徳以外の何物でもないよ」

 だからこそそこに関してだけは、口を挟まざるを得なかった。


507 : 君のつづき ◆0pIloi6gg. :2024/12/03(火) 02:50:02 bV3Gw9.Y0

「視野が狭まれば発想は鈍し、必然として抑えるべきポイントを見落とす。
 思考の偏りと決めつけはぼくらが最も唾棄すべき怠慢で、驕りだ。
 前回の東京で、君はそれが理由で敗北したのではなかったかな」
「祓葉のことなら分かってるさ。彼女が何を好み、何を愛するのか。私はちゃんと知ってるよ」
「ほら、それだ」

 やれやれと肩を竦めて返した答えに、間髪入れずそう言われたものだから。
 さしもの風夏も、思わず口を噤んでしまう。

「……まあ、これ以上とやかく言うつもりはないよ。
 説教なんてするガラじゃないし、何より意味がないからね。
 ただ、それでもひとつ"先人"として私見を残しておくなら」

 神寂祓葉は怪物である。
 宇宙の何より眩く輝く、極星である。
 九生の果てからそう断言する。認めよう。あの少女は間違いなく、過去未来すべての観客の中で一番の異物であると。
 その輝きは網膜のみならず、魂まで焼き焦がすほど。
 だがしかし、ああだとしても。

「アレは君らと同じ"人間"だよ。人間のあり方や価値観ってのは、一朝一夕で知り尽くせるものじゃない」

 眩しいならばこそ、見落とすものもあるだろうと。
 それだけを過去の自分、成長途上のハリー・フーディーニに伝えて――猫少年はぽん、と姿を消した。霊体化したのだ。
 夕暮れの中に、当代のハリーだけが残される。
 山越風夏。いわく、〈現代の脱出王〉。いつも不敵に笑うその顔は、いつになく困ったような表情を湛えていた。

「…………まあ、覚えておくよ。君が言うならね」

 舞台の主役は白い少女で揺るがない。
 しかしこの舞台には、その他の役柄が存在しない。
 奇術師なる役名は有らず、ステージは彼女のためのものではなく。
 何にも捕まらず囚われない筈の山越風夏に、おまえは囚われている、という指摘が飛んだ。
 これは夕暮れの些細な一幕。大局の片隅で行われた、自己と自己のちいさな対話。

 それに価値があるのか、無いのか。
 あるいは的を射ているのか、道化の戯言に過ぎないのか。
 答えもその実像も、今はすべて、黄昏の中に隠されたまま。



◇◇


508 : 君のつづき ◆0pIloi6gg. :2024/12/03(火) 02:50:28 bV3Gw9.Y0
【新宿区・街角の小さな公園/一日目・夕方】

【華村悠灯】
[状態]:健康、激しい動揺と葛藤、そして自問
[令呪]:残り三画
[装備]:精霊の指輪(シッティング・ブルの呪術器具)
[道具]:なし
[所持金]:ささやか。現金はあまりない。
[思考・状況]
基本方針:今度こそ、ちゃんと生きたい。
0:祓葉の誘いに、あたしは――
1:暫くは周鳳狩魔と組む。
2:ゲンジに対するちょっぴりの親近感。とりあえず、警戒心は解いた。
3:山越風夏への嫌悪と警戒。
[備考]

【キャスター(シッティング・ブル)】
[状態]:健康、迷い
[装備]:トマホーク
[道具]:弓矢、ライフル
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:救われなかった同胞達を救済する。
0:今の私は、どうあるべきか?
1:神寂祓葉への最大級の警戒と畏れ。アレは、我々の地上に在っていいモノではない。
2:――他でもないこの私が、そう思考するのか。堕ちたものだ。
3:復讐者(シャクシャイン)への共感と、深い哀しみ。
4:いずれ、宿縁と対峙する時が来る。
5:"哀れな人形"どもへの極めて強い警戒。
[備考]
※ジョージ・アームストロング・カスターの存在を認識しました。
※各所に“霊獣”を飛ばし、戦局を偵察させています。

【バーサーカー(ゴドフロワ・ド・ブイヨン)】
[状態]:健康
[装備]:『主よ、我が無道を赦し給え』
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:狩魔と共に聖杯戦争を勝ち残る。
1:神寂祓葉への最大級の警戒と、必ずや討たねばならないという強い使命感。
2:レッドライダーの気配に対する警戒。
[備考]


509 : 君のつづき ◆0pIloi6gg. :2024/12/03(火) 02:50:50 bV3Gw9.Y0
【新宿区・路地/一日目・夕方】

【神寂祓葉】
[状態]:健康、わくわく、ちょっと休憩中
[令呪]:残り三画(永久機関の効果により、使っても令呪が消費されない)
[装備]:『時計じかけの方舟機構(パーペチュアルモーションマシン)』
[道具]:
[所持金]:一般的な女子高生の手持ち程度
[思考・状況]
基本方針:みんなで楽しく聖杯戦争!
1:結局希彦さんのことどうしよう……わー!
2:面白くなってきたなー!
3:悠灯はどうするんだろ。できれば力になってあげたいけど。
4:風夏の舞台は楽しみだけど、私なんかにそんな縛られなくてもいいのにね。
5:もうひとりのハリー(ライダー)かわいかったな……ヨハンと並べて抱き枕にしたいな……うへへ……
[備考]
二日目の朝、香篤井希彦と再び会う約束をしました。


【山越風夏(ハリー・フーディーニ)】
[状態]:健康、わずかな戸惑い
[令呪]:残り三画
[装備]:舞台衣装(レオタード)
[道具]:マジシャン道具
[所持金]:潤沢(使い切れない程のマジシャンとしての収入)
[思考・状況]
基本方針:聖杯戦争を楽しく盛り上げた上で〈脱出〉を成功させる
0:キャスターの指摘に少し戸惑い。
1:他の主従に接触して聖杯戦争を加速させる。
2:悪国征蹂郎のサーヴァントが排除されるまで〈デュラハン〉に加担。ただし指示は聞かないよ。
3:うんうん、いい感じに育ってるね。たのしみたのしみ!
4:レミュリンの選択と能力の芽生えに期待。
5:祓葉が相変わらずで何より。そうでなくっちゃね、ふふふ。
[備考]
準備の時間さえあれば、人払いの結界と同等の効果を、魔力を一切使わずに発揮できます。

【ライダー(ハリー・フーディーニ)】
[状態]:健康
[装備]:九つの棺
[道具]:
[所持金]:潤沢(ハリーのものはハリーのもの、そうでしょう?)
[思考・状況]
基本方針:山越風夏の助手をしつつ、彼女の行先を観察する。
0:まあ、ぼくは仕事をするだけだから。
1:他の主従に接触して聖杯戦争を加速させる。
2:神寂祓葉は凄まじい。……なるほど、彼女(ぼく)がああなるわけだ。
[備考]
準備の時間さえあれば、人払いの結界と同等の効果を、魔力を一切使わずに発揮できます。


510 : ◆0pIloi6gg. :2024/12/03(火) 02:51:28 bV3Gw9.Y0
投下終了です。


511 : ◆0pIloi6gg. :2024/12/03(火) 02:53:41 bV3Gw9.Y0
高天小都音&セイバー(トバルカイン)
伊原薊美&ライダー(ジョージ・アームストロング・カスター)
天枷仁杜&キャスター(ウートガルザ・ロキ)
楪依里朱&ライダー(シストセルカ・グレガリア) 予約します。


512 : ◆l8lgec7vPQ :2024/12/05(木) 14:30:14 ifQ8Boh20
雪村鉄志&アルターエゴ(デウス・エクス・マキナ)
追加で予約します。


513 : ◆l8lgec7vPQ :2024/12/05(木) 14:34:08 ifQ8Boh20
投下します


514 : 祉炎 ◆l8lgec7vPQ :2024/12/05(木) 14:38:15 ifQ8Boh20



a/祉炎



 蝗害の魔女は去った。
 この聖杯戦争にて、初めて経験した戦いが終わった。
 極度の緊張状態から開放された反動で、少女は暫くの間、立ち上がることも出来なかった。

 レミュリン・ウェルブレイシス・スタールは公園の芝生に尻もちをついたまま、茜色に染まる西の空を仰ぎ、深く息を吐く。
 生命の危機を脱した安堵と疲労感によって、足腰に上手く力が入らない。
 抜けていく力の流れに身を任せ、そのまま仰向けに倒れ込みそうになった、その寸前。

「おっと」

 背中を支えてくれる、逞しい手のひらの感触があった。
 
「大丈夫かい、お嬢ちゃん」

「ランサー……」

 こちらを覗き込む大男の姿に安心する。生き残ったという、実感を得る。
 なんだか情けないなあと思いつつも、今だけはその力強さに寄りかかってしまう。
 重くなる瞼を懸命に開きながら、己の生命を守り抜いてくれたサーヴァントを見ると、しかし意外にも、その表情は明るくなかった。
 
「どうしたの?」

「いや……俺は嬢ちゃんに謝らなきゃいけねえのかもなあ」

 言葉の意味が分からなかった。
 ランサーは今日も、昨日までもずっと、レミュリンを守ってくれた。
 守り抜いてきた。彼に感謝することはあっても、謝られる理由なんて、どこにもないはずなのに。

「ひょっとすると俺が、嬢ちゃんから大事な機会を取り上げちまっていたのかもなって、思ってさ」

 首を傾げるレミュリンに、ランサーはバツが悪そうに、視線を逸らしながら話す。

「3組だ」

「……?」

「昨日までの1ヶ月で、俺が撃退した陣営の数だよ」

 ああ、そういうことか、と。
 レミュリンもようやく飲み込んだ。

「別に後ろめたかったわけでも、英雄として間違った戦いだったわけでもねえ。
 それでも、嬢ちゃんにはできる限り、知らないでいてほしかった」

 その理由は明白だ。
 ランサーはやはり、守ろうとしてくれていたのだ。
 レミュリンの身体だけでなく、精神(こころ)までも。
 聖杯戦争という外側の戦い全てを引き受けて、レミュリンの心の中の戦いに専念できるようにと。
 
「けどな、さっきの嬢ちゃんを見て思い知ったよ。
 俺のマスターは勇敢だった。俺が思ってたより遥かに、強かった」

 だから彼が今、何を悔いているのかは理解できる。
 彼の庇護と気遣いが、ある意味でレミュリンに与えられるべき試練を遠ざけてしまったと。
 成長の機会を損なってしまったのではないかと。そう考えているのだろう。
 だからレミュリンは微笑みと共に、小さく首を振った。
 
「知ってたよ」

「……なんだって?」

「いつ、どこで、とか、わたしには分からなかったよ。ランサーは上手に隠してくれたから。
 だけど、いくら能天気なわたしでも、心のどこかでおかしいって、気づいてた」

 そう、気づかないふりをしていたのだ。
 日常の中の違和感に蓋をして、強いランサーに甘えていた。

 少女はいつも守られていた。
 その感覚は、聖杯戦争が始まるより以前から、ずっと抱えていたものだった。
 魔術師の家に生まれながら、家の魔術を知らされず、姉の魔道を知らず。
 何も知らされないことによって守られていた頃。熱を知る前の、安寧の日々。


515 : 祉炎 ◆l8lgec7vPQ :2024/12/05(木) 14:45:28 ifQ8Boh20

 あの揺り籠の中。無意識の内に、ずっと抱えていた罪悪感。
 だけど今、進むと決めた今ならば、ちゃんと知らねばならないと思う。
 
「ねえ、その3組って……どうなったの?」

 たとえ傷つく事になったとしても。
 その、熱の痛みを。

「それは……」

「教えて」

 ランサーの脳裏には、脱出王から齎された言葉が巡っている。

『ただ――きみはちょっと、過保護が過ぎるんじゃないか?』

 真っ直ぐに向けられた少女の視線を受け止めて、槍兵はその結末を告げる。

「戦闘そのものは、いずれも撃退するに留めて終えている。
 だが、昼間遭遇した脱出王のサーヴァントの話を信じるならば。
 3組全て、既に脱落したそうだ。中には、俺との戦闘が直接の原因となった者もいるだろう」

「……そっか」

 レミュリンの表情に、隠せぬ痛みが走る。
 この聖杯戦争の舞台においては、一方的な被害者で居ることすら許されない。
 知ってしまったからには、否応なくその重みがのしかかる。

「分かってたけど、辛いね」

「そうだな」

 ランサーの心にも無念が浮かぶ。
 そんな表情をさせたくなかった。だから今日まで隠してきたのだ。
 そして出来ることなら最後まで、隠し通してみせたかった。

 少女の決意も、新たな力も、彼女の成長があってこそ。
 だが、それすら必要ないくらい、英雄(ヒーロー)が強ければ良かったのだ。

「ありがとう、教えてくれて。
 今日、凄く痛かったし、怖かった。
 だけど、ここはランサーがずっと居た場所なんだね」

 ランサーの心が伝わったのか、レミュリンはもう一度、にへらと笑ってみせる。
 それは弱々しく不格好ながらも、誰かを勇気づけるための、英雄に倣った笑顔だった。

「お姉ちゃんのことだけじゃない。
 魔術のこと、聖杯戦争のこと、わたしやっぱり、知りたいよ」

 真実を求めなければ、自由でいられた。
 誰かの、怒りに満ちた声が、まだ耳に残っている。
 だけど、それでも、知ってしまったから。
 もう、戻れないなら、進みたいと願う。


516 : 祉炎 ◆l8lgec7vPQ :2024/12/05(木) 14:46:29 ifQ8Boh20

「わたしね、思ったんだ」

 レミュリンはようやく、自分の望みをカタチにすることができた。
 燃えるような、夕暮れの空を見つめながら。

「わたしの戦いに、ランサーはずっと寄り添ってくれた。
 だから私も、ランサーの居る戦場に、ちゃんと一緒に立ちたいよ」

 時刻は夕方、真っ赤に染まる雲と長く伸びる影。

「まだ、何を選べばいいのかも決められてない。
 自分の運命っていうものに、どんな決断を下せばいいのかも、分からない。
 何も出来てない、だけど……いま……やりたいこと、成し遂げたいことが、一つだけ出来たよ」

 近づく夜を前に、新たな決意を声に乗せる。



「わたし、ちゃんと、あなたの魔術師(マスター)になりたい」



 魔術師になりたい。
 その言葉は、もしかすると、引き金だったのか。
 少女の右腕が突如として炎に包まれていた。

「―――!?」

 先程までの赤紫(マゼンタ)ではなく。
 瞬間的に、青白い残り火が少女の腕から立ち昇る。

「嬢ちゃん――!」

 すぐさま、ランサーが氷の鞘を腕に押し当て鎮火する。
 しかし、その一瞬で気力を使い果たしてしまったのか。
 既に、レミュリンの意識は失われていた。
 
「…………」

 幸いにも、呼吸等の身体機能に異常は見られない。
 ただ気絶しただけのようだった。

 しかし、ランサーは安堵することなく、更に警戒を強める。
 このタイミングで、背後に気配があったからだ。
 蝗害の魔女が戻ってきたのか、あるいは新手か。
 いずれにせよ、マスターが完全に意識を失ってしまった以上、戦う選択肢を選ぶことはできない。

「―――誰だ?」

 すぐに離脱できるよう、レミュリンを抱え、跳躍の準備体制を整えながら。
 後方に槍を突きつけ、素早く振り返る。


「……その子……大丈夫ですか……?」


 はたして、そこ立っていたのは――――
 









517 : 祉炎 ◆l8lgec7vPQ :2024/12/05(木) 14:49:24 ifQ8Boh20

「――知っての通り、魔術師の世界において『魔法』と『魔術』は明確に区別されるものだ」

「はーい! 先生! 現代文明の科学で実現不可能なものを魔法、可能なものを魔術という、ですよね?」

「その通り、どれほど荒唐無稽な経緯で為された現象であったとしても、結果が別の方法で実現出来るなら、それは魔術の域に留まる。
 例えば、指先から火を出現させる術式は魔術を知らぬ者にとって見れば奇跡だが、火を点けるという結果だけ見ればマッチ一本で叶ってしまうだろう。
 魔法とは結果を再現できない天外の理。現在のところ、魔術協会が認定している『魔法』はたったの5つのみだ」

 教卓の前に立つ、あだ名の多い長髪の教師が、もう耳にタコが出来るほど聞いた講義をしている。

「じゃあ先生、その5つって、どんな魔法なんですか?」

「残念ながら、それは公開されていないし、講義では軽々しく魔法の中身については扱わない。
 君等の家柄の中にはもしかすると、私以上に魔法に詳しい者がいるかも知れないが……。
 とにかく、私が言いたいのは、この魔法が魔術師の最終目標である根源の到達と、決して切り離せない概念であるということだ」

 教室の端で、窓際の席に座る私は黒板には目を向けず、流れ行く曇り空をぼんやり見ていた。

「魔法とは根源の渦に直結する神秘。根源への到達とは即ち魔法の実現であり、逆説的に魔法の実現とは根源への到達である」

 魔法の定義。根源の到達。
 魔術師家系の子にとっては常識中の常識、正直ってあまり傾聴に値する解説ではない。
 周囲を見ても、同じように退屈そうにしている生徒が大勢。だけど、それだけで終わらないのがこの教室の常だった。

「つまり科学が進歩するほど魔法が減っていって、結果的に根源が遠のくってことですか?」

「だからまだ質問は受け付けていないと……まあいい、良い角度の問いだ。
 確かに、文明の発展と共に魔法は減少し続けているとされる、この星が黎明期の頃、世界は魔法で溢れていたのだろうが。
 現在ではそれも5つきり。しかし根源が遠のくという視点は面白いな。
 魔法の到達においても、過去に為された過程(みち)は閉ざされるというが……」

 この時点で、既に数名の生徒が視線を正面に向け始めていた。

「あ、あの……」

 そして気の弱そうな1人の生徒がおずおずと手を上げて、

「では、その、例えば、タイムマシンが開発されたら。
 『時間旅行』が科学によって実現されてしまえば、また一つ魔法が減ってしまう、ということでしょうか?」 

 その問いを聞いた時、私もまた、まんまと視線を前に向けてしまった。

「……ふむ、君の質問は時間旅行が魔法に該当することを前提にしているね?」

「はい、えっと……違うのでしょうか?」

「いや、違うとまでは言わない。
 時間旅行――完全なる時間操作――は未だに現代文明が成し得ない奇跡だろう。
 実現できれば、それは魔法と呼ばれる可能性はある。
 しかし、単純に時間を動かすだけなら、少し微妙なところだな」 

 時間操作、その話題は、私にとって決して無視できないものだったから。

「魔法を現代文明との比較として考えたとき。
 科学によって時間操作がどの程度可能であるか、君らは知っているか?」


518 : 祉炎 ◆l8lgec7vPQ :2024/12/05(木) 14:49:49 ifQ8Boh20

 科学的見地、他の教室の多くが侮り、歯牙にもかけぬ現代科学文明の強さを交えて語る教師。
 異端ながらも、それが彼の魅力の一つでもあるという。

「20世紀初頭、アルベルト・アインシュタインが提唱した相対性理論が予言する現象に、
 リップ・ヴァン・ウィンクル効果というものがある、極東の島国では『ウラシマ効果』とも呼ばれているな」

 そこで教師は、生徒の一人、赤い服がよく似合う黒髪の少女の方をちらりと見た。

「極簡単に言ってしまえば、『高速で動く物体に流れる時間は、静止する物体に流れる時間よりも遅い』という現象だ。
 現代科学の理論では、時間とは世界に存在しない概念。自然現象ではなく、人間が開発した発明品の一つと言ったほうが正しい。
 なぜなら時間の経過とはこの宇宙において平等ではなく、観測者の状況によって全く異なってしまうからだ」

 長髪の教師は、カツりと靴音を立てながら、教室内を歩き始める。

「時間は時空に包括される。
 いま我々は同じ教室、空間――つまり同じ時空で、同じ時間の流れを生きている」

 教室の中央で脚を止めた彼は、窓の向こう、霧と雲に覆われたロンドンの空を見上げた。

「しかし、この空の上、宇宙空間において高速で飛び続けるシャトルに乗った宇宙飛行士たちの時計は、我々のそれより少し遅い」 

 異なる加速度、あるいは重力下に置かれた時計は異なる時刻を指し示す。
 亜光速で飛ぶ宇宙船で、宇宙旅行に行ったパイロットが、地球に帰ってきたらとんでもない時間が経っていた。
 なんて、大昔からあるSF映画の定番だけど、この時間のズレ自体は現実に観測されている事象なのだ。

「乱暴な理屈であることは承知だが、ようするに未来に行くだけならば、『高速で移動し続ければいい』だけだ。
 それだけで『結果』が得られる」

 魔術においても、科学においても、亜光速で動き続ける技術が確立されたなんて話は未だに聞かない。
 だからこれはやはり極論だろうし、実現できたとしても、未来行きの片道切符にすぎないけれど。
 それでも、手に届きうる範囲の、時間操作には変わりない。 

「とまあ、時間についても、君らの中には私以上に専門分野がいるだろうし、恥を晒す前にこの辺りで話を切り上げようか」

 そのとき、彼が一瞬、私の方を見たのは、気のせいだろうか。 

「……随分と話が脱線してしまったが結局、私が言いたいのはこういうことだ。
 魔法の領域とは、そう簡単に到れるものではない。そして根源とは遥か遠く、人智の及ばぬ深淵の向こう。
 果てのない難題に挑むのが、君たち―――魔術師だ」





519 : 祉炎 ◆l8lgec7vPQ :2024/12/05(木) 14:50:14 ifQ8Boh20

 場面が切り替わる。
 場所は教室のまま、だけど窓から落ちる光の色は白から赤へ。
 昼間あれほど沢山いた受講生達は何処かへ消え、夕暮れ時の教室には私と、時計塔のロードの2人きり。

「君の家のことは聞いている。その教育方針も。故に、私からあれこれと言えることは少ないだろう」

「お心遣いに、感謝いたします。先生」

 進路に関する面談。
 なんて言うと聞こえがいいけど。
 私について言えば、時間の無駄に他ならない。
 そんな無駄に、この人を付き合わせてしまっている事実に、申し訳なさが込み上げる。
 私の進路なんて、生まれた時から一本しかないのだから。

「貴重な時間を頂いてしまい。申し訳ありませんでした。それでは」

 だから、早々に席を立つ。
 つまらない茶番に、他人を付き合わせるわけにはいかないから。

「構わんさ。だが君こそ、いいのか?」

 なのに、彼は足早に歩き去ろうとする私の背に、声をかけてくれた。
 そのことは嬉しくもあり、悲しくもあって。

「もちろんです。私は、跡取りとして、その務めを果たしたいと思います」

 本心だ。
 この道を行くことに迷いはない。
 きっと後悔も。だけど、

「ならいい。君が心を決めているなら、やはり私に言えることはない。だが……」

 そこで彼は少し迷ったように言葉を切って。

「私には君が、常に何かを諦めているように思えてならない」

「……」

「いや、正確には諦めようと努めている、か」

 慧眼だった。
 だからこそ、私はもう、彼の目を見ることは出来なかった。

 私は、課せられた務めを果たしたい。
 この道を行くことに迷いはない。
 きっと後悔も無い。それは偽らざる本心だ。

「諦観を、君はずっと瞳に湛えているように見えた」

 だけど、その一本道が、どうしようもない破滅にしか繋がっていないとすれば。
 来たるべき日に、心残りが無いと、はたして断言できるだろうか。

「君の家の魔術については、聞きかじった程度のことしか分からないが……それでも、想像の余地はある」

 私は、彼の言葉に答えないまま、早足で出口に向かい。

「■■■■、……君は、自分の顛末(うんめい)を知っているんじゃないか?」

 逃げるように、教室から飛び出した。


 





520 : 祉炎 ◆l8lgec7vPQ :2024/12/05(木) 14:51:25 ifQ8Boh20

 再び場面が切り替わる。
 今度は時間だけでなく、場所にも変化が訪れた。
 わたしにも馴染みのある生家の応接間、その入口の前で私は息を潜めている。

 向かい合わせのソファ、その片側に座る両親の後頭部を、私はドアの隙間からこっそり覗き見ている。
 扉に添えられた手の大きさから、この記憶が先程までのものより随分前の、うんと小さな頃のものだと分かった。

「昨日帰国したばかりだって言うのに、ごめんなさいね」

 聞こえた母の声は親しみに溢れたものだった。
 対面する人物を心から信頼しているのだと、今のわたしには分かる。

「気にしないでください。私も、スタール夫妻とは早めに話しておきたかったのです」

「もう、堅苦しいのは無しよ、オリヴィア。同じ教室で鎬を削った仲でしょう?」

「……ふふ、では、ちょっとだけ。力を抜かせていただきますね、先輩」

 対面、客人用のソファに座る人物もまた、その声音から母に親しみの念を寄せてくれているのが分かる。
 彼女が、いつか母が話していた、20年来の親友、なのだろうか。

「ミズ・アルロニカ。
 今日、貴女をお呼びしたのは他でもない。我々の研究についてだ」

 父もまた母ほどではないにせよ、彼女に一定の信を置いているのだろう。
 魔術師が他家に魔術の研究内容を語るなんて、よほど強固な関係がなければありえないことだ。

「時計塔からの通達は……もう聞いているとは思うが……」

「エミヤ家の件ですね、ついに跡取りまで亡くなられたと」

「ああ、彼は僅かに刻印を相続し、養子を迎えていたそうだが、直系でない者に相伝は成らなかったそうだ。
 ノリカタ・エミヤの研究がああいった顛末を迎えた以上、我々も改めて身の振りを考えておく必要があるだろうと思ってね」

「……あの封印指定からもう何年経ったかしら。
 理不尽なものね、根源を目指せと煽っておきながら、芽が見えれば摘みに来る。
 結局、腐敗しきった時計塔の連中は、彼の遺産をロクに扱えてもいない。
 嘆かわしい……私達の分野で最も進んでいた魔術師の成果が、これで露と消えたのよ」

 母の憤りを含んだ声、魔術師としての苛烈な一面が覗いている。
 幼い私に、彼らの口にする内容の意味は、殆ど分からなかったけど。
 この話の行き着く先に、自分が無関係でいられないことは分かっていた。

「そこはもはや今更言っても仕方ない。
 だが、ノリカタ・エミヤの成果が我々よりも先んじていたことは確かだ。
 ならば我々は、彼と同じ轍を踏むわけにはいかん」

「なるほど、それでこの節目に、同分野の私に共同研究のお声がけを頂けたと」

「そうよ、オリヴィア。エミヤの『体内時計』には及ばなくとも、貴女の『電磁時計』は傑作だった。
 そこに、私たちの『燃焼時計』の成果が合わされば、今度こそ……!」

 女性の手を取り、じっと目を見つめながら話す母は真剣な様子に見えた。
 とても大事な決断をもって、友に語りかけているのだろう。
 真摯な気持ちが伝わってくる。だけど、しばらくして、女性は緩く首を振った。

「ありがとうございます、先輩。
 ですが……この話は、お断りします」

「どうして?」

「理由は2つあります」

 女性は指を二本立て、目を伏せながら語った。

「一家のみで研究を進め続ければ、いずれ先達と同じように封印指定が下りうる。
 よって共同研究という形を取ってリスクを分散。理にかなってます。でも、私には分かってしまうんですよ」

「なにが……」

「お二人の研究にとって、私の役割なんて、もうない筈です。
 スタール夫妻、あなた方は既に道筋を見つけている。違いますか?」

「それは」

「よしんば本当の友情からなる施しだったとしても、それは必要ありません。
 私は、私に課せられた一族の使命に、私一人で、恥じることなく向かい合いたいのです」

 そのとき、女性の視線が僅かに動いた。
 一瞬、入口のドアの隙間へ、私の視線を捉えたような、そんな気がした。

「察するに、次代、というところでしょうか?」

 父も、母も、答えない。
 それは肯定と同じ意味の沈黙だった。


521 : 祉炎 ◆l8lgec7vPQ :2024/12/05(木) 14:52:00 ifQ8Boh20

「娘さんの完成まで、あと何年です?」

「……十年程、十五か、十六の歳には、あれは初代(ウェルブレイシス)の域に至ると見ている」

「素晴らしいですね。
 そうですか……あの子、もう6歳になるんですか、最後にあったのは2歳の時でしたっけ?
 時間が立つのは早いものですね」

「下の子は4つよ。そういえば確か、あなたの子は……」

「うちの娘も今年で6歳になります。今日、連れてくればよかったかな。
 いつか私達の子も、私と先輩のような、いい友人になれるといいですね……」

「……もうひとつの……2つ目の理由って?」

 突然、何かを察したのか、弾かれたように顔を上げた母が、それを問う。

「ああ、それはですね」

 すると女性は、淋しげな表情で答えた。

「……時間が無いんですよ、私。
 十年どころか、あと一年も生きられないみたいでして。
 だからほら、一緒に研究なんて、できないでしょう?」

 今度の沈黙は、先ほどとは全く意味合いが違った。
 絶句した母へと、女性は朗らかに言葉を紡ぐ。
 
「病気なんですって。それも、手の施しようのない末期症状。
 まったく、魔術師の死に様として、実につまらないですよね」 

「どうにか……ならないの……?」

「私なりに足掻いてはみたんですよ。
 でも、どれだけ加速して時間を遅らせたところで、病の侵攻には間に合わなかった。
 実は先日、極東に渡ったのは昔の恩師に会うためでして。
 私の知る限り最も信頼できる医師であり、治癒術師なんですけど……はっきりと、言われてしまいましたね」

 低い声で、『手遅れだ、来るのが遅すぎる。この無能が』ってね、と。
 女性が少しふざけたように、その恩師のマネなのだろうか、厳しい顔つきを作りながら、そう話したとき。
 私には分かってしまった。

「あの人に言われたら、もう……どうしようもないんだなって、納得できたんです」

 この女性は、私と同じものを見ている。
 それは諦観の結末。
 どうしようもない、行き止まりの未来。

「では家督は娘さんに?」

「そのつもりです。だけど……あの子は……」

「なにか問題があるの?」

「いいえ、幸い、才には恵まれた子だと思います。
 でも、たまに迷うことがあるんです。
 あの子はきっと―――」

 深い悲しみを湛えた視線。
 向ける対象は全く別。
 だけど、発する言葉が、今の私の危惧に重なる気がした。

 そう、『あの子』はきっと、魔術師なんて―――

 ああ、だからこそ、私は―――

 私は―――

 わたしは―――?

 映像が乱れる。
 記憶の世界がカタチを崩す。
 浮かんでしまった疑問に、突如として自我が揺らぐ。

 『あの子』とは、誰。
 この記憶は、なに。
 そもそも、私は、いったい―――誰―――?







522 : 祉炎 ◆l8lgec7vPQ :2024/12/05(木) 14:54:09 ifQ8Boh20

 3度目の場面転換を向かえ、いよいよ視界のノイズが無視できない。
 軋む頭を抑えながら周囲を見渡せば、そこはいつもの自室だった。
 実家の2階奥。温かなマゼンタの色で満たされた、私の部屋。

 首を数回振って、今日がいつなのかを思い出す。
 ああ、そうだ、これはきっと、最新に近い記憶。
 私にとって、人生で2番目に重要な出来事だ。
 
 今の私は十六歳、明日は大切な儀式の日。
 長年に渡る一族の悲願、両親の研究と私の研鑽が結実する、大事な大事な収穫の時だ。
 そんな人生の節目の前日に、私は何かを待っている。

 傍らの机に置かれた、この部屋でただ一つの時計を見る。
 それは溶けゆくロウソクの長さで時を測る、『火時計』、あるいは『燃焼時計』と呼ばれる代物だった。
 6世紀のイングランド七王国の一つ、ウェセックス国の王、アルフレッドも使用したとされる骨董品。
 灯る火の色は薄青(シアン)。私の嫌いな、蒼炎。

 この色を見る度に思い出してしまう。
 スタール家の魔術刻印を全身に刻んだ痛み。
 強烈な副作用に耐えながら、拒絶反応を無理やり抑え込む薬を飲み続けた日々。

 炎の指し示した時刻、伝えていた通りのタイミングで、部屋のドアが叩かれた。
 軽く返事をすると、おずおずと、緊張した面持ちで部屋に入ってくる少女がひとり。

「時間通りね―――レミュリン」

 そこでついに、致命的な矛盾が発生した。
 何故、どうして、私の目の前に、わたしが、いる?
 この記憶はなに? この身体はだれ? いったになにを、わたしは見ているの?
 
 自我がブレる。
 "私"の中に、ようやく"わたし"を認識する。
 わたしが混乱している間にも、記憶の中の"私"は話し続ける。

「お父さんとお母さんには、見つからなかった?」

 部屋の隅に置かれた鏡に映る私と、部屋に入ってきた『小さなわたし』、それはよく似た二人の少女。
 だけど、"私"の方が、"わたし"よりも、少し金髪の色素が濃い。

「うん、言われたとおり、内緒で来たよ……ジュリンお姉ちゃん」

 ここまで来れば、流石に察しの悪い"わたし"も理解できた。
 これは、姉の記憶だ。
 ジュリン・ウェルブレイシス・スタールの思い出。

 暫くの間、"私"は"わたし"と他愛もない話を続けた。
 将来のこと、両親へのちょっとした不満、クラスであった些細な事件。
 朧気だったあの頃の記憶が、少しずつ鮮明になっていく。
 そして―――

「お姉ちゃん……わたし……やっぱりお姉ちゃんと、同じ学校にいきたい……」
 
 ベッドに腰掛けた"私(あね)"の膝に14歳の"わたし(レミィ)"が抱きついている。
 それは姉に甘えていたいという我儘か。
 寂しがり屋がもらした弱音か。
 あるいは、心の奥底で感じていた罪悪感なのだろうか。
 まだ何も知らない"わたし"の頭を優しく撫でながら、"私"は寂しそうに言葉を紡ぐ。

「前にも言ったでしょ……やめときなさい。
 あんたは私なんか気にしないで、好きなことをやればいいの」

 ああ、その言葉は憶えている。
 だけど知らなかった。 
 あの日の、お姉ちゃんの気持ち。
 
「でも……わたし……」

 あの日の"わたし"が、"私"に送った言葉に。

「……お姉ちゃんみたいに……なりたいから」

「……そう」

 ―――"私(ジュリン)"は、嬉しいと思ってしまったから。

「じゃあ、そうね、明日のテストで95点以上を取ったら、お姉ちゃんが勉強してることを、少しだけ教えてあげる」

「ほんと!? 約束だよ!」


523 : 祉炎 ◆l8lgec7vPQ :2024/12/05(木) 14:54:57 ifQ8Boh20

 ―――記憶を通して、"私"の思いが伝わってくる。

「ええ、約束」

 運命の日。"私"だけが予見している、破滅のとき。
 何が起こるのか、何が残るのか、それは最後までわからなかった。

 だけど、恐らく、私は残らない。
 もうすぐ私は、この子の隣にいられなくなる。
 両親はどうなるのだろうか。
 二人がいれば、レミュリンはスペアとしての資質を問われるだろう。
 私以上の苦痛に苛まれながら、強制的に魔道を歩まされる事になる。

 では、両親すら残らなければ。
 それもまた、悲惨な結末になるだろう。
 天涯孤独の身となるだけならまだしも、この子の魔術の才は、恐らく人並み以上。
 魔道の才は否応なく魔を引き寄せてしまう。
 庇護なく普通の人生を歩むのは難しいはずだ。

 私は、課せられた務めを果たしたい。
 たとえ運命が決まっていたとしても、この道を行くことに迷いはない。
 だけど、心残りが一つ、あるとすれば―――

「いい、レミィ。よく聞いて」

「なあに、お姉ちゃん」

 妹の頭を撫でていた手を、彼女の右腕に当てる。

「今から言うことは、今のあんたには意味が分からないことだろうけど。
 ただ、聞いて。そして、いつか、必要なときに、思い出して」

 私の腕が、ひとりでに燃え上がる。
 私の手を伝って、妹の腕に、蒼い炎が引火する。

「え、なに……!?」

「私の刻印を、ほんの一部だけ、あんたに移植する」

「熱い……怖いよ……お姉ちゃん……っ!」

「……今は……ぜんぶ忘れなさい、レミィ。
 あんたの為に、私も出来る限りのことはやっておく。
 でもね……結局、最後はあんたの頑張り次第だから」

 私は鏡を見つめながら、そう告げる。
 鏡面には、揺らめく蒼い炎と、寂しそうな瞳が映っている。

「叶うなら。あんたが一生、何も思い出さずに済むことを願ってる」

 "私"はもう、過去の"わたし"を見ていない。
 姉は鏡越しに、今の"わたし"にむけて話している、そう直感した。

「私にはもう、残すことしかできない。
 だから、何を選択するのも自由よ。全部、レミィが決めていい」

 記憶が、ゆっくりと燃焼していく。
 蒼い炎に包まれて、"わたし"の自我が、私の記憶から押し流される。
 
 まって、と声ならない声を上げても、その流れは止まらない。
 まだ聞きたいこと、知りたいことが沢山あるのに。

 あの日、本当は何があったの。
 お父さんとお母さんは何を研修していたの。
 どうしてお姉ちゃんはあの時計を持っていたの。
 お姉ちゃんは―――いったい、何を知っていたの―――?

 最後に、消えていく私の意識へと。
 ほんの僅かに、姉の残した言葉が届いた。

「進むべき道は自分の意思で決断しなさい。
 あんたが欲しいものは、いつだって、踏み出した先にしかないんだから。
 勇気を出して。そうすれば―――あんたはその時、一人ぼっちじゃないわ―――きっとね」





524 : 祉炎 ◆l8lgec7vPQ :2024/12/05(木) 14:59:27 ifQ8Boh20

 
 そうして、少女は意識を取り戻す。

「……嬢ちゃん、気がついたか?」

 滲む視界には心配そうなランサーの表情。
 肩を支えてくれる腕の力強さと、頬に当たる春の風が、これが現実であると伝えてくる。

「うん、ごめんね。わたし、どれくらい寝ちゃってた?」

「ほんの数分ってところさ。立てるかい?」

「大丈夫、ありがと」

 首を傾けて周囲を見ると、未だ日は落ちていない。
 緩やかな西日が、公園の敷地に散乱した飛蝗の死骸と、草木の焦げ跡を照らしている。
 確かに、あまり時間は経っていないようだった。

 最初に、夢じゃなかったんだ、と思った。
 白黒の少女との戦い。
 あの蝗害を従えるマスターとの、生まれて初めて経験した、命のやり取り。
 そして、発現した、赤紫(マゼンタ)の炎。

「…………っ」

 不意に、ヒリつく感触がして、右の袖をまくると、何故かそこだけ、火傷痕が残っていた。
 先程のまで見ていた記憶のこともあるし、詳しく確認したいけれど。
 まず今は眼の前に、やるべきことがある。

「あの人達は?」

「君が気を失ってる間に、接触してきたマスターだ」

 正面、数メートル前方に立つ、一組の男女。
 どちらもレミュリンと年の近そうな、かつ真面目そうな、少年と少女だった。

「俺の方で少しだけ話したが、敵意は無いと主張している。
 どうやら彼らは蝗害を追っていたようでな。ここで何があったのか、情報交換をしたいそうだ」

 そして実際の交渉についてはレミュリンの意思を尊重するべく、意識の回復を待ってくれたのだろう。
 今までの彼であれば、主が知らぬ内に全部終わらせようとしたのだろうか。
 ほんの少し訪れた変化。レミュリンの言葉を受けて、従者は応えようとしてくれたのだろうか。
 そうであれば嬉しいと、少女は思う。

「どうする? まだきついなら、俺が引き続き交渉を続けるが……」

「ううん、わたしが話すよ」

 公園のベンチから立ち上がり、レミュリンは二人のマスターと向き合う。
 レミュリンにとって、他のマスターと相対するのは、これで3度目。
 しかし一度目は特異なる脱出王との邂逅。2度目は蝗害の魔女との相対であったのだから。
 正直な心境としては、他のマスターと関わることに、潜在的な恐怖心は拭えない。

「……あの……えっと」 

 本来は受け身で、姉の背中を追うばかりだった少女。
 しかし今、彼女は、過去からの言葉を思い出していた。

『進むべき道は自分の意思で決断しなさい。
 あんたが欲しいものは、いつだって―――』

 踏み出した、その先に、欲しいものがある。


525 : 祉炎 ◆l8lgec7vPQ :2024/12/05(木) 15:00:15 ifQ8Boh20

「わたしは、レミュリン。
 レミュリン・ウェルブレイシス・スタール」

 隣にはいつだって、頼れるヒーローが見守ってくれている。
 彼と一緒に、答えを掴みたい。
 だから少女は、自らの意思で、新たな一歩を踏み出すことが出来たのだった。

「私は、琴峯ナシロだ」
「僕は……高乃河二」

 そうして、選択の結果が示される。

「高乃、やっぱり手当を優先しよう。この子、腕を火傷してる……」

「そうだな、戦闘があったばかりですまない。話は落ち着いてからでいい。
 君のサーヴァントと合意を取れるなら、こちらにも多少は治癒の心得がある」

 それぞれから返された返答に、レミュリンは予感した。
 
「ううん、わたしからも、お願いします。
 話を、させてください。生き残る為に、これからの為に」

『―――あんたはその時、一人ぼっちじゃないわ―――きっとね』

 きっと、これから何かが変わっていく。
 蝗害の魔女との戦いの中で、固めた決意。答えを掴むために伸ばした手。
 英雄(ヒーロー)の示してくれた光明に、応えられる自分で在りたいと願った。
 その決意とともに踏み出した先に、きっと、得るべきものがあると―――


「あれ、気がつかれたんですか? よかったあ……!」


 そこに、もう一つ、澄んだ声が響いた。
 二人のマスター、少年と少女の隣に現れた、もう一人。

「ランサー、この人は?」

「……ああ、彼女は、そこの少年少女よりも、少し前に現れたマスターだ。
 君の状態を見て、一旦、この場を離れていたのだが」

 たったいま、ペットボトルの水を抱え、草木の影から顔を出した人物。
 三人目のマスターは、二十代前半と見られる、スラリとした体型の女性だった。
 女性は、柔和な微笑みとともに、こう名乗った。

「はじめまして。
 わたし――蛇杖堂絵里っていいます」

 この日、決意とともに、少女は一歩を踏み出した。
 確かに、進んだ先に、掴んだものがある。
 目覚めた力、思い出した記憶、新しい出会い。
 しかし進む先では、得てして―――

「……よろしく、お願いしますね」

 新たな、試練が待っている。









526 : 祉炎 ◆l8lgec7vPQ :2024/12/05(木) 15:10:57 ifQ8Boh20

【渋谷区・公園の広場/一日目・夕方】

【レミュリン・ウェルブレイシス・スタール】
[状態]:疲労(大)、全身にダメージ(大・治癒魔術で応急処置済)、決意
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:6万円程度(5月分の生活費)
[思考・状況]
基本方針:――進む。わたしの知りたい、答えのもとへ。
0:目の前のマスター達と交流する。
1:胸を張ってランサーの隣に立てる、魔術師になりたい。
2:神父さまの言葉に従おう。
[備考]
※自分の両親と姉の仇が赤坂亜切であること、彼がマスターとして聖杯戦争に参加していることを知りました。
※ルーン魔術の加護により物理・魔術攻撃への耐久力が上がっています。
またルーンを介することで指先から魔力を弾丸として放てますが、威力はそれほど高くないです。
※炎を操る術『赤紫燈(インボルク)』を体得しました。規模や応用の詳細、またどの程度制御できるのかは後のリレーにお任せします。
※アギリ以外の〈はじまりの六人〉に関する情報をイリスから与えられました。

※右腕にスタール家の魔術刻印のごく一部が継承されています(火傷痕のような文様)。
※刻印を通して姉の記憶の一部を観ています。

【ランサー(ルー・マク・エスリン)】
[状態]:魔力消費(小)
[装備]:常勝の四秘宝・槍、ゲイ・アッサル、アラドヴァル
[道具]:緑のマント、ヒーロー風スーツ
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:英雄として、彼女の傍に立つ。
1:レミュリンをヒーローとして支える。共に戦う道を進む。
[備考]
予選期間の一ヵ月の間に、3組の主従と交戦し、いずれも傷ひとつ負わずに圧勝し撃退しています。
レミュリンは交戦があった事実そのものを知らず、気づいていません。
ライダー(ハリー・フーディーニ)から、その3組がいずれも脱落したことを知らされました。
→上記の情報はレミュリンに共有されました。

【高乃河二】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:『胎息木腕』
[道具]:なし
[所持金]:それなり(故郷からの仕送りという形でそれなりの軍資金がある)
[思考・状況]
基本方針:父の仇を探す。
0:目の前の少女と交流し、蝗害の情報を得る。
1:同盟を利用し、状況の変化に介入する。
2:琴峯さんは善い人だ。善い報いがあって欲しいと思う。
3:ニシキヘビなる存在に強い関心。もしもそれが、我が父の仇ならば――
[備考]
※ロールとして『山梨からやってきた転校生』を与えられており、少なくとも琴峯ナシロとは同級生のようです。
※雪村鉄志から『赤坂亜切』、『蛇杖堂寂句』、『ホムンクルス36号』、『ノクト・サムスタンプ』並びに<一回目>に関する情報と推論を共有されています。

【ランサー(エパメイノンダス)】
[状態]:健康
[装備]:槍と盾
[道具]:革ジャン
[所持金]:なし(彼が好んだピタゴラス教団の教義では財産を私有せず共有する)
[思考・状況]
基本方針:マスターを導く。
1:同盟を利用し、状況の変化に介入する。
2:琴峯ナシロは中々度胸があって面白い。気に入った。
3:カドモスと会ってみたいなぁ!
[備考]
※カドモスの存在をなんとなく察しているようです。


527 : 祉炎 ◆l8lgec7vPQ :2024/12/05(木) 15:11:33 ifQ8Boh20

【琴峯ナシロ】
[状態]:健康、照れ
[令呪]:残り三画
[装備]:『杖』(3本)、『杖(信号弾)』(1本)
[道具]:修道服、ロザリオ
[所持金]:あまり余裕はない
[思考・状況]
基本方針:教会と信者と自分を守る。
0:蝗害の情報を得たい……が、そのまえに目の前の少女の手当を優先したい。
1:信者たちを、無辜の民を守る。そのために戦う。
2:教会を応援に任せるのが心苦しい。
4:ニシキヘビ……。そんなモノが、本当にいるのか……?
[備考]
※少なくとも高乃河二とは同級生のようです。
※琴峯教会は現在、白鷺教会から派遣されたシスターに代理を任せています。
※雪村鉄志から『赤坂亜切』、『蛇杖堂寂句』、『ホムンクルス36号』、『ノクト・サムスタンプ』並びに<一回目>に関する情報と推論を共有されています。
※ナシロの両親は聖堂教会の代行者です。雪村鉄志との会話によってそれを知りました。

【アサシン(ベルゼブブ/Tachinidae)】
[状態]:健康、むかむか、歓喜
[装備]:少数の眷属
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:聖杯を手に入れ本物の蝿王様になる!
0:やったあああああああ!!!遂に眷属ゲットですよおおおおおお!!!(ズゴゴゴゴゴゴゴ)
1:ナシロさんが聖杯戦争にちょっと積極的になってくれて割とうれしい。
2:あんなチビっこ神霊には負けませんけど!蝿の王なんですけど!修行すらやぶさかじゃないですよむきーーーー!!!!
3:ナシロさん、らしくないなぁ……?
[備考]
※渋谷区の公園に残された飛蝗の死骸にスキル(産卵行動)及び宝具(Lord of the Flies)を行使しました。
 少数ですが眷属を作り出すことに成功しています。

【神寂縁】
[状態]:健康、『蛇杖堂絵里』へ変化
[令呪]:残り3画
[装備]:様々(偽る身分による)
[道具]:様々(偽る身分による)
[所持金]:潤沢
[思考・状況]
基本方針:この聖杯戦争を堪能する。
0:――さて、はじめようか。
1:楪依里朱に興味。調べて趣味に合致するようなら、飲み込む。
2:蛇杖堂寂句とは当面はゆるい協力体制をとりつつ、いつか必ず始末する。
3:蛇杖堂絵里として蝗害を追う集団に潜入し、目的を果たす(詳細は備考欄)。
[備考]
※奪った身分を演じる際、無意識のうちに、認識阻害の魔術に近い能力を行使していることが確認されました。
 とはいえ本来であれは察知も対策も困難です。

※神寂縁の化けの皮として、個人輸入代行業者、サーペントトレード有限会社社長・水池魅鳥(みずち・みどり)が追加されました。
 裏社会ではカネ次第で銃器や麻薬、魔術関連の品々などなんでも用意する調達屋として知られています。

※楪依里朱について基本的な情報(名前、顔写真、高校名、住所等)を入手しました。
 蛇杖堂寂句との間には、蛇杖堂一族に属する静寂暁美として、緊急連絡が可能なホットラインが結ばれています。

※赤坂亜切の存在を知ったため、広域指定暴力団烈帛會理事長『山本帝一』の顔を予選段階で捨てています。
 山本帝一は赤坂亜切に依頼を行ったことがあるようです。

※神寂縁の化けの皮として、マスター・蛇杖堂絵里(じゃじょうどう・えり)が追加されました。
 雪村鉄志の娘・絵里の魂を用いており、外見は雪村絵里が成人した頃の姿かたちです。
 設定:偶然〈古びた懐中時計〉を手にし、この都市に迷い込んだ非業の人。二十歳。
    幸は薄く、しかし人並みの善性を忘れない。特定の願いよりも自分と、できるだけ多くの命の生存を選ぶ。
    懐中時計により開花した魔術は……身体強化。四肢を柔軟に撓らせ、それそのものを武器として戦う。
    蛇杖堂家の子であるが、その宿命を嫌った両親により市井に逃され、そのまま育った。ぜんぶ嘘ですけど。

→蛇杖堂絵里としての立ち回り方針は以下の通り。
 ・蝗害を追う集団に潜入し楪依里朱に行き着くならそれの捕食。
 ・救済機構に行き着くならそれの破壊。
 ・更に隙があれば集団内の捕食対象(現在はレミュリン・ウェルブレイシス・スタールと琴峯ナシロ)を飲み込む。


528 : ◆l8lgec7vPQ :2024/12/05(木) 15:12:50 ifQ8Boh20







 ―――およそ1時間、時計の針を巻き戻す。







529 : 運命論 ◆l8lgec7vPQ :2024/12/05(木) 15:18:26 ifQ8Boh20



b/運命論




「〈救済機構〉……デウス・エクス・マキナ、ねぇ? 
 その子供(キャスター)の言ってることは信頼できるのかい?」

「普通のサーヴァントじゃ知り得ない陣営の状況をやたら細かく知ってたし、ある程度信頼できると思うけど?」

 合流を果たしたその主従は暗い部屋の中で向き合っていた。

「でも一番の根拠はやっぱ、この時計かな」

「ふむ……確かに、素晴らしい魔力炉だ。ペテン師が戯れに渡したにしては、あまりに規格外(オーバースペック)だな」

 キャスター・オルフィレウスより永久機関を貸し与えられた天津甕星の出力、魔力総量は急激な上昇を見せている。
 彼女の主たる存在、今は細身の若い女性の姿をとった〈支配の蛇〉は、戯けたように小さな拍手を送りながら、ぺろりと舌を出した。

「う〜ん、仮に僕が今の君を食べようとしたとして、一飲みとはいけなくなってしまったねえ」

 常にそういう尺度で私を見てたのかよと、天津甕星は嫌悪感に鳥肌を立てながら話を続ける。

「あんたの言ってた神寂祓葉の名前も出てた。ほぼ間違いなく、アレがその祓葉ってやつのサーヴァントよ」

「なるほどねぇ。いよいよ催しの全体像が見えてきた。返す返すも惜しいなあ。
 あの子をもっと早く食べていれば、今頃僕の中でどんなふうに育ったのだろうね」

「あんたのキモい後悔とかどうでもいいから、私にいちいち聞かせんなっての。で、どうすんの?」

 一秒でも早く不快な会合が終わるよう、自然と早口になってくる。
 彼女にしてみれば、この気持ちの悪いマスターと交流している時間は短いほどいい。
 先程までの、凍原の女神に追い回される体験も散々だったが、異常なる存在の身の毛もよだつ蠢きを見せられるのも、耐え難い苦痛だった。

「一旦信じて、乗ってやってもいい。僕の方で調べてた状況とも合致するしね。
 僕が調べていた蝗害のマスターを追う、善き者たち。彼等は僕を探してる。
 その上、彼等の中に黒幕の警戒する存在がいる。ははあ、確かに、見事に利害は一致している」

「やるってことね。なんなら今すぐ、奴らの拠点に一発ぶち込んでもいいけど」

 だから、なるべく端的に話をつける。
 戦うなら戦うで、余計な議論を廃し、突き進むのみ。
 天津甕星はそれを望んでいた。

「いやあ、でもそれじゃあ、ちょっとつまらないだろ」

 しかし蛇はニヤニヤと、整った女性の表情を邪悪に崩しながら、彼女の提案を一蹴した。

「"蝗害のマスター(楪依里朱)"と"救済機構(デウス・エクス・マキナ)"、どうせなら、どちらも喰ってみたい。
 せっかく余所行きのガワも整えたんだ。使わなきゃもったいないしね」

「どういう意味?」

「会いに行くのさ、彼らにね。そして内側に滑り込んでみよう。
 彼らの仲間の内に救済機構は存在し、彼らの向かう先に蝗害のマスターがあるなら。
 最終的に全部、僕の胃の中に収まるってことだろう?
 蛇杖堂のオーダーも、黒幕のオーダーも、綺麗に平らげてしまおうじゃないか」


530 : 運命論 ◆l8lgec7vPQ :2024/12/05(木) 15:19:50 ifQ8Boh20

 面倒くさい話になってきたことを、天津甕星は予感した。
 男が陰惨な外道なのは承知しているが、付き合わされる側はたまらない。
 であれば彼女は男の策略の結実まで、慎ましく控えているしかないのだろうか。
 想像するだけでも途方もない疲労感に襲われてくる。
 しかし意外にも、蛇は事もなく言ってのけた。

「君は今まで通り、君なりの方法で動けばいいよ。
 僕と一緒に連中をだまくらかすも良し。
 単独で動いて、救済機構とやらの破壊に拘るもよしだ。
 僕の食事の邪魔さえしなければ、"今は"、自由を味あわせてあげよう」

 蛇への嫌悪感と警戒心を思えば、喜んで単独行動と行きたかったが、それを許さない場面もある。
 必要であれば、蛇のサーヴァントであることを利用することも、彼女は選択肢に入れているのだから。
 外道の同類に落ちようと、手段を選ぶつもりはない。今はただ進む。いつか至れなかった空を目指して。

「あっそ、じゃあ好きにするけど」
 
「それにしても……どいつもこいつも、滑稽だねえ。そう思うだろう?」

「はあ? なにが?」

「蛇杖堂の御老体も、祓葉ちゃんを見出した黒幕とやらも、みぃんな、僕のことを"使える"と思っているようじゃないか」

 蛇は笑みを深くする。
 雪村絵里の魂を熟成させて作り上げた様相が、美しき顔貌が強烈な悪意によって歪み、捻れていく。

「僕をコントロールできると、支配できると、そう思ってるんだよ。彼らはね。この僕を、だよ」

 捕食した魂を舌の上で味わい、侮辱し弄ぶ外道の本領。
 コレクトした人格、身体、能力、無数の可能性を手中に収めた男は尚も、貪欲に求める。
 次の、獲物(かのうせい)を。

「別にいいさ。少しでも僕の正体を捉えた報酬に、オーダーには応えてあげよう。だけどね」

 その様子を見て、天津甕星は改めて、確信するのだった。

「彼等は理解しているのかな。"支配"は、僕の専売特許なんだよ?」


 ―――こいつは、悪だ。


「僕も報酬はきっちり受け取ろう。
 最後にはちゃあんと、全員、平らげてあげるとも」


 ―――ただ悪であることを絶対の基準とするならば、おそらくコレに比肩する存在はない。









531 : 運命論 ◆l8lgec7vPQ :2024/12/05(木) 15:21:21 ifQ8Boh20

 ガタ、ゴト、と。車輪の進む音が聞こえる。
 硬い感触に背中を預けながら、空間の揺れと振動を感じている。
 琴峯ナシロは立ちかけのシートにもたれつつ、周囲の様子を見回した。

 見渡す限りの空席だった。
 帰宅ラッシュの時間にはまだ早いとはいえ、都内を走る列車としてはありえないほど閑散とした有り様。
 この車両の中にはナシロを含め二人しかいない。

 蝗害の侵攻によって、一部に壊滅的な被害を被った世田谷区は人の動きが減る一方。
 とくに北西部は一時期立入禁止に陥り、他の区へ逃れる人が急増している。
 過疎化。この一ヶ月、ナシロがこうして公共交通機関を利用して移動する都度、それは表面化していた。

 つい、と前に視線を動かすと、そこにはもう一人の乗客の姿。
 前髪を右に流した、怜悧な表情の少年。

 流石、武道を嗜んでいるだけあって、視線には敏感なのだろうか。
 高乃河二の、他所に向いていたその目線が、ナシロのそれを捉える。
 
「どうかしたか? 琴峯さん」
「いや……別に……」

 電車が発車してからずっと、なんとも言えない空気だった。
 気まずいわけではない。しかし会話が発生しない。発生しても長く続かない。
 別にナシロも話好きではないが、しんとした空間に長く二人きりともなると、多少は居心地の悪さを覚えてしまう。

 夕飯という形式を取りながらの作戦会議を終え、三陣営同盟は動き出した。
 単独で動くことになった雪村鉄志の出立を見送った後、ひとまずチームで動く事になったナシロと河二は方向性を話し合った結果。
 日課であったアサシン(ベルゼブブ/Tachinidae)の修行を行い、並行して蝗害の調査を行う、という流れになったのだ。

 そんな経緯で現在は、いつもより少しだけ足を伸ばし、電車に乗って移動中。
 いつもの日課。教会の激務を終わらせ、残された貴重な時間を使って続けてきた修行。
 夕方、人気のない場所を探し、地道に行っていた訓練も、今回は高乃河二とそのサーヴァント、エパメイノンダスという監督役の存在によって質の高いものになるだろう。
 と、まあ、それはいいのだけど、

「……そうだ、高乃。おまえ、楪に会ったことってあるか?」
「……楪?」
「楪依里朱、クラスメイトだよ。さっき教会関係の知り合いの人から電話があって、少し聞かれたんだが」
「ああ、確か、いつも空いている席の人が、そんな名だった記憶がある。直接会ったことはない」
「そのくらいだよな、いや、悪い。それだけだ」
「そうか」
「ああ」
「……」
「……」

 会話が続かない。
 昼の『課題』に続けて、ナシロが振った学校の話題も、そろそろ品切れだった。
 
 そもそも、と。ナシロは思う。
 自分は何を気にしているのだろう。
 
 河二が気まずそうにしている様子はない。
 今も落ち着いた表情、自然体で窓の外を眺めている。
 実際、ナシロが一人で気を使って空回りしているだけなのかもしれない。

 先程まで6人(匹と機を含む)で食卓を囲んでいたものだから、その落差に落ち着かないのだろうか。
 あるいは、本当に考えなければならないことを、答えを出さなければならないことを、決められていない。
 そんな、すわりの悪さが、平時の落ち着きを失わせているのだろうか。

 ――両親の素性。
 ――その死の違和感。
 ――ニシキヘビ。

 雪村鉄志がもたらした膨大なる情報と疑義。
 中にはナシロの精神の地盤を揺るがしかねない、汎ゆる前提を崩しかねない物すらあった。


532 : 運命論 ◆l8lgec7vPQ :2024/12/05(木) 15:21:54 ifQ8Boh20

 父が何かと戦っていたあの夢は、夢ではなかったのか。
 父と母は、事故で亡くなったのではなかったのか。
 雪村鉄志と高乃河二の家族に降り掛かった『悲劇』は、ナシロの背景と繋がるのか。
 もし、何らかの大きな真実が、本当に隠されているのなら、自分は、どうしたいのか。

 二騎のサーヴァントもこの場にはいない。
 姿を表さないことが戦略の一つとなっているアサシンが霊体化しているのは当然として。
 電車に興味津々のランサーが他の車両を見て回っているのも、静けさの大きな要因となっている。

「それにしても、人がいないな」

 答えの出ない問題との対峙に疲れ。
 結局口から溢れたのは雑談以下の、殆ど独り言のようなため息だった。
 にもかかわらず、僅かに反応を示した河二の様子をみて、それを察する。

「高乃、おまえ、ひょっとして魔術で人払いしてるのか?」

「結界まで張ってはいないし、ほんの少し違和感を生じる程度の、非常に簡易的なものだ」

「それでも……遠ざけてはいるんだな」

「安全のためだ」

 一瞬、率直に反感を覚えてしまった。
 言わんとしていることは分かる。
 限られた空間で、多くの他人と同居を強いられる電車内という空間。
 他の乗客を追い出してでも安全を確保するのは、殺し合いに臨む者として自然な行いだ。
 しかし、そのために一般の人々の生活を蔑ろにしてしまうようなら、それはナシロの望む戦い方ではない。

 もやもやするが、ずれているのはナシロの方なのだろう。
 それはわかっている。だから、ナシロはその不満を飲み下そうとして。
 ふと思った。本当に、自分は彼の意図の全てを理解しているのだろうか。

「安全っていうのは、私達の、って意味か?」
「それもある」
「それも……ってことは、他にもあるんだな」

 彼は視線を逸らした。初めて見せた、気まずげな動きが物語っていた。
 つまりは、こういうこと。
 自らの身の安全と、もう一つ、電車という移動し続ける鉄の塊は、内外からの攻撃に際して逃げ場がない。
 戦う手段を持つマスターであれば自分の身だけなら守れるかも知れないが、巻き込まれた一般の乗客はひとたまりもないだろう。
 人を遠ざけるのは、無関係な人間の安全のためにこそ。

「だったら、なんで」

 そう言わないんだ、と言いかけて、ナシロは声を飲み込んだ。
 それこそが彼の気づかいだったとすれば、全てしっくりくる。

 同盟の中で、市井の人達を、『そういうこと』を、もっとも気にするのが誰か。
 最も、魔術師の感性から離れた感覚で生きているのは誰か。
 彼は分かっているのだろう。だから、彼なりに推し量って、義理立てようとしていたのだ。
 しかしそれを言ってしまえば、貴女に気を使ってますよと当て擦るようなもので。 

「いや、なんでもない、悪かった。ただ……さっきみたいな言い方は、やめたほうがいいぞ」

「そうだろうか?」

「ああ、よく勘違いされるだろ、おまえ」

 まったく生真面目で不器用な奴ばかり集まったものだと、自分を棚に上げつつ、ナシロは思う。
 思えば、あの探偵もそうだったなと。
 つい先程の別れを、思い出しながら。





533 : 運命論 ◆l8lgec7vPQ :2024/12/05(木) 15:24:21 ifQ8Boh20

「じゃあな、お前ら。死ぬなよ」

「それでは皆様。またお会いしましょう。同盟者として無事に再会できることを、当機は心から望んでいます」

 あっさりと、しかし確かな重みの伴う言葉を残して、彼等は教会から出立した。 

「貴女も、修行の成果を楽しみにしてますよ。おチビさんのアサシン」

「言われなくとも……って、あーーーーー!!?? なんかさっきより見下されてる思ったら!! 
 この姑息なおチビ神!! 〈自己改造〉でさり気なく身長伸ばしてやがります!!
 キィーーーーーーーーーーー! レギュレーション違反! レギュレーション違反で負けですよね!?」

「のん、スキルも実力の内です。悔しかったら貴女も、その〈魔王〉やら〈無辜の怪物〉やらを駆使して――」

 最後まで、わあわあとじゃれるサーヴァント達に軽くツッコミを入れながら。
 鉄志は別れ際、少しだけナシロと話したいと言った。

「これ、持っとけ」

 ぶっきらぼうに手渡された物は名刺と、数本のボールペンだった。
 内訳は黒いペンが3本、赤いペンが1本。

 私立探偵としての雪村鉄志の名刺。
 意図は明確だ。分かれて行動することになっても、電話等で情報共有や合流を試みることになるだろう。
 そのための連絡先が書かれてある。後で高乃河二にも共有するつもりだった。
 しかし、もう一方、ボールペンの意味が分からない。

「露骨に、なにこれ? って顔すんな。"杖"つってな、俺が前職で使ってた礼装だよ。
 魔力を通して先端からガンドを射出する暗器だ。
 使い捨てだし、本職の魔術師が使うやつに比べりゃちんけなもんだが、威力は保証する。
 直撃すれば魔術師でも気絶、本気でかませば殺しかねない。扱いには気をつけろ」

「これって元警官が拳銃を横流ししているようなものじゃないのか?」

「それはその通りすぎて反論できないんだが……」

「なぜこれを私に?」

「護身用だよ。"黒鍵"だけじゃ、対応しきれない状況もあるだろ。
 あの剣を十全に扱うには、相当の訓練が必要と聞くしな。それに……」

 鉄志はナシロの手元を見ながら言葉を続ける。

「投影魔術。俺も詳しくは知らねえが、可能ならレパートリーを増やしとけ。
 そいつなら礼装つってもそこまで複雑な作りじゃねえ。
 できなくとも、挑戦するだけでも見えてくるもんがある筈だ』

 なるほど、と腑に落ちた。
 彼はナシロにむけて、彼なりのアドバイスを送っているのだ。

「俺はエパメイノンダスみてえな本職の軍人じゃない。
 戦争ってジャンルにおいては大した助言もできねえだろうが。
 一般人上がりの魔術使いが魔術師に対抗する方法なら、俺にも一家言あってな」

 尖らせろ、と彼は言った。
 自らの輪郭をよく見て、鋭利な部分を見つけて、研ぎ澄ませ。
 それを唯一の武器として、魔神の喉元に届かせる刃に至るまで磨くのだ。

「どうして、私にそんな話をするんだ?」

「琴峯には借りができちまったからな。返す機会があったら、それ使って呼べよ」

 先の同盟が結成される際、風向きを変えたナシロの発言。
 結果的に、エパメイノンダスを絆し、締結に至る大きな切っ掛けとなった言葉。
 ナシロにして見れば同盟を組む前提として当たり前の話をしただけなのだが、同盟発案者の鉄志は"借り"だと認識しているようだった。

「1本だけ渡した赤色のボールペンは、公安時代の作戦中に異常発生を知らせる信号弾だ。特別製のガンドが装填されてる。
 お前だけで解決出来ない状況に陥った時、電話してる余裕もないくらいの緊急事態が発生したとき。
 迷わず使え。これは同盟とは関係ない、俺とお前の協定だ。一度だけ、必ず駆けつける」

 鉄志の理屈は理解できた。
 それでも、未だ、不可解な部分がある。
 しっくりこないというか、単純に、理由に比べて手厚すぎる。


534 : 運命論 ◆l8lgec7vPQ :2024/12/05(木) 15:30:43 ifQ8Boh20

「正直、まだ少し納得できてない。
 借りがあったとしても、釣り合ってない。
 あんたが、私にそこまでする理由が飲み込めない」

「そうか? じゃ、こういうことに、しといてくれよ」

 不意に手渡されるロザリオ。

「シスターさまの教義に感動し、心洗われたのさ」

 それをつい受け止めたナシロを見ぬまま、去りゆく男は語った。

「むかし、お前と同じようなこと、言った女がいてな」



 ―――主は預言を残して我々を見守ってくださっているが、我々を直接お救いくださることはない。

 ―――なら、主に仕える私たちぐらいは人々のために頑張らないと、神を信じる甲斐ってもんが無いだろう?



「お前の言葉を聞いて、あいつが何を言いたかったのか、今になってようやく、少しだけ分かったよ」



 ―――神様もさ、それは悔しいんじゃないかな。

 ―――何とかしたくて、今も頑張ってるのかもね。だからさ、あたしたちも頑張らないと!


 何のために、頑張ってきたのか。
 かつての自分が、何のために戦おうと思ったのか。
 それを、少しだけ、思い出せたと。

「だからこいつは、その礼だ。けどま、悪いが今更、入信は出来ねえぞ。
 俺があんたらの神を、心から信じられる日はもう来ねえだろうし。
 それに、俺はそこの小さな神様の、信徒第1号らしいからな」

「……それじゃあ、このロザリオは?」

「雪村美沙って女の遺品だよ。そいつは昔、教会のシスターをやっててな。
 旧姓、来道美沙。聞き覚えは?」

「いいや……でも教会の親戚筋に……そういう苗字はある……でもまさか、そんな偶然」

「琴峯、お前、運命って信じるか?」

「さっきから何が言いたいんだ」

「なんで、ここに来ちまったんだろうな。って、考えた事はあるか?
 実のところ、一ヶ月の間、俺はずーっとそれを考えてた」

「偶然、懐中時計を拾って――」

「そうだな、偶然。偶然による不幸な悲劇だ。偶然、変な時計を拾っちまって。
 偶然、お前らと出会って、偶然、3人とも、同じような喪失を抱えてる。
 これでもし、さっき言った俺の与太物語(ストーリー)が、お前らの悲劇に関わっていたとすりゃ。
 いったいどんな確立を引き当てた筋書きになるのかね」

 そして、高乃河二の求めに従うように、彼の仇そのものが、聖杯戦争に参加しているとすれば。
 はたしてそれは、偶然の域に留められる符合なのか。

「もしも俺らが、"なにか"よってに選ばれたんだとすれば」

 導かれるように、ナシロはその続きを口にする。

「理由(なにか)が、大小に関わらず、運命―――人と人との"縁(つながり)"だとすれば」

「それを辿ってった先に、この聖杯戦争の"中心"があるのかもしれねえ。
 ……ってのが、妄想に取り憑かれた無能探偵の、仮定に仮定を重ねまくった、荒唐無稽な推理だよ」
 
 最後は、いつも通り、自嘲気味に草臥れた表情を浮かべ、男は教会を去っていった。






535 : 運命論 ◆l8lgec7vPQ :2024/12/05(木) 15:33:04 ifQ8Boh20

 ガタ、ゴト、と。車輪の進む音が聞こえる。
 硬い感触に背中を預けながら、空間の揺れと振動を感じている。
 高乃河二は立ちかけのシートにもたれつつ、周囲の様子を見回した。

 見渡す限りの空席だった。
 帰宅ラッシュの時間にはまだ早いとはいえ、都内を走る列車としてはありえないほど閑散とした有り様。
 この車両の中には河二を含め二人しかいない。

 理由は、蝗害侵攻による過疎化だけが理由ではなく。
 ほんの少し人払いの魔術を流し、新たに乗り込む乗客が他の車両を選ぶよう誘導している。

 すっ、と前に視線を動かすと、そこにはもう一人の乗客の姿。
 黒髪短髪のシスター、厳格な表情で景色を眺める少女。

 琴峯ナシロは河二の視線には気づかず、澄んだ瞳に茜色を映している。
 しかしその目にはどこか、迷い、不安、そして僅かな動揺の揺らぎがあるように見えた。
 本人は平静を維持できていると思っているようだが、対面者の機微に聡い河二には分かってしまう。
 先ほど別行動となった雪村鉄志も察していたのだろう。去り際に、なにやら声を掛けていたようだった。

 彼女が動揺するのも無理はない、と思う。
 両親の死、乗り越えた筈の痛みに、悲劇に、もう一度、違う角度から向き合う必要に駆られている。
 それがどれほどの試練であるか。
 
 声をかけるのは憚られた。
 彼女が動揺し、悩んでいる事は理解できても、その苦悩に釣り合う言葉を持ち合わせていない。
 だから、せめて、余計な話で彼女の気持ちを波立たせないよう、静かに傍に立っていようと努めていたのだが。

 先程から、あまり空気がよくない。
 というより、ナシロの側が一方的に気を使って、ギクシャクしていた。
 そして先程、人払いの魔術がバレてしまったことを切っ掛けに、少々雰囲気が悪くなりかけ。
 後は互いに無言のまま、現在に至る。

 河二は、電車に乗り込む少し前、道中での会話を思い出す。
 夕方の道、アサシンを霊体化させる前だったのも手伝って、今より随分賑やかな空気だった。

「あ、ナシロさん、ナシロさん。そういえば私、ちょっと気になってたことがあるんですけど」

 駅に向かう坂道の途中、ヤドリバエはナシロの袖をひっぱりながら声を上げた。

「あのデンシャという車の中って、どうして真下に物が落ちるのでしょう?」

「そりゃ物を落としたら真下に落ちるだろ」

「そうではなく! デンシャって常に横に移動してるじゃないですか。
 だから何と言うか、普通は横に流されません? え〜〜〜と……」

「つまりヤドリバエちゃんの言いたいことはアレか!
 なぜ動き続ける箱(デンシャ)の中でジャンプしても、壁に叩きつけられないのかっていう」

「そう! そういう話です!」

 エパメイノンダスのフォローを受け、ヤドリバエは身を乗り出している。
 前を歩く河二は会話には直接参加しなかったものの、いつかの授業で習った理屈を思い出していた。

「ああ、そういうことか。急に子供っぽい、というか見た目相応の疑問を出してきたな。
 真性悪魔の知識はあるのに、理科の授業で習うようなことは知らないのか」

「あのですねえ! 悪魔はそもそもこの世界と異なる法則下にある別世界の存在ですよ!
 地球のパンピー法則なんて知るわけないじゃないですか」

「いや、だとしても、おまえは偽物だろ」

「ちなみに俺もよく分かっていないぞ!
 聖杯も聖杯戦争に関連する知識以外は細かく教えてくれないからなあ。
 しかし言われてみれば不可解だ、理屈が気になってきたかもしれん。コージ、お前は説明できるかい?」

 自らのランサーから話の水を向けられ、河二は歩みながらも端的に答えた。

「慣性の法則……だったか。
 物体は外から力を加えられない限り、静止している物体は静止状態を続け、運動している物体は等速直線運動を続ける」

「アイザック・ニュートンの運動の第1法則、とも言うな」

 河二の言葉を引き継いで、ナシロが説明を始める。


536 : 運命論 ◆l8lgec7vPQ :2024/12/05(木) 15:34:01 ifQ8Boh20

「簡単に言うとだな。電車の中に乗ってる人を、電車の中から見れば、全員止まってるように見える。
 けど、電車の外から見れば、常に横方向に動いて見えるだろ」

 移動する電車の中で、常に物は横方向の移動を継続している。
 電車の中で物を落としても、物は真下には落ちていない。
 真下に落ちているように見えているだけで、実際は下方向の移動に加えて横方向の移動を継続しているのだ。

「ジャンプにしたって、電車の中だと垂直に飛んでいるように見えるけど、実際は山なりに動いてることになる。
 電車も身体も、同速で横に動き続けているんだから、飛んだ時と同じ床に着地できる。
 イメージできてきたか?」

「う〜ん、なんとなくですけど」

「つまりだ。ジャンプした瞬間に電車がとまったら、危ねえってことで合ってるかい?」

「その通り、電車は急停止したのに身体は横移動を継続することになるから、まさしく壁にぶつかって怪我するかもな」

「馬が急に止まったとき、前につんのめる理屈も、それで説明出来るってわけか」

「あーちょっとイメージできてきました」

 握り拳を手のひらの上にポンと落とし、ぺかりと納得するヤドリバエ。
 しかしナシロの目は、冷ややかに細められていた。

「ふむ……戦闘訓練だけじゃなく、勉強もさせたほうがいいか……」

「え゛?」

「身体を鍛えるだけでは足りていなかったか。確かに、力をつけてもそれを扱う頭脳がないと意味がない」

「いや……その……英霊というものはですね。
 座に帰るとですね、記憶がキレイさっっっっぱりと、リセットされてしまうわけでして。
 あんまりお勉強とかそういうのは、意味がないかな〜といいますか」

「そうなのか?」

「おっと、大丈夫だぜ、ヤドリバエちゃん。
 確かに英霊の〈記憶〉は座に持ち帰ることは出来ねえが、ちゃあんと〈記録〉として座にしっかりと保管される。
 学んだことが無駄になることはねえさ。良かったな! わっはははは!」

「へえ、だったら、お勉強の価値はあるな。さっそく、今日は帰ったら簡単な学力テストを解かせてみるか」

「余計なことを〜〜〜〜〜〜〜ッ!!」

 約束されたスパルタ勉強会を予見したヤドリバエの、膝から崩れ落ちる様子が印象的なやり取りだったが、
 河二はそれよりも、少し間を開けてナシロが呟いた言葉が耳に残っていた。

「でも、改めて考えると不思議だな。人は自らの、『本当の速度』を絶対に自覚できないわけか」

 動き続ける電車の内側では、周囲が静止して見えるように。
 囲われたまま動き続けるものが、箱の内側から速さを認識することはできない。
 いや誰しも、動いていること、そのものを自覚できていない。

 この地上に、真の意味で静止している物体は一つもない。
 地球が自転を続ける限り、何もかもが流動を強いられている。
 だが、それを感じ取れる者は存在しないのだから。

「どこかに向かって運ばれているのに、流れに気づく事もできない」
 
 それは時間の概念に似ているなと、河二は思った。

「大きな流れに乗せられているのに、その速さも、行く先も、何が待っているのかも―――」 

 あるいは、運命と、呼ばれるものに。
 
「高乃……」

 河二の父親の復讐、ナシロの両親の真実、鉄志の娘の行方。
 どれも大きな流れの中にあり、渦中にいる彼等は、その速度を知るすべを持たない。

「おい、高乃!」

 聞こえた声に、意識を現在に戻す。
 車内で正面に立つナシロの目が、真っ直ぐこちらを見ていた。

「視線どころか、呼びかけに気づかないなんて珍しい。考えごとか?」 

「ああ……少しだけ」

 考えていたことならば、確かにある。

「なんだよ。悩みがあるなら聞くぞ。一応、これでもシスターだからな」

 言うのは少し憚れたが、この実直な少女から、正面から問われてしまったものだから。
 では、話してみるか、という気になった。

「……そうか、では一つ」 

「言ってみろ」

「琴峯さんは、大丈夫か?」

「はい?」


537 : 運命論 ◆l8lgec7vPQ :2024/12/05(木) 15:36:35 ifQ8Boh20


 河二が気になっていたのは、結局それだった。
 
「雪村さんから君の両親の話を聞いて、そのあとずっと浮かない顔だ。
 いつもの落ち着きが全く無い。
 いや、いつもの君を語れるほど、僕が君を理解できているなんて奢りも無いが……」

 なまじ人の機微に聡い分、その動揺と迷いに気づいてしまう分。
 そしてそれを悟らせまいとする心まで、分かってしまうものだから。
 彼女の意思を尊重して、触れずにいるべきか、立ち入るべきか。
 どう接するのが適切か分からず、河二は困ってしまった。
 
「僕はこのとおり、気を使うのが下手な性分だ。
 さっきもそれで失敗して、君を不快にさせてしまったかも知れない。
 つまり……謝罪したいというか、これは言い訳にすぎないのだが……。
 僕らは同盟関係だ。抱えるものがあるなら、共有できる」

 最終的に何が言いたいのか、いまいち不明な言い方になったと自覚はしていた。
 やはり話すのが下手くそな自分に軽く嘆息しながら、彼はナシロの答えを待つ。
 対して、彼女は少しショックを受けた様子で。

「そうか……私……全然隠せてなかったんだな……」 

「というより、そもそも……あんな話を聞いて平静で居られるわけがないと僕は思う。
 だが君は、ずっと平静な体裁で居ようとしているものだから」

「……困るよな……そりゃ。これは私が悪い。随分気を使わせたみたいだ」

 そうして、彼女は目を伏せ。
 くしゃりと前髪をかき上げながら、ようやく話し始めたのだった。
 その、心の内を。

「正直言って、まだ少し混乱してるし、頭が痛いよ。
 ヤドリバエにツッコミ入れたり、忙しなく動くことで気を紛らわせようとしてた。
 でも、静かになるとどうしても……な。考えてしまうんだ、考えたって答えが出ないことなのに」

 両親が代行者だったなら、どうしてナシロには一言も告げなかったのだろう。
 死後にいたっても、何も情報が無かったのだろう。
 なにか事情があったのか。
 それとも告げる前に逝ってしまったという、それだけのことなのか。

 そして、両親の死因が、事故ではないとすれば。
 もしもそこに、何らかの思惑が働いていたとすれば。
 それを知ったナシロは何を思うのだろう。

 どれも、確証のない予想。
 鉄志の言葉を借りるなら、仮定に仮定を重ねた推理以下の妄想。
 だけど考えてしまう。答えの出ない自問自答を繰り返してしまう。
 それほどに、彼等は今でも、ナシロにとって大切な存在なのだから。

「……そうか」

 河二は思う。
 結局、彼女の本音を聞き出して。
 それが正しかったとも思えない。
 河二は彼女に、かける言葉を持たないから。  

「一つ、聞いてもいいだろうか?」 

 だから、河二が本当に聞きたかったのは、この先だ。

「もし仮に、君の両親の死が、何者かに仕組まれたモノだったとして。
 その仕組んだ何者かが、僕達と同じ場所にいるとしたら―――」

 問答の向かう先が何につながっているのかは、誰の耳にも明らかだ。
 仇、という。河二とナシロに、共通するかも知れない、一つの要素(ファクター)。

「そうだな……今はまだ、分からないよ。
 両親のことだって、今の時点ではっきり分かったのは、魔術を知らない人間じゃなかったってだけだ。
 何かを知って、私がどう思うかは、その時になってみないと」

 少女は未だ、揺れている。
 迷っている。今すぐに答えの出ない問いに、思い悩んでいる。

「それでも―――仮に、そうだったとしても―――」

 だけど、今の時点でも決めている事はあった。

「高乃、私はきっと……おまえと同じ結論(けつだん)には至らない」

 復讐を望みの到達点に選ぶことはない。


538 : 運命論 ◆l8lgec7vPQ :2024/12/05(木) 15:39:26 ifQ8Boh20

「いや、まだ何も分かってないくせに……断言なんて不誠実か。
 そういう結論は選びたくない、っていうべきだろうな」 

 それを選ぶ自分には、なりたくないのだと。
 少しバツが悪そうにしながらも、ナシロははっきりと言い切ったのだ。

「気を、悪くしたか……?」

 間接的に、河二の決心を否定する言葉だったのかもしれない。
 それでも思いを正面から伝えることが誠実だと、彼女は信じているのだろう。
 少年はその心を受け止める。

「実を言うと少しだけ、良かったと。そう思った」

「どういう意味だ?」

 河二は復讐を、残された者の義務だと思っているわけでは無い。 
 ただ彼は許せなかった。納得することが出来なかったのだ。
 父の命、子に注がれた愛情、それを奪った悪意、それらに正しき応報を与えられない摂理に。

「兄さんは……復讐なんてやめろと、無意味だと、言っていたよ」

「おまえ、兄弟いたのか」

「兄さんは僕とは違う結論に至ったし。母さんだって納得していた。
 だけど、悲しいとは思わない。それと同じだ」

 あくまで、自らの心の在り方の問題だと理解している。
 彼は自分の選んだやり方で願っている。
 受け取った父からの愛に、どうか報いが有りますようにと。
 だけど、愛への報い方は、なにも一つきりではない。

「君の戦う理由は、もう聞いた。僕はそれを、とても綺麗だと思う」

 ―――この世界は作り物で、私ら以外の住民も本物じゃないってのは、私もわかってるんだがね。

 この街に生きる人たちの為。
 話し合って決めた、蝗害を追うという一旦の方針も、その意向があったからだ。

 ―――あの人たちを見捨てちまったら、私はもう私じゃなくなっちまう。

「君の在り方には、率直に言って好意を覚える」

 復讐は、必ず成し遂げる。
 河二は今更、やり方を変えることなんて出来ない。
 彼女のように考えることは出来ないし、同じように生きることは決して、出来ないと知っている。
 だけど、自らに真似できない、その殉教の在り方を、あのとき、尊いと思ったから。

 ―――せいぜい、うまく使われてやるよ。

 それが復讐にとって変わられるのは、少し嫌だなと、そう思ったのだ。

「僕にこのやり方しか選べなかったように、君にしか選べない方法があるのだろう。
 当然のことだ。だから、君が僕と違う答えを出すことに、異議がある筈もない」

 善因善果。善き行いには善き報いを。
 そして善き願いには、善き結末があってほしいと思う。
 たとえ己の道と、けして両立し得ない願いであったとしても。

 いつか来る、彼等の分かれ道。
 分断の時を理解して。

「それでも僕らは今、こうして同盟関係として肩を並べている。
 聖杯戦争という舞台の上、お互いに違うことを、最後まで同じ道を歩めないことを。
 全て分かったうえで、今は、できる限り支え合いたい。
 所詮、僕には、話を聞くくらいのことしかできないが……」

 それが、この実直な少女に返す、河二なりの誠意だった。


539 : 運命論 ◆l8lgec7vPQ :2024/12/05(木) 15:40:13 ifQ8Boh20

「そうか……つまり、ようするにおまえ、励ましてくれてるんだな」

「いや……」

「そういうことにしとけよ」

「分かった。そう、いや、そういうことに、なるのだろうか?
 すまない。あまりこういうのは……慣れていない」

「そりゃもう十分に伝わったよ」

 呆れたような、深いため息を一つ。
 ややあって、ナシロはそっぽを向いて、小さく口にした。
 
「……ありがとな」

 それは少女を知るものにすれば、落ち込んでいる様子よりも珍しい。
 少し照れの入った仕草だった。  

「ただ……やっぱり、さっきみたいな言い方は、やめたほうがいいぞ」

「そうだろうか?」

「ああ、よく勘違いさせるだろ、おまえ」

 具体的にどこが駄目だったのだろう。
 後学の為に詳しく聞いてみようかと、河二が言葉を発しようとして。

『取り込み中に悪い。マスター、警戒しろ』

「ナシロさん! あれ! あれ!」

 エパメイノンダスからの念話。
 そして突如霊体化を解いたヤドリバエの興奮した声が割り込んだ。

 河二も、隣に立つナシロも、同時に気持ちを切り替える。
 車窓のむこう、東の空、そこに異常が滞留していた。

 新宿公園の上空に黒き軍勢が集結している。
 追っていた蝗害、その本隊の位置が、期せずして目視できたのだ。

『どうする、マスター?』

 エパメイノンダスはサーヴァントとして、マスターに判断を問う。
 雪村鉄志からは、蝗害の本隊を見つけても、正面からぶつかるなと忠告されてはいるが。

「とにかく接近しなければ、手がかりもないだろう。行こう」

『了解だ』

 こうして、彼等は丁度停車した次駅で下車し、災厄の震源地へと急行したのであった。





540 : 運命論 ◆l8lgec7vPQ :2024/12/05(木) 15:45:57 ifQ8Boh20





 
『結果、僕達は一足遅く。公園では蝗害の本隊及びそのマスターとの接触には至らなかった。
 しかし代わりに、蝗害と直接戦闘を行っていた別のランサー陣営と遭遇している』

 相変わらず冷静沈着な調子の少年の声が、スマホ越しに聞こえてくる。
 雪村鉄志は通話を継続しつつ、駅前の喧騒の中を歩んでいた。

「話が聞ける状態なのか?」

『マスターの少女が負傷していて、今は治療中だ。
 相手のランサーの言葉が本当なら、かなり非交戦的なマスターらしい。
 恐らく蝗害についての情報は多く得られる筈だ。ともすれば、新たな同盟関係を結べるかもしれない』

「そうか、ヤドリバエの仕込みは?」

『少量ながらも。公園内に未だ消えずに残っていた飛蝗の死骸に、寄生を試みているらしい』

 声の奥から、アサシンの甲高い歓声が聞こえた気がした。
 出立前に打ち合わせていた試みの一つが、結果を出そうとしているらしい。

「そっちの幸先は良さそうだな。こっちはまだ移動中だ」

『もう一つ。僕達の他にも、騒ぎを聞いて公園に現れたマスターがいる』

「……素性は?」

『若い女性だが、ランサー陣営と同じく、これから話す。
 こちらも非交戦的なスタンスを主張している』

「分かった。また時間が出来たら共有を頼む。
 とはいえお互い、仮にドンパチが始まっちまったら、電話してる暇もねえだろう。
 そっちはエパメイノンダスもついてるし、状況判断については信頼してるが……」

『分かっている。僕も警戒は怠らないつもりだ』

「頼んだ。こっちも、また進展があったら連絡する」

『了解した』

 端的な応答を最後に、電話が切れる。
 高乃河二との通話を終えると共に、雪村は改札を抜け、沈みゆく夕日の下に踏み出した。

 河二とナシロ、行動開始した二人の方では、早々に動きがあったようだ。
 状況の加速は続いている。
 雪村もまた、捜査を進めなければならない。

 蝗害の調査を選んだ二人に対し、彼の選択肢は3つほどあった。
 赤坂亜切から齎された情報と、今日までの独自調査によって得た情報。

 蛇杖堂記念病院の実体確認、半グレ抗争の調査、独居老人の連続行方不明案件の洗い出し。
 あるいは、それ以外の手がかりを追うか。
 無数の選択肢、はたしてその内のどれが、彼の求める真実に続いているのか。
 
 答えは未だ見えぬまま。
 夜の迫る針音の舞台へ、小さな機巧の神を連れ、探偵は進んでいった。









【???/一日目・夕方】


541 : 運命論 ◆l8lgec7vPQ :2024/12/05(木) 15:47:31 ifQ8Boh20


【雪村鉄志】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:『杖』
[道具]:探偵として必要な各種小道具、ノートPC
[所持金]:社会人として考えるとあまり多くはない。良い服を買って更に減った。
[思考・状況]
基本方針:ニシキヘビを追い詰める。
0:さて、なにから調べたものか。
1:今後はひとまず単独行動。ニシキヘビの調査と、状況への介入で聖杯戦争を進める。
2:同盟を利用し、状況の変化に介入する。
3:〈一回目〉の参加者とこの世界の成り立ちを調査する。
4:マキナとの連携を強化する。
5:高乃河二と琴峯ナシロの〈事件〉についても、余裕があれば調べておく。
[備考]
※赤坂亜切から、〈はじまりの六人〉の特に『蛇杖堂寂句』、『ホムンクルス36号』、『ノクト・サムスタンプ』の情報を重点的に得ています。

【アルターエゴ(デウス・エクス・マキナ)】
[状態]:健康
[装備]:スキルにより変動
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:マスターと共に聖杯戦争を戦う。
1:マスターとの連携を強化する。
2:目指す神の在り方について、スカディに返すべき答えを考える。
3:信仰というものの在り方について、琴峯ナシロを観察して学習する。
4:おとうさま……
5:必要なことは実戦で学び、経験を積む。……あい・こぴー。
[備考]
※紺色のワンピース(長袖)と諸々の私服を買ってもらいました。わーい。


【???/一日目・夕方】


【アーチャー(天津甕星)】
[状態]:健康、気疲れ(大)
[装備]:弓と矢
[道具]:永久機関・万能炉心(懐中時計型)
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:優勝を目指す。
1:当面は神寂縁に従う。
2:〈救済機構〉なるものの排除。
[備考]
※キャスター(オルフィレウス)から永久機関を貸与されました。
 ・神寂祓葉及びオルフィレウスに対する反抗行動には使用できません。
 ・所持している限り、霊基と魔力の自動回復効果を得られます。
 ・祓葉のように肉体に適合させているわけではないので、あそこまでの不死性は発揮できません。
 ・が、全体的に出力が向上しているでしょう。

※神寂縁と共に集団に合流するか、単騎で救済機構を追跡するかは後続にお任せします。


542 : ◆l8lgec7vPQ :2024/12/05(木) 15:48:16 ifQ8Boh20
投下終了です


543 : ◆0pIloi6gg. :2024/12/13(金) 23:25:21 lME8xiwg0
投下します。
ちょっとパソコンの調子が悪いので、途中で多少止まるかもしれません。ご了承ください。


544 : テトリス ◆0pIloi6gg. :2024/12/13(金) 23:26:06 lME8xiwg0


 楪依里朱は思考する。
 今日は少し、感情に囚われすぎていた。
 ライダーの独断と失敗。
 小動物に手を噛まれる不測。
 そして、天の星との再会。
 思い出しても胸の奥がドロついてくる記憶の数々をどうにか理性で押し退けて。
 依里朱は、少しだけ冷えた頭でスマートフォンを点けた。
 現在時刻。十七時四十五分。小さく指先でこめかみを小突いて、傍らで炭酸飲料の缶を傾ける飛蝗に問いを投げる。

「本調子に戻るまであとどのくらい?」
「ん? あー、そうだな。もう三十分ってとこじゃねえの?
 病院じゃ一枚食わされたが、別に痛い目遭わされたわけじゃねえからなー。
 さっきのオッサンと揉めたの含めても、まあそのくらいだろ」
「そ」

 日没程度には、と聞いていたが実際その憶測と大差ないらしい。
 直に、シストセルカ・グレガリアが復活する。
 都市を喰らい、世界を犯す、〈蝗害〉の嵐が再動する。
 太陽へ翔んで失った羽根は血肉と性交で蘇り、砂漠の暴食者達が幅を利かせる時代が来る。

 それすなわち、この聖杯戦争における"最大戦力"の再臨を意味していた。
 神寂祓葉という例外中の例外を除き、虫螻の王は純粋武力において最強格だ。
 その総軍を一点に束ねでもすれば、たとえ本物の神霊だろうと瞬きの内に食い尽くす。

 状況は悪くない。むしろこれから、時間が経つにつれてどんどん良くなる。
 〈蝗害〉で都市は虱潰しに荒らされ、あぶり出された演者は餌として彼の腹の中。
 どんな策略も備蓄も、結局のところイリスの持つ暴力の前には意味を成さない。
 "天敵"だ。前回の聖杯戦争では終始翻弄される側だった彼女が、今度は猪口才な策のすべてを踏み潰す。
 暴力という世界でもっとも効率よい無法で、溜飲という溜飲を下げてやろう。

 それはいい。
 だが、飛蝗の武力に胡座を掻いて思考停止できるほどイリスは怠惰にはなれなかった。
 というより彼女は、基本的に真面目なのだ。言うなれば優等生タイプで、だからこそ反則上等の前回ではいつも割りを食わされた。
 こんなナリと性格はしているが、その価値観や思考回路は〈はじまり〉に列せられたマスター達の中でも群を抜いて月並みである。

「じゃあ、次は誰を潰すかだな……」

 そんなイリスが考えたのは、次なる標的を誰にするべきか。
 無論、彼女の殺意は主に自分と同じ〈はじまりの六人〉、祓葉の衛星達へと向けられている。
 単純な私怨もあるが、そうでなくても彼らは生かしておくには危険すぎる。
 時間を与えれば与えるほど肥え太って手が付けられなくなっていく手合いだ。
 可能なら日付が変わるまでには、最低でもひとりの首は獲っておきたい。では、今一番欲しいのは誰の首か。


545 : テトリス ◆0pIloi6gg. :2024/12/13(金) 23:27:03 lME8xiwg0

「強さだけで言うならジジイ。でもアイツ、絶対同じ轍を踏んじゃくれないだろうから――少し様子を見たいな。
 ホムンクルスはガーンドレッドの根暗どもがいるのかどうかで評価が変わるけど……」
「え。お前結構独り言うるさいタイプ? 急にブツブツ言い出すからびっくりしたんだけど」
「食欲一辺倒の馬鹿は黙ってなさい」
「ちぇッ。頭に血ぃ昇ったメンヘラ女を優しくエスコートしてやったのはどこの誰でしょうかねぇ…………って、あ」
「今度は何」
「いや。何だっけ? ガーンドレッド? それ聞き覚えあるわ。何だっけな……えーっと脳ミソのこの辺に……」

 人型を成したそのこめかみに指を突っ込んでぐりぐり抉れば、空いた穴から茶色い飛蝗が這い出てくる。
 グロテスク通り越して冒涜的ですらある光景もイリスはもう見慣れた。
 そもそも山間の集落育ちなので、虫なんて隣人みたいなものだったのもあるかもしれない。

「ああ、あったあった。
 そいつらな、なんかあのホムンクルスが自分でブッ殺したらしいぞ」
「……、はぁ?」
「いや、マジマジ。仲間(おれ)が窓に貼り付いて聞いた情報だぜ、間違いねえよ」

 ガーンドレッドの人形が時を同じくして病院へ訪れていたのはイリスとしても予想外だった。
 だからこそ先刻シストセルカから聞いた時には気を引き締めたものだ。
 やはり自分以外も皆動いている。出遅れれば、祓葉の遊戯場ではたちまち席を失う。
 そう思う一方で、何故、と疑問に抱くこともあった。

 ホムンクルス36号というマスターは、イリスの知る限りただの傀儡である。
 人形、要石。ある家が聖杯を勝ち取るために用立てた人柱。彼に限ってはそれ以上でも以下でもないと断言できる。
 逆に言えば、あのホムンクルスは彼らの陣営のアキレス腱なのだ。
 前線で何があろうと気に留めず済むだけの人員と備えがある一方で、マスター役の人形を落とされれば瞬時に崩壊する。
 だから前回は常に奥地に隠されていたし、言うなればそうやって扱うべき存在。
 なのにそんな人形が、何だって蛇杖堂寂句の膝元という特級の危険地帯にわざわざ顔を出しているのか。

 不思議には思ったが、それよりも"前回のアサシン"――ノクト・サムスタンプの相棒がまた喚ばれていることのインパクトの方が大きかった。
 だからごく自然な流れで思考の奥底に追いやられてそのままになっていたひとつの不可解。
 それが今、シストセルカから告げられた予想外の事実によって氷解する。
 もっともこれも結局、また新たな不可解をひとつ追加するだけに過ぎなかったのだが……

「……何やってんのアイツ。馬鹿じゃないの? 保護者がいなくなったアイツなんて、ただの的でしかないじゃない」
「クソジジイも同じようなこと言ってたぜ」

 祓葉の衛星と化している以上は彼も少なからず灼かれているのだろうが、それにしたって普通に考えればあり得ない択だ。
 蛇杖堂が嘲笑するのも頷ける。それはそれとして同じにはされたくないので、シストセルカの言葉は無視した。

 とはいえ、敵の心情の変化に思いを馳せていても仕方がない。
 とりあえず確定したことは、ホムンクルスは後回しでいいということだ。

「何、アイツそんな弱えのか? 俺ぁ魔術師ってのにはそう詳しくねえけどよ、なんか目からビームとか出せねえのかよ」
「アレを生み出したガーンドレッド家ってのはね、兎にも角にも小心者の集まりだったの。
 そんな玉無し連中がわざわざ反旗を翻されるリスクなんて残すわけないでしょ」
「人間ってのは情けねえなぁオイ。それならあの場で、多少無理してでも食ってくればよかったぜ」
「かもね」

 ホムンクルス36号に戦闘機能が搭載されていないことは知っている。
 おまけに瓶の外にも出られない、一切の自立を考慮に入れない造りの生命体だ。
 それが何を思ったか親殺しを働いた。その結果、アサシンをわざわざ前線に出さざるを得ないほど状況的に困窮している。
 であればわざわざ躍起になって殺しに行くまでもない。遠からぬ内にどこかで野垂れ死ぬだろう。


546 : テトリス ◆0pIloi6gg. :2024/12/13(金) 23:28:10 lME8xiwg0

 ホムンクルスはもはや見ずともいい。
 蛇杖堂は静観を要する。
 アギリとは当座、進んで揉める必要がない。
 となると残る顔はふたつ。

「ノクトと〈脱出王〉、か。ものの見事に面倒どころが残ったな……」

 ノクト・サムスタンプと〈脱出王〉ハリー・フーディーニ。
 イリスでなくとも、誰だろうが難しい顔をする。
 前回の聖杯戦争に名乗りを上げた曲者どもの中でも、群を抜いて厄介な怪人どもである。

 さあ、どちらを殺すか。
 もとい、"狩る"か。
 相性なら圧倒的に前者だ。策士は誰ひとり蝗の物量に耐えられない。
 しかし放置したくなさなら後者も負けていない。奇術師の跳梁が予想を超えた結果を生むのは知っている。
 
 右か左か。
 北か南か。
 白か黒か。

 深まる思考の渦。
 研ぎ澄まされる逡巡の線。
 それを途切れさせたのは、無機質な電子音だった。
 ぴろん。そんな音を立てて、手の中のデバイスが振動する。

 なんだよ、間の悪い――。
 そう思いながら画面へ再び視線を落として。
 それとは別な意味で眉根が寄った。
 そこにあったのは、トークアプリの通知。
 

『〈NEETY GIRL さんからメッセージが届いています〉』


 イリスがこの都市で、ほんの暇潰しにプレイしていた狩猟ゲーム。
 それで"多少"打ち解けたから、時々一緒にクエストへ足を運んでいたプレイヤーの名前がそこにあった。
 数刻前の煩わしい記憶が蓋をした脳裏の奥から這い出てくる。
 あの時いっそブロックでもしておけばよかったなと、そう思いつつアプリを起動。


『NEETY GIRL:いーちゃん』
『NEETY GIRL:さっきはごめん』
『NEETY GIRL:今時間ある?』
『NEETY GIRL:その』
『NEETY GIRL:ちょっとお話したいんだけど』
『NEETY GIRL:よかったらお返事ほしいなー……』
『NEETY GIRL:なんて』


 ……すると、複数件のメッセージが一気に表示された。
 時間を見れば、ちょうどイリスがレミュリン・ウェルブレイシス・スタールと交戦していた時間帯だ。
 返信がないものだから定期的に送ってきていたらしい。
 らしいというか、なんというか――自分が返事などする殊勝な人間に見えたのだろうか。
 そんなことを思いながら文面に目を通していく中で。


547 : テトリス ◆0pIloi6gg. :2024/12/13(金) 23:28:50 lME8xiwg0


『NEETY GIRL:いーちゃんさ』


 おもむろに。


『NEETY GIRL:聖杯戦争って知ってる?』


 そんなメッセージが目に入ったものだから――楪依里朱は思わず、その場で硬直してしまった。


「は……?」

 聖杯戦争。
 およそ画面の向こうのこいつから、〈NEETY GIRL〉から出てくる筈のない単語。
 流行りのアニメや漫画に同名のものでもあるのかと思った。が、すぐにそんなわけがないと考えを改めた。
 確かにこの光の箱庭は奇跡や偶然、そういうものを好んでいるのかもしれない。
 だが、だからこそ、こんなすれ違いは起こり得ないとイリスの直感がそう告げていた。

 ――聖杯戦争。
 ――こいつも、マスター?
 ――ほんの偶然知り合った、こいつが?
 ――なら、いつから。
 ――いつからこいつは、私が"そう"だと知っていた?

 ぐるぐる、ぐるぐる。
 疑問符の踊る脳みそは思考を停滞させる。
 驚愕と、一方的に自分の素性を知られていたらしいことへの強い危機感。
 ふたつの感情が綯い交ぜになって、イリスに返信の手を動かさせない。
 だが最近のトークアプリは便利なもので、読んだ瞬間に既読の通知が相手に届く。
 メッセージなど無視してやるつもりで開いたことが災いし、まんまとイリスが文言を読んだ事実は相手に届いていて。
 それを確認したのだろう。すぐに、追ってのメッセージが届き彼女の端末を震わせた。


『NEETY GIRL:わたしはマスターだよ』
『NEETY GIRL:もし覚えがあったら、通話かけてきてほしい』


 思えば、通話とかVCとか、そういう煩わしいことを言い出さないからこいつとつるんでいた気がする。
 その前提が今崩れた。いやそれ以前に、今や〈NEETY GIRL〉は楪依里朱にとって得体の知れない"敵"へ変わっている。
 であればこそ、此処で無視を決め込む選択肢はなかった。
 〈NEETY GIRL〉の魂胆を突き止めなければならない。
 そうでなければ自分は、得体の知れないネット上の存在に警戒を抱いたまま戦い続けていくことになる……!


548 : テトリス ◆0pIloi6gg. :2024/12/13(金) 23:29:41 lME8xiwg0


『NEETY GIRL:いーちゃん』
『NEETY GIRL:だめ?』


 だから、そう。
 こんなガキの泣き落としみたいな言い草は関係ない。
 まるでどこかの誰かのようなやり口など、誓ってただの戯言だ。
 〈未練〉の狂人に揺さぶりは通じない。
 見据える未来をひとつに絞った黒白の魔女は、迷わないし過たない。
 指先で、通話の発信ボタンをタップする。
 コール音が響き、画面に発信中の旨が表示される。
 
「なんだよ怖ぇ顔して。今度は浮気相手と修羅場んのか?」

 口を挟んでくる虫螻は後で必ず分からせると誓いながら、自分で通話を求めてきた癖になかなか出ない〈NEETY GIRL〉に苛立つ無駄な時間。
 それを経ること、三十秒弱。画面が変わり、〈NEETY GIRL〉のアイコンが表示される。目隠しをした白髪の男。流行りのナントカっていう漫画に出てくるキャラクターらしい。興味もない。
 付き合いは三週間かそこら。少なくとも一ヶ月には絶対に満たない。
 けれどこの通り誰に対してもツンケンしていて、およそ人受けする性格ではないし本人もそれでいいと思っているのがイリスだ。
 たとえそれがゲームチャットの、テキスト上のやり取りだったとしても――それは、地金を晒して付き合えた数少ない人間関係のひとつだった。

 〈NEETY GIRL〉が聖杯戦争の関係者だと分かった時。
 覚えたのは、本当にただの驚愕だったろうか。それともある種の、落胆だったろうか。
 今となっては知るすべもなく、何よりイリス自身がそれを望んでいない。
 だからこそすべては茶碗の中から始まる。結末、得体を綴られずして終わったあの怪談のように。


『――も、もしもし……。え、っと……いーちゃん、だよね……?』


 端末越しに響く、自分から通話に誘ってきたとは思えないほどおっかなびっくりな声を聞きながら。
 文字通りまっさらな心境のまま、楪依里朱は運命の数奇さに無遠慮な舌打ちを響かせたのだった。



◇◇


549 : テトリス ◆0pIloi6gg. :2024/12/13(金) 23:30:23 lME8xiwg0



 天枷仁杜は、ぼんくらである。しかし凡人ではない。
 むしろ本質的には敏い部類で、天才と言っても間違いではない。
 というかそうでなければ、日本の最高学府と言われる大学にフルスコアで入学など出来はしない。
 なのに普段の仁杜は見るに堪えない、見るも無残なぼんくらそのもの。
 この齟齬(ギャップ)にはひとりの親友を含め誰もが悩まされてきた。そして実のところ、その解答はごく単純である。

 天枷仁杜は、よほど必要に迫られない限り本気を出せないのだ。
 言うなれば危機感の欠如。本当ににっちもさっちもいかなくならないと本気になれない。
 駄目人間のお手本あるいは極み。もしくはそれ以上の――語る言葉の存在しない銀河の彼方。

 そんな彼女がさっき、久しぶりに少しだけ頑張った。
 ネットゲーム上の関係から、願いを争う戦いの因果を見出し。
 そして小都音と薊美のふたりにひとつの疑問を提起した。
 これだけでも自堕落、他力本願、他責思考の仁杜にとっては自画自賛ものの働きだったが。
 
 今の仁杜には、もうちょっとだけやる気がある。
 なのでもうひとつ、密やかな行動を起こしていた。
 現在、仁杜は自室のトイレにいる。
 小都音達にはおなかが痛いとだけ言って、本当の理由は伝えていない。

 小都音も薊美も、とても頭のいい子たちだ。
 仁杜にはああいう筋道立てた考え方はできない。
 けれどだからこそ、彼女達にこれからやろうとしていることを伝えたら程度はどうあれ"途中式(ラグ)"が生まれてしまうと思ったのだ。
 
 それはきっと、"あの子"と話そうとする上ではとてもよくない。
 短気、感情的、いつもちょっとふて腐れている。
 思春期の擬人化みたいなあの子は、自分達に相談の時間を許してくれないと思った。
 むしろそのわずかなラグでくるりと選択を反転させてしまいそうな怖ささえある。
 だからこそ仁杜が選んだのはあえての単独行動、最短ルートでの対話決行だった。

 コール音が途切れる。
 耳に当てた端末から、遠いどこかの喧騒がかすかに聞こえてくる。
 相手は沈黙していた。もしもし、もはじめまして、もなしだ。
 よって意を決し、コミュ障ニートが自分から切り出す必要があった。

「――も、もしもし……。え、っと……いーちゃん、だよね……?」

 天枷仁杜の交友関係は極めて狭い。
 というか、友達なんて高天小都音を除けば今も昔もまったくいない。
 伊原薊美は相手が歩み寄ってきてくれたからまともに話せただけで、どちらかというとそれは誰にでも"自分"をねじ込める薊美の才能だ。
 ロキは例外。カインやカスターとも一対一で話すとなると、たぶんちょっとぎこちなくなる。
 そんな仁杜にとって、ネット上でしか付き合いのないゲーム仲間といきなり通話というのは自分で持ちかけておいてなんだがかなりハードルの高い行為である。

 心臓はずっとどきどきしているし、心なしか呼吸も浅い。
 スマホを握る手はヘンに汗ばんでいる。
 けれど、今だけはいつもみたいに逃げ出すわけにもいかなかった。
 なので耳を欹てて、通話の向こうから聞こえる音に神経を研ぎ澄ませ――


550 : テトリス ◆0pIloi6gg. :2024/12/13(金) 23:31:38 lME8xiwg0


『いつ気付いた?』
「っ」


 初絡みの第一声としてはあまりにも不躾な台詞が、その耳朶を揺らした。
 声色には警戒を通り越して明確な敵意がこれでもかと込められている。
 一言で言うなら、威圧的。相手がどう思うかなど考えないし、考える意味もないとばかりの物言い。

『最初から? それとも途中で? 私の魔術を知ってれば、まあ絡む内に気付けても不思議じゃないとは思うけど』
「あ……その、えと……」
『で、用件は? 宣戦布告ってわけじゃなさそうだけど。
 何、一方的に弱み握って転がせるとでも思ってた? やってみなよ、こっちは悪いけど痛くも痒くもないから』
「あっ、ちがくて、その、あの……」

 分かっていたことではある。
 予想できたことではある。
 ゲーム上のやり取りと、小都音達から伝え聞いた人物像。

 果たして、その悪い予想は的中した。
 通話の相手、〈Iris〉。白黒の魔女たる、仁杜の友人。
 文面でならいざ知らず、直接言葉を交わすとなると、彼女はとても。
 そう、とっても――コミュ障ニートと相性の悪い相手だった。

『……あのそのえっとじゃ分かんないんだけど。
 そっちが話そうって誘ってきたんでしょ? ボンクラなのは分かってたけどさ、せめてこっちの質問にくらいは答えてくれない?』

 わたわたと混迷する脳みそで言葉を絞り出す、その時間を待ってくれない。
 次から次へと機嫌のままに喋ってくるし、一言一言にやたらと棘がある。
 相手の事情や弱さに寄り添うことを知らないし、知ったことかとばかりの姿勢を貫いてくる。
 表面上は優しく接してくれる職場の人間とすらやり取りに難儀する仁杜が対峙するには、たとえ通話越しでも非常に厳しい相手であった。

 早く答えろと迫られても、いやむしろ急かされるほどに仁杜の頭はくらくらしてくる。
 既に脳裏には通話を切って"なかったこと"にする選択肢が現実的なものとして浮かび上がってきてる。
 ことちゃーん、薊美ちゃーん!とわんわん泣きながら助けを求めるサブプランもひょっこり顔を出している。
 どうしよう、どうしよう。大混乱のぼんくらニューロンが解を弾き出すのを、しかしやっぱり〈Iris〉は待ってくれなかった。

『ああ、なるほどね。そういうことか』
「……、……えっ?」
『喫茶店のあいつらの知り合いね、あんた』

 あぅ、と思わず声が漏れた。
 当然、その情けない声は雄弁に正解を物語る。


551 : テトリス ◆0pIloi6gg. :2024/12/13(金) 23:32:36 lME8xiwg0

『ちょうどよかった。来るなら来れば? 私もあの軍人野郎に恨みがあってね。
 うちのサーヴァントも戻ってきたことだし、もう一回揉めるのも悪くないかも。
 そろそろひとつふたつは演者(アクター)どもの首を獲っておきたいと思ってたんだ』
「う、ぁ、あう、ううううう……」
『――はあ。何、あんた。私をおちょくるためにわざわざ連絡してきたの?』

 この時点で、仁杜は手札を隠しながらの攻防とかそういうあれこれを全部諦める羽目になった。
 仁杜はオタクである。少しずつカードを開示しながら心理戦を演じるシチュエーションに憧れがなかったと言えば嘘になる。
 けれど実際やってみてすぐに分かった。悟った。アレは二次元の超絶頭いいイケメンや美少女がやるから成立するのであって、こんな職なし金なし人望なし、テストはだいたい一夜漬けみたいなヒキニートが真似できることではないのだと。
 
 とはいえ、このまま自分があうあうしていたら〈Iris〉は程なく痺れを切らして通話を切るだろう。
 それだけは避けねばならなかった。小都音や薊美に内緒で決行した手前、自分の勝手で今後のプランをひとつ潰すのは最悪の事態だ。
 だから仁杜は、ごく、と生唾を飲んで覚悟を決めた。
 そして――

「ふ……」
『……ふ?』
「――祓葉ちゃんの、ことなんだけど」

 ――アクセルを、踏み込んだ。
 
 仁杜は人の心にそこまで敏感ではない。
 むしろ鈍感な方である。そうでないと職場であそこまで好き勝手はできない。
 自分のせいでしわ寄せを食らう同僚の気持ちなんて仁杜にはわからないのだ。
 だから、これは小都音達の話を聞いて彼女なりに見出した勝算に基づく行動だった。
 〈Iris〉は、〈祓葉〉と知人である。殺し合いをしたかと思えば、現れた敵に対しては長年連れ添った相棒のように息を合わせて対処する。
 
 じゃあ、なんで殺し合いをしていた?
 聖杯戦争の敵同士だから? きっと違う。
 仁杜は魔術師ではない。足を踏み入れた聖杯戦争の世界に対して抱いた率直な印象は"漫画みたいだな"である。
 
 当たり前みたいに異能力者や、人智を超えた存在がほっつき歩いている。
 自分の傍には強くて頼れる妖しいイケメンがいて、無二の親友もマスターで、更にそこへ仁杜でさえ見惚れそうになるイケ女子まで現れて。
 挙句の果てに舞台の街は災いに見舞われており、そんな世界の中でも別格の祓葉なんて存在まで出てきた。
 あまりにもフィクショナル。あらゆる常識が無視され、因果と因果が結びついて綾模様を描く現実離れの極み。

 常人なら面食らうところであろうが――、天枷仁杜は日々数多の創作物(フィクション)を摂取して日々の癒やしとしてきた"オタク"である。

 よって仁杜は順応する。
 聖杯戦争の不条理に。そして、時を同じくし大切なものを奪われた者達が認識していた"運命"の存在に。
 すべてがフィクションのノリで繰り広げられる異界なら、ハナからそのつもりで考察・推測していけばいい。
 そうして祓葉と〈Iris〉の関係性へ想いを馳せた時、仁杜の脳裏に浮かんだのはこんなビジョンだった。


552 : テトリス ◆0pIloi6gg. :2024/12/13(金) 23:33:14 lME8xiwg0


 前回の聖杯戦争でたまたま出会い、なし崩し的に共闘を続けていたふたり。
 その旅路は多難だったが、ふたりは二人三脚で寄せ来る脅威を乗り越え進んでいく。
 しかし、そんなジュブナイルは根本からして致命的なまでに歯車をかけ違えていた。
 それに気付いた時には時既に遅し。通じ合ったふたりは引き裂かれ、物語はバッドエンドで幕を閉じる。

 そうしてバッドエンドのその先で巡り合ったふたりは、見るも無残に噛み合わない。
 ひとりは依然地続きの関係をやろうとしていて、けれど裏切られたもうひとりはそうじゃない。
 だから殺意を向けるが、それはそうと共に戦った記憶だけは嘘じゃないから共に戦えば皮肉なほどの連携を発揮できる――。

 "ありそう"な設定を脳内で構築して、それを通話越しの〈Iris〉に当て嵌める。
 もちろんそのすべてを適用することはできないだろうが、だとしても大枠はこうだろうと仮定してアクセルを踏んだ。
 仁杜としてもこれは賭け。的外れだったなら呆れられてもおかしくないし、最悪このまま何も得られずに終わる可能性もある。
 

 果たして、ニートの浅知恵で投げられた賽はどんな目を出したのか。
 その答えは、他でもない〈Iris〉の反応が雄弁に物語っていた。


『――――』


 息を呑むようなことはしない。
 分かりやすい反応も、してはくれない。
 でも、仁杜が出したその名前を聞いた彼女は確かに数秒沈黙した。
 それをもって仁杜は理解する。自分の推測は恐らく、八割がた正しいと見て相違ない。
 
 〈Iris/イリス〉は〈祓葉〉に執着している。
 たぶん、自分達が思っているよりもずっと深く。
 少し名前を出されたくらいでも、まんまと面食らってしまうくらいには筋金入りである、と。

『……おまえ――』
「わたし達は、祓葉ちゃんに対抗する手段を探してる。
 理由は、分かるでしょ。そんなチーターのいる環境でまともに戦ってたら、普通じゃどうにもなんないよ」

 仁杜はいろんなゲームをプレイする。
 オンラインゲームにはチーター、と呼ばれる不正行為者の存在が付き物だ。
 仁杜が祓葉なる少女について聞き、抱いた印象はまさにそれである。
 ひとりだけルールの中で戦っていない。こっちが真面目にやるのが馬鹿馬鹿しくなるほど強く、正攻法じゃまず勝てやしない異分子。

 では、ゲームでチーターとマッチしたならどうするのか。
 答えはひとつだ。戦おうとしない。おとなしく勝つのは諦める。だって、意味がないから。
 最初から理(ルール)の外で反則をしている相手に、その内側から抗戦したって勝てるわけがない。
 死ねばいいのにと思いながら適当に試合を消化して、不正行為者とマッチした旨を運営に通報する。これがセオリーである。
 けれどこの聖杯戦争には、参加者各位の訴えを聞いてくれる運営など存在しない。
 というかむしろ、その運営が率先してチートを振り翳しているのだから救いようがない。
 ではどうするか。仁杜が行き着いた答えは、やっぱり"正攻法で戦わない"ということだった。
 

「ねえ、いーちゃん」


 最初から理を外れている存在に、普通の手段で勝負を挑んでも結果は見えている。
 ならどうするか。普通のゲームじゃ推奨されないやり方だけれど、生憎このゲームに助けてくれる運営はいない。
 不服を訴えたところで反則にお咎めはなく、そいつが世界から追放されることもない。
 つまり身勝手な強者に全力で対抗を試みることに、一定以上の意義と価値が保証されている。
 だからこそ、天枷仁杜はなけなしの知恵を振り絞って〈Iris〉への独断での接触という思い切った行動に出たのだ。


「わたし達と、協力できないかな」


 天枷仁杜は現実を見ない。
 しかし、夢の中でなら少し大胆になれる。



◇◇


553 : テトリス ◆0pIloi6gg. :2024/12/13(金) 23:33:50 lME8xiwg0



 ――わたし達は、祓葉ちゃんに対抗する手段を探してる。
 ――わたし達と、協力できないかな。

 〈NEETY GIRL〉の言葉を聞くイリスの顔は険しかった。
 それもその筈。祓葉の名前は、いつ何時いかなる形であってもイリスの地雷である。
 こればかりは、もはや理屈ではない。狂気とはそういう不条理なものだ。
 であればこそ、顔を合わせたこともない赤の他人にそこを揺さぶられるのは彼女にとって不快以外の何物でもなかった。

「理由がない。なんで私があんたらみたいな雑魚の集まりにわざわざ力添えしてやる必要があるの?」

 不機嫌を隠そうともせず、イリスは通話越しの相手に言う。
 〈NEETY GIRL〉は幸運だった。言葉より先に手が出る直情型の魔女も、流石に電波越しに攻撃を届かせる手段は持ち合わせていない。
 故に会話は途切れず続行される。色好い返事など返ってくる筈もなかったが。

「大体私には、あんたを信用する理由もない。
 あんたが喫茶店の雑魚どものどっちと、はたまた両方と組んでるのかは知らないけど。
 あいつらと繋がってるんだったら、さっきあったことは知ってるでしょ?
 私は祓葉と組んで、あんたの仲間達と戦った。その最中に私は傷も負わされてる。
 そもそも交渉役にあの場にいなかったあんたを使ってるって点も気に食わないね。信用されようっていう気概が微塵も感じられない」
『あっ……うぅ、それは、その』
「何よ。ほら、下手くそなりにそれらしい言い訳でもしてみたら?」
『あのふたりに、お話まだ通してなくてぇ……』
「あ……?」

 相手の答えに思わず愕然とする。
 なんだそれは。言い訳にしても下手すぎる。
 下手すぎて、逆に嘘らしさを感じない。
 〈NEETY GIRL〉が喫茶店のあの二主従の両方と組んでいるという大きすぎる情報のインパクトも薄れるほどの衝撃だった。
 頭の痛くなるものを覚えながら、イリスは眉根を寄せつつ確認していた。

「……何。同盟組んでるのに、そいつらに何も相談しないで私にコンタクト取りに来たってわけ?」
『あ、うん……はい。そうなります』
「なんで。アホなの?」
『えぇっと、正直に言ったら絶対あれこれ話し合いになると思って。
 いーちゃん、まどろっこしいのとか待たされるのとか絶対嫌いでしょ? だから思い切ってかけてみたんだけど……』

 その点は否定できない。
 加えて先ほどそれなりに痛い目を見せられた相手がそこにいると知ったなら、イリスは交渉など早々に打ち切っていただろう。
 そういう意味では、〈NEETY GIRL〉の選択は正しかった。
 しかしあまりに向こう見ず。浅慮も甚だしく、呆れるほどにセオリーから外れている。
 そんな不合理に対して、イリスはあまり強くない。今も昔も、こう成り果ててさえも、彼女は根本的には真面目な人間だから。


554 : テトリス ◆0pIloi6gg. :2024/12/13(金) 23:34:39 lME8xiwg0

 ――そうだ。
 "あの女"と過ごした日々も、思えばずっとこんな感じだった。
 一挙一動のすべてが予測を超えてくる。楪の家で事前に叩き込まれた想定が何の役にも立たないくらいしっちゃかめっちゃかな戦況でも、神寂祓葉はずっと楽しそうに笑い、迫る逆境にわくわくしながら順応していた。
 自分の手を引きながら。一寸先も見えないような未知に、晴れ晴れとした顔で駆けていくのだ。
 重なる。重ねてはならないと分かっているのに、重なってしまう。
 自然と顔が更に歪んだ。数時間前に無機質なチャットで交わしたやり取りが否が応にも脳裏をよぎる。

『あと、これがいーちゃんにも悪い話じゃないって理由はもう一個あって』
「……、……」
『あ、ええっとね。怒らないで聞いてほしいんだけど』
「早く言えって。怒ってるか怒ってないかで言ったらもうとっくに怒ってるから」
『ひ、ひぃん……怖いよぉ……』

 こいつが曲がりなりにも同盟なんてものに一枚噛めてる理由が分からない。
 イリスは苛立ちが多分を占める呆れを抱きながら、指先でこめかみを叩いた。
 とはいえただ呆れ、相手は馬鹿なのだからと思考停止しているわけではない。
 確かに聖杯戦争は数奇な偶然や運命の温床だが、だからこそそれが本当に不確かな理由で招かれた事象なのかを推測する必要は大いにある。
 そのことをイリスは前回、文字通り身をもって学んできた。

 少なくともあの時、あの場で――"鍛冶師のセイバー"と"騎兵隊のライダー"、及びそのマスターふたりの間に面識がある風には見えなかった。
 赤の他人同士が自分と祓葉という脅威を前に、なし崩し的に手を組んで共闘しているような様子だったと記憶している。
 "この"聖杯戦争の恐ろしさを理解した彼ら彼女らが撤退後に同盟を結んだとするなら、それは理解できる。

 だがそこに何故〈NEETY GIRL〉が絡んでくるのか。
 事前にもう組み終えていた? それとも……

(……私とあいつみたいに、元からの知り合いだったって可能性もあるな)

 というか現状、理屈を求めるならそれが最も合理的だ。
 チャット越しでも分かるダメ人間の〈NEETY GIRL〉と、聖杯戦争に呼ばれる以前から縁のある気の毒な誰か。
 そんな人物が何の因果か、あの喫茶店で戦った主従のどちらかにいたとしたらすんなり話が通る。
 自分と祓葉のように。いや、喩えとしては赤坂亜切とレミュリン・ウェルブレイシス・スタールを例に出した方が適切かもしれない。

『えっとね、間違ってたらごめんなんだけど。
 いーちゃんのサーヴァントって、たぶん〈蝗害〉だよね』
「……なんでそう思うの?」
『もう隠す意味もなさそうだから言っちゃうけど……その、わたしと一緒にいる子たちが話してたんだ。
 いーちゃんと祓葉ちゃんのどっちかが蝗害だろうって。
 人目を気にせず暴れ回れるくらい自信いっぱいなマスターなら、〈蝗害〉のマスターの人物像とも一致するって』

 考察するイリスをよそに、電話越しの声は相変わらずおどおどと。
 けれどその割にはやけに淀みなく、すらすらと自分の考えを伝えてくる。
 自信があるのか、ないのか。今ひとつ掴みどころのないその在り様に改めて苛立ちが湧いた。


555 : テトリス ◆0pIloi6gg. :2024/12/13(金) 23:35:30 lME8xiwg0

 だが。

『でもさ、祓葉ちゃんってたぶんこれの"黒幕"でしょ?』
「……、……」
『黒幕のサーヴァントがバッタって、なんかあんまりピンと来なくて。
 それに聞いた感じ、祓葉ちゃんって頭いい方って感じしないっていうか……むしろ逆って感じ、というか。
 白昼堂々喜んでドンパチやらかしちゃうようなタイプが世界を造って人集めてー、懐中時計配ってー、っていうのはどうもイメージと違う気がするんだよね。あと』
「あと?」
『どう考えてもいーちゃん向きじゃん、雑に街ごと襲ってねじ伏せちゃう脳筋サーヴァント』
「はっ倒すぞ」

 反射的にリアクションする一方で、楪依里朱は――現状に対する認識を改め、危機意識へ上方修正を加えていた。

 こいつ。
 思ったより、馬鹿ではない。
 いや馬鹿ではあるのだろうけど、人格と能力が一致していないとでも言うべきか。

 〈NEETY GIRL〉の推測は、此処まですべて当たっていた。
 神寂祓葉は黒幕だが、とんでもない馬鹿だ。大それた野望やその下準備などコツコツやれる人間では絶対にない。
 〈蝗害〉のライダー・シストセルカも馬鹿だ。これは食うことと現代文化にかぶれること以外何にも関心がない。
 そして楪依里朱は、まさしく彼の軍勢を従えるマスターである。感情で動くイリスと欲望で動く飛蝗は、言わずもがな最高の相性を誇っている。

『で、本題はここからなんだけど……。
 昨日の夜から今現在まで、〈蝗害〉の進行が遅くなってるって話を聞いてさ。
 もちろんこれからはグレランじゃなくて戦力を集中させての各個撃破に切り替えた、とも考えられるけど、わたしはそうじゃないんじゃないのかなあって思ってて』

 鋭い。
 単に馬鹿の直感と片付けてしまえばそれまでだが、発想の鋭利さと的確さが異様だった。
 知識だとかセオリーとかではなく、目の前にある状況の陥穽を見抜く発想力。
 それだけを破茶滅茶に研ぎ澄ませて臨まれているような、そんな感覚をイリスは抱いた。

『あ、ほ、ほんと怒らないでね?
 えっと――その理由ってさ、〈蝗害〉くんを祓葉ちゃんにぶつけて、負けちゃって……結構ダメージ負っちゃったから、とかだったりする?』

 ほら、見たことか。
 終いにはこれだ。

『ネットで調べたんだけど、一時間くらい前にナントカって病院が急に〈蝗害〉に襲われたってニュースを見たんだ。
 これも、祓葉ちゃんと戦って減ったリソースを回収しようとしてやったことだと思えば筋が通るなぁって。
 ……あ、でもだったら病院より駅とか襲った方がいいか……。
 う、ううん、病院にいーちゃんの敵がいたから一石二鳥を狙ったとか? そんな感じで、なんかちょっと掠ってないかなあ……』

 なんだ――この女。
 電話越しなのが今だけは幸いした。
 イリスは、さっきまでの苛立ちが嘘のように顔を強張らせていた。


556 : テトリス ◆0pIloi6gg. :2024/12/13(金) 23:36:21 lME8xiwg0

 相手が既知の手段で戦ってくるなら、イリスはそれを恐れない。
 イリスには神でも喰らう軍勢(レギオン)と、太陽を知っているアドバンテージがある。
 たとえ相手が神でも悪魔でも、あの無邪気な極星に比べればただの障害物でしかない。
 策士など先に語った理屈で事足りる。一切鏖殺、何の支障もありはしない。
 
 が。それが未知であるなら、さしもの魔女も思わず足を止める。
 楪依里朱はノクト・サムスタンプを知っている。
 あれこそまさに策士の極み。認めるのは癪だが、英霊だろうと彼の悪辣に勝るとなれば至難だろうと確信していた。
 その筈の彼女が今、かの契約魔術師に比べれば年季も知識も遥かに劣るであろう怠惰の化身(ニート)に戦慄している。
 これは一体、いかなる異常だ。

 相手がノクトや蛇杖堂でも、同じような読みは繰り出せるかもしれない。
 だが今通話越しに相対している女は、どう考えても彼らに比べて格落ちの役者なのだ。
 厳かな最高学府の教授が難解な数式について語るなら理解もできる。
 けれど玩具の車できゃっきゃと遊んでいる幼児が同じことをしたら、それには得体の知れない不気味さを覚えるだろう。
 イリスが今感じているのは、それと同種の得体の知れなさだった。

『い、いーちゃん? あ、あぅ、やっぱり怒った?』

 ――ちっ、と舌打ちをする。
 相手に聞こえるとか聞こえないとかはお構いなしだ。

 自分の変わらない月並みさに嫌気が差す。
 狂気に侵され、すべての狂気をねじ伏せ、星を落とすと決めておいて何だこの体たらくはと自分に憤慨する。
 その上でイリスは、ぶっきらぼうな声色で〈NEETY GIRL〉へ言った。

「……で? 私にとって悪い話じゃないって言い草の理由は?」
『う。うぅー……それ、はぁ……』

 吃りと沈黙の理由は問うまでもなく察せた。
 この女は、人に怒られることに対する耐性が極端に低いのだ。
 だからこんな大事な話を――冗談でなく互いの今後を懸けた会談の最中にさえ、それを理由に発言を葛藤している。

「そうやってウダウダされるのが一番ムカつくのよね、私に言わせれば」
『あ、あっ、はい! 言う言う、すぐ言います! えぇ、っと……』

 そしてイリスにも、彼女が何を言おうとし逡巡しているのかは察しが付いた。
 イリスは思春期の中にいる。情緒は不安定で、その感情は些細な事象で乱高下を繰り返している。
 そんな女(じぶん)にとって最大の地雷で、傍目にもそれが理解できてしまう事柄。
 となるとその答えは、もはやひとつを除いて他にはない。脳裏をあのムカつく能天気面が過ぎった。


『いーちゃん、ひとりじゃ祓葉ちゃんに勝てないんじゃないかな、って思って――』



◇◇


557 : テトリス ◆0pIloi6gg. :2024/12/13(金) 23:36:56 lME8xiwg0



 ――殺気、というものを、天枷仁杜は生まれて初めて感じた。
 更に言うなら、それが通話越しにも伝わるものだと初めて知った。
 言わなきゃいけない、けれど言うかどうかすごく悩んだ事の核心。自分が挑もうとしている交渉の肝。
 それを伝えた瞬間、全身の毛が逆立つほどの冷たい殺意が"沈黙"という形を取って仁杜の鼓膜を突き抜けていた。

「……、……」

 怖い。
 怖い、すごく。
 今すぐ通話を切りたい。
 手は震えていたし、歯は気を抜くと愉快な演奏を鳴らし出しそうだ。
 そこで仁杜は、今まで〈Iris〉と交わしてきたチャットや狩りの記憶を思い出してなんとか耐えた。

 大丈夫、大丈夫。この子もわたしと同じ人間なんだし、何ならたぶんわたしより年下だ。
 鳴り物入りで実装された新モンスターの凶悪ハメ技で昇天させられた時のキレ散らかしぶりを思い出せ。
 キッズ相手に臆してたら――いちおう――お姉さんなわたしの立つ瀬がないよがんばれふんばれ天枷仁杜……

 意味もなくこくこく頷きながら、応答を待つこと十秒と少し。
 逃げ出したくなるほど鋭い沈黙が、ようやく終わりを迎えた。


『――で?』


 こんなに怖い一文字ってこの世にあるのだろうか。
 いやでも、改めて確信を持てたこともある。
 〈Iris〉にとって、"祓葉"は最大の地雷で、逆鱗だ。
 やっぱりこの少女は、小都音達が相対した〈太陽〉にどうしようもなく執着している。

 アニメや映画で腐るほど見てきた、爆弾解除のシーンが脳裏に浮かんだ。
 赤の線か青の線か、二者択一。択を誤れば即座にドカン、すべてが終わる。
 自然と冷や汗が首筋を伝う。ひとつも間違えられない、そんな状況は引きこもりのニートが直面するには過酷が過ぎた。

『だったらおまえ、どうすんのよ?』

 〈Iris〉の声は、むしろさっきまでより冷静に聞こえた。
 苛立ちを露わにすることもなく、感情的に当たってくることもない。
 真冬の外気のように澄んでいて、だからこその刺すような冷たさを孕んでいる。
 彼女らしくないこの落ち着きが、どんな怒声よりも恐ろしく思えるのはきっと気のせいじゃない。


558 : テトリス ◆0pIloi6gg. :2024/12/13(金) 23:37:32 lME8xiwg0

『あいつに歯牙にもかけられなかった雑魚二匹と、木偶二つと、話もまともに出来ないクズが集まって』

 英霊二騎とマスターふたりという、本来なら成り立つ筈もない交戦。
 それを成り立たせたことを、白黒の魔女は誇りもしない。
 "祓葉"が味方にいるなら勝って当然だと信じているから、この癇癪めいた台詞にすら微塵の揺れも生まれないのだ。

『いったい私に何を与えられるっていうの? ねえ』

 そしてその物言いは、先ほど仁杜が投げかけた指摘が当たっていると証明してもいた。
 祓葉という最強の味方がいたとはいえ、マスター同士での対英霊戦線などという超人技を成立させたタッグの右翼。
 そんな彼女をして、祓葉には届かないのだと。
 依然極星の輝きは宙の彼方に揺蕩っているのだと、そう知らせていた。

 だってそうじゃなかったら、そもそもこんな風に値踏みする必要がない。
 たとえ舐めた相手をこき下ろすための舌鋒だったとしても、〈Iris〉の言葉には仁杜でさえ分かる自棄が滲んでいたから。
 仁杜は聳え立つ巨峰の大きさに唇を噛みながら、されど同時にこう思う。


 ああ、よかった。
 それならまだ、してあげられることはある。
 わたしが、わたしのために、わたしたちのために。

 いーちゃんに見せられる手札は一枚だけ、残ってる。


「あるよ」


 いつの間にか手は汗ばんでいた。
 気を抜くと端末を落としてしまいそうだ。
 力を込め直して、すぅ、と息を吸って。
 天枷仁杜は、自分が持つ唯一にして最強の切り札を魔女へ提示した。


「わたしのサーヴァントが――いる」



◇◇


559 : テトリス ◆0pIloi6gg. :2024/12/13(金) 23:38:02 lME8xiwg0



「……ふ」

 〈NEETY GIRL〉がいつになく真剣な声で伝えてきた"売り"に、イリスは失笑するしかなかった。

「論外だよ、馬鹿。
 分かってないなら教えてやるよ。そっちはもうとっくに間に合ってる」

 サーヴァント。
 サーヴァントと来たか、よりによって。
 想像できる答えの中で、それが一番論外だ。
 何故ならイリスは既に、ひとつの究極と言っていい英霊を従えている。
 その上で虫螻の王は、神寂祓葉に一度敗走を喫しているのだ。
 総軍を束ねてぶつけたわけでこそないが、せめてそれに匹敵するだけの逸材を持って来られなければ話にもならない。
 
 ソルジャー・ブルーの将官では役者が足りない。
 原初の刀鍛冶では無限の蝗を殺し切れない。
 もしあの場に飛蝗の軍勢がいたなら、祓葉が光剣を解放するまでもなくごく順当な見応えもない蹂躙が繰り広げられていたことだろう。

「雑魚がどれだけ増えたところで、太陽には届きゃしないんだ」

 自傷行為じみた悪態に、イリスの顔が改めて歪んだ。
 そう、まさにそれは自傷であり、自虐である。
 誰もが、太陽に近付こうと試みては失敗してきた。
 誰ひとり、神寂祓葉に勝てなどしないのだ。
 そしてその"誰も"には、例外でなく自分も含まれている。
 そのことを、楪依里朱は理解していた。
 誰よりも一緒にいたのだ。なのにそれを分からないわけがない。

 祓葉を殺す。
 魂も、過去も、未来も、すべて燃やし尽くしてでも。
 たとえこの身が、一条の流星に変わって消え果てるとしても。
 そう誓っていても、彼女はどこかで矛盾している。

 祓葉を誰より憎んでいると同時に、誰より焦がれている。
 その輝きを邪悪と断ずる一方で、誰よりそれを求めている。
 故に、〈未練〉。元より不安定だった魔女の心は今や、螺旋のように捻れ狂っている。
 だからこその支離滅裂。手首を切って血を搾るように吐いた言葉へ、悩みを知らないニートが応えた。


560 : テトリス ◆0pIloi6gg. :2024/12/13(金) 23:38:39 lME8xiwg0

『……わたしのサーヴァント、強いもん』
「はあ?」
『いーちゃんのより絶対絶対ぜったいイケメンだしスパダリだもん。
 わしゃわしゃ群れてるバッタなんてきゅーってしてどごーん!って瞬殺しちゃうもん!!』

 ……急にどうした、と思った。
 さっきまではおっかなびっくり言葉を並べてる、って感じだったのに。
 まるで癇癪を起こす子どもみたいに甲高い声を荒げてまくし立ててくる。
 温度差。それは心胆まで冷え切り/煮え滾った魔女の虚を突くことに成功していた。

『ろ…………、…………わたしのキャスターは、祓葉ちゃんにだって負けないよ』
「……お前、死にたくて言ってんの?」
『だってホントのことだもん』

 むすっ、という効果音が浮かんでくるような声だった。
 どこで電話してきてるのか知らないが、眉根を寄せて頬を紅潮させ、若干涙目になっている姿が容易に浮かぶ。
 話題が話題だ。毒気を抜かれる、なんてことはイリスにはないものの。
 しかしこの感情に対して素直"すぎる"人物像には、覚えがあった。
 
 また、重なる――顔も知らない女と、魂まで知り尽くした女のカタチが、脳内で交差する。
 それ自体、イリスにとっては許し難いことではあったが。
 通話越しという状況が、魔女に暴力で解決することを許さない。
 
「――はっ」

 こんなにもコケにされたのは久しぶりだった。
 他の衛星どもにさえ、此処まで舐められたことは果たしてあったかどうか。
 怒りも一周回ると愉快さすら覚える。気付けばイリスは、相手の言葉を鼻で笑っていた。

「なら、試してみる?」

 〈NEETY GIRL〉が息を呑む気配が伝わってくる。
 どうやら今になってようやく、自分が誰に何を言ったか理解したようだ。
 しかしもう遅い。白黒の魔女は幼稚な激情家。イリスは、挑発には行動で応える。
 今更何をどうしようと、〈NEETY GIRL〉達はもう、魔女の狂気から逃げられない。



◇◇


561 : テトリス ◆0pIloi6gg. :2024/12/13(金) 23:39:20 lME8xiwg0



 ・・
 来た――と、仁杜は思った。
 心臓の鼓動がいっそう早くなる。
 展開だけ見れば、望んでた通りのもの。
 予想を超えていたのは、声だけでも分かる相手の激情。
 もはや狂おしさすら感じさせるその炎は、仁杜がチャット越しに見てきた悪態とは比べ物にならない圧力を纏っていた。

 ひとつでも選択肢を間違えたら必ず死ぬ。
 人の心など分からないニートでさえ、本能でそう理解する。
 〈はじまりの六人〉、狂気の衛星に火を点けるというのはそういうことだ。
 灯ってしまった狂気の熱は、誰かの死でしか鎮められない。

『あんたのサーヴァントが、私の〈蝗害〉と戦えてる間だけ話を聞いてあげる。
 その間はあんたにもその取り巻きどもにも手を出さないと約束するわ。
 そっちが前提を破ってくるってんなら、話は別だけどね』
「……そ、それで……?」
『ただし戦いが終わったら、その足であんた達をひとり残らず皆殺しにする。
 逃げたきゃ逃げてもいいよ。地の果てまででも追いかけて、殺すから』
「――――っ」

 それが冗談でないことは分かる。
 話すだけ話して逃げれば終わり、という単純な話じゃない。
 〈Iris〉は一度殺すと決めた相手を見逃さない。ましてや、自分の聖域(じらい)を軽々しく踏み荒らした冒涜者ならば尚更。
 
 そして〈蝗害〉は、都市の至るところに偏在している。
 無数の蝗達の目と触覚から身を隠し切ることは、どうやったって不可能だろう。
 失敗すれば全員が死ぬ。仁杜ひとりの犠牲では絶対に済まない。
 薊美も死ぬ。カスターも死ぬ。トバルカインも死ぬ。――小都音も、死ぬ。

 成立するかも分からない交渉の対価としてはあまりに重すぎるリスク。
 されど吐いた唾は呑めず、覆水は盆に返らない。
 仮に此処で臆病風に吹かれて通話を切ったとしても、魔女の〈蝗害〉が敵に回ることは避けられない。
 袋小路だ。天枷仁杜の軽率な独断専行と感情任せの大見得が、その周囲のすべてを危険に曝そうとしている。
 それでも。

「……わかった。それで、いいよ。
 わたしのサーヴァントがちゃんと強かったら、いーちゃんお話聞いてくれるんだよね?」
『そいつが生きてる間はね。別に複数人がかりでもいいけど』
「あ……えっと、一応聞いておきたいことがひとつあって……」

 だとしても――


「バッタさんが死んじゃったら、いーちゃんどうするとか決めてる……?」


 〈にーとちゃん〉は夢を見ている。
 今も彼女は非日常という夢の中。
 夢を見ているなら、その信頼は完全無欠。
 決して現実を見ない女に、虚構(うそ)と真実(ほんと)の境界は存在しない。


562 : テトリス ◆0pIloi6gg. :2024/12/13(金) 23:40:02 lME8xiwg0

『――午後七時。代々木公園に来な』

 〈Iris〉は、それを重ねての挑発と受け取った。
 当然だ。そうとしか受け取りようがない。
 それが仁杜なりに、本気で相手を気遣ってした発言だったなんて分かる人間の方が少ないだろう。
 
『そこで"お話"しようじゃない。遺言くらいは聞いてあげるよ、聞くだけならね』

 長い――
 長い通話が、ようやく終わる。

 〈Iris〉が通信を切断したのだ。
 途端に仁杜の全身に襲いかかるのは、さながら徹夜明けのようなどっしりとした疲労感。

「……はぁぁぁぁぁ……。
 い、一生ぶん喋った気がするよぅ……」

 ただ、気心の知れた(と、仁杜は思っている)相手である以上会社で上司からねちねち悪口(と、仁杜は思っている)言われるよりはマシだった。
 通話でのやり取りだから相手の顔が見えない、というのがまた大きい。
 きっと面と向かって今の話をしていたら、仁杜は途中で泣き出すか逃げ出すかしていた筈だ。
 何はともあれ、らしくないムーブをした割には上手く行った気がする。
 むしろ問題はこの後だ。今の内容を、どうやって小都音達に伝えるか。それが問題である。

「ぜっっっったい怒られるよね…………」

 ダメ人間は怒られの気配には敏感なものである。仁杜も例に漏れずそうだ。
 なんで怒られると分かってヘンなことするんだと言われても、しちゃうんだから仕方ないとしか言いようがない。
 特上の社会不適合者が取る行動に理由を求めるのは無益なことだ。
 早くそれが世界の常識になってほしいものだと、仁杜は常々そう思っている。


563 : テトリス ◆0pIloi6gg. :2024/12/13(金) 23:40:31 lME8xiwg0

 それはさておき、そう、今の話の内容を馬鹿正直に自分の口から伝えたら絶対に大目玉を食らうことは予測できた。
 小都音はまず間違いなく怒るし、薊美に至っては付き合いきれないと帰ってしまうかもしれない。
 そうなったら非常にまずい。いや、兎にも角にも怒られたくない。そっちの方が仁杜の中では大きかった。

「あっ、そうだ! えぇっと……『もしもし、ロキくん?』」
『おー。どしたー? 親愛なるにーとちゃん』
『うへへ〜……わたしも愛してるよロキく〜ん……、……ってそうじゃなくて。
 あのね、今ちょっといろいろあってさ。詳しくはこれから話すんだけど、知られたら絶対怒られちゃうと思うんだよね……』
『うんうん。まあなんとなく分かってるけど、それで?』
『ロキくんに説明役、おまかせしてもいい? わたしじゃなくてロキくんが話つけてくれました〜!みたいな感じで……』
『さっすがにーとちゃん、人に責任おっ被せることに微塵の躊躇いもないね。大好きだぜそういうトコ。――うーん、でもなあ』

 仁杜の頼みに、彼女のサーヴァント――キャスター・ロキが難色を示すなんて滅多にないことだ。
 どうしたんだろう、もしかしてロキくんにも怒られちゃう? と表情を曇らせる仁杜。そんな彼女へ、ロキは言う。

『庇ってやりたいのは山々だけど、今回ばかりはもう手遅れっていうか』
『え? それって、どういう――』
『にーとちゃん、内緒話する時はもうちょっと声抑えた方がいいぜ』

 ……、まさか。
 そう思って、仁杜は目の前の扉を見つめた。
 血の気が引いた顔は引きつっている。
 あんまり夢中になっていたから、扉の向こうから感じる気配に今の今まで気付けなかった。
 鍵はかけていたけれど、此処は高層階なので、窓からひょいと出るとかはできない。
 よって。つまり。逃げ場は、ないのだ。

「あ……あのぅ……」

 恐る恐る、扉の向こうにいるだろう友人に声をかける。
 震えた声で、扉越しでは見えもしない愛想笑いを浮かべて。

「お、お話はロキくんに伝えとくから……わたし、終わるまで此処にいてもいい?」
「ダメに決まってるでしょすぐ出てこいこのクソ馬鹿ニート」

 そんな悪あがきも虚しく。
 この瞬間、仁杜は独断専行の報いを受けさせられることが確定した。



◇◇


564 : メズマライザー ◆0pIloi6gg. :2024/12/13(金) 23:41:10 lME8xiwg0



「本当に信じられません」
「今回ばかりは、まったくもって同意見」

 あえなくトイレから出たところを捕まって、仁杜は今居間で正座させられていた。
 二の句が継げない、といった様子でそのちんまりした情けない姿を見る薊美と、頭痛持ちのようにこめかみを押さえて目を伏せた小都音。
 だがこの反応は真っ当、それどころか穏当とすら言えるものだ。
 何しろ彼女達は仁杜が独断でやった交渉によって、これから全員死地に引き出されることが確定したのだから。

 どうやら、早い段階から話は聞かれていたらしい。
 トイレにしては遅い仁杜の様子を見に行った小都音が、彼女が〈Iris〉――推定"イリス"に連絡を取っていることに気付いた。
 それを止めなかったのは、此処まで話が進んでいるならもう止めても無駄……それどころか止めた方が事態の悪化を招きかねないと判断したからだ。もちろん小都音は仁杜と違って相談ができるので、薊美にもその旨意見交換を済ませている。
 
 白黒の魔女、"イリス"との会談。
 祓葉打倒を見据える上で、彼女をよく知り、そしてそれに執着する少女を利用する。
 判断としては悪くないし、実際仁杜とイリスが本当に知り合いなら有用な択だと小都音も思う。
 だが問題は。相手の声が聞こえなくても分かるほど、仁杜が魔女の地雷を踏みに踏み、逆鱗を撫でに撫でていたっぽいことだ。

 嫌な予感を覚えつつ仁杜から聞き出した通話の内容には、小都音も薊美も絶句した。
 祓葉と並ぶ脅威である〈蝗害〉と、仁杜のキャスター・ロキによる直接対決。
 ロキが飛蝗どもを抑えることを前提とした、時限爆弾付きの会談。
 ロキが敗走すればその瞬間、〈蝗害〉の本丸を引き連れたイリスが殺しにかかってくるという破滅的な条件。
 勝手に自分達の命をチップにされたようなものだ。これで涼しい顔ができる人間は、そうそういないだろう。

「高天さん」
「……言わんとすることは予想つくけど、何?」
「事の次第によっては私、此処で降りますよ。正直付き合いきれません」
「だよね……」

 薊美を薄情だと責める気には、到底なれなかった。
 自分が彼女の立場だったとしても、きっと同じことを言う筈だ。
 予想できなかった。まさかあのにーとちゃんが、こんな大胆な行動を取るなんて。
 当の本人は薊美の発言に身体をびくつかせ、おどおどと縮こまっている。

「クソニート、お前いい加減にしろよ。ケツ拭かされるのはお前以外の全員なんだぞ」

 トバルカインも辟易した様子で、苛立たしげに仁杜を見つめていた。
 彼女も彼女で、一線を越えたら相当苛烈な質なのを小都音は知っている。
 仁杜と生き抜くことを決めた小都音にとっては、生きた心地のしない空間だった。
 しかし、一方。腕組みをしながら、どこか見直したように仁杜を見ている大男の姿もあって。


565 : メズマライザー ◆0pIloi6gg. :2024/12/13(金) 23:42:01 lME8xiwg0

「私は彼女の行動を評価するがね。どの道、前進なくして状況の好転はないのだ。
 時に戦場では、熟慮よりも短慮こそが解となるものだ。
 私が彼女だったとしても同じ行動を取っただろうさ。そういう意味では、なかなか悪くない一手だと思うが?」
「そりゃあなたはそうでしょうね、ライダー」

 無謀、強硬、勇猛果敢を地で行く騎兵隊の主。
 豪放磊落を地で行くカスター将軍にとっては、約束されてしまった鉄火場も臨むところであるらしい。
 呆れたようにため息をつく薊美に、されどカスターは言う。

「では逆に、他に取れる選択肢が我々にあったかな?
 "極星"へ無策に迫ったところで犬死にだ。まどろっこしいのは好かないが、私も戦力差というものは弁える。
 どう考えても現状、我々は手詰まりだった。なら今だけは先住民(かれら)のなりふり構わない姿勢を見習うべきだろう。
 それに――簡単なことだ。キャスターが〈蝗害〉を引き受けている間に、私とセイバーで魔女を叩いて黙らせる手もあるのではないか?」
「そりゃ無理だろ」

 カスターの意見も、実際もっともではあった。
 "祓葉"の脅威を受けてこの同盟は結成されたが、では具体的に今後どうしていくのかというビジョンには乏しかった。

 その点、今回天枷仁杜が取り付けてきた話はある意味では渡りに船。
 もしも魔女と〈蝗害〉を利用できれば対祓葉への備えにできるのはもちろん、他の主従達にも大きなアドバンテージを確保できる。
 ただひとつ、純粋に"強すぎる"魔女とその軍勢を事実上押し破らなければならないという高すぎるハードルを除けばだが。

「あのイリスとかいうガキ、短腹だが頭は回るし機転は利く。
 私らに袋叩き(フクロ)にされるリスクが考え付かねえ馬鹿には思えねえよ。
 なのに自分からこんな話を提案して来たってこたぁ、ンな浅知恵は織り込み済みで言ってるってことだろ」
「……むぅ。確かにそれは一理あるな。何を隠そう不肖このカスターも、彼女の奸計で一度死にかけている」
「だろ。つまりそこのバカニートが取り付けてきた話は、どう転んでも私らにとってキツすぎる山なんだ」

 トバルカインの話に対しては、カスターも異論はなかった。
 そう。"祓葉"のデタラメな強さに隠れてはいるが、そもそもあのイリスという魔術師も大概おかしいのだ。
 はっきり言って、一介のマスターにしては強すぎる。
 生半なサーヴァントであれば力押しで打ち破れるのではないかと思う程度には、アレは異常な実力を有していた。
 その上で、そこに〈蝗害〉が加わるならばそれはもうまさに鬼に金棒。
 この聖杯戦争に列席している主従のほぼすべて、蝗害の魔女の圧倒的武力には為す術なく蹴散らされるだろう。
 無論それは、小都音と薊美の主従も例外ではない。これを正面突破できると考えるほど楽観的になれるなら、ただの馬鹿だ。

「……あ、あの、薊美ちゃん。それにみんなも」

 空気は最悪。
 一触即発と言ってもいいムード。
 そこで遠慮がちに片手を挙げて発言したのは、事もあろうにこの状況を招いた張本人だった。


566 : メズマライザー ◆0pIloi6gg. :2024/12/13(金) 23:42:56 lME8xiwg0

「……なんですか?」

 薊美が少し眉を動かす。
 小都音は、黙ってなさいこの馬鹿……と頭を抱えたくなった。
 仁杜は人付き合いに慣れていない。いや、慣れとかそういう次元じゃない。
 此処で彼女が発言することによって状況が好転するとは到底思えなかった。
 そして実際、彼女が口にした言葉は火消しどころか油を注ぐようなもので――。

「だ、大丈夫だと……思うよ? だって、ロキくんが勝つし……」

 そう、この話は極めて絶望的で破滅的だ。
 蝗害の魔女には隙がない。
 カスターの勇気で貫くには強すぎる。
 トバルカインの殺陣で滅ぼすには多すぎる。
 故に必然、誰もがこうしてお通夜のような反応を見せていたのだが。
 ひとつだけ――光明は残されていた。

「……言われてますけど、どうなんですか?」

 そう、それこそは天枷仁杜のサーヴァント。
 常に笑みを絶やさず、飄々と事を見守っている黒スーツの優男。
 その真名は既に明かされている。英霊達はもちろん、薊美も小都音も当然のように知っている。
 それほどまでに有名な名前だ。どちらかというと、悪い意味で。

「んー? あ、俺に言ってる? ごめんごめん、聞いてなかったわ」
「ふざけてます?」
「怒んないでよ、君はもうちょっと遊びってもんを覚えた方がいいな」

 ――伊原薊美は、基本的にどういう人種に対しても免疫がある。
 カスターのように、ナチュラルに前時代的な野蛮さをさらけ出してくる手合いもそうだし。
 小都音の危惧に反して、ウルトラ社不の仁杜にも比較的すぐに適応してみせた。
 もっとも薊美にとってそれは、褒められるにも値しない"当然のこと"でしかない。
 舞台の上ではあらゆる役を演じ、あらゆる役と関わり、物語を織り成すのだ。
 たかだか生の人間程度にいちいち気圧されていたら、茨の王子は務まらない。
 仮に件のイリスと対面したとしても、薊美はすぐさまあの癇癪持ちめいた気性の荒さに適応してのけることだろう。

 そんな彼女がこの場で唯一、その"当たり前"を適用できていない人物がいる。
 それこそがこの男。"ロキ"――北欧神話のトリックスター、悪童の王たる青年だった。

「そう肩肘張って生きててもつまんないし疲れるでしょ。
 一体誰に気遣ってるのか知らないけど、歳相応に笑って泣いて、髪くるくる手遊びしてた方が可愛いと思うけどな」

 薊美は覚えている。
 舞台に上がる人間は、俗人よりも他人の視線に敏くなるものだ。
 だからこそ覚えている。
 この部屋に来て、ロキが最初に自分を見た時の反応を。

 値踏みするように、まず一瞥して。
 それから、視線を外した。
 まるで、ごくありきたりなモノを見たように。
 宝石と称して売られている、ガラスの玉を見たように。


567 : メズマライザー ◆0pIloi6gg. :2024/12/13(金) 23:43:47 lME8xiwg0

「まあ、覚えておきます。それで、どうなんですか」

 これが単なる侮蔑なら、抱く感情は他にあったかもしれない。
 が、薊美には。女王であり、王子である彼女には、もっと一段深いところまで見えた。
 わずか一瞬の値踏みで、自分という人間のすべてを見透かされたと。
 その上で興味無しと判断されたことが、分かったのだ。
 それを見る目のない男の愚かしさと一笑に付すことができない辺り、やはり彼女はどこまでも真面目だった。

「まあ、厳しいだろうね」

 そんな薊美の心中など知る由もなく、否。
 知った上で構うことなく、トリックスターは答える。

「俺も全貌を知ってるわけじゃないけど、アレはまさしく害虫だよ。
 どこかの誰かがルール違反をやらかしまくったせいで紛れ込んだ、本来なら這い出てくる筈のないバグさ。
 全軍で結集されたら北欧(ウチ)の主神でも難儀するんじゃない? 神も人も葉の一枚も、知ったことかと同じ論理で食い尽くす。そういう生き物だから、この世の誰もアレに有利は取れないよ」

 その論評は他人事のような調子だったが、物言いが客観的だからこその無視できない説得力を有していた。
 希望的なものではまったくない。むしろ、ただ絶望を深めるだけの言葉が紡がれていく。
 おろおろしている仁杜と、余計に表情を硬くするその他の面子。

「まさかこんな遊びに全力投球はしてこないだろうが、それでも死ぬほど難儀な相手なことに変わりはないかな。
 ていうかなんであんなのが居て未だに都市機能が続いてるのか疑問だよ。奴さんがその気になればとっくにこんな儀式終盤だろうにね」
「なるほど、よく分かりました。――高天さん」

 薊美が頷いて、小都音を見やる。
 小都音もそれに、小さく頷いた。
 その意味は一目瞭然だ。この勝負には乗れない。今からでも違う方向へ舵を切り直そうと、そういう方向でふたりの意見は一致していた。

 だが。

「おいおい、ちょっと待ってくれよ。訊いといて勝手に切り上げんのは無粋だろ」

 そんな流れを、青年は薄笑いを浮かべたまま断ち切ってくる。

「勝てないんでしょう? だったら別な方策を考えるだけです。責めるつもりもありませんよ、そもそもが馬鹿げた話なので」
「俺は一言も、勝てないなんて言ってないけど?」
「……、意味がわからないんですけど」

 薊美の発言は至ってもっとも。
 自分で厳しいと言っておきながら、さも薊美の方が間違っているみたいに発言を翻す。
 賽の目を振り直したような主張の転換は、傍若無人も甚だしく。

「オーディンのジジイでも難儀するって話をしただけさ。
 でも俺はアイツより巧いからな。うん、俺ならたぶん勝てるよ」

 しかしだからこそ、単なる放言と切り捨てられない奇妙な説得力を帯びていた。

「ていうか負ける理由がない。断言するが、今回最強の英霊は俺だ」

 おどけるステージマジシャンのように両手を広げ、腰を曲げてみせる、ロキ。
 そのふざけ切った口調とは裏腹の、この泡立つような熱は何なのか。
 薊美も――そして小都音も、どこかこれに既視感のようなものを覚える。


568 : メズマライザー ◆0pIloi6gg. :2024/12/13(金) 23:44:17 lME8xiwg0


「だってにーとちゃんが信じてる。なら、俺はいつだってベストコンディションさ」


 ああ、そうか。
 と、ふたりの女は同時に気付いた。
 英霊達は恐らく気付いていないだろう。
 彼らはまだ、その"華"を見つけられていないから。

 けれど、彼女らは違う。
 伊原薊美は、初対面でそれを見た。
 高天小都音は、流星雨の下でそれを見た。
 ふたりの女は、知っている。
 ぼんくらの華を、ぼんやりと佇む月を、知っている。

 だからこそ、ふたりだけは、既視感(デジャヴ)の答えに至ることができた。


「だろ、にーとちゃん」
「……うんっ!」


 ああ。
 こいつは――月に、魅入られているのか。



◇◇


569 : メズマライザー ◆0pIloi6gg. :2024/12/13(金) 23:44:52 lME8xiwg0



「――実際、どう思いますか」

 伊原薊美の問いかけに、高天小都音は眉を寄せた。
 当然である。小都音としては、今まさに薊美に対してどうフォローしようかと考えを巡らせていたところだったからだ。

「なんとかなると思います? これ」
「……どうだろうね」

 考えが間に合わず、小都音はありきたりな答えを返してしまう。
 にーとちゃんの馬鹿、と内心で悪態をついた。
 すると薊美は煮え切らない答えに、快でも不快でもなく。
 彼女が予想していた話の流れとはまったく違う言葉を投げかけてきた。

「じゃあ、少し質問を変えるんですけど」
「……うん?」
「あのお姉さん……にーとさんって、ほんとにただのニートなんですか?」
「えっ……?」

 藪から棒の問いに、小都音は虚を突かれる。
 その反応に、薊美は少しだけ息づいた。
 それは、"やっぱりな"という風にも。"本当に?"という風にも、見える仕草だった。

「あの人、ちょっと似てません?」
「似てる、って……何に」
「"祓葉"に、です」

 高天小都音は、流星雨の夜を経験するまでそれに気付けなかった。
 いやこの場合、それを見出だせなかった、というべきなのかもしれない。
 何故なら彼女はどうしようもないほどに凡人だ。
 才能はないが、努力をする根気だけは人並み以上にある。
 だからこそ人より多く努力を積んで、なんとか才人達と同じ位置に立っているだけの存在なのだ。

 けれど、伊原薊美は違う。
 薊美には最初から才能があった。
 芸を愛する父親が、原石を見たような顔で褒めそやすくらいには。
 彼女自身それを疑わず、"その道"にごく自然に歩み出せてしまうくらいには。


570 : メズマライザー ◆0pIloi6gg. :2024/12/13(金) 23:45:17 lME8xiwg0

 演者とは読んで字の如く演じるモノだ。
 人へ魅せる者だからこそ、人に見られることを意識する。
 その観察眼は余人のそれとは比にならない。
 彼ら彼女らは、良く見られることにこの世のいかなる職業よりも腐心する。
 良く見られるためには、見る側の能力と価値を見出すことが必要不可欠。
 演者の道の天才たる薊美は、何の努力もなしに最初からその能力を最鋭化させていた。

 最初は、ただ漠然とした違和感。
 けれど今は、もう少しそれが進んでいる。
 既に薊美は"太陽"を知っているから。
 同じ――星のような女の輝きに、疑いを抱くことができた。

「そうかな。私は、あんまりそうは思わないけど」
「本当ですか?」
「うん。ていうかぜんぜん違うと思う。
 にーとちゃん、見ての通りぼんくらだよ。だらしなくて、ダメダメで、無責任で興味ないことには無関心。
 まあアレでも、やる時はびっくりするようなことしてくれるんだけどさ」

 一方で、小都音の意見も理解はできる。
 薊美も、仁杜が本当に祓葉のような光を持つ人間だったならもっと心は荒れていただろう。
 茨の王子は、女王は、王冠を戴く者は、自分より輝き誇る太陽を許せない。
 その点、あの天枷仁杜という女に対して祓葉に対し抱いたような激情は込み上げなかった。
 あえて言うならばそう、他人の空似。
 絶対に同じ存在ではないのだが、どこか似ている。
 そんな印象と感想が、薊美が現在仁杜に抱いている感情のすべてだった。

 太陽のように、眩しくはない。
 誰にでも分かるほど、輝いてはいない。
 だがもし、穏やかな夜空を見上げるくらいの心の余裕と感性があるのなら。
 事故のように偶然、見つけてしまう。認めてしまう、ような。

 そんな――――月の、ような。

 敵視するには朧気で。
 かと言って無視もしきれない。
 そういう、言葉にし難い何かを……薊美は仁杜に垣間見始めていた。



◇◇


571 : メズマライザー ◆0pIloi6gg. :2024/12/13(金) 23:45:53 lME8xiwg0



 切り時だ。
 誰がどう見ても、途中下車の頃合いはここしかない。
 薊美の脳は、実に合理的にそんな結論を弾き出していた。
 
 これ以上進めば、自分は戻れなくなる。
 北欧の悪童王と〈蝗害〉の正面対決という混沌に身を投じねばならなくなる。
 そう分かっているのに、一方でどこか葛藤する自分もいることが理解し難い。
 
(――ライダー)
(おや。意見を仰ぐのが私でいいのかな、令嬢(マスター)?)
(一応相棒でしょ。話し相手くらいにはなってよ)
(それもそうだ。ではひとつ、内緒話に興じようか。自堕落(ギーク)な彼女を反面教師にして、小声でね)

 薊美は、恐らく同年代の誰よりも人生を効率化している。
 自分の目指す道を如何に効率的に歩めるか、進めるか、上り詰められるか。
 彼女はそのすべてを綿密な計算と、経験で築いた審美眼に基づいて決定する。
 自分をよく見せる。一方で、必要ならば他人など躊躇なく踏み潰して先に行く。
 適度なら娯楽にも親しむ。が、決してその領分が本分を侵すことは許さない。
 自堕落の対極、ストイックそのものの歩み。まさしく茨の如し、尊い者の歩みだ。

 そんな薊美は当然、ハイリスクハイリターンなどというギャンブルは必ず避けて通る。
 何故なら、意味がないからだ。
 普通にやっていても順当に成功する能力があるのだから、一発逆転のチャンスなどに飛びつく理由がそもそもない。
 そういうものに縋る手合いはそもそもからして薊美に踏み潰されるだけの林檎、その中でもいっとう見る価値のない愚図だ。
 その人生哲学に照らし合わせて言うのなら、蝗害の魔女との会談というイベントは考えるまでもなく避けるべき凶事に他ならなかった。

(……とはいえ、言わんとすることは分かるとも。
 君は私に似ているが、こと物の選択においては正反対だからな。
 私はたとえ進路に大河があったとしても、わずかでも勝算があるなら躊躇なく泳いで越える。
 しかし君は、地図を開いてどう回り道をするかを考える。違うかな?)
(よく分かってるね。うん、私ならそうするかな)
(ならば此度のことも、私に問うまでもなく君の中では答えが出ている筈だ。
 にも関わらずこうして殊勝に声をかけてきたということは……その聡明な脳細胞は今、少なからず当惑の中にあるものと察する)

 一方で、ジョージ・アームストロング・カスターという英霊はそれの真逆。
 リスクを恐れず、その先にある栄光(リターン)を求めて笑いながら駆け抜けられる魔人。
 彼が英霊としては凡夫の部類であることは、薊美も既に分かっている。
 故に、彼女の哲学とは矛盾しない。カスター・ダッシュは彼だけの専売特許であって薊美にできる芸当ではないし、真似たいとも思えない。


572 : メズマライザー ◆0pIloi6gg. :2024/12/13(金) 23:46:38 lME8xiwg0

(あのキャスターは、私に言わせれば悪魔の類だ)

 なのに今、わざわざこうして意見を仰いでいる理由はまさしく彼の言う通り。
 不合理な葛藤が、合理の算盤で弾き出した当然の結論に待ったをかけているのだ。

 すなわち、此処で降りる判断が本当に正しいのか。
 それで、いいのか――そんなことで、太陽を落とせるのかと。
 薊美の中の黒い激情が、明確に否を唱えている。

(人心を誑かし、弄び、魔道に堕落させる。
 神を信じて戦う私には、決して肯定することのできない悪徳だ。彼はそれが形を結んで顕れたような存在だ)
(……、……)
(だがそれだけに、君が奴の態度に何かを見出したというのなら――きっとそこには、大いなる意味がある。
 悪魔とは人の隣人だ。奴らは誰より人を知り、その心を見透かしている。狡知にはそれなりの理由があるというわけだ)

 ……つまり自分は、奴の冷笑を思いの外引きずっているということか。
 カスターから受けた指摘に、薊美は小さく拳を握っていた。

 それは彼女にとって、茨の王子にとって受け入れ難い事実だ。
 妬み嫉みなら聞き流せばいい。的外れな批評など耳に入れてやる価値もない。
 そうして生きてきた自分が、大なり小なりあんなぽっと出の男の仕草ひとつにこうまで心を乱されている。
 そう自覚するのはすなわち、常勝無敗の女王たる己に陥穽があると認めるようなもの。
 高貴なる自尊心を生き様そのものとして来た者にとってそれは、ある種の自己否定にも等しい意味を持つ。

 太陽を落とすと豪語しておいて。
 たかだか蝗の群れに、恐れをなすのか。

 不合理この上ない糾弾が理性の深淵から吠え立てる。
 〈現代の脱出王〉の不敵な微笑を思い出した。
 光剣を携えて笑う、忌まわしき極星を思い出した。
 そして最後に、原風景。父の優しい手の感触を、思い出した。

「……あ、あの……。薊美ちゃん、その……」

 思考を切ったのは、こうして柄にもなく自問などする羽目になった元凶の女だった。
 視線を向ければ、そこにはただでさえ小さい身体をおどおど縮こまらせて、上目遣いで見つめる女の姿。
 話によると小都音と同い年らしいが、どうしてもそうは見えない。
 何だったら年下にさえ見えるし、そう考えた方が実情よりずっと自然に思えるくらいだ。


573 : メズマライザー ◆0pIloi6gg. :2024/12/13(金) 23:47:26 lME8xiwg0

「お、怒ってる……よね。えっと、そのぅ……。さっきはご、ごめんなさい……」

 仁杜はぺこ、と小さく頭を下げる。
 恐らく干支の半分くらいは歳が離れているだろうに、年下にこうまで平身低頭になれるのは凄いと思う。
 これで毒気を抜かれるほど薊美は寛容ではなかったが、しかし此処でこの生物に不機嫌を突きつけたところで何にもならない。
 それこそ無益な行為だ。既に〈蝗害〉との対峙は決定事項となっている以上、過ぎたことに感情をぶつけるのは薊美の生き方に反する。
 無論思うところは未だにあるのだったが、それを包み隠しつつ、かと言って間違っても調子に乗らせないように――。
 少し疲れたような顔を作って、しょうがない人だ……という風に小さく息づく。そういう顔を、薊美は演じることにした。

「別に怒ってませんよ。流石に、びっくりはしましたけど」
「ほ、ほんと? よかったぁ……。ことちゃんに謝って来いってめちゃくちゃどやされて……もうぜんっぜん生きた心地しなくてぇ……」
「今のところは言わない方がいいですね。自発的に謝りに来たことにしておいた方が得ですよ」
「あっ。えへへ……」
「お姉さんが今までどういう風に生きてきたのか、この何十分かでよく分かりました」

 ただの昼行灯かと思えば、時々嘘みたいに人を振り回す。
 根本的に気が弱いくせに妙なところでふてぶてしく、余計なことを言う。
 人間として好感の持てる箇所が見た目くらいしかない、妖怪じみた社会不適合者。
 なのに、改めて見るとやはり――どこか、華々しい。

「で、でも、あの、安心していいよほんとに!
 ロキくんはね、すっごく強いの! ぜったい負けたりなんてしないから!」
「お姉さんは、ロキさんの戦ってる姿を見たことあるんですか?」
「え。……それは、ない、けど」
「そんなことだろうと思ってました。引きこもりのにーとちゃんが戦うために外に出るとかするわけないし」
「う、うぐぐぐ……。で、でも、ロキくんってすっごいイケメンだし……」
「なるほど、〈蝗害〉が全部メスのバッタだったらいいですね」

 北欧の悪童王は何故、このぼんくらに惚れ込んだのだろう。
 高天小都音は何故、これと付き合い続けているのだろう。
 命まで懸けるほどの女なのか、これが。
 薊美には分からない。なのに何故か、分からなくてはいけない気がするのはどうしたことだろう。

 太陽と。
 月。
 似て非なるものを、似て非なるからこそ解さねばならない気がするのだ。
 
 この不可解を不明のままにしておいたら、自分は一生空に手など届かないような。
 地上の王子は、そんな理解の及ばない予感に苛まれていた。
 その身、恒星の資格者には未だ果てしなく遠い。
 月の神秘はなく、悪魔の可能性に及ばず、救済になど興味は持てず、天翼の慈愛も持ち得ない。


574 : メズマライザー ◆0pIloi6gg. :2024/12/13(金) 23:48:06 lME8xiwg0

 それが伊原薊美という女。人間基準の、トップランカー。誉れも高く咲き誇る、綺麗で残酷な茨の華。
 "これで十分だ"と妥協することができないのが、彼女の孕んでしまった病巣だ。
 ごく月並みな〈はじまり〉に導かれ、幼心のままに自ら作り上げた不世出の天才というかたち。

 ――〈茨の王子〉は、頂点でなくてはならない。
 ――〈茨の女王〉は、極点でなくてはならない。
 ――二番手に甘んじることに、意味などない。
 ――だって、それでは。
 ――それでは。
 ――あの人は、きっと褒めてくれない。

 自然と、手が髪に伸びている。
 くる、くると、いつものように弄んで。

「薊美ちゃん、それ癖なの?」

 そこでふと、仁杜がそれを指摘してきた。
 言われて気付く。癖なのは分かっていたけど、別に意識してやってるわけではない。

「なんか、かわいいね」

 にへー、と、笑って言う仁杜。
 褒められて嬉しいポイントなどではないので、「そうですか」と軽く流したが。
 ひとつ、この何気ないやり取りを通じてうっすらと言語化できたことがあった。

(ああ、そっか。この人)

 いつだって一事が万事。
 ガワはいいのに、中身は変人通り越して奇人の域。
 そのくせ、いざ動いたらやけに鋭く、無駄がない。
 そして他人に好意を伝える時も、いつも通りに臆面がない。
 
(なんか、漫画のキャラクターみたいなんだ)

 そんな在り方は、夢(フィクション)の世界の住人に似ている。
 昔、やけに懐いてきた後輩から押し付けるみたいに貸された漫画。
 結局返す前に相手が寄ってこなくなってしまい、今も借りたきりになっている本のことを、薊美はなんとなく思い出していた。



◇◇


575 : メズマライザー ◆0pIloi6gg. :2024/12/13(金) 23:48:28 lME8xiwg0



 北欧神話に悪名高きロキ。
 トリックスターの王は、その顔から笑みを絶やさない。
 彼は誑かす者。弄び、相手の間抜け面を指差して嗤う者。
 雷神を転ばし、大神を騙し、悪童さえ掌で踊らせたウートガルザの王。
 そして今は、月光の守り人。彼は慌てふためく女達を、馬鹿どもがと嘲っていた。

 そう、どだい役者が違うのだ。
 お前達はただ仰ぎ見ていればいい。
 振り回され、右往左往していればそれで良し。
 それこそが身の程というものなのだから、ロキは彼女達に何も期待していない。

 天枷仁杜が、"イリス"との通話を行い。
 自分と〈蝗害〉のマッチアップを前提とした会談を取ってきたと知った時は、思わず口端が歪んだ。
 小都音にできたか。薊美にできたか。いいや、できなかったと断言する。
 ロキの愛しの月光は、太陽のようにすべてを見境なく灼くのではなく。
 ほんの時々、暗闇の中でふわりと輝く。ただそれだけで、目の前の現実を夢のように塗り替える。

 それが彼女に必要なことであるのなら。
 月の女神に、不可能は存在しない。
 ロキは故に感服し、賞賛し、喝采した。
 自分が虫螻の王という最悪の厄災と殺し合わされることなど、微塵も気には留めていない。

(――ま、俺もそろそろここらで威厳ってモノを見せておかないとな。後ろで彼氏面してるだけってのも味気ないだろ)

 "この"ロキは、夢見るモノの味方である。
 現実から目を逸らせば逸らすほど、彼の者の霧は力を増す。
 巨人でありながら大神の兄弟になり、アースガルズへ入った悪童では勝てぬ相手でも。
 神、人、獣、世界そのものさえも騙して嗤うウートガルザの王であれば、話は違う。
 
 彼にはそもそも、純粋な武力を比べ合って競うつもりなど欠片もないのだから。

「信頼されてるみたいなんでね。此処らでひとつ、スパダリの面目躍如と行こうじゃないの」



◇◇


576 : メズマライザー ◆0pIloi6gg. :2024/12/13(金) 23:48:52 lME8xiwg0



 怒りを通り越して、思考は大空のようにクリアだった。
 逆鱗に触れた報いは必ず受けさせる。
 そう、より多くの死と流血による贖いをこそ、白黒の魔女は求めていた。
 
「時間、さっき言った通りだけど。間に合うのよね?」
「おう。病院でちっと腹ごしらえもできたしな、問題ねえだろ」

 思いがけない事態であることは否定しない。
 〈NEETY GIRL〉の言うことなので鵜呑みにはできないが、あの言い草からするに、相応以上の英霊を引いているのは事実なのだろう。
 吹っ掛けたのはイリスからだったが、だからこそ油断は毛ほどもしていない。
 完全復活を果たしたシストセルカとはいえ、何らかの手で一泡吹かされる可能性は十分にある。
 それこそ蛇杖堂寂句がちょっとした備えで〈蝗害〉の侵攻を撃退したように、暴食の軍勢も無敵ではないのだ。
 だがそれでも。やることと、取る選択肢は一切不変だった。

「良かったね。立て続けに食いでのある獲物なんじゃない?」
「悪くねえな。食後のデザートも付いて来んだろ? 至れり尽くせりだぜ、楽しみすぎて一曲弾きたくなってきた」

 すなわち進軍。
 何も隠さない、包まない。
 無限の軍勢を引き連れて、轢き潰す。
 敵が神であろうと、人であろうと、獣であろうと、世界であろうと。
 夢幻であろうと、地平の暴風はそのすべてを喰らい尽くすのだから。

 上機嫌に口笛を吹くシストセルカの隣を歩きながら、イリスは先の腹立たしい会話を振り返る。
 ゲームで関わっていた時と同じだ。ただのニートの癖に、やたらとあれこれ世話を焼いてくる。
 まるで姉か何かのようにわたわたと忙しない様は見ているだけでやきもきしてくる。
 まして今回は、白黒の魔女の絶対に触れてはならない部分を土足で踏み荒らした。

 よって裁定は決まった。
 アレの信じるモノを蹂躙し、すべてを奪う。
 あちらは自分と交渉などできると考えているようだが、そうはならないと確信している。
 
(私に、もう、"友達"は要らない)

 ――踏み潰してやる。

 魔女の殺意は月光へ。
 暴食の軍勢は、代々木公園へ。



 邂逅の時は日没。
 魔女のお茶会。
 挑み来るは霞煙る巨人王、ウートガルザ・ロキ。
 饗すは虫螻の王、シストセルカ・グレガリア。



◇◇


577 : メズマライザー ◆0pIloi6gg. :2024/12/13(金) 23:49:28 lME8xiwg0
【中野区・マンション(仁杜の部屋)/一日目・夕方(日没直前)】
【高天 小都音】
[状態]:健康、祓葉戦の精神的動揺(持ち直してきた)、頭痛
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:トバルカイン謹製のナイフ
[所持金]:数万円。口座の中身は年齢不相応に潤沢。がんばって働いたからね。
[思考・状況]
基本方針:生き残る。……にーとちゃんと二人で。
0:何やってんだこの馬鹿
1:伊原薊美たちと共闘。とりあえず穏便に収まってよかった。
2:ロキに対してはとても複雑。いつか悪い男に引っかかるかもとは思ってたけどさあ……
3:アレ(祓葉)はマジでヤバかった……けど、神様には見えなかった。
[備考]
※“特異点の卵”である天枷仁杜に長年触れ続けてきたことで、他の“特異点”に対する極めて強い耐性を持っています。

【セイバー(トバルカイン)】
[状態]:疲労(小)
[装備]:トバルカイン謹製の刃物(総数不明)
[道具]:
[所持金]:数千円(おこづかい)
[思考・状況]
基本方針:まあ、適当に。
0:え、マジでやんのかこれ……?
1:めんどくせェけど、やるしかねえんだろ。
2:ヤバそうな奴、気に入らん奴は雑に殺す。ロキ野郎はかなり警戒。
3:あの祓葉は、私が得られなかったものを持っていた。
[備考]

【伊原 薊美】
[状態]:魔力消費(中)、静かな激情と殺意、ロキへの嫌悪、仁杜への違和感
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:騎兵隊の六連装拳銃
[所持金]:学生としてはかなりの余裕がある
[思考・状況]
基本方針:全てを踏み潰してでも、生き残る。
0:乗り続けるか、降りるか。迷うようなことでもないのにな。
1:殺す。絶対に。どんな手を使ってでも。
2:高天小都音たちと共闘。仁杜さん、ホントにおかしな人だ。
3:孤高が嫌いなんだろうか。だとしたら、よくわからない。
4:――"月"、か。
[備考]
※マンションで一人暮らしをしています。裕福な実家からの仕送りもあり、金銭的には相応の余裕があります。
※〈太陽〉を知りました。
※自らの異能を活かすヒントをカスターから授かりました。

【ライダー(ジョージ・アームストロング・カスター)】
[状態]:疲労(中)
[装備]:華美な六連装拳銃、業物のサーベル(トバルカインからもらった。とっても気に入っている)
[道具]:派手なサーベル、ライフル、軍馬(呼べばすぐに来る)
[所持金]:マスターから幾らか貰っている(淑女に金銭面で依存するのは恥ずべきことだが、文化的生活のためには仕方のないことだと開き直っている)
[思考・状況]
基本方針:勝利の栄光を我が手に。
1:神へ挑まねば、我々の道は拓かれない。
2:やはり、“奴ら”も居るなあ。
3:“先住民”か。この国にもいたとはな。
4:やるなあ! 堕落者(ニート)のお嬢さん!!
[備考]
※魔力さえあれば予備の武器や軍馬は呼び出せるようです。
※シッティング・ブルの存在を確信しました。


578 : メズマライザー ◆0pIloi6gg. :2024/12/13(金) 23:50:20 lME8xiwg0

【天枷 仁杜】
[状態]:健康、疲労(大。精神的なものなのですぐ収まります)
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:数万円。口座の中にはまだそれなりにある。
[思考・状況]
基本方針:優勝して一生涯不労所得! ……のつもりだったんだけど……。
0:しーんーどーかーっーたー……。……あれ、もしかして本当に大変なのってこれから?
1:ことちゃんには死んでほしくないなあ……
2:薊美ちゃん、イケ女か?
3:ロキくんは勝つでしょ。みんなそんな不安がらなくても。
[備考]
※楪依里朱(〈Iris〉)とネットゲームを介して繋がっています。相手がマスターであるとは知りません。
 必要があればトークアプリを通じて連絡を取ることが出来ますが、今は反応が無いようです。

【キャスター(ウートガルザ・ロキ)】
[状態]:健康
[装備]:
[道具]:
[所持金]:なし(幻術を使えば、実質無限だから)
[思考・状況]
基本方針:享楽。にーとちゃんと好き勝手やろう
0:たまにはいいトコ見せちゃうか。
1:にーとちゃん最高! 運命の出会いにマジ感謝
2:小都音に対しては認識厳しめ。にーとちゃんのパートナーはオレみたいな超人じゃなきゃ釣り合わなくねー?
3:薊美に対しては憐憫寄りの感情。普通の女の子に戻ればいいのに。
[備考]
※“特異点”である神寂祓葉との接触によって、天枷仁杜に何らかの進化が齎される可能性を視野に入れています。


[共通備考]
※神寂祓葉こそが黒幕である可能性に至りました。
※この3組が今後共に行動するのか、あるいは別れて行動するのか、またこれから如何に動くのかは後のリレーにお任せします。

※午後七時を目処に代々木公園で楪依里朱との会談が行われます。
 イリスはロキがシストセルカと戦闘している間のみ話に応じ、ロキが倒されればシストセルカを連れてそのまま仁杜達を襲うつもりです。


【渋谷区/一日目・夕方(日没直前)】
【楪依里朱】
[状態]:魔力消費(中)、〈NEETY GIRL〉への殺意、未練
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:数十万円
[思考・状況]
基本方針:優勝する。そして……?
0:〈NEETY GIRL〉の一団に付き合う。見込みがなければ皆殺しにする。
1:祓葉を殺す。
2:一旦情報を整理。蛇杖堂への以後の方針も考える。
[備考]
※天枷仁杜(〈NEETY GIRL〉)とネットゲームを介して繋がっています。相手がマスターであるとは知りません。
 必要があればトークアプリを通じて連絡を取ることが出来るでしょう。
※蛇杖堂記念病院での一連の戦闘についてライダー(シストセルカ)から聞きました。
※今の〈脱出王〉が女性であることを把握しました。

【ライダー(シストセルカ・グレガリア)】
[状態]:完全復活目前、疲労(小)
[装備]:バット(バッタ製)
[道具]:
[所持金]:百万円くらい。遊び人なので、結構持ってる。
[思考・状況]
基本方針:好き放題。金に食事に女に暴力!
0:フルコースに来たみたいだぜ。テンション上がるな〜
1:相変わらずヘラってんな、イリス。
2:祓葉にはいずれ借りを返したいが、まあ今は無理だわな。
[備考]
※〈蝗害〉を止めて繁殖にリソースを割くことで、祓葉戦で失った軍勢を急速に補充しています。
 あと三十分弱で祓葉と戦闘する前と同等の規模へ回復する見込みです。


579 : ◆0pIloi6gg. :2024/12/13(金) 23:50:33 lME8xiwg0
投下終了です。


580 : ◆0pIloi6gg. :2024/12/15(日) 01:26:20 KqvYppbE0
赤坂亜切&アーチャー(スカディ)
蛇杖堂寂句&ランサー(ギルタブリル/天蠍アンタレス) 予約します。


581 : ◆uL1TgWrWZ. :2024/12/18(水) 19:04:47 /V93E7.o0
神寂縁
レミュリン・ウェルブレイシス・スタール&ランサー(ルー・マク・エスリン)
高乃河二&ランサー(エパメイノンダス)
琴峯ナシロ&アサシン(ベルゼブブ/Tachinidae)

予約します


582 : ◆0pIloi6gg. :2024/12/27(金) 00:23:03 0paBfZ8s0
投下します。


583 : 神の不在証明(前編) ◆0pIloi6gg. :2024/12/27(金) 00:26:03 0paBfZ8s0


 蛇杖堂寂句。
 魔術師でその名を知らぬ者なら、数多くいるだろう。
 
 魔術師というのは、基本的にプライドの生き物だ。
 根源への到達という無謀な夢を追いかけている癖をして、立ち振る舞いにこだわりたがる。
 電子機器を使うか否かが最も分かりやすい。
 魔術協会の総本山たる時計塔の君主(ロード)にさえ、スマートフォンのひとつもろくに使えない老人がいるほどだ。

 遠くの誰かと話したければ専用の礼装を拵えるか、自分の回路を使ってやればいい。
 知識など己の脳髄に叩き込んでおけばいちいち調べる必要もない。それでも新たに必要なら書斎へ籠ればいい。
 難解な計算など魔術で誰でも極められる、わざわざ機械など頼らねばならないのは単に其奴が未熟だからだ。
 よく言えば矜持。悪く言えば驕り。この国風の言い回しにするなら、昭和の老人めいた前時代的な偏屈さ。
 この2024年ですらそうした考え方が圧倒的マジョリティとして君臨する人種なのだ、魔術師というのは。
 そんな彼らにとって、魔術を道具として用いる"魔術使い"とは軽蔑と嘲笑の対象以外の何物でもなく。
 したがって一般に魔術使いの家とみなされている蛇杖堂家の名は、多くの魔術師にとって揶揄と陰口の的以上の価値は到底ないものだった。

 人呼んで邪道の蛇杖堂。
 魔術師としての大義も忘れて現世利益の追求に勤しみ、秘奥を俗世に売り渡して小銭を稼ぐ、藪隠れの家。
 耳のいい魔術師ならば"久々に有望な子が生まれたらしい"という話くらいは聞き及んでいたかもしれないが、所詮その程度だ。

 邪道の家に生まれた不世出の天才――蛇杖堂寂句の存在を認識し、正しく評価していた人間は時計塔でも数える程度。
 問題児ばかりの集う教室を受け持つ奇矯なロード。鉱石学科のふたりの災厄、その片割れ。死者を挙げていいのなら、アルロニカの〈雷光〉。
 せいぜいがそのくらい。日本に根を下ろした魔術師の中でさえ、蛇杖堂家を闇医者まがいの堕ちた血筋と評価する者は少なくない。
 そうでない人間のほとんどは、実際に蛇杖堂寂句と関わって理解させられた者だった。
 

 その一方で。
 ある程度のキャリアを積んだ医者であれば、彼の名を知らない者は一転してごく少なくなる。
 卒寿を迎えてなお第一線で病院の経営を担い、時には現場に立って辣腕を振るう。
 若い頃には現代医学が匙を投げた難病に対する画期的な治療方法を提案し、彼の執筆した論文は今も世界中で医学のマイルストーンとして読まれ続けている。
 ともすればノーベル賞を受賞してもおかしくない功績を多数挙げながら、一貫して表舞台に立つことを固辞してきた奇人にして偉人。
 中には彼が裏社会、得体の知れない人脈を多数有しているという告発じみたことを言い放つ者もいたが、人徳とは大したもので、それすら"ジャック先生は助ける相手を選ばないのだ"とむしろ彼の名声に拍車をかける場合がほとんどだった。

 蛇杖堂寂句が〈熾天の冠〉を巡る儀式の開催を聞きつけたのはちょうど、彼が探究の傍らにある療法を考案していた時のこと。
 染色体異常症の予後改善法という公開されていれば誇張でなく医学史に一石投じただろう論文を後に回して――蛇杖堂の麒麟は触媒を取り寄せる準備を始めた。
 表裏を問わずコネクションの確立に余念のない彼にしてみれば、時計塔やその有力者達を介さず望みの触媒を入手するなど容易いことである。
 特に改めて気を張るでもなく、ごく当然のこととして自身の勝利と、戦後の展望を思い描きながら聖杯戦争へ名乗りをあげたのだ。


584 : 神の不在証明(前編) ◆0pIloi6gg. :2024/12/27(金) 00:26:55 0paBfZ8s0

 寂句は生涯を通じて、自分というものを疑ったことがない。
 彼は常に自分と他者の能力を客観的に認識し、そのままに行動する。計画を、設計する。
 だからたとえ失敗したとしても、仕損じた場合の回収法を既に考えているからそれほど損をしない。
 その上で、令呪を宿して東京に入った魔術師達の詳細を突き止めた寂句は、過信抜きで自分が勝つだろうと判断した。

 悪名高き嚇炎の暗殺者。
 辺境の一族が希望を託した白黒の魔女。
 真っ当に聖杯を求めているとは思えない奇術師(マジシャン)の少年。
 小心なりに全力投球を敢行するらしいガーンドレッドの魔術師ども。
 狡知に長けた傭兵崩れの詐欺師。
 あとひとりについてだけは如何様にしても突き止めることは叶わなかったが――第四次・五次の前例を見るに、大方不運な一般人が巻き込まれでもしたのだろうとさして気に留めなかった。

 勝つのは己。よって重要なのはどうやって勝つか、どのように勝つか。
 より自分が戦後有利になれるよう立ち回ることが肝要であると踏まえた上で、後に最強の敵と述懐される医者は東京の街に君臨した。


 ……彼が自分の計算が間違っていたことを悟ったのは、正真正銘最後の最期。
 襤褸切れのように倒れ臥した少女に手を差し伸べるという、今思い出しても理解不能の"無能"に及んだ瞬間のことだった。



「――、――」

 

 らしくもない回顧を切り上げ、小さく息を吐く。
 寂句の姿は今、お抱えの運転手がハンドルを握る高級車の中にあった。
 
 〈蝗害〉による蛇杖堂記念病院の襲撃から相応の時間が経ち。
 名誉院長である寂句は、医師とスタッフに事後処理を任せて病院を出た。
 無論現場には最適の指示を残してある。新たな襲撃でもない限り、事態が今以上に悪化することはないだろう。
 拠点として使い物にならなくなったとはいえ、自分の権限が及ぶ勝手知った土地だ。
 もはや主軸とはみなせないが、補助パーツのひとつとしてなら残しておく価値はある。
 寂句の的確な指示がそんな冷淡から生み出されたものであるなどと、現場で奮闘する彼らは命尽きるまで想像もしないに違いない。

「所見を」
「アンジェリカ・アルロニカのアーチャー。推定真名、天若日子。
 状況適応力、弓術において極めて優れる。特筆事項は視力。万を超える蝗の一匹一匹を仔細に視認していた模様。
 ホムンクルス36号のアサシン。推定真名、ハサン・サッバーハ。
 同じく状況適応力について逸出。ただしマスターの不自由、不合理に足を引かれている様子が多々。
 マスターより伝え聞く前回のマスター、ノクト・サムスタンプが運用した際に比べ、脅威度では数段落ちると判断しました」
「悪くない。概ね、私の認識と重なっている」

 高級車の後部座席。
 自身の隣に座った槍の英霊へ語りかけた言葉は、別段革新的な視点を期待して放ったものではない。
 これはテストであり確認だ。自分の喚んだ英霊が己の求める水準に足るかどうかを測定する、動作確認のようなものである。


585 : 神の不在証明(前編) ◆0pIloi6gg. :2024/12/27(金) 00:27:32 0paBfZ8s0

「欠点事由をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「〈山の翁〉を侮るな。今は凡夫の玩具でも、アレはひとつでも現状が改善されれば途端に全員の脅威となる」
「なるほど。しかし不肖ながら質問をば。あのホムンクルスは戦闘機能はおろか、他の用法にも適さない木偶かと思いましたが」
「逆に問うが、たかだか餓鬼のお守りを負わされた程度で音を上げる無能に、暗殺教団の主が務まると思うか?」

 偽りの名を魔獣ギルタブリル。
 真実の名を天蠍アンタレス。
 寂句の懐刀にして切り札であるこの少女は、しかし英霊としては他の衛星達のそれに幾分劣る。そのことを寂句は理解していた。
 少なくとも、イリスの〈蝗害〉やホムンクルスの〈山の翁〉に勝る戦術的価値は到底持ち得ない。
 あくまでも彼女は最後の一手を打つための存在(ジョーカー)。故にこそ逆に、貴重な時間と思考の余暇を割いてまで相対する意味がある。

「ハサンに代わってホムンクルスを介護する存在――奴の性能を思えば割には合わないが、それでも請け負うような奇特な人間。
 もし連中がそうした協力者を得たならば、あの〈山の翁〉はこれまでの比でない働きと災厄を生み出し我々を襲うだろう。
 蝗と雷光の忘れ形見さえいなければ、奴らを潰すために貯蓄を崩しても構わなかったところだ」

 前回、寂句のサーヴァントは強さと知恵の両方を極めて高い水準で併せ持っていた。
 この老医者と議論ができる程度の頭と言えば、その優秀さは推して知れるだろう。
 
 とはいえあのアーチャーと今回のランサーでは明確に求める役割が違う。
 寂句にとって聖杯などというものは既に副産物以下の存在に成り下がった。
 度を越えた聡明は求めない。だがそれでも、最低限自分の指示の意図をすぐに汲める程度はあってくれなければ話にもならない。

「ゆめ忘れるな。アレが現界していると知れた時点で、我々は都市のすべてを疑ってかからねばならなくなったのだ」

 だからこそ寂句は時折こうして、らしくもなく教鞭を振るう。
 積み上げてきた経験に彼だけの視点を組み合わせた、最善からブレることのない短時間ながら効率のよい教育。
 本来であれば英霊が人間に教え子まがいの扱いを受けるなど屈辱でしかないだろうが、彼のサーヴァントは勤勉で好奇心旺盛だった。
 ふむふむ、と律儀にメモを取りながら聞く姿は、その赤々とした甲冑を除けば孫娘のようにも見える。

「いちいちメモなど取るな無能が。英霊ならば一度で記憶野に叩き込め」
「努力はしています。しかし当機構は父なる機神がたのような回路を有しておりませんので、取り零しがないようにとこの手法を」
「笑える話だ。数多の魔術師の悲願を阻んできた抑止力がいざとなって遣わしたのが、貴様のような無学な小娘とはな」

 侮辱も甚だしい物言いだが、この程度でいちいち鶏冠に来ていたら寂句の英霊は務まらない。
 実際、ランサーはぺこりと小さく頭を下げるだけで噛み付こうとはしなかった。
 ある意味では、相性のいい組み合わせなのだろう。
 能力的にも人格的にも、前回とはまた違った意味で蛇杖堂寂句の方針に則した人物であると言えた。

 寂句は会話を終え、シートに体重を預けたまま外を眺める。
 もちろん、都会のコンクリートジャングルなどという見慣れたものに改めて粋を感じているわけではない。
 行うのは思考の整理。これまでと今この時を総括した上でこれからを考える、ルーチンワークのようなものだ。

 運転手は最初から専用の人材として調整済みだ。暗示を施し、人形同然の状態にしてある。
 魔術師の流儀や伝統に寄り添う気のない寂句だが、それでも神秘の秘匿にはある程度労力を費やす。
 何故ならその方が得だからだ。出る杭は打たれる、悪目立ちすればそれだけ厄介事が増える。
 世界の正常性への配慮などではなく、あくまで自分の都合として、寂句は日常の維持に寄与していた。


586 : 神の不在証明(前編) ◆0pIloi6gg. :2024/12/27(金) 00:28:25 0paBfZ8s0

 閑話休題――そんなわけだから、この車内には今自分とランサーしかいない。
 だからこそ、真に思考を深められる。
 根源到達、死の克服。そのいずれよりも優先される現在の大義を研ぎ澄ませられる。

(……イリスが〈蝗害〉の駆り手であるのは予想の範囲内だったが、ホムンクルスの乱心には驚いたな)

 自分の陣地のひとつであった蛇杖堂記念病院への襲撃。
 それに対し、寂句は実のところそれほどの驚きを抱いてはいなかった。
 彼がわざわざ蝗対策に特注の殺虫装備を備えていたのがその証だ。
 端的に言うと、楪依里朱を筆頭候補とし、その他〈六人〉の誰かが〈蝗害〉を引っさげて自分を直接叩きに来る可能性は想定できていたのだ。
 
 自分が前回どれほど目立ったかは自覚している。
 出る杭が打たれるのはこの世のどんなジャンルでも共通の道理。
 何しろ二回目が行われるなど想定外も想定外だ。しかし起こってしまった以上は、状況の一要素として思考に含めるだけである。この柔軟さもまた、寂句が天才と呼ばれる所以だった。

(とはいえ、あくまで重要なのは祓葉がどう動くかだ。
 幸いアレは見に徹するということを知らん。よって、当座はこれまで通りで構わんだろう)

 重要なのは戦局ではなく神寂祓葉の動向のみ、そう言っても寂句の場合間違いではない。
 さっきのように降ってくる火の粉は払うが、逆に言えばそれだけで基本は十分。
 
 そう、己もまた、前回とは違うのだ。
 そして恐らくその違いは、他の誰よりも大きい。
 求むは勝利ではなく、大義。
 極星の輝き以外のいかなる事象に対しても、蛇杖堂寂句は根本的に興味さえ抱いていない。

 強いて言うなら〈雷光〉の遺児が自分を訪ねてきたのは多少驚きだったが、それでも大筋を揺るがすほどのイベントではなかった。
 前回のように、敵の拠点を特定してはサーヴァントに消し飛ばさせる必要もない。
 爆弾魔や詐欺師と知恵比べをしながら、どこに潜んでいるとも知れない暗殺者の魔眼に気を尖らせる意味もない。
 他のことなど、天蠍の一刺しが神寂祓葉を天へ放逐した後に考え始めればいいだけのこと。
 だからこそある意味、この老人は〈はじまりの六人〉の中でもっとも自由で、同時にもっとも不自由な存在だった。

(十中八九、今夜の内に情勢は動く。
 そうなればあの莫迦娘も必ずそこへ顔を出すだろう。能動的に動くのは、その時でいい)

 かつての最強、蛇杖堂寂句は後手に回ることを選ぶ。
 "あえて"、後手に回るのだ。
 愚かにも喧嘩の売り先を間違えた相手だけを屠り、目的達成のためあらゆるリソースを温存し続ける。
 それは、魔女の蝗に陣地をひとつ潰された今も何も変わらない。

 あくまでも、彼が見ているのは神寂祓葉ただひとり。
 力も知識も人脈も、およそこの世のあらゆる財産を"持つ者"である寂句が、そのすべてを一点に収斂させて臨まねばならないほどの相手。
 魔術師としてでなく、夢追い人としてでなく、医者としてでもなく。
 ただひとりの人間として、ヒトという現在の霊長の一員として、そしてこの星に生まれ落ちた生命の一滴として。


587 : 神の不在証明(前編) ◆0pIloi6gg. :2024/12/27(金) 00:29:17 0paBfZ8s0

 
 必ずや責任を持って――自分があの怪物を天へ押し上げる。


 思えば寂句は今、生まれて初めて"熱"のようなものを感じていた。
 生まれながらに才人だった彼は、他の追随を許さないほど優秀であると同時に、いつもどこか冷めていた。
 なんでもできるということは、言い換えれば人生のすべてが流れ作業も同然ということだ。

 根源の悲願。ああそうか、私の代では不可能だからせいぜい未来に布石を残すとしよう。
 聖杯戦争。取るに足らん、出揃った役者がこの程度では負ける方が難しい。
 万能の願望器、〈熾天の冠〉。誇大広告であることは明白、期待など端からしていない。多少足しになればそれでいい。
 満点とは行かずとも、九割以上は取れて当たり前の稚拙な問題ども。その答えを、ただ淡々と答案用紙に記していくだけの九十年。
 それを不幸だと酔える感性を寂句は持ち合わせていなかったが、無味乾燥なものであったことは彼も否定はしないだろう。

 ――なればこそ、やはり。
 彼の人生はあの日、あの今際になってようやく"始まった"のだ。


『あんたも、あの子を知ってるの?』


 ああ、知っている。
 知っているとも、嫌というほど。

 
 白黒、魔眼、そして光剣。
 そのすべてを退け、自身も満身創痍になりながら――
 誤ることを知らない医神は、ただ確認しようとしただけだった。
 
 あの時。永久機関は未だ、少女の身体に定着しきっていなかった。
 それでも相当に"死ににくい"ようだが、殺せないわけではない筈。
 果たしてアーチャーの一撃は、そんな彼女をちゃんと葬れたのか。
 もしまだ息があるようならば、その時は念入りに殺し尽くす。
 心臓の鼓動はおろか、脳細胞の一片に至るまで生存の可能性が残らぬように踏み躙って終わらせるまで。
 単なる確認作業。今更結末の変わる余地はなく、あの瞬間寂句の勝利は確かに確定していた。

 なのに、ああ何故。
 あの時、私は。
 倒れ臥して動かず、か細い呼吸を繰り返すばかりの少女の姿に――"熱"など覚えてしまったのか。


 今考えても、その理由は分からない。
 魅了(チャーム)への対策は平時からしていた。
 オルフィレウスの永久機関は実用に値しないと早い段階から切り捨て、もう欠片の未練も持っちゃいなかった。
 殺す理由は百ほどあるが、生かす理由は今振り返ってもひとつたりとも思い付かない。
 なのに、それでも。それでもあの時、寂句は気付けば懐の霊薬を取り出していた。
 膝を突いて身を屈め、喘鳴をこぼす口を開かせ、瓶を傾け薬液をあの忌まわしい娘の体内(なか)へ――


「……マスター?」


 ランサーの声が、彼を回顧の海から引き戻した。


588 : 神の不在証明(前編) ◆0pIloi6gg. :2024/12/27(金) 00:30:23 0paBfZ8s0
 煩わしそうに視線を向けると、天蠍は少しだけ眉を動かす。
 それは動揺と呼ぶにはあまりに小さな表情の機微であったが。
 彼女が己を呼んだ理由を寂句に理解させるには十分な仕草だった。

「すみません。難しい顔をしていましたので、何か問題でも生じたのかと」
「であれば貴様へ共有している。私が小間使いに遠慮などする柄に見えたか?」
「見えません。まったく、これっぽっちも」
「ならば黙っていろこの無能め。貴様はただ黙って、私の指示を待っていればいいのだ」

 要するにそれだけ、険しい顔をしていたのだろう。
 何という体たらく。情けなく、女々しい――寂句が自分をそう罰することは決してない。
 自分だけは例外などという無能がましい理由ではなかった。
 彼は認めている。さっきアンジェリカに語った言葉に嘘はない。蛇杖堂寂句は、神寂祓葉を、恐れているのだ。
 己の抱える恐怖を認めているから、それによって生じる瑕疵を彼は誇りも嘆きもしない。そもそも、恥とさえ思っていない。

 アレを前にして何も恐れを抱かない者がいるなら、其奴は無能と呼ぶにも値しない特級の蒙昧だ。

 寂句は小さく嘆息して、車窓から再び外を見る。
 空はにわかに黄昏を湛え、既に太陽は彼方へ沈みつつあるようだった。
 直に日が落ちる。日が沈めば、夜が来る。自分が情勢が動くと予想した、大きな意味持つ夜が来る。
 この空の下で、今、あの少女は何をしているのだろうか。
 熱を知らず生きてきた自分に、それを教えた、星のような白い少女は。

 未だに答えの出ない命題がひとつある。
 何故あの時、自分は神寂祓葉を助けたのだろう。
 あれさえなければ、蘇った彼女に殺されることもなかったし。
 当然狂気になど堕ちることもなく、今頃は聖杯を手に入れてその性能どうあれ今後の見立ても付いていただろうに。

 気の迷い、などという惰弱な理由で道を歪める寂句ではない。
 であれば必ず、そこには理由がある筈なのだ。
 何故手を止めた。何故霊薬を取り出した。何故――何が――己をそうまで惹き付けたのだ。
 考えても考えても答えが出てこない。あの決断に至るまでのプロセスが、どうにも脳裏から抜け落ちている。
 誇張でなく何十度目かの自問。されど、今回も答えが出ることはなく。
 老人は、もう一度嘆息をするべく鼻で息を吸った。その時だった。



 ――寂句の視界が嚇一色に染め上げられ、全身のあらゆる感覚神経が"熱"の一文字を訴えて絶叫したのは。



◇◇


589 : 神の不在証明(前編) ◆0pIloi6gg. :2024/12/27(金) 00:31:14 0paBfZ8s0



「相変わらずエゲツないねぇ、あんたの"それ"」

 ぴゅう、と口笛を吹いた女は、2メートルを大きく超える巨躯の持ち主だった。
 癖っ毛の黒髪を爆発の余波で吹きすさぶ風に靡かせ、美術品のように整った顔へ呆れ混じりの苦笑を滲ませる。
 他人を萎縮させるに足る図体をしているにも関わらず、性別はおろか種族の垣根も超えて、あらゆる生命体を魅了できる美貌がそこにある。
 その有様、在り方、まさしく"女神"。見惚れるほどに美しいのに、決して現代の地上に在ってはならないと断言できる矛盾。
 狩りの神にして、〈はじまりの聖杯戦争〉の断片、極星の衛星そのひとつ。
 凍原の悪鬼たる青年がこの地に招いた、まごうことなき規格外のサーヴァントである。

「……んー。久々に昔に戻った気分で使ってみたけど、やっぱり精度はおざなりだね。
 俺を拾ってくれた人が見たら頭抱えるよこりゃ。まったく無様ったらありゃしない」
「へえ? 話には聞いてたが、昔はこれ以上だったってのかい」
「"暗殺"に限ればね。まあその分、今ほど殺し合い向きの能力じゃあなかったんだけど」

 彼女を従えるマスターもまた、相当な美青年だった。
 よれたダークスーツに若白髪の目立つ髪というマイナス要素を帳消しにできるだけの、甘いマスクがそこにはある。
 細められた糸目がよく調和した、少なくとも見かけは穏和で優しげな顔立ち。
 つい先ほどまでかけていた魔眼殺しの礼装をポケットにしまいながら、微笑を崩さぬまま女神の言葉へ応える。
 美男美女の会話の内容は絵面の華々しさとは裏腹に、血腥く、そして異様な剣呑さに彩られていた。

 彼らの視線の先には、炎上するリムジンの無残な姿。
 既にボンネットからトランクまで轟々と炎に包まれており、断じて生物が生存を継続できる状況には見えない。
 周りで響く、悲惨な炎上事故に遭遇した一般人の阿鼻叫喚などは一顧だにせず。
 ふたりは状況の異様さを思えば牧歌的にさえ見える余裕を持って、立ち上る炎を見つめている。

「流石に死んだんじゃないかね?」
「まさか。すぐに出てくるよ」
「おう、良いねぇ。実際に心魂尽くして殺し合った間柄だからこその理解ってヤツかい? アギリ」
「気持ち悪いこと言うなよ。シスコンは認めるけどそっちの癖まで拵えた覚えはない」

 この光景から分かることは、彼らにとって人の生き死になど、世間話のように論じるべきこと以上でも以下でもないこと。
 彼らの会話は、あまりにも死を隣人としていた。
 殺す、とか、殺される、とか。そういう現代人ならば真っ当に忌避するべき事柄に対し、酷薄なまでに乾いている。
 敵対した人間ないし生命体を武力でもって排除することに躊躇いがなく、それを欠片も疑問に思わない破綻者のもの。
 もしくは――価値観だとか主義主張だとかそんな月並みなこととはもはや一線を画すレベルで、そういう観念に身近であることの証明。

「じきに夜が来る」

 アギリ、と呼ばれた青年がそう言った。
 顔に浮かぶのは変わらない笑み。
 女性から引く手あまたであろう甘いマスクに、どろついたコールタールのような妄執を溶かし込みながら。

「そうなればお姉(妹)ちゃんも動くんだ、その前にウォームアップと行こうじゃないか。
 幸いにしてそれにはうってつけの人材だよ。君も必ずや満足できるだろうさ」


590 : 神の不在証明(前編) ◆0pIloi6gg. :2024/12/27(金) 00:32:00 0paBfZ8s0
「半信半疑だったがそのようだね。アタシの流儀を蔑ろにするってんなら心穏やかじゃなかったが、確かにこれなら納得だ」

 青年は嗤う。
 女神も嗤う。
 嗤いながら、炎の柱と化したリムジンを見つめている。
 端から見れば美しいだけの狂人どもの会話。
 されどそれが単なる世迷い言でないことを証明するように、事態は動く。
 魂まで焼き焦がす炎の中から、一本の腕が、にゅっと突き出たからだ。

「一応聞くが、注文はあるかい?」
「まさか。後腐れなくブチ殺してくれればそれでいいよ」

 どんな生命体でも生きて逃れられない、灼熱の地獄。
 その中から示された生体反応に、彼らは何も動じない。
 女神の言葉に、悪鬼が応える。それで彼ら主従のやり取りは終わり。
 意思共有は済んだ。であれば後は、各々の戦いをするだけである。

「一秒たりとも生きてて欲しくないからね、このクソジジイには」

 アギリ――赤坂亜切の眼が、静かに細められた。
 それと同時、炎上するリムジンの中から無傷の男が姿を現す。
 男、と言っても少年や青年ではない。現れたのは、老人だった。
 

「イリスの次は貴様とはな。つくづく、節操のない奴ばかり来るものだ」


 老人、と言っても、傍目にはその齢は実年齢より三十、四十下にしか見えない。
 つまり五十代か六十代だ。七十八十ならいざ知らず、九十歳の老人がそう見えるなんてなかなか有ることではないだろう。
 ラガーマン、手練れの柔道家。山奥の秘境で黙々と修行を積んだ仙人にさえ例えられるかもしれない。
 とにかく、実年齢とまるで見合わないバイタリティに溢れた男だった。
 灰色のスーツとコートには、焦熱地獄もかくやの車内にいたにも関わらずわずかな焼け焦げも窺えず。
 そしてこれらの事実が、アギリとそのサーヴァントの会話に一切の"大袈裟"がないことを証明している。

「玉がないよりマシだろ、ジジイ。あんたに比べたらイリスのほうがよっぽどマシだ」
「分かってはいたが筋金入りの無能だな、小僧。一度負けただけでは学習できなかったか?」
「負け? おいおい、笑わせるなよヤブ医者が。一回死んでもまだ素直になれないあんたが、よりによって人様の狂気(きもち)を測るって?」

 その証拠にアギリは、胸元を直しながら何事もなかったかのように平然と立つ老人の姿に、やはり欠片も驚きを見せていない。
 ちょっと火だるまにした程度で大人しくくたばってくれるような男なら、前回あんなに苦労などしなかった。
 
「学ぶべきことは学んださ。だけどそれは、あんたからじゃない」

 篝火のように炎を揺らめかせながら立つ姿は、寂句の知るものとは別物と言ってよかった。
 嚇炎の魔眼。赤坂亜切が全員にとって最大の警戒対象だった所以。
 暗殺者のサーヴァントはノクト・サムスタンプが有していたが、あの東京にはもうひとり、冗談でなくそれに迫る脅威度を持つ殺し屋がいた。

 魂ごと焼き尽くす炎。
 闇夜を這い寄る煤臭い葬儀屋。
 東京に集ったすべての魔術師へ死を馳走できる可能性を秘めていた、嚇眼の悪鬼。

 されど、かつて彼を象徴した嚇き瞳は見る影もない。
 端的に言うならば、壊れてしまっている。
 美しいほどに無駄のない殺戮の炎は、今やその制御性を大きく欠き。
 何を火葬するにも烈しすぎる無秩序な火力の塊と化して、仇敵の視界の先に存在していた。


591 : 神の不在証明(前編) ◆0pIloi6gg. :2024/12/27(金) 00:33:06 0paBfZ8s0

「俺に大切なことを教えてくれたのは、かけがえのない家族ってやつさ」
「語るにも及ばんな」

 心底救えないものを見たように嘆息し、老人はアギリの狂気を一蹴する。
 我も狂人、彼も狂人。しかして彼らの抱える狂気のかたちが交わることは決してない。
 だからこそ、彼ら星々はともに不倶戴天なのだ。
 手を取り合うことはできず、真に分かり合えることもない、永遠の自己完結が六つ並んでいるだけ。

「さながら貴様は雛鳥だ。何ひとつ有意義なものを持たずに生きてきたから、ようやく見えた光に意味もわからず飛びついただけの幼子。
 無能以外の言葉では到底言い表せん愚か者だろうよ。光に向けてただ飛ぶなど、虫螻でもできることだというのにな」
「その光に怯えて縮こまってるのを必死に隠そうとしてる臆病者よりはマシだろ、お爺ちゃん。
 否定するならあんたも俺らの同類ってことになるし、どの道発言と行動が矛盾してるぜ。
 いや実に残念だな、邪道の蛇杖堂翁も寄る年波には勝てないなんて。老人ホームにでも入ったらどうだい?」
「生憎、狂人相手に筋の通った議論を尽くす趣味はないのでな。処方箋を書くか病棟に押し込めて、それで終わりだ」

 その上で、この二人は星々の中でも特に噛み合わない。
 噛み合う筈がないのだ、彼らに限っては、絶対に。
 万にひとつの奇跡すらあり得ない、水と油そのものである。

「もっとも貴様に限っては、殺処分する他ないようだがな。
 そうまで狂っては医学にできることは何もない。望み通り獣として処断されるがいい」
「ドクター・ジャックは忙しすぎて、鏡を見る時間もないらしい」

 名乗りなど不要。
 旧交を温める必要など、ある筈もなく。
 互いに殺意以外の感情を通わせず、罵倒じみたやり取りだけを交わす。

 そう――彼らこそは、〈はじまりの六人〉。
 此度の聖杯戦争、繰り返された運命の中核。
 より正しくは、核の周りを連なり漂う狂気の衛星。
 共に狂っているが故に、自分以外の星の存在を認められない末期患者達。

「安楽死ってガラでもないだろ? あんたには特注の火葬炉をくれてやるよ」
「笑わせる。今の貴様はもはや葬儀屋ですらない、ただの火遊びに狂った童だろうが」

 赤坂亜切。
 凍原の悪鬼。
 その狂気、〈妄信〉。

 蛇杖堂寂句。
 蠍飼う暴君。
 その狂気、〈畏怖〉。

 信じる者と怖れる者の意見が噛み合うことなどあり得ない。
 故にこのふたりが出会った時点で、起こる出来事はひとつだった。
 寂句の上空から姿を現す、赤い甲冑の少女。天の蠍。
 それが放った赤槍の一撃を、触れることなく矢で止めた大柄な女。狩猟の神。

「無様に死にな、老害」
「遊んでやろう、若造」

 日没、逢魔が刻。
 光の日常が過ぎ、闇の非日常が訪れるその狭間の時間に。
 この先に待つ波乱に先駆けて、正反対の狂気が激突した。



◇◇


592 : 神の不在証明(前編) ◆0pIloi6gg. :2024/12/27(金) 00:33:54 0paBfZ8s0



 地を這い迫る嚇炎を、あろうことか寂句は袖を振るだけで払い除けた。
 そう、払い除けたのだ。触れれば魂ごと焼き尽くすアギリの炎を、さも小火でも消すように対処した。
 しかもそれで対処が成り立っているというのは、一体どういうわけだろう。
 今まで葬儀屋の炎に焼かれてきた者達の無念を嘲笑うように、蛇杖堂寂句は必然の死を回避していた。

「罅の入った宝石を得意げに見せびらかされたのは初めてだが、哀れすぎて言葉も出んな」

 先に述べた通り――前回、赤坂亜切の魔眼に対する対策は全員にとっての必須事項だった。
 何しろ彼が持つ嚇炎の魔眼は、対策を有していなければサーヴァントでさえ滅ぼし得る、まさに必殺の代物であったからだ。
 寂句もその例外ではない。彼は自分の肉体にも幾つかの魔術的処置を施し、強度と性能を常に底上げしているが、それでも葬儀屋の炎に巻かれれば為す術なく骨の髄まで黒く焼き焦がされるのは必至だ。
 だから当然、他の例に漏れず対策をしている。そして知識と人脈に富む蛇杖堂の麒麟が行った"対策"は、祓葉除く六人に対する中で随一だ。

 例えば今アギリの炎を防げたのは、皮膚とコートの表面へ施した撥水加工のおかげだ。
 イチョウの樹皮は厚いコルク質で、かつ気泡が多いので耐火樹の代表格に数えられる。
 その"泡"のみを魔術的手段で抽出し、霊薬と混ぜて撥水剤のように塗布した。
 材料に用いたイチョウも霊験あらたかな土地に生育する、半分霊木と化したもののみを厳選して利用している。
 科学と魔術、両側面の効能で炎を弾き、払い除けるための備えだ。
 もっともこれは前回……逆光に曝される前のアギリに対しては、そこまで強い効果が期待できる代物ではなかった。
 精密性が高すぎて、防火の備えで身を覆った程度では針の穴を通すように貫通されてしまう可能性が高かったからである。
 あくまでも気休め程度の備え。だが、焼かれ狂って己の宝石を穢してしまった今の彼になら強く出ることができる。

「火遊びと形容したのは正解だったな。こうまで制御を失っているようでは、もう殺し屋など務まらんだろう」

 赤坂亜切の魔眼は壊れている。
 以前相対した時に比べ、目に見えて精彩を欠いている。
 ノウブルカラーならぬブロークンカラー。直接戦闘においてはこちらの方が脅威だが、それはもう殺し屋ではなく殺人鬼の在りようだ。

 無論、寂句がイチョウの泡薬などという"前回は効きが悪かった"ものを今回も重用していたのは偶然ではない。
 彼は最初期からアギリがこうなっている可能性を、信憑性の高い仮説として提唱していた。
 神寂祓葉という極星と長期間行動を共にしていた、楪依里朱と赤坂亜切。
 このふたりは他に輪をかけて破綻している可能性が高い――であれば前回とは別物に"壊れて"いるかもしれない。
 そう踏んでの備えが功を奏した。制御を失った嚇炎が相手なら、寂句の防火薬は存分にその効能を発揮してくれる。

「だからさあ。さっきから全部的外れなんだよお前」

 寂句をラガーマンと称した人間はきっと慧眼だったに違いない。
 その証拠に、炎を潜り抜けて吶喊する彼の姿は御年九十の老人ではあり得ないほど勇猛だった。
 魔眼による視線の収斂。
 制御を失っているとはいえ、単純明快な暴力であることには変わらない死線(それ)を、さも当然のように躱す。
 見ただけで気圧されてもおかしくない気迫に、しかし嘲笑すら返してみせるアギリもまた異様異質。

「逆に聞くが、あんな綺麗な星のいる世界でせせこましく殺し屋なんて続けて何になるんだい?
 壊れているのは自覚してるが、俺はこうなったことを微塵も後悔なんかしてないよ。
 むしろああ、もっと早くこう成りたかった! そうすれば彼女へ囁いてきた無味乾燥な言葉の数々も、もっと値打ち溢れる睦言に変わっただろうに!」


593 : 神の不在証明(前編) ◆0pIloi6gg. :2024/12/27(金) 00:34:38 0paBfZ8s0
「黙っていろ。貴様の戯言は聞くに堪えん」

 薙ぐように噴き出でる炎の帯をまるで煙か何かのように押し払いながら、猪の突撃じみた勢いで寂句が踏み込んだ。
 備えあれば憂いなしという考え方を極め抜き、すべてを事前準備と己の知恵で解決してきた現代の医神。蛇杖堂の、老いたる暴君。
 しかし、いざ迎えた本物の鉄火場において彼が取っている戦術は、あまりにもその知的なイメージとは乖離していた。
 小細工をかなぐり捨てて突き進み、勇猛果敢に悪鬼の撃滅を目指す近接偏重――すなわち、インファイト。
 格を下げてもおかしくはない愚直さだが、これをそう思うならばそれは其奴の見る目がない。寂句風に言うなら、無能の顕れである。

 蛇杖堂寂句は間違えない。彼が生涯犯した唯一の過ちとは、滅ぶべき光を助けてしまったあの夜のことただひとつ。
 たかが暗殺者、いやもはやその道にすらいない狂った放火魔を相手に、彼が二度目の醜態を晒すなんて道理はない。
 こうして一見猪突猛進にも見える突撃を敢行しているのも、単純にそれがこの場を解決する最適解だから、というだけに過ぎなかった。

 そして事実、それを裏付けるように戦況の天秤は彼の方へと傾き始める。

「――ッはは!」

 笑うアギリの姿は、傍から見れば空元気のように映ったに違いない。
 かつて嚇炎の悪鬼と恐れられた暗殺者は今、すっかり追われるだけの逃亡者と化していた。
 寂句の手足が、本来人を救い導くために用いられるべきそれが、一転して対人用の凶器となり振るわれる。
 空手や柔道に始まり、八極拳やカラリパヤットと言った国外の武術まで、多種多様な格闘技の型や動きを繋ぎ合わせた我流拳。
 まるで子どもの空想のような荒唐無稽が、優れた頭脳と九十年の研鑽によって現実の事象と化した"殺人拳"だ。
 
 アギリもまた、暗殺者としてそれなりに正面戦闘のすべというものを修めている。
 並の武術家では相手にならない程度には魔眼に頼らない殺し方も心得ている彼だったが、それでもこれは完全にお手上げだった。
 練度が違う。鍛錬の質が違う。そして年季の桁が、違いすぎる。
 比喩でなく寂句にとってはアギリなど赤子も同然だろう。彼が今繰り出している手技は、少し前に病院でアンジェリカ・アルロニカを相手に見せたものとはレベルがまったく異なっている。
 あれは所詮昔馴染みの遺児に対し、気まぐれに手ほどきをしてやっただけなのだと。否応なしに理解させる冴えが今の寂句にはあった。

 だがアギリがこうまで徹底的に逃げに徹する理由は、単純な実力差だけではなく……

「まるでパニックホラーだなあおい。お医者様の姿かよそれが!?」
「愚問だな。医者は人を治すものだが、真に優れているなら冒すこともできて然るべきだろう」

 寂句の振るう両腕が、どちらも拳の形を作っていないこと。
 すなわち殴って壊すのでなく、アギリの身体を"掴む"ことに専心していることにあった。

「ヤブ医者が。人に道徳を説けた身分かよ」

 その魔手に掴まれればどうなるのかを、アギリは文字通り身を以って知っている。
 前回。イリスと並んで彼に挑んだ際、自分達は善戦こそしたが、それでも寂句達に敗北していた。
 そこでアギリを沈めたのが、蛇杖堂寂句の駆使する極悪、非道を通り越して外道と呼ぶ他ない"治癒魔術"である。


594 : 神の不在証明(前編) ◆0pIloi6gg. :2024/12/27(金) 00:35:43 0paBfZ8s0

「そういう貴様は随分と見窄らしいな、〈嚇眼の悪鬼〉。大口を叩きながら必死に逃げ回る姿は、鬼というより鼠に似ているぞ」
「何とでも言いなよ、生憎再発だけは勘弁でね。いやあ、あの時は枇杷の葉に縋りたくなる気持ちが分かったよ」

 〈呪詛の肉腫〉という魔術が存在する。
 体系化されるような由緒ある代物ではない。
 寂句が一代にして確立し、そして恐らく今後誰に継がれることもない、悪意そのものの術式である。

 信じがたく思うかもしれないが、この老人の本領は攻撃ではなく治癒だ。
 家系に積まれた世界各地の術や理論、果てには民間療法に毛が生えた程度のヒーリング信仰。
 蛇杖堂家が蓄え続けた"治し""癒やす"ことの粋を、寂句も例外でなく……それどころか歴代最高のレベルにまで極めている。
 故に到達した。気付いてしまった。癒やすことができるのなら、発想の転換で冒すこともできるのだということに。

 治し、癒やす――そんな優しい魔術を、反転させるのだ。
 治療薬が毒薬になり、包帯が患部を腐らせる毒の羽衣となる。
 寂句が触れ、掴んだ部位に対し、癒やしを応用して猛悪な肉腫を発生させる。
 この腫瘍は良性でこそあるものの、しかしどうしようもなく悪食で、際限がない。
 最終的に罹患者の身体をすべて貪り尽くすまで成長し、患者を死亡させるまで一分と要さない。
 先に脱落したガーンドレッド家の工房から、彼らが蛇杖堂対策に用意していた秘伝の予防薬(ワクチン)をあらかじめ服用していなければ、赤坂亜切は狂気の発現に辿り着くことなくその場で死亡していただろう。

「そういうあんたも、この火の味はよく覚えてるだろ?」

 アギリが地を蹴り、獣のように躍動した。
 迫る外道医者の毒手を掻い潜りつつ、嚇炎を発生させて寂句の右腕を包む。
 その上で、炎を目くらましに使いながら顔面へ爪先を叩き込んだ。
 自らの蹴りの反動をも利用し、バック宙の要領で寂句から距離まで取ってのけるのだから他人をとやかく言えない程度には化け物じみている。

「忘れたんならもう一度教えてやるよ。イリスには悪いけど、やっぱりあんただけは俺が殺したい」

 距離を取れれば、視れる時間が増える。
 それはすなわち、アギリにとって必殺と同じだ。
 相手が蛇杖堂寂句でさえなかったなら、この時点で彼は九割九分勝っている。

 爆発的に燃え盛る嚇き火。
 精密性を失った代わりに、その火力は前回以上。
 見敵必殺にこだわらず雑に焼き殺すなら、今の方がむしろお誂え向きだった。
 暗殺者ではなく殺人狂としての人体放火。燃えるリムジンが気にならなくなるほどの勢いで、アギリの炎が中目黒の路上へ拡がっていく。

「覚えているが、その上で助言しようか。
 私に"覚えられている"時点で、既に用を成さないと気付くべきだ」

 なのに炎の中から、寂句が歩いてくる。
 数多の魔術師を屠ってきた葬儀屋の火を、まるで蜃気楼のように切り裂いて。
 その姿にアギリは鼻を鳴らして肩を竦めた。
 失笑。老人ひとり殺せない自分の体たらくにではなく、あくまでも目の前の老人への。


595 : 神の不在証明(前編) ◆0pIloi6gg. :2024/12/27(金) 00:36:17 0paBfZ8s0

「はいはいお上手お上手。つくづく相変わらずだよあんた。本当に、笑っちまうほどつまらない男だ」
「負け犬の遠吠えという言葉を、貴様を見出した無能は教えてくれなかったようだな」
「それは俺ら六人仲良くおんなじだろ。あんた自身、よ〜く分かってるもんだと思ってるがね」
「そこについては同意しよう。だからこそ、貴様達の有様が理解できんと嗤っているのだがな」

 寂句が風と化す。
 同時にアギリは、意図的に魔眼を暴走させバックドラフト現象にも匹敵する爆炎風を創り出した。
 常人なら一瞬で消し炭。だが〈畏怖〉の狂人たる暴君は、断じてそう呼べる存在ではない。
 防火薬によって底上げした耐火性能に物を言わせつつ、対アギリ用に調達・調合していた薬液を惜しげもなく頭から振りかけてこれを無視。
 臆するどころかより速度のギアを上げ、人体破壊術と化した複合(キメラ)武術でアギリの首筋を狙った。

 それを頭一個分後ろに退いて回避しながら、紙一重の回避に胸を撫で下ろすでもなく、そのままの調子でアギリは言う。

「俺に言わせればあんたの方が理解できないけどなぁ。
 もったいないとか思わないのかい? 人生が百回あったってあんな素晴らしい光に巡り会えることなんかないだろ。
 大人しく気持ちよく狂って酔って、自分ってやつを解放して生きた方が利口だと思うけど?」
「価値観の相違だな。私はまず、あの小娘が崇め奉るほど尊いものだと思わん」
「へえ。なら何だってのさ」
「畏れ、遠ざけるものだ。アレは明確にこの世の道理に背いている」
「か〜〜ッ、分かってないなあまったく――」

 寂句の答えに、頭を抱える素振りを見せて煽る余裕はない。
 こうしている間も寂句の五指は常にアギリを掴むかどうかの瀬戸際だ。
 飄々と軽口を叩いてはいても、常に悪鬼は暴君への警戒心を最大まで研ぎ澄ましている。
 狂人の顔と冷徹で合理的な殺し屋の顔。相反する筈のふたつを、もはや呼吸のレベルで合一させていた。

「――だから"良い"んだろうがよォ!」

 されども、彼が狂人であることに疑いの余地はない。
 その証拠にほら、これだ。
 軽口を弄する陽気な青年の顔が、刹那にして煮えた殺意に染まった魔人のそれに変わる。
 同時に噴き出す傷んだ嚇色(ブロークンカラー)――理性ではなく本能で行使する魔技。
 寂句の肌がこの戦いが始まってから初めて、嚇く焼け付いた。ただの火傷とは比べ物にならない激痛が、老いて益々壮んなる神経系を駆け巡る。

「彼女は光だ、太陽なんだよお爺ちゃん。
 この世界にふたつとない極星なのさ。
 そしてその微笑みは、彼女のお兄(弟)ちゃんたる俺にこそ相応しい――
 だがそれはそれとして、君ら端役も平伏して仰ぎ見ることくらいは許してやる。この優しさがどうして分からないかねえ?」
「その煩悶に対し私が言えることはひとつだ。ひとりで勝手にやっていろ。
 私も、無能が部屋の四隅で孤独に妄想することくらいは許してやってもいいのでな」

 が、蛇杖堂寂句――不動。
 慌てず騒がず、焼け付いた腕を振るい消火する。
 魂に引きずられ延焼する傷口の治癒という難題を、この老人はこれだけの動作で完了させた。
 その上で相手を掴む、と見せかけての瞬速の前蹴り。アギリの腹を打ち、くの字に折り曲げてゴム毬のように吹き飛ばす。


596 : 神の不在証明(前編) ◆0pIloi6gg. :2024/12/27(金) 00:37:07 0paBfZ8s0

「光だから、眩いからこそ畏れるのだ。
 太陽を裸眼で覗いてはならないことなど、今日び子どもでも知っているぞ」
「そういう月並みな考えが腰抜けだって言ってんだよ」

 直撃すれば内臓が破裂する威力の蹴りを受け、さしものアギリも口端から一滴の血を垂らした。
 こういう展開を見越して事前に調達し、服の内に仕込んでいた対衝撃装備。
 ダイラタンシー効果を応用した最新テクノロジーの賜物が一撃でお釈迦になった事実を認めながら、再び炎の限りを撒き散らす。

「分かっていたことだが、話にもならんな」
「ああ、まったくだ。ちょっとでも対話しようとした俺が馬鹿だったよ」

 これが。
 これが――狂人同士の、本気の殺し合い。
 楪依里朱と揉めた時のような小競り合いではなく、相手の存在を決して許さぬと誓った上で繰り広げる地獄絵図。

 自分達が人間はおろか、魔術師としても異常な領域に達していることを誇りもせず。
 ただ力のまま、技のまま、悪意殺意のままに相手を殺さんと力を尽くすその姿。
 それはまさしく、狂人の在り様だった。
 強すぎる光に魂まで灼かれた結果、自身のケロイドの形にしか生きられなくなった、話の通じない破綻者ども。
 疵のかたちは各々違えど、しかし本質的には彼らはまさしく同じ穴の狢である。
 アギリも寂句もそのことを自覚した上で、尚恥じることも悔いることもなく地獄めいた争いに興じているのだから救いようがない。

「そういうわけで、身内ノリはこの辺にしとこうか」

 悪鬼の顔に、柔らかな微笑みが浮かんだ。
 同時に寂句はこれまでの厳しい顔を一転させ、初めて焦りの表情を浮かべる。
 敵意を察知した獣より数段以上に速く飛び退いた彼が、コンマ数秒前まで存在していた座標が文字通りに消し飛んだ。
 アスファルトを粉塵に変え、小規模ながらクレーターさえ形成し、人体が残存できる余地などあるわけもない、隕石の着弾を思わす破壊。
 それを成し遂げたのがただ一本の矢であるなどと、聖杯戦争を知らない者ではたとえ魔術師だろうと理解できないに違いない。

「本番と行こうぜドクター。俺達が雌雄を決するなら……ああぁ。うん、ただの喧嘩なんかじゃチープすぎる」

 「ランサー!」と、寂句が短く吠えた。
 飛来する後続の矢を、息を切らした赤甲冑の少女が叩き落とす。
 その視線の先では、純粋に――生物として巨大なひとりの女が、女神が、笑っている。

「聖杯戦争! それこそがあの子と俺達の絆だもんなあ、運命だもんなあ! お互い作法には倣おうや、ジャック先生!!」

 響く高らかな哄笑。
 戦いが進む、ステージが切り替わる。
 アギリにとっての聖典、寂句にとっての悪夢たるはじまりの物語。
 それをなぞるが如くに、悪鬼と暴君の戦いは本来あるべきかたちへ回帰する。
 すなわち聖杯戦争。魔術師と、英霊の、主従同士の殺し合いへ。

「……貴様の妄言(ノリ)に付き合うのは業腹だが」

 佇む女神と、炎の魔人。
 それを睥睨し、寂句は吐き捨てるように言った。

「――臨むところだ」

 彼もまた狂人。
 故に、同族に売られた喧嘩を買わない選択肢はない。



◇◇


597 : 神の不在証明(前編) ◆0pIloi6gg. :2024/12/27(金) 00:37:41 0paBfZ8s0



 嚇炎の悪鬼と天蠍の暴君が殺し合う傍らで。
 燃え盛る炎を背景にぶつかり合っていた、二騎の英霊。
 いずれも人智を遥かに超え、一騎当千を体現する境界記録帯。
 で、あるにも関わらず。狂人どもの衝突とは違い、こちらの戦況は終始一方的だった。

 どちらが圧倒する側だったのかは、蛇杖堂寂句の英霊――アンタレスの有様を見れば分かる。
 息は切れ、甲冑は土埃で汚れ、身体の所々からは出血さえ窺える。
 それに対して赤坂亜切の英霊、スカディの全身には傷らしい傷がほとんどない。
 表情もアンタレスは苦悶と焦燥、スカディは余裕の微笑とまったく対照的だ。

「……申し訳ありません。見苦しい姿をお見せしました」
「謝罪はいい。報告をしろ」
「はい。状況が状況ですので、端的に申し上げますが――」

 相性。その時々の状況。戦場において力の上下を左右する要素は多々ある。
 が、今回に関して言うならば小難しい説明は一切不要だった。
 アンタレスの苦戦の理由。それを形容するなら、まさしく端的な一言で事足りる。

「――敵戦力、非常に強大。当機構の規格を大きく超えています」

 スカディが、強すぎたからだ。
 強い。ただ強い。理屈ではなく事実として、一個体としてただただ強い。
 放つ矢は生半な宝具の威力を超えている。防御に徹して受け止めるだけで、英霊の腕でも強く痺れる。
 近接戦闘に持ち込んでも、アンタレスが全力で放つ槍の一撃が矢どころかそれを番える弓を軽く合わせるだけで防がれる。
 押し切れない。同じ三騎士であるとはいえ、何故槍兵の得意の間合い(レンジ)で、遠距離戦が本分の弓兵を攻め崩せないのか。
 不条理とも呼ぶべき不明を突破できないまま、アンタレスはこうして、主たる寂句を庇うように立っていた。

「だろうな」

 そんなアンタレスの報告に、寂句はそんな一言で応じる。
 
「貴様の無能を叱責するのは後だ。ひとまず所見だけ伝える。
 アレは恐らく神話の英傑……ともすれば英霊大に零落した神霊の成れ果てだ。
 スペックの競い合いで貴様が勝てる相手ではない」

 すぐにそう判断できた理由は、スカディに対して前回自分が道を共にしていた弓の英霊の面影を見たからだった。
 そうと分かれば焦りは消える。確かにこのレベルの英霊に対し、自分の天蠍では与し得ないだろうと冷静に結論づけた。
 
「では、当機構は……」
「狼狽えるな。最初から貴様に獅子奮迅の働きなど期待していない」

 惑うように紡がれた言葉を、寂句はぴしゃりと切って捨てる。
 
「私が最低限の指揮を執る。貴様は、それに従って槍を揮え」


598 : 神の不在証明(前編) ◆0pIloi6gg. :2024/12/27(金) 00:38:11 0paBfZ8s0
「……! ですが……」
「対案があるのか? 主君が戦う傍ら、その奮戦に貢献することもできなかった無能な貴様に」

 そう言われればアンタレスは閉口するしかない。
 真っ当な英霊ならばあまりの物言いに怒り散らすだろう。
 ともすればその場で、不遜なマスターの首を刎ねても不思議ではない。
 しかし彼女は、真っ当な英霊などではないのだ。
 あらゆる魔術師の絶望であり、人類の可能性を守ると同時に鎖し続けるモノ。
 あるいは――ひとりの少女に超えられた、哀れな大いなる法則(ルール)。
 それがこの地に遣わした、負け惜しみのような大義の尖兵。

「分かったなら、此処からは私に委ねろ」

 だからこそこうして、傲慢、不遜、傍若無人の権化たる暴君との主従関係が成り立っている。
 絆などとは到底呼べない十割十分のビジネスライク。
 そこには誇りも思いやりもないからこそ、彼らは合理のままに戦える。

「……了解、致しました。では当機構、これより改めてマスター・ジャックの指揮下に入ります」
「宜しい。合格点はやれないが、及第点としておく」

 寂句はアンタレスを見ない。
 アンタレスももう、寂句を見ない。
 見据えるのは敵――悪鬼と女神、それだけ。

「へえ」

 感心したように、雪靴の女神が息を漏らした。
 その身体には、傷らしい傷がひとつもない。
 それほどまでに圧倒的。英霊として、遥かの格上。
 女神スカディは高みから、抗う小虫とその飼い主を見下ろしている。

「構えな、アギリ。どうやら面白くなりそうだ」
「分かってるさ。君の方こそ、断じてあのジジイ相手に油断はするなよ」

 であるならば、見下ろす側も同じだった。
 敵だけを見、その一挙一動に注目している。
 此処で殺すと決めているからこその油断のなさ。
 必ず殺すと誓っているからこその、執念じみた合理。

「アレは時代が時代なら神界(アースガルド)にも入れた男だ。全身全霊、君のすべてを懸けてブチ殺すように」

 酷薄、無体。
 それ故に最大級の賛辞を贈って。
 此処に、狂気と神秘の殺し合いは真にその幕を開けた。



◇◇


599 : 神の不在証明(後編) ◆0pIloi6gg. :2024/12/27(金) 00:38:58 0paBfZ8s0



 先に動いたのは、やはりと言うべきかスカディであった。
 イチイの弓に矢を番え、瞬きの内に発射する。
 目視では一にしか見えない動作だが、放たれた矢の数は十を優に超えていた。
 しかもそのひとつひとつが音を超え、一撃で人体を爆散させる威力を秘めている。
 命を狩り、奪うということにかけて随一を誇る女神の矢に、天の蠍は敢えて動かぬ。
 見えぬのでもなく、臆したのでもなく――己が主にして指揮官たる暴君の采配を待つためにそうしていた。

「左から数えて三番、五番、八番の矢のみ落とせ。後は貴様なら捌ける筈だ」
「了解。そのように迎撃します」

 英霊の矢はそれ単体で近代兵器の性能を大きく超える。
 ましてや狩猟の女神、スカディの矢であるなら尚更だ。
 対戦車砲を持ち出さなければ比較にもならない威力と速度。
 そんな代物が、その名に恥じぬ最高峰の狩猟勘(センス)のままに振るわれるのだ。
 
 にもかかわらず、天蠍の槍兵をして手を焼くそれを、たかだか九十年ぽっちしか生きていない人間の若造が苦もなく見切る。
 彼単体では流石に対処することまではできないが、代役さえ立つならこの程度は寂句にとって敵でなかった。
 矢雨を打ち落とし、疾走するアンタレス。スカディがぴゅうと口笛を鳴らす。

「良いね。流石アンタの見越した男じゃないか、アギリ」
「サブイボの立つようなことを言うのは止してくれ」
「端から逃げ腰の神なんぞと撃ち合うよりもよっぽど滾るよ。
 ああ、やっぱり撃つならウサギよりも熊や魔猪がいい。
 その方が――こっちも技を凝らす甲斐があるってもんだからね」

 初弾もとい初弾幕を突破したアンタレスの槍に、スカディは抱えたスキー板を振るって応戦した。
 スキー板で戦うなどと言えば滑稽に聞こえるが、神代の雪原を駆ける乗騎と現代の娯楽用品を一緒にしてはならない。
 証拠に、彼女が振るったスキー板は槍撃を受け止め、それどころか力任せにアンタレスの矮躯を吹き飛ばす成果をあげた。
 吹き飛んでいくアンタレスへ矢を番え、放つ。しかしスカディが狙うのは、何も彼女だけではなく。

「二兎を追う者は一兎をも得ず、だっけ?
 よくもまあ、自分の技の足りなさを教訓みたいにべらべら語れるもんだよ」

 そのマスター、蛇杖堂寂句もまた然り。
 一張の矢でまったく別の方角にいる獲物を狙うなど、普通に考えれば技量云々の前に物理的に不可能であろう。
 だがそんな常識は、この女神には適用されない。
 何故なら彼女は神代の狩人。目的の前に道理が立ち塞がるならば、無理で以って押し通るだけのこと。

「――アタシなら、迷わず二兎を射殺すけどね」

 アンタレスに向けて放った二本の矢。
 内の一本が、巻き上げられて滞空している瓦礫の石材に当たった。
 瞬間、矢がまるで鏡面に反射でもされたようにあらぬ方向へと跳ね返っていく。
 人体を消し飛ばせるほどの威力が込められた神速の矢が何故、たかが石塊にぶつかった程度でこうも綺麗に反射するのか。
 理屈はまったく不明だったが、語ったところでスカディ以外には誰にも理解できないだろう。
 あるいは前回の聖杯戦争で猛威を奮ったという、寂句のアーチャーだったなら解説も出来たのかもしれないが――
 生憎と今、暴君の隣にその姿はなく。彼は迫る女神の矢を、その身ひとつで対処せねばならない窮地に置かれていた。


600 : 神の不在証明(後編) ◆0pIloi6gg. :2024/12/27(金) 00:39:47 0paBfZ8s0

 更に、その上で。

「さ、お手並み拝見だ。思えばあんたが劣勢に立たされる状況ってのを俺は知らないもんでね」

 寂句を狙う者はひとりではない。
 嚇き邪視を持つ葬儀屋が、朗らかな微笑みと共に地獄を顕現させる。

「後学のために教えてくれよ、ドクター。長生きの秘訣ってやつをさァ!」

 逃げ場を塞ぐのは炎の檻、蛇を囚える籠。
 迫るのは女神の矢、蛇を射殺す殺意。
 これほどの状況に置かれては、最低でも白黒の魔女ほどの無体を通せるマスターでなければ生き延びられまい。

「……っ、マスター!」

 どうにか命を繋いだアンタレスが、救援に走ろうとする。
 彼女の目からも明らかな必殺が完成しかけていた。
 己の未熟を自嘲する暇は到底ない。
 明らかに勝負の決まりかけているこの瞬間に、では当の寂句はと言うと。

『アーチャーと交戦を続けろ。さっきのように距離を取らせるな。
 手足が砕けようと近接の間合いを維持しろ。もし離されたなら、迎撃以上に詰めることを優先し行動するように』
『……ですが』
『貴様、槍兵の癖に得物の間合いも解らんのか? 無能ならば無能なりに、粉骨砕身で喰らいつけと言っているのだ』

 話が噛み合っていない。
 寂句の身を案ずるアンタレスへ、彼はスカディという格上との戦い方を指南している。
 それはまるで、自分が今置かれている窮地に対してはさしたる関心もないかのようで。そして事実――

「逆に問うが葬儀屋。貴様ら無能の視点では、たかだかこの程度で窮地と看做されるのか?」

 蛇杖堂寂句は、眉ひとつ動かすことなく行動した。
 懐から取り出したのは、液体の入った飴色の瓶。
 瓶の口ごと首をもぎ取り、中の液体を頭から被る。
 中国はシェンノンファームから仕入れたアロエを煮詰め、濃縮して作り出したより対火傷用の薬だ。

「だとすれば哀れなことだ。また私は、無能達への評価を改めなければならないらしい」

 出処が出処なだけはあり、このアロエで作った薬は他の比でないほどによく効く。
 だがその中でも、寂句は調合した薬を二種類に分けていた。
 ひとつはオーソドックスな治療薬。言うなれば対症療法であり、既に負った傷に対し処方し和らげる代物。
 そしてもうひとつ……今寂句が被った方のは、チープな言い方をすれば"予防薬"だった。


601 : 神の不在証明(後編) ◆0pIloi6gg. :2024/12/27(金) 00:40:34 0paBfZ8s0

 火傷を治す。ただし負ってから治すのではなく、"負う前に"治すのだ。
 火という概念に山を張り、それ以外の何に対しても薬効を発揮しない縛りを科す代わりに、火に対してのみは絶大な効力を発揮させる。
 芸術家の世界で引き算の美学と形容されるこの発想を、寂句は呪詛と占術、特に験担ぎと呼ばれる分野から引っ張り出して実用化していた。
 萬に通じる博学と、あらゆる伝統に節操なく手を出して吸収し、あまつさえ組み合わせる節操のない合理的貪欲。
 これらを併せ持つ蛇杖堂の魔術師だからこそ創り出せる、実現できる、医学の前提を打ち壊すようなまさに魔法めいた薬。
 焼死という死因に対するワクチン。それすなわち嚇眼の悪鬼、赤坂亜切に対する最強の対策札(メタカード)である。

 しかし此度、寂句を襲う死のかたちは嚇き炎のみに非ず。
 迫る巨神の矢、これをどうにかしなければ焼死を免れたところでどうにもならない。
 故に寂句は、炎の檻を無力化したところでやっと魔術師らしい行動に出た。
 
硬化せよ、これ而して烈しく動け
「――Sklerose,Dyskinesie」

 二段階の肉体強化。
 一度目で強化、二度目で自動書記を応用した意図的不随意運動を引き起こす。
 人体の耐久性を度外視した無茶苦茶な運用だが、それに合わせて予め筋肉内に埋め込んだ霊薬アンプルが破裂する。
 痛覚遮断、過度の柔軟性と内部衝撃耐性の付与、止血、細胞崩壊の抑制、etc――
 生じ得る反動のすべてを前置きの対策でねじ伏せながら、蛇杖堂寂句は瞬間的に超人の右腕を手に入れた。
 
 満を持して突き出した右手。
 その人差し指と中指の間に、イチイの矢が飛来する。
 これを寂句は、人体ではあり得ない強度と、不随意だからこその驚異的な反応速度で、"止めた"。
 そう、止めたのだ。英霊相手、神霊相手の無刀取り。結果として寂句は一滴の血も流すことなく、スカディの矢を防ぐことに成功する。

「へえ……」

 スカディの顔に、驚きと喜びが入り混じったような笑みが浮かんだ。
 単に拳で打ち落としたというなら、笑みには嗜虐が混ざり込んだだろう。
 触れつつ、しかし穂先には触れることなく止めたというのが肝要なのだ。

「驚くようなことか、婆。
 イチイの矢なぞ、自分は毒矢を使うぞと宣言しているようなものだろうがよ」

 そう、スカディは最初から寂句を試していた。
 アギリが蛇蝎の如くに忌み嫌い、しかし同時に最大級の警戒/評価を以って語る"暴君"。
 その知恵が、実力が、そして何より戦士としての才能が本物かどうかを試したのだ。
 だからこそ、彼に向かわせる矢には事前に毒を仕込んであった。
 ただ、それはイチイの毒などとは比べ物にならぬ――蛇の毒。ヒトはおろか出自が出自なら神さえ悶絶させる、大蛇の毒を。

「もっとも貴様の場合、特に念を入れての警戒が必要だと踏んだのは否定せん。
 悪童の神にさえ狼藉を働く命知らずの女狐(オンドゥル・ディース)だ。諧謔ひとつにも気を払って会釈せねばな」

 では、寂句は思い違いをしていたが、これが偶然に噛み合って致死の蛇毒を回避するに至ったのか。
 無論、否である。スカディの失策は、彼の前でスキー板などというこれ見よがしな代物を出してしまったこと。
 
 狩りの何たるかを語る巨女。
 冬の象徴を駆る、桁違いの霊基の持ち主。
 これだけ情報があれば、蛇杖堂寂句がその正体へ辿り着くのは必然だった。


602 : 神の不在証明(後編) ◆0pIloi6gg. :2024/12/27(金) 00:41:23 0paBfZ8s0

「……隠していたつもりもないが、いやあやるもんだ。
 認めてやるよアギリ、アンタの見る目は確かなようだ!
 なかなかに食えない小僧じゃないか、良いよ俄然興が乗ってきた!!」

 屈辱ではなく歓喜で以って、スカディは放つ神気を数段昂ぶらせる。
 大気をビリビリと震わせるほどの威圧、種として圧倒的に隔絶した存在感。
 これぞ神、これぞ神霊。狩猟の神の、冬を象徴するモノの、殺意の威容が顕現する。

「成程、こりゃ夜に備えるウォームアップに丁度いい!
 景気付けに戴いていこうか、この蛇どもを――!」
「それは構わんが」

 しかしそれに対しても、寂句の反応は変わらない。
 彼は何も動じず、慄くこともせず、スカディの方などもう一瞬たりとも見ない。
 その視線は常に宿敵たる、炎の悪鬼の方へ。
 目線を動かさないまま、寂句は言うのだ。不遜にも神を嘲った人間は、ほざくのだ。


「祓葉でもないのだ、生憎私は神殺しの偉業などには興味がない。影は影同士で殺し合っていろ」


 言葉が紡がれた瞬間、赤き蠍の尾(やり)が女神の高揚に水を差した。

 一撃自体はスキー板でまたも受け止められるが、次は吹き飛ばされない。
 アンタレスは無感動な顔に似合わず歯を食い縛り、全力を込めて女神の剛力を耐え凌いだ。
 代償として鼻血が小さく口元を伝うが、気に留める余裕はもちろん皆無である。

「ハ――お前の相手は私だ、ってか? 妬かせちまったなら悪かったね、だが大丈夫! ちゃあんとアンタのことも見てるさランサー!」
「づ、あッ……!」

 槍兵相手に至近距離で矢を番えるという掟破りの行動さえ、スカディがすれば悠長にはならない。
 瞬速。瞬きの内に装填を完了し、鬼神の如き笑みと共に放つ。
 幸いにして間合いが間合いだ、凌ぐことは容易ではないが、一発一発がミサイル弾に匹敵する威力の矢を数本も同時に受けたのだから涼しい顔はできない。

「ようやくらしくなってきた! 聖杯"戦争"なんて抜かすからには、このくらい派手で物騒じゃないとねぇ!」

 スキー板を地に置き、そこへ足を置いて力を込める。
 次の瞬間スカディがやった挙動は、やはりと言うべきか道理を超越していた。

 ジャンプ台も無しに、スキーというよりはスノーボードであろう躍動を見せ、上空まで一息に舞い上がったのだ。
 わずか一瞬にして天へと昇る、狩猟の女神。狂気の哄笑を浮かべる顔はおぞましく、しかし凍るほど美しい。
 そのまま空の高みにて、無論アンタレスの槍が届く筈もない位置にて、スカディは悠々と弓を引き絞る。
 番えた弓の数、十と一。だがこれはあくまで一射の量。
 放たれた矢が獲物を屠らず空振ったなら即座に次を、当たるまで次を用立て続ければいいと。
 英霊を狩り、魔術師を狩るため、狩猟の女神が躍動する。


603 : 神の不在証明(後編) ◆0pIloi6gg. :2024/12/27(金) 00:42:28 0paBfZ8s0

「だけどさっきも言ったろ? アタシは欲張りなのさ――好きにやるから、手前らも精々好きに応えて魅せなァ!!」

 刹那、天上の殺意が地に落ちる。
 悪意で振るう殺意に非ず。瞋恚にて翳す殺意に非ず。
 これは狩人の殺意――ひとつひとつの命へ向き合い、その上で奪うぞと宣言する誠実にして最も傲慢なる凶の念。

 それが落ちた戦場は、当たり前に地獄絵図と化した。
 一発一発が大地を消し飛ばす威力の矢が、スカディの一存で無数に振るのだ。
 もはや空爆と呼んで差し支えない死の驟雨が、目黒区の街並みを蹂躙する。
 寂句はもちろん、アンタレスでも直撃すれば致命傷は避けられない。
 マスターもサーヴァントも問わず放たれる神の矢が降り注ぐ中、天の蠍は岐路に立たされていた。

(こんな、ものが……)

 選択肢はふたつ。
 主を助けるか、それとも無視するか。
 自分の頭上に降ってきた一発を受け止めただけで、槍を握る両腕が激しく痺れた。
 これがもしも、主たる寂句に命中などしてしまったならば。さしもの暴君も、間違いなく耐え凌ぐことは不可能だろう。

 ならばどうする。
 ――助けるのか。無視……いや。
 
 信じるのか。

(当機構は……、…………)

 煩悶に耽りかけたその瞬間、しかしアンタレスはそれを意識的に中断する。
 何故なら、この問いに対する答えは既に得ていたからだ。


 ――アーチャーと交戦を続けろ。
 ――先のように距離を取らせるな。
 ――手足が砕けようと近接の間合いを維持しろ。
 ――無能ならば無能なりに、粉骨砕身で喰らいつけ。


「…………了解、しました」

 葛藤はある。だが、アンタレスはこれをこそ無視した。
 自覚している、己は無能だと。
 無知蒙昧。経験も才能も乏しい大いなるものの操り人形。
 であれば、そんな無能が一丁前に考えて時間を使うことに何の意味があろうか。

「マスター・ジャック――!」

 よって切り捨てる、自ら思考し主に背くという浅知恵を切り捨てる!
 寂句の方へ飛ぶ矢を見ず、己に迫る矢雨だけを見て回避に移る。
 スカディは選択した彼女の姿を見て、また歯を覗かせた。
 笑みの意味は分からない。嘲笑か、評価か。分からない。だが、分からずともいい。

 迫る矢を切り払い、時に踏み台にさえしながら蠍は天へ昇る。
 その様は彼女の真名を思えば皮肉でしかない光景だったが。
 それでも神へ迫る赤き蠍という絵面は、まさしく神話の断片めいた光景だった。


604 : 神の不在証明(後編) ◆0pIloi6gg. :2024/12/27(金) 00:43:06 0paBfZ8s0

「選んだね、お嬢ちゃん。もう引き返せないよ」
「当機構は……お嬢ちゃんなどでは、ありません――!」
「ふっ、くくくははははッ! どいつもこいつも見栄張っちまって、可愛らしいことじゃないさ!」

 英霊の身体能力を以ってすれば、滞空を維持して殺し合うことも難題ではない。
 スカディが当たり前にそれを可能としているように、アンタレスにも同じことが可能であった。
 が、だとしても両者の実力差、性能差は残酷なまでに明らか。
 弓を握り、スキー板に足を置いたままであるというのに、スカディはアンタレスの猛撃を悉く捌き子どもをあやすようにいなしていく。

 女神の微笑みが崩せない。
 放つ槍、刺突。一秒の中で十ほども繰り出す手が、一手たりとも通らない。
 弓を動かし、穂先に当て、怪力そのものの膂力に任せて押し返す。
 たったそれだけ。必死さの欠片もない余裕綽々の動作だけで、アンタレスの猛攻すべてが封殺される。
 
「得物は良い。素体も良い。だが、どうも真に迫る腕ってヤツが足りてないね。
 ほうら、ほうら、あんよが上手、あんよが上手。
 一万回でもやればアタシの髪の一本くらいは切り飛ばせるかもしれないねえ?」
「ッ……!」

 嘲るように放たれた言葉を否定することもできないのは、それほどまでに力の差が明確だからだ。
 強い。強すぎる。アンタレスは既に〈蝗害〉を知っているが、あの時は寄せ来る分散された殺意に対し余裕を持って臨めていた。
 〈蝗害〉とは物量の究極。対してこの女神は、個で実現するひとつの究極に他ならない。
 だからこそ実力差が浮き出る。格の差というものが、これでもかとばかりに示されるのだ。

 それでも、アンタレスは食い下がる。いや、食い付かんとする。
 歯を剥いて槍を握り、防がれると分かって尚、その盤石をどうにか突き崩そうと奮闘する。
 その有様は勇猛だったが、しかし結果が分かりきっているという点ではある種いじらしくもあり。
 敵わないと分かって挑む姿はさながら、天の星を掴もうと必死に手を伸ばす幼子のよう。
 スカディはそんな彼女の姿に、数時間前に問答を交わした幼い神の姿を重ねた。
 似ている。在り方も成そうとすることも違うことを承知の上で、だとしてもこのいじらしい姿はどこか重なるものがあった。

「――にしても。アンタ、何か妙だね」

 重ね合わせた上で、スカディは不意に笑みを消して言った。

「一合交わした時点で真っ当な英霊じゃないことは分かったが、その割にはやけに挙動がそれっぽい。
 じゃあ私と同じく神の血に連なる者かと思えば、どうやらそういうわけでもないらしい。
 まるで餓鬼の描いた絵を見てるようだよ。強い癖に弱い、弱い癖に強い。気味悪いくらい道理が通ってない」

 そう、個の性能ではアンタレスは明確にスカディの後塵を拝している。
 そして狩人が最もその真価を発揮できる戦闘は、格下の獲物を追い立てる時だ。
 雪原を駆けていく獣を追い、矢を番え、磨いた技と生まれ持った才覚で撃ち抜く。
 追い詰められた獲物が牙を剥いてきたとしても、一流なら決して焦らず、また仕損じない。
 涙ぐましい抵抗を一笑に付し、さりとて何も揺れることなく、いつもの通りに命を射るのだ。

 なのに今、アンタレスは曲がりなりにもスカディを相手に抗戦を成立させていた。
 簡単に潰れず、繰り出す弓矢を超え、血反吐を吐きながら食い下がっている。
 長く保つ筈もない"神との戦い"を、成り立つ筈のない根性論を、死物狂いで長引かせている。

「だったら、何だというのです……ッ」
「ふぅむ。じゃあちょっとばかし、強めにイってみようか」
「――!」

 赤槍の穂先が、指の二本で掴み取られていた。
 それは先ほど寂句がやったのとまったく同じ。
 無刀取り。当たり前のように行われた御業に瞠目するアンタレスの頭蓋を、振り上げられた女神の踵が打ち据えた。


605 : 神の不在証明(後編) ◆0pIloi6gg. :2024/12/27(金) 00:44:01 0paBfZ8s0

「ご、が……!」

 頭蓋骨まで砕かれなかったのは、彼女に三騎士クラスに相応しいだけのステータスがあったから。
 並の英霊なら即死しているだろう一撃を受け、脳震盪を引き起こしながら天の高みから墜落させられるアンタレス。
 その矮躯を見下ろしながら、凍原の女神が五本の矢を一度に番える。

「さぁさ死ぬか生きるか。見せ所だよ、ランサー!」
「か、ぁ……ぅ、ぐ……!」

 降り注ぐ矢、いずれも致死級。
 受けていい矢など一本もない。
 甲冑の防御なぞ当てにもなるまい。
 凍えるような絶望の中で、アンタレスは必死だった。

「舐めるな、と……当機構は、言います……!」

 瞬時に再起動を果たし、最初の一本を叩き落とす。
 それだけで腕が地獄のような激痛を訴えてくるのは、一体何の冗談だろうか。
 気が遠くなるが、だとしても主命は既に下されている。
 後は黙して従うのみ。此処で活きたのが、アンタレスの身体に生えた余分な"足"だ。

 人型の身体には不似合いな、三本六対の赤い足。
 此処まで活かす局面に恵まれなかったその身体的特徴が、遂に日の目を見る。
 矢を躱しつつ、巻き上げられた瓦礫を足場代わりに、足の多さに物を言わせて蹴落とされた高みまで駆け上がっていくのだ。
 避け切れない矢は、このクリーチャー映画じみた挙動の片手間に打ち落とす。
 言わずもがな楽な仕事ではなかったが、こと"使命を果たす"ことにかけて、アンタレスほどストイックな英霊はそう居ない。

「はああああああッ――!」
「なるほどねえ。やっぱり蠍か、お嬢ちゃん」

 己の放った矢を掻い潜りながら、物理的手段で高みまで昇ってくる多脚の少女。
 そんな光景にもスカディは驚くでもなく、むしろ興味深げにしていた。
 ちなみにこの女神はスキー板に騎乗しながら、風の流れを足場にすることで滞空を維持している。
 現代のスキーヤーが見れば腰を抜かすような超人技だが、彼女に言わせれば単なる余技のひとつに過ぎない。

「読めたよ。なかなか良い血統に恵まれてるじゃないか、原初の海(ティアマト)サマの眷属たぁね」

 英霊の座に昇る可能性を秘めた蠍に縁あるものなど限られる。
 時に英霊の中には自身を死に至らしめた要因を武器に転換させる者がいるが、この少女はそういう質にはどうも見えない。
 赤い甲冑、赤い槍、そして多脚。死因を得物に変えて開き直っているというよりかは、そもそも"蠍"という存在に限りなく近い、そういう縁を持った存在であろうと推理できた。
 
 であれば候補はひとつ、容易に浮かび上がる。
 バビロニアの蠍人間、原初の海たる地母神が産み落とした十一の魔獣が一。
 〈ギルタブリル〉という名を、スカディは想起していた。

 蠍の槍が唸り、足の一本が女神のスキー板を掴む。
 空の高みに足場を得たこと以上に、その気になれば街のすべてを岩肌に見立てて滑行できるだろうスカディの移動手段を封じたのが大きい。
 もう矢は番えさせないと、確かな意図を持って赤き蠍の槍撃が迸る。
 手数に頼ることこそがこの場では肝要と判断しての、まさに滅多刺しと言うべき乱舞。
 スカディは一秒を遥かに下回る一瞬の隙さえあれば矢を放てる使い手だが、それでも此処までの手数を出されては矢に手は掛けられない。
 結果、彼女はイチイの弓を武器代わりに振るって蠍の乱舞に対抗せねばならなくなる。
 弓兵が、矢も握れず弓だけを用いて何とか継戦している状況。それは誰の目にも明らかな苦境だったが、しかし。


606 : 神の不在証明(後編) ◆0pIloi6gg. :2024/12/27(金) 00:44:54 0paBfZ8s0


「――――やっぱり違ぇな」


 ならば何故攻め切れないのだと、その苦し紛れのような防衛線を崩せないのだと"アンタレス"は焦る。
 一度や二度ならまぐれで済む。十や二十でも、歴戦の英霊ならば可能かもしれない。
 だが百を超えても一向に崩せないとなると、もはやそれは理屈が通らないと表現するべき異常事態だ。
 そんな中でスカディが放った言葉。そして魂まで射貫くような鋭い眼光に、アンタレスは背筋が粟立つ感覚を覚えた。

「魔獣にしちゃやっぱりアンタの戦い方は素直すぎる。足の使い方は確かに"それらしい"が、戦士として見るなら実にお利口さんだ。
 どうにも噛み合わないねえ。英霊の座の知識とやらに照らし合わせても、うん。何だか違う気がするよ」

 蠍とは、自然界では狩人だ。
 小虫を狩る。ネズミや両生類でさえ時に彼らの獲物に堕ち、その毒さえ効くなら自分の何十、何百倍の体躯を持つ生き物でさえ殺し得る。
 それでも、生態系全体を見通した上で判断を下すなら、その生物としてのランクは"下等生物"で疑いの余地はない。
 
 何故なら、上には上がいるから。
 野生の感覚、強力なる毒。
 そんな武器では覆し得ない、圧倒的な格上がこの星には存在するから。
 
「英霊の座に上り詰め得る、そのくらいの格を持った"赤い蠍"。
 で、更に神(アタシ)と打ち合えるような力を寄越してくれる誰かさんと縁ある変わり種のサーヴァント。
 此処まで情報が出揃えば、いろいろ見えてきそうなもんだねェ――?」

 アンタレスは今、それを実感させられていた。
 真の狩人とは、真に星を統べる上位種とは、この女神だ。
 格が違う。次元が違う。積み重ねてきた技と知識の蓄積が違う。
 
 代わり映えのしない打ち合いに飽いたように、スカディが弓をまるで棍棒のように振るった。
 それだけで均衡が崩れる。予期せぬ反撃への対応に意識を割くその一瞬。
 隙というには微々たるものだが、それでも、狩猟の女神が矢を番えるにはあまりに十分。
 アンタレスへ死を運ぶ、女神の矢が装填(セット)される。
 笑う巨女の瞳に宿る輝きは、この世のどんな死毒よりおぞましい破滅を孕んでいた。

「そうさ、アンタは――」

 圧倒的。
 絶対的。
 これぞ神。
 これぞ、星を統べる理。
 神代が終わり、神秘が薄れ、その結果世界の裏側に隠れてしまったとしても。
 ひとたびこれが表層へ顔を出したなら、それだけですべては為す術なく圧されるしかない。

 冬とは滅びを運ぶモノ。
 狩りとは命を刈り取るモノ。
 それ二つを統べるというならば、これまさしく命の終わりを司るモノに他ならぬ。

 斯くして天の蠍に死が落ちる。
 運命の靴底が、その矮小な身体を踏み潰す。
 一切を踏み躙り消し飛ばす矢は、既に番えられ。
 今度こそ何を尽くしても逃れられない終わりが訪れるその間際――

「…………、…………?」

 スカディの顔に浮かんだ、微かな、されど彼女が初めて見せる"動揺"。
 その刹那を、ギルタブリルならぬ天蠍アンタレスは見逃さない。

「――傲ったな、アーチャー」

 そう。
 彼女はずっと最初から、この瞬間だけを待っていたのだ。



◇◇


607 : 神の不在証明(後編) ◆0pIloi6gg. :2024/12/27(金) 00:46:15 0paBfZ8s0



 炎の檻を破り、女神の矢を凌いだ蛇杖堂寂句。
 その次なる行動は、文字通り第一歩から赤坂亜切を瞠目させた。

 彼は、走ったのだ。
 自分が見るべき敵、不倶戴天たる炎の狂人に向けて。
 それ自体はいい。問題は速度だ。
 寂句が発揮しているスピードは優に一般道路の法定速度を超え、高速道路のそれに匹敵している。
 矢が降り注いで戦場が混沌模様を呈するなら、一番の安全地帯が敵の傍であるのは自明。

 何処かの地方都市で行われた五度目の聖杯戦争。
 その監督役を努めたある神父ならば、これだけの芸当も可能かもしれない。
 寂句も如何に超人と言えど求道の果てたるかの者には及ばない。
 彼の場合はただ、薬物による一時的な強化(ドーピング)にて、そんな超人芸に追い付いているだけの話である。

「ははッ――マジか」

 走ってくる同速度の車を避けることは難しくないだろう。
 だが、相手が車よりも小回りの利く二本の足を有していて、更に自分だけを狙い追いかけてくるのなら話は違う。
 赤坂亜切、事此処に至ってようやく一筋の冷や汗を流す。
 魔人・蛇杖堂寂句の正真正銘の本気というものを、彼は前回でさえ見たことがなかったのだ。
 何故なら前回、彼はアギリとイリス、そして不完全な祓葉を相手に、それを抜く必要さえなかったのだから。

「ちょっとだけ見直したよジャック! そうだな、そうでなくちゃなあ! よぅし、心まで燃やして殺し合おうか!」

 されども彼が狂人なら、之も狂人。
 怯え逃げ惑うでなく、迎え撃つ択を取る。
 同時に更に暴走を深める魔眼、歓喜ではなく殺意にて地獄の釜は蓋を開ける。

「先程も言ったが、貴様の戯言に付き合うつもりはない。
 その上で殺そう。完膚なきまでに踏み潰そう。
 これ以上醜態を晒す前に殺してやる、暴君(わたし)の情けを噛み締め眠るがいい」
「上等――悪鬼(おれ)のお姉(妹)ちゃんへの愛を浴びて死ねよ老害ッ!」

 溢れ出した、嚇き炎。
 その中を寂句は足も止めず走り、アギリを間合いへ含める。
 放つ脚撃は一撃で頭蓋を粉砕して余りある威力を秘める。
 が、アギリも使い手だ。軽々と躱し、炎の渦で老体を覆う。
 アロエによる火傷予防がなければ寂句でさえ優に致命傷だろう炎熱が、内側から切り裂かれる。
 飛び出した寂句の前蹴りを、アギリは身体をくの字に曲げて後ろに飛び退きながら回避。


608 : 神の不在証明(後編) ◆0pIloi6gg. :2024/12/27(金) 00:47:18 0paBfZ8s0

「時に、イリスには会えたのかい?」
「会ったなら殺している。あのじゃじゃ馬に蝗の王をあてがうとは、此度の聖杯はいささか贔屓が過ぎるようだな」
「はは、なら気を付けなよ。今のアイツは前回と別物だ。まともにかち合えばあんたでもそうだな、七割は負けると思うぜ」
「敵に塩を送るとは殊勝な心がけだな、命乞いのつもりか? 貴様はあの馬鹿娘と既に繋がっているものだと踏んでいたがな」

 続き放たれたのは手刀だった。
 達人を超えた身体能力で振るわれれば、文字通りの手製の刃でさえ処刑用の鎌になる。
 アギリの頬に一筋の傷が走ったが、あと一歩分でも距離を見誤ったなら、今頃彼の頭部は半ば以上まで切り開かれていたことだろう。
 この間合いで嚇炎の悪鬼と殺し合っているのだ。仕損じればその都度、死に通ずるリスクが寂句を襲う。

「確かに最後に残るならあの子がいいと思ってるけど、別に仲良しこよしってわけじゃあないよ。
 ていうか俺らには無理だろ、呉越同舟とか。それが出来ないからこんなことになってるんだし」
「貴様に同意するのはやはり癪だが、違いないな」

 寂句の薬は強力だが、それでも万能ではない。
 というより、彼も彼でひとつの想定外にずっと付きまとわれているのだ。

 それは――赤坂亜切の"火力"。
 今、アギリの魔眼は暴走状態にある。制御を失い、精密性を著しく欠いている。
 では単純に弱体化しているのかと言うと、これがまたそういうわけでもない。

 嚇炎の魔眼は崩壊し、既に火種は彼の肉体そのものと化している。
 単純な話、前回の彼と今回の彼とでは熱を放出できる面積量が違う。
 よって引き起こされるのは必然、無視できない領域での火力の上昇だった。
 もはや暗殺用と言うには過度。しかし、細かいことを考えず殺戮するならこれ以上ないだけの火勢。
 これが対アギリの備えを敷いていた寂句にとって、厄介な想定外として働いている。
 
 アギリの崩壊は想定していた。
 が、実情はそれ以上だった。
 端的に言って、これでは対策として足りていない。
 本来彼との戦闘に際して想定していた時間を、大幅に前倒して攻めねばならなくなっている。

「イリスの居所は掴めずじまいだが、ホムンクルスならば確認した」
「へえ? 何だ、やっぱりガーンドレッドの連中も出張ってるのか。いや、奴さんらはもう魔術師ってかテロリストだったけどな。アレ」
「それだがな。あの無能、せっかくの保護者を自分の手で切り捨てたらしい」
「えぇ……。何やってんだよあの根暗。自殺願望の狂気でも芽生えたのか?」

 その証拠に、こうしている今も時間経過につれて皮膚に伝わる熱感が強まっているのを感じていた。
 コートも所々が焼け焦げ始め、視界を保つにもそれなりの忍耐が求められ始めている。
 恐らく、そう長くは保たない。兎にも角にも、早急に勝負を決める必要がある。

「さてな。被造物の考えは分からん」
「白々しいなあクソジジイ。あんたのことだ、もう察しは付いてんだろ?」
「分からぬし、分かっていたとしても、貴様に語って聞かせる話ではないな」


609 : 神の不在証明(後編) ◆0pIloi6gg. :2024/12/27(金) 00:48:05 0paBfZ8s0

 時に。
 こうして旧知の仲"らしく"言葉を交わしている彼らだが、それは決して友好の証などではない。
 無論、表面上は嫌い合っていても心のどこかでは……などという都合のいい話もない。皆無だ。
 これは合理に基づいた情報交換。狂える彼らは命を懸けて殺し合うこの最中にすら、自身が生き延びた後のことを考えている。
 その証拠に、アギリも寂句も肝となる、なり得る情報は一切口にしていない。
 寂句がホムンクルス36号の心理に対する私見や、彼が連れている厄介極まりないサーヴァントの話を伏せているのも良い論拠だ。
 どこまで行っても彼らは狂人。己が勝つと疑わず、奉じた星以外に傾くこともない、生粋の人でなしなのだ。

 いや、もっとも。
 彼らふたりのそれは、他の四人と比べても特段尖っていたと言うべきかもしれないが。

「――〈恒星の資格者〉について、貴様はどう考えている?」

 殺そうとし、それを躱されの応酬。
 これぞまさしく、"殺し合い"だ。
 あるいは交わす会話すら、敵の動揺を引き出すための口頭武芸とさえ呼べるかもしれない。
 ただ――今、蛇杖堂寂句が口にした単語に関してだけは、互いにとって少なからず例外だった。

「何だいそりゃ。俺にしていい話なの?」
「神寂祓葉に届き得る人材の存在。貴様も考えたことがないわけではない筈だ」

 〈はじまりの六人〉であるならば、極星の周囲を廻る狂気の衛星達であるならば。
 この話に関してだけは、絶対に無視することはできない。

「奴は未知を愛している」
「……、……」
「たとえそれが自分を滅ぼすかもしれない窮地だろうと、あの小娘が喜んで受け入れるのは知っているな?
 そしてこの都市は奴が望んだ遊戯場で、箱庭だ。造ったのはオルフィレウスだとしても、人材を集めようと提案したのは奴だろう」

 神寂祓葉はこの世界の神であり、都市の物語が劇的であることを誰より望んでいる無垢な子どもである。
 黒幕と呼ぶにはあまりに幼稚、身勝手。責任なんて持たないし意味を知っているかも疑わしい。
 普通ならば、自分達の野望を頓挫させかねない可能性の萌芽などというのは全力で避けに回るべき陥穽であろうが――
 こと祓葉に限って言えば、恐らくそうではない。彼女は諸手を挙げてそれを歓迎する筈だ。そういう奴なのだ、あの女は。だからみんな困っているのだ。

「奴は明らかに抑止力の影響下から解脱している。
 だが、奴の造った世界までそうだと決め付けるのは早計だ」

 そこで台頭の恐れが浮上するのが、仮称〈恒星の資格者〉。
 今はまだ祓葉に及ばねど、いつかそうなる希望/絶望を秘めた原始星。
 寂句はホムンクルスの奇行を、彼がこれに目を付けた故ではないかと見ていた。
 そう考えれば話が通るのだ。ガーンドレッドの庇護に甘んじていては、筋書きの外に手を伸ばすのは不可能だろうから。


610 : 神の不在証明(後編) ◆0pIloi6gg. :2024/12/27(金) 00:48:52 0paBfZ8s0

「――おいおい、ジャック先生よ。あんた、ショボくれてるだけじゃなくてやっぱり耄碌してんじゃないのかい」

 失望を隠そうともしない心底呆れたような声色と共に、火勢が一気に倍ほどへ膨れ上がった。
 右腕が燃え始める。コートが耐えきれなくなったらしく、その下の腕も明らかに限界を訴え出していた。
 直に火傷が予防薬のキャパシティを超え、肌に侵蝕を始めるだろう。
 そしてもしそうなれば、此処までわずかに有利に進められていた戦況は一気に逆転する。

「俺達の星に、あの〈太陽〉と同じになれる奴がいるって?
 寝言も休み休み言えよ、みっともない。まさか本気で言ってるわけじゃないよな?」
「だから貴様などに、わざわざ余力(リソース)を割いて見解を求めているのだ」

 焦燥に駆られても責められない状況で、しかし尚も寂句は不変だった。
 焦らない、騒がない。怯えない、臆さない。
 鉄の歩みじみた堂々さを保ちながら、炎を裂いてアギリへ徒手を伸ばす。

「回答を許す。貴様は、そんなモノが存在すると思うか?
 いや。存在し得ると思うか?」

 アギリは発病を招く腕は躱しながら、一度は内に秘めた不快の二文字を完全に表情へと滲み出させる。
 それもその筈、赤坂亜切は神寂祓葉を文字通り狂おしく奉じている。
 この世の何より尊く美しく、恐ろしく禍々しく、そして眩しく輝く大事な家族。
 そんな唯一無二の名を挙げて、それと並ぶ者があるかもしれないとほざくなど凶暴な竜の逆鱗を踏み鳴らすようなものだ。

 だというのに一瞬回答までに間が空いたのは、発言者が蛇杖堂寂句であるからに他なるまい。
 蛇蝎の如く忌み嫌う相手ではあるが、だからこそアギリは寂句の実力を最上級に警戒し、認めている。
 そんな男が口にしたものだから、こんな発言にも単なる不快な妄言以上の価値が宿って聞こえた。

 されど、それでも沈黙はわずかに一瞬。
 次の瞬間、アギリは不快の報いとばかりの爆炎を放ちながら、吐き捨てるように答えていた。

「いるわけねえだろ。
 神寂祓葉は至高の星だ。だからこそ、俺達はこうして仲良く負け犬やってんだろうがよ」
「――そうか」

 骨まで黒炭に変えて余りある爆炎の中から、何故か平然と声が響く。
 その声は、およそ生産性が伴っているとは思えないアギリの物言いに対して、しかし。
 辟易するでも苛立つでもなく、どこか安堵のような響きを含んで聞こえた。

「私も、まったく同意見だ。無能と見解が一致して嬉しく思ったのは初めてだぞ」

 そう――蛇杖堂寂句もまた赤坂亜切と同じ結論。
 〈恒星の資格者〉、いずれ極星に並ぶ原始星。星の卵。
 そんなものは存在し得ないと、にべもなく切って捨てたのだ。

 ホムンクルスが天の翼と通じ。
 契約魔術師が十二時過ぎの悪魔を見出し。
 白黒の魔女でさえもが、幼星に振り回されている中。
 暴君と悪鬼の、この命題に対する結論は同じ。すなわち、全否定であった。

 神寂祓葉とは唯一無二の太陽であり、これに並ぶ星は存在せず、また生まれ得ない。
 理由は違えど、そう考えるまでに至る経緯は違えど、彼らの狂気は異口同音にそんな結論を算出した。


611 : 神の不在証明(後編) ◆0pIloi6gg. :2024/12/27(金) 00:50:17 0paBfZ8s0

「では、もうよい。ご苦労だったぞ、葬儀屋」

 満足げにそんな台詞を吐いてのける、寂句。
 次の瞬間、彼の鍛え抜かれた剛脚が振り下ろされた。
 アギリに、ではない。目の前の大地に、である。

「ッ……!?」

 震脚、日本武道で言うところの踏鳴。
 重心を落とすことで身体の操作を鋭敏にし、連動する所作の威力を引き上げる基本動作のひとつだ。
 これを寂句は今、まるで創作物に登場する達人格闘家がそうするように、本来副産物でしかない大地の震動を主軸に据えて使った。
 至近距離での震動炸裂。それでアギリの脚を縫い止め、強引に退路を断ち切りにかかったのだ。

(このジジイ……ッ)

 無論、生半可な鍛錬で可能になる芸当ではない。
 だが相手は蛇杖堂寂句。文武両道を息吐くように両立し続け、歩み研ぎ澄ました九十年。
 達人に並ぶ域の技を修めていることなど、彼にとっては賞賛にも値しない当たり前のことだ。
 自分にできるのだから誰でもそうできるのに、何故他の無能どもはそれをしないのか、彼には常日頃から疑問でならなかったが――

「自らの火で灼け死ぬのは苦しかろう。
 問答の礼だ。せめて医者として、多少マシな死に様をくれてやる」

 寂句の五指が、遂にアギリの身体を掴んだ。
 アギリも猛者だ。そうでなければ魔眼の力があるとはいえ、本気の蛇杖堂を相手にこれだけ食い下がれはしない。
 しかしそれでも、そのブロークン・カラーを除けば赤坂亜切のスペックは蛇杖堂寂句に明確に劣っている。
 曲芸じみた身のこなしで上体を反らしつつ、素手で医神の魔手を払おうとした。
 反応速度も取った行動も申し分なかったが、ふたりの間に横たわる実力差が、寂句にアギリの左手薬指と小指をギリギリ掴ませた。

 そしてこれだけで――蛇杖堂寂句はこの世のいかなる人間でも殺すことができるのだ。

「が、ああああ、アアアアアアアッ……!!?」

 寂句が握っている二本指を起点に、ボゴボゴと肉が隆起し、異形の様相を呈し始める。
 これは腫瘍だ。より正確に言うならば、医学的には肉腫、と分類される良性腫瘍である。
 そう、この腫瘍は悪事を働かない。転移することもなければ、寂句が手を離せばたちまち成長を止めてしまうほどに"気弱"な病魔だ。
 ただし、呪詛の肉腫はとんでもない内弁慶。保護者がいなければ悪さをしないが、保護者が傍にいるのなら、その悪癖は存分に発揮される。

 すなわち、罹患者の肉体を苗床にした異常な成長速度。
 細胞増生を繰り返しながら成長し、巻き込んだ器官にどんな影響が出るかなど気にも留めない。
 だからそう、こうして指先を起点に発病したとしても、せいぜい数十秒もあれば相手の身体を完全に腫瘍の塊へ変えることが可能だ。
 この魔術の恐ろしさを、アギリは身を以って知っている。だからこそ今、彼は真の意味で生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされていた。


612 : 神の不在証明(後編) ◆0pIloi6gg. :2024/12/27(金) 00:52:09 0paBfZ8s0

「ぐ、ぅううううゥッ……!?」
「貴様もイリスもつける薬のない無能だがな。
 それでも貴様らの持つ力だけは評価している。
 赤子だろうと核のスイッチを持っていれば脅威だろう? 喜べ、アギリ。貴様の持って生まれた力は、この私の眼鏡にも適ったのだ」

 故に死ね、と、寂句は判決を下す。
 逃げられないし逃がさない。
 暴君の決定は絶対だ。放った言葉をただの虚仮威しに終わらせない力があって初めて、人は暴君と呼ばれるに至るのだから。

「腐れ、葬儀屋。星の光に手を伸ばしながら、無様な塵と化すがいい」
「ッ、おおおぉッ、オオオオオオ、手、前ぇッ――――」

 よって〈はじまりの六人〉、在り方の違う狂信者達の死闘は此処に決する。
 勝者は暴君。敗者と死者は悪鬼。
 前回の番付を覆すことなく、衛星の殺し合いは順当に決着する。
 そう、その筈だったのだが。

「ぬッ……!?」

 後は殺し切るだけだった寂句の顔が歪む。
 王手をかけた筈の彼を、不測の事態が襲っていた。
 予防薬の効能越しに自分を襲う嚇炎の火力が、この土壇場になって急激に上昇を始めている。
 いやそれどころか、既に左腕のすべてを肉塊に変えていなければおかしい腫瘍がその成長を著しく遅滞させている。
 
 攻略した筈の炎が増し、それに合わせて皮膚を伝う熱感が強まり、薬の効果が貫通され始める。
 単なる死に際の悪あがきと呼ぶには激烈すぎる火力上昇。
 二倍、三倍、四倍、五倍――秒単位で跳ね上がっていく温度が確定した筈の天秤を押し返し出す。

 寂句の顔に、アギリの形相が映った。
 この今際において彼が浮かべていたのは、まさに凶相。
 異様に大きな目を見開き、歯を剥き出して、魔物のようなアルカイックスマイルを湛え。
 主義主張存在生命、そのすべてを否定してきた宿敵に殺されかけている屈辱の中、喜悦すら窺わせる貌でアギリは笑っていた。

「――――上等じゃないか。いいぜ、やろうか蛇杖堂寂句!!」

 忘れるなかれ、彼も狂人である。
 最優の暗殺者から転げ落ち、天の星に焦がれた狂える鬼である。
 彼にとっても、死とは今更恐れ慌てふためくものに非ず。
 そこに恐怖がないのなら、生と死の境界でさえ禍炎を燃やす薪の山になる。


613 : 神の不在証明(後編) ◆0pIloi6gg. :2024/12/27(金) 00:52:49 0paBfZ8s0

「貴、様……!」
「おいおいどうしたドクター・ジャック!
 手前で挑んだ殺し合いだろう? 今更イモ引くのはなしだぜ、さあ燃え尽きるまで抱き合おうじゃないか!!」

 ――〈嚇炎の悪鬼〉。
 かつて必殺の魔眼だった双眸は壊れ、今や肉体そのものを火種に火事を起こす筒先の壊れた火炎放射器と化している。
 精密性を捨てた代わりに実現された異次元の火力。だがそれすら今の彼の真価ではない。寂句でさえ事此処に至るまでこれに気付けなかった。

「呆れた、無能だ……! よもや、そこまで壊れ果てていたか、赤坂亜切――!」

 妄信の悪鬼の真価とは、暴走。
 臨界を超えた感情は炎に変わって溢れ出す。
 敵も味方も周囲も、自分自身すら焼き尽くす地獄の炎。
 それを無秩序無遠慮に撒き散らす、炎の厄災となり嗤う力!

 アギリが今至った境地はまさしくそれだった。
 彼自身は何も気付いていない、認識していない。
 姉(妹)たる彼女に捧ぐ思いだけを胸に盲い創造する嚇き炎。
 如何に寂句が備えを敷いていたとしても、この次元の火力は想定外であったらしい。
 何しろこれは――熱量に物を言わせ、貪欲な腫瘍の成長を力ずくで焼き尽くし堰き止めるほどに熱い焦熱なのだから。

「はははははははは!! 楽しいなあ、ジャック! そうだ、また話でもするのはどうだい?
 もちろん議題は"彼女"について。僕の愛しいお姉(妹)ちゃんのことなら、お互いいくらでも語り合えるもんなァ――あァッははははは!!」

 斯くして、勝負のかたちは変異する。
 単に相手を殺せば終わりの趣向から。
 自分が死ぬ前に相手を殺して初めて勝ちという、破滅的なそれへ挿げ替わる。
 焼死と病死。ふたつの死がせめぎ合い、喰らい合う姿はまさしく地獄の情景。
 神寂祓葉が振りまいた狂気は、輝きのままに斯様な地獄を顕現させるに至ったのだ。

「朽ち果てろ――」
「燃え尽きろ――」

 片や渋面。
 片や笑み。
 別々の顔で、されど、同じことを吠えて。


「「――狂気(ネガイ)を叶えるのはこの私/僕だッ!」」


 戦況、殺意、共に臨界突破。
 そんな戦いの傍ら、本来ならば主役を張るべき英霊達の舞台にて。
 あるべき筋書きを覆す想定外の事態が起きていたことを、彼らはこの時知る由もなかった。



◇◇


614 : 神の不在証明(後編) ◆0pIloi6gg. :2024/12/27(金) 00:53:20 0paBfZ8s0



 女神スカディは不可解の中にあった。
 ひとつめの不可解は、思考の断絶。
 目の前の英霊を形容する上での明確な答え、そこに到れるピースを集めた筈だった。
 なのに後一歩、確実にそこまで肉薄していると断言できる状況で、急に思考の道筋が途切れた。
 さながらそれはホワイトアウト。一面の白雪で、目指した行く手が突如遮られたみたいに。

 そしてふたつめの不可解は、まさに彼女が"ひとつめ"に直面している最中にそれを襲った。
 誰がどう見ても窮地の中にあった、もう一手で葬れる筈だった赤蠍のランサー。
 彼女の槍を、気付いた時には回避不能の間合いまで迫らせてしまっていたこと。

(――あり得ない)

 狩人とは、いついかなる時でも、たとえ怒り昂ぶっていても本質的な理性だけは失わないものだ。
 だからこそこの状況に陥って尚、スカディは冷静だった。
 が、冷静だからと言って目の前の不可解が解き明かせるわけではない。

 考えを巡らせる傍らでも、常に気は張っていた筈だ。
 彼女の在り方は常在戦場。たとえ眠りの只中にあったとしても迫る敵意を見逃すことはない。
 なのに今まさに己へ迫る赤槍は、彼女が戦巧者だからこそ分かる"喰らうしかない"距離と軌道から迫っていて。
 その矛盾が、狩りの女神を当惑させる。まったく不明な事態が、この戦いを蹂躙で締め括る筈だった女神を襲っていた。
 スカディは知らない――自身が嬲り殺す筈であったランサーの身に宿った力(スキル)の名前を。


 〈傲慢の報い〉。
 傲慢にもその強さを地上へ知らしめ続けた超人オリオンを昇天させた蠍、抑止力(ガイア)の御遣い。
 彼女は神には及べない。決して、神代から這い出でた雪靴の女神を殺せない。 

 だが。殺すべき標的が油断し、増長し……傲慢のままに在るというのなら、話は別だ。
 一度だけ。ただの一度だけ、天の蠍はその悪徳をガイアの名のもとに誅することができる。


「が、あッ……!?」

 スカディの脇腹に突き刺さった、天蠍(アンタレス)の槍。
 刹那、彼女を襲うのは単純な激痛とも異なる悍ましい感覚だった。
 この時初めて、女神の脳裏に戦慄と焦燥が走り抜ける。
 北欧の神々にさえ臆さない女傑をしてそうさせるだけの意味を、この一刺しは有していた。

 ――これは、駄目だ。

 これは己を滅ぼす、いや、それ以上の末路を約束する毒だ。
 その理解は正しい。蠍の針には毒がある。オリオンを殺めた蠍ならば尚更。
 アンタレスの毒とは昇天の毒。地上を生きるに値しない存在を、強制的に天へ至らせる星のご都合主義(デウス・エクス・マキナ)。
 かの救済機構とは違った意味で地上を救う、霊長の尊厳を保つための"大義ある殺人"。


615 : 神の不在証明(後編) ◆0pIloi6gg. :2024/12/27(金) 00:55:38 0paBfZ8s0

 猛毒の名、『英雄よ天に昇れ(アステリズム・メーカー)』。
 アンタレスに与えられた権能であり、蛇杖堂寂句の切り札。
 太陽を真に宇宙へ放逐するための最終兵器、その開帳に他ならなかった。

「アーチャー……女神スカディ。その身、その霊基(うつわ)、もはや地上へ存在するに能わず!」

 アンタレスが叫ぶ。
 それは星の裁定。
 大義へ歩む御遣いの処断。

「然らば直ちに天へと昇り、地を見守る星となりなさい――!」

 スカディは神霊だが、何の道理もなく地上に現界しているわけではない。
 針音都市という舞台の特異性。そして霊基の比重を巨人の側面に傾けて、そうして何とか成り立ったイレギュラーな召喚。
 されどその身には未だ、神たるモノの非凡さが絶えず横溢している。
 であれば、それは。天の蠍が裁き、宇宙へ昇らせる条件を言わずもがなに満たしていた。

 膨らむ危機感。
 迫る終末/開闢。
 女神の霊基に物を言わせても回避不可能と分かる結末に、スカディはかつてない速度で脳を回した。
 だが。結局のところ、彼女は最終的に脳ではなく本能で行動を起こすに至る。

「――は」

 笑みを浮かべながら。
 しかし、それでは誤魔化しきれない獰猛な殺意を覗かせて……

「舐めんじゃ、ないよォ――!」

 槍を突き立てられ、今まさに身を滅ぼす猛毒が渦巻いている脇腹を、引きちぎった。

「……!? な、っ……!」
「いやあ今のは悪くなかった!
 だがね、だがねぇ! アタシを……誰だと思ってんだい!?」

 次いで突き立てるのは、蛇の毒を塗った矢尻。
 悪童の神、ロキを苦悶させた大蛇の毒だ。
 患部をもぎ取ることで物理的に減らした毒素を制圧するため、迷いなく違う毒をねじ込む。
 もっともこれは彼女にとっても諸刃の剣どころではない博打。
 口と鼻から溢れ出す血液が、そのことを如実に物語っていた。

 スカディの蛇毒は北欧の神に特効を発揮する。
 それは無論、彼の地で女神を張った彼女自身さえ例外ではない。
 だが、だとしても。スカディは今この瞬間、滅びよりも苦痛をこそ優先して受け入れることを選んだのだ。


616 : 神の不在証明(後編) ◆0pIloi6gg. :2024/12/27(金) 00:56:13 0paBfZ8s0

「あなたは……一体、どこまで……!」
「さあ、手の内が割れたところで仕切り直そうやお嬢ちゃん。
 さっきは悪かったね、アタシも些か無粋が過ぎた。
 熊だろうが蠍だろうが、本気で向かって来る相手に出し惜しむなんざ狩人の名折れさね!」

 巨人が等しく所持する他とは一線を画する頑強さ。
 女神スカディが有する神性、神核、そして対魔力。
 いくつもの特権によって強引に成し遂げられる、星空送りの刑罰からの脱却。
 結末は覆り、苛烈な女神は先ほどの比でない脅威として"魅せた"蠍の前に君臨する。


「此処からはちゃあんと、全霊尽くして、狩り取ってやるともさ」


 ――大気の、温度が。
 何の錯覚でもなく、急激に低下していく。
 下がる、下がる。冷え込む。凍る。
 間近で焦熱地獄が具現しているというのに、冬の世界が顕現を開始する。
 もはや魔法の域にも足を踏み入れた、世界の上に己が界を築く大偉業。
 女神の館、スリュンヘイムが仮想の都市にその全容を露わにする。

 不味い。
 これは、何か、ああでも確実に。
 途方もなく不味い、死が来る――!
 アンタレスの焦燥を無視して、末路を拒んだ女神の声が高らかに響く。


「『狼吼響く(ヨトゥン)――――」


 すべてはその瞬間に始まりかけ。
 しかし、そうはならずに終わった。



◇◇


617 : 神の不在証明(後編) ◆0pIloi6gg. :2024/12/27(金) 00:56:32 0paBfZ8s0
◇◇



『頃合いだ。――ランサー、令呪を以って命ずる。"私を連れ、直ちにこの場を可能な限り離れろ"』



◇◇


618 : 神の不在証明(後編) ◆0pIloi6gg. :2024/12/27(金) 00:57:02 0paBfZ8s0



 事は一瞬だった。
 炎の渦、どちらかが死ぬまで消えることのない嚇炎を。
 切り裂くように現れた赤い鎧の少女が、奇縁ならぬ狂縁で結ばれた暴君と悪鬼を引き離した。
 まずは驚き。だがすぐにそれを一転させ、嚇怒の表情を浮かべ吼えるアギリ。

「なんだよ。此処まで来て逃げんのか、クソジジイッ!」
「言ったろう、貴様の妄言に付き合うつもりはない。
 故、堂々と退かせて貰う。奇襲されたにしては十分な損害も与えられたのでな」

 蛇杖堂寂句は過たない。
 彼はいつだって冷静沈着で、感情で失策をしない。
 そうでなかったことは、生涯通じてただの一度だけ。
 太陽そのものを相手取っているならいざ知らず、その衛星如きに二度目を喫する彼ではない。
 故に下した判断は撤退。退き時と判断したなら後は即断だ。
 アンタレスが宝具を使い、にもかかわらず仕留め切れなかった。
 なのにこれ以上事を引き伸ばすことに、さしたる意義はない――そう踏んだ故の行動だった。

「何、案ずるな……次は後腐れなく殺し切ってやる。無論、相応の準備をした上でな」

 最後に言い残した言葉はすなわち狂気。
 狂人ゆえの、同族嫌悪の発露。
 決着をこの先の"いつか"然るべき時に預けて、恥じず悔いず暴君は撤退する。

 後に残されたのは炎と、開帳寸前でお預けを食らった冷気の残滓のみ。
 こうして、日没の際に巻き起こった小さな星間戦争は幕を下ろした。
 互いと、そして舞台たる仮想の針音都市に、小さくない爪痕を残して。



◇◇


619 : 神の不在証明(後編) ◆0pIloi6gg. :2024/12/27(金) 00:57:26 0paBfZ8s0



 斯くして、撤退は成った。
 相手方にも損害は与えられたし、その上でこちらは致命的な痛手を負うには至っていない。
 予想外の奇襲を受け、先手を許した結果としては間違いなく上々だろう。
 形だけを見れば勝利と言ってもそう言い過ぎではないと、寂句は客観的に今回の戦いをそう評価する。
 が、まったく痛手がなかったわけでもなく。
 それを証明するように畏怖の暴君の右腕には、肩口付近まで痛々しい大火傷が滲みていた。

「此処で良い。もう十分だ」
「しかし、マスター……」
「私は"良い"と言ったぞ。それとも私を説き伏せられるだけの革新的な意見があるのか? であればぜひ聞かせて貰いたいところだが」
「……いえ。かしこまりました、マスター・ジャック」
「よろしい」

 アンタレスの背から降り、寂句はコートの着こなしを整えて小さく息を吐く。
 こうしている間も、右腕は絶えず激痛と熱感を伝え続けている。
 が、所詮はたかだか痛みだ。この程度の刺激は、蛇杖堂の麒麟をめげさせるにはあまりに弱すぎる。
 灰色を煤と延焼の痕跡で汚しながらも、それでも彼は不変のまま。
 まるで何事もなかったかのように平時通りの顔色で、戦地を抜け辿り着いた安息を甘受していた。

「計算外だったな、よもやあそこまで終わっているとは。
 本来ならかすり傷程度で済ませる筈だったが、思いの外焼かれてしまった」

 あの〈嚇炎の悪鬼〉を相手取りながら、腕の一本程度の損傷で済ませている時点で異常であることは言うまでもない。
 それも炭化しているわけではなく、あくまでも一般の基準で重度と言われる程度の火傷だ。
 すなわち寂句に言わせれば、然るべき処置をすれば行動に支障ないレベルの傷でしかない。
 とはいえ――前回一度は下した、明確に格の差を示した相手に負わされた手傷と考えるなら、途端に意味は重さを増すのだったが。

「マスター・ジャック。此度は、本当に申し訳ございませんでした」

 アンタレスが、目を伏せながら寂句に頭を下げる。
 矮躯であることも相俟って、その姿は得も言われぬいじらしさで溢れていた。

「当機構は、己の未熟をつくづく実感しました。
 性能で負け、戦術で負け。……頼みの綱である宝具を抜いて尚、仕留めきれない不始末。
 不徳の致すところと言う他はありません。いかなる処罰も受ける所存です」

 彼女は、傲慢を誅するものだ。
 故に彼女自身が傲ることは天地がひっくり返ってもあり得ない。

 それでも。その冷静な目があろうとも、ガイアの蠍たる自負を踏まえても。
 ……今しがた見えたあの"女神"は、アンタレスの認識すべてを踏み砕くほどに規格外だった。
 自信もこれまでの認識も、すべてを等しく破壊してしまうくらいに。


620 : 神の不在証明(後編) ◆0pIloi6gg. :2024/12/27(金) 00:58:00 0paBfZ8s0

「過誤を報告する際は具体的にしろと言ってある筈だが?」
「……端的に、すべてにおいて及びませんでした。
 当機構の槍は通じず、いかなる手を打ってもその差を埋め合わせられないと理解しました。
 そこで宝具を抜きました。かの存在を昇天するべきと断じ、毒を流しました」
「……、……」
「ですが――それでも、届かなかった。
 申し開きのしようもありません。当機構はかの女神に比べ、圧倒的に劣っていました。……一言、"無能"でした」

 もう一度機会があったとして、果たして勝てるかどうか。
 分からない、とアンタレスの顔色はそう無言の内に告げる。
 そんな少女の哀れさに、蛇杖堂の暴君は。

「貴様、何を思い上がっている?」
「……、え?」

 糾弾するでも憐れむでもなく、眉間に皺を寄せてそう言った。

「貴様を活かすのも殺すのも私の一存だ。
 たかが道具が分不相応に思い上がるな。貴様個人の頭脳や働きになど端から微塵も期待していない」
「え、あ、いえ、で、でも……」
「逆に問うが。
 ランサー、貴様は私があれしきの小僧と揉める程度の事で、大局に目を向けることも忘れるような無能に見えるのか?」

 寂句は人情を解さない。
 いや、解した上で無視する。
 何故なら意味がないから。
 彼の思い描く効率を貫く上で、それは単に脚を引くものでしかないからだ。
 だからこそ今放った言葉に嘘はなく、ひと月聖杯戦争を共にしたアンタレスにもそのことは伝わっている。

「赤坂亜切がああまで壊れ果てていることは想定外だった。
 端からそこに気付いていれば手の打ちようもあった。
 そして故にこそ、"次"は私が勝つ。既に私の脳細胞(ニューロン)にはその図式が出来上がっている」
「……ですが……」
「もういい。ロクな反論も出来ないなら黙っていろ」

 良くも悪くも、畏怖の暴君には嘘がない。
 彼は嘘を吐かない。
 そこに意味が生まれない限りは。


621 : 神の不在証明(後編) ◆0pIloi6gg. :2024/12/27(金) 00:58:23 0paBfZ8s0

「貴様が今すべきことは、己が不手際のみを反省し来たる次に備えることだ。
 その上で助言が必要なら意見してやることもやぶさかではない。
 だが、己の吐く言葉が真に私に益をもたらすものか否かをよく逡巡しろ。
 分かったと思うが、この都市では私でさえ、つまらん些事にうつつを抜かしている暇はないのだ」

 事実、見えたことはいくつもある。
 アギリのアーチャーの真名。
 その実力が、自軍のそれとかけ離れて高いこと。
 そして――アギリ、〈嚇炎の悪鬼〉の炎の真髄。
 知ったからには次は同じ轍は踏まない。
 次こそは必ず殺すと、寂句の脳は既に算盤を弾き始めている。

「代わりの運転手をすぐに呼び、新たな拠点に移る。
 そこで今後の話をする。貴様はそれまでに、無能の無益な煩悶を終わらせておけ」

 それだけ言い捨て、寂句は端末を取り出し通話を始めた。
 アギリやスカディが追ってくる可能性を、彼はこの時点でもう思考から排している。
 時間に直すなら十分にも満たない接敵の中で、己が相対していない方の敵にすら分析を走らせ終えたのか。
 そんなまったくブレない、それどころか果てしなく先鋭化されていく主の姿を見、天の蠍は無言のまま従う他なかった。

(……なんと、情けないのでしょう。当機構は)

 ガイアの使い。
 抑止力の尖兵。
 そして今は、暴君の飼い犬。
 今も昔も誰かに使われるばかりの装置は、確かな自尊心の綻びと共に静かな歯軋りを響かせていた。
  
 大義はひとつ。
 抑止力(ガイア)が命じ、主たる寂句が同じく命じた事柄。
 すなわち――神寂祓葉という〈星〉の放逐。
 果たすべき偉業を変わらず見据えながら、無機なる蠍は思考する。
 その行動が従うべき主を利するか否か、それも解らぬままに今は兎に角考えていく。
 
(私という無能は、果たしてこの舞台で――)

 何を、為せるのだろうか。
 何を為すために、どう歩んでいくべきなのかと。
 静かに、運命の象徴たる蠍は唇を噛んでいた。



◇◇


622 : 神の不在証明(後編) ◆0pIloi6gg. :2024/12/27(金) 00:59:45 0paBfZ8s0
「アイツのああいうところが嫌いなんだよな。ランサーが可哀想だよ、なかなかの妹力をしてるってのに仕事がジジイの介護だなんて」

 はあ、と胸の底からため息をつきながら、赤坂亜切は醜く歪んだ自分の左手を見つめていた。
 呪詛の肉腫は術師である寂句の接触を解ければそこで成長が止まる。
 とはいえ腫瘍自体が消えるわけではないので、それが骨や他組織を巻き込んでいればそれに応じた機能不全が起こるのは避けられない。
 事実、アギリの左手首から先は掴まれていた側の半分が肉腫に覆われ、動かすのに著しい支障を来たす羽目になっていた。

「アーチャー、君、手術とかできたりしない?」
「アタシにンな繊細な芸当できると思うかい? まあ、焼けた鉄で余分な肉を切り落として"それなりに"成形するくらいはできるだろうけど」
「だよな。まあそれでもいいよ。流石にこんなグロい手でお姉(妹)ちゃんには会いたくないしな」

 結果だけを見れば痛み分けだが、蛇杖堂寂句を殺せるまたとない機会だったのには違いない。
 寂句の抜け目のなさは知っていたのでこうなる可能性も想定はしていたものの、せめて英霊の方だけでも潰したかった。
 実際、あの蠍のランサーは倒せる敵の筈だったのだ。
 スカディは彼女にすべての要素で勝っていた。負ける道理がなかった――だからこそアギリとしても今の彼女の姿には不明が残っていた。
 左の脇腹を自ら引きちぎり、そこから今も生暖かい血を滴らせ続けている、己の相棒の姿には。

「いやあ、油断したつもりはなかったんだがね。してやられちまったよ」
「単なるまぐれ当たりってわけでもなさそうだな。ラッキーパンチで不覚を取る君とも思えない」
「黙し語らず、と行きたいところだが……そうさな、恐らくありゃ"権能"の類だろうね。
 宝具か固有の異能か分からないが、アタシは知らぬ間に奴さんの力が起動する条件を満たしちまってたんだな。
 そうでなくちゃあの一撃はあり得なかった。アレは、あのお嬢ちゃんには絶対に放てない一刺しだった」

 とんだ準備運動になったねえ、と伸びをしてみせるスカディ。
 その様子を見るに、元が頑強な彼女にとっては大した手傷ではないのだろうが、それでもこの女神が不覚を取った事実は無視できない。
 寂句達の消えた方角を苛立たしげにアギリが見つめる。スカディもまた、同じ方向を向いていた。

「まだ夜には早いが、この時間になれば君の宝具もだいぶ精度が上がるだろ。追うか?」
「んー……いや、今はいいね。アンタの注文にも応えなきゃならんし、何よりアタシなりに読めたこともある。
 本格的に狩りの時間――夜が来る前に、しち面倒臭い情報共有は終わらせておこうじゃないのさ」
「意外だな。獲物に手を噛まれるなんてしたら君、もっと昂ぶって燃え上がるもんだと思ってたけど」
「とんでもない。十分すぎるほど"そうなってる"よ」

 ゾク――、と、アギリの背筋に冷たいものが走る。
 狂人をさえ寒からしめる、本能レベルで理解させる上位者の昂り。
 スカディは微笑んでいる。だが皮一枚でも剥けば、そこにあるのは狩人の執念だ。
 天蠍アンタレスは雪靴の女神に火を点けた。流れる血と蛇毒の痛みが、彼女の視界を遥かに研ぎ澄ませてくれている。

「ただ、あのお嬢ちゃんはまだ幼体だ。いや、幼虫って言うべきなのかね?
 此処からまだひと皮、ふた皮と剥けてデカくなる余地がある。
 どうせ狩るなら、成果として誇れるくらいの獲物がいいからね。
 今は一旦泳がせて……時が来たらこの傷のお礼をたっぷりさせて貰うとするさ。もちろんあのお坊ちゃんにも、ね」
「ジジイに同情するよ。君に瞳(め)を付けられるなんて悪夢そのものだ」

 初戦は痛み分け。どちらも相応に血を流しながら、相手のことを知る結果になった。
 だが、点いた火は消えない。狂人どものも、英霊たちのも。
 消えることなく燃え続け、火勢は時を重ねる毎に増していく。
 英霊が殺し合うことが何を意味するか。そして、狂人が殺し合うことが何を意味するか。
 その答えは、語らう主従の背景に佇む目黒区の街並みが惨たらしいまでに代弁している。


623 : 神の不在証明(後編) ◆0pIloi6gg. :2024/12/27(金) 01:00:03 0paBfZ8s0

 一面を未だ消えない炎が包み、過去も現在も、これから積まれていく筈の未来さえもを等しく焼いている。
 地面には境界記録帯の激突で生じた損壊がまるで大災害の後かのように刻まれ、遠くからはサイレンの音色がけたたましく聞こえてくる。
 一体どれだけの人命が今回の殺し合いに巻き込まれ、何が何だか分からないまま命を散らしたのか。
 そういう問題に、事の元凶であるアギリは……そしてこの場を去った寂句も、まったく興味を持たない。

 ――彼らの瞳は灼かれている。焼け付いた瞳は、もう光以外のものを映してくれない。

 少なくともこのふたりは、絶望的なまでに"そう"だった。
 太陽、ただ太陽。それだけに支配された、運命の亡者。
 〈はじまりの六人〉、その中でも特段につける薬のない男達。

 星を信じる者。
 星を畏れる者。
 狂気の螺旋は、終わらない。



◇◇


624 : 神の不在証明(後編) ◆0pIloi6gg. :2024/12/27(金) 01:00:42 0paBfZ8s0



【目黒区・中目黒/一日目・日没】

【赤坂亜切】
[状態]:疲労(中)、魔力消費(中)、左手に肉腫が侵食(進行停止済、動作に支障あり)
[令呪]:残り三画
[装備]:『嚇炎の魔眼』
[道具]:魔眼殺しの眼鏡(模造品)
[所持金]:潤沢。殺し屋として働いた報酬がほぼ手つかずで残っている。
[思考・状況]
基本方針:優勝する。お姉(妹)ちゃんを手に入れる。
0:次は殺すからな、クソジジイ。
1:適当に参加者を間引きながらお姉(妹)ちゃんを探す。
2:日中はある程度力を抑え、夜間に本格的な狩りを実行する。
3:他の〈はじまりの六人〉を警戒しつつ、情報を集める。
4:〈蛇〉ねえ。
5:〈恒星の資格者〉? 寝言は寝て言えよ。
[備考]
※彼の所持する魔眼殺しの眼鏡は質の低い模造品であり、力を抑えるに十全な代物ではありません。
※香篤井希彦の連絡先を入手しました。

【アーチャー(スカディ)】
[状態]:脇腹負傷(自分でちぎった)、蛇毒による激痛(行動に支障なし)
[装備]:イチイの大弓、スキー板。
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:狩りを楽しむ。
0:いやあ面白くなってきた。
1:日中はある程度力を抑え、夜間に本格的な狩りを実行する。
2:マキナはかわいいね。生きて再会できたら、また話そうじゃないか。
3:ランサー(アンタレス)は――もっと育ったら遭いに行こうか。
[備考]
※ランサー(ギルタブリル/天蠍アンタレス)の宝具を受けました。
 強引に取り除きましたが、どの程度効いたかと彼女の真名に気付いたかどうかはおまかせします。


【目黒区・不明/一日目・日没】

【蛇杖堂寂句】
[状態]:疲労(中)、魔力消費(小)、右腕に大火傷
[令呪]:残り2画
[装備]:コート姿
[道具]:各種の治療薬、治癒魔術のための触媒(潤沢)、「偽りの霊薬」1本。
[所持金]:潤沢
[思考・状況]
基本方針:他全ての参加者を蹴散らし、神寂祓葉と決着をつける。
0:予想を外したが、成果は上々だ。
1:神寂縁とは当面ゆるい協力体制を維持する。仮に彼が楪依里朱を倒した場合、本気で倒すべき脅威に格上げする。
2:当面は不適切な参加者を順次排除していく。
3:病院は陣地としては使えない。放棄がベターだろうが、さて。
4:〈恒星の資格者〉は生まれ得ない。
[備考]
神寂縁、高浜公示、静寂暁美、根室清、水池魅鳥が同一人物であることを知りました。
神寂縁との間に、蛇杖堂一族のホットラインが結ばれています。
蛇杖堂記念病院はその結界を失い、建造物は半壊状態にあります。また病院関係者に多数の死傷者が発生しています。

蛇杖堂の一族(のNPC)は、本来であればちょっとした規模の兵隊として機能するだけの能力がありますが。
敵に悪用される可能性を嫌った寂句によって、ほぼ全て東京都内から(=この舞台から)退去させられています。
屋敷にいるのは事情を知らない一般人の使用人や警備担当者のみ。
病院にいるのは事情を知らない一般人の医療従事者のみです。
事実上、蛇杖堂の一族に連なるNPCは、今後この聖杯戦争に関与してきません。

アンジェリカの母親(オリヴィア・アルロニカ)について、どのような関係があったかは後続に任せます。
→かつてオリヴィアが来日した際、尋ねてきた彼女と問答を交わしたことがあるようです。詳細は後続に任せます。

赤坂亜切のアーチャー(スカディ)の真名を看破しました。

【ランサー(ギルタブリル/天蠍アンタレス)】
[状態]:疲労(大)、全身にダメージ(中)、消沈と現状への葛藤
[装備]:赤い槍
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:神寂祓葉を刺してヒトより上の段階に放逐する。
0:……不甲斐ない、です。
1:蛇杖堂寂句に従う。
2:ヒマがあれば人間社会についての好奇心を満たす。
3:スカディへの畏怖と衝撃。
4:霊衣改変のコツを教わる約束をした筈なのですが……言い出せる空気でもなかったので仕方ないですが……ですが……(ふて腐れ)


625 : 神の不在証明(後編) ◆0pIloi6gg. :2024/12/27(金) 01:01:35 0paBfZ8s0
【全体備考】
目黒区・中目黒にて大規模な火災と、スカディの矢による破壊が発生しました。


626 : ◆0pIloi6gg. :2024/12/27(金) 01:03:25 0paBfZ8s0
投下終了です。
アギリの一人称を思いっきり間違えていたので投下途中から修正しました(大土下座)。収録のときには残りも修正しておきます。
また、>>587の『そのすべてを退け、自身も満身創痍になりながら――』の文が後の描写と矛盾するので同じく収録のときに消しておきます。
お騒がせしました。


627 : ◆0pIloi6gg. :2024/12/29(日) 02:17:42 WsOCWW6.0
ライダー(ハリー・フーディーニ)
華村悠灯&キャスター(シッティング・ブル)
周凰狩魔&バーサーカー(ゴドフロワ・ド・ブイヨン)
覚明ゲンジ&バーサーカー(ネアンデルタール人/ホモ・ネアンデルターレンシス)
悪国征蹂郎 予約します。


628 : ◆uL1TgWrWZ. :2025/01/01(水) 19:05:21 yWFpFWWc0
投下します。


629 : 相談天国 ◆uL1TgWrWZ. :2025/01/01(水) 19:05:51 yWFpFWWc0
   ◆   ◆   ◆



『蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい』

           ――――マタイによる福音書10章16節



   ◆   ◆   ◆


630 : 相談天国 ◆uL1TgWrWZ. :2025/01/01(水) 19:06:23 yWFpFWWc0



 レミュリン・ウェルブレイシス・スタール。
 その従者、ランサー/ルー・マク・エスリン。

 琴峯ナシロ。
 高乃河二。
 その従者、同じくランサー/エパメイノンダス。

 そして、蛇杖堂絵里――――ヒトの皮を被るニシキヘビ。

 以上、役者は六名。
 立ち話は負傷のあるレミュリンに負担であろうということで、公園の端に備え付けられたベンチやちょっとした段差に腰掛けるなどして、六名三陣営は向かい合った。それぞれ、等間隔に多少の距離を空けている。

 ルーとエパメイノンダス、二人の槍兵は、己のマスターの傍に控えていた。
 といっても、ルーの方はレミュリンに治癒魔術をかけながらのことであったが。
 河二からの治療の申し出を断ったレミュリンだが、多芸なるルーは当然のようにルーンによる治癒も心得ており、彼による回復を受けながらの会談と相成ったのだ。
 蛇杖堂絵里を名乗った女性は、サーヴァントの姿を見せていない。
 琴峯ナシロのサーヴァントは……なにやら歓喜の奇声を上げながら、公園を駆けまわっていた。
 治療を受けながら、レミュリンはその光景に怪訝な顔を示した。レミュリンのみならず、絵里とルーもそうしていた。異様だ。

「………………悪い。その……なんて言うのか……」

 それが奇行であると、マスターたるナシロも理解しているのだろう。
 なんとか事情を説明しようと、言葉を詰まらせる。生半な言い訳は謎を深めるだけであるのは明白だった。

「……誤解を恐れず端的に言えば、あれは『魂喰らい』だ」

 助け船を出したのは、河二である。
 魔術の世界の知識に関してはナシロよりも河二に一日の長があり、やや言葉を飾らなさすぎる面もあれど、理論的に言葉を紡げる河二の方がこの場の説明には適していよう。
 実際、魂喰らい――――という単語にルーが眉をひそめるも、少年はそれを制するように言葉を続けた。


631 : 相談天国 ◆uL1TgWrWZ. :2025/01/01(水) 19:07:09 yWFpFWWc0

「真名に関わるため詳細は伏せるが、彼女は“真っ当な英霊”ではない。
 その性質の一旦として、他者を喰らって力に換えることができるようだ。
 サーヴァントは魔力の純度が桁違いだからな。彼女からすると上質な“餌”ということになるが……マスターである琴峯さんの方針により、現状としてこの能力を濫用する予定はない。そこは安心してほしい」
「……本当かい、嬢ちゃん?」

 説明を受けたルーの念押しに、ナシロは厳粛に頷きを返した。

「ああ。私の目が黒い内は、誰彼構わずなんてのは絶対に許さん。
 もしもの時は令呪を使ってでも止めるつもりだ。これでも聖職者なんでね。神に誓ってもいい」
「神、か……」

 思わず、ルーは苦笑した。
 無論、他意はない。
 ケルトの土着信仰を尊重して融和布教を試みた聖パトリキウスの尽力のおかげで、かの十字教に格段の敵意もない。
 ただ、異なる宗教と言えど、神たるルーに対して「神に誓う」という言葉が出てきたのは、真名も明らかにしていない以上は自然なこととはいえ少しだけ面白い。

「ああいや、嬢ちゃんを笑ったわけじゃないんだ。
 そういうことなら、ひとまず俺はその話を信じよう。レミュリンは……」
「……うん。わたしもひとまずは。“ながら”の話になるのは、治療を受けながらのこちらも同じことだし」
「ありがとう。そう言ってもらえると助かる」

 話を横で聞いていた蛇杖堂絵里も、特に異論無しと言うようにひとつ頷いて見せる。
 これでナシロと河二が魂喰らいを良しとしないことと、ルーとレミュリンと絵里においても同じことが言えるというのが、少なくとも建前として示された形になる。

「では、そのまま僕たちの情報を提示させてもらおう」

 そのまま、河二が話を切り出していく。
 単独陣営である他二名に対し、河二とナシロは既に同盟関係にある。
 である以上、良くも悪くも会話の口火を切るのは彼らからというのが自然な形である。
 それはパワーバランスで上位を取るが故にあえて手の内を晒すということであり、パワーバランスで上位を取るが故にキャスティングボードを握っているということでもあった。
 あくまで後者と捉えられぬよう、慎重に言葉を選んでいかねばなるまい。

「先述の通り、僕と琴峯さん……加えて別行動中のもう一陣営、合わせて三陣営は同盟関係にある。
 蝗害や暴徒騒動など、この東京を大きく揺るがしうる事象に対して積極的に干渉し、状況に喰らい付くための同盟だ。
 陣営ごとに細かな意図は違うだろうが、ともかくそういった方針で協力している」

 あくまで本懐を復讐としてある程度積極的に聖杯戦争に向き合っている河二にせよ、無私にて人々を救いたいと願うナシロにせよ、姿の見えぬ蛇を追う鉄志にせよ――――
 この三陣営六名の同盟は、それぞれの人格的な好悪や利他と利己の塩梅など、様々な想いを胸に抱いているだろう。
 一方で鉄志のもたらした“前回”の情報や、示唆した“ニシキヘビ”の影は、彼ら自身をしてこの同盟がそう短期で解消されるものではなかろうと予感させている。
 もはや彼らは建前だけの関係かと言えばそんなことは無いだろうし、詳細に語ろうと思えばいくらでも言葉を尽くせるのだろうが……対外的に話すことでもなし。
 建前は建前としての存在価値があり、方針は方針としての存在価値がある。
 故に河二が話すのは、建前としての同盟理念。それを、建前であるという念を押しつつもキッチリと明言する。


632 : 相談天国 ◆uL1TgWrWZ. :2025/01/01(水) 19:08:06 yWFpFWWc0

「それで、私たちは蝗害を追ってたんだが、丁度移動中にイナゴの軍勢が誰かと戦ってるのを目にしてな。
 手掛かりを求めて急行して……レミュリンって言ったな。倒れていたアンタとそっちのランサーに遭遇して、今に至る」
「ハッキリ言っちまえば、あのイナゴの軍勢とやり合ったであろうお前らから情報を得たい。
 よって交戦の意思ナシ、交渉の構えアリだ。ああいう規格外の方が対処優先度が遥かに高いからな」

 ……なお、実のところレミュリンのランサーたるルーも、ついでに言えばこの場には姿を見せていないが蛇杖堂絵里の従える天津甕星も、十分に規格外と言える存在ではある。
 かたやひとつの神話体系における主神、かたや神々を脅かしたまつろわぬ疑神。
 ダウンサイジングこそされているが、いずれも通常の聖杯戦争に呼び出すにはオーバースペックな存在と言えよう。
 なんだったら悪魔の王の力を借り受けているヤドリバエですら通常のサーヴァントの枠組みからはいくらか外れた存在であり、この場において“まっとうなサーヴァント”というものはエパメイノンダスぐらいのものとすら言える状況なのだ。

 とはいえそれですら、あの“蝗害”とは次元が違う。
 霊格を論ずることすら馬鹿馬鹿しくなる、災厄の擬人化。
 黙示録の黒騎士の原型たる、終末のシナリオそのもの。
 人も神も鉄も塵も、全てを貪る暴食の化身。
 その気になれば世界を喰らい尽くすことも現実的であろうあの災害は、恐らくはこの東京に住まう全ての者が明確な脅威として認識している。

 故に「なにはともあれアレをどうにかしたい」というエパメイノンダスの主張は、一定の説得力を伴って響いていた。

「あ、私も似たようなもので……いや、そんなにしっかりした理由ではないんですが」

 と、控えめに挙手するのは蛇杖堂絵里。
 この場にいるマスターの中では年長となる、スラリとした美しい女性。
 細かな所作にどこか品があり、けれど親しみやすさを与える程度の隙がある、そんな人物。

「やっぱり目立ちますからね、あのイナゴ。
 もしも怪我をしている人がいたら、助けなきゃって思って。一度は医師の道を志したこともある身ですから!」

 一度は……ということは、今は違うのだろう。
 無論、医師の道はあまりに険しく狭き門。ドロップアウトも珍しいことではない。
 しかし蛇杖堂という珍しい姓と医師という職業は、否応なく当然蛇杖堂記念病院の院長たる蛇杖堂寂句を想起させる。
 そしてかの老医師が、“前回”の参加者たる『はじまりの六人』の一角であることを、他の面々は知っているのだ。
 自然と警戒のギアがひとつ上がる……そのことを肌で感じているのであろう絵里は、不思議そうな様子だった。心当たりがない、という風な。

「…………失敬。不躾なことを訊ねるが、蛇杖堂というのは――――」
「あ、はい。港区にある蛇杖堂記念病院の院長が遠縁でして……幼い頃に親戚の家に預けられたので、面識は無いんですけどね。
 両親にもほとんど会ったことがなくて、医師になれば会えるかも……なんて不純な動機で医学部を目指したら無事に浪人しちゃいました。あはは……」

 ……この段階で、河二は絵里の事情を察した。レミュリンもおよそ。
 つまり、彼女は蛇杖堂の後継者“ではない”子女なのだ。
 スペアとして教育を受けた次男の河二も、魔術と無縁の教育を受けた次女のレミュリンも、立場としては同じ。
 そして蛇杖堂絵里はレミュリンと同じく……あるいはもっと徹底的に魔術の世界と縁を切り離され、無辜の市民として今日までを生きてきたのだろう。
 ある程度魔術師の常識を知る者なら、自然とその可能性に思い当たるだろう。


633 : 相談天国 ◆uL1TgWrWZ. :2025/01/01(水) 19:08:47 yWFpFWWc0

「あ、だからよかったらわたしのことは絵里って呼んでくださいね。姓の方だとちょっと気遅れしちゃうので……」

 当然だ。
 そのように“設定”して、ちゃんと自分で思い当たるように語っているのだから。
 他ならぬ、“蛇”の悪意がそうさせている。

「……わかりました。それじゃあわたしからもひとつお聞きしたいんですが、絵里さんのサーヴァントは……」
「う。あの子はちょっと……単独行動中というか……」

 絵里の視線が泳ぐ。
 その所作のひとつひとつが、彼女の無害さを印象付けている。
 人を見る目に長けた百戦錬磨のエパメイノンダスでさえ、絵里のことを無害な市民であると認識し始めている。
 数多に蓄えた少女のたましいから導き出される、無害の皮を被った蛇を、誰も脅威とみなせない。

「実はそのう……アーチャーとはちょっと、うまくいってなくて……
 強いんですけど、その分結構好戦的なサーヴァントで。わたしを置いて戦いに出かけちゃうんです。
 すごく“目がいい”みたいで、わたしが危ない時は助けに来てくれるんですが……」
「……まぁ、“従者(サーヴァント)”とは言うものの、実態としては人類史に名を刻んだ偉人英傑、あるいは魔物たちだ。
 その全てがマスターに従順なわけではないし、我の強い英霊ならそういうこともあるか。むしろ従順な方が奇跡とすら言えるかもしれないな」

 例えばそれこそナシロのヤドリバエなどは、本質としては悪性の存在である。というか悪魔である。
 圧倒的に不足した実力のせいで現在はナシロに従っているが、もしも力関係が逆転したならばあれは嬉々としてナシロの制御を離れ暴走を始めるだろう。
 もちろんその抑制のために令呪というものがあるわけだが、三度しか使えぬ命令権をおいそれと使うわけにも行くまい。

「主従云々はともかくとしても、一緒に聖杯戦争を勝ち抜こうって相棒ではあるんだ。
 その相棒をほっぽって戦いに行こうだなんて、悪手もいいとこだと俺ァ思うがね……ん、どうしたそっちのランサー」
「ああいや、ちょっとばかり身につまされる話だな、と……しかしランサーが二人いるのは少しややこしいな。呼び名を考えるか?」
「無難だね。なら俺は“将軍”にしておこう。“将軍のランサー”で頼む」
「では俺は……“光のランサー”とするか。わかりやすくていい」
「話が早いなアンタら……」

 即席の仮称、成立。
 気風のいい二人の槍兵は話も早く、なんならこの二人を矢面に出し合えば話し合いはあっという間に終わってしまいそうな気配すらあった。
 無論、彼ら自身が主への配慮からそれを良しとしないという点でも彼らは共通しているのだが。

 閑話休題。
 高乃河二、琴峯ナシロ、蛇杖堂絵里はそれぞれの目的を明かした。
 その目的は共通して、蝗害への警戒と生存者への接触。
 敵対の意思はなく、レミュリンという生存者から情報を得たいと考えている。

「…………わかりました」

 ならばレミュリンも、明かさねばなるまい。

「では――――お話しします。ここで何があったのか」

 彼らが望む情報と、レミュリンが望むものの話。

「――――――――わたしの、戦いの話を」


634 : 相談天国 ◆uL1TgWrWZ. :2025/01/01(水) 19:09:51 yWFpFWWc0



   ◆   ◆   ◆



 ――――レミュリンは隠すことなく、ここで起こった出来事を話した。
 あるいは、それ以上のことを。

 公園で見かけたマスターに情報を求めて話しかけたこと。
 交渉に失敗――というよりは一方的に打ち切られ、戦闘になったこと。
 そこで相手が蝗害の主であることが明らかになり、苦戦を強いられたこと。
 抵抗の果て、ほとんど見逃されるような形で相手が去って行ったこと。
 そして――――

「マスターの子は……サーヴァントの方に、イリスって呼ばれてた。
 白と黒の二色を半々にした、すごく目立つ格好だったから……見ればすぐにわかると思う」
「っ――――!!」

 ……その名前に強い反応を示したのは、ナシロであった。

「……知り合いかい、嬢ちゃん?」
「…………クラスメイトだ。と言っても、あっちは不登校だしほとんど会ったこともないけどな」

 会話の機会も一度だけ。
 それはほとんど最悪の邂逅で、率直に言えば嫌いな相手ではあったが――――

「……そうか、あいつが……あいつが“蝗害”のマスターだったのか……」

 今、この東京全土を脅かし、数多の命を喰らい、数多の人々に恐怖を与える大災害の、主。
 それはただ一度の邂逅で交わした会話から推測される彼女のパーソナリティから見て、あり得ない話ではないように思えた。
 ワガママで癇癪持ちで、常に不機嫌で、それを振りかざすことに躊躇の無い女。
 加えて魔術師ともなれば――――彼女が己に与えられた“災害”を乱暴に振り回し、この東京を喰らっている現状は自然な状態であるとすら思える。

 それでも、ナシロは衝撃を受けていた。
 たった一度とはいえ見知った顔の、クラスメイト。
 自分と同じ学校に籍を置く少女が、あの蝗害の主であったなどと!

 ――――加えてそれは、不登校児への訪問カウンセリングという名目で彼女に会う予定の恩師ダヴィドフ神父の危険も意味しているのだ。

 彼を止めねばなるまい……しかしどうやって?
 渦巻きそうになる思考を、ナシロは大きく深呼吸をしてどうにか制御した。
 考えるのは後。
 今はまず、この話し合いを進めねばなるまい。

「悪い、もう大丈夫だ。不登校とはいえクラスにあの災害の主がいるとは思わなくて、動揺した」

 ナシロを自らを律し、前を向くことができる少女だ。
 ウダウダ言っている暇があったらまず行動。それができる強さが彼女にはある。

「……予想はしていたが、やはりあの“蝗害”は相当な強敵のようだな。
 マスターを叩くことができればあるいはと思っていたが、マスターの方もかなりの手練れか……」
「相対的に見れば弱点には違いないんだろうけどな。ま、強さの質と方向がわかりゃあ策も練れる。やりようはあるさ」

 一方で河二とエパメイノンダスは、対蝗害戦の算段に思考を巡らせ始めていた。
 率直に言って絶望的なまでの強敵だが、格上の大国を相手取って来た不敗の将軍にしてみればそれでも“やりようはある”のだろう。頼もしい。

 情報を求め、情報を得た。
 彼らは着実に進んでいる。前へ。一歩ずつ。

 そして――――

「あの……それでレミュリンちゃんは、これからどうするんですか?」

 絵里の問いに、視線がレミュリンへと再度集まる。
 ナシロの視線も、河二の視線も、エパメイノンダスの視線も、そしてルーの視線も。
 蝗害の魔女と一線交え、敗北に限りなく近い形で見逃され、負傷し……その上で。
 レミュリン・ウェルブレイシス・スタールは、どうするのか。

 ……どう、したいのか。

 レミュリンはこの問いの答えを、もう持っている。
 けれど、まだ持っていないとも言える。
 何をするべきなのか、何を選ぶべきなのか。
 自分のことも、誰かのことも、レミュリンはまだわかっていない。
 だからまだ、これからどうしたらいいのか、わかっていない。


635 : 相談天国 ◆uL1TgWrWZ. :2025/01/01(水) 19:10:59 yWFpFWWc0

 今日の昼、あの奇術師に示された選択肢は三つ。

 脱出を目指す。
 優勝を目指す。
 家族の仇を討つ。

 どれを選ぶべきなのか、まだわかっていないのだ。
 けれどもう――――彼女は答えを出している。


 ――――わたし、ちゃんと、あなたの魔術師(マスター)になりたい。


 それは意識を失う前、彼女がルーに告げた言葉。
 ただひとつ、明確に、レミュリンがやりたいこと。やるべきこと。
 三叉路にすら立てていないレミュリンが、そこに辿り着くために見定めた灯火が如き道としるべ。

「わたしは……」

 そのために、何をするべきなのか。

「――――――――アギリ・アカサカという人物を、追います。私の家族を殺した男を」

 果たして自分が、家族の仇を討つべきなのか。
 それはまだ、わからないけれど。
 知りたい、と思う。
 あの日、あの時、レミュリンの人生から失われた“3点”が、どうして失われた、どんなものなのか。
 それを知るために――――赤坂アギリを追うべきだと、会うべきだと、レミュリンは思うのだ。
 きっとこれがレミュリンの“戦う道”なのだと、彼女自身が決めたから。

「……その名前も、知ってるぞ」

 そして――――また、運命は加速する。

「え……」

 答えたのはナシロ。
 その隣で、河二も静かに頷いている。

「赤坂アギリ……さっき話した私たちのもうひとりの同盟者が、そいつからコンタクトを受けてる」
「その“もうひとり”――雪村さんと言うんだが、彼の職業というのがいわゆる探偵でな。
 偶然に赤坂アギリ側が他のマスターの調査を依頼しようとして、お互いに参加者だと認知したということらしい」

 直接的な面識ではない。
 あくまで間接的な、そして偶発的な繋がり。
 けれど――――赤坂アギリが友好的なコンタクトを取ろうとした相手が、接触可能な位置にいる。

「そのまま交渉は決裂、というより雪村さんの方から打ち切ったそうだが。
 彼の求める情報があれば、こちらからコンタクトを取ることもできるかもしれないな」
「そ、その、アギリ・アカサカが求めている情報っていうのは……」

 不意に見えた道筋。
 無意識に、レミュリンは唾を呑み込んでいた。


636 : 相談天国 ◆uL1TgWrWZ. :2025/01/01(水) 19:11:42 yWFpFWWc0

「いくつかの陣営の情報ということだったが……いや、これも話してしまおう。どうだろうか?」
「ああ……いいと思う。今のところ、こっちだけ欲しい情報を貰ってる形になってるし」
「切って損するほど確かな情報でもねぇしな。いいと思うぜ」

 同盟三人の間で、簡易な確認がありつつも。

「……これは、その赤坂アギリの供述による仮説に過ぎないと思ってもらいたいんだが……」

 河二が話したのは、この戦争が“二回目”であるということ。
 先だって七騎七陣営の聖杯戦争があり、その聖杯戦争の優勝者が聖杯の力で開催したのがこの針音響く聖杯戦争であり、偽りの東京であろうという仮説。
 そしてはじまりの聖杯戦争に参加していた敗者たちは、なんらかの奇跡を行使されてこの偽りの東京に蘇ったのであろうということ。
 ……赤坂アギリも、その内のひとりであろうということ。

「そ、そんな、じゃあ……」
「…………そうだ。赤坂アギリの証言と、この仮説が正しいのならば……彼は既に一度敗死している。
 完全なる死者蘇生ではなく、この仮想された東京という箱庭の中に限定する再現蘇生であれば十分に可能であろうというのが僕の個人的見解だ」

 告げられたのは、家族の仇の死。
 彼は既に一度負け、死んでいるという事実。
 スタール家を燃やした暗殺者は、とっくにレミュリンの知らないところで死んでいたのだ。
 それはレミュリンにとって強い衝撃であり――――彼女の決意を固めさせるのには、十分すぎる話でもあった。

「……なら、なおさらだよ。
 これがきっと、わたしがアギリ・アカサカに会える最初で最後のチャンスなんだ」

 この時を逃せば、二度と機会は訪れない。
 赤坂アギリは既に亡霊であり、いずれはこの仮想東京と共に消えゆく存在に過ぎないというのならば。
 レミュリン・ウェルブレイシス・スタールは、強い覚悟と決意を持って進まねばならないのだから。

「改めて、教えて欲しい――――彼が情報を求めていた、他の陣営っていうのは?」

 問われた河二は、ここで一度、ちらと絵里の方を見た。
 視線を受けた絵里は、どうして視線を向けられたのかもわからない様子できょとんとしている。
 ……その反応も当然だろう。
 だがほんの少しだけ、その先を話すことは憚られた。
 憚られたが――――けれども隠す道理も無く、河二は口を開く。

「……予想はついているかもしれないが、“前回”争った他の参加者らしい。
 傭兵ノクト・サムスタンプ、ガーンドレッド家のホムンクルス36号……」

 “前回”を経験した亡霊たちにとって、明確に“敵”とみなす価値があるのは同じく亡霊たちのみ。
 懐中時計に導かれた他の参加者たちは、まさしく“その他大勢”として歯牙にもかけておるまい。
 せいぜいが、他の連中を削るのに利用できる駒という程度の認識だろう。
 故にアギリが求めていたのは、当然の如く他の亡霊のことであり――――

「…………蛇杖堂記念病院名誉院長、蛇杖堂寂句。この三名についての情報を求めていたそうだ」

 その中には、“蛇杖堂”の長の名も連なっている。


637 : 相談天国 ◆uL1TgWrWZ. :2025/01/01(水) 19:12:15 yWFpFWWc0

「……そう、ですか……」

 “蛇杖堂”絵里の反応は、しかし河二が危惧するよりは軽いものであった。
 彼女にとって“本家”はあまりに縁遠い話であり、衝撃を受けるほどのことでも無いのだろう……と、いう想定から紡がれたリアクション。

「少し不思議な感じはしますが、わたしは大丈夫ですよ。さっきも言いましたけど、会ったこともない親戚ですから……」

 実際、それが自然な反応であっただろう。
 想定もしなかったところから現れた自らのルーツの情報など、現実味を感じろという方が無理があるのだから。

「でも……そうですね。それが事実なら……わたし、レミュリンちゃんの力になれるかもしれません」
「え……?」

 だから自然な反応を示しながら――――蛇は、ちろりと舌を伸ばす。

「寂句先生の情報を手に入れれば、赤坂アギリという人に会えるんですよね。
 親戚のわたしなら、自然な形で寂句先生に繋ぎを取れるかもしれません」

 理由はなんとでもなる。
 聖杯戦争に参加したことによって蛇杖堂の家が魔術に関わるものだと考え確かめに来た、とか。
 寂句が聖杯戦争の参加者であると知り、血の縁を辿って庇護を求めに来た、とか。
 適当な理由をつけて絵里が会いに行けば――――あの有能な老人は蛇の意図に気付き、話を合わせてくれるだろう。

 蛇杖堂寂句とニシキヘビは繋がっている。
 その事実を知る者は、当人たち以外は誰もいない。

 故に蛇杖堂絵里は、善意の皮を被って忍び寄ることができるのだ。

「いえ、でも……戦いになるかもしれないんですよ? 流石にそれは……」
「……そうだな。それは流石に、キミの方に得が無さ過ぎる」

 ああ、そうだ。
 蛇はその言葉を待っていた。
 内心のほくそ笑みをおくびにも出さず、ニシキヘビは柔和な微笑みを浮かべて見せる。

「――――貴女は助けを必要としていて、わたしは助けになれる。
 これを見なかったことにしたら、わたしはきっと後悔すると思うんです」

 卓上に乗せる無私の善意。
 健気な女の損な性分を演出し、懐に滑り込む。

「……それに、ショックは無かったけど……自分のルーツに興味が無いといえば、それも嘘になりますから」
「絵里さん……」

 レミュリンはこれを疑えない。
 率直に言って、対人経験値が違い過ぎる。
 たかだか17歳の小娘に、数十年に渡って社会を闇から支配している怪物は手に余る。
 ルーもやはり、これを疑えない。
 無辜の善意を疑うのは、まったくもって“英雄的”な行いではないからだ。
 過剰な霊格を英霊レベルにダウンサイジングした結果といて、ルーは英雄的に振る舞うことを強いられている。

 故に彼ら彼女らは、蛇杖堂絵里を疑えない。
 それは話を横で聞く高乃河二にとっても、琴峯ナシロにとっても同じこと。
 ヒトのたましいを喰らい、可能性を装束に換える悪辣なニシキヘビは、人々の善意を食い物にするのが大の得意なのだ。

「――――そういうことなら、僕からもひとつ提案があるのだが……」

 だから当然、河二とナシロが蛇杖堂絵里の“善意”に報いようとするのも想定通りであったし――――


「――――――――おっと、待ちなマスター」


 ――――エパメイノンダスがその言葉を制するのは、少しだけ想定外で。

「どうした、ラン……将軍」

 主の怪訝そうな視線に、ちっちっちっ、と指を振って笑いながら。

「そいつは悪手だぜ。……ま、ここは俺に任せときな」

 テーバイの名将は、蛇杖堂絵里を疑わぬままに“戦闘”を開始した。


638 : 相談天国 ◆uL1TgWrWZ. :2025/01/01(水) 19:14:07 yWFpFWWc0



   ◆   ◆   ◆



 ――――無論、本当に武器を構えて“戦い”を始めるわけもなく。

「マスターの言いたいことはわかるさ。情報提供の礼も兼ねて、協力を申し出ようとしたんだろ?
 “前回”参加者たちへの警戒は俺たちの同盟理念にも合致してるし、サーヴァントも連れずに他の参加者を助けようっていう嬢ちゃんの姿勢に心が動いちまったのもわかる。
 聞く限り方針がかち合うことも無さそうだし、嬢ちゃんたちを同盟に誘うのは確かに自然な流れだろうよ」

 エパメイノンダスはそれぞれからおよそ等間隔の位置に立ち、それぞれを見回しながら、身振りと手振りを交えて語り始める。
 それはまるで演説のような――――否、まさしく演説そのものだ。
 抑揚、所作、視線、立ち位置、言葉選び。
 その全て、経験と計算によって培われたひとつの武器。

 いかにも、彼はただの将軍ではないのだから。
 古代地中海の社会において、軍人とは通常、政治家も兼任するものである。
 正しく分類をするなら、彼は軍政家。
 国家の有力者が従軍し、功を挙げた武人がそのまま議会での発言力を高めた時代の英雄。
 そして古代地中海の政治とは、議会を演説で説き伏せ支持を得たものが勝者となる、弁論の戦場であった。

「だが、そいつはいけねぇ――――俺たちの同盟はもう“定員”に達してる」

 故に彼は軍人として、政治家として――――この場の意見を掌握する。
 理と情を巧みに使い分け、語りかけ。

「……定員、というのはどういうことだ?」

 時に聴衆から言葉を引き出しながら――――

「なに、そう難しい話じゃねぇ。
 ただ単純に、これ以上の陣営を引き入れちまうと俺たちは方針の摩擦を制御しきれねぇのさ」

 彼の演説が、淀みなく紡がれていく。

「案外みんな忘れっちまうことなんだが――――実は人間ってのは、それぞれものの考え方が違うんだよ」
「いや……それはそうだろ。皆が同じ考えだなんて、その方が気持ち悪くないか」
「その通り。だが人間ってのは間抜けなもんで、一緒にいると「相手は自分と同じことを考えてるはずだ」って思い込み始めちまうんだな、これが」

 人間の心は、それぞれが別の形をしている。
 そんなことは当たり前のはずなのに――――ヒトはつい、その“当たり前”を忘れてしまう。
 自分の常識が世界の常識だと、心のどこかで思ってしまう。
 自分とずっといる人間は、同じ価値観を持っているはずだとなんとなく思い込んでしまう。
 頭では「違って当然」とわかっているはずなのに、心のどこかは「当然同じ」だと思いたがってしまう。

「それが命に関わることなら、なおさら考え方は違って当然なのにな。
 俺達は戦う理由も、戦いに対する考えも、何もかもそれぞれ違うものを持っているはずなのに……ひとつふたつ共通点を見つけると、まるっきり同じ考えだと思っちまうのさ」

 あるいはそれは、将として戦士たちの士気をコントロールしてきた者が手に入れた視点か。
 それとも、“愛”という“戦う理由”を共通点として規格化した軍隊を率いていた者が得た経験なのか。
 ともあれ彼の言葉は、言葉にしてしまえば当然のことなのに、不思議な重みがあった。

「この勘違いはいずれ、致命的なズレを生んで双方の身を滅ぼす。
 そうならないように注意してすり合わせられる限界が、まぁ三陣営ぐらいだろうよ」
「……それが、定員か」
「そーいうこった。それ以上の同盟を組むならよっぽど具体的な上下関係があるか、よっぽど短期間に限定されてるか……どっちかの条件が必要になる」

 それが明確な上下関係を元に組まれた同盟や、ごく短期間の具体的な目標のために組まれた同盟であれば、そういった“考え方の違い”による摩擦の影響を受けずに済むだろう。
 前者は力関係が摩擦を捻じ伏せ、後者は摩擦が生じるほどの時間が存在しないのだから。
 だがそうでなく、ただぼんやりとした危機意識と善意で構築された同盟であれば――――これ以上の陣営を抱えることは破滅を意味すると、エパメイノンダスは判断している。


639 : 相談天国 ◆uL1TgWrWZ. :2025/01/01(水) 19:15:13 yWFpFWWc0

「だからこれ以上の同盟ってのは悪手だし、俺は強く反対させてもらうぜ、マスター」

 彼の言葉には、確かな“理”があった。
 経験と能力に裏打ちされた、理路整然とした演説。
 こうなってしまえば、河二に反論の余地は既にない。
 現にこうして“方針の違い”を突き付けられている現実が、完全に反論の余地を奪っていた。
 なるほどこれは確かに、これ以上に人を集めれば制御できなくなっていくであろう、と。

「――――けど、俺は気遣いの出来る優秀なサーヴァントだからな。
 お嬢ちゃんがたの力になってやりたいマスターの意を汲んで、俺からもひとつ提案を示そう」

 そうして反論が無いことを十分に確認した上で――――エパメイノンダスはさらに一歩、踏み込んでいく。

「同盟は無理でも、協定なら結ぶ余地がある――――窓口を作っておくのは、悪い事じゃないと思うぜ?」

 ウィンクひとつ。
 これぞまさしく、軍政家の戦場であった。

「……将軍、お前が言いたいのはつまり……仲間にはならないが協力はする、というようなことか?」
「およそそんなとこだよ、光の。
 当然、協力にはその都度対価を要求する。貸し借りで勘定したっていいがね」

 同盟ほど強固ではない、緩やかな協力関係。
 一度結ばれた同盟というものは、ある程度損得を度外視して双方の利益のために助力しあうものだが――――そうではなく、あくまで損得を前提に協力する余地を与え合う、という関係の提案である。

「交渉窓口の明示的な設置、と言い換えてもいいか……とにかく協力に足る理由があると判断すれば協力するし、無いと思えばしない。
 俺達はそうするし、お前たちもそうしろ、って話さ。さっきも言ったが、現状は優先して対処したいことが多すぎるからな」

 この形であれば、方針の違いに悩むことはない。
 双方の方針が食い違っていると思えば、その時に協力を断ることができるからだ。
 それは無難と言えば無難で、妥当と言えば妥当な提案と言えた。

「……マスターは、どう思う? 俺は悪くない話だと思うが……」
「わたしは……ううん、願ってもないことだと思う。
 どのみちジャクク・ジャジョードーの情報を手に入れたとしても、それを手土産にアギリ・アカサカにコンタクトを取るなら向こうの探偵さんの協力が必要だろうし」
「そうだな。俺も同意見だ」
「あ、わたしも……というかわたしから出せる対価なんてほとんど無いんですけど……すごくありがたいなって思います」

 となれば当然、提案を断る理由も無い。
 レミュリン達からすれば、そもそも力を借りられる時点で望外の幸運なのだ。
 例えそれが条件付きのものだとしても、あるいはだからこそ、これほどありがたい話もない。

「………ってなわけだ。悪いなマスター。また話の腰折っちまった」
「いや……ありがとう、将軍。貴方の言うことは正しい。
 思うに僕はいささか……甘すぎるのだろう。こうして締めるべきところを締めてくれるのは、率直に言って非常に助かっている」
「……そうだな。私もアンタが正しいと思う。ここはアンタに従うよ、将軍」
「そう褒められると照れるがね。とはいえその甘さはコージとナシロの美徳でもある。気にせず俺を頼ってくれればいいさ」

 ……率直に言って、場数が違う。
 軍と政、理と情。
 複数の視点を巧みに使い分けるその視座は、この聖杯戦争においても希少な能力のひとつ。
 他にこの視座を持つ英霊は、陰陽道の始祖か、狂える十字騎士か、暗殺教団中興の祖か――――君臨する王ではなく、束ねる将のひとりとして培われた才覚と言えよう。

「さて、それじゃあ改めて――――無理ない範囲で手札を交換していこうか!」

 場の主導権を握りつつも、支配はしない。
 あくまで対等の立場を互いに担保した上で――――将軍は、演説を締めくくった。


640 : 相談天国 ◆uL1TgWrWZ. :2025/01/01(水) 19:16:34 yWFpFWWc0



   ◆   ◆   ◆



(ううん……少し読み違えたな。
 情で訴えて押し切れると思ってたが、軍政家の類を呼んでいたか……)

 続く話し合いをそつなくこなしながら、“ニシキヘビ”は内心で嘆息を零していた。
 レミュリンも、河二も、ナシロも、善人の皮を被って情に訴えれば押し切って懐に入れると思っていたし、実際その読みは間違っていなかったのだが。
 高乃河二の従えるサーヴァント……恐らくは地中海系の軍人かなにかだろう。
 即ち理と情の両輪を操る、議会での舌戦を得手とする手合い。
 情で押すことはできたが、理の観点を欠いていた――――思わぬ伏兵の存在で、望む結果は得られなかったという格好になる。

(ま、特に問題はない……少なくとも疑われてる様子は無いし、交流のフック自体は作れたしねぇ)

 だが、狡猾なるニシキヘビはその結果すら良しとする。
 なにも焦る必要はない。
 狙った結果こそ得られなかったが、得た結果そのものは見ようによっては悪くないものだ。

(このままかわいいレミーと行動を共にして、様子を伺えばいい。
 じっくり信頼を育んで行けば、いずれチャンスは来るさ……レミーにしても、楪依里朱にしても、ナシロちゃんにしてもね。
 問題があるとすれば、おいしく育った子供たちがあちこちにいて目移りしちゃうってことぐらいかな)

 蛇の狩りは、身を潜めて獲物を待ち伏せるもの。
 獅子や狼のように、必死に駆けまわって獲物を追うようなことはしないのだ。
 ただじっくりと準備を整え、必要な瞬間に喰らい付いて飲み込んでしまえばいい。
 事態はまだ、蛇の狩り場から離れてはいない。
 全ては彼の射程圏内であり、掌の上――――無論、邪魔な“将軍”にはどこかで退場願うことになろうが。

(あのイナゴを食べてる小さいのは……ううん、ちょっと違うな。
 多分根本からして人間とは別種のたましいだ。あの老人のサーヴァントと同じ。ゲテモノ食いの趣味は無いんだよねぇ)

 だから蛇は心の中で舌なめずりしながら、獲物を見定める。

(聞く限り、楪依里朱も微妙そうだなぁ。予想はしてたけど、壊れた亡霊にはそんなに興味は無いし……
 こっちはアーチャーにやらせるか。可能なら生け捕りにさせるぐらいでいい。
 食べてみたら案外、ってこともあるかもしれないし)

 蛇が好む食事は、“可能性”そのものだ。
 終わってしまった亡霊というのは、どうにも食指が動かない。
 とはいえ受けたオーダーを果たしてやるぐらいの義理はあるし、後でナシロたちを平らげるための布石にするのは悪くない選択肢だろう。
 彼女たちは蝗害を追うようだが、あの規格外の災厄に食いつくされてしまってはあまりにつまらない。
 蛇の中でイリスに対する獲物としての優先順位をいくらか落としつつ、しかして食事のチャンスは狙っておく。
 支配の蛇は強欲なのだ。

(さぁ、まずは蛇杖堂の御老体と、赤坂アギリか……流石にあの老人を始末するのはまだ早いかな?)

 蛇自身が盤面に立とうと、何も変わらない。
 確実に獲物を腹の中に収めるその瞬間を、お膳立てして待ち侘びればいい。

「――――それでは、僕達は引き続き蝗害を追う。まだそう遠くには行っていないはずだ」
「ああ。それに……最悪、場所を割る伝手はあるしな」

 蛇が内心で策謀を巡らせる一方で、話は大筋でまとまった。
 話している内に陽は沈みかけ、もうほとんど夜に近い時間帯になっている。


641 : 相談天国 ◆uL1TgWrWZ. :2025/01/01(水) 19:17:37 yWFpFWWc0

「ただいま戻りましたァ!!!!
 フハハハハハ見てくださいよナシロさん数多の眷属を従えさらなる高みに到達したこの私の姿を!!!!!
 もはやあのちびっこなど相手にもなりませんよ!!!!!! 無敵です無敵!!!!!!!!」
「……復帰早々やかましいなオマエは……」
「あ、お話し終わったんですか? フフフ残念ですねぇ存在としての格を上げたこの私の威圧感で交渉テーブルを制圧して差し上げるのもやぶさかではなかったのですが!!」
「調子に乗るな」

 琴峯ナシロと高乃河二は、蝗害の追跡調査を再開。
 ナシロの言う“伝手”というのは……おそらく、ダヴィドフ神父のことだろう。
 どうにか彼と交渉して、楪依里朱の住所を聞き出すつもりなのか。訪問カウンセリングを代わるとでも申し出るつもりなのかもしれない。
 まさかその“ダヴィドフ神父”が目の前にいるとは露ほども思っていまい。
 思わず噴き出しそうになるのを、蛇は必死にこらえた。

「わたしたちは……ジャクク・ジャジョードーに会いに行く」
「……戦闘になる可能性は高い。だが、俺達は絶対に生きて帰って来る。
 その時は改めて、例の探偵とやらに繋いでもらおう」

 一方のレミュリンは、情報を求めて蛇杖堂寂句へコンタクトを試みる。
 当然、その道行きには――――

「わたしも、微力ながらお手伝いします。頑張りましょうね、レミュリンちゃん!」

 ――――“縁”を持つ蛇杖堂絵里も同行する。
 絵里が小さく拳を握って向けた笑みに、レミュリンは少しだけぎこちない笑みを返した。

「それから……アギリ・アカサカのサーヴァントについての情報も、ありがとう」
「いや、正直それもまた聞きの話だしな……相当強い相手なのは間違いないらしい。気を付けろよ」

 赤坂アギリのサーヴァント……スカディについての話も、既に共有してある。
 能力の詳細はわかっていないが、その真名と、規格外の弓兵であることだけは間違いがない。
 これはイリスと蝗害に関する情報の返礼として提供されたものだった。

「なぁに! 北方の狩猟女神なにするものぞ! マスターにはこの俺がついてる! 問題は無いさ!」

 だが、ドンと胸を叩いて笑うレミュリンのランサーとて――――ひとつの神話体系における、主神の位置を占める光の神。
 英霊としてダウンサイジングされているとはいえ、それは双方同じ条件。
 相手にとって不足無し――――ルーのその宣言に、レミュリンは期待を込めて頷きを返した。

「頼もしいな。期待して待ってるぜ、光の」
「そっちもな。あの災厄も、マスターの魔女も、恐ろしく強敵だ。気を付けろよ、将軍」

 いいコンビ、なのだろう。
 レミュリンと、彼女のランサーは。
 あるいはいいコンビとして、これから出来上がっていく最中なのか。
 その関係に控えめな拍手を送りながら……蛇はやはり、内心でほくそ笑んでいる。

(まったく、レミーは本当にかわいらしいなぁ)

 道しるべを見出し、頼れる相棒に恵まれ、決意と共に一歩ずつ前を目指す。
 ああ、なんといじらしい姿だろう!
 そのあまりのかわいらしさ――――滑稽さに、蛇は身悶えするような心地だった。


(家族の仇、ねぇ――――――――“葬儀屋”に彼らを殺させたのがこの僕だって知ったら、彼女はどんな顔をするのかな?)


 嗚呼――――世界は今日も、蛇に支配されたがっている。


642 : 相談天国 ◆uL1TgWrWZ. :2025/01/01(水) 19:18:58 yWFpFWWc0



【渋谷区・公園の広場/一日目・日没】

【レミュリン・ウェルブレイシス・スタール】
[状態]:疲労(小)、全身にダメージ(小)、決意
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:6万円程度(5月分の生活費)
[思考・状況]
基本方針:――進む。わたしの知りたい、答えのもとへ。
1:胸を張ってランサーの隣に立てる、魔術師になりたい。
2:ジャクク・ジャジョードーの情報を手に入れ、アギリ・アカサカと接触する。
3:神父さまの言葉に従おう。
[備考]
※自分の両親と姉の仇が赤坂亜切であること、彼がマスターとして聖杯戦争に参加していることを知りました。
※ルーン魔術の加護により物理・魔術攻撃への耐久力が上がっています。
またルーンを介することで指先から魔力を弾丸として放てますが、威力はそれほど高くないです。
※炎を操る術『赤紫燈(インボルク)』を体得しました。規模や応用の詳細、またどの程度制御できるのかは後のリレーにお任せします。
※アギリ以外の〈はじまりの六人〉に関する情報をイリスから与えられました。
※〈はじまりの聖杯戦争〉についての考察を高乃河二から聞きました。
※アギリがサーヴァントとして神霊スカディを従えているという情報を得ました。
※高乃河二、琴峯ナシロの連絡先を得ました。

※右腕にスタール家の魔術刻印のごく一部が継承されています(火傷痕のような文様)。
※刻印を通して姉の記憶の一部を観ています。

【ランサー(ルー・マク・エスリン)】
[状態]:魔力消費(小)
[装備]:常勝の四秘宝・槍、ゲイ・アッサル、アラドヴァル
[道具]:緑のマント、ヒーロー風スーツ
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:英雄として、彼女の傍に立つ。
1:レミュリンをヒーローとして支える。共に戦う道を進む。
[備考]
予選期間の一ヵ月の間に、3組の主従と交戦し、いずれも傷ひとつ負わずに圧勝し撃退しています。
レミュリンは交戦があった事実そのものを知らず、気づいていません。
ライダー(ハリー・フーディーニ)から、その3組がいずれも脱落したことを知らされました。
→上記の情報はレミュリンに共有されました。

【高乃河二】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:『胎息木腕』
[道具]:なし
[所持金]:それなり(故郷からの仕送りという形でそれなりの軍資金がある)
[思考・状況]
基本方針:父の仇を探す。
1:同盟を利用し、状況の変化に介入する。
2:引き続き、蝗害を追跡する。まだ近くにいるはずだ。
3:琴峯さんは善い人だ。善い報いがあって欲しいと思う。
4:ニシキヘビなる存在に強い関心。もしもそれが、我が父の仇ならば――
[備考]
※ロールとして『山梨からやってきた転校生』を与えられており、少なくとも琴峯ナシロとは同級生のようです。
※雪村鉄志から『赤坂亜切』、『蛇杖堂寂句』、『ホムンクルス36号』、『ノクト・サムスタンプ』並びに<一回目>に関する情報と推論を共有されています。
※レミュリンから『イリス』に関する情報を得ました。
※レミュリンと“蛇杖堂絵里”の連絡先を得ました。

【ランサー(エパメイノンダス)】
[状態]:健康
[装備]:槍と盾
[道具]:革ジャン
[所持金]:なし(彼が好んだピタゴラス教団の教義では財産を私有せず共有する)
[思考・状況]
基本方針:マスターを導く。
1:同盟を利用し、状況の変化に介入する。
2:琴峯ナシロは中々度胸があって面白い。気に入った。
3:カドモスと会ってみたいなぁ!
[備考]
※カドモスの存在をなんとなく察しているようです。


643 : 相談天国 ◆uL1TgWrWZ. :2025/01/01(水) 19:19:35 yWFpFWWc0

【琴峯ナシロ】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:『杖』(3本)、『杖(信号弾)』(1本)
[道具]:修道服、ロザリオ
[所持金]:あまり余裕はない
[思考・状況]
基本方針:教会と信者と自分を守る。
1:信者たちを、無辜の民を守る。そのために戦う。
2:楪依里朱……まさかあいつが……
3:ダヴィドフ神父が危ない。
4:ニシキヘビ……。そんなモノが、本当にいるのか……?
[備考]
※少なくとも高乃河二とは同級生のようです。
※琴峯教会は現在、白鷺教会から派遣されたシスターに代理を任せています。
※雪村鉄志から『赤坂亜切』、『蛇杖堂寂句』、『ホムンクルス36号』、『ノクト・サムスタンプ』並びに<一回目>に関する情報と推論を共有されています。
※ナシロの両親は聖堂教会の代行者です。雪村鉄志との会話によってそれを知りました。
※レミュリンから『イリス』に関する情報を得ました。
※レミュリンと“蛇杖堂絵里”の連絡先を得ました。

【アサシン(ベルゼブブ/Tachinidae)】
[状態]:健康、歓喜
[装備]:少数の眷属
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:聖杯を手に入れ本物の蝿王様になる!
0:やったあああああああ!!!遂に眷属ゲットですよおおおおおお!!!(ズゴゴゴゴゴゴゴ)
1:ナシロさんが聖杯戦争にちょっと積極的になってくれて割とうれしい。
2:あんなチビっこ神霊には負けませんけど!眷属を手に入れた今の私にとってもはや相手にもなりませんけど!!
3:ナシロさん、らしくないなぁ……?
[備考]
※渋谷区の公園に残された飛蝗の死骸にスキル(産卵行動)及び宝具(Lord of the Flies)を行使しました。
 少数ですが眷属を作り出すことに成功しています。

【神寂縁】
[状態]:健康、『蛇杖堂絵里』へ変化
[令呪]:残り3画
[装備]:様々(偽る身分による)
[道具]:様々(偽る身分による)
[所持金]:潤沢
[思考・状況]
基本方針:この聖杯戦争を堪能する。
1:蛇杖堂絵里としてレミュリンと共に蛇杖堂寂句に会いに行く。
2:蛇杖堂寂句とは当面はゆるい協力体制をとりつつ、いつか必ず始末する。
3:蝗害を追う集団のことは、一旦アーチャーに任せる。
4:楪依里朱に対する興味を失いつつある。しかし捕食のチャンスは伺っている。
[備考]
※奪った身分を演じる際、無意識のうちに、認識阻害の魔術に近い能力を行使していることが確認されました。
 とはいえ本来であれは察知も対策も困難です。

※神寂縁の化けの皮として、個人輸入代行業者、サーペントトレード有限会社社長・水池魅鳥(みずち・みどり)が追加されました。
 裏社会ではカネ次第で銃器や麻薬、魔術関連の品々などなんでも用意する調達屋として知られています。

※楪依里朱について基本的な情報(名前、顔写真、高校名、住所等)を入手しました。
 蛇杖堂寂句との間には、蛇杖堂一族に属する静寂暁美として、緊急連絡が可能なホットラインが結ばれています。

※赤坂亜切の存在を知ったため、広域指定暴力団烈帛會理事長『山本帝一』の顔を予選段階で捨てています。
 山本帝一は赤坂亜切に依頼を行ったことがあるようです。
  →赤坂亜切に『スタール一家』の殺害を依頼したようです。

※神寂縁の化けの皮として、マスター・蛇杖堂絵里(じゃじょうどう・えり)が追加されました。
 雪村鉄志の娘・絵里の魂を用いており、外見は雪村絵里が成人した頃の姿かたちです。
 設定:偶然〈古びた懐中時計〉を手にし、この都市に迷い込んだ非業の人。二十歳。
    幸は薄く、しかし人並みの善性を忘れない。特定の願いよりも自分と、できるだけ多くの命の生存を選ぶ。
    懐中時計により開花した魔術は……身体強化。四肢を柔軟に撓らせ、それそのものを武器として戦う。
    蛇杖堂家の子であるが、その宿命を嫌った両親により市井に逃され、そのまま育った。ぜんぶ嘘ですけど。

→蛇杖堂絵里としての立ち回り方針は以下の通り。
 ・蝗害を追う集団に潜入し楪依里朱に行き着くならそれの捕食。
  →これについては一旦アーチャーに任せる方針のようですが、詳細な指示は後続の書き手にお任せします。
 ・救済機構に行き着くならそれの破壊。
 ・更に隙があれば集団内の捕食対象(現在はレミュリン・ウェルブレイシス・スタールと琴峯ナシロ)を飲み込む。


644 : ◆uL1TgWrWZ. :2025/01/01(水) 19:19:48 yWFpFWWc0
以上、投下終了です。


645 : ◆0pIloi6gg. :2025/01/04(土) 03:57:18 rn68KjMM0
あけましておめでとうございます!
投下します。


646 : 外道の歌 ◆0pIloi6gg. :2025/01/04(土) 03:58:13 rn68KjMM0



 外でいったい何があったのだろうかと、覚明ゲンジは落ち着かない様子できょろきょろ視線を泳がせていた。
 山越風夏が現れ、自分達に意味深な言葉をかけていったのが数時間前。
 それを受けて露骨に表情を曇らせた華村悠灯が、すぐ戻ると言い残して外出したのが一時間ほど前のことだ。
 
 自分が風夏の言葉から希望にも似た活力を得たように、彼女もまた何か感じ入るものがあったのだろう。
 少なくとも当面の間は仲間として付き合う相手なのだから、散歩が気分転換になるならそれでいいとゲンジは思っていたのだが。
 しかし戻ってきた悠灯の様子は、出かける前より更におかしかった。
 悪化していた、と言ってもいい。だが単に沈鬱なのとも違う、葛藤のような感情が力を使わずとも窺えた。

 様子がおかしいのは、何も彼女だけではない。
 悠灯の傍に侍っているキャスターも、鉄面皮じみた顔に微かな焦燥を滲ませているように見えたし。
 ソファに腰掛けて主の到着を待つ聖騎士のバーサーカーの薄い笑みも、心なしかいつもより剣呑に見えた。
 特にバーサーカーは一度交戦している相手だ。ゲンジは彼の殺意の、その烈しさを知っている。
 だからこそ滲む殺気を、"あの時以上"と形容することができた。
 それを華村悠灯の様子と結び付ける択が浮かばないほど、ゲンジは鈍くない。

 まさか――そう思ったところで、部屋の扉が開く。
 たまり場としてこの上なく有用であろう大部屋。
 開かれた扉の先から現れたのは、ゲンジ達首のない騎士の大将だった。

 精悍な顔立ちと鍛え抜かれた肉体。
 おぞましくもどこか魔的な美しさを放つ、両腕を這う黒龍のタトゥー。
 周鳳狩魔。デュラハンの元締めにして、ゲンジや悠灯と同じ聖杯戦争のマスター。
 ソファに座っていたゴドフロワが立ち上がり、悠灯のシッティング・ブルがそうしているように彼の脇へ侍り立った。
 彼と代わる形で腰を下ろして足を組み、背もたれに深く体重を預ける。
 地上げ屋かヤクザ者のように横柄で威圧的な態度さえ、彼がしているとどこか格好良い。ゲンジにはない華があった。

「待たせて悪かったな。ちょっと野暮用を済ませててよ」

 煙草を取り出し、火を点ける。
 燻る紫煙からは、微かにバニラの香りがした。
 
「ついでにもうひとつ詫びておく。
 あの女……山越のことだ。追って説明しようと思ってたんだが、少し計算違いが起こってな。
 結果的に説明と対面が逆になっちまった。口を開けばろくでもないことしか言わない女だから、お前らも面食らっただろ」
「……ま、まあ」

 ゲンジは曖昧に頷く。
 悠灯は無言だった。
 それだけでも、彼女が山越風夏の言葉からどういう影響を受けたのかが窺い知れる。
 そんな悠灯の方を狩魔は一瞥だけして、また口を開いた。

「まあ、あんまりアレの言うことは真に受けるな。
 野郎は気狂いの類だ。いちいち律儀に受け止めてたら身が保たねえよ」

 悠灯と、そしてゲンジに対しても向けられた言葉なのだろう。
 実際ゲンジは、風夏へ狩魔が用いた表現が言い過ぎでもなんでもないことを知っている。


647 : 外道の歌 ◆0pIloi6gg. :2025/01/04(土) 03:59:11 rn68KjMM0
 あの日自分が見た異様な矢印の中に、彼女のそれも混ざっていたことはほぼほぼ確実。
 社会性を保つことすら難しいほどの極大の感情を抱えながら、あんな風に涼やかな顔をしていられるのだとしたら――そんな人間のことを、ゲンジは狂人としか思えない。
 ブラックホールの周りを旋回しながら引き込まれていく、狂った星々のひとつ。
 それが山越風夏なのであろうと、ゲンジは改めて言われるまでもなくそう認識していた。

「で、ここからが本題だ」

 コトリ、と。
 机上に放置されていた空のグラスに、狩魔がスマートフォンを立てかけた。
 端末の画面には通話中の旨が表示されている。そしてそこには今気狂い呼ばわりを受けた、マジシャンの名前が記されていたのだ。

 狩魔に釘を刺されたばかりではあるが、それでもその名前を見るとゲンジは彼女のくれた言葉を思い出してしまう。
 自分を見て笑ってくれた、期待をかけてくれた、……"私達"に届くかもしれないと言ってくれた女。〈脱出王〉。
 うるさいほどに高鳴る心臓の鼓動は、意識的に制御できるものではない。
 しかしそんな彼の予想に反して、スピーカーモードにされたスマホから響いたのは見知らぬ少年の声だった。

『はじめまして。山越風夏のサーヴァント、ライダーだ。
 こちらの都合で悪いが、彼女はお利口さんに会談とかできるタイプじゃないのでね。今回は代役としてぼくが参加するよ』

 通話越しとはいえ、新たなサーヴァントの登場は小さくない意味を持つ。
 シッティング・ブルの眉が微かに動いたのをゲンジは見逃さなかった。

 ちなみにゲンジのサーヴァントである原人達は、霊体化させてライブハウス周辺を警戒させている。
 一体一体ではそこらの魔術師にも劣りかねないが、その弱さはゲンジが数を増やすことで補った。
 彼らの持つ能力も相俟って、仮に聯合が横紙破りの襲撃を仕掛けてきたとしても、まず間違いなく返り討ちにできるだろう。
 ネアンデルタール人達の存在は事実上、このライブハウスを地上の要塞も同然と化させていた。

『とはいえ、あくまでぼくは彼女の方針に殉ずる使い魔だ。
 風夏が語らないことはぼくも語らない。そこのところだけは、念頭に置いて貰えると助かるな』
「ハナから期待してねえよ。話の腰を折らないだけ奴より優秀だ」

 煙草の灰が、とんとん、と切られる。
 再び煙草を口へ運んで、吸い、煙を吐く。
 白煙がライブハウスの小洒落たライトに照らされながら、龍のように天井へ伸びていく。

「話はゴドーから聞いてる。二つ目の計算外だな、まさかお前らが先に遭っちまうとは」
「――君は、あの娘のことを知っていたのか?」
「睨むなよ。俺も知ったのはついさっきだ。
 もし最初から知ってたなら、聯合のガキ共との付き合い方も変わったかもな」

 誤魔化しは許さない、という言外の意思を含めたシッティング・ブルの詰問に、狩魔はそう言った。
 外で悠灯とそのサーヴァントにあったことを、彼女達が遭ったもののことを、ゲンジは何も聞いていない。
 何しろ当の悠灯がこの状態なのだ。だがそれでも、薄々は察せていた。
 ヒトをごく短時間で、此処まで灼けるもの。
 完全ではなかろうとも、その心に難治性の揺れをもたらせるもの。
 そんな人間を、覚明ゲンジはひとりしか知らない。

「今から、山越風夏から聞き出した情報をお前らに共有する。
 悠灯も聞くだけは聞いとけ。この先戦っていく上で、絶対に知っておいた方がいい話だ」
「……、……うす」

 悠灯もその点については同意見なのだろう。
 彼女は実際に、それを見ているから。


「結論から話す。
 この聖杯戦争は、ある女が聖杯の力を使って開闢(はじ)めた"二回目"だ」


「〈はじまりの聖杯戦争〉。それと地続きに発生した、言うなれば〈第二次聖杯戦争〉」


「俺達の聖杯戦争には――――――黒幕がいる。そしてそいつは何食わぬ顔で、この東京を歩き回ってるってわけだ」



◇◇


648 : 外道の歌 ◆0pIloi6gg. :2025/01/04(土) 03:59:54 rn68KjMM0



 狩魔の説明を聞き終えたゲンジは、言葉を失うしかなかった。
 確かに、ゲンジは白い少女……祓葉という存在を既に知っていた。
 わずかな時間とはいえ、実際に見たこともある。
 彼女の衛星であろう狂人と対面したことで、現人神の実在は確信に変わっていた。

 だが、それでも――。
 それでも話は、ゲンジの予想など遥かに超えていたのだ。

「……にわかには、信じがたい話だな」
「同感だよ。俺が言うのも何だが、正気とは思えねえ」

 シッティング・ブルが厳しい顔で零した感想に、狩魔も同意する。
 前回の聖杯戦争などというものが存在したことへの驚き。
 聖杯を手に入れてまた聖杯戦争を始めるという不可解。

 そして、この世界の神は小難しい陰謀など持っておらず。
 ただ聖杯戦争という遊戯を楽しむため、黒幕の癖して当事者ヅラで今もこの都市を徘徊している――。

 改めて、具体的な情報としてそれを聞かされて。
 驚くな、という方が無理な話だった。
 が、ゲンジがそこから立ち直るのは早かった。
 くどいようだが、彼は最初からそういうものがいると知っていたから。
 実際、驚く一方で納得もあった。話したことも、恐らく認識されたこともないだろう彼女に対してゲンジが描いた人物像と、今狩魔が語ってくれた内容はあまりに一致していたからだ。

 自由奔放。
 故に純真無垢。
 呆れるほどに純粋で、だからこそ残酷なほど慈悲がない。

「――此処まで聞いて、訂正したい箇所はあるか? ライダー」
『特には。ぼくも"彼女達"のすべてを聞いたわけではないが、よく要約できていると思うよ』

 話を振られた風夏のライダーは、白々しい拍手の音を響かせた。
 
『ただ、なるほど。
 君達はまだ誰も、神寂祓葉と実際に戦ったことはないのか』
「なんでも休憩中だったとのことで。
 殺すつもりで仕掛けたのですが、ついぞ乗ってきてはくれずじまいでしたね」
『それは何よりだ。
 もし戦闘になっていたら君達、どんなに少なく見積もっても半壊は免れなかったと思うよ』

 ゴドフロワとシッティング・ブル。
 二体のサーヴァントを指しての発言に、場の空気がピリ、と張り詰める。
 なのに彼らはどちらも、それを侮辱と受け取ることはしなかった。
 実際に遭った彼らだからこそ、ライダーの言葉に説得力を感じたのだろう。


649 : 外道の歌 ◆0pIloi6gg. :2025/01/04(土) 04:00:41 rn68KjMM0

『職業柄、あまりこういう物言いはしたくないんだけどね――あの娘は異常な人間だ。
 そっちも不死性は確認してるようだけど、むしろ真に怖いのは攻撃性だよ。
 自分が頭で欲しがったパフォーマンスを、そのまま身体に転写できると言って差し支えない。
 擬似的な願望器のようなものだ。まともにやったら、まず間違いなく誰も勝てない』
「いいのか? 山越はネタバレは悪だって言ってたぞ?」
『問題ないだろう。ぼくらも今は君達と協力関係にあるんだ、情報を伏した結果無謀な突撃なんてされたらこっちが損をする』

 ライダーの言葉に、また沈黙が流れる。
 それは事実上、あの公園でゴドフロワ達は"見逃された"のだということを意味していたからだ。
 祓葉がもしやる気だったら、本気だったら――誰も生き残れていないか、半数は殺されている。
 先の指摘が絶望的な現実味を伴って君臨したのだから、言葉に窮するのも無理はない。
 
 だがそんな中でただひとり、覚明ゲンジだけはやはりどこか高揚していた。
 畏怖を通り越して憧憬にも達する感情の矢印を、彼は話したこともない祓葉に対して向けている。
 故にゲンジにとっては、ライダーの告げた祓葉の詳細さえ心躍らせる福音のように聞こえた。

 ああ、やっぱり、そうなのか。
 やっぱりあの人は、凄い生き物なんだ。
 おれなんかよりずっと、いや、この都市の誰よりもずっと。
 心も身体も強さも全部が隔絶された、女神みたいなバケモノ。

 もちろん、その昂りを声には出さない。
 それくらいの分別は彼にだってある。
 だとしても、猛る心だけは抑えられなかった。
 
 あの日一度だけ見た、あいつ。
 それだけでも己が心を焼き尽くすような衝撃をくれた、あの子。
 すべてを楽しむ傲慢な現人神。
 その視線を、矢印を、感情を――おれも欲しいと、柄でもない欲が出て仕方ない。

 昂りを悟られないよう、悲観したフリをして下を向く。
 そんなゲンジの姿を、狩魔が小さく一瞥した。
 が、何か言うでもなく。灰皿で煙草の火を、揉み消した。

「……この世界と、その"神"についての話は以上だ。質問はあるか?」
「無論だ」

 手際よく質疑応答へ進んだ狩魔に、シッティング・ブルが眉を顰める。
 ただでさえ厳しい顔立ちが、更に重苦しく見えるのは気のせいではないだろう。
 彼もまた、ゴドフロワと同じく祓葉を見た英霊。
 戦慄と共に天星と相対し、今は後悔を胸に沈んだ主を支える敬虔なシャーマンである。

 その彼が首なし騎士団の王に問う命題は、言うまでもなくひとつだった。


650 : 外道の歌 ◆0pIloi6gg. :2025/01/04(土) 04:01:28 rn68KjMM0

「……征蹂郎なる男が率いる刀凶聯合と、我々は衝突するのだったな」
「そうだな。まだ時間はあるが――」
「共に英霊を擁した大勢力同士が正面切ってしのぎを削り、殺し合う。
 その状況はまさしく、〈大いなる冒涜〉……神寂祓葉がこよなく愛する混沌だと私は思う」

 そんな乱痴気騒ぎを神の箱庭で、隠れ潜むこともなく巻き起こしたならどうなるか。
 分かっていないとは言わせないぞと、呪術師の鈍い眼光が狩魔を見据える。

「確実に訪れるだろう"その時"、我々が焼き尽くされないための策があるなら、今此処で答えて貰いたい」

 この問いかけ自体が異常極まりないのは言うまでもない。
 英霊が、人間ひとりの介入による戦局の崩壊――それどころか。
 "彼女"の登壇により、自分達が鏖殺される可能性を大真面目に想定して詰問しているのだ。
 シッティング・ブルは戦争を知っている。ひとつの油断、過信が招く破滅的な事態など、彼は余さず記憶していた。

 誤魔化しを許さない呪術師の詰問を受け、しかし周鳳狩魔は迷うことなくこう返す。

「あるにはある。だが、確信に至ってない」
「……不確実な策にかけて船に乗り続けろと?」
「あんたの気持ちは分かるよ。だから此処は、俺に賭けろとしか言えねえな」

 詐欺師のような物言いだったが、重要なのはそこではない。
 狩魔は既に、対神寂祓葉の策を思いついていること。これが最も肝要な点だ。

「下手に知っちまった結果、それをアテにしすぎちまう可能性が怖い。
 あんたがどこの誰かは知らねえが、慢心の怖さが分からん馬鹿には見えないよ。
 だからよ、今はこれで折れてくれねえか」

 そこで狩魔は、シッティング・ブルへと目配せをした。
 その意味が彼には伝わる。いや、伝わってしまう、と言うべきだろう。
 狩魔の言葉も視線の意味も、彼の相棒たる少女のことを暗喩しているのは明白だったからだ。
 現在進行形で大きく揺れている少女の視野を下手に広げさせれば、さらなる迷走を招きかねないと。

「実際に試してみないことには断言はできない。結局はどこまで行ってもぶっつけ本番だ。
 が、ある程度話が前進したらあんたには先んじて話を通すようにする」
「……分かった、今はそれでいい。が、あくまで私は君でなく悠灯のサーヴァントだ。
 もし君に信を置き続けることが不可能と判断すれば、私は彼女のための行動を取る。そこに関しては、構わないな?」
「それでいいよ。盲目に服従しろって言うのも今日び寒い話だ」

 妥協点は見つかった。
 よってシッティング・ブルは、釘を刺しつつ引き下がる。
 彼は裏切りを知る者だ。特に、残酷な者が行うそれなら見飽きている。
 デュラハンと心中するつもりはない。あくまで優先すべきは悠灯と、そして己と定めている。
 狩魔もそれを分かった上で、咎めなかった。聖杯戦争とはそういうものだと、この青年も理解しているからだ。
 過度に平伏を求めれば足並みが乱れる。聯合ではないが、ある程度の凹凸は許容する気でいた。


651 : 外道の歌 ◆0pIloi6gg. :2025/01/04(土) 04:02:08 rn68KjMM0


『――そろそろ会合も終わりかな?
 なら最後に、ぼくからひとつ忠告をさせてもらう』


 世界の秘密は共有された。
 祓葉という神(ホシ)の脅威もだ。
 であれば後は各々が知ったことを噛みしめる時間となるのが普通だろうが、意外な人物が此処で口を挟む。

『ぼくの独断ではなく、風夏からのメッセージだ』
「つまんねえ意味深ポエムだったら切るからな」
『刀凶聯合に、新たな協力者が加入した可能性がある。"彼女達"の同郷だ』

 ――静寂が場を包むのは何度目だろう。
 だが、ライダーの発言はそうなるに足るだけの重さを孕んでいた。
 なにせ今の今まで、神寂祓葉の規格外性と彼女がやらかした所業についての話が行われていたのだ。
 であれば当然、この場の誰もが以前までとは比にならない理解度でその肩書きに警戒を払うことになる。

 彼女達。
 神寂祓葉と、山越風夏の同郷。
 すなわち、〈はじまり〉の残骸(レムナント)。
 星の光に灼かれて狂った、新顔の狂人が此処でデュラハンの盤面に浮上した。

『男の名前は、ノクト。ノクト・サムスタンプ。
 褐色の肌に刺青の強面男だ。これと出会ったら、君達が意識することはふたつ』
「……、……」
『話を聞かないこと。そして、速やかに殺しにかかること。だそうだよ』

 この場にいる人物の誰ひとり、ライダーでさえ知らないことだが。
 実際、確かに彼と相対する上で最適な回答は暴力(これ)である。
 都市でも既に、原初の刀鍛冶がそうして傀儡に堕ちる未来を避けたように。
 詐欺師の話に耳を傾けるべきではなく、まずはその顔面を殴り飛ばすことから始めるべきなのだ。

 ……こうして今度こそ、首のない騎士達の会合は終わる。
 重すぎる真実と、前途の多難さを物語るような新たな敵の話を聞いて。
 騎士達は、各々の戦いと、各々の想いへと戻っていく。

「ゲンジ。十分……いや、五分後に俺の部屋に来い」
「え……?」
「話がある。心配すんな、別に取って食いやしねえよ」
 
 ただひとり、騎士団の元締めたる青年だけを除いて。



◇◇


652 : 外道の歌 ◆0pIloi6gg. :2025/01/04(土) 04:04:51 rn68KjMM0


 
 覚明ゲンジを呼びつける上で、そこにタイムラグを設けたのは彼の心情を慮ってのことではない。
 単純に、狩魔の側にまだその前に片付けておきたいタスクが残っていたからだ。
 座椅子に腰掛け、さっきライダーとの通話に使っていたのとは違う、錆のような赤黒い汚れの着いたスマートフォンを取り出す。
 そして即座に、発信。コール音は一度で済んだ。通話が繋がり、声が聞こえる。

『――――誰だ』

 通話口から聞こえた声は、切り出した黒曜石のような鋭さを孕んでいた。
 脅しとしてではなく、生体活動のひとつとして"殺意"を用いる者特有の剣呑。
 常人であればこの一声だけで恐慌状態に陥り、端末を取り落として逃げ出してしまうだろう。
 電話越しの声であるにも関わらず、まるで今にも目に見えない凶器が自分の心臓を抉り出してしまうような。
 否応なしにそんな不安を抱かせる、そんな声だった。
 なればこそ、これにどう応えるかで電話をかけた側の格も必然推し測れるというものだったが。

「鼻息荒ぇな。そう殺気立つなよ、ガキ」

 端末を落とすどころか声を震わすでもなく、小さく鼻を鳴らして一笑する。
 先方が研ぎ澄まされた刃のような声ならば、こちらは毒を持つ獣のような声音であった。
 牙を剥き出して威嚇はせず、その振る舞いひとつで見えない凶器を突き付ける。
 世の中の酸いも甘いも噛み分けた者でなければ出せない、非道く毒々しい殺意。
 やはりこちらも殺意を扱い慣れている、"人を殺す"ということが日常の選択肢のひとつに入っている者の剣呑さを有していた。

「一から十まで説明してやらないと分かんねえか? 悪国征蹂郎君」
『……、……』
「まあいいや。一応は初対面だしな、名前くらいは名乗ってやる」

 そう、彼らの間で共通していることはただそれだけ。
 概ね平和と言っていいこの国で、それでも殺し殺されの世界に身を置くこと。
 その上で埋もれず、類稀なる力を見せつけて王に上り詰めたこと。
 水も油も液体という括りでは同一であるように、そこだけ見れば、彼らは似た者同士であると言えなくもなかった。

「周鳳だ。これから長い付き合いになるんだから、挨拶くらいはしておこうかと思ってよ」

 電話口の殺気が数段増しに強まったのを感じる。
 が、感じただけだ。周鳳――周鳳狩魔の在り様は何も変わっていない。
 掛け合いの席で臆病風に吹かれるような半端者に裏社会の頭は張れない。
 それはヤクザでも、彼ら半グレの世界でも昔から変わることのない道理だった。

「なあ、悪国よ」
『……、……』
「てめえの素性は既に握ってる。冗談みてえな組織に拾われて育ったヒットマン上がりなんだって?
 すげェーじゃねえか。お前が殺した死体の情報を聞いたけどよ、ステゴロで人体爆散させるなんざ漫画の世界だけの話だと思ってたぜ。
 求心力も悪くねえ。最後こそウタっちまったが、澤田はギリギリまでお前を売らねえって強情張ってたぞ。
 人間って大したもんだよな。あんな裂けたチーズみたいな身体になっても頑張れるんだからよ」
『――御託はいい』

 澤田。
 狩魔の手で拷問されて命を落とした仲間の名前を出された征蹂郎は声色こそ変えずに、されど有無を言わさぬ口調で話を遮った。
 殺害された澤田某の死体はドブ川に浮かんだ。聯合の縄張りの中だったから、死体とその身に起きたことを彼らが知るまではすぐだったろう。


653 : 外道の歌 ◆0pIloi6gg. :2025/01/04(土) 04:05:46 rn68KjMM0

 それは刀凶聯合にとって最大の地雷。
 ひとりは皆のために、皆はひとりのためにを地で行く野良犬達は仲間の犠牲を見過ごせない。
 デュラハンが聯合の構成員に手を出した時点で、もう全面抗争以外の未来は存在しなかった。
 無論、周鳳狩魔はそう分かった上でレッドラインを超えた。引き金を引いたのは、あくまで彼の方である。

『貴様のような男と……無駄話に花を咲かせるつもりはない。
 言いたいことがあるのなら、速やかに話せ。オレが聞いてやっている内にな……』
「風情のねえ野郎だな。てめえの方こそ、俺がこんな話してる時点で察しろよ」

 だとしても、狩魔はひとつの後悔も抱いていない。
 罪悪感などもってのほかだ。彼は、仲間以外に対してそれを抱くことはない。
 征蹂郎が無秩序の半グレなら、狩魔は秩序の半グレだ。
 会社を運営するように組織を運営する。部下のシノギを管理し、時に介入し、最適化する。
 儲けになるシノギは拡大を。金にならないなら撤退を。
 リスクが高ければ策謀を。そして己の道を阻む敵には――完膚なきまでの破滅を。

 今日の飯にも困っている後輩に高い焼肉を食わせた足で、強盗(タタキ)で集めた金の回収に向かう。
 痛めつけた敵対組織の人間を山に埋めるよう指示した口で、迷える仲間に金言めいたことを言う。
 誰の目にも分かるダブルスタンダード。それを自覚した上で、改めようとすら思いはしない。
 合理的矛盾を貫いて生きる現代日本のギャングスターは、変わらぬ声色で口にした。

「腕一本詰めて土下座でウチに詫び入れろ。
 そしたらお前ら、纏めて俺の傘下に加えてやる」

 脅迫ですらない。
 降伏勧告である。

「落とした腕に令呪があるのを確認次第、これまでお前らがやったことはチャラにしてやるよ。
 てめえの大事な部下どもにも相応の待遇を約束する。
 まあそりゃ小間使いからだが、指揮権はお前に委ねてやってもいい。悪い話じゃねえだろ?」

 これまで刀凶聯合がデュラハンに働いた狼藉を、頭の降伏と謝罪ですべて帳消しにする。
 組織としての聯合は消滅するが、代わりに今後の処遇を穏当なものにすると誓う。
 そうなれば誕生するのは東京の悪の右翼と左翼が合一した、人員も武力も最高峰の犯罪組織だ。
 確かに互いにとって悪い話ではない。額面だけを見れば。
 事が此処まで拗れるに至った原因が狩魔の方にあることさえ除けば、最も血が流れず互いが利益を得られる方式である。
 お前さえ折れるなら、玉座から下りるなら、そういう形で収めてやる――という裏社会式の"手打ち"の提案だった。

 征蹂郎もそれが分からぬ男ではない。
 この話に頷けばきっと、多くの流血を未然に防ぐことができる。
 死ぬ筈の人間が生き、いずれ散る命だとしてもその時を遠ざけることができると理解した。
 その上で、悪国征蹂郎が周鳳狩魔へ返す言葉は決まっていた。


654 : 外道の歌 ◆0pIloi6gg. :2025/01/04(土) 04:06:56 rn68KjMM0

『断る』

 即断即決。
 一秒の迷いさえ、彼には不要だった。

『理由を語る必要は、ないな?』

 低温のまま沸騰する殺意が、その言葉には横溢している。
 矜持で怒っているのではなく、あくまでも仲間のために憤っていた。
 仲間を殺された。惨たらしく、この世の苦痛すべてを味わうような形で殺された。
 殺された彼が死に際に苦悶に屈し、自分達のことを売ったことさえ征蹂郎は微塵も恨んでいない。

 悪国征蹂郎が恨んでいるのは、仲間を殺して引き金を引いた周鳳狩魔とその一団だけ。
 刀凶聯合は一蓮托生。たとえ何があろうと、一度繋いだ血の絆が途切れることはない。
 そんな不倶戴天の敵が、言うに事欠いて膝を折れと言ってきた。
 これは征蹂郎にとって――生まれて初めて味わう、彼が本当の意味でそう認識した、侮辱であった。
 征蹂郎がこの世の何より重んじる絆そのものに対しての、下劣極まりない冒涜に他ならなかった。

『オレの名になど、何の価値もありはしない……。
 今の今まではずっと、そう思っていた……。
 だが…………』

 狩魔は知る由もない。
 征蹂郎の沈黙の理由など。
 彼は今、ある英霊の言葉を思い出していた。
 それは先刻、比喩でなく武を尽くして挑んだ青銅の英雄の言葉。

 ――王とは君臨し、統べる者。正道であれ悪道であれ、己の意思決定でひとつの国を導く者。
 ――民があるから王なのではない。王があるからこそ、人は民たり得るのだ。

 今ならばあの言葉の意味が真に分かる。
 結局、行き着くところまで行ってしまったならもう理屈ではない。
 己が膝を折ることにより得られるものより、王ならまず失われるものをこそ見るべきであると。
 
 許すな、この侮辱を。
 憤れ、どこまでも自分の民を軽んじた外道に。
 その憤懣を刃に変えて突き付けるように、征蹂郎は告げた。

『他の誰もないこのオレがお前を殺さなければ、オレの民(なかま)が浮かばれない』

 たとえこれから先、どれほどの血が流れるとしても。
 自分のために殉じた仲間の死へ、それを想う激情へ、征蹂郎は一瞬たりとも背を向けたくない。
 一度そうしてしまえば、きっと自分は自分でなくなる。
 あの農場で製造された一体の殺戮人形に戻ってしまうのだという確信があった。


655 : 外道の歌 ◆0pIloi6gg. :2025/01/04(土) 04:07:45 rn68KjMM0

 駄目だ。そうなることだけは、認められない。
 彼らに夢を見せた者の責任として。
 生きて戦うこと、貫くこと。受けた痛みを返すこと。
 それこそが彼らに救って貰った自分にできる唯一の報恩であると、征蹂郎は激憤の中で理解した。

『周鳳狩魔。そして〈デュラハン〉。
 オレは――オレ達は、お前達がこの世界に存在し続けることを許さない。
 これが答えだ……分かったら精々、その惰弱な兵力をかき集めておけ』

 ――その方が、踏み潰す手間が省けるからな。
 万感の敵意を以って、改めて告げられた宣戦布告。
 それを受けた狩魔は、フッ、と笑みを浮かべて。

「フラれちまったか。残念だぜ、悪国よ」

 静かながらも剥き出しの感情を伝えてくる征蹂郎とは真逆に、変わらぬ声音でそう言った。
 無論、本気で征蹂郎が靡くと思っていたわけではない。
 刀凶聯合は餓鬼の集団だ。年齢ではなく、精神性の話である。
 彼らは他の追随を許さないほど凶暴で、愚かしく、同時にどこか純粋だ。
 
 衝動のままに暴力を駆使して敵を蹴散らす一方で、仲間と築いた青臭い絆を愛する。
 そんな少年期の内でもなければ許されない稚さに取り残された、年甲斐もない悪ガキの寄り合い。
 たかだか仲間ひとりの死でああも派手な報復を敢行し、挙げ句宣戦布告などしてくる辺りが特にそうだ。

 成程確かに、彼らを纏めることはこの征蹂郎という男以外には不可能だろう。
 少なくとも狩魔では不可能な筈だ。彼は稚気を纏め上げるには大人になりすぎてしまった。
 暗殺者の養成施設という異常な環境で道具として育てられたからこその人間味の欠如。
 無機質の裏側に抱えた、ある種の子どものような純粋さ。
 それが刀凶聯合というならず者の集団を背負って立つ、唯一無二のカリスマとして昇華を果たしている。
 今の甘言に靡くような男なら、端から聯合の王になどなれてはいまい。

「お前みたいな馬鹿は、嫌いじゃねえんだけどな」
『……虫酸が走る。方便と分かっていても、不快だ』

 故に征蹂郎の答えは予想通りだったが、しかし残念に思っているのも本当だ。
 その理由を語ることはしない。不必要な感傷だからである。
 聯合の無軌道さと、それを牽引する征蹂郎の純粋。
 それは狩魔にとって――遠く過ぎ去った、あの頃の記憶を思い出させるものだったから。

「いいぜ、こっちも改めて宣言してやるよ。
 俺はてめえらみたいな蛮族とは違うんでな、土下座で詫び入れた奴は許してやるのも吝かじゃねえが――
 悪国征蹂郎、お前は殺す。時代錯誤の愚連隊もどきに上等コカれたままじゃ、こっちもメンツが立たねえんだよ」


656 : 外道の歌 ◆0pIloi6gg. :2025/01/04(土) 04:08:49 rn68KjMM0

 どの道、征蹂郎を失った刀凶聯合は形を保てまい。
 それはデュラハンにも言えることだが、狩魔も当然承知の上で言っている。
 そう――結局のところこの戦いは、キングの取り合いなのだ。
 狩魔か。征蹂郎か。王が墜ちた瞬間に、戦争の結末は確定する。

『戯言は、それだけか……?』
「急ぐなよ。早漏か? てめえは。
 まだ時間はあんだろ。風俗でも行って気の長さってもんを鍛えてきたらどうだよ?」
『……つくづく、下劣な男だな……。
 オレは戦争のつもりでいたが……どうやら、ただのゴミ掃除で終わりそうだ……』
「ゴミはお互い様だろ。侠気とか眠てえこと言っちゃうクチか? 悪国君はよ」
『心配は、無用だ……。己が外道である自覚など、物心付いた時から持ち合わせている……』

 彼らは互いに外道。
 人の命を呼吸のように奪える畜生。
 平和を愛し、対話を是とする在り方が美徳とされる現代において、その存在はまさしく社会の塵だ。
 ゴミ山の王。そう、互いに。彼らは正反対の宿敵同士でありながら、しかしどこか似通っている。

「おたくの"相談役"に伝えとけ」

 狩魔がわざわざ征蹂郎にこうしてコンタクトを取った理由は、彼に探りを入れるためだ。
 聯合の実情など馬鹿正直に吐いてくれるとは思っていないし、端から期待もしていない。
 彼が探りたかったのは他でもない敵軍の将、悪国征蹂郎の人物像。
 結論から言うと、事前に描いていた通りの男だった。
 冷酷、冷徹。感情と指先を切り離して行動できる殺人鬼。だが同時に、とても若々しい。

 当初の目論見を果たしたところで、狩魔はおもむろに彼へこう切り出した。
 相談役。裏社会におけるこの肩書きは、その組織のブレーンを指す場合が多い。
 外部顧問と言ってもよかったが、こちらの方が意味が通じるだろうと判断した。

「――デュラハンは〈脱出王〉を抑えてる。その意味は自分で考えろ、好きに動け、ってな」

 そしてこれは、単なるカマかけのつもりで口にした言葉ではない。
 知っての通り、デュラハンにも相談役はいる。もっともこちらの場合は、ますます外部顧問に近いが。
 
『……、お前――』

 その言葉が果たした役割は、征蹂郎の声を聞けば明白だった。
 無機質の奥に滲んだわずかな動揺。実に分かりやすい。前線で技を揮うのは得意でも、頭同士の掛け合いはまだまだ経験不足のようだ。


657 : 外道の歌 ◆0pIloi6gg. :2025/01/04(土) 04:09:52 rn68KjMM0

「じゃあな。つまらねえ死に方するんじゃねえぞ?
 こっちも喧嘩なんざ久しぶりだからな。楽しみにしてるぜ、刀凶聯合」

 そう言い残して通話を切る。
 これ以上やり取りを続ける意味はなく、旨味もない。
 このタイミングが最も良かった。狩魔の攻撃は、今の通話の最中に既に始まっていたのだ。
 後は丁と出るか半と出るか。征蹂郎が"その人物"へ話を通さず握り潰す可能性も否定はできないが、それならそれで悪くない。
 
 狩魔は乾いた血痕がこびり付いたスマートフォンを机の上に置くと、先の会談の時から通話を繋ぎっぱなしの飛ばし端末に視線を向けた。
 わざわざトバシ……足の付かない端末を使っているのが、相手の人間性を微塵も信用していないことを暗に物語っている。
 そう、彼らとの協力関係は華村悠灯や覚明ゲンジとは比較にならないほどビジネスライク。
 聖杯戦争におけるあるべき本来の同盟の形――利害の一致でのみ組んでいる相手だった。


「ノクトって傭兵があちらさんに接触してるのはマジみてえだな。タレコミ助かるぜ、"奇術師(ライダー)"よ」
『ぼくはただ伝えているだけだよ。お礼なら、彼女(ぼく)に直接してあげるといい』
「アイツと話すと疲れんだわ。今後も窓口にお前寄越すよう山越に言っといてくれよ」


 すなわち、山越風夏のライダー。真名をハリー・フーディーニ、九生の果て。
 悠灯やゲンジも交えた会談の席でも彼女の代理人を務めていた少年英霊。
 風夏づてに、かの詐欺師が刀凶聯合へ参加している可能性を伝えてきた張本人である。

 狩魔は知らないことだが――ノクト・サムスタンプは、こと魔術使いとしてひとつの極みに達している。
 人心掌握。嵌った時点で終わりの自己強制証明(セルフ・ギアス・スクロール)の書き方。
 更には隠密性に特化した、魔術的かつ科学的な改造を施した使い魔の作り方、運用方法、などなど。
 こと奸計に限って言えば、この都市の誰もノクトの裏は取れない。
 例外はふたり。端からこの世のあらゆる道理に当て嵌まらない白い少女と、そしてすべての囚える、捕らえる、捉えることに否を唱える天性の奇術師……〈脱出王〉たる彼女のふたりだけだ。

 例外の片割れたる〈脱出王〉は、ノクトの使い魔を当然のように認識していた。
 監視の目を掻い潜り、かと思えば突然初歩的なミスでその姿を曝してみせる。
 蛇杖堂の老蛇さえ最大限の警戒を払う策士を手のひらでおちょくるステージマジシャン。
 狩魔が彼女のサーヴァントから、ノクト・サムスタンプの聯合への加担の可能性を聞かされたのが、悠灯達との会合の数十分前のことである。

『それにしても、良かったのかい? 風夏の伝言は君に伝えた筈だよ、"知恵比べは薦めない"と』
「憶えてるよ。だからああいうやり方をしたんだろうが」

 狩魔は山越風夏を信用していない。
 そも、アレは信用できる人柄ではない。
 が、その能力に関しては"一考の余地あり"と看做している。
 妄信はしないが、計算材料のひとつに含めても構わないという塩梅だ。

 だから忠告には従った。
 聯合へ加担した策士をまな板の上に引き上げることはせず、ただ情報を与えるだけに留めた。
 その上で――〈脱出王〉という宿敵の存在を知った上でノクトが何を選ぶかは彼次第だ。
 感情で動く聯合とは本来相反する人物であろう傭兵がどう動くにせよ、それは必ず聯合の在り様を乱す結果を生む。
 そう踏んだ上で、征蹂郎に対しこのカードを切ったのだ。ノクト個人ではなくあくまで聯合という組織全体を揺らすための、一手だった。


658 : 外道の歌 ◆0pIloi6gg. :2025/01/04(土) 04:10:32 rn68KjMM0

「後は出目次第だ。出た目が悪けりゃその時は腹括るだけだな」

 狩魔は、〈はじまりの聖杯戦争〉を経験した怪物などと直接相撲を取るつもりは毛頭ない。
 彼は良くも悪くも弁えている。裏社会でのやりくりが多少上手いだけの凡俗では、本物の怪物は相手取れないと分別を付けている。
 なので利用しようとは端から考えず、ただ盤面を揺らす材料になればいいと期待して砂をかけた。
 果たしてその結果は未だ茶碗の中。何が起きるか狩魔自身にさえわからない。

『君って、案外馬鹿だよね』
「馬鹿じゃなかったら不良になんてならねえだろ」
『それもそうだ』
「で?」

 端末の向こうから響く少年の声。
 それに向けて、狩魔は問う。

「お前んとこの馬鹿女は何やってんだよ」
『気になるのかい?』
「確かに話の通じるお前が出てきてくれた方が楽だが、顔が見えなきゃそれはそれで不気味でな」
『じゃあ心配には及ばない。ただ、少し好きな子と出会って気もそぞろになってるだけさ』
「『神寂祓葉』、か」

 どいつもこいつもそれだな、と煙草片手に呟いた。
 曰く、前回の聖杯戦争の勝者。
 亡霊どもを魅了した、輝きの星。
 先刻狩魔の後輩も触れてしまったというその人物の存在は、率直に言って聯合はおろか、山越風夏よりも気がかりな不確定要素だった。
 
 その時、部屋に近付いてくる足音が聞こえた。
 時計を見る。約束の五分が、経過していた。

「じゃあな、ライダー。できれば次も連絡にはお前を寄越すよう、あのバカ女に言っといてくれよ」
『覚えておくよ。じゃあね』

 通話を切るのと同時に、遠慮がちなノックの音が響く。
 入れ、と言うと、北京原人顔の少年がおずおず入室してきた。

「狩魔、さん。ええと、言われた通り来ました、けど……」
「おう。悪いな、面倒な呼び方しちまってよ」

 覚明ゲンジ。
 戦力としての彼の評価は、華村悠灯より間違いなく低いだろう。
 爆発力はあるが、それを支えるだけの地力が彼にはない。
 霊験あらたかな神具を持っていたとしても、使う人間がただの餓鬼では棒きれと大差ないのだ。
 彼はさながら、そんな無情さを一身に背負わされたような少年だった。


659 : 外道の歌 ◆0pIloi6gg. :2025/01/04(土) 04:11:21 rn68KjMM0

「神寂祓葉の話、どう思った?」
「え……。……、……怖い奴が、いるもんだなって……」
「違えだろ。俺に嘘は通じねえぞ、ゲンジ」
「っ」

 発言するなり切り捨てられ、ゲンジはびくりとその小柄な身体を震わせる。
 原人顔の少年がそうしている光景はどこかコミカルだったが、彼は大真面目だ。
 見透かされている。心の中に昂りを飼うゲンジには、それが分かったのだから。

「長いこと不良やってるとな、分かんだよ」
「……、……」
「本当にやべえ奴とか、話の通じねえ奴とか、今に何かしでかす奴ってのはな、ふとした瞬間に地金を晒すんだ。
 表情、発言、一挙一動。やっぱり人間、どんなに意識しても機械にはなれねえってわけだな」

 ――お前にはさっき一瞬、それが見えた。

 狩魔にそう指摘されれば、ゲンジは返す言葉もなかった。
 図星だったからだ。それを隠そうとしていたところまで含めて、完全な図星。
 こうなるともう、観念するしかない。
 隠し事ひとつまともに出来ない自分の愚鈍さに嫌気が差しながら、少年は口を開く。

「…………おれ、は。あの子に――神寂祓葉に、一度会ってる」
「やっぱりか」
「でも……会っただけだ。です。あいつはおれのこと、認識もしてなかったと、思う」

 なのに――。
 唇を噛んで、わずかに逡巡。
 しかし次に溢れた言葉は、虐げられ、軽んじられ続けてきた少年の奥底に煮える情念が隠し切れず滲んでいた。
 いや。隠すのをやめた、と言うべきか。


「なのに…………今も、目を閉じれば思い出せる。消えて、くれないんだ」


 楽しげに笑う横顔も。
 軽やかなその足取りも。
 向かう無数の矢印も。
 それらすべてに返す、"楽しみ"の文字も。


660 : 外道の歌 ◆0pIloi6gg. :2025/01/04(土) 04:11:48 rn68KjMM0


「狩魔さん、おれは――」


 一度は押し殺した。
 いや、今思うと見ないようにしていたのかもしれない。
 それは人間としての防衛本能か。
 もしくは、所詮おれでは、という諦めの発露だったのか。
 今はわからないし、どうでもいい。
 どの道、もう誤魔化しきれないのだと目の前の男の指摘で心底思い知ったからだ。

 だから告げる。
 己の中にある、"今叶えたい"願いを。
 いつか叶える、社会の変革ではない。
 この都市で、今、叶えたい願い。


「おれは、あいつに、褒められたい」


 吐いた唾は呑めない。
 願いは、衝動は、言葉になった。
 自分が今、越えてはならない決定的な一線を越えてしまったことを自覚しながら。
 己の出会った"先輩"を見据えるゲンジの震えた瞳から、狩魔は目を逸らさないまま……その口元を、ニヤリと吊り上げた。

「――よく言った。お前をスカウトして良かったよ、ゲンジ」
「……!」

 星に見惚れるのと、人に憧れるのとでは違う。
 ゲンジにとっては祓葉と違った意味で、この周鳳狩魔もまた憧憬の対象だった。
 そんな相手から受けた混じり気のない肯定に心が跳ねる。
 狩魔の言葉に嘘がないことは、何よりも彼の放つ矢印が証明していた。

「なあ、ゲンジ」
「……はい」
「お前のサーヴァント、俺とゴドーと戦った時に妙な力を使ってやがったよな」

 狩魔は、それを覚えている。
 あの時、自身の拳銃も、ゴドフロワの剣も不明な理由で無力化されていた。
 最終的にはゴドフロワの圧倒的なスペックとマスターであるゲンジの魔力切れで事なきを得たが、あれはまったく不気味な経験だった。
 そしてその記憶は当然のように、狩魔の手札の一枚として加えられていたのだ。


661 : 外道の歌 ◆0pIloi6gg. :2025/01/04(土) 04:12:26 rn68KjMM0

「……俺はよ、ゴドーと山越のライダーから祓葉って女の話を聞いて、考えてみたんだ」

 神寂祓葉。彼女の存在は、話に聞くだけでも分かる悪夢そのものだ。
 力では勝てぬ。殺しても死なぬ。そのくせ、無邪気に人を狂わせる。
 わずかな時間"触れた"悠灯でさえ、あのザマだ。
 せせこましく策を回しているのが馬鹿らしくなるようなバランスブレイカー。
 その上聖杯戦争の黒幕まで兼ねているというのだから、正直言って悪い冗談としか思えない。

 だが、だからこそ狩魔は考えていた。
 本当に、そんな人間が存在するのか? と。

「心臓が止まれば死ぬ。血が足りなくなれば死ぬ。そうでなくても、内臓一個潰されたくらいで簡単に死ぬ。
 人間ってのはよ、お前らが思ってるよりずっと弱っちいものなんだ。
 俺は仕事柄それをよく知ってる。ゲンジ、お前も思わねえか? "そんな人間いるわけねえだろ"って」
「そ、れは……」
「聖杯戦争ってのは、マスターとサーヴァントがセットになって戦うもんなんだろ?
 だったらよ、その祓葉がおかしくなったのも――サーヴァントの宝具か何かによるものじゃねえかと思った。
 要するにトリックさ。漫画に出てくるようなビックリ人間なんて、俺ぁ今まで一回も会ったことねえからな」

 もしも本当に、生まれながらあるがままに限界から解き放たれた不滅の生命体だったなら、正直に言って打つ手はない。
 しかし――そこにそれらを可能とする何らかのトリックが存在するというのなら、希望はある。
 狩魔にとっての希望はまさに、目の前の少年が擁するサーヴァントの能力だった。


「ゲンジ。俺はひょっとするとお前なら、神寂祓葉を殺せるんじゃないかと思ってる」


 原人のサーヴァント。
 敵の武装を、無力化する能力。
 もしもその影響が、体内に埋め込んだ、例えばペースメーカーのような装置にまでも及ぶのならば。

「悪国が死んで聯合が滅びれば、俺とお前もいつまで仲間(ダチ)でいられるか分からねえからな、事細かに聞く真似はしねえよ」

 覚明ゲンジは――"神殺し"になり得る。
 少なくとも狩魔は、大真面目にその可能性を考えていた。

「だから、俺がお前に訊くことはひとつだ」

 ゲンジは、ただ黙っていた。
 それは、狩魔の言葉が簡単に咀嚼できないほど重いものだったから。
 神寂祓葉。白い太陽。この世界の、都市の神。
 これをお前は殺せるのではないかと、そう言われてすぐさま思い上がれるほどゲンジの自分への信用は厚くない。


662 : 外道の歌 ◆0pIloi6gg. :2025/01/04(土) 04:13:06 rn68KjMM0

 まさか。
 おれが、そんなわけ。
 何かの間違いだ。
 勘違いだ。
 過大評価だ。
 おれが、おれみたいな人間が。
 あんな、女神みたいなバケモノを。
 おれなんかが、そんな――




「やれるか?」




 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――そん、な。




「…………ます」

 ぽつり。

「やれ、ます。
 いや……やり、ます。おれ」

 決壊した理性の隙間から、言葉が溢れてくる。
 訂正したのは、ひとえにあの白い少女が、単なる意気込みの中だけでも軽んじられないほどの重さを有していたから。
 だがそれでも、ゲンジは確かに答えた。
 無理難題、無茶ぶりにも等しい狩魔の言葉に、確かな自分の意思で応じたのだ。

「やって、みます」
「そうか」

 ああ、もう後戻りはできない。
 ゲンジは、独居老人を片っ端からバーサーカーの、あの原人の餌にした時以上にそれを実感していた。
 初めて白い少女を、祓葉を見た時に抱いたか細い願い。
 叶うはずもないと思っていたその願いを、現実にすると言ってしまった。
 言葉に、してしまった。声に出して、しまった。

 狩魔が、一枚の地図と、数枚の書類を差し出した。
 地図上には幾つかのバツ印がされており。
 書類には、無数の住所が無機質に並んでいる。


663 : 外道の歌 ◆0pIloi6gg. :2025/01/04(土) 04:13:51 rn68KjMM0

「……これ、は?」
「新宿近辺のめぼしい場所をリストアップしておいた。
 老人ホーム、公営住宅。ホームレスの多い地域。孤児院もある」


 ――――『いちかけるご は いち(One over Five)』。
 ゲンジには、狩魔の言葉の意味が分かる。


「此処で、まずは手数を増やしてこい。
 今の東京はこのザマだからな、ちょっと頭使えば誰の目にも付かずに備蓄を肥やせるぞ。
 集団失踪が明るみに出る頃には、警察もマスコミもそれどころじゃなくなってるだろうよ。
 一度やったことなんだ――お前なら、俺達の誰より上手くやれるだろ?」


 話した覚えはない。
 が、そこまで含めて見抜かれていたのだろう。
 餌にする老いぼれどもは、自室の近辺から選出していた。
 無数の原人という特異なサーヴァント。それを見せた時点で、こうなることは必定だったのかもしれない。

 が――そのことを、ゲンジはむしろ嬉しく思う。
 この人に背中を押されて、あいつへ向かえるのならば。
 おれみたいな人間に、これ以上の幸運はないだろうと。

「危なくなったら令呪を使ってすぐに逃げてこい。
 お前は"希望"だ、ゲンジ。俺達全員の――もしかしたら、この世界のな」

 ……覚明ゲンジ。
 その身体、その人生に、一輪たりとも華はない。
 顔は醜く。性格は卑小で。それらを覆すだけの能力も彼にはない。
 
 〈恒星の資格者〉と呼ぶには遥かに遠く。
 されど彼は星ならざるままで、ひとつの可能性を体現できる。



 ――星を穢す者。



 デュラハン最大のワイルドカードがこの瞬間、静かに胎動を始めたのだ。



◇◇


664 : 外道の歌 ◆0pIloi6gg. :2025/01/04(土) 04:14:11 rn68KjMM0
【新宿区・歌舞伎町のライブハウス/一日目・日没】

【周鳳狩魔】
[状態]:健康
[令呪]:残り3画
[装備]:拳銃(故障中)
[道具]:なし
[所持金]:20万程度。現金派。
[思考・状況]
基本方針:聖杯戦争を勝ち残る。
1:刀凶聯合との衝突に備える。
2:ゲンジへ対祓葉のカードとして期待。当分は様子を見つつ、決戦へ向け調整する。
3:悠灯とも話をしておかねえとな。
4:特に脅威となる主従に対抗するべく組織を形成する。
5:山越に関しては良くも悪くも期待せず信用しない。アレに対してはそれが一番だからな。
[備考]

【覚明ゲンジ】
[状態]:疲労(小)、高揚と興奮
[令呪]:残り3画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:3千円程度。
[思考・状況]
基本方針:できる限り、誰かのたくさんの期待に応えたい。
0:祓葉を殺す。あいつに、褒めてほしい。
1:ネアンデルタール人の複製を急ぐ。もう、なりふり構うつもりはない。
2:ただし死なないようにする。こんなところで、おれはもう死ねない。
3:華村悠灯とは、できれば、仲良くやりたい。
[備考]
※アルマナ・ラフィーを目視、マスターとして認識。

【バーサーカー(ネアンデルタール人/ホモ・ネアンデルターレンシス)】
[状態]:健康(残り51体)、ライブハウスの周囲に配備中
[装備]:石器武器
[道具]:
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:今のところは、ゲンジに従い聖杯を求める。
1:………………。
[備考]

【華村悠灯】
[状態]:激しい動揺と葛藤、そして自問
[令呪]:残り三画
[装備]:精霊の指輪(シッティング・ブルの呪術器具)
[道具]:なし
[所持金]:ささやか。現金はあまりない。
[思考・状況]
基本方針:今度こそ、ちゃんと生きたい。
0:……いっぱいいっぱいだよ、もう。
1:祓葉の誘いに、あたしは――
2:暫くは周鳳狩魔と組む。
3:ゲンジに対するちょっぴりの親近感。とりあえず、警戒心は解いた。
4:山越風夏への嫌悪と警戒。
[備考]


665 : 外道の歌 ◆0pIloi6gg. :2025/01/04(土) 04:14:37 rn68KjMM0

【キャスター(シッティング・ブル)】
[状態]:健康、迷い
[装備]:トマホーク
[道具]:弓矢、ライフル
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:救われなかった同胞達を救済する。
0:神寂、祓葉……。
1:今の私は、どうあるべきか?
2:神寂祓葉への最大級の警戒と畏れ。アレは、我々の地上に在っていいモノではない。
3:――他でもないこの私が、そう思考するのか。堕ちたものだ。
4:復讐者(シャクシャイン)への共感と、深い哀しみ。
5:いずれ、宿縁と対峙する時が来る。
6:"哀れな人形"どもへの極めて強い警戒。
[備考]
※ジョージ・アームストロング・カスターの存在を認識しました。
※各所に“霊獣”を飛ばし、戦局を偵察させています。

【バーサーカー(ゴドフロワ・ド・ブイヨン)】
[状態]:健康
[装備]:『主よ、我が無道を赦し給え』
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:狩魔と共に聖杯戦争を勝ち残る。
0:面倒なことになってきましたねぇ……。
1:神寂祓葉への最大級の警戒と、必ずや討たねばならないという強い使命感。
2:レッドライダーの気配に対する警戒。
[備考]


【???/一日目・日没】

【ライダー(ハリー・フーディーニ)】
[状態]:健康
[装備]:九つの棺
[道具]:
[所持金]:潤沢(ハリーのものはハリーのもの、そうでしょう?)
[思考・状況]
基本方針:山越風夏の助手をしつつ、彼女の行先を観察する。
0:まあ、ぼくは仕事をするだけだから。
1:他の主従に接触して聖杯戦争を加速させる。
2:神寂祓葉は凄まじい。……なるほど、彼女(ぼく)がああなるわけだ。
[備考]
準備の時間さえあれば、人払いの結界と同等の効果を、魔力を一切使わずに発揮できます。

現在の山越風夏の動向についてはおまかせします。


【中央区・刀凶聯合拠点のビル/一日目・日没】

【悪国征蹂郎】
[状態]:疲労(小)、頭部と両腕にダメージ(応急処置済み)、覚悟と殺意
[令呪]:残り3画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円程度。カード派。
[思考・状況]
基本方針:刀凶聯合という自分の居場所を守る。
0:周鳳狩魔――お前は、お前達は、必ず殺す。
1:周鳳の話をノクトへ伝えるか、否か。
2:アルマナ、ノクトと協力してデュラハン側の4主従と戦う。
3:可能であればノクトからさらに情報を得たい。
[備考]
 異国で行った暗殺者としての最終試験の際に、アルマナ・ラフィーと遭遇しています。
 聯合がアジトにしているビルは複数あり、今いるのはそのひとつに過ぎません。
 養成所時代に、傭兵としてのノクト・サムスタンプの評判の一端を聞いています。


666 : ◆0pIloi6gg. :2025/01/04(土) 04:15:01 rn68KjMM0
投下終了です。


667 : ◆l8lgec7vPQ :2025/01/04(土) 16:17:33 wwQ4wmbU0
輪堂天梨&アヴェンジャー(シャクシャイン)
ホムンクルス36号/ミロク&アサシン(継代のハサン)

煌星満天&プリテンダー(ゲオルク・ファウスト/メフィストフェレス)
バーサーカー(ロミオ)

ノクト・サムスタンプ

予約します


668 : ◆0pIloi6gg. :2025/01/05(日) 00:33:27 vHbeDwF.0
高天小都音&セイバー(トバルカイン)
高乃河二&ランサー(エパメイノンダス)
楪依里朱&ライダー(シストセルカ・グレガリア)
伊原薊美&ライダー(ジョージ・アームストロング・カスター)
天枷仁杜&キャスター(ウートガルザ・ロキ)
香篤井希彦&キャスター(吉備真備)
琴峯ナシロ&アサシン(ベルゼブブ/Tachinidae) 予約します。


669 : ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 02:54:14 5ASqdrZo0
投下します。


670 : What’s up, people?!(1) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 02:55:47 5ASqdrZo0



「"便利便利万歳 便利便利万歳
  便利便利万歳 人間"
 "便利便利万歳 便利便利万歳
  便利便利万歳 人間"」

 路肩に胡座を掻いて、がなり声でギターをかき鳴らしている青年がいた。
 東京ほどの大都会であれば、いわゆる路上パフォーマーの類など珍しくもない。
 まして此処は渋谷区、多様なカルチャーが一挙に集った"若者の街"である。
 武道館やアリーナを満員に埋める名うてのアーティストが、最初は路上ライブから始めていただなんてエピソードも枚挙に暇がない。
 実際、日没の迫る渋谷の路傍でギターソロを奏でる青年の足元にも、おひねりを入れるための缶が無造作に置かれていた。
 しかしその中には、一円の金銭も入っていない。
 時間は悪くない。東京は眠らない街、むしろ日が沈んでからがカルチャーの本番と言っても過言ではないだろう。

 悪いのはまず、情勢だ。
 連日に渡り、徐々に悪化していく治安。
 増え続けていく奇妙奇怪な事件と、その犠牲者達。
 都市を喰み、日に日に版図を拡大させていく――〈蝗害〉。
 こんな状況で、まして夜に、進んで外を出歩きたがる人間が少数派であることは言うに及ばず。
 
「"What`s up 不安材いっぱい
  犯罪消えない 永遠に"
 "What`s up 不安材いっぱい
  犯罪消えない 永遠に"」

 が、いつの時代にも命知らずな人間というのはいるものだ。
 現に人通りがまったくないわけではない。
 仕事帰りの社会人などは仕方ないが、明らかに遊び目的の外出であろう若者や外国人もちらほら見て取れる。
 なのに彼の路上ライブは客がいないどころか、露骨にその存在を避けて通られている節があった。
 
 悪いのはもうひとつ。
 単純に、あんまり上手くないのである。

 ガシャガシャとかき鳴らしているだけで、その演奏には纏まりというものがない。
 激しい、ただ激しい。うるさいほどに激しく、音楽を支える繊細さだとか技だとかは皆無だった。
 歌の方もそれは同じ。例えるならば、虫の囀りに近いだろうか。
 虫の声といえばセミ然り飛蝗然り風流の象徴とされるが、彼らは別に聞く者の耳を楽しませたくて演奏しているのではない。
 昆虫が鳴くことの意味はその大半が求愛目的だ。異性を引き付けて繁殖し、子孫を残して次の世代へ至るための本能的活動。
 だからこそ、虫螻どもは必死に鳴く。囀る。羽や身体を振動させて、命の限りを音にするのだ。


671 : What’s up, people?!(1) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 02:56:28 5ASqdrZo0

「"Hey,hey!  人間賛歌
  愛逃げ 人間不安か?"
 "Hey,hey!  人間賛歌
  愛逃げ 人間不安か?"」

 この力任せなギターソロは、そういう不格好な必死さがあった。
 本能で生きることしか知らない下等生物が、万物の霊長の生み出した文化の表層だけを模倣しているような。
 なので長く聞いていると、不快を通り越して徐々に不安になってくる。
 通行人達も、そんな不気味の谷現象にも似た不安感をうっすら感じ取っているからこそ、茶化しにさえやって来ないのだろう。
 
「"Hey,hey! 人間傘下"――――」

 単なる下手くその空回りと否定することもできないような、都会の腫れ物。
 徐々に夕闇に覆われていく街の中に虚しく響く音色へ割り込むように、からん、という乾いた音が響いた。
 青年の足元に置かれた空き缶の中に、一枚の硬貨が投げ入れられたのだ。

 金貨だった。黄金の林檎が彫り込まれた、よくできた美術品のような一枚だ。
 確かによくできているのだが、既存の貨幣や硬貨に比べるとどこか雰囲気にお硬さがない。
 なのでゲームセンターのメダルとか、もしくはそれこそ何処ぞのアーティストの作品だとか、そういう非現実感に溢れたコインだった。
 それを見て一瞬「お」という顔をする青年。が、その顔はすぐに不満げな形に変わる。

「ありがたいんだけどよ、日本円でくれよ。この国、外貨対応の店ってまだまだ少ねえんだわ」
「贅沢言うなよ。虫ケラの世界じゃ円だろうがユーロだろうが、パチンコ屋のメダルだろうが持ってたら英雄じゃないのかい」
「お前、それ舐めすぎ。最近は虫だってメシの美味い不味いに趣向を凝らす時代だから。価値観のアップデートちゃんとしとけよ」

 演奏の主は、どことなくアウトローな雰囲気の漂う人物であった。
 フード付きのつなぎを着用し、目元はフードで影になっていてよく見えない。
 口元には尖った歯が並び、禍々しいが顔立ち自体はどこに行っても引く手あまただろうワイルドな精悍さを湛えている。
 総じて、粗暴さと下品さ。美の要素とは縁遠く見える荒々しさが、恵まれた造形のおかげでそのまま魅力に変わっている。そんな男だ。

 対して硬貨を投げ入れた方はと言うと、彼とはまったく対極。
 いかにも女性受けする甘いマスクに、爽やかながらどこか妖艶な色気を滲ませた男だ。
 きらびやかな金髪を生やしながら黒いスーツに身を包んでいる様は、俗な表現に頼るならホストっぽい。
 綺麗さと危険さ。破滅すると分かっていても手を伸ばしたくなる甘い魅惑、誘蛾灯が人の形を取ったような青年だった。

 そんなベクトルの違う色男がふたり並んでいる姿は、光景としてはチグハグだが実に絵になる。
 現に演奏中は変なものを見るように足を早めていた通行人が、今は何人も立ち止まって遠巻きに彼らの姿を見つめていた。
 『声かけてきなよ』、『どっちがタイプ?』『今日のコンパ誘ったら来てくれないかな』なんて呑気な台詞もそこかしこで飛び出している。
 ギャラリーに、ホスト風の青年がまず手を振る。きゃああああっ、と黄色い声があがった。
 負けじとツナギ姿の男が、片腕を曲げてマッスルポーズを取った。なんかズレてるけど、それはそれでやっぱりどよめきが起きた。

「で、ライブの方はどうだったよ?」
「万人受けはしないだろうけど、俺は結構好きだったよ。
 恥ずかしがってる下手くそってのがこの世で一番恥ずかしいからな。
 その点、君の演奏には荒削りだが華ってもんがあった。いいじゃん、結構才能あるんじゃない?」
「……、よ、よせやい! そんな褒めたってなんにも出ねえぞ!
 まあおすすめの草むらくらいなら教えてやってもいいけどな……へへ、そっか……薄々気付いてたけどやっぱり俺って才能あんだな……」

 満更でもなさそうに頭を掻きながら、ギター片手にくねくねするツナギ男。
 思い返せば今まで演奏の評判はうるさい、下手、聞くに堪えない、弾き方がムカつく(これは本当に効いちゃったから、言った人間をその後殺しておいた)などと散々だった。
 こりゃそろそろあのメンヘラ女を見返せる時も近いな、とツナギの彼は上機嫌。
 久方ぶり、もしかしたら初めての賛辞をひとしきり噛み締めて反芻してから、満足げな顔でコインを胸ポケットにしまって。


672 : What`s up, people?!(1) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 02:57:30 5ASqdrZo0


「で、やんのかい?」
「そりゃ、そのために来たんだからね」


 ――瞬間、今までの和やかな雰囲気が一転して肌を削り取るような殺意の坩堝と化した。
 断っておくが、ふたりの男は変わらず笑顔のままである。
 武器を抜いてもいなければ、歯を剥き出して威嚇しているわけでもない。
 仲良く話していた時と何も変わらない表情と、声のトーン。
 その状態で、具体的な行動など何ひとつ伴うことなくステージが日常から非日常へ、平和から戦時へと切り替わったのだ。

 ぶ、と小さな羽音がひとつ響いた。
 今の東京では、それは不吉の象徴以外の何物でもない。
 ビルの窓枠。街路樹の葉陰。マンホールの隙間。ゴミ箱の中。あらゆる場所から、茶色い侵略者達が顔を出し始める。
 本来なら遠く離れた異国の脅威であり、日本では気持ち悪がられることこそあれど、社会を脅かす脅威にはならない筈のとある昆虫。
 されど針音響くこの仮想都市において、今やその虫螻は、蜘蛛やゴキブリが愛玩動物に思えるほどの"恐怖"と認識されるようになって久しい。
 その虫とは、飛蝗である。バッタ。されどただのバッタではない。日本には存在しない、黒みの強い大型の種だった。

「芸術の分かる有望なファンにこんなことは言いたくねえんだけどさ。
 ま、老婆心って奴だ。いつか活かせる機会もあるかもしれないし、忠告させて貰うよ」

 学名、〈Schistocerca gregaria〉。
 和名をサバクトビバッタ。砂漠飛蝗、と記述される場合もある。
 神代から現代に至るまで、あらゆる地上の激変を生き延びながら暴食を続けてきた無限の軍勢。
 黙示録に預言された四種四色の死、その〈黒〉のアーキタイプ。
 飢えにて人を滅ぼす、第三の絶滅。都市を脅かす蝗害の厄災、それこそが彼"ら"の正体だ。

「女(メス)にいいところ見せたい気持ちは分かるけどな、それで素寒貧になってたら世話ねえぜ」
「大丈夫、その心配には及ばない。俺はこう見えて、色恋沙汰はプラトニックに行きたいタイプなんだよね」

 またたく間に、溢れ出した飛蝗達はひとつの嵐を形成する。
 砂嵐だ。もはや農作物だけには留まらず、肉も鉄も等しく平らげて進む暴風だ。
 さっきまでアイドルでも見るような目で黄色い声をあげていたギャラリーが、瞬きの内に骨ごと噛み砕かれていく。
 断末魔さえ羽音の中に掻き消える、死が奏でる粗雑で無法なオーケストラ。

 そんな地獄絵図の中心部に置かれながら、黒スーツの青年はしかし一噛みもされることなく甘い微笑を保っていた。
 いや――これは微笑ではない。あまりに巧妙にそう演じているから分かりにくいだけで、本質はまったくそれと意味を異にしている。
 
「蛙化現象ってスラング知ってる? 相手のひょんな言動で、百年の恋も冷めちゃうってヤツ」

 彼が浮かべている表情は、そのすべてが蕩けるほど甘ったるいだけの嘲笑だ。
 彼はすべてを嘲笑っている。等しく見下して、馬鹿にして、軽んじている。
 北欧の神話に消えぬ爪痕を残したトリックスター。同じ名を持ちながら、本来格上である悪童王さえ手玉に取った北欧最高の奇術師。
 故に彼には、この世のすべてを嗤う資格がある。例外は過去も現在もそして未来もただひとつ、ただひとり。


673 : What's up, people?!(1) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 02:58:27 5ASqdrZo0

「たかだか害虫退治に必死こいちゃう男とか、ぶっちゃけクソダサいだろ」
「カッチーン。俺は現世でポリコレってヤツを学んでるからな。差別だけは絶ッ対ェに許さねえって決めてんだよ」

 煙る霞の巨人王。ウートガルズを統べたる、軽薄で残忍な統治者。
 雷神を誑かし、悪童王とその従者たちを打ち負かし、デンマークの王を憤死させた真の大悪童。
 不変の笑みで佇み、無限の飛蝗どもを一匹残さず嘲るロキの背後に、無数の光が出現した。
 それは徐々に人の形を象り、槍で武装した翼持つ少女達の姿へと変化していく。
 彼という大神(オーディン)の命を受けて馳せ参じたヴァルハラへの導き手が、数百体にも及ぶ数で都市を脅かす厄災と相対する格好を取った。


 饗すは砂嵐(ライダー)、シストセルカ・グレガリア。災厄。
 挑むは奇術師(キャスター)、ウートガルザ・ロキ。最悪。


「後腐れなくブチ殺して、そんで欠片も残さずブチ喰らう。遺言書いとけよ、俺の初めてのファンボーイ」
「必要ないね。君らの死骸で新しい街を拵えて、愛しいあの子とのんびりデートと洒落込む予定だからさ」



 時刻は日没。
 多くの主従が、聖杯戦争の大きな転換点になるだろうと予想している最初の夜の到来を待たずして――これより渋谷が揺れる。



◇◇



 始まったか、と思いながら、楪依里朱は足を進めていた。
 その風体は異様そのもの。故に、一度見たなら誰もが忘れない。
 したがってこれは他者への自分の素性の露呈を著しく助長していたが、だとしてもイリスはこの白黒(スタイル)を止めない。
 以前は心底鬱陶しく思ったものだが、今となってはそう思う機会は皆無に等しかった。

 色と色の境界線に神秘を見出し、これを根源へと至る道標と据える。
 生家の老人達が唱えていた話は、未だに思春期の妄想か何かとしか思えない。
 イリスは根源になど、魔術師の悲願になど、まったくもって興味がなかった。
 しかし戦う理由はある。失敗すると分かっている夢にひた走る馬鹿どもよりも余程強い理由を持っていると自負さえしている。

 忌まわしくも眩しく、美しくもおぞましく。
 都市のどこかで今も輝いているだろう、誰かの瞳を灼いているだろう、あの親友を殺すのだ。
 どんな手を使ってでも、たとえこの身がその代償に燃え尽きようとも、構わない。
 そうまでしてでも勝ちたい。乗り越えたい。否定したい輝きが、イリスにはあった。


674 : What's up, people?!(1) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 02:59:22 5ASqdrZo0

 その一心だけでイリスは、本物の魔女になった。
 死を経て極まった色間魔術は、今やサーヴァントにさえ通じる本物の魔道と化した。
 こと正面戦闘に限るなら、自分に勝る魔術師はこの針音都市に存在しないだろうと驕りでも何でもなくそう思っている。
 自分はもう、誰にも負けない。誰の助けも必要とはしない。一緒に戦う友達なんて、要らない。
 〈蝗害〉を従える白黒の魔女。彼女は感情のままに、されど誰より無慈悲に、都市のすべてを蹂躙する。
 宿縁も哀れな子羊も、すべて、すべて。あらゆるものを弑逆し、星殺しを為すのだと淀んだ瞳が告げていた。 

 前方から歩いてくる、三人の女を視認する。
 その脇に侍るのは、二体のサーヴァント。
 見覚えのある褐色肌の少女と、不敵な笑みを浮かべた米国人(ヤンキー)。
 もう治癒の完了した肩が幻痛を訴えた気がして、イリスは小さく舌打ちをした。

 他の有象無象はどうでもいい。
 どうせ端から金魚の糞だと分かっているから。
 だからイリスは三人の中で、いちばん背の低い女。
 どこかおどおどした、落ち着きのない"そいつ"だけを見据えた。
 そうして静かに、口を開く。不機嫌と、嘲笑。そのふたつを載せて、魔女はこの"もうひとつの戦場"の開戦を告げる。

「本当に来たんだ。正直そこの見てくれだけ小綺麗な腰抜けは逃げると思ってたけど」

 自分のことを言われたと分かったのだろう。
 アメリカの英雄/汚点を従えた、中性的な顔立ちの女がわずかに眉を動かした。
 どうでもいい。祓葉に歯牙にもかけられなかった小物どもになぞ、一体何の価値があろうか。
 今、イリスの心を乱すのはただひとり。
 無遠慮に自分の懐まで踏み入り、逆鱗を踏み鳴らして好き勝手言いまくり、この席を他でもない魔女自身の手で拵えさせた落伍者だけだ。

 マスターが三人に、サーヴァントが二体。
 対するこちらは、マスターひとり。
 圧倒的に不利な状況でありながらイリスは微塵も怯えることなく、口火を切った。

「楪依里朱。〈はじまりの六人〉のひとり。今はあんたの読んだ通り、〈蝗害〉のマスター」

 席の名目は話し合いだが、イリスはそれが完遂されるなどとはまったく思っていない。
 本来の規模(スケール)を取り戻したシストセルカが本気で暴れるのだ。
 いかなるサーヴァントだろうと、あの虫螻どもを正面から凌ぐなどできるわけはない。
 それこそ、この世界の神でもない限りは。だから、イリスにとってこれから始まる会合は単なる暇潰しの域を出なかった。
 時間経過と共に追い詰められていき、最後はひとり残らず魔女の玩具か蝗の餌に変わるのがさだめの哀れな贄たち。
 彼女の認識はあくまでその程度。されど――魔女は知らない。知る由もない。

「……、ほらにーとちゃん。自己紹介しないと」
「あ、うあ、えーと、あの……。
 こ、ことちゃんが代わりにしてくれない……? なんか思ったより怖……怖い子でさ……えへ、えへへ。
 あっ、薊美ちゃんでもいいんだけどなー!?」
「早くしてください、にーとのお姉さん。じゃないと令呪使って逃げますよ。私はいつ帰ってもいいんですからね」
「薄情!? うぅ……。光のことちゃんと闇のことちゃんに板挟みにされてる気分んんんん……」

 〈恒星の資格者〉という言葉、概念を、イリスはまだ知らないから。
 だからこそ彼女は、一切の前もっての想定ないままに相対することとなる。
 この世界の神、太陽、極星たる白い少女。神寂祓葉。
 その高度に迫り得る、特異点の卵。原星核。

「あ、あああ、天枷仁杜、です……。
 あっ、親しい人は〈にーとちゃん〉って呼ぶよ……!」
「……、……」

 ――月、と称されるこの女と。



「そんな名前あるわけないでしょ。寝言は寝て言えよこのクソニート」
「ひどい!? ほ、ほんとに本名なんだってばぁ……! あとヘンな名前って意味じゃいーちゃんも大概だからね!!!????」



◇◇


675 : What's up, people?!(1) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:00:21 5ASqdrZo0



 刹那にして、渋谷の街は本物の地獄に変わった。
 結集していく〈蝗害〉、群生相の暴食者達。
 それは一粒一粒が自我を持ち、欲望を持ち、生殖の使命を持ったいと悍ましき砂嵐。
 現在進行形で都市を喰らい続ける、餓死の原型。
 数日後には再現された東京のすべてを埋め尽くすことが確約されている終末装置(タイムリミット)。
 そんな群体が、ワイルドハントが、一体の英霊を喰い殺すために猛りをあげて迫るのだ。
 これが地獄以外の何だろう。現に居合わせたNPC数百人が、開戦数秒でもう飛蝗どもに食い尽くされて惨死している。

「えー、入力完了。
 宝具開放しちゃってね、君達。
 しち面倒臭い諸々すっ飛ばして、戦乙女らしく慈善事業と行こうじゃないの」

 その中にありながら、ロキの顔は涼しいものだった。
 彼の背後に浮かび、侍り、槍を構える無数の戦乙女――ワルキューレ。
 大神の娘たち、ヴァルハラの導き手。本来の数を優に超えて現出した戦士達は、黙し語らず父なるロキに従う。

「――『終末幻想・少女降臨(ラグナロク・リーヴスラシル)』。さあ、お父様(パパ)の期待に応えておくれ」

 父/作者の命令と共に、少女たちは一斉に天へと浮かび上がった。
 次の瞬間、その手に握られた神々しき槍が次々と投擲される。
 オーディンが握る神槍・グングニルの劣化複製。『偽・大神宣言』と"本来なら"呼称される神造兵装。
 一振り一振りが並の英霊なら霊核ごと消し飛ばす威力を秘めた神域の裁きが、地を這う虫螻を駆逐するべく降り注ぐ。

 炸裂と同時に、燦然たる、思わず見惚れるような輝きの爆発が炸裂した。
 槍の本数ぶん、つまり数百の炸裂が渋谷の町並みを蹂躙していく。
 無論標的にされた飛蝗の群れは、衝撃と熱風に煽られて次から次へと爆散を余儀なくされた。
 一斉攻撃に無辜の市民を少なくない人数巻き込んでいることを除けば、まさに神話の再現めいた光景だったと言えるだろう。

 ――しかし相手は〈神代渡り〉。あらゆる艱難辛苦を生き延びて現代にまで生き残ってきた、今を生きる厄災。
 そも総数が無限に等しい飛蝗の群れを相手に、たかだか数百の大火力で挑もうということ自体がナンセンスだ。

「"偏見・陰険人間糞だ 動き出せ俺 fight"――!!」

 響き渡る悪夢のギターソロ。
 それと共に溢れ出しては食い破る飛蝗の群れ。
 残滓として空間へ漂う魔力さえ餌に変えて、虫螻どもがワルキューレ達へ向けて飛翔する。
 暴食、暴食、暴食、暴食。数十数百死んだ程度では何も変わらない、誰も気に留めない。
 何しろ彼らはこうしている今も、一秒の間断もなく増え続けている。
 視覚的には砂嵐にしか見えない蝗の群れ。その中では常に数万数億の個体が性交に明け暮れ、爆発的に生物の意義をこなし続けている。


676 : What's up, people?!(1) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:01:02 5ASqdrZo0

 その筆頭を征くのは、やはりと言うべきか彼らの"英霊"としての核。
 ツナギ姿の怪人が、金属バットを片手に嵐を引き裂きロキへと向かう。
 彼は〈蝗害〉の総体意思。群れある限り死ぬことを知らない暴力の化身。
 振り下ろすバットと、ロキの手に握られた真作の『大神宣言』が激突する。
 迸る衝撃波が路上に散らばった臓物や死体死骸を蹴散らして、怪物どもは笑みを浮かべながら舞踏会へ興じていく。

「お膳立てをありがとうよ、色男! メスがよりどりみどりじゃねえの、片っ端から食い漁ってやっからなァ!」
「どうぞご自由に。虫螻とはいえ王を謳うんだもの、まさかたかだか御遣い程度に遅れは取らないよな?」

 それはさながら、聖書の一ページを映像化したかのような光景だった。
 寄せては返す〈蝗害〉の荒波を、黄金の髪を靡かせる美丈夫と彼に仕える数百の槍持つ乙女達が迎え撃つ。
 都市を滅ぼし、民を喰らい、命へ癒えぬ苦しみを与える奈落の王(アバドン)の乗騎。
 黙示録の時来たれりと謳う騎手と、その黒き死に抗う美しき人々。

 蝗害を蹴散らす光の槍が、迸るたびに夕闇を燦然と照らし上げていく。
 しかし生まれた光は、次の瞬間にはまた蝗という名の闇に喰われる。
 少なくない数の犠牲を払いながら、それがどうしたと前進し続ける愚かな虫々。
 オーディンの戦乙女を総軍規模で出撃させていながら、結局、彼女達は〈蝗害〉の前進をわずかに遅らせている程度の働きしかできていない。

 そして遂に、美しき乙女達のひとりが餌食になった。
 細やかな足に、白鳥を思わす翼に、次々飛蝗が食らいついて牙を立てる。
 東京の蝗は既に群生相。常なら食べない血肉も魂も、飢えた彼らは喜んで貪り食う。
 結果、哀れなワルキューレが塵も残さず消えるまで五秒とかからなかった。
 わななく指先、爪の一片まで残さず平らげて、暴食の嵐が白鳥たちに襲いかかる。

「なんだよ、妙に中身がスカスカだな。せっかくの別嬪だからどんな味かと期待してみりゃ、てんで食いでがねえでやんの」

 一言、虐殺である。
 断末魔のひとつもあげずに黙って喰われていく様もまた、光景のグロテスクさにある種拍車をかけていた。
 ロキによって生み出された戦乙女達を、飛蝗どもは敵とすら認識していない。
 ただの餌だ。風にそよぐ稲穂の一本と、この世のどんな男でも刹那で見惚れる美貌の少女が、食欲という最も原始的な欲求の前に等価となる。
 
 結果として、ワルキューレの聯隊はスナッフビデオのような絵面を繰り広げながら一体残さず食い殺された。
 ごちそうさまの挨拶もなしに、餌を失った飛蝗達の矛先が一点に絞られる。
 すなわちウートガルザ・ロキ。兵を狩られた裸の王様の、頭の先から足の先まで余さず寄越せと節操なしに殺到する。
 その先頭に立つのは総体意思。力任せに振り抜かれたバットの一撃が、退避しようとしたロキの頭部に向け振り翳される。
 こうなるとロキは『大神宣言』を用い、目先の危険であるそれをどうしても対処しなければならなくなる。
 結果として撲殺の末路を免れることはできたが、命を拾った代償に逃げる暇を失った。
 哀れな道化の肉を求めて迫る地平の暴風を、両手の塞がった状態で対処することは当然できない――

「そりゃ残念。枯れ草みたいな料理を山ほど拵えた方が、飛蝗の好みには合うかと思ったんだけどね」

 ――その"当たり前"を覆すように、次の瞬間。
 迫るサバクトビバッタの一軍がロキもろともに、戦略爆撃もかくやという大熱波に消し飛ばされた。


677 : What's up, people?!(1) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:01:54 5ASqdrZo0

「ッぎ――!?」

 それは、歴史を繰り返すような光景とも呼べただろう。
 空から落ちてくる破滅の炎。命を滅ぼす光の熱波。
 東京を蹂躙した戦火の火をなぞるような皮肉の景色。
 
 しかし、なぞらえて語るにはこれは壮麗すぎた。
 降り注ぎ、飛蝗の軍勢を焼き払ったのも無機質な爆弾などではない。
 黄金の光だった。この世に現存するどんな貴金属よりも眩しく輝く、純然たる金色で編まれた破壊光が〈蝗害〉を襲った熱の正体だ。
 天におわして地を見守るまことの神が、厄災に曝される民を哀れんで放った救いの光。
 もし宗教家がこの場に居合わせたならば、ややもするとそんなことを言ったかもしれない。

 ただしそこには条件が付く。
 これに居合わせて生きていること。
 そして運良く両目の視力を失い、辺りの惨状を認識せず、神々しい光の降る景色だけを目に焼き付けて終われたこと。
 そうでなければ死ぬか、生き残ったとしても信じた奇跡に裏切られて絶望に打ち拉がれる羽目になったろう。

「俺は小人(ドヴェルグ)どもと懇意の仲でなあ。
 大恩ある俺が害虫の群れに集られていると知り、かいがいしくこの世界まで届けてくれたみたいだ」

 天の光は、確かに地の蝗害を焼き払った。
 しかし焼いたのは飛蝗だけではない。
 逃げ惑う民、逃げ損ねた民、あるいは事の深刻さをまだ認識しきれていなかった民。
 そういう数多の無辜の民、ざっと更に数百人を諸共に蒸発させながら、厄災を祓う天からの聖光はこの地に降臨を果たしたのだ。

 帆船が、空に浮いていた。
 これだけならば、単に不思議な光景で済む話。
 だがそのサイズは、明らかに異常だった。
 目算でも確実に数百メートルに達する、異様な巨大さを有している。
 地上から見上げてこれということは、実寸はkmを超えているかもしれない。
 神秘の薄れた現代では世界のどこを探しても存在しないし、持っていたなら欠片ひとつでも魔術師として盤石の地位を築けるだろう神代の素材を惜しげもなく使い、実用性と見た目の美しさを極限域で両立させた船であった。
 そもそもは戦闘用に建造された代物ではないのだろうが、では用途外で用いるとどの程度なのかという問いの答えは、今お披露目された冗談みたいな火力が物語っている。
 至高の美と、最高の武。船に搭載したい要素を惜しげもなく、一点たりとも譲らず詰め込んだ結果の空飛ぶ帆船。
 宇宙の彼方から地球に降り立ったギリシャの機神達の真体(アリスィア)にさえ匹敵、ともすれば凌駕するこの船を、アースガルズの神族達は賞賛と畏怖を込めてこう形容した。

 ――これなるは、まさしくこの世で最も素晴らしい船。

 名を、スキーズブラズニル。
 豊穣の神のために小人が建造した、神話の浮舟である。


678 : What's up, people?!(1) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:02:41 5ASqdrZo0

「さあ、どうするよバッタ野郎。虫螻なりにそのチャチな羽で、天ってもんを目指してみるかい?」

 挑発するロキの言葉に合わせて、第二の光が発射される。
 ただし今度のは面の制圧能力に特化しない、間断なく撃ち放つ光の弾雨であった。
 この国の歴史になぞらえるならば、機銃掃射というものが近いだろう。
 弾丸のひとつひとつが人体どころか建物ひとつを消滅させる威力を秘め、尚且つ弾数が軽く見積もって十万を超えている点を除けば、適切な喩えと言えるかもしれない。

 対抗しようと考えるのが馬鹿らしく思えるほどの光景は、しかしこれで終わりではなかった。
 光弾の掃射が始まり、星空のように眩く輝く空をよく見てみると、所々に槍を持つ戦乙女の姿が窺える。
 それは先程ロキが用い、そして〈蝗害〉に鏖殺されたワルキューレに他ならなかったが、先程とは違う点がひとつある。

 これもまた、数だ。
 総数が本来の神話と比べても、あまりにも多すぎるのだ。
 千体を超えるワルキューレが、スキーズブラズニルの周りに滞空している。
 そしてその全員が、『偽・大神宣言』を装備している――これほど神々しい悪夢は他にないだろう。

「いいねぇ――」

 だが悪夢と言うならば、この虫どもも負けてはいない。
 光の中、破壊され尽くした大地から声がする。
 次の瞬間、粉塵はおろか光そのものさえ引き裂きながら、確かに消し去った筈の蝗の群れが爆発的に出現した。

「大口叩くだけはあるじゃねえか! いいぜいいぜ、そっちがその気なら俺もとことんノってやるよ!!」

 返事の代わりに、ロキは掲げた右手を下ろす。
 それを合図に、空のワルキューレの軍勢が、一斉に終末幻想(ラグナロク)を到来させた。

 これぞまさしくひとつの終末、都市へ降り頻る流星雨。
 が、飛蝗どもは逃げ惑うどころか進んで天へと昇っていく。
 神々しくあるべき槍を、オーディンの神槍の複製を、瞬く間にその数で黒く染め上げる。
 美しい筈の流星が、一振り残らず犇めく虫の黒色に汚染された。
 その結果、地の飛蝗を一掃する勢いだった千の槍は、一本たりとも地上に届くこと叶わず塵になって消え去った。

「やだやだ。野蛮だね」

 が、だとしても天はまだ遠い。
 ワルキューレ達の手の中に、再び神槍の写しが回帰していく。
 それが完了し、第二の流星雨が発射可能になるのを待たずして、スキーズブラズニルが感光した。

 その気になれば渋谷区どころか、東京都の全域をすら一時間足らずで焦土に変えられるだろう火力。
 一瞬、空に巨大なルーンの紋様が浮かび上がったと思えば、刹那の後には清浄の大熱波が放たれる。
 一体何十万の飛蝗が焼死したのか定かですらない。むしろ、これで全滅に至っていないことが不可解すぎるくらいだ。
 『穢れを清めるルーン』。小人が船を造り、神族達がこぞってそこに数多のルーンを搭載した結果がこの戦艦じみた帆船だ。
 北欧における最高の船と称されたスキーズブラズニルにかかれば、単なる清めのルーンが、黙示録の死にも仇なす神の審判と化す。


679 : What's up, people?!(1) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:03:35 5ASqdrZo0

「テメエが言うなよ、腐れホスト野郎」

 滅却されていく同胞達には見向きもせず、シストセルカ・グレガリアの総体たる彼は喜悦満面でロキと打ち合い続けている。
 技などない、ただの力任せ。されどそれでさえ、並の英霊なら一撃で殴り殺す威力を秘める。
 繰り出される暴力の応酬を、ロキは冷や汗ひとつ流さずに受け流し続けていた。

 あくまで彼は奇術師(キャスター)、戦士ではない。だから暑苦しい近接戦に付き合う気など端からないのだ。
 にもかかわらず、手にした槍の一振りだけで蝗の猛攻を防ぎ続けている辺りは驚嘆に値する。
 この場に〈脱出王〉と呼ばれる同業者が居合わせたなら、万能でなければスターは務まらないとうんうん頷きながら薀蓄を語っただろう。

「殴り甲斐ありそうなムカつくツラで何よりだぜ。やっぱ気持ちよくぶっ飛ばすなら、女殴ってそうなチャラ男が一番だもんな」
「心外だな。俺は好きな子には優しくする主義だよ? プラトニックが好きって言っただろ」

 シストセルカの凶相が、光に呑まれる。
 スキーズブラズニルの放った光の柱が、ロキごと彼に着弾したのだ。
 しかし当のロキは、軽傷どころか髪の毛一本散らすことなく直立している。
 理不尽。何から何まで道理が通っていないし、今見ているこれは果たして現実なのかと問いたくなるような無法。
 ロキはこの戦いで、此処までそれしかしていない。

「おう、好きなメスのタイプ聞かせろよ。
 ちなみに俺はパツキンでナチュラルメイクな乳デカいギャルな。さっぱりした性格で、手首に傷がないと尚良しだ」
「知りたくもない情報をどうも」 

 なのに、それに追随し続けているこの虫螻は一体何なのか。
 今しがたのスキーズブラズニルによる砲撃も、彼をまるで滅ぼし切れていない。
 平然と粉塵の中から声がして、軽薄な質問と共にバットを側頭部へ振るってくる。
 
「で、おたくはどうなんだよ。やっぱり乳は必須だよな?」
「無い方が好きだね。ちっちゃくて黒髪で、わーきゃーうるさいくせに人見知り。あとかわいいのは大前提。そんなとこ?」
「キモ。ロリコンかよお前。あ〜駆除駆除駆除駆除、慈善事業ォ〜〜〜ッ!!!」

 無法にはまた別の無法。
 お互いが当然にその思考だから、この戦場には際限というものが存在しない。
 正常な聖杯戦争では出てこない害虫と、正常な人間では運用できない悪魔。
 奇跡のような運命でまろび出た二種の怪物の戦いの舞台になった渋谷区に顔があったなら、今頃きっと泣いているだろう。
 こうしている間もずっと、スキーズブラズニルの空爆とサバクトビバッタの氾濫が、一秒ごとに街を更地へ近付けているのだ。

「失礼だな。成人してるから純愛だよ」

 ロキの手の中で、神槍(グングニル)がブレる。
 刹那、回避を許さぬ槍の疾走がツナギ男の心臓を穿った。
 同時に壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)、結果として巨人王の趣味を嗤った彼の姿形は木っ端微塵に爆散する。


680 : What's up, people?!(1) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:04:28 5ASqdrZo0
「キモいことに変わりはねえだろ」

 声は、ロキの足元から響いた。
 おや、と優男の眉が動く。
 彼の足からぞわぞわざわざわと、おぞましい音と触感を伴いながら無数の飛蝗が這い上がってくる。
 おいおい滅茶苦茶痛いな、と場違いに呑気な感想が彼の口から漏れた。

「あー。えーっと、"アンサズ"」

 面倒臭そうにその指先が、何やら紋様のようなものを描き――次の瞬間、ロキの全身が蒼く燃え上がる炎に包まれる。
 これで這い寄るサバクトビバッタを焼き尽くしつつ脱出したわけだが、彼の両足は骨が見えるほど食い荒らされていた。
 更には傷口を起点として、患部全体が末期の病巣に変わったみたいな毒々しい激痛が脳を沸騰させてくる。
 されどこれでも、この悪なる飛蝗どもに集られた末路としては穏当だ。そのことは今更言うまでもないだろう。

「一応治しとくか。この傷じゃコンビニにも行けねえや」

 続く二文字目の紋様(ルーン)で、負った傷を内部の毒ごと速やかに治療。
 放出した大神宣言の代わりに取り出したのは、人の身の丈ほどもある巨大な槌(ハンマー)だった。
 かつて"この"ロキの奸計にまんまと誑かされて失態を晒した雷神の神造兵装。
 名をミョルニル。雷神の槌、雷神の嵐……いずれにせよ、グングニルの次に出る武装として一切の格落ちはない。

「一歩前進だな。今の魔術、テメエの自前だろ。ルーンってやつだっけ?」
「何のことだかさっぱり」
「それにテメエ自体はちゃんと食ってる感覚もあった。
 殺せば死ぬ、食えば死ぬ。正直ちょっと参ってたぜ、流石に"存在してねえ"奴は食いようがねえからな」

 再生を果たしたシストセルカに、振り下ろされるミョルニル。
 それは『悉く打ち砕く雷神の槌』。
 一切爆散の威力を秘めた神の雷霆を、平然と食い破り進軍する飛蝗の軍勢。
 その猛威を鼻で笑いながら、ロキは指を鳴らした。
 途端、渋谷の大地に空から雷霆が降り頻る。
 雷神トールが搭載した雷のルーン。その機能を用いた、スキーズブラズニルによる神為的天災が"神の敵"一切を焼き払うべく音を奏でた。

 されど虫螻の王、神を畏れず。
 彼らは大勢、孤軍に非ず。
 ひとつの"種"として喰うことを選択した地平の厄災は、雷神が激昂しようが止まらない。
 いや、それどころか。
 此処に来て遂に、押されるばかりに見えた黒き死が神話の終わりを成し遂げようとしていた。

「タイムアップだぜ、色男」

 悪戯っぽい笑顔で、シストセルカが天を示す。
 ロキが視線で指先を追うと、そこには驚くべき冒涜的光景が広がっている。


681 : What's up, people?!(1) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:05:17 5ASqdrZo0

「……へえ。別に舐めてたわけじゃないけど、此処までやれるのか」

 空に――巨大な、髑髏が浮いていた。
 スキーズブラズニルの全長は、アースガルズの神族がすべて乗れるほど巨大だという。
 だが髑髏の全経は、そんな至高の船のそれを遥か上回っている。
 そんな黒い髑髏はアギトを開き、表情筋など存在しない躰で笑みを形作りながら、上下の顎で神の船を挟んでいるのだ。

 千を超える戦乙女が、どれも手足を喰らわれて、穴という穴を無数の飛蝗に犯されている。
 父神の槍を握ろうにも、そもそもそのために必要な腕がない。
 目鼻に口、恥部肛門に傷口。其処から入った虫に骨ごと喰らわれたワルキューレが地に墜落する様は、この世の終わりのように破滅的だ。
 スキーズブラズニルを護る乙女達は再び鏖殺され、結果、笑顔の髑髏は遠慮なく咀嚼を続ける。
 至高と呼ばれたその船の、あらゆる建材が悲鳴をあげていた。均衡は一度崩れれば後は早く、陳腐な音を立ててまず帆が折れる。
 次に船底、次に甲板。
 次々と髑髏の歯に押し潰され、破砕。スナック菓子のように噛み潰されて、魔法の船が瓦礫の山に変わっていく。

「船でも星でも何でも持ってこいよ。片っ端から食って潰して殺して犯して、飛蝗(おれら)の供物にしてやるぜ――――」

 スキーズブラズニル、此処に轟沈。 
 同時に天の浮舟に抑圧されていたサバクトビバッタが、嬉々としてその氾濫を再開する。


「――――DIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIE、YOBBOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO(雑魚は疾っとと絶滅しやがれ)!!!!」


 亡き帆船の最大火力と、この黒き波。
 果たしてどちらがより強力で、凶悪だろうか。
 判別の付けようなどある筈もない。
 そも、耐えられる者がいないからだ。
 それでも、目の前の命を奪う(ころす)という一点で言うならば――やはり上手を行くのは、黒騎士とアバドンの原型たる虫螻の方か。

 ロキが地を蹴り、後退する。
 それは彼がこの戦いが始まってから初めて見せた、明確な退避行動。
 全能の奇術師たる霞煙るロキでさえ、本気の〈蝗害〉には耐えられない。
 だから下がる。されど、逃すものかよと羽音が響き、風に載って茶と黒の雪崩が奔る。


682 : What's up, people?!(1) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:05:56 5ASqdrZo0

「"Now singin`"」

 響き渡る破滅のギターソロ。
 道理が敗北し。叡智が滅ぶ。
 神々が逃げ帰る。誰もこの音を絶やせない。

「"bling-bang-bang,bling-bang-bang,bling-bang-bang-born"
 "bling-bang-bang,bling-bang-bang,bling-bang-bang-born"
 "bling-bang-bang,bling-bang-bang,bling-bang-bang-born"」

 荘厳とは無縁の、今風な流行りのジャージークラブ。
 無数の飛蝗がかき鳴らす。数多の飛蝗が歌い舞う。
 誰も口を挟めない、誰も口を挟ませない。
 君臨。蹂躙。降臨。踏み荒らす逆鱗。悲劇めいた喜劇の再臨。

「"bling-bang-bang,bling-bang-bang,bling-bang-bang-born"
 "bling-bang-bang,bling-bang-bang,bling-bang-bang-born"
 "bling-bang-bang,bling-bang-bang,bling-bang-bang-born"」

 悪夢のポップが現実を破壊する。
 いや、夢さえも破却する。
 進む、進む、まさに彼らは不退転。
 シストセルカ・グレガリア。それは、星にとっての悪い夢。
 あらゆる命が平伏し、あらゆる命が逃げ惑い、あらゆる命が飢えて死ぬ。
 黒き滅び、黙示録の死。奏で給うは、万物万人に向けた荒くてポピュラーなレクイエム。

「HA HA HA HA HA――――――!!!」

 ワルキューレの猛攻とスキーズブラズニルの殲滅。
 いずれでも滅ぼし切れない、それを叶える段階に遠く及ばない膨大極まりない数の暴力がただ一体の巨人を脅かす。
 響く哄笑は死神の囁きとまったくのイコール。そんな状況に立たされて尚、ロキは笑っていた。

「女の趣味は合わないが、やっぱり音楽の趣味は悪くないね。
 まったく惜しいよ。君がせめて神か人だったなら、友達になれたかもしれないのに――ああいや、それは無理か」

 気でも触れたのか。
 何故、この状況で笑えるのだ、ロキよ。悪童の王ならぬ、ウートガルズの王よ。
 
「所詮地に足着いた生き物じゃ、俺の想像は超えられないもんな」

 気になるかい?
 いいよ、教えてあげよう。

 奇術師(トリックスター)は、いつだって不敵に笑うもんなのさ。
 好きな子に頼まれた時は、特にいっとう陽気にね。

「虫螻の分際でよく吠えた。その素晴らしい万有に免じて、本物の絶滅というヤツをくれてやる」


683 : What's up, people?!(1) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:06:57 5ASqdrZo0



「……ッ!?」

 驚きに揺れたのは、事もあろうに王手をかけていた〈蝗害〉の側だった。
 その驚愕が伝播したように、進む無数の飛蝗の群れが、目に見えて停滞していく。
 いやそれどころか、地に落ちて緩慢にわななくばかりと成り果ててゆく。
 餓死の象徴にして暴食の象徴たる、空を覆う虫螻達が氾濫を止める異常事態。
 都市に蔓延る強大にして下劣なる滅びに否を唱える光景の中、ただウートガルザ・ロキだけが嗤っていた。

「なんだ、こりゃあ……まさか、テメエ……!」
「あらら、無様なことこの上ないなぁオイ。
 まあでも仕方ないさ。煩く囀って飛び回る飛蝗も、巡る季節にゃ勝てやしないよ」

 彼を中心に、戦場一帯の気温が一秒ごとに引き下げられている。
 スキーズブラズニルの神罰と、それをも食い破ったサバクトビバッタの暴虐。
 その両方から逃げ延びた幸運な人間がいたとしても、これで確実に全員が死んだだろう。
 人間ではもはや生存不可能な次元に至った低温の地獄は、誰であろうと命が存在することを許さない。

「ニブルヘイムの冷気を此処に呼び寄せた。
 寒さとは、雪とは、冬とは等しく死の象徴だ。
 君ら虫螻はよく知ってるよな? ひとえに俺達の決着は、そんなところさ」

 サバクトビバッタ――シストセルカ・グレガリアは攻性において無敵の存在である。
 その上で、常に増え続け番い続けるから滅びとも無縁。
 吹けば飛び、踏み潰せば臓物を曝すような虫螻なれど、それが無限に集まっているからこそ亡ばない。
 だが、では、自然界におけるサバクトビバッタは果たしてこの通りに無敵の生命体なのか?
 答えは、否である。サバクトビバッタは他の昆虫類の例に漏れず変温動物であり、寒さの影響は彼らの活動を著しく緩慢にさせるのだ。
 そしてサーヴァントという存在は否応なく、原典(オリジン)の逸話・性質に引きずられる。
 ある時には原典を参照して強くなり。またある時には、逆に弱くなる。

「今の俺様はお月さまの相棒さ。如何に君らが強く大勢でも、その飛翔が月(かのじょ)に届くことはない。
 ていうか――」

 ロキが嗤う。
 嗤いながら、ミョルニルを振り上げる。


684 : What's up, people?!(1) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:07:20 5ASqdrZo0


「舐めてんじゃねえぞ。たかだか虫螻が、俺に勝てるとか一秒でも夢想したか?」


 傍若無人。
 これぞウートガルズのロキ、神を嗤う者。
 次いで轟く雷霆は虫螻どもへの死刑判決。
 よくぞ戦った、よくぞ吠えた。
 身の程知らずの罪はあまりに重い。故、もの皆虚しく灰燼と帰すがいい――
 ロキの判決がもたらす大破滅。されどそんな中、一転して追い詰められた虫螻の王が吼える。

「たかが雪屑で俺達を殺す!? 思い上がったもんじゃねえか、嫌いじゃねえぜ。だからブッ死ねクソカスがァ!」
「そういう君らの方こそ、下賤な虫屑がこのロキ様に勝てると思い上がってんじゃねえよ。一匹残さず踏み殺すぞ、塵芥がよ」

 渋谷区に顕現したニブルヘイム。
 固有結界に非ず、しかしソルジャー・ブルーの領域にも非ず。
 これは、世界そのものを騙す大幻術(イリュージョン)。
 アーテーの継嗣とは似て非なる、されど位階を同じくする悪意の手品。

 世界すらも騙されるなら。
 そこに立つ存在は誰ひとり、分かっていたとて狂った世界から逃れられない。
 
 微睡む月は決して現実を見ることがなく。
 故に今宵、ウートガルズの霧は晴れることを忘れてしまった。
 
「死に果てるまで踊ろうぜ。土産話は多い方がいい」

 晴れぬ霧と、滅びぬ嵐。
 太陽の子を勘定に含めぬならば、彼らはまごうことなくふたつの"最強"。
 現時点で死者の数は二千人を超えている。
 討伐令の存在しない異端の聖杯戦争で、最凶達のダンスを止められるルールは存在しない。

 例えば、そう――



「おうおう、おうおうおうおう!
 ずいぶん景気よく暴れてんじゃねえか――そんなに楽しいかい、太祖竜(テュフォン)の真似事が!」


 
 同じ座から招かれ、この地に降り立った影法師。
 境界記録帯(ゴーストライナー)が殴りつけて、無理やり収拾でも付けない限りは。

「しかし悪いな。宴の邪魔立ては無粋と分かっちゃいるが、このまま続けられると俺達ゃちと具合が悪いんだ」

 地獄を前にして、朗らかに笑う男だった。
 鍛え抜かれた肉体は戦士の極限値に達して余りあり、思わず付いていきたくなる魅力と、居住まいを正したくなる威厳が同居している。
 ただひとつ確かに言えることは、彼は戦士であり、軍師であり、そしてそれ以前にありふれた善性の信奉者であること。
 妖艶の美と暴食の醜がせめぎ合う異界の戦場だからこそ、その輝きは荒削りな金剛石のように鋭く鈍く輝いて見えた。

「――俺の顔に免じて、この場はお開きにして貰うぜ。怪物ども」

 稀代の軍略家、幸福の国を偉大たらしめた男。
 テーバイの大将軍・エパメイノンダス――ニブルヘイムに参戦す。



◇◇


685 : What's up, people?!(1) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:07:59 5ASqdrZo0



 時はわずかに遡る。

「……どうなってんだよ、こりゃ……!」

 苛立たしげに吐き捨てる琴峯ナシロを、同行している誰も宥めることができなかった。
 レミュリンらと別れ、小一時間ばかり経過したタイミングのことだ。
 楪依里朱、ひいては彼女が擁する〈蝗害〉を追跡するべく行動を続けていた矢先。
 ――突如、渋谷区に〈蝗害〉が出現した。

「レミュリンちゃんから近くに奴さん方がいる話は聞いてたが……それにしたって些か唐突だな。
 今までの〈蝗害〉の出現パターンと一致しねえ。ってことは、次の獲物を見つけたと考えるのが合理的だろうよ。
 だが、こいつはどうも……」

 冷静に分析するのはエパメイノンダスだ。
 しかし彼の顔には、焦りに似た険しさが浮かんでいる。
 河二が問うまでもなく、彼はその理由を語ってくれた。

「様子が妙だ。これは一方的にやられてるって感じじゃねえ。
 おまけにどうも居心地の悪い魔力を感じるぜ。参ったな、馬鹿騒ぎの予感がするぞ」
「ッ……アサシン。お前も何か感じるか?」
「すっっっっっごい質の悪そうなヤツの魔力ですね、これ。
 最初から人をおちょくる気しかなさそうっていうか……この魔力の主、絶対ロクな奴じゃないですよ。
 あと反応が大きすぎます。魔力反応だけで言うんだったら〈蝗害〉より圧倒的にヤバいんじゃないですかね、こいつ?」

 エパメイノンダスの推測を補強するように、ヤドリバエが不愉快そうに眉間に皺を寄せて言った。
 見れば彼女に随伴している眷属の蝿悪魔達も、こころなしか殺気立った様子で羽音を鳴らしている。
 〈蝗害〉の出現は危険でこそあるが、不謹慎ながら願っていた事態でもある。
 だがそれと拮抗できる、恐らく善玉ではない何者かの出現というのは、望んでいない展開だった。
 何より問題は、此処が渋谷区、都心のド真ん中であるということ。
 既に路上は阿鼻叫喚の様子だ。こんな場所で弩級の強者達が全力で殺し合いなどしてみろ、一体どれほどの犠牲が出るか分かったものではない。

「……意見を聞きたい。どうする、琴峯さん」
「止める――って言いたいところだが、現実的じゃないよな」

 この世界の住人が、舞台ともども創造された被造物であることは分かっている。
 だからと言って、自分の足で歩き、話し、感情を持って過ごしている彼らを"死んでもいい命"などとナシロは口が裂けても言いたくない。
 可能なら助けたい。しかしこうまで破滅的な状況では、首を突っ込んだ結果が単なる自殺に終わる可能性がどうしても否めないのだ。
 いや、むしろその方が明らかに現実的だ。エパメイノンダスはいいがヤドリバエは未だに発育途上。まともな戦力に数えるのは難しい。
 得意のハッタリでどうにかなるならまだしも、右も左も最悪レベルの化け物となると、どうにも打つ手はなかった。


686 : What's up, people?!(1) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:08:39 5ASqdrZo0

 そこで。

「……あ! ナシロさん! 見つけましたよ、怪しい連中!!」
「本当か!?」

 ヤドリバエがぴょこんと手をあげて叫んだ内容に、ナシロは弾かれたように振り向いた。
 
 〈蝗害〉の死体を素体に、ヤドリバエは宝具を用い眷属を生成している。
 本人は「生き餌の方が強い子に育つんですけどねぇ」と不満げだったが、純粋に人員が増やせるというだけで十分大きい。
 そしてその成果が早速、これ以上ないタイミングでナシロ達のもとに舞い込んだのだ。

「代々木公園に、女の人が四人集まって何か話してるみたいです。
 近くには軍人っぽいおじさんと、褐色肌のちっちゃい子。たぶんサーヴァントでしょう、明らかに只者じゃないっぽいですよ」
「その中に、全身白黒コーデの女は――」
「います。その人だけは、サーヴァントを連れてる様子が見えないですね。ビンゴでしょうこれは!」
「よしでかした、後で欲しい物何でも買ってやるッ」
「マジですか!? iPhoneでお願いします!! いい加減自分の端末ってやつを持ちたいお年頃だったんですよね、わたし!!」

 レミュリンの話を聞くに、まだ蝗害の魔女はそう遠くまで行っていない。
 そこに賭けて飛ばしていたヤドリバエの眷属が、標的を発見した。
 場所は代々木公園。此処から十分強も走れば、きっと問題なく辿り着ける位置だ。

 河二と目線を交わす。
 彼も、小さく頷いた。
 意思伝達はこれで十分。
 〈蝗害〉と未知の英霊の激突などという人外魔境に手を出すには、今の自分達では戦力が足りなすぎる。
 だからこそ、それを従える魔女・楪依里朱を直接叩いて災禍を止め、渋谷の戦闘もやめさせる。
 マスターの身でレミュリンのランサーを一時足止めしたというイリスの実力も恐ろしいが、少なくとも〈蝗害〉の本丸と揉めるよりは状況の難易度は圧倒的に低い筈だ。
 リスク承知でこれで行こうと、決まりかけたその時。

「……成程、話は分かった。だがそれなら尚更、誰かひとりはそこの戦闘に噛むべきだな」

 少年少女の結論を見届けてから、口を挟んだのはこの男。エパメイノンダスである。

「どういうことだ、ランサー。マスターの居所が分かったのに、何故わざわざ火の粉を被りに行く必要がある?」
「確かに相手が〈蝗害〉だけならそれでいいだろうよ。
 令呪で公園に蝗どもを呼ばれる可能性は、もちろんお前ら承知だな?
 いや、陥穽を指摘してるわけじゃねえ。コージもナシロの嬢ちゃんも、感心するほど事の道理ってもんをよく弁えてるからな。
 お前らがそれを承知の上で、イリスって嬢ちゃんを叩くと決めたのは俺も分かってるよ」

 河二もナシロも、歳の割には極めて優秀だ。
 人間ができていて、その上で冷静に目の前の物事を判断できる頭脳がある。
 だがそれでも、彼らは戦に関してはやはりズブの素人だ。
 故にこそこのエパメイノンダスは、戦争を知らない子どもたちを制御するブレーキの役割を担っていた。


687 : What's up, people?!(1) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:09:29 5ASqdrZo0

「だからそこはいい。問題は、飛蝗野郎と揉めてるもう一騎のサーヴァントの方だ」
「……あ」

 ナシロが、思い当たったように声を漏らす。
 同時に己の浅慮と、想像以上の事の厄介さに顔を顰めた。

「〈蝗害〉と真っ向勝負ができる戦力。そして都心の真ん中で、人目も犠牲も憚らずおっ始められるメンタリティ。
 そんな奴が、令呪で消えた〈蝗害〉を追って代々木公園とやらに駆け込んできたら――元の木阿弥って奴じゃねえか?」
「そういうことか……」

 河二も遅れて理解したのか、苦い顔で口元に手を遣った。
 だからな、とエパメイノンダスは顎先を弄りながら続ける。

「最低限、サーヴァント一体はそいつの足止めのために此処に残る必要があるんだよ。
 で、言いたかないがヤドリバエちゃんじゃ流石に役者が足りん。となると適任は俺だ」
「……いや、だが。あなたがいない状態で件の魔女に挑むのは、少々危険ではないか?」
「そこは否定できねえな。だから、今の話を踏まえて、改めてお前らふたりの意見を聞かせてもらいたい」

 阿鼻叫喚の喧騒の片隅で、彼らだけのしじまが下りる。
 エパメイノンダスの指摘は、この作戦行動が予想を遥かに超えるリスクを孕んでいることを周知にした。
 今になって、雪村鉄志とマキナの離脱が重くのしかかる。
 そうでなくても、こうなると分かっていればレミュリンと蛇杖堂絵里の存在が恋しくなる。
 イリスの他に公園にいるという主従達をアテにするのは、いくら何でも危険すぎるだろう。
 しばしの逡巡の末、口を開いたのは、琴峯ナシロであった。

「アサシン。……任せられるか?」
「え、あー……。まあ、はい。前も使ったアレですよね?
 いけますよ、いつでも。というか眷属も増えましたし、前よりわたしも強くなってるので、……ちょっとは頼ってくれてもというか」
「そうか、分かった。ありがとう」

 流石のヤドリバエも、この雰囲気の中でいつものノリを出すのは躊躇したらしい。
 やりにくそうに、手探り感をありありと滲ませながら答えた。
 そしてこれを以って、ナシロは命題の答えとする。

「私は行く。だが、これはあくまで私の判断だ。
 高乃、お前がどうするかは任せるよ。流石に共闘相手に"丸腰で死地に来い"なんて言えないし、そもそもランサーを戦闘に参加させる話からしてそうだ。お前には、断る権利ってもんがある」
「いや、僕も行く。君の判断に従うよ」
「……、いいのか?」
「この場に僕だけ残ってもできることは何もない。であれば琴峯さんに同行して、少しでも状況を前に進めた方が効率的だ。
 ランサーのことは気にしないでほしい。彼の強さは知っているし、危険と分かればそれこそ令呪で逃がすこともできる。
 状況は悪いが、それでも最悪ではないと僕は思う。賭けてみる価値は、あると思う」


688 : What's up, people?!(1) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:10:04 5ASqdrZo0

 こうまで言われれば、ナシロも何も言えなかった。
 単なる同情であれば引き止めもしただろうが、河二は河二で自分なりに物を考え、自分へ同意する判断を下したのだ。
 であればそれを疑うのは、この物静かだが純朴な少年への侮辱になる。
 エパメイノンダスを囮役にし、自分達は代々木公園へ向かう。
 そして楪依里朱を――蝗害の魔女を、止める。

「どうやら、決まりだな」

 話し合いの顛末を見届けて、エパメイノンダスはからからと気持ちよく笑った。
 いつも通りの彼だ。これから人外魔境の戦場に足を運ぶ者の顔とは、とても思えない。

「なぁに、安心しろ。
 俺なんかが使える力は限られてるし、都市や星を消し飛ばすビームなんざ撃てねえが――
 守るための戦いってヤツのやり方は、多少心得てるつもりさ。防衛戦は何もレオニダスの専売特許じゃないんだよ」

 それに、と。
 将軍は、いたずらっぽい笑みを浮かべながら、先程まで握っていた左の拳を開いてみせた。
 そこにあったものが何なのか。何故これが、自信の根拠になるのか。ナシロも河二も、ついぞ理由が分からなかったが。

「コージの言う通り、俺達の風向きも悲観するほど悪かないらしい。いっちょ皆で一丸となって、大勝負と洒落込もうじゃねえか」

 ――テーバイの将軍の、その無骨な手のひらには。
 人の形に切り抜かれた、白い紙人形のようなものが握られていた。



◇◇


689 : What's up, people?!(2) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:10:42 5ASqdrZo0



「……なるほどね。話は分かったよ」

 ――渋谷区・代々木公園。
 楪依里朱は、天枷仁杜の話を聞き終えて静かに足を組んだ。
 仁杜がたどたどしく、時折高天小都音や伊原薊美に助け舟を求めながら話した内容は、概ね先の電話の内容に毛の生えた程度のものだ。
 この世界の神、無邪気な太陽。神寂祓葉を倒すための共闘戦線を結ばないかという旨の話。
 だが同じ話をするだけなら、わざわざこうして顔を合わせる必要はない。事実、その話には先があった。

「あんた達はあのバカ……祓葉を倒すまで、時と場合に応じて私に力を貸す。
 代わりに私は、あんた達が道半ばで脱落しないように情報と、同じく場合によっては力を提供する。うちの〈蝗害〉を仕向けることもしない。
 祓葉を討った後はそのまま敵対で構わない。纏めると、ざっとこんなところ?」
「あ、うん。えへへ……いーちゃん、頭いいんだね……」
「あんたが言うと煽りにしか聞こえないから黙ってて欲しいわ」

 呆れたように嘆息する、イリス。
 ご機嫌を窺うようににへにへ笑っている仁杜。
 そのふたりを見守りながら、小都音は薊美と視線を合わせた。
 薊美は小さく唇を噛む。言葉はないが、これだけで意思疎通はできた。

「で、結論だけど」

 そして事は、彼女達の危惧した通りの方向に進む。


「雁首揃えて全員阿呆かよ。この話に頷く奴なんていると思って言ってんの?」


 そう――これだ。

 イリスには、明らかに仁杜の熱弁が響いていなかった。
 理屈ではない。まず感情が、圧倒的に自分達へ否を唱えている。
 理性でなく衝動。理屈でなく感情。楪依里朱は精神の青さ故に、時に数式を無視する。

(……苦手なタイプだな。こういう人って、何話しても聞いてくれないから)

 薊美は内心でそう嘆息した。
 話し合いというのは、その場の両方に相手の話を聞く気があって初めて成立する営みだ。
 逆に言えば、どちらか片方でも端から聞く気がないのなら、話し合いは成り立たない。
 今のこの状況は、まさにそれ。楪依里朱には、最初から交渉などする気がないのだと、この時点で仁杜以外全員が理解していた。


690 : What's up, people?!(2) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:11:50 5ASqdrZo0

 順序立てて説明し、互いが得られる利益を言って聞かせ、アピールする。
 なのに示したデータを無視して、お前の態度が気に入らないから却下、と対話を拒否されては意味がない。
 イリスは、そういう類の人間だった。喫茶店で見た時も直情的なタイプだとは思ったが、想像よりも悪い。
 こんな癇癪持ちみたいな女が〈蝗害〉を従えているなんて何の冗談だと、薊美は改めて気の遠くなる思いになる。
 魅了を使ってもいいが、失敗したらすべてが終わりだ。よって薊美には、静観以外の択がない。

「そもそも私は、祓葉を倒すのに助力なんて求めてない。今も昔もね。
 そこのニート女が勝手に早合点して知った口で這い寄ってきたってだけ。議論の前提がまず成立してないでしょ」
「だ、だからそのために今わたしのキャスターが頑張って……」
「ああ、確かにちょっとは保ってるみたいね。
 で? それが? 私が今ここで令呪でアイツを呼んだら、あんたの大事なお友達は一瞬で肉塊だけど?
 この場は私の気まぐれと厚意で成り立ってること、調子に乗る前に少しは考えたらどう」
「え、えぇ……。それは流石に論点がずれて――」

 仁杜達の最大の誤算。
 それは――魔女の癇癪を見誤っていたこと。

「あ?」
「ひぃっ! な、なんでもないです……あっ……食べたいものとかあったら買ってくるよ……へへ……エヘヘ……」
「なんでもなくないでしょにーとちゃん! 何のために此処まで来てんのさ……っ、ああもう……!」

 このままでは埒が明かない。
 見かねた小都音が、揉み手をし出した仁杜を押しのけて交渉のテーブルに出る。
 イリスの眼光が、面倒臭そうにそれを射貫く。
 本物の殺意というものに縁のない日々を送ってきたからこれだけでも背筋が冷えるが、此処で退いてはいられない。

「……あのさ、イリスちゃんだっけ」
「そうだけど。今度は何?」
「あなたは今ああ言ったけど、確かににーとちゃんの言う通り論点ずらしだよね。
 本当はちょっと焦ってるんじゃない? 予想じゃもう今頃、全部キャスターを片付けた〈蝗害〉が戻ってくる筈なのに……って」
「……、……」

 実際、当たらずも遠からずだろうと小都音は踏んでいた。
 〈蝗害〉。東京を脅かし、あの神寂祓葉とも単独で勝負ができたという厄災。
 それがまだ、この代々木公園まで帰投できていない。仁杜のキャスターを……ロキを、倒せていない。
 その事実を寄る辺に、仁杜とは違う、攻撃的な交渉を試みることにした。

「分かるでしょ。こっちには、私と伊原さんのサーヴァントが控えてる。
 一度戦ったんだから、決して油断できる相手じゃないってのは把握済みのはず」

 ライダー、ジョージ・アームストロング・カスター。
 そして小都音のセイバー、トバルカイン。
 彼らが霊体化もせず姿を晒している理由は、言うまでもなくこの魔女への牽制だった。


691 : What's up, people?!(2) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:12:32 5ASqdrZo0

「もし本当に戦いになったら困るのはあなたの方だって、ちょっと考えたら分からない?」
「舐められたものね。一回見たサーヴァントに、もう一度不覚を取ると思われてるなんて」
「確かにそうかもね。でも、にーとちゃんのキャスターが想像より強すぎたっていうのは図星でしょ?」

 もちろん、理想はイリスを懐柔できることだ。
 行動を共にする同盟なら一番いいが、協定だけ結ぶ形でも構いはしない。
 だがそれが成らなかった場合、次善の策を取ることを辞してはいられないと小都音はもう理解している。恐らく、薊美もそうだろう。
 すなわち――この場での、楪依里朱の排除。
 対祓葉のアテを失うのは痛いが、〈蝗害〉を潰せればそれはそれで間違いなくプラスだ。

 そのためのカスターとトバルカイン。
 無論、イリスも何か手立ては用意しているのだろうが……流石に〈蝗害〉の直接的な助力なくして、この二体を捌くのは現実的ではない筈。
 射撃と斬撃。二種の手段で、魔女の手を奪い封殺することを既にこちらは考慮に入れている。
 なんだかんだで友達思いな仁杜は難色を示すだろうが、こればかりは背に腹は代えられない。
 だからこうして強く出ることもできるのだったが、イリスの難物さはやはり予想の上を行っていた。

「――ニートの方がマシだわ。雑魚の囀りは、もっと聞く価値がない」

 尖る眼光。
 刹那、白黒の色彩がイリスの座るベンチの周りを囲うように現出する。
 小都音と薊美が、目を見開いた。発する言葉は、言うに及ばず。

「セイバー!」
「ライダー、撃ってください」
「ふむ。致し方ないな!」

 最初に動いたのは、カスターであった。
 躊躇なくその手に握ったライフルを、イリスに向けて発砲する。
 されど、防御無視の領域は展開されていない。
 イリスは弾丸を白黒の膜で受け止め、その場でゴマ粒ほどのサイズまで押し潰してしまう。
 次いで、間合いに迫ったトバルカインの斬撃へつまらなそうに目を向けた。

「珈琲屋の時も思ったがよ。黙って聞いてりゃずいぶんムカつく餓鬼だな、お前。腕でも落とせばちょっとは殊勝になるか?」
「英霊の癖にヤクザの真似事? お里が知れるわ、祓葉(アイツ)にまるで届けなかったヘボ剣士が」

 弾丸を防ぎ終えた膜が、槍衾を描けば即席のブービートラップと化す。
 トバルカインはこれを、太刀の一振りで両断。
 しかしその矢先に待ち受けるのは、総数にして千へ及ぶ、ボール状に成形された色彩の雨霰だった。
 一球一球が鉄球を遥かに凌駕する重さと密度を持つそれの乱射は、機関銃の掃射に数倍勝る威力を秘めている。


692 : What's up, people?!(2) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:13:53 5ASqdrZo0

「チッ。大口叩いといてシャバい真似してんじゃねえぞ、魔女気取りのクソガキが」
「理解しなよ。私にわずかでも"止められてる"時点で、逆立ちしたってあの女には届かないって」

 トバルカインには、一撃たりとも直撃はしていない。
 ただ、足を止められていることは確かだ。
 彼女は殺人のエキスパート。人を殺すということにかけて、原初の鍛冶師はこの上なく長けている。
 それでも、白黒の魔女は既に人間が到達できる点を超えている。
 下手な英霊ならば彼女に勝てず。優れた英霊でもこの通り、その無法に等しい手数と出力は決して油断のできない脅威として君臨する。

 そしてイリスに言わせれば、その時点で駄目なのだ。
 自分如きに止められている時点で、祓葉へ挑むには到底能わない。
 レミュリンのランサーもそう。今まさに死合っているセイバーもそう。
 
「さて。これはもう"その気"になっていいと見るが、構わないねお嬢さん方」
「やってみろよ。できないから」

 国は日本、処は代々木公園。
 百年余りの年月を超えて異国の地に顕現する、悪名高きソルジャー・ブルー。
 放たれる一斉射撃は、しかし全長数百メートルまで肥大化した白黒の壁にすべて阻まれる。
 ――この騎兵隊(ライダー)もそう。イリスは足を組んで座ったまま、不機嫌そうにため息をついた。

「まあ、確かにこのまま戦い続けてたらいつかは私が押し負けるでしょうね。
 けど、それはぜんぜんそっちの優位を証明しないってことは理解できてる?
 私がその気になれば、今すぐにでも此処に〈蝗害〉を呼び寄せられるけど?」

 令呪の行使に必要なものは、腕と、そして声。
 このふたつが揃っていれば、事が済むまで最速で一秒とかからない。
 では目の前の英霊たちは、自分にどれだけの時間を与えているのか。
 この間で〈蝗害〉を呼んでいたら、とっくのとうに此処は地獄に変わっている。
 猪口才にも己へ言葉を弄して挑んできたこいつらは、ひとり残らず蝗の餌になって死んでいる。
 それこそ、敗北を認めて。同じように令呪を使い、尻尾を巻いて逃げ出しでもしない限りは。

「いい加減分かれよ。あんた達は前提も、身の程も、話し合おうとする相手も、全部間違えてる」

 楪依里朱は、端から助けなど欲していない。
 神寂祓葉は殺す。だがその使命は、自分だけのものだ。この未練は、己が向き合うべき宿業だ。
 そこに矛盾を指摘することは簡単だ。しかし、イリスはそれを聞き入れない。
 彼女はどこまでも幼く、青く。そして――狂っているから。

 道理でなく、理屈でなく、ただ感情。
 間違いだらけの交渉の席は当然のように破綻する。
 少々の不測の事態など、そうか、それで?と飲み干しながら。
 月の眷属達の狙いは成就することなく、静かな崩壊を喫し始め……

「――――――」

 ……る、かと思われたその瞬間。
 イリスの表情が、一瞬、確かな驚愕に染まった。
 理由は彼女以外知り得ない。脳内に響く、厄災の総体意思の言葉を聞けるのは主である彼女だけだから。

「あの、クソ虫……!」
 
 この世界の神たる、白い少女と勝手に殺し合った時でさえなかった要望。
 令呪を寄越せという声に、状況を問い質すのも忘れる衝撃を覚える。
 数秒の間を置いて、魔女の腕から消える一画分の刻印。
 その消失を、白黒の隙間を縫って天枷仁杜が目撃し、彼女がそれを言葉にして追及するまでの一瞬を更に縫って。


「――――楪ッ!!」


 代々木公園に響いた、新手の少女の声。
 響く羽音、重なる不穏と状況の変化。
 新たな役者の登場を経て、魔女と月の交渉は予想を超えた混沌に突入していった。



◇◇


693 : What's up, people?!(2) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:14:48 5ASqdrZo0



 連戦連勝、常勝不敗。
 豪放磊落にして質実剛健。
 理想の国(テーバイ)の名を真に偉大たらしめた大将軍。
 エパメイノンダスの出陣を、現代へ顕現したニブルヘイムの主はただ冷めた視線で迎えた。
 それだけで次の瞬間、英雄の惨死が確定する。
 敗北を知らぬ将軍が、轟いた衝撃に為す術もなく血反吐を吐いた。

「ご、は……ッ!?」

 起きた事象はただひとつ。
 英霊でさえ反応できない、回避を勘に委ねるしかない次元の速度で迫った槍が、展開した神聖の盾諸共に彼を跳ね飛ばした。
 それだけだ。しかし間違いなく、この一瞬がエパメイノンダスにとっては聖杯戦争始まって以来最大の死線だった。
 地に膝を突き、転がり、ようやく起き上がったところで初めて自身の喀血に気付く。
 異邦の大神が愛した神槍の一撃を受けて命を保っている自体で驚愕モノの話であることは言うまでもないが、この男が半ば不意打ちとはいえこうも痛ましい姿を晒している事実に、その真名を知る者は皆驚いたことだろう。

「……おいおい、マジか。俺なりに覚悟を決めて出陣(で)てきたつもりだったが、こりゃちと想像以上だな」

 エパメイノンダスが命を拾えた理由は、神の一撃に匹敵する不意打ちに対しても反応の追い付く、鍛え上げられた戦闘勘。
 そして――彼が此処へ出てくる際に受けた、"とある人物"の施しのおかげだった。
 どちらか片方でも欠けていたなら、今の一瞬でテーバイの将軍の命は散っていた。
 未だに整わない息と、隕石の直撃でも受けたみたいに抉れた周辺の大地の有様がそれを証明している。

「そうつれない態度取らないでくれよ。俺もそれなりには名の知れた武人、英雄ってやつだぜ。なあ、お二方よ!!」
「――はあ。嫌なんだよなあ、空気の読めないオッサンって。ハンマー振り回すしか能のねえアホを思い出すからさ」

 前髪をかき上げながらうんざりしたように言う、金髪の青年――ロキ。
 彼のことをエパメイノンダスは、ひと目で神、もしくはそれに準ずるモノと判断した。
 佇まいに滲み出る風格。肉体のひ弱さだけで侮らせない、世界に落ちた滲みのような存在感。
 なるほど道理で、"アレ"と張り合えるだけのことはある。そして続き視線を向けるは、追っていた標的の姿。
 ツナギに身を包み、フードで目線を隠した……無量の軍勢を背に立つ、バットを構えた男であった。

「で、どうするよ〈蝗害〉。何か新手が入ってきたけど、尻尾巻いて逃げ帰るかい?」
「冗談だろ。ようやく面白くなってきたところじゃねえか、それに役者が増えるってのはいいことさ」

 歯を剥き出して笑う有様、一言――獰猛。
 仮に前知識がなかったとしても、彼が〈蝗害〉であることはひと目で理解できただろう。
 そう断ぜるだけのものが、その男にはあった。
 二体の敵を視認し、形容を終えて、エパメイノンダスは笑みを崩さぬまま一滴の汗を伝わせた。

(こりゃあ、難敵どころの騒ぎじゃねえな……)

 化け物だ、どちらも。
 スケールが違う、則る道理のカタチが違う。
 端的に言って両方、まかり間違っても現世にまろび出てきていい存在ではない。
 さしものエパメイノンダスも、冷や汗を流すことを禁じ得ないほどの難敵。
 これを相手に戦いを演じるなど、もうそれは台風や津波のような災害を相手に陣を敷くようなものだ。
 常勝の将軍をして謙遜抜きにそう思う。思いながら、彼は"協力者"へと念話を飛ばしていた。


694 : What's up, people?!(2) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:15:33 5ASqdrZo0

 マスターに対するものとは形式(フォーマット)の違う会話だ。
 鎧の内に仕込んだ人型の紙人形、それが通信機の役割を果たして意思伝達を繋げてくれる。
 名も顔も素性も知れない何某かへと、エパメイノンダスはさりとて猜疑心なく声を届ける。

『何か読めたことはあるかい、ご老人』
『――頭が痛いわ。幻術士の類とは思っとったが、こりゃちぃと想像を超えとるぞ』

 脳裏に響くのは、老人の声。 
 この何某かは、エパメイノンダスへ件の紙人形を飛ばして接触を図ってきた。
 余分な情報を与えたくなかったため、そのことはマスターである河二達にも詳細には伝えていない。
 だがエパメイノンダスは、その判断は迂闊ではなかったと確信している。 
 更に言うならこの紙人形が、東洋は陰陽道にて用いられる"式神"の類であろうことも、察しを付けていた。

『目の前の生きもんを騙すだけなら学べば誰でもできる。
 じゃが、世界そのものを騙すとなればそりゃ最早この世にあっていい存在じゃあないわな。
 極楽浄土も地獄絵図もあのパツキン男の意のままっちゅうことよ、こりゃやってられん。普通に考えたら、まあ勝ちようがないわ』
『なるほど、難儀な話だな。で、俺はどうすればいい?』
『――"信じるな"。飛蝗めの方はどうにもならんが、色男の方は単に幻を見せてくるだけに過ぎん。
 頑なに目の前の光景を信じず立ち向かえば多少は威力が萎える。まあそれでも無策に受ければ死ぬがの、わははははは!』
『ふむふむ、理解した! ではそのように挑ませて貰うとするか……!』

 世界を騙す幻術。
 理不尽極まりなく、端的に言って馬鹿げている。
 そもそも普通はそこに達せもせず死ぬのだが、エパメイノンダスは自身に舞い降りた幸運を誇りもしない。
 戦いとはただ目の前にある事象との対話である。思考を尽くし、言葉を尽くし、そして働きを尽くし押し通るもの。
 であればこそ既に準備は万端。後は挑み、戦い、生きるか死ぬかを占うのみ。
 口元の血を拭い、盾を展開したテーバイの将軍が、暴食の厄災と偽りの全能者が競う戦場へ堂々身を投じる。

「ま、いいや。予定にない展開だけど、全員殺せばあの子も大喜びでしょ」

 ぱん、ぱん。
 手を叩く、ロキ。
 瞬間、その両隣に神話が顕現する。

「ってわけで、オーダー、全殺し。頼んだぜ狂犬、そして親友」

 顕れたのは、二体の猛獣であった。
 片や狼。千切れた鎖を四肢からだらしなく垂らし、涎を滴らせながらルビー色に血走った眼光を煌めかせる狂える狼。
 片や蛇。ビル群をその蜷局の内に収め、長い舌を伸ばして不気味に蠢く死の象徴めいた蛇。
 この場に北欧の神話と縁ある神ないしそこに出自を持つ英雄が居たならば、慄くかそうでなくとも目を見開いて驚いたに違いない。

 フェンリル。
 ヨルムンガンド。
 北欧最凶の狼と、北欧最大の蛇。
 その二体を、眼前の奇術師(キャスター)は大袈裟な準備など何ひとつ挟むことなく、まるで布の中から鳩を出すように呼び出してみせたのだから。


695 : What's up, people?!(2) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:16:15 5ASqdrZo0

「■■■■■■■■■■■■■■■■――――――!!!!!!」

 轟く、白狼の咆哮。
 物理的破壊力さえ伴って響くバインドボイスは、エパメイノンダスに盾を前方展開しての防御を決断させるに十分だった。
 護りに徹さなければ冗談抜きに、今の一吠えだけで身体のどこかが砕け散る。
 しかし一瞬でも足を止めたことの代償は、振るわれる蛇の巨体が身を以って支払わせる。

「ぐ、ぅッ……!」

 尾を用いての一薙ぎ。
 それだけで受け止めた盾が軋みをあげ、炸裂した衝撃だけで吹き飛ばされそうになる。
 されど忘我を晒している暇はない。牙を剥いて涎を滴らせたフェンリルの突進を受ければ、これどころの被害では済まないと理解していた。

「つくづく手荒な歓迎だな……! 良し、出し惜しみをしている場合ではないと得心した!」

 元より此処に出てきた時点で覚悟の上だったが、やはり手の内を隠しながら戦える相手ではない。
 エパメイノンダスは一切の温存を止め、自分に出せる総力をこの戦いに投入することを即断する。
 迫る白狼の爪、英霊だろうと掠めただけで三枚に卸すであろうそれに臆することなく槍を構え。
 その眼がカッと見開かれた瞬間、将への行く手を阻むように百を超える盾と槍が現出した。

「いざ来たれ、戦の時間だ! 過酷だろうが笑って行こうぜ――――そうだろ、お前らッ!」

 比率は150対300。
 単一の英霊が持てる域を優に超えた、一個隊クラスの兵力がエパメイノンダスの鬨の声に呼応して、神話の戦場へと列び立つ。
 彼らは三百から成る軍隊。ただし1×300ではなく、2×150、つまりは二人一組で互いを守り合いながら勝利を目指す愛の戦士達。
 愛という神聖なる感情が力を引き出す、そんなロマンチックな合理性でテーバイに栄光をもたらしたエパメイノンダス自慢の同胞。


「さあ、お前たちの愛を今一度俺に魅せてくれ。――――いざ共に行かん! 『神聖なる愛の献身(テーバイ・ヒエロス・ロコス)』!!」


 応、と雄々しく応える代わりに、その無数の盾は陣形を組んでフェンリルの爪を受け止めた。
 いくらかの後退は余儀なくされたものの、それでも防ぎ切ってみせたことは揺るぎない事実。
 更に防いだだけでは終わらず、白狼討伐という無謀とも呼べる目標に果敢に挑み、槍で鎖付きの神獣を突き刺し攻めていく。

 無数の武器と防具が独りでに動いて、現代に存在する筈もない巨大な狼と戦いを演じている様は異様そのもの。
 しかし、寄り添い思いやりながら攻めと守りを巧みに織り成すそれらの背後には、神聖隊の益荒男達の姿が透けて見えるようであった。
 神話の狼獣の毛皮を破って血を噴出させるテーバイの強きつがい達。
 苛立たしげな唸りをあげながら地を蹴りビルの壁面へ跳んだフェンリルの姿が、彼らの奮戦が無謀ではあれど無駄ではないと暗に証明する。


696 : What's up, people?!(2) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:16:55 5ASqdrZo0

「へえ」

 その光景を見て、ロキは小さく眉を動かした。
 彼は世界さえ手玉に取って騙し抜く生粋の奇術師。
 故に当然、神聖隊の奮戦を支える道理が何かはすぐさま察せた。

「伊達に英雄名乗ってないか。いや、それとも後ろのブレインが有能なのかな?」

 ――道理で考えて、本物のフェンリルを相手にたかだか連携と陣形、結束程度でどうにかなるわけがない。
 だがロキが取り出した二匹は、あくまでも彼が宝具を用いて生成した幻術。幻の神獣に過ぎないのだ。
 それでもタネが割れていなければ、その力、規模(スケール)は本家本元にも肉薄した脅威として君臨する。
 なら逆に言えば、だ。幻を幻と見抜き、偽物と分かって挑むことができるのならば、これは神獣になど遠く及ばぬ影絵に過ぎない。

 エパメイノンダスは、"協力者"の助言によって既にウートガルザ・ロキの術を幻の類と看破している。
 将軍の認識はすぐさま部下である神聖隊に情報として伝達、共有され、結果として愛し合う彼らもまたロキの手品に耐性を得られるわけだ。
 だからこそ成り立っているのが、テーバイの神聖隊と北欧のフェンリルの対峙という夢の対戦カード。
 夢幻など恐れぬ大将軍の精神力は、本来なら即死級の現実湾曲にも等しい大幻術の効力を著しく削ぎ落としていた。

「臆するな、所詮は幻! 触れりゃ少しは痛むだろうが、それでビビる俺達じゃあねえ! そうだろッ!!」

 彼もまた、部下に負けじと前へ出る。
 無論蛮勇ではなく、そうした方が勝率を引き上げると踏んでの行動だ。
 ビル壁から飛び掛かったフェンリルの突進を盾で受け止め、腕が千切れそうなほどの衝撃に奥歯を噛み締めながらも、槍をクロスカウンターの要領で突き出してフェンリルの右耳を抉り取る。
 その上で、エパメイノンダスは自身を襲う衝撃のベクトルに逆らうことなくあえて吹き飛ばされた。
 そうすることで、後ろに控えていた十数の槍持ちと入れ替わり(スイッチ)、フェンリルへの間断ない攻撃を可能とする。

「■■■■ッ……■■■■■■■■■■■■――――――!!!!!!」

 しかし敵は幻なれども、神をも恐れぬ最凶の狼。
 槍で数十度突いた程度では倒れず、それどころか更に怒り狂うばかりだ。
 響く咆哮が槍を蹴散らし、盾を押し止める。
 続く剛爪は、槍持ちと将たるエパメイノンダスを守るべく立ち塞がった幾つかの盾を、文字通り引き裂いて粉砕した。

 ――悲劇の一瞬。だが、相棒を失った兵士達は曇らない。

 砕け散った盾と恋仲(ペア)であった槍の数本が、猛烈と言っていい勢いで吶喊を敢行したのだ。
 その一撃は、端的に言って自身の生存を念頭に置いていない。それどころか考慮すらしていない。
 まるで後を追おうとするような。命に代えても仇を討つという、高潔なる覚悟の念さえ窺える槍撃が十重の方向から同時に轟いた。

「覚えておけよ犬ッコロ。神聖隊に訪れる死は、決して愛し合うふたりを分かたない!」

 限界を超えた代償として、件の槍達はひとつまたひとつと自壊していったが。
 自我も歴史も持たないただ強いだけの猛獣には、彼らの己を顧みない突撃はちゃんと効いた。


697 : What's up, people?!(2) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:17:29 5ASqdrZo0

「■■■■■■……!」

 確かに漏れた苦悶と、口元から溢れる疲弊由来の涎。
 その一瞬をエパメイノンダスも、彼の同胞達も決して見逃さない。
 再び大きく目を見開いて、仲間との離別にも凹まず挫けず、将軍は声を張り上げた。

「生で結ばれ死で導かれた魂は、必ずや共に安らぎの楽園(エリュシオン)へと旅立つのさ。
 だが、尤も! 仲間に先立たれた俺達は、奴らの無念を胸に抱き続ける! それはそれ、これはこれ、ってなァ!!」

 自らも再び突撃する。
 口から漏れた血は袖で拭う。
 気にするな、気にするな!
 痛みは後から悶えればいい――勝って終わればそれさえ笑い話で、酒の肴さ!

「ぜぇぇぇぇぇえ、やぁぁぁぁぁあッ!!」
「■■■■■■■――!!!」

 咆哮の中を縫いながら、神聖隊の白狼狩りは正念場を迎える。
 本気で抵抗するフェンリルの爪がエパメイノンダスの肩口を裂いた。
 しかし浅い。負傷を考慮せず前線に立つ将軍が何処にいる。
 どうせ傷を負うなら、それが最小限で済むようにと常に思考を回しているに決まっている。
 だからエパメイノンダスは簡単には死なない。だから、彼は勝ち続けてきたのだ!

 猛進、猛追、猛撃、猛攻!
 神聖隊は崩れない。獣狩りの術など心得ている!
 あがくフェンリルの爪牙は盾が防ぎ。
 暴れるフェンリルの余力は槍が削り。
 そして陣形の維持は、常に将が担い続ける!

 盾がまた幾つか消えた。
 槍が奮起して突撃し、白狼の脚や腹を貫いた。
 傷口から溢れた臓物を速やかに無数の槍が切り取って断絶させる。
 エパメイノンダスの槍が、高らかに狼の右の眼窩を抉った。

「■■■……■■■■■■……■■■■■■■■■■■■■■■――――!!!!!」

 あげる咆哮は、苦悶か嚇怒か、あるいはその両方か。
 フェンリルが、槍衾と化すのにも構わず身を低く構える。
 目鼻口から蒼白い炎を噴き出しながら、血塗れの身体でそうする姿は鬼気迫る。
 突進の構えだ。獣とは、どいつもこいつも死に際が何より恐ろしい。
 まがい物なれど神獣であれば脅威度は一層引き上がる。
 事実この白狼は驚くべきことに、得体を看破され、四肢を貫かれ、内臓を撒き散らしても尚、この段階から神聖隊の八割以上を消し飛ばせるだけの破壊力を宿していた。


698 : What's up, people?!(2) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:18:12 5ASqdrZo0

 幻だろうが、フェンリルである以上その本気は神速に達する。
 エパメイノンダスは、神聖隊は、防ぐしかない。しかし防げば隊は総崩れになる。
 燃える隻眼に殺意の眼光を灯し、フェンリルは最後の一撃を放つべく地を踏み締める。
 伸るも反るも破滅の崖っぷち。そんな状況で尚、エパメイノンダスは――笑うのだ。

「お膳立ては十分だろ。……やってくれ、爺さん」
『おうよ。見事な働きじゃい、希臘人の小僧』
 
 エパメイノンダスの声に、応える者がある。
 次の瞬間、風に吹かれた一枚の紙が、今まさに最後の一撃を放とうとしていたフェンリルの額に触れた。
 陰陽道の式神。そう気付く知能が幻の白狼にあったかどうかは定かでないが、結論から言うと、そこはさして重要ではない。


『狗は嫌いじゃないがの。だからこそ一思いに殺してやるのもまた慈悲よ――――急々如律令』


 老人の声が、エパメイノンダスの脳裏に響くと共に。
 貼り付いた式神が、真紫の色彩を放ちながら、小規模ながら絶大な威力の爆発を引き起こしたのだ。
 爆風は抉られた片目を通じて脳内に雪崩込み、瀕死の白狼から命も思考も奪い去る。
 結果、神聖隊を壊滅させる終末の一撃は放たれることなく、偽りのニブルヘイムに現界したフェンリルは息絶えて消滅した。
 獣狩り、これにて完遂。額の汗を拭って、エパメイノンダスがもうひとつの戦場を睥睨する。


「……参ったな。"小手調べ"でこれか」
 
 そう――彼は分かっている。
 あの金髪のキャスターにとって、フェンリルなど片手間に仕向けた刺客でしかないこと。
 なのに、エパメイノンダスは既に血を流し、神聖隊の同胞を複数失っている。
 "協力者"の助力がなければ、最後の一撃で死んでいた可能性だって否定はできない。
 たかが小手調べ、牽制で、これなのだ。事態は正直、予想を超えていたと言わざるを得なかった。

『わはは、心が折れたか? ならば早めに言ってくれい。そしたら儂も退くんでの』
「指示出しと援護だけに徹しておいてよく言うぜ。あんたが直接出てきてくれれば、俺ももうちょい安心できるんだがな」
『そこまでしてやる義理はないわ。何せ、儂は幻術男よりもあの虫螻どもとの相性が最悪なんでな。
 なぁに、安心せぇ。時が来て、かつ勝算がありそうなら、その時はちゃあんと本気で力添えしてやるから』
「……胡散臭えが、今は信じるしかなさそうだ。俺を悲しませないでくれよ、ご老人!」

 実際に実力の片鱗を味わって確信した。
 あの"幻術使いのキャスター"は、やはり〈蝗害〉と肩を並べる最強格の脅威だ。
 今こうして自分が生きていることすら、彼らの気分がたまたまこちらの抹殺に向いていないからというだけに過ぎない。
 そう思い知りしながら、それでも闘志を消さない異邦の将軍に、姿の見えない老人は呵呵と笑って続けた。

『お前さんの言う通り、奴らの本領はまだこの遙か先よ。
 稚い神が後先考えずに始めた蠱毒の弊害、もしくは抑止の連中が差し向けたせめてもの抵抗勢力。
 だがいずれにせよ、連中が美味い空気吸ってる内は儂らに未来なぞありゃあせん』

 今更臆する繊細な神経は持ち合わせていない。
 エパメイノンダスは、焚き付けられるまでもなく戦いを続ける気だ。
 その奮戦が、勇気が、何かを変えるか否かは賽の目次第。
 しかし挑むと決めた以上は、確かなことがひとつだけ。

『心せぇよ、ランサー。お前さんはこれから、もう一つ下の地獄ってもんを見ることになる』

 幻のニブルヘイム。
 死の世界の王と、理喰らう虫螻の王は、共に健在。



◇◇


699 : What's up, people?!(2) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:18:59 5ASqdrZo0



 その乱入は、彼女達以外誰しもにとって予想外の展開だった。
 無論、それは白黒/蝗害の魔女、楪依里朱も例外ではない。
 自分の名を呼んだ少女、過去に一度見たことのあるその顔へ訝しむように眉を寄せているのが証拠だ。
 息を切らし、されど瞳には確固とした使命感を滲ませて立つ女。彼女の名を、イリスは確かに知っていた。

「琴峯、ナシロ……」
「おう、そうだ。覚えててくれたとは光栄だな、蝗害の魔女サマ」

 琴峯ナシロ。
 イリスは学校にも、そこへ通うクラスメイト達にも微塵の興味も持ってはいなかったが。
 ナシロのことだけは、微かに記憶にあった。というのも彼女とは、顔を突き合わせて揉めたことがあるから。
 もっともイリスにとってナシロの印象は、よくいる世話焼きを拗らせた傍迷惑な偽善者以上でも以下でもなかったのだが――
 それも、この瞬間までだ。見慣れない少年を連れ添ってこの代々木公園に現れた彼女が、一体何者なのか。考えるまでもなく分かる。

「……馬鹿みたい。あいつ、手当たり次第にも程があるでしょ。
 こんなクソウザい味噌っかすにまで令呪配って、一体何がしたいんだか」

 琴峯ナシロもまた、聖杯戦争のマスターである。
 〈古びた懐中時計〉を与えられ、令呪を配布され、運命線上に迷い出た器のひとつ。
 が、彼女はイリスにとって、決して大きな価値や意味を持つ存在ではなかった。
 単なるクラスメイト。事の道理も知らない、言葉を尽くす価値もない凡人。ありふれた馬鹿。それだけである。

「で? 級友思いの琴峯さんは何しに来たの。もしかしてまた御高説でも垂れてくれるわけ? 人の気持ちがどうとか、対等がなんとか」
「お前の〈蝗害〉を今すぐ止めろ」

 言葉と共に、ナシロはその手に武装を顕現させた。
 否、顕現ではなく投影だ。魔術師であるイリスには、それがすぐに分かる。
 投影されたのは、黒い投擲剣。黒鍵と呼ばれる、代行者の得物(シンボル)。

「街の真ん中で何やらかしてるんだ、お前。その癇癪で一体何人死ぬと思ってる……!」
「……まさかとは思うけど、本気でそんな世迷い言垂れに来たの?」

 は、と、鼻で笑うイリス。
 心底呆れた様子で目を細め、小さく息を吐く。
 "らしい"ことだとは思うが、あまりの馬鹿さに憐れみすら覚えた。

「だったら答えはノーよ、ノー。
 シスター様のクソ下らないボランティアに付き合ってる理由はないから、さっさとケツまくってお引き取り願える?」
「……一応聞くよ。なんとも思わないのか、お前は。これだけのことをしておいて」
「思わない。というか逆に、あんた達は本気で無辜の犠牲とやらにいちいち心痛めて戦ってんの? だったらそんな馬鹿げた話もないと思うけど」

 返ってきた言葉は、悲しいくらいに予想通り。
 楪依里朱ならこう答えるだろうなという答えが、想定と一言一句違わず返ってきた。
 ぎり、と奥歯を噛み締め、黒鍵を握り締める手に力が籠もる。
 同時に、この女は本当に、何ひとつ自分の常識が適用できない人間なのだとそう理解した。


700 : What's up, people?!(2) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:19:58 5ASqdrZo0

「悲しい奴だな、お前は」

 挑発でも、皮肉でもない。本心だ。
 ナシロだって、少しは希望を持っていた。
 もしかすると、実際に言葉を交わせば譲歩の余地も見つけられるのではないかと。
 級友のよしみというわけではないが、そんな可能性だって捨てたくはないと思って此処に来た。
 自分も彼女も同じ人間なのだから、立場は違えど通じ合える部分はどこかにあるかもしれない。
 ナシロは、そういう期待を捨てきれない、善性の徒であった。
 が、その期待はあまりに身も蓋も、人の心もない返答でにべもなく切り捨てられた。

「お前は、この世界で生きる人達の顔を見たことがあるか?」

 ナシロは、見たことがある。
 毎日、教会を訪ねて祈りを捧げる人々の顔を見てきた。
 琴峯教会のシスターとして。そして、この都市へ悲劇をもたらしている元凶のひとりとして。

「あの人達は、みんな私達と同じだ。
 誰もが嬉しかったら笑って、悲しかったら泣くんだよ。
 断じてお前の思ってるような、機械みたいな人形なんかじゃないんだ」

 日々悪化する治安と、緩やかに変わっていく日常に怯える顔を覚えている。
 私達が悪いことばかりするから、神さまが怒ったのかしらね。そう言って目を伏せた馴染みのおばさんの顔を覚えている。
 そういうものが今も脳裏に焼き付いて離れないから、ナシロはこうして、魔女に怒っているのだ。
 そして求めているのだ。〈蝗害〉を止めろと。戦争に臨み願いのために戦うのは勝手だが、罪もない誰かを巻き込むんじゃないと。
 しかしその訴えは切り捨てられた。楪依里朱にとってこの世界の民は、日常は、単なる戦争の背景でしかないのだと思い知らされた。

「もう一度言うぞ、楪」
「……、……」
「飛蝗どもを止めろ。はいと言わないなら、私は何をしてでもお前の首を縦に振らせてやる」

 射殺すような眼光で、再度求めるナシロ。
 が――彼女とて、気迫で魔女が怯えてくれると信じているわけではない。
 その証拠に視線が動く。向かう先は、高乃河二。この公園を共に訪れた同行者。
 河二は静かに、二回瞬きをした。事前に決めておいたサインだ。
 ナシロが視線を向けた時、状況が"どうにかなりそう"なら一回。逆に"芳しくない"のなら、二回。
 マスター同士で念話は行使できない。故に、こうして意思伝達のサインを決めておく必要があったのだ。

(……並のサーヴァントなら、琴峯さんのアサシンでどうにか押し通ることもできると思っていたが……)

 高乃河二。
 彼の注意は、主に二体のサーヴァントへ向けられていた。
 片方は、如何にもアメリカ人といった顔立ちと種別の笑みを浮かべ、ライフル銃片手に佇む偉丈夫。
 ステータスで言えば河二のランサーよりも全体的に低く、宝具次第ではあるものの、まだ承服できる範囲のリスクだ。
 問題は、もう片方。褐色肌で、背の低い。体格だけで言うなら、先の偉丈夫より格段に劣って見える少女英霊だった。

(――アレは異常だ。あのサーヴァントがその気になれば、僕達はいつでも全滅できる)

 河二は、物心ついた頃から亡き父に武を仕込まれて育った。
 未だ手練の域にはいないと自負しているが、それでも武人故の直感というものはいつの間にか備わっていたらしい。
 その直感が警鐘を鳴らす。訴えている。あの英霊に剣を抜かせてはならない。抜かれたら、その時点ですべてが終わると。


701 : What's up, people?!(2) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:21:01 5ASqdrZo0

 だから瞬きを二回した。
 武人ではないナシロはその真意を完璧には理解できないが、それでも想像力を巡らせ、状況の悪さを理解する。
 ヤドリバエの威圧というジョーカーも、この状況では迂闊に切れない。タネの割れた手品を二度も信じてくれる人間はいないのだから。
 今も彼女の眷属は代々木公園に集った一同を囲うように配備され、何か起きればすぐに攻撃を実行できる態勢にしてあるが、しかし信用しすぎるのが禁物であるのは明らか。
 どうする。どうやって、楪にこちらの目的通りの答えを出させる。
 緩まぬ気迫を放つ一方で逡巡するナシロ。そんな彼女をよそに、イリスは改めて言った。

「雑魚の言葉に従う理由はない。
 頷かせたいなら、ちょっとはそうしたくなるような要因を持ってきたら?」
「……どうしても、お前は"そう"あり続けるっていうのか」
「当然でしょ。逆になんで聞いて貰えると思うのか、皆目理解できないんだけど」
「どうしてだ。どうしてお前は、そうまで――そうまでして、聖杯戦争に命を懸けるんだ?」

 ナシロの言葉に、イリスは僅か、眉を顰める。
 その反応をナシロは見逃さない。
 楪依里朱は感情で動く人間だから、ポーカーフェイスを不得手としている。

「それは……」

 武力では、どうせ敵わない。
 分かっている。卑屈な諦めではなく、頑然とした事実として。
 ならば、言葉で闘うしかないとナシロは考えていた。
 悪あがきじみた発想という自覚はあったが、それしかないのなら全力を尽くすまで。
 息を吸い込み、そして吐き出す。それと同時に、魔女へ切り込む一枚を言葉にした。

「〈はじまりの聖杯戦争〉を制した、"お前達"をそうまで狂わせたモノに関係する理由か。楪」
「…………黙れ」
「いいや、黙らない」

 凍てつく殺意と共に放たれた返事。
 これを一蹴して、ナシロは脚を一歩前に出した。
 
「改めて言っておくぞ。
 私はお前にどんな理由があったとしても、お前のしてきたこと、していることを許さない」

 それは、狂気の対極。
 月並みにして、ありふれた、されど貫くとなればとても難しい概念。
 すなわち、正義。善なるものが報われ、悪なるものは裁かれてほしいと願う普遍の心。
 琴峯ナシロは常にそれで動く。自分を律し、律するがこそ他者を愛し、敬い、時に批判する。
 
「何か理由があるなら聞いてやる。
 その上で、〈蝗害〉を止めさせる。
 私をあまり舐めるなよ、楪。琴峯教会の跡取りとして、神に仕える者として、必ずや今この場で両方を成し遂げてやる」
「――ッ」

 神を信じると同時に。
 神をも恐れぬ、その足取り。
 ナシロは、命知らずにもイリスへ迫っていた。
 殴りつけてでも言うことを聞かせると、覚悟の据わった両眼が告げている。
 それは、恐れを知らない狂える魔女にさえ眉根を寄せさせるほどの、堂々。
 ヒトが普遍的に持ち、愛する善性。ただこれだけを掲げて、ナシロは今此処にいる。

「相棒(ほごしゃ)を呼びたきゃ好きにしろ。だがそれでも、私は諦めないぞ――楪ッ!」

 捻くれた子どもを叱責するように響く喝破の声。
 今にも胸倉を掴まん勢いで、ナシロは行動を続ける。
 イリスはただ、不快そうな顔でそれを見つめ。
 あくまで魔女との交渉に出てきた立場であるサーヴァント達も、それを諌める行動を起こさず静観する中。

 ただひとり――

「ま……」

 ――そう、ただひとり。

「ま、待て待て――――――っ!!! い、いいい、いーちゃんにひどいことしたら、私が許さないんだぞぅ…………!!??」

 事の道理も今の状況も分からない駄目人間(ばか)が、声をあげてイリスの手を引いた。



◇◇


702 : What's up, people?!(2) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:21:47 5ASqdrZo0



 将軍・エパメイノンダスが神聖隊を率いてフェンリルの打倒を成し遂げた一方で。
 シストセルカ・グレガリアとウートガルザ・ロキの戦端は、一方的なものと成り果てていた。

「――おいおい。大口叩いといてその程度かよ、虫螻の王サマ?」

 玉座に座り、頬杖を突きながら、ロキは嘲笑と失望を露わにそう言った。
 玉座の名前はフリズスキャルヴ。オーディンが座ったと云う、世界のすべてを見通す高座。
 まがい物なれど、ロキの眼には今渋谷区及びその周辺のすべてが捉えられている。
 無論、彼の寵愛する月が居る代々木公園のことも。月乙女(アルテミス)より尚尊き彼女の、新たな番狂わせも。
 すべてを上機嫌に笑覧した上で、その片手間に、彼はこうして寒さに震える蝗どもを相手取っているのだ。

「まあ無理もない。よく頑張った方だよ。俺は正直、スキーズブラズニルの時点で勝てるもんだと踏んでたからね」

 虫螻、シストセルカ・グレガリア――サバクトビバッタの総体意思たるツナギ男は、息を切らしながら片膝を突いていた。
 神寂祓葉という〈太陽〉を相手取ってさえ、こうまで無様な姿は晒さなかった彼。
 にもかかわらずロキの幻術の前には、虫螻の王さえ例外ではなかったらしい。
 ニブルヘイムの寒気と、ロキが遣わす無数無尽の脅威。
 その無体なる連打は、ごく順当な結末として黒き死の原型に敗北の気配を滲ませていた。

 渋谷の地面のそこかしこが、触れれば溶ける、気化したものを吸っただけでも途端に死に至る毒液で濡れている。
 蜷局を巻いて舌を出し、油断なく敵手を見据えて君臨し続けるのは世界蛇・ヨルムンガンド。
 更にフリズスキャルヴに座すロキを守るように、またも数百のワルキューレが滞空している。
 彼女達はヨルムンガンドに抗おうとする蝗どもを、大義のもとにその槍(グングニル)で逐一迎撃していた。
 平時なら力任せにねじ伏せられる程度の戦力、障害。
 されどサバクトビバッタの活動を著しく弱め抑えるニブルヘイムの極寒が、彼らのパフォーマンスを激しく鈍らせているのだ。

「所詮、魔女なんてのはひねくれ者の餓鬼でしかないってことさ。
 分かったら君も大人しく俺の月に跪けよ。あの子は優しいからな、きっとかわいい笑顔で迎え入れてくれるぜ」
「……おうおう、もう勝った気でいんのかよ? ならプレイボーイとして助言してやる。ナルシストはモテねえぜ、クソ野郎!」
「虫にだけは言われたくねえよ雑魚。それとも自慢の複眼も目の前の現実は認識できないか?」

 挑発に応えるように振るわれるバット。
 無数の蝗を凝集させて編んだそれは、見かけはチープでも神話の業物に並ぶ密度を含有している。
 触れればそれこそ神獣さえ地に叩き伏せる魔蟲の獲物。
 だが――

「FPSやったことないのか? 待ち伏せ(ロック)されてる場所に飛び込んだら、すぐにDMRであの世行きだぞ」

 ヨルムンガンドの巨体に触れる前に、シストセルカの総体を無数の光が貫く。
 フリズスキャルヴに座す偽りのオーディンを守るべく侍る、ワルキューレの狙撃めいた投擲は決して番狂わせを許さない。
 手足をぶち抜かれて地に転がった瞬間に、頭上のヨルムンガンドが口を開き毒を吐く。
 攻性に徹すれば神でも喰らい尽くす暴食者達。しかし転じて、防御に臨めば彼らは所詮……

「ッ、ぉ、おおぉおおおォ……!」

 ただの、ひ弱で見窄らしい虫の群れでしかない。
 気温低下による活動の停滞を施した上で、蛇の毒という殺虫剤が群体を見る間に死滅させていく。
 二重仕込みの対〈蝗害〉戦術があげた成果は蛇杖堂の老人が用立てたそれの比ではない。
 今、この最凶対決の行く末は、完全にウートガルザ・ロキの手のひらに握られていた。


703 : What's up, people?!(2) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:22:39 5ASqdrZo0

「つまんね。これでよくもまあ、俺に勝てるとかイキってたもんだよあのメスガキ」

 ふう、と嘆息しつつ、ロキは迫った槍の一本を指先で受け止めた。
 エパメイノンダスの神聖隊だ。フェンリルが討伐され、遂にかの一軍がこちらの戦場にも雪崩込んできたのだ。
 〈蝗害〉と神聖隊、そして姿の見えない陰陽師の三体を同時に相手取る形となったわけだが、ロキの顔色は変わらない。

「いいよ、おいで。暇潰しには丁度いい」

 へらり、と笑ったその瞬間、巨人王の玉座が煌々と光を放った。
 ライトアップされたのではない。真に偉大な神だけが座ることを許されるそれが、三百六十度全方向に向けて破壊の光条を射ち出したのである。

「来いっつった奴の態度じゃねえだろッ!」

 回避は、正攻法ではほぼ不可能と言っていい。何しろ数が異常すぎる。
 目算でも数千に達する数の光が、ホーミングミサイルのようにリアルタイムで方向を変えながら迫ってくるのだから悪夢じみている。
 エパメイノンダスは躱すのを諦め、神聖隊を駆使して耐え凌ぎながら前進することを選択した。
 そして玉座の破壊光は、何もこの将軍だけを狙って放たれたわけではなく。

「人気者は忙しくてね。遊び事も効率で考えなきゃいけないのさ」

 エパメイノンダス。〈蝗害〉。どこかへ隠れ潜んだ陰陽師。
 ロキは遊びと称しながらも、大真面目にこれら全員の鏖殺を狙っている。
 その上で空には狙撃と迎撃を同時に担うワルキューレの集団。
 奇術師の舞台はド派手だが、しかし計算されていて無駄がない。
 更に彼は言わずもがな、ステージに選ばれてしまった街に及ぶ被害に頓着する気もまったくなかった。

「おいおい……!」

 ビルが、住宅が、路面が、慈悲のない殲滅により穴だらけに変わっていく。
 一体どれだけの人数が巻き込まれたのかは定かでないが、スキーズブラズニルの虐殺とニブルヘイムの極寒を生き延びた幸運な人間がもしいたとしても、間違いなく九割九分九厘これで死んだだろう。
 河二はともかく、ナシロがこの場にいなくてよかったとエパメイノンダスは不謹慎にもそう思ってしまう。
 それほどまでに壮絶で、地獄めいた光景だった――この崩壊すら夢幻であってくれないかと、心から考えるくらいには。

『分かっとるとは思うが、鈍るなよ』
「ッ……心配には及ばねえが、人に助言してる場合かい爺さん!」
『餓鬼が儂の心配なんざ十年早いわ。手前のことだけ考えェ』

 そう、エパメイノンダスは義の武人だが、夢は見ない。
 彼は現実を知っている。戦士だけが命を落とせば済む戦場もあれば、そうでない戦場もあると知っている。
 だから憤りを抱く一方で、ただ冷静に敵を攻め落とす手段を考え続けていた。
 見たところ〈蝗害〉は弱っている。叩くなら今のように思えるが、それより上の脅威が幅を利かせているからそうも行かない。


704 : What's up, people?!(2) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:23:23 5ASqdrZo0

「主役を放って仲良く個通かい? 悲しいじゃないか――俺は君だけを見ちゃやれないが、君は俺だけを見ておけよ」
「ッ」

 ロキの声が響くや否や、辛うじて保っていた戦線が崩壊する。
 理由は空から、光の網目を縫って落ちてくる偽・大神宣言。
 舞台装置としての戦乙女が、ヴァルハラに誘うこともなくただ死だけを求刑する光景は何の冒涜か。
 
「ぐ、お、がぁッ……! 何のこれしき、ィッ……!!」

 軍略家の脳が死に瀕してフル回転する。
 プログラミングじみた精密さで下す指示の元に動く槍と盾。
 確定する筈の死を引き伸ばしながら、将は先陣を切って進む。
 狙うはロキ、その首だ。間合いへ踏み入るなり裂帛の気合を込めて突き出す槍は、神聖隊の放つものとは比べ物にならない重みを秘めるが。

 それを指の一本で受け止めるのが、ロキ。
 まるで城壁に槍を突き立てたみたいな衝撃が、槍で穿とうとした筈のエパメイノンダスの身体を鈍く痛め付ける。
 
 ――どうなってやがんだ、こいつ。

 エパメイノンダスは、既に夢を夢と見抜いている。
 言うなれば明晰夢。道理の通じぬ夢幻が相手だろうが、得体を認識して自分を強く持てば抵抗することは可能だ。
 その証拠にフェンリルという、本来なら絶対に届かない相手さえ倒せた。
 今この時に限っては、〈蝗害〉以上に目の前の状況に適応できている自信もある。
 なのに、いやだからこそ。彼は目の前のロキというサーヴァントに、何かまったく別の道理が味方しているように思えてならなかった。

 強すぎる。
 そう、強すぎるのだ。
 恐らくは魔術師のクラスであろう英霊が、三騎士である自分の近接攻撃を何故こうも軽々受け止められる。
 じゃれついてくる子どもを相手にするような余裕を持って臨み、事実まったく寄せ付けないなどという芸当が可能なのか。


705 : What's up, people?!(2) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:24:03 5ASqdrZo0

「おう、兄さんよ。ヒントくらい寄越しちゃくれねえかい……!」
「ヒント? ああいいよ。この世にはさぁ、純粋な力のでかさとか身体の強さとか、そういうのじゃ測れないエネルギーってもんがあるのさ」
「へえ! 案外良いこと言うじゃねえかよ、この地獄絵図の真ん中じゃなかったら酒でも酌み交わしてえ気分だぜッ!」

 被弾のリスクを無視してまでの攻撃偏重。
 それでさえ押し切れる気配がない、小揺るぎもしない。
 踊り踊らされる将軍の武威を前にして、ロキはアルカイックスマイルを浮かべ、望まれたヒントを口にする。

「答えは"愛"で"友情"さ。そういう神聖なものが、俺をどこまでも強くしてくれてるんだよ」
「ははッ、そうかぁ! 愛で、友情か!!」

 放たれたヒントは皮肉そのもの。
 神聖なる愛を胸に、そして傍らに侍らせ、結集し声をあげたエパメイノンダスの益荒男達。
 これを前にしながら、無数の犠牲を撒き散らしつつ、ウートガルザ・ロキは愛と抜かしたのだ。
 単なる悪意であれば買いようもある。しかしエパメイノンダスには、分かってしまう。
 愛の力、その凄さを知り、人の善き営みとして尊ぶエパメイノンダスは――その強さを"見誤れない"。

「いい女を見つけたようだな、キャスター!」

 信じがたいことだが――この悪童じみた奇術師は、本当にそれで強くなっているらしい。
 なんという冗談。なんという荒唐無稽。
 気合と根性で物理法則を超えられると豪語するように、今、愛の力が道理をねじ伏せ君臨している。

「ありがとう。ムサ苦しいオッサンに褒められても正直微塵も心は動かないんだが、何かしてもらったらお礼を言わなくちゃな」

 ニコ、と、ウートガルザ・ロキが甘いマスクで微笑んだ。
 どんな女性でも一瞬で頬を染めさせ、恋に落として余りある美しい顔だが、この場に限ってはその笑顔こそが一番の不吉の予兆になる。
 
「言葉と、そして行動。このふたつで見る目のある君に礼をしよう」

 フリズスキャルヴの肘掛けを、ロキの中指が打つ。
 それは破滅を告げるにしてはあまりに軽い音。
 だがこれが、本当の終わりの合図になる。
 その音を引き金として、"降臨"は完了した。


706 : What's up, people?!(2) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:24:25 5ASqdrZo0



 ――――とぷん。



 そんな音が、して。


 水面のように波紋を広げながら、地面にひとりの女が降り立つ。
 白い女だった。女、というよりは、少女だった。
 綺麗よりは可憐が勝つ。が、それだけでは形容しきれない超常的な魅力が宿って見える。
 その顔には一切の悪意なき、地上のすべてを慈しみながら歓迎する微笑。
 靡く白髪は、さながら天上の神が拵えた羽衣を解いてあしらった糸のよう。
 ならば右手に握る光の剣は、夜空に刻まれた流星の軌跡そのものか。



「これが、この都市の見る最大の悪夢だ」

 幻の大地に、幻の神が降臨する。
 ロキの生み出す景色はすべてが夢。
 だとしても、その悪夢は、世界を犯す。

「頑張りなさい。応援してるよ、心から」

 命題――神寂祓葉に、勝利せよ。



◇◇


707 : What's up, people?!(3) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:25:14 5ASqdrZo0



「……、はぁ……?」

 ――なんだこいつ。
 それが、ナシロの抱いた感想で。
 河二も同じで、それどころか当のイリスさえ同じだった。

「あんた……こいつの協力者か何かか?」

 ナシロは怪訝な顔で、半ば抱き着く形で庇いに入った"それ"を見つめる。
 小柄な女だった。顔立ちもえらく童顔で、ぱっと見ではよくて中学生にしか見えない。
 が、恐らく自分よりも年上だ。そのことが余計に、ナシロの調子を狂わせる。

 何より。
 まったく、これっぽっちも――強そうに見えないのだ。
 それどころか、この場に集った全員の中で一番弱いと断言できる。もちろん、自分も含めて。
 それほどまでに何ひとつ、強さとか逞しさとか、そういうものを感じさせない。

「えっ。あ、そうなるのはまだこれからっていうか……」
「なら頼む、邪魔しないでくれ。
 あんたが誰の味方をするのも勝手だが、今は時間がないんだ」

 訝しむように眉を顰めつつ、だが此処で引き下がるわけにはいかないと、ナシロは続く言葉を紡いだ。
 あくまでも見据えるべきは、対処すべきは楪依里朱。
 魔女を止めずして〈蝗害〉は止まらない、そうでなくとも自分達は前に進めない。
 千載一遇の好機なのだ、これは。だからこう言ったわけだが、結局ナシロはこの女を無視できずに終わる。

「あ、あのさ……。さっきから、一応話、聞いてたんだけど……」

 何故なら、女はおどおどとした調子で。
 けれど、やけに堂々とした物言いで――

「こ、この子……そんな間違ったこと言ってなくない!?」
「……、あ……?」

 ――引き下がるどころか、進んで戦いの舞台に上がってきたからだ。


708 : What's up, people?!(3) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:25:47 5ASqdrZo0



 女――天枷仁杜は、早い段階でそれに気付いた。
 いや、もしかすると伊原薊美は同じように気付いていたかもしれない。
 彼女は他人を見る。他人を見て、正しく評価して、その上で踏み潰すから。
 そして仁杜の敏さは、理屈がない。だから仁杜は、何の取り柄もないのに気付くことができた。

 ――……いーちゃん、なんで反撃しないんだろう? さっきまであんなに元気に戦ってたのに。

 〈Iris〉……もとい、楪依里朱は直情の怪物だ。
 考えるより先に手が出る。話し合っていても途中で打ち切ってくる。
 だからこっちの交渉も常に一触即発だったし、半ばからはほぼ戦闘状態に入ってしまった。
 そのイリスが、何故かこの琴峯某という少女に対しては一切そういう兆しを見せていない。
 話している内容からしてもどう考えても穏当な感じではないのに、これは一体どうしたことだろう。
 少し考えて、すぐにハッとした。彼女のサーヴァントが、自分の自慢のロキくんと今も戦い続けていることを思い出したからだ。

 ――もしかしていーちゃん、魔力切れ起こしてる……?

 仁杜は、イリスがレミュリンという魔術師と直近で戦闘を行っていることを知らなかったが。
 そうでなくても理由付けはあった。さっき、彼女の腕から令呪が一画消えるのを見ていたのだ。
 命令の内容までは聞き取れなかったが、何か令呪を必要とする状況が生じたのだろうことは分かっていた。
 
 ロキは強い。仁杜は誰よりそれを知っているし信じてる。
 〈蝗害〉という規格外のサーヴァントとの戦闘が今に至るまで長引いているのがその証拠だ。
 察するに彼女は、ロキに苦戦する〈蝗害〉をサポートするために令呪を行使したのではないか。
 そしてその結果、何らかの事情で魔力プールを大きく食い潰される結果になったのだとしたら。
 今、イリスはナシロに何もできない。そこまで考え至った仁杜は、当然のように、あたふたした。

 どうする。どうしよう。
 当然ながら、小都音達にイリスを助ける義理はない。
 そもそも、今の今まで交戦していたのだ。
 本当に魔力切れを起こして抵抗の手段がないのなら、どう考えても彼女はピンチということになる。

 ――まあでも、いーちゃん言うこと聞いてくれなそうだったし、別にいいかなあ……? それならそれでも……

 そんな考えが自然と頭をよぎったけれど、次の瞬間、彼女と過ごした思い出が脳裏に去来した。
 初めて会った時。いつもぶっきらぼうで口が悪くて、そのくせゲームはそんなにうまくないこと。
 散々人を罵倒してくる癖して、誘ったらすぐパーティーに招待してくること。
 こんな性格してても、実は結構可愛げあること……そこまで思い出すと、やっぱり駄目かも!!と浮かびかけた冷淡を蹴飛ばした。
 
 ――いーちゃんのことだし、恩を売ったらころっと靡いてくれるかもしれないし……とにかく、この怖い子から守ってあげないと……!

 天枷仁杜はクズである。
 自分に何より優しくて、見たいものしか見なくて、信じたいことしか信じない。
 けれどそんな性格だから友達がいない仁杜は、一度心を開いた相手のためなら結構頑張れる。
 そして本気を出さなければいけない状況に追いやられた月の乙女は、常軌を逸した結果を生み出せる。


709 : What's up, people?!(3) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:26:31 5ASqdrZo0


 
「この世界って……要するに、祓葉ちゃ――えっと、誰かの作ったゲームなわけじゃん!?」

 むぎゅう、とイリスに抱き着きながら、震える瞳で少女を見据える。
 そうして吐く言葉は、彼女の思いの丈そのものだ。
 嘘偽りを用いて駆け引きするなんて高等技術をコミュ障ニートは持ち得ない。
 だからやっていることは単純、話を聞いていて思ったことを片っ端から叩き付けるだけである。

「で、この世界の人達って、ゲームのキャラなわけでしょ。
 別にどこかのちゃんと命ある人を使ってるわけじゃなくて、GMが作った聖杯戦争用のモブ……っていうか、NPCだよ。
 そんなのいくら死んだって、えっと…………」

 んー、あー、と言葉に迷った結果。

 
「…………ど、どうでもよくない……?」


 ニートは、当然のように少女の地雷を踏み抜く。


 教会で、誰より多くの悩みと迷いを聞いていた少女の。
 その青い心を、自堕落のままに踏み荒らす。
 彼女なりに一生懸命紡ぎ出した、されど何の混じり気もない本心で。

「えぇっと……ナシロちゃん、だっけ……?」

 傷口の切開などという上等なものでは断じてない。
 これは、子どもががむしゃらにおもちゃを投げつけて大人への抵抗を試みているようなものだ。

「ナシロちゃんも、ゲームはやったことあるよね……?
 レベル上げるために敵倒したり、ひとつのダンジョンでず〜っとそうやってレベル上げたり、するでしょ?
 その時に倒した敵にも家族がいるかも、とか、こいつにも命があってー、とか、いちいち思う……?」
「……、……」
「思わないよね? この世界もそうじゃん、別にわたしたちがどんなに思いやって可愛がったって、なんにもなんないよ……」

 言動は稚拙。
 理屈も稚拙。
 けれど、だからこそ――嘘がない。

「どうせ全部作り物なんだから。わたしたちしか、生きてなんかないんだから」

 この女は心の底から本心で、何かそう歩まねばならない目的があるとかでもなく、これを言っている。

 その事実が、魔女に沸騰していたナシロの脳髄へ水を引っかける。
 が、だとしても、認められる理屈ではなかった。
 ギリ、と拳を握り……絞り出すように、声を発する。


710 : What's up, people?!(3) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:27:08 5ASqdrZo0

「どうでもいい、だと」

 思い出すのは、この世界で見つめてきた人々の顔だ。
 都市の営みを現実と信じ、日常の変化に怯え、それでも懸命に生きている人達の顔。
 笑顔があった。怒りがあった。彼らにはちゃんと感情と表情があって、十人十色の生き様があった。

「生きてなんかない、だと……?」

 駄目だ。
 その言葉だけは、侮辱だけは――聞き流せない。

 どうでもよくなんてあるものか。
 彼らは皆、自分の足で立ってちゃんと生きている。
 散った命と、まだ此処にある命。
 それをすべからく侮辱する言葉に、琴峯教会の跡取りは憤らずにはいられない。
 声を荒げ、魔女から視線を外してまで仁杜を睥睨する。
 びく、と身を震わせながら、半分涙目で、女は心優しいシスターへと叫んだ。

「だ……だってそうでしょ!? 聖杯戦争が終わったらこの世界、全部消えてなくなるんだよ!?」
「っ」
「作り物で、未来になんてなんにも続かない。
 そんなの、ただの"モノ"じゃん……? いーちゃんなんにも間違ってないよ……」

 ぐらり――と、揺れを感じる。 
 実際の震動ではない。心が、この無邪気さすら感じさせる無配慮に揺さぶられているのだ。
 
 何故ならそれは、悪意を持って吐かれた嘲弄ではないから。
 分かるのだ、ナシロには。シスターとは人へ寄り添う仕事。必然、人の吐く言葉の持つ意味には敏感になる。
 己の不安を誤魔化そうとする言葉。過ちから逃げようとする言葉。もしくは、何かを貶めようとする言葉。
 天枷仁杜の放つ言葉は、そのどれでもない。彼女は心から、自分の口にする言葉を真理と信じていて。
 
 そして事実。
 この世界の理に則るならば、仁杜の言葉は正しいのだ。

 すべての命は、作り物である。
 すべての命は、背景である。
 すべての命は、この都市の結末を以って臨終する。
 そも、此処に命など存在しない。
 自分達、聖杯戦争の演者(アクター)を除いては。

「ほ……ほら! 反論できないでしょ!?」

 故に言葉に窮する。
 ナシロは、善人だが――その一方で、聡い娘だ。
 彼女自身、そうだということは知っていた。
 そうでなければ、こんな言葉は出てこない。


711 : What's up, people?!(3) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:27:47 5ASqdrZo0

『……この世界は作り物で、私ら以外の住民も本物じゃないってのは、私もわかってるんだがね』

 この世界は作り物で。
 自分達演者以外の誰も本物じゃない。
 夢だ。幻だ。偽りだ。
 だから――それを助けることに、本質的な意味は何ひとつない。
 いやそれどころか。慮ろうとすることさえ非効率の賜物で、物言わぬぬいぐるみを家族のように愛でる子女の幼気と変わらない。

 純真が感情を欺瞞として論破する。
 いっそ露悪的なまでの正論が、少女の善性を踏み躙る。
 そう、確かに返す言葉はない。
 重ねて言うが、ナシロは馬鹿ではないのだ。

「……そう、だな。ああ、確かにそうだよ。
 あんたは、あんた達は、正しいんだろう。
 だけどさ、私は見ての通りあんた達よりガキだからさ。負け惜しみに聞こえるかもしれないが、これだけは言わせてくれ」

 恐らくこの都市において、正しいのは目の前の彼女達の方なのだろう。
 すべては被造物で塵芥。冠を争奪する聖戦を彩る背景でしかない。
 上手く使えば糧にもなるが、使い潰したとて別に問題はなく。
 彼ら一人一人、一個一個の生にあれこれ頭を悩ませるのは阿呆の所業だ。
 確かに正しい、分かるとも。
 だからこそ、その上でナシロは。

 ・・・
「お前達は…………本当に、どこまで行っても、そういう人間なんだな」

 自分の愚鈍を自覚した上で、目いっぱいの不快を目の前のふたりへ表明した。
 眉間に皺を寄せて、唇を噛んで、睨み付ける。
 
「だったら、いいよ。少しでも話をしようとした私が……間違ってた」

 続く言葉は、自分への戒めでもあった。
 楪依里朱は確かに、言ってしまえば嫌いな相手だった。
 だがそれでも、膝を突き合わせて語らう選択肢までは捨てたくないと思っていた。
 そこに一抹の期待がなかったと言えばきっと嘘になる。そしてそもそも、そこからして甘かったのだ。


712 : What's up, people?!(3) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:28:14 5ASqdrZo0

「――楪」

 既にこのクラスメイトは、狂っている。
 此処にいるのは、ひとりの"魔女"だ。
 〈蝗害〉は止まらないだろう。
 熾天を、あるいはそれ以外の何かを目指す彼女は変わらないだろう。
 
 ただその狂気のままに、人を殺す。
 都市を喰らい、すべての祈りを踏み躙る。
 それを悪魔の所業と謗るほど傲慢にはなれない。
 自分が異端なことは理解している。他のすべてを捨て、鬼畜に堕ちてでも遂げたい何か。そこに善悪を論ずるつもりはない。
 そんな感情はナシロが示す、相容れぬ者達へのせめてもの受容と敬意。
 されどその想いに謙って自分を曲げるほど聖人君子になれるかと言ったら、これもまた否だった。

「私は、お前を倒すよ。
 もう止まってくれなんて生ぬるいことは言わないし求めない。
 お前らのルールと、お前らの世界観で、その暴虐を終わらせてやる」

 故に答えは、このようになる。
 〈蝗害〉とそれを従える魔女を討つ。
 彼女達が都市の理に従って黙示録を紡ぐのならば。
 自分もまた、自分の理に則って英雄譚を紡いでみせると。


 告げた次の瞬間に、悪魔の羽音が代々木公園に集った一同の鼓膜を揺らした。


「もう我慢しなくていいぞ、アサシン」


 それは――心を揺らし、魂を揺らす、魔王の旋律。
 神を否定し、人を脅かし、恐怖の象徴として語られるモノの降臨。
 ぶぶぶぶ、ぶぶぶぶ。ヒトの精神のその安寧を、根本の土台から崩落させる跳梁が黒い輪郭を伴って顕れる。


「――――懺悔は、恐怖を教えた後に聞いても遅くはないからな」


 黒髪を揺らした、ちいさな悪魔が空に現出するなり。
 その顕現を合図として、無数の黒蠅が暴食の限りを尽くすべく溢れ出した。



◇◇


713 : What's up, people?!(3) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:29:00 5ASqdrZo0



 ぶおん、と、そんな音がした。
 次の瞬間、エパメイノンダスが覚えたのは衝撃。
 反応が間に合ったのは奇跡だ。指揮を出す暇はなかったから、純粋な咄嗟の行動だけで彼は命を繋いだことになる。
 では何故、テーバイにその名轟きし大将軍が、指揮を出し遅れるなどという無様を晒したのか。
 その答えはひどく単純で、だからこそ決してあり得ないものだった。

 一瞬――すべてを忘れて、見惚れてしまったから。

 美しい。
 アフロディーテが降臨したものかと思った。
 なんだこれは、どこぞの女神か。
 それとも己の知らない何処かの星神が、像を結んで顕れたのか。
 いや、顔の造形ではない。それ自体も素晴らしいが、重要なのはそこではなく。
 見つめているだけで現実のすべてが揺らぎ、狂おしい夢に溶けていくような恍惚とした快楽。
 地上の一切を微笑みひとつで慰める、この世ならざるナニカ。
 いつまでも見ていられる、見ていたくなる、いやしかし駄目だ惑うなこれは夢だ幻だそもそも何故俺は戦の最中にこんな呆けた思考をしている馬鹿か阿呆かボケでも来たか笑えねえぞ――さっさと目ぇ覚ましやがれ、エパメイノンダス!

「お……お、おぉッ――!?」

 思考があるべき位置に戻るや否やに、エパメイノンダスの両足は地を離れ宙に浮いていた。
 指揮を忘れたのは末代までの不覚だったが、防御自体は間に合った。
 間に合った筈だ。なのにその防御ごと、踏み止まることも許されず膂力だけで吹き飛ばされた。

「が、はぁぁぁッ……!!」

 度重なる災厄に曝され、鉄筋むき出しの廃墟と化した商業ビルに突っ込む。
 次の瞬間ビルは倒壊し、エパメイノンダスの屈強な身体を瓦礫の底に埋没させていった。
 そしてその時、もう白い少女は、己が屠った英雄の方など見てはいない。

「は――何だよ、オイ。もう遭ってやがったのか、テメエも」

 向かう先は〈蝗害〉、シストセルカ・グレガリア。
 光の剣を膨張させ、振り下ろす。斬撃は光の帯となり、前方の蝗どもを焼き払う。
 星の聖剣を思わす美しき殲滅。これを可能としたのが名のある英霊でも神でもない、ひとりの少女であるなどと誰が信じよう。
 
 光帯は柱となり、渋谷の大地に巨大なクレーターを作り出す。
 ワルキューレ、スキーズブラズニル、フリズスキャルヴ。
 それら一切の刻んだ暴威のどれも、威力だけで言うならこの一撃に遠く及んでいない。
 破壊を通り越して破滅としか形容の利かない光景を生み出しながら、それを背にして立つ少女は微塵の曇りもない美しさを湛えていて。

 そう――これが、これこそが、この都市の悪夢。
 悪魔すら目を奪われるほど美しく、しかし聖者でも恐れ慄くほど恐ろしい現人神。
 神寂祓葉という最新、それでいてどこまで到達するか誰にも分からない超越の化身。
 そもそもからしてロキの牙城を誰も崩せない絶望的な戦場に、ダメ押しのように落とされた一滴の波紋。
 その波は地を覆う津波となって、抗うモノのすべてを呑み干し喰らう。
 これぞ白き厄災。第一の死に非ず、遊星の遣わす死にも非ざる、人類最新の恐怖/死なれば。


714 : What's up, people?!(3) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:29:59 5ASqdrZo0


『おう、餓鬼。まさかあんな紛いもんに撫でられた程度で死んだわけじゃあるまいな』


 瓦礫の山の中から、響いた念話に応じるように手が突き出す。
 そこから顕れたのは、塵と芥に塗れたエパメイノンダスだった。
 英霊は神秘を通してしか殺せない。たとえ高層ビルの崩落を直に受けたとしても、この通り生存を続行することができる。

「ハァ、ハァ……無茶言ってくれるぜ。結果的に生きちゃいるが、本気で死ぬかと思ったよ」
『何じゃ、希臘の絡繰人形どもはずいぶん軟弱な子を育てたもんじゃの。
 大体幻術だと教えてやったろうに。どんだけ見目麗しかろうが強かろうが、夢は夢じゃ。男なら気合で殴り伏せんかい』
「叱責痛み入るよ。で――その言い草、ちと妙だな。
 幻なのは俺も承知してたが、もしやアンタ、アレの原作を知ってるのかい?」
『皆まで言わんと伝わらんか? 知っとるよ。知っとるから、こうも舐め腐っていられんのよ』

 呵呵と笑う老人の傲岸さに、思わずエパメイノンダスは苦笑した。
 老人は戯けてはいるが、巫山戯ている様子はない。
 それは、彼の言葉とその余裕が根拠のない妄言妄信の類ではないことを証明している。

『分かったらさっさと立てい、ランサー。
 見たところ、そろそろ正念場よ。
 お前"ら"の頑張り次第じゃ、儂も褒美をくれてやるわい』
「……金平糖、ってオチはなしだぜ? 爺さんよ……!」

 ならば――此処は己も賭けるとするか。
 エパメイノンダス、かくして戦線に復帰す。
 疾走は重厚なれども鈍重ではなく、それどころか疾風のように素早く。
 復帰と共に叩き込む槍の穂先で、さっき不覚にも目を奪われた麗しの少女に敵意を伝えた。

 ただの少女が、その幻想が、英雄と打ち合う。
 神聖隊の猛槍は布陣を組んで華奢な身体を槍衾に変える。
 負わせた負傷は、しかし瞬時に時を巻き戻すように復元され。
 返す刀で振るわれた光の一閃が、将軍に死を感じさせる。
 常勝の将軍をして、これと結び合う時には死を想わずにはいられない。
 脅威としての度合いで言えば、先のフェンリルがまるで子犬に思えるほど、この白き悪夢は凶悪だった。

 打ち合ってみて分かる、この幻に技術はない。
 力押し、ゴリ押し、一から十まで子どものチャンバラと同じだ。
 が、純粋に強すぎるから、盾での防御にも躊躇する。
 無策に守りを組めば、一撃で何枚盾を割られるか分かったものでないからだ。
 太祖竜(テュフォン)。最初に用いた喩えが、今再びエパメイノンダスの脳裏をよぎっていた。
 大神ゼウスをさえ一度は地に臥させた荒れ狂う竜の神話が、この娘にはとても相応しく思えたから。

(……爺さんは、"そろそろ"正念場だと言った。
 その物言いを信じるならば、戦況を変えるのは恐らく俺じゃねえ)

 ならば今は、斃すことを念頭に置かなくてもいい。
 重要なのは死なないこと、それでいて戦線を維持すること。
 ゴールが見えれば、歴戦の将軍は腰を落ち着けたような気持ちで向き合うことができる。
 戦場において絶望は常。直面したそれを如何に乗り越えるかによって、将の器とは推し測られる故に。

「はは――ッ、おい、見ての通りこっちはジリ貧だ。そろそろ目に物見せてくれると嬉しいぜ……!?」

 エパメイノンダスは笑う。
 窮地の中にあって尚、いや、だからこそ笑う。

「なあ、おい――――蝗どもよ!!」

 その豪放磊落なコールに応えるように。
 今の今まで雌伏を続けていたもうひとつの悪夢が、爆発的に膨張した。


715 : What's up, people?!(3) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:30:41 5ASqdrZo0




 そう、まさにこのタイミングだったのだ。
 シストセルカ・グレガリア。
 恐れを知らぬ虫螻の王が、劣勢に甘んじて蠢き続けていた理由。
 それは、ロキの創り上げた極寒のニブルヘイムに対抗する術を可能な限り迅速に押し進めていたからに他ならない。

 ――イリスよ、令呪を寄越しな。
 ――訳あってな、早急に乱交(パーティー)が必要になった。
 ――惜しむなよ。俺に勝って欲しけりゃ、大盤振る舞いよろしく頼むぜ。

 魔女を説き伏せて令呪一画を切らせた飛蝗達が専念したのは、生殖。
 群れの大半を地中に潜らせて、令呪によるブースト込みでの異常な速度での性行為と受精、そして産卵に明け暮れた。
 時計の針を加速させるかのように爆速で繰り広げられる命のサイクル。
 兵隊の補充のためにそうしたわけではない。彼らが種として求めたのは、目の前の死界への"適応"だった。

 寒さという、変温動物である昆虫にほぼ共通と言っていい弱点。
 それを克服するために、急激な生殖で耐性個体を爆増させた。
 幻とはいえニブルヘイム、その死寒の中で生存できる水準の個体を殖やした。
 彼らは本能で生きて喰らうが、だからこそ時に人間に負けず劣らず狡猾だ。
 種の存続のために表層の同胞をスケープゴートとし、これを隠れ蓑にしながら必要な進化を急がせた。
 そうして変異個体が増殖した結果何が起こるか。その答えこそが、この光景である。

「Yyyyyyyyyyyyyyyyyyeah――――――――!!!!」

 死界の大地を地底から引き裂きながら、溢れ出す飛蝗の大軍勢。
 神秘と幻想を、この上なく醜い現実と欲望が塗り潰していく。
 生誕祝いの戦乙女を瞬時に平らげ、凍土に巻き起こる砂の嵐。
 ただしこの嵐は生き物を喰べる。血を吸い肉を噛み、魂の一片まで腹に収めて子を産むアバドンの乗騎。

 そんな悪夢の先陣を切って駆け出し、白き神の虚像へ殴りかかったのはやはりというべきか彼らの総体意思だった。

「ロキ野郎、テメエあの女をナメ過ぎだ」

 轟く光剣、しかし砂嵐は微塵も退かない。
 進む、進む。昨夜本物の彼女へそうしたように。
 ならば相手もやることは同じ。
 白い灼光の柱は、再び渋谷の地表を焼き焦がして結末を焼き直した。

 だが――


「こんな解りやすい生物(エモノ)に、この俺様が負けるワケねえだろ」


 ――獰猛に嗤う凶蟲、光を切り裂いて。



◇◇


716 : What's up, people?!(3) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:31:37 5ASqdrZo0



 瞬間、高乃河二が最も恐れていた一枚が即座に行動した。
 細められた眼光は猛禽の如し、剣を抜く速さは閃光の如し。
 技ではなく業、生きとし生けるものを殺すということのハイエンド。
 原初の鍛冶師が、ベルゼブブの顕現に合わせて自らの首輪を切り離し躍動する。

 迎え撃つのは、宿り蝿の眷属だった。
 大人の男ほどもある体躯を有し、禍々しい槍を携えた、巨大な蝿の悪魔。
 無論大元が贋物(フェイク)である以上、彼らも所詮、人の恐れる悪魔の形というパブリックイメージを基に生成された"もどき"に過ぎない。
 それでも〈蝗害〉の死骸を用い作り出した数十余りの眷属は、純粋に戦力として大きな意味を持つ。
 偵察はもちろん、戦闘においてだって決して単なる張りぼてではない。
 数の優位と、偽りなれど幻想種を用いた正面戦闘……ヤドリバエの蝿王が優れた魔術師に拾われていれば、必ずや都市に未曾有の災禍をもたらしていたと語られる所以。

「おい」

 しかし、聖杯戦争とは前提からして幻想の氾濫を想定し組まれた儀式。
 境界記録帯という幻想が蔓延る都市において、悪魔の不穏が持つ意味は日常より数段薄い。

「舐めてンのか、お前ら?」

 抜刀。
 からの、挨拶代わりの二撃。
 それだけで、突撃を敢行した二体の蝿悪魔が十六の肉塊に断割されて飛び散る。

「こいつらが人でなしのイカレ女どもだってことには百パーセント同意だけどよ、最初に吹っかけてきたのはそっちの方だろうが。
 売ったからには、買う価値ってもんをせめて魅せてくれや。殺しは慈善事業じゃねえんだぞ」

 トバルカインは鍛冶師だが、だからこそ彼女は殺人鬼だ。
 いや、殺人鬼、という形容は正確には語弊がある。
 彼女は必要とあらば何だって殺す。ヒトも、虫も、獣も、悪魔だって。
 不穏の羽音でできる抑制はたかが知れており、数十の眷属など単なる羽虫の群れと変わらない。

 彼女が動き出したことの意味、その深刻さを誰より理解しているのもまた河二だった。
 実際に動く姿を見て自分の警戒の正しさを確信するどころか、むしろ不足に気付かされたほどだ。

(……不味いな。初動すら、目視できなかった)

 まず間違いなく、エパメイノンダスのいない自分達で勝てる相手ではない。
 今はヤドリバエの眷属が辛うじて足止めしてくれているが、あの剣先が少しでも自分かナシロに向いた時点ですべては終わる。
 あのサーヴァントが敵軍に存在する時点で、勝率など推し測るまでもなく零だ。
 数秒とかからず、この身体を達磨落としのように切り刻まれて終幕する。
 見えた結末は絶望的そのもの。されど、それでさえまだ真の底ではないというから事態の過酷さは地獄めいていた。


717 : What's up, people?!(3) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:32:30 5ASqdrZo0

「おお……なんと悍ましい気配か。なんと醜悪な妖艶か。
 死体の山も臓物の河も見慣れているが、まことの悪魔を見るのは初めてだな」

 響く声は畏怖。
 そして、それを塗り潰して余りある勇気の賛歌。

「かつて私はこの身を星条旗の使徒と称した。神の教えに従い、私自身の野心に従う者だと。
 であれば今こそ――それに相応しい働きを成し、死して尚我らの名声を高め上げようではないか!
 さあ行くぞ我が同胞、合衆国の星々達よ!」

 その声に呼応するように、蹄の音が不穏の満ちる代々木公園へ奏でられ出す。
 姿を表す、星条旗をあしらった軍服姿の騎兵達。
 現代と地続きの"歴史"、とある偉大な国の栄光と負を象徴する死の担い手(ソルジャー・ブルー)。

「"神話の世界"だ!! 悪魔が甘く囁くならば、かき消す勢いで歌っていこうぜ!! Garry Owen,Garry Owen,Garry Owen――!!」
《Garry Owen,Garry Owen,Garry Owen――!!》

 悪名高き第7騎兵隊、ジョージ・アームストロング・カスター、悪魔狩りのため堂々出陣す。
 この世界の神にさえ剣を向け、銃を撃った、恐れを知らない英霊達の蛮歌が再び響く。
 そして言わずもがな、神と魔女の共闘戦線と、虚仮威しの悪魔ども、そのどちらが脅威として上かは明らかであった。

 皆無に等しい勝率が、カスターの出陣で完全に消滅する。
 仮に奇跡以上の幸運が微笑んだとしても、イリスか仁杜のどちらかがサーヴァントを呼び戻せばやはりすべては終わる。
 琴峯ナシロが告げた宣戦は単なる自殺行為。イリスのそれを笑えない、無軌道な癇癪に終わってしまった。
 
「おう、雑魚ども」
「さあ、恐怖しろ」

 これより始まるのはごく容易い蹂躙。
 多くの先住民がそう散ったように。
 鍛冶師の試し斬りで血風に変えられた数多の礎達のように。
 心優しい少女と、純朴な復讐鬼は、この公園にて露と消える。

 その結末を変えられる者はただひとり、そう。


「――アサシンッ!」
「わ、分かってますってぇ……!」


 空を舞い、眷属を率いる、ベルゼブブの冠(な)を持つ虫螻以外には存在しない。


718 : What's up, people?!(3) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:33:25 5ASqdrZo0


 彼女は基本的に、惰弱そのものである。
 それはステータスからも窺えることだ。
 しかしそんな彼女にも、ふたつほど強みが存在した。

「こほん――ふ、ふ。
 本当に、悪魔使いが荒いんですから……これはもう、その身も魂も、最後の一滴まで啜らせて貰わないと割に合いませんね?」

 ひとつは、飛行能力。
 ヤドリバエという昆虫が信仰の力で偽悪魔化した英霊である彼女は、当たり前に空を飛べる。
 カスターの騎兵隊が放つ銃弾、それは空に向けられていた。
 これを、ヤドリバエはすいすいと、事も無げに次々躱す。
 それどころかその勢いのまま、自身の主を狙った弾幕の前に眷属を飛ばして肉の盾にする指揮さえこなしてみせる。

「はい、そこ。
 悪魔(わたしたち)の貴重な餌から目を逸らしてどうするんですか?
 主人のディナーですよ。眷属なんだから、身を粉にして死ぬ気で守りなさい」

 蝿王のロールプレイを行いながら、という余裕まである……というのは流石に言い過ぎだ。
 流石にこの状況で自身の本質を看破され、すべてがハッタリだと見透かされたら何もかもが終わってしまう。
 そう分かっているから、本当はぴーぴー叫びながら逃げ回りたいところを死ぬ気で堪えているのだ。死ぬ気なのは蝿王様も同じなのである。
 とはいえ逃げ回ってばかりではいずれ限界が来る。具体的には、トバルカインが眷属を鏖殺した瞬間に詰みが確定する。

(――う、う〜〜……! やらなきゃダメですよね、流石に……!)

 なればこそ、此処で求められるのが第二の強み。
 ただしこれについて、ヤドリバエは実のところ、まったく自信がなかった。

 ――サーヴァント・ヤドリバエは、ベルゼブブの名を笠に着ただけのハリボテである。
 しかし、では彼女のすべてが偽りなのかというと、そういうわけでもない。
 不穏の羽音や眷属生成宝具など、蝿王由来の力をいくつか持つに至ってはいる。
 第二の強みというのもその一環だった。端的に言うと、ヤドリバエはスペックだけで見るならそう弱くはない。
 ステータスこそ誰の目にも分かる味噌っかすだが、出せる出力だけなら蝿王の肩書きに恥じないものを即座に用意できる。

 真に使いこなせれば、眼前の二体にも決して見劣りしないだろう。
 そう、使いこなせれば。では実際その技量がどうなのかは、彼女がナシロに手綱を握られるまでの一部始終を思い返せば分かることだ。

 どんな魔弾も砲撃も、当てられなければ意味がない。
 その一点が、ヤドリバエを都市の中でも最低ランクの一体に貶めていた。
 今までは本格的な戦闘がなかった。河二と雪村鉄志の交戦に介入した際も、得意の威圧を使って上手く収めることができた。
 だが今回ばかりは、そう簡単にもいかない。何故なら相手はどちらも鏖殺上等、穏健とは程遠い人でなしどもだ。

 ナシロと目が合う。
 黒鍵を投影し、臨戦態勢のまま事の趨勢を見守っている彼女は小さく頷いた。
 ううううやっぱりぃ……と、ヤドリバエはこのままプ〜ンと飛び去りたい気分になるのを堪えられない。

(いやまあ、やればできる筈なんですよ。
 たった一回……たった一回当てられたら、いいんですけどねぇ……)

 その一回が、あまりに遠い。
 ナシロに引きずられてやった鍛錬の中でさえ、的へ綺麗に当てられた試しはほぼない。あっても誰の目にも分かるまぐれ当たりだった。
 けれど今回はそうもいかない。下手を打てばハッタリがバレるどころか、更に相手を刺激して最悪の事態を生む。
 永遠にこうしてうじうじしていたいが、時間はもうほとんど残されていないのだ。
 腹を括らなければいけない時、というのがすぐそこまで来ていた。威圧と飛行と、眷属の指揮でどうにか威厳を保ちながら、途方に暮れて葛藤するヤドリバエ。
 そんな彼女に助け舟を出したのは、意外な人物だった。


719 : What's up, people?!(3) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:34:08 5ASqdrZo0


「アサシン。思い出すんだ」


 高乃、河二である。
 多くを語ることはできない。彼と自分の間に、念話は通っていない。
 だからヤドリバエは、その一言で思い出すしかなかった。
 しかし幸い、今はこれで十分だった。脳裏に再生される、彼の英霊の声。
 〈蝗害〉蔓延る戦場に向かった"将軍"が、腹立たしくも自分の頭を子どもにするみたく撫でながら残した言葉を。


『教えるならじっくり基礎からやるのが俺流なんだけどな。
 だが今はそんな時間もねえ。だから、一言だけアドバイスを残しとく』

『思うに嬢ちゃんは、技術云々の前に当て方ってもんを知らねえんだろう。
 ナシロの嬢ちゃんも、勤勉じゃあるが殺し殺されの状況を経験してきたわけじゃないだろうしな。
 当て方を知らないんじゃ、いつまで経っても上達しないのも無理はない』

『いいか――アサシン。
 的に当てるコツなんてのはな、突き詰めりゃひとつしかないのさ』


 人の英霊に施されるなど、蝿王を目指す者としては屈辱以外の何物でもなかったが。
 今はまさしく、そんな藁にも縋るべき状況だ。
 ヤドリバエは空を舞いながら、脳内で彼の、エパメイノンダスの言葉を反芻する。
 あの暑苦しい男は何と言ったか。覚えている。確かに、こう言った筈だ。


『"相手をよく見ろ"。物言わぬ的でも、逃げるウサギでも、向かって来る敵でも同じだ』

『見ろ。ただ見つめて、理解しろ。そうすりゃそこには、当てるための情報ってのが山ほど転がってる』

『風向き、地形、疲労の状況、表情、主義思想……なんでも見逃すな。
 敵が分かりゃ、撃つべき場所ってもんが必然見える。
 これさえ抑えておけば、まったく当てられないってことだけは無くなるだろうぜ――――』


 視認する――撃つべき敵/場所を。
 口惜しいが確かに、今までこうも真剣に的を視たことはなかった。
 見る、のではない。それと同時に観て、視るのだ。医者が看て診るように、ただ、覧る。
 その時、ヤドリバエは無言だった。時間さえ、忘れていた。
 時が引き伸ばされるように感じる。思考をして闘うという経験を当然、寄生虫は持ち合わせていない。
 だからこそこれは初めてのことで。故に、得られた実感は後にも先にもないほど大きかった。


(…………、…………あ)


 気付きは一瞬。
 行動へ起こすまでは、更に刹那。


(もしかして――――――――こういう、こと?)



 右手に、蝿王の権能を。
 悪魔が悪魔たる上で最も重要な力。
 己が地上の法理を超越した存在であると示すための、力。
 それを満たすと同時に、定めた狙いの場所へ向け解き放つ。
 当たらずの光弾、張りぼての権威。
 射出されてからすぐに、その成否は詳らかとなった。


720 : What's up, people?!(3) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:34:52 5ASqdrZo0



「――ぬ、ッ……!?」

 光の向かう先。
 それは、ジョージ・アームストロング・カスターであった。

 狙いの意図は単純明快。
 ヤドリバエにとって、トバルカインはそもそも解決できる相手ではないと踏まれていたからだ。
 力と技術、何より速さ。あのレベルの反応ができる手合いに当てられたなら喜ばしいが、此処で一番怖れるべきは外すこと。
 故に彼女は、カスターを選んだ。霊格で劣るのが明らかで、かつ宝具により生み出す軍勢という無視できない厄介さを持っている。
 定められた的。第7騎兵隊の英雄は、まず感じる魔力の大きさに目を瞠る。

 だが重要なのはそれに引き続くリアクション。
 丁か半か、鬼か蛇か。いいやそれ以前に、アタリかハズレか。
 その答えを物語る彼の反応は、これだった。

「これは不味いな――ええい、すまん!」

 馬を飛び降り、最前線から後方へと瞬時に飛び退くことを選んだ。
 カスターは歴史に名を残す無謀な英雄だが、しかしその実、彼の無謀は最低限の保証ありきで行われる突撃だ。
 勝算がわずかでもあるなら征く。が、ないのなら退くことに異論は持たない。
 そんな彼が、迷わず退いた。その事実の意味が、次の瞬間衝撃と閃光で示される。

 カスターはそれを、戦術爆弾の炸裂に喩えた。
 吹き飛ぶ軍馬、及びこれを乗りこなす騎兵達。
 悪夢もたらすソルジャー・ブルーが忽ちにして肉片と化す。
 もしも後退を選ばず直撃していた場合に、カスターがどうなっていたのかは推測するまでもない。

「……! おい――ライダー! 無事か!?」
「ああ、問題ない! ないが、ははははは! 流石は恐るべき悪魔だな、予想以上の威力だった!! 君も留意し給え、セイバー!!」

 戦場という水面に投げ込まれた一個の巨岩。
 その生み出す波が、最大の死神の思考を一瞬だけ逸らさせる。
 
「――――あ、は」

 気付けばヤドリバエは、笑っていた。
 成功体験、なんて高尚な語彙を虫螻の彼女が持っていたかは定かでない。
 が、今、確かに彼女はそれを得ていた。
 初めて、まともに撃ち込めた。敵を殺せはしなくとも、避けた上で脅威と認識させることができた。
 英霊にアドレナリンなどという概念があるのかどうかは知らないが、兎角その事実は、紛い物の悪魔を高揚させる。


721 : What's up, people?!(3) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:35:34 5ASqdrZo0

 そして誰もが知っている、この悪魔がひどい"調子乗り"であることを。
 過去最大の成功体験を得て増長したヤドリバエが次に取る行動は決まっていた。
 普段は裏目に出るか、飼い主であるナシロに制裁されて終わるだけのそれが。
 今この瞬間だけは、彼女達全員を窮地から救う希望の光明を生み出す。


「さあ存分に恐れ叫びなさい、傲慢で矮小な英霊ども。
 これなるは悪魔の真髄、恐れられたるモノの極致!
 魅せてあげるから、泣き喚きながら消え果てるがいいですよ! あーっはっはっはっはっはっは――――!!!!」


 ようやく掴んだ"当てる"感覚の片鱗、それを上機嫌のままにぽいと放り捨てて。
 ただ一時の感情に任せて、無造作に光を放ちまくる。
 すなわち、空から地への大乱射。悪魔の力をハチャメチャに撃ちまくりながら、高笑いを響かせる。
 当然狙いが悪いので、一発たりともカスターやトバルカインに直撃してはくれず、それどころか自分の眷属をフレンドリーファイアで爆殺している始末だったのだが……だとしても、下手な鉄砲数撃ちゃ当たるという言葉もある。
 それに、ヤドリバエの真実を知るナシロと河二以外にしてみれば、彼女の光弾は自分達の英霊さえ戦慄させる立派な脅威だ。

 であればどうなるか。必然――代々木公園は、災厄降り注ぐ今までとは意味を異にした修羅場と化す。


「わ、わわ、わ……!」
「にーとちゃん!!」

 頭を抱えながら恐慌する仁杜。
 それを助けるべく、小都音が薊美の手を無理やり引きながら駆け出した。
 薊美も逆らわない。カスターのマスターと特定され、もし個人として狙いを定められたら生き延びられる自信はないからだ。
 ならばまだ頭数を増やした方が生存確率は上がる、そう判断してのことだった。後は、咄嗟の行動だったが故に小都音に自分を何か利用しようという悪意が感じられなかったのもあるだろう。

「ことちゃん、薊美ちゃん……! 大丈夫……!? それに――あっ」

 仁杜がそこで、自分の隣に座っていた楪依里朱がいないことに気付く。
 彼女は既にベンチを立ち上がり、不機嫌も露わな表情で立っていた。

「……付き合ってらんない。まさかこんな馬鹿騒ぎに巻き込まれるなんてね」

 当初の予定を大幅に超えて長引いている、〈蝗害〉と仁杜のキャスターの決闘。
 不意の魔力切れに、琴峯ナシロ達の乱入。混沌を極めたこの状況は、激情家のイリスを苛立たせるには十分すぎるものだった。
 最低限の魔力だけを用いて白黒の防壁を展開し、粉塵に混ざって飛んでくる石や木の枝を防御する。
 そうしながら、彼女はすべてを無視して公園の出口へと足を向け始めた。
 
 その行動を阻むように飛んでくるのは、一振りの投擲剣。
 黒鍵を投げ放ったナシロを忌まわしそうに見つめながら、イリスは残り少ない魔力を回す。


722 : What's up, people?!(3) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:36:30 5ASqdrZo0

「……楪。お前は」
「いいわ、認めてあげる。
 あんたの言うことややることはつくづく反吐が出るほど偽善じみてるけど、馬鹿も度を過ぎれば一級品だってこと」

 当然のように防がれる黒鍵。
 交錯する視線は、互いが互いを認めないという鋭さで溢れていた。

「あんたのサーヴァントが暴れたところで、私の方にまで気を回す余裕はないでしょ。
 アレだけ目を引いたらもう後は無理。セイバーとライダーに袋叩きにされて終わり」
「……、……」
「だからその間に、舐めた真似してくれたお礼だけはしてあげる。
 良かったね、喜びなよ。あんたカトリックなんでしょ? だったら戦争の中で魔女の手にかかって死ぬのは、殉教ってやつなんじゃない?」

 イリスの背後に浮かび上がったのは、白黒の色彩で編まれた無数の刃だった。
 サイズはナイフほどで、祓葉やルーとの戦いで見せたのに比べれば幾分も劣る。
 が、それでも、魔術師としてあまりに日も修練も浅いナシロにとっては十分なほどに脅威的な死線だ。
 眉間に皺を刻み、こめかみに青筋を立て、魔女はシスターを殺すと告げている。

「……やりたきゃやれよ。その代わり後悔するんじゃないぞ、楪。
 どれだけ魔女を気取ろうが、私に言わせりゃお前はただのやさぐれたわがままな不登校児だ。
 世の中なんでも自分達だけを中心に回ると思ってたら大間違いだってこと、お前は今に思い知ることになる」
「長い遺言だね。続きは死んでから喋りなさい」

 処刑の合図は魔女の随意に。
 解き放たれる白と黒の凶器が、ナシロを殺すべく迸る。
 ヤドリバエでは止められない。止める余裕がない、トバルカインとカスターの二重の網目は如何にノッている彼女でも潜れない。
 
 ナシロの両手に握られた黒鍵が、我武者羅に注がれた魔力で大きく膨張する。
 オーバーエッジ。膨らんだ刀身を盾にして強引に防ぐしかない事実が、ナシロとイリスの間にどれほど大きな差があるかを物語っている。
 防ぎきれなかった分が肩口を、腿を、脇腹を切り裂いた。
 いずれも浅いが、苦悶に顔が歪む。擦り切れるのは時間の問題で、魔女の呪いは高らかにけれど静かに響き渡る。

「この都市に、あんた達端役の席はない」

 ――物語の主役は、常にひとり。
 ――それを追い落とす存在も、己ひとり。
 不変の理を唱えながら、楪依里朱は王手をかけた。

「疾く死ね、偽善女……!」

 ナシロをすり潰すための刃が、殺到し。
 黒鍵の弾ける音と共に、彼女の身体が地面を転がる。
 幸いにして直撃は免れたものの、倒れて喘鳴を漏らす姿は実に敗者じみている。
 詰みだ。イリスがそれを確信し、最後の一手を繰り出さんとした、その時。



「――――問おう、蝗害の魔女」



 魔女も、英霊達も、仁杜達も。
 誰もが視界から外していた、ひとりの少年の。
 この代々木公園において間違いなく"端役"であった少年の声が、響いて。



「――――この技に、覚えはあるか」



 不覚を悟った瞬間にはもう遅く。
 神速で踏み込んだ復讐者の鉄拳が、魔女の腹を打ち抜いていた。



◇◇


723 : What's up, people?!(3) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:37:07 5ASqdrZo0



 喰らいついた蝗の群れが、少女の偶像を瞬時に穢す。
 振り抜かれたバットの一撃は、愛らしい表情を割れた西瓜さながらに変えた。
 撒き散らされた幻の血肉を嬉しそうに喰らい、冷気に沈んだ先ほどまでの姿が嘘のように猛り飛び回る飛蝗達。
 一見すると荒唐無稽な絵面であるが、彼らはまず前提条件の時点でエパメイノンダスや陰陽師とは違っている。

 シストセルカ・グレガリアの軍勢は、一匹たりともロキの御業の正体など見抜いていない。
 興味がないから、無数に群れてネットワークを形成する総体のどれ一匹として考察を行ってすらいない。
 これから食べる飯がどこでどう作られ、どのように育ったかなど些事。
 腹に収めてしまえば全部一緒だろと、暴食者の肩書きに相応しい暴論だけを武器にロキへ食らいつき続けているのだ。
 夢、現実、その境界線を論じ考えて戦うなんてしち面倒臭い、御免被る。
 本能のままに生きる昆虫(おれたち)はいつ何時でも馬鹿騒ぎの一辺倒、それでいいしそれがいい。

「見る目がねえなあロキくんよォ! テメエ曲がりなりにもアレを見ておいて、こんな劣化コピー以下しか創れねえのか間抜けェ!!」

 祓葉の偶像は、既に再生を始めている。
 本家本元が持つ機能を、当然この模倣体も与えられていた。
 が、それでも虫螻の王はこれを駄作と罵る。
 彼は知っているからだ。本当に尊く恐ろしい星の輝きというものが、どれほど救い難い生物であるかを。

 そしてそんな辛辣極まりない評価に、同意する者がもうひとり。

『なるほどのぅ。やはりあの蝗"も"、奴に遭っておったか』
「……おいおい、仲間外れは俺だけかよ? 俺の眼にはあれも十分すぎるほど化け物に映ってんだが?」
『無理もないが、何度も言っとるじゃろう。夢は夢、幻は幻よ。どれだけ精緻を凝らしても、影絵が本物に至ることなどありゃあせん。
 その上――これは肝心要の精緻さすら足りとらん。臆さず進めい、若造。この影絵は、ただの強いだけの夜霧じゃ』

 陰陽師の語る言葉の意味を、エパメイノンダスは大まかに理解する。
 戦場を知らない者の紡ぐ策と、戦場を馳せた者が紡ぐ策との間には天と地もの差がある。
 要するに奇術師ロキは、この冗談みたいに強い〈少女〉の存在と輪郭は知っていても、実際にその真髄を味わったわけではないということ。
 だから乗り越えようは無数にあると、彼も虫螻の王も異口同音にそう言っているのだと悟った。
 
「そういうことなら、俺だけビビってるわけにもいかねえな……!」

 獰猛な笑みを浮かべ、覚悟を決めて光と蝗の躍る最前線へ突撃する将軍。
 飛び交う破壊の余波は盾の配列を一秒ごとに組み替えながら防ぎ、勇猛果敢に進軍していく。
 〈蝗害〉にはこの状況でも見境というものがない。
 守りを掻い潜った飛蝗の数匹に身体の各所を喰らわれながら、それでもエパメイノンダスは見えた勝機に彼ら同様食らい付くと決めた。


724 : What's up, people?!(3) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:37:49 5ASqdrZo0

 再生と崩壊を繰り返しながら、一秒たりとも微笑みを崩さず、美しい悪夢として剣舞を踊る少女。
 光剣が閃くたびに大地が割れ、景観が崩壊し、白が都会の多様を焼き払う。
 そんな中に、神聖隊の槍が雨霰の如く迸った。
 可憐な少女を無数の槍が串刺しにする光景はグロテスクだが、目的は討伐ではない。
 今いる位置に縫い止めて、これ以上の縦横無尽な移動を抑制すること。
 そのために部下達を使いながら、エパメイノンダスは遂に自身の持つ一槍を少女の背中へと突き立てることに成功した。

 心臓を確実に貫いた手応えを感じつつも、微塵たりとて油断しない。
 己の役目も同じ――固定すること。この荒れ狂う白い厄災に、決して仕切り直しの余地を与えないこと。

「さあ食い尽くせよ、悪食の蝗! 何でも残さず喰うのがおたくの一番の取り柄だろう……!?」
「ほざけよオッサン。こちとら最初からそのつもりだぜ……!」

 次の瞬間に起きたのは、鳥葬より尚酷い処刑だった。
 縫い留められた幻想を、現実の飛蝗が群がって食い尽くす。
 再生するならそれも良しと、傷口から体内に侵入して苗床に変える。
 癒やした端から喰らい、貪り、殖え、結果内側から少女の肉体が醜く膨れ上がっていく。
 
 そうなると、もうこれは美しい女神の似姿などではなく、ただの肉の風船に過ぎなかった。
 原型を留めないまでに内部から破壊されていき、最後の瞬間は実に呆気ない。
 ぱん、と、まさに限界まで空気を詰められた風船が破裂するように、幻想の神は弾け飛んだ。

 それきり。
 外から見える強さだけで構築されたまがい物では、決して本物の"祓葉"に並べない。
 シストセルカ・グレガリアの軍勢によって不滅は破られ、そしてこの瞬間、ロキは玉座から再び戦場へと引きずり出される。


「あーあ、つまんねえの」


 興ざめだ、とばかりに嘆息するロキ。
 指先をシストセルカとエパメイノンダスに向け、暫し趨勢を見守らせていたヨルムンガンドの巨躯を動かす。
 奇術王のステージに休憩時間は存在しない。
 ひとつの演目が終わったなら即座に次が来る。矢継ぎ早の釣瓶撃ちに間断はなく、彼はエンターテインメントの何たるかを誰より心得ていた。

 よって――
 このサーヴァントとまともに戦おうとすることは、実のところとても無駄な行為であると言わざるを得ない。
 ウートガルザ・ロキに対してムキになればなるほど、誰もが彼の手のひらで玩弄される。
 雷神トールがそうだったように。悪童の王たる、もうひとりのロキがそうだったように。
 重要なのは相手をしないこと。そして、もしくは――


725 : What's up, people?!(3) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:38:31 5ASqdrZo0



「上出来じゃ。ようやく夢の陥穽が見えた」



 乗らず、挑まず、ただ機を窺い続けること。
 手品は手品、幻は幻。
 真面目に殴り合う気など持たずに、斜に構えて奇術王の舞台を眺め続けること。

 その男は、最初から今までずっとそれだけに徹していた。
 戦場に示す存在感は最低限。介入はおろか、対話さえも念話に留めてひたすら我が道を往き続ける。
 
 そんな彼だからこそ、ロキが見せた初めての隙を見逃さなかった。
 それを見て取るなり、掌を返して陰陽師は夢を穿つ一手を打ち出しにかかる。

「南斗北斗・讃歎玉女・左青竜・右白虎・前朱雀・後玄武――急々如律令」

 老人の姿は、ニブルヘイムの冷気さえ届かぬ遥か彼方。
 破壊の余波からものうのうと逃れられる遠方の、ビルの屋上にあった。
 そこで彼は古めかしい書物を片手に、文字通り、目を凝らして夢幻の戦場を俯瞰している。

 いわゆる、千里眼と呼ばれる類の異能である。
 彼は本来この手の力と縁がないが、実のところ彼には、それを体得しているかどうかなど些末な問題でしかなかった。
 己が蒐集した知識の中には、数多の秘術呪術が納められている。
 必要な時にそれを引き出して行使すればいいだけのことであって、己はこれを身に着けたぞと誇らしげに胸を張る輩は、彼に言わせれば尻の青い餓鬼にしか見えない。
 老人はこの書物に記された術を使い、現在一時的に千里眼を獲得していた。
 冠位どもと並べるほどでは無けれども。歴戦の勇士や弓兵、英雄……そう呼ばれた者達とならば容易に肩を並べる、その程度の視力はある。


「初陣から悪いの、仲さんよ。ちょいとひと肌"被って"くれや――――『真・刃辛内伝金烏玉兎集』」


 見えた陥穽、舞台の崩しどころ。
 それを逃すことなく、陰陽師・吉備真備はニブルヘイムたる渋谷に神を投下した。

 真備を守護し、今も荒ぶり止まないさる男の荒御魂を。
 不遜にも神の皮を被せ、贋物の守護神として投げ込んだのだ。
 所詮はこれも夢幻。知己に皮を被せただけのまがい物。
 されど。

「そろそろ吠え面のひとつも見せんかい、北欧の悪餓鬼めが」

 夢幻(うそ)を弄することにかけては、真備も多少の心得がある。


726 : What's up, people?!(4) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:39:17 5ASqdrZo0



 ――それは、突然の轟臨だった。

 地を揺らしながら、天から落ちてきた荘厳なる巨躯。
 牛の頭と二本の角を持ち、手には大斧を握った鬼神が、幻想蠢く凍土の渋谷に出現する。
 シストセルカが、エパメイノンダスが、そしてウートガルザ・ロキがその突然の事態を認識した瞬間。
 
「■■■■■■■■■ォォォォ――――!!!!」

 響く、雷鳴の如き嘶き。
 轟くは、敵の一切を天網恢恢疎にして漏らさず消し飛ばす蒼い稲妻だった。
 まさに神威としか呼びようのないであろう雷霆は、明確に死界の主であるロキだけを狙い放たれている。

 これにロキは、舌打ちをしながら片手に呼び寄せた神殺しの槍、ミストルティンで迎撃。
 不測の事態であるにも関わらず、瞬時に顕れたこれを神霊の類と見抜いたらしい。
 相手が神であるのなら、光神バルドルを屠ったヤドリギの武器は最高の相性を発揮する。
 雷を一蹴しつつ、ロキの手を離れて光の線と化し、鬼神の心臓へと迸る神器。
 対処としてはこれで十分。そう踏んだのであろうが、しかし。

「……何?」

 ミストルティンの一撃は、鬼神・牛頭天王の装甲を剥がすこともなくあっさり弾かれた。
 ロキの顔に微かな驚きが滲む。
 その瞬間にはもう、牛頭天王の大斧が奇術師を誅するべく振り下ろされていた。

「あー、なるほど? そういうことか――この俺に嘘で勝負挑んでくるとはな。命知らずというか、なんというか」

 此処で初めて、ロキが回避を行った。
 吉備真備は幻術の正体に気付いている。
 つまり、幻を所詮幻と見限った上で殴れるのだ。
 "運命の人"と巡り合い、かつてないほどに自己の現実に対する干渉力を強化しているロキではあったが――この"偽りの神霊"と無策に殴り合うのは、それを含めても少し具合が悪いと認識した。

「■■■■――――」
 
 牛頭天王の斧が、天高く振り上げられる。
 ニブルヘイムの空を切り裂いて、そこにこれまでの天気を無視した極太の落雷が降った。
 否、これはただの自然現象ではない。偽物なれど牛頭の神が求め、それに応える形で天が寄越した清浄の雷である。

「――――■■■■ッッ!!」

 名付けるならば牛王降臨・天網恢恢。
 地を引き裂きながら、しかし基の都市には何の被害も及ぼさず、ただ悪だけを滅するという気高き稲光が迸る。
 
「いいよ、受けて立とうじゃない」

 ロキの右手に、少し前にも振るった雷神の槌が創造される。
 投影ではなく、創造だ。影絵は影絵でも、端から影のない場所にそれを作り出すのがロキの幻術の恐るべき点。
 しがらみがないからこそ、そこには限界が存在しない。
 トールのミョルニルさえ、一息の内にこの通り。宿る雷のエネルギーもまた、牛頭天王のにまったく劣らない壮絶なるものだ。

 スキーズブラズニルとワルキューレの大空襲。
 ニブルヘイムの番人たるはフェンリル。
 フリズスキャルヴに座る偽りのオーディンが弄した、〈この世界の神〉。
 これらに続く第四の演目、雷神対決が煌々とその幕を開けようとして――


727 : What's up, people?!(4) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:39:57 5ASqdrZo0


 その時。
 渋谷の一帯に、赤い雨が降った。


「よう。不味かったぜ、テメエの親友は」


 頭蓋を一撃で粉砕されたヨルムンガンドの血肉や脳漿が降り頻る中で。
 ウートガルザ・ロキは、からからと笑う虫螻の王の声を聞いた。

 シストセルカ・グレガリアはロキの世界の欺瞞に気付いていない。
 だが、彼にはそもそも、そうした事情はあまり関係がないのだ。
 一匹一匹は惰弱な虫だから、攻撃の強弱が持つ意味は薄く。
 そして彼が、彼らが突き立てる牙には、強度という概念が意味を成さない。

 何故なら彼らは神代渡り。
 一枚の葉と一体の神を同じルールの下に食い尽くす、暴食の死。飢餓の担い手なのだから。

「不味い飯だったが、代金は支払ってやるよ。たぁんと受け取れや、なぁ――!!」

 殺到した飛蝗の軍勢が、ロキにミョルニルを振り下ろさせない。
 これにより、雷神同士の対決は成立さえすることなく。
 槌を振るえなかった奇術師の身体は、蒼白の閃光と黒い砂嵐にたちまち呑み込まれていった。



◇◇


728 : What's up, people?!(4) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:40:41 5ASqdrZo0



 ――高乃河二は、魔術師であり、武道家である。

 高乃家の血と魔術は大陸にそのルーツを持つ。
 両腕を霊木製の生体義肢に換装し、平時から常に術師を修行状態に置くことができる。
 そんな高乃の魔術師にとって、陰陽思想と縁深い中国武術の習得は修行の効率化と、いつか来るかもしれない有事に備えての自己強化を一挙に兼ねる、非常に効率のいいライフスタイルとして活用されていた。
 
 あくまでも、本懐とすべきは魔術師としての大成。
 極致に至り、悲願を成し遂げることをこそ目指すべきなのは言うまでもない。
 だが河二は、そちら側の才能はあまりなかった。
 せいぜいが二流程度で、家を背負って秘技を繋ぐ役を担うには資質不足が著しい。
 
 けれど――彼には、武術の才能はあったのだ。
 むしろそれは、跡継ぎに選ばれた兄をも上回っていた。
 父が死んだ後も、復讐の道を志してからも、一日として鍛錬を怠った日はない。

 彼は自分の才能で、自分の意思で、修羅道を選んだ。
 だから一切、何事においても妥協はせず自分を苛め抜いてきた。
 より強く、鋭く。奇しくもそれは、魔術師が人の幸せを切り捨てながらひとつの目的に向けて、自己を先鋭化させていくように。
 善因善果、悪因悪果。要するに、正しいことも悪いことも、何かを成したなら見合うだけの報いがあるべきだと願って。

 極め育ててきた父譲りの武術が、今、悪因に悪果をもたらすべく疾風(はやて)と化して閃いた。


(ま、ずッ――――)


 踏み込みは速く、鋭く。
 更にひとりだけサーヴァントを連れていない河二は此処まで、ほぼほぼ一切目の前の状況に関与する手立てがなかった。
 彼自身の技と、殺し続けた存在感が、衆人環視の中で完璧な奇襲を成立させる。

 普段のイリスならば、この状況からでも防ぐ手段は如何様にでも用意できたろう。
 しかし今、彼女は魔力の消耗を背負っている。
 シストセルカに冷気への耐性を与えるための命令は、令呪の後押し込みでも殺人的な魔力消費を彼女にもたらしていた。
 だからこそ、今だけは防ぐ手段がない。
 いや、あるにはある。だが、間に合わない。

 結果、いざ放たれた復讐者の鉄拳は。
 驕りと不測、二種類の理由によって戦闘力を削ぎ落とされた魔女の腹腔に吸い込まれ――

「が、はッ――――?!」

 その口から、血反吐の花を咲かせた。
 一撃。イリスの背をベンチの背凭れにまで吹き飛ばし、強打させ、がくりと脱力させる。
 咄嗟の肉体強化で内臓の破損までは避けたものの、武道家が"覚悟"を決めて放った不意討ちの鉄拳だ。
 威力は絶大。それは、喘鳴のような呼吸音を漏らしながら肩を上下させ、咳き込むイリスの姿を見れば明らかだった。


729 : What's up, people?!(4) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:41:21 5ASqdrZo0

「……いーちゃんっ!」

 仁杜の悲鳴が響く。
 瞬間、河二も叫んだ。
 ただし、追撃を試みるべくあげる裂帛の雄叫びではない。

「今だ、琴峯さん――!」
「――分かってる! 令呪を持って命ずる、アサシン!!」

 すべての条件は整った。
 であれば後は、事前に打ち合わせていた通りに動く。
 深追いはしない。今此処で欲をかけば、たちまちそれは全滅に繋がると分かっているから。
 河二の行動は鉄拳の炸裂も含めてデコイなのだ。
 重要なのは琴峯ナシロの響かせる命令。それを問題なく遂行できる空隙を作り出すことにこそある。


「"おまえの出せる全力で、私と高乃をこの場から離脱させろ"!!」


 令呪が一画、ナシロの手から消える。
 刹那、空を舞うヤドリバエが急転回して、彼女の身体を抱え去る。
 撤退を察知したトバルカインの一撃がわずかに掠めたが、令呪による命令だったことが幸いしたと言えよう。もしそうでなかったらこの一瞬で、ヤドリバエの身体は両断されてすべてが御破算に終わっていたに違いない。

 河二に同じことをしたのは、あえて戦闘に参加させず、離れた位置に待機させていた眷属の一体だった。
 せっかく増やした眷属達を贅沢に足止めと肉壁に用いることで、こちらもなんとか、河二を抱え離脱することに成功する。
 すべてが紙一重。ひとつでも何か歯車がかけ違えていたら、間違いなく全員が命を落としていたと断言できる鉄火場。
 されど、少女と少年は賭けに勝った。得るものこそなかったものの、失うことだけは避けながら。

 苦い痛みとほんのわずかな成長を戦利品に――魔女のお茶会から逃げ遂せてみせたのであった。



◇◇


730 : What's up, people?!(4) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:42:18 5ASqdrZo0



「――おー、痛ってぇな」

 光と嵐が、内側から衝撃によってこじ開けられる。
 万死に匹敵して余りある死の牢獄をまるでカプセルのように開けながら現れたのは、ウートガルザ・ロキ。
 渋谷を瞬きの内に地獄へ変えた奇術師は、これだけの死を用立てても尚殺されなかった。
 が、今までの彼とは目に見えて違う箇所がひとつある。

「イイ姿になったじゃねえの。戦場なんだしよ、そっちの方が泥臭くて格好イイかもだぜ? 王子様よ」
「キャラじゃねえよ。あーあ、俺はいつも飄々とカッコよく勝って帰ってくるのが魅力のプリンスだったのになぁ……」

 右半身が、黒く焼け焦げ、その上で大きく抉れていた。
 断裂こそしていないものの、ひと目で分かる重傷だ。
 シストセルカの大群が食い千切り、こじ開け、そこを真備の牛頭天王の雷撃が焼き尽くした形。
 原初のルーンにも精通するロキには表層の傷を癒やすなど朝飯前であるが、偽りなれど神霊の一撃を受けたことと、傷口から染み込んだサバクトビバッタの猛毒によるダメージはすぐには拭い去れない。
 まごうことなき、手傷である。無敵のウートガルザ・ロキをして、まんまと鼻を明かされた結果なのは明らかだった。

「……で、どうするよイケメンホストくん。まだやるか?」
「そうだね、殴られたら相手が死ぬまで殴り返すってのが俺のモットーなんだが」

 地形を塗り替えるほどの規模で戦いを繰り広げた後とは思えない、どこか軽いやり取り。
 虫螻の王と奇術師の王の会話を、エパメイノンダスは言葉を挟むことなく、一挙一動すら見逃さぬとばかりに注視していた。
 そしてその理由は明白。

(冗談じゃねえ。この先は、いよいよ俺も帰れなくなっちまう)

 恐らくロキには、まだ余力がある。手札の残りも然りだ。
 シストセルカもそれは同じであろう。だとするとこの先があるとすれば、今までのが軽く思えるような地獄絵図が顕現する可能性が高い。
 そうなれば、エパメイノンダスも撤退を考えねばならなくなる。
 最悪河二に念話で令呪の行使を求めてでも、この怪物どもに背を向けて逃げ出す羽目になるだろう。
 
 陰陽師が遣わした牛頭天王も、エパメイノンダスの肌を痺れさすほどの殺気を放ちながらも、今は静観を保っていた。
 彼もまた、主たる陰陽師の意向に従って趨勢を見守っているのだろうとエパメイノンダスは察する。
 続行か、否か。運命のサイコロが出した目は、果たして――

「どうやら"あっち"が一段落ついたみたいだ。残念だったね、虫螻の王様。勝負は君の負けのようだ」
「……らしいな。チッ、テメエいくら何でもズルすぎんだろ。もっと真面目に殺し合えってんだ、スカし野郎が」

 ――幸いにも、二体の怪物は共に、此処で戦いを打ち止めにすることで合意したらしい。
 会話の意味を理解し、エパメイノンダスは静かに拳を握り込む。

(……コージもナシロの嬢ちゃんも、上手くやったみてえだな。勝ちではないが負けじゃねえ。まったく、大したガキどもだぜ)

 代々木公園なる場所で、河二達が白黒の魔女……楪依里朱らと遭遇したことは既に聞き及んでいる。
 指示や助言をする余力はさしもの彼にもなかったが、上手く行ってくれた事実に安堵を禁じ得ない。
 体を張って死ぬ気で奮戦した甲斐があったというものだ。
 これだけの激戦に身を投じて生還した経験は、生前を含めても流石にない。許されるなら座り込んで、酒の一杯でも呑み干したい気分だった。

 そんなエパメイノンダスを、ロキが一瞥する。
 その後周囲を見回すが、牛頭天王を遣わした陰陽師の姿はやはりないことを悟ると、つまらなそうに息を吐いて。

「じゃあ、そういうわけだから。
 今回はこんなところで帰るよ。君らもお疲れ様、なかなか骨のある奴らで楽しめたよ」
「……よく言うぜ。そんな殊勝なこと、本当は一寸も思ってねえんだろう?」
「はは、まあ流石にバレるか。じゃあ最後くらい、少しだけ奇術師の本音ってヤツを聞かせてあげよう」

 ――にこり、と、爽やかに笑った。


「お前、顔覚えたからな」


 その言葉を最後に、ロキの姿が薄れ、消え。
 それと時を同じくして、戦場一帯を支配していた寒気が急激に元の気温へと戻り始める。
 だがエパメイノンダスは、まだ寒さを感じ続けていた。


731 : What's up, people?!(4) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:43:22 5ASqdrZo0

「あ、俺も一応覚えとくわ。オッサンずいぶん食いでがありそうだからな。また会った時はよ、アンタのことも味見させてくれよ」

 約束だぜ、と言い残し、シストセルカ・グレガリアも無数の蝗の群れに変わって姿を消す。
 渋谷を地獄に変えた二騎が完全に退いてようやく、エパメイノンダスは地に腰を下ろすことができた。

「……ゾッとしねえや。お前らとは二度と会いたくねえよ、できることならな」

 人の世界、人の領分で、あらゆる戦を経験した。
 残虐極まりない光景が演じられることもあった。
 それでもエパメイノンダスはテーバイの将軍として勇猛に戦い、栄光を積み上げ続けてきた。
 
 だがその己ですら、この奇怪な都市の中では演者のひとりに過ぎないのだと理解する。
 あんな怪物達が平然と彷徨き、挙句、〈白い少女〉という更に上の荒唐無稽まで待っている事実。
 心は折れないが、改めてどうやら自分はとんでもない戦に巻き込まれたらしいと感じ入ってしまうのは避けられなかった。
 弱音めいた台詞を河二達に聞かせず済んだことが今はただ嬉しい。
 もっとも――街がこの惨状な以上、声高らかに土産話をするわけにはいかないだろうが。

「で。結局アンタは何だったんだ? 東洋の陰陽師(キャスター)よ」
『ただの通りすがりじゃ、覚えんでいいぞ。
 ちと面白そうな騒ぎが起きとるようだったんでの、情報収集も兼ねて首突っ込んでみただけの話よ』
「そうかい。だが、アンタのおかげで助かったぜ。良かったらまた力貸してくれよ、何かの折には」
『図々しい男じゃなぁ、金も払わずに次回の予約とは。
 しかし、そうさな。また会うことがあるかは知らんが、確かにお前さんはあの莫迦どもよりはまともに見えるのう』

 陰陽師・吉備真備に伝えた感謝は本心だ。
 エパメイノンダスはロキとは違い、戦略以外の場でならちゃんと本音を伝える。
 もしも真備の助力がなかったなら、此処まで深く戦い切ることはまず無理だった筈だ。
 目的が情報収集だろうが物見遊山だろうが、恩を受けたことには違いない。
 そんなエパメイノンダスに、老人は何やら考えるような素振りを見せた後、一言。

『〈この世界の神〉は今見たな? 奴が従えるサーヴァントは、大方、オルフィレウスっちゅう詐欺師じゃ』
「……、オルフィレウス……?
 いや待て、なんでアンタはそんなことを――」
『儂らは聖杯を狙っとるが、だからこそこの奇怪な都を遊び場みてえに見下ろしてる奴らは邪魔なのよ。
 阿呆の祓葉も厄介なのは同じじゃが、儂はアレを造り上げた獣の方をこそ、面倒臭えと思っとってな』

 エパメイノンダスの質問への答えは返さず。
 喋りたいことだけを、まるでボケの始まった老人のように呵呵と笑いながら並べ立てる。
 しかし妄言と聞き流してはいけない気がした。
 この老人の語る言葉には、きっと文面上では計り知れないほどの意味がある。

『気ィ付けよ、希臘の英雄。この都の〈主役〉気取りどもは、お前らが思っとる以上に拗れてるぞ』

 そんな言葉を最後に、もう二度と、老人の声は聞こえなかった。
 掌に貼り付けていた式神――真備との通話を繋げていたそれが、ただの紙切れに変わって力なく地面に落ちる。
 見れば牛頭天王の姿も既にない。エパメイノンダスひとりだけが、祭りのあとの渋谷に取り残された形となっていた。

「……頭が痛えぜ」

 らしくもなく、ため息をついて。
 エパメイノンダスはひとり、黒く染まり始めた空を見上げるのだった。



◇◇


732 : What's up, people?!(4) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:44:07 5ASqdrZo0



「――ふう。
 悪かったの、仲さん。お前を抜く時はせめてもの義理で、華々しく勝ち切れる場を狙おうと思っとったんじゃが」

 自身の隣へ戻ってきた、偽りの牛頭天王の骨子。
 阿倍仲麻呂の気配を、吉備真備はそう労う。
 返事はなかったが、不服を示されている感覚はあった。
 何分怨霊なので気難しく、臍を曲げられるとなかなか面倒臭い男なのだ。
 それでいて妙に義理堅い部分もある。今で言うと、ツンデレ、って言葉が正しいのかのう……と風に当たりながら独りごちる真備に、此処までずっと黙っていた、そうせざるを得なかった青年が言葉を投げた。

「……なんです、アレ。なんで貴方は、あの惨状を見て平気な顔していられるんですか……?」

 吉備真備の召喚者(マスター)。
 香篤井希彦は、語気を荒げる余裕もなく、戦慄していた。

 理由はひとつ。
 ひとつの街を舞台に行われていた、神話もかくやの大合戦を見たからである。

「あんなもの、もはや……!」

 聖杯戦争ですらないだろう、と。
 真備の術により一時的に彼と同様の千里眼能力を付与され、戦いの一部始終を見届けた希彦は吐く。
 幻術の類だというロジックを聞いた上でも、何ひとつ納得の行く点はない。
 
 世界そのものを騙し、テクスチャを書き換えて現実へ物理的に干渉する幻術?
 何だそれは、聞いたこともない。そんな力、たとえ英霊だって持っていいものじゃない筈だ。
 再現だろうが何だろうがグングニルやミョルニルが飛び交い、スキーズブラズニルが空爆を仕掛けるなんて絵空事が罷り通るものか。
 全知全能にも等しい奇術師の御業。これと真っ向から殴り合えるサーヴァントが存在する事実も、希彦を動揺させるには十分すぎたが。

 何より、あのキャスターは――希彦の心を射止めた少女、神寂祓葉の偶像さえも造り出してみせた。
 希彦は、祓葉の戦う姿を知らない。彼女がどれだけ無法な存在なのかも、知らぬまま〈恋慕〉の狂気を抱えている。
 赤ちゃんはコウノトリが運んでくると信じている子どものようなものだ。
 その彼にとっては形だけ再現しただけの劣化コピー品の祓葉でさえ、十分すぎるほどに心を震撼させる衝撃であった。


733 : What's up, people?!(4) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:45:00 5ASqdrZo0

「おう希彦。お前さん、なぁに眠てえこと抜かしとるんじゃ」

 訴える希彦に、しかし真備は呆れたような顔で言った。
 何を寝ぼけているのかと。
 それは本来、プライドの高い希彦を噴飯させる筈の態度だったが……

「お前が自分で考え、自分で選んだ道じゃろうが。
 それなのにピーピー泣き言漏らすもんじゃないわ、みっともない」
「ッ……」
「あの状況でケツ捲くるんじゃなくむしろ奮い立つのが狂人ってもんの在り方よ。
 ……まあ、儂から言わせればろくでもないことこの上ない在り方だがの。それに」

 有無を言わさぬ痛辣な指摘が、希彦に生半な反論を許さない。
 普段ならいざ知らず、常識も認識もすべて吹き飛ばすような神域の戦場を目撃したショックの冷めやらぬ今ではそれも不可能だった。
 立ち尽くす希彦に、真備は更に続ける。

「お前も分かっとるじゃろ。この聖杯戦争は、そもそもはじまりからして取り返しが付かないほどに歪んどる。
 生まれつきの奇形なんじゃから、そりゃ時が経つにつれて無茶苦茶になっていくのは普遍の道理さな。
 こればかりはお前さんも儂も、だぁれも悪くない。餓鬼どもの遊びに巻き込まれちまった不運を呪うしかないわ」

 その言葉は、陰陽道の始祖と呼んでも差し支えない偉人が告げる、預言にも等しかった。
 世界はこの先も、聖杯戦争が続く限り混沌だけを描いていく。
 誰にも止められない。それどころか、都市はより壊れ果てる。
 〈熾天の冠〉が降りるまで。誰かの願いが、叶うまで。

「――それでも、お前は生きるんじゃろう?」
「あ……当たり前、です……!
 僕はそのために、この懐中時計を手にした。そして彼女に、神寂さんに想いを伝えたんだッ」
「ならせめて前向けい。ンで自分で考えぇよ。
 世界がどれだけ狂っていようと、結局最後はそれを歩く人間次第だからの。
 逆に言えば、自分が今どこにいるかも分からん阿呆に掴めるもんなぞ何もないわ。
 上陸のアテもなく荒れ狂う海に漕ぎ出すのは端から聞けば美談じゃが、実際はただの向こう見ずじゃ」

 希彦が思い出していたのは、炎の狂人の嘲笑だった。
 赤坂亜切。彼は、心底自分を滑稽なものだと見下していた。
 どこに行っても、何をしても天才と、美男子と賞賛された希彦にとって初めて味わった屈辱。
 単なるやっかみと切り捨てた筈のあの顔が、何故か今になってまた瞼の裏に蘇ってきたのは何故なのか。

 ――君は、彼女とどのくらいの付き合いなのかな?

 あの言葉は、本当に額面通りの意味だったのだろうか。
 祓葉という少女と出会い、命を奪われて燃え尽きた〈はじまりの残骸〉。
 彼があの質問を通じて推し測ろうとしていたのは、ただの付き合いの長さ?

 それとも……。


734 : What's up, people?!(4) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:45:49 5ASqdrZo0

「……行きましょう、キャスター。今の醜態は忘れてください」

 希彦は、小さく咳払いをして、それで思考を切り替えた。
 足を止めてはいられない。心底癪だったが、今の真備の説教はいつになく身に響いた。

「赤坂亜切との協定に従って、〈脱出王〉を始めとした他の残骸どもを探します」
「はいよ。なんじゃい、妙にしおらしい顔しよって。夜は雨かの? できれば普通の、風流な雨であってほしいもんだがなあ」
「それと」

 神寂祓葉について、香篤井希彦が知っていることはごく限定的だ。
 虫螻の王と自身のサーヴァント、その両方から理解の浅さを酷評されたウートガルザ・ロキよりも更に下。
 あるいは、だからこそ気持ちよく酔っていられたというのもあるのだろうが……その点、まがい物なれど驚天動地の大立ち回りを演じながら破壊の限りを尽くす想い人の姿は希彦の熱を冷まさせてくれた。
 何せ、祓葉の強さに関しては虫も陰陽師も、一切否定していなかったのだ。
 それはつまり、あの人は嘘でも何でもなく、ああいう規模での戦いを行える怪物であるということで。
 そんな驚きは希彦に、ひとつの気付きを与えた。

「約束の時間が来る前に、もう一度、祓葉さんと会います」

 ――僕は、あの人のことを何も知らない。
 ――知りたい。それが何を招くにせよ、知らなければいけないと今は強くそう思う。

「……ま、多少はマシな答えと認めてやるか」

 真備はニヤリと笑って、希彦の頭をぼふぼふと撫でる。
 「子供扱いしないでください! 僕二十七ですよ!!」と憤慨する希彦をよそに、老陰陽師は考えていた。

 吉備真備は、そこまで善人でもお人好しでもない。
 もしやろうと思えば、マスターなしで現界を継続させることも不可能ではない。
 希彦が狂気の方に傾いてしまった時点で切ることも、真備にとっては冗談でも何でもなく択のひとつだったのだ。
 なのに彼は、それをしなかった。その理由が、これである。

 香篤井希彦は実にからかい甲斐のある男だ。
 しかし彼は道化ではあっても、愚かではない。
 形がどうあれ常に前を向き、へこたれず、進み続けられる男。
 彼がそんな青年だからこそ、吉備真備はこうしてその迷走に寄り添い、助けてやっている。
 要するに――気に入っているのだ。その証拠にまたひとつ、こうして面白い方針転換を見せてくれた。

 神に魅入られ、〈恋慕〉を抱き、恐怖に震えて、また歩き出す。
 実に退屈のしない男である。真備は一貫性というものをそれほど重視しない。大事なのはどこへ向かうか、進むか戻るか。
 獣の香りに包まれ、誰も彼もが歪んでいくこの都市において、彼らは明確にただ前だけを向いていた。



◇◇


735 : What's up, people?!(4) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:48:40 5ASqdrZo0



 悪魔と少年少女が去った代々木公園の中で、魔女は最悪の気分のまま腹の鈍痛に汗を流していた。
 仁杜達を殺し、英霊の気配に寄せられてきた者がいればそれも殺す。
 その腹積もりでいた数十分前の自分の楽観的な思考にさえ腹が立つ。
 更に言うなら、相変わらずこっちの都合というものを考えずに暴れてくれたシストセルカにもひどく苛ついている。

 が、嘆いても当たっても現状は変わらない。
 三人のマスターと、二体のサーヴァント。
 そして、魔力が枯渇し、肉体にも大きなダメージを受けた手負いの自分。
 それが、魔女の開いたお茶会の顛末であった。

「……だいじょうぶ、いーちゃん……?」
「……うっさい……。あんたに心配されるようなことじゃ、ないから……」

 おろおろとしている仁杜を手で制しながら、睨み付けるのは彼女の"保護者"二名だ。
 高天小都音。伊原薊美。彼女達のサーヴァント、セイバーとライダー。
 不用意な行動を取れば殺すと、彼らの目線がイリスにそう告げていた。
 暫しの沈黙。それを破ったのは、小都音であった。 

「――いいかな、イリスさん」
「……、……」
「さっきも言ったけど、私達に交戦の意思はない。
 別に直接的に組まなくたっていい。不可侵条約とか、都合いい時だけの共闘とか、そういうのでも十分。
 私達にしてみたらあなたの〈蝗害〉と揉めなくてよくなるだけで嬉しいし、……"あの子"に備える戦力にもなる。何も仲良しこよしでやろうってわけじゃないんだよ」

 仁杜は論外として、薊美もイリスとはまず間違いなく相性が悪い。
 茨の王子がどれほど取り繕ったとして、その言葉は激情を買うばかりだろう。相手は癇癪持ちなのだ。
 そこで、穏当な交渉をするべく前に出たのがこの小都音。
 自分達が魔女へ求める条件(ハードル)の低さを示し、その上で享受させて貰うメリットについても余さず明かす。

「それに。この状況で私達と戦うのは、如何に〈蝗害の魔女〉さんでもちょっと美味しくないんじゃないかな」

 もっとも、甘言だけで釣れてくれる相手とも思えない。
 最後に付け加えた言葉は、最低限のオブラートに包んだ脅しだった。
 
 そっちの状態は把握している。
 条件を呑めば、悪いようにはしない。貴女の方針を縛ることもない。
 だが、〈蝗害〉がこっちに牙を剥く可能性が残るのであれば、それなりの対応は取らせてもらう。
 小都音は優秀な社会人だった。なので多少なり、物事の進め方というものを心得ている。
 イリスの射殺すような眼光と、努めて平静を装った小都音の視線が交差する。
 あくまで平静ぶっているだけで、内心は冷や汗ダラダラだ。
 これでも拗れるようなら本当にどうしようか……と、気を抜くと焦りが態度に出そうで怖い。


736 : What's up, people?!(4) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:49:39 5ASqdrZo0

「…………つくづく、ムカつく奴らね」

 イリスは、忌まわしそうに呟く。
 なのに彼女が激昂せず、シストセルカを令呪で呼ぶ気配も見せないのは、小都音の言葉が図星だからだ。

 ――色間魔術の応用で、失った魔力の回復は常人より遥かに速い速度で行うことができる。
 土地そのものに色を浸潤させ、自分を逆の色彩に設定することで、土地の魔力を吸い上げてしまえばいい。
 ただしそれでも、すぐに完全回復とはいかない。魔力が枯渇していようがシストセルカ・グレガリアは最強の暴力装置として君臨するだろうが、そこで不測の事態が起こらないとは限らない。

 何より……仁杜の陣営には、あのキャスターがいる。
 シストセルカ・グレガリアを一時圧倒し、まんまとイリスの想定を破綻させてくれた奇術師。
 アレが此処に飛んできてもう一戦となると、流石にそれは本当にお手上げだ。
 なのでイリスは、此処で事を荒立てるわけにはもういかなかった。
 どうする。考えを巡らす魔女の袖が、そこでくいくい、と引かれる。

「あの……いーちゃん……」

 眉をはの字にして、困ったように見上げてくる女(二十四歳・無職)。
 見ているだけでなんだかムカムカしてくる人畜無害を装った人畜大有害生物が、小首を傾げながら言った。

「……、だめ?」
「……………………はぁ〜〜〜〜…………」

 肺の酸素を全部吐き出したみたいな、深い溜め息が出た。
 もういい加減にしてくれ、という気分が止まらない。
 何だか考えるのも馬鹿らしくなって、まだ倦怠感の残る身体を背凭れに委ねる。
 そしてひらひらと、諦めたように手を振った。

「……直接組むことはしない。
 邪魔をすれば殺す。そして祓葉を殺す役目も、あんた達には渡さない」

 同行者など、もう二度と御免である。
 いつかの思い出を否応なく脳裏に過ぎらせながら、イリスは続ける。
 続けたくもなかった言葉だが、背に腹は代えられない。
 今だけだ。そう自分に言い聞かせて、魔女は折れた。

「それでもいいなら、あんた達の要求を呑んであげる」
「よ……よかったぁ〜〜〜!! えへへ、うへへへへ! いーちゃん大好きぃぃ……!!」
「うるさい暑いひっつくな! 腹に響くのよ今すぐ離れろボケ女!!」

 魔女のお茶会、これにて閉会。
 半泣きで戯れる仁杜と、それを鬱陶しげに足蹴にするイリス。
 本当に疲れたという様子でぐったり息を吐く小都音。
 そんな三者三様のリアクションをよそに、伊原薊美だけがひとり、思うところありげな眼差しで魔女を見つめていた。



◇◇


737 : What's up, people?!(4) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:50:22 5ASqdrZo0



 同盟とは行かないが、協定は成立した。
 魔女・楪依里朱は当面、〈蝗害〉を仁杜一行へ向けない。
 対価としてイリスも、彼女達の戦力へ場合によって行動を求める権利を得た。
 シストセルカ・グレガリアとウートガルザ・ロキという最大戦力同士が完全に並び立つ結果こそ叶わなかったが、〈蝗害〉を気にせず聖杯戦争ができるというだけでお釣りが来る。
 尚、同盟は結ばないとは言っても、魔力と体力の回復が完了するまではイリスは仁杜達のもとへ留まることになった。
 長くても数時間だろうが、この間だけは、仁杜と愉快な仲間達は聖杯戦争上における最大の武力を持つ軍団になったわけである。

 ――状況は悪くない。伊原薊美は、冷静に自分の現状を分析していた。
 その上で、彼女はカスターへとある指示を飛ばす。

「ライダー。念のため、逃げた彼女達を追跡して貰ってもいいですか?
 深追いはしなくていいけど、多分まだそう遠くには行ってないと思うので」
「了解した、令嬢(マスター)。なかなかに気骨のある連中だったしな、うむ。追討しておくに越したことはないだろう」

 皆さんもいいですよね、と他三人に同意を求める。
 無論、異論は返ってこなかった。
 それを確認してから、薊美は今度は念話を使って、カスターに命令を追加する。

『決裂が明らかだったら殺していいです。ただ、できれば少し話を聞いてきてください』
『ふむ? 何だね、獅子身中の虫でもやる気かな?』
『そういうわけじゃないですけど、情報はなるべく多く集めておきたいから。
 もし今後高天さん達に見切りを付ける時があったら、その方が柔軟に動けるでしょ』
『はははは、怖いお人だ! だが合理的だな、了解した! 可能な限り善処しよう、黄色人種の子どもら相手に噛み砕いて物事を伝えるのは少々難儀するかもしれないが……』
『そこは大丈夫。難儀するのはきっとあっちの方だから』

 これでいい。
 薊美も、今すぐこの陣営に見切りを付ける気はない。
 が、何が起こるかわからないのが聖杯戦争だ。
 そのことは余裕綽々で会談に臨んだ白黒の魔女が、こうしてまんまとやり込められてしまった事の経緯からも窺える。
 慎重に、かつ時には大胆に。利用できるものは、何であれ貪欲に利用する。
 それが伊原薊美という"王子"の、人生の歩き方だった。

 カスターは動かした。
 得た情報を仁杜達に共有するかはその時また決めればいい。
 後は――。薊美はおもむろに、足をイリスの方へと向けた。


738 : What's up, people?!(4) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:51:13 5ASqdrZo0


「……何? 人でなしのソルジャー・ブルーのマスターさん」
「ちょっとお話いいですか、いーちゃんさん」
「その呼び方やめろ」
「いいじゃないですか。可愛くていいと思いますよ、いーちゃんさん」

 この少女には、こちらも一度煮え湯を飲まされているのだ。
 少しの嫌がらせくらいはさせて貰おうと思いつつ、話しかける。
 ちら、と見れば、仁杜は小都音とお話中らしい。
 良かった、これならきっと邪魔は入らない。
 話そうとしている内容が内容だから、できればあのきゃんきゃんやかましい生き物(年上)に突撃されるのは避けたかった。

「……で、何の用なのよ。クソニートならともかく、あんたと話す理由は特に思い浮かばないんだけど?」
「あなたの"お友達"について聞きたいんです」

 お友達――その単語を発した瞬間、目の前の手負いの魔女の殺気が氷点下に落ちたのを感じる。
 舞台上での、お芝居としての殺意なら何度となく浴びてきた。
 薊美の輝かしい足取りに嫉妬した雑魚どもが、そういう眼で自分を見てきたことも数え切れないほどある。
 けれど、これは本物の殺意だ。冗談でも見窄らしい自己に対する慰めでもない、目の前の命を奪おうとする時の感情。
 
 それを受けても怯まない辺り、やはり薊美も十分すぎるほど非凡だった。
 涼しい顔で魔女の殺気を受け流し、怯みも臆しもせず言葉を重ねる。

「神寂祓葉さん。知ってますよね、この世界の〈太陽〉」

 薊美だって、進んで狂人の逆鱗など撫でたくはない。
 だが、それが必要なことであるならば、茨の王子は迷わない。
 そも――この話題で臆病風に吹かれるなど、薊美にとっては死にも値する屈辱である。

「ねえ、いーちゃんさん」

 問わねばならない。
 "彼女"をよく知るこの魔女に。
 そうでなければ、自分は停滞したまま腐るだけだ。
 茨は枯れ、地面に落ちる。あの、踏み潰された林檎のように。

 
『――備えなさい、茨の君。
 美しく咲き続けたいのなら、あなたは"太陽"に勝たなきゃいけない』



 ふざけるな。



「聞かせてください。神寂祓葉って、いったい"何"なんですか?」



◇◇


739 : What's up, people?!(4) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:52:08 5ASqdrZo0



「よかったねぇ、わたし一時はどうなることかと思っちゃったよ」
「誰のせいだと思ってんのよ馬鹿」
「へにゃっ」

 頭に手刀を落とされて涙目になる腐れ縁の親友。
 彼女の姿を見つめながら、高天小都音は何度目とも分からないため息を吐き出した。

 そもそも、それはこちらの台詞だ。
 本当に、どうなることかと思った。
 このニートは恐らく、自分がどれだけいろいろ考えていたかも知らずにこうして呑気に成功を噛み締めているのだろう。
 冗談ではない。冗談でも何でもなく、一生分気を張った自信がある。
 イリスのこともそうだが、途中で乱入してきた琴峯と呼ばれていた少女達のこともそうだ。
 彼女達への対処には特に気を遣った。ともすれば、イリスに対するそれ以上に。

(ごめんね、セイバー。毎回無茶なことお願いしちゃって)
(マジでな。まさか、"なるべく殺さないで済ませてほしい"なんて頼まれるとは思わなかったぜ。
 まあ最後は何をしてくるか分かんなかったからな。サーヴァントだけでも殺しとくつもりだったが)

 ――そう。小都音はトバルカインに対し、ナシロ達の殺害を極力避けるよう頼んでいた。

(仕方ないでしょ。私の目的はあくまでも、にーとちゃんと一緒にこの世界から帰ること。
 もし方法さえ見つかったら、その時は勝つことじゃなくて逃げること、脱出を主目的に動く可能性もぜんぜんある。
 だったらああいう、いかにもないい子たちは敵に回したくないって考えたの。もしかしたら、私達の助けになるかもしれないし)

 小都音は仁杜とは違って大局を見ているし、薊美ともまた違う視点で現状を認識している。
 今回の聖杯戦争の仕組み上、普通は不可能である複数の参加者による同時生還。
 それを成し遂げられる手段が見つかる可能性は、夢と断じて捨ててしまうには惜しい程度にはあると小都音は踏んでいた。
 これだけイレギュラーづくめの儀式なのだ。どこかで、そういう方面の綻びが出てくることだってあり得ないと断言すべきではないだろう。
 
 ナシロ達は、見ていて罪悪感を覚えるくらいには善玉に見えた。
 だから、小都音はトバルカインに積極的な殺害を命じず、牽制と軽い掃討に留めたのである。
 もしそうでなければ、トバルカインが本気だったなら、高乃河二の予想通り、誰ひとりただでは済まなかった。
 結果的に誰の命も失われることなく状況が終結したのは、小都音の戦略によるところもあったのだ。

(……お前は、甘いんだか冷たいんだか分かんねえナ)
(どうなんだろうね。にーとちゃんやイリスさんみたいに、モブが死んでもノーダメって感じの割り切りはまだできないつもりだけど)
(まあ、いいんじゃねえの。あのアホニートのブレーキ役は大事だろ。お前までイカれたらいよいよどうしようもねえ)

 付き合わされる私は堪ったもんじゃねえけどナ……?
 と睨み付けてくる彼女を、小都音は苦笑してどうどうと宥めるしかなかった。
 と、まあこのように。小都音は小都音で、月並みなりにいろいろ考えていたのだが。

「ねえことちゃん、わたし疲れたー。一回おうち帰らない?」
「帰ってどうすんの。……まあ、どこか場所を変えて休むのには賛成だけど」
「ロキくん戻ってきたら、何か建物とか作れないか聞いてみよっか。
 どうせならお城みたいなすっごいのがいいよね、へへ……。
 超高速の回線通ってて、エナドリもストゼロも飲み放題。ぼふんぼふんのベッドの上で朝まで寝たいなぁ……」
「却下。これ以上目立ったら絶対ろくなことになりません」
「あう」

 陣営のお姫さまはこの通りである。
 まったく、あのロキは何だってこれをあんなにも気に入っているのだろうと思う。
 思ったところで、自分がその答えを知っていることに気付いて苦笑した。

 要するに彼もまた、見たのだろう。
 感じたのだろう。自分がいつかの星空の下で感じたものと、同じ情動を。

「……ほんと、にーとちゃんといると退屈しないわ」
「えっ。へへ、そうかなぁ……」
「褒めてないからね。これは皮肉のたぐいです」
「ひどいっ!?」

 どこへ向かうとしても。
 何を目指すとしても。
 最終的には、自分達ふたりで。
 この腐れ縁を守るためなら、何にだって手を染めよう。
 ロキのような悪魔も、イリスのような魔女も、乗りこなしてみせる。
 自分のやっていることを凡人の背伸びと自覚しながら、それでも高天小都音は、天枷仁杜に寄り添う星だった。



◇◇


740 : What's up, people?!(4) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:53:09 5ASqdrZo0



 逃げ切った。
 いや、まだ油断はできないが――とりあえず、当座の危機は脱したと言っていいはずだ。
 共にその確信を抱きながら、琴峯ナシロと高乃河二は、ようやく肺の空気を吐き出すことができた。

「……悪かったな、高乃。私のせいでずいぶん綱渡りをさせた」
「いや、いい。君に付いて行くことを選んだのは僕の方だ。自分の決断を他人に転嫁するのは不誠実というものだ」

 あの時、代々木公園で戦端の口火を切ったのは他でもないナシロだ。
 イリスと仁杜に業を煮やし、感情的になってヤドリバエを動かした。
 形だけを見れば、そう。けれど実際は、彼女の暴走というだけではない。
 というのも。魔女の茶会が開かれているあの公園に向かうに当たり、ナシロは最初から"やるべきこと"を決めて臨んでいた。


『……高乃。もう一回はっきり言うが、これからやることにはとんでもない危険が伴う。
 だから、お前まで無理に付き合う必要はない。ランサーのいない今のお前が首を突っ込むには危なすぎるヤマだ』

 ヤドリバエの眷属が特定した魔女の居所に向かう最中、ナシロは河二へこう切り出した。

『楪のことは、一応少しは知ってるつもりだ。
 あいつはとにかく気分屋でな。自分の機嫌を他人に押し付けることに抵抗も、躊躇もない。
 そんな奴がサーヴァントともやり合えるような力を持ってるっていうんだから、悪い冗談みたいな状況だよ』
『危険性については、僕も認識している。
 時間もない。端的に、君がどうやって介入し、収拾を付けるつもりなのかを聞かせてくれ』
『……まずは楪と話をする。素直に頷くとは思えないが、この際妥協点でもいい。顔を突き合わせて、そこで探る』

 可能ならば、渋谷で暴れる〈蝗害〉を止めさせたい。
 その上で少しでも、建設的な話ができればいい。
 
 だが。

『もしも暖簾に腕押しだったら、アサシンを動かす』
『……それは、些か勇み足ではないだろうか。
 彼女を侮っているわけではないが、楪依里朱と――場合によっては他にいる複数のサーヴァントも相手取らねばならなくなるんだ。
 確かにアサシンの"威圧"は効果的だと僕も思うし、眷属の投入である程度は抗戦できるだろう。が……』
『分かってるよ。私も、勝てるとは思ってない。だからこれは逃げるための一手だ』

 夢だけ見てはいられない。
 公園の状況が魔女討伐に傾くならば、それで良し。
 しかしそうもならなかった時は、撤退に尽力する必要がある。

『アサシンの眷属を目くらましに使いつつ、隙を窺って令呪を切る。
 これなら私とアサシンのふたりだけでも、十分に遂行可能な作戦の筈だ』

 だから、お前は無理して私に付き合わなくてもいい。
 ナシロはそう言ったが、しかし、河二の答えは決まっていた。

『――なるほど、理解した。
 なら僕は僕なりに、楪依里朱を獲れる機会を窺うことにする』
『……、……いいのか?』 
『見くびらないでくれ、琴峯さん。
 僕も馬鹿じゃない。これが勝算のない作戦だったら、君の勧めに従っていたかもしれない。
 それでも参ずると決めたのは、僕なりに君のプランに可能性を見出したからだ』

 それに。
 この先の思考を、河二は言葉にしなかったが――
 父の仇を探し、討つことを目的としている人間が、複数のマスターが一堂に会した状況を避けて通るのは不合理だと考えたのもあった。
 こうして、少年少女の大作戦は綱渡り同然に幕を開け。そして見事、ふたりとも命を拾うことに成功した。


741 : What's up, people?!(4) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:54:04 5ASqdrZo0


「アサシンもよく頑張ってくれた。ありがとな、今回ばかりは心から礼を言う」
「ほんっっっとですよもぉぉ……!! 見てくださいよこれ! この傷! ハイテンションも冷めるホラー体験だったんですからねこれ!!」
「……いや、本当に助かったよ。お前、ちゃんと頼れるサーヴァントじゃないか。見直したし、今回の埋め合わせは必ずさせてもらうさ」
「む、むむむ……。そう素直に褒められるとなんかこう、羽の根っこのあたりがこそばゆく……むむむぅ……」

 ヤドリバエの脇腹には、鋭利な刃物による刀傷が一筋走っている。
 幸いにして傷は浅くて済んだが、これはナシロが逃亡のために惜しげなく令呪を切った恩恵だった。
 令呪による命令遂行のためのブーストがかかっていなければ、トバルカインの凶刃はあの一瞬だろうと彼女の肉体を両断していた筈だ。
 重ね重ね、今回のことはずっと綱渡りだった。河二の参戦も、ヤドリバエの働きも、ひとつでもピースが欠けていたなら此処に琴峯ナシロの姿はなかっただろう。

「高乃も、ありがとう。ランサーのことと言い、お前には世話になりっぱなしだな」
「気にすることはない。それに、僕は君にひとつ謝らねばならない」
「……謝る? 何をだよ」
「僕はあの時、楪依里朱を殺すつもりだった」

 しん、と空気が冷える。
 それが冗談でないことは、河二の顔が証明していた。
 いや、そもそも彼は冗談など言うような男ではない。
 
「君はたとえ敵対していると分かっていても、彼女の命を奪うことを良しとしない。
 そう分かった上で、それでも僕は自分の判断を優先した」
「……、……」
「殺すべきだと思った。彼女は、生かしておくには危険すぎる魔女だと考えたんだ」

 白黒の魔女を、彼女が従える〈蝗害〉を野放しにしておけば、必ずやあらゆる形で都市を惨禍が襲い続ける。
 ならばこの一撃でそれを断ち切り、そして同時に、確認しておくべきだと考えた。
 ――己は、そこに大義があるなら人を殺せると。
 そう証明するために、いずれ果たす復讐の前座として楪依里朱を用いたのだ。

 結果的にイリスは死なず、大きなダメージを負っただけで留まったが。
 それは河二が仕損じたのではなく、イリスが咄嗟に肉体強化の魔術を使用したからでしかない。
 逆に言えば彼女の反応が遅れていれば、河二の拳は楪依里朱を殺害していた。
 未だ技も肉体も発達途上なれど。弛まぬ鍛錬を積んだ武道家が殺す気でその拳を使えばどうなるかなど、自明である。

「……なあ、高乃」

 そんな河二の告白に、ナシロは少し黙ってから、口を開いた。
 彼の凶行を咎めるでなく、恐れるでもなく。
 どこか告解するような口調で、少女は言う。

「私は、間違ってるのかな」


742 : What's up, people?!(4) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:55:21 5ASqdrZo0
「……琴峯さん?」
「謝らなきゃいけないのは私の方だよ。
 作戦通りなんかじゃないんだ。私はあの時――楪と、あいつを庇った女の言葉で、頭に血が上ってた」

 ――というか逆に、あんた達は本気で無辜の犠牲とやらにいちいち心痛めて戦ってんの?

 ――どうでもよくない?
 ――どうせ全部作り物なんだから。わたしたちしか、生きてなんかないんだから。

「赦せない、と思ったんだ。
 こいつらだけは赦せない、赦しちゃいけないと、そう思った。
 あの瞬間私は、お前の命を背負ってることも忘れて、暴走してた」

 作戦はうまくいった。それでも……ナシロがあの時暴走していたのは、事実だ。
 命を冒涜し、その営みさえ否定して、価値はないと断ずる目の前の女達が赦せなかった。
 それは倫理的にも道徳的にも正しい、至極まっとうな怒りだ。
 この世にどうでもいい命などひとつも存在しない。隣人を尊重できない人間は、悪だ。

 ただ。この世界が造り物で、そこに生きる人々もただの人形でしかないという指摘は――事実なのである。

「違う。私はあの時、この世界の人々のために怒ったんじゃない」

 ナシロは言う。
 目を伏せて、自分の罪を噛みしめるように。

「私は――――自分のために、怒ってたんだ」

 正しいことは痛い。
 正論は、心を無造作に抉る。
 だからそれをされた人間は怒るのだ。まさに、あの時のナシロのように。
 自己を防衛するために感情を爆発させ、拳を握るのだ。

「私は……たとえ造り物だろうが何だろうが、この都市に生きる人達のことを蔑ろにはしたくない。
 背景だ人形だと蔑んで見下して、その笑顔と日常を軽んじるようなことだけはしたくないと思ってる」
「……、……」
「でも――私だって、そこまで馬鹿じゃない。
 分かってるんだ、頭じゃな。正しいことを言ってるのはむしろ、あいつらの方なんだって。
 挙句子どもじみた意地でお前まで危険に曝した。何やってんだ、って感じだよな」

 は、と、自傷するように笑った。
 理想と現実の矛盾と、雪村鉄志の話を聞いた時からどうにか抑え込んでいた胸中の動揺。
 そのふたつが、あの時、爆発した。そしてその傷口は今も、敬虔な少女をこうして苛み続けている。

「けど、それでも…………守りたい、って思っちゃうんだよ」

 造り物の世界を愛でること。
 どれほど無意味と謗られても、その綺麗事に背を向けたくない。
 
「そう思うのは、間違ってることなのかな」

 告解を終えたナシロに、河二はすぐには声をかけられなかった。

「僕は、君が間違っているとは思わない。しかし――」

 心の中でよく言葉を纏めて、咀嚼して、その上でようやく声にする。

「――彼女達の言うこともまた、間違ってはいない。そういうことなんだろうと、僕は思う」
「……はは。そっか」

 河二の答えを聞いて、ナシロは静かに天を仰いだ。
 河二も、それに倣うように、一緒に空を見上げた。
 もはやすっかり空は黒みがかって、夜といった風体になりつつある。
 この空の下で、一体どれほどの数の。願いや理想が、喰らい合っているのだろうか。

「難しいな、戦うってのは」
「ああ。僕も、そう思うよ」

 少年少女は、共に未だ道半ば。
 迷いながら、傷つきながら、彼らはそれでも戦っていく。


 神寂れたる、この都市の中で。



◇◇


743 : What's up, people?!(4) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:56:02 5ASqdrZo0
【渋谷区・代々木公園近辺/一日目・日没】

【高乃河二】
[状態]:疲労(中)、魔力消費(小)
[令呪]:残り三画
[装備]:『胎息木腕』
[道具]:なし
[所持金]:それなり(故郷からの仕送りという形でそれなりの軍資金がある)
[思考・状況]
基本方針:父の仇を探す。
0:……僕はきっと、大義のために人を殺せる。
1:ランサー(エパメイノンダス)と合流する。
2:同盟を利用し、状況の変化に介入する。
3:琴峯さんは善い人だ。善い報いがあって欲しいと思う。
4:ニシキヘビなる存在に強い関心。もしもそれが、我が父の仇ならば――
[備考]
※ロールとして『山梨からやってきた転校生』を与えられており、少なくとも琴峯ナシロとは同級生のようです。
※雪村鉄志から『赤坂亜切』、『蛇杖堂寂句』、『ホムンクルス36号』、『ノクト・サムスタンプ』並びに<一回目>に関する情報と推論を共有されています。
※レミュリンから『イリス』に関する情報を得ました。
※レミュリンと“蛇杖堂絵里”の連絡先を得ました。

【琴峯ナシロ】
[状態]:疲労(大)、複数箇所に切り傷、魔力消費(中)、精神的疲労
[令呪]:残り二画
[装備]:『杖』(3本)、『杖(信号弾)』(1本)
[道具]:修道服、ロザリオ
[所持金]:あまり余裕はない
[思考・状況]
基本方針:教会と信者と自分を守る。
0:私は、間違ってるのかな?
1:信者たちを、無辜の民を守る。そのために戦う。
2:楪及び〈蝗害〉に対して、もう一度話をする必要がある。
3:ダヴィドフ神父が危ない。
4:ニシキヘビ……。そんなモノが、本当にいるのか……?
[備考]
※少なくとも高乃河二とは同級生のようです。
※琴峯教会は現在、白鷺教会から派遣されたシスターに代理を任せています。
※雪村鉄志から『赤坂亜切』、『蛇杖堂寂句』、『ホムンクルス36号』、『ノクト・サムスタンプ』並びに<一回目>に関する情報と推論を共有されています。
※ナシロの両親は聖堂教会の代行者です。雪村鉄志との会話によってそれを知りました。
※レミュリンから『イリス』に関する情報を得ました。
※レミュリンと“蛇杖堂絵里”の連絡先を得ました。

【アサシン(ベルゼブブ/Tachinidae)】
[状態]:疲労(中)、脇腹に刀傷、高揚と気まずさと
[装備]:眷属(一体だけ)
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:聖杯を手に入れ本物の蝿王様になる!
0:へへ〜〜んどんなもんだい! これが次期蝿王候補筆頭、ヤドリバエ様の力ですよ!! ……あれ、何かおセンチな雰囲気……
1:ナシロさんが聖杯戦争にちょっと積極的になってくれて割とうれしい。
2:あんなチビっこ神霊には負けませんけど!眷属を手に入れた今の私にとってもはや相手にもなりませんけど!!
3:ウワーッ!!! せっかく作った眷属がほぼ死んだ!!!!!
4:ナシロさん、らしくないなぁ……?
[備考]
※渋谷区の公園に残された飛蝗の死骸にスキル(産卵行動)及び宝具(Lord of the Flies)を行使しました。
 少数ですが眷属を作り出すことに成功しています。 
※代々木公園での戦闘で眷属はほぼ全滅しました。今残っているのは離脱用に残しておいた一体だけです。


【渋谷区・市街地(代々木公園近く)/一日目・日没】

【ランサー(エパメイノンダス)】
[状態]:疲労(大)、全身にダメージや傷
[装備]:槍と盾
[道具]:革ジャン
[所持金]:なし(彼が好んだピタゴラス教団の教義では財産を私有せず共有する)
[思考・状況]
基本方針:マスターを導く。
0:ハードすぎんだろ、聖杯戦争。
1:コージ達と合流する。伝えなければいけないこともある。
2:同盟を利用し、状況の変化に介入する。
3:〈蝗害〉とキャスター(ウートガルザ・ロキ)に最大級の警戒。キャスター(吉備真備)については、今度は直接会ってみたい。
4:琴峯ナシロは中々度胸があって面白い。気に入った。
5:カドモスと会ってみたいなぁ!
[備考]
※カドモスの存在をなんとなく察しているようです。

【キャスター(ウートガルザ・ロキ)】
[状態]:右半身にダメージ(大/回復中。幻術で見てくれは元通りに修復済み)
[装備]:
[道具]:
[所持金]:なし(幻術を使えば、実質無限だから)
[思考・状況]
基本方針:享楽。にーとちゃんと好き勝手やろう
0:もっと圧勝したかったな〜。
1:にーとちゃん最高! 運命の出会いにマジ感謝
2:小都音に対しては認識厳しめ。にーとちゃんのパートナーはオレみたいな超人じゃなきゃ釣り合わなくねー?
3:薊美に対しては憐憫寄りの感情。普通の女の子に戻ればいいのに。
4:ランサー(エパメイノンダス)と陰陽師のキャスター(吉備真備)については覚えた。次は殺す。
[備考]
※“特異点”である神寂祓葉との接触によって、天枷仁杜に何らかの進化が齎される可能性を視野に入れています。


744 : What's up, people?!(4) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:56:42 5ASqdrZo0
【ライダー(シストセルカ・グレガリア)】
[状態]:規模復元
[装備]:バット(バッタ製)
[道具]:
[所持金]:百万円くらい。遊び人なので、結構持ってる。
[思考・状況]
基本方針:好き放題。金に食事に女に暴力!
0:面白くなってきたな、聖杯戦争。
1:相変わらずヘラってんな、イリス。
2:祓葉にはいずれ借りを返したいが、まあ今は無理だわな。
[備考]
※祓葉戦前の個体数に回復しました。
※イリスに令呪で命令させ、寒さに耐性を持った個体を大量生産することに成功しました。
 今後誕生するサバクトビバッタは、高確率で同様の耐性を有して生まれてきます。


【渋谷区・代々木公園/一日目・日没】

【楪依里朱】
[状態]:魔力消費(極大/色間魔術により回復中)、腹部にダメージ(大)、メチャクチャイライラしている、未練
[令呪]:残り二画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:数十万円
[思考・状況]
基本方針:優勝する。そして……?
0:〈NEETY GIRL〉改め天枷仁杜の一団とは渋々協定。魔力がある程度戻るまでは同行する。
1:祓葉を殺す。
2:誰がいーちゃんさんだ殺すぞ(薊美に対して)
3:あのクソ虫本当にいい加減にしろせめて相談してからやれって何で令呪よこせしか言わないんだよ馬鹿ふざけんなクソクソクソ
[備考]
※天枷仁杜(〈NEETY GIRL〉)とネットゲームを介して繋がっています。
 必要があればトークアプリを通じて連絡を取ることが出来るでしょう。
※蛇杖堂記念病院での一連の戦闘についてライダー(シストセルカ)から聞きました。
※今の〈脱出王〉が女性であることを把握しました。

【高天 小都音】
[状態]:健康、とっても気疲れ
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:トバルカイン謹製のナイフ
[所持金]:数万円。口座の中身は年齢不相応に潤沢。がんばって働いたからね。
[思考・状況]
基本方針:生き残る。……にーとちゃんと二人で。
0:はああああああああああ(心からのため息)
1:伊原薊美たちと共闘。とりあえず穏便に収まってよかった。
2:ロキに対してはとても複雑。いつか悪い男に引っかかるかもとは思ってたけどさあ……
3:アレ(祓葉)はマジでヤバかった……けど、神様には見えなかった。
4:脱出手段が見つかった時のことを考えて、穏健派の主従は不用意に殺さず残しておきたい。なるべく、ね。
[備考]
※“特異点の卵”である天枷仁杜に長年触れ続けてきたことで、他の“特異点”に対する極めて強い耐性を持っています。

【セイバー(トバルカイン)】
[状態]:健康
[装備]:トバルカイン謹製の刃物(総数不明)
[道具]:
[所持金]:数千円(おこづかい)
[思考・状況]
基本方針:まあ、適当に。
1:めんどくせェけど、やるしかねえんだろ。
2:ヤバそうな奴、気に入らん奴は雑に殺す。ロキ野郎はかなり警戒。
3:あの祓葉は、私が得られなかったものを持っていた。
[備考]

【伊原薊美】
[状態]:魔力消費(中)、静かな激情と殺意、ロキへの嫌悪、仁杜への違和感
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:騎兵隊の六連装拳銃
[所持金]:学生としてはかなりの余裕がある
[思考・状況]
基本方針:全てを踏み潰してでも、生き残る。
0:神寂祓葉――"太陽"について、聞く。
1:殺す。絶対に。どんな手を使ってでも。
2:高天小都音たちと共闘。仁杜さん、ホントにおかしな人だ。
3:孤高が嫌いなんだろうか。だとしたら、よくわからない。
4:――"月"、か。
5:同盟からの離脱は当分考えていない。でも、備えだけはしておく。
[備考]
※マンションで一人暮らしをしています。裕福な実家からの仕送りもあり、金銭的には相応の余裕があります。
※〈太陽〉を知りました。
※自らの異能を活かすヒントをカスターから授かりました。


745 : What's up, people?!(4) ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:57:56 5ASqdrZo0
【天枷 仁杜】
[状態]:健康、魔力消費(超極小)
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:数万円。口座の中にはまだそれなりにある。
[思考・状況]
基本方針:優勝して一生涯不労所得! ……のつもりだったんだけど……。
0:いぇーいいーちゃん仲間入り〜! なんかゲームみたいで楽しくなってきたねぇ!!
1:ことちゃんには死んでほしくないなあ……
2:薊美ちゃん、イケ女か?
3:ロキくんの戦勝会かなこの後は? わくわく。
4:この世界の人達のことは、うーん……そんなに重く考えるようなことかなぁ……?
[備考]
※楪依里朱(〈Iris〉)とネットゲームを介して繋がっています。
 必要があればトークアプリを通じて連絡を取ることが出来ます。


【渋谷区・代々木公園→移動開始/一日目・日没】

【ライダー(ジョージ・アームストロング・カスター)】
[状態]:疲労(中)
[装備]:華美な六連装拳銃、業物のサーベル(トバルカインからもらった。とっても気に入っている)
[道具]:派手なサーベル、ライフル、軍馬(呼べばすぐに来る)
[所持金]:マスターから幾らか貰っている(淑女に金銭面で依存するのは恥ずべきことだが、文化的生活のためには仕方のないことだと開き直っている)
[思考・状況]
基本方針:勝利の栄光を我が手に。
0:少年少女(ナシロ・河二達)を追う。多少話して、見込みがなければ鏖殺。
1:神へ挑まねば、我々の道は拓かれない。
2:やはり、“奴ら”も居るなあ。
3:“先住民”か。この国にもいたとはな。
4:やるなあ! 堕落者(ニート)のお嬢さん!!
[備考]
※魔力さえあれば予備の武器や軍馬は呼び出せるようです。
※シッティング・ブルの存在を確信しました。


【渋谷区・ビルの上(ロキ戦の舞台からはかなり離れている)/一日目・日没】

【香篤井希彦】
[状態]:魔力消費(中)、〈恋慕〉、動揺
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:式神、符、など戦闘可能な一通りの備え
[所持金]:現金で数十万円。潤沢。
[思考・状況]
基本方針:神寂祓葉の選択を待って、それ次第で自分の優勝or神寂祓葉の優勝を目指す。
0:赤坂亜切の言う通り、〈脱出王〉を捜す。
1:……少し格好は付かないけれど、もう一度神寂祓葉と会いたい。
2:神寂祓葉の返答を待つ。返答を聞くまでは死ねない。
3:――これが、聖杯戦争……?
[備考]
二日目の朝、神寂祓葉と再び会う約束をしました。

【キャスター(吉備真備)】
[状態]:健康
[装備]:
[道具]:『真・刃辛内伝金烏玉兎集』
[所持金]:希彦に任せている。必要だったらお使いに出すか金をせびるのでOK。
[思考・状況]
基本方針:知識を蓄えつつ、優勝目指してのらりくらり。
0:これだから可愛げがあるのよな、こいつは。
1:希彦については思うところあり。ただ、何をやるにも時期ってもんがあらぁな。
2:と、なると……とりあえずは明日の朝まで、何としても生き延びんとな。
3:かーっ化け物揃いで嫌になるわ。二度と会いたくないわあんな連中。儂の知らんところで野垂れ死んでくれ。
[備考]



[全体備考]
※渋谷区の代々木公園近郊の街が戦場になりました。
 犠牲者は最低でも2000〜3000人以上ですが、詳細な人数は特定できないでしょう。
 現在は気候も元に戻り、立ち入っても問題はありません。


746 : ◆0pIloi6gg. :2025/01/18(土) 03:58:45 5ASqdrZo0
投下終了です。


747 : ◆l8lgec7vPQ :2025/01/18(土) 16:15:36 OyfqeBho0
投下します


748 : P.VS .P ◆l8lgec7vPQ :2025/01/18(土) 16:27:54 OyfqeBho0


 ■




 センターポジション、ライトアップ。ステップ、ターン、フルアウト。

 
 その瞬間、体は一本のネジになる。


 誰であろうと有無を言わせぬ存在感。
 舞い上がる衣装(はね)と甘美な笑顔(やじり)で胸を貫く。
 熱響を煽る全身の躍動。意志を束ねる空気の振動。
 光輪を冠し。逆光(ステージ)に晒される星の偶像。
 彼岸の闇を独占する、唯一種の色彩(ケミカルライト)。
 ここは無間の大宇宙。スポットライトの中心で、今日も私は孤立する。

 
 なのに染み込む泥が私を変えた。
 不格好なダンスシーケンス。
 耳障りなブレシ―サウンド。
 胸の真中に自覚した、あってはならない醜悪なエモーション。


 墜落の間際にきつく目を閉じる。


 その時。
 私は初めて、羽の砕ける音を聞いた。





 ―――――― P.VS .P





 ■


749 : P.VS .P ◆l8lgec7vPQ :2025/01/18(土) 16:30:14 OyfqeBho0

 えーどうも、お久しぶりです。
 みなさん、お元気ですか?
 私、煌星満天はとってもとっても憂鬱です。

 現在、私を乗せた車は台東区から出発し、北西方面に進行中。
 その目的はスバリ、近頃この東京を蝕んでいる厄災、蝗害の調査!
 幾つかの襲撃地点を巡りつつ、最後の目撃情報があったとされる渋谷を終点として、午後から移動を続けております。

 えー、はい、勿論、この調査に伴う危険は理解してます。
 発生から僅か一月、蝗害が都心に及ぼした被害は人的、物的共に途方もなく、失われた人命の数は計り知れません。
 もちろん私も、遭遇した場合の安全の保証なんてありません。

 命がけの突撃リポートをアイドルにやらせるなんて企画考えた人はちょっと正常ではないと思いますというか普通にめちゃくちゃ怖いです。
 逃げ出したいくらい恐ろしいです。
 正直、今すぐ帰りたいです。帰してください。

 ……えー、ですが!
 煌星満天は挫けません!
 せっかく頂いたこのお仕事!
 私は絶対やり遂げます! 
 なぜなら私は、アイドルだから!
 史上最凶のアイドルだから!
 この街の皆さんのため、夢と希望を届ける、アイドルだからーーー!(だからー! ダカラー! ダカラー! エコー)

「煌星さん、先程から思考されているそれは、いったい誰に向けたメッセージですか?」

「うわぁぁぁっ! 現実逃避してる乙女の空想(イメージ)を勝手に覗くなバカキャスター!」

運転席から投げられたキャスターの声によって我に帰ると同時、先ほどまでの益体ない思考を読まれていた恥ずかしさにかあっと顔が熱くなる。
 後部座席からちらっと前を伺うと、バックミラーにはハンドルを握るファウストの目元が映っていた。
 相変わらず底の知れない真っ黒な瞳だ。

「気を紛らわすための取り留めのない思考にまでいちいち口を挟む気はありませんが、一応言っておきます。
 先程の思考内容でリポートのコメントを行うつもりならやめてください。スタジオが凍りつきます」

「い、いやいや、ほんとにアレで行くわけないじゃん。分かってるよ……はは」

「それとフィラー、つまり『えー』が多すぎます。
 人に聞かせるコメントだということを意識して、落ち着いて短く、何を話すかを決めてから発声してください」

「のっ……ぎ……ぐぬぬぬぬぬ」

 脳内の喋り方にまでダメ出しすな!
 と、反射的に言い返しそうになって、堪えて、結果として震えながら異音を発するなんか小さくて変な可愛いやつになってしまった。

 ともあれ悔しいけど、やっぱりキャスターは正しいのだった。言い方こそ例によってちょっとキツめだけど、指摘も、アドバイスも、相変わらず的確だ。
 現実逃避なんて言って、頭の中でリポートの練習をしていた事もきっとバレていたのだろう。
 だからやるべきことは反論じゃなくて、改善なのだ。

「難しく考えすぎなくても結構です。コメント内容については、適宜サポートするので問題ありません。
 ……それに、気晴らしなら、あなたにはもっと別の案件があるでしょう」

 それは彼にしてはちょっと珍しい、気遣いというものだったのかも知れない。

「渋谷に入る前に、会合を済ませます。そろそろ、約束の時間ですから」

「ふ、ふーん、そうなんだ」

 気のない返事をしてみても、浮き上がる心は誤魔化せない。
 蝗害調査の移動の合間に設けられた一つの会合。
 同盟を結んだ陣営との接触。
 色々あり過ぎた今日の中で、唯一、全肯定で喜べること。
 アイドル、輪堂天梨。推しとの、対面。

 そう、天梨。
 天梨ちゃん。

 蝗害、狂人、戦争、理解の追いつかない出来事が次々起こってばかりだけど。
 あの天使と、ちゃん付けで呼び合える仲になれた事に勝る衝撃はない。
 それだけでなく、今日また、直接会って話せるのだ。しかも仕事で一緒になるとかじゃない。プライベート……っていうのも違うかもだけど。
 とにかく、あの天使とまた会える。確かに、これに勝る気晴らしはない。
 ないの……だけど……私には今、少し悩ましきことがありまして。


750 : P.VS .P ◆l8lgec7vPQ :2025/01/18(土) 16:31:47 OyfqeBho0

「どうしました? まさか自信が無いとは言わせませんよ。
 あなたはアイドルとしても、マスターとしても、今や対等な立場として、彼女の前に立たなくてはなりません。
 たとえ現時点で、実際の力量差にどれ程の開きがあったとしても」

 うん、それは分かってる。分かってるんだ。
 だけど、悩んでたのはそういう話じゃなくて。
 いや悩みというか、期待というか、これは展望というか、うーん、天梨、天梨ちゃん……天梨……。

「では、どのような?」

いやー、つまり、その、

「えっとぉ……ちゃん付けから呼び捨てへの移行って、どれくらいで許されるのかな? エヘヘ」

 バックミラーに映ったキャスターの眉間に、強烈な皺が刻まれた。
 次いで、一言。

「距離感」

 たった一言で、私の胸に見えない釘がぶっ刺さった。ぐはっ。


「コミュニケーション能力の欠如、その最たる事例を改めて教えましょうか?」

「あ、いえ、大丈夫です」

「他者との距離感覚の錯誤です。
 少し仲良くなったと思ったら必要以上に一方的に気を許し、他人の領域に無遠慮に立ち入ってしまう。
 結果、対面する相手に距離を空けられ、途端に嫌われたと思い込み今度は逃げるように疎遠になる。
 ……と、今挙げたのはほんの一例ですが、心当たりがありませんか?」

 ごふっ!
 あの、やめよ?
 人を言葉の鞭でめった打ちにするのは。

「つまり、そういうところ、です。煌星さん。
 舞い上がる気持ちは分かりますが、何度も言ったように、焦りは禁物です」

 うぅ……確かに、調子に乗ってました……。
 分かってるよぉ。私もちょっと感覚ミスってるような気はしてて、だから聞いたんじゃん。
 ていうか、こんなふうに浮かれ過ぎちゃうのも分かってたら、考えないようにしてたのになあ。

「じっくりと関わることです。仲良くなりたいなら、結局それが一番の早道でしょう。
 そろそろ高速に乗りますので、シートベルトをお願いします」

「うん……」

 ぐうの音も出ない私は後部座席にへばりつくようにして、ぐったりと窓の外を眺める。
 夜はもう、すぐそこまで。

 路上の街灯、オフィスビルから溢れるLED電灯、対向車両のヘッドライト、暗闇の到来を前に、街は既に明かりを灯し始めている。
 淡い尾を引いて過ぎて行く幾つもの閃光、徐々にスピードを上げる車内から、それは流れる星々のようにも見えた。


「きらきらひかる おそらのほしよ」


溢れるように、声に乗ったその歌は小さい頃、よく歌った童謡。
 初めて聞いたのは確か、両親の帰りを待ちながら、一人でぼんやりと教育テレビを観ていた時だったっけ。 


「またたきしては みんなをみてる」


 過ぎ行く光を眺めながら思う。
 はたして、私は、そのように在れるのだろうか。

「ね、キャスター。前に言ってたこと、憶えてる?」

 不明瞭な問いかけ。
 だけど彼には十分だと知っている。
 何故なら彼は、私の心が見えるから。不器用な私の言葉の先を、知っているから。

「この街の人々を元気づける為、ですか?」

 アイドル業について、彼はたしかそう語った。
 それは狂戦士を丸め込むための、方便だったのかもしれない。
 だけど、本当にそれを願うことが、偶像(アイドル)に課せられた仕事だとしたら。
 この街で起こっている異常を知る私の、役割なのだとしたら。

 ――イナゴがよ……俺の親の家を全部食っちまったよ……親父もお袋も見つからねぇ……。

 日中、街で遭遇した誰かを思い出す。
 家も家族も失って、怒りのぶつけ先も分からなくなった人がいた。
 蝗害の調査、ここに至る道中、壊滅した住宅街をいくつも抜けてきた。
 多くの人が泣いて、途方に暮れていた。
 ……どうしても、考えずにはいられなかった。


751 : P.VS .P ◆l8lgec7vPQ :2025/01/18(土) 16:32:45 OyfqeBho0

 これ程の災厄を前に、私なんかに、ほんとに出来ることがあるのだろうか。
 じっとしていたくない、何かやらなきゃという焦りと、きっと何もできない現実に、息が苦しくなる。

「今の私に……何ができるかな……」

「今は何もできなくてかまいません。一つ一つ、できることを増やし続けてください。
 焦らなくてもいい、あなたは、一歩ずつでも前に進んでいる」

「だけど……このままじゃ……さ」

 1ヶ月前より、私の力はずっと強くなった。それははっきりとわかる。
 だけど、足りない、こんなんじゃ全然及ばない。アイドルとして、天使の足元にも届かない。
 そしてそれは、聖杯戦争を戦うマスターとしても、不足していることを意味するはずだ。

 天使を救えるのは人間の煌星満天であると、従者(キャスター)は告げた。
 だけど、今のままじゃ、助けるどころか、勝負にもならない。
 もどかしいよ。私はもっと、もっと、成長しなきゃいけないのに。

 この街の人たちのために。
 輪堂天梨を救うために。
 世界中の全てを、魅了するために。

 なにか、ないのかなあ、なんて。
 成長の秘訣、躍進の階、あるはずのない劇薬(チート)に思いを馳せ。
 これまた現実逃避じみたぼやきを一つ、

「あーあ、強くなりたいな」

 こぼした私へと、キャスターは暫し考え込むように黙った後。
 ゆっくりと息を吸い、声を―――

「ならば恋を知るといい!! 僕のジュリエット!!」

「ウワァァァァァァァ!!」

 突如として真横から差し込まれた不意打ちに、私は悲鳴を上げながら飛び退いた。

「落ち着いてください、煌星さん。ビビり過ぎです」

 いやいやいや、ビビりますわよ。
 後部座席左側、つまり私の真横に突如出現した狂戦士の青年は相変わらずの豪奢な外套と甘いマスク。
 背景を強制的に花畑に変えてしまいそうなイケメンオーラをあらゆる方角に放っているものの。
 上気した頬と爛々と輝く瞳の狂気に、やはり私は見惚れる前に身の危険を感じざるを得ない。

 気配遮断スキル恐るべし。
 狭く逃げ場のない空間で、様子のおかしい人(やわらかな表現)がいきなり真横に現れて話しかけてくるの、怖すぎる。
 シートベルトしてなかったら座席から転げ落ちていたかも知れない。

「やあ、ジュリエット。ようやく邪魔者が居なくなったね」
「ババ、バ、バーサーカー……」

 恋のバーサーカー、ロミオ。
 いろいろあって私を恋人(ジュリエット)だと思い込んでいるらしい、レンタルボディーガード。
 契約によって、緊急時を除き人前では姿を現さない事になっているのだけど。
 車内という、私とキャスターのみとなったこのタイミングで出てきたようだった

 大丈夫。大丈夫。落ち着け。
 バクバク鳴る胸を撫で下ろしながら平静を装う。
 キャスターの言う通り、ビビり過ぎだ。
 怖いけど。彼は私に触れられない。そういう契約になっているのだから。

「嗚呼……ジュリエット……」

 あ、めっちゃこっち見てる。あ、凄っっっごく見てる。あっ、身を乗り出してきた。あー怖い怖い怖い。

「僕の愛する人、美しき花よ。バラ……ヒマワリ……コスモス……いいや、どれも違う。
 困ったな……どんな花も、君の美を譬えるには不足している。
 その可憐さの前ではどんなに綺麗な花弁も嫉妬に枯れ、萎れて頭を垂れるだろう……!」

 ずいっと肩を寄せてきたロミオは、その白く長い指先を私の手元に伸ばしてきた。

「ちょっ……あのっ……接近禁止……接近禁止……」

「君は星……天に輝く一等星。夜空の宝石。
 その蠱惑な煌めきを眩した光で僕の心を狂わせる」

 耳元で囁かれる甘い口説き文句にゾゾゾと(恐怖で)鳥肌を立てている間にも、彼の指は私の指先から腕へと撫でるように這い上がる。
 ちなみに彼は器用にも、指を私の身体にギリギリ触れない1センチ手前で留めながら動かしていた。
 たしかにこれだと触れてはいない、ギリギリとはいえ『接触しない』という契約は守られている。
 いや……守られている……けども……。

「僕の手……足……心臓……全ては君のものだ。
 なのに愛する妻よ……君に触れられない日々が辛い……」

 接近禁止令からまだ半日ですよね。
 ところで、あの、私、いつ結婚したんですか?

「誓うよ。君が夢を叶えた時、僕達を阻む障壁が取り払われたその時。
 僕は、もう二度と、君を離さない。君を傷つける全ての悪夢から攫ってみせる。行こう、今度こそ。
 キャピュレット家でもない、モンタギュー家でもない、どこか遠い、二人だけの寝室(らくえん)へ」

 あー、そっか。
 そういえばロミオとジュリエットは劇中で物凄いスピード婚を決めていたっけ。
 つまり彼の中では、私は彼女というかもう奥さんなわけか。
 はは……なるほど、そういうことか……ははは……タスケテ。


752 : P.VS .P ◆l8lgec7vPQ :2025/01/18(土) 16:34:11 OyfqeBho0

「もちろん、僕は君の夢を心から応援するよ。
 だが運命の星よ……これ以上僕らの愛を阻むなら……!」

「なぜ、恋を知るべきと?」

 そこで、見るに見かねたキャスターから、ようやく助け舟が渡された。

「なんだって、ヨハン?」

 どうやら非常に的確な横槍だったらしく、ロミオの注意がキャスターの方に向く。
 流石、恋に狂えるバーサーカー。恋の話題はスルー出来ないみたいだ。

「あなたは先程、煌星さんに『恋を知るべき』と言った。
 その理由を尋ねたく。
 ちなみにロミオさんも、霊体化を解くならシートベルトをお願いします。警察に停められては面倒なので」

『煌星さん、調子を合わせてください』

「そうだよ、ロミオ。ちゃんとシートベルトしなきゃ危ないよ」

「おっと、これは失礼」

 すると素直に私から離れ、きちっとベルトを絞めるバーサーカー氏。ちょっとシュールだ。
 この程度の拘束には何の意味もないと分かってる。
 でもシートに固定された姿を見ると、ちょっとだけ精神的に落ち着くことができた。

「一応、アイドルは恋愛厳禁とされる時代ですがね。
 あなたの助言となると、聞き流すことも出来ないので」

 いまキャスターの言った事はきっと、殆ど嘘なのだろう。
 彼が、バーサーカーにアイドル活動に有効なアドバイスを期待しているとは思えなかった。
 会話によって、ロミオの気を逸らしているだけなのだと。

 そう思う一方で。
 私は少しだけ、聞いてみたいと感じてもいた。

「なぜ? そりゃあだって、彼女は言ったじゃあないか。強くなりたいと」

 そう、言ったのはたしかに、他ならぬ私自身だから。

「恋愛が駄目だというなら、親愛でも、友愛でも構わない。
 でもやっぱり、一番いいのは恋することさ。不治の熱病にように燃え上がる恋。
 一度、本気で誰かを愛してみるといい。
 誰かを、自分だけのものにしてしまいたいと。狂おしいほどに、求めてみるといい。
 そのとき、きっと君に不可能はないだろう。なぜなら―――」

 キャスターや、ノクト・サムスタンプのような、計算高い人たちが聞けば一笑に付すような。
 狂人の理論。盲目の戯言。なのに、なぜか。

「愛の力に、際限など無いのだから」

 彼が語ると、無視できない凄みを感じてしまう。
 なぜなら彼自身が、今にもそれを証明してしまいそうな情念を、常に身に纏っているから。

『煌星さん、わかっているとは思いますが』

『うん、ちゃんと聞き流してるよ。本気にしてないから、安心して』

 事前に教えられていた取り決めを思い出す。
 本当の意味で狂人とコミュニケーションを取ることはできない。
 取ろうとしてはならない。このやり取りは全て、上辺だけのもの。

 いまキャスターが行っているのは誘導であって会話じゃない。
 ロミオの気が済むまで、あるいは目的地に到着するまで、意識を上手く逸らしているだけ。
 分かってるよ。恋も、愛も、それが齎す無限の力も、ぜんぶ非論理的な幻想だ。
 ファウストはそういった根性論的なものを、私の育成方針から徹底的に排除してきた。
 
「なるほど、貴重なアドバイス、ありがとうございました」

 歌やダンスのレッスンも、日々の(そんなに多くないけど)仕事の進め方も。
 とにかく現実主義のロジカルなプロデュース。ただそこに、退路が無いというだけの。
 と、そこまで考えて、私は僅かに引っかかりを覚えた。
 いったい何に対する疑問なのか、分からないままに。

「ところで、ロミオさんは今、どうして出てきたのです?」

 話題はするりと次へ移ってしまう。
 恋を知る云々で引っ張るのは難しいと判断したのか。
 方向を変えた問いにロミオは、

「ああ、そうだ! 思い出したよ!」

 また私を見た。
 なんだかとっても、嫌な予感がするんですが。

「恋の歌の、続きが聞きたかったんだ!」

「歌って……もしかして、『きらきらぼし』のこと?」

 ええっと、たしかに先ほど、少々口ずさみましたけども。


753 : P.VS .P ◆l8lgec7vPQ :2025/01/18(土) 16:34:56 OyfqeBho0

「あの素敵な歌は、『きらきらぼし』というのかい?」

「うん、でも別に恋の歌ってわけじゃないし、私の歌とか聴いても全然楽しくな―――」

「いいや、あのメロディーは恋の音色さ。
 それにジュリエット、君の歌声は僕を癒やす唯一にして最上の福音なんだ。
 どうか、続きを聞かせておくれ、君の恋歌を……!」

「でもでも歌詞聴いてたなら分かると思うんだけど本当に恋の歌じゃないし、私は」

『煌星さん、諦めて調子を合わせてください』

「恋の歌です。一生懸命歌います。ハイ」

「嗚呼、嬉しいよ。ジュリエット」

 抵抗虚しく、恐れていた流れになってしまった。
 ロミオは既にシートに深く身体を沈め、目を閉じて聴き入る体勢に移っている。
 たしかに、これで目的地に着くまで、彼を大人しくさせられるかもしれない。

『でもさあ、キャスター。あとどれくらいで着くの?』

『だいたい15分程度ですね。出来るだけ急ぐので、頑張ってください』 

 ちょっとまってほしい。
 あと15分も、煌星満天ソロリサイタルで間を繋げというのか。
 この恋に狂える戦士を、恋歌ならぬ星の童謡で宥め続けろと。
 そして、これからもずっと、魅了(だま)し続けろと。

『アイドルとして、この街の全員を魅了するのでしょう?
 彼もまた、ファンの一人。やってみせてください、それが契約です』

 こんのっ、あーーーもう!
 上等だっての! やってやるわよ!
 なんて、差し込まれた発破に分かりやすく乗った私は、やけくそ気味に咳払い。
 狭い車内で深く息を吸い、しっかりと喉を開いて、あどけない歌詞を声に乗せる。 

 幸い渋滞もなく、私達を乗せた車は目的地に向かってスムーズに進んでいた。
 窓ガラスの向こうでは、ゆっくりと太陽が沈んでいくのが見える。
 懐中時計の針は天頂を目指して動き続けている。

 夜はもう、すぐそこまで。
 路上の街灯、オフィスビルから溢れるLED電灯、対向車両のヘッドライト。
 淡い尾を引いて過ぎて行く幾つもの閃光、それは流れる星々のようにも見えた。

 もうすぐ、空にも本物の星々がやってくる。
 いや、それすら街と一緒に作られた、偽物の空なのかもしれない。
 だけど本物であれ偽物であれ、夜が連れて来る闇の恐怖に差異はなく。


「きらきらひかる おそらのほしよ」


 にじり寄る影を払うように私は歌う。
 初めてこの歌を聴いた日のことを思い出しながら。


「またたきしては みんなをみてる」


 あれは確か、両親の帰りを待ちながら、一人で教育テレビを観ていたとき。
 いいや、違う。あのときじゃない。


「きらきらひかる おそらのほしよ」


 テレビを観て、初めて"その旋律(メロディ)の曲名を知った"けど。


「みんなのうたが とどくといいな」


 初めて"その旋律(おと)を聴いた"のは、もっとずっと、前のこと。

 
「きらきらひかる おそらのほしよ」


 暗い闇の中、初めて聴いた。
 その声は、テレビから流れるものではなかった。
 その声は、日本語ではなかった。
 その声は、人間のものですらなかった。
 その声は―――その歌は―――その、旋律(けいやく)は―――





754 : P.VS .P ◆l8lgec7vPQ :2025/01/18(土) 16:35:49 OyfqeBho0



 Twinkle, twinkle, little star, / 煌々瞬く小さき星よ。


 How I wonder what you are. / 汝の正體を此処に顕せ。


 Up above the world so high, / 天蓋穿つ遥か彼方。


 Like a diamond in the sky. / 宙に臨む光彩の如く。


 Twinkle, twinkle, little star, / 煌々瞬く小さき星よ。


 How I wonder what you are. / 汝の正體を此処に顕せ。






755 : P.VS .P ◆l8lgec7vPQ :2025/01/18(土) 16:37:08 OyfqeBho0

 時刻は日没直前。港区北エリア。

 住宅地から少々離れた場所に位置するその区民センター周辺は閑散としており、近隣ではもうじき閉館されるのではないかと噂されていた。
 出勤時間を除けば人の声や車両の音が聞こえることは極稀で、今も周辺を飛ぶカラスの鳴き声しか聞こえない有り様。
 利用者の足は絶えて久しく、一方で無断で欠勤するスタッフは数を増すばかり。
 実際、来週には施設利用を一部休止する予定が告知されており、今のところ再開の目処は立っていない。

 蝗害をはじめとした様々な異常因子は東京という都市を蝕み、着実に社会機能を殺し始めていた。
 少女の我儘から産み出された都市は、他ならぬ少女の呼び寄せた怪物共によって静かに死へ向かっていく。
 やがて行き着くは〈1度目〉と同じ、無法の応酬、破滅の荒野へと転がり落ちる。

 しかし今はまだ、狭間の期間。
 細々と、それでもしぶとく、人の営みは理外の怪物達に無言の抵抗を続けている。
 火を絶やすな。文明社会を維持せよと。それは無意識下に共有された集合意識が織りなす指令によるものか。

 この区民センターもまた、残り僅かな期間なれど、今はまだほぼ完全なカタチで機能を維持している。
 そして今日、出勤していた数少ないスタッフは驚いたという。
 朝からほぼ一台も駐車のない機械式駐車場に、夕方になってスモークフィルムを貼り付けた高級車が二台も入庫したのだ。

「煌星さん、申し訳ありませんが、前言を撤回します」

 それは彼等が、待ち合わせ場所に到着する直前のことだった。
 磨かれた革靴で駐車場の砂利を踏みしめながら、スーツ姿の男は細い指先で黒縁メガネを押し上げる。
 視線の先では、ゴミ捨て場にたむろしたカラスの一群が、沈む陽光を背景に飛び立っていた。
 車外に出ると同時に、狂戦士が霊体化するのを確認し、
 キャスター・ファウストを騙る悪魔、プリテンダー・メフィストフェレスは背後に立つ己がマスターに告げた。

「ここは気晴らしにはならない。
 むしろ最悪の場合―――戦場になります」

 日中の時点で、区民センターのホールと貸し会議室を数部屋ほど押さえていた。
 その会議室の一つ、施設2階の大会議室が、同盟相手となる輪堂天梨との会合場所。
 満天も天梨も、それぞれ夜から別の場所でアイドルとしての仕事が入っている。
 よってこれはスケジュールの狭間に差し込んだ密会。
 そして同時に、近い将来に予定されている"対談にして対決イベント"の事前インタビューや簡単なPV素材を収録してしまう予定だった。

 なんにせよ、会合のメインとなる内容は『輪堂天梨の置かれている状況の打開』。
 まず輪堂天梨の契約した悪魔。メフィストに言わせれば、まがい物、偽物なれど、偽物が本物より悪意と武力に優れぬ決まりなどない。
 彼はそれを理解している。そして実際に感じ取っている。数度遠目に伺うだけで分かるほどの、凶悪な存在規模を。
 そして天使が晒されている無貌の悪意。顔の見えない無数の誰かが、天使を堕とさんと投げかける汚泥の礫。
 メフィストの協力によって、これらを解決、あるいは好転、満天にとってのラスボスに足る天使の延命を図るのが、会合の主目的であるはずだった。

『い、いきなり戦場って……どういう意味?』

『なんの比喩でもありません。状況が変わったんです』

 施設に入り、広いエントランスを抜ける間にも、メフィストは満天に状況の要点を叩き込む。
 当初はこの場所で、満天にアイドルとしての試練を与えるつもりだったが、もはやまるで話は変わっている。
 これはアイドル活動ではなく、単なる殺し合い、戦争の領分。
 つまりプロデューサーではなく、サーヴァントとしてのメフィストの仕事だ。
 
『いいですか? 会合の間、今から私が言うことを絶対に最後まで守ってください。
 "勝手に話さない。勝手に動かない。勝手に魔術を使わない。"
 会話や動きは、基本的に私の指示に従うこと――わかりましたか?』

『分かったけど、せめてもうちょっと状況を教えてよ。
 天梨ちゃんに……なにかあったの?』


756 : P.VS .P ◆l8lgec7vPQ :2025/01/18(土) 16:37:24 OyfqeBho0

 人気のない階段ホール。
 早足で進むメフィストを小走りで追い抜くようにして、満天が正面に立つ。
 その不安げな表情を見返して、ファウストは少しだけ足を止めた。

『直接会うまで状況は分かりません。ですが、私のスキルの一つに、気配感知を包括したものがあります』

『え、なにそのスキル、初めて聞くんだけど』

 メフィストフェレスは単体武力に乏しい反面、特殊技能と隠匿、索敵、状況分析に突出したサーヴァントである。
 直接戦闘ではなく、擬似的な気配遮断、気配察知、契約魔術と契約宝具による狡猾な立ち回りが彼の真骨頂だ。
 特にスキル〈愛すべからざる光〉による情報隠匿はマスターにすら作用しており、満天はその全貌を把握していない。

『今は時間もないので説明を省きますが、そのスキルにサーヴァントと思しき魔力が掛かりました。
 重要なのはその魔力が、輪堂天梨の契約しているサーヴァントと別個体であること。
 そして、接近して初めて察知できたということ。つまり、ロミオさんのような、気配遮断スキルを有する。
 この施設には、アサシンかそれに近い特性を持つサーヴァントがもう一体紛れ込んでいる』

 ピリ、と。満天の表情にも緊張が走った。
 つまり考えられる可能性は2つある。

 一つ、満天と天梨、2つの陣営とは別の第3陣営が暗殺に優れた従者を連れて潜んでいるとしたら。
 まずこの可能性を考慮しているために、メフィストは逃げの手を打てない。
 満天陣営があからさまに撤退すれば、第3陣営は先に施設に到着している天梨の暗殺を狙うかも知れない。
 そうなれば天梨が単身で対処できる可能性は非常に低い。

 そして2つ、こちらのほうがより深刻な状況だ。
 他ならぬ輪堂天梨が別の陣営と結託してこの場に臨んでいるとしたら。
 はっきり言って、接触には相当の危険が伴う。
 なぜならば、輪堂天梨が事前にそれを知らせて来なかったという事実を考慮するに。
 天梨は既に別陣営のコントロール下にある可能性が非常に高いということになる。

 天使を取り巻く状況は変わってしまったのかも知れない。
 この、たったの数時間で。
 そしてもう一つ大きな懸念点がある。
 状況が変わったとすれば、それはこちらの陣営も同じことだ。

『大丈夫……かな』

『幸いにも、今の我々にはロミオさんがいます。
 万が一、戦闘に発展した場合も対応は可能でしょう。
 少なくともあなたの身の安全は―――』

『そうじゃなくてっ! 天梨……ちゃんは、大丈夫なのかな?
 暗殺者のサーヴァントがいるかもしれないって、早く教えてあげないと!』

『……そうですね。では急ぎましょう。
 くれぐれも、先程の決め事は守るように』



 ■


757 : P.VS .P ◆l8lgec7vPQ :2025/01/18(土) 16:40:08 OyfqeBho0

 そうして、陽の日が遂に沈む頃。
 たどり着いた大会議室にて、彼等は対面する。
 2つある入口の内、西側から入室した煌星満天とそのサーヴァント、ファウストを騙るメフィストフェレス。

 反対側、一足先に東側から入室していたのだろう、防音加工が施された壁際に一人の少女が立っていた。
 若干地味めな私服、帽子とサングラスで変装した姿であっても、その存在感を消し去ることはできていない。
 ドアの引かれる音に気付いた少女がくるっと振り返る。
 カールした薄紫色のショートカットが揺れ、それにあわせて背負っていた大きめのリュックサックが弾む。

「おはようございます。
 満天ちゃん。
 それから、満天ちゃんのプロデューサーさん」

 二人に向き直った輪堂天梨は微笑みながら、ぺこりと頭を下げた。

「おはようございます。輪堂さん」

「お、おはようございます。天梨……ちゃん」

 時刻は日没直前であったものの、『業界での挨拶』を交わし、彼等は向かい合う。
 互いに距離を縮め、5メートル程度の地点で、両者、一旦足を止めた。

「満天ちゃん、わざわざ港区まで、ごめんね。
 私の仕事の都合に合わせてもらっちゃって……」

「……あ、ううん!
 実は私の仕事も……夜から渋谷で……あっ、と、通り道だったから」

「そうなんだ。私は新宿でラジオ収録なんだ。
 ふふ……満天ちゃんは渋谷なんだ。隣の区だね」

 現時点で、誰も知らないことであったが、このとき、既に役者は揃っていた。
 しかし少女二人と、それ以外の存在との認識は大きく乖離している。

 純粋に再会を喜ぶ二人の偶像(アイドル)。
 これより始まる爆心の真ん中で、中心たる彼女たちのみが何も分かっていない。
 天梨も、満天も、共に後見人から念話で戦略的な指示・アドバイスを受けながら話している。
 しかし互いに純真な心でコミュニケーションを図る彼女たちは、それぞれ微妙に指示者の意図を汲みきれていなかった。

 異様なる状況。嵐の前の凪。事の全てを把握している者はただの一人もなく。
 ただ、カードが捲られる時を待っている。
 この会合が2陣営、いや4陣営による熾烈な情報戦に雪崩込む事など、未だ誰も完全に読み切ってはいなかったのだ。

 しかしこの時点で、波乱の予兆はあった。
 メフィストフェレスは人知れず、その衝撃に瞠目する。

(まさか……これは一体……どういうカラクリだ……?)

 察知と分析に長ける彼は"今の天使の姿"を見た瞬間、状況の大枠を理解したのだ。
 これは第3陣営による介入などではない。
 つまり想定していたパターンの後者、天使の状況が明確に変わったのだと。

(馬鹿げている。これが昼の電話の後に起こった事象だとすれば。
 たった半日にも満たない時間で、一体何があった)

 輪堂天梨が、想定を超えるレベルの羽化を開始している。
 そうとしか表現できない。


758 : P.VS .P ◆l8lgec7vPQ :2025/01/18(土) 16:40:23 OyfqeBho0


 当初危惧していた転変は起きていない。
 彼女は天使のまま、誰も焼かない優しき陽のままで。
 "愛されるべき光"という在り方を変えぬままに、存在規模と階位が跳ね上がっている。
 しかし限度というものがある。このまま高度を上げ続ければ、それは空に有る者としての格に留まらぬ飛翔。
 天の翼。つまり彼女もまた―――星に届き得る核を持ちうると。

(クソが、全く嗤えねえ。誰がガキに劇薬(チート)を与えた)

 これはこれで、シナリオに変調をきたしかねない。
 空を超えて星に至る物語が、星と星の喰らい合いに様変る。
 そして何よりも、"万が一それが転変したときの被害規模は、想像もつかない次元である"ということだ。

「あの、プロデューサーさん。
 実は本題に入る前に、紹介したい子がいるんです」

 目前の事態に高速で思考を回すメフィストへと。
 さらなる追撃を加えたのは、何ら悪意もない少女の声だった。
 いつもの天真爛漫な調子を少し萎めた、彼女にしては若干珍しい様子。

「伝えるのが遅くなってごめんなさい。
 ホントは会う前に、このコト、連絡しなきゃいけないって分かってました。
 でも『どうしても会うまで言わないでほしい』っていう、この子のお願いを優先したんです。
 絶対に危ないことはしないって約束したけど、その上で私が決めたから。だからこの子は悪くなくて、悪いのは私です」

 気まずさ、申し訳無さを覗かせるそれは、何者かにコントロールされた様子には見えない。
 輪堂天梨は輪堂天梨のまま、純真なる心のままで、それを成し遂げてしまった。
 それこそが狡猾なるメフィストフェレスをして、危機的状況に陥る最たる理由であると、少女は知る由もない。

「ほむっちも、いい? 大丈夫?
 ん、分かった。じゃあ開けるね」

 『よいしょっ』という、可愛らしい動作でリュックサックを背中から胸元に一回転させ。
 傍らの机にそっと置いた天梨は、チャックを解き、中に詰められていたモノを取り出していく。
 するりとビニルの繊維が捲れるのが、悪魔には何故か緩慢な動きに感じられ。

「ほら、満天ちゃんにも紹介するね。
 この子は、『ほむっち』」

 そうして天使の微笑みと共に開帳された瓶詰めの爆弾が、

「私の、友達」


 止めるまもなく起爆した。



『――――【索敵/掌握(searching)】』







759 : P.VS .P ◆l8lgec7vPQ :2025/01/18(土) 16:44:16 OyfqeBho0

 超々至近距離で起爆した不意打ちに、悪魔は驚きを通り越し驚嘆の念すら感じていた。
 善意の運送人(キャリアー)とはかくも鮮やかに奸計を果たすか。

(――――やられたな)

 それは反情報爆弾、或いは"情報爆縮"と呼称される。
 ホムンクルス36号に搭載された機能の一つにして、1度目の聖杯戦争においてガーンドレッド陣営が最も多用した基礎的な付加技能(オプション)であった。
 即ち彼が平時から誇る超高性能な魔力感知。その全力展開ならぬ全力収束。
 瓶の内側から半径数キロにも及ぶ広範囲の魔力情報を一気に吸い上げ、持ち前の解析力で余さず咀嚼する。

 攻撃魔術を一切使用できないホムンクルスの、しかしこれは最も単純にして強烈な情報略奪。
 彼の索敵範囲内では原則的に魔術を纏う存在はその隠匿を許されない。
 距離が近いほどに解析精度は高まり、近距離であれば気配遮断すら貫通する。
 つまり、今このとき、不意打ちの上に超至近距離で被爆したサーヴァントにとっては当然ひとたまりもなく。
 放たれた光彩が、いざ悪魔の正体を暴かんと迫りくる。

(――――いや、まさか、まさか、"ここまでやる"のか、輪堂天梨!)

 してやられた悪魔は今度こそ、少女の成し遂げた暴挙こそを喝采した。
 こんな化け物をどうやって手懐けた。こんな鬼札をどこから取り出した。
 何よりこれら一切を、洗脳されているでもなく、誰の策に操られるでもなく、少女自身による100%の善意でもって動かした。
 それは策士を殺す一手。策謀ですらない、純真なる心がもたらした奇跡を予見することなど、本物の悪魔にすら不可能だ。

(お前はもう魅了してやがるのか、この凶星を。嗤えねえにも程がある)

 天敵と言っても過言ではなかった。
 偶然にも、隠匿および索敵の能力面において彼等は似通った特性を持つが、一つ決定的な差異がある。
 サーヴァントは魔力で編まれた存在である以上、どれほど気配を遮断しても魔力量をゼロにすることは出来ない。
 一方、マスターであるホムンクルス36号は生まれもった極小の魔力を、瓶中に留める技術に優れている。
 よって、気配感知をもってしても気づくことが出来なかったのだ。

 メフィストも警戒を怠っていた訳ではない。
 アサシンの気配を感じ取った瞬間から、敵マスターの気配を常に探っていた。
 しかしそれが、輪堂天梨のリュックサックから不意に現れ。
 突如にして、これほど偏った特性を開帳するなどと。

(―――だが舐めるなよ人形。それで俺の手を見たつもりか?)

 対抗処置。咄嗟の判断による、複合スキルの全力励起。
 メフィストは略奪間際に、宝具を含め致命的な情報を高速で改竄してみせた。
 数枚の札は抜かれたが、すんでのところで、悪魔は正体を白日の下に晒される事態を回避したのだ。

『――――ふむ』

 ややあって、全員の思考に直接届く念話。
 それは机の上に置かれた瓶の中、逆さに浮かぶ赤子から発されたものだ。
 ホムンクルスはぐるりと室内を見回し、おもむろに口を開いた。

『この距離で私の掌握を躱すか。
 キャスターのサーヴァント、ヨハン・ゲオルク・ファウスト。
 其方、気配遮断、察知に優れるサーヴァントと理解した』

 情報爆縮から逃れたという事実だけで分かるものもある。
 放たれた一矢。既に戦いは始まっている。先の爆縮によって、既に開戦の火蓋は切られている。
 二人の少女が事態に追いつけぬままに、メフィストとホムンクルス36号にとって、此処は既に戦場に変わっているのだ。

「こちらが名乗る前から随分な挨拶ですね。ほむっちさん?」 

『ホムンクルス36号だ。其方らはそう呼ぶといい』

「ええ、そのほうが良いでしょうね、お互いに」

「ねえ、ほむっち。今のなに?」

「キャスター、これ……赤ん坊……?」

 一拍遅れ、少女二人がそれぞれの疑問を言葉にし。

『天梨。私は彼等を"物理的には"傷つけない。
 事前の取り決めだ。違えることは決してない。
 だがこうも言ったはずだ。私の目で、彼等を見極めたいと。君はそれを了承した』

『ホムンクルス。魔術師が生み出した人造生命体です。
 それも非常に古い、瓶詰めタイプの。彼について今できる説明は以上。
 それからもう一度言いますが、煌星さん、あなたは勝手に喋らないでください。
 自覚していないようですが、既に我々は攻撃を受けています』

 それぞれのブレーンが押し留める。


760 : P.VS .P ◆l8lgec7vPQ :2025/01/18(土) 16:45:45 OyfqeBho0

「確かに……信用するかはどうかは、ほむっちが判断していいって言ったけど。
 でも相手の人たちに失礼ないように、とも言ったよ?
 私はいま、ほむっちが何をしたのか分からないけど、ぶしつけなことしたのはわかるよ」

『ならばそれは済まなかったと、謝罪する。
 私にとっては、天梨と私の安全確保のために、最低限やらねばならない状況掌握だったのだ。
 偽るつもりが無かったことは、いま私がこうして話し続けていることで、証明とさせてほしい』

「ちょっとズルいと思うな、それ」

『重ねて、済まない』

 サーヴァントから二度も釘を刺され、押し黙る満天とは対象的に、天梨はホムンクルスに対して疑問を投げ続けている。
 同じ高さで言葉を交わし合う彼等を見てメフィストは状況を再確認した。

 やはり天梨はホムンクルスのコントロール下にはない。
 アドバイスや忠言こそ行っているが、ホムンクルスが上位ではなく、なんならホムンクルス側が天梨に気を使っている節まである。
 ならばこの先どのような流れになるか、彼には予想することが出来た。

『しかし、これから話す事項は非常に重要だ。掌握の結果が出た。
 たとえ天梨の感性で、彼らに対し失礼に当たるとしても。
 私は我々の安全の為に言わねばならない。どうか、御身の許しを得たいと思う』

 メフィストフェレスは先程の情報爆縮を切り抜けた。
 読まれたのは一部スキルとステータス、そして改竄後の第一宝具の内容と改竄後の真名とクラスのみ。
 正体を特定する情報は渡していない。だがそれをもって完全に回避したとは言えなかった。
 何故なら、メフィストは自身の情報だけを隠せば良かったわけではないのだ。

「うん、じゃあ一旦聞く。
 ほむっちを信じるって決めたのは私だし。
 でもほんとに、失礼ないようにだよ」

「善処する」

 よって組み立てねばならない。
 この先起こる状況への対処を。

「満天ちゃん。それから、プロデューサーさん。
 勝手なことばっかり言って、本当にごめんなさい。
 私、今日、ここに来る前に、この子と出会って。
 それでたくさんお話しをして、友達になるって決めたから。
 だからもうちょっとだけ、この子の話を聞いてあげて欲しくて」

「構いませんよ。既に流れは決まっていますから」

 心底申し訳無さそうな天梨にそう返し。
 なにか言いたげな満天を目で制しながら。
 メフィストはホムンクルスへと、言葉の続きを促した。

『では、話そう』

 そうして切り出された一言目は、大方予想していた通りの物だった。

『単刀直入に言う。私は彼らとの同盟に強く反対する。
 天梨、君は即刻この場を離れ、以後彼らとの交流は一切断つべきだ』 

「―――!」

 衝動的に反論しそうになったのも、予想通り天梨と満天の二名。
 天梨は一旦聞くと言った自らの言葉を思い出して堪え。
 満天は普通にメフィストに制止されて涙目になっていた。

「なるほど、やはりそのように判断されますか」

『ああ、其方は一切信頼できない。
 まずキャスター。
 自らのマスターにすらクラスを偽り、正体を隠し続ける存在をどうして信頼できる?』

「……え?」

 差し込まれた情報の刃に、分かりやすく反応したのはメフィストではなく、そのマスターだった。
 ホムンクルスの言う意味が飲み込めず、少女は自らのサーヴァントを見上げる。

「あなたは私のステータスを殆ど覗けなかった筈だ。
 適当な言葉でマスターを混乱させないでほしいのですが」

『別にカマをかけたつもりもない。事実、其方はうまく情報を隠しきった。見事な手際だ。
 認めよう、スキル、クラス、宝具、どれも私が読み取った際には既に改竄された後だった。
 しかし"改竄された跡"までは完璧に消す時間が無かったようだな?
 其方のクラス、〈キャスター〉には改竄された形跡があった。にも関わらず先程、そこにいるマスターは、其方をキャスターと呼んだ』

「キャスター……それってどういう……」

『マスターも調子を合わせて、改竄後のクラスで呼称しているなら納得する。
 しかし、その様子を見るにどうやら違うようだ』

「はあ……教育に悪いですね。あなたは」

 ため息を一つ。
 ホムンクルスへ向け鋭利に変じた視線が、背後の少女には見えぬよう注意を払い。
 彼はいつも通りの落ち着いた声音で言った。

「煌星さん。質問なら後で受け付けます。が、今はその時ではありませんので」

「……うん。わかった」

 意外にも素直に引き下がった少女に背を向けたまま。
 メフィストは話の続きを促す。


761 : P.VS .P ◆l8lgec7vPQ :2025/01/18(土) 16:47:48 OyfqeBho0

「うちのを揺さぶっても無駄です。さっさと本命の理由を言ったらどうですか?」

『では続けさせてもらおう』

 事実として、それがホムンクルスにとっての核心。
 瓶の中で彼はくるりと回転し、天梨へと向き直り言った。

『彼等はノクト・サムスタンプと通じている。
 天梨、私は御身に強く忠言する。
 絶対に、奴の息がかかった陣営と関わってはならない。絶対にだ』

(やはり、そうだったのか)

 状況が予想通り混迷していくことに、メフィストは心中で再度ため息を吐き出した。
 と同時に、組み立てていた仮説に確証が得られる。

(ノクト・サムスタンプの存在を把握しているだけでなく、非常に強く警戒している。
 このホムンクルスは十中八九、前回の参加者か)

『なぜ気づいたかは、其方には説明するまでもないだろう』

「ですね」

 ノクト・サムスタンプ。魔術使いの傭兵にして契約魔術のプロフェッショナル。
 かの男の剣呑さについては、直接対面したメフィストも理解している。
 故にこそ、ホムンクルスの警戒も分かるのだ。

 と言うよりノクトを知ったうえで自由意思を維持できた者は皆そう判断する。
 詐欺師を信用してはならない。それは詐欺師と通じてしまったものも同様にだ。
 僅かでもノクト・サムスタンプと関わってしまった者は、既に手遅れと判断して交流を切る。
 それが唯一安全な選択であると。

 そして、ホムンクルス36号/ミロクは、ノクトの危険性を最もよく知る六人の一人だ。
 彼は許容しない、ノクトと繋がっているメフィストと満天を。
 つまりこの同盟は、ノクトとミロク、二者の陣営に分かれてしまった時点で、既に破綻していたのだ。

「やれやれ……使いたくない手だが、他に道は無いか」

 たった数時間で激しく変化してしまった状況。
 混迷深める聖杯戦争の渦中。
 破綻した二陣営のつながりを、しかし彼はまだ諦めていなかった。
 ここで天使との交流を絶たれてしまう事態は、シナリオを大きく遅らせてしまいかねない。

 男は計略を巡らす。
 悪魔、メフィストフェレスは思考する。
 行き詰まりの同盟。破綻した関係を修正するべく。

 この状況を打開する一手を。


762 : P.VS .P ◆l8lgec7vPQ :2025/01/18(土) 16:48:05 OyfqeBho0

「……私から一つ、提案があります」

『断る』

「せめて内容を聞いて下さい」

『何を言うかは分かっている。故に、断ると言っている』

「だとしても、決めるのはあなた一人ではないはずだ」

 促すように輪堂天梨を見れば、合わせるように一声。

「……ほむっち。
 プロデューサーさんは、ほむっちの話を最後まで聞いてくれたんだから。
 私はプロデューサーさんの話も、ちゃんと聞くべきだと思うな」

『…………』

 メフィストにとって満天がウィークポイントになり得るように。
 ホムンクルス36号にとって天梨がそれに当たると見たのは、そう間違ってもいないようだった。

『危険だと判断すれば、輪堂天梨の意思を問うまでもなく。私はすぐさま行動に移す』

「それで構いませんよ」

 コツコツと外から窓ガラスが叩かれるのと。
 メフィストの手元にあるスマートフォンが震えたのは、ほぼ同時だった。
 窓を開け放つと黒い影が会議室の中に舞い込んでくる。

 それは一羽のカラスだった。
 ぐるりと部屋の中を旋回した後、メフィストの手前、つまりホムンクルスの対面の机に降り立った。
 ようするに、そのカラスこそ、彼等とノクト・サムスタンプとの繋がりを掴む証拠になっていたのだ。

 懸念通り、因果は確執として表面化した。
 状況が変わったのは天梨だけではない。満天の陣営もまた、ノクトとの協定という、大きな動きがあったのだ。
 ノクトは契約した大量の使い魔を利用して、東京中に監視の目を配置している。
 ならば同盟相手である満天とメフィストの周囲に、その目が配置されていない道理がない。
 メフィストも目が在ることは分かっていた。気づいていても、それらを爆縮から逃す手立てが無かった。
 秘匿できたのはメフィストの情報のみ。
 周囲で監視していたカラスの使い魔はもれなくホムンクルス36号の探知に引っかかり、こうして2陣営の軋轢に至っている。

『あー、あー、聞こえてるか? 目と耳はカラスで足りてる。
 が、発声の契約までは結んでねえ。悪いがスマホのスピーカーで頼むぜ』

 危険は承知している。
 それでも、やるしかない。
 引き裂かれる2陣営を繋ぐ、これが最後の一手。

 通話越しに聞こえてくるのは軽快な口調。
 反して低く重い男の声に、ホムンクルス36号の警戒が極限まで高まっていく。
 メフィストは通話を繋げたまま、スピーカーモードに切り替えたスマホを机の上に、侵入してきたカラスの前に置く。
 カラスは大人しく机に止まったまま、対する瓶の中の赤子はその赤い目を見据えて言った。



『―――ノクト・サムスタンプ、か』

『―――よぉ、ホムンクルス。
 正直いって驚いたぜ。引きこもりを卒業したとはな』



 こうして、幕を開けた夜の入口にて。
 4陣営、4人のマスターが一堂に会していた。





763 : P.VS .P ◆l8lgec7vPQ :2025/01/18(土) 16:50:29 OyfqeBho0

 大会議室の中心にて配置された机は4卓。
 陣営ごとに独立してはいるものの、方角は大きく2卓ずつに分けられている。
 
 東側の2卓――輪堂天梨とホムンクルス36号/ミロク/ほむっち。
 西側の2卓――煌星満天(代理人:メフィストフェレス)とノクト・サムスタンプ。

 まず最初に口火を切ったのは、この状況を構築した悪魔、メフィストであった。
 彼は心理戦の手管に乏しい満天の代理を務める従者として、この場に臨んでいる。

「急な参加になりましたが、お時間は大丈夫ですか? ノクトさん」

『少しくらいなら構わねえよ。が、ぼちぼち俺も忙しくなる時間帯でね。
 あまり長くは無理だし、会合が終わり次第、おたくらに付けた目(かんし)も切らせてもらう』

「そうしていただいて結構ですよ。
 いちいち防音魔術を行使したり、動物の目を避けて話すのも面倒でしたから」

『やっぱり気づいてやがったのか。食えねえ奴だ』

「あなたにだけは言われたくありません」

『それで? 話し合いをするんだろ? さっさと始めようぜ』

 期せずして開始された2同盟対抗の討論(ディベート)。
 メインテーマは『天梨陣営と満天陣営による同盟の是非』。
 接触直前に相容れぬ2者同士と結びついたしまった彼等の、着地点の探り合い。
 それは水面下で4陣営による、特に内3陣営による壮絶なる腹の探り合いへと発展していた。

 表向きのテーマこそ同盟の是非であるものの。
 到達目標はこの時、各個で全く異なっているのだ。

 まずホムンクルス36号/ミロクは現時点で、この同盟の成立を完全に見限っていた。
 彼は天梨を説得し状況から離脱することを第一目標に行動している。
 施設に接近した時点で、ノクトの使い魔を検知した彼は天梨に即刻退避を提案していた。
 メフィストへ事前通知させずに姿を現したことすら、どうしても会いたいという天梨に対して、最大限譲歩した結果だったのである。
 彼はサブミッションとしてノクト側の情報を引き出す試みを行う構えこそ在るが、それ以上に接触を続けるリスクを重く見ている。

 次に満天の代理たるメフィストは反対に同盟成立に向けて弁舌を振るう。
 変貌しつつあるとはいえど、天使は今も、彼の育てる悪魔にとって成長するための重要なファクターなのだ。
 ノクトをテーブルに付けたのはギャンブルになる側面があったが、それでも必須であると判断した。
 同盟成立には満天陣営がノクトと対等な関係であることの証明が前提条件。
 故に彼はこの場にいなければならない。

 そして唯一リモートで参加しているノクトと言えば、彼は最も気軽な心持ちで臨んでいる。
 何故なら、彼はこの中で最も抱えるリスクが少ない。
 戦闘に発展しても被害は無いし、同盟の成否はどちらに転んでも彼にとって益がある。
 故に彼は、会合を通じて只管に参加者の情報を舐め尽くす算段である。

 最後に、天梨は息の詰まる思いで、ホムンクルスとメフィストを交互に見ていた。
 過去の因果と拭えぬ懐疑。部屋を満たす張り詰めた空気に心が沈む。
 彼女は、こんなことになるなんて思っても見なかったのだ。
 仲間が増え、協力の輪が広がるはずだった。そこに希望を見ていたのに。

「ほむっち……私、満天ちゃんとプロデューサーさんのこと、信じたいと思ってる。
 あなたのことを信じるって決めたけど、同じくらい、この人たちのことも信じたいよ。
 ほむっちが私こと心配して言ってくれてるのは分かるけど、なんとか仲良くできないのかな、みんなで」

『御身の気持ちは承知している。
 御身にすれば、そもそも決まっていた同盟に私が割り込み、妨害している形になっている。
 天梨が信じるというなら、煌星満天とキャスターを名乗るサーヴァントの事を、私も信じてみよう。
 ―――しかし、この男は別だ』

 平和的解決を望む天梨に、ホムンクルス36号は断固とした意を示す。
 カラスの赤い目を指し、
 
『ノクト・サムスタンプが背後にいる以上、御身の友人は既にヤツの支配下にあると見ていい。
 本人達は自覚していないかも知れないが』

 そして最大の侮蔑と共に、それを告げた。

『この男は"前回の聖杯戦争の参加者"にして。
 結果的に、戦争期間中、最も多くの一般人を死に至らしめた凶悪な詐欺師だ。
 断言する、この東京で最も警戒すべき危険人物の一人だと』

 あまりの誹議に、流石に天梨の顔色も変わる。

『ここは一旦避いて、期を改め、サムスタンプの洗脳から君の友人を救い出す。
 そういう話なら、私は協力を惜しまない』


764 : P.VS .P ◆l8lgec7vPQ :2025/01/18(土) 16:52:32 OyfqeBho0

『おいおい、とんだ風評被害だぜ。
 前回、無関係な人間をお構いなしに殺しまくったのは他ならぬ、お前のサーヴァントだったろうよホムンクルス』

 しかし等の本人は涼し気に、倍の口数で打ち返す。

『アレは非道かったよなあ。
 ガーンドレッドの阿呆共がバーサーカーを動かす度に、いったい何人踏み潰されたか憶えてるか?
 お前らは攻撃と補給(たまぐらい)が同時に出来て効率的とさえ考えたんだ。極東の猿が何匹死のうがどうでもいいよと。
 なあ嬢ちゃん? 俺はそれを止めようとしてたんだぜ。本当さ。
 教えてくれよ。この人でなしは、今度はいったいどんな悪辣なサーヴァントを呼んだんだ?』

 カラスの無感情な目が少女を射抜く。
 たじろぐ天梨を庇うように、ホムンクルスの念話が割り込む。

『天梨、間違ってもこれと口を効くな。一言も信じるな。これは言葉で人を飲み込む怪物だ。
 ……それとガーンドレッドの……簡単に一般人を巻き込んで殺害するような魔術師達はもういない。
 私はそのような戦い方はしない。御身が今、疑義を持ったとすれば、それは杞憂だ……』

『―――へぇ、お前、まさか本当にガーンドレッドを切ったのか!?
 そこの嬢ちゃんのリュックから飛び出たときも驚いたが、いやこりゃ傑作だぜ。
 祓葉の玩具からアイドルのペットに転職できたわけだ。大躍進だな』

『―――黙れ』

『さっきから俺や、そこのエセプロデューサーの事を、信用できないだのなんだの好き放題言ってくれたがね。
 こいつらとは対等な同盟関係だぜ。心配しなくても洗脳なんかしてねえよ。
 俺にとっちゃあ業腹ながら、ちゃんと二人とも認めてやってる。
 ま、疑われている根本の俺が言っても、信用できるわけねえか?
 だがよ、そこの可愛い嬢ちゃんこそ、自分が誰と組んじまったか自覚してるのかい?
 そいつこそ、そんなナリだが腐ってもかつての聖杯戦争を破綻させた怪物の一人。
 ホムンクルス36号、ガーンドレッドの奇作、人ならざる思考回路で動く人形に、あんたこれからずっと、命を預けられんのか?』

『そこまでだ。ノクト・サムスタンプ』

 冷えた声音。
 常に平坦だったホムンクルスの念話に、僅か、色が交じる。

『次、天梨に言葉(しせん)を向けたとき、私は実力を行使する』

 機械的だった言葉のペースに隠せぬ感情が走っている。
 それは彼が本気であることを物語っていた。

『やってみろよ。このうえ手札を晒してくれるなら大歓迎だぜ、こっちはな』

「―――ノクトさん」

 故に止めるならここであった。
 起爆寸前まで緊張した空気の中で、メフィストは己が一手が正しかったことを確認した。

「ここは会合の席です。挑発はやめましょう」

『そうだったな、悪い悪い』

 示し合わせたように引き下がるノクト。
 この男を会合に参加させたのはある意味でギャンブルだった。
 彼の存在は大きなリスクを抱えている。
 しかし今、状況を留めているのもまた、ノクトの存在に他ならない。

 会合において、ホムンクルス36号は大きな弱点を抱えている。
 それは彼が、自らの力で実行力を示すことが出来ない点だ。

 繰り広げる弁舌の席に、常に伏せられしカードが存在する。
 暴力、つまりは強制力だ。
 戦争において、全ての交渉はそれを背景に行われる以上、誰も無視できない。

 同盟の破棄を望むホムンクルスは天梨の説得を抜きにして、いつでも目的を達成する手段を抱えている。
 即ち、実力による会合の強制終了。
 ノクトを一番に警戒する彼に対し、ノクト本人を会合に引き入れた時点で、それを行使される可能性は五分だった。

 しかし、今を持って事は起こっていない。
 彼にとっても、ノクトと交流させられているこの状況は看過できない筈だ。
 それでも未だに実行に移さないのはなぜか。

 決まっている。彼にとっても、それはリスクであるからだ。
 自力で動くことすら出来ないホムンクルスが扱う暴力とは、自らのサーヴァントによるモノでしかありえない。
 よってそのカードの表面は、可能な限り見られたくない筈だ。
 特に彼が最も警戒する敵の一人、ノクト・サムスタンプには。
 
 その予測をもって、メフィストはリスクを承知で、会合にノクトの目を差し込んだ。
 ホムンクルスの行動を縛るために。
 状況が推量の正しさを証明し、事の輪郭をクリアにしていく。

(―――結果として、ヤツのサーヴァントがアサシンである可能性はより高まったな。
 ロミオや俺のような変則的な気配遮断を持つタイプなら、多少は武力の示唆を行うはずだ。
 ここまで出し渋るということは、余程タネを知られたくないか、他の事情があるか。
 いずれにせよ、俺とノクト・サムスタンプの視界を同時に塞ぐ出力は無いと見ていい。
 そも、マスターがあの魔力保有量だ。派手な運用は制限されて然るべきか)


765 : P.VS .P ◆l8lgec7vPQ :2025/01/18(土) 16:56:56 OyfqeBho0

 そして実際に彼の予測は当たっていた。
 ホムンクルス36号がノクトを警戒する理由は、ノクト本人の悪辣さに限らない。
 アサシンのサーヴァント、継代のハサン。
 その存在は、他ならぬノクト・サムスタンプにだけは、絶対に知られてはならないのだ。

(現在、私のアサシンの正体を知るは4陣営のみ。
 まずアンジェリカ・アルロニカと輪堂天梨とは同盟関係にある。
 脱出王と蛇杖堂寂句は敵対関係にあるが、仮に彼らがどこかでサムスタンプと通じていたとしても、
 情報がもれる事は無いだろう。なぜなら彼らも私と同じことを考えている筈だ)

 継代のハサンが2度目の聖杯戦争に連続して召喚されている。
 それをノクトに知られる事態だけは避けなければならない。
 彼が継代の存在を知れば何を考えるか。そしてまかり間違って再び手に入れてしまえばどうなるか。
 社会を蹂躙した未曾有の混沌。その再演が行われるのは火を見るより明らかだった。

 結果として、ホムンクルス36号は強制力を封じられた状態で、会合の席から逃れられずにいる。
 そして舌戦の分に置いて、彼は決して弱いわけではなく、むしろ明晰な頭脳と状況把握能力を備えた強者であった。
 それでも、この場においては、一歩劣ることは否めない。

 ここまで交わされた僅かなやり取りだけで、彼は幾つもの情報を引き抜かれていた。
 契約を極めし正真の悪魔、かつて一つの社会基盤を崩壊に追い込んだ詐欺師。
 かれらを同時に相手どるのは、狂気のホムンクルスにも至難であったのだ。
 このまま討論のフィールドにおいて戦い続けても趨勢は明らかであり、

『ではこちらからも問うが』

 故に、彼が打ち込んだ反撃は実に見事な着眼である。

『其方らが対等な同盟関係だと仮定しよう。
 であれば、そこの異様なるサーヴァントを、ノクト・サムスタンプはどれほど理解している?
 何を根拠に信用に足ると判断した』

『ほお、興味深い話だ。
 俺の目からは典型的な支援型宝具を扱うタイプのキャスターに見えたがねえ?
 お前は違うのかよ、ホムンクルス』

『彼は少なくとも自らのステータスを改竄するスキルを所持している。
 それも相当の高ランクだ。
 見かけの数値は全て信用ならない』

『―――へえ、そりゃいいこと聞いたな』

 話の水向きが変わった。
 会合において、ノクトが引き出そうとしている情報は、ホムンクルス36号のものだけではない。
 善意によって嘘のない同盟を結んだ天梨陣営に対し、ノクトとメフィストの同盟は今もビジネスライクな腹の探り合いを含んでいる。
 ホムンクルスはそこに、敵陣営の弱みを見た。

「支援、補助型の能力にとって情報は命です。
 改竄スキルの搭載はむしろ自然な部類でしょう」

『自身を召喚したマスターすら欺く改竄は自然の域か?』

『夢(げんそう)を守るのもお前の役目ってわけだ。
 仕事が多いなプロデューサー』

「それが必要なことなら」

 ノクトは正面のホムンクルスからの質問に答える体で、

(―――エセプロデューサーのやつも、ホムンクルスの探知能力は想定していなかった筈だ。
 ステータス改竄が本当なら、宝具以外の情報は修正するべきだな。
 しかし奴はどこまで正体に近づいた?
 例の他者強化型宝具の詳細につながるヒントを、奴を介して得るチャンスはあるか?)

 横方向にいるメフィストの能力に探りを入れる。
 これがメフィストにとっての、ノクトのリスクに他ならない。

「先程からこちらの陣営ばかり質問を受けていますが。
 私が気になるのはむしろ、あなたの立ち回りですよ。
 ホムンクルス36号さん。こちらの目線では、あなたが輪堂さんを抱え込んだ経緯は不明瞭だ。
 あなたが現在も――そう、『フツハ』さんの指示で輪堂さんを操っていない保証を得られていない。
 ともすれば、糾弾されるべき立場は逆転するでしょう?」

 それは先程の彼らの会話の中でこぼれ落ちた『"祓葉の玩具"(キーワード)』を装填した、即席の狙い撃ち。
 メフィストもまた、ノクトの方を向かぬままに反撃を返している。

『……茶番だな。だが、答えてやろう。
 私の忠誠は常に神寂祓葉の元にある。
 しかし、それは友誼の締結を損なうものではあり得ない』

 亡霊たちは誰一人、"彼女"に関する問いかけを無視できない。

『友誼によって得た光を、忠誠によって天上へと昇華させる。
 この身体に、二心はない』

 ノクトの零した名前から探る、始まりの情報。
 ホムンクルス36号は既にノクトから開示されている情報と判断し、それを引き出される。

(なるほど―――"カムサビフツハ"。それが白き少女の名か)


766 : P.VS .P ◆l8lgec7vPQ :2025/01/18(土) 17:01:11 OyfqeBho0


 そして、伸ばす手はここで満足しない。 

「では、"あなたも"……?
 その少女が、輪堂天梨が、"彼女"に届くと?」

『……………』

 ホムンクルスは答えない。
 しかし沈黙はときに、声よりも雄弁に語るものだ。

(なるほどな。お前たちのことが、また少し分かったよ)
 
 "神寂祓葉という宿命から、彼ら六人は決して逃げられない"。
 かつて身を焼き尽くした極光を忘れられない彼等は今も、燃えながらに求め続けている。
 彼女に届く程の光を。
 
 彼等の狂気はそれぞれ別の色に染められている。
 星に至る可能性を探求し続けるもの。
 あの星に並び立つ可能性など、何処にもないと切り捨てるもの。
 或いは自ら、新たな星を擁立しようとするもの。

 恒星の資格者。
 ノクト・サムスタンプが十二時過ぎの悪魔にその可能性を見たように。
 このホムンクルスは天の翼、日向の天使に―――
 
『―――はッ』

 空気を切り裂いた嘲笑。
 メフィストは違和感を覚える。
 なぜなら、それは、かの合理的な男にしては非常に珍しい。
 ありえないと言っていい程の、不必要な仕草だったのだ。

『そのガキが……か?』

 ノイズ混じりの音声。
 装飾された感情に、ほんの僅か、地金が乗る。
 先程のやりとりとは真逆だ。

『お前はそのガキに資格があると? 祓葉を堕とすに相応しいと?』
 
 カラスの眼が、輪堂天梨を見据えている。
 内側を見通すように、穿つように覗き込んでいる。

『そいつは有名人だからな。俺も今日まで、何度か調べさせてもらったが。
 ……哀れなもんだ。ガーンドレッドの名作はとっくに壊れちまったわけだ。
 なるほど保護者をぶっ殺したことを含めて、合点がいったな。
 お前、とんだ見当違いだぜ』

 先ほど、己の中の神寂祓葉に触れられたときに、ホムンクルスが見せた感情(しんい)。
 それと同種の何かを、男は今、無自覚に発している。
 哀れみ、嘲り、怒り、どれも違う。
 
『直接手を下すまでもなさそうだ。
 予言してやる。
 お前の末路は自滅だ。前回と同じだよ、ホムンクルス』

 狂気。これこそが彼等の狂気だ。
 "彼女"が関わったとき、"彼女を通じて繋がっている彼等"が関わったとき。
 それは激しく発露する。
 合理の数式を、無垢なる生命を、それは歪に歪めてしまう。

『天使だと?
 こんな紛い物が、話になると考えたのか?』

 これがあの光に至ると?
 俺達を焼いた熱に届くと?
 天使が、神寂祓葉と同じ高度に至ると?

『可愛そうなお嬢さん。あんたはただの良く出来た偶像だ。見てられねえな、心が痛むぜ。
 悪いことは言わねえよ。壊れちまった人形からは距離をおきな』

 冗談じゃない。
 同じ熱を受けた一人として、到底看過できない恥辱だ。
 このような偽物を、あの光と並べるなどと。


767 : P.VS .P ◆l8lgec7vPQ :2025/01/18(土) 17:03:11 OyfqeBho0


『――――私の光を、そして友人を、侮辱したな』

 だがその狂気の理論は逆の立場にも適用される。

『壊れているのはお前の方だ。ノクト・サムスタンプ。
 合理の数式が今や見る影もない。
 それを自覚すらしていない、醜悪な詐欺師の末路がそれか』
  
 このホムンクルスもまた狂していた。
 視線は、悪魔憑きの少女にむけられている。

『その少女に資格があると? 神寂祓葉に並び立つと?』

 自らを捧げた忠誠に。
 輪堂天梨に勝る器が、コレにあると言うのか。

『私の掌握は、其方の少女をも巻き込んだ。
 故に、揺るぎない結論を伝えよう。
 ―――まるで話にならない』

 煌星満天を指し、無垢は断ずる。
 彼は心から、それを言い切れる。

『悪魔だと?
 このような凡俗を彼女にあてがうなど、見当違いも甚だしい。
 どうやら、サムスタンプの妖精眼(グラムサイト)は腐り落ちてしまったようだ』

 これがあの光に至ると?
 我等を焼いた熱に届くと?
 悪魔が、神寂祓葉と同じ高度に至ると?

『この娘は狂った詐欺師と得体のしれないサーヴァントに唆された、哀れな凡人にすぎない』
 
 冗談ではない。
 同じ熱を受けた一人として、到底看過できない恥辱だ。
 このような偽物を、あの光と比べるなどと。


768 : P.VS .P ◆l8lgec7vPQ :2025/01/18(土) 17:04:42 OyfqeBho0


『会話にならねえな』

『同感だ』

 ノクトの参加については結局のところ、これが真のリスクだった。
 はじまりの六人。
 彼等は決して相容れない。
 部分的に一致する側面があったとしても、最終的には根本の狂気が互いの存在を許容しない。

 中でも、"彼女の解釈"だけは、天地が反転しようとも一致することはないのだ。
 それはつまり、彼女に届く者、恒星の資格者の解釈についても同義であることを意味する。
 
 共に、やがて太陽に届きうる資格者を見初めた狂気の衛星。
 天使の少女を擁立した忠誠。
 悪魔の少女を擁立した渇望。
 彼等はそれぞれ認めた星が、太陽に届くことを期待している。

 しかして、彼等が"他の資格者"を認めることは絶対にあり得ない。
 自分以外の、異なる狂気が見出した色を彼等は決して容認しない。
 他の星(かいしゃく)が、神寂祓葉の隣に立つ未来など、認められるわけがない。

 つまり、何処まで行っても、狂気に燃える二者の言葉は平行線。
 この会合は最初から―――

『限界だな。それに―――次は無いと言った筈だ』

『だったらどうする、ホムンクルス? 勝負(ベット)するか?』

『そのようにしよう。警告だ。其方ら、使い魔を含め、全員即刻この場を立ち去れ。
 5つ数えても退去を開始しない場合。実力行使を開始する』

 こうなる宿命にあったのだ。

「ノクトさん、流石に挑発が過ぎます」

『いいじゃねえか、プロデューサー。俺達の目的に、あの天使(ガキ)は本当に必要か?
 それに、ここでホムンクルスの手札(サーヴァント)が見れるなら損はない』

「ほむっち、本気じゃないよね?
 駄目だよ……そんなことしたら……」

『心配ない。私も、私のサーヴァントも、決して彼らに危害は加えない。
 約束は守る。虚言はない』

 膨らみきった緊張は臨界を迎え、遂に弾ける。


『―――そもそも、限界を迎えたのは私ではないのだ』

「……え?」


769 : P.VS .P ◆l8lgec7vPQ :2025/01/18(土) 17:10:31 OyfqeBho0

 その時、天梨の背後。
 防音加工を施された壁が一瞬にして落ち窪み、同時、天井まで漆黒の火炎が吹き上がった。
 次いで空間を引き裂くような風切り音と、金属を引きずるような高周波の悲鳴が遅れて飛来する。
 黒と銀の閃光。衝突が齎した火花によって天梨の視界が僅かに眩んだ次の瞬間には、その状況が目の前にあった。

 会議室の東側と西側、両陣営に挟まれた中央にて、激突する2騎の英霊。
 共に、その手に握る得物は剣(つるぎ)。
 片や、歪にねじ曲がった血濡れの妖刀(イペタム)。
 片や、装飾絢爛きらびやかに輝く細剣(レイピア)。
 しかしてどちらも、剣士(セイバー)のサーヴァントではない。

「下らない戯言を吐き散らしやがって、これ以上は耳が腐る。
 そこの人形(ニポポ)に同意するのは癪だが、俺にも我慢の限界ってもんがあるんだよ」

「駄目! アヴェンジャーっ!」

「愚図が、決められないなら俺が裁断してやるよ」
 
 権謀術数飛び交う会合。それは彼にとっての特大の地雷だった。
 知略を武器し言葉を毒とする者たちの腹の探り合い。
 人を利用し、騙し、操り、裏切り、浅ましい勝利にありつこうとする醜悪な詐欺師の弁舌。
 それらがどれほど、彼の神経を逆撫でしたかは想像に難くない。

「お前らは全員、手足のついたクソだ。死に果てろ」

 東側、復讐者(アヴェンジャー)のサーヴァント、シャクシャイン。 
 突如として霊体化を解き、対面する陣営に襲いかかった青年は、主の制止を無視したまま、自らの剣を受け止めた者を見定めた。

「気狂いか。話す価値もない」

「……急に怒り出してどうしたんだ君、危ないじゃないか」

 西側、狂戦士(バーサーカー)のサーヴァント、ロミオ。
 静かに怒りを滾らせるシャクシャインに対し、彼は平時の朗らかな笑顔のまま――否。

「それと……勘違いじゃなければ君……いま、ジュリエットに触れようとしたのかい?」

 彼の頬が歪んでいる。
 それは笑みではない、あまりの怒りに、顔面の筋肉が釣り上がって見えるだけだ。

「ああ? そこの薄汚い和人(シャモ)のことか?
 ちょっと誂おうとしただけさ」

「……今、彼女を愚弄したか?」

「他にどう聞こえたんだよ、盲人(シクナク)」 

 熱病に浮かされたように赤らんだ頬が震える。
 美麗なる顔貌が怒りによって信じがたい形相を作り出す。
 血走った眼光が強烈な光を放ち、均整の取れた体躯に雷撃の如き衝動を送り出す。
 恋に狂える青年のそれが、狂戦士足らしめる所以であった。

「―――取り消せ」

「断ると言ったら?」

「僕が死をもって償わせるッ!!」

 爆裂する狂戦士の殺意。
 応じて剣戟を放つ復讐者の怨念。
 開かれてしまった戦端、もはや状況は止まらない。
 混沌の淵へと転がり落ちていく中で、取り囲む策謀の声は未だに止んでいなかった。


770 : P.VS .P ◆l8lgec7vPQ :2025/01/18(土) 17:13:26 OyfqeBho0

『この通りだ。残念だが私の手札は開かれない。
 代わりにおそらく、お前のカードが捲れたな、サムスタンプ。
 恋に狂ったロミオ。真名のわかりやすいサーヴァントだ。
 バーサーカーが新しい従者とは、壊れたお前に相応しい』


『お前の手だって十分透けたさ。精々アサシンかキャスターってところだろ。
 なんにせよガーンドレッドを切った以上は真っ当な戦力じゃねえ。
 それに生憎と俺のバーサーカーは見せ札に近い。
 ハ……復讐者か、お嬢ちゃんのサーヴァントだって十分な情報だろうが』


『負け惜しみなら自由に述べるがいい。
 だが忠告しておく。
 そちらのバーサーカーが持ちこたえている間に逃げておけ』


『言葉をそっくりお前に返すぜ。
 アヴェンジャーが殺されねえうちに逃げておくのが身のためだ』


「あ」


「そうか―――君もまた愛のために剣を握る騎士かッ!」


「死ね」


「愛ゆえの怒り、悲しみ、憎しみ、分かる! 分かるぞ!
 だが、僕はッ! 僕はッ! 君を許すことが出来ないッ!」


「アヴェンジャー、止まってッ!」


「ノクトさん、バーサーカーを止めてください」


『プロデューサーサン、悪いがそりゃ出来ねえ相談だ。
 ああなったバーサーカーは誰の話も聞きゃしねえよ。
 まあ、令呪でも使えば話は別だがね。もちろん、無料(ダタ)ってわけにはいかねえがな。
 簡単な契約を結んで貰えば一画くれてやらんでもない。
 どうだ、買うかい? 安くしとくぜ』


「こんな時まで交渉ですか……食えない人ですね」


『お前に言われたくはねえな』


「あの」


「愚かな罪人よ、我が妻の名誉を傷つけた咎、冥府で裁かれるがいいッ!」


「ぬかせ、膾切りにしてやるよ」


「あのー」


『天梨、やはり撤退するべきだ。
 アヴェンジャーが君の友人を傷つけてしまう前に』


「アヴェンジャー! いい加減にしないと私も―――!」


「う」


「どうする? 暴走したロミオは天使を巻き込んじまうかも知れないぜ?
 その前に買っといた方が良いんじゃないか?
 悠長してると値上げしちまうぞ、エセキャスター?」


「うーー」


「必要ありません、ご心配なく」


「うーーーー」


「悪よッ! 愛の前に消え去るがいいッ!」


「るーーーーーーーー」


「クソども、一秒たりとも息を―――」


「さぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁいッッッッッッ!!!!!!!!」


771 : P.VS .P ◆l8lgec7vPQ :2025/01/18(土) 17:20:41 OyfqeBho0


 きぃん、と。
 高らかな絶叫とハウリング。
 スピーカーもない部屋の中心で、突如発生した大爆発と大爆音。

 その時、その場、全員の声が止んでいた。
 剣戟を交わし合っていた二騎ですら、鍔迫りあった姿勢で固まっている。 

 爆心地。

 静寂の中心に、全員の視線が一点に集まっていく。
 そして、その渦中に一人立つ、角と尻尾を生やした黒髪の少女は、


「全ッ! 員ッ! うるさいッッッ!」


 ―――煌星満天はブチギレていた。


「資格がどーだの、知らない誰かと比べてどーだの―――」


 勝手に叫んで、勝手に動いて、勝手に会議室を爆破して。


「天使だの悪魔だの太陽だの星だのあーだのこーだのぐちぐちねちねちごちゃごちゃうるさーーーーーいッッッ!!」


 悪魔の少女は、大きく息を吸って、その場の全てに告げる。


「いい!? これはッ! 私と!」


 自らの胸をドンと叩き。


「天梨の!」


 対面する少女をビシッと指し。


「私と天梨の同盟なんだ!」


 この場で唯二人だけの主役を名指し。


「あんたらなんかに横から指図される筋合いない!」


 その他全ての、端役共に宣言する。





「外野は全員―――すっっっっっこんでろッッッ!!!」


772 : P.VS .P ◆l8lgec7vPQ :2025/01/18(土) 17:24:18 OyfqeBho0

 暫しの間。
 しぃんと、流れた静寂に、どれ程の間があっただろうか。
 ことの再開は怨念に塗れた男の口から発せられた。
 
「おい。つけあがるなよ、和人の餓鬼が」

 鍔迫りあっていたイペタムの刀身が高速で延長される。
 ロミオの細剣を刀身で抑え込んだまま、切先は満天の喉元に突き刺さる寸前で静止した。

「―――っ―――ぁ」

 同時に飛来する津波の如き殺意の奔流。
 襲いかかる恐怖によって、一瞬にして、少女は呼吸すら覚束ない。
 動けない。少しでも動けば喉笛を穿くと殺意が告げいている。
 いや、動かずとも―――

「お前の身体はもう半分以上も人間を辞めてる。
 つまり『対象外』って解釈でいいか、なあ?」

 この距離からでも狙うことは可能だった。
 彼の宝具の特性をもってすれば、しかし、

「いい加減にして」

 その前に、もう1人の少女の声が、喧騒に終止符を打っていた。

「アヴェンジャー、これ以上続けるなら私も、"令呪をもって命じる"―――」

 輪堂天梨は既に令呪発動段階に移行している。
 あと一言、具体的な指令を述べれば、それは強制力を持ったカタチで復讐者に降りかかるだろう。
 それがたとえ、彼の生を、彼女の悪夢を終わらせる指令だったとしても。

「は―――止めたいなら好きにやれよ。
 ただし俺を殺すなら、その表情をちゃんと見せてくれよな」

「いけません、輪堂さん」

『止まれ、天梨。御身が動くことではない』

 肯定が一つ。
 否定が二つ。
 それぞれの表情を見回して、天梨はゆっくりと首を振った。




「―――"私の大事な人達を、傷つけないで"」




 こうして、混沌を極めた4陣営の会合は、ようやく終わりを告げたのだった。



「同盟の形は私が決めます。それで良いでしょう?」



 ■


773 : P.VS .P-2 ◆l8lgec7vPQ :2025/01/18(土) 17:26:18 OyfqeBho0

 /Versus Ⅰ




「うわぁ、結構広いねえ」

「ほんとだ……」 

 二人で一緒に、重くて大きな扉を押し開けると、私達の間を木の匂いを含んだ空気が吹き抜けていった。
 目の前には斜め下への階段状の傾斜と見渡す限りの椅子の背中、そして更に向こうには幕を開けっ放しにした舞台がある。 
 立ちすくむ私とは対象的に、隣の女の子は軽やかに階段を降りていった。

 光量の変化に目が慣れない。明るかった廊下に比べて、ここは薄暗い。
 このホールの客席は400人以上も収容できるらしく。
 多分それなりの音響設備と照明が整っている。
 だけど今は舞台の周辺にしかライトは当たっておらず、客席の後方はかなり暗かった。
 ふるりと、私の背中に寒さに似た緊張が走る。

「でもここ、もう来週から利用できないんだって」

「そ、そう……なんだ、なんだかもったいないね……」

「ねー」

 足元を見ながら舞台の方へテクテク歩いていく天梨を、私も急ぎ足で追いかけた。
 暗い場所には、なるべく居たくない。

「ほら、満天ちゃん、前の方まで行ってみよ」

「……うん」

 もめにもめた会合がようやく終わって、私と天梨は二人だけで区民ホールに移動する事になった。 
 私と天梨の、というか天梨の毅然とした宣言によって、最終的に同盟はこのような取り決めに纏まった。

 同盟は4陣営の連合ではなく、あくまで"輪堂天梨と煌星満天の個人的な同盟"であるとする。
 4陣営は休戦協定を結ぶが、直接接触する場合は天梨と満天の2者間でのみ。
 電話やメッセージなどの遠隔的連絡も必ず本人らが直接行う。
 ノクト・サムスタンプの陣営とホムンクルス36の陣営はやり取りに一切関与しない。
 細かい注釈は幾つも付きそうだけど、大きな要素は大体そんなところ。
 これ以上は天梨が一切譲らなかったので、ホムンクルスも渋々了承したらしい。
 
 そんなわけで今はまさにその、2者間における直接対面の時間。
 お昼の時点ではキャスターも参加するはずだったのだけど。
 私達が会う時は緊急時以外はお互いのサーヴァントも姿を現さないと決めたので、今は本当に私と天梨の二人きりだ。
 他の人達はいま、2部屋ある楽屋に各同盟ごとに分かれて待機している。

「見てほら、舞台も結構大きい」

 先にホールの端までたどり着いた天梨が壇上に登って待っている。
 客席に比べればまだ明るいけど、どうやら発光している投光器の数が少ないみたいで、薄い影が出来る程度の光だった。
 安心させてくれるには、まだちょっと頼りない。
 
 私もおずおずと壇上に上り、こっちこっちと手招きする天梨の隣に立つ。
 二人で並んで、無人の客席を眺めた。

「満天ちゃん」

「ハイ」

「誰もいないね」

「ソウデスネ」

「あ、そうだ、楽しみだね! 対談イベント。
 そろそろ会場も決まって、早ければ明日にでもやるってマネージャーさんから聞いたよ?
 満天ちゃんのプロデューサーさんとスケジュール調整してくれてるんだよね?」

「ウン」

 もっとなにか気の利いたこと言わないと。
 あの、えと、その、あの。
 ていうかこの状況、え?
 バレてないと良いんですけど、実はですね、私はあの、その、あの。

「満天ちゃん」

「ハイ」

「ふふ……緊張してる?」

「……ハイ」

 普通にバレてた。
 いや無理無理無理無理。
 お昼は電話だったからまだ喋れたけど直接会ったら無理無理無理。
 私いま、あの輪堂天梨と、ドームですら余裕で満員御礼だったスーパーアイドル・エンジェの天使と並んで舞台に立ってる肩並べてる凄い凄い凄い緊張する。


774 : P.VS .P-2 ◆l8lgec7vPQ :2025/01/18(土) 17:27:41 OyfqeBho0

 うぅ、あんなに色々大揉めして、せっかく掴んだ時間なのに。
 どうしよう……キャスターも居ないし……。
 
「もう……さっきは怖い人たちに凄い啖呵きってたくせに」

 ……いや駄目だ、キャスターも言ってた。
 私はもう、この子の前に、対等に立たなきゃいけないんだ。
 アイドルとしてまだまだ勝てなくても、マスターとしては同等に。

 いいやアイドルとしても、真正面からぶつからないと。
 たとえ、まだ勝てなくても、私はまだ、負けてない!

「ほら、こっちむいて」

 そうだ。
 ちゃんと正面から顔見て。
 彼女としっかり話いや距離近、アッ、カワイッ、ワァ……。
 
「喉……大丈夫だった?」

「――――っ」

 伸ばされた天梨の手が、私の首元に触れた。
 同時、あの恐ろしい復讐者の切っ先が、私の喉に触れた瞬間の冷たさを思い出す。
 身震いするほどの怨念と殺意、あの時、男は本気で私を殺そうとしていた。
 今日始めて会う私のことを、心の底から恨んでいるのが伝わって。
 本当に、怖かった。

 だけど今、私の頭を冷やしたのは、あの瞬間の恐怖を思い出したからじゃなくて。
 天梨の手に刻まれた赤い画の、カタチを見たからだった。

「ごめん……」

 ようやくマトモに話せたのは、そんな言葉。

「どうして謝るの?」

「だって、令呪……」

「……令呪?
 こんなの全然、謝ることじゃ――」

「謝ることだよ!」

 申し訳なくて、さっきとは別の意味でちゃんと話せてない。
 天梨の令呪が一画減った。
 それがどれほど深刻な意味を持つのか、馬鹿な私にだって分かるよ。
 キャスターからも聞いてた通り、彼女はあんな危険なサーヴァントと1ヶ月も一緒にいたんだ。
 令呪は、たった3回しかない命令権。それは天梨が復讐者を抑え込む、唯一の方法なのに。

 私は何も分かってなかった。
 天使は無知な大衆の声に苦しめられてる。
 それだけじゃなかった。
 根拠のないスキャンダル、誹謗中傷、心無い声に責め立てられながら。
 あんなにも恐ろしい、殺意を振りまく存在を身近に置いて抑え続ける。
 それは、一体、どれほどの地獄の日々だったろう。

 私は本当に大馬鹿だ。
 今日の会合だって、キャスターが天梨の置かれた状況を打開するために設けた場だったのに。
 私がキャスターの言いつけを破って、出しゃばって、余計な事して、全部めちゃくちゃになってしまった。
 彼女の助けになるどころか。彼女に助けられて、令呪まで削らせて。
 私が天梨を追い込んだ。怒られて、ぶたれて帰られても文句言えないのに。

「満天ちゃん」

 きっと、私はどこかで調子に乗っていたんだ。
 この頃ちょっとだけ仕事が増えて、少しずつ上手く行き始めて。
 キャスターに、天使を救えるのは私だって言われて、舞い上がって―――

「満天ちゃん、聞いて」

「ふえ?」

 不意に、天梨の手が、私の手を掴んで引き寄せて。


「―――ありがと」


 私の左手を両の手で包み、彼女は真っ直ぐに私の目を見て、そう言った。


「……天梨ちゃん?」

「今日は、ありがとね。お礼を言いたかったんだ。
 だって満天ちゃんのおかけで、私も勇気を出せたんだよ」

「なんで……私、結局なにも……」

「やっとこれ、使えたんだ」

 私の手を覆う天梨の手に、その令呪は今もまだ刻まれている。


775 : P.VS .P-2 ◆l8lgec7vPQ :2025/01/18(土) 17:29:00 OyfqeBho0

「言葉だけは、ずっと前から考えてたんだ。
 本当はもっと早く、言うべきだったことなの。
 でも、ずっと勇気がなくて、だってほら、減っちゃうのが怖かったから。
 それでこの一ヶ月、あの人に守ってもらうばっかりで、何も答えられなかった」

 赤い光とともに一つ弾けて、残り2つの命令権。
 天使の、命綱。

「私、あんな迷惑な人を呼んでおいて、自分は死ぬのが怖いんだ。ずるいでしょ?」

「そんな、こと……」

 怖いのは当たり前だよ。
 私は運が良かったんだ。私の味方になってくれるキャスターが来てくれて。
 だけど天梨は、復讐者を傍に置くしか無かった。
 他人のための令呪なんて、簡単に使える訳がない。

「それにアヴェンジャーだって、元は悪い人じゃなかったんだ。
 たしかに怖いけど、それよりもずっと、悲しい人なの、だからどうしても……私は……」

 なのに天梨は、ずっと考え続けていたのか。
 自分以外の、周囲の人達のこと。
 この街の人達のこと。私なんかよりもずっと、前から、あんなにも苦しい環境に置かれながら。
 アヴェンジャーのことだって、恨み言一つ言わずに、令呪で縛ることもなく今日まで交流を続けてきた。

 いま、やっと分かった。
 輪堂天梨は強い。強くて凄いって、前から知ってはいたけど。
 パフォーマンスや美しさだけじゃない、本当の意味での天使の強さに、私は触れたんだ。
 それは想像を超えた心の強さ。

「今日だって、状況に流されるばっかりで、どうしようどうしようって、混乱するだけで。
 だけど、そんなときに、満天ちゃんが目の前でどっかーんって言ってくれたから」

「ウン……ソノセツハスミマセン」

「なにも知らないやつらは、外野はすっこんでろって。
 あれ、ちょっと嬉しかった。
 だから私もやってみようって、思えたんだよ」 

「……天梨ちゃん」

「ふふ、別に"天梨"でもいいよ。さっきみたいに」

「アッ……イヤ……アレハイキオイデ……」

「ほんとにいいのに……。
 とにかく! そういうことだから。満天ちゃんは謝る必要なし!」

 ぱっと手を離した天梨がこちらを見たまま、数歩後ろに下がる。

「出発まで、あとどれくらい時間ある?」

 いたずらっぽく微笑みながらゆっくり後ろに下がり続ける天梨を見ながら。
 私はネックレスに繋げた懐中時計を懐から取り出し、覗き込んだ。
 だけど周りの光が足りず、時計の針を読み取るには不足している。

「わ」

「あれ」

 目を寄せていると、上からいきなり強い光が当てられた。
 急激な光量の変化に一瞬目が眩む。
 調節を終えた視界で表示された時刻を確認し、もう一度、天梨の方を見ると―――

「あと、10分くらいだけど……まぶしっ……なにこれ」

「なんだろうね?」

 舞台の中央、西と東、私と天梨の立つ丁度2箇所に、舞台のスポットライトが当たっていた。
 ちりちりと身を焼くような眩い光が、私と天梨の全身を包み込んでいる。 

「照明さんがいるのかな? それならちょうどいいや」

 誰がやったのだろう。
 キャスターか、区民ホールのスタッフか。
 なんてことを気にしている私の前で、天梨は光の中心でくるっと軽やかに一回転し、


「ね、ちょっと勝負しよっか?」


 なんか、とんでもないこと、言った。


 
 ■


776 : P.VS .P-2 ◆l8lgec7vPQ :2025/01/18(土) 17:31:19 OyfqeBho0

 二人のアイドルの対決。

 その直前、ホールに隣接した西側の楽屋にて。
 彼等の戦いは継続していた。

『大切なアイドルに付いててやらなくていいのかよ?』

「今、彼女らの舞台に私の存在は邪魔になるだけです。
 舞台を整えるのが私の仕事。舞台の上はもう、彼女らの戦場です。
 輪堂天梨に伝えるべき助言は託しましたし。 
 時間は限られている、効率的に進めましょう」

 楽屋の中、一人佇むスーツ姿の男―――メフィストフェレス。
 彼は今、スマートフォンが発する電波の向こう側にいる男――ノクト・サムスタンプとの情報交換を続けていた。

 メフィストが直接、天梨に接触することは叶わなくなった。
 よって、アドバイスを2つ送るに留めている。
 それは残り2画の令呪の切りどころ。悪神を抑える2札の指南。
 とはいえ、本来は3画で完成するはずの策が、先程破綻してしまった。
 やはり悪魔の成長を急がねばならない。天使が天使(ラスボス)であるうちに。

「それにしても……まったく嫌われ者にも程があるでしょう。
 お陰で大変苦労させられました。
 前回なにをやらかしたんですか? あなたは」

『……俺のせいでお前らの交渉が拗れたのは素直に詫びるさ。
 だが結果的に上手くやったじゃないか。
 流石は俺の見込んだプロデューサーとアイドルだ』
 
「お世辞は結構です」

『世辞じゃねえよ。これでも結構、俺は本気で関心してるんだぜ?』

 カラスの使い魔は既に施設を飛び立っている。
 今はスマホにる通話のみで、彼等は会話を続けている。

『さっきお嬢ちゃんがぷっつんした時には驚かされた。
 確かに一瞬でしかなかったが、起こった現象はしかと見せてもらったぜ。
 お前の触れ込みは間違っちゃいなかったようだ。
 そのうえで、一つ分かったことがあるんだが。
 お前の言った他者強化型宝具―――ありゃブラフだな?』

「ふむ……なぜそうお考えに?」

『そりゃ俺の得意分野だからだよ。
 見立てがズレてなきゃ、おそらく世にも珍しい契約宝具だ。
 そいつがお嬢ちゃんの身体―――いや魂と融合してる』

 メフィストはメガネを押し上げる。
 そして再確認する。こいつは、やはり危険な男だ。
 幾ら契約魔術のプロといえど普通、使い魔越しの視線で見抜けるものではない。
 今後も最大の警戒をもって接した方が良いだろう。

『それ以上のことはさっぱりだが。
 やはりお前らの契約は俺が横から手を出せる代物じゃねえな。
 末恐ろしい奴だ、まるで悪魔の所業だよ。
 お前があの天使(ラスボス)とやらに拘るのもこの辺が理由か―――』

「そうかも知れませんね」

『あるいは、それが"お嬢ちゃんのルール"に関係するのか』

「――――」

『おっと、電波が悪いな。
 それともこの話はタブーだったか?』

 通話の向こうで、声の調子が少し変わる。
 そう、これは未だに、戦いなのだ。


777 : P.VS .P-2 ◆l8lgec7vPQ :2025/01/18(土) 17:31:48 OyfqeBho0

『あのイカれたホムンクルスには感謝だな。
 お陰で随分と観察できたよ。
 アンタじゃない、俺は会合の間ずっとお嬢ちゃんに注目してたんだぜ?』

 彼等は同盟関係にあるが、決して味方ではない。
 腹の探り合いは、騙し合いは、今日の昼から一度も途切れることなく続いている。

『煌星満天。本名、暮昏満点。
 対人能力に重大な欠陥を持つアイドル志望の女子高生。その程度のことは会う前に調べたさ。
 暮昏のスペアがなんでこんな所に居るのか気なってはいたが』

「なにか驚くような情報でもありましたか?」

『いいや全くだった。
 それに実際見ても、ロクに魔術も継いでねえ、なんのことはない普通のガキだった。
 見る目のねえホムンクルスの言った通り、ぱっと見は凡俗極まりない。
 だが、さっきの様子で俺には少しだけ読めたぜ。実に興味深いハナシだ。
 確かに、あの娘は元々不器用で、コミュ障で、なんら特殊な能力を持たない、つまらねえ凡人だった。
 それでも、あいつにはただ一点、他の人間と違う部分がある』

「……あなたへの認識を少し、改めましょう」

「そりゃ光栄だ」

 差し込まれたメフィストの声音には何の変化もなかった。

「女王との契約は不便でしょう」

「……そうなんだよ。分かってくれるか?」

「ええ、妖精眼(グラムサイト)は有用ですが、そのために昼の行動を制限されるのは辛い筈だ」

「まあな。ホムンクルスが口を滑らした件で察してくれたのかよ?」

「いいえ、ひと目見たときに気づきましたよ。
 妖精眼だけじゃなく、夜そのものとの調和すら結んでいるはずだ」

「流石、良い目だな」

「それはこちらのセリフです。
 夜に愛された目で、あなたは太陽を見上げている。
 夜に愛された身で、あなたは太陽を掴もうとしている。
 まるで常人の行動ではない」

「…………そうかよ。
 さて、そろそろ俺も動かにゃならん。
 先に言っとくが、しばらく電話は繋がりにくくなる。
 日付が変わってからは、最悪の場合、朝まで連絡が途切れる可能性すらある。
 蝗害調査の結果は終わり次第メールで送ってくれ」

 暫しの膠着を抜け、彼等の通話は終わりに向かう。
 
「分かりました。
 そちらも半グレ調査の結果は朝にでも共有してください」

「お互い、朝まで生きてたらな」

「そうですね。では」

「じゃあな」

 ようやく、化かし合いの延長線に一旦の区切りが打たれようとしている。
 その間際。

「――ああ、そうだ」

「なんだよ?」

 メフィストフェレスは、誘惑の悪魔は、告げるべき言葉を送り、会話を打ち切った。

「最後に、これだけは言っておこうかと―――」





 ■


778 : P.VS .P-2 ◆l8lgec7vPQ :2025/01/18(土) 17:32:38 OyfqeBho0

 同時刻、ホールを挟んで反対側に位置する楽屋においても、一つの同盟間による交流が為されていた。
 もっとも彼等のやり取りは西側で行われたそれに比べ、露骨に険悪なものであったが。

『不用意だったな。それとも意図してか。
 どちらにせよ愚かな行動だった』

「君、死にたいならもっと分かりやすく言ったほうがいいよ。
 そうすれば望み通り細切れにしてやるから」

『それが出来なくなった事は、貴殿も理解している筈だ』

 楽屋の机の上に置かれた瓶詰めの赤子。
 対面するは復讐者のサーヴァント。
 シャクシャインは机の手前にあぐらをかき、握る妖刀を瓶に軽く当てている。

「叩き割ってやろうか?」

『やはり天梨による令呪の効力範囲に、私も含まれているらしい。彼女に感謝だな』

 彼等はこのように張り詰めたムードのまま、楽屋の中で天梨の帰りを待っていた。
 令呪によって、シャクシャインはミロクを殺傷する事が出来ない。
 よって、このように二人きりなっても、ミロクは余裕を崩さずに居る。

「……くそ、不愉快だ」

 その反対に、シャクシャインは未だに溢れる憤怒を抑えきれていなかった。
 楽屋に入ってからも、ミロクへと殺意を向けることで発散しかけたが、令呪の拘束がそれを許さない。

『なぜ発動まで止まらなかった?
 私を殺そうとした時のように、堪えることも出来たはずだ』

 そんなシャクシャインに、何故かミロクは話しかけ続けている。
 彼の怒りを煽る行為にであると承知した上で。

『そんなにも、この国の民が憎いのか?』

「当然だろ。俺は――」

『それとも、ノクト・サムスタンプの挑発が余程気に触ったか?』

「…………」

 シャクシャインは質問に答えない。
 代わりに沈黙が意を示す。

『"天使だと? こんな紛い物が、話になると考えたのか?"
 などと宣ったな、あの男は。天梨を侮辱し、取るに足らないと嗤った。
 そして貴殿は、彼等の偶像を害そうとした』

「何が言いたい?」

『輪堂天梨は貴殿にとって、もはや他の者とは違う、例外の存在と化している』
 
「……馬鹿が。あれは単なる引き金として取って置いてるに過ぎないよ。
 あの女の堕落は、この醜く汚れた国土を裁断する、日ノ本を炎に焚べる号砲となる。
 それだけって話だ」

『ふむ、しかし、それを例外というのだろう?』

 シャクシャインはある意味で、輪堂天梨を認めている。
 認めているからこそ、堕とす価値があると考えている。
 そうでなければ、天梨に取るに足りない他の和人と同等の価値しか見出していないなら。
 とっくの昔に彼女の命は絶えていたはずだと、ミロクはそのように考えている。

「さっきから何がしたいんだお前。
 殺されかけた腹いせがしたいなら良い線いってるが。
 俺の苛立ちが令呪の拘束を上回る前に止めておけ」

『挑発でも報復でもない。
 私は単に貴殿の誤解を解いておきたかっただけだ』

「…………?」

『輪堂天梨は素晴らしい。
 天使は、天の翼は、やはり私の主の望む輝きに届き得る。
 昇る新星は空を超えるだろう。
 それを私は先ほど、より強く確信したのだ』

 始まりの六人の内二名を含む、混乱に満ちた会合を平定し、自らの意を通した姿。
 ミロクの主の放つ強烈な極光とは似て非なる、優しき日向の光。
 その輝きに、彼は自らの選択は正しかったと確信した。

「だから、俺の目的とは相容れない。そういう話だろうが」

『だから、それが誤解だということだ』


779 : P.VS .P-2 ◆l8lgec7vPQ :2025/01/18(土) 17:36:50 OyfqeBho0


 訝しむシャクシャインへと、ミロクは平坦な調子で言った。

『我々の目的は、その実、競合していない。
 彼女の回路に無遠慮に触れたことは改めて詫びよう。
 だが、私は今後、積極的に貴殿の邪魔をするつもりもない。積極的に協力することもないが』

 その言葉が何を意味するのか、シャクシャインは理解して、呆れ返った。

「お前、天使が堕ちようが構わないって言いたいのか」

『少し違う。私は天使が完成することを希求している。
 必ずかの翼を、極天に羽ばたかせる。
 そして叶うなら彼女の友人として、いつか我が主に名を示す栄誉を夢見ている。
 しかし、優先するのはあくまで忠義だ。それを果たせるならば、私は、"翼の色には拘らない"』

 白い翼が天に至るなら、それは素晴らしいことだ。
 黒き翼が天に至るなら、それでも主が喜んで下さるなら。
 どちらの未来も受け入れよう。たとえ、友から恨まれることになろうとも。

 星の完成に、尊きモノの戴冠に、正しいも間違いもないのだから。
 無垢なる狂気は、本気でそう思っている。

『私が唯一恐れるのは、あの素晴らしき翼が志半ばで折れることだ。
 天梨を、あの美しき光を、我が主に捧げられるべき翼を守らねばならない。
 他の星に食い潰される未来だけは避けねばならない。
 特に、他の恒星の資格者。
 あの悪魔もどき―――煌星満天のような、他の衛星に擁立された紛い物共に』

 擁立された恒星同士は原則的に共存できない。
 同星系に現れた複数の太陽は互いに喰らいあって膨張し、やがてどちらかを飲み込んでしまう。

『紛い物の恒星は危険だ。
 無論、それを見出す他の衛星も同様に。
 天梨に危害が及ぶ前に積極的に切除するべきだ。
 彼女の安全のために、この点においては、むしろ我々は協力さえできるだろう』

 当然、天梨がシャクシャインに示した令呪の効果範囲に、それが含まれていたとしても。
 刺せる、ミロクのサーヴァントならば。
 
『天梨の成長の為にも、彼女らの同盟は有効に利用する。
 そのうえで―――』

 他の衛星達と同様に、彼等の擁立した偽りの恒星は期を見て全て切除する。
 全ては自らが信じる星の完成の為。
 ホムンクルス36号/ミロク。
 彼もまた、始まりの六人。
 無垢なる生命は焼け付いた熱によって、異質なる狂気を受けている。
 忠誠という、ある意味最も直線的な狂気を。
 
「お前の言いたいことは分かったが」
 
 意を受けたシャクシャインは気怠げな表情で瓶から視線を外した。

「やはり不快だ。話しかけるな」

『そのようにしよう。連携を検討してくれた時はいつでも伝えてくれ』

 そしてようやく、彼等の冷え切った会話に一旦の区切りが打たれようとしている。
 その間際。

「――ああ、そうだ」

『なんだ?』

 シャクシャインは、憎悪の悪魔は、告げるべき言葉を送り、会話を打ち切った。


「一応、これだけは言っとくか―――」




 ■


780 : P.VS .P-2 ◆l8lgec7vPQ :2025/01/18(土) 17:38:44 OyfqeBho0


 




「最後に、これだけは言っておこうかと―――」

「一応、これだけは言っとくか―――」






 この時、東と西、2つの部屋で。
 2騎の悪魔がそれぞれ衛星へと告げた言葉は、奇しくも全くの同音であった。








「――――あいつは俺の獲物(モノ)だ。

 燃え滓如きが二度と知った口で語るなよ」









 ■


781 : P.VS .P-2 ◆l8lgec7vPQ :2025/01/18(土) 17:39:32 OyfqeBho0

 /Versus Ⅱ



 センターポジション、ライトアップ。ステップ、ターン、フルアウト。
 その瞬間、体は一本のネジになる。
 
「対談イベント。プロデューサーさんとスタッフで、色んな演出を企画してるんだって。
 マネージャーさんに教えてもらったんだ。
 やっぱり"バトル"っていうんだから、対決要素は取り入れたいって」

 準備運動のようにくるりと舞う天使の姿に、私が見蕩れている余裕などない。
 その筈なのに、惚れ惚れするようなクイックターンが網膜に焼き付く。
 顔を背けることが出来ない。それだけは、してはならないと知っている。
 だって私はまだ、死にたくないから。

「こういう箱、懐かしいなあ。
 満天ちゃん、私ね、中学の頃の学祭で、やったことあるんだよ」

 悪意なんて何処にも見えない。
 120%の善意、いや、ほんの少しのいたずら心、なのだろうか。

 彼女はそれを提案した。
 クスリと笑って一歩後ろ、彼女に用意されたスポットライトの端まで引き。
 
「"ああ、ロミオ、ロミオ……あなたはどうしてロミオなの?"
 "どうかその名をお捨てください。あるいは私の恋人だと誓ってください"
 "そうしていただけるなら私も、キャピュレットの名を捨てましょう!"」

「……え」

「ほら、受けて」

 彼女のやりたいことは理解できた。
 私も丁度、移動中にスマホで見ていたので、多分ついていくことはできる。
 この次のセリフは確か、そう。
 
「"もう少し聞いていようか、それとも話しかけようか"」

「"敵はあなたの名前だけ"
 "あなたがモンタギューでないくとも、あなたであることに変わりはないわ"
 "名前ってなにかしら、それは手でも足でも顔でも体のどの部分でもないのに"
 "ロミオがロミオでなくとも、あなたの美しさは変わらない"
 "ロミオ、どうか名を捨てて、代わりに私を受け取ってください"」

 ロミオとジュリエットの有名なセリフだ。
 腕を伸ばし、語りかけてくる天梨(ジュリエット)。
 
 上手い、と思った。
 いや、演技の質とか私には正直よくわからないけど。
 天梨は生粋の舞台役者じゃない。でもエンジェの大ブレイク以降、ドラマや映画の出演経験だって豊富だ。
 瞬間的に全てが切り替わっていた。彼女はいま、マスターじゃなくて、アイドルとしてここに居る。
 纏うオーラと雰囲気だけで、私は圧倒されてしまった。

「なんてね」

 ジュリエットのセリフ。
 このタイミングで実演する意図は明確だ。
 私はなんだか顔が赤くなってくる。
 だって、

「あのすっごくカッコいいサーヴァントの人。満天ちゃんのことジュリエットって呼んでたね」

「あ……うん、でも勝手に呼んでるっていうか、勘違いしてるっていうか、違うって言っても聞いてくれないっていうか。
 えと、間違っても私が呼ばせているわけではないので、そこのところはご理解いただけると」

 しどろもどろ。
 レンタルとはいえ連れてるサーヴァントにジュリエットって呼ばれてるの、よく考えるとめちゃくちゃ恥ずかしい気がしてきた。
 対して天使は「そんな感じだったね」と少し笑いながら。

「中学生のとき以来だけど、結構セリフ憶えちゃってたや」

 そっかあ、ジュリエット役をやったのか。
 似合いそうだなあ。
 クラス会議で満場一致で選ばれてる様子が目に浮かぶなあ。

「でも、私、ほんとはロミオがやりたかったんだ」

「そうなんだ」

「だから、はい、交代」

「……ん? え、私もやるの!?」

「そうだよー」

 勝負なんだから。
 と、やはりいたずらっぽく微笑む彼女は可愛い。
 可愛いんだけど、そんなこと言ってる場合じゃない。


782 : P.VS .P-2 ◆l8lgec7vPQ :2025/01/18(土) 17:42:15 OyfqeBho0


 舞台演技をやるのか。輪堂天梨の前で。
 私ドラマとか出たことないよ?

「緊張しないで。私だって、そんなに沢山出演できてるわけじゃないし。
 この間も連続ドラマにゲストで出た回、ボコボコに叩かれてたし」

 なんかちょっと、笑顔が怖い。

「はい、どうぞ」

 うう、結局逃げ場はないようで。
 ええいままよ、と。

「"ああ、ロミオ―――"」

 やけくそ気味に言ってみた演技(セリフ)は、声が裏返って自分ですら聞けたものではなかった。

「うんうん、引き分けってとこかな」

 そんなわけないでしょって突っ込む余裕も既にない。
 辛い。今すぐここから逃げ出したい。
 はたから見れば、女子二人が楽しく遊んでいるように見えるのかも知れないけど。
 私に限っては、全くもって冗談じゃなく、危機的状況なのだ。

「次はどうしよっかな」

「ええまだやるの!?」

「うん、まだ時間残ってるでしょ?
 あと2回、踊りと歌、これでどうかな?」

 どうやら演技合戦をするつもりじゃないらしいけど。
 そうか、ああ、そういうコト。
 勝負、か。

 演技、舞踏、歌唱。
 代表的なイメージの3本勝負。
 
 私達はアイドルだ。
 元は役者じゃない、ダンサーじゃない、歌手じゃない。
 一本の道を極める求道じゃない。だけど、その全てに手を抜けない。
 舞台の上、持てる選択肢の全部で競う、いわば芸能の総合格闘技。
 自分の全部をもって、他者の全部を飲み込む覇道。
 だからこそ、本当の意味で、ここは私の戦場だった。

 たじろいで、後ろを見る。
 舞台の上、私と天使を照らす2つのスポットライト。
 それ以外の光源は全て絶えている。
 闇に包まれた無人の観客席。
 舞台袖に続く筈の、背後にあるのも同じ、酷く静かな無間の黒。


783 : P.VS .P-2 ◆l8lgec7vPQ :2025/01/18(土) 17:44:00 OyfqeBho0

 私を照らすスポットライト、半径30センチの真円領域(バトルフィールド)。
 その外には、何も無い、恐ろしい闇が広がるばかり。

 だから逃げ場なんて何処にもなくて。
 喉が乾く。襲い来る寒気に身震いする。
 全身から冷たい汗が吹き出て、気が遠くなる。

「どっちが先攻にする?」

 止めることも出来ず。
 そうして、天使の舞が展開される。
 特別な衣装もなく、豪華な音響もなく、派手な光彩もなく。
 舞台の上、スポットライトの真中で、それでも彼女は美しかった。
 
 輪堂天梨。
 日向の天使。
 エンジェのセンター。
 アイドルになるために生まれてきた少女。
 
 誰であろうと有無を言わせぬ存在感。
 変装用の地味な私服すら、彼女が纏えば特別な意味を宿してしまう。
 舞い上がる衣装(はね)と甘美な笑顔(やじり)。
 光輪を冠し。逆光(ステージ)に晒される星の偶像。

 ああ、綺麗。ああ、美しい。ああ、羨ましい。
 私は、こうなりたかった。こう在りたかった。
 今更、手の届かない光の直視に、乾いた視界が悲鳴を上げている。

 一歩、足が後ろに下がる。もう一歩。あと一歩、スポットライトの外側へ。
 逃げたい。逃げて何が悪い。だって意味がないじゃないか。
 私は決してこうはなれない。無理だって分かってる。
 その道は最初から絶たれていたんだ。
 だったら、もう―――このまま光の外へ落ちたって―――

 ―――終わり?

 ああ、来た。

 ―――もう終わり?

 あいつだ、あいつが取り立てにやってきた。

 ―――やっと夢を諦めた?

 背後の深淵から、無数の黒い腕が伸びてくる。

 ―――俺に、魂をくれる?

 夜に外に出てはいけないと、小さい頃に教えられた。

 ―――それじゃあ、いただきます。

 悪魔に出会ってしまうからね、と。


「が――――ぁッ」

 心臓を掴み上げる黒い腕を振りほどく。
 下がりかけていた足を、30センチの真円からはみ出ようとした、崖っぷちの体を引き戻す。

「―――はぁッ―――はぁッ―――は――――」

 煩いくらい激しい動悸、額をべたべたに濡らす冷や汗、痺れて感覚を無くす手足と乾く喉。
 怖い。怖い。恐ろしい。
 この恐怖が、いつも私を引き戻す。私に逃避を許さない。


784 : P.VS .P-2 ◆l8lgec7vPQ :2025/01/18(土) 17:46:54 OyfqeBho0


 夢を諦めたら、死ぬ。
 足を止めたら、いつかの悪魔に追いつかれる。  
 それが私の、私だけの法則(ルール)だ。

 舞い終えて。少し息を切らせた調子で私を見る、天使の姿。
 ほんの少し汗に濡れ、上気したその笑顔は、普段以上に彼女の魅力を高めてしまう。

 その背には、淡く輝く翼があった。
 無意識なのだろうか、活動によって励起され、背中から体外にまで拡張された非常に薄い魔術回路。

 それが生み出す光は優しく、柔らかな日向の暖かさを湛えている。 
 自らの道を進むため障害を燃やす、そういう激しい光ではない。
 誰も灼かない光。愛されるべき光。全ての人を優しく包む救いの光。

 ―――そう、ただ一人、煌星満天のみを例外にして。

 天の光が私に告げる。
 絶望せよ。
 これほど正しき光を前に、お前の夢は叶わない。

「どうだった? 満天ちゃん」

「綺麗だった」

 ―――ね、天梨、知ってる? あなた今、私を殺そうとしてるんだよ?

「じゃ、交代だね」
 
「うん、負けないから」

 ああ、怖い。
 死にたくない。死にたくない。死にたくない。
 だけどそれ以上に、私には怖いものがある。

「私、絶対に、負けないから」

 凍えるほどの恐怖によって、やっと私は前を向ける。
 目の前の天使に立ち向かえる。
 凡人の私は、偽物の私は、むいてない私は、ずっとそうやって、みっともなく足掻いてきた。
 
 いつだって私にあるものは恐れだけ。
 そしてこの恐怖が、私をここまで連れてきた。

 ―――輪堂天梨を救える"人間"が居るとすれば、それはあなたが適任でしょう

 私は、天使を超えて魅せる。
 絶対に負けない。
 絶対に救う。
 絶対に、私は夢を諦めない。
 だけど本当は、

 ―――ならば恋を知るといい!!
 
 誰かを愛することなんて、私には無理だってわかってる。
 私が可愛いのはいつだって、私だけ。
 私が守りたいのはいつだって、私だけ。
 だって、自分の生命の保証一つ持てない存在に、誰かを欲するなんて贅沢が、許されている筈もないから。

 何が私を生かしているのか。
 何が此処に、私を立たせ続けているのか。
 それが愛なんて、綺麗な感情じゃないことは明らかで。


「―――勝負だ、天梨」


 あなたが、怖い。
 死ぬのは実は、意外とそれほど怖くない。

 だけど暗い場所は怖いから。
 辿り着きたい、光のもとへ。

 私ずっと、魔法が解ける日を夢見てる。











 ■


785 : P.VS .P-2 ◆l8lgec7vPQ :2025/01/18(土) 17:49:29 OyfqeBho0



「ごらん、星が燃えているよ」

 舞台(ステージ)の外。
 闇に包まれた観客席、そこに佇むモノがある。

「2つの星が激しく瞬き、ぶつかりあっている。
 嗚呼―――なんて胸を震わせる演目だろう」

 狂戦士の青年は謳い上げるように、その光景を喝采していた。

「いがみ合う二家に抱えられた、ふたりの逢瀬。
 悪戯な運命の星が、気まぐれに操る数奇な筋書き。
 これは悲劇か? それとも喜劇か? 嗚呼、なんて切ない物語だ」

 舞台の上では今まさに、2つの恒星がその版図を競うかのように輝きを増している。
 天使の翼は成長を止めず、光に追い込まれた悪魔もまた、抗うように過熱した。
 その熱に当てられて、更に天使の光が強くなる。
 またしても追い込まれた悪魔は、今度こそ潰れるかに見えたが、再び土壇場で立ち上がる。
 まるでハウリング。恒星の核は共鳴し、互いの力を引き出し合う。

 これは、人知れず行われた前哨戦。
 本番の前のリハーサル。
 それを、気配を遮断し、客席に忍び込んだ彼だけが、観客として見届けていた。

「なあ、君もそう思うだろう?」

 否、ここに、もう一騎。

(―――こいつまさか、俺様が見えてんのか?
 いや、流石に、そんなわけねえだろうが)

 気配を消して存在していた彼もまた、この邂逅を見届ける証人だった。

(―――勘がいいのか鈍いのか、得体のしれないバーサーカーだ。
 ここじゃ"悪いこと"はできねえな。
 相手にしないに限る。無視だ無視っと) 

 継代のハサンは少し離れた席から、ロミオと同じく、その相克を観ていた。

「だんまりかい。誰かと感想を話したかったんだが。
 しかたないことか、演劇鑑賞の楽しみ方は人それぞれさ」

 狂戦士の言葉を無視したまま。
 彼は今も、在りし日の答えを追い続けている。

 壇上で歌う天使を、ホムンクルスは友と呼んだ。
 信じるに値すると。ならば彼女を知れば、少しでも分かるのだろうか。
 あるいは、やはり光の根源を見る必要があるのだろうか。

 この世界の神。
 最も多くの星々から信仰を集める少女。
 
 仕えるとは、信じるということだ。
 ならば新たに、己が信じられるものを見つければ。
 あの日、信じていたものを知ることが出来るのだろうか。

(なんて戯言か。
 俺様もこいつらに当てられて、ヤキが回ってきたのかね)

 気配を遮断した彼らに気づくこともなく。
 演者の熱(ボルテージ)は高まっていく。

 客席は今も、漆黒の闇に包まれて。
 演目を終えた少女たちが、別々の舞台袖へと別れるまで。
 数少ない観客達は、静かにその舞台(ステージ)を見つめていた。
 






 ■


786 : P.VS .P-2 ◆l8lgec7vPQ :2025/01/18(土) 17:51:15 OyfqeBho0

 東京の夜を滑るように走る車両の中、ラジオのローカル放送がノイズを混じらせながら響いている。
 区民センターを出立した天梨は新宿に向かう車の後部座席から夜景を眺めていた。
 膝の上にリュックサックを置き、窓の外を飛び交う光で瞳を満たしている。
 ラジオから流れる音楽はどれも海外の古い曲ばかりで、頭頂部を滑って抜けていくように耳に入ってこなかった。
 天梨にとって激動の日が漸く暮れた。今日は本当に色々あった。色々あり過ぎて心の整理が追いつかない。

 昼間から勝手にアヴェンジャーが戦って、
 プロデューサーのサーヴァントと電話で話して、
 恐ろしい蝗害に襲われて、
 不思議な赤ん坊と出会って友達になって、
 魔術を教えられて、
 大変な会合に出ることになって、令呪が一画減って、そして―――


「悪魔の少女のことを考えているのか?」


膝の上から声がした。
 抱えたリュックの口は開かれ、そこから透明なガラス瓶が顔を出している。


「……うん、やっぱりあの子。すごいや。
 最凶アイドルかあ。今日は生(ライブ)で見ちゃったし、ますます推しちゃうなあ。
 私もぼんやりしてる場合じゃないなあって、どんどんモチベ上がってくるんだ」

「……意見するわけではないが。
 私の見立てでは、あの少女の輝きは実に凡庸だ。
 御身の足元にも及ばない。この先も、御身を脅かす存在にはなりえないだろう」

「ほむっち、なんかちょっと怒ってる?」

「私は怒ってなどいない。
 そも、私に怒りという感情機能は備わっていない。
 私の感情は天梨のような純正な人間が獲得した物に比べ起伏に乏しく、薄いものだ」

「じゃあ誰かを好きになることも、嫌いになることもない?」

「人間の一般的な恋愛感情、親愛感情、性愛感情という意味ではそうだ。
 善人も悪人も、本来、私にとって区別はない」

「でも……ほむっちは、ほむっちの仕える主人様? のことが、大切なんだよね」

「確かに私は、かの光を何よりも優先する。
 その意向を余すことなく叶えたいと願う。
 私にとって他者とは"彼女"か、"彼女以外"だけだった。御身に会うまでは」

 それは矛盾だ。
 無垢。全てを平坦に俯瞰していた筈の観測機に起きていた、重大なエラーに他ならない。
 天梨ですら違和感を覚える言説に、しかしミロクは気づくことすらない。
 それ程に、かの光に仕える事は、彼にとって至極当然の帰結であり、絶対の法則に等しいのだ。

「だが、私は今日、久方ぶりに新たな感情を知った」

「そうなんだ。どんな気持ち?」

「憎悪だ」

「ええ……」

「先ほど、私の中で渦巻いた精神の揺らぎを自らの知識と照合した結果、判明した。
 私は今日、憎しみという感情を知ったのだ。これは尋常な変化ではないぞ、天梨」

「もうちょっと、ポジティブな感情を学んだ方が良いと思うけどな……」

少し引いてしまったけど、本人がなんだか嬉しそうにも見えたので、天梨は何も言えなくなってしまった。
 代わりに瓶を抱え上げ、少し高い位置で浮かぶ赤子を見つめてみる。
 両の手のひらで挟まれたガラスのなかで、彼はふわふわと揺らいでいた。

「ね、もう一度聞かせて。どうして私なの?」

「眩しかったから」

それは既に交わされたやりとりをなぞる様に。

「やっぱりわかんないや、なんでそんなにも信じてくれるのか。
 私なんかより、あの子の方が―――」

「違う。御身こそが我が主にふさわしい。
 悪魔など、誑かされた哀れな被害者に過ぎない。
 そんな偽物すら、あるいは君ならば救うことが出来るだろう。
 白き極光とは似て非なる。日向の陽光よ」

「救う……? 私が、あの子を?」

「正しき光は歪みを祓う。
 君を信じることに根拠が欲しいなら見るといい。
 私こそ、その証明なのだ」

 走行する車両の窓から飛び込んでくる街の光。様々な色のカケラが抱えた瓶の中でキラキラと弾ける。
 短い両腕を広げ、小さな指先をガラス瓶の両端に付ける。
 その動作を見て、天梨もようやく気づいた。

「ほむっち……もしかして、ちょっと大っきくなってる!?」


787 : P.VS .P-2 ◆l8lgec7vPQ :2025/01/18(土) 17:52:06 OyfqeBho0


「その通り、これこそが、君の為した奇跡だ」
 どこか誇らしげなホムンクルスは瓶の中でクルクルと回転しながら、己が肉声で語る。つい昨日までは叶わなかった筈の、空気振動で。

「君の歌は私を成長させ続けている。
 その意味を理解しているか? 君の力はガーンドレッドの軛をも超越し、私は身をもって奇跡を体現している。これに勝る根拠はあるまい」

 瓶の中で短き一生を終える筈だった生命が成長を再開した。
 それがどこまで続くのかは分からない。
 いずれにせよ、少女の歌は不可能を可能にしたのだ。

「……ほむっち、私、怖いよ」

「君にとっても突然のことだ、混乱するのも無理はない」

 抱え上げていた腕を下ろし、リュックに入れ直してから膝の上に戻した。
 天梨は背中を丸め、リュックを抱き締めるように両腕を回す。

「怖いよ」

 ずっと、顔の見えない誰かの声が怖かった。所在のわからない誰かの視線が恐ろしかった。
 だけど今、自分自身の力が怖い。どこからきたのかも分からない、自らの異常なる力。
 それが周りに与える影響が恐ろしい。

「あの子は……怖くないのかな」

 都心の夜は明るい。
 車道を外れさえしなければ、今まだ人工の灯りの中で守られるだろう。
 社会の篝火は未だ絶えていない。それがいつまで用をなすかは、誰にも分からない事柄であったが。

 夜はもう、ここに。
 時計の針が天頂に近づくにつれ深まっていく。
 高層ビルの点滅灯、繁華街のネオン、先行車両のテールライト。
 窓の外を流れ飛ぶそれらは、闇を彩る光虫のように見えた。



 ――――Ah ! Vous dirai-je, Maman,



 そのとき、ふと、ラジオの音が耳に入る。




 ――――Ce qui cause mon tourment ?



 なぜだかその歌が気になった。
 先ほどまで全く入ってこなかった放送が、急に鮮明に聴こえた。
 きっとそれは、天梨の知っている音だったから。
 聞いたことのない歌詞、そもそもフランス語で歌われていて、何を言っているのかも分からない。
 初めて聴く歌、なのに知っている。

「ああそっか、歌詞はわからないけど、メロディは聴いた事があるんだ」


788 : P.VS .P-2 ◆l8lgec7vPQ :2025/01/18(土) 17:53:04 OyfqeBho0

 音階で言えば、ドドソソララソ。
 全く違う歌詞で、しかし全く同じ曲を知っている。
 それも2つ。
 一つは子供にアルファベットを教える時に聴かせる歌。所謂、「ABCのうた」。
 そして、もう一つは―――

「――きらきら星」

 先ほど別れた少女を連想させる、星の童謡。

「いや、これはその原曲だ」

 腕の内側、瓶の中のホムンクルスがこぽりと音を立てて回るのを感じる。

「"Ah ! Vous dirais-je, Maman(あのね、お母さん)"。
 18世紀フランスで流行したシャンソン。
 そのメロディは後に英国に流れ着き。
 有名な『ABCのうた』や『"Twinkle, twinkle, little star(きらきら星)"』の源流となる一曲だ」

「すご、ほむっち詳しい」

「私はかつて索敵と共に敵の真名情報の解析も行うべく。
 多岐にわたる知識を入力されて生まれたのだ。
 時事はともかく、この程度の雑学は今も記憶域に残っている」

「言われてみれば、ロミオとジュリエットもちゃんと知ってたもんね」


 天梨は膝上の瓶を撫でながら、その歌に聴き入っていた。
 フランス語の意味は分からなくとも、耳に心地よいソプラノに、きっと優しい言葉なのだろうと思った。



 ――――Depuis que j'ai vu Silvandre,



「じゃあさ、これはどんな歌なの? きらきら星とは違う歌詞なんだよね?」

「全く違う。
 たしか……小さな女の子が、母親に自分の気持ちや悩みを打ち明ける、そんな歌だったはずだ」


――――Me regarder d'un air tendre ;


「気持ちって、どんな?」

「初恋だ」


 夜は徐々にその深みを増していく。
 人の営みは死んでゆく。
 おそらくこの先も、聖杯戦争は激化を極める。
 混沌の拡散は、近い将来、不可逆のモノとなるだろう。


――――Mon cœur dit à chaque instant :


 つかの間の猶予に、天梨はラジオから流れる歌に、自分の声を重ねてみる。
 フランス語は話せない。
 だけどメロディーなら知っている。
 なので小さく揺れるハミングを。
 離れていくもう一つの星へ、ささやかな祈りを込めながら。


――――「Peut-on vivre sans amant ?」


 どうか、私の大切な人達が、幸せでいられますようにと。
 
 




 ■


789 : P.VS .P-2 ◆l8lgec7vPQ :2025/01/18(土) 17:54:26 OyfqeBho0


 
 Ah ! Vous dirai-je, Maman, /   ねえ、きいてよ、お母さん。


 Ce qui cause mon tourment ? /  私の悩みがなんなのか。


 Depuis que j'ai vu Silvandre,/  優しい瞳のシルヴァンドル。
 

 Me regarder d'un air tendre ;/  そんな彼に出会ってから。


 Mon cœur dit à chaque instant : / 私の心はこう言うの。


 「Peut-on vivre sans amant ?」 /「みんな好きな人なしに、生きていけるのかな」って。






 ■






【新宿区・路上/一日目・日没】


790 : P.VS .P-2 ◆l8lgec7vPQ :2025/01/18(土) 17:55:03 OyfqeBho0

【輪堂天梨】
[状態]:精神疲労(小)
[令呪]:残り二画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:たくさん(体質の恩恵でお仕事が順調)
[思考・状況]
基本方針:〈天使〉のままでいたい。
1:新宿区で夜からお仕事を開始する。
2:ホムっちのことは……うん、守らないと。
3:アヴェンジャーは恐ろしい。けど、哀しい。
4:……満天ちゃん。いい子だなあ。
[備考]
※以降に仕事が入っているかどうかは後のリレーにお任せします。
※スマホにファウストから会合の時間と待ち合わせ場所が届いています。
※魔術回路の開き方を覚え、"自身が友好的と判断する相手に人間・英霊を問わず強化を与える魔術"を行使できるようになりました。
 持続時間、今後の成長如何については後の書き手さんにお任せします。
※自分の無自覚に行使している魔術について知りました。

【アヴェンジャー(シャクシャイン)】
[状態]:苛立ち、全身に被弾(行動に支障なし)、霊基強化
[装備]:「血啜喰牙」
[道具]:弓矢などの武装
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:死に絶えろ、“和人”ども。
1:鼠どもが裏切ればすぐにでも惨殺する。……余計な真似しやがって、糞どもが。
2:憐れみは要らない。厄災として、全てを喰らい尽くす。
3:愉しもうぜ、輪堂天梨。堕ちていく時まで。
4:青き騎兵(カスター)もいずれ殺す。
5:煌星満天は機会があれば殺す。
[備考]
※マスターである天梨から殺人を禁じられています。
 最後の“楽しみ”のために敢えて受け入れています。

※令呪『私の大事な人達を傷つけないで』
 現在の対象範囲:ホムンクルス36号/ミロクと煌星満天、およびその契約サーヴァント。またアヴェンジャー本人もこれの対象。
 対象が若干漠然としているために効力は完全ではないが、広すぎもしないためそれなりに重く作用している。


【ホムンクルス36号/ミロク】
[状態]:疲労(大)、肉体強化、"成長"
[令呪]:残り二画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:なし。
[思考・状況]
基本方針:忠誠を示す。そのために動く。
1:輪堂天梨を対等な友に据え、覚醒に導くことで真に主命を果たす。
2:アサシンの特性を理解。次からは、もう少し戦場を整える。
3:アンジェリカ陣営と天梨陣営の接触を図りたい。
4:……ホムっち。か。
5:煌星満天を始めとする他の恒星候補は機会を見て排除する。
[備考]
※アンジェリカと同盟を組みました。
※継代のハサンが前回ノクト・サムスタンプのサーヴァント"アサシン"であったことに気付いています。
※天梨の【感光/応答】を受けたことで、わずかに肉体が成長し始めています。
 どの程度それが進むか、どんな結果を生み出すかは後の書き手さんにおまかせします。

【アサシン(ハサン・サッバーハ )】
[状態]:ダメージ(小)、霊基強化、令呪『ホムンクルス36号が輪堂天梨へ意図的に虚言を弄した際、速やかにこれを抹殺せよ』
[装備]:ナイフ
[道具]:
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:マスターに従う
1:正面戦闘は懲り懲り。
2:戦闘にはプランと策が必要。それを理解してくれればそれでいい。
[備考]


791 : P.VS .P-2 ◆l8lgec7vPQ :2025/01/18(土) 17:55:20 OyfqeBho0

【渋谷区・路上/一日目・日没】

【煌星満天】
[状態]:健康、色々ありすぎて動揺したりふわふわしたりで心がとても忙しい
[令呪]:残り三画
[装備]:『微笑む爆弾』
[道具]:なし
[所持金]:数千円(貯金もカツカツ)
[思考・状況]
基本方針:トップアイドルになる
0:渋谷区にて蝗害の現地調査を行う。
1:魅了するしかない。ファウストも、ロミオも、ノクトも、この世界の全員も。
[備考]
 聖杯戦争が二回目であることを知りました。

 ノクトの見立てでは、例のオーディション大暴れ動画の時に比べてだいぶ能力の向上が見られるようです。


【プリテンダー(ゲオルク・ファウスト/メフィストフェレス)】
[状態]:健康
[装備]:名刺
[道具]:眼鏡
[所持金]:莫大。運営資金は潤沢
[思考・状況]
基本方針:煌星満天をトップアイドルにする
1:輪堂天梨と同盟を結びつつ、満天の"ラスボス"のままで居させたい。
2:ノクトとの協力関係を利用する。とりあえずノクトの持ってきた仕事で手早く煌星満天の知名度を稼ぐ。
3:時間が無い。満天のプロデュース計画を早めなければならない。
4:天梨に纏わり付いている"まがい物"の気配は……面倒だな。
[備考]
 ロミオと契約を結んでいます。
 ノクト・サムスタンプと協力体制を結び、ロミオを借り受けました。
 聖杯戦争が二回目であることを知りました。


【バーサーカー(ロミオ )】
[状態]:健康、恋、ごきげん
[装備]:無銘・レイピア
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:ジュリエット! 嗚呼、ジュリエット!!
0:素晴らしい歌劇だった!!!!10000000000000万ロミオポインツ!!!!!!!
1:ジュリエット!! また会えたねジュリエット!! もう離しはしないよジュリエット!!!
2:キミの夢は僕の夢さジュリエット!! 僕はキミの騎士となってキミを影から守ろうじゃないか!!!
3:ノクト、やっぱり君はいい奴だ!!ジュリエットと一緒にいられるようにしてくれるなんて!!
[備考]
 現在、煌星満天を『ジュリエット』として認識しています。
 ファウストと契約を結んでいます。


792 : P.VS .P-2 ◆l8lgec7vPQ :2025/01/18(土) 17:55:36 OyfqeBho0


【???/一日目・日没】

【ノクト・サムスタンプ】
[状態]:健康、恋
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:莫大。少なくとも生活に困ることはない
[思考・状況]
基本方針:聖杯を取り、祓葉を我が物とする
1:当面はサーヴァントなしの状態で、危険を避けつつ暗躍する。
2:ロミオは煌星満天とそのキャスターに預ける。
3:とりあえず突撃レポート、行ってみようか?
4:当面の課題として蛇杖堂寂句をうまく利用しつつ、その背中を撃つ手段を模索する。
5:煌星満天の能力の成長に期待。うまく行けば蛇杖堂寂句や神寂祓葉を出し抜ける可能性がある。
6:満天の悪魔化の詳細が分からない以上、急成長を促すのは危険と判断。まっとうなやり方でサポートするのが今は一番利口、か。
[備考]
 東京中に使い魔を放っている他、一般人を契約魔術と暗示で無意識の協力者として独自の情報ネットワークを形成しています。

 東京中のテレビ局のトップ陣を支配下に置いています。主に報道関係を支配しつつあります。
 煌星満天&ファウストの主従と協力体制を築き、ロミオを貸し出しました。

 前回の聖杯戦争で従えていたアサシンは、『継代のハサン』でした。
 今回ミロクの所で召喚された継代のハサンには、前回の記憶は残っていないようです。


793 : ◆l8lgec7vPQ :2025/01/18(土) 17:55:59 OyfqeBho0
投下終了です


794 : ◆0pIloi6gg. :2025/01/20(月) 01:17:12 2MJ/DL.I0
アーチャー(天津甕星)
ランサー(カドモス)
雪村鉄志&アルターエゴ(デウス・エクス・マキナ) 予約します。


795 : ◆0pIloi6gg. :2025/01/20(月) 01:18:49 2MJ/DL.I0
すみません、キャスター(オルフィレウス)も追加で予約します。


796 : ◆0pIloi6gg. :2025/01/24(金) 03:57:49 f.o9y9S60
前編を投下します


797 : ミルククラウン・オン・ソーネチカ(前編) ◆0pIloi6gg. :2025/01/24(金) 03:58:48 f.o9y9S60


 調べねばならないことが無数にある。
 だが、問題というのはいつも、過程を踏む間もなく起きる。
 雪村鉄志は、人生において何十度目かのそんな実感を抱いていた。

 マナー違反は承知の上で、歩きながら眺めているスマホの画面。
 そこには先の夕食の席で交換した、琴峯ナシロのアドレスから届いたメール文が表示されている。

 ――渋谷、代々木公園付近で〈蝗害〉の絡んだ大規模な戦闘が勃発。
 ――おそらく、犠牲者多数。自分達の中からは、高乃のランサーが戦闘へ介入。現在合流待ち。
 ――〈蝗害〉のマスター、楪依里朱と接触。彼女へ先に接触を図っていた三人のマスターも視認。
 ――負傷はしたが、自分達は皆無事である。何か分かったことがあれば、追って連絡する。

 要約するとこのような内容だ。
 全文を読み終え頭に叩き込んで、鉄志は思わずため息をついた。
 
「どうなってんだ、この街はよ……」

 退屈しない、などという話ではない。
 端的に言って、事態は鉄志の想定を超えた速度で、一足飛びで悪化した。

 〈蝗害〉がいずれ大規模な衝突を引き起こすだろうことは、鉄志も予想はしていた。
 だがいくら何でも早すぎる。タイミングが悪すぎて頭を抱えたくなるくらいだ。
 理屈で動かない狂人どもの存在。まともなルールがないからこそ、無法が合理化されているこの現状。
 ふたつを思えば自ずと頭痛が襲ってくる。同時に、焦燥がこみ上げてくるのも否定できなかった。

(急がねえと、俺もニシキヘビに迫る前にどっかの誰かの傍迷惑な乱痴気騒ぎに巻き込まれて殉職ってか――クソ、冗談じゃねえぞ)

 雪村鉄志はもう警察官ではない。
 だが、彼が成すべきことを成す上ではどうしても肌に染み付いた段階(プロセス)を踏む必要が出てくる。
 すなわち調査と、裏取りだ。この世界に自分が追い求める仇がいる確信はあるが、だからこそそれを特定する上では根拠が肝要になる。
 蛇へと繋がる道筋。容疑者を特定し、追い詰めるための根拠。そのふたつを確保しなければ、鉄志の努力はどうやったって報われない。
 だというのに、世界は鉄志の泥臭い歩みなど知ったことかとばかりにあらぬ方向へ進んでいく。

 急がなければ。
 足を止めていられる時間は、きっと自分が思っているより遥かに少ない。
 脳が沸騰しそうだ。急げ、しかし焦るな。
 焦れば事を仕損じる。普段なら見落とさないものを見落とす。


798 : ミルククラウン・オン・ソーネチカ(前編) ◆0pIloi6gg. :2025/01/24(金) 04:00:31 f.o9y9S60

 すう――はあ――。
 深呼吸で酸素を脳に行き届かせつつ、思考を回し続ける。
 渋谷の騒動は気になるが、優先順位を見誤ってはならない。
 身体はひとつ、脳もひとつ。ナシロから救援信号も飛んできていない以上、そこはあちらの働きを信じよう。
 追加の情報が送られてきたら、その時また改めて方針を調整すればいい。
 以上をもって焦りかけた思考を切り替える。マキナに悟られて要らない心配をかける前に足を進めるか、と思ったところで。

『ますたー』
「……どうした?」

 相棒の少女の声に、反応する。
 気取られてしまったかと思ったが、どうもそういうわけでもないようだ。
 
『近くに、奇妙な空間があるようです。どうしますか?』
「空間……? 悪い、もう少し詳しく説明を頼む」
『いえす。りょーかいです、ますたー。少しお待ちくださいね、えぇっと……』

 ナシロ達と別れて以降、マキナがやけに周囲へ気を張っていることには鉄志も気付いていた。
 理由は分かる。昼に高乃河二とそのサーヴァントの存在に気付くのが遅れたことを不甲斐なく思っているのだろう。
 それがよい方向に働いた。少なくともマキナに教えられるまで、鉄志はまったくそれを感知できていなかったから。

『此処から……えぇと、右斜め上……じゃなくて、あぁっと、その……』
「……北東か?」
『! い、いえす。それです。北東方向に、強い魔力反応があります。
 地上ではなく、地下に広がっているので、当機は"奇妙な空間"と形容しました。えへん』

 なるほど、と思いながら手帳を開いた。
 この世界に来てから、鉄志はずっと都内各地で見られた聖杯戦争絡みと思しき事案を記録している。
 分かりやすい事故や事件はもちろんのこと、怪談話じみた報告もなるべくは書き留めるように努めていた。
 今自分達がいるのは杉並区。この区の記述をぱらぱらと漁っていくと――あった。

《杉並区内。"歩くオブジェ"の目撃談が複数件インターネット上で報告されている。サーヴァントの宝具か》
《住宅や街路の不明な破壊現象多し。主に深夜帯に発生←神秘秘匿の原則に則っている。生真面目な手合い?》
《蚕糸の森公園で男性の焼死体が発見。上半身の大部分欠損。右腕が切断されていた》

 いずれも聖杯戦争と強い関連性を滲ませる記録だが、重要なのは一行目。
 ネット上の目撃談なのでオブジェと記す形にはなっているものの、鉄志にはピンと来るものがあった。
 三陣営同盟を締結してすぐの情報交換で、高乃河二らから聞いた話である。
 彼らの話にいわく、数体の青銅の傀儡……"竜牙兵"と思しき存在と直近で交戦したというのだ。
 交戦した場所は杉並ではなかったが、青銅の兵隊というのは素人が見たら、まさしくオブジェが自律行動しているように見えるのではないか。


799 : ミルククラウン・オン・ソーネチカ(前編) ◆0pIloi6gg. :2025/01/24(金) 04:01:12 f.o9y9S60

 河二から聞いた、竜牙兵を操るサーヴァントの真名。
 あくまで推定のものという前置きは付くものの、根拠となるエパメイノンダスの出自が出自だ。信憑性はかなり高いと、鉄志は思っていた。
 だとすると。この杉並に根を下ろしていた/いると思しき英霊は、相当なビッグネームということになる。

(リスクは高いが……偶然とはいえ此処まで肉薄できたんだ。無駄にするのも惜しい、か)

 実際に接触を図るかどうかは保留するとして、とりあえず陣地の状況だけでも把握しておくに越したことはないだろう。
 この機を逃せば、また杉並まで足を運ぶ機会などいつになるか分からないのだ。
 渋谷がそうなってしまったように、この聖杯戦争ではついさっきまで在った街並みや情報源がいつ消滅するか分からない。
 誰かの気まぐれで簡単に形を変える針音仮想都市の中で、一期一会という言葉が持つ意味はあまりにも重たかった。

『どうしますか、ますたー?』
「……慎重を期しつつ、一度接近してみよう。
 ただし危なそうならすぐに退くこと前提でだ。
 苦労をかけるが、いつでも逃げられるように気を配っておいてくれ」
『あい・こぴー、ますたー』

 マキナに伝えて、鉄志は足を進め始める。
 もしもこの先にいる英霊が、河二の語った通りの英雄ならば。
 恐らくその実力は最低でもエパメイノンダスと同格。
 ともすれば、彼よりも更に格上の強者であっても何ら不思議ではない。
 自然と身も引き締まる。気付けば頭の熱はすっかりと引いていた。
 既に日の落ちた空の下を――悲劇に愛でられた男は、進んでいく。



◇◇


800 : ミルククラウン・オン・ソーネチカ(前編) ◆0pIloi6gg. :2025/01/24(金) 04:02:01 f.o9y9S60



「こりゃまた、如何にもだな……」

 マキナのナビゲートで進んだ先にあったのは、一軒の古びた廃寺だった。
 かつてあったろう神聖さは欠片もなく、幽霊でも出てきそうな重々しい雰囲気を放っている。
 だが此処に棲まう存在は、幽霊なんてものより間違いなく恐ろしい。
 此処まで接近すれば、もう鉄志にも分かる。肌を刺すような魔力が、目の前の建物からひしひしと感じられたからだ。

 サーヴァントは言わずもがな霊体であるため、彼らはそこに在るだけで魔力を放つ。
 空気中を漂う魔力という形で放出されるそれは、言うなれば体臭のようなものだ。
 河二のエパメイノンダスやナシロのヤドリバエにももちろんそれはあった。
 ただ――今鉄志が前にしているこの廃寺から放たれているのは、彼らとは明らかに違う種別のものである。

「どう見える?」
『……すとれーとな感想でよろしいですか?』
「ああ。頼む」
『――息が詰まるようです。こうして見ているだけで』

 マキナの表現は言い得て妙だと鉄志は思った。
 空気を通じて無数の微細な針に刺されているようだ。
 威圧。理屈でなく、本能として膝を折りひれ伏したくなる重圧感。
 寂れたボロ臭い廃寺の外観さえ、貴人の暮らす住居のように見えてくる。
 
 とてもではないが、訪れる者を歓迎している風には感じられない。
 いや、歓迎も拒絶もないのだろう。
 この魔力の主は、呼吸とか脈拍とか、そのレベルの本能で"君臨"している。
 存在そのものが圧力とイコール。頭を下げさせ、膝を折らせ、屈従する者を上から見下ろし下知を飛ばす生物。

 ――王、という言葉が鉄志の脳裏をよぎった。
 同時に河二から聞いたある英雄の名前が否応なく浮かぶ。
 当たりか、と自然と声が漏れた。いや、これからハズレになる可能性もあるのだったが。

「……嬢ちゃん、備えてくれ。此処からは何が起こるか分からねえ」

 中へ進むにしろ、このまま踵を返すにせよだ。
 今なら分かる。杉並区という街は、既に元の形を失って久しいのだろう。
 とっくにこの区は、目の前の廃寺に玉座を構えた英霊のお膝元と化している。
 少なくとも杉並を出るまでは、どこに至って安全な場所などありはしない。
 だからマキナに実体化を促し、彼女もそれに従って機械じかけの肢体を王都へ晒す。

 声が響いたのは――その瞬間のことだった。


801 : ミルククラウン・オン・ソーネチカ(前編) ◆0pIloi6gg. :2025/01/24(金) 04:02:38 f.o9y9S60


「凡夫にしては、礼を弁えているようだな」
「ッ……!」


 老人の声。
 嗄れ、枯れ、生物としての落陽を間近に迫らせた者の声。
 だというのに、そこには微塵たりとも"弱さ"がない。
 老いて枯れゆくのではなく、老いることで人とは隔絶された超然たるモノに近付いたような。
 荒げもせず放った一声だけで万人に己の王気を示す、壮大なる覇の兆しを、鉄志とマキナは感じ取らされた。

 先の連想は間違いではなかった。
 いや、これが相手ならたとえ物心の付かない子どもでも同じ言葉を想起したに違いない。
 これは――これこそが――王だ。
 山門の前に像を結び、静かな靴音と共に現れた老人の姿を、鉄志はきっと死ぬまで忘れられないだろう。

「儂は隠れ潜む者を嫌う。王の視界に入って尚姿を明かさず潜み続ける者など、人目を避けて蠢く鼠と変わらぬ。
 鼠は害獣だ。食物を腐らせ、糞を垂れ、儂の機嫌を損ねる。踏み殺して裁定せねばならん」

 威厳ある長髪と、整えられた長い白髭。
 枯れてはいるが、萎んだのではなく最効率化された結果の華奢な輪郭。
 虚空から取り出した槍は一見するとただの鉄槍なのに、見ていると身体の震えが止まらなくなる。
 
「もっとも……」

 間違いない。
 高乃の、エパメイノンダスの言った通りだ。
 これぞ王。そして英雄。
 戦神の竜を殺して調和の女神を娶り、栄光の国を築いた国父。
 

「――――礼を尽くした客人をどう扱うかもまた、王の自由であるがな」


 竜殺しの英雄、カドモス。
 テーバイの老王の顕現を以って、雪村鉄志とエウリピデスの仔は、最初の正念場を迎えた。



◇◇


802 : ミルククラウン・オン・ソーネチカ(前編) ◆0pIloi6gg. :2025/01/24(金) 04:03:45 f.o9y9S60



「こ、れは……っ」

 最初にそれに気付いたのはマキナだ。
 廃寺の周辺に建ち並ぶ家々の屋根。
 その二軒に、弓を携えた竜牙兵(スパルトイ)が立ちこちらを見下ろしている。
 
 カドモスの放つ過剰なまでの圧力さえある種の目眩まし。
 王の威厳に圧された者達は、自分達がもう狙われているという事実に気付けない。
 弓が引き絞られ、矢が放たれる。
 刹那にして鉄志もマキナも飛び退いたが、矢の着弾した地面はまるで砲撃でも受けたみたいに大きく抉れ飛んだ。

「儂の居所を暴いたと思ったか。戯けが、暴かれたのは貴様達の方よ。火を焚いて誘ってやれば、蛾の一匹二匹も飛び込むだろうと思ってな」
「ッ、待て! 俺達は何も戦いに来たわけじゃない……!」

 まんまと誘い出された痛恨を噛み締めながらも、鉄志はカドモスへ吠える。
 脳はフル回転している。壮年に入って思考の衰えを感じることも増えたが、今は若い頃よりも余程冴え渡っていた。
 度を越した脅威との遭遇が自分という生物の限界を引き出している。
 限界を超えて手を尽くさねば死ぬぞと、脳がそう警鐘を鳴らしている……!

「戦うかどうか決めるのは、話を聞いてからでも遅くはねえ筈だ。
 詳細は省くが、俺達は今とある目的に向けて動いてる。
 情報が欲しいんだよ。何なら俺の方から、あんたに対価を提供することだってできる!
 だからまずは話を――」
「笑止」

 加速して回る舌を遮って、老王の宣告が響く。
 同時に振るわれた一槍を、飛び出したマキナが鉄拳の一撃で辛うじて凌いだ。
 が、たったの一合打ち合っただけでその矮躯は車に撥ねられたように吹き飛んでいく。
 相棒の悲鳴に心を痛める暇はない。冷酷なのではなく、本当に、そんな余裕がないからだ。

「不敬も甚だしい。言うに事欠いて、儂に対価と宣ったか?
 我が真名を知りながらの不遜、実に見事だ。褒美をやろう、首を出せ」
「ぉ、お、おおぉおッ……!」

 鉄志に戦闘術の心得がなければ、確実に此処で死んでいた。
 それほどまでに冴えた一撃。振るわれた槍の一閃は、別に大仰な光や破壊力を帯びているわけではない。
 それでも分かるのだ、当たるどころか、掠めただけでも首が飛ぶと。
 
 これが英霊。
 これぞ英霊。
 人智を超え、存在するだけで世界を圧する境界記録帯。
 あのエパメイノンダスをして憧れたテーバイの王の実力を、鉄志はこの数秒で既に嫌というほど味わっている……!


803 : ミルククラウン・オン・ソーネチカ(前編) ◆0pIloi6gg. :2025/01/24(金) 04:04:38 f.o9y9S60

「開口一番に王へ取引を持ちかけるなど愚の骨頂。
 話を聞くも聞かないも、存在を許すも許さないもすべては王の一存よ。
 そして儂は今、貴様達の言葉に耳を傾ける価値を微塵も感じていない」
「――下がってください、ますたー……!」

 その傲慢は、悪徳ではなくひとつの法。
 古代の王とはそれ自体が理であり、絶対なれば。
 辛辣極まりない断言と共に訪れる次の死線を、阻まんと再び躍り出た少女がいる。
 マキナだ。ひび割れた鉄拳の修復を最速で急がせながら、戦闘態勢への移行を完了させる。

 戦闘予測機能、熱量上昇も厭わず最大効率で実行。
 ひとつでも惜しめば此処で死ぬと分かっているから、マキナに迷いはない。
 放つ魔力光を槍の一薙ぎで消し飛ばされ、それでも臆することは許されなかった。

「ほう……」

 カドモスは改めてマキナの姿を見て、わずかに目を細める。
 面白いものを見た、という表情だった。
 断じてそれは、脅威を見含めた者のカオではない。

「――機神どもの真体(アリスィア)を真似ているのか?」
「っ」
「何処の誰がやったのか知らぬが、奇特なことだ。
 進んであのような鉄クズを目指したとて、何の値打ちもなかろうに」

 侮蔑と憐れみを感じ取り、マキナの思考回路に怒りの火花が散る。
 が、無論、王たるカドモスはそんな些事には頓着しない。
 王とは見下ろすもの。下々の浮かべる表情など、彼の瞳には入らない。
 冷酷。冷徹。老いたテーバイの国父が他者へ向けるのはそれだけだ。

「しかし、少しは儂の無聊を慰めてくれるようだ。
 興味が出たぞ。貴様達が儂へ持ち込んだ"話"とやら、場合によっては耳を傾けてやってもいい」

 槍を下ろした瞬間を、マキナは見逃さなかった。
 肥大化させた鉄拳で、老王を地に叩き伏せんと迫る。
 その一撃を――手首を掴むことでたやすく防ぎながら。

「尤も。このガラクタが見世物として面白ければ、だがな」
「ッ――!?」

 マキナは、天地が逆になる光景を見た。
 違う。逆になったのは天地ではなく自分の方だと、そう気付いた瞬間には背を衝撃が襲っていた。
 地面に受け身も取れず叩きつけられ、見上げた視界に嘲りを浮かべる王の貌が入る。


804 : ミルククラウン・オン・ソーネチカ(前編) ◆0pIloi6gg. :2025/01/24(金) 04:05:41 f.o9y9S60

「どうした、立て」

 事此処に至って、マキナはようやく、自分達の……いや。
 "自分の"置かれている状況を、真に理解する。
 これは単なる死線、鉄火場ではない。
 そんな生易しいものではないのだと、見下ろす王の表情が告げている。

「儂は餓鬼でも容易く踏み殺すぞ。
 なぁ? 機神を目指す幼子。物の道理も分からぬ愚者の造った人形よ」

 此処で負ければ、自分(とうき)は、抱いた理想を否定される。
 その身、その志、神の座に能わぬと烙印を押される。
 父の、エウリピデスの掲げた願いを、愚者の戯言と踏み潰される。

 新造の神、最初の正念場。
 敗北せし者の存在意義を地に貶め殺す、彼女のためだけの死合舞台。

 ――汝、自らの力を以って、〈神の資格〉を証明せよ。



◇◇



「スラスター出力全開、戦闘行動開始……!」

 最初に仕掛けたのは、マキナだった。
 いや、それすらも王のかける情け。
 彼女自身が、誰よりそのことを理解している。

「撤回を要求します。当機を製造し、遂げるべき大義を与えた偉大な製造者は……」

 合理で動くべきと、分かってはいる。
 しかし新造の神は、機神と呼ぶにはあまりに未熟。
 アドリブは利かず、同じ程度の背丈の英霊と夕飯の席で子どもらしく揉めるくらいには稚い。
 故にその機体、怒りを排するには遠く。放たれた一撃は、素体となったある少女の感情をこれでもかと載せた轟撃となった。


805 : ミルククラウン・オン・ソーネチカ(前編) ◆0pIloi6gg. :2025/01/24(金) 04:06:20 f.o9y9S60

「――愚か者などでは、ありませんッ!」

 先に弾かれたのよりも威力を高め、スラスターによる推進力をも加えた乾坤一擲。
 魔力放出のアシストを最大限に活用したそれは、正しく目の前の傲慢な治世者に目に物見せるための一撃だった。
 自分の未熟は罵られても仕方がない。でもこの機体を拵え、生み出してくれた優しい父を侮辱するなら許さない。
 そんな想いを載せた一撃が、しかし……

「そうか。で、これが貴様の全力か?」

 単に槍を構え、受け止める。
 それだけの行動をさえマキナは押し破れない。
 純粋な力比べでならば負けはしないと信じている。
 であれば、にも関わらずこうなっている事実は何を意味するのか。

「ならば期待外れも甚だしいな。
 エパメイノンダスの小僧は、貴様に何も教えなかったのか?」
「っ、な……」
「儂の真名へ辿り着ける英霊など、残っている中では奴くらいだろう。
 我がテーバイに数多の勝利と栄光をもたらした、常勝不敗の大将軍。
 それと邂逅して此処まで辿り着いた輩というから、多少は期待をしていたが……」

 単純明快。
 デウス・エクス・マキナは、カドモスと打ち合うには圧倒的に技量が不足している。
 技。経験。それらを突き詰める中で得られる、有用な副産物の数々。
 すべてがマキナにはない。対してこの英雄は、技を極めて君臨した武の化身だ。
 力だけが取り柄の轟撃など、技がなければ幾分にも受け流せる。
 無体極まりない正々堂々を以って、カドモスは機神の少女へ嘆息する。

「心底つまらん。そのザマでよくぞ、一端に反論など出来たものよ。
 大仰な機能を搭載するよりも、まず恥の概念を入力して貰うべきだったな」
「く、ぁ……!?」

 鍔迫り合いを突き崩す、老王の前蹴りがマキナの身体をくの字に折り曲げる。
 無論後ろに跳ね飛ばされる格好になるが、それで距離を取り仕切り直せるという不幸中の幸いさえ起こらない。
 カドモスが、吹き飛ぶマキナに平然と追いついているからだ。
 その上で体勢を立て直せない彼女に、竜殺しの槍を容赦なく放ってくるから一切の救いようがなかった。

(ま、ずい――空中に、逃れないと――)

 激情さえ塗り潰す死の予感がマキナに正しい選択を取らせる。
 背面のスラスターを駆動させ、不安定な姿勢のまま空中へ上昇。
 これで致死の一撃を辛くも躱し、難を逃れたかに思えたが。


806 : ミルククラウン・オン・ソーネチカ(前編) ◆0pIloi6gg. :2025/01/24(金) 04:07:02 f.o9y9S60

「射て」

 その一声で、待機していたスパルトイが矢を放つ。
 カドモスの攻撃に比べれば数段脅威度では劣るが、それでも剛射であることに変わりはない。

「見くびらないで、ください……!」

 とはいえマキナも、この展開は予測していた。
 修復の完了した拳で矢を掴み取り、握り砕く。
 その上で彼女の戦術の肝である、自己改造のスキルが鳴動する。
 
 自己改造とは読んで字の如く、自己を改造する能力。
 マキナの場合、戦闘予測と結果から敵戦力を攻略する為の改善点を算出して、より有効なパーツに換装する。
 鉄腕の強度を底上げしながら、背部パーツを空中へ分散展開。
 これにより、マキナ本体から攻撃を放たずとも、多種多様な角度から自在にオールレンジ射撃が行える体制を整える。

 以上をもって、仕切り直しは完了。
 スラスターの逆噴射で地上へ戻ると共に、流星の如き鉄脚を叩き込まんとする。
 カドモスは避けない。避けずに受け止める。激突の衝撃で、周囲の地面が大きく抉れ、廃寺が悲鳴のような軋みを奏でた。

「分散展開パーツ、自律駆動、開始……!」

 マキナの一声で、展開されたビットが感光する。
 放たれる魔力光が、カドモスの逃げ場を塞ぐ形で次々と着弾。
 もちろん当たれば肉を抉り、骨を貫く威力が込められている。
 誤爆の可能性は絶無。これはカドモスだけを追い詰め、狩り取るための戦陣だ。
 二度と嘲りの言葉は吐かせぬとばかりに、裂帛の気合を込めてマキナは腕を構える。
 こちらこそが本命。デウス・エクス・マキナの放てる攻撃の中でも、最も優れた威力を持つ一発。

「関節部アタッチメント修正、腕部スラスター出力120……いえ、150%――――!」

 エパメイノンダスに用いた時は、あえなく空振りに終わった。
 だが今はあの時とは違う。決して同じ轍を踏まないように、ずっと脳内でイメージトレーニングを繰り返してきた。
 回避の余地を可能な限り許さぬ状況を整え、その上で放てば今度こそこれは必勝の一撃となり得る。
 その上で念には念を入れの、更なる出力上昇。自身の陥穽を理解しながら、しかして今だけは立ち止まれない。
 
 此処で負ければ、自分はすべてを失う。
 理想を叶える機会も。
 叶えたい理想そのものも。
 そして――自分を呼び寄せてくれた、雪村鉄志(マスター)も。


807 : ミルククラウン・オン・ソーネチカ(前編) ◆0pIloi6gg. :2025/01/24(金) 04:07:43 f.o9y9S60

 故に負けられない。
 負けるわけにはいかない。
 過去最高の使命感が覚悟となって機械の躰を突き動かす。
 ならば放たれる鋼鉄の彗星、ロケットパンチの威力もまた先の敗戦の時とは比べ物にならず。
 まさしく過去の汚名を濯ぐ勢いと、万物打ち砕く威力を帯びて解き放たれる……!

「発射(ファイア)――――!!」

 狙うはカドモス、ただ一騎。
 新造の神が、過去の英雄を否定する。
 乗り越えるための大質量が、轟音高らかに嘶いて。

 老王は小さく息を吐き、その槍を静かに構えた。



(……駄目だ……!)

 雪村鉄志は、焦燥と共にそれを見つめる。
 駄目だ。その確信があった。
 この流れは良くない。いや、最悪に近い。

 戦いには流れというものがある。
 実戦に限らず交渉でも、ギャンブルのようなものでもそうだ。
 劣勢は時に人を意固地にさせる。
 負けられない、負けたくない、そんな気持ちが冷静さを奪うのだ。

 そして、そうなった者の末路は概ね決まっている。
 だからこそ鉄志は、マキナの奮戦を期待ではなく焦りで見つめるのを余儀なくされていた。
 にも関わらず念話のひとつも飛ばさない、いや飛ばせない理由はこれまたひとつ。
 自身を見据え、弓を構える竜牙兵。カドモスへ忠義を尽くすスパルトイの存在だ。

 ――人間。貴様の出る幕ではない。
 ――故、黙して見届けよ。
 ――無粋を働けば、貴様も誅する。

 そんな無言の圧力が、鉄志の背筋を休みなく震わせている。
 言葉での助言や武力での介入はもちろんのこと、念話すらその例外でない確信があった。
 カドモスは卓越している。王としてもさることながら、英雄としての格が違いすぎる。
 彼の眼は欺けない。たとえ音を介さない念での発話でも、当たり前のように見抜かれる。
 だから鉄志は動けない。いや、動けなかった。
 しかし今、後先など考えることも許さない最大の絶望が静かに鎌首をもたげ始めた。
     ・・・
「駄目だ、マキナ――!」

 叫んだのは、ほとんど反射の行動だった。
 理性で考えたなら、それは愚策だとすぐに分かる。
 だからこそやはり、これは反射だったのだ。
 君臨する王を討ち果たすべく、乗り越えるべく拳を構えた少女に。
 自分の求めに応じて現界してくれた子どもが、今まさに回避不能の破滅へ向かっている事実に。
 声をあげずには、いられなかった。
 その時だけ、雪村鉄志は警官崩れの探偵でも、デウス・エクス・マキナのマスターでもなく。
 

 ただひとりの、小さな女の子を、想う――――――


 ……答えが出る前に。
 瞬きの内に懐まで接近していた、青銅の兵士が。
 握り締めた拳を、鉄志の腹腔へと打ち込んでいた。
 反応できなかったのではなく、反応した方がまずいと思ったから。
 不用意に受け止めれば腕が千切れると思ったから、そうしたのだが――結果として鉄志は倒れ転がり、血反吐を吐く。
 当然ながらそんな男に、純粋のままに死地へと向かう相棒を助ける力など、残されてはいないのだった。


808 : ミルククラウン・オン・ソーネチカ(前編) ◆0pIloi6gg. :2025/01/24(金) 04:08:26 f.o9y9S60



「……此処までとはな」

 カドモスの言葉が夜闇に零れる。
 文面だけを見れば、感嘆とも取れよう。
 だがそれを紡ぐ声音は、空寒いまでに冷え切っていた。

「此処まで見所がないとは思わなんだ。ガラクタと呼んだことを撤回する必要はなさそうだな」

 不興。
 王たるモノに最も抱かせてはならない感情のもと、その槍は構えられる。

 戦神と縁ある竜を殺し、カドモスの栄光を不変のものとした鋼の槍。
 テーバイの国土を得、果てには彼をエリュシオンへ至らすに至ったはじまりの歴史。
 栄光と、悲劇。英雄譚に付き物である対極の概念を、共に併せ持つ鋼鉄。
 竜を殺すモノ。神に、弓引くモノ。そうした行為を体現する、ひとつの偶像。

「しかし無様も過ぎれば憐れみを抱かせるものよ。
 これ以上生き恥を晒す前にその理想、その未練。王の名の下に祓ってくれよう」

 輝きを帯びる、鋼鉄。
 その輝きは、栄光である。
 その輝きは、罪である。
 功罪という言葉、さながらこれの具現。
 マキナが理想を追うならば、直面せずには済まない概念の結晶。もしくは始源。

「娘。これは、王の慈悲である」

 この試練に能わぬならば、その理想、貫くこと能わず。
 子女の夢想を否定する運命の壁が、光の軌跡となって顕れた。


「――――――――『我過ちし栄光の槍(トラゴイディア・カドメイア)』」


 ただの一撃。
 わずかに一撃。
 それだけで十分。
 それ以上はすべてが余分。

 マキナの乾坤一擲が砕け散った。
 夢を叶えるための腕が爆ぜた。
 戦術、理論、何ひとつない。
 純粋なる、ただ純粋なる実力の差。
 世界に己を刻むという観点で見た、器の差。
 あるいは。


 完膚なきまでの、敗北。
 それが、エウリピデスの仔たる新造の神を、一撃で下した。



◇◇


809 : ミルククラウン・オン・ソーネチカ(前編) ◆0pIloi6gg. :2025/01/24(金) 04:09:01 f.o9y9S60



「――――――――か、は」

 何が起きたのか、分からなかった。
 見えるのは砕けた拳。
 感じるのは、地面の冷たさ。
 そして全身の痛み。機体が損傷を受けて鳴らす警鐘(アラート)。

「ぁ………………う」
 
 王は、静かに佇んでいる。
 その身体には、微塵の傷もない。
 握る槍さえ、刃こぼれひとつ見られない。
 それは、彼が己(マキナ)のすべてを否定したことを。
 奮闘のすべてを、ただ君臨のままに粉砕したことを、如実に示していた。

「何故、王の前に立った」

 カドモスの足が、進む。
 倒れ伏す自分の方へ。
 
「そうまでか細い身体で。理想とも呼べぬ強がりで、何故勝てるなどと夢想した」

 それは――死神の足音。
 殺される。絶対に殺される。
 何があろうと殺される。
 どうあがいても、殺される。
 警鐘は既に確信へ変わっていた。
 手足をわななかせ、少しでも抗おうと試みるも、すべて間に合わないと冷酷な演算結果を機構が脳へと伝えてくる。

「愚かなり。無様なり。そして惨めなり、神を気取る蒙昧よ」

 少しずつ近付いてくる死を、敗北を、喪失を、見つめるしかできない。
 身体が動かないのは魔力の枯渇ではない筈だ。
 今しがたに味わった敗北。理想の否定、あるいは目指すものの本当の高さ。
 エパメイノンダスの時に味わったより尚深く、鋭い、痛みが。
 マキナのすべてを緩慢にさせる。完成された機神ならばいざ知らず、今の彼女はまだ、少女の未熟を多分に残しているから。


810 : ミルククラウン・オン・ソーネチカ(前編) ◆0pIloi6gg. :2025/01/24(金) 04:09:38 f.o9y9S60

「テーバイの王、神を知る者として下知をくれてやる。
 貴様の夢は、志は、決して何処にも届くことはない。
 何ひとつ、至れはしない。ただ敗れ、朽ち果てるだけだ」

 これぞ英雄。
 これぞ王。
 これぞ、……神を知る者。

 世界を統べ、理を謳い。
 意のままあるがままに、運命を押し付けるモノを知っている。
 あまりにも大きな実力の差。年季の差。経験の差。理解の差。
 気付けばマキナは、音を聞いていた。
 かち、かちというその音が、自身の歯が鳴る音だと気付いた時にまた少女神は絶望を知る。
 
 神は笑わない。
 神は怒らない。
 神は怠けない。
 神は――泣かない。

 心に刻んだ教訓(モットー)と今の自分の間に生じる矛盾が自傷行為となって心を削る。
 怖くはない。ただ悔しい。
 結果として算出される感情はそれだけだった。
 
 二度と抱くとは思っていなかった、抱くべきでない感情。
 神とは対極に位置する、人間のような脆さがこみ上げてくる。
 負けられない、負けたくないのに思考回路は合理的に現実を突きつけるばかり。
 
「マキナ、と呼ばれていたな。
 機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)……愚かしい理想だ。
 人の結末をすべて眩い日向で締め括るなど、絵空事以外の何物でもあるまい」

 処刑人が、迫ってくる。
 神話を鎖し、少女を終わらせ、ある男の夢を断つために。
 マキナは、そう名付けられた鋼の娘は、待つことしか出来ない。
 立ち上がることはできるだろう。挑むことも、まだ可能かもしれない。

 しかし弾き出した演算結果は、一から十まで自分の敗死を告げていた。
 勝利は不能。この先は、苦痛の時間が長くなるかどうかだけだ。


811 : ミルククラウン・オン・ソーネチカ(前編) ◆0pIloi6gg. :2025/01/24(金) 04:10:31 f.o9y9S60

「投げられたコインの面を本気で憂いてどうするというのだ。
 不可能を不可能で片付けない姿勢は美徳かもしれんが、それも度が過ぎれば狂人の戯言でしかない。
 どれだけ天高く手を伸ばしたとて、夜空の星には触れられないのだ」

 すべての悲劇を迎撃し塗り替えるなどという願いは荒唐無稽。
 素手で星を掴もうとするような、できるかできないかを考えることすら意味のない戯言。
 おまえは始まりからして間違っていると、王の淡々とした言葉が少女の青い夢を切開する。
 その苦痛は、彼に与えられたすべての肉体的苦痛を凌駕する痛みになってマキナの魂を責め苛む。

「ならばただ諦めて、ただ道理と弁えて目の前の現実を噛み締めればよい。
 貴様と貴様を製造した愚か者に必要なのは、そんなありふれた答えだけだ」

 故に。
 叶わぬ夢は捨てて逝けと、カドモスが槍を振り上げた。

「――――報われぬものは、どうやったって報われぬのだから」

 死が、月明かりを反射して輝く。
 思考回路は度を越えた演算でショート寸前。
 佇む老王の姿は、ゾッとするほどに美しく。
 あらゆる反論を許さない、歩んだ歳月の重みを背負っていた。

 演算の結果は、すべて正しい。
 デウス・エクス・マキナはこの王を下せない。
 末路は敗北、理想を砕かれ無に還るのみ。

 ああ、だからこそ。
 次に彼女が吐いた言葉は、所詮単なる少女の癇癪でしかなかった。

「なら……………………あなたは、どうして」

 そこに、理屈は存在せず。
 相手を説き伏せ打ち破る気概も籠もっていない。
 感情という、機械神には最も不要な概念を剥き出しにして放つ無様な言葉。

「そんなに、哀しい顔を、しているのですか」
「――――」

 だが、いいやだからこそ。
 戦いどころか理屈でさえないその言葉が、老王の絶対的な君臨に一瞬の空白を生み出す。
 
 虚を突かれたような顔だった。
 わずかに、しかし確かに目を見開いて停止する。
 どれだけの猛攻を繰り出しても表情ひとつ変えずに捌き、破ってきた王が初めて見せた不可解な反応。
 あるいは無駄と呼べるだろう一瞬は、マキナの言葉が彼の"何か"を正確に射止めたことを如実に物語っていて――

「黙れ」

 嘲りでも憐れみでもない、血の凍るような殺意。
 それと共に停滞が解ける、その一瞬。

 与えられた千載一遇の好機に対して――主従の思考は一致していた。



◇◇


812 : ミルククラウン・オン・ソーネチカ(前編) ◆0pIloi6gg. :2025/01/24(金) 04:11:17 f.o9y9S60


 Deus Ex Machina Mk-Ⅴ。

 それは、機械仕掛けの神。
 それは、全ての悲劇の迎撃者。

 人造神霊たるマキナには、鋼鉄の躯体が存在する。
 だが、そもそもデウス・エクス・マキナとは概念上の神格でしかない。
 悲劇を撃滅する資格を持つ英雄、ないし主人公の外殻を借用して結末を書き換える"ご都合主義"。
 つまり救済の機械神が自ら形を持ち、前線に立って戦うというのは在り方としてズレている。

 されど、英霊の座に登り詰めたエウリピデスの仔には――本来のカタチを体現する機能もまた搭載されていた。
 その存在をマキナはもちろん自覚しているし、雪村鉄志も聞き及んでいる。
 にも関わらず今日まで、件の機能に頼って戦いを行ったことは一度もない。

『嬢ちゃん、聞こえるか?』
『……はい、ますたー。申し訳ありません。当機は、また不甲斐ない姿を――』
『そういうのはいいし、ミスったのはお互い様だ。
 俺も迂闊が過ぎた。誘い出されてる可能性を考慮してなかった。とにかく、反省会は後だ。端的に、指示を伝える』

 では、それは何故か。


『第二宝具を開帳してくれ。勝ちを狙うにしろ逃げるにしろ、それ以外俺達に道はない』
『……っ! で、ですが、それは……』
『分かってるよ、重々承知で言ってんだ。最悪主従揃って共倒れに終わる、だろ?』


 ……マキナの第二宝具。
 それは――神と人による、融合を成す機構である。

 正式名称を神機融合モード。
 マキナの機体をマスターである鉄志に装着させ、文字通り主従一体となっての戦闘体制に移行する掟破りの極みだ。
 彼女の未熟さは経験豊富な鉄志が補い。鉄志の弱さは、マキナの全機構が鎧となって補う。
 これならばマキナの弱点は消え、機神のスペックをフルに発揮して戦う神の写し身を作り出すことができる。

 だが無論、そこには巨大な陥穽が存在している。
 守るべきマスターを前線に立たせてしまうという本末転倒。
 英霊と一体化している都合上、万一の時にトカゲの尻尾切りで逃げるということも難しくなる。
 ただ目の前の苦境から逃げるだけなら令呪を犠牲にし、一か八かの逃げに賭けた方がよほどリスクは少なく済むだろう。


813 : ミルククラウン・オン・ソーネチカ(前編) ◆0pIloi6gg. :2025/01/24(金) 04:11:53 f.o9y9S60

『だとしても、今はやるしかねえ。あの王様は想像以上に頭が回るし、油断がない。
 傲慢ではあるが慢心がないんだ。令呪を切って逃げられる可能性なんてものを想定してねえとは思えん』

 相手がカドモスでなければ。
 しかしこの老王は格が違う。
 王であると同時に、老いて尚衰えを知らぬ、英雄である。

『で、……でも……っ』
『俺はもう腹括った。だから嬢ちゃんも、悪いが腹括ってくれ』

 勝つも逃げるも、挑まずしては始まらない。
 まずは戦士として、その眼前に立つ必要がある。
 それで初めてスタートライン。後はコインの裏表。
 正念場に直面していたのは、マキナだけではないということだ。

『そう心配すんなよ。俺が頼りねえ男なのは自覚済みだが、嬢ちゃんのことまでそうとは思ってないさ』

 それに、と、鉄志。
 黙って聞いているマキナに、彼は笑って言った。


『それに――お前もあの偉そうな爺さんの横っ面、一発ぶん殴りてえだろ? マキナ』


 以上をもって、時は現在に戻る。
 雪村鉄志は腹を括り。
 マキナの炉心が消えかけた火を再び灯す。
 老王は静かに怒りを燃やし。

 これにて悲劇の時間は終わり。

 .デウス・エクス・マキナ
 〈ご都合主義〉が、駆動する。



◇◇


814 : ミルククラウン・オン・ソーネチカ(前編) ◆0pIloi6gg. :2025/01/24(金) 04:12:45 f.o9y9S60



 老王の見せた一瞬の隙。
 それを縫って迸るは、鉄志の"十八番"だった。
 ボールペンに偽装した杖を射出しての不意討ち、得意の定石殺し。

 しかし相手は英霊、英雄である。
 効果的になど働いてはくれない。現に早撃ちの一弾は、槍の柄で軽く払われて終わった。
 そのわずかな隙だけでもいい。
 重要なのは宝具を起動する隙。令呪とは違って、これなら発声によるタイムラグも生じない。

「――第二宝具、起動! Machina-type:E、神機融合モードへの移行を開始!!」

 響くマキナのコマンドワード。
 カドモス、眉間に皺を寄せ槍を振り下ろす。
 が、その穂先はあえなく空を切った。

「……なるほど。形だけは上手く真似ているらしい」

 マキナの四肢が分解され、それに伴って穿つべき点が消失したのだ。
 鋼のパーツと化した四肢は、スパルトイの一撃を受けて這い蹲っていた筈の鉄志の下へ。
 更に残されたマキナのコア部分、つまり胴体も彼の下へと結集していく。
 
「ますたー!」
「ああ、当然許可するぜ。
 契約者・雪村鉄志の名の下に、マキナとの融合を受け容れる……!」

 四肢を、胴体を、そして頭部を次々と覆い隠していく機神のパーツ。
 分解された機体は鎧となって、無力な人間でしかなかった男を英雄へと加工する。
 
 愛する者も、共に戦う仲間も、一度はその熱さえも。
 すべてを失いながら、心の奥底に沈むちいさな炎だけは絶やせなかった男。
 その身体が、地を這い泥を啜ってでも成し遂げるという覚悟を象徴するかのような、黒い装甲に覆われていく。
 これぞまさしく神機融合、ヒトと英霊の一蓮托生。
 押し寄せる悲劇を撃滅すべく顕れる、物語の英雄そのもの。

『神機融合、同調開始。
 その足はあらゆる涙を止めるため。その腕はあらゆる悲劇を砕くため……!』

 マキナだけでは変換しきれない、出力しきれない桁の魔力が鎧の隙間から絶えず横溢する。
 これぞ神機融合の真骨頂。マキナ本体が英雄の外殻に徹し、自律行動を前提としないことで実現する極限域の魔力変換効率。

『我が理想、我が信念、仮初のカタチを以って此処に顕現せよ――!』

 鉄志の身体が、深まる都市の闇も晴らすような白光に包まれる。
 やがて光が晴れ、一筋の烈風が彼を中心に全方位へと吹き荒れて。
 月明かりの下に降り立った〈英雄〉は、静かに締めの言葉を紡ぐ。


「『熱し、覚醒する戦闘機構(デア・エクス・チェンジ)』――――同調、完了だ」


815 : ミルククラウン・オン・ソーネチカ(前編) ◆0pIloi6gg. :2025/01/24(金) 04:13:29 f.o9y9S60


 果たされた神機融合。
 転身を完了した鉄志に襲いかかるのは、カドモスの近衛たる二体のスパルトイであった。
 弓では殺し切れぬと判断したのだろう。武装を剣に持ち替えて、言葉ひとつ発することなく押し迫る。
 たかが竜牙兵と侮るなかれ。彼らは青銅の王カドモスが最初に生み出した、言うなれば始原の青銅兵である。

 その戦闘能力は、策と陣形さえ許されるのなら英霊にさえそう劣らない。
 少なくとも先ほどまでの鉄志であれば、二体どころか一体ですら骨の折れる相手だった。
 しかし今、迫る二体に対して彼は毛ほども焦ってはいなかった。
 ただ冷静に近付く脅威を見て、認識して、その上で小さく笑う。

「舐めてたわけじゃねえが……こりゃあ、すげえな」

 次の瞬間――彼を誅殺せんとした右翼のスパルトイが、小石のように吹き飛ばされた。
 鉄志は何にも頼っていない。彼が用いたのは、己の拳それひとつ。
 それだけで、鎧に覆われたとはいえ一介の魔術使いが、カドモス王のスパルトイを一蹴したのだ。

「ここまで"視える"もんかよ。真面目に鍛錬するのが馬鹿らしくなるぜ、まったく」

 英霊と一体化するということは、すなわち生命体として人知を超越すること。
 遠い並行世界の魔術師が開発した魔術礼装を用いた、夢幻召喚(インストール)に性質としては似通っているだろう。
 しかしイコールではない。あちらが英霊になる能力なら、あくまでこちらは英霊と"交わる"能力。
 ステータスを底上げしたところで、それを扱いこなすスペックが当人になければ話にならない。
 子どもが重い甲冑を背負っても戦の達人にはなれないように、纏う鎧に振り回されて自滅するのが関の山だ。

 が――機神を纏う者が最初から戦闘者であったなら、その問題は消滅する。

 雪村鉄志は魔術師を狩る、それ専門の警察官だった。
 公安特務隊が開発した対魔逮捕術。
 代行者のように凶悪な体術を持たない凡人が、速やかに且つ無駄なく、悪人を制圧できるよう組み上げられた、使い方を間違えれば刹那にして殺人技巧に変貌するだろう戦闘論理。
 特務隊創立の立役者である鉄志は当然、この戦闘術を高い水準で習得している。

『身体に不具合はありませんか、ますたー』
「ああ、問題ねえ。それどころかよ、こんなに身体が軽いのは久しぶりだぜ」

 そんな鉄志が英雄の外殻を手に入れ、人を超えた。
 まさしく鬼に金棒だ。ともすればただの自殺に終わりかねない機神装甲を、彼は慣らしを要さず乗りこなしている。
 響くマキナのガイド音声。それに装甲の下で笑みさえ浮かべながら応える間も、一秒たりとて警戒は解かれていない。

「とはいえ、俺はこいつに関しちゃズブの素人だ。
 正直右も左も分からん。だから助言頼むぜ、嬢ちゃん」
『いえす――あい・こぴー。当機、これよりますたーの援護に全機能をかけて臨みます』

 話しながら、静かに構えを取る。
 視線は当然、スパルトイなどではなく。
 それを生み出し、率いる者。竜殺しの英雄、テーバイの王。

「面妖な真似をするものだ。初めて驚かされた」
「そりゃ何よりだ。降参でもしてくれるとありがたいんだが」
「これは驚いた。神の殻を纏うと悪癖までアレらと似るらしい」

 槍が構えられる。
 相変わらず、そこには微塵の隙もない。
 長い人生を費やして完成された肉体と、特定の流派に依らない戦闘論理。
 老王の眼光が、猛禽よりも獅子よりも恐ろしい鋭さを帯びて鎧の中の鉄志を射抜く。

「それに……王の裁定は既に決まった。貴様達は此処で処刑する。せめて楽に死ねるよう、儂の慈悲に期待しろ」

 何も終わっていない。
 むしろ此処からが始まり、本当の正念場だ。
 特務隊の一員として、初めて魔術師と相対した時のことを思い出す。
 あの時のように喉は渇き、伝う汗は冷たく、されど心は静かに燃えている。

 ――以上をもって、問題ない、と判断する。

「投降するなら早めがいいぜ、爺様よ。この国の刑法じゃ、その方が罪が軽くなるからな」

 来たるは英雄。悲劇。
 迎え撃つも英雄。救世主。
 
 共に英雄ながら、在り方を真逆とする二体が。
 告げた啖呵の刹那後に、互いに出せる最速で以って激突した。



◇◇


816 : ◆0pIloi6gg. :2025/01/24(金) 04:14:18 f.o9y9S60
投下終了です。
続きも期日までには投下します。


817 : ◆A3H952TnBk :2025/01/25(土) 14:16:46 hTM1fpqw0
高乃河二&ランサー(エパメイノンダス)
琴峯ナシロ&アサシン(ベルゼブブ/Tachinidae)
ライダー(ジョージ・アームストロング・カスター)

予約します。


818 : ◆0pIloi6gg. :2025/01/25(土) 23:56:12 wkqTpI5.0
後編投下します


819 : ミルククラウン・オン・ソーネチカ(後編) ◆0pIloi6gg. :2025/01/25(土) 23:56:50 wkqTpI5.0



 この身体(モード)になったからこそ、見えるようになったことがある。
 それは敵の強さ。人間の身ではどれほど鍛えても認識し切れない力量の精緻。
 新たな視点を得たその上で、雪村鉄志は改めてこう結論づけた。
 英霊とは、サーヴァントとは――英雄カドモスとは、怪物であると。

 閃く槍、竜殺し。
 神の眷属を貫き穿つ、原初の栄光。
 ひとたび振るえば岩も鉄も、竜さえ穿ち抜く一撃が、冗談のような神速で迫る。
 
『どうかお気をつけて、機神装甲は万能ではありません。あの英霊の全力を受ければ、中身ごと貫かれます!』
「はッ! そんなことだろうと思ったぜ、何事も過信は禁物だよな……!」

 鉄志は、驕りや軽率とは無縁の男だ。
 彼は、それができる若さというものをとうに失っている。
 妻を喪った時か。娘を失った時か。今となってはもう定かでないが、皮肉にもその挫折が彼を戦士としてより強かで現実的に変えていた。

「――頼むぜ嬢ちゃん、武器をくれ。そういうモノがあるんだろ、この装甲(カラダ)にはッ」
『あい・こぴー!
 英霊外装鍛造機能、コード:アルケスティスより、ヘラクレス実行……!』

 それは、神の身代わりに選ばれた女の悲劇。
 該当する英雄は、半神半人。神の栄光。

 ――鉄志の腕に握られたのは、一本の棍棒だった。
 無骨と侮るなかれ。かの英雄はこれの一振りで山を崩し、海峡を作り、数多の栄光を欲しいままにした。
 鉄志はこれを速やかに振るい、自分の命脈を断たんと迫っていたカドモスの槍を迎え撃つ。
 人間を超えた膂力と反応速度、そして英霊の外装があり得ない打ち合いを可能とする。

「外装定着(インストール)――――完了(アイ・コピー)」

 ただ受け止めるだけでは終わらない。
 鉄志は身を低く構えながら、地を蹴り前へ出る。
 そうして振るう棍棒の一撃。顎、蟀谷、眼球、頚椎、急所以外を狙う気は端からない。
 何故ならこれは武術ではなく戦闘術。端から敵を調伏することだけを目的にしているのだから、流儀などという無駄に用はないのだ。

 棍棒を扱うにあたって、鉄志がイメージしたのは警棒だった。
 特務隊では通電機能や催涙ミストの噴射機能、果てには意識断絶の術式を込めたものまで幅広く使われていたが、此度のは只々シンプル。
 殴って当てれば、どんな化け物でも無事では済まない。
 そのシンプルさが今はありがたい。成り立ての超人でも、英雄の外装を遺憾なく扱いこなせる――!


820 : ミルククラウン・オン・ソーネチカ(後編) ◆0pIloi6gg. :2025/01/25(土) 23:57:46 wkqTpI5.0

「言うに事欠いてヘラクレスとは。届かぬ壁に挑むのだ、せめて験でも担げばいいものを」

 されど相手もまた英雄(かいぶつ)。
 鉄志の放つ打撃には、一切の無駄がない。
 速やかな制圧の原則とは先手必勝。
 そうでなくても畳み掛けることをこそ、いつかの特務隊は是としていた。

 それを、ことごとくに捌いてのける。
 見切れないほど速くはない。
 しかし彼の強さもまた、鉄志と同じ。
 恐ろしいほどに無駄がないのだ――武の理論値というものを、カドモスは息をするように叩き出してくる。

「幼子を背負って戦うには、些か縁起が悪かろう。
 ずいぶんと子供を殺すのが上手そうな名ではないか、なあ」
「ッ……! 余計なお世話だぜ、英霊……!」

 鉄志も気圧されなどしない、一撃弾かれたなら即座に次を用立てる。
 とにかくカドモスに攻撃へと移られたくなかった。
 それを避けるためには手数こそが肝要。それ以上の最良などない。
 が――

「ならば儂はこう言おう。賢しいぞ、人間」

 その最良を簡単に超えてくるからこそ、英霊だ。

 槍をくるりと曲芸のように回転させ、あろうことか空中に投げ上げる。
 予想を超える行動にも鉄志は怯まないが、どちらだろうと関係なかった。
 回転する槍の柄が、今まさに放たれた棍棒を打ち据え軌道をずらしたのだ。
 途端に外れる狙い、崩れるバランス。わずか一瞬の隙をも、王の慧眼は見逃さない。

「同じ土俵に立てたと思うたか。アレスの竜はもっと狡猾だったぞ」
「が、ァッ……!?」

 事もあろうに、此処で鉄志の喉笛を打ち抜いたのは拳。
 徒手空拳であった。竜殺しの槍を持つ英雄が、素手の拳を使ったのである。
 しかしこの変則は、的確に鉄志を窮地に追い込んだ。
 装甲がなければ喉を破壊され死んでいただろう衝撃を堪えながら地を転がり、体勢を立て直した時にはもうカドモスがそこにいる。

「う、おおおおおおッ!」

 ちょうどそのタイミングで空から王の手に戻ってきた鉄槍。
 まるで槍自身が意思を持って王に合わせているみたいに、つつがなく武装はあるべき場所へ帰り。
 得物を取り戻したカドモスの右腕は、地を這う不敬者を貫くべく処刑を振り下ろした。


821 : ミルククラウン・オン・ソーネチカ(後編) ◆0pIloi6gg. :2025/01/25(土) 23:58:43 wkqTpI5.0

(バケモンかよッ――ああいや、バケモンだったなぁ……!!)

 白刃取りなど試みる気にもならない。
 彼我の実力差を忘れるな。自分は、一個体として明確にこの英雄に劣っている。
 欲は掻かず、博打は最小限に留め、虎視眈々と制圧を狙え。
 すぐにヒートアップしたがる脳を理性で抑え、鉄志は棍棒で地を叩いた。
 生じる衝撃波が彼を吹き飛ばし、無様だが回避を成立させる。
 反動は機神装甲の強度に物を言わせ、無視。その上ですぐに食らい付く。そうするべく、また地を蹴って突貫する。

(夢なんて見るなよ、雪村鉄志――自分がどれだけ無力な凡人かなんてコト、てめえは嫌ってほど知ってんだろ……!?)

 魔術師というのは、恐ろしい存在だ。
 鉄志に言わせれば、生きた人間が一番怖いなんて大嘘である。

 人の理解が及ばないモノは、怖い。
 それが何であれ、ただの力であれ、ひどく恐ろしい。
 奴らは平然とこちらの予想を超えてくる。
 昨日まで想像もしなかった、寝入りばなの空想よりよほど恐ろしい非日常を当たり前みたいにけしかけてくる。
 そういうモノと戦う上で必要なのは、兎にも角にも驕らないこと。
 自分が悪の魔術師を狩るハンターだなんて夢想するな。そんなものは、教会の魔人どもにでも任せておけばいい。

 人間として、人間のまま、超常なるモノに勝ちたいのならば――

「ッづ、ぉおおぉおぉぉッ!!」
「……ち」

 ただ愚直に、どこまでも堅実に、食らいつけ。

 勇気と無謀を履き違えるな。
 マキナには悪いが、己は英雄なんて大した生き物にはなれない。
 だから冷静でいろ。計算をしろ。それが長生きの秘訣だと、部下へ冗談を飛ばしたこともあったろうが。



 ――分析。
 カドモスは、既にこちらを殺すべき敵へ格上げしている。

 だが、その認識は決して対等を意味しない。
 彼は王だ。傲慢を美徳とし、君臨を是とする治世者だ。
 だからこそそこには必ず、言ってしまえばこちらに対する侮りがある。
 明確に格下と踏んでいるからこそ、避け得ず生まれてしまう不足。
 戦士としてではなく、王として在ろうとするが故の避けられない陥穽。
 戦い方に一切の無駄がないのなら、突くべき余白はもうその"在り方"以外にはないと断じた。


822 : ミルククラウン・オン・ソーネチカ(後編) ◆0pIloi6gg. :2025/01/25(土) 23:59:53 wkqTpI5.0



「そうまで惨死を望むか、下郎」

 鉄志の猛攻は、カドモスにとってそれほどの脅威ではなかった。
 確かに握られた棍棒の攻撃性能は特筆に値する。
 三騎士クラスのサーヴァントであり、紛うことなき英雄の格を有する己にさえ通じるだろう。
 だが、使い手が悪い。人の世でたかだか二桁年磨いた程度の戦闘術では、どうやったって本当の戦争と神秘を知る古代の英雄には届かない。

 にも関わらず、鉄志が此処まで命を繋げている理由。
 それは端的に、先に述べた彼のスタイルに起因するものであった。

「利口とは言い難いな。せめて逃げの一辺倒に徹しでもすれば微かな勝算もあるだろうに」
「は。流石は王様だな、庶民の感情なんて分かんねえか?」
「当然よ。王とは統べ、見下ろすモノ。それとも貴様は、まだ己の意地が王たる儂が傾聴するべき事象と思い上がっているのか?」

 攻め過ぎない。
 リスクが高すぎる道には走らない。
 たとえ自分の間合いでも、上記のルールに抵触するなら躊躇なく臆病風を吹かす。

 言うなれば、燃え上がるような意欲とは無縁の戦闘スタイル。
 これが、カドモスに手をこまねかせる。
 もしも鉄志が勇気に溢れ、それを押し通そうとするバイタリティに溢れた若者であったなら、とっくに戦いは決着していただろう。
 だが今の鉄志はそうではない。故に彼は、老いて尚強さを維持し続けるテーバイの英雄王と戦い続けられる。
 
「さぁな、この国は民主主義が原則だ。天皇陛下だって今じゃ国の象徴になって久しい。
 そんな平和な国で育った俺には、王様の気持ちなんてもん、正直とんと分からねえよ」

 カドモスの老いた腕が繰り出す、無数の槍撃。
 すべてが致死。無策に受ければそれだけで敗北が確定すると言っても過言ではない、王の死刑宣告。
 これを鉄志は、とにかく防ぐ。避ける。地面を転がって、漆黒の甲冑を土で汚すことさえ厭わない。
 
「だがな――」

 これをカドモスは、薄汚い鼠、と思う。
 神々に振り回され、前線で戦っていた頃の彼でさえ同じだろう。
 されど逃げる鼠ほど、捕まえるのに難儀する生き物もいないのだ。
 散る火花が、またもカドモスが仕留め損ねた事実を物語る。

 カドモスの槍を、栄光(ヘラクレス)の棍棒で凌ぎ、凌ぎ、凌ぎ、凌ぐ。
 かの大英雄の勇猛とは縁遠い、堅実謙虚の一辺倒。
 しかしその姿勢こそが、あり得ない奮戦という結果を成し遂げる。

「目の前でガキ苛められて澄まし顔してる奴なんてのは総じてクズだ。それだけは王様も、覚えといた方がいいと思うぜ」

 歯を砕けんばかりに食いしばり、力任せに槍を押し返す。
 ハイリスクは避けるが、許容可能なリスクなら受け容れるのも吝かではない。
 この曖昧な判断基準もまた、未だ驕りを捨てない老王の調子を狂わせる。


823 : ミルククラウン・オン・ソーネチカ(後編) ◆0pIloi6gg. :2025/01/26(日) 00:01:36 QrvMUmvw0

「……そうか」

 死物狂いで生み出した一瞬の隙へ、堂々踏み入っていく鉄志。
 棍棒の一撃が、此処で初めてカドモスの頬を掠めた。
 滲む血は、王の血。これが持つ意味を理解できない蒙昧なら、此処までの段階でもう百度は死んでいる。

「やはり聞くに値しない戯言だった。
 偽りの機神よ、その契約者よ、貴様らはひどく儂の機嫌を逆撫でする。
 もはや刎頸でさえ贅沢だ。ただ速やかに、この世から消えよ」

 途端に倍増しで増幅する殺意。
 装甲越しですら肌を刺し、骨まで軋ませる。
 生唾を呑み込まずにはいられない。
 これが英雄。これが、英霊。
 こんなもの――、人間が関わっていい存在であるものか。

 カドモスの槍が、再び真に構えられる。
 そう、真にだ。この構えを、既に鉄志は知っている。……既に、見ている。
 だからと言って脅威度は、ほんのわずかたりとも減少しない。

『っ――ますたー! お気をつけください、この構えは……!』

 マキナの警鐘が響くのも無理はない。
 無骨で、ともすれば陳腐とさえ言えるだろうただの鉄槍。
 そこに横溢する魔力は、決してそう大したものではない。
 いや、だからこそ恐ろしいのだ。これを警戒しないという選択肢が一瞬でも生じてしまう事実が、もう何より恐ろしい。

 これなるは、竜殺しの逸話の具現。
 カドモスという男が、如何にして英雄と呼ばれ、王になったのか。
 そのサーガを技を以って語り聞かせる、至高にして至上の一刺し。

 児戯のように放った時でさえ、全力で臨んだマキナを打ち破った。
 そんな怪物が、確かな殺意を秘めて繰り出す宝具。
 もし対処を誤ればどうなるかなど、計算するまでもないだろう。

「……なあ、王様よ。ひとつ聞かせちゃくれねえか」

 退くには遅い。
 受けて立つ、以外の選択肢はとうにない。
 されど、迎え撃って勝てる道理がないのもまた明白。


824 : ミルククラウン・オン・ソーネチカ(後編) ◆0pIloi6gg. :2025/01/26(日) 00:02:28 QrvMUmvw0

「あんた、そんなに悪い王様なのかい?」
「……何?」
「俺は正直、カドモスって言われてもピンと来ねえ。
 あんたのことだって話聞いてからスマホで調べたくらいだ。
 だから、そんな的を射たことは言えねえよ。けど、実際に会って分かったことがひとつだけある」

 ならばどうするか。
 答えは既に出ている。
 マキナにも伝えてある。
 マスターと英霊の間には、念話という独自の意思疎通法が存在する。
 
「あんた――ちょっと演技が過剰すぎるんじゃねえの?」

 鉄志が装甲の下でへらりと笑いながら告げた言葉。
 それは、なんてことのない軽口だ。
 だがその言葉は、此処まで彼が繰り出したどの攻撃よりも如実に。

「――――――――」

 一瞬。
 ほんの、わずかに一瞬。
 これより宝具を解き放とうとしていた英雄の裡から、動揺を引き出した。
 奇しくも、先ほどマキナがやってみせたように。
 普通なら二度使える手立てではない。何故それが効いたのかも、鉄志には分からない。
 
 警官というのは、悪と向き合う仕事だ。
 犯罪者はあの手この手で自分の悪事を隠そうとする。
 だから人の心が分からなければ勤まらないし、必然、この仕事をしていると人の感情の機微に対して敏感になる。
 
 今吐いた言葉は、決して単なる当てずっぽうではないし、マキナの成果に倣おうとしたわけでもない。
 鉄志が、カドモスという男に抱いた率直な印象だ。
 常に傲慢。他者を見下し、王としてそれらと臨む。

 そう、まさに、過剰なほど。
 見抜くのは難しくなかった。
 むしろ、容易かったと言ってもいい。
 これなら現代の詐欺師の方が、もう幾らか演技が上手いだろう。

 だからこそ二度目の空隙は成立し。
 この瞬間に、雪村鉄志は。


825 : ミルククラウン・オン・ソーネチカ(後編) ◆0pIloi6gg. :2025/01/26(日) 00:03:23 QrvMUmvw0


「行くぜ――――英雄王。心の準備はできてるか」


 此処まで大事に大事に守ってきた賭け金を、全額ベットする。
 特務隊の警官として、博打を打つようでは優秀とはとても言えない。
 だが今の鉄志は、もうとっくに警官ではない。
 特務隊は存在せず、此処にいるのはひとりの草臥れた男。

 であれば。
 時と場合に応じてセオリーを放棄するというギャンブルにうつつを抜かしたって、誰にも責められやしないのだ。


『英霊外装、フォーム:ヘラクレス。
 時の氏神は、掲げる慈悲を此処に示す。
 仮想宝具起動回路励起――All's well that ends well!』


 そして彼のサーヴァントは、理屈の放棄を是として赦す。
 此処に起動する、英雄の外殻、その真髄。
 雪村鉄志は神機融合を以って人間を超え、この瞬間を以って神話に至る。

 カドモスが、目を瞠った。
 信じ難いものを見る眼だった。
 鉄志が駆けるその速度が、数秒前と比にならない。

「馬鹿な……これは……!」

 まさしく、英霊の域ではないかと。
 零れる驚愕が、繰り出される理不尽を物語る。
 ヒトが神と混ざり合い、あまつさえ英雄をも驚かす。
 まさにご都合主義。終わりよければ全てよしを地で行く、大団円の具現。





「コード:ノウブル。是――――『射殺す百頭(ナインライブズ)』」




.


826 : ミルククラウン・オン・ソーネチカ(後編) ◆0pIloi6gg. :2025/01/26(日) 00:04:28 QrvMUmvw0
 瞬速の踏み込み。
 次に繰り出されるのは、またも急所狙いの一撃だった。

「ッ……!」

 当然カドモス、これを防ぐ。
 だが、これは一振りでは終わらない。

「ぬ、おッ……!?」

 英霊の視覚でさえ、線のように見える連撃。
 瞬きの暇もない無数の殺意が、攻勢に転じる暇を与えず殺到する。
 当然、もはやカドモスに宝具を解放する暇などなかった。

 いやそれどころか、防御に徹するのが精一杯。
 この瞬間、初めて王の瞳から驕りの色が完全に消え失せる。
 眼前に迫る男(にんげん)を――王が、対等な敵として認識する。

 しかしそれは、認識を改めるにはあまりに遅すぎた。

 槍が動く。
 槍が防ぐ。
 アレスの竜を殺した英雄の武勇、翳りなく。
 だというのに止まらぬ、人間の連撃。栄光の進撃。

 神の血すら宿さず。
 神との縁だけを寄る辺に、雪村鉄志はこれを成す。
 英雄カドモスに、今この瞬間だけ後塵を拝させる。

「貴、様――神秘も宿さぬ人間ごときが――!」

 カドモスは、当然のようにその屈辱を許容しない。
 迸る怒気。浮き出る血管が老王の憤激を物語る。
 確殺を狙う連撃を防ぐ槍に力が籠もり、猛り立ちながらも冷静に戦闘論理が構築されていく。
 
「儂という難業を踏破できるなどと、思い上がるな……!」

 是(これ)、射殺す百頭。
 神速神殺の九連撃。
 本家本元のヘラクレスが繰り出したなら、本物の神だとて斬り伏せるだろう極みの絶技。

 だが、ひと目で分かるほどにこれは完璧とは程遠い。
 あくまで眼前の人間は、ヘラクレスを僭称するただの人間でしかない。
 その脆弱な素体に、機神の機能を用いて強引に外装へ該当する英雄の情報を転写。
 装甲の性能に物を言わせて物理的限界を押し破り、強引に絶技を引き出しているだけだ。


827 : ミルククラウン・オン・ソーネチカ(後編) ◆0pIloi6gg. :2025/01/26(日) 00:05:42 QrvMUmvw0

 その事実を冷静に認識した上で、カドモスは動くことを許されぬままに躍動する。
 つまりは、神速の九発をすべて防ぐという離れ業。
 絶技には絶技。己は紛い物の英雄などに劣らぬという自負と、それを裏打ちする確かな技量経験がその難業を成し遂げさせる。
 七撃を無傷にて防ぎ切り、八撃目にして初めて被弾を許容する。

「ぐ、ぅ…………!」

 腹部に着弾した棍棒。
 内臓の軋む感覚と共に喀血するが、被弾はしていても直撃ではない。
 逆に言えば、カドモスをして直撃は不味いと判断させる威力がそこには備わっていた。
 身体をわずかに後ろへ反らすことによって可能な限り威力を殺し、躱し切れない一撃を屈辱の中で許容。

「――舐めるなよ、儂はカドモスぞ!
 これしきの窮地、見飽きておるわ!!」

 あえて被弾を是とすることで、対応不能を対応可能に変える。
 振るう槍の穂先で、連撃の終わりたる九の打擲を凌いだ。
 ヘラクレスの神話はこれにて終幕。
 人間の背伸びでは、所詮どうやっても真の英雄は超えられない。
 
「……無力を噛み締めて死ぬがいい、人間ッ!」

 希望は転じて絶望へ。
 大団円は成らず、現実は理想を超えてくる。
 
 だからこそ、雪村鉄志は無言。
 カドモスという壁の大きさを、寄せ来る悲劇の強さをしかと噛み締めながら、彼は――

「……約束したもんな、嬢ちゃん」
『はい。はい! 当機は――それを、覚えています……!』

 退かない。
 棍棒を、その場で取り落とす。
 一見すると不可解極まりない行動。
 が、合理で動く老王を貫くにはこれが最善と、彼は思考の果てにそう判断した。

「この爺さんの横っ面、一発ぶん殴るってよ――!」

 カドモスが先にやったのの、意趣返しのように。
 武器を捨て拳を使うという不合理で、合理を貫く。
 放たれる、漆黒の拳。神機融合、男と少女を一体にした鉄拳。
 その一撃は、確かに――老いたる王の顔面へ、真横から、迫って――


828 : ミルククラウン・オン・ソーネチカ(後編) ◆0pIloi6gg. :2025/01/26(日) 00:06:32 QrvMUmvw0















「見つけた」

 ――――声、が。

「お前ね、救済機構」

 響いて――――














 ――――世界のすべてが、星の輝きに塗り潰された。



◇◇


829 : ミルククラウン・オン・ソーネチカ(後編) ◆0pIloi6gg. :2025/01/26(日) 00:07:22 QrvMUmvw0



 雪村鉄志が命を拾った理由は、マキナの咄嗟の機転があったからに過ぎない。
 第二宝具展開中、マキナは創り上げた〈英雄〉の補助に全力を費やす。
 だが、あくまでもこの宝具は英霊デウス・エクス・マキナの力。
 その気になれば〈英雄〉から装甲の主導権を奪取し、強引に自らの指示を遂行させることも一応、可能ではある。

 最初に星の落隕を悟ったのはカドモスであったろう。
 しかし次に認識したのは、間違いなく鉄志ではなく未熟とはいえ英霊であるマキナだ。
 対城級の宝具出力を感知するなり、マキナは一も二もなく独断での防御行動を実行へ移した。
 
 英霊外装、防御特化型。フォーム:アテネの起動である。
 これによって瞬時に身の丈ほどもある大きな盾を呼び出し、一瞬先の死を回避させたのだ。
 まさに九死に一生を得る機転。マキナの咄嗟の判断は彼女のマスターの命を繋いだ。
 が、単に命を繋いだからと言って――それで状況が好転するわけではない。

「が……ぁ、ア………………?」

 全身のすべてが、悲鳴をあげている。
 装甲越しでも分かる熱感は、もし目の前の盾がなかったら自分がこの状態であろうと熱死していたことを物語っていた。
 肺の酸素がない。呼吸するだけで喉笛が苦しげに哭き、末期の肺病患者のような聞くに痛ましい呼吸音を漏らさせる。
 無事を問うマキナの声すら、今の鉄志の耳には入らない。
 自分が今生きていること。何か、途方もない破滅が落ちてきたこと。
 そのふたつの事実を噛み締めるだけが、彼の脳では限界だった。

(な…………に、が――――――――)

 霞む視界を意地で鮮明化させる。
 戦略爆撃でも受けたように、変わり果てた周囲一帯の景色。
 カドモスの廃寺さえ今は瓦礫の山と化し、地下へ続く洞穴の入り口が口を開けている始末。
 そんな破滅的な光景の中にひとり立つ、奇妙な風体の少女の姿を、鉄志の両眼は捉えた。

「げ……凄いな、今の耐えるんだ……。
 うーん、やっぱりもうちょっと狙い絞った方がよかったかぁ……。二兎を追う者何とやら、って本当ね」

 英霊と呼ぶにはフランクな物言いだが、彼女の姿を一度見れば、誰もがその面影を脳裏から振り解けなくなるだろう。
 古めかしい民族衣装風の装束に、ホラー映画の怨霊宜しく無数の札を貼り付けて佇む少女。
 短い黒髪はまるで夜空の色を直接抽出して染めたみたいな、漆黒より尚冥い、美しい黒色を湛えていた。

 その手に握られるのは、一張りの弓。
 わずか一射にして戦況を激変させた御業が、この一張りと細腕から生み出されたものであるなど、誰が信じられようか。


830 : ミルククラウン・オン・ソーネチカ(後編) ◆0pIloi6gg. :2025/01/26(日) 00:08:21 QrvMUmvw0

「ま、いいや。どっちみち、なんか、思ったほど強くなさそうだし?」

 はあ、とため息がひとつ。
 気の抜けたようなその音を、鉄志の鼓膜が捉えた次の瞬間。
 "敵"は、未だ立ち上がることもままならず片膝を突いた鉄志の眼前にいた。

「ぐ、あ…………!」
『ますたー!!』

 いけない。まずい。やばい。
 速やかに反応を――思考できたのはそこまで。
 思考を追い越す速さで放たれた膝蹴りが、盾越しに鉄志の身体を空中へとかち上げる。

 防御は成功した。
 鉄志の反応によってではなく、相手の攻撃の杜撰さで。
 どこか投げやりにも見える、武術というより喧嘩のような暴力。
 だがそれでも、如何に英霊外装の盾であろうとも、突き抜ける衝撃までは防げない。
 
 彼女がやったことが、鉄志には分かる。
 救世神の装甲によって底上げされた五感がそれを見抜かせた。
 ――"超高速で接近して"、"その速さを殺さないまま"、"蹴り抜いた"。
 要するに、とてつもないハイスピードで蹴り飛ばした。理屈としてはこれだけである。

「適当に何発か射てば死ぬでしょ。楽ちん楽ちん」

 着地の猶予を与えることなく引き絞られる、破滅の弓。凶星の光。
 弓矢の体を成していたのは引き絞る動作まで。
 放たれ、弓から解き放たれた途端、弓は闇色の光に変わって流星に化けた。

 何の冗談かと、マキナは解析結果に身体なき身で驚愕する。
 児戯のように放たれた一撃が、当たり前のように対軍以上の火力を秘めているのだ。
 それが音を遥かに置き去る信じられない速度で空中の鉄志へ迫ってくる。
 敵方いわく雑に放った一射でアレなのだ。狙いを絞ったなら、破壊規模を代償にどれほどの殺傷力が生まれるか考えるだに恐ろしい。

「マ、キナ……!」
『はいっ――背部スラスター起動、滑空による回避態勢へと移行!
 並びに英霊外装をコード:アルケスティスに置換。フォーム:ヘラクレスを再実行します……!』

 マキナのスキル、魔力放出(機構)。
 スラスターを用いた魔力のジェット噴射で強引に矢の軌道から逃れる。
 上空彼方で猛烈な爆発を引き起こした閃光を振り向いて仰ぐ余裕はない。
 更に言うなら、初体験の高速飛行に感じ入る余裕もだ。
 外装をアテナの盾からヘラクレスの棍棒へ戻し、戦闘態勢を再構築する。


831 : ミルククラウン・オン・ソーネチカ(後編) ◆0pIloi6gg. :2025/01/26(日) 00:09:15 QrvMUmvw0

 撃ち合いの土俵に対応できないわけではない。
 元が警官である鉄志には人並み以上の射撃の心得があるし、装甲には弓の外装が登録されている。
 にも関わらず鉄志も、そしてマキナもそれを選択しなかった理由は明快だ。

「避けないでよ。嬲り殺しは趣味じゃないんだってば」
「ッッ……!」

 単純明快。
 恐らくこいつには、速すぎて当てられない。

 当たり前のように空中、移動経路上まで浮上してきた星の弓手(アーチャー)に舌を巻く。
 カドモスはどちらかと言えば速度ではなく、完璧の域まで編み上げられた武芸で圧倒してくるタイプだった。
 だがこのサーヴァントは違う。速い、ただ速い。速度というその一点が、他者を寄せ付けないほど特化している……!

 番え放たれた矢の回避には常に全力を費やす必要がある。
 カドモスの槍以上に被弾を許されない状況に脳裏がひりつく。
 が、怯えているわけにはいかない。これを前に悠長な戦術を講じるのは自殺志願と同義だ。
 故に、皮肉にも此処で鉄志は、対魔逮捕術の基本理念へと立ち返る。

「舐めてんじゃ、ねえぞ……!」

 対魔逮捕術の大原則とは先手必勝。
 狡猾な魔術師を、何もさせずに制圧する。
 何かされる前に伸してしまえば、魔術師も人間と変わらない。
 それを今こそ活かす時だと判断するなり、鉄志は魔力噴射の速度に任せて接敵した。

 が……

「舐めてるのはどっちよ。言っとくけどその判断、正気じゃないからね」

 敵手、退かぬ。
 動揺すらなく、むしろ前へと向かってくる。
 純粋な速度の優位に飽かして、それだけを寄る辺に弓で棍棒と打ち合ってきた。

 愚直。考えなし。
 が、その愚直が、何より強い。
 機神の躯体を鎧として纏い、転身前とは比にならない身体能力を有する筈の鉄志。
 ヘラクレスの棍棒も、テーバイの英雄と真っ向から打ち合って破壊されないほどの強度を秘めている。
 なのに少女の言うなればゴリ押し一辺倒の戦術を前に、彼はただ押されていた。


832 : ミルククラウン・オン・ソーネチカ(後編) ◆0pIloi6gg. :2025/01/26(日) 00:10:21 QrvMUmvw0

(く、そ……! 重てえ、ッ……!)

 理屈の正体は語るまでもなし。
 速さは重さ。それがすべてだ。

 常に超高速で駆動するアーチャーの全行動は、その時点で破壊的な暴力を宿す。
 もはや破壊力だけで言うならば、一撃一撃のすべてが宝具と呼んでも過剰ではない。
 鉄志が同じことをしようとしても、恐るべきことに、スラスターの魔力噴射による高速でさえこの弓兵には追い付けない。
 威力。速度。その両方で、鋼の英雄は星の写身の後塵を拝している。

『……、針音……?』

 一方でマキナは、奇妙な音を聞いていた。
 鉄志とは違い、彼女には思考の余裕が広く残されている。
 だからそれに気付けた。アーチャーの身体から聞こえる、断続的な、ちいさな音。
 チッ、チッ、と時を刻む、時計の針のような音を聞き取ることができた。

 だが気付けたからと言って、どうなるわけでもない。
 更に言うなら都市の真実を知らない少女神では、その音の得体を暴くことも出来やしない。

「へー。結構硬いんだ」

 叩き込まれた拳が棍棒の防御を跳ね除けて鉄志を打ち据える。
 それだけで、血を吐きたくなるほどの衝撃が彼を襲う。
 棍棒を取り落とさずに済んだ自分を褒めてやりたくなったが、余分をするのは後だ。

「……ッ、お前――さっき、妙なことほざいてやがったな……!」

 鉄志は、胸を打ったアーチャーの細腕を掴んでいた。
 彼女も腕を引こうとするが、膂力に優れないのか、すぐには上手いこと行かないらしい。
 苛立ちも露わに、小さく舌打ちの音が響く。

「きっしょ……触んないでくれる、オッサン」
「〈救済機構〉って、何のことだ。
 まさかそれは……俺のサーヴァントのことを、言ってんのか?」
「は〜…………」

 しかし優位が一瞬でも成立したのは、この瞬間だけだった。
 刹那、鉄志の間近で闇の爆光が炸裂。彼は手を離し吹き飛ぶのを余儀なくされたからだ。
 爆ぜたのはアーチャーの手。彼女は事もあろうに、自分の腕を起点にその魔力を爆発させたのだ。
 自傷も厭わない、短絡的で暴力的な現状打破。白煙をあげて吹き飛ぶ鉄志に、いま再び星弓の照準が合わせられる。

「話す義理、あると思う?」

 見えた光明は、一転して破滅の光に変わった。
 星神の弓から解き放たれる、必滅の暗黒光。
 天津神さえ恐れ慄き、背筋を震わせた悪神の神威が空に帯を描く。


833 : ミルククラウン・オン・ソーネチカ(後編) ◆0pIloi6gg. :2025/01/26(日) 00:11:15 QrvMUmvw0

 やはり喰らえない。
 回避に最大限のリソースを割くべきなのは明々白々。
 それに――こいつを相手取る上では間違いなく、近接戦の間合いを捨てるべきではない。
 
「なら……力ずくででも、話して貰うぜ」

 再加速しつつ、掠めるかどうかの間合いで滅びの流星と並走する。
 闇色の光という矛盾がどういう原理で成り立っているのか、少し考えるだけでも己が挑まされるモノの超常性に気が遠くなるが。
 だとしても、この女からは話を聞かなければならないと鉄志の直感が告げていた。
 一瞬聞こえた〈救済機構〉というワード。明らかに自分のサーヴァントに関連するであろう、その単語。
 これを後回しにしていたら必ずとんでもないことになるという"元刑事の勘"が、鉄志にまだまだ無茶を許してくれる。

「マキナ、もうちょっと無茶をする! 無理言ってるのは承知だが、アシストを頼む……!」
『あい・こぴー、ますたー……! 背部・腕部パーツ展開開始。当機の意地にかけて、あのアーチャーを逃しません……!』

 分散して飛んだマキナの、今は鉄志の躯体が、人工衛星のように空中へと展開された。
 これは言わずもがな、アーチャーが速度に任せてあちこち飛び回るのを防ぐための網だ。
 一番手に負えないのは無軌道に移動され、ひたすら距離を取られながら引き撃ちされること。
 それをされれば詰みだと分かっているから、以心伝心、主の意向を叶えるべく少女神が下知を飛ばす。

 斯くして再度成立する、英雄と星神の接近戦(インファイト)。
 このアーチャーは兎にも角にも速すぎる。が、やはり真の脅威はその放つ矢だ。
 従って放つ隙を与えないこと。そこに全力を投じることを、既に鉄志は決めていた。

「仲良しなのね、自分の英霊と」
「はっ、そう見えるか? なら何よりだ」
「はー、やだやだ。殺した後の後味悪いじゃん……まあ」

 さりとて、相手は超常の神威。
 神に弓を引き、その星光で故郷の平定に抗い続けた星の悪神。
 カドモスの時と同じだ。成りたての英雄が相対するには、この少女は如何せん強すぎる。
 生物としての規格が、何から何まで違いすぎている。

「だからって、手が鈍るとかそういうことはないんだけどね」

 間近で炸裂する、闇の輝き。
 このアーチャーはマキナが持ち、鉄志も先ほどから使い続けている魔力放出を、より高い領域で会得している。
 移動ではなく攻撃、弓兵が本来苦手とする筈の接近戦で活用される星光の爆裂。
 無論尋常ではない威力だが、エウリピデスが夢を託した機神の躯体、その強度もまたさるものだ。
 
 鉄志、不退転のままに棍棒を振るう。
 その姿はまさに、如何なる難業難題にも屈さず、栄光のままに進撃し続けたヘラクレスの如し。
 時に棍棒で光そのものを殴り落としながら、対魔逮捕術という"人間"の発明品を駆使して少しずつ"圧倒"を崩し始めていた。


834 : ミルククラウン・オン・ソーネチカ(後編) ◆0pIloi6gg. :2025/01/26(日) 00:12:24 QrvMUmvw0

「どいつもこいつも、英霊ってのは蛮族が基本なのかよ。少しくらい話を聞いてくれないもんかね……!」
「聞くわけないでしょ。これから殺す相手と仲良くなってどうするのさ」

 ち。この戦い、二度目の舌打ちを鉄志は確かに聞いた。
 単なる応用の小技では、どうやら倒し切れないと判断したらしい。
 アーチャーが小手先の抵抗をやめる。となると、次に来る展開は嫌でも予想がついた。
 咄嗟に棍棒を守勢のために構える鉄志。その判断は慧眼だが、しかしあくまで常識の範疇。
 
 彼は人間、敵は英霊。英霊は――あらゆる常識を超えてくる。

「狙いは悪くないけど、あんたさっきから英霊を舐めすぎ。
 ちょっと背伸びした人間が実行できる程度の浅知恵でどうにかなるとか、まさか本気で信じてた?」

 次にアーチャーが取った行動は、あろうことか、ただの"体当たり"だった。
 弓を武器代わりにするでもなく、強引に矢を番えるでもなく、正面からぶつかったのだ。
 もちろんこれも爆速だから、威力としては人間ひとりを全身圧潰の肉塊に変えられる程度の威力はある。
 だが、機神の装甲を打ち破るにはいささか心許ないと言わざるを得ない。いわば、その程度の攻撃。
 これが一撃で終わる攻撃だったなら、そう謗ることも可能だったろう。

(おい、おい……マジか、こいつッ……!)

 体当たり。からの、踵を返してもう一回体当たり。
 次は角度を変えて。そこからまた同じ軌道で往復。
 次も角度変更。往復。次も。往復。次も。次も、次も次も次も次も――。
 足場も壁もない空中、その上マキナの援護展開状態で行動範囲の限られているそこを、星神は縦横無尽に飛び回りながら、その移動行動そのものを攻撃手段として鉄志を打擲し続けているのだ。

 さながらそれは、戦闘機と生身でドッグファイトさせられるようなもの。
 ぶつかっても壊れないし性能も落ちない戦闘機が、Gの影響も全無視して、機体性能すべてを活かして同じ高みに立つ敵を轢殺しに来るのだ。
 では鉄志も離脱すればいいという話だが、そうすることもままならない。
 速すぎる。魔力放出で抜けようにも、噴射の始点を衝撃で潰され、強引に元の座標に戻される。
 逃げ場はなく、逃げようとすることさえ許さない無法の極み。
 "速い"ということが示せる攻撃性のすべてを、今まさに雪村鉄志は体感していた。

 とはいえ、確かにこれで殺し切るには相当な時間がかかる。
 けれど彼女はアーチャー。最初から必殺手段を持つ彼女にとって、確殺の状況を整えられるだけですべての行動には意義がある。
 極悪なる連撃の締めに叩き込んだのは踵落とし。
 それで真下に撃ち落としながら、悠然と、星の少女神は遂に弓を番える。

「ご――が――?!」

 鉄志はそれを見上げるしかない。
 今から外装を切り替えるのでは、間に合わない。
 詰み。圧倒的な、行き止まり。
 焦燥の中で意識はひたすらに加速するが、ああ、それでも。


「はい終わり」


 ――夜空を奔る星の方が、遥かに速い。


「『神威大星・星神一過(アメノカガセオ)』」


 真名開放。
 星の弓兵――悪神・天津甕星の擬なる神体、その銘。
 
 この射撃に用いる矢は、星神の身体(うつわ)そのものだ。
 だからこそ本来は、おいそれと乱射できるものではない。
 が、今の天津甕星はその弱点を超克している。
 無尽蔵の魔力供給をもたらす、外付けの、サイバー風に言うならば強化パーツ。
 それが最速の星神が抱える唯一の陥穽を埋め合わせ、今や彼女の輝きは完全無欠。
 昼も夜も、何にも遮られることなく天で輝く、闇色の星――憎悪の神威が、地を焼き払う再びの落隕を下す。

 ただし今度は、ただ一体の〈救済〉を摘むために。
 救世神の神話を断ち切る涜神の一矢が、輝く悲劇を具現させた。



◇◇


835 : ミルククラウン・オン・ソーネチカ(後編) ◆0pIloi6gg. :2025/01/26(日) 00:13:34 QrvMUmvw0



 ――何故?

 それが、雪村鉄志の胸中を占める最大の思考。
 装甲の所々が破損して、中の肉体が覗いている。
 もしも第二宝具を使っていなければどうなっていたかなど、想像するまでもない。

 幸いにして装甲には自動修復機能がある。
 マキナの権能で不可逆の損傷にはならないが、これも万能ではない。
 完全修復までには多少のインターバルを要するし、魔力も喰う。
 マキナの抱える欠点を解消できるこの形態とはいえ、痛い出費だ。
 だが何よりも今は、"すぐに直しきれない"という事実が鉄志達の未来を重暗い影で閉ざしていた。

「……まだ生きてんの? しぶとすぎでしょ流石に。
 結構殺すつもりで撃ったんだけどなあ……もうちょっと弓の練習しないと駄目かなあ……」

 地に降りた死神の星がため息交じりに見下ろしている。
 アーチャー・天津甕星。彼女は端的に言って、鉄志とマキナにとって限りなく最悪に近い相性の相手だった。

 自律行動モードのマキナでは、言わずもがなまず勝てない。少なくとも今は。
 速度任せのゴリ押しですべて粉砕されるし、例の矢などもはや論外だ。
 ではかと言って第二宝具、神機融合モードなら与せるかというと、その答えは現状が物語る通り。
 近接戦はそれこそスペックで蹂躙。遠距離戦ではそもそも当てられない。防御に徹したら、鈍重を良いことに嵌め殺される。
 
 凶悪なまでに相性が悪く、その打破に繋がる活路さえ見出させて貰えない。
 まさしく最凶の敵だ。機体性能でも人間性能でも、すべてを彼女は着の身着のまま超えてくる。
 絶望の二文字が、人の形を取って顕れたかのような存在。
 そんなサーヴァントがどういうわけか、明確にデウス・エクス・マキナへ敵意を抱いて襲ってくるこの現状は率直に言って悪夢じみていた。
 
 けれどその悪夢も、もうじき終わりだ。
 此処から天津甕星は、考えなしに矢を撃っていればそれだけで勝てる。
 鉄志がどれだけ技を尽くしても、マキナがどれだけ機能を尽くしても、目の前の無体に届かない。

 矢が再び、番えられる。
 滅びの矢。闇色の星。暴虐でしかない星の光。日向の対極。
 錆びついた機械のように緩慢な動作で身を起こしながら、鉄志はそれを睨むしかなかった。
 何をどうやったって間に合わない。けれど、それでも。傷だらけの装甲で、男は言葉を紡ごうとする。

「……聞きたいことが、ある」


836 : ミルククラウン・オン・ソーネチカ(後編) ◆0pIloi6gg. :2025/01/26(日) 00:14:22 QrvMUmvw0
「だから答えないって。それに今更時間稼いだって、もうどうにもなんないよ」

 にべもない答え。
 にべもない正論。
 ギリッ、と鉄志の拳が音を奏でた。
 益体もない正しさなんて、あの日からもう飽きるほど聞いてきた。だから、もう耳は貸してやらない。

「俺の娘は、三年前に、忽然と姿を消した」

 腹の中からせり上がってくる血反吐を堪えるのに意味はない。
 そこに余力を使うことさえ、今は惜しく思える。
 堪えるのを頑張るくらいなら、声をあげることにそのリソースを使いたかった。

「カミサマに会いに行く。そう書き置きを残して、今も見つからねえままだ」

 悪あがきにも程がある。
 けれどきっと意味があると信じて、まだ呼吸の追いつかない喉に無茶をさせる。
 身体中が痛い。迫る死の予感に本能が震えている。
 こんな今日に流れ着いてもまだ死ぬのは怖いらしい。

 己の情けなさを自嘲したいが、今はそれより優先することがある。
 草臥れた壮年の自傷行為なんていつでもできる。
 履き違えるなと、年甲斐もなく沸き上がった熱いものが。
 この装甲が、悲劇の迎撃者という外殻が、枯れた心に灯る消えかけの熱を励ましてくれる。

「事故、事件、もしくは単なる家出。
 いろいろ言われたよ。でも、俺は、そうじゃねえと信じてる。
 だから俺は今でも追いかけてるんだ――そいつを。顔の見えねえ、いるかどうかも分からない犯罪者(ホシ)のことを……!」

 意味があるか? ないか?
 知るかよ、そんなもん。
 コインの裏表は投げてみるまで分からない。
 そうだろ、そんなもんだろ。

 雪村鉄志は理性を感情でそう説き伏せて、続く最後の言葉を、紡いだ。


837 : ミルククラウン・オン・ソーネチカ(後編) ◆0pIloi6gg. :2025/01/26(日) 00:15:22 QrvMUmvw0


「――〈ニシキヘビ〉という存在を追ってる。冥土の土産がてらによ、知ってたら教えてくれよ………英霊」


 戯言。
 雑音。
 遺言未満の断末魔。
 
 語るに落ちる、愚者の言葉。
 輝く星に紡がれる、悪あがき。
 ああ、いつか、星空を見に絵里と出かけたことがあったなあと、鉄志は思い出していた。
 
 妻の美沙が死んで、葬儀やら諸々が一通り片付いて。
 ようやく家族の時間ってものを取れるようになった頃だった。
 少しでも娘の心を慰めたくて。
 天体観測なんてしたこともない癖に、星の見える丘として有名な場所に出かけた。
 
 満天の星空、光の絨毯。
 それを見上げていた、あの時の絵里は。
 あの笑顔は、心からのものだったのだろうか。
 そうであってくれと祈る資格はないと、鉄志は思っている。
 
 肝心な時にそばにいられず。
 闇路へ往く手を引くこともできず。
 すべて終わってから、過ぎ去ってから、思い出したみたいに悔やむ父親になど。
 そんな資格があるものかと、自罰的なほどにそう信じ続けている。
 
 なのに、美しく。
 あの日の星空のように佇む死神へ、言葉を求めてしまうのは端的に自分の弱さなのだろう。

 女々しく情けなく、語るに落ちる愚者の肖像。
 錆びついた心は、ほんのわずかの希望にでも縋りたいものだから。
 だから鉄志は問うた。星へ。星の神へ。あの日、自分と絵里を見下ろしていた輝きの主へ。
 狂気にすらなれない未練を後生大事に抱き締めながら、ただ問いかけた。

 そして。


「…………、…………っ」


 問われた英霊は、星の神は。
 確かに一瞬、わずかに。
 目を逸らした。


838 : ミルククラウン・オン・ソーネチカ(後編) ◆0pIloi6gg. :2025/01/26(日) 00:16:26 QrvMUmvw0





「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――は?」





 思考が停止する。
 時間も止まったかと思った。
 見間違い、普通ならそう断ぜるだろう一瞬。わずかに一瞬、いや刹那。
 されど雪村鉄志はかつて、警官だった。
 虚言を弄し、平気な顔で人を騙し、正義に抗い、自分の悪行を隠すために全力を尽くす。
 そういう妖怪どもと切った張ったの日々を送っていた、そういう人生を過ごしてきた。

 だからこそ、彼の鍛えられた眼力はそのわずかな一瞬を見逃させてなどくれず。
 見てしまったからこそ、問うた側とは思えないほどの空白を生み出してしまう。

「……………………待、てよ。なあ。まさか――――おまえ」

 言葉がうまく出せない。
 いいや、出てくれない。
 喉の奥に餅でも詰まったみたいな閉塞感がもどかしい。

 嘘だろ。
 嘘だと言ってくれた方が、むしろありがたいかもしれない。
 そんなことさえ、今の彼は思ってしまう。
 だってそれほどまでに。その一瞬は、反応は、彼にとって、雪村鉄志にとって。
 
 この世のどんな福音よりも待ちわびた、あの日からずっと待ち続けていた、宝石のような刹那であったから。

「知ってる、のか………………?」
「知らない。あの世で一生自問してれば?」

 だが、ああ、ああしかし。
 既に物語は悲劇に変わっている。
 英雄は、抗いようのない現実に負けてしまった。
 伸ばした手は、夜空の星に届かず。夜空の星は、静かにそれを見下ろす。

 少女の声も、矢を放つまでの動作も、まるで引き伸ばした走馬灯みたいに見える。
 それがせいぜい、物語という大いなる流れに取り込まれた人の子の限界。
 覆せない大河のせせらぎ。いいや鉄砲水のように、残酷な運命は容赦なく人という生き物を浚っていく。

 ――何故?

 その疑問だけは、混乱を極める鉄志の胸中で今も躍っていた。
 だってそれには理由がない。だから、無視もできない。
 不可解という名の最も特定するべき不明瞭が幅を利かせて居座っている感覚はひどく据わりが悪く。

「『神威大星――――」

 引き伸ばされたような一瞬の中。
 ああしていればよかった、こうしていればよかった、という未練。
 死んでたまるか、終わってたまるか、という闘志。
 そのふたつが絶え間なく燃え盛る中で、雪村鉄志は。



「――――『我過ちし栄光の槍(トラゴイディア・カドメイア)』」



 巌のような重さを持って響くそんな声を、確かに聞いた。
 彼と彼女の物語は、星神の登壇によって悲劇へと堕した。
 求めた勝利は得られず、頑然とした現実は決して覆らない。
 そんなありふれた、改めて綴るまでもない悲劇。

 けれど。
 いいや、だからこそ。
 彼女の、そしてその父の流儀に則るならば――。


 物語が悲劇で幕を下ろすなら。
 そこに駆けつけるべきは、〈英雄〉であるべきだ。


 竜殺しの英雄が、栄光の国の王が、今。
 遥か異国の星神を貫くべく、その槍を神速にて轟かせていた。



◇◇


839 : ミルククラウン・オン・ソーネチカ(後編) ◆0pIloi6gg. :2025/01/26(日) 00:17:48 QrvMUmvw0



「――!?」

 アーチャー・天津甕星は確かに怪物である。
 その体内は信仰者達のカタコンベ。故にあらゆる服従を頑なに拒み。
 その矢は神を穿ち、空の果てにまで届く夜空の如き矢を放つ。
 慟哭する金星は最速最美。誰も天駆ける彼女を捉えられない。

 が――この悪神は、技を知らない。
 神の矜持もそうたらんとするモチベーションも始まりの瞬間から皆無。
 半ば八つ当たりのように得た力を振り回すと、それだけですべてが何とかなってしまう。
 経津主も武甕槌も破れなかった悪の星神。彼女は能力と成功体験こそあれど、逆に、想定外の事態というものには脆い。

 迸る神速の一槍を彼女が認識したのは、既に放たれた後だった。
 咄嗟に魔力を噴出させ、光帯の残像を残して避けようとするが、遅い。
 竜殺しの槍、はじまりの王権、そのひとつ。
 英雄カドモスの鋼が、天津甕星の脇腹を確かに抉っていた。

「っづ……! 痛ったぁ……!!」

 漏れる苦悶と血液。
 少女神の血を払うように槍を一振りし、カドモスは厳かに呟く。

「いかにも小娘らしい陥穽だな。速く動けはしても、反応速度まではその限りでないらしい」

 威厳溢れる王の痩身には、確かなダメージが見て取れた。
 『神威大星・星神一過』による最初の奇襲攻撃。
 その爆発に身を焼かれ、所々に火傷が確認できる。
 しかし何より目を引くのは、右の頬に浮かび上がったわずかな腫れだろう。
 まるで殴られたような痕跡は、凡そこの老王には似合わない手傷だった。

「……ああもう、面倒臭いなぁ……!
 黙ってれば後に回してあげるし、逃げるなら見逃してあげてもいいのに、なんでわざわざ死にたがんのよ」
「阿呆か? 貴様。そこの機神もどきよりどう考えても貴様の方が厄介な敵だろうが。
 三つ巴ならまずは出る釘から打つのが戦の鉄則よ。物を知らぬ薄汚い不敬者ならば尚更な」

 天津甕星の襲撃が、すべてを有耶無耶にしてしまったが。
 あの直前、雪村鉄志の拳はカドモスに届いていた。
 切った啖呵の通り、彼は王を殴り付けていたのだ。
 
 だからこそ二度目の真名解放を受け、死を直感した時。
 装甲の脇部分をスパルトイの矢に撃たれ、その衝撃で天津甕星の宝具の狙った座標から逃れることに成功した時――何故、と思った。
 
 正直なところ、カドモスが天津甕星の存在に構わずこちらを殺しに来る可能性さえ腹の中では想定していた。
 あの矜持高く、傲慢を是とする王が、下賤の輩に頬を張られて只で済ませる筈がないと。
 故にこそ彼が援護射撃を行い、あまつさえ天津甕星に対して武力行使で介入したのは想定外も想定外。
 まさにご都合主義(デウス・エクス・マキナ)が味方した物語を読んでいるような、そんな気分にならざるを得なかった。


840 : ミルククラウン・オン・ソーネチカ(後編) ◆0pIloi6gg. :2025/01/26(日) 00:18:56 QrvMUmvw0

「おい、あんた……」
「勘違いなどするな、紛い物の契約者よ。
 王に触れ、血を流させた不敬は必ず貴様らの命で償わせる。
 これは単に優先順位の問題だ。それに」

 鉄志の疑問に、にべもない答えが返ってくる。
 うげ……という声を出さずにいられたのは奇跡だ。
 天津甕星を退けたら、今度は改めて怒髪天を衝き直したカドモスが襲いかかってくる。そう予告されたようなものだ、無理もなかろう。
 しかし。


「今この時を以って事情が変わった。星の娘、回答を許す。アレは何だ?」


 続く言葉と、空間に轟く超重量の震動が、この後のことを考えるという楽観をすべて吹き飛ばした。


「……おい、おい」

 断言できる。
 さっきまで、こんなモノは彼処にいなかった。
 
 焼け野原と瓦礫の山と化した住宅地の一角。
 未だ黒煙立ち昇る惨状の中に、黙し佇むモノがある。
 いい加減突拍子もない存在、展開にも慣れてきたと思っていたが、その前言は撤回するしかない。
 
「なあ、マキナ――俺の幻覚か、アレ?」
『わ……わかり、ません。ですが……ですが……』

 ……日が落ち、夜の闇が支配する杉並区。
 そこに、巨大な"ヒトガタ"が立っていた。

 それには目がない。口もない。手足はあるが、肌は人間の色をしていない。
 だからこそ、これを形容するにはヒトガタという表現が正しかった。
 潔癖なイメージを想起させる純白の体表。関節の代わりに用意された大仰な機構。腕に刻まれた《Seraph=Ζήνων》の文字。
 背に生えた翼は三対六枚。神話に語られる熾天使の特徴に似ているが、その翼もまた、明らかに人工物と分かる無機的な質感を帯びている。

 人間で言う目の部分に相当する位置には、アルビノの眼球を思わす真紅のランプが煌々と灯り。
 耳を澄ませれば重機械の製造工場に似た、鋼の機構による駆動音が聞こえてくる。
 先の轟音と震動は、これが地に降り立った音なのだろう。
 全長は目算にして20メートル弱。その巨体が持つ重量など、一体どれほど規格外か分からない。

 雪村鉄志がこれを見て思い浮かべた単語はひとつ。
 あまりにも荒唐無稽で馬鹿げてて、なのに代わりになる言葉が見つからない。

 そう、これは――
 このヒトガタを、一言で言い表すならば――


841 : ミルククラウン・オン・ソーネチカ(後編) ◆0pIloi6gg. :2025/01/26(日) 00:20:24 QrvMUmvw0


『機、神…………?』


 ――巨大ロボット、と、そう呼ぶのが最も的確だろう。
 そして実際、それで合っている。
 そう証明するように、佇む巨大機人の頭頂部に立つひとりの少年の姿を、鉄志もマキナも見含めた。

 水色の頭髪が特徴的な、小柄な少年だった。
 姿だけ見れば少年なのだが、纏う雰囲気は幼子のようにも、老人のようにも見える。
 幼気と老練を同時に併せ持ったアンバランスさが、ちいさなシルエットの中で同居を果たしている。
 鉄志が眉を顰めた理由は、マスターとしての視界に表示された彼のステータスが、あまりにも低すぎることだ。
 だが不気味。並ぶEの文字に添えられた無数の+表記が、これを侮ってかかることを許さない。

「上出来だ、アーチャー。
 此処まで早く辿り着いてくれるとはな。おかげでボクも手間が省ける」
「わざわざ出張ってくるなら最初からあんたがやりなさいよ。
 まあ貰うもんは貰ってるし、ねちねち文句言う気もないけどさ」

 星の弓兵と語らう言葉は、彼こそが〈救済機構〉すなわちマキナの討伐を彼女に命じた張本人であることを示しており。
 であればその彼が今此処に、自ら姿を現したことの意味も明白だった。

 時を刻む双眸が、天の高みから鉄志を見下ろす。
 いいや、見ているのは彼であって彼じゃない。
 彼と融合し、今も同じ視界を共有している少女神。
 ある優しい詩人が遺した理想のカタチ。それをこそ、冷めた眼差しで睥睨している。

「さて」

 マキナはその視線から、どうしてか意識を反らすことができなかった。
 脳裏に蘇るのは、数刻前に対峙したある女神の言葉だ。

 しかし、此度の接触は先達が彼女へ示した"課題"の解決にはなり得ない。
 何故なら彼の者、この世界の神に非ず。
 あるいはマキナは、未熟とはいえ救世神として、その本質を本能的に感じ取っているのか。
 定かではなかったが、どうであれ今から起こることは決まっている。

「終わろうか、エウリピデスの空想」

 神との対話、未だ叶わず。
 夜の手前の都市で、救世神/特異点の卵は獣と対峙す。


 
 ――永久に救い満たされた未来文明の使徒たる無限時計巨人が、全身から無数の白い光を放ち、熾天使の降臨が如くに偽神の撃滅を宣言した。



◇◇


842 : ミルククラウン・オン・ソーネチカ(後編) ◆0pIloi6gg. :2025/01/26(日) 00:21:20 QrvMUmvw0
【杉並区・廃寺跡/一日目・日没】

【雪村鉄志】
[状態]:神機融合モード、精神的動揺、疲労(大)、全身にダメージ(大)、装甲に損傷(修復中)
[令呪]:残り三画
[装備]:『杖』
[道具]:探偵として必要な各種小道具、ノートPC
[所持金]:社会人として考えるとあまり多くはない。良い服を買って更に減った。
[思考・状況]
基本方針:ニシキヘビを追い詰める。
0:何だ――こいつ。
1:アーチャー(天津甕星)は、ニシキヘビについて知っている……?
2:今後はひとまず単独行動。ニシキヘビの調査と、状況への介入で聖杯戦争を進める。
3:同盟を利用し、状況の変化に介入する。
4:〈一回目〉の参加者とこの世界の成り立ちを調査する。
5:マキナとの連携を強化する。
6:高乃河二と琴峯ナシロの〈事件〉についても、余裕があれば調べておく。
[備考]
※赤坂亜切から、〈はじまりの六人〉の特に『蛇杖堂寂句』、『ホムンクルス36号』、『ノクト・サムスタンプ』の情報を重点的に得ています。
※マキナの『熱し、覚醒する戦闘機構(デア・エクス・チェンジ)』により、彼女と一体化しています。

【アルターエゴ(デウス・エクス・マキナ)】
[状態]:神機融合モード、疲労(中)
[装備]:スキルにより変動
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:マスターと共に聖杯戦争を戦う。
0:これは、いったい……
1:マスターとの連携を強化する。
2:目指す神の在り方について、スカディに返すべき答えを考える。
3:信仰というものの在り方について、琴峯ナシロを観察して学習する。
4:おとうさま……
5:必要なことは実戦で学び、経験を積む。……あい・こぴー。
[備考]
※紺色のワンピース(長袖)と諸々の私服を買ってもらいました。わーい。
※『熱し、覚醒する戦闘機構(デア・エクス・チェンジ)』により、雪村鉄志と一体化しています。

【ランサー(カドモス)】
[状態]:全身にダメージ(中)、顔面にダメージ
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:いつかの悲劇に終焉を。
0:目の前の状況に対処。
1:当面は悪国の主従と共闘する。
2:悪国征蹂郎のサーヴァント(ライダー(戦争))に対する最大限の警戒と嫌悪。
3:傭兵(ノクト)に対して警戒。
4:事が済めば雪村鉄志とアルターエゴ(デウス・エクス・マキナ)を処刑。
[備考]
 本体は拠点である杉並区・地下青銅洞窟に存在しています。


843 : ミルククラウン・オン・ソーネチカ(後編) ◆0pIloi6gg. :2025/01/26(日) 00:22:15 QrvMUmvw0

【アーチャー(天津甕星)】
[状態]:私だけヤな展開になってきたなこれ……帰ろっかな……って顔、脇腹に損傷(修復中)
[装備]:弓と矢
[道具]:永久機関・万能炉心(懐中時計型)
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:優勝を目指す。
0:えぇ……めんどくさぁ……
1:当面は神寂縁に従う。
2:〈救済機構〉なるものの排除。
[備考]
※キャスター(オルフィレウス)から永久機関を貸与されました。
 ・神寂祓葉及びオルフィレウスに対する反抗行動には使用できません。
 ・所持している限り、霊基と魔力の自動回復効果を得られます。
 ・祓葉のように肉体に適合させているわけではないので、あそこまでの不死性は発揮できません。
 ・が、全体的に出力が向上しているでしょう。

【キャスター(オルフィレウス)】
[状態]:健康
[装備]:無限時計巨人〈セラフ=ゼノン〉
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]
基本方針:本懐を遂げる。
0:〈救済機構〉の破壊。
1:あのバカ(祓葉)のことは知らない。好きにすればいいと思う。言っても聞かないし。
2:〈救済機構〉始めとする厄介な存在に対しては潰すこともやぶさかではない。
[備考]



 ◇――――マテリアルが更新されました


『無限時計工房(クロックワーク・ファクトリー)』
 ランク:B++ 種別:対軍宝具 レンジ:- 最大捕捉:-
 現界と同時に、自身の第一宝具である永久機関が搭載された機械兵器を製造する『工房』を自動展開する。
 言うなれば24時間全自動で稼働する工場を持つようなものであり、本来ならば魔力の消費は甚大どころの騒ぎではない。
 が、万能の炉心を持つオルフィレウスはそのデメリットを恒久的に無視することができる。
 現在確認されている『発明品』は六枚の翼を持つ白い機人、無限時計巨人〈機体名:セラフ=ゼノン〉。他の巨人(ゼノン)が存在するかは不明。

 ――この宝具は、オルフィレウスが〈幼体〉の段階から使用可能である。


844 : ◆0pIloi6gg. :2025/01/26(日) 00:22:54 QrvMUmvw0
投下終了です。


845 : ◆0pIloi6gg. :2025/01/27(月) 21:03:07 Y8FF6UmA0
輪堂天梨&アヴェンジャー(シャクシャイン)
ホムンクルス36号/ミロク 予約します。


846 : ◆0pIloi6gg. :2025/02/01(土) 02:14:43 2A4sRDMY0
投下します。


847 : 未だ、道半ば ◆0pIloi6gg. :2025/02/01(土) 02:15:33 2A4sRDMY0



 むかしむかし、あるところに。
 ひとりの、とても元気な男の子がいました。

 豊かな自然と、優しい仲間たち。
 たまにいくさもあるけれど、それでも彼はすくすく育っていきました。

 暴れん坊で怒りん坊、一度火がついたら神さまでも止められない。
 だけど家族と仲間と、自分を育ててくれた大いなる自然を心から愛する、ほんとうはとても優しい子。

 この子の名前は、シャクシャイン。
 いくさでは誰より勇敢に戦い、どんな逆境でも瞳の炎を絶やさない。
 勝っても負けてもへこたれず、ある時は今まで誰も鎮めることのできなかった恐ろしい刀も相棒にしてしまったアイヌの戦士。

 いつかこのいくさが終わって、和人たちが俺たちのことを認めるようになったら、海を渡って大和へ行こう。
 見たこともない獣がいるかもしれない。ほっぺたの落ちるようなうまい料理があるかもしれない。
 そんな日が来たのなら、宴に奴らも呼んでやろう。みんなで席を囲んで、夜が明けるまで飲み明かそう。
 その時はきっと、和人もアイヌも関係なく。彼はほんとうに気の置けない仲間にだけ、ある日こっそりそう夢を打ち明けたのです。

 このとき彼はまだ、世界の優しさというものを信じていました。
 住む場所や話す言葉、大事にしたい文化の違いはあっても、自分達はみんな同じ人間なのだと。
 そう信じて、その瞳を少年のように輝かせていたのです。
 
 胸の奥でうごめき、外に出たがる黒くておそろしいなにかを、笑顔の裏に押し込めながら。
 おとなになったシャクシャインは、みんなの頼れる英雄として、来る日も来る日も野山を駆けました。


.


848 : 未だ、道半ば ◆0pIloi6gg. :2025/02/01(土) 02:15:59 2A4sRDMY0
◇◇



 【英霊伝承異聞 〜シャクシャイン〜】



◇◇


849 : 未だ、道半ば ◆0pIloi6gg. :2025/02/01(土) 02:16:33 2A4sRDMY0



 ――あ、私、いま夢を見てる。
 輪堂天梨は見渡す限りの晴天の空と、爽やかに茂る春の緑の中で、すぐにそう気付いた。

 これまでの記憶と目の前の景色とが一致していない。
 それに、こういう体験には覚えがあった。
 自分の召喚したサーヴァント・アヴェンジャー。彼の生涯を夢で垣間見ることが、今までにも何度かあったからだ。
 けれどその時は、うまく言えないが、此処まではっきりと見えたわけではなかったように記憶している。

 見果てぬ青空と緑。心の洗われるような光景だったが、そこには異物が散らばっている。
 人間の死体であった。胸が裂かれたり、首が変な方向に曲がっていたり、頭が割れて脳漿がはみ出していたり。
 そんなおぞましい光景なのに、どうしてか天梨はこれを恐ろしく感じなかった。

 理由は明白だ。グロテスクな殺戮の跡に佇むひとりの青年と、その前で大の字に寝そべった大柄な男。
 彼らふたりの醸し出す雰囲気が、酸鼻を極めた有様の惨さを中和するような。
 この空と大自然にも似た、青春のように爽やかなそれだったからである。

「……はー。君さあ、ちょっと強すぎだろ。オニビシ」
「るせえ……。卑怯な手で仕掛けてきやがって、何正々堂々戦ったみてえな面してやがんだ。このクソ野郎がよ」

 オニビシと呼ばれた男の身体には、無数の傷があった。
 彼の言葉を聞くに、この状況を作り出したのはむしろ佇む彼の方。
 なのにさながら、彼の物言いとどこか漂わすやり切った感は、河原で一騎打ちの喧嘩に興じた後みたいな清々しさを感じさせる。
 だがそれを指摘するオニビシの声も台詞とは裏腹に恨みがましいものではなく、彼もまたどこか、さっぱりとしたものを漂わせていた。

「大体、原因作ったのは全部いつだっててめえの方だったろうが。
 俺の腹心を殴り殺すわ、鶴をケチって和平を台無しにするわ……。
 使者の和人どもがいっつも頭抱えてて、流石に気の毒だったわ」
「ケチは君らも一緒だろ! 和人に足元見られて困窮してる俺ら見て高笑いしながらシカ狩り邪魔してきたの忘れてねえぞ!!」
「腹心の件はどうなんだよ」
「それは……その〜〜……。……、……」
「…………」
「酒(トノト)って怖えよな」
「死ね」

 頭を掻いて言う青年と、顔をめいっぱい顰めて吐き捨てる大男。
 そこで天梨は、オニビシという名前について思い出していた。
 彼は確か、アイヌ民族が和人――松前藩と本格的に対立を始める前に、メナシクルと抗争していたシュムクルの首長。
 
 ずっと険悪な状態が続いていて、途中一度は和平合意に至るものの、結局再び両部族の関係は悪化。
 最終的にはメナシクル側が奇襲の形で包囲を仕掛け――殺害されたという顛末だった筈だ。
 アヴェンジャーに面と向かって言ったら間違いなく殺されるので口にしたことはないが、調べた時にはえげつなさにちょっと引いた。
 怨嗟の言葉を吐き合ってもおかしくない関係性の両者だが、しかしどういうわけかそういうドロついたものは感じられない。
 
 それどころかむしろ、彼らの語らうその姿は……まるで長い時を共に過ごした、悪友同士のような。


850 : 未だ、道半ば ◆0pIloi6gg. :2025/02/01(土) 02:17:37 2A4sRDMY0

「俺も今は首長だ。仲間の手前表立っては言えなかったが、悪いことをしたとは思ってるよ」
「どうだかな。てめえは疫病神(パコロカムイ)だからよ」
「本当だって。……言い訳に聞こえるだろうけど、君とやり合う上じゃあむしろ、今更お行儀よく戦る方が無粋かと思ってね」

 昔の価値観というのは、天下泰平が当たり前になった現代の日本とはまったく違う。
 良くも悪くもひとりの命は軽く、他人が死ぬことにも自分が死ぬことにも、どこか執着が薄い。
 戦を隣人として生きるからこその軽さ。永訣よりも流儀や義理を重んじた、いつかの日の断片。

「――けどいい加減、幼気はそろそろ自重しようと思ってるよ。
 決めてたんだ。暴れて喚いて荒くれ者を気取るのは、付き合いの長い君を討つ時までだって」

 メナシクルの英雄は、血の滴る妖刀を片手に言う。
 その声色はどこか寂しそうであり、同時に、彼らしからぬ緊張の滲んだものにも聞こえた。

「……最近、和人どもの様子がおかしい。どんどん、目に見えて調子に乗ってきてやがる。
 君が死んで部族間の揉め事が消えれば、もう奴らへの反感を抑え込むのも限界だ。
 これはまだ誰にも言ってない俺の憶測だけど、これからは多分、本格的に奴らとの戦が始まる」
「はッ。そりゃ……難儀な話じゃねえか。地獄(ポクナモシリ)が退屈だったらどうしようと思ってたが、良い見世物になりそうだな」
「だろ。だから、俺ももう大人になんないとさ。俺ら皆、にっちもさっちも行かなくなっちまうだろ」

 ため息交じりに放たれた台詞に、オニビシは少し黙った。
 それから、空を見上げたままで、また口を開く。
 どうせ死ぬのだ。今際の恥などかき捨てか――そんな諦めを感じさせる沈黙であった。

「……俺はよ。どこかでお前に憧れてた」

 見上げているのは空であって空ではない。
 空の果てにある、遠い日を想って、仰ぎ見ている。
 そういう風に、天梨には見えた。

「カムイも呆れるシャクシャイン、野越え山越え川下る。
 鬼か妖怪か、はたまた獣とまぐわった狂女が産んだ野生児か。
 千里を駆けるお前の悪名が耳に入る度、ガキみたいに胸を躍らせたもんさ。
 いつかそんな凄ぇやつと肩ぁ並べて、一緒に戦へ出たいもんだと……ずぅっと、そう思ってた」

 アヴェンジャー……シャクシャインは、やはり何も言わない。
 オニビシは彼の方を見ようともせず、遺言のように言葉を続ける。

「お前は俺にとって最悪の疫病神(パコロカムイ)だったが、やっぱりそれ以上に憧れだったぜ。反吐が出るほど悔しいけどよ」
「……、……」
「大人も子どもも、爺も婆も匙投げた、アイヌの荒くれシャクシャイン。
 そんなてめえの口から、"大人になる"なんてらしくねえ言葉、引き出せたんだ。
 なら、まあ……クソみてえな戦いだったが、ひとまずそれで我慢してやるよ。あの世でする自慢話としちゃ、上々だろ」
「オニビシ……」
「だから、よ。そうだな」

 ごぶっ、ごぶぶぶっ、と大男の口から血が溢れてくる。
 命の終わりを前にして、彼は、ニヤリと笑っていた。
 その眼はもう、空も遠い過去の幻影も見つめていない。
 笑いながら、後にアイヌの英雄と呼ばれる男を、見上げていた。

「……誰にも負けんじゃねえぞ。お高く止まった和人どもなんざ、蹴散らしてやれ」


851 : 未だ、道半ば ◆0pIloi6gg. :2025/02/01(土) 02:18:23 2A4sRDMY0

 そう言い終えるが最後、オニビシの眼から光が失われる。
 身体は脱力し、もう笑うことも悪態をつくこともない。
 屍の散らばる青空の下、好敵手の遺体を前に、シャクシャインは立ち尽くす。
 
 天梨が見たことのない、どこか哀愁の漂う姿だった。
 喜びとも、悲しみとも違った表情を整った顔面に湛えて。
 物言わぬ骸となったオニビシを見下ろしながら、彼の口が静かに動く。

「言われなくてもそのつもりだよ。けどな、オニビシ――」

 俺さ。
 ちょっと、怖いんだよ。

「こんな俺でもさ、点けちゃいけない類の炎があるってことは分かるんだ。
 それが、俺の胸か頭の奥深くで、もうずっと燻り続けてる」

 黒い炎だ。
 ドス黒い、一度燃え上がったら二度と止められないって分かるような、おぞましいヤツだ。

「和人どもが俺達を見る目、分かるだろ?
 あの、まるで猿か猪を見るような目だ。あの目で見られる度、俺の中の火がでかくなる気がするんだよ……」

 シャクシャインが身を屈める。
 途方に暮れた小さな子どもがそうするように。
 誰にも打ち明けられない悩みを胸に、迷いと怯えを孕んで蹲るみたいに。

「本当に、俺なんかで、いいのかなぁ……」

 ぽつりと紡がれた言葉は、所詮すべてが過去の残響。
 記憶として世界に焼き付いた過去を、夢を通じて垣間見、聴いているだけ。
 なのにこの光景とその声は、輪堂天梨の胸へとても強く響いた。
 
 だって天梨は、それを知っているから。
 心の奥深くで燻る炎。決して点けてはいけない、おぞましい黒き火。
 悪意を浴びるたびに。嘲笑の文字列を見かけるたびに。
 疼くように熱を増す、この世の何よりも恐ろしい、焔――

 吐き出して、問いかけた、後の英雄。
 されど彼は、その葛藤を声に出すのが遅すぎた。
 辺りに転がるのは屍ばかり。殺し合って対話した好敵手は既にポクナモシリの彼方。

 よって結末は変わらない。
 夢は進む。舞台は移る。
 いくさの果て、最後の日。あの、悪意に満ちた宴の席へと。



◇◇


852 : 未だ、道半ば ◆0pIloi6gg. :2025/02/01(土) 02:19:15 2A4sRDMY0



 夢が――景色が。
 移り変わった、その瞬間。
 輪堂天梨が覚えたのは、人生で感じたこともない激痛と苦悶だった。

(ぁ、あぁぁあ、あぁあぁああぁああああぁぁあああ…………!!??)

 声は出せない。だから意識だけで絶叫する。

(い、ぁ……! や、ぁ、あぁあぁああぁ……!? ひ、ぁ――ぎ、ぅ……!!)

 そうせずにはいられなかった。この痛みをどうにかして吐き出さなければ、自分はこの場で発狂死すると冗談でなくそう思った。
 痛い。苦しい。痒い。口が舌が喉が食道が胃が、いやいや骨が脊髄が細胞が筋肉が、一秒ごとに焼けた棘の塊に置き換えられていく。
 
(死ぬ、死んじゃう、やだ、やだ、こわい、たすけて、だれか、だれか――――)

 最初に思い浮かべたのは、はじめて自分に手を差し伸べてくれた悪魔の少女で。
 次に思い浮かべたのは、数奇な運命と言う他ない出会いを果たしたちいさな友人。
 そこからは、今までの人生で出会ったいろんな人間の顔が次から次へと浮かんでは消える。
 此処が夢で、身体が存在しなかったことはアイドルである彼女にとってきっと何よりの幸運。
 この苦痛を肉体で感じていたならば、さしもの〈天使〉も、涎と汗と吐瀉物に塗れた惨めな姿を晒していたに違いないから。

 天梨の意識が生き地獄の中で沸騰し、蒸発するのを防いでくれたのは。
 皮肉にも、ああ本当に皮肉なことに。
 悪夢の主役である、哀れな英雄の悶える声だった。

「が、ぁ、ああぁあ、ア、ごぁ、がァ……!!
 お――前、ら……ッ、何を、飲ませ……ぎ、あぁあぁあぁがぐぐゥッ……!!?」

 盃を取り落とし、身を折り曲げて、とめどなく血を吐き出す男がいる。
 眼は血走り、血涙を流し、肌に浮き出た血管が片っ端から破れて内出血を引き起こしている。
 その光景を見れば、嫌でも天梨は理解せざるを得ない。
 自分が今感じている痛苦の正体。それはつまるところ、彼がこの時味わったものの追体験であるのだと。

「ぉ、ぉ……! う、げ、えぇえぇええぇええぇ……!!」

 バケツをひっくり返したように、血と吐瀉物が溢れて止まらない。
 人間の身体には、こんなにも血が入っているものなのか。
 一周回ってそんな視点に立ち返ってしまうほど、この地獄絵図は壮絶だった。

 何より苦しく痛いのは、さっきまで好敵手と語らっていた青年がその無残な姿を晒している事実。
 カムイも呆れるシャクシャイン、野越え山越え川下る。
 大人も子どもも、爺も婆も匙投げた、アイヌの荒くれシャクシャイン。
 オニビシが憧れと呼び、無人と化した戦場でひとり弱さを零したあの男の末路がこれなのかと。
 意識を沸騰させるどの激感よりもその無情が、やり切れなさが、天梨の心をかき乱して苛んだ。


853 : 未だ、道半ば ◆0pIloi6gg. :2025/02/01(土) 02:20:15 2A4sRDMY0

「ははは、メナシクルの英雄殿は腹でも下しておるらしい。
 やはり蝦夷の山猿に日ノ本の酒は勿体なかったか。井戸水でも汲んでやればよかったな」
「ふざ、けるな……! 和睦と言ったのは誰だ。共に酒を酌み交わし、明るい未来を論じようと吐いたのは誰だ!!
 貴様ら……ッ、貴様ら和人には、大和の民には、誇りはないのか!? 敵を殺すためならば、何をしてもいいというのか……!!」
「吠えるな、吠えるな、猿よ。
 誇りか、もちろんあるとも。勝利は誉れだが、過ぎた外道は汚名になる。戦の世界にも倫理はある、うむうむ確かにそうだとも」

 ――やめて。
 ――もう、やめて。

 苦悶の中で叫ぶ天梨の声はこの場の誰にも届かない。
 誰の鼓膜も揺らすことなく、彼女の心の中だけで反響しては消えていく。

「まあ――人間同士の戦いに限るがな」
「……ッ……」
「何だ、傷ついたか? 蝦夷の猿は感情豊かで大変宜しいことだ。
 だがそうだろう? 口を開けばよく分からない言葉で喚く貴様らに、何故我々日ノ本人が誇りだの礼節だの持つ必要がある。
 誉れある戦ならば剣を使おう、馬にも乗ろう。だが害獣退治なら、罠を仕掛けて殺した方が遥かに効率的ではないか。
 ほら、例えばこのように。畜生は間抜け面で、進んで毒餌をかっ食らってくれるからなぁ」

 代わりに響くのは、笑い声だった。
 どこまでも醜悪で、どこまでも悪意に満ちた声。
 くすくす、くすくす。けたけた、けたけた。
 どこかで聞いたような嘲りが、悲劇を喜劇に堕させていく。

「お人が悪い。いくら畜生相手といえど、言っていいことと悪いことがあるでしょう」
「いやしかし、まったく傑作ですなぁ。まさか蝦夷の蛮人に誇りを説かれるとは」
「見なされ、あの無様な姿。血反吐を吐いて、のたうち回って。ああみっともない」
「まったくだ。シャクシャイン殿、逆に問うが、その姿のどこに誇りがあるのですかな」
「言ってやるな言ってやるな。猿に人の言葉などわかるまい」
「猿というよりは狗だろう。最近の猿は知恵がある、毒餌で騙されるなど狗くらいのものよ」
「それにしても凄まじい効き目だ。高い金を出して買い叩いただけのことはある」

 くすくす、くすくす。けたけた、けたけた。
 くすくす、くすくす。けたけた、けたけた。
 くすくす、くすくす。けたけた、けたけた。

 口を三日月のように歪めて嗤う、和人どもと。
 這い蹲り、血と吐瀉物に塗れた英雄。
 これほどグロテスクな光景を天梨は生まれてこの方見たことがない。

 おぞましい。そして、恐ろしい。
 ヒトという生き物は、こうまで残酷になれるのか。
 ただ敵であるというだけで、こうまで醜悪になれるのか。


854 : 未だ、道半ば ◆0pIloi6gg. :2025/02/01(土) 02:21:01 2A4sRDMY0

 ――アヴェンジャーのことは、もっとよく知らなければいけないと常々思ってきた。
 だから仕事の合間を縫っていろいろ調べたし、彼の眼を盗んで図書館に通うこともした。
 なのに今、降って湧いた彼を知る絶交の機会を前に、もう見たくないと心が泣いている。
 散々傷つけられ、振り回された相手。今も虎視眈々と自分の堕落を待っている悪魔。
 そんな相手だろうと、輪堂天梨は決して優しさと思いやりを捨てられない。
 これを美点と呼ぶか悪癖と呼ぶかは個人の価値観によるだろうが、いずれにせよ、結末は何も変わらない。

 何故ならこれは過去。
 既に終わったこと、過ぎ去ったこと。
 人類史に焼き付いた、影のひとつでしかないのだから。

「ああ――――――――――そう、かよ」

 ぽつりと、死にゆく英雄が声を漏らす。
 止まない吐血のせいで泡立った声。

「お前らは、どこまで行っても、そうなんだな?」

 その声は、聞いている側まで泣きたくなるような悲憤に満ちているにも関わらず。
 同時に、聞く者の背骨を氷柱に置換するような、生物の根源に訴えかける恐怖をも孕んでいた。
 結果、あれほど耳障りに響いていた嘲笑が此処でぴたりと止まる。

「俺達は畜生で、話す価値も、礼儀を尽くす理由もない。
 どんな手を使ってでも駆除すべき害獣で、そんな俺達を殺すお前らはすべてにおいて優れた"人間"だと、そうほざくんだな?」
「は、は――いかにもそうだとも。分かったらとっとと死に果てろ、蝦夷の害獣!! 貴様らが生きていること自体がな、我ら日ノ本人にとっては目障り極まりないのよ!!」
「……おう、分かった。よーく、分かったよ……。
 君らのことは、よく分かった。認めたくなかったし、信じたくなかったけど、信じていたかったけど、ああ――――」

 次の瞬間。
 血涙に濡れ、毛細血管が破れて赤く染まった英雄の眼球が、変わった。
 正しくはそこに宿る色が、悲憤に叫んでいた時のものとは明確に異になった。

 ――――黒い、炎が。
 決して点けてはいけない破滅の黒が、英雄の殻を破って溢れ出す。


「――――認めてやるよ。てめえら、糞だ」


 ぐしゃ。どちゅ。
 そんな音が、響いた。


855 : 未だ、道半ば ◆0pIloi6gg. :2025/02/01(土) 02:21:32 2A4sRDMY0

 宴の席を主導していた松前藩の有力者。
 詰め寄るシャクシャインへ、最初に嘲りを返した男。
 その下顎が、獣の如く跳んで伸ばされた彼の手に掴まれ、握り潰されたのだ。

 途端にすべての嘲笑は阿鼻叫喚の絶叫へと変わる。
 万一を想定して備えていたのだろう暗器を用い、誰もが半狂乱になってシャクシャインを刺す、斬る、穿つ、撲る。
 毒で体内を焼き尽くされた挙句にそんな暴行まで受けた英雄は、もう動かなかった。
 ただひとつ、邪悪な笑みの形に――あるいはこの世で最も激しく燃える昏い怒りに歪んだ口元を覗いては。

「全員……全員、一族郎党、子々孫々に至るまで……殺し尽くしてやるよ、和人ども……!
 最後のひとりまで決して逃がさねえ、誰ひとりとして例外はない……!
 一体どっちが真の畜生だったのか、糞水みてえな絶望を噛みしめて――」
「死……死ねッ! 死ねッ! この狗めがッ! それ以上、耳障りな言葉をほざくでないわ……!!」

 最後。
 力強く突き立てられた小刀が、シャクシャインの首筋を貫く。
 首の骨が砕ける音が鳴り、確実な致命傷でその命脈は断ち切られた。
 
 なのに。
 最期、ただ一言。

「地獄の底で思い知れ。この俺の――疫病神(パコロカムイ)の怒りをなァ……!!」
 
 まさしく地獄の底から響くような怨嗟だけが、あらゆる人体の構造を無視して発声された。

 そこで唐突に、輪堂天梨を苛んでいた苦痛が途切れる。
 タイミングを同じくして、急速に浮上していく意識。
 覚醒という文字を思い浮かべる余裕は彼女にはなかったが。
 夢から醒める安堵よりも、ただ途方もない、どうしようもないほどのやるせなさだけが彼女の心を包んでいた。
 
 ――これらは、ある英霊の伝承。
 正なる歴史には決して語られず綴られない異聞。
 故にそれを知るのは、堕ちた彼を喚んでしまった日向の天使だけ。

 夢が終わり。
 彼女の現実が、帰ってくる。



◇◇


856 : 未だ、道半ば ◆0pIloi6gg. :2025/02/01(土) 02:22:13 2A4sRDMY0



 / After the Versus
 / Friendship



「【同調/調律(tuning)】」
「……は、っ……!?」

 深い深い、地獄の夢から浮上する。
 身体は汗でびっしょりだった。
 局に着いたらシャワー室を借りなきゃいけないと思うくらいには。

「――おい。それ、もう二度とやるなって言ったよな」

 状況と記憶の整理。
 今が夢でなく現実であることへの認識。
 いっぱいいっぱいの天梨をよそに、シャクシャインの不愉快そうな声が響く。
 これに対し、瓶の中のホムンクルスは淡々と答えた。

「心配無用だ、回路には触れていない。
 天梨の回路は既に励起(おき)ている、これ以上私が調律しても意味はない。
 今のはただ、彼女を悪夢から覚ますために意識系へアプローチしただけのことだ」
「どうだか。テロリストの仲間だった人形に言われても信憑性もクソもないね」
「それも含めて問題ない。我が友の信用を損なうとなれば一大事だが、貴殿には現状それほどの価値を見出していないからな」
「さっきも言ったけど、殺されたいなら素直にそう言いなよ」
「殺せないだろう。それがすべてだ」

 険悪そのもののムードであるが、これはもうホムンクルスの同行が決まってからずっとだ。
 今は先ほど行使した令呪の恩恵もあって、天梨としてもだいぶ穏やかな心持ちでこれを見守れる。
 未だどくんどくんと忙しない心臓を撫で下ろしながら、少女は腕の中のホムンクルスを見下ろす。

「ほむっちが起こしてくれたんだね……ありがと」
「異常な動悸と発汗が見られたのでな。余計な世話かとも思ったが……」
「ううん、助かったよ。こんなに汗だくなんだもん、起こしてくれなかったらもっとひどいことになってたかも」

 冗談でもなんでもない。
 夢は夢でも、普通の夢ではないのだ。
 英霊と同調しすぎて精神が限界に達して……なんてオチもあったかもしれない。

 今もまだ身体のそこかしこが痛い気がする。
 幻痛なのだろうが、それほどに壮絶な体験だった。
 ちら、と右隣に座るアヴェンジャーを窺う。
 窓の外に流れる景色を退屈そうに眺める彼は今も、あの激痛を味わい続けているのだろうか。


857 : 未だ、道半ば ◆0pIloi6gg. :2025/02/01(土) 02:23:00 2A4sRDMY0

 きゅ、と胸に手を当て、服の布地を握りしめた時。
 天梨が何かアクションを起こすのを待たず、脳裏に彼の声が響いた。

(やあ、おはよう。ずいぶん良い夢を見てたようじゃないか)
(……冗談。本当に、死んじゃうかと思ったよ)

 皮肉は皮肉でも、いつもの手当たり次第な悪意とは違う。
 そのくらいは天梨にも分かる。だってそれなら、わざわざ念話で言う意味がない。
 つまりこの場のもうひとりの同行者、ほむっちことホムンクルス36号には聞かせたくないという意図。
 今日だけでだいぶ胆を鍛えられたのだろう。天梨は昨日までよりもちょっとだけ勘がよくなっていた。

(その様子だとアレを見たのかな? 凄まじい光景だったろう。俺の気持ちも少しは理解して貰えたんじゃないか?)
(怒らないんだ。アヴェンジャー、私にああいうところ見られるの嫌がると思ってた)
(そりゃまあ、我ながら無様な最期だったとは自覚してるがね。
 とはいえ今じゃ大切な思い出さ。あの糞袋どものおかげで俺は自分の望みを自覚できた。為すべきことを見つけられたんだ)

 くつくつと、心の声でシャクシャインが嗤う。
 泥のような怒りと、マグマのような殺意がそこには同居している。
 車窓から街並みを眺める横顔に笑みが浮かび、白い犬歯が覗いた。

(結局俺はずっと、和人(おまえら)を殺したくて堪らなかったのさ。
 もっと早くそれに気付いていればよかったってのが、今の俺にある唯一の後悔だよ。
 俺達を畜生と見下げるなら是非もない。畜生らしくケダモノらしく、ひとり残らず喉笛食い千切ってやろう……ってね)

 知識では知っていた。
 だが現実は、後世に伝えられた歴史なんかとは比べ物にならないほどに惨たらしかった。
 血反吐の臭い、それをとめどなく吐き出す粘っこい水音。
 絶え間なく響く嘲笑、同じ生き物と思えないほど醜い顔、そして何より、発狂するのではないかと思うほどの激痛。

 マスターとして情けないとは思うが、当分は睡眠がトラウマになってしまいそうだ。
 ただの追体験でさえこうなのだから、実際に味わった/味わい続けている彼がいかなる心境かなど想像もできない。
 そう思えばこそ、彼に言うべきことはひとつ。
 ホムンクルスが起こしてくれて、夢から覚めたのだと理解したあの瞬間から、天梨の中では決まっていた。

(……ごめん、アヴェンジャー)

 今まで自分が彼にかけてきた、思いやりのつもりだった言葉。
 それがどれほど幼稚な自己満足でしかなかったか、あの夢を見た今なら分かる。
 
 可哀想と、哀しい人と、そう目を伏せて。
 図書館の歴史書や、インターネット上の資料で聞き齧っただけの知識で、彼を哀れんだ。
 自分が彼の立場だったとして、そんな人間が傍らにいたらどう思うだろう。

 辛かったね、悔しいよね。大丈夫大丈夫私もあなたの気持ちが分かるよと。
 戦を知らない癖に、差別をされたこともない癖に、命の終わりにありったけの侮辱をぶつけられたこともない癖に。
 そう隣で喚かれたなら、自分は、果たして平気な顔をしていられるだろうか。
 ――たぶん、無理だ。断言できる。人は天使だなんだと私を呼ぶけれど、輪堂天梨(わたし)はそこまで聖人じゃない。


858 : 未だ、道半ば ◆0pIloi6gg. :2025/02/01(土) 02:23:39 2A4sRDMY0

(私、あなたのこと……なんにも知らなかった。
 なのに今まで、さんざん好き勝手、言っちゃってたよね)

 彼のようには、なりたくない。
 その地獄には、堕ちたくない。
 
 そう思う気持ちは決して消えない。
 それも自分という人間の醜さなのだと自覚しながら、けれど隠すことだけはしたくないと思った。
 口はどうあれ、目的はどうあれ、今まで自分を守ってきてくれたのは誰だ。
 彼だ。シャクシャインなのだ。復讐の炎と、癒えない毒苦に蝕まれながら顕れた、この復讐者なのだから。

(だからごめんなさい。これじゃあなたに嫌われるのも、当然だった)
(……、……)

 唇を噛んで、小さく下を向いた。
 これならホムンクルスには悟られないだろうと踏んだのだ。

 ホムンクルスのことは正直、まだよく分からないところも多分にある。
 ただ、彼はきっと、自分が思っているよりも優しい生き物だ。他の誰がどう言おうが、少なくとも天梨はそう思っていた。
 だから頭を下げる姿なんて見られたら、彼は必ず言葉で自分達に介入してくる。
 気持ちはありがたいけれど、今はそうさせてはいけないと感じた。
 彼は大事な友達だが、それと同じくらい、この堕ちた英雄との繋がりも天梨には大切なものだったから。

(殊勝ぶるなよ。心配しなくても、俺は端から和人になんて何も期待しちゃいない)

 はっ、と嘲って、シャクシャインが応える。
 いつも通りの悪意、浴び慣れた皮肉。
 だが、それも。

(見たの、最後だけじゃないんだ)
(――あ?)
(オニビシさん。友達だったんだね)

 天梨がこう伝えた瞬間、沈黙が殺意を孕んだものに変わる。
 背筋が粟立つ。冗談でも何でもなく、ひとつでも言葉を誤れば自分の首と胴体は永訣するだろうと直感した。
 だから天梨も沈黙して、彼へ伝える次の言葉を慎重に選ぶ必要があったが。
 彼女の中で答えが出る前に、シャクシャインの心底鬱陶しそうなため息が漏れた。

(……余計な真似しやがって。糞の末裔に、人の思い出を売り渡してんなよ)

 天梨に向けた言葉ではない。
 彼女にそれを見せた、目には見えない、あるのかどうかも分からない何か。
 言うなれば運命に対して溢した、辟易のような台詞だった。


859 : 未だ、道半ば ◆0pIloi6gg. :2025/02/01(土) 02:24:17 2A4sRDMY0

(友達なんかじゃないさ。殺し殺されの腐れ縁だよ。
 俺はそう思ってたし、奴もそう思ってただろうさ。それ以上はあの男への侮辱になる。君だろうが許さないよ)

 死体の散らかった凄惨な光景の中ではあったが。
 あの時、あの場は、間違いなく彼らだけの世界だった。
 シャクシャインとオニビシ。そして彼らの同胞。
 アイヌ民族による、彼らのためだけの世界があった。

 命は散れどもどこか爽やかで。
 それがどんなに惨くても、なぜかちょっと清々しい。
 青春と形容したことを間違いとは今でも思えない。
 そしてシャクシャインの声音を聞く限り、その認識は間違いじゃないのだろう。

(決して平和な日々じゃなかった。いつもどこかに諍いはあって、陰険な野郎も山ほどいた。
 俺だって山ほど殺したし、好かない部族の連中を罠に嵌めて叩くなんざ日常茶飯事だった。
 オニビシにも相当やられたが――人のことは言えない。俺も、奴も。けど、俺達の大地はそれでも満たされてた)

 昔と今は違う。
 価値観も、情勢も。
 ひとりひとりの命の軽さも、何もかも。

(邪魔だったのは、いつだって和人だ)

 海の向こうからやって来て、土足で自然を踏み荒らし。
 保護者面をして戦や政治に介入し、土人どもに啓蒙してやるとばかりに幅を利かせ。
 その癖、まるで猿や狗を見るような目で彼らを見つめる。
 くどいようだが、昔と今は違う時代だ。彼らのやった蛮行も、持っていた差別意識も、今の価値観に照らし合わせて糾弾することはできない。
 天梨もそれは分かっている。そして同時に、当事者からすればそんな理屈、何の慰めにもならないことも。

 少しずつ、歯車は狂っていった。
 アイヌ全体のも。シャクシャインという英雄のも。
 和人の足跡が、足音が、視線が、それら痕跡すべてが。
 残酷でも確かに満たされていた北の大地の何かを、蝕んでいった。

 ――そしてある日、彼は、己の裡に燃える黒い炎を自覚する。

(君が見て、聞いた通りだよ。
 あの宴の席のことなんて、所詮引き金でしかなかったんだ)

 息絶えたオニビシに。
 シャクシャインが、少年のように吐露していた言葉。
 それは、日に日に強まる胸の疼きに対する恐怖。
 気を抜けば燃え盛ってしまいそうな、黒い炎への不安。


860 : 未だ、道半ば ◆0pIloi6gg. :2025/02/01(土) 02:24:55 2A4sRDMY0

 その弱音を聞いてきたから、天梨は彼の言葉を否定できない。
 というより、そうだろうな、と思ってしまう。
 仮にあの時、松前藩の和人達が彼の酒へ毒を盛らなくても。
 和平が成り、戦の火が一度は鎮火したとしても。

(遅かれ早かれきっといつかはこうなってただろうさ。
 あの大地に生まれ育った俺にとって、和人の存在はすべてが目障りだった。
 そういう意味でもこの聖杯戦争は本懐に等しい。あの頃の馬鹿で臆病な俺にはできなかったことが、今ならできるんだからね)

 ……きっと。
 シャクシャインというアイヌの男はいつか、和人鏖殺を掲げる悪魔へ転変していただろうと。

 今よりずっと、死と戦争が身近な時代。
 言葉で言うよりずっと難しい分断に分かたれた、ふたつの民族。
 にべもない差別意識と、頑ななまでの嫌悪感。
 互いが向け合う敵意の中、逃げも隠れもせず英雄として立ち続けることが一体どれほど難しいことか。

(――和人鏖殺、今度はひとりも逃がさない。
 だから早くこっちへおいでよ、輪堂天梨。俺の、俺だけの天使。
 君の堕天を見届けて初めて、俺はようやくすべての悔恨と決別できるんだから)

 邪悪そのものの言葉が、今は前よりも胸に染み入る。
 それは悪魔の誘惑。そして、ある哀しい男の慟哭のようでもあって。
 だからこそ応え/答えぬわけにはいかないと、天梨は思った。
 
 彼を理解し、彼へかけた言葉のすべてを自己嫌悪し。
 受け止め、顧み、改めて囁かれた地獄への誘惑を聞き届けたその上で。

(ごめんね。私は――そっちにはいかないよ)

 日向の天使も、改めて――
 穢れたる神・パコロカムイの誘惑に、首を横に振る。

(あなたのことをちょっとだけ知れたし、もっと知りたいとも思う。
 誓って、嘘じゃないよ。あなたに嫌われても仕方ない馬鹿な私だけど、それだけは信じてくれたら嬉しい)

 アヴェンジャーの誘惑は天梨にとって悪魔の囁きそのものだ。
 一度でも首を縦に振れば、比喩でなくすべてが終わる。
 後で悔やんでも、決してもう〈天使〉には戻れない。
 
 だとしても、天梨はこの男のことを嫌いになりたくなかった。嫌いに、なれなかった。
 彼がどれほど剣呑で、どれほど周りにとって迷惑な存在なのかも分かっている。
 彼は激情ひとつで命を奪う。多くの人に、消えない恐怖を与える。
 刃を喉元に突き付けられた煌星満天の顔は今も脳裏にこびりついている。


861 : 未だ、道半ば ◆0pIloi6gg. :2025/02/01(土) 02:25:37 2A4sRDMY0

 ……それでも、満天というひとつの"救い"と出会うまでの一ヶ月間。
 誰ひとり味方のいないこの東京で、自分を守ってくれていたのは他でもない彼なのだ。
 その事実に目を背けたくはないし、背けちゃいけないとそう思うから。
 
(あなたのことを知って、信じて、その上であなたにも勝つよ。
 私はあなたが耐えてきた黒いきもちを、知ってるから)

 もう一度、きゅっと胸元を押さえる。
 今もそこには、黒く燻る火種がある。
 点けちゃいけない炎。灯れば終わってしまうモノ。
 アイヌの英雄が、最後の最後に灯してしまった昏い輝き。

 同じモノが、今もここにある。
 天使を終わらせる、感情。いや、激情。
 日向を地獄に変える炎。照らすもの皆焼き尽くす、太陽になるための片道切符。

(だってそうじゃなかったら――――私、あなたに出会った意味がない)

 彼の怒りが、天梨には理解できる。
 事の重さも味わった苦痛も天と地以上に違うだろう。
 けれども、理解できてしまうのだ。
 あるいはその一点が、自分のようなアイドル活動以外取り柄のない女が、彼のような存在を呼び寄せられた理由なのか。
 分からない。何もかも分からないが、それでも。

 この出会いを、絆を、決して無為にはしたくない。
 それは天梨らしくもない、もしくは彼女を嫌う同僚からしたらひどく"らしい"思考回路。
 天賦の才能があるのにレッスンもボイトレも惜しまず、同期も先輩も皆置き去りにしてきた恐ろしく前向きな貪欲さ。優しい天使が持つ唯一の怖さ。

(ねえ、アヴェンジャー。こんな私のところに来てくれた、強くて哀しいあなた)

 輪堂天梨は、間違いなくただの少女である。
 運動神経。並。頭脳。並。
 言葉ひとつで他人を狂わすなんて無理、それどころか顔も知らない他人の言葉で闇路の前に立たされるくらいには弱く、月並み。

 ――だが。ステージの上で彼女を倒せた人間は、未だかつてひとりもいない。


862 : 未だ、道半ば ◆0pIloi6gg. :2025/02/01(土) 02:26:00 2A4sRDMY0

(あなたも、私と、勝負してくれる?)

 天性のアイドル。
 日向の天使。
 悪魔のためのラスボス。
 そして、恒星の資格者。

 それが輪堂天梨。
 狂気さえ魅了して羽ばたく、大空の御遣い。

(……、ああ――上等だよ)

 形はなくとも、差し伸べられたその掌を。
 同じく無形のままに握り返して、シャクシャインは獰猛に応じる。
 溢れるのは狂気ならぬ凶気、復讐の炎。
 彼は穢れたる神。天さえ穢す死毒のパコロカムイ。

(それが俺と君を繋ぐ、ただひとつの絆だ)

 ホムンクルスの言葉は的を射ている。
 シャクシャインはもう、輪堂天梨を"その他大勢"と看做せなくなって久しい。

 彼はそれを、たとえ天地がひっくり返っても認めようとしないだろう。
 が、事実として、ホムンクルスが彼へ投げた指摘はその欺瞞を完全に論破していた。
 堕ちた英雄はとうに知っている。自分を喚んだこの和人が、単なる糞袋ではないのだと。
 これほど追い詰められ、数多の悪意に曝されて、それでも誰のことも傷つけられない日向の光。
 何ひとつ灼かず、ただ暖かに癒やして励ます優しい輝き。それが分からぬほど、アイヌの英雄は愚鈍ではない。

 だからこそこれは、彼にとっても存在意義を懸けた"戦い"だった。
 この眩い生き物を隣に置いても浄化されることなく、それどころかこれを闇に堕としたならば、我が身を焦がす炎は地上の何より尊いと。
 そう証明するために、復讐の悪魔は日向の天使の手を取ったのだ。
 融和など願い下げ。だが勝負なら、臨むところ。

(穢してやるよ、輪堂天梨。大和にただ一輪咲く、日向の花)
(……怖いけど、負けないよ、シャクシャイン。私の、たったひとりのサーヴァント)

 戦いのあと。
 ステージライトは既に消え、今は再びそれぞれの運命の中。
 それでも天使は、大好きな最凶と過ごした時間さえ糧にして、もうひとりの悪魔との戦場へ臨む。


 輪堂天梨、最凶ならぬ、最強のアイドル。
 日向の天使もまた、成長することを惜しまない。
 胸の中の黒を有り余る白で押し留めながら、汗だくの身体でまだその翼を伸ばす。



◇◇


863 : 未だ、道半ば ◆0pIloi6gg. :2025/02/01(土) 02:26:45 2A4sRDMY0



「――話し合いはうまく行ったのか?」
「えっ。……ほ、ほむっち、もしかして聞いてたの!?」
「いや、カマをかけただけだ。
 あからさまな沈黙、何やら神妙な表情。そういうことなのではと思ってな。しかしその様子を見るに、予想は的中か」
「む、むう……! ほむっちって結構そういうとこあるよね……!」

 ぽふり、と腕の中に収まった格好のまま、ホムンクルス36号は事もなげに言ってのける。
 会話の内容まで悟られたわけではないだろうが、それでもだいぶ格好つけたことを言っていた手前、なんだかちょっと恥ずかしい。
 若干のむくれ顔で頬を染めながら、天梨は結構露骨に話を逸らすべく口を開いた。

「あ……そういえば。アサシンさんは、今も私達についてきてくれてるの?」
「いや、アレは既に放った。ちょうど君がアヴェンジャーと対話している間に、こちらも念話で指揮を行わせてもらっていた」
「さ、流石ほむっち。無駄がない……じゃあ、えっと、あの人は今どこで何をしてるのかな」
「同盟相手の回収だ。如何せん、病院での一件から時間が経ち過ぎているのでな。
 この辺りでアクションを起こさなければ、せっかく作ったコネクションが無為と帰しかねない」

 ――アンジェリカ・アルロニカ。

 カラオケボックスでホムンクルスと交渉した際に聞いた名前だ。天梨もちゃんと覚えていた。
 彼が自分達よりも先に作っていた同盟相手というのが、このアンジェリカ某である。
 ホムンクルスは天梨は主従どちらとも相性がいいと言っていたが、実際のところ天梨は、彼女達についてまだ何も知らない。
 早いうちになんとか顔合わせを済ませておきたいと考えていたのだけれど、それもあの区民センターの一件ですっかり吹き飛んでしまっていた。

(どんな人達なんだろ。
 できればほむっちの言う通り、話の分かる人達だといいんだけど。
 ていうか私、社会的にはスキャンダルだらけの大悪女になってるんだよなー……)

 そんなことを思いながら、手持ち無沙汰なので少し突っ込んだことを聞いてみることにする。

「ほむっちは、アルロニカさん達とは仲良しなの?」
「いいや? むしろかなり警戒されているが」
「ほむっちさん……? あの……?」
「同盟を結んだからと言って、皆が皆互いに信用し合っているわけではないということだ。
 それこそノクト・サムスタンプと、あの"詐称者"のように。
 アンジェリカ・アルロニカの方はまだ思考に柔軟性があるものの、サーヴァントの方は私にもアサシンにも強く難色を示していてな。
 挙句病院戦ではまともに別れることもできなかった。少なくとも再会の暁に、彼女らが私に行うのは詰問だろう」

 ……聞いてみた結果、一気にずーんと気が重くなった。
 否が応にも先ほどの修羅場が思い出される。


864 : 未だ、道半ば ◆0pIloi6gg. :2025/02/01(土) 02:27:35 2A4sRDMY0

「安心しろ。断言まではできないが、さっきのように話が拗れることはまずないと考えて構わない」
「……どうして? そんなに私、その人達と馬が合いそうに見えるの?」
「それもだが、彼女達は恐らく私に問いたいことがある筈だ。
 蛇杖堂寂句。我が主たる太陽の傍を周回する愚かな衛星のひとつ――だが、群を抜いて危険な老魔術師。
 あの男と出会い戦って、まさか何も得られず終わったということはあるまい。生きているのならば、だが」

 正直天梨にはその辺の話はよく分からないのだが、ホムンクルスの言葉には妙な説得力があった。
 油断はできないし未だに不安もあるものの、彼が言うのなら確かに悪い方には転ばないのかもしれない。
 アサシンが首尾よくアンジェリカらとの合流を果たせれば、またひとつ予定が増えることになる。
 心構えだけは、しておこう。天梨はそう思って、小さく息を吐いた。
 
 ホムンクルスを抱いたまま、スマートフォンを起動する。
 特に用があってそうしたわけではない。彼女に限らず、現代人なら誰だってそうだろう。
 要は癖のようなものだ。髪先をいじるとか、爪を噛むとか。それが現代ナイズされただけの、特筆する意味を持たない行動である。

 ただ――輪堂天梨という少女に関して言うなら、これは明確に"悪癖"であった。

「……あ」

 インターネット。特に、ソーシャルネットワーキングサービス。俗に言うSNS。
 そこは本来、日常のストレスを紛らわせるための空間である。
 芸能人、有名人でもそれは変わらない。何気ない日常をポストするもよし、イベントの宣伝や共演者との戯れに使うもよし。ファンとの交流の場として活用するのだって十分ありだろう。
 だがそれは、世間が自分の名を聞いた時に連想してくれるイメージが、好意的かつ健全なものである場合に限った話。

 その前提が崩壊しているのなら――老若男女誰でも顔を合わせずにメッセージを送れるこの空間は、一転して当人を酷く苛む地獄と化す。

 輪堂天梨はアイドルである。
 そして――顔のない大衆にとっての、公共の敵(パブリック・エネミー)である。
 捏造されたスキャンダル。噂は噂を呼び、差した影は彼らの中で確たる実像として信仰される。
 さながら、アイドルという偶像に対する喝采と崇拝をありったけ露悪的に歪めたように。
 反転した応援は、幻想を信じるというプロセスはそのままに、天使を穢すためだけの毒沼と化した。

 天梨とて、馬鹿ではない。
 見れば嫌になると分かっているものを、長々眺めて良いことなんてひとつもないと分かっている。
 それでもどこかで、この現実をまだ認めたくないとでも思っているのか。
 時々こうして反射的にアプリを開いてしまっては、見たくないものを見て閉じる、という自傷にも似た行動をしてしまうのだ。

「…………ふう」

 すぐにアプリを落としたが、それでも少しだけ見えてしまった。
 埋め尽くされたダイレクトメッセージ欄。集団越冬する虫のように群れをなした誹謗中傷、罵詈雑言の数々。
 暴言は吐けても個人を特定されるのは怖いのか、顔(アイコン)のないアカウントばかりが列をなして天梨へ"正義の鉄槌"を下していた。
 今日もせっせと、飽きることなく。受け取る側の視点に立つのはおろか、事の真実に想像力を働かすことさえ怠る蒙昧の群衆。


865 : 未だ、道半ば ◆0pIloi6gg. :2025/02/01(土) 02:28:13 2A4sRDMY0

 それでも、今日はいつもより、まだ大丈夫。
 いつしか習慣になった深呼吸が、体内の毒素を入れ替えるように、沸き起こりかける負の感情を洗浄する。
 きっと、直前にシャクシャインの過去を見ていたのが幸いしたのだろう。
 そう、大丈夫。私はまだ大丈夫。まだ、私は〈天使〉のままでいられる。あれを見た後で、この程度のことで弱音なんかあげられない。

 暗示のように行う自己肯定。
 黒い炎は弱り目に付け込んで大きくなる。
 だから、自分を常に高く保つことは大切だと、天梨は生き地獄の日々の中で学んでいた。
 言うなれば感情(じぶん)相手の処世術。自分自身まで魅了するかのように、光を放って翼を維持する。

 大丈夫、大丈夫――そう言い聞かせながら、今日も天使は戦うのだ。
 顔のない大衆の声ではなく、堕天を囁く悪魔ではなく、何よりも自分自身と。

「話には聞いていたが、ずいぶんと酷いものだな」
「あ……」

 腕の中から発せられた声に、思わずびくりと反応する。
 彼を抱えたままスマホを開いたものだから、画面が瓶の中からも見えてしまったらしい。
 恥ずかしさよりも勝つのは気まずさだった。
 いじめを受けている子どもは、それを部外者に知られるのを嫌がる傾向にある――どこかで聞いたそんな話を、天梨は思い出す。

「……あはは。見ちゃった? ごめんね、気にしないで」
「御身がそう言うのならば忘れるように努めよう。だが」

 努めよう、と言ったばかりではあるが、ホムンクルスは興味深そうに押し黙る。
 天梨としても、こればかりはあまり触れられて具合のいい話ではない。
 ないのだが、ホムンクルス36号は保護者の軛を脱し、自立を始めて間もない赤子だ。
 
「少し驚いた。御身のような人間でも、あのような雑音に足を取られるものなのか?」

 言ってしまえば彼には、人の心があまり分からない。少なくとも、今はまだ。
 だからこそそんな彼が続けて口にした言葉は、悪意でもなければ激励でもない、単純で純粋な疑問だった。

「大げさだなあ……。私、そんなに大した人間じゃないよ」
「そんなことはない。本物の星を知る私が、そこに到り得ると認めた存在。
 それを誤りと疑われれば、流石に私も反論せざるを得ない。
 何故ならその疑いは、私が主君に捧ぐ忠誠を軽んじられるのと同義だからだ」
「あっ、ちが、私そんなつもりじゃ」

 咄嗟にわたわたと慌てる天梨。
 彼女も、ホムンクルスが"主"にどれほど強く懸想しているかはある程度分かっている。
 地雷を踏んだかと冷や冷やしたが、続くホムンクルスの言葉がそれを杞憂と断じた。


866 : 未だ、道半ば ◆0pIloi6gg. :2025/02/01(土) 02:29:07 2A4sRDMY0

「――輪堂天梨。君は十分すぎるほどに"大した人間"だ」

 天梨としてはもちろん謙遜したい。
 でも、さっきみたいな言い方をされるとしようにもできなくなってしまう。
 なのでなんとも言えないむず痒さを覚えながら、彼の賛辞を甘んじて受け入れるしかなかった。

「だからこそ私は驚いたのだ。そんな君の足を止めているのが、よもやそのようにありきたりな泥濘だったことに」
「ありきたり……かあ。うん、そうかもね。でもさあ、ほむっち」

 少しだけ、瓶を抱く腕に力が籠もる。
 昔からの癖だ。ひとりでいるとき、なんとなく不安なとき。
 何かをぎゅっと強く抱く、そんな癖があった。

「それでも……やっぱり怖いよ。誰かに"嫌われてる"って知ることは、いつだってすごく怖い」

 私は弱い人間だから、と続けたかったが、さっきのことがあったのでぐっと飲み込んだ。
 自分のためにもそれでよかったなと少し思う。
 言霊というものは馬鹿にできない。吐いた言葉は、何であれ誰かにとっての呪いになる。
 時には自分自身でさえその例外ではない。だから、飲み込んでおくに越したことはないのだ。

「お腹のこの辺りがね、きりきりして。胸はきゅうっと苦しくなって、息が詰まるみたいな感じで」

 クラスメイトが自分の陰口を言っているのを知った時。
 身に覚えのないゴシップが出て、昨日までファンでいてくれた人がひどい暴言を送ってきた時。
 自分の根も葉もない噂を喧伝しているのが、仲間だと思っていたエンジェのメンバー達であると知った時。
 いつだって――自分が嫌われ者なのだと知った時は心が痛かった。

 それを笑顔の下に隠すすべを知っていたのは、彼女にとって幸運だったのか不運だったのか。
 天梨は痛みを堪えるのが特別上手かった。傷を隠し、悲鳴を歌声の中に沈め、持って生まれた眩しさは現実を隠すモザイクになった。
 故に天使は今に至るまで変わらず健在。休むことなくステージに立ち、炎に巻かれながら魅了の羽ばたきを続けている。

「なるほど、そういうものなのか。私は存在柄、嫌われるのが仕事のようなものだからな。正直まだ理解できない感情だ」
「分かんなくていいよ。自分のことを嫌いな人なんて、少ないに越したことないんだから」
「友の言葉であれば無碍にすべきではないな。覚えておこう」

 ホムンクルスには、天梨の苦しみは理解できない。
 彼は前に比べれば多少感情というものを心得たが、それでもまだまだ無機的(システマチック)だ。
 他人に嫌われたから何だというのか。そも、この世はごく限られた人間以外は路傍の石に過ぎまい。
 例外は生まれてから今に至るまで、わずかに二人だけ。
 彼女達の共通点は、悪意というものを持たないこと。
 あるがままに振る舞い、踊り、結果としてその輝きで世を照らす。

 真の天禀に好悪などという概念は必要さえない。
 それはこの人造生命体が、悪魔の少女に否を突き付けた論拠のひとつでもあったが……

「しかし、ふむ」

 ノイズのように脳裏を走る、記憶があった。
 闇夜の蔵に浮かぶ華のかんばせはいつになく不興を湛えていて。
 可愛らしく膨らんだその頬を、ホムンクルスは、ミロクと名付けられた人形は覚えている。

 その上で、改めて目の前の少女の顔を見た。
 思えば、この友人がそういう顔をしているところは見たことがないと思い。
 別に金言を授けようという気もなく、かと言って堕ちた英雄のように彼女を堕落へ誘うつもりも毛頭ないまま。
 ただ友と交わす何気ない会話のひとつとして、ホムンクルスは彼女へ言っていた。

「君はもう少し、自分のために怒ることを覚えてもいいのではないか?」
「――え?」

 きょとん、とした顔でホムンクルスを見つめる天梨。
 それをよそに、彼は主との思い出を述懐していた。

 懐かしむ、などと言えば大袈裟になるだろう。
 時間としてはせいぜいひと月と数日前のことでしかない。少なくとも体感上は。
 あれは誇りの日、主のために身を捧げた日のその前夜。
 無垢にして無機なる命(ホムンクルス)は回想する。
 自分に友とは何たるかを説いた、膨れっ面の主と過ごした夜の記憶を――。



◇◇


867 : 未だ、道半ば ◆0pIloi6gg. :2025/02/01(土) 02:30:00 2A4sRDMY0



 その日、ガーンドレッドの工房を訪れた神寂祓葉はいつになく不機嫌な様子だった。
 足取りは普段より目測で1.1倍早く、鼻息は1.2倍ほど荒い。
 頬は上気し、眼は微かに潤んでいるように見えた。

『もう、聞いてよミロク! イリスったらひどいんだよ!!』

 当時、ガーンドレッド家率いるバーサーカー陣営は苦境の真っ只中。
 テロリストまがいの戦法で暴れ倒した彼らを待ち受ける当然の逆境。
 外堀はいつの間にか埋められ、得意の自爆戦法が目に見えて成果を挙げられなくなりつつあった。
 それでも怒れる阿修羅王は、成果の多寡など関係なく膨大な魔力リソースを食い潰す。
 慎重に慎重を重ね構築された使役体制でさえ限界はある。よって彼らは、選択の岐路というものに立たされていたのだ。
 損耗を恐れず、いずれかの陣営を此処らですり潰す。
 そしてそのリソースを略奪し、強引にでも既存の戦い方を維持できるようにする――臆病が売りの魔術師達がどれほど胃を痛めていたかは想像に難くない。

 しかしそんな事情など一顧だにすることなく、いつものように祓葉はやって来た。

 開口一番彼女がまくし立てたのは、同盟者である楪依里朱……セイバーのマスターへの不満。
 やれ言い方がひどすぎるとか、そりゃ私にだって悪いところはあったとか、だけどそれにしたってイリスは鬼だとか。ヒス持ちメンヘラ阿修羅王だとか。
 ファミレスの片隅でまき散らされるような月並みな愚痴を、敵陣の中枢でそこそこの声量で喚く。
 ホムンクルスは相槌を挟む隙もなく繰り広げられる祓葉のご立腹を、瓶の中から黙って聞いていた。

『はぁ、はぁ……。あー、すっきりした。やっぱり人に話すとちょっとスッとするね』

 全身も声帯も余すところなく使い、ジェスチャーと声真似を駆使して不服表明していたからだろう。
 額にじっとり滲んだ汗を手で拭いながら、ひとっ走り終えたみたいな顔で言う祓葉。
 ようやく話が一段落したと見て、ホムンクルスは問いを投げかけた。

『話の時系列が脈絡なく前後する上、全体的に内容が支離滅裂でよく分からなかったのだが』
『ひ、ひどい!? 確かにお前話下手くそすぎるってしょっちゅうクレーム来るけど!!』
『つまるところ、貴方は楪依里朱と断絶した。今後は敵として相対する、ということでいいのだろうか?
 であれば当陣営としても考えがある。ともすれば貴方の陣営と同盟を結ぶ選択肢も――――』
 
 祓葉は最初、悪意ゼロで放たれた"何を言ってるのかよく分からなかった"という感想にアホ毛をしなびたバナナみたいにして項垂れていたが。
 続き放たれた問いを聞くなり、こてん、と首を傾げた。


868 : 未だ、道半ば ◆0pIloi6gg. :2025/02/01(土) 02:31:12 2A4sRDMY0

『? なんでそうなるの?』
『同盟者と決裂したとなれば、当然関係の解消に至るのが普通だろうと考えたが。違うのか?』
『違う違う! うーんと、あーっと……なんて言えばいいんだろ……』

 そういうものなのか、とホムンクルスは煮え切らないまま魔術的に発声する。
 眼前の少女が一年考えても解けないだろう難解な定理でも即答で答えられる程度の知識をインストールされているホムンクルスだったが、彼に言わせればガーンドレッドにより入力されたどの学術的知識よりも、今祓葉が言っていることの方が難解に感じられた。
 
『話に伝え聞く限り、セイバーのマスターはそう優れた人間には思えない。
 貴方がそうして怒りを噛みしめてまで関わり続ける値打ちが感じられないが』
『ん、んんんんん……えっとね、ミロク』

 あーうー。
 しばらく唸って、祓葉は。

『――――極端!! 考え方が極端すぎるよ、ミロクは!!』

 びしっ、と、芸人がするみたいなツッコミのポーズを取って叫んだ。

『そんなゼロか壱百かで物事を考えてたら疲れちゃうでしょ。
 感情っていうのはね、もっとこう、気軽にぽーんって出していいものなんだよ』

 ふむ、とホムンクルスは少女の言葉に思考を深める。
 思えばこの少女は、確かに初めて会った時からずっと感情豊かだった。
 よく笑い、よく怒る。わーきゃー言いながら涙目にもなるし、怖いと感じたら分かりやすく顔を青ざめさせる。
 今しがた講釈された感情の何たるかを、なるほど確かにこの少女はその言動で体現していた。

『ミロクは会ったことないだろうけど、イリスなんてすっごいんだから。
 もういっつもちょっと怒ってる。すごい時は道の段差とか飛んでる虫とかに怒ってる。私なんて怒られてない時間の方が短いよ。
 だけど――だからって私を殺そうとはしないし。私だって今ぷんぷん怒ってるけど、イリスを殺しちゃおうとかは思ってない』

 指を一本ぴんと立てて、らしくなく説明をしてくれる姿は、さながら姉か何かのようにも見える。
 この人に何かを教わる日が来るとは、と感じなかったと言えば嘘になるが、とにかくミロクにとってそれは確かな学びだった。

『つまり、感情というものは必ずしも一貫している必要はないと?』
『そういうこと! うんうん、物分かりのいい生徒で先生嬉しいですよっ』

 はなまるー!、と瓶の上部を撫でてくる祓葉の姿を見ながら、今しがた聞いた事実を咀嚼する。
 製造時に知識と一緒に入力された、魔術師の世界のセオリーとは乖離する理屈と感じた。
 己の生みの親達が聞けば鼻で笑うか、バグを疑って眉間に皺を寄せ、急遽の調整を開始するだろう。
 せっかく教授を受けておいてなんだが、恐らく自分にこの知識を活かせる場面は来ない。
 ホムンクルスは、そう結論づけた――それに、そもそも。

『了解した、覚えておこう。尤も、感情なきこの身には無用の道理かもしれないが。
 敵を欺く手管のひとつとしては利用可能かもしれない。得難い知見であった』
『……極端っていうか、ミロクってちょっとズレてるよね?』

 眉根を寄せる祓葉の顔を、射し込む月明かりが照らしている。
 感情がない、と言った傍から、ホムンクルスは己の矛盾を自覚する。

 ――――ああ、やはり、美しい。

 後に主君と仰ぎ、狂気に堕ちて尚追い求め続ける太陽の君を。
 運命を得て狂い始めた無機なるホムンクルスは、ガラス越しにぼうっと見つめていた。


869 : 未だ、道半ば ◆0pIloi6gg. :2025/02/01(土) 02:31:51 2A4sRDMY0




 ……この翌日、彼は他でもない彼女のために自ら命を投げ捨てる。
 ガーンドレッドも、彼らの敵も、誰ひとり予想のできなかった自滅。
 それを以って、聖杯戦争における最大級の脅威・バーサーカー陣営は壊滅し。
 命を繋いだ神寂祓葉は頭角を現し、〈熾天の冠〉を巡る戦いは少女ひとりに蹂躙される。

 ――時は流れ、世界は巡り、戦の運命は廻って。
 友を得たホムンクルスは、予期せず学んだことを活かす機会に恵まれた。

 彼は、天使が日向のままであろうとも、転変してすべてを憎む堕天使になろうとも、構わないと考えている。
 シャクシャインへ告げた言葉に嘘はない。
 重要なのはあくまでも天使の飛翔。翼の色など些細な問題であって、重要なのはその高度なのだ。
 ホムンクルス36号は輪堂天梨の味方だが、彼女の願いに常に寄り添うとは限らない。
 しかし――それでも。今この瞬間に彼が彼女へかけた言葉は、そういう打算や下心に基づく囁きではなかった。

 単なる、日常会話の延長線だ。
 友人同士の雑談の中で飛び出した、ほんのちょっとした助言。軽口と言ってもいいかもしれない。
 
 感情とは、気軽に出していいものなのだと彼の主は言った。
 だから教わった知見を、自分も友に対して気軽に口にしてみただけのこと。
 それ以上でも、それ以下でもない。彼の主が見たならば、ほわほわ微笑んでうんうん頷いてみせたかもしれないが。



◇◇


870 : 未だ、道半ば ◆0pIloi6gg. :2025/02/01(土) 02:32:30 2A4sRDMY0


 
 車が揺れている。
 新宿の街並みが、線になって通り過ぎていく。
 腕の中にあるのは、ちいさな友達の入ったガラス瓶。
 中に満たされた液体が波打つとぷんとぷんという音を聞きながら、天梨は考えていた。

(……自分のために怒ってもいい、かあ)

 脳裏に浮かんだのは、やはり煌星満天の顔だった。
 辛口審査員の厭味ったらしい物言いに噴飯して、ステージを吹き飛ばしたあの映像。
 何度もリピートしてはくすくす笑った、彼女の"晴れ舞台"が無声映画のように再生される。

 自分の胸の奥には、黒い炎がある。
 アイヌの英雄がずっと押し殺してきて、最後の最後に呑まれてしまった、地獄の業火がある。
 それを解き放ってしまったら、もう戻れはしない。
 だから天梨は常に自分を律し戒め続けてきたのだが――思えば、自分のために怒れないのは今に始まったことではなかった。

 昔から、人が悲しむ姿を見るのが嫌いだった。
 アイドルにスカウトされるずっと前から、自分は他人を笑顔にする側であろうと努めてきた。
 そんな自分が怒ったりなんてしたら、自分のせいで悲しんだり傷ついたりする人が出てしまう。そうなっては本末転倒だ。
 だから輪堂天梨は物心ついた頃からずっと、怒りという感情を鞘に納めて封じて生きてきた。
 陰口を叩かれていることを知っても。理不尽なやっかみで嫌がらせを受けても。根も葉もない噂話で、極悪人のように仕立て上げられても。
 怒らず、腐らず、いつだって笑って。
 輪堂天梨は、それが〈天使〉の在り方と信じていた。

 誰もそれを諌めたりなんてしなかった。
 裏を返せば、それだけ皆自分に萎縮していたということなのだろうが――
 今日、この時を迎えるまで。誰かにそんなことを言われた経験は、本当に一度たりともなかったのだ。

(天使のまま、自分のために怒る。
 自分のために――怒ってあげる。
 そんなこと……しても、いいのかなあ……?)

 天使でありたい。
 この空から、堕ちたくない。
 天使のまま、皆に笑顔を授け心を照らしながら、自分のためにも怒ってあげる。
 皆に向ける優しさを、自分に対しても向ける。

 ――そんな生き方が。
 ――果たして、成り立つのだろうか。

 もうすぐ局へ着く。そうなれば、仕事の時間が来る。
 がたんごとん。車が揺れる。
 とぷんとぷん。腕の中の水面が揺れる。
 
 とくん。とくん。
 いつぶりに貰ったか分からない"友達からの言葉"が、天使の心も静かに揺らしていた。


871 : 未だ、道半ば ◆0pIloi6gg. :2025/02/01(土) 02:33:09 2A4sRDMY0
【新宿区・路上/一日目・日没】

【輪堂天梨】
[状態]:精神疲労(小)、汗だく
[令呪]:残り二画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:たくさん(体質の恩恵でお仕事が順調)
[思考・状況]
基本方針:〈天使〉のままでいたい。
0:怒ってもいい、かぁ……
1:新宿区で夜からお仕事を開始する。
2:ホムっちのことは……うん、守らないと。
3:……私も負けないよ、満天ちゃん。
4:アヴェンジャーのことは無視できない。私は、彼のマスターなんだから。
[備考]
※以降に仕事が入っているかどうかは後のリレーにお任せします。
※魔術回路の開き方を覚え、"自身が友好的と判断する相手に人間・英霊を問わず強化を与える魔術"を行使できるようになりました。
 持続時間、今後の成長如何については後の書き手さんにお任せします。
※自分の無自覚に行使している魔術について知りました。
※煌星満天との対決を通じて能力が向上しています(程度は後続に委ねます)。
※煌星満天と個人間の同盟を結びました。対談イベントについては後続に委ねます。
※もうすぐテレビ局に着くみたいです。

【アヴェンジャー(シャクシャイン)】
[状態]:苛立ち、全身に被弾(行動に支障なし)、霊基強化
[装備]:「血啜喰牙」
[道具]:弓矢などの武装
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:死に絶えろ、“和人”ども。
0:――上等だよ、天梨。
1:鼠どもが裏切ればすぐにでも惨殺する。……余計な真似しやがって、糞どもが。
2:憐れみは要らない。厄災として、全てを喰らい尽くす。
3:愉しもうぜ、輪堂天梨。堕ちていく時まで。
4:青き騎兵(カスター)もいずれ殺す。
5:煌星満天は機会があれば殺す。
6:このクソ人形マジで口開けば余計なことしか言わねえな……(殺してえ〜〜〜)
[備考]
※マスターである天梨から殺人を禁じられています。
 最後の“楽しみ”のために敢えて受け入れています。

※令呪『私の大事な人達を傷つけないで』
 現在の対象範囲:ホムンクルス36号/ミロクと煌星満天、およびその契約サーヴァント。またアヴェンジャー本人もこれの対象。
 対象が若干漠然としているために効力は完全ではないが、広すぎもしないためそれなりに重く作用している。


【ホムンクルス36号/ミロク】
[状態]:疲労(中)、肉体強化、"成長"
[令呪]:残り二画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:なし。
[思考・状況]
基本方針:忠誠を示す。そのために動く。
0:天梨に同行しつつアサシンの報告を待つ。
1:輪堂天梨を対等な友に据え、覚醒に導くことで真に主命を果たす。
2:アサシンの特性を理解。次からは、もう少し戦場を整える。
3:アンジェリカ陣営と天梨陣営の接触を図りたい。
4:……ホムっち。か。
5:煌星満天を始めとする他の恒星候補は機会を見て排除する。
[備考]
※アンジェリカと同盟を組みました。
※継代のハサンが前回ノクト・サムスタンプのサーヴァント"アサシン"であったことに気付いています。
※天梨の【感光/応答】を受けたことで、わずかに肉体が成長し始めています。
 どの程度それが進むか、どんな結果を生み出すかは後の書き手さんにおまかせします。
※継代のハサンをアンジェリカ達と合流させるために放出しました。


872 : ◆0pIloi6gg. :2025/02/01(土) 02:33:30 2A4sRDMY0
投下終了です。


873 : ◆A3H952TnBk :2025/02/01(土) 14:01:34 9fRoTWcA0
前編投下します。


874 : ◆A3H952TnBk :2025/02/01(土) 14:01:57 9fRoTWcA0



 空は、闇へと向かう。
 宵の影へと沈みゆく。
 この世界に呼び寄せられて。
 幾度目の夜なのだろうか。
 考える余裕などない。 
 
 聖杯戦争。
 英霊を従える、魔術師同士の殺し合い。
 その戦局は加速し、数多の闘争を呼び起こしている。
 そんな混沌の渦中に、“自分たち”は存在していた。

 夜は、空を飲み込んでいく。
 星の輝きが、世界を覆っていく。
 闇と影が、世界を彩っていく。
 小さな月が、世界を見下ろしている。

 ひどくちっぽけな“自分たち”は、ただ前へと進むことしかできない。
 道標のない世界で、ただ駆け抜けていくことしかできない。

 ――“蝗害を止めて、無事に離脱する”。
 完璧とは言えずとも、一定の目的は果たした。

 紙一重の作戦。一歩踏み外せば、破綻へと転落していた戦い。
 琴峯ナシロは、自らの同盟者と共に生還を果たしたのだ。

 得るものは無くとも、何も失わずに切り抜けるという奇跡を掴み取った。
 それでも、ナシロの胸中には蟠りが残り続けた。

 楪依里朱。ナシロの級友であり、この聖杯戦争に参加するマスター。
 前回の聖杯戦争を戦った者の一人であり、かの“蝗害”を従える張本人だった。
 彼女の凶行を止めるべく代々木公園に乱入し、確固たる意思を以て対峙した。
 
 しかし、イリスからは拒絶の言葉を叩きつけられ――彼女と接触していた“別のマスター”からは、自身の矛盾を突きつけられた。

 ――どうでもいい。皆生きていないんだから。
 ――わざわざ省みる必要なんてない。
 ――所詮、ぜんぶ作り物なんだから。

 あの時の言葉が、脳裏で反響し続ける。
 自らの殉教を否定する、この世界の現実が木霊する。
 何の悪意もなく、ただ純粋な疑問としてぶつけられたであろう反論。
 自らの同盟者との対話を経てもなお、それは心に影として纏わりついていた。


875 : ◆A3H952TnBk :2025/02/01(土) 14:02:55 9fRoTWcA0

 自分の歩む道は、果たして正しいのだろうか。
 それとも、欺瞞でしかないのだろうか。
 ナシロの胸の内で、そんな疑問が込み上げてくる。

 込み上げるものは、不安と焦燥。
 自らの信じていたものへの苦悩。
 それでも、足を止めることだけはしたくなかった。

 首から下げたネックレス。
 常に肌身離さず身に付けている“十字架”。
 それを右手で、静かに握り締めた。

 神に仕えながらも、神を本気で信じたことはなかった。
 それは拠り所、規範としての支柱。故に在不在を問うべきものではない。
 けれど、今ばかりは――――神に祈りたかった。神がいるならば、答えを聞きたかった。

(なあ、神様)

 十字架を握りながら、ナシロは心中で呟く。
 脳裏によぎる、この一ヶ月の日々。

(こんな作り物の世界でも、偽りの存在であっても――)

 学校で顔を合わせた同級生たち。
 教会に通い、祈りを捧げる町の人々。
 例え虚構であっても、作られた存在であっても。
 それでも彼らは、日々を懸命に生きていた。
 この世界に存在して、普通の人間と変わらずに毎日を過ごしていた。

(あんたは、私達を見守ってくれているか?)

 そんな彼らにも――神は、慈悲を与えてくれるのだろうか。
 神に仕えし少女は、心の中で問いかける。神からの答えは、返ってはこない。
 神は、静寂を貫く。ただ沈黙が続くのみ。

 分かり切っている。だから、憤慨は感じない。
 神とは元より、そういうモノなのだから。
 それは迷える人間にとっての心の支えであって、道を切り開くのはあくまで人間に他ならない。
 故に、この葛藤もまた――自分の手で答えを掴み取るしかない。

 ――僕にこのやり方しか選べなかったように、君にしか選べない方法があるのだろう。
 ――当然のことだ。だから、君が僕と違う答えを出すことに、異議がある筈もない。

 あの電車の中で、共に肩を並べて戦う少年――高乃河二から告げられた言葉を振り返る。
 君には君の進む道があり、君は自分の意志を貫いている。その在り方には、率直な好意を抱く。
 そんな河二からの真っ直ぐな肯定が、胸の内で暖かな光として根付いていた。

 握り締めていた十字架を、掌から離す。
 息を吸って、吐いて、自らの意思を調律する。
 それから顔を上げて、夜空を見つめた。

 壮絶な戦禍が繰り広げられる中でも、闇夜の星々は輝きを絶やさない。
 それが自分に残された希望の道標であることを、それが“神の慈悲”であることを、琴峯ナシロは信じ続けたかった。

 
「――――Amen」





876 : ◆A3H952TnBk :2025/02/01(土) 14:03:50 9fRoTWcA0



 ――同盟者である“雪村鉄志”へと、一連の状況に関する連絡を終えた後。
 代々木公園を離れた高乃河二と琴峯ナシロは、閑静な住宅地を小走りで移動していた。

 つい先程、“魔力の気配がマスター達の方へと迫っている”とベルゼブブから念話があった。
 彼女は所謂“見張り役”として、空中で気配遮断スキルを発動しながら周囲の魔力反応を探っていた。
 暫くは“異常なし”として、さしたる連絡は入ってこなかったが――雪村へとメールで情報共有をした矢先に一報が入り込んだ。

 十中八九、あの渋谷区での戦線に関わった主従による追撃だろう。河二とナシロはそう察していた。
 代々木公園からの紙一重の離脱は果たせたものの、やはり敵もまた安々とこちらの撤退を許してくれる訳ではないらしい。

「――追撃に来るのは、恐らく“騎兵のライダー”だ」

 現在の状況を鑑みながら、河二はナシロにそう告げる。
 言葉を続ける河二に対し、ナシロは視線を向けた。

「代々木公園に存在していたマスターは四人。うち楪依里朱は“蝗害”のマスターであることが確定している。
 残りのマスターは三人。そのうちの一人が、“蝗害”と交戦していた“幻術のキャスター”のマスターだろう」

 彼女達はサーヴァント同士の交戦に際し、何らかの交渉を行っていた。
 ナシロの説得に口を挟んだ小柄な女――にーとちゃんである――曰く、“協力者になるのはまだこれからっていうか”とのことだった。
 一時は決裂していたものの、蝗害主従と三主従の間で結託の取引か、あるいは何かしらの協定が行われようとしていたのは間違いない。
 
 そしてイリスの無力化によって、その話が再び進んだ可能性が高い。
 そうでなくとも、恐らくあの場にいた三人と二騎が消耗著しいイリスの身柄を確保する形になっているだろう。

 “蝗害”の魔力は残留し続けているとエパメイノンダスからの報告があった以上、少なくともまだイリスは脱落していない。
 他の状況も加味して、イリス達と例の三主従は以後何らかの形で“休戦”や“取引”が成立している見込みが大きい。
 あの場において、彼らが敵対し続けている可能性は低い。


877 : ◆A3H952TnBk :2025/02/01(土) 14:04:45 9fRoTWcA0

「そして先の戦局において、僕のランサーが足止めをした“蝗害のライダー”と“幻術のキャスター”はこれ以上の継戦は避ける可能性が高い。
 ランサーに手を貸したという“陰陽のキャスター”は、少なくとも僕達の不意を突くことを狙うような輩ではないとの見立てだった」

 河二は既にエパメイノンダスから念話で最低限の報告を受け、スクランブル交差点における激戦の顛末を把握していた。
 関与したサーヴァントは計四騎。うち“陰陽のキャスター”はエパメイノンダスと共闘し、その助力なくしては“幻術のキャスター”を打ち破ることは出来なかったとのことだった。
 
 “陰陽のキャスター”はあくまで聖杯を狙ってると、当人の口からの明言があったが――少なくとも即時敵対する可能性は薄いとエパメイノンダスは判断していた。
 彼に関しては他にも重要な話があると言っていたが、今はあくまで現状の脅威を優先する。

 あの戦局における台風の目は紛れもなく“蝗害のライダー”と“幻術のキャスター”であり、両者は相応の消耗を背負っているとのことだった。
 前者は“繁殖”によって規模は増やしたものの、マスターであるイリスの魔力消費が激しいことを河二達が既に確認している。
 後者はエパメイノンダスに対して明確な敵視の言葉を手向けたが、その手傷ゆえ即座に追撃を行えるだけの余力はないとの見立てだった。

「だが、先の戦闘で明確に敵対した“剣鬼のセイバー”と“騎兵のライダー”は最小限の消耗で済んでいる」

 されど、恐らくは“幻術のキャスター”の陣営と結託している二騎の英霊に関しては別だ。
 彼らは先程の交戦における消耗は少なく、大規模な宝具行使にも至っていない。互いに一定の余裕を残している。
 そして片方、“剣鬼のセイバー”はあくまで単体の近接戦闘に特化した英霊であることは明白であり。

「……“追撃”に向かわせるなら、機動力と軍勢を兼ね備えたライダーの方が適任って訳か」

 ナシロの理解に、河二は「そういうことだ」と頷いた。


878 : ◆A3H952TnBk :2025/02/01(土) 14:05:26 9fRoTWcA0

 “騎兵のライダー”。霊格ではセイバーに劣り、あの場においてもあくまで後手の役に回っていた。
 されど腐っても英霊、そして無数の騎兵を召喚する物量と機動力は撤退戦において十分な脅威となり得るものだった。

「琴峯さん。場合によっては、アサシンとその使い魔の飛行能力をまた借りることになる」
「分かってる。私もあの騎兵隊と足で勝負するのは避けたいからな」

 徒手空拳で戦う河二と、黒鍵の投影のみが武器となるナシロにとって、あの騎兵隊との正面対決は避けるべきことだった。
 “剣鬼”のセイバーよりは御せる余地のある敵といえど――軍勢の物量攻撃に加えて、一騎一騎が軍馬による高い機動力を備えているのだ。
 英霊の存在を抜きにしても、まともに相手をすれば不利は避けられない。
 
 ベルゼブブは眷属の大半を失っているうえ、戦力としては未だに不安定だ。
 暫し前に「いやその……ごめんなさい……さっきハチャメチャに撃ちまくったせいで……掴みかけたコツが……ハイ……スミマセン……」と彼女自身がしなしなと申告していた。

 普段ならナシロから呆れられたり詰られたりする場面だが、つい先程の活躍に免じて大目に見てやることにした。
 河二も「さっきはよく頑張ってくれた、アサシン。いずれまた感覚を掴んでいけばいい」と伝えて責め立てはしなかった。
 騎兵隊に対してベルゼブブの“産卵行動”を行使することも考慮したが、魔力消費や隙の大きさも踏まえると実戦での発動は現実的ではなかった。
 
 現状の主力であるエパメイノンダスはじきに合流するものの、先の戦闘で大きな消耗を背負っている。
 万全の状態での迎撃が難しく、尚且つ宝具の全容も明らかではない“騎兵のライダー”との交戦は避けるべきだと二人のマスターは判断したのだ。

 そして――。

(……市街地での交戦は、可能な限り避けたい)

 ナシロは内心、そんな思いを抱いていた。


879 : ◆A3H952TnBk :2025/02/01(土) 14:06:04 9fRoTWcA0
 あの代々木公園で、イリスを庇ったマスターから突きつけられた言葉が脳裏で反響する。
 これも所詮、自己満足でしかないのかもしれない。最後は全て、消えてなくなる――そんな現実から目を逸らしているだけに過ぎないのかもしれない。

 しかし、それでも。
 自分が貫こうとしたものに容易く屈して、膝を折るような真似はしたくなかった。
 それが正しいことなのか、誤った道なのか、今はまだ分からないけれど。
 “これまでの選択に何の意味もなかった”と諦めることからは、せめて抗いたかった。

 それが、琴峯ナシロにとっての矜持であり。
 一人の修道女にとっての、神への祈りだった。

 河二もそうしたナシロの意図を、無言のままに汲んでいた。
 決して同じ道を歩む二人ではなくとも、それでも譲れぬ矜持を察することが出来るだけの信頼が生まれていた。

「――琴峯さん。あのライダーの真名に心当たりは?」
「――かなり近代の英霊だと思う。あれはたぶん『第7騎兵連隊』だろうな」

 ナシロの返答に対し、河二もまた頷く。
 あの米国風の出で立ち、彼が呼び寄せる蒼い騎兵隊、そして“ギャリーオーウェン”という単語。
 この聖杯戦争を生き抜くに当たって歴史や神話について一定の知識を身に付けていた二人は、ライダーの真名にも行き着いていた。

「恐らくあいつは『カスター将軍』……19世紀アメリカ、西部開拓時代の軍人。
 ネイティブ・アメリカンの殲滅戦争の最前線で戦っていた指揮官だ」

 将軍――その肩書きに思うところを抱きつつ、河二はナシロと認識を共有する。
 戦略的に秘匿の意味が薄いのか、あるいは単なる虚栄心によるものか。恐らくあのライダーは“真名の露呈”にそれほど頓着していない。
 あの風貌、あの言動、あの宝具。あまりにも象徴的な要素の多いライダーの真名を察するのは、そう難しいことではなかった。

 そして河二は“剣鬼のセイバー”と比較して、あのライダーの霊格が明確に劣っていた理由も悟った。
 19世紀。産業革命や資本主義の到来により、多くの文明が近代化の道を歩んでいった時代。
 世界から神秘が失わてゆく中、歴史の浅い新大陸で名を馳せた英雄――それがあのライダー。
 毀誉褒貶の激しい人物であることも含めて、英霊としての信仰や神秘で一歩も二歩も劣っていることには納得があった。

 それでも、敵がサーヴァントであることに変わりはない。
 古今東西の歴史や伝説で名を馳せた英傑たち。凡百の戦士達とは一線を画す、人類史の神話。
 故に、決して油断はしない。先程の代々木公園での一幕を振り返り、河二は改めて気を引き締める。


880 : ◆A3H952TnBk :2025/02/01(土) 14:07:11 9fRoTWcA0
 その矢先だった。
 少女の頬が感じ取った。
 風が、荒れ始めていることを。
 それが何を意味しているのか。
 理解を果たす前に、事態は動き出す。

 ぶろろろろろ。
 ぶろろろろろろろろ。
 ぶろろろろろろろろろろ――。

 音が、聞こえてくる。
 何かが激しく駆動する音が。
 何かが回転し、風を裂くような音が。

 そして――――次の瞬間。
 眩い光が、ナシロ達を包んだ。
 河二は既に、拳を構えていた。
 その瞳に、驚愕を宿しながら。





881 : ◆A3H952TnBk :2025/02/01(土) 14:09:37 9fRoTWcA0
>>880
すみません、コピペミスりました。





 河二とナシロは、騎兵隊に対して一定の優位を取れる“空中”への退避を視野に入れていた。
 先の戦闘でベルゼブブは飛行能力を駆使して騎兵隊の銃撃を躱し続け、戦場からの離脱においても彼女とその眷属の機動力が大きな役目を果たした。

 地上での物量と機動性こそ優れども、空中の敵に対する決め手に欠ける騎兵隊。
 彼らから逃れるための術として、ベルゼブブの飛行能力は間違いなく有効だった。 
 故にナシロは、自らのサーヴァントであるベルゼブブを眷属共々呼び戻したのだが――。


「――ナシロさん!!!ナシロさんナシロさんナシロさぁんおぼふッッ!!!」


 そのベルゼブブが、大騒ぎしながら空から降ってきた。
 猛烈な勢いで斜めに急降下してきた蝿王――そのまま着地に失敗し、がきに蹴り飛ばされるサッカーボールのように地面を転がる。 
 河二とナシロは、咄嗟にその場で足を止めた。
 
 至って真面目な様子で「アサシン、大丈夫か!?」と呼びかける河二に対し、まぁいつもこんな感じだよと言わんばかりにやれやれとナシロは額に手を当てる。
 さっきの戦闘で頑張った反動で、ちょっと気が抜けちゃったのかもね。
 
「いやどうした、落ち着けって」
「空!!そら!!空から来ますよ、追手!!」

 慌ただしいベルゼブブを窘めるように呼びかけたナシロ。
 そんな彼女に対し、ベルゼブブは声を上ずらせながら叫ぶ。

「――――空……?」

 空から、追手が来る。
 ベルゼブブはそう言っているのだ。
 ナシロは最初、率直にこう思った。
 何を言ってるんだ――――と。

 “騎兵のライダー”は勿論、“剣鬼のセイバー”も飛行能力の類は見せていなかった。
 ならばスクランブル交差点の連中か。あれだけの激戦を経たうえで、わざわざナシロ達を追撃しに来る可能性は低い。
 まさか、更なる新手が割り込んできたのか――?
 
 半信半疑の思いを抱きながら。
 ナシロは、訝しげに顔を上げた。
 妙な胸騒ぎを感じながら、空を仰いだ。

 その矢先だった。
 少女の頬が感じ取った。
 風が、荒れ始めていることを。
 それが何を意味しているのか。
 理解を果たす前に、事態は動き出す。

 ぶろろろろろ。
 ぶろろろろろろろろ。
 ぶろろろろろろろろろろ――。

 音が、聞こえてくる。
 何かが激しく駆動する音が。
 何かが回転し、風を裂くような音が。

 そして――――次の瞬間。
 眩い光が、ナシロ達を包んだ。
 河二は既に、拳を構えていた。
 その瞳に、驚愕を宿しながら。





882 : ◆A3H952TnBk :2025/02/01(土) 14:10:17 9fRoTWcA0



 東京都渋谷区、代々木公園。
 そのすぐ隣に“公共放送局”の本部が存在することはご存知だろうか。
 
 この聖杯戦争の舞台は“虚構の世界”であるものの、しかし現代における東京23区の様相をほぼ忠実に再現している。
 渋谷駅前のスクランブル交差点が再現され、国立競技場が再現され、そして代々木公園が再現されているのだから――“公共放送センター”が存在することもまた必然である。

 首都圏内における公共放送の中心地であり、全国放送番組の大半もここで制作されている。
 更には衛星放送や国際放送など、より広域に渡るメディアの放送施設としても運用されている。
 要するに、このセンターとは日本屈指の大規模な報道拠点なのだ。

 昨今の都内では“蝗害”を始めとし、数多くの不可解かつ大規模な事件が発生している。
 様々な事件が連続的に、目まぐるしく発生し続けている現状に対し、首都圏の報道機関は逸早く情報を発信すべく常に万全の体制を整えていた。
  
 故に平時ならば湾岸地域の施設に駐留している“報道用ヘリコプター”もまた、つい最近になって“公共放送センター”屋上のヘリポートに停泊するようになった。
 いつ如何なる時も、迅速な出動を行えるようにするためだ。
 
 ――尤も、現在は報道どころではなくなっていた。つい先程のことだ。“公共放送センター”の近辺、渋谷駅前のスクランブル交差点にて蝗害が発生したのだ。
 混乱に陥った市街地では多数の犠牲者が発生し、その余波を受けてセンター内でも避難指示が出されたのだ。
 近場で蝗害の情報が少しでも流れたら、迷わず避難するように――それはこの混沌の一ヶ月のさなかに各自治体が下した警告であり、無辜の市民達も学んだ鉄則だった。
 
 されど、これまで統計されてきた“法則”を無視するような蝗害の情報によって、局内は混乱に陥っていた。
 あまりにも唐突な大繁華街への襲来。それもセンター間近の、つい先刻まで平穏そのものだった駅前交差点で。聖杯戦争も何も知らない人々が動揺し、恐慌状態に陥るには十分だった。
 誰もがそうなのだ。頭では理解しているつもりでも、実際に直面しなければ正しく“覚悟”をするのは難しい。
 職員の統率は乱れ、半ば冷静さを失い、誘導を無視した行動に出る者も現れていた。

 センターの施設内は半ばパニック状態となっている。
 超常の魔人ならば、どさくさに紛れてその隙を突くことなど造作もない。
 例えば追跡の片手間に、斥候を施設内に侵入させ――“何か”を盗ませる程度のことは朝飯前である。





883 : ワルキューレが来る ◆A3H952TnBk :2025/02/01(土) 14:13:26 9fRoTWcA0




「YeeeeeeeeHaaaaaaaaaaw!!!!!!!」



 ――その男は、空にいた。
 ――ラッパの快音が、響き渡った。



「ふふふふッ――はははははははは!!!!
 ふぅーっはっはっはっはっはっは!!!!
 ふははははははははァァァァァッ!!!!」 



 宙を切り、風を切り、けたたましく――。
 エンジンを燃焼し、プロペラが嵐のように回転を繰り返す。
 空を仰ぐ人類の文明が生んだ発明。天を翔ける鉄の塊が、鮮烈に姿を現す。
 公共放送のロゴが刻まれた鉄製の白いボディが、宵闇の空に浮かび上がる。
 機体の下部からはサーチライトの光が放たれ、夜影に紛れる河二やナシロ達を眩く照らした。

「実に!!実に壮観だなぁ!!だって空だぞ空!!人が空を飛べる時代が来るとは!!
 きっとこれは勇気と信仰の賜物!!人類は空をも望んだのだ!!その飽くなき“開拓精神”に神が応えて下さったのだろう!!」
 
 そう――報道局のヘリコプターが、猛烈な勢いで飛翔していたのだ。 
 両側のドアは開かれ、蒼い騎兵服を纏った数名の兵士が外へと向けてライフルを構えている。
 そして機体の側面には、わざわざ星条旗が後付で貼り付けられていた。

「私は今!!!“人の叡智”を操っている!!!
 私は今!!!“神の祝福”を駆っている!!!
 これほどの歓びがあるだろうかッ!!!
 自由を求める意志に限界はないのだ!!!」
 
 異常な速度で空を舞う機体の内部からは、高らかな哄笑が響き渡っていた。
 まるで演説を捲し立てるかのように、並べられる言葉には異様な熱――自己陶酔と呼ぶべきか――が籠もっていた。
 そして機体は低空飛行へと移行し、河二達の前へと滞空する。


884 : ワルキューレが来る ◆A3H952TnBk :2025/02/01(土) 14:14:29 9fRoTWcA0

 河二も、ナシロも、曲がりなりにも英霊であるベルゼブブさえも、ただ呆気に取られていた。
 玉石混淆あれど、サーヴァントとは総じて超人だ。時に風をも超える疾さで駆け抜け、時に厄災にも匹敵する権能を行使する。
 それこそが英傑。それこそが伝説。だからこそ、敵がわざわざ“こんな手段”を恥じらいもなく堂々と使ってくるとは思いもしなかったのだ。

「――そういう訳で、御機嫌よう!!
 先刻ぶりだ、勇敢なる少年少女諸君ッ!!」 
 
 操縦席に座するのは、蒼き騎兵隊長。
 星条旗を背負いし、侵略の使徒。
 その男は歓喜に喚き、不敵に笑う。
 操縦桿を握り、巧みに機体を操る。

「また空へと逃がす訳にはいかないので、私も空を飛ぶことにしたのだ!!はっはっはっは!!」

 そう、彼こそはライダーのサーヴァント。
 第7騎兵連隊の指揮官、カスター将軍である。
 彼は今、ヘリコプターを乗り回していた。

「――――“騎乗スキル”か……ッ!!」
「――――Exactly(その通りである)!!」

 ヘリコプターを操る騎兵という奇想天外な光景を前にし、河二はその原理を理解する。
 河二の口から吐き出された言葉に、カスターは満足げに応答した。
 
 “騎乗”――それはライダーのサーヴァントが等しく所有するクラススキルである。
 乗り物を乗りこなす才能。高ランクにもなれば幻獣や魔獣をも操り、低ランクであっても現代の乗り物を一通り操れるだけの技巧を得られる。
 騎兵隊のカスターがヘリコプターを自在に操っているのも、そのスキルによる恩恵だった。

 カスターとそのマスターである伊原薊美。彼らは日中にずっと渋谷区とその周辺に滞在していた。
 召喚宝具によって騎兵のみならず“斥候”を呼び出すことも出来るカスターが、その一帯における最低限の偵察を済ませていたのは当然のことだった。
 故に代々木公園近辺に報道施設が存在し、その屋上ヘリポートに報道用ヘリコプターが停泊していたことも把握済みだった。

 そして河二達の追跡に際し、カスターは同じく“騎乗”スキルを搭載する使い魔の騎兵を施設に差し向けた。
 そのまま施設内の混乱に乗じてヘリコプターを盗ませ――合流と共に自身が操縦を代わったのだ。


885 : ワルキューレが来る ◆A3H952TnBk :2025/02/01(土) 14:15:12 9fRoTWcA0

 飛行能力を持つ敵に制空権を獲らせないため、という戦術的な意図もあったが――何よりただ、カスターは乗りたかったのだ。空を飛んでみたかったのだ。
 歴史曰く、人類史で初めて空を飛んだのはアメリカ人。なればこそ、星条旗の英雄たる己も空を飛んで然るべきである――カスターはそんな訳のわからない理屈に駆り立てられていた。

「英雄がヘリ盗むかよ、普通……!」
「盗んだのではない――軍務のために接収したのだ!!」
「それを“盗んだ”って言うんだろ!!」

 驚愕と共に忌々しげに空を仰ぎ、ナシロはそう吐き捨てる。
 ナシロからの指摘に対し、カスターは見事に開き直った。

「はっはっはっは!!何とでも言うがいい!!どれほど罵られようとも、私は己の意思に躊躇いを持たない!!
 そう、勇敢さが私の美徳!!『強くあれ、雄々しくあれ、怖気づいてはならない』のだ!!」
「あんたに相応しいのは寧ろ『驕り高ぶりは破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ』だろうが――ッ!!」

 聖書を引用した応酬を繰り広げながら――ナシロは既に駆け出していた。
 同時に「アサシン!」と呼びかけ、我に返ったベルゼブブを急いで追従させる。
 そしてナシロの行動に合わせるように、河二もまた地を蹴り併走した。

「威勢がいいなぁ、修道女のお嬢さん!!まあ私はプロテスタントだがね!!
 君は“蝗害の魔女”に対しても己の矜持を貫き通していたが――その気骨、実に好ましい!!」

 ナシロ達は理解している。敵はこれより、強硬手段に乗り出してくる。
 攻撃にせよ、尋問にせよ、此処で敵の掌中に収まる訳にはいかない。

 この場にいるのはマスター二人と、眷属の大半を失ったベルゼブブのみ。じきに合流するエパメイノンダスも消耗が激しい。
 余力を残したサーヴァント、及びその同盟との真正面からの対峙は間違いなく悪手だった。

「そんな君の勇気に祈りを捧げてやりたいところだがッ、あいにく今の私は令嬢(マスター)に仕えし騎士なのだ!!」

 そんなナシロ達の判断を既に察していたように、カスターは捲し立てながら操縦桿を操る。
 滞空していたヘリコプターが、再び機動を開始したのだ。

 けたたましいプロペラとエンジンの音。風を切り、空を裂き、眼前の敵を追い詰めに掛かる。
 走りゆくナシロ達の姿をサーチライトで追い立てながら、彼は堂々たる声を張り上げる。


「故に、諸君らに告ぐ――――投降せよッ!!!」


 その“通告”と共に、魔力の気配が吹き抜けた。
 そして彼方より、無数の足音が迫り来る。
 塗装された地を蹴る“蹄鉄の音”が、数多に重なり響き渡る。


886 : ワルキューレが来る ◆A3H952TnBk :2025/02/01(土) 14:16:28 9fRoTWcA0

 “それ”が意味することを、迫り来る音と気配の正体を、河二とナシロは同時に理解する。
 故に河二は駆け抜けながら、ナシロへと即座に視線を向けた。


「――――琴峯さん!!」

 
 河二の叫びに、ナシロはすぐさま頷く。
 取るべき行動を即座に悟り、べルゼブブへと呼び掛けた。


「頼むぞ、アサシンッ!!」

 
 ナシロの声に応えるように、飛行したベルゼブブが慌ててナシロを抱えあげる。
 続けて先ほどと同じように、一体だけ生き残っていた眷属も河二を掴んで飛翔した。
 両者は飛行する悪魔二人に抱えられる形で、瞬時にその高度を上げていく。


《Garry Owen,Garry Owen,Garry Owen――!!》


 ナシロ達が飛び上がった、その直後――――。
 まるで猛牛の群れにも似た軍勢が、次々に地上を蹂躙していった。
 
 荒れ狂う濁流のような勢いで突き進む“騎兵隊”。かつての民族浄化を体現する、殲滅の使徒たち。
 栄光なる第7騎兵連隊。カスターの宝具であり、彼という英雄が背負う伝説の象徴。
 あと数秒遅れれば、彼らの波に押し潰されていたのは明白だった。

《Garry Owen,Garry Owen,Garry Owen――!!》
 
 アサシンに支えられて飛翔したナシロ達は、地上を走り抜ける騎兵隊を上空から見下ろす。
 まるで堤防を打ち破る鉄砲水のような軍団の波を、俯瞰した視界から見据えた。
 それから間もなく――上空のナシロ達を狙って、騎兵達がライフルによる銃撃を繰り返す。

 地上から迫り来る数多の銃弾を、ベルゼブブとその眷属は機敏な動きで躱し続ける。
 飛行による空中機動力を駆使し、騎兵隊の攻撃は全ていなしていく。
 少なくとも空を飛べば、騎兵隊との正面対決からは逃れることは出来る。
 無数の軍勢とそれを使役するサーヴァントによる、熾烈なる波状攻撃だけは避けねばならなかった。

 迅速に高度を上げながら、地上の騎兵隊から逃れていくベルゼブブ達。
 そう、あの軍勢からの挟み撃ちは避けられた。
 ならば、これより追手となるのは――――。

「はっはっはっはっは!!忌まわしき悪魔よ!!君は当世において『映画』は見たかね!?」

 この勇猛にして傲岸なる、騎兵隊長である。
 彼はヘリコプターを巧みに操り、ベルゼブブを激しく猛追する。


887 : ワルキューレが来る ◆A3H952TnBk :2025/02/01(土) 14:17:09 9fRoTWcA0

「私は見た!!そう、何本も見たぞッ!!サブスクリプション!!マスターが契約している月額2189円の『動画配信サービス』でなァァ!!」

 有無を言わさず捲し立てるカスター。
 ベルゼブブ達は耳を貸さない。そんな暇などない。
 夜へと向かう空の下で、ただ只管に駆け抜けていく。

「つい先日にもマスターと共に見たのだ――“Apocalypse Now”!!まぁ長かったし正直よく分からん映画だったが、あのシーンに関しては実に胸が踊った!!」

 カスターの演説に呼応するように、機内に搭乗する兵士達もドアから上半身を乗り出す。
 左右2人ずつ、合計4人。しゃがみ、中腰――それぞれ器用に姿勢を変えながら、ヘリの前方へと向けてライフルを構えていた。
 彼らも“騎乗”スキルを保有するが故に、飛行中の機体という不安定な足場においても体勢は決して崩れない。

「こんなふうにヘリコプターが空を舞い!!荘厳なる管弦楽を響かせながら、敵を殲滅するのだ!!ふははははははははは!!」

 そして、騎兵隊長の歓喜と共に――。
 搭乗する兵士達が、次々にライフルの引き金を弾く。
 硝煙の匂いと着火の爆音が、夜風の中を駆け抜ける。
 無数の銃弾が、飛翔するベルゼブブ達へと向けて殺到した。

「ナシロさん!!もうほんっとーーーに!!悪魔使いが荒いんですから!!」
「後で好きなもん食わせてやるから!!もう一踏ん張り、頼むぞ!!」

 空中を縦横無尽に飛びながら、紙一重で回避していくベルゼブブとその眷属。
 虚空にて主従の悪態と激励が交差する中、高乃河二は無言で迫り来る敵を見据える。

 綱渡りの作戦、一つでも掛け違えれば全ては破綻していた。そんな状況を乗り越えて、河二達は“魔女の茶会”からの離脱を果たした。
 しかし、試練はまだ終わらない。これより先は無策の撤退戦。
 何の勝ち筋も無ければ、確たる打開策も存在しない。それでも、自分達の力で此処を切り抜けなければならない。


 ――――“将軍”の到着まで、もう少し。
 ――――戦禍の幕引きまで、残り僅か。





888 : ワルキューレが来る ◆A3H952TnBk :2025/02/01(土) 14:18:06 9fRoTWcA0



 情報の入手を頼まれたカスターだが、初めから武力行使を前提にして追跡を開始していた。
 どのように追いかけようとも、あの少年少女のマスター達は間違いなく“逃げの一手”を打つと判断したからだ。

 代々木公園において、彼らは何故アサシンのみを連れていたのか。もう一騎は何処に居たのか。
 十中八九、あの説得の場に“蝗害”と“仁杜のキャスター”を割り込ませないための足止め役を努めていたのだろう。カスターはそう推測していた。

 “蝗害”も参戦する戦場での足止め役を任されたことからして、アサシンを超える戦力であることは間違いない――同盟の“主力”である可能性は極めて高い。
 そしてあれだけの魔力の衝突に加えて“蝗害”ですら梃子摺る程の激戦となれば、“もう一騎”も間違いなく相応の消耗を経ている。
 即ちあの少年少女の陣営は今、万全の状態ではないのだ。

 そして“もう一騎”こそが主力であるならば、裏を返せばあの“悪魔のアサシン”は足止め役を果たせるだけのサーヴァントではないことを意味する。
 思えば先程の戦闘においても、アサシンには不審な部分があった。

 ――ヤツは何故、“あの光弾”を乱射した?

 あれだけの強大な魔力を備えた光弾を放ち、一度はカスターをも戦慄させたのだ。
 にも関わらずベルゼブブは突如として“当てに行くこと”を放棄し、使い魔さえも巻き込む無差別爆撃を開始した。
 
 振り返ってみれば随分と奇妙だった。あの乱射によって、確かに戦局は混乱に陥った。
 だが実際のところ、あの一連の行動は撹乱を目的としていたのか?きっと違うだろう。
 無意味かつ乱雑なフレンドリーファイアを繰り返していたことも含めて、殆ど場当たり的な暴走のように見えた。

 有り体に言えば“まるで新兵のようだ”と、カスターは思ったのである。 
 小さな成功体験や一時の功績で増長し、調子に乗り始める青二才。ベルゼブブの狂喜乱舞を見たカスターは、米国陸軍にも度々いた“そういうお調子者”の姿を連想したのだ。 
 自分も人のことはあまり言えないかもしれないなぁ――などと思いつつも、とにかくカスターはベルゼブブという英霊に対して言い知れぬ違和感を抱いたのだ。


889 : ワルキューレが来る ◆A3H952TnBk :2025/02/01(土) 14:21:03 9fRoTWcA0

 カスターは“ロキ”の本質を見抜けるだけの洞察を持っているが故に、あのアサシンの不審さにも気付くことが出来た。
 恐らく奴は“場馴れ”していない。何かのトリックか、あるいはハッタリがある。
 あの光弾も、基本的にはまともに当てることさえ期待できない代物なのではないか。
 真に強い英雄は“足止め役”の方であり、アサシンは魔力の大きさが示すほどの脅威ではない可能性が高い。 

 ――話を戻そう。
 アサシンは恐らく主力足り得ず、“もう一騎”も多大な消耗が予想されている。
 そんな万全の戦力状態ではない陣営が、明らかな余力を残した陣営との“話し合い”に勧んで臨むだろうか?
 答えは否である。“敵側の優位が明確な状況で交渉のテーブルに座れば、まず不利益は避けられない”――相手はそう考えるだろうとカスターは判断していた。

 故にカスターは“相手はまず逃げる”と考え、躊躇わず攻勢に出た。情報を得るための手段として、敵の鎮圧を選んだのである。
 そもそも騎兵隊から逃げ延びたインディアンだって、また追手が来たなら有無を言わさず“逃げる”に決まってるのだ。
 この英霊、必要と判断すれば常に大胆不敵。強かにして無鉄砲。己の令嬢(マスター)とは時に真逆だが、故に互いに補完を果たすのだ。

 追うことには慣れている。
 あの果てなき荒野で、先住民どもをずっと追い続けたのだから。
 それが第7騎兵連隊。それが米国の誉れ高き戦士。
 今回もそれと同じ。何も変わりはしない。
 相手が健気な“日本人(ジャップ)”になっただけのこと。

「例え蛮族であろうと、敵が勇敢であるのは良いことだ。敵が気高いのは良いことだ。それこそが“英雄”の敵に相応しいのだから」

 ――――いつも通り、堂々たる姿で。
 ――――幕引きの凱歌を上げてやろう。





890 : 名無しさん :2025/02/01(土) 14:21:49 9fRoTWcA0
前編投下終了です。
キリが良いので一旦ここで分割させていただきました。


891 : ◆0pIloi6gg. :2025/02/02(日) 01:18:58 RzFsPUzY0
アンジェリカ・アルロニカ&アーチャー(天若日子)
悪国征蹂郎&ライダー(レッドライダー(戦争))
アルマナ・ラフィー
アサシン(継代のハサン)
神寂祓葉 予約します。


892 : ◆A3H952TnBk :2025/02/07(金) 23:53:30 iAFzXPyM0
続きを投下します。


893 : ワルキューレが来る(中編) ◆A3H952TnBk :2025/02/07(金) 23:55:46 iAFzXPyM0



 身体が、酷く重い。
 視界が、震える。
 意識が、陽炎のように揺らぐ。
 疲弊と消耗が、延々とこの身を苛む。

 そのうえで、駆け抜けていくしかない。
 今はただ、我武者羅に往くしかない。
 この先に、“彼ら”が居るのだから。
 己のマスターとその同盟者が、待っているのだから。

 蝗害と幻術の王。彼らとの“死線”を潜り抜けた。
 これまでに経験したことのない、熾烈な戦局へと身を投じた。
 援護を得た上で乗り越えたものの、傷も疲労も間違いなく大きい。
 こうして動けるのも、“戦闘続行”スキルの恩恵によるものであり。
 何より、英傑としての並外れた気力によって果たされていた。

 万全の状態のように、迅速な移動は出来ない。
 マスター達もまた“撤退戦”に縺れ込み、移動し続けている。
 己が身の疲労を顧みれば、即座の合流は行えない。
 恐らくは、暫しの時間が生じることになるだろう。

 それでも、少しでも早く――辿り着かなければならない。
 彼らは今まさに、窮地に追い込まれようとしている。
 そんな中で、彼らは抗い続けている。
 だからこそ、己が立たねばならない。
 マスター達の奮闘を信じつつ、彼は無我夢中で進み続ける。

 あの交差点での混沌の死闘を経て。
 “将軍”は休む間も無く、次なる舞台へと向かう。





894 : ワルキューレが来る(中編) ◆A3H952TnBk :2025/02/07(金) 23:56:54 iAFzXPyM0



 ぶろろろろろろろろろろ――。

 日没を経て、夜へと突入した東京の市街地。
 その上空――数十メートルの高度を、複数の影が勢いよく飛翔する。

 アサシンのサーヴァント、ベルゼブブ。その眷属である悪魔。
 それぞれナシロと河二を抱え、夜空を駆け抜けていく。

 そんな彼女らを追跡する、白い巨影――白い機体。
 けたたましいプロペラ音を掻き鳴らしながら、ヘリコプターが追跡する。
 搭乗者、ライダーのサーヴァント。カスター将軍である。

 代々木公園に端を発する戦局を経て、この追走劇は幕を開けた。
 街の上空が戦場と化す。地上から見上げる世界が、撤退戦の舞台と化す。
 星の海を思わせる街の輝きを眺める余裕など、彼らにはなかった。

 逃げるベルゼブブの片手から、振り向きざまに次々と放たれる光弾。
 ろくに狙いは定まっていないが、それでも撹乱気味に連射すれば十分な脅威となり得る。

「ふはははははは!!闇雲に撃ちまくっても無駄だ!!
 君のタネは既に理解しているからな、悪魔よ!!」

 しかしカスターはまるで臆さない。怯みもしない。
 勇猛なる“カスター・ダッシュ”の敢行。
 そしてスキル『ラストスタンド』の恩恵により、彼には強運が憑いている。
 
「先の公園で私を退かせた“あの一撃”は奇跡に過ぎない!!
 当たれば怖いが、君は“当てられない”のだろう!?
 当てるだけの技量も経験もないのだろうッ!!」

 照準も定まらずにあちこちへ飛び交う光弾に惑わされることなく、ヘリコプターを操りながら高速前進を続けていた。
 時には一部の光弾が機体へと命中しかけるが、それらも巧みな操縦技術によって機敏に回避していく。

「当たらない砲弾など恐れるに足らず!!この私は決して臆さない!!ハッタリで私に挑もうなど、百年早いと言えるッ!!」

 必死に乱射するベルゼブブの感情を逆撫でし、翻弄するようにカスターは弁舌で煽り続ける。
 その振る舞い、その言動、その堂々たる姿さえも武器として振りかざす。

「――撃て!!撃て!!弾の節約はもはや必要ないッ!!」

 そして、反撃と言わんばかりに――兵士達が再びライフルを連射した。
 放たれる数多の鉛玉は、空へと散る光弾の嵐よりも遥かに正確にベルゼブブ達を狙う。

『アサシン!!怯むことはない、ただの銃弾だ!!』
『わかってますよぉ!!』

 念話でナシロからの鼓舞を受けながら、迫る銃弾をベルゼブブは躱し続ける。
 放たれた鉛玉は風を切り、獲物を捉えることもなく虚空へと消えていった。

 動きを止めれば、敵の銃弾が襲い来る。
 地上へ逃げれば、騎兵隊との連携攻撃が叩き込まれる。
 故にベルゼブブ達は、飛び続ける他ない。


895 : ワルキューレが来る(中編) ◆A3H952TnBk :2025/02/07(金) 23:57:28 iAFzXPyM0

 1秒間に200回もの羽ばたきを行い、瞬きの数百倍の瞬発力で危機を回避する――。
 そんなハエの特性が曲がりなりにも英霊のスケールに押し込まれたことで、ベルゼブブは高い機動力を発揮していた。
 そして飛び道具による攻撃手段を持たない眷属は徹底して回避行動に専念し、河二を守り続けている。
 眷属もまた、代々木公園では騎兵隊の銃弾を躱せるだけの敏捷性を備えていた。

「はっはっはっは!!逃げ足が早いようだが――――」

 ベルゼブブ達は飛翔しながら攻撃から逃れている。
 カスターはヘリコプターへの被弾を避けるべく一定の距離を保ったまま追撃を続けている。
 膠着状態、互いに攻め手に欠けたまま数分程度の駆け引きを繰り広げていた。
 しかし、より攻勢へと出る余地があるのは、明確にカスターの側である。

「――――私も、逃げる敵を追うのが好きだッ!!!」

 当てに行く感覚を取り零したまま、飛行と攻撃を同時に行わねばならないベルゼブブとは違う。
 カスターはあくまで操縦に徹し、攻撃は“騎乗”スキルの恩恵で安定した狙撃が行える使い魔の兵士達に専念させられる。
 一定の制空圏を得たうえで余力を残すカスターは、ベルゼブブ達に対し幾らでも揺さぶりを掛けられるのだ。

『というか、ナシロさん!!あいつたぶんスキルとか持ってます!!』
『どういうことだ!?』
『わたし、さっきから小出しで“威圧”使ってたんですけど!!タネ割れてるの抜きにしてもあんま効いてないんですよ!!』

 銃弾を躱していく中で、ベルゼブブはナシロへと念話を飛ばし続ける。
 そう、小出しとはいえ悪魔は既に己の判断で“不穏の羽音”を発動させていた。
 それは“威圧”による足止めを行い、敵にこれ以上の制空圏を握らせないため。
 そして攻撃するか撤退するにせよ、こちら側が先手を打つための活路を見出すための判断だった。

 しかし、敵はまるで怯まない。隙を見せない。
 既にベルゼブブの本質を見抜きかけているのも要因としてあるが、それだけではない。

『なんていうか、あのライダー!!ええっと、あれ、あれです!!精神干渉耐性あります!!』
『――――分かった、なら尚更踏ん張ってくれ!!』

 ベルゼブブからの見立てを伝えられ、ナシロは唇を噛みながら焦燥する。
 思わぬ形での相性の悪さが露呈し、迫り来るヘリコプターを忌々しげに見据えた。


896 : ワルキューレが来る(中編) ◆A3H952TnBk :2025/02/07(金) 23:58:20 iAFzXPyM0

 カスターの保有スキル『猛進の騎兵隊』は複合スキルであり、精神干渉を跳ね除ける『勇猛』の効果を内包する。
 ベルゼブブのスキル『魔王(偽)』にはランクで一歩劣るものの、それでも魔王の権能によ“威圧”を大きく軽減していたのだ。
 更にカスターはスキル『誉れ高き勇士』によって兵士達の士気も高め、軍勢全体に擬似的な精神耐性の効果を発生させていた。

 ナシロは距離を取りながら追跡を続けるヘリコプターを見据えて、焦るように思考する。
 敵は先程から明らかに間合いを取り続けており、何度か接近を試みても即座に離脱され反撃を仕掛けられるばかりだった。

(――危機察知のスキルか何かも持ってるのか?ヘリコプターの反応も機敏すぎる)

 明らかにこちらの行動を読んでいるか、あるいは迫り来る危険を察知しながら動いている。
 より至近距離への肉薄、あるいは死角に潜り込んで光弾を命中させることも考えた。

 敵のスキルにもよるが、不可能ではないだろう。
 だが基礎ステータスの低いベルゼブブでは、過度な接近戦を挑むことも命取りになりかねない。
 されど、この場で有効な攻撃手段を備えるのもまたベルゼブブのみ。

 ちらりと視線を動かし、ベルゼブブの眷属を見た。
 ベルゼブブより更に格の低い眷属は、河二を守るためにとにかく回避に徹している。
 そのうえ河二は徒手空拳の使い手――あのヘリコプターへの有効打を与えにくい。

 ――どうする。
 ナシロは思案する。
 このまま時間稼ぎに徹するか。
 それとも攻勢に出るべきか。
 焦燥の中で、鋭い夜風が頬をなぞる。

 そうして、思考を重ねていた矢先。
 ナシロ達の意表を更に突くように。
 ヘリコプターの側面から、突如として“何か”が射出された。

「――――は……!?」

 ナシロは目を見開く。
 堪えていた驚愕を、表情に滲ませる。

《Garry Owen,Garry Oweeeaaahhhhh――!!》

 それは、軍馬に乗った騎兵だった。
 ヘリコプターの側面から、騎兵が勢いよく射出されたのだ。
 ベルゼブブはぎょっと目を丸くしながら、機敏な飛行で騎兵を回避。
 躱された騎兵はそのまま真っ逆さまに落下し、絶叫を上げながら霧散し消滅する。


897 : ワルキューレが来る(中編) ◆A3H952TnBk :2025/02/07(金) 23:59:24 iAFzXPyM0

 ――何だ、今の。
 ナシロは思わず呆けたように思う。
 そんな唖然の直後、立て続けに攻撃はやってくる。

《Garry Owen,Garry Oweeeaaahhhhh――!!》
《Garry Owen,Garry Oweeeaaahhhhh――!!》
《Garry Owen,Garry Oweeeaaahhhhh――!!》

 空中にて疾走中の騎馬状態で召喚され、その勢いと共に射出される騎兵隊。
 彼らは召喚時の勢いによって、ごく短距離のみ“滑空”を果たす。
 無論、直後に待ち受けるのは地上への落下。そして消滅。
 空中で召喚したからといって、彼らは自由に飛翔できたりはしない。
 翼を持った訳でも、突如飛べるようになった訳でもないのだから。

 しかし、騎兵が短距離とはいえ“勢いに任せて射出される”のだ。
 ただそれを敵にぶつけるだけでも――質量を伴った飛び道具になり得る。

「高乃ッ!!」
「琴峯さん!!こっちは自力で対処する!!」

 飛んでくる騎兵をベルゼブブに回避させながら、ナシロは河二へと向けて叫ぶ。
 彼を抱える眷属もまた、飛来する騎兵達を躱していくが――連鎖的な攻撃により、回避が間に合わず。
 激突しかけた騎兵の一体に、河二は霊木の義手によるカウンターの一撃を咄嗟に叩き込む。
 魔術礼装の拳撃を受けて、騎兵は消滅する。
 されど激突の衝撃により、河二達もまた空中で後方へと仰け反る。

「騎兵隊!!我が伝説の象徴であり、魔力の続く限り召喚可能な使い魔でもある!!
 つまり、補給を気にせず撃ちまくれる砲弾のようなもの!!なんでも活用するのがアメリカ式だ!!」

 射出される騎兵隊に翻弄されるナシロ達。
 そんな彼女らを愉快な様子で眺めるカスター。

 カスターの召喚する騎兵隊は、魔力の許す限りは自在に召喚が出来る。
 軍団戦を挑む騎兵隊の性質に加え、カスター自身の霊格の低さも相俟って、その規模に反して魔力のコストが小さい。
 よってある程度無策に呼び出しても魔力は枯渇しにくいし、単独行動スキルによって自前の魔力も幾らか回せる。
 つまり、カスターは遠慮なく騎兵隊を射出できるのだ。


「喰らえッ――――『騎兵ミサイル』だ!!!」


 そして、カスターが叫ぶ。
 彼に躊躇いはない。使えるものは何でも使う。
 ただ、それだけである。


898 : ワルキューレが来る(中編) ◆A3H952TnBk :2025/02/08(土) 00:00:18 P8gYYzWw0

《Garry Owen,Garry Oweeeaaahhhhh――!!》
《Garry Owen,Garry Oweeeaaahhhhh――!!》
《Garry Owen,Garry Oweeeaaahhhhh――!!》

 直後にヘリコプターの周囲から、“栄光の砲弾”が次々に放たれる。
 つまり、肉弾である。無限弾の特攻兵器である。
 空中で射出された騎兵隊が、回避を続けるナシロ達へと迫った。

『ナシロさん!!あいつ何なんですか!?ナントカ将軍!!マジで訳わかんないですよ!!』
『同感だよ、さっきから無茶苦茶だ……!!』

 質量と勢いを伴った騎兵の肉弾が迫っては、それを必死で回避していく。
 時おりヤケクソの光弾による当てずっぽうで騎兵を吹き飛ばしているものの。
 それでも次弾がすかさず放たれる。それらを躱し、凌ぎ続けるしか出来ない。

「――そうら、撃て!!撃て!!」

 そして、波状攻撃が飛んでくる。
 騎兵ミサイルを回避した矢先に、銃弾が放たれた。
 隙を突かれたベルゼブブの身体に、何発かの弾丸が掠る。

「アサシン、大丈夫か!?」
「ちょ、直撃は何とかっ!!」

 幸い命中はしなかったが、ベルゼブブも焦っている。
 回避だけに専念すればいい眷属とは違う。
 彼女の場合、攻撃も回避も共にこなさねばならない。
 ベルゼブブの火力のみが、ヘリコプターを撃墜する余地を備えるのだから。

「どうした!!先の戦いのように当てたまえよ、悪魔め!!
 それともこの程度で限界かね!?ふははははははは!!」

 しかし、いずれは限界が訪れる。
 猛攻と追撃に集中するカスターが有利であることに変わりはない。
 このままではジリ貧は避けられない。
 逃げ切る前に、敵の猛攻がこちらを押し潰すだろう。


899 : ワルキューレが来る(中編) ◆A3H952TnBk :2025/02/08(土) 00:01:05 P8gYYzWw0

 ギリ、とナシロは歯軋りをする。
 上空の冷たい風に吹かれながら、敵を睨む。

 全く予期しなかった空中戦に追い込まれ、じりじりと追い込まれている。
 ランサーはいずれ到着する。しかし、それまでに耐え切れるのか。
 あの騎兵隊長の攻撃を、切り抜けられるのか。

 ――そんな思考を重ねてながら。
 ――ナシロは、河二へと視線を向けた。

 その時、ナシロは気づいた。
 河二もまた、こちらへと視線を向けていたことに。
 何かを訴えかけるように、目配せをしている。

 空中。宵闇。その彼方で、垣間見えた眼差し。
 河二がこちらに向けて送ったアイコンタクト。
 それが意識へと焼き付いて、ナシロは目を丸くする。

 やがてナシロは、察したように。
 意を決するように、表情を引き締める。
 何をすべきなのかを、彼女は受け取った。

 ――高乃。
 ――そういうことで、いいんだよな。

 この判断が正解なのか。
 それさえも、分からない。
 だけど――今はただ、信じるべきで。
 河二から受け取ったものは、信じるに値する。
 ただ、それだけだった。それで十分だった。
 故にナシロは、念話を送る。

『アサシン』
『は、はい』
『ガンガン行くぞ。強気に出る』
『はい?』





900 : ワルキューレが来る(中編) ◆A3H952TnBk :2025/02/08(土) 00:02:04 P8gYYzWw0



 聖杯戦争で、普通はヘリコプターを飛ばさない。
 高火力戦闘を行えるサーヴァントに対し、ヘリという代物は基本的に不利である。

 的が大きく、小回りも効かず、死角からの攻撃にも対処し切れない。
 その割に防御も耐久もサーヴァント相手には紙同然、一撃を貰えば沈む可能性が高い。
 しかもプロペラのせいで常に騒々しい。

 普通は飛ばさない。飛ばす強みが薄い。飛ばす意味も乏しい。
 神格の域に到達する英霊からすれば、この偉大な文明の利器は“鉄屑”に等しい。
 それも空を飛ぶだけの、デカくて騒がしい鉄屑である。

 しかしカスターは、そんな道理を平気で蹴り飛ばす。
 目立つばかりの鉄屑さえも、嬉々として乗りこなす。
 彼は騎乗スキルによって、機体の限界を超える程の卓越した操縦技術を発揮している。
 そこに保有スキル『ラストスタンド』の効果を上乗せさせ、強引にドッグファイトを成立させていた。

 カスターのスキル『ラストスタンド』はあらゆる攻撃の被弾率を大幅に低下させる。
 更には自らに降りかかる致命傷を高確率で回避する効果を持つ。
 その恩恵により、カスターのヘリコプターは驚異的な回避能力を発揮し続けている。
 
 カスターはアサシンが“ハッタリの英霊”であることを見抜いている。
 所詮は当たらぬ光弾しか放てぬ、ハリボテの悪魔に過ぎない。
 そのマスター達も効果的な対空攻撃の手段を持ち得ないことを、先の戦闘で理解した。

 故にカスターは、極めて強気だった。
 大胆にして慎重に、敵を追い詰めていた。
 自らの能力と状況に裏付けされた、勇猛果敢なる態度。
 それこそが、この鉄屑を凶暴な騎馬へと昇華させていた。


901 : ワルキューレが来る(中編) ◆A3H952TnBk :2025/02/08(土) 00:03:04 P8gYYzWw0

 兵士達の銃撃と、騎兵による特攻ミサイル。
 二重にして無尽蔵の攻撃力を得たことで、カスターは一層攻勢を強めていた。
 最早逃げては攻撃を凌ぐだけで手一杯のアサシン達を追い詰めるのは容易い。
 そうしてカスターは、果敢な突撃を続けていたのだが――。

 直後にカスターは、ほんの少しだけ意表を突かれる。
 ――光弾ではない。飛来したのは、黒い投擲剣。
 その刃が勢いよく、フロントガラスに激突したのだ。

 それは退魔礼装、通称“黒鍵”。
 聖堂教会の刺客、代行者が使用する武装。
 琴峯ナシロが唯一“投影”できる、過去との繋がりの証。

 ナシロが放った“黒鍵”は、ガラスを僅かに傷付けたのみだった。
 操縦席のカスターに届くこともなく、そのまま魔力として霧散する。

「何だね?この程度か――」

 ナシロの投影魔術は、あくまでこの聖杯戦争で得た付け焼き刃に過ぎない。
 彼女自身も戦闘者としての経験や鍛錬を積んでいる訳ではない。
 “黒鍵”の投擲も半ば生来の感覚、そして魔術的なセンスによって行われていた。

「随分と軽い一撃だなぁ、お嬢さん!!」

 その断片を見抜くように、カスターは嘲るように笑う。
 膂力が足りない。魔力が足りない。
 故にガラスを突き破ることが出来ていない。
 光弾よりは的確に狙いを定めているが、威力が無ければ意味がない。
 幾らヘリコプターを攻撃しようとも、撃ち落とせなければ無意味なのだ。


「投影(エゴー)、開始(エイミー)」


 しかし――そんなことも厭わぬように。
 ナシロは続けて、複数の“黒鍵”を投影。
 両手にそれぞれ三本ずつ。
 指先に“黒鍵”を挟み、照準を定める。

「はぁ――――――っ!!!」

 そして、再び勢いよく投擲した。
 その手に握った計六本の剣を、立て続けに放った。


902 : ワルキューレが来る(中編) ◆A3H952TnBk :2025/02/08(土) 00:03:41 P8gYYzWw0

「それが何だ!!?その程度で私を止められると!!?」

 二度目の“黒鍵”を前に、カスターは高笑いで応える。
 回避するまでもない。こんなもの、撃ち落とせばいいのだ。
 機内から身を乗り出した兵士達が、すかさずライフルを連射した。
 次々に放たれる弾丸が、六本の黒鍵を容易く撃墜していく。

「投影――――!!」

 されど、ナシロは手を止めない。
 再び“黒鍵”を投影。両手に握り、構える。
 そのまま矢継ぎ早に、ヘリ目掛けて投擲を行う。

「無駄な足掻きをッ!!!」

 先程と同様に、カスターは兵士達に指示を出す。
 容赦なき銃撃が、“黒鍵”を次々に撃ち落とす――。
 しかしカスターは、その最中に気づく。

「投影――――!!」

 諦めを振り切るように、“投影魔術”を繰り返すナシロ。
 絶え間のない投擲。それもまた、騎兵の銃撃に防がれていく。

「投、影――――ッ!!!」

 そして、彼女を抱えたベルゼブブは――ヘリコプターへと向かっていた。
 ナシロが攻勢を強めると同時に、ベルゼブブもまた前へ前へと突き進んでいく。

「まだまだ、行くぞッ!!!」

 ナシロが“攻撃”を務め、ベルゼブブが“足”に徹する。
 そうして二人は、先程よりも遥かに鋭く飛翔を行う。

 狙うは、カスター将軍。目指すは、ヘリコプター。
 最早逃げるつもりはない。此方から、一気に仕留める。
 ――そう言わんばかりの姿勢に、カスターは不敵に笑う。

「攻めてくるか――その勇気、潔しッ!!」

 カスターは操縦桿を巧みに操り、ヘリコプターを“戦術的に後退”させる。
 迫るベルゼブブから迅速に距離を取りつつ、兵士達が銃撃で牽制。
 そして今度はナシロは“黒鍵”の投擲によって銃撃を相殺した。


903 : ワルキューレが来る(中編) ◆A3H952TnBk :2025/02/08(土) 00:04:44 P8gYYzWw0

 ベルゼブブは前へと出る。前へ、前へと。
 耐えず“投影”を行うナシロと共に、進撃する。
 銃撃を掻い潜りながら、彼女達はカスターへと到達せんとする。

《Garry Owen,Garry Oweeeaaahhhhh――!!》
《Garry Owen,Garry Oweeeaaahhhhh――!!》
《Garry Owen,Garry Oweeeaaahhhhh――!!》

 そんなベルゼブブ達を阻むように、再び姿を現す“肉弾”。
 空中で召喚されて射出される騎兵隊。そう、騎兵ミサイルだ。
 彼らは勢いよく飛び出し、滑空し、その質量によって突進する。

「撃て、アサシンっ――!!」

 直後、眩い閃光が迸った。
 飛び出した騎兵達が、光に包まれて爆散したのだ。

 至近距離まで肉薄した騎兵ミサイル。
 彼らへと目掛けて、ベルゼブブが光弾を乱射した。
 光弾に飲まれた騎兵達は、なすすべもなく粉砕され消し飛ばされるのみ。

 ベルゼブブの光弾は、ろくに当てることができない。
 コツを掴めば“いける”とはいえ、先の土壇場でそれすらも取り零してしまった。
 しかし、威力の高さと規模に関しては常に安定している。
 即ち、“当てれば破壊力が高い”ことに変わりはないのだ。

 故にナシロは、光弾を咄嗟の防御手段として利用した。
 眼前まで迫ってきた騎兵隊を突き破るための迎撃武器。
 結果として功を成し、ベルゼブブは更なる突撃を続けた。

 高速で飛翔して迫るベルゼブブは、真正面から光弾を連射。
 エイムは滅茶苦茶だが、接近したうえで放てば撹乱の手段にもなり得る。
 まるで火の粉が散るように飛び交う光弾を、カスターは舌打ちと共に見据えた。

「攻勢に出て、この私を翻弄する気かね!?
 いいアイデアだ!!だが、甘いぞッ!!」

 流星のように飛び交う光弾――しかしカスターは、敢えて正面へと突撃。
 スキルによる危機回避と卓越した操縦技術を駆使して、射手であるベルゼブブへと迫る。
 そのまま命中寸前になるまで迫ったところで、俊敏な動きで“すれ違っていく”。

 暴風が吹き抜ける。荒れ狂う気流が駆け抜ける。
 ベルゼブブの真横をすり抜けるように、ヘリコプターは通り過ぎていった。


904 : ワルキューレが来る(中編) ◆A3H952TnBk :2025/02/08(土) 00:05:57 P8gYYzWw0

「――――行くぞ、アサシン!!」
「わ、わかりましたってばぁ!!」

 そうしてヘリは“背中”を晒す。
 咄嗟にカスターが認識できない背面。
 そのままベルゼブブは瞬時に振り返り。
 そして間髪入れず――高速機動をする。

 色んな焦りと不安と噛み殺しながら、小さな悪魔は飛ぶ。
 この蠅の少女は、本来ならまともな戦闘センスを持たない。
 しかしナシロの指揮が加わることにより、彼女は必死になりながらも戦い抜いていた。

「頑張れ、掠るくらいなら平気だ!!」
「掠っても割と痛いんですよ!?」
「ツバつけりゃ治るだろ――!!」
「治りませんからね――!?」

 そしてベルゼブブは、兵士達の弾丸を躱しながら。
 突進と共に高度を下げつつ、ヘリコプターの真下へと潜り込まんとした。
 操縦によって機体の向きを転換させながら、カスターはベルゼブブの行動に気づく。

「ほう、機体の下から一撃を叩き込むつもりか!?」

 機体の真下という、まさに死角からの攻撃。
 そこまで肉薄すれば、あの光弾も命中させられるだろう。
 カスターは敵の意図に気づき、咄嗟に操縦桿を操る。

 狙うは高度の上昇。ベルゼブブの近距離からの離脱。
 騎乗スキルの恩恵によって、限界を超える性能を引き出している。
 これしきの迅速なる行動も容易い。所詮は無駄な足掻きだ。

「幾ら当てに来ようが無駄だ!!無駄なのだッ!!」

 ベルゼブブから素早く距離を取りながら、カスターは高らかに告げる。
 機体のプロペラが、猛速で回転を続ける。
 
「攻勢に出れば、いつかはチャンスを掴めると思ったかね!?」

 カスターは考える――アサシン達は、とにかく攻撃を当てたいのだ。
 一撃さえ叩き込めばヘリを撃墜できる。そのように考えているのだろう。
 だから無謀な突撃を繰り返し、絶え間ない波状攻撃で攻め立てている。


905 : ワルキューレが来る(中編) ◆A3H952TnBk :2025/02/08(土) 00:09:40 P8gYYzWw0

「躊躇いなき前進!!それは確かに美しいものだ!!
 しかしッ、無意味である!!この私の前ではな!!」

 カスターはそう推測した。故に、それを無意味だと断じる。
 所詮は悪あがき。ただの時間稼ぎに過ぎない。
 ハッタリの英霊に過ぎないアサシンと、投影以上の攻め手を持たないナシロ。
 彼女達の攻勢など、恐れるに足りない。

「付け焼き刃の勇猛さで、私を超えることはできない!!」

 結局は当たらなければどうということはない。
 自分には強運が憑いていると、カスターは自負している。
 アサシン達の稚拙な攻撃を凌いだ末に、こちらが再び反撃に転じればいいだけのこと。

「尤も、その度胸さは誉めてやりた――――」

 勝ち誇るように、不敵に笑うカスター。
 しかし、唐突に――機体がガクンと揺れた。

「――――む!!?」

 カスターは、違和感に気づいた。
 機体が揺れた瞬間、打撃のような音が聞こえた。

「何だッ!!!」
 
 奇妙な胸騒ぎが、去来した。
 そして、次の瞬間だった。


「無意味な努力なんかじゃない」


 声が、割り込んできた。
 少年の声が、鮮明に。


「彼女達のおかげで――――」


 カスターは咄嗟に振り返った。
 飛び込むように機内に乗り込んだ“影”がいた。
 それから、間も無く。


「――――拳が届く距離まで、辿り着けた」


 機内の兵士達が、宙へと吹き飛ばされた。
 若き拳士の放った、閃光のように鋭い掌底。
 その連撃が、カスターの使い魔達へと叩き込まれたのだ。

 琴峯ナシロの同盟者、高乃河二。
 彼はヘリコプターの機内へと飛び込んだ。
 そして奇襲と共に、瞬く間に兵士達を体術で制圧したのだ。


906 : ワルキューレが来る(中編) ◆A3H952TnBk :2025/02/08(土) 00:13:37 P8gYYzWw0

 ベルゼブブ達が囮を務める中で、彼は眷属と共に距離を取っていた。
 彼女らが陽動を務めて注意を引く中で、隙を窺い続けた。
 そしてベルゼブブによる死角への接近をカスターが回避した直後、河二は行動に出た。

 カスターがベルゼブブ達に意識を向け切った隙に、眷属にヘリの側面へと接近させ。
 そして――河二を勢いよく、放り投げさせたのだ。
 自身が空中戦に割り込む余地を持たないという敵側の認識を逆手に取り、大胆な奇襲へと乗り出した。
 義手の防御によって弾丸を凌ぎつつ、飛び込むように機内へと突撃。
 突入の際に吹き飛ばした兵士に加え、残りの兵士達も次々に斃したのである。

 ――“先程と同じように、自分は機を伺う”。

 高乃河二は先のアイコンタクトで、琴峯ナシロにそう伝えていた。
 ほんの一瞬、僅かな視線の交錯。刹那の合間の伝達。
 それだけのアクションに過ぎなかった。

 しかしナシロは、河二の意図をすぐさま理解した。
 河二が何を為そうとしているのかを、彼女は察したのだ。
 それは両者が互いの信念と意志を共有し、死線を乗り越えたからこそ。
 二人の間には、確かな信頼と共鳴が存在していた。

 故にナシロは、ベルゼブブと共にすぐさま攻勢へと出た。
 ヘリに対する攻撃手段を持つのはベルゼブブのみ――そんなカスターの認識を利用し、陽動役を引き受けた。
 “黒鍵”の連続投影から、ベルゼブブの機動力による接近。
 積極的に攻勢へと出たことでカスターの意識を集中させ、河二が攻めるための隙を作り上げたのだ。

 結果として、その目的は果たした。
 ナシロ達が囮を務め、隙を見出した河二が機内へと突入。
 奇襲からの鉄拳によって、銃の射手を務めていた兵士達を瞬く間に鎮圧した。

「乗り込んでくるか、少年――ッ!!」

 カスターはすぐさま拳銃を抜いた。
 操縦席の背もたれから身を乗り出すように、銃を構える。
 そのまま引き金を弾き、背後にいる河二へと目掛けて発砲した。
 ――しかし、それは咄嗟の行動である。
 それ故に、その動きは精細を欠く。

 銃弾が、河二を捉えることはなかった。
 否、違う。瞬きの間に河二が肉薄し、その右腕を振るっていたのだ。
 そして銃を抜いたカスターの左腕を、疾風のような動作で瞬時に逸らした。
 英霊の虚を突き、拳士は攻撃を凌いだ。 

 それ自体が修行器具。それ自体が魔力礼装。
 高乃の一族に伝わりし霊木製の義手――『胎息木腕』。
 霊的な“呼吸”によって使用者の鍛錬を促し、そして高効率での自己強化を実現する。
 武術の才を持つ河二は、その力を最大限に引き出して行使してみせる。
 気功によって高められた体術は、例え一瞬だけでも英霊を出し抜いたのだ。

「さあ、後は――――」

 カスターの隙を突くも、河二は深追いはせず後退。
 そのまま彼は、何の躊躇いもなく。
 ――野晒しにされたドアから、機外へと飛び降りた。


「――――任せたぞ、ランサーッ!!!」


 河二の呼び掛けが、虚空に木霊する。
 風を切るように、空中を落下していく。
 そんな彼の身体を受け止めるべく、ベルゼブブの眷属が先回りするように飛翔していた。
 既に織り込み済み。“そう動いてくれる”ことを、彼は信用していた。
 故に躊躇いも何なく、行動に出たんだ。
 
 そして河二は、指示を下した。
 帰還を果たした“英霊”へと、最後の攻撃を委ねた。
 陽動役を務めたのは、ナシロだけではない。
 河二自身もまた、最後の囮だったのだ。


907 : ワルキューレが来る(中編) ◆A3H952TnBk :2025/02/08(土) 00:14:34 P8gYYzWw0

 河二に気を取られていたカスターは、咄嗟に周囲の状況を確認しようとした。
 次の兵士を召喚している暇はない。
 己の五感を頼らなければ、恐らく間に合わない――。

 そして、次の瞬間。
 ヘリコプターの機体が、大きく揺れ動いた。

「何だ――――!?」

 カスターは、驚愕と共に声を上げる。
 滞空状態だった機体が安定を失い、その振動に揺さぶられる。
 鉄や機器が軋むような音が、各所から木霊する。

 その矢先、ヘリのフロントガラスが砕け散る。
 何処からともなく飛来した槍が、窓を突き破ったのだ。
 カスターは目を見開きつつ、咄嗟に強運での回避を果たす。

 しかし、それだけではない。
 まるで獲物を仕留める獣のように、幾つもの槍がヘリコプターの機体を穿っていた。
 鋭い刃の群れが鉄製の胴体を抉り、亀裂が入る勢いで喰らいつく。

 それは生半な武器とは違う。その一振り一振りが英霊の神秘、伝説の具現。
 空を飛ぶ“人類の叡智”を撃ち落とすことさえも、不可能ではない。

 ヘリコプターが攻撃を受けた矢先。
 地上より空中へと目掛けて躍動する影が、機体へと向かってくる。
 円盤のように飛び交う“足場”を蹴り続け、その影は跳躍を繰り返す。

 彼は指揮を取る。円盤――否、複数の“丸盾”の軌道に乗り続ける。
 その男が命ずるままに、横向きの盾たちは縦横無尽に宙を飛ぶ。
 そして男は、機敏に浮遊し飛び回る盾を蹴っていくことで空へと挑む。


「随分と、粋な英霊じゃないか――――」


 跳躍の連続。人の身で、空へと翔ぶ影。
 その男は、大きな疲弊と消耗を背負いながらも。
 眼前の敵――騎兵が搭乗するヘリコプターを見据えていた。


「人の叡智を操り、天を掴みに行くとはなッ――――!!」


 そして男は、機体の正面まで跳び上がった。
 跳躍の勢いと共に、砕けたフロントガラス部分を掴む。
 そのまま身を屈めた姿勢で、勢いよく機体の前面へと乗り出した。

 深蒼の騎兵服とは真逆の、真紅の外套を纏った“将軍”が参戦する。
 彼こそはランサー――テーバイの指導者、エパメイノンダスである。


908 : ワルキューレが来る(中編) ◆A3H952TnBk :2025/02/08(土) 00:16:52 P8gYYzWw0

「その出で立ち!!貴殿はもしや、“将軍”かッ!!」
「聞いたぜ、あんたもそうなんだろう――カスターッ!!」

 カスターは、視線を交錯させた。
 咄嗟にサーベルを抜くべく、腰に手を掛けた。
 しかし、その行動は叶わず。

 ガラスが砕け散った前方の窓より、幾つもの槍と盾が飛来する。
 そのまま怒涛の勢いでカスターへと激突し、その動きを封じ込める。

 拳銃やサーベルを抜く暇など与えない。
 いや、この場から抜け出すことさえ認めない。
 カスターは必死に抵抗するものの、神聖なる精鋭達は彼の行動を決して許さない。

「ぐ、おおおお――――ッ!!!」

 そのままカスターは操縦席へと強引に抑え込まれるように、盾の障壁によって制圧される。
 制御を失ったヘリコプターから抜け出すことも、態勢を立て直すことも出来ない――!

 そして、エパメイノンダスが跳躍した。
 しがみついていた機体の前面を蹴り、勢いよく空中へと離脱した。
 直後、ヘリコプターが大きくバランスを崩した。
 完全にコントロールを失い、無造作に回転しながら宙を舞っていく。


「さあ、堕ちろ――――ッ!!!」


 もはや、離脱は不可能。
 どれだけ足掻いても、盾がカスターを押さえつける。
 墜落へと向かう機体と共に、彼もまた地へと落ちてゆくしかないのだ。

 一瞬の交錯。一瞬の対峙。
 その果てに、勝敗は決した。


909 : ワルキューレが来る(中編) ◆A3H952TnBk :2025/02/08(土) 00:17:46 P8gYYzWw0

 エパメイノンダスは、跳躍の勢いで滞空しながらヘリコプターを見下ろす。
 徐々に高度を下げる機体。制御の余地など無く、回転と共に傾き続けていく。
 地上に激突するのも時間の問題だろう。幸い、この辺りは今は人気が少ない。
 とはいえ他の“神聖隊の盾”に指示を出し、地上の被害を最小限に食い止めることも当然思考に入れている。

 ヘリコプターの墜落に巻き込まれた程度で、一騎のサーヴァントが消滅へと至ることは無いだろう。
 それでも、飛行能力という厄介な足を奪えただけでも十分な戦果である。
 敵は飛行による追跡能力を失う。アサシンとその眷属による離脱は一気に容易になる。

 疲弊を背負いながら、エパメイノンダスは安堵を抱く。
 熾烈な連戦を経て、虚脱感が押し寄せてくる。
 跳躍の勢いは落ち、既に落下は始まっているが、無事に着地を果たす程度の気力は何とか残されている。

 エパメイノンダスは、視線を動かした。
 それぞれアサシン達に抱えられて飛翔する河二とナシロの安否を確認する。
 彼らもまた、エパメイノンダスの帰還を安心と共に受け止めていた。

「コージ、嬢ちゃん、待たせちまったな――――」
 
 そして、その直後。
 轟音が、響き渡った。

 ――落下しつつあった機体が。
 ――突如として、空中で爆散したのだ。

 宙を舞っていた矢先のことだった。 
 赤熱と衝撃が、波紋のように轟いた。
 ヘリコプターは、瞬く間に爆炎に包まれ。
 機体の破片や残骸が、周囲へと四散する。

 エパメイノンダスは、不意を突かれるように目を見開く。
 瞬時に思考を動かす。眼の前の状況を把握する。


「――――YeeeeeHaaaaaaaw!!!!」


 そして、カスターが爆風と共に飛び出した。
 ――――そう、乗馬状態である。
 咄嗟に茶毛の軍馬を召喚し、纏わりつく盾を強引に跳ね除けながら機体を突き破った。
 そのまま彼は墜落へと向かうヘリコプターを犠牲にし、空中へと勢いよく跳躍したのだ。


「これが――フロンティア・スピリットだァァァァァアアアアアアア!!!!!」


 騎兵ミサイル、最後の一発。
 それはカスター自身である。


910 : ワルキューレが来る(中編) ◆A3H952TnBk :2025/02/08(土) 00:19:01 P8gYYzWw0

 跳躍と爆風の勢いに乗ったカスターは、空中で鋭く迫る。
 驚異的な滑空を果たし、エパメイノンダスの至近距離まで肉薄した。
 緩やかに滞空しながら落下していたエパメイノンダスは、眼前へと飛び出してきたカスターを目の当たりにする。

 それはもはや、火事場の根性だった。
 自らも超人であると吼えるような、傲岸なる意地だった。

「ランサー!!!」

 河二が咄嗟に叫び、令呪を使わんとする。
 ナシロは焦燥と共に、黒鍵を放たんとする。
 されど――――間に合わない。

 カスターは既にエパメイノンダスを“射程圏内”に捉えている。
 エパメイノンダスもまた、迫り来るカスターを見据えている。
 両者の交錯は、最早避けられない――。

 そして、エパメイノンダスは察知した。
 魔力の流れが、揺らいだ。
 魔力の気配が、迸っている。
 それが意味することを、理解した。
 目を見開き、そして己も腹を括った。

 “真紅の将軍”は、即座に判断する。
 ――来る。敵の宝具が解き放たれる。
 生半可な攻撃や防御では、凌ぎ切れない。
 故に、ここで勝負に出なければならない。
 
 ”蒼騎の将軍“は、有無を言わさず断行する。
 ――来た。意地によって敵へ食いついた。
 最早、出し惜しみなどしない。
 故に、ここで一気に勝負を仕掛ける。

 そう、二人の英雄は共に決断した。
 ほんのコンマ数秒。須臾の狭間。
 迷いは無い。迷いを抱く余裕など無かった。
 彼らは、刹那の死地へと踏み込んだ。

「集え!!神聖なる必勝の勇士達よ!!」
「我々は何者だ!?勝利と自由の使徒だ!!」

 そして、時が収束する。
 
「友誼と愛情こそが我らの力!!我らの祖国!!」
「我らはアメリカだ!!アメリカなのだッ!!」

 星々の下、墜ちゆく戦場の中で。

「どんな苦境も、共に笑って乗り越えようぜ!!」
「今なお繁栄し、君臨し続ける、世界最強の国だ!!」

 二つの“伝説”が、解き放たれる。

「なあ――――そうだろ、みんなッ!!!」
「降伏せよ――――さもなくば、殲滅あるのみ!!!」

 魔力が迸る。神秘が駆け抜ける。
 交錯する詠唱が、狼煙を上げる。
 脈打ち、時を刻む、秒針の鼓動。
 その果てに、“将軍”が激突する――――!
 

「『神聖なる愛の献身(テーバイ・ヒエロス・ロコス)』!!!」
「『朽ちよ、赤き蛮族の大地に(インテンス・ソルジャーブルー)』!!!」


 英傑を庇う数多の盾と、彼らを護るべく放たれる無数の槍。
 四方八方の虚空より次々に飛来する、無慈悲なる鉛玉の嵐。
 決着は一瞬――――そして、雌雄は決する。





911 : ワルキューレが来る(後編) ◆A3H952TnBk :2025/02/08(土) 00:20:12 P8gYYzWw0



 夜に沈む、閑静な郊外。
 仄かな街灯に照らされる、閑静な道路。
 住宅街の路地は、静まり返っている。
 この都市の騒乱から逃避するように、沈黙を保ち続ける。

 ――そこには、無数の歩兵がいた。
 軍馬から降りた、騎兵の軍勢である。
 まるで円を描くように、“相手”を取り囲んでいる。
 彼らは等しくライフルや拳銃で武装し、いつでも攻撃に出られる体勢を取っている。

 彼らを統べる連隊長が、円の中に佇んでいる。
 傲岸に腕を組み、悠々と敵を見据えていた。


「――――やれやれ。肝を冷やしたぞ」


 カスターの身体の各所には、槍による裂傷が生まれていた。
 自らの強運を以てしても迫り来る無数の刺突を凌ぎ切れず、その身に幾つもの疵を刻んだ。
 それでも、致命傷には至らず。行動に一切の問題は無い。
 少しでも判断を誤れば、無事では済まなかっただろう。
 しかし己を信じて疑わない時のカスターは、誰よりもしぶといのだ。


「……ああ、全くだ。死ぬかと思ったぜ」


 彼の視線の先――エパメイノンダスが、強がるように呟く。
 常勝の将軍は、その場で片膝を付いていた。
 肉体の各所には、幾つもの銃創が刻まれていた。
 荒い呼吸を整えながらも止め処なく血が溢れ、紛れもなく満身創痍だった。
 それでも彼は、気力と意志によって今なお命を繋ぎ止めている。
 その眼差しは、今なおカスターを真っ直ぐに見据えている。

「貴殿が何者かは知らないが……恐らくは高名な将官だろう。
 残念だったな。万全の状態を待ってやるほど、私は慈悲深くないのだ」
「別に……恨みはしねえさ。機を伺い、敵の隙を突く。それが戦ってモンだ」

 見下ろすカスター。
 見上げるエパメイノンダス。
 二人の将軍は視線を交錯させながら、淡々と言葉を交わす。


912 : ワルキューレが来る(後編) ◆A3H952TnBk :2025/02/08(土) 00:22:02 P8gYYzWw0

「潔いな、将軍よ。道理で君のマスター達も健気になる訳だ」
「ああ、そうさ。あんたも見ただろう?誇りを懸けるに値する、勇敢な若人達だ。
 俺は故郷を愛するが……今の時代って奴も、やっぱり捨てたもんじゃねえ」

 エパメイノンダスの側には、二人のマスターが立つ。
 魔力消費による消耗を堪えながら、徒手空拳の構えを取る河二。
 その右手に“黒鍵”を握り、投擲の体勢を取るナシロ。
 両者は身構えたまま、この状況を切り抜ける術を探っている。
 
 ――その表情は、明らかに焦燥を押し隠していた。敵に弱みを見せぬよう、気丈に佇んでいた。
 余裕は無いのだろう。それでもこの局面を前にしながら、彼らは屈さずに打開策を模索している。

「……同感だな。私も喚ばれた甲斐があるというもの」
 
 そんな河二達を一瞥して、カスターは言葉を続ける。

「ただ一つだけ、この時代で惜しまれることがある」
「へぇ……そいつは、何だ?」
「私の栄光がすっかり霞んでいる」
「……そうかい。ま、そりゃあ残念だったな……」

 髭を撫でながら、不服な態度でぼやくカスター。
 エパメイノンダスは、苦笑い混じりの反応を返した。

 ――エパメイノンダスは、カスターよりも数段上の指導者である。
 彼は当時最強と謳われたスパルタを優れた戦術で打ち破った将軍である。
 その後も勢力を伸ばし、テーバイを覇権国家にまで押し上げた稀代の軍政家だ。

 対するカスターは、あくまで内戦や民族浄化で指揮を取った一軍人に過ぎない。
 将軍としての肩書きも、戦時下での一時的な昇進によるもの。
 リトルビッグホーンで知られる最期も、彼の無謀な作戦による失態の結果である。

 互いに万全を期して真正面からの駆け引きを行うならば。
 間違いなくエパメイノンダスが優位に立つだろう。

 しかし、今のエパメイノンダスに余力は残されていなかった。
 “幻術のキャスター”と“蝗害のライダー”。災厄と呼ぶべき二つの脅威。
 “通りすがり”の援護によって辛うじて切り抜けたものの、何処で命を散らしても不思議ではない程の死線だった。
 宝具の真名解放へと至り、出し惜しみ無しの全力を振り絞り。
 そして“陰陽のキャスター”のサポートを受けてもなお、紙一重だった激戦。
 肉体と魔力、その双方において多大な消耗を背負うのは必然だった。

 その消耗を癒す暇もなく、“騎兵のライダー”――カスターによる河二達への追撃が始まった。
 代々木公園に引き続き、ベルゼブブの飛行能力によって逃走を図るという目論見は外れた。
 カスターが予想外の飛行手段を獲得したことで、突発的な撤退戦へと縺れ込んだのだ。


913 : ワルキューレが来る(後編) ◆A3H952TnBk :2025/02/08(土) 00:23:12 P8gYYzWw0

 エパメイノンダスは疲弊を押して行動を開始した。
 今までに経験したことがない激戦を経た直後、余力を残した敵の更なる強襲へと対処する。
 可能な限りの時間稼ぎを河二達に任せ、令呪の使用はギリギリまで温存させたが――。
 かつて都市国家に君臨した将軍も、この苦境では余裕を取り零していた。

 手傷により行動が制限される中、少しでも早く現場へと駆けつけること。
 余力のない今の彼には、最早それだけで限界だった。
 その後の対処は、戦場における自らの経験と感覚に頼る他なかった。

 それでもエパメイノンダスは、河二との連携でヘリコプターの撃墜を果たし。
 そして――余力を残したカスターに、遅れを取ることとなった。
 肉体と魔力の多大なる消耗が、土壇場における彼の判断に隙を生んだのだ。

 宝具の“相性”もまた、決着を左右した。
 カスターの第二宝具『朽ちよ、赤き蛮族の大地に(インテンス・ソルジャーブルー)』。
 四方八方より放たれる銃弾は、合衆国民以外のあらゆる敵の防御・耐久系の能力を貫通する。

 エパメイノンダスが宝具で展開した、無数の盾による防御壁。
 カスターの宝具による銃弾の嵐は、その全てを“突破”したのだ。
 殲滅の弾丸は、まるで水面を擦り抜けるように、盾の守りをも無効化。
 飛来する無数の鉛玉は、鉄壁をも越えて“常勝の将軍”を撃ち抜いた。
 エパメイノンダスが生還を果たしたのは、ひとえに“軍略”スキルによって対軍宝具に優位な判定を取れたためである。

 カスターは二流の英霊だ。
 しかしそれは、彼が単なる弱小英霊であることを意味するのではない。
 殲滅宝具による攻撃力――こと殺傷という行為においては、極めて優れた男だ。

「さて、そろそろ本題に入ろうかな」

 そして、カスターがそう告げる。
 軽く咳払いをしてから間もなく。
 その顔に、不敵な笑みを貼り付けた。

「――情報が欲しい!!そう、私は尋問のために君達を追撃したのだ!!
 そして私は今、君達を制圧した!!これより君達には洗いざらい話して貰うとする!!」


914 : ワルキューレが来る(後編) ◆A3H952TnBk :2025/02/08(土) 00:24:21 P8gYYzWw0

 “出来れば少しだけでも話を聞いてほしい”。
 それがマスターからの指示だったが、カスターの行動は淑やかなだけの遂行に留まらない。
 制圧の必要があると判断すれば、迷わず制圧する。
 総取りが行えるならば、迷わず仕掛けに行く。
 そうして彼は、敵の疲弊を容赦なく突いた。

「その為にも――――令呪の使用を求めるッ!!」

 カスターは、己の要求を叩きつける。
 それはあまりにも傲岸で、尊大なる注文だった。

「“私と、そのマスターへの一切の敵対行為を禁ずる”!!ただそれだけ命じれば良い!!」

 大仰な身振り手振りを交えながら、カスターは捲し立てる。
 自らに酔い痴れるような振る舞いを、恥じらいもなく取り続ける。

「それからじっくりと話を聞かせてもらう!!
 始末しても構わないが、君達はこの戦争における“脅威”と敵対する余地がある!!
 よって泳がせておく価値がある!!要求さえ飲めば君達の生存は保障するぞ!!」

 そしてカスターは、最後にエパメイノンダス達を指差した。
 己の目的と要求を満足げに語り、勝ち誇ったような笑みを見せつける。

「……ハッ。随分と、大きく出たな」
「うむ、大きく出るさ!!出られるんだから!!」

 そんな彼に対し、エパメイノンダスは苦笑するように呟く。
 カスターに気圧されぬように、彼もまた不敵な表情を作る。
 それでも頬には、一筋の汗が流れ落ちる。

 エパメイノンダスは、既に理解していた。
 この蒼い騎兵は、今の状況を分かっている。
 だからこそ、こんな要求を吹っかけている。
 “今は強気に出ても何ら問題はない”。
 “寧ろそうするべきだ”、と。

「ああ、そうだ――君達」

 カスターは、自分が優位であることを余りにも自覚していた。
 だからこそ彼は、堂々たる脅迫を行なっている。

「予め言っておくが」

 そう、それ故にカスターは言葉を続ける。
 先ほどまでの芝居がかった言い回しとは、まるで違う。
 ――低く、冷徹に、威圧するように。
 まるで淡々と恫喝するような声色で、カスターは紡ぐ。

「私はまだ宝具を使える」

 彼は、ここで脅しを掛けられることを分かっている。
 彼は、自分がいつでも敵を始末できることを解っている。
 彼は、自分の手札がまだ残っていることを判っている。


「――――選べ。降伏か、死か」


 ジョージ・アームストロング・カスター。
 それは西部開拓使の英雄であり、民族虐殺の最前線に立った男である。
 彼は己を英傑と信じている。そして、己が殺戮者であることも理解していた。
 だからこそ――この男は、何の悪びれもせず“悪名”を武器に使う。
 虐殺の使徒としての己自身を、脅迫に用いるのだ。


915 : ワルキューレが来る(後編) ◆A3H952TnBk :2025/02/08(土) 00:25:37 P8gYYzWw0

 エパメイノンダスの傍らで、琴峯ナシロは思考していた。
 窮地に追い込まれた動揺を押し隠しながら、現状を見つめていた。

 ヘリコプターは破壊し、敵の機動力を奪うことは果たした。
 しかし、こちらの主力であるランサーはもはや満身創痍になっている。
 ライダーは未だに余力を残し、宝具を再び使えるだけの余地がある。

 紛れもなく、自分達は追い詰められている。
 魔女の茶会からの離脱は果たしたものの、敵の追撃までは凌ぎ切れず。
 多大な消耗により、後のない状況に立たされている。

 一瞬、胸の内から罪の意識が顔を出す。
 この状況を招いた発端は、自分にあると。
 ナシロの中で、そんな囁きが迫る。
 ――刹那の葛藤を経て、それを振り払った。

 動揺に飲まれぬよう、気丈な態度を努めた。
 後悔をしている場合じゃない。
 責任を感じるのも、償いをするのも、終わってからでいい。
 今はただ、目の前の事態に集中するしかない。
 
 そうしてナシロは、懐に手を当てていた。
 今は別行動を取る“同盟者”から託されたものに触れていた。

 ――“琴峯には借りができちまったからな”。
 ――“返す機会があったら、それ使って呼べよ”。

 特別製のガンドによる“信号弾”が装填された、赤色のボールペンに偽装した道具。
 それはかつて公安に所属していた雪村鉄志から渡された餞別だった。
 自分だけで解決出来ない状況に陥った時、相応の緊急事態が発生した時。
 これを使えば、一度だけ彼に救援を要請することができる。
 
 自分と彼との、個人的な協定。
 まだ温存すべきではないかと考えていた。
 しかし――もはや余裕はない。
 今の状況では、敵が余りにも優位に立っている
 何とかして離脱の隙を作り、これを使うべきではないのか。

 それとも、二度目の令呪を使うか。
 アサシンを動かし、何としてでもこの場からの脱出を果たすか。
 先程のような作戦としての勘定ではなく、緊急手段としての使用。
 令呪使用で後が無くなるという意味で、その喪失は大きい。
 だが今は、形振りなど構っていられない。
 最悪、河二に手段を委ねることも視野に入れねばならない。


916 : ワルキューレが来る(後編) ◆A3H952TnBk :2025/02/08(土) 00:26:07 P8gYYzWw0

 どうする。手札を切るか。
 あるいは、何か手立てはあるか。
 ナシロは、焦燥の中で思考する。
 この窮地を脱する手段を、何とかして探り続ける――。

 その矢先だった。
 “それ”が割り込んだことに。
 ナシロは、微かに遅れて気付いた。

 ――ぶぶぶぶぶぶぶ。

 膝をつくエパメイノンダス。
 身構える河二とナシロ。
 焦燥し、疲弊する彼らを庇うように。
 幼く小さな影が、立ちはだかった。

 ――ぶぶぶぶぶぶぶ。

 白い外套を纏い、闇夜のような黒い髪を持つ少女。
 その背中には蠅を思わせる楕円の羽を携える。
 冒涜的な羽音を発しながら、カスターに対峙する。

 ――ぶぶぶぶぶぶぶ。

 アサシンのサーヴァント、ベルゼブブ。
 それは魔王の皮を被る、偽りの英霊。
 その本質を既に見抜かれた、哀れなる少女。

「アサシン……?」

 ナシロは思わず目を丸くして、声を上げた。
 ベルゼブブは、答えを返さない。
 ただ黙って、ナシロ達の前に立ち続ける。
 まるで庇うように、無言でその場に佇んでいた。





917 : ワルキューレが来る(後編) ◆A3H952TnBk :2025/02/08(土) 00:26:49 P8gYYzWw0



 ――“私は、間違ってるのかな”。

 わたしは、ぽんこつの英霊。
 わたしは、ニセモノの悪魔。

 ――“赦せない、と思ったんだ”。

 だから、見せかけだけが取り柄。
 こけおどしばかりで、攻撃さえへたっぴ。
 できるのは飛び回ったり、脅かしたりするくらい。
 ぴーぴー騒ぐことだけはとっても得意。

 ――“私はあの時、この世界の人々のために怒ったんじゃない”。

 ぜんぜん役に立たないし。
 ほんとは怖くってしょうがないくせに。
 強がることだけはいっつもしてる。
 今だって、もう敵から相手にもされていない。

 ――“自分のために、怒ってたんだ”。

 それでもわたしは、悪魔で。魔王で。
 なんだかんだ言って、ナシロさんのサーヴァント。

 ――“それでも”。
 ――“守りたい、って思っちゃうんだよ”。

 だから、まぁ、アレです。
 ナシロさんがずーっと頑張ってて、おセンチになってて。
 うんうん悩んで、それでも頑張り続けてて。
 コージさんとかランサーとかは、そんなナシロさんの力になってて。
 いろいろと、思うところがあったりする。

 ――“そう思うのは、間違ってることなのかな”。
 
 ナシロさんはある意味、わたしの天敵みたいなもの。
 大悪魔と聖職者。混ざり合わない水と油。
 けちょんけちょんにしたくなる大敵。
 けれども、そんなナシロさんとも一ヶ月の付き合いになっていた。

 ナシロさんが上手くいかないとき。
 なにかを悩んで、もがいてるとき。
 もう、どうしようもなさそうなとき。
 わたしがただの邪魔ものでしかなかったら。
 それはそれで、やっぱり悲しいものがある。
 そんな気持ちが、首をもたげていた。

 なんか、さっきからわたしたち。
 すごいカッコよかったですよね。
 ナシロさんと、わたし。
 一緒になって、めっちゃ頑張ってましたよね。
 そう思えて、仕方がなかった。

 ナシロさんは、目に見えない神様に仕えている。
 だから、人のためにがんばっている。
 わたしは、目に見えない魔王さまに仕えている。
 だから、悪魔として振る舞っている。

 たとえヤドリバエでも、ただの寄生虫でも。
 わたしは英霊になって、蠅王の虚像を埋め込まれているから。
 さっきの公園でも、コツ掴んで頑張ることができたんだから。
 やれないはず、ないんですよ。

 ねーえ、“おちびちゃん”。
 ちんちくりんでへっぽこな、憎らしいおちびちゃん。
 あなた、新しい神様になりたいんですよね。
 人類を幸福に導くなんて、でっかい夢叶えたいんですよね。

 わたしも、ちょっと踏ん張ってみますよ。
 少しは頼れるところ、見せてあげたいんです。
 だってわたしは、ベルゼブブなんですから。
 おちびちゃんよりもでっかいんですから。





918 : ワルキューレが来る(後編) ◆A3H952TnBk :2025/02/08(土) 00:27:35 P8gYYzWw0



 再び立ちはだかったベルゼブブ。
 ナシロ達を庇う彼女に対し、カスターは嘲るような眼差しを向ける。

「……ほう、まだ挑むかね?」

 カスターは既に、ベルゼブブを虚像の英霊であると見抜いていた。

「そちらの将軍とは違い、所詮君はハッタリの英霊だろう」

 力だけはあるようだが、所詮はまやかしの魔性。
 まともに戦えるだけの経験もセンスも持たない。
 紛れもなく、弱卒の劣等に過ぎない――。
 カスターは最早ベルゼブブを脅威と見なしていなかった。

「勇敢さは認めるが、君では私の相手には――」

 ――ぶぶぶぶぶぶぶ。

 それでも。
 将軍の傲岸なる姿の前でも。
 羽音は、止まない。

「ベルゼブブ」
「何?」
「私の真名は、ベルゼブブ」

 ――ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ。

 羽音が、騒がしくなる。
 まるでノイズが割り込むように。
 アサシンの唐突な暴露に、カスターは眉を顰める。

「聖書を読んでいるなら、知っていますよね。
 といっても私は、正確には“悪魔の皮を被った虫螻”でしかない」

 ――ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ。

 羽音と共に、ベルゼブブは呟く。
 声と不協和音が、淀んで混ざり合う。
 境界を失い、一つに融け合ってゆく。

「蝿の王、糞山の王、魔を統べる者、神を穢す者、以色列の王を呪いし邪神。
 そんなベルゼブブへの恐怖と偏見が蠅と結びついて生み出された、虚構の英霊」

 それが私です、と。
 ベルゼブブは、淡々と言葉を紡ぐ。


919 : ワルキューレが来る(後編) ◆A3H952TnBk :2025/02/08(土) 00:28:20 P8gYYzWw0

 ――ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ。

 自らの核心となる情報を、彼女は語り出す。
 ナシロは何も言わず、ただ驚愕と共に彼女を見つめていた。
 それはベルゼブブにとって、己の弱点を曝け出すような行為。
 本来ならば命取りになりかねない、真名と素性の暴露。
 
 しかし――今は、様子が違っていた。
 次第に蠢く羽音。みるみると煩わしくなる不協和音。
 カスターは思わず、眉間に皺を寄せる。
 何か異様なものを察知しながらも、彼は口を開く。

「君は、何が言いたい?」
「それでも、私は――――」

 一呼吸を置き。
 偽りの蠅王は、告げる。

「“ベルゼブブ”なんです」

 ――ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ。

 そして。
 にたりと、口元を歪ませた。

「分かりますか。私という英霊が、ここに存在することの意味を」

 ――ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ。

 笑う。悪魔は、嗤う。
 嘲りを、口元に貼り付ける。

「私はベルゼブブの皮を被った、蠅の化身に過ぎない。
 では――――蝿の王とは、そもそも何なのか」

 ――ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ。

 まるで呪文のように。
 まるで呪詛のように。
 悪魔は、語り続ける。

「所詮は人々の信仰が作り上げた虚像なのか。
 邪教として排斥された、異邦の偶像なのか。
 それとも正真正銘、おぞましき地獄の大君主なのか」

 ――ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ。

 胸騒ぎが、カスターの心中を襲う。
 いや、この場にいる誰も彼もが。
 焦燥と動揺の渦中へと立たされている。


920 : ワルキューレが来る(後編) ◆A3H952TnBk :2025/02/08(土) 00:29:21 P8gYYzWw0

「真相は、虚実という静寂の中。
 私にさえも、蠅の王の真相は分からない。
 実在と非実在。その確たるカタチは、不条理という闇に沈んだまま」
 
 ――ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ。

 その中心に立つのは。
 たった一匹の、“虚仮威しの英霊”。

「ですけどね」

 ――ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ。

 最早、呪詛も羽音も。
 全てが混濁してゆく。

「”反英霊”ベルゼブブは、ここにいるんですよ。
 私という依代を伴って、ここに存在している」
 
 ――ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ。

 混沌の闇が、この場を覗き込む。
 漆黒の眼が、矮小なる人間達を見下ろす。

「“かの王”を畏れる人々の意思があり。
 私が“かの王”の化身となっている。
 分かりますか?それが信仰の力です」

 ――ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ。
 ――ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ。
 
「そして、“かの王”の権能がこの手にある。
 ただの蝿を、魔神にすら押し上げてるんです。
 それが単なる“無辜の怪物”なんて言葉で済むと思いますか?」

 ――ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ。
 ――ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ。
 ――ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ。

「私という英霊こそが、“蠅の王”の実在を証明している」

 ――ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ。
 ――ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ。
 ――ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ。
 ――ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ。
 ――ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ。

「聞かせてください。人間ども」

 ――ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ。
 ――ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ。
 ――ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ。
 ――ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ。
 ――ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ。


「ただのハッタリだと、本当に思うんですか?」

 
 ――――ぷつん。
 その場の空気が禍々しく、汚泥のように澱み。
 周囲を取り囲む兵士の陣形が、突如として崩れた。


921 : ワルキューレが来る(後編) ◆A3H952TnBk :2025/02/08(土) 00:30:17 P8gYYzWw0

 ある者は、恐怖で身動きが取れなくなった。
 ある者は、その手の銃を取り零した。
 ある者は、ぷつりとその場で気を失った。
 ある者は、頭を掻き毟りながら暴れ出した。
 ある者は、取り乱して恐慌状態に陥った。
 ある者は、錯乱と共に絶叫した。
 ある者は、がたがたと震えて正気を奪われた。
 ある者は。ある者は。ある者は。
 ある者は。ある者は。ある者は――。

 カスターは思わず双眸を見開く。
 何が起きている。それを理解するまでに数秒。
 先程までとは桁違いの“精神汚染”が発動しているのだ。
 誉れ高き騎兵隊が一斉に総崩れするほどの“恐怖”と“威圧”が、この場に撒き散らされている。

 河二はその口に手を当て、必死に吐き気を抑えていた。
 恐慌を無理矢理に堪える河二を何とか支えつつ、ナシロは呆気に取られてベルゼブブを見つめる。
 エパメイノンダスさえも恐怖に身震いし、必死で歯を食いしばっている。
 阿鼻叫喚じみた状況の中で、主であるナシロだけが平静を保ち続けていた。

 カスターは叫ぼうとした。
 “怯むな、所詮は虚仮威しだ”。
 “この私がついているぞ”。
 いつものように皆を奮い立たせようとした。
 しかし、肝心の声が出てこない。
 上手く身体を動かすことが出来ない。
 そして――――。

(………………何だ、これは?)

 カスターは、気がついた。
 後ずさりをしているのだ。自分が。
 いつの間にか、一歩一歩と、後ろに下がっていた。
 背筋の寒気に引き寄せられるように。
 彼の足は、無意識の内にその場から逃げようとしていた。

(後退だと?私が、恐怖で後ずさり?)

 それを理解した瞬間、彼は愕然とする。

(この私が、怯えている…………?)

 前進こそがモットーの自分が。
 勇気こそが取り柄のカスター将軍が。

(――バカな。そんなバカなことが、あってたまるか……!!)
 
 どんな敵にも臆さない、星条旗の英傑が!
 勇猛果敢!猪突猛進!厚顔無恥!慇懃無礼の偉大なる米国軍人が!
 インディアンの大軍をも恐れない第7騎兵連隊の隊長が!
 サーベルに手を掛けることすら叶わず、ただ恐怖で身を引いているのだ!
 そんな無様な行動を!あのアサシンは、自分に“やらせた”のだ!


922 : ワルキューレが来る(後編) ◆A3H952TnBk :2025/02/08(土) 00:31:44 P8gYYzWw0

(ふざけるなよ、虫けら風情め……!!)

 それは、プライドを踏み躙られる程の侮辱だった。
 カスターはこの聖杯戦争で初めて、心からの怒りに震えていた。
 勇気ある撤退ではなく、臆病ゆえの後退。
 そんなもの、このカスター将軍が取っていい行動である筈がなかった。

(人の矜持に泥を塗るなど、卑劣にも程があるッ……!!)

 これほどまでの屈辱を感じたことはなかった。
 自らの勇気を涜されたことに、憤りが込み上げた。
 こんな激情を抱いたのは、汚職の証言でグラント大統領と大揉めしたとき以来だった。

 わなわなと手が震える。
 これは恐れなのか、怒りなのか。
 いったい何処から来ているのか。
 最早どっちだって良かった。
 今はただ、この感情の矛先を――。

 ――やがてカスターは、我に返った。
 自分が“取り乱している”ことに気付いたのだ。

 己を戒めるように、カスターは息をつく。
 歯軋りをしながらも、無理やり自分を制していく。
 ここまでの怒りを感じてもなお、身体は緊張と動揺で硬直し続けていた。
 込み上げる憤怒を、荒れ馬を従えるカウボーイのように辛うじて鎮めていく。
 彼は何とか冷静さを取り戻しながら、眼の前の状況について思考する。

 このまま宝具で押し切ることも考えた。
 しかし、しかしだ。本当に大丈夫なのか。
 あのアサシン――ベルゼブブの気配が明らかに変わった。
 単なるハッタリ以上の何かを感じる。

 蠅の王。冒涜の魔王。
 その皮を被る、虚構の英霊。
 それは本当に、ただの虚仮威しなのか。
 カスターは、拭い切れぬ疑念を抱いてしまった。
 
 本当に攻めるべきなのか。
 寧ろ、退くべきではないのか。
 しかし、何の土産もなしに帰還するのか。
 命拾いを喜んで、手柄もなしに帰るのか。
 どうする、カスター。どうする。

 そして、場は静まり返る。
 膠着状態に陥り、睨み合いへと至る。
 ただ立ち尽くすだけのベルゼブブ。
 次の手を思案するカスター。
 両者の対峙が、暫しの間続いたあと。
 ベルゼブブの前へと出る影が、ひとつ。


923 : ワルキューレが来る(後編) ◆A3H952TnBk :2025/02/08(土) 00:32:48 P8gYYzWw0

「……なあ、ライダーよ」

 スッと右腕を出して、ベルゼブブを制止する。
 それは、満身創痍のエパメイノンダスだった。
 彼は疲弊を押して、蠅王の気迫を何とか耐えながら、カスターと再び向き合う。
 そして制止を経て、ベルゼブブは我に返ったように身を引き――周囲に放たれていた“威圧”が消失する。

 その時、カスターは気付かされる。
 先程までは自身が要求を一方的に突きつけられる状況にあった。
 しかし未知のカードを切ったベルゼブブが盤面をひっくり返し、場は振り出しに戻った。
 将軍のランサーは、その隙をすかさず突いてきたのだ。

「なんでウチのマスター達を追った?」

 そしてエパメイノンダスは、淡々と言葉を続ける。
 カスターらは既に複数の陣営と結託し、あの代々木公園で河二達と一度は対立した。
 そうして撤退へと至った河二達を、余力を残しており機動力に長けたカスターが追撃した。
 逃げた手負いの相手への追い打ち。それだけならまだ分かる。

 その上でカスターは、最終的に“情報提供”を求めた。
 河二達を制圧した後、尋問こそを本題として切り出したのだ。

「敵の追撃を名目にして、マスターを追い掛けたんだろうが……。
 恐らくアンタか、あるいはアンタのマスターにとって、何か計算外の事態が生じている」 

 エパメイノンダスは、そこに違和感を抱いた。
 集団からサーヴァントのみが離れ、誰の監視も届かない形での情報収集を行う。
 それはまるで、カスターか彼のマスターによる独自行動のように見えた。

 同盟全体の意向として考えるには、カスター側の裁量が効きすぎる。
 単騎での追跡となれば、幾らでも同盟相手の目を誤魔化すことが出来るのだから。
 相応の信頼関係があるならまだしも、河二達によれば彼らはあくまで利害を前提にした繋がりに見えたという。
 故にサーヴァント単騎での行動に全幅の信頼を置くとは考えにくい。
 つまり建前の口実を使いつつ、水面下で自分達の思惑を果たそうとしているように取れたのだ。

「例えば、当面の“強豪”と見なしていた主従が予期せぬ形で敗北を喫したか」

 では、何故情報を求めたのか。
 エパメイノンダスは、その理由を推測する。

「例えば、自身の“同盟相手”が想定を遥かに上回る戦力の持ち主だったか」

 先の戦局を踏まえたうえで、答えを導き出す。

「何にせよ、アンタ達は何かしらの要因で前提条件が揺らいだ。
 今のところは現状の同盟関係を維持するが、同時に万が一の選択肢も増やしたい。
 ――大方、そんなトコだろう」

 つまるところ、同盟に何らかの“見切り”を付ける必要が生じた時のための保険を用意したがっている。
 そのために他所の情報や接点を求めて、河二達の追跡を行った――そう推理してみせた。

 エパメイノンダスは、カスターの思惑を看破した。
 ベルゼブブを前にして隙を見せたカスターに対する、間髪入れずの牽制だった。

 ――お前は“誰に”取引を吹っ掛けたのか、理解しているのか。
 ――お前は“誰に”駆け引きを挑んだのか、分かっているのか。

 このテーバイの将軍は、言葉の裏で星条旗の将軍へと突きつけたのだ。


「――――幾つか情報を提供する」


 そして、エパメイノンダスは矢継早に言葉を続ける。


924 : ワルキューレが来る(後編) ◆A3H952TnBk :2025/02/08(土) 00:33:33 P8gYYzWw0
 カスターの表情から、既に笑みは消えていた。
 その情報提供とは、彼がカスターの要求に屈した結果ではない。
 即ち、“この情報で手打ちにしよう”ということだった。

 未知数の“手札”を垣間見せたベルゼブブと対峙するリスクを打ち消し、尚且つカスターにも手土産を渡す。
 その代わり、この場は身を引いて貰う――そういう取引だった。

 カスターはその意図を理解していた。
 それ故に、エパメイノンダスの言葉に耳を傾けた。

 エパメイノンダスが語り出したのは、“前回の聖杯戦争”にまつわる情報。
 赤坂亜切からの情報に基づくこの世界の核心。そして、彼が調査を求めた“前回参加者”に関する知見。

 この聖杯戦争は“二度目の開幕”。一度目の脱落者6名が蘇らされ、再び戦いへと身を投じていること。
 うち3名――蛇杖堂寂句、ノクト・サムスタンプ、ホムンクルス36号についての詳細な情報を得ていること。
 そして決裂へと至った赤坂亜切が“葬儀屋”と称される対魔術師専門の暗殺者であり、炎の魔眼使いであること。
 彼が従えるサーヴァントが北欧神話における狩猟の巨神“スカディ”であること。

 ――それらの情報をエパメイノンダスらに齎した雪村鉄志、及びそのサーヴァントの存在は徹底して隠し通した。
 その経緯を塗装し、あくまで自分達が直接得た情報であるように語ってみせた。
 弁舌に長けたエパメイノンダスは、巧みな話術によって決して同盟者の存在を気取らせない。

 そして、もう一つの情報。
 あの“陰陽のキャスター”から得られたこと。
 先程までの話と地続きに語り、あくまで自分達が掴んだ情報として伝える。

「――“オルフィレウス”。この世界の黒幕である“白い少女”が従えるサーヴァントの真名だ」

 その名を聞き、カスターが目を見開く。
 この世界の黒幕。“白い少女”――“眩き極星”。
 彼女が従える英霊の真名という、決定的な情報。

「そもそも奴らは何故、“二度目”を始めたのか。
 戦いそのものを求めたのか。更なる願いを欲したのか。
 あるいは聖杯を利用するほどの“目的”と、それを実行に移せる“仕掛け”を抱えていたのか――」

 核心へと繋がる手がかり――雪村鉄志達との情報共有の中で出た推理をちらつかせて。
 エパメイノンダスは、自らの言葉にカスターの意識を引き込む。
 
「確かなのは、そのオルフィレウスが少女を“神”へと造り上げたってことだ。
 奴こそが、真に厄介な存在らしい」

 オルフィレウスについて俺が知っている情報はここまでだ、と。
 エパメイノンダスは一区切りをつけた。


925 : ワルキューレが来る(後編) ◆A3H952TnBk :2025/02/08(土) 00:34:27 P8gYYzWw0

 カスターは、何も言わず。
 小さく唸るように、与えられた情報を精査していた。
 聖杯戦争が二度目であることは、既に見通していた。
 されど前回のマスター数名の詳細な情報に加えて、神寂祓葉のサーヴァントについて掴むことが出来たのは僥倖だった。

 恐らく薊美もまた、蝗害の魔女から何かしらの情報を得ることになる。
 そういう点で、前回に纏わる話では幾らか重複する事柄もあるだろうが――少なくとも、それで収穫が失われる訳ではない。
 寧ろ双方からの情報により、この聖杯戦争の核心における確たる裏付けが取れる。
 それだけでも十分な価値があった。

「情報は、“前回”のことだけじゃない」

 そんなカスターの思慮をよそに、エパメイノンダスは更に情報を続ける。

「あのロキとか言うキャスターは、アンタの同盟相手だろ?」

 キャスター、ロキ。天枷仁杜が従えるサーヴァント。
 あの“蝗害”との一騎打ちへと臨んだ反英霊であり、恐らくは“蝗害と渡り合ってみせた存在”。

 カスターは、先の代々木公園での一件を振り返る。
 魔女の反応や様子からして、“蝗害”が想定を超える苦戦をしていたのは明白だった。
 それも、令呪使用や魔力枯渇に至るほどの状況に追い込まれる程に。

 薊美は何故、自身を追撃へと向かわせたのか。
 カスターは当初の状況を改めて俯瞰する。そして、その答えは明白。
 当面の難敵と目していた“蝗害の魔女”が制圧されるという番狂わせが、まさに目の前で起こったからだ。
 それを成し遂げた立役者は――天枷仁杜と、そのキャスターだった。

 率直に言うなれば、あの瞬間。
 彼女達こそが“集団の要”になった。
 そう、なってしまったのだ。

「――奴の宝具は、極めて大規模な“幻術”だ」

 薊美が抱き、そしてカスターもまた汲み取った懸念。
 そこへ先回りするように、エパメイノンダスが言葉を続ける。

「奴は世界そのものを欺き、あらゆる理不尽を意のままに操る。傷や死さえも錯覚させる程の、神話の権能を具現化する」

 ロキ――薊美からの話で、それが北欧神話に名を連ねる存在であることは知っていた。
 恐らくは神格、あるいは悪魔の類いに近い存在であることを、カスターもまた対峙を経て察していた。

「奴の手に掛かれば、〈この世界の神〉すら再現できる」

 故に、相応の力を行使する存在であることも推測していた。
 そして今、その推測への“答え合わせ”が行わることとなった。

「対策は“眼の前の光景を信じないこと”。
 “幻覚をあくまで幻覚として対処すること”。
 あるいは――虚実を突破して、攻撃を叩き込むか」
 
 ――ま、それでも死ぬかと思ったけどな。
 エパメイノンダスはそう付け加える。
 彼が手傷を負いながらも生き延びている事実が、その対策に一定の説得力があることを裏付けていた。 

「どう使うかは、アンタら次第だ」

 そしてエパメイノンダスは、最後にそう締め括る。
 自らが与えた情報の意味を、お前なら理解できるだろう――そう言わんばかりに、微かな笑みを見せていた。


926 : ワルキューレが来る(後編) ◆A3H952TnBk :2025/02/08(土) 00:35:21 P8gYYzWw0

 カスターは何も言わずに、伝えられた情報を咀嚼し続けている。
 先程までの堂々たる笑みはなく、ただ真顔でその場に佇んでいる。

 率直に言って、カスターは驚嘆していた。
 眼の前の将軍が、令嬢(マスター)の抱いた懸念を的確に突いた上で、決定的な情報を提供してきたからだった。

 即ち、あのキャスターの手の内。
 そして、彼の弱点となり得る情報。

 今はまだ同盟を継続するものの、彼らの存在は紛れもなく将来的な脅威だった。
 “蝗害”にさえ匹敵する戦力を備え、更には同盟の主導権を実質的に掌握している。
 敵は何も、神寂祓葉や前回の亡霊達だけではない。
 あの天枷仁杜とロキのようなイレギュラーも、この舞台には存在するのだ。

 代々木公園へと赴く前に、薊美から聞いていたことがあった。
 彼女は、あの天枷仁杜に“未知”を見出していた。

 薊美曰く――舞台に立ち、星を演じる自分とは違う。
 仁杜には奇妙な魅力があり、生粋の輝きがあり、そして引力を持ち合わせている。
 それはまるで、空想の世界の登場人物のような。
 あの神寂祓葉を思わせる、他人を引き寄せるカリスマ性のような――。

 薊美は天枷仁杜という存在の本質を悟り、あのロキから告げられた言葉と共に揺さぶられていた。
 再認識したロキの脅威を噛み締めた上で、カスターはそのことを振り返る。
 ロキも非凡であるように、天枷仁杜もまた非凡である。
 薊美の観察眼によって、それは裏付けられていた。

 そして、そうした情報と合わせて。
 先に伝えられた“黒幕”に関する情報を振り返る。
 オルフィレウス――それこそが、あの少女のサーヴァントの名。
 
 神寂祓葉に、きっとさしたる目的はない。
 ただ無垢のままに、純真なる心のままに、この“遊び場”を楽しんでいるだけ。
 カスターの目にはそのように映っていた。
 ならば、“そのサーヴァント”が目指すモノとは?

 何故“オルフィレウス”は祓葉と共に、二度目の聖杯戦争を画策したのか。
 祓葉への忠義や肩入れによって、単に彼女の好奇心に付き合っているだけならばまだ良い。
 ――聖杯を利用するほどの“目的”と、それを実行に移せる“仕掛け”。
 エパメイノンダスが語った言葉が、カスターの脳裏で反響する。

 もしも仮に、“その先”の目論見があるとすれば。
 この戦いが、単なる“神の遊び場”で終わらないとしたら。
 彼らが今なお“最終地点”に到達していないとすれば。
 この聖杯戦争の果てに、彼らの目指すところがあるとすれば。

 神寂祓葉、そして“オルフィレウス”。
 もしも彼らが、まだ“完成”していないとしたら。
 
 この舞台の黒幕は、更なる“進化”へと向かっていくのではないのか。
 これは完全に仮説でしかないが――虚構の箱庭では留まらぬ程の“権能”が生まれるのではないか。
 それこそまさに、世界を超越する“神”のような。


927 : ワルキューレが来る(後編) ◆A3H952TnBk :2025/02/08(土) 00:35:53 P8gYYzWw0

 そんな思考の最中に。
 ある考察が、脳裏をよぎる。

(この世界の神格が、未完成だとして)

 神寂祓葉。そして、オルフィレウス。
 彼らがまだ、結末へと辿り着いていないのなら。

(あの天枷仁杜のような存在もいるのならば――)

 伊原薊美が神を敵視し、天枷仁杜が異端の器を見せたように。
 この世界に招かれた者達にも、幾ばくかの可能性があるのならば。

(もしやこの戦いは、神を生む過程にあるのか?)

 ”神へと至る資格“――そんなモノが、存在するならば。

 何処か世迷い言のような推察が、浮かび上がり。
 自らが何か、決定的な核心へと踏み込みつつあるような感触を抱き。
 故にカスターは、エパメイノンダスを静かに見据えた。

 追撃の果てに、得られたものはあった。
 それはこの聖杯戦争の終着点へと向かう上での試練であり、あの“太陽”へと挑む上での道標だった。

 今暫くは、雌伏の時を続けねばならない。
 同盟による優位を利用し、迫り来る荒波を乗り越えていくことになるだろう。
 しかしその果てに勝利を掴むためにも、絶えず機を伺い続けなければならない。
 自分達が神へと挑み、この舞台の極点へと辿り着くか否かは、これからの道程に懸かっている。

 カスターはそのことを改めて噛みしめる。
 そして、それを覚悟したが故に。
 彼はエパメイノンダスへと、言葉を手向けた。


「――――礼を言おう」


 ただ一言、そう伝えて。
 ほんの一瞬、蠅の王を忌々しげに流し見て。
 展開していた騎兵隊を、ただの魔力へと戻して霧散させる。
 そうしてカスターは、踵を返した。





928 : ワルキューレが来る(後編) ◆A3H952TnBk :2025/02/08(土) 00:36:34 P8gYYzWw0



 常勝の将軍は、あの死線を乗り越えた。
 少年と少女は、魔女の茶会を切り抜けた。
 そして最後に、もう一つの嵐が迫り。
 彼らは辛うじて、苦難を生き延びた。

 ――――終わった。ようやく、片が付いた。

 この場からカスターが去ったことを悟り。
 エパメイノンダスは、身体中に伸し掛かる疲弊に身を委ねた。
 そのまま彼は、仰向けにどっと倒れ込んだ。
 死線を走り切った英雄は、束の間の休息を求めた。

 霊核の損傷こそ避けられているものの、連戦による手傷も消耗も大きい。
 万全の体勢を整えるまで、暫くの回復が必要になるだろう。

「……ランサー」
「おう、嬢ちゃん。コージ共々、上手くやったようじゃねえか」
「ああ。付き合ってくれた高乃には、本当に感謝してる」

 そんなエパメイノンダスの顔を、少女が覗き込んでいた。
 琴峯ナシロ。この将軍の同盟相手であるマスターだった。
 その傍には、将軍のマスターである高乃河二も佇んでいる。

「――貴方にも、伝えておきたい。ありがとう、ここまで戦い抜いてくれて」
「んだよ……そう畏まるこたねぇさ。
 寧ろ、こうして無事に生き延びたことを喜んでこそだぜ?」

 感謝を伝えながらも、負い目を背負う様子を見せるナシロ。
 自分が巻き込んだことで、彼はここまでの手傷を負うことになった。
 ――常勝無敗の栄光に、泥を塗ってしまったのではないか。
 しかし、そんなナシロを労うように、エパメイノンダスは伝える。

「心配すんなよ。俺もコージも、望んで乗りかかった船って奴さ。
 それに――腹に括ったモンは、折れてないだろ?
 なら、俺達はまだ負けちゃいねえさ」

 疲れ果てた姿で倒れながらも、彼は笑みを絶やさない。
 無事にやり切ったと、満足を抱くように。
 まだ希望は途切れていないと、皆に告げるかのように。

「嬢ちゃん。よく頑張ったな」

 此度の戦いも、決して無駄ではなかったと伝えるように。
 エパメイノンダスは、少女達を労うのだ。

「……本当に感謝する。高乃共々、これからも宜しく頼む」

 そんな彼に対し、ナシロは謝辞を述べつつ。
 そして、深い感謝の念を言葉から滲ませた。
 エパメイノンダスは、少女の礼に颯爽とした笑みで返す。


929 : ワルキューレが来る(後編) ◆A3H952TnBk :2025/02/08(土) 00:37:12 P8gYYzWw0

 それから河二もまた、ナシロと視線を合わせた。
 彼はナシロの眼差しを受けて、何も言わずに静かに頷く。
 少女の意図を汲むように、河二もまた礼と共に応えた。

 魔女の茶会では、自らの信念を揺さぶる言葉を投げかけられた。
 自身が何のために戦い、何に憤っているのか。
 あの一件で、ナシロは改めて省みることとなった。
 葛藤も苦悩も、まだ振り切れてはいないけれど。
 それでも彼女は、前を向くことだけは捨てたくなかった。
 支えてくれる“誰か”が居ることの価値を、ナシロは噛み締めていた。

「アサシンも、お疲れさま」

 そうして、ナシロは視線を動かす。
 アサシン――ベルゼブブもまた、一連の戦いで間違いなく奮戦した。

「ここまでの戦い、本当に頑張ってくれたな。
 お前がいたから窮地も切り抜けられた。
 後で好きなもん、何でも買ってやるよ」

 ナシロは、ベルゼブブに呼びかけながら振り返る。
 魔女の茶会では、作戦を完遂するための立役者を引き受けた。
 騎兵との攻防では、飛行能力を駆使して撤退戦を切り抜いた。
 最後の窮地においても、通用しなかった筈の“不穏の羽音”で危機を打破してみせた。

 いつもは悪態を付いたりする仲であっても、今回ばかりはナシロも心から感謝していた。
 きっと、ベルゼブブも疲れているだろう。
 エパメイノンダスと共に、暫く休息を与えることも考えた。


「――――アサシン?」


 ナシロは、ぽつりと呟く。
 視線の先。ベルゼブブは、忽然と立ち尽くしていた。
 ナシロの様子に気づいて、河二達もベルゼブブを見た。

 蠅王の皮を被る少女は、遠くを見つめていた。
 明後日の方向を、孤独に見上げていた。
 空の彼方。宵闇の果て。暗黒の向こう側。
 まるで深い夜の極点に存在する“何か”を視るように。
 ベルゼブブは静寂の中で佇んでいる。


930 : ワルキューレが来る(後編) ◆A3H952TnBk :2025/02/08(土) 00:37:46 P8gYYzWw0

 先程の情景が、ナシロの脳裏を過ぎる。
 今までに見たことがない程の魔術行使。
 “不穏の羽音”による大規模な精神汚染。
 これまでとは桁違いと言えるまでの威圧感。
 騎兵達は愚か、河二やランサーさえも恐慌を感じた程の気迫。

 あんなベルゼブブは、初めてだった。
 いつものように、“魔王を演じている”だけの姿には見えなかった。
 まるで写身である彼女に、“蝿の王”そのものが憑いていたかのようで――。


「あ……ナシロさん」


 やがて、ベルゼブブが此方を向いた。
 呆けたように、我に返ったように。
 ぱちぱちと瞬きして、ナシロを見つめていた。

 暫く、視線を交錯させた。
 互いをじっと見つめて、何も言葉を交わさなかった。
 何処か不安げな眼差しを向けるナシロに対し、ベルゼブブはただ呆然としたままであり。
 そうして、蝿の王の名を関する少女は――。


「わたし、カッコよかったですか?」


 ただ一言、へにゃりと笑って。
 そんなことを、聞いてきた。

 ナシロは呆気に取られて、ぽかんとして。
 その一言に、安堵と不安を入り混じらせつつ。
 それから、ゆっくりと口を開いた。

「……落ち着いたら、iPhone買おうな」
「――マジですか!?さっすがナシロさん!!約束守ってくれるんですね!!そうこなくっちゃ!!
 あ、旧型の奴はヤですよ!!新機種ですからね!!ぜーったい!!」

 いつもの調子に戻ったベルゼブブ――もといヤドリバエに、苦笑いで応えるナシロ。
 そんな彼女達を見守る河二とエパメイノンダス。

 一先ずの嵐は去った。
 魔女の茶会を越え、騎兵の追撃を越えた。
 これから話すべきことは、幾つも残されている。
 しかし少女達は、今だけでもせめて。
 生き抜いたことへの安堵に浸りたかった。


931 : ワルキューレが来る(後編) ◆A3H952TnBk :2025/02/08(土) 00:40:09 P8gYYzWw0

【世田谷区(渋谷区との境目に近い)/一日目・日没】

【高乃河二】
[状態]:疲労(中)、魔力消費(大)
[令呪]:残り三画
[装備]:『胎息木腕』
[道具]:なし
[所持金]:それなり(故郷からの仕送りという形でそれなりの軍資金がある)
[思考・状況]
基本方針:父の仇を探す。
0:なんとか、切り抜けられた。
1:同盟を利用し、状況の変化に介入する。
2:琴峯さんは善い人だ。善い報いがあって欲しいと思う。
3:ニシキヘビなる存在に強い関心。もしもそれが、我が父の仇ならば――
[備考]
※ロールとして『山梨からやってきた転校生』を与えられており、少なくとも琴峯ナシロとは同級生のようです。
※雪村鉄志から『赤坂亜切』、『蛇杖堂寂句』、『ホムンクルス36号』、『ノクト・サムスタンプ』並びに<一回目>に関する情報と推論を共有されています。
※レミュリンから『イリス』に関する情報を得ました。
※レミュリンと“蛇杖堂絵里”の連絡先を得ました。

【ランサー(エパメイノンダス)】
[状態]:疲労(極大)、全身にダメージや傷、多数の銃創
[装備]:槍と盾
[道具]:革ジャン
[所持金]:なし(彼が好んだピタゴラス教団の教義では財産を私有せず共有する)
[思考・状況]
基本方針:マスターを導く。
0:ハードすぎんだろ、聖杯戦争。
1:よく頑張ったな、みんな。
2:同盟を利用し、状況の変化に介入する。
3:〈蝗害〉とキャスター(ウートガルザ・ロキ)に最大級の警戒。キャスター(吉備真備)については、今度は直接会ってみたい。
4:琴峯ナシロは中々度胸があって面白い。気に入った。
5:カドモスと会ってみたいなぁ!
[備考]
※カドモスの存在をなんとなく察しているようです。

【琴峯ナシロ】
[状態]:疲労(大)、魔力消費(中)、複数箇所に切り傷、精神的疲労
[令呪]:残り二画
[装備]:『杖』(3本)、『杖(信号弾)』(1本)
[道具]:修道服、ロザリオ
[所持金]:あまり余裕はない
[思考・状況]
基本方針:教会と信者と自分を守る。
0:迷いは晴れない。けれど今は、とにかく前を向く。
1:信者たちを、無辜の民を守る。そのために戦う。
2:楪及び〈蝗害〉に対して、もう一度話をする必要がある。
3:ダヴィドフ神父が危ない。
4:ニシキヘビ……。そんなモノが、本当にいるのか……?
5:アサシン……?
[備考]
※少なくとも高乃河二とは同級生のようです。
※琴峯教会は現在、白鷺教会から派遣されたシスターに代理を任せています。
※雪村鉄志から『赤坂亜切』、『蛇杖堂寂句』、『ホムンクルス36号』、『ノクト・サムスタンプ』並びに<一回目>に関する情報と推論を共有されています。
※ナシロの両親は聖堂教会の代行者です。雪村鉄志との会話によってそれを知りました。
※レミュリンから『イリス』に関する情報を得ました。
※レミュリンと“蛇杖堂絵里”の連絡先を得ました。


932 : ワルキューレが来る(後編) ◆A3H952TnBk :2025/02/08(土) 00:41:04 P8gYYzWw0

【アサシン(ベルゼブブ/Tachinidae)】
[状態]:疲労(大)、脇腹に刀傷、各所に弾丸の擦り傷、高揚と気まずさ
[装備]:眷属(一体だけ)
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:聖杯を手に入れ本物の蝿王様になる!
0:つかれた。とっても。
1:ナシロさんが聖杯戦争にちょっと積極的になってくれて割とうれしい。
2:あんなチビっこ神霊には負けませんけど!眷属を手に入れた今の私にとってもはや相手にもなりませんけど!!
3:ウワーッ!!! せっかく作った眷属がほぼ死んだ!!!!!
4:ナシロさん、もっと頼ってくれていいんですよ。
[備考]
※渋谷区の公園に残された飛蝗の死骸にスキル(産卵行動)及び宝具(Lord of the Flies)を行使しました。
 少数ですが眷属を作り出すことに成功しています。 
※代々木公園での戦闘で眷属はほぼ全滅しました。今残っているのは離脱用に残しておいた一体だけです。
※“蠅の王”の力の片鱗を引き出しました。どの程度操れるのか、今後どのような影響を齎すのかは不明です。


【ライダー(ジョージ・アームストロング・カスター)】
[状態]:疲労(小)、複数の裂傷
[装備]:華美な六連装拳銃、業物のサーベル(トバルカインからもらった。とっても気に入っている)
[道具]:派手なサーベル、ライフル、軍馬(呼べばすぐに来る)
[所持金]:マスターから幾らか貰っている(淑女に金銭面で依存するのは恥ずべきことだが、文化的生活のためには仕方のないことだと開き直っている)
[思考・状況]
基本方針:勝利の栄光を我が手に。
0:さて、帰還だ。
1:神へ挑まねば、我々の道は拓かれない。
2:やはり、“奴ら”も居るなあ。
3:“先住民”か。この国にもいたとはな。
4:やるなあ! 堕落者(ニート)のお嬢さん!!
[備考]
※魔力さえあれば予備の武器や軍馬は呼び出せるようです。
※シッティング・ブルの存在を確信しました。

※エパメイノンダスから以下の情報を得ました。
 ①『赤坂亜切』『蛇杖堂寂句』『ホムンクルス36号』『ノクト・サムスタンプ』並びに<一回目>に関する情報。
 ②神寂祓葉のサーヴァントの真名『オルフィレウス』。
 ③キャスター(ウートガルザ・ロキ)の宝具が幻術であること、及びその対処法。
※神寂祓葉、オルフィレウスが聖杯戦争の果てに“何らかの進化/変革”を起こす可能性に思い至りました。
※“この世界の神”が未完成である可能性を推測しました。


933 : 名無しさん :2025/02/08(土) 00:41:24 P8gYYzWw0
投下終了です。


934 : ◆l8lgec7vPQ :2025/02/12(水) 10:45:49 LapFQdCU0
高天小都音&セイバー(トバルカイン)
楪依里朱&ライダー(シストセルカ・グレガリア)
伊原薊美&ライダー(ジョージ・アームストロング・カスター)
天枷仁杜&キャスター(ウートガルザ・ロキ)

予約します


935 : ◆0pIloi6gg. :2025/02/14(金) 01:21:35 5BQbi3t60
すみません、アサシン(継代のハサン)を予約から外します。
キャラ拘束申し訳ありません。


936 : ◆0pIloi6gg. :2025/02/15(土) 04:02:19 edoGCcyM0
投下します。


937 : この先、日本国憲法通用せず(前編) ◆0pIloi6gg. :2025/02/15(土) 04:02:57 edoGCcyM0



 ――どうしてこうなったんだろう?


 それはきっと、人間ならば誰もが一度は抱いたことのある疑問。
 予期せぬ失敗、人間関係の不和、はたまた自分の人生を振り返った時にふと漏れる言葉。
 アンジェリカ・アルロニカだって、今まで何度となくこう自問してきた。
 決闘で打ち倒した友人が、何度謝っても二度と口を利いてくれなかった時とか。
 テレビに映る同年代の学生が、思い思いのおしゃれをしてきらびやかな夢に目を輝かせているのを見た時とか。
 なんでわたしの人生、こうなっちゃったんだろう――と陰鬱な気分でそう思ったものだ。


 ――どうしてこうなっちゃったんだろう?


 アンジェリカは今、走っていた。
 息が切れる。喉が痛い。肺が苦しくて、許されるなら今すぐにでも座り込んでさめざめ泣きたい。
 まだ季節柄、日が落ちると仄かに肌寒いはずなのに、体感温度はさながら真夏の炎天下だった。
 汗が背中を濡らし、そのせいで服がじっとり貼り付いて気持ちが悪い。
 でも足は止められない。泣きたい気持ちを押し殺しながら、必死に足を動かしている。
 こんなことになるなんて思わなかった。こんなことなら、もっとよく考えて行き先を決めるんだったと心からそう思う。
 けれど後悔先に立たず。遠い異国のことわざが、冷ややかにアンジェリカへ往生を勧めてくる。


 ――いや、ほんと。なんでこんなことになってるんですか? わたし。


 走りながら、息を切らしながら、首から上だけで振り向く。
 するとああ、やっぱりいるのだ。
 距離は離れていない。いや、むしろじりじり詰められている。
 音に聞く固有時制御が今ほど羨ましいと感じたことはない。
 笑う死神はぴったり後ろにくっついていて。笑顔でぶんぶん手を振りながら、アンジェリカの気など一ミリも知らずに言ってのけるのだ。


「まーっーてーよ〜〜〜〜〜!!!! なんで逃げるの〜〜〜〜〜!!!」

「いぃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜や〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!!!!!」


 ……アンジェリカ・アルロニカ、現在全力で逃走中。
 息ひとつ乱さず追いかけてくる〈この世界の神〉を背後に、絶叫していた。
 二度と会いたくないどこぞのヤブ医者が、心底呆れた顔で首を横に振る姿がなんとなく、脳裏に浮かんだ。


 ――事は、今から数分前にまで遡る。



◇◇


938 : この先、日本国憲法通用せず(前編) ◆0pIloi6gg. :2025/02/15(土) 04:03:42 edoGCcyM0



 蛇杖堂記念病院を出たアンジェリカ達が目指したのは、ホムンクルス36号との合流だった。
 彼らのことはとても手放しには信用できないし、同盟関係自体がリスクなのではないか――と思う気持ちは未だにある。
 それでも彼と同じ〈はじまりの六人〉のひとりである蛇杖堂寂句が示した選択肢を無視することはアンジェリカにはできなかった。
 リスクは承知でリターンを取る。そのくらいの気構えでなければ、この舞台で自分はただの端役として死んでいくことになる。
 実際に狂気の衛星と交戦して得た確信だ。
 それが、アンジェリカ・アルロニカの未熟な足を突き動かしていた。
 しかし此処で問題がひとつ。ホムンクルスを頼ると決めたのはいいが、どうやって探したものか皆目分からないのだ。

「うーん、連絡先くらい聞いとけばよかったなあ……」
「油断禁物だぞアンジェ。あのアサシンはわずかでも信用すればいずれ後ろから刺してくる手合いだ。
 この私の眼が黒い内はアンジェに接近などさせん。大体なんだ、病院での奴らの態度は!
 アンジェのサーヴァントは私だというのに、私に断りもなく喋って弄って好き勝手……ぶつぶつぶつぶつ」
「そんなこと言ったって仕方ないでしょ。ケースバイケースよ、ケースバイケース。……まあ流石に文句のひとつくらいは言いたいけど。わたしも」

 東京という街に対し、アンジェリカが抱いた率直な感想は"この街思ったよりでっかくない?"である。
 東京は実は、意外と広い。地図上だとなんだかちまっこくて狭苦しく見えるが、実はちゃんと面積がある。
 おまけに区の数も多いし、この中を虱潰しにあたっていくとなると公園の砂場から一粒の砂金を探すような芸当になってくる。
 何か上手いこと彼らの注意を惹く手段でもあればいいのだが――まさかこちらから悪目立ちして誘い出す、なんて真似をするわけにもいかない。

 となるとやはり根気で探し続けるしかなさそうだ。
 相手はアサシンなので、アーチャークラスの視力に物を言わせ探すのも現実的ではない。
 どうしたものかな、と腕組みをしながらベンチで肘をついた。
 日が落ちて、既に辺りは暗い。それでも、東京の街並みは明るい。流石は"眠らない街"なんて呼ばれるだけあるな、と場違いにもそう思った。

「――こんな街で思い思い夢を描いて暮らせたら、きっとすごく楽しいんだろうな」

 ちょっとおセンチな気分になってしまったものだから、気付くとぽつり、溢していた。
 とはいえ本心だ。でなければ不意に溢れたりしない。

「アンジェはこの都が好きなのだな」
「んー……、そうだね、好き。だって此処、何でもあるし、いろんな人がいるじゃん?」

 スーツを着込んで仕事に生きる者。
 見るからに根無し草といった風体で口笛吹きながら歩く者。
 学生鞄をぶら下げて、楽しげに遊びの予定を語らう者。
 明らかにこの国の人間ではないのに、街並みに溶け込んで世界を楽しんでいる者。
 この街には、いろんな人間がいる。暮らす人々は誰も今更それに疑問など抱かず、当たり前の日常として受け入れている。

 話が通じるようで通じない。自分で未来を狭めているのに、そのことを美徳のように語る。
 そんな人間が圧倒的に多数派を占める世界で生きてきたアンジェリカには、この東京はどこか非現実的にさえ映った。
 魔術師が尊ぶ、誇りと使命に満ちた日常などよりも、この猥雑さの方がよほど輝いて見える。
 
「私とアンジェは、きっと価値観が似ているのだろうな」
「わたしが……あめわかと?」
「うむ。私もな、この都は好きだ。理由も概ねアンジェと一緒だぞ」

 隣に腰掛けたアーチャー……天若日子はどこか誇らしげにそう言った。
 そりゃまたどうして。問いかけようとして、その伝説を思い出す。
 
 ――天津の御遣い。
 与えられた使命を果たさず、天誅を受けて下界で命を落とした神。
 中つ国の平定よりも、己が出会った尊いモノと添い遂げることを優先した反逆者。
 手にしたと思ったつかの間の自由を、神の意思で剥奪された悲劇の子。


939 : この先、日本国憲法通用せず(前編) ◆0pIloi6gg. :2025/02/15(土) 04:04:28 edoGCcyM0

「神は世界の裏側に隠れ、信心は薄れ、過去に綴られた神話は"迷信"と笑われる。
 天津のお偉方が見ればご立腹は必至だろうが、私はむしろ、この不信心な時代を誇らしく思うよ」
「……そりゃまた、どうして?」

 今度は言えた。
 よし、と小さくガッツポーズするアンジェリカに、凛々しい神は顔を綻ばせて言う。

「神なんて大層なモノがいなくても、民は此処まで幸せになれるのだろう?」

 現代で――大っぴらに神の教えなど説けば、大半の人間は白い目を向ける。
 それだけならまだいい方で、ひどいときはカルトの誹りを受ける羽目になるだろう。

 そのくらい信仰が薄れ、神の存在が排された時代。
 この東京などはその最たるものであろう。一部の信心深い人間以外は、そのほとんどが神の恩寵など信じちゃいない。
 都合のいい時だけ脳味噌の奥から引っ張り出して、何とかしてくださいよと願を掛けるだけの存在。
 まごうことなき神の身でありながら、しかし天若日子はその冒涜に眉を顰めるでもなく、むしろ歓迎している。

「なら、これほど素晴らしい世は他にあるまい。こんな時代であれば私も、雉など射らずにのんびり"あれ"と過ごせたやもしれぬなぁ」

 天高くから地上を見下ろし、干渉する神はいない。
 それでも世界は、都は、人は廻っている。
 人間という生き物は、自分が見ない内にずいぶんと強くなった。
 まるで子か弟でも見るような目で、天若日子は日が落ちてなお賑わう街並みを見つめていた。

「……なんか、あめわからしいね」
「ふふ。そうか?」
「うん。本当の神さまがそんなに褒めるんだもん、やっぱりいい街なんだろうね。東京は」
「うむ。きっとそうだ」

 たとえ仮初め、造り物の舞台だとしても。
 時が来れば、誰かの願いの成就と共に燃え尽きる虚構だとしても。
 アンジェリカ・アルロニカは、この街と人々が好きだった。
 抱いた"好き"を肯定されるのは、やはり悪い気がしない。
 自然と頬は綻んで、山積みの問題も難題も今だけはどこか遠くに感じられる。

 ――聖杯戦争が終わったら、本物の東京にも行ってみようかな。

 そんなことを思いながら街を見つめて、疲れた身体を休める。
 蛇杖堂寂句は二度と会いたくない怪物だったが、やることはきちんとやってくれたらしい。
 一度は生死の境をさまよった筈の身体は問題なく動いていたし、意識もはっきりしている。
 視界が霞むとか、そういうヘンな後遺症もなく、この通り街を往く一人ひとりの顔までしっかり識別できて……

「……、……」

 白髪の少女が視界に入った。
 そう離れてはないだろうけど、たぶん年下。
 頭の上からぴょんと立ったアホ毛があざといくらいに可愛らしい。
 今どきスキップなんてしながら進む上機嫌な足取りが、ふと止まる。


940 : この先、日本国憲法通用せず(前編) ◆0pIloi6gg. :2025/02/15(土) 04:05:01 edoGCcyM0

「…………、…………」
「……なあ、アンジェ……」

 ――――見てる。
 雑踏の中から、ピンポイントでこっちを見てる。
 目を逸らした。見てない見てない。わたしは何も見てません。
 いやもう人間ですらないです。先週発売された人間風マネキンのアンジェさんです。よろしくね。

「まあ、なんだ。薄々は思っていたんだが」
「………………、………………」
「君は……その……」

 話しかけられても答えられません。マネキンだから。
 全力の現実逃避をするアンジェリカだったが、現実はとことん非情だった。「や(笑)無理無理(笑)」という天の声が聞こえた気がした。
 視界の端にあって尚抜群の存在感を放つ白いそいつが、ぴこん、と頭の上に"!"の絵文字を浮かべたのが分かった。
 ゆっくりとアンジェリカ、腰を上げる。いつぶりかの準備体操。膝を曲げて、足を伸ばす。
 すたすたすたすた。この素晴らしい街のキナ臭い部分を煮詰めた結果みたいな白いアレが、手を振りながら近寄ってくるのを見含めたところで。


「――――なんていうか、シンプルにめちゃくちゃ運がないんじゃないか?」
「いいいいいいいいやあああああああああああああ――――っ!!!!!!」


 アンジェリカは走り出した。
 そして時刻は現在に戻る。
 逃げるのは、運命を拒絶した少女。
 追うのは、運命を超越する少女。
 この世でもっとも不毛で、もっとも結果の見えた鬼ごっこが、港区の一角で繰り広げられていた。



◇◇


941 : この先、日本国憲法通用せず(前編) ◆0pIloi6gg. :2025/02/15(土) 04:05:46 edoGCcyM0



「ねえ! ねえねえねえ! ねーえー!!
 前に会ったことあるよね!? ちょっとお話しようよー! 私はね、神寂祓葉! 神さまが寂しがって祓う葉っぱって書いて――」

 アンジェリカ、渾身の絶叫と疾走である。
 自分なりに覚悟は決めたつもりだった。
 この都市に蠢く"宿命"。辿ればひとりの少女に終着する"運命"。
 これと向き合わずして、アンジェリカ・アルロニカに未来はない。
 蛇杖堂記念病院での一戦は、彼女にそう悟らせるには十分すぎる霹靂だった。
 ホムンクルスを探し、世界の秘密について聞き出す。
 そして改めて、己が臨むべき戦いの実像を見据える――そう思っていた。誓って嘘はない。けれど。

「いーーやーー!!! もう知ってる! 知ってるからどっか行って来ないでむりむりむーり―――っ!!??」

 流石に。
 初手からラスボスがぴょんぴょこ近付いてくるのは聞いてない。
 半泣きだった。ましてやアンジェリカにとって、この"白い少女"……神寂祓葉はトラウマなのである。
 天若日子の弓を切り捨て、横槍を入れてきたどこかのサーヴァントが出した巨大な狼を一太刀で斬殺した怪物。〈この世界の神〉。
 まだ整理が付けられていない苦手意識を逆撫でするどころかぺろぺろ舐め回す勢いでやってきた運命に、アンジェリカは泣いていた。

「逃げなくていいよぅ! ひどいことしないよ!?
 前の時にノクトもイリスも言ってたの! 聖杯戦争は夜からが本番だからって。
 だからせっかくだし、本格的に夜が来るまではぐっといろいろ堪えてみんなとお話したり友達作ったりしようと思ってるの!」
「こっちは現状ジャックとホムンクルスで手一杯なの!! もうちょっと手心ってやつを加えてほしいなあ切実に!!!」
「え! ジャック先生とミロクに会ったの!?
 そっかぁ! えへへ、うへへへ! ふたりとも、特にミロクは元気してた!? おっきくなってた!? かわいかった!? ミロクはすっごいいい子なんだけどね、世間知らずっていうか箱入り娘……息子? って感じでさー。私も名付け親、兼お姉ちゃんポジとしていろいろ心配してたんだよ。でもこっちから会いに行くのはなんか違うじゃん? ヨハンに言われたんだけど私って結構過保護なタイプみたいで、自分ではそんな自覚まったくないんだけどさ、でも実際そうだったらそれってよくないよなあって思って……うぅ、お姉さんはこういう時どうしてる!?」
「鬼ごっこの最中にお悩み相談のご対応は無理ですお引き取りください――――っ!!!!」

 脳裏に嫌というほど染み付いたトラウマ。
 幻想的ですらあった狂気の象徴が、一瞬でアホのじゃじゃ馬に塗り替えられていく。
 だとしても苦手意識が、魂にまで届いたあの日の恐怖が消えるわけじゃない。
 アンジェリカは必死だった。追いつかれたら死ぬと、冗談抜きにそう確信していた。
 だからこそアスリート顔負けの全力疾走をする一方で、思考を"加速"させて相棒に念話を飛ばす余裕を作り出す。

『あ……あめわかっ、どうにかならない、これ……!?』
『無論、私もそのつもりだ! ――アンジェ、問うぞ。少々の悪目立ちは目を瞑ってくれるか!?』
『う、うぅー……! なるべく周りに被害が出ない感じで、こう、うまくお願い……!!』
『――承った!』

 主の意向を聞き届け、天より下った弓兵が身を反転させる。
 定めた狙いに狂いはなく。その弓は、最上の冴えを常に維持する。
 放たれる神矢、神意。一条の光と化した軌跡は白い少女に過たず迫り、だが……

「おぉっと! ……へへー、覚えてるよ! アーチャーだもんね、お姉さんのサーヴァント!!」
「ッ……!」

 必殺を誓う筈の矢は、力任せに掴み取られた。
 英霊の矢を、現代を生きる人間が受け止められる筈がない。
 掴み取った手は無茶の代償に破砕し、地面に叩きつけたトマトのように崩れている。
 が――その傷は、瞬きほどの間しか、痛ましさを留めておくことができなかった。

 再生する。溢れた肉、砕けた骨が回帰する。
 天若日子の眼は、それが治癒魔術の類に依るものでないことをあの夜と同様に看破した。
 もはや生態の域にまで高められた超再生。不死の二文字が脳裏をよぎる。
 馬鹿馬鹿しいと頭では分かっているのに、目の前の現実はその道理を平然と超えてくるのだ。


942 : この先、日本国憲法通用せず(前編) ◆0pIloi6gg. :2025/02/15(土) 04:06:37 edoGCcyM0

 天若日子は、神である。
 現界にあたって英霊大に零落はしている。
 しかしそれでも、神である。

 神でありながら地上の世界を愛し、それに浸り、命を落とした者として。
 その存在は貶められ、そうしてこの針音都市へまろび出るに至っている。
 だが如何に地上の法理が絶対なれど、神として過ごし生きた記憶までは消せない。
 彼は今も覚えている。天に坐し地上を見守る天津神。地上で営みを送る神。彼は英霊であると同時に、境界記録帯を超えるモノ達を知っている。

 ――だからこそ解ることがひとつ。
 この神寂祓葉という娘は、人間の規格(カタチ)をしていない。

(何故、止められる……!)

 葦原中国の平定を拒み、数多の神々を打ち倒し叩き返したという、天津甕星という悪神の名を天若日子は想起していた。
 天において不条理の象徴だったかの神を彷彿とさせる、理不尽。
 暴力で以って道理を蹴散らし、現実を調伏する禍津。
 畏怖すら覚える"奇跡"という名の悪夢が、天から堕ちた神の視界に存在している。

「アーチャー。ふふ、アーチャーかあ。ケイローン先生を思い出すなあ……!」

 ――ケイローン。

 "前回"、〈はじまり〉の戦乱において、蛇杖堂の暴君が使役し猛威を奮った英雄の名が事も無げに紡がれる。
 ゾ、とアンジェリカが改めて背筋を震わせた。
 悪夢そのものの少女の口から出るにしては最悪と言っていい"思い出"が、正しく道理を理解する者にとっての極限の絶望として機能する。

「はっ、はっ、はっ、はぁっ……!」

 突然の遭遇で麻痺していた、恐怖という感情が思い出したみたいに戻ってくる。
 ホムンクルスと出会った。蛇杖堂の暴君と出遭った。
 それらは確実にアンジェリカという人間に成長をもたらしていたが、だからと言って人はいきなりは変われない。
 魂の裡にまで染み付いたトラウマというものは、一朝一夕の劇的な体験で拭い去れるものではないのだ。
 喉が引き攣る。汗が冷たさを増す。これがいる世界に生きたくないと思ったいつかの気持ちが鮮明に蘇り浮かび上がってくる。

 ――怖い。
 
 もしも何も知らない状態でこれに遭ったなら、むしろ毒気を抜かれる形になったかもしれない。
 それほどまでに少女は人畜無害を装っていた。本人さえその気なく、無垢な羊を演じていた。
 だが違う。そうではないとアンジェリカは既に知っている。これが、世界の理をねじ伏せる生物であると分かっている。
 分かった上で見たならば、可憐と胡乱を突き詰めたような知性に欠ける言動さえ恐怖の対象でしかなかった。


943 : この先、日本国憲法通用せず(前編) ◆0pIloi6gg. :2025/02/15(土) 04:07:20 edoGCcyM0

「――アンジェッ! しっかりしろ!!」

 響く相棒の声にはっとする。
 そうだ――何のために私は、あの老人の話を聞いたのか。

(……、ビビってんなよ、ばか……!)

 相手は化け物だ。
 まともな手段で戦って、勝てるわけがない。
 恐怖なんてありふれた気持ちに駆られてる有様で、どうこうできるわけがない……!

 考えろ。
 考えろ。
 考えるんだ――少しでも、この状況をどうにかする手段を。
 泣いてもいい、震えてもいい、でも考える頭だけは絶対に止めるな。
 涙は火傷の熱も冷ましてくれる。この心があの輝きに灼かれることを防いでくれる。
 だから涙も汗も許そう。流れろ、と認めてやろう。でも停滞だけは意味がない。だから考えろ、アンジェリカ・アルロニカ。
 思考を伸ばす。魔術回路が酷使に悲鳴をあげる。それでも、加速している間だけは自分だけの世界で腰を落ち着けられる。
 
 視界に入るのは、スローモーになった相棒の姿。
 放つ矢は勇猛にして果敢。自分の信じた優しい神の勇姿がそこにある。
 天若日子が向かい合うは、恐ろしくも美しい〈この世界の神〉。
 ホムンクルスを魅了し、老いたる蛇を恐れに狂わせた白きもの。

(なんか、でも……思ったよりこいつ、話が通じなそうな感じじゃない……?)

 先の会話を恐慌の余波冷めやらぬ脳髄から呼び起こす。
 理屈はまったく理解不能だったが、夜までは派手に戦うつもりはない、というようなことをこれは言っていた。
 現在の時刻は午後七時の半ばほど。十分に夜だが、まだ日が落ちてそれほど経っていないくらいだ。
 もちろん口先で騙して、油断したところを斬り伏せてくる危険性を排除はできないが……

 アンジェリカは思う。
 これに、人を騙すなんてことができるのか?
 まだ迷いはあるが、とりあえず答えは否に思えた。

 アンジェリカは、時計塔の魔術師たちを知っている。
 彼らに囲まれて、青春のほとんどの時間を過ごしてきた。
 彼らは皆、個々の差異はあれどもある程度知的で狡猾に見えた。では、この少女はどうだ。

 ――とてもじゃないけど、そういうタイプには見えない。
 それどころか発言だけ見れば、間違いなく馬鹿のたぐいである。
 言いたいことは言い放題。相手の事情を考えず、自分の都合で話しかけて、表情はずっとにこにこへらへら。
 サーヴァントを相手に平然と拮抗できている異常性を除けば、正直、ちょっと頭が足りないだけの普通の女の子に見える。
 
(だったら……、……ッ)

 亡き母と、父の顔。
 ホムンクルスと、老人の顔。
 そしてこの一ヶ月眺めて、憧れてきた"自由な世界"の偶像。
 それらを矢継ぎ早に脳裏に思い描き、意を決してアンジェリカは――逃げる足を止めた。

「……、か」

 白き神が足を止める。
 相棒の弓兵が、切羽詰まった顔で振り向く。
 彼に小さく頷いて、アンジェリカは未だ消えない恐怖を押し殺し、必死の思いで声帯を駆動させた。


944 : この先、日本国憲法通用せず(前編) ◆0pIloi6gg. :2025/02/15(土) 04:08:01 edoGCcyM0

「神寂祓葉……さん?」
「そうだよ! あっでも、お姉さん年上っぽいし呼び捨てでもおけおけおっけー! って感じだけどっ」
「……じゃあ、祓葉」

 にこにこ微笑みながら話すその右手には、天若日子の放った矢が数本握られている。
 受け止める度に砕け、ひしゃげていた筈の細腕には今や傷ひとつ残っちゃいない。
 不条理。不合理。この世のあらゆる理屈が、彼女の存在の前に狂っていく光景を目の当たりにして目眩がする。
 蹲りたくなる衝動をぐっと堪えた。此処でそんな凡庸さを露呈するようじゃ、自分は一生かかっても目の前の存在に追い付けない。
 いや、追い付こうが追い付けまいが自分としてはどうでもいいのだが――この世界で生き抜く上では、その子どもじみた意地こそが必要不可欠な通行手形であるのだと理解しているから。

「あなたは……何が、したいの?」

 震える唇が精一杯の気丈さで紡いだ問いは、我ながら実に単刀直入だった。
 〈この世界の神〉。神寂祓葉。かつて聖杯戦争を制し、そして新たに始めた生ける特異点。
 
 彼女は勝利し、そして再び聖杯戦争を興した。
 蛇杖堂寂句はそう語ったが、わからないのはその動機だ。
 何故、そんなことをする。聖杯とは、どんな願いも叶える万能の願望器であるのではなかったか。
 それとも実はその看板に偽りでもあるのか。分からない。分からないことは、確かめなければいけない。

「ドクター・ジャックは、"遊び"だって言ってたけど――」
「そっか、ジャック先生に会ったって言ってたもんね。
 うん、でもその通り。何がしたいのって聞かれたら、もっと遊びたかったって答えるしかないかなあ」
「……、……」

 絶句する。
 あまりに馬鹿らしい理由だったから、大方寂句の皮肉のひとつだろうと思っていたのに。
 再会を果たした〈この世界の神〉は実にあっけらかんと、その"馬鹿らしい理由"こそが真実であると頷いてみせた。

「本当にそんな理由で、此処までしたの……?」

 思わずそう問うてしまったアンジェリカを誰が責められようか。
 魔術師ならば、いや魔術師でなかれども、誰だって同じ反応をする筈だ。
 遊び足りないから戦争を始めた。遊び足りないから、世界をひとつ新たに創った。
 本物の造物主に面と向かってそう言われて唖然としない人間など、彼女の同類以外にはまず存在すまい。

「そんな理由だなんてひどいなあ。私にとっては本当に、とっても大切な動機(りゆう)なんだよ?」

 顔が引き攣るのを止められないアンジェリカの内心など、本当に理解できないのだろう。
 少し困ったように眉を寄せて、祓葉は笑った。
 神と呼ぶには無垢すぎる。人と呼ぶには美しすぎる。
 そんな微笑みが――夜が来て、ネオンライトが照らし始めた街の片隅で、アンジェリカを見据えている。

「聖杯戦争ってさ、とっても素敵なゲームだと思わない?」

 ゆっくりと、まるで世界の素晴らしさを幼い子に説くように、祓葉は両手を広げる。
 背後に佇むは煌星の都。自由に溢れ、可能性に富み、一秒だとて眠らぬ夢の街。
 されどいつか戦火に灼かれて消え去ることが決まりきった、現代のソドム。


945 : この先、日本国憲法通用せず(前編) ◆0pIloi6gg. :2025/02/15(土) 04:08:49 edoGCcyM0

「此処じゃみんなが本気なんだ。みんないつだって、勝つために全力を尽くして遊んでくれる。歳も性別も、持って生まれた性格も関係ない。
 優しいひとも乱暴者も、大人も子どもも、聖杯戦争では誰もがおんなじなんだよ。誰もが同じゲーム盤の上で、生き抜くために必死で遊ぶ。
 こんなに楽しくて素敵なことって他にある? 私は、世界のどこにもないと思うんだ」

 語っている内容は、端的に言って滅茶苦茶だ。
 暴論も暴論、理屈の破綻を突くことも億劫になるような飛躍した理屈。
 だけど、いやだからこそ、飛び抜けすぎているからこその超然がそこにある。
 天若日子は思った。同じことを、アンジェリカ・アルロニカも思った。

「此処はみんながみんな、あるがままに本気で遊べる場所。
 私とヨハンのゲーム盤。お姉さん達も――楽しんでいってくれたら嬉しいな」

 この少女の視点は――もはや人間の範疇にない。
 それは神の視座だ。天の彼方に坐し、地を見下ろして過ごすべき生物の価値観だ。

 だってほら、その証拠に今も祓葉は笑っている。
 誰が聞いても狂人のものと分かる理屈を語っていながら、その微笑みには微塵の悪意も他意も窺えない。
 十割の純真。十割の純心。穢れなく、ただの一つの陥穽も存在しない究極の白色。
 アンジェリカは、唇の震えが消えていることに気付いた。心が決まったのか、さっきまでの怯えが嘘のように身体が平静を取り戻している。
 唯一心臓だけは今も早鐘を打ち鳴らし続けているが、だとしても、それはもう彼女の足を止める理由たり得なかった。

 目の前の少女を、改めて視認する。
 今度は恐怖という靄を挟まず、ちゃんと己の視界で。
 
 ――白い少女が、そこにいる。
 自分よりひとつかふたつは年下であろう、可憐そのものの容貌。
 背丈は小柄。なのに驚くほどの、目を逸らせない存在感が痩身の端々から横溢している。
 頭の上にぴょんと跳ねたアホ毛といい、浮かべる笑みの純真さといい放つ魅力のすべてが自然体で他人の毒気を抜くことに特化していて。
 それだけに右手に握られた、数本の矢が異彩を放つ。彼女の魅力に騙されぬよう、絆されぬよう――これは化物であると、そう示すよう。
 
「……祓葉」
「うん?」

 恐ろしいのは、この期に及んでまだ自分の心が痛むこと。
 ああきっと、これから先どれほどの戦いを経ても、覚悟を決めても、これだけはブレないのだろう。
 神寂祓葉はかわいい。足元に駆け寄ってきて、ふりふりしっぽを振る人好きな子犬のようなもの。
 彼女の実像が何であろうが、その存在と振る舞いは、いつだとて人を自然体のまま欺く。惚れさせる。狂わせる。

 現にアンジェリカは此処で、魔力の消耗を顧みず思考加速を使っていた。
 本当に、自分が今抱いている感情は正しいものなのか。
 一時の感情に流されてはいないか。蛇杖堂寂句は実は劣等感を拗らせただけの老いぼれで、神寂祓葉とは今目で見ている通りの美しくて素晴らしい存在なのではないか。
 そんな自問を、此処まで歩んできた道筋を念頭に置いた上で尚大真面目に繰り広げた――そうしなければならないと思った。
 こと彼女に、神寂祓葉に対する認識には、何ひとつとして間違いなどあってはいけないと感じたから。そう思わせるだけの力が、この少女にはあったのだ。本人には、何の自覚もないのだろうが。

 ――加速、終了。
 世界が元に戻る。
 思考が時の牢獄より解き放たれる。
 それを以ってアンジェリカは、台詞の続きを紡いだ。
 
「あんたは――――」

 伝えなければいけないことがある。
 示さなければならないことが、ある。
 アンジェリカ・アルロニカとして。
 祓葉の箱庭に招待された、"遊び相手"のひとりとして。
 その自負が恐怖をかき消していた。
 唇は動き、声帯は駆動し、言葉は音という形を持って解き放たれる。

 今この瞬間、この場所で、この状況で。
 ちっぽけな自分が、それでも運命のその先を願った己が、神なる白色に伝えるべきことは――――


946 : この先、日本国憲法通用せず(前編) ◆0pIloi6gg. :2025/02/15(土) 04:09:35 edoGCcyM0


「もう、」


 言った。
 言おうとした。
 それと、まさに同時のことだった。

 たん――――ぱん。ぱぱぱん。
 そんな軽い音が、ポップコーンの弾けるみたいな音が、いくつか響いたのは。

「…………え?」

 目の前の祓葉の全身が、水玉模様に染まった。
 水玉のひとつひとつから、向こう側の景色が覗いていた。
 それが水玉ではなく、穴だと気付いたのは、祓葉が物理的に崩れていくのと同時であった。

 血の臭い。
 命が失われる、その香り。
 あの病院で嗅いだのと同じ、けれどより色濃い凶の兆し。
 茫然と固まる眼差しが、祓葉だったモノが崩れ落ちたことで開けた視界の先に、それを見た。

「――――、なに、あれ?」

 最初、アンジェリカは、ある有名なホラー映画を思い出した。
 聖杯戦争が始まってから今に至るまでの一ヶ月間で、サブスクを利用して手慰みに見た邦画だ。
 井戸の底から這い出て、最後にはテレビの画面を飛び出して殺しに来る、白装束に長い髪の悪霊。
 それを思い出した。そういう光景が、現実の事象としてそこに存在していた。

 底の見えない井戸の代わりにあったのは水面。
 どこまでも【赤】く、【紅】く、【朱】い、どろついた質感の水面だった。
 そこからまるでエレベーターで浮上するみたいに、ぬちゃりと音を響かせながら、何かが出てきた。
 件の映画と違うのは、それがそもそもカタチすら曖昧な物体であったこと。
 人のようにも見えるし、獣のようにも見える。一方で無機物のようにも見えるし、自然現象のようにも見える。
 人の認識を冒すが故に人の数だけ解釈の余地がある、ロールシャッハテストめいた冒涜的不定形。
 顔も、輪郭すらも朧で曖昧なナニカが、神の死骸の背景に鎮座している。

「……ッ、アンジェ!!」

 あまりに非現実的、いいや、目を逸らしたい光景だったのか。
 アンジェリカはこの期に及んで、あろうことか忘我の境地に立たされる惰弱を晒した。
 響く相棒の声すら、どこか遠くに聞こえる。
 そんな少女の弱さをせせら笑うように――いや、そう解釈するには無機質過ぎる声で。

 その【赤】は。
 【赤き騎士】は。
 人類の原罪の象徴たる【赤】は――哭くように、言った。



「――――Wars」



 すなわち戦争。
 この上なく分かりやすい、己の実像を告げる言葉と共に。
 血の水面から這い出た【赤】は、完全にその像を結び。
 それをアンジェリカが認識した次の瞬間、都市の繁栄も自由への希望も薙ぎ払う鉛弾の鉄風雷火が、轟音を伴いながら吹き荒れた。



◇◇


947 : この先、日本国憲法通用せず(前編) ◆0pIloi6gg. :2025/02/15(土) 04:10:00 edoGCcyM0
◇◇



 ――それは、赤き死の象徴である。

 ――それは、あらゆる霊長が出現した瞬間から抱えている原罪である。

 ――それは、遥か未来永劫の彼方に至るまで消えることのない罪業である。

 ――それは、あまねく死と破壊を象徴し語り継ぐ歴史である。

 ――それは、荒廃の地平線に芽吹く可能性の種子たる創生である。

 ――それは、黙示録に綴られたいつか訪れる終末の代弁者である。

 ――それは、白き神の箱庭に招かれた抑止録の一頁である。

 騎士が来る。
 騎士が往く。
 血が流れる。
 【赤】に染まる。

 人類が人類である限り打破し得ぬ。
 霊長が霊長である限り超克し得ぬ。
 その総体意思が統一されぬ限り根絶し得ぬ。

 〈可能性〉という希望の影に這い寄り続ける――――厄災である。



◇◇


948 : この先、日本国憲法通用せず(前編) ◆0pIloi6gg. :2025/02/15(土) 04:10:23 edoGCcyM0
◇◇










                       黙 示 録  開 帳 

                      R E D  R I D E R


                          1 / 1










◇◇


949 : この先、日本国憲法通用せず(前編) ◆0pIloi6gg. :2025/02/15(土) 04:11:06 edoGCcyM0



 天若日子は、神である。
 天津神が地上に遣わした尖兵であり、然るべき理を以ってそれを治めることを期待された天津国玉神の直子である。
 
 神と一口に言っても、その性質は多彩だ。
 支配者としての神。ヒトの隣人としての神。増長した者を罰する審判の神。
 更には、世の理を乱し悪徳を貪ることを良しとする――悪神、という神もいる。
 
 黄泉の穢れより生まれ、災厄のみを理とする八十禍津日神。
 中国平定に抗い、数多の神を蹴散らした天津甕星。
 そういう神の存在を、天若日子は知っている。
 更に言うなら――そういうモノを見極める眼も、天の弓兵たる彼は持っている。

 その彼だからこそ刹那にして理解した。
 違う、これは神などではない。
 天津にしては邪悪すぎる。地祇にしては猥雑すぎる。黄泉でさえこの混沌は噛み分けられまい。
 
「貴様は……」

 では、人か。
 違う。断じて違う。
 天若日子が愛する女神と共に過ごし、時を経て朋友と共に愛した地上の人々は、誰ひとりこんなカタチはしていなかった。
 単純な容姿ではなく在り方の話だ。どんな人間にも表と裏、光と闇がある。その二面性を天若日子は否定しない。そんな不確かさこそが地に足着いて生きる人間の証だと信じているから、時々で眉を顰めることはあっても彼らの弱さ自体を醜悪と糾弾はすまいと心がけている。

 だが――この赤いナニカは違う。これの魂にある不確かさは"弱さ"ではなく、猥雑極まりない混沌だ。
 千の無貌。特定の顔を持たないからこそ、この世の何者にでもなれる本質なき存在。
 その在り方は固有の人格や想いを有さず、まるでただ地上に混沌たる惨禍を運ぶための機構(システム)のようにも思えて。
 そこまで思い当たったところで、天若日子が連想したのは蛇杖堂記念病院で交戦した、奏で喰らう虫螻の王であった。

「――まさか、貴様は!」

 あの厄災の同類かと、戦慄と共に叫ぼうとした刹那。
 続く言葉を切り裂くように、神寂祓葉を肉塊に変えた破裂音が今度は天若日子とアンジェリカに向けて乱射された。

 赤い、影とも泥ともつかないナニカ。
 その身体が水面のように波紋を浮かべ、そこから無数のくろがねが顔を出している。
 銃口であった。M4カービン、UZIサブマシンガン、AK-69、A-545、RPK軽機関銃、etc――およそ英霊とは、神秘とは縁遠い近代兵器どもの銃眼。
 それを自らの身体の延長線上に存在する新規部位として構築しながら、弾切れも反動もすべて無視して展開された魔弾の弾幕。
 本来ならば英霊にとって近代兵器など文字通り豆鉄砲でしかないにも関わらず、この時天若日子にその考えはなかった。

 発射された弾丸の一発一発、英霊の動体視力でなければ残像を捉えるのも困難であろう鉛弾のすべてに魔力が通っている。
 それも極めて高濃度。もはや毒素と呼んだ方が近いような、悍ましい赤色が全弾に浸潤しているのだ。
 Bランクと三騎士の肩書きに恥じない耐久値を有している天若日子でさえ、アレに撃たれれば身体に風穴が空くと確信した。
 天之麻迦古弓を構え、間違いなくこれまでの戦いの中で最大の危機感を持ちながら針に糸通す精密射撃の嵐を吹かせる。

 数が多すぎてこれでも全弾迎撃とはならないのが恐ろしかったが、当座の対処としては十分だろう。
 そう判断してバックステップで後ろに下がり、無防備なマスターを連れて仕切り直しを図る。
 天若日子の判断は迅速だったが、しかしアンジェリカはと言えば、未だ呆然とその場に立ち尽くしたままだった。

「アンジェ! 此処はもはや死地だ、一度退くぞ!」
「……、……」
「――アンジェ!!」

 気付けのように声を荒げる天若日子。
 しかしそれでも、アンジェリカの様子は変わらなかった。
 天若日子はそれを、覚悟を決めて対峙した神寂祓葉が一瞬にして細切れにされた事実を受け止めきれないが故の停止だと認識した。

 だが、その認識が間違いであるとすぐに気付かされる。
 他でもない愛する朋友の口から漏れ出した言葉が、彼に誤りを悟らせた。


950 : この先、日本国憲法通用せず(前編) ◆0pIloi6gg. :2025/02/15(土) 04:11:39 edoGCcyM0

「……何なのよ、さっきからッ!」

 髪の毛をぐしゃりと握り潰して、地団駄を踏む。
 まるでヒステリーを起こしたように荒々しい、普段のアンジェリカらしからぬ行動だった。
 だから天若日子も、一瞬状況を忘れて唖然としてしまう。
 自分の理想のマスター像を彼女に押し付けるつもりはないが、だとしてもこれは、あまりにも……

「もう何が何だかわかんない……いい加減にしてよ……!
 わけのわかんないこと言う奴ばっかりだし、ようやく人が向き合う気になってみればこのザマだし……!
 わたしが何したって言うのさ……っ、本当、もう……勘弁してよぉ……!!」
「アン、ジェ……? 気を確かに持て、何か様子がおかしいぞ……!?」
「ああもう、うるさいうるさいうるさい! どいつもこいつも、うるさいぃっっ……!!」

 確信する。
 アンジェリカの様子がおかしい。
 彼女はこんなにも、攻撃的な人間だったろうか?
 涌いて出た突然の窮地であるとはいえ、こうもヒステリックに感情を表す少女だったろうか?
 
 否だ。
 断じて違う。
 彼女の中にそういう気質があったなら、此処までの時点でとっくに出ていた筈だ。
 脳裏をよぎるのは、蛇杖堂の魔人に負けると分かっていて果敢に挑んだアンジェリカの勇姿。
 冗談抜きに死が一歩手前まで迫っていたあの時でさえ、アンジェリカ・アルロニカは一切の思考を停止させなかった。
 そんな記憶の中のアンジェリカの姿と、目の前で自傷するように髪をかき乱しながら叫ぶ女の姿が、どうしても重ならない。

「……そっか。あいつか。あいつが悪いんだ」

 アンジェリカが、不意に顔を上げる。
 そうして雷光の子は、赤き騎士を睥睨していた。
 不快の原因を見つけたとばかりにぎらついた瞳で、どう見ても危険極まりない得体不明の厄災を見据える。

「アーチャー、行くよ」

 そこにあるのは、荒ぶる猛獣のように獰猛な戦意。
 合理も論理もかなぐり捨てて、ごく短期的な目標のために短絡そのものの思考回路で進む、火に向けて飛ぶ蛾のような愚かしさ。

「……ッ、何ぼけっとしてんの! 戦うんだよ、アーチャー!!」

 口角泡を飛ばして叫ぶアンジェリカの方を、天若日子はもはや見ていなかった。
 彼の双眸もまた、先のアンジェリカに倣うかのように赤騎士を睨め付けている。
 しかし彼女が騎士へ向けたものと彼が今まさに向けているそれは、まったく種類の異なる感情であった。


951 : この先、日本国憲法通用せず(前編) ◆0pIloi6gg. :2025/02/15(土) 04:12:17 edoGCcyM0

「――――おい、貴様」

 漆黒と称するべき殺意が横溢していた。
 その感情は、心優しい凛々しい神が大切な一線を超えられた事実を物語る。
 継代と銘された〈山の翁〉へ見せた嫌悪とは違う。主の身体を捌く蛇杖堂の暴君に見せた威圧とも違う。
 貴様は許さぬと告げる純然たる神意。地の悪徳を祓うべく遣わされた若き神の本領、その真価がここにある。

「誰の許しを得て、神(わたし)の友人に触れた?
 その汚らしい泥でこの娘を犯した? 疾く答えよ。さもなくば貴様の存在、一片残さず此処で黄泉の国へ叩き落とす」

 ――天若日子は、神である。
 神とは寛大なものだ。だがそれ以上に無慈悲なものだ。
 地上を見守り導く優しさの影には、常に容赦のない裁きを下す冷徹さが隠れている。
 
「答えられぬか。口も利けぬのか、白痴」

 おまえが何処の誰で、何であるのかは知らぬ。
 如何なる事情を抱え、此処に存在しているのかは知らぬ。
 場合によっては理解も示そう。だがおまえが冒した所業は看過しない。
 速やかに弁解をせよ。自己弁護に励め。神(わたし)に酌量の余地を見出させてみろ。
 そうでなければその生命、魂、今この場で断罪する。
 天津の神として地上にあるまじきその醜穢を裁いてくれると、短くも苛烈な言葉で天若日子は宣告した。

 ――それを受けてか、赤騎士の身体に小さな亀裂が生じた。
 口だ。神の詰問に際して新たに作り出したその身体部位が、緩やかに弧を描く。
 その表情の名を、天若日子は知っている。

「――トウソウ、ソレ、スナワチ。トコヨヲスベタル、フヘンノコトワリナレバ」
「そうか」

 笑みだ。
 感情の介在しない、単にそうすることが機能上合理的だからと判断した故のアルカイックスマイル。
 されど、いいやだからこそ。その血の通わない空寒い表情(かお)は、神の逆鱗を悪意以上に逆撫でする嘲笑として響いた。

「死ね、下郎」

 光の弓、引き絞られる。
 既に彼にとって、この戦いは"対処"ではなくなっていた。
 神の一線を超えた不敬者、下劣なる化外畜生を討滅する決戦である。

 天若日子はアンジェリカと違い、赤騎士――レッドライダーのスキル・〈喚戦〉に感染していない。
 だからこれは彼自前の殺意であり憤怒。
 この世の害悪を討ち滅ぼすべき弓が、千年越しに大義を果たすべく嘶きをあげる。

 それに対し赤騎士は、再び現代兵器を数多生み出して相対する。
 神の弓か、人の業か。天か地か。古きか、新しきか。
 こと射撃という概念における白と黒が、コンクリートジャングルを舞台に激突せんとして。
 いざ致命的な戦端が開かれるというまさにその瞬間、舞台の筋書き(ジャンル)が切り替わる。


952 : この先、日本国憲法通用せず(前編) ◆0pIloi6gg. :2025/02/15(土) 04:14:11 edoGCcyM0


 赤騎士の輪郭が――――目も灼かれるような極光の帯に呑み込まれたのだ。
 真横から割り込んで、無粋にも決闘の流れを打ち崩して、主導権を奪い返す劇的な君臨。
 アスファルトを溶かし、建造物をガラス細工のように砕きながら、星ならざる聖剣が赤い戦禍を蹂躙する。
 その主は無論、彼女以外にはありえない。先ほど全身を蜂の巣に変えられて呆気なく死んだはずの少女は、変わらぬ笑顔でそこにいた。


「寂しいじゃない。私も混ぜてよ、いいでしょ? 卓を囲む友達は多いほうが楽しいもんね」


 白き神、再臨す。
 あらゆる負傷は、彼女の未来を決して鎖せない。
 完成された永久機関、人類科学の最高到達点が主役の退場を拒み続ける。
 右手に光の剣を携えて立つその姿は、東京の平穏を脅かす厄災を祓いに現れた、まさしく神の化身のようで。
 現に祓葉は人間の身で黙示録の騎士、四種の終末装置のひとつを殴り飛ばして堂々登壇を果たした。
 
 天若日子は、それを前にして熱が引く感覚を覚える。
 そして、熱から冷めた/醒めたのは何も彼だけではない。
 つい先ほどまで双眸に戦意を横溢させ、感情的に赤騎士を見据えていたアンジェリカも然りだった。

「…………っ、は」

 赤騎士の〈喚戦〉は病のようなもの。
 熱に浮かされた脳は思慮を放棄し、目先の戦いに向かいたがる。
 そんな脳裏を焦がす闘志の火が、より強い輝きによって灼き尽くされた。
 流行病の熱を消すために太陽の熱を処方するなど荒療治にも程があるが、今の彼女にはそのくらいが丁度良かったらしい。

「あ、アーチャー……。わたし、わたし、今まで、何を……っ」
「正気に戻ったか、アンジェ。喜ばしいが説明は後だ。何せ、問題はまったく解決していないのだからな……!」

 死を破却して、再度立ち上がった〈世界の主役〉。
 光剣の一撃は、殺意に滾る天若日子を無視して赤騎士を消し飛ばした。
 だが――だが。戦争とは人類の抱える不治の病。濯げぬ原罪、消えぬ炎。
 なればこそその化身たる終末の【赤】が、たかだかこれしきで討たれる筈がない。

 とぷん、という音がする。
 未だ白煙の立ち昇る、光剣によって刻まれた一撃の痕。
 その戦跡上に、数秒前とまったく同じ姿形で赤き騎士が現出した。

 いや――それだけではない。
 今度はもっと破滅的な光景が、その出現に付随していた。

「……わお」

 祓葉の驚きが小さく響く。
 無理もない。それほどまでに、非現実的な光景であった。

 亡霊のようにひとり立つレッドライダー。
 その背後に、隊列を成して行進する影が無数に見て取れる。
 総数は百を優に超えている。全員が重火器で武装しており、さながら赤騎士に付き従う兵隊のようであった。
 兵隊と言っても、明らかに人間ではない。何故なら彼らの体表色は、既存のどの人種のものとも一致していなかった。
 青銅だ。公園や駅前に置かれているオブジェのような見てくれの人型が武装し、兵隊の真似事をしているのだ。
 いや――この場合はもはや、赤銅と呼んだ方が正確かもしれない。
 赤銅兵達の全身には赤い血管のような紋様が禍々しく走っていて、その色彩こそが、彼らが【赤】の眷属であることを物語っていた。


953 : この先、日本国憲法通用せず(前編) ◆0pIloi6gg. :2025/02/15(土) 04:14:50 edoGCcyM0

 レッドライダーの宝具、『剣、飢饉、死、獣(レッドライン)』。
 戦争に纏わる物品や兵器を具現化させ、再現する"対軍宝具"。
 これによって彼が此度再現したのは、栄光の国・テーバイの王カドモスに仕える竜牙兵達そのものだった。
 悪国征蹂郎の脳裏に追加された新たな"戦争"のイメージ。それが文字通り騎士の武器として、赤き地平に立ち並んでいる。

「すごいねえ。もしかしてあなた、宝具でなんでも出せちゃうの?」
「トオウ」

 祓葉の質問に、レッドライダーは答えなかった。
 代わりに、逆に問い返す。
 この機械めいたサーヴァントがそうする姿は異様だったが、だからこそその行動には意味がある。

「――オマエ、ハ、〈シロ〉、カ?」
「へ? シロ? 違うよ! 私はね、祓葉っていうの。神さまが寂しがって祓う――」

 否定。からの、お決まりの名乗り。
 問うておいて、赤騎士はそれを最後まで聞かなかった。
 正確には祓葉が"違う"と言った時点で、彼は攻撃行動を開始する。
 違うのであれば用はないと切って捨てるように、赤銅の軍隊を統べる騎士団長は号砲を鳴らしたのだ。

 瞬間、再び祓葉の全身が銃弾の雨霰に引き裂かれた。
 が、今度の彼女は倒れない。すべての負傷を無視しながら、熟れて潰れた果物みたいに欠けた顔に笑みを浮かべて踊る。
 光剣を振るって弾幕を斬り伏せ、単身で赤騎士の布陣へと進撃を開始した。

「そっちが聞いてきたのにひどいなあ! でも、うふふ、そう来なくっちゃね!」

 光剣の刀身は振るうたびに延長され、切り離されて"飛ぶ斬撃"と化す。
 熱光そのものである剣閃は、現代風に言うならば極めて奇怪な軌道を描いて迫る爆弾のようなものだ。
 圧倒的な数で君臨するレッドライダーの軍勢が、爆ぜる斬撃に見舞われて蹂躙される。
 これが単なるいちマスターの身で振るわれる攻撃だなどと、一体誰が信じられるだろうか。
 常人なら数百回は死んでいる身で、しかしそんな道理をねじ伏せながら、針音都市の【白(ホワイト)】は躍動する。
 結果、わずか十秒足らずの時間でもって、神寂祓葉は軍隊の先頭に立つ赤騎士へ肉薄を果たした。

「お話してくれないんだったら、戦争らしく身体で語り合おっか!!」

 振るわれる白の閃撃、一撃たりとも易しくはない。
 構えも振り方も子どものごっこ遊びと大差ないが、そこに宿る威力だけが常軌を逸している。
 英霊でさえ直撃すれば両断されるだろう一撃に対し、レッドライダーが駆使したのは同じく剣。

 右腕から"生える"形で、赤い長剣が生み出される。
 赤騎士はこれで、祓葉の剣を事もなく受け止めた。
 更に次の瞬間、わずかな腕の動きで光剣との鍔迫り合いを解除。
 刀身を滑らせて拮抗を打破し、その軌道のままに祓葉の頸動脈を切り裂いた。

 赤騎士レッドライダーは戦争の化身である。
 今でこそ観賞用の骨董品扱いだが、銃が台頭する前、剣は確かに戦場の主役であった。
 であれば彼はそれを、経験や得物の貴賤を無視し、最大の効率で運用することができる。
 プログラムの実行に技術は不要。正しいコードさえ打ち込まれているのなら、後は右クリックひとつで常に同一の結果を出力可能。
 理屈としてはこれと同じだった。レッドライダーの戦争は、端から技量という概念を必要としていない。
 
 ――だが、無体で言うなら祓葉とて負けはしない。
 いやむしろ、その土俵では彼女が常にこの世界の最先端である。


954 : この先、日本国憲法通用せず(前編) ◆0pIloi6gg. :2025/02/15(土) 04:15:34 edoGCcyM0

「やったな〜!? 一発は一発だぞぅ、赤い人!!」

 停止しない心臓、欠損しない手足。失血死など何のその。
 不死という最大の無体がレッドライダーの一撃を無に帰す。
 大上段に振り上げた光の剣を、祓葉は負けじと赤き剣へ叩きつけた。
 
 瞬間、骨折によく似た破砕音が響いて赤剣が粉砕される。
 騎士の赤剣は宝具級の強度を有していたが、祓葉のスペックは常に彼女の気分次第。
 彼女を乗せてしまえばしまうほど、その高揚に応じて祓葉は常識を超えてくる。
 森羅超絶。戦争の歴史を変える"個"が、人類史そのものと呼んでも差し支えない赤騎士に現代最新の戦い方を教授する。

「とりゃ――ッ!」

 剣身の再形成が完了する前に、祓葉は光の剣で逆袈裟に切り上げた。
 それだけである。だが超越の貴公子が振るえば、それだけでも必殺の一撃となる。
 現にレッドライダーは、この一撃を前に何も対処を講じることができなかった。
 これまでの派手極まりない暴れぶりを思えば拍子抜けなほどあっさりと、その身体は光剣の軌道に沿う形で割断された。
 
 終わってみれば哀れなもの。
 そも、せっかく用立てた軍勢からして彼女には何の意味も成していないのだ。
 弾幕も、焼夷弾も、ロケットランチャーによる爆撃も、すべて無視される。
 何度、何十度、何百度致命傷を負わせようと、死なないのなら祓葉にとって無傷と同じ。

 強制された一対一(タイマン)においても、このスペックの相手とまともにやり合うなんて徒労と変わらない。
 誰ひとり、何ひとつ、神寂祓葉を滅ぼせない。人類史を更新するこの新たな霊長に、勝利できない。
 そんな現実を見る者に突き付けるような容易い勝利だった。そう、その筈だった。

 普通ならば。
 しかし生憎――――黙示録の騎士とは、その言葉と最も縁遠き存在だ。


「え?」


 『『『『『『『ピッ』』』』』』』。

 
 ――という音を、祓葉はこの時確かに聞いた。
 彼女の視界はその瞬間をもって断絶する。
 視界すべてを埋め尽くす爆炎が、それに見合うだけの衝撃と共に彼女の痩身を蹂躙したからだ。
 腕が吹き飛び、足が消し飛び、臓器が焼き焦がされて骨が全部かき混ぜられて、ガスコンロの傍にこびり付いた黒炭に変わる。

 刹那にして人体の原型を失った祓葉が、肉片になって飛び散った。
 スナッフフィルムめいた惨状をよそに、両断された筈の赤騎士がまた水音を立てる。

 ――とぷん。

 泣き別れになった半身と半身が血溜まりを思わせる赤い水溜まりに変わった。
 そしてその水面から、変わらぬ姿形のレッドライダーが平然と立ち上がる。
 赤騎士もまた再臨す。不滅はおまえの専売特許ではないと、無残に散った現人神へ告げるような復活だった。
 
 黙示録の赤(レッドライダー)とは戦争の化身。
 戦争とは根絶不能の宿痾。この地上から争いが消えぬ限り、赤の騎士は決して滅びない。
 まさしく真の不滅である。人類の愚かさを嘲笑うように、戦禍の厄災は再臨した。
 そんな彼の数メートル手前で、後進の不滅もまたやや遅れて再生を果たす。


955 : この先、日本国憲法通用せず(前編) ◆0pIloi6gg. :2025/02/15(土) 04:16:07 edoGCcyM0

「っ痛たたた……。びっくりしたぁ……」

 赤騎士を斬った神寂祓葉を吹き飛ばしたのは、やはり近代兵器であった。
 対人地雷――悪魔の兵器と呼ばれる、元凶の戦争が終わった後も大地に潜み続ける死の象徴。
 衝撃を感知して起爆し炸裂するこれを、レッドライダーは己の肉体そのものに埋没させていたのだ。
 それを斬った祓葉は当然の帰結として地雷を"踏み"、その代償を支払わされた。
 いわゆる爆発反応装甲、リアクティブアーマーである。本物はこれほど頭の悪い設計をされてはいないだろうが、戦場の全能者であるレッドライダーにとってはそんな常識なぞ知ったことではない。

 そしてもちろん、祓葉はレッドライダーのカラクリをまったく理解などしていなかった。
 実際に食らって尚何が起きたのか分かっていない。何かそういう宝具でも持ってるんだろうな、くらいのふわふわした理解だけである。
 が、彼女なりに気付いたこともある。斬った時に感じた手応え、自分によく似たその不滅性。それにだけは、覚えがあった。

「ねえねえ赤い人。あなた、もしかしてバッタさんの親戚?」

 虫螻の王、シストセルカ・グレガリア。
 黙示録の【黒】、ブラックライダーの原型たる軍勢を祓葉は知っている。
 それどころか真っ向からぶつかり合って、激闘の末に打ち破っている。
 その経緯をすべて察せたわけではないだろうが……此処で最初の問いかけ以降、初めてレッドライダーが意思らしいものを窺わせた。

「クロヲ、シルカ。シロイ、ムスメヨ」

 途端に、吹き荒れていた戦火の勢いが一瞬止まる。
 赤銅兵による銃撃もだ。絵面だけ見れば小休止の様相だが、戦争の厄災が一時とはいえ進軍を止めた光景は安堵以上に不気味さが勝つそれだ。
 嵐の前の静けさ。誰もが想起するだろう言葉の通り、静寂の終わりは"それ"の到来とイコールだった。

「オ、オオオオ、オオオオオ――成就ノ時来タレリ。預言ハ叶イ応報ハ地ヲ覆ウ。
 黒ガ這イ出デ白ノ写身ガ踊リ出シタナラバ嗚呼コレナルハ正シク黙示ヲ告ゲル開戦ノ号砲ゾ!」

 機械音声じみた狂った抑揚が、わずかだけ人のそれに近くなる。
 だが違う。決定的に違う。人間の声帯から発せられる音にごく近い別種の音。
 甲高く鼓膜を貫くような騎士の聲は、喇叭に似ていた。
 終末を告げる天使の喇叭。黙示録の始まりを愚かしい民草に伝え上げる天の伝令。死を唄うアポカリプティック・サウンド。

 戦場のグレードが一段上がるのを、居合わせた誰もが感じた。
 これから始まる大戦争に比べれば、此処までのなど単なる余興。戯れに等しい。
 そう理解させる迫力が赤騎士を中心に東京の街を叫喚させていく。
 
 その混沌をも喝采するように赤騎士が両腕、そう見える長細い部位を掲げた。
 右腕と左腕。その中間に、破滅の予感を肯定するように顕現するものがある。


956 : この先、日本国憲法通用せず(前編) ◆0pIloi6gg. :2025/02/15(土) 04:16:32 edoGCcyM0

「えっ。ちょっと待ってよ、それはナシじゃない……?」
 
 ――祓葉でさえ、それを見た瞬間、わずかに顔色を変えた。

 そうだ、どんな馬鹿であろうと知らない筈がない。
 この国に生まれ育った人間であるならば尚のこと。
 戦争という不治の病が発現させた末期症状。
 人の手にして神話の域へ触れた、種の滅びまで語り継がれるだろう最大の愚。

 技術の革新とは喝采すべき繁栄である。
 しかしこれに限って言うならば、明確に、生み出されるべきではなかった鬼子だった。
 これを出産してしまった時点で人類はその行動のすべてに、これの影が付き纏うようになってしまった。
 拳、石、剣、銃。過去の戦争の主役達、いずれも及びもつかぬ。
 規模が違う。破壊力が違う。仇なす者達の暮らす大地へ刻む、爪痕の次元が違う。

 これぞ人類史上最悪の発明。
 そして戦争というジャンルにおいては、まさしく人類史上最高の発明。
 ヒトという生き物、増長する当代の霊長が到達してしまったひとつの高み。

 戦争の厄災は【赤】を象徴するが、これの墜ちた大地にはもはや血さえ残らない。
 あるのはむしろ、彼の色彩とは一線を画する黒色。すべてが焼け、焦げ、溶けて壊れて朽ち果てる。
 人類史の最大のターニングポイント。それの名は、その名は、そう――――



「今コソ境界(レッドライン)ヲ超エル時――――煌メキ朽チソシテ之ヲ仰ギ給エ、敬虔ナル預言ノ子ヨ……!!!」



 ――――原子爆弾、と呼ぶ。
 
 かつてこの国に二度墜ちた終わりの始まり。
 レッドライダーの手により再現された破滅の御子が、緩やかに落下する。
 約束するのは熱死と毒死。焼き殺し、生き延びたなら病ませ殺す。
 爆音と熱光を供として――そんな"最悪"が、令和の港区に三度目の惨劇を刻み込んだ。



◇◇


957 : この先、日本国憲法通用せず(前編) ◆0pIloi6gg. :2025/02/15(土) 04:17:32 edoGCcyM0



 サーヴァント・レッドライダー。
 その性能は、聖杯戦争における最上位(ハイエンド)に数えられる"王"の英霊達と比べてさえそう遜色ない。
 
 無尽蔵の創造能力。
 戦争という、概念であるが故の不滅性。
 古今東西、あらゆる歴史から自在に武器を捻出できる視野の広さ。
 すべてにおいて規格外。核爆弾さえも序の口、条件さえ揃えば彼は輪廻(ユガ)を終わらせるシヴァの鏃すら再現できるだろう。

 しかしそんな赤騎士にも、サーヴァントである以上弱点は存在する。
 今回の場合それは、マスターである悪国征蹂郎の性能だった。
 征蹂郎は暗殺者としては優れているが、マスターとしては並の域を出ない。
 彼の懐事情を顧みずに力を振るい過ぎれば、赤き戦禍の源泉はたちまち干上がる。
 故にレッドライダーは戦場の規模を合理的判断で絞り、創造した大量破壊兵器の射程(レンジ)も収斂させることでリソースの節約を図った。
 そう。赤騎士の暴虐はこの時多くの命を奪ったが、同時に多くの命を救ったのだ。

 港区・六本木四丁目に炸裂した歴史上三発目の核兵器。
 その破壊は、直径にして1キロメートルに届くかどうかの範囲を焼き滅ぼすに留まった。
 この程度で済んだ。これが純粋な終末装置として出現した騎士ではなく、要石を必要とする境界記録帯だったおかげで、稚気のように放たれた破滅は本来の出力の一割にも遠く及ばない破壊へと零落した。
 が、それでも――運悪く赤騎士の癇癪に居合わせてしまった人間、その全員が即死の末路を辿ったことは言うまでもない。
 例外はたったふたりの少女。彼女達だけが熱傷を被ることもなく、放射線の毒素に冒されることもなく生命活動を続行できていた。

「――怪我はない? お姉さん」

 アンジェリカ・アルロニカは、ようやく戻り始めた未だ眩みを残す視界に、目の前に立つ華奢な背中を見た。
 白い少女。目映く輝く光の剣を握り締め、変わらぬ声音で堂々と佇む姿を見た。

 天若日子は核爆弾の出現を見届けるや否や、踵を返してアンジェリカを抱え駆け出していた。
 臆病ではない。一瞬にも満たないわずかな時間の思考で、彼はこれから起こる破壊に対処できる手立てがないことに気付いたのだ。
 彼は対城規模の火力を用意できない。だから全力で退き、核の滅却範囲から外れることでどうにか命を繋ごうとしたのである。
 して、では天若日子はその命よりも重いものが懸かった博打に勝ったのか負けたのか。その答えは、もはや闇ならぬ光の中だ。

「すごかったね、今の。なんとか押し返せたけど、手がこんなになっちゃったよ」

 爆風の炸裂に合わせて、神寂祓葉が爆弾とアンジェリカ達の間に割って入った。
 その上で光剣を振り被り、斬撃の光帯を轟かせた。
 しかし光帯のサイズは、先ほどレッドライダーに喰らわせた時の比ではない。
 それこそ対城級の威力は確実に込められた一閃で以って、祓葉はWW2の死炎を押し返してみせた。

 祓葉の異能、宝具類似現象――『界統べたる勝利の剣』は彼女のスタイルを貫く上で不可欠と言っていいふたつの性質を内包している。
 それは概念切断と事象破却。いずれも、理を斬り伏せる力だ。
 これにより祓葉は、迫る原子爆弾の炎をそこに含有された放射線ごと文字通り斬滅。
 アンジェリカ、及び天若日子に一切の悪影響が及ばない形で、レッドライダーの反則技を切り抜けてみせたのである。

 とはいえ、過程を踏まず段階飛ばしに核の炎を斬るのは彼女基準でも些か無茶だったらしい。
 光剣を握る両手はあちこちひしゃげ、物理的にいくつもの関節が増設されていた。
 これでまだ物を握ったり、あまつさえ構えたりできているのが不思議なほどだ。


958 : この先、日本国憲法通用せず(前編) ◆0pIloi6gg. :2025/02/15(土) 04:18:37 edoGCcyM0

「……、……神寂、祓葉」

 否応なく蘇る――初めて遭った夜の記憶。
 星月の照らす空の下。矢を落とし白狼を斬り、笑う姿を覚えている。
 アンジェリカの脳裏を焦がした恐怖のヴィジョンは今も尚健在だったが、今目の当たりにした光景には怯えも忘れて絶句するのみだった。

 核爆弾の炸裂を、真正面から斬り伏せた。
 それだけのことをしておいて、反動はたかだか両手がひしゃげたくらいのもの。
 しかもその両手すら、時を刻む針音に合わせて、巻き戻すように癒えていく。
 そこには一切。一切、道理というものが通っていない。世の理が息をしていない。
 
 戦慄すると共に、己が抱いた彼女という生物に対する答えが正しいことを実感させられる。
 この世界は地獄だ。さっきまで憧れの眼差しで見つめていた街並みが黒く染まった瓦礫と死骸の山に変わっている時点でそうとしか言い様がない。
 アンジェリカはこれ以上その言葉が相応しい景色に出会った覚えがなかった。
 英霊が跋扈し、世界には未来がなく、怪物は次から次へと湧いて出て、そんな末法の世で狂気に懸想する魔人どもが彷徨いている。
 そんな悪夢そのものの都市にただひとり。何に曇らされることもなく、何を恐れることもなく、常に微笑んで踊る〈神〉がいる。
 それこそが神寂祓葉。そして自身の一撃を凌ぎ切った彼女に対し、血塗れの赤騎士が静かに鳴いた。

「――是非モ無シ」

 寺を焼き、女子供を殺し、戦国に数多の炎を運んだ者。
 魔王と呼ばれた男の常套句を、戦争の化身たるこれが発したのは単なる偶然か。
 いや、違う。そんな筈がない。次の瞬間に生じた悪夢がそれを証明していた。

 ――レッドライダーの背後。数百体の赤銅兵が並ぶ更にその後ろに、無数の銃が滞空している。
 魔王信長の三段撃ちを再現するが如し銃(くろがね)の壁。
 違うのはそのすべてが火縄銃などではなく、現代の軍隊で重用される狙撃銃に置換されていること。
 歴史は繰り返す。戦争もまた然り。そして二度繰り返されたなら、それが一度目より劣っているなどあり得ない。

「オマエ、ハ、預言ノ大地ニ、不要ナリ。
 何故ナラバ――――」

 続く言葉はあったのだろうが、聞き取れたのはそこまで。
 最後まで紡がれる前に、立ち並んだ狙撃銃のすべてが一斉に火を噴いたからだ。
 核に焼かれた大地に吹き荒ぶ鉛の風、三千世界。
 これを前にしていちばん最初に動いたのは、アンジェリカ・アルロニカのサーヴァントであった。

「不要なのはまず貴様だ、穢らわしい厄災めが」

 彼が放てる矢は、一度の動作でせいぜいが数発。両手の指で数えられる程度でしかない。
 が。その一矢一矢が、三桁に届く数の弾丸を薙ぎ払う威力を秘めている。
 結果としてこの弓神は、一張りの弓と二本の腕のみで魔境の制圧射撃に抗う戦果をあげていた。

「我が友に触れただけに飽き足らず、私とアンジェの愛する都市を焼いた白痴の武士(もののふ)よ。
 貴様は、この都を歩く者達の顔を見たことがあるか? 交わす会話を聞いたことがあるか?
 平々凡々たる日常を愛し生きられることの尊さに……一瞬でも想いを馳せたことがあるのか?」

 単純に、彼にそれができるだけの実力があったからというのも確かにある。
 だが、だとしても、今の天若日子は間違いなくこの仮想都市に召喚されて以来最大の獅子奮迅を見せていた。
 彼は今、猛っている。そしてそれ以上に、怒っているのだ。
 預言の成就を謳い、神のような面をして我が物顔で地上を蹂躙する異教の終末装置に。
 
 数十分前に、アンジェリカと交わした言葉が虚しく脳裏に反響する。
 この街が好きだと、自由への憧れを浮かべて語る声を覚えている。
 それが今はどうだ。悲鳴すら聞こえぬ戦跡。響くのは銃火の騒音のみ。
 すべて、この騎士がそうした。祓葉という脅威への戦慄さえ今だけは霞む。
 許してはならぬ暴虐に、神は怒っていた。邪悪なるものを穿つその弓が、使命感に鋭く研ぎ澄まされていく。


959 : この先、日本国憲法通用せず(前編) ◆0pIloi6gg. :2025/02/15(土) 04:19:14 edoGCcyM0

「天津の御遣いたる我が名の許に断言する。
 神が見下ろすこの地上に、貴様の在るべき場所はなし! 神にも人にも非ぬ貴様は、ただ害獣として討滅されよ!!」

 彼の心に、誓って微塵の邪心もなし。
 その神道は正しいことの中にある。
 であれば天若日子の君臨に陥穽は生まれ得ず。
 雷光の如くに彼の矢は迸り、三千世界を豪語する赤い弾幕を堰き止めながら徐々に押し返す。

 無論、骨の折れる所業であることは間違いない。
 事実天若日子は、限界を半ば超えた駆動に霊基が軋むのを感じていた。
 彼が如何に強く優れた弓神といえども、このまま単騎で相対し続ければ破綻の未来は見えている。
 彼自身それを自覚していたからこそ、此処でひとつ、リスキーな賭けに打って出る必要があった。
 弓を引き絞り、矢を放ちながら――視線だけで、白い少女の方を窺う。

「……おい、東京の現人神よ!」
「えっ。あら……あらひ……?」
「ええい祓葉! 私もあまり余裕がない、手短に問うぞ! ――――今は貴様、アンジェの味方でいいのだな!?」

 信用できる相手かと言われたら断じて否。
 絆されてはならぬことは、音に聞く〈はじまりの六人〉の末路が象徴している。
 だが――これが先の核爆発から自分達を守ってくれたことは事実。
 何の気まぐれか知らないが、この状況では気まぐれだろうがなんだろうが利用するしかない。

 ……レッドライダーの戦線(レッドライン)がまた変容を遂げる。
 赤銅兵と滞空する狙撃銃を背景に、騎士本体の輪郭が禍々しく変形した。
 羽を開いた蟷螂を思わせるシルエット。が、突き出ているのは羽ではない。
 その証拠に次の瞬間、天若日子達を襲ったのは大瀑布のような勢いで迫り来る、粘ついた赤炎の壁だった。
 
 レッドライダーが此処で再現した兵器は、俗に火炎放射器と呼ばれる代物である。
 圧縮ガスで液体燃料に点火し、燃えながら粘つく流体のジェット噴射を引き起こす。
 人間が如何に惨たらしく敵を殺戮できるかという観点であれば、現代でも上位の悲惨さを誇る殲滅兵器。
 ましてや彼は英霊。液体燃料は魔力で代用され、故にその出力は現実の火炎放射器のそれを優に数十段は超えている。
 対軍宝具の開帳にも達する攻撃範囲と熱量。もはや戦略爆撃に等しい燃える悪夢。
 だが――その炎を切り裂く、界を統べたる白光がやはりひとつ。

「――――それでいいよ。もっとお話してみたいしね、あなた達とは」

 白き光が、悪意の炎を千々に引き裂く。
 衝撃の熱量を前に蒸発していく可燃魔力。
 黙示に非ぬ預言の子が、審判と呼ぶには幼稚すぎる君臨で赤の台頭を拒絶する。


960 : この先、日本国憲法通用せず(前編) ◆0pIloi6gg. :2025/02/15(土) 04:19:35 edoGCcyM0

「尚モ、立ツカ」

 赤騎士の、目鼻も彫りもない顔に。
 ふたつの孔が生まれ、それがルビーを思わす輝きを放つ。
 黙示録の騎士は本来無機質なるもの。
 しかし今、レッドライダーは預言の否定に立ち会っている。

 存在意義を脅かし、いつか訪れるべき結末を揺るがす異分子。
 その存在が、バグのように終末の戦乱機構へ不興の念を抱かせた。
 そして買った不興は、やはりと言うべきか戦争という形で像を結ぶのだ。

「是非モ無シ――誅戮スル」

 赤の水面が、まるで冠水のように焼け野原の大地へ広がっていき。
 沼ほどの面積になったそこから、ぬらりと姿を現す血腥いメタル。
 それは展開した赤銅兵を内に取り込み、即席の騎手と変えながら次から次へと群れを成す。

 ティーガー戦車という名前を、果たしてふたりの少女は知っていただろうか。
 これもまた人類が開発した、鎧より硬く馬より長く、弓より効率的に戦場を蹂躙できる戦争工学の結晶。
 
 更に――

「此処ハ」「死ノ地也」
「其ハ裁キ」「其ハ預言」
「恐怖アレ」「叫喚アレ」
「人ノ記憶ハ我ガ僕トナリテ」
「我ガ敵其ノ悉クヲ撃滅セシメン」

 空に、舞い上がる無骨な機体。
 騎士の眷属たる赤の紋様を亀裂のように走らせて。
 轟音を立てながら翔ぶはB-29爆撃機。
 戦車同様に赤銅兵を騎手としたこれは天の眼となりて、地上のあらゆる敵を逃さない。

「イザ、死ニ賜エ――不遜ナル贋神(デミウルゴス)ヨ」

 陸と空を物量で制し、いざ、赤の騎士が進軍を再開する。
 響く機銃掃射と戦車砲の爆撃が、針音すらもかき消すように殺戮のオーケストラを開演させた。



◇◇


961 : この先、日本国憲法通用せず(後編) ◆0pIloi6gg. :2025/02/15(土) 04:20:29 edoGCcyM0



 ――どうしてこうなったんだろう?


 それはきっと、人間ならば誰もが一度は抱いたことのある疑問。
 予期せぬ失敗、人間関係の不和、はたまた自分の人生を振り返った時にふと漏れる言葉。
 アンジェリカ・アルロニカは今、骨組みだけが残った家屋の陰に身を埋めて、心中そう溢していた。

 聞こえてくるのは銃声の音色と爆撃の騒音。
 数秒置きに比喩でなく地面が揺れて、ザッ、ザッ、という軍靴の音も耳に届いている。
 まるで激戦地の市街戦だ。だがこっちもこっちで比喩じゃない。
 今、アンジェリカ達は本物の"戦争"を体験させられているのだ。
 あの赤き騎士――レッドライダーというサーヴァントの手によって。

「アンジェ。調子はどうだ? いや、今聞くことでないのは重々承知しているのだが……」
「……ううん、大丈夫。とりあえず、今は。
 ごめんねあめわか。さっきはなんだか……急に頭の中がカーっとなって。自分が自分でなくなってる、みたいで……」
「謝ることではない。恐らく先刻のアンジェは、あの不埒なサーヴァントによる精神干渉を受けていたのだ」

 その推測は当たっている。
 黙示録の赤騎士が持つスキル。血湧き肉躍らせる〈喚戦〉。
 赤騎士は創造を以って大地を戦場に変え。
 そして〈喚戦〉を以って民衆を戦士に変える。
 視野狭窄と過剰な戦意、それに伴う攻撃方面への能力上昇。
 本来ならマスターは高確率でその感染に抵抗できるが、如何せんアンジェリカの場合は間が悪かった。
 神寂祓葉というトラウマとの再会で精神的に消耗していたところに不意打ちで〈喚戦〉をねじ込まれ、運悪く【赤】の汚染を受けてしまったのだ。

「つくづく許し難い外道、いや害獣よ。
 その所業、その在り方、ひとつとして許せぬ。
 まったく、人類史の何処からあのような厄災が転がり出て来たものやら……」
「……それなんだけどさ。わたし、分かるかも。あれの真名」
「何?」

 〈喚戦〉は、アンジェリカの自覚通り現在小康状態に入っている。
 だからこれは、何も短絡的な早合点で言い出した台詞ではなかった。
 戦争を司る、赤き怪物。預言、という単語。黒、白と、特定の色に固執する言動。
 
 仮説としても信じ難い、信じたくない結論であるが。
 あの英霊は、いや"終末装置"は、恐らく――――

「……ヨハネの黙示録の四騎士。その、【赤色】。
 人間に戦争を起こさせて、それを利用して人間を殺す権威を持ってるっていう、"第二の騎士"」


962 : この先、日本国憲法通用せず(後編) ◆0pIloi6gg. :2025/02/15(土) 04:21:06 edoGCcyM0
「いや――待て。そんなモノ、英霊として召喚できるわけが……」
「うん、確かに普通は無理だと思う。
 でも、さ。わたしもそこまで詳しいわけじゃないけど、今回の聖杯戦争って……そもそも"普通"じゃないでしょ」

 言って、アンジェリカはちらりと成り行きで共闘する運びになってしまった少女の方を見る。
 アホ毛をゆらゆらと所在なく揺らして、こんな状況だっていうのにわくわくしたように口を緩めながら、自分達の話を聞いている少女。
 神寂祓葉。〈この世界の神〉。彼女の存在然り、成り立ち然り、この針音都市の聖杯戦争はすべての要素が常軌を逸している。

「だったら、出てきてもおかしくないのかもしれない。どんなデタラメな奴も、どんな馬鹿げたスケールの奴も」

 そう、すべて元を辿ればこいつのせいなのだ。
 なのに何故、まるで私は人畜無害ですみたいな顔をしていられるのか。
 憔悴の中でもため息を禁じ得ないアンジェリカ。
 そんな彼女の心情など一顧だにせず、祓葉は何食わぬ顔で彼女の隣に腰を下ろしてくる。

「ねえねえ。お姉さん、何歳?」
「……十八」
「わ、やっぱり歳上さんだ。じゃあ……んと、アンジェ先輩って呼んでいい?」
「別にこだわりないし、好きにしていいけど……」

 じ、と、改めてアンジェリカは少女の顔を見る。
 正直苦手意識は未だにあるのだが、とんでもないことばかり起きたせいで一周回って心は落ち着いていた。
 笑顔を浮かべ、本当に人懐っこい後輩そのものな様子で剣を玩んでいる姿を見つめる。
 無邪気。そんな言葉が脳裏に浮かんだ。あるいは、自分の悪性を欠片たりとも自覚していない、この世で最もおぞましい邪悪か。
 
 核の閃光と熱が炸裂したあの瞬間のことを、アンジェリカはきっと一生涯忘れられないだろう。
 この都市で志半ばに散るにせよ、生き抜いて元の人生の続きを歩めたとしても。
 脳細胞(ニューロン)に焼き付いた――灼き付いたあの光景は、もう絶対忘れられる気がしない。

 迫る滅びの炎の前に、ひとり立ち。
 輝く白剣を携えて、自分を守った英雄(しゅやく)の背中。
 美しかったし、格好よかった。恐怖も忘れて見惚れてしまった。
 〈はじまりの六人〉はみんなこれを見たのだろうと、思った。
 幼稚。純粋故の醜悪。無知と無配慮。それら欠点をすべて帳消しにする、眩しすぎる存在。

 まさに彼女は太陽のよう。
 すべてを照らし、癒やし、見る者の心を弾ませる一方で。
 ひとたび近付けば誰も彼も、何もかもを消し炭にする灼熱の星。
 
 ――今こうして曲がりなりにも共存できているのは、太陽(かのじょ)の側がその熱を律してくれているからだ。
 逆に言えばその気まぐれが終わってしまったら、もう二度とこんな距離で語らえなどしない。
 恐らく彼女と次に会う時、そこにいるのは人懐っこい後輩ではなく無慈悲な絶望の象徴だろう。
 出会う者皆灼き尽くす。遊びの二文字ですべてを正当化し、踏み潰す鏖殺の恒星。
 だからアンジェリカは、今はそんな場合じゃないと分かった上で尚、口を開くことにした。


963 : この先、日本国憲法通用せず(後編) ◆0pIloi6gg. :2025/02/15(土) 04:21:50 edoGCcyM0

「なんで、わたしを助けたの?」
「あのままじゃ先輩、死んじゃうと思ったから」
「……どうせ殺すんでしょ。あんたの"遊び"は、あんた以外の全員が死ぬまで終わらない」
「確かにそうだけどね。でも、うーん、それって助けちゃいけない理由にはならなくない?」

 あの時、祓葉の介入がなかったならどうなっていたか。
 それは確かめようのない"もしも"の話でしかない。
 天若日子は優秀なサーヴァントだ。アンジェリカも彼の実力は誰より信用している。
 彼ならば祓葉の手など借りずとも、見事に自分を核の炎から逃がしてみせたかもしれない。
 だが、"もしも"はどこまで論じ考えても所詮"もしも"。仮定で成り立つ仮説、すなわち机上の空論だ。

 自分は神寂祓葉に助けられた。
 このどうしようもなく身勝手な女の手で、雷光の継嗣(アンジェリカ)は守られた。
 あの瞬間に起こったことはどこまで行ってもそれだけで、だからこそ彼女はその事実を無視できない。
 蛇杖堂寂句ならば馬鹿な娘だと嘲笑したかもしれないが、誰に何と言われようと、アンジェリカはそこまで利口にはなれそうになかった。

「それに、アンジェ先輩ってたぶんいい人でしょ」
「は……?」
「先輩は私のことが怖いんだよね? いくら私が馬鹿でも、あんなに拒絶されたらそのくらい分かるよ。
 でも先輩は、そんな怖くてたまらない私とお話しようとしてくれた。逃げたかったら令呪を使うとか、いろいろやりようあるのにさ。
 わざわざ足を止めて、私のことを見てくれた。――あのね、それってとっても嬉しいことなんだよ?」

 にぱ、と笑って祓葉はそんな、奇特そのものなことを言う。
 アンジェリカに言わせれば、それだって打算の産物でしかない。
 この聖杯戦争で蹴落とされず生き抜こうと思うなら、神寂祓葉という星について知るのは必要不可欠だ。
 何故なら誰もがいずれ、彼女と対峙することを余儀なくされる。誰一人、何一つその未来を避けられない。

 故にアンジェリカも、祓葉との対話を選んだのだ。
 彼女と言葉を交わして何かを得、後に繋ぐため。
 そしてあわよくば対抗の余地でも見つけられれば、そう思って恐怖を押し殺したのだ。

「みんな私のことを超強い化け物みたいに言うけどさ、アレ、実はちょっと寂しいんだよね。
 もちろん本気で遊んでくれるのは嬉しいんだけど、私はまだ自分を昔と地続きの人間だと思ってるから」

 なのにそんな自分の気も知らず――髪先をくるくると指で回しながら、そんなことを言うものだから。
 どこにでもいる普通の女の子みたいなことを、言い出すものだから。


964 : この先、日本国憲法通用せず(後編) ◆0pIloi6gg. :2025/02/15(土) 04:22:30 edoGCcyM0

「……何よ、それ」

 アンジェリカは思わず眉間に皺を寄せていた。
 〈喚戦〉の効果ではない。祓葉ほどの光は、赤の侵食さえその白色で塗り潰す。
 つまりこれは他の誰に植え付けられたものでもない、アンジェリカ・アルロニカ個人の激情。

「あんたは、何を言ってるのよ……ッ」

 気付けばそれは、言葉になって溢れ出す。
 きょとんとする祓葉の顔さえ、その決壊を止める理由になってはくれない。
 
「見なさいよ、これを……! あんたが無茶苦茶やるせいで、あんな怪物が紛れ込んだ!
 そのせいでこの有様なの! みんな死んだ、何もかも壊れた! なのにそれを無視して、どうしてそんな殊勝ぶったことが言えるの……!?」

 この世界は所詮再現された仮想で。
 そこに生きる人間は、魂すら持たない、命未満の仮初でしかない。
 分かってはいる。分かってはいるのだ、アンジェリカだって。
 でもだからと言って割り切れるかどうかは別問題。魔術師のように合理的な冷徹さを持たないアンジェリカには、その正論を呑み込めない。
 そうでなければ犠牲を払う覚悟を問われて、最小限などという言葉は出てこない。それがすべてだ。

 では、今此処にある有様はどうだ。
 活気に溢れ、多くの人々が行き来していた街並みは死の赤炎で穢された。
 命らしいものなど、もう自分達以外ひとつも窺えない。
 今身を隠しているこの焼け跡だって、数分前までは誰かが家族と暮らしていた家だった筈なのだ。
 そんなこの世の地獄そのものな世界の真ん中で、どうしてそんな台詞が吐けるのか。
 他でもないおまえが、すべての元凶だってのに。
 
 問うアンジェリカに、祓葉は困ったような顔をした。
 やはりそこに悪意がないことが分かってしまうから、ますますアンジェリカはやり切れない。

 そう、やり切れないのだ。
 だから――アンジェリカはこうして怒っている。
 そうする以外に、この感情のやり場が見つからないから。

「……それは、うん。ごめんね」
「っ――」
「無神経ってよく言われるんだよね、私。
 でも嘘は言いたくないから、結局思ってること全部言っちゃうの。
 いやあ、こんなんだからイリスにあんなに怒られるんだって分かってるんだけどなあ」

 イリス。〈蝗害〉を病院に遣わした〈はじまり〉のマスターの名前が出たことを気に留める余裕すら今はない。 
 天若日子が神妙な面持ちで、唇を噛み締めるアンジェリカの方を見ている。
 それに対してさえ、大丈夫、大丈夫だからと、心の中で伝えるのが精一杯だった。


965 : この先、日本国憲法通用せず(後編) ◆0pIloi6gg. :2025/02/15(土) 04:23:03 edoGCcyM0

 ――なんでこいつは、こんなに"普通の女の子"なんだ。
 
 アンジェリカは、そう思わずにはいられない。
 言動の全部が、ちょっと頭の足りない、だけど底抜けに明るい少女そのもの。
 傑物らしさの一片もそこには見当たらず、挙句にこの言い草だ。
 忘れもしない初邂逅の日。遊ぼうと言いながら夜闇に佇んでいたあの時の台詞に、ひとつの嘘もなかったことを思い知らされる。
 思考の加速にこれ以上魔力を使うのはどう考えても愚策だ。
 なればこそアンジェリカは、素の思考と素の時間で、この極星に向き合わねばならなかった。
 暫し何も言えずに黙りこくるという、思考加速の秘術を持つアルロニカ家の一人娘とは思えない無様を晒し――そして。

「……いいよ、わかった。あんたが馬鹿なのは短い付き合いの中でもよく分かったから、許してあげる」

 アンジェリカ・アルロニカは、言葉を紡いだ。
 
「その代わり――」

 とてもではないが、戦場の片隅で交わすような問答ではない。
 こうしている暇があるなら、迫りくる【赤】への対抗に時間と脳を使うべきだと分かってはいる。
 けれど。その上でアンジェリカは、魔術師として生きるのを嫌った少女は、神になってしまった少女との対話を優先した。

「――教えてよ、祓葉。あんたはどうして、こうなっちゃったの…………、いや。ごめん。違うな」

 知りたいことが、あった。
 それは〈はじまりの六人〉ならば興味を示さないだろうこと。
 彼女を恐るべき怪物としてしか捉えられない者達にしてみれば、至極どうでもいいだろう事柄。
 アンジェリカ・アルロニカだから、目先の利益よりもそちらを優先するという不合理な判断を下せた。

 それが遠い未来、何かを生み出すのか。
 それともごく順当に、何にもならず自分の脳髄に死蔵されるだけの無為に終わるのかは分からなかったが――


「こうなる前のあんたは――――どんな人間だったの?」


 結果、未熟な雷光は白光へ問う。
 根源とは違う異質、単独の霊長。
 生まれてはならなかった特異点。
 己以外のすべてを、無邪気のままに薪木へ変えてしまう恒星。
 その脅威度を思えばあまりにも無意味に思えるそんな問いかけ。

 それを受けても、祓葉は変わらなかった。
 迷うことなく、へらりと笑って。
 神は、少女の問いに、答えるのだ。


「つまんない人間だったよ」



◇◇


966 : この先、日本国憲法通用せず(後編) ◆0pIloi6gg. :2025/02/15(土) 04:23:39 edoGCcyM0



 アンジェリカ・アルロニカは、魔術師としての人生を忌む一方で、そうあるべく育てられてきた。
 彼女の中には魔術師らしい価値観こそ備わらなかったが、そうあるための知識はそれなりに詰め込まれている。 
 だからこそ、そんな彼女が口にした赤の騎士に対する一考察は見事これの本質を射止めていた。

 レッドライダーは、ガイアが擁するカウンターガーディアンのひとりである。
 すなわち抑止力。主神の怒りを体現すべく造られた〈終末の四騎士〉、その二番手。
 サーヴァントとして召喚されること自体が大いなるイレギュラーであり、彼の現界を招いたのは間違いなく神寂祓葉と彼女の共犯者による滅茶苦茶な企てが原因だった。

 彼もまた他の騎士達と同様に、世界史上もっとも多くの命を奪ってきた力を持つ。
 それこそが【戦争】。霊長がその完成を迎える日まで克服し得ない、根治不能のアポトーシス。
 武器とは手段のひとつに過ぎぬ。彼の正体とは、争うという行為そのもの。概念。
 故に戦神としての顔をも併せ持つ彼は、知識ある者からは星の従僕と呼ばれ、忌み嫌われてきた。

 是、生命体に非ず。
 是、"戦争"という災厄。
 是、神が地上に覚えた怒りの化身なり。
 是、滅びを識らぬ。
 是――ヨハネの預言を成就させる、星の終末装置なり。

 B-29戦闘機の爆撃が、更地同然と化した廃墟の六本木を蹂躙する。
 瓦礫の山は赤銅兵の駆るティーガー戦車が踏み越える。
 歩兵達は、それらの狩り残しを検めて軍靴の音を響かせる。
 是、単独にして先の大戦を、この国の傷跡をなぞるもの。
 敵う者はなく、止める者はなく、乗り越えられる者はない。
 この世界という舞台に名を連ねる、演者の資格持つ者でない限り。

「――見ツケタ」

 赤騎士の声が冷淡に響く。
 同時に彼へ向かうのは、光の如く冴え渡る高速の矢だ。
 一矢ではない。嵐のように、波のように、天津の秩序が異国の預言へ挑みかかる。

「見つかったのではない。出てきてやったのだ!」

 途端に響く銃声、砲声、鬨の声なくして奏でられる無機質の殺意。
 敵を人と思わず、芥のように踏み潰す戦争の無情さを風刺するように赤き軍勢は君臨する。
 だが蹂躙とはならない。堕ちたとはいえ神は神。天津に殉じようが地上を愛し染まろうが、彼の矢が衰えることなどありはしない。


967 : この先、日本国憲法通用せず(後編) ◆0pIloi6gg. :2025/02/15(土) 04:24:10 edoGCcyM0

「往生せよ、【赤】き害獣! 貴様がどこの邪神に殺害(それ)を許されているのか知らんが、此処は日ノ本、天津の国よ!
 我らの、そしてこの地に暮らす民の許しなくして終末を謳うなど片腹痛い! 弁えよ、下郎ッ!!」

 結果、彼は獅子奮迅のままに戦線を単体で押し止める。
 銃弾を裂き、砲弾を破り、空の戦闘機は翼を射たれて墜落する。
 これぞ神。これが神。天津の傲慢には功罪あれど、それが地上を見守るモノであることには偽りがない。
 であれば日の昇る国を蹂躙せんとする異教異国の軍勢、その跳梁を指を咥えて見守る道理はなし。
 天弓は躍動し、黙示録の預言を邪教の戯言と切り捨てる。
 
 そして――そんな当国の神が一時の味方として擁するのは、現代最新にして、あまねく道理を踏み砕く〈白き神〉。

「――来ルカ」

 レッドライダーが、その足を止める。
 次の刹那には既に、光剣の一撃が挨拶代わりに立ち並ぶ戦車達を爆散させながら、颯爽と死骸の街に躍り出ていた。

「偽リノ白騎士。冒涜セシ者ヨ……!」
「いい加減名前覚えてほしいなあ! 祓葉だっての!!」

 神寂祓葉――――いざ堂々出陣す。
 それだけで、荒廃した焼け野原に花が咲いたようにすら見えた。
 それほどまでに眩しく。それほどまでにおぞましい。
 彼女が目指すのはただ一点、敵軍の総大将にして今回の遊び相手たるレッドライダー。
 赤騎士も逃げない。逃げず、怯まず、その全身を兵器で膨張させることで受けて立った。

 光剣、一閃。
 迎え撃つは、ヨハネの預言書にも綴られた真紅の剣。
 先の打ち合いから学習して強度を強化したのか、次は祓葉の乾坤一擲を容易く受け止める。
 次の瞬間、赤騎士の無貌に再び口が生まれた。開かれた孔の中から、機関銃のフルオート射撃が飛び出して少女を蜂の巣に変えんとする。

「へへ。私だって毎回食らってあげるわけじゃないんだよ!」

 祓葉が大きく左足を後ろに引いて、助走をつけて振り抜いた。
 蹴りだ。そう、回し蹴りである。もちろん技術もクソもないので、その動きは稚拙に尽きる。
 だが宿る力の桁が違う。永久機関により限界を超越した現人神、スイッチの入った祓葉の躍動は誰にも止められない。

 結果――光剣にさえ頼らないただの回し蹴りが、そこまでに射出されていた弾丸の全弾を砂粒サイズにまで粉砕した。
 無論相手は機関銃である。この程度で弾幕を途絶させることはできないが、肉体が破壊されるタイムラグを度外視できるのは大きい。
 たとえ避けた負傷が祓葉にとっては数秒で再生できるものであろうと、時間は時間だ。
 何せそれだけの時間があれば、神寂祓葉は〈光の剣〉を振り上げられる。
 稚気のままに振り抜かれるその威力は既に、この戦場の誰もが知るところだ。


968 : この先、日本国憲法通用せず(後編) ◆0pIloi6gg. :2025/02/15(土) 04:24:52 edoGCcyM0

「そぉぉぉ、りゃぁぁぁっ――――!!!」

 パワー一辺倒の唐竹割りが、赤騎士を無残にも両断する。
 が、相手も不滅。血飛沫めいて飛び散った騎士の残骸は、その惨状からでも即座に戦線復帰が可能だ。
 割れた胴体が蛾の幼虫のように蠢いて。身体から離脱した飛沫は、クラスター爆弾となり地を埋め尽くす。
 瞬時に起爆。あらゆる生命の生存を許さない文字通りの"殲滅"は、せっかく蜂の巣の末路を防いだ祓葉をあえなく爆風の中に包んでしまったが――

「へへん。効かないねぇ……!」

 爆風が晴れるなり、現れるのは微笑むままの祓葉。
 無垢は時に神性と表裏一体。ならばこの、地上の地獄の中で変わらず微笑む彼女はまさしく〈この世界の神〉。
 無論無傷ではない。その証拠に腹は半分欠けているし、側頭部も一部吹き飛んで中身が飛び出し沸騰している。
 が――手足は残っている。祓葉は馬鹿だが白痴ではない。必要なら、そう思えるほど興が乗ったなら、時には合理的な判断だってできる。
 
 祓葉は地面に光の剣を突き刺し、滅茶苦茶な出力で暴走させた。
 これにより自分の四肢を吹き飛ばすだろう間合いにあるクラスター爆弾をすべて蒸発させたのだ。
 常人なら即死でも祓葉にとってはかすり傷。唯一具合が悪いのは、一瞬でも自分の躍動を止める手足の損傷のみ。

「だって私はヨハンの最高傑作! 私の抱き枕見くびってもらっちゃ困るぞぅ、赤い人――!!」

 よって神寂祓葉、一秒の間も空けることなく健在!
 再生を終えたばかりのレッドライダーに、都市における神意たるその光剣を振るい迫る!

 赤剣と光剣が、最短距離にて激突する。
 交わされる剣戟は、合理と非合理の対極。
 赤騎士は機械めいた合理を。祓葉は道理ゼロの非合理を。
 共に体現しながら、なぜか拮抗が成り立つ様は一周回ってシュールですらある。
 だがそのシュールレアリスムは共に、針音の仮想都市に招かれた者達が乗り越えなければならない試練そのものだ。

「穢ラワシイゾ、偽リノ白」
「だーかーらー! 祓葉だっての! ふ、つ、は!!」
「――フツハ」

 ……もしもこの場に赤騎士のマスターが居合わせていたなら、鉄面皮なりに驚きを浮かべたことだろう。
 無機質にして非人間的なる、そうあるべき赤の騎士が、この戦いを通じて少しずつ人間味らしきものを見せ始めている。
 抑止力の根絶者たる少女の名前を記憶し、呼んだことがその何よりの証拠。
 黙示録の騎士、ガイアの怒り。約束された終末装置が、人間ひとりを"個"として識別するなど――本来あり得ぬ話だ。

「フツハ、ヨ。貴様ハ――――タダタダ醜穢ナリ」

 とぷん。
 水音が響く。
 それはこの戦場における破滅の象徴。

 赤騎士が蠢く。
 【赤】が、蠢動する。
 紡ぎあげられるのはまたしても円筒。
 先の、本来の規模より遥かに矮小化されて尚、この六本木の大半を焼き尽くした現代霊長の大罪。
 
 ――――核爆弾の再創造が実行される。


969 : この先、日本国憲法通用せず(後編) ◆0pIloi6gg. :2025/02/15(土) 04:25:32 edoGCcyM0

「支配ハ無ク。戦争ハ無ク。飢饉ハ無ク。総テノ死ハ凌辱サレル」

 レッドライダーが神寂祓葉に示している、この感情らしき情動の名は彼以外誰も知り得ない。
 が、ひとつだけ確かなことは、黙示録の赤色は彼女が此処で死ぬことを望んでいる。
 まがい物の白色。赤も、黒も、蒼白も、本物の白さえも否定するだろう彼女という終末を、レッドライダーは在るべきでないと否定している。
 
「故。――――私ハ、貴様ノ跳梁ヲ認メヌト、決定シタ」

 赤き魔力が、ゴボゴボと脈を打ち。
 それは造り上げられていく。それは編み上げられていく。
 如何なる手立てを使おうとも、此処で偽りの終末論を排するために。
 創造される第二の爆弾は、皇帝(ツァーリ)の名を恣にした使われざる大破局。
 
 レッドライダーがこの地に投入されたのには理由がある。
 が、彼はそんな"本来の意図"に寄り添う気などさらさらない。
 既に赤騎士は白き神を知った。ならば目指すはその誅戮、ガイアが望む使命の遂行のみ。
 一切の手抜かりなく、出し惜しみなく。偽りの白色を塗り潰すため、真の赤色は鳴動する。


「来タレ、眩キ戦争ヨ、来タレ」


 ――来たれ、終末の日(ドゥームズデイ)よ。


「是、在ルベキ終末ヲ言祝グ守人トナラン。Царь-――――」


 いざや滅べ、預言の否定者。
 たとえ何を犠牲にしようとも。
 どれほどの痛みを、この地上に刻み込もうとも。
 知ったことではない、我こそは殺戮を許可されしガイアの御遣いなりと。

 無機質故の傍若無人。
 容赦も呵責もない殺意が、最悪の形で創造されたその瞬間。


970 : この先、日本国憲法通用せず(後編) ◆0pIloi6gg. :2025/02/15(土) 04:26:07 edoGCcyM0


「おい。貴様、少しは人の話を聞けよ」


 騎士に非ず。
 そして現人神にも非ぬ。
 本物の神の声が、響いて――


「私は言ったぞ。断じて認めぬ、となァ――――!!」


 刹那。


「汝、害あるならば罰されよ。害なきならばかくやあらん!
 天津よ、堕ちたるこの身にどうか変わらぬ裁定を!
 ――――『害滅一矢・天羽々矢(がいめついっし・あめのはばや)』!!」



 降り注いだ破魔の矢が、創造完了寸前だった二発目の核爆弾を破砕させた。
 そう、これなるは高木神が神意にてその効能を確約した矢。
 この矢に射程はない。ただ強く疾く、条件さえ満たせば神さえも射殺す破魔の一矢。
 それが、レッドライダーの創造を打ち砕く。皇帝(Царь-)の名を冠する最悪を、実現させない。
 そして核の粉砕だけに飽き足らず、天羽々矢はその真下に在った赤騎士の不定形の身体をも撃ち抜き地面へ縫い止めた。

「…………!?」

 レッドライダーが、初めて驚きの感情に類する情動を滲ませる。
 動けない。黙示録に絶対性を確約された星の終末装置、殺戮を許されたる機構が、不自由に束縛されていた。
 彼はガイアの抑止力、そのひとつ。されど元を辿ればヨハネの記した終末論、神の御遣いである。
 たとえ神性のスキルを持たずとも。大いなる主神に依る存在という事実のみを寄る辺に――そして天若日子の逸話はそれを諌める。
 
 何故なら彼は凶暴な悪神を斃し、神々の使いを撃ち抜いた者。
 その弓矢は目の前を血に染める――たとえそこに神が在ろうとも。
 異教の神に類する赤色は、天津の尖兵が放つ矢で以って逆賊と定められた。
 是非もない。醜穢な破壊にて日ノ本の大地を汚したこの騎士を、天津が善良なるモノと看做す筈がない……!

 赤騎士は己の醜態を直視するよりも先に、仰ぎ見る。
 己に向けて、剣を振り上げる偽りの白色を。
 それは終末。それは現人神。振り上げるのは、〈光の剣〉。


971 : この先、日本国憲法通用せず(後編) ◆0pIloi6gg. :2025/02/15(土) 04:26:43 edoGCcyM0

「オ、オ。オオオオオオオオオオ……!」

 響く聲は慟哭か、奮起か。
 定かではない。どちらの意味でもないのかもしれない。
 だが、確かなことはひとつ。

「――――オオオオオオオオオオ!!!!」

 黙示録の赤色は、たかだか地に墜ちた程度で潰えるほど惰弱な存在ではないということ。
 縫い止められたヒトガタが、液状になって虚空へ拡がる。
 これによってレッドライダーは、天羽々矢の拘束を限定的に抜け出ることに成功する。
 同時に騎士が取った行動は、粉砕され飛散する核爆弾の残骸をすべて己の裡に収めることだった。

 喰らう、吸い込む、取り入れる。
 レッドライダーとは不定形、何にでもなれるが故にそこには限界が存在しない。
 脈打つ赤き終末は、四つ足で地を這う異形の獣の形を取った。
 この造形(フォルム)を選んだ理由は、これから行う戦闘行動の上でそれが一番合理的だったからに他ならない。
 そう、彼は自らに砲台のカタチを望んだのだ。
 四足で反動から重心を制御。巨大に開いた獣のあぎとは、光を放つための砲口そのもの。

 それはこの世に、まだ存在し得ない未来兵器。
 過去をなぞり再現する赤騎士が結果的に生誕させた、まったく新しい虐殺の光。
 核兵器に内蔵されたエネルギーと有害物質のすべてを咀嚼し、自己の体内にて流動させる。
 不定形であるが故に構造的限界を持たないレッドライダーにのみ可能なオーバーテクノロジー。
 これは投下するのではなく、放射して用いる大量破壊兵器。



「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――――――――z____________________ッッッッ!!!!」



 ――――放射核熱線・ツァーリボンバである。



 解き放たれる死の猛毒熱線。
 純粋な威力だけで対城級。
 レッドライダーの核創造は要石の都合で威力も規模も原典に劣るが、その弱点を、全エネルギーを一本の線に凝縮することで補填する。
 その射程距離は既に港区はおろか二つ隣の区まで貫く次元。光線の軌道上に存在してしまったなら、英霊だろうと即座に蒸発させることは言うに及ばない。

 刮目せよ、礼賛せよ、これぞ預言の成就なり。
 神は騎士へ殺戮を許した。ならば騎士は、誉れを抱いて刃を振るうのみ。
 彼が振るう刃は戦争。流れたすべての血、生まれたすべての嘆きが彼の武器だ。
 人類、皆悉く死に絶えよ。抑止でありながら死の混沌を愛する赤色が、命の終わり(ドゥームズデイ)を告げに来た。


972 : この先、日本国憲法通用せず(後編) ◆0pIloi6gg. :2025/02/15(土) 04:27:16 edoGCcyM0



「いいね――――やろうか、不謹慎な赤色さん。預言の否定を見せてあげる」



 その爆光の前で、微笑む少女が剣を構える。
 其、英霊に非ず。其、無垢なる人間である。 
 支配せず、戦争を愛し、飢饉など知らず、死を克服した冒涜者。
 カウンターガーディアン達の目指す大将首が微笑しながらそこにいる。

 アンジェリカ・アルロニカは――神話と呼ぶにはおぞましすぎる、その激突をただ見つめていた。
 身体は震えている。唇は血が滲むほどに噛み締められている。何をしている今すぐ逃げろと脳は絶叫をあげている。
 それでも、目を逸らせない。この神話を直視する以外の選択肢が彼女にはない。
 鼓膜が馬鹿になりそうな轟音の中、それでも鮮明によみがえる声があった。


973 : この先、日本国憲法通用せず(後編) ◆0pIloi6gg. :2025/02/15(土) 04:27:44 edoGCcyM0




『人間は、誰もがみんながんばってるんだって』

『そんな世界で、私だけががんばれないんだ』

『だって何をしても、なんとなくでうまくいっちゃうから』

『幸せだったし、楽しかったけど、だけどどこかで寂しかったよ。
 私の隣で笑うこの人達と、私の見てる景色は同じじゃないから』

『私は、本気になれる何かがほしかった』

『そんな世界を、恋するみたいに夢見てた』

『そんな、私に』

『――――天使さまが、来てくれたんだよ』




 ああ。
 ねえ、祓葉。
 わたし、あんたの気持ちは微塵も分かんないよ。
 全部うまくいくから頑張れないのが悩みだなんて言われても、正直嫌味にしか聞こえない。
 
 でも、今になってジャックの言ってたことが分かった。
 あんたは、神さまなんかじゃない。
 あんたは、ただの人間だ。
 運命に出会ってしまっただけの、どこにでもいる普通の女の子。

 わたしは、自分に与えられた運命を嫌ったけれど。
 あんたには、ずっと運命(それ)だけが足りなかったんだね。
 あんたの気持ちは、わたしには分からない。
 たぶん一生、その悩みはわたしには理解できない。
 だから、あんたの話を聞いてわたしが思ったことはこんなところだ。

 "どうして、こいつはこうなんだろう"。
 "どうして、こんなやつがすべての元凶なんだろう"。
 "いっそ、もっと気持ちよくぶっ飛ばせる悪党だったらよかったのに"。
 "とても狡猾で、憎たらしくて、おまけにちゃんと強くて"。
 "こんなやつ、ぶっ殺してやるって"。
 "そう思えるやつが、黒幕だったらよかったのに"。

 ――――"あなたが、本当に神さまだったらよかったのに"。
 ――――"そしたらわたし、こんな気分にならなくて済んだのに"。


974 : この先、日本国憲法通用せず(後編) ◆0pIloi6gg. :2025/02/15(土) 04:28:09 edoGCcyM0


「ふふ。行くよ、ヨハン! 力をちょうだい、いつもみたいに!!」

 胸の永久機関に語りかけて。
 少女は、光の剣を振り上げる。
 星の聖剣ならずして、世界の理をねじ伏せる剣。
 異星法則とでも呼ぶべき、不条理を可能にする彼女だけの光。
 それを、天高らかに掲げて。
 いつもみたいに微笑みながら、祓葉は核の放射熱線に向かい立つ。

 見る者すべての精神を灼き。
 見る者すべての常識を砕き。
 そうして此処まで辿り着いた、熾天の王女。
 偽りの白は今、英雄のように立っていた。

「界統べたる(クロノ)――――」

 人類史が続く限り決して消えることのない、戦禍の記憶。
 黙示録の騎士、斯くも恐ろしく君臨す。
 だが。だが――
 この地にはもう、"預言の子"が誕生している。

「――――勝利の剣(カリバー)ッ!!」

 光は轟き、手に取る奇跡の真名は謳われる。
 迫る光と、いま新たに放たれた光。
 ふたつの光輝、ふたつの死が、喰らい合うように激突し。
 瞬間――日の落ちた東京に、第二の太陽が花咲いた。



◇◇


975 : この先、日本国憲法通用せず(後編) ◆0pIloi6gg. :2025/02/15(土) 04:28:41 edoGCcyM0



 光が晴れる。
 アンジェリカは、それを見る。
 かつての賑わいは炎光の中に消え去り。
 瓦礫と廃墟が点在するばかりの、命なき街となった六本木。
 そこに新たな戦跡が、これまでのどの破壊よりも強い存在感で追加されていた。

 巨大な削岩機を用意して抉り取ったような、一直線の破壊痕。
 それが視界の彼方、遥か闇夜の果てまで続いている。
 赤騎士も、彼が眷属として呼び出した赤銅兵達も。
 戦車も、戦闘機も、銃火器も、ひとつたりとも残っていない。
 神話の戦争が終わった後に残った荒廃を切り出して、遺跡として残したような光景だった。
 その証拠に、アンジェリカは壮絶な破壊の痕に恐怖も悔恨も抱けない。
 視界のどこまでも続くグラウンド・ゼロ。その虚無が、わけもなく神聖な景色に思えてならなかった。

 そんな冗談みたいな"絶景"の中に。
 やはり、ああやはり。当然のように彼女は立っている。
 地上の興亡など知らん顔で雲間から覗いている月明かり。
 それがスポットライトのように、白き神を照らし出していた。

「――終わったよ、先輩」

 女神であればよかった。
 あの赤騎士のように、そもそも言葉の通じない怪物であればよかった。
 なのにこの少女は、"後輩"は、恐ろしいほど人間らしい顔でこうして笑いかけるのだ。
 
 レッドライダーはどうなったのか。
 倒せたのか、逃げられたのか。
 本来真っ先に確かめるべきことが行動に移せない。
 こうして忘我の境を晒すほど、目の前の少女がキレイだったから。

「そういえば先輩。さっき、私に何か言おうとしてたよね。
 赤騎士さんが出てきて、なんか有耶無耶になっちゃったけど」

 この戦いは、神話である。
 綴る者のいない、紡がれて消えるだけの神話。
 狂気と狂気が殺し合い、廻る星々の中心で太陽の神は微笑み謳う。
 そんな神話の端役として、今自分は此処にいるのだと自覚した。


976 : この先、日本国憲法通用せず(後編) ◆0pIloi6gg. :2025/02/15(土) 04:29:18 edoGCcyM0

 だけど――この神話は矛盾している。
 アンジェリカ・アルロニカはそう思う。
 彼女だけが辿り着けた、ひとつの見解。
 狂気の衛星がそれを笑い飛ばそうと、雷光はもう抱いた想いを捨てられない。

 この神話には、神さまがいない。
 題目は神話で、やっていることも看板に偽りのない大戦争だというのに。
 本来神と呼ばれる存在がいるべき場所に、ただの少女が立っている。
 そう、少女だ。神寂祓葉は少なくともアンジェリカにとって、神でも怪物でもなかった。

 ――運命に出"遭って"しまった、どうしようもなく純粋な女の子。

「先輩あの時、なんて言おうとしてたの?」

 言おうとしていた言葉がある。
 示さねばならないと思った答えがある。

 聖杯戦争を遊びと呼び。
 自分の遊びのために、すべてを巻き込む巨大な恒星。
 炎の星、光の根源。まさに、太陽のような女。
 彼女の存在に、この世界は耐えられない。
 誰ひとり、その輝きを受け止められる人間はいない。
 神寂祓葉の存在は――世界のすべてを狂わせる。彼女のために、世界が狂ってしまう。

 再度対峙して、わずかでも言葉を交わして。
 そのことが、今度こそよく分かった。
 誰も、彼女と同じ世界では生きられないのだと。

 だからこそ伝えたかった言葉はひとつ。
 それを以って太陽への恐怖と訣別するのだと、あの時はそう決めていた。

「…………ごめん」

 問いかける祓葉から目を逸らした。
 これだけ振り回され、憧れた世界を壊されて。
 憎んでも憎みきれない筈の悲劇の元凶に、取って付けたように謝罪する。

「忘れちゃったや」

 嘘だ。
 本当は覚えている。
 忘れるはずなんてない。
 ただ、言えなかっただけ。
 どうしても、それを言葉にできなかっただけ。
 だってもう知ってしまった。
 自分は、神寂祓葉の神さまじゃない言葉を聞いてしまった。


『私は、本気になれる何かがほしかった。そんな世界を、恋するみたいに夢見てた』


 あんなことを言われてしまったら。
 聞いてしまったら。
 もう、言えやしなかった。



 ――――あんたはもう、地上にいちゃいけない存在だよ。



 そんなこと。
 自分を先輩と呼んで笑うこの少女にはどうしても、言えなかったのだ。



◇◇


977 : この先、日本国憲法通用せず(後編) ◆0pIloi6gg. :2025/02/15(土) 04:30:41 edoGCcyM0



 祓葉は去っていった。
 なんでも、まだもう少しあちこち回って交流したいらしい。
 そう言って歩き出しては、何度も振り向いて全力で手を振ってくる彼女に、アンジェリカは笑みを作って軽く手を挙げるしかできなかった。
 
 そうして、その輪郭が完全に夜の闇の向こうに消えてしまった頃。
 糸が切れたみたいに、アンジェリカ・アルロニカはその場にへたり込んでいた。

「アンジェ……!」
「……ごめん。なんか、急にどっと疲れが来て」

 駆け寄る天若日子にそう言って、アンジェリカは素直に彼の身体に体重を委ねる。
 病み上がりだからというのもあるかもしれないが、恐らくは短い時間でいろいろありすぎたせいだろう。
 これまで経験した戦いの全部を過去にするみたいな、レッドライダーとの激しい交戦。
 そして――神寂祓葉との遭遇と交流。半時あまりで経験するにはあまりにハイカロリーな体験だった。

「あめわかは大丈夫? 怪我とか、してない……?」
「軽く掠った程度だ。英霊としては少々情けないが、……矢面にはずっとあの娘が立ってくれたからな」
「そっ、か。よかった」

 〈蝗害〉だけでも悩みの種だったというのに、あんな怪物まで潜んでいるとは思わなかった。
 やはりこの聖杯戦争、まともに戦っていたら命がいくつあっても足りない。
 そういう意味でもホムンクルスと合流し、依存しすぎない範囲で同盟体制を強化することは必須だと実感した。
 考えることはあまりにも多い。考えたくないことも、あまりにも多い。

「――嵐のような娘だったな」
「うん」
「あのご老体が畏れるのも頷ける。私が言うのも何だが、アレはまさしく、神の如き生き物だった」
「……そうだね」

 言い得て妙だ、とアンジェリカは小さく首を縦に振る。
 神の如きもの。アレはそういう生き物だ。
 その存在は世界にとって、人間にとって有害すぎる。
 魔術師の合理性を持ち合わせないアンジェリカにさえそれが分かった。
 理屈を通り越して、魂としてそう理解させる説得力があった。
 神寂祓葉は、この地上に存在してはならない生物だ。
 あの輝きと無法が許されるのはそれこそ空の彼方、遠い宇宙の真ん中だろう。

 蛇杖堂寂句が何を言いたいのか分かった。
 彼が何を目指し、どうアレと向き合っているのかも分かった気がした。
 恐らく自分の辿り着いた視座は、彼のそれに近いのだろうことも。


978 : この先、日本国憲法通用せず(後編) ◆0pIloi6gg. :2025/02/15(土) 04:31:20 edoGCcyM0

「誰かが、祓葉を倒さなきゃいけない。
 聖杯戦争に勝つためとかじゃなくて、誰かがそれをやらなきゃ何も終わらないんだ」

 それは、〈はじまりの六人〉かもしれない。
 彼らの因縁とは何の関係もない、端役の誰かかもしれない。
 祓葉の空に近付ける才能を持った、新たな恒星の器かもしれない。
 もしかすると、自分かもしれない。
 
 祓葉を倒せる人間が現れるのだとすれば、そこに役柄の違いはないはずだ。
 だってあの子は、主役だとか脇役だとか、そういう小さなことを気にするタイプではなかったから。
 彼女にとって世界のすべては自分を楽しませてくれる遊び相手。
 誰に殺されるとしても祓葉は最後の一瞬まで、ああやって笑いながら逝くのだろうと思った。
 それが、生物としての"死"でも。もしくは、本来在るべき場所への"追放"でも。

「ねえ、あめわか」

 ぎゅ、と拳を握る。
 怒りでも使命感でもなく。
 もっと複雑で、だからこそ質の悪い情動を込めて。

「もしその時が来たとして――わたし、あいつを倒せるのかな」

 強さのことを言ってるわけじゃない。
 黙示録の騎士と正面切って殺し合える超人、普通に考えたら誰も倒せないのだし。
 これは、その前提が崩れるようなことがあったとしての話。
 そしてその時、祓葉を終わらせる権利を自分が持っていたならの話――そんな"もしも"の空想。

 アンジェリカ・アルロニカは、神寂祓葉を知ってしまった。
 一時でも心を通わせて、あの微笑みがどれほど屈託ないものかを味わった。
 そんな記憶を持ちながら、どこまでも弱い自分はその時祓葉を殺せるのか。
 命なき都市の背景が消費されることにさえ心を痛めてしまう自分に、あの純真な後輩を殺せるのか。

 何を甘ったれたことを言っているのだと自分でも思う。
 そう叱咤されても文句は言えない。
 けれどアンジェリカの"朋友"は、静かに祓葉の去った方を見つめて。


979 : この先、日本国憲法通用せず(後編) ◆0pIloi6gg. :2025/02/15(土) 04:32:09 edoGCcyM0

「――――アンジェ。何かを討つと決めた時、絶対にしてはいけないことがある。なんだか分かるか?」
「……躊躇わない、こと?」
「"わけも分からず殺すこと"だ」

 そう、迷える少女の吐露に応えた。
 それは友人としての言葉であり。
 だがそれ以上に、先人――英霊としての言葉だった。

 天若日子は、地上を愛してしまった。
 中国平定の使命に背を向け、女神との穏やかな日々を望んだ。
 そんな彼の末路は、凶暴な悪神を殺した偉大な神に相応しい威厳あるものではなかった。
 
 彼は、試されたのだ。
 そして試練に破れた。
 真意を司る神の甘言に促されるまま、雉の鳴女を撃ち殺した。
 それが正しいか間違っているか、考えることもせず。
 矢を番え、弓を引いた。放たれた矢は雉を殺し、彼自身に返ってきた。
 
「どうせ殺すのだから、と思考停止するのは最悪だ。
 そうやって命を奪っても、十中八九ろくなことにならん。
 証明はこの私だ。天津の神々が与えてくれた最後の慈悲に気付けもしなかった大馬鹿者よ」
「……あめわか……」
「そんな顔をするな。悔いがないと言えば嘘になるが、すべては終わったことだ。
 そしてだからこそ私は、アンジェにあんな思いをしてほしくないのだ」

 害を持って射ったのなら罰を。
 正しきを持って射ったのなら不問に。
 では、思いも巡らせずに射殺すのはどちらだろう。
 決まっている。今なら分かる。無関心に命を奪うなど、加害以外の何物でもあるまいに。

「――存分に悩め、アンジェ。君にはそれが許されている。他の誰が許さなくても、この天若日子が許してやる!」

 敵を知らずして正しきを持つなど不可能。
 討つべきものの顔を知らぬまま滅ぼすなど、これ以上の非礼はないのだから。
 針音都市の誰よりもそれを知っているからこそ、天津の御子はアンジェのすべてを許す。
 その甘さも、弱さも、迷いも。すべていつか、彼女が正しきを成すための礎石になると信じて。

 夜の街は既に廃墟。
 熱は去り、闇の低温が支配する黄泉の国。
 そんな廃墟の街に、今は少女がひとりきり。
 未熟でも、小さくとも。その瞳に雷光を抱く魔術師が、ただ静かに世界を見ていた。



◇◇


980 : この先、日本国憲法通用せず(後編) ◆0pIloi6gg. :2025/02/15(土) 04:32:41 edoGCcyM0



「ッ……はぁ、はぁ……!」

 港区・六本木の事実上の壊滅から程なくした頃。 
 中央区のとある廃ビルの中で、ひとりの青年が肩で息をしていた。
 肌には脂汗を通り越して氷水のように冷えた水滴が伝っている。

 呼吸は荒く、全力疾走どころかフルマラソンを走り切った後のように乱れて聞くだけでも痛々しい。
 毛細血管が断裂しているのか、両眼には赤い血管がひび割れを思わせる形で浮き出ている。
 気を抜けば冗談でなく意識が飛びそうな疲労感と、ごっそり生命力を抜き取られたみたいな虚脱感。
 頭痛もそうだが胸痛がひどい。手を当ててみると、心臓が今までにない速さで不整脈を打っていた。

 無骨だが見目麗しい青年がそんな姿を晒しているものだから、悲惨さは尚更顕著である。
 しかし、彼が何をした結果この有様になっているのかを聞けば同情する者は一気に目減りするのではないか。
 青年の名は、悪国征蹂郎。泣く子も黙る現代の愚連隊、〈刀凶聯合〉を統率する頭目だ。
 彼のサーヴァントは黙示録の赤騎士。戦争の化身、厄災のカウンターガーディアン――レッドライダー。
 六本木に赤騎士を投下し、結果的にその敷地の大半を焦土に変えた元凶。それはこの征蹂郎なのだ。

(……此処まで、とはな……。
 イレギュラーがあったとは、いえ……無計画に投入できるカードでは、やはりないか……)

 征蹂郎とて、可能ならば後に控える怨敵〈デュラハン〉との決戦まで無駄な消耗はしたくなかった。
 そう考えていたのだ、つい先ほどまでは。
 その前提を覆させたのは、他でもないデュラハン――首のない騎士達の王。周鳳狩魔との電話会談である。

 会談を終えた時、征蹂郎は自身の未熟を恥じた。
 誤認していた。十分に警戒していたつもりだったが、それでも足りなかったことを思い知った。
 "あの男"は傑物だ。恐らく集団を統率し、智謀を以って事に当たる上では自分など及びもつかない。
 心酔ではなく合理で忠誠を集める王。その采配は反吐が出るほど悪辣だが、故に敵を削ることにかけて突出している。
 それは、暗殺者であり、どこまで行っても一個の暴力装置でしかない征蹂郎には無い能力だ。
 だから焦った。焦りながら、静かに沸騰する脳髄で極限まで考えた。
 
 その果てに辿り着いた結論がこれだ。
 ――――やはり、レッドライダーの性能は一度試運転(テスト)しておく必要がある。


981 : この先、日本国憲法通用せず(後編) ◆0pIloi6gg. :2025/02/15(土) 04:33:37 edoGCcyM0

 赤騎士が自軍最大最強の特記戦力であることは征蹂郎も承知していた。
 が、征蹂郎は本気の彼を知らない。黙示録に存在を示唆された戦争の騎士が、一体どこまでやれるのか。
 ぶっつけ本番で投入したワイルドカードの末路が空振りに終わっては世話がない。
 だからこそ征蹂郎は、"その判断により地獄が現出する"可能性を承知した上で、レッドライダーの実戦投入を決断した。
 念のためある程度距離を空けた区に投下し、敵を探し出して、実験台として使う。
 事実その目論見は、うまく行った。いくつかの誤算を除けば、であったが。

 第一の誤算。
 本気のレッドライダーは、自分のような一介の殺し屋が御し切れる存在ではなかった。

 性質ではなく、燃費の話だ。
 赤騎士は征蹂郎の期待に応えた。
 しかし結果はこれだ。自分を優れたマスターと思ったことは皆無だったが、改めて現実を突き付けられた気分だ。
 聯合戦でレッドライダーを投入しない選択肢はないものの、無策に扱えば末路は自滅以外にないと確信した。

 そして第二の誤算。
 この都市には、そこまでしても滅ぼし切れない怪物がいた。

 聯合との決着を当座の目標にしている征蹂郎だが、そんな彼でも流石にあの"怪物"は無視できない。
 彼は予めレッドライダーの宝具で偵察用のドローンを創造させ、それを用いてリアルタイムで六本木の戦況を観察していた。
 そこで目撃したのが、怪物のように君臨し、核爆弾を斬り伏せて赤騎士と殺陣(ダンス)を踊る〈白い少女〉。
 神寂祓葉と呼ばれていた彼女の介入が、征蹂郎の予測をすべて狂わせ破壊してくれた。
 彼女さえいなければ、レッドライダーがあそこまで増長し、自身が此処まで這々の体になることもなかっただろう。
 おまけに状況が悪すぎた。あの赤騎士ならばあの状況からでも撤退できたのかもしれないが、決戦の前である。
 念には念を入れ万全を期す形で、征蹂郎は令呪一画を使い強引に騎士を退かせる羽目にもなってしまった。

 無論、得られた成果もある。
 レッドライダーは征蹂郎の想像を超えて強い。
 彼の存在は、デュラハンが擁するという四騎の英霊に単体で比肩し得る。
 そして神寂祓葉と共に戦っていた、"アンジェ"というマスターとそのサーヴァント・アーチャーの情報も相応に観測できた。

 ……代償に六本木は死の街になったが、それで今更鈍るほど、悪国征蹂郎という男は甘くない。

(――甘さなど、抱いてられない)

 甘いままでは、周鳳狩魔には勝てない。
 ドローン伝いに鑑賞した六本木の惨状は、征蹂郎にむしろ強い決意を抱かせた。
 彼は暗殺者。大量虐殺をしでかした経験など、当然ながらなかったが。
 実際にやってみて得たものは、自分はこの重圧に耐えられる人間らしいという発見だった。


982 : この先、日本国憲法通用せず(後編) ◆0pIloi6gg. :2025/02/15(土) 04:34:25 edoGCcyM0

 今のうちに行動を起こしておいてよかった。
 決戦までにはまだ時間がある。
 四時間もあればある程度は疲労も取れるだろうし、魔力も補えるだろう。
 大丈夫だ。何も、問題はない。自分に言い聞かせるようにそう呟いて、征蹂郎がぐったりと椅子の背に体重を預けた時。

「どうぞ。隣のお兄さん達にもらいました」

 横から、すっ、と毒々しいデザインの缶飲料が差し出された。
 エナジードリンクだ。飲み口にはストローが刺さっている。
 視線だけで確認すると、差し出したのは褐色肌の少女だった。
 むくつけき不良達の集うこのアジトには似つかわしくない少女。というか、幼女。
 アルマナ・ラフィー。征蹂郎の同盟相手である彼女の手から、青年は震えの残る手で缶を受け取った。

「どうでしたか。結果は」
「……想像、以上だ。良い面でも、悪い面でも」
「そうですか。後でアルマナにも映像を見せてください」
「……、……」

 ストローに口を付ける。
 吸い上げた液体の味はやはりというべきかケミカルの一辺倒。
 炭酸の刺激が乾きに乾いた喉を潤していく感覚が心地よい。
 プラシーボ効果とは大したもので、飲んだ瞬間に靄のかかった思考が少し鮮明になった気がした。

「アグニさん。
 アルマナはボランティアでトーキョーレンゴーに加担しているわけではありません。
 あくまで同盟関係です。であれば私にも、情報を共有してもらう権利はあるのではないですか」
「――すまない。そういう意味で黙り込んだわけじゃ、ない」
「と、言いますと?」

 無表情にわずかな不服を浮かべたまま、アルマナが首を傾げる。
 彼女の言っていることはもっともだし、征蹂郎もそんなところをケチって彼女達との関係を悪化させるつもりはなかった。
 なのに一瞬、無言という形で渋ってしまった理由は、もっとずっとつまらないこと。

「…………キミには、あまり見せたくない映像になってしまった」

 そう、つまり、そういうことだ。
 アルマナ・ラフィーの過去を悪国征蹂郎はよく知っている。
 何故ならその場にいたのだから。家族を殺されて泣き叫ぶ幼い顔を、覚えているから。

 周鳳狩魔が合理的(ロジカル)な人間であるなら。
 悪国征蹂郎は、無機的(システマチック)な人間である。
 彼にとって守るべきもの、それはこんな自分を慕ってくれる仲間達のみ。
 尊重するべき枠組みの中に、このちいさな少女は入っていない。
 故に征蹂郎は自分が彼女に対して覚えてしまう感情を、自己満足と弾劾していた。
 大切なものができてから、大切なものをすべて奪われた少女に肩入れしてしまうなど――これを自己満足と言わずして何と呼ぶのか。


983 : この先、日本国憲法通用せず(後編) ◆0pIloi6gg. :2025/02/15(土) 04:35:02 edoGCcyM0

「……出会った時から思っていましたが」
「いや……すまない。罵倒は甘んじて受ける。キミには、その権利が――」
「アグニさんは、不自由な方ですね」
「……。不自由。……オレが、か?」
「はい。アルマナの眼にはそう映ります」

 六本木にあるのは戦の跡だ。
 銃弾が吹き荒び、爆撃が蹂躙し、命という命が潰えた不毛の地。
 それは、彼女に見せるべきではないと思った。
 もしも自分が、殺された仲間の骸を改めて突き付けられたらどんな想いになるかと考えてしまった。
 そんな征蹂郎に、アルマナはいつも通りの虚無的な表情のままで言う。

「先ほども言いましたが、アルマナはもう何も気にしていません。
 終わったことは終わったことです。アルマナにとって大切なのは、これからです」
「…………そうか」
「なのでアグニさんがアルマナのためにあれこれ気を遣ったり、罪の意識を抱く必要はありません。
 抱かなくてもいい感情で無駄に右往左往しているようなので、それを指して不自由と表現しました」
「キミは……なんというか。思ったよりも、ストレートに物を言うんだな……」

 とはいえ――こうまで言われて、尚も引きずるのは流石に女々しいが過ぎる。何より非生産的だ。
 征蹂郎はすっぱりと彼女に対する思考を切り替えることを決めた。
 人間、弱ると悪い意味で思慮深くなってしまうというのは本当らしい。
 まさか自分のような人間にまで、そんな機能が搭載されているとは思わなかったが。

「分かった……。オレももう一度、確認をしておきたいからな……一緒に見る、というのでいいか……?」
「構いません。映像が見られるのなら、アルマナはなんでも」
「……それと、もうひとつ。別に対価というわけではないが、キミの意見を聞きたいことがある」
「――ノクト・サムスタンプのことですか?」

 アルマナの問いに、征蹂郎は小さく頷く。
 この建物内及び近辺に奴の"眼"がないことは彼女に確認して貰った。
 今この瞬間、此処で交わす会話をサムスタンプの詐欺師に知られる恐れはない。
 
「周鳳狩魔……デュラハンの首領は、〈脱出王〉を抑えていると奴へ伝えろと、言ってきた……」
「……サムスタンプ氏は、もうそれについて知り及んでいる様子でしたが」
「ああ。だから……形だけを見れば、周鳳の空振りだ。
 が……オレには、どうもそうは思えない。あの狡猾な男が、空を切るかもしれない揺さぶりを今更かけてくるものか、とな……」
「――なるほど。〈脱出王〉の存在を知られているのは承知の上での揺さぶりだと?」


984 : この先、日本国憲法通用せず(後編) ◆0pIloi6gg. :2025/02/15(土) 04:35:42 edoGCcyM0

 話が早い。
 この年頃の少女とは思えない察しのよさに内心驚く。
 "施設"にも、こんな幼さで此処まで出来上がっている同胞は滅多にいなかった。
 それを良いことと呼ぶかどうかは別として、今は話が早いに越したことはない。

「〈脱出王〉を"抑えている"と、奴は言った。
 ノクトが山越某と知己らしいことを踏まえると……その言葉に、特殊な意味が出てくるのかもしれない」
「なるほど。そこに引っ掛かりを覚えたから、伝えるかどうか悩んでいると」
「そういうことに……なるな」

 レッドライダーの性能を確認し終えた今、デュラハンとの決戦にはだいぶ勝算が出た。
 元々負けるつもりは毛ほどもなかったが、それが自信ではなく確信の域に近付いている。
 だが不気味なのはやはり〈脱出王〉。あの油断ならない詐欺師をして特筆事項として挙げていたマスター。
 であれば、事実上の外部顧問と化しているノクトに狩魔の言を伝える意味はないと思える。
 わざわざ敵に回りかねない情報を与えてどうするのだ、という話だ。

 が――

「伝えなかったら伝えなかったで、奴は必ずその弱みを突いてくる……そうも、思う」
「でしょうね。十中八九、そうなるでしょう。あの方はそういう人間だとアルマナも思います」
「だからそこが、悩みの種でな……」

 ノクト・サムスタンプという人間のことを、この時点で既に征蹂郎は微塵も侮っていない。
 あの男には敵も味方もない。誰しもの味方であると同時に、奴は誰しもにとっての敵だ。
 
 一方でアルマナは、王からの言伝てを思い出していた。
 傭兵を名乗る彼に気を許すな。同じ戦場で戦うのは避け、背を預けるなと。
 その言葉には嘘はない。だが必ずしもすべてが真実とは限らない。必ず何か重要な事項を伏せている。
 ――悪魔を相手にしているようだとアルマナは思った。益にもなるが、しかし確実に害を成す。ノクト・サムスタンプは、そういう男だ。


 と。
 そこで。


「…………、っ」

 
 アルマナが、不意にその令呪を押さえて。
 何か戦慄したように、感情表現に乏しい幼顔を歪めた。

「――どうした? アルマナ」
「……王さまが、戦っています。それも恐らく、かなりの強敵と」
「……一難去ってまた一難、だな……」

 針音都市に休む暇はない。
 誰であれ、どの立場であれ、それは変わらない。
 たとえ戦地に居なくとも。
 彼も彼女も誰も彼も、戦争と無縁じゃいられない。

 法なき都市に今も誰かの咆哮が響いている。
 いつかひとつの願いが至るまで。
 星を超え、太陽を超え、熾天の冠を戴くまで――



◇◇


985 : この先、日本国憲法通用せず(後編) ◆0pIloi6gg. :2025/02/15(土) 04:36:20 edoGCcyM0



【港区・六本木/一日目・日没】

【アンジェリカ・アルロニカ】
[状態]:魔力消費(中)、罪悪感、疲労(大)、祓葉への複雑な感情、〈喚戦〉(小康状態)
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:ヒーローのお面(ピンク)
[所持金]:家にはそれなりの金額があった。それなりの貯金もあるようだ。時計塔の魔術師だしね。
[思考・状況]
基本方針:勝ち残る。
0:なんで人間なんだよ、おまえ。
1:ホムンクルスに会う。そして、話をする。
2:あー……きついなあ、戦うって。
3:蛇杖堂寂句には二度と会いたくない。できれば名前も聞きたくない。ほんとに。
[備考]
ミロクと同盟を組みました。
前回の聖杯戦争のマスターの情報(神寂祓葉を除く)を手に入れました。
外見、性別を知り、何をどこまで知ったかは後続に任せます。

蛇杖堂寂句の手術により、傷は大方癒やされました。
それに際して霊薬と覚醒剤(寂句による改良版)を投与されており、とりあえず行動に支障はないようです。
アーチャー(天若日子)が監視していたので、少なくとも悪いものは入れられてません。

神寂祓葉が"こう"なる前について少しだけ聞きました。


【アーチャー(天若日子)】
[状態]:疲労(中)
[装備]:弓矢
[道具]: ヒーローのお面
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:アンジェに付き従う。
0:アンジェを支える。
1:アサシンが気に入らない。が……うむ、奴はともかくあの赤子は避けて通れぬ相手か。
2:赤い害獣(レッドライダー)は次は確実に討つ。許さぬ。
3:神寂祓葉――難儀な生き物だな、あれは。
[備考]


【港区・六本木→移動中/一日目・日没】

【神寂祓葉】
[状態]:健康、わくわく
[令呪]:残り三画(永久機関の効果により、使っても令呪が消費されない)
[装備]:『時計じかけの方舟機構(パーペチュアルモーションマシン)』
[道具]:
[所持金]:一般的な女子高生の手持ち程度
[思考・状況]
基本方針:みんなで楽しく聖杯戦争!
0:聖杯戦争! おもろー!!
1:結局希彦さんのことどうしよう……わー!
2:もう少し夜になるまでは休憩。お話タイムに当てたい(祓葉はバカなので、夜の基準は彼女以外の誰にもわかりません。)
3:悠灯はどうするんだろ。できれば力になってあげたいけど。
4:風夏の舞台は楽しみだけど、私なんかにそんな縛られなくてもいいのにね。
5:もうひとりのハリー(ライダー)かわいかったな……ヨハンと並べて抱き枕にしたいな……うへへ……
6:アンジェ先輩! また会おうね〜!!
[備考]
二日目の朝、香篤井希彦と再び会う約束をしました。

【ライダー(レッドライダー(戦争))】
[状態]:損耗(大/急速回復中)、令呪による撤退中
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:その役割の通り戦場を拡大する。
1:神寂祓葉を殺す
2:ブラックライダー(シストセルカ・グレガリア)への強い警戒反応。
[備考]
※マスター・悪国征蹂郎の負担を鑑み、兵器の出力を絞って創造することが可能なようです。


986 : この先、日本国憲法通用せず(後編) ◆0pIloi6gg. :2025/02/15(土) 04:36:42 edoGCcyM0
【中央区・刀凶聯合拠点のビル/一日目・日没】

【悪国征蹂郎】
[状態]:疲労(大)、魔力消費(大)、頭部と両腕にダメージ(応急処置済み)、覚悟と殺意
[令呪]:残り二画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円程度。カード派。
[思考・状況]
基本方針:刀凶聯合という自分の居場所を守る。
0:周鳳狩魔――お前は、お前達は、必ず殺す。
1:周鳳の話をノクトへ伝えるか、否か。
2:アルマナ、ノクトと協力してデュラハン側の4主従と戦う。
3:可能であればノクトからさらに情報を得たい。
4:ライダーの戦力確認は完了。……難儀だな、これは……。
[備考]
 異国で行った暗殺者としての最終試験の際に、アルマナ・ラフィーと遭遇しています。
 聯合がアジトにしているビルは複数あり、今いるのはそのひとつに過ぎません。
 養成所時代に、傭兵としてのノクト・サムスタンプの評判の一端を聞いています。

 六本木でのレッドライダーVS祓葉・アンジェ組について記録した映像を所持しています。

【アルマナ・ラフィー】
[状態]:健康
[令呪]:残り3画
[装備]:カドモスから寄託された3体のスパルトイ。
[道具]:なし
[所持金]:7千円程度(日本における両親からのお小遣い)。
[思考・状況]
基本方針:王さまの命令に従って戦う。
0:王さま……。
1:もう、足は止めない。王さまの言う通りに。
2:当面は悪国とともに共闘する。
3:傭兵(ノクト)に対して不信感。
[備考]
 覚明ゲンジを目視、マスターとして認識しています。
 故郷を襲った内戦のさなかに、悪国征蹂郎と遭遇しています。


[全体備考]
六本木の九割ほどが核兵器で壊滅しました。
放射能汚染が発生しているため、近寄らない方が無難です。


987 : ◆0pIloi6gg. :2025/02/15(土) 04:37:31 edoGCcyM0
投下終了です。
スレの残量が減ってきたので、明日(今日)中には新スレを建てようと思います。もう少しお待ちください。


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