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Fate/clockwork atheism 針音仮想都市〈東京〉
「人類は、望みとあれば好きなだけ殺し合うがいい」
――アーサー・C・クラーク〈幼年期の終り〉
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焚火の山のようだ、と少年は思った。
野山に薪木を積んで、火を灯す。
それを肴に話に花を咲かせて、肉や魚を焼いて食べる。
厭世家の彼には実際にそうした営みに興じた経験はなかったが、それでも否応なしにそんな表現が脳裏に浮かんだ。
世界でも有数の大都市である東京の摩天楼は、既にその面影をまったく失せさせていた。
高層ビルから住宅街まで例外なく炎に包まれ、救援のために派遣されたのだろう自衛隊のヘリのスクラップがそこかしこに転がっている。
およそ百年前にこの地を襲った空襲の戦火でさえ、これほどの地獄を具現させることはなかったろう。
ヒトが比喩表現として用いる"地獄"ではなく、文字通りヒトが死後に行き着いて苛まれるとされる"地獄"。
焦熱地獄と呼ばれる景色を、あまたの命と歴史を絵具にして描きあげたような光景。
それが現在、この首都を覆い尽くす惨禍の絵図であった。
そんな死の街、死の都の中にただひとつ輝くものが産声を響かせている。
輝きながら、ちいさく蠢く王冠だった。
まごうことなき聖性と、命の重さを思わす聖遺物。
生まれたての赤子のようであり。
百年の生涯を終えた聖者の遺体のようでもある。
〈熾天の冠〉。
魔術師たちは、これをそう呼んだ。
少年は最後の歯車と呼んでいたが、大差はない。
重要なのはこの杯、王冠こそが万人にとっての悲願であったということ。
運命を覆し、艱難を制し、永遠の迷走を打破することのできる最後の鍵であったということ。
すなわち聖杯。遠き神話に始まり、現代にまで連綿と信仰の継がれてきた最高峰の聖遺物だ。
「みんないなくなっちゃったね」
「自分で殺しておいて何を言ってるんだ、きみは」
「それもそっか。じゃあさキャスター、これで終わりなの?」
聖杯の降臨が成り、その目前に立っているひとつの主従。
この光景は、聖杯戦争という――ある大いなる儀式の終わりを明確に示していた。
もはや隠蔽などはどうやっても不可能だろうが、兎角決着はついたわけだ。
七つの願いは蠱毒の果てに、最後のひとつを残して散った。
結局最後まで誰ひとり、神の実在を証明することはできなかったのだ。
「……終わりだよ。これですべては終わり、きみとボクの願いは叶う。
ボクらの縁もこれで打ち止め、ということになるね。
率直に言うとせいせいするよ。もうきみのお守りは懲り懲りだ」
少女が、〈熾天の冠〉に手を伸ばす。
止めはしない。杯と呼ばれたその王冠を、少女はゆっくりその手に担う。
戴冠の時だ。この世界で誰より輝いていた彼女は、これで名実ともに神さまになった。
「そっかぁ……。私は嫌だな、もっと"みんな"と一緒にいたかったのに」
だというのに、少女は少し寂しげな顔をしていて。
それから何か思いついたように、ぱっとその表情を明るくした。
頭の上に王冠を載せて、浮かれてるのを隠そうともせずにその場でターン。
従者の、キャスターの方へと、振り返る。
そして神さまではなく、王さまとして。
この世のすべてに愛され、同時に恐れられた女は朗らかに笑って言った。
「――よし、決めた! もっかいやろうよ、もっかい! 聖杯戦争!」
即座に起動される聖杯。
おい待て、だとか。
何をする気だおまえ、とか。
そんな止める言葉を放つ暇さえ、彼女は少年に与えなかった。
「あの子たちも呼んでさ、今度はもっと大勢で遊ぶんだ。
日が暮れても、夜が明けても。今度こそ、私を倒せる子が現れるのを信じて!」
「バカ、やめろ! ていうかボクの願いはどうなるんだ、おまえ――!」
「そのへんはもちろん考えてる! だってキャスターさ、冠(これ)だけじゃほんとにやりたいことはできないんじゃない?」
その言葉に、少年は押し黙る。
実のところそれは、図星だった。
確かに〈熾天の冠〉、大聖杯に届く願望器ならば願いを叶えることはできる。
だが聡明なる少年はこの時点で、既に分析を終えてしまっていた。
おそらくこれだけでは、まだ足りない。まだ、真の大願を満たすまでには至れない。
だからこそ願いを叶えて永遠にも思えた第一工程を突破した後で、次に進むか足を止めるかを考える気でいたのだが……
「欲張っていこうよ。私たちが勝ったんだもん、それくらいのわがままは許されてもいいでしょ?」
「……簡単に言うけどな、もう一回やるって具体的にはどうするつもりなんだ。
ここまで派手にやらかしたらこの先はいよいよ遊びじゃ済まない。
きみが欲しがってる"遊び相手"以外も山ほど首を突っ込んでくることになるんだぞ。きみはそれでいいのか?」
「やだよそんなの。だからね、新しく創ろうかなって」
「は?」
王冠の少女が、両手を広げる。
炎に包まれた死の街で、両手を。
きっと、たぶん、本当に。
何の冗談でもなく、世界のどこまででも届いてしまう両手を。
少女は、広げて。そして――
「私たちのためだけの世界を創る。そこで新しく始めよう、私たちのためのゲーム盤を」
そんな。
神さまにしか許されないような、ことを。
王さまのような尊大と、少女のような純粋さで――神寂祓葉はそう言った。
◆◆
聖杯。それは――万物の願いを叶える、至高の聖遺物である。
これをめぐり争うことを"聖杯戦争"と呼び。
聖杯を求む魔術師たちは英霊を招き寄せ、従者(サーヴァント)として使役する。
2024年1月。東京都内にて、聖杯戦争が開催された。
聖堂協会の所有する〈熾天の冠〉を用い、開催が告げられた聖杯戦争。
名乗りをあげた者は数多く、されど資格を得られた者はセオリー通りに七人。
七人のマスターと、七騎のサーヴァントにより行われた、あらゆる魔術師の悲願を叶えるための戦いである。
複雑に交差して絡み合う策謀と陰謀。
行使される武力、日増しに苛烈化していく戦線。
同盟、裏切り、工作、反則まがいの裏技に至るまであらゆる手管が飛び交い、摩天楼東京は魔境と化した。
目指すは聖杯。狙うは成就。誰一人己の願いと未来を譲る気などなく、繰り広げられる誇りと汚濁に塗れた殺し合い。
その均衡を破ったのは、魔術師ですらないひとりの少女だった。
半ば偶然、巻き込まれるようにして戦火に身を投じた哀れな娘。
呼び出したサーヴァントも、戦力的にほぼ意味を成さないと言っていい最弱の魔術師(キャスター)であった。
だから誰もが気にしていなかったし、せいぜい他所の手札を引き出す当て馬にでもなれば御の字と高を括っていた。
だが、少女は勝った。
目の前に現れる、すべての争いに勝利した。
臆することなく前線に立ち、何度も傷つき、時に致命傷さえ負いながらそれを跳ね除けて粉砕した。
ある者は、それを奇跡と呼び。
またある者は、悪夢と呼んだ。
奇跡としか形容できない不条理。
悪夢としか表現できない理不尽。
光の剣を、その右手に握りしめ。
いついかなる時でも微笑みながら、快活に、踊り舞うように勝利を重ねるハイティーン。
それしか知らないように突き進む究極の勝利。
彼女の進撃は、最後の一騎となるサーヴァントが消え去るまで絶えることなく続き。
少女は、星降る炎の夜に聖杯を手にした。
――遊ぼうよ、もっかいみんなで。
聖杯/王冠を戴いて、いつも通りに笑う顔を憶えている。
まるで、みんなで楽しんだゲームをもう一度やろうと持ちかけるみたいに。
少女は自分の手で殺し、そして蘇らせた六人の友達(マスター)へそう言った。
そう。
これは、ある少女の遊び場に過ぎない。
少女は、常に勝者である。
勝ち続ける者。そうでしかあれないもの。
世界の主役。唯一神の否定者。根源に繋がらずして、すべての理の外にある特異点。
絵空と現実の境目に立つ、無銘の神話の現人神。神の不在証明。無神論。
だからこそ、結末は定まっている。
自分で造って、自分で集めて、そして自分が勝つ。
いつもの通りに。足並みを揃えることなんて知らないまま、先へ先へと歩んでいってしまう理不尽だけがここにはある。
主役は、ひとり。
その光に目を焼かれた亡霊が、六人。
そして、もっと楽しく遊ぶために用意された演者(アクター)が無数。
聖杯戦争は、新たな地平にて再演される。
みんなは、願いを叶えるために。ひとりだけが、遊びのために。
英霊を従え、術と天運を尽くして、踊るように旋律を織りなすのだ。
演目の名は『第二次聖杯戦争』。
あらゆる魂を灼く光のまわりで、廻り廻るは願いの星屑。
故に、ここに成すべき命題を宣言しよう。
それはかつて六人の魔術師たちが果たせなかった難題。
世界の誰も果たせるはずのない、神さえ届かぬ星の理。
一切鏖殺に並ぶ、聖杯戦争の勝利条件。
果たさぬ限り、何人たりとも聖杯へ届くこと能わぬ。
己が願いを叶えるため、星の奇跡を葬送せよ。
時の彼方へ高らかに翔び立つ、"幼年期の終わり"を否定せよ。
神寂祓葉に、勝利せよ。
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星の光を、仰いだことがない者はいない。
夜空を覆うように散りばめられた、星屑の絨毯。
何百年前に散華した星々の、その臨終の輝き。
文字通り時間を超えた、人類が唯一見ることのできる過去の景色。それが星だ。
だが、その輝きを間近で見たことのある者はいない。
何故かと問われれば、答えるのはきっと簡単だ。
人類の技術は西暦2000年を超えた今でもたかが知れている。
太陽系の中を無人機で右往左往するのがせいぜいの人類では、その輝きへ辿り着くのはまだまだ遠い。
されど、もしも仮にその不可能を可能にすることができたとしても、やはり現状は変わらないだろう。
過ぎた光は、人間の眼を破壊する。
灼いてしまうのだ、言葉通りの意味で。
日食網膜症という病気がある。
太陽光を裸眼で観察することによって生じる眼障害のひとつだ。
太陽光は光量の強さと、非常に高い熱を帯びているから、裸眼で見ると視力が害される。
子どもでも知っている当たり前のことだ。だから、人は太陽を見上げはしても、それを直接見つめはしないのだ。
であれば。
もしも地上に、太陽があったならどうなるだろうか。
太陽でなくてもいい。
煌々と輝く超新星でも構わない。
星の姿を捨て、人の形に凝縮されて輝く星。
そんなものが素知らぬ顔で地上をほっつき歩いていたなら、それに出会ってしまった人間はどうなる?
その答えは、言うまでもなく……
◆◆
「どう思う?」
「なにが?」
「この世界。我ながら、うまくできたなあって思ってるんだけど」
「馬鹿すぎて言葉も出ない。やろうとしたことも、実際にやってのけたことも」
「そんなあ」
東京スカイツリー、最上階。
またの名を天望回廊。
そう名されたそこに、そのふたりはいた。
ひとりは少年だった。
薄い水色のボブヘアーがアンニュイな印象を与え、だぼだぼのジャケットを纏い袖を余らせている。
言われなければ少年とも少女ともわからない、第二次性徴前特有の中性的な容貌がいやに特徴的だ。
その瞳には、時計の紋様が浮かんでいる。
カラーコンタクトではないが、仮にそうだとしても可怪しかった。
瞳の模様でしかない筈のそれが一秒ごとに針を動かし、時を刻んでいるのだ。
午前零時を指す瞳でかたわらの相棒を見つめる姿は、なにか人知を超えた調度品のような趣を放っていた。
「――やっぱりきみは化物だよ、祓葉。
たとえ願望器の力があったとて、ヒトは普通ここまでやれない」
魔術師にも、科学者にも、はたまたその両方にも見える少年。
彼も十分に奇怪な存在だったが、彼は眼下に広がる街並みを見下ろしながら隣のもうひとりへそう言った。
仮初めの街。被造された都市世界。
名はあるが、今明かすにはまだ早い。
いかに大聖杯とはいえ容易ではない芸当だ。
ひとりの人間が、ひとつの世界を編み上げるなんて。
ましてやそこにいくつかのルールを足して、自分好みのゲーム盤に仕立ててしまうなんて。
神の才覚。理の奏者。光そのものたる何か。
呆れ混じりに評されたもうひとりは、少女だった。
真白の長髪は銀雪を絹に見立てて編んだ羽織に似ている。
頭頂部からぴょこんと跳ねた毛が、ともすれば神秘的ですらある容貌に愛嬌を足していた。
水晶の瞳を持つ少女の名は、祓葉。神寂祓葉という。歳は今年で一七歳。花の女子高生である。
「ボクは生まれてこの方、神というものを信じたことがない」
「なんで?」
「停滞だからだ。それに、もしそんなものがいるのなら祈るんじゃなく真っ先に討ち倒す手段を講ずるべきだと考えてる」
見た目は、白雪に埋もれた宝石のようだが。
その醸す明るさは、どこか太陽を思わせた。
もしくは向日葵だ。よく笑い、よく遊ぶ。
悩み知らずでいつも前向きで、岩戸のように閉じた心もついつい開いてしまいたくなる魅力が彼女にはある。
……でも、太陽の性質というのは何も明るく照らすだけじゃない。
太陽が暖かな恵みの象徴であるのは、ひとえに地球から遥か遠くを揺蕩っているから。
ひとたび距離感を間違えたなら、もしくはあちらから近付いてくるようなことがあるのなら。
恵みもたらす優しいお天道様は、その時瞬時にすべての生き物を灼き尽くす死の光へと姿を変えるだろう。
祓葉は、ひとえにそういうものだった。
太陽が降臨を果たした都市の末路は、既に語り終えている。
「天に祈りを捧げることで本当に枯れ地に芽が出て花が咲くのなら、誰も汗水垂らして働いたりなんかしないだろ」
「あー。まあ、そういうものかもね。苦労なく幸せになりたいってのは、やっぱり人間のいちばん普遍的な願いごとだろうし」
「だからぼくは神様とやらが嫌いだし、信じていない。その存在は、ボクの生涯と理想の否定になる」
でも、そのぼくにもわからないことができた。
そう言って、少年は祓葉へ振り向いた。
あどけない顔。時刻む文字盤の瞳。
それが、太陽を見据える。
あるいは彼も、既に灼かれ終えているのかもしれない。
「きみの存在だ」
「私」
「率直に言ってきみを見ていると目眩がする。同じ人類だと思えないし、思ったら負けな気がするんだよ」
少年は、サーヴァントだ。
人理の影法師とも、英霊とも呼ばれる存在だ。
しかし彼は、とてもか弱くか細い英霊だった。
本当なら、まず英霊として呼び出すことも難しいような薄影。
誰もが見つめるはずれくじ、机上の空論という言葉が形を取ったような男。
それらしい幻霊を結びつけて、それでようやく現界が可能になったうつろの詐欺師。
他でもない彼自身も、聖杯を手に入れられるだなんてまったく思っていなかったくらいだ。
だってそれは、どうやったって不可能な夢だから。
努力の有無云々じゃなくて、物理的にどうやっても不可能だと彼自身が誰より知っていたから。
だからこそ――
彼が神寂祓葉のサーヴァントとして聖杯戦争を制した時、胸に湧いた感情は過去一番の「なんで?」だった。
「きみは何者なんだ、祓葉」
「うーん」
「特異点。彗星の尾。絵空。狂気の如きクラリオン。唯一神の否定者。
……無神論。
様々な名で人はきみを呼んだけど、ぼくはそのどれも違う気がしてならない」
到れる筈などなかったのだ。
抱いた夢が叶うことなど、ありえない筈だったのだ。
だって、それを可能にできる理屈と素体が完成していなかったから。
彼が生涯を通して究めた結論は、人類には向こう千年早いものだった。
いわば理屈だけ存在して、実体が存在しない論文。
腕が二本では絶対に弾けない天上の楽曲。
――到れる筈はない。
――叶う筈はない。
描いた夢は、所詮夢のままで。
この想いはいつか遠い航海の果てに訪れる幼年期の終わりを夢見て、失意を胸に永久に眠り続ける筈だった。
「やっぱり人間だよ。私は、ただの人間」
「……うそつけ」
「どうしても違う答えがほしいんだったら、それはあなたが見つけてほしいな。
私頭悪いからさ。あなたの見つけた答えなら、私も納得できると思うんだ」
しかし、その前提は覆された。
神寂祓葉。規格外(オーバースペック)の登場である。
机上論の歯車。
嘲笑われたクロックワーク。
自らの手で打ち壊した生涯の結晶。
人体に搭載などしようものなら良くて爆散。
最悪の場合、指向性を持たないエネルギー体の塊となって意識と肉体の境も分からない混沌として生も死もなく漂い続けることになる。
自殺行為未満の博打。回り出した歯車、鳴り響いた時報。
そして。
神の名を持つ大祓の娘は、完成した。
人間であることしか弱点のなかった少女が。
人間ですら、なくなってしまった。
「そうでしょ、ヨハン。
私を"私"にしてくれたあなた」
「……その名で呼ぶのはやめろと言ってる。
ヨハン・エルンスト・エリアス・ベスラーはもう死んだ。
きみが燃やした東京と一緒に、あの日燃え尽きてなくなったんだ」
時計の針音が、歯車の鼓動が、絶え間なく世界のどこかで響き続けている。
再現された街、被造された都市、針音仮想世界〈東京〉。
特異点と呼ぶに相応しく、異聞帯と呼ぶには未来に溢れすぎた仮想領域。
神の否定者が綴り、星の開拓者になり損ねた男が廻す遊戯舞台(フェストシュピールハウス)。
時を遡ろう。
神寂祓葉が召喚した英霊は、あるちっぽけな発明家だった。
人類の悲願を成し遂げたと豪語し、しかし遂にその偉業を証明できなかった愚かな男。
厭世が過ぎて身内にさえ裏切られ、嫌われ、当然として詐欺師の汚名を被ったくだらない三流英霊。
世界を救うかもしれなかった、されどその器ではついぞなかった喜劇役者である。
彼の失敗は絞ればひとつだ。
男は偏屈であると同時に傲慢だった。
だからこそ自分の理論と設計がどうしようもなく不完全な代物であることに、すべてを失うまで気付くことができなかった。
人類の文明をどれほど未来に飛躍させることができたとしても、それが人類では扱うことのできない構造であったなら意味がない。
そして彼以外の誰もが、そのことに気がついていた。
こんなもの、成功するわけがない。上手くいくはずがないと誰もが思っていながら、しかし嫌われ者の彼にそれを言って聞かせる者はいなかったし――仮に指摘されていたとしても、傲慢な科学者はそれを聞き入れなかったろう。
要するに。
彼の隣には、誰もいなかったのだ。
男は確かに人類を救える逸材だったが。
同時に、どうしようもなくひとりきりだった。
だからその生涯は失意の中で幕を閉じ。
その名は詐欺師の蔑称と常にセットで語られる。
当然の報いで、当たり前の帰結であった。
だが――今は違う。
「ボクは今度こそ人類を救う。ヒトはどうしようもなく愚かだが、その文明には価値がある」
彼の不幸は、並び立つ者がいなかったこと。
隣に立って、同じ目線で話せる人間の不在。
されど運命とはどこまでも数奇なもので。
遠き国、遠い未来の果て。
栄華を極めた摩天楼の片隅にて。
少年は、運命に出会った。
「ボクはきみを利用する。ボクの最後の発明のため、理想のため。そして、人類の善き未来のため。
だから、きみもせいぜいボクを利用しろ。振り回すのは得意だろ」
「素直に"これからもどうぞよろしくね"って言えばいいのに」
「イノシシと人間は友達になれないんだよ」
「イノシシ……? うーん、ヨハンはどう贔屓目に言ってもハリネズミじゃない?」
「皮肉の意味もわからないバカとは話したくない。まったくもって時間の無駄」
「あっ拗ねた。かわい〜。よしよししたげよっか」
聖杯戦争。
今となっては"第一次"の枕詞が付く前日譚。
数多の奇跡の果て、その眼で見た戴冠は消えていた炎を燃え上がらせた。
人類は救われなければならない。他ならぬ自分の手で、恒久的な大成を迎えなければならない。
長い蛹の時を経て、蝶が空に羽ばたいていくように。
有史以来長らく続いたこの幼年は、もはや訣別せねばならない宿痾と化した。
神寂祓葉のことは今もわからない。
彼女が何者なのか、そもそも本当に人間なのか。
わからないが、もはやすべては些末だった。
この戦いの果て。ふたつ目の〈熾天の冠〉が降りる時、あまねく悲願は成就するのだ。
「……もはや、ヨハン・エルンスト・エリアス・ベスラーには非ず」
人類史上初めて、人類を恒久的に救済する発明に手をかけたもの。
そこまで辿り着きながら、数多の現実に阻まれて消えた歴史の敗残者。
旅の終わりはすぐそこに。今、ヒトは宇宙(ソラ)に翔び立とうとしている。
「――ボクの名前は、オルフィレウスだ」
ヨハン・エルンスト・エリアス・ベスラーならぬ、オルフィレウス。
約束された勝利の光剣を携え、神話を造る男の名であった。
◆◆
世界五秒前仮説。
今から五秒前に世界が誕生したと唱える者がいたとして、それを証明する手段はどこにも存在しない。
〈熾天の冠〉を手に入れたマスター……神寂祓葉は二度目の聖杯戦争を開戦した。
あるはずもないふたつ目の王冠。大聖杯に相当する、稀代の聖遺物。
それを争奪する趣向自体は一度目、及び類似するあまたの儀式と変わらない。
違うのは座席の数。そして、招待状の届く範囲。
世界の枝葉と垣根を超えて、招待状は送り届けられた。
条件はひとつ。西暦2024年の地球であること。
その条件下で配送された招待状は、決して止まることのない懐中時計。
永劫不変で回り続ける、無謬の歯車である。
〈熾天の冠〉は、微笑む相手を選ばない。
懐中時計を手にした者は、針音の仮想世界に転移させられ。
魔術師でない者には、時計を介して後天的な魔術回路が装填される。
経験の多寡はあれど、環境の多寡はない。少なくとも、この世界においては。
かつて祓葉がそうしたように、誰にだって奇跡を起こす権利が備わっている。
演者(アクター)はそうして集められるが、例外たるは六人の魔術師。
呼称するならば、そう――〈はじまりの六人〉とでも呼ぼう。
彼らは第一次聖杯戦争の亡霊だ。一度は命を落としながら、祓葉の手で受肉・蘇生させられた哀れな人形たち。
太陽を直視しすぎて異常をきたした、かつての役者たちだ。
祓葉は彼らを気に入ってる。ボクとしては、とんだ死体蹴りだと思うけれどね。アレは善意と悪趣味の区別が時につかないんだ。
兎角、これらの演者たちによって〈第二次聖杯戦争〉は執り行われる。
さすがに玉石混淆が過ぎても困るから、振るいの段階は設けるけれどね。
懐中時計の配送開始から数えて、ちょうど一ヶ月。
その時点で生き残っていた演者のすべてを、ボクらは二度目の聖杯戦争に列席する資格者として認める。
その後のことは追って通達するが、そうだな。
とはいえ、あまり多くの意味はない。
生き残ろうが、志半ばでへし折れようが、それで何か結末が変わるわけでもない。
重要なのは過程だ。それが、ボクの舞台を完成させるための無二の材料になる。
それでは、結びに。
たいへん不服ではあるけれど、アレの言葉を借りておこう。
――どうか、終わりを迎えるその日まで。ボクらの舞台で、楽しく遊んでいってくれ。
どれほど完成された機械にだって、歯車の存在は不可欠なのだから。
【クラス】
キャスター
【真名】
オルフィレウス
【属性】
秩序・善
【ステータス】
筋力E 耐久E 敏捷E 魔力D 幸運D 宝具EX
【クラススキル】
道具作成:EX
魔力を帯びた器具を作り上げる。
魔術の心得は多少あるので、武装や霊薬なら低ランクだが作成可能。
一流の魔術師には到底及ばない精度だが、にも関わらず規格外のランクを持っている理由は〈永久機関〉の創造を可能とする点にある。
陣地作成:E
発明および研究のために必要なラボを作り上げる。
散らかってるし、他人のことを考えないので狭くて歩きづらい。
【保有スキル】
一意専心:B++
一つの物事に没頭し、超人的な集中力を見せる。
自身のモチベーションと合致する事柄に関しては特に先鋭化する。
星の開拓者:E-
最低ランク。人類史においてターニングポイントになる可能性があったというだけのなけなしのスキル。
彼は誇りではなく、一握りの天才ゆえにそのきざはしに手を掛けたし、そういう意味でも納得の低ランクである。
人類を救えるかもしれなかった、それだけの男。
■■■■:A
現界にあたり、とある幻霊を宿している。
とはいえこれも、敵を倒す上で役に立つようなものではない。
精々が目くらまし。二度は通じない、その場しのぎの幻想創作である。
【宝具】
『時計じかけの方舟機構(パーペチュアルモーションマシン)』
ランク:EX 種別:対人宝具 レンジ:- 最大捕捉:1人
Perpetuial motion Machine。すなわち、永久機関の創造を可能とする。
人類にとって永遠の悲願であり、あらゆる技術的問題を恒久的に解決する可能性を秘めた夢の機械。
キャスターはかつてその創造のきざはしに手をかけ、ふたつの現実に阻まれて失意の中で表舞台を去った。
ひとつ目は彼の性格ゆえの問題。そしてふたつ目は、彼の開発した永久機関はそもそも人間に扱えるスペックをしていなかったということ。
エネルギー供給を必要とせずに永久動作を続けるという点は真実だったが、しかしその挙動はあらゆる面で常識を超えており、人間が下手に触れれば良くて肉体が爆散。最悪の場合、機関の運動に呑まれて肉体・意識・果てには存在性そのものが無形の永久運動エネルギー体に変貌。生死の境すら超えた"現象"とでも呼ぶべき存在に成り果ててしまう。
サーヴァント化した現在でも発明の欠点は据え置き。それどころか英霊にさえ扱える代物では到底なく、基本的にまったく実用に値しない。
この情報は第一次聖杯戦争開始時点でのものとする。
【weapon】
なし
【人物背景】
本名、ヨハン・エルンスト・エリアス・ベスラー。
ドイツ南部の街で細々と研究を続けていた科学者兼発明家であり、永久機関の開発に成功したと豪語したことで一躍注目を浴びる。
間違いなく優秀な男だったが厭世家であり、おまけに傲慢。
彼には人の心というものがおよそ分からず、単なるシステムの脆弱性としか認識することができなかった。
だからこそオルフィレウスは数多の疑心と裏切りに遭い、信用がなかったから誰も彼の発明の瑕疵を指摘してもくれず、結果としてその生涯は詐欺師の汚名を被り続けることとなった。
しかし、彼の発明は確かに遠未来に至るまであらゆる人類を救う可能性を秘めていた。
彼に足りなかったのは理解者と、人類救済装置たる自動輪を"実用"できる人間の不在。
夢を阻んだふたつの現実は、彼にとってあまりにも大きな壁であった。
故に英霊の座へ招かれたオルフィレウスはすっかりふて腐れ、聖杯戦争に呼ばれた際にはあらん限りの悪態とやさぐれを披露した――のだが。
男は知ることになる。
人間の可能性を。
男は得ることになる。
はじめての理解者を。
男は、至ることになる。
人類の昇華。かつて掲げた古い理想を遂げる、理論の果ての到達点へ。
【容姿・性格】
薄い水色のボブヘアーに、だぼだぼのジャケットを纏い袖を余らせている。
言われなければ少年とも少女ともわからない、中性的な容貌の科学者。
永久に回り続ける時計の瞳を持つ。
性格は人嫌いで偏屈。おまけに毒舌。友達がいないのも頷ける人物。
【身長・体重】
150cm/40kg
【聖杯への願い】
人類救済。
この美しく、そして愚かしい人類文明を今こそ巣立たせる。
【マスターへの態度】
理解不能な生物。マジで頭も身体もどうかしてると思う。
基本的に辛辣だが、およそ友達というものを得たことのない男なので実は結構ツンデレ気質。
やっていることは本当に心の底から馬鹿だと思っているが、その実『祓葉が負けることはあり得ない』ということは誰より信じている。
【名前】
神寂祓葉/Kamusabi Futsuha
【性別】
女性
【年齢】
17
【属性】
混沌・善
【容姿・性格】
純白の長髪。頭のてっぺんには大きめのアホ毛がぴょんと立っている。
衣服は都内高校の制服。上は紺色のブレザーで下は緑と茶色のチェック模様のスカート。
底抜けに明るく、よく笑いよく泣く。喜怒哀楽がはっきりしている。
露悪的な振る舞いは好まず、敵を殺す時もいつもさっぱり。
【身長・体重】
160kg/45kg
【魔術回路・特性】
質:E 量:E
きわめて質が低い。
祓葉は魔術を必要としない。
【魔術・異能】
◇『光の剣』
とある処置を施されたことで身に着けた戦闘手段、兼武装。
魔力をはじめとした一切のエネルギー源を必要とせず、常に異常な出力で振るわれる光剣。
◇『神寂祓葉』
あらゆる能力値で普通の人間を逸脱している。
それは純粋な身体能力だけに留まらず、およそこの世の全才能に通ずる存在。
理屈ではなく理としてある人間。さながらそれは、世界そのものが彼女のためにあるようだと評される。
【備考・設定】
特異点。彗星の尾。絵空。狂気の如きクラリオン。唯一神の否定者。そして無神論。
様々な名で呼ばれるが、絶対的に共通していることはひとつ。
彼女はきっと、生まれながらに主役となる星の元に生まれている。
世界が彼女のために道を空けても空けずとも、彼女はそれを力ずくでこじ開けて進んでしまう。
不可能が、彼女の前でだけは可能になる。
存在そのものが世界の剪定に繋がる、人類史のエラー。もしくは、人類種の最終到達点。
無数の勝利を重ね、無数の狂気を生み出しながら、ただ世界の果てを夢見る娘。
誰かにとっての救世主であり、誰かにとっての悪魔でもある存在。
〈はじまりの聖杯戦争〉にて、祓葉は他の六陣営すべてを屠り聖杯を手にしている。
聖杯は彼女とそのサーヴァントたる科学者の手に渡り、改造された上で使用された。
そうして生まれたのがこの物語の舞台となる仮想世界――針音仮想世界〈東京〉である。
祓葉はゲームマスター。しかし彼女は監督役の立場に留まらず、積極的に舞台へ介入する。
自分で仕掛けたゲームで、本気でもう一度玉座を目指すという矛盾し放題の出来レース。
【聖杯への願い】
相棒であるヨハン(オルフィレウス)の願いを叶えること。
ただ、基本的には楽しく遊べればそれでよし。なのでやりたいようにする。
【サーヴァントへの態度】
自分に新しい世界を見せてくれた親友。
口は悪いけどかわいいところもあるんだよなあ、と思っている。
【基本ルール】
・マスター資格のある人間が『古びた懐中時計』を手にすることで仮想世界の東京二十三区に転移します。区外の世界は存在しません。
この懐中時計には、"エネルギーを必要とせずに動く"こと以外に異常性はありません。
第一次聖杯戦争の行われた世界から蒐集されるわけではないので、並行世界からの出典なども可とします。ただファンタジー異世界とかは厳しいかも。
・マスター達には聖杯によって仮想都市の社会ロールが与えられます。
・サーヴァントを失ったマスターは三〜六時間後に消滅します。
制限時間は本人の容態や持った能力値によって左右されますが、マスター単独での六時間以上の生存は不可能です。
・『神寂祓葉』およびそのサーヴァント・『キャスター』は最終章まで必ず生存します。
【募集キャラクター】
基本:『古びた懐中時計』を手にし、聖杯戦争に参加させられたマスターを募集します。
マスターのことは演者(アクター)とも呼びます。
・"はじまりの六人"
採用人数:六人
ゲームマスター・神寂祓葉を除く、第一次聖杯戦争を戦った六人の魔術師です。
祓葉以外の全員は聖杯戦争中に死亡していますが、聖杯の力によって蘇生されています。
役柄としては特殊ですが、基本的にはその他のマスターと差異はありません。
唯一特筆すべき点として、蘇生された六人は全員がそれぞれ何らかの形で『神寂祓葉に狂わされています』。
憧憬、憎悪、狂愛、その形は問いません。なんらかの狂気が彼らにはあることでしょう。強すぎる光に焼かれた、哀れな六体の人形です。
〈はじまりの六人〉は、神寂祓葉に関する以外の第一次聖杯戦争の記憶をおぼろげにしか記憶していません。
メタ的に言うとこれは、コンペ段階で喚んだサーヴァントのクラスなどを詳細に設定されてしまうと後で整合性を取るのにたいへん苦労することが予想されるためです。
※当たり前ではありますが、採用枠が他より狭いのでご注意ください。
・演者(アクター)
採用人数:未定
普通のマスター達のことを指します。
採用人数は未定です。魔術師・一般人は問いませんが、世界への転移の際に魔術回路が装填されます。
才能次第では回路と一緒に固有魔術を手に入れることもあるでしょう。
【コンペ・キャラメイクについて】
・投下はトリップ必須です。必ず作品の内容を完成させてからの投稿をお願いいたします。
リアルタイムで執筆しながらの投稿は他の書き手諸氏へのご迷惑になりますのでご遠慮ください。
・存命中の人物や最近の犯罪者など、倫理的に著しい問題のあるサーヴァントや関連設定での制作は禁止とします。
・採用数は、オリ鱒+オリ鯖で行われた企画の前例が界隈に存在しないため、今のところ未定とさせてください。
目処が立ちましたら追って連絡いたします。
・募集期限は「現状」7/15 03:00を想定しています。伸びる可能性はありますが、短縮することはないかと思いますのでご安心ください。
・既に投下されたキャラクターに絡めた設定(経歴)を持つキャラクターの投稿については、「◆0pIloi6gg.(企画主)」の投稿したキャラクターに対するもの・及び投稿者と同一のトリップで投稿されたキャラクターに対するものに限ります。
・マスター側の原作・型月作品キャラ縁者設定は原則禁止。サーヴァント側は面識があっても構いません。
また、既に公式でサーヴァント化されている英霊の別解釈なども投下を可とします。
・募集するクラスは「メイン七騎」+「エクストラクラス」になりますが、「ビースト」「ルーラー」の投下はご遠慮ください。
・型月世界に関する知識がそこまで深くなくても大丈夫ですのでお気軽に投げていただければと思います。
ていうか企画主も型月浅瀬ちゃぷちゃぷ人間なので、お互い様でがんばっていきましょう。
・いろいろ手探りでやっているので、問題が見つかったら都度ルールが変わっていく可能性があります。ご了承ください。
【キャラクターシート】
サーヴァント
【クラス】
【真名】
【属性】
【ステータス】
【クラススキル】
【保有スキル】
【宝具】
【weapon】
【人物背景】
【外見・性格】
【身長・体重】
【聖杯への願い】
【マスターへの態度】
マスター
【名前】
【性別】
【年齢】
【属性】
【外見・性格】
【身長・体重】
【魔術回路・特性】
【魔術・異能】
【備考・設定】
【聖杯への願い】
【サーヴァントへの態度】
以上でOP・ルールの投下を終了します。
次いで、候補作を一つ投下させていただきます
羽音が聞こえる。
ぶぶ、ぶぶぶぶ。
耳障りな、薄羽の擦れ合う音。
きちきちと、何かの軋むような音もする。
何か大きな虫が草木の葉を食んで、噛みちぎる音。
一匹一匹なら小さな、それこそ少しでも離れてしまえば聞こえなくなるような音響も。
されどそれが、地平線の彼方まで覆い隠すような無量の軍勢となれば話は違う。
さながらそれは、押しては引いていく潮騒のようだった。
目障りなすべて、世界のすべてを呑み込んで喰らい尽くすもの。
始まりは遥か神代から、そして終わりは未だ訪れぬまま。
あらゆる歴史の生き証人を語るように、蠢いては殖えていく命の波浪。
昆虫恐怖症の人間が見たなら発狂するようなおぞましい光景を、しかし白黒の少女は微動だにせず見つめていた。
もはやこの悪夢も見慣れたものだ。
契約のパスを通じて流れ込む、彼の、〈彼ら〉の記憶。
変化も変遷もありはしない、ただ喰らうばかりのアーカイブ。
故に慣れてしまえば、どうということもない現象に成り果てる。
代わり映えも芸もない、いつも世界のどこかで繰り広げられているありふれた景色。
ため息交じりに踵を返して、背を向ける。
そこで、初めて少女は目を瞠る。
『イリス』
名前を呼ぶ、影がある。
見渡す限り、虫と彼らの糞ばかりしか存在しない孤独の砂漠の、その中で。
黒天の中に神々しく輝く一番星のように、あの頃の思い出そのままに、〈彼女〉は立っていた。
色褪せることを知らない微笑み。
風にそよぐ、銀雪の鬣。
差し伸べる手は、初めて出会ったときとまったく同じ。
『いこう、イリス』
「……どこに」
『どこへでも。あなたと行けるところまで』
「ふざけんな」
幻像そのものの面影に、感情のまま平手を振るう。
ふざけるな。どの口でそれを言うんだ、おまえは。
おまえなんて。ただの人でなしだ。
おまえみたいな人間は他にひとりだって知らない。
幻の中でさえ、おまえは私にそうやって微笑むのか。
他人の区別もつかないおまえが。
いいや、区別をつけないおまえが。
どんな人間にだって同じ尺度を当て嵌めて、同じ認識で話してしまえるおまえが。
「嫌い。おまえなんて、だいきらいだ」
ああ、これは夢だから。
所詮、蝗害の砂漠の中でしかないから。
通じるはずもない平手に打たれたあいつの影が、飛蝗の群れに変わって消えていく。
そしたら後にはもう、何もない。
今度こそ本当に、一面の砂漠が広がっているだけ。
「おまえなんかと、出会わなきゃよかった」
イリスは唇を噛み締める。
夢なのをいいことに、血が出るほど。
白い歯が唇を破り、肉に食い込むほど強く。
噛み締めて、これが〈狂気〉であることを認識する。
この想いが、奴にかけられた呪いであることを直視する。
「……死んじゃえばいいのに、クソ女」
最後に捨ててしまえるのなら、最初から手なんて差し伸べるな。
クソみたいな世界に、それ以外の色があるなんて教えるな。
拾った子猫をさんざん愛して、飼えなくなったから夜の公園に放り出す。
あいつはそういう人間だ。あいつのやったのは、そういうことだ。
だから、イリスは神寂祓葉を許さない。
嫌い。大嫌い。会いたくもない。
どこか知らないところで、惨めにのたれ死ねばいい。
今まで見てきた中で一番醜悪な人間。
屑なんて言葉じゃ表現しきれない、最悪の大嘘つき。
"誰もがみんな生きている"なんて当たり前のことにさえ気付けない、幼稚な子ども。
イリスはそれを知っている。だから中指を立てて、心から彗星の尾を呪うのだ。
――おまえなんて、大嫌いだ。
もう一度繰り返して、蝗害の夢から朝へと還る。
虚構の世界、仮想の都市。
針音だけが支配する、エーテルの砂漠へと。
イリスは、〈はじまりの六人〉がひとりは。
光に灼かれた哀れな白黒は、今日も今日とて最悪の気分で目覚めを迎えた。
◇◇
物心がついた時から、イリスにとって世界とは監獄だった。
外に出られなかったわけじゃない。
人と関われなかったわけじゃない。
村の中であればどこにでも行けたし、誰とでも話すことができた。
その関係は決して、対等ではなかったけれど。
イリスが生を受けたのは、九州奥地のある閉鎖的な村落である。
女尊男卑、事実上の身分制度、前時代的な因習に他者への迫害。
どこに出しても恥ずかしい、辺境という意味でなくクソの付く田舎。
されど、女として生まれた少女がその性別を理由に不利益を被ることはなかった。
彼女の生まれた家は〈特別〉で。
彼女の持った体質もまた然りだったからだ。
村の実権をほぼ一手に握る名家。
村の中で、楪の家を軽んじられる人間は存在しない。
楪家。神憑りの家。
はるか昔から村を統べ、時に摩訶不思議な力で難事凶事を解決してきた少女の家はもはやひとつの信仰対象だった。
誰もが楪の家を崇め。そして、畏れていた。
楪に弓を引けば祟りがある。
あの家は神に守られている。
村の守り神たる色彩の神。
白と黒の二色からなる、崇める者には恩寵を、仇なす者には神罰を下す神格。
故に誰もが楪を想う。楪を中心に、村は回る。そのみすぼらしい真実など、何ひとつとして知らないままに。
別に、なんということはない。
楪の家は遠い昔、異国から伝来した魔術の知見を学び取って村に流れ着いただけのよそ者だった。
色間魔術。世界を白と黒の二色で定義し、それに別々の意味を与える魔術の使い手。その家系。
村へ流れてきた当初の目的は、もしかすると未開の地で神を気取りたかったというだけなのかもしれない。
たかが"齧った"程度の術師でも、周りが無知な蒙昧だらけなら伴天連の秘術を気取れるから。
それが驕りと身の丈に合わない自負に変わらなければ、ひょっとするともう少し少女の世界は幸福だったのだろうか。
『神秘が途絶えている』
『何故到れない。何故この白黒は、理を飛び越えることがないのだ』
『巫山戯るな。断じて認めぬ。楪は選ばれし家。選ばれし血筋なれば』
『西洋の貴族主義なぞに遅れを取るわけにはいかぬ。何としても次、次の世代で色彩の果てに至らねば』
『根源』
『根源を。色彩の果てに佇む無形の混沌を』
『今こそ掴まねばならぬ。次こそ掴まねばならぬ』
『孫が生まれた』
『跡取りだ。優秀な魔術回路を有している』
『なんと素晴らしき才。なんと素晴らしき色彩。楪の希望よ、新星よ』
『ああ、依里朱。何故おまえは女なのだ』
『乳などぶら下げて生まれなければ、おまえは完璧な存在だったのに』
楪の魔術師は確かに優秀ではあっただろう。
だが、根源を目指すに足る逸材では決してなかった。
未開の村で猿山の頂点に座り、今でも王を気取っているような家だ。
そんな家が、独学で魔術師の悲願を成し得るなど妄想も甚だしい。
それでも、彼らは確かに本気だった。
自分を超人と勘違いした凡人達の歩みは惨めな狂気だ。
無駄な努力を積み重ねて。
見当違いの研鑽は、癌の治療に枇杷の葉を用いるが如し。
長い長い迷走の末、老境に入った魔術師達が未来を託したのは――
たまたま、それなりの才能を持って生まれた幼い娘。依里朱と名付けられた少女であった。
◇◇
都会はなんて住みづらいんだろう、としばしば思う。
何しろどこに行っても人間がいる。
ひとりになれる場所というのが、事実上自分の部屋の中しかない。
あと物価も信じられないほど高い。村にはコンビニなんて小洒落たものはなかったが、二度目ともなると田舎者でも異常さに気付いてくる。
せめて舞台が東京じゃなく、ああせめて函館とかそのへんの地方都市だったなら、もうちょっと戦争のことだけ考えていられたのではないか。
どれだけ言っても尽きない文句は、口にしたところできっと意味がない。
だから心の中だけに留めて、今日もまたため息をつく。
耳を叩く騒音は部屋の中から響いている。近隣から苦情が来るとか、言って聞いてくれる相手ではない。
眉間にありったけの皺を寄せて、イリスは〈彼〉のことを見た。
「 ♪ ハッピーで埋め尽くして レスト・イン・ピースまで行こうぜ―― 」
白と黒、その二色だけで統一された部屋。
それはある種の病的さを感じさせる偏執の角砂糖。
だからこそ、そんな空間の中でその男の存在はひときわ際立った存在感を放っていた。
フードの付いた、グレーのつなぎを纏った青年だった。
前髪で眼は隠れているが、それが不思議と陰気さを感じさせない。
180センチを優に超える大柄な体格もそうだが、何よりその手に握られているギターの存在が大きいだろう。
誰が信じるだろうか。これが人理の影法師たる、英霊の座から招かれたサーヴァントであるなどと。
イリスが一番、信じたくないと思っていた。自分は一体、どこまでハズレくじを引けばいいのかと。
苛立ちまじりに、上機嫌そうな演奏に対してケチを付ける。
テーブルの上にあったコーヒー牛乳の空きパックを投げつけながら、イリスは言った。
「うるさいんだけど」
「 ♪ いつか見た地獄も―― …… って、あーッ! 何すんだよ、今演奏の途中だろうが!!」
「だからそれがうるさいって言ってんの」
「か〜〜っ、分からんかねこの粒立ったメロディが………後ギター蹴んなよ。楽器警察にブチ殺されんぞお前」
「常識人みたいな顔すんな、虫けら」
頭を狙って投げつけた牛乳パック。
それが、当たり前みたいにすり抜ける。
いや、正確にはその部分だけが崩れて、パックをすり抜けさせた。
身体の崩れた部分から、ぶわりと粉のように蟲が飛んで。
一秒と待たずにまた集まって、元通りの身体を形成する。
今となってはもう見慣れた光景だが、最初は生理的嫌悪感にずいぶん鳥肌を立てたものだった。
「ただでさえこの見た目で悪目立ちしてるんだから、これ以上目立つことしないで。次は令呪使うからね、容赦なく」
「なにイライラしてんだよぅ。――あ、生理? 重い日か? だったら悪かった。生姜湯淹れてやるからほら、なるべく穏便に」
「死ね」
今度はカップを投げつけたイリス。
その外見もまた、白黒二色で統一されていた。
白い肌。ブロックノイズを思わす模様が白黒均等に配分された髪の毛。
服すらもが白と黒、強迫観念的なツートンカラーから成り立っている。
楪家の魔術は〈色間魔術〉。
白と黒の二色、その対称性に神秘を見出した長い歴史のある術法。
仔細は省くが、それを振るうには常日頃から白黒の色彩に親しんでおくことが肝要とされていた。
だからこそイリスは奇異の目線も気にせずこうしている。
この世はすべて、白か黒か。それが、楪の家に生まれた者の宿命。
「やれやれ。少しは感謝して欲しいんだがね、言っとくが俺は相当な当たりくじだぜ?」
楪家の長老達はきっと、さぞや栄華に溢れた英霊を呼び出してほしかったのだろうと思う。
例えばそう、誉れも高きアーサー王だとか。剣豪無双の二天一流だとか。古代ウルクの英雄王だとか。
奴らは基本、いい歳をして夢見がちだから。けれど残念ながら、イリスはその期待には今回も応えられなかった。
いや、むしろ――悪化していると言っていい。此度、この〈第二次聖杯戦争〉で楪依里朱が呼び出した存在は、まともとはかけ離れた英霊だ。
「それに、お前には俺みたいな人外のカスの方がきっと合ってる。
お前が真っ当な英雄とやらを喚んでたとして、奴らはお前のヒスに耐え切れねえよ」
「なに。私がメンヘラだって言いたいわけ」
「それ以外の何なんだよ」
また、物理的接触のあった箇所が無数の蟲に変わって飛び散る。
そしてまた、蟲達に覆われる形で元へと戻る。
その蟲はすべて、一匹の例外もなくずんぐりとした体躯を持つ飛蝗(バッタ)だった。
飛蝗が飛び立ち、元鞘に戻る。それはつまり、このサーヴァントのヒトらしい外見はすべて無数無尽蔵の飛蝗で構成されているということで。
世界でいちばん有名な直翅目、飛蝗類の昆虫と言えば……きっとそこに例外は存在し得ない。
「いつまでもウジウジしてんなよ、イリス。
オレを喚んでおいてそんな辛気臭え顔されると沽券に関わる。
大船に乗ってんだからよ、もうちっと景気のいい顔しとけや」
「泥舟の間違いでしょ。私としたら幽霊船に乗せられて、急にルルイエに辿り着いた気分なんだけど」
嵐(ワイルドハント)。
地震。
噴火。
隕石。
氷河期。
地球は常に災害に囲まれている。
有史以来、この惑星の誕生以来常につきまとい続けてきた厄災。
先に挙げた色とりどりの〈破滅〉の中に、必ずや数えられるだろう二文字がある。
群れをなして襲う無限の羽々。
ただ滅びゆく地平の軍勢。
「――〈Schistocerca gregaria〉。
サバクトビバッタ。虫螻の王さま」
シストセルカ・グレガリア。
和名、サバクトビバッタ。
蝗害。曰く、虫螻の王。
楪依里朱が呼び出したのは、ひとえにそういうモノだった。
真っ当な聖杯戦争なら出てくる筈もない、反英霊の中の反英霊。
神話の時代から現代までを生き延びる、厄災である。
「あんたって結局何なの。まだ黙示録の黒騎士が出てくる方が現実味があるんだけど」
イリスも聖杯戦争に参戦するに当たり、あらゆる文献資料に目を通して臨んでいる。
その上で言うが、蝗害の元凶という最大級のネームバリューを踏まえても、たかだか虫螻が英霊として出張ってくるなんて事態は異常すぎる。
今となってはあの〈第一次聖杯戦争〉の記憶はひどく曖昧だが、それでもここまで無法がまかり通る戦いではなかったはずだ。
「俺の口からこういうことを言うのは、意味深な発言の多い影のあるイケメン設定が崩れるからあんまりしたくないんだが……」
「大丈夫。あんたにそんな印象抱いたこととか一回もないから」
「それに関しては俺も、皆目分からん。ていうか普通あり得ねえよ、よりによって俺なんぞにお呼びがかかるなんて」
肩を竦めてひらひらと手を振るシストセルカの様子は相変わらずムカつくおどけぶりだが、しかし嘘を言っている風には見えない。
そも、この男は基本的にこういう、自分の地を晒すような物言いは好まないのだ。
虫螻のくせに格好つけることに余念のない、人付き合いにおいても驚きの貪欲ぶりを見せつけるこの男が、事もあろうに無知を認めるなど。
嫌気の差した顔をするイリスに、シストセルカはケラケラと笑って言った。
「よっぽどの異常者だぜ、今回の聖杯戦争を仕組んだ野郎は。
カムサビフツハ、だったか? 一度ツラを拝んでみてえもんだ。
心臓に毛でも生え散らかしてんじゃねえの? そうでもなきゃこうはならねえし、思いついてもやんねえだろ」
――世界の理までもが、祓葉に侵されている。
イリスはそれを悟り、忌々しげに歯噛みした。
またあいつだ。いつもあいつだ。
あいつはいつも、我が者顔で世界を変えてしまう。
あのムカつくくらい屈託のない笑顔で、あいつは不可能を可能にしてしまう。
現実とフィクションの境界を、息するみたいにぶち壊していく。
そんな奴が聖杯を手に入れ、世界を創り、神さまになってしまった。
ならばその世界が、正常であるわけがない。
馬鹿の作った、馬鹿みたいな世界。
そこでもう一度あの戦争のやり直しをさせられる――最悪の煮こごりだ。
「まあ、可怪しさが分かったならお前もさっさと腹括るこった」
ぎゅいーん、とギターを掻き鳴らして。
シストセルカ・グレガリアは笑う。
羽音のように耳障りな、鼓膜に貼り付くような笑い声。
蝿声(さばえ)。そんな言葉が、イリスの脳裏に浮かぶが。
「過去の女なんて忘れちまえよ。失恋なんざでいちいちくよくよしてないで、いっそ俺にでも乗り換え――」
「ライダー」
演奏を始めてシストセルカの軽口が冴え渡り。
狙い澄まして彼女の地雷を踏んづけたその瞬間。
イリスの口から出る声の温度が、一気に氷点下にまで低下した。
先刻まで、まさに少女の癇癪じみた不機嫌を表明していた人物の声とは思えない。
本気の殺意が横溢した、狂気の如き感情を窺い知るに足る声音だった。
「次はない」
「……、おーこわ。人間のメスはケンケンしてて嫌だねぇ。俺はやっぱりそうだなぁ、腹のデカくて羽の綺麗なメスでいいわ」
どうやらこの先は冗談では済まない。
そう分かったから、シストセルカは矛を収めたのだろう。
彼は享楽と強欲の化身であり、人間の言葉なんて聞き入れないが。
とはいえ現代にかぶれにかぶれ、溢れるサブカルチャーや虫の身では味わえなかったこの世の春を味わいに味わっている彼にしてみればこの現世をこんな序盤で追い出されるのは御免だった。
だから暴食の飛蝗らしくもなく、捨て台詞を残して演奏に戻る。
――これ以上言えば、この楪依里朱という女は本気で自分を殺す。そう分かったからである。
だが。
「あー。でもよ、一個だけ聞かせてくんねえか」
「……、……」
「フツハってのは、どんな奴だったんだい」
今度は嘲笑でも揶揄でもなく、本当に純粋な興味本位での質問だった。
そう、シストセルカは暴食の昆虫。ヒトまがいの肉体を得た今、それは知的好奇心に対しても適用される。
シストセルカ・グレガリアは、自身のマスターのことを"面倒臭い女(メス)"だと思っている。
何しろやさぐれているのを隠そうともしていない。
機嫌が悪いアピールを常にし続けているようなものだ。はっきり言って、だいぶ面倒臭い。
せっかくツラがいいのだし、あわよくばキャッキャウフフと酒池肉林と洒落込んで……とプランニングしていたシストセルカにしてみれば、出鼻を初っ端から挫かれた気分だった。
だがその"やさぐれ"は、常にある種の自暴自棄――世界と、自分自身への諦観に裏打ちされたものだとシストセルカは思っていた。
ただ、そんな死に体のような女が、"彼女"に関しては不用意に触れられただけでこのように激昂する。
声を荒げて怒るでも、行動で不服を表明するでもなく、伊達でも酔狂でもない本気の殺意で冷たく睨め付けてくるのだ。
こうなるとひとつ、疑問が生じてくる。
そして暴食の彼は、それを解明せずにはいられない。
――すべてのはじまりにして、世界の創造主たる女。
〈神寂祓葉〉とは、何者なるや?
「………………、………………世界で一番、クソみたいな女」
その問いに、イリスは長い間を空けてそう答えた。
回答を口にした彼女の顔は、まるで苦虫でも噛み潰したように忌々しげで。
そして同時に――遠い昔になくしてしまった宝物を想うように、名残惜しげでもあるのだった。
◇◇
ずっと、死にたかった。
〈楪〉の依里朱ではなくなりたかった。
誰ひとり対等ではない鳥籠の村。
老人たちの都合だけに支配された人生。
失敗という結果の見えた夢に邁進させられるばかりの十数年。
それは、少女を鬱屈と失望の中に置くには充分すぎるものであった。
だから聖杯戦争など、本当はどうでもよかったのだ。
勝って王冠を手にしたところで、結局何がどうなるでもない。
自分の世界は、何も変わらない。
〈楪〉の幸福はその先にあっても、〈依里朱〉の幸福は決してないと分かっていたから。
故に。今となっては顔も思い出せない誰かとの決戦で追い詰められ、膝を突いて死を悟ったその時も。
不思議と脳裏にあるのは絶望ではなく――ああ、やっと終わるのか、という解放感だった。
あそこで終わっていればよかった。
今なら強く、つよくそう思える。
死を待つばかりの自分の前に。
輝かしく立つ、少女がいた。
名前は知っていた。
マスターだということも知っていた。
なけなしの魔術回路しかないのに、ひょんなことから聖杯戦争に巻き込まれてしまった哀れな一般人。
立場も勝率も天と地ほど違うのに、子犬みたいにぴょこぴょこと自分にくっついて回っていた少女。
――神寂祓葉。光の剣を握って立つその背中が、初めて〈未知〉を見せてくれた。
――いこう、イリス!
――どこに。
――どこへでも。あなたと行けるところまで!
この手を握る祓葉の手は、世界のどこにでも届くと信じてた。
ならあの子と手を繋いでる私の足も、どこにでも行けるのだとそう信じた。
〈熾天の冠〉なんてどうでもよくて。
聖杯戦争がどう終わっても、その先もずっと自分は歩いていけるのだと。
ふたりで、行けるところまで。
祓葉となら、行けないところなんてない。
叶えられない夢なんてないと。
そう思って、ともに戦って。そして――
『――ごめんね。大好きだったよ、イリス』
最後の日。
最後の夜。
炎に包まれた東京で。
あいつは、私の胸を貫きながらそう言った。
最初から、最後まで。なにひとつ変わることのない、おんなじ笑顔で。
祓葉は、救世主だ。
あれはきっと、誰の心でも救える。
そう、誰でも。
どんな奴にだって、あいつが向ける表情(かお)は変わらない。
差し伸べる手に、かける言葉に、宿る意味の重さは変わらない。
そんなこと、もっと早く気付ければよかったのに。
楪依里朱は結局最後の最後まで、それに気付けなかった。
嫌い。
大嫌い。
死ね。
死んでしまえ。
あんな奴、人間じゃない。
ヒトに似てるだけのバケモノだ。
私だけがそれを知ってる。
だから私は、あいつが嫌いだ。あいつを、絶対に許さない。
いつだってにへにへ笑ってばっかりで。
明るさだけが取り柄みたいな人間のくせに、人を振り回すことだけは一丁前で。
――今まで見てきた中で一番醜悪な人間。
――屑なんて言葉じゃ表現しきれない、最悪の大嘘つき。
――"誰もがみんな生きている"なんて当たり前のことにさえ気付けない、幼稚な子ども。
――――――――世界でいちばん、誰よりきれいなお星さま。
楪依里朱は呪われている。
その眼はもう、元の世界を映さない。
太陽を見つめすぎると、失明してしまうから。
彼女は、太陽を知っている。
太陽に魅入られ、そして捨てられた過去の戦影。
――今は。
――蝗害の魔女。
◇◇
あり得ぬ。あり得ぬ。
魔術師は、駆けていた。
万全の備えを期していた筈だった。
人類史にその名を刻んだ神話の大魔術師。
その魔術の才を遺憾なく発揮し、築かせた〈神殿〉。
それがいつの間にか、一切の用をなさなくなっていた。
始まりは、一匹の飛蝗だった。
おかしい、と思った。
ネズミの一匹も通さないはずの神殿に、なぜこんなものがいる?
第一これは、日本に生息している種類ではない。
これは、そう。故郷で幾度となく見かけた、忌まわしく、そして恐ろしい、あの……
そこまで認識したときには。
もう、すべてが手遅れだった。
「Hello,World!」
金属バット、いや。
それらしい"何か"を振り翳した化け物が、神殿の壁を蹴破って現れる。
同時に溢れ出し、空間を満たす蝗の群れ。
羽音、羽音、羽音、羽音――咀嚼音。
潮騒のような、寄せては返す波のような、そんな音とともに溢れかえっていく飛蝗。飛蝗。飛蝗。
〈Schistocerca gregaria〉。サバクトビバッタ。虫螻の王。
神代から現代に至るまで、その名を轟かす。
無限、無尽、無量の厄災。
「全部食べていいよ、ライダー」
「当然。言われるまでもねえや、懐かしい時代の魔力だ――つーワケで総取り。悪く思うなよ」
この聖杯戦争は病んでいる。
もう、すべてが手遅れだった。
それを魔術師が悟る頃には、彼の、そしてその身命を賭した相棒のすべてが。
無限の軍勢たる、飛蝗の群れに集られ、齧られ、食い散らかされて。
そうしてすべてが、枯れ草になる。
〈彼ら〉の過ぎ去った後らしく、朽ち果てていく。枯れ果てていく。
蝗害の王。
統べるは、魔女。
〈はじまりの六人〉。
抱く狂気は〈未練〉。
楪依里朱。統べるサーヴァントは、虫螻の王。
羽音はやまない。
ぶぶぶぶ、ぶぶぶぶ。
響き続けている。
【クラス】
ライダー
【真名】
シストセルカ・グレガリア
【属性】
混沌・悪
【ステータス】
筋力E〜A 耐久EX 敏捷C+ 魔力B 幸運A 宝具EX
【クラススキル】
騎乗:EX
『シストセルカ・グレガリア』という群体そのもの。
群れを構成する一体一体が彼ないし彼女の騎乗物であり、その権利は決して侵害されない。
【保有スキル】
蝗害:A
飛蝗の群体及びそれを構成する一匹一匹を介して、己の領域を広げるスキル。
陣地の概念に対してきわめて有効。一匹でもライダーの侵入を許せばその陣地は彼らに侵される。
土地・陣地・結界を構成する魔力の中で有益なものだけを選んで食い潰すため、活動に必要な魔力は自動的に供給される。
神代渡り:A
神代から現代まで存在し続けている厄災の虫、という性質が反映されたスキル。
攻撃を行う際に神秘・耐久値の有無や高低を互いに参照せず、あらゆる存在に対して平等のダメージ判定を行う。
一体の神と一枚の葉を同じ要領(ルール)で食い尽くす。飛蝗の捕食を免れるには、対粛清防御クラスの備えが必要になる。
黒い群生相:EX
狂化スキルに類似する。基本的に話が通じず、人間の倫理観を理解しない。
『はじまりの六人』であるイリスは世界の理から放逐された存在であるため、たまたま話が通じているだけに過ぎない。
通常のマスターがライダーを召喚した場合、大概は対話もままならずに食い尽くされる羽目になる。
精神干渉の一律無効。
【宝具】
『ただ滅び逝く地平の暴風(Schistocerca gregaria)』
ランク:EX 種別:対文明宝具 レンジ:1〜3000 最大捕捉:1〜∞
黙示録の黒騎士の触腕、神代から現代までを漂う災害、天地神明の暴食者。
人類を滅ぼす第三の災い、"飢饉"の権能に類する昆虫。それがライダーの正体である。
そしてこの宝具はライダーという存在そのもの。彼ら、彼女ら、無量大数に匹敵する飛蝗の軍勢すべてを指す。
世界に召喚された瞬間から領土の拡大を開始し、最終的には舞台となる世界・土地のすべてを蝗害で支配する。
そうなってしまえばもはや根絶は困難。無限に押し寄せる飛蝗の軍勢がすべての命を喰らい尽くすのを待つより他にない。
『剣、飢饉、死、獣(KICK BACK)』
ランク:A 種別:対軍宝具 レンジ:99 最大捕捉:999
宝具の読み方は流行りの曲を聴き漁ったライダーが勝手に決めたらしい。
己の侵食領域内において他者に"飢饉"を与える数多の現象を具現化させ、その力を行使する。
環境が完全に整えば、神話における"終末"を魔力が許す範囲でのみ再現することも可能。
プリテンダーとして黙示録の黒騎士・ブラックライダー/もしくは奈落・アバドンを詐称し召喚された場合は、この宝具を限定的な範囲で解放出来る。
ただし今回は詐称者としてではなく、『シストセルカ・グレガリア』という種を名指しで召喚しているため使えない。
仮にイリスが彼をその形で召喚できていたなら、東京都は本戦の開始を待つことなく数日と保たない内に飢餓地獄に変貌していた。
【weapon】
変幻自在。単純な構造の武器ならば大体なんでも個体数に物を言わせて作れる。
今のお気に入りは金属バットや鉄パイプなどのヤンキースタイルらしい。
そういうのがカッコいいと思ってるみたい。
【人物背景】
地平線のすべてを喰らい尽くす飛蝗の軍勢で全身を構成した異形の英霊。
物理的手段では滅ぼせず、魔術的手段でも根絶は困難な暴食の軍勢。
真名をシストセルカ・グレガリア。和名で言うところのサバクトビバッタ。
神話の時代から現代までを生き延びる、厄災である。
プリテンダーとして『ブラックライダー』『アバドン』の真名を詐称することもある。
だが彼を詐称者として召喚した場合、大原則として意思の疎通が完全に取れず、また曲がりなりに人間と関わろうとすることもしない。
それ以前に、普通の聖杯戦争ではまず出てこないし呼ぶこともできないたぐいのモノ。
彼が出張ってきたことがまず、この聖杯戦争の異常性を物語っている。
食事大好き。現代のサブカルも大好き。人間って得だな〜と思ってる。
死ぬほどミーハーなのでSNSもいっぱいやってる。
【外見・性格】
フード付きのつなぎを着用した黒髪の男性、という形を好んで取る。流行りの俳優か何かを元にキャラメイクしたらしい。
前髪で基本的に目が隠れており、その下の眼光は暴食者らしく爛々と輝く。
【身長・体重】
基本の姿では178cm/65kg。
可変。
【聖杯への願い】
存在しない。だって今も生きてるし。
強いて言うなら美味いものをしこたま食べたい。
【マスターへの態度】
面白いヤツ。なので当面は付き合ってやる予定でいる。
現代をもう少し満喫したいのでそういう意味でもサーヴァントの責務は果たす。
ただ飽きたら普通に食べてねぐらに帰るかもしれない。
【名前】楪依里朱/Yuzuriha Iris
【性別】女性
【年齢】17
【属性】中立・中庸
【外見・性格】
白黒のブロックノイズのような模様が広がったツートンカラーの短髪。
黒のシャツの上から白黒市松模様のオーバーサイズシャツを羽織り、下は白のスキニーパンツ。スレンダー体型。
魔術師の冷酷さと少女期の不安定さを併せ持った人物。今回は〈二回目〉であることも手伝って、結構やさぐれている。
【身長・体重】
155cm/49kg
【魔術回路・特性】
質:B 量:C
特性:『色彩定義による世界性の分割』
【魔術・異能】
◇色間魔術
空間に存在する生命体・物質を『白』と『黒』の二色どちらかに定義する。
その上で強化と弱化、治癒と疲弊、はたまた位置の交換などまで可能とする。
サーヴァントにはよほど対魔力性質が低くでもない限り基本的に通用しない。
人間相手でも加護の大小に効き目が左右される他、ちょっとした実力差で一杯食わされかねないなど性能はピーキー。
本人曰く「使い勝手も見栄えも、まったくクソみたいな魔術」。
◇黒白の魔女
ビーステッド・ツートン。
色間魔術の秘奥。
〈色彩〉を解放し、自分自身の肉体に任意で白と黒を割り振ることで一時的に超常の存在と化す。
自分の肉体であれば一切の抵抗が生じないため、他者及び物質に対し行使するのとは桁違いの自由度を実現できる。
ただし常日頃から自分の肉体と〈色彩〉を密接にしておく必要があり、イリスが髪色から服装まで白黒を徹底しているのはこのため。
【備考・設定】
九州奥地にて連綿と神秘を紡ぎ、『色』を起点として根源への到達を探究する楪の家に生まれた跡取り。
楪家の探究は既に行き詰まりを迎えており、老人達は生涯を通じ追い求めてきた〈色彩〉が根源を目指すにはあまりにか細い葦の船だということを信じられずに迷走を繰り返している。
その後始末を、一族の悲願を叶えるという名目ですべて押し付けられたのがイリスである。
幸いにしてイリスは〈第一次聖杯戦争〉に列席する権利を得、衰退しゆく一族の希望として送り出されたが、もしも仕損じることがあればどんな結末が待っているのかも、そしてこの小難しいだけの魔術で勝ち取れる勝利も無いと知っていた。
だからこそ精神を擦り減らしながら死物狂いで戦い――その中で、イリスは"それ"と出会った。
転校先の高校で出会った、底抜けに明るいひとりの少女。
それはイリスにとって敵であり、人生で初めて得たしがらみのない友達でもあった。
彼女たちは時に協力し、時に対立しながら、遂に終局の日を迎え。
結末は順当に、主役の勝利で終わる。
今際の際、イリスが思ったのは。
自分は決して、彼女にとって特別な誰かではなかったということ。
遊び相手のひとりでしかなく、それ以上でも以下でもなかったこと。
だって、そう。そうでもなければ。
その手で殺した相手を、遊びの続きのためにもう一度蘇らせるなんて出来やしないのだから。
〈はじまりの六人〉、そのひとり。
抱く狂気は〈未練〉。
楪依里朱。サーヴァントは、虫螻の王。
【聖杯への願い】
死んだまま終わりたくもないので優勝は狙う。
ただし、自分が叶える願いは――。
【サーヴァントへの態度】
頭が痛いし胃も痛い。何だって数ある英霊の中から引くのがこれなのか分からない……と、基本的に印象は悪い。
というかこれ、放っておいたらじきに自分は色んなヤツから目を付けられて討伐対象にされるのでは? と眉間に皺が寄り続けている。
以上で投下を終了します。
色々と初めての試みなので手探りですが、あたたかく見守っていただけるとありがたいです。
それでは、たくさんの投下をお待ちしております! (ほんとにね)
記述不足がありましたので、ちょっとルールを追記しました。
wikiの方でも付け足しておきます。
・演者(アクター)
採用人数:未定
普通のマスター達のことを指します。
採用人数は未定です。魔術師・一般人は問いませんが、世界への転移の際に魔術回路が装填されます。
才能次第では回路と一緒に固有魔術を手に入れることもあるでしょう。
聖杯戦争に関する知識は聖杯から与えられていますが、第一次聖杯戦争のことまでは知りません。
投下します
───ある日、家族が死んだ。
この『世界』ではよくあることだ。魔術なんて世界に浸かっている人間には、特に。
霧の都、ロンドン。そんな格好つけた名前の都市に、私たちは住んでいた。金色の綺麗な髪がお姉ちゃんで、色素の薄い金色の髪がわたしだ。
わたしはこの十六の歳になるまで、魔術のまの字も知らなかった。そういうものは、お姉ちゃんの担当だったから。
基本、魔術というものは一子相伝、一人の子のみに伝えられるらしい。わたしは普通の子として育ち、普通の学校に通い、お姉ちゃんは痛みに耐えながら魔術刻印というものを刻まれていた。
お姉ちゃんは優しかった。自慢の姉だった。いつも影で何かの練習をしていたのは知っていたけれど、『影で何かをしているということは知られたくないことなのだろう』と、気にしないふりをしていた。
影ながら努力ができる。そういうところも、誇りの一つだった。父も母の熱の入りようも、期待の裏返しだと思っていた。
ある日。十四の春。学校から帰って、テストの点を見せびらかし、お姉ちゃんや父と母に思いっきり褒めて貰おうと、帰ってきたその日だった。
握られた97点のテスト。部屋の中に並べられ、炭化した三人の遺体。部屋には焦げ模様一つないというのに。
かなしいね。わたしの人生は、これからどれだけ加点されても、三が減った97点が確定した。
しばらくして、大勢の大人の人が自宅に訪れた。その人たちが、『魔術協会』と呼ばれる組織の人たちだと知るのは、もう少し後だ。
家にあるものを運び出して、何処かへと持っていってしまった。私の知らないもの。知るべきではないもの。
首を挟むべきではない『世界』のもの。
わたしの家族は、私の知らない『世界』の人たちに殺されて、私の知らない『世界』に後始末をされている。
組織の人たちが去った後。私には、『何が無くなったのか』さえわからなかった。
それが少し、寂しかった。
十六の冬の終わり。わたしは、親の遺産で学校に通っている。
学校にと貯めてくれていたお金は、遠慮なく使わせてもらっている。
ふと、ロンドンの遠くを見つめる。聳え立つ建物。ある人は、それを時計塔と呼んだ。
五年くらい昔の、色褪せるには早い記憶。
『お姉ちゃんはね、あの時計塔で勉強してるのよ!』
『とけいとう?』
『そう! 時計塔! こーんな眉間に皺を寄せた長ーい髪の男の人のところで勉強してるのよ』
『ほほー…凄い! 私もお姉ちゃんの歳になったら行けるかな?』
『んー…やめときなさい。あんたは普通の学校に行って、好きなことをしなさい。ほら、あんたパン好きでしょ? パン屋さんとかどう?』
『パン屋さん…! できたらお姉ちゃんも宣伝してくれる?』
『うん、もっちろんよ! かわいい妹のパンなんていくらでも食べていくらでも勧めまくっちゃうわ!
…うん────うん。だから、あんたは私のことは気にせずに、好きなことをしなさい』
その、何処か陰りのある諦めた瞳と優しい笑みに、わたしはなんて言っただろうか。
その後に頭を撫でられたのが嬉しくて、そんなこと忘れてしまった。
○ ○ ○
かちゃり、と。音を立ててドアが開く。
二階建ての奥の部屋。お姉ちゃん───『ジュリン・ウェルブレイシス・スタール』───の部屋。
色素の薄い金髪と、サイズに余裕のある服を纏いながら、少女が入る。昔と変わらず。お姉ちゃんが炭になったその日から、この部屋は時間が経っていないかのようだった。ジュリンお姉ちゃんの部屋は、今も昔も、マゼンタの小物が多い。マゼンタは、お姉ちゃんの好きな色。
───小さい頃から沢山遊んだ、この部屋。
お母さんに怒られた時に隠れたベッドの下。おもちゃをひっくり返して遊んだ床。宿題すら見せてもらえなかった机の上。なんとなく『手を出してはいけない』と理解していた、本棚。
そして、ふと気づいた、本棚の中の一つ。シアンの色が混ぜ込んである、革で表紙を仕上げられた本。
「…?」
マゼンタはお姉ちゃんの好きな色。ピンクとちょっと違うところがかわいいと、お気に入りだった。
───シアンはお姉ちゃんの嫌いな色。昔飲んだ苦い薬が、この色によく似ていたそう。何の薬かは、教えてくれなかったけれど。
だから。この部屋に、シアンがあるはずがないのだ。
ゆっくりと、手を伸ばす。
シアンの革に、指をかける。
『勝手に入っちゃダメって言ったでしょ』
ビクリ、と身体が跳ねる。
開いたシアンの本に書かれている文字が、あまりにも自分に言われているように思ってしまったからだ。
『多分、この本を読んでるってことは私はいないんだと思う。お父さんはいるのかな。お母さんはいるのかな。
二人が生きてたら───きっと、レミュリンは大変だよね』
レミュリン。レミュリン・ウェルブレイシス・スタール。
そこには、まるでお姉ちゃんが語りかけているかのような、文章が綴られていた。
『わたしもどうなるかわからない。今隣にいてあげられているのかも、わからない。
だから。
どうしても辛かったら、これを使って。願い事を叶える、チャンスをくれる』
次のページを開くと、分厚い本の中央をくり抜いたスペースに。
錆色の、古びた懐中時計が納められていた。
それに向かって、手を伸ばす。
どうしても辛かったら?
───辛いよ。みんな焦げちゃって、わたし一人。
願い事を叶えるチャンス?
───欲しいよ。欲しいに決まってるじゃん。
だって。
だって。
「もう一人は、いやだよ…!」
カチリ、と古びた懐中時計が鳴った。
さあ、会場への扉は開いた。
願いを叶えたくば。失ったものを取り返したくば。
汝、此処に最強を証明せよ。
○ ○ ○
「───さて、今日は新入生もいる。まず基本の魔術回路を学ぼうか。
魔術回路、と言っても身体中に張り巡らされている訳ではない。人体には『核』が存在し、そこからシナプスや神経のように身体中に伸びていく…厳密には、その『核』が魔術回路と呼ばれるものだ。
回路、という名から勘違いされがちだが、この基本をイメージ、及び知ることで効率は大きく変わる。生命活動が主に必要なものが多いが」
「はい! はーい! 先生! ゲーム機のカセットみたいなものですか!」
「…質問はまだ受け付けていないはずだが。しかし、間違っていない。基本的な基盤(ハード)があり、魔術(ソフト)がある。
ゲームでわかりにくい者は手短なスマートフォンをイメージするといい。
現代魔術科の者なら持っている者も多いと思うが…電源が切れても中の電子マネーは使えたりするだろう?
基本的に電力がなければ動かないスマートフォンだが、電力が切れても利用できる───基本的に魔術回路は生命活動が必要だが、生命活動が切れても動いているものが稀にある」
ついでに言うが、この例えは外では使わないように、と付け加え。
時計塔のとある教室で。
あだ名の多い長髪の教師が、教鞭を振るっている。
「しかし基盤、とは言い得て妙でね。魔術回路は言わば臓器だ。心臓が一人でに二つに増えないように、魔術回路も生まれた頃から数が決まっている。一度開いてしまえば、オンオフは可能なのだが…この開く行為が危険でね。
言ってしまえば、自殺行為に等しい。まあ、この場にいる者は全員が既に経験しているだろうが」
カツ、カツと靴音を鳴らし、黒板の前を歩く。教室内にはその動きを目線で追うフードの少女もいれば、知ってるけどと言わんばかりのツインテールの少女も存在する。
「オンオフの仕方が特徴的でね。一番多い者は、性的興奮によって魔術回路を励起させる者は多い。その手の輩はドラッグを主に使用するが…残念だが、私はそれを推奨しない。
ある一定のイメージ…例えば水面に水滴を落としたり、自らの腕に傷をつけるなど、はっきりとした『変わるイメージ』を思い浮かべ、それでオンにする方法を薦める。
魔術の類いを使うのにドラッグ中毒になっては意味がない。普段の生活に影響が出ては魔術どころではないだろう」
「先生。わたしの知り合いにはこう…撃鉄を落とすイメージをする者もいますけど…こう言ったものは先天性なものですか? それとも後天性なものなのですか?
その知り合いはその…危なっかしくて。性格ではなく、行動が」
赤がよく似合う黒髪の少女が手を挙げて質問すると、長髪の教師は視線をそちらへ向ける。
そして少し考える素振りを見せた後、告げる。
「それは…そうだな。本人の在り方…一説には起源に由来しているという考え方もあれば、人生で起きたショックな出来事が強く脳に残り、オンオフのトリガーになっていることもある」
「つまり?」
「例えばだが。…こういう例はあまり出したくないものだな…」
ガシガシ、と長髪の男は頭を掻き。
「人による、ということだ
───炎や銃に縁があるものが、熱や撃鉄のトラウマで魔術回路を開く可能性も、無いとは言い切れないということだな」
○ ○ ○
「ず、ぅっ…!?」
吐き気がする。腕が痙攣する。肘から先が、知らない玩具になったみたい。いきなり周囲が森の中になったとか、ここはどことか、そういった疑問が全て脳の外に飛び出した。視界に映るのは炎ばかり。『森は焼けていないのに、視界が焼け焦げている』。
腕の中に知らない生き物が入ったかのように、ビクビクと跳ねる。鮮魚のモノマネだと言われれば、笑ってしまいそうだ。おかしくなりそうなくらいに。
「ぃ、た。い…っ!」
痛みに耐えながらも跳ねる腕を止め。しかし痙攣は腕を上り首にまで登ってくる。
死を覚悟した。否、覚悟なんて、する余裕すらなかった。
───ああ、チャンスなんてなかったじゃん。
激痛に目を伏せようとした、直後。
「ラッキーだったな、嬢ちゃん。おう、これはラッキーだぜ」
私の二倍はあろうかと言う大男が、痙攣する私の腕を掴む。優しく、枯れ枝を折らぬよう。
すると、みるみると痛みが減っていった。痙攣も治り、荒かった息も落ち着きを取り戻していく。
「こりゃあ…アレだな。魔術回路初めて開いたんだろ。無茶に開かれたもんだから身体がビックリしたんだな。普通のサーヴァントだったら死んでたぞ、嬢ちゃん」
金の髪を持った、大男。身長は二メートルを越えようかという体躯で、緑のマントを身に纏い、マントには白銀のブローチが輝いている。
体のラインがよくわかる赤い、ヒーローが着るようなスーツに、絹のチュニックを羽織っている。
「しかし大丈夫。世の中上手く回ってるもんだ。
俺が此処にいる。もう何も心配いらない」
「…あなたが、サーヴァント?」
「おうさ。あ、いや、言葉が違ったな。
サーヴァント、ランサー! 召喚に応じ限界した。
───君が俺の、マスターか?」
「…多分、そう?」
「おっし、決まりだ! 仲良くしよう、マスター!」
…助けておいてもらって、何だけど。
合わないかもしれないなあ、と思うわたし。
そもそもがそんなテンション高い方じゃないもん、わたし。
いつもお姉ちゃんが先頭だったから、わたしはその後をついて…と。
そこで、わたしは気がついた。
「───聖杯戦争?」
知らない単語が、脳を泳いでーる。
魔術師とか知らなーい。
さて、どうしようか。
そしてかくかくしかじか。
此処に来た大まかな流れをランサーに話し、脳内を整理する。聖杯戦争。願い。魔術師。
魔術師ってなんだろう。どこかの国では黒魔女とかが仕事として認められたって聞くけど、その関係だろうか。
「そりゃアレさ嬢ちゃん。君、どうしても叶えたい願いとやらがあるんだろう。
それがまだ機能してなかった魔術回路とリンクして、マスターに選ばれたってわけだ」
「選ばれたって言われても…わたし、何もしてないよ? その…魔術師? としての力もないし…」
「今はないって話だろう? これからもないって決まった訳じゃない。案外、この場で何かに目覚めるかもだぜ?」
英霊。サーヴァント。つまり、この目の前のランサーも、何かの英雄なのだろうか。
どうりで楽観的な訳だ。おおらかで、細かいことを気にしなくて、強そうで、コミックに出てくるヒーローみたい。
「それに。嬢ちゃんから聞いたその…家族の話だ。どう考えても普通の人間の仕業じゃねえ。
魔術が絡んでる。それほどのやつなら───聖杯戦争に参加してる可能性もある」
「…今更仇を取るって? 無理だよ、顔も姿も見てないんだよ?」
「はっは、気にするな嬢ちゃん。復讐なんて後でいい。もしこの場にいたなら、見つけたら殴る。いないのなら探し出して殴る。その程度の方が、気楽でいいさ」
「…言い出しっぺはランサーじゃん」
「可能性の話さ、可能性」
はぐらかされた。ちょっとムカつく。
無自覚に膨らませていた頬を、ランサーが指で突く。ムカついたので指をはたき落としたけど、叩いたわたしの手の方が痛かった。
「…本当に願いが叶うのなら、私は家族を生き返らせたい。でも…」
願っていいのかな、そんなこと。
世界のルールから反した、そんなことを───と言いかけた私に、ランサーは笑いながら言いのけた。
「良いんじゃないか? 人間、強欲なくらいが丁度いい!
欲しがって欲しがって、そうしないと何も手に入らないぜ!」
「……じゃあランサーは、わたしの手伝いしてくれる?」
「応とも! マスターの願いを叶えるのが、一流のサーヴァントってもんだからな!」
笑顔で答えるランサーに、つられて笑みが溢れる。
笑ったのなんて、いつぶりだろうか。
「レミュリン。レミュリン・ウェルブレイシス・スタール。わたしの名前。…ランサーは?」
「お? 聞きたいか? マスターに聞かれたからには、名乗らないわけにはいかないな!
クラスはランサー! 大英雄クー・フーリンを息子に持ち、長腕と称されるこの姿!
───名を『ルー・マク・エスリン』!
安心しろ! 名乗ったからには───君の未来は笑顔で満たす!」
それは。ちょっぴり気弱な少女と、ヒーローみたいな、英雄のお話。
【CLASS】
ランサー
【真名】
ルー・マク・エスリン@ケルト神話(アイルランド文学とも混ざっている)
【ステータス】
筋力 A+ 耐久 B 敏捷 A+ 魔力 C 幸運 E 宝具 A
【属性】
中立・善
【クラススキル】
対魔力:A
A以下の魔術は全てキャンセル。
事実上、現代の魔術師では○○に傷をつけられない。
【保有スキル】
長腕のルー:B
様々な逸話があるが、この場では「バロールに投げ矢を投げ、命中させ絶命させた」「勝利し武器を徴収した」という逸話を再現した、ルーの異名とも言えるスキルとなっている。
短刀や槍、矢をアーチャークラスに匹敵する能力で投擲スキル・原初のルーン・戦闘続行・武芸百般スキルとして発動する、正に神の二つ名に相応しいスキル
幻の啓示:B
その場に置いて最適な解を示す能力。
名を与えれば子は英雄に育ち、沼に足を取られれば車輪を使い沼を乾かす。その場において最適な解を出し、実行することで窮地を脱却する。
現実でも精度の高い直感スキルとしても機能するが、啓示は夢の中や意識を失っている相手の方が未来について知ることができる。
英雄の父:B
今回は「クー・フーリンの父」としての側面が強く現れており、神としての存在よりも此方が優先されている。
故に神性スキルはこのスキルに変化し、「導く者」「英雄の父」としての立ち位置が強い。
神の対価:A
聖杯戦争で神を召喚することはできない。
よってルーは本来召喚されることのない存在であるのだが───その多くの逸話を削られ、物品の徴収能力や様々な伝承を削られたことで、彼はこの場に召喚された。
しかしそれでも神を召喚するには莫大な魔力を必要とするのだが、彼は『幻の啓示』を使い踏み倒して現れた。
全ては、奪われ今にも消えそうな少女のために。
クー・フーリンの父である彼が、英雄らしく在らねばどうするというのか。
デメリットスキル。
彼は、此度の召喚において「英雄として許されない行動」を取ることができない。
もし行った場合、その戦闘一回においてステータスダウンを招く。
【宝具】
『常勝の四秘宝・槍(ランス・フォー・ルー)』
ランク:C 種別:対人宝具 レンジ:? 最大捕捉:?
じょうしょうのよんひほう・やり。
受け継がれてきた力。想い。
ルーにとって「ルーやその槍を手にした者に対し戦(の優位を)保ちつづけることこれかなわず」と称された槍。言わば近距離の攻めに特化した槍であり、戦闘中常時発動型宝具である。
相手の防御、地の利を無効化し戦況を己に傾ける槍。
ルーにおける、『第一の槍』である。
『我は望まん、此の先の心臓を(ゲイ・アッサル)』
ランク:B 種別:対人宝具 レンジ:5〜40 最大捕捉:1〜5
『イヴァル(イチイの樹を意味するIbur)』の呪文で相手に命中し、『アスィヴァル(「再イチイ」を意味する逆呪文 Athibar)』で再召還できる黄金の槍。
一度血を溢せば誰も逃さず、イヴァルと呼べば決して逸れず、アスィヴァルと呼べば疑うべくもなく主人の元へと帰ってくる。
必殺必中の槍と呼ばれ、主に投擲で使用する。
幸運判定+直感スキルのような回避に特化したスキルの判定で着弾位置をずらすことができる。
ルーの『第二の槍』。
『鏖殺せよ、屠殺の槍と(アラドヴァル)」
ランク:A 種別:対都市宝具 レンジ:1000 最大捕捉:不明
穂先が凍りついた槍。氷の刃と貸しており、そのままでも恐ろしいほどの禍々しい魔力を秘めている。
真名解放と共に氷が溶け、穂先が顕になる。
その槍は高温という言葉では言い表せぬ太陽の如き熱を持つ。
発動と同時に槍の熱に耐えきれず周囲の建物は溶け、長時間発動していればその余熱は都市にまで及び、震わずとも都市を溶かすという。
故に、発動できるのは短時間である。
敵味方問わず焼き溶かす、殺戮者、屠殺者の槍である。
ルーにおける、切り札の『第三の槍』である。
【weapon】
・基本は『常勝の四秘宝・槍』を主に使用する。
【人物背景】
身長2m25cm。爽やかな金髪大男。
緑のマントを身に纏い、マントには白銀のブローチが胸にし、その純金で赤刺繍した王のような膝まで届く絹チュニクの下に、ヒーローが着るようなスーツを全身に纏っている(イメージとしてはクーフーリンやスカサハのような)。
ルーは医術の神ディアン・ケヒトの孫であり、フォモール族の「邪眼のバロール」の孫。 クーフーリンの父とされている。
若くして邪眼のバロールを殺し、その人生において様々な才能を発揮し、味方がやられれば賠償として相応しき価値のものを勝ち取った。
諸芸の達人サウィルダーナハとも呼ばれ、「戦士から建設、鍵から歌に詩、なんでもござれさ」と名乗り、見事にそれをこなして見せたという。
───ある日、セタンタは影の国へと向かう最中、沼地に足を取られ、闇にもがいていた。
その場は「不幸の野原」。悲しいかな、セタンタは自力で抜け出すことは困難だった。
そこへ一人の男が通りかかる。
『この車輪を使うといい。よく転がして、その後を進むんだ』
セタンタはそのようにすると、車輪は火花を散らし、沼はあっというまに渇き、セタンタは脱出することができたという。
その後も、クーフーリンの眠る時間を確保するため三日間クーフーリンの身代わりにメイヴと戦ったなど、身内に関するエピソードは多い。
彼は今回、それらの側面が強く召喚されている。
導く者。君が自分の力で立ち上がれるように、力を貸そう。
導く者。君がもう一度立ち上がれるまで、私が戦おう。
きっと。この先の君の人生は、光のように輝いているから。
ヒーローのように現れ、ヒーローのように救う。
【サーヴァントとしての願い】
マスターの願いを叶える。
そして、言わずもがな…良い宝具があれば、聖杯で作ってもらってもいいかもしれない。いやほら、戦いの報酬って必要だし…
【マスターへの態度】
どちらかというと保護者目線。
君ならできるよ!?マジで!
【マスター】
レミュリン・ウェルブレイシス・スタール
【マスターとしての願い】
家族を生き返らせる。
復讐は…どうだろ。わかんない。
【能力・技能】
『今は』なし。
魔術は習っていなかったが、魔術の家の生まれのため魔術回路は多く上質。
【身長/体重】165cm/41kg
一人だとそんな食べないから…とは彼女談。
【容姿・性格】
色素の薄い金色の髪を肩まで伸ばした、少し気弱で平均よりは小さな十六歳の女の子。にへら、と力の抜けた笑いとサイズに余裕のある服が特徴。だが、まだ作中ではあまり笑えていない。
事件のせいで内向的、自信がなく、あまり人と接するのは得意ではない。
【人物背景】
魔術師の家系の生まれ。しかし次女だったため、魔術とは何ら関わらず育った。
十四の春、両親と姉が『家には一切火災の痕跡が無いにも関わらず、焦げた焼死体』として発見された。
魔術協会はこれを魔術関連の殺人と断定し、スタール家の魔術関連の物を押収。しかしレミュリンは魔術のことを知らぬため、何がなくなったのかすらも知らなかった。
そして、二年後。十六の冬に、事件の時から入れなかった姉の部屋に遂に入る。
そこで見つけたのは古びた懐中時計で…?
果たしてこの場に家族の仇はいるのか。
何故姉は魔術協会の目を掻い潜って古びた懐中時計を所持していたのか。
謎は、未だ深い闇の中。
【方針】
聖杯戦争って…叶うのなら、家族を生き返らせる。
【サーヴァントへの態度】
コミックのヒーローみたい。
名前は聞いたけどよく知らない。多分凄い人。
投下終了です。
タイトルは
「熱の日々」
です。
早速の投下ありがとうございます!!
>熱の日々
素養はあれど素人である少女が英雄と出会って、戦いの中に身を投じていくという王道ながら、シリーズの知識を深く窺わせる内容でしたね。
謎を残しつつ、されど平穏な日々がある日突然に一変するという非日常から"復讐"の単語を出し、それをルーの英雄性で締めくくる。
"第一話"という感じのものすごくする、最初にいただけた投下としてめちゃくちゃありがたい一作だったと思います!
改めてご投下まことにありがとうございました……!!
さて、ご質問の方がありましたので設定をひとつ追記させていただきます(二敗目)
・コンペ時の季節は「2024年4月」とします。要するに春です。
wikiの方でも更新の方済ませております。
今後もルールや設定の方は追記、ないしアップデートしていくことがあるかと思います。逐一こちらでも報告させていただきますが、こまめにルールの方は確認していただければ幸いでございます。
投下します
ニュースが、戦争の話題を告げている。
撒き散らされる鉛弾。
降り注いでは家々を焼く粘ついた炎。
子ども達が泥水を啜り、臨月のように膨らんだ腹と座頭虫のようにか細い手足でぐったりと横たわっている。
悪意。虐殺。浄化という名の鏖殺。
衣食住が保証されることが当たり前のこの国にとって、それはすべて遠い異国の話。
自分たちとは関係のない、どこか非現実的な物語の悲劇でしかない。
テレビの電源が、おもむろに落とされた。
少女がそれを見つめていることに気付いたのだろう。
恰幅のいい、いかにも裕福な身分であるのが明らかな男が笑顔を見せた。
男は少女の父親であった。戸籍上の絆ではあるが、彼が彼女に屈託のない愛情を注いでいるのは間違いない。
身寄りのない少女を受け入れ、今までに見たこともない豪奢な料理と家で育ててくれている。
辛い記憶、失ったものを少しでも埋め合わせられるようにと。
肌の色の違い、生まれた国の違い。血の繋がりの有無など、何のその。
人が人を想う気持ちがあれば、そこに人種など関係はないのだと、男は少女に対して日々証明し続けていた。
もう眠りなさい。
そう告げる父に、家事を終えた母も同調するように微笑む。
優しい家庭だ。銃火も、餓えも、ここには何もない。
夜空の向こうから、野蛮な虐殺者たちが乗り込んでくることもない。
少女は、アルマナは、優しい両親に小さく頭を下げて踵を返した。
階段を上って、二階にあがる。そこにはアルマナの部屋がある。
"日本の"両親が与えてくれたキャラクターグッズで可愛らしく彩られた部屋に入ると、アルマナは静かに窓を開けた。
――時間だ。王さまのところへ行かなければならない。
開かれた窓から、ぴょんと夜空に身を躍らせる。
降りしなに片手で窓を閉め、向かった先は少し離れた廃寺だった。
いかに外国人とはいえ、夜中に近づきたいと思わせる風体ではない。
それでもアルマナは恐れるでもなく寺の門を潜り、中へ入る。
地下の土蔵に続く階段を降りて、青銅の扉を押し開けた。
……そこに。
寺の地下という、ただそれだけの筈の空間に。
巨大な、地底湖を思わせる雄大な空洞が広がっていた。
「――遅い。何をしていた?」
明らかに構造上の理屈を無視して広がる大空洞。
よく見るとその壁面は土壁ではなく、厳かな青銅で構成されているのが見て取れる。
地面も然りだ。空洞の全体が青銅から成り、ある種シェルターのような様相を呈している。
アルマナは知っている――これは玉座の間であると。天上にあるか地底にあるかの違いで、偉大なる者が座す空間であることに違いはない。
その証拠に、空洞の奥には玉座が誂えられていた。
そこに腰掛け片肘を突くのは、アルマナの集落で〈長老〉と呼ばれていた人物よりも老齢に見える枯れた老人だ。
皮膚の張りは失われ、白い髪も髭も水気らしいものは一切残していない。
されど痩せぎすの身体は老いさらばえながらも、まるで小ささ、弱さというものを見る者に感じさせなかった。
それは彼の肉体が"痩せている"のではなく、筋肉を限界まで引き締まらせた結果の細身、華奢さである故のことだ。
生涯に渡り、鍛錬を決して怠らなかった者。
そうでなくてはあり得ない肉体の完成度を、この老君はひけらかすでもなく当然として有していた。
「ごめんなさい。父母と過ごす時間が長引いてしまいました」
「おまえは暗示の魔術も使えぬのか。早々に人形に変えてしまえば良かろう」
「ですが――」
「ですが、ではない」
そして何より、その双眼に宿る光だ。
爛々と輝く、覇者の輝き。
あまたの栄光と武勲を滲ます冷眼が、この男が単なる耄碌爺ではないことを何より如実に物語っていた。
「王が白と言えば、黒い鳥も白になるのだ。
それがこの世の道理で、仕えるということなのだ。
おまえは儂の何だ? アルマナ・ラフィー。淘汰されし穢血の者よ」
「……アルマナは、臣下です。ランサーさま、あなたの」
「然り。おまえは儂の臣として仕え、身を粉にして働くと誓った。
その見返りに儂はこうして、おまえのような小娘に兵と力を貸してやっているのだ」
対峙しているだけで骨の髄までが痺れる。
びりびりと、本能的な震えを帯びる。
まさしくこの老君は、神話の国の王者だった。
栄光を掴み、"統べる"ということの意味を知り尽くした男。
逆らう考えなど、起きるはずもない。
いや、そうでなくてもアルマナはこの王に逆らえなかった。
彼に仕え、彼のために働き、その力に肖る必要があった。
そうでなければ、今ここで生きている意味がない。
あの地獄を生き延びて、針音の仮想都市に足を踏み入れた意味がない。
「明日までに木偶へ変えておけ。儂は既におまえの意を汲んでいる。過ぎた慈悲を望むなら、儂は臣下でも躊躇なく殺す」
「……わかりました。では、そのようにします」
跪いた格好のまま、小さく頭を下げる。
それでようやく老王は、ランサーのサーヴァントは溜飲を下げたらしい。
ふん、と小さく鼻を鳴らして足を組む。
尊大に尽きるその態度にも、思うところは特になかった。
心を乱し、怒りに震える。
そんな情動を最後に起こしたのははて、いつのことだったろうか。
「して。成果はあったか?」
「はい。練馬区の方で、魔術師の〈工房〉を確認しました。
子どもの失踪事件が盛んに騒がれており、魂喰いで戦力を肥やしているようです」
「フン。下賤の輩が取りそうな策よ。おまけにこのような小娘に気取られるとは、余程の三流と見える」
手を伸ばし、槍を手に取る。
その石突でランサーが地面をかつん、と小さく打った。
それが合図になる。玉座の前方で、青銅の床がごぼごぼと泡立つように蠢いた。
――そしてそこから、五体の人型が立ち上がった。
顔はない。性別の区別もつかないし、そもそもあるのかも窺えない。
竜牙兵、という言葉をアルマナは知っていた。
アルマナの集落は魔術という文化が遥か昔から根付いており、彼女もまた幼い頃からそれに親しんで育った身だ。
だが、知識として知っていた〈竜牙兵〉と比べても、王に傅く五体のそれはいささか精強すぎる風に見える。
無機質な外見でありながら、そのボディにはまるで長い収斂を積んだ勇士のような趣が宿っていた。
「王たる我が名のもとに命ずる。朝日が昇るまでに、下奴らを誅殺し首を持ち帰れ」
王の下す誅殺命令。
それは彼らにとって、至上の意思(オーダー)。
アルマナの知る限り、ランサーはこれまでこの〈玉座の間〉から一度も出たことがない。
戦闘のすべてを従者たる五体の竜牙兵に任せ、それでいながら戦果を挙げ続けている。
その事実こそが、この老王の放つ威光が単なる見せかけなどでは断じてなく。
今も微塵たりとて衰えることない、覇道の顕れなのだということを示していた。
もしこんな人がいたら、あの集落の結末も変わっていたのかもしれない。
ふとアルマナは他人事のようにそう思う。
誰かが容赦のない、"戦える"王さまとして君臨していたなら。
何もできず、逃げる背中を撃たれて、逃げ込んだ穴ぐらを燃やされて、なぶり殺しのように奪われていくこともなく済んだのだろうか。
そこまで考えて、アルマナはその思考を"意味がない"と切り捨てた。
すべては既に終わったことで、あの集落は滅びるべくして滅んだのだ。
歴史と宗教の問題が複雑に絡み合った地獄の釜。
その中で暮らすには、あの人たちは皆優しすぎた。穏やかすぎた。
魔術なんてすごい力を極めてきたのに、それを〈誰か〉に向けることに慣れていなすぎた。
政争も暗闘もない、平和でのどかな集落の中で受け継がれてきた神秘。それを扱う者の精神性。
彼らはあまりにも、この世界で生きることに向いていなかった。
だから、みんな死んでしまったのだ。アルマナはそれを知っている。
「……アルマナよ。おまえの願いは既に聞き及んでいる」
「はい」
「鏖殺された同胞の蘇生と、集落の平穏。
何とも惰弱な願いよ。滅ぶべくして滅んだものを蘇らせたとて、その結末は決まっている。
明日訪れる終わりを一月引き伸ばすようなものだ。聖杯はおまえたちの揺り籠を守る乳母などではないというのに」
「ごめんなさい。王さまの言う通り、なのだと思います」
あの集落の中で、アルマナだけが戦うことの意味に気付いた。
戦わなければ、なにも守れない。
なにもかもを奪われて、そして朽ちていくだけだ。
だからアルマナはあの日、あの夜。
自分の上に覆いかぶさってきた〈敵〉を、自分の意志で殺した。
やってみると、事は意外なほどに簡単だった。
――〈守るため〉なんかより、〈殺すため〉に使う方がよほど簡単だ。
父が、母が、きょうだいが、長老さまが教えてくれた優しい生き方。
彼らは、知っていたのだろうか。
この力を内ではなく外に向けたなら、あんな終わり方なんてせずに済んだことを。
「ですから、あなたの言う通りにします。
あなたに仕え、あなたのために働きます。
なんでもします。そうすればきっと、愚かな私の願いも叶うでしょうか」
「儂の知ったことではない。おまえはただ何も考えず、馬車馬のように働いておればそれでよいのだ」
アルマナは顔を上げない。
頭を下げて、王の機嫌を取る。
"感じる"ことは、もうやめた。
感情とは、運命とは、にわか雨のようなものだ。
頭を下げて耐えていれば、いつか何もなくなっていく。
雨の降る中に外へ出るから、風邪を引くのだ。怪我をするのだ。銃で、撃たれるのだ。
「アルマナよ」
「はい」
「おまえは……」
自分も、そう。
あの竜牙兵のようであればいい。
すべてが終わるまで、機械のように従い続ける。
やるべきことをやる。いらないことは、しない。
この世に尊いものなど何もありはしない。
そこには、自分自身も含まれている。
「おまえは、恐ろしくはないのか」
「……?」
「……いや、いい。引き続き儂のために励め。聖杯が欲しいのならば」
言葉の意味が分からず、一瞬沈黙してしまった。
が、ランサーはそれを叱りはしなかった。
王さまがいいと言うのだから、これ以上考える必要はない。
アルマナは「はい」とまた短く返事をして、静かに立ち上がった。
玉座に座り、小さな褐色の身体を見つめる老いさらばえた王さま。
その眼に宿るものの意味も、"感じる"ことを忘れたアルマナにはわからないのだった。
◇◇
栄光を掴んだ時、覚えたものは高揚だった。
己の国を手に入れた気分は爽快だった。
女神の寵愛はいつだとてこの矮小な心を癒やしてくれた。
誰もが己を喝采と、畏敬の念にて迎え入れる。
ああ、まさに己こそは英雄。
神の怒りをも恐れず、荒ぶる竜を討ち、自分の国を手に入れた理想の王。
小さな悲劇など、失楽など、何も感じぬ。
この国があればいい。この名誉があれば、それだけで自分はいつ如何なる時も、どんな苦境の中でも笑っていられる。
男は、すべてを有していた。
この世の喜び、そのすべて。
富があった。名誉があった。
愛する者がいた。素晴らしい子孫にも恵まれた。
これぞまさに幼い日に憧れた英雄の生涯そのもの。
恥じることなど何もない。流す涙など、一滴たりとてありはしない。
永い生涯の中、喜劇もあれば当然悲劇もある。
喪失など、挫折など、何のその。
誇り高き過去さえあれば、どんな嘆きもたちまち失せる。
過去とは美酒であり、そして麻薬だ。
いかなる苦しみでも等しく慰め、明日に希望を抱かせてくれる。
息子が死んだ。
娘が死んだ。
孫が死んだ。
だからどうした、己はこうも優れている。
我が国はこうも栄えている。まさに黄金の繁栄。実に素晴らしい。
地上のいかなる悲劇さえ、この栄光の礎と思えば安いものだ。
我は素晴らしく、我の国も素晴らしい。
この世にそれ以外、感じるに足る情動なぞ存在するものか。
我こそは理想の英雄、理想の王。
偉大なる栄光の国を築き上げた、竜殺しの英傑。
美しい女神に愛され、あまたの子孫を産み落とした黄金の系譜。
至上の英雄たる己は当然、その死後さえ祝福されている。
この肉体、この魂は必ずや死後、楽園に招かれるだろう。
そして永遠の幸福を噛み締めながら、穏やかな時間を永久に過ごすのだ。
思い上がりが裁かれることもなく。
その怠惰に応報が下ることもなく。
男の生涯は、その通りになった。
迎えに来た蛇。
手渡された楽園への切符。
老いた身体で受け取った、幸福の権利。
妻たる女神とともに見据えた"幸福な死後"を前にして、男は笑った。
英雄は笑った。腹を抱えて笑った。
それ見ろ、ざまを見ろ運命。
結局おまえは、最後まで我が罪を裁けなかった。
我が傲慢も慢心も、ただの一度として裁けはしなかったのだ。
おまえにできたのは、気まぐれに殖やした子を孫を貶めることだけ。
そんなもの、一体何になるという。
子をいくら殺そうが、孫をいくら穢そうが、己の栄光は何も変わらない。
一切不変、絶えず流れる大河の如くにこの黄金は輝き続ける!
であれば後は楽園に渡るのみ。楽園にて、ついぞ我が身に手を触れることの叶わなかった〈悲劇〉を永久に――
『…………………………………………ふざけるな』
願い、焦がれた楽園を前にして。
時にはそこへ逝けないことを恐れ、情けなくも震えたこともあったというのに。
いざ実際に蛇に導かれ、旅立つことを許された楽園の景色を見て。
老いた英雄は、栄光の国の王は、泣き笑いのようにその言葉を絞り出していた。
『私のどこが、この身のどこが、楽園に能う命だというのだ?』
傲慢とは、すなわち逃避で。
無愧とは、すなわち麻痺である。
『血を分けた子も救えぬ者が。目に入れても痛くない孫も見送るしかできなかった者が。
溢れる悲劇を止められもしなかった愚かな王が――何故に、死後の救いなど賜われるというのだ』
ずっと殺してきた。
悲鳴をあげる、この心を。
息子たちが死ぬたびに。
娘たちが嘆くたびに。
孫たちが果てるたびに。
栄光の影を、見るたびに。
心が軋む。悲鳴をあげる。
それはまるで、塞がりかけた古傷に刃を入れて穿り返すような。
忘れかけた罪の記憶が、寝入りばなに蘇っては心を苛むような。
だから王は、感じることを捨てた。
過去に酔い、現在から目を背けた。
素晴らしきかな、テーバイの繁栄。
勇ましきかな、竜殺しの英雄たる我。
軍神に唾を吐きながら、神罰を微塵も恐れず楽園に向けて歩む益荒男よ。
『楽園の切符など要らぬ。儂が欲しかったのは、断じてこんなものなどではない。
儂は、儂は――』
麻痺させてきた傷の痛みが。
楽園の手前で、一気に開く。
『儂は、ただ……幸せな国を創れれば、それでよかったのだ』
慟哭は願いに変わり。
そして、時は流れた。
英霊の座から引きずり出された玉座。
悔恨と、嘆きを抱えて。
まろび出た現世で王が対峙したのは、硝子のような瞳で自分へ傅く幼子だった。
心を殺し。
感じることをやめ。
そうして、傷の痛みを誤魔化している。
奇しくもそれは、かつての己のように。
愚王たることに腐心して、恥を知らぬと他でもない己自身に言い聞かせることで心を守った弱い男のように。
悲劇は起きる。
必ずや。
それはもはや、決まりごとなのだ。
あの日、泉の竜を殺した時から。
軍神の怒りを買った時から、ずっと。
この身は、テーバイの国は、あまたの悲劇に囲まれている。
であればきっと、この娘も。
いずれは悲劇に喰われ、その命を惨たらしく散らすのだろう。
であれば。
であるの、ならば……
『――問おう、愚かなる娘。卑しくも見窄らしい人形よ。おまえが、儂を招いた者か』
.
【クラス】
ランサー
【真名】
カドモス@ギリシャ神話
【ステータス】
筋力:B 耐久:B 敏捷:C 魔力:C 幸運:E 宝具:A
【クラススキル】
対魔力:C
第二節以下の詠唱による魔術を無効化する。
大魔術、儀礼呪法など大掛かりな魔術は防げない。
【保有スキル】
神性:D
その体に神霊適性を持つかどうか、神性属性があるかないかの判定。
ランクが高いほど、より物質的な神霊との混血とされる。より肉体的な忍耐力も強くなる。
カドモスは女神ハルモニアの寵愛を受けている。
竜殺し:B+
竜種を仕留めた者に備わる特殊スキルの一つ。竜種に対する攻撃力、防御力の大幅向上。
これは天から授かった才能ではなく、竜を殺したという逸話そのものがスキル化したといえる。
青銅の王:A
青銅の発見者として知られるカドモスは、魔力を用いて青銅製の武具を作成することができる。
低ランクの宝具に相当する神秘を持ち、貸与することも可能である。
悲劇の源流:A
軍神アレスの泉を侵し、アレスの怒りを買った時からカドモスの悲劇は始まった。
死後、テーバイの滅亡まで続く悲劇の源流。
カドモスは存在するだけで自身も含めた周囲に不幸を振り撒くが、しかし彼本人は強くしぶとく生き続ける。
自己保存スキルの劣化版。ただし老いたるとはいえ英雄であるカドモスがこのスキルを持つ意味は大きい。
調和の寵愛:A
女神ハルモニアの加護を受けている。
このスキルにより、カドモスの行動に伴う魔力消費は驚異的なほどに小さい。
宝具の真名解放すら容易く行うことができるが、しかしそのハルモニアでさえも彼に付き纏う凶兆をどうにかすることは――
【宝具】
『我過ちし栄光の槍(トラゴイディア・カドメイア)』
ランク:A 種別:対人宝具 レンジ:1〜10 最大捕捉:1
アレスの泉にて果たした竜殺し――彼の栄光と悲劇の始まりである罪を遂げさせた一槍。竜属性の敵に対しては特攻効果を発揮する。
一見すると単なる鉄槍だが、カドモスが握ることによって神をも貫く切れ味と竜の息吹をも凌ぐ強度を手に入れる。
担い手へ魔力の自動供給と損傷の自己回復機能を与える効果を持ち、これにカドモス個人の武芸と生存力の高さが加算されることによって、英雄の戦陣は堅牢な城塞のように難攻不落のしぶとさを実現する。
真名解放は先述の回復機能を攻撃に回し、魔力放出を兼ねて行う神速の一刺し。
『我が許に集え、竜牙の星よ(サーヴァント・オブ・カドモス)』
ランク:C 種別:対人宝具 レンジ:- 最大捕捉:-
女神アテナの勧めに従って退治した竜の歯を大地に蒔き、精強なる五体の従者(スパルトイ)を得た逸話が宝具化されたもの。
現界直後にのみ使用可能で、逸話通り五体のスパルトイを生み出して使役する。
スパルトイ達はカドモスに服従し、彼の命令に従って戦いやその他行動を行う。
スパルトイの性能はサーヴァントにも匹敵するが、カドモスはあえて彼らに人間性を与えることなく使役するのを好む。
ヒトに近づければ悲劇が生まれる。であれば我が従者は、もはや無我の歯車仕掛けでよい。悲劇はもうたくさんだ。
【Weapon】
『我過ちし栄光の槍』
【人物背景】
古代ギリシャの都市、テーバイの創設者にして王。
エウロペの兄であり、女神ハルモニアの夫でもある。
若年の頃、ゼウスに拉致されたエウロペを連れ戻す命を受けて国を放り出される。
しかし結局命令は果たせないまま、カドモスはアレスの泉で竜殺しを成し遂げ、女神アテナから後のテーバイとなる土地を与えられる。
その後前述のハルモニアを娶り、晴れてテーバイを建国する。
その生涯は多くの勝利と栄光、そして子宝に恵まれたものだった。
最期は妻のハルモニアと共に竜となってエリュシオンへ移住し、幸福な時を過ごした――だが。
カドモスとその子達は、玄孫に至るまであらゆる不幸に見舞われた。
栄光の中で築いたと思っていたテーバイの地は、悲劇と破滅を生み出し続ける呪われた土壌と化していた。
英霊となったカドモスはエリュシオンへ旅立つ直前の、年老いた身で召喚されている。
老王カドモスが望むのはただひとつ。すべての始まりとなった最初の過ち、泉の竜殺しの栄光を破棄すること。
ひいては自身の築いたテーバイを否定し、自分の咎で生まれた悲劇と、嘆きの中で死に絶えるしかなかった命をすべて無に帰すこと。
英雄になど、ならなければよかったのだ。
己など、最初からあるべきではなかった。
それが英雄(カドモス)が長い生涯の果てに行き着いた真理であり、願いであった。
【外見・性格】
白の長髪に長髭の老人。シルエットこそ華奢だが、痩せているのではなく引き締まっている。その肉体は老いて尚衰えを知らない。
威厳溢れる誇り高き老君。冷徹だが誇りの残り火は消えておらず、度の過ぎた残虐には静かに嫌悪を示す。表には出さないが。
【身長・体重】
175cm/75kg
【聖杯への願い】
泉の栄光を破棄し、すべての悲劇を否定する
【マスターへの態度】
哀れな娘。常に厳しく当たるが、深い憐憫を抱いている。
何故この期に及んで、己のような不良物件を引き当ててしまうのか。
悲願がある故に聖杯戦争を放棄するのはあり得ないが、その幼身が悲劇に喰われる光景を想像するだけで死に果てたくなる。
だからあえて厳しく当たり、間違っても敬愛など寄せられないように努めている。
自分はあまりに老いてしまった。人は歳を取ると、小鳥の骸にさえ泣き出したくなるものだ。
【名前】アルマナ・ラフィー
【性別】女性
【年齢】11
【属性】中立・中庸
【外見・性格】
プラチナブロンドのショートカット、褐色肌の少女。白みがかったベージュのワンピースを着用している。
穏やかというよりは無機質に近い性格。表情が変わることがほぼなく、特に笑顔を浮かべることはない。
その根底にあるのは世界への諦観。無感であれば、悲劇に傷つくこともない。
【身長・体重】
135cm/30kg
【魔術回路・特性】
質:B 量:D
特性:熱を伴う光の操作
【魔術・異能】
光弾の射出、及び成形しての不定形武器創形。
幼く、経験値も不足しているが実力は高い。
治癒魔術など、様々な分野に精通している。
【備考・設定】
とある異国の集落に生まれ、生まれながらに魔術に親しんで育ってきた少女。
しかしながら政変による内紛と虐殺に直面し、自身より優れた魔術師であった父母と集落の仲間を失う。
以後は浮浪児のような暮らしを送るが、その中で既に彼女の価値観は完成されていた。
失って泣く時間に意味はなく、ただ歯車のように粛々と"やるべきことをやる"。
そうしていればもう二度と、おもむろに響き渡った銃声や爆音に涙を流すこともないのだから。
追ってきた虐殺者たちを殺戮した時、肉片の中で〈古びた懐中時計〉を見つける。
何か惹きつけられるようなものを感じてそれを手に取り、仮想都市へと転移した。
ロールは虐殺を逃れた生存者。日本の裕福で善良な金持ちの養子になり、穏やかに暮らしている。
【聖杯への願い】
虐殺で失われた集落の復興。
【サーヴァントへの態度】
縋るもの。敬意を以って扱い、彼の忠実な従者たれるように振る舞う。
厳しく扱われても特に気にしてはいない。
運命とはにわか雨のようなもの。いちいち恐れたり悲しんだりすることに、意味はない。
投下終了です。
投下します
「美味い」
フワフワの白パンをちぎり口に運ぶ
「美味い」
ドロリと垂れる赤いシチューをスプーンで掬う
「美味い」
七色のソースを焼いたタラに乗せ舌に敷く
「美味い」
噛みちぎったステーキ、中は赤く汁気がある
「美味い」
粉砂糖の掛かった美しいモンブランを山頂からフォークで崩す
多種多様、豪華絢爛、次々とテーブルに乗っかる西洋料理をひたすらに、しかし丁寧に食していく。鼻には香しい匂いを貫き、噛み締めるほど湧き出てくる味に舌鼓をうつ。
「マスター、あんた料理人としての腕いいな」
二十数枚の皿を片す男。パリッとした軍服に身を包み、外していた白い手袋をつける。カチカチと動く金の懐中時計を閉じて、日本刀を撫でた。その少しの動作から香水の匂いが周囲に漂う。
マスターと言われたものはその洒落た匂いが鼻をくすぐる頃、口を開いた。
「でしょう?褒められると伸びるタイプなの私。もっと褒めて」
「いいよいいよ。美味いぜまじ美味い」
「うふふ」
白い仮面をつけているマスターは妖しく笑う。料理人のような格好であるが豊満な肉体には少し狭いようでパツパツだ。マスターは白い仮面を外すと服が糸のようにほぐれ、内側から古臭いジャケットが現れた
「面白いまじ面白い!いつ見ても飽きねぇ。素早い変身、まじ魔術凄いな」
「うちの魔術、服がすぐ変わるから便利なのよね」
テーブルを挟んでたわいもない会話を行う2人。その周りは赤錆色と鉄のような臭いが漂っていた
「うーん、これら見苦しいわね」
「そうか?………いやそうかもな。こうも赤いと落ち着かない」
「うちが掃除するわね」
マスターは自分の腰に手を回す。そこには11枚の仮面が存在していた。そのうちの一つ、黒の仮面を掴むと自らの顔につける
黒の仮面からくるくると黒い糸が這い出て豊満な肉体を包み込んでいく。十重に二十重に編み込まれていく糸、数秒で肉体を行き来した糸は黒の修道服を作成した
「Zophiel」
一言、口から唱えることで修道服から無数の黒い糸が飛び出す。その一つ一つが、周りの死体に飛びつき、覆い尽くす。脈動する黒い糸、終着点である修道服を着た女は吸い上がる何かを身に入れるたび恍惚して微笑む
「マスター、それ美味いんか?」
「貴方じゃ、そうでもないわよ。えーと………【セイバー】?」
「ここには誰もいない。フォーリナーでええさ」
「ええフォーリナー。この生の血肉は譲らないわ」
「ケチだね?」
「満腹になるまで料理作ってあげたじゃない。」
「それはそれとして気になるわけよ」
「ダメ!まあ結局回り回って貴方の魔力になるしそれで許してね」
「うーん………それならいいか」
料理が乗った最後の皿をペロリと平らげ、フォークを置くフォーリナー。彼のマスターも同時に食事を終える。黒い糸が彼女の修道服に戻ると血肉があった床は綺麗に磨かれ、骨だけを残した。近くに落ちていた立派な大腿骨を手に取り、なぞる女。
「さて………人骨のスープは食べるかしら?」
「興味あるね。馬とか食ってたけど人食うのはないし」
「あら拒否しないのね」
「腹が減って仕方ないし」
「………もう空腹なの?」
「燃費が悪くなったもんだよ全く」
フォーリナーの愚痴を少しばかり苦い顔で聞く女。これじゃあ食費だけで、いくらかかるのやら。少しばかり冷や汗が出る
「作らないのか人骨スープ?」
その呑気な言い草にイラッときた女は手にある大腿骨をフォーリナーに向かってぶん投げた。女の頬を汗がつたり地に落ちる。
3度、銀の風が見えた。
フォーリナーは自らの日本刀をいつのまにか抜き放ち、軍刀を持たない方の手には皿がある。その上には四つの大腿骨のかけらが落ちていた。
「これで作りやすいな?」
その言い草に女は苦笑する他なかった。
女の名前はハニブ・アダスタン。国籍、年齢不明の死徒だ。
フォーリナーの真名は桐野利秋。幕末の日本に生きた武士だ。
サーヴァント
【クラス】フォーリナー
【真名】桐野利秋
【属性】混沌・中庸
【ステータス】筋力B+ 耐久C 敏捷EX 魔力A 幸運C 宝具A
【クラススキル】
領域外の生命EX
外なる宇宙、虚空からの降臨者。
邪神に魅入られ、権能の片鱗を身に宿して揮うもの。
神性B
外宇宙に潜む高次生命の起点となり、強い神性を帯びた。代償として怠惰的な性格へとかわり、常に異様な飢餓感に襲われ、腹が満タンになるまで食事しなければならない。
【保有スキル】
対魔力C
本来の適正クラスであるセイバーのクラススキル。
魔術詠唱が二節以下のものを無効化する。大魔術・儀礼呪法など、大掛かりな魔術は防げない。
フォーリナーのスキルの影響でランクアップしている。
騎乗B
本来の適正クラスであるセイバーのクラススキル。
大抵の乗り物なら人並み以上に乗りこなせるが、幻想種あるいは魔獣・聖獣ランクの獣は乗りこなすことが出来ない。
じげん流A++
フォーリナーが収めた二つの剣術、小示現流と薬丸自顕流を指すスキル。「二の太刀要らず」と謳われる一撃必殺の剣技は、地軸の底まで叩っ斬るほどのものだ。相手の防御スキルの影響を軽減し、自らの斬撃の威力に対する有利な補正がつく。
軍略C
一対一の戦闘ではなく、多人数を動員した戦場における戦術的直感能力。自らの対軍宝具行使や、逆に相手の対軍宝具への対処に有利な補正がつく。
象牙の書なし
幼少期、師の部屋にて読んだ魔術書。漢文で書いてあり全く理解することができなかった。だがここで外宇宙の一端に触れた出来事はフォーリナーの死後に影響を及ぼしてしまう。スキルとしてあるが効果はない。
【宝具】
雨垂剣(あまだれけん)
ランク:なし 種別:対人魔剣 レンジ:1〜9 最大捕捉:1人
フォーリナーの必殺剣。「軒先の雨粒が落ちる間に3度抜刀した」と言われるほどの居合術。鞘から取り出し、斬りつけて納刀するまでの一動作を3回、一瞬の狂いもなく全く同時に繰り出す。その軌道はどれだけ視覚が発達していても銀の風が通ったようにしか見えない。
桐野星(きりのほし)
ランク:EX 種別:対人宝具 レンジ:1〜6 最大捕捉:1人
民衆が見た火星に映る西郷隆盛。火星にいるなら桐野利秋はどこにいたのか?民衆は火星の近くにあった土星に彼を見た。民衆の信仰と桐野利秋の体験は最悪の形で結びつき、霊基を歪めフォーリナーとして顕現するに至る。
真名解放することで桐野利秋は土星と完全に結びつき、桐野利秋を起点として人間の理解の外にある世界を呼び起こす。
【weapon】
日本刀
【人物背景】
初めは中村半次郎と名乗っていた薩摩藩の武士。小示現流、薬丸自顕流などを独力で収めた剣の達人で、河上万斉・田中新兵衛・岡田以蔵らと合わせて「幕末四大人斬り」など言われているが、桐野利秋が公的に人を斬ったのは1人だ。
明治維新後、陸軍少将として政府の中で仕事をしていたが、征韓論争で西郷隆盛が下野すると辞表を提出しこれに従う。
明治10年(1877年)2月6日、火薬庫襲撃事件・中原尚雄の西郷刺殺計画などを受け、西南戦争が勃発。桐野利秋は四番大隊指揮長となり、征討軍と戦った。
その最期は最後まで奮戦し、額を打ち抜かれた壮絶なものである。
【外見・性格】
洋服を着こなす優大男。
竹を割ったような性格。勇猛果敢で潔白で豪放。
ただ割り切りが異様に速い。倫理観がずれている。
【身長・体重】
190cm・80kg
【聖杯への願い】
降臨者との縁切り
【マスターへの態度】
美味い料理を作ってくれて嬉しい。でも空腹が続けば殺すかなぁとか考えている。
マスター
【名前】ハニブ・アダスタン
【性別】女
【年齢】精神年齢20歳くらい
【属性】混沌・悪
【外見・性格】
鈍色の髪、ポニーテール、白の肌。ジャケットを着用している。
享楽的で楽観主義者。これは一度悲観し始めるととめどなく後悔が湧き出てくるので考えないようにしているため。
命を奪うのに躊躇はない。
【身長・体重】
180cm・B97・W54・H98・体重39kg(公称)
【魔術回路・特性】
質E・量EX
特性:全身変化
【魔術・異能】
変面魔術
木でできた仮面をつけることで様々な効果を発動する。ハニブが持っている仮面は11枚で仮面により服装も変化する。1枚つけると30分外せず、同じ仮面を連続でつけることはできない。
白:服装は料理人、手を9本増やす。
灰:服装はタキシード、男性に変装する。
黒:服装は修道服、輪のように触手を出す。
青:服装は警官、痛みのないガンドを撃つ。
赤:服装は医者、心霊手術を行える。
黄:服装は前衛的な衣装、異性に対する魅了魔術を使える。
翠:服装はスポーツウェア、身体能力が上昇する。
橙:服装は剣士、水銀製の剣を操る。
紫:服装はローブ、魔術の威力が上がる
檸檬:服装は女王、自分の従者として契約した者の能力を底上げする。
無色:服装はなし、大木のような怪物に変化する
【備考・設定】
おそらくヨーロッパ出身の死徒。2世紀は生きているのだが、その9割が眠りについていた時間のせいでそこまで精神が育っていない。
いつどうして死徒になったかは全く覚えておらず、長い間眠っていたことで知り合いが全員死んでいた事に愕然とする。
残ったのはかすかに研究していた仮面の魔術と簡単に死なない肉体。ならば死ぬまで楽しく生きて、悲しみを忘れよう。………彼女は魔術師の性質を保つにはあまりにも人間的だった。
【聖杯への願い】
人間に戻る
【サーヴァントへの態度】
自分の願いを叶えるために必要な駒。しかし失礼のないよう丁重に扱い、ギクシャクしないよう心を砕いている。
投下終了します
投下します。
◆◇◆◇
『薊美(アザミ)。僕の大切な娘』
『君は、素晴らしい才能に恵まれているんだ』
『僕だけじゃない。皆だって信じている』
『君なら御姫様にだって、王子様にだってなれる』
『その素質を輝かせる道を歩むべきだと、僕は願っている』
◆
在りし日の、父の言葉。
映画や演劇。物語を愛する父。
裕福な家庭の、優しい父の思い出。
私を愛し、私の未来を望んでくれた。
私はとても綺麗で、眩い才能に溢れている。
そう信じてくれた父の微笑みが、ずっと心に焼き付いている。
幼い頃から、私は御伽噺が好きだった。
王子様と、お姫様。ロマンチックな夢物語を愛していた。
あんなふうになりたいと、憧れていた。
『うん。わたし、がんばるね』
あの日、私は喜んで頷いた。
“お父さん”に褒められたから、自分を信じてみた。
ほんの些細な、何気ない口約束だったけれど。
あの瞬間、私の生きる道は決まった。
父の期待に、皆の期待に、応えることを選んだ。
いつしかそれは、私が“ここ”にいる意味になっていた。
才能があったから。
美人だったらしいから。
本当にそれだけのことだった。
だから――なんにだってなれた。
そうすることが出来たから、そうした。
私はすごく整った顔をしているらしくて。
私は何かを演じるのが誰よりも上手くて。
私が振る舞えば、みんなが喜んでくれる。
私は、望むがままに歩み続けた。
望まれたままに、踊り場で舞い続けた。
舞台の上での芸術者として、歩み続けた。
ボーイッシュに切り揃えた黒いショートヘアを靡かせて。
誰よりも端正な顔で、静かに微笑む。
あの日から、私はもう“普通の女の子”じゃない。
世界でいちばんの、御姫様(おうじさま)。
◆
◆
『薊美せんぱい!』
『伊原先輩!』
『薊美さん!』
『アザミさんっ』
『先輩、ほんとに格好良い』
『舞台に立ってる時も』
『普段の振る舞いすらも』
『学園の王子さま』
『可憐な王子さま』
『一番の王子さま』
『あの人が首席の生徒だって』
『薊美先輩、いつも綺麗』
『あれが伊原 薊美さん?』
『いつ見ても美人すぎるよね』
『先輩、大好きです』
『いつも応援してます!』
『今日も頑張ってください!』
『薊美さん、私達と同じ学生には思えない』
『とっくに舞台女優って感じがする』
『才色兼備って、ああいうことだよね』
『容姿も演技力もずば抜けてる』
『あちこちの劇団からスカウトされてるって……』
『スターの卵って感じだよね』
『綺麗だなぁ』
『かっこいい』
『笑うと可愛い』
『素敵だよね』
『見惚れちゃいそう』
『薊美先輩』
『薊美さん』
『せんぱい』
『伊原先輩』
『あざみ先輩』
『せんぱい!』
『薊美先輩』
『薊美先輩』
『薊美先輩』
『アザミさん』
『アザミさん』
『アザミさん』
『アザミさん』
『アザミさん』
『もうやだ』
『追いつけないよ』
『伊原薊美さんは』
『あんなにも遠い』
『ねえ、なんで?』
◆
「演劇の道を歩んだ理由?」
「私は、小さい頃にね――」
「“お父さん”に勧められたから」
「ただ、喜んでほしかった」
「この道を歩めて、私は幸せだよ」
◆
だから、恨みも妬みもどうだっていい。
主演は――“麗しき王子”は、私だけだから。
栄光への行進。勝利への凱歌。
目映い御伽噺への道のり。
私は、私を輝かせながら進み続ける。
愛おしい暖かさを、胸に抱きながら。
あの日の“お姫様”は、いまや“女王様”。
ひどく傲慢なのに、微笑みを絶やさない。
◆◇◆◇
『演目』
私はスター。
『“騎兵隊の行進”』
私は王子さま。
『どうか、最後まで』
私は、無慈悲な女王さま。
『ご覧あれ』
踏み潰してあげる。
◆◇◆◇
◆
あの日も遠い思い出。
気がつけば、私は18歳。
私を持て囃す声に包まれていた。
その彼方に、嘆き苦しむ声があった。
私という存在を羨み、妬み、憎む、怨嗟の声だった。
演劇系の由緒正しき女学園。
数々の舞台女優を輩出してきた名門校。
私は、その首席に立っていた。
舞台女優の卵。未来のスター。
生まれながらの主演女優。
歴代随一の才覚の持ち主。
才色兼備の王子様(おひめさま)。
私は、皆から仰ぎ見られていた。
かつて父が望んだように歩み続けて、成功を続けた。
思うがままに、自由奔放に。
そう振る舞うだけで、たちまち私は駆け上がっていく。
称賛の声を浴びて、誰からも認められる。
皆が私を褒めて、私を愛してくれる。
私に敵はいなかった。
敵なんて、どこにもいなかった。
だって、敵にすらならなかったから。
“伊原 薊美には及ばない”。
“伊原 薊美には負ける”。
“伊原 薊美に比べれば落ちる”。
“伊原 薊美には届いていない”。
“伊原 薊美ほどの華がない”。
“伊原 薊美よりは――”。
そうして敗けて、何人も折れていったらしい。
思うところは、特になかった。
勝手に現れて、足元に転がってきただけだから。
だから私は、そっと潰していった。
たわわに実った、林檎の果実。
足元に転がる、赤い“いのち”。
無数に横たわる、才能という輝き。
ひとつひとつ、くしゃりと躙って。
微笑みを湛えて、舞台へ向かう。
靴の裏には、真っ赤な痕がへばりつく。
気にも留めない。
私は、望まれたから。
“お父さん”が望んだスターだから。
“お父さん”に愛された子供だから。
望むがままに、踊っていく。
皆が褒めてくれれば、私はなんにだってなれる。
だから、恨みも妬みもどうだっていい。
主演は――“麗しき王子”は、私だけだから。
栄光への行進。勝利への凱歌。
目映い御伽噺への道のり。
私は、私を輝かせながら進み続ける。
愛おしい暖かさを、胸に抱きながら。
あの日の“お姫様”は、いまや“女王様”。
ひどく傲慢なのに、微笑みを絶やさない。
◆◇◆◇
『演目』
私はスター。
『“騎兵隊の行進”』
私は王子さま。
『どうか、最後まで』
私は、無慈悲な女王さま。
『ご覧あれ』
踏み潰してあげる。
◆◇◆◇
◆◇◆◇
「コーヒーをどうぞ、我が令嬢(マスター)!!」
「うん。ありがとう」
「はっはっは!!私が丹精を込めて淹れた一杯さ!!どうかご賞味あれ!!」
――私の従者(サーヴァント)は、中々に厚かましい。
いつもよく笑って、声が大きくて、得意げな顔をしている。
思わず苦笑いをしたくなってしまう。
けれど紳士的で、妙に憎めないところがある。
高級マンションの一室。リビングの椅子に腰掛けていた私。
大仰な従者によって、受皿と共にコーヒーカップをテーブルの上に差し出される。
私はそれを手に取って、こくりと黒い液体を口に軽く注ぐ。
程よい苦さとコクが広がる。心地よい暖かさが、味覚を刺激する。
確かに美味しい。自慢は伊達ではないらしい。
いつの日か、父もコーヒーを煎れてくれたことがあった。
この従者が淹れたものに比べれば、不器用な味だったけれど。
それでも父の優しさが、あの温もりからは感じられた。
そのことを思い出して。私の口元には仄かな微笑みが溢れた。
「やはり喜ばしい限りだ!!私を呼び寄せたのが、君のような麗しくも聡明な淑女だったのだから!!
“黄色人種(バーバリアン)”に仕える日が来るとは思ってもみなかったが――君は私が仕えるに足る女性だ!!」
「……褒められていると捉えていいんだよね?」
「勿論とも!!私は貴女を称賛しているのだよ!!」
相変わらず私の従者は、豪放磊落と言うべきか、何というか。
時おりデリカシーのない一言も零すけど、悪い人ではない。
彼を召喚してから間も無いけれど。その人となりは、段々と掴めてきた。
「いやはや――それにしても"聖杯戦争”か!!
古今東西の英傑が覇を競い合い、奇跡を追い求める!!
兼ねてより私も興味を持っていたが、君と出会えて実に幸先が良いものだ!!」
「私も、貴方みたいな親切な方がサーヴァントで良かったです」
「はっはっは!!そうでしょう、そうでしょう!!」
良くも悪くも、彼は前向きということだ。
彼は私のすぐ傍で、さっきからずっと胸を張っている。
そんな彼を、目を細めるようにして見つめる。
「……図々しいって言われたことはない?」
「ふはははは!!上官や政治屋からもよく言われたよ!!」
「貴方みたいに生きていけたら、きっと人生は楽しそうだね」
「私の前向きさは皆様に見習っていただきたい程だ!!」
整えられた髭とカールの掛かった髪。
装飾や刺繍で彩られた、青い騎兵隊服。
鍔広のハットを被り、首には赤いスカーフを巻いている。
30代ほどに見える白人の男性である。
その表情からは、不敵な笑みを絶やさない。
「しかし、安心するといい!!
このように愉快な男だが、私とて一介の英雄!!
君のことは全力で護り抜くと誓いましょう!!」
ライダーのサーヴァント。
真名――ジョージ・アームストロング・カスター。
アメリカの西部開拓時代、第7騎兵連隊を率いた軍人。
私の従者は、出会った時にそのように名乗った。
「貴方のことは期待している。父が見ていた古い映画でも、貴方は大活躍だったから」
「それは素晴らしい!!後世においても私の名は語り継がれていることは知っていた!!
しかし令嬢(マスター)の父君にも愛されていたとは!!実に光栄の極みだ!!」
その名前は、父から聞いたことがあった。
父は往年の映画をよく見ていたし、西部劇も愛好していた。
その中で幾度となく題材に取り上げられていたのが、荒野を駆け抜ける騎兵隊。
未開のフロンティアを切り開き、インディアンと激しく戦うヒーロー。
そんな騎兵隊において、実在する第7騎兵連隊の隊長として有名だった存在。
数々の古典的作品において英雄として扱われていた軍人。
それが“カスター将軍”だった。父は度々その手の映画を見ていた。
とはいえ――今となっては物議を醸す存在、だそうだ。
私の目の前には、まさにその“本人”が佇んでいる。
白黒のフィルム。粗い映像の中で、馬に乗って荒野を掛ける騎兵。
銀幕の中で朧げに見つめていた“英傑”が、眼前に存在している。
そのことを受け止めて、私は物思いにふける。
私は――伊原 鮮美は、聖杯戦争へと招かれた。
参加者は、古びた懐中時計に導かれた者達。
古今東西の英霊を従えた魔術師達が覇を競い、殺し合う。
勝ち残った主従は、あらゆる願いを叶える“奇跡の願望器”を掴み取る。
私は魔術には何の縁もなくて、そんなものが存在することも知らなかった。
懐中時計も、父の知り合いだった骨董屋から偶々譲り受けた程度のもので。
それが奇跡を巡る戦いへのチケットだったことなど、知りもしなかった。
偶然巻き込まれて、訳も分からず知識を与えられて。
この作られた箱庭の中に、従者と共に放り込まれている。
そのことへの困惑や動揺が無かったといえば、嘘になる。
それこそ、まるで演劇か何かで見たお伽話のような。
そんな異常な事態に、予期せずして足を踏み込んでいる。
聖杯を巡る闘争に、私は導かれてしまった。
――奇跡。あらゆる願いを叶える力。
最後まで勝ち残れば、それが手に入る。
万物の祈りに、想いに、その器は応えてくれる。
けれど私に、聖杯へ託す願望などない。
わざわざ奇跡に縋ってまで、祈りたいことなどない。
「して――我が令嬢(マスター)よ!!」
だって、私は。
「貴方には……」
私は。
「願いはありますかな?」
そんなものがなくても。
叶えられるから。
だから、ライダーからの問いかけに。
私は、ぴくりとも感情を動かさなかった。
そして、迷うことなく。
私は、こう答えることにした。
「無いかな」
そう、何もない。
奇跡に託すことなど、何もない。
けれど。だけれども――。
ぶちり。ぶちり。ぶちり。
頭の中で、色彩が蘇る。
真っ赤な色が、足元に広がる。
潰れた果実が、床を紅く染める。
靴の裏を、べっとりと汚す。
そんなものを、気に留めず。
私は、歩み続ける。
「でも」
まだ、止まる訳にはいかない。
この世界に招かれたマスターは、従者を失うことで消滅するらしい。
つまり、敗北者に、生きて帰る資格は与えられない。
それは、私の望む道の終わりということであり。
「勝ち残りたい」
そんな結末を、受け入れることはできなかった。
「だって――」
なぜなら、私は。
「私は、“望まれている”から」
“王子さま”だから。
「私も、それを“望んでいる”」
“女王さま”だから。
「私の道は、輝きの先にある」
踏み越えて、踏み越えて、その果て。
私の望む結末は、そこにある。
――魔術師も、奇跡の願望器も。
私にとっては、“足元に転がる果実”なのだ。
邪魔だから、擦り潰していくしかない。
そんな私の答えを聞いて、ライダーは神妙な顔を一瞬浮かべて。
それからニヤリと、また不敵な笑みを作った。
「――それでいい。私も、勝つことを望んでいるのだから」
彼の眼差しは、私を確かに認めていた。
期待通りの存在。見込んだ通りの淑女。
そう言わんばかりの面持ちで、私の答えを聞き届けた。
「勝利の彼方にある栄誉。やはり君と私は同じなのだ」
彼は、私を“聡明な女性”と呼んだ。
彼は、私を“仕えるに足る女性”と云った。
彼を召喚して間もない時に、やりとりを交わして。
私の望みと、私の在り方を、知ったから。
だからカスター将軍は、私への協力を快諾したのだ。
◆◇◆◇
「“誰かに望まれた姿”に己の野心を見出し、そのために何かを蹂躙する者」
「我が令嬢(マスター)よ――君は私の同胞と呼べるだろう」
◆◇◆◇
◆◇◆◇
何時の日にか、夢を見た。
“彼”が体験した、生前の光景を。
凍えるような寒空の下。
枯れた木々が立ち並ぶ川畔。
平野に“帆布の住居(ティーピー)”が寄り合い。
傍では冷え切った大河が静かに流れる。
一面は、初冬の白い雪に覆われて。
夜明けの前は、淡々と静まり返っていた。
そこから、遠く離れた地点――木々の狭間にて、無数の騎兵が佇む。
偵察兵の報告を聞き、彼らは“野営地”の方角へと視線を向ける。
憤りを込めて。忌々しげに。憎たらしげに。決意と共に。
各々の表情は、それぞれ異なる。
されど、強い“敵意”だけは同じだった。
数多の眼差しが、視線の彼方にある“敵勢の集う地”を濁った瞳で見据える。
逞しい軍馬に跨り、青い兵隊服を纏った男達。
彼らの姿は、獲物を狙うコヨーテの群れのようだった。
敵はインディアン。アメリカの先住民族。
見据えるものは、先住民が集う野営地。
彼らはこれより、殲滅のために進撃する。
――“女子供には銃を使うな!”
彼らの先頭に立つ騎兵隊長が、高らかに口を開いた。
切り揃えた髭と、カールの掛かった髪。
鍔広のハットに、刺繍と装飾に彩られた隊長服。
その顔には、自信を湛えた笑みが張り付いている。
――“女子供など、武器を使うまでもない”
――“馬で踏み潰すのだ。林檎の果実のように”
――“弾は大事だからな。節約せねば”
敵意に凝り固まった兵士達へと振り返り。
その男、“隊長”は何てこともなしに語る。
いつものように胸を張り、堂々としながら。
――“ふむ。諸君ら、随分と堅苦しい顔をしているな?”
そんな姿に、兵士達は面食らったような表情を浮かべる。
人道を踏み外すような指示に動揺したのか。――きっと、違う。
インディアンを徹底的に叩くことに、今更彼らが慄く訳が無い。
この戦争の先鋒に立つ隊長が、その顔に何の怒りも憎しみも浮かべていなかったこと。
それどころか、インディアンに対する侮蔑の態度すら伺えない。
ただ合理的な判断で、いつものように、彼は“そう命じていた”。
そのことに、兵士達は驚いていたのだ。
――“君たちの怒りと憎しみは尤もだ!”
――“無辜の開拓民に対して先住民どもが行った所業を思えば、私も胸が痛む”
――“しかし。だからこそ、堂々と振る舞うのだ!”
隊長は、尚も変わらず笑みを浮かべる。
慌てることはない。焦る必要もない。
大丈夫だ。お前達には私が着いている。
そう伝えるかのように、彼は自信に満ちた姿を崩さない。
――“我々は神々の使徒だ。明白なる運命を果たさんとしているのだ!”
――“我々は、正しき大義のために此処へ来たのだ!!”
――“憎しみではない!!怒りではない!!正義こそが我々を突き動かす!!”
――“胸を張れ!!誇りを抱け!!私達は誉れ高き第7騎兵隊なのだから!!”
“英雄”は、高らかに謳う。
“英雄”は、其処に佇む。
そんな男の姿に、兵士達は目を引かれる。
一人の男の堂々たる出で立ちの前に、兵士達はひとつになる。
熱の荒波を指揮し、男は高らかに拳を掲げる。
――“さあ皆、存分にやるぞ!!”
幾つにも重なる、蹄の音。
――“星条旗を打ち立てよう!!”
幾つにも重なる、兵士の雄叫び。
――“勝利の凱歌を奏でよう!!”
熱を灯す、“将軍”の鼓舞。
――“決して忘れる事なかれ!!”
まるで、歌劇のように。
――“諸君らには私がいるぞ!!”
まるで、喝采のように。
――“カスター将軍がいるぞ!!”
騎兵の軍勢を、進撃へと導く。
誉れ高き青色が、敵を無慈悲に踏み潰しに向かう。
犠牲となるのは、数多の先住民たち。
戦士も、女子供も、大義の前に等しく嬲り殺しにされる。
それは、“英雄”の進攻だった。
それは、“英雄”の蹂躙だった。
誰よりも輝き、誰よりも猛り狂う。
彼は、“己の望む姿”を振る舞う。
彼は、“誰かが望む姿”を振る舞う。
即ち、“輝かしい英雄”としての在り方。
その栄香の中で、幾つもの果実を踏み躙っていく。
赤い果肉で靴底を汚しながら、彼は笑い続ける。
ああ――私みたいだ、なんて。
そんなことを、ふいに思ってしまった。
勝つためには、輝き続けて。
そして、全てを焼き払うしかない。
きっと、それだけが真実なのだろう。
ならば私も、変わる必要はない。
これまでも、これからも、そう在ろう。
私はいつだって、人の上に立つ女王様(おうじさま)だから。
果実を潰して、潰して、潰した先。
その果てに、私たちの栄光はある。
誰にも邪魔なんかさせない。
魔術も、奇跡も、関係ない。
私の行く先にあるのは、星の輝きだけ。
◆
「“先住民族(インディアン)”は、哀れだったさ」
「大自然の神秘に生きていた筈の彼らは、文明という身勝手な怪物に飲まれてしまったのだ」
「自らの信仰と文化を奪われ、挙げ句踏み躙られた彼らには、我々を憎む権利があるだろう」
「されど、私は星条旗の使徒なのだ」
「神の教えに従い、合衆国の使命に従い、私自身の野心に従う者」
「それが“カスター将軍”である」
「故に私は、こう伝えねばならなかった」
「“選ぶべし。降伏か、死か”」
◆◇◆◇
【クラス】
ライダー
【真名】
ジョージ・アームストロング・カスター@アメリカ西部開拓時代
【属性】
秩序・中庸
【パラメーター】
筋力:C 耐久:D 敏捷:C 魔力:E 幸運:C+ 宝具:D+
【クラススキル】
対魔力:E
魔術に対する守り。
無効化は出来ず、ダメージ数値を多少削減する。
騎乗:C
騎兵隊の軍人であり、卓越した乗馬の技能を持つ。
その他にもスキルの恩恵により、現代の乗り物なら一通り乗りこなすことが出来る。
【保有スキル】
単独行動:B
マスターからの魔力供給を断っても暫くは自立できる能力。
Bランクならばマスターを失っても2日程度は現界可能。
開拓地への遠征は騎兵隊には付きものである。
猛進の騎兵隊:C+
勇猛果敢なる騎兵としての逸話に基づく複合スキル。
同ランクの「勇猛」「戦闘続行」と同等の効果を持つ。
また馬への騎乗時には自身と使い魔である騎兵の突進力が大幅に向上し、敵の攻撃や防御を打ち破りやすくなる。
多数の騎兵達と共に突撃を行うことで、低ランクの攻撃宝具にも匹敵する貫通力を発揮する。
ラストスタンド:B+
勇敢で向こう見ず、そして悪運が強い。
戦闘時に強力な幸運値バフが発生し、あらゆる攻撃の被弾率が大幅に低下する。
また致命傷となるダメージを高確率で回避・無効化する。
「はっはっは!!南北戦争の頃を思い出すなぁ!!」
誉れ高き勇士:C-
米国において死後偶像化され、長らく英雄として讃えられてきたカリスマ的魅力。
集団戦闘の際に味方全体の士気を高め、軍団の能力を向上させる。
自らが召喚した騎兵隊にもスキルの恩恵は発揮される。
ただし敵側から自身が標的として狙われやすくなる他、権威から虐げられた逸話を持つ者には効果を発揮しない。
【宝具】
『駆けよ、壮烈なる騎兵隊(グロリアス・ギャリーオーウェン)』
ランク:D 種別:対軍宝具 レンジ:- 最大捕捉:-
自らが生前に率いた“第7騎兵連隊”を使い魔として召喚する宝具。
隊員達はいずれも低ランクの「単独行動」「騎乗」スキルを備え、銃やサーベル、そして騎馬によって武装している。
偵察や隠密行動に長けたインディアン斥候や、演奏によって連隊のステータスにプラス補正を与える軍楽隊など、状況や用途に応じて専門的な兵士達も呼び寄せられる。
また宝具として連隊そのものが概念化しているため兵士達に数の限りはなく、魔力の続く限り召喚し続けることが出来る。
『朽ちよ、赤き蛮族の大地に(インテンス・ソルジャーブルー)』
ランク:D+ 種別:対軍宝具 レンジ:1~40 最大捕捉:300
ワシタ川での強襲虐殺作戦の具現。インディアンの殲滅者としての伝説に基づく宝具。
宝具の発動と共にレンジ内の空間が“領域”と化し、範囲内にいる敵の四方八方の“虚空”からまるで戦場の如く次々に“銃撃”が襲い掛かる。
“銃撃”は弾幕を張るように断続的に放たれ続け、レンジ内にいる全ての敵を執拗に追撃していく。
“異民族・異教徒に対する殲滅行動”が概念化した宝具であり、それ故に“アメリカ合衆国民”以外の存在に対して「防御・耐久系の能力や宝具の貫通」「常時クリティカルヒット発動」の効果が発動する。
【Weapon】
六連装拳銃、ライフル。
派手に装飾したサーベルも腰に下げている。
【人物背景】
通称“カスター将軍”。生没年1839-1876、アメリカ合衆国の軍人。
南北戦争で北軍の若き騎兵として活躍し、その勇猛さによって数々の軍功を重ねたことから“少年将官”と評された。
内戦終結後は第7騎兵隊の連隊長に任命され、西部開拓時代の“インディアン戦争”へと身を投じていくことになる。
それ以来開拓地のアメリカ先住民族に対する弾圧政策の一翼を担い、“ワシタ川の虐殺”などに関与。
最期は“リトルビッグホーンの戦い”での無謀な突撃作戦によって命を落とす。
所業について当時から批判はあったものの、その死をきっかけに伝聞や創作の中で美化・神話化されていく。
それによりカスター将軍は“インディアンとの戦いに殉じた伝説的英雄”として長らく語り継がれた。
しかし時を経た1960年代、アメリカ国内で数々のリベラルな政治運動が活発化。
それを契機に西部開拓期のインディアンに対する民族浄化は批判的に語られるようになる。
そうした世論はカスター将軍の評価にも影響を与え、以後の彼は“インディアン虐殺の象徴的存在”として槍玉に挙げられるようになった。
2003年のハリウッド映画『ラスト・サムライ』ではトム・クルーズ演じる元騎兵隊の軍人が、かつて仕えていたカスター将軍を指して「自分の名声に取り憑かれた、尊大で愚かな人殺し」と語る一幕がある。
カスター将軍はその歴史的な立ち位置により、アメリカの世相と共に評価が揺れ動く存在となったのである。
【容姿・性格】
「はっはっは!!御機嫌よう、紳士淑女諸君!!古今東西の英傑達と覇を競い合えるとは!!軍人としてこれほどの誉れは無いだろうッ!!」
「飾り、装い、堂々と佇む!!男にとってこれ以上の“武器”があろうか!!人々は“偶像”を崇拝し、“英雄”を讃えるのだ!!――故にッ、私もそう振る舞うのだよ!!」
カールの掛かった髪、整えられた髭が特徴的。がっしりした体格の白人の伊達男。
刺繍や装飾の付いた青い騎兵服と鍔広のハットを纏い、首には真っ赤なスカーフを巻いている。
この聖杯戦争におけるカスター将軍は概ね肖像に近い容姿である。
性格は大仰で派手好き、見栄っ張りで行動的な自信家。
大きな声と身振りで堂々と振る舞い、常に不敵な笑みを浮かべている。
その一方、身内に対しては気さくで紳士的。態度は厚かましいが、良くも悪くも前向きで明るい。
彼は“飾って振る舞うこと”で自分や周囲を鼓舞しており、“尊大に胸を張ること”で自他が求める英雄の姿を体現しようとしている。
生前に軍紀違反や向こう見ずな行為を繰り返したのも、そうした態度に起因するものである。
近しい部下や上官からはその活力によって好かれ、人々からはその勇ましさによって持て囃され、そして一部の者達からはその虚勢や傲慢さによって嫌われる。
【身長・体重】
180cm・78kg
【聖杯への願い】
決して穢れることのない武勲、名声、栄誉―――真の英雄としての称号。
聖杯戦争の頂点に立つことで、それを掴み取る。
それは“カスター将軍”の誉れ高い肖像を最期まで守り抜いてくれた妻に対する、彼なりの餞である。
「はっはっは!!無論、私自身の野望でもあるがね!!」
【マスターへの態度】
「“誰かに望まれた姿”に己の野心を見出し、そのために何かを蹂躙する者」。即ち、己の同胞である。
敬意に値する淑女と見做している。黄色人種であることが惜しまれる。
【マスター】
伊原 薊美(イバラ アザミ)
【性別】
女
【年齢】
18
【属性】
中立・善
【外見・性格】
ボーイッシュな黒髪ショートカット。
美男子のようにも見える中性的かつ容姿端麗な顔立ちで、学生離れした美貌の持ち主。
テーラードジャケットやテーパードの掛かったパンツなど、マニッシュなファッションを好んで着る。
凛とした佇まいが目立つ浮世離れした少女。
普段は穏やかで落ち着いているが、その内面には静かな苛烈さを秘める。
彼女は“望まれた姿”――“才色兼備の天才”を演じ続け、自己の内面と完全に同化させている。
【身長・体重】
169cm・58kg
【魔術回路・特性】
質:C 量:D
特性:魅了(チャーム)
魔術とは無縁の一般人。懐中時計も父の知り合いだった骨董売りから譲られた。
しかし聖杯戦争に招かれたことで装填された魔術回路との高い親和を果たしている。
【魔術・異能】
『魅了』
魔術回路の装填によって発現した固有魔術。あるいは異能。
極めて小規模な“魅了(チャーム)”の魔術。自らを視認した相手をごく短時間だけ支配し、僅かな瞬間のみ思考や行動を操ることが出来る。
これにより自身に向けられた敵の攻撃を逸らさせたり、一瞬だけ意図に反した行動を取らせて隙を作ることが出来る。
本人の成長次第で今後効果が強化される可能性がある。
【備考・設定】
演劇系の名門女学園の頂点に立つ“王子様”。
卓越した表現力と容姿端麗な風貌によるカリスマ性を持ち、将来の成功を約束された首席生徒。
彼女は父親から深く愛されたし、彼女も父親を慕っていた。
その美貌と才能ゆえに“期待”された薊美は、望むがままに応えてきた。
穏やかな振る舞いの裏側で彼女は数多の才能を踏み越え、数多の涙を蹂躙していった。
幼い頃から“それ”が自らの使命だと信じている。与えられた美しさと素質に従い、望まれた頂点に立つことが自分の生きる意味だと思っている。
そのために、彼女は微笑みと共に他を踏み潰していく。その輝きによって、数々の少女達を挫折させていく。
彼女はそんな“全てを超えて輝く自分”に価値があると信じている。
お父さんに褒められることが大好きな、普通の女の子。
そんな彼女は、他の誰よりも優れていた。
だから薊美は、果実を散らす“女王様”になれた。
【聖杯への願い】
願いはない。けれど、生きて勝ち抜くことに意味がある。
【サーヴァントへの態度】
その振る舞いに苦笑する部分もあれど、信頼している。
生前の所業は知っているが、それも受け入れている。
投下終了です。
>>63 はコピペミスです。申し訳ないです。
投下します。
――都内、とある大きな病院の裏手、公用車の並ぶ職員用の駐車場。
白衣姿のふたりの医師が、黒塗りの高級車に乗り込もうとしている男を見送りに出ていた。
「本日は大変ありがとうございました。まさか先生自ら御執刀して頂けるとは」
「緊急手術が三件立て続けに入った上に、主治医が交通事故に巻き込まれたのだったな。
年度の切り替わりの時期は何かとごたつくものだが、とんだ不運だったな」
鷹揚にうなづいたのは、長い総白髪を無造作に伸ばして肩にかける、大男である。
身長は180cmに少し届かないくらい、体格は立派で、まるで柔道家かプロレスラーかといったところ。
着ているコートも含めて全身灰色で、まるでくすんだ色の白衣を纏っているようだ。
顔にはそれなりに皺が刻まれているが、筋骨隆々とした身体もあって、年齢はいまいち見当がつかない。
「同情はするが、日々の備えが足りなかったな。
私が出てくるなんてのは最後の最後の手段として欲しい。
もう一度、勤務体制などを見直しておきなさい。
予算や人員が足りないなら、根拠を添えて示すように。悪いようにはしない」
「はっ!」
見送りに来たふたりの医師のうち、中年の医師は緊張した面持ちで深く頭を下げる。
若いもう一人がその姿をみて、いまいちよく分かってないような表情のままそれに倣う。
「君たちのような無能でも、『医学だけ』に専念して頑張れば、きっとそれなりには使い物になるはずだ。
励みなさい」
さらっと、当然のようにどこか傲慢な言葉を残して、白髪の大男は高級車の後部座席に乗り込む。
ゆっくりと車が発進する。
深々と最敬礼して見送りながら、若い医師は傍らの年配の医師に小声でささやく。
「ねえ、先輩、結局あの人、誰なんすか」
「あれが『ジャック先生』だよ。噂くらい聞いたことあるだろ」
「ええっ!?
つまり、名誉院長ですか?! でも名誉院長って」
「あれで今年で90歳のはずだ。
いくら医師免許には期限がないからって、化け物みたいな人だよ。
あの歳であそこまで完璧に執刀されちまうとな。
無能と罵られても、はい私は無能ですとしか言えないよ」
「はあ……」
黒塗りの車が病院のロータリーからゆっくりと滑り出ていく。
その後部座席で、「ジャック先生」と呼ばれた老人……
蛇杖堂寂句(じゃじょうどう・じゃくく)は、深々と溜息をついた。
「聞こえているぞ、無能ども。
無能というものは、ろくに噂話すらもできぬのか」
◆◆
都内の高級住宅地の中でも、ひときわ大きな邸宅の前で。
蛇杖堂寂句を乗せた車は停車した。
うやうやしく頭を下げる運転手に見向きもせず、彼は大股で母屋へと歩を進める。
屋敷の奥深く、大きな扉を押し開けた向こうは、まるでちょっとした図書館ほどの蔵書を抱え込んだ、巨大な書斎だった。
室内には先客がいた。
あまりにも東京の真ん中には似合わぬ、異形のシルエットを持つ少女。
赤い髪は緩やかに波打って、肩甲骨のあたりにまで届いている。
造り物のように表情らしい表情のない、整った顔。
その身は赤い甲冑に包まれている。
肩当、胴鎧、篭手、脚絆。
傍らの本棚に立てかけられた槍まで赤い。
だが何よりも異彩を放っているのは、少女の腰のあたりから生えた3対6本の、人ならざる足である。
まるで巨大な蟹か、あるいは昆虫か。
おそらくは広げれば余裕で2メートル近くにはなるだろう。
これも赤一色に染まる、硬質な光沢を放っている、
本棚に寄りかかりながら分厚い本を読んでいた少女は、部屋に入ってきた蛇杖堂寂句の方に顔を向ける。
その瞳すらも赤い。
「当機構も見たかった、と発言します」
「何をだ」
「マスター・ジャックのオペをです」
表情の欠落をそのまま映すような、平坦な声で少女は言った。
大柄な老人は忌々しげに溜息をついた。
「何の変哲もない膵頭十二指腸切除術に、Roux-en-Y(ルーワイ)法の再建術だ。何も面白いことはない」
「見たかったです」
「そこに手術の手引き書もあるだろう。それを読め。
そのまんまのことしかしていない。元の計画を立てた奴が凡人だったからな。つまらない手術だ。凡庸な手術だ」
現代医学のある意味で結晶とも言える高難易度手術の名前を、蛇杖堂寂句は吐き捨てるように言い放った。
一握りの天才にしか行えなかった治療を、標準化し、手順を定め、誰にでもできるようにする。
蛇杖堂寂句はその営みそのものを馬鹿にする気はない。
自分のような特別な存在が、わざわざやる価値を見出せないだけだ。
「それでも当機構は実際に見てみたかったのです」
「与えた課題はどうした? 多少は進んだのだろうな?」
「解剖学の教科書は退屈です。ただ沢山の名前が並んでいるだけ。
本当にこの全てを暗唱できなければならないのでしょうか? 記憶メモリの無駄遣いでは?」
「無能め。そこでつまずくようなら、手術の見学など永遠に許可できんわ。
最低限の知識もなければ、見たところで何も得られることなどない」
白髪の老人は嘲るように少女を見下ろす。少女はまったく感情を感じさせない顔のまま、老人を見上げる。
「なら、構いません、当機構は諦めます。
手術の見学は、今後はもう要請しません。
ゆえに、与えられていた解剖学の宿題も放棄させて頂きます」
「なんだ、諦めすら早いのか。根性なしめ」
「当機構は『使命』は諦めません。
それ以外の好奇心は、いわば趣味のようなもの。趣味ならば楽しい範囲で行います。
幸いにして他にも知りたいことは山ほどあります。暇なときに読むべき本は山ほどあります」
一人称として『当機構』という、不自然な単語を用いる少女は、悪びれることなく言い放つ。
寂句はもはや少女の顔すらも見ず、書斎の奥へと歩いていく。
「自覚があるならばいい。
ランサー、貴様は無能で飽きっぽいが、どうやら大事なことの優先順位をつけられる程度には使えるようだ」
書斎の最奥、一見するとただの本棚に見えるものに、寂句はその両手をかける。
ゆっくりと押せば隠されたカラクリが嚙み合って、音も立てずに本棚に偽装された隠し扉が開いていく。
寂句はその奥に入る。少女も槍を手に取るとそれに続く。
隠し扉のその向こうには――
まるで何かの実験室のような広い空間。
古い羊皮紙が綴じられた大判の本が何冊も並び、ラテン語の走り書きがこちらにあれば、中国の道術の符もそちらに落ちている。
およそ統一感というもののない混沌とした空間。
寂句は無言で部屋の中央に置かれたテーブルに歩み寄る。
そこには手の中に納まる程度の、一本のガラス瓶が置かれている。
コルクで栓がされたその中には、微かな輝きを放つ液体が収まっている。
「…………」
蛇杖堂寂句。
天才外科医にして、治癒の術を極めた天才魔術師。
目の前にあるのは一族の数百年の研究の成果。
膨大な希少な素材を凝集して、膨大な時間をかけて、たった一回分だけ得るこのできた奇跡。
現時点での、蛇杖堂家の限界。
寂句はそれを、「偽りの霊薬(フェイク・エリクサー)」と呼んでいる。
確実に死に至る致命傷すらも一瞬で癒すことのできる、究極の傷薬。
あらゆる異常を一瞬で打ち払う、究極の万能薬。
ただそれだけの、ちっぽけな奇跡である。
死の克服には、まだまだ程遠い。
◆◆
魔術師の世界において、蛇杖堂の家の名はあまり知られたものではなく。
同時に、知る者からは常に侮蔑を向けられるものでもあった。
家の歴史だけであれば長い。
蛇杖堂、の名は、戦国期の混乱の中に既に見ることができる。
そのルーツは多岐に渡っている。
どうやら治癒の術をそれぞれに求めた複数の魔術師の一族が、それぞれに極東に流れ着き、合流したものであるらしい。
蛇杖堂、という名と、家紋の紋様からは、医神アスクレピオスに繋がる一族も加わっていた可能性がある。
ただ、長い歴史と多数の分家を抱えるにも関わらず、その実態は「魔術使い」であると、魔術師たちからは見られている。
根源を目指すのではなく。
テクニックとしての魔術を、実社会での実利のために使う集団。それが魔術使い。蔑称である。
そんな家ゆえに、魔術協会や時計塔などとは、敵対まではしないものの、ほとんど接点を持たずにいた。
元より俗世においても医療を担う一族でもあった。
江戸期には漢方医として、とある藩のお抱えの藩医を務めていた。
明治維新になり、藩主が華族として東京に移住をすると、それに従って東京に出た。
同時に医学の近代化に合わせて西洋医学を修めるようになり、今に至る。
これら表社会の医療と並行して、彼らは裏社会で魔術を用いた医療も世に提供し続けていた。
呪詛の被害を受けるものあれば解呪を行い、真っ当な医療で治せぬ病を真っ当ではない方法で癒す。
魔術と医学の二刀流。
魔術師の世界の常識では異端中の異端。それが蛇杖堂の家だった。
無論、それぞれ片方だけでも人生を賭すに値するほどの厳しい道だ。
並大抵の者に務まるものではない。
しかしだからこそ、蛇杖堂の一族は、意識して分家を増やし、裾野を広げて、才能を求め続けた。
そして寂句は、蛇杖堂の家に久しぶりに出た、天才中の天才だった。
魔術の研究と実践においても、医学の研究と実践においても、それぞれ結果を出した俊才。
元は分家の出だったが、宗家に見いだされ、掬い上げられ、跡継ぎに指名され、やがて一族の長となった。
彼は愛のない結婚の果てに、二人の息子と一人の娘をもうけ、さらにそこから多くの孫を得たが。
天才である寂句と比べてしまえば、いずれも凡庸な才の持ち主しかいなかった。
医学だけ、あるいは魔術だけの習得が精一杯であり、とても自分の後を任せられる人物はいない。
それでも寂句は構わなかった。
あと30年ほどは現役を続けて、曾孫、あるいはそれより下の世代から新たな才能が出てくるのを待つつもりであった。
だから――
蛇杖堂寂句が、聖杯戦争、などという催しに、たわむれ半分に参加した時も。
当然のように勝って、当然のように得るべきものを得て帰るつもりしかなかった。
それが真に万能な聖杯でなかったとしても、多少のタシにはなるはずだった。
蛇杖堂の一族が密かに目指す、根源接続への願いは、「全人類の死の克服」。
死は克服できるはずなのだ。
医術によって、魔術によって、克服が可能なものであるはずなのだ。
他ならぬ医神アスクレピオスが、それを証明したはずなのだ。
一度は届いた夢であるはずなのだ。
その大願の前には、ただの小娘ひとりの命などどうでもいい、はずだった。
慎重に情報を集め、策を弄し、少なからぬコストを費やして。
信じられないような幸運も得て、見事に致命傷を負わせて――。
彼はただ、ちゃんとトドメを刺せたか否かを確認に行っただけだった。
自分の目で確かめようとしただけだった。
それが全ての誤りだった。
倒れ伏した少女の姿を見た瞬間に、理性が蒸発した。
意識もなく、言葉もなく、ぼろ雑巾のような姿になってなお、少女はそれだけの魔性をまとっていた。
彼は自らでも説明のつかない衝動に突き動かされて、一族の歴史の結晶とも言える貴重な霊薬を少女に与え、死の縁から救い、
……そして当たり前のように、助けてやったはずの少女の手で、そのまま殺された。
傍目からは意味不明な、愚かさ極まる、自滅のような脱落だった。
◆◆
そして訪れた、この二度目の機会。
魔術師としての自らの工房にて、蛇杖堂寂句はじっと霊薬を見つめる。
「……ランサー。貴様の真名は、『ギルタブリル』。そうだな?」
「はい。
そのように問われたのならば、当機構は肯定の意を返します」
「『そのように問われたのならば』、か。なるほど、モノは言いようだ」
蛇杖堂寂句は暗く笑う。
ギルタブリル。バビロニア神話に出てくる、人の上半身と蠍の尾を持つ怪物。
かのティアマトが産みだした11柱の魔獣の一柱。
その一方で、当時は一般的な聖獣でもあったらしく、神話の別の場所では男女一組のギルタブリルも登場する。
そうであれば、反英雄の英霊として、少女の姿のギルタブリルが召喚されることに無理はない。
半人半馬のケンタウロスが完全な人間の姿で現界することもあるのだ、この程度の形態の違いは誤差の範疇。
しかし。
「ランサー。質問を変える。
貴様は本当は、バビロニアの魔獣『ギルタブリル』ではない……そうだな?」
「はい。
そのように問われたのであれば、当機構は肯定の意を返します」
「クククッ。まったく、とんでもない欺瞞だな。この詐欺師め」
蛇杖堂寂句は邪悪な笑みを深くする。
少女の姿をしたランサーの顔には、相変わらず表情というものがない。
まるで蠍のような形をした槍の穂先といい、ランサーのクラスといい、ギルタブリルを騙ることといい。
サソリに縁のある英霊なのは間違いない。
では、いったいその正体は何か。
「ランサー。『ギルタブリル』ではない貴様の真名を、答えろ」
「その問いに対しては答える答えを持ちません」
「何故だ?」
「当機構には、固有名が設定されておりません」
「クックック。そういうことになるのか」
あまりにも有名な神話で、あまりにも重要な役柄を得ていながら。
『それ』は名前を持っていない。
舞台装置。
自動的に働く機構。
心を持たぬ怪物。
「ならばランサーよ、いまここに、貴様に名前を与えよう」
「天蠍(てんかつ)、アンタレス」
「それが伏せておくべき、貴様の真名だ」
「ありがとうございます。マスター。
いまここより、当機構は、『アンタレス』の名を冠します」
それは、天に輝くサソリ座α星Aの名前。
夏の南の空に浮かぶ、赤い一等星。
意味は『火星に対抗するもの』。あるいは『火星と競うもの』。
神話の時代にはなかった名前。異なるルーツを持つ名前。
地母神(ガイア)に遣わされ、狩人オリオンの死の引き金を引いた、大地の怪物である。
◆◆
しかし、ギリシャ神話にてある意味で最も有名なオリオンの最期についての伝承は錯綜している。
ある説では、地母神ではなく女神ヘラが蠍を派遣したという。
ある説では、女神アルテミスの矢によってオリオンは死んだのだという。
さらにある説では、そのアルテミスの誤射には、他の神による悪意の誘導があったのだとも言う。
そのアルテミスの誤射を誘った神の名すらも複数の説がある。
天に浮かぶオリオン座とサソリ座の存在にも関わらず。
むしろ、蠍がオリオンの死に関わらぬ伝説の方が、遥かに多い。
……偽装工作が、あったのだ。
遥か古代において、伏せねばならぬ秘密があったのだ。
膨大な偽りの説の山の中に、真実を隠す必要があったのだ。
それでも真実の断片は神話の中に残されている。
オリオンという、神すらも超えるほどの力を秘めた、半神の人間の存在。
神と人の力関係を、根底から揺るがしかねないような無法者の振る舞い。
これに呼応して、起動したものがあった。
抑止力。
大地母神(ガイア)の、抑止力。
あるいは……その具現化としての『ガイアの怪物』。
その一種。
現存する他の神話や歴史の中に、類似の抑止力の発現の例はなく、ゆえに分かっていることは少ない。
けれどもそれは確かに出現した。
毒を注入するための毒針と、素早く動き硬い身体を持つ、蠍、と例える他のない、唯一無二の怪物として。
それは大地に出現した。
その毒針に秘められた毒液は、ある種の強精(ドーピング)剤。
身体ではなく存在自体に作用する猛毒。
刺された者の存在の強度を、弱めるのではなく、むしろ過剰なまでに押し上げる。
薬と毒は紙一重。
薬毒によって強制的に、人間よりも上のステージに押し上げられた存在は……
逆説的に、そんな天にもあるべき存在が、ヒトの姿で地上にあり続けることに対し、世界そのものから拒絶を受ける。
全ての運命が、全ての偶然が、定命の者としての命を終わらせにかかる。
あるべき所に返そうとする。
相手を「天に上げる」ことで、必然として「人間としての命」を終わらせる、それが天蠍の猛毒の真実。
超人オリオンはかくして、ガイアの怪物に刺されたことで、冠位の英霊にも匹敵するほどの能力を得て。
英霊であるならば死んでいるはず、という因果の逆転を受け、ありえぬ不運の果てに女神アルテミスの矢を受けた。
女神の放つ矢くらいしか、そんな超人を屠る「不運」など存在しなかったという、それだけの話。
蠍の毒がオリオンを殺したのも。
アルテミスの矢がオリオンを殺したのも。
いずれも真実の一側面。
そんな名も無き蠍は、本来であれば英霊として召喚されるような存在ではない。
しかし、あまりにもイレギュラーな形で始められた、このたびの第二次聖杯戦争。
変則的な形で、抑止力の介入が成った。
バビロニアの魔獣、ギルタブリルを隠れ蓑として。
聖杯戦争のために造られた新世界、そのわずかな脆弱性の隙間から、『それ』は侵入を果たした。
侵入し、英霊の形をとって、その任務に相応しいマスターの下に出現した。
「ランサー、アンタレスよ」
「はい」
「あの小娘は、もはや地上にあってはならぬ存在だ」
どこか熱に浮かされたような目で、サーヴァントの方を見もせずに、蛇杖堂寂句はつぶやく。
彼にはもはや、自分の心すらも分からぬ。
普通の意味で少女に惚れた訳ではない。哀れに思った訳でもない。魅せられた訳でもない。
魅了や混乱の魔術が使われた訳ではないことも、彼は十全に把握している。
全くの正気のままに、しかし、それがあたかも「当たり前のやるべきこと」であるかのように。
彼は行動してしまっていた。
もはやこの世の、上だろうと下だろうとどちらでもいい。
神寂祓葉という存在は、人の世に置いては置けぬ。
凡庸で無能な有象無象だけではない。
自分のような天才ですら、狂うのだ。
あんなものがこの世にあってはならぬのだ。
いっそ神でも魔でも構わないから、ヒトと同じ地平から放逐せねば。
そうでなければ――あまりにも恐ろしすぎる。
蛇杖堂寂句にとって、もはや一族の大願などどうでもよい。
彼の頭の中を占めるのは、なんとかしてあのありえぬ存在を処理できぬかという、その一点だけ。
そして彼は今回、あまりにも適切な、あまりにもあり得ぬ、あまりにも都合のいいサーヴァントを引き当てている。
「はい。それが当機構の、存在意義です。
神寂祓葉が、当抑止力機構アンタレスの、今回刺し貫くべきターゲットです」
◆◆
「邪道の蛇杖堂」の名は、噂に聞き及んでいた。
つまらない俗世のために魔術を振るい小銭を拾う、魔術使いの一族がいると。
そんな邪道の者ならば、どうせ大した英霊など呼べていないだろう……
そんな甘い見通しは、一瞬にして打ち砕かれた。
「無能が。相手の力量すら図ることが出来ぬのか」
齢90歳と聞いていた老人は、しかし、明らかにそうとは思えぬ巨躯の持ち主だった。
魔術師は侮蔑を受けて、声ひとつあげることもできない。
片手で首を掴まれて、高く吊るされている。魔術師の細い足が宙を掻く。
「そもそも貴様は、魔術師としてもやる気があるのか?
魔術を極めるにせよ、俗世にて日銭を稼ぐにせよ、身体は何をするにも資本だぞ。
怠惰で貧弱な無能め。日々の備えから足りておらんわ」
だからって、そんな筋肉達磨のような医者がいていい訳がないだろう。
そんな悪態ももちろん声にはならない。
助けを求めるように視界を泳がせるが、そこに映るのは相手のサーヴァントらしき少女のみ。
「当機構は当面の任務を完了しました。
伸びしろのない英霊。あれ以上の可能性のない行き止まり。器ではない」
「無能が呼ぶのも無能ということか」
武芸の道を極め尽くした達人のはずだった。
技を極めた、ある意味で最強と言っても良いサーヴァントのはずだった。
だからこそこんな強硬策も選ぶ気になったのだ。
それが、まるで慢心したかのように、油断したかのように、素人目にも無防備に、赤い少女の槍の一刺しを受けて……
ぽんっ、と。
あまりにもあっけなく破裂した。
それっきりだった。
「まあいい、さっさと死んでおけ。死体の処理ならいくらでもツテがある」
老人が言い放つと同時に、魔術師の首元に変化が起きる。
大きな手に掴まれていた首に、みるみるうちに握りこぶし大のコブが生える。
気管が、血管が、神経が圧迫される。
どさり、と地面に落とされる。束縛から解放されたにも関わらず、相変わらず魔術師は声もだせず呼吸もできない。
掠れ行く視界で、頭上の巨漢を見上げる。
「マスター、これは?」
「腫瘍を生成した。私くらいにしか出来ぬであろう、治療の術の悪意ある応用だ。
本来そこで増えるべきではない細胞が増えるのが腫瘍というもの。医学と魔術を融合させればこの程度のことはできる」
「よく分かりません。当機構には何をやったのかが理解できません」
「無能が。ただ、無能を自覚できているあたりは、良い従僕(サーヴァント)だ」
静かに窒息にて死にゆく魔術師も、彼らの会話を理解できない。
苦しい、怖い、こんなはずではなかった。
数多の想いが頭の中を駆け巡る中、最期の意識で魔術師は思う。
こいつらに、怖いものなんてあるのだろうか。
どう見ても、この世のすべてを恐怖させる側の、この理外の生き物たちに、怯えることなんてあるのだろうか。
効き過ぎる注射。
統べるは、暴君。
〈はじまりの六人〉
抱く狂気は、〈畏怖〉。
蛇杖堂寂句。統べるサーヴァントは、蠍座の火。
【クラス】
ランサー
【真名】
ギルタブリル/天蠍アンタレス
【属性】
秩序・中立
【ステータス】
筋力 B 耐久 B 敏捷 B 魔力 D 幸運 C 宝具 EX
【クラススキル】
対魔力:A
事実上、現代の魔術師では、魔術で傷をつけることは出来ない。
【保有スキル】
ガイアの怪物:A
隠匿されたスキル。
ルーラーも含めて、通常の手段ではこのスキルの存在を感知することは出来ない。
意図的な隠匿ではなく、あまりにも英霊にはありえないスキルであるため、認識できないと言った方が近い。
また、このスキルが隠蔽状態にある限り、「天蠍アンタレス」の名もまた隠蔽された状態にある。
例えば、赤とサソリという点からの連想で、サソリ座の蠍を思い出すようなことは出来ない。
この隠蔽が解かれる条件は2つ。
実際に彼女の毒針を身体で受けた際、および、「天蠍アンタレス」の名を耳にしたとき。
確率で真相を直感することができる可能性があり、判定に成功すれば隠蔽は解除される。
抑止力の使徒として具現化した存在。
与えられた「使命」の遂行に直結する判定において、プラスのボーナスを得る。
また構造からして人類とは異質であり、いくつかの精神攻撃を無効化する。
神性:B
天蠍アンタレスとしては、死後に天に上げられた逸話から来る補正。
ギルタブリルと信じる者から見れば、ティアマト由来の神への近さに見える。
事実上、他の者の「神性」スキルとそれによる補正を相殺する効果をもつ。
傲慢の報い:B
相手の油断と増長、傲慢さにつけこみ、その報いを与えるスキル。
具体的には、誰が相手であってもそれぞれ一回だけ、回避や防御の判定を行わせない、必中攻撃の機会を得る。
この攻撃は、相手が傲慢であればあるほど、増長していればしているほど、成功率が飛躍的に高まる。
そして……自信と傲慢さは紙一重。
武芸によって、あるいは功績によって英霊の座に上がった存在は、何かしらこの手の感情を抱いているのが常である。
【宝具】
『英雄よ天に昇れ(アステリズム・メーカー)』
ランク:EX 種別:対英雄宝具 レンジ:1 最大捕捉:1
天蠍アンタレスの真骨頂にして、ガイアの怪物としての権能。
相手の『存在そのもの』を過剰なまでに強化する薬毒を、その蠍の尾の先より注入する。
望まぬ者に強要するドーピング剤。
相手が英霊の場合、その英霊が「どれほど可能性を残しているか」によって起きる挙動が変わる。
例えば道を極め尽くした達人が老境の姿で召喚されたのであれば、もはやそれ以上の伸びしろはほとんど残っていない。
ゆえに注がれた力に耐えきれず、すぐに爆散する。
反対に、俗に「リリィ」と呼ばれるような、若い頃の姿で召喚された英霊の場合、強化の恩恵が強く前面に出る。
相手によってはむしろ強化してしまう可能性もある、結果の読みづらい宝具。
とはいえ、毒針を刺したまま、毒液を送り込み続ければ、どこかでいつか許容量を超えて爆散に至る。
相手が人間の場合、その者が「どれほどの可能性を秘めているか」によって起きる挙動が変わる。
英霊にもなりうる器であったならば、英霊にも相当する力を。
神にもなりうる器であったなら、神に匹敵する力を。
それぞれ強制的に与え、発現させる。
こういった器ではない者にとっては、これはただの毒である。そのまま死ぬことになる。
そして、英霊や神に匹敵する存在が、定命のヒトとして地上にあり続けることは、世界のルールが許さない。
そうなってしまった者は、その瞬間からすべての運命と偶然が牙をむき、必然として生命としての死に至ることになる。
なお、この宝具の使用は義務ではなく、赤い槍をただの毒槍として振るうこともできる。
その場合、赤い槍は、ただ激しい痛みと熱感をもたらす毒を備えた槍として機能する。
【weapon】
赤い槍。
先端があたかも蠍の尾の先のような形をしている。
それに見合う毒も帯びており、宝具として使わずとも、かするだけで焼けるような痛みを与える。
赤い甲冑。
胴鎧、篭手、脚甲、肩当、顔を隠さない兜、いずれも金属光沢を帯びた赤一色。きわめて硬く頑丈。
腰の後ろから生えた3対6本の虫のような長い足。
これらは自在に動き、移動の補助に使えるほか、武器として使える鋭さを持ち、剣と打ち合えるほどの強度がある。
【人物背景】
バビロニア神話に見られる蠍人間、ギルタブリル。
かつてティアマトが産んだ11の魔獣の一柱であり、人の上半身、蠍の尾、鳥の足を持つとされる。
一方で当時広く知られていた聖獣の一種でもあったようで、別の場面では男女一組のギルタブリルが神話に登場している。
そのギルタブリルが、反英雄として少女の姿で召喚された姿。
いかな解釈によるものか、蠍の尾はそのような形をした毒槍として出現している。
蠍の足は本来はハサミも含めて5対10本であり、人間の手足に加えて3本6対の足が余計に生えた姿をしている。
これらの足や槍を駆使して、変則的な戦闘を行う、ある意味で分かりやすいランサーである。
……というのが表向きの話であり。
実際そのように英霊の座を欺くことで今回の異例の召喚を果たしている。
実際には違う。
彼女はそれとは異なる、しかしそれよりも有名な、とある神話の蠍そのものだ。
本来ならば、こんな所に召喚されるはずのないものだ。
蠍座の蠍。
英雄オリオンを刺し、それを死に至らしめた大地神(ガイア)の使い。
オリオンが星座に上がってなお恐れ逃げ続けるモノ。
その功績をもって天に上げられた後、天上での暴走を恐れて、射手座が常に矢を向け続ける程のモノ。
ただしオリオンの最期についての伝承は錯綜しており。
女神アルテミスの放った矢によって死亡した、とする説は根強く。
実際に「英霊としてのオリオン」の実物と触れた者たちは、そちらの説が真実としか思えないような話を聞かされている。
実在も功績も不確かな、個体名すらも記録に残らぬ、しかし、星座になるほどの、蠍。
その正体は――ガイアの抑止力。
知られざるガイアの怪物の一種。
地上にあり続けるにはあまりに強すぎる存在に対して発動し、むしろさらに存在の強度を強めることで地上から放逐する猛毒。
神に、英霊に、星座に、相手を無理やり押し上げることで、逆説的に定命種としての運命を終了させる強精(ドーピング)剤。
実際には他にも複数の発動条件があるのかもしれないが。
現存する神話と歴史において、事例がただひとつしか記録に残されていない、あまりにも希少なガイアの怪物である。
オリオンの死においても、オリオンに反応して出現した『蠍』が、彼を刺して「英霊の座に上がる運命」を確定させた後。
実際に彼に生命としての死を与えたのが、アルテミスの矢の誤射であった。
あまりにも不幸な事故。
しかしそれは、蠍の『毒』の前には、必然でもあったのだ。
本来であれば英霊召喚の形で世に出てくるような存在ではない。
どんな手を尽くしたとしても、人為的に狙って召喚することなど出来ぬ存在である。
だが今回、ありえぬ形の二回目の聖杯戦争に対し、新世界創造の脆弱性を突いて、抑止力が変則的な形での介入を果たした。
すなわち。
神寂祓葉は、もはや、地上にあり続けるべき存在ではない。
彼女自身が望むと望まざるとに関わらず、「より上の位階」に向けて放逐されるべき存在である。
そう、この惑星が判断した。
そのために召喚された名も無き蠍に対し、召喚者は歓喜すると同時に、便宜上の名前を与えた。
アンタレス。
本来それは、蠍座に光る赤い一等星の名である。
【外見・性格】
やや小柄な少女。波打った赤い髪に、赤い瞳。そして人ならざる余計な3対6本の虫の足。
しかし外見に反して力は強く、重装備の甲冑姿でも軽々と跳ね回ることができる。
どんな状況でも鉄面皮で、およそ表情と呼べるものを浮かべることはない。
怒りや恐怖といった感情も希薄で、マスターに命じられたことを淡々と行う。
ただ感情の起伏は小さいが、知識でしか人間社会のことを知らず、好奇心旺盛。
任務や命令を忘れるほど愚かではないが、機会があればつまらないことでも質問するし、知ろうとする。
【身長・体重】
145cm/46kg (腰から生えた3対6本の脚を含む)
【聖杯への願い】
なし。
聖杯など心底どうでもよく、神寂祓葉を「刺して」「強制的に上位存在にしてしまう」ことが大事な使命である。
ただし大事な使命であるため、慎重に確実を期して行いたい。
ついでに、人間社会への興味も満たせれば上等。
【マスターへの態度】
少し意地悪ではあるが、任務のためのパートナーとしては申し分ない。
【名前】
蛇杖堂寂句 /Jajoudou Jakuku
語呂が悪いこともあり、よく使われる愛称は「ジャック先生」。灰色のジャック。
【性別】
男性
【年齢】
90
【属性】
混沌・善
【外見・性格】
とても90歳には見えない偉丈夫。長い白髪のみが年齢相応だが、それでも50-60代に見られる。
衰えを知らぬ身体は筋骨隆々としており、よく柔道選手やラガーマンに例えられる。
春先でも灰色のスーツに灰色のコートを着込んでおり、遠目にはくすんだ白衣を着ているようにも見える。
慢心してもおかしくない程の才能を持つとはいえ、自分以外の全ての者を愚か者と見做している。
魔術師らしい傲慢さを備えた人物。
【身長・体重】
177cm/92kg
なお体脂肪率は低く、ほとんど筋肉からなる。
【魔術回路・特性】
質:B 量:B
特性:『節操のない、ありとあらゆる流儀にまたがる治癒魔術』
【魔術・異能】
◇治癒魔術
洋の東西や流儀の違いを問わず、治癒魔術の類に限って、ほぼあらゆる治癒魔術の知見を持ち、実際使いこなす。
もともと蛇杖堂の家はこれらの術や理論を収集する家であり、彼はその家が産んだ天才である。
さらに近代科学による現代医学すらも高いレベルで習得している。
これにより、どんな状況においても最善の治療法を選択することができる。
ただし、その多くは準備が必要であったり、状況を選んだりするため、必ずしも常に役立つものではない。
本人曰く、「多少は現代医学で出来ないことも出来る程度の救急箱」「呪詛の類にも効く薬箱」。
◇呪詛の肉腫
前述の治癒魔術を、裏返して応用した、邪悪な攻撃魔術。
彼が直接相手の身体を掴むことを条件として、掴まれた部位に腫瘍を発生させる。
掴み続ければみるみる大きくなるし、振り払われればそこで腫瘍の成長は止まる。自然に消えることはない。
この腫瘍そのものは大した悪さをしないものの、骨を置換すれば折れやすくなるし、喉を圧迫すれば窒息もする。
何より見た目が悪い。
腫瘍は本来そこで増えるべきではない細胞の増生である。
本来増えるべきではない細胞をあえて治癒魔術で強化することによって、腫瘍を発生させる。
医学知識と、それに基づく治癒魔術の精密な操作によって成される、事実上彼にしかできない攻撃手段。
◇偽りの霊薬(フェイクエリクサー)
蛇杖堂の家が数百年かけて蓄積してきたささやかな奇跡の集積。あまりにも無力な偽りの奇跡。
たった一本きりの万能薬。
ありていに言って、今回の聖杯戦争中でたった一回だけ、彼は『致命傷すらも瞬時に癒せる傷薬』を使うことができる。
対象は1人。同時に状態異常の類も全て回復させることができる。
既に完全に死亡した相手には効果がない。あくまで『このままでは死に至ることが確定する傷』を治せるというだけである。
再生産も不可能。
蛇杖堂家の悲願を想えば、あまりにも微力な、現時点での彼らの限界点である。
彼は前回、この貴重な奇跡の薬を、他ならぬ神寂祓葉に対して使用した。
策を重ね、自らのサーヴァントが千載一遇の好機を見事に掴んで負わせた致命傷だったにも関わらず、自らそれを台無しにした。
【備考・設定】
表社会と裏社会の双方で医業、傷や病の治療に関与する蛇杖堂(じゃじょうどう)家の長。
表社会の身分としては、医師免許を所持する医師であり、都内にある民間の総合病院の名誉院長。
医師としての現役時代には凄腕の外科医だった。
ただし今の立場はほぼ名誉職で実務はなく、聖杯戦争に全力を注ぐことができる。
直接、間接の協力者を広く医学界に持っており、およそ都内の病院で起きていることで把握できないことはない。
裏社会では、魔術師の一族である蛇杖堂家の当主であり、魔術師の社会では変人の鼻つまみ者。
根源を目指さず、ただ治癒の術で傷を治して代価を得ることを選ぶ「魔術使い」の宗家と見られている。
実際にそのようなことを行っている分家は多い。
時計塔や魔術協会とはほとんど接点を持たず、しかしあえて積極的な敵対もせず、独自の道を進んでいる。
元々、世界の各地でそれぞれに治療の術を磨いていた家が、それぞれに流れて極東に辿り着いて合流したものであるらしい。
蛇杖堂の名は戦国期から記録に残るが、その名前からはアスクレピオスとの関係も疑われている。
江戸時代にはとある藩の藩医をつとめ、明治維新の際に主家が華族として東京に移住するのに従って蛇杖堂家も東京に移った。
魔術師には珍しい、表社会での科学や医学も学ぶ一族。
漢方医学を中心に、早い時期から蘭学などにも手を出し、現代では近代医学を学んでいる。
むしろ彼らに言わせれば、「神秘の力抜きでも起きる現実を知らずして、いかに神秘を学ぶというのか」。
ただし、魔術と医学の二刀流はあまりにも習得が難しく、分家を増やしてでも優秀な人材を求める動機ともなった。
蛇杖堂寂句は、そんな蛇杖堂の一族の中で久しぶりに出た天才であった。
現代医学と魔術の双方を高いレベルで修め、どちらの世界でも結果を残した異才。
元は分家の出だったが、本家にすくい上げられ、跡継ぎに選ばれ、長となった。
蛇杖堂の一族が密かに目指す、根源接続への願いは「全人類の死の克服」。
そして彼は、一度目の聖杯戦争で、そんな使命すらも吹き飛ぶような、あってはならぬ存在を見てしまった。
〈はじまりの六人〉、そのひとり。
抱く狂気は〈畏敬〉。
蛇杖堂寂句。サーヴァントは、蠍座の火。
【聖杯への願い】
全人類の死の克服のために聖杯を求める――というのは一回目における彼の願い。
もはや聖杯そのものはどうでもよい。
一族の悲願もどうでもよい。
神寂祓葉は、もはや地上にあってはならない存在である。
それがそこに居るだけで、自分のような天才すら狂う。
人の世界から遠ざける。そのためなら「なんでもする」。「なんでも捧げる」。
順番が入れ替わってすらいるが、そのために聖杯の奇跡が使用できるのであれば、彼は迷わずそれを願うだろう。
【サーヴァントへの態度】
あまりにも都合のいい、まさに神寂祓葉を放逐するための英霊と巡り合えたことに感謝している。
そのため、サーヴァント自体が愚鈍で、くだらないことに興味津々でも、比較的広い心で許している。
どうせこの世のほとんどの者は彼よりも愚かで能力がないのだ。
以上、「はじまりの六人」枠への応募となります。
投下を終了します。
投下します
東京の街は常に変化し続ける生き物のようだ。
高層ビルがそびえ立ち、そのガラス張りの外壁は青空を映し、まるで都市が天をもつれあっているかのように見える。
地下鉄の入口からは人々が絶え間なく出入りし、地上を行き交う車のヘッドライトが昼夜を問わず輝きを放つ。
狭い路地には古びた居酒屋や風情ある喫茶店が並び、現代と過去が共存する独特の景観を形成している。
大通りにはブランドショップが軒を連ね、買い物袋を手にした人々が歩道を行き交う。
夜になると、ネオンの光が街を彩り、看板が次々と点灯し、まるで都市全体が巨大な舞台のように輝き始める。
新宿の交差点はその中心であり、人々の流れが途切れることはない。
交差点を見下ろす巨大なスクリーンには最新の広告やニュースが映し出され、音楽やアナウンスが絶えず響いている。
空を見上げると、ビルの間から東京タワーが顔を覗かせ、その赤いライトが夜空を飾る。
多くの観光客がカメラを手にし、スマートフォンでこの活気ある街を撮影している。
渋谷のスクランブル交差点では、信号が青に変わるたびに無数の人々が一斉に歩き始め、その光景はまるで人の波が街を流れているかのようだ。
その男は、東京の喧騒の中を一歩一歩進んでいた。
渋谷のスクランブル交差点に差し掛かると、信号が青に変わり、周囲の群衆とともに彼も動き出す。
彼の足取りは迷いなく、まるでこの巨大な都市の地図を頭の中に描いているかのようだった。
スーツの裾が風に揺れ、周囲の人々の雑踏の中でも彼の姿は目を引いた。
その目鼻立ちや青い瞳から、彼が日本人ではない事は明らかだが、国際都市である東京には珍しくもない。
目を引くのはその存在感からだ。
男は背が高く、モデル様なスラリとした体格をしていた。
彼の色がくすんだ金髪は短く整えられ、青い目は鋭い観察力を示している。
その洗練された身のこなしと鋭い知性で周囲に一種の威圧感を与えていた。
白いワイシャツに黒のネクタイを締め、深いネイビースーツを着こなしているその姿は、まるで映画から抜け出したかのようだった。
彼の顔には薄い笑みが浮かび、何か大きな計画を胸に秘めているかのようだった。
通り過ぎる人々の視線を感じながらも、彼はまっすぐ前を見据える。
その瞳に、日の光が射し、男は僅かに目を細めた。
瞳を焼くような太陽を恨めしそうに睨んで、男は光を遮るように帽子を深く被りなおした。
交差点を超えた男は大都市の喧騒から離れるように歩を進めてゆく。
ビジネス街を進んで行くたび、不自然なほどに周囲の人が徐々に目減りしていき、程なくした所でビルの隙間にある路地裏へと足を運んだ。
そうして周囲に完全に誰もいなくなった所で、振り返ることなく虚空に向かって一人呟く。
「どうやら、ここは神の国ではないようですね。東京で間違いないようだ」
分かりきった事を再確認する声で言う。
周囲にその声を聴く者はいない。
その事実に構わず、男は続ける。
「さて、死したはずの私が何故ここにいるのか。死者の蘇生、とは違いますね。これはアナタの権能ですか? セイバー」
『それは違うなマスター。俺にそのような力などない。
もしそんな力があるとするならそれは俺ではなく『神の癒し』の役割だろう』
誰もいない背後から声が返った。
マスターと呼ばれた男は「そうですか」とだけ返すとその場に屈みこんだ。
指先を伸ばし片手を地面にそっと触れさせる。
「―――――Violate」
現実を変える言葉を紡ぐ。
瞬間、触れた指先からコンクリートの地面を侵食していくように何かが浸み込んでいった。
それは魔力と呼ばれる超常の神秘である。
『それが、現世の魔術という物か』
「ええ。私のはカバラではありませんがね。
聖堂教会は魔術を異端としているとしてるようですが、本物の神の使い足る貴方はそんな狭量な事は言わないでしょう?」
そう自らの背後の何者かへと投げかける。
男は魔術師であった。
巻き込まれただけの野良などとは違う、時計塔に属する正当なる魔術師である。
ロナン・マクニール。
植物科に属する、次期主君(ロード)とすら噂される最高位の魔術師だ。
彼の魔力はワインに落とされた毒のように、じわじわと地中に広がって行き、この世界を侵食してゆく。
「やはり都市部は魔力の通りが悪いですね」
そう言いながらロナンは片膝をつく体制から立ち上がると、優雅さを感じさせる所作で地面に触れていた指先をハンカチで拭った。
この短時間の僅かな魔術行使でこの世界の解析を完了し、自身の置かれた状況を理解したようだ。
魔術師は結論を告げる。
「ここは東京であって東京ではない。創造された異界だ」
『固有結界、というやつか?』
「よくご存じで、それも宝具の効果で? それとも聖杯からの知識でしょうか?
ですが違います。もっと悍ましいモノですね。これは固有結界の様な現実への侵食と言うより、一つの世界の創造に近しい」
その言葉に周囲の空気が歪む。
度し難いまでの怒気が周囲に満ち満ちていた。
常人であれば呼吸すら困難になる程のその空気に飲まれるでもなく、男はやれやれと言った風に肩を竦める。
「そう怖い顔をしないで下さい、セイバー。
天地創造と言っても、貴方の父たる主の様なものではありません。
これは世界から切り離された特異点に近いでしょう」
それでも驚異的なことですがと小声で付け加える。
『マスターの魔術で破壊はできないのか?』
「難しいでしょうね。一部の領域を塗り替えることはできるでしょうが、規模が違いすぎる。すぐに上書きされて終りでしょう」
現代における最高峰の魔術師であるロナンですら両手を上げて白旗を振るしかない。
技量云々の前に規模(スケール)が違う。
これほどの規模となるとサーヴァントですら破壊は難しいだろう。
「そもそも私に尋ねずとも貴方の『眼』であれば、この世界がどういう物かは分かるのでは?」
『流石に霊体化した状態では見えぬ』
それは言外に実体化しろと要求していた。
「……なるほど。ですがセイバー。貴方にはあまり実体化して欲しくない所なのですが』
『何故だ?』
「貴方の知名度が高すぎるからです。ですが、まあ今ならいいでしょう」
周囲に人影はなく、魔術的な監視もないのは確認済みだ。
道すがら人払いの結界も敷いてある。
一時的に実体化しても、この場で目撃されることはないだろう。
それに、彼の眼がこの地で何を見るのかはロナンとしても興味がある。
ロナンはパスを通して己がサーヴァントに実体化の魔力を与える。
エーテルの肉を得て、人の形をした神秘が具現化する。
それは光だった。
それは炎だった。
それは奇跡だった。
そこに現れたのは誰もの目を奪う性を超越した美の造形。
東京と言う街にそぐわぬ輝く黄金色の鎧は、異物でありながら圧倒的な正しさを叩きつける神聖さがあった。
そして、何より目につくのはその背に生えた光り輝く翼である。
その姿を見た誰もが、その存在をこう称えるだろう。
――――天使と。
『天使』とは主の権能だったものが、独立し天使として扱われた物を指す。
魔術世界においては多くの人々が思い描く天使と言う信仰を利用して、曖昧な魔力に形を与える『力の器』の事である。
天使のイメージはギリシャ神話の『サモトラケのニケ』が原典とされており、天使の実像ではない。
だが、英霊とは人々の信仰の結晶であるが故に、そのイメージをもってその天使は具現化していた。
天使の片腕には炎の剣。片腕には知識の書。
魔術的な知識がなくとも、少しでも天使について知識を持つ人間であれば、その真名にはすぐに思い至るだろう。
炎の剣を持つ楽園と地獄の守護者。
四大天使の一人。
その真名はウリエル。
聖堂教会が伝える『神の教え』と言う世界一有名な物語を基盤をする存在。
多くの聖書、文献、物語に登場するが故に圧倒的な知名度を誇り。
最高の知名度を誇るが故に、一般人に目撃される事すらリスクとなる。
地上に顕現した大天使ウリエルは光り輝くその聖なる『眼』で世界を観た。
真実を見通すその『眼』は一見しただけで世界を暴く。
「確かにマスターの言う通り、ここは我らが主の創りたもうた世界ではないようだ。
それに世界の端々に〈熾天の冠〉の力を感じるな」
「でしょうね。これほどの規模だ、確実に聖杯が使用されているでしょう」
この世界は聖杯たる〈熾天の冠〉によって製作された世界である。
如何に最高峰の魔術師であろうと一魔術師では覆すには足りない。出力が違いすぎる。
そして、この世界が聖杯によって作られたという事は別の一つの事実を指示している。
すなわち、この現状は聖杯を手にした優勝者の願望によるものだという事だ。
「願った願望は聖杯戦争の再開ですか。私が蘇ったのもそのためでしょうね。
再演を成り立たせるための演者(アクター)と言ったとこでしょうか」
優勝者は願ったのだ。
聖杯戦争の再開を。
ならば必然湧く疑問――――優勝者は誰か?
早々に敗退したロナンに知る術はない。
だが、確信を持った口調で魔術師は言う。
「このような破綻した願いを持つのは、神寂祓葉でしょうね」
自らを殺した運命(しゅくてき)の名を呼ぶ。
常に笑みを絶やさぬ彼らしからぬ、複雑な感情を込めた声で。
現実の東京にて行われた第一次聖杯戦争。
ロナン・マクニールはその聖杯戦争の参加者であった。
魔術後進国である極東の儀式など容易く勝利して、己が魔術儀式に使用するべく教会の保有する聖遺物の回収する。
それこそがロナンの目的であった。
時計塔最高の魔術師が最大の知名度を誇る英霊を最優のセイバーとして召喚したのだ。
事実として、ウリエルは神霊すら撃破可能な最強のサーヴァントであった。
儀式を監督する教会すらも彼らが優勝すると確信していただろう。
だが、彼らはあえなく敗北した。
取るに足らない雑種に足元を掬われる時計塔のエリートと同じ轍を踏んだ。
油断や慢心もなかったとは言えない。
慣れない異国の地で、相性の悪い大都市であったという事もあるだろう。
素人故の動きを読み切れず、工房の準備が整う前の電撃戦に持ち込まれたのも大きい。
だが、そんな言い訳の入り込む余地のない、完膚なきまでの敗北だった。
十全に準備を整え、己が魔術を最大に生かせる森林地帯での戦いでも勝てたとは言いきれない。
最高峰の魔術師たるロナンが、ろくに魔術も知らなかった素人に対して、そんな印象を抱いている。
これは異常だ。
神寂祓葉は、異常だ。
『どうするのだ? マスター』
サーヴァントであるウリエルが問う。
現状を把握し、この世界が自らを殺して聖杯戦争に勝利した神寂祓葉によるものだと理解してどうするのか。
そう問いかけていた。
「無論。叩き潰すまで。つまらない演目の為に呼び出されたのは業腹ですが舞台に戻った以上、踊り尽くして主催ごと侵し尽くす」
伝統を重んじる貴族主義の魔術師として、積み重ねを飛び越える異端は看過できない。
例え相手がサーヴァントを凌駕するような怪物であろうとも十全に準備を行い当然のように勝つまでだ。
不可能を可能としてこその魔術師である。
それが魔術師としてロナンに課せられた宿命(オーダー)だ。
そして他の聖杯戦争の参加者も始末して冠を得る。
元よりそのつもりでこの極東の地にやってきたのだ。
皆殺しに躊躇いなどあろうものか。
「私は自然干渉の魔術を得意としています。そのため市街戦は不利だ。
戦うのであれば自然の多い場所で工房を構えたいですね。前回はそれを行う前に敗北してしまった。
とは言え、この東京に都合のいい場所があるのかは難しい所かもしれませんが」
路地裏の周囲を取り囲むのは鉄とコンクリートの檻だ。
魔弾や簡易結界などの腕ももちろん一流ではあるが、植物科らしく自然環境を利用した黒魔術こそがロナンの真価だ。
世界有数の大都市である東京においては彼の魔術は大きな不利を背負う。
23区の外に向かえば、自然もある程度残っているだろうが、イギリス人であるロナンはそこまで地理に明るくない。
「ですが、いざとなれば、この東京を焼き払えばいい。
ソドムとゴモラを焼き払った貴方の宝具(ほのお)であれば。街一つ灰塵と化すなんて容易い事でしょう?」
平然と魔術師は言う。
己が力を十全に発揮するため、文明を焼き尽くし塵だけが広がる荒野と化せと。
その言葉にウリエルが僅かに言葉を呑む。
その驚きはその発言の過激さに、ではない。
ひとたび触れれば、都市どころか世界そのものを大洪水で滅ぼすのが神の怒りと言うものである。
その代行者たるウリエルは正当性があるのなら都市の一つや二つ滅ぼす程度は屁とも思わない。
驚いているのは発言者のキャラクター性にそぐわない発言だったからだ。
「驚いたな……マスターらしからぬ言葉だな」
「おや、らしさを語れる程、仲を深めたわけではないでしょう?」
微笑を湛えたままロナンは答える。
確かにその通りだ、真実の眼を持つウリエルと言えどロナンをすべて理解しているとは言えない。
「確かにそうだ。もっとも、マスターは元よりサーヴァントとの相互理解など求めていないようだが」
光り輝く聖なる瞳がロナンを射抜く。
己がサーヴァントの言葉にロナンの口元に張り付いた微笑が、さらに深く吊り上がる。
「厄介ですねぇ、その眼は」
言って、パチンと指を鳴らす。
実体化の魔力をカットしてウリエルを霊体に戻した。
根っからの魔術師であるロナンはサーヴァントを人ではなく道具としてしか見ていない。
それは聖杯戦争に挑む魔術師としては正しい価値観である。
そして、その価値観にウリエルが異議を唱えなかった。
何故なら、元より天使とは偉大な父、神の手足として神の意志を代行する道具である。
サーヴァントとしての在り方は天使たるウリエルにとって存外、しっくりとくるものであった。
使うものと使われるものとしてだけは、彼らは致命的にかみ合っていた。
「前回このような方針を取らなかったのは魔術協会(わたしたち)の原則に神秘の秘匿があったからです」
魔術には神秘の秘匿という原則がある。
一般化した神秘は神秘足りえず、神秘は秘匿されているからこそ神秘足りえるのだ。
根源を目指す魔術師にとってその理を守る事は何よりも優先される。
「ですが、この地は死者の彷徨う異界。地の底(タルタロス)だ。神秘の秘匿の原則は適用されません」
サーヴァントのみならずロナンの様な死者すら彷徨うここは地の底だと。
地獄(タルタロス)の管理者たる天使に向けて魔術師は告げる。
合理性を重んじ、人の命を軽視する魔術師的な価値観。
確かに、これも魔道に深く身を落としたロナン・マクニールと言う人間の真実だ。
だが、それを踏まえてもウリエルは彼の言動に違和感を感じていた。
敗退までの短い付き合いであったが、このような方針を打ち出すような男ではなかったはずだ。
現代魔術科のようなニューエイジに関わらず、現代を生きる魔術師にとって社会性は必須である。
魔術のための資金繰りのため大企業のCEOや投資家が魔術師だったなんて話も珍しくはない。
1000年以上の歴史を持ち、血統を重んじる貴族主義であるロナンあってもそれは例外ではない。
ロナンは貴族的な魔術師としての価値観と高い社会性を併せ持つ現代的な魔術師だった。
彼は強固な仮面(ペルソナ)を被り、社会的な好青年の人格を外部に出力させている。
少なくとも、第一次を戦った時点ではそうだった。
だが、その強固な仮面が罅割れようとしていた。
楔のように撃ち込まれた<<狂気>>によって。
抱く狂気は〈狂奔〉。
理性を溶かす毒のような侵食。
『この身は神の敵を焼き尽くす神の炎。
この異界の創造主たる神寂祓葉が世界の神を騙る大罪人であるならば、神の敵だ。
神に背きし者の創造した悪徳の町を焼き払う事に躊躇いなどない』
必要とあらば、悪徳によって創造されたこの都市東京を灰塵とする事を宣言しながら、神の炎は己が主に告げる。
その身は審判の日に人を裁く裁定者。
それが仮初の主であろうとも、その審判に例外はない。
『だが、努忘れぬ事だ。汝の行いが咎人へと墜ちた時、神の業火は汝の身を焼くことを』
彼の名はウリエル――――神の敵を焼き尽くす神の炎。
【クラス】
セイバー
【真名】
ウリエル@聖書・偽典「エノク書」
【属性】
秩序・善
【ステータス】
筋力:A 耐久:B+ 敏捷:A 魔力:A+ 幸運:A++ 宝具:EX
【クラススキル】
対魔力:A+
A+以下の魔術は全てキャンセル。
事実上、魔術ではウリエルに傷をつけられない。
騎乗:-
飛行能力を持つウリエルは騎乗スキルを持たない。
【保有スキル】
天使:A-
神の遣いたる天使である事を表す『神性』を含む複合スキル。
四大天使として知られるウリエルは最高の天使適性を持つが、教会から堕天使としての認定を受けたことからランクがダウンしている。
神の加護によって精神、物理、両方のダメージを大幅に軽減し、常時回復効果を得られる。
また翼による飛行能力を持つ。
神の炎:A
神の敵を焼き払う業火を放出、ないし武器や肉体に付与する『魔力放出(炎)』の類似スキル。
神の炎は原罪を持つものに対して追加ダメージ&継続ダメージを与えるが、神性を持つ相手にはダメージは減少する。
原罪を持たない人間などいないため、人である限りは神の炎から逃れられない。
真実の眼:B
神の啓示を人に伝える天使の眼。『千里眼』と『啓示』を含む複合スキル。
真実の啓示者たるウリエルは見るだけであらゆる真贋を看破できる。
人の嘘を暴くウソ発見器としても機能する。
格闘:C
素手による格闘の技術。
ウリエルはヤコブと格闘戦で力比べをした天使であるとされている。
ヤコブに敗北したとされているためランクは低い。
【宝具】
【咎人よ神の怒りに灰塵と化せ(メギド・オブ・ロト)】
ランク:EX 種別:対罪宝具 レンジ:1~99 最大補足:1000人
悪徳の町。ソドムとゴモラを焼き尽くした神の炎。
罪のあるモノを生物、無機物に関わらず全てを焼き尽くす神の怒りの具現。
世界で最も信仰を受ける父の力の一部であり、一度発動すれば都市を灰燼と化すまで炎の雨が降り注ぐ。逃れる術はない。
【楽園を守護せし炎の剣(エデンズ・ガーデン)】
ランク:A++ 種別:対罪宝具 レンジ:1~5 最大補足:10人
楽園(エデン)を守護する大天使ウリエルの持つ炎の剣。
剣は神の力を示す強烈な光と熱を放ち、刃は常に青白い炎で覆われている。剣を纏う炎は罪を浄化し、悪を焼き尽くす効果を持つ。
炎の剣は回転しながら楽園の四方を巡り楽園を守護したとされており、攻撃のみならず強力な結界としての効果も持つ。
【知識と啓示を司る書(ビリーブ・バイブル)】
ランク:C+ 種別:対人宝具 レンジ:1 最大補足:1人
ウリエルの芸術や知識の守護者としての力の具現。
その書には神羅万象の知識が描かれており。開いたページによって予知や天候操作などの様々な奇跡を引き起こせる。
【weapon】
『炎の剣』
宝具【楽園を守護せし炎の剣】を参照
『知識の書』
宝具【知識と啓示を司る書】を参照
【人物背景】
聖書の正典ではなく偽典「エノク書」に登場する天使。
四大天使の一柱と数えられ、「神の光」あるいは「神の炎」と称される。
元素は地。色は緑。方角は北を司る。
天界における光の管理者にして地上の自然や天候を司る天使。
神の啓示と真実をもたらす者としても知られており、ノアに大洪水の事実を知らせた天使である。
魔術系統の一つであるカバラを預言者であるエズラに伝えたのもウリエルである。
炎の剣を持ってエデンの園の門を守る天使であるとされており。
楽園から追放されアダムとイブが再び園に戻らぬよう、神によってウリエルが楽園の門の守護者として任命された。
同時に地獄(タルタロス)を支配する管理者としての側面を持ち、神を冒涜する者を裁く懺悔の天使の役割を持つ。
片手には炎を持ち、罪人を永久の業火で焼き続ける罰を与える。
罪科の町。ソドムとゴモラの破壊にも関与したとされている。
また、ユダヤの伝承『ヨセフの祈り』に人間たちの中で暮らすために地上に降りたという記述があり。
正典に登場しない事から、神への信仰より天使信仰の強まりを恐れた教会から堕天使の烙印を押され、復権された現在でも天使ではなく聖人として扱われている。
これらの逸話から人間になった天使であるとされており、殆ど神霊に近い霊基だが召喚可能な霊基となっている。
【外見・性格】
美の化身の様な造形をしている。無性。
黄金色の鎧をまとい、背中には輝く翼を持つ。
顔立ちは端正で、目には神聖な光が宿っている。
人になった逸話を持つためか、他の天使に比べれば人間的な人格を持つ。
厳格かつ冷静な性格で正義感が強く善なる者には慈悲深い。
基本的には争いは好まないが、神の敵に対しては一切の容赦はない。
【身長・体重】
190cm/75kg
【聖杯への願い】
聖杯に対する祈りなどない。
目的はそれを求める欲深き人間への審判である。
咎人であれば神の怒りの代行し、業火による罰を与える。
【マスターへの態度】
道具扱いは望むところであり基本的にはマスターの指示に従順だが、マスターへの忠義よりも主の代行者としての価値観が優先される。
マスターが神の敵となれば断罪もやむなし、と考えている。
【名前】
ロナン・マクニール / Ronan MacNeil
【性別】
男性
【年齢】
29
【属性】
秩序・中庸
【外見・性格】
落ち着いた雰囲気をしたスーツの青年。
くすんだブラウンの髪をオールバックでまとめてその上に帽子を被っている。
常に微笑を湛えたような表情をしており感情が読みづらい。
根源を目指す典型的な魔術師的な価値観と、それを客観視する一般的な価値観と社会性を併せ持つ。
落ち着いた性格で誰に対しても常に紳士的な態度で敬語で話し、声を荒げる事はほとんどない。
それは自身の信条によるものであり、他者を尊重しているのではない。
魔術師らしく根本的には他者の命に興味がないが、強固なペルソナによって一般的な好青年の人格が外部に出力されているが……?
【身長・体重】
183cm/72kg
【魔術回路・特性】
質:A+ 編成:正常
量:A 本数:99(メイン:44、サブ:55)
特性:浸食
【魔術・異能】
魔術属性:地・空 魔術特性:浸食
地と空の二重属性を持ち、黒魔術を得意とする時計塔の魔術師。
操るのは近代黒魔術ではなく生贄を捧げて発動する古典的な黒魔術である。
魔術師としての技量は最高峰であり、基礎的な魔術は一通り一流のレベルで修めている。
通常、魔術師に対して魔力で干渉することは難しいが、その魔術特性から他者の魔力を浸食して干渉することが可能である。
自然や地形に干渉する魔術を得意としており、その気になれば小規模ながら天変地異レベルの自然現象も引き起こせる。
黒魔術の贄として生物ではなく自然物を捧げる事が出来るため、発動した黒魔術で自然物を操る究極のマッチポンプを行なえる。
自然の多いジャングルや未開の地では無敵に近いが、開発された都市とは相性が悪い。
◇『地脈喰い』
地脈を侵食して、自身の魔術回路として拡張する黒魔術。
拡張の規模は土地の地脈の質に依り、上質な土地では神代レベルの魔術行使を可能とするが、使いすぎると地脈は枯渇し魔術的に死の土地となる。
世界そのものに対する浸食であるため、固有結界などの異空間に対しても有効であり、構成する魔力を喰らい尽くし破壊することができる。
◇『操生惑星/鋼の大地(マニュアルワールド・オーバーカウント)』
第五真説要素(真エーテル)が満ちた空間でのみ使用可能な『理想魔術』。
地球を巨大な一つの魔術回路と見立て惑星そのものを操る大魔術。
地殻変動すら引き起こすことが出来、最大規模では新大陸を創造することも可能とされている。、
封印指定を受けかねない大魔術だが、実質的に使用不可な卓上の空論でしかない『理想魔術』という事で『封印指定』から免れている。
【備考・設定】
北アイルランドに拠点を持つ1,000年以上の歴史を持つ魔術師の名家マクニール家の現当主にして最高傑作。
時計塔では植物科(ユミナ)に属しており、階位は色位(ブランド)。
法政科(バルトメロイ)のローレライ、天体科(アニムスフィア)のヴォーダイムに並ぶ現代における最高峰の魔術師。
多くの地脈を食いつくしてきた事から『大喰らい』の異名で魔術世界に名を知られているが本人は小食。
第一次では優勝候補と目されていたが、型月エリート魔術師の御多分に漏れず初戦にて神寂祓葉に敗北した。
第一次聖杯戦争における最初の脱落者。
〈はじまりの六人〉、そのひとり。
抱く狂気は〈狂奔〉。
ロナン・マクニール。サーヴァントは、神の炎。
【聖杯への願い】
胸に秘めた願望は魔術師らしく根源への到達だが、あくまでそれはマクニール家の研究成果で到達すべきと言う考えであり。
聖杯戦争への参加は自身の研究を進めるべく、第五真説要素を復活させる儀式を行うために聖遺物の回収をする事が目的である。
【サーヴァントへの態度】
サーヴァントに対して敬意は払うが、あくまでサーヴァントと言う道具に対しての敬意である。
典型的な魔術師らしく『Fate/Zero』の遠坂時臣に近い価値観。
投下完了です。よろしくお願いします
たくさんの投下ますますありがとうございます!!(ますます?)
取り急ぎ感想を書かせていただきましたので、よければお収めください。
>銀風
厄〜〜〜い! 所業からして禍々しさとおぞましさ全振り、なのにどこかコミカルな軽やかさがあるのがいいですね。
人斬りがフォーリナーパワー得てめちゃくちゃ強くなってるっぽいの、普通にとっても恐ろしい。
ハニブさんもいっぱいあれこれできる性能をしてて、こいつら凄い厄介そうだな……ってなりました。
ご投下ありがとうございました!
>茨の王子、青い軍靴
王子様系な女の子のあり方を何かを踏み潰すことになぞらえるの、あまりに最悪〜〜!ってなってよかったです。(?)
"踏み潰す"生き方をする彼女が喚んでしまったのがこの暗黒オールマイトみたいな将軍英雄なの、負の方向の運命。
>“黄色人種(バーバリアン)”に仕える日が来るとは思ってもみなかったが――君は私が仕えるに足る女性だ!!
こいつ…………………………。
ご投下ありがとうございました!
>蠍の火
ドクター・寂句、マジでマスターとは思えないほど格好良くて格が高いのですごいキャラメイクだ……。
マスターだけでこんなにできることがあるのに鯖のアンタレスちゃんもやばいこと書いてあってすごい。
此処まで優良株の彼だからこそ"狂ってしまった"事実の重さも際立ってて、めちゃくちゃ上手いな……と思いました。
ご投下ありがとうございました!
>神の炎
大天使様がご降臨されててわろてる。聖杯戦争はいつだって地獄です。
一度死んでて尚もこのスタイルと性分を貫いてるロナンさん、どう考えても最初に死んでいい枠ではないよ。
とにかく強敵、隙がない。精神面でも戦力面でも。逆にこのくらいのメンタル無敵っぷりがどう動いていくのか考えるのが楽しくなってきますね。
ご投下ありがとうございました!
反応遅れてしまってすみません!
それでは私も投下します。
『はあ………………あのね、天枷さんさあ』
『これ前も教えたよね? ていうか何回も教えてる。いい加減覚えられない?』
『うーん……できないのは仕方ないんだよ? 一回言われて覚えられないだけなら怒んないけどさ』
『でも天枷さん、メモも取んないでしょ? メモくらいとろうよ。覚える努力くらいは見せないと』
『……まあ、これはもう今回俺がやっとくから。そっちの書類でも整理しててくれる?』
『――あの、天枷さん』
『お客さん来てて、自分に対応できなそうだったら周りの人に声かけてください』
『とにかく、無視はダメだから』
『社会人なんだからそのくらいして。挨拶くらいできるでしょ。人間関係の基本だよ』
『ちょっと、天枷さん』
『これ何? もしかしてだけど、破れたところテープで止めてそのまま印刷したの?』
『いや……あのさ。もう一回印刷すればいいじゃん。こんな資料会議で使えると思う?』
『もう少しいろいろ考えて仕事してよ。ホチキスの向きも逆だし……とりあえず作り直して。会議は明日だし、今日中でいいから』
『あ〜〜〜……天枷さん、ちょっといい?』
『うーんとね、あんまり言いたくないんだけど……仕事中にパソコンで関係ないサイト見るのやめよっか』
『天枷さんもお給料もらって仕事してるんだからさ、勤務時間中はまじめに仕事しよ?』
『言い訳はダメ。次から直せばいいから。ね?』
『天枷さんもう帰るの? ごめんね、その前にひとつだけ』
『最近さ、天枷さん帰るの少し早くない? 昨日とかさ、退勤の時間定時前だったんだよね』
『あー、パソコンの時間がずれてた? …………そっかそっか。じゃあ明日からはあそこの壁掛け時計見てよ。あっちは時間合ってるから』
『とにかく、ひとりだけ早く帰られると困るから……。次からは気をつけて』
『……あのねえ、天枷さん』
『ごめんなさいって言うけど、今月だけで遅刻何回目? 電車が遅延したとかなら仕方ないけど、天枷さんのはそうじゃないよね』
『毎回いろんな理由言ってくるけどさ、そんなに重なるもんじゃないでしょアクシデントって。悪いんだけど、バレてるからね』
『なんで遅刻しちゃうの? 朝起きれないの? それなら早く寝なよ。そしたら起きれるでしょ』
『……そんなに早いと眠れない? ……あのさあ、天枷さん。そのくらいの努力はしなきゃいけないようなことしてんだよ、君』
『本当にひどいんだからね、君の勤務態度。…………もういいよ、席に戻って。次からは遅刻しないでね』
◇◇
「はあ、はあ、はあ、はあ……!」
うるさいうるさいうるさいうるさい!
知らない知らない知らないもん!
わたしだってがんばってるし! ちょっと人よりやる気が出ないだけ!
それなのにそんなにひどいこと言わなくたっていいじゃん! 弱いものには優しくしろって教わらなかったの!?
わたしは教わったよ! 学校でも教わったしお母さんにも教えてもらったもん!
わたしは弱い! 地球で下から十番目くらいに入る自信がある! 人とお話できないのってそんなに悪いこと!?
メモ取って聞いてほしかったら言ってよ! いや言ってたかもしれないけど聞いてなかったもん!
お客さん無視してないし! わたしは対応できませんって目で伝えたし! ていうかわたしもお仕事あったもん!
ちょっとツイッター見てただけじゃん! これやってって言われたらお仕事したよ!? 暇だったんだもん!
たった数分早く帰って何がいけないの!? 持ってる仕事もなかったのに! 定時だと電車が一本遅いんだもん!
遅刻はもうしょうがないじゃん! わたし朝起きれないんだもん! 毎日疲れてスト缶開けさせる職場にも問題があるんじゃない!?
でもやばい! ほんとにやばい! 今日遅刻するのはほんとにやばい!
だって課長に昨日めっちゃ怒られたばっかりだし! すっごい目で見られる自信がある!
ていうかこれで遅れたらもうわたし会社入れない! 怒られるってわかって中に入るやつがどこにいる!?
もう走るのつかれた! 息苦しい足重たい背中ちくちくする! なんでわたしこんなつらい思いしてるの!?
昨日の夜はあんなにネトゲで無双したのに! 無双したあとで大好きなアニメの映画見てぼろぼろ泣いたのに!
そのあとに泣きすぎてお酒入れちゃったからかな!? お酒入れちゃったからだね! 死にたい!
おかげで今もちょっと頭がんがんする! 遅刻とか以前に普通に休みたい!
でも病欠は先週使っちゃったし何より怒られた昨日の今日で病欠の電話するの怖すぎる! 無理! それができるやつはお客さん無視しない!
ああもうこんなに本気で走ったのいつぶりだろう!
運動は昔から大の苦手なのに! おかげでおなかもちょっとむっちりしてきちゃった! かなしい!
ダイエットにしたってもっとサプリメントとか飲んでやりたい! 身体動かすストレスの方がギリ勝ってる!
ていうかもう走れない! 肺から変な音がしてる! 穴空いてたらどうしよう!? 労災降りるかな!?
「だめだ……死ぬ……ちょっとペース落とそう……会社なんかのためにしにたくない……」
ぜぇぜぇ、ひぃひぃ。
我ながら情けない音を立てながら足を引きずる。
始業まではあと五分ってところ。全力で走ったらまだ間に合いそうだけど……、それをしたら本当に死にそうな気がする。
というわけで今日も今日とて遅刻がほぼ確定してしまったわけで、いよいよクビとか窓際行きとかそんな未来が見えてきた。
ほんと、なんでこんなことになっちゃったんだろう。
昔は神童とか呼ばれてたのに。全国模試で一位とか取ったことあるのに。
高校も大学もとんとん拍子だったし(友達はいなかったけど)、失敗なんて一回もしたことなかったのに。
会社に入って働くことになってからどんどんおかしくなっちゃった。
だって学校にいた頃は人とお話とかしなくたってどうとでもなったんだもん。
大学だって、入試の成績がよかったからか先生の方からあれこれ世話焼いてくれてたし。
わたしのためにあれこれがんばってくれる子も近くにいたし……。
会社で働くのってこんなにしんどくて、人間性が求められるものだなんて知らなかったんだもん!
新卒で入った会社を三日でやめて、怒られるのが怖くて実家の電話も取れなくなって。
それからずるずるずるずるダメになっちゃって。……いや最初の会社も連日遅刻してブチ切れられてたけど。
大学の頃は飲めなかったお酒が友達になって、人と関わらない内職やアルバイトでお茶を濁す毎日。
このままじゃいけない!って一念発起して入った会社も今やこのざま、ボロというボロで仁杜の風評はボロボロです。
「はあ……」
しにた。
いやしにたくないんだけど。
なんか空から白馬の王子さまでも降ってこないかな。
いや王子さまじゃなくてもいいけど、えっちで甘やかしてくれるお姉さんとかでもいいんだけど。
それでも無理なら、そう、せめて……
「会社燃えてないかなあ…………」
叶うはずもない願いごとを口にしながら。
わたしは、遅刻確定の道のりをずるずる歩く。
二日酔いと疲れと気の重さの三重苦。
まるでおばけみたいな足取りで、夢にまで出てくる"嫌なこと"の象徴になった通勤ルートをずるずる、ずるずる。
そうして最後の曲がり角を、死人みたいな顔で曲がって。
ゆっくりと顔をあげて、通い慣れてしまった会社を見つめたら。
「――――――――――――えぇ………?」
――なんか。
――マジで会社が燃えていた。
◇◇
「あ、渡辺さん。おはようございます」
「おはようございまーす。眠たそうですね、板垣さん」
給湯室。お茶を汲みにきたふたりの女性社員が、挨拶を交わす。
ふたりは旧知の中であった。前の部署が同じで、今も顔を合わせるたびにこうして近況報告じみた世間話をする仲なのだ。
「眠いよー。昨日も残業やばくてさ、日付変わってようやく帰れた感じ」
一流企業かと言われれば疑問符がつくが、それでも"それなり"にはいい企業である。
その分と言ったら語弊があるが、部署によっては激務が嵩んで毎日のように残業をしている実情もあった。
特にこの〈渡辺さん〉のようにある程度長く勤務している人間は、深夜まで平気で残らされることも多い。
一応残業代は出るのだが、それでも堪えるものは堪える。眠そうにあくびをする〈渡辺さん〉に、〈板垣さん〉は同情したように声を出した。
「うえぇ。やっぱりそっちの部署キツいんですね〜……あ、そういえばあの人。最近どうしてるんですか?」
「あの人って?」
「ほら、渡辺さんが前に飲み会で愚痴ってた人。なんでしたっけ、えぇと……」
「ああ、天枷さん?」
「あ、そうそうその人! こっちの部署にもたまに話流れてくるんですよー。とにかくめちゃくちゃ使えない人だって」
「うーん……あれは使えるとか使えないとかじゃないんだよねぇ……。
なんていうんだろ……もっと根本的にこう、人間としてその……アレっていうか……」
〈天枷さん〉の名前を出された〈渡辺さん〉は、苦虫を噛み潰したような顔をした。
露骨な嫌な顔。それは、〈渡辺さん〉が〈天枷さん〉にどれだけのフラストレーションを溜めているかを静かに物語るものだった。
〈天枷さん〉。――天枷仁杜(あまかせ・にいと)。
彼女は、一言で言うならば"問題児"であった。
信じられないようなミスをする。しかもそれを誤魔化そうともする。
ミスが多いだけならまだしも日頃の勤務態度も終わり散らかしている。
〈渡辺さん〉が見限るようになったきっかけが、先日の"来客無視事件"だった。
訪ねてきたお客さんを無視してさっさとどこかへ行ってしまったのだ。言うまでもなく、社会人としては論外の行動である。
「遅刻癖もやばいんでしょ? 挙げ句会社にいる間も居眠りしたり、来客無視してどっか行っちゃったり」
「まあねえ……。一応T大出てるんだけどね、あの子」
「T大!? え、マジですか。それなのにそんなんなんだ……」
「勉強以外何もしてこなかったって感じだよ。目見て話せないし、注意しても絶対言い訳してくるし。
私も最初は長い目で見ていこうと思ってたんだけど……いや〜〜、最近ちょっと限界感じてるかな。
この前なんて結構強めに怒っちゃったし。たぶん今日も遅刻してくるんだろうなあ、課長の機嫌がまた悪くなっちゃう」
「うへぇ……。同情しちゃいます。私だったらもううんざりしちゃいそう」
勉強ができるのと、社会人として有能なのとはまったく話が違う。
その点、〈天枷さん〉は前者だった。それだけの人間であった。
人とコミュニケーションが取れない。社会人としての責任が持てない。
周りに合わせることよりも自分を優先してしまう。自覚もないから、平気で周りを振り回せる。
自己弁護だけは一人前で、この世のすべてを相手のせいにしてしまえる見下げるしかない他責思考の権化。
「まあ……近い内に辞めちゃうんじゃないかなあ。次はもう少しこう、ちゃんとした人が入ってくるのを祈るよ」
こぽぽぽぽ、とケトルからカップにお湯を注ぎながら。
疲れ果てた声色で言う、〈渡辺さん〉。
〈板垣さん〉も、カップにインスタントコーヒーの粉を入れながらそれに相槌を打つ。
朝の職場の一幕。職場のストレスを密やかに共有する、どこにでもありふれた光景。
そんな時のことであった。給湯室の扉が、きいいい、と音を立ててゆっくりと開いたのは。
そして、その向こうから――"会社"という場所にはまるでそぐわない見た目の美男子が、当然のような顔で入室してきたのは。
「こんにちは」
「え……?」
スーツを纏った、青年だった。
年頃は二十代の前半、行っていても半ばに見える。
頭髪は金髪で、派手でありながらしかし下品には見えない。
さながら、ライオンの鬣を思わせる美しくも雄々しい色合いであった。
そして顔立ちは、まるでホストクラブにでもいるような優男。より俗に言うならば、イケメン。
線は細く、それでいて女々しさや弱々しさは微塵も感じさせない――"男"という生き物の、ひとつの理想形のような青年。
「ごめんなー。キミらにはさ、あんまり恨みとかないんだけど」
「あ、えっと……」
誰もが、呑まれる。
〈渡辺さん〉と〈板垣さん〉は、完全に言葉を失っていた。
突然の出来事だから、ではない。
目の前の男のあまりの壮麗さとそして存在感に、女として魅入られてしまっていたのだ。
だからこそ、まるで媚びたような。
飲み屋で自分たちに話しかけてきた男へ、探り探りの返事を返す時のような。
そんな顔で、声色で。たどたどしく、さながら吃音症のようにはっきりとしない口調で言葉を紡ごうとして。
いや、してしまって。だからこそ――いや、何をどうしたとしても。
「俺の舞台に必要なことだからさ。悪いが犠牲になってくれ、お姫さまのためにな」
男が、奇術師の王たる巨人が。
自分のために巻き起こすその〈手品〉を、止めることなどできるはずもなかった。
両手を広げる。それはまさしく、マジックショーの開演を告げる所作。
ふたりの哀れな女たち(ギャラリー)が男の美貌に見惚れ、この状況に理解が追い付かず戸惑っている間にも。
既にお姫さまのためのマジックショー、ある神話の中からこぼれ落ちた嘲りのしずくは波紋を立てていた。
ボイラーが火を噴く。
異常な事態と高熱に歓声/悲鳴があがる。
溢れ出した火が、巨大な腕の形を取り始める。
室内の温度はこの時点で既に急速な上昇を遂げている。
二本の腕が、這い出すようにして破けたボイラーの中から現れる。
手は明らかに、普通の生命体の基準で語られるサイズを超えている。
観客がくず折れる。既にその皮膚は焼け爛れ泡立ち始めている。
ボイラー。張り裂けた断面から伸びた双腕が、生まれたひび割れをこじ開けて。
中から。
厚さにしても一メートルもないだろうそのちいさな隙間から。
何かが、こちらを覗いている。
巨人の貌だった。
無機質で、されど無限大の情念を滲ませた形相がそこにあった。
矮小な空間に押し込められていながら、それでいて天を衝く巨躯であるという矛盾が当然のように成立していることに疑問を抱くことは愚かだ。
何故ならこれは奇術。マジック、なのだから。
故にその所業に不可能は存在しない。
あらゆる現実が、ショーの世界では随意にねじ曲げられる。
巨人が、這い出して。
そしてゆっくりと、立ち上がる。
五階建ての会社のその一階。
給湯室に佇む五十メートル台の巨人。
矛盾した幻像を、しかし女たちは最後まで見届けることができなかった。
巨人の放つ熱と炎を前に、既に彼女たちは全身を骨の髄まで炭に変えられて焼死していたからだ。
「あらら。つまんねえの」
誑かし甲斐のねえ奴らだコト。
つまらなそうに呟いて、奇術師は踵を返した。
それに合わせたように、巨人の姿が肥大する。
小さな部屋という名の箱に押し込められていた巨人が。
今度は一転、矛盾を破棄して、元の規格(サイズ)を現実名義で取り戻す。
人間を放つ熱気の余波だけで焼死させられる、太陽のような大熱源が。
一切の矛盾なく、誤魔化しなく、それだけの規格を取り戻したのなら。
その時起こる事象は、当然のように決まっている。
――炎の巨人が、窮屈な箱の中から立ち上がって。その全体像を、露わにするのだ。
「太陽を超えて耀け、炎の剣(ロプトル・レーギャルン)……ってのは、まあちょっと言い過ぎか」
結果として、〈お姫さま〉を囚えていた社会の牢獄はこうして火事になった。
立ち上がった巨人の体躯が、一階から最上階までを余すところなく粉々に粉砕して。
その上で身体から放たれる炎熱が、ひとり・ひとつの例外もなく一切の焼却を果たす。
すべてはわがままでか弱い〈お姫さま〉のため。
奇術師の王は、神さえ誑かす嘲笑のトリックスターは、挨拶代わりにさっそくひとつの爪痕を刻んだのだ。
そうして。
時間軸は、現在へと戻る。
疲れ果てた〈お姫さま〉。
彼女の認識する現在へと、進む。
◇◇
「初めまして、お姫さま。いや、マスター? それとも演者(アクター)? お好みなのでいいよ」
燃え盛る会社を、呆然と眺める仁杜の前に。
ひとりの男が、芝居がかった調子で姿を現した。
「俺はキャスターのサーヴァントだ。
真名は〈ロキ〉。君の願いを受け取って現界した」
「……、……」
「おいおい、どうしたんだいそんな顔して。
喜びなよ。手始めにさっそくひとつ願いを叶えてやったんだぜ。
最高のハッピーを提供してあげられたと自負してるんだが、お気に召さなかったかい?」
百人が見れば百人が美形と認めるような、優美でよくできた顔立ち。
それでいてこの軽薄な言動だから、黒スーツ姿なのも手伝ってホストか何かのようにも見える。
しかし決定的に違う点が、ひとつ。
彼らは理想の王子さまを演じて笑うが、これにはそもそも演じる気さえないということ。
へらり、と浮かべたその笑みに含まれている感情は"嘲笑"以外には何もない。
人の弱さ、脆さ。そんな何かもっともらしいものを嘲っているのではなく。
もっと純粋に――自分の行動で一杯食わされた、相手の動揺と間抜け面をこそ嘲笑っているのだ。
故に彼は、〈ロキ〉は生粋の悪童。
生粋の奇術師、最悪のトリックスター。
全能の大神でさえ持て余す、北欧の悪意そのもの。
高尚でないからこそ何より読めぬ、単に"性格が悪すぎる"が故の完全性をこのサーヴァントは有していた。
「……あなたが、やったの? 会社――」
「だからそう言ってんじゃん。全部俺がやったよ、君のために。
君が望んだからちゃんと叶えてやった。なるだけ多くの人間が犠牲になる形で、手抜かりなくね。
あれ、もしかして不満だったかい? "誰も死なずに、嫌な場所だけ燃えてほしい"とかそんな感じだった?
だったらごめんよ、うっかりしてた! "次からは"気をつけるから、今回は目を瞑ってくれ!!」
紛れもない、とある分野においての最強種でありながら。
そして同時に、この上ないほどの不良物件。
何故ならこれは、演者に寄り添うつもりなどかけらもない。
常に自分。我欲を満たして嗤うため、常にそのために彼の手技は弄される。
哀れな〈お姫さま〉は、悪意にあふれた最悪の〈王子さま〉を引き当ててしまった。
ぺたり、と地面に尻もちをついて。
呆けたような顔で〈ロキ〉を見つめるその顔は、まさに間抜けの一言に尽きる。
ああ、だからこそ。
奇術師の王に誤算があったとすれば。
それは――
「…………………………あ゛り゛か゛と゛ぉ゛〜゛〜゛〜゛〜゛〜゛〜゛!!!!!」
彼が引き当てた〈お姫さま〉もまた。
おそらく考えられる限り、最悪と言っていい人間だったことであろう。
「ほんっっっっとにありがとう゛ぅ゛……! また遅刻して怒られるところだったぁ……!
履歴書に書けない情報また増えちゃうところだったよぅ……! うぅううぅ゛……! よかったぁあぁぁ……!!」
〈王子さま〉の足に縋り付いて、子どもみたいにえぐえぐと泣いて。
〈お姫さま〉は、涙と鼻水でぐっちゃぐちゃの顔で感謝を伝えていた。
まるでそう、何か命の恩人にでもするみたいな。
もしくは生き別れたきょうだいにでもするみたいに、文字通り全身全霊で感謝を伝えてくる彼女の姿を見下ろして。
「…………、…………んん?」
〈王子さま〉――〈ロキ〉は、首を傾げた。
あれ? 何か間違ったか……? とでも言うような顔だ。
およそ彼が、この性悪奇術師が浮かべるべくもない表情だった。
(あっれ〜……? 俺、割と大勢ブチ殺したよな……?
何気ない日常の愚痴を誇大解釈して、最悪の形で願いを叶えてやるっていう――割とやられたくないことしてやったつもりなんだけど……?)
彼は、間違いなく超弩級の性悪である。
人の嫌がることと、人の呆けた顔が大好きの悪党である。
自分が愉しむためなら、彼はなんだって躊躇わない。
その行動に、およそブレーキというものは存在しない。
だから今回もこうした。
人の心の弱さを虫眼鏡で拡大して、ありもしない意味を付け足した上で叶えてやった。の、だが。
「会社っ……燃えたぁ……! 課長っ……死んだぁ……! もう行かなくていい……! やったぁ……!!」
彼女もまた、超弩級の社会不適合者である。
自分が楽をするためになら、いくらでも人を振り回せる最悪女。
〈お姫さま〉は、ほんとうに会社に行きたくなかったのだ。
彼女にとってそれはほんとうに、どんな形ででもいいから叶ってほしい願いごとだったのだ。
そしたら会社が燃えた。燃やした張本人も、なんか出てきた。
だから大喜びしながら感謝を伝えている。彼女の中では、筋の通った行動だった。
「あとでマックとかおごるね……ぐすっ、エナドリも付けちゃうし……アマギフとかも、お望みだったらっ……!」
「……えぇっと……」
――〈ロキ〉、生まれて初めての困惑である。
誑かした相手が激怒したことも泣き喚いたことも山ほどあるが、感涙して抱きつかれた試しは一度もなかった。
なんだこいつ。こいつ、マジで現代の人間か?
現代の人間って、もっとこういろいろ脆っちいメンタルしてると思ってたんだけど……。
そんな困惑を胸に、奇術師の王は口を開く。
疑問符を頭の中に山ほど浮かべながら、なんとか絞り出した言葉は。
「君、名前は……?」
とりあえず名前を聞いてみる、という。
皮肉にも――およそあらゆる人付き合いで、たぶん基本となるだろう一言だった。
「天枷仁杜……。あ、親しい人は〈にーとちゃん〉って呼ぶよ……!」
女の名前は、天枷仁杜。
通称〈にーとちゃん〉。
親しみで呼ぶ人三割、蔑称で呼ぶ人七割。
――社会不適合者界の、妖怪である。
◇◇
悪童の王が、剣を振るう。
大気を切り裂いて、魔術の障壁をこじ開けて。
哄笑しながら暴れ狂うそのもう片手には、あろうことか長大なヤドリギの枝が握られていた。
巨人が投擲するたび、それは矢に変わって敵対者に襲い掛かる。
乱雑に投げただけであるのに、敵の所在をホーミングして突っ込む理不尽な命中精度。
〈ミストルティン〉。これが神話にそう綴られるヤドリギの矢であることは明白だった。
「おのれ、が……! 〈ロキ〉、貴様ァッ……!」
これがどれほどのろくでなしであるのかなど、生前から知っている。
北欧の地に名高き、いや悪名高きトリックスター。
全能の大神の義理の兄弟にして、神であると同時に神敵たる霜の巨人の血を引く悪童。
〈ロキ〉。詭弁、策略、愚弄、そしてあまたの戦果を常に恣にしてきた男。
生前から忌まわしいとは思っていた。
だがまさか、このような異境の地で相見えることになるとまでは思わなんだ。
男の――英霊の顔に貼り付いているのは、隠しきれない苛立ちと憤怒。
「相変わらずの独活の大木だなぁオイ! 捕まえてみなよ、"鬼さんこちら、手のなる方へ"だ!」
「ッッ……! 侮るなよ、塵が!」
憤激のままに解放される、宝具。
空を切り裂いて迸る、槍の一撃が〈ミストルティン〉を弾き返す。
その上で尚も勢いは死なず、嘲笑う悪童の王を射止めんと奔る。
愚弄の報いはその血で贖わせる。必ずや。
そんな矜持と、それ故の怒り。二種の感情が高度な技術に裏打ちされて轟く光景は、まさしく神話の具現だった。
やるね、と〈ロキ〉が嗤う。
これでは不足と判断したのだろう。
握っていた剣をひょいと、まるでゴミでも捨てるかのように放ってしまった。
「ヤキが回ったか!」
「いいや、まさか。
ヤキが回ったとすれば、うーん。君の方なんじゃない?」
何を言って――
言い返そうとして。
北欧の槍兵は、言葉を失った。
絶句したのだ。そうせざるを得ない光景が、視界の先にいる〈ロキ〉のその背後に、顕現していたから。
「……なんだ、それは……」
炎の巨人が立っていた。
無数の槍を携えた、戦乙女の群れが飛んでいた。
空を埋め尽くすほどに巨大な、神々の帆船が飛んでいた。
その上で〈ロキ〉の十指、すべての間にヤドリギの枝が挟まれている。
悪童の王は無法にして無体。
だが、それでも。
「その顔が見たかった」
こんなことが、現実にあり得るはずがない。
此処は聖杯戦争。そして己もあちらもサーヴァント。
零落した存在なのだ。神たるロキなど、一体どれほどの弱体化(デバフ)を受けているのか想像もできない。
いや、そもそも。仮にこの悪童が、何らかの手段で弱体化を経ずにこの場に立っているのだとしてもだ。
巨人(スルト)を飼い慣らし。
戦乙女(ワルキューレ)を侍らせ。
神々の帆船(スキーズブラズニル)を我が物にするなど。
そんなこと――如何にこれが〈ロキ〉だったとしても、不可能ではないのか。
「――そうか」
悟る。
すべては遅いと、理解しながら。
歯を噛み締め、奥歯を砕きながら。
槍の英霊は仇敵に――いや、その皮を被った〈それ〉に。
血さえ吐き出す勢いで、最大の憤激を込めて吠えた。
「貴様、ウートガルズの――!!」
「おっと悪いね。ネタバレにはまだ早い」
瞬間、世界が白光に満たされる。
神話の白光、滅びの具現。
神々の黄昏(ラグナロク)もかくやの大破壊が吹き荒れた。
だというのに、何故世界は無事でいるのか。
東京の街並みは吹き飛ぶこともなく、聖杯戦争は継続されているのか。
その答えは、既に再三語られている。
〈ロキ〉は、奇術師だからだ。
彼の手技はすべてが手品、まやかしの産物。
大神オーディンを騙し、悪童の王を打ち負かし、デンマークの王を憤死させた北欧最高の大嘘吐き。
ウートガルズの王。
煙る霞の巨人王。
〈ウートガルザ・ロキ〉。
――――その幻術は、理解(わか)ったところで破れない。
◇◇
「ロキく〜〜〜〜ん!!! おっかえりぃ〜〜〜〜!!!」
「にーとちゃ〜〜〜〜ん!! たっだいま〜〜〜〜!!!」
なんだか同郷らしかった英霊を適当に処理して、すっかり住み慣れたマンションの一室で再会を祝し合う。
ぱたぱたと駆けてくる小柄な成人女性は、顔いっぱいに信頼と親愛を載せていて。
そして驚くべきことにウートガルザ・ロキも、嘘偽りない笑顔でそれと対面した。
「今日のぶんはもう終わったの?」
「ああ。いつも通り、面白くもなんともない作業ゲーだったけど」
「そっかあ。うーん、わたしはロキくんにあんまり危ない目にあってほしくないし、その方がいいんだけど……」
「俺も圧勝の方がいいよ? けどさ、そろそろ長くおちょくれる遊び相手も欲しいわけ。にーとちゃんはそういうのじゃないしねー」
「えへへー」
――ウートガルザ・ロキの能力はひとつである。
〈幻術〉。世界そのものを騙し、たぶらかし、現実ではあり得ない事象を顕現させる神をも凌駕する至高の御業。
かの大魔術師が駆使する大幻術(グランド・イリュージョン)とは異なり精神への干渉は不得手とするが、その分戦闘に使うならこちらが勝る。
巨人スルトの顕現。ミストルティンの釣瓶撃ち、スキーズブラズニルの召喚、それら神秘すべての総攻撃。
いずれも、可能である。何故ならこれはただの幻、手品なのだ。
本物を用意してくるのならいざ知らず、たかだか子供騙しの虚言八丁ならば。
サーヴァントという零落した身であろうとも、ウートガルズの王にとっては造作もないことだった。
しかし。
そんな彼も、決して無敵ではない。
そもそも彼とこの聖杯戦争という舞台は、根本からして相性が悪すぎるのだ。
(俺とマスターは常に同じ現実を共有する。つまり一心同体。夢を見てるのが俺だけじゃ、俺も思うままの夢は描けない)
サーヴァントである以上、マスターの存在は不可欠。
あるいは悪童の〈ロキ〉ならば、単独行動スキルなり何なりでその問題も解決できるのかもしれないが、彼の場合はそうではない。
マスターに縛られているが故、常に見つめる現実の真実味まで共有してしまう。
ウートガルザ・ロキがどれほど夢を見ていても。
それを従えるマスターが夢のない現実を見てしまっていたら、都合のいい夢に耽溺できる精神を有していなかったら、その"夢のなさ"がサーヴァントであるウートガルザ・ロキにまで毒素として流れ込んでしまうのである。
そして聖杯戦争の舞台となる土地は、大体の場合が現代。神代が終わり、神秘が影に隠れた"夢のない"時代。
故に当然、そこを生きている人間も悲しいくらいに夢がない。
誰もが現実と折り合いをつけてなあなあに生きているから、北欧最強の幻術が正しく効果を発揮してくれない。
たかが幻、たかが奇術師。
神の御業と見紛う奇跡も、タネが割れてたらそれはただの子供騙しだ。
レーギャルンの剣は、格下ひとり殺せず。
スキーズブラズニルも、ただの蜃気楼に成り果てるだろう。
だからサーヴァントとして招かれるウートガルザ・ロキは、弱いのである。
独りよがりな嘲笑者は、決して相棒を得られない。
ふたりでひとりの環境では、三文役者にしかなり得ない。
その筈だった。
けれど。
「あのさ〜」
「なぁに〜」
「やっぱにーとちゃん最高だわ。運命の人っているんだね、俺この歳になって初めて知ったよ」
「ほわわわっ! そ、それほどでも……あるかも〜……? ふへ、うへへへっ」
――天枷仁杜は、決して現実を見ない。
彼女は超弩級の社会不適合者。
現実の中で夢を見て、今日も元気にとろとろ生きてるダメ人間。
だから仁杜は、〈にーとちゃん〉は、ウートガルザ・ロキに最高の夢を供給し続けることができる。
魔力面は持って生まれた才能で補って、相性面は奇術王が拍手喝采するほどに最高。
令和5年、東京。生きた時代も地域もまるで異なる異境異界の地で、とうとう巡り合った運命のパートナーだった。
「仕事も済んだしゲームでもやろっか。俺なんか簡単に食うもの作るからさ、にーとちゃんはソフト立ち上げといてよ」
「うん! 何にする? シージ、APEX、ヴァロ、あっ最近買ったのだと鉄拳とかスト5もあるけど!」
「FPSがいいな。俺が画面越しにだまくらかすから、ふたりでチーターボコり散らそうよ」
「それ最高〜〜〜! ストゼロも出しちゃおうね、えへへへへへ……」
運命は平等に微笑む。
それが善人であろうと、悪人であろうと。
これもまた、ひとつの運命。
会社が燃え、晴れてまた幸せなニートになった女と。
神すら騙して手玉に取った、北欧最高の奇術王。
彼らにとっては最高で、それ以外端役(モブ)にとっては最悪の聖杯戦争が、街の片隅でとろんとろんと幕を開けていた。
【クラス】
キャスター
【真名】
ウートガルザ・ロキ@北欧神話
【性別】
男性
【属性】
混沌・悪
【ステータス】
筋力C++ 耐久D 敏捷D 魔力A+ 幸運B 宝具EX
【クラススキル】
陣地作成:C++
陣地の形成力自体は並だが、神さえ騙す幻術で規格外の迷宮を作り上げる。
道具作成:C++
道具の形成力自体は並だが、神さえ騙す幻術であらゆる武装を創造する。
【保有スキル】
トリックスター:EX
EXランク。純粋な強弱では測れない、万象を"たぶらかす"愉快犯。
悪童の王をすら嵌めた奇術師、ウートガルズの王。
精神干渉の影響を常に受けず、令呪を含めたあらゆる強制力に対し無類の抵抗力を得る。令呪にさえ行動を縛られない。
またその性質上、王や神を始めとした"支配者"の特性を持つサーヴァントに対しては相性がいい。
巨人外殻:A
巨人種の肉体を構成する強靭な外殻。
きわめて特殊な組成を有しており、攻撃的エネルギーを吸収して魔力へと変換する。
吸収限界を上回る攻撃(一定ランク以上の通常攻撃や宝具攻撃など)については魔力変換できず、そのままダメージを受けることになる。
幻術:A+
人を惑わす幻術。世界そのものを誑かすことに限りなく特化している。
後述の宝具と一体化したスキルであり、彼の幻術は気付きを得たところでそれだけで突破することはできない。
怪力:-(A相当)
一時的に筋力を上昇させる。
使用することで一時的に筋力を増幅させる。一定時間筋力のランクが一つ上がり、持続時間はランクによる。
ウートガルザ・ロキは奇術師であり、よって基本的にこのスキルに頼ることはないため自己封印している。
【宝具】
『踊れ躍れ万物万象、虚仮生す巨人の掌で(ウートガルザ・ロキ)』
ランク:EX 種別:対界宝具 レンジ:1〜100 最大捕捉:限度なし
雷神(トール)を踊らせ、悪童王(ロキ)を笑い者にし、デンマークの王を憤死させた最高幻術。
世界そのものをたぶらかし、物理的干渉力を伴った幻という矛盾を実現させる。
騙しているのは個人ではなく世界そのものであるため、幻術だと気付いたところで突破口となり得ない。
神殺しや生命特攻などの本来幻が持ち得るはずのない性質も、世界に対しそう認識させることで限りなく現実に近い事象と化し再現される。
トールはおろか、同じトリックスター族であるロキをも騙した逸話から、こと北欧神話に由来するサーヴァントは彼から聞くか、他の誰かから伝聞で正体を聞くかしない限り絶対に彼を『ウートガルザ・ロキ』であると判断することができない。
魔術師フランソワ・プレラーティの宝具に類似するが、あくまで奇術師であるウートガルザ・ロキは直接的な精神干渉を好まず、不得手とする。
擬似的な全能にも等しい権能であるがこれでも制約が存在し、それは大きく分けて二つ。
ひとつ、『幻術による攻撃で受ける被ダメージは物理耐久ではなく、精神の耐久度で計算される』。
ウートガルザ・ロキの幻術は知っていたところで騙されるが、幻として受けるのとそれを知らずに受けるのとではダメージの大きさが異なる。
知らなければ神でも完敗するが、知っていれば精神(こころ)の強さ次第では人間でさえミョルニルの一撃を持ち堪え得る。
要するにマジックショーをそれが手品と知った上で見るか、知らずに見るかという話。とはいえウートガルザ・ロキは奇術師の王、誑かしの極み。
その幻術を正面切って看破することは、仮に相手が全能の大神であろうと極めて困難である。
そしてふたつ、『要石であるマスターが正常であればあるほど、ウートガルザ・ロキの幻術は大幅に弱体化する』。
マスターとウートガルザ・ロキは同じ現実を共有する。だからこそ、マスターが目の前の現実を信じられない正常な人間であった場合、彼の幻もそれに引きずられて破壊力が減衰してしまう。
神代が終わり、神秘の薄れた現代を生きる人間は誰もが皆大なり小なり冷めており、そのためサーヴァントとして召喚されたウートガルザ・ロキはこの制約に大きく引っ張られて何もせずとも弱体化する。
……だが、今回のマスターは現代屈指の超弩級社会不適合者にしてダメ人間。
都合のいい幻に耽溺することなら超一流のにーとちゃんは、ウートガルザ・ロキという素敵な大親友を常に全肯定している。
北欧のろくでなしと現代のろくでなしが起こした奇跡の共鳴。今回の聖杯戦争における彼は、考えられる限り最大のパフォーマンスを発揮可能。
魔力面でも普通のマスターであれば彼の要求量に耐えられず枯れ果てている。
【設定・備考】
北欧神話に登場する巨人の王。ヨトゥンヘイムはウートガルズの城に棲まう、北欧最悪の幻術使い。
生まれたその瞬間から天才だった彼は、もしルーンを真っ当に極めたならばアースガルドの神族達の中でさえ群を抜くだろう才能を有していた。
しかしウートガルザ・ロキは天才であると同時に、生まれながらの性悪でもあった。
人を騙すこと、誑かすこと、そして騙されている相手の間抜け面を見る快感に取り憑かれ、すべての才能をかなぐり捨てて幻術の研鑽に邁進。
最終的にウートガルズの王となったウートガルザ・ロキはトールを騙し、ロキを笑い者にし、完膚なきまでにおちょくって悠々彼らの前から立ち去り勝ち逃げを果たした。
種族としては巨人であるが、『必死こいてる感出すぎ。性に合わない』という理由で基本は人間大のサイズを取る。
とはいえ所詮ただのこだわりでしかないので、その気になれば巨人としての姿になることも可能。封印している怪力もいつでも解放できる。
だが、巨人の力を開帳することは彼にとって敗北宣言に等しい。
ウートガルザ・ロキはあくまで奇術師。術をかなぐり捨てて殴りかかるなど無粋も無粋。彼が王として持つ、唯一のプライドである。
【外見・性格】
金髪に黒いスーツを着た、ホスト風の優男。傍目には現代人にしか見えない。
性格は悪童の名に恥じぬろくでなし。挑発的で軽薄、そして自分勝手。
にーとちゃんにはとっても優しい。
【身長・体重】
175cm・65kg
【聖杯への願い】
面白ければ何でもよし。使い道は考え中。
イェーイにーとちゃん最高〜〜! プリン食べる? \食べる〜!/
【マスターへの態度】
相性最高、生前から今まで見たことのない超弩級社会不適合者。
どうせ夢のないヤツに使役されるんだろうなぁ、と内心萎えてたロキくん(嘘は言ってない)もこれには満面の笑み。
聖杯戦争のモチベーションも爆上がりしている。運命の人っているんだなあ。
マスター
【名前】天枷仁杜/Amakase Niito
【性別】女性
【年齢】24
【属性】中立・中庸
【外見・性格】
黒髪ロング。童顔で低身長なので、高校生はおろか中学生に間違われることもしばしばある。
だぼだぼのパーカーを常に着用しており、下はよれよれのデニムパンツ。もらいもの。
コミュ障ダメ人間。兎にも角にも要領が悪い、意志が弱い。自分を甘やかす天才。
誰も彼もどうでもいいくせに自分に優しい人にはとことん依存するタイプ。逆に言えばそこ以外、天枷仁杜は自分の形で完成されている。
【身長・体重】
148cm/48kg
【魔術回路・特性】
質:D 量:A++
編成は異常。実際の魔術はほぼ使えない。
偶然が見出した、究極の原石。
【魔術・異能】
あるとすれば軽い肉体強化くらい。
二日酔い対策に重宝しているらしい。
【備考・設定】
時に親しみ、時に嘲笑を込めて〈にーとちゃん〉と呼ばれる。
たまたま勉強ができたので大学まではとんとん拍子で入り、それなりに周りに目をかけられていたので卒業もなんとかできた。
しかし社会に出てから学力ではごまかせない要領の悪さと元の人間性で盛大にすっ転ぶ。
新卒で入った会社を三日でぶっちし、気まずくて実家からの電話も取れず、あまり人と関わらなくていいバイトで生計を立てていた。
このままじゃいけない! 三十超えたらどうしよう!と思って一念発起、学歴パワーで就職を果たすがやっぱり無理なものは無理だった。
入社一月で目の上のたんこぶになり、会社燃えろ〜会社燃えろ〜と祈ってたら本当に会社が燃えた――というのがここまでの経緯。
〈古びた懐中時計〉についてはその辺のゴミ捨て場で拾った。メルカリで売ろ〜!って思ってたらしい。
好きなものはストロングでゼロなあいつとお寿司。YouTubeの実況者グループ。ゲーム。嫌いなものは会社と税金。
……マスターとしての才能は最高級。ウートガルザのろくでなしを使役して顔色ひとつ変えない程度には才能がある。
【聖杯への願い】
一生涯不労所得! 5000兆円欲しい!!
【サーヴァントへの態度】
ロキくん〜〜〜〜〜〜!!!!!!!(最大級の親愛)
会社燃やしてくれたしなんか夢も叶えてくれそうだし超ハッピー! スパダリとはまさにこのことかな!?
やるぞ! 聖杯戦争!!
投下終了です。
投下します
健康な身体で健全に育つということが普通に生きるということならば、俺はいったいいつから普通に生きられなくなったのだろうか。
「コヒュー……コヒュー……」
少し肌寒い夜の病院のベッドの上で1秒でも長く生きる為に肺を働かせながら死というものに抗おうとする。
だが俺の肌は側から見ても恐ろしい程に白く、身体や腕も布団を満足に持ち上げられなそうな程に細い。満足に伸びることすら出来なかったその月明かりに照らされた身体は一目見ただけで病人であると断定出来てしまうほどに恵まれてこなかったという嫌な自信がある。
「コヒュー……コヒュー……」
息をすることに専念し、無駄な一言も喋ることは無い。周りに喋る者は居らず、喋れるとしたら独り言だけ。かと言って寂しいだけでナースコールを使い看護師に迷惑をかけれる程良心は欠けていなかった。
それならば少しでもこの息を長続きさせる方が賢明だと俺の身体の本能は言っているのだ。
だが、それでも生きようと足掻く精神が空に浮かぶ月にしか聞こえない言葉を口から溢れさせる。
「なんでだよ……」
それは何度も見た俺の醜い心からの慟哭であった。なんで自分が、なんでこんな未知の病にかかり、なんで未来を閉ざされなければならないのか。そんなことを考えてはそれを生きる気力の燃料とする。
それが今の俺に出来る死への唯一の抵抗だからだ。だがそんな抵抗は毛ほどの意味も無いことは自分自身が誰よりも分かっていた。
だがそれでも止められないのだ、それがどれだけ無駄な足掻きであろうと。生きる事を諦めきれない生への野心が、死ぬことを覚悟出来ない臆病心が、死にたくないと叫んでいるからだ。
「……俺は死なないぞ…」
また意味もない言葉で気力を上げる。そうだ、まだ死ぬ訳にはいかない。まだ、こんな俺にここまでしてくれた両親に親孝行が出来てない。まだ、誰もが経験する普通を経験し切れていない。まだ、この病に侵された人生に満足し切れていない。
そんな言葉が頭の中の熱い部分から溢れ出し、それを頭の中の冷たい部分が白い目で見る。
もうここまで末期まできたのなら治りようなんかない。医者も俺が18になる前に死ぬと言っていたじゃないかと。もう辛いのここらでやめにしよう。
ネガティブな言葉が浮かんだ瞬間に頭の隅に無理矢理追いやる。
「コヒュー……コヒュー……」
毎日こんなことを繰り返し考えて残り少ない寿命を消費している自分が嫌になる。それに自分の身体だからこそ分かる、確実に病によって俺の寿命がどんどん削られていく感覚が。
幼い頃から薬を飲んでも、手術をしても、治ることの無かったこの身体が嫌になる。
そしてそんな身体は何もしていないのに水を欲してくる。それに応えるようにベッドの側にある机の上のコップを取ろうと重い身体を動かして机に目を向けると
「……なんだ?」
コップの側に古ぼけた懐中時計がポツンと存在していた。まるで最初からそこに置いてあったように。
看護師はわざわざこれを置くようなことはしないだろう、父さんや母さんでも無い筈だ。なら誰だ?わざわざこんな懐中時計をこんな重病人の机の上に置くことをする人が思いつかない。なんなら赤の他人の悪戯と考えた方が辻褄が合う。
「……………………」
あまりこういう物は触らない方が良いと分かっている。人の物かもしれない、手を傷つけるかもしれない。だけど、『何か変わるかもしれない』そんな考えが身体を動かす。この突然現れた懐中時計が、『いつもと違う異常事態』が何かを変えてくれるかもしれないと。
こうして俺の手は懐中時計に触れてしまった。
本来無き筈の未来を掴みたい者よ。
願いが叶いし戦場で勝利が欲しければ決意を決めよ、勝利にはそれが不可欠なり。
○ ○ ○
目を開ける前に感じたのは身体中に蛇のように巡る違和感だ。新たな内蔵が出来上がってそこに血管と神経が巡りその情報が全て頭にぶち込まれるかのような感覚が身体全体を駆け巡る。
何よりその新しい器官から何かが確実に奪われていくような不快感がする。それはまるで自分の生命力が病魔に吸い取られていくようで、俺の身体が全力で警告をして息が切羽詰まってしまう。
「カッカヒュッ!コヒュー グッ!」
苦しい、苦しい、辛い、辛い!
今まで何度も経験した過呼吸の治し方を思い出そうとするがパニックになった頭はなかなか記憶引き出しを見つけてくれない。そんな頭を抱えながらも全力で頭の中を捜索する。
思い出せ!思い出せ!思い出せ!俺の記憶はそこまで愚図なのか!
「カハッ!……ヒュー……ヒュー……」
ようやく思い出した過呼吸の治し方で息を整えると同時に周りを見渡す。
ここはどこだ?病室ではあるが俺のいた病院の病室とはベッドも机もカーテンも違う。むしろ机にそのまま変わらずに置いてある懐中時計が不気味に思える。
それに新たな臓器が出来たようなこの大きな違和感も全力で見てないふりをしているだけで確かに僕の体内に存在している。
まだ混乱しながらも明らかにこの異常事態の原因である懐中時計をなんとか取ろうとしたその時、後ろからいきなり声が聞こえてきた。
「あぁ…なんて私は幸運なんでしょうか。まさか私のマスターがこんなにもひ弱で今にも死んでしまいそうな病人だなんて…クケケッ…すみませんマスター、貴方様が未知の感覚により過呼吸となっている姿に見惚れて何も出来ませんでした…クケケッ…」
「誰だ!…!ゲホッゲホッ」
俺の背後に突然現れた声の主を見る為に振り返ると、そこには俺のように不気味な程肌が白い女がおどろおどろしくたっていた。その女性は色あせた和服を着てボサボサの長い髪を生やしておりまるで俺のような病人が死んで霊になったような風貌をしていた。しかもよく見てみると口元には八重歯が異様に尖っていて爪も異常の伸びて野生動物のようだ。だが一つだけ感覚で分かることは、自分の何かが奪われているのはこの女が原因であることだった。
それに俺が病人であることがそんなに嬉しいことなのかにやにやとした視線で見てきて少し悪寒をおぼえる。
咳をしながら謎の女を睨んでいるとその女が高い笑いと低い声を合わせた喋り方で喋ってくる。
「おや?……クケケッ、もしかしてまだ理解が追いつかないのですか…?私はマスターとこの聖杯戦争を勝利する為に召喚されたサーヴァントアサシンですよ…クケケッ、さぁマスター…?貴方様の望みを教えてくださいますかぁ…?クケケッ…」
聖杯戦争、サーヴァント、マスター、本来分からない筈の単語の意味が何故だか理解できる。だがその内容を俺の理性が上手く飲み込めないのだ。
魔術?サーヴァント?本当にそんなものが実在したのか?マスター?令呪?この女が本当にこんな俺に従ってくれるのか?聖杯?願い?本当に願いは叶うのか?
自分に埋め込まれた知識が信頼出来ない。だがこの知識を鵜呑みにするのならば、この違和感と不快感は新たに出来た魔術回路という器官からこのアサシンに力が使われているからだろう。
俺がその知識に戸惑っている間に、アサシンがまたニンマリと笑いながら話を詰めてくる。
「…クケケッ…お答え出来ませんか…しかし私には分かりますよ、貴方が心から望むこと……その病に侵された身体を治したいのでしょう?」
「………!なんで……!」
「…クケケッ…そのような状態であるならば、誰でも分かることですよ…生きたいのですよね…?…貴方様に深く深く根を張っているその病を除去して未来を見たいのですよね…?」
「………………」
不気味ながらも圧迫感のある風に自分の願いを当てられて少し押し黙ってしまう。確かに俺はこの病とおさらばしたい。だが植え付けられた知識によると願いを叶えるには聖杯戦争に勝つことらしい、だが聖杯戦争に勝つには…
「…殺人を…」
「……クケケッ…おや…?どうしたのですか…?」
「願いを叶えるには、聖杯戦争に勝つには、人を殺す必要があるんだろ!そんなこと、出来る訳ないだろ!……!ゴホッゴホッ…」
息を荒げて声を出したせいで咳き込んでしまう。
だがそうしないといけない。そうしないと、恐らく自分は駄目な方向に行ってしまうと俺の頭の冷静な部分が言っている。だって病を治したいという願いは本当に俺が心から願うものだからだ。
だがアサシンはまだニンマリとした笑顔を浮かべて悪魔の囁きを俺にかけてくる。
「……クケケケッ……別に良いじゃないですか、殺人を犯してしまっても…」
「……何を言っているんだ……!」
アサシンが放った言葉は俺には理解が出来なかった。命の重さは軽くないと何回も死にかけた俺自身が知っている。命を奪う決意をしろという方がまだ理解は出来たが、アサシンは殺人を重いものと考えていない言動を展開している。ここでもう俺はアサシンはまともな英霊ではいと確信した。
だが、俺の言葉が少し詰まったのをアサシンは見逃さなかった。
「…クケケッ…じゃあ…マスターは足掻くこともなく生きることを手放すのですか…?せっかく病を治せる最後の機会を得ることが出来ましたのに…それを捨ててしまうのですか…?」
「最後…?」
生きたい
「クケケッ…えぇ、マスターが戦わないことを選択しても、他の参加者はそんなことも関係なくマスターを殺しにくるでしょう…そうなってしまったら病死すらも出来なくなってしまいますよ…?」
「それは……」
嫌だ、死にたくない
「…マスターはやりたい事が沢山あるのでしょう……?成し遂げたい事が沢山あるのでしょう……?…クケケケケケッ…だからこそ、1秒でも長く生きようとどれだけ自分から見て醜くても生に縋りつこうとしているのでしょう…?」
「………………………………」
そうだ、まだ成人にすらなれていない。まともな友人すら出来ていない。自由に運動すら出来ていない。こんな俺にここまでしてくれた父さんや母さんに親孝行すら出来ていない。普通の生き方すら出来ていない。
「……それならば、今こそ全力で美しく足掻く時ですよマスター………貴方の幸運、身体、命、全てを使って勝利掴み取る時です……クケケッ…その為ならば私も全力で貴方のサーヴァントとして働きましょう……」
「………………………………」
今まで生きる為に全力で自分なりに足掻いてきた。今回は足掻かないと殺されて、足掻いて運が良ければ俺の人生に纏わりつき続けたこの病を治せる事ができる。
俺の生存欲が全力で叫んでいる。
生きたい、生きたい、生きたい、生きたい、生きたい、生きたい、生きたい、生きたい!
それと同時に理性も警告を鳴らす。
もう此処が運命の瀬戸際だぞ!冷静に決めろ!元には戻らないぞ!
「……クケケッ…どうしますかマスター…?決意を決めて未来を掴むか……」
人を殺してしまうかもしれない。道を踏み違うかもしれない。後悔をするかもしれない。
「…それとも、人を殺さぬ道を選び……」
でも、でも、でも、でも、でも、でも、でも、でも、でも!
「…こんなところで終わってしまうか……クケケッ…もう一度尋ねましょう、どうしますか……?」
こんなところで終わりたくない!
「……やってやる。」
「……クケッ」
激情に任せて口を開ける。
「やってやるよ!聖杯戦争に勝つ!そしてこの病気だらけの身体治して、生き延びてこの目で未来を見てやる!…俺は決意を決めたぞアサシン、これで良いか。」
それを聞いたアサシンはこれでもかという程に笑顔で顔を歪ませた。
「…クッ…クケケケケケケケケケッ……!…ええ、最高ですよマスター…!……それならば私、貴方様のサーヴァントとして全力を尽くしましょう……!」
「あぁアサシン、これからはよろしく。」
「……クケケッ…アサシン…そうですね、私はまだ名乗っていませんでした…それでは改めて………私の真名は『疫病神』。貴方の身体を触媒に召喚されました…クケケッ……」
疫病神、それは平安の世に蔓延った怪異の一種。人に取り憑き、病や災厄を引き起こすと呼ばれるその悪鬼は、今の俺にとってはとても心強く見えた。
「分かった、俺の名前は大巣陽暮。改めて……!ゴホッゴホッ!」
自己紹介の時にも空気を読まず邪魔してくる病に腹が立つ。だがその間にアサシンを再度見ると彼女は恍惚とした表情をして。
「……あぁ…やはりかなり末期ですね…これだから貴方様にお供しようと思ったのです……クケケケケッ…」
と彼女が小声で口走っているのを知らずに、俺はこの状況で全力で足掻く決意をより固くした。
これは病に塗れた者の物語。
【クラス】
アサシン
【真名】
疫病神
【属性】
悪・混沌
【ステータス】
筋力D 耐久C- 敏捷C 魔力B 幸運D 宝具B
【クラススキル】
『気配遮断』B −
サーヴァントとしての気配を断つ。隠密行動に適している。
完全に気配を絶てば発見することは非常に難しい。
生前陰陽師に発見され倒されたことからキャスタークラスに対しては効果が下がる。
【保有スキル】
『病状操作』(B)
疫病神の病原菌に感染した者の病の進行や症状を遠隔操作できるスキル。
ランクBだと風邪などの軽い病で1.5日、命に関わる病は5 日で末期状態まで持っていくことが可能。逆に進行を遅くするならばどの病でも最大1年引き延ばすことが可能。
疫病神が疫病の概念を背負ったことでDからBにランクアップした。
『感染源』(B)
疫病の概念を背負ったことで得た能力。疫病神にスキルが発動した状態で触れられた者は低確率でスキル『病弱』(C)を付与される。
かすり傷すらも致命傷にしうる危険なスキル。
他にも、自身が発生、作成させた病原菌やウィルスの感染確率を格段に上昇させる補正もある。
『病原作成』(A)
疫病を流行らせる疫病神の特性がスキルになったもの。新たな病の基になる病原菌やウィルスを作り出すことが出来る。また、人類史に登場した病ならば根絶されたものでも生成が可能。しかし、新種のウィルスを作る場合はエネルギーをより消費する。
また、更にエネルギーを消費すればサーヴァントや魔術的存在すら感染するようにできる。
『疫病神』(B)
災いをもたらし幸運を無くすと言われる疫病神のスキル。
自身が気配遮断をしている間、対象の幸運ステータスを1段階気付かれることなく下げることができる。
アサシンを中心とした半径25m以内にいる者に対して最大2人までを対象として指定出来る。
【宝具】
『世界を覆う病の波(ヒューマンズエネミー)』
ランク:B 種別:対生物宝具 レンジ:1〜∞ 最大補足1〜∞
ペスト、コレラ、スペイン熱、過去から現在までの人類のあらゆる病への恐れが宝具に昇華されたもの。
サーヴァントや魔術的存在、果てには神すら含むあらゆる生物に感染するペスト菌を大量に空気中に散布し、相手に撒き散らす。また、ある程度ならば散布の方向の調節は可能。感染した者は、感染してから時間をかけてジワジワと症状が悪化し、人間ならば3日、小型生物なら1日で死に至る。本来ならば種類豊富なウィルスを撒き散らせるのだが、ペスト菌が世界で最も人を殺した病であるという世界全体のイメージから、ペスト菌しか出せなくなっている。また、菌を放出するので普通の生物ならばペスト菌の目視は不可能である。
だが本当の恐ろしさはペスト菌の殺傷能力ではなく、感染ルートなどの条件さえ整えれば距離も範囲も関係なく生物から生物へと感染し続け、自ら動かずとも死体の山を築き上げる疫病の特性そのものである。しかも宝具となったことで感染力は実物以上となっており、現代でもパンデミックが起こってしまう可能性も充分にある。
『宝具詠唱』
この世に蔓延し、繁栄を目指す人類よ。私達は貴方達を良き隣人であり、憎き敵でもある尊き同類として、永遠なる交流を続け、等しく苦しみと死を与えましょう。『世界を覆う病の波(ヒューマンズエネミー)』。
【weapon】
アサシンはハッキリとした形の武器は持たないが、自身が生成、発生させた菌やウィルスを自身の武器としている。勿論普通の生物に目視は不可能であり、ウィルスの種類によって空気、水、生物、地面、全てのものを感染経路として対象に感染のリスクを負わせる。だがウィルスの移動はアサシン本人も制御は出来ず、全く別の生物が感染することも普通にあり得るのだ。
ただし、アサシンが消滅した時点でアサシンが生成したウィルスは効力を失い、病が治ってしまう。
【人物背景】
平安時代の日本や中国に出現した人に取り憑き病を引き起こすとされる妖怪。神と名前にあるが神性は持っておらず普通の怪異である。
本来は幻霊としての格しか持たず、不完全な聖杯戦争でしか召喚されない筈の妖怪である疫病神。だが、疫病神の中でとある陰陽師によって倒された者のうち一体が幸運にも『疫病』という概念を背負い召喚されたことで、英霊と呼ばれる程の霊基を手に入れた存在がこの疫病神である。
生命が始まった瞬間から現代まで世界に拡がり続け、あらゆる動物、人間、そして神すらも殺したと言われる生物を殺すことに特化した災害である『疫病』は不可視で相手に入り込んで殺すというアサシンの適正があったと言える。
病を引き起こす妖怪である疫病神に疫病の概念はとてもマッチしやすいものだったのだろう。
彼女は疫病神として人が病に苦しみ、生きようと足掻き、そのまま無念に死んでいく様を見るのが好きな趣向を持っていたが、疫病の概念を背負ったことでその趣向が更に強化された。
その趣向が最も大きな行動指針の一つであり、病に苦しむ姿を見れるのならばどれだけ人道に反することでも行う。人外故に空気を読んだりするのが苦手だが、生前は様々な人間に取り憑き観察していたので、結構人への理解度は高い。
【外見・性格】
不健康な程に白い肌をした30代の和風な女性。その黒髪は腰までいく程長いが少しザラザラとしており、髪からも不健康さが伺える。服は色褪せた和服を着ており、不気味な雰囲気を漂わせており、顔は美人とギリギリ言えないレベル。尖った爪や口からはみ出る八重歯が人外感を加速させている。
性格は他人が病に苦しむ姿を見るのが好きな腐れ外道。他人が病に苦しんだり、病をなんとかしようと足掻く姿を美しく感じ、それを見るのが最も楽しいことと認識しており、それを唯一の行動方針としている。嫌いなものは病人が病に全力で抗って病が治る瞬間。
一度感染したら治るか宿主が死ぬまで体内に居座り続ける疫病の概念を背負ったからかとても執着心が強い。
本来は召喚された瞬間にマスターに病原菌を送り込む予定だったがマスターが元々病人だったことから方針を変え、延命しながらも全力で聖杯戦争に勝とうとするマスターが病を治す為に全力で足掻く姿を陰でニマニマ見ながらもちゃんとサーヴァントとして従うことにした。
【身長・体重】
身長:157.9cm 体重55.8kg
【聖杯への願い】
もっと病に苦しむ者を多く見る為に人間ではなく疫病神として受肉する。(霊体に受肉する。)
【マスターへの態度】
余命が数ヶ月でも命を捨てる覚悟が持てずに全力で抗っている完全に自分好みの男の子(病人)。しかも病を治す為に他人を殺す決意すら持ったのもグッドポイントで彼が死ぬまではサーヴァントとして仕えるつもり。
自分の病で殺すにしても、他のマスターに殺されるにしても、もともとの病で死ぬとしても最期を見るのが楽しみで仕方がない。
だがマスターに仕える理由が『病を治す為に全力で足掻く病人が結局死んでいくこと』が大好きだからなので、もし彼が聖杯戦争に勝ちそうになったら全力で陽暮の病気の進行を早めて殺す予定。
【名前】
大巣 陽暮(オオス ヒグレ)
【性別】
男
【年齢】
17
【属性】
中立・中庸
【外見・性格】
病人なのでいつも病衣を着ている。
藍色のショートヘアーで肌は病的なまでに白い。腕や身体も全体的に細く、身長も病によって伸びきってないのか低い。
病に長い間苦しんだからこそ自身が生きることに対して重きを置いている。常識や良識自体はちゃんとあり、決意を固めるまでは殺人なんてしないが、アサシンの説得により自身の為に命を奪う決意を固めてしまった。だがそれでもかなりの罪悪感はあるようで後悔はしていないが懺悔はしている。
入院生活をずっと続けていたので人を信じやすいうえに人に騙されやすく、自己肯定感が低い。
【身長・体重】
156.4cm・49.7kg
【魔術回路】
質:D 量:C
【魔術・異能】
一般人だった為特に無し
【備考・設定】
一般家庭に産まれた男の子だったが2歳の時に新種の病原菌による病により寝たきり生活になる。未確認の病気なうえ症例もない為薬は作られずにただ症状に合う専用ではない薬を飲んで過ごす日々、そしてそんなことが続いた結果どんどん病が進行して余命が後数ヶ月になってしまう程の末期にまで至った時に机の上にいつの間にか置いてあった懐中時計を気まぐれに触ってこの聖杯戦争に参加した。
このまま終わりたくないという願望が強く、健康になる為に殺人をする覚悟も決めている。アサシンのスキルにより病の進行は極度に遅くなったうえに症状も緩和されており、病院の設備を使ったり薬を飲むことでなんとか生きながらえている。そんな様子を気配遮断をしたアサシンにジロジロ楽しそうに見られていることは知らない。実質的にはアサシンに生殺与奪の権を握られている。
【聖杯への願い】
自身の病を完全に治し、健康な肉体になること。
【サーヴァントへの態度】
あまり目立たないクラス、能力は現在の動けない自分にピッタリだが、普段の言動からして本当に最後まで自分の病の進行を遅らせてくれるか不安。
だがそれはそれとしてこんな死にかけのマスターに従ってくれているので感謝している。
投下終了です。
お疲れ様です、私も投下させていただきます。
――この時、彼女は人生において最大の帰路に立たされていた。
「や、やめてください……冗談のつもりなら、お、怒りますよ……?」
目の前に続いている道はふたつ。
ひとつの道の先には、忙しい夫の帰りを待ちながらアパートの管理人を務める貞淑な妻としての自分。
退屈で変化がなく、もはや燃えるような激情もない、今まで通りの自分。
そしてもう一方の道の先には……。
「冗談じゃありません。僕は本気だ。本気で――貴女を、僕のものにしたい」
金属フレームの眼鏡の向こうから、青灰色の瞳が彼女を射抜く。
雑誌のグラビアから抜け出してきたかのような、知的な空気を漂わせた美貌の男。
そんな「彼」に、自分は今、白昼堂々言い寄られている。
「いっ、いけません……御存知でしょうけど、私には夫が……」
「貴女のような女性に寂しい思いをさせるような男に、義理立てはいらないでしょう。
それとも、貴女にとって僕は、そんなに魅力に欠けた男ですか?」
そんなわけないじゃない、と内心呟きながら目を逸らす。
自分達夫婦が管理するアパートの一室を借りたいと「彼」が訪ねてきたのは、つい先日のことだ。
聞けば雑誌のモデルをやっているらしい。思わず見惚れてしまったのを覚えている。
最初は顔を合わせるたび会釈するだけだったけれど、そのうち世間話をするようになり、世間話がもっと深い話になって。
気付いた時にはもう、こんなに近くまで踏み込まれてしまっていた。
だけど、そんな状況が案外まんざらでもない自分がいて。
「左薬指の、鎖がついた首輪は、今だけ外してくれませんか。
貴女は自由であるべきだ――少なくとも僕の前では、その権利があるのだから」
彼の長い指がそっと自分の頬を撫で、顎先を優しく持ち上げる。
これ以上はいけない。本当に取り返しがつかなくなる。
だけど、今までの灰色の生活が一変しそうな、そんな期待も確かにあって。
いっそこのまま流されてしましたい……彼女がそう思ったその時。
「――希彦よぅ。今日の晩飯は、儂、もう食ったかのう」
名前を呼ばれた「彼」が、顔をひきつらせて振り返る。
そこには白髭を長く伸ばした小柄な老人が、ぼんやりとこっちを見つめていた。
クールで理性的ないつもの彼の横顔から、今は抑えきれない感情が見え隠れしている。
確かこの人、彼……希彦くんの部屋に田舎から遊びに来ているお祖父ちゃんだっけ。
そこまで考えて、彼女はハッと我に返った。
「そ、それじゃあ希彦くん、私はまだ仕事あるから、また今度ね!」
引き止める彼の手をすり抜けて管理人室に飛び込み、大きく深呼吸する。
本当に危なかった。もう少し強く押されていたら、ぐらっと来ていたかもしれまい。
「……ほんとにもう、タイミング悪いんだから」
何故かお祖父さんに矛先を向けてから、彼女は放ったらかしにしていた仕事に取り掛かった。
▼ ▼ ▼
アパートの自室に戻ると、香篤井 希彦は玄関に鍵を掛けた。
律儀にチェーンロックまで施すと、その扉に懐から取り出した札を貼り付ける。
続けて指で空間を十字に切る。縦に四本、横に五本。
修験道では九字切り、陰陽道においては平安時代の先達たる蘆屋道満の名を取ってドーマンの印と呼ばれる形だ。
簡易的な封印ではあるが、物理的にも魔術的にも必要十分な強度はあるはずだ。
何の変哲もない扉であろうと、これでそう簡単には突破されないだろう。
ここ数日のルーティンワークを終えると、希彦は部屋の中へ向き直った。
眼鏡をくいっと指先で持ち上げると、ソファに寝転がる小柄な姿を軽く睨む。
「どういうつもりですか、キャスター」
視線の先は白髭の老人――キャスターのサーヴァントが既にくつろいでいた。
変な柄のTシャツに股引を履いたその姿は、英霊の威厳など微塵もない。
近所の住人には希彦の祖父と思い込ませているが、当の希彦も仮に事情を知らなければ「田舎から出てきた耄碌気味の爺さん」と言われたほうが納得するだろう。
キャスターと呼ばれた老人は、からかうように口角をつり上げる。
「どういうつもりって、なんかお前さんが女引っ掛けようとしとるからの」
「引っ掛けるとは人聞きの悪い。管理人さんがひとりで寂しい思いをしているから、
僕はただその心の隙間を物理的に埋めてあげようとしただけですよ。善意で」
「カッコつけて言うことじゃなかろうがい」
希彦は溜息をついて、荷物を部屋の隅に放り投げた。
彼女を今日のうちに落とし切れなかったのは、実際のところ残念ではある。
とはいえ機会は今後いくらでもあるだろうし、焦っても仕方がない。
ここ数日で行った他の仕込みに比べれば、せいぜい「出来れば」程度の優先度だし。
「一応言っておきますがね、何も下心だけで言い寄っていたわけではありませんよ。
このアパートがある土地は、地相も霊脈も優れたこの一帯の要です。
せっかく拠点として押さえたのですから、周囲に好感を与えるに越したことはない」
「なんじゃ、下半身だけじゃなく頭にも脳ミソ入っとったんじゃのう。感心感心」
「僕はステゴサウルスか? ……ともかく、勝つための布石を打つのは当然でしょう。
陰陽道を再興し、世に僕の才能を知らしめる。この聖杯戦争はまたとない機会ですから」
上着の内ポケットに入れた懐中時計の重みを感じながら、希彦は呟いた。
聖杯戦争。
英霊を従えた魔術師同士が死力を尽くして激突する、壮絶な魔術儀式。
勝ち残った者に与えられる聖杯とは、いかなる願いも叶う万能の願望器であるという。
希彦が現時点で持つ聖杯戦争の知識は最低限だが、その僅かな情報は彼を奮い立たせるに十分だった。
希彦が生まれた「香篤井(かでい)」の家は、由緒正しき「陰陽師」の家系である。
遡れば平安時代の賀茂家にルーツを持ち、初代が初めて香篤井を名乗ったのは室町時代のこと。
以来、数百年にわたって星を読み、闇を祓い、人を護って生きてきた一族だ。
明治維新に伴って陰陽道の地位は没落してしまったものの、
歴史の影に潜みながらこうして現代まで千年前の秘術を受け継いでいる。
そんな香篤井家に誕生した希彦は、まさしく稀代の天才だった。
誰もが見惚れる美貌と明晰な頭脳を持ち、真綿のようにあらゆる知識を吸収しながら、
どんなに複雑な秘伝の術でも容易く我がものとして使いこなして見せる。
まさに麒麟児。他ならぬ希彦自身が、誰よりもそう思っている。
だが、成長するにつれて、彼は自分の才能を活かす場面が少ないことに気付きはじめた。
現代でも占星術や悪霊祓いの出番がないわけでもなかったが、千年の歴史を持つ香篤井家の末裔が、
胡散臭い霊能者や占い師の真似事をして糊口を凌ぐのは屈辱だった。
加えて、今なお陰陽道を受け継いでいるような者達は総じて気位ばかりが高いか、
祖先の遺産を金儲けの道具と思っているかのいずれかで、この先の時代のことなど誰も考えていなかった。
聞けば西洋魔術界には時計塔なる組織が存在して、後進の育成にも力を入れているということだ。
今の根腐れした陰陽師に同じことができるとは思えない。
生まれる時代を間違えた――希彦の抱える忸怩たる思いは年々膨れ上がる一方だった。
だからこそ、この聖杯戦争は僥倖そのものだ。
天才陰陽師たる自分の実力を遺憾なく発揮し、他の魔術師達と競うことができる。
全てにおいて恵まれた自分に叶えたい願いなどないが、聖杯はトロフィーとして最上だ。
魔術儀式を勝ち抜いて万能の願望機を手に入れれば、その成果は陰陽道の、香篤井家の、
そして希彦自身の名を大いに高めるだろう。
それは自分と陰陽師全体が陥っていた袋小路を打ち破り、西洋魔術界と肩を並べる足掛かりになるかもしれない。
命を賭けることへの恐怖はなかった。自分が負ける姿など想像できないからだ。
だからこそ、首尾良くサーヴァントを手に入れた後、希彦は考えうる限りの手を打った。
最初に充てがわれた自宅は早々に放棄し、霊脈に優れて守りやすい土地へと転居。
アパートの周りには、非常時に結界として機能するよう広範囲に仕掛けを施した。
また他のマスターに勘付かれないよう細心の注意を払いながら、式神による情報収集も怠らない。
近隣住民に余計な不信感を与えないための、近所付き合いもその一環だ。
先ほどの管理人さんとの一件も……趣味と実益が七対三くらいではあるが、
聖杯戦争に向けた努力の一部であることは間違いない。
「……本当に大変でしたよ。僕が美形でなければとても乗り切れなかった」
唯一の誤算は、あのキャスターが下準備に対して協力的な素振りを見せなかったことだ。
自身のサーヴァントの真名を知った時、希彦は思わず拳を握りしめた。
考えうる限り、自分が共に戦う上で最高の英霊のひとり。
これで自分の勝利は限りなく盤石に近づいたと、そう考えすらしたものだ。
それが実際はどうだ。
何やら「儂にお前さんの実力を見せてみい」などとそれっぽいことを言いながら、
地道な事前工作は全てマスターにやらせて自分はあちこち遊び回るばかり。
希彦が苦労して設置した仕掛けも、キャスターなら欠伸しながら済ませられるだろうに。
……そう、希彦とキャスターの実力には別次元と呼べるほどの差がある。
現代最強と自負していた自分も、千数百年前の英霊の足元にも及ばない。
にも関わらず当人が遊んでばかりというのが、余計に癪に障るのだが……。
まさに今、どこからか手に入れたレトロゲーム機で落ち物パズルをプレイしているように。
「人が頭を抱えている時に、ぷよぷよするなぁ!」
希彦が予備動作無しで投げつけた呪符を、キャスターは視線も向けずに親指と人差し指で挟んだ。
そのまま指先を軽く擦ると、呪符は一瞬だけ青白い炎を上げて燃え尽きる。
ぐっ、と僅かにたじろいだ希彦だが、すぐにだらけ切ったサーヴァントを指さした。
「どこの世界に、そんな変なTシャツ着てTVゲームで遊ぶ英霊がいるんですか!」
「え〜、絶対に儂以外にもいるじゃろ、そういう奴」
希彦は、筋骨隆々の英雄がぴちぴちのプリントシャツを着て、
巨体を丸めてテレビに向かいコントローラーを握りしめる姿を想像してみた。
絶対にいるはずがない。仮にいたとしたら、そんなのは人類史の恥だ。
「だいたいなんですか、その気味の悪いTシャツの柄は」
「何とは何じゃい、只今流行最先端のキャラクターだと店員の姉ちゃんが言うとった『ネコバルク』に向かって」
シャツの胸では金髪猫目の謎ナマモノが、ガチムチの肉体を誇示している。
シンプルに気持ち悪い。
「どう見てもパチモンじゃないですか、どこで買ったんですかそんなの」
「ファッションの最先端といえば原宿じゃが?」
「しっかり観光してやがる……せめて巣鴨ならまだ可愛げがあるのに」
「イヤじゃよ、そんなジジむさいところ」
「まさか今まで鏡を御覧になったことがない?」
だんだん頭が痛くなってきた。
もしかしたらこのサーヴァントは、大ハズレもいいところだったのかもしれない。
生前の偉業だけで判断して舞い上がっていた数日前の自分が恨めしくなる。
「……同じ陰陽師でも、もし安倍晴明を喚べていればこんなことには……」
思わず希彦がそう口に出したその時、部屋の空気が僅かに変わった。
先ほどまでと違うのは、キャスターの身体が宙に浮かび上がっていること。
もうひとつは希彦へ向ける視線に、僅かばかりに真剣さが籠もっていることだ。
「晴明〜〜〜? そもそも、その阿部家に陰陽道の秘伝を託したのはこの儂よ。
二百年ばかり研鑽したとて、この『吉備真備』が遅れを取るわけがなかろうが」
陰陽道の到達点と名高い安倍晴明に対してこんな台詞を吐ける英霊がいるとすれば、蘆屋道満ともうひとり……。
この老いてなお盛んな陰陽師の他にはいないだろう。
吉備真備。
大陸より??内伝金烏玉兎集を持ち帰った、陰陽道の始祖。
すなわち、我が国最初の陰陽師である。
恐らく世間一般においては、二度も危険な航海を乗り越えた遣唐使のイメージが強いだろう。
人生の四分の一近くを唐で過ごし、大陸の進んだ学問を持ち帰った彼は、奈良時代の日本の発展に大きく貢献した人物だ。
更に兵法にも優れ、齢七十の頃には恵美押勝の乱を見事な采配で鎮圧するという軍功を挙げている。
今や教科書にも載っている、誰もが一度は名前を聞くような偉人だ。
一方で、神秘に関わる人間にとって吉備真備の名はまったく別の意味を持つ。
阿倍仲麻呂の怨霊の力を借りて、陰陽道の秘伝書を手にしたという偉業。
双六盤のサイコロを覆い隠しただけで、唐の日月を封じたという実力。
仲麻呂の子孫に陰陽道を伝え、安倍晴明へと続く名家を生み出した功績。
吉備真備の存在なくして、陰陽師は成立し得ないのだ。
「……だとしたら、どうして貴方は、自分の力を示そうとしないのです。
誰もが認める実力を持ちながら、それでは他の陣営にナメられるだけだ」
「そういうところがまだまだ青いんじゃよなぁ、お前さんは」
キャスターは、希彦が絞り出した言葉をふふんと鼻で笑ってみせた。
「この真備が思うに、戦いの秘訣ってのは『相手にナメられておく』ことじゃ。
相手に『どうにでもなる奴』と思わせられれば、その実、こちらは躱すも攻めるも自由自在よ。
自分は凄いんじゃ〜なんてふんぞり返ってよ、玄さんみたいな死に方はしたくなかろ?」
「玄さん? ああ、玄昉か。あの伝説は本当だったんですか」
玄昉は奈良時代の僧侶で、吉備真備や阿倍仲麻呂と同期の遣唐使として知られる。
真備と共に唐で学び、帰国後はその知識を活かして政治に携わり大いに活躍したが、一方でその傲岸不遜な性格は方々に敵を作り続けた。
最終的に玄昉は失脚して九州へと左遷され、翌年、彼に遺恨を抱く藤原広嗣の怨霊によって惨殺された。
玄昉の死体は五つに引き裂かれ、それぞれ別々の地へ投げ捨てられたという。
「玄さんは死んじまったが、儂はしぶとく長生きした。つまりはそういうことよ。
ま、あんまり心配せんでもええぞい。儂の本気が要る時は、ちゃーんと助けてやるからの」
それだけ言ってまたゲーム機へと向き直るキャスターへ、希彦は複雑な視線を送る。
心底困った性格の爺さんだが……実力は確かだし、そのしたたかさには人生の重みを感じる。
彼の戦いを間近で見ることが出来るのは、陰陽師としての自分にもプラスとなるかもしれない。
やはり、この偉大なる陰陽師の始祖を、もう少し信じてみようと思う。
「……キャスター」
「なんじゃい」
「話は戻るんですけどね。僕が女性を口説く時、突然現れるの止めていただけますか」
「やだ。だって振り向く時のお前さんの顔、面白いからの」
でもやっぱり腹立つなこのジジイ。
【クラス】
キャスター
【真名】
吉備真備@日本/史実(奈良時代)
(「今昔物語」「江談抄」「吉備大臣入唐絵巻」等の要素を含む)
【属性】
中立・中庸
【ステータス】
筋力E 耐久E 敏捷C+ 魔力A 幸運C 宝具A
【クラススキル】
陣地作成:A
魔術師として自らに有利な陣地を作り上げる。
陰陽師にとって、工房を上回る結界を張ることなどお手の物。
道具作成:A
魔力を帯びた器具を作成可能。
式神の依代や様々な呪具など、陰陽の術に関わる物は何でも作成できる。
【保有スキル】
呪術:EX
古来からアジア、中東、南米などに伝わっている魔道。
吉備真備が操る呪術は、基本的には陰陽道に属するものである。
なお宝具の効果により、スキルランクがEXまでブーストされている。
鬼神の加護:B
強力な霊的存在の加護を受けている。
およそBランク相当の対魔力として機能する他、ある程度の物理攻撃に対してもオートでダメージを軽減してくれる。
吉備真備を守護しているのは、唐で客死した『阿倍仲麻呂』の怨霊。
真備が唐で幽閉された際に出会い、以降は常に傍で力を貸し続けている。
――ところで、真備がこの霊と出会った二度目の遣唐使の時期、阿倍仲麻呂はまだ唐で存命だったはずである。
この鬼神は仲麻呂の怨念が形となった生霊なのか、時間を超越した存在なのか、それとも仲麻呂を名乗る他の何かなのか?
真備本人は答えを知っているはずだが、きっと訊かれてもはぐらかすだろう。
飛行自在の術:C+
陰陽道の術ではなく、鬼神の加護の派生スキル。
念じるがままに体を浮遊させ、自在に空中を移動できる。
正座したままの姿勢で高速飛行する様はなかなかシュール。
老いて益々壮んなるべし:A
年齢を感じさせないどころか、若者を凌がんばかりのガッツが昇華したスキル。
精神的デバフを大幅に軽減し、危機的な状況でも前向きさを失わない。
【宝具】
『真・刃辛内伝金烏玉兎集(しん・ほきないでんきんうぎょくとしゅう)』
ランク:B 種別:対人宝具 レンジ:1〜50 最大捕捉:1
正式名称は三国相伝陰陽?轄刃辛内伝金烏玉兎集。
安倍晴明が編纂したと伝わる陰陽道の秘伝書、そのオリジナル。
伝説では吉備真備が唐より持ち帰り、阿部仲麻呂の息子・満月丸に託したものと
語られている(晴明は満月丸の末裔とされる)。
書には陰陽道のあらゆる秘術が網羅されており、この宝具によって真備の呪術スキルは規格外(EX)にまでブーストされている。
本人いわく「結界でも式神でも星占いでも、およそ陰陽師っぽい術なら何でも使える」とのこと。
更に真名開放を行うことで、真備を守護する鬼神――阿倍仲麻呂の怨霊に、真備が大陸より伝来させた荒神『牛頭天王』の殻を被せて疑似神霊として召喚する。
牛頭天王は牛の頭と二本の角を持ち、手には大斧を握った巨躯の神。
この宝具で顕現するのは牛頭天王の神霊そのものではないが、後世においてスサノオと同一視されたその神威は、再現であっても脅威以外の何物でもない。
『秘封之法・陰陽无色(ひふうのほう・いんようむしき)』
ランク:A 種別:結界宝具 レンジ:10〜100 最大捕捉:範囲内すべて
吉備真備の奥の手。唐土の日月を封じた秘術の再現。
楓(ふう)の双六盤の上へ転がした賽に棗の筒を被せ、覆い隠すことで発動する結界宝具。
賽を隠している間は結界の内部から太陽と月が観測できなくなり、本来の時間を問わず無明の空間へと変化する。
その本質は光を奪うことではなく「太陽と月(太陰)を封じる」ということ。
陰陽思想において、全ての事柄は陽と陰の間で流動し続けることで成立している。
その陽と陰の象徴たる日月が封じられれば、世界から『変化』が失われる。
この宝具の発動中は魔術や宝具、令呪ですら起動しないし、攻撃による破壊も発生しない。電話をかけたりマッチで火をつけることすら不可能になる。
漫然と発動させてもただの時間稼ぎにしかならないだろうが、使い方次第では相手の行動を自在に打ち消し、ペースを一方的に握ることができるだろう。
【weapon】
『真・刃辛内伝金烏玉兎集』
また道具作成スキルで、式神の依代などを自在に作り出す。
【人物背景】
きびのまきび。
奈良時代の学者で、二度にわたって遣唐使に参加したことで有名。
一度目の遣唐使は22歳の時で、阿倍仲麻呂や玄昉らと共に渡唐。
以降18年間をかけて学問を修め、多くの書物や宝物を携えて帰宅した。
その後は聖武天皇の元で驚異的な出世を果たすが、恵美押勝こと藤原仲麻呂が台頭すると彼に疎んじられ、遂には左遷されることになる。
しかし一方では58歳という高齢でありながら二度目の遣唐使に参加し、翌年に鑑真らを伴って帰国した。
そして恵美押勝の反乱が起こると追討軍を指揮し、優れた軍略でこれを鎮圧。
この時の真備はなんと70歳である。
その軍功で再び実権を取り戻し、最後には右大臣にまで上り詰めたのだ。
享年は81歳。奈良時代の人物としてはかなりの長寿であった。
ここまでが一般的に知られた吉備真備の生涯である。
一方で彼には、『陰陽師の始祖』というもうひとつの顔がある。
二度目の遣唐使において、真備は陰陽道の秘伝書『刃辛内伝金烏玉兎集』を唐より持ち帰るという密命を帯びていた。
本来これは阿倍仲麻呂が持ち帰るはずだったものだが、仲麻呂は遂に帰国できなかったからである。
真備は唐でその実力を危険視されて鬼の棲む塔に幽閉されるが、そこで鬼――仲麻呂の怨霊と出会い脱出し、霊の力を借りていくつもの試練を乗り越えていく。
再び捕らえられた時には双六盤で月日を封じるという秘術を使い、遂には金烏玉兎集を携えての帰国を許される。
こうして日本最初の陰陽師となった真備は、やがて仲麻呂の子・満月丸に金烏玉兎集を託した。
その満月丸から陰陽道の秘伝を受け継いだ阿部家の子孫こそ、安倍晴明であるという。
【外見・性格】
顎に長い白髭を生やした小柄で華奢な老人。外見年齢は70代。
どう見ても非力な年寄りであり、本人もあえてそう演じているフシがある。
本来の服装は奈良時代らしい浅紫色の礼服だが、普段は現代風のラフな格好を好む。
性格はバイタリティと向上心の塊。
自身の知識や技術を高めることを至上の喜びとし、年齢を感じさせないハングリー精神を持つ。
自身を老いてなお未完成だと捉えているため、己の力に自信はあっても自負はない。
そのため英霊としての誇りに欠けた言動をすることもあるが、彼のプライドは弛まぬ精進にこそある。
どれだけ地べたを這いずり回ろうと、最後に笑って死ねれば勝ちなのだ。
【身長・体重】
152cm 43kg
【聖杯への願い】
現代の新たな知識を吸収するため、若返った上で受肉する。
サーヴァントは基本的に全盛期の姿で召喚されるが、吉備真備の「全盛期」は老境に入ってからであるため、若い姿で現界することはまず無い。
老人の姿が嫌というわけではないが、せっかく受肉するなら、ついでに肉体的にも万全でありたいということらしい。
【マスターへの態度】
呆れた男だし、陰陽師としての実力も(英霊基準では)そこまでのものではない。
それでも愛想を尽かす気にならないのは、マスターが自分との圧倒的な実力差を目の当たりにしても腐ったり捻くれたりせず、常に前向きであるからである。
なんだかんだ言っても、向上心のある人間は嫌いではないのだ。
それはそれとして、からかうと面白いのでちょっかいは出す。
【名前】
香篤井 希彦(かでい・まれひこ)
【性別】
男
【年齢】
27歳
【属性】
混沌・中庸
【外見・性格】
黒の短髪。切れ長の目に青灰色の瞳。
女性向け雑誌のグラビアから抜け出してきたような整った容姿。
常に金属フレームの眼鏡をかけており、相手に知的な印象を与えがち。
体は筋骨隆々というわけではないが、充分に鍛えられている。
性格は理知的で思慮深いが、それ以上に自信家でナルシスト。
容姿にも家柄にも陰陽師の才にも恵まれており、自分は世界に愛されていると本気で思っている。
挫折を知らずに育ったため地味に打たれ弱いが、妙に前向きなので立ち直りも早い。
本人に自覚はないが、変な奴か否かでいえば賛成多数で変な奴の側。
なお女たらしで恋愛経験は豊富だが、今まで何でも思い通りになっていたので、
逆に簡単には自分へ靡かないような、いわゆる「おもしれー女」耐性が低い。
女性の好みについては、中学生以下と還暦以上は守備範囲外とのこと。
【身長・体重】
181cm 75kg
【魔術回路・特性】
質:B相応 量:B+相応
特性:『(西洋魔術に当てはめるなら)元素の相転移』
(※ 陰陽師の魔術回路に相当するものは使用する呪術に合わせて極度に特殊化されており、一般的な魔術師と単純比較は出来ない)
【魔術・異能】
『陰陽道』
陰陽五行の理に則り神秘を行使する東洋の秘法。
魔術というより呪術、あるいは占術に近い。
希彦は式占(占星術)、ドーマンセーマン等を用いた結界術、式神の使役、悪霊祓いなど、
陰陽道に属する多くの術を非常に高いレベルで使用できる。
ただしこの「非常に高いレベル」というのはあくまで現代の陰陽師との比較であり、
(仕方のないことではあるが)キャスターとの実力差は文字通り天地の開きがある。
【備考・設定】
室町時代から続く陰陽師の一族「香篤井(かでい)家」の末裔。
容姿端麗、頭脳明晰、成績優秀で、先代から伝授された陰陽の術も余すことなく自分のものにしている。
しかし現代の陰陽師はせいぜい占い師か風水コーディネーターの延長のような仕事しかなく、
また未だに西洋魔術における時計塔のような組織を持たない閉鎖的な体質であるため、
自身の才能を発揮する機会がないことにフラストレーションを感じていた。
そんな希彦にとって、この聖杯戦争は渡りに船であった。
自身の能力を証明し、また香篤井に自分ありと世の陰陽師達に知らしめることができる。
また聖杯を手土産にすれば、時計塔をはじめとした西洋魔術界にコネをつくることもできるだろう。
特に叶えたい願いはないが、戦わない理由もまた存在しなかった。
ちなみに、聖杯戦争中のロールは雑誌のモデル。
【聖杯への願い】
強いて言うなら生涯不自由しないくらいの資金。
とはいえ、実際のところ願望器としての聖杯にはそこまで興味がない。
聖杯戦争に臨む理由は自身の実力を証明するため、
そしてキャスターが持つ陰陽道の秘術を己の目で見て学び、いずれ我が物とするためである。
なお一般的な意味での魔術師ではないため、根源への到達についても関心がない。
【サーヴァントへの態度】
最初は陰陽師の始祖として敬意を持って扱うつもりだったが、
あまりにもお騒がせジジイだったため扱いがぞんざいになってきている。
なお、キャスターが使う陰陽の術が自分とは別次元のものだったことには
最初こそ絶望したが、本家本元の技を盗めるチャンスだと思い直したようだ。
投下終了しました。
途中で機種依存文字が表示できなかったようで、申し訳ありません。
>>130 の「玄?遭」は「玄ボウ(日偏に方)」、「??内伝」は「刃辛内伝(ほきないでん)」に置き換えて読んでください。
投下ありがとうございます!!
感想を書かせていただきましたので、よければお収めください。
>足掻き
参加者招集系の企画なので死にゆく者も夢を見られる、王道ながらやっぱりいいですね〜〜。
けれど喚ばれたのがそっくりそのまま"厄"そのものという辺り、泣きっ面に蜂というか一難去ってまた一難というか。いや難去ってないなこれ…
病巣が転移するように新たな病に侵されてしまった大巣くんの明日はどっちだ。
投下ありがとうございました!
>Let's go, Onmyo-G
設定の"それっぽさ"とそれを百パーセント活かしきった話作り、組み合わせの作り方が勉強になるレベルですごい!
こいつらろくでなし度合いではどっちもどっちだろ……というキャラの濃さ、そしてその中でも"こいつらは強いです"と示されてくる実力。
陰陽道という題材から出てくるならそりゃ大当たり枠だよ!という人選も相俟って非常に楽しく読ませていただきました。
投下ありがとうございました!
投下します。
「──僕が今見ているこの世界に、色はもうない。…けれど、この世界とも今日でお別れだ。
…ようやく、君の所に行ける。やっと…君に会える」
日の出が近付き夜が明ける間際、あるビルの屋上に立っていた中性的な少女はスマホで時刻を確認した後にそう、決意を再確認するように、或いは浮足立っているかのように呟いた後…足を踏み出そうとした所で古い懐中時計を見つける。
そして何気なくそれを拾った結果…少女、朝背悠理は目的を果たす寸前で聖杯戦争へと巻き込まれる事となって"しまった"。
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僕には、大好きな相手が居た。
物心ついた頃から彼とはよく一緒にいて、楽しい日々を過ごしていた。当時は彼にも両親にも…色々迷惑かけちゃってたっけ。
…最初は、好きとかそういう目では見てなかったけど…10歳くらいの時に、僕の目の前で両親が車に撥ねられて…殺されて、理解できなくて、ただ両親"だった"ものに縋って泣くしかできなかった僕に彼はこう言って、励まそうとしてくれたんだ。
『2人ともきっと夜空の星の何処かに居て、俺達を見守ってるよ』…と。
…彼だって、つらい筈なのに。なのにそれでも…僕なんかを気遣って……気付いたら僕は、彼に抱きついて…泣きじゃくってしまっていた。申し訳なくなって、情けなくて…涙が止まらなくって…でも…嬉しかった。そして…これが好きって気持ちなんだって、『恋』なんだって、僕は理解した…してしまったって、言った方がいいのかな。
…それもあって、迷惑ばかりかけてた自分から、変わらないとと…そう強く思った。
両親が遺してくれた遺産と、彼が支えてくれたのもあって僕はどうにか、小学校を卒業して、中学校も卒業して…それで、高校に入った。
…伝えれるチャンスはいくらでもあったのに、僕は彼に想いを告げる事は出来なかった。ずっと胸の内に秘めていた。奥手のヘタレだって言われると…そうだねとしか言えないや。
ただ彼と一緒にこの日常を過ごせるのなら…それだけでもう、十分だって思ってたのもあったけど。
けれど…その日常は続かず、崩れ去った。そうなると知っていたら…なりふり構わずに勇気を出せてたのかもしれない。
…2人で映画館に行ったある日、そこで突然爆発が起きて…彼に突き飛ばされた事に気付いた時…全てはもう終わっていて…どうやら僕の意識も一度途絶えていたらしく……目覚めた後、彼が死んだ事を知らされた。
最初聞かされた時、「……は?」と言葉が漏れ、僕の脳が理解を拒んだ。
彼は意識が戻らないまま、僕が目覚める少し前に息を引き取ったらしい。
そこから遺体を見て、受け入れ難い現実と直視させられた僕は、言葉を失くし立ち尽くした後、崩れ落ち泣いた。目に映る何もかもが、歪みだしたような…そんな錯覚までしてしまうくらいに、悲しみに打ちひしがれていた。
事故かテロかは不明だとか、沢山の人が亡くなったとか、意識が無かった時にあの爆発について判明した事を言われた気がしたけど、興味を惹かれずよく覚えていない。
ただ泣いて、喚いて、縋って…どれだけ泣いても、涙は枯れなかった事と、彼の死に顔が、安らかな表情だった事が…僕の脳裏へと残り続けている。
…僕なんかを助けたせいで、彼は死んだ。…僕が彼を…っ…殺したような物じゃ、ないか…!!なのに…どうして君はっ、そんな顔で…!!!
──そして気が付くと、いつの間にか僕の目に映る物全ての色が、モノクロへと変わっていた。
僕は色無き世界しか、見る事が出来なくなったらしい。いや、彼が居たから…この世界が色づいて見えていたのかも知れないけれども。
……言えるのは、今となってはもう、どちらなのかはわからなくなってしまったという事と、彼は僕を助けたせいで意識不明の重体の末に死んでしまう結末を迎えたという事実、それが僕に遺ったって事だ。
彼が居なくなってからの僕は、表面だけのハリボテになってしまった。
立ち直ったかのように自然に振る舞えてしまうくせに、心はずっと自責と絶望に浸されて、生きながら死んでるように、色の消えた世界をのうのうと過ごす毎日。
酷く空虚で、乾いた日々だったなと、今なら思う。それまでに積み上げて来た物も、築き上げて来た繋がりも浅くはなくて確かにあった筈なのに…その全て、何もかもに上っ面だけの興味しか持てなかった。
…それ程までに、彼の死は僕の心に塞げない孔を開け拡げていた。どうしようもないくらいに僕は彼を…愛し大切に思っていた。
そしてわかってしまった。僕はもう……ひとりで、生きれないんだって。自分の人生なのに、自分の為にはもう生きれなくなってしまっていたんだって。その事をこんな形で再認識なんて、したくなかったよ。
いっそ彼と、出逢わなければ良かったのかもとすら思えてしまって…自業自得だと言われたら……返す言葉も文句も無いけれど。彼が死んだのは僕のせいで、僕が殺したのと同じ。人殺しにはお似合いの罰だろうさ。
そんな内心が擦り減り続ける虚無の日々を続ける中、かつて彼に言われた励ましの言葉を不意に夢に見て思い出した僕は…星空に手を伸ばした。
彼が言ってくれた言葉が真実なら、両親…お父さんやお母さんだけじゃなく、彼もきっとどこかにいるはずで。
だから、手を伸ばせば迎えに来てくれるんじゃ…なんて、馬鹿な事を考えた。この地球(生地獄)から星空に、いくら手を伸ばしても届くはずなんて無いのにね。それでも縋らなきゃ、後は緩やかに死ぬか即座に終わらせるかしかなかった。
…当然来てくれる筈も無く、そこからは虚ろな日常の一幕に、夜中外に出ては星空を見ては、涙を流すという行動が組み込まれた。
そんな無為で虚しい生活を続ける最中に、彼がいるだろう星空にいくら手を伸ばしても、生きている限り届く筈も無いという至極当たり前の結論に僕が至る迄には、そう時間はかからなかった…と思う。彼の命日…一周忌が近付く中、僕の欠けて腐り落ちていく心も限界を迎えそうになっていた。
…結局は、自分も星空へと旅立つ以外、彼と再会する術なんて無かったんだ。それから目を逸らして縋った結果、僕は生き恥を晒し続けている。…終わりにするには、彼が旅立った日は丁度良いと思った。
僕がこの世界から旅立とうと、誰も気にする人は居ないだろう。彼とは違って、僕にはいくらでも代わりが居る、替えがきく程度の存在なのだから。
そして僕は日が昇り始めた時間に、事前に目を付けてたビルの屋上へと登って…スマホで時刻を確認した後、彼の元へと飛び立とうと足を踏み出す……その寸前に、何故かあった古そうな懐中時計に目が移った。
…スマホがある上、この世界に未練なんてない僕が、こんな懐中時計を持っても意味は無い。けれど気付いたら、踏み出さず僕はその時計を手に取っていて──意識を失った後気付いたら僕は…ビルの屋上、それも先程まで居たそれとは別の見知らぬ所に飛ばされていた。
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意識を取り戻したと同時に、何か聞き覚えのない情報が脳内に叩き込まれたような…そんな感覚がした。けれど、僕はそれを忘れ去る。
ようやく彼に会いに逝けるというのに、こんな情報を記憶しておいても…何の意味も無いのだから。余計な情報を持って行く気にはなれなかった。
そしてそうしようとした矢先…全身を突然激痛が襲う。
思わず崩れ落ちそうになるけれど……きっと、僕を助けた時の彼の方が…今際の際の時の彼の方がずっと…ずーっと痛かった筈だ。そう思うと…この痛みにも耐えれる気がした。
息を荒げながら一歩、また一歩と着実に足を踏み出し……屋上から身を投げる。そして僕は彼の所へ旅立つ事は…出来なかった。
地面に激突する事なく気付くと僕は、いつの間にか現れていた外国人の男に受け止められ…お姫様だっこを、されていたからだ。
最初に思考に浮かんだのは…いつの間に、しかもどこから現れたんだという混乱。
そして次に浮かんだのが「なんで僕の邪魔をした(助けた)んだ」という怒り。あと少しで…あと少しで彼とまた会えたのになのにこの男は…!!
「…聖杯から知識は得た筈だ、だと言うのに…自分が何をしようとしたのか、理解しているのか…??」
僕の感情を意に介さない様子で、その外国人の、取っ付きにくそうな男は僕を下ろした後にそう言い放ってきた。心なしか、額に青筋を立てているような気がする。
けれど…そんな事はどうでもよかった。ただ僕の事情を知らない奴に、後一歩だったのに邪魔されたのが悔しくて。
「理解していないのは貴方の方だ!
後もう少し、もう少しで僕はっ、彼の所に旅立ててたのに!…どうして邪魔をしたんだ!!
…どうして僕をっ…死なせて、くれなかったんだ…!!」
気付くと僕は激情のままに、頬を伝うものを無視して叫んでいた。
「…もう彼が…大好きな人が居ない…モノクロの世界でっ、死んだように生きる事に僕は…ぼくは…っ…耐えれない…」
そう零した僕に対し、男は「…そうか。お前は……」と呟き少し考え込む仕草をした後、再び語りかけてくる。
「…まずは謝らせて貰いたい。あなたの事情も知らず、勝手にこのような行動に出て。
しかし俺…ゴホン、私には……先のような行為は見逃せなかったのです。
それともうひとつ、あなたに何があったのかはわからないが……自ら身を投げなくても、あなたの願いを叶えられるかもしれない方法がある。そう言えばあなたは…踏み留まってくれるだろうか」
そう続ける男に僕は、この人は何を言ってるんだろうと思った。まさか……死人を生き返らせれるとでも?…そんな事、有り得ない。
「彼はもう…居なくなった。死者の蘇生なんて出来る訳が無い以上、もう一度会うなら死を選ぶ他に…方法なんてある筈もない…!」
「……この世界に来た時に、脳に知識が与えられた筈ですが」
「忘れたよ、そんなの。彼の元に行く為には、そんな余計な知識は要らない」
「……となると、私が説明しなければいけないようですね。仕方がない。
まず最初に言わせて貰うと、あなたは死者の蘇生なんて出来る訳がない、と言いましたが…そもそも私自身、死者のような物なのです」
言い合いになる中、男はそんな巫山戯た事を言い出す。死者のようなというならゾンビか、幽霊とでも言い出すつもりなんだろうか?
「…突然何のおつもりで」
「幽霊やゾンビだって言い出すなら、幽霊ならそもそも触れない筈で、ゾンビなら動いてる死体だから体温は低い筈って思った…それだけだよ」
男に手を触れてみるけれど、すり抜ける事は無くまた冷たくもなかった。
「触れなくするのは、やろうと思えば可能ですよ。この通りに…」
そう言うと同時に男の姿が突然消え…先程まで感じていた感触も、体温も感じ取れず、いつの間にか僕は虚空に手を当てる形になっていた。
「…えっ、…隠れて…どこに…!?」
『我々英霊(サーヴァント)はかつて生きた英雄の影法師。だからこうして霊体化して姿を消す事も可能で、また聖杯を使い受肉すればあなた達今を生きる人間のような、第二の生を得る事も出来るのです。
…幽霊やゾンビというのも、まあ…当たらずも遠からずと言った所でしょう』
そう、男の言葉が発信源である口が見えないままに、頭の中に流れ込んでくる。
…こんな事が出来るのなら、少なくとも目の前の男の人の言う事は真実なのかもしれない。なら……そう思った僕は、先程余計な知識と断じた情報を思い出しにかかる。
お父さんとお母さんが亡くなったあの日から僕は、理由はわからないけど記憶のある程度の取捨選択を行えるようになった。…だから、あの時の彼の言葉も、姿も…まだ色があった世界も、見ようと思えば、聞こうと思えば何時だって鮮明に映り聞こえるようになっていた。…彼の下に行きたいって気持ちを抑えれなかった通り、所詮過去は過去でしかないけれども。
…聖杯戦争、魔術師、マスター、サーヴァント、願望器、念話……捨て去った情報を再び知識として取り込む。さっきの激痛は、魔術回路という物を無理矢理開いた結果らしい。
どうやら1時間以内なら、忘れ去っていても思い返せるみたいで…最初流れ込んだ時から10分も経ってないのだからか、余裕で思い出す事が出来た。
「…大体は思い出せたよ。それと…ごめん。
サーヴァントとして呼ばれたのなら、貴方にも叶えたい何かの願いがあるだろうに…身を投げて、止めてくれたのに僕は…」
申し訳なく思い、そう謝る。
彼がさっき言った、願いを叶える方法…この戦争を勝ち抜いて手に入れた聖杯に望みを願う…その権利はマスターだけでなく、サーヴァントにも等しくあるらしい。そうでなきゃ、死した英雄の影法師だろうと…なんのメリットも無しにマスターに仕えてはまずくれないだろう。故に目前の男の人にも…何らかの叶えたい願いがある筈…そう考えると、とても申し訳なく思えて…折角のチャンスを、踏み躙るような真似をしそうになってたのだから。
謝らなきゃダメだろう、どう考えても。
「…いえ、いいのです。私はまだ…聖杯を手にした時、何を願うのかすら決まっていないのだから」
対し、霊体化を解いた上で男の人から帰って来たのは、少し困ったような様子の返し。
「…じゃあどうして、貴方は僕を…?
最初に選ぶのが自殺なマスターなんて放って置いて、別のマスターを探して鞍替えを狙う事も…貴方には出来た筈だ」
「…そうですね…単に、見たくなかっただけと云うのは可笑しいでしょうか?あなたのようなまだ若き少女が自らの命を絶つような様を…」
「…ええ…?…そんな事を言い出すような人には、貴方は見えなかったけど…」
「…らしく無い言い方なのは承知の上、だがこれは俺の経験上から来る…!……失礼。兎も角、そんな事は私は見たくなく、極力させもしないと決めているのです」
詳細を思いっきりはぐらかされたって気はしたけど……何か過去にあったんだろうというのは伺えて、何を願うのか決まってないというのも含めて、本心からの言葉な気がした。
……根本的に優しいんだろう、この男の人は。
「…深くは、聞かないよ。
ただ、ひとつ言うと…あなたの言う、『願いを叶えられるかもしれない方法がある』。って言葉…信じても…良いかなって…そう、思えた」
『…それとそうだ、貴方は…どのクラスの、どんな名前のサーヴァントなんだ?』
男の人の言う事を信じても良いかもと、思いながら僕は先程男の人がしたように…知識で思い出した念話に切り替える事とした。
『失敬、そういえば名乗るのを忘れていましたね。…私はセイバーのサーヴァント、名は──』
クラスを名乗った後名前を言う前に男の人…セイバーは念話を中断し突然、帯刀してた剣を……投げた!?
『いきなりどうしたんだ、セイバー…!?』
『敵が来た為迎撃を行いました。トドメはさせて無いでしょうから、相手のマスターをこれから殺しに行きます。よくも邪魔をしてくれたな…!』
剣が飛んで行った方向を見ると、それが刺さった壮年の男が、此方を睨んでいる。そして狼狽えた様子の、制服を着た青年くらいの相手も…多分、マスターがサーヴァントを伴って奇襲を仕掛けてきたんだろう。
一方セイバーは念話で僕にどうするかを伝えたとほぼ同時に、有無を言わせる間もなく距離を詰めに行った。
『待って!仕掛けてきたのは相手からな以上、叩きのめすのは良いけど…流石に直ぐに殺そうとするのはっ……』
念話で制止を試みようとした時にはもう遅かった。
セイバーが籠手で、相手マスターの首元を思いっ切りぶん殴って……ゴキリと折れる音がする。それと同時に相手の首が回るはずの無い方向を向き…勢い余ってか千切れて、胴体からさよならしてしまっていた。
セイバー…剣士のクラスのやる事なんだろうか、これが…??
……そのままセイバーは、マスターを撲殺…撲殺って言っていいかはわからないけど殴った結果だからそう言う。
…兎に角そうされて呆然とするサーヴァントに、何処から取り出したのか短い剣を突き立て、そのまま何回も刺した。
既に相手はマスターの喪失で消え始めているみたいにも関わらず、何度も、何度も…怒りのままに振り下ろしているかのように、僕には映った。
やがて、サーヴァントが消滅した後セイバーは…首を失い血を吹き出し斃れてるマスター"だった"肉塊の心臓に、短剣を刺そうとして──
『セイバーっ…、セイバー!!
…もう、その人は死んでるよ…』
気付くと念話でそう叫んでいた。対しセイバーはゆっくりとこちらを向いて、不思議そうにしている。
『何故ですマスター?魔術師な以上、首がもげた程度で死んだと判断するのは早計かと。
少なくとも私の一番良く知る魔術師は…殺しても死ななさそうな、特に幻術に長けた人物でした』
『…皆が皆、そんな凄い魔術師とは限らないさ。…僕みたいに、巻き込まれた一般人だったかも知れないだろ』
そう応えながら、何が起きたか理解出来ないと言った様子の死に顔を浮かべた相手の生首に近付く。
…僕らを殺そうとした可能性は高いだろうけど、だからといって…叩きのめした後に交渉なりなんなり、出来る余地はあったかも知れない。
ひょっとしたら、こちらの力量を測った上で話し合いに持ち込もうとしてた可能性もある。…どうにせよ、殺す以外の方法も無くはなかった筈だ。ならば…セイバーにそれを許させてしまった僕に非がある。
……せめてものと思って、僕は生首の目を閉じさせた。
『…セイバー、この人の遺体を消す事って…出来るかな』
『跡形も無く消す事は出来ます』
『…そうか、なら頼むよ…』
セイバーが自分の宝具─冒険好きの剣と呼ぶらしい─の、魔力転用により放った斬撃波で、生首と胴体を消し飛ばす中…ごめんと、そう死んだマスターに内心謝る。
さっき思ったように交渉の余地等はあったかも知れないし、それが無くとも彼にも、今の僕のように…聖杯に縋りたい程に叶えたい願いがあったのかも知れない以上は、そうするべきと思った。
…まあ死体が残ると、僕が疑われる可能性が上がるから…消して貰う他に無いんだけども。
そう思った矢先、急に疲れが来た気がして、身体がふらつき……僕はセイバーに受け止められる形になった。
「…あれ…身体が…」
「どうやらあなたは…お疲れの様子なようで。ひとまず離れましょうか、マスター。
与えられた拠点が何処にあるのかさえ言って貰えれば、そこまで運ぼう」
『…待ってくれ…貴方の名前、だけでも…』
多分、無理矢理魔術回路を開かれた激痛に耐え切った時の消耗のせいかな…なんて思いながら、強い倦怠感から意識を手放しそうになりつつ僕はセイバーに念話で、そう聞く。
『改めて…私はセイバーのサーヴァント、真名はベイリン。アーサー王にかつて騎士として仕えた者ですよ。…あなたは?』
『…よろしく、ベイリン…僕は…悠理、朝背悠理…』
セイバー…ベイリンにそう言葉と、自分の名前を告げた上で、僕は拠点として充てがわれた自宅の位置を教えた後…少し眠る、おやすみとだけ言って眠りについた。
……アーサー王は、聞いたことがあるけど…ベイリンなんて配下が居たのは、知らなかった。…そういうのは彼の方が詳しかったから……もし彼だったら、どんな反応をしたんだろう。…なんて、有り得ない夢想を浮かべながら僕の意識は闇へと落ちた。
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夢の中、寡黙そうで近寄り難い青年は、恐らく自らに放たれただろう刺客を返り討ちにし立っていた。
するとそこに少女が現れ…息絶えた刺客の姿を見て泣き喚き、嘆く。
刺客にとって大切な相手だったのだろうかと思ったのか、青年は声を掛けようとするが…少女は呟いた。
『…ベイリン卿、これから私が行う事は、貴方への復讐等ではありません。
ただ私は…彼の居ない世界に、耐えられないだけなのです』
そう言うと同時に少女は、自らの胸に剣を突き刺す。血が飛び、咄嗟に止めようとしたが間に合わなかった青年に付着する。
そのまま少女は、刺客の隣に倒れ息絶え…それを呆然とした様子で青年は見、そして崩れ落ちた。
王の意に背いてでも、己の復讐を成した結果がこれかと、青年は激しい後悔と悲しみに襲われる。
嘆き悲しみ続ける中、別れていた弟と再会した青年は、これ以上刺客が差し向けられる事により、このような悲劇が起こってはならないと…王の許しを得る為に行動する事を決めたのだった。
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…今のは…サーヴァントとマスター間で偶にある、互いの過去を夢で見る現象…かな。
…セイバーが…ベイリンがあの時僕を止めた理由がわかった。単純に情深いのもそうだろうけど…女に目の前で死なれるのが、彼にとっての地雷、トラウマの類だったんだろうね。
……余計に申し訳なさが来るけれど…とりあえずセイバーに…僕がこの聖杯戦争でどうするかを、話さなきゃ。
そう思い、無駄に広い家の中を歩くと…僕のサーヴァント、セイバーは居間に居た。
先に起きて僕を待っていたようだ。
「おはよう、セイバー」
「おはようございます、マスター。…それともユウリと、そう呼んだ方が宜しいでしょうか?」
「どちらでも僕は良いよ。セイバーに任せる」
「ではユウリ。……ひとつ質問をさせてもらおう」
丁寧語から口調を変えて、セイバーは聞いてきた。…よく見ると、片手を剣に添えて直ぐにでも引き抜けるようにしている。これは…僕がセイバー…ベイリンの過去を夢に見たように、彼もまた僕の夢を見たのだろうか?
「…構わないよ、是非聞いて欲しい」
「……単刀直入に言おう。夢であなたの過去を見た。あなたは…最愛の相手を生き返らせたとして、そこから何を望む?その望み次第なら私は…いや、俺は……あなたの願いを否定せざるを得ないかも知れない」
……バレてしまっていたようだ。
…サーヴァントとして召喚される際、現代の知識が流し込まれるという。それに照らし合わせたら、そういう反応にもなるよね…。
なんて思いながら、令呪を切る選択を脳の片隅に置いておきつつ僕は…セイバーに答えを言う事を決めた。
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セイバーのサーヴァント、ベイリンが見た朝背悠理の夢。
それは爆破事件から目覚めた悠理が、最愛の人の死を知らされ、理解できない所から、言葉を失い泣き崩れる所。そして悠理がその最愛の人の死に顔を見た際…ベイリンもまた、その顔を見た。
…後悔など無いと言ったような、安らかな表情だった。生前は後悔だらけの人生だったベイリンからすれば、彼の死に顔は羨ましくまた眩しい物だった。
……しかし、それ以上にベイリンに衝撃を与えたのは、彼の顔立ちや背格好等が──今慟哭している少女、朝背悠理の顔と『殆どそっくりだった』事。
「落ち着いて下さい、貴女は何も…」
「違う!!僕のせいでっ…僕のせいで彼は…僕より、ずっと優秀で…それでも、僕の方が、お姉ちゃんだったのに…弟を守るどころか、守られ、て……僕は、ぼく…はぁ…!!」
宥められるもただ感情のまま泣いて、泣いて泣き続けている悠理の姿と言動、最初に自殺を止めた際の言動、それに現界時聖杯から与えられた現代の知識により…ベイリンは全てを察した。
彼女は…悠理は、双子の弟に恋をしてしまった上で、それを理不尽に奪われ絶望の日々を送る中、自死しようとして……聖杯戦争に巻き込まれたのだと。
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(…そういう事、か。……弟と殺し合い相討ちになった俺を召喚したのが、弟に助けられたがその死で前に進めなくなって死のうとしていた少女とは……皮肉か何かかよ。随分とこの願望器は性格が悪いんだな。胸糞が悪いぜ)
夢から目覚めた後、素の粗暴な口調でそう内心悪態を吐くベイリン。
(…マスターはまだ寝てるみたいだな…疲れてたようだから、これは起きるのを待つとして。
…諸々の言動からして、彼女が願いを持つとするなら…間違いなく、最愛の相手…双子の弟の蘇生だろう。
…だが、俺達の生きた時代なら兎も角、今の現代では彼女の想いは決して叶う事が無く叶ってはいけない物。…色欲からくる物であった場合、それは不義の類だ。俺にはとても容認しかねる。
最悪の場合…俺がマスターを斬るのが先か、令呪で俺が自害させられるのが先かになりかねない)
生前、ランスロットとギネヴィアの不義に気付いてしまい逃げるように城から立ち去った事を想起し苦虫を噛み潰したような表情をしながらも、ベイリンはその時になってから考えるとした。
(…助けた命な手前、出来るなら、そうなって欲しくは無いがな…)
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「僕の望みは、最愛の人…大好きな相手、そんな…遺ってたたったひとりの僕の弟を蘇らせる事だよ」
「やはり、そうか。…夢でお前が、弟の死に顔を見た所を俺も、見せられたのでな。
それまでの言動からしても…そうだろうと思った。
…それで、蘇らせた後、お前はどうするんだ?」
「……まだ、捕らぬ狸の皮算用って奴でしかないけども、もし…願いが叶ったら僕は……弟と一緒に、ただ一緒に居れるだけで……いいんだ」
「…本当にそれだけか?」
「うん、それだけだよ。…信じて貰えないかもしれないけど、これは純粋な愛だ」
「……最愛の弟が蘇っても、お前のおかしくなった色覚は治らないかもしれないぞ」
「…それでも、いいんだ。彼と一緒に居れるのなら…色のない世界のままでも、十分すぎるくらいさ。無色なままのこの世界が、再び色づくなら…それが一番だけどね」
「そう、か。
……お前は、どうして弟の事を…ひとりの女として好きになったんだ?」
「…昔、父さんと母さんが亡くなった時に…自分も辛い筈なのに、僕を励ましてくれたんだ。それで僕は…姉なのに抱きついちゃって、悲しみのまま泣いて…。
それまでの僕は…今で言う『メスガキ』そのもので、迷惑ばっかりかけるろくでなしだったけど…弟が頑張ろうとしてるのに、自分だけそんなままで居られないって、僕も姉らしく支えなきゃと思って…変わろうと頑張ったのがきっかけ。
……その時、僕は彼に恋をした。
最初は、親愛とかの気持ちを、勘違いしてるのかと思ったよ。或いは、僕よりも弟の方が、基本的に優秀だったのもあって…憧憬とか、そういう気持ちなのかなとも思った。
でも…一緒に過ごす中で…気持ちが積み重なって行く中で、その疑念は僕から消えた。
それに彼は僕と殆ど同じ顔なのに、彼の顔は…鏡に写った僕よりも、ずっとカッコよく見えて…完全に惚れ込んじゃったんだよ、僕は。
勿論、誰にも言わなかったし、彼にも伝えなかった…ううん、彼に対しては伝えれなかったの方が近いかな。…冷静で感情に振り回されない彼が、姉がそんな気持ちを抱いてると知ったら……縁を切られかねないって、怖かったから。
…彼と一緒に、父さんや母さんの分まで何気ない日常を生きて行けたら…それだけで良かった。十分だったんだ。この気持ちは墓まで持って行こうって…決めてた。
…彼が死ぬ事がわかってたら、そしてそれがどうにも変えれなかったとしたら…伝えてたかも知れないけどね」
「………」
「…どうする?ベイリン。僕を斬るのか?」
「……いや、斬らない。お前の願いを俺は肯定する。
…不儀な気持ちで願うようなら、斬り殺していたかも知れないが…聞いた限りでは、それに見た限りでは……お前は理不尽に奪われた最愛の相手を、取り戻したいと純粋に願っているように見えた。
……その気持ちを俺は否定出来ない。間違ってなんかいないんだ、お前は」
「……ありがとう…っ…そしてごめん…ベイリンっ……」
「泣くなよいきなりどうした!?」
「…僕も、夢で…貴方の過去を見て……貴方が、目の前で女の人に死なれたのを…悲しんでたから……なのに僕は、死のうと…!!」
「……俺の事についてはよく知らなかったんだろう?ならば仕方ない。これから先、本当にどうにもならない時以外に自ら命を投げ出すような真似さえしなければ…十分だ」
「…わかった。それと…僕からも。
…極力、他のマスターやサーヴァントが居た時に、即座に殺しにかかるような事は控えて欲しい。
……交渉の余地とかあるかもしれないから、ね」
「…善処はするが…スキルと化してしまっているから……最悪令呪でどうにかしてくれると助かる。
…コホン。兎に角、これからよろしく頼みますよ、私のマスター、ユウリ」
「こちらこそ…改めてよろしく、セイバー…ベイリン卿」
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こうして、許されざる恋を抱きし色無き世界に閉ざされた少女と、ついぞ円卓の騎士にはなれなかった蛮人とすら呼ばれた戦士の戦いが今…幕を開けた。
サーヴァント
【クラス】
セイバー
【真名】
ベイリン@アーサー王伝説及び国王牧歌
【属性】
中立・ 悪
【ステータス】
筋力A+ 耐久B+ 敏捷B+ 魔力C 幸運E 宝具A
【クラススキル】
対魔力:B
魔術への抵抗力を表すスキル。Bランクの為、魔術を発動する際における詠唱が、三節以下のものを無効化する効果がある。
大魔術や儀礼呪法等を以ってしても、セイバーを傷つけるのは難しい。
騎乗:B
騎乗の才能を表すスキル。
大抵の乗り物なら人並み以上に乗りこなす事が可能だが、魔獣・聖獣ランクの獣を乗りこなす事は出来ない。
【保有スキル】
怒りと共に生まれし騎士:A
当人が言ったとされる「父は怒りと共に私を生み出した」との言と、それを身を以て表すかのような当人の性質及び辿った人生がスキルとなった物。
Cランク相当の戦闘続行の効果が付与されている他、セイバーが怒りの感情を抱くと、筋力・耐久・敏捷のステータスが1段階上昇し、またAランク相当の勇猛に、精神異常や干渉に対する耐性付与の効果も発動し戦闘続行の効果がBランク相当まで上昇する。
ただしデメリットとして、発動すると怒りにより視野が狭まる他冷静な思考を保てなくなり、大局的な判断が出来なくなる他、状況次第だと令呪を使わねばマスターの言う事すら聞かなくなってしまう効果もある。
セイバーは自分に関わる事については殆ど怒らない(虚偽でもない限りはその通りでしょうとしかならない)が、他者が関わると途端に沸点が下がる。
破滅の呪い:EX
宝具である冒険好きの剣を引き抜いた後、返却せず自分の物とした結果セイバーにかけられてしまった忌むべき呪いが逸話と融合してしまったスキル。
本来使う為に何かしらの資格や条件がある武器を、セイバーは手に取るだけで無条件に振るえるようになっているが、この呪いにより互いに最も親しいと思える相手へと剣を向ける事態になった瞬間、セイバーはその相手を確実に殺害してしまう。
なお、生前その呪いが発動した相手である弟ベイランと相対した場合は、最期の逸話の再現によりセイバー自身も確定で死(消滅)を迎えてしまうようになっている。
妖精殺し(讐):A
自らと弟の母を殺した仇である妖精・湖の乙女を怒りに任せ、その場に居合わせたアーサー王すら反応する間もない内に殺害した逸話から来たスキル。
妖精特攻の効果と、Dランク相当の忘却補正と気配遮断、またAランク相当の心眼(真)の効果を複合している。
なお心眼(真)の効果だが、怒りと共に生まれし騎士が発動した際はDランク相当までダウンする。
独断行動:A
セイバーが生前、主であったアーサー王の意にそぐわない行動(上記の湖の乙女殺害等)を取り一度は追放、そこから独断で王の為に動き結果信頼を取り戻すも、結局は自ら放浪の旅に出てしまい最期を迎えた逸話から来たスキル。
Bランク相当の単独行動の効果に、Cランク相当の反骨の相の効果が複合されたスキルである。
【宝具】
冒険好きの剣(エスペ・アヴァンチュルーズ)
ランク:A 種別:対人〜対軍宝具 レンジ:1〜50 最大捕捉:500人
最も優れた騎士でないと引き抜けないとされる、カリバーンとはまた別の選定の剣。一説にはアロンダイトと同一の物ともされている。その為なのか、過負荷を与える事により魔力を攻撃へ転用するやり方(アロンダイト・オーバーロードのように)が可能。
セイバーが引き抜いてから呪いをかけられたのか、それ以前から呪いがかけられていたかは不明だが今は前記の破滅の呪いがかけられた魔剣となってしまっている。
【weapon】
・無銘の片手剣
セイバーが元から持っていたとされる片手剣。一説には元はダビデ王が持っていた剣とも、振るうと周辺に災厄が訪れるとも、また冒険好きの剣と同一視・あるいはごっちゃにされる事もあるが、本企画だと少なくとも無銘の剣に過ぎない。
基本セイバーはこちらの剣を振るい使う。
・無銘の短剣
姿を消す事が出来る騎士ガーロンをセイバーが討伐した際に用いた物。討伐した城内部は武器の携帯を禁じられていたが、セイバーはこれを隠し持っていた。(どうしても必要だからと携帯を許可させた説もある)
・籠手(ガントレット)
アーサー王の従弟を殴り倒した(相手は重傷を負ったとも、死亡したとも言われておりまた殴った理由も自分が馬鹿にされたからとも、アーサー王を侮辱されたからとも言われている、そもそもアーサー王の従弟ではない説も)際セイバーが使用した物。
これで暴力沙汰を起こしたせいでセイバーは一時期牢獄に入れられていた。
なお上記3つはサーヴァントとなった事で、魔力による生成が可能。その為セイバーはこれら武器を損傷や消耗を気にせずに使う。
【人物背景】
アーサー王が円卓の騎士を結成するよりも以前、かの王に仕えていた騎士。
母の仇を討つため、弟ベイランと共に旅をする中アーサー王の配下となった。
双剣の騎士として、また野蛮な騎士として知られており、良くも悪くも感情のままに即決即断しがち、殺しを一切厭わないという気性面での問題こそあれど実力は確かな物で、最強の騎士のひとりとも称される程であった。
しかし彼の運命は、選定の剣を引き抜いて『しまった』事、それを自分の剣にした事から狂い出す。
仇である湖の乙女を怒りのまま首を斬り落とすも、彼女はアーサー王にとっての恩人だった為ベイリンは追放されてしまう。
追って来た弟ベイランの提案と彼の協力を得て、アーサー王と敵対していたリエンス王を2人で奇襲し捕縛する事で王の許しを得る事には成功し、その後は最優の騎士ランスロット卿の元で騎士としての振る舞いを学んでいたものの、ある時彼はランスロットとギネヴィアの不義密通に気付いてしまい、失意と不信のままに城から立ち去ってしまう。
その後は一人旅をしていたが、その過程でアーサー王の配下達が透明になれる騎士の手で次々殺されて行っている事を知り、また目の前で守ると約束した騎士の命をその透明な騎士の手で殺された事もあり、騎士の遺言に従う形で彼が連れていた乙女と共にその騎士・ガーロンを討つ為旅立つ。
そして紆余曲折を経てベラム王の城にてガーロンの殺害に成功するものの、ガーロンはベラム王の弟だった為激怒した王はベイリンらを殺そうとする。
その最中、城にあった槍を手に取ったベイリンが振るった結果…その槍がロンギヌスの槍だったせいで発動した天罰・嘆きの一撃により城は崩壊。それどころか近隣の3カ国までもが壊滅状態へと変わってしまった。
ベイリン自身はベラム王共々瓦礫の下敷きになっていたが花の魔術師マーリンにより助けられるも、乙女は息絶えていた。
そして彼は、罪の意識と自分が呪われてしまっている事を自覚し、アーサー王への元へ帰るのを諦め再び、一人当てのない贖罪と冒険の旅に出た。
最終的に彼は、互いに兄弟だと気付かぬまま弟のベイランと相討ちになる形で死を迎え、遺言により兄弟で同じ墓へと埋葬される顛末を迎えたのであった。
なおマーリン経由でベイリンの訃報を知ったアーサー王は、「あれ」は死ぬ生き物だったのか…!?とまず驚愕し、そして深く悲しんだとされている。
【外見・性格】
外見は金髪碧眼で、"喋っていなければ"寡黙で近寄り難く見えるタイプのイケメン。
性格は外見とは異なり割と喋るタイプで、誰かのために義憤を燃やし、情に厚く自らの正義の下に行動する善人な男…だったが、生前でのあれこれと、自らを召喚したマスターの影響もあって自己評価が地の底に落ちている。アライメントが悪になっているのもこれのせい。
(なお自己評価については基本表には出さないようにしている。「口に出した所で鬱陶しく聞き苦しいだけでしょうが」とは当人の弁)
しかし感情のままに即決即断しがち、かつ対象を殺して解決しようとする選択肢が常に脳裏に浮かんでいる上に、怒りを抱くと沸点が下がり我慢が効かなくなりがちな性質は治っていない(怒りについてはスキルにまでなってしまっている)。
基本的に丁寧語で話そうとしており一人称も私だが、これはランスロットの元で騎士の振る舞いを学ぶ中、身に付けた己を律しようとする仕草。
本来の一人称は俺で、言葉遣いも粗暴寄りである。
戦闘時は一対一の決闘か、そういう作戦でもない限りは、手段を問わず敵を撃滅する事を目的とし暴れるスタイル。野蛮な騎士呼ばわりされたのは戦闘時の手段の選ばなさと気性面が理由である。
彼は自らを騎士だとは思っていない。感情に流され何も守れず取り零し続け、殺す事と壊す事しか出来ない自分は騎士ではなく、内心ただの蛮人でしかないのだと自嘲している。(実際他のクラスで召喚された場合(バーサーカー、アヴェンジャー)は野蛮な側面が強調される)
しかしサーヴァントとして召喚された以上は、(マスターの願い等にもよるが)戦いを放棄する事はせず、出来る限りの働きはしてみせるだろう。
【身長・体重】
187cm、78kg
【聖杯への願い】
自分でもよくわかっていないようである。
使う資格は無いと思ってこそいるが、変えたい過去や無かった事にしたい悲劇はたくさんある。願いを叶えれる段階になって初めて、何を願いたいのか…或いは不要とするかが分かるんじゃないかと考え、一先ずは先送り中。
【マスターへの態度】
理不尽に大切な相手を奪われた被害者だと判断し、彼女の願いを叶えてやりたいと思っている。それはそれとしてどこか危うさも感じている。
聖杯から与えられた知識により、彼女が現代では法に阻まれる禁断の恋をしているのは認識している。
しかし当の彼女が今のところ色欲を理由として想い人の蘇生を願っているのではなく、あくまで一緒に居ることが出来ればそれだけで十分と思っているのもあって、セイバーは彼女の望みを肯定した上で、再び彼女の世界に色が戻る事を願いその為に戦うと、そう定めた。
マスター
【名前】
朝背悠理/Asase Yuri
【性別】
女
【年齢】
17歳
【属性】
中立・悪
【外見・性格】
髪色は茶髪で、長さはセミショートと言った所。中性的かつ着痩せするタイプで脱ぐとすごい。眼の色は髪色同様茶色にも見え、光の当たり方や角度次第では橙色にも見える。
服装は高校の制服で、下はスカート+スパッツ。一人称は「僕」で、基本男性的な言動で振る舞う。
黙っているとクール系に思われるが、性格は情に深く優しさと面倒見の良さを持った少女。しかしそれ故に感情のまま後先考えず直情的に動いたり、一人で問題を抱え込んで突っ走ったりと精神面に問題を抱えている。
また自己評価が低く自分への好意に鈍感な傾向がある上、他者から見られる姿を取り繕うのは上手な為これらの問題点は他者には見つかりにくい。
他、情の深さ故に、大切な者の為になら、それ以外の全てを踏み躙るような行動も出来てしまう異常性も持ち合わせている。
強い罪悪感等を感じそれを引きずり続けるも、それでも愛する人の為になら彼女は、一度そう決めたら最後、その手を汚す事を辞めずまた退かない。(そもそも彼女は弟が死んだのは自分のせいだと思っているので、既に自分の事を人殺しだと認識している)
両親が健在の頃は子供っぽく自分勝手、かつ寂しがり屋な泣き虫と手のかかるメスガキそのものであったが、死別してからはたったひとりの家族にして最愛の人となった双子の弟を支えながら共に生きる為に奮起し、今の性格へと変わっていった。
最も、興味を持たなかったもしくは持てなかった物を即座に忘れ去ったりと、今でも従来の性格の片鱗を伺える部分はあるが。
弟との死別以降は表面上こそいつも通りだが、内面は自責と絶望に飲まれ無気力極まった状況へと陥って行っていた。
【身長・体重】
170cm、63kg
【魔術回路・特性】
質:A 量:C
後追い自殺する前に落ちていた古びた懐中時計を気紛れで拾った結果こうなった。質がとても高い。
【魔術・異能】
魔術回路は開いたが、どのような魔術を行使可能かは現時点では不明。当人もよくわかっていないと思われる。
また異能かは不明だが、両親と死別した10歳頃から、意識的に記憶の取捨選択を行う事が可能になった。忘れる事にした記憶は1時間以内なら思い出す事が出来る。ただし辛い記憶は捨てて忘れる事が出来ない。
【備考・設定】
裕福な事以外はごく普通の一家(少なくとも当人視点だとそうだった)に一卵性双生児の姉として生を受けた少女。
10歳の頃に両親を目の前で事故で失い、遺された財産を使い弟とたった2人で生きて来た。
その際絶望していた所、弟の「父さんも母さんも、2人ともきっと夜空の星の何処かに居て、俺達を見守ってるよ」との励ましの言葉を受け、自らを省み性格が変わる理由となった他、彼をしっかり者の弟としてだけでなく、ひとりの異性として意識するきっかけともなる。
その後は2人で支え合いつつ、弟への異性としての積もる好意を内に秘め続けていたが、16歳のある時、2人で映画館に訪れた際突如爆発事件が発生。
自分は咄嗟に動いた弟に突き飛ばされた事で爆発の直撃は避けれたものの、意識を取り戻した彼女は弟の…最愛の人にして最後に遺っていた家族を喪った事を知らされ……自分を助けたせいで弟は死んだと思った彼女の世界からは、色が消え失せた。(視力は低くなく低下もしていない、その為全色盲もとい1色型色覚ではなく、ストレスによる色覚異常と見られる)
その後は表面上は立ち直り普通の日々を過ごしてるように見せながらも、色の消えた世界を死んだように生きる日々が続く中で彼女は、かつて言われたように彼自身も、弟も夜空の星の何処かに居るのではという思考に捕われる。
内心では死んだように生を過ごしながらも、夜は星空を眺めながら涙を流す日々の果て、どうやっても生きている限り自分は、星に手は届かないと悟った彼女は……最愛の相手に再び会う為にこの色無き世界から飛び立つ決心を固めた──その矢先、目に留まった古びた懐中時計を偶然拾ってしまった結果、聖杯戦争へと巻き込まれる事となった。
弟を生き返らせたいとは思っているものの、動機は再び彼と共に色のある世界を生きたい。恋は叶わないままで、秘めたままでいいという、性的な要素の無い純粋な愛から来た物である。なんなら弟が居るのであるのなら、例え色のないモノクロな世界から変わらずとも構わないとすら思っている。
また弟の事を大切な愛する人だと他者に言う際や内心で触れる際、名前では無く「彼」や「君」と呼称するのは、ひとりの異性として見ているが故。(弟の存命時はしていなかった)
ちなみに運動能力はかなり高く、剣の心得もある他、家事全般は人並みには出来る。
【聖杯への願い】
最愛の弟を生き返らせ、己が世界に色を取り戻す。
……ただ僕は、彼と一緒に生きたいだけなんだ。
【サーヴァントへの態度】
自分を踏み留まらせ道を示し、自分の許されざる恋を肯定してくれた人。
頼りにしているし、心強いと思っている…が、殺しに躊躇いが無さすぎてそこは少し不安。
投下終了します。タイトルは「無色の世界にもう一度、色を取り戻す為に」でお願いします。
投下します
あの日、全てが変わった。
燃えてゆく思い出と愛。
周りは私を蔑んだ。
「疫病神」って。
だから私は見限った、世界を、私から大切なものを奪った全てを。
そう、この残酷で吐き気のする世界を。
そんな私を、古びた懐中時計が、導いた。
◆
都内某所。
高校から、一人の少女が出てくる。
周りの波に合わせながら、緑の髪を靡かせ歩いていく。
そんな彼女の周りを、他のものは彼女の噂で囲んでいた。
「ねぇ…あの子…」
「たしか、富豪の子で」
「海外の人らしいよ、確か名前は…」
「カリス、カリス・ヴォロ・スライベイスラト、覚えづらい名前ね…」
「いつも一人でいるらしいよ…」
「寂しく無いのかしら…」
そんな群衆に、カリスは冷徹な視点で返す。
「…くだらない」
その少女は、噂を意図に返さず、見下し、帰っていった。
◆
「…ほんと最悪」
カリスはまたしても学校から出てきた。
理由はただ一つ、忘れ物をした。
理由は不明、よくわからず、そんなヘマをした。
「…さっさと帰ろ…」
校門を抜けたその時だった。
道の真ん中に、一人の男が立っている。
(なに…?新手の不審者…でも…そんな情報は…)
そんな事を考えてる隙に、男が先に声を張り上げた。
「不用心な奴だ!下劣な女の癖して…」
なんの理由もなく差別してくる存在を、カリスは悟った。
「…敵マスター?面倒くさいんだけど…」
「言ってくれるな凡骨…俺のサーヴァントを見て、その威勢はまだ崩れないかな?やれ!ランサー!」
細身の男が、魔術師の横に現れる。
その長槍には乾ききってない血がついており、なんにもの手術を葬り去っていたことが知れる。
「…」
「どうした?驚いて声も出ぬか?三騎士を眼の前にして、臆しなかった事は評価してやろう!だが貴様はここで、血を散らすのだ!」
ランサーがクラウチングスタートの体勢になり、土をける。
そして少女の喉先へと――
◆
魔術師がなんの警戒もなく、カリスにランサーを突撃させたのは理由があった。
一、所詮は魔術の知識のない凡骨な女、魔術回路も最低であり、碌なものではないと判断したから。
二、サーヴァント出していない、理由はキャスタークラスかなんかを召喚したからだろうと、短慮した。
三、ランサーは優秀、絶対に勝てるという自信があった。
以上を踏まえて、魔術師は勝ちを確信し、槍を振り上げさせた――その代償が、死で償われることを知らずに。
「な…」
ランサーの眼の前に現れた、甲冑姿の偉丈夫。
黒ひげを蓄え、大太刀で剛槍を防ぎ、黒衣の鎧を着こなす姿は、まさに中世日本の戦士「サムライ」
「たっく…少しは頼れよマスター…」
「…今回ばかりは、認める」
カリスとそのサーヴァントは、攻めてきたサーヴァントを意に返さず、話し合う。
魔術師は己の短慮を後悔した。
その武装――それが示すのものはまさに――
「なぜ…なぜ貴様ごときにセイバーのサーヴァントが!」
「…引き運でしょ?」
最優、セイバー。
大太刀から、それがすぐに分かった。
「…すぐ済ませよう、セイバー」
「あいよ」
素早く大太刀を振り下ろす、ランサーの取り柄は俊敏だ、もちろんそれに槍捌きも含まれる。
しかし、仰け反った。
強い、力が強すぎる。
そして、正確で早い。
もちろん立て直すも、防戦一方、一撃さえ入れられない。
「どうした?西洋の槍兵さんよ!もう終わりか!?」
ランサーも意地がある、あんな下劣なマスターに従ってた己を恥じ、眼の前のセイバーとの戦闘を全力で楽しみたかった。
一つ笑みを浮かべ、攻めの態勢を伺う。
そして一方は――
「く、来るな!」
「先にやってきたのはあんたでしょ」
表情を変えずに、カリスは迫る。
魔術師は自身が一瞬にして崩れ去っていくのを体感した。
逃げの、逃げの一手を打つことを模索する。
これしかないと目をやるのは令呪。
「令呪を持って命ずる!俺を守――」
言い切る前に、男の令呪の腕を、カリスは斬った。
それは手のひらから出た、剣、正真正銘、貫通して出てきている。
「これ、痛いから使いたく無いんだけど」
「ヒィィィィィ!」
傲慢な魔術師は、自身の才能すら忘れて、のたうち回る。
そんな男を、カリスは見下す。
そして、冷徹な視線と共に、不気味な笑みを浮かべる。
「じゃあ、死のうか」
喉仏を貫いたのは、ランサーの槍ではなく、カリスの剣であった。
◆
「…終わり?」
「おうよ、悪くねぇ奴だった、こんなクズ以外なら、最も活躍できたであろうよ」
戦闘を終えたセイバーがこちらに近づく。
すでにランサーは息絶えて、消えていた。
しかし、口ぶりからして、満足いって死んだことは目に見えていた。
「で、こいつはどうすんだ?」
「…地獄の轟炎よ、敵を炎で嬲りたまえ、灼熱地獄(エストニス・インフェルニ)」
カリスは何かを詠唱した次の瞬間、魔術師が炎に包まれた。
「これで、おしまい」
「…えげつねぇな、まぁ、俺もやってきたことは変わんねぇんだねどよ」
セイバーを髭をいじりながらそう語る。
カリスは燃え尽きたのを見届けて、速歩きになる。
「…帰るよ」
「はいよ」
少女の後ろを偉丈夫が歩く。
聖杯という、呪いの奇跡に巻き込まれた少女とともに。
◆
――だから私は拒絶した世界を。
――呼ばれて目の前に現れたのは、最優のクラスを冠した男。
――歴史の敗者(ルーザー)、長宗我部盛親。
――ほとんどの戦に勝てず、家を潰した男。
――私と同じ、運命に弄ばれた男。
――ねぇ、だから、会いたよ。
――ママ…パパ…
サーヴァント
【クラス】セイバー
【真名】長宗我部盛親
【属性】混沌・中庸
【ステータス】
筋力C 耐久C 敏捷C 魔力D 幸運D 宝具B
【クラススキル】
対魔力:C
第二節以下の詠唱による魔術を無効化する。
大魔術、儀礼呪法など大掛かりな魔術は防げない。
騎乗:C
騎乗の才能。大抵の乗り物、動物なら人並み以上に乗りこなせるが、
野獣ランクの獣は乗りこなせない。
【保有スキル】
勇猛:A
威圧・混乱・幻惑といった精神干渉を無効化する能力。
また、格闘ダメージを向上させる効果もある。
戦闘続行:A+
往生際が悪い。
霊核が破壊された後でも、最大5ターンは戦闘行為を可能とする。
邪魔者:A
デメリットスキル。
セイバーが何処かへ行く際、高確率で何かしらの妨害が発生する。
関ヶ原の戦いにて、吉川軍にとうせんぼされ、肝心の戦いに出向けなかったことに由来する宝具。
【宝具】
『一領具足(いちりょうぐそく)』
ランク:D- 種別:対軍宝具 レンジ:―― 最大捕捉:――
長宗我部氏特有の制度。
法螺の吹く音が聞こえれば、すぐさま仕事を引っ張り出し、戦場へと向かう。
具足が一領しかないためこう言われた。
その場に馬に乗った「単独行動:E」を持つ騎馬兵を召喚する。
父元親などと違い、しっかりと使った逸話がないために、ランクはダウンしている。
『釣り野伏せ(つりのぶせ)』
ランク:B 種別:対軍宝具 レンジ:1〜5 最大捕捉:3000人
セイバー最後の戦い、大阪夏の陣にて使った戦法が宝具かしたもの。
宝具の名称自体は正式なものではなく、限りなく近い島津軍の戦法名があてがわれた。
「一領具足(いちりょうぐそく)」とは別の足軽を召喚(足軽は「単独行動:E」を習得した状態で召喚される)、セイバー共々一時的に「気配遮断:A」を付与。
対象が接近した際、伏せていた場所から敵に対して奇襲をかける。
【weapon】
身の丈ほどある大太刀
【人物背景】
長宗我部元親の四男。
本来の継承者である信親が死亡したため、家臣たちの反対を押し切り後継者に指名させられる。
関ヶ原の戦いの際には西軍に寄与。
関ヶ原本戦にも出向くも、吉川軍に妨害され、ろくに戦えず撤退する。
戦争後は徳川家康に取りなし御堪忍分を与えられようとするも、反故にさせられる。
その後は京都で寺子屋を開いていたが、豊臣側からの誘いを受け、大坂の陣に参戦する。
冬の陣・夏の陣両方において活躍するも、敗北。
最後は処刑された。
【外見・性格】
黒髭を蓄えた偉丈夫。
常に黒色の鎧を身にまとっている。
粗暴だが寺子屋をやってたこともあり頭は悪くなく、また部下や子どもの面倒みもいい。
【身長・体重】
177cm 78kg
【聖杯への願い】
長宗我部家の再興
【マスターへの態度】
心底ガキのくせしてそれぽくないマスター。
少しは頼れってんだ。
マスター
【名前】カリス・ヴォロ・スライベイスラト/Karis Volo Slaibeysurat
【性別】女
【年齢】16歳
【属性】混沌・中庸
【外見・性格】
緑色のセミロング、白色の肌、黄色のハイライトを持つ。
服装は白のセーラー服と黒のスカート、下半身を覆うタイツ。
性格は退廃的、過去の経験からこの世の全てを意味のないものだと解釈している。
何が起きても冷徹な少女。
しかし、その裏には、家族への情愛を抱えている。
【身長・体重】
168cm 体重47kg
【魔術回路・特性】
質:C 量:C
特性:変質
ゴミ捨て場に捨ててあった懐中時計を拾い招かれた。
もともと魔術師の家系ではなかっただが、潜在能力は高かったのであろう。
【魔術・異能】
三獣変質(アニマルズ・イミテーション)
呪文を詠唱し、獣に変貌する魔術
巨躯の大鷲、砂場の暗殺者の大サソリ、海岸の支配者のトド、いずれかに変化する、上記の動物を思い浮かべて変化する。
詠唱の文言は
「我、獣に変化す」
灼熱地獄(エストニス・インフェルニ)
相手を燃やす魔術、威力は弱いが持続性が強く、相手をじわじわ苦しめる事に特化している。
彼女の魔術の性質とは違うが、本人曰く
「私の過去でも覗いて習得させたんでしょ、ほんと悪趣味」らしい
詠唱の文言は
「地獄の轟炎よ、敵を炎で嬲りたまえ」
骨剣(オース・グラディオ)
腕もしくは足の骨を鉄の剣へと変化させる。
肘、膝、指先、太腿、上記の範疇ならどこでも剣を出現させられる。
剣が壊されると生成した場所の骨の修復は不可。
また、発動及び解除の際には、反動のダメージが入る(痛みとしては骨折と同じ痛み)
詠唱の文言は
「我が体よ、苦痛を代償として、敵を貫け」
【備考・設定】
イギリス生まれ、魔術のなんの拘りの無い家系である。
元々は活発であり、看護師を夢見ていた。
13歳のある日、家が強盗に燃やされ自身を除く家族を全員失う。
彼女だけを生き残った真実を、周りは疫病神と蔑み、今の彼女の性格へと繋がった。
身寄りのない彼女は、孤児院に入ることを拒み、ゴミなどを漁りながら各地を点々としていく。
そんな中、いつも通りゴミ箱を漁っていると、見つけたのは懐中時計。
そこからこの世界へと呼ばれた。
ロールは海外の大富豪の娘、偽りの家族の出資を受けて、東京で一人暮らし中。
【聖杯への願い】
もう一度、家族と幸せに暮らす。
【サーヴァントへの態度】
やかましい男、けど、剣としては優秀。
そして、私と同じ、運命に弄ばれた者。
投下終了です
投下します
「問おう。汝が不遜にも余と契約せしマスターか?」
そう言って現界したのはネメス頭巾と王衣(シェンティ)を纏った……いかにも古代エジプト人ですよという恰好をした人物だった。
顔立ちは中性的で女性か男性かは判別つかない。
だがその美しさの前では性別は関係なかった。
そして迸る神気の前では人間であるかどうかですら意味がなかった。
神気……すなわち神の証明。
ここに召喚されたのは神霊にも等しい王であり、あらゆるものはその王気の前にひれ伏すだろう。
もっとも……赤子であるマスターは最初からハイハイの姿勢だったわけだが。
「…………は? おいおいおいおいッ! 嘘でしょ、お前……!!」
召喚に応じたアサシン……『女王ハトシェプスト』は理解が追いつかず素の声が出てしまう。
当然と言えば当然だろう。これから願望成就のための殺し合いが始まるというのに肝心のマスターが赤子とあらば困惑するのも仕方のないことだ。
女だからとなめられまいと覇気を上げて現われた自分が滑稽にすら思えてくる。
「いや、でも他に誰もいないし……」
抱き上げると赤子はキャッキャッと喜ぶ声を上げた。
あれだけの神気と覇気を浴びせられた赤子は怖がるどころか親しい者として喜んでいる。
そしてその面貌は赤子でありながら勇ましさを感じさせた。
「我が甥そっくり……でもないわね。でも──」
* * *
紀元前15世紀。
古代エジプトのとある神殿で二人の統治者(ファラオ)が相対する。
「叔母上」
「ここでは女王と呼びなさいと何度も言っているでしょう」
男装し、名実ともにエジプトの女王となったハトシェプスト。
父たるアメン・ラーと同じく神の香を漂わせ、猛々しく神気を迸らせる女主人。
彼女と対峙するのは二十二、三歳の青年だ。
冷たい夜にもかかわらず真夏の太陽に等しい熱気が青年の体へ叩きつけられていた。そうでなくても絶対的な権力を持つ女王の不興を買えばいつ謀殺されてもおかしくない状態であった。
だが青年は怯まない。屈しない。
無知からの蛮勇ではなく恐怖を知る勇気があり、自棄ではなく王者としての責務が彼を女神と対峙させるに至った。
「私にこの国をお貸しください」
その青年は後に最も偉大なるファラオの一人。
エジプトのナポレオンとも呼ばれ史上最大の領土を勝ち取る征服王──トトメス三世であった。
トトメス一世の勇気と覚悟を見たハトシェプストは砂嵐の如き神気を抑えた。
「いいでしょう。その勇気に免じて許します。私が蓄えた国力を持って、失った国土を……いいえ世界の涯まで王の支配下に置くのです」
トトメス三世は知らない。
彼女が実は最初からそのつもりだったことを。
夫であるトトメス二世が死に、後継者に選んだのは側室のイシスとの間で出来たトトメス三世だった。
当時、ハトシェプストは「勝った」とほくそ笑んだ。なぜならトトメス三世は二歳だからだ。
先王トトメス一世の娘である自分が摂政となって実権を握り、然る後に王を謀殺して玉座を奪えばいい。
神によって生み出されたこの身と正当な血筋が何者にも我が治世を否定させない。
そう思っていたのに……たった二歳の甥を見た瞬間、全てが打ち砕かれた。
王権を乗っ取ろうというハトシェプストの野心は砂漠の砂粒のごとく吹きとばされた。
代わりにこの子のために一生をかけてエジプトを守り、その全てを譲りたいという願いが生まれた。
神たる身にそうさせるほどの王気があの幼子にあったのだ。
「あなたは私が育てた王の中の王。過去の王たちを超える最高の王になりなさい」
この二十二年はその為にあったと心の内で告白する。
そしてこのやりとりの後、一年もしないうちにハトシェプストは安心したかのように死んだ。
* * *
赤子の相には覚えがあった。王気の片鱗だ。
王の器に年齢は関係ない。それは彼女自身が身をもって知っている。
「汝もそうなのであるな」
優しく頬を撫でると嬉しそうにする子ども。
名前も知らない。
だけど主と認めるには十分だった。
さてこの赤子について血生臭い話を語らねばならない。
ハトシェプストが召喚される直前、この赤子を持ってきた魔術師がいた。
この魔術師は既にいない。この赤子であるというオチでもない。
この魔術師の一族は清廉で、屈強で、完璧な人を作るという妄執に取りつかれていた。
「最強にして無垢なる魂の人。それが世を統べれば不幸に満ちたこの世を正せる」
そんな子どもの考えそうな絵空事を信じたのである。
彼の一族はそのために何代も重ねて試行錯誤した。
西洋のホムンクルス。東洋の贋造生命。中華の蓮華珠。カバラのアダム・カドモン。
そういった「完璧な人間」の文献を漁り人間を作ろうとして、結果は見るも無残な人間もどきを量産してしまっていた。
彼らが人体の錬成に失敗したのではない。
洗脳であれ、英才教育であれ、人心は腐る。
聖杯のごとき無垢なる魂は外からやってくるこの世の悪に汚染されてしまう。
自然の嬰児の純粋さに報いるほどの社会が存在しないのだ。
だから彼の父の代にもなると、もはや手は尽くしたというように次の目標が立てられなくなっていた。
そんな時、チェザーレ・ロンブローゾの”犯罪生物学”を知った。
"罪を犯すものは肉体のかたちによって決まっている"という考えだ。
無論、科学的に見れば迷信の域にすぎない。だが魔術的には意味がある。
惑星と肉体の対応。健全な肉体は健全な精神に宿るという相関性。
ロンブローゾの論文が否定された後も彼の父と彼はこの考えに傾倒し、新たな目標を立てた。
──完璧な人ではなく完璧な肉体さえあればいい。そしてそのサンプルはある。
魔術師の親子はあろうことかエジプトにあるファラオのミイラを盗み、偽物と挿げ替えた。
そして離れたこの日本の地でミイラの肉体を蘇らせようと試みたのだ。
実態は蘇生ではなく駆動であり、遺体にソロモン王由来の降霊術式を組みこみ動かそうとした冒涜的な試みだったのだが。
しかしこれにも問題が二つある。
一つ、ミイラに臓器はない。
来世の復活に備えてミイラの臓器は遺体から壺へ移されており、ミイラの中身は伽藍となっていた。
もう一つ、ミイラの肉体は老齢かつ朽ち果てている。
仮に降霊が成功したとしても。駆動と同時に体が崩れ去る可能性が高い。
この問題を解決する最短距離として魔術師は己と己の父を捧げた。
ミイラの細胞を採取し、錬金術によって赤子に等しい状態にまで復元し培養した。
出来上がったのはファラオのDNAを持つ、人とは言えない肉の塊。
それをミイラのかたちへと魔術的に照合させ、父と自分の臓器、骨、血肉の全てを赤子のものへ置換して埋め込んだ。
完璧な肉体に自分たちという不純物が混じらぬように置換魔術で自分たちの痕跡を残さず消して同化していく。
赤子といえど神王と呼ばれたファラオの一人を生き返らせるのであれば魔力も資源もその倍は消費する必要がある。
ゆえに魔術師の親子は成果を見ることなくこの世から完全に消え失せるのが決まっていた。
「この子が動くのを見れないのが残念だ。だが我が家系の終焉はこれこそが相応しい」
完全なる人を作り出すのではなく完全だった人体を動かす。
科学技術、錬金術、仙術、降霊術、死霊魔術……一族が積み上げてきたあらゆる魔術と技術はこのためにあったと確信できる。
「──む?」
そして最後の瞬間、ふと何かの結界が歪んだ気がした。そして聖杯戦争の知識が頭に入る。左手に懐中時計と令呪が顕現した。
「知らん。うっとうしい」
それら全ての異常をどうでもいいと切り捨てる。
なぜなら自分の願望はいま願う。そうだ、今このときこそが一族の悲願が達成される瞬間なのだ。
「我は汝となり、だが汝は我ではない」
完全なる人よ。世界を救いたまえ。
そう祈りを籠めて自分を霊子ごと消し去って魔術師はこの世を去った。
設定されていた魔術礼装が起動し降霊術によって赤子に霊魂が入り込む。
魔術師は誰よりも早く聖杯戦争から脱落し、誰よりも早く願いを叶えた。
その家系の名は亜門(アモン)という。
【キャラクターシート】
【クラス】
アサシン
【真名】
女王ハトシェプスト@エジプト/新王国時代(紀元前15世紀)
【属性】
秩序・善
【ステータス】
筋力B 耐久C 敏捷A 魔力A++ 幸運A 宝具A
【クラススキル】
気配遮断:B
自身の気配を消すスキル。
発動すれば、サーヴァントであっても感知はほぼ不可能となる。ただし、攻撃時には効果が大幅に薄れてしまう。
【保有スキル】
黄金律:A
人生において金銭がどれほどついて回るかの宿命を示す。
神の国プントとの交易を成功させ、学問の神として祀られたアメンヘテプらを登用して
王朝を盛り立てた事実が、彼女にこのスキルを与えている。
麗しの風貌:B+
服装と相まって、性別をどちらかに特定し難い美しさを(姿形としてではなく)雰囲気で有している。
男性にも女性にも交渉時の判定にプラス補正が働く。
また、特定の性別を対象としたあらゆる効果を無視する。
アモン・ラーを見初めさせた母イアフメス譲りの美貌と男装の逸話から。
皇帝特権:EX
男と女の王権を有し上下エジプトの女主人として新王国時代を繁栄させたハトシェプストは高ランクの皇帝特権を有する。
クレオパトラと同様に本来は不得手な戦闘をこのスキルで補っているため、
戦闘中は皇帝特権が本来有する圧倒的な性能は発揮できない。
神性:A++
神霊適性を表す。
英雄王を超える神性を有する。生まれた時点でほぼ神。
伝説によると父アモン・ラーからは種、クヌム神からは肉体、ヘケト神からは魂を与えられており四分の三が神である。
男の魂を持った女体であり概念的には両性。また「女のホルス」と名乗りファラオとして神々の座に上げられたため神同然の神性を持っている。
【宝具】
『崇高なるうちの最も崇高な場所』
ランク:A 種別:対界宝具 レンジ:1〜50 最大捕捉:800人
ジェセル=ジェセルウ。
生前作り上げたハトシェプスト女王葬祭殿にして彼女の人生を描いた対界宝具。
神殿の入り口となる参道には神獣スフィンクスが軍勢を為し、、
神の国プントから持ち帰った薬樹ミルトや美しい花々が咲き誇る庭園が広がる。
その奥にはハトシェプスト女王の人生を象ったレリーフが並び彼女の一生──すなわち世界があらゆる攻撃を防ぐ対粛清防御を持つ。
この宝具を使用している間はスフィンクスの軍勢を送りこみつつ、治癒と防御の神殿に立てこもる事が可能。
ただし彼女の力を支えるレリーフはその限りではない。
『大いなる碑柱のうち最も巨大な守護碑』
ランク:C 種別:対人宝具 レンジ:1〜30 最大捕捉:1人
テケン=ラー。
重さ323トンのオベリスクを召喚し発射する。要は質量兵器。
ハトシェプストのオベリスクはエジプト最大のものである。
ちなみに最初は黄金で作ろうとして諦めたらしい。
【weapon】
基本素手であるが、プントに遣わせた船のオールを召喚して振り回すこともできる。
【人物背景】
古代エジプトにおいて最も偉大な女王。
女王には伝説の女王ニトクリス、最初の女王セベクネフェルがいるが権力を握り、エジプト王国を繁栄させた女王は彼女だけとされる。
彼女は能力の高い人物を身分に関係なく登用し、新王国時代の基盤を作り上げ、蓄えた国力によってトトメス三世は遠征を行いエジプト史上最大の領土を手に入れるに至った。
また王家の谷の最初の王墓となる父トトメス一世の墓を建築し、己の至聖所であるハトシェプスト女王葬祭殿も建造した建築女王でもある。
史実においては当時二歳だったトトメス三世の摂政として玉座についた。
夫であったトトメス二世は彼女の野心を危険視して側室との子であるトトメス三世を後継者に指名したがこれは叶わなかったと思われた。
だが彼女は実権を握っても玉座を簒奪せずにトトメス三世と共同統治であると再三宣告し、トトメス三世が十分な年齢と能力を示すと安心したかのように世を去った。
また旧約聖書においてモーセを拾い、育てあげた王の娘ともされている。
(ただしFate世界ではモーセはオジマンディアスの時代の人となっている)
ラムセスⅡ世(オジマンディアス)は王として実績を認めてざるを得ないが、
自分の神殿に勝手に名前を書いたので嫌い。
トトメス三世は何しても許す。自分のレリーフ削っても許す。
「当世では貨幣が紙と硬貨? 金ではないのか」
(当時のエジプトは金に溢れていたので金の輪が貨幣だった)
【外見・性格】
男装の麗人……最初の女王セベクネフェルが男装していたため伝統として男装していた。
当世では気にしなくていいが、やはり伝統であるので男装する(つけ顎髭は流石にしない)
ホルス神を名乗っていたのでニトクリスのようなウサ耳をしている。(魔術的意味はない)
【身長・体重】
164cm、53㎏
【聖杯への願い】
自分の神殿に書かれたラムセスⅡ世のカルトゥーシュの削除。
【マスターへの態度】
新たな王。自分が今生を捧げる意味(価値ではなく)がある相手。
マスター
【名前】
亜門
【性別】
男
【年齢】
一歳
【属性】
秩序・中庸
【外見・性格】
王の気配がある赤子。
【身長・体重】
81cm・14kg
【魔術回路・特性】
神代の人であるため質・量ともに非常に高い。
【魔術・異能】
天性の肉体。完璧な人体である。
魔術・異能の類はないが王者が見れば王の器と分かる何かがある。
【備考・設定】
魔術師の肉体が同化したため令呪が赤子の体に遷移してます。
ミイラの等身が近かったらハトシェプストは気づくので使われたのは世代の離れたミイラだったようだ。
【聖杯への願い】
生まれたばかりの赤子なのでそもそも願いがない
【サーヴァントへの態度】
本能的に同胞と理解していて会えてうれしいようだ。
もしかしたら母親だと思っているのかもしれない。
投下終了します
今日も今日とてたくさんの投下ありがとうございます!
>無色の世界にもう一度、色を取り戻す為に
真に迫る心理描写で描かれる主従間のつながりがたいへんよかったです。
悠理の重い過去とそれに向き合うベイリンの誠実さが際立っていて読み応えがありました。
理想的なくらいよりどりみどりの性能をしてるベイリン、実際良いカードすぎて主従運はとても良いなあと。
投下ありがとうございました!
>The opera house of illusions
敗北者とすべてを失ったものの主従ですね。コンセプトが際立っているなと感じました。
マスター側の設定、特に異能の部分がとても凝っていていいなあと思いましたね。
サーヴァントの性能はかなり控えめですがだからこそ爆発力に期待したくなる主従でした。
投下ありがとうございました!
>王に年齢は関係ない
タイトルがこんなに作品の内容を表してること、ある?
年齢を除けばおよそ完璧な存在である亜門、そりゃハトシェプストが認めるのもわかりますね……。
わずか一歳という齢でどれだけ存在感を発揮できるのか、たいへん気になる組み合わせでした。
投下ありがとうございました!
それでは、私も投下させていただきます。
祈りを捧げて、十字を切る。
幼い頃から、何があっても欠かさなかった習慣。
習慣は人を作る。早寝早起き然り、朝昼晩の食事然り。
変わらない何かを自分の中に用意するというのはすなわち心に柱を作るということだ。
ひどく不確かで、ちょっとした風が吹けば傾いでしまうような脆い心。人間の心を支える、柱。
ほんの些細な偶然で、ほんのわずかな歯車の掛け違えで、何もかもが簡単に壊れてしまうこんな世界だからこそ。
だからこそ、自分の中に据え置く柱だけは不変にしておくべきだ。
それが、琴峯ナシロ――琴峯教会の一人娘にして忘れ形見でもある少女の人生観だった。
時刻は朝の五時。
未だ日の光も昇らない時間に、無人の礼拝堂で十字を切る。
別に決まった場所である必要はない。
一応は両親の仕事を引き継いでいる身だからこうしているというだけで、重要なのはあくまで後者。十字を切る、というその動作だ。
「よし」
小さく呟くその声は、十七歳の少女とは思えないほど凛とよく通る。
質実剛健。そんな人柄の垣間見える、教会という清らかな場所に相応しい声音。
ナシロの身の上を思えば、彼女がこうも立派に育ってきたことは立派としか言い様がなかった。
彼女が天涯孤独となったのは今から二年前のことだ。
それから今まで、ナシロは誰かの手を借りることこそあれど、一度も道を外れることなく真っ当に生きている。
両親の遺した教会が今もこうして存続していることさえ彼女の勤勉さと責任感の賜物だ。
そうでなければ半世紀以上に渡り街の皆から愛されたこの琴峯教会は、今頃影も形もなくなっていたかもしれない。
ナシロは教会を継いで管理している身だが、実のところキリスト教にそこまで強く懸想しているわけではなかった。
神の在不在、信仰することによってもたらされる恩恵の有無。
そんなもの、ナシロはいい意味でも悪い意味でも話半分くらいにしか信じていない。
かと言って、もういない父母への義理立てのためだけにこうして琴峯教会を守っているのかと言われればそれもまた否だ。
ナシロは信者と不信心者の中間のような人間であるが、それでも彼女なりに意思を持って、今の生活を送っている。
「神さま。あんたが実際のところ"どう"なのかは、私には正直とんと分からんが」
宗教とは、道を違えない限り人にとって明確な柱になってくれる存在だ。
心の拠り所になり、規範になり、生きる意味になる。
無論信じることに狂と妄を乗せればそれは宜しくないが、そうならない限り"信じる"ことはいつだとて人間の味方だ。
このすべてが不確かで、無情な世界の中で。
普遍の柱として聳え続けるその概念が、ナシロは嫌いではなかった。
自分自身、柱に身を委ねて生きている者として。
父が支え、母が寄り添ったこの教会を通じ、ひとりでも多くの心に少しでも〈救い〉らしいものを与えることができるのならば。
「今日も今日とて、あんたのできる範囲で世界に幸福のあらんことを願うよ。――Amen」
それはきっと、とっても素敵なことじゃないか。
故に今日も今日とて、ナシロは十字を切る。神に祈る。
自分ではなく誰かのため。自分のケツは自分で拭けるから、この十字架が示す救いはどこかの〈誰か〉へ。
喪失を越え、孤独に克ち、そうして今日の日を迎えたナシロは強い娘だった。
境遇に腐らず、怠惰に沈まず、自分の人生をまっすぐ保ちながら〈誰か〉の幸せに手を差し伸べる。
そういうことができる、亡き琴峯夫妻の自慢のひとり娘。
それが、琴峯ナシロ。世界を信じず、神を疑い、されど人が人たることの尊さだけは疑わない女の子。
「……ん」
礼拝堂の、座席。
チャーチチェアの上に、かすかな輝きの反射を見咎めた。
誰かの忘れ物だろう。回収しておかねばな、と思って歩み寄り、手を伸ばして掴み取る。
懐中時計だった。やけに古びているが、時間はちゃんと刻んでいる。
ふと堂内の壁時計を見ると、ものの一秒も時刻がずれていない。
(こんなに古そうなのに、よく手入れされてるんだな……)
さぞや思い入れのある品物に違いない。
願わくば、ここに置き忘れたことに気付いてくれるといいのだが。
そんなことを考え、懐中時計を懐にしまったその瞬間。
「――、……?」
琴峯ナシロの視界は突如として、ひどい目眩によって回転し、程なく暗転。
琴峯教会のうら若き主は自分の身を襲う事態の仔細も理解する暇なく、意識を闇に沈めてしまうのだった。
◇◇
聖杯戦争。
針音仮想都市〈東京〉。
マスターとサーヴァント。
令呪、懐中時計、etc、etc――。
脳内に情報の洪水がなだれ込んでくる。
こめかみを押さえながら目を開くと、そこは変わらず見慣れた礼拝堂だった。
時刻も先ほどまでと完全に同刻を示している。
何もかもが、不変。なのに頭の中は、明確に〈さっき〉と〈今〉が別物であると告げていた。
「なん、だ……? これ、は……」
これを神の試練だなどと思えるほど、ナシロは信心というものに傾倒していない。
怪訝な顔で懐中時計を見つめ、それから顔をあげる。
すると本来なら自分が立っているべき場所に、見知らぬ"モノ"が立っているのを認識した。
ちいさな、おそらくは小学生――大目に見ても中学生くらいであろう少女だった。
長い黒髪はベンタブラックを思わす漆黒を湛え、なのに肌は対照的にひどく白い。
やけに薄汚れた白い外套は見ていて不安になる。顔は、どう贔屓目に言っても美少女と形容できる。
だが彼女の容姿を語る上で重要なのは絶対にそこではない。
そこではなく、その小さなシルエットの背中から生えている、人間には決して存在しないはずの部位だ。
少女には、羽が生えていた。
天使の羽でも、鳥の羽でもない。
透明で、かすかに油膜めいた色を湛えた楕円の羽。
"翼"ではなく"羽"と形容するのが正しいだろう、それは。
不快害虫の代名詞であるところの、蝿のそれによく似ていた。
「琴峯ナシロさん」
「……お前、は」
誰だ、こいつは。
いや、違う。知っている。
知っているのだ、知らないはずなのに。
間違いなく初めて会う得体の知れない相手であるはずなのに、脳内に無理やり押し込められた情報が彼女が自分にとっての何なのかを伝えてくる。
サーヴァント。
マスターたる己が召喚した、人類史の影法師。
聖杯戦争を共に戦う相棒。運命を共に歩む片割れ。
〈針音仮想都市〉にて、唯一信じることの許される――
「可哀想に。そんなに幼いのに、もうひとりぼっちになってしまったんですね」
嗤うような声を、あげて。
事実少女は、"にたぁ"と口元を歪めた。
邪悪。そう断言することのできる、醜穢な笑み。
人間などではありえない、あるはずもないその顔は、まるで。
まるで、そう。ナシロの宗教にて神敵人敵の代表として語られる〈奴ら〉のよう。
〈悪魔〉の、ようで。
悪魔。蝿。悪意。
三種の要素が、ナシロの脳裏で像を結んでいく。
いや、そんな行程などなくとも構わない。
悪魔で、蝿の特徴を持つ――この時点で思いつく名など、ひとつを除いてありはしないのだから。
「あなたはなんにも悪くなんてないのに。
ある日突然、冗談みたいにあっけなく家族を奪われて。
ひとりぼっち、ひとりぼっちひとりぼっちひとりぼっち!
ああ、なんて可哀想なのでしょう! 同情します、このわたしが。
あなたには、〈可哀想な子〉として生きる権利がある!」
ギリッ、という音がした。
ナシロの拳が立てた音だ。
骨が軋んだのか、それとも爪が皮膚を破ったのか。
両方である。ナシロはこの時、完全に両親との死別を乗り越えていたが。
だとしても――
赤の他人以下の相手に、それを揶揄されて腹が立たないほどナシロは聖人ではない。
だが、そんなナシロの言葉を待たずして。〈蝿の悪魔〉たる少女は、手を差し伸べながら言った。
「わたしが力を貸してあげましょう。可哀想なナシロさん」
それはまるで、救世主がそうするように。
神父が、信者に対してそうするように。
だがそれにしてはあまりに胡散臭い、破滅の香りを漂わせていた。
「わたしの手を取りなさい。そうすればあなたは必ずや聖杯に、願いの頂にたどり着けるでしょう。
両親を取り戻す? 孤独の身になった自分に好き勝手な言葉を投げてきた奴らを殺す? ああそれとも巨万の富でイージーモード?
いいでしょう、いいでしょう! 未来はすべてがあなたのもの。わたしはナシロさんの幸せを、どんな形であれ祝福します!」
「……おまえ、喧嘩売ってるのか」
「喧嘩? よしてください、そんな野蛮な。わたしは平和主義者ですよ、とても素朴で善良な――」
「抜かせ。"その羽"で善良を謳う奴に、善玉なんているとは思えん」
睨み付けるナシロに、少女は笑みを深める。
彼女はサーヴァント。幸運/不運にも、懐中時計を手にしてしまったナシロを祝福するモノ。
悪意で人に近づくモノ。双翅持って跳梁する、人類と、そして神の大敵。
「――なあ、糞山の王。今すぐこの礼拝堂から出ろ。ここはおまえみたいな汚物が穢していい場所じゃないんだよ」
「……くふっ。くふ、くふふふ、うふふふふ! さすが、さすがさすが! ご両親の教育はしっかりと行き届いているようで!」
両手を広げて、少女が嗤う。
喝采。あるいは、掛け値なしの嘲笑。
悪魔らしく、どこまでもそれらしく。
嗤いながら、少女はその名を告げた。
世界への。聖なるものへの冒涜たる、その名を!
「ええ、いかにも――わたしこそが蝿の王(ベルゼブブ)!
悪魔の中の悪魔、糞山の王、神の大敵、魔界の大君主!
此度はアサシンのクラスを背負い罷り越しました、魔王〈ベルゼブブ〉ですとも……!」
ベルゼブブ、と、いう。
ナシロの前で高らかに名乗りを上げた少女は、ベルゼブブは、白い歯を見せて笑った。
清廉とは妖艶と紙一重。悪魔はいつだって最初、魅惑的な姿とかたちを取って顕れる。
言わずもがな。教会という聖なる場所には、この上なく相応しからざる存在である。
「けれどそんなに邪険にされたらわたしも傷付いてしまいます。
わたしはこう見えて、善意で此処に立っているのですよ?」
「悪魔が何をほざいてる」
「最終的に破滅しなければいいだけの話じゃないですか。
わたしと契約して勝利を収め、最後に聖杯を掴んで失くしたものを取り戻せさえすれば――!
後はあなたはすべて忘れて、都合よく前だけ向いて生きていけばいい。
そう悪い契約(はなし)ではないと思うのですけどね?」
「もう一度言うぞ、今すぐ消えろ」
ナシロは、既に過去の悲劇を乗り越えている。
思い出して枕を濡らすなんてこともなければ、あの日をやり直せたら、と思うこともない。
だから当然、聖杯戦争などという明らかに"まともではない"儀式に加担して過去を覆したいとも思わなかった。
ましてや甘言の主が悪魔の中の悪魔というなら尚更だ。
悪魔との契約。それはあらゆる物語において語られる、〈破滅〉の代名詞である。
詐欺然り、怪しい懸賞然り、異常に高額なアルバイト然り。
世の中、うまい話なんてそうそうないのだ。
「寂しいでしょう。こんなに広い教会にひとりきり。
あなたをほんとうの意味で助ける人間は、この世界のどこにもいない」
蝿の王は、囀るように笑って言う。
この世の誰とも血の繋がっていない、天涯孤独の身。
自分が頑張らなければ何も成し遂げられない、誰の助けも借りられない生い立ち。
不安に感じたことがない筈がない。そんな心の隙間、わずかな弱さに悪魔は語りかける。悪魔はそれを、見逃さない。
「そんなあなたを、引き上げてあげようというのです。
笑顔に溢れていたあの日々に。誰かに任せるということができた、愛されていたあの頃に。
さあ、わたしの手を取りましょう? 琴峯ナシロさん。神など信じてもいないあなたに、その修道服は似合いません」
琴峯ナシロは、神を信じていない。
半信半疑というやつだ。少なくとも主が起こした奇蹟だとか死後の福音だとか、そういうものは眉唾だろうと思っていた。
だからベルゼブブの言葉は、間違っているというわけでもないのだ。
そんな不信心者が修道服なんて着て、義務感だけで教会を切り盛りしているなど不自然も良いところ。
悪魔の手を取り、神への懐疑と不信を胸に道を踏み外したとしても決して不思議ではない筈。
故にこそ、か。ナシロの答えは、もう決まっていた。
「……本当に、母さん達を生き返らせられるのか?」
「ええ。聖杯さえ手に入るなら」
「後で梯子を外すとか、そういうオチはないんだな?」
「誓って。あなたが自ら足を踏み外さなければ、ですが」
「そっか。じゃあ、わかったよ」
席を立ち、蝿の王たる少女の前へと立つ。
そして、差し伸べられたちいさな手に自らのそれを伸ばして。
微笑む、うつくしい、本当にうつくしい悪魔に向けて――
「先に言った通りだ、全部要らん。地獄へ帰れ」
「きゃ、う……ッ!?」
美味しい話を突き返す言葉と共に、拳を振るった。
少女の顔面に打ち込まれた拳の一撃。
本来なら、一般人が呼び出された英霊、ましてや悪魔を傷付けるなど不可能なのだが――
ナシロに殴り飛ばされたベルゼブブの鼻からは、つうっと一筋の朱が垂れていた。
「……げほっ、ごほっ。ふ、ふふっ。ずいぶん乱暴なのですね?」
「言って分からんセールスには、最悪実力行使もやむなしだ」
ナシロは今、自分の身体に明確な違和感を感じていた。
何か、今までにはなかった線(ライン)が一本通っているのを感じる。
これすなわち、〈古びた懐中時計〉が後天的に植え付けた魔術回路の発露であった。
今や彼女はただの人間に非ず。単なる置物の聖職者に非ず。
その身体には魔力が常に循環(めぐ)り、あまつさえそれを拳から発散して実体を持たないモノを殴り飛ばすことさえできる。
「愚かな。わたしに勝てるとでも思っているのですか。
悪魔の中の悪魔たる、この〈蝿の王〉に……!」
「それなんだがな。私なりにさ、一応いろいろと考えてみたんだが……」
だが、だが。
それでも相手は〈蝿の王〉。
悪魔という概念において、間違いなく最上に近いであろう存在。ベルゼブブである。
付け焼き刃で魔術を覚えたようなナシロでは、どう間違っても太刀打ちできないだろう。
されど、それも。
「おまえ、本当にベルゼブブか?」
「は?」
――相手が本当に、本物の、地獄の大君主であったならの話。
ナシロには、どうにもそうとは思えなかった。
だからこそ一発目、いけ好かないから殴り飛ばすなんて行動に出ることもできたのだ。
そしてそれは確信に変わった。
理由はいくつかあるが、少なくとも自分如きの拳をまんまと受けて鼻血を垂らしている目の前の自称悪魔の姿も根拠としては十分だろう。
「私もそこまで詳しくはないけどな、悪魔ってのはもうちょっと上手く誘ってくるもんじゃないのか。
おまえのはなんていうか……、そうだな、雑だった。雑に相手の過去で揺さぶれば行けるって考えが見え透いてんだよ。
正直、それこそそこらで勧誘やってるセールスマンと何ら大差ない。第一正体明かすのも早すぎるだろ、最初はもうちょっと別なガワとか使って揺さぶれよ。それこそ母さんや父さんの姿に化けるとか、いろいろあるだろ」
「な、なな、ななな……」
わなわなと震える、ベルゼブブ。もといベルゼブブ(自称)。
真っ白な顔面がかっと紅潮する。
人間が知恵で悪魔をやり込めるのも寓話の定番だが、ちょっと言い返されただけで顔を真っ赤にしてたら悪魔は務まらないだろう。
もうナシロは目の前の自称悪魔のことを、欠片たりとも怖いと思えなかった。
「それとだ。マスターって奴は、自分の契約してるサーヴァントのステータスってのが見えるらしいな」
その通りだ。
事実ナシロの目には今も、眼前の彼女の力量がデータ化されて写っている。
それを踏まえた上で、根拠のふたつ目。
「――おまえ、ベルゼブブにしては弱すぎるだろ。筋力Eに耐久Eて。鼻くそじゃないか」
そう、そのステータスである。
筋力E、耐久E。敏捷Cに幸運C。一応魔力はAで宝具はEXだが、それにしたって地獄の大君主様がこれとはずいぶん謙虚な数値ではないか。
「聖書だの神話だのの記述なんて当てにならないのは分かるが、おまえの下手くそすぎる勧誘も合わさって確信が持てたよ。
おまえは少なくとも、どう見たってベルゼブブなんかじゃない。そんな有様で〈神の大敵〉が務まるかよ」
「ち、ちが……! 悪魔っていうのは戦うだけが本分ってわけじゃなくてっ」
「それにしたっておまえとセットで語られるサタンが哀れだろ。あとおまえ、一応実力じゃサタンを超えてる設定らしいぞ。どうでもいいが」
「〜〜〜〜〜〜っ!!!」
おまけに舌戦もこの弱さと来たら、もう言い逃れはできないだろう。
とにかく方針は決まった。こいつの言うことには従わない。
これならまだ、本物の悪魔の言うことを聞いた方がマシだ。
聖杯云々に興味はないが、それでもチープな詐欺師に嵌められて地獄まで真っ逆さまは御免被る。
「……黙って聞いてれば好き放題、言ってくれるじゃないですか……!」
もうロールプレイも脱ぎ捨てて、自称悪魔の少女は青筋を立てた。
その上で、取られることのなかった右手に魔力を横溢させる。
そこに宿るのは、まさに悪魔らしい、禍々しい色彩の魔力光。
完全に舐め腐っていたナシロも、これには兜の緒を締め直すしかない。
理解ったからだ。これに直撃すれば、確実に自分ひとりくらいこの世から跡形も残らず消滅すると。
「ならお話のターンはここまでです。実力で言うことを聞かせることにしますとも、ええ!」
「……やってみろよ」
――呼吸を、整える。
体内を巡る魔力の経路。
それを意識的に頭の中へ描いて、集中を高める。
幼い日の、夢とも現実ともつかない記憶がある。
なにかとても、とても怖い夢を見ていた日。
目を覚ますとそこは礼拝堂で、自分はぺたりとへたり込んで座っていて。
そんな自分の前に、父が立っていた。
いつもはとても優しくて、母にうだつの上がらないそんな男だというのに。
その日の父の背中はなぜかとても、とても大きく見えて。
そしてその両手には、何本もの"剣"が握られていた。
――今なら分かる。あれは剣じゃない、鍵だったんだ。
結局この記憶が何なのかは今でも分からない。
分からないが、ナシロの中での"強さ"のイメージはすなわちそれだった。
鍵。黒く、鋭く、凛と、聖なるものへ仇なす敵を罰する無数の刃。
黒き、鍵――そう。
「おまえの言う通り、ちっぽけで孤独なただのガキだがな。
この魂も、この〈柱〉も、ぽっと出の人外なんぞに譲り渡してやるつもりはないぞ……!」
――〈黒鍵〉。
記憶の奥から武器を引き出して、現実に投影するというその行為が。
一体いかなる意味と価値を持つのかなど、琴峯ナシロに知る由はなかったが。
だとしてもこの瞬間、ナシロは自分の原風景と戦うかたちを掴んだのだ。
「来い、紛い物……!」
「お互い様でしょう、人間風情が……!」
蝿の少女の細腕に渦巻いた魔力光が、砲弾と化して放たれる。
あれの威力が絶大なのは分かる。だが分かったからと言って負けはしない。
魔力を流し込んで膨張させた黒鍵の断刃(オーバーエッジ)を盾代わりに構えながら、前へ踏み出すナシロ。
光は少女の手を離れ、空を走り、そして――
「…………、…………」
「…………、…………」
ナシロの真横を、ものの見事にすっぽ抜けて。
礼拝堂の扉を、結構な轟音と共にぶち壊した。
それだけに、終わった。
「…………」
「…………、えぇっ、とぉ……」
もじもじ、と。
恥ずかしそうに指をくねくねさせて、撚り合わせて。
なんだかものすごく恥ずかしそうに、少女は言うのだった。
「……テイク2、いいです?」
「偽物の上にクソエイムなのかよおまえはーッ!?」
「ひぎゃ――――ん!!!!」
その横っ面に鉄拳制裁を打ち込むナシロ。
ひゅーん、と少女は真後ろに吹っ飛んでいって。
それでナシロはようやく、本当にようやく理解した。
こいつは悪魔なんかじゃない。うん、絶対に違う。
――こいつたぶん、ものすごいぽんこつのアホなんだ。
そんな認識を、目を回して伸びてる蝿娘を見ながらため息と共に抱く、ナシロなのだった。
◇◇
「〈Tachinidae〉?」
「えと、はい……。あ、日本語では一応〈ヤドリバエ〉とか呼んだりしますぅ……」
琴峯教会から所変わって、琴峯邸にて。
ちゃぶ台の向かい側で、ベルゼブブを名乗った少女はしょぼくれて座っていた。
いよいよロールプレイの続行は無理だと悟ったのか、もう自分が偽物であることを隠そうともしていない。
それどころか、彼女がマスターであるところのナシロに打ち明けた真名。
それはベルゼブブはおろか悪魔でさえない、まったくの予想外のものだった。
「……知らんな。なんだ、おまえ悪魔とかじゃなくて本物の蝿なのか?」
「はい……。あ、えぇっと――アレです、アレ。
飼ってた青虫とか芋虫がさなぎになったと思ったら、なぜかちょうちょじゃなくてちっちゃい蝿が出てきたー……って経験ありません?」
「…………、ある。いや、あるぞソレ。教会の薔薇についてた奴を育てたら、なんかキモい蝿が出てきたことある」
「き、キモいなんてひどい……! わたしたちだって生きてるんですよ、ちゃんと……!」
「――え。おまえマジでそんなんなのか? 英霊の座ってザルなのか? そんなコバエで英霊になれるなら、もう誰でも行けるだろ」
〈Tachinidae〉。
和名で言うところのヤドリバエ。
いわゆる寄生虫、寄生蝿のたぐいである。
ナシロの疑問ももっともだ。ただの昆虫が英霊になれるのなら、英霊の座はとっくにパンクしているだろう。
だがその疑問に対し、少女は講釈するように指を一本立てて答えた。
「マスター……ナシロさんは、ベルゼブブなんてものが本当に聖杯戦争に呼べると思いますか?」
「……呼べないのか?」
「無理です。絶対ムリ。仮にどうにか無茶を通して呼び出せたとして、本物の蝿王様なんて誰にも制御できるものじゃありません。
ズルをしなきゃ呼び出せない上に、呼び出す旨味も特にないんです」
「まあ、分からんでもないが……それとコバエのおまえが出張ってきたことのどこに関係があるんだよ」
「わかりませんか? 〈蝿〉ですよ? 蝿王様の異名はなんでした?」
「……いや待て。マジでそんなこじつけみたいな理由で英霊になってるのかおまえは?」
ベルゼブブなんて呼び出せないし、呼び出すものじゃない。
それは素人に毛が生えた程度なナシロでも確かに頷ける理屈ではあった。
だがその先の理屈ははっきり言って眉唾としか思えない。
そんな馬鹿みたいな理由で"代わり"が決まるなんて、いくら何でもザルすぎるだろう。
「意外と世論に依るんですよ、サーヴァントって。例えば、すごく偉大でかっこいい英雄さまがいたとしますよ。
その人は生前、華々しい戦果を上げまくって民からもすごく愛されました。
けれど後世に残された歴史書や風聞では、その人の負の側面が極端にクローズアップされて、極悪人みたいに伝えられました。
そうやって大勢が"そのイメージ"を共有して、この人はこういう奴なんだ、って思い続けると――座から出てくる英霊にも影響が出る場合がしばしばあるんです」
「……ああ。ヴラド三世とかあの辺りか」
「ひっどいことになっててもおかしくないですね。血ちゅっちゅ魔人が爆誕してても不思議ではないでしょう。
……で、わたしは〈蝿王様〉から紐付けられた〈蝿〉に対する不浄と冒涜のイメージでこんなんなっちゃった一例です。
一応同僚もいるんですよ? ニクバエお姉ちゃんとか、イエバエお兄ちゃんとか……」
「やだな、そんなに蝿がブンブン飛んでる英霊の座……」
――無辜の怪物、という概念が存在する。
イメージにより過去やその在り方を捻じ曲げられ、不可逆の変質を受けてしまった怪物。
本人の意思にもその真実にも関係なく、ただ風評によって真相を捻じ曲げられたものたち。
〈Tachinidae〉も、それの一例だ。
蝿の王ベルゼブブのイメージに引きずられて変質した昆虫の一種。
予期せずしてかたちと汚名と、ベルゼブブの名を賜ってしまった羽虫。
「それにわたし、これでも割と英霊適性はある方なんですよ? 流石に蝿王様パワーがないと登録まではムリですけど」
「なんでだよ」
「わたしたち寄生蝿がいなくなったら、世界中の生態系とか農業とか、どうなると思います?
わたしってこう見えても、だいぶ人類の皆々様に貢献してるんです。人類の味方で、〈昆虫の殺戮者(インセクト・マーダー)〉なんですよ」
Tachinidae、ヤドリバエは多ければひとつの種の個体群の四割以上に寄生し、これを殺害する。
言うなれば彼女たちは人間よりもずっとちいさき者たちに対して働く〈抑止力〉なのだ。
霊長の殺人者ならぬ昆虫の殺戮者。インセクト・マーダー。
なるほど確かに、言われてみればだいぶ"人間寄り"の存在なのだとナシロも納得した。
彼女たちの存在で抑止されているぶんの虫たちがすべて野放しになったなら、人類はどうあっても無関係ではいられない。
「わかったらナシロさんもおとなしくわたしたちの働きに感謝して、このわたしを本物の蝿王様に押し上げるお手伝いをですね」
「断固として断る。何が悲しくてベルゼブブを一匹増やさないといけないんだ、おまえ私を誰だと思ってるんだよ」
「初対面の女の子にいきなり手をあげる乱暴者……」
「よし、ちょっと待ってろ。蚊の季節に備えて買っておいたアースジェットが確かあの棚に」
「わぎゃーっ! 冗談です冗談ですってば! いや今の身体ならそのくらいじゃ死なないですけどそれでもトラウマ的なサムシングがですね!?」
話を戻そう。
Tachinidae――もとい偽・ベルゼブブが語った"願い"。
それは、至極単純なもの。そして同時に、絶対に叶えさせるわけには行かないものであった。
「……ていうかおまえ、なんだって蝿の王なんかになりたいんだよ。
そんな肩書きがなくたっておまえらの種は安泰なんだろ? 理由が分からん」
「はぁ、はぁ……ふん。当たり前じゃないですか、わたしたちにとって蝿王さまは永遠の憧れなんですよ!
強くてかっこよくてずる賢くて、ハエ叩きでぺちんって潰されたくらいじゃ絶対死なない悪魔の中の悪魔!
はああああ……。考えただけでうっとりしちゃいます。まあ会ったことはないんですけどね」
「おまえって本当になんていうか、しょうもないやつだよな」
「何をぉ!? ふん、人間様には所詮コバエの気持ちはわからないんですよ! 聖杯獲ったらぜっったい目に物見せてやるんですからっ」
「獲らせないから安心しろ」
――〈蝿の王〉になりたい。
それはつまり、本家本元のベルゼブブに並びたいという願い。
むろん、看過できるものではない。
本当にベルゼブブだなんて大悪魔が存在するのかどうかは知らないし興味もないが、万一にでも蝿王二号なんてものの誕生を許せば、一体どれほどの不幸が生まれるのか想像するだけで気が遠くなる。
ナシロは神についてはずっと半信半疑だ。
だが、神が見守っているらしいヒトの営みについては尊いものだと思っている。
だからナシロは、両親のいない琴峯教会をひとりで維持し続けているのだ。そういう道を、選んだのだ。
せめて少しでも、ひとりでも多くの人間がこの教会を柱とし、強く明るく生きていけるように。
そんな考え方をする少女が、悪魔の誕生などという願いを許せるわけもない。
「言っとくが、何かちょっとでも妙な真似をしたら容赦なく令呪を切るぞ。私はそもそも聖杯なんてどうでもいいんだ」
「ぬぐぐ……。……ていうかおかしいのはナシロさんの方です。聖杯を手に入れなきゃ死んじゃうんですよ? 分かってるんです?」
「死にたくはないしそれなりには足掻くさ。だが、好き好んで他人を殺し回ってまで生き残ろうとも思えん。
聖杯の獲得とかは論外だ。尊く思ってる大事なものを、血まみれの汚れた手で拾い上げてどうするんだよ」
「ああ言えばこう言う」
「それはおまえな」
故に、彼女の願いは認めない。
ヤドリバエの夢はここで潰えてもらう。
ただし、かと言って彼女に早々死なれては困る。
先も言ったが、聖杯を求めないとはいえ無為に死ぬつもりもないのだ。
令呪を首輪代わりにして、体のいい護身の手段として利用する。
それが琴峯ナシロの見出した、英霊もどきのベルゼブブへの"向き合い方"だった。
「……まあ、とはいえ私も鬼じゃない。
おまえが何を考えてるにしろ、一方的に利用するだけなんて不誠実な関係性にするつもりはないよ。
それだと私の心に後味の悪いものが残るからな。人間関係……っていうのはおかしいが、何事も対等であるに越したことはないんだ」
「へ? ――で、ではでは! いったいどんな好条件がこのわたしに用意されているのでしょう! 触覚がぴくぴくしちゃいます!」
「うん、そうだな。私からおまえにくれてやる"見返り"は……」
琴峯ナシロは、きわめて実直な人間だ。
不実であることを嫌い、対等であることを好む。
誰も見下さない代わりに、誰にも見下されない。
等身大の正義感を胸に、常に〈正しいこと〉のできる少女。
何の因果か、あるいは必然か。
聖杯戦争という名の蠱毒に放り込まれた彼女であるが、しかしこの修羅場においても彼女は何も変えるつもりはなかった。
常に向き合う。目の前のすべてに。
たとえ分かり合えない相手であろうとも、最後の一線までは破りたくない。
それが人という生き物で、父母が自分に教えてくれた生き方の誠というものであろうから。
「その見るに堪えない考え方と戦い方を、みっちりたっぷり鍛えてやる」
「……ほへ?」
「だいたい何だあのクソエイムは。今日び小学生でももう少しまともな当て勘を持ってるぞ。
私のサーヴァントとして喚ばれたおまえがそんな体たらくでは私の、いや琴峯教会の沽券に関わるんだ。
私に喚ばれた以上、しっかりきっちり鍛え抜いた上で英霊の座に戻してやる」
「い、いやあの。蝿王様の力はわたし、もうばっちり持って」
「だからおまえ自身の問題について言ってるんだよ。飯を食ったら早速鍛錬だ。逃げられると思うなよ、即アースジェットを吹くからな」
「ひ……ひえぇええぇ〜〜〜っ…………!?!?」
だから、こんなトンチキで冗談みたいなやつにでも。
その願いは叶えさせないとしても、一応はできる限りの向き合い方というのを見せてやろうと。ナシロは、そう思っていた。
このやり取りの後、さめざめと泣く彼女にお出しされた卵かけご飯と昨日のあまりの肉じゃが。
それを食べた彼女が踊り出しそうなくらいの有頂天になった後(ヤドリバエは、卵かけご飯は肉じゃがを食べないから)、地獄みたいなスパルタ鍛錬でしなびたバナナの皮みたいになったのは、また別の話である。
【クラス】
アサシン
【真名】
ベルゼブブ(Tachinidae)
【属性】
混沌・中庸
【ステータス】
筋力E 耐久E 敏捷C 魔力A 幸運C 宝具EX
【クラススキル】
気配遮断:A
サーヴァントとしての気配を断つ。隠密行動に適している。
完全に気配を絶てば探知能力に優れたサーヴァントでも発見することは非常に難しい。
ただし自らが攻撃態勢に移ると気配遮断のランクは大きく落ちる。
【保有スキル】
無辜の怪物:EX
生前の行いからのイメージによって、後に過去や在り方を捻じ曲げられ能力・姿が変貌してしまった怪物。
生前の意思や姿、本人の意思に関係なく、風評によって真相を捻じ曲げられたものの深度を指す。このスキルを外すことは出来ない。
大悪魔と紐付けられてしまった羽虫。理屈を無視して悪魔らしい力を得、その代償に聖なるものに不利がつく。洗礼詠唱もよく効くぞ。
魔王(偽):B
魔を統べるもの、糞山の王。あるいは病床の子が見る幻。
存在するだけで周りに威圧と恐怖を与え、同ランク以下の使い魔や悪霊に対してバッドステータスを付与する。
アサシンの場合は偽物なので見抜かれると効果が消える。
産卵行動:B+
他生命体に対する接触を通じ、その体内に卵を植え付ける。
魔力消費も隙も大きいが、その分得られる戦果は絶大。対魔力を始めとするスキルで抵抗可能。
昆虫の殺戮者:A++
インセクト・マーダー。
鱗翅目を始めとする様々な種の昆虫に寄生し、多くの場合殺害して羽化する。
生態系の維持者。その性質上、一部昆虫に対してはこの上ない特攻を発揮する。
英霊の座にそんなに虫いないだろとか言ってはいけない。泣いちゃうからね。
【宝具】
『彼の王の顕現は、命羽ばたくその時に(Lord of the Flies)』
ランク:EX(D相当) 種別:対人宝具 レンジ:1〜10 最大捕捉:1
ランクEX。蝿王の称号を借りている事実だけで規格外の特異性を名乗っているが、実際のランクはD相当。
宿り蝿の名の通り、このベルゼブブは命に宿る。命を食い、魂を食って成長し、羽ばたきの時をもって蝿の王を体現する。
スキル「産卵行動」で産卵に成功した対象の体内で幼虫を孵化させ、ベルゼブブの眷属として体外に脱出させる。
体外脱出時のダメージは物理的にもたらされ、並のサーヴァントであれば現界を保てないほどの損害となる。
脱出後の眷属はベルゼブブに従う従順な子として使役されるが、サーヴァントと契約を結んでいる者への産卵はできない。サーヴァントとの契約ラインが抗体になってしまい、レジストされてしまう模様。
【Weapon】
蝿王様の力(偽物)
【設定・備考】
悪魔の中の悪魔、魔王の中の魔王、聖なる者達に対する最大の大敵。
蝿の王、糞山の王、邪教神、魔界の大君主――悪魔ベルゼブブ。
……ではない。
アサシンは『蝿の王』ベルゼブブという存在が独り歩きした結果、人々の恐れや偏見の感情を糧に生み出された実体のない虚構悪魔である。
そもそも本家本元の蝿王をサーヴァントとして召喚するなどどれほど零落させても不可能だし、ともすれば聖杯戦争の破綻にすら繋がりかねない。
要するにまったくのハリボテ、ベルゼブブのネームバリューが凄すぎた結果生まれたパブリックイメージの蝿の王、その一形態。
悪食者のニクバエお姉ちゃん(Sarcophagidae)、ウザさ全一のイエバエお兄ちゃん(Muscidae)に次ぐベルゼブブ界隈の三番手。
正しい真名は『Tachinidae』とするのが正しい。
日本名では『ヤドリバエ』と呼ぶ。「芋虫さんが赤ちゃんを生んだ」現象は半分くらいこいつの仕業。ハチは永遠のライバル。
俗に言う寄生蝿。チョウやガ、バッタやカマキリ、他にも多種多様な昆虫に寄生して体内を食い荒らし、体外に脱出する。
多ければ一つの種の四割以上に寄生し殺害する、霊長ならぬ昆虫の殺人者(インセクト・マーダー)。生態系と環境の維持者であり、従ってベルゼブブ界隈の中では比較的サーヴァント化の適性が高いし、人類に対して友好的。
無辜の怪物補正で高い魔力を持ち、実際それなりの威力の攻撃も放てる。ただし元が寄生だけしか能のないコバエなので戦闘センスが死ぬほどない。要するに力だけはあるがめちゃくちゃ弱い。
イメージとしては廃課金プレイヤーのデータで遊んでいる初心者、といった感じが近い。
【外見・性格】
白くて薄手の外套を纏った黒髪長髪の少女。華奢でちびっ子。背中からは双翅目に類する大きな羽が生えている。ちゃんと飛べる。
本当は気弱なくせして調子に乗って痛い目を見がち。天性のわからされ体質。
蝿王様ロールプレイも基本的にド下手なので、ちょっと本物についての知識がある人間にはあっさり偽物だと見抜かれてしまう。
【身長・体重】
138cm・25kg
【聖杯への願い】
本物の蝿王様になりたいですぅ……(*μ_μ)
【マスターへの態度】
よりによって聖職者(てんてき)に呼ばれてしまうなんて……とほほ……。
悪魔らしく誘惑しつつ、なんとか蝿王様への道を閉ざされないようにしたい。
マスター
【名前】琴峯ナシロ/Kotomine Nashiro
【性別】女性
【年齢】17
【属性】秩序・善
【外見・性格】
黒髪短髪、修道服に身を包んだ少女。
自他共に認める堅物であり、自己評価と他己評価が"真面目"でおおむね一致している。
スパルタ思考なのでだらけた奴には容赦がない。きわめて真人間的な正義を胸に行動できる、気持ちのいい娘。
【身長・体重】
166cm・55kg
【魔術回路・特性】
質:D 量:D
特性:〈投影〉
【魔術・異能】
投影魔術。ただし投影できるのは現状、〈黒鍵〉のみに限られる。
投影はリスクとピーキーさの際立つ術理であるが、ナシロは分野の限定と記憶の無二さを寄る辺に黒鍵投影という一点においてのみ驚異的な完成度を発揮することができる。
【備考・設定】
都内某所、琴峯教会の管理者にして亡き琴峯夫妻の忘れ形見。
両親を失い、天涯孤独の身となりながらも悲劇を乗り越えたくましく生きている。
日課である朝の祈りの最中に〈古びた懐中時計〉を見つけ、仮想都市へと転移した。
【聖杯への願い】
聖杯に興味はないが、みすみす死んでやるつもりもない。
自分の生き方に背かないように、自分の中の柱に従って生きる。
【サーヴァントへの態度】
アホ。ぽんこつ。どうしようもないやつだと思っている。
ただこんな自分に喚ばれ使われる以上、無碍にしたくない気持ちもある。
たとえ相容れない存在だとしても対等に扱い、ある程度は報いてやりたい。
ただ蝿王二号の誕生は論外。叶えさせるつもりは毛頭ない。
投下終了です。
投下ぢます
雲を衝く。という言葉が有る。
あまりに背丈が大きく。空に浮かぶ雲に届く程に大きいという意味だ。
「ほへぇ〜〜」
新発田新美(しばた にいみ)が見上げる鉄の巨人が、まさに『雲を衝く』という言葉が相応しいものだった。
それ程の全高がある訳ではない。精々が7m程度。大きいと言えば大きいと言えるが、この東京にあっては、比較にならぬ程に大きな建造物が無数に有る。
地方都市、更には田舎と呼ばれる所にだって、10mを超える建造物など、首を巡らせれば幾らでも見る事ができる。
まして此処は東京だ。日本で一番の大都市、世界中を見渡しても、有数の巨大都市だ。100mを超える建築物など数えるのも馬鹿らしくなるほどに存在する。
ならば、何故、この高々7m程度のヒトガタが、雲を衝く巨人に見えるのか。
答えは明瞭。至極単純。巨人の内に漲る力の故だ。腕を動かせば山を動かし谷を埋め。脚を動かせば大陸の端まで瞬時に駆け、海を飛び越えて異なる大陸へと到達する。
巨人の内から溢れ出る僅かな力でさえ、見るもの全てにそんな夢想を抱かせる。
ならばその力を全て解放すれば何が生じるのか?地球すら破壊してしまうのではないか?流出するエネルギーが太陽系の星を全てを飲み込み、新たな太陽として輝くのではないか?
そんな事を考えてしまう程に、鉄の巨人から感じる力は圧倒的なものだった。
それは巨人と対峙する者達も、同じだったらしい。
雷光の如き眩い輝きと、触れてもいないのにアスファルトが融ける程の熱を纏った長槍を、巨人の頭部に突き立てたランサーの顔も。
一矢一矢が狙った場所へと確実に飛んでいく矢を、一度に百以上放ち、巨人の全身を閃光で覆い尽くしたアーチャーも。
二人とも揃って表情の無い蒼白な顔を晒している。
この巨人には、己が渾身すら通じないと。己にとっての乾坤一擲の一撃すらが、児戯にも劣る程度だと。そう、識ってしまったから。
無理もないと新美は思う。高々7m。そこらの集合住宅にも劣るサイズの巨人から受けるイメージは、百万の民と十万の軍勢を内に抱え、地平線の果てまで埋め尽くす波濤の如き大軍勢を受け止める堅牢無比の大城塞。
対人宝具でしか無いランサーの槍では傷つけることなど到底叶わず。アーチャーの対軍宝具を以ってしてもそれは同じ。
卵を投げて城壁を崩そうとする愚を犯していた事を、ランサーとアーチャーは漸く悟ったのだった。
形状は人体のそれに近しい筈が、関節部位に直撃を受けても傷一つ受けた様子が無い。異常な頑強さと言うべきだった。
巨人が動く。
脚を上げて下す。只それだけの動きに、大地が震え、大気が鳴動する。
血相を変えて逃げ出そうとする二騎のサーヴァントへと、巨人の口に当たる部位から、高熱の息吹(ブレス)が吐き出される。
プロミネンスの如き閃光が周囲を白く染め上げて色を喪わせ、閃光に相応しい高熱が、二騎のサーヴァントの霊核すらも焼き尽くし塵すら残さず焼滅させた。
「いや、スゴイスゴイ」
何処かズレた反応を示して、新美はカンカンと、軽く硬い音をさせて、手を叩いた。手首まで覆うスーツの先から覗く両手は黒光りする鉄のものだ。
指の先から肩に至るまで、新美の腕は血の通った温かい生身の肉ではなく、血の通わぬ冷たく硬い鉄で出来ていた。
『出来ていた』である。『覆われていた』では無い。
この女の身体は両手両足が無く、有るのは無骨な鉄の腕と脚。人の四肢に似せようだとか、人体の動きを再現しようだとか、そういった精巧さや精妙さを一切持たぬ、只々腕と脚に似せただけの鉄。
一応は、簡潔とはいえ、人の四肢の動きが出来る様には造られていて、肩と股、肘と膝、手足の指に関節が有るが、人体の行う精妙な動作をこれでこなせるかよいえば、否である。
人工皮膚など用いていない、鉄が剥き出しになった荒い作りの義肢は、見る者達の精神に何かしらの揺らぎを起こさせる。
今、新美の足元に転がる二つの死体が、まだ生体活動を行っていた時に示した反応は、侮蔑であり嘲りだった。
当然と言えば当然だ。明らかに義肢としては不出来な作りの代物を手足とした女が、殺し合いの場所に立てば、侮られるのも極々自然な流れだった。
結局のところ、二人は己の過ちの精算を、一つしかない生命で行う羽目となったのだが。
新美の四肢は、一見したところ只の無骨な金属でしかないが、実際には優れた魔術礼装である。
見た目相応に重量のある四肢は、魔力を通すことで飛燕の如き軽捷さで振るう事が可能で、人体の柔軟性と、鋼の硬度を以って動かす事が可能となるのだ。
更には重量増加。剛性強化。硬度強化。といった付与魔術を追加で発動させる事も出来た。
放たれる魔術を魔力を通した鉄腕で砕き、瞬時に距離を詰めて、重量増加の魔力付与を発動させた腕で一撃。
それだけで、大言壮語を吐き散らし、そして吐いた言葉に相応しい実力を持つ魔術師二人が、胸骨を砕かれ、心肺を潰されて死んだのだ。
「ライダー。こっちもお願い。片付けるの面倒だし」
死体の懐を検めて、財布や身分証を剥きとってから、ブンブンと右腕を振りながら呼び掛けると、巨人が応じて新美の方を向く。
『たいしたものだ。雑魚でもない魔術師を二人まとめて殺してのけるか』
巨人の内側から響く声。この声を聞いた者は、誰しもが、気迫に満ちた男を想起するだろう。
千軍万馬をも平伏させる眼光と、獅子を素手で屠る屈強を誇る男を。
サーヴァントとマスターという関係性に有ってなお、只人なら膝をついて頭を垂れる圧と威を感じさせる声だった。
「大した事じゃないよ」
巨人の威容も声の圧も、全く意に介した風も無く。早く早く、と、巨人へと平然と左手を振って促すと、巨人は二つの骸を拾い上げる。
「おにょ?」
何をするのかと新美が見つめる中、二人の骸は巨人の掌の中で燃え上がり、秒で無数の塵となり、風に吹き散らされて消えていった。
「おお〜〜」
カンカンと。再度鉄の打ち合うが鳴り響いた。
やはり何処かでズレた女だった。
◆◆◆
◆◆◆
無窮の広がりを見せる灼熱の砂を、眩く輝く太陽が照らしている。陽光に灼かれる砂浜、触れれば火傷する程の熱を帯び、地表付近の空気を歪ませて陽炎を生じさせていた。
顔を上に向ければ、あまりにも蒼が過ぎて黒ずんでさえ見える空。
生物など何処にも見えず、気配さえも無い世界に、新美は一人立ち尽くしていた。
「ほあああ〜〜〜」
前後に左右、更に上下と見渡して、自分は見知らぬ土地、それも砂漠にいる事を認識する。
「うん。夢だね」
間違いなく夢だ。一秒で全身から汗が噴き出そうなのに、肌は湿り気すら帯びていない。
殺意すら感じる光を放つ太陽に目を向けても、網膜が焼かれることも無い。
夢だ。完全に夢だ。少なくとも視覚に関しては完全に再現されている。
視覚以外はどうなっているのかは判らないが。熱は感じない辺り、触覚は置いてけぼりになっているのだろう。
「いや、それにしても、何故に砂漠」
新美には何も判らない。これが己のサーヴァントの生前の記憶だということも、サーヴァントと霊的に繋がったマスターは、サーヴァントの生前の記憶を夢に見るということも。
キョロキョロと周囲を見回す新美だが、どちらを向いても砂と空しか見え無い。
「飽きた」
待つことも、耐えることも、新美にとっては日常の一つではあったが、いくら何でも夢の中ですら忍耐を要求される謂れはない。
必要と有れば拷問じみた────拷問そのものの、生命の灯火に息を吹きかけるかのような過酷苛烈な鍛練にも耐える事ができるが。それも意味と目的あっての事。
何の意味もなく砂漠の真ん中にいるというのは、無駄な事この上ないのだ。
「せっかく東京来たんだし、夢の国行く夢みよう」
残念、ディ◯ニーランドは千葉だ。
新美は夢の中でウンウン唸り続け、景色が全く変わらないので諦めた。
元々ネズミテーマパークの知識が皆無な為、下手をすればネズミ人間が大挙して練り歩いている地獄絵図を見る羽目になったかも知れない。
「一体何なのさ。この夢は」
空と砂と陽光と、それだけで構成された世界に変化は一向に生じず。
いい加減キレそうになったところへ、漸く望んでいた変化が訪れた。
「ありゃりゃ。なんか来た」
地平線の果てより、砂塵を巻き上げて無数の人間が押し寄せてくる。
槍の穂に陽光を反射して煌びやかに輝かせ、身体を覆うほどの大盾を持った屈強な戦士の群れ。弓を持った兵と、矛を持った兵を乗せ、悍馬に引かれて疾駆する戦車(チャリオット。
現れたのは、戦うための集団。軍隊だ。
駆け足で新美目掛けて進んできた軍勢は、やがて鬨の声を上げ、全速力で走り出す。
「向こうに敵が居るのかな?」
新美の身体を、精悍な顔と鍛え抜いた肉体の戦士たちがすり抜けていく。
振り返り、戦士たちの進む先を見た。
「うわぁ……」
駆ける戦士たちの先には、同じく矛と盾を持った兵の群、そして戦車の集団。そして兵と車両の後方にありながら、その巨躯を見せつける、獅子の身体と人の貌を持つ獅身獣(スフィンクス)。
駆ける兵達が集団自殺を図っているとしか思えない偉容の獣。
人の軍勢など、巨像に踏み潰される蟻の群れでしか無い。現代戦の地上の覇者である戦車(タンク)を持ち出しても、この獣の前にはブリキのおもちゃと変わらない。
にも関わらず、兵達は恐れる様子もなく突き進む。
獅身獣が跳躍し、戦列の最前に降り立つ。
一方的な殺戮が始まろうとした時。獅身獣の一頭が、突如として宙に舞った。
「はえ?」
どれ程の力が加わったのか、獅身獣が空中で四散する。
その肉片と血飛沫を浴びながら、次の獅身獣へと爆走する一輌の戦車(チャリオット)が有った。
戦車を駆るのは、新美の良く知った顔の男だった。
「ライダー?」
二頭の、どう見ても鉄でできた身体を持つとしか思えない巨馬に牽かれた戦車は、爪を振るう巨獣を爪ごと突撃で粉砕し、疾駆して体当たりをする獣を正面からぶつかって撃砕する。
咆哮により発生した炎の竜巻を千々と散らして、爆走により生じる衝撃波で、巨獣の後ろに控える敵陣を切り裂き、無数の兵を挽肉に変える。
まさしく無人の野を征くが如し。兵も、戦車も、獣も、誰もが止めることが出来ない。
そのまま勝利へと続くであろう蹂躙疾走を、天より落ちた光条が止める。
「ラムセスか」
高熱のあまり、ガラス状に変化した大地の上で、ライダーが問う。
天に浮かぶ船に乗った、ライダーに劣らぬ偉丈夫が、地を見下ろして何かを言うが、新美には聞こえなかった。
只、ライダーが哄笑し、船の偉丈夫が腕を振るうのに応じるかのように、無数の獅身獣が現れ、ライダーへと向かって走り出すのし。
鉄の馬と鉄の戦車を駆るライダーは、雄叫びを上げて宙に浮かぶ船へと駆けて行った。
◆◆◆
◆◆◆
「いや、あのタイミングで目ぇ覚ます?」
夢から覚めて、新美は愚痴った。
あんな良いタイミングで目が覚めるとか有り得ない。せめて決着着いてからにしろよと思う。
「あれってライダーだよね。と言う事は、あの相手がライダーの未練という事?」
という事は勝てなかったんだな。そう結論付けて、新美は寝直す事にした。
◆翌朝◆
「いやはや凄いね、昨日のあの二人。ニュースになっちゃってるよ」
フカフカのベッドに寝転がってテレビを見ながら、新美はケラケラと笑う。
自分もその場に居合わせたにも関わらず、まるで他人事のような物言いであり、振る舞いだった。
新美が居るのは、昨日殺した魔術師の一人が宛てがわれていた邸宅だ。
予めライダーに内部を調査させて、殺した魔術師が一人暮らしだった事を知ると、これもまた奪い取った鍵で侵入。主人を失った家の新たな住人となったのだった。
本来の住居として宛てがわれていた、ボロアパートとは次元違いの住み心地に、新美は心底ご満悦だった。
咲夜屠った二騎のサーヴァントと二人のマスター。相争う二組の元へ、新美と従えるライダーが乱入し、二騎と二人を纏めて屠り去ったというだけの話。
ただそれだけの事ではあるが、矢張りと言うべきか。
超常存在であるサーヴァントが三騎も戦えば、それだけで周囲に尋常では無い損害が生じるのも無理は無く。
「あの二人が戦っていた公園。跡形も無くなってるし」
テレビに映る、遊具も植え込みも纏めて無くなり、地面に複数の穴が空いた、かつて公園だったなどとは誰も信じないだろう惨状を見ながら、新美は何が楽しいのか笑いっぱなしだった。
「ライダーさぁ。あのガラスになってる地面。ライダーの宝具だよね」
新美は目線だけでテレビに映る映像を示す。目線だけで。今の新美には四肢が無く、胴と頭だけでベッドに転がっていた。
外された四肢は、ベッドの周囲に乱雑に打ち捨てられている。新美が己の手足である礼装を、どう思っているかが窺い知れる扱いだった。
「あれだけ加減してやったのに、地に跡を残すとはな。なんとも脆い奴等よ。余が率いた兵達なれば、我が宝具とて、その身で受け止めれば跡など残さん」
新美の転がるベッドの傍に、腕を組んで立つ上半身裸の浅黒い肌の男────ライダーが応える。
背筋を真っ直ぐ伸ばして立つ姿は、玉座に在って国家を統べ、戦陣に在って軍勢を統べる、絶対者として天地の間に君臨した王者の威風が有った。
「いや、それは流石に無いでしょ……」
「現代の脆弱共を基準にするな」
「ええ……」
アレ滅茶苦茶威力なかった?ゴ◯ラが口から吐くやつみたいだったよ。とは口には出さない。
こんな事で争っても仕方ないし、そもそも新美はライダーの生前を識らない。
そして何より、どうでも良い。
聖杯戦争を戦うに際して、そんな事は心底どうでも良くて。
「そんなに強い兵隊さんが沢山居たのに、勝てない相手がいたんだ」
重要なのはこの一点。
此処まで強大な宝具を持ち、ライダーが語るように強壮無比の兵で構成された軍勢を従えていて、勝てなかった相手が居たというのが信じ難い。
空気が冷えた。
「ラムセスがどう遺そうが、あの戦は余の勝ちだ」
底冷えのする眼で、ライダーが睨み付けてくる。飢えた虎でも恐怖で動けなくなるほどの威圧が込められた視線。只人が受ければ確実に気死する程の眼光を受けて。
「ゴメンね」
新美はヘラヘラとした態度を崩さない。本心は窺い知る事が出来ないが、表象は平然たるものだった。
「変わった奴だ」
ライダーは新美の態度にも腹を立てた様子は無く、ただ呆れた様に呟いた。
「私ってそんなに変わってる?コレ以外で」
新美が目線で示したのは、床に転がる鉄の四肢。一級の礼装でもある四肢を、こうも乱雑に扱うというだけで、新美が世の常の魔術師とは事なる精神の持ち主だという事は窺い知れた。
「余を召喚したならば、凡そ聖杯戦争に臨む魔術師で喜ばぬ者はお前くらいだ」
「凄い自信だね」
「ラムセスが神王などと呼ばれて重宝されておるのだ。なれば余であるならば招いた時点で勝利は定まっておる」
凄まじい。そうとしか言えぬ自信だった。それもまた当然と言えば当然。二騎のサーヴァントを本気の二分も出さずに屠り去ったライダーなれば。
「それで…。怒らないで欲しいんだけど。『ラムセス』って誰」
「…………チッ。オジマンディアスと言えば理解(わか)るな?」
少しの沈黙と、あからさまな舌打ちは、ライダーの呆れと怒りを雄弁に物語っていた。
『只人なればいざ知らず、魔道の輩ならば知っているだろう』という心の声が聞こえてきそうだった。
「…………………分かんない」
「お前それでも魔術師かッッ!!!」
ライダーはキレた。無理も無い、普通はキレる。なにしろブリテンの騎士王にマケドニアの征服王、更には原初の英雄であるウルクの英雄王。
人理に名を刻んだ神話的存在達。聖杯戦争に臨む者が、身代を投げ打ってでも召喚する事を望み、召喚が叶った時点でを勝利を確信する大英雄達。
その彼等に並ぶエジプトの神王を『識らぬ』と言い放ったのだから。
「凡そ教育と呼べるものは何一つ受けていないので」
相も変わらずヘラヘラと、しかし僅かに揺らぎを感じさせる声。
ライダーが何も言わずに押し黙ったのは、声に含まれるものを感じた為だ。
「私の家は、高名な魔術師の家に、代々隷属している家系でさ」
新発田家が隷属の境遇に置かれる事になった詳しい経緯は、新美も知らない。
新発田家は元は欧州に基盤を持つ魔術師ではあったが、十六世紀に日本へと移住し、格の高い霊地に居を構え、代々魔術を研鑽し、明治以降はそれなりに優れた魔術の名家として、時計塔に名を知られるに至ったという。
「それが悪かったんだろうねぇ。霊地に目を付けた他所の魔術師の一族と戦争になってさ。魔術協会にも入っていない。どころか他との付き合いも碌になかったみたいでね。
多勢に無勢で負けちゃったんだよね。九分殺しの当主以外の主要な面々は全滅。当主はそのあと延々拷問されてさ、自己強制証明(セルフギアス・スクロール)で、隷属を誓わされたってわけ」
霊地を奪われ、屋敷を奪われて、その後の新発田家の運命は、当然ながら無惨を極めた。
従僕や戦闘要員として使われるのは元より、霊薬や魔術の実験動物とされて、全身が溶け崩れ、膨れ上がって破裂し、骨すら残らず燃え尽きた者。
異常性愛者の慰み者にされ、毎日の様に骨を砕かれて狂死した者。
霊地を強奪する為に、暗殺の道具として使われ、苦悶の形相を刻んだ奇怪なオブジェとなって戻ってきた者。
魔術の研鑽も、主家の役に立つように戦闘に特化したものに限定され、根源を目指すという大願は永遠に断たれた。
「新発田の家の当主は、魔術刻印と共に呪いも受け継ぐ。主家の意向に逆らったり、叛意を実行に移したりするとね。死んじゃうんだ」
「叛意を抱いたら、では無く。叛意を実行に移したら。とは、よく分かっているな」
「うん。そこは褒めてやっても良い」
叛意を持たない、などというのは古代の奴隷であっても不可能だ。故に叛意そのものを禁じて仕舞えば新美の一族はとうの昔に全滅していただろう。
「話逸れちゃったね。それで、私が新発田の当主として魔術刻印を継ぐ日にね。私は両手脚を奪われた」
新美が手足を奪われたのは、回路の質と量が破格だった事と、魔術特性が『風と水』の二重属性だった事に起因する。
「昔日本で死んだ魔術師に、水銀の礼装を使う奴が居てね。ソイツの礼装を再現してみようって事で、私の手足はぶった切られた。
こうすれば常に鍛錬を行う事になる。必ず身につくだろうよ。そう笑いながら言ったアイツ等の顔は、一生忘れられそうに無いね」
表情は笑顔のままで、新美の顔に暗い影が落ちる。一日たりとも、秒瞬の間でさえ忘れた事の無い怨嗟が垣間見える。
軽薄な上っ面の内側に秘めた、生涯消えることのない怨嗟の炎。
この女の軽薄さは、そうでもしなければ正気を保てないが故の、自己防衛のためなのだろう。
「ああ、鉄の義肢にしては、妙な音がすると思ったら、鞘か」
「そうだよ。アレは私の本当の礼装を納めている鞘。本当はね、水銀なんだ。よく気づいたね」
「如何なる品であれ、鉄ならば余が気付かぬ道理無し」
「そうなんだ」
義肢があれば拍手の一つでもしそうな風情で返す。
「話の続きをするとね。さっきも言ったけれど、私の手足を斬ったのは、義肢として日常的に使わせる事で、扱いに習熟させる為だったんだ。後は隠し武器にする為。
いつもは袖の長い服着てるんだ。真夏でもね」
産まれ持った手足を喪い。鉄の鞘に収まった水銀の四肢を得た新美の日常は、行住坐臥の全てが訓練と言ってもよかった。
食事をするのにも、水を飲むのにも、何をするにも魔力を巡らせて礼装を操る日々。
魔力を使い果たせば其処で動けなくなる。そんな身でも、容赦無く課せられる調教(戦闘訓練)。
効率よく、魔力を使う事を強いられる日常は、新美の魔力運用の効率を徹底的に磨き上げた。
「一日中屋敷の中で、戦闘と魔術の鍛錬。奴等の用を果たす為に、一般的な社会常識や、ある程度の読み書きと計算を教わったけれど、それ以外の事は何にも知らない」
凄惨と呼ぶべき生い立ちを、ヘラヘラとした態度で語り終えると、新美は瞼閉じた。
「そして私は此処にいる。私の主人、“元”主人がね、聖杯戦争に参加したかったらしいんだ。けれども七つの枠はもう埋まってる。それで────」
枠が無いのならば作れば良い。単純明快な理屈に基づき、新美を使ってサーヴァントを釣り出し、マスターの殺害を企てた“元”主人は、返り討ちに遭って殺された。
新美がその事を知ったのは、囮となって誘い出したサーヴァントの口からだ。
「なんだか猛烈に腹が立ってさ。せめて私の目の前で死んでくれって、そう思ったんだよ」
激昂してサーヴァント殴り掛かり、当然のように死んで、気がつけば第二次聖杯戦争のマスターとなっていた。
「私の願いなんて一つしか無いよ」
「“元”主人の死を見届けることか」
「違うよ。アイツらを皆殺しにする事だよ。一度死んだせいかな、無くなってるんだよね。制約」
だから問題無く殺し尽くせるんだ。
そう言って、新美は屈託なく無く笑ったのだった。
【キャラクターシート】
サーヴァント
【クラス】
ライダー
【真名】
ムワタリ二世(紀元前十三世紀・中東)
【属性】
中立・善
【ステータス】
筋力C 耐久C 敏捷B 魔力A 幸運B 宝具EX
【クラススキル】
騎乗:A
幻獣・神獣ランクを除く全ての獣、乗り物を自在に操れる。
対魔力:A
A以下の魔術は全てキャンセル。
事実上、現代の魔術師では○○に傷をつけられない。
【保有スキル】
神鉄:A
ヒッタイトで精錬された鉄。並の対軍宝具を寄せ付けない堅牢さを誇り、この神鉄で出来た鎧を身につければ難攻不落の防御を誇り、武具を持てば只の攻撃が城壁を切り裂き砕く程となる。
鉄の王たるヒッタイトの王が持つに相応しいスキル。
友誼の証明:B
敵対サーヴァントが精神汚染スキルを保有していない場合、相手の戦意をある程度抑制し、話し合いに持ち込むことができる。
聖杯戦争においては、一時的な同盟を組む際に有利な判定を得る。
史上初の講和条約を結んだ逸話から。
軍略:B
一対一の戦闘ではなく、多人数を動員した戦場における戦術的直感力。
自らの対軍宝具の行使や、
逆に相手の対軍宝具に対処する場合に有利な補正が与えられる。
カリスマ:B
軍団を指揮する天性の才能。団体戦闘において、自軍の能力を向上させる。
カリスマは稀有な才能で、一国の王としてはBランクで十分と言える。
大量生産:A
鉄器を無限に近い形で生産出来る。この場合の鉄器とは、ヒッタイトで使われていたもののみならず、後世になって造られたものも含む。
どこかで帳尻を合わせているのだが、それは彼の周囲以外の誰かであり、何かだ。ライダーとは無関係の場所の素材を消費しているため、彼の懐は全く痛まない。
【宝具】
鉄蹄轟く神鉄戦車(アイアンチャリオット・オーバードライブ)
ランク:A 種別:対軍宝具 レンジ:1〜50 最大捕捉:300人
ライダーが駆るヒッタイトの神鉄でできた戦車(チャリオット)。
二頭の神鉄製の馬が牽く戦車は、防壁も軍列も破砕する蹂躙疾走を行い、周囲に衝撃並を撒き散らす。
馬蹄による踏みつけと、車輪による轢殺の二度の攻撃判定を有する。
後述の宝具による出力の恩恵を受けている為に、凄まじい出力を誇り、疾走中はエネルギーフィールドを形成して乗り手を守る。
始原の鉄炉(ニュークリアフージョン・サンファーニス)
ヒッタイトの神鉄を精錬する炉を内蔵した神鉄製の巨人。全高7m。
並の対軍宝具を寄せ付けぬ程の堅牢を誇る神鉄が、通常の手段で生産されるはずなど無く。
この炉は超重力を発生させる機関であり、巨大な重力により核融合を行うことで鉄を生成する。
要は太陽の中心核や中性子星が鉄の塊まりであるのと同じ。
核融合により生み出される絶大なエネルギーを、太陽風やプロミネンスとして使用する事が可能で有り、重力操作により超重力を発生させて周囲を圧潰させる様な使用法も可能。
これらのトンチキ兵装を用いずとも、有り余るエネルギーとそれに耐えうる頑強な機体による打撃は、一級のサーヴァントでも容易く屠る。
炉心が宝具で有り、鋼の巨人は付属物であるために、炉心さえ無事なら幾らでも再生する。
この宝具は仕様上、発動時には莫大な魔力を要するが、発動させれば魔力を必要としない。
【weapon】
ヒッタイトの神鉄製の鎧と矛と剣。
【人物背景】
紀元前十三世紀のヒッタイトに君臨した王。
カデシュの戦いでラムセス二世率いるエジプト軍を相手に優勢を保ち、史上初の講和条約を結ぶに至った。
なおこの戦争は、ヒッタイト及びエジプト双方ともに自国の勝利としているが、ヒッタイトがシリアへの影響力を保ち新たな領土を獲得したのに対し、エジプトは何も得ていないところからして、エジプトの敗北である。
【外見・性格】
褐色の肌の痩身長躯に見える男。鍛え抜かれた均整の取れた肉体が、返って痩せて見えるというだけである。
【身長・体重】
193cm・90kg
【聖杯への願い】
ラムセス二世に今度こそ敗北を認めさせる
【マスターへの態度】
変わった奴だが、悪い印象は無いし魔力の質も量も良いのでマスターとして認めてやる。
マスター
【名前】
新発田新美
【性別】
女
【年齢】
23歳
【属性】
中立・悪
【外見・性格】
黒髪黒瞳の病的に肌の白い女。
顔立ちは美人の部類に入る。育ちの為やや幼く見える。
服装はいつも男物のスーツを着ている。好き好んできているわけではなく、義肢を隠す為である。
いつもヘラヘラしている女。その所為で感情や考えが読み難い。
実態は内面に秘めた凄惨激烈な憎悪を覆う仮面(ペルソナ)
【身長・体重】
義肢込みで170cm・102kg
義肢なしだと78cm・42kg
【魔術回路・特性】
質:A 量:A
特性:風と水の二重属性。流体操作を得意とする。魔術刻印は背中に存在する。
【魔術・異能】
鉄の四肢:
切断された両手足の代わりとなる鉄製の義肢。一応関節が有り指もあるが、人体の持つ精妙さや繊細さは持ち得ない。
のだが、新美は長年の日常レベルの鍛錬により、生身の四肢を凌駕する動きができる。
頑丈で様々な魔力付与が施された鉄の四肢は、それ自体が逸品の礼装である。
重量や硬度を増すことで一撃の威力を高めることや、剛性や靱性を付与する事で攻撃を受け止めることが可能。
念じる事で簡易な動きならば自律で行わせられる。この為寝る時は外して適当に放り投げ、目覚めれば義肢から動いて装着させている。
新美は軽量化の魔術を常時使用する事で、このクソ重い義肢を使用している。
この為に軽量化の魔術は洗練の極みにある。
水銀の四肢:
鉄の獅子という『鞘』を外した時に使用可能となる、新美の真の義肢。
水銀製の四肢は形状を自由に変化させることができる。巨大な鉤爪を伸ばして斬り裂くのが基本スタイル。
四肢を構成する水銀の一部を鞭のように変化させて、対象を切り刻むことや展開して盾にする事が可能。
この水銀の四肢にも当然だが魔力付与は行える。
【備考・設定】
新発田家は元は欧州に基盤を持つ魔術師ではあったが、十六世紀に日本へと移住し、格の高い霊地に居を構え、代々魔術を研鑽し、明治以降はそれなりに優れた魔術の名家として、時計塔にも名を知られるに至ったという。
その所為で派閥に属さず、派閥を形成しておらず、縁者に有力な魔術の家もない事から、霊地に目をつけた他所の魔術師の一派に襲われて敗北。自己強制証明(セルフギアス・スクロール)により永遠の隷属を強いられた一族の当主。
新発田家を隷属させた家は、当初は繁栄したものの、土地が合わなかったのか次第に没落。なんとか回路の質と量を増やすべく苦心していたところ、新発田家に破格の質と量を持つ新美が産まれ、これを次期当主を産むための胎とする事を決める。
新美の属性が『風と水』だった事から、新美でかつて日本の地で死んだ魔術子の礼装を再現させてみる為。
礼装の習熟が出来ようが出来まいが関係無く、どうせ胎として使うのだから生きてさえあればそれで良かった。
かくして新美は地獄の日々を送る。礼装を使わなければ日常のあらゆる事が出来ず。調教と称される戦闘訓練に於いては、成す術なく嬲られる。
そんな日々は新美の魔術の才を否が応でも磨き上げ鍛え上げた。
長じた新美が、主家の為の汚れ仕事にも慣れ始めた頃。第一次聖杯戦争の事を聞いた主家の当主が参戦を画策。既存のマスターを殺して成り代わろうとするも、衰退した魔術回路と刻印では如何ともし難く敗死。新美もサーヴァントに殺される事となった。
【聖杯への願い】
“元”主人の蘇生。“元”主人と主家を皆殺しにするのは自分でやる。
【サーヴァントへの態度】
強くて頼りになる良い人。仲良くやって行きたい。
投下を終了します
投下します
ごうごう、ぱちぱち、めらめら。
燃えている。
全身が炎に巻かれて燃えていた。
一体何が起こったのか全くわからない。
どんな不条理、どんな反則によってこんな事態に陥ったのか、まるで理解することが出来なかった。
「………ァァァ」
声が出ない。
吐く息は口から漏れた瞬間に火に炙られ、言語を構成する前に燃え尽きる。
髪の毛の一本から爪先に至るまで、全てを覆い尽くした炎は容赦なく皮膚を焼き肉を焦がし骨を溶かす。
死ぬ。僕は死ぬ。
助からない。だけど諦めきれない。やっと分かったのに。やっと見つけたのに。
前方に伸ばした手も、腕ごとボロボロと焼け落ちていくのが真っ赤な視界の端に映っている。
「……ァ……ェ」
待て。待ってくれ。言葉にならない叫びが届くことはない。
もはや、その後姿を見つめることしか出来ない。
美しい、彼女の姿。
隣の誰かに笑いかける、その横顔。
見ている、じっと見ている、もはや見ることしか出来ないから。
触れることの許されない、本物の太陽。去りゆく彗星。
そして、僕の、やっと見つけた僕の―――
「………ァ」
見てくれ、僕を、僕を見てくれ。
焼けた瞳をあらん限りの力で見開き、離れていく彼女の笑顔を凝視する。
もうすぐそれすら出来なくなる。
だから、どうか、僕を、僕を見て。
「……」
ああ、眩しい。
焼け落ちる僕を振り返りもしない彼女の横顔が眩しすぎて、片目の眼球が潰れ、砕け散った。
君は僕にとっての唯一無二。
初めて感じた熱源体。
なのに、君にとっての僕は―――
そうして、僕は、赤坂亜切は焼け死んだ。
◇
初めて寒さを自覚したのは12歳の冬の日だった。
僕の住んでいた町は東北の片田舎にあって、年末年始にもなると強烈な吹雪に見舞われる、いわゆる雪国だった。
積雪が多い時は電車もバスも運行中止となり、外に出る人は誰もいなくなって、地域全体が死んだように静まり返ってしまう。
もっと酷い時は停電が起こって暖房が停止、毛布に包まって寒波が過ぎるのを待つしかなくなる。
そんな寂れた町に、僕は小学校の頃まで父と二人で住んでいた。
寒いばかりでなにもない町から人口はどんどん減っていったけど、実際のところ僕は環境に対して不満を持ったことはない。
酒に酔った父は頻繁に暴力を振るい、寝間着姿の僕を家の外へ、吹雪の中へ放りだしたけど、それだって別に辛くはなかった。
涙と鼻水が凍りつくほどの低温の中、皮膚の感覚がなくなっても、凍傷で指の先が腫れ上がっても、僕はまるで寒く感じない。
生まれつき、僕は寒いと思うことがなかった。
そして、内臓を引き抜かれたような喪失感と虚無感を常に抱えていた。
別に痛みは正常に感じるし、命の危険だって察知できたけど、寒さと実感を欠いた僕の感性は何があっても他人事で、状況を変えたいとも逃げ出したいとも思うことはない。
だから、その日が普段と違ったのは、やっと家に入れてもらえた僕を待ち受ける父の手に握られていた物が、いつものベルトじゃなくて出刃包丁だったという、ただそれだけのことだった。
『あのとき、お前の方を殺せばよかった』
洗面所の床に倒れた黒焦げ死体の隣で立ち尽くす僕は、死ぬ寸前の父が喚いた言葉の意味を考えた。
『俺は育てるなら女児の方が都合が良いと言ったのに。頭の硬い老害どもが男を残せと言いやがるから、仕方なく今日まで生かしてやったのに』
灰になって崩れる父の輪郭を、僕はじっと見ている。
火元など何処にもなかった筈なのに、父の全身はひとりでに発火し、どれだけ暴れても炎が消えることはなかった。
それは実に奇妙な燃え方で、火にかけられたというよりも、身体の内側から炎が吹き出すような、異様な光景だった。
『お前の母親が悪いんだぞ。双子なんて孕むから、全部台無しになったんだ』
なるほど、そうだったのかと僕は納得を得る。
いま、全てに合点がいったのだ。
『畜生。なのに、なんで、なんで今さらお前が、その眼を―――』
どうりで冬を寒く感じないわけだ。
だって僕は元からずっと寒かったんだから。
身体の外側に吹き付ける吹雪なんてなにも感じないくらい、生まれつき身体の内側が冷たかった。
常に抱えていた、内蔵を引き抜かれたような喪失感と虚無感。
つまりはそういうこと。
『死ね。死んで姉か妹のところへ逝け』
僕の半身(きょうだい)は、生まれる前に殺されていた。
崩れきった父の死体から視線を切り、顔を上げて洗面所の鏡を見る。
片方だけ炎のように真っ赤に変色した僕の瞳が、無感動にこちらを見返していた。
◇
出自についての詳細を知ったのは、ずいぶん後になってからだった。
『いやあ、赤坂家の遺産とは拾い物だねえ。あんな僻地に期待などしていなかったが、思わぬ収穫があったものだよ』
電気が止まり冷え切ったあの家に、ふらりと男が訪ねて来たのは、父が死んで数日後のことだった。
実の親を焼き殺し天涯孤独になった僕を、その男は快活に大笑しながら自分の屋敷に連れ帰った。
その後、養子のような関係になるわけだが、結局、僕が彼の苗字を貰うことはなかった。
『これらは私のことを親だと思って構わないよ、アギリ』
言葉ではそんなふうに言っていたけど、男が僕と親子関係になりたいなんて微塵も思っていないことは、なんとなく分かっていた。
男に引き取られた後、温かい屋敷の柔らかいベッドで眠れるようになっても、豪華な食事を毎日提供してもらっても。
『そのうえで、君の姓も、名も変えることはない、馴染み深い名を使うといいさ』
赤坂亜切。
僕の名前も、胸の真中に穴の空いたような喪失感も、常に感じ続ける寒気も、何一つ変わることは無かった。
『自由に生きるといい。だけど、僕のお願いも聞いてくれるね?』
男は僕の他にもたくさん子供を屋敷に連れてきては衣食住を提供していた。
学校に通わせ、遊ぶことも自由にさせていた。
その子達の全員に同じお願いをしていたのかは分からないけど、男はある日僕にそう言って白い紙切れを手渡した。
これはずいぶん後になって知ったことなのだけど、男は所謂、悪い魔術師と呼ばれる存在だった。
魔術、超能力、魔眼。特殊な能力を持った子供を引き取って、殺し屋として育成する。
そして僕には、その才能があった。
『素晴らしいよアギリ。君の眼は、実に便利な暴力装置だ』
僕は見るだけで人を燃やすことが出来る。
父親を殺すときに目覚めた能力であり、成長と共にその制御を掴んだ。
パイロキネシスト。人を燃やす特殊な眼。男曰く『嚇炎の魔眼』だそうだ。
超能力と魔術の中間だとか、男の言ってる理論はよく分からなかったけど。
とにかく僕はその力で、そこそこ有能な殺し屋になった。
国内外問わず、誰かが邪魔だと思っている存在を消去する殺人マシーン。
男は仲介役であり、僕は実行役。
紙に書かれた人物を見つけ出し、じっと見つめるだけの簡単な仕事だった。
それだけで標的は燃えて炭になり、僕の役目は終わる。
標的の中には僕よりずっと凄くて特殊な能力を扱う人もいたけれど、使う前に燃えてしまうから呆気なかった。
正直言って、人を殺して心が痛んだことは一度もない。
自分の父親を炭に変えたときと同じく、淡々と実行することが出来た。
何人燃やしても、心の内には虚無と隙間風が生み出す寒気があるだけ。
だから僕は成長して男の屋敷を離れた後も、生活費を稼ぐために殺しの依頼を受け続けた。
殺すのは好きでも嫌いでもないけど、自分にとって一番手慣れた仕事だったという、それだけの話だ。
『赤坂家のことかい? ふむ……まあ、別に構わないか、話してあげよう』
たった一度だけ、僕から男に頼み事をしたことがある。
僕の実家について知っていることを教えてほしいと。
男は少し考えた後、成人した僕への影響はないと判断したのか、ゆっくりと話し始めた。
◇
赤坂家。
自然の流れを歪める魔と敵対する退魔の一族。
その中でも退魔四家と呼ばれる名家の一つ、浅神の分家筋。
彼らは代々発火能力を継承する一族であったらしい。
パイロキネシス。念発火能力と呼ばれる超能力は本来的には次代に遺伝する類の力ではない。
それを彼らは人ならざるモノの混血と交わり、退魔でありながら自らに魔を取り込むことで繋いでいった。
いずれ、本家の浅神が行き当たる陥穽。
純血種の継承によって成り立っていた退魔が、混血の魔を取り込む矛盾。
それを続けた先にある衰退は本家が証明していたけど、赤坂の一族も気づいたときには既に後戻りが不可能な有り様だったという。
純血は薄まり超能力の発現率は低まるばかり、かといってこれ以上混血を取り込めば人の精神を保つことが難しくなる。
本家を凌ぐほどに苛烈に混血と交わった赤坂は進退窮まり、本家のように分家の浅上に取り込まれる道すら絶たれてしまう。
もはや緩やかな凋落を待つのみなった彼らが最後に望んだのは、赤坂の退魔、その完成形の生産。
即ち、一族の最高傑作というトロフィーを抱えて消えることだった。
鬼子と呼ばれる強力な超能力者と、絶大な力を持つ混血のかけ合わせ。
消せぬ炎、嚇炎に至る赤子を作るべく、交配と出産、産後の育成に至るまで、すべて綿密に計画された。
タイミングは今、この年代を逃せば次はない。衰退に至る直前であり、純血の質と混血の濃さがピークを迎える今だからこそ生まれ得る鬼子。
その筈だった。
しかし、それは母体が予想外の双子を宿したことにより頓挫する。
生まれてくる子が男でも女でも良かった。たとえ未熟児でも、長く生きられなかったとしても、一瞬でも一族の悲願が成就されるならば。
だが、双子だけは駄目だ。一つに宿るべき才覚が裂かれ、計画が破綻する。少なくとも当時の家長はそう判断したらしい。
最後のチャンスを逸した以上、もう何をしても無駄。赤坂の悲願は破れ、家は緩やかに滅び解体されるのみ。
家長はそう告げて隠居し、しかし一部の老人たちはどうしても諦めることが出来なかった。
そして単純な解決法を実践する。双子が駄目なら、生まれる前に双子でなくしてしまえばいい。
可能なら跡取りとして男を残したい。
僕が赤坂家の長男として生まれ、僕の姉、あるいは妹が殺された理由はそれだけ。
結果、産まれたばかりの僕に能力は発現せず、目論見の潰えた家は失意の内に取り潰される。
皮肉なことに僕の魔眼が力を発揮したのはその12年後、父親を殺す日になってからだった。
この世に生まれ落ちて以来、僕はずっと得体のしれない喪失感と寒気に苛まれてきた。
生きていても、生きる実感を得ることが出来ない。
色々試したけど駄目だった。何を食べても、何を見ても、誰と関わっても、誰を殺しても。
やはり、なんとも思わない。
きっと僕の心の大事な部分、熱を感じる重要な臓器は全て、僕の半身(きょうだい)と共に母親の胎内で殺されてしまったのだ。
空虚な日々を生きる内に、ふと妄想することがあった。
僕の姉、あるいは妹。彼女がもし産まれていたら、どんな女の子になっていたのだろう。
何にも興味を示さない僕の心が、唯一感じ取った感情の食指。
成長した彼女は優しかったろうか、厳しかったろうか、美人だったろうか、可愛かったろうか、身長はどれくらいか、ヘアスタイルは、ファッションセンスは、体つきは、匂いは、使ってるシャンプーの種類は、そもそも姉だったのか、妹だったのか。
僕は良いお兄ちゃんになれたのだろうか、良いお姉ちゃんを得ることが出来たのだろうか。
もしも、もしも、もしも―――もしも、生きていたのなら。
いや、ひょっとすると、生きているのではないか。
僕が物心つく前に、僕を捨てて家を出ていったという母親が、密かに彼女を育てていた、なんてストーリーはどうだろう。
遥か昔に失われた僕の半身は、今も何処かで僕が会いに来るのを待っているんじゃないか。
僕に備わった魔眼は片目だけ。もう片方の行き先があるとすれば、きっと―――
なんて妄想することが、いつの間にか僕のささやかな心の癒やしになっていた。
いや分かってる。姉(妹)が生きてるなんて、あり得ない。あまりにも子供じみたバカバカしい妄想だ。
自分でも十分理解している。
『アギリ、これはいつもの殺しとは少し違う依頼なんだが、やってくれるかい?』
だから、まあ、僕はこの寒気を生涯抱えながら、空虚でつまらない人生を続けるのだろう。
一度目の参加の時だって、そんなふうに考えつつ、諦観と共に引き受けたんだ。
『聖杯戦争の参加、いや君にとって分かりやすく言おうか。六人の魔術師を見つけて、燃やしてくれ』
せいぜいささやかな妄想だけを慰めに送る空虚な人生。
そう、思っていた。
あの日、本物の太陽に焼かれるまでは―――
◇
「というわけで、僕は聖杯が欲しいんだ。協力してくれるね、アーチャー?」
都内某所。薄汚れた貸倉庫の中で、一組の男女が向き合っていた。
男の方はよれたダークスーツを着た痩せ型の体型、若白髪の混じった黒髪を短く切りそろえている。
年齢は二十代後半、成人男性の平均的な身長。あまり目立った特徴のない男だった。
糸のように細い両目の右側から、炎のように赤い瞳が僅かに覗いていること以外は。
「いや、アタシはまだ肝心な動機を聞いてないような気がするんだが」
対して女の方は非常にわかりやすい特徴を備えていた。
倉庫内に積み上げられた廃材の上、オールバックの長髪をかき上げながら、尊大に足を組んで座る彼女の体躯は男のそれを遥かに上回る。
つまり、デカい。全てがデカい。身長2メートル超えの大女だった。
全身磨き上げられた彫刻のような筋肉に覆われ、更に狼毛皮のコートと金のアクセを身にまとったその姿に無骨さはまるで無く、不思議と神々しい気品に満ち溢れている。
「それは最初に言っただろ? 僕はお兄(弟)ちゃんとして、お姉(妹)ちゃんを見つけて、迎えに行かなきゃいけないんだよ!」
「はあ、そうかい。よく分からないけど、変わってるねぇアギリは」
アーチャーと呼ばれた彼女は呆れたような口調でありつつも、目の前で興奮気味に話す男を興味深そうに眺めていた。
「というかアンタ、さっきまで自分で語ってた根暗なキャラクターと違くないかい? ずいぶん元気一杯じゃないか」
「そりゃあそうさ! 僕は生まれ変わったんだよ! この黄泉返りは、彼女が僕に与えたチャンスなんだ!」
アギリと呼ばれた男、赤坂亜切は熱を込めた声で語る。
それは元来、彼が持ち得なかったはずの、血の通った言葉だった。
「ああ、お姉(妹)ちゃん、お姉(妹)ちゃん! すぐにお兄(弟)ちゃんが迎えに行くからね! 今度こそ、僕が君の半身(とくべつ)だって証明する! 邪魔な奴らは全部燃やして、今度こそ兄妹(姉弟)として再会しよう」
唄うように恍惚と語る男の状態は見るからに人として正常ではない。
しかしアーチャーは微笑んでいた。それは彼女が好む人間の性質の一つに相違なかったから。
目を閉じると浮かび上がる雪原の景色。
己の足が響かせる地響き、山合に潜む巨人たちの咆哮。
荘厳なる神々の地とその滅亡。
終末の火、世界を焼き尽くす炎の色。
その後に残った愛すべき小さな者たち。
彼もまた、人の一つであるならば。
「水を差すようで悪いけどねえ、アンタが言う、そのフツハだっけか。その女はアンタより年下だったんだろ? 双子の片割れなら同い年じゃなきゃ成り立たなくないかい?」
「おいおい、なにをつまらないコト言ってるんだ女神のくせに。なあスカディ、ここは君のような神の降りる地。一度死んだ僕のやり直しがまかり通るような世界だよ? 年齢なんて概念に縛られてちゃ駄目だろう」
「へぇ、なるほど、イカれたアンタに常識は通じないってわけだ。ま、確かに常識の通じない舞台ではあるけどね。アタシが召喚されてる時点で滅茶苦茶だ」
「そうだよ、今までの僕は常識に囚われていたんだ。これからはどんなに僅かな可能性でも確かめなきゃいけない。太陽に触れるために、彗星を掴むために、僕はなんだってやるさ」
愚かな男だ。そしてどうしようもなく壊れている。
赤坂亜切は間違いなく、狂った悪人に分類されよう。
だが、その愚昧すら愛してしまえる。
彼女は猛き霜の巨人であり、美しき凍原の女神、その両方の側面を併せ持つ神霊。
醜悪な愚かさもまた、神から人へ残された可愛らしい性だと知っている故に。
「でも年の差が関係ないってんなら、ひょっとしてアタシも候補になったりするのかい? アンタの半身(きょうだい)ってやつのさ」
「……あ? おい、調子に乗るなよ従者(サーヴァント)」
そして戯れに放った諧謔にはしかし、冷え切った回答が返された。
「不合格だ。そんなコト、最初に確認したに決まってるだろうが」
赤い眼が、見開かれる。
「ああ、なるほど、それでか。アンタやっぱり変わってるね。見境なしってことかい」
「当たり前だろう。神寂祓葉こそ僕の半身。だけど彼女以外の可能性を廃することも、また彼女に辿り着く道なんだ。彼女以外の全員が違うなら、それは彼女しかいないって証明なんだからさ」
アーチャーの全身が燃えている。
それは召喚された瞬間、サーヴァントが女性と分かるや否や言葉を交わすよりも早く、出会い頭に放たれた炎だった。
普通のサーヴァントならば、マスターの乱心と捉え殺しにかかってもおかしくない蛮行を受けて尚、彼女は涼し気な顔で受け流すのみ。
狼毛皮のコートも、金のアクセサリーも、燃えるままにしている。
「ムスペルのやつらになったみたいで可笑しいね、これ。火をつければ半身(きょうだい)かどうか分かるってのかい?」
「違う。僕はただよく見て確認している。そしたらいつも勝手に燃えるだけだ。あと君の姉力、妹力、共に神寂祓葉の足元にも及ばない。不合格。比べることすら烏滸がましい」
「そりゃ残念。アタシはアンタの火、嫌いじゃないけどね。なかなか暖かくて良いじゃないか」
「……まあ君は、姉としても、妹としても、落第だが。僕も、君の眼は嫌いじゃない、勝手に燃え尽きないところもね」
彼らのやり取りは傍目には奇妙に映るだろう。
危ういようで穏やかな。成り立っているのかいないのか微妙な、奇跡的なバランスで交わされる神と狂人のコミュニケーション。
しかしそれは、唐突に打ち切られた。
不意に、女の人差し指が上向く。
貸倉庫の天井ではなく、それを突き抜けた上空にある何かを指して。
「客か、アーチャー」
「ああ、親父の眼が捉えた」
「女か?」
「みたいだね」
「じゃあ、一応は確認しないとだ」
◇
初めて熱を感じたのは24歳の春の日だった。
六人の魔術師を燃やす単純な仕事。
今回はそこに、強力な使い魔の召喚という要素を加えただけの、いつも通りの殺しだと。
そう思っていた。
事実、殆どの敵は手強かったが、勝てない勝負じゃなかった筈だ。
僕の中の何かが狂い始めたのは、否、何かが整い始めたのは、きっと彼女と出会ったあの日から。
敵対する六陣営の中で、僕が唯一脅威と見做さなかった一人の少女。
あまりに脆弱で、吹けば飛ぶような戦力しか持ち得なかったはずの一般人。
当時、愚かな僕の節穴は彼女をそう評していて、だからこそあの日、仕事中の僕らしからぬ気まぐれを引き起こした。
なんのことはない前哨戦以下の小競り合いで、彼女は窮地に陥っていた。
偶然居合わせた僕が、ふとした思いつきで助けなければ死んでいた筈の、無力な少女。
いつでも殺せるくらい弱い奴なら、適当に生かしておいたほうが周りを撹乱するのに利用できるかもしれない。
そんな打算と侮りから結んだ、僕と彼女の一時的な協力関係。
邪魔になったら適当に見捨てるか殺せばいいだろう。
乱戦で肉の盾か弾除けとして機能すれば上々、所詮いつか切り捨てる囮のようなもの。
最初はそんなふうに考えていたはずだった。
だけど気がついたときには、僕はもうおかしくなっていた。
なんてことない、ただの脆弱な少女だと思っていた筈の存在を、無意識に目で追ってしまう。
気づけば、もっと話したい、もっと彼女を知りたいと思ってしまう。
彼女の明るい笑みを目にするたびに、彼女と関わる度に湧き上がる経験したことのない感情に戸惑いながら。
僕は初めて、空洞のような己の胸の中に熱を感じた。
永遠に僕を苛むと思われた寒気を吹き飛ばす熱の火種。
生まれて初めて、特別な存在を見出すことができたのだと歓喜した。
彼女を守りたい。一緒にいたい。太陽のような笑顔をもっと見ていたい。
願わくば、彼女にとっての何者かになりたい。
そう願っている己を自覚したある日の乱戦にて、それはそれは呆気なく、僕のほうが彼女に切り捨てられた。
自分でも笑えるほど間抜けだったと思う。
ありえないくらい馬鹿げだ隙を晒した結果、無様に致命傷を負った僕を置いて、あっさり去っていく彼女の後ろ姿を憶えている。
美しい横顔だった。
もう僕にはまるで興味がない様子で歩き去りながら、隣りにいる誰かに微笑みかける少女。
―――待て、待ってくれ。
届かない。声は言葉になる前に燃焼する。
一体いつ、どうして引火したのかも分からない炎に全身を巻かれ、彗星に向かって伸ばした腕は灰になって崩れた。
―――僕を見てくれ、僕を。
今際の際、僕は太陽の輝きに瞳(のう)を焼かれながら。
それでも見る。彼女を見ている。眼球が罅割れ、砕け散っても凝視する。
僕が知る限り最も美しい魂のカタチを、赤熱するプロミネンスを、じっと見ることしか許されない。
見ることすら、もうすぐ許されない。
―――行かないでくれ。やっと見つけたのに。
臨界を超えて熱された右の眼球が爆ぜ、視界が吹き飛ぶ。
僕にとっての唯一無二。
だけど、彼女にとっての僕とは、果たしてなんだったのか。
君のとっての僕も、特別でなきゃいけないのに。
結局最後まで、君にとって僕は何者でもなかったなんて。
そんなこと、ありえない、あってはならないんだ、絶対に。
―――おいて行かないで、お姉(妹)ちゃん。
だから、きっと僕は、君のお兄(弟)ちゃん、なんだ。そうだろう。
僕は祝福を受けている。
この眼はもう、過日の世界を映さない。
太陽を見つめすぎると、燃えてしまうから。
僕は、太陽を知っている。
太陽に魅入られ、そして再生された過去の戦影。
――今は。
――凍原の悪鬼。
◇
ごうごう、ぱちぱち、めらめら。
どこかで炎が燃えている。
この日、一組の主従の命運が絶たれた。
彼女の犯した最大のミスは敵サーヴァントの索敵範囲を見誤ったことだ。
自身の契約したサーヴァントが隠匿に優れていたことも、結果的に逆に不運だったと言えるだろう。
古びた貸倉庫に潜む敵陣営を威力偵察すべく接近した彼女達は、敷地内に踏み込むより相当前から逆に補足されている事実に気付けなかった。
「隠れる以前に見つかっちまえば世話ないねえ。お嬢ちゃん、慎重さが足りないよ」
何もかも一瞬の出来事、撤退を決めたときには全てが遅きに失していた。
前方から飛来した吹雪が瞬く間に地面を雪原に塗り替え足を取られた僅かな隙に、弓兵とは思えぬ挙動で急接近した敵サーヴァントにこちらの従者を撃破された。
「加えて言うと時間も悪い。今夜は雲も少なくてよく見えたよ」
敗北したサーヴァントを踏みつける大女、その足には先程の高速移動を実現したスキー板が装着されている。
そして女の腕には成人男性の身長ほどもあるイチイの大弓が握られていた。
恐ろしき巨人の女、そして美しき凍原の女神。
「さて、と」
気さくな口調に相反して、矢を番え弦を引き絞る一連の動作に一切の情はない。
引き分けに隆起する太腕の筋肉と獲物を見下ろす玲瓏な横顔は、力と美の織りなす完璧な調和。
恐ろしき巨人は、美しき女神は、優雅に、冷徹に、足元の英霊の頭を吹き飛ばした。
「アタシの狩りはここまで、後はアンタの番だ、アギリ」
しかし突然、女サーヴァントの姿が霊体化して消える。
降って湧いた好機に、サーヴァントを失った直後にありながら、魔術師である彼女は動くことが出来た。
目の前には、一人の男が立っている。
状況からして敵のマスターに間違いなく、彼を殺害する以外に己の生きる可能性は残されていないと分かっていた。
彼女は既に令呪の失われた手で素早く隠し持った刃物を掴み、無警戒に立ち尽くす男に向け突き出して、しかし―――
「ああ、君、まだ諦めてないんだ、良いね」
やめろ、みるな。
総毛立つ程の寒気と共に、彼女は己の破滅を理解した。
高温によってナイフの刃が溶けている。男の身体に触れる直前、いや正確には男の身体を包み込む炎に触れた瞬間に。
「これはね、確認なんだ」
狂ってる。
この男は、自分の状態を理解していないのか。
「ね、もっとよく見せてよ、顔」
やめろ。やめろ、みるな。
その赤い眼で私を見るな。喉から絞り出そうとした声は、か細く震えて言葉にならない。
燃える男がゆっくりと顔を近づけてくる。常に笑っているような、糸のように細い目が、彼女の顔面に触れんばかりに突き出される。
「見せてよ、君の眼、確認したいんだ」
熱い。熱い。見られている。
見られていはいけない場所に、燃える鬼の視線が注がれている。
文字通り穴が空くほど凝視された熱線は肉を突き破り、決して晒してはならない大事な場所に着火する。
「ほら、ちゃんと見なきゃさあ、分からないだろう」
やめて、見ないで。
肉体の最奥、魂魄の内側から吹き昇る火炎が爆ぜる。
あまりの恐怖に悲鳴を上げた彼女の眼前で、鬼の右眼が捲れ上がるように見開かれた。
「ねえ君、僕のお姉(妹)ちゃん?」
天上の眼。
統べるは、悪鬼。
〈はじまりの六人〉。
抱く狂気は〈妄信〉。
赤坂亜切。統べるサーヴァントは、凍原の女神。
【クラス】
アーチャー
【真名】
スカディ
【属性】
中立・悪
【ステータス】
筋力A+ 耐久B 敏捷A+ 魔力C 幸運B 宝具C
【クラススキル】
対魔力:A
A以下の魔術は全てキャンセル。
事実上、現代の魔術師ではスカディに傷をつけられない。
単独行動:A
マスター不在でも行動できる。
ただし宝具の使用などの膨大な魔力を必要とする場合はマスターのバックアップが必要。
【保有スキル】
怪力:B+
一時的に筋力を増幅させる。巨人の肉体が誇る規格外の暴力。
使用する事で筋力をワンランク向上させる。持続時間はランクによる。
巨人外殻:B+
巨人種の肉体を構成する強靭な外殻。
きわめて特殊な組成を有しており、攻撃的エネルギーを吸収して魔力へと変換する。
吸収限界を上回る攻撃(一定ランク以上の通常攻撃や宝具攻撃など)については魔力変換できず、そのままダメージを受けることになる。
此度は女神としての一面を少し備えた顕現であるため、通常時はランクAに及ばない。
雪靴の女神:C
神性、女神の神核を包括するスキル。
精神干渉をほとんど緩和し、どれだけカロリーを摂取しても体型が変化しない。
加えて雪原フィールド上では敏捷ステータスにプラス補正が掛かる。
此度は巨人としての一面を強く備えた顕現であるためランクはC止まりとなる。
千里眼(狩猟):A+
視力の良さ。遠方の標的の捕捉、動体視力の向上。
本来備わった狩猟の千里眼に、後述する宝具の副次効果が加わってランクアップを遂げている。
動物の心理状態を把握する超感覚と先読み、そして天の眼はあらゆる敵対者を見逃さない。
蛇の毒:C
アースガルズの神、ロキを苦しませた大蛇の毒を所持している。
父の仇とでもさらっと関係をもつ彼女の奔放さと、関係を持った相手でも容赦なく毒を垂らす冷酷さを現した逸話。
刃物や矢に塗ったりと応用方法は多々あり。北欧の神性に対して若干の特攻効果がある。
【宝具】
『夜天輝く巨人の瞳(スリング・スィアチ)』
ランク:D〜B 種別:対人宝具 レンジ:1〜999 最大捕捉:1
かつてスカディが神々から奪い返し、天に奉じさせた亡き父の両眼。
それは今も夜空に2つの星として輝き、上空から地上の女神を庇護する死線と化している。
広範囲の索敵機構であると同時に、敵対者の急所を見抜く射撃統制装置。昼でも使えるが星である特性上、夜の方が効力は強まる。
真名開放時は、アースガルズの神々を恐れさせたスカディの猛烈な怒りと進撃を再現する伝承再現宝具に変貌する。
索敵範囲が一時的に縮小される代わりに敏捷と筋力のステータスが1ランク上昇。
発見した対敵の霊核に向け、巨人としての本領を発揮した剛力の射撃を叩き込む。
『狼吼轟く女神の館(ヨトゥン・トリルヘイム)』
ランク:B+ 種別:対陣宝具 レンジ:99 最大捕捉:99
巨人の地、厳しい冬の世界。
その山合いにある彼女の館、スリュムヘイムとその環境を再現する。
常に猛烈な吹雪が止まず打ち付け、大狼の遠吠えが木霊する轟きの山館。
世界の上に環境を建築する、固有結界とは似て非なる大魔法。
発現中はスカディの全ステータスランク上昇に加え、効果範囲内のフィード判定は常に雪原、スキルによる敏捷補正が得られる。
この空間でのみ、彼女は女神と巨人、両方の権能をフルに発揮することが可能。つまりいくらでもデカくなれる。
ただし固有結界やどこかの黄金劇場とは違い、空間的にも物理的にも敵の退路を断つ意図は希薄と言える。
よって逃げ出すことは不可能ではない。本気を出した巨人の手から逃れられるものならば。
ちなみに館の生活環境が悪すぎて前夫とは破局しているが、「ヤツの家の環境も大概最悪」とはスカディの談。
【weapon】
イチイの弓。
スキー板。
スキー走行による高速移動を得意とする。
また巨人の体躯から放たれる射撃は、一発一発が大地を吹き飛ばす程の凄まじい破壊力を誇る。
イチイの弓は後夫に作って貰ったらしい。
【人物背景】
北欧神話に登場する巨人であり女神。巨人の地ヨトュンヘイムの山合いある館、スリュムヘイムに住む麗しき花嫁。
スキーの女神、狩猟の女神としても知られている。
アースガルズの神々の計略によって父スィアチを殺害された彼女は仇を討つべく怒れるままに神の地へ単身で進撃。
その殺気は神をしても恐れを禁じ得ず、和解を提案された結果、紆余曲折の末、彼女は神と婚姻し自身も神族の一員となった。
スカディの容姿は書物や場面によって大きく形容に開きがあり、ある時は獰猛で冷酷な巨人族の女戦士、ある時は美しき女神として描かれる。
此度の現界では、逞しき巨人としての側面が少し強めに現れているようだ。
狩猟とスキーの神としての逸話からアーチャーの他にランサーとライダーの適正を持つが、そもそも女神・巨人スカディは通常の聖杯戦争では単一霊基で召喚可能な英霊ではない。
これは異質な環境と偶発的な要因が重なったエラーのような現界である。
【外見・性格】
身長2メートルを超える筋骨逞しい巨体でありながら、どこか優雅な所作で気品を感じさせる女性。
クセの強い黒髪ロングをオールバックにした姉御なヘアスタイル。服装は狼毛皮のコートにデニムパンツ、金のアクセを多数身につけている。
4月の街では少し暑苦しく見えるが本人に気にした様子はない。
性格は基本的に非常に大雑把でサバサバ気質。
人間の悪も愚昧もまた良しと受け入れるが、一方で酷薄な面もあり、死ぬなら死ぬでそれまでの存在なのだろうと突き放す。
かと思えば一度怒ると手が付けられない暴走状態に突入する激情家の側面もあり、正に巨人の獰猛と女神の品格を両立させた存在として君臨している。
【身長・体重】
221cm・95kg
第2宝具発動時に可変。
【聖杯への願い】
ああ、そういや考えてなかったね。いい男でもいりゃ紹介してちょうだいな。
【マスターへの態度】
愚かな悪党としてそれなりに気に入っている。
見ていて退屈しない馬鹿は結構好み。せいぜい笑わせてほしいと期待している。
【名前】赤坂亜切/Akasaka Agiri
【性別】男性
【年齢】24
【属性】混沌・悪
【外見・性格】
上下ともによれよれのダークスーツを着用した、痩せ気味の青年。
長く履いた革靴は摩耗気味、短めに切りそろえた黒髪に若白髪が目立つ、ノーネクタイ。
基本は糸目でへらっとした表情を浮かべているが、興味の対象を見つけると目を大きく見開いて凝視する癖がある。
その際の瞼の開き幅、顕になる瞳の大きさと強烈な眼光は異様であり、視線を向けられた者をぎょっとさせる。
現在における彼の興味は己の姉(妹)足り得る存在にのみ向けられており、それ以外の対象は心底どうでも良いと思っている。
<一回目>開始時点では冷めきった厭世家だったが、現在は燃えながら暴走する妄想家。
己が半身はかの少女と確信しているが、それはそれとしてそれっぽい子がいたら確認(もやさ)ずにはいられない。
兄を名乗る不審者にして弟を名乗る異常者。
【身長・体重】
174cm/56kg
【魔術回路・特性】
質:C 量:C
特性:『嚇炎の魔眼』
魔術師としては非才だが、魔の混血によってマスターとして立ち回るに十分な回路は備えている。
また後述する超能力と魔眼によって、平均的魔術師を遥かに凌ぐ殺傷力を持つ。
【魔術・異能】
◇念発火能力者
パイロキネシスト。
基は超能力に分類される異能の一種。
視界に捉えた対象を火炎に包み、焼殺するシンプルな暴力装置。
発火能力者は制御が難しいことで知られているが、アギリは生まれつき備えた『嚇炎の魔眼』によって、強い指向性を得ることに成功していた。
その火炎の本質は人体発火現象として一般的な芯燃焼ではなく、強烈な眼光束による肉体テクスチャを突き破る収斂火災。
魂に着火した嚇炎は肉体を水に浸けるような真っ当な手段では消火することが出来ず、魂に引きづられ肉が炭化するまで燃え続ける。
間違いなく強力な魔眼であるが、現在この力は暴走状態にあり正常な機能を失っている。
◇嚇炎の悪鬼
ブロークンカラー。
神寂祓葉という逆光によって眼球(レンズ)ごと焼き切れたアギリの精神は、肉体の再生を経ても修復されることはなく、魔眼の機能に深刻な故障を発生させている。
破損した魔眼の罅割れから漏れ出した嚇炎が自己の精神と魂にまで引火、現在ではアギリの肉体そのものが火元と化している。
精神的高ぶりが臨界を超えると能力の制御を失い、自身と周囲を燃焼させるはた迷惑男となってしまったのだが、自己能力の副産物で炎に耐性を持つ彼はこの事実に全く気づいていない。
また、この状態に移行したアギリは全身を包む炎の鎧によって防御されており、生半な攻撃では傷つくことはない。
つまり制御を手放すことと引き換えに、飛躍的に性能と殺傷性を引き上げた強化状態とも言える。
【備考・設定】
瞳を焼かれたパイロキネシスト。
超能力者にして嚇炎の魔眼の持ち主。
退魔四家と呼ばれた名家、浅神の分家筋、発火能力を継承する一族の生まれ。
本家と同様に混血との交わりを繰り返した結果、凋落の一途をたどる赤坂家の悪足掻きによって、魔と退魔のハイブリットとしてアギリは生産された。
最後に退魔血族としての最高傑作を残すべく。交配から産後まで完璧に計算された育成計画はしかし、予想外の双子の誕生により頓挫する。
自身の姉、あるいは妹が、自身の才能を完成させるためにだけに、生まれる前に母親の腹の中で殺害されていた事実を、アギリが知ったのは12歳の冬の日だった。
そのとき彼は自身の生まれつき抱える喪失感、どんなに暑い日でも感じていた寒気の正体について合点がいく。
なるほど自分の半身は、生を受ける前に引き裂かれていたのだと。
赤坂の家が完全に没落した後、自身を引き取った男の手引きによって、成長したアギリは裏稼業に手を染めていく。
魔なるものを討つ、とは名ばかりの実際は依頼された魔術師を殺害する暗殺業紛いの汚れ仕事。
空虚な心持ちで淡々と仕事をこなしながら、彼はいつしか一つの空想に救いを求め始める。
殺されたという双子の姉(妹)が何処かで今も生きているという可能性。
物心つく前にアギリを捨てて家を出た母親が、密かに彼女を産み育てていたとしたら。
時折浮かぶそんな子供じみた妄想を、自分でもバカバカしいと自嘲し。
しかし幾つかの偶然が重なって用意された舞台、〈第一次聖杯戦争〉にて、彼は"それ"と出会ってしまう。
小規模な戦闘に居合わせ、偶然助けたひとりの少女。見るからに殺し合いの場にそぐわない無力な一般人。
一時的に協力関係を結び適当なタイミングで見捨てるか切り捨てるかするつもりだった筈が、気づけばもっと関わっていたいと思ってしまう。
少女の明るく朗らかな笑みを目にするたびに、彼女と関わる内に少しずつ変化していく自分の心に戸惑いながら、生まれて初めて胸の満ちるような熱を得た。
そうしてあるとき、ごく当たり前のように、あっさりと彼のほうが切り捨てられた。
今際の際、輝きに瞳(のう)を焼かれながら、アギリは去りゆく少女を凝視する。
既にアギリのことなど全く眼中にない、別の誰かに笑いかける、その美しい横顔を網膜が燃え尽きるまで凝視する。
こうして太陽からの逆光を浴びすぎた彼の精神は眼球ごと焼き切れ、空想の姉(妹)を追い求め火熱する悪鬼として新生した。
それは逆転の理論であり狂人の発想。
僕にとって初めて特別な誰かになった君。
なのに君にとっての僕が、何者でもないなんて、そんなことはあり得ない、あっちゃならない絶対に。
だから、きっと僕は、君のお兄(弟)ちゃんなんだ。そうだろう。
〈はじまりの六人〉、そのひとり。
抱く狂気は〈妄信〉。
赤坂亜切。サーヴァントは、凍原の女神。
【聖杯への願い】
お姉(妹)ちゃんを見つけ、認知してもらう。
【サーヴァントへの態度】
姉判定バツ、妹判定バツ、不合格。
でもその眼は嫌いじゃない、勝手に燃え尽きないところもね。
「はじまりの六人」枠への応募となります。
以上、投下を終了します。
投下します。
何度でも夢に見る。
どうしようもなくフラッシュバックする。
街が燃えている。
東京が燃えている。
何が起きているのかさっぱり分からない。聞こえてくる断片的なニュースなどはどれも混乱している。
けれど、そんなことより。
「は……繁菜(ハンナ)っ! 陽羽利(ヒバリ)っ!!」
目の前で大切な二人が倒れている。どちらもぴくりとも動かない。
ガレキの下から這い出そうともがく。自分の頭から血が流れてくるのが分かる。
手足の骨も折れているのかもしれない。
構うものか、そんなことより。
「だれか……誰か助けてくれッ! ふたりを、妻と娘を、助けてくれッ!」
動けないままに、喉が張り裂けんばかりに叫ぶ。
けれど、助けなど来るはずがない。似たような光景が見渡す限り広がっているのだ。
そしてもしも助けが来ても、意味なんてないことは分かっている。
二人が受けた損傷は、輪郭が変わるほどのそれは、素人目に見ても、もう……。
「うわぁぁぁぁぁっ!!」
東京が燃えている。
世界が燃えている。
何故こんなことになったのか。
いったい誰のせいなのか。
自分は何をどうしていれば良かったというのか。
訳も分からないままに、がむしゃらに右腕を伸ばす。
指先が何かに触れる。
はっとしてそちらを見る。
倒壊した建物のどこから崩れてきたものか。
見たこともない、懐中時計が。
ちく、たく、ちく、たく。妙に大きな針音を響かせていて。
いつも、夢の終わりは、その映像が最後。
柄森司(つかもり・つかさ)は、毎日泣きながら朝の目覚めを迎える。
◆◆
大都市東京。
多彩な人間を抱え込んでいるこの都市は、ある意味で自由な都市でもある。
いい歳をした男性が、平日の昼間からラフな格好で歩いていても、「休日がカレンダー通りではない職種なのかな」程度で済む。
そして、そんな人々を対象とした商売も、営まれている。
呑気で平和な昼下がり。
大きな公園の片隅で、虚空に向けて何やら喋っている、若い男性が一人。
そしてそれを遠くから見守る、背格好としては中学生程度の、フードを目深に被った小柄な人影があった。
「……それは大変だったね。それで、君と戦ったその相手のことなんだけども……」
ひょろりと背の高い男性は、子供から見て咄嗟に「お兄さん」と呼ぶか「おじさん」と呼ぶか迷うくらいの歳格好。
ヒマな大学生のようにも、たまたま休みの取れた勤め人のようにも見える。
そんな彼が話しかけている先は、赤い三角コーンと縞々の縄で区切られた、立ち入り禁止の表示のあるその向こう。
公園の片隅、何故か焦げ付いたような痕跡を残す場所だった。
「そっか、なるほどね。つまり貴方たちは……」
ふわあああ。
そんな様子を、少し離れたベンチで見守る小柄な人物は、大きくあくびをする。
下半身はジーンズ、上半身はフード付きのパーカー。顔はフードに隠れて見えない。
のんびりしているように見えて、常に男性の姿を視界に収め、警戒している。
やがて背の高い男性は虚空に向かって礼を言うと、パーカー姿の人物の所に歩いてくる。
「やあ、待たせたね。有意義な話を聞けたよ」
「やっぱり『聖杯戦争』の参加者かの?」
「ああ。夜中にここで戦っていたらしい」
パーカーの人物は、少女のような、しかしどこか皺枯れた老婆のような、不思議な声で尋ねた。
男性にとっては慣れっこになっているようだ。
彼は何かに気付いて少し周囲を見回すと、あるものを見つけて指さした。
「ちょうどキッチンカ―が出ているようだね。シコちゃん、クレープは知っているかな?」
「『くれぇぷ』? 知らん。
なんじゃ、この香りからすると、甘味の類かや?!」
「ちょうどいい、買ってあげよう。僕も小腹が空いたしね」
親と子と言うには近すぎ、兄と妹というには離れすぎている二人は、クレープ屋の車上販売の所に向かって。
ああでもない、こうでもない、と散々悩んで品を選んで購入すると、二人揃って元のベンチに戻って腰かける。
そしてそれぞれかぶりつく。
「……なんじゃこれ、美味ッ! 儂(わし)、こんなの初めてじゃ!
ケーキとも違う、なんじゃこれ!? アツアツの生地に、冷たいバニラアイスが……!」
「だいぶ分かって来たねぇ、シコちゃんも。まああんだけ色々食べてれば覚えもするか」
「なんちゅう時代じゃ。なんちゅう贅沢な時代じゃ。
儂はこんなに幸せでいいのか? こんな役得があってええのか?!」
「あっ、シコちゃん、こぼれてる」
大げさに喜びながら食べる少女に、男性がそっと優しく指摘する。
少女は反射的に口の周りに手を当てる。
男性はかぶりをふる。
「違う、眼だよ。右目がこぼれちゃってる」
「おっと」
男性の指摘の通り、少女の右の頬のあたりには……いつの間に抜け落ちたものやら。
少女の眼球が、ぶらぶらとぶら下がっていた。太い視神経だけで眼窩と繋がっている状態である。
周囲の一般人に気付かれていないことを確認しつつ、少女は無造作に眼球を押し込む。
そして照れ笑いを浮かべる。顔のあちこちに絆創膏を貼った、おかっぱ頭の少女。
美少女ではあるが……妙に顔色は悪い。
「すまんのぉ、ツカサ。なかなか自分では気づかなくての」
「せっかく実体化して食べ物も食べれるんだから、気をつけなきゃね」
ツカサ、と呼ばれた男性は、シコちゃん、と呼ぶ少女に対してどこまでも優しい。
平和な東京の平日の昼下がり。
戦争の気配は、遥かに遠い。
◆◆
柄森司が燃える東京の中で掴んだ、懐中時計。
それが与えてくれたものは3つ。
あの光景が嘘だったかのような、元通りの平和な東京での日常。
おおむね話の通じるサーヴァント。
そして、死者の声を聴く異能。
彼のサーヴァントの推測によると、司はもともと、死霊魔術の方向の才能を秘めていたという。
それが、この聖杯戦争という環境で、その一芸に特化する形で開花したものであるらしい。
死者の声と言っても実際にそこに霊魂が居る訳ではなく、残留思念のようなモノであるようだが。
いささか狂乱する者が多いが、時間をかけて話を聞けば、有効な情報を引き出すことが出来た。
むしろ魔術師としての才能ではなく、柄森司という個人の温厚な性格が幸いしているようだ。
さて、そして、この東京では既に、聖杯戦争は始まっているようで……
既に戦い破れて脱落する者も出てきている。
柄森司とそのサーヴァントは、その脱落者にこそ、用がある。
いったいどんな相手と遭遇したのか。
どういう経緯で戦闘となったのか。
どんな方法で殺され、死者の声となったのか。
司なら、それらを丁寧に聞き出すことができる。
情報さえあれば、その危険な主従と遭遇する可能性を減らすことができる。
仮に出会ってしまっても生き延びられる確率が上がる。
こうしてサーヴァントを護衛として従えつつ、平日の昼間から散歩しているのは、この主従の必死の生き残り策でもあった。
「でもごめんね、シコちゃん」
「なんじゃ、藪から棒に」
「シコちゃんの『任務』のためには、こんな消極策、困るよね」
「んー、気にする必要はないぞ。儂の方の事情はそこまで急ぐものでもないゆえ」
クレープを食べ終え、自販機で買った缶ジュースを飲みながら、ふたりは穏やかに会話を交わす。
「どうせ長丁場になるじゃろうしな。儂としても、早々に他の連中に襲われる方が困る」
「そう言ってくれると助かるよ。でも、見つからないね、それっぽい『六人』って」
「まあのぉ。儂もほんとは文句を言いたいところじゃ。せめて名前や顔くらい教えて貰わんと……」
当面の聖杯戦争を生き抜くこととは別に、シコちゃんと呼ばれたサーヴァントにはやるべきことがあった。
英霊の座に刻まれるよりも前から抱えていた『任務』。
彼女自身の『存在意義』。
「まったく、どこの馬鹿じゃ、『六人』も『黄泉返らせ』おったのは。
まあそのおかげで、めったにお呼びのかからない儂みたいな英霊に、出番が回ってきたんじゃがの」
少女がニッ、と笑うと、口元に貼られていた絆創膏が一枚、はらりと落ちる。
絆創膏で隠されていた下には、皮膚が脱落した跡。
しかしそこには血の色はなく、じんわりと薄灰色の液体が滲むのみ。
ふとした拍子で零れ落ちる眼球といい、血色の悪さといい、身体のあちこちにある皮膚の脱落といい。
まるでゾンビのような外見をした少女。
真名を、黄泉醜女(ヨモツシコメ)と言う。
日本の神話の冒頭も冒頭。イザナギとイザナミの、死の国にまつわるエピソードに登場する、死の国の住民である。
死の国から逃げ出そうとするイザナギを、猛然と追いかけて捕まえようとする黄泉醜女。
イザナギは二回に渡って身に着けていた装身具を投げて食べ物を作り出し。
黄泉醜女がそれを食べている間に、黄泉平坂を駆け抜け、この世へと戻ってきたという。
日本の神話に限らず、古今東西、どんな世界の冥界や死者の国にも共通の基本ルールがある。
それは、「一度訪れたものを決して逃がさない」という理(ルール)。
並大抵のことでは覆すことはできず、万が一成し遂げた者があればそれは神話にも残る英雄や神の足跡ともなる。
黄泉醜女とは、日本神話において、その万国共通の理(ルール)が、ヒトに近い形で具現化した存在である。
ゆえに、彼女には許すことができない。
聖杯の奇跡であろうとも何だろうとも、死者の蘇生を看過することはできない。
ましてや、それが六人も居るのなら!
速やかに「あるべき姿に返す」――つまり、「蘇生した者たちを再び殺す」。
それが、シコちゃんこと黄泉醜女が抱える、聖杯戦争そのものとは別立てのミッションだった。
◆◆
「……なので、ツカサよ」
「なんだい?」
「頼むから、『変なこと』は考えてくれるなよ。
儂はお主を気に入っておる。くれぇぷやらアイスクリームやらを喰わせてくれるからだけではない。
儂は本当にマスターに恵まれたと思っておるんじゃ。だから」
「…………」
黄泉醜女の真剣な眼差しに、柄森司はしばし黙り込む。
譲れぬ使命を抱えた相棒の懸念。
その内容を察しつつ、咄嗟には言葉が出せない。
死者の声を聴ける才能に目覚めた柄森司だったが、彼が一番聴きたい二人の声だけは聴くことができずにいる。
この新たな、聖杯戦争のために造られたと推定される東京でも、彼の妻と娘は黄泉返ることはなかった。
あの全貌も掴めぬ東京壊滅は、起きてもいないことになってはいたが。
妻と娘の二人は、「大きな事故」に巻き込まれて、死んだ扱いになっていた。
ご丁寧に墓と位牌まで用意されていた。
幸いにして、柄森司が勤めていた大企業は、今どきホワイト極まる従業員に親身な職場だった。
大切な家族を二人も亡くした悲劇の彼に、心の傷のことも考えて、長期の休職を許可してくれていた。
だからこうして平日の昼間から歩き回ることが出来ている。
聖杯戦争に、より正確に言えば、身の安全を確保することに全力を投じることも出来ている。
ただ。
二人は死んだ扱いになっているにも関わらず。
墓でも、位牌の前でも、あるいは燃える東京で絶叫を上げた、あの位置に足を運んでも。
彼は大事な二人の声を聴くことが出来ていない。
黄泉醜女の推測によれば、今いるこの東京は、聖杯戦争のために造られた世界であるらしい。
彼が二人を見送ったのとは、細部までそっくりでありながら、違う世界。
そうであれば、ここにいる限り、あの二人の声を聴くことはできない。
せっかく目覚めた異能であるというのに、とんでもない生殺しだった。
今いる場所と、二人が死んだ場所が違うのならば、今ここで死んでもあの二人の所には行けない可能性がある。
柄森司は、なんとしても生き延びて、元の東京に帰らねばならなかった。
たとえそこに何も残っていないのだとしても、帰りたかった。
そして……聖杯戦争を生き抜き、最後の一人を目指すのであれば。
必然として、視野に入ってくる誘惑がある。
万能の願望機、聖杯。
最後の一人になるということは、それを手にする権利を入手するということでもある。
「おそらく、聖杯を手に入れれば、お主の会いたかった二人を黄泉返らせることも可能じゃろう。
じゃが……後生だから、それだけは願わないでおくれ。
もし、それをお主が願うのじゃとしたら」
「もし、僕がそれを聖杯に願ったとしたら?」
「儂は……儂デハ、居ラレナクナル。
黄泉返リシ者ヲ、儂ガ、即座ニ、再ビ、殺ス」
赤く輝く目で。
地獄の悪鬼のような表情で。
少女は、中身を飲み終えた金属の缶を、無造作に噛み千切り、咀嚼した。
内なる狂暴性を鎮めるかのような、暴食だった。
【クラス】
バーサーカー
【真名】
黄泉醜女(ヨモツシコメ)@古事記、日本書紀
【属性】
秩序・中庸/狂
【ステータス】
筋力A+ 耐久C 敏捷C (B) 魔力C 幸運D 宝具B
【クラススキル】
無情の追跡者:B
バーサーカーのクラススキル「狂化」を置き換えて配置されたスキル。
与えられた任務の遂行の際には、理性ではなく人間性を喪失して代わりに驚異的な暴力を得る。
任務遂行状態となった場合、人間的な感情や容赦は一切失われ、機械的に任務遂行に最善の策を模索するようになる。
合わせて、この状態ではすべてのパラメーターが底上げされ、精神攻撃全般への強い耐性を得る。
今回の召喚においては、「はじまりの六人」の「再殺」が任務。
「はじまりの六人」については、名前や能力など一切の情報を与えられていない。
ただ六人いる、ということは把握しており、また仮に自分と関係のない所で脱落したとしても、その事実を把握できる。
なお、標的を直接目視すれば、直感的にそうであると理解できる。
さらに、仮に聖杯に死者の蘇生を祈る参加者が出て、その場に黄泉醜女が居合わせた場合。
奇跡を使って復活したばかりの死者を、黄泉醜女は自動的に無情に再殺することだろう。
これに対する説得などの試みは自動的に失敗する。
【保有スキル】
怪力:A+
魔物、魔獣のみが持つとされる攻撃特性。
黄泉醜女の「醜」は、現代語における「みにくい」という意味のみならず、「強い」という意味もあると言う。
神話では直接的に描写されていないが、始祖伸すら逃げの一手を選ぶしかないほどの存在。
瞬足:B
足の速さ。
基本的に黄泉醜女の敏捷のステータスはC相当だが、移動力の計算と移動速度に関する判定のみ、敏捷:Bとして扱う。
なお、何らかの手段でステータスを見た場合、(B)の表記はされないため、かえって意表を突かれる可能性がある。
神性:A
神話の時代に、日本神話の始祖神を捕まえようとした存在。
条件次第では真正の神霊にすら干渉可能な域にある。
暴食の顎(あぎと):B
底なしの胃袋と疲れを知らぬ顎。
彼女はどこまでも食事を続けることができる。
物理的・魔力的な容量を無視して食事、噛みつき攻撃を行える。
また、何らかの形で彼女を「満足させよう」「限界を超える量の何かを注ぎ込もう」という試みに対して強い耐性を持つ。
逃がさずの番人:B
敵の逃亡の試みに際し、それを阻止するスキル。
一度戦闘が始まった後からの、敵の逃亡判定に対して強いマイナスの補正を与える。
何らかのスキルや宝具(仕切り直しなど)に対しても、発動を阻止できる可能性を持つ。
なお、自動発動するスキルではないため、意図的に見逃すことは可能。
【宝具】
『八人日狭女 (はちにんひさめ)』
ランク:B 種別:対軍宝具 レンジ:- 最大捕捉:-
記紀において、黄泉醜女は1人だったとも8人だったとも言われている。
それはいずれも真実であり、黄泉醜女は最大8人にまで分身が出来る。
いずれの黄泉醜女もオリジナルであり、たとえ何体倒されようとも1体でも残ればそれが本体だったことになる。
その最後に残った1人からさらに分身を増やしていくことも可能。
なお、容姿のベースはいずれの分身も変わらないが、個体ごとにゾンビとして外見上損傷を受けている部位が変わる。
非常に強力な能力であるが、分身を増やす行為に魔力を消費し、維持し続けるにも魔力を消費する。
現時点ではマスターの魔力量の関係で、事実上、4体出すのが限界であり、それも長い時間の維持は困難。
8人全員出しての運用となると、事実上令呪を使うしかない上で時間制限があるという、最後の切り札となってしまう。
『大喰らい (ビッグイーター)』
ランク:C 種別:対人宝具 レンジ:1 最大捕捉:1
あらゆるものを噛み砕くその口は、非常に効率のいい魔力変換機構でもあり、魔力吸収機構でもある。
黄泉醜女が何らかの魔力を帯びたものを噛みつき攻撃にて破壊した場合、それは即座に魔力に転換されて吸収される。
これらの魔力は前述した宝具『八人日狭女』の維持や発動に使うこともできる。
記紀に記された「食べ物を生やすイザナギ」「それを食べる黄泉醜女」の構図は、互いに高度な頭脳戦でもあったのだ。
結果的にはイザナギの逃亡が成った訳だが、あえて敵を強化してまで時間を稼いたその胆力は恐ろしいものがある。
及ばなかったとはいえ、そこまで追い詰めた黄泉醜女の強さについても察するに余りある。
【weapon】
鋭い歯と爪。
戦闘においては噛みつきを主な武器とする。
鉄板すらも余裕で嚙み千切り、コンクリートすらも余裕で咀嚼して嚥下する。
派手さはなく、攻撃範囲も限られるが、通常攻撃としては数多の英霊たちの中でもトップクラスの破壊力を誇る。
生半可な防御は防御ごと真正面から噛み砕く、暴食の顎。
もちろん手足を使った攻撃もその怪力に見合うだけの威力を持つ。
【人物背景】
日本の神話の最も序盤。
イザナギとイザナミの国造りの後、死んだイザナミを追ってイザナギが黄泉の国に降りた際。
逃げるイザナギを捕えるべく追いかけてきた鬼女こそが、黄泉醜女である。
記紀の中だけでも、予母都志許売、泉津醜女、泉津日狭女など複数の表記ブレが知られている。
(むしろ「黄泉醜女」表記は後世に定着したものである)
また一人とも八人とも言われるが、こちらも誤記によるものである可能性が残る。
古今東西、いかなる神話でも、冥界や死の国の類は「一度来たものを返さない」という理(ルール)を備えているのだが。
黄泉醜女は、古代日本においてその理(ルール)がヒトに近い姿を取って具現化した存在と言える。
神霊にも近い存在であり、滅多なことでは英霊として召喚されるような存在ではない。
しかし今回、二度目の聖杯戦争のために生死の理が大きく損なわれたことを受けて、連動して召喚されるに至った。
間違いなく一度は死んだはずの「はじまりの六人」の「黄泉返り」。
これは、黄泉醜女が飛び出してくるに足るだけの、世界の基本ルールを損ねる行為だった。
この六名を「確かにあるべき所に返す」、つまり「もう一度殺す」。それが黄泉醜女の今回のミッションである。
【外見・性格】
ゾンビ少女。
別に悪臭などはしないが、血色が悪く、あちこち皮膚が剥けて肉が出ている。
眼球もしばしば零れ落ちるが、本人が雑に押し戻している。
おかっぱ頭の美少女で、本来の服装は裾の短い着物姿。足元は本来は素足。
ただ、マスターが与えてくれたフード付きのパーカーとジーンズ、スニーカーという現代的な服装を好んでいる。
顔などの目立つ部位の皮膚脱落に対しては、おおぶりな絆創膏を貼ることもある。
普段はフードを被って両手をポケットに突っ込んでおり、その状態だとゾンビと気づくのは難しい。
零体化も可能ではあるのだが、本人の趣味嗜好として実体化し続けていることを好む。
通常時はややしわがれた声で老婆のような喋り方をする。
人間の食事に興味津々で食いしん坊。
ただそれ以外の部分では意外と真っ当な人格を有している。
【身長・体重】
153cm/45kg
【聖杯への願い】
特になし。
素直に願いを言うならば「もっと色々なものを食べてみたい」だが、常識的に弁えてもいる。
ただ、聖杯よりも大事なこととして、「はじまりの六人」を再び殺す任務を置いている。
またこの聖杯戦争において新たに死者蘇生が成されるようであれば、可能であればその蘇生した人物を再び殺さねばならない。
なお、特筆すべき事項として、彼らを蘇生させた神寂祓葉そのものは、別に粛清の対象とはしていない。
【マスターへの態度】
協力的であるし、美味しいものを食べさせてくれるので好感を抱いている。
しかし一方で、彼が妻と娘の蘇生を聖杯に願う可能性に対して警戒もしている。
警告を受けて蘇生を諦めてくれれば良いのだが……。
【名前】
柄森 司/Tsukamori Tsukasa
【性別】
男
【年齢】
25
【属性】
中立・善
【外見・性格】
ひょろりと背の高い若者。無関係な子供が、咄嗟にお兄さんと呼ぶべきかおじさんと呼ぶべきか迷うくらいの塩梅。
気弱な笑みを浮かべることが多く、誰もが一目見て「優しそうな男性」と直感する。
見た目通りに真っ当な人格者。温厚で常識人。
気づかいもできるが、怒ることは苦手。
学生時代にはワンダーフォーゲル部に所属しており、実は外見の割には基礎体力も備えたアウトドア派でもある。
【身長・体重】
180cm/64kg
【魔術回路・特性】
質:D 量:B
特性:死霊魔術系への適性
素人から急に覚醒した割には、魔力量だけは実は相当に才能が高い。
【魔術・異能】
『死者の声を聴く』
特にこれといった師を持たない司が、本能的に獲得した死霊魔術の一種。事実上この一芸のみとなる。
死亡した人間の残留思念のようなものから情報収集ができる。
これらの思念は支離滅裂なことが多く、欲しい情報を得るためにはかなりじっくり時間をかける必要がある。
また、あくまで話を聞けるのは、『神寂祓葉が作ったこの新世界の中で死んだ人物』の声のみ。
世界五秒前仮説の如く完璧に作られた世界であるが、創世以前の死者の声は聴くことができない。
つまり柄森司が一番聴きたい二人の声だけは、このままでは聴くことができない。
方法があるとしたらたったひとつ。この才能を維持したまま、元の世界へ帰還することだけである。
【備考・設定】
大手の真っ当な企業のサラリーマン。
実は第一次聖杯戦争で壊滅した東京の中で、目の前で妻と娘を失った。
その時点では聖杯戦争のことなど一切知らないし、この第二次聖杯戦争がその元凶によって開催されたことも知らない。
こちらの世界での役割においても、以前と同じ職場の同じ身分ということになっている。
ただし妻と娘は「大きな事故」に巻き込まれて死んだことになっている。
それを受けて、ホワイト極まる職場の理解と同情を得て、長期の休職に入っている。
ほとんど無職の暇人のような暮らし。
生まれて初めて得た長期休暇のような空白の時間帯。
なお、妻は柄森 繁菜(ハンナ)、享年24歳。娘は柄森 陽羽利(ヒバリ)、享年2歳4か月。
【聖杯への願い】
迷っている。
素直な願いとしては、妻と娘を取り返したい。
しかしそれをそのまま聖杯に願った場合、蘇った次の瞬間には黄泉醜女が再殺してしまうと理解している。
願いを「もう一度会いたい」程度に留めて、生死を覆したりはしない?
黄泉醜女をなんとか処分した上で復活を願う?
全てを諦める?
まだ心は定まっていない。
方針を決めきれないまま、基本的に黄泉醜女の任務以外のことについては、危険を回避し身を守る方向で進めている。
【サーヴァントへの態度】
好感の持てる相棒。
妻や娘と重ねて見ている自覚もあるが、それを抜きにしても信頼できる人格の持ち主。
彼女が抱える任務についても、無理のない範囲で手助けしたいなとも思っている。
だからこそ迷う。だからこそ運命を呪っている。
【備考】
聖杯戦争の脱落者の残留思念から、ある程度の情報を得ています。
特に好戦的な参加者に関する情報は得やすく、遭遇を回避する助けになるでしょう。
採用された場合、これらの情報を活かして本編開始まで戦闘を回避する方針で生き延びてきたことになります。
【備考その2】
妻と娘については、登場話時点ではこれ以上の設定はしません。
後続の書き手が回想などで自由に設定を広げてもらって結構です。
投下終了です。
投下します
『世界最強の男、日本人に現る!』
色豊かな号外紙が渋谷のスクランブル交差点にばら撒かれ、受け取る人々はその写真を見る。
黄金に彩られたベルトを両手に持ち、掲げる男。筋骨隆々の男の力瘤にしがみつく女と子供。白い歯を見せて幸せそうに笑う男を見て日本の国民は新たなチャンピオン誕生を喜んだ。
『世界最強の男、凶行 34人殺害』
2ヶ月後、手錠かけられる男の記事が出るまでは。
◇◇◇◇◇
「本件において、被告人小鳥遊照(たかなしてらす)は妻子を殺害された怨恨により………」
目の前の裁判官が俺の罪を高らかに読み上げている。確か主文後回しってやつだっけか?まあ弁護士が腕良くても流石に無理があったな。申し訳ないことしたぜ。すまんね。しっかし長いな。事件の概要全部言うつもりかよ。まあいい、それなら少し考え事でもできるもんだ。
俺は昔から………孤児院にいた時から人を殴って蹴っていた。それが好きだからだ。肉と肉が触れる感触、骨にぶつかる衝撃、苦悶の声と顔、見て聞いて感じて飽きない娯楽。今思えば、こうなる道筋はできていたんかなぁ?
子供の頃は喧嘩で済んでいたが、肉体ができてくるとそうも言えなくなる。俺が格闘技をやるのは自明だった。柔道、空手、サバット、テコンドー、ジャガラス、ムエタイ、アマレス、錬気道etc………
一番性に合ったのはボクシングだったぜ。
ボクシングはやってる人数が多い。知名度もある。大会だって大きい。勉強が嫌いで殴打好きな俺には天職だ。だから中坊の時、地元のジム叩いて入ったぜ。
あの頃は楽しかった。一つ技を覚えれば1人倒れる。サンドバッグを殴れば簡単に吹っ飛ぶ。自分で言うのもなんだが日本人離れした体格も相まって負けなしだった。
まさかとんとん拍子で日本人初のヘビー級チャンピオンにまで行くとは思ってなかったぜ。金髪ギラギラナイスバディな美人さんとゴールインして子供も産まれた時だっけか。今思うとあんな外見で性格まで良かったから最高だった。夜も熱いし。
『世界最強の男』。いい称号だ。日本中、いや世界中の人々が俺のことをこういうからむず痒かったもんだぜ。ここからCM出てがっぽり金稼いで、ジムでも起こしてバンバンチャンピオン出して人生薔薇色!なーんて皮算用立ててたのも懐かしい。いや恨めしいか?
日本に帰国して二週間、妻と子供が死んだ。俺が留守の間に襲われた。あそこから歯車が狂った。これは間違いない。犯人は地元の警察ですら手を出せない半グレグループだった。訳がわからないぜ。何度証拠を提示したりして警察に訴えたのに丸切り無視だもんな!
俺は怒った。警察に?いや自分にだ。俺は『世界最強の男』じゃなかったのか?何故家族を守れなかった?何故力はあるのに何もしなかった?そんなことがグルグル頭を回ったもんだぜ。
で、思ったんだ。
『これ復讐って名目で人殴れるんじゃない?』
笑えるな。結局自分本位だった訳だ。色々マスコミやファンは騒ぎ立てたが、結局の所、俺は人を殴りたかった。そう思うと行動は早かったぜ。
湯水のようにあるファイトマネーで防弾ジョッキとナックルダスターや脛当て買って、半グレの城に突撃してやった!突然出てきたチャンピオンの顔見て豆鉄砲喰らった鳩のような空気はまじ最高だ。
で半グレの間抜け面に俺の剛腕ストレートがぶっ込まれたんだ。簡単に陥没して死んだよ。人を殺したのは初めてだったが拍子抜けするほどに息の根が止まるもんだから俺の暴力に歯止めが効かなくなったぜ。元々殴り飛ばすつもりだったからもう殺しても問題ないなってのがその時の気持ちかな?これ弁護士に言ったら頭抱えちゃったのは申し訳なかったが同時に面白かったぜ。
34人くらいかな?ほぼ全員息の根が止まった時、上から【アイツ】がきた。半グレのリーダーらしいが顔色が悪くてマントつけてて牙が尖ってた。自分のこと『死徒』とかわけわからないこと言ってたけど、どう見たって吸血鬼だ。アイツは強かった。影から棘出してくるし、コンクリート砕くくらいパワーあるし、しまいには異様に対空時間が長い。
現役時代『モンスター』だの『怪物』だの言われてた選手と戦ったことあるが、ガチの化け物は初めてだった。何度も殴っても再生するから相手の心が折れるまで殴って、それでも死なないから吊し上げて太陽で焼き上げたぜ。
吊るしたのはそれが一番と思ったからだ。日本の死刑は絞首刑しかない。法の裁きを受けないなら俺が受けさせてやる!みたいなイキった考えはあったね。で吸血鬼を吊るした後、他の奴らも吊し上げた。それが良くなかった。いくら復讐のためとは言え残虐がすぎるってな。
で裁判でこれから極刑を喰らうって話よ。弁護士も9割くらい諦めてたのはまあしゃーない。ここで法律からすれば俺は首吊られても仕方ないからなぁ。首吊りか。楽しかったなアイツら吊るすの。殴って蹴って吊るしてサンドバッグにする。ああいうの『奇妙な果実(ストレンジフルーツ)』なんていうんだっけか?いきった悪人が!変な怪物が!死んで吊るされている姿はスカッとしたぜ。何度も同じことを考えている気がするな………まあいい。
しかしあの吸血鬼、あれ1体だけどだったんだろうか?なんか色々ごちゃごちゃ魔術がどうのこうの言ってたの今思い出してきたぜ。魔術………まあ変な技使ってたしそういう世界があるのか?
待てよ?もしかして、他にもあんな化け物がこの世界にいるんじゃないか?何故考えもつかなかった?………ああ、仇討ちの気持ちよさでそれどころじゃなかったわ。まあそれは置いておこう。問題はあんな化け物が何体もいる可能性に行きついたことだ。
あの化け物との戦いは、めちゃめちゃ楽しかった。しかし同時にイライラした。あんな化け物がいるなら『世界最強の男』の称号が薄れる気がしたんだ。俺は空を長く飛べないし、影から棘とか出せねぇ。それで俺が侮られたら、腹が立つ。
もし、アイツより強い化け物はいたら?そいつらが表舞台に出てきたら?俺が取った『世界最強の男』という称号は過去のものとなり風化するだろう。それは俺だけでなく先人たちが目指した栄誉が穢されるものだ。
………ムカついてきたぞ。法の裁きを受けるべき相手はまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだいるじゃねぇかぁ!!!!
「主文、被告人を死刑に処する。」
その言葉を聞くとともに俺は手錠を破壊した。この程度の鉄の練度じゃ俺を繋ぎ止めることは出来ねぇ。捕まっていたのはさっきまで心残りがなかったからだ。今はある。ならば逃げるまでだ。
俺を止めようとする刑務官の肝臓を軽く撫でてやると簡単にノックアウトだ。流石に恨みない人間を殺すのは忍びねぇからな。そのまま柵を乗り越え、扉を殴り飛ばし、カメラを持つマスコミの頭上をジャンプ、目の前のパトカーをバンパーごと破壊し、そのまま路地裏に逃げた。日本の警察は優秀だが………俺は更に逃げ切ってやった。
パクったスマホでニュースを見る。
『【世界最強の男】、逃亡!』
コメント欄はお祭り騒ぎ、その様子を見て俺は大笑いしたぜ。
◇◇◇◇◇
そこから2年。俺は世界を一周して日本に帰ってきた。久々にやってきた母国は変わりなく、しかして俺の事は8割方忘れられていた。まあ話題は移ろうもの。結果的に好都合なわけよ。
日本に帰国したのはある噂を目にしたからだ。
『古びた懐中時計を手にすると化け物たちの戦争が勃発している別世界の東京に行く』
SNSで一瞬流れ、あっという間に情報の波に呑まれた一文。だが俺の勘はこれが事実だって訴えかけてきたのだ。魔術師は機械に疎いから、噂が本当だったことは結構ある。奴らがバンバン見つかるもんだから執行も楽なものだ。
この2年。俺は世界の裏の一端を知った。魔術、時計塔、死徒、魔眼、伝承保菌者(ゴッズホルダー)、使い魔、アルビオンetc………
この事を教えてくれた奴は俺より見るからに弱く、実力も大したことないので見逃した。あくまで俺が執行するのは、化け物と俺が決めた奴。まあフィーリング次第なところあるから理不尽かもしれんね。
で、見つけては潰して見つけては潰して。そんな日々の繰り返しは、スリルと興奮と苛立ちに満ちた最高なものだぜ。俺の命が消えるまでこの日々の繰り返しができる!
故郷に戻って俺はSNSを張った。そして化け物を見つけた。そいつは死徒ではなく魔術師だったが………弟子も引き連れて実力も確かにある。
奴らの魔術は虫だ。ホムンクルスの虫で肉を剥ぎ取ってくる。だが相手が日本人だったのが良くなかったな。俺は糸を操る魔術で虫網作って全部拘束した。
で、古い懐中時計を奪ってやったぜ。もちろんこの道具の使い道を聞いた上で吊るしてた。化け物には執行あるのみ、慈悲は少しでいい。
しかしまさか歴史上・神話上の英雄たちを使い魔にして闘わせるとは不敬じゃないかな?怪物どもの考えていることはよくわからんぞ全く。
英霊っていうやつか。英霊………もしかして英霊次第じゃ、俺は更に強くなることができるのではないか?
2年、執行していく旅で学んだことはまあ………少なくはない。しかし劇的に強くなったわけじゃない。今のままでは頭打ちだ。俺には執行したい相手はまだまだまだまだまだまだいる。強くならなきゃならん。
俺はスマホの検索エンジンを起動した。打ち込む内容はこれだ。
『神話 英雄 師匠 一覧』
何気なく見て、俺はその英雄を見つけた。彼を呼び出して、俺をコーチングしてもらう。そして俺は化け物どもに執行できる力をつける!
俺はダークウェブであるものを注文した。呼び出せるかはわからない。だが行くしかないのだ。
◇◇◇◇◇
架空の東京都内
小鳥遊照(たかなしてらす)は聞き出した魔法陣を糸で描き、自らの右手を確認する。赤く刻まられた三角の令呪。小鳥遊照のものはまるで首を木につるユダを抽象化したような形だった。
息を吐く。緊張しているのだ。自分が持ってきた触媒で狙ったものを引き当てることができるのかわからないが故に。顔を叩く。決意を固めた小鳥遊照は触媒を魔法陣の真ん中に置き。右手を差し出す
触媒は『インドから取り寄せた聖なる香料』。だがこれで呼び出すのは神ではない。神が持つ10人の化身のうちの1人を狙ったのだ。
小鳥遊照の口が開く。
「素に銀と鉄。礎に石と契約の大公。
降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ
閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。
繰り返すつどに五度
ただ、満たされる刻を破却する
―――――Anfang(セット)
――――――告げる
――――告げる
汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に
聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ
誓いを此処に
我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者
汝三大の言霊を纏う七天
抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――!」
三つの光円が現れ一つに収束する。強大な魔力の塊が人の形を取り、この世界に現界した!
赤髪の長髪を纏め、赤いオリエンタルな軽鎧で身を包んだ長身の青年。その右手にはには空間を実際歪めるほどの存在感を放つ斧が握られていた。
「サーヴァント、アルターエゴとして現界した。貴公が俺のマスターか?………待てよアルターエゴ?なんだこれは」
どうやらサーヴァントは混乱しているようである。おそらく自らの望みを聖杯は汲み取ったのだろうか。小鳥遊照は呼び出したサーヴァントの霊格にも怯えず言い切る。
「ああ、俺がお前を呼び出した。俺の目的のために」
その言葉を聞いて、納得したかのように手を打つアルターエゴ。
「な・る・ほ・ど。俺が変なクラスになったわけだ。」
「申し訳ない。不満か?」
「んにゃ、クシャトリアじゃなさそうだしヘーキよ」
「そうか………」
クシャトリアという言葉に対して、憎悪が垣間見える。そして手に持つのは斧。小鳥遊照は自分の目論見が成功したのを確信した。
「貴方の真名は………パラシュラーマ、違いないか?」
「きひひ………あるわけなかろうぞ。狙ってたんだろ俺を。しかもこの霊基で!」
「霊基はよくわからんが多分な」
エクストラクラスというものがある。
本来7つのクラスのうちから選ばれて呼ばれるのが道理のサーヴァント。パラシュラーマの場合、アーチャー、ランサー、ライダー、バーサーカーあたりが適性だ。だが、マスターが強く望み条件をそろえれば、稀にこれ以外のあぶれたクラスが添えられる。
アルターエゴ。英語で別人格の事を指すこのクラスは呼び出される英霊の一側面をより強調・抽出してサーヴァントを生み出すものである。それが高潔な武人ならそれが犯した唯一の卑怯を忘れる。それが恋を隠す少女なら隠し切ることができない。そんな尖ったクラスなのだ。
アルターエゴとしてのパラシュラーマは複数あり得る。小鳥遊照が求めたのは数多くの英霊に修練をつけた教育者、師匠という一面。
「アルターエゴ。世界には多くの化物がいるらしい。死を線取る目、並行世界を観測する魔法使い、人を殺す犬、水晶の蜘蛛etc………俺はどうしても執行したい。俺より強いやつがいるかもしれない。これがもう嫌で嫌でたまらないんだ!」
「ふむ………たとえ死ぬことになったとしても闘いたいのだな?」
「もちろんのことだ。だが、今行っても十死零生。そんな勝ち目のない戦いなんざお断りだ。だからアルターエゴ。俺を鍛えてくれ。頼む!」
小鳥遊照の目をじっくりと見るアルターエゴ。その澱み切った目の奥には沸々と炎が見えた気がした。過大すぎる目的、矮小な魂胆、憤怒と喜悦に酔いしれる気質、それを隠さず曝け出す図太さ。パラシュラーマは笑った、気持ちよく。
「いいよ。貴方の気質気に入った」
「本当か!?」
「ただ一つ約束、やるからには………ハードよ?」
「もちろん覚悟はできてる」
「良き!な・ら・ば、早速始めるとするよ」
アルターエゴは小鳥遊照を軽々と掴み、【その場から動くことなく】東京都内を疾走する。その最中たくさんの英霊の雰囲気を捉える。
(ほ・う・ほ・う。粒揃いの英霊たちか)
彼らを踏み台として我がマスターは跳躍できるだろうか?そう遠くない未来を思い描きアルターエゴ、パラシュラーマは高笑いを上げるのだった
【キャラクターシート】
サーヴァント
【クラス】アルターエゴ
【真名】パラシュラーマ
【属性】混沌・善
【ステータス】筋力:A+ 耐久:A 敏捷:B+ 魔力:B 幸運:B 宝具:A++
【クラススキル】
なし
【保有スキル】
対魔力A
魔術に対する抵抗力。Aランクでは、Aランク以下の魔術を無効化する。事実上、現代の魔術師が傷付けるのは不可能。
陣地作成B
魔術師として、自身に有利な陣地を作り上げる。
パラシュラーマの陣地は修行に最適な地獄のような環境である。
道具作成A
魔力を帯びた器具を作成する。パラシュラーマは神代の鍛錬器具を作り出し、弟子を鍛え上げる。
神性A
神霊適性を持つかどうか。ランクが高いほど、より物質的な神霊との混血とされる。神としての記憶を全て捨てているとはいえ、最高神の1柱「ヴィシュヌ」の転生体にして化身であるパラシュラーマは、Aランクという高い「神性」を有している。
カラリパヤットEX
古代インド式の武術がスキル化したもの。才覚のみに頼らない、合理的な思想に基づく武術の始祖。傾向として、攻めより守りに長けている。
地を平らげる戦車B++
ヴィマーナ・スメール。自分の弟子、ビーシュマとの戦いの際、地球を戦車として23日間戦った。パラシュラーマが足を地面、もしくはその延長線上にあるもの(例:建物の床)につけている限り、足を一切動かさずに移動することができる。
ライダーで現界した場合このスキルは宝具となりより強力なものとなる。
武人を尽く滅する聖仏EX
クシャトリアを殲滅する者としての能力。クシャトリア、もしくはそれに類する階級の戦士に対して与えるダメージは21倍となる。またクシャトリアを21回滅ぼした武力を示すスキルでもあり、あらゆる武器や武術、秘術を簡単に使いこなすことができる。
【宝具】
梵天よ、地を覆え(ブラフマーストラ)
種別:対軍・対国宝具
クラスがアーチャーなら弓、他のクラスなら別の飛び道具として顕現する。
ブラフマー神の名を唱えることで敵を追尾して絶対に命中する。
アルターエゴの場合、斧による飛ぶ斬撃のような飛び道具となる。
梵天よ、世を断て(ブラフマーストラ・パラシュ)
ランク:A++ 種別:対国宝具 レンジ:2〜90最大捕捉:600人
カルナなど有力な戦士たちにさずけ与えた対国宝具。クラスがアーチャーなら弓、他のクラスであれば別の飛び道具として再現されるが、アルターエゴ時は「斧に極限まで魔力を込めて薙ぎ払う」宝具となる。
もとより広い効果範囲を持つブラフマーストラの効果範囲を自らの魔力を付与することでさらに広め、威力を格段に上昇させており、その一撃は核兵器に例えられるほどの規模と破壊力を持つ。
聖仏よ、人を育て呪え(リシ・ダーシャヴァターラ)
ランク:EX 種別:対人宝具 レンジ:1 最大捕捉:1人
英雄の師匠としてのアルターエゴによりスキル『英雄作成』が宝具へと昇華した。
人の身を英雄に仕立て上げる宝具であり、どれだけ強くなるかはその人の素質による。
存在格を上げるだけでなくスキルを身につけさせることも可能。パラシュラーマの場合は戦闘技術全般のスキルとなる。
英雄にするにはパラシュラーマが修行方法を考え、実践させなければならない。一つ乗り越えることに対象者は強くなっていく。この宝具はサーヴァントにも使用可能。ただしその場合、ステータスアップはなくスキルの習得のみにとどまる。
真名解放を行うことで、呪いを受ける代わりに宝具を授けることが可能になる。呪いが強力的かつ致命的な者であるほど宝具の威力や効果が高まる。一度の現界につき一度のみ可能。
自らの弟子、カルナが素性を偽ってたことが発覚した際、呪いとして「格上にらパラシュラーマによって教えられた技は使えない」と「戦車の車輪が地面に埋まる」を与えるも、カルナの才能や武勇を認めており、自らの持っていた最高の武器であるヴィシュヌの弓矢ヴィジャヤを与えている逸話から。
【weapon】斧
パラシュラーマとは【斧を持つラーマ】という意である。ランサーの場合この斧は宝具となり真名解放が可能となる。
【人物背景】
インド神話における三神トリムールティの一柱ヴィシュヌの6番目の化身(アヴァターラ)。
様々なインド神話の英雄と関わりがある非常に強力な英霊。驕り高ぶったクシャトリアを21回殲滅する凄まじさを持つ。
【外見・性格】
赤髪の長髪を後ろで纏めている
オリエンタルな赤い鎧
斧を持つ
粗暴だが人の良いところを褒めることができる心はある。
【身長・体重】
199cm・体重99kg
【聖杯への願い】
なし。闘いたい。
【マスターへの態度】
色々ぐちゃぐちゃしているこいつを非常に強い英雄へと仕立て上げてぇ………
マスター
【名前】小鳥遊 照(たかなし てる)
【性別】男
【年齢】28
【属性】混沌・善
【外見・性格】
日本人とは思えない筋肉質な体型をしている
銀髪のポニーテール
ガッチリとした顔つき
自分より強そうで害になる者に対抗心と敵意を見せる戦闘バカ
【身長・体重】
身長180cm・体重95kg
【魔術回路・特性】
異常
質B 量C
特性吊るす
【魔術・異能】
糸を操る
ボクシングをベースとした格闘技
【備考・設定】
ボクシングヘビー級チャンピオン。幼少期、親がいない時期、殴る蹴るなどの暴力が好きだったが、養子に出された際、猫をかぶることを学んでその気質が治る。その後数々の格闘技を経験したのちボクシングを選択。才能を見る見るうちに伸ばしてチャンピオンにまで上り詰める
私生活も妻にも子供にも恵まれ、順風満帆だった。
その生活が全て壊れて日本から逃亡して以降、魔術師や怪物、死徒を絞首刑に処すことに囚われた。
【聖杯への願い】
あらゆる怪物がいる場所を示した地図が欲しい
【サーヴァントへの態度】
コーチ。めちゃめちゃ強いが自分で呼び出したので処刑の対象外として尊敬と嫉妬の目を向けている。
投下終了します
投下します
わたしが生まれた一秒後には、わたしの将来は決まっていた。
いや、むしろ、生まれる前から決まっていた、よ方が正しいかもしれない。
こんにちは世界。サンキューハッピーバースデー。
魔術の家系なんて、生まれた時点でランニングの中間地点みたいなもんだ。始まりでも終わりでもない。ただ中間地点を走り続け、バトンを渡すだけの仲介人。
『君が人生で目的にするものは絶対に到達することはないけど、とりあえず全力で走ってね』なんて言われているようなもの。
グッバイさよなら、『安寧の世界』。
こんにちは『魔術の世界』、サンキューワールド、くそったれ。
○ ○ ○
黒の頭髪に、藍色のインナーカラー。混ぜ込むように左で で束ねて、落ち着いた雰囲気に。藍色と黒を混ぜたサイドテール、好きな髪型だ。
アンジェリカ・アルロニカ。それがわたしの名前だ。
わたしは目つきが少し悪いらしく、こうして雰囲気を変えている。時計塔まで来て見た目で判断するような馬鹿は───まあいるのだが、ただのオシャレも兼ねて。
魔術刻印を移植した頃に、頭髪の一部の毛色が変わった。鮮やかな黄色。メッシュのように額の右側に入った黄色に、どうも未だに慣れない。
刻印を移植され、この程度で済んだだけまだマシなのだろう。この世界には刻印と付き合っていく為に薬を飲まないといけない者もいると聞く。
オシャレの範疇で済んでいるわたしは随分と幸運なのだろう───と。
相手の瞳に映った自分を見てふと、そう考えた。
迫る拳。過去の魔術師は肉体を鍛えることは滅多になかったが、今は護身術も兼ねて学ぶものも少なくない。
時計塔の、身体を動かすためのスペース。肉体強化を学ぶためのこの場所で、わたしは肉弾戦の真っ只中。
何故神代の魔術師たちは肉体を鍛えなかったのか。そんなもの簡単だ。少し魔術を行使するだけであらゆることが可能だった時代、わざわざ『肉体を鍛える』なんて非効率なことをする必要がなかったのだ。
その考えは未だに引き継がれている箇所もあり、テクノロジーを嫌う魔術師はその系統に多い。『魔術でできるものを機械に頼るなぞ、自らの無能を証明している様なものだ、と。
首を傾け、拳を躱す。顔面のすぐ隣を鍛えられた腕が通過していく。
最近の時計塔でもこの様に、肉体を鍛えるカリキュラムも存在する。『わたしみたいなタイプ』にこういったものは必要ないが、まあたまには身体を動かすことも悪くはないだろうと、そういうことだ。
わたしの魔術刻印はこの通り。
渾身の一撃を躱したところで、相手が勢い余ってそのまま転げてしまう。
そこでようやく、審判の笛が鳴った。
───わっ、と。
静かだった空間に、歓声が帰ってくる。時間の流れが戻る。さきほどまで、拳の一撃の間にいくらでも可能だった思考が、通常の速度に引き戻される。
『加速思考』。脳内の電気信号を更に加速させ、常人の何倍もの速度で思考する結果、周りが鈍く見える魔術
(…これが、何の役に立つんだか)
先程まで拳を交わしていた相手と握手し、ペットボトルの先くわえ、水分補給。
───くだらない。
そんな感想を浮かべながら、また作り笑顔を浮かべる私だった。
○ ○ ○
「我らが神が降り立つ前に、其方は地上の荒ぶる神を駆逐せよ」
「…御意に」
そんな命を貰ってなお、私の心は浮かばない。
ただ無感情に。ただ道具として。天照大御神の意を汲み取り、更に他の神が話し合い、そして降った命を遂行するだけ。
そうしてある日、地上に降り立った。
誰かが気を利かせたのか。目の前には、荒ぶる神が一匹。獣の如き様相で、暴れ廻っている。
「…悪く思うな」
手に持った弓を引き絞る。四足歩行の神獣は両の瞳で私を捉えた。
瞬間。獣の姿が掻き消える。
視界の外に回ったのだと気づいた時には、私の身体が宙に舞っていた。たっぷりと滞空十秒。獣とて神。神とて獣。獣はいつだって臆病で狡猾だ。
よって、獣の姿が消えた瞬間、私も合わせる様に地を跳ねた。先程まで私が立ち尽くしていた地面が抉られる。あくまで死角を狙う、獣の常套手段。
ならば私も獣となろう。死角を狙う矢の先。荒ぶる神獣の姿は、見ている此方すら苦痛を覚えるほど。
弓を引き絞る。狙うは頭頂。天から地へと放つその矢。
「……」
決着はあっという間だった。倒れ伏した獣から血液が吹き出し、赤い雨が降る。ふわりと地に降り立った私を、鉄の匂いで染める。
その雨に濡れながら。私はあと、何度これを繰り返せばいい。
なあ、私は。私は、穀物の恵みを与えるものだったはずだ。
それが、何故血に濡れている。あと何匹殺せば、終わるのか。
「…?」
すっ、と。雨が止んだ。不自然だった。
雨の止み方ではない。血の止まり方ではない。
それは。誰かが、傘で遮ってくれたような。
「…あまり濡れると、御身とは言え風邪を引きますよ」
「───あ」
それは。太陽の如き微笑みにて。
私は地上にて、初めて。
誰かに、恋をした。
○ ○ ○
魔術師とは、愚かにも時を逆行する生き物だ。
既に地上から消え失せた神秘を追い続け、心のどこかで根源になど辿り着けぬと理解している。
今回こそは、と。
今度こそは、と。
当代でこそ、と。
理解してなお、魔術師は根源という存在に惹かれて止まない。そういう生き物なのだ。
(…だってのに。言われると怒るんだよね、みんな)
ニットの長袖にデニムのホットパンツ、ブーツをで身をクールに纏めながらの、時計塔から我が家への帰り道。レンガでできた歩道を歩き、きらきらと光を変えていく店たちを眺めながら、思う。
ふと、昔、口にしたことがある。『根源なんて届きっこないよね』、なんて。
結果は決闘だ。普段で言う『時計塔の決闘』とは相手の研究内容を知る為に行う、言わば調査の様なものだが、その時は違った。
殺す気でこられたし、わたしもそうせざるを得なかった。
簡単な話だ。『君の人生では目標も夢も叶わないし次の世代に託すしかないし、受け継いできた夢はそれでも叶うことは絶対にないけどどうする?』なんて聞かれたら、誰だって怒る。
魔術師にとっては、そう言われたも同義なのだ。
無論決闘には勝った。勝ったが、倒れ伏した友人を見るのは、心苦しかった覚えがある。
叶いっこないのだ。無理なんだ。無駄なんだ。そんなことに人生を使うなら、もっと大切なことがあるだろう。
わたしは、多分。思想が魔術師ではないのだろう。
良いところで魔術使い。何なら、関わりたくもないとさえ思う。
そんなことを考えていると、いつの間にか我が家の前だった。レンガ作りの、昔ながらの古臭い家。
両親は何を思ってこれを作ったのだろうか。聞きたくもないし、もう聞く手段もないけれど。
ドアには小包がぶら下がっていた。何か通販でも頼んだっけ、と軽い気持ちで持ち上げる。
家に入り、鞄を投げ、小包を机の上に置く。
魔力を通し、簡単な構造を把握する。魔術らしき細工はなし。
「…何これ。時計? しかも古いし」
小包を開けると、そこには木箱に入った古臭い懐中時計と。手紙が、一枚。
『アンジェリカ・アロルニカへ。
聖杯に、何を希う』
「聖杯…? 聖杯ってあの聖杯…いや、現代魔術科の方で極東の儀式にそういうのがあったって聞いた様な…」
聖杯に、何を希う。まるで、願いを叶えてやらんとでも言いたげな文章にわたしは鼻で笑う。
魔術の類の細工はなかった。魔力を通したところ、爆弾や自宅である工房を破壊するようなものでもない。ならば悪戯か。
子供じみている。十八の女にする悪戯か、これが。
「…まあ、でも。叶えたい願いがないと言えば」
それは、嘘になる。
この世界。この在り方。それが変えられないのなら。
わたしの方だけでも、少しだけ。
しかし、その少しが、『奇跡』のような遠さで───
瞬間。わたしの姿は、小包と手紙を残して、何処かへと消えた。
○ ○ ○
「ふむ。ふむふむふむふむ。そうして起きたらこの場に居て、この私と巡り会ったと! 是が非でも叶えたい夢のために!」
「いや、夢の下りは違うけど…まあいいや。説明すんのも飽きたし。で…あんたがわたしのサーヴァントで…アーチャーだっけ?」
「そう、アーチャーだ!」
「明らか偽名でしょ」
「んー…なんというものか…偽るつもりはないのだ。 与えられた仮の役職というか…」
そして。彼女…アンジェリカは聖杯戦争の舞台に降り立った。
『アンジェリカの家』なのだろう。レンガ作りでかなりにているが、何処か違う。慣れ親しんだはずなのに、今日引っ越ししてきたような違和感。
簡易的な工房の構築だけ済ませて、この家をアンジェリカは拠点と定めた。
目の前で木製の椅子に座り、頭を抱え、うんうんと唸っているのは『アーチャー』と名乗った存在。
サーヴァント。聖杯戦争。時計塔のロードの話を知っていなければ、彼女は今ごろパニックだっただろう。
エルメロイ家の事件。現代魔術科のロード。噂を聞かない日はないその彼らが、極東の儀式に参加したというのは本当だったのか───までは不明だが、彼らの存在でこの現実を素直に受け止められた。
サーヴァント。英雄がこの世に呼ばれ、現界したもの。目の前に存在する、和風の白の衣を纏った───少年? 少女?───どちらとも取れるような弓兵が、そうらしい。
「ところで。そう言えば、聞いていなかったな。其方の『願い』とは何なのだ? 結局、そこの部分は煙に巻かれたままだ」
弓兵が首を傾げると、髪を後ろで結った髪型も連動して動く。
「隠してるわけじゃないけど…なんか、恥ずかしい」
「世界滅亡とかではないのだろう?」
「んなわけないでしょ。大魔王かわたしは」
コロコロとした瞳でそう問いかける弓兵に、少し赤くなった顔を背ける少女。
しばしの沈黙。その沈黙に耐えきれなくなったアンジェリカから、口を開く。
「…魔術師。知ってるでしょ」
「んむ? んー…私の時代にもいたにはいたぞ。だが、同じものかは知らぬ」
「そ。 魔術師はね、生まれた時から魔術師なのよ。生まれは変えられない。魔術師の家系に生まれたものは、根源なんてものに到達するなんて無理なんて知っていても、次世代に繋ぐしかないとしか知っていても、魔術に生きるしかないの。
───生まれた頃から線路が引かれていて。そこに価値を見出せないヤツは無理矢理、人生と時間を無駄に過ごすしかないの」
「……」
アーチャーの言葉が止まる。さすがにどう返していいか、わからなかったのだろう。
「わたしはそれが嫌だ。オシャレもしたいし、友達とも遊びたい。魔術に人生を使うなんて、一族の重みなんて知りたくない。
───願うことなら。わたしは、綺麗さっぱり魔術と縁を切りたいのよ」
魔術刻印なんてものを受け継がされてしまった以上、魔術と無関係ではいられない。
魔術を知ってしまった以上、知られてしまった以上、普通には戻れない。
ならば。『生まれた頃から、一族から魔術との関わりがないように』してもらえば。
「わたしは、わたしの人生をわたしで歩みたい。
魔術なんて、やってられっかって話」
それが結論。持って生まれた者。側から見れば幸運な存在なのだろう。贅沢な悩みなのだろう。
だとしても。才を持って生まれた者が、望んだ才を授けられているとは限らない。
弓兵はうむ、うむとその言葉をしっかりと噛み砕き、脳内でしっかりと理解した後。
「───いい願いだ。自らの道を自らで歩く、それを願えるのは苦難の道を自ら選ぶ得難い精神よ。私は応援するぞ」
「…そ、そう。じゃああんたの願いはなんなのよ」
「わたしか? わたしは…そうだな。
もう一度、妻と静かに暮らしてみたい。冥土でも現世でも構わぬ、ただ暮らせればそれで良い」
「あんた男だったの!?」
「ふふ、どっちであろうな?」
「何でそこで自信たっぷりなのよ…」
まあどちらでもよかろう、と話を打ち切られ、釈然としないアンジェリカ。
真正面から応援すると宣言され、照れ隠しに問い返したところ更なる謎が生まれてしまった。
弓兵は結った髪をゆらゆらと揺らしながら、言う。
「さて、と。真面目な話をしようではないか」
「あたしはここまで真面目だったんだけど」
「マスター。主は、どこまでの犠牲なら許せるか?」
それは。戦における、重要事項。
どこまで巻き込むか。それは、己の願いのために何人ならば殺せるか。
否。『見捨てて良いか』と、聞いているのだ。
「戦とは当人同士で解決する者ではない。私の矢も、常人に当たれば弾け飛ぶ。
私は町一つ程度なら仕方ないと思っている。古今東西、様々な時代から英雄が集まるのだ。周囲を気遣って戦うとなれば、それだけ難易度は上がる。
命を選べ、軽んじろというわけではない。最終的に、失うとして」
「そんなの決まってるでしょ」
覚悟を問うた弓兵の言葉を、両断する。
アンジェリカは胸を張りながら。
「最小限。以上」
譲る気はないとでも言うように、断言した。
神秘の秘匿もあるだろう。魔術師として考えれば、秘匿さえされていれば一般人を利用しても構わないのだろう。
しかし。その上で、アンジェリカは言い切った。
「勿論ゼロにはできない。わかってる。
でも、魔術と縁を切りたいって人間が『願いのためならいくらでも切り捨てて良い』なんて、それこそ虫の良すぎる話よ」
普通の人としての人生を歩みたいのなら。
普通の人としての善性も持つべきだと。
アンジェリカは、そう言っているのだ。
「…うむ。そうか。それは、また難儀な」
在り方をしている、と。弓兵は最後を口にしなかった。
恐らく、この善性があるからこそ、彼女は魔術師になりきれなかったのだろう、と。
願いのためにいくらでも切り捨てる。それは楽だろう。何も守るものがないものは強い。
しかし、それは時として『守る強さがないもの』とも言える。守るべきものを持たずして、なにが強さか。
弓兵の運命は、妻に出会ったことで変わっていった。
アンジェリカの運命は、これから変わっていくのだ。
「あともう一つ。その…マスターっていうのやめて。むず痒い」
「じゃあ主のことはなんと…?」
「…アンでもアンジェでも。アルでも、色々あんじゃん」
「あ…あー…あんジェ?」
「それじゃイントネーションが違うでしょ。アンジェ」
「あんじぇ…アンじぇ…アンジェ。 アンジェ。 良し! 言えたぞ!」
「そ。 で、わたしも教えたんだから教えてよ。 本当の名前、あるんでしょ」
弓兵は少しの間アンジェリカと話し合い、理解したことがあった。
この少女は基本、人付き合いが苦手なのだ。だからあえて素っ気ない態度が前に出る。
苦手だから。失敗しないように。
苦手だから。踏み込まないように。
苦手だから。最初から諦めて。
臆病に。慎重に。
ならば、こちらから踏み込むのも先達の務めか。
「─── 天若日子。
あめわかでもあめひこでも、好きに呼ぶと良い」
いや、人前ではアーチャーでなくては困るぞ、と一言付け加え。
少女と弓兵は、少しだけ、笑った。
少し周囲を見てくる、と弓兵が魔力探知に集中するため、アーチャーの姿が見えなくなった頃。
アンジェリカは、自らの手首に浮かぶ魔術刻印を見ながら、少し目を細める。
魔術師を辞めるということは、今までの家系の夢を捨てるということだ。
そんな願いのために魔術を利用するということは、裏切りに他ならない。
「ごめんね。 お父さん、お母さん」
それでも。『魔術師だから』と、諦めることはしたくない。
もう、届かない使命のために人生を使うのは、嫌だから。
「理想の子じゃなくてごめん───産む子を、間違えたね」
アンジェリカに両親はもういない。魔術刻印を移植ししばらく経ってから、なんてこともない、普通の病気でこの世から旅立った。
故に、これは誰に向けてでもない、誰にも届かない、己を責めるだけの言葉。
「ごめん」
魔術師からの卒業への、第一歩。
【CLASS】
アーチャー
【真名】
天若日子(あめのわかひこ)@日本神話
【ステータス】
筋力 B 耐久 B 敏捷 A 魔力 C 幸運 C 宝具 A
【属性】
中立・善
【クラススキル】
対魔力:A
A以下の魔術は全てキャンセル。
事実上、現代の魔術師ではアーチャーに傷をつけられない。
【保有スキル】
神の選抜:A
神に選ばれた神。戦乱の中、国を治めるために地上を平定する任にふさわしいと判断され、選ばれた神。
しかしその任を放棄し、高木神にて討たれたため、神性のランクが落ちサーヴァントの召喚可能範囲内となった。
このスキルは高ランクのカリスマ・肉弾戦スキルとして発揮され、対人交渉・平和的交渉において大きくプラス補正がかかる。
千里眼:A
視力の良さ。遠方の標的の捕捉、動体視力の向上。
透視、未来視さえも可能とする。
神々、鏖殺:C
『凶暴な悪い神を倒した(と、ここでは判断する)』『神々の使いを撃ち抜いた』、その逸話が再現されたもの。
その弓矢は目の前を血に染める。神性に対しての有利判定。
愛を知る:B
「───凶暴な神を撃ち倒し、平定せよ」。
命じられた任務を受け、地上に降り立ったアーチャーは、多くの国神の娘を娶り、八年の間報告に戻らなかったという。
神であり、争いの為に降りてきたアーチャーには、初めての感情であった。
しかし色々な思惑が交錯し、アーチャーは高木神に『害の心を持って矢を射ったなら、この矢が害を起こすだろう。正しき心を持って射ったなら、何も起きない』と矢を投げ返され、その矢を胸に受けて死亡する。
正しき心を持ち、正しき道を歩んでいる時、彼の道にアクシデントはない。
しかし、害ある邪な心で何かを成したならば、彼に不幸が降り注ぐ。
(狙撃や闇撃ちは弓兵において大事な戦法なのでOK。問題は、『これは己の許した道ではない』などの心の問題である)
【宝具】
『天界弓・天之麻迦古弓(てんかいきゅう・あめのまかこゆみ)』
ランク:B 種別:対人宝具 レンジ:? 最大捕捉:?
てんかいきゅう・
高天原から遣わされた時に所持していた弓。
神の遣いを撃ち抜き、高天原まで矢を届かせたという剛弓。天若日子の軽快な動きから放たれるとてつもない威力の弓は、相手の虚を突く。
また、高天原まで届かせたという飛距離、威力から凄まじい強度を誇っている。
これそのものが神性に対して特攻を持っている。
『害滅一矢・天羽々矢(がいめついっし・あめのはばや)』
ランク:A 種別:対神宝具 レンジ:? 最大捕捉:?
鳴女が大きな鳴き声で叫ぶ。すると、天佐具売は言った。
『この鳥は鳴き声が不吉なので射殺してしまいなさい」』と、神の使徒へと矢をそそのかした───。
神の使徒を撃ち抜き、高天原まで届いた矢を拾った高木神が「天若日子に害ある心でこれ(天羽々矢)を射ったならばこの矢は罰を与え、正しき心ならば何も起こらぬ」と投げた矢は天若日子の胸に突き刺さり、命を奪った。
その逸話の再現、宝具である。
己と敵対した害意あるものへと放つ、どこまでも飛んでいく剛の一射。その勢いは強く疾く神をも殺す一矢。
地上から高天原まで届かせたその威力、その速さは凄まじく、矢の衝撃の余波で対軍宝具並みの威力を誇る。
地上に残ることを選び、神に殺され存在と言えど、神の力の片鱗がここにある。
【weapon】
・基本は『天界弓・天之麻迦古弓』を主に使用する。
【人物背景】
身長156cm。少し小柄。
平安貴族風の直衣を纏っているが、動きやすいように多少改造しており、全体的に薄着かつ軽くなっている。烏帽子も邪魔故脱ぎ捨てたとのこと。
黒髪を後ろで結っている。
神話では男性とされていたが、召喚に応じ現れたのは性別不詳の美しき者。笑うさまは少女のようであり、戦うさまは勇敢なる戦士そのもの。
どちらかと聞かれればどちらでもよかろうと答える、細かいことは気にしない性格。
しかし『誰かを残して去る』ことに関しては何やら思うところがある様で…?
天孫降臨。神が葦原中国(言わば天界と冥界の間のようなもの。)を治める為に、荒ぶる神たちを平定する為に大国主命の元に派遣された神。弓を矢を持って、降り立った。
が、そこで出会ったのは大国主命の娘、下照比売(したてるひめ)。
戦いの為に遣わされた神は、戦いの舞台───地上で、恋をした。
そして下照比売と結ばれ、八年の時(一説には三年とも)が経過。
一向に連絡を送らない天若日子を不思議に思った神々は神の使い───雉の鳴女を遣わせたという。
天若日子の門の前。立派な楓の木の上に止まった雉を天佐具売(あめのさぐめ。表面に表れていない、真意や真実を探ることに長けた女神)は「あの雉の鳴き声は不吉。必ずや不幸を呼ぶ。射るのが得策でしょう」と唆し、雨若日子はそれを射ってしまった。
雉を射抜き天高く上り、神々にまで届いたその矢は、高木神により「害を持って射ったのなら罰を。正しきを持って射ったのなら不問に」と返された。
そしてその夜。眠っていた天若日子の胸に、矢が深々と突き刺さり、この世を去ったという。
戦いと愛に生き、唆されこの世を去った。思い残したのは、死してこの世に残す、思い人。
【外見・性格】
身長156cm。少し小柄。
平安貴族風の直衣を纏っているが、動きやすいように多少改造しており、全体的に薄着かつ軽くなっている。
黒髪を後ろで結っている。
神話では男性とされていたが、召喚に応じ現れたのは性別不詳の美しき者。笑うさまは少女のようであり、戦うさまは勇敢なる戦士そのもの。
どちらかと聞かれればどちらでもよかろうと答える、細かいことは気にしない性格。
しかし『誰かを残して去る』ことに関しては何やら思うところがある様で…?
【身長・体重】
156cm、50㎏
【サーヴァントとしての願い】
サーヴァントとして、マスターの願いを叶える。
願うことならば…下照比売ともう一度、誰とも邪魔されず暮らしてみたい。
【マスター】
アンジェリカ・アルロニカ
【マスターとしての願い】
生き残る。
生き残って───何がしたい?
それを探す、物語。
【性別】
女
【年齢】
18歳
【属性】
中立・中庸
【外見・性格】
額の右側にイエローのメッシュ、インナーカラーを藍色に染めた少女。基本の髪色は黒。
目つきが悪く、少し気にしている。ニットの長袖にホットパンツ、皮のブーツに動きやすい服装を好む。
受動的。基本的に、受け身な性格。
しかし一方で必要な物事はキッパリと言う方で、諦観が底にあるせいで少し言葉がキツいが、魔術師としては珍しく常識人である。
諦観を底に。他人には期待せず、言葉がキツい。
しかし見て見ぬ振りができるほど悪人でもなく。
要するに、生きづらい性格。
【身長・体重】
165cm・55kg
【魔術回路・特性】
質:B 量:B
特性:雷光魔術
【魔術・異能】
雷光魔術
彼女の家に代々伝わる魔術であり、脳内の電気信号を加速させ思考を加速、根元に至ろうとする思想。
魔術としては発動している間の指先からの電撃や動体視力の向上・肉体活性などを有する。
魔術刻印『加速思考』
彼女の脳内では一秒が引き延ばされ、思考が超加速し、超短時間での高速脳内思考が可能となる。
また、刻印の通常機能として保有者を生きながらえさせようと普通なら命に関わる傷でも修復し生きながらえさせようとする。
【備考・設定】
アンジェリカは、魔術の家系の生まれであった。
幼い頃から魔術刻印を継ぎ、魔術の研鑽を進める。
魔術師とは、時代を逆行する生き物である。
自らの時代では根源など不可能と知りつつ、追い求めずにはいられない。
アンジェリカは、その点で言えば魔術師ではなかった。
叶わない夢を追いかけて何になる。見果てぬ夢に殉じ、次代に託し何になる。そこに何の価値がある
そして、そのために使い潰されるわたしの命こそ、何の価値があるのだ。
魔術師でありながら、否、「魔術師であるからこそ」の諦観を底に彼女は生きてきた。
そこに、転機のように懐中時計を手にしたのだ。
───これは。
彼女が、自分の人生を取り戻す物語。
両親と一族に謝罪を述べる彼女のほほをつたう、涙。
この行いに後悔はない。
故にきっと、これは離別を選んだ寂しさの涙で───。
【聖杯への願い】
『アンジェリカ・アルロニカの家系を魔術とは関係なかった世界にしてほしい』。
自分の人生を、新たに得るために。
【サーヴァントへの態度】
好奇心が旺盛なようで何より。
…だが、わたしより小さいアーチャーは強いのか?
投下終了です。
タイトルは『産まれた頃から、間違い』です。
>>229
『アンジェリカ・アロルニカへ。
聖杯に、何を希う』
を修正します。
正しくは
『アンジェリカ・アルロニカへ。
聖杯に、何を希う』
です。
申し訳ありませんでした。
投下します
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大知閑閑 小知間間
大言炎炎 小言詹詹
其寐也魂交
其覚也形開
与接為構 日以心闘
大知は閑閑たり、小知は間間たり。
大言は炎炎たり、 小言は詹詹たり。
その寐るや魂交わり、
その覚むるや形開き、
ともに接りて構を為し、日に心を以って闘わしむ。
『荘子』斉物論篇
★★★★★
★★★★★
「"汝に命ず、生相より晶相へ"」
魔術師の詠唱が、花園に響く。目前の少年姿の"アルターエゴ"と名乗るサーヴァントは、魔術師の詠唱とともに硝子のように転じ、あっさりと砕かれた。
しかしその手応えのなさに、魔術師は狙いが外れたことを察する。
「ハッ。我が叡智とサーヴァントを恐れ、寝込みを襲う卑怯者共でも我が魔術への対策位は用意してきたか」
叡智を誇る魔術師は、物質の八相の移り変わりをすべて看破し操作すると豪語する超人だ。
"固相"、"液相"、"気相"、"霊相"、"生相"、"炎相"、"晶相"、そして魂そのものたる"魂相"。
魔術師はその変転を理解するがゆえに、高度な魔力探知と肉体強化、再生術すら応用で備えていた。
なまじの英霊ならば、正面から撃破可能な達人。
それこそが彼の自認であり、事実であった。
「僕は君と、話をしにきただけだって言ってるのに」
花園の蝶たちの中に、忽然と再び少年の影が立つ。学ランの上に袍をふわりと羽織った姿は、まるで重力を感じさせない。
この少年───"アルターエゴ"は、確かにこちらを攻撃する姿勢は一切見せてはいなかった。
それでも、魔術師にとって、夢に入り込んできた不埒者共の話を聞く理由など何も無い。
そう。ここは夢だ。魔術師の夢の中の、花畑に過ぎない。
見た目は多少現実らしいが、魔術師の知覚を欺くことが出来るほどでもない。
「夢魔の類か、それとも夢に縁あるつまらぬサーヴァントか、さて」
───自らのサーヴァントと引き離され、敵サーヴァントと一騎打ちをする。
一般的に絶望的とも言える状況ながら、魔術師は動揺を見せていなかった。
それは自身の魔術に信を置いているのみならず、目前のサーヴァントがどう見ても"弱い"ことにも由来していた。
英霊の戦いにおいては、これまでの対面は十分に長い。なのに"アルターエゴ"は、一度もこちらに有効打となる攻撃をしてこない。
(攻撃をする気がないのか、手段がないのか。どちらにせよ、我や英霊の領域においては致命的な隙よ)
例え夢の中であっても、彼の魔術ならば英霊の霊核に届きうるという確信がある。
魂にすら届く術式というのは、そういう意味だ。
対話に応じる気配のない魔術師に、アルターエゴは薄い笑顔で告げる。
「つまらないね。君の叡智は、君の剣を輝かせるためだけのものなの?」
「貴様ごとき白痴が、我が叡智の限界を語るか、笑わせる」
アルターエゴは皮肉げに笑う。
「人の知恵なんて狭小なものだとは思わない?魔術師。僕たちは夢を観ているのか、僕たちが現を夢見ているのか。木から離れた林檎は大地に落ちているのか、それとも大地が林檎に落ちているのか。神は死んだと哲学者は言ったけど、果たして死んだのは神の側か僕らの側か。一体誰が、真に理解していると───」
滔々と語る少年の言を、魔術師が遮る。
「───黙れ。その言で確信を持ったぞ。東洋の蛮人、紀元前の化石、無知を誇る未開人の詭弁家」
「ああ、さすが智者。僕の真名に辿り着いたんだ」
アルターエゴは眠たげな顔で微笑む。周囲を飛んでいた蝶の一匹が、その指先に止まる。
「"群生に命ず。生相より晶相へ"」
魔術師の詠唱が鋭く走る。狙いは少年───ではない。
「アルターエゴとやら、貴様の真名は"荘子"だな。異教の開祖、厭世家の狂人。ならばその不死身のカラクリも知れようというもの」
魔術師の狙いは、少年の指先の蝶───そして、周囲の蝶の全てだ。みしりと、何かが歪む音が夢を満たす。美しい藍色の蝶たちは瞬時に硝子細工のように代わり、そして成長し硝子の木に変じる。
「はは。流石だね───」
同時に少年の姿も搔き消え、その場には魔術師と硝子の森だけが残された。
「"胡蝶の夢"。我らが世界とたかだか夢を等価だなどと語る、未開人の妄想がその力の根源だ。貴様は現実では人で、夢では蝶となるのだろう?ならばここでの貴様は蝶に過ぎん」
下らん弱小が手こずらさせよって、と自嘲しながら魔術師は踵を返す。
「我らが叡智は未開人の問いなどとうに解決している。林檎は大地に落ちるとともに、大地も林檎に落ちている。神々は死して解体され、その骸が我らの手にある。証明され尽くした真理だ。」
確かな手応えを、魔術師は感じていた。
硝子の森には動くものはなく、ただ風だけが吹いている。
もはや干渉者のいなくなった、無用の夢から覚めようと魔術師は意識する。
───その瞬間。
背後から、刃物が魔術師の心臓を貫いた。
「───な。馬鹿な」
魔術師は崩折れながら、背後を見る。そこには長い白衣を着た女がいた。その手には赤い令呪がある。
(アルターエゴ──荘子の、マスター)
魔術師の背から抜け落ちた刃物───ハサミを拾うと、女は悲しげに魔術師を見下ろす。
「名乗る前にこんなことをして、ごめんなさいね。私の名前は空島想恵。アルターエゴのマスター」
魔術師は叫ぶ。
「貴様の、名などっ、どうでもよい!何故我が探知を超え、我を刺せた?何故ただのハサミが我の肌を貫く?何故我の体が───この、この程度の傷で───死にかけて、いる?」
あり得ない。あり得るはずがない。
八相の移り変わりを看破した、この偉大なる魔術師が、何故。
魔術師の信ずる、あらゆる知識に反している。
ここは魔術師の夢だ。魔術師の理解の通りに、魔術が振るえていた。何故今更。
「"全景に命ずる。生相より火相へ"!」
周囲の生物を遍く焼くはずの魔術師の詠唱は、ただの血を吐く叫びとなって落ちる。空島想恵と名乗った女に、なんらの影響もない。
さらに目前に、もう一つの不条理が生じる。橙色の蝶がどこからか飛んできて、空島想恵の肩に止まる。
「僕は別にいいけど、ずいぶん出てくるのに時間かかったね。こいつを倒すのなんて、いつでも出来たのに」
蝶は眠たげな少年の声で語りかける。
魔術師は、ただ呻く。
「何故だ。何故まだ、貴様が。未開の詐欺師」
空島想恵は少し困った顔になる。
血に濡れたハサミを持つ姿と妙にアンマッチで、魔術師は臨終の苦痛の中でも苛立ちを感じる。
「ええと。一つずつ説明するわね」
「魔術師さん。ここはもう貴方の夢じゃないのよ。ここは私の夢。だから───私に理解出来ないものは、存在しないの」
空島想恵は、さらりと語る。
「……は?」
魔術師は絶句する。
空島想恵は、構わず言葉を続ける。
「私はずっと、魔術の存在を知らず生きてきたの。聖杯に知識は与えられたけれど、まだ理解には全く及んでないわ。だから───私の夢には、理解できない魔術は出てこない。私が出てきた時点で、そうなるの」
侵入者を発見する魔力探知も、肉体を強化する術式も、致命傷すら回復する再生術も、全ては無意味。
唖然とする魔術師の前で、蝶は少年の声で吹き出すように笑う。
「あはは。僕のマスターは面白いよね。理論と経験とで固く立てられた基盤の上で、夢すら定義してしまってるんだ」
「だからこそこんなことも出来るし、君の夢を上書きすることだって出来るんだよ」
「そしてここでは当たり前に、現実のように、死ねば二度と蘇らない」
だから残念だけど、君は死ぬんだ。
アルターエゴはあっさりと告げる。
そんな馬鹿なことがあってよいものか。
「我らが叡智が。100年先をゆく、魂と物質の根本の真理を操作する魔術が、貴様ら未開に理解できるものか」
「ええ。随分長く見させて貰ったけれど、ほとんど理解できなかったわ。本当に、学べるものならぜひ学びたかったのだけれど。待たせてしまってごめんなさいね、アルターエゴ」
蝶は呆れたように、パタパタと羽をはためかせる。
「僕がまだ居る理由も聞いてたかな、魔術師」
少年らしい高い声には、明確な憐れみがある。
臨終となってなお疑問を呈す、哀れな智者を憐れんでいる。
「当たり前のことだよ。僕は胡蝶の夢。いったい誰がどうやれば、夢から蝶を消し去ることが───蝶という自由な生き物そのものを、忘れることが出来るんだろうね。智者たる君なら、知ってるのかな」
有り得ぬ。何だ。これは。
叡智が無知に負け、開明が未開に負けるなど。
「我らが……我らが叡智への冒涜だ。馬鹿が理解できぬと云うだけで、我らが叡智が通じぬなどと」
「ええ。ごめんなさいね。貴方の魔術はこんなにも完成されているのに、私はその理解から遥か遠い」
魔術師の悪罵に、空島想恵は目を伏せる。
「どうか許してちょうだい。貴方の魔術の精髄を、この一端しか理解出来なかったことを」
空島想恵の手が伸びてくる。
止めろ、触れるな。馬鹿が。無知が。未開が───。
喉は血で塞がり、言葉にならない。
空島想恵の、柔らかな声が響く。
「"汝に命ず。生相より晶相へ"」
───空島想絵が理解した魔術は、彼女の夢の中で存在を許される。
世界が歪む。叡智を誇った魔術師は小さなうめき声だけを残し、硝子の木に姿を変え果てた。
★★★★★
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「───ん」
空島想恵は、大学の研究室のデスクで目を覚ます。
彼女のロールは、この研究室の若き助教だ。
現実では彼女はアメリカの大学で助教をしているが、設備や分野に大差はない。
着たきりになっていた白衣を払い、彼女は立ち上がる。
まだ空が白み始めたばかり、明け方前の研究室には他に人影はなく、彼女はアルターエゴに念話を送る。
『おはよう。アルターエゴ』
『その挨拶は、僕には無意味なものだけど。それでもおはよう、マスター。良い朝を君が送っているよう願っているよ』
───あの魔術師の叡智はアルターエゴ、"荘子"の本質をほとんど看破していた。けれど、一つだけ些細な見逃しがある。
荘子のクラスが"アルターエゴ"である理由。
『あなたが私のサーヴァントで、本当に良かったわ。"夢の中の蝶"そのもの。なんて美しい救いかしら』
『現実に実態を持たないサーヴァントなんて、普通引いたら外れだと思うはずなんだけどな』
荘子の思想を体現したエピソード、"胡蝶の夢"。
究極の相対主義。"荘周が蝶の夢を見ている"のか、"蝶が荘周の夢を見ているのか"。どちらが真実かなど誰にも分かりはしないし、どちらが真実だとしても同じことだと謳ったエピソード。
それゆえに、夢の蝶たる"荘子"もまた英霊として存在を許された。"そちらが真実である世界"もまた、等価に存在するのだ。
英霊より完全に分離した、一部でありながら全てでもある特異な英霊。
よって"荘子"のクラスは、アルターエゴ以外ありえない。
そしてアルターエゴは、夢の世界にしか実体を持たない。そして、夢の世界において彼を倒すのも難しい。
最弱に近い英霊ながら、それゆえに"倒しにくい"英霊。それが"荘子"だ。
『あら、そんなことを言って。あなただって現実に干渉出来ないわけでもない、そうでしょう』
『そうだけどさ。本当に、蝶の羽ばたきくらいでしかないのに───よく、思いつくよね』
空島想絵の手には、夢の中で魔術師を刺したハサミがある。
しかし今度は、それは正しい用途で使われている。すなわち、紙を切るために。
『ふふふ。切り絵は、子供の頃から趣味なの。両親も兄さんも、褒めてくれたのよ』
デスクの上には、沢山の切り絵が量産されている。その全てが蝶だ。アゲハ、モンシロ、ルリタテハ、オオムラサキ、その他諸々………中には、この世には存在しなさそうな蝶もいる。
空島想恵は謳うように、柔らかく呟く。
「蝶の羽ばたき程度に、現実に干渉出来るのなら───当然、切り絵の蝶を飛ばせることも出来る」
紙で出来た、切り絵の蝶たちがふわりと舞う。群れだって未明の研究室の中空を飛ぶ。夢世界のアルターエゴが、これを操っているのだ。
これだけなら、ただ綺麗なだけに過ぎない。
けれど、空島想恵には特権がある。
彼女の肩書は"生化学系研究室の助教"。そして、もう一つは"投資家"。
『"邯鄲散"とやらをこの蝶たちに染み込ませるなんて。この世界には存在しない麻酔ガス。液体状で安定的に保持でき、コントロールしやすい刺激で気化、そして僅かな量で強力な作用を持つ───僕の好みじゃないけど、とても綺麗で効果的だとは思うよ』
空島想恵の投資により元の世界で販売された、高性能な麻酔ガス"邯鄲散"。彼女はそれをこのラボで、聖杯戦争に必要な程度を生産していた。
この切り絵の蝶たちの役割は3つある。
魔術に疎い主従ははっきりとは認識していないが、切り絵の蝶は偶然にも、アルターエゴの現世における依代として機能してもいる。
1つ目は、アルターエゴの現実への知覚基盤。彼はこの蝶を介して、現実の状況を知覚できる。
2つ目は、麻酔ガス"邯鄲散"により睡眠に落とすこと。出力を調整すれば、自然なうたた寝に見せかけることも、即座に昏倒させることも出来る。
3つ目は、アルターエゴが夢から夢へと渡る架け橋。彼は、この蝶の側で眠る人間の夢に狙って入ることが出来る。
───あの魔術師も、町中で他主従を倒しているところを、切り絵越しに探知をしていたアルターエゴが見つけた。そして、寝込みに蝶を忍び込ませたのだ。
現実での戦闘能力を欠くアルターエゴ主従にとって、この切り絵の蝶たちは貴重な手札だ。
『私が来た世界と、この世界は少し違うのよね』
美しく巡る蝶の群れの中で、空島想恵は首を傾げる。直接彼女が関わる部分以外にも、大小様々な差異がある。最も大きいのは、この"東京"自体だ。
『色んな人の夢を覗いたけれど、結局まだ分からないわ。どうして、2024年に東京があるのかしら?』
忘れるはずもない。
空島想恵の元の世界では、2009年に東京は滅んでいる。全域でありとあらゆる形の破壊が吹き荒れ、数え切れない人命が失われた。
そして、彼女の愛する両親は"行方不明"になり、愛する兄は二度と目覚めない眠りについた。
学校の行事で東京を離れていた、彼女ただ一人を残して。
物音一つ立てず、研究室の中に少年の幻像が現れる。干渉の起点たる切り絵の蝶がこれだけいれば、この程度の幻像を用いた干渉は十分可能だ。
学ランの上に袍を羽織った少年───アルターエゴは、眠たげな笑みのまま、空島想恵に語りかける。
『逆に考えるべきだと思うな。"どうして、2009年に東京は滅んだのか"』
「………震災と、外国の大規模テロが最悪の形で合わさった大災害よ。それが…、?」
空島想恵はそう答えるが、直後に気づく。
"魔術"の世界の一端を知った今、考えるべきことは"真の原因"だ。
果たしてこの巨大都市東京が本当に、表向きの理由だけで滅んだのだろうか?
『君も見たんでしょう?彼女を』
「あの子が、東京を滅ぼしたって言うの?」
───一つだけ、原因に心当たりがあった。
あるマスターの夢に入ったとき見た、光の剣を振るう女の子の記憶。
燃える東京を背後に天真爛漫に笑っていた、白髪の少女の記憶。
地獄の風景の中で、ただ真っ直ぐに水晶の瞳を輝かせていた彼女の記憶。
名前は、確か。
「神寂、祓葉」
つい彼女に見惚れているうちに、夢は終わっていた。その主従も見失い、追跡も出来ていない。ただ一瞬の、記憶に残る残滓を見ただけに過ぎない。
それでもその印象は、焼き付いたように残っている。
本来一人の少女が東京を滅ぼしたと言われても、冗談のようにしか聞こえないのに。神寂祓葉には、何故かそれだけの説得力があった。
アルターエゴは笑う。
『さあ。マスター。貴方の家族を殺した、仇の名前───かも、しれないものが分かったよ』
『それでも、君の願いは変わらないかい?』
願い、というのはもちろん聖杯に願う願いだ。
15年前の真実を知ることなど、確かに万能の願望機でも使わなければ困難を極めることかもしれない。
あるいは、それを願いにする───あるいは、復讐を望む人だっているのかもしれない。
けれど。
「アルターエゴ、それは愚問というものよ」
「知っているでしょう?私にとって万能の願望機は、万能でもなんでもないの」
空島想恵は、理論と経験で固く立てられた世界で生きている。
万物は物理化学の理に沿って巡り、死者は生き返らず、エントロピーは常に増大し、時間は戻ることがない。
そうであるべきだと、信じている。
夢想なき理想家。それが、彼女の自認だ。
だから、夢の中ですら───愛する家族に、再び会うことすら出来ない。
魔術師に理不尽を味あわせた空島想恵の夢は、そのような精神性の結果でしかない。
「私には、"出来ることしか出来ない"」
「そんな私が聖杯を使っても、万能なんてものとはかけ離れているわ」
知り得ない知識を知ることすら出来ない。
死者を生き返らせることすら出来ない。
ただ何かを作り出すことすら、もしかしたら出来ないかもしれない。
そんな卑小な万能こそが、空島想恵の戦いの果てにあるものだ。
空島想恵が信じられるのは、自ら学び、確固たるものとした基盤だけ。理論だけ。
そうでないものなどすぐに崩れると、15年前に───2009年に、知ったから。
きっとこの場にくる前なら、聖杯をほいと与えられても空島想恵はただ困惑するだけだっただろう。
願わなければ叶わないことは叶えられなくて、願わなくても叶うことしか叶わないだろうから。
「あなたに会えたのは、本当に、奇跡のようなもの」
「人はあなたのようになれるのだと、学べたんだもの」
だからこそ。
アルターエゴは、荘子は、彼女にとって唯一無二の英霊だ。
彼女の理解からはるか遠い魔術や神の奇跡ではなく、精神と思考によって超克を成した覚者の欠片。
「誰もがあなたのように、自由に夢を見れる───夢の中で願いを叶えられる、そんな素敵な世界を望んでもいいと知れたのだもの」
「この願いが、変わることなんてないわ」
───そんなささやかな明晰夢の自由を、自分に、世界の皆に与えることこそが、空島想恵が聖杯に捧ぐ願いだ。
"夢の中でもいいから、家族に再び会う"ために。彼女は夢を血で染めることを選んだ。
2009年に静かに壊された少女は、今もなお一つの論理と理想のために動いている。
アルターエゴは、満足そうに───あるいは寂しそうに、憐れむように笑う。
『あはは。いや、本当に、愚問だったね』
───サーヴァント・アルターエゴこと、荘子。彼は聖杯に願う願いを全く持ち合わせていない。
彼はあるがままを受け入れた、無為を信奉する隠者。本来の"荘子"こと荘周は、ルーラークラス以外では召喚されないほどだ。
だが荘周であることを忘れた胡蝶ゆえに、"アルターエゴ"には蝶の好奇心が残されている。"ルーラー"にない私心がある。
幸せに生きればいいはずの夢すら規定し自縄する、この憐れな理想家への好奇心がある。
その一欠片の好奇心が、彼がこの聖杯戦争に手を貸す理由だ。
『天に覆われて人を知らざる僕を、呼び出せた人』
『僕を殺しうる渾沌の七穴。僕とは違う理想家───あるいは、僕以上の夢想家』
大切な飴玉を舐めるように、アルターエゴは"空島想絵"と名前を呟く。
いつも憐れみを含んだ笑顔の彼が、真剣な顔を作る。
『聖杯になんてちっとも興味はないけど、君の行く末には興味があるんだ』
『この聖杯戦争の果てまで、僕を連れて行ってくれたら嬉しいな』
アルターエゴの言葉に何かを返す前に、少年の姿はかき消えていた。
東京の未明の空を、窓から出た切り絵の蝶たちが飛んでいく。彼の僅かな幻覚により、遠目にはそれらはただの蝶と区別はつかなかった。
「───ええ。勿論」
手の中にたった一匹残った切り絵の蝶を、空島想絵はそっと撫で、胸にしまい込んだ。
【クラス】
アルターエゴ
【真名】
荘子@荘子
【属性】
中立・中庸
【ステータス】
筋力E 耐久E 敏捷C 魔力B 幸運A 宝具EX
【クラススキル】
単独行動:EX
マスターの支援なしで、単独で行動し続けることが出来るスキル。
アルターエゴは現世に実体を持たず、それゆえに支援を一切必要としない。
しかし要石たるマスターを失えば現世への干渉手段を失うので、ただ夢の中で飛んでるだけの蝶になってしまう。
あまりにもピーキー故の、EX。
陣地作成:D+++
アルターエゴの夢を、周囲に展開するスキル。
現世においても行使出来ないこともないが、基本的には精々僅かな幻視を見せる程度の意味しかない。
夢の内部においては、やろうと思えば相手の夢を上書きして書き換えることも出来るほどの出力を持つ強力な幻術として作用する。
基本的に攻撃には使用されず、彼の"対話"の一部として使うことが多い。
【保有スキル】
存在しない者:A
本体が夢の中に存在し、現実に一切存在しないことを表すスキル。それ故に魔力消費は理論上ゼロに等しく、またある程度距離の概念を超えて現実に干渉出来る。
なお、宝具使用時は現実に実体を曝す関係上このスキルの効果は喪失する。
夢蝶の羽搏き:E
夢世界に実体を置きながら、現実に干渉するスキル。所詮はただの蝶であるため、ランクは低い。
最大出力でも、物理的に干渉出来るのは蝶の羽ばたき程度。一方で現実の知覚情報の探知は、マスターや依代を介した上ではあるがそれなりの精度を持つ。
また、複数の依代を介することで現実に幻影を生じさせることも可能。
万物斉道:A
すべての者が"道"を持つことを知っており、またそれを知覚出来るスキル。
アルターエゴはただの蝶でありながら、夢から夢へと飛び他者の夢へと入り込むことが出来る。
また、彼が望むなら少数の人物を共に他者の夢に導くことも出来る。
【宝具】
『斉物論篇・胡蝶之夢(ドリームオブアバタフライ)』
ランク:EX 種別:対界宝具 レンジ:? 最大捕捉:?
「世界が僕を夢見ているのか、僕が世界を夢見ているのか。正しいのはどちらか、一体誰が分かるっていうんだろうね?」
"荘子"の根幹たるエピソードそのもの。
夢と現実の垣根を壊し、世界を文字通りの"胡蝶の夢"に書き換えていく、論理により成る対界宝具。
夢に落ちた世界は、彼の思うがままに転変する。
───と言えば極めて強力な宝具に思えるが、実際には扱いの難しい宝具。
まずそもそも消費魔力量の問題があり、世界そのものを書き換えることは実際にはかなり困難。
そして、弱点たるただの蝶に過ぎない彼本体が、夢と現実の接点として現実に出てくる必要がある。
聖杯戦争の勝敗に拘らない彼に、この宝具を使わせること自体も困難。
だがそれでも、理論上果てのない出力を持つこの宝具は、条件さえ揃えばそれだけで聖杯戦争を終わらせる鬼札となる。
【weapon】
本来はなし。
この聖杯戦争においては、想恵が作った切り絵の蝶。
夢世界に存在する彼が現実に与えられる影響は極めて微弱であり、まさしく蝶の羽ばたき程度。
しかしマスターである想絵の作る、切り絵の蝶を動かす程度は出来た。依代たるこの蝶はアルターエゴの干渉の起点となり、彼が夢から夢へと渡る橋にもなる。
そして、想恵の麻酔ガス"邯鄲散"──あるいは、他の何かの散布元にだってなる。
【人物背景】
春秋戦国時代の思想家。本名は荘周であり、『荘子』の作者として伝わる道教の開祖の一人。
超越的な存在や魔術の介入なく、ただ思索と論理によって悟りを成した覚者。
──の見た夢の中の"蝶"としての荘子こそが、アルターエゴたる彼。
荘子の"万物斉道"の思想と、それを信じる人たちは、人たる荘周と別に、蝶たる彼もまた等価な英霊として定義した。
英霊そのものであると同時に、切り離された一部である彼はアルターエゴのクラスを得ることとなる。
サーヴァントとしての霊格自体は相応に高いが、荘子の"無用"を体現し、本来徹底的に"役に立たない"サーヴァント。
聖杯戦争に対するモチベが0、武勇の逸話0ゆえ戦闘能力もほぼ0、本体が実体すらない蝶と心技体揃った役立たず。
一般的な魔術師が何かの間違いで召喚したら、延々夢の中で冷やかしながら飛んでるだけで終わる。
道教の始祖と言われるが、彼の思想と後世の道教には多くの相違点がある。
道教において彼は"南華老仙"の尊号を与えられる高位の仙人だが、荘子は寧ろ生死に固執することや超人的な力を得ることへの無意味さを語っている。アルターエゴもこの名前で呼ばれると嫌な顔をする。やめてあげよう。
【外見・性格】
本来の外見は、見るものによって色や模様を変える一頭の蝶。
夢の中やスキル:"夢蝶の羽搏き"で見せる幻像としては、黒の長髪を後ろで括った、10代前半の少年の姿を取る。
いつも遠くを見ているような、ぼんやりとした夢見がちな、虚無的な言動がデフォルト。
この際の服装は学ランの上に袍(漢服の上着)を羽織ったもの。
夢と現実の区別のつかない夢想家。道を知り、無為なるを信ずる覚者。
夢世界の蝶を本体として召喚されたが故に、その傾向は生前よりもさらに強まっている。
願いに振り回される聖杯戦争の参加者たちを深く憐んでいるが、一方でマスターが他者を殺すこと自体にも頓着はしない。
アルターエゴにとって生や死、正義や悪の観点は無意味であり、ただ道を知らず人為に揺れる彼らを憐れむのみ。
【身長・体重】
蝶としては開長60mm,0.3g。
少年としての外見は162cm,55kg。
(あくまで幻覚であり、体重は参考値)
【聖杯への願い】
本来はなし。
"荘子"こと荘周は聖杯に願う一切の願いを持たない。
しかし蝶たる彼には蝶の好奇心がある。
【マスターへの態度】
憐みと好奇心。
夢を愛しながら、夢に現実を忘れることすら出来ない想恵を憐れんでいる。
そしてこのような、荘子の思想から反する想恵がアルターエゴ──"蝶の夢"としての荘子を召喚したことと、その行く末に好奇心を抱いている。
【名前】
空島想恵/Sorashima Omoe
【性別】
女
【年齢】
26
【属性】
中立・善
【外見・性格】
穏やかな雰囲気の、肩までの長さの濃い茶髪の女性。
ある大学において助教として研究をしており、また投資家としても名が知られている。
足首近くまである白衣はサイズを間違えて注文したためだが、今では気に入ってそのまま使っている。
学外ではフォーマルな格好を好むが、地面に付きそうなくらい裾の長い上着は彼女のデフォルト。
「一夜で終わりうる世界なら、その一夜を、もっと価値あるものにしないとね」
穏やかな性格ながら、信念ある女性。
彼女の最初の願いは、きっと二度と目覚めることのない兄の眠りが幸福なものであることだった。
この信念は彼女の研究、そして投資にも繋がり、やがて彼女は世界の人々に幸福な眠りがあるようにと願うようになる。
聖杯戦争に呼ばれ、"アルターエゴ"と出会ったことで、彼女の願いはより具体的な形を持つ。
「アルターエゴ、あなたと出会えてよかったわ。モノも大事だけれど、それ以上に精神のあり方こそが、夢を──いや、世界を、幸福なものにするの。」
誰もがアルターエゴのように、自分の人生をあるがままに受け入れる世界。そのような人々であってこそ、夢は本当の意味で自由な世界となる。
彼女は理想のために、聖杯戦争を戦い抜くことを決めた。
たとえそれが、彼女の愛する夢を誰かの血で汚すとしても。
【身長・体重】
166cm, 61kg
【魔術回路・特性】
質B、量E
魔術とは元々全く無関係な人間であり、聖杯戦争に際して与えられただけのもの。
素質はあったのか質は中々良いが、量は絶望的。
もっとも彼女のサーヴァントが"アルターエゴ"である限りは大した問題はないだろう。
【魔術・異能】
"夢想なき理想家"
彼女の、論理と経験の上に強固に立つ精神。
2009年の東京の滅びが、彼女の傾向を決定づけた。
本来はただの精神のありように過ぎないが、アルターエゴの力により夢を旅する際に、特殊な性質を彼女の夢に齎すことになる。
彼女の夢の中は、彼女の現実と同じように規定されており、中では彼女が"理解出来ないこと"は一切起きない。
魔術を理解しない彼女は、ほとんど一切の魔術の行使を阻止出来る。
そして、彼女の夢の中で死んだ者は本当に死ぬ。
彼女は魔術も蘇りも、真に理解してはいない。
"解析"
彼女がまだ自覚していない、与えられた固有魔術。彼女の魔術の理解を助け、真に深く"理解した"魔術を、固有魔術の特性や生物的特性を無視して行使可能となる。
もっとも魔力消費はそのままなので、彼女の絶望的な魔力量で現実で振るえばすぐにガス欠になる。(夢の中なら魔力消費は無視出来る)
また、当然理解すればするほど、上記"夢想なき理想家"で阻止出来る魔術の幅は減る。
スペック自体は間違いなく強力な魔術だが、本人との噛み合いが悪くハイリスクなものになっている。
"邯鄲散"
彼女が投資したことにより成功した製薬会社が売り出した、高性能な麻酔ガスの通称。
液体として長期間保管でき、必要な際には簡単な刺激で気化させ利用可能で、即効性が強い。
本来この"東京"には存在しない物質だが、彼女は大学の自身の所属するラボで、聖杯戦争に必要な量を自ら作成している。
アルターエゴの操作する切り絵の蝶に染み込ませ扱うことで、蝶に近づいた任意の人物を眠りに落とすことが出来る。
【備考・設定】
かつて存在した高級路線寝具メーカー、"ドリームスカイ"の創業者一家の娘。
幸せな家族の生活は、彼女が11歳の時の東京の崩壊により終わりを告げる。両親は"行方不明"になり、優しく夢見がちな兄は二度と目覚めない眠りに就いた。
これをきっかけに、彼女は理論を信奉する現実主義者となる。物理化学、生物学に傾倒したのも、自分という存在を理解しなければならないという飢餓感によるもの。そうでなければ、自分が存在していることにすら確信を持てなかったから。
彼女は海外の大学に行き、生化学分野において睡眠の機構に関する研究をするようになる。そしてその傍ら、"人類の幸せな眠り"に繋がるような企業に、積極的に投資をしていくようになる。
新興の睡眠ゲームアプリメーカー、確かな腕ある古豪ながら時代に乗れない寝具メーカー、挑戦的な小規模製薬会社。
無軌道とも言える行動はしかし成功し、彼女は"睡眠投資家"──あるいは"睡眠研究者"として名声を得る。
しかしどのように名声を積んでも、理性に支配され規定された彼女は夢の中ですら家族に再び会うことが出来ない。
彼女はやがて、両親の遺品の一つである柱時計の修理に訪れた時計店で、ある"時計"に出会う。
彼女は"第一次聖杯戦争が2009年に起きた、2024年"から呼ばれたマスター。この世界では東京の崩壊はテロリズムと震災によるものとして辛うじて神秘の秘匿が成立しているが、それに納得していないものももはや少なくはない。
【聖杯への願い】
誰もが夢の中で、幸せに生きる権利を持つ世界。
あるいは、夢の中で再び家族に会うこと。
【サーヴァントへの態度】
彼女の理想の体現者。
"夢"に対する考えは必ずしも一致しないが、その程度の齟齬は埋められるものだと考えている。
投下を終了します。
たくさんの投下ありがとうございます! 遅まきながら感想を返させていただきます。
>禍炎
ぎゃー! 兄弟怪人! と悲鳴をあげたくなるような狂気のアギリくん、ちゃんと言うこと成すこと気持ち悪くて偉い。
そんなアギリとスカディ(ほんもの)のやり取りがなんともビジネスライクな、悪党同士の会話感があって好きですね……。
単純な戦力として以上の脅威を秘めたこの主従、いやはや、〈はじまりの六人〉に実にふさわしい凄みだったと思います。
投下ありがとうございました!
>平坂越えの夢は見ない
うおおおおお、設定からしてまず面白い。黄泉醜女という英霊を再殺担当で出してくるとは、うーむ発想の妙。
そんな彼女ですが、よりによって死者の蘇生を願いたいマスターに呼ばれているのが縁召喚が仕事してるんだかしてないんだか。
破綻の兆しは見えていて、そこに彼がどう向き合っていくかで百八十度結末が変わりそう。
投下ありがとうございました!
>小鳥遊、師匠を召喚するってよ
うーーーん格闘マンガのキャラかな?(過去回想の内容を読んだ感想)
それはそうと、ぶっ飛んだ男がまたぶっ飛んだサーヴァントを喚んだな、という印象でした。
世界最強の男が使役するパラシュラーマ、純粋に怖すぎる。原典からしてめちゃくちゃ強い枠ですし……。
投下ありがとうございました!
>産まれた頃から、間違い
タイトル通りの静かな諦観が全編に渡って漂う、物寂しくもどこか前向きなお話でしたね。
>「最小限。以上」これをちゃんと言える女の子、なるほど確かに魔術師としては落第すぎる。
サーヴァントのあめひこくんにも難儀と認められてるまさに産まれ方を間違えた子、どうなっていくのか。
投下ありがとうございました!
>空島想恵&アルターエゴ
設定とその描写の仕方がね、凄いねぇ……(感服)ってなっちゃいました。
荘子という間違いなく書くのが難しい人物をこの解釈で、こう見事に執筆されると唸るしかない。
そんな彼と語らう想恵さんの静かな人柄もまた良くて、純粋に完成度の高さで圧倒された感じです。
ちなみにタイトルの記載がなかったのですが、もし何かあれば教えて下さい。
投下ありがとうございました!
タイトルの記載が抜けておりました。大変失礼しました。
拙作タイトルは『夢見る胡蝶と夢無き理想』でお願いします。
投下します
「天使の輪っか、輝いて――祝福の羽があなたに、ほら!」
〈誰か〉に好かれることは、輪堂天梨にとって珍しいことでは決してなかったし。
更に言うなら、それを難しいと思ったことさえなかった。
なぜなら天梨にとって、人に優しくすることは呼吸のようなものだったからだ。
一度だって意識してそうしたことはない。
泣いている人がいれば当然に話を聞き、席に座れない老人がいれば当然に席を譲る。
いじめや意地悪が横行していたら止めに入るし、喧嘩の仲裁だってそう。
何の嫌味もなくそれができて、誰とでも分け隔てなく関わり合える天梨は生まれてから今に至るまで、当然のようにみんなの人気者だった。
「私たちは〈Angel〉、空からやってきた、誰より素敵な女の子。
あなたに出会って恋するために、このツバサ生まれてきたの」
そんな天梨がアイドルという天職に巡り合ったのは、今から二年前。高校一年生の頃である。
学校帰りに突然鼻息を荒くしたスーツ姿の男性に声をかけられ、すわ不審者かと思ったが、話を聞いてみると天梨も聞いたことのある芸能事務所のスカウトマンであった。
君は普通の女の子でいるべきじゃない。君には、もっとふさわしい世界があるよ。
その言葉に興味本位でついていった先で、天梨は――自分が特別な女の子になれるのだということを、知った。
「だからLove Chu! あなただけに贈る、私からの、私だけの祝福の矢。どうか、受け取って――!」
ステージの上で初めて見たサイリウムの波はほんとうに綺麗だった。
握手会やサイン会で、恥ずかしがりながらがんばって言葉を絞り出すファンの姿が愛おしかった。
新人の分際でセンターを張る緊張なんて気にもならなかった。
誰かに好かれることが呼吸だった少女が、初めて誰かに好かれるために歌って踊った経験は……かつてないほどに新鮮だった。
だから天梨はがんばった。
すごくがんばった。
アイドルとして、もっと応援してもらえるように。
もっと最高で、そして完璧なステージができるように。
レッスンを欠かしたことはなかったし、思うところがあれば積極的に意見もした。
入ってすぐにユニットの稼ぎ頭になった天梨の言葉には、事務所側も、そして先輩アイドルですら耳を貸してくれた。
その結果として――、天梨のユニットは、〈Angel March〉はめきめきと大きくなっていった。
天梨自身、身の丈に合わないのではないかと、そう感じてしまうくらいに。
「――ありがとうございましたーっ! エンジェのライブ、どうか皆さんまた来てくださいねー!!」
歌を終えて、頭を下げる。
途端に沸き起こる歓声。狂喜乱舞のサイリウム。
いつも通りの光景だ。それでも、いつでも天梨の心を満たしてくれる喝采だ。
この光景を見ていると、ついつい夢を見てしまう。
〈Angel March〉……エンジェは、いつかきっと天下を取れる。私たちは、日本一の、いや世界一のアイドルにだってなれるかも。
――夢見るままにライブは幕を閉じて。
――緞帳は下り、夢が覚める。
――現実に、戻る。
「お疲れさまー!」
天梨が声をかける。
帰ってくる返事はさまざまだ。
疲れた、とか。盛り上がってたね、とか。私あそこの振り付け間違っちゃった、とか。みんな思い思いに話をしている。
ちょっと前までは私もあの輪に混ざってたなあ、と懐かしく思いながら、天梨はスポーツドリンクを乾いた喉に流し込んだ。
ライブは楽しいし、アイドルをやってる意味そのものだ。だけど、やっぱりとても疲れる。
疲れ切った身体を壁に凭れさせて、喉を潤しながら、つい癖でスマホを開き、SNSを見てしまっていた。
そんなことをしたって。
ただ、気分が重たくなるだけなのに。
「……あちゃー。またやっちゃった」
名も知らない誰かから届いてる、無数の誹謗中傷。
昨日までファンだった名前から届く、幻滅した、という旨のメッセージ。
はあ、と知らずため息が漏れた。
ライブ終わりの高揚感が、一気に冷めて。心が現実に戻っていくのを、感じる。
まあここまで見ちゃったら一緒か、と画面をスクロールすれば。
他人の秘密を暴露して日銭を稼いでるたぐいのアカウントが、大スクープとか書いて自分の顔を貼っている。
〈【エンジェ炎上続報】センター・輪堂天梨に新疑惑か……有名芸能人との関係性について新たな証言〉だそうだ。
は、と思わず鼻で笑ってしまった。
知らないっての。会ったこともないし、名前出したこともないよ。
言ったところで、それは逆に炎を広げる結果にしかならないから。
今はまだ言わない。言うとしたら事務所の判断が降りて、相手方との調整もついてからだ。
言いたいことも言えないし、不安に思うみんなを待たせてしまうのは心苦しいけれど。
後でプロデューサーに言わないとな、なんて思いながらアプリを落とす。
そしてまだ話に花を咲かせている仲間たちを、自分はまだそう思っているみんなを横目に、天梨は一足先に楽屋に向かった。
――今日も今日とて、〈誰か〉が私のことを見ている。
◇◇
輪堂家の家庭環境はあまりよくない。
両親はどちらも天梨には優しく、自慢の娘だと呼んでくれたが、けれど仲は悪くて天梨としては辛かった。
だから祖父母の働きかけもあって、高校進学と同時にひとり暮らしを始めることになった。
故に、天梨が部屋に戻っても出迎えてくれる者は誰もいない。その筈、なのだが。
「やあ。おかえり、マスター」
「……うん、ただいま。あのさ、一個言いたいことあるんだけどいい?」
「何さ。手短に済ませてよ? 無駄口利く趣味はないからね、好きでもないヤツと」
「なんでテレビ壊したの?」
仕送りとアイドル業の収入。合わせれば、高校生ではまず稼げないような額にもなる。
そうなると、それなりに良いところに住むことも可能なわけだ。
セキュリティの完備されたけっこう良いマンションの一室。角部屋。そこが、天梨の城。
無人のはずの部屋の中、居間のソファにはしかしいるはずのない同居人が腰かけていた。
長髪の、背の高い男だった。
それこそアイドルでも何でも通用するだろう甘いマスクに、抜群のスタイル。
誰かに彼の姿を写真に収められでもしたら、いよいよ言い逃れはできないだろう。
幸いなのは、彼はその気になれば他人から見えないようになれること。
彼が、人間ではないこと、であった。
「理由なんてあると思う? もし何かそれらしい理由があってそうしたのかもと思うんなら、君の知能の低さにはびっくりだ」
「……あー、うん。もういい。ライブ終わりで疲れてるから、今はちょっと勘弁して」
ぼふん、と彼の隣に腰を下ろす天梨。
好かれていないことは知っているが、ここは自分の部屋だ。
文句を言うならよそに行きなさい、むん。
そんなメンタリティをなんとか引き出して、ふてぶてしくそこに座る。
"彼"は、何も言わなかった。
ぜんぜん殺されてもおかしくなかったな、と後で背筋を寒くしたのは、ここだけの話。
はあ、とため息交じりに見つめる視線の先にはテレビ"だったもの"がある。
斜め一直線に両断されて、中身のネジやら何やらを撒き散らした鉄屑。
天梨が入学祝い兼ひとり暮らし祝いとして贈ってもらった思い出のテレビは、今や物言わない無残な無機物の塊に成り果てていた。
聖杯戦争――ファンからの贈り物に紛れていた〈古びた懐中時計〉へ触れた時、ステージ上の天使は仮想の都市へと迷い込んだ。
人を殺して、誰かを踏みつけにしてまで叶えたい願いなんてものはなく。
人を殺して、誰かを踏みつけにしてまで生き残りたいとも天梨は思わなかった。
だから天梨はどうにかしてこの地獄みたいな世界から抜け出す手段が見つかることを期待しようと思ったのだが、運命はそんな彼女の優しさに微笑まなかった。
彼女が対面した、自分自身の召喚に応じたサーヴァント。
長髪を一本に結い、民族衣装めいた装いに身を包んだ美青年だった。
どことなく薄っぺらい笑みを浮かべた、百人が百人認めるだろう甘いマスク。
それは誰もの警戒を解くに足る柔和さを湛えていたが、しかし天梨が彼に感じたのは戦慄だった。
黒き炎を、陽炎のように立ち昇らせ。
おぞましいほどの血臭を放つ刀を握って立つ、〈英雄〉。
彼の総身から天梨が受けた印象は、一言、地獄。
煮え滾る血の池のような、あるいは血で光沢を放つ針山のような。
果てを知らず永久に続く、無間の暗闇のような。
そんな――見ているだけで精神を侵されてしまいそうなほどの、負のイメージを天梨は彼に見た。
「……ねえ。何回も聞くけどさ、本当にまだ誰も殺してないんだよね?」
「しつこいな、殺してないよ。せっかくの楽しみを自分で台無しにしてどうすんのさ」
問いかけた天梨に、青年はからからと笑って答え。
それから打って変わって、殺意に満ちた表情(かお)をした。
「それに。もし俺が約束を破ったら君、俺に令呪を使うだろ?」
「うん、使う。私のサーヴァントのしたことは、私が責任を取らないといけないもん」
「和人如きにこれ以上首輪を付けられたら、何もかも忘れて君をブチ殺しちゃいそうだからね」
和人(シャモ)。
それは、天梨に対する特別の呼称ではない。
正確には天梨および、この仮想都市に住まう人間の大半。
すなわち日本人。この国の人間すべてを指して、彼は和人と呼んでいる。
そして日本人のことをそう呼ぶ民族は、ひとつを除いて存在しない。
「本当は今だって腸が煮えくり返ってるんだ。
聖杯はやってくれたよ。よりによってこの俺を、和人の飼い犬に貶めるだなんて」
「そんなふうになんて思ってないし、思ったこともないよ」
「ああ、そういうのいいから。君が俺をどう思ってようが、実際のところそこまで関係ないんだわ。
俺にとっては君も、それ以外の端役どもも、全部等しくただ単に"殺す対象"でしかない。
和人の顔も声も見分けなんて付くかよ。全員揃って糞と味噌を詰めた肉袋なんだから、区別しようとすること自体ナンセンスだ」
彼は、日本人を憎悪している。
すべての和人を、果てしなく呪っている。
同じ人間でありながら、自分たちをまるで違う生き物みたいに見下げ。
常に大上段から、こちらを格下だと思っていることを隠そうともせず。
差し出した手を笑顔で取りながら、もう片方の手で平然とそれを反故にするための策を練る。
卑怯、卑劣。そして非道。人としての誇りなど微塵も持ち合わせない、糞のような悪意だけでできた民族。
「だから精々、色とりどりの断末魔で違いを識別させてくれ。俺は君たちにそれ以外何も期待していない」
和人鏖殺。
誇りを穢し、屈辱の中で死にゆくこの身に嘲笑を浴びせたすべての怨敵に地獄を見せる。
彼の願いは、ただそれだけ。
かつて英雄と呼ばれた男は今、憎悪の化身となって此処にいた。
穢れと病み、そのすべてを司ると嘯く、神(カムイ)になって。
天使と呼ばれた少女のもとに、幾百年越しの復讐者は降臨したのだ。
男の名はシャクシャイン。
勇ましく戦い、幾度となく泥を舐め、それでも同胞のために奔走し。
――そして、すべての運命に嗤われた男。
かつての日の、英雄。今は、厄災の神(パコロカムイ)と呼ばれるモノである。
◇◇
殺しを禁じる縛りを自分に科すのは、想像以上の苦痛だった。
何しろ世界のどこにいても、憎い和人の声がする。
自分たちの醜悪を棚に上げて笑っている。嗤っている。
今すぐにでもその素っ首を叩き落とし、苦痛の海に沈めてやりたくて堪らなかった。
たとえそれが何者かに被造された伽藍の洞だとしても、生きて動いて喋るのなら仇であることに変わりはない。
腹が立つし暇なので、テレビとやらを点けてみた。
喋る箱、というのは言わずもがな、彼の時代にはなかった代物である。
演者が和人ばかりなのは結局変わらなかったが、それなりに感慨深いものはあった。
もしもあの頃にこんなものがあったなら、もう少し北の大地は平和だったかもしれない。
同胞同士での戦争などという不毛なことに時間を費やすよりも、こうして箱でも眺めていた方がいくらか有意義だ。
そう思ってしばらく眺めていると、何やら寸劇(ドラマ)のようなものが始まった。
団欒が。
そこに、描かれていた。
食卓を囲み、和人の家族が楽しげに語らっている。
誰もが笑顔を浮かべ、幸せそうだ。
子は親に、その日あったことを報告していた。
親はそれに相槌を打ち、まだ湯気を立てている夕餉を口に運ぶ――。
気付いた時には。
手慰みに弄んでいた右手の妖刀が、テレビを叩き斬っていた。
脳で考えるよりも行動の方が速かった。行動を終えてから、流石に余裕が無すぎるな、と自戒した。
「あーあ。良さげな暇潰しになるかと思ったんだけどね」
流石にブチ壊すのはまずかったか、とシャクシャインはひとり名残惜しむ。
そういえばチャンネルなるものを変える機能もあの箱にはあった筈だ。
わざわざ壊して退屈を強めるくらいなら、アンガーマネジメントという奴を試してみるべきだったかもしれない。
とはいえ、どの道望みは薄かったろう。この怒りが"制御"の利くような生易しいものであったなら、自分はこうまで堕ちさらばえてはいない。
四六時中、狂ったように、いずれ来たる解放の時を夢見続けるなんてことも。少なくとも、なかっただろう。
一刻も早く和人を殺したい。
この東京なる都に群れている、安穏と暮らしている和人ども。
あの小娘と同じく、〈古びた懐中時計〉に導かれて都市へ足を踏み入れた和人めら。
そのすべてを等しく虐殺し、踏み躙りたいのだとシャクシャインの魂がそう叫び続けていた。
「……我慢我慢。好きな物は、やっぱり最後に食べるのが一番旨いんだ」
こんなにも飢えているのに、彼が殺戮の衝動を律し続けているのには理由がある。
そうでなければ既にこの東京は、荒ぶるパコロカムイの犠牲者の屍で溢れ返っている筈だ。
無益な殺生を嫌っているなんてお涙頂戴な理由ではない。
むしろ復讐は、無益であればあるほどいい。
何の価値もなく死に果てる姿にこそ一番の値打ちと、旨味があるのだ。
そう、シャクシャインにとって復讐はもはや存在の意義であり、同時に最大の娯楽と化していた。
故に。
彼にとってはそれを堪えることもまた、娯楽である。
より大きく芳醇に、最大の形で至福を味わうための下ごしらえ。
今、彼の望む馳走はぐつぐつと音を立て、良い香りを漂わしながら煮詰められている真っ最中。
輪堂天梨。和人の癖をして、まるで博愛主義者のような顔をしたあの娘。
そして今、毎日のように多くの悪意に曝され続けている公共の見世物。
「……和人を評価するなんて不本意だけどね。実際大したもんだよ、君は。
知識を脳に直接ぶち込まれるから現実逃避も許されない中、それでも死の恐怖に善性で打ち勝ったんだ。
聖杯を欲さず、あくまで人の道の中を生き続ける。和人にしては、君はずいぶん高尚だ」
そう、素晴らしい。
和人でさえなければ。
そしてその一点の瑕疵が、シャクシャインにとってはひどく忌まわしいのだ。
和人とは糞袋。
断じてその中に、宝石など混じっていてはならない。
だからこそ、シャクシャインは考えた。
あの美しい宝石を。〈天使〉のような偶像(アイドル)を。
最も穢し、踏み躙る手段は何か。考えて、そして、シャクシャインは自らの意思で和人の殺戮を律したのである。
「そんな君が自分の口で、俺に誰かを殺せと命じる瞬間は――さぞや美しいだろうなあ」
〈誰か〉の悪意に曝され続ける、哀れな天使。
恐らく和人の誰よりも美しく、故に癪に障るあの要石が。
他でもない自分自身の口で、その聖性を捨てる時。
天使の輪っかを投げ捨てて、他の和人と同じ鬼畜に堕ちる時。
その瞬間をこそシャクシャインは最高の馳走と、そして宴の始まりと決めたのだ。
故に今は待つ。
みなぎる殺意を堪えながら。
泡立つ死毒と、途切れぬ苦痛を食みながら。
「愉しもうぜ、和人の〈天使〉。大丈夫、君が鬼畜に堕ちようとも――地獄の果てまで付き合ってやるさ」
英雄/神は、嗤う。
天使に取り憑いた悪魔、あるいは救い。
天使の苦悶は、終わらない。
◇◇
最初、天梨は蚊帳の外にいた。
同じユニットの子たちが、ファンと個人的に関係を持っていたことをすっぱ抜かれた。
天梨はこの騒動に心を痛めたが、こんな時だからこそ自分がエンジェと、そしてファンの皆を支えなければと奮起した。
けれど、溺れる者は藁をも掴むという。
ある日天梨の耳に届いたのは、まったく見に覚えのない自分自身のスキャンダルだった。
輪堂天梨も例の件に関わっている。
輪堂天梨はむしろ事を主導していた立場である。
一番の人気者だった天梨が関わっていないわけがない。知らなかったわけがない。知っていた上で許していた。つまり自分も関与していた。
大物芸能人と"そういう仲"らしい。金をもらってメンバーを斡旋していたらしい。
そんな、文字通り根も葉もない噂が、どこからともなく流れ出して。
いつの間にか〈Angel March〉の炎上事件は、〈輪堂天梨〉の炎上事件へと変わっていた。
天梨は否定した。事務所も否定した。
なのに憶測と曲解、新事実として世に出る虚実は止まらない。
天梨の周りの大人たちは、虚偽の拡散や誹謗中傷には法的措置で対抗することを表明したが。
それはむしろ、燃え上がる炎上の火をより大きくそして激しくする結果を生んだだけだった。
……後から知ったことだが。
自分はどうやら、想像以上にユニットの仲間から嫌われていたらしい。
後から入ってきた新参の分際で、センターの座をかっさらい。
〈天使〉と、まるでグループの象徴のように呼ばれる彼女。
グッズの売上でも実際の人気でも、他メンバーの追随をまるで許さない天梨の存在は、目障りなものでしかなかったようだ。
天梨は気付かなかった。気付くはずもなかった。彼女は好かれることには慣れていたけど、人の悪意敵意にはまるで鈍感だったから。
本当に、取り返しがつかないことになってしまうまで。
自分は皆と仲良くやれていると、笑顔の下に隠れた暗い感情の存在を想像することさえしなかった。
「……はあ……。せめてこっちではさぁ、マシになっててくれたらよかったんだけどなぁ……」
見たっていいことなんてないと分かっているのに、気付けばSNSを開いてしまう。
機能しない返信欄。嫌でも目に入ってくる自分への"お気持ち"。
今日もまたどこかの暴露系配信者が何か情報を明かしたらしい。
天梨にとっては本当に、何ひとつ見に覚えのない話なのだけど。
誰とも知れないユニットのアイドルよりも、ユニットの顔である天使の堕天という筋書きの方が効果的に金と数字を取れるコンテンツだと判断されたらしい。
元の世界でも、だいたいこの通りの状態だった。
活動休止までは時間の問題で、既に大人たちは協議に入っていた。
そんな有様なのに、ライブに来たファンは野次を飛ばすこともなく大盛り上がりをしてくれる。
周りの仲間たちも、自分への敵意なんて匂わせすらしない。
誰もが笑っている。誰もが、自分のことを愛してくれる。自分に微笑みかけてくれる。
顔の見える〈誰か〉は、こうもみんな優しいのに。
どうして顔が見えなくなった途端、こんなにもわからなくなってしまうのだろう。
天梨は、知る由もない。
〈古びた懐中時計〉が自分に与えた翼の存在を。
顔の見える〈誰か〉に愛され、敵として見られない力。
よりその存在が、天使に近付いていることなど。
知る由もないまま、彼女は今日もステージの上で笑顔を振り撒き、顔の見える〈誰か〉の好意を浴び続けているのだ。
――SNSの通知音が鳴る。
眠い目を擦って、通知を開く。
ダイレクトメッセージが届いていた。
名前も知らない、アイコンも設定されていない捨て垢からメッセージが来ている。
その読むに堪えない幼稚な嘲笑を見て、天梨はため息をついた。
そして。気付けばふと、呟いていた。
「…………死ねばいいのに」
言葉の意味を理解するまでに数秒。
スマートフォンを放り投げて、震えながら布団に包まるまで更に数秒。
天使は輝き続けている。天使は苛まれ続けている。
――顔のない〈誰か〉を等しく救えなければ、それを天使と呼べないのならば。
輪堂天梨は間違いなく、ただの人間だった。
【クラス】
アヴェンジャー
【真名】
シャクシャイン@アイヌ史
【属性】
混沌・悪
【ステータス】
筋力B 耐久A 敏捷C 魔力B+ 幸運E 宝具A
【クラススキル】
復讐者:A
復讐者として、人の怨みと怨念を一身に集める在り方がスキルとなったもの。怨み・怨念が貯まりやすい。
周囲から敵意を向けられやすくなるが、向けられた負の感情はただちにアヴェンジャーの力へと変わる。
すべての和人の殲滅。この世に日本という国と、その血族が存在する限り、シャクシャインの恨みは決して晴れない。
忘却補正:B
人は忘れる生き物だが、復讐者は決して忘れない。
その憎悪は決して忘れ去られることはない。もう取り返しはつかない。
自己回復(魔力):B
復讐が果たされるまでその魔力は延々と湧き続ける。魔力を微量ながら毎ターン回復する。
この世に和人が存在する限り、彼の憎悪は無限に湧き出し続ける。
【保有スキル】
鋼鉄の決意:A
痛覚の全遮断、超高速移動にさえ耐えうる超人的な心身などが効果となる。
複合スキルであり、本来は「勇猛」スキルと「冷静沈着」スキルの効果も含む。
英雄性を消し去るほどの憎悪。黒き炎の前に、すべての高潔はかき消えた。
殺戮技巧(道具):A
使用する道具の「対人」ダメージ値のプラス補正をかける。
復讐者となったシャクシャインは、勝利ではなく殺戮のために刃を振るい、弓を射る。
和人鏖殺。彼のすべてはそのために。
動物会話:B
言葉を持たない動物との意思疎通が可能。動物側の頭が良くなる訳ではないので、あまり複雑なニュアンスは伝わらない。
シャクシャインは自然に親しんで育ったアイヌの男である。
【宝具】
『血啜喰牙(イペタム)』
ランク:C 種別:対人宝具 レンジ:1〜10 最大捕捉:1人
アイヌの伝説に伝わる妖刀。イペタムとはアイヌ語で〈人喰い刀〉を意味する。
その為、本質的には無銘の刀である。少なくともシャクシャインは生前から今に至るまでこれをそう扱ってきた。
血の臭いを察知して昂りを帯び、斬った相手の血肉の分だけ自身とそれが認めた所有者に力を与える性質を持つ。
シャクシャインは生前、オニビシとの戦いの中でこの妖刀を所有。その際にイペタムから認められ、正式な所有者となることを認められた。
刀身の長さや形状を自在に変更することができ、刀身を切り離して自律行動させ敵を襲うことも可能というまさに〈妖刀〉である。
『死せぬ怨嗟の泡影よ、千死千五百殺の落陽たれ(メナシクル・パコロカムイ)』
ランク:A 種別:対人宝具 レンジ:1〜10 最大捕捉:30人
松前藩の陰謀で毒殺され、憎悪の化身となった復讐者シャクシャインの怨嗟。
もとい、毒殺されたシャクシャインの肉体そのもの。
今も彼の体内には毒が回り続けており、常に数百種の業病の末期症状を併発しているのに等しい苦痛を受け続けている。
そんな彼の肉体から燃え上がる魔力の炎には、かつて松前藩により飲まされ、そして英雄の肉体の中で凶悪化した死毒の成分が滲み出す。
言うなれば猛毒の炎であり、直撃すれば人間であればまず即死。熱気を吸い込んだだけでも身体に重大な異常をきたす。
パコロカムイとは穢れと病を司る神の名。非業の死を遂げ穢れそのものとなった怨霊シャクシャインは疱瘡こそ遣わねど、新たなるパコロカムイとして成立している。
【weapon】
『血啜喰牙』
【人物背景】
シャクシャイン。
メナシクル……北海道日高の首長を務めたアイヌの民である。
彼はシュムクルのオニビシと長きに渡り殺し合い、遂にオニビシの首を取り英雄の名を手に入れた。
オニビシは彼に決して劣らぬ強者であったが、イペタムを認めさせ、更に生まれながらに傑出した能力をいくつも有していたことが彼に勝利のカムイを微笑ませたと言っていい。
その後、アイヌ民族はシャクシャインを指導者として松前藩に対し蜂起する。
優勢と劣勢を目まぐるしく繰り返し、多くを殺し、多くを喪う日々に疲弊したシャクシャイン。彼は和平交渉を続け、その末にとうとう松前藩との和睦の席を取り付けることに成功する。
……しかしその先で待っていたのは、北の英雄が想像もしなかった悪意だった。
英雄シャクシャインの戦闘能力と彼の持つ〈妖刀〉、そして何よりアイヌという異民族と手を取り合うことに強い抵抗を示した松前藩は伝手を辿って〈とある儀式により呪物化した毒薬〉を手に入れる。
生まれながらに人並み外れて強かったシャクシャインの身体さえ冒す毒は、慟哭する英雄の命を無慈悲に奪い去った。
――以上の過去から、シャクシャインは和人……日本人に対する尽きない憎悪の炎を燃やし続ける呪われた復讐者となった。
そこにあるのは、底なしの悪意。あらゆる手段を用いて彼は日本の滅亡と、和人の絶滅を願い続ける。
本来の彼はサーヴァントに直すならば〈軍略〉〈カリスマ〉などのスキルを所持していた筈だが、ひとりきりの復讐者となった今の彼にはそれら一切が"必要ない"。
ただ殺す、踏み躙る。和人鏖殺、例外なし。
死してなお毒に穢され続け、忘れることのない憎しみに狂い果てた、いつかの英雄。――〈穢れたる神(パコロカムイ)〉。
【外見・性格】
橙の長髪を後ろで一本に結い合わせた、二十代前半ほどに見える青年。
普通にしていれば無害な好青年に見える。そういう"フリ"もできる。ただ一皮剥けば、そこにあるのは無尽の憎悪。
アイヌの英雄であった彼の面影は既に毒に置き換えられた。今の彼は、そういう災いと称するのがふさわしい。
【身長・体重】
180cm・73kg
【聖杯への願い】
日本及び日本民族すべての苦痛に満ちた死
【マスターへの態度】
玩具であり見世物。
和人である彼女を外道に堕とし、最後に屍の山の天辺で惨殺しようと考えている。
そのためなら多少の我慢は何のその。好物と楽しみは最後まで取っておいてこそ。
マスター
【名前】
輪堂天梨/Rindou Tenri
【性別】
女性
【年齢】
17
【属性】
秩序・善
【外見・性格】
毛先のカールした、薄紫色のショートカット。右目の下に泣きぼくろがある。
よく笑い、よく泣く。誰にでも優しく、そして誰にでも愛される少女。彼女がアイドルになった時、周りは誰もが納得を覚えた。
【身長・体重】
153cm・40kg
【魔術回路・特性】
質:B 量:D
特性:〈認識阻害〉
【魔術・異能】
魔術らしい魔術は持たない。少なくとも天梨自身はそう思っている。
だが彼女はその偶像性、彼女のファン風に言うなら〈天使性〉から、無意識にひとつの魔術を行使し続けている。
他人に敵意を向けられにくく、逆に好意は向けられやすい。魔力の消費も極端に少ないため、彼女はこれに気付いていない。
元の世界ではこの力を宿してはいなかったため、今の天梨は元々以上に完璧なアイドルとして完成されている。
なお、対面していない相手……例えば。"画面の向こうの誰か"とかには、効力を発揮できない。
【備考・設定】
アイドルグループ〈Angel March〉、通称〈エンジェ〉のセンター。
善良、素朴、そして人懐っこい。誰とでも分け隔てなく仲良くなれるタイプ。
高校生ながらその才能に注目した業界人からスカウトを受け、アイドルになった。
ファンからは〈天使〉と呼ばれている。名前の由来は「輪堂天梨→輪天→天使の輪っか→天使」。
現在、〈エンジェ〉はメンバーの複数名が男性ファンと個人的に関係を結んでいたことで炎上状態にある。
天梨はその手のつながりは作らず、ファンとも適度な距離感を保ち続けていたが、ファンの憶測と日頃から彼女の活躍を妬んでいたメンバーの虚言によって件の騒動の関係者ではないかと風評を流されている。
〈Angel March〉は天梨が加入する前からあったグループ。
なのに天使と呼ばれ、まるで象徴のような扱いをされる彼女を煩わしく思っている人間は、天梨が思っている以上に多かった。
【聖杯への願い】
なし。聖杯戦争自体に反対。どうにかして穏便に帰る手段を探したいと思っている。
今は。
【サーヴァントへの態度】
怖い人。だけどそれ以上に、可哀想な人。
助けてあげたいし、救ってあげたいと思う。
投下終了です。
候補話を投下します。
202X年の3月某日に地上波で流れたボクシング世界スーパーフェザー級のタイトルマッチの動画は、
ひとときの間SNSや投稿サイトで広く流布された。バズったのだ。
その内容はプロ入りから2年もせずに頂点へと上り詰めた、チャンピオンの強さを改めて認識させるだけのものだった。
キャリアだけは長い無名のチャレンジャーを1ラウンド目、1分も経たずにテクニカルノックアウト。
圧倒的な強さを誇っていたチャンピオンからすれば珍しくない試合内容であり、
今回はたまたまちょっと早めに決着したにすぎなかった。
バズった理由は負けたチャレンジャーにあった。
強烈なフィニッシュブローを受けてロープを乗り越え、リングを転げ落ちるほどの派手な倒れぶり。
ボクサーパンツから流れ出る黄土色の液体。それらが深夜帯とはいえ、隠す暇もなく地上波に流れた。
敗北されたチャレンジャーは"素材"となった。
"脱■KO"と検索エンジンに入力さればそのチャレンジャーの名がサジェストに挙がり、
ゲイポルノビデオの切り抜きと一緒にコラージュ動画化され、
彼の本名と排泄物をもじったあだ名は動画投稿サイトのタグとして残った。
良心あるボクシングファンが動画サイトの運営に通報しても"消したら増えます"などといったタグが付いて
結局今もインターネット上をデータとして漂い続けている。
幸いなのはSNSが動画共有のメインとなり、流行り廃りのサイクルが早まったことだろう。
その衝撃的なノックアウトシーンは1週間程度でインターネットの住民に飽きられ、
以後は下火となった動画共有サービス内でひっそりとおもちゃにされる程度のものとなるはずだった。
だが、その元チャレンジャーの"人気"は再燃した。
彼が河川敷でロードワークに勤しむ動画がSNSに投稿された。
もはや誰の眼に留まることもなく、タイムラインの果てに流れ去るだけの動画――ではなかった。
彼とすれ違う人、追い抜かれる人、追い抜く自転車、その全てが鼻と口とを押さえて飛び退くように彼を避けていた。
彼のスウェットパンツの裾からボロボロと、黄土色の泥状の物体が絶え間なくこぼれる様子が、
彼の走った軌跡にその汚物が列をなして残る様子が、その動画には記録されていた。
▲ ▲
おれは まけたのか
ちゃんぷ つよかったなあ
ぜんしん いたいし うまく しゃべれない
かんごしさんは おれを そとに だしてくれないし
こーちも おれに あいに こなくなった
もう じむにこなくて いいんだぞって
もう くるしまなくて いいんだぞって
おれもう ぼくしんぐ できないのかなあ
からだ こわれるまで がんばるって ちかったのに
まだ からだ うごくのに
ても あしも うごくのに
いたいの なんて もうなれっこなのに
なあ だれか おれをここから だしてくれよお
おれの てじょうを はずしてくれよお
からだが なまっちまうよ ちゃんぷに かてねえよ
とれーにんぐ させてくれよお
『――その望み、儂が叶えよう!』
▲ ▲
深夜、客の姿もまばらとなった中華料理のチェーン店でのことである。
店長である壮年の男は画面に表示されたオーダーを認めた。
客席のタブレットから遠隔で送られてくる注文である。
案内も待たずに席について、オーダーを寄越す客に少々の苛立ちを感じたが、
店長は3人前の油淋鶏を仕上げ、配膳ロボットで送り出した。
次の注文は生中ジョッキ。
店長自身で客に出そうとしてフロアに出て、違和感に気づいた。
客がいない。そして、鼻が痛い。鼻腔を冷たい刃物に刺されたような痛み。思わず鼻を押さえる。
あえぐように口で呼吸をして、痛みの正体に気づく。
アンモニア臭。フロア全体を満たしている。
客はテーブルに勘定を置いて逃げ出していた。生中を注文した客もだ。
あの臭い男をなんとかしろ
というなぐり書きと千円札2枚、そして食べかけのギョーザ定食がテーブルに残っている。
アンモニア臭の源は、最後にやってきた油淋鶏の客か。
だが入口から最も近いその席には、もう誰もいなかった。
あいつはホームレスか何かだったのか。
支払いは、スマホ決済とやらでレジに行くことなく終えている。
無銭飲食で警察を呼ぶこともできない。
悪い口コミが広まらなければいいがと、諦め顔で窓と扉をあけ、皿を片し始めた店長。
油淋鶏に味噌カツソースを掛けたおぼえはない。
中の肉だけが食われた油淋鶏の衣に、黄土色のソースが絡まり、鼻を刺す鋭い悪臭が漂っている。
取り落とした皿は割れることなく、粘ついた音を立てて床に張り付いた。
注文用のタブレットに、ベタベタと茶色い指紋が塗りたくられている。
座席には黒褐色の歪んだサッカーボール状の――硬い大便が、黄色い腸液とともに鎮座して湯気を立てていた。
生理的な嫌悪感が店長の背筋を電撃となって走った。
脳天で怒りへと変わったそれをぶつけるため、店長は店外に飛び出し、周囲を見回す。
泥のようなもので汚れたスウェットの後ろ姿を見つけ、怒声を投げつける。言葉にならない。ただ、怒声だ。
スウェット男は怒声に気づく前に、鼻を手で覆った警官に呼び止められていた。
男は警官のアゴにかすめるように腕を振った。寝落ちするように崩れおちる警官。
そのまま走り去ろうとするスウェット男を囲むようにパトカーが何台も現れ、
バタバタと現れる警官隊は、みなスウェット男の発する悪臭にたじろぎ、後ずさり、顔を歪めた。
中華屋の店長も、もはや遠巻きの野次馬の一人と仮していた。
盾持ちの警官が三人がかりでそいつをようやくおさえこんだところで――
そいつは
ゴ ボ ッ
突如として膨れ上がり
ボ チ ュ ン ッ ッ
爆ぜた。
ズ バ ー ー ー ー ー ー ー ン!!
男の尻が爆発し、褐色の粘液が武装警官を高々と弾き飛ばした。
ブリュバババババブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチ
ブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチ
消火栓を壊したかのように、男の尻から糞が吹き出していた。
ギョボボボッボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボ
グッボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボ
吹き出た糞が、道路を糞浸しにしてゆく。
ドババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババ
ザババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババ
応援に来たパトカーが、糞でスリップして電柱にぶつかった。
緩やかな坂道だったそこで、糞浸しになった道路に流れが生まれ、ゆっくりと周囲のモノと人を押し流し始めた。
ニュルゥーーーーーーーーーーーッ ズルゥーーーーーーーーーーーッ ヌチュゥーーーーーーーーーーーッ
カンカンカンとけたたましいチャイムの音が近づいてきた。消防車だ。
糞の河のなかでうつ伏せ、今や糞スーツをまとった怪人と化したそのスウェット男がゆらりと立ちあがった。
銀色の防火服に身を包んだ消防隊員がホースを向けた。
人体を破壊する水圧のホースを、だ。
バシュウウウウーーーーーーーーーーーー
男が尻を向け、
ビチィーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッ
下痢便の噴射を以て、消防車の水圧に真っ向から挑む。
吹き出る水と糞が激突し、拮抗する。アニメや特撮でしばしば見られる、破壊光線の力比べのように。
そして、あっさり糞が勝つ。ホースにねじ込まれる、超高糞圧の噴射。
消防車のタンクに叩き込まれた下痢便は、あっさりとその圧力限界を打ち破った。
バ チ ィ ー ー ー ー ー ン
ビチャビチャビチャビチャビチャビチャビチャビチャビチャビチャビチャビチャビチャビチャビチャビチャビチャ
バチャバチャバチャバチャバチャバチャバチャバチャバチャバチャバチャバチャバチャバチャバチャバチャバチャ
爆ぜた消防車タンクの水と混じり合ってふやけた糞は高々と舞い上がり、ビチ糞の雨となって降り注いだ。
店も、道路も、街灯も、民家も、車も、人も、全てが糞色に染まった。
中華屋の店主は笑っていた。
近辺の店舗はすべて、業種にかかわらず無期限の営業休止を宣言したという。
▲ ▲
春に3日の晴れなし、という言葉がある。
それはこの東京23区を模した箱庭でも同様であるようで、何もないはずの東京区外、はるか西の洋上で
爆弾のように育った低気圧が今まさにこの箱庭に来襲していた。
こんな日でも休みなしなのが辛いところだ、とラッシュアワーのビル街を行き交う人、人、人。
彼らの事情など素知らぬ顔で、湿り気混じりの突風がビルの谷間を吹き抜けた。
すると一拍の間をおいて、人波が止まる。
誰かがつぶやく。
臭い、と。
誰かが手の甲を見る。誰かが顔をぬぐい、突風がもたらした湿り気の正体を知る。
糞。雨粒のように細かい、糞混じりの突風。
群衆のそこかしこで挙がる、男と、女の、絶叫。
春の気まぐれな大気がうねり、再び突風が迫る。黄土色に――いや、黄金色に穢れた風が。
ビル陰に隠れようとへし合うサラリーマン、コンビニに駆け込もうとして、店員に押し出されるOL、
先を急ぐあまり横断歩道に駆け出し、信号無視のスポーツカーにストライクされる小学生の列。
もうどうでもいい、といった風に立ち尽くす、女学生たち。
風上には全高200m超の超高層ビルがそびえていた。
八重洲セントラルタワー。本来ならばで朝日を照らし鏡のように輝いているはずのガラス張りの巨塔が、
今やくすんだ黄金で穢されていた。
頂上から地階までが、滝のように流れ落ちる人糞によって。
ブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリ
「うっし あと じゅう おうふく」
『その前に屋上で一息ついていけ。そろそろインターバルの時間じゃ』
「おお そろそろ めしにしよう さらだちきんに ばなな
いっぱい ただでくれた ふとっぱらな みせだ」
『あの店は閉めるそうじゃったからな。在庫処分をもらえてよかったのう』
ビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチ
▲ ▲
あさしん おれ ちゃんぴおんに かてるかなあ
『貴様の戦いぶりの記憶をのぞいたが――』
うんうん
『もっと強く生まれ直さないと無理じゃと思うぞ。
(せっかく拾った命を捨てるとは、もったいないことをする)』
ほんねでも たてまえでも ぼこぼこかよ
おれは やるからな しんでも やるからな
それしか おれには もうないんだ
『そうしたければ、まずはこの戦いで生き残ることじゃ。サーヴァントは世界チャンピオンの1000倍は強いぞ』
あんたも さーゔぁんと だろ
『儂は別じゃ、この蝿の体で戦える訳なかろう。聖杯戦争に、フライ級だのといった階級はないんじゃぞ。
対戦相手は無差別級、この街すべてがリングと心得ろ。今は逃げ回って、敵が潰し合って減るのを待つんじゃ』
にげてばかりの やつは げんてんくらうんだぞ
『剣や槍や弓矢や騎馬でガチガチに武装した連中に、素手で挑む酔狂がどこにいる。
奴らに遭ったら逃げろ。(そして東京を糞で覆うんじゃ)』
でもな あさしん
もし
もしも だぜ
もし さーゔぁんとに なまみの こぶしで かてたら
おれは せかいちゃんぴおんより つよい ってことかなあ
『――夢物語のようなことを言う』
ずっと そういわれてきたよ
おれ ずっと な
ゆめみたいなことを って
【クラス】
アサシン
【真名】
"糞山の王"ベルゼブブ@コラン・ド・プランシー著『地獄の辞典』など
【属性】
混沌・悪
【ステータス】
筋力E 耐久E 敏捷A 魔力C 幸運E 宝具E
【クラススキル】
気配遮断:A
サーヴァントとしての気配を絶つスキル。
攻撃態勢に移った際は大きくランクが落ちるが、そもアサシンは攻撃能力がほぼ皆無である。
【保有スキル】
暴食の大罪:A
アサシンを貶めた神格によってあてがわれた罪業。無辜の怪物に類似するスキル。
マスターに無限の食欲と消化能力を付与することができる。
気休め程度の魔力の補充のほか、後述の宝具の"材料"にもなる。
人体改造:C
ハエの姿で現界したアサシンは、ハエ目の生態を以て人体を改造する。
すなわち、ウマバエ科の一種が蝿蛆(ヨウソ)症の一種として人体に寄生するように、
アサシンもマスターの脳内をすみかとしつつ、認識の改変などを伴う脳改造を施す。
現マスターには既に自身の排泄物への忌避感を奪う、
アサシンの任意の相手を敵対者と認識させるなどの脳改造を済ませている。
また、傷口に蛆虫を植え付けて損傷した肉体組織を喰らわせ、傷の治癒を促す。
人間会話:E
ハエの姿であるアサシンは人語を発声することができないが、羽音で人語を再現し、発話することができる。
念話は普通に使えるため、マスターとのコミュニケーションをとるという点では無意味。
【宝具】
『最も卑近な呪われし黄金(Tsunami of Gold)』
ランク:E 種別:対人宝具 レンジ:1 最大捕捉:1
宿主とするマスターから途方もない量の人糞を排泄させる、ただそれだけの宝具。
この宝具により生成された人糞は、排泄直後なら武器に塗りつけることでサーヴァントに有効な攻撃手段となりうるが、
それ以外に特別な効果を持たない。ただただ不潔で不快な、人糞を撒き散らすだけの宝具である。
一タルのワインに糞を一片落とせば、それは一タルの糞と化す。
いかなる聖剣だろうと、糞を断てば、それは糞の付いた聖剣となる。
英傑、聖女、神格――糞を浴びせれば、それらは"糞にまみれた"という枕詞から逃げることができない。
1gの人糞には大腸菌群だけで10億個が含まれるとされる。
それを水で希釈して、水浴に適した水質とするには約30万リットルの水が必要である。
人糞を肥料として利用するには、季節にもよるが肥溜めで1週間以上の発酵を要する。
黒色火薬の材料とするには、少なくとも1年以上。
大量の新鮮な人糞は、誰にとっても手を焼く厄介者なのである。
【weapon】
ハエの姿であるアサシンに、他サーヴァントに対する有効な攻撃手段は何ひとつ、ない。
宝具により排泄させたマスターの糞が唯一の武器である。
それを振るうにも、マスターに寄生して上手く操らなければならない。
マスターが倒れた場合の最後の手段として、別のマスターの体内に入り込むことができる。
ただし、そこからサーヴァントとしての契約を結ぶには当然、マスターの同意を得る必要がある。
【人物背景】
かつてカナンの地(現在のイスラエル)でバアル・ゼブル(至高の王)として崇められた神格は
他の神格により、悪霊の頭として、また、蝿の王として貶められた。
彼を貶めた神格は時を経るごとに強大さを増し、汚名を返上することはもはや不可能だった。
彼と同様に貶められ、忘却の果てに消えていった神格に比べれば、
名前が残されている彼はまだ幸運な方だと思った。
ゆえに彼は、蝿の王、糞の王などといった悪名を、喜んで被るようになった。
【外見・性格】
全長1cmに届くかどうかの、ハエの姿。羽にはドクロが描かれている。
上述の経緯で、完全に心を折られた彼は、ひたすら卑屈で、生き汚くなってしまった。
【聖杯への願い】
ただただ、消えたくない。忘れ去られたくない。
かつての信仰を得ようとも思わない。また力を得ても、それより巨大な力に叩き潰されるのがオチだ。
そもそも信仰という力じたい、時代遅れとなってしまった。
ならば嫌悪される存在としての方が、まだ生き残る道がある。
この戦争に勝利できるとは全く思っていない。
この東京という世界一清潔な街を目一杯に汚して人々の記憶に残すことが行動原理である
。
【マスターへの態度】
丈夫でよく動き、扱いやすくて重宝している。なるべく長く使いたい。
マスターの境遇に対して、多少同情するところはある。
【名前】肥前 勉/Hizen Tsutomu
【性別】男性
【年齢】32
【属性】喪失(混沌・善)
【外見・性格】
潰れた鼻、飛び出た頬骨と額、幾度も腫れ上がり膨れたまぶたに覆われた、細い目。
その容貌は長くプロボクシングの世界で苦闘してきた証。
短髪を逆立てた刈り上げの髪。焔があしらわれた派手なデザインのスウェットパーカー。
腕には拳を保護するバンデージ。
それら全てが茶色く薄汚れ、人糞の悪臭を放っている。
本人がそれを気にする様子はない。
【身長・体重】
170cm/58.5kg
【魔術回路・特性】
質:E 量:E
特性:なし。
魔術とは生まれも育ちも無縁であり、この聖杯戦争に呼び出されるにあたって最低限のものを配られたにすぎない。
【魔術・異能】
魔術や異能の類は一切有していない。
元・プロボクシング スーパーフェザー級 世界ランキング 第10位。
【備考・設定】
人生における青春の時節、天に輝く星に眼を灼かれた者は、数多にいる。
彼の眼と脳を灼いたのは、12歳の頃に児童養護施設のテレビで見た、勝鬨の拳の中で輝く黄金のチャンピオンベルトだった。
彼はひたすらに拳を振るい、殴られ、倒れ、立ち上がり、地上で輝く黄金の星へと手を伸ばした。
反応速度・パンチ力・リーチ――ボクサーとして目立った素質は特になく――
ただ、打たれ強さと、それを支える努力という才能だけは、確かにあった。
たっぷり12ラウンドの泥仕合を戦い抜いて判定に持ち込む、冴えないファイトが彼の勝ち筋だった。
プロ戦績70戦、45勝(10KO)、20敗、5引き分けという戦績は、
チャンピオン候補としては異例の苦難の道のりといってよかった。
それでも、彼は世界ランキングの第10位まで這い上がり、チャンピオンへの挑戦権を得た。
2年に満たない年月で彼を追い越し頂点に立ったチャンピオンの前に、彼は1ラウンド46秒でテクニカルノックアウトを喫した。
一方的に攻め立てられる中で放った苦し紛れのワンツーに、チャンピオンが全力の踏み込みでカウンターを合わせた。
彼は鼻柱を完全に叩き潰されてリングロープを乗り越え、頭からリングアウトした。
気を失ってケイレンしながら糞尿を失禁する様子までが地上波放送され、
数々の動画の"素材"となりインターネット上で広まった。
3日の後に意識を取り戻した彼は、目指した星の輝きで身を灼いた余燼と仮していた。
苦闘の連続で脳や内臓に蓄積されたダメージはもはや回復不能だった。
チャンプの拳が最後の一押しだった。
彼は大部分の発話能力を失い、人の顔の区別がつかず――排泄の制御機能も失われ、
自分の股から流れ出る"それら"がいかに不潔であるかも忘れ果て、バンデージに塗る松ヤニくらいにしか思わなくなった。
【聖杯への願い】
せかいちゃんぴおんに また ちょうせんする
【サーヴァントへの態度】
すがたを みせないが いい とれーなーだ
すぱーりんぐの あいてを いっぱい さがしてくれるし からだの いたみも きえた
投下を終了します。
投下します。
――――夢を見ている。
夢だ。
芝居を見る夢。
芝居を演る夢。
自分は壇上に立っている。
スポットライトが壇上を照らしている。
真っ暗な観客席はがらんどう。
遠くに立派なお屋敷の大道具。
近くに鬱蒼と生い茂る木々の大道具。
これが夢だとわかるのは――――自分に芝居を演じた経験なんて、一度も無いから。
そして、この夢を見るのが初めてではないから。
嗚呼、そうだ。
知っている。
この夢の事を知っている。
この夢の主を知っている。
魔力のパスを通じて、あの従僕の記憶と夢で繋がって混ざっている。
そういうからくり。
サーヴァントの生前、あるいは魂の奥底にあるもの、そういうものの追体験。
そもそもにして、あのサーヴァントに本当に“生前”などというものがあるのか、疑わしいが。
それでもこれは確かに、サーヴァントの記録と己の記憶が混ざり合ってできた、つまらない悪夢に違いない。
スポットライトの熱が、肌をちりちりと焼いている。
熱い。
不快だ。
けれどその感覚は手足や顔よりも、胸の奥から湧き出ている。
焼けるように胸が熱い。
いや、あるいは本当に焼けているのか。
薪をくべ過ぎた暖炉のように、煌々と、ごうごうと、心の臓が燃えているのか。
そう思わせるほどに熱い胸を抑えながら、自分は歩を進めて行く。
ごうごう。
ごうごう。
風景が変わる。
炎に包まれていく。
閉じた幕を焼くように、がらんどうの観客席が炎に消えていく。
大道具が焼け落ち、暗い、暗い夜の中に飲み込まれていく。
嗚呼――――舌打ちする。
この夢は、混ざっている。
サーヴァントの記録と、己の記憶とが。
戦争の記憶。
いくつも越えてきた戦場の記憶――――ではない。違う。
……そう、戦争の記憶。
これは、戦争の記憶なのだ。
自分は歩を進めて行く。
数多の景色が後方へと流れていく。
心臓が熱い。
風景が焼けていく。
――――――――少女がいる。
キャンパスのように白い髪。
ありふれた学生服を着た、どこにでもいるような少女。
その姿が浮かんで、消える。
後方へと流れていく。
また浮かんで、消える。
いくつも、いくつも、その少女の姿が浮かんで、消えていく。
その少女は――――笑っていた。
泣いていた。
怒っていた。
笑っていた。
踊っていた。
笑っていた。
いくつもの表情。
その多くは無垢な笑顔。
世間を知らず、邪悪を知らず、けれどとびっきりに邪悪な、無垢の笑顔。
そのいくつもが浮かんで消える度に――――嗚呼、胸が、熱を帯びていく。
燃えるように。
焼けるように。
ごうごう、ごうごう、と胸が熱くなる。
その苦しみから逃れるように、歩を進めて行く。
歯を食い縛る。
脂汗が滲む。
時に敵であった少女。
時に利用していた少女。
そして最後には殺そうとして――――自分を殺した、あの少女。
その全てで、踊るように笑みを浮かべていた、あの少女。
残影が後方へ消えていく。
違う。
ふと気づく。
その全てが、消えぬまま光を放っていることに。
暗い夜の世界が、少女の残影が放つ光に食い破られていることに。
前を見る。
自分は動揺している――――怯えている?
そこにはまた、最初にあったような立派な屋敷があり、そびえるようにバルコニーが見える。
バルコニーには、輝きがある。
白く、あらゆる色が混ざっていて、けれど白い、眩い輝きがある。
咄嗟に目を覆う。
熱い。
焼けるように。
あの光だ。
あの光が、自分を焼いているのだ。
けれど自分は、歩を進めてしまう。
己を焼く光を目指し、その肉体が焼け落ちながら、それでもなお、前へ、前へ――――あの光の下へ。
なんだ。
なんなんだ、あの光は。
まるで太陽のように眩く輝く、あの美しい光は――――――――――――
◆ ◆ ◆
「――――――――――――喰らいなさいッ!!!」
つららにも似た氷の刃が、次々と飛んでいく。
ロケットにも似て夜を切り裂き、目の前の男に飛んでいく。
刃の主は、女である。
古びた懐中時計を手にし、仮想の東京に呼ばれた女である。
魔術というものを知らず、しかしこの地に呼び出された際に才能を開花させた、女である。
幸いなことに、彼女には才能があった。
少なくとも、この聖杯戦争という殺し合いの舞台に必要なだけの才能が。
氷を“召喚”し、射出する魔術――――あまりに単純だが、しかし殺傷には十分な能力。
まだ扱いに習熟しているとは言えないが、けれど彼女には頼れる相棒もいた。
セイバー。
遠く古代ギリシャ、トロイア戦争に名を連ねる偉大な英雄。
不勉強な彼女はその名前を知らなかったが、神話の時代の英雄というものはただそれだけで上位の格を有する――――らしい。セイバー本人の弁だ。
ともあれ、“彼”との二人三脚。
始まった聖杯戦争。
主従の仲は良好で……実を言うとちょっとだけ、彼女はセイバーに惹かれていて。
そんな日々の、とある夜に――――――――――――
「――――あまり暴れないでくれよな、お嬢ちゃん」
…………“彼ら”は、来た。
屈強で、大柄な、厚手のトレンチコートを着た男性。
日本人ではあるまい。
その予想の根拠となる、褐色の肌と闇色の短髪。
袖から覗く手と、外気に触れる顔には、複雑な紋様が刺青として刻まれているのが見える。
恐らく、コートの下にもそれは及んでいるのだろう。もしかすると、全身に。
年のころは、せいぜいが四十台といったところだろうか。
どこか虎を思わせるような、獰猛で威圧的な印象の男。
宝石のような紫色の瞳をして、つまらなそうな視線を向けている。
その男が軽く手で空を払うと――――氷の刃が、“何か”に阻まれてあらぬ方向へ逸れていく。
「あんたのセイバーは、中々有望な“選択肢”だったが……あんた方はどうにも仲が良さそうだし、バーサーカーがあれじゃあな……」
「くっ、この……!!」
続いて第二波、第三波。
次々と氷の刃を飛ばす。
その全てが、やはり“何か”に阻まれて逸れていく。
違う。
徐々に見えてくる。
見えてきている。
“何か”ではない。
「風……!?」
「おお、正解だ。よく分かったな」
風だ。
男の周囲に渦巻く風が、障壁となって氷を阻んでいる。
指揮者のように振るう手が、風の防壁を生み出している。
風を操る魔術。そういうもの。
ならば――――――――
「なら、これで……ッ!!」
「ふむ。まぁ解答としてはそう間違ったものじゃあないが――」
頭上に作り出すのは、巨大な氷塊。
単純にして明快な回答。
風の防壁で逸らせないほどの、大質量を叩き付ける。
直径1mにはなろうかという大氷塊が夜闇を冷却し、十分な魔力を充填させて。
「……無駄だ。やめておけ」
「――――――――うるさいっ!!!!」
大砲のように、真っ直ぐに射出。
着弾。
轟音。
砕けた氷が大気を冷やし、冷えた空気がスモークを焚いて――――
「――――――――――――もっと冷静に考えろ」
………………。
いる。
立っている。
悠然と。
傷ひとつなく。
砕けた氷塊のすぐ傍で、男は当然のようにそこにいる。
「俺がそれをかわさない道理が今、どこにあった? そんな見え見えで大ぶりな大砲を、わざわざ喰らってやる趣味はないぜ」
歯噛みする。
子供を諭すような、叱りつけるような、そんな言葉。
その紫の瞳が無感情に、女を見竦めている。
女の顔がカッと熱くなる。
怒りか、羞恥か。あるいは戦闘の興奮か。
焦りはある。
心臓の鼓動を加速させるような、焦燥が。
「アンタなんかに、構ってる暇は……!!」
「…………心配か、あんたの王子様が」
「っ、うるさいッ!!!!」
めちゃくちゃに、乱暴に撃ちだす氷刃の嵐は……やはり、ひとっつも当たることは無く。
「なぁ……やめようぜ、お嬢ちゃん。わかってるだろ? 俺はあんたを傷付けるつもりはないし、あんたに俺を傷付けることはできない……意味が無いんだよ、こんなことには」
呆れたような声色。
腹立たしい。
悔しい。泣きたくなる。
子供を諭すような……ということは、子ども扱いをされているのだ、
事実として、それだけの年齢差があった。
恐らく戦闘者としての経験は、それ以上に隔絶している。
「俺たちは、サーヴァントの戦いが終わるのを待っていればいい。……あんたとしても、その方がまだ目があるんじゃないか?」
「それでも……私は、約束したから……!!」
それでも。
それでも、だ。
だからこそ、なのだ。
歯を食い縛る。
今こうしている間にも、セイバーは敵――――バーサーカーだというあの美青年と戦っているはずなのだ。
狂戦士という名にそぐわない美しさの、しかし確かに様子のおかしい、あのサーヴァントと。
助けに行かなくてはいけない。
あるいは、助けに来てくれるかもしれない。
いずれにせよ、ここで自分が戦わない理由はない。
約束したのだ。
一緒に戦う、と約束をかわしたのだ。
だから、退けない。
ここで退くわけにはいかない。
女はキッと力強く男を睨み、もう随分消耗してしまった魔力を必死に練り上げて、夢中で氷の刃を飛ばした。
「……約束、ね。“意気込み”の間違いだろうに……よくやるもんだ。皮肉だぜ、これは」
当然のように、それら全ては通用しない。
連打を狙おうと一撃を狙おうと、足を使ってかき回そうと軌道に工夫を凝らそうと――――その全てが無造作に、意味を成さずに拒絶されていく。
次はどうする。
次は、次は、次は――――――――そうして必死に頭を巡らせて、だから気付かなかった。
……気付かなかったのだ。
それだけは絶対に、気付いているべきだったのに。
「おっと――――――――悪いなお嬢ちゃん。“時間切れ”だ」
言葉と同時に、男の姿が消える。
夜の密林に消える虎のように。
紫の眼光を残して、闇に溶け込むように男が消えていく。
灯火のように残った紫の光が、やはり灯火のようにかき消えて。
「なっ、に、逃げるな……っ!!」
慌てて追いかけようとする。
手当たり次第に氷の刃を飛ばす。
当たるわけがない。
わかっている。
どうする。
どうする。
時間切れ?
敵を逃してしまった。
追いかける――――否、否、否。
違う。
追いかけてどうする。
そうじゃない。
セイバーと合流。これが正解。
バーサーカーと戦っているであろうセイバーに加勢して――――
「嗚呼――――――――――――待たせたね、『ジュリエット』」
その言葉は、歌うように。
「夜の闇の中にあって、都市の光よりもなお眩く僕を導く光。僕の心に行き先を示してくれる灯台の君」
そして、踊るように。
軽やかに、歓喜と共に、その青年は躍り出る。
月下に広がる暗い夜の中で、その暗闇をかき消すかの如き美貌と、熱量を胸にしながら。
頬を返り血で汚し、腰に細剣を佩いた、美青年が。
現れる。
近付いてくる。
歩み寄る。
激戦の痕跡をその身に写し、しかしそんなことはおくびにも出さないような、喜びと感謝に満ちた笑顔で。
……セイバー、ではない。
違う。
彼は。
この男は。
「『あちらは東、ならばジュリエットは太陽だ! 昇れ太陽よ、妬み深い月の光を消せ!』……やはりキミは、僕のジュリエットだ」
「バーサーカー……ッ!!」
バーサーカー。
狂戦士。
あの男のサーヴァント。
彼女のことをジュリエットと呼び、熱病に浮かされたように甘い言葉を囁く気狂い。
「会いたかった……会いたかったよジュリエット。僕たちを結ぶ運命の糸を手繰り寄せ、今ようやく僕たちはまた愛を囁くことができる!」
青年は歌う。
さながらギリシャ彫刻のように美しい、金髪の青年である。
仕立てのいいシャツ、バラの刺繍をあしらったコート。
長いまつ毛がかかった瞳には爛々とした輝きが宿り、そのアンニュイな吐息にはえも知れぬ色気が混ざる。
上気した頬はルビーの煌めき、伸ばす指先は真珠の枝、歌い上げる声は天使の囁き。
それそのものが、その振る舞いの全てが、天上の芸術品であるかのような美青年。
「さぁ! 再び僕らは夫婦になろう! 僕は向日葵、キミという太陽の光を浴びる向日葵だっ!!」
歓喜の歌を奏でながら、青年は“彼女”に向かって手を伸ばす。
血に濡れた指先。
女は身じろぎして、たたらを踏むように距離を取る。
その血の主は、つまり。
「そんな……せ、セイバー……? セイバーはどうしたの……!?」
彼と戦っていたあの人は、今。
その名を出せばバーサーカーはその瞳を僅かに伏せ、目じりに涙すら浮かべた。
「セイバー……彼には悪いことをしてしまった」
嘆いている。
悲しんでいる。
悪いこと?
なにを、という疑問はハリボテの伽藍洞。
知っている。
わかっている。
けれど自分が、認めたくないだけ。
「立場と行き違いが、僕らに刃を握らせた……パリスの時と同じだ。彼もまた、キミを守ろうとしただけであろうに」
パリス。
その名前はきっと、トロイア戦争の引き金になった英雄ではない。
彼が忌々しげに語った、牛飼いの王子のことではない。
この美青年の真名には見当がついている。
当たり前だ。
熱っぽい瞳で惚れた女を“ジュリエット”と呼ぶ美青年の名など、見当をつけるなという方が無理がある。
でも、違う、そんなことより。
「じゃ、じゃあ、セイバーは……」
「――――死んでしまったよ。僕の刃が彼の心臓を貫き、彼は塵のように消えてしまった……」
カッ、と。
怒りとか悲しみとか、色々な感情がない交ぜになって、一気に爆発する。
セイバー。
セイバー。
優しくて、強くて、かっこよかったあの人が。
死んだのか。
負けたのか。
せいぜいが中世の、創作物の、それもロマンスの主人公に過ぎない、この男に。
神話の時代、生粋の戦士として戦場を駆け抜けたあの男が、負けたというのか。
「嘘……嘘よ……!!」
「ジュリエット……優しい君よ。どうか許して欲しい。僕はまた、罪を犯したのだ。ティボルトを殺したように。パリスを殺したように……」
歌うように懺悔するバーサーカー。
どうする。
どうするも、こうするも――――セイバーはもう、いないのだ。
勝てるのか。
勝てるわけはない。
けれど、けれど……戦わなかったら、どうなるのだ?
この男はきっと、自分のことを“運命の恋人”だと誤認している。
誤認している間は、まだいい。
けれどそれが誤認だと気付いた時――――この気狂いは、果たしてどんな行動を取るのだ?
恐怖。
それがゆっくりと、かまくびを持ち上げる。
もう、自分を守ってくれるセイバーはいないのだ。
急に裸で外に放り出されたような、焦燥と絶望と孤独。
どうする。
どうする。
一体どうすれば――――――――
『――――――――助けてやろう、お嬢ちゃん』
「っ、!?」
……女の耳を打つ、男の声。
先ほどまで戦っていた、獰猛な虎を思わせる紫の瞳の男。その声。
見渡せど、姿はない。
「……ジュリエット? どうしたんだい?」
どうもバーサーカーにも、聞こえていない。
「だ、だって、今……」
『あんたにしか聞こえてない。……風に声を運ばせてるんだよ。声ってのは空気の振動だからな。わかるか?』
風に、声を。
…………男は風を自在に操れるようだった。
他にも手札はありそうでもあったが……その能力の応用として、遠話を仕掛けてきているのか。
わざわざ、自らの従僕にも聞こえないようにする意味はなんだ?
その疑問は予測済みと言わんばかりに、補足が入る。
『まぁお察しの通りだが……バーサーカーは少し不安定でな。俺はあまり刺激したくないし、恩もある程度売っておきたい。そしてあんたも、こいつに殺されたくはないだろ?』
殺される――――――――――――
……当然だが、そうだ。
その可能性は、あるのだ。
彼は敵対するサーヴァントであり、気の狂った狂戦士なのだから。
マスターであるこの男がそう言うからには、そうなのだろう。
恐怖。恐怖。恐怖。
『――――――――そこで、提案だ』
その囁きは、果たして悪魔のそれか。
気さくに、淡々と、無感動に。
男の声は、闇の中から耳を打つ。
『俺はあんたの安全……バーサーカーや俺があんたを傷付けないように保証する。その代わり、あんたは俺に従う。……なに、こいつの茶番にちょっと付き合ってくれればいいんだよ』
「心配なのかい? ジュリエット……嗚呼、無理もない! 優しい君が、こんな恐ろしい戦いに巻き込まれてしまったのだから……」
二つの声が、同時に迫ってくる。
マスターの声が聞こえていないバーサーカーは、お構いなしに声をかけてくる。
頭が混乱してくる。
だというのに虎の男の声は、いやに胸に響いた。
バーサーカーは、何を言っているのかわからない。
『いつまでもって訳じゃない。まぁ一日ってとこか……それだけ付き合ってくれたら、俺はあんたを解放するし、その間のあんたの無事は約束する。悪い話じゃないだろ?』
「そ、そんなの……」
『断るなら……まぁ残念だが、しょうがねぇ。俺はバーサーカーの好きにさせるよ』
「嗚呼……そんなことは無い、と? ジュリエット……確かにそうだ! 僕もキミと共にいられるのなら、何も恐ろしくはない……!」
バーサーカーが勝手に盛り上がっている。
興奮気味に、女の手を握り締める。
力強く。
もう二度と離さない、と言わんばかりに。
ひ、と声が漏れた。
怖い。
怖い。
恐ろしい。
この狂人の手の中にあるのは、とてつもなく恐ろしい。
「誓おう……ジュリエット。今再び、僕はキミの中で生きよう。だからキミの魂も、僕の中に寄越してくれるだろうか。夫婦の契りを結ぼうじゃないか!」
『どうする? その気ならあんたは自分の名に誓って、魔術師として宣言すればいい。“私は貴方の提案した契約に同意します”、ってな』
至近距離で、バーサーカーの宝石のような瞳がこちらを覗き込んでくる。
それはどこまでも吸い込まれるような、深淵にも似ていて。
セイバー。
セイバー。
呼べば笑いかけて、守ってくれた貴方は、もういないと言うのなら。
せめて――――死にたくはない。
貴方が守ろうとしてくれたこの命を、捨てたくはない。
がちがちと震える歯を必死に宥めながら、今すぐ叫んで気絶してしまいたい衝動を抑えながら、女はゆっくりと、しかし力強く答える。
「わ、私は――――■■■■は、こ、ここ、この名前に誓って、貴方の提案した契約に、どう、同意、します……っ!!」
なんて無様な命乞い。
けれど助かるにはもう、これしかないのだ。
その宣誓をプロポーズへの答えだと認識したバーサーカーが、喜びに顔をほころばせる。
「嗚呼、ジュリエット……!! もう離さない、決して離すもんか!!」
力強く、けれど恭しく、そして情熱的な抱擁。
『――――――――ノクト・サムスタンプの名において、宣誓を受理する。ここに契約は成立した』
熱い。
胸が。
違う。
何か、体の奥底にあるなにかが、あつい。
『……魔術師が持ち掛けた契約に乗っかるってのはな、お嬢ちゃん』
あたまが。
ちがう。
意識が、なんだか、急に、ふわふわと、どこか遠のいて。
『“終わり”だぜ――――――――ありがとうよ、ド素人』
ひ、と。
声を、出そうとして。
出ない。
ちがう。
これは。
両腕が。
勝手にバーサーカーに抱擁を返して。
「『嗚呼――――ありがとう。私たちはまたこうして、夫婦になれるのね――――』」
知らない言葉を、口から出している。
なんだ。
自由が利かない。
言葉と体が、勝手に。
『――――――――契約条項、“あんたは俺に従う”。……じゃ、しばらく色男と遊んでやってくれや』
――――嗚呼。
これが狡猾とすら呼べない、見え透いた罠だったのだと今更気付いて――――――――女の体は自動的に微笑み、狂戦士に愛を囁いた。
◆ ◆ ◆
夜明けと共に、“三人”は拠点として宿泊しているビジネスホテルに帰還して。
夫婦の仲に水を差すつもりはない、とノクト・サムスタンプはさっさと眠ってしまって。
それから――――太陽が頭上に差し掛かった頃にノクトが起床すると。
「――――――――――――恋と太陽は、いっそおぞましいほどによく似ている」
美青年……バーサーカーはアンニュイな嘆息と共に、窓から外を眺めていた。
陽の光を浴びながら窓の桟に腰掛けるその姿は、写真に撮ればひとつの芸術として美術館に飾ることも許されよう。
そんな、まさしく絵に描いたような美青年の呟きに――――ノクトは「ああ」とか、そういう気のない返事をする。
その相槌に視線をやり、物憂げに眼を伏せてから、美青年はやや芝居がかって大袈裟にかぶりを振った。
「愛する彼女の輝きは朝日のように眩く我が身を焼き、けれどその炎はやがて……地平線の向こうへと消え、闇が訪れる」
「……ああ……つまりその……」
「…………おはよう、マスター。彼女は……『ジュリエット』は、いなくなってしまったよ」
嗚呼ッ!
なんたる悲劇であろう!
時を超え世界を越え、奇跡のように再開した恋人たちは、けれど運命の悪戯によってまたしても引き裂かれてしまう……
そのような残酷すぎる神の気まぐれに、美青年はこの世の絶望の全てを湛えたかのような瞳で部屋の中を見渡す。
そこにはもはや、“彼女”はいない。
もう、いないのだ。
「どうしてだ、ジュリエット……どうしてキミはまた、僕を置いて行ってしまうんだ……!!」
嘆きと共に、涙が流れる。
マスター……ノクト・サムスタンプというその魔術師は、あまり興味が無さそうに身支度をしている。
『ジュリエット』が消えた理由は明白だ。
サーヴァントを失ったマスターは、数時間後にこの仮想世界から消滅する。
その単純明快なルールがあの女を消滅させただけ。
契約通り、ノクトもバーサーカーも彼女を傷付けてはいない。
ただそれを、バーサーカーがさも悲劇のように認識しているだけのこと。
「――――――――かれこれ、“三度目”か」
そう。
このような出来事は……つまり、バーサーカーが『ジュリエット』と見染めた女性と出会い、しかし悲劇的に別れるのは、これで三度目であった。
「僕の胸はもう張り裂けてしまいそうだ……鉄のハインリヒの悲しみを抑え込んだタガでさえ、僕のこの悲しみの前では紙切れのように千切れてしまうだろうね……」
…………さて。
そろそろ、説明せねばなるまい。
バーサーカーの――――――――――――英霊『ロミオ』の、狂える性質について。
といっても、複雑な話にはならない。
英霊ロミオ。
誰もが知る悲恋劇『ロミオとジュリエット』の主人公その人。
禁じられた恋に狂い、身を焦がし、悲劇的に果てた美青年。
その――――狂気と呼ぶに相応しい恋心により、彼は狂戦士のクラスを以て現界するに至った。
そして彼は、“惚れっぽい”のだ。
酷く。
あまりに酷く。
可憐な女子を見かけたが最後、彼の狂気はこう囁くのだ。
――――嗚呼、あれこそはまさしく、我が恋人ジュリエットの生まれ変わりに違いないぞ。
彼はそのように誤認して、なんとしてでも再び彼女と結ばれようとする。
もしもその道行きを阻むものがあるのなら、彼は容赦なくそれを切り捨てるだろう。
……『ロミオとジュリエット』は恋愛悲劇。
主題では無いからこそ、と見るべきか……怒れるロミオは、恐ろしく強い。
原作中で二度の決闘を難なく制したその実力は、サーヴァントとして現界するにあたって宝具として昇華された。
愛する者のためならば、際限なく強くなる――――そんな馬鹿げた宝具の力は、神代の英雄を正面から下した昨夜の戦いで証明済み。
強い。
けれど、扱いづらい。
狂える恋に身を焦がすバーサーカーは、誰のために戦うかも予測不可能な暴走特急。
手駒としては、最悪の部類と言っていいだろう。
ほどほどに機嫌を取っておき、頃合いを見て他のサーヴァントに乗り換えるべきだ――――というのが、ノクトの所感である。
それが簡単なことではないと理解はしているが、かといって彼と共に聖杯戦争を生き抜くのはいささか無理がある。
――――――――“前回”の相棒は、さて。
果たしてどんな手合いだったか……掠れた記憶は、答えを返さない。
ノクト・サムスタンプは、聖杯戦争の参加者だった。
だった、というからには過去形で――――つまり、この聖杯戦争の話ではない。
今となっては“第一次”の枕詞が付く前日譚。
七人の魔術師と七騎の英霊が集う、最小最大の神秘の戦争。
ノクトは魔術師であり、魔術使いであり、傭兵だった。
金で雇われ、聖杯を持ち帰って依頼主に献上する猟犬。
研究に先が無いとして家を畳んだ魔術師が、隠居を目論んで大きい仕事に手を出して――――下手を打って死んだ、というくだらない話。
けれどその命は無理やりに繋ぎ直され、今またこうして、聖杯戦争の参加者として戦うことを余儀なくされている。
前の聖杯戦争のことは、何も覚えていない。
自分がどんなサーヴァントを召喚していたのかすら、覚えていない。
……まぁ多分、このバーサーカーよりはまともな英雄ではあっただろう。
そして――――多分キャスターでも、なかっただろう。
その英霊は、“彼女”が従えるものだったから。
…………嗚呼。
己の相棒は覚えていないというのに、けれど。
覚えている。
彼女のことだけは、記憶に焼き付いている。
白い髪の少女。
信じられないほどに無垢で、未熟で、完璧で、完全で、不安定で、輝いていた、少女。
神寂祓葉。
……その名を思い浮かべるだけで、他の記憶の全てが急速に色褪せていく。
出来損ないのキャスターを呼んだ、巻き込まれただけの一般人。
精々利用してやろう、と思った。
舞台の上で踊らせて、うまく使ってやろうと思っていた。
時に手を貸した。
呆気なく敗退させてしまうよりは、生かして恩を売れば使い道もあるだろうと思ったから。
時に罠にかけた。
否応無く他の陣営と戦わせて、より強い陣営の手札を引き出す当て馬にしようと算段を立てたから。
時に命を狙った。
いつでも殺せる弱小陣営だと思っていた彼女たちが、いつしか無視できないほどに強いことに気付いてしまったから。
そして――――――――あの少女は踊るように、ノクトを殺した。
なんて、下らない最期だろう。
合理を気取り、賢者を気取り、策士を気取って、無様に死んだ。
あまりに下らなくって、思わず笑ってしまうほどだった。
舞台の上で可憐に踊るあの少女は、ライトも喝采も独り占めするプリマドンナだったわけだ。
理不尽に不合理に、全ての障害を踏み越えて踊る麗しの乙女。
その演目を最後まで見ることができないのが、僅かばかりに心残りだなと思った。
どこかの別の誰かが、彼女の舞台の終幕を見届けるのだろう。
そのことを酷く、口惜しいと思いながら死んだ。
常に合理的な思考を尊ぶノクトには似合わない、気の迷いのような思考だと今では思う。
けれどあの時、あの瞬間――――ノクトは確かに、そんなことを思いながら死んだ。
あの少女を独り占めにしてしまいたいと、下らないことを思いながら。
「…………………マスターは、平気かい?」
――――――――意識が現在に戻る。
気付けばバーサーカーは心配そうに、ノクトの顔を覗き込んでいた。
「ああ? ……何の話だよ」
「キミの話さ。わかるよ、マスター」
イカれた狂戦士に、何が分かるというのか。
内心でそう見下すノクトを気遣うように、しかし同時にどこか誇らしげに、バーサーカーは儚げに微笑んだ。
「恋を、しているんだろう?」
――――それがあまりにも、当然のように話すものだから。
「……ハッ。そうかね」
不思議と否定する気も湧き起らず、ノクトはシニカルな苦笑を浮かべた。
「嗚呼! 恋は盲目と人は言うが、それならばどうして僕たちの胸は彼の矢で貫かれるのだろう? せめてその矢が、僕とジュリエットの心臓から滴る血で十分に満足してくれればいいものを……」
「自分で答え、言ってるじゃねぇか。……意地悪なんだろ、恋のカミサマって奴はよ」
下らない。
吹き出しそうになる。
恋。
恋?
恋と言ったのか、この男は!
このノクト・サムスタンプが恋をしていると、そう言ったのか!
誰に?
決まってる。
神寂祓葉に恋焦がれているのだと――――そう言いたいのだ、この狂戦士は!!
あの無垢にして邪悪なる少女に、恋焦がれていると!!
「……俺は大丈夫だよ。イカれっちまうほどのもんじゃあないさ」
馬鹿馬鹿しい。
魔術師とはいえ、ノクトも人の子だ。
44年に及ぶ人生の中で、恋のようなものを経験したこともあるし、女を抱いたことだっていくらでもあるし、一時は結婚したことだってある――――まぁ、妻は必要に駈られて始末してしまったが。
そんな自分が……30歳近くも年下の少女に、恋をしていると言うのか?
嗚呼、なんて馬鹿馬鹿しい、狂戦士らしい勘違いであろうか。
確かに――――確かに自分は、“あの少女を独占して自分の物にしてしまいたい”と思っているが!
合理的に考えて、ノクトがあの少女に恋をする道理がどこにあると言うのだろう。
魔術的素養のカケラもなく、母体としての性能も疑わしく、ただその眩い輝きを永遠に見たいと思わせるだけの、ただの小娘に!
「しかしキミは、太陽の光を浴びずにいるままじゃあないか!」
「生憎と夜型でね。それに月の光ってのは、太陽の光を照り返してるんだぜ」
「嗚呼……離れている時にこそ、恋の炎には薪が投げ込まれ天を焦がす……それは確かに、そうかもしれないな」
まったく、何を言い出すのかと思えば。
“適当に話を合わせてやっている”が、狂人と会話をするのは中々に骨が折れる。
狂化のランクが低いおかげで意思の疎通はスムーズとはいえ、所詮は彼はバーサーカーなのだとしみじみ思い知ってしまう。
「ま、あんたもそうなんだろ? 何度離れ離れになっても、また出会えると信じている。だから四度の別離を経ても、まだ太陽を探してる」
「うん――――うん、うん、そうだともっ!」
ご機嫌取りのために適当な言葉を与えてやれば、バーサーカーは力強く胸を張った。
その内に乗り換えようという判断に変更は無いが、それまでは駒として働いてもらう必要がある。
こうやってほどほどに機嫌を取って、うまいこと戦ってもらう他はあるまい。
「さぁ、また探しに行こう! 僕の太陽を! そして僕たちの太陽をっ!!」
「ああ……とりあえず、情報収集からだな。まだ昼間だぜ……」
…………ノクト・サムスタンプは気付いていない。
自分の思考が、歪んでいることに気付いていない。
狂人と意思の疎通ができていることに気付いていない。
彼は、気付いていない。
少女の輝きに魂を焼かれ、自分の中で育ってしまった狂気の存在に気付いていない。
合理的な判断を尊ぶが故に、あまりに合理的でないそれを自覚できない。
「……やれやれ、恋は太陽、太陽か――――――――」
――――――――――――――――――――確かに神寂祓葉は、太陽みたいな女だったな。
恋は盲目。
太陽の光が、その瞳を焼き焦がす。
【クラス】
バーサーカー
【真名】
ロミオ@『ロミオとジュリエット』
【属性】
中立・恋
【ステータス】
筋力D 耐久C 敏捷B 魔力D 幸運D 宝具E
【クラススキル】
狂化:E
バーサーカーは狂化の影響をほとんど受けていない。
ただ、いささか“惚れっぽく”なっているのみである。
【保有スキル】
精神汚染(恋):B
焦がれるような恋によって正常な判断力を失っている。
そのため外部からの精神干渉をレジストできるが、色恋が絡むと暴走状態に陥る。
同ランクの精神汚染スキルを持つか、同じく恋に焦がれるものとしかまともな意思疎通ができない。
気配遮断:C-
サーヴァントとしての気配を断つ。隠密行動に適している。
愛する人のためなら、どんなところにでも入り込む。
ただしこのスキルはあくまで「忍び込む」ためのものであり、とても奇襲などに使えるものではない。
単独行動:D
マスターからの魔力供給を断ってもしばらくは自立できる能力。
ランクDならば、マスターを失っても半日間は現界可能。
【宝具】
『恋は盲目(ブラインド・アローレイン)』
ランク:E 種別:対恋宝具 レンジ:- 最大捕捉:1
愛する者のために戦う時、バーサーカーは強くなる。
言ってしまえばただそれだけ。ごく当たり前のことが宝具にまで昇華されたもの。
この条件を満たしている間、バーサーカーの狂化のランクは加速度的に上昇し、際限なくステータスが向上する。
強化効率は愛の深さと熱量に比例する。それが恋愛であれ、友愛であれ。
……問題はバーサーカーが生来の性格として惚れっぽく、思い込みが激しく、そしてそれが狂化によって悪化していることである。
【weapon】
『無銘・レイピア』
さしたる変哲もない、優雅な装飾の細剣。
特に謂れのある名剣というわけではないが、見た目の割に頑丈。
【人物背景】
最も有名な悲恋演劇のひとつ、『ロミオとジュリエット』の主役。
イタリアはヴェローナの貴族モンダギュー家の子息であり、敵対するキュピレット家の令嬢ジュリエットと恋に落ちた。
その壮絶な運命の出会いはしかし、両家の確執によって阻まれる。
「おお、ロミオ。貴方はどうしてロミオなの?」――――生まれを呪うこのセリフは、あまりにも有名であろう。
そのあらすじは誰もが知るところであるが、今回の現界にあたって一点を特筆する。
……それは、ロミオは極めて惚れっぽい人間だということである。
登場時点で恋に悩んでいるロミオだが、その恋の相手はロザラインという別の女性。
片思いに苦しんでいるところを親友に誘われ、気晴らしに忍び込んだキュピレット家のパーティでジュリエットに出会うのである。
この時点でロミオの心は完全にジュリエットに移り、それ以降ロザラインへの愛はすっかり失われて「そんな名前はもう忘れました」とすらのたまう。
確かにロミオとジュリエットの出会いは運命のそれであったが、その心変わりはいささか勢いが良すぎると言わざるをえまい。
――――ロミオという人物はあまりに、恋に狂える青年なのである。
【外見・性格】
まつ毛の長い金髪の美青年。
幼さの残るチャーミングな顔立ちに、しかしどこか憂いを宿す。
上品な仕立てのシャツの上にバラの刺繍をあしらったコートを羽織り、その腰にはレイピアを佩いている。
ナイーブに思い悩んだかと思えば、炎のように勢いよく怒り出す、精神的に不安定な人物。
本来の性格は気さくで温厚な好青年であり、平時であれば――――つまり色恋が絡まない場面であれば、そのように振舞う。
もちろん狂化状態にあるバーサーカーはほとんど常に恋に悩んでおり、正気である時間は極めて短いのだが。
狂化の影響もあって極めて惚れっぽく、美しい女性を見かけると高確率で「ジュリエットの生まれ変わりに違いない」と思い込んでアプローチを仕掛けるだろう。
そしてその傍にいる者のことを、恋の障害だと認識して襲い掛かるだろう。
恋の矢は盲目のままに放たれ、手当たり次第に彼を狂わせるのである。
【身長・体重】
183cm/74kg
【聖杯への願い】
ジュリエットと再会し、添い遂げる。
ただしロミオが“ジュリエット”と認識する相手は聖杯戦争中に目まぐるしく移り変わる可能性が高く、最終的にどう着地するかは誰にもわからない。
もしかすると英霊の座に刻まれたジュリエットを呼び出して共に受肉しようとするのかもしれないし、そうでないかもしれない。
【マスターへの態度】
自分と同じく、恋という呪いに焦がれ狂う同志。
同じ苦しみを持つ者としてマスターの恋を応援している……が、所詮はバーサーカーなので自分の都合優先。
自分が彼の恋を応援するのと同じように彼も自分の恋を応援してくれるものと思っており、平気でマスターを振り回す。
【名前】
ノクト・サムスタンプ / Nocto Thumbstamp
【性別】
男
【年齢】
44歳
【属性】
秩序・中庸
【外見・性格】
褐色の肉体に複雑な紋様の刺青を彫り込んだ、虎を思わせる容貌の屈強な男性。
闇色の短髪、紫の瞳、短く刈り込んだ髭、刺青を隠すような厚手のトレンチコート(実際には刺青は顔や手にも及んでいるため、全てを隠せてはいない)。
獰猛な外見や気さくな口調とは裏腹に、極めて合理的な判断基準を有する人物。
合理と理性を尊び、あらゆる物事を俯瞰的な損得で勘定し、判断には決して私情を挟まない。
冷徹を基本とする世の魔術師と比してなお、根源にすら執着しないという点で一線を画した徹底的合理主義。
ただし人情を理解しないわけではなく、あくまで「自分では用いない判断基準のひとつ」として他者の感情は十分に考慮する。
何事も気負わず、執着せず、常に実現可能な範疇で目標を設定する諦念的楽観主義者。
その魔術特性上、「契約」というものだけは強く重んじる。
【身長・体重】
192cm/112kg
【魔術回路・特性】
質:C 量:C
特性:『契約による霊的取引の締結』
【魔術・異能】
◇契約魔術
他者との契約を霊的・呪的に締結する技術体系。
「使い魔」や「ギアス」などの基礎的な契約も高度に取り扱えるものの、その真骨頂は「幻想種との契約」による能力の授受。
原理としてはシャーマニズムと呼ばれるような精霊魔術に近しいものではあるが、サムスタンプの契約はより合理的かつ長期的に交わされる。
個人がその場で交わす契約ではなく、一族単位で長期的に結ばれた契約により、彼らはもはや生来備わった特性として契約の恩恵を受けられるのである。
あくまで借り受けた能力であるために行使する神秘の規模に比して極めて燃費が良く、詠唱も短く、次代への継承も容易。
代償として、幾重にも重なった契約事項を常に遵守して生活しなければならない。
全身に刻まれた刺青は魔術刻印と癒着した契約の証であり、言わば肉体そのものが契約書となっている。
サムスタンプ家は現在、『大気の精』及び『夜の女王』と呼ばれる二種類の幻想種と契約を結んでいる。
契約内容については各代の当主が生涯に一度だけ交渉を行うことができるが、ノクトはまだどちらの契約についても交渉を行っていない(そもそもする気も無いようだ)。
なお、理論上は契約内容次第で幻想種の直接使役も可能ではあるが、制御の困難さ等から一族はこれを禁忌としている。
「相手の方が強いからお願いして力を借りてるってのに、そいつに首輪をはめようなんてゾッとする」とはノクトの弁。
◇妖精眼
グラムサイト。
後述する『夜の女王』との契約によって獲得した魔眼。
現実の視覚とは焦点が「ずれて」おり、「世界を切り替える」ことで魔術の気配・魔力・実体を持つ前の幻想種などを把握できる視界。
妖精眼としての格は低く、あくまで実体を持たない幻想種との交渉をスムーズに行い、また交渉のテーブルに乗せる眼の価値を引き上げるためのもの。
◇『大気の精』との契約
大気の化身である幻想種との契約。
ノクトはこの契約によって備わった風を操る魔術を戦闘に用いる。
細々とした条項は多数あるものの、『大気の精』(以下、甲)とサムスタンプ家当主(以下、乙)の間で交わされた重要な契約は大まかに以下の通り。
・甲は乙に「大気を操る力」を与える。
・乙は七日に一度狩猟の儀を執り行い、成果物を甲に捧げること。
・乙が当項目に違反した場合、乙の眼球ひとつを甲に捧げた上で七日間の契約停止処分を執行する。乙が眼球を有さない場合、乙の心臓で代用するものとする。
・乙の遺体は樹齢120年以上の樫の木の根元に埋葬すること。
・乙の死後三日以内に埋葬が契約通りに行われなかった場合、甲は乙の遺体を眷属として変質させ、日中自由に使役する権利を有するものとする。
・所定の手順で乙が殺害された場合、殺害者は新たな乙と認められ、遺体の埋葬後に魔術刻印ごと契約が移譲される。
・甲はこの魔術刻印の移植に全面的に協力すること。
◇『夜の女王』との契約
夜を支配する幻想種との契約。
ノクトはこの契約によって夜間の行動に有利な補正がかかっている。
細々とした条項は多数あるものの、『夜の女王』(以下、甲)とサムスタンプ家当主(以下、乙)の間で交わされた重要な契約は大まかに以下の通り。
・甲は乙に妖精眼を与える。
・甲は乙に「夜に親しむ力」を与える。
・夜に親しむ力とは、「夜を見通す力」、「夜に溶け込む力」、「夜に鋭く動く力」の三種を統合した呼称であるとする。
・乙は三十年に一度、一族の者を夜に捧げること。
・乙が当項目に違反した場合、甲は乙の魂を収奪する権利を有するものとする。
・乙は夜間に就寝を行わないこと。
・気絶などによる意図しない意識の喪失は該当しないものとする。
・乙が当項目に違反した場合、乙は三日間起床できず、起床後三日間の契約停止処分を執行する。
・乙の遺体は夜間、月の光を浴びた状態で埋葬すること。
・乙の死後三日以内に埋葬が契約通りに行われなかった場合、甲は乙の遺体を眷属として変質させ、夜間自由に使役する権利を有するものとする。
・所定の手順で乙が殺害された場合、殺害者は新たな乙と認められ、遺体の埋葬後に魔術刻印ごと契約が移譲される。
・甲はこの魔術刻印の移植に全面的に協力すること。
【備考・設定】
魔術組織などに金で雇われて依頼を果たす、いわゆる「魔術使い」の傭兵。
サムスタンプ家は古い歴史を持つ魔術師の家であり、長い歴史の中で幻想種を捜索し、交渉し、契約を結び、さらにそれを更新してきた一族である。
己より格上の存在から契約によって力を手に入れることで位階を高めることを目的としてきた一族なわけだが、当代当主であるノクトはこの手法に先が無いと判断。
世界から多くの神秘が失われ、幻想種の多くが「世界の裏側」へと去ってしまっている以上、もはや幻想種を頼っての根源到達は不可能であるというわけだ。
この「合理的判断」により、ノクトは魔術師としてのサムスタンプ家を畳み、魔術使いの傭兵として活動するに至る。
当時ノクト・サムスタンプ18歳。魔術刻印継承のため、父を殺害し埋葬した一週間後の声明であった。
一族の者からは激しい反発を受けたが、幻想種との契約を行った当主とそれ以外の者とでは天と地ほどの実力差があり、この全てを制圧して黙らせたという。
その後は名うての傭兵として活動してきたが、齢40を超えたあたりでそろそろ引退を考慮。
ある魔術の名門に雇われて聖杯戦争に挑み、その莫大な報酬でもって隠居生活を送ることを画策していた。
……そして〈はじまりの聖杯戦争〉の中で、彼は運命に出会う。
客観的に見て、最後まで生き残れるはずもない弱者。
俯瞰的に見て、数合わせに巻き込まれただけの書割。
合理的に見て、あまりに取るに足らないただの少女。
損得を鑑みて時に手を貸した。
利益を鑑みて時に罠に掛けた。
危険を鑑みて時に命を狙った。
その全てを、理不尽に不条理に非合理に踏み越える少女に――――その輝きに魅せられたことに、ノクトは最期まで気付かなかった。
蘇ってなお、気付かない。
彼の合理的判断は、恋に狂うなどというロジックエラーを否定する。
己に潜む狂気から目を背けながら、彼は冷徹に聖杯を求めようとする。
〈はじまりの六人〉、そのひとり。
抱く狂気は〈渇望〉。
ノクト・サムスタンプ。サーヴァントは、恋の虜囚。
【聖杯への願い】
特に無し。
契約通りに聖杯を持ち帰り、莫大な報酬を受け取り、悠々自適に隠居することが参戦の理由である。
既に死んだ身、二度目の聖杯戦争――――このイレギュラーな状態で問題なく目標を達成できるかは怪しいところだが、合理的な判断として神寂祓葉を自分のものにしたい。
【サーヴァントへの態度】
扱いづらい上に格も低い、あからさまな“はずれ”サーヴァントであるとみなしている。
幸いにして正面戦闘であればかなりの馬力を発揮するとはいえ、それすらも不安定で信用に値しない。
よって合理的な判断として、適当なところで他のサーヴァントに“乗り換える”ことを考慮している。
相手は話の通じない狂人であり、ほどほどに話を合わせてやり過ごしているが、いつその刃がこちらに向くともわからないのだから。
……神寂祓葉に植え付けられた狂気によって、本来不可能なはずの意思疎通がある程度成立していることにノクト本人は気付いていない。
以上、〈はじまりの六人〉枠に応募させていただきます。
投下終了です。
投下します。
◆◇◆◇
日が登り始めていた。
静かな朝が訪れていた。
癒えぬ“虚しさ”を胸に湛えながら。
彼は、“今日”の始まりを迎える。
高所から、漠然と広がる世界を見つめる。
鳥の囀りが、朝を穏やかに告げる。
澄んだ青空は、火が灯るような朝焼けの輝きに彩られる。
果てなき情景の下で、緑に覆われた山岳地帯が広がる。
緩やかな斜面に覆われた大地に木々が並び、遠くでは河川が流れている。
それは、文明と隣り合わせの自然風景だった。
――アメリカ西部。“魔術”とは程遠い、辺境の土地。
長閑な時間と共に、風が吹き抜けていく。
山岳の下の麓には、寂れた田舎町が見える。
古めかしい木造の建造物が立ち並び、閑散とした道路には疎らに車が走っている。
まるで映画に出てくる地方都市をそのまま描いたかのような、静かな街並みであった。
“ここ”は丁度、街を遠方から見下ろせる位置に存在する。
山岳の中腹――“山小屋”のテラスで、椅子に腰掛ける白人の男が一人。
木製のロッキングチェアが、ゆらりと揺れる。
たっぷりと髭を蓄えた、太い体格の大男だった。
口にはパイプを咥え、草臥れたチェックシャツやジーンズを身に纏う。
中折れ帽を被ったその姿は、農夫や木こりそのものだった。
彼はただ、朝の訪れをじっと見つめる。
何も言わず、何も動かず――神妙な面持ちで、彼は沈黙する。
鮮明な朝焼けの下。木々に囲まれた、自然の傍ら。
瑞々しい世界の中で、静寂に身を委ねていく。
白髪の混じった髪と、疲れ果てたような眼差し。
逞しい身体とは裏腹に、疲弊と虚無が刻み込まれている。
今日も“夢”を見た。
あの頃の、消えぬ“過去”を。
非道な一族に従い、非道の所業を重ね。
自らの過ちに気付いた頃には、時すでに遅く。
その罪を抱えながら、あの世界から逃げ出して。
その果てに、ようやく此処まで辿り着いて。
孤独と引き換えに、自由を手にした。
それでも、後悔というものは。
今なお、彼の魂を蝕み続ける。
ロッキングチェアが、静かに揺れる。
パイプの口から、白い煙が揺れる。
鮮やかな朝は、彼を相も変わらず突き放す。
その左手に――いつの間にか、握られているものがあった。
年季が入った、古びた懐中時計だった。
それが何なのか、何を意味するのか。
そのことを理解するまで、そう時間は掛からない。
彼はまさに、奇跡を巡る戦争に参加する“資格”を手にしていた。
エドゥアル・ブレッソン。
彼はかつて、魔術師だった。
◆◇◆◇
◆◇◆◇
静まりかえった夜。仄暗い照明の灯されたリビング。
二人の男が、テーブルを挟んで椅子に腰掛ける。
テーブルに置かれているものは、世界で最も著名なバーボン・ウイスキー。
白いラベルの貼り付けられた瓶の中は、琥珀色の液体で満たされている。
エドゥアル・ブレッソンは、ゆったりと椅子に座る。
その片手に握られたウイスキーグラスに、軽く口をつけながら。
目の前で向かい合う男を、静かに見つめる。
ボーラーハットにスリーピースの紳士服――薄汚れて草臥れている――を纏う黒ずくめの風貌。
その身体は案山子のように痩せており、服装も含めて見窄らしさが漂う。
髑髏を思わせる青白く骨張った顔も相俟って、何処か不吉な印象さえ感じられる。
――まるで、死神のような男だった。
サーヴァント、アーチャー。
この戦争に呼び寄せられた英霊の一人。
ブレッソンは、己が召喚した従者と語らっていた。
まだ出会ってから間もなく、アーチャーが聖杯に託す願いを聞いたばかりだった。
彼の名をブレッソンは知っていた。かつて歴史に名を残し、銀幕の世界でも存在を刻んだ男だった。
それ故に彼の“生前”に興味を示したブレッソンに、アーチャーは持ちかけた。
――この家、酒はあるんだろう?
――せっかくの御対面だ。
――ちょっくら、飲み交わそうぜ。
そうして二人は、ウイスキーを語らいの“お供”とした。
目の前の英霊が語る思い出話に、ブレッソンは耳を傾けていた。
「――で、ワイアットの野郎がな……」
アーチャーが追憶する、生前の思い出。
フロンティアの時代――アメリカの西部、とある町の酒場(サルーン)でのちょっとした馬鹿話。
「しこたま酒を飲んでから、“俺はジャッカロープを見つけた!”って急に騒ぎやがったんだ」
過去を懐かしむように、アーチャーは飄々と語り続ける。
ジャッカロープは、かつてカウボーイの間で語り継がれてきた未確認生物――要は“角の生えたウサギ”だそうだ。
「何バカなこと言ってんだ、飲み過ぎだぜアープって、周りは大笑いさ」
アーチャーは片手に握るグラスを小さく揺らして、琥珀色のウイスキーが微かに波打つ。
三つほど固まった氷の塊が、小刻みに音色を鳴らす。
「だがワイアットは意固地になりやがって、真っ赤な顔で“今すぐその証拠を見せてやる”とか宣ってな。
そんで、サルーンから千鳥足で飛び出した……」
そんな彼と向き合う“聞き手”――ブレッソンは、椅子に背中を預けながらアーチャーの昔話を聞き届ける。
彼の片手にも、アーチャーと同じようにウイスキーの注がれたグラスが握られていた。
「数分後、“遂にジャッカロープを捕まえた!”とワイアットが叫んだ。
俺も含めて、皆が半信半疑でぞろぞろ覗きに行ってみると――」
そう語るアーチャーは、笑いを堪えるように表情を微かに緩める。
「あいつ、酔っぱらって馬小屋で寝てたウォルターじいさんをガッチリ捕まえてやがった」
テーブルにグラスを置いたアーチャーは、身振り手振りでその様子を再現する。
両腕で胴体にしがみつくような動作を真似て、彼は笑みを浮かべながら説明する。
話に耳を傾けながらその様子を見ていたブレッソンの口元にも、思わず笑いが零れた。
「それを見て、誰かが言った。“そいつぁジャッカロープじゃねえ!ウォルターじいさんだろ!”」
戯けた様子で語るアーチャー。
その語り口は、荒んだ眼差しとは裏腹だった。
「で、ワイアットは赤ら顔で俺に言った」
まるで過去の思い出を振り返る子供のように、彼は気さくに語っていた。
かの有名な“ならず者”は、かつてつるんでいた“相棒”との記憶を、嬉々として語る。
「“おいドク、今の発言を記録したまえ。保安官の職務への侮辱にあたる”」
――その一言で、皆またしても大笑いって訳だ。
そうして話を締め括るアーチャーは、目を丸くしてニヤッと笑い。
奇行を働いた酔っ払いらしからぬ糞真面目な台詞に、ブレッソンも思わず吹き出すように笑ってしまった。
「あのワイアット・アープも酔っ払ったらその有り様とはなぁ。映画じゃまず見られない姿だ」
「あいつは“やくざ”みてえなボンクラだよ。だが、人を惹きつけることが不思議と上手かった」
骸骨のような顔を緩ませて、アーチャーは“ワイアット・アープ”との記憶を振り返る。
西部劇でも幾度となく語り継がれてきた、伝説の保安官と過ごした過去だった。
曰く、普段は物静かだが“やくざ”同然の男。
曰く、勇敢で人を惹きつけるのが上手い男。
曰く、狡猾にして誰よりも誠実な男。
曰く――。
「あんたは……」
かつての相棒との思い出を語るアーチャー。
その姿に、ブレッソンは何処か感慨深そうに微笑みを浮かべる。
「本当に、ワイアットと親しかったんだな」
「ああ。そうさ」
あいつとは、親しかった――そう肯定するアーチャーの笑み。
心からの嬉しさを滲ませつつも、何処か寂しげで、その眼差しには未練を宿す。
アーチャーという男は、紛れもなくワイアット・アープとの親交を結んでいた。
彼もまた、荒野の活劇の中で語り継がれてきた男であり。
かの保安官との友情ゆえに、この地に喚ばれた英霊であった。
「“最初”に語った通りだ。あいつとケリを付けるために、聖杯戦争に来た」
ジョン・ヘンリー・ホリデイ。
通称――“ドク・ホリデイ”。
アメリカの西部開拓時代に活躍したガンマン。ギャンブラー。ならず者。
かの“OK牧場の決闘”に参加した、伝説的保安官ワイアット・アープの相棒。
彼はこの聖杯戦争で、アーチャーとして現界した。
「あんたにも、相応の理由があるんだろう」
アーチャー――ドクは、自らのマスターの顔を覗き込んだ。
己を呼んだ主君の真意を確かめるように、じっと見据える。
そうしてブレッソンの顔から、微笑みが次第に消えていく。
感慨に耽っていた彼の表情は、神妙な面持ちで沈黙する。
「ブレッソン。あんたは、何かを背負ってきた眼をしてやがる」
まるで己のマスターの葛藤を見抜いていたように、ドクは投げかけてきた。
そのことにブレッソンは、内心苦笑をする。
――まさか、すぐに気付かれるとは。
――やっぱり、鋭いもんだな。
ブレッソンはそう思いながら、ウイスキーを一口喉に流し込む。
じきに話すつもりではいたが、どうやら目の前の男には筒抜けだったらしい。
流石はドク・ホリデイ――“あの”伝説のガンマン。
神秘の薄れた近代の存在といえど、紛れもなく英傑の一人なのだ。
とある日に、ブレッソンは“古びた懐中時計”を手にした。
それが聖杯戦争の参加資格であることに気付くのに、そう時間は掛からなかった。
彼は有無を言う間もなく、奇跡を巡る闘争に巻き込まれた。
発端も含めて、突発的な出来事に過ぎなかった。
しかし、きっとこれは、ブレッソン自身も望んでいたことだったのだ。
そのことを悟って、意を決したように口を開く。
「……そうだな。願いって奴は、確かにある」
彼に、奇跡に縋るだけの理由はあったのだから。
そして少しだけ躊躇うように、黙り込んだ。
されど、腹を括ったように、ブレッソンは語り出す。
「俺はかつて、魔術師だった」
エドゥアル・ブレッソン――これは、偽名だった。
魔術協会の影響が薄いアメリカへと渡って以来、かつての名を捨てていた。
魔術師として生まれた本来の名は、“バルタザ・ロベル”。
“時計塔”、すなわち魔術協会内での政治的立ち回りの失敗。
一族に遺伝する魔術回路の衰退――魔術師としての限界。
数代前にそれらの不運が重なったロベル家は、零落へと進んだ。
一族の者達は、何としてでも再興を図ろうと足掻き続けた。
“時計塔”での権威を持った有力貴族への根回し。
魔術回路を増やすための優秀な“母体”を求めた政略結婚。
一族の人間に眠る“素養”を引き出すための研究。
必死に、必死に、あらゆる手を尽くして、その尽くが裏目に出た。
それらの模索はいずれも実を結ばず、却って一族の停滞を後押しすることになった。
そうして落ちぶれて、歪んで、誇りさえも失い。
“バルタザ”が跡継ぎとなる頃には、ロベル家は邪道の一族と成り果てていた。
外法の体現者として、魔術師達からも蔑まれてきた。
そんな一族に対する疑問を抱きながらも、彼は再興のために奔走した。
形振りも構わず、手段さえ選ばなくなったロベル家のやり方を貫いた。
その過程で――多くの犠牲を支払った。
「俺には、妻と子供がいた」
ロベル家は、歪んでいた。
人道は愚か、魔術師としての常道さえも踏み外していた。
それを悟った時には、既に取り返しは付かなくなっていた。
「ただ、それだけだよ」
かつて喪われた“二つの命”を振り返って、“ブレッソン”は呟く。
今日に至るまで後悔を抱き、彼は魔道から背を向けてきた。
背負ってきた罪と業は、今もなお夢の中で彼の魂を苛んでいる。
ブレッソンは、それ以上は語らなかった。
戦うための動機など、それだけで十分だった。
そうしてグラスの中に残ったウイスキーを、静かに飲み干していた。
そんな彼の姿を、ドクは何も言わずに見つめていた。
少しの間だけ、取り止めもなく沈黙が続いたが。
「……戦うには、十分だな」
やがてドクが、静かに口を開く。
「俺なんざより、ずっと切実だ」
その眼差しは、確かにブレッソンを見据えていた。
まるで彼の悲哀を、有りのままに受け止めるように。
「重てぇよな。未練や後悔ってもんは」
そして。
枯れたように呟く、その声色は。
目の前の男に対する、深い共鳴を宿していた。
「……ああ。そうだな」
ドクの語る言葉に、ブレッソンはただ一言頷く。
確固たる共感を、その素振りに込めていた。
「なあ、ブレッソン」
そしてドクは、言葉を続ける。
「俺は、銃だけが取り柄の“ごろつき”だよ」
骸骨のような面持ちと、死を帯びた双眸。
それらは、目の前の男へと向けられる。
「きっと、何かを奪うことだけしか出来ねえ」
己という人間が、何者であるのか。
それを告げながら、彼はブレッソンと対峙する。
「それでも、構わねえか」
ドク・ホリデイは――“人殺し”だった。
銃を手に取り、やくざな商売で稼ぐ、“ならず者”だった。
例え英傑として歴史に名を刻もうと、その事実は変わらない。
彼は奪い、殺し、踏み躙る側の人間だった。
そのことを、ドク自身は自覚している。
故に彼は、問いかける。
「……ああ」
そして、ブレッソンは迷わずに答える。
「俺も、どうしようもない奴なんだよ」
死を纏って彷徨い続けたドク・ホリデイ。
朽ち果てた枯れ木のように佇むエドゥアル・ブレッソン。
彼らは同じ、生きながらにして“死人だった。
「目の前にある奇跡を、誰にも渡したくない」
その在り方は違えど、未練と後悔だけは確かに結びついている。
故にブレッソンは、そう答えた。
己はこの聖杯戦争で勝ち抜くと――告げたのだ。
「……そうかい」
自らのマスターの答えを聞いて、ドクは一言呟く。
戦うための道筋は拓けたことを、改めて悟る。
そうしてドクは、テーブルに置かれたウイスキーの瓶を手に取った。
「なら――」
瓶の蓋を開けて、空になったブレッソンのグラスに液体を注ぎ込む。
透明な器の中が、黄金のような色彩に染まっていく。
そうしてウイスキーを注ぎ終えてから、ドクは自らのグラスを手に取った。
二人の顔の間に掲げるように、器をすっと持ち上げる。
「勝とうぜ。旦那(マスター)」
「ああ。宜しく頼む、“ドク”」
からん――二人のグラスが、響き合う。
共に奇跡を求めることを誓う、戦いへと向けた乾杯。
やがて掴み取る勝利へと向けた、ある種の祝杯。
バーボン・ウイスキーが、琥珀色に輝く。
彼らが求める奇跡の光を、映し出すかのように。
◆◇◆◇
◆◇◆◇
おう、ワイアット。元気してるか。
ま、お前なら上手くやってるだろうな。
今ごろあの世で酒場や賭場でも開いてんだろ。
トゥームストーンでもお前は強かだったからな。
“西部劇”とやらを見たぜ。
ワイアット・アープ様は活劇の英雄なんだとよ。
ま、歴史での評価は紆余曲折あるそうだが。
おめえみたいな“やくざ”が清廉潔白の存在だなんて、全く笑っちまうぜ。
んな柄じゃねえだろうに。酒場の連中が聞きゃあ、たちまち大笑いだろうよ。
で、俺は映画の中じゃお前さんの“良き相棒”って訳だ。
あの時から、依然として変わらずにな。
さて――そうだな。
お前と別れたのは、クラントン一家と片を付けてから暫く後。
俺がお前の女を悪く言ったからだったな。
“ワイアット、ユダヤ女となんか付き合うな。あんなアマが大事なのか”ってな。
ああ、あの頃の俺は最低だった。
“ごろつき”から成り上がって、お前とつるみ続けて、すっかり図に乗っていた。
下らねえ蔑みで突っかかって、俺達の間に亀裂を作っちまった。
そっから口論になって、溝は深まって、そのまま喧嘩別れって訳だったな。
それから俺はまた根無し草、コロラドのコヨーテに成り下がっちまった。
肺の病もどんどん酷くなっちまって、気が付きゃ酒とアヘンに逃げるようになって、そのままポックリって訳さ。
バチが当たっちまったんだ。神は俺に友情を裏切った罰を与えた、当然だろうな。
未練だの、後悔だの。
振り返ってみりゃ、色々とあるが。
結局、一番気がかりなのはお前とのことだ。
お前とまた腹割って話して、蟠りにちゃんとケリを付けたくなっちまった。
俺が此処に来た理由は、それだけだ。
色んな悪党どもとつるんできたが、結局お前より上等な野郎とは出会えなかった。
“映画”の中じゃ、俺とお前は無二の相棒同士だった。
――ああ、俺もそう思ってる。最期までそう信じて、ベッドの上でくたばった。
喧嘩別れしちまってからも、結局俺は“ワイアット・アープの相棒”だった。
生きるアテも無かった俺に、お前は命を吹きこみやがった。
だから、なあ。
ワイアット。
今さらこう言うのも何だがよ。
“仲直り”をさせてほしいんだ。
お前の女に、そしてお前に、謝りたい。
そしてまた、お前と語らいたい。
それが、俺の望みなんだ。
それと、だ。
放っておけねえ奴が、一人いる。
俺はそいつに手を貸してやるつもりだ。
未練と後悔ってモンは、何よりも重い。
女やガキが関わるんなら、尚更だ。
あいつにも、勝たせてやりたい。
だから俺は、また銃を取る。
あっちで待ってろよ、相棒。
俺は奇跡を掴んで、お前に会いに行く。
久しぶりに、美味いバーボンでも飲もうぜ。
ワイアット・アープへ。
ドク・ホリデイより、愛を込めて。
◆◇◆◇
【クラス】
アーチャー
【真名】
ドク・ホリデイ@アメリカ西部開拓時代
【属性】
混沌・中庸
【ステータス】
筋力:D 耐久:E 敏捷:C++ 魔力:E 幸運:C+ 宝具:C
【クラススキル】
対魔力:-
魔力に対する抵抗力は皆無。
単独行動:C
マスターからの魔力供給を断ってもしばらくは自立できる能力。
Cランクならマスター不在でも1日程度は行動出来る。
【保有スキル】
射撃:A
銃器による早撃ち、曲撃ちを含めた射撃全般の技術を表したスキル。
Aランクならば凄腕のガンマンと呼べる腕前を持つ。
クイックドロウ:A
射撃の中の早撃ちに特化した技術。
その腕前は保安官ワイアット・アープからも一目置かれた。
ドク・ホリデイは拳銃を瞬時にホルスターから抜けるようにするため、照準や角の部分をヤスリで削り落としていた。
労咳の銃徒:A
病に蝕まれ、病を背負って生きたアウトロー。
労咳と共に伝説へと昇華されたが故に、他の後天的な災いを跳ね除ける。
同ランク以下のバッドステータスを全て遮断し、宝具によるデバフも大幅に効果を軽減する。
ただし自身のターン時に低確率で喀血を起こし、その際には一時的なステータスの低下が発生する。
悪運の切り札:B
往生際の悪さ。逆境における引き運の強さ。
一定以上のダメージを受けた際、高確率で“ガッツ”付与が発動して生存を果たす。
無明の無頼:B+
余命幾ばくもない“ならず者”、あるいは“賭博師”としての意地。
自身の体力が低下した際、または窮地へと追い込まれた際、攻撃の威力・命中率が倍増する。
また先手を打てる確率が大幅に上昇する。
【宝具】
『墓石と決闘(トゥーム・ストーン)』
ランク:D+ 種別:対人宝具 レンジ:1~50 最大捕捉:1
保安官ワイアット・アープらと共にクラントン一家と戦った“OK牧場の決闘”の再現。
――約30秒間に30発の弾丸が飛び交い、距離にして2m前後。苛烈な短期決戦であり、至近距離からの撃ち合いだった。
実態としては決闘と云うより、突発的な銃撃戦だったとされている。
言うなれば「一定時間敵が強制的にドクの至近距離へと転移させられ、尚且つドクの銃撃が大幅強化される宝具」。
宝具の発動と共にレンジ内の“空間”が歪み、敵が瞬時に“ドクの至近距離”へと転移させられる。
更にはドクの銃撃に“耐久値無視”と“防御貫通”の効果が発動し、一定確率で即死判定が発生する。
発動時間は伝承と同じ30秒間のみ。その間に敵はドクの至近距離から離脱できない。
己も敵も命懸けの肉薄戦闘へと引きずり込む、背水の陣に等しい宝具。
『死病の硝煙(トゥーム・オブ・ザ・ホリデイ)』
ランク:D 種別:対人宝具 レンジ:1~30 最大捕捉:50
ドク・ホリデイは伝染する“死の病”として畏れられた肺結核を患い、数々の暴力的な逸話によって“死神”も同然に語られた。
それらの伝承が一種の“死の概念”へと昇華され、宝具へと発展した。
発動することで不可視の“瘴気”を周囲に展開し続け、レンジ内に存在する者の体力・魔力を徐々に減少させる。
減少速度はドク・ホリデイの窮地や消耗に比例して上昇。
彼が致命的な状況に追い込まれていれば、敵も凄まじい速度で“瘴気”に蝕まれる。
【weapon】
六連装拳銃、デリンジャー、ナイフ。
そのほかライフルや散弾銃も状況に応じて魔力で生成できる。
【人物背景】
アメリカ西部開拓時代のガンマン。生没年1851-1887。
伝説の保安官ワイアット・アープの友人として知られる著名なアウトロー。
本名はジョン・ヘンリー・ホリデイ。短い間ながら歯科医師であったことから“ドク・ホリデイ”と渾名された。
ジョージア州アトランタ市で歯科医として活動していたが、若くして肺結核に罹患したことで転地療養のため西部へと移住。
以来ギャンブラーとして生計を立てるようになり、“暴力的な評判”を背負いながら各地を転々していく。
その後テキサスの酒場でワイアット・アープの窮地を救ったことから彼の友人となる。
アリゾナ州トゥームストーンでのクラントン一家との抗争においては、アープ兄弟と共にかの有名な“OK牧場の決闘”に参加する。
一連の事件の後はワイアット・アープと別れる。
一説によれば、ワイアットの伴侶だった女性がユダヤ系であったのを咎めたことが決裂の原因とされる。
以降はコロラド州でこれまでと同じようにガンマンやギャンブラーとして生活した。
しかし次第に肺結核の症状が悪化して酒やアヘンに溺れるようになり、最期は36歳で病死した。
【外見・性格】
案山子のように見窄らしく痩せた男。肉体は30代相当だが、血色の悪さ故に老けて見える。
短い白髪で、面長の骸骨のような顔に口髭を生やしている。
ギャンブラー風の黒いスリーピーススーツとボーラーハットを身に付け、首にはリボンタイを巻いている。
ただし、衣服はいずれも草臥れて薄汚れている。
腰には拳銃のホルスターを提げ、片手にはよくウイスキーの瓶を握り締めている。
伝承においては暴力的な評判を背負いながらも、知人からは“穏やかな南部の紳士”と評されていたとされる。
しかしこの聖杯戦争に召喚されたドク・ホリデイは、“ならず者”や“病に蝕まれた死人”としての側面が強く反映されている。
それ故に荒んだ態度が目立ち、常に窶れた表情でぶっきらぼうに振る舞う。
目的のためには暴力も辞さないが、性根は義理堅く純粋な性格。
【身長・体重】
179・60
【聖杯への願い】
ワイアット・アープとまた語らいたい。
【マスターへの態度】
ああ。信頼してるぜ、旦那(マスター)。
【名前】
エドゥアル・ブレッソン
【性別】
男
【年齢】
45
【属性】
秩序・中庸
【外見・性格】
ふくよかで逞しい体格の大男。髭をたっぷりと蓄えた白人。よくパイプを咥えている。
使い古したチェックシャツやジーンズを纏い、頭には中折れ帽を被っているなど、農夫や木こりを思わせる出で立ち。
「ポール・バニヤンみてえだな」とはドクの談。
物静かで穏やかな性格で、常に落ち着いた態度を取る。
温厚な人柄である一方、何処か喜怒哀楽に乏しく淡々としている。
彼は胸の内では常に虚無感と喪失感に苛まれている。
【身長・体重】
195・103
【魔術回路・特性】
質:C+ 量:D
特性:変換
衰退しつつある一族の中では素養に優れていた。
凡百の魔術師よりは高い素質を持つが、飛び抜けた才覚の持ち主と呼べる程ではない。
【魔術・異能】
地属性魔術の使い手。土や砂を操作して攻撃と防御を行う。
“骨材”を土と解釈することで、コンクリートへの干渉も行える。
『霊樹の泉(ミミルブルンナー)』
地面に宿る“養分”を“魔力”として変換することで、あらゆる土地に“疑似霊脈”としての機能を持たせる。
自然の要素が強い大地ほど、霊脈としての高い機能を発揮する。
ただし長時間の維持は行えないため、盤石の陣地を整えるための用途には向いていない。
基本的には戦闘時に即席の魔力タンクを作り出すために行使される。
“擬似霊脈”として使われた土地は、養分が再び戻るまで使用不可能になる。
『白霜の剛人(ヨートゥン)』
“霊樹の泉”を応用した自己強化魔術。
“擬似霊脈”で生成した魔力を“代謝機能を活性化させるエネルギー”へと変換し、一時的にあらゆる身体機能を倍増させる。
腕力や瞬発力が飛躍的に上昇するほか、代謝の向上による自己治癒能力も得られる。
ただしこの魔術を使っている最中は、その“疑似霊脈”を魔力タンクとして併用することは出来ない。
【備考・設定】
アメリカの田舎町で孤独な生活を送る中年の男。
他者との関わりを避け、町外れの山小屋で自給自足をしながらひっそりと暮らしている。
本名はバルタザ・ロベル。
彼は“時計塔”に属する魔術師一族・ロベル家の跡継ぎだった。
ロベル家は数代前の頃に魔術協会内での政治的立ち回りに失敗し、更には魔術回路の衰えも始まるなど、零落の道を辿っていた。
彼らは何とか一族を立て直そうと足掻き続けたが、それらも実を結ぶことはなく没落を繰り返していった。
そうしてロベル家は次第に、魔術師としての形振りや誇りさえも捨て去るようになった。
バルタザが跡継ぎとなった時点で、既に魔術師の世界においても“外法の一族”と蔑まれていた。
彼はそんな一族の在り方に疑問を抱きながらも、ロベル家再興のために尽力してきた。
その過程で、様々な犠牲を払い続けた。多くのものを喪ってきた。
――今の彼は、もう一族を背負う魔術師ではない。
魔術協会の影響力が薄いアメリカへと移住し、田舎町で“エドゥアル・ブレッソン”という偽名を用いて隠遁生活を送っている。
その魂の奥底には、深い喪失感が刻まれている。
【聖杯への願い】
喪った妻子を取り戻したい。
それだけが未練であり、己の後悔である。
【サーヴァントへの態度】
従者ではなく、対等な存在として信頼している。
彼の“願い”には思うところがある。後悔と未練の意味を、今のブレッソンは知っている。
投下終了です。
投下します
聖杯戦争の参加者である俺は、今日も夜の歌舞伎町に出かける。
目的地はホテル街の近くにある公園だ。
そこには何人もの女がスマホを弄りまわしながら突っ立っているので、俺はその中から一人を選んで声をかける。
連れ出すのに面倒な交渉はいらない。ここにいる女どもは金をちらつかせただけでホイホイついてくるからだ。
そんな女を一人連れて、俺はラブホテルにチェックインする。
買春のためかって?馬鹿を言うんじゃあない。
こんな汚い女ども、金をもらっても願い下げだ。
俺のサーヴァントの餌にするために決まっている。
男女の営みをする場に監視の目など届かないし、立ちんぼなんかしている女であれば足がつきにくい。
少々リスキーではあるが、魔力を大量に喰らう反面強力無比なバーサーカーを問題なく運用するためなら十分飲み込める程度の軽リスクだ。
とはいえ聖杯戦争の会場にいる女だ。何人もひっかけていけば、中には護身術の一つも身につけている女がいてもおかしくはないと思っていた。
まさか女の手袋を外したら令呪が刻まれているとは思わなんだが、特に障害になるとも思わなかった。
聖杯戦争のマスターになってもなお淫売なんぞをしている論外の馬鹿に、「ともちん」などと馬鹿みたいな名前で呼ぶことを許容しているような程度の低いサーヴァントに、春秋戦国時代に武名を轟かせた俺のバーサーカーをどうにかできるはずがないと思っていたからだ。
刀を携えた敵サーヴァントを、俺のバーサーカーの大剣の錆にしてやったら、その後は馬鹿女もろとも巨大な魔力リソースである令呪をバーサーカーの糧にしてやれるとほくそ笑んでいたのだ。
…まさかそのバーサーカーが、三合と打ち合えずに斬り伏せられるなんて微塵も想定していなかったのだ。
◆◆◆
翌朝、池袋に建つ狭い1Kアパート。
けばけばしい化粧をした若い女と、むさ苦しいおっさんが小さなローテーブルをはさんで向かい合う。
女は左手でスマホを操作しながら、机上にパーティ開きされたポテトチップスに右手を伸ばす。
「ともち〜ん。今日はあんがとね」
「礼には及ばん」
感謝を伝えられたおっさんはしかめっ面を崩すことなく首を振る。
「しかしそろそろ夜鷹のような真似はやめてはいかがか」
「え〜『夜鷹』って何?」
「あの身を売る行いのことだ」
「や〜、店の締日も近いしさ〜
担当No.1にしてあげたいし?」
「先にも申したが、その担当とやらはこの仮想都市におらん。
それに、ここで稼いだ金を元の世界に持ち帰れるとは限らん」
「でも持ち帰れないとも限らん、でしょ?」
ぱちり、とポテチを歯で割りながら女は笑う。
「あ〜しは1円でも多くここからお金を持ち帰って、推しに貢ぐんだ〜」
(文武の誉に類なしと言われた北畠家の子孫がこの有様とは…
偉大な父祖たる雅家様や親房様にはとても顔向けできんのう…)
思わずため息が漏れ出てしまう。
己の血を引く者からの召喚に応じてみれば、そこにいたのは、金に強い執着をみせる女。
稼ぐ方法が愚かしければ、稼ぐ目的もまた愚かしい。
春売りと謀りごとで稼いだ金を、商売男に入れあげているというのだから救えない。
こんなうつけ女はお家の恥というもの。
さっさと斬って捨てて英霊の座に還ろうかと柄に手をかけてはみたものの。
けばけばしい化粧に彩られた女の目が、生前、具教と共に命を散らした亀松丸に少し似ていたような気がして。
聖杯を求める意志が強固である以上、目的は同じであるともいえる。
目的が同じであるうちは、まあ、共に戦ってやってもいいか。と、そんな風に自らに言い聞かせて刀を収めてしまったのだった。
ポテチを食べ終わり、仕事に行くと言って着替えだす女。
恥じらいもなく服を脱ぎだす女から目を逸らしたおっさんの背に、女の声がかかる。
「ところでともち〜ん」
「何か?」
「Wikiでともちんのこと調べてたんだけどさ〜。
ともちんが暗殺されたときって『刀の刃を潰されて抵抗できなかった説』と『大暴れして20人斬り殺した説』があったんだけど、ぶっちゃけどっちがホントなん?」
担当とやら以外にはほとんどのことに興味を示さず、知識を蓄えてもいない様に辟易していたが、どうやら相棒については知識を得ようとしていたらしい。
最も女にしてみれば、担当に貢ぐための道具について知識を深めようとしただけだったが。
女の思惑を知ってか知らずか、おっさんは少し得意げに息を吐き
「どちらも本当だぞ」
と答えた。
途端に不機嫌な顔になる女。
「あ〜し馬鹿だからそ〜ゆ〜ふわっとしたこと言われても理解できないんだけど」
歳相応の少女のような表情を見て、おっさんは難しいことではないぞ、と笑う。
生前、最期の記憶。
死んだように生きた人生の最期に充実した瞬間を過ごせた。
「なに。刃を潰された刀で、20人斬り殺してやっただけのことよ」
具教にとってその瞬間は、何度思い出しても清々しい気分になれる思い出だ。
【クラス】
セイバー
【真名】
北畠具教
【属性】
混沌・中庸
【ステータス】
筋力A 耐久C 敏捷B 魔力E 幸運E 宝具EX
【クラススキル】
対魔力:D
魔術に対する抵抗力。
騎乗:C
乗り物を乗りこなす能力。「乗り物」という概念に対して発揮されるスキルであるため、生物・非生物を問わない。
正しい調教、調整がなされたものであれば万全に乗りこなせ、野獣ランクの獣は乗りこなすことが出来ない。
【保有スキル】
鹿島新当流:A
鹿島新当流の奥義を修めている。
塚原卜伝に師事し剣を学んだ彼は奥義である『一之太刀』を伝授されている。
君主の器:C
カリスマと反骨の相の複合スキル。団体戦闘において自軍の能力を向上させると共に、同ランク以下のカリスマの効果を無効にする。
伊勢一国の長であろうと信長と戦い、敗れ臣従した後もその野望を捨てなかった逸話から。
無窮の武練:A
ひとつの時代で無双を誇るまでに到達した武芸の手練。極められた武芸の手練。
心技体の完全な合一により、いかなる精神的制約の影響下にあっても十全の戦闘能力を発揮できる。
刃を潰されるなど、たとえ如何なる状態であっても戦闘力が低下することがない。過度の修練により肉体に刻み込まれた戦闘経験ともいえる。
無刀取り:B
剣聖・上泉信綱が考案し、柳生石舟斎が解明した奥義。
上泉信綱からも剣の手ほどきを受けた具教はこの技術を積極的に用いて戦場で暴れまわった。
【宝具】
『一之太刀(ひとつのたち)』
ランク:なし 種別:対人魔剣 レンジ:1 最大捕捉:1
剣聖・塚原卜伝が編み出した鹿島新当流の奥義。
コンクリートすら打ち砕く剛の剣と卵の殻をも割らずに両断する柔の剣という相反する2つの性質を持った剣閃を繰り出す。
特筆すべきは、この剣を繰り出された者はあらゆる防御を行うことができないという点。
防御しても無駄、とかではなく、防御のための行動を一切起こすことができなくなる。
「戦わずして勝つ」を美徳としていた卜伝が伝える『戦うことなく一方的に殺す』剣技である。
鹿島新当流スキルがAランク以上でなければ使用できない。そのため動作を模倣する類いのスキルや宝具を以てしても、それのみでは使用不可能。
【weapon】
『銘 正重』
千子村正の一番弟子である千子正重作の打刀。
本来凄まじい切れ味を誇る刀だったが、具教の逸話により刃が潰されている。
【人物背景】
室町時代末期から安土桃山時代の戦国大名。
伊勢国司を務め、対立する勢力を滅ぼし北畠家最盛期を作り上げた
しかし織田信長の侵攻に遭い、信長の息子・信雄を養子に迎え入れる条件で降伏。
信雄に家督を譲渡した後信長と不仲になり、伊勢国の主として再び返り咲かんと武田や将軍と内通。
それらが露見し信長・信雄の命を受けた旧臣たちによって襲撃され死亡した。
その際、刀を抜くことができないよう鞘に細工され、刀の刃も潰されていたにも関わらず、20人の敵兵を斬り殺し、100人以上に手傷を負わせた。
【外見・性格】
蓄えられた口ひげに鷹のように鋭い眼光
鍛え抜かれた丸太のような両手足
狩衣と烏帽子を着用し、戦闘時にはタスキで袖を縛る。
質実剛健な武芸者といった立ち振る舞いをする男。
口数は多くなく泰然としている。
北畠家は公家でもあり文化的教養を身につけた文化人でもある。
家族に対しては情け深い一面があり、あまり有能とはいえなかった息子や、北畠家乗っ取りのために遣わされてきた信雄に対しても親愛を持たずに接することはできなかった。
【身長・体重】
181cm・79kg
【聖杯への願い】
伊勢の主に返り咲く。
【マスターへの態度】
その愚かさにはほとほと呆れ返ってこそいるが、子孫に対する慈愛から裏切れない。
……強かに聖杯を狙い続ける限りは見限らないでやろう。とかサーヴァントっぽいことを考えつつなんだかんだ従っている。
おじいちゃんは孫娘に強く出られないのだ。
【名前】
伊藤 美佳子(いとう みかこ)
【性別】
女
【年齢】
19
【属性】
混沌・悪
【外見・性格】
ウェーブがかった金髪でオレンジのインナーカラーを入れている。
整った美しい顔に施された濃いめのギャルメイク。
露出の多い服装を好み、チャームポイントである美脚を惜しげもなく晒している。
一つのことに夢中になるタイプであり、担当ホストと彼を輝かせるための金以外にはほとんど興味がない。
美貌を保つ努力も、男を悦ばす性技も、男を躍らせる嘘も、金を稼ぐための道具でしかない。
年齢を詐称して2年前からホストクラブ通いをしており、ホスト通いの資金稼ぎのために様々な悪事に手を染めているがそれについて思うところはない。
【身長・体重】
157cm・38kg
【魔術回路・特性】
質:C 量:C
特性:判断能力を鈍麻させる
【魔術・異能】
『精神操作』
魔術回路の装填によって発現した固有魔術。
精神を操作する魔術。
他者の思考・判断能力を僅かに鈍麻させ精神に隙を作り出すことができる。
その隙間に入り込むことで、美佳子の美貌に惚れこませたり、美佳子の言葉を疑いたくなくなるよう仕向けたりする(これらは魔術ではなく、聖杯戦争参加前に身につけた技術である)
Eランク程度の対魔力スキルでもほぼ無効化と言っていい程度に効果を減衰させることができる。
具教が彼女に甘いのは本人の気性によるもの。
【備考・設定】
歌舞伎町の風俗店で働く女。休みの日には公園で立ちんぼやパパから騙し取るなどしてお金を稼いでいる。
お金の使い道はホスト。
ホストクラブ『赤光―SYA-KO―』所属のホスト・リューキを売上No.1とするべく多額の金を貢いでいる。
立ちんぼで引っかけたおじの財布から金を抜き取ろうと鞄を漁っていた際に〈古びた懐中時計〉を発見。仮想都市へと転移した。
仮想都市内でも元の世界と同じような生活を送り、金を稼いでいる。
北畠具教は彼女から見て直系の先祖であり、その血を触媒に彼を召喚できた。
父親は幼少期に蒸発、母親は元ホス狂いで、妹はメンズコンカフェに入れ込んでいる。
ちなみに『赤光―SYA-KO―』に出入りする客には美佳子と同じような女性がたくさんおり、騙し取った金であることを承知の上で受け取っているホストや犯罪を唆すホストも複数人いるため、摘発は時間の問題だったりする。
【聖杯への願い】
担当に貢ぐための金が欲しい
【サーヴァントへの態度】
頼りになるおっちゃんだと思ってたけど……、ひょっとしてあ〜しが思ってたよりヤベェ人?
投下終了です
本日もたくさんの投下をありがとうございます!
>天に星、地に黄金
わあ。(率直な第一声)非常にえっぐい内容でずーんと気分が重たくなってしまいました。
破滅した後の残骸としか言いようのないマスターと、それを最も醜悪に強者たらしめるアサシン。
色んな意味で誇りも尊厳もなにもない状態で生かされ続けているの、悲惨としか言い様がない……。
投下ありがとうございました!
>盲者の行進
ひとつの生き方を貫いてきたいい歳の男が初めて出会う太陽に魅了されて、恋に静かに狂してしまうの、良い……。
サーヴァントの厄さと本人の知略の冴えを見せつけた上でそこの部分が明かされるのも、これまた構成の妙だなと。
恋の狂人、恋は盲目。それならこの狂戦士が出てくるのは納得という他なく、ただただ唸るばかりです。
投下ありがとうございました!
>My Darling Clementine
ものすごくちっぽけで、それでいて雄大なエモーションを含有した世界観、これ自体が西部劇の味わいがあって。
お世辞にも強者とは言えないだろうふたりの生き様と価値観の交差が大変渋く、それでいて重厚感がありました。
決して難しい内容ではないのに題材に対する含蓄が感じられて、さすがプロだ、ちがうなあ……(のび太のパパ)となりました……。
投下ありがとうございました!
>おじいちゃんといっしょ
おじいちゃん、やったことが普通にエグいのにちゃんとおじいちゃんしてるのなんかかわいい。
>おじいちゃんは孫娘に強く出られないのだ。 なるほどタイトル通り。
ひたすら俗で愚かな孫娘と武人の"おじいちゃん"、これはこれで絵になるので良いですね……。
投下ありがとうございました!
投下します
ぼくは、ニックと呼ぼうか。
さて、どうすっかな、と俺は独り言ちる。
俺?俺はまぁ、普通の人だ。そこら辺にいるフリーターだし他の人間と何一つ変わらない喫煙者だ。
ついでに落ちて居た懐中時計をセ〇ンドストリートに持って行ったら金になるかな、と思って拾った哀れな被害者だ。
そんな訳で、俺は今出現したサーヴァントとかいう奴と共にラーメンライスを注文した。
「何かな、これは」そう奴…20歳ぐらいのアメリカ系の青年は言ったが、俺は「日本は初めてか?」と言って飯を啜った。
「名前は?」「…ニック・アダムス」「歳は?」「サーヴァントだから関係ないよ」「そか、飯冷めるぞ」
二人してラーメンを啜っている間に、俺はニックから今の状況を訊いた。
一つ。これは聖杯戦争という殺し合い…戦争だということ。
二つ。自分はマスターで、ニックは召喚された隷者…サーヴァント、という人物ということ。
三つ。俺とニックにはそれぞれ異能が備わっている、ということ。
公園に行って魔術とやらの使い方を教わろうとしたが、俺は魔術だの回路だの言われても何も分からなかった。
だけど、「休憩すっか」と自販機に触れた瞬間に、それは起こった。
突如意識が飛び、火花が散る。…意識を取り戻して、我に返った時に見たのは、取り出し口から山ほど飛び出たジュース缶だった。
これが俺の魔術か、と俺は呟いた。「触れた機器を操る」…それが俺に与えられたギフトだった。
…スマホに触れ意識を集中させてみたが、確かに触れてるだけで、操作しなくても弄れる。…それどころか、俺を映している監視カメラの映像とか俺が見ようとしたアニメの公式サイトの管理システム画面とかが『直に瞳ごしに視える』。
「…まじか」と俺は言った。パスワードなどセキュリティがかけられているページ等もスマホに触れてれば瞳に『念写』できるので、成程使い勝手がいい。機械やネットワークに関わることなら大抵のことはアクセスして操作できるようだった。
便利だ、と感じた。この魔術を使って俺は早速…
パチ屋に行って店員にバレない程度に玉を出していた。「…マスター、何をしているんだい?」「…いや、まぁ夢っちゃあ夢だったんで」
山ほどの景品と現金に交換してから、俺達は再び公園で景品菓子を食いながら打ち合わせをする。
「…ニック、聖杯に叶えたい願いについてだが」
「…うん」
「もう叶えた」
「…は?」
「…は?」
「これがありゃ食うのには困らねぇだろ。ならこれ以上はいらねぇ」
「……。」
「…となると生き残って家に帰らねぇといけねぇ訳だが…最悪軍隊の兵器をぺしゃんこにする連中とか神様とかが相手になる訳だろ?」
「…うん、そうだね」
「…で、お前の武器はさっき見せてもらったビンテージ物の鉄砲とか拳銃とか手榴弾な訳だ」
「…うん」
「無理だと思う」
「…ごめんね」「…いやいいけどさ。」俺は頭を掻く。確かに生き残れる気がしないというのが本音だ。
俺は移動してコンビニの前に座り、煙草を吸いながら考える。こうしている間にも最後の一本になるかもしれねぇ、と思いながら。
「…でもさ、何か助けてやれる事はできねぇかな」
「…助ける、とはどういう事かな」
「いや、まぁ、何か……俺、確かにやりたい事ないし、金だけありゃそれでいい、とは思ってるんだけどさ」…俺は一息ついて、言った。
「俺の人生、本当にこれでいいのかな、って……上京した時から思ってたんだよな」
「……そうか。」
「…何かやりたい、って思っても、何したらいいか分かんねぇし……なら、今、苦しんでる奴に何かできねぇかな……とかは思ってるのよ。」
「…ふむ」
「だからさ、ま……生き残るのは無理そうでも」何かやってみたいのよ、俺は。
そう言って、俺は奴の返事を待った。
「…コウスケと言ったね。君は死ぬのが怖くないのか?」
「…いや、まぁ成るべくなら死にたくないよ?…でも、どうしようもない状況になったら笑うしかねぇだろ。それと同じだ」
「…そうか。君は負けたくないのかもしれないね」なら…君がやりたい事を見つけるまで、せめて私が銃になろう。そう奴は言った。
「…じゃ、まず徒党を組める相手を探さねぇとな。…俺ので探せるだけ探してみる。」
てかお前、キャラ変わってね、と俺は言ったが、奴は平然として、「…ニックは"私"の小説での名前だ。…私の名前は」
そうして、奴は名前を告げていった。
【クラス】
キャスター
【真名】
アーネスト・ヘミングウェイ(ニック・アダムス)
【属性】
混沌・中庸
【ステータス】
筋力D 耐久D 敏捷E 魔力C 幸運E 宝具C
【クラススキル】
陣地作成:D
キャスターのクラススキル。魔術師として、自身に有利な陣地を作り上げる。
ヘミングウェイの場合は、『〜とはこうあるものだ』という存在や認識を強化(自らが語る事によって現実や存在認知を編集)する事ができる。
【保有スキル】
人間観察:EX
人々を観察し、理解する技術がスキル化したもの。
彼の場合は、著書にあるように(青年期である事も踏まえて)「人間の奥底にある勇気」を観ることによってその地位が成り立っている事も多々あり、
それを引き出す力と彼の"語り継ぐ力"と組み合わさればその存在はとても強固なものになるだろう。
高速詠唱:B
魔術の詠唱を高速化するスキル。本来は詠唱速度のスキルだが作家なので執筆速度のスキルに置き換わっている。
生前膨大な数の作品、テキスト量を遺していることもあり、その能力は強大。
人間賛歌:A
近年によってそう解釈され、知名度を残した概念。人間観察のスキルが昇華されたもの、その極地とも言える。
『人間は負けるようには造られていない』とヘミングウェイが語った言葉の効力によるもので、ヘミングウェイが語る事によって「その人間の可能性」を引き出すことができる。
【宝具】
【われらの時代(In Our time)】
ランク:C 種別:対人宝具 レンジ:1 最大捕捉:1人
カルカノM1891から放たれた弾丸の、『撃ち込んだ相手の状況(リアリティ)を書き換える』ことができる。
"相手"は生物・無生物問わず有効であり、偶然の操作なども可能。
その他、以下の制約がある。
・書き換えられる状況は簡潔な"一文のみ"でなければならない。
・余りにも現実的に不自然(とニックが判断した)描写は実現不可能。
ただし、"ヘミングウェイの物語"として成立する、と判断した場合はその限りではない。
【weapon】
第一次世界大戦のイタリア軍の武装一式(M1891小銃、ベレッタ、手榴弾、スコップ等)
【人物背景】
20世紀を代表する文豪。人間の奥底の勇気を描いた小説『老人と海』が有名。
1961年没。
【外見・性格】
黒髪の青年。従軍の経験からか第一次世界大戦時のイタリア軍の武装を使用する。
性格は小説で描かれた自身の分身である『ニック』と老人口調の『ヘミングウェイ』の二つの性格に分かれている。
【身長・体重】
183cm・85kg
【聖杯への願い】
特に無いが、生を受けた以上もう一度生きてみるのも悪くないかもしれない。
…生き残れればだが。
【マスターへの態度】
自分にも本が売れなかった時にこういう時期があったかな。
【名前】加多康介(かたこうすけ)
【性別】男性
【年齢】23
【属性】秩序・善
【外見・性格】
外見はTシャツにジーパンといった普通の一般人。Tシャツはアウトレット物とはいえ地味にブランドだったりと身だしなみには気を遣っている。
「楽してテキトーに生きたい」と思ってる性格だが、使命感は強くやる時はやり頭もそこそこ切れる。それなりにお人よしで、東京で自分探しをしている他に、偶々立ち寄った先で人を助けることも少なくない。喫煙者。
【身長・体重】
162cm・62kg
【魔術回路・特性】
質:C 量:C
特性:電子機器の思念操作
【魔術・異能】
『思念による電子機器の操作』大分類では固有結界に当たる。
電子機器に触れることで心象世界を機器のコンピューターと転写・同調させ、あらゆる操作が可能となる。
早い話がコンピュータープログラムに干渉できる「構造解析」のようなもので、魂をデータ化している訳ではない。
…そしてパチンコのゴト行為ぐらいにしか利用していない。
【備考・設定】
東京で生計を立てるフリーター。東北出身。
地方暮らしが嫌で上京したものの、特にやりたい事もなくその場しのぎのバイトで生計を立てている。
【聖杯への願い】
生き残る。優勝する機会があれば聖杯はテキトーに金に換金する。(そもそも願いを叶える代物なんて碌な物じゃなさそうだから月並みな願いでやって無事終われれば良し)
基本的にやむを得ない時はサーヴァントだけ斃して人殺しはしない方針。
【サーヴァントへの態度】
なよなよしてると思ったら老人っぽくなったり分からん奴。
投下を終了します
投下します。
☆
富士好黒乃(ふじよし・くろの)は、東京によくいる、しがない勤め人の一人だった。
その日の朝までは。
「……あ、おはようっす、『先生』」
「ああ、おはよう、『クロノ』」
やぼったいジャージ姿ながらも、きちんと着替えてからリビングに出ると、さわやかな声で挨拶が帰ってきた。
この奇妙な同居が始まった当初には、迂闊にも下着姿で出てきて互いに大いに赤面したこともあったが。
細々とした配慮も含めて、互いにこの生活にも慣れてきた。
一人暮らしのはずの、それもうら若い女性の部屋に、当たり前のように寛いでいるのは西洋人の男性。
美形である。
整った顔立ちに、黒く長い髪を首の後ろで束ねて、シャツの胸元は大胆に開けている。
似たように長い髪を束ねているというのに、枝毛の跳ねまくった黒乃とは纏っているオーラからして違う。
朝から眼福、眼福。
そうほくそ笑む黒乃に、しかし『先生』と呼ばれた男性は僅かに憂いを孕む顔を向けて。
「起きてきて早々に悪いが、クロノ、大事な話がある」
「なんすか?」
「今日は会社を休みなさい。仮病でも何でもいいから」
突飛な言葉に、黒乃は丸い眼鏡の奥の目をぱちくりとさせて。
「えっ……。いや、そういう訳には……」
「休むんだ」
「あー、つまりその、先生の『占星術』っすか?」
「そうだ。
昨夜、星を観察していて、ちょっとシャレにならないヤバい未来が『見えた』」
「ヤバい未来っすか」
「何が起きるかは知らないが、今日普通通りに会社に行ったら、クロノ、君はマジで死ぬ」
「マジで死ぬんすか」
「僕としても、ちょっとここまで鮮明な未来が見えることは滅多にない。マジでヤバい。なのでサボれ」
「はあ……まあ、先生がそこまで言うなら……」
いまいち承服しかねるといった表情で、しかし、黒乃にはここで拒むという選択はない。
それほどまでに、この『先生』のことを信じている。
ごほっ、ごほっ、とわざとらしい咳の真似をしてみせながら、彼女はあちこちに謝罪の電話をかけ始めた。
それから数時間後。
2人でのんびり朝食を取った、その後のこと。
「マジか……」
「マジっすね……」
同じ部屋、2人が見つめるテレビの中では。
彼女の勤める会社の入ったビルが、盛大に燃え上がっていた。
緊急ニュースとして、本来の番組を押しのけてまでの一報である。
誰も逃げる間もないほどの、一気呵成な大火であったらしい。
死亡者数不明、負傷者不明。消火の目途は立っていない。近隣の建物には避難の勧告まで出ていた。
「これを予測したんすか、先生」
「まさか。いや僕だってここまで派手なことになるとは思ってなかったよ」
「これも『聖杯戦争』っすかね。ウチら狙われたんすかね」
「うーん、どうだろう。
クロノを狙ったとは思わないけど、どこかの誰かの戦闘に巻き込まれて、ってのはありえるかな」
先生と呼ばれる若者は首を捻る。
彼らにだって誰かから狙われる理由はある、しかし、意識して富士好黒乃を狙ったにしてはツメが甘い。
豊富な知識と経験から、彼はこれを偶発的な事件と判断した。
「やー、思い入れも何もない職場だったっすけど……みんな可哀想だなー」
「ああ……その程度なんだ」
「悪目立ちしないように、人並みの付き合いはしてたっすけどね……。
突っ込んだ趣味の話とかできる相手は居なかったっすし……こっちが隠してたのもあるんすけど……」
黒乃はチラリとTVの隣の棚に目をやる。
背の高いガラスケースの中には、多彩で雑多な立体モノの数々。
イケメンの二次元キャラクターを印刷したアクリルスタンドがある。
爪を振りかざし牙を剥く、モンスターのフィギュアがある。
派手な翼を広げる、ロボットもののプラモデルまである。
立体モノとその収集は、黒乃の趣味からするとむしろ副次的なものであったが。
富士好黒乃は、筋金入りのオタクでもあった。
消費者であるだけでなく、自身でも絵を描き、ネットでアップし、時に依頼を受けて描いて小銭を稼ぐ。
絵師としての得意分野はふたつ。
見目麗しい美形の男子を、緻密な装飾とともに細かく華麗に描き込む絵と。
荒々しくも神々しい、今にも動き出しそうな、ファンタジー世界のモンスターたちの絵。
がらっと趣向の違う二刀流こそが、デジタル絵描きとしての富士好黒乃――ハンドルネーム『クロノ』だった。
「先生は生前、友達とかいたんすか?」
「いっぱいいたよー。
僕ぁ、クロノの言葉を借りるなら、いわゆる『リア充』で『コミュ強』の『陽キャ』って奴でね。
よくコーヒーハウスにみんなで集まっては、楽しくしゃべり倒したもんさ」
「わぁ……」
「ただまあ、クロノみたいな子とのんびりしているのも嫌いじゃない。
なんというか、『先生』と一緒にいた時のことを思い出すんだよね」
「エド先生の先生、っすか?」
富士好黒乃は首を傾げる。
エドと呼ばれた青年はにこやかに、どこか昔を懐かしむように虚空を見上げる。
「『ニュートン先生』さ。
ほんとあの人は偏屈で、言葉足らずで、困った人でね……。
そんな所も可愛くはあったんだけども……」
万有引力の理論で広く知られる知の巨人、アイザック・ニュートン。
無類の人間嫌いでも知られた人物を、「可愛い」なんて評することのできる者など、世界史を見渡してみても他にはいない。
天文学者、エドモンド・ハレー。
それが、その英霊の真名だった。
☆☆
イギリスは17世紀から18世紀にかけて活躍した、天文学者にして数学者、物理学者にして統計学者。
それがエドモンド・ハレーである。
一般に最もよく知られた業績を挙げるなら、何よりも彼の名を冠して呼ばれるようになった「ハレー彗星」の存在だろう。
と、いっても、彼自身が天体観測にてその存在を初めて発見した訳ではない。
彗星を観察し、軌道を計算し、75年周期で回帰することを予測し、次に来る時期を正確に言い残し。
次にハレー彗星が再来した時にはハレー自身はもう死んでいたが、その予測はピタリと合致していたという。
ゆえに、通常ならば発見者の名を冠するという通例を無視して、かの彗星は『ハレーの彗星』と呼ばれるようになる。
この一件だけをもってしても、彼は歴史に名を刻まれるに足る天文学者だったと言えるだろう。
だが、彼の功績や研究は、天文学のみに限られるものではなく、あまりにも多岐に渡っている。
そもそも、彗星の軌道計算からして、極めて高い数学と物理学の能力の賜物。
地磁気の研究のために船に乗って外洋に出たかと思えば、水中探索のための潜水鐘を設計し実験する。
死亡統計を元に、現実的な年金についての提言もしてみせる。
ハレーが初めて作った「生命表」は、後の世の生命保険の基本的な考え方の基礎にもなっている。
気が向くまま、興味が向くまま、何でもやる。
およそ理屈と計算で予測できそうなことはジャンルに捕らわれず手を出して。
何物にも囚われぬ発想で、失敗を恐れず突飛な説でも世に問うてみる。
それがエドモンド・ハレーという輝ける才能だった。
今となっては与太話の類にもなってしまうが、地球空洞説を初めて世に提案したのも、このハレーである。
まあ、数多の発表の中には、そんなものも混じっている。
さて、そんな多彩な活躍をしたハレーだが、人間関係においても華やかで派手な男であった。
裕福な家に生を受け、惜しみない援助の下に最高峰の教育を受け。
友人も多く、誰からも愛され、しかし決して傲慢にもならず。
科学者の常として論争はあったのだろうが、決して私怨を買うようなことはなかったという。
そして――やはりハレーという男を語る上で外せないのは、ニュートンとの関係だろう。
アイザック・ニュートンと、エドモンド・ハレー。その年齢差は14歳。
ハレーから見るとニュートンの方が一回り以上も年上の大先輩である。
二人の関係は、先ほど触れたハレー彗星の話にも直結している。
惑星や彗星の軌道の計算に悩んでいたハレーは、ある日、変人の天才として知られるニュートンの所を訪れ、尋ねてみた。
返ってきた答えは、あっけにとられるほどシンプルなものだった。
「そんなものは簡単だ。楕円だ。もうとっくに証明しているよ」
ハレーは仰天した。そんな話は聞いたこともない。
しかし実際に彼が示した方程式を見れば簡潔明瞭にして文句のつけようのない内容。
聞けばニュートンは批判や難癖をつけられるのが面倒で、まだそれを世に発表していなかったのだという。
さらに突っ込んで聞いてみれば、そんな未発表の理論や方程式が他にもたくさんあるという。
ハレーは驚き、怒り、奮起し、あらゆる手管を費やしてニュートンを説得した。
サボろうとする彼を時になだめ、叱り、おだて上げて、科学史に残る偉大なる大作を完成させた。
あまつさえ、出版を約束していた王立協会が資金難に陥ったのを受けて、膨大な私費を投じて出版までさせた。
『自然哲学の数学的諸原理(プリンキピア)』。
現在、いわゆる「ニュートン力学」と呼ばれる理論体系の根底となる部分を世に初めて示した、科学の分岐点である。
おそらくニュートンがそれを書かずとも、人類の集合知は似たような所に到達していたであろう。
しかし数十年、下手すると百年以上の停滞を強いられていた可能性がある。
アイザック・ニュートンの名も、エドモンド・ハレーの名も、世に残らなかったかもしれない。
歴史を左右するほどの人たらしにして、他者の才能のプロデュースもする、万能の才人。
それが、エドモンド・ハレーという男なのである。
☆☆☆
夕日の差し込む、富士好黒乃の暮らすマンションの一室で。
セットしてあったアラームが、派手な電子音を立てた。
夕方5時。世の勤め人にとっては、終業の時間である。……残業がないのであれば。
「よし、じゃあ今日はこの辺にしよう」
「うーーっ、疲れたっす……」
英霊ハレーが指を鳴らすと、広げられていた古い本が空気の中に掻き消えるように消失する。
魔力にて再現された、彼の過去の蔵書である。
キャスターである彼にとって、それは出すも入れるも自由自在だ。
ペンを置き、大学生のようなノートを閉じながら、黒乃は軽く首を傾げる。
「でも、もうちょっと勉強頑張った方がいいんじゃないすか? まだまだやれるっすよ?」
「時間が惜しいのは確かなんだけどもね。
こういうのは、意識して緩急をつけた方がいいんだ。休むのも鍛錬のうちだよ。
クロノの才能が本物だからこそ、焦って変なクセはつけたくない」
ハレーは微笑む。黒乃は毎度のことながらその笑顔に心臓を掴まれたような気分になる。
その整った顔でその優しい気遣いは、あまりにもズルい。
会社が焼失し、細々とした後始末も済んで、晴れてヒマな無職になり果てた黒乃は。
仕事に使っていた時間をそのまんま、『魔術師としての』学習の時間に転用していた。
開始は9時。途中に昼休みを1時間挟んで、夕方5時まで。土日は丸ごと自由時間。
通勤通学の時間がないだけ、ほんのちょっとラクが出来る。
キャスターとして座に名を刻んだ英霊が家庭教師の、あまりにも贅沢な個人指導である。
彼女自身は、こうなってみるまで全く自覚はなかったのだが。
どうやら黒乃は、魔術師としての天性の素質を秘めていたらしい。
今でも実感は全くないのだが、他ならぬ「エド」ハレー先生が言うのならそうなのだろう、と納得もしている。
「しかしクロノの才能は何なのだろうね。魔術と全く無縁の家の出とはとても思えない」
「田舎にいる爺ちゃんは、昔、拝み屋みたいなことやってたって聞いたことはあるんすけどねー。
でも『才能がなかった』とかで、代々続いてたのを爺ちゃんの代で畳んじゃったらしいっす」
「拝み屋……日本の土着のシャーマンの類か……。
魔術師の一族だったのかもしれないが、これほどの才能があって、根源到達を諦めた? よく分からないな……」
黒乃の側にも、黒乃自身も知らない背景が何かしらあるらしい。
とはいえ、天性の才能があっても、魔術なんてものは簡単に学んで使えるようになるものではない。
数日の詰め込みで魔術師になれるなら、誰だって苦労はしない。
それでもこんな泥縄な個人指導をしている背景には、英霊エドモンド・ハレーの持つ、とある宝具の存在があった。
『プリンキピアの刊行者(ジーニアス・プロデュース)』。
かの大著を世に出した功績に由来する、才能や業績を見つけて、短期間のうちに世に出せるようにする、他者強化宝具である。
本人もまだ気づいていないような、埋もれた才能や業績を感知する所から始まり。
対象の成長の効率を圧倒的なまでに押し上げ、数段跳びで理解を深めさせ、記憶力も強化して一発で定着させる。
指導の方針などについても正しい道筋を発見し、休息の取り方などについてまで細々とサポートする。
今回、英霊ハレーがマスターである黒乃の中に見出した才能は、錬金術師としての天性の適性。
それも並大抵のものではない、天才と言っても差し支えのない程だった。
ハレーはそれを、英霊が相手でも刃を突き立てられるレベルにまで育成する腹積もりである。
無論、簡単な道ではない。
この宝具を使えば、ずぶの素人を一晩でオリンピック選手くらいまでには出来てしまうのだが。
魔術師の道というのはあまりにも長い。
数十年どころか、本来なら膨大な世代をかけて歩む数百年の距離。
それをショートカットしようというのだから、こんなチートな支援があっても、一日や二日では届くものではない。
じっくりと、慌てずに、しかし確実に時間をかけて進める必要があった。
幸いにして錬金術であれば、「とある事情」によって、ハレーはそれなり以上に修めている。達人と言ってもいい。
表の歴史には全く刻まれていない事柄ではあるが、彼ならば指導をすることもできる。
「いま『育てている』能力においては、クロノの血筋だけでなく、クロノの『趣味』の方も大事だからさ。
そっちの才能や発想も錆び付かせたくはないんだ。
今まで通り、仕事から帰ってきた後の日課は続けてくれたまえよ」
「あー、絵の依頼は依頼で来てますしね……」
「クロノが絵を描いている間、僕はちょっと外をパトロールしてくるよ。陣地の強化とかやることは多いし」
「あー、ついでにコンビニ寄れるなら、いつもの漫画雑誌買ってきてくれると嬉しいっす〜」
「了解〜〜☆」
ハレーは自分のスマートフォン(黒乃が与えたものである)と財布(こちらも中身も込みで黒乃が与えた)を掴むと、立ち上がる。
今や彼は、現代日本の俗世にすっかりなじみ切っていた。
☆☆☆☆
ハレーと親交の深かったアイザック・ニュートンには、知る人ぞ知るもう一つの側面がある。
錬金術師。
近代科学の礎を築いた偉人であるにも関わらず。
それらと同等、あるいは上回る情熱をもって、錬金術の研究をしていたことが知られているのだ。
20世紀に入ってから、ニュートンの未発表の草稿が多数、オークションにかけられたことがある。
これらを大金を惜しまず落札したのが、経済学者として名の知られたジョン・メイナード・ケインズである。
ポーツマス文書として知られるこれらの資料を目にしたケインズは、大いに驚くこととなった。
そのほとんどが、錬金術に関する研究だったのである。
どうやら彼は古典的な、卑金属を貴金属に変える研究、賢者の石の探求を行っていたらしい。
資料は断片的で、まとめきれておらず、また他にもあったはずの文書の多くは過去の火災で焼失している。
ニュートンの研究が実際にどこまで至っていたのかは誰も知らないが、彼が本気で探求していたのも間違いないのだ。
ケインズは論文の中でこう断じている。
「ニュートンは一般に言われるような、『理性の時代』に属する最初の人ではない。ニュートンこそ最後の魔術師である」
ニュートンはまた、聖書の研究、特に聖書に隠された暗号(バイブル・コード)の研究をしていたことも知られている。
オカルトとされる複数の分野を修めていたのは確実なのだ。
そして――
ニュートンがうっかり忘れていった、まとめ切れていないメモが好事家たちの手に流れたのとは別に。
アイザック・ニュートンが秘められた遺産を意識的に遺した相手が、仮に存在するのだとしたら。
それは、エドモンド・ハレーを置いて他には居ない。
実際、ハレーは死期も迫った頃のニュートンの病床を訪ね、そして、何やら言い争いをしていた、という記録が残されている。
論争の中身は明らかになっていない。
おそらく、明らかにすることのできない内容だったのだ。
ハレー自身の身には、オカルトにまつわるエピソードは何一つ遺されていない。
前述した地球空洞説にしても、彼にとっては地磁気の不可解な動きを説明するために本気で考えた科学の仮説のひとつ。
ハレーは表の世界に何一つ怪しいものを残すことなくこの世を去っている。
けれど。
神秘と科学の狭間の時代に生きたという意味では、ニュートンもハレーもほとんど同じである。
天文学を学べば、必然として、占星術も知らずにはいられない時代。
数学を学べば、必然として、カバラの数秘術にも触れることになる時代。
そんな時代に生きた、多才で多芸、多趣味で何でもまずはやってみる、そんな才能の塊なのである。
当然、知られざる知識にも触れている。
間違いなく、実践している。
科学と神秘がまさに異なる道へと分岐していく時代の節目。
それはある意味で、現代に生きる魔術師たちの原点のひとつでもある。
神秘は伏せるもの。神秘は世に残さぬもの。神秘は人々に知られないようにするもの。
エドモンド・ハレーは、まさにそれを実行しきったからこそ、表の歴史にオカルトの痕跡を残さぬままに死んだのだ。
アイザック・ニュートンが、「最後の中世の魔術師」であるのなら。
エドモンド・ハレーは、「最初の現代の魔術師」でもあるのだ。
☆☆☆☆☆
暮れ行く空の下、長身の西洋人が一人、電柱とスマートフォンを見比べながら何やらうなずいていた。
より正確に言えば、彼が注目しているのは電柱に目立たない形で張り付けられた、住所を示すプレートである。
「ここの番地が『3』、あっちが『5』だから、この辺に『7』を配置すれば都合のいい魔法陣になるな……」
スマホの地図で位置関係を確認しながら、彼が目を付けたのは街路樹の根本。
口の中で何やら唱えると、彼の手の中に金属のネジのようなものが出現する。
ネジの頭には、『7』という数字の刻印。
周囲に誰も見ていないことを確認すると、それを木の根元、土の中に埋め込んでしまう。
一見すると何か工事関係の目印にしか見えない――いや、普通はそんなものがそこにあることにすら気づかない。
それはあまりにも東京という街に馴染んだ偽装だった。
数秘術。
一般には占いの一種として扱われることが多い、その技術だが。
その本質は、世の中に存在する数字に意味を与え、己の魔法の構成要素のひとつとすることにある。
いまハレーがやったのは、既に街の中に提示されている「数字」を足掛かりに、最低限の要素を追加をすることで。
極めて隠匿性の高い、魔術的な結界を作成する術だった。
一般人が電柱に掲示されている住所をほとんど意識しないように、魔術師だってその気配に気づくことは難しい。
既に何重にも張り巡らせた結界の最外縁、向こうからは察知されないがこちらは察知することのできる、対魔術師の警報装置だった。
「とりあえずこんなもので一通りは完成かな。
そろそろ、何かあった時の避難先、セカンドハウスの構築に力を入れるべきかなぁ……」
聖杯戦争が始まってから、ハレーは黒乃の家庭教師を続ける一方で、こうして魔術師として陣地の構築に力を入れている。
一人暮らしには贅沢すぎるほどのマンションに暮らす黒乃は、しかし、それだけに移動がままならない。
ゆえに現代魔術師として一通りの知識と技術を持つハレーが、守りを固めていた。
暗示の魔法で一般人を動かし、黒乃の住む404号室の上下左右の住人には穏便に引っ越しをして貰っている。
壁を破って突入を図る魔術師を想定し、空き部屋になったそこには魔術的なトラップも用意した。
アパートの管理人たちも暗示でコントロール下にあるし、種類の異なる結界が多重にマンションを守っている。
強固さよりは隠密性を重視してはいるが、そうであればこそ、並大抵の魔術師ではそこに陣地が築かれていることにすら気づけない。
さらにハレーは、物理的な手段で建物ごと倒壊を図る者が出ることまで想定し、予め手を打っている。
魔術師としてのエドモンド・ハレーの技術は、現代魔術師として非常に高い領域にある。
修めている分野は、主に占星術、数秘術、錬金術。
多芸多才な表の顔はそのままに、裏の世界の魔術師としても、広くそして深く技を磨いている。
一点特化の目立つ才能はないけれど。
現代魔術師のやれることは、ほぼ全てできる。
現代魔術師の考えそうなことは、だいたい想像がつく。
そして現代魔術師が陥りやすい過ちについても、深く広く知り尽くし、対策を用意できる。
神代の時代の魔術師のような、万能性や超絶技巧、圧倒的な魔力はないけれど。
そつなく、隙がなく、策略や思考も含めた、あらゆる方向においてレベルが高い。
それが最初の現代魔術師の一人である、エドモンド・ハレーというキャスターだった。
「僕は英霊としては決め手に欠けるからなぁ……。
守りを固めるのは僕がやろう。時間を稼ぐのは僕がやろう。魔術師としてやるべきことは全て僕が受け持とう。
攻撃(オフェンス)は、信じられないほどの才能を秘めた天才。クロノの開花を待つ」
厳密にいえば、ハレーのもう一つの宝具は、世界の理にすら干渉する、破格の性能の宝具であるのだが。
しかし非常に使い勝手が悪く、しかも多くの場合、防御的なものだ。
攻め手は他に用意する他はなく、そして、それを提供しうるのはパートナーであるマスターしかいない。
ハレーは路上からマンションの建物を見上げる。
明かりがついた窓の中では、彼を召喚し、彼が見出した才能が、存分に想像力の翼を羽ばたかせている頃。
会社が急になくなって、ヒマになった黒乃に、今まで通りのスケジュールで暮らすように指導したのはハレーである。
昼間の時間は錬金術のレッスン。
夜間はオタク趣味に基づく色々な作品の鑑賞と、絵師としての創作の時間。
いまハレーが育てようとしている才能にとってはそれがベストの方法だと、彼は理解している。
ハレー自身、夜間には天体観察をしたかったし、陣地構築などやるべきことも多かったので、都合が良かった。
「クロノの才能が育てば、きっと凄いぞ。あれは英霊にさえ勝てる才能のはずなんだ。
まさかこんな時代に呼ばれてあんな子に会えるなんて。ワクワクするなぁ! 是非とも観察したいんだよなぁ!」
エドモンド・ハレーは気ままに知の可能性を探求する。
子供のように無邪気に、何物にも囚われることなく、ただひたすらに、新たな知見を希求する。
その過程で何が踏みにじられたとしても、彼は一片の罪悪感も抱くことはない。
☆☆☆☆☆★
独り身の女性が住むには広すぎる、2LDKのマンションの部屋。
富士好黒乃は、あまりにも贅沢に間取りを使っていた。
一室は寝室に。
一室は、書庫、兼、作業専用の部屋に。
ハレーという思わぬ同居人が増えてからも、この2部屋は黒乃だけが踏み込むことのできる聖域となっていた。
なお同居人は色々な苦労が無視できるサーヴァントであるのをいいことに、LDKのスペースだけで暮らしている。
天井近くまで本が詰め込まれたその部屋で、黒乃はモニタを睨み、ペンを走らせる。
みるみるうちに形を得ていくのは、鱗の一枚まで緻密に描き込まれた、獰猛なドラゴンの横顔。
ほとんど描き直すこともなく、一気呵成に描き上げていく。
世に美形男子を描く者はおおけれど、迫力のあるファンタジーのモンスターを描ける者はそう居ない。
絵の依頼は明らかにモンスターの方に偏っている。
少しだけ残念に思いつつも、黒乃も別に嫌いという訳ではない。
より迫力のある怪物を描くために、動物園に通ったり、博物館で恐竜の骨格を確認したりもしている。
「ふぅっ、こんなもんっすかね……」
爆速で描き上げたドラゴンの絵を前に、黒乃は大きく息をつく。
あと多少の微調整を残してはいたが、元々黒乃は速筆家でもある。
ちょっと休憩、とその場で伸びをした彼女は、気分転換に近くの文房具入れから小さな金属のクリップを取り出す。
「……命よ(vita)」
指先にほんの少し魔力を込めて、キーワードとしているラテン語を小さく口にする。
途端に金属のクリップは虚空でグネグネと変形し、やがてあまりにも小さな生き物の姿へと変わる。
指の先に乗るほどの、翼ある馬――ペガサスである。
「簡単、だよねぇ……。
あっごめん、命令してあげないとね。
えーっと、『部屋から出るな』『部屋の中にあるものを壊すな』『あとは適当に好きにしてて』」
あまりにも雑な命令を黒乃が命じると、翼長10ミリメートルもない極小の金属のペガサスは、ぶるっと身体を振るわせて。
ふわり、と宙に舞うと、軽やかにあたりを駆け回る。
視野共有などをすれば楽しいのも知っているが、今は特にそういった役目を持たせることなく、ぼーっと目で追うに留める。
錬金術の応用で、手元にある金属を材料に、様々なモンスターを作り出す。
それが富士好黒乃の魔術であり、いま必死になって完成を目指している才能である。
その気になれば黒乃の想像力のままに、どんなモンスターだって作ることができる。
それらは翼があれば宙を舞い、牙があれば噛みつき、爪があればそれを振るう。
より技量を上げて行けば、ブレス攻撃のような特性を持たせることもできるらしい。
これは厳密に言えばカバラのゴーレムとは根本的に原理の異なる技術であり。
強いて言うなら、「金属を材料とした疑似ホムンクルス」のようなものであるらしい。
黒乃にはよく分からないが、あのハレー先生が興奮して「そんな才能がありえるのか?!」と叫んでいたほどの異才、であるようだ。
そう。
黒乃には未だにピンと来ていない。
自分の他にはエドモンド・ハレーという、これまたある種の天才しか、魔術師というものを知らないために。
自分のこの能力が、どれほど凄いものなのか、いまいち実感が湧いていない。
「先生は極めれば英霊だって倒せるようになるはず、って言うんだけどなァ……」
黒乃は少しだけ想像する。
自分が作り出した巨大なドラゴンが、神話の英雄と真正面から戦う姿を。
金属の龍が爪を振り下ろす。神話の英雄が剣で受けようとして受けきれず、血を流す。
ちりっ。
黒乃の脳裏に、どす黒い、どこか甘美な痺れが走る。
「ダメっすよぉ、そういうの、『需要がない』んだから……」
富士好黒乃には、秘められた欲望がある。
存在を気づきつつも、絵師としてすらも世に出していない、暗い欲望がある。しっかりと自覚している。
美形の男性の絵と、荒々しいモンスターの二刀流。
しかし黒乃にとっての原初の欲望は、それらは別のものではなかった。
いったい何を契機にそんな妄想を抱くようになったのか、黒乃自身も覚えていないのだけど。
美形の男子が。
あるいは、可愛らしい女の子が。
見るも恐ろしいモンスターと、勇敢に戦って。
そして力及ばず――ぐちゃぐちゃにされる姿が、見たい。
あまりにもニッチな欲望。あまりにも後ろ指刺される欲望。
黒乃には描くことができなかった。
似たようなものを描いている人がいるのは知ってはいたけれど。
それは「いけないもの」なのだと、ずっと無理やりに蓋をしていた。
けれど。
ひょっとして。
この、「聖杯戦争」という非日常の場においては。
我慢しなくて、いいのかもしれない。
己の想像力のままに描き出した、金属製のモンスターで、全てを蹂躙しても構わないのかもしれない――!
「んっ……」
黒乃の口から甘い声が漏れる。もじもじと身じろぎする。
もう少し。
錬金術の勉強を進めたら。
技をさらに磨いていけば。
そうすればいつかは。
いつの間にやら本棚の棚のひとつに着地していた極小のペガサスが、不思議そうに、眼下でもだえる創造主を見下ろしていた。
【クラス】
キャスター
【真名】
エドモンド・ハレー@史実(17-18世紀、イギリス)
【属性】
中立・悪
【ステータス】
筋力:E 耐久:D 敏捷:D 魔力:B 幸運:A 宝具:EX
【クラススキル】
陣地作成:B
工房の作成が可能。神殿の域とまではいかないが、十分以上に高性能な陣地を構築できる。
方向性としては現代の魔術師が構築するものと似た方向で、ただ普通に全方向にレベルが高く隙がない。
道具作成:B
魔力を帯びた器具を作成可能。
現代魔術師の作る様々な道具に方向性は近いが、普通に全方向にレベルが高い。
ただ、万能ではあるが、特筆すべき得意分野というものは持たない。
【保有スキル】
魔術:B
基本的な魔術を一通り修得していることを表す。
エドモンド・ハレーの場合、主に占星術、数秘術、錬金術の各系統に精通している。
おおむね現代の魔術師に出来ることは一通り高いレベルで行うことが出来る。
また、現代の魔術師がやりそうなこと、発想のクセなどについても理解している。
特に特筆すべきは占星術で、夜空を観察することで未来に起こりうることを断片的に知ることが出来る。
知りたい物事を積極的に知ることは出来ず、細切れで、ほとんどランダムな情報だが、その分、的中率は高い。
そうなって欲しくない未来については、回避を試みることも出来る。
現代のインターネットの情報である程度代替することも出来るが、夜空を直接目視していない場合、精度が大きく落ちる。
(逆にスマホが使えるのであれば、昼間でも雨天でも一応使うことはできる)
人心掌握:B
どんな内気な者でも、気難しい老人でも、真正面から心を開かせる究極の陽キャの交渉術。
カリスマにも似るが、対集団の指導能力ではなく、1対1の交渉や付き合いに特化している。
相手の警戒心を弱めて、信用を勝ち取り、彼の望む方向に物事を動かす、人たらしの話術である。
英雄作成(学問):C
王や英雄を人為的に誕生させ、育てる技術。
ハレーの場合、学問や研究の分野、あるいは魔術師の育成のみに特化している。
後述する宝具の内容と被る部分もあるが、こちらのスキルは現実的な指導、教育や環境整備についてのものである。
多芸多才な彼は、大学で教鞭を執っていた時期もあるのだ。
【宝具】
『彗星は再び巡り来る(コメット・リ・コーラー)』
ランク:EX 種別:対界宝具 レンジ:無制限 最大捕捉:無制限
ハレー彗星をはじめとする彗星の再来を予言したことに由来する、『未来を確定させる』理外の宝具。
彼が占星術にて予見する未来は、しかしそのままでは「そうなる可能性が高い」というだけであり、回避すら可能であるのだが。
この宝具は、予見した未来を世界に刻み付け、「将来必ずそうなる」と確定させてしまう。
この宝具の発動には、占星術による未来予測をした上で、日付や時間を含めて明確な一文の文章の形にすることが必要。
『エドモンド・ハレーの名の下に、ここに予言する。
○月○日の○時○分に、○○が起きる/○○は○○という状態になっている/○○が観測される』
この宝具が発動した状態で、この形式の文章で発言された内容は、運命を捻じ曲げてでも必ず実現される。
発言内容によっては曲解だったり、詭弁じみたものになる可能性はあるが、決して嘘にはならない。
むしろメタ視点では、「先の展開を書く書き手を縛る」宝具、と認識して頂いて構わない。
非常に強力な能力だが、極めて使いづらく、能動的に行えることはほとんどない。
まず何より占星術で推測した未来が見えないことにはどうしようもない。
彼の主観からすれば、「運良く都合の良い未来が見えた時に、それを確実に予約することができる」程度のものである。
占星術で占える未来の射程も短いため、最大でも数日、多くの場合は24時間以内の未来のことしか予見できない。
また頻繁に使えるものではなく、事実上、聖杯戦争の本編の時間枠の中では『一回』しか使用できない。
一方で使用制限は強いものの、一度発動すれば、英霊としてのエドモンド・ハレーが死亡し退去しても、効力は残り続ける。
かのハレー彗星は、彼の死後、彼の予言の通りに出現したのである。
『プリンキピアの刊行者(ジーニアス・プロデュース)』
ランク:B 種別:対人宝具 レンジ:1 最大捕捉:1
隠された才能を見出し、援助し、才能を開花させる、成長速度の急速促進宝具。
ニュートンの偉大な発見をいち早く見つけ、説き伏せ、出版させたように。
まだ世に知られていない才能や業績を直感的に見つけ出し、一気に成長させモノにし、世に出せるようにする。
対象に元から秘めている能力や成果がない限りは、何の役にも立たない宝具。
既に育ちきり、社会に認められた才能が相手でも意味がない。
ただ、何らかの才能を秘めているのなら、様々な前提条件をすっ飛ばして、強制的かつ圧倒的な成長を促すことができる。
スポーツの才能があるのならプロ級の腕前にすることが出来るし、文学の才があるなら処女作で最高傑作を書かせることもできる。
一度に影響を及ぼせる相手は一人きり。
今回、マスターである黒乃に錬金術師の才能があったことを看破し、彼女に対してこの宝具を使用している。
数十年分どころか、本来なら数百年かかる道のりをショートカットしようとしているため、流石に時間がかかっている。
ちょうどハレー自身もニュートン直伝の錬金術を齧っていたこともあり、教材の代わりは彼自身が務めることもできた。
彼女の才能はまだ完成に至っていないが、それでも既に一芸に限っては一流の魔術師の域にある。
ハレーの見立てによれば、彼女の才能が完全に開花し完成した場合、英霊が相手でも十分に戦える域にも達するという。
【weapon】
分厚い本。
内容は天文学だったり、物理学だったり、数学だったり、あるいは錬金術だったり。ごく少量の魔力消費で自在に取り出せる。
けっこう乱暴に扱う。雑に敵を殴るのにも使う。
スマートフォン。
マスターの黒乃がハレーのために買い与えた、ごく普通のスマホ。黒乃との兼用ではなくハレー専用に一台。
器用な彼は完全に現代のテクノロジーを理解し把握し、完全に使いこなしている。
特に夜空が見えない時の天体観測の代用手段として欠かせない。
【人物背景】
17世紀から18世紀にかけて活躍した、イギリスの天文学者、物理学者、数学者、気象学者。
もっともよく知られた功績は、彼の名を冠して呼ばれるようになった「ハレー彗星」の軌道計算と、再来の予言である。
豊かな家に生まれた彼は、オクスフォード大学にて勉学に励み、数学と天文学、物理学に才能を現した。
特に天体の観察や軌道の計算に多くの功績を残している。
一方で彼の研究や興味は多岐に渡っており、ある意味で脈絡がない。手あたり次第と言ってもいい。
船に乗って地磁気の研究をしたかと思えば、統計学を用いて年金に関する解析と提案をしていたりもする。
また、他の歴史上の偉人との交流という点では、かのアイザック・ニュートンとの関係を外すことは出来ないだろう。
惑星の運動について悩んでいたハレーは、ニュートンが楕円運動を証明しているにも関わらず発表していないことを知り。
面倒臭がるニュートンを説得して、大著である『自然哲学の数学的諸原理(プリンキピア)』を書かせた。
あまつさえ、この本を出版する予定だった王立協会が資金難になり出版困難となった際には、自費を投じて出版までした。
この本のおかげで現在『ニュートン力学』と呼ばれる理論の多くが世に知られるようになり、科学は一気に進歩したのだ。
アイザック・ニュートンは人嫌いな偏屈者として知られていたにも関わらず、年下のハレーだけはその懐に飛び込むことが出来た。
彼らの交流は晩年まで続いたと言われている。
ここまでが一般に世に知られている事実。
魔術の影も形もない、科学者としての彼の足跡。
一方で、ハレーと親交深かったニュートンは、晩年には錬金術や聖書の研究をしていたことで知られている。
ニュートンはこれらの研究を書籍として世に出すことはなく、また研究資料の多くは火事などで失われているが。
錬金術の研究を重ねていたのも確かで、数多の資料が残されている。
アイザック・ニュートンは現代科学の祖の一人であると同時に、最後のオカルティストの一人であったとも言われている。
そして年下とはいえ、彼とほぼ同じ時代。
科学と神秘がまだ完全には分離されていなかった時代に生きたのが、エドモンド・ハレーである。
天文学は占星術に、数学はカバラの数秘術に。それぞれ通じていた時代でもあるのだ。
ましてや、彼が敬愛してやまないアイザック・ニュートンまでもが、錬金術についても研究していたのである。
公式にはニュートンにその方向の弟子は居ないことになっているが。
仮に何かを遺す相手が居たとしたら、それはエドモンド・ハレーを除いて他に居ない。
かくして、エドモンド・ハレーは、歴史の表に残る科学の実績と同時に、魔術師として多岐に渡る経験を積むことになった。
それはいわば、科学とオカルトが分岐した時代。
現代に生きる魔術師たちの出発点にも近い位置であり。
アイザック・ニュートンが最後の中世の魔術師であるなら、エドモンド・ハレーは最初の現代魔術師でもある。
【外見・性格】
イケメンのリア充。
話をすれば誰にでも好かれ、どんな偏屈者の懐にでも飛び込んで味方につける。そんな希代の人たらし。
単に陽キャであるだけでなく、陰キャの傍にあっては真摯な理解者にもなる。静かに寄り添い支えることも出来る。
外見年齢20代、長身の西洋人だが、髪は黒髪。これを現代風にまっすぐ長く伸ばして背中の中央で大雑把に括っている。
服装もラフでありながらセンスが良く、胸元を大胆に開けた着こなしを好む。
無類のコーヒー好き(当時コーヒーハウスは流行であり、社交の場でもあった)。
なんでも小器用にこなすだけあって、コーヒーを淹れさせてもその腕は絶品。
【身長・体重】
178cm/81kg
【聖杯への願い】
あまり考えていない。
ただあまり簡単に他の英霊に負けてやるつもりもない。
【マスターへの態度】
有望な才能。
相性の合う相棒。
育てがいのある生徒。
聖杯戦争を勝ち抜くにあたっては、一般的なマスターとサーヴァントの役割を逆転させることを考えている。
すなわち、普通はマスターがやる魔術師の役目をハレーがやる。
陣地の構築から他陣営の動向の推測、他陣営との交渉まで、知識と経験のあるハレーが中心となって取り仕切る。
なにしろ現代魔術師の祖にも近い存在である。一通りの王道は把握しているし、やりがちなミスも知っている。
一方で戦闘が避けられないとなったら、マスターである黒乃の『金属の怪物』を主戦力として立ち回る算段である。
元々キャスターのサーヴァントとしては、そつがない一方で決め手に乏しいのがハレーという英霊である。
神代の魔術師のような圧倒的なパワーや技巧もない。
彼自身そのことは深く理解しており、それゆえの役割分担の逆転である。
そのためにも、もう少し黒乃が魔術に習熟する時間が欲しい。
あえて当面は応用性よりも即戦力を目指して教育をしているが、まだ不十分である。彼女はもっと先まで行ける。
【名前】
富士好 黒乃/Fujiyoshi Kurono
【性別】
女
【年齢】
24
【属性】
混沌・中庸
【外見・性格】
垢ぬけない印象の黒髪の女性。猫背で声が小さい。
肩にかかるほどの髪はぼさぼさで、背中に流す形で2つに束ねていることが多い。髪量が多く枝毛もあちこちに跳ねている。
丸い眼鏡を愛用している。
会社では良くも悪くも目立たない影のモブだった。怨みや陰口も受けないが、そもそも存在感が薄い。
そしてその会社も焼失したため、今や大手を振って無職となっている。
まあまだ慌てる時間ではない。まだもうしばらくは、予想だにしなかった悲劇に呆然としてしまった一般人、で通せる。
プライベートではオタク趣味の権化にしてイラストレーター。
絵師としては、耽美で緻密に描き込まれた美形な男性の絵と、荒々しくも神々しいモンスターの絵の二刀流。
依頼を受けて描くこれらの絵でも副収入を得ていた。
もちろん金にならない趣味の絵も山ほど量産していた。
実は腹の中では、耽美なイケメンがモンスターたちに引き裂かれる凄惨な想像を弄んでいた。
しかし流石にニッチ過ぎる趣味嗜好であり、絵師としての稼業では表に出していない。
漫画を描かないのも、これらの悪趣味が暴走しがちで、自分でも需要がないと諦めていたからでもある。
【身長・体重】
158cm/67kg
服を着ていると分かりづらい程度の隠れデブ。
胸もそこそこ大きいが、それでも誤魔化しきれない腹肉がついていて、人様には見せられないと思っている。
(一般論としては意外と需要のあるあたりだとは思われるが、そう言われても本人には慰めにもなるまい……)
【魔術回路・特性】
質:B 量:A
火と地の二重属性。特性は創造。
自覚もなければ発揮する場もなかった天才の領域。才能の方向性は錬金術に向いている。
【魔術・異能】
『金属製の怪物の作成』
黒乃の錬金術師としての素養を踏まえて、英霊エドモンド・ハレーが育てている才能。
金属を材料として、自立して動いて命令に従うモンスターを製作する。
材料は金属であれば種類を問わない。
道端にあるガードレールの一部を怪物に転じさせることも出来るし、自動車や鉄骨なども材料にできる。
発動には術者による接触が必要。
モンスターは術者である黒乃の創造力のままの形態を取り、それに準じた能力を得る。
多くは彼女が絵に描くようなファンタジーの既知の怪物の形態をとる。
ロック鳥の形を作れば空を飛ぶし、ユニコーンを作れば角を向けて突進する。
色調と硬さだけは素材の痕跡を残す。
直接戦闘用の大型のモンスターだけでなく、小型のものを使って偵察などに使うことも出来る。
厳密にはこれはゴーレムというより、技術体系としては「金属を使った疑似ホムンクルス」とでも呼ぶべき存在である。
現代の魔術を真っ当に修めた者から見るとあまりにも異形の怪物の創造。
ただしハレーはこれが最も黒乃の才能を活かせる方法だと看破した。
ホムンクルス系列の物であり、かつ無理をさせているため、寿命が短く、多くは一日も持たず、それどころか数時間で死に至る。
長持ちしない一方で、材料さえあれば次々と作り出すことが可能。
現時点では黒乃が全力を出しても「ちょっと強い使い魔」くらいの存在までしか作れず。
マスター相手なら熟練した魔術師相手でもかなり勝算があるが、サーヴァント相手だとかなり厳しい。
とはいえハレーの見立てによると、黒乃の才能はまだまだ伸びる余地があり、完成すれば英霊とも十分に渡り合えると言う。
一方でハレーが早期育成のために方向を絞っているために、錬金術の他の分野については最低限の知識と技術しかない。
基礎の理論などは学んでいるが、事実上、現時点ではこの一芸の他には使い物にならない。
(本来錬金術は応用の範囲が広く、道具の作成から治癒術まで多彩な役目を果たすことができる)
【備考・設定】
田舎のそれなりの名家の出身。
大学進学を期に東京に出てきて、そのまま就職していた。
田舎に帰れば見合いが待っているのが目に見えて、それを嫌がった黒乃が先延ばしにしたという側面もある。
あまり本人も自覚がないし贅沢をする趣味もないが、実は金には全く困っていない。実家から過剰な援助を受けている。
東京で一人暮らしするなら、と、決して安くもない東京のマンションの一室をあっさりと買い与えられたくらいだ。
自覚はなく伝承も途絶えているが、二世代前(祖父の世代)に魔術の探求を放棄した、元・魔術師の家系の出身。
ルーツは不明だが、ドルイド魔術の系譜に連なる技術を日本の山奥で代々継承していた。
黒乃は魔術刻印の移植などは受けていないが、天性の才能が今になって開花した格好。
祖父は一族の研究に先がないと判断したが、その実、血筋の持つ才能の方向と、研究していた分野とのミスマッチが原因だった。
仮に富士好の一族が良き師と錬金術に出会っていたならば、彼らは今頃、魔術師として大成していたことだろう。
【聖杯への願い】
特になし。
死ぬのは嫌だから生き残るために全力を尽くすし、何より錬金術の学習と実践は楽しい。モチベーションは高い。
ただし、彼女は腹の底にどす黒い、絵師として世に出すことすら躊躇っている、邪悪な欲望を秘めている。
今はまだそこまで考えていないが、これが聖杯の奇跡と結びついた時、彼女はいったい何を願うのか……。
【サーヴァントへの態度】
先生ってば最高っす、うへへへ……。
教えを乞うてよし、鑑賞してよしの、最高のイケメンパートナー。
完全に信頼し、またどこかで依存している。
また、腐った女オタクの直感として、エド先生とニュートンさんの関係はなんだか美味しい予感がする。
機会があれば、先生ののろけ話をもっと聞いてみたい。
【備考】
企画主の投稿作『にーとちゃんは夢を見る』と、この作品とが同時に採用された場合。
天枷仁杜と、富士好黒乃の務めていた会社は、同一の会社となります。
富士好黒乃は会社を仮病で休んだことで、会社焼失の危機から逃れた数少ない生存者の一人となっています。
実際にその場に居なかったこともあり、ウートガルザ・ロキとも遭遇していません。
また同時にこの騒ぎによって富士好黒乃も職を失っています。
二人の間に面識があったのか否か、あったとしたらどういう関係だったのかは後続の書き手にお任せします。
【備考その2】
本編開始時点で、黒乃の才能がどの程度まで開花しているかは、後続の書き手にお任せします。
投下終了です。
たくさんの投下をありがとうございます!
感想なんですが、明日には投稿するのでもう少しお待ち下さい。
私も投下します。
少女のこれまで送ってきた人生を一言で言うならば、"不遇"だった。
うだつの上がらない父親と、ヒステリックで金遣いの荒い母親。
父は優しかったが、気が弱くいつだって母の言いなりだった。
子どもながらに分かる、日に日に貧しくなっていく暮らし。
増える怒鳴り声、帰りの遅くなる父、知らないうちに売られていく家財道具。
ある日すごく大きな喧嘩があって、父は泣きながら家を飛び出していって。
母は震える自分に、「これからはお母さんと暮らすのよ」と鬼のような顔で言った。
お父さんがいなくなれば、お母さんも優しくなるだろうか。
そう思っていた。けれどそれは、あまりに甘い考えだったと思い知る。
夜の仕事を始めた母が連れてきた、"新しいお父さん"。
彼が家に居着くようになってから、寂しくて貧しい日々は明確に"地獄"へと変わっていった。
前の暮らしに戻ったみたいに、昼夜を問わずに響く怒鳴り声。
元の父とは違い、言い返すし手も出す"新しいお父さん"。
ヒステリックな女と暴力的な男の組み合わせが一度でも揉めたら、際限なくやり合いがヒートアップしていくことになる。
でも彼らも、どうにかして事を収めなければならないという意識はどこかにあったのだろう。
そんな時、収まらない怒りの矛先はいつも少女に向かった。
小さく弱く、何をしてもやり返せないか弱い生き物。
そんな彼女は粗暴な大人たちにとって、格好のサンドバッグだったのだ。
ある夜、少女は家を飛び出した。
顔を涙と鼻水と、そして鼻血でべとべとに汚しながら。
ここではないどこかへ行きたくて、ひたすら走った。
そうしたからって、何がどう変えられるわけでもないのに。
子どもひとりでどこかに行けるわけもなく、見つかって連れ戻されでもしたら一巻の終わりだと分かっていたのに。
それでも、これ以上ぶたれるのも蹴られるのも、お腹が空いて死にそうなのも嫌だった。
父の居場所はわからない。優しい祖父母の家は県をいくつも越えなければならない。
だから、どこにもいけない。それでも、それでも。少女はひたすらに、血の跡を点々と残しながら走った。
神さま、ああ神さま。
もしもどこかに、本当にあなたがいるのなら。
どうか、わたしを自由にしてください。
鳥かごの中で、誰かに飼い馴らされるのはもうこりごり。
あの空のような、広くて、何のしがらみもないどこかへ――
わたしを、導いてください。
そう祈りながら、少女は疲れて足が動かなくなるまで走って。
そして、〈誰か〉にぶつかって顔をあげた。
「ひとりかい?」
やけに大きな、男の人だった。
歳は前の父よりも、今の父よりも遥かに上だろうと思った。
なのに何か、荒々しいまでの若々しさが横溢して見える。
身体は大きくて、雰囲気はすごく穏やかなのにどこか頼もしくて。
気付けば少女は、堰を切ったようにわんわんと声をあげて泣いていた。
目線を合わせて優しく語りかけてくれるその人が、少女には――まさしく、神さまのように見えたのだ。
「傷だらけじゃないか。可哀想に……ひどいことをする人もいたものだ。
迷子、ではないね。ああ、言わなくてもいいよ。
こんな夜遅くに、君みたいな小さな女の子がひとりでいる――それだけである程度解るから」
いっしょに来るかい?
そう言って男が伸べた手を、考えるよりも早く取っていた。
彼が誰であるかとか、そんなことはすべてどうでもよかった。
この人に付いていけば、ここではないどこかに、今とは違うどこかに行くことができるのだと分かっていたから。
"願い"がひとつ叶うのならば。
自由になりたい。どこかへ行きたい。
息苦しくて寂しいだけの、あの小さな鳥かごではなく。
広く、希望にあふれた、誰にも縛られることのない空へ行きたい。
だからこそ、少女は止まるのではなく進むことを選んだ。
少女は、幸せになりたかったのだ。
故に幼い彼女は、手を取った。自由な幸せに通じる切符を握りしめて、夜のその向こうへと旅立っていった。
◇◇
広い部屋。
照明は薄暗い。
頭を撫でられる。
こそばゆそうに目を細める。
これからはここで暮らせばいいのだろうか。
傍らに立つ彼の顔を見上げる。
彼は何も答えず、静かに微笑む。
それから口を開いた。
そして、言った。
「君は、鳥になりたいんだねえ」
少し戸惑う。
けれど頷く。
だって自分は、まさに鳥のようになりたかったから。
自由になって、羽ばたいて、そうして幸せを掴みたい。
その思いに偽りはなく、彼はしみじみと何度か頷いた。
ほんとうに大きな人だと思う。
長身なのもそうだが、筋肉が付いているから余計に大きく見える。
なのに、ぜんぜん怖くない。
彼が優しく微笑んで、優しく語りかけてくれるから、怖いと思えないのだ。
「僕は少し違う。僕はね、蛇になりたかったんだ」
よくわからないことを言われる。
蛇になんて、どうしてなりたいんだろう。
蛇なんて怖くて気持ち悪くて、とてもじゃないけどなりたいとは思わない。
ずる、ずる。
部屋の中から妙な音が響き始める。
水っぽいような、粘っこいような音。
どこから聞こえてるんだろう、と考えて。
どうもその音が、目の前の彼の中から響いているらしいことに気がついた。
「でも、なろうとする必要はなかったよ。
そんなことしなくても、僕は最初から蛇だったんだ」
今の父親とはまるで違う、柔らかで穏やかな微笑み。
だから怖くない。怖いと思うことができない。
少女は微動だにしない凪いだ心のまま問いかけていた。
――おじさんは、どうして蛇になりたいの?
彼は答える。
ほんとうに嬉しそうな、そういう顔をしていた。
「だって蛇は、どんなものでもぺろりとお腹の中に仕舞ってしまうだろう?」
「なんでも食べられる。鳥も、カエルも、豚も、牛も、人間だって食べてしまう」
「そしてお腹の中で、ゆっくり時間をかけて溶かしていくんだ。その間、食べられた生き物はどうすることもできない」
「まあ本物の蛇は溶かしたらその後は、用済みだとばかりに排泄してしまうわけだが……」
べろり、と。
舌なめずりをする。
本物の蛇が、そうするみたいに。
「僕はそうはしない。出してしまうなんてつまらないし、もったいないじゃないか。
僕は食べたすべてを、一生涯僕の中に閉じ込めておくんだ。閉じ込めて、支配する。僕のモノとして抱え続ける」
大きい。
大きくなっている。
身体が膨れ上がるみたいに。
もしくは、伸びていくみたいに。
人間の特徴を全部残したまま変態していく。
なのに怖くない。怖いと、どうしても思えないのだ。
それは恐怖の中で生き続けてきた少女にとって、ひょっとすると幸いだったのかもしれない。
最後まで――"怖くない"ということがどれほど怖いのかを、知らないまま死ねたことは。
「アダムとイヴの神話を知っているかい?」
少女が首を横に振る。
そうかあ、と蛇が笑う。
「神に縛られた楽園の中で、蛇は誰より自由だったんだ」
そして、もう二度と少女が空を見ることはなかった。
暗い部屋。どこかの、逃げ場のない密室の中。
かごを抜け出した小さなひな鳥の前には、大きなおおきな蛇が一匹。
後に起こることなんて、わざわざ語るまでもないだろう。
少女は最後まで一片の恐怖も感じることなく、彼のために生き続けることになった。
肉体を失っても、その魂までもを、永劫に彼の体内で使われ続けるのだ。
夜に子どもだけで出歩くのが忌避されているのは危ないから。
不審者に出会うから。世の中には、子どもに欲情を抱けるたぐいの人間もいるから。
でも、強いて言うならもうひとつ。
――蛇に出会うから。
針音の響く摩天楼の一角。
自由とは縁の遠い、コンクリートジャングルの天空にて。
蛇の王は含み笑いを響かせ。
そんな彼の姿を、昏い星が冷めた眼差しで見つめていた。
◇◇
「そういえば君。享年は幾つかな」
「……言うつもりないけど、なんでそれを知りたいのか聞いてもいい?」
「強いて言うなら趣味だな。君も知っているだろうが、僕は女を歳で選ぶんだ」
「誰が言うか。死ね、変態」
高浜総合病院院長『高浜公示』は、アンティークのソファに腰掛けながら問いかけた。
それに対し、黒髪の……夜空の色を抜き出したような漆黒を湛えた少女は、中指を立てんばかりに嫌悪を露わにして吐き捨てる。
その反応に「手厳しいね」とからから笑いながら、時価で優に六桁後半に達するワインを口へ運ぶ。
姿だけ見れば父親と反抗期の娘のようにも見える光景だが、だからこそその会話の異常さが際立って見えた。
「子どもはいい。少女なら最高だ。幼ければ幼いほど、その未来には無限の可能性がある。
それを取り込むと、なんとも言えず満たされた気分になるんだよ。
初めて雲丹の良いやつを食べた時みたいな感動があってね。こればかりは、どうにも病みつきになってしまってる」
……日本の行方不明者は、生死を問わなければ年間にして数万人にも達するという。子どもだけに絞っても、千人を超える。
もちろん大半は捜索願が出されてから発見に至っているわけだが、逆に言えば少数ながらに"見つかっていない"ケースもあるということ。
ましてや、誰も消えたことに気付かないような人間。
消えたのではなく、死んだことにされている人間。
見つかったことにされている人間。
それを含めれば、その数は更に膨れ上がるだろう。
認知症ゆえの徘徊。家出。川の増水。遭難。見つからない場所での事故死。
そうした非異常性の要因が大半であることは間違いないが。
逆に、異常性――誰かの悪意が原因で招かれた失踪が紛れ込んでいる可能性は、決して否定できない。
"そういう人間"は、いつだって蛇のように忍び寄る。
ひとりでいる子、孤独な子、病んでいる子。
その背後から、ぬるりぬるりと、音を殺して近付いて。
そして巻き付いて、絞め殺して、腹の奥へと収めてしまう。
男は蛇だ。
数多の芸能人を輩出してきた名門事務所、しらすエンターテイメント代表取締役社長――『綿貫齋木』。
そういう名と皮をかぶった、その全長さえ定かではない醜悪な大蛇に他ならない。
「一芸は道に通ずるとは言うけれど。……変態も極めれば大したことになるのね。
そんな馬鹿げた思想を突き詰めてそれだけ肥えられるなんて、もう見下げ果てるわ」
「褒め言葉として受け取っておくよ。これは僕の人生、その生涯そのものだ。美しくはないが、実に強そうだろう?」
都内某区に在する白鷺教会の神父を務める『アンドレイ・ダヴィドフ』は、既に人間ではなかった。
それは彼に招かれた、いや招かれてしまったサーヴァントの眼から見ても間違いない。
人の形はしている。だがそれだけだ。言うなれば、ヒトガタの袋にありったけの毒虫を詰め込んで"人"を名乗っているみたいな。
知らなければ無害な人間にしか見えないだろう。
だが、知って見れば話は変わる。
間違いなく、この男は人外で。少なくとも曲がりなりにも英霊である自分でさえ――正面からの討伐は不可能であろうと、彼女はこの忌まわしくおぞましい男のことをそう認めていた。
「はじめて人を殺したのは十三歳のときだった」
東京都児童連続殺人事件、という負の歴史がある。
六日に及び、一日にひとり。計六人の少女が次々と殺害された、犯罪史上に残る凶悪事件。
「六人殺したよ。手を変え品を変え、とにかく殺した。
なぜそうしたのかは今でも分からないが、強いて言うならそれは〈衝動〉だった。
そうしなければこの先の人生、僕はだんだんと僕でなくなっていく気がしたんだ」
最終的に犯人は捕まり、裁判の末に死刑が確定している。
だが犯人とされた男、現死刑囚は一審から現在まで一貫して無罪を主張。
確かな物証とアリバイの欠如。更には死刑囚の"性癖"が災いし。
その主張は結局、件の人物が絞首台の露と消えるまで誰にも聞き入れられることはなく――
「結局……捜査の手はおろか、疑いの目のひとつも僕に注がれることはなかった。
その時確信したよ。僕はきっと、この社会でもっとも自由な人間なんだと。
僕だけが唯一、法にも常識にも良識にも、何にも支配されることのない人間なのだと」
きっとそれが、この男を殺す最後のチャンスだった。
捜査の網目を完全にくぐり抜けた男は、増長する。成長する。
そして――覚醒する。己の〈起源〉、生き物としての根源に。
「僕は……誰よりも自由でありたい。そして、世界で唯一の支配者でありたいんだ。
獲物を腹の中でいつまでも溶かし続ける蛇に、〈支配の蛇(ナーハーシュ)〉になりたいと、思ったんだ」
警視庁公安部捜査一課長『根室清』。
彼はその日から、人間であることをやめてしまった。
自己の〈起源〉を自覚した人間は明確に破綻する。
見てくれは人間でも、その内界と構造は別物に変じていくのだ。
だが、幸運だったのは――そして彼以外のすべての人間にとって不運だったのは、彼はその破綻を許容できる存在だったこと。
破綻を許容し、それどころか飲み下し、自身の肉体に融和させて這いずり続ける支配の蛇(ナーハーシュ)。
『巳城慶弔』は起源を覚醒させてから、破滅することなく数十年を歩んできた。
よって今、彼は聖杯戦争も〈古びた懐中時計〉による恩恵もまったく関係なく超越者として成立している。
死徒に非ずして、その"祖"達に並び得るもの。
果てなく肥え太り、かつ逸出した頭脳で討伐の手はおろか、疑念のひとつさえ抱かせずに世を渡ってきたフィクサー。
それが『呉呉朝子』。顔のない、蛇の王である。
「そう」
そんな蛇の言葉に、少女は心底げんなりしたような顔で言った。
「死ねばいいのに。あんた、間違いなく私が見てきた人間の中で一番ゴミクズ。
偉そうな天津神の連中の方が遥かにマシだわ。何が悲しくてこんな畜生と組まされたのか、ホントに分からない」
「分からない? おいおい、自分の頭を謙遜するのはよくないな。
本当は分かっているんだろう? 君と僕は実質的に同じ存在なんだから」
「――は。何を言い出すかと思えば……」
彼女は、神霊として知られた存在である。
少なくとも歴史書や文献を漁れば、そう出てくる。
曰く、神々の裁定に仇なし続けたおぞましき悪神。
天津の決定を良しとせず、暴虐の限りでその神意を蹂躙した〈まつろわぬ神〉。
いずれも、真実ではない。
そもそも前提の部分からして間違えている。
彼女は神などに非ず。
彼女は最初、ただの〈まつろわぬ民〉のひとりでしかなかった。
そんな彼女を、曲がりなりにも神などと恐れられる姿かたちに変え。
そして事実として天津神を蹂躙し、敗北という名のトラウマを刻みつけるまでに至ったのには――
「語るんじゃないわよ、下衆。神さま気取りをブチのめすのは得意なんだって知らなかったかしら」
ある、歴史には語られない狂気の背景が介在している。
国を渡さねばならぬ、信心深い〈まつろわぬ民〉が追い詰められた時に何をしたのか。
自分達の尊厳を守るため、彼らがいったいいかなる狂気に手を染めたのか。
その末に、少女は何に成ったのか。
――なぜ、数多の魂を喰らって保存する〈支配の蛇〉なぞに召喚されてしまったのか。
「……怖い怖い。まあ、僕としても君と今揉めるのは旨くない。
それに君は僕のことが嫌いかもしれないが、僕は結構君のことを気に入っているんだ」
「あんたみたいな変態に気に入られてもね。幼女喰いの倒錯者にお気に入り認定されるなんて、はっきり言って鳥肌モノよ」
「失敬だな。必要であれば少年も食べるし、大人も食べるよ。まあ、好きではないけどね」
蛇は嗤っている。
彼にとって、この世のすべては玩弄の対象でしかない。
まんまと口車に乗せられて、不自由なき楽園を追放されたアダムとイヴを見つめるナーハーシュの如く。
『松永創象』は、支配されているすべての存在をせせら笑っているのだ。
そして。それは――
「さっき、君の享年を聞いたろう? もちろん僕にしてみれば低ければ低いほどいいんだが、あれは照れ隠しのようなものさ」
むろんのこと。
歴史の果て、人理の底から顕れる過去の残響。
サーヴァントたちさえ、その例外では決してない。
「可哀想な孤独の君。その慟哭と怨念を腹に収められたら、さぞや至福だろうと思ってね」
僕は、最後には君を食べたいんだ。
そう言って、支配の蛇は笑い続ける。
老年に差し掛かっているとは思えない活力と。
衰えの兆候を微塵も見せない、爆発的なまでのモチベーションを胸に。
〈支配〉の起源を持つ、かつて人だった怪物は、いつまでも暗影の中で腹を抱えていた。
あまたの名を持つ、楽園の黒幕。
彼の正しき名は、ひとつだけ。
――神寂。
――神寂縁。
◇◇
あまりにも多くの血が流れた。
そこに、暴力があったわけではない。
誰かの悪意があったわけでも、ない。
あったのは、ただ空を信じる心だけだった。
あの美しい星空を、そこに坐す尊い神を、彼らは命まで賭して信じ抜いたのだ。
……その先に待っている結末が何かだなんて、託される側がどう思っているのかなんて、一度たりとも気にすることなく。
部族に伝わっていた、〈神下ろし〉の儀法。
すべての命と信仰を束ね、巫覡たる者の肉体へと取り込ませていと高き星神の供物とする。
もとい、星神が降臨を果たすことのできる〈器〉として完成させる。
そうすれば宙から見守る尊い神さまが下りてきて、必ずや自分達の信仰へ報いてくれるのだと、彼らは疑うことなくそう信じていた。
──擬神・天香香背男。
百を超える信者の命を束ねて儀法は遂行され。
そうして確かに、偽りの神は誕生した。
結局のところ、星神なんてものが下りてくることはなく。
理屈のどこかで間違っていたのだろう大儀式は、"神の不在"という最大の破綻を抱えながら完遂された。
降って湧いたのは神威のようなもの。そう見えないこともない、神に比肩する奇怪な力。
そして残されたのは百の魂を宿し、体内で不気味に蠢かせる〈星神の器〉。
部族でもっとも歳の若い巫覡の肉体を、信心という名の汚濁で穢した成れの果ての容れ物だった。
斯くして、神々の支配を否とする悪なる神は屍の山で産声をあげた。
その奮戦たるや、まさしく災害。
あらゆる尊さを否定する闇の光、まさしく兇悪。
悪神。悪の星神。経津主と武甕槌の二柱を下し、平定という欺瞞の支配に抗い続ける美しき禍津。
後に天津甕星と呼ばれるその神について、知られていることは多くない。
それが、星の神であったこと。
天津神に弓を引く、恐るべき悪神であったこと。
神々に手痛い敗北と苦渋を舐めさせ、最後まで災害の如く抵抗を続けたこと。
誰もが、その恐ろしくも華々しい神話にのみ目を向け。
その陰に蹲る、望まずして神に"なってしまった"少女の憤懣など知りもしない。
いや、知った上で無視をしたのか。それとも、伝えないことこそが慈悲と選んだのか。
真実のところはきっと、最期まで天津死すべしと憎悪を吐き続けた悪神自身にさえ知るところではないのだろうが──
あの日、あの時、葦原中国に神はいなかった。
星の神など存在せず、あったのはひとりの、ある運命の犠牲者の慟哭だけだった。
彼女の名は天津甕星。かつての名すら今では思い出せない、命の行方すら〈誰か〉の意思に支配された哀れな器。
「──別に、私はどっちでもよかったんだ。
あの土地がクソッタレの天津神に踏み荒らされようが、いるかどうかも知らない香香背男への信心を捨てさせられようが」
信仰のため、そして尊厳のためにその部族はあらゆる命を擲った。
天津神死すべし。傲慢なる神々に星神の天誅あれ。
油を焚べた火のように燃え上がった殉教精神は結果として増長した神々に手痛い挫折を味わせることに成功したが、そんな華々しいまつろわぬ者たちの物語の中で、彼女ひとりだけが蚊帳の外だった。
信仰のために死ぬのは普通のことで。
支配に恭順しないのは当然で。
尊厳を守ることは命よりも重い。
それが当たり前の小さな世界。
その中で異を唱えるなんて、年若い巫覡の彼女にできるわけがなく。
結果として彼女も、一度たりともそれを口にすることはなかった。
──本当に、神さまが宙から下りてきて。
みんなで一緒にその神話の一部になれるのなら。
それならそれで、悪くないと思っていたから。
でも現実は違う。
香香背男は顕れず、自分だけが地上に残された。
器の中に犇めく"みんな"は、一言も発さない。
励ましてくれることも、褒めてくれることもない。
神と成った少女は、どうしようもなく独りぼっちだった。
「私は、ただ……」
葦原中国の未来のために戦ったわけじゃない。
ただ、暴れていただけだ。
幼子が癇癪を起こして地団駄を踏むように、まならない現実に対して感情を発散していただけ。
天津甕星、そう呼ばれることになってしまった少女の願いは、いつだってひとつで。
最初から今まで、一度だって変わったことはない。
「みんなで一緒に生きて、一緒に死ねれば……それでよかったのに」
置いていかないで。
私も一緒に、あの夜空に連れていって。
願いは叶うことなく、香香背男ならぬ天津甕星は今もこうして哭いている。
孤独の星。闇色の神。中国の厄災。
──天津甕星はここにいる。ここで今も、あの日昇れなかった空を見上げ続けている。
【クラス】
アーチャー
【真名】
天津甕星@日本神話
【属性】
混沌・悪
【ステータス】
筋力:C 耐久:C 敏捷:A+ 魔力:A 幸運:E 宝具:A+
【クラススキル】
対魔力:B
魔術発動における詠唱が三節以下のものを無効化する。
大魔術、儀礼呪法等を以ってしても傷つけるのは難しい。
単独行動:-
マスターとの繋がりを解除しても長時間現界していられる能力。
支配の蛇を主としたことで機能を失ってしまっている。
【保有スキル】
まつろわぬ者:B++
服従させるべき者。そして、それを拒み続けた者。
カリスマ系のスキルを無効化し、敵対者が王・支配者・神の属性を持てばステータスに補正を受ける。
彼女は単独ではない。その体内には、信仰と矜持に身を投げた者たちの死魂が血肉のように張り巡らされている。これは彼らの意思である。
神の敵対者:EX
国譲りへ弓を引いた、悪なりしと定められた存在。
神性を有する存在に対し、天津甕星の矢は常ならぬ冴えと輝きを見せる。
沸々と燃え上がる、闇色の……夜空の如き矢を放つ。
慟哭の金星:A
星神の権能。
もとい、それがサーヴァント化に当たってスキルに堕ちたもの。
魔力放出による超高速移動。短距離はもちろん、長距離移動にも転用可能。
【宝具】
『神威大星・星神一過(アメノカガセオ)』
ランク:A+ 種別:対軍/対城宝具 レンジ:1〜100 最大捕捉:100人
星の矢。自身の霊基の一部を矢に練り込み放つ、極光の狙撃宝具。
極めて長距離の射程範囲と、あまたの魂を宿すゆえの破壊力を併せ持つ"撃つ"ことの究極。
自分自身を素材に込める性質から乱発は生命力の枯渇に繋がるが、その分威力と価値は極めて高い。
込めた霊基質量に応じて威力は変化し、最大では対城級・戦略兵器級の被害を生み出すことができる。
【weapon】
弓と矢。
矢は尽きることがない。
【人物背景】
悪なる星神。葦原中国平定に際し、単独で国譲りに反抗し続けた〈まつろわぬ神〉。
きわめて高い戦闘能力と、大いなるものに膝を突かない反骨心を併せ持った女。
経津主神、武甕槌命さえ打ち破り、そして建葉槌命の派遣でようやく退いた。
曰く、災害のような女。最悪の神の一体であり、まさしく凶星。
その真実は、神々による平定を頑なに受け入れなかったとある信心深い部族に起因する。
件の部族は平定を拒み、天津神に対抗するべく一計を案じた。
星神を信仰する部族に伝わっていた大儀式。すべての命をひとりの巫女に束ね、夜空で見守る星神を地上に下ろす憑神――神下ろしの儀。
傲慢な神々に誅を下すべく、そして部族の尊厳を守るべく、彼らは星神の威光に想いを束ねて喜んで身を投げた。
いまだ未熟だった巫女は儀式に難色を示したが些末なことだ。
かくして儀式は完遂される。しかしながらそうして誕生したのは、決して天に坐す星の神なぞではなかった。
擬神招来。天の星神の神威を下ろし、それを部族全員の死霊と融合させた巫女の肉体に憑依させた、まがいものの星神である。
……建葉槌命に討伐されるまで、天津甕星は狂おしく戦った。
その振る舞い、その神威。まさに悪神。
されど彼女の言動、そして表情は決して由緒ある神には見えず。
――まるで、歳相応の少女のように見えたという。
【外見・性格】
夜空の黒を抜き出したような黒髪を肩口まで伸ばした、高校生ほどに見える少女。
民族衣装風の装束に無数の札を貼り付けており、腰には弓を携えている。
ぶっきらぼうでやさぐれている。敵には容赦がないし、味方にも態度が悪い。
彼女は結局、星神になんてなりたくなかったのだ。国なんて、さっさと譲ってしまいたかったのだ。
【身長・体重】
154cm・45kg
【聖杯への願い】
この身体から解き放たれ、普通の人間として死にたい。
【マスターへの態度】
外道畜生。見るもおぞましい怪物、魑魅魍魎のたぐい。
聖杯に用がなければ一生関わりたくなかった人種。
マスター
【名前】
神寂 縁/Kamusabi Enishi
【性別】
男性
【年齢】
58
【属性】
混沌・悪
【外見・性格】
実年齢から十歳以上は若く見える活力漲った容姿。微笑みは柔和で物腰も柔らかく、およそ怪しさや危険さとは無縁の人物。
大柄だが威圧感を感じさせず、老若男女の誰にも信用を置かれる人種。
その真実は狡猾で強欲な殺人鬼。他人を支配すること、そして自分だけが支配されないことに究極の快楽を覚える破綻者。
【身長・体重】
195cm・88kg
【魔術回路・特性】
質:B 量:EX
特性および起源:『支配』
【魔術・異能】
起源覚醒者である。
起源に覚醒すると人はその起源に囚われる。
見てくれは人でも、既に内側は人間のそれではない。
殺めた者の魂を喰らって体内に貯蔵する構造を有しており、死徒とも似て非なる地上唯一の生命体として確立されている。
這い寄って絞め殺し飲み込んで胃袋の中で飼い慣らす支配の蛇(ナーハーシュ)。
貯蔵した魂の総てが神寂縁の所有物となり、支配する量を増やせば増やしただけ際限なく強化される現代の怪物。
既に神寂縁の戦闘能力及び存在規模は常軌を逸した領域に突入している。
【備考・設定】
高浜総合病院院長『高浜公示』 藤堂工業会長『藤堂明宏』
しらすエンターテイメント代表取締役社長『綿貫齋木』 静寂美容整形外科院長『静寂暁美』
花房水産代表取締役社長『花房充』 一城アニメーション代表取締役社長『一城正成』
広域指定暴力団烈帛會理事長『山本帝一』 直木賞作家『呉呉朝子』
警視庁公安部捜査一課長『根室清』 児童養護施設あさぎりの園院長『森山過鉾』
広域指名手配被疑者『巳城慶弔』 黒山コンサルタント所属『女城顕貴』
白鷺教会神父『アンドレイ・ダヴィドフ』 宗教法人聖法蓮華の会会長『松永創象』
……などなど、様々な顔と名前を持つフィクサー。此処に羅列した名前と肩書さえほんの一部でしかない。
食らった子ども達の魂を体内で仮想成長させ、あり得たはずの未来の姿を象って他人を装う。
当然『神寂縁』は一度に一箇所にしか存在できないが、縁はそれを彼自身の卓越した偽装工作と頭脳で賄っている。
少なくとも現状、神寂縁の正体へ迫ることのできた人間は存在しない。
その正体は日本全土を股にかけ、時に事故死、時に失踪、時に病死、そして時には包み隠さず殺人として――
"最初の殺人"から数えて四桁以上の子どもを殺害している児童連続殺人犯。
彼が愛するのは少女のみだが、支配する上では都合がいいので少年もほどよく殺す。
少女は趣味。少年は仕事。必要なら大人も殺すが、興味がないので基本的には食わずに捨ててしまう。
最初の殺人は十三歳。遊びの帰りに見かけた同級生の女子を、ふと思い立って殺害。
以後、立て続けに六度の殺人を六日間連日で犯す。日本犯罪史に残る凶悪事件、通称『東京都児童連続殺人事件』である。
彼自身にも説明のできない不合理な行動だったが、結果的に彼は裁かれることはおろか、容疑者として疑われることもなかった。
最終的に全く見ず知らずの"誰か"が逮捕され、その瞬間に縁は過去に覚えたことのない快楽を感じる。
罪の報いを受けない快楽。この法治国家において、自分だけが理に縛られていない自由感。
自分は何物にも支配されず、死と暗躍でもって他人を支配する存在。狡猾なる蛇なのだと気付き、縁は自分の起源を自覚する。
かくして支配の蛇(ナーハーシュ)は産声をあげた。世界など望まず、ただ殺人を続けて私腹を肥やす、社会の影そのものである。
【聖杯への願い】
聖杯という赤子を支配し、糧にする。
願望器の断末魔が聞きたい。
【サーヴァントへの態度】
非常に関心を寄せている。
当分の間は素直に戦力として運用。
投下終了です。
>大四畳半無限グライダーブルース
欲はあるものの身の丈を超えたところに行き着かない、この手の舞台設定では珍しいいい意味で月並みなマスター。
自分のサーヴァントの戦力も正確に分析しているあたりクレバーというか、それでいてそれなりの善性もあるのが味わい深いですね。
そんな彼と相対するサーヴァントのニックもまた渋い味わいがあり、良いなあ、と思いました。
投下ありがとうございました!
>彗星は再び巡り来る
元の偉人の知識が深いからこそお出しされる緻密な設定と外連味が大変ね、美味しいです……。
クロノちゃん、先生が認める天才なのにその才能の使い方と人格が妙に等身大でかわいい。
良い方向にも悪い方向にも話の転がり方で随意に変われそうな柔軟性も心憎く、純粋にわくわくする作品でした。
投下ありがとうございました!
遅れてしまってすみませんが感想です!
投下します
———一目見て電撃が走った
◇◇◇◇◇
夜でも光らないビルの壁を登る。人がいないから咎められる道理もない。少しのとっかかりだけあれば蜥蜴のように上へ行ける。昔映画で見たヒーローも同じことをやっていたな。
そんなどうでも良いことを考えながら私は手足を動かす。今狙われたら私は死ぬな。私のサーヴァント屋上にさっさといるし。死にたくないなぁ、あの子に会いたいし。
私の心配を他所に、なんの問題もなくビルを登り切る。屋上から一望する光景ははっきり言って不気味だ。光ることのないビル群が墓のように立ち並び、その隙間を縫うかのように人魂のような戦闘光が暗い夜を灯照らす。
私のサーヴァントはその光景を不愉快そうに眺めていた。いつのまにか用意されたティーセットに口をつけている。湯気が立ちルビー色の紅茶を優雅に飲み干す私のサーヴァント。所作ができているから気品を感じた。
「アーチャー、あなたの時代に紅茶なんてないでしょ?よくマナーを守れるわね。………ご丁寧にアフタヌーンティーセットまで出しちゃって」
私の言葉に嘲笑を浮かべる私のサーヴァント:アーチャー。生きた当時ないはずのテーブルマナーもきちんとこなしていて鼻につく。
「ふん、俺が死んだ後とはいえ今の英国の象徴の一つと聞いたぞ?なら嗜むってのが俺の流儀だ。」
「流儀?」
「鸚鵡返しは面白くないな。もう少し考えて言葉を出したらどうだ?」
私は思わず舌打ちをしてしまう。傲岸不遜な態度はまさしく私が思い描いたアーチャーの姿だ。とはいえここまで言うことに棘があるとは正直思わなかった。
「ちぇっ………あんた召喚したの間違えだったかなぁ」
「おいおい聞き捨てならないね!俺のどこが不満なんだ貧民(マスター)」
「その性根とステータスよ」
アーチャーのステータスは三騎士というには低めである。私の目を通すと彼の性能は蜥蜴の走るスピードで表せる。宝具が飛び抜けて速いがそれ以外は遅い。幸運が宝具に辛うじてついて来れている程度か?
「召喚の時、イギリス王室の宝剣使ったから、狙って出せないのはわかってたけど、まさか知名度に反してこんなに微妙な感じだったなんてねぇ………嘆きますよ私」
「あのさぁ………呼んできてやったのは俺の方なんだぜ?貴殿から感謝こそ受けて然るべしで文句なんか聞かんよ」
「いやでも私の文句に付き合ってもらうわよアーチャー」
「はっ!」
アーチャーの嘲った声を私は無視した。いちいちイライラしても仕方ない、椅子に座りポットから紅茶をカップへ注ぐ。一気にルビー色の煌めく紅茶を胃の中に運んでやった。美味い!
「貧相な舌でも旨さってのがわかるとはね………やっぱこの紅茶はすごい」
「どこで手に入れたのよこれ」
「王室秘密だ。知りたきゃ俺と婚姻でもするんだな」
「ふざけたこと抜かすんじゃないわよ!」
結婚?こんな王族であることを鼻にかけた傍若無人の権化にして筋肉デブの美しさのかけらもないイギリス野郎は。魔術回路がむず痒くなる。私の腕は竜の爪を持って変わり、アフタヌーンティーセットを一撃の元破壊した。
「もったいないことしやがって貧民(マスター)」
浮かんだケーキに手を伸ばしその全てを口に運ぶアーチャー。目に止まる速さだけどその分迫力がある。さっきまであった品を捨てた汚い食い方。
「アーチャー、取り繕っても結局見えるものね」
「わかった気になっちゃって貧民(マスター)」
「あら、私の舌は貴方の下劣さを見抜いているわよ」
笑う口元がぴくりと苛立つように動く。図星をつかれた感じかしら?アーチャーの背後の景色が揺らめく。あっ、これは怒りだ。常人を飲み込むカリスマと湧き立つ炎の魔力が陽炎を産んで、空間を侵食し、私を包み込む。アーチャーはロングボウを構え、私の額に矢を向けた。
「我慢は限度額が決まっているんだ貧民(マスター)。いい加減敬う気持ちを表したらどうだ?」
「敬う?サーヴァントに?意味が?」
特にこの男は私の身体を見て一瞬でも欲情しやがった。私の豊満に実った胸も、ガッチリと支える骨盤も、ぷるんと形の良い尻はあの子だけにぶつける物。それをサーヴァントの分際で卑しくも!
私の怒りが魔術回路を熱し、美肌の下から赤竜が姿を現す。
どんどんと伸びていく私の額に合わせてアーチャーは鏃を上へ上げた。私は口に息をためる。唇の隙間から火花が漏れる。どのタイミングで放つか。
バチリ
電光が夜を切り裂き、私たちを照らす。白光でアーチャーが切り取られたその時、私に向けられていた鏃がなくなり、頬を掠った事に気がついた。
全く気づけなかった。慌てて矢の軌道を追う私。強化された視力は夜にも遠距離にもその景色を鮮やかに映し出す。アーチャーの矢は私の遥か後ろにいる銃を持った別のサーヴァントに突き刺さっていた。眉間に矢が生えたそのサーヴァントは光の粒子となり空へ霧散していく。
「アーチャー、なんで私を助けた?」
「赤竜に俺は弓を引けん。ただそれだけのことや。」
アーチャーは不本意な声で答えた。私の運がただよかっただけのことだったらしい。自分の星の巡りにうっすら感謝の念を送っておこう。しかし王族とは扱いづらい。面倒なことだが………私も少しは我慢しなければならない。
「………まあアーチャー。お互い目的はあるわよね?」
「なかったら奴隷(サーヴァント)になってないからな」
「ならばせめて………そのためにお互い協力しましょうね。」
散々煽ったことを棚に上げ私はアーチャーに手を差し出す。その手をまじまじとアーチャーは観察し、片方の手を私の手に合わせた。
「ふん………次不敬したら殺すからな」
物騒な言葉と裏腹にアーチャーの陽炎は鳴りを顰める。これで一旦協力関係を作れたと考えて良いだろう。
このアーチャー、『ヘンリー8世』。ブリテンの王位についた人物の中で最もカリスマ性のあった統治者として多くの分野で名前をなした燃えるような人生を送った王。私はこの男と一緒に戦争を戦わねばならない。私の目的のために!
朧げだが前の戦争の記憶がよぎる。どう戦ったのか、誰と戦ったのか、どうやって負けたのか、それはまるで思い出せない。だがいいんだ。今の私にとって重要なのは2度目のチャンスが巡ったことなのだ。
神寂祓葉!一目見た時に私は彼女の子供を作りたいと思ったのを思い出す。本当に遺伝子的に相性がいいから、甘く芳しいフェロモンが私の舌を狂わせる。あの絹のように純銀のぴちぴち肌を舐めたい食べたい舐りたい。女子高生の制服姿だからどんな形のバストなのか、下着の色はなんなのか、隠した先にある秘境はどのような形状なのか。気になって夜も眠れない。あの子の舌どんな味するんだろう。あの子の中は絶対あったかいし気持ちよさそうだな。
私と彼女の子供はどんな形になるんだろう。ああサッカーのリーグ戦ができるくらい子供作りたい。名前は真っ先につけてもらおうかなぁ。子供産んだらすぐに仕込んでポコポコしたいなぁ。
「早く全員ぶっ潰して結婚式あげて初夜して6子仕込みてぇ………」
私の妄想にアーチャーは苦虫を潰した顔をして、距離を取った。
◇◇◇◇◇
縛れぬ火の王
統べるは、赤竜
〈はじまりの六人〉
抱く狂気は、〈性欲〉。
舞志・ペンドラゴ。統べるサーヴァントは、赤薔薇の長
全て真実。
サーヴァント
【クラス】アーチャー
【真名】ヘンリー8世
【属性】秩序・悪
【ステータス】
筋力:C 耐久:C 敏捷:C 魔力:D 幸運:B 宝具:EX
【クラススキル】
対魔力:D
一工程(シングルアクション)による魔術行使を無効化する。魔力避けのアミュレット程度の対魔力。
単独行動:EX
マスター不在でも行動できる能力。ヘンリー8世は宝具を使わぬ限り、マスターがいなくても二週間ほど行動可能である。このランクなのは後述の宝具も影響している。
【保有スキル】
魔力放出(炎)B
武器、ないし自身の肉体に魔力を帯びさせ、瞬間的に放出する事によって能力を向上させる。
ヘンリー8世は後述の宝具を利用して炎の魔力を纏う。
アーチェリーB++
弓矢を用いて標的に当てるスキル。Bランクならばスキルの影響を無視することもできる。あくまで当てるための技能のため防御を貫通するスキルを無効化はできない。
信仰の擁護者A-
カリスマの亜種スキル。アーチャーがカトリックの熱心な信者の際、教皇より授かった称号。カトリック教徒により大きく影響を及ぼすカリスマである。ヘンリー8世は破門された際この称号を失っているので、本来の効力よりも下がっている。
【宝具】
『燃え尽きる金襴の人生(バーン・イズ・トゥルー)』
ランク:EX 種別:対軍宝具/対界宝具 レンジ:1〜3000 最大捕捉:1000
自らの人生を劇にした劇場を全焼させた程の激しい生き様を武器として形作った宝具。普段は赤と金襴で美しく装飾されたロングボウとして顕現する。
真名解放することでアーチャーが原型を作った王立海軍を古今問わず、魔力で形つくり、一斉射撃を行う。この宝具の威力自体はB+である。
なぜEXなのか?この宝具の真価は固有結界、そしてそれに類する大魔術に対する特攻を持つことにある。ヘンリー8世の火は大きな世界に顕現した小さな世界ごと薪として燃やし尽くす。この宝具は固有結界、それに類する大魔術を一つ破壊するごとに威力が1ランクアップしていく。
『望む物、契りなし(ラフ・フーニング)』
ランク:D 種別:対人宝具 レンジ:1 最大捕捉:1
男子を求め、離婚や処刑を繰り返したアーチャーの人生が宝具となって形となった物。規格外の『単独行動』を付与する。真名解放を行うと、自らのマスターおよびその同盟者から令呪を奪い取ることができる。この宝具は6回まで使用可能。
【weapon】
ロングボウ
【人物背景】
イギリステューダー朝時代の王。カリスマ高く、スポーツ万能、ギャンブラー、文化人、好色、利己的、無慈悲かつ不安定な王であったとされている。
【外見・性格】
メガネ、茶髪、筋肉質で太め
非常に俺様気質。
勉強熱心で多趣味。
愛国心が強い。
【身長・体重】
182cm・130Kg
【聖杯への願い】
エリザベス女王を男とする(男で優秀な子供結局できなかったから優秀な女王を王にすればいいか)
【マスターへの態度】
赤竜だから見逃したが、ヘマ打ったら見捨てよう。(赤竜はイギリスの象徴なので)
マスター
【名前】舞志(まいし)・ペンドラゴ
【性別】女
【年齢】31
【属性】秩序・悪
【外見・性格】
B150・H62・W100
赤髪のポニーテール・褐色・メガネ・ジーンズ
思い込みが激しく怒りやすい性格
変なことをすることが好き
惚れた相手に一直線かつ自分勝手に愛をぶつける
強い感情が急に大きくなる
【身長・体重】
181cm・99kg
【魔術回路・特性】
異常
質A・量C
湧き上がる
【魔術・異能】
強化魔術の極北、竜を自らの身体に形作る。
舞志の場合、3m程の赤い竜となる。(翼はない)
湧き上がる魔力を口から放つことができる。
また皮膚は単純に頑丈で強い怪力を持つ。
自分の一部分だけを強化することで竜にすることも可能。
【備考・設定】
竜の一部を埋め込み肉体を改造強化することで、竜へと変貌する術を身につける魔術一族『ペンドラゴ家』の1人。31歳にもなって相手を見つけることができず焦っていたため聖杯戦争に参加。自らの遺伝子と完璧な相性を求めたのだが、神寂祓葉を一目見た際に、一目惚れ。彼女の心を奪うために聖杯を求める。なお彼女の体と声だけに心を奪われたので彼女の性格などに興味は全くない。そのため聖杯の力でさっさと洗脳して嫁にしようとしている。
【聖杯への願い】
神寂祓葉の全てを自分のものとする
【サーヴァントへの態度】
自分に婚約してこようとしたので嫌いになった。目的のため協力するビジネスライクな関係を目指している。
投下終了します
投下します。
◆◇◆◇
神だの、運命だの。
奇跡だの、信仰だの。
そういうものに、触れたことはない。
“あたし”の世界に、現れなかったから。
幼い頃の、遠くて近い記憶。
まだ10代にすらなっていない日の思い出。
それは、いつも似たような形をしていた。
見上げてみれば、灰色の天井。
いつも私を閉じ込めて、何処にも行かせてくれない。
ぬらりと佇む、大きな身体。
あたしを見下ろす、冷たい眼差し。
あたしは見上げて、いつも横たわる。
口の中には、生暖かい鉄の味が広がる。
身体のあちこちに、痛みが走る。
畳の敷かれた、小さな部屋。
母の愛人は、あたしを冷淡に見つめる。
苛立ちを隠さず、口元を歪ませる。
酒臭い息を吐いて、顔は赤らんでいる。
あいつの傍で、母は目を泳がせてる。
自分のせいじゃない、自分が悪いんじゃない――そう言いたげに佇んでいる。
けれど、あたしを助けたりはしない。
幼い頃の、“いつもの光景”。
脳裏に焼き付いてる、“ありふれた日々”。
神も奇跡も、よく知らない。
見たことがなかったから。
今日は別に、変わらない。
甘い洋菓子の味よりも。
血の味の方がずっと馴染みがある。
それがあたしの幼少期。
そして、あたしの青春。
◆
“記憶”という映像が、早送りされる。
目まぐるしいスピードで、先へと進む。
◆
◆
あたしはよく、空を見上げていた。
澄んだ色が、果てしなく広がる。
鮮明なまでの青色が、視界を覆う。
何処までも、何処までも、彼方まで。
幼い頃とは、まるで違う光景なのに。
未だにあたしは、狭い天井の下にいる。
幾ら足掻こうと、未だに抜け出せない。
あたしはずっと、閉ざされている。
母親も、あいつの愛人も捕まって。
私は、児童養護施設に預けられて。
でも結局、上手く馴染めなくて。
幼い頃の経験が頭から離れなくて。
気がつけば、問題ばかり起こして。
そうして各所を転々として。
今では、施設を抜け出して彷徨ってる。
何をしているかって?
非行を繰り返して、喧嘩ばっかしてる。
今のあたしは、立派な不良少女だった。
青空を、見上げている。
コンクリートの地面で、仰向けになりながら。
さっきまで、同世代の不良達と殴り合ってた。
何人もの束になって、わらわらと迫ってきたけど。
あたしはそいつらをぶちのめして、追い払ってやった。
誰かを殴るとき、あたしの拳はいつも炎みたいに“何か”が迸っていた。
それが何なのかを、理解することは出来なかったけど。いつも不思議と、力が漲っていた。
尻尾を巻くように逃げ出す不良どもの後ろ姿は、随分と笑えた。
で、今のあたしは――大人数と殴り合って、流石に疲れて、力尽きて倒れているという訳だ。
温かい液体が、つうと鼻から垂れ落ちる。
口の中は、やっぱり血の味で溢れかえっている。
昔と変わらない。なんにも変わらない。
閉ざされた天井に見下されて、独りぼっちのまま何処にも行けなくて。
未だにチョコレートなんかよりも、血の味ばかり喰らっている。
ああ、でも――ヤニの味だけは、覚えることができた。
口元からは、薄ら笑いばかりが溢れる。
へらへらと、軽薄な笑みだけが流れ落ちる。
何に笑っているんだろう――きっと、諦めと虚しさに対してだ。
酷く遣る瀬無い。なのに、嗤うことしか出来ない。
あたしはとうに、何かを駄目にしている。
神様は、相変わらず知りもしない。
神様を見つける機会なんて、来やしなかった。
あの日も、同じだった。
虐げられて、噛み合わなくて、荒みきって。
そんなだからあたしは、自分の身体がとうに病んでいることにも気付けなかった。
私の命は、とうに蝕まれていた。
◆◇◆◇
◆◇◆◇
――そこは、枯れ果てた荒野だった。
雲一つない青空が、地上を見下ろす。
其処にあるのは、赤茶けた大地だけ。
岩場もなければ、植物も茂らない。
野生の動物も、オアシスも存在しない。
ただただ、地平線の彼方まで、平地が広がる。
土と砂によって作られた世界が、延々と続く。
そんな荒野のど真ん中。
幌布で作られた大きなパラソルが、地面にぽつんと突き立てられていた。
まるで樹木か何かのように、それは軽く傾くような形で佇んでいる。
パラソルのちょうど真下。陽射しから守られるように、1台の古めかしいテレビが置かれていた。
テレビからは、音声と映像が流れ続けている。その小さな画面の前に、一人の男が胡座をかいてじっと座り込んでいた。
その男は、隠者か何かのようだった。
革か何かで作られたような、生成り色の質素な衣服を身に纏っている。
後頭部には一振りの羽飾りを付けている。肌は大地のように赤みがかっており、その顔には険しい皺が刻まれる。
歳は壮年ほど。鎮座するその姿からは、威厳すら滲み出ている。
それでいて、孤独に忽然と取り残されているような――そんな虚しさを纏っていた。
その男は、インディアンだった。
その男は、サーヴァントだった。
クラスは、キャスター。魔術師の英霊。
男の姿を、少し離れて見つめる少女がひとり。
プリンになりつつあるショートヘアの金髪。荒みながらも、まだあどけなさを残した顔立ち。
質素な黒いパーカーに、青いジーンズ――そんな出で立ちだった。
華村 悠灯(はなむら ゆうひ)。この聖杯戦争に招かれたマスターの一人。
眼の前にいるキャスターを召喚した存在だった。
悠灯は、キャスターをじっと見つめた。
何かの“繋がり”を感じ取るように、右手の甲を軽く撫でる。
――紅い痣のような紋様が、微かに浮かんでいる。
令呪。聖杯戦争のマスターにとって、自らとサーヴァントの繋がりを示す証。
それが目の前の男との“接点”であることを、悠灯は既に理解していた。
「……なあ」
やがて悠灯は、ぽつりと呟く。
目の前の男は、視線を動かさぬままに少女へと意識を向ける。
「夢だよな、これ」
「君と、私が見る夢だ」
悠灯の問いかけに対し、キャスターは端的に答える。
――私は“まじない”によって、物質の外側にある“神秘”を認識することができる。
――そして君は、魔力供給によって私との“魂の接点”を持つ。
――それ故に我々は、同じ“精神世界”を共有できるのだ。
壮年のインディアンは、淡々とそう語る。
――要するにキャスターと自分は魔力で繋がってるから、“まじない”の力で同じ夢を共有できているらしい。
そんなふうに悠灯は、相手の漠然とした説明をそれなりに噛み砕く。
それから悠灯は、静かに、ゆっくりと。
テレビの前に座する男へと、歩み寄る。
一歩、一歩と、赤い土と砂を踏み頻り。
男を見下ろせる位置まで、近付いた。
そうして、テレビの画面へとすっと視線を向けて。
「隣、いいか」
「構わぬ」
悠灯は、男からの返事を受ける。
そのままキャスターのすぐ隣へと、同じく胡座をかくように座り込んだ。
陽の光から遮られる、幌布の日陰。
少女と賢者は、横並びに座り込み。
テレビの映像を、黙々と見つめる。
茶と白のボディを持つ、ブラウン管のテレビ。
それは、骨董品のような姿をしていた。
こじんまりとした画面からは、モノクロの映像が流れる。
それが何時の時代のモノなのか、悠灯には分からない。今よりずっと昔、遥か過去に作られた古い映画ということだけは理解できる。
六頭もの馬に引かれる馬車が、凄まじいスピードで荒野を疾走している。御者は手綱を振るい、馬達を只管に走らせる。
馬車の屋根にはカウボーイハットを被ったガンマン――公爵(デューク)のような偉丈夫である――が伏せて、迫りくる“外敵”へとライフルを構え続けている。
蹄の音。土や砂を蹴る音。繰り返される銃声。籠もった音質の中で、様々なサウンドが命を伴って躍動する。
迫る。迫る。駆け抜ける馬車へと迫る――敵の軍勢が。
逞しい馬を操り、奇声にも似た甲高い雄叫びを上げ、無数の“蛮族”が襲撃する。
半裸の戦装束を纏い、頭には羽飾りを付けた、インディアンの群れだ。
彼らは馬に乗り、疾走する馬車を囲むように追い立て、ライフルや弓矢を構える。
「西部劇ってやつ?」
「そうだ」
巌のように険しい顔立ちをしたキャスターは、静かに答える。
彼はただ、神妙な面持ちで画面を見つめていた。
開拓者達と、先住民族。
明白なる天命に従う白人と、開拓を妨げる恐ろしい蛮人。
鮮明に二分される善悪の境界が、スペクタクルなアクションと共に画面上へと映し出される。
活動写真に投影される、開拓時代の物語。
限りない荒野をその掌中に収めた、星条旗の国家が作り出した伝説――。
「“神話の世界”だ」
静かに、されど明確に。
キャスターは、そう呟く。
悠灯は、ただ彼の言葉を黙って聞き続ける。
「伝説は語り継がれ、人々の魂に“像”を刻み込む」
“駅馬車”と“先住民の軍勢”による、壮絶な銃撃戦。
両者は荒野を駆け抜け、幾度となく銃声を轟かせていく。
「……“像”には、大きな力がある」
撃たれ、斃れ、転げ落ちていくインディアン達。
それでも奇声を上げながら、彼らは馬車を追い立てていく。蛮族のような荒々しさと獰猛さを以て。
――騎兵隊の到着による逆襲の場面(シーン)へと辿り着くまで、彼らは開拓の脅威として駆け抜ける。
「時代への爪痕を残す……大きな力だ」
演劇。小説。銀幕。“像(イメージ)”は、物語の中で形作られる。
鮮烈な“像”というものは、人々の意識と記憶に深く刻み込まれる。
時にそれは、実態すらも凌駕して、語り継がれていく。
彼は、それをよく知っている。
“白人”に敗北し、“白人の活劇”で語り継がれた“先住民の大戦士”は、何よりもそれを理解している。
キャスターのサーヴァント。
その真名、“タタンカ・イヨタケ”。
またの名を――“シッティング・ブル”。
アメリカ・インディアン、ラコタ・スー族の呪術師。
“幻視”を知覚し、運命を予知することに長けた賢者。
西部開拓史において、白人の軍勢に抵抗する先住民達の精神的支柱となった大戦士。
◆◇◆◇
◆◇◆◇
私の声は、“精霊”と繋がっている。
私の心は、“神秘”を感じ取れる。
私の魂は、“自然”と共にある。
だが、それは――。
我々の運命を、変えたか?
我らの信仰は、何の意味があった?
忌まわしき白人の前で、何の価値があった?
ただただ、虚しくなる。
何も得られず、何も報われず。
私の耳には、“風の声”が通り過ぎていくだけだった。
保留地で飢餓に苦しみ、疫病に苛まれ、朽ち果てていく。
幼い子供も、年寄りも、皆等しく痩せ細って野垂れ死んでいく。
部族に迫る破滅と閉塞を前に、やがてはゴースト・ダンスの“終末思想”に狂っていく。
そんな仲間達の姿を、幾度となく見つめた。
彼らを救うことは、遂に叶わなかった。
精霊はただ、其処に在り続ける。
我らの行く末に、何の関係もなく。
神秘は今でも、私に囁き続ける。
“大自然の摂理”は、幻想などではない。
しかし、我々に応えてはくれない。
合衆国による侵略が完遂して。
平原からインディアンが淘汰され。
あの冬の日に、私は撃ち殺された。
“シッティング・ブルが居る限り、多数のインディアンが反逆を続ける”。
白人達は、そう認識していた。私を排除したがっていた。
そして抵抗の末に、私は命を落とした。
私を撃ったのは、先住民族の警察官だった。
白人の支配に屈し、彼らに従う道を選んだインディアンだった。
彼らのような者達を、恨みはしない。
ただ、哀しみだけは遺っている。
運命とは、きっと。
神秘を超越した領域に存在するもの。
決して抗えぬ、絶対的な真理なのだろう。
そこには、祈りも信仰も介在できない。
大自然への崇拝も、死の宿命の前には力を持たない。
それでも私は、祈り続ける。
それでも私は、精霊の声を聴く。
それだけが、道標だったから。
そのことが、酷く遣る瀬無い。
◆◇◆◇
◆◇◆◇
果てなき荒野を、二つの影が当てもなく彷徨う。
金髪の窶れた少女と、枯れた佇まいのインディアン。向かう先も無いまま、彼女達は横並びに歩く。
インディアンの独白を聞き届けて、映画を見終えて、それから二人は散歩を始めた。
陽射しは変わらず、呆然と照り続けている。
赤く煤けた土に、ふたつの足跡が刻まれる。
淡々と、緩やかに、規則正しく。
「あんたはさ、欲しいんだろ」
「……“聖杯”、か」
「うん。そいつ」
悠灯は、シッティング・ブルに問いかけた。
彼は頷くように、静かに応える。
「“聖杯”。我々の理の外側にあるモノだ」
蒼い空を茫然と見上げながら、シッティング・ブルは思いを抱く。
――万物の願望器。あらゆる祈りを受け止める、奇跡の王冠。
道理を、摂理を、その全てを超越し、捻じ曲げて、死闘の果てに願いを実現する。
それはきっと、インディアンが信奉した“大自然の神秘”の外側より現れしモノ。
大いなる真理とは異なる世界から生まれ落ちた、異端の観念。
呪術師であるシッティング・ブルは、そのことを理解していた。
「それでも、私は求めずには居られない」
そのうえで、大戦士はそう呟く。
「そうでもしなければ、いったい何が“我々”を救うと云うのだ?」
その瞳に、深い絶望を宿しながら。
「風は……寒々しいままだ」
偉大なる賢者の声は、今もなお震えている。
喪失と閉塞を抱き、朽ち果てた祈りを背負う
そんな彼の姿を、悠灯は何も言わずに見つめていた。
その言葉から滲み出る悲壮を、沈黙の中で受け止める。
――彼(キャスター)は、過酷な運命の中で生きていた。
――あの瞳と言葉の奥底に、深い悲しみを背負っている。
悠灯は、そのことを改めて噛み締める。
あの“西部劇”を見つめていた眼差しが、脳裏に焼き付いている。
初めから何も知らずにいることよりも。
幾ら祈っても、何も応えてはくれない――そう思い知らされることの方が、きっと惨いことで。
それが“信仰”というものなのだろうと、悠灯は思いを馳せる。
「……あたしはさ」
悠灯もまた、言葉を紡ぐ。
キャスターが己の願いを打ち明けたように。
「なんかさ」
彼女も、自らのことを語る。
淡々と、端的なリズムと共に。
「欲しかったんだろうな」
神とか、信仰とか。
そういうものを、悠灯は知らなかった。
ずっと、生きる希望を見出せなかった。
だからこそ。
「“自分が生きるに値しない”って理由」
それを求めて、自分を壊し続けたのだろう。
悠灯は、越えられない空を見上げる。
「でも、今は……」
けれど、今の悠灯は違った。
今は、違う想いを抱いている。
「死にたくない。生きたい」
何故ならば。
死ぬことに、近づいてしまったから。
終わりが、現実のものとなったとき。
少女はやっと、生きることを求めてしまった。
何かに祈ることを、求めてしまった。
死にたくない。生きたい。
だから、華村 悠灯は――聖杯が欲しい。
◆◇◆◇
◆◇◆◇
視界に広がる、灰色の天井。
また、似たような光景だった。
幼い頃と、違うことがあるとすれば。
ちゃんとベッドの上で、横たわっているということだった。
壁も、シーツも、天井も、漂白されたような無地だった。
いつもの日常だった。
違うとすれば、ちょっと激しかったということだけ。
“札付きのヤツ”との壮絶な喧嘩の果てに、私は気を失っていた。
それから誰かに救急車を呼ばれて、まんまと病院に連れて行かれたという訳だった。
色々と治療を受けて、ついでに検査もされて。
そんな矢先に、思わぬことを知らされた。
あたし、じきに死ぬらしい。
体中、とっくに病気でボロボロなんだとさ。
何で自覚症状が無かったのか不思議なくらい、あたしは病みきっていたらしい。
それを知らされて、あたしは何を思っていたのか。
自分でも、正直よくわからなかった。
“そうなんだ”とか、“急な話だな”とか、そんな感想ばかりが浮かんできた。
喧嘩の時に、いつも身体から何かが迸っていた。
気力とか、魔力とか。そんな感じの不思議な感覚が、私を突き動かしていた。
それは時に――あたしを襲う“痛み”や“苦しさ”さえも、鈍らせて麻痺させていた。
今になって振り返ると、そういうことだったのかもしれない。
灰色の天井。灰色の世界。
箱庭をいくら見つめても。
答えなんて返ってこない。
終わりが近いという実感。
それだけが転がっている。
結局、神様も奇跡も知ることがないままだった。
虐待と軋轢、あとは暴力ばかりに飲まれる、そんな17年の人生だった。
私の運命なんてものは、存外あっけなかった。
私の心の中に、“そういうものだったんだな”なんて割り切りが芽生えていた。
神秘なんて知らなかったからこそ、自分を簡単に見切れたのかもしれない。
ああ、でも。
やっぱり、思ったより。
酷く虚しくて、遣る瀬無くなる。
少しくらい、何かに祈りたかった。
僅かにでも、希望が欲しかった。
そんなことを思ってしまったから。
聖杯戦争に招かれてしまったんだろう。
やっぱりあたしは、馬鹿みたいだ。
◆◇◆◇
◆◇◆◇
「吸う?」
果てしない荒野を、二人で歩き続けて。
夢と言えど、流石に疲れがやってきて。
悠灯とシッティング・ブルは、土の上で座り込んでいた。
二人で並んで空を見上げながら黄昏れていた矢先に、悠灯が懐から“それ”を取り出す。
「これは?」
「アメスピ」
悠灯のポケットから出てきた小さな箱――夢なので、私物も自由自在らしい――を、シッティング・ブルはまじまじと見つめる。
手のひらサイズ。黄色の箱型のパッケージに、パイプで喫煙するインディアンの絵が描かれている。
――“アメスピ”。つまるところ、一般流通している紙巻き煙草である。
「あたしの好物」
悠灯は未成年だが、構うことなく愛煙している。
シッティング・ブルにその箱を差し出す悠灯は、にししと笑っていた。
彼はその時、初めて少女の笑顔を見たことに気付いた。
窶れるように荒んだ表情が、少しでも年相応のものへと変わった瞬間だった。
そのことに思うところがあったように、シッティング・ブルはじっと煙草の箱を見つめる。
未成年喫煙を咎めるマネはしない――そんな規則は、インディアンである彼にとっては関係のないことだからだ。
暫くの間、沈黙がその場を支配していたが。
「……頂こう」
やがて彼は箱を受け取り、煙草をひとつ取り出した。
紙に巻かれた一本の嗜好品を、慣れた手つきで口に咥える。
悠灯はすぐにライターを取り出し、シッティング・ブルが咥えた煙草に火を付けた。
それから彼女もまた、同じように“アメスピ”を口に咥えて、再びライターを着火する。
自分の口でくいくいと動く煙草に、赤い熱を燈した。
青い空と、赤い大地。
荒野に、ふたつの火が灯る。
荒野に、ふたつの煙が昇る。
哀しみと虚しさを宿しながら。
陽炎は、静かに揺らいでいく。
【クラス】
キャスター
【真名】
シッティング・ブル@アメリカ西部開拓時代
【属性】
中立・善
【ステータス】
筋力:C+ 耐久:C 敏捷:C+ 魔力:B+ 幸運:B 宝具:C+
【クラススキル】
陣地作成:C+
呪術師として自らに有利な陣地を作り上げる。
道具作成:C
魔力を帯びた器具を作成可能。
精霊に祝福を与えられた武器・道具などを作成する。
【保有スキル】
大いなる神秘:A
この世界を形作る“大自然の摂理”。スー族は“ワカン・タンカ”と呼ぶ。
インディアンは“精霊”の存在を身近に感じ取り、生活の中で”神秘“と接続する。
呪術師であるシッティング・ブルは特に霊的な資質に長けていた。
呪術による自己強化や治癒、幻視による危機察知など、数々の超自然的な能力を操る。
また神秘との接続により、通常のサーヴァントよりも高効率で魔力の回復を行うことが出来る。
霊獣の喚人:A
自然の精霊との対話者。動物との霊的な交信を行う者。
魔力によって“霊獣”を喚び寄せ、彼らの力を借りることが出来る。
直接戦闘に長けるコヨーテやクマ、強靭な突進力を持つバッファロー、飛行能力を備えたタカ、隠密行動を得意とするヘビなど、状況に応じた召喚が可能。
シッティング・ブルは彼らとの交信により、その五感を共有することが出来る。
カリスマ:C
集団の精神的支柱となる天性の才能。団体戦闘において、自軍の能力を向上させる。
シッティング・ブルは決して指導者ではない。しかしその勇敢さと霊的資質によって、多くの同志を集めた。
騎乗:D+
狩猟民族であるスー族の系譜を出自とするシッティング・ブルは乗馬の扱いに長ける。
その他ある程度の乗り物なら乗りこなせる。
【宝具】
『謳え、猛き紅馬(グリージー・グラス)』
ランク:C+ 種別:対軍宝具 レンジ:− 最大捕捉:−
生前のシッティング・ブルは合衆国の弾圧に対する反抗を貫き、その勇敢な姿により数多くの同志を集めた。
シッティング・ブルの同志達が概念化した”インディアンの幻影“を軍勢として召喚する宝具。
インディアン達はいずれも低ランクの「単独行動」「騎乗」スキルを備え、トマホークや弓矢、ライフルや騎馬によって武装している。
直接戦闘を得意とする戦士、呪いなどの術に長ける者、偵察において能力を発揮する斥候など、インディアン達はそれぞれに得手不得手がある。
『墜ちよ、蒼き荒鷲(ウィワンヤンク・ワチピ)』
ランク:C+ 種別:対軍宝具 レンジ:1~50 最大捕捉:500
カスター将軍率いる騎兵隊をインディアンの大連合が殲滅した『リトルビッグホーンの戦い』――その直前にシッティング・ブルが幻視したビジョンの具現。
彼はサン・ダンスの儀式の中で『空から墜落する騎兵隊』を幻視し、その後の戦いにおけるインディアンの勝利を予知したとされる。
自らの血の一部を大地に捧げることで“結界”を展開する。
“結界”内部では真紅の太陽が常に輝き続け、降り注ぐ陽光を浴びた者達に“空から墜ちていくような重圧”が絶えず叩き付けられる。
使い魔の類いならば瞬く間に消滅し、サーヴァントも絶え間ないダメージと多大な行動制限を与えられる。
また支配・侵略の逸話を持つ英霊に対しては、更なる追加ダメージと全ステータスの1ランク低下が発生する。
この宝具の効果を受けないのはシッティング・ブルとそのマスターのみ。
またこの宝具はシッティング・ブルの精神世界によって形成されるため、結界内にインディアンを召喚することは出来ない。
【weapon】
トマホーク、弓矢、ライフル
【人物背景】
アメリカ先住民の部族であるラコタ・スー族の戦士、呪術師。部族語による正式な名称は“タタンカ・イヨタケ”。生没年1831-1890。
他の部族との騎馬戦において真っ先に最前線へと飛び出して活躍するなど、少年時代から勇猛果敢な存在だった。
“インディアン戦争”の際には、同胞であるクレイジー・ホースと共にアメリカ合衆国の保留地政策に反抗。
白人による支配を拒絶して自由を貫くその姿は多くの部族から支持され、やがてシッティング・ブルはインディアンの大集団の支柱的存在となっていく。
彼はその高い霊的資質によって、“リトルビッグホーンの戦い”におけるカスター将軍率いる第七騎兵連隊の敗北を預言したとされている。
しかし合衆国の侵略によって次第にインディアンは追い詰められ、他の大戦士たちは次々に降伏の道を選んでいく。
シッティング・ブルは同胞達と共にカナダへと亡命して数年に渡り抵抗を続けたが、厳しい気候による飢餓の果てに合衆国へと投降する。
その後はインディアン保留地での生活を余儀なくされ、また部族の窮状を訴えるために“西部劇ショー”の巡業に出演した。
それでも保留地の困窮は改善されることなく飢餓や疫病によって深刻な状況となり、やがて部族の間で白人侵略の終焉とインディアンの復活を願う儀式“ゴースト・ダンス”が流行するようになる。
シッティング・ブルはこの活動を否定的に見て距離を置いていたものの、元来の影響力ゆえに合衆国からは“反抗的儀式の扇動者”と断定される。
最後はシッティング・ブル逮捕へと踏み切った警官達との揉み合いの末に射殺された。
【外見・性格】
壮年の外見。獣の革で作られた質素な衣服を身に纏い、後頭部には一振りの鷲の羽飾りを付けている。
首には熊の爪で作った首飾りを付けている。
その表情には常に険しさが宿り、瞳には虚しさにも似た諦念を湛えている。
冷静沈着な性格であり、常に淡々と言葉を紡ぐ。
霊的な素質の高さにより、賢者のように鋭い直感と優れた慧眼を備える。
しかしその内面には癒えることのない絶望と虚無を抱えている。
なお彼はその資質と姿勢によって多くの仲間を集めただけであって、酋長や指導者の立場ではない。
インディアンは上下関係の概念を持たず、酋長もあくまで部族の調停者に過ぎないとされている。
【身長・体重】
175・68
【聖杯への願い】
長い歴史の中で虐げられてきた全てのアメリカ・インディアンの魂を救う“新天地”を作り出す。
【マスターへの態度】
憐憫と慈悲。ある種の父性的感情。
彼女の生きる道を、少しでも手助けしたい。
【名前】
華村 悠灯(はなむら ゆうひ)
【性別】
女
【年齢】
17
【属性】
混沌・中庸
【外見・性格】
金髪ショート。黒の地毛が見えてプリンになってきてる。
荒んだ目付きで、顔など身体の各所に痣がある。いかにも不良少女風の雰囲気。
黒いパーカーとジーンズの格好。右手の人差し指にシッティング・ブルから与えられた銀の指輪を付けている。
気性が荒く粗暴、それでいて繊細で不器用。そして自己破壊的。
誰かに傷つけられることを恐れて、他人を寄せ付けない暴力的な振る舞いをする。臆病で乱暴な子供。
しかし今は死期が迫っていることにより、幾分か角が取れている。
タバコ大好き。よくアメスピのライトを吸ってる。
【身長・体重】
160・51
【魔術回路・特性】
質:E 量:D
魔術師としての遠い血筋を引き、僅かながらも魔術回路を備えている。
尤も魔術の薫陶は受けていないし、魔術師としての素養も希薄。
【魔術・異能】
『肉体強化』
魔術回路を活性化させ、素手の打撃に魔力を帯びさせる。
また自らの身体の不調や負傷を、魔力によって鈍化・麻痺させる。
ただそれだけの能力。いつも無自覚に発動していた。
『精霊の指輪』
太陽の紋様が描かれた銀の指輪。シッティング・ブルが作り出した呪術器具である。
装着者の任意でスキル『霊獣の喚人』を限定的に発動し、“霊獣”の力を借りることが出来る。
また装着者に危機が迫ると“霊獣”が自動召喚され、対象を守護する。
【備考・設定】
喧嘩ばかりの不良少女。
失踪した実父が衰退した魔術師の家系であったため、希薄ながら魔術回路を備える。
しかし悠灯自身はそのことを知らないままでいる。彼女の実父母の関係は、一時の戯れでしかなかった。
幼い頃に母親とその愛人から日常的な虐待を受け、以後の人格形成に多大な影響を与えられる。
二人はその後逮捕され、悠灯は中学生になる少し前に児童養護施設へと預けられた。
しかし次第に周囲とのトラブルを起こし始め、各所を転々とするうちにいつしか施設を抜け出すようになる。
それから彼女は喧嘩に明け暮れ、非行に走り、自己破壊的な日々を送った。
暴力に明け暮れて、腕っぷしだけは鍛えられた。
ある日悠灯は喧嘩の末に病院へと運ばれ、“検査”を受けた。
かつては虐待を受け続け、今は喧嘩を繰り返している。彼女は度重なる暴力に曝され、身体機能に大きな損傷を受けていた。
その上で彼女は“肉体強化”の術を無自覚で発動し続け、強引に身体の不調を麻痺させていた――病状への自覚が遅れるまでに。
悠灯は若くして病に侵され、既に余命幾ばくもない状態だった。
【聖杯への願い】
ちゃんと、生きたい。
【サーヴァントへの態度】
不思議なヤツ。だけど、嫌いじゃない。
彼の生前の話には、思うところがある。
投下終了です。
投下します
小さい頃、闇の中で悪魔に会ったことがある。
あれは閉じ込められた押入れの中だったか、迷い込んだ夜の森だったか、もう思い出せないくらい昔のことだ。
暗がりが怖くて泣いていた私に、彼は取引を持ちかけた。
――――お嬢ちゃん、俺と賭けをしないかい?
――――遠くに見えるあの光に、追いつけたらなら君の勝ち。
――――背後から迫るあの闇に、追いつかれたなら君の負け。
――――勝てば君の夢が叶う。
――――負ければ魂を頂くよ。
――――さあ、追いかけっこのはじまりだ。
小さい頃、光を目指して駆け出した。
あれは隙間からもれた電光だったか、雲間に見えた星光だったか、もう思い出せないくらい昔のことだ。
あの日から私は、一度も足を止めたことがない。
遠くに見える光を追って、背後に迫る闇から逃げて。
追って、逃げて、私は走る。
走って、走って、走り続ける。
遠ざかるスポットライト、縮まらない星との距離、背後に迫る悪魔の気配。
怖い、怖い、恐ろしい。
それでも、振り返らずに私は走る。
いつか恐怖を振り切って、伸ばすこの手が―――目指した光に届くまで。
◇
正直言って、私の人生は順風満帆なものとは言えなかった。
むしろ苦難の連続だったと言えるでしょう。
昏暮満点(くれぐれ まんてん)、17歳、女子高生、そして一応……一応これでも現役アイドル。
芸名は煌星満天(キラボシ マンテン)。自分では気に入ってる名前なんですが聞いたことないですか? ない? まあそうでしょうね。
ろくすっぽテレビにも出れないし写真集も売れてない、名前負けした私のことなんて、だーれも知らないでしょう、ええ。
でも私は今日まで諦めなかった。
不器用で何やらせてもダメダメな私の、唯一の取り柄は諦めが悪いことだと思う。
トップアイドルを志し、実家を飛び出してから今日まで一度だって夢を諦めたことはなかった。
つらい思い出は幾つもある。
私の夢に反対する両親と大喧嘩して勘当を言い渡された日。
ダンスのレッスン中にずっこけて捻挫して泣いた日。
歌が下手すぎてボイストレーナーに歌詞カードと匙を投げつけられた日。
インフルエンザでバイト入れなくなって電気止められて悲鳴を上げた日。
やっとの思いで出せた写真集がまるで売れなくて周囲から冷たい目で見られた日。
所属してた地下アイドルグループがロクに活動しない内から揉めまくって解散した日だって、私には諦めるなんて発想は微塵もなかった。
転んでも絶対に起き上がるのが私、最強アイドルを目指す煌星満天の生き方。
だけど、まあ、あの日ばかりは流石に凹んだ。
『輪堂天梨に新たな疑惑!? 終わらない炎上騒ぎ!! 事務所関係者から新たな証言が!!』
推しが燃えた。
ファンと付き合ったらしい。
なんてニュースがSNSで回ってきた日。
いやいや、そんなわけないじゃん、輪堂天梨が、あの〈天使〉がそんなプロ意識ないコトするわけないでしょ。
そりゃ、彼女のプライベートなんて私は一切知らんけどさ。喋ったことないし、客としてしか会った事ないし。
むこうは木端アイドルの私のことなんか、まるで認識してないだろうし。
でも、私は彼女のデビュー当初からずっと見てきたのだ。こんなの信じられない、信じたくない、解釈違い!
私は自分がショックを受けているという事実に、なんだかショックを受けていた。
そりゃあ? 嫉妬? ええしてますよ。
私より可愛いし歌上手いし、とっても輝いてる天才アイドル。アイドルになるために産まれてきたような美少女。
私なんて中学からアイドルやってたのに、未だにオーディションに落ちまくってるこの体たらく。
対して、高校からデビューした輪堂天梨が爆速でシンデレラストーリーの階段を駆け上がる姿を見てると、こう胸の奥がムクムクっとしたものよ。
だからこそ、キツいレッスンや仕事の増えない現実に悩んだとき、テレビやスマホの画面に映る〈天使〉を見て、私は自分を奮い立たせてきた。
同い年のスターが放つ強烈な輝きを見ると私もじっとしていられなくなる。
あのコに負けたくない。相手が天才だろうが負けられない、凡人舐めんな絶対倒す、私だって魂賭けてやってんだからって。
一方的にライバル視して。
そして炎上騒ぎがあって。その時になってやっと、ああ、励まされていたんだと気付いた。
胸の内が冷えていく。肺の空気がツーンと冷たくなって、気力が萎える。
ネット記事が掻き立てるセンセーショナルな言い回しが気持ち悪くて、スマホをベッドに叩きつけた。
その時だった、部屋のインターホンのチャイムが鳴ったのは。
届いた宅配便の送り主の欄に、ここ数年、一切連絡の無かった両親の名前が記されていた。
もう完全に愛想をつかされていると思っていた私は、びっくりしながらも無警戒に包みを開き。
そして、あの古びた懐中時計に触れてしまったのだ。
◇
私の最大の弱点はコミュニケーション能力の欠如。
そんなことは誰に言われるまでもなく知っている。
頭の中でごちゃごちゃーっと考えた十分の一も上手く言葉で表現できない。
この欠点はアイドル活動を行う中で、今日に至るまで長く私を苦しませた。
面接形式のオーディションは尽く落ち、トーク力が求められる現場に放り込まれた日には悪夢のような惨状が展開された。
現場の同業者ともスタッフとも上手く連携できない私は段々と孤立していって。
それでもって、すっかり私に失望した事務所の社長は以下のように発言されました。
『満天ちゃんさあ……ファンとまともに交流できないアイドルなんて成り立たないんだよ。
君はそのへんの子に比べれば可愛いけど今ひとつ華がないし、他にコレといった長所もない。
……もうハッキリ言うけどさあ……むいてなくない?』
うるせー!
知ってるよ。
分かってるけどどうにもならないんだって。
それでも、アイドルという夢を追い続ける以上、コミュニケーションは避けて通れない。
今日だって、
「煌星満天さん、どうぞ」
扉のむこうから声がする。
審査員が私を呼ぶ声。
ああ、嫌だ。本当に嫌だ。
この瞬間だけは、何度経験しても慣れない。
自分を試される恐怖と失望される悲しみ。
値踏みされる目線の不快感と、上手く出来ない自分への憤り。
ああ苦しい。いっそ逃げてしまおうか。
そう思う自分が確かにいる。
そして、そんなときになると必ず見えるものがある。
「―――――ぁ」
来た。視界の端に影が映る。
それは焦点を合わせると消えてしまう、些細な闇だ。
だけど同時に、絶対に無視できない、私の恐怖の根源でもあった。
―――終わり?
揺らめく影は端的に問う。
賭けは終わりか、自分の勝ちでいいのか。
お前は夢を諦めるのか。
腕のカタチをした影は私を抱きしめるように、肩に手を置いて。
―――俺に魂をくれる?
「――――ッ!」
まだだ。まだ私は諦めてない。足を止めてない。
賭けは続いている。絶対に、お前に追いつかれたりしない。
最後まで逃げ切ってみせる。だって私は、
「アイドルになるんだ」
ドアノブに手をかけ、背後の影を振り切るように、私は扉を押し開いた。
◇
「では、煌星さん。早速ですが一発ギャグをどうぞ」
「……ァ……ワァ……ァ……」
「はい。面接は以上です」
男は座ったまま私の書類をゴミ箱に投げ込むと、足を組んで休憩のジェスチャーをとる。
「ちょっとキャスター!」
真昼の芸能事務所の一室にて、怒りに震える私の声が響き渡ろうとも、目の前の男――サーヴァントはどこ吹く風でコーヒーを飲みだした。
どうやら本気で模擬面接は打ち切りらしい。
「この程度の無茶振りに対応できないようでは話になりません。明日の本番でも今のような醜態を晒すつもりですか?」
「ぐぬぬぬ……」
速攻論破されて歯噛みする私を尻目に、彼は使い魔の元素霊を呼び出し、事務所の台所に向かわせる。
まるで冷静沈着が服を着て歩いているような男だった。
纏う灰色のスーツにはシワ一つなく、すらっと長い脚の先に履いた皮靴はピカピカに磨かれている。
七三分けの髪型に黒縁メガネといった生真面目な装飾すら、鋭い洋風の面立ちと合わされば独特の凄みとなっていた。
敏腕ビジネスマンな見た目をした彼はキャスターのサーヴァント、ゲオルク・ファウストと名乗った。
「それから、前にも言いましたがもっと堂々と話してください。立ち振舞いは演者の基本です。
ハツカネズミのようにビクビク縮こまっていても大舞台には立てません。穴蔵で一生を終えたいなら止めはしませんが」
「ひっど……でもでも」
「煌星さん、最初に約束しましたよね」
彼はクールなイケメン外国人だけど時折目が怖い。
吸い込まれそうな真っ黒い瞳、奈落のような深い眼をしていた。
「あなたのアイドル業については私が全力でサポートします。だたし、私の育成方針は?」
「……絶対」
今みたいに、あの眼でじっと見られながら言い聞かされると、なんだか反論できなくなる。
「よろしい。では少し休憩がてら明日の対策を練りましょう、座ってください」
もやもやしながら男の正面のソファに座る。
すると、こぶし大の火元素霊がふわふわと飛んできて、コーヒーを運んできた。
軽く頭を下げながら受け取り、口をつけると緊張で乾いた喉にじんわりとした苦みが広がり、少し心が落ち着く。
その間にもファウストの講義は続いていた。
「期間限定アイドルグループを結成するための公開オーディション番組。
周期的に放送され、次は3回目の特番になりますが、毎回若年層を中心に凄まじい反響を得ています」
事実として、彼は細かく、口うるさく、言い方はキツい、けど一方でどこまでも正しかった。
彼と出会って、ある契約を交わしてから、仕事の風向きは明らかに変わっている。
実際、仮想の東京だったとしても、こんな大きな案件は少し前までは挑戦する機会すら与えられなかった。
「オーディション番組はハイリスクな仕事です。
審査員との絡みに見どころがなければ、出演していないのと変わらない群衆(モブ)に落とされます。
ただ、その分、上手く目立った場合のリターンも大きい。
加えて今回は初の公開生放送。前の事務所を辞めて干され気味なあなたにもチャンスがあるでしょう」
歌やダンスのレッスン内容や営業方針も私にぴったり合ったもので、しかも業界の人間との交渉が抜群に上手い。
挙げ句、人工の元素霊によるスタッフ確保と陣地形成スキルによって、都内高層ビルのワンフロアに快適な芸能事務所まで立ち上げてみせた。
まさに私の欠点を完全に補完する、最強のマネージャー兼トレーナー兼プロデューサー兼CEOの登場だった。
ただ、一つだけ、気になる点があるとすれば、
「ふむ、何か言いたげですね。不安ですか、今の生活が?」
そう、単純に、私はこんなことをしていて大丈夫なのだろうか、ということだ。
えっと今って魔術師同士の殺し合い……やってるんだよね、違ったっけ?
なんで私はこんなにしっかりアイドル業に専念しているんだ。
「まあ、その疑問はもっともです。一度キッチリと説明しましょう。
煌星さん、あなたは私と初めて会ったときに交わした契約を憶えていますか?」
うん、はっきりと憶えている。
彼が言っているのは主従契約のコトじゃない。
私達が更に続けて交わした、ビジネス契約のことだ。
ゲオルク・ファウスト。ファウスト博士。
16世紀ドイツに実在した、誘惑の悪魔と契約したとされる錬金術師。
その伝説の最後は、悪魔によって爆殺されたとか、魂を奪われたとか、神によって救われたとか。
彼と悪魔の伝説を取り扱った書籍は多数あるけれど、その顛末は作者によって様々な解釈があった。
私も諸事情で悪魔についてよく調べたものだから、彼の伝説はここに来る前から知っていたけど。
「前に伝えた通り、最期の瞬間、神の助けによって私の魂は救われました。
しかし賭けに負けた私の魂は今も、一部は悪魔に奪われたままです」
私の読んだ伝説の中に、そんなオチはない。だけどまあ、落とし所としてなくもないとは思った。
生涯何をしても満たされずにいたファウストと、"瞬間に留まりたいと願う程の充足"を与えんとした悪魔の賭け。
最期は神によって救われたけど、賭けに負けたファウストの魂は完全に無事では済まなかったのか。
「それを取り返すのが聖杯にかける私の望み。
よって私も負けるわけにはいかないのですが、一方で私の宝具は非常に特殊です。
端的に言って、殴り合いで勝つ部類のものではない。これも前に説明しましたね」
契約宝具。
悪魔と契約した男、ファウスト。
転じて、ファウストと契約する者は悪魔であるという因果に基づき、契約対象者をそれに準じた存在へと変貌させる。
うん、ハンコまで押したしよく憶えてる。
悪魔の契約ってキッチリ紙に記名押印するんだーって思うと、なんだかおかしかったな。
「では、契約書の内容はちゃんと憶えてますか?」
なんか悪魔になって強くなれるんでしょ、私が。
文章長すぎるし字ちっちゃすぎるしで、流石に全部は読んでないけど。
「…………」
ファウストの眉間にシワが寄った。
こころなしか、呆れられているような気がする。
「契約内容は『このファウストに、再び"瞬間に留まることを願うほどの希望と充足"をもたらす』こと。
その方法として、あなたは自らの大願成就をもって応ずると言った。トップアイドルという夢を叶えるに至る姿を照覧せよと」
うん、確かに言ったし、心からの本心だ。
自分の夢が彼の充足に足りうるなんて、過信しているわけじゃない。
ただ私に出来る最大限の感動を送る方法があるとすれば、それしかないって思ったから。
「これは我々の間で取り交わした"賭け"です。あなたは既に悪魔の力を得た。そして私はあなたの従者として、目的遂行の為にサポートを行います。
ですがもし、志半ばであなたの心が折れ、契約が果たされなかったとき、あなたは取り憑いた悪魔に魂を奪われるでしょう。
末路は分かっていますね。あなたに、死後の安息はありません」
それは契約前に何度も聞いたし分かってるよ。
ファウストはキャスターとして戦うすべが無いわけじゃないけど、戦闘用の宝具がない。
在るのは契約対象者(マスター)を変質させる異質な宝具のみ。
だったら、今の私に選択肢なんてない。生きるため、夢を叶えるために出来ることをやらなくちゃ。
それに、こちとら悪魔に憑かれるのは、これが初めてじゃないんだから。
「あなたは怖がりのくせに変なところで豪胆ですね」
キャスターはメガネを押し上げ、私をじっと見ていた。
その眼は相変わらず死んだ魚のように黒々としていたけど、先ほどとは違ったものを宿しているように感じる。
お、ひょっとして、ちょっと感心した?
「いいえ、呆れているんです」
ちえー……っと、思ったところで、ふと気づく。
「なんですか?」
私さっきから喋ってなくない?
「そうですね」
思考、読まれてない?
「そうですよ」
「えええええぇぇぇぇええぇえぇえぇえぇぇーーーーー!?」
「通常の主従契約ではそこまでの結びつきはありませんが、契約宝具が交わされた今、私はあなたの思考をある程度一方的に把握できます。
こうして正面から向かい合っているとき限定ではありますが」
聞いてない聞いてない聞いてない!!
「契約書には書いてますが」
ふーざーけーるーな! この詐欺師! 思考盗撮犯!
乙女のプライバシーの侵害だ! 一旦解約しろ! クーリングオフだ!
「駄目です。話を先に進めますね」
思考で喚く私を無視して、彼は無情に言葉を紡いでいく。
「とにかく、我々は正面から敵と戦える戦力を有しておりません。
ちまちまと陣地を形成しようが使い魔を増やそうが、対軍、対城宝具を有する英雄が攻めてくれば容易く瓦解するでしょう。
よって生きる道は一つ、煌星さん、あなた次第です」
我が陣営の活路はサーヴァントではなく、マスターにあるという。
それはつまり、
「あなたに憑いた悪魔はあなたの名と混ざり、もはや同義。
その力はサーヴァントと同じく、土地の知名度補正を受けます。
つまり、あなたの名声がそのまま悪魔の力となる」
吸血鬼伝説を持つ領主が故郷で召喚された際、地元民衆の信仰によって強大な力を得たように。
ヨーロッパ圏では伝説的な力を誇る英雄が、知名度のない極東の島国では存在の劣化を免れなかったように。
「あなたはこの仮想の東京で、最も高名な偶像を目指す」
―――即ち、トップアイドル。
「ここで夢を叶えてください。それが我々にとって唯一の、生きる道です」
私は今まで、夢を叶えるために生きてきた。
だけど今は、生きるために夢を叶える。
「上等」
ならばこれは、今までやってきたことと全く同じ。
魂なんて、とっくの昔に悪魔の質に入れているのだ。
精一杯、足掻いてやる。
歌は下手、見た目にも華がない、特別な才能にも恵まれなかった。
何の取り柄もない私だけど、諦めの悪さにだけは自信があるから。
「ふむ……しかしその認識は正しておいたほうが良さそうですね」
「え?」
「煌星さん、あなたは自分に対する理解が足りていないようだ」
なんだコイツ、急に。
人が決意を固めている最中に水をさす気か?
怪訝な目で見返してやると、男はメガネを押し上げながら、淡々と述べた。
「あなたの長所は急変する現実を許容する懐の広さと、目の前の問題に対応するメンタル構築の速さです。
自分への客観視を保ち決して過信せず、さりとて絶望も許さない。
壊滅的なコミュニケーション能力というハンデを抱えて今日まで活動を続けてこられたのも、全てはあなた自身の胆力によるもの」
彼は淀み無くつらつらと、血も涙もなさげな無表情のままに。
まっすぐに、私を肯定した。
「短所はコミュ障でも音痴でもありません。それらは工夫次第で幾らでも味になります。
あなたの欠点は、現実主義と悲観主義を混同しているところです。悲観によって、本来宿るはずのカリスマを損なっている。
いいですか、足りないのは自信だけです、なぜなら―――」
そうして彼は当たり前のように、呆れるくらい簡単に言い切った。
今まで誰一人、私に言わなかったコトを。
「―――煌星さん、あなたにはアイドルの才能があります」
なにそれ、やめてよ。
じんわりとした熱が、胸の中に灯る。
目頭が熱くなって、何かが喉元にぐっと込み上げてくる。
「よしんば本当に才能が無かったとしても関係ない。私が、あなたをトップアイドルに導きます」
なんだこの肯定感。
「煌星さん。今まで、よく頑張ってこられましたね」
身体が浮き上がるような気分になって、頬が上気して目が潤む。
なんで彼は、私が欲しい言葉を知っているんだろう。
「煌星さん」
この人には心が読める。
乗せられているだけかもしれない。
分かってるのに、救われたような心地よさが指先まで広がって。
心が満たされそうになって。
私は、ああ、ああ――――
「どうして、怒っているんですか?」
視界の端に、黒い影が映る。
黒い手が背後から伸びて、私の心臓を掴む。
いつかの悪魔はきっと耳元で嗤ってる。
ああ、分かってる言われるまでもない。すっこんでなさいよ。
怒ってる? どうして?
そんなの、決まってる。
「ムカつくから」
腹が立つから。
これしきで、救われた気になれるような安い魂に。
初めて他人からマトモに認められた。肯定された。なんて"その程度"で。
"ただそれだけのこと"で舞い上がるような、感動して泣きそうになるような軽い心に。
ちょろい私自身に、心底腹が立ってしょうがないから。
「泣きそうなってんじゃないわよ……」
満たされてんじゃないわよ。
「嬉しくなってんじゃないわよ……」
救われてんじゃないわよ。
だって私は、
「私は、褒められたくて頑張ったんじゃないッ……!」
いつだって心は恐怖で支配されている。
私が今日まで走ってこれた理由なんてそれしかない。
長所なんてあるものか、才能なんてあるものか、強い心なんてあるものか。
そう、いつだって私に在るのは恐れだけだ。そして恐怖こそが、私をここまで連れてきた。
もういい良かった。十分やった。満足だ。いい思い出になったじゃないか。
そんなふうに満たされた瞬間にこそ、足が止まると分かっている。
幼少の頃に賭けをした、あの日の悪魔に追いつかれると知っている。
だから―――
「夢を叶えるときまで、私は救われちゃいけないのよ……!」
私は走り続けなきゃいけない。
闇から逃げて、光の方へ、スポットライトの中心へ。
「なんて……はは、いや意味分かんないよね……。
……ごめん! 顔洗ってくるッ!」
もうそれ以上、彼の前に留まることは出来なかった。
踵を返して洗面所にダッシュする。
あーあ。これも悪い癖だな。
普段はロクに主張できないくせに、かあっとなると抑えが効かない。
ほんと私、アイドルむいてないよ。
◇
「いやはや、パーフェクトコミュニケーションだと思ったんだがな……年頃のガキは難しい」
芸能事務所の一室にて一人、男は窓から夜景を見下ろしながらコーヒーを飲んでいた。
「俺も、ちょっと露骨に押しすぎたか? まあ、いいさ、全部これからだ」
ゲオルク・ファウストを名乗る男、ファウストを騙る悪魔は計略の最中には嗤わない。
無表情のまま、片手に握ったスマートフォンを画面も見ずに高速で操作している。
世間への情報操作、そして関係各所への根回し。
彼の仕事量は膨大なものだ。マネジメント、スケジューリング、取引先との交渉、マスターの体調管理、そこにはメンタル面も含まれる。
人心を掌握し操作すること。それはまさに彼の得意分野と言える。この、誘惑の悪魔の。
「暇つぶしにしては忙しいが過ぎるな。あの阿呆ガキ、本物の悪魔をこき使いやがる。
しかも誰かが先に唾を付けてやがっただと? まったくいい度胸だぜ、嗤えねえ」
口から出てくるのは文句ばかりだが、依然として無表情。
淡々と、彼は己の目的に向かってコマを進める。
詐称者(プリテンダー)、メフィストフェレス。
それが彼の本当のクラスであり真名だった。
彼がマスターに伏せた事実は2つ。
自身の正体と、宝具の全容。
彼は"悪魔に魂の一部を奪われたファウスト博士"ではなく、その逆、"ファウストの魂を一部奪った悪魔"である。
彼の宝具はマスターに呼び出した悪魔を憑かせるモノではなく、彼こそがマスターに憑いた悪魔本人。
言葉の上では真実と虚実を織り交ぜ。
マスターは真面目に読んでいなかったが、契約書の文面も都合の悪い内容にはあえて触れないことで成立させていた。
逆に言えば、彼は己の正体を除いて特に嘘は言っていない。
自身の能力も宝具の効力も真実だ。契約の果てに至る末路も、ある意味では真実を告げている。
契約を果たせなかった者は、賭けに負けた者の末路は、魂を喰われ、ファウスト博士のように悪魔の一部に成り果てる。
完全な肉体を得た悪魔がこの地に降臨する。
ならば、それが彼の目的なのか。
「なあ、お前はどう思う。ファウスト?」
彼はタッチパネルを操作する手を止め、ふと呟く。
窓ガラスに薄っすらと映る己の姿に問うように。
「お前なら、俺の考えが分かるか?」
彼の霊基は紛れもなく悪魔、メフィストフェレスのものだ。
だが、同時に彼はファウストでもある。ファウスト博士の魂の一部を喰らった彼の霊核には、確かにそれが存在している。
既に意思も声も無く、気配すらなくなるほど、微弱な鼓動であろうとも。
24年の月日を旅した博士と悪魔は今も共にいる。
―――おお、瞬間よ止まれ、汝はかくも美しい。
最期の時、言ってはならない契約の言葉を発した博士の瞳は既に光を失っていた。
賭けに負けた博士は己の内の想像にこそ、希望と充足を見出したのだ。
対して勝利した悪魔は、しかし最期まで、自らの力で希望を見せることが出来なかった。
それどころか、博士を充足させた想像の景色を、共に見ることすら許されなかった。
挙げ句、神の横槍で博士の魂の殆どを掠め取られ。
「なあ、俺はお前に勝ったのか、それとも負けたのか」
負けたとすれば、彼は己を負かしたものの正体すら知らない。
悪魔は創造を否定する。そんなものは馬鹿げていると嗤う生き物だ。
創造に悩み苦悩する人の性質を否定する。
苦痛の果てに創り出す一切が、やがて消え果てるなら、それは無駄なもの、無いものと同じだから。
故に悪魔は虚無を好む。
人を誘惑し、惑わし、堕落させ、悦楽に沈めて嗤う。
だが、そんな己が、人の想像に負けたとあっては嗤えない。
「お前はあの日なにを見た。俺はそれが知りたい。
そうでなければ、お前との賭けは終われない」
ファウストが見たという、人の想像が生み出す希望を知りたい。
その瞬間こそ、悪魔は今度こそ創造を否定し、心の底から嗤うことが出来るのだ。
「或いは―――」
そして或いは、結末はもう一つ。
「そろそろだな」
思った通りのタイミングで届くメール。
オーディション結果を知らせるその内容は、以下のようなものだった。
『残念ながら今回のオーディションは不合格となります。
そのうえで――』
「あのガキ、俺の予想を下回る無能だな。しかし――」
悪魔の傍ら、机の上で開きっぱなしのノートPCの画面には、凄まじい勢いでスクロールするSNSのタイムラインが表示されていた。
『そのうえで、次の番組企画に関するオファーについて、このメールをもってご連絡を――』
「しかし、俺の予想を上回る馬鹿でもあったらしい」
急速に増えていくSNSフォロワーの数、上昇する知名度に応じて増幅する魔力の胎動。
悪魔は嗤わない。
だが、興味深そうに眼鏡を押し上げた。
何処にも届かぬ、それこそ嗤えないほどあり得ない諧謔を添えて。
「煌星満天。或いは、お前が俺に言わせてみるか?
―――美しい、と」
◇
公開オーディションの収録が終わり、スタジオを出ると生暖かい夜風が頬に触れた。
冬の名残のような涼しさと初夏の温さが混在する、春の風だ。
東京の街の喧騒に包まれると、さっきまでの光景が夢だったような気がしてくる。
いっそ夢だったら良いのに、ていうか夢であってほしい。
ため息をつけど、ポケットの中で震えだしたスマホが現実逃避を許さない。
「えー、もしもし、キャスター?」
「煌星さん、オーディションお疲れ様です」
「……はい」
気分が沈む。
この先の展開は予想できている。怒られるだろうなあ。
「オーディションに挑むにおいて、私が言った注意点を憶えていますか?」
「ツノを出さない、シッポをださない。いくら変身できるからって、魔術は秘匿するし悪魔の要素はちゃんと隠す」
「よろしい。それで、本番であなたがやったことは?」
「ツノを出して、シッポを出して、会場を爆破しました」
「馬鹿ですか?」
自分でも本当にそう思う。
わざとじゃない、審査員に超煽られて、ムカッと来たらつい勝手に身体が変わっちゃって、引っ込みつかなくなって。
「でもでも! ツノもシッポもトリック衣装ってことになったし、爆破もほら、ほとんど幻覚見せただけだから、チョットユカガコゲチャッタケド……バレテナイヨ」
「…………」
「ゴメンナサイ」
「私が言いたいのは、他の陣営に補足される危険を犯すなということです。
東京は広いようで狭い、まさかアイドルなんて目立つ職業(ロール)で動くマスターはあなた一人だと思いますが、テレビ業界に魔術師が潜んでいない保証などどこにもない。
あなたが"完成"する前に敵に攻められたら、我々はお終いなのですよ? 自覚あるんですか?」
「ハイ、スイマセン」
「そのうえで、まあ、今回は上出来です」
「ハンセイシテマス……え? 不合格なのに?」
「SNSを見てください」
実は怖くてずっと見れなかったSNSのアカウント画面を、スマホを一度耳から離して眺めてみる。
『オーディション番組に悪魔乱入!? 流星のように墜落した最凶アイドルが企画を荒らして途中退場!! しかし現場では拍手喝采のワケとは!? 名物パワハラ審査員に強烈な啖呵を――』
私の5分にも満たない出演シーンのショート動画が切り取られて拡散されていた。
そしてバズっていた。
さっき生放送が終わったばかりなのに、とんでもない大バズリだった。
今まで見たことない勢いでフォロワーが増えていく。
東京というハコの中での知名度上昇に伴い、私の中の悪魔が確かに強化されるのを感じる。
「早く事務所に戻ってください。今回の件を踏まえたうえで、次の一手を打ちますよ」
「う、うん! 分かった!」
人生の転機は二度目。
一度目は幼少の頃、闇の中で悪魔の影に出会った日。
二度目はここで、本物の悪魔と契約した日。
私はスマホをポケットに勢いよくしまって、まっすぐ帰路へ歩き出す。
と、そのとき、頭上の高層ビルの屋上にある、よく見た顔と目があった。
可愛く、美しく、輝く天使。正にアイドルになるために産まれてきたような美少女。
巨大な屋外広告パネルに印刷され、ライトアップされた輪堂天梨の笑顔が、夜を往く人々を照らしていた。
あーあ、悔しいけど、やっぱり私より可愛いなあ。
この仮想世界にいる彼女はきっと、影法師のようなものなのだろうけど。
それでもやっぱり美しいと、本当に天使のようだと、私は思った。
パネルの中の彼女はエンジェの歌詞の一節を添え、銃のように構えたキュートな指先をこちらに向けている。
『祝福の矢、どうか受け取って―――』
だから応じるように私も、銃のように指を突きつけ宣言する。
「―――祝福なんていらいない。私、負けないから」
私は呪われたままでいい。
たとえ始まりが、暗闇の恐怖から逃げ出すためだったとしても。
この恐怖が私を光の方角へと走らせ続けるならば構わない。
天使も悪魔も、せいぜい最期まで観るがいい。
魂を賭け、死ぬまで踊り舞うと決めた、愚かな演者の悪足掻きを。
【クラス】
プリテンダー
【真名】
ゲオルク・ファウスト(+メフィストフェレス)
【属性】
混沌・悪
【ステータス】
筋力D 耐久D 敏捷C 魔力B 幸運D 宝具EX
【クラススキル】
陣地作成(事務所):B
本来はキャスターのクラススキル。
魔術師として自らに有利な陣地を作り上げる。「工房」の形成が可能。
キャスタークラスを詐称するファウストは、演者(マスター)の人生を過激に演出する「芸能事務所」を構築した。
道具作成(偽):B
本来はキャスターのクラススキル。
魔力を帯びた器具を作成可能。
一部地域では有名な「消滅と出現の鞭」の他、様々な悪魔アイテムを作り出す。
例えば綺羅びやかなステージ衣装とか、光る棒とか、スモークの出る機械とか、飛び出す銀のテープとかetc。
【保有スキル】
エレメンタル:D
五属性に対応した人工霊を使役する能力。
錬金術師であったファウスト博士が生前呼び出していた魔術的存在。
ランクはあまり高くなく、単体では戦力として心もとない上に、属性によって完成度にムラがある。
手間暇かけてじっくり大量に作れば、ある程度は戦闘に耐えうる使い魔として機能する。
虚仮威しであれば様々な演出に加え、もちろん人手が足りない事務所の雑用程度ならしっかり任せられるだろう。
高速詐唱:A
悪魔にとっての高速詠唱に相当するスキル。
魔術の詠唱速度を高速化する。
加えて、狡猾なる二枚舌は詠唱している見せかけの内容と全く別の魔術を行使することが可能。
ランクAにもなると業界人との交渉も容易く進められるはずだ。
悪魔の忠言:B
軍師系サーヴァントに与えられる「軍師の忠言」スキルが変質したもの。
古代ローマ帝国を勝利に導いた戦略の手腕から、味方に的確な助言を与えることが出来る。
マスターが厳しい芸能界を生き抜くために、彼の悪魔的頭脳は日夜フル回転を続けている。
愛すべからざる光:EX
人間観察の変異スキルにしてファウストを詐称者たらしめる特殊能力。
擬似的な気配遮断と察知に加えステータスを完全に改竄し、周囲について一方的な理解を得る。
このスキルの効果対象は自身のマスターも例外ではなく、むしろマスターに対して最も強力に作用する。
マスターがファウストの能力の全貌を把握できないのに対して、ファウストはマスターの思考をある程度読むことすら可能。
【宝具】
『装飾、指名、実演(D.D.D)』
ランク:D+++ 種別:契約宝具 レンジ:1 最大捕捉:1
ファウスト博士との悪魔契約。
Decoration Designate Demonstration.
主従契約の上から更に契約を重ねることによって、契約対象者(アクター)の魔術回路を変質させる。
「ファウスト博士と契約する者は即ち悪魔である」という因果に基づき、悪魔の権能発現と身体機能の著しい強化を付与。
契約を果たせなかった場合、代償として契約者は憑いた悪魔に魂を奪われる。
という第一宝具を詐称している。
正式名称『やがて極光に至る嘘(Mephistopheles)』。
この宝具の本質はメフィストフェレスという悪魔との段階的融合にある。
契約を果たせなかった者は、ファウスト博士と同じように悪魔と同化してしまう。
結果、博士という殻の内に潜んでいた悪魔は受肉を果たし、この世界に顕現するだろう。
悪魔の力を与えるという宝具効果そのものに嘘はない。
魂と肉体を喰われるか、悪魔に同化しその一部に成り果てるか。本質的に差はないだろうとファウスト(メフィスト)は考えている。
今回取り交わされた契約条件の全文は『煌星満天がトップアイドルに至り大願成就する姿を見せ、ファウストに再び希望と充足を与える』。
つまり実際の主眼はファウストの満足にあり、アイドルの夢は手段であるが、満天の中でそれらは過不足のないイコールで結ばれている。
満天にとって、他者に最大の感動を与えられる方法とは、それを置いて他にないと確信しているからだ。
なお、与えられる権能と強化幅は悪魔となった契約者の名声に比例する。
ファウストは元々白兵戦に優れたサーヴァントではないことに加え、第一宝具を発動した後は一部宝具と権能を損なう。
以上の特性から、この主従の行動方針は『仮想都市東京でトップアイドルを目指す』という荒唐無稽なものと化したのであった。
『瞬間よ止まれ、汝はかくも美しい(Verweile doch,du bist so schoen)』
ランク:EX 種別:対契約宝具 レンジ:1 最大捕捉:1
秘匿された第二宝具。
悪魔との契約の終わり、2つの結末。時計は止まり、針は落ちる。
下記の内どちらかの達成条件が満たされたとき、この宝具は自動で発動する。
1.第一宝具の契約が果たされる見込みはもはや無いと見做され、契約不履行が確定したとき。
メフィストは契約対象者の魂を食い尽くし、真なる悪魔が受肉し顕現する。
2.メフィストであると同時にファウスト博士でもある今の彼に、自らこの宝具(セリフ)を使わせたとき。
悪魔との契約は果たされるという。
【weapon】
五元素の人工霊の使役。
黒の鞭をはじめ、道具作成による様々な武器や小道具を扱う。
この他、爆破現象に関連した第三宝具が存在したが、第一宝具の発動にあたり失われている。
【人物背景】
ゲオルク・ファウスト。
或いはそれを騙る悪魔。
ファウスト博士。16世紀頃、ドイツに実在したとされる錬金術師であり降霊術師。
生前は様々な研究功績を打ち立てたものの、錬金術の実験中に壮絶な爆死を遂げたとされ、彼の人生に関する詳細な記録は殆ど残っていない。
一方で博士は魔術に通じ、悪魔メフィストフェレスと契約した人物として広く知られている。
悪魔との賭け。望みを叶えてもらう代わりに、賭けに負ければ即座に魂を捧げるという契約。
博士と悪魔は24年の月日を共に旅し、多くの悦楽や絶望を味わったという。
作者不明の民衆本をはじめ、数多くの著名な作家達がファウスト伝説を書き残しているが、彼と悪魔の物語の結末は作品によって実に様々。
悪魔が賭けに勝ち、救われぬファウストの魂を手に入れるもの。
あるいは神の奇跡によってファウストが救われ、無事天上に召されるもの。
この地に降り立った彼の正体はそれら様々な伝説・伝承の集合体であり、同時に彼らが同化した悪魔本人の仮初の姿である。
つまり、魔術師(キャスター)ゲオルク・ファウストを騙る、詐称者(プリテンダー)メフィストフェレス。
かつて紆余曲折の末、遂にファウスト博士の魂に手を掛けたメフィストフェレスには一つだけ疑問が残った。
「瞬間よ止まれ、汝は美しい」。死に瀕した博士が最後に口にした、言ってはいけない契約の言の葉。
そのとき彼が見た景色とはどのようなものだったのか。
瞬間に留まりたいと願う程の充足を、誘惑の悪魔は遂に現実に見せることが出来なかった。
あれ程多くの快楽と悲哀を与えてなお満たされなかった博士が、光を失った目で最後にたどり着いた想像の絶景。
長き旅を共にした悪魔に、それが共有されることはなかった。
悪魔は創造を嘲り、虚無を愛する。
やがて失われるモノを造るなど馬鹿げている。そう信ずるが故に、否定してみたくなった。
神によって大半を横取りされた博士の魂。
手元に残ったほんの僅かな残滓をまとい霊基を偽装し、彼は聖杯戦争に紛れ込んだ。
再び人を誑かし、願望の成就によって幸福の絶頂に立つ瞬間を共有した上で、今度こそ、それを否定せんとする。
こうして、悪魔は一人の少女と出会い、新たな契約を交わしたのだった。
【外見・性格】
20代から30代前半くらいの年齢に見えるスーツ姿のドイツ人ビジネスマン。
七三分けの髪型に黒縁メガネが特徴的。底のない、死んだ魚のような暗い黒目をしている。
常に冷静沈着で冷酷非道な印象を周囲に与える一方、聞くものの心を掌握する甘言をストレートに吐き出す。
あまり見せることはないが、意外なものを見るとメガネをクイッと押し上げる癖があるらしい。
【身長・体重】
188cm・78kg
普段は敏腕ビジネスマン風のドイツ人だが、体格と顔はかなり自由に変更可能。
こなす仕事の内容に合わせ適した姿に変身する。
【聖杯への願い】
特になし。
目的は人間の創造行為の否定。
だが、それは聖杯にかける願いではなく、契約した演者との賭けによって果たすべきと考えている。
【マスターへの態度】
普段は恭しく付き従いながらも、思う所があれば慇懃無礼な態度で欠点をビシビシ指摘する。
彼はスキルによってマスターの潜在的な願望を把握しており、その成就と否定に向けて最短距離で指導する。
マスターの人格面と能力については正直言って滅茶苦茶バカだと思っているが、なるべく顔に出さないよう努力している。
【名前】
煌星 満天 / Kiraboshi Manten
【性別】
女性
【年齢】
17
【属性】
秩序・善→混沌・悪(悪魔化により変質)
【外見・性格】
普段は黒髪ロングをルーズサイドテールにしており、気合を入れる時は結び目を引き上げてポニーテールになる。
笑うと僅かに覗く八重歯がチャームポイントなのだが、滅多に笑わないのであまり知られていない。
クラスで3番目くらいの美人。まあまあな人数の男子から「コイツの地味な可愛さを知ってるのは俺だけだろうな……」と思われている。
ファウストと契約して悪魔の身体になって以降、昂ると頭からツノが飛び出、お尻から尻尾が飛び出してしまう。
性格は非常に臆病かつ不器用、感情を内に溜め込みがち。小さい頃から人見知りが災いして非常に友達が少ない。
その一方で隠れロマンチストの熱血バカでもあり、彼女のストレスが限界に達しブチギレたとき、その一面が垣間見える。
【身長・体重】
155cm・43kg
【魔術回路・特性】
質:A 量:A
特性:〈悪魔憑き〉
【魔術・異能】
◇メフィストの靴
サーヴァントの契約宝具により発現した異能。
本物の悪魔の魔術回路を身体に巡らせ、その驚異的な魔術と身体強化の一部を行使できる。
当然リスクも存在し、満天が自らの願望の成就を諦めたとき、心折れた時は契約の不履行と見做され、彼女は即座に死に至り魂を悪魔に喰らわれる。
引き出せる悪魔の権能の大きさは自身の知名度に比例するため、売れないアイドルである今の彼女が使える力は一割程度。
つまり彼女は生き残るためにこそ、この架空の東京で己が夢を叶えるしかなくなった。
即ちこの世界で最も輝ける光、トップアイドルになること。
夢を叶えるために生きてきた彼女は今、生きるために夢を叶えるべく、スターの座を駆け上がらんと挑む。
【宝具】
『微笑む爆弾(キラキラ・ボシ)』
ランク:E- 種別:対人宝具 レンジ:1〜10 最大捕捉:1〜20
契約の際にファウストから移譲された第三宝具。
名前は満天が勝手に決めた。
周囲に幻覚の爆弾を仕込み起爆する。身体を傷つけない熱、光、音は高クオリティの虚仮威し。
本物の爆弾を仕込むことも可能だが、今の満天の知名度では花火程度の威力が限界。
【備考・設定】
本名、暮昏 満点(Kuregure Manten)。
アイドル志望の女子高生。
致命的に不器用であり歌もトークもぱっとせず、コミュニケーション能力が壊滅的という欠点を抱えていた為、その活動は上手く行っていなかった。
中学生の頃は「でびるずうぃっち」という地下アイドルグループに所属していたが、殆どまともな活動を行うことなく解散。
なんとか滑り込めた小さな事務所の中でもお荷物扱いで、地道なソロ活動を続けていた。
実家は歴史こそ浅いものの魔術師の家系であり、自身の夢について両親の猛烈な反対にあった結果、現在は家出状態。
彼女に魔術の才能が殆ど見られなかったこと、三人兄妹の末っ子だったことからギリギリ勘当で済んでいる。
それ以降はバイトの掛け持ちによって、なんとか限界アイドル生活を食い繋いできた。
けして容姿に優れないわけではなく、むしろ美人の部類に入るのだが、いま一歩華がなく主役になりきれない。
アイドル志望でありながら感情を表現するのが苦手で、かなり悲観的で臆病、と自他ともに認める『むいてなさ』。
にも関わらず、幼少の頃に胸に灯した情熱と強迫観念だけで、彼女はここまで止まることが出来なかった。
もっと光を浴びたい、いつまでもスポットライトの中心に立ちたい、主役になりたい。という強烈な願望。
それは、背後に迫りくる暗影に対する恐怖の反動でもある。
幼少の頃、暗闇の中で契約した(と思っている)悪魔に関する強迫観念を、今に至るまで片時も忘れたことがない。
暗所恐怖症であり、夜の繁華街を歩けないほどではないが、真っ暗な闇は耐えられない。
彼女はその縁によってかプリテンダーを召喚し、結果として彼女に最も欠けていたもの、彼女の売り出し方を正しく理解する存在を得た。
つまり、最高のマネージャーであり、トレーナーであり、プロデューサーである。
本物の悪魔と今度こそ完全な契約を交わすことになった蛹の少女は果たして羽化に至るのか。
また、自身と同い年にも関わらず今や一躍人気アイドルとなった輪堂天梨の拗らせファンでもある。
ネット上における彼女のグループと彼女自身の炎上騒ぎを目の当たりにし、この頃は正直かなり病んでいた。
そんなある日、両親の名義で送られてきた懐中時計に触れ、彼女は聖杯戦争に参加することになる。
【聖杯への願い】
特になし。
目標はトップアイドルになること。
だが、それは聖杯にかける願いではなく、契約した従者との賭けに勝って果たすべきと考えている。
【サーヴァントへの態度】
ともに夢を叶えるパートナー。
同時に、絶対に負けたくない契約相手。
投下終了です。
たくさんの投下ありがとうございます!
>発情
被害者の会兼ファンクラブと化した〈はじまりの六人〉枠、とうとう直球の欲望枠が来ましたね。
魔術で竜化できる一族、あの世界の設定を踏まえて考えるとめちゃくちゃ危険視されてそう。
マスター、サーヴァント共に性格くらいしか隙がないの、うーん素晴らしいボス枠。
>Killers of the Cold Moon
寂寥感ある絶望の荒野に佇む少女が死を直視してそれでも前に進む美しさ。たいへん素晴らしいですね。
決して華々しくはないインディアンの勇士が彼女のサーヴァントというのもまたエモーショナル。
最後のアメスピのシーンがまたね、いいですね……。荒野に灯るふたつの火、死の暗喩めいていて美しい。
>Demon Code
ぽんこつ悪魔系アイドルちゃんかわいい。天使ちゃんにもちゃんと"見て"くれている人はいたのだ……。
聖杯戦争の舞台でアイドル道を極めるというテーマに対するアプローチとロジックがとても妙技で唸らされました。
悪魔にトラウマのある女の子が、他でもない悪魔そのものを呼んでそうとは知らずにプロデュースされてるの、いいですね……。
投下します。
思えば、我ながら平々凡々たる人生を歩んできたと思う。
物心ついた時から、少なくとも私は天才じゃなかった。
テスト勉強を怠けたらそれ相応の結果が帰ってくる。
けれど気合い入れて勉強したら、学年上位にもなんとか入り込める。
要するに、何かを成し遂げたければ努力をしなければならない人種というわけだ。
努力をしても裏切られることだってあるし、基本的に奇跡みたいなことなんて一切起きない。そんな二十余年の人生だった。
とはいえ、まあ平凡なのって言うほど悪いことでもない。
逆に言えば、それなりに頑張りさえすればまあまあの見返りが帰ってくる人生ってことだから。
高校では一年の頃から怠けずにちゃんと勉強した。サボったら終わると思ってたから。
その甲斐あって、なんとか日本じゃ知らないやつのいないような一流大学に入ることもできた。……まあだいぶギリギリだった気はするけど。
大学でも程々に遊んで、でもやることはちゃんとやって。
しっかり卒業して、まあそれなりに食いっぱぐれそうな企業に就職した。
仕事はたいへんだけど残業したぶんはちゃんと出るし、パワハラだのセクハラだの"ハラ"が付く行為とも縁はない。
お昼にふらっと入ったお店がちょっと高めの値段設定をしてても、高いな、と思いながらも萎縮せずに注文できるくらいには懐にも余裕はある。
要するに。
高望みさえしなかったら、それなりに満足な人生というわけだ。
毎日決まった時間に出勤して、上司うぜーなーとか同僚と愚痴り合って、残業なかったら定時で帰る。
休みの日は思いの外たっぷり寝ちゃって萎えて、失った時間を取り戻すみたいに溜めてたアニメを見ながらごろごろ。
同期の結婚報告を聞いてちょっと危機感覚えたり、体重計の数値増加に一喜一憂したり、好きな芸能人のスキャンダルに落ち込んだり。
そんな、どこにでもあるような。ありふれた、一般論での〈幸福な人生〉。
それが私。高天小都音(たかま・ことね)の"これまで"で、"今"で、そして"これから"――だと、思ってた。
……なのに。
なのに、である。
そんな私の二十四年ものの常識が、あの日突然別れを告げてどこか彼方にぶっ飛んでいってしまった。
もともと歴史が好きだった。
好きな偉人は織田信長。焼き討ちとか天下人手前で死んじゃうのとか、そういうドラマに胸打たれちゃう時期って人間誰でもあると思う。
そんな時期にいろいろ摂取して、大河ドラマとかにハマって、それが高じてこの歳で骨董品集めに凝り出したのが二年ほど前。
それなりにお給料は貰えてるので、休日となったらぶらりと出かけて掘り出し物を探す日々が続いていた。
社員旅行でもなんのかんの理由をつけてその手の店を探して歩き回ってたのだから我ながら筋金入りだ。
奥深い世界ではあるけれど。結果から言うと、それが私の人生を一変させる引き金になった。
営業してるんだかしてないんだかも分からない、枯れ木みたいなおじいちゃんがレジに立ってる骨董店。
そこで私は、〈それ〉を見つけた。傷だらけで、おまけに煤けた、捨て値同然で売られていた〈古びた懐中時計〉。
それが――なぜだか、あの日の私にはひどく目を引く掘り出し物に見えたのだ。
気付けば私は、その時計を手に取っていた。
由緒ある壺とか皿とか、今までに大枚はたいてきたどの逸品より魅力的だった。
でも、それがどうも私の運の尽きだったらしい。
時計をレジまで持っていこうとして、そこで視界がぐるんと回るような、激しい目眩に襲われて。
そして気付いたら――私は、"ここ"ではないどこかの東京にいて。
そこで私は、〈そいつ〉と出会った。
「や。お互い運がねーな、こんなけったいな催しに巻き込まれちゃうとかサ」
赤銅色の髪と、浮浪児かってくらいみすぼらしい服装。
どこか気の抜けるような雰囲気を放って、目元には黒々と深い隈が刻まれている。
背丈は私よりも遥かにちっさくて、なんだか思わず抱きしめたくなるくらい細っこいのに。
そんな子どもみたいな手で、飾り気も何もあったもんじゃない無骨な刃物を握りしめて――
呆然と立ち尽くす私に襲いかかってきた槍持ちの大男の素っ首を、すとん、と落とした〈そいつ〉。
ひと目で分かった。
一瞬で理解した。
ああ――ジャンルが変わった。
ありふれた日常の物語から、血風吹きすさぶ血なまぐさい非日常に。
円盤(ディスク)が切り替わったのを、察した。
それだけの迫力と存在感を、〈そいつ〉は当たり前に有していて。
「あんた、は……」
「まあ一応、慣例だと思うしね。気は乗らないけど、初対面くらいはちゃんとしとこうか」
槍男の首を刎ねた、日本刀とも西洋剣ともつかない無骨な刃。
飾り気なんて一切ない、まさしくただの抜身の刃と呼ぶのが相応しい一振り。
傍目には錆びてぼろぼろの鉄剣にしか見えないそれを、名残惜しげもなくぽいと放り捨てて。
赤銅の人斬りは、へたり込む私に手を伸ばして。そして――言った。
「――問おうか。君が、私なんぞを喚んじゃった実に不運なマスターかい?」
これが、私と〈そいつ〉の出会い。
そして、愛すべき平凡/平穏の終わり。
高天小都音の聖杯戦争の、ぞっとするほど静かな始まりだった。
◇◇
『うぇえぇぇえぇえぇ……。今回の数学範囲広すぎじゃない……? ぜんっぜん追いつける気しないんだけど〜〜……!』
ぐすぐすと泣きべそをかいてテキストに目を落とす小柄な友人。
もはや見慣れたその姿を見つめて、私は深いため息をついた。
まったく、本当にどうしてこいつはいつもこうなのだろうか。
ほとんど毎回テストの度におんなじ目に遭ってるのにまったく懲りない悪びれない。
とてもじゃないが信じられない。私が死ぬほど努力してなんとか追加合格の席を勝ち取った名門進学校に、なぜこんなぼんくらがいるのか。
『言っとくけどね、今回は結構前から発表されてたぞー』
『聞゛い゛て゛な゛い゛〜〜〜〜〜〜〜』
『そりゃあんた、いっつも授業始まると同時に寝てるじゃん。
あーあ。いつもは成績いいから見逃されてるけど、今回ばかりはさすがに年貢の納め時かな? 留年の二文字が君を待ってるぞぅ』
『ひっ、ひどい! そんな殺生な! え〜〜ん見捨てないでよぉことちゃぁぁん…………!!!』
『あっついだるい重たいひっつくな〜。……はいはい、まあこんなこともあろうかとね。要点だけ纏めといたノートがありますよ』
私が凡人だとするならば。
このクラスメイトは、間違いなくその反対。
天才、と呼ばれるだろう人種だった。
いつも寝てばっかりでだらしなくておまけにコミュ障。
心を許した相手にはとことん許すのに、そうでない相手にはいつまで経っても借りてきた猫。
うちの学校のテスト難しいって評判なのに、ダメな中学生みたいにいっつもケツに火が点くまで取り掛からない。
だから数日前になって毎回こうやってひんひん泣きながら取り組む羽目になる。
それなのに、いざ蓋を開けてみれば必ず学年上位五本の指に入る。一位を取ることだって、そう珍しくない。
そんなやつと、私はなんのかんので付き合いを続けていた。
もしかすると――、凡人の私だから、本物の天才という画面越しでしか見られないはずの存在と関われることが嬉しくて仕方なかったのかもしれない。
『――ことちゃ〜〜〜ん……!! うへへへ、やっぱり持つべきものはことちゃんだよぉ……!!』
ゆるゆるの笑顔を浮かべながらしなだれかかってくる級友に、はいはい、と苦笑して応じる。
これもいつものことだ。きっとこいつは、今回もあっさりトップの成績を取っちゃうのだろう。
一ヶ月以上も前から頑張って、やっとの思いで上位十位に入ってる私とはたぶん人間として設計が違うのだ。
だから嫉妬もしない。する気も起きない。嫌味なやつだったらムカつくかもだけど、何しろこいつ、こんなんだしね。
『ほんと、調子いいんだから』
そんなことを、なんでか今になって思い出した。
まあ、今も縁が切れてるわけじゃないし。
何なら月に二回は会ってるんだけど。多かったらそれ以上。
凡人の私なので、基本、人生においてあんまり劇的なイベントってのはないまま育ってきたんだけど。
たぶん私の、ある種原風景みたいなものが――あいつと過ごしてきた時間なんだろうなあと、そんなちょっと情緒的なことを思うのだ。
◇◇
ざり、ざり、ざり、ざり。
音が響いてる。その音で、目を覚ます。
時計に目をやると、時間はまだ午前の六時。
せっかく会社から近い場所に部屋を借りてるのに、こんな早起きしたらそれも台無しである。
布団からのそりと起き上がって、恨めしげに音の主を見やる。
今何時だと思ってんだ、という眼差しに気付いたのか、〈そいつ〉はこっちを一瞥もすることなく口を開いた。
「おう。おはよ、コトネ」
「……おはよう。ちなみに聞くけど、何やってんの」
「なんだよ、見てわかんない? 剣を鍛えてんだよ」
「それは分かるよ。なんでこの朝っぱらから剣を?」
「なんでって……。鍛冶をやるなら早朝が一番捗るんじゃん、そんなこともわかんないとは風情がねーなあ。
骨董趣味のくせして職人のこだわりも解せないとか、それはちょっと恥ずかしいぞぅ」
「よしわかった。今日の朝ごはんは自分で作るように」
「んなっ……! お前なー! 私は鍛冶全振りでそれ以外はな〜〜んにもできないって知ってンだろっ」
「そもそもサーヴァントが飯食うのがおかしい。はい論破。Q.E.D.証明終了。なんで負けたか明日までに以下略」
歴史は好きだ。
日本史から始まり、今じゃ世界各地のそういうのにも手を出してる。
ボーナス出るたびクソ高い歴史書取り寄せて、学生時代に培った英語力に物言わせて唸りながら読み進めるのがひそかな楽しみだ。
だけど、別に史実至上主義者ってわけでもない。神話も好きだし、聖書も何周かは読んでる。
だから私は最初――、自分のもとにやってきた〈これ〉の真名を聞いて大層心躍ったものだった。
「ぐぐぐ……。分かった、分かったよ。風呂場で続きやるから、朝ごはんはちゃんと作るように」
「ふっ。勝った」
「うざ。お前」
「トバルカインが"うざ"とか言うな。解釈違いも甚だしいわ」
――トバルカイン。
カイン、ではない。〈トバルカイン〉だ。
旧約聖書・創世記にその名を綴られた、人類史上最初の鍛冶師。
弟殺しでおなじみのカインの子たるこいつは、しかし私の今までのイメージをぶち壊すようなぐでんぐでんのダメ人間だった。
気まぐれ。無気力。現代かぶれで図々しいちびっ子。
こんなのがカインの子であってたまるか、と言いたい仕上がりである。
ていうかなんでしれっと幼女になってるんだ、というツッコミは今更もはや野暮。
本人曰く「女は舐められるんだよ」とのことだけど、あの時代のあっちの地域も日本と変わらない有様だったんだろうか。
「ていうかあんたさ、鍛冶師はやめたとか言ってたじゃん」
「……ん。やめたよ」
「なのになんでちょいちょい武器造ってんの」
「はぁ〜? それ聞く? 私はお前のために造ってやってんだけど? 正直もう造りたくもないのに!」
――曰く。"この"トバルカインも、昔は大層ストイックな鍛冶師で武器狂いだったらしい。
日がな一日刃物を鍛えて、できあがったらふらふら出かけて試し切りをして屍築いて帰ってくる。
ただ、曰く。どこかで"折れて"しまったのだという。それからはずっとこう、なのだそうだ。
理由を聞いても語りたがらずに濁すばかりだが、まあ、いろいろあったのだろう。
そういう経緯で、創世記に名の綴られたカインの子たる原初の鍛冶師は廃業し。
後にはこの生意気でぼんくらなダメ人間が一匹残った、らしい。
「聖杯に願うのはなんか違う、とか言ってなかった?」
「……要らないとまでは言ってない。選択肢はギリギリまで残しとくのが大人ってもんだし」
「ふぅん。まあ私としても、あんたが本気でいてくれる分にはいいんだけど……私も死にたくはないしね。殺したくもないけど」
「お前の"それ"がなければこっちはもっと楽なんだけどなぁ。全員ぶった斬って終わりなら、こちとらそれが一番わかりやすいんだよ」
死にたくはない。
けど殺したくもない。
それが、私がこの非日常に対して提示した指針だ。
じゃあどうやって生き残るつもりなんだよと聞かれればそうなんだけど、そこはもうなるようになるのを願うしかないと思ってる。
もしかしたら摩訶不思議な突破口が開けるかもしれないし、そうでないなら最後は腹括るしかないかもしれない。
でも少なくとも、今はまだ見に徹せる段階だろう。だから、積極的に殺し回るのは承服しがたい、と私はこいつに伝えた。
「しょうがないでしょ。私は一般人だから、ひとつひとつの人死にが普通にメンタル来んの」
「まあ、それは分からんでもねえけどな」
「嘘つけ。ずんばらりんと人斬りまくってた辻斬り女が何を言う」
「試し切りは別腹なんだよ。私だって無益な殺生は本意じゃないし、それなりに後味の悪いものが残るんだぞ」
「益があったらいいってことじゃん」
「それはそう。動物をいたずらに殺すのは可哀想だけど、食うために殺すとなるとまあ仕方ないか、ってなるだろ。それ」
うん、生きてきた時代が違う。
むしろ無益を嫌うだけでも御の字というべきなのだろう。
後は私がこいつをどれだけ律せるかという話だ。
……まあ、そんなにまずいことにはならない気もするけども。本当にヤバい奴だったら、私の気持ちとかガン無視で殺しに行ってそうだし。
「いいよもう。目冴えちゃったし、朝ごはんの準備するから」
「そうしてくれ。鍛冶をやると腹が減るんだ、ただでさえ発育が悪いのにもっと背が縮んじまう」
「だから、サーヴァントってそういうの要らないんじゃないの?」
「……気分的にはいるんだよ! わかったらさっさと作れ! みそ汁はネギ抜きで頼むぞ!」
「嫌ですダメです入れます。薬味の味が分からないおこちゃまに配慮するほどママじゃないの」
「……あれのどこか"薬"なんだ。汁の味をとことん濁らせる毒の間違いじゃないのか。この国の人間の味覚はわからん」
改めて言おう。
こいつは、トバルカインはダメ人間である。
何しろこいつと来たら、日がな一日武器を弄ってるか寝てるか飯はまだかと要求するかの三パターンだ。
ダメ人間というか、隠居したおじいちゃんといった感じに成り果ててる。
まあ化け物のうろつくこの街でボディーガードをやってくれてるぶんの賃金と思えば安いんだろうけど、それにしたってひどい体たらくだ。
冷蔵庫を開けて、みそ汁にぶち込む野菜と豆腐を取り出して。
まな板と、包丁――知らない内に研がれてた。人間を頭から股下まで真っ二つにできる切れ味、らしい。何してくれてんだ――を準備して。
豆腐を賽の目に刻みながらふと、私は一度も答えを貰えていない疑問をめげずに投げかけていた。
「そういえばさ」
「なんだよ」
「あんたってさ、結局なんで鍛冶師やめちゃったの」
「……、……」
こうまで落ちぶれても、女子供が握ってさえ人体を両断できる武器を研げるのだ。
全盛期のこいつが一体どれほどの手練れで、名匠だったのかはちょっと想像もできない。
そんなこいつがなんだって自ら工房を閉じ、堕落をよしとして隠居してしまったのか。
今までにも何度か聞いてきた質問だ。ただ、まともな答えが帰ってきたことは一度もない。
原初の鍛冶師、カインの子。生き竈のトバルカイン。
その味わった挫折の得体を、私はどうしても知りたかった。
つまりほんのちょっとした疑問だったのだけど、それに対する声色はいつもより重たくて、今度はこっちが面食らう羽目になってしまった。
「……何度も言ってるけど、別に大した理由じゃねーよ」
「……セイバー?」
「ただ、なんとなくある日気付いただけだ。ああ、たぶんこりゃ私には無理な夢だ、ってナ。
あるいは子孫でも作って技術を受け継がせていけば、何代かすれば"到って"たのかもしんねーけど……
だとしてもよ。それって、結局私が夢を叶えたってことにはなんないだろ? じゃあ意味ねーなって、急に全部面倒臭くなっちまった」
トバルカインの夢。
いつかこいつは、それを私に語った。
かつて抱いていた理想、夢想、憧憬、未来。
「――〈究極の一振り〉なんて結局、ヒトが一代で鍛えられるもんじゃないってことさ。
だったら自分第一な私にはもう追いかける意味がない。私が腹痛めて産んだ子やその孫が叶えたところで、それで私は笑えない」
話は終わりだ、とばかりにトバルカインはごろんと絨毯の上に寝転んだ。
どうやら私という邪魔が入って、おまけにセンチメンタルな気分にもなって、仕事って気分じゃなくなっちゃったらしい。
猫かこいつは、とツッコミのひとつも入れるのがいつもの流れだけれど、なんだか今はそういう気にならなかった。
豆腐を切り終えて、次は長ねぎをとんとんとん、と切り刻みながら。
今にもごろごろ聞こえてきそうな様子で寝転ぶトバルカインに、私は言う。
「……私さ、大学受験の時にだいぶ無理したんだよね」
「はあ?」
「私のレベルからすると高望みも高望みの、この国の人間なら大人も子どももみーんな聞き覚えあるような超名門受けたの。
だからもちろん死ぬほど、ほんとに死ぬほど努力して勉強して、どうにか超ギリギリで合格ラインに滑り込んだんだ」
「か〜っ、やだね。隙あらば自分語りは若いやつの悪い癖だぞ、コトネ」
「まあ聞いてって。私の高校からその大学受けたの、私含めてふたりだけだったんだ。で、もうひとりは私の友達だったの」
とんとんとんとん。
小気味いい、異常なまでによく切れる包丁の音がBGMみたいに響いている。
それがなんだか、ついつい物思いに耽りたくなる、薄暗い日の雨音のように感じられた。
「そいつ、はっきり言ってあんたが軽く見えるほどのダメ人間。
自分甘やかすことばっかり上手くてさ、いっつもあの手この手で言い訳してやらなきゃいけないことから逃げんの。
で、受験の一ヶ月前になったらぴーぴー泣きついてきてさ。ことちゃんもう終わりだよぉ、とか、助けてよぅ、とか。
もう勉強の邪魔そのもの。これで落ちたらマジでこいつと心中しよっかなって、勉強疲れもあって本気で考えたくらい」
私は、極めて平凡な人間である。
そして普通の人間の人生には、そうそう逸出した存在なんて現れない。
同級生からメジャーリーガーなんて出ないし、ヤバい犯罪やらかすサイコパスだってさっぱりいない。
いるのは自分と目線の同じ凡人か、怠けだらけて勝手に道踏み外して、真っ逆さまに落ちていくヤツだけだ。
そんな私の生涯の中で。
ただひとり。
あいつだけが、非凡(フィクション)だった。
「そいつさ、本番一問も落とさなかったんだ」
やればできてしまう。
でもやらない。やらないだけ。
そういう人間を、私はひとりだけ知っている。
「――あの時思ったよ。ああ、世の中には天才っているんだなって。
で、ちょっとだけむなしくなった。私、きっと一生こいつには追いつけないんだって気付いちゃったの」
私は立ち直れた。
別に凹まなかったし、引きずりもしなかった。
その後関係が悪くなったとかもない。今も変わらず、世話焼きやってるし。
けどきっと、この平々凡々たる人生の中にあった最大の挫折はあの時だったんだと思う。
凡人(わたし)がどんなに努力して頑張っても敵わないやつがいることを、一番近くで目の当たりにしてしまったから。
「気付くのってさ、むなしいよな。
あんたには振り回されっぱなしだけどさ、そこだけは……ちょっと共感できるよ」
「……ふん。二十歳そこらの若造がえらそうに」
「目線合わせてあげてんだ。ちょっとはしおらしい顔しなよ、ちびっ子」
そう、別に大きなことじゃない。
ほんのちょっとした躓きで、ほんのちょっとした"気付き"があっただけ。
あの日私は、夢を見るってことをやめてしまった。
努力して夢を叶えるやつと、努力しないで夢を叶えられるやつの間には明確な差がある。
その差が埋まることは、決してない。此処が私の行き止まりなんだと、分かってしまったから。
それで不幸にはなっちゃいない。
大学受かったのは事実だし、結果だけ見ればトントンだ。
今だっていい企業に入って、趣味で散財してなお貯金に回す余力があるくらいには稼げてもいる。
でも、それでも。
無限だと思ってた空に天井を見つけてしまうのは、やるせないことだった。
たぶん私は、こいつと同じ挫折を食んでいる。
違ったのは、その大きさ。立ち直れる挫折だったか、立ち直れない挫折だったか。それだけ。
……なんて言ったらこいつは顔を真っ赤にして怒るだろうから、声には出さない。私の中だけのひみつだ。
「食後にプリン食べる?」
「…………食べる」
「よし。テーブルの上片付けといて」
「ん」
挫折しようが、天井を知ろうが、それでも人生ってやつは続いていく。
ある日突然ジャンルが変わっても、命尽きるまで終わることはない。
難儀なものだ、人間ってのは。趣味が高じたか、なんだか老人じみた心境になってしまう。
そういえば私に天井を見せてくれやがったあの子は、この世界でもしっかり再現されているんだろうか。
「……最近会ってなかったしなあ。近々生存確認兼ねて会いに行ってくるかぁ」
ちゃんと働けてんのかな、にーとちゃん。
小さく呟いて、私はおたまで掬ったみそ汁をずじ……と啜った。
【クラス】
セイバー
【真名】
トバルカイン@旧約聖書、創世記
【属性】
中立・悪
【ステータス】
筋力:A 耐久:B 敏捷:D 魔力:D 幸運:C 宝具:E〜A
【クラススキル】
対魔力:C
魔術に対する抵抗力。第二節以下の詠唱による魔術を無効化する。
大魔術、儀礼呪法など大掛かりな魔術は防げない。
騎乗:C
騎乗の才能。正しい調教、調整がなされたものであれば万全に乗りこなせ、野獣ランクの獣は乗りこなすことが出来ない。
【保有スキル】
殺戮技巧(道具):A+
使用する道具の対人ダメージ値のプラス補正をかける。
武器を用いて命を奪う、ということを研究し尽くした故のランク。
専門は刃物だが、別に銃でも鈍器でもなんでも使える。
「自分で鍛えたもん自分で使えなかったら三流でしょ。一緒にしないでいただきたい」
刀剣審美:A
「芸術審美」に似て非なるスキル。武装に対する理解を表す。
武器を一目見ただけで、どのように戦うべきかを把握する事が出来る。
Aランク以上の場合、刀剣以外の武装についても把握可能となる。
味方に対しては的確な助言として働き、敵(特にセイバー・ランサークラス)に対しては弱点を見抜く事になる。
「はいナマクラ。カス。二度と逆らうなよ雑魚が」
錬鉄の職業病:B
武器を鍛えたらとりあえず試し切りがしてみたい。それが鍛冶師の性である。少なくとも彼女はそうだった。
初めて握る武器で戦闘を行う際、全ステータスに上昇補正を受ける。
昔のやんちゃしてた頃であれば更に上昇値が高かったが、今は割と丸くなってしまった。
「あれは若気の至りっていうか、そのぅ……あんまり言うなよぅ」
狂化:E
理性と引き換えに各種ステータスをランクアップさせる能力。本来ならばバーサーカーのクラススキルである。
全盛期のセイバーはまごうことなき武器狂いの怪物だったが、いろいろ悟って萎えたのでランクダウンしている。
効果はほぼ皆無。ときどき人でなしの側面が顔を出す程度。
【宝具】
『罪の継嗣たる生き竈(トバルカイン)』
ランク:E〜A 種別:対人宝具 レンジ:- 最大捕捉:-
鍛冶の始祖たるトバルカイン、人類史上最初に刃物を鍛えた錬鉄者の存在そのもの。いわば、彼女自身が宝具。
素材を選ばず、武器を鍛える。彼女の鍛えた武器は神秘を帯びた宝具となり、他人に貸与することもできる。
もちろん道具は鉄や銅が最適だが、どうしてもという状況なら紙や草でも作れるらしい。ただし性能は著しく落ちる。
鍛えてみるまで彼女自身武器のランクは分からず、振れ幅は大きい。言うなれば魔力と時間を使ってガチャを引く宝具である。
その気になれば銘を与えることもできるのだが、腐っても鍛冶師としてのこだわりがあるため、彼女は自分の理想に到達した一振りを鍛え上げるまでそれを与える気は一切ない。令呪を用いての命令だろうと拒絶する。
『死河山嶺(リミテッド・ブレイドアーカイブ)』
ランク:E〜A 種別:対人宝具 レンジ:1〜5 最大捕捉:1
有限の剣製。トバルカインが生涯に渡り製作した武器のすべてを周囲に展開する、いわば武器庫をひっくり返す宝具。
その大半に名はない。もしかしたら彼女が雑に捨てたのを拾った誰かが横流しして、後に名を残した武器も混じってるかもしれないが、大半は無銘のまま死蔵されたものばかりである。
しかしトバルカインの理想が高すぎるだけで、その中には平然とAランク級の神秘を持つ兵装が混ざっている。
真名解放こそ不可能だが、効率よく武器を運用することにかけては人類随一である彼女が振るえば、ともすれば真名解放以上の効力を発揮。
撒き散らした刀剣をとっかえひっかえしながら踊るように敵を惨殺する、まさに死の河を築く奈落の山嶺。
どこぞの英雄王よろしく剣やら槍やらを釣瓶撃ちすることも可能で、面倒な時はそれで片付けるのがベター。
魔力消費がそれなりにあるのと、本人的には過去に満足いかなかった失敗作をわんさか見ることになるため、あまり使いたがらない。
(現代風に言うなら)黒歴史ノートを引っ張り出されて、それを芸術だなんだと絶賛されるようなものである、とのこと。
【weapon】
武器ならなんでも。
専門は刃物。
【人物背景】
人類史上最初に刃物を鍛えた、創世記に登場する鍛冶師。
人類最初の殺人者、神に呪われた者、アダムとイヴの長男たるカインの子。生き竈のトバルカイン。
歴史上は男性として伝わっているが、これは彼女が「鍛冶師が女だと変な味噌が付きかねない」と断固男性を名乗り続けたため。
元は生粋のワーカーホリックで、一意専心に仕事へ打ち込み続ける偏執的な職人だった。
武器ができると戦場に繰り出していき、試し切りと称して屍の山を築いて帰る狂戦士。
トバルカインは剛力の持ち主で、かつ武術にも非常に秀でていたとされる。
そんな彼女の悲願はひとつ、〈究極の一振り〉を作り出すこと。
そのためだけに生涯を費やし、あまたの命を殺し尽くしてきた。
だが――、ある時ぷつんと糸が切れるように夢破れてしまう。
自分の才能の限界。目指す極点には、ヒトの百年ではどうやっても到れない。悟りのように、それに気付いてしまった。
以降、トバルカインは人が変わったように自堕落で無気力なダウナーガールとなって余生を過ごした。
今回の聖杯戦争では挫折後、鍛冶を引退してからの召喚と相成っている。
ただし引退したとはいえこだわりやプライドは捨てておらず、自虐するのはいいが他人に言われると普通にキレる面倒臭い奴。
聖杯戦争のために超絶久々に武器を鍛えることになり、死ぬほど渋々仕事をしているが、それでもやっぱり心のどこかで〈究極の一振り〉を探究してしまっている節がある。
煽り合いや軽口程度ならプロレス的に応じてくれるが、彼女の信念を曲げさせようとすれば返答代わりに首を飛ばしにくる。
いつの世も職人というやつは、どこかしら拗れていないと務まらないのである。
【外見・性格】
赤銅色の短髪で華奢、小柄。ぼろぼろの衣服を着用しており、基本いつでもなんかみすぼらしい。目元には消えない隈がある。
やさぐれダウナー系、マイペース。ときどき口調が男勝り。昔の尖りぶりはすっかり鳴りを潜めている。
属性こそ悪だが感性は結構一般的。武器を使うとなると人が変わるだけなので、そこを踏まえてさえいれば結構付き合いやすい奴。
【身長・体重】
145cm・34kg
【聖杯への願い】
生涯をかけても到れなかった〈究極の武器〉へ達すること。
「でもなぁ〜〜〜っ、そういう手段で叶えても仕方なくねぇ? って気持ちもあるんだよな〜〜〜! あ〜〜〜〜〜!!!!」
……やっぱりモチベーションは微妙なようである。
【マスターへの態度】
変にやる気満々なやつじゃなくてよかったな〜と思っている。
守るし、それなりに意向には添うつもり。
まあ、のんびりやりましょうや。
マスター
【名前】高天小都音/Takama Kotone
【性別】女性
【年齢】24
【属性】中立・善
【外見・性格】
ごく一般的な良識と倫理観を有した、本当に普通の一般人。
世話焼き気質であり、こいつは放っておけない、と思うと頼まれなくても付いて回る癖がある。
【身長・体重】161cm・51kg
【魔術回路・特性】
質:C 量:E
特性:〈節制〉
【魔術・異能】
節制。起こり得る魔力の消費を割引する、要するに極めて燃費のいい特異型魔術回路の持ち主である。
魔術師としては稀有な才能であり、要石としてもけっこう優秀。
【備考・設定】
自他共に認める、本当に何の特異性もない一般人。
名門大学を出ているが、それもちゃんと正攻法で死ぬほど努力した結果である。
何かを成し遂げたければ努力をしなければならない。努力をしても実らないこともある。そんな成功と失敗を、普通に積み重ねて育ってきた。
強いて特異なところを挙げるなら、歴史が好きでそれが高じてこの歳で骨董品集めに凝り始めていることくらい。
その趣味が災いして、ある日旅行先でふらりと入った骨董屋で、〈古びた懐中時計〉を手に取り――運命に出会ってしまった。
〈にーとちゃん〉というあだ名の友人がいる。
高校時代からの付き合いで、いつもひーひー泣きながら勉強していた彼女がさらっとフルスコアで大学に受かったのを見て自分が凡人であることと、この世には天才という人種がいることを理解した。
とはいえそれで腐るわけでもなく、身の丈に合った生き方をしていこか……と肩を竦めて苦笑したくらい。
件の友人とは今も付き合いがある。自分が面倒見ないと本気で死んでしまいそうなので、定期的にお宅訪問をしていたりする。
本人曰く最大の実績は風邪薬ODに手を出そうとしていた彼女にこんこんと怖さを説き、薬物依存への道を断ったことであるらしい。
【聖杯への願い】
特になし。貰えるなら貰うし、貰えないなら別に。
ただ死にたくはないし、かと言って人を殺すのも後味悪いのでなんとかのらりくらりとやりたい。
【サーヴァントへの態度】
"アレ"に比べればだいぶマシ。私の周りはこんなのばっかりか。
無駄な人殺しは諌める。相手がNPCとか言われても、寝覚めが悪いのは勘弁してほしいため。
投下終了です。
投下します
少年、依良籠野幹(いらかごのみき)は夢を見ていた。
夢、と迷いなく判断できたのは目に映る景色が見慣れた現代日本とは大きく異なっていたからだ。
街並みや人々の恰好から察するに十九世紀から二〇世紀にかけてのアメリカだろうか。レトロフィルムでよく見る映像に似ている。
加えて言うと、視点の高さもいつもと違っていた。他人の視点を借りて見ているかのような違和感がある。
夢の中のアメリカは著しい発展の最中にあり、その一方で謎めく幻想が人々の間に膾炙していた。
科学と神秘が矛盾なく共存する、奇妙な時代である。
移動型遊園地には必ずと言っていいほど見世物小屋が軒を連ねており、中を覗けば目に映るのは未開の地から連れてこられた原始人、首もないまま生活する女、妖精(フェアリー)じみた矮躯の双子、魚の下半身を持つ人間の標本──まるで巨大な【驚異の部屋(クンストカンマー)】だ。
しかしながら野幹が持つ現代知識と照らし合わせて見てみると、それらのほとんどが張りぼての虚構、あるいは医学的な病名が付けられる疾患であることがわかる。
だからといってそれを理由に見世物の価値が損なわれるのかというと、そんなことはない。
たとえ嘘や法螺であろうとも、それらを目にした観客が熱狂し、満足したのは事実なのだから。
当時のアメリカは、このような詐欺的な娯楽が広く流行していたのであった──視界が暗転する。
「さあ皆さん舞台にご注目!」
威勢のいい声が鼓膜を震わせる。
同時に夢の場面(シーン)が転換する。
スポットライトの眩い光が視界を埋め尽くす。
野幹は舞台の上に立っていた。
「ついに天才魔術師の出番がやってまいりました! 彼が見事な手さばきで繰り出す神技の数々を、どうぞご覧ください!」
舞台袖に立つ興行主らしき小太りの男が高らかに叫ぶ。
そのあまりに大げさな言い様は、野幹を心胆寒からしめた。天才魔術師? 落ち目の魔術師の末裔である自分には一番相応しくない文言だ──ああ、いや。
ちがうちがう。
いま紹介されているのは野幹本人ではない。
野幹が視界を借りている何者かだ。
舞台から見下ろす客席には大勢の観客が犇めいており、期待で瞳を輝かせながらこちらを見上げている。野幹であれば緊張で卒倒を引き起こしかねない光景だ。しかし彼が視界を借りている何者かは、自分の身が置かれた状況に物怖じしないどころか、むしろ喜ばしく思っているらしく、
「ひゅう」
と軽快な口笛を奏でると、演目を開始した。
それから彼が披露したのは──いわゆる手品だった。
同じmagicでも魔術ではなく奇術である。
しかし、その手さばきは魔術さながらの神秘を纏っていた。
彼の一挙一動と共に人が消え、錠が解かれ、物と物が入れ替わる──たったひとりの人間によって紡がれる幻想の数々に観衆は驚嘆し、歓声が沸き起こった。
神技の名に偽りなし。
この舞台において、彼は正真正銘の魔術師であった。
なにせ、奇術師本人と同じ視界ですべてを見ているはずの野幹ですら、奇術師が用いているはずのトリックがひとつたりとも見抜けないのである。初めて父から魔術を見せられた幼少の頃にそうであったように、目の前で繰り広げられる幻想の数々に陶然とする他なかった。これならいっそ「実は奇術師は【本物】の魔術で奇術の振りをしているだけ」と言われた方が信じやすいというものである──再び場面(シーン)の転換。
煌びやかな舞台から打って変わり、次はこじんまりとした書斎だった。
室内には少年が視界を共有している誰かの他に、もうひとりいた。口元に髭を蓄えた初老の男だ。窓際に佇むその風貌に、野幹は見覚えを感じた。たしか……、むかし、図書館で似たような人物を見かけたことがあるような?
既視感の正体を探ろうとする野幹だったが、正解に辿りつくよりも前に、
「なあ、ドイル先生」
と、野幹の喉から野幹の声ではない声が滑り出る方が早かった。
「本物の霊能力者なんて、いないんじゃないか?」
その声は先ほど耳にした奇術師の口笛と同じものだったが、舞台の上に居た頃とは違い、ひどく憔悴しているように聞こえた。
ドイルと呼ばれた男は「ふん」と鼻息で髭を揺らすと
「やれやれ、君と議論を交わした回数は十や二十では足りんだろうに──心霊術にまつわる議論において、私がどちらの立場についているか忘れたのかね?」
「心霊主義者としてのあなたに言っているんじゃあない。ロンドンの英雄シャーロックホームズの生みの親であり、自身もまた名探偵さながらの見識を持つ賢人『サー・コナン・ドイル』に聞いているんだ」
奇術師は言った。
「アンタはちと騙されやすいところがあるが……、それでも高い知性を持っているのは確かだ。ならば、とっくに気づいているんじゃあないか? ──世間で持て囃されている心霊術が詐欺の嘘っぱちだって」
「私の主義を証明する物品ならいくつもある」
「妖精とガキの合成写真(コラージュ)か? それともアンタがどこぞの大学で撮影したとかいう心霊実験の写真? いずれにせよ、オレの眼にかかれば秒もかからずにイカサマだって分かってしまう代物だがね」
「『分かってしまう』か──ふん」
ドイルは再び鼻息で髭を揺らした。
「その言い方はおかしくないかね。それではまるで、心霊術の虚偽を証明することが君にとっても不本意であるように聞こえるが──【サイキックハンター】くん」
ドイルは、言う。
歴史に名を遺す偉大なる作家のひとりであり、物語の中で多くの人物を書くことで人並外れた人間観察の眼を培ってきた男は──言う。
両の眼で奇術師を見据えながら。
その語り口にはまるで、推理小説の解決編で犯人を追い詰める探偵のような冷ややかさがあった。
「むしろ君は求めているんじゃあないか? 【サイキックハンター】である己の敗北を──本物の心霊術の実在を」
「ああ! そうだよ!!」
奇術師は認めた。
「心霊術が本当にあるのなら! 現実を超越した奇跡が実在するのなら! 奇術師(オレ)なんかに見抜かれることなんて無い筈なんだ!」
叫ぶ。吠える。主張する。
視界の端に赤いシミが滲む。興奮で目が血走っているのだろう。
その鬼気迫り様は、視覚を共有しているだけの野幹すら奇術師が心中に抱える蟠りの熱を感じられそうなほどであった。
「なのに調査委員会(SA)にのこのこやってくる心霊術師や超能力者どもはいつだって詐欺師ばかり! そりゃあ、いよいよ本気で心霊術の不在を確信しそうになるってものさ!」
「だが彼らの詐欺を見抜いたことで君の【サイキックハンター】としての名声が高まったのも事実だろう。それに詐欺師どもが使っていたトリックが、君の奇術の技術向上に良い影響を与えなかったとは言わせないぞ? 今の君は奇術師として実に喜ばしい立ち位置にいるじゃないか──なのになぜ、そう嘆く? 心霊術を狩る立場でありながら、なぜ本物の心霊術を求める?」
「なぜオレが心霊術を求めるかだと?」
ドイルの問いを受け、奇術師は言った。
「別に大した理由じゃないさ。心霊術に執着する者なら誰だって抱えている、ありきたりな理由さ! いいか、オレはなあ、インディアンが隠した埋蔵金を掘り当てたいわけでも、どこぞの国家主席を呪殺したいわけでもない! オレの願いはたったひとつ! たったひとつのささやかな願いなんだ! オレはただ──」
台詞の中途で視界が暗転。
次は場面がどこかに移り変わることもない。
こうして野幹の夢は唐突に終了した。
◆
現実に戻った依良籠野幹が真っ先に感じたのは床の冷たさだった。
普段使いしている寝床ではない。
おもむろに起き上がりながら、彼は自分が今、依良籠家に代々伝わる工房が一室──実験動物の収容室にいることを思い出した。
室内のつくりは極めて簡素。タイルが敷き詰められた床。収容物の脱出を阻む鉄格子。窓はなく、部屋にひとつだけある扉は錆だらけであり、この部屋がどれだけの期間放置されていたかが窺える。実際、長い間使われていなかったのだろう。少なくとも野幹が知る限りにおいて、依良籠家の現当主である父がこんな部屋が必要になるサイズの実験動物を飼っていた記憶はない。つまり野幹はこの部屋にとって数十年ぶりになる収容物ということだ。まったくめでたくも嬉しくもないが。
「…………」
現状を確認する最中ふと気付く。目元に涙の跡があることに。
寝ている間に泣いていた? そういえば悲しい夢を見ていた気がする。どんな内容だったかは少し曖昧だが──
(あるいは……夢の内容なんて関係ないのかも)
涙の理由には他にも覚えがある。むしろそちらの方が夢であってほしかったほどに、悲劇的な現実が。
心当たりに思いを馳せる野幹──その時だった。
がちゃり、と。
解錠の音が響いたのは。
直後、扉が動く。ぎぎぎぃ……と錆と錆が擦れ合う音が室内に木霊した。背骨の髄を直接引っ掻かれるような不快な音だった。
やがて完全に扉が解放されると、ひとりの人影が這入ってきた。
野幹がよく知る人物である。
「……父さん」
「やあ、野幹」
優し気な声だ。聞いているとうっかり「このまま自分を檻から助けてくれるんじゃないか」と思いそうになるが、すぐにそれがただの錯覚であることに思い至る。
なぜなら──野幹をこんな場所に監禁したのは、他ならぬ父なのだから。
「体の具合はどうだ?」
「いい加減ここから出してよ……、父さん」
「ダメだ」
その声自体は聴きなれた父の声だったが──その奥に込められた意思は。
あるいは狂気は。
野幹が知らないものへ変貌していた。
「でも……、そろそろ学校に行かないと」監禁されている身で言うには牧歌的すぎる理由だな、と野幹は自分で自分に呆れた。
「その必要はない」父は言う。いつもと変わらない優しい声だ。それが却って恐ろしい。「野幹、おまえにはこれからやってもらわなくてはならないことがあるんだ。その役目を果たす時が来るまでは、ここを出てはならないよ」
「ぼくの役目ってなんなのさ……。それに、やることと言えば父さんには──ほら、魔術師としての研究があるじゃないか。ぼくなんかにかまけて、そっちを放っておいてもいいの?」
「ああ。あれはもう、やめにしたよ」
野幹は絶句した。
父には昔から取り組んできた研究があった。“根源”への到達。その足掛かりとしての生命と魂の研究である。先祖代々受け継がれてきた研究ではあるが、その歴史の長さに反比例するかのように勢力が先細りし、現代に至ると依良籠家は魔術師として零細も零細な家系になっていた。「こんな風に凋落した今になっても研究を続けることに意味はあるのか」と幼き日の野幹は思ったし、幼児特有の無邪気さでそれを尋ねると、当時の父は困ったようにコメカミをぽりぽりと搔きながら次のように返した。「でもね、この研究にはこれまで沢山の祖先が関わってきたんだ。その歴史の重さを私は誇りしているし、無意味だなんて思ってはいないよ」と。
なのに──だというのに。
父はあっさりと放棄したのだ。
自分が長年追い続けてきた目的を──脈々と受け継いできた誇りを。
「“根源”なんて……、依良籠家の使命なんて、もうどうでもいいんだよ。それよりもっと重要な、為すべきことを見つけてしまったんだからね──フツハ」
そして父は呟いた。
己の新たな目標を。
フツハ。
誰かの名前らしき言葉を。
そのたった一言が──
「フッ──ふつ……ふつっ、は、はははははっ、ははっ、はははは、は、ははっ、はっ、はァ!! ふつはふつはふつはふつは、ふっ、ふっ、ふっ、はっ、はっ、はっ……ふつは!! 祓葉! 神ゥ、寂ィイ、祓ッ、葉ァアアアアアアアアアああああああああああ!!!」
──元から壊れていた父の精神を更にスパークさせた。
「《一度目》の戦いで私は見たんだ! フツハ!! 絶対なる綺羅星を! 堕とすべき神を! 打倒すべき英雄(ヒーロー)を! 確信したね! 私がこの世に生を受けたのは──否、そもそも依良籠という家が興ったのは、すべて、すべてすべてすべてすべて!! フツハ!! 神寂祓葉!! 彼女と私が対峙するためだったということを!!!」
がりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがり!!
野幹の耳まで届くほどの音量で、父は自身のコメカミを掻き毟った。その動き自体は野幹が物心ついた頃から見覚えのある父の癖だが、指先に込められている力は明らかに過剰だ。皮は剥がれ、肉が削ぎ落ち、真っ白な頭蓋骨が露出している。滴った血が床のタイルを点々と朱に染める。爪はとうに捲れていた。神経がまろび出ているコメカミの穴に指を挿入すれば筆舌に尽くしがたい激痛が走るはずなのだが、依良籠家現当主は痛痒を感受する器官を喪失したかのような素振りで己の頭を一心不乱に掘り起こしていた。
どうして父がこんな風になってしまったのか野幹には分からない。
父を怒らせるようなことをした覚えはないし、そもそも父は躾の一環であっても監禁まがいの折檻をするような人間ではなかった。
なのに──なぜか。
一週間前を境に、依良籠家当主は正気を失ってしまったのである。
これもすべて父が言うところの【神寂祓葉】とやらが関係しているのだろうか?
「《一度目》の戦争で私は負けた! フツハ!! 知名度で言えば人類史全体を見渡しても比肩するものがなく、ヒンドゥー教最高神のエッセンスさえ霊基に取り込んでいたハイサーヴァントを引き当てたというのに!──何故負けたと思う?」
問い掛けの形で発せられた言葉だったが、野幹の答えを待つことなく父は続きの言葉を吐いた。盛大な独り言だ。
「フツハ!! 神寂祓葉が人間離れした主人公(ばけもの)だったからだよ! ──そんな彼女とこれから《二度目》の戦いをするんだ。ならば、こちらだって人間性を放棄しなければならないとは思わないかい?」
「人間性の放棄って……、そんなことの為にこれまで続けてきた研究を放り投げて、僕をこんな所に閉じ込めて──母さんを」
野幹は恐怖で引き攣る喉から声を絞り出した。
「……母さんを、殺したの?」
瞬間、脳裏に当時の記憶がフラッシュバックする。
一週間前のことだった。
その日の朝、父はいつも通りの時間にいつも通りの恰好で、いつも通りに自室から姿を現した。
だが、その身に纏う雰囲気はいつも通りではなくなっていた。
まるで──【たった一晩の間に野幹が知らない世界で壮絶な時間を過ごしてきた】かのようだった。
そんな父の変わり様を見て心配に思った母が声をかけた次の瞬間、父は母の首に手を回した。洒落や冗談ではない。明確な殺意が籠った手付きだった。一連の出来事を傍で見ていた野幹は慌てて止めに入ったが、大人と子供、熟練の魔術師と新米では力量の差は歴然であり、逆に制圧されてしまう。
その後、彼は収容室に監禁され──今に至るというわけだ。
「『母さんを殺した』だって? ……おいおい、そんな言い方は無いだろ。それじゃあまるで私が信念もなくただ享楽的に妻を殺した快楽殺人鬼みたいじゃあないか」
父は呆れるような口ぶりで言って、コメカミを掻いた。床の汚れが更に増えた。
「《二度目(こんかい)》は《一度目》以上の英霊を召還したいと考えていてね。とびっきりの触媒を用意するために、窯にくべる人間が必要だったんだよ」
「触媒……? 窯……?」
「おっと」ばつの悪そうな表情をする父。「魔術師としては新米なお前には少しわかりづらかったかな? とにかく、母さんはただ無意味に死んだんじゃあないってことさ。依良籠家の悲願を達成するための尊い犠牲になってくれたんだよ。分かったか?」
分からない分からない分からない分からない。
父の台詞の端々に登場する語句も、父の目的も、父が狂ってしまった原因も──何もかもが理解不能。
ただひとつ明らかなことがあるとすれば。
依等籠家はもう、どうしようもなく崩壊してしまったということだけだ。
「だから野幹、お前も喜んで手伝ってくれるよな? 私と神寂祓葉の聖戦に、その身を捧げてくれるよな?」
まるで休日に近所の公園でのキャッチボールに誘うかのように朗らかな声と面持ちで、父は言った。
野幹はもう限界だった。
こんな恐怖を感じるくらいなら、いっそ自分も父と同じように狂って自我を失いたいとさえ思った。
全身の細胞が怯懦に震え、泣き叫びそうになる──その時である。
「ご歓談中のところ失礼」
第三者の声。
依等籠の人間以外がいるはずのない部屋に突如として響き渡った異音に、野幹と父は飛び起き、声の発生源を確認し──檻の隅に佇む、ひとりの男に気付く。
彼を目にしたとき、ふたりは「この部屋の先客か?」と全く同じ感想を抱いた。
なぜなら男の恰好が、あまりにもこの空間に馴染んでいたからだ。
囚人服じみた白黒ストライプ模様のスーツ。体の至る所に拘束具が取り付けられており、両腕は後ろ手に固定されている。体中に絡みついている鎖の先端にはそのまま砲丸投げに使えそうなほどに重量を感じさせる金属球が付いている。両目には黒革のアイマスクがされており、視覚さえも不自由になっていた。
サイコサスペンス映画に出てくるシリアルキラーさながらの厳重な拘束だった。
ふたりの困惑を余所に、拘束具の男は言う。
「どちらがオレのマスターかな?」
「おお、サーヴァントか!」
叫ぶような声でそう言ったのは野幹の父だった。
「ははっ、まさかこのタイミングで現れるなんて……! しっかりと準備をしてから召喚に臨みたいと思っていた私としては不測の事態になるんだが……まあ、贅沢を言うわけにもいくまい。召喚されただけでもめっけものだ──クラスは?」
「【フォーリナー】だ」
「降臨者(フォーリナー)?」
野幹の父は首を傾げた。
なんだ、それは。
聖杯戦争に呼ばれる英霊七騎の中には、召喚の際に【狂化】が加わることで霊基を捻じ曲げられた例外的なクラス、狂戦士(バーサーカー)があるというが、名前すら聞いたことがないフォーリナーとやらは、それ以上の例外である。
「尋常ならざる《二度目》の聖杯戦争を開催するにあたり生じてしまった異分子(バグ)──のようなものなのか?」
「さあね。そこら辺の細かい理屈はオレに聞かれてもわからんよ。【そもそもオレがサーヴァントとして召喚されること自体が例外っていえば例外みたいなものなんだから】──ところで魔術師さんよ」
男は言った。
「頭使って考察をこねくり回している所に水を差すようで申し訳ないんだが……、どうやらアンタはオレのマスターではないようだぜ」
「……………は?」
野幹の父は最初、フォーリナーが言った意味を理解できず、ぽかんと口を開けた。
だが数秒掛けて言葉を咀嚼し、意味を解した途端──顔を歪めて吠え叫んだ。
「嘘だ!」
「嘘じゃないさ。召喚直後ならともかく、今ならはっきりと分かるぜ。アンタとオレに縁が無いって」
「そんなバカな話があるか! この地、この場で召喚されたお前が、私のサーヴァントではないだと!? だったら他に誰が──」
お前のマスターなんだ、と。
続きを紡ごうとした彼の口は、しかし中途で止まった。
気付いたからだ。
この場にいるもう一人の人物。
己の血を分けた息子。
依等籠野幹。
その右手に、赤い何かが浮かび上がっている。
「なんだ……それは」
鎖と錠、そして炎を連想させる左右非対称の紋様は、薄暗い檻の中で深紅に輝いていた。
野幹自身これまで自覚がなかったのだろう。父の視線が己の手に向いていることに気付き、追うように目を向けた結果ようやく把握した。
起きた変化は肉体だけではない。
野幹の脳に幾つもの情報が流れ込んできた。
聖杯、マスター、サーヴァント、エトセトラエトセトラ……。
突如として与えられた情報の数々に野幹は困惑したが、同時に、それらによってこれまでの父の奇行や今しがた室内で起きたいくつかの不可思議に説明がつけられることも理解した。
「『なんだそれは』と聞いているんだ野幹! ……いや、それが【令呪】なのは分かっている。サーヴァントへの絶対命令権であり、所有者が聖杯戦争の参加者(マスター)だと証明する紋様であることもな! 不可解なのは……、野幹! なぜ私ではなく、お前にそれが宿っているかということだ!!」
「そんなの……、僕にだってわからないよ」
「それこそ【尋常ならざる《二度目》の聖杯戦争を開催するにあたり生じてしまった異分子(バグ)】ってやつなんじゃないか?」
口を挟むフォーリナー。
「ふざけるな!」
それが父の逆鱗に触れた。
「こんなの認められるか! 私は《一度目(はじまり)》の戦いを経験した者たちのひとりなんだぞ!? 《二度目》の参加者の資格を十全に満たしているはずだ! なのに──なんで! 息子にその席を奪われなければならないんだ!」
父は野幹を睨みつけた。野幹は「ひっ……」と声を漏らし、小さく縮こまる。自分に向けられた父の視線に凄まじい敵意がこめられていたからだ。
父はそれから暫く喚き続け、興奮で頭を抉り、床を汚し続けたが、
「……ああ、そうだ」
と何かに気付いた。
「簡単なことじゃあないか。野幹から【令呪】を回収し、私に移植する。たったそれだけで問題は解決するんだ。そうするだけで……私はまた【彼女】と並び立てるんだ!」
父はその結論に思い至ると、善は急げと言わんばかりに懐から檻の鍵を取り出す。このまま檻が開かれれば令呪はあっさりと奪われるだろう。
それは野幹にとってどうでもいいことだ。聖杯戦争を知ったばかりの彼に、マスター権への執着があるはずもなかった。
そもそも、碌に魔術を習得できていない未熟な少年である彼に父を止める術はない──
「なあ、マスター」
──聖杯から遣わされた一騎の英霊以外には。
「……いや、まだ契約を結んでいないアンタをマスターと呼ぶのもおかしな話か? それはさておき──アンタ、このままでいいのか?」
「…………」
「今しがた呼ばれたばかりのオレに、アンタがこんな所に囚われるまでの経緯なんてちっとも分からんが……、あの父親に【令呪】を奪われたら最悪な未来しか待ってないってことだけは確実だぜ?」
「今の時点で十分最悪だよ」
「陰気だなあ。──何か目標はないのか?」
「目標?」
「【願い】と言い換えてもいい。アンタが前向きになるのに必要な動機だよ」
「────」
それは、ある。
このまま【令呪】を渡せば、父は更なる凶行に走るだろう。ますます人間からかけ離れた存在になってしまうだろう。それは止めたい。
それに──
(あんな夢を見たからじゃあないけれど……)
先ほど見た夢の中で名前も知らない奇術師が言っていたことを思い出す。
彼が心霊術で叶えようとしていた願い。それを聞く前に夢は中断されたが、野幹はその内容を察していた。
なぜなら心霊術──死者との交信に傾倒する人間が持つ願いなんて、おおよそひとつに集約されるのだし。
それに。
今の野幹もまた、同じような願いを抱えていたからだ。
「……母さんに、会いたい」
あの日の朝、狂った父によっていきなり命を奪われた母。
別れの言葉さえ送れなかった肉親。
死者と再び言葉を交わしたい。
「────────」
野幹の言葉を聞き、フォーリナーは沈黙した。
というより驚いていた。
アイマスクで覆われていなければ、点になった眼が露わになっていただろう。
暫しの静寂の後、フォーリナーは
「……ああ、なるほど」
と納得したかのように呟いた。
「オレのマスターなんだ。そりゃそうだよなあ。【かつてオレが追い求めた願い】と同じ文言を口にしたっておかしくない。いやあ、聖杯のマッチングスキルは凄いな──ひゅう」
軽快な音が響く。
それは──夢の舞台で奇術師が奏でていた口笛と同じ音色だった。
「いいだろう! 契約は成立した!」
そして彼は叫ぶ。高らかに。宣言するように。
檻の外の父にもはっきりと聞こえるほどの声量で。
「というより成立させた! たとえアンタが認めずとも! 聖杯が認めずとも! オレが認める! アンタがオレのマスターだってな! ──はっはっは! しっかし、オレもまだまだ三流だな! 【こんな霊基で呼ばれて】下がり気味だったテンションを観客に上げてもらうなんて! こりゃエンターティナー失格だ!」
「ま、待て! 待つんだ!」
鉄格子の向こうから父の声。
「本気かフォーリナー!? 《一度目》の戦争を経験し、魔術師としても息子より遥かに高みにある私ではなく、そいつをマスターにするのか!? どちらを選べばより確実に聖杯に近づけるかなんて一目瞭然だろうに!?」
「これでも物を見定める【目】は人一倍肥えているつもりだぜ」
「もしや囚われの身であるそいつに同情しているのか? お前のその身なりを見れば分かる。おおかた生前は奴隷か囚人だったのだろう?」
「ちげェよ。オレは奴隷(スレイブ)でも囚人(プリズナー)でもない──」
フォーリナーは言った。
「──王(キング)さ」
「デタラメを言うな! どこに四肢を拘束された王がいる!」
父はフォーリナーとの対話を諦めた。
話に時間を費やさず、さっさと野幹から令呪を簒奪することに決めたらしい。
錠に半ばまで差していた鍵に力を籠め、回そうとする──刹那。
フォーリナーのアイマスクに【灰色の炎】が灯り、そこを基点として収容室全体に光が溢れた。
強烈な閃光が父の網膜を貫き、視力を奪う
突然の視力喪失に彼は驚いたが、数秒経って視力が回復すると、更に驚くことになった。
明瞭となった視界。そこに映る檻の内部が無人になっていたからだ。野幹もフォーリナーも煙のように消えていた。
鍵はまだ完全に開けていなかったし、そもそも錠のすぐそばに立つ父に気取られることなく脱出するなんて不可能である。すぐさま鉄格子に目を向けたが、力任せに捻じ曲げたり、切断されたりした形跡は見られない。
完全なる密室から、ふたりの人間が消えたのだ。
「空間転移のような魔術を使ったのか?」
「魔術(magic)じゃない。奇術(magic)さ」
背後から声。
振り返ると、そこにはフォーリナーが立っていた。
拘束具によって後ろ手に固定されていたはずの両腕は【いつの間にか】解放されており、野幹を横向きに抱き上げている。一連の脱出劇は少年にとっても予想外の出来事だったらしく、目を見開いて驚愕していた。
「生前は「彼を捕らえられるものは地球上に存在しない」っつー賞賛を耳にタコが出来るくらい浴びたものでね。こんな檻程度はアンタが鍵を回すのを待つまでもなく簡単に脱出できるのさ」
それはつまり。
彼はあらゆる拘束からの脱出に精通しているということであり。
裏を返せば。
【あらゆるものの束縛手段を熟知しているということでもある】。
「──ッ!!」
野幹の父が気づいた時にはもう遅かった。
【いつの間にか】フォーリナーの体を離れていた鎖は蛇のような動きで床を這って魔術師の足元に到達し、その体を縛り上げていた。
体を捩じって抜け出そうとするがビクともしない。寧ろ動けば動くほど、拘束はより強固になっていった。やがて足首が鎖に巻き取られ、魔術師はその場に転倒する。床に横たわった後も拘束は続き、やがて不格好なボンレスハムみたいな格好になった。
「む、ううぅ! ぐっうぅぅうううううううううううう! 離せッ!!」
「おいおい、これまで散々息子を不自由な目に遭わせていたのに、そりゃないだろ」
「私には使命があるんだ! こんな所で時間を無駄にしてたまるか!」
魔術師は喚き続けたが、それを聞くフォーリナーはうっとおしそうに顔を顰めるだけである。
「それにしても……なあ、マスター」フォーリナーは抱きかかえている野幹に顔を向けた。「アンタの父親はその……随分と個性的な性格をしているが、前からこうなのか?」
「違う。前はこうじゃなかった。急におかしくなったんだ」
「ふうん──いつかのオレみたいに【妙なもの】でも見たのかね?」
そのうち解決すべき問題ではあるのだろうが、今はまず長期間の監禁生活で衰弱しているマスターの回復が最優先だ──そう結論付けたフォーリナーは収容室を後にしようとした。
その時だった。
室内の一点に魔力反応が現れたのは。
発生源は床に転がる野幹の父だった。
エネルギー量で言えば先ほどフォーリナーが灯した光よりも強い──しかも、時の経過に伴い、指数関数的に増幅している。
当然、人の器ではこのようなエネルギーの急上昇に耐えられるはずがない。
近いうちにその肉体が崩壊し、内蔵されているエネルギーが爆発の如き発散を起こすのは明白だった。
「父さん? 何をしているの!?」
「だって……、だってだってだってだって!! 仕方ないじゃあないかァ!」
今やコメカミ以外の箇所からも血を噴出させながら、狂った魔術師は叫ぶ。
彼は思い出していた。
《一度目》の聖杯戦争において己の元に呼ばれたサーヴァント・アーチャーのことを。
その功績によって人類史に多大なる負の爪痕を遺してしまったことから【星の開拓者】ならぬ【星の解体者】を自称していた彼との思い出は──無理やり《二度目》の聖杯戦争が開催されたことによる影響なのか──その殆どが靄に包まれているかのように曖昧模糊としているが、数少ない明瞭な記憶の中で、とりわけ印象深く覚えているものがある。
それは生命力を魔力に変換する工程における、彼の新説だった。
生前は魔術師ではなく物理学者だったというアーチャーは、しかしその経歴が嘘ではないかと思いそうになるほどに深い魔術的知見を披露し、野幹の父を驚かせた。
そんな彼曰く、魔術回路に細工を加え、特定の運用を施すことにより、魔力の変換効率を従来以上に高め、器の自壊と共に暴発させられるのだという──まるで爆弾のように。
言うならば生身の人間で行う【壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)】。
破壊力の観点で言えば、魅力的に過ぎる考案だ。
とはいえ事前に細工の手間がかかるので初見の相手に施すことは不可能に近く、自身あるいは身内に対してしか使えないこと、一度その運用をすれば魔術回路どころか肉体が使い物にならなくなること、そして【当時の野幹の父の精神がまだ人間だった】ことにより、そのような運用は《一度目》の聖杯戦争において日の目を見ることが無かった──だが。
今は違う。
現在、野幹の父は自らの肉体で以て、アーチャーの理論を体現していた。
「【元々はお前の体で実践するつもりだったが】仕方ないよなあ野幹!! マスターの資格はお前に渡り、このまま縛られては神寂祓葉の前に立ちふさがることさえできない!! フツハッ!! だったらやるしかないだろう? ──【今この場で聖杯戦争の会場に最大限の影響を与えられる行為】を!! はははっ……、それにひょっとしたら、これから起こる爆発に彼女が巻き込まれる可能性もゼロではないんだよな! そう思うと俄然やる気がわいてくるってものさア!!」
言葉を重ねるごとに増幅するエネルギー。
爆発の時は間近に迫っていた。
規模はどの程度になるのだろうか。
収容室ひとつ分? 依等籠家の屋敷が吹き飛ぶ程度? ──否。
神寂祓葉を倒すためだけに人間性も、家族も、信念も、自分の命さえも擲つ男が放つ最期の一撃だ。
依等籠家の敷地を飛び越えて、近隣区画にまで被害を齎すと見て間違いあるまい。
「……フォーリナー、ごめん」野幹は言う。
「どうしたマスター。しょっぱなからこんなクライマックスじみた場面に巻き込んだことを詫びているのか?」
「それもあるけど──さっき「今の時点で十分最悪」って言ったでしょ? あれは取り消すよ」
野幹にとっては。
監禁されていた日々よりも。
父に利用されていたかもしれない未来よりも。
家族が狂気のまま暴走し、多くの人を傷つけることになる未来の方が。
ずっと───ずっとずっと、最悪だ。
「それに、もうひとつ謝っておくよ──本当なら僕がやらなきゃいけないことなのに、僕が弱いせいで、これからあなたに任せることになるから」
そして野幹は言った。
あるいは下した。
己の従者(サーヴァント)に。
初めての命令を。
「父さんを止めて、フォーリナー」
「任せろ」
了承の言葉と時を同じくして、フォーリナーの目元に灰色の炎が灯った。
炎、と言ってもそれに熱は込められていない。
その真逆。
触れるものから熱を奪う、冷気の炎だ。
まるでこの世ならざるどこかから【脱出】してきたかのような──理外の現象である。
「炎、氷、極致からの光。解放の担い手は今も封の中──」
紡がれる詠唱(ランゲージ)。
一言、また一言と積み重ねるうちに炎の光量は増し、空間の温度は急激に下がっていく。
「外なる神との混合神技をとくと御覧じろ!! 【脱出王(デス・ディファイング・アクツ)】!!」
刹那。
光と光が衝突した。
ひとりの魔術師が命を賭して生み出した莫大な熱と、外なる何処かから現れた冷気の炎。
相反する二者が正面からぶつかり、食い合い、相殺する。
勝利したのは──フォーリナーだった。
力の差は圧倒的。
収容室の気温は氷点下をとっくに突き抜けており、壁や床の至る所に氷の膜が張られている。
まるでこの部屋だけが地球ならざる氷の異星の飛び地になったかのような光景である。
床の一点には氷のオブジェ。体の隅々まで爆弾と化していたが故に、魔術回路の一条に至るまで強制的に停止された男の死体。
とある少女を切欠に狂気に落ちた魔術師の成れの果てが、そこにあった。
◆
「すまない」
二日間かけて諸々の処理が片付いた頃、不意にフォーリナーは言った。
顔を上げる野幹。
その表情には依然として、ここ数日の疲労が色濃く残っている。
「アンタの父親のことだよ」
「でも、あの時父さんを止めるにはああするしかなかったでしょ?」
「殺したのは事実だ」
「……父さんは、とっくに死んでいたんだと思う」
少年は呟く。
いつも通り弱気な声だが、その語気にはどこか、有無を言わせぬ思いも込められているように聞こえた。
「きっと《一度目》とやらの時にね。それで壊れて、なのに動き続けて、無理をした結果ああなった──本当は僕が終わらせてあげるべきだったんだ」
野幹はそんな風に父の死を受け止めた。
ともあれ、これで彼の聖杯戦争が終わるわけではない。
寧ろ──ここからが始まりだ。
「あの時あなたに言った通り、僕はまた母さんに会いたい。元に戻った父さんと再会したい。あの頃の家族を取り戻したい。……でも、それは誰かを傷つけてまで叶えるべき願いじゃあない」
「ふうん、良いんじゃねえの。そういう選択も──思えばオレも生前は身の丈を超えた願いを求めた末に色々と周りに迷惑をかけたものだしなあ」
しかし。
ならば。
依良籠野幹に聖杯に託す願いがないのなら。
彼はいかなるスタンスで、この戦いに挑むのか?
「カムサビフツハ」
息子は言った。
父が幾度となく呟いていた名前を。
依良籠家を壊した厄災の名を。
「彼女に会う」
「父親の仇だからか?」
「どうなんだろう? ただ……、依良籠の人間として、生き残った一人息子として、やらなければならないことだと思ったんだ。父の言葉を借りるなら『使命』になるのかな」
仮に対峙が叶ったとして、それからどうするのか。
復讐心のまま襲い掛かる?
怨念のまま非難の言葉を浴びせる?
それとも何もできずにただ泣きじゃくる?
相手は《一度目》の父が敗れた相手である。
魔術師として新米も新米な野幹では太刀打ちできるとは思えない。
だけど──それでも。
「僕を彼女(しゅくてき)の所まで連れて行ってくれませんか、フォーリナー」
「観客が望むものを見せるのが生業のオレにそれを言われちゃなあ……、断れるわけねえよ」
【いつの間にか】フリーになっていた利き手で、フォーリナーは野幹が差し出した手を取った。
「改めて自己紹介をしよう──我が名はフーディーニ。ハリー・フーディーニ!」
フォーリナーは名乗った。
米国どころか世界中を見渡しても並ぶ者がいないほどに有名な奇術師の名を。
「脱出王にしてサイキックハンターにして──そして【不可能を可能にする男】だ! これから聖杯戦争という迷宮において、いくつもの困難が立ちふさがり、お前の心身を捕らえようとするだろう! だが安心しろ! オレがその全てを取り除き、脱出口(ゴール)まで導いてやる!」
【クラス】
フォーリナー
【真名】
ハリー・フーディーニ@近代アメリカ、ほか
【属性】
秩序・善・人
【ステータス】
筋力C 耐久C 敏捷B++ 魔力A 幸運D 宝具A+
【クラススキル】
領域外の生命:EX
外なる宇宙、虚空からの降臨者。
邪神に魅入られ、権能の先触れを身に宿して揮うもの。
彼の場合は、生ける炎が産み落とした子。
神性:D
フォーリナーのクラススキル。神性適性を持つかどうか。
極地に囚われし高次生命と関わり、強い『神性』を帯びた。
【保有スキル】
奇術:A+
魔術とは似て非なる張りぼての神秘。
だが子供騙しと侮ること勿れ。フォーリナーは合衆国どころか世界で最も有名な奇術師であり、彼が披露するのは観客を興味で釘付けにし、並の魔術師の目さえ眩ませる領域の、超常の絶技と呼ぶべき大奇術である。
とりわけ得意である脱出・入れ替え(メタモルフォーゼ)の奇術をおこなう際は成功判定にプラス値分のボーナスが発生する。
サイキックハンター:EX
嘘を殺す嘘つき。
霊能力を騙る者たちのペテンを数多く暴いてきた功績から付けられた異名。
奇術師としての知識や生来の観察眼に加え、英霊化に際し大衆のイメージによってサイキックハンターの概念が増強された結果、彼のイカサマ破りの眼は最早【対偽】の異能と呼ぶべき領域まで昇華されており、それが嘘偽りであるのなら神が仕掛けたペテンだって暴いてみせる。
偽装工作や詐術、幻覚などへの高い看破能力として機能する。
極地からの光:B
囚われの同胞を解放するという使命を負って産み落とされたものの、己も封印されてしまった邪神が極地から漏らす冷気。その一端。
スキル効果としては【魔力放出】に近く、灰色の炎の形で放出される。
炎と言っても、それは触れたものを凍らせる冷気の炎であり、フォーリナーはこれを敵に直接浴びせたり、あるいは武装に纏わせたり、時にはジェットエンジンじみた推進力にしたりする。
【宝具】
『脱出王』
ランク:A+ 種別:対人・対軍・対界宝具 レンジ:1エリア程度 最大捕捉:1000
デス・ディファイング・アクツ。
フォーリナーが数多持つ二つ名のひとつと銘を同じくするこの宝具は、彼が得意とする【脱出】の技巧が昇華されたもの。
物理的な拘束はもちろん、サーヴァントのスキル・宝具に由来する束縛や外界から隔離された結界であっても、この宝具以下のランクであれば0〜数ターンで脱出してみせる。令呪による命令すら一画消費程度では彼をひとところに縛れない。
英霊化によって彼の【脱出】は時間や空間という概念にまで及ぶようになっており、その結果時間停止じみた超高速移動を可能とする。
…………と。
上記の能力だけでも十分に強力なのだが、この宝具の真骨頂は別にある。
それは極地に封印されている邪神を、この宝具で以て限定的に【脱出】させた場合だ。
真名解放と共に開放された膨大な炎はレンジ内一帯を蹂躙。全てを灰色に染め上げる。
周囲の環境が瞬く間に氷河期へと塗り替わる光景は凄絶であり、その特性は最早【侵食固有結界】に等しい。
本来なら身体を自由にする【脱出】を行使した結果、あらゆる物が停止する極寒の世界が出来上がるとは、なんとも皮肉な話である。
【weapon】
・拘束具
黒光りする鎖と錠と重りで構成された拘束具。
普段はフォーリナーの五体をがっちりとホールドしているのだが、戦闘時には【いつの間にか】外れており、鎖の先端についた重りを振り子のように振り回しての中距離攻撃を可能とする。魔力を消費する事で鎖を伸ばして巻き付けたり、下記の灰色の炎をエンチャントしたりすることも可能。
・灰色の炎
スキル【極地からの光】参照
【設定・備考】
脱出王。サイキックハンター。不可能を可能にする男──数多の名を持つ、アメリカで最も有名な奇術師。
母の死をきっかけに心霊術(スピリチュアル)による霊界との交信に傾倒する。
ところが当時の米国で流行していた心霊術は、その殆どが紛い物。詐欺の嘘っぱち。どれだけ良い言い方をしても死者に取り残された者たちが自分を慰める為の信仰に過ぎない。
フーディーニが世間一般の大衆と同じく愚鈍な凡人であれば、それらに騙されるも『死者の声を聞けた』という安心を得られていただろう。
だが彼は見抜いてしまったのだ──奇術師としての知識と類稀なる観察眼によって。
世に蔓延る心霊術の数々が、種も仕掛けもあるペテンなことを。
爾後、フーディーニは霊能力を騙る者たちのトリックを暴くことに心血を注いでいき、サイキックハンターと呼ばれるまでになる。
偽者を駆逐していけば、いつか本物の霊能力者と出会え、その時にこそ愛しの母と交信できると信じていたからだ。
実のところ、この世界に彼が求める『本物』は実在する。
【時計塔】を筆頭とする魔術師だ。
だが神秘の秘匿を絶対の規則とする彼らがフーディーニの立つ表舞台に姿を現すはずもなく、彼は偽者のイカサマを見破るだけの不毛な日々を送り続けることになる。
そんなある日。
彼は『本物の神秘』と出会う。
会って。
合って。
遭ってしまう。
それはまさしくこの世ならざる【外なる領域】との交信であり──降神でもあった。
一体の邪神がいた。
それは封印されし同胞達を解放するという役目を負ってこの世に生み落とされていたものの、その企みを歓迎しない者たちによって北極に封印されていた。
その邪神は封印からの脱出──即ち現世への降臨を望んでおり、封印を解く鍵として白羽の矢が立ったのが当時のアメリカどころか人理全体を見渡しても【脱出】において右に出る者がいないフーディーニであった。
深淵を覗かんとしていた彼は、深淵から覗かれていたのである。
こうして邪神と奇術師の接点(コンタクト)は作られた。
もしもそのまま事が進んでいたら彼は狂気に呑まれ、邪神の【脱出】を幇助し、ゆくゆくは現世に数多の邪神が降り立っていただろう。
だが歴史が示す通り、そのような惨劇(コズミックホラー)は起きていない。
未然に防がれたのだ。
それはフーディーニが持ち前の屈強な意志で邪神の誘惑に打ち勝ったからというのもあるが──当時、彼と浅からぬ親交があった【とある怪奇小説家】の助力も要因のひとつだったという。
とはいえ一度結ばれた縁が消えるはずもなく、英霊の座へと押し上げられたフーディーニはサーヴァント・フォーリナーの霊基を獲得している。
というより、フォーリナーの適性しかない。
仮に彼が基本クラス七騎のいずれかで召喚された場合、サイキックハンターとして数多の神秘を否定してきたという逸話と、神秘そのものであるサーヴァントとして召喚されたという事実によって自己矛盾を起こし、霊核に致命的な崩壊が生じるからだ。
だから彼は邪神の神秘が混ざって『フーディーニ』としての純度が下がった霊基──あるいはもうひとつあるという別バージョンのフォーリナーの霊基でしか、まともに現界できない。
別バージョンのフォーリナーで召喚される際はアラビアンな旅行者の装いになり、揮う邪神の権能も変わるんだとか。おそらく俗に言う水着霊基に近い。
【外見・性格】
鍛え上げられた体躯。囚人服めいた縞柄のスーツ。金属製の鎖と錠と重りで全身を拘束している。黒革のアイマスクを着けていて、右目があるであろう位置には常に灰色の炎が灯っている。
自信に満ちた表情と口調はまるで舞台に立つエンターティナーのようであり、人によってはその言動から胡散臭さを感じそうになる。しかし彼の心の奥底には目標に向かって邁進する熱意と厳格さがあり、肉体と同じく精神も強靭である。
【身長・体重】
188cm/92kg
【聖杯にかける願い】
母との交信を求めていた生前ならいざ知らず、英霊になった今は無い。
観客(マスター)の期待に応えて、見たいものを見せるのが己の為すべきことだと考えている。
この霊基でいると、【極地からの光】が頭の片隅で「出して出して普段やってるみたいにちょびっとした脱出じゃなくてもっと完全に出して早く早く早く君ならやれる」と煩いので嫌になるのだが、間違っても邪神の完全解放を聖杯に託さないよう気をつけている。「んなことなったら生前の苦労がパァになるし、【あの猫好きの作家】にも申し訳ないからな」とは本人の談。
【マスターへの態度】
観客(マスター)。
生前自分があれだけ探し求めていた本物のオカルティストがどこにでもいそうな子供だったことにやや驚いている。
召喚直後に少年が口にした言葉に強いシンパシーを感じており、何かと肩入れしがち。
【マスター】
依良籠野幹/Irakago Nomiki
【性別】
男性
【年齢】
17
【属性】
中立・善
【外見・性格】
色素が抜けてやや赤みがかった短髪。ひょろりとした体格(マッシブなフォーリナーと並ぶとその貧相さがより際立つ)。目元に濃い隈と真っ赤な泣き跡があり、しばらく取れない。
優しくて気が弱く、涙脆い性格をしているが、その一方で「これ」と決めたら曲げない芯の強さも併せ持つ。
【身長・体重】
170cm/56kg
【魔術回路・特性】
質:E 量:B
特性:生命
【魔術・異能】
依良籠家は長い時間をかけてあらゆる生命とその魂を解析した末に【魂そのものの生命体化】──すなわち第三魔法を実現し、根源到達への足掛かりにしようとしていた。しかし連綿とした歴史の中で徐々に勢力が衰え、野幹の父の代には廃業を視野に入れるまでになっていた。
数代前の依良籠の人間なら錬金術を応用した合成獣(キメラ)の作成や死骸を用いての死霊魔術(ネクロマンシー)、蝶魔術、致命傷レベルの治癒魔術などが可能だったかもしれないが、先細りの末裔にあたる野幹にそのような術技が可能なはずもなく、精々
・動物との意思疎通
・動物の操作
程度になっている。
一応、人間も【動物】の範疇なので念話や暗示の対象にならなくもないのだが、精神構造が単純な小動物相手の場合と比べると成功率は低い。
【備考・設定】
凋落していった魔術師の家系・依良籠。その一人息子。
父親は家の現状を憂いてはいたものの諦念も抱いており、野幹に自分と同じ道を歩むことを強制してはいなかった。野幹にとっての父は「魔術師を名乗って怪しげな研究に没頭しているけど、優しい父さん」だった。
しかし父は心のどこかで己が辿る【運命】を受け入れられなかったようであり──その想いが彼を【聖杯戦争】の舞台へと導き。
そして。
〈はじまりの六人〉のひとりにしてしまう。
【1回目】の記憶を持つ父は、野幹が知るものとはまるで違っていた。
魔術師としての使命は頭から消え失せ、家族など顧みず、頭にあるのは【神寂祓葉】の四文字だけ。
「人間離れした怪物である彼女と並び立つには自分も人間を辞めなければならない」という結論に至った父は狂気のままに人間性を放棄。愛や道徳や葛藤といった人として当たり前の感情──それは本来なら魔術師を志す際に捨てておくべきものだったのかもしれない──を擲つと『強力なサーヴァントの召喚に必要な触媒を作る為』という理由で妻を窯に焚べる。その際に野幹は強く反対したのだが、魔術師として己の一枚も二枚も上手を行く父を止められるはずもなく、逆に無力化されてしまう。その後、彼は依良籠家の工房にある実験動物用の檻に入れられ、『有効活用』の時を待つだけの身となっていた。
【聖杯にかける願い】
父さんが狂う前の平穏な日常を取り戻したい──が、誰かを踏み台にしてまで願いを叶えるのは間違っている。
今の野幹はただ、父を狂わせ、家庭が崩壊する原因になった【神寂祓葉】との対峙が自分の役目だと考えている。
その対峙が叶った時、彼はどうするのか?
怒りのままに糾弾するのか、憎悪のままに襲いかかるのか、何もできずに怯え泣くのか、それとも──
【サーヴァントへの態度】
自分を檻から救い、とっくに壊れていた父さんに引導を渡してくれた王。
感謝の念が尽きない。
投下終了です
投下します。
――都内某所、深夜。
廃棄された町工場の一角で、怪しげな儀式を行う三人組の姿があった。
床には丸い魔法陣が描かれ、揺れる蝋燭の光だけがあたりを照らす。
魔法陣の真正面には、何に使うものやら、一抱えほどもある巨大なガラス瓶。
瓶の中には肌色の肉の塊が浮かぶ。
魔法陣を取り囲むように立つ、フード付きのローブを来た人影は、一心不乱に何かを口の中で唱えている。
やがて――魔法陣の中央から、静かに光があふれだす。
一本、二本と細い光の筋が伸びたかと思えば、またたく間に光の筋が増え、あたりを照らし尽くして……
光が晴れた時には、魔法陣の中央に、何やら黒い人影が立っていた。
「……あー、こいつは何だ、要するに儀式で『召喚』されたってことか」
こきり、こきりと肩を鳴らしながら、黒い人影はぼやくようにひとりごちる。
全身タイツのような黒一色の服に身を包む、引き締まった体躯の中年男性である。
顔には髑髏を模した仮面。仮面の下半分からは、無精髭の生えた口元が覗いている。
仮面の男は周囲を見渡して、三人の魔術師を順番に見て、そして首を捻った。
「こういう時は『お約束』を言わなきゃならねんだろうなあ。
問おう、お前が俺様のマスターか? ……………………って、あれ??」
再び三人の魔術師の姿を、何かを確認するように順番に見る。
そして仮面の男の視線は、三人ではない所で止まる。
魔法陣のすぐ隣に置かれていた、巨大な瓶。
正しくは……その中に浮かぶ、胎児のような小さな人影。
「偉大なる英霊よ、まずは落ち着いて話を聞いて欲しい」
「貴殿の契約上のマスターは、確かに我々ではない」
「だが、事実上、我々がお前の主でもある。お前の主の、その主であるがゆえに」
三人の魔術師は、抑揚のない声で、順番に発言した。
英霊と呼ばれた仮面の男は、頭痛を押さえるかのようにこめかみに手を当てる。
「……つまり、そこの赤ん坊にしか見えない奴が、この俺様の『マスター』だっていうのか?!」
「理解が早くて助かる、偉大なる英霊よ」
「その瓶の中にいるのは、我らが創造した『ホムンクルス』。知恵と魔力を有した人造生命体である」
「そして我らは、そこのホムンクルスの生殺与奪の権を握っている」
「貴殿も聖杯戦争の召喚に応じたのであれば、抱く願いがあるのであろう」
「早々にマスターを失っての敗退は、望んでいないであろう」
「そうであれば、貴殿にとっても我らの指示に従うのが賢明というもの」
「我らが主人の大願のためにも、貴殿の協力を要請する」
魔術師たちがホムンクルスを造り、あえてホムンクルスがマスターとなる形で英霊召喚をする。
ホムンクルスの生死を握ることで、英霊の指揮権を実質的に魔術師たちが握る。
いささか迂遠なこの状況を前に、髑髏の仮面の英霊は、大きくため息をついた。
「……すまんが、ちょっと混乱している。
少しでいい、考えを整理する時間をくれ」
「よかろう」
「我々としても不本意な契約を強引に結ぶ気はない」
「偉大なる英霊よ、賢明な決断を期待する」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「……おい、いくら考える時間が欲しいと言っても、流石に、」
「あーーーっ、まだ気になることはあるにせよ、だ」
そして唐突に。
いい加減に焦れた魔術師の一人が口を開いたその瞬間に。
英霊はパッと顔を上げた。
やや芝居がかかった仕草で、大きく腕を広げて、そして。
「まずはとりあえず――――お前ら、死んでくれ」
「 」
「 」
「 」
次の瞬間。
魔術師三人の首が宙を舞って。
少しの時間差を置いて、首なし死体が三体、どさり、と床に崩れ落ちた。
いつの間にどこから取り出したものやら、英霊の手には小さなナイフ。
彼はそのまま、大きな瓶の方に数歩、歩み寄った。
「これでいいのかい? 大将よ」
『……感謝する。今のは貴殿の神秘の技か、あるいは宝具か』
「別にそんな大層なもんじゃねェな。単なる力任せ、速度任せの早業だ」
ガラス越しにくぐもった声を響かせたのは、瓶の中に浮かぶ胎児。
上下逆さま、頭を地面の方に向けた姿で、液体の中で揺れている。
ゆっくりと開いた目も、水中にゆらゆらと揺れる細い髪の毛も、どちらも淡く青く輝いている。
先ほど、英霊が長考をする素振りを見せた、その間に。
手短な念話が、両者の間を駆け抜けていた。
――いきなりで悪いが、そこの魔術師三人を、一声も発する間もなく殺すことは可能だろうか?
――本当にいきなりだな。まあ、余裕っちゃあ余裕だが。
――では頼む。今すぐやってくれ。理由は後から説明する。
――もしつまらない理由だったら、お前もすぐに殺すからな?
――構わない。少なくとも退屈させないことだけは保証しよう。
種を明かせば簡単な話。
彼らは堂々と、魔術師たちの眼前で相談をし、そして、意気投合を済ませていたのだ。
「さてそれで、さっきの話の続きだ。なんでまた大将は自分の主人どもの死を望んだんだ」
『主人ではないからだ』
「うん?」
『確かに私を創造したのはそこの三人を含む、『ガーンドレッド』家に属する魔術師たちだ。
だが私は、彼らとは別に、真に仕えるべき主人と遭遇している。
その主人の願いを叶えるためにも、彼ら偽りの主人たちは邪魔だった。だから始末した』
「真の主人、ねぇ……。
瓶からも出られない人造物が、交友関係の広いことだな」
仮面の英霊はいぶかしむ。
短いやり取りの中だけでも、目の前のホムンクルスが自力で出歩くことも難しいことは分かる。
あの魔術師三人が極めて慎重な性格で、例えば飼っているホムンクルスの裏切りを恐れていたのも分かる。
そんな箱入りホムンクルスが、あの三人の目を盗んで、過去にどこかで「真の主人」と遭遇した?
英霊の疑問に、しかし当のホムンクルスは、端的に、しかしとても信じられないような答えを返した。
『二回目だからだ』
「……は?」
『この私、ホムンクルス36号、あるいは個体名『ミロク』にとって、この聖杯戦争は二回目だからだ」
「…………は??」
◇
欧州に古くから根を張る魔術師の一族、ガーンドレッド家。
その性格は、「慎重」の一言に尽きる。
有力な一族のひとつとして、時計塔にも関与している。
しかし派遣されるのは常に分家の末席の人間であって、本家の主人が人前に姿を現すことはない。
時計塔のロードの地位などにも興味を示さず、派閥争いともほぼ無縁。
ガーンドレッド家のことを、野心も貪欲さもない一族だと見る者も多い。
しかしその実、彼らは、その長い手をあちこちに伸ばしている。
特に聖杯戦争のような、ハイリスク・ハイリターンな催しには、可能な限り積極的に参戦している。
そういった時には、さらにワンクッションを置いて、自分たちで創造したホムンクルスを代表に立てるのが常だった。
それも、自分で歩いて動ける、最新の、現代では標準的なホムンクルスではない。
あえて旧式の、旧時代の、瓶から出たら死ぬような、胎児型のホムンクルス。これを多用した。
怨みを買ったり、呪いを受けたりしても、それが本家の主人にまで及ばないようにするための、深慮遠謀である。
そしてそこに監督役となる末席の魔術師たちを数名、同行させる。
ホムンクルスの瓶には魔術的な細工がされており、必要とあらば監督役が即座に破壊し始末することも可能だった。
全ては裏切りや離反を恐れてのことである。
慎重を通り越して、偏執的なまでの護身のやり方。
こんな現場に派遣される末端の魔術師程度では、本家の主人が欧州のどこに居るのかすらも把握していない。
ホムンクルスを扱っている以上、錬金術を修めてはいるのだろうが、それが本家の本当の得意分野なのかどうかも分からない。
さらには、末端の構成員は、本家が根源接続に賭ける願いすらも知らされていない。
ただ、そういった危険に身をさらす、末端の魔術師たちにとっては。
首尾よく成果を挙げれば一族の中での立場が良くなり、本家に近づくことが出来る。
立場が良くなれば、より多くのことが知れるようになる。
そういった応報についてだけは、誠実であった。
「とんでもねぇ一族だな」
『私のようなホムンクルスに対しては、その誠実さすらも無かったがね。
ともかくそうして、彼らは東京で聖杯戦争が行われると聞いて、参加した。私をマスターの立場に置いて』
ホムンクルス36号にとって、前回の聖杯戦争は、途中までは何が起きているのかも分からぬものであった。
英霊を召喚して以降は、ほとんど三人の監督役だけが取り仕切ったのである。
何やら陰湿で迂遠な策を張り巡らせていたらしい。
厄介な他の参加者と、巧みに争っていたらしい。
慎重なガーンドレッド家の常として、守りを重視した方針ではあったようだが、それでも途中までは上手く行っていたらしい。
その日、ホムンクルス36号は、珍しく拠点から搬出され、前線近くの仮拠点へと移送されていた。
36号には鋭敏な魔力感知能力がある。
自身ではほとんど魔法の行使もできない彼だったが、対魔術師のセンサーとしては超一級。
三人の魔術師の策の一環として、何やら彼のその能力が必要となったものらしい。
そして――いったい、どういう偶然か。
慎重にも慎重を重ねた魔術師たちの思惑を超えて。
ホムンクルス36号は、彼の運命と出会った。
『その時、『彼女』は、別に我々の策を看破した訳でも、狙って私を討とうとした訳でもなかったらしい。
何やら大きな争いの中、逃げる必要に駆られて、そして偶然、私が置かれていた仮拠点に侵入を果たした』
「お目付け役の三人は、その争いの方に気を取られてたって訳か」
白い髪。
輝くような笑顔。
自由に無邪気に感情のままに振り回される、その伸びやかな手足。
――ホムンクルス36号? それがあなたの名前? うーん、呼びづらいなあ。
――そうだ、『ミロク』! うん、それがいい! 今日からあなたは、ミロク!
肌に浮かぶ令呪を見れば、こちらが聖杯戦争のマスターだってことは分かっただろうに。
彼女はとうとう、36号に向けて殺意を向けることはなかった。
ホムンクルス36号は、とうとう最後まで、彼女が考えていたことは分からずじまいだった。
――囲まれちゃったね。
――他の助けは、来れないみたい。どうしよう?
そうして何度か会いに来た彼女は、ある時、36号と共に窮地に陥った。
36号、いや、『ミロク』は、迷うことなく、とある策を提案し、そして。
――ごめんね、ありがとう、ミロク!
――君のことは、忘れないから!
望んで囮となった彼を残して、彼の望みのままに、絶体絶命の窮地から脱出した。
身動きの出来ないホムンクルスは、当たり前のように、そのまま殺された。
言ってみれば、彼女のために殺されたようなものだった。
「わかんねぇな。そんなにいい女だったのか」
『私の肉体は男性ではあるが、性的な機能も欲望も備えていない。
我が主人へのこの〈忠誠〉は、純粋に彼女の精神に対して向けられたものだ』
「……分かんねぇな」
『貴殿も彼女と会えば分かるだろう。この世には上に立つために生まれた存在があるということを』
死んで、蘇って、この二度目の機会。
ミロクは今や正しく理解していた。
自分が脱落した後の聖杯戦争のことは何も分からなかったけれども、直感的に理解していた。
彼女は聖杯を勝ち取ったのだ。
そしてその聖杯で、この二度目の聖杯戦争を望んだのだ。
ミロクたちを蘇らせ、新たな世界を創造してまで、続きを望んだのだ。
現時点では彼女からミロクたち「前回の参加者」に向けた特別なメッセージなどは来ていない。
ミロクはそれを、「伝える必要がないからだ」と理解した。
彼女は闘争を望んでいる。
再び聖杯戦争をやれと言っている。
ならばやる。
それだけのことだった。
おそらく、ガーンドレッド家の慎重さは、そんな彼女の望みとは合致しないだろう。
知識と経験のある魔術師三人を失うデメリットを理解した上で、ミロクは速攻での始末を決断した。
「……大将は誰に仕えるべきなのか、何をするべきなのか、分かっているって言うんだな」
『貴殿は分からないとでも言うのか? ハサン・サッバーハともあろう者が』
「おお、俺様の真名が分かるのか。それも大将の魔力感知とやらかい?」
『ただの知識だ。アサシンのクラスでその仮面となれば、他に候補はなかろうよ。
もっとも、何代目の何というハサンなのかは分からないのだが』
瓶の中のホムンクルスの言葉を受けて、仮面の英霊の口元に笑みが浮かぶ。
どこか自嘲めいた、皮肉げな、複雑な笑み。
彼は仰々しく瓶の前に膝をつくと、舞台役者の如く名乗りを上げた。
「そういえば名乗りが遅くなっちまったな、敬愛すべき我が主人よ。
俺様は、『三代目』の『ハサン・サッバーハ』。
またの名を、『継代』のハサン。
しがない暗殺教団のまとめ役をやっていた男だ。
以後、お見知りおきを……!」
◇
「二代目」が「粛清」された時の混乱を、彼は覚えている。
あまりにも偉大な「初代」の後を継いだ、二代目の「ハサン・サッバーハ」。
初代より劣る能力を、ある種の異能によって代替した二代目の下で、暗殺教団は成長の途上にあった。
彼は、初代と二代目の間でどういう引継ぎがあったのかを知らない。
何かの雑談の折に、二代目すらも初代の姿を見たことがないと聞いたことがある。
ではいったいどういう形で継承が行われたのか。
あまりにも不可解な二代目の始まりは、その日、永遠に尋ねることのできないものとなった。
誰も目撃者のいない空間で、首を切られて死んでいた二代目。
遺された痕跡と書置きから、それが初代による粛清であったことは分かった。
具体的には分からないものの、二代目の行いが初代の意に添わぬものであったことは分かった。
では残された教団はいったいどうすればいいというのか。
初期の暗殺教団は、一瞬にして崩壊の危機に瀕した。
そんな中、二代目に次ぐ実行部隊の実力者として、混乱をまとめ上げたのが彼だった。
彼は三代目ハサン・サッバーハを名乗り、初代と二代目のイメージに己の姿を重ねさせた。
それまであまり整っていなかった組織の改革も行った。
教団の運営をする長老たち。
暗殺術の研究開発を進める研究班。
日々技を磨く暗殺者たち。
これらを整理整頓し、その上に「山の翁ハサン・サッバーハ」が君臨する体制とする。
山の翁は、初代の粛清によって代替わりとする。
先代の山の翁が粛清されたら、原則としてその時点で最強の暗殺者が次の山の翁となる。
こういった、後の時代に当たり前となったシステムを整えたのが、彼だった。
いわば暗殺教団の中興の祖。
彼が居なければ、暗殺教団はもっと早い段階で空中分解していたであろう。
ゆえに贈られた二つ名が『継代』。
代を継ぐ体制を整えた、偉大なるハサンである。
そうして組織をまとめ、なんとか混乱を乗り切り、次代の育成も順調に進みつつあった頃……。
彼は、己の順番が来たことを悟った。
遥か遠くから叩きつけられるように向けられる、あまりにも純粋な殺気。
彼は部下たちに人払いを命じ、全てが終わってから発見されるよう段取りをつけてから、己の運命を待った。
果たして、無人の部屋に、彼の死そのものが、音もなく現れた。
「逃げも隠れも致しませぬ。抵抗も歯向かいも致しませぬ。
ただひとつ、もし聞いていただけるのなら、愚かな自分に賜りたいものが御座います」
自ら首を差し出す姿勢をとりつつ、相手の方も見ず、彼は尋ねた。
「理由を。お聞かせ願いたく」
返事は期待していなかった。
だが、意に反して、地の底から響くような声が、彼に応えた。
《 汝は、仕えるべき相手を間違えた 》
刃鳴りの音すら響かせず、彼の視界が回転した。
首を斬られたことを知った。
最後の刹那に、継代のハサンと呼ばれた男は思った。
(……どれのことだろう?)
あまりにも心当たりが多すぎた。とても絞り切れるものではなかった。
信仰のあり方を間違えていたとでも言うのだろうか?
数多の分派が生まれるように、突き詰めていくと難解なのがイスラム教というものである。
必要悪としての暗殺を生業とするのであれば、その解釈違いというものはいくらでも発生しうる。
世俗の権力に媚び過ぎたとでも言うのだろうか?
組織の改革に伴って、暗殺の依頼主である権力と接近を進めた自覚はあった。
口先だけのつもりではあったが、深い忠誠の言葉を吐いてみせたことだってある。
権力に溺れていたとでも言うのだろうか?
組織再編の過程で、意見を異にするものたちをねじ伏せもした。血も流した。
己自身が山の翁である、皆に仕えられる者である、という増長が無かったと言えば嘘になる。
ヒトとしての欲望に溺れていたとでも言うのだろうか?
妻や子も持ったし、カネや貢物も受け取った。
償いとしての喜捨は十分に行ったつもりではあったが、教団トップとして得たものがあったのは疑いない。
制度を整えることに腐心するあまり、制度の奴隷になっていたとでも言うのだろうか?
こうして抵抗することなく首を斬られたことすらも、彼が明文化した山の翁の定めだった。
あるいは初代すらも顎で使って自己満足に付き合わせたのだと、糾弾されても返す言葉もない。
あるいはまた――その全てか。
継代のハサンには分からなかった。
分からないまま、彼は死んだ。
英霊となってなお、彼は、己が真に仕えるべきものを、分からないままでいる。
◇
女魔術師は長い金髪をなびかせて、校舎の中を必死に逃げていた。
もはや神秘の隠匿も、戦力の出し惜しみも、考えている余裕はない。
中世の物語から出てきたような騎士が、彼女の隣を並走しながら護衛する。
「なんで、こんな、ことに……」
「危ないマスターッ!」
廊下の曲がり角から、坊主頭でユニフォーム姿の野球部員が三人、飛び出してくる。
振りかぶるのは金属バット。
殺意に満ちたその攻撃を、甲冑姿のセイバーが止める。
一本は右手の剣で。一本は左手の盾で。残る一本は避けようもなく、脳天から直撃を食らう。
「セイバーッ!?」
「むうんッ!」
気合一閃、セイバーと呼ばれた騎士が剣を一薙ぎする。
それだけで三人の野球部員は大きく吹っ飛び、壁に激突して動かなくなる。
つうっ、と、兜の下から血が一筋、セイバーの整った顔につたう。
「刃ではなく剣の腹で打った、死んではいないはず……」
「貴方、怪我を……」
「大した事はない。しかし、微弱とはいえ、『神秘を帯びて』いた……どういう術だ!?」
女魔術師たちにとって、この学校は使い勝手のいい隠れ蓑であるはずだった。
東洋人の都に西洋人が居ればそれだけで悪目立ちしてしまう。
しかし、英語教師という肩書きがあれば、一気に自然に馴染んでも見える。
魔術師の一族の縁を使って潜入した、この学校。
沢山いる生徒たちは、万が一の時には肉の盾にも、人質にも、魂喰いのリソースにもなるはずだった。
清廉潔白なセイバーはいずれの手段も嫌がってはいたが、それでも最悪、令呪で押し切れるはずだった。
そんな多彩な用途があったはずの、罪なき学校の生徒たちが。
定時のチャイムが鳴った途端に、唐突に、彼女に対して牙を剥いた。
出会う生徒や教師が、手に手にあり合わせの武器を持って、彼女の命を狙って襲い掛かってきた。
説得の言葉は、一切通じなかった。
「魔術師やキャスターの、広範囲の洗脳術?
いいえ、でもそれなら魔力の気配くらいは察知できているはず……」
「ひとりひとり術をかけていったにしては、あまりに早すぎる……
何より、たとえアサシンだったとしても、そんなことをすれば気づかない訳がない!」
巨大な三角定規を構えて突進してきた数学教師を蹴り飛ばし、弓道部の放つ矢を空中で叩き折る。
どうやら生徒たちは正気を失ってはいるものの、素早さや筋力、耐久力は強化されていない。
ただ、いつの間にか間合いにまで入ってきている。
そして、微小ではあるけれど、英霊すらも傷つける能力を得ている。
「まさか、この物量だけでこの私を倒そうというのか?!」
「いくらなんでも、そんなことは……!」
あまりにも気が遠くなるような、岩に雨だれで穴をあけるが如き企み。
しかしセイバーにとっては雨の一粒でも、マスターである女魔術師が一回でも受ければ命に係わる。
どこか単調にもなりつつあった攻撃を、セイバーが受け止め、凌ぎ、殺さないように反撃して……
少し背の高い、文学少女といった風の女生徒が、分厚い本を振り上げて襲ってくる。
女魔術師には見覚えのある生徒だった。何度か質問に来ていた、真面目な優等生だった。
咄嗟にセイバーに、殺さないよう声をかけようとして、
スパッ。
「……え?」
兜に包まれた頭部が、宙に舞っていた。
セイバーの頭だ。
伝説に彩られた、神話と歴史の狭間に生きた、騎士の頭だ。
少しの時間差を置いて、首を失った甲冑姿の騎士の身体が、その場に崩れ落ちる。
「……悪いな。
真面目にやると面倒な相手だったんで、チンケなペテンにかけさせて貰ったぜ」
文学少女の口から、中年男の声が漏れる。
片方の手には、分厚い本。
もう片方の手には……小さなナイフ。そんなものはさっきまで持っていなかった。
声も出ない女魔術師の眼前で、文学少女の姿がぐにゃりと歪んで……
そこに立っていたのは、全身タイツのような服に身を包んだ、髑髏の仮面の暗殺者。
「ウチの大将は訳あって引き篭りでね……伝言で失礼するぜ。
『貴殿には悪いが、我が主人の望みのために、死んで頂きます』、だってよ」
次の瞬間、女魔術師の視界が回転する。
一回転して初めて、己の首も斬られたことを知る。
彼女たちの聖杯戦争はここで終わりで。
最後の刹那に、彼女は心底どうでもいい疑問を抱く。
こいつらの言う『主人』って、いったい、誰のことを言っているのだろう?
洗脳装置。
統べるは、無垢。
〈はじまりの六人〉。
抱く狂気は〈忠誠〉。
ホムンクルス36号、あるいは『ミロク』。統べるサーヴァントは、暗殺者の伝説。
【クラス】
アサシン
【真名】
ハサン・サッバーハ
もしくは継代(けいだい)のハサン
【属性】
秩序・悪
【ステータス】
筋力:C 耐久:D 敏捷:A 魔力:D 幸運:C 宝具:D
【クラススキル】
気配遮断:A+
アサシンのクラススキル。自身の気配を消す能力。
完全に気配を断てばほぼ発見は不可能となるが、攻撃態勢に移るとランクが大きく下がってしまう。
諜報:A+
気配を遮断するのではなく、気配そのものを敵対者だと感じさせない。
親しい隣人、無害な石ころ、最愛の人間などと勘違いさせる。
直接的な攻撃に出た瞬間、効果を失う。
通常このスキルは気配遮断の入れ替えとするか、さもなければ、これを持つことで気配遮断のランクが著しく落ちることになる。
他に例を見ない、双方高レベルな気配遮断と諜報のコンボによって何が起きるかというと……
彼は、他の英霊や、ステータスを見る権限を持つマスターの前であっても、己が英霊ではないかの如く装うことができる。
ごく普通の、背景の一般人の一人であるかのように誤認させることができる。
そしてそう誤認させた上で、自然体でどんな場所にでも潜り込むことができる。
【保有スキル】
仕切り直し:B
戦闘から離脱、あるいは状況をリセットする能力。
後述する宝具とのコンボによっては、あまりにも厄介な展開を引き起こしうるスキル。
プランニング:A
対象を暗殺するまでの戦術思考。
僅かな手がかりから、守備側の思惑や行動のクセなどを高いレベルで推測することが出来る。
変化(潜入特化):B
文字通りに「変身」する能力。自在に姿を変え、暗殺すべき対象に接近することが可能。
ある程度の背格好の変更すら可能であり、極端な体格差でなければ(およそ身長155cm〜185cmの間なら)自在に姿を変えられる。
特定の人物に成りすますことも、異性に姿を転じることも可能。
ただし外見を変えられるだけであり、能力は変わらない。
【宝具】
『奇想誘惑(ザバーニーヤ)』
ランク:D 種別:対人宝具 レンジ:1 最大捕捉:10000人
「我が意を受けて走れ、無垢なる傀儡ども――『奇想誘惑(ザバーニーヤ)』」
無関係な一般人に催眠をかけ、暗殺者に仕立て上げる宝具。
継代のハサンが至近距離で相手と目と目を合わせることにより、一瞬でこの宝具の影響下に置くことができる。
令呪を有するマスター、および英霊は直接この催眠の対象に取ることは出来ない。
対象は、催眠時に与えられた命令に忠実に従う。
この命令は基本的に誰かを攻撃することと、そのための準備に必要なことしか命令できない。
大抵の場合、包丁や金属バットなど、身近にある凶器を手にして対象を襲うことになる。
いきなり襲い掛かるばかりではなく、タイミングを揃えるなど多少の小細工を弄することもできる。
影響下の者は、「ランクD」相当の「気配遮断」スキルと、英霊換算で「筋力E-」相当の「神秘を帯びた」攻撃力を得る。
何らかの事情でそれ以上の能力を有しているのならば、それはそれで維持される。
このランクの気配遮断でも、通常は攻撃の間合いに入ることくらいは出来る。
なお耐久力や敏捷性には補正がかからないため、大抵は一回攻撃を繰り出せればよい方であり、大抵は反撃で無力化される。
洗脳されている、と看破さえできれば、魔術的にそれを解除するのもそう難しくはない。
他の英霊を倒そうとするにはあまりにも貧相な攻撃であり、ゆえに宝具の評価もD相当。
だが、この宝具の真価は最大捕捉数にある。
発動に必要な魔力量も極小であり、魔力のパラメータの低い継代のハサンでも気兼ねなく乱発することが可能。
周囲に一般人がいる限り、いつどこから誰が襲ってくるかも分からない、ほぼ無尽蔵の人海戦術。
一撃ごとの威力は極小でも、無視できない蓄積によって神話の英雄すら倒しうる攻撃。
そしてそれを振るうのは罪なき一般人であり、英霊の性格によっては火の粉を払うのも躊躇われることになる。
ましてやこれが、アサシン運用の定石である、マスター狙いで振るわれた場合の脅威は計り知れない。
さらにここに、無力な一般人を装った、継代のハサン自身が混じって攻撃に参加することすらありえる。
筋力E-相当の攻撃を想定している所に不意打ちで筋力C敏捷A相当の攻撃が来れば、これは十分に英霊の命も奪いうる。
あるいはそれを看破し防いだとしても、彼は「仕切り直し」て再び一般人の群れの中に潜伏してしまう。
【weapon】
小ぶりなナイフ。投げてよし、刺してよしの使いやすい凶器。これを彼はどんな所にでも隠し持って入ることができる。
ただし彼はその基本装備に拘ることはなく、現地調達できるものは何でも頓着なく使い、何であっても使いこなす。
【人物背景】
謎に満ちた暗殺教団を統べる山の翁、その歴代ハサン・サッバーハの三代目。
暗殺教団の中興の祖にして、教団の組織を整えた者。
あまりにも偉大過ぎる伝説を残しつつ去った初代、異能をもってそれに代わる力とした二代目。
しかしその二代目が初代によって処刑され斬首された際、初期の暗殺教団は崩壊の危機に瀕した。
二代目の行いが初代の意に添わなかったのは分かる。
では、残された者たちはどうすればいいというのか。
混乱の中、それでも当時一番の実力者であった彼が皆をまとめ、三代目の山の翁を名乗り、組織を再編した。
組織運営、暗殺術開発、実行部隊である暗殺者たちを、それぞれ整理して。
そしてその頂点に、山の翁ハサン・サッバーハが君臨する。
山の翁は、初代の手による処刑によって代替わりする。
先代が処刑された時点で最も優れた暗殺者が、年齢や性別を問わず、次代の山の翁を襲名する。
こういったシステム面を改めて整えたのが、三代目ハサン・サッバーハ、またの名を「継代」のハサンであった。
彼が居なければ暗殺教団はもっと早い時期に崩壊していたことだろう。
彼の二つ名は、まさに「代を継ぐ体制を整えた」その功績から贈られたものである。
彼はまた一方では、暗殺教団についての俗説の元となった能力の使い手でもあった。
「暗殺教団は一般の若者を大麻を使って惑わし、快楽を教え、その快楽欲しさに暗殺に従事するように仕向ける」
この伝説そのものは虚偽であるものの。
継代のハサンが使う技は、教団とは無関係な者を暗殺者に仕立て上げるという、ある種の催眠能力であった。
正体を隠して暗殺対象の身近にいる一般人に接触し、自由意志を奪い、暗殺を実行させる。
麻薬伝説は、不可解な下手人が捨て身で暗殺を行い、捕縛されれば訳の分からない供述をする姿から生まれたのだ。
最終的に継代のハサンは、一通り教団の態勢を整え、次代の才能を育てた上で、初代「山の翁」の刃によって処刑された。
彼が最後に聞いた言葉は「汝は仕える相手を間違えた」。
しかしそれは英霊の座に上がった後も、彼を縛り続ける言葉ともなった。
初代はいったい、自分が何に仕えていたと断じたのだろう。
おそらくそれは尋ね返すのも野暮なことであるし。
もし再び初代と会うことがあったとしても、回答もなくまた斬られるだけだろう。
それでも彼はその言葉の真意を知りたいと思ってしまった。
人生の答え合わせを、継代のハサンは望んだ。
【外見・性格】
髑髏の仮面を被った中年男。仮面の下半分からは無精髭の生えた口元が覗く。引き締まった体躯で、やや猫背。
仮面を取る必要がある場合、野生的な印象で眉の太い男の顔が出てくる。
ただし変装の達人でもあるため、それが彼の「真の姿」であるかどうかは誰にも分からない。
あくまでその姿は、暗殺教団の長として、身内の関係者に分かりやすいように見せていた「普段の姿」でしかない。
一人称は俺様、自信満々でどこか芝居かかった言葉や身振りを好むが、これも意識的に作る「普段の姿」である。
【身長・体重】
171cm/72kg (普段の姿)
【聖杯への願い】
自身が初代「山の翁」に殺されたときに言われた、「汝は仕える相手を間違えた」。
その言葉の真意を知りたい。
可能性はいくつか思い浮かんでいるし、その全てを含有しているのかもしれないが、それでも確かめたい。
聖杯で初代様を呼び出して聞く? やだよ、また同じこと言われてそのまま殺されるに決まってるじゃん。
答えだけ直接知りたいの。
野暮だってことは自覚がある。
【マスターへの態度】
危うい主人。
能力面においてはクセが強いが、かなりのアタリ。
ただし最後まで勝ち残る気がどうにも希薄で、聖杯戦争のパートナーとしてはやや困った相手。
「前回」のように、彼の「主人」とやらのために自己犠牲をやられたらたまったものではない。
このまま変わらないようであれば、どこかでコンビ解消と相棒の乗り換えも考えねばならないかもしれない。
【名前】
ホムンクルス36号/ミロク
【性別】
男
【年齢】
0歳6ヵ月(知的活動のできるホムンクルスとして完成してから)
【属性】
混沌・悪
【外見・性格】
大きな瓶の中に入った胎児の姿をした旧式のホムンクルス。
人間で言えば妊娠9ヵ月ほどの胎児に相当し、見た目としてはもうほとんど赤ん坊に近い。
唯一ヒトと異なるのは髪の色と瞳の色で、どちらも淡く青く発光している。
瓶の中で器用に回転することもできるが、主に頭を下にして浮かんでいる。
令呪は右の尻肉に刻まれている。
彼が入っている瓶は、ちょっとした強化ガラス並みの強度はあるが、脆いものであることは間違いない。
瓶の中は魔術的に調合された人工羊水で満たされている。
瓶の口近くは細く狭まっており、コルクの栓を開けたところで彼の身体は外に出ることは出来ない。悪意あるボトルシップ。
瓶の外に出られるのは瓶が割れた時――すなわち、彼の死が確定した時だけである。
【身長・体重】
45cm/2.5kg (本体のみ、瓶や人工羊水抜きの数値)(推定値)
80cm/12kg (瓶や人工羊水込み)
【魔術回路・特性】
質:A+ 量:E-
造物主の手により、あまりにも異様なパラメータになるように狙って造られている。
この結果、彼は誰よりも魔術に精通し、高い魔力感知能力を持っていながら、自ら魔術を行使することはできない。
【魔術・異能】
超高性能な魔力感知。
彼は瓶の中に坐したまま、半径数キロ圏内の、魔力を有するものの動きを手に取るように理解することができる。
つまり彼の周囲では、魔術師や英霊の類は、基本的に隠れることが出来ない。
もし魔術や神秘の力を行使する者があれば、大まかな魔術の系統や、行った術の大雑把な目的を把握することもできる。
これらの分析は近づけば近づくほど精度が上がり、より正確な情報を確保することができる。
至近距離であれば、結界の類などの分析も出来てしまう。
その一方で、彼自身が持つ魔力量の極端な少なさから、ほとんど積極的な魔術の行使はすることが出来ない。
魔術の知識は豊富で多岐に渡るが、それらはすべて敵の分析に費やされることになる。
【備考・設定】
欧州の魔術師の一族である、ガーンドレッド家に造られた旧式のホムンクルス。
他の家では既に瓶から出て人間のように過ごせるホムンクルスを実用化しているのだが。
このガーンドレッド家ではあえて古典的な、瓶の中でしか生命を維持できないホムンクルスを多用している。
時計塔ではあまり目立たないようにしている一族ではあるが、家の規模は大きく、歴史も古く。
極めて慎重に、本家の当主は表に出ることなく、何かあれば広く抱えた分家の者を派遣するのが常だった。
その偏執的な慎重さは、臆病と評しても間違いではない。
さらに、聖杯戦争のようなリスクのある催し事にも積極的に首を突っ込んでいくのだが……
それらの際には、さらに慎重に、使い捨てのホムンクルスを代理で矢面に立たせる。
あえて旧式のホムンクルスを多用するのも、彼らには造物主を裏切ることが出来ないからに他ならない。
一回目の聖杯戦争でも、二回目の聖杯戦争でも、彼らは分家の人間を三人と、ホムンクルス一体を派遣した。
英霊と契約を結びマスターとなる役目はホムンクルスに任せ、間違っても災いが本家に及ばないよう配慮した。
一回目の序盤では、三人の魔術師が主導権を握って深慮遠謀を巡らしていた。
しかしある時、魔力探知のために前線近くに出てきていた36号と、神寂祓葉が偶然にも遭遇。
『ミロク』の名を貰い、一瞬にて祓葉の虜となった36号は、すぐさま魔術師三名を謀殺し、祓葉に忠誠を誓った。
その後すぐに彼は祓葉を守るために自ら志願して囮となり、他の参加者の手によって殺された。
実質、神寂祓葉のせいで死んだようなものである。
今回の第二次聖杯戦争においては、彼はサーヴァントが召喚された途端に三人の魔術師を裏切り、抹殺した。
自由を得た彼は、神寂祓葉が望んでいるであろうことを推測し、聖杯戦争に積極的に参加する道を選んだ。
洗脳装置。
統べるは、無垢。
〈はじまりの六人〉。
抱く狂気は〈忠誠〉。
ホムンクルス36号、あるいは『ミロク』。統べるサーヴァントは、暗殺者の伝説。
【聖杯への願い】
なし。
仮に何かの間違いで手中に入った場合、そのまま神寂祓葉に捧げる。
万が一にも神寂祓葉が途中で死亡した場合、迷わず聖杯の獲得に向けて動き、その奇跡を用いて神寂祓葉を蘇らせるだろう。
【サーヴァントへの態度】
使える能力を持っているサーヴァント。
ただし、ミロクが神寂祓葉に捧げる忠誠に、不信感を抱いているのは勘づいている。
彼も実際に神寂祓葉に会えば考えを変えるだろうと思っているが……。
【備考】
ハサン・サッバーハの初代〜三代目までの流れ、および継代のハサンの設定は当企画のために造られたオリジナル設定です。
今後の公式の展開によっては、矛盾する点が出てくる可能性があります(投下時は2024年6月末)。
その場合、「こういう経緯を取った並行世界もあった」程度にお考えいただけると幸いです。
投下終了です。
wiki収録などに際しては、英霊の真名は「継代のハサン」でお願いします。
投下ありがとうございます!
>光と共に幽閉されて
奇術師のサーヴァントが極地に幽閉された邪神を"脱出"させるという発想、あまりに天才的過ぎる。
六人枠をこうして活用してくるのも新鮮で、何から何までアイデアの冴えに圧倒されてしまった印象です。
フォーリナーというキワモノを引いているとはいえ、彼にとっての運命はここから始まるのだなあ……としみじみ。
投下ありがとうございました!
>仕えるべきは
オリジナルハサン! やっぱりFateのこういう二次創作となると欲しくなりますよね、新ハサン。
そしてまたひとりあの子の犠牲者(ファン)が。忠誠、忠誠かぁ……なるほど確かにこのタイトルにもなる。
継代の死因といいミロクの過去といい、主従間で要素が絡み合って際立たせてくるのが上手いなあ、と思いました。
投下ありがとうございました!
自分も投下させていただきます。
路地裏に、血の花が咲いていた。
壁に凭れてぐったりと項垂れている男の顔は、今や丸めたティッシュペーパーのようになっている。
胸が上下していることから生きてはいるようだが、しかしまず間違いなく無事とは呼べないだろう。
そんな男の姿を見下ろしながら、金髪の男がつまらなそうに唾を吐き捨てた。
これほどの侮辱を受けても身じろぎひとつする様子がなく、歯の抜けた口をひくつかせるのみな辺り、やはり人事は不省であると見ていい。
ゆらり、と身を揺らして。少し離れた位置で惨劇を見つめる、高校生ほどに見える少年の方に目を向ける。
「またちょっかい掛けられたら連絡しろ」
「は……はい! あの、ありがとうございました、周凰さん!!」
血の滴り落ちる拳。
武器のひとつも用いずに、周凰と呼ばれた青年が殴り壊した男は某暴力団組織に籍を置くチンピラだった。
ヤクザがカタギに手を出すのはご法度、なんて話はもはや銀幕の中だけのお約束に成り果てて久しいが。
その一方で、逆は変わらず法度のままだ。カタギがヤクザを打ち負かせば、面子を潰された側は鼻息を荒げて報復に来る。
だから、どんな不良もヤクザには手を出さない。
その場では勝てても、後で必ず厄介なことになるからだ。
腕自慢の不良など、所詮本職の残忍さと狡猾さの前では役に立たない。
少しでも裏社会の道理を知る者なら、それこそ高校生のガキでも知っている話である。
だからこそ、周凰がそれを知らないはずはなかった。
資金と勢力、そして人望を有する半グレの大物。
そんな彼が、考えなしに面倒を起こすなど"らしくない"にも程がある。
「あ、あの……。泣きついた身で言うのも何なんですけど、周凰さんは大丈夫なんですか」
「何がだ?」
「いや、その……。そいつ、ヤクザ者ですし……。いくら周凰さんでも、本職に手出したらマズいんじゃないのかなって」
「部屋住みのチンケなヤクザにイモ引いてちゃ務まるもんも務まらねえだろ。カエシに来んならその時はその時だ」
路上に屯して、非行という名の逃避を繰り返している不良少年たち。
彼らにあえて薬を流し、売人の片棒を担がせた上で"ウチのシノギで大変なことしてくれたな"と詰める。
そうして多額の金銭を要求し、女は風俗に沈める。何ともあくどいが、特に珍しくもない手口だった。
それでにっちもさっちもいかなくなった少年のひとりが、その界隈でも名の知れ渡っていた"先輩"に泣きついた。
その"先輩"こそが、周凰であった。
オールバックの金髪に黒のメッシュを入れ、両腕に双頭の龍――内の片方は首がない――を彫り込んだ男。
屈強ではあるが無骨ではない。見た目、佇まい、立ち振る舞い、すべてに華がある。
面倒見がよく、羽振りもよくて喧嘩も強い。"こうなりたい"と思わせる魅力が、周凰という男にはあった。
そしておまけに、これだ。自分が絞り出した心配も、力強い一言で切り捨ててくれる。
「ただまあ、お前らは不安ならしばらく溜まり場変えとけ」
また今度メシ行くぞ。
そう言って、ジャケットを翻し。
自分が恐喝で搾り取られた金額よりも高いだろうスニーカーで、血溜まりを踏みしめて去っていくその背中。
格好いい、と素直に少年はそう思った。
いつかこの人みたいになりたい、心からそう思った。
周凰狩魔。
半グレグループ〈デュラハン〉のリーダーにして、不良たちのカリスマ。
強さ、金、人望、そして人脈――そのすべてを併せ持った都会のギャングスターである。
◇◇
『お前、まだ不良なんてやってんのか?』
『悪いこと言わねえからさ、もういい加減足洗った方がいいぞ。どうせいずれ捕まるか、ヤクザの食い物にされるかのどっちかだ』
『お前も知ってんだろ。今は半グレでも準暴力団だとか何だとか、そういう区分で規制される時代だ。
もう不良じゃ食っていけねえよ。フツーに就職して、飲み会で上司の愚痴聞いて、そんでいつかフツーに家庭持つ。それが一番だ』
『ああいうのはさ、ガキの遊びでやるのが一番ちょうどいいのよ。大人になるとどうしてもよ、素直に楽しんじゃいられなくなんだろ?』
『俺らの族ももう解散しちまったんだ。そろそろ夢から覚めてもいいんじゃねえのか、なあ――周凰』
◇◇
眠らない街、東京。
そこにはいくつもの暴力団組織がひしめき合ってしのぎを削っている。
暴排法が整備された今、ひと昔前の映画のようにド派手な銃撃戦などはまず見られないし。
ヤクザに幻想を抱けなくなる程度には慎ましくせせこましい、そんな暮らしを余儀なくされているのが実情だったが――とはいえ、ヤクザはヤクザだ。
反社会組織の代表格であり、ジャパニーズマフィアとも呼ばれる彼らへ不用意に喧嘩を売れば、良くて人生が破滅。
最悪の場合なら人知れず山奥なり海なりに消えることは間違いない。ヤクザがメンツを大事にする生き物だということは、今も昔も不変だ。
ではなぜ、報復というものが起こるのか。
そう問われたなら、周凰狩魔はこのように答える。
"そいつのやり方が中途半端だったから"、だと。
やるのならば、何事も徹底的でなくてはいけない。
報復なんて考えられないくらい徹底的に、芽を摘むだけでなく根まで引き抜いて千切ってしまうのがいい。
アリの巣に殺虫剤を突っ込んでも生き残りは一匹二匹生まれるかもしれないが、溶かしたアルミを流し込めば根絶やしにできる。
周凰は、それを実践できる男だった。だから彼はこの魑魅魍魎が跋扈する東京で、若年ながらに裏社会の大物(スター)など張れているのだ。
「かねてから思っていましたが、狩魔。あなたは僕のことを体のいい殺戮兵器だと思っていませんか」
「違うのか?」
「ううん清々しいまでの不敬不遜。僕にそのような口を利く輩、ましてや無神論者の罰当たり者など久しく見ていませんよ」
「キリストも流石に、お前みたいな人殺しには罰を当てるか悩んでると思うよ」
昼間、後輩に頼まれて殴り倒したチンピラの所属する暴力団組織。
その事務所の中で、我が物顔で冷蔵庫を漁りながら周凰はひとりの青年と会話をしていた。
金髪碧眼の白人だ。線の細い美男子、という概念を突き詰めたような、まさに絶世の美男である。
だが彼の右手には、どういうわけか自ら淡く発光している……、光そのものにすら見える、奇怪な十字架が握られている。
いや、違う。これは剣だ。十字架に刃を搭載し、不遜なる異教徒と魔性、神の敵を地平線の果てまで打ち払う罰の剣。
鏖殺の十字架(ホーリークロス)。そういうものを握った青年の身体は、今しがた斬り殺したヤクザたちの返り血でひどく汚れていた。
「君だから赦している。少しはその寛大に報いてほしいものです」
ゴドフロワ・ド・ブイヨン。
それが、青年の真名である。
そしてこの名を知り及ぶ者がいたのなら、即座にこの状況に戦慄するだろう。
第一回十字軍における指揮官のひとりにして、恐るべき勇敢さを宿した狂おしく敬虔な男。
無数の勝利を積み重ね。無数の犠牲を、ひとつとして慮らず。
あまねく異教徒の屍の先にて、聖地へ至る。
それでもなお王の座を固辞し、神への信仰を一切揺るがさなかった生粋の〈神の使徒〉。それが彼だ。
そのゴドフロワが、無神論者を公言する黄色人種の男にあろうことか信奉する神の名を出され揶揄されている。
即座の粛清に走られても何ら不思議ではない状況だ。にも関わらずゴドフロワは、周凰という男に小さく嘆息するだけだった。
「一本、いただいても?」
「カトリックって煙草吸えんの?」
「曖昧ですね。ただ、過度でなければ特段咎められてはいません」
「適当だな。意外と緩いのか」
「神の御心は広いのです。……ああ、どうも」
ソファに腰を下ろし、周凰の隣で指をぱちん、と鳴らす。
それで火が点き、バニラの匂いがほのかに宿った紫煙が立ち昇った。
「銘柄は」
「キャスター。タールは5ミリ」
「まあ聞いたところで知らないのですが。ずいぶんと軽いのですね」
「重たいのはどうしても臭くてな。煙草は好きでも、煙草の匂いは嫌いなんだよ」
そう言って、周凰が吸殻を懐から取り出した携帯灰皿に落とした。
殺人現場を通り越して虐殺現場とでも呼ぶべき室内で、一服するふたりの偉丈夫。
異常な状況だった。狂おしいほどに、此処には倫理というものがない。
「魂喰いとやらはできたのかよ」
「恙なく。あまり上等ではありませんでしたが」
「ヤクザ者なんてそんなもんだ。時代遅れの骨董品なんざ、埃臭いだけで何の旨みもねえだろうな」
「しかしあなたも奇特な方だ。人形相手に人助けをして、その尻拭いにわざわざ目立つ真似をするとは」
ゴドフロワ・ド・ブイヨンは、大義の奴隷である。
彼は目的を果たすためならば、あらゆる過程を厭わない。
虐殺でさえ是とする彼が、魂を喰らう悪魔のごとき行いに顔を顰める筈もなかった。
ましてや相手は極東の無神論者。八百万などというふざけた詭弁で、都合のいい時だけ神の威を借りる貧者どもだ。
殺すことにも喰らうことにも、何ひとつとして躊躇はなく。
結果、鏖殺という周凰のオーダーは恙なく完遂された。
とはいえ、ヤクザの事務所に突撃して皆殺しという選択がクレバーでなかったのは確かだろう。
どうせやるならそれこそ、町中に昼夜問わずうごめいている、いなくなっても誰も気にしないような連中を狙えばいい。
ゴドフロワの指摘はもっともだった。周凰もそれは分かっているのか、無言のまま煙草を喫んでいる。
「後進は育てなくちゃならねえだろ。お前らの宗教じゃ新しい入信者は迫害すんのか?」
「そう殊勝なことを言うタマには見えませんけどね、あなたは」
「そうだな。まあ、否定はしねえよ」
実際、周凰には恐怖以外の感情で従属する人間が多くいる。
カリスマアウトローと言えばチープだが、華々しく面倒見のいい強者は何かと世知辛い現代の裏社会ではひどく目を引く存在だった。
その気になれば人の命など、こうして塵芥のように弑逆できてしまうというのに。
それでも彼の周りにやってくる者たちは、周凰をこれからの裏社会を背負う者とばかりに持て囃し、損得勘定抜きに彼へ傅くのだ。
「ただ、不良って生き物を廃れさせたくないって気持ちは本当だ。
誰かが育てなくちゃ、優しくしてやらなきゃ俺たちの世界は必ず滅びる。
絶滅はしてなくても、危惧種にはなっちまった。俺はその日が訪れないように、せっせと種蒔きに興じてるってワケだ」
「種蒔きとは笑わせる。ゴミ袋に蛆を涌かせているだけでは?」
「それでいいんだよ。俺はこの東京には、ゴミ溜めのソドムであってほしいんだ」
「罪深い思想だ。やはりあなたは悪魔に似ています」
「お前に言われたかねえよ、人殺し」
不良とは、すなわちはぐれ者だ。
社会に迎合できなかった。
居場所がなく、そうなるしかできなかった。
もしくは、あったはずの幸せの平均台から自ら降りてしまった。
周凰もかつては、そういう者であった。
だからこそ、彼らの気持ちが分かるし。
彼らという存在に、想いを馳せてしまう。
それは女々しさにも似た感情で――屈強たる不良界の華には相応しくない、弱さであった。
「十三の頃に父親をブチ殺した」
「それはそれは。穏やかではありませんね」
「クソみたいな奴だったからな。母ちゃんをぶん殴るし、ガキにも平気で手ぇあげる野郎だった。
俺はアイツに玉を片方潰されたし、妹は顔に消えない傷を負ったよ。 ブル
毎月上納金集めるためにあちこち駆け巡って金借りて、子分からも舐められていつも寒がってるチンケなヤクザだ」
周鳳狩魔は十代で少年院に入所している。
父親殺し。中学生が肉親とはいえヤクザ者を惨殺した事件は、一躍話題を掻っ攫った。
被虐待児という同情すべき事情がありながら、彼に重い刑が言い渡された理由はひとえに殺しの残忍さ。
刺し傷の数、百二十。打撲痕、百五十。指はすべて切断され、歯はすべて折られ、眼球は無数の爪楊枝で貫かれていた。
性器を切り取られ、その苦痛に堪えきれずショック死した後も容疑者の少年は死体の損壊を続けた――それは彼の父への憎悪の深さと、秘めたる残酷さの程を物語っていた。
「せめて死に際くらいは華やかにしてやろうと思ったんだ。
あんなクソでも親は親だし、あいつの稼いだ金でメシ食ってたわけだからな。
強がりでも何でもなく、あの時俺はそれがせめてもの親孝行になると信じてた」
「狂人の理屈だ」
「まさしくな。俺も夢から覚めてそう思った。
結局やり方が酷すぎて年少にぶち込まれるし、守った筈の家族からも縁を切られるし散々だ。
いっそ舌でも噛み切って死んだ方がマシかもな、と思ったよ。ただ、ある時ふと気付いちまった」
狂気は、ヒトを変える。
暴力に震える少年を、稀代の殺人鬼の素養に目覚めさせる。
周鳳狩魔はそれを、身を以て体感した。
そして、だからこそ。
「――狂っちまえば、人間って奴は何でもやれるんだってことに」
――――少年は、"これは使える"と気付いた。
気付いてしまえば、成り上がるまでは簡単だった。
「バルブを緩めるみたいなもんだ。
必要な時に必要なだけ、心の中の栓を緩める。
そして狂気を絞り出す。事が終わったら、また締め直す」
少年院でボスを気取っていた不良を倒した。
誰も逆らう者はいなくなった。
若い刑務官を狙って取り入り、幾つかの特権を手に入れた。
そうなればもう、少年院は周鳳にとって居心地の悪い場所ではなく。
いつか社会に戻る時までをゆるりと過ごす、ホテルのようなものになった。
ただひとつ問題だったのは、周鳳は名を上げすぎてしまったこと。
出所してすぐに、彼のもとには数多のヤクザからスカウトがかかった。これはヤクザ嫌いの周鳳にとってひどく不快な経験だった。
「その話は、とても納得できる」
ゴドフロワが紫煙を吐きながら、言う。
狂気をエネルギーとして、必要な分だけ扱う。コントロールする。
狂気に呑まれればもはや成功は見込めない。
だからあくまで道具として、狂気というものを用いる。
その逸出した理屈は、この血塗れの聖騎士にとっても馴染みのあるものだったらしい。
「麻薬と同じです。狂えばどんな凡夫でも稀代の英雄に化けられる。
それに、正気では成せないようなこともできるようになる。何かを成す上でたいへん合理的だ」
「そういうことだ。超人なんて、そう易々となれるもんじゃない」
誰にでも皆、どこかにブレーキが備え付けられている。
理性。良心の呵責。常識。臆病。発想の枯渇。
だから人は、そう簡単には誰かを殺せない。
ならば、逆にそのブレーキさえ外せてしまえば。
人間は、人間のままで簡単に怪物になれる。
利用。当て馬。命の売買。惨殺。虐殺(ジェノサイド)。
女も子どもも斬り殺し、遺骸を踏みつけながら行進することができる。
――ゴドフロワ・ド・ブイヨンもまた、その手段を識っていた。
そうでなければ人間が、鉄風雷火の只中に咆哮しながら踏み込んでいけるものか。
我が子を抱き締め命乞いする母を斬り、腕の中から子を引きずり出して頭を割れるものか。
異教徒だろうと、人は人なのだ。ゴドフロワはそれを知っている。だからこそ彼は狂気を愛し、正気のままに狂戦士だった。
「私はね、今でも異教徒が大嫌いです。無神論者など語るに及ばず。
八百万など馬鹿げた詭弁にしか思えませんとも。
その点で言うとこの国とその民は、ええ。まったくもって反吐が出ますね」
ですが、とゴドフロワ。
隣に座る男は、彼にとって敵でも仮初の主でもなかった。
「あなただけは別だ、狩魔。自分でも驚きなのですが、あなたと話しているとどうにも心が落ち着くのです」
「友達居ねえの?」
「とんと。何せこの性分ですからね、それらしい者は皆離れていってしまうのですよ」
胸襟を開いて話せる、多少の寛容ささえ見せることのできる、友である。
なぜなら彼は、人の身にして自分と同じ境地にたどり着いた同類だから。
狂気を正気で制御して、そうして歩むことのできる男。できてしまう人間。
言葉で記せばチープだが、これは稀有な才能だ。
狂人の真似とて大路を走らば即ち狂人とはよく言ったもので、だいたいの場合真似ている内に"本物"になってしまう。
ゴドフロワは、そういう者達を山のように見てきた。味方にも、敵にも。
「買いかぶり過ぎだ」
しかし周鳳は、稀代の騎士から受けた友誼をそう称する。
「俺はお前が思ってるほど大した人間じゃねえよ。
もっとこじんまりとした、そうだな――情けねえガキさ」
「ほう。理由を聞きましょうか」
「……年少を出た後、俺は暴走族に入った。
最初はヤクザ共の求愛に対する当てつけのつもりだったが、実際入ってみるとこれがなかなかどうして居心地良くてな。
楽しかったよ。今までの人生で一番充実してた、俺という人間の全盛期だった」
――"嫌なこたぁ全部忘れて、俺たちとつるまねえか?"
そう言って自分を誘った先輩の顔を覚えている。
今やもう久しく会っていないし、恐らく今後会うこともないだろうが、心に刻んだ恩義は消えない。
生まれも育ちも違う仲間たちと単車を転がすのは楽しかった。
警察の追跡を振り切って、暴走という一瞬に命を懸けるのは爽快だった。
肩で風を切り、視界の端で軌跡と化すネオンライトを見送るのが好きだった。
こんな時間が、これからもずっとずっと続いていくのだと、無邪気にそう信じた。
そう。あの頃、周凰狩魔は確かに少年だったのだ。
「今はもう誰も"こっち"にはいない。みんなメットを脱いで、単車を降りて、自分の人生に帰っていった」
永遠に続く時間なんて、あるわけもないのに。
疑いもせず信じていたからこそ、少年はそれを受け入れられなかった。
そして彼はただひとり、その道以外の生き方を知らなかった。
幼い頃から暴力が支配する小さな世界で暮らし、それを暴力でもって打破した彼には。
普通に生きるという"当たり前"が、画面の向こうの絵空事のようにしか見えなかった。
「俺だけだ。俺だけが、今もあの日の延長線にいる」
社会を拒絶して。
倫理に唾を吐き。
誰かを食い物にして。
救うべき誰かを、より深く堕とすことでしか救えない。
ままならない現実に抗う代償行為を、不良行為という名の〈暴走〉に見出す。
あの頃のままだ。誰がどう持て囃そうと、周鳳だけは自分の真実を知っている。
「そして俺はきっと死ぬまで、この幼年期から抜け出せない。
あの日被ったメットを脱ぎ捨てて、あの日跨った単車から降りる日が、俺という人間の死ぬ時だ」
最後に心から何かを楽しんだのは、果たしていつのことだっただろう。
不良の世界は時を経るにつれ、静かに変わっていった。
喧嘩が強くたって誰も褒めてはくれないし、何のステータスにもならない。
金を稼げる奴が一番偉い。頭のいい奴が一番強い。
味など何もしない、ただ世知辛いだけの世界だ。
それなのに、今もこの足はかつて極楽だった泥濘みに浸かり続けている。
界隈の不良達の面倒を見てやるのだって、ひとえに過去の残影らしきものを見出しているだけだ。
幼く、若く、まだ世界の現実など知らない彼らの姿は、あの日の自分達に似ているから。
それだけで、それまで。他の何事でもありはしない。
周鳳狩魔は今も変わらず"あの日の少年"で、それ以上でも以下でもないのだと自己評価している。
「俺はお前とは違うよ、ゴドー」
二本目の煙草を揉み消して、静かに立ち上がる。
血の臭いが染み付いた室内に、心は変わらず微塵も動かない。
はじまりのいつかを思わす光景もすっかり見慣れてしまった。
「あなたも難儀な人ですね」
「人のこと言えた義理か?」
「まあいいでしょう。それでもあなたは、私にはひどく非凡に映る」
「そうかよ。なら好きに見てろ」
「そうします。……ああ、現場(これ)どうします? NPCとはいえ警察の追跡は面倒なのでは?」
「ガソリンを用意してある。焼いて消し飛ばしちまえば、二日三日じゃ辿り着かれねえよ」
彼らは狂戦士(バーサーカー)。
理性で狂気を利する、非凡なる戦士。
そしてどうしようもないまでに、ひとりの人間。
炎に包まれていく惨劇の跡に背を向けて、大義の奴隷達が歩き出す。
サーヴァント
【クラス】
バーサーカー
【真名】
ゴドフロワ・ド・ブイヨン
【属性】
秩序・善
【ステータス】
筋力C++ 耐久C++ 敏捷C 魔力B 幸運D 宝具B
【クラススキル】
狂化:EX
正気と狂気の二重思考。理性的に狂気を制御し、バルブを開くように調節してそれを引き出す。
最大でAランクまでの狂化を適用可能だが、当然ランクが高くなるにつれその所業は無慈悲に変わっていく。
【保有スキル】
信仰の加護:A+++
一つの宗教に殉じた者のみが持つスキル。
加護とはいっても最高存在からの恩恵ではなく、自己の信心から生まれる精神・肉体の絶対性。
ランクが高すぎると、人格に異変をきたす。
心眼(偽):B
直感・第六感による危険回避。
虫の知らせとも言われる、天性の才能による危険予知。視覚妨害による補正への耐性も併せ持つ。
大義の騎士:A
命を賭して果たすべき大義に向かう時、本来の数倍もの力を発揮する。
敵が強ければ強いほど、目的達成が困難であればあるほど力を増す不動の大志。
友軍には最大の勇気を。そして敵軍には最大の恐怖を与える、狂気の如き騎士道。
【宝具】
『主よ、我が無道を赦し給え(ホーリー・クロス)』
ランク:B 種別:対軍宝具 レンジ:1〜10 最大捕捉:30人
第一次十字軍が地中から発見した聖十字架、そこに埋め込まれていた木片。
それを核として顕現させた十字状の剣。刀身から聖光を放ち、間合い自在の剣戟で敵を圧倒する。
核が木片であることから、刀身を破壊されることがあろうと核が無事である限り即座に再生可能。
また悪属性のサーヴァント、キリスト教以外の宗教に属する存在、魔性の類に対しては特攻を発揮する。
『同胞よ、我が旗の下に行進せよ(アドヴォカトゥス・サンクティ・セプルクリ)』
ランク:B 種別:対軍宝具 レンジ:- 最大捕捉:100人
第一回十字軍、聖地エルサレムの制圧を果たした光の軍勢を召喚する。
呼び出される軍勢に顔など個人の識別が可能な要素はなく、全員が統一された背丈と武装、性能を有する。
これらはゴドフロワの意思とその大義に従って行動し、為すべきことを為す。
ゴドフロワが見据えるものは大義であり、同胞とはそれを叶えるためのある種画一的な存在に過ぎなかった。
彼にとっては自分の後ろに続く者の仔細など、まったくどうでもよかったのだ。
肝要なのは己の信仰を貫くこと。彼にとって十字軍とは、単なる剣であり、銃。暴力を執行するための手段だった。
【weapon】
『主よ、我が無道を赦し給え』
【人物背景】
第一回十字軍における指導者のひとりにして、聖地エルサレムを最初に統治した『聖墳墓守護者』。
苛烈にして勇敢な騎士として知られ、その背中は多くの同胞に勇気を与えた。
最終的にエルサレムの統治者に選出されたが、聖地にて王冠を戴けるのは偉大なるイエスのみであるとして拒否。
『聖墳墓守護者(アドヴォカトゥス・サンクティ・セプルクリ)』を名乗り、エルサレムを統治した。
その戦い方はあまりに勇猛で、無謀とも言えるほど臆することのないものだった。
無数の軍勢にさえ得物一本で突撃し、勝利を勝ち取って帰ってくる征伐の象徴のような男、とある騎士は言う。
彼の信心は非常に強固で敬虔だったが、それ故にゴドフロワは目的を果たすためにあらゆる犠牲に頓着しなかった。
彼の率いた十字軍は女子供だろうと情け容赦なく虐殺し、数多の血の河を築きあげたという。
ゴドフロワは決して狂人ではなかった。命の重さと人の絆、そして異教徒であろうと一人ひとりに人生という物語があることを知っていた。
しかしそれと同時に、彼は自らの中に宿る狂気のごとき信心を自由自在に制御する手段をも熟知していたのだ。
異教徒を鏖殺する無道の騎士。誰もに敬愛される、敬虔なる神の信徒。
そのどちらも、ゴドフロワ・ド・ブイヨンの顔であり、真実である。
ゴドフロワにとって狂気とは"道具"で、暴力とは"選択肢"であった。
狂戦士となるのはバルブを捻って水を絞り出すようなもの。ヒトは、どこまでも目的のために残酷になれる生き物である。
【外見・性格】
金髪を短く切り揃えた、理知的な容貌の騎士。現世では眼鏡を掛けているが視力に問題はなく、単に当世に倣うためのお洒落の一環。
敵、相容れぬ者にはきわめて冷淡。同胞には柔和な面も見せるが、その実心の中では微塵たりとも笑っていない。
自己の信仰を貫くこと、大義を遂げることに特化した、狂おしいほどに経験な信仰者である。
自分の狂気と人間味を場面に応じて制御し、切り替える手段を身に着けた、ふたつの顔を持つ騎士。
【身長・体重】
181cm・83kg
【聖杯への願い】
真なる聖遺物であれば然るべき処へ、偽なるまがい物であれば破壊する。
【マスターへの態度】
唯一胸襟を開いて接する相手。自分と同じ、暴力を理性で制御し飼い慣らす男。
無神論者であるのはマイナスだが、大義を共にする善行を買って現状不問としている。
彼と語らう時だけは、ゴドフロワの"人間"としての側面が垣間見える――のかも、しれない。
マスター
【名前】周凰狩魔/Suou Karma
【性別】男性
【年齢】23
【属性】混沌・悪
【外見・性格】
金髪のオールバックを肩口まで伸ばし、黒のメッシュを入れた青年。
両腕は手の甲から肩までに双頭の龍のタトゥーを刻み、どちらも片方の首が切り落とされ血を流したデザインとなっている。
面倒見のいい不良界隈の兄貴分の顔と、敵対した人間を躊躇なく殺害できる非道の顔を併せ持つ理性ある狂人。
彼にとって狂気とは"道具"であり、暴力とは"選択肢"であった。
【身長・体重】
185cm・84kg
【魔術回路・特性】
質:A 量:C
特性:〈魔弾〉
【魔術・異能】
〈魔弾の射手(デア・フライシュッツ)〉。
手にした拳銃ないしそれに類する武器に、魔力で構築された弾丸を装填する。
軌道及び威力は狩魔の思考によって制御され、故に必中。故に必殺。
最大で自動車一台をこの世から消滅させる程度の威力は発揮可能で、殺人に対し躊躇を覚えないメンタリティがこの魔術を更に先鋭化させる。
他にも肉体強化の類も余技の一環で可能としており、マスターとして周凰狩魔に隙はない。
【備考・設定】
十三歳の頃に父親を惨殺し、少年院に収監される。
出所後に不良の世界へ入り、暴走族に所属して知られた存在となる。
族を解散してからは半グレの世界で名を上げ、資金と暴力、そして人脈を三種併せ持つ裏社会の有力者と化した。
半グレグループ〈デュラハン〉のリーダー。不良達のカリスマ。
身内には面倒見のいい顔を見せ、関わりのない相手でも温情を向ける場合はある。
だが逆にそれ以外の人間を食い物にすることに微塵の躊躇もなく、利益のために人命も犠牲にできる冷血漢。
ただし倫理観はむしろまともな部類で、彼の場合行為の異常性、非道さを理解した上で"箍を外す"という行動をしているだけに過ぎない。
悪魔の顔をした人間。どこまでも、周凰狩魔はひとりのちっぽけな人間でしかない。
暴走族として暴れ回っていた頃には夢があった。
この時間、この居場所を愛する仲間がいた。
けれど大人になっていくにつれ、誰もが夢から覚めていく。
周凰はその夢から覚められなかった人間である。
【聖杯への願い】
未定。だが自分が手に入れるに足るものだと認識している。
【サーヴァントへの態度】
イカれた野郎。その暴力を活用し、その狂気も余すところなく利用する。
聖杯を手に入れるまでの期限付きのバディ。
投下終了です。
投下します
───思い返してみれば、それは簡単なことだった。
皆が私を祝福する。選ばれた子だ、秘蹟を扱う資格を得た子だ、と。
父も笑顔だった。だからこそ、僕もなんとなく幸せだった。
だから、自らを鍛えることに苦痛はなかった。出来ることが増えていくたびに、皆が喜んだ。
そして。六度目の夏を迎える頃に、理解した。自分は、選ばれたのだと。
選ばれたのなら。選ばれた責任を果たさねばならない。
この世は全て主が創り上げた世界。異端者や魔の者ですら、ただの人間である我々に滅する権利はない。
故に。主の名の下に、裁きを代行する。その『代行者』に、私が選ばれることも特に違和感はなかった。
更に己を鍛え上げ。少しでも、世界が平和になるならそれで良し。
人間には許されぬ魔術を世間に晒す魔術師も、人間に非ずの魔も、同様の裁きの対象。
故に、願いなど何もない。ただの人間である私が、『聖杯』というものに手を出そうなどということが烏滸がましい。
だから。だから。だから。
「『己には願いがない』と? はは、笑わせる。笑いすぎて声が出ぬほどに。ん? いや、出ているな。気にするな、茶目っ気である」
「生物は楽には死ねぬように。人間には生きる欲望がある。貴様にもだ」
「願いを知れ。願いを自覚しろ。自らの欲望も知らぬ赤ん坊に巨大なるこのライダーのマスターは務まらぬ───」
○ ○ ○
『何処かに聖杯が現れた』。その情報に対し、一番最初に動いた組織があった。
"普遍的な"を意味する最大の組織。魔術協会のような内外の衝突がない、結束した組織。
"人間から外れたモノ"に対する切り札。
───聖堂教会。異端狩りを担う人材を抱える、その組織。
しかし。異端とは言え、許可なく消し去ることは許されていない。
何故ならば、この世は神が創りしものであるならば、魔や異端すらも神が創りしものであるからだ。同じく神が創ったものに、人間如きが手を下していいはずがない。
しかし。ここに、主の名の下にそれを許された者がいる。
茶の癖毛に、険しい目つき。藍色のキャソックを身に纏った男が、立ち尽くしている。
月冠・リベル・リベラベルト。
それが彼の名であった。
「『聖杯』と名乗る存在が現れた、とまことしやかに囁かれている。…噂程度ではあるがな。
ただそう呼ばれているだけの儀式の可能性もある。この手のものの殆どは聖杯とは名ばかりの品だったからな」
「しかし。それが『仮に本物である可能性が少しでもあるならば』───」
月冠の前で、机に座った男が顔の前で手を組み合わせたまま、言い放つ。
聖堂教会にとって、『聖杯』は大切なものだ。おそらく、それが本物であるならば、何よりも優先して手に入れなければならない。
それが、聖杯とは名ばかりの願望機だったとしても。万が一でも、可能性があるならば。
「我々は回収せねばならん。魔術師の手に渡るなど以ての外。
頼めるな、『月冠』」
「…それが自分の役目ならば」
畏まった空間から月冠と呼ばれた青年が退出する。最後まで己へ任務を下した者の顔は見えなかった。しかし、月冠にはどうでもいいことだった。やるべきことさえ理解できれば、それで。
教会を模した廊下を歩きながら、ステンドグラスを通過した光が月冠を照らす。
月冠が向かう先は、資料室。多数の本棚と書物に塗れた部屋。掃除は行き届いており、埃の一つもない。
少し薄暗いその中を、彼は進む。進んだ先で、本棚の隅に仕舞われた、目立たぬその本を手に取る。それは今までの『聖杯と呼ばれるモノ』の情報。七百以上のソレを纏めたモノ。
本として装帳された青表紙の本を開く。探すのは贋作の聖杯ではなく───その中でも、特に珍しい『聖杯と呼ばれたもの』。
(第七百二十六号聖杯…あった。聖杯の中でも、唯一の『境界記録帯』(ゴーストライナー)を利用した聖杯を巡る争い。
…もしものためにも、用意をしておいた方がいいな)
茶色の癖っ毛の先を指で回す。考え事をする、些細な月冠の癖だ。
もしもの場合。月冠には聖遺物が与えられている。『境界記録帯を使用する聖杯だった場合、彼女に助けを求め共に勝ち抜け』、との指令だった。
魔術師相手なら負ける気はない。鍛え抜かれた身体と、秘蹟を扱うことを許された資格、『魔術回路』と呼ばれるもの。
代行者として、第八秘蹟会の一員として死徒や魔なる者、神秘を晒した魔術師を裁いてきた日々。それが彼の実力を単なる自信ではなく、事実として示していた。
左手に握られた木箱。それを開く。
厳重に保管されているその中には、木材で出来た欠片が一つ。
───聖遺物、『聖女マルタの杖の欠片』。もし境界記録帯を使用する聖杯だったのなら、これを使用すべきと渡されたもの。
死徒。魔術師。おそらくそのどれよりも境界記録帯は手強い。それらを軽く屠ってきた月冠ですら勝てないと判断するもの。
人理の力が弱い別世界でならまた違っただろうが、月冠が存在するこの世界では境界記録帯は最強の使い魔の一角の可能性すらある。
「…あらゆる可能性を考慮すべき、か。どの道マスターがただの魔術師であるならば、自分の敵ではないけれど…」
相手が境界記録帯であった場合、正面からは勝てぬ可能性が高い、と月冠は考える。
そうして青表紙の本を仕舞おうとして───先程まで本が仕舞われていた場所に、何かが置かれているのを見た。
「…懐中時計?」
紙と共に置かれたその懐中時計を拾い上げ。随分と古いな、と状態を確認する。
その後は、記す必要もなく。
月冠は、この空間から、掻き消えた。
○ ○ ○
死徒の身体は、人間より遥かに身体能力が上だ。再生力、反応力、どれもヒトを遥かに超える。
努力を嘲笑うか如くの無双。日々を無に帰すが如し剛力。
ヒトは食材に過ぎず。それ以外に価値はない。故に、この聖杯戦争は天国だった。
サーヴァントの仕事はサーヴァントに任せ、己はマスターをしっかりと堪能する。
それだけ。それだけで願望器が手に入るはずだったのに。
何故───何故、己は人間に押されている!?
「チィ…ッ!!」
「聖杯戦争の場にまで逃げれば誰も追ってこない。十分に楽しめる。そう思ったか?」
随分と計算が甘い。歴史の浅い死徒だな」
「喧しい、喧しい、喧しい…教会の猿がッ」
振り上げた腕を下ろす前。最高速度の威力が出る前に、勢いを潰される。脚を振れば振り切る前に踏み潰され、腕を出せば殴り抜ける前に止められる。
右足。回し蹴り。左足。前蹴り。右腕。振り下ろし。右腕。ぶん回し。左腕。正拳。右足、薙ぎ払い。
読まれている。全ての攻撃が読まれ、潰され、その先を見られている。
何故。ただの人間が、死徒の速度に追いついてくる。
何故。ただの人間が、死徒の力を受け止める。
本当に───今目の前のこいつは、人間なのか?
「邪魔臭いッ」
不満と共に構えた瞬間の左足の肉と骨が弾け飛んだ。黒鍵。異端者、魔を狩る者。聖堂教会の投擲剣。ああ───聖堂教会か。生きることに脳のリソースを割き過ぎたのだろう、何故気づかなかったのかと後悔する。
痛みはない。瞬間、四肢が破壊され、千切れ飛んだ。痛みを感じる暇もなかった。
叫ぶ喉はない。絶叫する前に、首筋に宙で回転した男の回し蹴りが、首を完全に砕いた。
「第八秘蹟会代行者、月冠・リベラ・リベラベルト。主の名の下に、粛正を代行する」
僅か二手。月冠が攻勢に出たのは、左足への投擲と首筋へと蹴り。それだけで、死徒の最後は決まった。
黒鍵───投擲用の剣が、死徒の首を裂く。
呆気なく。一人のマスターが、この世から姿を消した。
○ ○ ○
「なるほど。マスターとして不服はない。良き力だ、人間の分際で良くその性能を維持している。このライダーは驚いた。驚き過ぎている。
褒めてやってもいいが?」
「いらない。その前に、お前こそ境界記録帯を処分したんだろうな」
「無論。そしてサーヴァントと呼べ。その…境界記録ナントカは無駄に小難しい。名前は重要だが、言い難いのは良くない。良くないのは悪しきことだ。
悪しきことは罰せねばならない。強大なるこの『ア」
「わかった。次はサーヴァント…いや、ライダーと呼ぶ。だからその気軽に真名を名乗るのをやめろ」
「そうか? わかったのなら良い。原初であるこの『アポ」
「やめろと言っているだろう。まさか意地でもやめないつもりなのか…?」
「ふん。このライダーの真名は明かされても問題のない名だ」
一仕事終えた月冠の前に、身体中に蛇のタトゥーを入れた、長い腰布を巻いた褐色の大男が、大木からぶら下がっている。頭部には蛇を模した冠を被り、金の瞳の瞳孔がこちらを見据えている。
死徒を追う中で、人気のない森の奥まで来てしまった。
この地に飛ばされた後、日本と理解してすぐにまずは教会に身を預けようと移動した月冠。その直後に現れたのが死徒のマスターとサーヴァント。
『聖女マルタを呼ぶべきか』。そう考えた瞬間、現れたのは大柄の褐色蛇男。大柄の戦斧を鎖に繋ぎ、回し、投げつける。おそらく聖女マルタではないだろうと当たりをつけ、仕方なく死徒の始末を最優先。
そして、今ここに至る。
月冠は頭を抱えていた。聖女マルタならば、おそらく聖堂教会に協力してくれるだろう。そう判断しての聖遺物だった。
それが召喚する前に勝手に召喚されてしまうとは、誤算だった。
チラリ、とライダーを見る。
「…なんだ? 暇なこのライダーは待つことには慣れている。即ち睡眠だ。わかるか?
まだ寝ていない。しかし暇を潰すには睡眠以外あるまいよ」
大木の枝に脚を絡みつかせ、ぶらりと垂れ下がっているその姿。絶対に聖女マルタではない。
さて、どうしたものか───月冠が頭を抱えると、ライダーが口を開く。
「突如喋り出すこのライダーの願いは、世界を創世前の混沌に戻すことだ。そして、この聖杯戦争に蔓延る悪を罰すことだ」
「…矛盾していないか。混沌に戻すことが目的なのに、悪は許さないのか?」
「当たり前だ。世界創世前の混沌とは、静寂である。何もなく、原初の水だけが満ちる世界。
それが今は何だ。ギラギラと光り、喧しい秩序に従う世界。…目障りなことこの上ない。
悪を罰するのはこのライダーの在り方のようなものだ。わかるか? どのような魔にも在り方がある。混沌と悪は違う。そういうことだ」
ライダーの顔が、ぶらりと揺れて月冠の目の前へとやってくる。それは、恐ろしい蛇の目。審判の瞳。
ライダーにとって混沌とは静寂で、悪とは世間一般でいう悪らしい。ややこしいことこの上ないが、ライダーの中では区別がついているらしい。
月冠は頭を抱え、何故このようなサーヴァントを引き当ててしまったのかと再び頭を抱える。
聖女マルタを呼ぶことができていれば…と懐に隠し持った聖遺物に想いを馳せるものの、こうなってしまったものは仕方ない。
「貴様の願いは何だ? 心広きこのライダーに告げるといい」
「ない。強いて言うならば、聖杯を持ち帰る。
代行者としての任務だ」
「違う。そんな熱くも痒くもない返答をこのライダーは求めていない。それは『役目』だ。自らに課した運命であり、このライダーは心の底から溢れ出る『願い』を問うている」
「だから無い、と言っている。自分は聖堂教会に生きるものだ。自らよりも優先すべきことがある」
その答えを聞いて、ライダーがぴたりと止まる。何を言うでもなく。目を開いたまま。
蛇のタトゥーだけにゴルゴーンにでもなったかと投げかけようとしたところ。
ライダーが、酷く真面目な声で、つぶやいた。
「そうか。そうか。そうかそうかそうか。貴様はアレだな?
いつからだ? いつからそうなった? 人間は誰しも欲がある。聡明なこのライダーでさえ欲がある。欲をもって欲しいと嘆きながら産まれるのが人間だ。
であるならば───貴様は隠している。押し潰している。聖堂教会とやらの教義を知り、代行者としての意識を知り、それらで己を押し潰している。
願いがないのではない。願いがあることに『気づいていない』のだ」
それは。大樹に脚を絡ませ、ぶら下りながら。
頭部を逆さにし、太陽を見下ろしながら。
「それでは争いは勝てぬ。戦いとは願いの差が実力を埋める。そのままでは、貴様は敗ける。
ありがたきこのライダーから告げよう。
───『願いを見つけろ』。
負けたくないでも女が欲しいでも殺したいでも構わない。己の心の泉から溢れ出る、原初の夢を見つけろ」
「…偉そうに。お前が自分の何を知っている」
「知らぬとも。知らぬが───願いが起こす強さは知っている」
遠目に。太陽を見下ろし、憎んだまま。ライダーは、告げた。
「ちなみに。この雄大なライダーの願いは、『世界を混沌に戻すこと』だ。原初の混沌、秩序が生まれる前の静寂。
それがこのライダーの願い。どうだ? 壮大だろう」
「…たとえば自分が願いを持ったとして。
世界が原初の混沌とやらに戻ったら意味がないんじゃないか」
「それはそれだ。お前が願いを持ったなら、聖杯を譲ってもいい。寛容なるこのライダーは願い程度、己で叶えられることを知っている」
「じゃあなんで召喚されたんだ…」
本日三度目の頭を抱え。ライダーとの会話は疲れると、心の中で一人つぶやく。
溜息を吐きながら。月冠は心を切り替えた。
「自分が願いを持ったら聖杯を譲る。それは本当だな?」
「正直なるこのライダーは嘘をつかん。本当の願いを見つけたらな」
「ならまずは聖杯を確保する。問答はその後でも良いだろう」
キャソックの下に数えきれないほど所持している黒鍵。第八秘蹟会、代行者としての力。
慢心こそしてないものの、月冠はこの戦いで引けは取らないと自負していた。
主の名の下に。神の裁きを代行する。故に『代行者』。
蛇のタトゥーを刻み、金の目をした褐色の大男。
その二人が、まずは教会を拠点にするため、歩いていく。
「さて。呑み甲斐のある敵が一人でもいればいいが。
そう───この偉大なるアポピスを前にしても劣らない敵がな!」
「…………真名を名乗るなと言っただろう…!!」
【CLASS】
ライダー
【真名】
アポピス@エジプト神話
【ステータス】
筋力 B 耐久 A 敏捷 A 魔力 D 幸運 D 宝具EX
【属性】
混沌・中庸
【クラススキル】
対魔力:A
A以下の魔術は全てキャンセル。
事実上、現代の魔術師では○○に傷をつけられない。
【保有スキル】
再生の闇:A
太陽神ラーと永遠に渡る戦いを繰り広げたと言われているが、資料においてアポピスは切り刻まれ殺されているものが多い。
腹を裂かれているものも存在し、しかしアポピスは太陽神ラーと戦い、その度に現れていた。
凄まじい再生スキル。通常の傷は魔力尽きぬ限り再生し、霊核に届く攻撃を受けたとしても、しばらく潜んでいれば回復する。
真名の力:B
古代エジプトにおいて、文字は大きな意味を持ち、とりわけ「個人名」においては最大の注意を持って接していた。日本で言う『言霊』と同じ概念である。
相手に真名が知られた場合、アポピスは相手に対し更に有利な判定を得て、強化される。
アポピス───『巨大』を意味するその名は、そこに在るだけで力を増していく。
アポピスの凝視:C
大蛇の一睨み。神々すら震え上がらせた、アポピスの蛇の目。
相手の身体を萎縮させ、動きを鈍らせる。勇猛スキルなどの精神干渉を防ぐスキルで防御可能。
ヌンを飲むもの:A
「───原初の水。我は創世より先に出でし水から生まれた者。秩序を壊し、静謐なる混沌へと世を戻す者。
であるならば。であるならば、ならば! このアポピスは───世界を原初へと戻す者である」
アポピスは創世より前に存在した原初の水から生まれた者とされている。
世界の存在しない混沌。秩序の存在しない世界。静かなる混沌。
アポピスは人々に災厄を齎すと同時に悪事を働いたものを裁く存在であり、そして世界を混沌に回帰させる者である。
秩序を齎す者、そして悪なる者に有利な攻撃判定を得、混沌を持つ者に対しダメージカットを得る。
【宝具】
『我が肉裂きし無花果の小刀(シカモア・ケペル)』
ランク:B 種別:対人宝具 レンジ:? 最大捕捉:?
持ち手に鎖が巻き付いている、自らを切り裂いたナイフ。しかしアポピスという巨大な存在を切り裂いた逸話からサイズは大きく、もはやナイフというより戦斧に近い。ただの斬り合い・斬撃の他、持ち手に巻き付いた鎖を利用して投げ、蛇のように軌道を変える戦斧で相手を刺すという戦法を好む。
真名解放と同時にナイフ(戦斧)の数が増える。アポピスは多くの資料でナイフで裂かれている。アポピスという巨大な魔を仕留めるには一本のナイフでは足りないように。
アポピスが振るう武器も、一本では足りない、と。
『波打ち廻れ、太陽の堕ちる時(アポピス・ヌン・アム・デュアト)』
ランク:EX 種別:対神宝具 レンジ:? 最大捕捉:?
固有結界と似て非なる大魔術。
乾き切った大河を出現させ、そこにアポピスの真の肉体───巨大な蛇を顕現させる。
大地及び足場はアポピスの胴となり、体の一捻りは波打ったように足場を狂わせ、大きな頭はあらゆるものを呑み込み砕く。身体の一挙手一動作が必殺であり、太陽を呑むその身体は強固の一言では表せぬほど。
また、太陽を呑み、吐き出したという逸話から口から超高温の熱線も放つことが可能。
あくまで肉体を召喚するものなので、人間体のアポピスが大蛇の身体を手足のように動かす形となる。
太陽神に挑み続けたその身体。太陽を呑んだその身体。もはや神のスケールであるそれは、蹂躙という言葉が相応しい。
この宝具が彼をライダーたらしめる原因である。
【weapon】
・蛇のような滑らかかつ速い動きで肉弾戦を好み、そして基本は『我が肉裂きし無花果の小刀(シカモア・ケペル)』を使用する。
【人物背景】
身長2m15cm。太陽神ラーの最大の敵。
永遠にラーと戦い続けると言われており、どちらとも勝利することのない戦いが続く。が、夕暮れが赤く染まるのはアポピスが敗北してラーが勝利したから、と言われている。
創世に先立って存在した悪。世界が創られ、秩序を得たこの世界を再び創世前の混沌に戻そうと画策するもの。
ラーやセトと戦い続け、何度も再生し蘇る蛇の象徴。
その巨大な姿は20mを超えると言われており、宝具開帳の際にはその一端が垣間見える。
『太陽を飲み込む闇、災厄の化身』としての存在は逆説的に『最終的に太陽を吐き出す=復活』を現す存在であり、災厄と再生・更新を現す大蛇である。罪深い者に罰を、相反する二つの性質を持つ大蛇。
オシリスが信仰の中心に辿り着いた後は、本来ならアポピスが聖獣として扱われるはずなのだが、そのポジションはアヌビスが担っている。
太陽の運行を阻む魔物は、災厄を齎す化身として。
冥界に居座り続けている、罪の番人。
【外見・性格】
身長2m15cm。大柄の男。
全身に蛇のタトゥーが入っており、頭部には蠢く蛇を模した石の冠を被っている。ボサボサの藍色の髪に褐色の肌、金の眼、瞳孔は蛇に似ている。纏っている服は長い腰布と蛇を模したベルトのみ。
神話では主に大蛇として描かれていたが、召喚に応じ現れたのはテンションの高い大男。『古今東西の英雄が命を奪い合う。残酷、残忍、なればこそ! このアポピスも"規格"(スケール)を合わせねばなるまい。ドレスコードというやつか? 知らん』とはアポピス談。おそらくノリで喋っている。
外向的かつ能動的。多くの者・物に興味を持ち、力あるものを評価し、時には上回ることを楽しむ。享楽的・戦闘狂いな一面も。
悪事をする者は罰する。それはそれとして、闘争は楽しいし命を賭して競い合うことは素晴らしい。その上で相手を上回るのはもっと楽しい。戦いならば闇討ちでも正面衝突でもどちらでも構わない。享楽的で、手段を選ばないというより手段に興味がない。
しかし、悪事を行う人間には罰を与える。この場合、『力を持たない者に力によって物を奪う』
『悪事を罰する存在であること』と『闘争で殺し合うこと』は矛盾しない。冥界で悪人を罰する者の矜持、神と相対する魔物としての意思。
複雑に絡み合ったその享楽的かつ格上の者としての在り方は人間には理解し難い在り方。
喋り方は「このライダー(アポピス)〜」とよく名乗る。また「○○たる」「○○の」と言葉を付け加えることが多い。
【身長・体重】
身長2m15cm。125kg。
大男。筋肉がついていながらしなやかなその身体は、蛇を思わせる。
【サーヴァントとしての願い】
世界を創世前の混沌へ戻す。だが自分で叶えるのもいいと考えているand気分屋なので、今はマスターの方が気になる。
【マスター】
月冠・リベル・リベラベルト
(げつかん)
【マスターとしての願い】
聖杯を持ち帰る。
だけ、のはず。
【性別】
男
【年齢】
25歳
【属性】
秩序・善(本人申告)
【外見・性格】
藍色のキャソックを身に纏い、黒のカズラを羽織っている。
茶色の髪に毛先がカールしたくせっ毛。顔は日本人寄りであり、整った顔に似つかない険しい目つき。
日本人と西洋系のハーフ。
服の下は確かな鍛錬により培われた筋肉に包まれており、見た目より筋力が相当強い。
聖堂教会より派遣された代行者。
服の下には無数の黒鍵が仕舞われており、これが尽きるのを見た者はいないという。
聖堂教会において『秘蹟を扱う権利』───いわゆる魔術回路を有している。
聖堂教会。第八秘蹟会の代行者。
幼い頃から異端を狩ることが正義であり、代行者として第八秘蹟会に属してからはそれこそが自分の生きる意味だと信じ込んでいる。
【身長・体重】
175cm・78kg
筋肉の塊。
【魔術回路・特性】
質:C 量:B
特性:硬化魔術
【魔術・異能】
戦闘スタイルは黒鍵に特化しており、「鉄甲作用」を習得しているため黒鍵の投擲威力は絶大(着弾時の衝撃を何十倍にも底上げする技法)。
また日本に在住している際に空手を学び、徒手空拳も可能。
趣味は鍛錬。聖堂教会の中でも物好きしか使用しない黒鍵を使っている時点でかなりの鍛錬マニア。筋肉、フィジカルお化け。
魔術回路を有しているものの、魔術は硬化魔術と基本的な索敵魔術を習得している以外特に無し。
『硬化魔術』
素材はそのままに、モノの強度を上げる魔術。
本人はまだ気づいていないが、この東京に踏み入れた時点で新たに回路が付与され、練度が上がっている。
紙切れを鋼鉄並みに強度を上げることが可能になった。主な使用方法は着ているキャソックの強度を上げ、肉体と服の二重の防御でかなりのダメージカット率を誇る。
『聖女マルタの杖のカケラ』
サーヴァントを呼ぶための触媒として持っていたもの。残念ながら、東京に踏み入れた瞬間、召喚する前にアポピスが呼ばれてしまった。
【備考・設定】
月冠(げつかん)は物心ついた頃から聖堂教会に属していた。
秘蹟を扱うことを許された権利(魔術回路のこと。)を持って生まれ、幼い頃から鍛錬を積み、今では使う人間の方が少ないとされる黒鍵のスペシャリストとなり、空手などの徒手空拳もお手のもの。そして代行者となり、第八秘蹟会に所属。
凄腕の代行者となるが───鍛錬マニアで聖堂教会を第一としており、生まれた時からそれが「普通」のため、己の欲を知らない。
アポピスは「押し潰している」と表現しており、願いを見つけたならば聖杯を譲ってもいいとさえ言われている。
果たして、その心の底の底。
覗いているのは、ナニモノか。
【聖杯への願い】
聖杯を持ち帰る。異端の魔がいれば狩る。
【サーヴァントへの態度】
一応は付き合ってやる。
が、そこはかとなく不快なため時々相手をしない。
投下終了です。
タイトルは
『聖職者と蛇の音』
です。
>>448
の性格の欄にて
>しかし、悪事を行う人間には罰を与える。この場合、『力を持たない者に力によって物を奪う』
とありますが、正確には
>しかし、悪事を行う人間には罰を与える。この場合、『力を持たない者に力によって物を奪う』などの行為が該当する。一応、罰する者としての誇りはある。
になります。途中でカットが入ってしまいました、申し訳ありません。
投下します
試し切り(ためしぎり)
試し斬り(ためしぎり)とは、刀剣を用いて巻藁、畳表、青竹等の物体を切り抜くこと。試斬(しざん)、据物斬り(すえものぎり)とも呼ばれる。江戸時代には様斬(ためしぎり)とも書かれた。
Wikipediaより
イギリス・ロンドン 時計塔が遠くに見える地区
俗に応接間と呼ばれる部屋にて、男が格式高いソファに座り、紅茶を飲んでいる。その所作は一寸の狂いもなく正確で、ピンと乱れぬ体幹もあいまってロボットのような印象がある。
背の高い男だ。手や脚もモデルかと見誤るほどに均整が取れており、その顔は美しいカッティングが施されたダイヤのように綺麗である。黒い髪、黒い瞳、ダイヤのような美しい顔………よく見るとその男は東洋人のようだ。
東洋人の男の反対側にも男がいた。こちらは背の低い男である。足は長く、手は短い。輝く金髪を切らずに流すその姿は後ろだけ見ると女のようだ。掘りの深い顔に青い目を見ればその男が欧米人であることを想像するのは硬くない。
欧米人の方が懐に手をやる。そして取り出した手には名刺入れが握られていた。澱みない作法で名刺が東洋人の男に差し出される。
「どーも、初めまして。時計塔考古学科の一級講師やらせてもらってます。ハワード・メルアステア・カーリアです」
「ご丁寧にどーも、こちらこそ初めまして。谷流試刀術当代、谷衛次(えいじ)です」
挨拶と共にお互いの名刺を交換する。お互いの名前を聞き、その人物の逸話を双方とも思い出した。緊張した面持ちの両者、しかして、ハワードの方が話を切り出す。
「いつも動画拝見させていただいております。この度は私どものご依頼を受けてくださり、感謝感激雨嵐ってところですね。はいっ!」
ハワードの流暢な英語は上擦っている。相対している相手に畏怖を抱いているからだ。
谷衛次(たにえいじ)、武器を用いた実演により、その性能を証明し、世界に一つだけの銘をつける『お試し役』の第一人者。彼の『試し』は常軌を逸した物ばかりであり、彼によってお墨付きを得た武器は高値で取引され、武器の製作主は3年先までオファーが殺到するほどのブランド力を手にできる。
「最近の魔術師は電網(インターネット)をやるんですねぇ」
「まあ派閥にもよりますよ。うちみたいな考古学科的には表の発掘情報とかも必要になりますし」
「なるほどねぇ」
「あっ、見ましたよ、最新の『お墨付き』得たやつ!発射された弾をライフルごと切断するカタナの動画!よくあんな速いものきれますね」
「まあそういうのがうちの術理なんでねぇ。楽しくやってますよ」
「一歩間違えれば死ぬのに楽しいんですか?」
「ええ、本当に面白いし楽しい」
クククと微笑を漏らす衛次。ハワードはその姿を見て、自分の人選が間違っていないことを確信する。これから依頼することは並大抵の性根じゃ、クリアできないからだ。
「では谷様、依頼の方の概要を説明したいと思います」
ハワードは椅子の下に置かれていた細長いケースをテーブルの上に置く。注がれた紅茶に波が立たない程度に置かれたケースをハワードはこれまた音が出ないよう慎重に開く。ケースの中には何かを包んだ布があった。ハワードはそれをリンゴの皮を剥くようにまた丁寧に剥ぐ。
『それ』が姿を表した時、部屋の温度が下がったように衛次は感じた。
「拝見しても?」
「ええ、ハイドーゾ」
衛次はケースに入った『それ』を自らの方に引き寄せ、手に取り見る。
『それ』は剣だ。いや刀とも言える。衛次はそう思った。
その刃の色は水も滴る鋼色。丁寧に磨きの入った表面が光を暗く反射する。刀身の上から下までびっしりと衛次には読めない文字が刻まれており、刃の美しさと相まって不気味な艶美を纏っていた。
鍔、握り、柄頭は全て金色に統一されており、何色とも言い難い宝石が中心部に埋め込まれている。一見すると見栄え重視で実用性に疑問符がつくが、少し掴むと驚くほどに手に馴染む。重心のバランスが良いのだろう。各部位の硬さも申し分ない。
衛次が剣とも刀とも思ったのはその刀身にある。全体的に西洋的な出立に反して刀身の形はそりがあり、日本刀と瓜二つだ。しかし本来峰である部分まで刃がある。日本語において剣と刀の違いは両刃か片刃であるかなのだが、この武器は形こそ刀に近いが、両刃であるため剣といった方が適切なのだろう。
刃の上に石を落とす。落下する石は刃に当たるとハサミを当てた紙のように、スパッと二つになった。恐ろしい切れ味である。そしてその刃を見ていると衛次は寒さを感じた。
「すごい『刀』ですねぇ。これほどのものがまだ現代で日の目を見ず残っていたものだ………」
衛次はこの武器を『刀』として扱うことに決め、感嘆の言葉を漏らす。今まで多くの武器に試刀を行いお墨付きをつけてきたが、これほどの状態の良い大業物を見たのは始めてだった。
「いいでしょ?このような恐るべき過去の遺物を発掘するのが私の喜びですからね」
「ふぅん………この『刀』の謂れなどは?」
「だいたい不明です」
「だいたい?」
「ええ、刃を見てください。呪詛に塗れ、よく磨かれてますが………」
「なるほど、純粋な鋼じゃない。何か混ざっているな………。」
「何が入っていると思います?」
「そういう学はないもので………」
「すごいですよ!聖ペテロが兵士の耳を切り落とした時に使ったナイフ、聖パウロの首を切り落とした剣、そしてユダが首を吊る時使った縄。この三つの遺物が刀身に混ざっているそうです!」
「………なるほどこの雰囲気そういうことか」
血に染まった三つの遺物がこの『刀』の不気味さを担っていることを聞き納得する衛次。デュランダルも柄に四つの聖遺物を入れている。それと同じ類いの物なのだろうか?
「世が世なら、『聖剣』いや………『魔剣』って言われていたことでしょう!」
「この『刀』の名前は?」
「ないです」
「ないのか」
「材料以外の伝承が全くなく!『無銘の魔剣』って暫定的に私は呼んでます」
「『無銘』………」
改めて衛次は刃を見る。血の後も見られず、刃毀れ一つない。作られたはいい物の『何故か』封じられた大半の曰くすらわからぬ『刀』。衛次はこの『刀』に興味が湧き上がるのを感じていた。
「で、俺はこの『刀』にどんな試しをすれば良い?」
衛次の仕事は『試し』である。その武器に名前があろうとなかろうと、依頼人が指定した条件で武器を試し、何にも被らぬ銘をつける。その様子を撮影し、動画を流し、衛次の名声を上がる。そして名声を聞きつけて高い報酬を払う人が増える。そのサイクルが飯の種だ。
ハワードは興奮していた声を落とし、冷静に座る。かけていたメガネを手であげ直し、息を吸ったのち、依頼を話した。
「あなたに依頼する試しは、『聖杯の截断』です」
◇◇◇◇
架空の東京 廃墟の一角
衛次は魔法陣を描く。依頼の概要を聞き、日本へ戻り、古びた懐中時計を使うと自分の知る東京に似た場所へやってきていた。
ハワードの依頼は聖杯戦争に参加してその聖杯を『刀』で斬ることだった。曰く、有象無象が偽物使って願いを叶えることが我慢できないらしい。
考古学科の行持か魔術師の傲慢か衛次は聞かなかった。依頼した理由に興味はないし、下手に突っついて話が拗れたりしたらたまらないからだ。
聖杯戦争。漢字で表せば4文字のそれは衛次の心をとらえて離さない。獅子と虎を同時に切った時よりも、死徒を壁越しで切った時よりも、今心が弾んでいた。
(一体どれほどの英霊と合間見えるだろ?一体どれほどの試しができるだろう?英霊首落とし聖杯重ね胴截断とかどうだろうか?いや流石にもっとこれるかな?)
『試し』は銘を与える儀式のような物だと衛次は考えている。古い例えで言えば若い子供が元服を機に幼名から別の名前を授かるような物。それだけに気合を入れてやらねばならない。
衛次はハワードからもらった触媒を中心に置く。北欧の八本脚馬、その子孫の立て髪。衛次はハワードから教えてもらうまでこの英霊のことは知らなかったが、間違いなく一級の力を持っている。ふとこれを使わなかった場合のことを考えた。
(もし俺自身を触媒にしたのなら何が来るんだろう?ご先祖様が来るのかな。役割は剣士あたりになりそう、有名な武士だし)
文献でしか知らない先祖、谷衛友のことをふと考え、その考えを頭の奥にしまった。楽しみが多いとは言え仕事だ。確実に強力な英霊を呼べるならその方がいい。衛次は深呼吸、その後、左手に浮かんだ令呪をかざし、口を開いた。
「素に銀と鉄。礎に石と契約の大公。
降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ
閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。
繰り返すつどに五度
ただ、満たされる刻を破却する
―――――Anfang(セット)
――――――告げる
――――告げる
汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に
聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ
誓いを此処に
我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者
汝三大の言霊を纏う七天
抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――!」
三つの光円が現れ一つに収束する。強大な魔力の塊が人の形を取り、この世界に現界した。
衛次が少し驚き、そして強い興奮を覚えたのは英霊を見たからだ。
女である。190cmはあるだろうか?豊満だが引き締まった体を軽装の鎧で包み、腰には2本の剣。燃えるような赤毛、くりっとした大きい目、スラリと伸びた鼻、プルプル潤う化粧知らずの肌や唇。
「セイバーで召喚したか。問おう、あんたがアタシのマスター?」
「………うん、俺が依頼主」
衛次はセイバーから目を離せない。綺麗である、美人である、好みである。それもあるが、空間に圧をかける迫力、竜のような猛々しい魔力、そして腰にある鞘に入った剣の存在感と美しさ。この世の者ではないと衛次はありありと解らされる。
「一応真名を聞きたいが、いいか?」
「あ、ああいいよ(アタシより大きい男なんて久々に見たな………)、『ハイメ』、ディートリッヒ大王が12の騎士の1人。奴と違ってアタシは大王から剣もらったからアタシの方が上なんだ」
「へぇーそうなんだ」
衛次の素朴すぎる返事に思わず笑ってしまうセイバー。顔の良さと背の高さ、筋肉質な体に反してのほほんとしてそうな男だ。
「ゆるい返事だな………面白い!」
「いやよくわかんないんだが」
「わからなくていいんだよ!フィーリングフィーリング!アタシあんた気に入ったよ!」
バシバシと衛次を叩く。結構強い力で叩かれたので衛次は顔を歪めた。大きく笑うセイバーだったが、ふと手を止め、笑うのをやめ、部屋の一角を見る。
ぬるりと現れたのは大楯を持った大柄の騎士である。左半身を完璧に隠し、右には自分のセイバーよりかは劣るとは言えこれまた存在感のある剣。しかしやはり目を引くのは大楯である。美しい紋様を施されたそれは魔力と迫力の塊。おそらく彼の宝具なのだろう。自分のセイバーが前に出ようとするところを衛次は手で制した。
「マスター?アタシを止めて、一体何のつもりだい」
「いやな剣士。こっちも自己紹介しようと思ってな。」
半分嘘だ。この重装備の英霊を斬ってみたくなったのだ。セイバーは不安な顔をしながら衛次を見る。ものすごく納得いかない気持ちが全身から伝わってきた。
「あーもう………危ないと思ったらアタシ行くからな!?」
「うん、あと備えがあれば、俺も安心だよ」
セイバーの配慮に感謝しつつ、衛次は『刀』を抜いた。
(さむっ………?!マスターの『剣』からか?)
セイバーの推論は正解である。衛次の『刀』は空間を冷えさせる。冷気が出ているというわけではない。その刃を見ることで不快感や恐怖を心から呼び起こしているようだった。
相手の英霊は名乗りを上げることなく、大楯を前に突撃してきた。衛次との距離は10mほどあったはずだがものの数秒で目の前までくる。衛次は大楯の英霊が突撃する間に構えを取っていた。
腰を右に回し、左肩を前に置く。『刀』は縦に構え右脚を後ろに流す。ねじれているが、体幹は全くぶれず綺麗なものだった。
ミシリっ。衛次のタメにより、全身の骨が軋む音がする時、大楯の英霊はその宝具を持って命を奪おうとした。セイバーは動かなかった。衛次の奇妙な構えに見惚れていたからだ。
(変な持ち方だけど、何とかできそうだな。………えっ?何でそんなことでアタシ動かないの?!)
自分の心の動きに困惑するセイバーを他所に、大楯の英霊が衛次に激突する。その時、衛次はタメを解き放った。鈍色の光が横に走る。大楯の英霊の頭がポトリと落下していく。勢いを殺さず衛次はそのまま回転。鈍色の光をもう一度走らせる。大楯の英霊の頭と胴体は大楯ごとバサリと斬られる。
「大楯越し英霊面割り重ね胴截断!」
衛次の叫びが部屋に響く。大楯の英霊が消える。『刀』に刃こぼれなし。恐るべき切れ味。衛次は残心、刀を鞘にしまう。
「すげなぁ………マスターまさか英霊に勝つなんて………」
感嘆を漏らすセイバーは衛次に近づく。様子がおかしい彼の顔をセイバーは見た。泣いていた。
「おいおい!どうしたんだよマスター!?」
「いや、うれしくてなあ………こんな楽しいことがずっと続くと考えると………」
口角を上げているが涙で濡らしている。自分のマスターの奇行に少し引いて滑稽さを感じたセイバー。
「はぁ………少し落ち着けっての。まだ始まったばかりじゃねぇか。ほら涙拭くよマスター」
「うん」
セイバーは胸元から取り出したハンカチを衛次の目に当て、吹く。まるで叱られたが母親に許された子供のように。
その様子を見るものは冷たく輝く『刀』だけである
サーヴァント
【クラス】セイバー
【真名】ハイメ
【性別】女
【属性】秩序・善
【ステータス】
筋力:A+ 耐久:B 敏捷:B 魔力:A 幸運:B 宝具:A+
【クラススキル】
対魔力B
セイバーのクラススキル。魔術に対する抵抗力。詠唱が三節以下の魔術を無効化する。大魔術、儀礼呪法などを以ってしても傷付けるのは難しい。
騎乗A
セイバーのクラススキル。乗り物を乗りこなす能力。Aランクでは幻獣・神獣ランクを除くすべての獣、乗り物を乗りこなせる。
【保有スキル】
巨獣狩りA
巨人など自らよりも大きい怪物を悉く打ち倒してきた。巨大な敵性生物に対しての戦闘経験に長けることを示すスキル。
カリスマC
軍団の指揮能力、カリスマ性の高さを示す能力。団体戦闘において自軍の能力を向上させる
平民の力B
ディートリッヒ配下の中で唯一平民出身である。そんなハイメは騎士であるが騎士らしくないエピソードが多くあり、それを反映したスキル。本来なら霊格が下がるもしくは魔獣などにしか使えないスキルを使用可能。ランクはランダムで決まり、最大でB。該当スキルは破壊工作、怪力などである。
盗人猛々しいEX
ヴィテゲが無くした宝具ミームングを持ち逃げし、自分の物と主張した話に由来するスキル。
手にできる宝具を自分の物として扱うことができる。ただし、このスキルを発動している間、自らが本来持つ宝具は使用不可能。また『扱うことができる』と『理解して使いこなす』は別であり、入手できた宝具を完璧に使いこなすことはできない。盗めるのは一度に一つだけ。
【宝具】
『砕け散る出征の愛剣(ブルートガンク)』
ランク:B 種別:対人宝具 レンジ:1〜10 最大捕捉:1人
ハイメが故郷を出る際に父から授けられ、ディートリッヒとの一騎打ちの際に折られるまで使っていた名剣。一騎打ちを行うと、必ず砕ける因果を持っており、ある程度戦闘を行うと壊れた幻想(ブロークンファンタズム)を強制的に引き起こす。ハイメのクラスがセイバーの場合のみ、砕けても10分ほどでこの宝具は再生する。
『授かりし絶世の剣(ナーゲルリング)』
ランク:A+ 種別:対軍宝具 レンジ:1〜99 最大捕捉:300人
ディートリッヒが小人より受け取った神造兵器。ハイメはディートリッヒからこの宝具を授かり受け、聖剣の使い手となった。
『全ての剣の中で最も優れた剣』と評されるほどの切れ味を誇るとされ、相手の防御スキルや耐久を半減する。
真名解放すると、刃に魔力が纏い真空波のように飛ばす。射程内にいるあらゆる敵を斬り飛ばす。
なおこの宝具を手にした際、ヴィテゲに「可哀想にナーゲルリング………あんな正攻法に弱いデカ女の手に渡るなんて!」と煽られ喧嘩になった。
【weapon】
ブルートガンクとナーゲルリング
【人物背景】
中世ドイツの叙事詩『シズレクのサガ』に登場する人物。ディートリッヒ・フォン・ベルンの配下の一人であり、一番初めに配下に加わった人物。
名声を得るべく父親シュトゥーダスの元を離れ、当時ヒルデブラントと修行に出ていたディートリッヒに挑むも敗北する。その後、勇敢に挑んできた度胸をヒルデブラントに見込まれ、ディートリッヒの配下に加わる事となった。
ヴィテゲと喧嘩し、盗賊団のリーダーとなり、ゲリラ戦を行い、ヴィテゲと喧嘩したり、ローマ宮廷に火を放ったり、ミームングを持ち逃げしたり、仕えた別の王の家臣を歯が飛び散るほど殴ったりとエピソードを色々持つ。
【外見・性格】
竜のように猛々しい迫力を持つ女。出るところは出ており引き締まるところはキュッとしている。男まさり、姉御肌のガキ大将。実力はあるが正攻法が苦手。
【身長・体重】
197cm・130kg
B126・W65・H107
【聖杯への願い】
ディートリッヒ大王ともう一度一騎打ちする。
【マスターへの態度】
背の高い弟みたいに可愛がってる。抜けてるくせに実力あるのが、面白いし可愛い。
マスター
【名前】谷衛次(たにえいじ)
【性別】男
【年齢】21
【属性】中立・中庸
【外見・性格】
背も手も脚も長い筋肉質な男。黒髪、黒目。
のほほんとした性格。面白いことばかりしたい。
【身長・体重】
209cm・130kg
【魔術回路・特性】
正常
質D 量A
風
【魔術・異能】
谷流試刀術
谷衛好が生み出し、谷衛友が完成させた試刀の技。試し切りの元祖であり、門弟として山田浅右衛門が有名。
衛次の試刀術は代々の研鑽により刀だけでなくあらゆる武器の試刀を可能とした総合武術となっている。
全身の骨とタメを利用した攻撃は鉄も斬り裂く。
三嶽(みたけ)
谷流試刀術の奥義。わざと背を向けて隙を見せると同時に殺気も剣気も全て消すことで一瞬相手の気を殺ぎ、その虚を捉えて必殺の斬撃を浴びせる。
生き試しの際、罪人を安心による弛緩を起こさせるための技。名前の由来は丹波国にあった山から。
『刀』
ハワードから試しの依頼品として譲り受けた。形こそ日本刀に似ているが両刃で峰がない。聖ペテロが兵士の耳を切り落としたナイフ、聖パウロの首を落とした剣、ユダが首を括る時使用した縄が刃に混ざりこまれており、その表面にはラテン語に似た呪詛が大量に書き込まれている。
見るものに不気味さ、恐怖を心に呼び起こし、空気を冷やす。
廃棄孔に行くはずの悪性情報を少しずつ奪い鋭さを増す。
【備考・設定】
丹波国山家藩初代藩主谷衛友の子孫。衛次は試刀術の術理を鍛える一門として育てられた。10の時父に刀を渡され、飛び回る鴉を四つに斬る。15から師範となり『試し』を行うようになる。
彼の動画は裏社会で出回っており、人気が高い。
最も再生数が高いのは『虎獅子重ね截断』
兄と弟がいる。
斬ることがライフワークであり仕事だ。
【聖杯への願い】
依頼できているので特にない。
【サーヴァントへの態度】
好み。安心できる。
投下終わります
投下します
◆◆◆
産まれそだったその小さな村で、楠枝義央(くすえだ よしお)はまさに神の如き存在だった。
村の成立の頃から村長の地位にあり、明治の頃から事業家として成功した、地方でも有数の名家の長男としてに産まれた義央は、小さな共同体の中とはいえ、何不自由無く育った。
産まれついて明晰な頭脳を有し、言葉を話せる様になるのも、両親の教育を理解するのも、同年代の者たちはおろか、歳上の児童すらも凌駕し、10歳の時には、高校生クラスのカリキュラムもこなせる頭脳を発揮した。
肉体面に於いても、小学校高学年の時点で170cmを超える身長と、背丈に相応しい体格を有し、体躯に相応しい優れた運動能力を発揮。
小六の時に、十種競技で中学生の全国記録に迫る数字を叩き出し、周囲の大人達に、将来は五輪で金メダルを取る事も夢では無いと期待させた。
小学生の時から始めた野球は、17歳の時に、春夏の甲子園出場という結果となって現れ、夏の選抜では、投手としてマウンドに立ち続け、所属校を優勝へと導いた。
頭脳でも、身体でも、共に才能に満ち溢れ、容姿に於いても優れた義央は、天才、神童と持て囃され、周囲からは常に称賛と羨望を浴びる存在だった。
為人(ひととなり)も謙虚であり、産まれながらにしてこれだけ恵まれたものを持ちえながらも、周囲に礼節を持って接し、驕ることなく真摯に野球に打ち込む姿は、見る者全てに好印象を与えた。
将来はプロ野球選手となり、活躍する事が確実視され、引退後は実家と自分の看板を背負い、国政入りするだろうと誰しもが思い、誰しもが認める輝かしい未来図。
凡そ非の打ちどころの無い人間の、粗の探し様のない人生。楠枝義央のこてまでの人生を語ればそうなるし、今後の人生を語ってもそうなるだろう。
順当に義央が人生の道程を歩む事が出来ればの話だが。
◆◆◆
硬いものが肉を抉る音を残し、泥で汚れた服装の少年が吐瀉物を撒き散らしながら、夜の公園を転がった。
地面にうつ伏せに倒れて痙攣する少年の頭を、ついさっき少年の腹を蹴り抜いた革靴が踏み躙る。
「や…やめて、くだ……さい」
か細い懇願の声を無視して、頭を踏む力が更に強まる。
短い、意味を為さない呻き声を、三分間の間たっぷりと吐き出させ、靴は少年の頭から離れた。
少しの間、加害者の様子を伺う様に、地面と密着したまま動かなかった少年の頭部が、震えながら僅かに上がる。
途端に勢いよく落とされた靴により、盛大に地面と少年の顔がぶつかった。
短い悲鳴を上げて、動かなくなった少年の鼻の辺りから、鮮血が周囲に広がる。
「鼻ぁ、折れちまったか」
血を流す少年に、加害者の声が降ってくる。嫌な声だった。悪意と侮蔑で出来た声。こんな声を出す者は、腐り切った性根と精神を持つに違いないと、聞いた者全てに悟らせる声。
「死んでないよな。まだ」
嫌悪感を抱かせる笑顔で、一方的な暴力を愉しんでいるのは、楠枝義央その人だった。
眉目秀麗と言って良い顔立ちを、暴力と加虐の愉悦に歪めて醜悪に笑いながら、地面に転がる少年を蹴り続けている。
地位と財のある名家に産まれ、産まれ持った個人としての資質も又、自ら天才と称しても誰からも意を唱えられない程に秀でている。
周囲を見下しても、仕方がないと認められ。
傲慢尊大に振る舞っても、彼ならばと許され。
野球を始めて、甲子園で優勝し、全国に名を轟かせた後は、地元の希望の星として、地域ぐるみで彼の行為を擁護し、隠蔽した。
この環境下に於いて、増長せず歪まない人間など、極々一部でしか無く。楠枝義央は大多数に属する存在だったというだけだ。
実家の名前と財力、周囲の人間の思惑。最悪殺しても実家の力で何とか揉み消せる相手を選んでいる事もあり、未だ世間には発覚してはいないものの、
齢十七にして既に十人以上を自殺させ、その10倍以上の数の人間に、生涯消えない心身の傷を負わせた凶悪極まりない精神を、楠枝義央は有している。
傷害、窃盗、放火、恐喝、強姦…。凡そ殺人以外の事はやり尽くしたと言っても良い。
この公園は高台に在り、やって来る為には結構な長さの階段を登る必要があった。深夜ともなれば、来る者など先ず居ない。
義央が暴力を存分に振るう為にある様な場所であり、事実数えきれない人間が、此処で義央のサンドバッグになってきた。
「今日はさぁ、お前を殺そうと思って呼んだんだよ。今まで人殺した事無かったしな。けどまぁ…。初めて人殺すのを『童貞を捨てる』っていうだろ。おまえが童貞捨てる相手とか嫌だしなぁ。許してやるよ」
地面に転がる少年を、踏みつけ、蹴り飛ばし、馬乗りになって殴りつけ、首を絞めて血泡を噴かせての、この言葉。少年を自分と同じ人間と、欠片も認識していない事が明確に理解出来る言葉だった。
義央の言葉を理解したのだろう、強張っていた少年の身体から力が抜けていく。
短く、小刻みに行われていた呼吸が、徐々に長く緩やかなものへと変わっていく。
今日はもう、これ以上の恐怖と苦痛を与えられる事はない────少年がそう思って、深い深い安堵の息を吐き終えるところで。
「だからさぁ、おまえ女居ただろ。連れて来いよ。あのメスブタで勘弁してやるよ」
まだ終わっていないと告げる無情の宣告。
「え……」
鈍い音と共に、再び踏み落とされた足により、少年の顔が地面にめり込む。
呼吸が出来ない苦しみにもがく少年へと、義央の嘲りが降り注ぐ。
「え……じゃねえよ。お前で童貞捨てるの嫌だから、お前と付き合ってるあのメスブタにするんだよ。理解しろや、ボケが」
「そ、そんブギャッ」
「じゃあここで死ぬかぁ!?」
怒声と共に繰り出した爪先蹴りは、少年の顔にクリーンヒットし、盛大に歯を飛び散らせながら、少年の頭部が背筋ごと大きく仰け反った。
「良く考えとけよゴミ。メスブタと自分の命、どっちにするか」
吐き捨てて、義央は階段へと向かって歩いて行く。
無論、少年がどちらを選ぼうが知った事ではない。少年はどの道殺すし、メスブタも殺す。
どう殺そうか考えながら、階段の最初の階に足を掛け───義央は背中に衝撃を感じた。
「えっ」
気付いた時には身体が宙を舞い。呆然としたまま義央は階段の角に顔から落ち、そのまま下まで転がり落ちる。
最初に落ちた際に、折れた鼻から盛大に血を噴き出し、砕けた歯を階段上にばら撒きながら、義央の身体は止まらず、四分の三ほど転がり落ちたところで漸く停止した。
「一体────何が」
全身が痛む。頬骨が折れてまともに声が出ない。肋骨が複数本折れて、呼吸をするだけで激痛が走る。
「いてぇ……。いてぇ……!」
常人ならば動けなくなる程の痛みと怪我でありながら、立ち上がる事ができたのは、義央の日頃の鍛錬の賜物だ。
ヨロヨロと立ち上がり、歩き出そうとして一歩を踏み出す。捻挫した右足首から生じた激痛が義央の下半身から力を奪い、義央は地面に倒れ込んだ。
「ギッ…イイイイイイイイイ!!!!!」
倒れ込んだ際に咄嗟に伸ばした右腕の肘の部分から、乾いた音が聞こえた気がした。体重と勢いを支えられずに壊れた右肘のたてる悲鳴だとは知る由もなく。
全身の痛みと、右肘から聞こえた音の意味を悟った事による絶望とに、義央は地面を転がり廻り、泣き叫ぶ。
耳障りな鳴き声を、義央の背中に炸裂した衝撃が断ち切った。
◆◆◆
十一年後。義央は車椅子生活を余儀なくされていた。
あの日、公園に呼び出して、思う存分に甚振った少年に突き飛ばされ、階段の上から飛び降りた少年に背中を思い切り踏みつけられ、脊椎に重大な傷を負い。
義央は二度と立つ事が出来なくなり、野球生命を絶たれた。
下半身が動かなくなっただけで、上半身の機能は健在。頭脳もそのままであったの事は幸いといえた。
野球を断念し、優秀な頭脳を活かして父の会社に就職。幾つもの事業を成功させ、大きく発展させる事に成功した。
実家の名と、かつて将来を嘱望されていた悲劇の高校野球の名選手。その二つを有用に活用し、政界の大物とも繋がり、未来の政界入りも確実なものとした。
野球生命を絶たれた事は、義央の人生の大きな瑕疵ではあったが、義央が恵まれた天分を活かしに活かし、己が人生を歩んで行く事には何一つ変わらなかった。
それでも、義央は満足していなかった。
手に入る筈だったもの全てを、手に入れる事が出来なくされた。
大企業の次期社長としての現在。将来の政界での確固たる地位。
此処に、不世出の野球選手としての名声と栄光が加わる筈だったのだ。
己の人生は欠けてしまった。その想いは、二度と立つ事は出来ないと、医者に告げられた時から常に義夫の胸を抉り続けている。
己をこんな目に遭わせてくれた屑を、一家纏めて徹底的に虐げ、弾圧し、全員揃っての心中に追い込んでも溜飲は下がる事はない。
己の輝かしい人生を永遠に毀損した罪と、あの屑と屑の家族の命では、天秤に乗せることすら有り得ない。
数十億の金が動き、数万人が関わる巨大プロジェクトの指揮を執っているときも。
政界の大物たちと会談し、大企業のトップと会食している時も。
義央の胸には、空虚な穴が空き、その中で渇望が燃え盛っていた。
決して満たされぬ渇望に灼かれ、決して埋められぬ空虚を抱え。
義央がこの先どれだけのものを得ても、決して満たされる事は無い欠落。
元より凶悪この上なかった歪んだ精神が、さらに歪み狂っていったのは至極当然の事と言えた。
金で身柄を買った人間を犯し、苛み、獣に生きたまま食わせ、射的の的にし、人としての形がなくなるまで暴行を加えて惨殺した。
事業の、或いは政治家としての活動の邪魔になる人物は徹底的に攻撃して、一族諸共消し去る事が多々あった。
だからこれは只の応報。
今に至るまで義央が作ってきた無数の悪因の内の一つが齎した、只の応報。
◆◆◆
息を吸っただけで、肺腑が赤く染まりそうな程の血臭が室内に満ちていた、
部屋の一角に鎮座する巨大なベッドで、楠枝義夫は死に瀕していた。
鮮血で赤く染まったシーツの上で、陸に打ち上げられた魚の様に、力無く口を開閉させる姿は、義夫の生命がもう尽きることを如実に物語っている。
力無く仰向けに転がり、焦点の合わない虚な視線を彷徨わせる義央の上で、全裸の女が何度目かになるかも分からない位に、繰り返した行為を実行する。
能面の様な無表情で、ナイフを振り上げ、振り下ろす。義夫の身体が刃で穿たれ、鮮血が噴き出す。
義央に跨った女は、返り血で全身血塗れだったが、全く意に介した風も無く、刃を振り上げ、振り下ろす。
義央には判らない。自分を滅多刺しにしている女が、かつて自分の人生に永遠の傷をつけ、義央により一家心中に追い込まれた少年の恋人だったという事が。
義央は知る由もない。自分の身体に無数の穴を穿った刃が、かつて義央により破滅させられれ、義央への復讐を誓い、義央の警護となって機を窺う者から、女へと渡された事を。
義央が積み上げて来た憎しみが、今この瞬間に、義央を押しつぶしているだけだという事を。
義央は何も知らぬまま、その生を終える。
「しに…たく…ない……」
それでも義央は生にしがみつく。生きてもっと快楽を味わいたい。栄誉と名声を手に入れたい。
その一念で、致命傷を負った身体を無理矢理生かし続けている、
全身から抜けて行く力を掴みとろうとする様に、助けを求める様に、伸ばした左腕が、何かに触れて────。
◆◆◆
◆◆◆
“俺達は生まれも育ちも何もかもが違う。けれども、一つの共通項が有る。それは『被害者』だという事だ”
“幸いな事に、君と俺のサーヴァントは、戦う意思の無いマスターを駆り立ててまで、己の願望を叶えようとする手合いでは無い”
“俺達は手を組める。此処から脱出する為に”
“志を共にする陣営で結託し、我欲のままに聖杯を狙う奴等を全員排除する”
“その上で残った陣営のサーヴァント同士で戦い、勝ち残った最後の一騎のマスターが、全員の生還を願う”
“サーヴァントを失えば、数時間でマスターは消える。だが、この方法ならばマスターは消える前に此処から脱出が出来る”
肉体の裡に漲る力と意志とを感じさせる視線と声。どんな困難であったとしても、この男と共にあれば越えていける。そう、信じさせる声。
産まれながらにして、人の上に立つ才を────否、人の上に君臨する天運を持って産まれたと確信出来る男だった。
政界に身を投じれば一国の頂点に上り詰め、経済界に身を投じれば、世界そのものを支配し動かす大企業の長となれる。
そう信じさせるだけの、力と圧とを身に纏った言葉を、少女は信じた。信じてしまった。
そして今に至る。
聖杯を求めて、他の主従を皆殺しにしようとする魔術師とサーヴァント。とある廃ビルを工房として、人間を狩り集めては、悍ましい実験の素材としているという。
そんな存在が居ると聞かされ、結んだ同盟の初戦だとサーヴァントを従え、同盟を持ちかけて来た男と共に、意気揚々と出陣し。廃ビルの中に転がる無数の死体を見て。
そのあとは良く分からない。床と壁と天井が黒く波打ち、無数の死体から赤い帯が自分とサーヴァントに伸びたのは記憶している。
気がつけば床に転がり、サーヴァントの姿は見えず。自分は頭蓋を叩き割りたくなる様な頭痛に苛まれている。
薄い赤の色の床に横たわり、心臓が頭蓋骨の内側に移動したかの様な頭痛に苛まれながら、少女は甘言を信じた過去の自分を呪っていた。
脈動により脳の血管を血が巡る。その度に意識を失うことすら出来ない苦痛が襲ってkjる。
少女が従えていたサーヴァントの姿は、とうに見えなくなっている。念話にも、応えることは無い。生きてはいる。まだ死んでいない。只それだけだ。
「先ず一体」
激痛という言葉ですら言い表せぬ痛みの中にあってなお、鮮明に聞こえる女の声。
「凡人ではあるが、ないよりはマシというもの」
冷たいというよりも無機質な声。声そのものは、何時でも何時迄も聴いていたいと思う程の美声だが、一切の感情が存在しない。
声を聞いただけで理解出来る。この声の主は情など持たぬ化物だと。
「だ…だれ……」
肉体の存在すら知覚出来ない程の痛みに苛まれながら、少女は声の方へと目線を向けようとして───否出来なかった。
既に身体を動かす事すら能わない。痛み以外が意識のうちに存在しない。至近の死が確定していても、恐怖を感じることは無かった。
「ガギッ!?イイイイアアアアアアアアあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」
頭部七穴から鮮血を流し、絶叫しながら痙攣する少女を、女は無感情に見下ろしていた。
赤い、血で染め上げたかの様な赤い衣服を纏った女だった。見るものが見れば、中国は唐代の貴人の装束と判るだろう。
最上級の絹糸で織られたといっても信じられる、僅かに赤みを帯びた黒い髪。ブラックダイヤを思わせる輝きを放つ感情の無い黒瞳。
顔の中心にあって造形美の極致とは何であるかを主張する鼻梁。色の薄い朱唇は男であれば────女であっても吸い付きたいと思う魅了を放っている。
凡そ美女という概念の擬人化ともいうべき容姿の女だった。
「存外に早いな。私の時は、もう少し掛かったが、素になった人間の差か?」
少女の眼球が、内側から圧されたかの様に迫り出す。全身が激しく痙攣し、背骨が折れそうな程に体を退け反らせる。
頭蓋骨の内側に何かが潜み、外に出ようとしているかの様に、頭部が膨張する。
もはや声ですらなく、奇怪な音を発するだけになって少女に向けていた視線を外し、女は右へと顔を向けた。
「ご足労頂き、有難う御座います。“母上”」
女の向けた目線の先、埃の積もったソファーに腰を下ろすのは、鍛えられた身体を持つ長身の“男”。第二次聖杯戦争のマスターとしてこの偽りの東京に在る楠枝義央その人だ。
少女と少女の従えるサーヴァントを欺き、死地に誘い込んで平然としている精神性は、楠枝義央その人だが、何処かで“違う”と感じさせるモノがある。
“母上”と呼ばれた義央は、その事について何も反応を示さず、ただ鷹揚に頷いただけだった。
「あまり出来は良く有りませんね。我が婿と違い、所詮は凡人で有る以上は仕方がありなせんが。それでも、貴女の“妹”ですよ」
「理解していますよ」
そっけなく答えて、女は脚で義夫の前にオフィスチェアを動かすと腰を下ろした。無作法な振る舞いに義夫の眉が顰められる。
「行儀が悪いですよ」
「素が素ですので…。取り繕う事は出来ますので良しとして頂きたく」
義央に窘められて、女は淡々と答えた。
「今まで他のマスターが見つからなかったので、貴女に任せ切りでしたが、こうして身体を動かすというのも、中々に悪くは無いですね」
「母上、あまり単独で行動されては、我等の大願成就の為には、貴女は生きていなければなりません。我等と違って、変わりは居ない身なのですよ」
「分かっています。貴女の、貴女達の為にも、私は在り続けなければならないのですから」
楠枝義央を知る者全てが我が目を疑うであろう、慈愛に満ちた笑みを浮かべて、義央は痙攣するだけの少女を見下ろした。
「産まれますよ」
義央の声と同時、元の大きさから数倍にまで膨れ上がっていた少女の頭部、その頭蓋の部分が爆ぜ、脳の収まっている部位から、一匹の巨大な蟻が這い出て来た。
「……私もこの様に産まれたのですか?母上」
「いえ、最初に産まれる貴女は別ですよ。婿殿の臓物で育ちました。婿殿が優秀であった為か、倍の時間を要しましたが」
頭蓋が破裂して死んだ少女から産まれた巨大蟻を、愛おしくてたまらぬといった風情であやしながら、蟻へと義夫が語る。
「さぁ、貴女の群れを率いなさい」
床が壁が天井が波打ち、複数の薄い赤い色の帯が蟻へと伸びて、身体に纏わりつき、姿形を変えていく。
数分後。死んだ少女の骸は何処にも無く。死んだ少女そっくりの姿の“モノ”が立っていた。
「服を着なさい。そのなりでは外を出歩けませんよ」
「はい…かあさま」
死んだ少女の姿をした“ナニカ”は応え、身体の表面が波打ち、変化する。数秒で、二十一世紀の日本の、私服姿の女子高生といった風情の衣服を身につけていた。
「それでは…妹が出来た以上、これまでの様に名無しというわけには参りませぬ。母上、名を賜りたく存じます」
「そうですね……。ではこの子の名前は追々考えるとして、貴女の名前は“槐(えんじゅ)とします。良いですか?」
「エンジュ。エンジュですか……ええ、私たちに縁深い名ですね」
「かあさま、食べても良いですか」
生まれたばかりの少女が、如何にも物欲しげな風情で、東部の爆ぜた骸を指差していた。
「構いませんよ」
「有難う御座います」
少女の口元が歪んで裂けると、昆虫の顎を思わせるモノが迫り出す。二、三度確かめる様に顎を開閉させた少女は。
「頂きます」
死体に齧り付いた。
◆◆◆
楠枝義央は得意の絶頂にあった。
一国の女帝に娘婿として乞われ、公主(皇女)と結婚して玉座に座り、階(きざはし)の下を睥睨すれば、遥かに望む地平線。更にはその先の見果てぬ大地の悉く。大海を渡った先にある大陸すらもが彼の領土だった。
領土を巡幸すれば、地の果てまでをも埋め尽くす大群衆が歓声を以って迎えた。
義央の下知ひとつで百万の軍勢が動き、義央の指し示した国を灰燼と帰さしめた。
此れこそが。と思う。
此れこそが俺の求めていたものだと。
富。名声。力。この世の全てが義央のものだった。
「主上(マスター)」
義央が今まで抱き、嬲り、責め苛んできた女達が、カボチャの山にしか見えない美女が、義央の足元に跪き。義央の求めに応じて肢体を捧げる。
この世の全てを手中に収め。楠枝義央は口元を醜く歪めて笑っていた。
◆◆◆
「如何なる夢を見ているのか」
東京都は千代田区にある大豪邸。初見では森と勘違いする者が後を経たない広大な敷地に囲まれた邸宅。
使用人が数十人派住んでいてもおかしくは無いその邸宅に、現在住まうのは僅かに一人。
実際のところ、人数という点で言えば数十人を数えるが。
屈強な男が5人は横たわれる巨大ベッドに眠る男。楠枝義央だけが、この屋敷の“生きた”住人だった。
「母上が活動なさる為に修復したか。此処に連れて来ればその様な必要は無かった。無駄と言えば無駄な事をしたな。まぁ、母上が楽しめたのであればそれで良い」
ベッドの上で、死んだ様に眠る義央を見下ろしているのは、槐という名を得た美女だった。
「母上。動かさぬのであれば、部下を戻して頂きたく」
義央以外の誰かに向かって呟くと、目を閉じて二、三度頷き。義央に向かって右手を伸ばす。
「おいで」
義央の皮膚が波立ち、無数の薄赤い点となって槐の右手へと動き出す。
良く見れば、無数の点は蟻、イエアリと呼ばれる蟻だと判るだろう。
槐の右手へと伸びる蟻の列が途切れると、後に残されたのは無惨を晒す義央だった。
四肢は無く、残った胴は肉がろくに無い骨と皮だけという惨状。顔は鼻と唇が存在せず、左右の眼球の部分は黒々とした穴が空いている。
一見すれば、骸としか見えぬ。
だが、肉がすっかり落ちた胸部は、目を凝らさずとも弱々しく脈動する心臓が確認できる。僅かに膨らみ、そして萎む胸部は、義央が呼吸をしている事を物語っている、
楠枝義央は生きている。だが、それは只、死んでいないというだけだ。
槐が手を打ち合わせる。一度。二度。三度を数える前に、二人のメイドが室内へと入ってくる
「主上(マスター)の世話を」
それだけを言うと、首を垂れて主人への礼節を示す従僕達を残して、槐は部屋から出て行く。後は任せておいて問題は無い。
この屋敷に使える者達は、決して裏切らないし、ミスもしない。
この屋敷に“生きている人間”と呼べるのは義央のみ。他のものは、“母”が槐を産み落としたその日の内に、槐の産み出した蟻により全員が殺され、傀儡と変えられた。
必要がある為に肉体は生かしてはあるが、人としては死んでいる。何より槐の“母”が消えれば彼等は死ぬ。
「群れを増やし、妹を増やし、数をどれだけ揃えても過剰ということは有り得ない」
“群れ“を増やす為に人を用意し。“妹”を増やす為にマスターを探し。
今回は“母”の協力もあって上手くいったが、あなり“母”を他のサーヴァントの前に晒すのは避けたいところ。
「やはり先ずは群れを大きくして…。他の者どもに気付かれても厄介だが……。気付かれにくい手合いを見繕うか」
例えば反社。例えばホームレス。消えても気付かれにくい人間というものは確かに存在する。東京ともなればその数は膨大だ。
「慎重を第一に。我等の大願成就の為に」
屋敷の廊下を歩きながら、槐は聖杯戦争を勝ち抜く算段を組み上げていた。
「あの時夢見た、人としての生。是が非でも掴んで見せる」
◆◆◆
『南柯之夢』という言葉が有る。人の生の儚いことを表す言葉だ。
一人の男が酔って槐の木の下で眠り、大槐安国という国招かれ、国王に南柯群の太守となるよう頼まれ、王女の婿となって栄華を極め、二十年を過ごした後に、目が覚めた。
目が覚めた後に周囲を調べると、槐の樹の下に二つの穴が有り、中には大きな蟻が営巣していた。
この巣が大槐安国であり、もう一つは槐の木の南に向いた枝へと通じていた、この穴が南柯であった。
男は夢に蟻となり、二十年の時を一睡の内に過ごしたのだ。
楠枝義央が召喚したサーヴァントは、この『南柯之夢』が、蟻を依代として実態を得たもの。
絵本のジャンルがサーヴァントとなったナーサリー・ライムの亜種。
特定の物語に依らないナーサリー・ライムと違い、たった一つの物語に依る『南柯之夢』は、一つの姿、一つのカタチしか取り得ない。
蟻を核とし、マスターに夢を見せるサーヴァント。それが楠枝義央の召喚したモノ。
楠枝義央は己が現状に気づくこと無く。夢の中で栄養栄華を恣にし続ける。
サーヴァント
【クラス】
キャスター
【真名】
『南柯之夢』
【属性】
中立・中庸
【ステータス】
筋力 A 耐久 D 敏捷 B 魔力 D 幸運 B. 宝具B
【クラススキル】
陣地作成:C
魔術師として、自らに有利な陣地を作り上げる。
“巣”を作る出す事が可能。
道具作成:D
魔術的な道具を作成する技能。
軍隊蟻の行進に際して、蟻が集まって橋を作るのと同じ要領で道具を作成できる。
その使用上、簡易な構造のものしか作成出来ない。
【保有スキル】
増殖:A
女王及び公主が血肉を喰い、喰った分だけ卵を産む事で爆発的に増殖する。
通常は『南柯之夢』の核となったイエアリが産まれるが、通常よりも多くのリソースを割く事で、バクダンアリの様な異なる蟻を産む事が可能。
なおシロアリは蟻でない為に当然の事だが産めない
陣地侵食:B
イエアリとしての性質。陣地の中に侵入し、何らペナルティーを受ける事なく活動出来る。
蓄積してある魔力リソースを奪うことも可能。
陣地そのものは食い潰せない。
魔力放出(毒):C
要は蟻酸を魔力をリソースとして生成。直接撃ち込むなり水鉄砲の要領で飛ばすなり出来る。
仲間の蜂と違って毒がウリでは無い為このランク。
怪力:A
一時的に筋力を増幅させる。魔物、魔獣のみが持つ攻撃特性。
使用する事で筋力をワンランク向上させる。持続時間は“怪力”のランクによる。
蟻の力持ちっぷりは有名である為にランクは高い。
【宝具】
大槐安国(巣)
ランク:C 種別:対人宝具 レンジ:ー 最大捕捉:一人
物語に於いて夢の中の国であった大槐安国を作成する。
女王若しくは公主が作成できる。
適当な人間の頭蓋の中にに入り込み、脳を喰らい尽くして自身が脳機能の代わりとなり、入り込んだ人間の血肉を喰らって卵を産む。
当然営巣された人間は生体的には生きているが、脳が喰われ尽くす為に、人としては死んでいる。
卵から孵った蟻の能力は、営巣された人間の能力に比例する。つまり優秀な人間を巣にすれば優秀な蟻が産まれる。
群れを構成する蟻は、人しか食えず、一万匹の群ならば、一日に成人を二人消費する。
女王及び公主はサーヴァントも喰える。餌としては人間よりも上質との事。
ある程度蟻を産めば、産んだ蟻に脳機能の代行を任せ、後述の宝具を用いて活動する事が出来る。
女王はこの陣地の中でのみ、“公主”の卵を産む事が出来る。
公主
ランク:C 種別:対人宝具 レンジ:ー 最大捕捉:一人
女王が産み落とす“次代の女王”となる蟻。
聖杯戦争を戦うマスターの身体に埋め込む事で孵化し、脳を喰らい尽くして人としての知識を獲得して、頭蓋を破砕して誕生する。
公主は営巣し、新たな大槐安国を築いて卵を産み、新たな群れを築いてゆく。
公主の能力および性格は、苗床となったマスターに依る。
公主はそれぞれが独立して群れの主人であるが、互いに対立したりはしない。
女王、若しくはその代理である第一公主の命令に対しては忠実に従う。
蟻装
ランク:C 種別:対人宝具 レンジ:ー 最大捕捉:一人
産み出した蟻を用いて、人の世界で活動する宝具。
蟻を人の頭蓋の内側に入れて、脳を食い尽くさせ、蟻に脳機能を代行させる事で、蟻を入れた人間を自身の傀儡とするものと。
公主が産み出した蟻を纏う事で、人に擬態するものとがある。
前者は人間の肉体を乗っ乗っ取っているだけだが、痛みを感じず、肉体の崩壊を全く気にせずに活動できる為に、人外じみた身体能力と耐久性を持つ。
更には肉体の損傷を蟻により補う事が可能な為、撃破は困難を極める。
後者は、蟻の群れの制御を司る公主を殺さない限り、幾ら身体を粉砕しても、蟻が尽きない限りは再生し続ける。肉体の形を変化させる事や、蟻を用いて武器を製作することも可能。
『南柯之夢』
ランク:C 種別:対人宝具 レンジ:ー 最大捕捉:マスター
マスターに『自身が王となり、一国を意のままに支配する』夢を見せる宝具。
宝具の中に捉えられたマスターは、王として国に君臨する。
現実で群れを構成する蟻が増える程に、夢の王国の住人は増えて行く。
女王の産み出した公主は、全て夢の中でマスターに侍る後宮の美女となる。
つまり公主が増えるほどにハーレム度合いが増して行く。
【weapon】
軍隊蟻の組体操の要領で作り上げる武器。空気鉄砲の要領で銃も作れる。射出される弾丸は蟻の塊である為に、当たると標的の血肉を喰らい出す。
【人物背景】
一人の男が酔って槐の木の下で眠り、大槐安国という国へ招かれ、国王に南柯群の太守となるよう頼まれ、王女の婿となって栄華を極め、二十年を過ごした後に、目が覚めた。
目が覚めた後に周囲を調べると、槐の樹の下に二つの穴が有り、中には大きな蟻が営巣していた。
この巣が大槐安国であり、もう一つは槐の木の南に向いた枝へと通じていた、この穴が南柯であった。
男は夢に蟻となり、二十年の時を一睡の内に過ごしたのだ。
この物語がサーヴァントとなったもの。
召喚された『南柯之夢』は、手近にいた蟻を核として現界し、マスターに栄養栄華を恣にする夢を見せる。
マスターは何も知らずに眠ったまま。『南柯之夢』はサーヴァントとして、マスターの血肉を以って群れを増やしながら聖杯戦争を戦う。
【外見・性格】
女王は楠枝義央の体内に潜む巨大蟻。行動する時は義央の身体を蟻で修復して、楠枝義央として振る舞う。
義央の精神や記憶を把握して、知識や技能を全て用いる事が出来る為に、大抵の事は高水準でこなせる。
素の性格は、公主達や群れの蟻に対しては慈母の様に接し振る舞う。人間を始めとする他の生物は資源としか見ていない。
槐(えんじゅ)
第一公主。楠枝義央の臓物悉くを食い尽くして産まれた最初の公主。
性格は義央のそれを強く受け継ぎ、嗜虐的で冷酷傲慢。
義央の脳力も受け継いでいる為に、身体能力も知能も高い。
尊大に振る舞うが、女王に対しては敬意と礼節と娘としての情愛を持って接する。
妹達には尊大ではあるが確かな情愛と、姉としての義務感を持っている。
人としての外見は、僅かに赤みを帯びた黒髪黒瞳の美女。
なお白蟻呼ばわりされるとガチギレする。
【身長・体重】
槐:『本体』15cm (蟻装)181cm・72kg(可変)
女王:25cm
【聖杯への願い】
女王【娘(公主)達を人としたい】
槐【人になりたい】
【マスターへの態度】
女王【良い娘が産まれました】
槐【良質な資源】
マスター
【名前】楠枝義央/Kusueda Yoshio
【性別】男
【年齢】28歳
【属性】秩序・悪
【外見・性格】
見た感じは日焼けした鍛え込んだ身体の美青年。
性格は外面は礼儀正しく品行方正で正義感の強い好青年。
実際は暴力を好み、人をいたぶり殺す事を何よりも愉しみとする。
【身長・体重】
193cm・78kg
【魔術回路・特性】
質・C 量・B
【魔術・異能】
不明。
【備考・設定】
ある地方の有数の名家に生まれ、知力体力共に冠絶し、容姿にも優れた神童として育つ。
将来を嘱望されていた高校野球の名選手だったが、不幸な事故により野球生命が絶たれる。
それでも冠絶した頭脳を活かして、親の会社に就職。幾つもの事業を成功させ、悲運の高校野球の名選手という経歴と合わせて政界入りを目指していた。
誰に対しても礼儀正しく、誠実に振る舞う爽やかな好青年。産まれ持った才能と、実家の権力財力に驕らず、研鑽と自省を怠らない努力家。
◆
というのは表向きの顔であり、実際には実家の力を傘に、自身の名声を隠れ蓑に、およそ犯罪という行為は大抵の事をやり、暴虐を恣にした暴君。
家族込みで、反撃出来ない相手を選ぶ為に、今まで発覚した事はないが、学生の時点で10人以上を自殺に追い込んでいる。
十七の時に、人を殺してみようと思い立ち、暴行を日常的に加えていた少年に、恋人を連れてくる様に要求するも、少年の逆襲に遭い下半身付随となる。
それでも明晰な頭脳と自身の境遇を活かして、親の会社で活発に働き、幾つもの事業を成功させる。
だが、完璧な筈だった人生が損なわれた。永遠に消えぬ傷がついたという事実が、元より凶悪だった義央を狂気へと駆り立てる。
裏で無数の人間を惨殺し、その十倍の人数に生涯癒えぬ傷をつけた義央は、かつて彼が一家心中に追い込んだ少年の恋人により殺害されたのだった。
【聖杯への願い】
そもそもが聖杯戦争に臨んでいるという意識が無い。
更に言えば彼の願いは夢中とは言え叶っている。
【サーヴァントへの態度】
(槐に対する感想)俺の欲望を全て受け入れてくれる極上の女。
女王とは面識が無い。
投下を終了します
投下します。
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■■■・■■■■■■は、炎の夢の中で"前回"を回顧する。
掠れた記憶の中の像が、炎に写る陽炎のように巡る。
───完璧な舞台のはずだった。
真の目的を悟らせることなく、水面下で十分に準備を進められたはずだった。
ろくに魔術を使えないという、聖杯戦争における大きな弱点を隠し通せていたはずだった。
五人の魔術師と、一人のただの少女、そしてその使い魔たちの動きも、なんとか大枠では計画のうちに収められていたはずだった。
何度追い詰められようと───当然のように脱出し、あいつらを笑っていたはずだった。
もうすぐ、聖杯戦争というゲーム盤を覆し、逃げ出すことが可能なはずだった。
「はず、だったんだけどなあ」
■■■は呟く。
───英雄の舞台に、妥当な予測など存在しない。
そう言うかのように、"あの子"は、神寂祓葉はあっさりと■■■の舞台をぶち壊しにした。
あの子がやったのか、それとも誰かにやらせたのか、それとも全てはただの偶然で、それを必然かのように笑っていたのか───
何も分からないうちに、■■■は焼け滅ぶ東京で光の剣を向けられていた。
そして───
★★★★★
★★★★★
聖杯戦争の予選が始まって、最初の夜。
とっくに門の閉ざされた、夜の高校の一角。
暗幕で窓を覆った小体育館の、台を積んだだけの質素な舞台の上にはタキシード姿の少女が立っている。
観客は、パイプ椅子に座る少年1人。
それでも少女の舞台は、一切の妥協をしない。
カード、ボール、スティック、リング、花びら。
舞台の上で、現れては消え、彼女の舞台を美しく彩る。地面の上に落ちるものは一つもない。
先ほどまで普通のカードだったはずのトランプが、一瞬で少年が指定したカードに全て揃う。投げたボールが空中でリングに代わり、その中から紙吹雪が落ちる。息もつかせぬ、達人の舞台。
彼女は白い手袋をしている。手品師にとっては、手袋をするのは手枷をするのと同じようなものだと、少年はどこかで聞いたことがあった。それでも彼女の舞台には、一切の曇りがない。
それだけの技術が、彼女にはある。
ただの手品だよと少女は言う。この聖杯戦争で目覚めたばかりの魔術師である少年でも、それが真実であることははっきりと解った。
(嘘を暴く固有魔術なんて、使うまでもない)
(本当に、彼女は、一切の魔術を使ってない)
少年の座るパイプ椅子の下には、血溜まりが出来ていた。彼は既に、手当をしなければ命に関わる傷を負っている。
───彼は気にしない。サーヴァントを失った自分は、傷による死よりも早く、聖杯に魔力として還ることになるだろうから。
この一夜の舞台の目的は、少年の葬送だ。
初戦で敗れ相棒を失い死に瀕し、この高校に逃げ込んできた彼への、少女の善意。
やがて少女の舞台は、盛大な終わりを迎える。
助手すらいない舞台で、彼女は手際よく"脱出マジック"をこなしてみせた。
慌てる所作までも彼女の筋書き通りの、完成された美しい舞台。少年は傷など気にせず、惜しみなく拍手を送る。
少女は仰々しく、堂々と一礼をする。
「本日は"ハリー・フーディーニ"のショーにご来場いただき、誠にありがとうございました」
「またのご来場を心より、お待ちしております」
───一体何故、アメリカ史上、いや世界で最も有名な奇術師が、何枚もの写真の残る、男であったことが確定しているはずの人物が、少女の姿で聖杯戦争に参加しているのかなど、少年は知らない。
けれど彼の"嘘を見抜く"魔術が、彼女が真に"ハリー・フーディーニ"であることを保証している。それ以上に、彼女の手品の技術が、その名乗りに偽りのないことを証明している。
(気になるけれど。手品の種を聞くのなんて、無粋なことなんだろうな)
既に体の端から、彼の体は溶けて消えようとしている。
少年は最後の言葉を振り絞って、"ハリー・フーディーニ"に語りかける。
「………本当に、ありがとうございました。ハリー・フーディーニさん」
「素晴らしい、夢のような舞台でした。聖杯戦争に敗れて消えゆくだけの僕には、勿体無いくらいの」
少年が告げなければならないことは、もう一つある。
「あなたに、謝らないといけないことがあるんです」
少年の袖から、ナイフが滑り落ち、血溜まりに落ちてぱしゃりと血が跳ねる。
「本当は───最後まで、どうしても諦められなくて。あなたのマスターを未練たらしく探して、脅してでも生き残ろうとしてたんです」
「こんなことまでして頂いたのに、本当にごめんなさい。消える前にこれだけは、謝っておきたくて」
少年は俯く。
彼の頭上から、声が降ってくる。
いつの間にか"ハリー・フーディーニ"は、直ぐ側まで来ていた。
「そんなこと、気にしなくてもいいのに」
「───けど。あなたの秘密を教えて貰った代わりに、一つだけ私の秘密を教えてあげる」
手品のタネを明かすのはご法度なんだけど、今ならいいよね。そう呟くと、彼女は左手の手袋を脱ぐ。
───その手の甲には、赤い令呪があった。
「え」
「"私はハリー・フーディーニ。"そうは言ったけど、サーヴァントだとは言ってなかったよね」
呆然と見上げる少年を、堂々とした笑顔で少女は見下ろす。
少年ですら知っている。ハリー・フーディーニは男で、とっくの昔に死んでいる。なのに、なぜマスターとして、少女として、生きてここに───2024年の、東京にいる?
「改めて、名乗ろうか」
「私の名前はハリー・フーディーニ。"脱出王"。"不死身の男"。"不可能を可能にする男"」
「かつての約束の通り、ついに冥界からも脱出し、生と死の軛からも脱出した、ただ一人の手品師」
「───今生の名前は、山越風夏。"ハリー・フーディーニ"の、三回目の人生。この高校の、ただ一人の手品部員。そして、聖杯戦争のマスターだよ。」
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"嘘を見抜く"魔術を、こんなにも疑ったことはなかった。
どれだけ確かめても、"ハリー・フーディーニ"の、山越風夏の言は完全に真実だ。
少年はただ呆然と、少女を見上げる。
「何、で………」
「あなたは、魔術師でも、なんでもない………ただの手品師なのに」
少年の口からこぼれ落ちた言葉に、山越風夏は笑う。
「人が生きるのに、魔術なんてものが必要な訳ないよ」
「技術と精神が十分にあれば、人は本来なんだって出来るんだ」
「人の知覚出来るはずもない、冥界で意識を保つことも。誰一人抜け出したことのなかったタルタロスから、抜け道を見出すことも。魂だけで、冥界から抜け出すことも。他の身体に入って、もう一度生き直すことだって」
───ハリー・フーディーニは、生前"死後の世界が存在するなら、必ず脱出し連絡する"と妻に約束していたという。
無論、連絡などなく、天才的な手品師でもついに死の運命には逆らえなかった、という有り触れた話のはずだった。
しかし、事実は異なる。
ハリー・フーディーニにとって計算外だったのは、ただ"時間"だけだ。
脱出を成し遂げ、冥界から出た時には、既に85年が経過していて───連絡するべき妻も友人も、死に絶えていたというだけの話。
「………"脱出王"、"不死身の男"、"不可能を可能にする男"………本当に、ただの手品で、死から逃れていたなんて」
「"ハリー・フーディーニに、脱出出来ない場所なんてない"んだよ。例え、地の底の暗い死の国だろうとね」
どれほど魔術のように見えようと、"ハリー・フーディーニ"の持つ力はただ技術のみだ。
天才的な奇術師は、"脱出王"は、ただ"技術"のみで死からの超克を───死からの脱出を、為したのだ。そう少年は悟る。
「は、はは」
あまりの隔絶に、笑うしかない。
少年の消滅の速度は増しており、もう幾ばくの猶予もない。
「そろそろ、終演の時かな」
山越風夏は屈託なく微笑む。
「もしまたいつか、死後の国で───あるいはもし、こちらで会えたら、もう一度"ハリー・フーディーニ"の舞台のチケットをあげる」
「改めて。───またのご来場を心より、お待ちしております」
少年は最期に、なんとか笑顔を返そうとした。
それが叶ったのかも分からないまま、少年の意識は聖杯に溶けていった。
一日にも満たない彼の聖杯戦争は、こうして終わった。
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「───残酷なことをするね」
少年が消滅して間もなく、山越風夏のサーヴァント───ライダーが、小体育館に帰還する。ライダーの容貌は、猫耳猫尻尾のスーツ姿の、まだ幼さを残した、可愛らしい少年だ。
どこか猫に似た笑顔を浮かべているが、山越風夏を見る目は鋭い。
「君にとっては、この舞台なんてただの手品の練習に過ぎないんだろうけどさ」
「そのついでに、万が一、不意打ちで不覚でも取らないように、話術とトリックでこいつの行動を縛っただけ」
「あいつが"嘘を見抜く魔術"を持ってたことくらいすぐ当てて───"私の真名はハリー・フーディーニ"だなんて言い方をした。サーヴァントだと───未熟なあいつじゃ勝てない相手だと、思わせた訳だ」
ただ一つ残った少年の痕跡である、ナイフを拾い上げながらライダーは呟く。
山越風夏は不満げに口を開くが、何かを言う前にガシャンと鎖の音が響く。ライダーの背後に現れた浮かぶ棺から伸びる鎖と手枷が、山越風夏の両手を封じている。
「………あなたがもう少し協力的で、素直に私を守っててくれればなぁ。変な意味なんてなしに、単に手品を見せて、安らかに送ってあげるだけになってたのに」
「それにもし、助手をやってくれたら、もっとずっと、出来ることだって増えてたんだよ」
不満げに頬を膨らませる山越風夏に、笑顔のままでライダーは首を振る。
「聖杯戦争を真面目にやる気のない手品師に、従えって言われてもなあ」
「ぼくの真名くらい暴いてみなよ。───"ハリー・フーディーニ"。手品師にして、オカルトハンター。他人のトリックを暴くのなんて、お手のものだろ?」
アメリカの天才手品師、ハリー・フーディーニ。
彼の肩書はもう一つある。
"オカルトハンター"。当時のオカルトブームに乗った詐欺師たちのトリックを暴き、自らの手品の糧としていった男。
一体誰が、世界最高の手品師を騙せるだろうか?
「………はぁ。あなたがそれで満足するなら」
山越風夏はため息をつきながら、軽く腕を振る。あっさりとライダーの手枷と鎖は地面に落ち、彼女の両腕は自由になる。
"脱出トリック"の達人、冥界からも脱出した手品師は、例え宝具の一部であろうと"拘束"し続けることは難しい。
とはいえ英霊の拘束を今回これほどあっさり解けたのには、理由がある。
「この鎖、冥界で───タルタロスで、見たことがあるんだよね。死神タナトスの鎖」
二度と縛られたくなかったんだけど、とぼやきながら、鎖を手で持つ。
あっさりと拘束から抜け出せた理由は、彼女自身がかつて縛られ脱出した"経験"だ。
「まさか神様、タナトス本人なんて召喚出来る訳ないし、縛られてるだけの罪人共でもない」
「ってなると、答えは一人───死神をだまくらかして、その鎖で自分自身を縛らせて"死から"逃げ出した、ギリシャの詐欺師。二度死神を騙した、タルタロスの罪人」
まさしく"私"らしいね、と二度死から蘇った少女は笑う。猫の少年も、それに合わせるように笑う。
山越風夏の知る人類史の中で、"タナトスの鎖"に関連する英霊など、ただ一人しかいない。
"徒労"の象徴。死神を騙した報いとして、タルタロスで永遠に岩を押し続ける狡智者。英雄オデュッセウスの父。
「あなたの真名は、シーシュポス───
って思わせるところまでが、あなたのトリック。違う?」
「はは。あはははっ───君なら、今の君なら、これで充分かと思ったんだけどなあ」
そうだ。
"山越風夏が知る人類史の中には、シーシュポス一人しか該当者がいない"
けれど。
「狡知で知られたシーシュポスが、自分の真名に繋がる鎖を見せびらかして、真名を当ててみせろなんて挑発はしないでしょ」
未だ"人類史"ならぬ現在ならば。未来ならば。
もう一人"タナトスの鎖"に届きうる英霊がいる。
冥界を、自由に出入りすることの出来る人物を知っている。
死の概念そのものたる"タナトスの鎖"を容易に外すことの出来る人間を知っている。
あるいは遥かな未来で、このような猫少年の姿になるかもしれない人間を知っている。
"棺"を脱出し、魂だけで時代を渡る、旅人を───ライダーを知っている。
「未だにちょっと信じられないけど、でも答えはそれしかない───あぁ、本当に、"私"らしい、大胆なトリックだよ!」
「ライダー、あなたの真名は───ハリー・フーディーニ。そうでしょ」
英霊の座には、時間の概念は存在しないと聞く。
ならばこういうことも、あるいはあるのだろう。
"英霊"に至った、自分自身と対面することも。
「あははっ。弱ったね───君の"得意分野"で圧倒してやれば、少しは大人しくなるかと思ったけど、舐めすぎたか」
ライダーは笑う。
「正解───ハリー・フーディーニさ、ぼくの真名は」
「タルタロスも、黄泉比良坂も、ジャハンナムも、ゲヘナも、ヘルヘイムも、シバルバーも───およそあらゆる"死後の国"から抜け出した、脱出王」
「ぼくは君の、ある一つの未来の姿。"九回目"の人生の果てに、運命に追いつかれた奇術師。精精よろしく、"ハリー・フーディーニ"」
ライダーは山越風夏に手を振る。
"ハリー・フーディーニ"が、"ハリー・フーディーニ"に召喚されている。
そのことを確信した山越風夏は、
───満面の笑みを浮かべていた。
「凄い、凄い!今度はどんなサーヴァントかなって色々考えてたけど、予想以上だ、満点だ!」
歓喜する山越風夏に、ライダーはたじろぐ。
「………どういう意味?その喜びは」
「"私"なのに分からないかぁ。まあ、そうだよね」
「"私"だけど私じゃない。"あの子"との舞台があなたの中にあるのなら───きっと、あなたは聖杯なんて求めてない。あなたは、"あの子"と出会わなかった私」
ふふん、とでも言いそうな得意げな顔で、少女は語りかける。
「私の目的は、"脱出マジック"なんだから───武術の極みの戦士とか、智謀の頂点の魔術師だとかは、別に必要じゃないんだ」
「要るのは"手品の助手"だよ、ライダー。だから満点なんだ。」
そうだ、そうだよと山越風夏は───太陽に焦がされた"ハリー・フーディーニ"は続ける。
「もう一人の"ハリー・フーディーニ"が手品の助手をやってくれるなんて───考えうる限り、最高のステージになるに決まってるよ」
ライダーの猫の笑みは途切れる。こいつは───目前の"自分"は、何を言っている?
ある種見慣れたはずの手品の舞台の上で、滔々と願いを語る"自分"が、山越風夏が、理解できないものに見える。
「何を…何を言ってる?これは聖杯戦争。ただ一つの願いのために、ただ一人の勝者を決める戦い。ぼくらのマジックで何をしようっていうのさ。ここは誰だって逃れることの出来ない、聖杯により形づくられた世界───」
「"ハリー・フーディーニに、脱出出来ない場所なんてない"。そう、"私"たちは言ったんだよ」
当たり前のように、山越風夏は言い放つ。
"1回目のハリー・フーディーニ"の、謳い文句を。
「確かにあなたの言うとおり。この世界は聖杯戦争のためだけに形作られた、誰一人逃さない世界───絶対に、脱出出来ない世界。間違いない」
「そうだからこそ、この世界から脱出することがマジックになるんだ。そのためにあの子は、この舞台を作ってくれたんだよ」
空き教室に組んだマジック舞台に、窓から射す光。暗い教室で照らされた、笑顔の下に狂熱を宿す少女は、本当に"自分"なのだろうか?
「そんなことをして、何になるのさ。聖杯に、万能の願いに、可能性に背を向けて。無益な脱出を、最初から願うだなんて」
ライダーの猫の目が、山越風夏をはっきりと見る。
「君に、一体、何があった?何が、ぼくを───"ハリー・フーディーニ"を、そこまで狂わせた?」
「ははっ。さっきと逆だね」
舞台の上で、山越風夏は仰々しく一礼をする。
手品師のショーの、始まりのように。
「私の名前は、山越風夏。"ハリー・フーディーニ"の、三度目の人生。二度目の人生の終わりに"あの子"に、神寂祓葉に───最良の観客に、世界の主演に、出会えた手品師」
〈はじまりの六人〉の一人は、魔術師を騙る手品師は、司会者のごとく堂々と開演の言葉を述べる。
「此度の演題は"聖杯戦争からの脱出"!」
「かのハリー・フーディーニですら、一度は失敗した大舞台、どうか最後まで目を逸らすことなくご覧ください」
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★★★★★
ライダーは猫の目を、壇上の少女から外すことが出来ない。
「………神寂、祓葉。そいつは一体、君に何を」
「ちゃんと言葉を交わしたのは、ほんの僅かだったかな」
「けど───あの子の言葉で私は、不出来な前回をやり直すために、"自分で"また蘇ったんだ」
「後ろなんて見ることもなく、黄泉比良坂を駆け上がって!」
山越風夏こと、ハリー・フーディーニ。
彼女は他の〈はじまりの六人〉とは異なる側面を持つ。
神寂祓葉の願いにより蘇った他五人とは違い、ハリー・フーディーニは自ら蘇り、そしてこの聖杯戦争に呼び出された。
それゆえに"第一次聖杯戦争"に参加した"二度目の人生"とは、姿、どころか性別までも変わっている。
「こんなに嬉しいことはないよ。例えどこにいようと、もう一度会いに行くつもりだったけど、あの子は聖杯まで使って私を呼んでくれた。こんな舞台を作ってくれた。私の再演を、望んでくれた」
最後に神寂祓葉と交わした言葉を、覚えている。
ハリー・フーディーニの秘密───蘇りをすべて話した時の、あの子の何かを思いついたような、とびきりの笑顔を覚えている。
「あの子は、本当に、楽しんでくれてたんだ」
「あの聖杯戦争を、アンコールを望むほど」
「───なら。エンターテイナーとして、不出来な舞台で───脱出の失敗なんて、下らないオチで終わらせちゃった舞台を、ちゃんとやり直さないとね」
ハリー・フーディーニ。
彼が手品師の始祖と呼ばれるのは、観客の度肝を抜く大規模なショーマジックの形式を確立し、手品師の地位を向上させたからだ。
彼は───あるいは彼女は、いつだって観客のために動いている。
太陽に焼かれた今では、その精神は更に純化されている。
観客が星の少女でも、臨終の少年でも。
"それに相応しい舞台"を彼女は用意する。
星の少女のために、自分どころか世界そのものを舞台の薪とすることになっても。
"ある未来の自分"だって、当然観客の一人だ。
「ライダー。君の願いを叶えてあげる。」
「何を………」
タン、と軽い足音が響く。
気づけば山越風夏は、ライダーの目の前に立っていた。
「わかるんだ。あなたは"私"だから」
「この熱があれば、意思さえあれば、"ハリー・フーディーニ"は、何度だって甦れる。にもかかわらずあなたが英霊の座なんかに座ってるのは───満足したからか、諦めたから」
「満足したなら、あなたが聖杯なんて求めるはずはない。あなたは───諦めたんだ、人生を。そうでしょ」
ライダーは、ただ一歩後ずさる。
山越風夏の言は、正鵠を突いている。
ライダーが聖杯に願う、ただ一つの願い。
「そうさ。ぼくは………人生に、意味が欲しい。今は遠くに掠れた、1回目の人生の───あの数々の舞台のような、熱情が欲しい」
「もう一度蘇ってもいいと、思えるだけの───英霊の座を脱出するだけの、理由が」
ライダーは神でも、仙人でも、超越者でもない。ただの、極めて優れた手品師に過ぎない。
ただの人間が、ただの技術で死の運命から逃げて、脱出して、400年を生きたのだ。
───例え英雄の精神であろうと、いつかは終わりがくる。
その終わりが、"ライダー"だ。
猫の少年は、山越風夏を睨む。
笑顔で取り繕うことを辞めた彼の目には、深い諦観がある。
「今更、全部遅い。観客の声にももうぼくは心動かされることなんてない───蘇る理由がもうないんだ」
「どこを探してもなかったんだ」
「現世を浚っても、冥界の底まで潜っても」
ず、と音がする。
ライダーの背に浮かぶ棺と、同じものがあの八個小体育館に現れる。
ライダーの宝具は、9つの人生の終わり───九つの棺。釘打たれた棺の中は、冥界の物品で満たされている。
"棺の中に留まるはずがない"とまで謳われた、脱出王の人生そのものたる宝具。
あるいは、脱出王を遂に捕らえた牢獄そのもの。
「君には、ぼくの願いを叶えられない」
「自分で自分を助けて、それで済むのなら、ぼくはサーヴァントなんかになってやしない」
「───さて。どう、この状況から"脱出"するのさ、"マスター"」
どのように閉された棺の中身を武器にするのか、山越風夏にすらはっきりとは分からない。
それでもどの棺の中身も、ただの手品師である彼女を殺して余りある冥界の道具なのは理解している。
───それでも、山越風夏は笑っている。
舞台役者の笑みであるとともに、"自分"の意地っ張りさに呆れた笑みだ。
「長生きすると、"助けて"を言うにも、随分言葉が長くなっちゃうんだね」
「結局、私たちの願いは変わらないのに。"舞台"をやり直そうとする私と、"人生"に絶望したあなた」
「不出来な舞台なんて、人生なんて、火にかけて燃やしちゃって───そしてもう一度、やり直せばいいんだよ」
僅かな動きで、トランプが宙に投じられ、空中で鮮やかに燃える。
棺から飛び出した何かが咄嗟に炎に向かうが、稼いだ一瞬で山越風夏はライダーに踏み込んで囁く。
「ライダー、あなたに火をあげる」
「過去を燃やす炎を。未来を照らす灯を。今の私を動かす炉心を」
「神寂祓葉に、会わせてあげる」
猫に九生ありて、好奇心は猫を殺す。
何かの仕込みを起動しようとしていた、ライダーの手が一瞬止まる。
当たり前だ。ライダーの目的は、再び生きる理由そのものだ。目前の"自分"が生きる理由そのものたる少女に、興味がない訳がない。
「………はあ。その意気は、願いは、認めてあげるよ。その言葉は確かに、僕が欲しかった可能性の一つだ」
「けど───世界からの脱出なんて大言壮語を吐くには、まだ技術が足りない」
それでも、ライダーの技術は淀みない。
九方から伸びる鎖が、縄が、枷が山越風夏をあっさりと拘束する。
山越風夏は、驚きで目を見張る。
「サーヴァントは基本的に、全盛期で召喚される。ぼくだって当然そうさ」
「例え折れようが諦めようが、マジックだけは積み重ねて来たんだ───例えキミが今のぼくにないものをいくつ持っていようと、マジックではぼくに勝てない」
ライダーは、空中で拘束された山越風夏を見る。
その顔には猫の笑顔が戻っている。
「だから───ぼくが、"ハリー・フーディーニ"の最高到達点が、有り難くもキミの助手をしてあげるんだから、ぼくのマジックの技術を学べばいいさ」
「手品の助手ってのは、舞台の裏も表も知り尽くした、最も厳しい観客だ。ぼくを満足させる舞台にしてみな、"マスター"」
神域の拘束術に縛られながらも、山越風夏は笑顔を向ける。
「はは。あはは!約束する、勿論約束するよ、ライダー。私の最高の助手にして師匠。あなたも、あの子も、みんなが満足する舞台にしてみせる」
「………授業料も、忘れるなよ」
「観客共は騙せるだろうけど、僕から見ればお前の技術はまだまだだからな。その程度の"神話の拘束具の多重拘束"から脱出するのに、"5秒"もかかるなんて」
「流石ぁ。やっぱり騙せないね」
"死"の具現化そのものたる拘束具が、次々に地面に落ちる。"ハリー・フーディーニ"の定番のやり方だ。とっくに脱出に成功しているにも関わらず、いかにも拘束されたままでいるかのように装って、観客をハラハラさせるテクニック。
地面に降り立った山越風夏は、ライダーに手を伸ばす。
今この、暗い学校の小さな手品舞台こそが、二人の"聖杯戦争"の始まり。
「さあ。最上の舞台の始まりだよ、ライダー」
「………誰に、物を言ってるのさ」
脱出王。
統べるもまた、脱出王。
〈はじまりの六人〉。
抱く狂気は、〈再演〉。
山越風夏。あるいは、ハリー・フーディーニ。
統べるサーヴァントは、九生の果て。
【クラス】
ライダー
【真名】
ハリー・フーディーニ@アメリカ近現代史
【属性】
中立・中庸
【ステータス】
筋力:D 耐久:B 敏捷:C 魔力:E 幸運:B--- 宝具:D
【クラススキル】
対魔力:C
第二節以下の詠唱による魔術を無効化する。
大魔術、儀礼呪法など大掛かりな魔術は防げない。
多くの似非オカルティストや魔術使い崩れを看破してきた"オカルトハンター"として、近現代以降の英霊としては比較的ランクの高い対魔力スキルを持つ。
騎乗:D
大規模なパフォーマンスを行うマジシャンとして、重機程度までの車や機械の運転スキルを持つ。
動物や精霊等には機能しない。
【保有スキル】
マジシャン:A+
ライダーの卓越したマジック能力を表すスキル。
一度目の生で既にアメリカで史上最も著名なマジシャンとなったライダーは、九生の果てにその技を神域まで磨き上げている。
"1回目"で得意とした脱出マジックのみならず、およそあらゆるマジックの技術を持ち合わせていると言っていいレベル。
たとえ超常の知覚能力を持つサーヴァントであってなお、ライダーのマジックの種を暴くのは容易ではない。
猫に九生ありて:B
九回の人生を歩んできたことを象徴する、生命力の高さを表すスキル。
性質としては宝具"十二の試練"に近い命のストックを持つスキルだが、ヘラクレスほどの豪傑でないライダーなので超下位互換。強力な英霊の宝具による攻撃をまともに食らったら、一撃で九回分ストックがすっ飛んでもおかしくはない。
死の隣人:C+
死と隣り合わせの脱出マジックを何度も行い、一度目の死の後も死の運命と隣合わせに、生きては死んできた"死からの近さ"を表すスキル。
幸運のステータスに3段階のマイナス修正がかかるが、"死後の世界"に関する物品を扱う際にプラス修正がかかる。
本来デメリットばかりが大きい、"棺からの脱出"により供給される"死後の世界"由来の物品を扱うことを可能にする。
【宝具】
『棺からの脱出(ナインライブズコフィン)』
ランク:D 種別:対人宝具 レンジ:1 最大捕捉:9
彼の九回の生を象徴する、九つの棺。
舞台演出家、フローレンツ・ジーグフェルドはライダーの葬儀において、"賭けてもいいが、この棺の中にもはや彼は存在しない"と語った。
彼が"ライダー"として召喚されたのは、時代を渡る旅人の"乗り物"として長い時間を共にした"九つの棺"が宝具として昇華されたためだ。
棺の中には九回の人生それぞれの"ハリー・フーディーニ"と、ライダーが死後の国から持ち出した物品がある。
釘打たれ閉ざされた棺だが、ライダーにとっては出るも入るも取り出すも仕舞うも自在。
戦闘においては死後の国のアイテムを武器として使ったり、それぞれの"ハリー・フーディーニ"と入れ替わることで活用する。
なお、ライダーとして同時に活動できる"ハリー・フーディーニ"は一体だけ。それ以外はただの死体と変わらない。
神代に属するようなアイテムも棺の中にはあるが、所詮勝手に持ち出した借り物なので宝具としてのランクは低い。
【weapon】
マジック道具。
また、宝具"棺からの脱出"により供給される死後の国のアイテム。
生前鎖により拘束された状態から脱出するトリックを好んでいた故に、特に"シーシュポスの鎖"をよく使う。
【人物背景】
"脱出王"、"不死身の男"、"不可能を可能にする男"。
数々の賛辞で讃えられた、アメリカ史上最も著名なマジシャン、ハリー・フーディーニ。
───彼は生前の約束のように、死の国からも脱出し今も生きている。
サーヴァント・ライダーとして召喚された"ハリー・フーディーニ"は、八回の復活と九回の人生の果てについに"脱出"を辞め、英霊の座に至ることを選んだ後の姿。
この性質上、ライダーは"未来"の英霊である。
九回の人生を歩んだ逸話の反映か、何故か猫耳猫尻尾の少年として召喚されている。
あるいは、彼が九回目の人生を送るころには、"人類"はこのような姿になっているのだろうか?
本人は"未来"のことについては語ろうとしないので、真実はよく分からない。
ちなみに"ハリー・フーディーニ"は芸名で、本名はヴェイス・エリク。もっとも"奇術を極めた英霊"として呼ばれたことを考えれば、その真名はやはりハリー・フーディーニと呼ぶべきだろう。
【外見・性格】
猫耳猫尻尾の、癖のある赤毛の小柄な少年。
しっかりと仕立てられたスーツと、シルクハットを被っている。
「───今回の舞台では、ぼくは助手さ」
「紳士淑女の皆様。どうか楽しんでいって」
どこか諦めた雰囲気の少年。猫らしい笑顔を浮かべて、一歩引いた立ち位置を保ちたがる。
精神の超越なしに、死を超越した手品師の末路として、何事にも生きる意味を見いだせない枯れた性格となってしまっている。
最も今回の聖杯戦争では、狂熱に溢れた自分たる"山越風夏"と、彼女を焼いた"神寂祓葉"という彼であっても興味を持たざるを得ない二人がいる。
自分の諦念を肯定するために目を背けようとしても、背けられない二人を強く意識してしまっている。
【身長・体重】
155cm/44kg
【聖杯への願い】
自らの九生の意味を見出すこと。
生前の願いであった母との再会は死後の国で叶い、それでも死後の国を抜け出し続けたのは何のためであったのかライダー自身ですらもはやはっきりしない。
時の流れの中で擦り切れてしまった人生に、再び英霊の座から"脱出"するほどの意味を与えることがライダーの願いだ。
【マスターへの態度】
辟易と興味。
自分の世界では無かった出会いと狂熱を持つ"ハリー・フーディーニ"の態度には辟易しているが、そのきっかけである"神寂祓葉"とともに深く関心を持っている。
今回の聖杯を、一度脇においてもいいと思うほどに。
【名前】
山越風夏(ハリー・フーディーニ) / Yamagoe Fuka (Harry Houdini)
【性別】
女(男)
【年齢】
16(150)
【属性】
混沌・中庸
【外見・性格】
「とびきりの舞台には、とびきりの衣装だよね!」
タキシード姿の、堂々とした濃い茶髪のベリーショートの少女。"中身"が男性故のあまり女子らしくない振る舞いもあり、ぱっと見少年のようにも見えるが性別的には明確に女子。
それはそれとして、見栄えもマジシャンとして重要なポイントなので舞台前のメイクは手を抜かない。
極めて自信家の、堂々とした"マジシャン"。例え二度命を落としたとしても、彼女───少なくとも今生においては───はマジシャンとして"舞台"に立ち続ける。
第一次聖杯戦争の時は少年だったのに、今回は少女になっているのは自力で蘇った所を聖杯に召喚されたため。
最初はやや面食らったが、正直そんなに気にしてはいない。
ちなみに転生ごとに、立場や外見に引っ張られて口調は結構変わる。
最上の観客たる"神寂祓葉"に狂わされた彼女にとって、この聖杯戦争は彼女に捧げる最大の"脱出マジック"の舞台だと認識している。
【身長・体重】
159cm/48kg
【魔術回路・特性】
質D 量B
彼女は"魔術師"と呼ばれるに相応しいほどの技術を持つが、あくまでマジシャンである。第一次聖杯戦争では自らを魔術師であると偽っていた。上記は今回の聖杯戦争に際し与えられたもの。
量は中々多いが、質自体は極まったものではない。
【魔術・異能】
固有魔術は現状不明。
"マジシャン"
"脱出王"、"不死身の男"、"不可能を可能にする男"。
数々の賛辞で讃えられた、アメリカ史上最も著名なマジシャン。
それこそがハリー・フーディーニであり、当然その二度目の転生である山越風夏もその技術を体得しいる。
関節を外す縄抜け、針金による鍵開け、事前に仕込んだトリックによる壁抜け、高度な心理トリック。彼女を捕らえることは、例え魔術やサーヴァントの助けを借りたとしてもなお高い難易度を持つ。
彼女のマジック技術は、二度の転生を経て、完全に異能の領域に突入している。
"幽体離脱"
魂だけで行動する能力。
ハリー・フーディーニが死後の世界からの脱出を可能にした技術。生前はもちろんこのような技術は持ち合わせていなかったが、死後の知識と彼の技術を組み合わせ編み出した唯一無二のスキル。
ただし、転生を果たした後は肉体と魂が再度紐付けられ、肉体が死ねばまた魂自体も死んでしまう。
また、魂が体から離れている間は体は深く眠っているようになり、基本的に動かせない。
【備考・設定】
聖杯戦争におけるロールは、弱冠16歳ながら既に業界で非常に高い評価を受けている女子高校生マジシャン。
───その正体は、伝説的マジシャン"ハリー・フーディーニ"の二度目の転生先にして、〈はじまりの六人〉の一人。
ハリー・フーディーニは、妻との"死の国があるなら、必ずや脱出して君に連絡する"という約束を守るべく死の国で戦い続けていた。その結果、魂だけで動く技術を編み出し、85年かけて死後の世界から脱出し現代の日本の少年として転生していた。
しかし、イレギュラーな手段で蘇りを果たした彼は死の運命に常に追われ続けていた。
死の運命はついに、彼を偶然にも"聖杯戦争"のマスターとして取り込む。
彼は死をも超克した魔術師として振る舞い、その実聖杯戦争からの脱出と生存を目指していた。
何度も死線を超え、大胆な秘策と地道な仕込みの末に、ついに彼は穏便かつ完全に聖杯戦争からの離脱を果たそうとする。
───そこに立ち塞がったのが、神寂祓葉だった。まるで必然のように、彼女はフーディーニの策とトリックを全て打ち払い、光の剣を構える。
その双眸には、"この状況からどう逃れてくれるのか"を純粋に期待する光があった。
フーディーニは悟る。自分が最上の観客の期待に応えられず、ここで二度目の死を迎えることを。
彼は敗北を認め、神寂祓葉に全てを語る。
それを聞いた神寂祓葉は、寧ろ目を輝かせて語る───また蘇って、一緒に遊ぼうと。
その光に焼かれたフーディーニは、二度目の約束を守るために、再度の蘇り───そして、今度こそ"最高の脱出マジック"をこの少女に見せてやるのだと誓う。
自らの不出来を取り戻し、最高の観客に応えるために。
神寂祓葉の用意した最高の舞台からの最高の脱出マジックを行うことこそが、今の彼女の目標だ。
〈はじまりの六人〉、その一人。
抱く狂気は、〈再演〉。
山越風夏。あるいは、ハリー・フーディーニ。
サーヴァントは、九生の果て。
【聖杯への願い】
「万能の聖杯に願って出ていくだなんて、そんなものはマジックと呼べないよ!」
"脱出トリック"を目標とする彼女にとって、聖杯に願う意味はなく、当然願いも持ち合わせていない。
【サーヴァントへの態度】
"ハリー・フーディーニ"がネコ耳少年になる世界線があったことに心底驚いている。
それはそれとして、自分の"舞台"における助手として、さらなるマジックの極点に至るための師匠としてはまさしく最高の相方だとして深く信頼している。
以上で投下を終了します。
うおおおおおおたくさんの投下ありがとうございます。感想を投下させていただきます。
>聖職者と蛇の音
無機的でさえある青年と豪胆で食えない性分の大英霊、まさに聖杯戦争の華といった感じだ……。
コミカルながら圧倒的な強さを示してくるライダーの享楽ぶりがますますマスターとの対照的な絵面を作っていていいですね。
何より"願いを押し潰している"青年の元に喚ばれたのがこのアポピスというのがまた。運命だなあ。
投下ありがとうございました!
>邪剣・谷衛次
『剣』という概念にフォーカスを当てた、まさにタイトルの通りの作品でしたね。
丹念な儀式の描写から顕れた英霊の描写まで緊迫感があるのですが、英霊を倒すマスターの凄さたるや。
彼らの物語がここから紡がれていくのだというのを示す、理想的な一話だったと思います。
投下ありがとうございました!
>誰にも見えない夢のカタチをつかまえて つかまえてく
壮絶なバイオレンス描写から繰り出された英霊の真名と設定に驚かされるなど。
ある側面からは美しく、されどまたある側面からは非常におぞましい内容で唸らされました。
ナーサリーライムの亜種としてこれが出てくるの、英霊の座はまさに魔境だなあ……としみじみ。
投下ありがとうございました!
>Re.死の国からの脱出
そこで真名が被るのか! と驚かされつつ、そしてその設定とロジックの発想にまた驚かされつつ。
よりどりみどりの六人枠にまるで見劣りしない真実と、更にまさかの鱒鯖二段構えで『ハリー・フーディーニ』とは。
更にそのやり取りもたいへんケレン味が効いていて良く、これはすごいものを読んだな、と充実感を覚えました。
投下ありがとうございました!
お知らせです。
色々と加味して考えた結果、期限の方を7/28(日)の午前4時までに延長することに決めました。
末日ではなく28日なのでお間違えのないようにご注意ください。
また、これ以上の延長は企画主の身辺に何かない限り行わない予定です。
それでは、引き続き当企画をよろしくお願いいたします。
投下します。
父はよく、兄と自分をキャンプに連れていってくれた。
……キャンプ、と言っても実際のところは修行の一環である。
天地万物との合一を標榜する高乃の魔術師にとって、自然の中で生活するというのは効率的な修行方法のひとつだった。
東洋魔術師である高乃の修行は、例えるなら修行僧のそれに近しいものだ。
禅僧だとか、密教徒だとか、武僧だとか、そういうもの。
瞑想し、木火土金水に触れ、呼気を整え、体に気を巡らせて、宇宙と一体化する。
あるいはその補助としての、武術の鍛錬だってした。
普段は温厚な父も、流石に魔術の修行となれば息子たちにも厳しく接した。激しい叱咤もされたし、ぶたれたことだってある。
けれど――――けれど、それはやっぱり、“キャンプ”だった。
父は、そのつもりだったと思う。
自分も、そのように捉えていた。
魔術の修行をする時に父が厳しくなるのは、家でもそうであったし……修行がひと段落したタイミングではいつも、キャンプとしての楽しみを提供してくれていたからだ。
一緒にテントを張った。
一緒に火を起こした。
一緒にカレーを作った。
一緒に星を数えた。
寝る前には面白い話をしてくれたし、朝起きればいつもの穏やかな笑顔で「おはよう」と言ってくれた。
だから多分あれはちゃんと、キャンプだったのだ。
確かに修行のためではあったけれど、同時に息子たちに対して提供されたレジャーでもあったのだろう。
楽しかった、と思う。
それ以上に“嬉しかった”のだということを、強く覚えている。
息子たちが、過酷な修行で潰れてしまわないように。
息子たちに、楽しい思い出を残せるように。
あれが、魔術師としての冷徹さを侵さない範囲で父として与えられる愛のカタチであったのだということがわかったから。
父が兄と自分を愛してくれているのだということが、染み入るようにわかったから。
キャンプにいる間、例え厳しい修行の最中であっても、幸せな気持ちに包まれていたことをよく覚えている。
「――――河二には、武術の才能があるよ」
寝る前に、父がそんなことを話してくれたことを覚えている。
兄の青一はもうすっかり寝入っていて、自分はなんだか眠れなくて、見かねた父が暖かいココアを、兄には内緒だと言って淹れてくれたことを覚えている。
武術の才能がある、と言ってくれた言葉の裏には――――魔術の才能はあまり無い、という言葉が隠れていることは、幼い自分にもわかっていた。
優秀な兄に比べ、自分はあまり魔術の才能には恵まれなかった。
そもそも、あまり期待もされていなかったのだろう。
次男である自分は所詮、後継者たる兄のスペアに過ぎなかったのだ。
父は兄と自分を平等に愛してくれていたが、魔術師としてかける期待そのものは、明らかに兄に比重が傾いていた。
それを自分も理解していたし……それでいい、とも思っていた。
不満は無かった。
ほんの少しだけ、寂しいという気持ちが無いでもなかったが……けれど自分は十分に、愛されていたのだから。
これ以上を貰ってしまえばバチがあたってしまう、と思っていた。
今でも、そう思っている。
「多分、武術については、青一よりも河二のほうが上なんじゃないかなぁ」
「……兄さんは、僕よりも魔術の勉強をがんばってるから。それだけだよ」
そう返すと、父が困ったように苦笑したことを、覚えている。
……皮肉を言ったつもりはなかったし、やっかんだつもりもなかったし、謙遜したつもりもなかった。
ただ純然たる事実として――――兄よりも武術に割く時間が多かったから習熟しているだけだろうと、自分では思っていた。
今にして思えば、まぁ、扱いづらい子供であったと思う。
せっかく褒めてくれた父には悪いことをした。ここは素直に喜ぶべき場面だっただろう。
それでも父は、慈しむようにこちらの頭を撫でながら、穏やかに微笑んだ。
「じゃあ……青一が魔術の勉強で忙しい分、河二がうんと強くなって、青一を助けてあげてね」
「……うん。でも、ちゃんと魔術も勉強するよ、僕」
「はは、頼もしいなぁ……えらいぞ、河二」
……覚えている。
ちゃんと、覚えている。
優しい父を、覚えている。
愛してくれたことを、覚えている。
思い出す度に、胸の奥がじんわりと暖かいもので満たされていく。
だから――――――――許すべきではないと、誓ったのだ。
数ヵ月前に、父が死んだ……殺された、あの時に。
◆ ◆ ◆
「――――――――それで、復讐ってか」
東京。
多摩川。
橋の下。
ひとけの無い暗がり。
遠くには文明の光。
ろくに人も通らないその場所で、二人の男が段差に腰かけている。
半袖のジャケットを着た高校生程度の少年と、真紅の外套を纏った、古代地中海の将校を思わせる大男である。
その奇妙な取り合わせの二人組は並んで座り、それぞれの手には二つ折りの棒アイスが握られていた。
……大男が少年にねだって買わせて、その癖に二つに折って片方を少年に差し出したものだ。
俺達は財産を私有しないのだと、大男は得意げに笑っていた。買わせたアイスに私有も何もあるまいに。
「……そうだ。兄さんや母さんには、止められたがな」
少年――――高乃河二はぼんやりと対岸の建物から漏れる光を眺めながら、そう答えた。
長い黒の前髪を、右に流した少年である。
表情に乏しい顔は見る者に怜悧な印象を与え、抑揚の少ない声色は聞く者に突き放すような印象を与える。
そういう、どこか冷たく浮世離れした雰囲気の少年だった。
「…………止めるか、ランサー?」
視線を隣に向ける。
ランサー、と呼ばれた大男は――――嗚呼、当然、サーヴァントである。
英霊である。
過去に偉業を果たし、人類史に名を残した、偉大なる戦士である。
「いんやァ? 止めねぇ止めねぇ。おっまえ、古代の兵士がそういうの止めると思うかね?」
その偉大な戦士は、からからと問いを笑い飛ばし、アイスを吸った。
古代地中海の将校がコンビニで買ったアイスをうまそうに食べているというのは、なんとも奇妙な光景である。
けれどそれが、親しみやすさになっている。
表情のひとつひとつに自信が満ち、爽やかさを纏い、それらが自然体で、不思議と人を惹き寄せる、そんな男だった。
「お前も知ってるだろ。俺達は、“そーいう感情”を武器にして戦ってたんだぜ」
「……そうか……そうだったな」
復讐に意味など無い――――兄はそう言った。
正しい言葉だと思う。
魔術師らしい、合理的な判断だと思う。
わざわざ危険を冒してまで、死んだ者のために戦う必要などどこにもない。
父を愛していたとか、父に愛されていたとか、そんなことはどうでもいいことなのだ。
それはそれで、これはこれ。
魔術師にとって必要なのは合理的な判断であり、血統の保存なのだから。
兄はそう言って、母も同意した。
……ただ河二だけが、それを良しとしなかった。
父は多分、青一と河二の成長を喜んでいた。
青一が当主を継ぐに相応しい実力と知識を身に着け、嫁を取り、孫を産む……そんな未来をきっと、楽しみにしていた。
その父が、死んだ。
殺されたのだ。
何者かに。
唐突に。
これまでずっと、二人の息子を愛してくれていた父が死んで――――復讐を志さないのなら、父の愛はどこに行くのだろう?
今でも父のことを思い出せば、幸せな気持ちが満ちていく。
それは間違いなく、父が河二のことを愛してくれていた証。
だというのに、父を殺したナニカを見過ごして……それは父から受けた愛を、無かったことにするようなものではないのか?
あの人は息子を愛してくれたのに、息子はどうしたら愛を返せるのだろうか?
河二は納得ができなくて、だから復讐を決めた。
それが無意味で、父もそれを望むまいとわかっていても、そうあるべきだと思ったから、そう決めた。
父に愛に報いる方法を、河二は他に思いつかなかったのだ。
愚かなことだと、自分でも思いながら。
「ただまぁ、そうだな……年長らしくちょっとアドバイスっぽいこと言うなら……」
その愚かな決意を、ランサーは感じ取っているのだろうか?
短い付き合いだが、この男が世話焼きであることは、なんとなく理解できていた。
年長の者が年少の者を導く――――今でも存在する規範であり、ランサーが生きていた時代にはもっと強固に存在した規範であろう。
少し言葉を選ぶような間を置いてから、ランサーは涼しげに笑って、続けた。
「ちゃんと復讐が終わったら笑えよ、マスター」
「……笑う?」
「そ。じゃなきゃ意味がねぇ……いいかマスター、人生ってのはなぁ……」
説教臭い老人のような言い回し。
……事実として彼は遥か古代を生きた年長の“老人”であり――見た目は戦士として十分に若々しいが――若人に教訓を残したがるのは、老人の宿命か。
「人生ってのは、最後に『ああ、いい人生だった』っつって終われなきゃ、つまんねぇぜ。好きなことして、最後はちゃんと笑って死ね。悔いとか作るもんじゃねぇんだ」
「………………歴史書を読む限り、本当に貴方の人生に悔いが無かったとは僕にはあまり思えないのだが」
「んー……確かに悔いがねぇっつったら嘘っちゃ嘘かもな。下手こいたことも何度もあるし、親友は先に死んじまうし、俺の後継いねぇから国が衰退するのも見えてたし……」
彼の人生は、確かに成功と栄光に満ちていて。
けれど決して、全てがうまくいった訳ではない。
国内の政敵に後れを取ったこともあったし、親友に先立たれもしたし、そして彼の死後ほどなくして、彼の故郷は滅びてしまったし。
「……でも、“それはそれ”で、“これはこれ”だしな。欲しいものはたくさんあって、手に入ったものもたくさんあった」
それでも――――それでもランサーは、ひとつの憂いも無いような顔で、少年のように純粋な笑みを見せた。
「――――――――――――だから、いい人生だったっ! 胸張って言えるぜ、俺は!! わははっ!!」
……自信満々にそう言われてしまえば、返せる言葉は何も無い。
「胸を張れることを増やしてけよ、マスター。それで、胸を張れることを振り返って、胸を張って生きて死ぬのさ」
それは力強く、自由な笑みだった。
――――――――彼の名は、エパメイノンダス。
世界的に見て、決して有名ではない。
けれど古代ギリシャの歴史を語る上では、外せない。
都市国家テーバイの将軍。
ギリシャ最強と呼ばれたスパルタの軍勢を打ち破り、スパルタとアテナイの同盟軍を打ち破り、テーバイという都市をギリシャの覇権国家へと押し上げた男。
150組300名からなる同性カップルによる常備軍『神聖隊』を率いて戦った、勇猛なる稀代の名将。
その人生において敗北を知らずに死んだ、テーバイ最後の英雄である。
◆ ◆ ◆
――――――――故郷が好きだ。
ギリシャという地域が好きだ。
ボイオティアという地方が好きだ。
テーバイという国が大好きだ。
アテナイ人は理性と哲学、即ち叡智を貴ぶ。
嗚呼――――すごいことだと思う。
彼らは常に哲人たるを良しとし、その優れた知性によってギリシャの覇権を握るに至った。
スパルタ人は屈強と果敢、即ち武勇を貴ぶ。
嗚呼――――すごいことだと思う。
彼らは常に精強たるを良しとし、その優れた武力によってギリシャの覇権を握るに至った。
そしてテーバイ人は友誼と信頼、即ち愛情を貴んだ。
嗚呼――――本当に、すごいことだと思う。
本当に、愛おしいことだと思う。素晴らしいことだと思う。
これはもちろん、アテナイ人が薄情であるとか、スパルタ人が阿呆であるとか、テーバイ人が軟弱であるとかいうことを意味しない。
ギリシアの民は誰もがそれらを重んじ、けれどその中で、都市によって特に重んじるものが違う、という話だ。
そしてだからこそ、愛を重んじたテーバイ人のことが、エパメイノンダスは好きだった。
そういう風土を育てた、テーバイという国が好きだった。
だって、ほら、知ってるか?
テーバイを建国したカドモスは、愛する妹を探すために旅に出たんだ。
そして、愛する部下を殺した蛇竜に、部下の仇を取るために挑みかかったんだ。
カドモスが娶った女神ハルモニアーは、愛の女神アフロディーテの愛娘なんだ。
二人の結婚式には神々が参列して、たくさんの贈り物をくれたんだ。
老いたカドモスはアレスの怒りによって愛する子供たちや、テーバイの民がこれ以上傷付かないように、テーバイを去ったんだ。
見ろよ――――この国を作った英雄からして、こんなにも愛で溢れている。
俺達は愛の女神の遠い子らで、愛深き英雄の遠い子らだ。
英雄というのなら、テーバイで生まれたヘラクレスを見よ。
豪勇無双、最強無敵……そんなヘラクレスは数多の冒険の果て、数多の友を愛し、数多の女を愛し、数多の美少年を愛した。
こんなにも多くの人を愛した英雄は、他にはいない。
こんなにも多くの人に愛された英雄だって、いないだろう。
俺達のテーバイは、あんなにも愛深き英雄を生み出したのだ。
オイディプスの悲しき愛も、語らねばなるまいか?
あるいは、テーバイ攻めの七将の悲劇を語るべきだろうか。
けれどそれら、身内殺しの悲劇が語られるのは――――俺たちテーバイ人が、身内の者を深く愛するが故の裏返しだろう。
身内の者を深く愛するからこそ、身内の争いを悲劇として語り継いでいるのだろう。
父母を愛するが故に国を離れ、知らずに父を殺し母を娶ったオイディプスの悲劇を。
その子らが兄弟の間で骨肉の争いを繰り広げる、テーバイ攻めの七将の悲劇を。
そうだ。
俺達テーバイ人は、他のどの都市の者よりも深く、愛することを愛した。
ゴルギダスの考えた神聖隊は、まさしくテーバイ人のための軍隊だったと思う。
150組300人の恋人たちを集め、互いを守るため、互いにいいところを見せるために奮戦させる。
愛深きテーバイ人だからこそ成立した、実にテーバイらしい軍隊だった。
もしも他の国があれを真似したとしても、テーバイの神聖隊ほどに強力な軍隊にはならなかっただろう。
そういうテーバイが、俺は大好きだった。
そういうテーバイで、親友のペロピダスと共に戦えたことを嬉しく思う。
そういうテーバイを、ギリシャで一番の都市にできたことを、本当に誇りに思っている。
……俺が死んだ後に、フィリッポスとそのガキが滅ぼしちまったらしいけどな、テーバイ。
あのガキ、覚えが良かったからな。
楽しくって、ちょっと教えすぎちまったかな。
でもまぁ、しょうがねぇさ。
俺はあのガキが結構好きで、そのために滅びてしまったというのなら、それはあまりにテーバイらしい。
テーバイは、幸せな国だった……なんて、後継者を育てられなかった俺が言うのはあまりになんだけれど。
人生に悔いが無いと言えばそれなりに嘘になるし、確かに嫌なことや悲しいことだって、たくさんあったけれど。
それでもやはり、テーバイ最後の英雄エパメイノンダスは、胸を張って言える。
あまりにいい人生を生きて――――故郷テーバイは、愛に満ちた幸せな国だった。
◆ ◆ ◆
「……来たぞ、ランサー」
「お、ようやくかい」
ニィと笑って、中身を吸いきった棒アイスの残骸を投げ捨て……ようとしたのを、河二が止めた。真面目である。
コンビニで貰ったビニール袋にゴミを入れてから……改めて、二人は立つ。発つ。
河二が強く地面を踏み締めれば、りん――――という澄んだ音と共に、周辺に微弱な魔力が滑り出した。
人払いの結界。
これよりこの場所に、魔力持たぬ部外者は立ち入れない。
二人の視線の先には、同じく二人組。
聖杯戦争の参加者。
英霊を連れた魔術師。
河二たちはなにも雑談のために川辺にいたのではなく、他の参加者を待ち伏せていたのだ。
「んじゃ手筈通りに俺がサーヴァント、お前がマスターな。護衛つけとくか?」
「いや、必要ない。僕の手に余ると判断した時、改めて要請する」
「あいよ」
相手の方はやや驚いたような反応を見せたが……すぐに、臨戦態勢を取った。
当然だ。
これは聖杯戦争で、魔術師とサーヴァントが互いに殺し合う儀式なのだ。
仮想された偽りの東京で、二組四人の死合が始まる。
河二はジャケットを脱ぎ捨て、深く呼吸――――両碗の“義手”を含む三つの“呼吸口”から気を取り込み、世界へと潜って行く。
ゆっくりと腰を落とし、大股を開いて重心を後ろに寄せ、軽く開いた両手で空を撫でるように構えを取る。
それは流れる水のように流麗で、淀みのない所作である。
父から受け継ぎ、鍛え上げた、太極を描く高乃の武術である。
父が河二を愛した、その証のひとつである。
視線は鋭く。
真っ直ぐと前へ。
向ける言葉は、決めていた。
そうであるという確率が、酷く低いものであるとわかっていても。
隣のランサーは槍と盾を構え、マスターの宣戦を待っている。
……では、往こう。
「問おう、魔術師――――――――――――この技に、覚えはあるか」
求むるは父の仇。
道しるべは受け継ぎし技。
いざやいざ――――――――我、汝の悪果なりや。
【クラス】
ランサー
【真名】
エパメイノンダス@古代ギリシャ
【属性】
中立・中庸
【ステータス】
筋力B 耐久B 敏捷D 魔力D 幸運A 宝具C
【クラススキル】
対魔力:D
一工程(シングルアクション)による魔術行使を無効化する。
魔力避けのアミュレット程度の対魔力。
【保有スキル】
軍略:B
一対一の戦闘ではなく、多人数を動員した戦場における戦術的直感力。
自らの対軍宝具の行使や、 逆に相手の対軍宝具に対処する場合に有利な補正が与えられる。
ランサーの類まれなる戦術は、テーバイという都市をギリシャ最強の覇権国家へと押し上げた。
彼の戦術は奇縁にてマケドニアの征服王へと受け継がれ、テーバイは皮肉にもそれによって敗れることとなる。
カリスマ:C
軍団を指揮する天性の才能。団体戦闘において、自軍の能力を向上させる。
ランサーは勇敢に前線で戦う将軍であり、常に兵たちと共にあった。
戦闘続行:B
瀕死の傷でも戦闘を可能とし、決定的な致命傷を受けない限り生き延びる。
たとえ胸に槍が突き刺さろうと、己の役目を果たすまでランサーが死ぬことは無い。
奮戦の誉れ:C
集中攻撃に対する防御的直感。
ランサーにターゲット指定を行っている敵の数に比例して防御に有利な補正がかかる。
時に窮地の親友を守るため、時に指揮官を先んじて叩くという相手の戦略のため、幾度となく敵からの集中砲火を受けながらもそれを凌いだ。
【宝具】
『神聖なる愛の献身(テーバイ・ヒエロス・ロコス)』
ランク:C 種別:対軍宝具 レンジ:2〜40 最大捕捉:300
浮遊する150対の槍と盾。
ランサーはこれをある程度自由に指示・操作ができるが、その本懐は150対300個からなる武装群の自立戦闘にある。
槍と盾はそれぞれ“組”が決まっており、槍は組んだ盾の、盾は組んだ槍のフォローを自動的に行う。
これにより大まかな指揮のみで複雑な戦闘行為が可能になる他、隊を分けて視界外に配置するなどして問題なく交戦を可能とする。
槍や盾が破壊されてしまった場合、“組”となるもう片割れは一時的に限界を超えた駆動を行い、後を追うように消滅する。
真名解放を行わずとも数組程度なら召喚可能。
テーバイには“神聖隊”と呼ばれる常備軍が存在した。
それは定員300名からなる歩兵部隊であり、そして“150組の同性カップル”という特色を持っていた。
曰く、男たちは隣で戦う恋人を守るため、恋人に英雄的な姿を見せるため、恋人に惨めな姿を見せぬため、常よりも勇猛に奮戦したという。
神聖なりし“愛”というエネルギーをシステマティックに力へと変換する、ギリシャ最強の軍隊のひとつである。
【weapon】
『無銘・槍/盾』
重装歩兵の装備である槍と盾。
デザインは『神聖なる愛の献身』で呼び出すものと同じ。
盾にテーバイの英雄ヘラクレスを示す棍棒が描かれているのが特徴的。
【人物背景】
紀元前5〜4世紀頃に活躍した、ギリシャの都市国家テーバイの将軍。
貧困貴族の家庭に生まれるも、高度な教育を受け、ピュタゴラス教団の哲学を愛した男。
テーバイという国家をほんの一時だけ、ギリシャ最強の覇権国家に仕立て上げた稀代の軍略家。
当時のテーバイはスパルタとアテナイの間で揺れ動く三番手・四番手の立場に過ぎなかったが、エパメイノンダスは精強なる神聖隊を率いて頭角を現す。
やがて親友ペロピダスと共にスパルタの支配を跳ね除けると、テーバイという国家の短い黄金期が始まった。
エパメイノンダスはボイオティア同盟軍の司令官となり、スパルタ率いるペロポネソス同盟との決戦に挑む。
決戦の名は、レウクトラの戦い――――ボイオティア同盟軍7000人前後に対し、ペロポネソス同盟軍11000人前後。
ボイオティア同盟軍は数で大幅に劣りながらも、エパメイノンダスの優れた戦術眼と的確な陣形指揮によって見事に勝利を収める。
ギリシャ最強と呼ばれるスパルタの軍勢を正面から打ち破ったテーバイは、瞬く間にギリシャ世界の覇権国家として名乗りをあげた。
続くペロポネソス遠征の中で、国内の政敵からの政治的攻撃によって将軍の座を追われるなどの瑕疵もあった。
それでも彼は一兵卒として従軍し、敵の奇襲によって全滅の危機に陥れば指揮権を移譲されて危機を切り抜けるなどの活躍を果たした。
連戦連勝、常勝不敗。
攻めあぐねて兵を退かせることはあっても、決してテーバイに敗北をもたらすことはない。
常に兵士たちと共に前線に立ち、テーバイの栄華を約束する無敵の将軍。
そんなテーバイの英雄エパメイノンダスの最期は、四度目のペロポネソス遠征。
スパルタとアテナイ、常ならば反目し合う二つの大都市が手を組み、アルカディア地方の都市マンティネイアと共にテーバイと対立していた。
そして始まる、マンティネイアの戦い。
エパメイノンダスはいつも通り前線に立ち、スパルタの指揮官を討ち取り、勢い乗って押しに押した。
しかしそれ故に敵からの集中攻撃を受け、大いに奮戦してその猛攻を防ぐも――――やがて一本の槍が、とうとう常勝将軍の胸に突き刺さった。
けれど同時に、ボイオティア同盟軍は敵軍を打ち破って敗走させた。
エパメイノンダスはしばらくの間生きていたが、指揮権を移譲するべき上級将校がことごとく戦死したことを確認すると、敵と講和するように部下に命じた。
そして「満足のいく人生だった。敗北を知らずに死ねるのだから」と言って、死んだ。
親友ペロピダスの戦死から二年後のことであった。
結局、マンティネイアの戦いは事実上テーバイの勝利ということになった。
しかし、ペロピダスとエパメイノンダス、二人の偉大な指導者を失ったテーバイに、もはやギリシャの覇権を維持する力は無かった。
テーバイは見る見る内に衰退し、最後はフィリッポス二世及びアレクサンドロスが率いるマケドニアの軍勢に敗れ、滅びた。
僅か10年程度の黄金期を味わい、跡形もなく滅び往く。
そんなテーバイの最期を彩ったエパメイノンダスは、現代でもテーバイ改めティーヴァ市の英雄として銅像が建てられている。
余談だが、対ファランクス用ファランクス運用戦術『斜線陣』に代表される彼の軍略は、その高度さ故にかテーバイ国内の将校に継承させることはついぞできなかった。
彼の教えを受け、その軍略を継承できたのは当時テーバイに人質として滞在していたマケドニアの王子フィリッポス二世。
そのフィリッポス二世こそ、かの“征服王”イスカンダルの父親であり、征服王は父よりエパメイノンダス仕込みの軍略を授かったのである。
やがてそれを昇華させた『マケドニア式ファランクス』がテーバイを滅ぼしたというのは、なんとも運命の皮肉と言う他はあるまい。
【外見・性格】
栗色の癖毛、自信に満ちた表情、屈強な肉体と精悍な顔立ち。
いっそ不敵と評するのが相応しいような、人を率いる気風をごく自然に纏う男。
真紅の外套の下には、年季の入った重装歩兵の装備を身に着けている。
見た目の通りに自信家で、楽天家で、野心的で、強欲。
名誉を好み、勝利を好み、栄華を好み、友情を好み、愛情を好み、哲学を好み、故郷を好む。
そのどれもを積極的に求めながらも、そのどれもを心から好んでいるためにどれかひとつへの執着を見せないという矛盾を孕んでいる。
欲しいものは多いのに、それはそれとして手に入らずともあっけからんと納得できる。
今あるもので満足することもできるのに、それはそれとして貪欲にそれらを求め続ける。
言ってしまえば「自分の欲望に正直で」「精神的な切り替えが早く」「良かった探しがとてもうまい」という人物。
それは他人から見れば酷く適当な態度にも見えるだろうが、何があってもくよくよしない前向きさと捉えれば美徳とも言える。
【身長・体重】
188cm/96kg
【聖杯への願い】
特になし。
己の人生に悔いはなく、奇跡に縋ってまで叶えたい願いはない。
とはいえ使える奇跡を手放すほどの無欲でもなく、受肉して故郷を見に行くのも悪くないと考えている。
【マスターへの態度】
思い詰めたガキ。
復讐に思い詰めている、というよりは「復讐をするべき」という彼の中の尺度に思い詰めているという認識。
もっと楽しく生きればいいのに。まぁ偉大な先達として、ちょっとぐらい助けてやるか!
【名前】
高乃河二 / Takano kouji
【性別】
男
【年齢】
17歳
【属性】
中立・善
【外見・性格】
長い前髪を右に流した、黒髪の少年。
やや表情に乏しく、無感情な印象を周囲に与えがち。
陰気というよりは怜悧な雰囲気で、クラスの女子からは密かに人気らしい。
制服にせよ私服にせよ、後述する礼装のために半袖を好む。
そして、見た目の通りに冷静沈着。
他人との積極的な交流を好まないが、他人に対して礼を失するようなこともあまりしない。
遊びに誘われればやんわりと断り、恩を受ければ相応の礼を返す。生真面目な堅物。
善因善果・悪因悪果―――――善行であれ悪行であれ、相応の報いがあるべきだ。
けれど、世の中がそう都合のいいものではないということもわかる。
だからこそ、せめて自分だけでも向けられた善意に善意で返し、悪意には悪意で返すように心がけている。
その思想はある種の義理堅さとして、あるいは厳格さとして表れるだろう。
【身長・体重】
173cm/67kg
【魔術回路・特性】
質:D- 量:D+
特性:『融合』
高乃家はいわゆる東洋魔術を研鑽する魔術師であり、西洋魔術とはアプローチが異なる。
【魔術・異能】
◇生体義肢『胎息木腕』
高乃家が製法を伝える“修行器具”。
河二の両肘から先は霊木で作られた木製の義肢となっている。
この霊木は義肢となってなお生きており、霊的な“呼吸”を行って河二に還元する。
即ち、内丹術の基礎である胎息――――呼吸法によって“気”を取り込み養う修行を、通常より遥かに高効率で行うことができるのである。
もちろん、相応の神秘を宿した礼装であるために武器としての使用も可能。
大気中のマナを極めて効率的に吸収して魔力に変換し、高いレベルでの自己強化を行える。
義肢は河二と共生関係にあるため、肉体の成長に応じて義肢も大きさを変えるし、破損すれば魔力によって自動的に再生する。
簡単な魔術的偽装も施されており、“本格的な胎息”を行わない限りは生身の腕と変わらないように見える。
◇中国武術
太極拳の流れを汲む武術を修めている。
現代では健康体操として親しまれている太極拳、その本質は陰陽思想を取り込んだ流麗なる武術である。
修行の一環として高乃家に代々伝えられる技術だが、護身戦闘用の意味合いも大きい。
河二は魔術の才能に関しては二流だったが、武術の才能には恵まれていた。
【備考・設定】
大陸系東洋魔術師、高乃家の次男。
高乃家は200年ほど前に日本に移り住んできた家であり、帰化前は『高(カオ)』の姓であった。
彼ら道士は宇宙との合一によって根源を目指すわけだが、肉体そのものを宇宙に寄せるべく特殊な義肢に置換するというやや外法寄りのアプローチをとっていることが特徴。
そんな高乃家に生まれた河二は、魔術師の次男の例に漏れず兄のスペアとして教育を受ける。
けれど、そこに不平や不満は無かった。
父は魔術師らしい合理を持ちながらも父として十分に河二を愛していたし、優秀な兄に対しても尊敬こそすれ恨む気持ちは無かった。
兄のスペアという己の立場に、河二は十分に満足していた。
いずれはどこかに婿に出されるか、あるいは別の使い道を用意されるか……それでいい、と思っていた。
優しい両親が好きだったし、優秀な兄が好きだったからだ。
彼らに愛して貰ったから、その役に立てるならこれ以上に嬉しいことは無いと思っていたからだ。
――――しかしある日、父が何者かに殺害される。
犯人は不明。
魔術の世界に関わるなんらかではあろうが、誰がどんな目的で父を殺したのかはわからない。
母は泣き、兄は悲しみながら当主の座を継いだ。
そして河二は、憎んだ。
河二のことを愛してくれた優しい父を――あるいはどこかで恨みを買っていたのかも知れないが、関係は無い――殺した者を、憎んだ。
それ故に兄や母の反対を押し切って、父の仇を探し始め…………古びた懐中時計を、彼は手に掴む。
父の名は高乃辰巳/Takano Tatsumi
兄の名は高乃青一/Takano Seiichi
母の名は高乃静江/Takano Shizue
【聖杯への願い】
父の仇を突き止める。
復讐そのものに奇跡は必要ない。あくまで己の力で復讐を果たすのみ。
【サーヴァントへの態度】
同盟者。
あまりに物事に執着しない在り方に多少の嫌悪を覚えないこともないが、それとなくこちらを気遣ってくれていることも理解している。
手を貸してくれるのなら、自分も彼の戦いに手を貸さねばなるまい。
【備考】
河二の父、高乃辰巳を殺害した犯人は意図的な設定の空白ですが、“この聖杯戦争の中に因縁があります”。
参加者の誰かが仇なのかもしれませんし、あるいは誰かが仇の関係者なのかもしれません。
その動機や詳細などは後続の書き手にお任せします。
以上、投下終了です。
投下します
「すべて本来の持ち味をこわさないことが料理の要訣である」
北大路魯山人(芸術家)
◇◇◇◇
俺はハサン・サッバーハ。偉大なる先達と区別するために、華麗のハサンを名乗っている。
華麗。暗殺術に相応しくない名前だと君は思うだろうか?俺もそう思う。殺しの技が華やかで美しいとはなんかのジョークだな。しかしこれはあくまで俺が名乗り始めたわけじゃないことを明言しておこう。
。
さて俺が彷徨っているのは英霊の座と呼ばれる世界だ。この世界で活躍し、信仰を集めたもの英霊が招かれる時間軸から外れた空間。そんな場所で俺はぼーっと座っていた。うるさい鳥も砂も人もいない。過去を思い出すにはいい場所だ。
暗殺教団を知っているか?もしくは山の翁の名前。俺はその教団のリーダーを曲がりなりにもやっていた。楽しいもんじゃない。人を使うのには神経がいる。他人の関係性を考慮してやらなきゃならないのは血反吐を吐くほど嫌だった。性格の不一致で殺し合いするんじゃないよ馬鹿どもめ。
愚痴はここまでにしよう。暗殺教団という名の通り、俺は暗殺を生業としていたぜ。異教徒、死徒、反対勢力を殺しまくった。あまり気持ちの良いものじゃなかった。
華麗。それは俺の殺し方からきている。俺は料理人だった。自慢するがその腕は当代一と自惚れてもいいほどにな。だから俺は知っている。何を食べれば体に害を為すか、何を飲めば人が死ぬかをだ。毒は入れない。毒見役をすり抜けなきゃならないからだ。俺が使ったのは香辛料と食い合わせ。少しだけ食っても平気だが多量に取り込むことで後日臓器を破壊し、死に至らしめる。料理の手際の美しさと証拠を残さぬ完璧さ故に長老どもから華麗と呼ばれたんだ。
だが年はとりたくないもの。料理の味が落ちたその時に俺は死ぬことを決意した。加齢による腕の痺れと舌の異常、これが痛い。次代のハサンを決め霊廟へ赴き初代様に首を落とされ………俺はこの場に来た。
中々に大したことをしていない人生だと振り返りながら俺は思う。結局のところ俺は現役時代、証拠を掴まれることはなく、標的を必ず殺すことに成功していた。反乱や造反も俺の代では起きることはなかったし、長老どもからの覚えも良い。ライバルなんざついぞおらずあっさり仕事を完了させて、終ぞ、障害というものに当たらなかったのだ。
あー………次の人生があるのなら苦難と試練にまみれたハサン・サッバーハになりたい。
「すべて本来の持ち味をこわさないことが料理の要訣である」
北大路魯山人(芸術家)
◇◇◇◇
俺はハサン・サッバーハ。偉大なる先達と区別するために、華麗のハサンを名乗っている。
華麗。暗殺術に相応しくない名前だと君は思うだろうか?俺もそう思う。殺しの技が華やかで美しいとはなんかのジョークだな。しかしこれはあくまで俺が名乗り始めたわけじゃないことを明言しておこう。
。
さて俺が彷徨っているのは英霊の座と呼ばれる世界だ。この世界で活躍し、信仰を集めたもの英霊が招かれる時間軸から外れた空間。そんな場所で俺はぼーっと座っていた。うるさい鳥も砂も人もいない。過去を思い出すにはいい場所だ。
暗殺教団を知っているか?もしくは山の翁の名前。俺はその教団のリーダーを曲がりなりにもやっていた。楽しいもんじゃない。人を使うのには神経がいる。他人の関係性を考慮してやらなきゃならないのは血反吐を吐くほど嫌だった。性格の不一致で殺し合いするんじゃないよ馬鹿どもめ。
愚痴はここまでにしよう。暗殺教団という名の通り、俺は暗殺を生業としていたぜ。異教徒、死徒、反対勢力を殺しまくった。あまり気持ちの良いものじゃなかった。
華麗。それは俺の殺し方からきている。俺は料理人だった。自慢するがその腕は当代一と自惚れてもいいほどにな。だから俺は知っている。何を食べれば体に害を為すか、何を飲めば人が死ぬかをだ。毒は入れない。毒見役をすり抜けなきゃならないからだ。俺が使ったのは香辛料と食い合わせ。少しだけ食っても平気だが多量に取り込むことで後日臓器を破壊し、死に至らしめる。料理の手際の美しさと証拠を残さぬ完璧さ故に長老どもから華麗と呼ばれたんだ。
だが年はとりたくないもの。料理の味が落ちたその時に俺は死ぬことを決意した。加齢による腕の痺れと舌の異常、これが痛い。次代のハサンを決め霊廟へ赴き初代様に首を落とされ………俺はこの場に来た。
中々に大したことをしていない人生だと振り返りながら俺は思う。結局のところ俺は現役時代、証拠を掴まれることはなく、標的を必ず殺すことに成功していた。反乱や造反も俺の代では起きることはなかったし、長老どもからの覚えも良い。ライバルなんざついぞおらずあっさり仕事を完了させて、終ぞ、障害というものに当たらなかったのだ。
あー………次の人生があるのなら苦難と試練にまみれたハサン・サッバーハになりたい。
【キャラクターシート】
サーヴァント
【クラス】アサシン
【真名】ハサン・サッバーハ:華麗のハサン
【属性】秩序・悪
【ステータス】
筋力:B 耐久:E 敏捷:A 魔力:D 幸運:A 宝具:E
【クラススキル】
諜報:A+++
気配を遮断するのではなく、気配そのあたりものを敵対者だと感じさせない。親しい隣人、無害な石ころ、最愛の人間などと勘違いさせる。直接的な攻撃に出た瞬間、効果を失う。
華麗のハサンは堂々とターゲットに会い、暗殺していった。
【保有スキル】
直感A
戦闘時に常に自身にとって最適な展開を“感じ取る”能力。研ぎ澄まされた第六感はもはや未来予知に近い。視覚・聴覚に干渉する妨害を半減させる。
ナイームの手A++
人を快楽へと導くほどの手の技術。剣術、マッサージ、調合術、投擲、裁縫、工芸、料理など手の器用さを伴う技巧にプラス判定。
【宝具】
『夢想味蕾(ザバーニーヤ)』
ランク:E 種別:対人宝具 レンジ:1 最大捕捉:72人
「本当にもうしわけない。夢想味蕾(ザバーニーヤ)」
数種類の香辛料と食物の食い合わせによる中毒死を昇華させた宝具。
華麗のハサンが作った料理を一口でも口に含んだ者へ真名解放することで毒に似た状態異常を引き起こす。
状態異常の程度はどれだけ料理を食したかにより、一口含むと3秒ほど完全に動きを止める。一皿食べると重体、幸運判定に失敗すれば即死させる。
厳密に毒を使っていないので耐毒スキルの類いを素通りすることができる。
この宝具を使う際には必ず香辛料を使った料理を作成しなければならない。
【weapon】
シミター
【人物背景】
暗殺教団の18人いるリーダーのうちの1人。
『華麗』の二文字は彼の技を見た長老の1人がその手際の良さを評価したところから言われるようになった。
料理人として堂々と潜入し、毒見役をすり抜けて中毒死を引き起こすその技はハサン・サッバーハの名に相応しい。
だがこの技は料理の質あってこその物。加齢により衰えを感じたハサンは歴代の誰よりも若くその座を退き首を落とした。
【外見・性格】
非常に綺麗なローブと白骨仮面をつけた男。
髪はなく、複数個の香辛料を持ち歩いている。
綺麗好きな世話焼き
昔家族を持っていた。子供を大切にしてる
軽いマゾ
【身長・体重】
178cm・43kg
【聖杯への願い】マスターを優勝させる(その間にある苦難試練を楽しむ。)
【マスターへの態度】
もう………諦めて脱出しよう
マスター
【名前】セーレン・カーリア
【性別】女
【年齢】12
【属性】秩序・善
【外見・性格】
露出度の高いバカみたいなドレス
金髪、白い肌、虹色に輝く両目
高飛車で自信家
大人ぶっている子供
【身長・体重】
149cm・70kg
B90・H49・H79
【魔術回路・特性】
正常
質A+ 量B
火・水・風
【魔術・異能】
カーリア秘伝召喚剣
魔力の塊から青白い剣を錬成し、発射する。
セーレンは20秒間途切れることなく剣を打ち出せる
カーリア秘伝月の輝剣
触媒に大量の魔力を詰め青白い特大の剣とする。
5秒ほどで霧散するが破壊力が高い
カーリア秘伝双子星
自分の動きを追随する青いオートマタを作り出す魔術。
10秒ほどで消えるが、同時に十数体生み出し攻撃可能。
大三角の剣
カーリア家に保管してある魔術触媒の一つ。トライアングルを描くようにサファイアが配置された剣。カーリアの秘伝魔術の威力を底上げする。
流布の魔眼
宝石級の魔眼。普段は魔眼殺しのコンタクトレンズにより守られている。視界に存在する物質全てに自分の放った物質を当てる。数が足りなければ放った物質が何個にも分かれる。10秒も持たない。それ以上経過すると臓器や脳に深刻なダメージが入る。
【備考・設定】
10世紀つづくカーリア家・貴族主義系統出身の未熟な魔術師。カーリア家は三つの系統に分かれている。高い素質と宝石級の魔眼もちとして生まれた彼女は両親から希少な花のように大切に育てられていたが遅い反抗期により、反発。自分が優秀だということを証明するためだけに聖杯戦争に参加する短絡さを見せた。両親は親心と下心ゆえに行方を必死に追っている
【聖杯への願い】自分が優秀だと証明する
【サーヴァントへの態度】優しいおじさん、料理うまい。
投下終了します
投下します
文禄元年、初夏。
後の世に安土桃山と記されし、太閤豊臣氏が治めた時代である。
この日、総州小金原の原野は連日の黴雨によって未だ湿り気こそ中空に漂えど、久方ぶりに天から降り注いだ陽射しによって、草木は珠玉を撒いたかの如く淡い光を反射していた。
一点の雲も止めぬ蒼天の下、原野の中心にて対峙する男が二人。
北側、どっしりと構えるように立つ大柄な男の名は小野善鬼。
南側、ゆらりと漂うにように立つ細身の男の名は御子上典膳。
どちらも腰に太刀を佩き、剣の道を志す侍であった。
「おう、これは早いな典膳」
「兄者こそ。やはり考えは同じであったか」
早朝、快活に笑いながら挨拶を交わす両者の間には敵意も害意も、ほんの些細な反意の交錯すら発しない。
それもその筈、彼らは同じ師の下、一刀流という剣の道を互いに切磋琢磨しながら歩んできた、師を除けば誰よりも信を置き合う無二の兄弟弟子なのだから。
「よせ、よせ、典膳。兄などと、今ばかりはそう呼ぶな、分かるだろう」
「……そうか、うむ、では、善鬼と」
「そうとも、そうでなくては、すっぱり斬れぬぞ、互いにな」
その兄弟弟子の交わす朗らかな言の葉。平時の調子で進む朝の会話の終点に、どうしようもない流血の惨劇の待ち受けること。
両者がしかと理解して尚、彼らはこの人気のない原野に、示し合わせることもなくやってきた。
互いが互いを、敬愛する兄弟弟子を、もはや斬る他無しと覚悟を決めて。
彼らが誰よりも愛する恩師は告げたのだ。「より強き者を後継者にする」と。
一刀流相伝。最強と信奉する剣を、しかと継ぐ者こそ己である。
その役を阻むものは誰であろうと斬る。そしてその役を担えぬ生に意味など無し。
最も愛する師の剣を継ぐためならば、二番目に愛する兄弟弟子をも斬る、或いは斬られることすら厭わぬ。
先日、後継を決める名目にて、師の前で披露した木刀による道場仕合い。
その勝敗に意味が無いことは両者共に承知していた。本当にどちらが強いかを決めるならば。
「やはり之しかあるまいよ、そうであろう典膳」
「うむ、同感だ。師匠も人が悪い、いや、良いのか。妙な処で日和なさるものだ」
両者同時、太刀の鞘を払い、後方に投げ捨てた。
抜き身の真剣が朝日に照らされ、二尺六寸の刀身に互いの身体を映し出す。
「そんなところがあの方の可愛さではないか」
「然り、可愛く、そして美しい、分かっておるなあ、善鬼」
「うむ、やはり我らは気が合う、斬るには惜しい奴だて。さりとて、容赦はせんが」
之より死合うは二人の侍。
後の世に云う、小金原の決闘である。
「おお、そうだ善鬼、一つ決めておこうぞ。拙者が勝った暁にはお主の希望を継いで、師匠に一戦挑んでやる。代わりに拙者の希望も聞いておけ」
「良いとも、申してみよ」
「―――――」
共に同じ流派を極めんと突き詰めた仲。取った構えは、やはり全くの同じであった。
半身をやや低く落とし、刀身を相手の目頭に向け中段に構えた、一刀流清眼。
「承知した。では」
「応、いざ」
「尋常に」
穏やかな空気から一転、彼らは当たり前のように滑らかに闘争へと移行した。
急激に張り詰めた空気が極度の緊張を伴って、今正に割れんばかりに膨張し、臨界を迎えるその刹那。
二人の間に割り込んだ、鈴の鳴るように澄んだ女の声。
「双方、止まれ―――!」
それこそが皮肉にも、彼らの死合いの火蓋を切って落とす、開戦の号令となったのである。
◇
コチ、コチ、コチ。
耳元で鳴る時計の音に、僅かな意識が浮上する。
妙な夢を見た。
まるで時代劇のような、二人の侍が決闘する夢。
時代の雰囲気こそ古かったけど、映像は白黒じゃなくて鮮明なフルカラーだった。
それに鉄と鉄のぶつかり合う鋭い音や飛散する血の匂いまで、ハッキリと感じ取れる程の濃密なリアリティ。
呆気にとられるほど見事な剣戟と、彼らを止めようとして叶わなかった女性の悲痛な声とが、まだ目と耳に焼き付いている。
「なんだったんだ、アレ」
呟いて目を開く。
どうやら俺はベッドの上で眠っていたらしい。
点けっぱなしの蛍光灯の光が網膜に染みたけど、数度瞬きを繰り返す内にボヤケた視界が鮮明に整ってきた。
えっと、俺は、何をやってたんだっけ。
聖杯戦争、マスターとサーヴァント、仮想都市東京、魔術師、令呪、それから、えっと……。
記憶の引出しから物を引っ張り出すように、頭の中にある用語を片っ端から取り出してみる。
聖杯によって頭の中に押し込められた知識、まるで伝奇のような設定の数々。
決して一般常識とは言えないそれらの意味を理解している。俺は間違いなく、この聖杯戦争のマスターの一人だと自覚している。
だけど、聖杯が采配する仮想世界の役割(ロール)。
俺に与えられたそれが何だったか、どうしても思い出せず、いや待て、違う、それ以前の問題だぞこれは。
そもそも、俺は―――
「俺はどうして、ここに居るんだ?」
口にして、ようやく、俺は自分の置かれている奇異な状況を自覚した。
「俺は……誰だ?」
わからない。何も、思い出せない。どいうことだ。
あまりの事態に飛び起きるように身を起こし、周囲を見渡してもヒントになりそうな物は見当たらない。
身体を横たえていた簡素なベッドと一般的な家電しか置かれていない、それは凡庸なワンルームマンションだった。
カーテンの隙間から見える窓の外はどうやら夕方のようで、怪しいオレンジ色の光が一筋部屋に差し込んでいる。
いったい何が起こっている。何なんだこの状況は。
パニックになりそうな頭と早鐘を打つ心臓を抑えるように、胸元まで手を動かした時、俺はようやく気がついた。
俺の両手にそれぞれ何かが握られている。
右手には古びた懐中時計、左手にはボロボロにくたびれた長財布。
コチ、コチ、コチ。
懐中時計は時を刻み続けている。
これが俺を仮想都市東京に連れてきた、切符になっていたことは知っている。
なのにどうしても、初めて触れた時のことを思い出せない。
コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ。
時計の秒針は動き続けている。
なぜだ、どうして思い出せない。
俺は、ここに来る前の俺は―――
コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ。
秒針の動きに合わせて音が鳴り続けている。
俺は、確か――――
コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ
時計の音が煩い。
俺は、あの時――――――
コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ。
煩い、煩い、煩い。
俺は―――
コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ、コチ。
「痛―――ぐ―――――ァ――――!」
明滅する視界の奥に何かが見えかけたその瞬間、脳裏で狂乱するように鳴り響く時計の音と、頭蓋の砕けるような激痛によって掴みかけたモノを取り落とした。
駄目だ。考え続けることが出来ない。
無理に思い出そうとすると、脳みそが自ら拒否するように内側から耐え難い激痛を発する。
記憶について考えるのを止めた途端、嘘のように鳴り止む音と痛み。
仕方がないので、代わりに左手に握るボロ財布の中身を確認する事にした。
入っていた現金は2万3千円。
キャッシュカードやクレジットカードは見当たらないので、これが俺の全財産ということになる。
それともう一つ、情報になり得る物があるとすれば、
「ポイントカード、か」
都内スーパーのポイントカード。記名欄には、『佐藤進(さとうすすむ)』と書かれてあった。
当たり前だが、カードに写真は付いてないので、俺が佐藤進である証明にはならないし、そもそもこの財布が俺のものである保証もないのだが。
なんにせよ現状、マトモな手がかりはこれしかない。
「やれやれ、なんだってこんな事に……」
ベッドから降りて、のそのそと洗面所へと移動する。
洗面台の鏡に映る俺の姿を見ても、まるでピンとこなかった。
自分自身の姿を見て尚、他人のように実感が沸かない状況は相当重症だと思う。
鏡のむこうには、中肉中背、あまり特徴の無い、おそらく十代後半と見られる男子高校生が立っていた。
高校生と考えた理由は単純に、どこかの高校の制服を着ていたからだ。
服の意匠に校名などは見当たらないし、やはり思い出せる気配もないが。
「うーん」
分かっていることを整理しながら洋室に戻ろう。
まず、ここは魔術師同士の殺し合い、聖杯戦争が開催されている仮想の東京で、俺は参戦したマスターの一人でありながら記憶喪失の憂き目にあっている。
名前も年齢もハッキリしないし、使える魔術も分からない、そもそも俺は魔術師だったのかすら謎である。
「あ、そういえば」
と、間抜けな俺が、それに気づいたのはちょうどドアを開き、元いた洋室に戻ってきた時だった。
俺がマスターで在るならば、自然とこの場所にはもう一人、対になる者が居るはずで。
「え…………」
部屋には先ほどまでは居なかったはずの、ナニカが立っていた。
「……………」
幽霊が出た。
最初にそれを見た時、俺はシンプルにそう思った。
ボロボロの白い着物に身を包んだ何者か。
異様なのはその死に装束のような和装ではなく、床について余りあるほどに長く伸ばされた黒髪だった。
顔面をはじめ、全身をすっぽりと包むように垂れた髪のベールによって、表情どころか体つきすらハッキリと読み取れない。
まるで天然の黒頭巾。和製ホラーから飛び出してきたかのような不気味な出で立ちに、言葉を失うこと数秒。
俺はやっと状況を理解する。
そう、俺がマスターであるならば、ここには従者が存在しているはずだ。
即ちそれが目の前の彼……彼女……どっちだ?
大量の髪の毛が織りなすベールと、前傾姿勢なせいでよけい体型が見えにくいけど、隠しきれない凹凸からして、おそらく―――
1.男性だろうな
2.女性だろうな
◇
【2.女性だろうな】
女性だろうな、これは。
どことは言わなけど体つきの主張は激しめのようで、垂れ下がる黒髪のベールでもってもそれは誤魔化せていない。
サラシでも巻いていれば完全に分からなかったかも知れないけど。
とにかく目の前に立つ幽霊のような怪しげな女が、俺の召喚したサーヴァントらしい。
ていうか、何かさっき、視界に変な文字が過ったような気がしたけど、気のせいだろうか。
なんにせよ、さっそく交流してみよう。
殺し合いを生き抜くために、パートナーを理解することは必要不可欠だと思う。
それに彼女との交流を通じて、俺の記憶を取り戻す取っ掛かりが得られるかも知れない。
勿論サーヴァントが会話の成り立つタイプであることが最低条件だけど、まあ流石に大丈夫だろう。
聖杯からもたらされた前提知識によって、一般的な聖杯戦争のルールに関する情報は頭に入っている。
ランクの高い狂化スキルを付与されたバーサーカーでも引き当てない限り、ひとまず日常会話を行う分には、
「菴輔◇?」
え、聞き間違いだよな?
「雋エ讒倥?菴輔◇繧?シ溘??蜷阪r蜷堺ケ励l縲?撼遉シ縺ァ縺ゅk縺槫ー冗ォ・縺」
……マジかよ。
おもいっきしバーサーカーじゃねえか。
自分の置かれた状況の最悪さに目眩がする。
狂化スキルAランクの狂戦士。それが俺の目に開示された従者のステータスだった。
髪の幕に覆われた顔がどのような表情を浮かべているかまるで伺えないし、ムニャムニャとしたうわ言のような声は何を伝えたいのかサッパリ不明。
どことなく機嫌が悪そうな響きを伴っているのが気になるけど、原因も分からないし不機嫌だって確証すらない。
おおよそ、コミュニケーションが難解を極める相手であることは明らかだ。
ていうかそもそも相手がバーサーカーなら交流すること自体がリスクじゃないのか?
相手は理性の欠如した英霊、もし不興を買って暴れだしたら、こっちはひとたまりもないぞ。
とはいえ記憶すら覚束ない俺に、他に選択肢があるわけもない。
失った記憶を追おうにも、他のマスターと接触するにしても、自分のサーヴァントを理解できていなけりゃ話にならないだろう。
「やるしかない、か」
腹を括って、この怪しげな幽霊女と交流する他ない。
彼女には彼女なりに聖杯を求める理由がある筈だし、相互理解はどうしたって必要だ。
よし、そのためにも、まずは――――
1.自己紹介だろう
2.ご挨拶だろう
◇
【1.自己紹介だろう】
「俺の名前は、えーっと、佐藤進(仮)だ。よろしく、バーサーカー」
結局のところ他にピンとくる名前も一切浮かばないので、暫定でさっきみたポイントカードの名前を名乗っておいた。
頼りがいのあるマスターに感じられるよう、なるべく堂々と胸を張っておく。
さて、反応はいかに、と髪のベール越しにバーサーカーの顔の辺り見つめた。
「辟。遉シ縺ェ」
やはり何を言っているのかは、さっぱり分からない。
「遉シ繧呈ャ?縺九☆縺ィ縺ッ辟。遉シ蜊?ク」
でもなんとなく、伝わるモノもある。
多分だけど、怒ってるよな?
「豁サ繧呈戟縺」縺ヲ髱樒、シ繧貞─縺!!」
あー……これはやばいぞ。
完全にミスってる。
目前の脅威から発される殺気に、大量の冷や汗がぶわりと吹き出して背中を伝った。
どうしよう、謝ったほうがいいんだろうか、なんて考えてカラカラに乾ききった口を開いた直後。
黒髪の暗幕の内側で、キチと鉄の擦れる音が鳴ったと、思ったときには既に視界が落下していた。
ごとんごろごろと、頭蓋が床に衝突する音を遠くに聞く。
痛みはない、それどころか一切の感覚が断たれていた。
一太刀に首を落とされたのだと気づいたのは、床に転がった俺の頭が偶然上を見上げていたからに過ぎない。
俺の首の転がった先、バーサーカーの足元。
髪のベールの内側、その隠された端正な顔貌を見上げている。
「縺輔i縺ー縺?」
俺を斬っておきながら、そのとろりとした眼に現実が映っているようには見えなかった。
手には抜き身の太刀。眠りの狂気に落ちて尚、氷点下の冴えを魅せる夢幻の剣。
一切の予備動作無く、死の感触すら与えぬままに対敵の生命を断切する至高の一閃。
美しき無双の剣豪が辿り着いた技の最奥。その名、夢想剣。
へえ、女性だったとは、知らなかった。
在りし時代、剣士は皆が狂していたという。
剣士であれば当たり前のように、剣を極めるという修羅道を歩んでいた。
殺人剣という流血を幾重にも積み重ねた先、数え切れぬほどの死と業を引き連れ目指す最果て。
そこに最も近づいたとされる彼女は今も、その狂気の夢の渦中にいる。
真名を伊東一刀斎景久。
死の間際、泡沫のように消え往く俺の意識が、命と引き換えに触れた理解がそれだった。
【DEAD END】
【Ending No.2:『無礼討ち』】
◇
この先はオルフィレウス研究所です。アドバイスを受けますか?
1.はい
2.いいえ
◇
【2.いいえ】
クイックセーブ地点から再開しますか?
1.はい
2.いいえ
◇
【1.はい】
セーブ地点に戻ります。
(βテスト期間中の為、シーンが入れ替わるなどの不具合が発生する恐れもあります。あしからず)
―――それでは、良い旅を。
◇
「善鬼……典膳……お前たち、何故こんな……」
原野に呆と立ち尽くしたまま、見つめる女性の視線の先、そこに一つの残酷がある。
師の望んだ穏当な道場仕合いを良しとせず、二人の侍が臨んだ死合いは、瞬く間に決着を見た。
袈裟懸けに両断され、己が血の海に沈んだ一人の男と、それを抱きかかえるもう一人。
「何故? 之は異なことを申される。師匠も我らと同じ立場にあれば、同じようにされたであろうに」
死体を抱きかかえる男は、決闘に勝利した侍は、寂しそうに零す。
可愛がっていた弟弟子の血で刃を濡らし、勝ち残った彼は悲嘆に暮れる師を仰ぎ見た。
「我らの理解とは即ち斬ること。之に勝る得心は御座らぬ。そうであろう」
勝者、小野善鬼。
しかしそれは、時代の記録に照らせば、有り得ぬ筈の決着であった。
「そうして今、典膳を斬り、理解した拙者には分かる。この勝負、本来ならば拙者に勝てる道理など無かった」
後の世に、この決闘の勝者は御子上典膳であると伝えられている。
「未来を変えたのは貴方だ。我が師、伊東一刀斎。貴方の声が運命を狂わせ、典膳を殺したのだ」
決闘の直前、独断で凶行に及んだ彼らを止めるべく、割り込んだ師の声。
それこそが運命を分かつ選択の分岐だったとしたら。
「彼奴、本気で愛しておったのだなあ。拙者のそれとはまた違った姿形で、しかしより深く。
師の声に、ほんの僅かな雑念を振り払えぬ迄に。
斬ってみて、よう分かった。彼奴は伝授されるまでもなく、奥義を会得しておったのだ」
奥義を得るための決闘に望む為、彼らは事前に奥義を見取るという矛盾を強いられた。
それのみが、互いに全ての手を知り尽くす兄弟弟子を凌駕する、唯一の活路であると承知していたが故に。
結果、より深く師の技を理解していたのは典膳であり、同時により深く思いを寄せていたのも―――
「拙者の負けじゃ。さらば、師よ。典膳を斬った今、拙者もまた奥義を会得したに等しい。伝授は最早不要也」
「待て善鬼、何処へ往くのだ!」
典膳の骸を背負い、立ち上がる善鬼の背に師の悲痛に満ちた声が飛ぶ。
されど男は振り返ることもなく、歩を進めながら寂しげに口にするのみであった。
「師よ、我が名もまた、ここに置いて行こう。今日をもって小野善鬼は死んだのだ。
生きるべきは、典膳であった。それが世の道理であったのだから、拙者の命はそのように使わねばならぬ」
残された女性は、握りしめた太刀の鞘を投げ捨て、去りゆく弟子の背に刃を向けて叫んだ。
「待て、善鬼! 往くな! どうしても往くと云う成らば……成らば、おれと立ち会え!」
「ははは、師匠らしい。我が心とて同じであった。典膳が勝っておれば、その望みも叶ったであろうに。
……お赦しを。約束したのだ。拙者が勝った暁には、彼奴の願いを叶えるとな」
後に小野善鬼は御子上典膳と名を変え、更に後に小野忠明と名を改め、江戸の世における将軍家指南役にまで上り詰めた。
彼が御子上典膳に成り代わって広めた一刀流は隆盛を極め、現代に至るまで多くの派生と文化を生み出す事になる。
師の剣を後世に伝え、その威光を不朽のものとすること。それが御子上典膳の最期の願いだったとすれば、善鬼は見事約束を果たしたと言えよう。
一人の剣の師と、二人の弟子。
その日、分かたれた運命が再び交わることはなかった。
流血の決闘を見届けた伊東一刀斎はその後、歴史の表舞台に姿を現すことはなく。
彼女が何処で産まれ、何処で命を終えたのか、正確に記録された資料は残っていない。
彼女が弟子とともに目指した剣の道、その最果てとは何処にあったのか。
二人の弟子に賭けていた望み、止められなかった悲劇の裏で、何を願っていたのか。
察せられるものが居たとするならばやはり、当事者である二人の男のみであったろう。
「――――我が師よ。貴方の願いは叶わない。この時代に、貴方に伍する剣士は現れない。
拙者も、典膳も、遂に貴方の運命には成れなかった。今は唯、それだけが口惜しいのだ」
日が落ち、静まり返った小金原。
流された血潮と、打ち捨てられた二本の刀のみが残る決闘跡地で、一人立ち尽くす彼女は切なげに呟いた。
「嗚呼、どうせこう成って仕舞うなら、一切諸共、斬って仕舞えばよかったな……」
◇
【2.ご挨拶だろう】
「はじめまして」
とにかく、名乗る前に先ずは挨拶だろう。
特にこの古風な見た目のサーヴァントに対しては、順序に気を使うことが重要に感じられた。
焦らず、深く深く、お辞儀して、程よいタイミングで顔を上げる。
「俺の名前は佐藤進、仮で申し訳ないけど、一旦そう名乗らせてほしい。実は俺、記憶が無いんだ」
相手がバーサーカーで、どこまで汲んでくれるかは分からないけど、誠意が伝わる相手だった場合、逆もまた然りだろうから。
「名前と記憶が分かったら、それが佐藤進だったとしても、違ったとしても、改めてちゃんと名乗るよ。だから、よろしく頼む」
結局のところ他にピンとくる名前も一切浮かばないので、暫定でさっきみたポイントカードの名前を名乗っておいた。
ついでに頼りがいのあるマスターに感じられるよう、なるべく堂々と胸を張っておく。
さて、反応はいかに、と髪のベール越しにバーサーカーの顔の辺りを見つめた。
彼女は暫く沈黙した後、黒髪のベールの内側で、キチと鉄の擦れるような音を一度鳴らした。
続いて、すっとベールから現れたのは色白の腕と、二尺六寸の太刀。
佩刀していたそれの柄に両手を置き、地面に立てた姿勢にて、彼女は小さく呟いた。
「莨頑擲荳?蛻?譁取勹荵」
それはもしかすると名乗り口上だったのか。
寝言のような声は何を言っているのか瞭然とせず、はらりと流れた髪の隙間から僅かに見えた彼女の瞳は、やはり俺を映しているようには見えなかったけど。
それでも、間を置かず霊体化して消え去ったところから察するに、どうやらこの場を乗り切ることには成功したらしい。
大きく安堵の息を吐き出しながら、ベッドに腰掛ける。
いきなり名乗るかしっかり先に挨拶するかは俺の中で五分だったけど、結果を見れば当たりを引くことが出来たようだ。
賭けに勝った成果は、上々とは言えないけど、最低限の基準には達したと言っていいだろう。
ろくに魔術も使えない俺が、バーサーカーと正面から応対して、サーヴァントの真名とステータスの一部を引き出すことが出来たのだから。
まだまだ彼女の理解を深める必要はあるけれど、それは今後の課題だろう。
今日のところは、控えめに評価しても及第点だ。
うむ、うむ、あれ……………?
なんで俺、バーサーカーの真名を突き止めたんだっけ?
アレ、ん、え……アレ……?
「今、何が起こった?」
春雷の如くに走る剣閃。落ちて転がる首。彼女の足元から、髪のベールの内側に見た美しき顔貌。
一瞬にして脳裏に浮かび上がった在る筈のない記憶の回想と、同時に吹き出る大量の汗。
「え? 俺、さっき死んだよな?」
無意識に自分の首に手を当てる。ちゃんと繋がっていた。身体のどこにも傷一つ無い。
当たり前だ。俺は成功したんだから。なのに、なぜ、失敗した記憶があるんだ。
まるで外した二択を選び直したかのように。
時間が巻き戻ったかのように、俺は2つの展開の記憶を得ている。
まさか、俺の魔術が為した現象なのか。確かに数分ほど前には無かった筈の疲労感が全身に蓄積している。
これが魔力を消費する感覚なのだとすれば辻褄は合う。
そう仮定すると、おそらく予兆はあの、不思議な感覚。
突然視界に文字が現れたように感じた、あの"選択肢"の表示こそが、発動の合図だとすれば。
「チカラの要は、視覚か」
視界に選択肢が出現したのは、俺がここで目覚めてから2度あった。
2度目はさっき発生した通りの現象。選択を誤った際の記憶を保持したまま、選び直して窮地を脱した。
しかし1度目は選択肢こそ見えたものの、やり直したような感覚はなかった。
まだ裏付けが必要だが、おそらく一度目の際、俺は選択を外さなかったのだと推測する。
つまりこれは完全な仮定に過ぎない話だが、今ある情報だけで整理すれば以下のように説明できるだろう。
一定の条件を満たす場面で、俺の眼は選択肢を視る。
そして選択を誤った際、結果を俺に見せた上で、選び直しの機会を与える。
失敗の定義を、先程の一回だけで確定することは出来ないが、仮にそれが"俺の死"であるとするならば。
選択肢の出現状況とは、俺の生命に関わる重要な選択を求められている時……?
結局、全ては仮定に過ぎない話だ。
そもそも今の想像なんて全て的外れで、俺が妄想に囚われているだけって可能性もある。
仮に先程の奇妙な現象が、俺の能力が引き起こしたものだったとしても、仕様についての結論を出すにはまだ早い。
なにしろサンプルケースが少なすぎるのだから。
俺はこれから俺の記憶だけじゃなく、能力についても知らなければならない。
そしてそれこそが、この地で俺が生き残り、目的を達するための条件となるのだろう。
などと考えて、俺は俺の間抜けさに呆れた。
「……滑稽だな」
目的だって?
なにも憶えていない俺に、なんの目的があるという?
何のためにここに来て、何を聖杯にかける望みとして戦うのか。
持たざる者である俺の目的……逆説、それを得ることこそ、俺の目的足り得るのか?
ふと窓の方を視ると、カーテンの隙間から差していた陽光は既に絶え、仮想の東京に夜が到来したことを告げていた。
不思議と落ち着いた気分のまま、自然に身体は立ち上がり、足は玄関へと向かっていく。
手掛かりが有るかは分からないけど、手始めに例のポイントカードに記載されたスーパーにでも行ってみるか。
勿論、外に危険があることは分かっている。
だがサーヴァントとの可能な限りの交流を終えた今、部屋に引きこもっていても得られるものはない。
外に出て、現在地と周辺の情報を集める事が次の段階となるだろう。
それにほら、アレだ、伝奇の舞台といえば、深夜徘徊と相場が決まっているものだし。
「――――は、なんだそれ。俺、伝奇小説とか読むやつだったのかな?」
自分の発想の中にも、自分を知れるヒントは有るのかもしれない。
そんなコトを思いながら、俺はマンションの外廊下に出た。
生暖かい夜の風が不気味な予感を乗せ、俺の首筋を撫でるように過ぎていく。
無名の表札の上部に書かれた部屋番号を見るに、どうやらここは3階のようだった。
さて、それじゃあ、さっそくだけど、俺は――――
1.エレベーターで降りることにした
2.階段で降りることにした
3.部屋に戻ることにした
【クラス】
バーサーカー
【真名】
伊東一刀斎景久
【属性】
混沌・狂
【ステータス】
筋力D++ 耐久D 敏捷A++ 魔力D 幸運C 宝具B
【クラススキル】
狂化(睡):A-
パラメーターをランクアップさせるが理性の大半を奪われる。
後述する『夢想剣』が破られた場合、このスキルのランクは大幅に変動する。
【保有スキル】
心眼(真):A
修行・鍛錬によって培った洞察力。
窮地において自身の状況と敵の能力を冷静に把握し、その場で残された活路を導き出す戦闘論理。
逆転の可能性が1%でもあるのなら、その作戦を実行に移せるチャンスを手繰り寄せられる。
極意五天:C
達人より伝授された『妙剣、絶妙剣、真剣、金翅鳥王剣、独妙剣』からなる五つの極意。
何れも対人魔剣足りうる絶技であるが、狂化状態にある現在、往年の冴えには及ばない。
接近戦において強力な筋力及び敏捷補正を誘発する。
卍の印:D
一刀流の教え。精神修行の最奥たる心構えを現した印。
殺人剣と活人剣、双方極めた活殺自在の境地。
剣を持って向き合いながらも、殺すこと活かすことに囚われず、生死、利害、損失の疑念から開放された明鏡止水の精神。
高ランクであれば精神干渉を一切無効化するほどのスキルであるが、狂化により相当のランクダウンを受けている。
異説暗幕:B
史実において彼女が果たした剣の功績に対し、あまりに多い異説と不明点の数々。
最強とも謳われた剣士が晩年、まるで正確な足取りを残さなかったことに端を発した、人々の憶測と想像。
それら情報の交錯と陥穽が本人の意思に依らずカタチを為したスキル。
無造作に伸ばされた長き黒髪がジャミングのベールとなって、彼女の気配とステータス情報の一部を秘匿する。
【宝具】
『真剣・断切落(しんけん・たちきりおとし)』
ランク:C 種別:対人魔剣 レンジ:1 最大捕捉:1
万物は一刀から万化して一刀に収まる。
一刀流の真髄の一つ、切落。
対敵の攻の起こりを見極め、跳ね上げる刀剣によって弾き、一呼吸の間に切り下げる。
無双の後の先。如何なる陰剣の予兆も見逃さず、防御を貫通して霊核を両断する、正しく剣の絶技である。
白兵戦においてこの魔剣を破るには、一切の予兆を廃した攻撃を実現するか、剣聖の反応速度を超える一撃をもって挑む他ない。
『秘剣・夢想剣(ひけん・むそうけん)』
ランク:B 種別:対人魔剣 レンジ:1 最大捕捉:1
長き修行の果て、悟りに至った一刀斎がたどり着いた奥義の一つ。
無意識に敵を斬殺する迄に高められた絶剣の戦闘勘。その真髄とは無心の究極、即ち入睡に至る夢想の剣。
彼女は睡っていながらも周囲環境の全てを無意識下で把握しており、向けられる敵意、害意、非礼にフルオートで斬り返す。
夢想の斬撃は無想であるが故に起こりの存在しない究極の先の先。
バーサーカークラスの彼女は常時この宝具を展開した状態にある。要するに彼女は常に寝ぼけている。
この魔剣を破る、即ち眼を覚まさせるものが在るとすれば、彼女に伍する程に道を極めし真の強者のみであろう。
『撃剣・払捨刀(げきけん・ほっしゃとう)』
ランク:C 種別:対人魔剣 レンジ:1 最大捕捉:1
手にした物体をE〜Dランク相当の宝具として武装する。
対敵から略取した宝具であった場合はそのランクのまま運用可能。
かつて愛人に裏切られ、無手の状態で複数の刺客に寝込みを襲われた際に体得したもう一つの奥義。
敵の武装を打ち払い、己の得物として獲得する無手の極意。
弘法筆を択ばず。彼女には扇一本で唐の刀術名人に打ち勝った逸話があり、扱う武器の範囲は刀剣のみに限定されない。
【weapon】
無銘の太刀。
かつて彼女を象徴した宝具〈瓶割刀〉と〈朱引太刀〉はバーサーカークラスにおいては封印されている。
今はただ、鍛えし剣技を振るい舞い、死合う夢にて睡るのみ。
【人物背景】
戦国時代後期から江戸時代前期にかけて活躍したとされる剣豪。
剣道の基礎ともなった一刀流の開祖である。
生没年、出身地共に明確ではない謎多き人物。
己が剣の術理や功績を後の世に残すことより、飽く迄も剣の道を極めることに専心する人物であった。
数ある逸話の内一つには下記のようなものがある。
三島に流れ着いた14歳の頃より、彼女は比類なき剣士の才能を発揮した。
三島神社の神主から与えられた宝刀で七人の賊を斬り倒し、瓶に隠れた最後の一人を瓶ごと両断した逸話から、宝刀には瓶割刀の銘が与えられる。
その後、性別を偽って江戸に渡った彼女は短期間で師を打ち負かすまでに至り、独立後も強者と戦い続けるべく武者修行の旅に出た。
道中、彼女は後継者たり得る二人の門弟を見出す。それが小野善鬼と御子神典膳である。
三人は長く旅を続けたが、ある時、一刀斎は二人に告げる。「より強き者に一刀流の極意を相伝する」と。
そして決闘の末、勝った典膳が継承者となり、敗北した善鬼は落命した。
善鬼の死に関する詳細は明確に記録されていないが様々な俗説が存在する。
一刀斎が善鬼を殺したがっていたとされる説や、実は死んだのは典膳であり、善鬼が典膳に成り代わったというような突拍子もない説もある。
何れにせよ、典膳に一刀流を相伝した後、立ち去った一刀斎の行方はやはり瞭然とせず。
果たして彼女は何処から来て何処へと去ったのか。
彼女が最後に抱えた心残り、目指した剣の究極とは如何なる境地であったのか。
察することの出来た者が居たとすれば、それは彼女を心より慕っていた二人の門弟のみであろう。
明確な事実は一点。決闘に望むこと三十三、人を斬ること五十七、打ち倒すこと六十二。
伊東一刀斎は生涯負け無し。紛れもなく、天下無双の大剣豪である。
【外見・性格】
見窄らしき白の襤褸着物を纏う幽霊のような不気味な風体。
直立して尚、床に引き摺る程長い黒髪が全身をすっぽり覆っており、顔貌は勿論のこと体格すら不鮮明。
髪のベールの上からでも薄っすら分かる身体の凹凸から、どうやら女性であるらしい。
前述の通り、夢想剣を常時展開した彼女の意識は現実に在らず。
在りし日、剣の道の極点を目指し、己をそこへ至らしめる強者を求め続けた彼女は今尚、血に染まった夢の淵で微睡み続けている。
【身長・体重】
188cm、77kg
【聖杯への願い】
心技極めし強者との対決。
或いは―――
【マスターへの態度】
雋エ讒倥′諡呵???繝槭せ繧ソ繝シ縺具シ
【名前】佐藤 進 / Sato Susumu
【性別】男性
【年齢】推定17歳
【属性】???→中立・中庸
【外見・性格】
中肉中背、平均的な十代後半の男子の体型。
現在自分探しの真っ最中。
【身長・体重】
172cm 、59kg
【魔術回路・特性】
質:E 量:E
特性:〈選択式未来視〉
【魔術・異能】
◇選択式未来視
彼に備わった未来視の系統は過去視を内包した事象演算型。
周囲環境及び人物の過去と現在から限りなく正確な未来を逆算すると同時に、並行世界の分岐点を算出し、別軸の可能性を補足する。
自身の生死を分つ岐路に立った時、未来視は彼が取り得る選択肢を網膜に映写し、選んだ択が彼の運命の終点すなわち死に直結する場合に限り、演算された未来の情景を刹那の一瞬に上映する。
この一連のシークエンスは本人の視点では未来視というよりも時間を巻き戻すような、擬似的なタイムリープを行なっているかのように体感する。
尚、死に直結しない選択をした場合、つまり正解の選択肢を選んだ場合は、未来視は発動せず、そのまま時間が進行する。
未来視が発動するのはあくまで選択を誤った場合に限られる。
突発的な生命の危機を回避せしめ、尚且つ未来の情報を取得できる優れた能力に思われる反面、明確な弱点が3つ存在する。
1つ、魔力が不足している場合は未来視を発動することができない。一回毎の消耗は少ないが、本人の魔力量を鑑みれば過度な連続使用には耐えられないと考えられる。
2つ、本人が決して選び得ない択は網膜に映写されない。よって全ての選択肢が死に直結する状況、つまり正解の選択肢が1つも存在しない"詰み"の事態も起こり得る。
3つ、この能力で回避できる死は突発的かつ一度の選択肢が左右する運命に因るものであって、複数の選択、因果の積み重ねによる死は回避できない。
突如確定する死から逃れても、死の可能性の蓄積を見逃せば、容易に2で述べた詰みの状況に行き着くだろう。
つまり、選択ミスはカバー出来てもフラグ管理ミスはカバーできないという事である。逆説的に、この能力は原則直近の未来しか窺い知ることは出来ない。
総じて、ゼロから可能性を創り出すものではなく、イチの希望を拾う為の能力といえよう。
【備考・設定】
佐藤進(仮)。
正体不明(アンノウン)。
或いは過去を喪失した未来観測者。
魔術回路の装填をもってしても微弱な魔力しか持ち得ない才無き一般人であり、自身の過去に関連する一切の記憶を失っている。
記憶喪失が懐中時計を拾った際に起こったことなのか、仮想の東京に転移して以降に起こったことなのかは不明。
聖杯によって聖杯戦争のルールや仮想東京の前提知識を得ているが、自分自身の過去を思い出そうとすると、鳴り渡る針音とともに激しい頭痛に苛まれてしまう。
過去を失った彼に与えられた能力は皮肉にも未来視。
彼自身、まだこの能力の全貌を把握しきれておらず、失われた記憶とともに使い方を模索する方針。
彼に与えられた情報を以下に纏める。
都内ワンルームマンションの一室で目覚めるも、現在に至る過程は一切思い出せない。
マンションの内装は非常に簡素でベッド、洗濯機、冷蔵庫といった最低限の設備と日用品しかない。
聖杯戦争と仮想東京の前提知識及び一般知識は備えているが、自身にとっての一般常識が何であるかは未だ手探りで整理している途中。
どこかの高校の制服を着ているが、どこの高校か思い出すことは出来ない。
目覚めた当初、右手に古びた懐中時計、左手にボロい財布が握られていた。
財布の中には現金2万3千円と都内スーパーのポイントカードが入っており、『佐藤進』の記名があったので、ひとまずそれを名乗っている。
ただしポイントカードには当然顔写真など無く、他に身分を確認する手がかりも見当たらないため、このカード及び財布が彼本人のものである確証はない。
果たして彼は、強者なのか、弱者なのか、善なる者か、邪なる者か。
聖杯にかける望みを、忘却した過去に思い出すのか、或いは新たな未来に見出すのか。
今はまだ、何者でも無いが故に、何者にも成れる。
過日の設定(しがらみ)から解放されし、仮想の観測者(プレイヤー)である。
【聖杯への願い】
暫定、とりあえず自分が誰なのか教えてほしい。
【サーヴァントへの態度】
記憶喪失という非常にマズい状況でスタートしたうえに、言葉が通じないタイプのバーサーカーを引いてしまいかなり困っている。
とりあえず理性がないように見えて失礼を働いたら殺されると分かったので、今後は丁寧に接しようと思う。
※この候補話が採用された場合、佐藤進(仮)の過去設定については後続の方々に委ねるとします。
投下終了します
今気づいたのですがアサシンの投下する話が間違っていてさいとうこうしたいのですがよろしいでしょうか?
たくさんの投下ありがとうございます!
>愛故に人は
復讐というテーマがあるにも関わらず、サーヴァントの影響もあってやけに爽やかな読み味になっているのが印象的でした。
エパメイノンダス、名前こそ知らなかったもののキャラ性と描写で紛れもない英雄だと突きつけてくるのが強い。
企画の中に仇ないしその関係者がいるという一文も強いですね〜……! わくわくします、企画主なので。
投下ありがとうございました!
>未熟な果実(◆tsGpSwX8mo氏)
投下ミス承知しました。再投下していただいて大丈夫です!
>THIS VISION
演出かと思って読んでたら本当にそういう能力だった……システムとしての選択肢可視化、ピーキーながら使いこなせるとやばそう。
バーサーカーの描写と解釈がめちゃくちゃ好きですね……、常に寝ぼけているが最強の剣豪、たまらんです。
果たして"寝ぼけている"彼女を夢から覚ますほどの剣を見せられる者はいるのか。
投下ありがとうございました!
ありがとうございます
ではもう一度投下します
「すべて本来の持ち味をこわさないことが料理の要訣である」
北大路魯山人(芸術家)
◇◇◇◇
俺はハサン・サッバーハ。偉大なる先達と区別するために、華麗のハサンを名乗っている。
華麗。暗殺術に相応しくない名前だと君は思うだろうか?俺もそう思う。殺しの技が華やかで美しいとはなんかのジョークだな。しかしこれはあくまで俺が名乗り始めたわけじゃないことを明言しておこう。
。
さて俺が彷徨っているのは英霊の座と呼ばれる世界だ。この世界で活躍し、信仰を集めたもの英霊が招かれる時間軸から外れた空間。そんな場所で俺はぼーっと座っていた。うるさい鳥も砂も人もいない。過去を思い出すにはいい場所だ。
暗殺教団を知っているか?もしくは山の翁の名前。俺はその教団のリーダーを曲がりなりにもやっていた。楽しいもんじゃない。人を使うのには神経がいる。他人の関係性を考慮してやらなきゃならないのは血反吐を吐くほど嫌だった。性格の不一致で殺し合いするんじゃないよ馬鹿どもめ。
愚痴はここまでにしよう。暗殺教団という名の通り、俺は暗殺を生業としていたぜ。異教徒、死徒、反対勢力を殺しまくった。あまり気持ちの良いものじゃなかった。
華麗。それは俺の殺し方からきている。俺は料理人だった。自慢するがその腕は当代一と自惚れてもいいほどにな。だから俺は知っている。何を食べれば体に害を為すか、何を飲めば人が死ぬかをだ。毒は入れない。毒見役をすり抜けなきゃならないからだ。俺が使ったのは香辛料と食い合わせ。少しだけ食っても平気だが多量に取り込むことで後日臓器を破壊し、死に至らしめる。料理の手際の美しさと証拠を残さぬ完璧さ故に長老どもから華麗と呼ばれたんだ。
だが年はとりたくないもの。料理の味が落ちたその時に俺は死ぬことを決意した。加齢による腕の痺れと舌の異常、これが痛い。次代のハサンを決め霊廟へ赴き初代様に首を落とされ………俺はこの場に来た。
中々に大したことをしていない人生だと振り返りながら俺は思う。結局のところ俺は現役時代、証拠を掴まれることはなく、標的を必ず殺すことに成功していた。反乱や造反も俺の代では起きることはなかったし、長老どもからの覚えも良い。ライバルなんざついぞおらずあっさり仕事を完了させて、終ぞ、障害というものに当たらなかったのだ。
あー………次の人生があるのなら苦難と試練にまみれたハサン・サッバーハになりたい。
◇◇◇◇◇
架空の東京 ホテル キッチン
現代の東の国に俺は召喚された。今の時代の台所はすごい。このコンロがあの時代にあれば火加減の調整も簡単だった、この泡立て器があればもっとふわふわの生地を作れた、この食洗機があれば頑固な汚れとて一瞬で落ちるだろう。
冷蔵庫から俺はサーモンを取り出す。丸々と太ったそれに俺は刃を入れた。綺麗なオレンジ色である。近くの瓶を俺は手に取った。オリーヴでできた油、植物はいい。フライパンに入れると半透明の緑が広がる。切ったサーモンを調理液に浸し、香辛料を振りかける。温めた油にサーモンを引き、フライパンを揺らした。香ばしいジューシーな匂いが鼻をくすぐる。香味野菜もフライパンに投入して、青い火の上で踊らせる。火が通ったか?よし………この白い皿に飾り付けてやるか。
死んだサーモンがまた蘇ったように盛れたな。自画自賛で俺は笑みを止めることができない。焼けたパンをバケットに添え、付け合わせに豆のスープ。現界して1度目の料理は全盛期の出来だ。俺は全ての皿を右手に乗っけ、運ぶ。腹ペコマスターに献上するために。
ちょこんと椅子に座る子供が1人。金髪と白い肌、ギラギラと光る虹の目。身長と若さに似合わない青い大胆なドレス、俺の子供には絶対着させたくないやばいデザインだ。腰には剣。銀の刃と青い宝石が特徴的なものだ。
手塩をかけた料理を俺は舌舐めずりするマスターの前に並べた。
「この料理達はなんですの?」
「右からサーモンのムニエル、アボカドのサラダ、枝豆のスープ、焼いたフランスパンになりますマスター。」
マスターは白魚のように細い手でナイフとフォークを持ち、俺の料理を口へ運ぶ。口に放り込むと虹色の目が十重にニ十重に輝く。
「美味しい!」
「お喜びなら幸いです」
まさかこんな子供がマスターになるなんて正直思っても見なかったってところである。しかし餓鬼が目光らさせて口に料理を頬張る姿はいいものだ。
「次はカツ丼お願い!あっ豚無理なんだっけ………」
「食べないならヘーキですよ」
「えっそうなの?」
「ここにお偉いさんはいませんから多分ヘーキですぜ」
「わーい!お願いアサシン!」
「何なりと」
カツ丼………この国の料理か。うまく作ってマスターに献上しなければな。
◇◇◇◇◇
自分の呼んだサーヴァント、アサシン。その料理が美味しいのが嬉しい。私のことを子供のように見るのは納得できないけど。
この鉱石科および天体科の超天才美少女『セレーン・カーリア』。12歳だけどもう大人顔負けの実力があるのよ!
「ケーキかクレープかどっちがいいマスター?」
「ケーキ!」
そう、この甘いものをパクパク食べて止まらないなんてのは別に子供ぽいことじゃない!アサシンのケーキが美味しいすぎるから仕方ないのだ。
「コーヒー淹れました。砂糖とミルクは?」
「いらないわ」
「本当に?」
しつこいアサシンね!クビっと黒い液体が私の喉を少し通る。にっがぁ!
「淹れます?」
生暖かい目線から私は顔を逸らして砂糖を入れてもらった。うん美味しい!
「そういえばマスター。一つ質問しても?」
「ええいいわよ」
「なぜ貴方は聖杯戦争に?」
アサシンの問いに私は答えるまで一拍置いた。食後のコーヒーは全て喉を通り口の中は綺麗さっぱり流されている。何か緊張している?私が?………らしくもない。
「見返すためよ!」
カーリア家はざっと10世紀は存在している名家。私はそこの血筋から生まれた1000年に一度の天才的美少女なのだ。なのにパパやママは私にはまだ早いと研究から遠ざけて基礎を学べと時計塔にいれやがりました!私ほどの天才なら基礎なんか勉強しなくたってパパやママの手助けなんて余裕でできるのに!
時計塔の授業は正直退屈だったし、嫌な日々だった。その時に聖杯戦争の話を聞いたのよ!なんでも叶う願望機。正直魔術式の論理的な問題や叶えるまでのプロセスとか考えるとあまりに眉唾だけど、私は優秀だからゲットした後のことを考えればいいと思った。後パパとママに褒められると思ったしムカつく親族をギャフンと言わせられる!
そんなことをアサシンに伝えると彼は天を仰いだ。なんでかしら?
◇◇◇◇◇
ダメだこのマスターアマちゃんすぎる。
これはある種の試練だな………。この餓鬼をなんとか生き残らせて脱出させた方がいい。
あまりに考えなしすぎる。もし俺が敵のサーヴァントでこの料理に死が盛られてたらどーするんだよ!
なまじ半端に実力があるから始末に置けない。日常生活を通して挫折して成長するべきなのに、この場じゃ躓きが死に直結する。
………だが餓鬼が死ぬなんて目覚めが悪い。なんとかしなきゃならねぇ。ちぃ、予定変更だな
俺の懸念に気づかないマスターの目は驚くほどに無垢でこれから起こる残酷を受け止めることができるか心配だ。
キャスターあたりに稽古つけてもらうか?いやいやそんなこと出来るのか聖杯戦争で!
とにかく俺1人じゃどうにもならん。誰か人の良さそうなやつ利用して同盟を結ぶしかないか………
「アサシン」
「ん?」
「あなた頭抱えながら笑ってどうしたんですか?」
【キャラクターシート】
サーヴァント
【クラス】アサシン
【真名】ハサン・サッバーハ:華麗のハサン
【属性】秩序・悪
【ステータス】
筋力:B 耐久:E 敏捷:A 魔力:D 幸運:A 宝具:E
【クラススキル】
諜報:A+++
気配を遮断するのではなく、気配そのあたりものを敵対者だと感じさせない。親しい隣人、無害な石ころ、最愛の人間などと勘違いさせる。直接的な攻撃に出た瞬間、効果を失う。
華麗のハサンは堂々とターゲットに会い、暗殺していった。
【保有スキル】
直感A
戦闘時に常に自身にとって最適な展開を“感じ取る”能力。研ぎ澄まされた第六感はもはや未来予知に近い。視覚・聴覚に干渉する妨害を半減させる。
ナイームの手A++
人を快楽へと導くほどの手の技術。剣術、マッサージ、調合術、投擲、裁縫、工芸、料理など手の器用さを伴う技巧にプラス判定。
【宝具】
『夢想味蕾(ザバーニーヤ)』
ランク:E 種別:対人宝具 レンジ:1 最大捕捉:72人
「本当にもうしわけない。夢想味蕾(ザバーニーヤ)」
数種類の香辛料と食物の食い合わせによる中毒死を昇華させた宝具。
華麗のハサンが作った料理を一口でも口に含んだ者へ真名解放することで毒に似た状態異常を引き起こす。
状態異常の程度はどれだけ料理を食したかにより、一口含むと3秒ほど完全に動きを止める。一皿食べると重体、幸運判定に失敗すれば即死させる。
厳密に毒を使っていないので耐毒スキルの類いを素通りすることができる。
この宝具を使う際には必ず香辛料を使った料理を作成しなければならない。
【weapon】
シミター
【人物背景】
暗殺教団の18人いるリーダーのうちの1人。
『華麗』の二文字は彼の技を見た長老の1人がその手際の良さを評価したところから言われるようになった。
料理人として堂々と潜入し、毒見役をすり抜けて中毒死を引き起こすその技はハサン・サッバーハの名に相応しい。
だがこの技は料理の質あってこその物。加齢により衰えを感じたハサンは歴代の誰よりも若くその座を退き首を落とした。
【外見・性格】
非常に綺麗なローブと白骨仮面をつけた男。
髪はなく、複数個の香辛料を持ち歩いている。
綺麗好きな世話焼き
昔家族を持っていた。子供を大切にしてる
軽いマゾ
【身長・体重】
178cm・43kg
【聖杯への願い】マスターを優勝させる(その間にある苦難試練を楽しむ。)
【マスターへの態度】
もう………諦めて脱出しよう!?
マスター
【名前】セーレン・カーリア
【性別】女
【年齢】12
【属性】秩序・善
【外見・性格】
露出度の高いバカみたいなドレス
金髪、白い肌、虹色に輝く両目
高飛車で自信家
大人ぶっている子供
【身長・体重】
149cm・70kg
B90・H49・H79
【魔術回路・特性】
正常
質A+ 量B
火・水・風
【魔術・異能】
カーリア秘伝召喚剣
魔力の塊から青白い剣を錬成し、発射する。
セーレンは20秒間途切れることなく剣を打ち出せる
カーリア秘伝月の輝剣
触媒に大量の魔力を詰め青白い特大の剣とする。
5秒ほどで霧散するが破壊力が高い
カーリア秘伝双子星
自分の動きを追随する青いオートマタを作り出す魔術。
10秒ほどで消えるが、同時に十数体生み出し攻撃可能。
大三角の剣
カーリア家に保管してある魔術触媒の一つ。トライアングルを描くようにサファイアが配置された剣。カーリアの秘伝魔術の威力を底上げする。
流布の魔眼
宝石級の魔眼。普段は魔眼殺しのコンタクトレンズにより守られている。視界に存在する物質全てに自分の放った物質を当てる。数が足りなければ放った物質が何個にも分かれる。10秒も持たない。それ以上経過すると臓器や脳に深刻なダメージが入る。
【備考・設定】
10世紀つづくカーリア家・貴族主義系統出身の未熟な魔術師。カーリア家は三つの系統に分かれている。高い素質と宝石級の魔眼もちとして生まれた彼女は両親から希少な花のように大切に育てられていたが遅い反抗期により、反発。自分が優秀だということを証明するためだけに聖杯戦争に参加する短絡さを見せた。両親は親心と下心ゆえに行方を必死に追っている
【聖杯への願い】自分が優秀だと証明する
【サーヴァントへの態度】優しいおじさん、料理うまい。
再度の投下終わります
ミスしてしまい申し訳ありませんでした
投下します
君に1万ドルをプレゼントするよ
ただし現金じゃなく1万ドル分の弾丸でね!
—高校鉄拳伝タフ:パブロ・スバーン
◇◇◇◇◇
架空の東京 新宿 歌舞伎町
観光客とキャッチ、それを取り締まる警官がいない大通りにて明らかに日本人じゃない大隊がいた。
何処で手に入れたのか突撃銃を携え、目出し帽を着用。その腰には黒曜石でできた原始的なナイフを挿している。
全身黒に包んだ一団は統制が取れているかのように並んでいた。彼らの前に1人男が出てくる。他のものよりも装備が良く、腰には黒曜石のナイフのほかにマチェーテが刺さっていた
「諸君よく集まりました!」
大きくはないがはっきり聞こえる声だ。他の隊員と同じように目出し帽で顔ははっきりわからないが女である。
いく………
◇◇◇◇◇
架空の東京 新宿 東急歌舞伎町タワー デラックススイートルーム
「でかい部屋はいい部屋だ」
暗闇でナニも見えぬ窓を見ながら日本酒をワイングラスを飲む男がいる。均整の取れた褐色の筋肉を惜しげもなく見せびらかし、長い髪を後ろに結んだポニーテール、その目は外の夜よりも暗く、光を飲み込む黒色だ。
「従者(マスター)、あまり見苦しい格好するのをやめてくれないか?」
眉を顰めながら窓にいる男に文句を言う。この声も男の声だ。髪はなく黄金比に沿った頭、その格好は簡素ながら気品を感じる装飾をつけた半裸、そして福耳が目立つ柔らかな顔立ち。見るものが見ればその男から立ち上る魔力の塊に気絶するだろう。
「見苦しいとは………酷いことを言いますね。俺は部屋だと服はいらないんですよ。」
「せめて下着は履いておくれ」
「いやと言ったら?」
「言うのか?」
従者(マスター)と呼ばれた男はもう1人の雰囲気を察し渋々パンツを纏う。
「キャスター。貴殿の寛容の心で許してくれませんか?」
「今履いたからそこに関してはもう許すよ」
「そうですか………」
脱ぐことは許されないようだ。従者(マスター)は肩を落とし、キャスターの反対に座る。
「今どちらが勝っています?」
「私だ従者(マスター)。だが………エーアイとは中々やるもんだ」
キャスターはテーブルの上でテーブルゲームを行なっている。『オク・チャトラン』、カンボジアのチェスだ。キャスターはコウル(杭:ビショップ)を置き、相手のスダーイッ(王:キング)の逃げ道を塞ぐ。
「勝負がついたな」
キャスターの言葉へ反応するかのようにAIは画面に白旗を振った。
「流石ですなキャスター。やはり戦術眼がある」
「これは遊びですわ、戦争とは違います」
「それでも腕がありますよ」
「褒め言葉は嬉しいね」
キャスターは置いてある瓶から茶を注ぎ口に含む。茶色の茶の冷たさに少しばかり目を丸くした。
「技術の発展はすごいの従者(マスター)」
「何百年も経ってますからなキャスター」
面白そうに笑うキャスターの話に適当な返答をする従者(マスター)。キャスターはその様子を気にすることなく、麦茶をもう一杯飲んだ。
「なんか他にゲームないか従者(マスター)よ。流石にオク・チャトランを何度もやるのも飽きた。」
「じゃあパソコンのこれとかどうです?」
従者(マスター)は自らのパソコンを起動してアプリを立ち上げる。虹色に光るキーボードがキャスターの目を少しばかりくらませつつ、起動したゲーム画面を見た。
「これはどういったゲームだ従者(マスター)?」
「文明の長となって開拓内政外交戦争を通して勝者を目指すものになってます」
「ほう………色んな文明がいるもんだな」
ホイールを回し、文明の能力を確認するキャスター。だがキャスターのホイールはとある文明を見つけた時止まることになった。
「おお、余がおる。」
そこに映った文明の名はクメール。そこの指導者の名前は………【ジャヤーヴァルマン7世】
「このゲーム私ファンでして。選ぶにあたって参考にしたところありますね」
「誰と悩んだのよ従者(マスター)」
「ハンムラビかマティアス・コルヴィヌスかジョン・カーティンか………ってところでしたかな」
「ゲーム基準で強いやつを選ぶとは中々狂気だな?」
「いいじゃないですか。正気ならこんな戦争来てませんよ」
従者(マスター)は日本酒を飲み干し、冷蔵庫からもう一本日本酒を取り出した。
「体に気をつけろよ、死んだら叶わん」
「まあ日に二本くらいヘーキですよ」
「全く………おっ?」
キャスターは少し声を顰める。その腹にはには傷があった。だがキャスターは自らが纏う神性を手へ移動させ、傷に当てる。すると不思議なことに傷は一切なくなっていた。
「戦闘が始まったようですねキャスター」
◇◇◇◇◇
「サーヴァント遭遇!魔術髄液用意!」
25人の小隊は首に浮き出ている脊髄に注射器を指す。中の液体が注がれると身体に魔力が回り、目に見えて強化される。
「戦闘開始!」
銃から弾が発射される当たり前の現象。だが弾丸を槍で簡単に弾くのは理外の光景だ。
『槍を持つサーヴァント、その身軽な身体裁きと獲物からランサーと推定!』
通信による状況判断は小隊の動きを決定つける。小隊の約半分はあろうことかランサーに突撃したのだ。自殺行為とも思える蛮行にランサーは冷静だ。無慈悲に槍を振るい傷をつける。『傷をつける』?この現象に違和感を持つのがランサーだ。今彼は本気で殺そうと隊員に槍を振るった。だがその傷は深傷とは程遠い。何らかの力が?
一瞬の気の緩みが命取りだった。突撃してきた隊員たちにランサーの四肢を捉える。残りの隊員は突撃銃を構え、ランサーに射撃。飛び散る薄い魔力ある弾丸がランサーを貫き、ついに霊格を致命的に破損させた。
無念の中ランサーはふと思う。この隊は一体何人いるんだ?
◇◇◇◇◇
アワ・カルテル。南米を拠点とし活動する、麻薬カルテル。その力は国の軍すら跳ね除け、かの合衆国ともことを構える武闘派だ。
そのアワ・カルテルは魔術世界にも根を張っており、今回の聖杯戦争を掴んだのである。今回派遣されたのはカルテルの専属魔術師にしてカルテルの幹部の1人。『エルキン・サンチェス』、別名『黒曜石』。従うは450人の大隊『マイクロリス』。
アワ・カルテルは聖杯戦争で数を武器にして闘うのだ。
サーヴァント
【クラス】キャスター
【真名】ジャヤーヴァルマン7世
【属性】秩序・善
【ステータス】筋力D 耐久A++敏捷D 魔力B幸運B宝具EX
【クラススキル】
陣地作成:A
魔術師として、自らに有利な陣地を作り上げる。“工房”を上回る“寺院”を形成することが可能。
道具作成:B
魔力を帯びた器具や薬を作成できる。王が授ける器具はサーヴァントに対する頼もしいお守りといえる。王の調合した薬は力を底上げする。
【保有スキル】
寛容のカリスマA
大軍団を指揮する天性の才能。
寛容の名を示す通り属性が一つでも異なる者に対してより強くカリスマが働く。ジャヤーヴァルマン7世は自身の敵対者をも配下として国を平定した。
呪術B
クメール呪術。原始的な呪いの一つであり、ジャヤーヴァルマン7世はヒンドゥーと仏教の呪いを混ぜ込んだ非常に攻撃的な性質を持つ。メコンの水の如く呪術を敵に流し込む。
無量の神性A
ジャヤーヴァルマン7世、彼の建立した寺院の特徴の一つに、あらゆる神性をまとめ上げ一つに集めた点が挙げられる。
夥しい数の神性の塊を纏っており、耐久を2ランクアップさせる。またそれらを消費してあらゆる行動に対してプラス補正をかけ、傷を癒す。
【宝具】
『万人の施療院(タ・プローム・ケル)』
ランク:B 種別:対軍宝具 レンジ:- 最大捕捉:500人
ジャヤーヴァルマン7世は、それまでの病院を再編成し、自身が病人の療養と薬剤の供給に携わり、碑文においても「身体を冒す病は心も蝕む、民の苦しみが大きくなれば王の苦しみもそれだけ大きくなる」と記した。
マスター以外の人間と簡易的なリンクを繋げることが可能。リンクを繋いだ人間の負傷を半分引き受ける。致命傷を重症に、重傷を軽症に。
『万神の寺院(アンコール・トム)』
ランク:EX 種別:対城宝具/対人宝具 レンジ:1〜99 最大捕捉:800人/1人
彼の心象風景に基づく固有結界。夥しい神性が人の姿を保ち、夥しい寺院が一つとなった巨大な城塞が召喚される。兵士、戦象、医者、労働者、僧侶。それらが歯車のように働く一つの国のような宝具。侵入者には苛烈な試練が襲いかかる。
主な施設
象のテラス:兵士、戦象、兵器が跋扈する軍隊の貯蔵庫
ライ王のテラス:王族の火葬場。死した歴代の王の幻影、王族特攻の火炎放射が存在する。
バヨン:『美しい塔』。ジャヤーヴァルマン7世の瞑想像が安置されており、雑多かつ多層的に美しい。雑多な神性の力を一つに凝縮し、メコン川の氾濫の如く解き放つ。
【weapon】なし
【人物背景】
現在のカンボジアに存在していたクメール王朝にて最盛期を築き上げた偉大な王
仏教徒にして寛容、好戦的な性質だったと言われており、数多くの寺院も建立した。
【外見・性格】
福耳、髪のない頭、簡素ながら風格のある装飾を身につけて半裸
寛容。味方なら全て受け入れて許し、完全に敵対するのなら容赦なく滅ぼす。
何にでも興味を示し、感嘆する。その性質故にもう一度王朝をやり直せるならやり直したい。学んだことを活かしたいと考えている。
【身長・体重】
175cm・95kg
【聖杯への願い】
また王朝をやり直したい(こうすればうまくいくのではないか?という疑問は尽きない。)
【マスターへの態度】
従者。味方。
マスター
【名前】エルキン・サンチェス
【性別】男
【年齢】28
【属性】混沌・悪
【外見・性格】
均整の取れた肉体を惜しげもなく見せびらかしている。下着だけ履いている。黒髪のポニーテール。闇より黒い目
自分のやりたいことしかやりたくない京楽主義者。優先度によっては目的を折ることはできる。
【身長・体重】
198cm・78kg
【魔術回路・特性】
異常
質B 量B
地
【魔術・異能】
黒曜石を媒体にした呪術
マカナを用いた戦闘技能
450人ほどの大隊『マイクロリス』の統制
『マイクロリス』
エルキンが『アワ・カルテル』から与えられた部隊。黒の目出し帽と黒曜石のナイフがトレードマーク。装備として各種銃器が与えられており、キャスターの製作した弾丸や魔術髄液を利用した戦略的な行動を取ることが大きな強み。
【備考・設定】
南米の麻薬カルテル、『アワ・カルテル』の幹部。アワ・カルテルは金を出して成果は求めないのでお得意様として重宝している。今回聖杯戦争へはアワ・カルテルからの命令で派遣された。この恩でさらに充実した生活と研究を送りたいと考えている。
【聖杯への願い】
アワ・カルテルに献上する
【サーヴァントへの態度】
駒。でもウマが合う。
投下終了します
投下を開始します。
おれが声を上げて泣いたのは、小4の頃のあの夜が最後だった。
給食のバナナを食べていたおれの姿を見てクラス中のみんなが大爆笑し、
担任がそれを咎めようとしたが、おれの姿を見て耐えられずに牛乳を大爆発させたこと。
それだけならいつものことだった。
その夜のニュース、生涯未婚率とやらが上昇を続けていて、
男はだいたい4人にひとりが結婚できないまま一生を終える、という話を聞いたことだ。
そのとき、クラスには16人の男がいた。"格付け"ができていた。
格が高いのは、スポーツのできるやつ、金持っててトレカやゲームを一杯持ってるヤツ、話の面白いヤツ。
そうでない、格が低い方から4分の1が、おそらく一生結婚できないのだと、そのニュースでおれは思った。
16人の、格の低い下から4分の1、4人。
一人目、小4なのに、未だにひらがなの書き取りもおぼつかないあいつ。本来は養護学級に通うべきだったはずの。
二人目、肥満児。食うこと以外何をするにも遅く、体育の授業ではいつも生暖かい拍手で迎えられていた。
三人目は、毎日同じ穴の空いた服を着ていて、汗臭い臭いを漂わせていた。登校するとたびたび生傷をつくっていた。
そして、四人目が、たぶんおれなのだ。その時から自分でも信じがたいほどサルに近い顔をしていた。
北京原人あたりに先祖還りしたような顔だった。
授業で当てられて完璧に答えても、間違えても、笑いが起きた。サルだから。
あるいは、体育や音楽の実技でも、成功しても失敗しても笑いに包まれた。
おれは嗤いの檻に囚われたサルだった。
生涯のパートナーはおろか、友人の一人さえも作れない孤独が一生続く事を、そのニュースで改めて突きつけられた気がした。
その夜、おれは声を上げて泣き――その後、涙を流すことはなくなった。
おれが泣こうが喚こうが、嗤いの種にするだけで、その感情を酌んでくれる人間など、
誰ひとりあらわれることなどないのだと悟ってしまったのだから。
結局おれは、ゆうべに親父が死んだ時も一滴も涙を流さなかった。
◆ ◆
おやじは優しさと弱さをはきちがえた、ばかな男だった。
おれが中学に進学するころのこと。おやじの不倫が原因ということで母親と妹と別れた。
おやじは今までも給料の半分以上を養育費として送り続けていた。
おれとおやじは、あの女たちとの面会を禁じられた。
おれもおやじも母親もB型で、おれやおやじと似つかない容姿の妹だけがAB型だったが、
おやじは疑いの声を挟もうともしなかったし、おれの口も塞いだ。
男ふたりの貧乏ぐらしとなったおれたち親子は公営住宅、いわゆる団地の、ひときわボロいところに引っ越した。
そしておやじはそこで民生委員という仕事を始めた。本来の地方公務員という仕事に加えて、である。
民生委員がどういう仕事かというと、地域の高齢者や障害者や母子家庭、
そういう困り事を抱えていそうな人々の様子を見たり、行政サービスの情報を提供をする仕事だ。
この仕事は基本的に無給だ。だから公務員との兼業ができる。
習い事を辞めて暇になったおれも、その仕事につきあわされた。
で、その民生委員という仕事がまた過酷だ。
東京23区の古い団地は高齢化が進み、ほぼ限界集落の様相を呈しているところもぽつぽつ出始めている。
おれたちが移り住んだところもそうだった。人が住む部屋は3分の2は独りぐらしの老人だった。
民生委員が世話しなければならないのは、その中でもひときわ問題を抱えた入居者だ。
問題の少ない入居者はだいたい、まだ自分でどうにか暮らせるか、親族が世話を焼いているかだからだ。
"問題"の内容は様々だ。
いずれ使うかもしれないと、なんでもかんでも溜め込んで、部屋をゴミ屋敷に変えるばあさん。
ボヤ騒ぎが起こったので掃除しようとすると、「カーーーーーッ」と威嚇してきた。
認知症――ボケが進んで、おれたちのことを孫や息子と間違え、会いに行くたびにるじいさん。
電話で"息子"に現金を運ぶように言われたので止めたら、お前のような息子をもった憶えはない、と罵られた。
"問題"は様々でも、たった一つ、絶対の共通点があった。孤独だ。
孤独なために、老いて衰えた人間性を指摘する者も、破綻した生活を正す者もいなかった。
おやじたち民生委員が最後の砦であり、それも穴だらけの水槽を素手でふさぎながら水を足すような虚しい営みだった。
途中でどんなに成功した人生を歩んだとしても、おれも最後にはこうなるのだ。
孤独を運命づけられたおれは。
極めつけの問題"児"がいた。
背中から肩、腕に掛けて派手な彫り物があった、小太りのじいさんだった。
シモの始末ができなくなり、部屋はいつも糞の臭いで満ちていた。
おむつをおれとおやじで二人で替えてやらねばならなかったが、そのトシにしてはありえないほど力が強く、
多少腕力におぼえのある二人がかりでもあざだらけ、クソまみれになることがしばしばだった。
押さえつけるときは、腹に響くようなドスの利いた声でわめき、肝が冷えた。
そのじいさんに、おやじは刺されて死んだ。
たまたま遅れてそのじいさんの部屋に着いたとき、おやじはすでに失血で事切れていた。
彫り物のじいさんは、警察に取り押さえられるまでおやじのつくった血溜まりに糞をこぼしながら、
腹に響く罵声をまきちらしていた。
おやじの葬儀は、お通夜や告別式などといった面倒で金のかかる儀式を省いた、最もシンプルなものにした。
おやじの死体の入った棺に花をあげ、火葬炉で焼くだけ。
坊主も神父も呼ばない。きっと、仏も神もおれたちを見ていない。
宗教なき、原始の葬儀。
遺体は万一の蘇生を考慮して、24時間は安置する必要があるという。
幸い火葬場に空きがあり、最速でおやじは荼毘に付されることとなった。
それら諸々のことが日付の変わる深夜に決まって、おれはようやく寝られる、と思った。
それだけだった。
◆ ◆
ざっく、ざっく、ざっく、ざっく。
おれは穴を掘る夢を見ていた。
握っているのは、木の柄に鋭い石をくくりつけただけの、ひどく原始的な槍だ。
灰色の硬い地面を槍で削り続けていると、案の定、木の柄が折れた。
柄が折れたので、石の穂先を握って固い地面に挑み、それもほどなくして割れた。
石を握っていた手の皮が痛い。革手袋のように固い皮膚の、手の皮が。
結局、穴はほどんど素手で掘ることとなった。
指の爪を何枚も剥がし、血まみれになるほどに一生懸命に掘ったのは人の入る大きさの穴。――墓穴だ。
穴に入れるのは、息子だ。我が息子だと、穴を掘っていた夢の主観の、おれが認識していた。
まだヒゲも生えていない、赤い髪の我が息子を、おれはそっと穴に横たえた。
手足を折りたたみ、女の胎の中にいたときと同じポーズにして、花を被せた。。
きれいな花を、この季節に咲くきれいな花を、見る限り摘んできて、土とともに被せた。
また女から出てきて、今度こそ大きく育つことができるように。このきれいな花で。
その切なる感情を言葉にするなら、それは祈り、というものだったのだろう。
叶わぬ祈りと知りながら、そうせざるを得なかった、"おれ"の祈りだ。
おれは、祈りが決して叶わないことを知っていた。
おれの息子を産んだ女は、すでに狩りで負った傷がもとで命を失っていた。
おれの他に、今まで生きてきたこの一帯にヒトの生きていた形跡は見つからなかった。
おれは、すでに季節が40回めぐるほど長く生きていて、老いていた。
何よりおれは、たった独りの力でこれからやってくる冬を生き残る保証はなかった。
雲にかすんで海へ沈んでゆく太陽に、"おれ"は叫んだ。
真っ暗に沈んでゆくような夜に吸い込まれて、叫びはどこへもゆかずに消えた。
◆ ◆
おやじの葬儀は何の問題もなく終わった。
葬儀屋と、おやじの職場の上司である初老の女しか来なかったから、問題は起こりようがなかった。
重油で1時間焼かれたおやじの骨の、一部を小さな箱に入れて渡されて、それで葬儀は終わりだった。
火葬場の敷地を出ると、俺を呼び止める声があった。
180cmはあろうかという筋肉質の長身を包む、一分の隙もないビジネススーツ。
ビシリと整えられたツーブロックヘア。
そして、あの攻撃的なアルカイックスマイル。4年前に見たきりで、それでも忘れられない顔。
あの女――俺の血縁上の母親が、離婚調停で連れてきた辣腕の弁護士。
おれのおやじの不倫の証拠を無からつかみ、おやじの給料の半分以上を養育費として支払う誓約を迫った男。
何の用だ、とおれがあの弁護士に警戒の意識を向けた瞬間である。
バチリ、とおれの体の中で、リレースイッチが動作する大げさな音が聞こえた気がして――おれの視界が切り替わった。
あの弁護士の目から、俺に向かう矢印が見える。
矢印には『侮蔑』『害意』『簒奪』などという言葉が付属している。
突然の変化に戸惑っていると、その弁護士は火葬場に似つかわしくない、
明朗、ハキハキとしたハリのある声で挨拶と哀悼の言葉をくれた。まるでヒーローを演じる声優のようだった。
そして、今は亡きおやじの退職金の過半も養育費として支払うこと、
母親と妹への面会禁止は今後永久に続くことを念押ししてきた。
おれが以前の調停の通りで構わない、と無関心な反応を返すと、
その瞬間に弁護士から俺へ向いていた矢印は完全に消滅して、そいつは颯爽とした足取りで外車に乗り込み、
火葬場を去っていった。
◆ ◆
団地に着いたおれを出迎えたのは、おやじを刺した入れ墨のじいさんだった。
実際のところ、出迎えようとしていたのかはわからない。
団地の構造上、おれの部屋に帰るにはあのじいさんの部屋の前を通る必要があるからだ。
たまたまそのじいさんが部屋の外にいたところに、おれが出くわしただけにすぎないかもしれない。
そもそもあのじいさんは今ごろ拘置所にいたはずだ。
拘置所でも手に負えずほっぽり出されたか。
――あるいは、おやじが死んで一晩の間に、じいさんが障害致死罪を犯していない世界に切り替わったか。
なぜそう思ったか? 一晩でおやじの血溜まりが消えるはずが――掃除して消してくれるやつがこの団地にはいないからだ。
葬式に向かうときに気づいておくべきだった。
おれに視えるのは、オムツ以外全裸の入れ墨じいさんの右手にある抜き身のドスと、
おれに向けられた極太の矢印だけだ。幼児の書いたような『ころす』という文字が添えられている。
理由はわからない、いや、きっと無いのだ。ただ、昔の習慣をくりかえしているだけなのだ。
組の鉄砲玉として戦い続け、奇跡的に老人となるまで生き残り、
ボケて敵味方の区別もつかなくなって捨てられたという、このじいさんに、人を刺す理由は。
入れ墨じいさんが吠え、腰だめにドスを構えて向かってきた。
全身を弾丸に、ドスを弾頭に。頭がイカれても肉体が動きを憶えている。くそったれが。
ドスをカバンで受ける。じいさんは体重を乗せて構わず押し込んでくる――後ろは下り階段だ。くそったれが。
踏ん張って、階段のフチで踏みとどまる。じいさんが飛びかかって蹴落としにくる。くそったれが。
無意味に大きな殺意(やじるし)はビタリと俺にロックされている。くそったれが。
おれの体は容赦なく後ろに傾ぐ。打ちっぱなしコンクリートの下り階段に。
落ちて頭打って死ぬか、入れ墨じいさんにトドメ刺されるか。くそっt――ぶつかった。背中に。何が。人だ。
人間が、俺の背中を押さえている。
赤いヒゲ面、同じ色の長い髪、蒼い瞳。着ているのは、毛皮か。
原始人のような風体。だが、その顔かたちは原人などと嗤われ続けたおれよりよほど"人間"に近い。
入れ墨じいさんの矢印が赤い男に向く。
ドスの切っ先は――俺のカバンから無理やり引き抜こうと力がかかり、バシリ、と乾いた音を響かせ、あっさりと折れた。
入れ墨じいさんのノドには、いつの間にか、木の棒が突き立っていた。
よく見るとそれは、先端に尖った石が結わえつけられている。石器時代の武器だ。
――おれは聖杯戦争というものに巻き込まれたらしい。
この石器時代ふうの男が、バーサーカーという、おれにあてがわれた戦力――サーヴァントというらしい。
だがそんなことを知ってなお、おれの頭は眼の前の入れ墨じいさんの――今や死体となったこいつをどうするか、
ということでいっぱいだった。
◆ ◆
結論からいうと、死体はどうとでもなる。
バーサーカーが俺の元に現れたとき、そういう知識が出現していた。
このバーサーカーは人間の死体を5人集めることで、バーサーカーのクローンを1人生み出すことができる。
年老いて壊れてしまった人々が、この団地には何人もいる。
誰からも愛されず、誰も愛することもできなくなってしまい、
周囲にマイナスの感情を撒きちらすしかできなくなった、孤独な多数が。
部屋に戻っても、ばかなおやじは死んだままだった。入れ墨のじいさんは捕まらずにいたのに。
だが、おやじの民生委員としての記録は残っていた。
この団地じゅうの、おやじの善意を無限に吸い取り、ガンマ線のように有害な感情を返す、
ブラックホールのような老人たちの記録だ。
このじいさんは息子に縁を切られて、怒鳴りつける相手がおらず困っている、
このばあさんは夫に先立たれ、遺してくれた財産も賭け事で食いつぶしてしまった。
絶望で沈もうとする老人たちをまとめて支えようとして、おれまで支える側に巻き込んで、
案の定支えきれなかった、おやじの思考は今でも理解できそうもない。
いつからか、おれはどうかしていたのだろう、他人事のように自分の行いを観ている。
今日、バーサーカーと協力して、4人の独居老人を殺した。入れ墨のじいさんに加えて、5人だ。
それらの死体を団地の屋上に運び、山と積み上げた。
桜舞う、夜の団地の屋上に。
バーサーカーが、風で舞い積もった花びらをかき集めている。おれも倣って花びらを集めた。
バーサーカーは、集まった花びらを死体の山の周りに円く並べた。
ひざまずいて、目を瞑った。
宗教なき、原始の葬儀。
死体の山から、ゴボゴボと異音が、沸騰するような異音が立つ。
死体が、死肉が、赤く泡立ち、突沸し、蒸発し、みるみるその体積を減じてゆく。
花びらの円の中に残ったのは、胎児のように身を横たえる、一人分。
バーサーカーと寸分たがわぬ姿の、テレビの再現映像で見た、ネアンデルタール人の再現標本の姿。
――現生人類(ホモ・サピエンス)の遺伝情報の中からネアンデルタール人のそれを取り出し、
彼らのクローンを生成する、幻想の力。
幻想なきゆえに滅びたとも云われるネアンデルタール人にあてがわれた、皮肉。
霊長と成り損なった彼らネアンデルタール人が、霊長の産物・聖杯に因って召喚されたのも皮肉なら、
彼らよりよほどサルに近い姿かたちの俺に彼らがあてがわれたのも、また皮肉なのだろう。
くそったれが。
◆ ◆
こうしておれたちは、誰にも目を掛けられぬ孤独な者たちを戦力へ変え続けている。
きたるべき戦争に備えて、だ。
といっても勝ち残る算段もなければ、聖杯に願う目的もない。
ゴミのように蹴散らされ、虫のように手足をもがれて辛苦を絡めて死ぬ――そんな最期を回避できるかさえ定かでない。
おれのサーヴァントは、弱い。
英霊の座、とやらに登録された存在にあって、ネアンデルタール人には、英雄がいない。
個体名さえない、ただ種族名で一緒くたにされただけのサーヴァントだ。
そして、おれも弱い。
生まれつきの腕力には多少恵まれている。
だが入れ墨じいさんと当たったときのように、玄人相手では手も足も出ない。
勝てば何でも願いが叶うという戦争だ、生まれたときから――あるいは生まれる前から、
この戦争に備えている連中がいるに違いない。
苦しまずに殺してもらえるなら、御の字だろう。
それでもおれはきたるべき戦争に備え続けている。
バーサーカーのクローンの材料として、年老いて壊れてしまった孤独な人間を、殺し続けている。
そのこと自体が、きっと、楽しいのだ。
誰からもプラスの感情を向けられず、誰にもプラスの感情を向けることのできない存在をこの世界から消して、
自分たちの戦力というプラスに変える行為で、少しだけ、胸のすく想いがするのだ。
おれに明確な目的があって、それに向かった行動ができている、そのこと自体が、生まれて初めてのことなのだ。
万が一にもないことだが――もし、もしもおれが聖杯に願いを託すことがあるとすれば――。
きっとおれは、いま殺し続けているような哀れな状況に陥ってしまった老人を、
苦しまずにあの世に送るシステムを築きたい。そう、考え始めていた。
おれ自身が、そうなった時に苦しまずに済むように。
【クラス】
バーサーカー
【真名】
ネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシス)/Homo neanderthalensis @更新世
【属性】
混沌・中庸
【ステータス】
筋力C+ 耐久C+ 敏捷C 魔力E 幸運E 宝具A
【クラススキル】
狂化:D
理性と引き換えにパラメーターを上昇させるスキル。
このバーサーカーの場合、筋力と耐久の上昇と引き換えに発話能力を失っている。
思考力は正常である。
【保有スキル】
霊長の成り損ない:A
現在の地球の霊長である現生人類ホモ・サピエンスと道を違え、滅びた者のスキル。
バーサーカーは、現生人類ホモ・サピエンスの文明の恩恵を一切受けない代わりに、その文明に害されることもない。
このスキルの効果によって、バーサーカーに向けられた武器はネアンデルタール人の文明の到達点、
中期旧石器時代の器物と同等の効果しか発揮しなくなる。
バーサーカーに向けて振るわれた刃はいかなる業物であっても剥片石器並みの切れ味にしかならない。
銃火器はただの棒きれと化す。機械類は粗雑な石組み細工となる。
騎獣はいかなる訓練を受けていても野生に染まり、
既存の生物を合成した姿の幻獣の類は、バーサーカーに敵意を向けている限り合成前の生物に分解された姿となる。
魔術もまたホモ・サピエンスの文明の産物であることから、バーサーカーには効果を発揮しない。
デメリットとして、バーサーカーに道具を持たせても、中期石器時代の器物と同様の機能しか発揮しなくなる。
ホモ・サピエンスの築いた文明と創造を否定し、石器時代の殴り合いを強制するスキルである。
但し、各マスターの証として配られた懐中時計に効果はない。
また、以下の場合にこのスキルは無効化される。いずれも、ネアンデルタール人絶滅の原因となった説に由来する。
下記の他に絶滅の原因となった説があるなら、それに由来するものでもこのスキルを無効化できる。
・Bランク以上の神性、Bランク以上のカリスマを持つ者
(ネアンデルタール人は信仰を頂くことができなかったために共同体の大規模化ができず、
現生人類との生存競争に敗れて絶滅したという説がある)
・星の開拓者、星の航海者、文明作成など、文明の発展に関わるスキルを有する者
(ネアンデルタール人は石器等の文明の発展の遅れから現生人類との生存競争に敗れて絶滅したという説がある)
・自然災害に由来する攻撃
(ネアンデルタール人は気候変動などの自然災害がきっかけで絶滅したという説がある)
勇猛:C
威圧、混乱、幻惑といった精神干渉を無効化し、格闘ダメージを向上させる。
ネアンデルタール人は弓矢や投槍器といった飛び道具に頼らず、
石槍などによる白兵戦によって大型の獲物を狩ったとされる。
ゆえに、勇猛さはネアンデルタール人の最低要件なのである。
怪力:E
一時的に筋力を増幅させるスキル。
低ランクのため効果時間は短く、反動のダメージを受ける。
要は意図的な筋力のリミッター解除にすぎない。
ネアンデルタール人は、出土した骨格から現生人類に比べて筋肉質かつ屈強であったと考えられる。
自己回復(魔力):E
本来はアヴェンジャーのクラススキルである。
このランクでは後述の宝具による大量現界の魔力消費を軽減するにすぎない。
現生人類と同時期に生きたが、彼らとちがってネアンデルタール人は現代まで永らえることができなかった。
そのことがただ、さびしいのだ。
【宝具】
『いちかけるご は いち(One over Five)』
ランク:A 種別:対人宝具 レンジ:1 最大捕捉:5n
現生人類であるホモ・サピエンスの遺伝情報には、ネアンデルタール人から移入したとされるものが含まれている。
その比率は現在では数パーセントであるのが定説だが、20〜40パーセントが残存しているという主張の学者もいる。
このことに由来した宝具である。
腐敗していない現生人類(NPC)の死体を5人分の質量だけ集めて、弔いの儀式を行うことで、
1体分のバーサーカーのクローンを生成する。
5人に相当する質量であれば、5人以上からバラバラに集めてきても構わない。
また、5の倍数の人数分を集めてきて、まとめて生成することも可能。
クローンは最初に召喚したバーサーカーと全く同じ容姿、能力を有する。
また、最初に召喚したバーサーカーが倒れてもクローンがバーサーカーの代わりを果たす。
バーサーカーのクローンたちは魔力のもつ限り何体でも同時に現界させることができ、
霊体化してキープしておくこともできる。
『第零次世界大戦(World War Zero)』
ランク:A 種別:対人宝具 レンジ:200 最大捕捉:-
スキル「霊長の成り損ない」の効果範囲を周囲一帯に拡大する、固有結界。
周囲のありとあらゆる現生人類の文明の産物を、旧石器時代の文明レベルまで劣化させる。
ただの石組みと化した地上・地下の都市構造物はひとたまりもなく崩落し、自動車は走行したまま分解し、
スマートフォンはただの石版と化す。各種魔術も効果を失う。
無効化の条件も、「霊長の成り損ない」と同様である。
【weapon】
ムスティエ型石器とも呼ばれる剥片石器。
これらをナイフのように扱ったり、木の枝などに結びつけて石槍としている。
同時期に活動していたホモ・サピエンスと違い、弓矢や投槍器のような飛び道具を使用していた形跡は発見されていない。
【人物背景】
かつてホモ・サピエンスと血を分け、彼らと同時期に活動していたホモ属の一種。
近年の研究成果により、ホモ・サピエンスと交配可能なほど生物学的に近い関係にあることがわかっている。
実際、現生人類の遺伝情報のうち数パーセントはネアンデルタール人から移入したものであるとされている。
脳容積は現生人類とほぼ同等、骨格から推定される発話能力についても
同時期のホモ・サピエンスと遜色がないといわれている。
また、ネアンデルタール人の遺したとされる洞窟壁画や埋葬跡も発見されており、
その知性や精神性もホモ・サピエンスに近しいものを有していたと考えられている。
絶滅した時期は4万年前というのが有力な説だが、2万4000年〜2万8000年前のイベリア半島、
ジブラルタルでネアンデルタール人の使用していた石器と同様の特徴を持つ石器が発見されており、
その時期が絶滅時期であるという説もある。
彼らの絶滅の原因は上述のスキル説明のとおり、諸説あるがはっきりとしていない。
――あるいは、現生人類に血を遺して未だ生き残っている、ともいえる。
【身長・体重】
160cm/80kg
【外見・性格】
2024年現在一般的に見られる、ネアンデルタール人の成人男性の復元標本をベースとする。
赤い体毛に青い瞳、ずんぐりとした体型と太い手足が特徴的。
衣服は獣の骨でなめした毛皮である。
近年の研究成果による復元模型は現生人類のコーカソイドに近い顔かたちとなっており、
服装さえ整えれば現生人類と見分けがつかない、といわれている。
なお、上述の宝具でクローンを増やしても、個体差は生じない。
狂化の影響により発話することはできないが、思考は正常であり、マスターの言葉も理解する。
このバーサーカーとして現界した個体には、ジブラルタルで妻子を喪い、最後の独りとなった悲嘆が刻まれている。
【聖杯への願い】
地球に、我々ネアンデルタール人の繁栄を。
【マスターへの態度】
父を喪ったという境遇に対して思うところはあるが、聖杯を獲得することの方が優先度は高い。
より強力なマスターが野良になっているなら、乗り換えも選択肢に入る。
【名前】覚明ゲンジ(原児)/Ginji Kakumei
【性別】男性
【年齢】16
【属性】秩序・中庸
【外見・性格】
北京原人のような容姿をしており、幼少時は彼の一挙手一投足に囀るような笑い声が遠巻きに渦巻いていた。
絶え間なく浴びせられた周囲からの嘲笑の声は、彼の人格形成に大きな影を落とした。
彼は極度の人間不信となり、感情を表に出すこともめったになくなった。
高校生となった現在、露骨に容姿を嗤われることは流石になくなったが、ここ数年、彼が人前で笑顔を示したことはない。
軽い離人症の傾向があり、自分の行いさえどこか他人事のように感じている節がある。
この聖杯戦争によって芽生えた異能は彼の人間不信を癒やすと期待できるものだったが、
巡り合わせの悪さから却って悪化させることとなっている。
【身長・体重】
155cm/70kg
脚が短く、腕と胴が長く、毛深い。体脂肪率10%以下の筋肉質。
天性の筋力に恵まれており、たとえば握力は両手とも100kgある。
【魔術回路・特性】
質:C 量:D
特性:<矢印>
【魔術・異能】
特性:<矢印>
視認している人物が何かに対して向けている感情・意識を、矢印と簡単な言葉で視覚化することができる能力。
要はその場にいる人物たちの相関図を即席で作ることができる能力である。
向ける感情が大きいほど、矢印は太くなる。
任意でオン・オフが可能かつ、対象を絞ることもできる。魔力等の消耗はきわめて小さい。
自分自身と、自分自身の従えるサーヴァントの発するものだけは視覚化することができない。
基本的に矢印の始点・終点の両方を視認していないと能力は発動しないが、
強力な感情の場合は、始点あるいは終点だけを視認していても矢印が視えることがある。
情報戦での有用性は大きいが、対サーヴァントの戦闘速度では無意味といっていい。
【備考・設定】
12歳の頃に両親の離婚を経験する。
その原因は父親の不貞であるとされるが、実際に不貞を働いていたのは母親の方で、
ゲンジの妹(当時6歳)は彼や父とはまったく似つかない容姿をしていた。
敏腕の弁護士に完璧にやり込められた父は、母親と別れた妹に毎月の収入の半分以上を養育費として払うはめになっている。
また、ゲンジと父ともども母と妹との面会は完全に禁じられている。
小学生の頃、ゲンジは柔道に励んでいた。
講師によればこのまま努力を続ければ日本代表も夢ではない、という素質を有していたという。
しかし、父の離婚に伴う経済的事情により、中学以降は柔道を諦めており、
父の民生委員としての仕事につきあわされていた。
ゲンジの父方の家系は岐阜県の山中で、占い師・あるいは祈祷師のような仕事をしていた。
あやかしの血を引く者として、人の心を読み当てることができたという。
近代化によってその生業は途絶し、ゲンジや、彼の亡き父も過去の生業を知る機会はなかったが、
今回の聖杯戦争で彼に芽生えた異能という形で、先祖の異能は限定的に再現された。
ゲンジは"煌星 満天"というアイドルの密かなファンである。
ゲンジの知る彼女は、容姿は悪くないがアイドルとしては平凡、歌唱とダンスは下手の部類、
トークは壊滅的という三下アイドルである。
ゲンジが彼女を推す理由は、彼女の言動の端々に現れる悲観的感性への共感と、
それでもなお彼女からにじみ出るスポットライトへの執念への、憧れである。
あくまで密かに推しているため、ライブや握手会等イベントに参加することはなく、
少ない小遣いからグッズやCDを購入するのみであった。
異能に目覚めてからのある日、"煌星 満天"の推しを公言しているクラスメイトに
ゲンジが隠し持ち歩いていたグッズをぐうぜん目撃された結果、
そのクラスメイトの満天への感情は『激推し』→『嫌悪』に変化している。
そのことをゲンジは深く悔やんでいる。おれの好意は呪いでしかないのか、と。
【聖杯への願い】
大前提として、勝ち残れる可能性があると思っていない。
それでももし勝ち残ることができたなら、人類に新たな寿命のシステムを実装させたいと考えている。
ある一定の年齢以上に達していて、プラスの感情を誰かに渡すことも受け取ることができなくなった時に
天寿を迎えるシステムである。
【サーヴァントへの態度】
到底勝ち残れるようなサーヴァントではないと踏んでいる。
それでもマスターである自分を守り従ってくれている点だけは幸運に感じている。
自分に付き従うような強大な存在を召喚したとしても、真っ先に自分が殺されるというのが、ゲンジの考えである。
おれは、あいつを、見た。
いつ、どこで、という記憶はすっぽりと抜け落ちてしまっている。
あまりに"あいつ"の様子が異常だったからだ。
白くて長い髪の女子高生が、頭のアホ毛を揺らしながら一人でにこやかにスキップしていた。
何がそんなに楽しそうなのかと、彼女を視界に入れて、<矢印>を起動した。
巨大な、あまりにも巨大な矢印が、何本も彼女に狙いを定めていた。
その矢印の太さは、スキップする彼女の身長を遥かに超えていた。2m以上は、ある。
ありえない、とそのときおれは思った。
常人の精神力で出すことのできる太さの矢印ではないからだ。
普通の人間が、本気で殺す、という感情で矢印を向けたとき矢印の太さが、マンガ雑誌の縦の長さくらいだ。
入れ墨じいさんに襲われた時がそうだった。
2mなどという太さの矢印を出せば、それが殺意であれば、今すぐ飛び掛からずにはいられないほどだろう。
恋慕であれば、今すぐ服を脱いで飛び掛からずにはいられないほどだろう。
そんな太さの矢印を向けられれば、おれのような常人なら恐怖で発狂している。
矢印に付属する文字の内容は読めない。恐ろしくて、読む、という行為に挑めなかった。
あの女子高生はそのクソデカ矢印の存在を知ってか知らずか、平然とニコニコしていた。
フィルターを切り替える。あいつに向かう矢印を消し、あいつから伸びる矢印を表示。
『楽しみ』
ありえない。
あのクソデカ矢印の主に対してだ、全員の矢印に気づいて返している訳ではないようだが、
新作ゲームを買った時や、テーマパークにでも向かう子供が発するような『楽しみ』
という感情を、あの女子高生は返しているだけだった。
おれの視界外からクソデカ矢印を向けて、それでも虎視眈々と機を伺うことのできる、
天才として生まれ、英傑として育ったような、そんな精神力をもった連中だ。あいつに矢印を向けるやつらは。
そいつらに向かって楽しみ、とは、いよいよもってイカれている。
ブラックホール。本物だ、老いて壊れたジジババを形容するのはもったいない、
本物のブラックホールが現れた。銀河ひとつをまとめて引き付けぶん回す、超巨大ブラックホール。
おそらくこの聖杯戦争の中心に限りなく近い位置に、あいつがいる。
あるいは、あいつが聖杯戦争と無関係な人物だとしても、あいつに向かって聖杯が無理やり引きずり寄せられる。
いまあいつを襲えば、聖杯を獲れる――おれにはとても無理だ。
あいつにクソデカ矢印を向ける連中に、粉々にされる。あいつに指いっぽん触れられないままに。
それはきっと、さびしい。
それでもここが、おれの優勝の最大のチャンスだった。いまや背中を向けて去ってゆく、最大のチャンス。
おれはそれを、あえて見逃した。おれが優勝して叶える願いはきっと、大して重要なことではない。
今ここで、このくそったれな遊戯舞台から退場してしまうことが、たまらなくさびしかったのだ。
あいつと正面きって向かい合って、おれにも『楽しい』という感情を向けてほしいのだ。
そういう感情を、おれはついぞ受け取ることができずにいたのだから。
ああ、おれは、ずっと、さびしかったのだ。
――おれのおやじも、さびしかったのだろうか。
【マスターの追加情報】
1ヶ月の予選期間のいずれかで、神寂祓葉を目撃しています。
場所・状況は後続の書き手に任せます。
投下を終了します。
投下ありがとうございます! 遅ればせながら感想を書かせていただきます
>細石刃
麻薬カルテルの幹部が部下を引き連れて参加してるの、なかなかに厄い。
マスターの性根も合わさって非常に厄介な軍団になりそうですね、主に対一般人で。
サーヴァントと彼の会話もまた良く、いいコンビだな、と思いました。
投下ありがとうございました!
>心の向かう先には
最後の最後まで読んで「そう来るか〜〜〜!」ってびっくりさせられてしまった一作でした。
感情の矢印を見る能力をその絡め方してくるの、なかなかに天才的な発想ですね……。
マスターの心理描写が淡々粛々と紡がれた上での最後のアレ、破壊力が凄い。
投下ありがとうございました!
投下します
時刻は20時を示していた。
場所は江東区、葛西臨海公園。
江戸川を隔てた先には、夢の国の光が、対岸越しからわかるほど煌びやかである。
もっとも、この世界に呼ばれたマスター達にとっては、行けぬところにある、無用の長物なのだが。
公園では、2騎のサーヴァントが激突していた。
「どこだ!どこにいる!」
そう声を荒げるのは、ライダーのサーヴァント、古典的なチャリオットに乗りながら、霧の中を走り抜ける。
「ッ!」
横脇からの銃弾が自分の頬を掠める。
現れたのは黒衣の軍服を纏った集団、魔力はあまり高く無く、恐らく使い魔なのであろう。
それよりも注目すべきは、その先頭に立つものであろう。
「ご苦労、よくこの不利な状況で善戦してものです」
金髪の男がライダーに近づく、手にはナイフと拳銃、ただ不作為に持つのではなく、戦場格闘を収めている者の型である。
「き、貴様ぁ!」
ライダーが長槍を突き出す、しかし、アサシンはそれを肩で流す。
ナイフで動力源の馬を斬り殺し、一気に台座へと駆け上がる。
「死になさい」
「ガッ!」
鮮血がライダーの首元が舞い散る。
霊基が消滅していく中、最後に掴みかかろと手を伸ばした瞬間。
バン!と銃弾が放たれる。
それと同時に、アサシンの使い魔も、ライダーに掃射した。
うち終わった頃、霧は消え、全てが無に還っていた。
◆
京葉線、葛西臨海公園駅。
東京行きのホームに佇む少女に、アサシンが近づく。
「マスター、ただいま任務を終わらせました」
「OK〜」
軽い返事を流しながら、丁度到着した電車へと乗り込む。
霊体化したアサシンは、そのマスターを見下すように見つめる。
(このメス猿め、何を考えているのか分からんな…)
ナチス・ドイツにとって、日本とは一時の同盟相手である。
所詮は我らアーリア人には及ばない猿(モンキー)
どうせ知能指数も低い物だと思っていた。
(しかし…心が読めん…認めたくはないが…「現代の怪物」か…)
そう心中で呟くのは、ナチス・ドイツが産んだ怪物。
虐殺の指導者、全てを蹴落とそうとしたもの。
ゲシュタポ長官――
ラインハルト・ハイドリヒ
◆
(う〜ん…どうしようか)
少女、川邊礼は狂楽家だ。
意味のない群衆のリーダーを務め、それらが弱者を陥れる事に快感を覚える、真性のサディスト、悪のカリスマ。
(まぁ…これから決めればいっか…どうせ、全部蹴落とすだけだし)
現代日本の産んだ怪物、群衆の理想の具現化にして、厄災。
怪物が太刀を従え、群像の度合いがました群衆を引き寄せ。
今、舞い上がる。
【クラス】アサシン
【真名】ラインハルト・ハイドリヒ@第二次世界大戦期
【属性】混沌・悪
【ステータス】
筋力:C 耐久:C 敏捷:C 魔力:E 幸運:E 宝具:A
宝具「金髪の野獣」発動時
筋力:A 耐久:A+ 敏捷:A+ 魔力:E 幸運:E 宝具:A
【クラススキル】
気配遮断(軍):A
サーヴァントとしての気配を断つ。隠密行動に適している。
完全に気配を絶てば探知能力に優れたサーヴァントでも発見することは非常に難しい。
ただし自らが攻撃態勢に移ると気配遮断のランクは大きく落ちる。
アサシンは後述の宝具にこの力を転換するため
個人としての気配遮断の能力としてはDクラスである。
【保有スキル】
カリスマ:D
軍団を指揮する天性の才能。団体戦闘において、自軍の能力を向上させる。
カリスマは稀有な才能で、一軍のリーダーとしては破格の人望である。
虐殺術:B
アサシンはその経歴から捕虜やユダヤ人を数多葬ってきた。
親衛隊に入隊し隊長を務める程の武力と統率力、そして敵対者を容赦なく拷問・惨殺していくことに長けていることを表すスキル
【宝具】
「その刃、折らせて貰う(長いナイフの夜)」
ランク:C 種別:対軍宝具 レンジ:周辺半径1km 最大捕捉:116人
自身が指揮した突撃隊に対する大虐殺、「長いナイフの夜」を再現する宝具。
周辺一帯の時間が夜になる結界を展開、また自身及び召喚した親衛隊員に「気配遮断:A」を付与。
結界内部に入り込んだ最大116人を殺害する。
結界内に入る人物は敵主従確定とし、範囲内の人間はランダムに選ばれる。
また対象を殲滅後、宝具は自動的に解除される。
また外部から発動中の結界内に入ることは不可。
「金髪の野獣」
ランク:A 種別:対人宝具 レンジ:―― 最大捕捉:――
アサシンの異名「金髪の野獣」が曲解された末に生まれた宝具。
アサシンを名前通りの「金髪の野獣」に変貌させる。
発動中は上記のステータスになり、令呪含めた命令を一切受け付けなくなる。
【weapon】
拳銃
【人物背景】
ナチス・ドイツ、親衛隊ゲシュタポ高官。
ナチス政治警察全体の実質的なトップ、ユダヤ人虐殺を推進し、その冷酷さから「金髪の野獣」と評された。
最期は自治を任されていたチェコスロバキア領にて、連合国軍の者に暗殺された
【外見・性格】
異名が表す通りの金髪碧眼の美青年。
性格は絵に描いたような慇懃無礼、上官の命令には忠実だが、内心では見下している。
【身長・体重】
191cm 88kg
【聖杯への願い】
この世の全てを手に入れる
【マスターへの態度】
メス猿、ただ怪物のような精神性は認めている
マスター
【名前】川邊 礼/Kawabe Rei
【性別】女
【年齢】17
【属性】混沌・悪
【外見・性格】
ピンク髪のポニーテール Fカップ、整った顔立ち
性格は表では学園のアイドルを演じるような天真爛漫な性格
裏は他者を見下し、簡単に蹴落とす下劣な性格。
【身長・体重】
181cm 65kg
【魔術回路・特性】
質:E 量:A
特性:毒
【魔術・異能】
「小さな暗殺者(ミニマムポイズン)」
小指に小さな毒を宿し、それで相手を毒突きする技。
一個一個の毒の質は最低レベルだが、相手に蓄積させることが可能、続ければ相手を死へと誘える。
【備考・設定】
ロールは都内の学生、クラスのリーダー格。
懐中時計を手に入れたきっかけは本当に「たまたま」
道に落ちていたのを拾って招かれた
【聖杯への願い】
「う〜ん、どうしようね?」
【サーヴァントへの態度】
いい駒、見下されているのはなんとなく察している
投下終了です
投下します
悪国征蹂郎(あぐに せいじゅうろう)にとって最も古い【戦い】の記憶は彼がまだ物心が付かない幼少期のものになる。
場所は夜の森。
幼き征蹂郎は大木の根元の物陰に隠れていた。
視線の先で、ふたつの人影が対峙している。
巨大(おお)きな男たちだった。
両者共に筋骨隆々とした肉の鎧を纏っており、これまで積み上げてきた研鑽を肉体ひとつで誇示している。まるで昔話に出てくる鬼のような出立ちだ。
そんなふたりが──殺し合っていた。
彼らの手に武器の類は無い。
銃も、刃物も、鈍器も──何もない。
素手での殴り合いだけで互いの生命を削っていた。
片方の男の砲弾のような拳が、もう片方の腹に突き刺さる。鈍く重い音。常人であれば内臓破裂は免れない一撃だったが、それを食らった偉丈夫は吐血どころか嘔吐さえせず、代わりに野獣の如き咆哮を吐き散らしながら右腕を振りかぶる。掌底。矢を思わせる速度。撃ち抜かれる顔面。爆竹じみた音が炸裂する。それでも勝負は終わらず、次は互いに全く同じタイミングでローキック。丸太のような剛脚の交差。けたたましい音が空間を軋ませる。ふたりの一挙手一投足に合わせて、周囲の空気までもが恐怖と興奮で震えているかのようだ。
壮絶な【戦い】だった。
一連の光景を物陰から眺めている征蹂郎は何も知らない。
彼らが何者なのか。
どういう関係なのか。
なぜ戦っているのか。
そもそもどうして自分がここにいるのか。
何も知らない。
唯一確かなのは、この【戦い】がふたりの内どちらかの死で以てしか終わらないということだけ。
そしてその終わりは──突然訪れた。
汗が滴り、涎が落ち、血がしぶく──【戦い】の最中に大の男ふたりが撒き散らした体液で周囲一帯が泥濘と化していく。ふたりの内ひとりがそこに足を取られ、ほんの少しバランスを崩した。長時間の戦闘で心身共に消耗していなければ起こり得ない程に些細な、されど重大なミスだった。
生じた隙は僅か一瞬。
だが猛獣が好機を見出すには十分な時間である。
それを見た相手はすぐさま飛び掛かった。僅かにしか傾いていていなかったバランスが完全に崩壊する。男たちは縺れ合いながら地面にダイブした。
ばしゃあんと音を立てて泥水の飛沫が飛び散る。それらが地面に弾ける頃、馬乗りの体勢が完成していた。最初にバランスを崩した方が下。押し倒した方が上。どちらが有利かなんて、当時これが初めて見る【戦い】だった征蹂郎にすら即座に理解できた。
もはや、この体勢から始まるのは【戦い】ではない。
一方的な暴力だ。
馬乗りになっている男がパンチを放つ。
一発だけでは終わらない。
何発も──何発も、何発も何発も何発も何発も何発も何発も何発も何発も何発も何発も何発も何発も何発も何発も何発も何発も何発も。
流星群の如き勢いで拳が振り下ろされた。
敷かれている側もされるがままではいない。
身を捩ったり手足を振り回したりで逆転を試みる。けれども圧倒的なマウントポジションの前では虚しい抵抗だった。そうして無駄に体力を消費したところにまた殴打。歯の欠片が混ざった血が征蹂郎の足元にまで飛び散った。
凄惨な暴行が続いた後──それまで殴られていた男が腕を伸ばした。
それは羽虫が留まるだけでぱたりと横倒れになってしまいそうなほどに力のない動きだったが、元より力を要する行動ではなかった。
彼の腕は腹上に座す敵対者ではなく、征蹂郎が潜む物陰へと向けられた。
何か、とても大事な物を掴むような。
あるいは──その掌にすっぽりと収まる程度の大きさしかない幼き征蹂郎の頭を撫でるかのような。
そんな慈しみめいた意図が感じられる所作だった。
続けて彼は何かを言った。
血で塞がった咽喉から放たれる声はくぐもっており、意味のある言葉になっていなかったが──それでも、確かに呟いた。
「█████」
それを最期に彼は事切れた。
腹上の敵はその後も殴打を繰り返す。死体に更なる損壊を加えようという下種な魂胆があるのではない。【戦い】の興奮によって、眼前の死を認知する能力が麻痺していただけだ。彼の拳が止まったのは、それから五分以上経ってのことだった。その頃にはもう、敗者の顔は骨まで潰れて原形を失っており、身元の特定が不可能になっていた。
マウントポジションを解除し、立ち上がる勝者。眼下で横たわる敵に目を遣ると、その脇腹に蹴りを入れる。反応は無い。完全に死んでいた。その時になってようやく勝利を実感したらしく、緊張を解く。そのまま地面に倒れかねないほどの脱力ぶりだったし、実際そうなってもおかしくないほどの疲労が男の体にのしかかっていたはずなのだが、彼はそのままぬかるみの上を歩いた。目的のない放浪ではない。征蹂郎がいる物陰へと進んでいる。まるで【戦い】が終わったらこうすることが予め決まっていたかのように迷いのない足取りだった。
やがて征蹂郎の元に辿り着くと、男は両手で脇を掴み、軽々と持ち上げた。両者の標高が一致する。
その時になって征蹂郎は、それまで夜の暗がりで判然としなかった男の顔をようやくはっきりと捉えることができた。
その相貌は血と泥に塗れており──そして。
にっこりと。
まるで探し求めていた宝物とようやく巡り会えた幸福を感じているかのように。
多幸感に満ちた満面の笑みを浮かべていた。
この時の記憶を思い返す度に征蹂郎は思う。
きっと、あの時ふたりは俺ひとりの為だけに命を懸けて戦っていたのだろう──と。
これが一番古い【戦い】の記憶。
記憶のフィルムが早送りされ、五年ほどの月日が経過する。
悪国征蹂郎、八歳の頃である。
その時もまた、彼の傍には濃密な【戦い】が存在していた。
より具体的な言い方をすると──彼は日本のどこかにある暗殺者養成施設で訓練を受けていた。
具な経緯は時の流れによって忘却の彼方に消え失せてしまったが、「気付いた頃にはそこで生活していた」というのが征蹂郎の認識だった。
なんなら【悪国征蹂郎】といういかにも偽名じみた名前だって施設から与えられたものである。
ふたりの男の決闘の記憶が無ければ、彼は自分がこの施設で誕生したとさえ思っていただろう。
施設での日々は過酷なものだった。
朝は日が昇る前から始まり、大人ですら根を上げるであろうほどに激しいトレーニングが叩き込まれる。合間に食事の時間が挟まれるものの、必要最低限の栄養摂取のみを目的とした献立はもはや食事というより給餌と言い換えるべき内容だった。そんな一日が終わる頃には身も心も限界を迎えており、気絶同然の入眠。数時間後に起床──この繰り返しだ。
施設には征蹂郎の他にも同年代の子供が何人かいた。だが、その顔ぶれは頻繁に更新されていた。訓練中に事故を起こしたり、対人を想定した模擬戦で死んだりする者が後を絶たなかったからだ。中には施設での生活に耐えられず脱走した者だっていただろう。無事に逃げ切れたかは定かではないが。
ちなみに征蹂郎が施設からの脱出を図ったことは一度たりとて無い。物心付いた時からそこにいる彼にとって、逃げた先に在るという『外の世界』なんて想像すらできなかったからだ。
ともあれ訓練生の欠員はよく発生していたわけだが、どういうわけか数日も経てば新顔が加わっており、カリキュラムは滞りなく進められた。
施設が何を目的として暗殺者を育てていたかは分からない。どこかのカルト教団お抱えの暗殺集団だったのかもしれないし、あるいは大国との戦争に備えて設立された秘密組織だったのかもしれない。ひょっとしたら金と引換に暗殺者を派遣する裏の世界の企業だったのかも。真相は藪の中だ。施設の大人たちが征蹂郎に教えてくれたのは殺人以外には役に立ちそうもない知識と技術だけである。
このような環境で少年時代を過ごし、何年もの月日が経過した頃には、悪国征蹂郎という男はひとりの暗殺者として完成を迎えつつあった。
そんなある日、施設から【最終課題】と題されたひとつの指令が入る。
その内容は「とある内戦国に潜入し、部隊長や指揮官を始めとする有力者数名を暗殺せよ」というものだった。
最終課題──これまで施設で過ごした地獄の日々の総決算にも等しい任務である。
征蹂郎はそこに特別な感傷を抱かずに出発の準備を淡々と整えると、指令を受けた三日後の朝には指令にある内戦国の土を踏んでいた。
遠い異国においても彼の周囲には【戦い】があった。
標的(ターゲット)から死に物狂いで抵抗された。暗殺者の噂を聞きつけた武装集団から襲撃を受けた。時には町中で唐突に勃発した銃撃戦に巻き込まれもした──【戦い】の連続の日々。
常人なら命がいくつあっても足りなかっただろう。だが征蹂郎は傷ひとつ負わずに粛々と任務をこなし続けた。やがて指令にあった標的(ターゲット)全てを殺した頃には国内の勢力図(パワーバランス)が崩壊し、内戦が終結していた。
五体満足のままの任務の遂行。
これ以上ない成果である。
最終課題は文句無しの合格だろう。
このまま組織に戻っていたら征蹂郎は恐るべき暗殺者として更なる活躍を残していたに違いない──だが。
そうはならなかった。
なぜなら──征蹂郎が帰国した頃には、組織が壊滅していたからである。
おそらくは試験を遂行している間に。
何者かによって。
「暗殺者養成施設なんて元から無かったんじゃないか」と思いそうになるほどに──跡形もなく解体されていた。
悪国征蹂郎という優れた暗殺者を知る者は誰ひとりとして残っていなかったのだ。
帰国後にこの事実を知った征蹂郎は途方に暮れた。無理もない。たとえそこがどれだけ劣悪な環境だったとしても、彼にとっては決して短くない時間を過ごした生育地である。実家が消失して平静でいられる人間がいったいどこにいようか。
もしも彼が物語の主人公めいたマインドの持ち主だったら組織を潰した何者かへの復讐を決意していたかもしれないが、組織の手足となるべく育てられた男に自己選択の情動が備わっているはずがなかった。
帰る場所は無く、行く先も決められない──結果、宛ての無い放浪が始まった。
この国で人の流れに身を任せて行動していたら最終的に辿り着く場所はひとつに絞られる──国内最大の人口を誇る首都。東京。
征蹂郎はそのまま都内を彷徨い──やがて。
まったくの偶然か、それともこれまで【戦い】と密接にあった彼の因果がそうさせたのかは定かではないが、都内でも特に治安が悪い地域に足を踏み入れていた。
そこは半グレや暴力団といった逸れ者たちの巣窟であり、彼らは外界からの異物である征蹂郎に容赦せず、暴力で以って歓迎した。
最初はひとりのチンピラだった。
ドブネズミでさえ避けて通るほどに不穏な路地裏で、そのチンピラは暴力をチラつかせながら金銭を要求してきたのである。それに対し征蹂郎は拳で応えた。この行動は「組織を失ったばかりで気が立っていた」とか「元から征蹂郎が血の気の多い性格だった」という原因があるわけではない。幼い頃から【戦い】と共に育ってきた征蹂郎にとって、このシチュエーションで返すべきコミュニケーションが『暴力』以外に思いつかなかっただけである。つまりは無知から出た行動だ。赤ん坊が大人から話しかけられても喃語でしか返せないのと本質的には変わりない。
チンピラを倒した翌日、複数の男たちが尋ねてきた。相手の数が増えようと征蹂郎が返すコミュニケーションは変わらなかった。その次の日には訪問者の数が更に増えた。またも拳で迎え撃つ。やがて訪問者の数は両手の指では数えきれないほどにまでなっていた。次は手だけでなく脚も使った。その頃になると征蹂郎の噂は区内全域にまで広まっており、毎日のように誰かしらが来襲していた。
しかし同時に敵対的ではない人物も現れつつあった。幾度の襲撃をものともしない征蹂郎の強さに惹かれた者である。征蹂郎は最初、そんな彼らと喧嘩を売ってくるチンピラの区別が付かなかったので全員まとめて殴り飛ばしていたのだが、それでも懲りずに訪れる信奉者の数が増え続けた結果、彼を中心とする集団が出来上がり、いつの間にか『刀凶聯合』という名前で呼ばれるようにまでなっていた。
言わば半グレである。
そのような新たな派閥の設立は、区内の勢力図(パワーバランス)を重んじる反社会勢力の面々にとっては面白い話ではない。潰そうと躍起になるのは当然だ。区内における征蹂郎への攻撃は勢いを増し、それを鮮やかに撃退する彼の名声は更に広まり、それが更なる襲撃を呼んだ。
そんな日々が──【戦い】が、何ヶ月も続いた。
◆
そして現在。
征蹂郎はとある暴力団の支部を訪れていた。
怒号と喧騒が飛び交うロビー。暴力団員と『刀凶聯合』のメンバーが乱闘している光景を尻目に階段を昇る。道中で何人か妨害を試みてきたが一蹴。苦もなく進んで行く。やがて目的の部屋の前に到着するとドアを蹴り飛ばした。
「ノックも無しかよ。これだから躾のなってねえ野良犬は嫌いだ」
室内中央のテーブルに男が腰掛けていた。黒のスーツ。整髪料でオールバックに固めた髪。スクエアフレームの眼鏡の奥から放たれる視線は、神経質な性格を色濃く滲ませている。本部からこの事務所を任されている長である。
「白昼堂々事務所にカチコミするとはねえ。俺たちに喧嘩を売ってタダで済むと思ってるのか?」
「先に…………仕掛けてきたのは、……お前たちだ」
征蹂郎は支部長の凄みに怯む事なく陰鬱な声で言うと、懐から携帯端末を取り出した。その画面には一枚の写真が表示されている。柄の悪い風貌をした無精髭の男だ。
「……『刀凶聯合(うち)』の仲間だ。昨日死体で見つかった。お前たちの……仕業だと、証言がいくつも挙がっている」
「さあな。覚えてねえよ。そんなゴミみてーな下っ端、この町じゃ毎日のように死んでるだろ」
支部長は嘲るような笑みを漏らした。
「つーか、てめえ正気か? たかが構成員ひとりの為にウチに喧嘩を売るなんて、命が惜しくないのかよ」
「……決めているんだ」
「あ?」
「……オレから……、オレたちから居場所を奪うような奴がいたら……、誰であろうと……容赦しないとな」
端末に映る男はただのチンピラだ。
こんな人間が死んだ所で世間は気にも留めないだろう。事実、ネットニュースや新聞が彼の死を報じることはなかった。
だが──それでも。
【悪国征蹂郎にとって唯一の居場所である『刀凶聯合』を構成するひとりだったのだ】。
征蹂郎は思い出す。施設の壊滅を知った瞬間に感じた、形容しがたい喪失感を。
もうあんな思いはしたくない。やっと得られた居場所を今度こそ失いたくはない。
そのような執着が、征蹂郎が齢二十を越えてようやく獲得した自我らしきものだった。
故に彼は反撃する。
自分の居場所へ害を為す敵に。
徹底的な暴力で以って。
「だからってここまでするかね普通。身内がひとり死んだだけで総出のカチコミかけてりゃ、組織の寿命なんてあっという間に尽きるだろ」
まあ──と、支部長は眼鏡の縁を妖しく光らせた。
「そういう単純な性格をしてくれているおかげで、こうして簡単に誘い込めたんだから、狩る側(こちら)としては大助かりなんだが」
「……………………」
やはりか、と納得する征蹂郎。
昨日死体で見つかった仲間は、この状況を作るためだけに、その命を利用されたのだ。
その可能性に思い至らなかったわけではない。
むしろ一番あり得るとさえ考えていた。
だが。
それでも。
罠だと分かっていても。
征蹂郎は──『刀凶聯合』は、ここまで来たのである。
「『出る杭は打たれる』って言葉があるだろ? 目立ちすぎなんだよ、てめえら」
「……………………」
「言っておくが今更逃げようとしても無駄だ。既に近隣の支部へ連絡を送っている。のろまな警察(サツ)が騒ぎを聞きつけるよりも早く、増援が到着するだろうよ。そうなりゃテメェら全員おしまいだ」
「逃げるつもりなんて……元から、ない」
「ふぅん。強気な台詞だねえ──これを見ても同じことが言えるか?」
支部長はそれまで腰掛けていたテーブルの引き出しに手を伸ばし、中から何かを取り出した。
黒光りするそれはトカレフTT-33──拳銃である。
「増援の到着を待つまでもなく、親玉のてめえはここで俺が直々に殺してやるよ」
引き金に指を掛け、征蹂郎の眉間目掛けて銃口を突き付ける。あとは指先をほんの少し動かすだけで『刀凶聯合』首領の頭はあっけなく弾け飛ぶことだろう。
常人ならば恐怖で身が竦む状況だ。
しかし征蹂郎は怯まなかった。先ほどと変わらない陰鬱な面持ちのまま、支部長の顔を見据えている。
「へえ、この状況でも平静を保つか。よほど肝が据わっているのか、それともただの馬鹿なのか──おい。その構えはなんだ?」
半身に立ち、膝を緩く曲げ、上半身は俄かに前傾。手刀を象っている右手を腰の左に回し、その付け根を左手で握りしめている。
一見すると居合の抜刀のように見える構えだが、その手に刀はない。
どころか何も握っていない。
素手だ。
奇異な構えをしている征蹂郎を見て、支部長は訝しんだ。
「……相手が、武器を構えたから……こちらも武器を取り出しただけだ」
「馬鹿が。素手でどうやって拳銃に勝つつもりだよ」
どうやらイカれた半グレを束ねるリーダーは頭までイカれているらしい。
肝が据わっているように見えたのは誇大妄想で恐怖心が麻痺していただけか。
そのように結論付けた支部長は拳銃のトリガーを引──視界から征蹂郎の姿が消えた。
「なッ……!?」
放たれた弾丸は何も無い空間を貫き、フロアに突き刺さる。
消えた姿を探し求めて錯綜する視界。一瞬後、右端に征蹂郎が映る。先ほどの奇異な構えを維持していた。
「『抜刀』」
瞬間、征蹂郎の右手が爆ぜた──と見紛うほどの勢いで発射された。
ただの腕力だけではここまでの速度は出まい。それまで左手に付け根を掴まれて溜まっていた力を一気に開放したことで、爆発の如きエネルギーを得たのだ。
言わば腕でおこなうデコピンである。
そのように説明するとなんだか児戯じみた印象を抱きそうになるが、実際の威力は印象ほど生易しくない。
蟀谷に手刀を受けた頭部は熟れた柘榴のように弾けた。中に骨があったのか疑いそうになるほどにあっけない破裂だった。桃色の肉片が飛び散り、室内が斑に染まる。対物ライフルでも食らったかのような有様だ。
頭脳という司令塔を失った肉体はそのまま床に倒れる。全ては一瞬。断末魔さえ響く間のない出来事だった。
これが『抜刀』。
悪国征蹂郎が長年の修行で習得した暗殺拳である。
この技と共に彼は施設での日々を、異国の戦場を、暴力の世界の住民たちとの生存競争を──【戦い】ばかりの人生を、生き抜いてきたのだ。
「…………………」
征蹂郎は眼下に横たわる死体を無感動に見下ろした。
脇腹を蹴って生死を確認することはない。頭を失っても生きている人間なんて、いるはずがないからだ。
だから彼はそのまま部屋を去り、階下で乱闘を続けている仲間たちと合流しようとした。
その時だった。
「────────」
足元から音がしたのは。
「…………………?」
再度視線を下げる。
そこにあるのは頭部を失った死体のみ。まさしく死人に口なしであり、声を発するはずがない。死体の懐にある携帯端末が着信を知らせるメロディでも鳴らしているのかと思ったが、鼓膜を叩く音に機械的な印象はなかった。
むしろ生物が発する声のような。
喩えるなら【赤】子の産声のような。
そんな声だった。
やがて征蹂郎は気付く。声の発生源が床に広がる血の海であることに。
そこに何があるのか確認しようと覗き込んだ──その時だった。
血溜まりの表面が盛り上がったのは。
オーブンに入れられたパン生地のように膨らむ血。膨張の際に発生した気泡のような物が弾け、音を奏でる。それが先ほど耳にした肉声じみた音の正体であることを征蹂郎は理解した。
膨張の勢いは尋常ではない。十秒も経つ頃には征蹂郎の上背を上回っている【赤】一色の不定形が室内に誕生していた。
その【赤】は。
血のように生命力を象徴し。
溶鋼の如き生産性を持ち。
そして炎じみた攻撃性を備えている。
そんな概念が具現化したかのような【赤】である。
「──トオウ」
【赤】は意味のある言葉を発した。
「アナタガ、ワタシノ、マスターカ」
征蹂郎はまだ気付いていない。
返り血で汚れている己の右手に、いつの間にか紋様が刻まれていることに。
馬と剣を模した意匠をしているその紋様は、眼前の怪物に匹敵する赤色をしていた。
◆
征蹂郎の元に召喚されたサーヴァントは異質そのものだった。
かつてアメリカの地方都市で開催された偽りの聖杯戦争で顕現したという『彼の同胞』は類稀なイレギュラーだったと記録されているが、『彼』自身もまた、それに劣らないイレギュラーである。
通常の聖杯戦争であれば英霊の器を得て呼び出されることさえないだろう。
「『彼』が現れた」という事実そのものが《二周目》の聖杯戦争の規格外ぶりを証明しているのだ。
しかし一方で──『彼』ほど【聖杯戦争】という舞台に相応しい存在はいないとも言えるだろう。
なぜなら『彼』は【戦い】とは切っても切れない存在──いや。
【戦い】そのものと言える存在だからだ。
馬に乗り、車に乗り、船に乗り、飛行機に乗り──。
人がふたり以上存在する場所であれば、世界中のどこにでも現れる概念。
人類史の転換点(ターニングポイント)に必ずその名を現す事件。
すなわち──戦争。
奪った命の規模で言えば『病』にも劣らない、最悪の『災厄』だ。
それを恐れた人々が与えた二つ名こそ、『彼』がライダーの霊基を獲得した最大の要因である。
そんな存在が【戦い】と共にある人生を送ってきた悪国征蹂郎の元に呼び出されたのは──。
必然の【運命】だったのかもしれない。
◆
翌日。
『刀凶聯合』がアジト代わりに使っている建物のうちのひとつ。空きテナントまみれの商業ビルにて。
征蹂郎は携帯端末を見ていた。
その画面には、とある暴力団支部の襲撃事件を報じるネットニュースが映っている。
被害者数は凄まじく、当時は他の支部からの『来客』が居たこともあり死亡が確認された者だけで五十人を超えているらしい。
警察の調べによれば組同士の抗争の可能性が高いとのことだが、有識者の中には他の可能性を唱えている者もいた。
なんでも襲撃を受けたという事務所はまるでそこだけ軍隊から爆撃を受けたんじゃないかと思われるほどに酷く荒れているらしく、過剰とも言えるそんな破壊の痕跡が様々な憶測を呼んでいるようだ。
ただの抗争で済ませるには疑問が残る事件だが──まあ。
なんにせよ。
「死んだのが【暴力団員たちだけ】で、近隣住民が巻き込まれなかったのは、不幸中の幸いだ」。
世論の多くは、そのように話をまとめていた。
「昨日は征蹂郎クンのおかげで助かったぜ!」
征蹂郎が画面から顔を上げると、仲間のひとりであるプリンヘアーの男が目と鼻の先で鼻息を荒くしていた。
「ヤクザたちの増援が雪崩れ込んできた時はやべーと思ったけど、まさか銃や爆弾で全員ぶっ殺してくれるなんてなあ! オレって征蹂郎クンとは結構長い付き合いだけど、あんなモン使えるなんて初耳だったからマジでビビったぜ。そのうち戦車まで持ち出すんじゃないかってくらいすげえ暴れぶりだったよなあ」
「理論上は……それも可能だろうな」
「え?」
「なんでもない」
「っていうかさ」プリンヘアーは首を傾げながら言う。「あれだけの武器、どっから調達したわけ?」
「……秘密だ」
あまりに非現実的すぎる真相を教えたところで無用な混乱を引き起こすだけだろう。誤魔化すことにした。
「そもそも俺は……大したことをしていない。……引き金を引くとか、爆弾のスイッチを入れるなんて……誰にでもできる」
「オレにも?」
「ああ」
ボスから直々に肯定されたことで無上の喜びを感じたのか、プリンヘアーの表情は恍惚としたものになった。
「オレさオレさ! いつか使ってみたい武器があるんだよね! 前にテレビでどっかの国の軍人が使ってたやつなんだけどさ。バズーカみてーにミサイルを撃つ武器で──」
「……ジャベリン?」
「あー、なんかそういう名前だった気がする」
「……そのうち用意しておこう」
「え、マジで!?」
プリンヘアーは身を乗り出した。
「いいのかよ征蹂郎クン!?」
「ああ。どうせ……【これから】に備えて武器を用意しておくつもりだったんだ。どうせなら……お前たちの希望に沿った物を用意しておきたい」
「『お前たち』?」
「他の仲間にも欲しい武器が無いか……聞いておいてくれ」
好きな獲物を好きに使って、好きな仲間と一緒に好きなだけ暴れていい。
そのような青写真に興奮を抑えきれなくなったプリンヘアーは、半狂乱になりながら他の部屋にいる仲間たちの元へ走って行った。
部屋には征蹂郎だけが残される。
「…………ライダー」
その呼びかけに応じるようにして床の一点が赤く染まった。
「…………先程の会話にあった武器を……用意できるか?」
返事代わりに【赤】の中央から2メートル程の長物が何本か現れる。
FGM-148。歩兵携行式ミサイル──通称、ジャベリンだ。
短期間の大量生産に優れる設計をしているのだが、だからと言って、先ほどまで何も無かった空間から唐突に現れるようなものではない。
征蹂郎が従えるライダーによって『投影』されたのだ。
「……………………」
ジャベリンを手に取り、使用上の問題が無いことを確認しながら、征蹂郎は思案する。
ライダーを呼んだ直後に聖杯戦争の知識は与えられた。
今の彼は己がマスターであることは勿論、これから待ち受ける【戦い】がこれまで体験したいかなる【戦い】とも異なるものであることを知っている。
それを理解した上で彼がやる事は変わらない。
与えられた力は好きに使わせてもらう。暴れる以外に能がない逸れ者たちの為、最大限に有効活用させてもらおうではないか。
そして──もし。
『聖杯戦争』の脅威が自分の居場所にまで及んだ時は、
「──誰であろうと、容赦しない」
たとえ、全ての参加者を敵に回すことになろうとも。
──こうして悪国征蹂郎は新たな【戦い】に身を投じたのであった。
【クラス】
ライダー
【真名】
レッドライダー(戦争)@ヨハネの黙示録
【属性】
混沌・中庸
【ステータス】
筋力B 耐久EX 敏捷A 魔力A 幸運C 宝具EX
【クラススキル】
対魔力:C
ライダーのクラススキル。魔術に対する抵抗力。
騎乗:EX
ライダーのクラススキル。乗り物を乗りこなす能力。
馬だろうが、車だろうが、竜種だろうが、神々の舟だろうが──それが戦場を駆けた物であるならば何であろうと乗りこなせる。
【保有スキル】
星の開拓者:EX
人類史においてターニングポイントになった英雄に与えられる特殊スキル。
あらゆる難航、難行が【不可能なまま】【実現可能な出来事】になる。本来ならサーヴァントとして召喚されること自体がイレギュラーであるレッドライダーがライダーの霊基を持って顕現できたのも、このスキルの恩恵によるところが大きい。
人類史のターニングポイントそのものである戦争はこのスキルの保有資格を十全に満たしている。
喚戦:A
かんせん。
戦を喚び起こす能力。
結界(以下【戦場】と呼称する)の内部にいる知的生命体の精神に干渉し、その気質を著しく好戦的に変える。このスキルの影響を受けた者の身体ステータスは影響の度合に応じて上昇する(一種の【狂化】に近い。『ジョジョの奇妙な冒険 part6 ストーンオーシャン』の『サバイバー』みたいな感じ)。サーヴァントやマスターであればこの精神干渉に抵抗できるが、彼らも聖杯戦争の参加者である以上は誰でも大なり小なり喚び起こされる戦意を抱えているので「絶対に呑まれない」とは言い難く、【戦場】にいる間は毎ターン抵抗判定を行い、それに一度でも失敗するとライダーによる精神干渉を受けてしまう。抵抗判定はその後も繰り返され、失敗が重なれば重なるほど影響の度合は上昇していく。
【戦場】で血が流れたり、死体が発生したりすると、それらの魔力はライダーに吸収される。仮にサーヴァントが【戦場】で斃れたら一騎分丸々の魔力がライダーのものになる。
また、このスキルの影響を受けた者が【戦場】の外で戦闘を行った場合、そこを起点として新たな【戦場】が発生する。
つまり聖杯戦争が進めば進むほど、感染する病のように【戦場】が増殖し、ライダーの領域が拡大し、吸収される魔力量も増大していくこととなる。
現在このスキルによって都内某所(とびきり治安の悪い地域)を中心に【戦場】が範囲を広げている。
無辜の世界:EX
【戦争】に対する人々の怖れが生み出したイメージが色濃く反映されたスキル。
ラグナロクやWWⅡといった特定の戦争ではなく、同時にその全てとなる『【戦争】という災厄の概念』であるが故に、人類が持つ戦争への恐れがこの世から消えない限り、ライダーに滅びの概念はない。赤い怪物の形を取って現実世界に表出した分体ひとつひとつを滅ぼすことはできても、【レッドライダー(戦争)そのもの】を滅ぼすことはできない。実質不死身。
しかし逆に言えば、誰一人として争わない【恒久的な世界平和】が実現されれば、その瞬間にライダーは無力な存在へと零落し、消滅する。
【宝具】
『来たれ、眩き戦争よ、来たれ(ドゥームズデイ・カム)』
ランク:EX 種別:対界宝具 レンジ:- 最大捕捉:-
自らの手で喚んだ【戦争】の舞台として、マスターを起点に【戦場】となる結界世界を造り上げる宝具。
マスターのイメージに引き摺られる為、神話に描かれる大規模な戦場になることもあれば、たった一発の爆弾が放った閃光で全てが灰燼と化す空間となる場合もある。此度のマスターの場合、彼が『戦場となる世界をわざわざ新たに作るまでもなく、既にこの世には【戦い】が絶えないし、なんなら自分が今いる街そのものが現在進行形で聖杯戦争という戦争の舞台になっているじゃないか』と考えている為、宝具の効果が【戦場の作成】から【戦場の侵食】へと変化。それに伴いスキル【喚戦】を獲得した。
『剣、饑饉、死、獣(レッドライン)』
ランク:A 種別:対軍宝具 レンジ:99 最大捕捉:999
宝具の読みはマスターによって変わる。今回の場合は【レッドライン】。【超えてはならない一線】を表す軍事用語である。
【戦場】内において他者に【戦争】を齎す数多の物を具現化させ、その力を行使する。環境が完全に整えば、神話における【戦争】を魔力が許す範囲でのみ再現することも可能。ラグナロクやマハーバーラタやリトルボーイだって再現できる。
此度のマスターは実際に戦争を体験しており、他者よりも【戦争】をより鮮明かつ具体的にイメージできるのだが、その知識・経験は現代戦に大きく寄っているので、この宝具で具現化される武器もそこで用いられる銃火器や爆発物、刃物類の場合が多い。
普段はこの宝具で具現化した武器をマスターの部下達に装備として与えている。
【weapon】
それが戦争で使われるものならば、宝具『剣、饑饉、死、獣(レッドライン)』で大抵の武器は具現化できる。
【人物背景】
偉大なる主神ガイアの怒りを体現すべく造られた【終末の四騎士】のひとり、レッドライダー。
英霊どころか人間ですらない、生命体であるかどうかも怪しい異質の存在であり、サーヴァントとして召喚されること自体が大いなるイレギュラー。
【外見・性格】
性別、なし。
人格、なし。
感情、なし。
願望、なし。
基本的には冒涜的な赤に塗れた不定形の怪物じみた外見をしており、【戦場】内であればどこであっても神出鬼没。主に流血の中から噴出するようにして現れることが多い。
【身長・体重】
可変
【聖杯への願い】
なし
【マスターへの態度】
好嫌のどちらでもない。
人間というよりはプログラム仕掛けのロボットめいている。マスターを勝利へと導き、彼の意向に従う為に聖杯戦争の会場内に【戦場】を増やし続ける寡黙なシステムである。
【マスター】
悪国 征蹂郎/Aguni Seijuro
【性別】
男
【年齢】
23
【属性】
混沌・悪
【外見・性格】
大柄で分厚い体躯。前髪が目元にかかる程度に伸びた黒髪。ファーのついた白コート。いかにも半グレって感じ。無愛想で陰鬱なしゃべり方をする。
狂乱的な半グレ達を束ねる為に自分も狂乱的な行動に身を投じることが多い為、他者からは頭空っぽで暴力的な性格だと思われがちだが、基本的に冷静沈着。情緒が低い位置で安定している。
【身長・体重】
194cm/85kg
【魔術回路】
質:E 量:E
特性:なし
魔術的な儀式である聖杯戦争のマスターとしては落第もいいところだが、ライダーが持つスキル【喚戦】により、征蹂郎からの魔力供給は実質不要になっている。
【魔術・異能】
・殺人拳
元暗殺者として格闘術をハイレベルに収めている。基本的に徒手空拳だが、刃物や銃火器を用いての戦闘も得意。
殺人拳の奥義である【抜刀】を習得している。【抜刀】は言うならば素手でおこなう居合。刀に見立てた手刀をもう片方の掌で握ったり固定物に引っ掛けたりして力を溜め、一気に解放することで凄まじい威力の一撃を繰り出す。要は腕一本でおこなうデコピン。常人相手なら一撃で骨ごと断頭できる程度の威力がある。弱点は居合同様、発生の前後に隙が生じること。殺人【拳】だが、仮に両腕が封じられても脚で同じようなことがやれる。
元から強力な奥義だったがライダーの【喚戦】でバフがかかった結果、サーヴァントにも届きうる一撃となった。
・刀凶聯合
新進気鋭の半グレグループ。征蹂郎が頭を務める。
構成員の数はそこそこで、資金もそこまで潤沢ではないが、暴れたがりの爪弾き者が多い。一度暴れると徹底的に暴れて手が付けられないため、同業からも煙たがれている。敵にも味方にも回したくない集団。
現在は構成員全員がライダーのスキル【喚戦】の影響下にあり、宝具【剣、饑饉、死、獣(レッドライン)】で具現化した武器を所有している。
【備考・設定】
とある暗殺集団に人を殺す【刃】となるべく育てられた男。
幼少期の殆どを山奥で修行しており、修行の成果を試す最終課題として、とある内戦国への実戦投入がおこなわれた。遠い異国の戦場でも彼は十二分な活躍を成し、五体満足のまま内戦の終結を迎えられた。そのまま組織に帰っていれば、恐るべき暗殺者として数々の人間を葬ったに違いないが、彼が試験を遂行している間に暗殺集団は何者かによって壊滅されており、彼を知る者は誰ひとりとして残っていなかった。
帰国後にその事実を知った征蹂郎は途方に暮れ、宛てもなく彷徨っていたところ、二十三区でも特に治安の悪い地域に迷い込んでしまう。そこで色んなゴタゴタに巻き込まれた結果、いつの間にか半グレをまとめあげる頭にまでなっていた。
彼自身に名誉欲や支配欲は無いのだが、『自分と同じように居場所がない者たちと共に居られる唯一の居場所を守りたい』という思いから、チームを運営している。
【聖杯への願い】
ない。
自分と仲間達が好きに暴れられる居場所を求めるだけ。
【サーヴァントへの態度】
意思疎通が難しいのは不便だが、一般的なサーヴァントがどのようなものなのかをよく知らないので『従者(サーヴァント)を名乗る存在なんだし、こういうものなのか』と思っている。
投下終了です
投下します
男の人って、一度女を愛したとなると、その女のためなら何だってしてくださるでしょ。
たった一つ、してくださらないもの、それはいつまでも愛し続けるってことよ。
オスカー・ワイルド
◇◇◇◇
東京 上野 高級風俗店『テキーラ』
「ありがとうございましたぁ」
ゆるく間延びした声で客を送る言葉が店舗に響く。客が嬢に手を振り、それに返答するように手を振りかえした。
「『ロディーヌ』ちゃん、休憩入ります!」
「はぁい」
ロディーヌと呼ばれた女は先ほどまで仕事をしていた部屋へと帰っていく。
ロディーヌは源氏名であるが、彼女は日本人である。しかし彼女はその名前がしっくりくるような外見だ。目を引くのは体躯。身長は180cmほどだ。『太腿』と言う言葉はこの形のためにあると思えるほど迫力があり、それでいて決してバランスが崩れているように見えない脚、傷ひとつなく整った男を優しく包み込む美手、薄い化粧だけで輝く尊顔。
日本人離れした特徴はそれだけではない。全てを押しつぶさんとベッドを軋ませるほどに圧力を持つ巨尻、掴みやすく身体のバランスが崩れない程度に括れている腰、そして水風船のように柔らかく餅よりも弾力があり、計量器具に乗せたら針が振り切れるほどに大きな胸を持っている。
つまりは行く先々の人間、特に男を振り向かせるような風貌をしているのだ。
(さっきのお客さん、話し方乱暴だし私の扱い方雑だったなぁ。白人ってこと鼻につけて見下す感じ?私嫌な態度出してなかったかしら………)
『テキーラ』、この高級店は昨今の外国人観光客増加に合わせ、珍しく観光客OKの嬢を雇っている。ロディーヌはその一人であり、英語などの複数語を習得しているので外国人からの人気も高い。
しかし、来る客の質までも高級とはいかない。時々嫌な客も来る。その客に対してもプロの対応ができるか、そこが売上にもつながっていく。
ロディーヌは口コミサイトを開く。すると先ほどの横暴な客のレビューが早速載っていた。読んだロディーヌは肩を下ろす。星4.6、5段階で高評価を獲得していたからだ。
(でもあんな客ばかりも飽きますわ………今日は後一人ですわね。どんな人が来るんでしょう?)
ロディーヌは憂鬱な思考を振り払い、まだ来ぬ客に思いを馳せる。ロディーヌの仕事のモチベーションである。
世界最古の職業にロディーヌは仕方なく就職した訳ではないし、深い理由がある訳でもない。溜まり切ったストレスの発散のためである。
彼女は元々不特定多数の人間と交流するのが好きだった。バーで横に座り、ゲーセンでカップルと混ざり、カラオケにいつの間にか参加している。そうして全く知らない人間の人となりを知り観察することが趣味だった。
しかし大学に進学した直後パンデミックが直撃、人と会う機会が激減する。ロディーヌはこの時多大なストレスを感じた。いろんな知らない人と話したい、遊びたい、触れ合いたい。
感染対策の制限が緩和され、再びできる様になった時、ロディーヌは今まで自分のやってきた交流では全く満足できなくなっていた。
『不特定多数の人間ともっと深く繋がりたい』。それが彼女を嬢へ就職するきっかけを作ったのだ。幸い彼女には抜群のプロポーションと高い教養があり、あっという間に人気嬢へと階段を駆け上がることとなる。
(さて、ベッドも仕上げたし、少し水でも飲みますか………あら?)
シーツを整え、客を迎える準備をしたロディーヌは小型冷蔵庫からペットボトルを取り出し口につける。その時床に何かが落ちているのに気がついた。
ペットボトルをしまい、拾い上げるロディーヌ。それはハイカラな懐中時計の様なものだった。
(さっきの観光客が落としたのかしら?)
蓋を開き時間を見るロディーヌ。その時少しばかり違和感が彼女を襲った。
(なんか………今変だった様な?)
しかし漠然としたものだったのでロディーヌは気のせいだと思い、懐中時計をクローゼットにしまう。そして次の客の名前を再度確認した。ホワイトボードに書いてある名前は「イヴァン」である。
◇◇◇◇◇
架空の東京 上野 高級風俗店『テキーラ』
「ここは………」
現代的な室内に場違いな男が現れた。黒い西洋の鎧を着込む騎士である。顔に兜は被っておらずその顔は金髪碧眼、典型的なイギリス人の美男子である。腰に剣はつけておらず、あらゆる武器を彼は持っていなかった。
「何故俺が召喚された?」
彼はライダーのクラスを受け、今回召喚された。聖杯の力で彼は現代の知識を得ていく。今いる場所はどうやら東京という極東の国の都市をモチーフに作られた架空の都市らしい。マスターは目の前にいないし、パスも不安定な感じを受ける。
(何故俺がここにいる………)
ライダーは考える。彼は人に呼ばれたとしても基本的には召喚に応じない英霊だ。彼が召喚されるとするならばそれは彼が生前愛した妻が関係する場合のみである。
(まさか指輪でも奪って召喚したのか?)
その場合、出るとこ出るとライダーは考え、自分とマスターを繋ぐパスを追う。薄く今でもちぎれそうなパスを辿り、着いた場所はドアであった。
この奥にいる。ライダーは心を沈黙させ、ドアノブを回した。
「あっ、いらっしゃいませ〜イヴァンさん、ロディーヌです。本日はよろしくお願いします〜」
ライダーは脳髄に電撃を打たれた。
ロディーヌは入ってきた客の格好に驚いたが、その驚愕を顔に出さず、丁寧に挨拶を行う。
どうやらお客様は何かに驚いている様だった。ロディーヌの挨拶に反応し、彼は口を開く。
「ど、どーも。貴方が俺のマスターであるか?(あれ自己紹介したっけ?)」
ライダーの質問の意図がわからないロディーヌ。少し考え、彼はイメージプレイがご希望なのだろうと結論づけた。
「あっそうですよ〜イヴァンさん。私が貴方のマスターですわ!」
(多分この人は受け身でプレイしたいわけね。ならばマスターとしてしっかり可愛がってあげましょう。)
ライダーは自分の意図が全くロディーヌに伝わっていないことに気づいていた。しかし気づいていたが気にしなかった。何故ならロディーヌから目を離せなかったからだ。
(そんなまさか!いや顔も体型も何もかも違うのにやはり雰囲気と底が似ている。まさか偶然!?そんなことが?!)
「あのおイヴァンさん?大丈夫ですか?」
「あっ、いや………なんでもないです」
ライダーはロディーヌの胸に目が吸い寄せられている。
(デラデケェ!当世の女性って皆発育がいいのかぁ?!てかここもしかして娼館かよ!)
ライダーは考える。このマスターとしっぽりプレイをするかどうか。思い浮かんだのはかつての仲間たち。
頭の中の腹違いの兄はこういった。
「胸いいですよね!」
頭の中の赤髪の弓使いはこういった。
「やはり胸ですよ、ユーキャンフライ………」
頭の中の湖の騎士はこういった。
「据え膳食わぬは男の恥。つまりレディに恥をかかせちゃなりませんよ」
(パスも貧弱だし………魔力供給だうん。それにさほら俺を召喚したってことは妻の生まれ変わりか何かだろうし)
「ではよろしくお願いしますよ、マスター」
「はあい」
ライダーは鎧を脱ぎ、ロディーヌと向き合ってベッドの中へ飛び込んだ
◇◇◇◇◇
「すごいよかったです………」
「ありがとうございます〜(私もすごく気持ちよかったな………)」
3時間後、二人は同じベッドの中に入っていた。ライダーは手をグーパーと動かす。魔力が潤沢に行き届いているのがわかる。パスの再構成に成功した。
(それにしても………すげえな当世のベッドテクすげぇ………完全に翻弄されちまった………)
感慨にふけるライダー。その時彼の『友人』が何かを感じ取る。声のない報告を脳内に受け取り、ライダーは戦闘体制を整えた。
「どうしましたかイヴァンさん」
「敵ですマスター。俺の後ろへ」
「敵?」
ロディーヌの疑問はその数秒後に解決する。突如骸骨の仮面を被った変質者が出現し、ナイフを振り下ろす。
「それはダメだろ」
ライダーはそのナイフを片手で掴む。変質者はぴくりとも動かないナイフに焦りを見せる。
「comeon!」
ライダーの一言で変質者は悲鳴をあげた。その肩はばっくりと裂け、首には歯形がつく。ロディーヌは腰を抜かした。日本では檻越しでしかまず見ない動物がいつのまにか変質者を襲っていたのだ。それはライオンである。しかもその体毛は絹の様に白い珍しいものだった。
「グハァ!?」
断末魔と共に変質者は光の粒となって消える。その様子を呆然としつつ食い入る様に見ていたロディーヌ。
「この状況はいったいなんなの?」
ライダーに問うロディーヌの顔はオモチャを前にした幼児の様に口角が上がっていた。
「聖杯戦争だ。貴女はそれに巻き込まれた」
(護らなくては………俺がこの人を)
ライダーは獅子を撫でながら心に誓う。
彼女の笑顔をライダーは曖昧な笑みで見ていた。
サーヴァント
【クラス】ライダー
【真名】サー・ユーウェイン
【属性】秩序・善
【ステータス】筋力B+ 耐久B+ 敏捷B+ 魔力A 幸運B 宝具A
【クラススキル】
騎乗:A
乗り物を乗りこなす能力。Aランクでは幻獣・神獣ランクを除くすべての獣、乗り物を乗りこなせる。
対魔力:B
魔術に対する抵抗力。詠唱が三節以下の魔術を無効化。大魔術、儀礼呪法などを以っても、傷付けるのは困難。
【保有スキル】
獅子の騎士:EX
相棒の獅子と共に戦った栄光。自らの相棒である獅子の力を自らに重ね合わせる。
クラスがライダーに固定される代わりにAランクの筋力、耐久、敏捷、魔力を自らのステータスにさらに上乗せする。
軍略:C
一対一の戦闘ではなく、多人数を動員した戦場における戦術的直感力。
自らの対軍宝具の行使や、逆に相手の対軍宝具に対処する場合に有利な補正が与えられる。
心眼(真):A
修行・鍛錬によって培った洞察力。
窮地において自身の状況と敵の能力を冷静に把握し、その場で残された活路を導き出す“戦闘論理”。
逆転の可能性が1%でもあるのなら、その作戦を実行に移せるチャンスを手繰り寄せられる。
エスクラドスの鎧:EX
魔法の泉を守っていた騎士エスクラドスを撃ち倒し手にした鎧。雷と嵐の力を宿しており、魔力放出(雷)と矢避けの加護(嵐)に相当する権能が使用可能。
【宝具】
『白獅子(ホワイト・レオ)』
ランク:B 種別:対人宝具 レンジ:- 最大捕捉:1人
ユーウェインと共に竜を破り、ユーウェインの傍に付き従う勇敢なる白獅子。『白獅子』は意志と生命を持つ宝具であり、イウェインの為に行動する。
『心眼(偽)』『仕切り直し』『直感』『気配感知』の四つのスキルを使用でき、ユーウェインと意思疎通することで擬似的にユーウェインも使用可能となる。
『宙舞う鴉魔剣(ハンドレッド・ケンヴェルヒン)』
ランク:B 種別:対軍宝具 レンジ:1〜30 最大捕捉:300人
『祖父キンヴォルフがユーウェインに託した』というカバーストーリーの元モルガンが与えた魔剣群。三百本の魔剣は鴉に変化することもでき、偵察も奇襲もお手のもの。その一つ一つに自立した知能が存在し、ユーウェインとそのマスターの状況から判断してそれぞれが行動を起こす。数が減った場合ユーウェインの魔力を消費することで三百本を保つことは可能。
『収束する勝利の剣(エクスカリバー・ケンヴェルヒン)』
ランク:A+ 種別:対軍宝具 レンジ:20〜40 最大捕捉:300人
『宙舞う鴉魔剣(ハンドレッド・ケンヴェルヒン)』の真の姿。三百本の魔剣が一つの姿を取り強力な魔剣とかす。強力なモルガンの加護と魔力をエンジンに青白い炎を纏う。真名解放することで外敵を焼き尽くす地獄の炎の斬撃を解き放つ。
【人物背景】
ユーウェイン。イヴァンともイウェインとも呼ばれている。最初期の円卓の騎士。その出自はモルガンが野望のため出産した生体兵器。最初、感情を持たない人形の様な存在だったが、自らの妻となる女性に会った際、一目惚れの病を患い、感情豊かになった。
竜に襲われていた獅子と出会い共に打ち倒したことで唯一無二の友となる。数々の冒険を行い、妻と結婚した頃、アーサー王に直訴し、円卓を円満にさった。
それ以降彼の姿を見たものはいない。
基本的に彼が召喚に応じることはない。
もし召喚されたとしたら彼の妻の指輪もしくは彼の妻に関連してなければならない。
【外見・性格】
典型的な騎士
金髪碧眼の美男子
騎士として優秀で基本的には真面目な性格。
妻が好きすぎるのとそれはそれとして美女に靡いてしまう。料理は下手。
【身長・体重】
183cm・81kg
【聖杯への願い】
マスターを護る。
【マスターへの態度】
生まれ変わりだ………すげぇ………
マスター
【名前】ロディーヌ(嬢名)
【性別】女
【年齢】21
【属性】中立・善
【外見・性格】
日本人とは思えない美貌とスタイル
ポワポワした天然気質。不特定多数の人間と繋がりたい寂しがりや
【身長・体重】
180kg・90kg
B140・W79・H100
【魔術回路・特性】
正常
質B 量B
水
広める、広がる
【魔術・異能】
包容力
床上手
英語、広東語などの外国語を複数喋れる。
【備考・設定】
日本人の大学生。授業がない日の夜彼女は自分の趣味のために高級ソープ店『テキーラ』に勤めている。
実は祖母がイギリス人の魔術師でクォーター。素質自体はあるが、魔術の世界に入るきっかけが全くなく、この様な世界があることを知らなかった。
血筋を追うと、ある騎士の妻に行き着く。
【聖杯への願い】
全くない。強いて言うなら税金がかからない資産
【サーヴァントへの態度】
かっこいい人。なんか自分を通して別の人を見ている気がするのは少しやだ。
投下終了します
投下します
それは最初、ライターほどの大きさの火だった。
だが、いつの間にか燃え広がり、燃え広がり、燃え広がり。
次第には家をも焼くほどの大きさの炎になって行く。
いや、炎どころではない。屋敷どころか城さえも焼く災(わざわい)だ。
その中から悲鳴が聞こえる。この聖杯戦争の予選で負けた主従の、断末魔だ。
★
「どう?凄いでしょ?私の力。」
火事の現場から離れた場所で、美しい振り袖姿の少女が、男に笑顔を見せた。
振袖は紅花から作られた赤をベースに、大ぶりの桜と菊と言った、明るい色の花が咲いている。
帯は黒を中心にしており、小さいが花がいくつも映っている。
そこまで聞けば大和撫子かと聞きたくなるが、髪は日本人特有の黒い物ではなく、燃えるような赤毛だった。
一見白と桃の振袖とはミスマッチに見えるが、それは仕方がない。その振袖が少女そのものだからだ。
「誰が屋敷まで焼けと言った。」
それを咎めた低い声の主は、長身の成人男性だった。
目つきはやや鋭く、燃えるような赤毛の少女とは対照的に、短髪の黒い髪が特徴的に見える。
顔立ちは精悍で、黒い目と日焼けしながらも黄色みがかかっている肌は、日本人らしくある。
身体は服の上から見えるほど筋肉質で、余分な脂肪は少しもない。
日焼けしているが、スポーツ選手やボディービルダーのような、筋肉の山脈というほどではない。
どちらかと言うと警察官や自衛隊のような体格をしている。
「わざわざ気にする必要なんてないでしょ?あ、もしかして元の世界での職業柄、嫌な気分になった?
“わーかーほりっく”ってヤツ?」
少女の笑顔は美しかった。
夜空に浮かぶ花火のように見えた。だが花火は美しくも、火だ。
人を焼くことも、焼き殺すこともある。花火大会で、観客が火傷を負った事件が、それを物語っている。
少女の笑顔もまた、美しくもあり、同時に残酷に見えた。
マスターを慮る様子など、一かけらもその目には浮かんでない。
「そんな素晴らしい物じゃない。たとえ消防士であろうとなかろうと、屋敷が焼けるさまを見ていて気持ちよくなる者はいないだろう。」
「敵の屋敷だったとしても?」
「同じに決まっている。」
男は元の世界では、消防士だった。
高校を卒業してすぐに隊員の一人になり、それから数年もせぬうちに凄腕の消防士として、地元で少しだけ人気となった。
もっと大きい所で働かないかと、他所の消防署から勧誘を受けたことも何度もある。
消防士になってから4年後、高校時代の先輩の伝手で紹介された女性に出会い、すぐに意気投合して籍を入れた。
「そこまで拘ることなの?そもそもこの世界で欲しいのは、消防士としての賞賛なんかじゃ無いでしょ?」
「…分かっている。だが、簡単に人を焼くことなど出来ん。」
ずっと苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべるマスターを、サーヴァントはくすくす笑いながら見つめていた。
それは少女特有の天真爛漫な笑みではない。屑を燃やした灰を煮詰めた、タールのような笑みだ。
「そんなことをしていると、見逃しちゃうよ?家族とまた、円満な家庭を作りたいんでしょ?」
「お前に何が分かる。」
それは決してマスターの当て擦りなどではなかった。
目の前の少女に、家庭を持つ者の気持ちが分かるはずなど無い。
子供だからではない。人間の子供ですらないからだ。
「え?それは自分は父親だから、子供のお前に分からないってこと?
確かに私には家族も、愛してくれる人もいなかった。けれど、分かるよ。
愛されたいって気持ちも、大好きって思われたいって気持ちも。」
少女は愛されなかった。いや、愛されていたが、それは常に自分ではなく、自分を着た者だ。
だからこそ、持ち主を殺した。私を見てと。私の邪魔になる相手など、死んでしまえと。
しかし彼女は、持ち主の家族に愛されることはなく、別の持ち主に引き取られた。
その持ち主もまた同じだった。最初こそは美しいと言ったが、やがてはそれを着た娘ばかりを愛した。
だからこそ、また殺した。私を見てと。
そしてまた殺した。私を見てと。
「お前の気持ちと俺の気持ちを一緒にするな!!」
柄にもなく、小さい子供に向かって荒げた声を投げかけてしまった。
――パパ大嫌い
あの時のことを思い出し、自己嫌悪に陥る。
むしろ少女の方は表情を崩すことも無く、笑顔を浮かべていた。
「何が違うの?ありのままの自分を受け入れて、愛して欲しいと言ってるだけだよね?
マスターも、私も。」
愛を求めて、何度も何度も何度も何度も同じことを繰り返すうちに、彼女は人々に恐れられ、燃やされることになった。
こんなことが許されてたまるか。けれど彼女を助けてくれる者も愛してくれる者も無かった。
熱い、助けて。
愛されない自分が、美しさだけが取り柄だった自分が、真っ黒な醜い炭に変わってしまったら、いよいよ自分を愛してくれる者はいなくなる。
「お前と違って、愛されたいがために人を殺したりしない。」
でも、彼女の身体を覆う炎は、燃え広がってくばかり。
そうだ、どうせ愛してくれないなら、火となって色んな人の目に付く所へ行こう。
愛してくれない人なんて、何百人焼け死んだって構わない。
風が彼女の味方をした。初めてだった。空を飛ぶのは。
そして燃えた彼女は炎となり、町を、人を、建物を焼き尽くした。
それはこの東京と言う町の、遠い昔に事件として名を残した。
「でもこれから、殺すことになる。聖杯戦争って、そういうものでしょ?」
「俺はお前のために…動くつもりなど無い。」
「別に私のために戦ってなんて言ってないよ。
でも私は聞きたいわ。この聖杯戦争には、あなたの愛されたいって気持ちを天秤にかけてでも、守りたい人はいるの?」
男は、より多くの人間を守るために戦った。
火と言う、人類の誕生から救いであり、脅威となって来た存在と。
その代償に、家族からの愛を失った。
「どっちでもいいわ。どっちに転ぼうと、私は独りのマスターを愛してあげるから。
だから、マスターも私を愛して。」
そう言うと彼女は、笑顔でマスターに抱き付いて来る。
悪意に塗れた愛など押し付けるな。
胸の中に過った言葉を、口から吐きだすことは出来なかった。
その愛が悪意に塗れた物でも、受け取りたいという気持ちは、ウソではなかったから。
彼女の抱擁に、彼が長い間求めていたぬくもりがあったから。
「そんな顔しないの。まあ、私はマスターが愛に飢えているのは分かっているから、
いつでも頼っていいのよ。」
消防士として自分は、他人のために戦って来た。
だが今度ばかりは、自分のために戦ってもいいんじゃないか。
そう思ってしまった彼の気持ちは、決して消えなかった。
サーヴァントの悪意の炎は、確実に彼の心を侵蝕していた。
【クラス】
プリテンダー
【真名】
振袖・明暦@史実、災害
【属性】
混沌・悪
【ステータス】
筋力:E 耐久:B 敏捷:C+ 魔力:A 幸運:E 宝具:EX
クラススキル
陣地作成(B+)
本来はキャスターのクラススキル。魔術師として、自身に有利な陣地を作り上げる。炎を燃え広げ、自分とマスター以外の建物を次々に焼き尽くす。
道具作成(D)
本来はキャスターのクラススキル。呪力を帯びた振袖を生成できる。
これを着た者は、サーヴァントを愛してくれない限りは、呪いの耐性にもよるが遠からぬうちに呪殺されることになる。
騎乗(E)
本来はライダーなどのクラススキル。乗り物を乗りこなす能力だが、彼女は風に乗り、何処へでも飛んで行く。火は時として風を味方に付ける。
逆にこれと言って他の乗り物などには騎乗するスキルを持っている訳では無い。
保有スキル
愛情への渇望(EX)
愛して、愛して愛して愛してアイして。アイシて愛してあいして愛して。
愛してくれないのならみんな死ねばいい。みんなみんな、焼け死んでしまえ。
みんなみんなみんな、呪い殺されろ。
それを着た人だけを愛して、振袖を愛さない。そんなこと、許される訳ないよね?
付喪の呪い:C
彼女が振袖だった頃から操る呪術を示すスキル。現代で言うサイコキネシスや金縛りなどの効果を持つ。
魔力放出(炎):A
彼女の振袖、正確には彼女自身の肉体に炎の魔力を帯びさせ、瞬間的に放出することが出来る。炎は次々と燃え広がり、それ相応の魔力か大量の水でもない限りは決して止められない。
【宝具】
『明暦の大火、あるいは振袖大火』
ランク:EX 種別:対界宝具 レンジ:1‐1000 最大捕捉:107000
射程内の範囲にプリテンダーが生み出す灼熱と豪炎、そして強風の吹き荒れる世界。
あらゆる生命、建物を灰燼に帰す炎の世界、江戸時代の忌まわしい大火事の事件の再現を行う。
それ以上に恐ろしいのは、際限なく同時に起こる建物の延焼だろう。当時の時代と違って、木造住宅は減っていても、炎はあらゆる燃焼物を探して燃え広がる。
対抗するにはそれと肩を並べる力(洪水、大爆発など)で建物ごと吹き飛ばす他ない。
この宝具の最も特筆すべき点として、炎の威力がマスターの怨みの心に比例して大きくなることだ。
客観的に見て理にかなった物であろうと、そうで無かろうと、プリテンダーの敵から受けた被害や恨みが強いほど宝具の出力は増し、より炎の勢いも強くなる。
【外見・性格】
本来の外見は、白い振袖を着た赤髪の少女。しかし、少女ではなく本体は振袖に該当する。
ちなみに、一般人相手には、振袖を着た少女の名前を名乗っている。その名前は『梅野』『お菊』、「きの」など多岐に渡る。
底なしの愛を欲する。自他共に認める美しさを持っており、これほど美しい自分ではなく、それを着た者のみが愛されるのはおかしいと、歪んだ思想を持っている。
愛してくれない者、特に自分を着ながら愛される持ち主を、妬み怨み呪う。
逆に愛してくれる存在には、歪んでいるとは言え愛を返してくれる。
【身長・体重】
振袖としては120センチ,8kg。
少女としての外見は154cm,47kg。
【聖杯への願い】
自分の胸に収まり切らないほどの愛を。
【マスターへの態度】
憐みと好奇心。
自分に見立てて、愛して欲しい相手から愛されなかった彼を、哀れに思っている。
その一方で、愛以外にも炎を消そうとする、即ち自分とは真逆の存在である彼に好奇心を抱いている。
【名前】
水口鏡太(みずぐち きょうた)
【性別】
男
【年齢】
31
【外見・性格】
黒髪のスポーツ刈りで、精悍な表情と無精髭、そして筋肉質な身体が印象的な人物。
消防士の隊服に身を包んでいる時間の方が多かったため、高校生時代から来ていた黒いジャージを今は着こなしている。
自分にも他人にも厳しい性格で、それ故仕事でも成功を収めて来た。だが、愛を受け取る力だけは無かった。
【身長・体重】
178センチ 75キロ
【魔術回路・特性】
質:C 量:B
火事の焼け跡にあった懐中時計を拾った時に、聖杯戦争に招かれた。
消防士として鍛えられた体力は、魔力の量を賄うのにも使われるのだろうか。
特性:消火魔術
右手を掲げることで炎を消すことが出来る魔法。水では消火しにくい、化学薬品の炎上などで出来た炎なども、消すことが出来る。
ただし、彼一人では消せる量は限られている。
【備考・設定】
出世する中で結婚し、1児の父になる。だが、夜勤が多い都合上、妻や娘と遊ぶ時間を用意できず、次第に愛が冷えて行った。
夜勤明けで眠っている途中、家に遊びに来た娘の友達を、うるさいと怒鳴ってしまい、それから娘から恐れられる。
転換点となったのは、ある日隣町で大火事が起こり、彼もまた人手として駆り出された。
彼の実力もあり、犠牲者ゼロで火事は終息した。
しかし彼が仕事にいる間、彼の家の近くで小火が発生。家族は誰も死ぬことは無かったが、娘の思い出がいくつか焼けてしまった。
自分のせいで思い出が焼けて無くなったと、妻と娘から罵声を浴びせられ、それから冷え切った生活を送る。
こんなはずじゃなかった。消防士としての成果はもういいから、誰かに愛されていたかった。
そう気づいたのはもう遅かった。
【聖杯への願い】
妻や娘と円満な家庭を築きたい。もう失敗しないから。
【サーヴァントへの態度】
消防士として、人として生かしてはいけない存在。だと言うのに、彼女を歪んだ愛を受け止めたくなってしまうのは何故だろうか。
投下終了です
投下します
薄暗い室内に、硬いものを削る音が、途絶える事無く続いていた。
部屋の照明を担うのは、テーブルの上に鎮座する、脂の燃える匂いを周囲に漂わせる、古式ゆかしいオイルランプ。
精緻な銀細工が施されたアンティークオイルランプは、売りに出せば十万単位の値がつくだろう品だ。
月のない深夜でも、真昼の如き明るさを齎す電気式の照明が溢れかえる現代日本に於いて、この様な品を用いるのは、余程の懐古(レトロ)趣味の持ち主だろう。
ほんのりと部屋を照らす薄明るい灯火のもと、黒いワンピースを着た女が、熱心に白いモノを削っていた。
一言で言うのならば、『美しい』だった。
腰まで伸ばされた毛髪ですらが、至上の芸術品の如くに美しい。月無き静夜の闇を用いた糸で編み上げたとしか思えぬ漆黒の髪。
纏った衣服とは対照的に白い女の肌は、人の踏み入った事の無い高山の頂きの処女雪ですら黒ずんで見える程に白く。最上の絹布も及ばぬ輝きを放っていた。
顔の中心にあってその存在を主張する鼻梁の線よ。このラインを彫る為に美神は全能を振り絞ったに違いない。
薄らと笑みを形作る朱唇の繊細可憐さは、如何なる冷血な人間であっても───、否、獣であったとしても、吸い付きたいと願うだろう。
だが、女の面貌で、何よりも印象に残るのは、その双眸。
美を司る神と、造形を司る神が、天地開闢の頃より激論を重ねた末に形を決定したと言われても万人が頷くそのカタチ。
其処に宿るのは、大宇宙の無限の深淵を瞳の形にして嵌め込んだかの様な、深く暗い黒瞳。
多比良帝。それがこの女の名前である。
日本でも有数の、名の知れた魔術の名門、輝螺家の十四代目の当主である。
「もう少しで、終わりますね」
帝削っているものは、一見すれば、金属とも植物とも異なる光沢を帯びた、硬質の物体で出来た白い熊手、或いは孫の手に見える。
だが、よくよく見れば、これはその様なものでは無いと判るだろう。
帝の足元に堆く積もった赤黒いモノを見れば。
帝が削る白いモノの、其処彼処にある節を見れば。
帝が削っているモノは、人間の右腕だった。
足元に積もっているのは、骨から削り落とされた、鮮血に塗れた肉片だった。
瞬き一つせず、帝は無言で腕の骨を削り続ける。時々角度や向きを調節し、得心がいくまで熱心に作業を進めていた。
やがて、休む事なく動き続けていた手が止まる。
「なかなか綺麗に出来ましたね」
手を止めて、溜め息の様な声を漏らす。
美しい声だった。ただの独り言が、神韻縹渺たる詩に聞こえてしまう程に。
この女が高台に立ち、大衆を前に演説すれば、忽ちのうちに一国の頂点に立ち、国家全てを容易く意のままに動かす事が出来るだろう。
アンティークオイルランプに照らされた机の上、其処に置かれた白いナイフ立てに、白いナイフを立てて、大きく伸びをする。
余程長時間の作業だったのだろう、目を閉じて、長く長く伸びをして、帝は漸く姿勢を整え、閉じていた瞼を開く。
薄い光に照らされたナイフとナイフ立ては、女が未だ手にしたままの人骨と、同じ光沢を放っていた。
「余計なモノは削げましたし、あとは丁寧に磨き上げれば完成です」
満足気に微笑む姿の、何と幻想的で妖美な事か。帝の足元にわだかまる、赤黒い血塗れの肉片ですらが、なお美しく見える程だ。
「良く頑張りましたね」
薄く微笑んで、手にした骨が伸びている方、石造りのベッドにうつ伏せで固定されている、身体中に出来た傷で、全身の皮膚が赤黒く染まっている男へと話し掛ける。
何があったのか、両膝から下が存在していなかった。
「………………」
男は無言。壮絶な拷問を受けた末に、皮膚を肉を腕から削ぎ落とされ、更に骨を延々削られるという業苦に晒されていたのだ。ショック死していても、おかしくは無かった。
帝は無言で右手を動かし、男の髪を鷲掴みにすると顔を上げて、まじまじと観察する。
数倍に膨れ上がり、赤黒く変色した顔は、鼻が存在せず、顎関節が壊れるのも構わずに、開口器を用いて限界以上に開かれた口内は、歯が一つも存在せず、赤黒く変色した血が溜まっていた、
傷一つ無い右眼周り────意図的なものだろう事は明白だった────と対照的に、コードが突っ込まれた左の眼窩からは、未だに赤い血が滴り落ちていた。
「生きておいでですね。無視されると傷付くんですけれど」
帝の言葉に、男の右目が恐怖の色を浮かべ、全身が震え出す。
二日前に、サーヴァントを従えて帝と対峙した時の傲岸さは、敗北してから現在に至るまで体に刻み続けられた痛みにより、雲散霧消していた。
「教育が足りませんでしたね」
左手を伸ばし、アンティークオイルランプの横にあるスイッチを押した。
「お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“ッッ!!!」
全身を大きく痙攣させた男が、獣そのものな苦悶の呻きを漏らしたのを聞き、帝は満足気に頷いた。
「返事くらいはして下さいね」
右目から血涙を流しながら、男が首を小さく縦に振ると、帝は右手を離す。
鈍い音がして男の顔面が台座とぶつかった。
「さて…と」
帝は身を屈めると、床に置いてあった湾曲した刃を持つ両刃の短剣を取り出した。
アンティークオイルランプの淡い光に照らされた刀身は、男の右腕と同じ光沢を放っていた。つまり、人骨を研磨して製作した刀剣だ。
おそらくは肋骨から作られたのだろう、刀身だけで30㎝を超える白い短剣を振り上げ、振り下ろす。男の骨だけになった右腕がアッサリと切断された。
「お“お“お“お“ッッ!!!」
絶叫する男に構わず、床に落ちた右腕をそっと拾い上げ、薄く笑みを浮かべる。
「なぁ奏者よ」
次の行動に移ろうとした時。男の声が帝の動きを止めた。
「何時から居ました?アルターエゴ」
視線を右へと向ける。其処には何時の間にか、一人の男が立っていた。歳の頃は三重半ばといった所か。でっぷりと太った、白いスーツ姿の男だ。
「其奴の左目に突っ込んだ電極から電気を流した辺りだ。帝」
拘束された男を指差して、アルターエゴが愉しげに笑った。無惨極まりない男の有様に同情するどころか愉悦を覚える。この女が従えるサーヴァントに相応しい性状と言えた。
「随分と現代に馴染みましたね。電気や電極を覚えましたか」
「此処では全てが余の識る所。奏者が其奴に語っていたのは、他の場所に居ながら全て聞いておったよ」
帝は眉を顰めてアルターエゴに冷たい目線を向けた。どうやら初耳だったらしい。
「まさか私のプライベートを全て覗き見していたとでも?」
「余をみくびるな。その様な事はせんよ。余のあり方は覗き見などという狡い真似はせぬ」
「本当でしょうね」
「余は奪う、搾取する、虐げる。そういうものだ。故に、盗みはしない」
アルターエゴの視線が、帝の全身を余す所なく舐め回す。
厭な目だった。下劣な欲望がたっぷりと籠った眼差し。まともな精神の者ならば、嫌悪のあまり怒り狂うだろう。そんな目だった。
「お前が連れ込んだ者共と盛ろうと、一人で自慰に耽ろうと、余は一切感知せぬよ」
「………………下品ですね」
帝の返答は短かい。だが、ハッキリと怒りを抱いている事が判る声だった。
アルターエゴは笑った。自身と奏者を嘲る笑みだった。
「余は“その様に”望まれたが故にな」
「確かに。今の貴方は実態とは駆け離れている様ですね。史書では貴方は善政も行ったとされていますよ。“暴君”」
「此処には『民を愛する』などという甘い精神(ココロ)のモノは居らぬがな。此処にいるのは、国を燃やし、民を貪り、己の身のみを肥え太らせ、独り輝く暴君に過ぎぬ」
“暴君”が嗤う。愉しげに、悍ましく。
「そんな“暴君”が、このソドムとゴモラも及ばぬ享楽の都に在るのは、運命だと思わないか?奏者よ」
「思いません」
アルターエゴのハイになりつつあったテンションに水を差し、帝は手にした右腕の骨に目を落とした。
「大体どうして貴方がソドムとゴモラの名を出すのですか」
再度骨で出来た曲刀を振るい、骨だけになった右手首を切り落とす。鮮やかで、手慣れた動きだった。
「魔術師の身体は貴重なんですよ。数が少ないですからね」
言いながら、骨だけの右腕を、肩の部分から取り外すと、隅から隅まで観察する。
「良いですね。これなら礼装にできます」
「あの趣味の悪い武器か」
「貴方の宝具に比べれば、マシだと思いますよ。アルターエゴ」
帝は再度スイッチに指を伸ばす。男の左の眼窩に突き入れられた電極が、男の頭蓋の内側で激しいスパークを起こし、男の脳を灼いた。
「お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“お“ッッ!!!」
終わることの無い絶叫に、アルターエゴの眉が顰められるが、帝は平然としたものだ。
「時計塔で……色位と仰っていましたが、こうなると凡百の人間と変わりませんね」
凄惨苛烈な拷問を行いながら、暢気とも取れる感想を呟くと、ランプの灯が床に落とす影へと右手を伸ばす。
「おいで」
床に薄く映る帝の影が濃さを増す。光源が増したのでは無い、薄明のアンティークオイルランプの灯のもと、帝の影がひとりでに濃くなったのだ。
秒瞬の間に夜の闇よりも濃くなった影が、白く長いモノを吐き出した。
全長5mを超えるそれは、人間の右腕の骨を繋いだものだった。形状としては、“多節棍”と呼ばれる武器に似ている。片方の先端に骨だけの右手が付き、もう片方は丹念に研いで尖らせてあった。
帝は右手の骨が付いている部分を手に取ると、一振り。武術の達者でも回避する事はおろか、視認もできない速度で、十数mもの長さへと伸びた。
「……これ以上伸ばすと、扱いに困りますね。予備のパーツにしましょう」
手首を捻ると、瞬時に元の長さに戻った多節棍と、切り離した骨を足元へと放る。地に落ちた棍と骨は水面に落ちた石の様に、影の中へと沈んでいった。
「それだけの魔術の才を持ちながら、戦いでは兵器を用いるとはな」
アルターエゴは、未だに叫び続ける男を、帝がどう破ったのかを思い出し、含み笑いを漏らした。
「侮蔑しているもので敗北する魔術師は、見せ物としては中々に良いものなので」
「確かにな」
魔術師同士、正々堂々魔術を競い合う。そう信じていた男が、埋められていた地雷で両膝から下を吹き飛ばされた時の顔は、アルターエゴも滑稽に思ったほどだ。
「この方のサーヴァントは?」
「ああ、奏者の望み通りに宝具内に捕らえてあるぞ。拷問するか?」
「拷問するまでも無いでしょう。貴方の宝具、かなり苦しいですよ。それに、部品(パーツ)を取っても、サーヴァントは魔力の粒子になるだけですので」
「では繋いでおけば良いのだな」
「それで良いですよ。魔力リソースとして、有用に使いましょう」
帝は立ち上がると、扉へと向かって歩き出す。
脳に直接電流を流されて、絶叫している男は放置したままだ。
「死ぬのでは無いか?アレ」
アルターエゴが男を指差して訊く。
「死なない様に処置を施しておきました。サーヴァントが宝具に吸収されるまでは生きていますよ。多分」
◆◆◆
「良い家ですね」
二十分後、帝は新宿区にある一軒家の中にいた。
戦って打ち倒したマスターを拷問して、住所や預金口座の番号を訊き出したのが昨日の話。
それから更に一日掛けて、男が嘘をついていない事を確認し、男の全てを奪うべくこの家に赴いたのだ。
「カードは…仰っていた場所にありましたね」
家に回らされていた結界も、男から聞き出した情報により、簡単に突破。預金通帳とカードを手に入れる事に成功した。
「この家はどうするのだ?住むのか」
他のサーヴァントとかちあった際の護衛として付いてきていたアルターエゴが、家の中を見回しながら聞いてくる。
「拠点に偽装した上で、爆発物を仕掛けておきますよ。乗り込んでくる魔術師は、科学の力で粉微塵ですね」
「お前は本当に変な奴だよ」
「貴方に言われると…、怒るべきか自慢するべきか迷いますね」
「褒めているのだがな。何しろ爆弾を用いる戦い方をする魔術師などそうは居らんだろう。何よりも、お前の願いだ。こんな事を願うものなど普通は居らんぞ。
“暴君”たる余ですらが思いつかなかった搾取と浪費だ。人理を、その守護者たちを…。文字通りに奴隷(サーヴァント)としようとはな」
「在る以上は使用う。使える以上は使い尽くす。それだけですよ」
帝の望みはただ一つ。人理に名を刻んだ英霊たちを、己が意のままに、欲望のままに蕩尽し尽くす事。
「容貌優れた者は性産業に、技能を持っている者は技術職に……。殆どは戦争用の傭兵でしょうが」
労働力として、嗜好を満たす対象として、サーヴァントを見た場合、能力的にも、耐久性に於いても、人を遥かに優越している。
需要は幾らでも有り、死んだところで再召喚すれば良い。
「私にしてみれば、聖杯に願う事が子作りという貴方の方こそ、変ですよ。アルターエゴ、いえ、“暴君ネロ”」
ネロ。それが帝の呼んだサーヴァントの真名。
ローマ帝国の五代目皇帝であり、“暴君”の二つ名で知られる男。
ローマを焼き、キリスト教徒を弾圧し、師を殺し、母を殺した暴君。
死と破壊を振りまいた皇帝こそが、帝の従えるサーヴァント。
「面白いとは思わぬのか?余はローマに反旗を翻したアントニウスの血を引き、狂帝カリグラが妹に産ませた畜生腹。それが、淫売(メッサリーナ)の娘と番ったのだ。
余とオクタヴィア、二人の間に産まれた子は、如何なる“獣”となるのか、余は其れを知りたいのだ」
「聖書の獣…という訳でしょうか。まぁ、興味深いのは確かですが」
「そうであろう!余も奏者の目指す人理蕩尽には非常に興味を抱いているぞ!!」
「…………こうもテンション上げてこられると返って萎えますね」
憮然とした“暴君”を置いて、帝は銀行へ行くべく、玄関へと歩いていった。
【クラス】
アルターエゴ
【真名】
“暴君”ネロ
【属性】
混沌・悪・人に
【ステータス】
筋力D 耐久E D 敏捷 D 魔力A 幸運B 宝具EX
【クラススキル】
無辜の怪物:EX
生前の行いからのイメージによって、後に過去や在り方を捻じ曲げられ能力・姿が変貌してしまった怪物。生前の意思や姿、本人の意思に関係なく、風評によって真相を捻じ曲げられたものの深度を指す。このスキルを外すことは出来ない。
アルターエゴは、“暴君”の代名詞的な存在となったネロ・クラウディウスであり、霊基そのものが無辜の怪物というべき存在。
対魔力:C
第二節以下の詠唱による魔術を無効化する。
大魔術、儀礼呪法など大掛かりな魔術は防げな
【保有スキル】
皇帝特権:EX
本来持ち得ないスキルを、本人が主張することで短期間だけ獲得できるというもの。該当するのは騎乗、剣術、芸術、カリスマ、軍略、と多岐に渡る。
Aランク以上の皇帝特権は、肉体面での負荷(神性など)すら獲得が可能。
とはいっても、流石に何の素養もない状態でスキル獲得はできない。
……のだが、暴君としてのネロは、この摂理を捻じ曲げて凡そあらゆる技能を習得する。
まさに“暴君”。
殺戮獣団:D+
コロシアムでキリスト教徒を獣に襲わせたという逸話から。
獣を支配下に置き、完成された処刑道具として機能させる、
キリスト教徒には特効。
快楽主義:A
暴君としての精神性。人類社会の在り方を高らかに嘲笑し、世に遍く人々の細やかな営みを朗らかに蹂躙し、愛を弄び、情を操り、命と尊厳を食い荒らす獣が如き道満の悪辣極まりない思考、精神性が千変万化の刃となったもの。
【宝具】
捉え殺す地下劇場(アエストゥス・ドムス・アウレア・グロテスク)
ランク:B 種別:対陣宝具 レンジ:90 最大捕捉:1000人
キリスト教徒をコロセウムで火刑にし、獣の餌としたというエピソード。
己の願望を達成させる絶対皇帝圏。生前の彼が自ら設計しローマに建設した劇場「ドムス・アウレア」を、魔力によって再現したもの。芸術家生命をかけた魔天。自分の心象風景を具現した異界を一時的に世界に上書きして作り出す、固有結界とは似て非なる大魔術であり、自身が生前設計した劇場や建造物を魔力で再現し、彼女にとって有利に働く戦場を作り出す。世界を書き換える固有結界とは異なり、世界の上に一から建築するために、長時間展開・維持できる[出 2]。
この宝具は彼の想像力によるもので、それを強化するには、原点となる「黄金劇場」を豪華に作り直し、その姿を彼の脳裏に刻む必要がある。元になる劇場が大規模に成るほどネロが描くイメージもリアルになる。宝具で展開される黄金劇場がその豪華さに合わせて更に絢爛になるという算段。
展開されている間、閉じ込められた敵は弱体化し、建造物をカスタマイズすれば形や機能も変更できる。わかりやすく言えば、建築過程を無視し建造物を投影、その中であれば自分の定めたルールを発動できる。
そしてこの宝具。冠する『グロテスク』の名に相応しく、地下にしか建設出来ない。
更にこのアルターエゴネロの宝具は、宝具内に侵入したモノを、有機無機を問わず捉え、融合してしまう性質を持つ。
捕らえられたモノたちは、劇場内でオブジェとなり、アルターエゴの意志により解放されるが、放置された場合、魔力を吸い尽くされて死亡する。
魔力を吸い尽くされる過程は筆舌に尽くし難い苦痛を味う。
マスターやサーヴァントは早々簡単に融合出来ない為に、十分に弱らせる必要が有る。
取り込んだモノ同士を融合させることも可能。
人の身体から木を生やしたり、植物の果実の部分に鉄塊が成っていたりと、自然の法則をガン無視した融合を行える。
宝具に取り込まれた物体は、Dランク相当の宝具と同じ神秘を帯びる為、アルターエゴは武器庫としても重宝している。
【weapon】
宝具に取り込んだモノを取り出して使う。
【人物背景】
ローマ帝国の五代目皇帝ネロ・クラウディウス“暴君”としての部分が抽出されたモノ。
無辜の怪物100%のネロ帝。
性格は傲慢尊大で享楽主義者。ノリが良く明るい性格。なお他者への愛情などは存在せず、他者の苦痛にも関心が無い。
民を国を搾りむさぼり己のみが肥え太る存在。
【外見・性格】
でっぷりと太った中年の男。瞳の色は金。禿
スッゲェ邪悪な顔したゴルド・ムジーク・ユグドミレニアみたいな感じ。なお髪は無い
【身長・体重】
170cm・103kg
【聖杯への願い】
最初の妻であるオクタヴィアとの間に子を為す。
【マスターへの態度】
面白い女。気に入っている。
マスター
【名前】多比良 帝/TAIRA MIKADO
【性別】女性
【年齢】26歳
【属性】混沌・悪
【外見・性格】
黒髪黒瞳。白皙の肌の美女。
【身長・体重】
185cm・80kg
【魔術回路・特性】
質:A+・量:A+
魔術師として天賦の才能を持つ。研鑽し研ぎ澄ませてきた魔力は、比較となる者がそうそう居ないレベル。
魔力は質量共に破格
魔術特性は『虚数』
【魔術・異能】
【虚数魔術】
・影の中に物品を収納できる。最大で200キロ程度。
・影を用いた斬撃。斬るのではなく、影に触れたものが、影に吸われている結果、斬れた様に見えるだけ。その性質上物理防御不可能。
【起源覚醒者】
起源は『搾取』と『消費』
あらゆるモノを他者から搾り取り、それを消費する。
地位や財産のみならず、苦痛や感情さえも、多比良帝は搾取して、自分の為に消費する。
この性質の為に、産まれた時に母親を死産させ、自信は子供を産めない身体になっている。
【魔術礼装】
『起源弾』
先端部分が空洞になっていて、内部に自身の乾燥させた血液の粉が詰められている。
血液に込められた起源により、物理魔術問わず、対象の防御を搾取して、弾丸の攻撃力に変えてしまう。
『多節棍』
殺した魔術師の右腕を繋ぎ合わせて作成した武器。十数m先まで伸びる。接触すると生命力を奪われる。
【備考・設定】
日本でも有数の魔術の名家の産まれ。家の歴史は古く、九世紀に日本にやって来たという。
一般社会においても、魔術師としても優れた才を持つ。
魔術師の仕事として、魔術師を殺す事を請け負う事が多く。大抵は現代の兵器を用いて殺害。魔術師の誇りを踏み躙り、尊厳を陵辱された魔術師の悲哀や憤怒を搾取している。
【聖杯への願い】
人理に名を刻んだ英霊たちを、自分の為に蕩尽し尽くす。
【サーヴァントへの態度】
愉快な人。でもテンション高い時はウザイ。
投下を終了します
すいません。マスターの属性を忘れてました。
【属性】中立・善
です
投下します。
東京の一角、神田近くにあるありふれた六畳一間の安アパート。
更にその一室に青年の姿はあった。
モンゴロイドではない、浅黒い肌のその青年は、何かに対し一心不乱に祈りを捧げている。
その対象は、部屋中央にある安物のリビングテーブルの上に鎮座している。
蛍光灯の光を反射するのは、傷一つない新品の液晶。
手のひらサイズのそれは、俗に言う――何の変哲もないスマートフォンであった。
「何をしているマスター。祈りを捧げたところで電子機器の性能は変わりはしない」
そんな青年を見つめるのは奇妙な男であった。
長袖の軍服――しかもその全身は真紅に染まっている。
だがそんな奇妙な格好すら打ち消すのは男の顔だ。
顔つきだけ見れば特徴のない、北欧系の男性の顔立ち。
だがその顔には一切の表情というものがなく、まるで肉でできた人形のような不気味さだけがあった。
「……うるせえアサシン、こういうのは気分だ気分。
素晴らしいものには敬意を払う……それが魔術であれ、機械であれだ」
そういって褐色肌の青年――ガデッサはスマートフォンを恭しく手に取った。
ガデッサの生まれは中東の魔術師の家系である。
古式ゆかしい家系であるガデッサの家は機械を嫌い、買い出し等での最低限以外の接触を禁じていた。
だが彼は街に出るたびに、人々が持つこのデバイスを羨望の目で見ていたのだ。
――それこそ隠して持ち帰った日本語の説明書を擦り切れるほどに読むぐらいには。
そして今、なんの因果か彼は憧れの日本、それも秋葉原近郊に存在していた。
オタクの街として有名になったアキハバラではあるが、今でも一角の電気街であることには違いない。
そこかしこに怪しげな部品屋があり、千差万別の機械が溢れている。
……正直ここにきてから一ヶ月、仕事以外の時間は毎日出かけて散策していたりする。
ガデッサにとっては至福の時間であった。
「了解(ダース)。マスターにとって、意味がある行為だと理解した。
だが、そろそろ決定しなくてはならない。この聖杯戦争において積極的に動くのか、それとも消極的に行動するのかを」
「……そんな事言われてもな」
ガデッサは端的に言ってしまえば、この聖杯戦争に乗り気ではない。
大きな理由は2つあるが、そのうちの一つが眼の前のサーヴァントだ。
「……どっちにしろ目立つ行動は避けるべきだろ。……お前、強力なサーヴァントじゃないからな」
「肯定(ダー)。私のステータスは平均的なサーヴァントを下回っている。
なおかつ私の宝具も暗殺に特化している。マスターの選択は現状正しい」
表情一つ変えず、自身を評価するアサシン。
そこにはマスターから受けた侮辱とも取れる評価に対して何も感じていないということだ。
何を考えているのか、わからなすぎて正直ガデッサはやりにくいことこの上ない。
願いを訪ねたときも「特にない。マスターの願いを助けるだけだ」とそれしか返してこなかった。
慣れぬ手つきで検索した真名から、人間であることは間違いないと思われるが……果たして本当にこんな人間がいたのだろうか。
そんな疑念の目を向けても、アサシンの表情はピクリとも変わらない。
感情の全く浮かばない瞳を、変わらずに自分に向けている。
「だが長期的なプランは持つべきだと提言する。戦況は都度変化する。
その際に選択をスムーズにするためにも"方針"は必要だ」
「……だったらお前の好きにしたらいいだろ」
「否定(ニェット)。
その提案は4回目だが、回答は変わらない。行動の決定権はマスターのみにある。
サーヴァントにその譲渡は認められない」
頑固――ともまた違う機械的な反応。
そう、まるで機械だ。
『最初からその操作が設定されていない』かのような融通の効かなさをこのアサシンからは感じるのだ。
「私の存在意義はマスターの願いのために動くことだ。
そのために提言はする。だがあくまで決定はマスターがしなければならない」
そういって感情の浮かばない瞳でこちらをじっと見つめてくる
忠誠とも違う。『そうであることが前提』の奇妙なサーヴァント。
何故コイツは"相性が最悪"の俺に召喚されたのだろう、とガデッサは思う。
もしもこいつが自分の願いを持って動くタイプだったら、自分は流されて動いていただろう。
……例えそいつがなんの役に立たないサーヴァントだったとしても。
そう。聖杯戦争に乗り気ではないもう一つの理由、それがガデッサ自身の使命感がほとんど消えている、ということだ。
ガデッサの家に伝わる魔術刻印は幼年期に魔術回路を5分割し、一定年齢まで五大属性それぞれ鍛え上げ、最終的に殺し合わせることで統合。そうすることで擬似的なアベレージワンを作成し、引き継がせる――というものだった。
何千年も続く伝統――それが終わりを告げたのはほんの偶然。
とある無名の強盗団に目をつけられたということだけ。
ガデッサの家系が機械を毛嫌いし、見下していた。その結果だった。
強盗団の所持していた機関銃から放たれる銃弾の嵐。
数人は軽く倒せたがその物量に耐えきれず、あっさりとみな殺された。
あれほど強大だと思っていた親は、銃弾の嵐に耐えきれず脳をぶちまけた。
最終的には殺し合うと知りながら共同生活を送っていた兄弟たちは、一瞬で肉片になった。
その死の嵐の中でガデッサが死ななかったのは本当にたまたまだ。
自身の担当していた魔術が生存に特化したものであったこと、それに最初で頭と心臓を吹き飛ばされなかったことだ。
血の海の中で目覚めたガデッサが思ったのは――虚しさだった。
魔術師の端くれであったから、根源へのあこがれもあった。血をつなぐという使命感もあった。
だが、こんな簡単に。魔術と一つも関係ない出来事で、たった10gにも満たない金属で、ガデッサたちが数千年繋いできた魔術は無価値になった。
血溜まりに転がっていた見覚えのない時計を拾い上げてこんな場所まで来てしまったが、その虚しさは消えていない。
「聖杯を使えば根源への道も開かれる」……そんなことを聞いても心に訪れるのは、いつか街角で見た錆びついたTVを見たときのような虚しさだけである。
「……まぁ、まだいいだろ。それよりも今からスマートフォンのマニュアルを読み込むんだ。……放っておいてくれ」
「了解(ダース)。ではまた6時間後に再度確認をする」
そういってアサシンは姿を消した。
――――――
霊体化したアサシンはマスターの決定をただ待つ。
そこには不満も焦りもない。もとより自分はそういう存在であるからだ。
『この姿』になったのは、混じりこんだ要素の影響でしかなく、本来英雄でも、そもそも意思ある存在ですらない。
英霊として定義された自身に定義したルールは一つだけ。
持ち主(マスター)が引き金を引いたとき、敵を撃つ。ただそれだけである。
――"自分たち"が生まれて以降、ずっとそうしてきたように。
アサシン、その真名はカラシニコフ。AK-47。
近代で最も用いられた殺戮機構の一つ。
――かつてガデッサたちの命を奪った、どこにでもある死の形である。
ガデッサの家に伝わる魔術刻印は幼年期に魔術回路を5分割し、一定年齢まで五大属性それぞれ鍛え上げ、最終的に殺し合わせることで統合。そうすることで擬似的なアベレージワンを作成し、引き継がせる――というものだった。
何千年も続く伝統――それが終わりを告げたのはほんの偶然。
とある無名の強盗団に目をつけられたということだけ。
ガデッサの家系が機械を毛嫌いし、見下していた。その結果だった。
強盗団の所持していた機関銃から放たれる銃弾の嵐。
数人は軽く倒せたがその物量に耐えきれず、あっさりとみな殺された。
あれほど強大だと思っていた親は、銃弾の嵐に耐えきれず脳をぶちまけた。
最終的には殺し合うと知りながら共同生活を送っていた兄弟たちは、一瞬で肉片になった。
その死の嵐の中でガデッサが死ななかったのは本当にたまたまだ。
自身の担当していた魔術が生存に特化したものであったこと、それに最初で頭と心臓を吹き飛ばされなかったことだ。
血の海の中で目覚めたガデッサが思ったのは――虚しさだった。
魔術師の端くれであったから、根源へのあこがれもあった。血をつなぐという使命感もあった。
だが、こんな簡単に。魔術と一つも関係ない出来事で、たった10gにも満たない金属で、ガデッサたちが数千年繋いできた魔術は無価値になった。
血溜まりに転がっていた見覚えのない時計を拾い上げてこんな場所まで来てしまったが、その虚しさは消えていない。
「聖杯を使えば根源への道も開かれる」……そんなことを聞いても心に訪れるのは、いつか街角で見た錆びついたTVを見たときのような虚しさだけである。
「……まぁ、まだいいだろ。それよりも今からスマートフォンのマニュアルを読み込むんだ。……放っておいてくれ」
「了解(ダース)。ではまた6時間後に再度確認をする」
そういってアサシンは姿を消した。
――――――
霊体化したアサシンはマスターの決定をただ待つ。
そこには不満も焦りもない。もとより自分はそういう存在であるからだ。
『この姿』になったのは、混じりこんだ要素の影響でしかなく、本来英雄でも、そもそも意思ある存在ですらない。
英霊として定義された自身に定義したルールは一つだけ。
持ち主(マスター)が引き金を引いたとき、敵を撃つ。ただそれだけである。
――"自分たち"が生まれて以降、ずっとそうしてきたように。
アサシン、その真名はカラシニコフ。AK-47。
近代で最も用いられた殺戮機構の一つ。
――かつてガデッサたちの命を奪った、どこにでもある死の形である。
【クラス】アサシン
【真名】 AK-47 カラシニコフ
【属性】 中立・中庸
【ステータス】
筋力:D 耐久:B 敏捷:C 魔力:E 幸運:E
【クラススキル】
・気配遮断:C
攻撃体制に移らない限り、基本的に察知されない。
どんな達人でも放置された道具の気配を探るのは難しい。
【保有スキル】
・単独行動:E-
本来単独では行動できないアサシンだが、複合したサーヴァントの影響で行動できるようになっている。
ただし無理やり行動できるようにしているため独立行動はほぼ不可能である。
・戦闘続行:A+
アサシンの極めて高い信頼性がスキル化したもの。
周囲及び自身がどのような状況であろうと、ステータスに変動が起きず、戦闘を続行できる。
アサシンの構造は単純かつ堅牢であったため、極寒地や砂漠地帯の兵士からも信頼が寄せられていた逸話の顕現。
・反神秘:A
単純な機械構造がスキル化したもの。魔力や神秘が入り込む隙間が非常に少ないことの現れ。
神性や魔力と言った神秘を持つ存在に対して、攻撃力が低下するデメリットスキル。
近代の英霊だったとしても『英霊』という神秘を纏うため、マイナス補正が発生する。
事実上、アサシンの銃弾でサーヴァントに対して致命傷を与えることはできない。
(使い魔ならばともかく、サーヴァントに対して攻撃を仕掛けても、怯ませるぐらいがせいぜい。)
・血塗れのカリスマ:E-
一部の地域で反資本主義の象徴として祭り上げられている。
戦乱を呼ぶカリスマ。統率はできても、兵の士気が極端に下がる。
本来機械にすぎないアサシンが英霊として成立するために必要なスキル。
・神性:E-
本来アサシンが持ち得るはずのないスキル。
「血塗れのカリスマ」によって、ほんの僅かにだが「戦乱の概念」そのものである「赤の騎士」と複合している。
幻霊ですら無いアサシンが英霊として成立しているのはこのせいである。
アサシンが存在するところには、必ず戦乱の火種がある。
・霊長の殺人者:EX
人類に対する絶対殺害権。
改良型や派生品、ライセンス生産品から無許可のコピー製品まで含めると一億挺をゆうに超えると言われている。
その圧倒的な扱いやすさと生産性によって『世界で最も多く使われた軍用銃』と呼ばれている。
人類史至上、多くの人を殺した武器の一つ。
【宝具】
『粗雑な死、貧者の牙(アーカ・ソロキシン)』
対霊長特攻宝具。
相手が"人間"である場合、神秘・物理・運命――あらゆる障害を貫通し、その命を奪う必殺の銃弾の嵐。
自身が定義した戦場(この場合は聖杯戦争)において、血が流れるたびに必殺の確率は上昇する。
地球上で多くの命を奪った道具であるという逸話の顕現。
獣を狩るには強すぎる威力、祭典に用いられるには無骨すぎる外観。
ただ「人間を殺すこと」に特化したアサシン自身の宝具である。
なお霊体であればすり抜け、獣やサーヴァントに当てても禄にダメージは通らない使い所の難しい宝具である。
『戦乱呼ぶ赤い騎士(レッドライダー・レッドフィールド)』
対概念特攻宝具。
体から取り出した真紅の剣を地面に突き刺すことで周囲13kmを戦場(バトルフィールド)へと変貌させる。
戦場(バトルフィールド)内部は空が赤く染まり、銃声と怒号、そして喇叭の音が響き渡る。
固有結界にも似た特殊魔術。多くの生命が潰えた戦場のイメージが現実を塗りつぶす。
戦場(バトルフィールド)内部では『全てのものは、戦場では死に至る』という概念によって、ありとあらゆる不死身の概念が塗りつぶされ、サーヴァント、あるいは神霊だとしても致命傷を負えば死に至る。
戦乱の中にしか存在し得ないアサシンと、戦乱を呼ぶ赤い騎士が結びついて生まれた絶対戦場領域。
なお通常はスキル『反神秘』によって封印されているが、聖杯戦争内で多くの血が流れるに従って封印が弱体化していく。
また誰かが死ぬまで解除されることはない。
『――次に現れたのは赤い馬。その馬上の者には、長い剣と、平和を奪って地上に混乱を招く権威が与えられた。』
人も、神も、概念ですら血を流して死に至る。神秘も、すべて戦乱の中に消えゆく定めである。
【weapon】
AK-47。使い魔はともかくサーヴァントには通用しない。
【人物背景】
ソ連が生み出したアサルトライフル『AK-47』が英霊化した存在である。
単純かつ丈夫な構造のそれは量産され、
百近い国の軍隊と何百ものゲリラ、反政府グループ、民兵組織、テロリスト、犯罪組織によって使用されている。
道具であるためサーヴァントとして本来成立し得ない存在であるが、マスターの死因や
そして「戦乱」の概念たる『黙示録の赤い騎士』の要素が混じり込み、サーヴァントとして成立した。
なおマスターはAK-47をデザインしたミハイル・カラシニコフと思っているが似ても似つかない。
【外見・性格】
真っ赤な軍服を着た、中肉中背の東欧系の顔立ちをした青年。
表情の変化がなく、肉でできた人形のような不気味さを見たものに抱かせる。
性格は自分を道具と定義し、機械的に行動する。
人の形を取ったこと、多少混じっている神霊の影響で多少の自我はあるが極めて薄い。
口癖は「肯定(ニェット)」「否定(ダー)」「了解(ダース)」
【身長・体重】
180cm・80kg
【聖杯への願い】
なし。マスターを闘争に勝利させる。それが道具としての存在意義である。
【マスターへの態度】
特になし。
戦闘時の行動などを除いて、大局の判断はマスターに委ねる。
引き金を引くのはいつだって人間である。
マスター
【名前】
ガデッサ
【性別】
男
【年齢】
18歳
【属性】
中立・善
【外見・性格】
・中東系の顔立ちの青年。
・昔から機械に興味があったが魔術のため
そのため街に買い出しに出た際に仕入れた家電の説明書を読むのが数少ない趣味。
機械に溢れた東京――特にアキハバラ周辺は気に入っている。
【身長・体重】
・175cm・80kg
【魔術回路・特性】
質:B 量:C
特性:『生命』
統合されれば上位の魔術刻印であったが、1/5であるため極めて平凡なものである。
【魔術・異能】
生物の生命力を活性化させる生命魔術の使い手。
自身だけでなく他人の強化もできる。
【備考・設定】
【聖杯への願い】
特になし。
少し前までなら根源に興味はあったが、何百年も続いた魔術が一発の鉛玉で消え去ることに虚しさを覚えている。
【サーヴァントへの態度】
何を考えているかよくわからないからちょっと苦手。
以上、投下を終了します。
投下します。
まことのことばはうしなはれ 雲はちぎれてそらをとぶ
ああかがやきの四月の底を はぎしり燃えてゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
宮沢賢治「春と修羅」
「今まで剣道で覚えたことはすべて忘れてください! まだ腕に頼って振っています!」
ある剣道の道場で、剣道着を着た少女が隅に位置し素振りをしている。
その少女に対し、白の小袖に黒の袴を着た一人の女性が叱咤しながら肩や足に蟇肌竹刀を叩きつけている。
「まだ肩や腕に力みが出ています! 身体の芯で振るのです! 足で振るのです!」
女性の叱咤は激しさを増す。
「全くなっていません! 肚の内で撃つのです!」
その言葉に憤然とした少女は、女性に対し面を打ち込んだ。
「こうですか⁉」
瞬間、少女の身体は一転し、床に背中から叩きつけられた。手にしていた竹刀はいつの間にか女性の手の中にある。
「今のはまずまずです」
女性は少女を投げる前に空中に放った竹刀を片手で取りながら言った。
周囲がざわめく。おい、見たか? 無刀取りだ。本物は初めて見た。
周りの道場生には驚きの出来事だが、少女たち二人にとっては当然のことだった。
なぜなら指導をつけていた女性こそ、日本剣術史においても柳生一族においても屈指の剣聖とされる柳生連也斎厳包その人なのだから。
この東京でサーヴァント、アサシンとして召喚された彼女は、自身のマスターである少女、七月刹那に頼まれて稽古をつけていたのだ。
「不思議ですね。本来感情のままに剣を振るうと力みが生じ太刀筋が乱れるものですが、なぜか貴女は激情に身を任せた方が無駄な力が抜け、剣が冴える」
立ち上がる刹那に竹刀を返し、連也は微笑んだ。
「次は斬釘の打ちです。私の打ちを見て、続いてください」
連也は顔を引き締め、竹刀を緩やかに振り上げ、正中線から外れた右膝への軌道を正確に直線に振り下ろした。
再び周囲がどよめく。おい、見えたか。いや、分からない。
剣を上げ、振り下ろす。ただそれだけの動きが現代剣道のそれとあまりにも異質なため、目にした映像を脳が解析できず、結果見えなくなっているのだ。
連也に続き、刹那が同様の動きで、竹刀を振り上げ、振り下ろす。
三度目のざわめき。刹那は完璧とは言えないが、それでも道場生には同様の異質さを感じさせるほどに動きができていたのだ。
「先ほどで骨をつかんだようですがまだまだです! 右足の軸を意識して撃つのです! また力みが出ています!」
その後、袈裟、足切りなどの基礎の振りに無形の位、雷刀、影の太刀などの基礎の構え。正眼からの歩法「立帆の位」、「浮沈の位」。参学円之太刀、九箇之太刀の型稽古。
叱責を受けながらたっぷり12時間の稽古を終え、夜になる頃ロールとして与えられたアパートの自室に二人は戻った。
「牛炊作ったよ。稽古の事前に牛筋下処理して炊飯器で煮込んでおいたの。食べてみて」
刹那は炊飯器から米を茶碗によそい、その中に鍋の汁を注ぎ葱を散らして連也に箸と一緒に差し出した。
連也がそれを一口すすると、芳醇な牛のうまみが口中を満たした。
「この透き通った汁。牛筋という食材でこうも臭みを取り去り、旨味のみを引き出しているとは。見事です」
「うん、この作り方は初めてだけど上手くいったね」
同じく牛炊をすすり、刹那は満足げにうなずく。
「何と、初めてとは。驚きです」
「牛筋余ってるから明日は同じ作り方でポトフにしよっと」
刹那は一気に牛炊をかきこんだ。
「ところで、これから聖杯戦争についてですが、ご相談よろしいでしょうか。我が主」
刹那は牛炊の二杯目をよそい、改めて連也に向き合った。
「そこなんだけど、無理言って新陰流を教えてもらっているけど、どう? 私の感じ」
「そうですね。筋は悪くありません。何より没入の境地に入れるのが素晴らしい。このまま一週間も続ければ付け焼刃としては上等なものになるでしょう」
刹那の顔がぱあぁっと明るくなった。
「ですが、心構えはまだなっていません。まだ己のみ生きようとする執着があります」
「それって、悪いこと?」
「勝ちたい、生き残りたいというのは欲。敵の裏をかきたいというのもまた欲。その欲心、囚われこそが平常心を失わせ、剣を歪めます。剣者の戦いにおける勝敗生死は常に紙一重の差。故に生命に執着しない心構えが必要なのですが……」
連也は一つ息を吐いた。
「この聖杯戦争ではそうもいきませんか」
刹那は牛炊を一口すする。
「師匠は何回か刺客から襲われた記録があるけど、そういう囚われから自由だったってこと?」
「それは……難しいものです。私とて剣を極めたいという囚われ、欲心から終生逃れられなかったのですから。
それに今の私には欲があります。人生を賭して磨き、極めたこの技。使う機会も乏しくまたその必要もないと思っていましたが、サーヴァントの身になってどの程度通ずるかわが身を賭して試したいという思いが芽生えています」
連也は自分に対する昂りを感じ取っていた。
「なによりの大欲は主、貴女を生きて元の世界へ貸すことです」
そう言って連也は刹那を見つめる。
「……私だって死にたくないよ」
刹那は茶碗と箸をテーブルに置いた。
「だけどこの東京に召喚された以上、行われるのはただ一人が生き残る生存競争。聖杯戦争に逃げても乗っても待っているのは死しかない地獄しかないのなら、私は先に進む。そして必ず生き残る」
「そのために貴女は人を斬れますか?」
「――私は斬れるよ」
刹那は力みも高揚も不安感もなくさらりといった。その言葉で連也は息をのんだ。
いくらマスターとはいえ平和に生きた15歳の少女が本当の覚悟など出来ないものだ。
だが、彼女は違う。生き残るためなら人を斬るその決意がひしひしと伝わってくる。
思えばマスターである七月刹那という少女は没入の境地に剣術八戒の心を消さぬまま無心ならざる心持で容易く入ってきていた。
この聖杯戦争という場においても日常生活を保っていた。
そして今の言葉。この普通の少女が経験するにしては異常すぎる環境に適応しすぎている。否、喜びさえ感じている。
「――なるべくそのような事態が訪れないよう尽力しましょう。貴女は一度人を斬ってしまえば人が変わってしまいかねません」
それを言うのが連也にとって精いっぱいの思いやりであった。
実際聖杯戦争でマスター同士のやり取りで、相手を斬らざるを得ない事態は発生するだろう。
だからこそ、刹那という少女がそのままであること、手を汚さないことは、連也にとって望ましいことであった。
◇◇
夜中、閑静な住宅街に規則正しい音が鳴り響いている。それは木を打つ音だ。
「ねえ、お父さん。あの子まだ続けているわ」
「立ち木打ちって剣道の稽古だろ? いいじゃないか、集中できるものがあるっていうのは」
「あの子は度が過ぎているのよ。この前も――」
二人が話している最中、突然立ち木打ちの音が途絶えた。
「……刹那!」
慌てて女性は庭につながるドアを開け、外に飛び出る。
その先には荒い息をはき、地面に倒れている刹那の姿があった。近くにある打ち込み用の木からは煙が出ている。
「なんであんたはそこまでやるの⁉ いくら好きだからだって変よ!」
抱き起こす母親に向かい、刹那はつぶやいた。
「……分かんない……」
そうして刹那の意識は闇に溶けた。
刹那が気付くと、そこは暗闇の中だった。少し目が慣れると、自分の部屋と分かった。
手探りで蛍光灯のスイッチ紐を引き、点灯させる。体を眺めるとパジャマに着替えさせられていた。
刹那は自分の手をじっと見つめる。ごつごつと剣だこだらけの己の掌を。
「何でこんなにできてしまうんだろ……」
刹那自身も分からない。なぜ自分はここまでやるのか、やれてしまうのか。
別に他に集中できる物事はある。その中で剣術が一番好みだから。それだけでなぜ気を失うまで何時間でも没頭できるのだろう。
人を斬りたいわけじゃない。そこまで倫理観がぶっ飛んでるわけじゃない。
ただ、一度始めればどんな物事でも満足するまで没頭できたことがない。
「……師匠が欲しいなあ……」
欲しいのは剣道じゃなくて、剣術の師だ。剣道では部活の剣道五段の顧問がいるが、剣術家は近所にいない。
そこで示現流の稽古の立ち木打ちは、独学でもある程度いけるというので家で行っていた。
「……いや、おかしいよね私。別に人を斬りたいわけじゃないのに……」
現代で人を斬れる技なんて必要ないし、本当に行ったら殺人だ。
なのになぜ、それを求めてしまうのか。刹那には分からなかった。
二階にある自分の部屋を降り、庭の倉庫に足音を立てずに向かう。
こんなどうしようもない思いの時、刹那は倉庫にある先祖代々伝わる刀を眺めに行くのだ。
倉庫は月明りで照らされ、入るのに何はなかった。
刹那は中で日本刀を取り、一気に抜き放つ。
刀身を眺める。相変わらず美しい。親によると銘はないようだが、だからこそ普通の刀匠でも極めればここまでの領域にたどり着けることを刹那はうらやましいと思う。
刹那は自分に才能があるとは思っていない。ただ生まれ落ちたときくっついてきた異常な集中力でできないことを何時間でも続けて無理やり克服してきたと思っている。
先ほど剣の修行のやりすぎで気絶するほどの没入がなければ、自分はなにものにもなれない。そう思いこの剣と自分を照らし合わせる。
一つの極みにたどり着きたい。満足できるまで没頭したい。なにものかになれる程に集中できる何かを見つけたい。
気分が落ち着いた刹那が刀を収めると、刀が元あった場所に懐中時計と手紙が一枚あった。
文面は「全てが叶う願望器があるならば、君はそれに何を願う」。
刹那は怪訝に思いながら、一つの願いを思い、懐中時計を手にした。
もしも、この世が真剣勝負の場であれば――
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
つばきし はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
宮沢賢治「春と修羅」
【CLASS】
アサシン
【真名】
柳生連也斎厳包
【ステータス】
筋力B 耐久D 敏捷A++ 魔力E 幸運C 宝具A
【属性】
中立・中庸
【クラススキル】
気配遮断:-
アサシンのクラスが持つ共通スキルだが、このサーヴァントが持つ気配遮断はそれらのどれにも該当しない。
【保有スキル】
新陰流:A++
しんかげりゅう。
柳生新陰流の奥義を修めている。
十才の頃から剣術の修行を始め、父・利厳から一切の相伝免許を受けて道統を継いだ。
本スキルをAランク以上で有するアサシンは、剣の技のみならず、精神攻撃への耐性をも有している。
参禅を必須とする新陰流の達人は、惑わず、迷わない。
無刀取り:A+
剣聖・上泉信綱が考案し、柳生石舟斎が解明した奥義。
たとえ刀を持たずとも、新陰流の達人は武装した相手に勝つという。
アサシンは座った状態で刀を奪う坐奪刀法技を導入している。
武の求道:B
地位も名誉も富も女も無視して、ただ一心に武を磨いた者たちに付与されるスキルの一つ。
アサシンは刀剣を持つ限り、戦闘能力が向上し、精神攻撃に対する耐性をある程度獲得する。
水月:A+
柳生新陰流に於ける極意の一つ。心境山中湖面の月影の如し。
極まったアサシンのそれは、気配心気を断ち天地自然の中に溶けて同化する。
対魔力:C
魔術詠唱が二節以下のものを無効化する。
大魔術・儀礼呪法のような大掛かりなものは防げないはずだが、
剣聖は妖術魔術をしばしば一閃する。
【宝具】
『転(まろばし)』
ランク:A 種別:対人奥義 レンジ:0〜10 最大捕捉:1人
敵のあらゆる動きに因って、自らの動きを敵に捉えさせず、転化の動きを為す。
アサシンが求めた剣の極意。あらゆる敵、武具、技への対応を可能にする。
意より先に躰が無心に反応し、後より乗りて先に勝つ。
【Weapon】
『籠釣瓶』
名工・肥後守秦光代の作である佩刀。
銘は籠で編まれた釣瓶のように水をも漏らさぬ切れ味を意味する。
アサシンの技量を以ってすればその銘の通り流水をも分つほど。
『風鎮切光代』
別名を「鬼の包丁」。
肥後守秦光代が六度に渡る打ち直しの果てに完成させた脇差。
四つに重ねた風鎮を一度に両断した切れ味からその銘を付けられた。
【人物背景】
寛永2年(1625年)尾張藩剣術指南役柳生利厳(兵庫助)と、その室である島清興(左近)の末娘・珠との間に生まれる。
10歳の時に剣術の修行を始め、その才能は早くから表れ、弱冠13歳の時に父・利厳から習った口述をまとめた武芸書(通称『御秘書』)を残している。
18歳の頃、次期尾張藩主・光友の剣術指南役を務める兄・利方の推薦を受け、光友に御目見を果たす。厳包が江戸に到着すると、その日の内に光友は厳包に柳生流と一刀流の剣士30名と試合するように命じ、厳包はことごとくこれを打ち破ったという。
新陰流においてははじめに学ぶ勢法(型)である「三学円太刀」と「九箇」について、初心者が習得しやすいように、いったん上段に振り上げてから行う「高揚勢(取り上げ使いともいう)」という使い方を考案し参学円之太刀の一手「一刀両断」を現在の「合撃打ち」の型に変更した。
また、転(まろばし)を「大転(おおまろばし)」小刀を使った「小転(こまろばし)」に分けて制定した。
生涯女犯と伝えられているがそれも同然。実は女性だった。
遺言状に「沐浴決して無用。着服のまま乗物に入れ焼き申す可く候」とある。最後まで性を秘密にしたまま世を去ったのだ。
【外見・性格】
茶筅髷をポニーテールに変え、月代は剃っていない。中世的な美形。地声も低めで一見して女性とは判明しがたい。
武芸者の倫理と人間の倫理が併存しており、対人戦の結果としての殺人には何の感慨も覚えないが、非道、外道は決して許しはしない。
生前は剣の求道、己自身を極める事のみに修練を重ね生涯を終えたが、サーヴァントの身になってその業がいかなるものか試したい欲が芽生えている。
【身長・体重】
165cm・58kg
【聖杯への願い】
マスターを無事に元の世界へ帰す。
【マスターへの態度】
剣の弟子で今生において使えるべき主。聖杯戦争になじみすぎていることに何やら不安を感じる。
【名前】
七月刹那/Nanatsuki setsuna
【性別】
女性
【年齢】
15
【属性】
中立・中庸
【外見・性格】
紅い髪を腰まで伸ばしており、うなじと髪先で束ねている。
性格はさっぱりと明るく、余計なことに悩まないタイプ。
集中力が異常にあり、他人から気味が悪いといわれることもしばしば。
そのため他人事にはあまり口出ししないが、自分が筋が違うと感じたときははっきり言う。
とはいえ、あまり人付き合いが良いとは言えず、物事を行わない普段はアンニュイな雰囲気。
剣道全国大会2位。学年成績7位と文武両道だが、資質が飛びぬけて優れているわけではなく、極度の集中力による没頭でそこまでなった。
なお、聖杯戦争では生き残ることに集中しているため、普段よりテンションが高い。
召喚時に家にある日本刀が持ち込まれた。先祖代々からの刀で銘は不明ながら切れ味鋭い凡匠の名刀。
【身長・体重】
162cm・55kg
【魔術回路・特性】
質:C 量:C
特性:収束
【魔術・異能】
起源『収束』により下手に考えて動く、作るより感じるままに動いた方が全てが一点に収斂されよい動き、創造になる。
また、集中力が尋常ではなく、他人が止めなければ同じ作業を何時間でもぶっ続けで行える。いわゆる超集中状態、ゾーンにもたやすく入れる。
召喚時に与えられた固有魔術は例えるなら収束魔術。全ての能力、太刀は斬る一点に強化、収束し、自分自身の存在を対象の存在に叩きつけて粉砕する。
【備考・設定】
生まれながらにして起源に限りなく近い人間。起源『収束』により得られた集中力は他人から浮いていて、わざと手を抜き他人と歩調を合わせることを強要されてきた。
剣道は自分の全てを刹那の瞬間に収束できることから一番好んでいたが、それでも集中のあまり尿を漏らしながら剣を振りつづける姿は異常とみなされた。
それらのことに苛立ちを覚える日々だった。世間一般に言う情熱とは異なるこの感覚は何なのか。なぜ自分はあるがままに生きられないのか。
そんな中、喚ばれた聖杯戦争という場は生き残ることに思う存分集中でき、死の恐怖はあるがそれ以上に思うままにふるまえることに喜びを感じている。
【聖杯への願い】
生き残る。邪魔するなら――斬る。
【サーヴァントへの態度】
信頼できる剣の師匠。気味悪がれた異常な集中力にも肯定的なため好感。
以上、投下終了です。連也斎のプロフィールはみんなでかんがえるサーヴァントを参考にさせていただきました。
この場を借りてお礼申し上げます。
投下します
『てっちゃんはさ、神様って信じる?』
見惚れるほど可憐な流し目と一緒に送られたその問いに、自分が何と答えたのか。
雪村鉄志はもはや思い出す事は出来なかった。
それでも、続けて彼女が言ったことは、鮮明に思い返すことができる。
これからも、ずっと憶えているのだろうと思う。
『ふぅん……あたしはね、信じてるよ。だって運命があるんだもん。
神様だってちゃんといるよ。ちゃんとあたしたちを見守ってくれてる』
雪村と出会ったことを、彼女は運命と呼んだ。
照れくさくて、ぶっきらぼうな返事をしてしまった気もするが、きっと雪村も同じ気持ちだった。
世界的に有名な宗教の、敬虔な信徒の家に生まれた彼女と違って、神の存在など一度も感じたことのない自分でさえ、
彼女との出会いは、運命を信じるに値する奇跡であると思えたから。
『もう、だめだよ、てっちゃん。乱暴な言い方して。
いつも言ってるでしょ? 終わりよければ何でもいいわけじゃないの、そこに至る過程が大事なんだから』
物事の結末ではなく、そこに向かう流れを重視する彼女の性格。
神様なんて肝心な時に何もしてくれないじゃないか。
なんて、雪村が不貞腐れて云う度に、彼女は笑ってこう返した。
『確かに神様は私達の目の前に現れない。悲劇から救ってはくださらない。でもね、それで良いんだよ。
たとえ、悲劇で終わるとしても、美しい物語なら、私はそれでいいと思うな』
どこまでも結果主義の雪村とは正反対で、だからこそ強く惹かれたのかもしれない。
『私達の出会いは運命だけど、出会ったのは当たり前じゃない。
奇跡は神様じゃなくて、私達が起こしたんだって思いたいんだ。
なんてね……もし納得できないならさ、一緒にもっと良い答えを探そうよ。……あたしたち、ずっと一緒なんだから』
ずっと一緒にいられる。
雪村もそう信じていた。
そう望んでいた。
なのに、彼女はいま、夏の空に一本の煙となって登っていく。
けたたましくセミの鳴く日だった。
火葬場の上に広がる空は呆れるほどに晴れ渡り、茹だるような熱気に流れた汗が顎髭の先から落下して地面を濡らす。
「ねえ、お父さん、神さまって本当にいるのかな?」
こちらを見上げて問いかける娘の表情を、雪村は見ることができない。
娘にだけは、今の顔を見られたくなかった。
だから代わりに、繋いだ手を強く握りながら答えた。
「いるよ、お母さんが、いつも言ってただろ」
「うん、だけど、じゃあどうして、お母さんは死んじゃったの? なにも悪いことしてないのに、どうして?」
あどけない疑問に、すぐに答えることが出来なかった。
それはまさに雪村が思っていたことだから。
どうして、妻は殺されたのだろう。
どうして、理不尽に命を奪われたのだろう。
「どうして、神さまは助けてくれなかったの?」
言葉に詰まる。同じ気持ちだ。
その通りだと、神様なんていないのだと、感情のままに吐き出したい気持ちが迫り上がる。
歯を食いしばって堪えたのは、誰よりも愛した彼女の信仰を、否定したくなかったからだ。
「過程……が大事なんだってさ。結果だけ求めたってだめなんだ。過程を無視した結果なんて、認めてはならない。
神様は……だからお母さんを助ける事はできない、けど、天国で、きっと、お母さんの魂を救って……」
震える声で、いつか彼女が語った説法を口にする。
「わかんないよ」
娘の理解は得られない。
それは駄々をこねる子供の感情だろう。
「過程とか、どうでもいいよ。
わたしは、そんなこと、どうでもいいから、お母さんを助けてほしかった……」
しかしそれすら、同じ気持ちだったから。
「そうだよな」
腕を引き寄せ、10歳で母を亡くした小さな娘の身体を抱きしめる。
過程なんて、運命なんて、道理なんて、全てどうでも良いと思っていた。
誰だっていい、神でも悪魔でも、最愛の人を救えるなら何にだって縋るだろう。
たとえそれが、生前の彼女が否定していた、"理屈に合わない奇跡"にしか為せない事象であったとしても。
右の拳の内側でグシャリと、メモの切れ端の潰れる音が鳴る。
彼女は全てお見通しだったのか。だからこんな遺書を残したのか。
遺体の左手に握られていた紙切れが、彼女の残した最後の言葉になった。
『恨むために生きちゃ駄目だよ。絵里をお願いね』
復讐を、その言葉が留めるまでも無く、雪村に機会は与えられなかった。
雪村の妻を含めた無数の市民を一度に殺害した凶悪犯。
国家を震かんさせたテロ事件の犯人は、既に拘束されている。
極秘とされた事件の詳細を知ることが出来たのは、雪村が普通の市民より少しだけ多くの情報を得られる職に就いていたからにすぎない。
だから、犯人の正体が魔術師と呼ばれる超常の異物だった事すら、彼は知っていた。
そして既に魔術協会と呼ばれる国外組織によって拘束されたことも。
知っていて、それは何の救いにもならなかった。
いつだったか、彼女に聞いたことがある。
理屈に合わない奇跡が否定されるのなら、どうして不条理な悲劇ばかりがまかり通るのだろう。
それに、彼女は寂しそうに笑って答えた。
『神様もさ、それは悔しいんじゃないかな。
何とかしたくて、今も頑張ってるのかもね。だからさ、あたしたちも頑張らないと!』
いや、俺らが何を頑張るんだよと。
あの時は呆れて言ったものだ。
けど今は、何かを成さねばならないと、強く思う。
彼女の残した娘、愛する人の面影を守るために。
この日、雪村鉄志は、不条理と戦う道を選んだ。
その筈だった―――
◇
「ところで先輩、カミサマって信じます?」
3年ぶりに会った元同僚の第一声に、雪村は早くも席を立ちたくなった。
今日は厄日だと確信する。何か大きな揉め事に巻き込まれる予感。
私立探偵を始める以前、さらに前職を始める以前から、この手の勘を外したことはない。
昼下がりの喫茶店。炎天下の路上を歩いてきた雪村には、天国のように見えたものだ。
しかしいざ入店して座ってみれば、みるみる内に雲行きが怪しくなってきた。
落ち着いた雰囲気に見えた店内は意外と若者だらけで騒がしい。
しかも隣のテーブルのカップルは喧嘩中のようで、先程からずっと聞くに絶えない罵声を浴びせ合っている。
極めつけに、ここで待ち合わせていた筈の依頼主は現れず。
「いやあ、僕は今日、ちょっと信じてもいいのかなって思いましたね。
だってこんな偶然ありますか? 正に運命っすねえ。せっかくですからお話しましょうよ」
代わりに、3年前に退職した職場の、元同僚に絡まれていた。
正面の椅子に遠慮なく腰掛けた男は、共に働いていたときと変わらない、ニヒルな笑みを浮かべている。
「なあ山里、悪いが早いこと帰ってくれねぇかな。俺はこの後、見目麗しき人妻から猫探しの相談をお受けする予定でね」
「あー大丈夫っす。その人妻なら依頼キャンセルするらしいんで。つか先輩、ホントに探偵やってんすね」
「やっぱりそういうことかよ。何が運命だ馬鹿野郎。回りくどいことしやがって、話があるなら直接連絡しやがれ」
「連絡しても無視するから、こういう手段に出てるんすよ。自業自得っす」
嵌められたことがハッキリ分かったところで、雪村は肩の力を抜いて椅子に深く腰掛ける。
わざわざ今日、この喫茶店を指定してきた時点で、ただの依頼じゃないことは分かっていた。
隣のテーブルが煩い。
カップルの口論のトーンが一段階上がったようだ。
傍らの窓から見える国道を挟んで、奥の雑木林の更に向こう、木陰から先端のみ僅かに突き出た煙突から登る灰色。
あの火葬場で妻を見送ってから、今日で丁度10年になる。
「いまさら死人になんの用だよ」
あの日から7年間、死にものぐるいで生きた。
そして残りの3年間、屍のように腐っていった。
既に四十代も折り返し。
あの日、心に刻んだ誓いも、守ると誓った唯一の光も。
もう全て失って、今の雪村鉄志は死んでいるも同然だった。
「死人っすか……」
山里はじろっとこちらを見据え、暫く後、姿勢と表情を正す。
笑みを消したことによって、3年前には無かった目元の皺を見つけることが出来た。
――俺が逃げた後、苦労したのだろうか。
――あの若々しかった山里が老いるんだ、俺なんかミイラみてえなもんだろうな。
雪村の胸に去来する諸々の思いを知ってか知らずか、意を決した山里は正面から声を発した。
「先輩、帰ってきてくれませんか」
「ハムに……って意味で言ってんのか?」
「上には僕が掛け合います」
「おいおい……」
悪い冗談は止めろよと笑い飛ばそうとして、その真剣な眼差しに暫し閉口する。
「俺なんかもう使い物になんねぇよ。つか復職なんて認められるわけねぇだろ、隊の奴らだって納得しねえさ」
「いいえ、先輩は死んでません。今日、それは確認できました。ああ、それと……」
そこで山里は一度言葉を切り、目を伏せて言った。
「特務隊は解体が決まりましたから。残ってるのは、もう僕だけです」
「……そうか」
それ以上、雪村は何も言えなかった。
よく保ったほうだ、と思う。俺のせいだ、とも思う。
何を言っても白々しく、無責任な言葉になってしまう気がした。
10年前、ここの喫茶店に集まった初期メンバー、そこに山里もいた。
全員が職務に対する熱意に満ちていたあの頃。今は遠く、枯れた自分には眩しすぎる日々。
しかし、ならばなぜ、山里はここに来て、雪村を呼び戻そうとするのだろう。
もはやあの場所は、警視庁公安部機動特務隊は、存在しないというのなら。
「……先輩」
僅かに震えを含んだ山里の声。
隠しきれない恐怖に濡れたそれを聞いたとき、やっと雪村は察することが出来た。
きっと、本題はここからなのだと。
「蛇の尾に、手が届くかもしれないんです」
そして、あまりにも信じがたいその言葉を聞いた瞬間だった。
雪村の胸に去来したのは、この10年間に渡る嵐のような熱と絶望。
そして――――
『お父さん、カミサマに会いに行くね』
3年前、全てを失った日の、尽きせぬ後悔の痛みだった。
◇
警視庁公安部機動特務隊。
対国際テロ、国内過激派、組織犯罪等に対応する公安警察の内部において唯一、
魔術と呼ばれる超常現象扱う犯罪者をメインの捜査対象に据え、極秘に活動したとされる秘密警察である。
発足当初の公安機動捜査隊と同じく、その存在は徹底して伏せられ、実働隊は本庁とは別の場所に置かれた。
よって公安の内部ですら、存在を知るものはごく一部であったという。
国家上層、官僚や警察組織の上層部は、魔術の存在を把握している。
警視庁公安部の人員ともなれば、理から外れた現象が存在することを、知るものは決して少なくない。
しかし通常、魔術師の犯罪行為に公的機関が対処することはない。
聖堂協会の代行者。魔術協会から派遣された封印指定執行者。
このどちらか、或いは両方の人員に対処を委ねるのが基本原則である。
逆に言えば、彼らが来なければ犯罪者は永遠に野放しになることを意味する。
例えば、教会と協会、どちらも捨て置くような魔術使いもどきの小悪党。
例えば、決して表に痕跡を残さず犯罪行為を継続する、狡猾な魔術師。
特務隊は、この2つのパターンに対処するべく組織された、公的退魔組織と言える。
少なくとも前者への対応は概ね良い結果が得られていた。
魔術を利用した軽犯罪。無知な一般人が呪具を手にすることで発生する事件の解決には、目覚ましいものがあったという。
雪村鉄志は、この特務隊結成メンバーであり、発起人と言っても過言ではなかった。
若くして公安警察のエリートコースを歩んでいた彼の人生は10年前、国内で発生したテロ事件によって一変する。
犯人は魔術師であった。詳しい動機は今に至るも不明。身柄は魔術協会の執行者が確保し、報道では現場で自爆したことになっている。
何れにせよ、仕掛けられた危険物も、振るわれた凶器も、普通の警察では手に余るものばかり。
そのため事件を防ぐ事はおろか、発生から長時間に渡り現場に近づく事すらできなかった。
結果、執行者との戦闘の巻き添えを含め、事件の犠牲者は数百人に上り、そこに雪村鉄志の妻、雪村美沙も含まれていた。
妻の死後、雪村は公安上層部に対し、魔術に対処可能な部署の必要性を訴え続けた。
アンタッチャブルな神秘の領域に対し、公的組織の介入は原則タブーであり、時計塔や教会との摩擦を鑑みれば、如何に至難を極めたかは言うまでもない。
しかし出世の路をかなぐり捨ててまで、鬼気迫る様子で訴える彼の熱意に、賛同する者も少なくはなかった。
魔術が絡んでしまえば途端に実行力を無くす警察の正義、魔術師によって容易く歪められる真実に、公安内部でも不満を抱えていた者たちが、雪村を筆頭に立ち上がったのである。
そして紆余曲折の末、遂に上層の人間を説き伏せ、機動特務隊は結成された。
人員は極少数、組織の極秘性を保つこと、捜査対象を魔術使い以下の軽犯罪者予備軍に絞り、決して本流の魔術師には手を出さないこと。
制限こそ多く課せられたものの、雪村は構わず結果を出し続けた。
持ち前の推理力で、常識的な物理法則では対処し得ない魔術犯罪の捜査手法を独自に組み立てた。
国内の穏健派魔術師を講師として招き、対魔術使いの実戦訓練を行い、現場で通用する逮捕術を完成させた。
魔術の素人であっても扱える通常兵器の応用や、簡易的魔具、礼装の開発を行い、捜査に臨む下地を整えた。
勿論、全て雪村たった一人による功績ではない。
少数ながら、それぞれの分野で知見を齎すメンバーが揃っていたからこそ実現した、まさに奇跡のようなチームであった。
誰にも知られぬ活動であり、彼らの功績が世に認められることはない。
しかし魔術絡みの犯罪を調査し、取り締まる日々の中で、チームは確実に力を付けていった。
特務隊発足から7年間。
チームにとっての黄金期であり、雪村は自らの目的に着実に近づいていることを実感していた。
いずれは、妻を失ったテロ事件のような、大規模な魔術犯罪にも対処できるチームを作りたい。
あんな悲劇を、二度と生まないために。理不尽な悪意に、二度と大切な人を奪われないように。
その願いは、貫き通すと誓った筈の志は、しかし果たされることはなかった。
ある時を境に、特務隊は呪われた。
呪いという表現は当時のメンバーが冗談半分で口にしたものであったが、
実際のところ果たして何者かの悪意による攻撃があったのか、偶然の不運が重なったに過ぎないのか。
今に至るも不明なままである。
しかし事実として、順調に結果を出していた筈のチームは、ある存在を追い始めた時期から暫くして、その活躍に陰りを見せ始める。
ニシキヘビ。
それは特務隊の中でそう呼称された、何ら実態のない仮定の存在にすぎない。
国内で発生する行方不明事例。
その傾向と経緯を魔術という概念を想定したうえで俯瞰したとき、薄っすらと雪村の脳裏に思い浮かんだ架空の存在。
切欠は別の事件の参考資料として、近年の失踪事例を引用した際に覚えた違和感だった。
10代の少女の失踪事例、それ自体は珍しいものではない。この国では十代だけで毎年一万人以上が行方不明になっている。
失踪というものは得てして突然起こるものだが、しかし捜査すれば大なり小なり足取りを追えるものだ。
どこかでぷつりと消える導線の先は見えなくとも、そこに至るまでの痕跡は残り、故に後味の悪い案件になることが多い。
中途半端に伺える当日の行動履歴が様々な想像を掻き立て、資料を読むといつも胸に苦みが滲んだ。
だがその案件には驚くほど後味がなかった。
あまりにも自然に、鮮やかなまでに姿を消している。
まるで最初から居なかったように、事件性を匂わせる要素が無さすぎる。
他の案件と違って、気にならない。その気にならさが、気になった。
雪村は捜査に引っかかりを覚えると、納得いくまで没頭する性格であった。
この時も、似たような読み味を覚える失踪事例を時間をかけて探し、列挙し、少しずつ統計した。
そして数ヶ月にも及ぶ地道な捜査を続けた末、完成したデータを見て、彼は直感したのだ。
―――何か、居る。
ロールシャッハ・テストのように、それらを俯瞰した時に、雪村の頭に浮かび上がる像があった。
全国の膨大な事例から感覚のみで統計した集計基準は、自身にも上手く説明する事ができない。
敢えて、後付でも統一した基準を与えるならば以下3点。
極端なまでに痕跡の残らない事案であること、事件性がないと結論付けられていること、そして年若い少年少女の事案であること。
加えて、物理的に、それらの事案を人為的に起こすことは不可能だ。
通常の捜査、感覚では結びつける筈もない、日本全国各地に散らばる失踪案件の数々。
だが、魔術師であれば。
物理法則を歪める怪物を前提にしたプロファイルであればどうか。
実在の裏付け、物理的痕跡は一つもない。
特務隊の捜査とは、物証を追っていては成り立たない。
魔術絡みの犯罪を追う雪村は、常に通常の手順とは逆の捜査を実践する。
つまり直感した犯人像から逆算した現象の組み立て、そのインクの染みが表した像の形とは。
―――蛇が居る。
人を丸呑みにして消し去る蛇。
社会の闇の隙間に蠢き、誰にも見つからずに移動する巨大な蛇。
そんな怪物が、この国に巣食っているとしたら。
―――野放しにはできない。
もはや感覚としか言いようがなかったが、雪村はこの手の勘を外したことがなかった。
しかし、それを追い始めた時期から程なくして、立て続けにメンバーの家族や本人の様子に異変が現れた。
公安上層部からの締め付けが急に苛烈になり、取り返しのつかない事態が進行しているような不穏な空気が流れ始める。
特務隊の誰かが言った。
呪われてる、手を引くべきだと。
そもそも、蛇なんて妄想に過ぎないと。
事実、どれだけ調べたところで、手掛かりは何一つ見つからない。
だがそれでも雪村は捜査の継続を強く主張し続けた。
そしてある日、決定的な事態が起こる。
雪村鉄志の一人娘、雪村絵里の失踪である。
魔術犯罪に対抗できる組織の完成。
妻の墓前に誓ったその大願を前に、彼は致命的な見落としに気づくことが出来なかった。
己にとって、最も大事な存在を守るために、生きると誓った筈なのに。
仕事に明け暮れ、数日家に帰っていなかった彼は、確認の遅れた娘からのメッセージを目にした瞬間から、尽きせぬ後悔の念に焼かれ続ける事になる。
『お父さん、カミサマに会いに行くね』
意味が分からなかった。
あまりにも自然に、あまりにも鮮やかに、まるで最初から居なかったかのように。
―――巨大な蛇に丸呑みにされたかのように。
絶望的なほど完璧に、たった一人の娘は姿を消した。
心当たりなんて一つも無い。
ただ、何かを見落としてしまったのだと、取り返しのつかない失敗をしてしまったのだと。
そして、今度こそ何もかもを失ってしまったのだと、雪村は理解した。
もし本当に雪村の想定した蛇が、この世界に潜んでいたとすれば、尻尾すら捉えることも叶わず敗北したことになる。
失意の内に彼が公安を退職して以後、特務隊はまるで功績を上げることが出来ず、その三年後に解体された。
それは雪村美沙の死から、ちょうど十年が経つ頃だった。
◇
「先輩が辞めた後も、ずっと蛇を追ってきました。
もちろん他の特務隊メンバーには内緒っす。僕が勝手に調べてただけなんで」
「何いってんだ……お前……」
山里の発した信じがたい言葉に、雪村は必死に平静を取り繕った。
表情を崩さず口を開き、しかし声の震えを抑えきることは出来ない。
「未だにあんな……バカみてえな与太を追ってんのか?」
「与太じゃないことは、先輩が一番分かってた筈ですよ。
だから、公安から抜けたんでしょう? 一人でも、蛇を追うために。絵里ちゃんの行方を知――」
「関係ねえよ! 俺は……ただ……!」
雪村は叫ぶようにして言葉を遮った。
ただ逃げただけなのだ。守るべきものを失って、何もかもを放りだして、一人で死ぬことも出来ず。
探偵業を営みながら彷徨うように娘の足跡を追い続けた。
それは希望を捨てなかったからではない、絶望に塗れた自傷行為でしかなかった。
「最近やっと、全部俺の妄想だったんじゃねえかって、思えるようになったんだ」
3年の月日をかけて、まるで掴めない娘の消息。
その追走が、蛇を追う行為と同義であると、心の奥底では分かっている。
だからこそ、何の成果も上げられない現状に、ほっとしていた。何を知っても、傷つくことが分かっていたから。
「もう俺みてえな死人にかまうなよ。
お前も、バカなこと調べるのは止めろ」
加齢による肉体と脳の鈍化。記憶の摩耗。薄らいでいく、己の中の妻と娘の姿。
擦り切れた精神が、やがて限界を迎え始めたのを感じて。
ああ、ようやく楽になれるのかと。そう思っていたのに、なぜ。
「いいえ、先輩はまだ死んでません」
なぜ、今更、こんな。
「まだ、身体は動くでしょう?」
こんな、現場に、立会う羽目になるのだろう。
「―――通電(スパークル)」
雪村の隣のテーブルと椅子が跳ね上がる。
一組のカップルが口論していた席だ。
激情に駆られた女がコップを引っ掴む。
水をかけられた男が勢いよく立ち上がる。
怒号、怒号、ヒステリックな悲鳴。金属音。
店内の雑音。有線から流れる気の抜けたBGM。
女がプラスチックのトレーを投げる―――構わない。
男がフォークを振り上げる―――それも構わない。
近くに居た店員が止めに入る―――好きにすればいい。
女が首からぶら下げた宝石を握りしめ口を開き―――しかし、それは看過できない。
「―――点火(シュート)」
瞬間、爆竹の炸裂するような鋭い音が鳴り響いた。
拡散する煙と閃光。店内に居た全員が視覚と聴覚を奪われ。
「ほらね」
少し遅れてゆっくりと音、視界、時間間隔が戻って来る。
煙が晴れたとき、山里は気絶した女を拘束した体制のまま、肩をすくめていた。
「まだ死んでない。今でも僕より速いじゃないですか」
雪村は呆然と自分の右手を見た。
真っ直ぐに突き出されたその指に、一本のタバコが挟まれている。
それは"杖"と呼ばれる、特務隊の技術者が開発した武器。
僅かな魔力を通すことで先端から一発限りのガンドを射出する、使い捨ての礼装であった。
タバコに見せかけた最期の一本を、胸元のケースに忍ばせた暗器を、3年前、自決用に持ち出していたそれを。
何らかの魔術を行使しようとした女に向かって今、彼は無意識に抜いたのだった。
それは雪村が培ってきた現場の戦闘勘であり、山里曰く、まだ死んでいない証左であると。
「この女は前からマークしてましてね。
交際相手に何度も被害を出しては証拠不十分で検挙出来なかったわけです。
今日で最期のひと仕事と、思っていたのですが。いやはや、犯人逮捕にご協力ありがとうございます」
言葉もない雪村に、山里はあの頃と同じように、ニヒルに笑いながら言った。
「だから言ったでしょ。
僕は今日、先輩に会えたこと、本当に運命だと思ってます」
そして、それが雪村の見た、彼の最後の姿になった。
「明日、この場所に来てください。
蛇について、僕の調べた全てを話します」
散々迷った末、向かった待ち合わせ場所に、山里が現れる事はなく。
しかし雪村の予想に反して、彼が失踪することはなかった。
同日、きちんと死体が発見され、警察の捜査の結果、それは自殺であると結論付けられた。
◇
「―――質問。貴方は、神を信じますか?」
雪村の前に現れた少女の、それが第一声だった。
針音響く夜の摩天楼、仮想の街の路地裏にて。
絹糸のようなプラチナブロンドの長髪が、外灯の光を反射して眩い光沢を拡散させている。
露出した肌の部分は陶器のように白く、幼い形相と華奢な腰回り。
ひらひらと翻る純白のドレスを身に纏う、その部分だけを見れば14歳くらいの小柄な女の子と言っていいだろう。
そう、その部分だけを見れば。
少女の姿を異形足らしめているのは、肩部と鼠径部に接続された大型の四肢だった。
見るからに人の手足ではない。蛮神の如き荘重、巨人の如き強健を備えた二対。
それは鋼鉄で出来ていた。それは機械仕掛けで動いていた。それは、硬質な黒で塗装されていた。
少女の白き清廉、機械の黒き武骨、それらを融合させたような存在は、異質な神気を放っている。
よく観察すれば瞳も、網膜ではなくカメラのレンズであることが分かるだろう。
触れてみればその美しい肌も、冷たく血の通っていないことが分かるだろう。
身体の内側を見れば、全身が機械と人工筋肉で出来ていることも知れるだろう。
それは、異形なる、清光なる、機構の少女であった。
異様な状況、異質な対面、その姿に対する様々な疑問。
つい先程、頭の中に押し込まれた聖杯戦争の知識と、それによる混乱。
だが、雪村はそのどれよりも、先程の問いかけに答えることを優先した。
「―――は、神だって?」
手の内には、古びた懐中時計が握られている。
それは山里の部屋に残されていた、彼の遺留品であった。
あの日、待ち合わせ場所に来なかった彼の家を訪れた際、遺体と共に発見した物だった。
「どいつもこいつも、そんなに俺に言わせてえのか」
総身の怒りを込めて時計を握りしめながら。
吐き捨てるように、雪村は言い切った。
「そんなもん、いるわけねえだろッ!」
今ならば、雪村は確信することができた。
世界に善良なる神はいない。
いるはずがない、あれ程の悲劇を、悪を、許容する世界において。
「いるとすりゃあ、神を名乗るクソ野郎だけだ」
そして、今ならハッキリと断言できる。
その悪は存在する。
カミサマの名を騙って人を喰らう、許しがたい悪党が。
「これが答えだよ、お嬢ちゃん。悪いな」
雪村は目の前に立つ少女が、己のサーヴァントであることを理解していた。
今の問いかけが、おそらく重要な意味を持つことも。
最初に聞く程のことだ。「お前がマスターか」と聞かれたに等しい。
それを今、己は「違う」と、言ってしまったかも知れない。
だが、悔いは無かった。己の全てにかけて、今の問に嘘は付けない。
何度聞かれたとしても、きっと同じ答えを返しただろうから。
「理解。なる、なる……」
しかし意外なことに、少女の反応は否定的な物ではなかった。
「なるなる。よき解答です。ますた」
「え?」
聞き返したのは、単純に意味が汲み取れなかったのと。
少女の言葉が急に辿々しい、舌足らずなものに変わったからだ。
「こほん。―――であれば我々は共に並び立つ事が可能でしょう。
当機は、これより貴方の指揮の下、聖杯収得に向けて駆動を開始いたします。
どうか、懸命な判断と選択を行い―――」
再び堅苦しい言い回しに戻り、表情を消してみせた少女に、もしかしたらと雪村は考える。
試しに、手を差し出して言ってみた。
「……じゃあ、よろしくな。ほい、握手だ」
「肯定。いえす……よろです。ますた……あっ……ええっと」
すると再び声の調子が崩れ、雪村の手と自分の手を何度か視線で往復した後、固まってしまった。
己の腕のサイズでは、それは上手く行かないと気づいたのだろう。
「……ふむ」
雪村の脳裏に浮かんだのは、娘が小さい頃、劇の台詞を家で練習していた時のことだ。
最初は拙かったが、本番では立派な名乗りを上げ、ちょっと感動したものだ。
「なるほど、お嬢ちゃん、アドリブが聞かないのか」
話し方が急に幼くなったのではない。おそらくこっちが彼女の素だ。
流暢で堅苦しい話し方は、事前に練習してきた台詞なのだろう。
「ななっ!! 否定! の、のん! のんですよ!
サイズ調整に、ちょと時間をいただければ、だいじょぶです!」
少女は目を瞑り、むむむと気合を込めるように踏ん張り始める。
すると、みるみる内に少女の腕の装甲板が剥がれ落ち、普通の人間大のサイズに近付いていった。
凄いなコレどうなってんだと、雪村は感心する反面、じゃあ最初からその腕にして出てこいよとも思う。
マスターとの初対面に、見栄を張っていたのだろうか。
「変わったやつだ」
小さな少女に年相応な一面を見せられると、少し辛いことを思い出しそうになる。
だから雪村は、そっぽを見ながら、別の話題を口にした。
「俺は……雪村鉄志だ。
なあ、さっき言った通り、俺は神を信じていない」
雪村は神を信じない。神の実在を否定する。
その答えを、先程、少女は良いと言った。
それが共に戦う前提条件であると。
「だったら、嬢ちゃんも、なんつーんだっけ、ああ、あれだ」
ならば、彼女もまた、そうなのだろうか。
「嬢ちゃんも、無神論者、なのかい?」
無神論。
神を否定するもの。
その不在を証明するもの。
機械の身体は、あるいはその現れなのか。
「―――のん。否定します。当機の目的は、神の存在を否定する事ではありません。
ですが、当機は勿論、特定の神を信仰する事などありえません」
無表情で首を振る少女はしかし、同時に少し嬉しそうにも見えた。
まるで、よくぞ聞いてくれましたと、えっへんと胸を張るように。
「名乗り遅れました。
当機の銘は『Deus Ex Machina Mk-Ⅴ』製造記号『エウリピデス』。
よければ"マキナ"と、呼称してください」
雪村は結局のところ、今日に至るまで理解していなかったのだろう。
「当機の提唱する信仰対象こそ、当機―――デウス・エクス・マキナです」
神、その存在の不条理さを。
「当機こそ、人による神の意思、人の為の神の器。
その殲滅目標は世界全ての悲劇、全ての不幸。
至るべきは、全ての人類を幸福にする、機械仕掛けの神。
人造神霊である当機はここに、最新鋭の神として、旧代の神からの脱却と、真なる機神の創造を宣言します」
運命と呼ばれる、己が巻き込まれていく、不可解な路の底知れなさを。
「以上―――それが当機、マキナの『創神論』です」
どうしてか、いつか妻が口にした言葉が思い出された。
『神様もさ、頑張ってるのかもね』
その時、雪村は己の内側に確かに聞いたのだ。
止まっていた時計の針が、動き出す音を。
目の前では、少女のガラスで出来た瞳が、冷たく激しい輝きを湛えながら、じっと雪村を見上げている。
「―――まい、ますたー。いっしょに、神をめざしてくれますか?」
【クラス】
アルターエゴ
【真名】
デウス・エクス・マキナ
【属性】
中立・中庸
【ステータス】
筋力B 耐久A 敏捷B+ 魔力E- 幸運D 宝具EX
【クラススキル】
騎乗:EX
乗り物を乗りこなす能力。
最上位のランクを誇るが、マキナにとっては己の肉体こそ乗りこなすべき最上機構であり、スキルはそれを駆動させる為に発揮される。
また彼女は騎乗"するもの"であると同時に"されるもの"、その場合のナビゲート性能も一流の自負を持つ。
【保有スキル】
神性:E-
神霊適正の有無。
人に造られし神としてまだまだ新参者であり、ランクは非常に低い。
真なる神を目標とする彼女は現状に甘んじるつもりなど毛頭なく、どんどんランクを上げていきたいと思っている。
鋼鉄の躰:A
機械の体。
戦闘続行と勇猛のスキルを複合したような特性を持つスキル。
その鋼鉄のボディにより、瀕死の傷を負ってなお戦闘可能。同時に精神干渉を無効化し、格闘ダメージを向上させる。
魔力放出(機構):A
武器・自身の肉体に魔力を帯びさせ、瞬間的に放出する事によって能力を向上させるスキル。
魔力によるジェット噴射。
マキナの場合、背中から放出することで推進力を得るスラスター機動、肘から放出することで実現するロケットパンチ等が主な使い道。
自己改造:EX
自己を改造するスキル。加えて学習し続ける機能。
戦闘予測または結果から敵戦力を攻略する為の改善点を算出し、攻防ともに有効なパーツに換装する。
後述する第2宝具と併せ、スキルを応用することでパーツの自律分散や小型化、一部外見を変更することも可能。
例えば本体を霊体化する際には緊急時に備え、一部のパーツを腕時計に変形させて残し、マスターの腕に装着するなど。
【宝具】
『起動する心想機構(エクス・マーキナー)』
ランク:B- 種別:対人宝具 レンジ:1 最大捕捉:1
マキナの機体。新しき神を目指す機械の身体そのもの。
そして内に込められた、全ての悲劇を否定する鉄の意思。
鋼腕の破壊力、装甲の防御力、魔力放出を活かした高機動の実現。
自律機動モードであっても十分な出力、戦闘能力を発揮可能。
しかし当機体には一点看過できない懸念が存在する。
それは魔力のステータスが非常に低いことである。
魔力出力、正確に言えば"魔力を、機体を動かす運動エネルギーに変換する効率"が著しく悪い。
変換効率はマスターから距離が空くほどに悪化し、自律機動モードでの長時間戦闘は熟練魔術師をマスターとした場合においても至難であろう。
魔力をもって神秘に乏しい鉄の機体を駆動させるにおいて、これは避けられぬ課題であり、根本的な解決を図るには無尽蔵のエネルギーを手に入れる他ない。
マキナが未だ神に至れない理由の一つであり、彼女が聖杯を求める所以でもある。
しかし、あくまで聖杯戦争のシチュエーションに限定すれば、下記の第2宝具をもって代案とすることも不可能ではない。
『熱し、覚醒する戦闘機構(デア・エクス・チェンジ)』
ランク:B+ 種別:対軍宝具 レンジ:1 最大捕捉:1
マキナの機械四肢を分離分解、再構築した漆黒の装甲。
変形によって製造したそれを、他ならぬマスターの全身に装着する。
マスターとマキナの一体化によって魔力変換効率を最大まで高め、マスターを守る鎧を構築することで長期戦闘を成す。
それは神機融合モードへの移行である。
畢竟、庇護すべきマスターを最前線に送ってしまうという事実は無視できない。
マキナのガイドサポートこそ得られるものの、このモードにおいては戦闘にマスターのセンスが大きく影響する。
逆に、そういった懸念こそ飲み込んでしまえば、魔力効率の問題解決に加え更に副次的なメリットが見込まれる。
本来、デウス・エクス・マキナは無銘の機械神であるが故に、自己を象徴する逸話を持たない。
その代わり、常に英雄の名と姿を借りて物語の調停と悲劇の撃退を執り行った。
例えば、ギリシャ悲劇『アルケスティス』におけるヘラクレス、時代劇における徳川将軍、現代作劇に登場する多くのヒーロー達。
他の英雄や神の名、躰を借りて事を成す機能は第2宝具の根幹を担っており、これら英霊外装をインストールすることで、
神機融合モード時限定ではあるが、マキナの胴体(コア)を本来持ち得ない筈の主武装(メインウェポン)に変換できる。
現在のところ、当機に搭載が確認されている英霊外装は下記の三種。
中距離バランス型、フォーム:ヘラクレス(主武装:棍棒)
遠距離特化型、フォーム:アポロン(主武装:弓)
防御特化型、フォーム:アテネ(主武装:盾)
何故かギリシャ悲劇に登場する英雄に偏っているが、理由は後述する当機依代の出自が影響している可能性が高い。
『律し、顕現する神鋼機構(デウス・エクス・マキナ)』
ランク:EX 種別:対界宝具 レンジ:999 最大捕捉:999
座に封じられた機械仕掛けの神、その本体の完全顕現。
マキナが目指す神の御姿、霊基に刻むべき理想の到達。
通常の運用ではまず発動自体が不可能。
それは理論上存在するとされているだけの、実態のない仮想宝具であるが、彼女はそれが必ず在ると信じている。
少女の思い描く空想の具現。
マスターとマキナのコアを核とした、救世機械神の降臨。
それは巨大であり、破壊的であり、破綻している。
果たして、故なき幸運を幸福と呼べるのか。
彼女が真の意味で自らの創神論を完成させない限り、この宝具が開帳されることはない。
【weapon】
鋼鉄の四肢。
神機融合モードにおける各主武装。
ある意味では、マスターの身体。
【人物背景】
Deus Ex Machina Mk-Ⅴ(エウリピデス)
機械仕掛けの神。
全ての悲劇の迎撃者。
或いは、それに至らんとする鋼鉄の少女。
人造神霊。コードネーム"Machina-type:E"とも呼称される。
それは無論、純真なる神ではない。
神代の奇跡として生まれ落ちた神格にあらず、明確な人意によって神たれと願われ、創作された人造の神霊、その一機である。
信仰を砕かれ道に迷いながらも神を求めた多くの作家、音楽家、哲学者等によって"在る"と定義された存在。
何より幸福な終わりを望む大衆から"在れ"と望まれた存在。
絡み合う因果によって収集のつかない悲劇と化した行き詰まりの物語、そのクライマックスに英霊の名を借りて介入し、盤上をひっくり返す。
ハッピーエンドの立役者にして、ご都合主義の体現者。
機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)という、空想の設計図を基に作劇機能を概念武装として機械の身体に搭載した、それは地上で最新の神とされる。
出自の特性上、彼女"達"には多く兄妹機と姉妹機、多くの父と母がいる。
しかしあくまで元は作劇概念でしかない機械神の霊基には自我も性も宿る筈はなく、単一で存在する事ができない。
以上の問題を解決するために、マキナはある一人の少女の身体を依代とし、疑似サーヴァントとして顕現している。
今回出撃した機体(よりしろ)は古代アテナイ三大悲劇詩人の一人エウリピデス、その名すら歴史に刻まれることのなかった彼の娘である。
エウリピデスは悲劇作家であると同時に、革新的な演出を多く取り入れる事で有名な人物であった。
中でも機械によって舞台に現れる神による物語の調停。今日のデウス・エクス・マキナを多用したことで知られている。
彼は熱心な愛国者でありながらも自国の悪行と直面し、愛にまつわる造詣を深くしながら度々愛の裏切りに合うなど。
移り変わる世界の正義や流転し続ける善悪の概念に生涯苦悩し、人が救われる為の答えを物語に求め続けた。
まだ神秘の多く残存した古代アテナイの時代に、彼の探究が人造神霊を完成させる大きなファクターになった事は論を待たない。
よって当機体"type-E"が彼の思想の影響を色濃く受けている事は自明であろう。
もっとも、その行動規範は依代となった少女による解釈であるため、父の理想をどれだけ忠実に再現できているかは未知数である。
マキナの最終目標は英霊の座に神として完全となった霊基を刻み込み、召喚システムをハックする事で、完全なる平和機構を構築すること。
即ち、全ての時間と空間に介入し、起こり得る全ての悲劇を迎撃する機神の創作。
究極のハッピーエンド製造機、絶対的ご都合主義というルールを敷く、新しき神に至ること。
心しか救済し得ない旧世代の神々から脱却し、人の手による理想の救世神を創造する。
それがマキナの使命であり、父の探求を受け継いだ少女が提唱する『創神論』の到達目標である。
物語の論理的な帰結を無視した強引な解決法。
ご都合主義の神は時に大衆に嫌悪され、作家から忌避され、公然と批判されて然るべき悪神と見做される。
それでも尚、それを望む声もまた、大衆から止むことはない。
『ああ、それでも、私は彼らに幸せになってほしい』と。
故に、一人の少女は神を目指したのだ。
【外見・性格】
11歳〜14歳くらいの可憐な女の子。
露出した部分の肌は陶器のように白く、プラチナブロンドの長髪は美麗な光沢を振りまく。
但しその四肢は機械の鋼鉄で出来ており、外見的には生身に見える胴と頭部も、内部は人工筋肉と機械で構成されている。
機械の四肢は黒を基調とした硬質なカラーリング塗装が施され、対して胴体には清楚なる純白のドレスを纏う。
おそらく少女なりに考えた神の御姿を体現していると思われる。
戦闘時は片耳に通信機器を装着し、目元をバイザーが覆い隠す。
常に無表情を作っているものの、非戦闘時に伺える顔はまだ幼いアテナイ人の少女に見える。
性格面では常に冷静沈着、神色自若を気取っている。
『神は笑わない、神は怒らない、神は泣かない、神は怠けない』
この4つをモットーとして、世界に広く『創神論』を流布し、信仰を集めるのだと意気込んでいるが、
残念ながら疑似サーヴァントである以上、どうしても依代となった少女の人格に引っ張られてしまう。
既に現代の音楽や小説に多大な興味を抱いていることを自覚しており、何らかの誘惑に負け表情を崩しそうになる度、
心のなかで『神は笑わない、神は怒らない、神は泣かない、神は怠けない』とひたすら唱えている。
喋り慣れていないためか舌足らずなところがあり、言い慣れた語句や練習してきたセリフ以外は少々たどたどしい。
【身長・体重】
142cm、80kg
(体重は鋼鉄の四肢が揃っている状態の数値。武装状態によって重さは変動)
【聖杯への願い】
理想の神に至る。
この願いが今回の聖杯の実現範囲を超えているなら、せめてエネルギー問題を解決したい。
【マスターへの態度】
若干頼りなさそうなおじさんがマスターでちょっぴり不安。
スキャンしたところ、戦えないわけじゃなさそうなのでそこは安心。
少しだけ、父を思い出している。
【名前】雪村 鉄志 / Yukimura Tetsuzi
【性別】男性
【年齢】47歳
【属性】秩序・悪
【外見・性格】
無精髭を生やした無気力なおじさん。
白髪交じりの髪はボサボサで、身に纏うトレンチコートはだらしなく汚れ気味。
世間に絶望した皮肉屋のように振る舞う一方、冷徹になりきることも出来ない自分を嫌悪している。
意図して怠惰に振る舞うため人からは嫌われがちだが、動物からは異様に好かれやすい。
【身長・体重】
176cm 、62kg
【魔術回路・特性】
質:E 量:D
特性:〈速射回路〉
【魔術・異能】
◇速射回路
魔力量、質ともに平均以下。彼は知識面では魔術師に遠く及ばない、一般人上がりの魔術使いに過ぎない。
しかし彼の強みとして、躰を巡る魔力の走りが異様に速いという特性がある。
天性の才能と、魔術使いとの戦闘を想定した鍛錬の合一。
相手が如何に強力な魔術を隠していたとしても、本気の火力を放つ前に機先を制して撃ち倒す。一芸極めし早撃ち技術。
特務隊の技術者が開発した専用装備、"杖"。
タバコやボールペン等に似せた"杖"に魔力を流し込むことで、瞬間的に炸裂させて高威力のガンドを射出する。
威力と携帯性に優れる反面、一本につき一発限りの使い捨て。
現役時代の彼はこれを三十本以上も隠し持ち、現場に繰り出しては驚異的な検挙数を叩き出していた。
◇対魔逮捕術
日本の警察機関が犯人逮捕、制圧、護身を目的として習得する逮捕術を、対魔術使いを想定して大幅にアレンジしたもの。
公安特務隊の中で共有された戦闘技術であり、先手必勝をコンセプトとしている。
通常の犯罪者であれば予測できる『武器を取り出す』動作、『抵抗の予備動作』といった常識的知見が、魔術を使う者には一切通じない。
寧ろそうした常識に囚われることこそ、特務隊の捜査においては命取りになり得る観点から、自然と先制攻撃を主眼に組み立てられた。
魔術に予想も予見も無意味、使われてからの事後対処は難解を極める、故に『何もさせない』ことこそ肝要である。
結果として殺人技巧に近しい、逮捕術とは名ばかりの暴力的な格闘技術となってしまったのはむべなるかな。
間違っても一般の犯罪者に使用してはならず、扱いには細心の注意が必要とされる。
【備考・設定】
都心郊外で地味な私立探偵を営む、頼りなさげな無気力おじさん。
今や見る影もないが、現役時代は警視庁公安部に勤務し、密かに設立された公安機動特務隊の隊長を務めていた。
公安機動特務隊とは魔術を使用する犯罪者の特定、追跡、制圧を専門とした秘密警察。
公安内部でも存在を知るものはごく一部であったという。
国内で魔術師が起こしたテロ事件によって、妻を亡くしたことを切欠に、雪村は特務隊の立ち上げメンバーとなり隊長に就任した。
しかし順調に結果を出していた筈の特務隊は、ある存在を追い始めた時期を境に、その活躍に陰りを見せ始める。
ニシキヘビ。
特務隊の中でそう呼称された、何ら実態のない仮定の存在。
国内で発生する行方不明事件。
傾向と経緯を魔術という概念を想定したうえで俯瞰したとき、雪村の脳裏に思い浮かんだ架空の人物。
それを追い始めた時期から、立て続けにメンバーの家族や本人の様子に変調が現れた。
そしてある日、決定的な事態が起こる。
雪村鉄志の一人娘、雪村絵里の失踪である。
単なる偶然による事故だったのか、或いは仕組まれた事件だったのか、今に至るも誰も知ることは出来ぬまま。
心折れた雪村が退職した以後、特務隊はまるで功績を上げることが出来ず、やがて解体された。
神は死に絶え、正義は敗北した。
雪村はそう結論付け、全てを諦め残りの人生を消化しようと、怠惰な日々を送り始めた。
しかしその3年後、当時の元同僚と再会し、彼が未だに蛇を追っていることを知る。
翌日、同僚の自宅にて彼の遺体と、残した捜査資料を手にしたとき。
燃えたぎる怒りに総身を震わせながら、遺留品の一つであった懐中時計に触れたとき、静かに転移が始まった。
仮想の東京にて、小さな神と出会った雪村は小さく、しかし確実に聞いたのだ。
己の中で、止まっていた針が動き出す音を。
【聖杯への願い】
他人を排除してまで叶えたい願いなど、思い浮かばない。
娘の身に起こった真相について、知りたくないと言えば嘘になるが。
【サーヴァントへの態度】
女児がサーヴァントでちょっと困惑。
少しだけ、娘を思い出している。
投下終了します
投下します。
「あれ?」
東京の街に聳え立つ、高層ビルの内の一棟。
その屋上に、女が居た。
「えーと……あれ? あれ?」
疑問の声を口にしながら、自分の頭を両手で挟み込んでいる。
しかし収まりが悪いのか、それとも頭の形を確かめているのか、
手の位置を横から縦に、斜めに、また横にと幾度も変えて忙しない。
どうして私は此処に居るんだろう。
女魔術師──メリッサ・マガリャンイスは不思議そうに顔を上げる。
夜空が都会の光に照らされている。
しかしその星空が、ある場所を境にして途切れていた。
どうやらこの都市をぐるりと囲う形で、境界線になっている。
それを認識した瞬間、身体中からどっと冷や汗が噴き出した。
心臓の鼓動が速まるのも感じる。
理由も分からぬまま、きょろきょろと何かを探して視線を走らせる。
周囲に有るのはコンクリートの摩天楼。
異常な物は見当たらない。
それでも不安は消えていない。
ブレスレットから死霊を数体開放し、警戒を命令する。
多く出しても発見される危険が増えるだけだ。この数が丁度良い。
「…………?」
何に発見されるのだろう。
呼吸が荒くなっていく。
身体の震えを抑える様に、自分の身体を抱き締める。
春先だと言うのに、メリッサは夏の観光地でも出歩く様な露出の多い服装をしている。
自然、抱き締めた柔肌に触れる事になり、自らの手を食い込ませていく。
触れた肌を通して、自らの内に意識を集中させる。
マガリャンイス家の当主は、歴代当主の魂をその身に継承させている。
メリッサは二千年続くマガリャンイス家の十二代目当主である。
歴代当主の魂は全部で十一だが、過去に二つが消費されており、残存するのは九つのみだ。
その魂を、自分に触れて確かめる。
九つの祖霊の存在を、確かに身の内に感じる事が出来た。
「良かった……みんな無事で……」
継承の儀を受けてから十年間、共に過ごした祖先達。
意識は閉じ、情報を持った魔力資源でしかないが、メリッサには掛け替えの無い存在だった。
不安な時は私を励まし、魔術の研究が進めば褒めてくれる。
会話は無い。しかし、その意思は伝わってくる。
魂に意識は無く、有り得ないとは理解しつつも、メリッサに勇気を与えてくれるのは、
この身に宿る先祖達の魂なのだ。
いつもなら、祖霊のみんなを感じ取れば不安は和らいだ。
だがおかしい。涙が流れて止まらない。
先程の自分の言葉もそうだ。みんなが無事で良かった?
自分の口から出た言葉だが、意味が分からない。
私の頬を伝う涙は、祖霊が無事で安堵してのものなのだろうか。
そんな気もするし、違う気もする。
祖霊に危機が訪れる状況に覚えが無いし、そもそも何故私はこんな場所に立っている。
疑問に対して、何かが警鐘を鳴らしている。
歯の根が合わず、身体の震えも止まらない。
頭が痛い。吐き気がする。
うずくまってしまった時に、ショートパンツのポケットに違和感があった。
手の平に収まる大きさの、固い何か。
震える手でその何かを手にした瞬間、メリッサは絶叫した。
「あああぁぁぁぁあぁぁあぁぁあぁぁああああぁぁぁぁあぁぁぁぁああぁぁああ!!!!!」
思い出した。思い出した!
私は前回の聖杯戦争で、“神寂祓葉”に殺されたのだ。
手にした懐中時計を放り投げ、魔力弾で粉砕する。
パニック状態で撃った為か、魔力を込め過ぎた魔力弾が隣のビルに大きな風穴を開けた。
深夜でビルに人は居ないが、瓦礫が地上に落下する。
煌々と輝く地上には、通行人がこの時間も居るかもしれない。
だがそんな事を気にする余裕はメリッサには存在しない。
頭に流れる聖杯戦争の知識。
今回は七騎を超えるサーヴァントが召喚されるとか、東京二十三区の閉じられた世界だとか、
そんな事はどうでも良い。
死者の蘇生に二度目の聖杯戦争。こんな状況、聖杯に願わなければ有り得ない。
そして、まともな参加者なら聖杯戦争を繰り返すなんておかしな事は願わない。
聖杯を求めるからこそ、聖杯戦争に参加するのだ。その聖杯を手にして再び聖杯戦争を願うなど異常者だ。
そんな異常な願いを聖杯に託す者を、メリッサは一人しか知らない。
私の魔術を、二千年続くマガリャンイスの誇りを、歴史を、何もかもを事も無げに粉砕した狂気の如きクラリオン。
歌いながら、楽し気に、親しい友人に会いに来る様に軽やかに、私の全てを否定した存在。
私はあの時、何をしたのだろうか。
覚えているのは、令呪を三画消費してサーヴァントに“ヤツ”の討伐を命じて逃げ出した事。
逃げる途中でサーヴァントの消滅を感じた事。
そして逃げた先に笑顔で現れた“アレ”の魂に触れてしまった事。
どうしてそんな事をしてしまったのか。
一流の魔術師だろうと、魂を抜き出されて生存出来る者は存在しない。
だから私はそれを実行する為に──
胃の底がひっくり返る感覚にえずく。
空っぽの胃が暴れ出し、内臓を吐き出してしまうのではないかと錯覚する。
私はあの時。触れてはいけないモノに触れてしまった。
そこで、何を知ったのか。
考えない。考えない。忘れた忘れた絶対に思い出さない分からない。
そう、何があったのかは頭に靄がかかった様に思い出せない。
なのに、身体が震えて止まらない。
身体を抱えて、肌をさする。
祖霊を内に感じるのに、安心出来ない。逆に不安が募っていく。
だって、私も含めて、みんな、みんな消えてしまった。
朧気ながら、涙を流した記憶が有る。
魔術刻印と共に受け継いだ、先祖の魂を失った。その喪失感と悲しみを覚えている。
祖霊を消費して大魔術を行使したのか。それとも祖霊ごと、この肉体が滅びたせいか。
詳しい状況は分からないが、私の命と共にマガリャンイスの歴史が終焉したのは確かだった。
なのにこうして、此処に私は、私達は存在している。
“アレ”の願いで肉体が、祖先達の魂が、再現されて形を得ている。
おぞましいとはこの事だ。
私達の魂は、マガリャンイス家のこれまでの歩みは、他者の手で復元出来る程度のものだったのか。
気持ちが悪い。頭が痛い。
そう言えば、さっきから頭蓋を割らんばかりに両手で頭を圧し潰していた。
頭が潰れていないのは、無意識に魔術で防御しているからだろう。
耳鳴りもする。とても五月蠅い。誰の声だ。私の声だ。
肺の空気を全て出し切る絶叫が、私の口から響き渡る。
自分の精神が不安定になっているのは明白だ。
非常に危うい状態だが、自覚は出来る。
何とかしなければいけない。解決策を考えよう。
とにかく、こんな場所には居たくない。
いつ何時“アレ”と遭遇するか分かったものではないからだ。
一刻も早くこんな世界から出なければ。
脳をフル稼働させ、脱出方法を模索する。
私の魔術知識の中に、打開策は見当たらない。
ならば祖霊達の持つ知識の中に、糸口は無いだろうか。
禁忌とされる初代の魂にも躊躇なく手を伸ばす。
魔術の質も知識も歴代随一である事は間違いない。
しかし子孫の肉体を使い潰し、時と共に魂が歪んだ事で封じられたのが初代である。
触れれば新たな知見を得られるかもしれないが、自我と肉体を乗っ取られる危険がある。
常ならば選択肢にも入らない行為。
仮に禁を破るにしても、入念な準備を必要とするだろう。
しかし今のメリッサに、禁忌を躊躇う理性も余裕も存在しなかった。
初代の魂に触れた瞬間、全身が暴動を起こした様に滅茶苦茶に動き出す。
全ての筋肉が暴れ狂い、激しい痙攣でいくつかの骨が折れた。
あらゆる粘膜からは出血し、ガタガタと震える口から血の泡が垂れ、砕けた奥歯も零れ落ちる。
意識を手放しそうになるが、尋常ならざる精神力で己を保つ。
ここで気を失えば、目覚めた時には“アレ”と遭遇してしまう。
妄想による底知れぬ恐怖心が、メリッサの意識を保っていた。
長い時が過ぎた気もするが、実時間ではそれ程経っていないかもしれない。
いつの間にか、コンクリートの上に倒れていた。
その状態で激しく痙攣していたからだろう。全身が削られた痛みを感じる。
しかし、もう大丈夫だ。
骨も肉も、魔術で治して立ち上がる。
解決策を得たメリッサの顔は晴れやかだった。
二千年間研鑽した、魔術知識にこの世界からの脱出法は存在しなかった。
だが一つだけ、この状況を打開する策がある。
屋上の縁へ向け、歩みを進める。
そしてそのままメリッサは、地上目掛けて身を投げた。
ここは“アレ”が創った閉じた世界。
何処へ行っても逃げられない。
ならば死ぬしかないではないか。
どうせ死ぬなら、どうして身体を治療したのか。それはマガリャンイスの矜持に従う無意識の行動だった。
この身は二千年続く魔術師の血脈、その祖先の魂を宿す器である。
常に万全の状態で無ければ、尊崇している祖霊達に顔向け出来ない。
長い歴史と伝統と、受け継がれし魂達を常に誇りに思っている。
そんな誇りを胸に抱いて、全てを無に帰す愚かな行い。
崇高なる自身の家系が、これから終わる事に涙する。
行動が破綻しているが、メリッサに迷いは無かった。
死の恐怖より、マガリャンイスの歴史が終わるより、“アレ”と再び会う事の方が、もっとずっと恐ろしいのだ。
その恐怖ももうすぐ終わる。
例え空から落ちたとしても、魔術を使えば無傷で地上に降り立てる。
しかし魔術が無ければただの人。一瞬の内に死ねるだろう。
見上げた空が離れていく。
ビルの壁が高速で動いていく。
自由落下に伴い、内臓と血液が迫り上がる不快感を覚える。
落下による生理的な恐怖は、意思のみで克服出来るものではない。
ましてや魔術を使わない初めての感覚だった。
メリッサは思わず目を閉じ──次の瞬間、右手に痛みが走っていた。
この感覚は知っている。不味い、と思った時には遅かった。
目を開くと、何者かがメリッサの身体を優しく抱きかかえた。
この場に似つかわしくない衣装を纏った、美しい女性だ。
纏う魔力も膨大で、明らかに英霊だった。
女性の英霊は右手をビルの壁面に突き立てる。
コンクリートの外壁を砕きながら、徐々に二人は減速した。
ぽかんと呆けるメリッサを余所に、落下速度が人間の許容範囲まで減速するや否や、
サーヴァントは窓ガラスを蹴破った。
そのまま腕力のみでビル内部へ移動して、己のマスターの無事を確かめる。
「もー、何? びっくりなんだけど」
召喚されたと思ったら、目の前でマスターが自由落下の最中だ。
古今東西、どの様なサーヴァントだろうと驚かない訳が無かった。
ギリシャの英霊だろうか。古代ギリシャのキトンを身に着けた、芸術品の様に整った女性。
一般的な一枚布の衣服ではない。腹部周りだけ布が存在せず、上半身と下半身で分かれていた。
露わになっている腹部には、青黒い獣の毛皮が巻かれている。
「それで……」
ちらりと、メリッサの右手の甲を見る。
そこには確かに三画の令呪が刻まれていた。
「貴女が私のマスター、よね?」
第一印象は大事だろう。
満面の笑顔で言葉を続ける。
「私はアサシン。真名は──」
怒りを込めたアッパーが、アサシンの言葉を遮った。
メリッサの振り上げた拳が、見事にアサシンの顎を突き上げる。
「痛ったぁ!?」
アサシンの腕の中で、マスターが暴れ出す。
そのままアサシンを振り解きオフィスの床に着地すると、鬼の形相でサーヴァントに殴りかかった。
「お前っ! お前ぇ!!」
「えーっ!?」
気迫に気圧され、アサシンは思わず霊体化する。
霊体化したサーヴァントは、現世への干渉が薄くなる代わりに、他からの干渉も受けなくなる。
戦いの最中に於いてはその切替が致命的な隙を生むが、今回に関してはメリッサの拳が空を切るだけの筈だった。
「ふざけんなぁっ!!!」
マスターの拳が霊体化で無防備となったアサシンの芯を捕らえ、そのまま殴り飛ばす。
死霊魔術を極めた魔術師にとって、霊体に対して実体の如く干渉するなど朝飯前とでも言わんばかりの現象だ。
吹き飛ばされたアサシンは、オフィスを突き抜け床へと消えた。
霊体化したサーヴァントを視認する事は本来出来ないが、魔術研鑽の中で霊魂に触れ続けたメリッサには関係無い。
それ処か、見えない床の先、一つ下の階をアサシンが高速で移動している気配も感じ取れた。私の方へと向かっている。
英霊相手に、無礼を働き過ぎただろうか。
死ぬのを邪魔され、怒りに任せて手が出てしまった。
殺されても文句は言えない。むしろ殺してくれた方がありがたい。
冷静になった気でいる頭でそんな事を考えた。
真下からアサシンの気配が迫り上がり、目の前で実体化する。
「すごーい!」
「え?」
実体化したアサシンに抱き締められ、気の抜けた声が漏れた。
「貴女、凄い魔術師ね。良いマスターに出逢えたわ」
どうやらメリッサの実力の高さに喜んでいるらしい。
ダメージを受けている様子も見えない。
まあ、感情任せの雑な神秘の行使だった。サーヴァントに対しては痛みを与えるのが関の山だったのだろう。
それでも、アサシンはメリッサを認めたらしかった。
「改めてマスター、私の真名はスキュラ! これからよろしくね♪」
スキュラと言えば、ギリシャ神話に語られるメッシーナ海峡の怪物だ。
腰から六頭の魔犬が生えた姿をしていると聞くが、魔犬の姿は見当たらない。
腹部に巻かれた獣の毛皮と魔犬のイメージは繋がるが、詳細までは不明である。
「……マスター?」
返事をくれないマスターに、アサシンの顔に心配の色が見え始める。
そんなサーヴァントの様子を見てか、メリッサの目から涙が止めどなく溢れてきた。
サーヴァントとは、聖杯戦争を戦い抜く為の使い魔である。
メリッサは聖杯戦争に参加する気が無いし、サーヴァントを喚びだすつもりも無かった。
しかし現にアサシンは召喚されてしまっている。
落下時に初めて経験した生理的恐怖から、無意識にサーヴァントの召喚を行ってしまったのかもしれない。
もしくは、祖先の霊魂がメリッサの自死を許さなかったのか。
原因が何にせよ、喚び出すつもりのない使い魔を喚び出した事実は変わらない。
あまつさえ、その使い魔に聖杯戦争への不参加を告げなければならない。
聖杯戦争に参戦しないのならば、どうしてサーヴァントを喚び出したのか。
恥だ。
一流を自負するマガリャンイスの魔術師が、用途の無い使い魔を召喚した。
更には自分で召喚した癖に逆ギレし、その使い魔に当たり散らした。
他の魔術師に聞かれたら笑われる状況だ。
その上、使い魔から心配される始末である。
情けなくて涙が出る。
「えーと、その、何か心配事でもあるのかしら?
さっきは外を落ちてたけど、死にたくなる程、辛かった?」
激昂してサーヴァントに殴りかかったかと思えば、意気消沈して涙を流し始める。
情緒不安定なマスターの様子から、アサシンは先程の状況を自殺と判断した。
マスターに死なれては困るので、メリッサに希望を示すべく言葉を続けた。
「任せてマスター! 私がどんな不安も障害も吹き飛ばすわ!
聖杯が手に入れば、何だって願いも叶うんだから!
だから──」
「無理よ」
アサシンの言葉をメリッサが止める。
どんなに説得され様と、メリッサの考えは変わらない。
続く言葉を発そうとして、メリッサは息が詰まった。
それでも、言わなければいけない。
名前を言うのも悍ましく、恐ろしい存在だが、
何が危険かはこのサーヴァントに伝えなければいけない。
それが使い魔を召喚した魔術師の責任だと、自分を精一杯に奮い立たせる。
「“神寂祓葉”が、居るのよ……」
震える声を、絞り出す。
名前を言うだけで頭が痛い。内臓が暴れそうだ。
「聖杯の獲得は、諦めて」
最低限の事はサーヴァントに伝えた。
これで私の責任は果たしたと、メリッサは口を噤む。
今の短い言葉だけでは、強力な敵のせいでメリッサが勝利を諦めている、
という事しかアサシンには伝わらないだろう。
故に次にアサシンが発する言葉は、その敵がどの程度の脅威であるかを
メリッサに問う内容の筈だった。
しかし問いを投げ掛ける直前、アサシンの気配感知に反応があった。
気配の元はここより高所。ビルの屋上からサーヴァントと人間がやって来る。
「何か来るわよ」
アサシンが無意識に口にした言葉は“何か”であった。
感じる気配はサーヴァントが一騎。人間が一人。
その内容に間違いは無い筈だが、アサシンに混在する魔獣の第六感が、気配の元を“何か”と形容した。
遅れて、メリッサが警戒に当たらせていた死霊から情報が届く。
甲高い、金管楽器の様な歌声。
背筋の凍る悍ましき旋律が、死霊の使い魔からメリッサへと齎される。
「や、やだ」
ビルの周りに飛ばした死霊が一体、“何か”に撫でられ消滅した。
位置は屋上より少し下だろうか。
急いで他の死霊との繋がりを断つ。
死霊に下した命令が無意味と化す行為だが、それでも嫌な現実から目を逸らす事を優先した。
何も聞かない見たくもない。嫌だ。嫌だ。有り得ない。
かちかちと歯の根が合わず、治まらない。
何が来るのか、分かっている。
分かっているが、理解を脳が拒絶する。
「大丈夫。私が居るわ」
戦いを前に身が竦んで動けないマスターとなれば、常ならばハズレと嘆いていたかもしれない。
人間を餌か外敵としか見ていない怪物なのだが、何故かメリッサの事は気遣ってしまっている。
それはマスターの姿に、昔の自分と何処か重なる部分を感じたからかもしれなかった。
遠い昔、アサシンも恐怖に震えていた時期があった。
暗く冷たい、誰も居ない海の中で、恐怖が自分に付き纏う。
どんなに逃げても傍に在り、それは絶対に離れない。
何がそんなに恐ろしかったのか。
今では忘れてしまった事だが、思い出としては残っていた。
さて、そんな昔の思い出よりも、今の事が重要だ。
小さく震えるマスターを守るべく、アサシンは一歩前に出る。
マスターがこうも怯えているのは、やはり迫る来る敵陣営が原因だろうか。
敵の気配は、ビルの外壁でステップを踏む様に、少しずつ近付いていた。
サーヴァントの方は神秘の気配が薄く、英霊として現界しているのが不思議な程の脆弱さ。
人間の方も魔力の気配が感じられず、神秘とは縁遠い一般人ではないだろうか。
それでもサーヴァントと共に行動している以上は、マスターであるのは間違いないだろう。
油断する訳ではないが、どちらもマスターが怯える程の脅威になるとは思えなかった。
予想される出現場所は、オフィスの向かい側だろうか。
丁度、アサシン達が侵入したのと逆の方向だ。
「いや、来る、やだ、やだ、やだ」
メリッサの目と口は開きっ放しで、涙と涎が床に垂れる。
実力は有るのに、様子のおかしなマスターに憐みを覚えつつ、アサシンは腹部の毛皮に手を添えた。
宝具はいつでも使用可能だ。
歌声が近付いてくる。
短い時間が過ぎた後、窓ガラスが割れ、敵の姿が現れた。
新雪を思わせる白髪の少女と、だぼだぼのジャケットを身に付けた少年。
少年の見た目は女と区別が付かないが、匂いで男だと分かる。
少女がマスターで、少年がサーヴァントだ。
魔術師ではない少女に、低級のサーヴァント。
どちらも弱い。宝具を開放すれば一瞬で決着は付くだろう。
「あっ!」
メリッサの姿を認識した少女が、ぱっと顔を輝かせた。
「久しぶ──」
「アサシンンンンンンンンン!!!!!」
笑顔でこちらに手を振る少女が挨拶を言い終えるよりも先に、アサシンが宝具を開放するよりも前に、
アサシンのマスターが右手を掲げ、喉が張り裂けんばかりに叫びを上げる。
「私を連れて逃げろおォォォォォォオオオオ!!!!!!」
マスターは何を言っているのか。疑問が浮かぶより早く、身体は動いた。
メリッサを腕に抱き、令呪による強制力を以て、アサシン陣営は音より速くビルから飛び出した。
轟音と衝撃波でビルの壁に大穴が生まれ、瓦礫とガラスが散弾の様に外に飛び散った。
「──り……あれ?」
少女が割った背後の窓から、突風がオフィスに流れ込む。
突風は向かいの大穴から吹き抜け、崩れた瓦礫と共に書類や小物を吐き出した。
やがて風も治まり、二人だけのオフィスに静寂が訪れる。
手を上げたまま、少女がこてんと不思議そうに小首を傾げ、少年を見る。
少年は少女を見つめ返し、呆れた顔で溜息を吐いた。
◆ ◆ ◆
瞬間移動と見紛う速さで、アサシン陣営は海面に激突した。
爆音と共に天高く水柱を上げ、文字通り世界の果てで停止する。
衝撃で海水が吹き飛ばされた結果海底が露出し、その空白地帯に海水が押し寄せる。
アサシンはマスターを抱えたまま大きく飛び上がり、荒れる海面に着水した。
場所は東京湾の最端部。
羽田空港の沖合である。
海水が激しく動いた事で、海は小山の様に大きく波打っている。
そんな荒れ狂う海の上を、アサシンはマスターを濡らさぬ様、水中に沈む事無く移動を始める。
海の怪物であり、海精でもあった彼女に掛かれば、嵐の海であろうとも支障なく行動が可能である。
海は何度も大きくうねり、高波を周囲に広げていた。
上下に揺れる海の上。陸地の光を目指して進む。
「マスター、無事?」
『逃げる』という単純明快な命令に従い、一瞬の内に移動したが、マスターの力量の高さ故か異常な速度を出してしまった。
もしも地上で停止していたら、地表を吹き飛ばすクレーターを生んだかもしれない。
およそ常人が耐えられる速度では無かった。逃走経路を辿られない様、急激な方向転換も幾度か行った。
それでも腕の中のマスターは、顔が恐怖に染め上げられてはいるものの、五体満足で命に別状は無い様だった。
「う、うぁ……あぁぁ……」
メリッサは頭を抱え、胎児の様に丸くなる。肉体は無事でも、精神が疲弊している。
この反応は、恐らく逃走によるものではないだろう。考えられるとすれば──
「さっきのが、マスターの怖いもの?」
アサシンの言葉に、メリッサの身体が更に縮こまる。
ガリガリと頭を掻き毟り、呻き声が漏れていた。
マスターよりも小柄なサーヴァントであるが、アサシンは赤子をあやす様にしてメリッサを抱きかかえる。
話の続きは陸地で行うのが良さそうだ。
そこからは会話も無く、夜の海を静かに進んだ。
陸地が近付くにつれ、消波ブロックに高波が叩き付けられる音が聞こえてくる。
波間に紛れて、羽田空港へ上陸した。
安全と思える場所に移動し、マスターを静かに降ろす。
地面に降ろされたメリッサはしゃがみ込み、どこを見つめるでもなく身体を丸めて俯いている。
こんな状況ではあるが、これからについては話し合わなくてはいけない。
「ねえ、カムサ」
「言うなァ!!!」
カムサビフツハという名が紡がれるのを阻止すべく、メリッサがアサシンに対して死霊を解き放つ。
物理的な影響力と呪詛を纏った攻撃的な使い魔である。
この死霊をアサシンは難なく躱すが、死霊は引き返し、再びアサシンへと銃弾に匹敵する速度で襲い掛かる。
どうやら目標が死ぬまで何度も襲う性質を持つらしい。
死霊を防いだり、弾いたりしても、再度勢いを付けて向かってくるのだろう。
こうなると宝具を使うか迷う処だが、アサシンはこの攻撃を己で受け止める事を選択した。
己のスキルだけで対処可能と判断したのも有るが、何より宝具無しでも私は強いとマスターに示したかった。
メリッサに逃走を選択させてしまったのは、私が弱いと思われているからではないだろうか。
それではサーヴァントとして、多少なりともプライドが傷付いてしまう。
高速で飛来する死霊に向けて、アサシンが左手を掲げる。
すると腕の先に肉食獣の牙が生え揃い、大きく開口する魔獣の顎へ変貌したかと思うと、一瞬で死霊を飲み込んでしまった。
飲み込まれた死霊は為す術無くアサシンに吸収されていくが、存在が消滅する前に強力な呪詛を残していく。
魂を侵し、行動を害し、治癒を阻む。並の魔術師であれば触れただけで卒倒する程、強い呪いだ。
だが相手がサーヴァントでは、腕に痺れを齎す程度の効果しか発揮出来なかった。
アサシンの左腕が死霊の咀嚼を完了すると、魔獣の口は鳴りを潜め、白磁の様な白い腕へと戻っていく。
その頃にはもう、呪詛の影響も消失していた。
アサシンは大魔女の呪毒によって、その身が魔性に変じた存在だ。
神代の呪いの前では、西暦以降の呪詛など簡単に掻き消えてしまうのかもしれない。
大した事など無かったかの様に、アサシンがマスターに視線を戻す。
アサシンに対して追撃を仕掛ける様子は無さそうだが、肩を上下させる程に息は荒く、興奮状態なのは見て取れた。
メリッサがアサシンを指さし、怒声を飛ばす。
「お前! “アレ”を! 絶対!! 口にするな!!!」
「アレっていうのは、さっきの……敵マスターの方で良いのよね?」
「そうよっ!! そうよ……何で……何で出て来たのよぉぉぉ……
私が名前を言ったから現れたんだわ。嫌よ、来ないで、来ないで……」
メリッサは怯えた目で周囲を見渡し、神寂祓葉の不在を何度も何度も確認する。
名前を言ったらやって来る、なんて子供に聞かせる怪談みたいな話だが、
メリッサの中ではその名を口にするのも避ける程、恐怖の存在として確立してしまっている。
「そんなに怖がる必要は無さそうに見えたけど」
危機感の薄いアサシンを睨み付けると、メリッサは再び激昂した。
「お前は“アレ”を! 見なかったの!? ねえ!?
あんなの! あんなのぉぉぉぉ!! 存在して良い訳が無いだろォォォォオ!!?」
「そんなにヤバ〜い存在なのねえ。それならちゃんと気を付けるわ」
半狂乱のマスターを前にしながら、アサシンは自然体で会話を続ける。
感情の落差はあれ、二人の会話が成立しているのは異常事態であるのだが、どちらもそれを気にしない。
片方は余裕が無く、もう片方は話が通じる事を喜んでいた。
「でもマスターはあんなのと遭遇して生き延びたんでしょ?
もっと自信持って良いと思うけどなあ」
「何言ってるの? 死んだわよ。殺されたわよ。
お前は知らないだろうけど、この聖杯戦争は二度目なのよっ!!」
目を見開き、メリッサは叫ぶ。
“アレ”がどんなに出鱈目で理不尽か、このサーヴァントに教えねばならない。
「私の一族の! 二千年の研鑽が! 全部! 全く!! 通用しないの!!!
分かる!? 二千年よ!? に・せ・ん・ね・ん!! ウチは魔術の名門なのに!!
魔術師でもない素人にぃぃぃぃぃぃぃぃ」
顔を覆い、苦悶の表情が滲み出る。
歴史あるマガリャンイスの魔術を、児戯の様に踏み潰されたのが許せない。
二千年の研鑽が、全て無駄に終わった事を認めたくない。
祖先に誇れる魔術師として、一族の矜持を胸に立ち上がりたい。
でも、無理だ。
人生の全てを塗り潰す程の恐怖がメリッサを支配する。
「酷い……酷いのよ……?
聖杯戦争なんだから、サーヴァントを倒したらそれで良いでしょう?
なのに私を追い掛けてきたのよ? 今もこうして……私の事を……」
理不尽だと涙を零す。
言葉も思考も感情も、繋がりが無く滅茶苦茶だ。
こんな状態では戦えないと自分でも分かる。
とにかくもう、この地獄から一刻も早く逃げ出したかった。
「だから悪いけど、私もお前もここで終わりよ。
続けたいなら、他を当たって」
指の間、涙で濡れた髪の隙間から、メリッサはアサシンを見据えている。
不十分な独り語りを吐き出しただけだったが、これで説明責任は果たしたとばかりに
メリッサは会話を打ち切った。
これ以上は何も言う事が無いし、聖杯戦争にも参加しないと態度で示す。
このまま何もしなければ、マスターは間もなく自決してしまうに違いない。
アサシンにとっては困った状況だが、それでもまだ座に還るには早いだろう。
メリッサの今までの言動を振り返り、現状を推察する。
「思ったんだけど」
そして一つの疑問を口にした。
「マスターは死んで、蘇って今回の聖杯戦争に参加する事になったのよね?
それなら今死んでも、また蘇るだけなんじゃない? 次は第三次聖杯戦争〜〜、みたいな?」
アサシンの言葉に、メリッサは凍り付く。
聖杯戦争に勝ち残り、二度目の聖杯戦争を願う様な狂人だ。
第三次聖杯戦争に再び巻き込まれる事を否定出来ない。
「は……ははははは……」
渇いた笑いが漏れ出した。
それではどうすればこの地獄から抜け出せるのか。
閉じた世界に逃げ場は無く、死んだ先にも救いは無い。
「じゃあ、どうしろって言うのよ……こんなの……」
「簡単よ。聖杯を手に入れれば良いわ」
「はぁ?」
アサシンの言葉に、思わず呆れて声が出た。
「そして願えば良いのよ。マスターの嫌いなもの全部、消して下さ〜い。ってね♪」
私に配慮して遠回しな言い方をしているが、要するに聖杯に神寂祓葉の消滅を願えば良いと言っている。
確かに“アレ”を消すには聖杯でも無ければ無理だろう。
だがそれは、“アレ”を倒さなければ手に入らないという矛盾がある。
こいつは私の話を聞いていなかったのか?
怒りで頭が真っ白になる。
「それが無理だって! 言ってんだろうがよォォォォオオオ!!!!!
どーーーやって“アレ”を倒すつもりだテメェ!!!!」
「え? サーヴァントの方は雑魚っぽかったじゃない?」
「サーヴァントぉ?」
今まで気に掛けた事も無い、“アレ”の傍らに居た存在を思い出す。
サーヴァントのステータスは、マスターに依って異なる見え方をする。
メリッサの場合は、それは火の灯る蝋燭の姿で頭に浮かんだ。
敵サーヴァントのステータスは軒並み低ランク。
殆どの蝋燭は背が低く、火の勢いも弱々しい。
その中で唯一、宝具を示す部分のみが煌々と輝いていた。
蝋燭すら存在しない、炎のみで構成された火柱。評価規格外を示す情景だ。
どの様な宝具を持っているかは警戒すべきサーヴァントだが、
それ以外の点に於いては通常攻撃の一撃で消滅しそうな程に脆く弱い。
考え込むマスターの姿を見て、アサシンは勝算がまだ残っている事を確信した。
マスターの恐怖の対象は“カムサビフツハ”だけであり、そのサーヴァントは対象外なのだ。
「そう! 聖杯戦争はね、サーヴァントが最後の一騎になるまで戦えば良いの。
別にそのマスターまで相手にする必要は無いわ」
確かにサーヴァントを倒してしまえば、“アレ”と関わらずに聖杯を手に入れられるかもしれない。
保有スキルが厄介なタイプという可能性を考慮しても、絶対に勝てないという絶望感は無い。
希望が見えた気がした。
聖杯の願いであれば、流石の“アレ”も消滅を免れまい。
──本当に?
「ぐぅ、うううぅぅぅぅううぅぅううぅぅぅうううううぅぅうううううう」
酷い頭痛がする。頭を自分で圧し潰しているせいだろうか。
それとも“アレ”について思考する事を脳が拒絶しているからだろうか。
獣の様な唸り声で頭を悩ませるマスターを見て、アサシンは安堵した。
神寂祓葉に関する問題は残っているが、少なくとも希死念慮からは脱したのではないだろうか。
後はアニマルセラピーでマスターの心のケアをすればばっちりである。
「マスター見て見て」
アサシンの足元には、いつの間にか六匹の大型犬が存在していた。
姿は狼に似ており、毛皮の色は非常に暗い青色。アサシンの腹部の毛皮と同色だ。
引き紐(リード)はアサシンの腰部まで伸びており、下衣に挟まれて先端は見えなくなる。
いや、それは紐なのだろうか。
よく観察すれば、犬の毛を撚り合わせて作った生体的な器官にも思えた。
だが指摘されなければ、遠目にはただの引き紐に見えるだろう。
アサシンは犬達を連れてメリッサに近付くと、笑顔でそれらを紹介した。
犬達の名を聞いて、メリッサは眉を顰める。
それは一から六を表すギリシャ数字であったからだ。
「可愛いでしょ〜。撫でてみたら、きっと落ち着けると思うの」
名前について指摘する事はせず、言われた通りに撫でてみる。
思ったよりも手触りは良い。手から伝わる体温も心地良く感じる。
「これが伝承に聞く、お前の魔犬?」
「そうよ〜。みんな良い仔達でね、本当はもっと大きいんだけど──」
アサシンの魔犬自慢を聞きながら、メリッサは魔犬の群れに身体を委ねる。
今日は酷く疲れてしまった。もう、何も考えたくない。
意識を手放しかけた時、魔犬がピクリと反応した。
何かに気付いた動きだった。
その振動でメリッサは飛び起きる。
魔犬は一体何に反応した?
まさかと思い、怯えた瞳で周囲を確認する。
「ああ、大丈夫よマスター。車に乗った人間が、こっちに近付いているみたいなの」
アサシンの視線の先、遠くから回転灯を灯した車両が二台やってくる。
そう言えば、ここは空港の敷地内だった事をメリッサは思い出す。
魔術的な隠蔽を施した覚えも無い。どこかのセンサーか監視カメラに、自分達の姿が反応したのだろう。
「サーヴァントだから別にお腹は減らないんだけど、せっかくだし食事にしましょうか」
明るい声で、アサシンは魔犬達に語り掛ける。
そう、アサシンは人を襲う怪物だ。魂喰いに何の罪悪感も持っていない。
「駄目よアサシン」
メリッサがアサシンを諫める。
マスターは人を襲う事に反対なのだろうか。だとすれば、この仔達の食事はどうするというのか。
不満がアサシンの中で燻り始める。
「人体を食べるの? それ、消化に悪いわよ」
メリッサの言葉に、アサシンに沸き上がりかけた怒りが小さくなる。
我が仔を思っての行動であるなら不満は持たない。
それにどうやら、食事についても考えがあるらしかった。
メリッサは恐怖の色を瞳に宿しながら、接近する車両を迎え撃つ。
現場に到着した車両からは六人の警官が降りてきた。数が丁度良いなとメリッサは思う。
警官の一人が侵入者に対して警告を発するより前に、六人に向けて魔術を行使する。
警官達は直立体勢のまま意識を無くし、倒れる事なく動きを止めた。
魔術耐性の無い相手であれば、この程度は造作も無い。
そして周囲の魂を魔術的に走査する。
車両の陰には何も無く、周囲にもアサシンと目の前の六人以外に脅威は居ない。
警官達も魂の質が“アレ”とは違う。この近くに“アレ”は存在しない。
気配感知を持つアサシンが居る以上、過剰な確認であったし、普通に考えても神寂祓葉は変身能力を持っていない。
しかし自分で確かめずにはいられなかった。
いつか、予想外の方法で目の前に出現するのではないかと、どうしても考えてしまう。
ふう、と息を吐き気持ちを切り替えると、警官達の身体に順番に触れていく。
高速詠唱と共に警官の肌を一撫でする。そして掌を握れば、そこには魔力結晶が現れる。
魂の物質化とは違う。魂を素材とした魔力の結晶化。
神代の魔術師であれば大気のマナから。現代においても多量の生贄の下で実現可能な魔術である。
それをマガリャンイス家は、魂から魔力結晶を作り出すものとして確立していた。
メリッサの身に着けているブレスレットやネックレスは、そうして作られた魔力結晶であり、魂の情報を宿した礼装だ。
魔術刻印を受け継がなかった血縁者は、こうして魔力結晶となる事でマガリャンイス家に貢献する事となる。
メリッサは六つの魔術結晶を生み出すと、アサシン達の許へと戻る。
そして魔力結晶を液状化させると、魔犬の口へと注ぎ込んだ。
一匹ずつ順番に、その作業を繰り返す。
「霊体が肉体を捕食しても効率が悪いのよ。純粋な魔力を取り込んだ方がサーヴァントの力になるわ」
「ふふっ、ありがとうマスター。この仔達も喜んでるわ」
魔力を口にした魔犬は尻尾を振り、喜びを表していた。
メリッサに擦り寄る姿からも、それが見て取れる。
そんな様子を見て、アサシンの顔も綻んでいた。
魔犬達にもみくちゃにされながら、メリッサはアサシンの献身を考える。
攻撃もした。罵倒もした。それでも私の事は気に掛けてくれている。
この数時間を人生最悪の気分で過ごしていたが、アサシンを召喚した事だけは、悪くない出来事だと思えた。
「そういえば、さっき呪詛を食べたでしょ。見せて」
「ああ、平気よ。それよりマスターの死霊を潰してごめんね〜」
「別に良いわよ。二百年物じゃサーヴァントに余り効かない事が分かったから」
メリッサはアサシンに呪詛が残っていない事を確かめると、直立不動のままの警官達を魔術で動かし車に乗り込んだ。
アサシンは霊体化してマスターに付いていく。
警官の魂から記憶を読んだ際、監視カメラの位置を把握し以降の映像を偽装した。
六体の魂の抜け殻には十時間で解ける指示を出し、空港敷地内に侵入してからの監視カメラ映像の消去を行わせるつもりだ。
指示が解けた後は死体に戻るが、周囲からは突然死に見えるだろう。
空港施設内まで車両で移動した後は、魔術による暗示で警備を抜ける事が可能だ。
その後はホテルにでも泊まり、今後について考えよう。
しかし、ここは現実ではない仮想世界だと言うのに、何故自分は魔術の隠匿をこうして行っているのだろうか。
メリッサは魔術師としての生き方しか知らないし、それを誇りに生きてきた。
現実とは違うからと言って、いつもの行動を変えられる程、器用ではないらしい。
霊体化したアサシンに目をやり、ステータスを確認する。
アサシンは水場で真価を発揮するサーヴァントだ。
水場の霊地を掌握するか、それとも土地そのものに水の属性を与えるか。
勝利へ繋がる戦術は、どの様な物になるだろう。
しかし霊地を掌握したとて、一処に留まるのも恐ろしい。いつか“アレ”に発見されてしまいそうで……
駄目だ駄目だ。考えない。考えない。
今はアサシンの運用方法だけを考える。
“アレ”の事を思い浮かべるだけで発狂しそうだ吐き気がする。
メリッサは頭を抑え、必死に神寂祓葉を思考の外に追いやろうとする。
別の事を考えている間だけは、恐怖から逃れる事が出来るのだ。
瞳が恐怖に揺れている。
そんな怯えに濡れた魔術師を、見詰めているのは一騎と六頭。
海峡の怪物。
統べるは、達士。
〈はじまりの六人〉。
抱く狂気は〈逃避〉。
メリッサ・ウラカ・テイシェイラ・マガリャンイス。
統べるサーヴァントは、六頭十二脚の魔物。
恐怖の星から目を逸らせ。目に付く物を破壊しろ。
輝く星が一つになる迄。其れを見ざるを得なくなる迄。
向き合う時が、きっと来る。
【クラス】
アサシン
【真名】
スキュラ
【属性】
混沌・悪・地
【ステータス】
筋力C+ 耐久C 敏捷B+ 魔力D 幸運D 宝具B
【クラススキル】
気配遮断:B+
サーヴァントとしての気配を断つ。隠密行動に適している。
完全に気配を絶てば発見することは非常に難しい。
水辺に於いてプラス補正が掛かる。
【保有スキル】
気配感知:B+
気配感知能力。
同ランク以下の気配遮断を無効化する。
水辺に於いてプラス補正が掛かる。
アサシンは匂いや第六感という形で周囲の気配を感知している。
海峡の怪物:A+
海の怪物である事を表し、怪力や水棲、船乗りの墓場を内包する複合スキル。
一時的に筋力、敏捷が1ランクアップし、水辺に於いては更にプラス補正が掛かる。
アサシンはメッシーナ海峡の怪物として知られており、水中や水上を問題無く行動可能である。
いくつもの船を沈めた伝承により、騎乗スキルを持つ英霊や船舶に対して有利な補正が働く。
精神汚染:A
精神が錯乱しているため、精神干渉系の魔術を遮断する。
ただし、同ランクの『精神汚染』を有していない人物とは意思疎通ができない。
アサシンは自身より生えた魔犬達を我が子の様に愛している。
魔犬への攻撃、侮辱はアサシンの怒りを買う事になるだろう。
正常な者と会話をする際は、相手を魔犬の餌と思いながら会話を行う。
魔獣混成:C
魔獣と混じり合った者が保有するスキル。
アサシンは魔犬と感覚を共有し、嗅覚に優れている。
更に身体の一部を魔犬に変質させ、腰部以外から魔犬を発生させたり顎を出現させる事が可能。
【宝具】
『取巻く惨禍(テーラス・ティス・メッシーニス)』
ランク:B 種別:対人宝具 レンジ:20 最大捕捉:6
メッシーナ海峡の怪物。
真名開放と共にアサシンの腹部からは六頭の魔犬が生え、脚部は六本の触腕と化し全長5mにまで巨大化する。
魔犬は人間一人を容易く飲み込む巨大な顎を持ち、治癒を阻害し継続ダメージを与える呪毒の牙で敵に噛み付く。
魔犬の首はレンジ内ならば自由に伸び縮みし、英雄の刃でも毛皮を斬れない。そして倒されても必ず六頭に再生する。
大魔女による呪毒の結果であり、強大な呪いは他者からの呪い、毒を塗り潰して無効化する。
『籠檻・暗礁洞窟(スピーリオ・スキーラス)』
ランク:A 種別:対人宝具 レンジ:1 最大捕捉:6
スキュラの洞窟。
魔犬の毛皮で作られた宝具。
この宝具は魔力の一切存在しない、無明の洞窟へと繋がっている。
洞窟内は数百人規模の収容を可能としているが、一度に洞窟へ送れる数は最大六名までである。
アサシンは毛皮を腹部に巻く事で、魔犬を洞窟内に収めて人の姿を保っている。
また、敵を洞窟に閉じ込めた際は、外から送られる六頭の魔犬による集中攻撃を行う事も出来る。
宝具を振るう際は、必然腹部から離す必要があるが、短時間であれば人の姿のままで宝具を使用する事が可能。
だが腹部から離れる時間が長くなれば、アサシンの姿は怪物へと近付いていくだろう。
もう一人の海峡の怪物がアサシンの縄張りに侵入した際には、その怪物を洞窟に閉じ込め餓死寸前まで追い込んだという。
【weapon】
牙剣
魔犬の牙から作られた短剣。
傷口を広げる特性を持ち、治癒を阻害し継続ダメージを与える呪毒が塗られている。
【人物背景】
メッシーナ海峡を二分する怪物の一人。
スキュラとカリュブディスが通る船を襲う為、この海峡は通行不可能な魔の領域と化した。
元は海精ニュムペーであり、多くの男達から求婚を申し込まれる程の美貌を持っていた。
しかしスキュラは恋愛に興味が無く、その全てを拒み続けた。
ある時、スキュラは海神グラウコスから愛を告げられるも、やはり拒否して逃げ出してしまう。
スキュラの事を忘れられないグラウコスは、愛の霊薬を求めて大魔女キルケーを訪ねた。
だがグラウコスを気に入ったキルケーは彼を誘惑し、グラウコスの心が動かないと見るや怒りの矛先をスキュラへと向け始める。
スキュラお気に入りの小さな淵にキルケーは呪毒を流し込み、その淵にスキュラが腰まで入った処でキルケーは呪いを唱える。
すると六匹の魔獣がスキュラの周囲を取り巻き、パニックを起こしたスキュラはその場を逃げ出そうとする。
地上へ逃れ様とも魔獣が海へ引っ張る為に上れず、海へ逃げても魔獣は何処までも追って来て離れない。
よく確認すると、魔獣は自分の腹部から生えていた。
その事に気付いたスキュラは発狂し、周辺海域で船舶を襲う怪物へと変貌した。
発狂したスキュラは、いつしか腹部の魔獣を我が子の様に愛し始めた。
愛しい我が子なのだから、側に居ても怖くない。
そう思わなければスキュラの精神は崩壊し、蠢く魔獣のみが残されただろう。
しかし実際にはそこまで深くは愛しておらず、ただその様に振舞っているだけである。
それは魔獣に付けた名前、アルファ、ベータ、ガンマ、デルタ、イプシロン、ディガンマがギリシャ数字の一から六である事からも明白だ。
その為、魔獣の一匹が何らかの理由で行動不能になった際は、躊躇なく殺害し、新たな魔獣を再生させる。
だってその方が元気な姿になれるから。その仔の為にも再生させなきゃ。
それでも自分は我が子の事を本気で愛していると思い込んでいる為、魔獣達を大切にするし、
攻撃を受ければ魔獣をけしかけて報復する。
メッシーナ海峡で船舶を襲った理由は、我が子の餌が通りかかった。ただそれだけの理由である。
【外見・性格】
芸術品の様に整った顔立ちをした美しい女性。
上衣と下衣に分かれた、古代ギリシャのキトンに身を包み、腹部に魔犬の毛皮を巻いている。
現代服を纏うとしても、必ず腹部を露出させ『籠檻・暗礁洞窟』を巻き付ける。
魔犬を大型犬の状態で限定的に分離する事も可能。
ただしアサシンと魔犬は引き紐(リード)の様なもので繋がっている必要がある。
変身時には腹部から六頭の魔犬が露出し、足は六本の触腕となり体長が5mまで巨大化する。
腹部から飛び出した魔犬はそれぞれ二本の脚を持ち、地上を走る事も可能である。
全ての人間を我が子である魔犬の餌と思っており、またその様に扱う。
正常な人間との会話は成立しないが、仮に会話が成立した場合は友好を結べる可能性がある。
言動は温和だが、魔犬を傷付けられたり馬鹿にされれば怒りと共に魔犬を差し向けるだろう。
【身長・体重】
159cm/300kg(人間時。魔犬を含む)
500cm/3000kg(変身時。足が触腕となり伸びる)
【聖杯への願い】
この子達と平和に暮らしたい。
メッシーナの海辺で、私から離れた六頭の仔達と、静かな時を過ごしたい。
その本質は魔犬との分離。
恐怖の根源である魔犬と別れ、元の姿に戻りたいという願いである。
【マスターへの態度】
魔術師としては一流ね。でも怖がりだから心配しちゃうわ。
私もそんな時期があったから、寄り添ってあげたくなるの。
でも……何がそんなに怖かったのかしら? 昔過ぎて忘れちゃった。
【名前】
メリッサ・ウラカ・テイシェイラ・マガリャンイス/Melissa Urraca Teixeira Magalhaes
【性別】
女性
【年齢】
21歳
【属性】
秩序・中庸
【外見・性格】
ポルトガル出身の女性魔術師。
かつては夜の海を思わせる藍色の髪を二つに結っていた。
しかし艶やかだった美髪は見る影も無くなり、振り乱された状態で放置されている。
瞳は怯えに染まり、歯が震え噛み合わない。
元は自信に満ち溢れた魔術師だったが、今の彼女の精神は神寂祓葉に対する恐怖で塗り潰されている。
神寂祓葉と関わりたくない。神寂祓葉から逃げ出したい。だけど“ヤツ”が居る限り、この世に逃げ場は有りはしない。
ならば死ぬしかないのだが、生き返るのなら意味が無い。
どうにも出来ない恐怖の中で、一流を自負した魔術の才能をフル稼働させ、彼女は“恐怖”を振り切る為に狂奔する。
【身長・体重】
172cm/62kg
【令呪】
残り2画
【魔術回路・特性】
質:A+ 量:A 属性:地
特性:『魂の使役』
【魔術・異能】
起源は『触れて確かめる』。
触れた相手の魂から記憶や情報、性質等を知る事が出来る。
大気に触れる事で魔力残滓の解析も可能。
この起源の為、肌面積の多い服装をしている。
◆死霊魔術。
魂を結晶化したブレスレットやネックレスから死霊を開放し、使役する。
攻撃や索敵に使え、呪詛を乗せる事も可能。
使役する死霊は血族に連なる者達であり、当主の為に忠実に働いてくれる。
◆魂の結晶化
触れた魂を魔力結晶に変える。
結晶化した魂を再び開放する事も可能だが、血族以外の死霊は
呪詛が自分に返ってくる可能性がある為、開放する気は無い。
魔力結晶は魔術を使用する際の消耗品となる。
◆祖霊魔術
祖霊の魂にアクセスし、祖霊が極めた魔術を再現する。
メリッサは地属性だが、祖霊の属性に合わせた魔術も再現可能。
【備考・設定】
二千年続くマガリャンイス家の十二代当主。
その身に九つの歴代当主の魂を保管している。
初代は五百年間子孫の肉体を乗り換えて寿命を延ばしたが、
肉体が変化する度に魂が変質した為、二代目によって封印された。
また腕輪やブレスレットは、当主に選ばれなかった一族の血縁者の魂を魔力結晶化して連ねたものであり、
魔力結晶は真珠大に加工してある。
ブレスレットは右と左でそれぞれ11個、ネックレスは20個と30個。合計72個の魔力結晶を礼装として保有している。
現在4個消費して残り68個である。
【聖杯への願い】
神寂祓葉の消滅。
消えろ消えろ消えろ消えろ消えてお願い頼むからもう私に関わらないで。
【サーヴァントへの態度】
聖杯戦争の為の使い魔。
ただ、恐怖でおかしくなった私を気に掛けてくれているのは助かっている。
マスターとして、サーヴァントの献身には褒賞を与えるつもりはある。
例えば、魔犬に人間を食べさせたいなら、より効率的な魔力結晶に変換して与えるとか。
すみません割り込む形ですが投下宣言だけ先にさせて貰います(時間が間に合わないだろうなので)
投下終了です。
『舞矢ちゃん、君には魔術師としての才能がある。君が望むなら…だけど、教えてあげようか?』
これは私(わたくし)の幼い頃の記憶、その夢。
…そう分かっていても、幼き日の私(わたくし)へ溢れんばかりの罵声を浴びせたくなる気持ちを抑えれず、さりとて夢は夢でしかなく。過去は変わらずその通りに流れる。
『お断りしますわ。そんな得体の知れねえ物、私(わたくし)が信じるとお思いで?
…それともまさか、立場を利用して言葉巧みに私(わたくし)を誘拐でもしようと』
『ごめんごめん、そんなつもりなんて無いよ。じゃあ君の義父様も怖いしこの辺で』
『分かっているのなら、お馬鹿な事は言わないで下さるかしら』
そう言って去って行く義父の知り合いに、言葉を吐き捨てて過去の私(わたくし)は目もくれず…今の私(わたくし)はその様を見据える。
──もしここで、私(わたくし)が彼を信じて、魔術師への道を進んでいれば……貴方はああならなかったかも知れないと、その後悔が…こんな腑抜けた夢を見せているのでしょうね。
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この聖杯戦争の会場として造られた東京二十三区。その一角で2組の主従……1組は若めの男と壮年の男性、もう1組は若めの少女とそれより小柄なフードを被った少女が戦闘を行っていた。
壮年の男性が籠手により攻める所を、フードの少女はギリギリのように見えて適切なタイミングで避け受け流す。
そして若めの男が魔術による風を飛ばし切り裂かんとする一方、対応している若めの…ポニーテールの赤髪少女はそれを難なく避け、5階立てのビルの最上階までジャンプで移動と人間離れした能力を見せる。
(こいつ本当に人間か…??)
と内心思いながらも男は表に出さず、最大火力を持って相手を屠るチャンスを狙う。
代々魔術師の家系である彼は、ここでこの相手を殺しておかねば不味いと判断した。
風での攻撃を継続的に行い、相手を追い立てた上で男は、開けた場所なのを利用し全方位から風の魔術の応用で発生させた斬撃を向かわせる。
(まずは1人、これならば避けようも無い筈……!?)
「な、にっ…!?」
勝利を確信した男だったが、目視したのは赤髪少女が斬り裂かれ惨死体として血の海に沈む光景ではなく…己が風の魔術が全て、1と0の数字となって消える異様な光景であった。
古来からの魔術師らしく科学には疎いとはいえ、それが異様な事は理解出来た男は動揺を隠せず決定的な隙を晒し…気付いた時には少女の手が男の顔面を掴んでいた。
「チェックメイトですわね」
「…っ、ま…待て!降参だ…ライダーは退かせる、お前が望むなら同盟も…」
「…いきなり随分と、見苦しい命乞いをするのですね。
なら…ひとつ私(わたくし)から。貴方が聖杯にかける願いを答えて貰いましょう。答えれないならこのまま…」
「わかった!答える…俺は没落した一族を──」
目的を果たす為、最期までチャンスを掴もうとみっともなく命乞いをする男だったが、それが最後まで発せられる前に…少女が行動する方が早かった。
「もう結構ですわ。魔術師らしい身勝手な願いなのはよくわかりましたので。どうせ聖杯を取った後もその身勝手な理屈で非魔術師を踏み躙る事は想像に易いのでここで貴方は終わりですわ。では…さようなら」
一方的に言葉を告げた後、少女は魔術の発動により男を…先程魔術を消滅させたように、0と1の数字へとした後に跡形も無く消滅させた。
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『こちらは終わらせましたわよ、バーサーカー。貴女の方は?』
『我も先程、地面を凍らせ手身動き取れなくしてから、霊核を破壊してやった所だ。だからその魔術を、サーヴァントに試そうとする必要はないぞ』
『…試すチャンスかと思いましたのに』
『やめておけマスター。対魔力で防がれた場合の事を考えろ』
『そういう時にフォローするのがサーヴァントの役目ではなくて?』
『勝手な事を言うな馬鹿』
そう気の置けないやり取りを念話でする少女2人。
赤髪少女の名は大和舞矢。魔術師を憎みながらも魔術の才覚に溢れたままならぬ者。
フードの少女、バーサーカーの真名はフェンリル。ロキの息子にして主神殺しがヒトの型を取らされた者。
そんな二人はその夜、互いの夢を見た。
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舞矢が見たのは、ある獣が殆ど孤独なまま恐れられやがて封印により、ヒトの型へと買えられる様。
そして結局は終焉の日ラグナロクに解除され、怒りのまま主神を殺すも直後に死を迎える終わりであった。
(…少女となってからの彼が、どう生きてたかは見れませんでしたが……わざわざ殺さず封印による弱体化に留めた事、にも関わらずあの最後になった事……少し理解に近付いた気がしますわ。
彼…彼女が、常に諦観のような物を抱くのは……グレイプニルが解除された途端オーディンを殺しに行く自分の凶暴性と憎悪に、絶望してしまっているのですね)
少しだけ、理解をした気になった。
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一方フェンリルが見たのは、ある少女がこの聖杯戦争に至るまでの簡単な経緯。
拾われ育てられた少女は天狗となり、「全ては私(わたくし)を中心に回ってますわー!他は全て有象無象ですわー!!」などと阿呆な事を言い放つ。
しかしある時、それまでした事がない程の努力を重ねても…超えられない成績を前にし、更にそれを残した卒業生が勉強「だけは」出来るろくでなしだったのを目の当たりにした少女は……へし折れ虚ろな目で無気力な日々を過ごしていく。
そんなある時幼馴染に再会し彼の変わらぬ真っ直ぐさに勇気付けられた彼女は…その乙女心にも火を付けられた。だがヘタレで奥手な彼女は想いを言い出せないままに時が過ぎ…些細な事から破綻した。
売り言葉に買い言葉をしてしまった結果、デートチャンスを失った彼女はベッドでジタバタするも、直接謝ろうとして……爆発が起きた。
彼とその両親を助けようと、持ち前の人間離れした身体能力で瓦礫を退かしまた他者を助ける少女。しかし見つけ出した彼の両親は既に物言わぬ肉塊となり彼も生死を彷徨う有り様。
どうにか命は助かったものの負傷により植物状態となった彼を目前にし、少女は泣き叫び後悔に打ちひしがれた。
その後、虚ろ目でまるで夢遊病かのように病院と現場を行ったり来たりしていた彼女は、ある時古馴染…かつて魔術を教えようかと聞いてきた養父の知り合いと再会。今回の事件に魔術師が絡んでいる事を示唆される。
その事を内心反芻する中…少女が助けた者が目覚め、泣き叫んでいる声が届く。
──涙を零しながらも、少女の目には怒りが宿る。
それは理不尽に他者の人生を踏み躙る魔術師と、不甲斐ない自分自身への怒りであった。
(…嘘吐きめ。聖杯について聞いた時は事件が起こった所に居ただの、他の被害者を助けただの…何一つとして言ってなかっただろうお前は)
自分をだまくらかした軍神を思い浮かべながらも、賢狼はそれに呆れと哀れみが混じった様子であった。
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「なんで隠してたんだマスター」
「…どうせ夢で見られるでしょうから、わざわざ言う必要もないかと」
「…我が嘘吐きが嫌いな事は知っておるだろうに」
「…そうは言いますが貴女も人の事は言えないのでは?」
「……悪かった。…幻滅しただろう?」
「いえ、全く。意外ではありましたわね」
「…その度胸はどっから湧いてくるんだか」
サーヴァント
【クラス】
バーサーカー
【真名】
フェンリル@北欧神話
【属性】
混沌・ 悪
【ステータス】
(宝具発動中)筋力C 耐久C 敏捷B+ 魔力B 幸運E 宝具-
(宝具解除時)筋力A 耐久B 敏捷A+ 魔力B 幸運E 宝具EX
【クラススキル】
○狂化:E(EX)
狂気の度合いを表すスキル。バーサーカーは普段は宝具の効果により恩恵を受けず正常な思考力を保つ一方、宝具が解除されると思考が「敵を滅ぼす」に固定され意思疎通が困難・下手をすればマスターにすら牙を向ける有様となる。
バーサーカーとして召喚されたが故に付与された物である。
【保有スキル】
怪力:C(A)
基本的に魔獣や魔物のみが持つ、一時的に筋力を上昇させるスキル。
バーサーカーは宝具である獣転人型発動時は、人型となっている為かランクがダウンする一方、解除時は魔獣そのものとなり2ランク上昇する。
魔力放出(炎・氷):B
自らが行使可能な炎と氷を魔力としてその身に帯びさせ放出する事によって、瞬間的に能力を向上させるスキル。
なお炎は兎も角氷の方は本来なら使用できないが、後世での伝承や創作物にて氷属性にされたり(一説にはスルトとの差別化とも)する事と、彼の妹であるヘルが氷の世界であるニブルヘイムの支配者であったが故に兄である彼も使えても無理はないという理屈により行使可能となっている。
この成り立ちの為このスキルはEランククラスの無辜の怪物の効果も複合している。
戦闘続行:B(EX)
決定的な致命傷を受けない限りは生き延び継戦を可能とする、生き汚さやしぶとさを表すスキル。
バーサーカーは宝具である獣転人型発動時は本来よりダウンしている一方、宝具解除時は狂化EXと合わさり目前の敵を全て滅ぼすまで止まらなくなり現界を維持し続けようとする。
単独行動:A(-)
マスターからの魔力供給を絶っても暫くは自立行動が可能な事を表すスキル。
バーサーカーの場合、人型である限りはマスターを喪おうと1週間程度なら現界をし続けられる。一方獣転人型の宝具が解除されるとスキルが機能しなくなる。
主神殺し:A
北欧神話の戦争の神であり主神でもあるオーディンを飲み込み殺した逸話から来たスキル。
戦争の神たるオーディンを殺せた事によりAランククラスの心眼(真)とBクラスの直感の効果がある他、神性を持つ相手に対し特攻が入り戦闘を有利に働かせる事が出来る。
ただしこのスキルは獣転人型解除時にも変わらず働くのと後記のスキルにより自分に攻撃が当たってしまった場合も特攻が働いてしまうデメリットもある。
神性:-(C)
北欧神話のトリックスターロキと女巨人アングルボザとの間に産まれた子である為付与されるスキルだが、獣転人型が発動してる間は機能せず、宝具が解除される事により始めて機能する。
【宝具】
獣転人型(グレイプニル)
ランク:- 種別:対魔獣宝具 レンジ:1 最大捕捉:1体
バーサーカーを拘束し発動中は人型へと姿を変えている魔法の紐。六つの有り得ない存在を材料としこの世から消失させる事を代償とすることで生み出された。
後世では封印されたとされているが、実際はこのフェンリルは獣としての姿を封じられた上で、ヴァナルと云う名の人型の存在としてラグナロクのその日まで生活を送っていた。
しかしラグナロクを迎えた日、神々の枷や戒めが無力と化した事でこの宝具は解除され、結果オーディンは死を迎えフェンリルもまた死ぬ事となった。
常時発動型の宝具。宝具自体にはBランククラスの真名秘匿効果や凶暴な性格を抑える効果がある他、ステータスが低下しスキルも一部弱体化・変化している。
また令呪により宝具の解除が可能だが、5分間のみしか機能しない上狂化のリスクもある他、単独行動の効果が機能しなくなる為魔力負担が馬鹿にならなくなる。
令呪による限定解除以外だと、本家Fateでの破戒すべき全ての符のような解除系の宝具を相手に使用された場合もこの宝具は解除される。
この場合は令呪2画があれば宝具を再発動させる事が可能な一方、それが不能だと魔力切れで先に倒れるか他サーヴァントの攻撃によるダメージ等でバーサーカーが消滅するかする以外にどうしようもなくなる。
【weapon】
人型時は徒手空拳か噛みつき、もしくは炎や氷の行使で戦う。
狼時は炎や氷の行使に、爪か丸呑みが主な殺害手段となる。
【人物背景】
ロキとアングルボザの間に産まれた炎を吐き成長につれ巨大になっていった賢狼。当初は通常のサイズだったがみるみる内に育ち、やがて神々を脅かす程の力と知恵に凶暴性を得、予言により危険視されたのもあってオーディンの手で封印される運びとなった。
しかし強さと賢さを兼ね備えたフェンリルは捕まらず、捕まえても生半可な拘束具では破られてしまう。その為オーディンは新たな拘束具としてグレイプニルを造らせ軍神であるテュールに持たせた。
テュールが言葉巧みに説得し、かつ信用を得る為あえてフェンリルの挑発へと乗り片手を食わせた事により、またそのテュールが自身が幼い頃に唯一餌を与えてくれていた存在だったのもあって…まんまとフェンリルはグレイプニルにより拘束・封印を施された。
その後後世の伝承ではラグナロクのその日まで足取りが途絶えるが…その間フェンリルは、グレイプニルの効果によりひとりの少女の型となって過ごしていたようだ。
最も今のサーヴァントとして召喚された彼女(彼)にはその期間の記憶はあまり無く朧げなようだが。
しかしラグナロクの日、拘束・封印が解除された結果フェンリルは怒りのまま自らを封じる事を決めたオーディンを敵と認識し…戦闘の果て飲み込み殺すも直後彼の息子ヴィーザルにより殺される結末を迎えた。
【外見・性格】
宝具発動時は小柄な少女。銀髪のロングヘアと云った感じの外見。黒いパーカーを被っている。(現界後にマスターと共に現地調達した)
宝具解除時は伸縮自在な雄の狼となる。発動時と解除時で性別が異なるが当人の自認は一応一貫して男である。
一人称は「我」で、喋り方は男性的寄り。
性格は宝具の効果もあり落ち着いており凶暴性はあまり見られない。しかし言動からは諦観がどこか感じられ、それ故か目にはハイライトが無い。
実父であるロキや自分をだまくらかしたテュール、封印を命じ自らが殺したオーディンや最終的に自らを終わらせたヴィーザルに対しては複雑な感情を抱いている様子である。
本来フェンリルは、人理案件か抑止力の介入、或いは縁や連鎖召喚でもない限り通常の聖杯戦争では召喚されない存在である。
その為諦観の中でも内心、サーヴァントとして喚ばれた事で知識を得れた現代の文化のには興味を惹かれているようである。ロキらが喚ばれたから連鎖して喚ばれた可能性については見て見ぬふりをしている。正直会いたくはない。
【身長・体重】
人間時は150cm/40kg。
狼としては可変。サーヴァントな都合かつ舞台の大きさもあってか、現在だと少なくとも東京23区より大きくはなれない。
【聖杯への願い】
無し。こうして通常のサーヴァントとして召喚されているだけでも…我にとってはもう、十分過ぎる。
【マスターへの態度】
嘘吐きの娘。度胸といい、あの軍神(テュール)を思い浮かばせてくれる。
聖杯の破壊もしくは魔術の行使不能が願いとは…通常喚ばれる筈のない我のマスターらしいな。
マスター
【名前】
大和 舞矢/Yamato Maya
【性別】
女
【年齢】
17歳
【属性】
混沌・悪
【外見・性格】
髪色は赤色で長さはポニーテールといった所。発育が良い。
眼の色は蒼。服装は高校の制服。一人称は私(わたくし)で、基本的にお嬢様口調で話す。
彼女がこの口調で話すのは元来の口の悪さと俗っぽさを取り繕う為、義父から受けた教育によるがそれを持ってしても隠し切れていない。
黙っていればお淑やかな令嬢と云った感じの少女。しかし実態は感情が表情に出やすい性格で、前記の口の悪さと俗っぽさもあって喋り出すとお淑やかさはあまり無い。
自称「自分勝手で他者を蹴り倒す非情な人間」だが、本質的には誰かの為に悲しめ、義憤を抱ける情に厚い人間。また涙脆い一面も。
一度惚れ込むと一途な一方、奥手でヘタレな側面も持っている。
憎悪を向ける対象かつ復讐相手である魔術師だろうと、(余程酷く身勝手な物でない限りは)願い自体は否定出来ず、それを叶える機会を命諸共奪う事へ対して内心罪悪感を抱いている。
また聖杯ならば目覚めぬ想い人をどうにか出来るのでは…という気持ちもあるものの、それでは自分だけが救われてしまい、他の事故の被害者や遺族が報われず魔術師達への復讐も果たせないからと押し殺しており、事故の惨状と生存者や遺族の有様を見た事により自分ひとりが救われる事を良しと出来ない精神状態に陥っている。
想い人が植物状態となった事故に魔術師の関与が示唆された際、茫然自失が続いていた彼女が魔術師へと…そして自らへも抱いた感情は憎悪と怒りであった。
【身長・体重】
157cm、47kg
【魔術回路・特性】
質:E 量:EX
特性:〈霊子変換〉
規格外と言える程の回路の量を誇るが、鍛錬等を一切行っていなかった為現時点での質はさっぱり。
霊子への変換が可能な為、通常の魔術師というよりはどちらかというとウィザードの類に近い。
【魔術・異能】
◇霊子変換
条件を満たした対象を霊子へと変換(判りやすく云うとデータ化)し、そのまま消滅させる魔術。現時点では発動可能な条件は2つあり、
・自らが触っている生命あるいは物質
・自らへと放たれた攻撃(この場合は触れてなくても反応さえ間に合えば発動可能)
のどちらかを満たしていれば行使可能。発動すると、対象が0と1の数字へと変換されながら消滅を遂げる。
しかしどちらの条件で発動させるにしても発動速度は当人の反応に依存する為、反応が間に合わない速度で攻撃されるとどうしようも無いという弱点を抱えている。
またバーサーカーの見立てでは、対魔力性質が高い相手には効かないだろうとの事だが実際に試した訳では無いので現時点では不明。
なお、鍛錬や経験を積めば出来る事が増える可能性もある。
【備考・設定】
赤ん坊の頃に捨てられ野垂死にする筈だった所を名家の当代当主に拾われ、養子として育てられた少女。
高い文武両道の才覚を発揮し、それもあり幼少期は自惚れていたものの中学時代に挫折を経験(卒業生であった天枷仁杜が残した成績をどれだけ頑張っても超えれなかった)。
以降そこから高校1年生の間は無気力な生活を送ってたものの、ある時転入して来た事により再会を果たした幼馴染との関わりの中で、彼の真っ直ぐさにより立ち直りつつあった。同時に彼に惹かれて行くも、元来の奥手さとヘタレさ故に彼女は一歩踏み出せずにいた。
ある日、彼と些細な理由から大喧嘩になりそのまま2人で出かける予定が頓挫し彼は家族で出かける事となってしまう。翌日彼女は直接謝ろうとこっそり向かう予定だった場所へ向かったが…結果映画館の爆発事故を目の当たりにする羽目に。
破片と瓦礫が爆発と共に散乱し悲鳴が上がる中、巻き込まれたであろう彼を探し出し助けようと持ち前の身体能力を駆使。瓦礫により出来た傷を顧みずまた他の被害者を見捨てる事もせず奮闘した末彼と家族を発見したが…彼以外は既に息絶えており、彼もまた頭部から出血していて、意識の無い状態であった。
病院に彼は搬送されるも、意識は戻らず下された診断は植物状態。親族ももう居ない彼の生殺与奪の権は彼女に握られる形になる。
暫くは虚ろな目で呆然と、当てもなく病院内や事件現場を歩いてはまた彼の病室へ戻る日々が続いていたが、ある時事件に対し魔術師の関与があった事を古馴染から聞かされ…少女の目には怒りが灯った。
そして魔術師への復讐を決め情報を集めていた矢先に、偶然見つけた古びた懐中時計を手に取った彼女は聖杯戦争へと巻き込まれる事となる。
自ら聖杯戦争へと参加した魔術師や願いを持つ魔術師は皆殺しにすると決めている一方、願いの無いもしくは迷ってたり死にたくなかったり元の世界へ帰りたい等の巻き込まれた魔術師は殺すつもりは無く、場合によっては協力関係を結んでも良いとは考えている。
ちなみに文武両道だが、知能以上に身体能力の方が高い。しかし生活力は低い。
【聖杯への願い】
まず願う前に、この魔術で聖杯を霊子へと変換出来ないか試してみます。
出来ないようであれば、そうですわね…今後一切、魔術回路の存在する生命は魔術を行使不能になるとでも願いましょうか。クソったれの倫理観/Zeroな魔術師共にはお似合いの末路ですわ。
【サーヴァントへの態度】
聖杯にかける願いが無いのは好印象ですわ。私(わたくし)の願いの都合、土壇場で裏切られて背中からぶち殺される可能性は低い方がよろしいので。
投下終了します、タイトルは「少女は瞳に怒りを宿し、獣は瞳に諦観を宿す」です
それと>>645 さん、投下途中に割り込んでしまい申し訳ありませんでした
最終日、たくさんの投下誠にありがとうございます……!
投下渋滞など鑑みまして、一応「この後5:00」までは滑り込み投下を受け付けようと思います。
それはそうとこちらで改めてお礼の方を申し上げさせていただきます。
変則的な趣向ではございましたが、多くの方の投下本当にありがとうございました!
OPに関してもなるべく早めに投下させていただきたいと思います。
投下の目処が立ち次第またこちらで連絡いたします。それでは、今しばらくお待ち下さい。
>>654
こちらこそ長々と時間を掛けてしまってご迷惑おかけしました。
投下お疲れ様です。
投下します
---
"彼"は飢える虜囚だった。
飢餓に苛まれる虜囚であった。
同胞たちもみな似たような性質を持っている。
満たされることのない飢え。潤うことのない渇き。
しかし彼のそれは、同胞らのそれとは一線を画すほどに苛烈だった。
その飢餓は、彼の宿痾。
飢えていなければ、彼は彼でなくなってしまうほどに。
存在に刻まれた属性、魂に宿す命題、――起源。
彼は飢餓そのものだった。
彼が座すのは、こことは異なる時空の狭間。
時間の軸を同じくしない、宇宙の外側の場所に、彼はいる。
螺旋と尖塔の都を心象風景に、満たされることのない永遠の飢えに苛まれている。
時折、彼は人間によって呼び出される。
使役したところで、飢えに狂う彼を御することは、掛かる労に対して得るものがない。
故に、召喚者の多くは彼を刺客として、敵対者の目の前に放り出す。
召喚者の事情を知る由もないまま放り出される彼としても、目の前にぶら下げられた餌を追わない理由はない。
尖兵として都合よく使われているわけだが、もとより人と価値基準が異なる彼にとっては些末なことだった。
至上命題、飢餓。それを満たすこと以外、どうでもいいのだから。
だから、元居た場所に還る前に、呼び出してきた人間まで喰らってしまうこともままあったが、それも決して顎で使われたことへの怒りや腹いせといった意図は、露ほどもない。
奇跡的な利害の一致によって人間に利益をもたらしながら、やはり扱いやすいとは言えない彼が呼び出されることは、本当に時折といったところであった。
彼は自ら獲物を見つけることもある。
正確には、それは自発的に糧を見つけるのではなく、ただ彼の住まう空間に触れる者、彼の憩う領域を掠める者に気づくというだけではあったが。
彼がいるのは、時間の軸を同じくしない、宇宙の外側の場所。
人間が時間に干渉――例えば時間遡行、過去や未来への遠視――した際、時間の軸を移り宇宙の外に、つまり彼の寝所に触れてしまうことがある。
そんな狼藉者の"におい"を知覚したが最後、彼はその獲物を執拗なまでに追いかける。
気づいた以上、知覚した以上、その存在は彼にとって獲物でしかない。
とはいえ、時の神秘へ触れることが出来る者は往々にして強かである。
冠位の魔術師の遠視に気付ける道理はないし、時間を操る魔法使いの抵抗を抑える力量もない。
現実として彼がありつける獲物といえば、意図せず時の神秘に触れた不覚者や、辛うじてその域に到達した苦労人程度のものである。
その程度のものであれば、彼の嗅覚と飢餓はどこまでも獲物を追い続けることが出来る。
彼を止めるには、彼から逃れるには、"その程度のもの"を脱するしかない。
そんな彼が、新たな獲物の"におい"を嗅ぎ取った。
それは大規模な時間操作だった。
ある時点にある存在が、過去のある時点での世界の情報を参照し、記録を複製し、その存在を別の空間へねじ込む。
コピー&ペーストで行われた、新たなる世界の創造。
人類史の特異点に拠らない、人為的な世界線の構築。
あるいはまったく新しい時間軸の新設とでも言うべきか。
とにかく何らかの形であれ、時間遡行、過去や未来への遠視に近しい行いがなされたのは確かであり。
その行いがどれだけの偉業、大業であろうとも、飢餓に狂う彼にとってはやはり些末なこと。
癒えない宿痾の慰めを求め、彼は複製された継枝へと躊躇なく降り立った。
その枝は、第一次の戦禍無き過去の東京。
聖杯〈熾天の冠〉によって再現された、聖杯戦争の舞台。
その都市に充満する"におい"の中へ飛び込んだ直後、彼は卒倒した。
―――これだ。
彼の意識を一瞬にして奪い、その本能を一瞬にして天上へと誘ったのは。
これまでに知覚したことのないほどに濃密で、芳醇で、そして官能的なまでに衝動を――飢餓を刺激する"におい"。
極上の餌の気配。至高の糧の残り香。
第一次聖杯戦争の覇者。
紛うことなき世界の主役。血に濡れた箱庭の創造主。
特異点、神寂祓葉の放つ存在感(プレッシャー)。
彼は、熱狂した。
これだ。これはずっと求めていたものだ。
これだ。これはちょうど求めていたものだ。
これを喰らえば、どれだけの歓喜が訪れるであろうか、どれほどの悦楽に至れるであろうか。
これまでに歓喜や悦楽を享受したことのない、飢える虜囚に過ぎない彼が、真に初めてそれを得ることが出来るかもしれない。
あぁ、まさか。
もしかしたら、ひょっとしたら。
永遠の飢餓が満たされる、やも―――。
ただ、問題があった。
都市には"におい"が充満している。
跡を辿ろうにも、"におい"の源がわからない。
どこまでも獲物を追い続ける地獄の猟犬たる彼であったが、ここはすでに彼女の胎の中。
求める者は既にすぐそばにいる、だからこれ以上追うことが出来ない。
地道に探そうにも、ここは闘争のために誂えられた箱庭。
ぼやぼやしている間に他の参戦者によって"におい"の主が、その遺骸も残さずに滅ぼされてしまうかもしれない。
彼は、協力者を用立てることにした。
"におい"の主であり、この世界の創造主である、聖杯戦争の主催者を探す協力者。
自分と同じく、その人物を探す動機がある者。
聖杯戦争の参加者を。
そんな彼に、猟犬の祖たる影の女神が手を差し伸べたのは、一体如何なる思惑があってのことか。
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シャキシャキのレタスとカリカリのベーコン、厚めに切られた甘酸っぱいトマトが挟まれたクラブサンドにかぶりつく。
それを温かいカフェラテで流し込みながら窓の外を眺めていると、自分が戦争に巻き込まれているだなんて忘れてしまいそうになる。
喫茶店の柔らかな明かりと、適度な音量の心地いいBGMも相まって、なんだか眠たくなってくるのを誰が責められるだろうか。
窓際のカウンター席に並べられているのが背の高くて、背もたれが無くて、座面が固めの椅子だったから良かった。
これでもしうっかりソファ席にでも座っていれば、背もたれに全体重を預けて意識を手放していたかもしれない。
その時、手に持ったサンドイッチとラテのカップをきちんとお皿の上に戻しているかは、我ながら甚だ自信がない。
「よくないですねぇ……」
眠気に抗って首を回しながら、意識を切り替える。
束の間の安寧に溺れて今後に支障を来す無様を防げるのは、結局のところ自分しかいない。
大人の一番大変なところは誰にも叱ってもらえないことだなんて論説は正直詭弁だと思っているけど、自分が本当にやりたいことをなんとなく後回しにしてしまう時に尻を叩いてくれる人がいないというのは確かに大変だろう。
となると、大人になっても自分の目標を話せるような知り合いが身近にいて、その人に見張ってもらえたなら、きっと大人の一番大変なところも楽になるんだろうなとか、とりとめもなく思ったり。
まあ、わたしの場合は思いがけず、とんでもなく優秀なお目付け役がつけられたわけだけど。
ふいに、隣から鈴が転がるような音がした。
今から話しかけるぞと合図がされた気がして、自然と背筋を伸ばしてしまう。
「遼子」
「はい」
「眠いか」
「はい」
「考えはまとまったか?」
「……ぼんやりとは」
「よし」
隣の席に目を向ければ、真っ先に目に飛び込んでくるのは青い髪だ。
空の群青よりも濃くて、海の紺碧よりも深い青。
白い肌の美しさを白磁に例えたり、赤い瞳の蠱惑的な魅力を炎とか血とかに例えたりもできるだろうけど。
でもわたしが彼女を目にしていつも真っ先に抱く感想は、その御髪の気高い青についてだ。
店内には、すでに人払いの魔術の効果が出ている。
客足を遠ざけて営業妨害にならないかと心配にもなるが、幸い今は朝の早い時間帯、外を出歩く人影も少ない。
店員たちは皆バックヤードに引っ込んでいるし、わたしたちの会話が聞かれる心配もない。
彼女は視線を窓の外を向けたまま、わたしに問いかけてきた。
「オレの霊基の事情は話したな?」
「人探しを依頼されて、そのために用意された身体だって」
「そうだ。オレの英霊の座に登録されていない使い魔を呼び出すための特別性。
この使い魔の目的は聖杯戦争の主催者を食っちまうことだが、そこは真っ当に聖杯戦争で戦う動きの中で大きな矛盾は起きない。
巻き込まれたお前さんの意趣返しとしても悪くない話だ。ここまではいいな?」
「戦って、勝ち残って、生きて帰る。
それを第一前提として、人が目の前で死ぬ覚悟は、決めました」
覚悟は決めたと言いながら、覚悟を決めたつもりになっているだけの気もする。
作り物の世界に放り込まれた現実味はまだまだない。
「改めて目下の問題は、オレの使い魔に収まってるコイツの燃費だ。
パスがつながってるだけで魔力を根こそぎ持っていきやがる。そこでだ」
ギロリと、窓に向けられていた赤い瞳がこちらを向いた。
鋭いまなざしに射すくめられて、蠱惑的な魅力とか気取った表現をしていた自分が恥ずかしい。
わたしに顔を寄せてきた彼女の美貌を間近で直視していると、頭がくらくらしてくる。
後ろに倒れそうになるのをなんとか抑えて、その視線を受け止める。
「オレと○○○して魔力の通りをよくしてだな」
「すいませんやっぱり心が持たないです」
「いやまじで頼むぞマスター!
この使い魔バカみたいに魔力持っていきやがるから、オレは結構燃費いいはずなのにガス欠がひどいんだよ」
「それはここに来る前に聞きましたよ。ていうか、それで魔力供給って食事でもいいっていうから朝ごはん食べに来たのに、なんで食べないんですか」
彼女の前のテーブルには、わたしと同じクラブサンドとレモンティーが置いてある。
それらに手を付ける様子もなく、彼女は窓の外に目をやりながら淡々と語る。
優しさや厳しさをまるで感じられない、平坦な声色で。
「まさかお洒落な喫茶店で優雅な朝ごはんタイムだとは思わなかったから、面食らっちまってな」
「わたしだって食事の魔力供給が効率最悪だって聞いてればせめて食べ放題のお店とか行きました!」
こちらとしてはおいしい朝ごはんが食べられるお店を紹介する程度のつもりだったのだ。
いつのまにか世界は作り物にすげ変わっていて、家族すら本物ではない環境の上、殺し合いに巻き込まれて。
それでも話の分かるサーヴァントが来てくれて、一緒に取る朝食が束の間の平穏をもたらしてくれるかと期待していたのに。
おかげで眠気もすっかり吹き飛んだ。
「とりあえず注文したんですからそれは食べてください」
「あ、はい」
彼女がお皿に向き合うと、ウルフカットの青い髪がふわりと浮いて、その奥の耳飾りが鈴のような音を立てるのが聞こえた。
「くっそ、早いとこ霊地抑えるか、適当なマスターなりサーヴァント倒して魔力取り込まねぇとマジでヤバイ……」
「……狙った獲物は逃さない、高名なるクランの猛犬が女体化して、しかも飢えて死にそうになってるって、アイルランドの人が知ったら嘆き悲しむでしょうね」
「オレだって好きでこのなりじゃないんだがなあ!?」
クランの猛犬、クー・フーリン。
影の邪神に(一方的に)魅入られ、使い魔の御守役を押し付けられた光の御子。
あの大英雄でさえこんな有様なのだ。
あらゆる意味で尊厳を奪ってくる聖杯戦争というものに、わたしは嫌悪感を禁じ得なかった。
「……当面の間は尊厳も守らせてもらいますけど」
「あ?」
「いよいよとなったら、考えます。
とりあえず、生き残りましょう。それが至上命題です」
「……あぁ、了解したぜ。マスター」
サーヴァント
【クラス】
フォーリナー
【真名】
クー・フーリン@ケルト神話及びアイルランド伝承
【属性】
秩序・悪
【ステータス】
筋力B 耐久C 敏捷A 魔力D- 幸運D 宝具B+
【クラススキル】
領域外の生命:A
フォーリナーのクラススキル。
外なる宇宙、虚空からの降臨者。
邪神に魅入られ、その権能を身に宿して揮うもの。
彼女の場合は、闇の女悪魔。
神性:B+
フォーリナーのクラススキル。
神性適性を持つかどうか。
半神半人という生来の適性のみでBランクに相当することに加え、外宇宙に潜む高次生命の代行となっている。
とはいえ邪神側から加護の類を与えられているわけでもないため、ボーナスは一時的な倍加程度に留まった。
【保有スキル】
戦闘続行:A
所謂「往生際の悪さ」。
決定的な致命傷を受けない限り生き延び、瀕死の傷を負ってなお戦闘可能。
Aランクともなると霊核を潰されてもしばらく動き回る事が可能。
ルーン:B
北欧の魔術刻印・ルーンを所持し、キャスターにも適正を獲得する程の知識と腕前を持つ。
クー・フーリンが扱うのは神代の威力を有する原初のルーン。
矢避けの加護:B
飛び道具に対する対応力。
使い手を視界に捉えた状態であればいかなる遠距離攻撃も避ける事が可能となる。
ただし超遠距離からの直接攻撃、及び広範囲の全体攻撃は対象外。
仕切り直し:C
戦闘から離脱し、状況をリセットする能力。
また、技の発動条件を初期状態へと戻すと同時に、バッドステータスの幾つかについても強制的に解除する。
■■■■■■の猟犬:A
槍の穂先より滴る餓狼の執念深さ。
邪神からの命を帯び、不定形の使い魔の使役を代行している。
代償として魔力の消費量が著しい。
【宝具】
『刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)』
ランク:B 種別:対人宝具 レンジ:2〜4 最大補足:1人
クー・フーリンが編み出した対人用の刺突技。
槍の持つ因果逆転の呪いによる必殺必中の一撃。
「心臓に槍が命中した」という結果をつくってから「槍を放つ」という原因を作る。
回避には因果操作を回避出来る幸運の高さ、自身が放つ神速の槍さばきを躱す技量の二つが必要であり防ぐには槍の魔力を上回る防壁を用意するしかない。
仮に心臓を穿てなくとも当たれば負傷と回復阻害の呪いを残し、魔力消費の少なさにより連発も可能で対人効率が良い。
『突き穿つ死翔の槍(ゲイ・ボルク)』
ランク:B+ 種別:対軍宝具 レンジ:5〜40 最大補足:50人
魔槍ゲイボルクの本来の使い方。
魔槍の呪いを最大限開放して渾身の力で投擲する。
「刺し穿つ死棘の槍」とは違い心臓に命中させるのではなく、一撃の破壊力を重視している。
生前より更にその威力は増していて、相手に向かって無数に分裂していき一発で一部隊を吹き飛ばす。
因果逆転程の強制力はないが、一度ロックオンすれば「幾たび躱されようと相手を貫く」という性質を持つため標的が存在する限りそこがたとえ地球の裏側だろうと飛んでいくだろうと推測されている。
『飢え狂う蒼黒の狗(モーザ・ドゥーグ)』
ランク:B+ 種別:対人宝具 レンジ:∞ 最大補足:1人
「闇の女悪魔」より託された使い魔。
クー・フーリンは使い魔に、自身と同じケルト圏に出没したとされる怪異「黒い犬」の名を与えた。
召喚の際は、刃物や物品の破片といった120度以下の鋭い角度を触媒とし、蒼黒い煙を伴って現れる。
使い魔は常に煙に包まれており、傍目にはそれが凝った部分からシルエットを判別するしかないが、おぼろげながら狼めいた四足歩行と牙を携えた口、燃え上がる瞳と蝙蝠のような翼が見えることもある。
その正体は不定形の粘液塊。
触れた者の魔力と魂を蝕み糧とする、飢え狂う混沌の泥―――すなわち、生きたケイオスタイドである。
使い魔自体は特別な攻撃手段を持たず、その危険な体質を利用した体当たりと浸蝕が主な攻撃手段となるが、この使い魔の真価は追跡能力にある。
一度召喚された使い魔は標的の「におい」を記憶しており、逃走や撃退が成功したとしても、標的の周囲にある「鋭角」を触媒として使い魔自身が自己召喚を行うため、時空間を超えて永久的に追われることとなる。
完全に逃れるには、身の回りから「鋭角」を無くして「曲線」のみで構成するか、完膚なきまでに叩きのめして追跡を断念させるしかない。
ゲイボルクと同じく「敵を逃がさない」宝具であるが、魔槍を用いた宝具がそれぞれ「命中精度」、「威力と範囲」に秀でているのに対し、こちらは「継続時間」と「有効回数」に優れている。
なお、使い魔が纏う煙は認識阻害の効果を持ち、クー・フーリンはその煙をゲイボルクに纏わせている。
騎士王の振るう聖剣ほどではないが、同じ時代を生きたケルト圏の英霊であれば持ち主の正体を悟られかねない呪いの朱槍を隠す意義はある。
もっとも本人は真名が露呈すること自体を警戒しているというより、女体化していることがバレたら不味い知り合いたち数名を特に警戒している。
【weapon】
『刺し穿つ死棘の槍』
【人物背景】
ケルト神話、アルスター神話に登場する大英雄クー・フーリン。……が女体化した姿。
フォーリナーのクー・フーリンは狂戦士としての側面に由来する狂化スキルへの適性と、影の国の女王との縁、そしてクー・フーリン(クランの猛犬)の名を得るに至った逸話から、"猟犬を従える影の女悪魔"より依頼され、その神性と使い魔の代行者として召喚されている。
そのためクランの番犬を育てていた時期の精神性が強調されており、人格として育てる者としての側面が顔を出しやすい。
とはいえその実情は使い魔が獲物―――第二次聖杯戦争主催者を見つけるまでの中継基地のようなものであり、最も適性のあるランサークラスの霊基との違いも微々たるものといえる。
「性転換してるのを微々っつった?」
神性と使い魔の代行を託した女神は、猟犬を伴って現れるとされる。
クー・フーリン自身が女神の名代となり、女神あるところに猟犬ありという形式をなぞることで、使い魔の召喚を宝具レベルにまで強化・安定させている。
そのための女体化であり、仮になんらかの手段で男体化がなされた場合、使い魔の使役に支障をきたす可能性がある。
細かいところでは属性が中庸から悪へ変化しているが、これは邪神からの影響というよりも、行動を縛られていないことが過剰にステータスへ反映されていると言える。
【外見・性格】
ウルフカットの青い髪。後ろ髪を伸ばし一つにまとめている。
愛用の青いボディスーツはいつのまにか女性物に仕立てられていたが、それが師匠のスーツを思い出させて居た堪れないらしく、若いころに着用していた鎧を上から着ている。つまりスカサハの色違い+プロトランサーの鎧姿。
女体化しているが人格は男のままであり、一人称も「オレ」。
普段は小洒落たアロハシャツとスラックスにオーバーサイズのジャケットを羽織ってオシャレにまとめている。
御守役を仰せつかった今回ナンパは自重気味らしいが、情報収集と索敵と称して女の子にちょっかいかけている。
元々頼れる兄貴肌だが、女体となってからのほうが女の子の食いつきがいいらしい。
【身長・体重】
172cm/63kg
豊満なバストは戦闘時に邪魔なのでスーツで押しつぶしている。
平時は割と谷間とか緩め。でも知らない野郎に見られるのも嫌なので渋々下着はちゃんとつけてる。
【聖杯への願い】
聖杯への願いはない。
邪神からの依頼は「猟犬たちの御守」であり、本人の願いは「強者との戦い」である。
「あと追々この身体は元に戻るんですよね? え、聖杯への願い……?」
【マスターへの態度】
いろんな思惑に巻き込まれて不憫には思っている。
オレ好みの女には程遠いが、気長に育ててやるさね。
マスター
【名前】伊丹遼子/Itami Ryouko
【性別】女性
【年齢】17
【属性】秩序・善
【外見・性格】
化粧気のない顔に最低限の手入れをしているだけの黒のショートカット。
多くの女子高生が好むオシャレというものにまるで関心のない少女。
服装にも頓着が無く、いつも都内の高校の制服姿。
今は戦争なら動き回るだろうとスカートの下に学校指定のジャージを履いている。
【身長・体重】
152cm/54kg
【魔術回路・特性】
質:D 量:B
そこそこの魔力量があるためなんとか猟犬の餌代が賄えている。
あるいは賄える魔力量だから選ばれたのか。
【魔術・異能】
特になし。
とはいえ魔術の指南を受ける相手が相手である。
暗示、人払い、物探し、魔弾などをそれなりに習得済み。
【備考・設定】
一般家庭出身。
この世界が作り物と知り、例え作り物でも家族を巻き込みたくないと暗示をかけて旅行に行かせた。
おまけに学校にも暗示の魔術で休学をねじ込んだため、期せずして憧れの独り暮らしを満喫している。満喫しないとやってられない。
精神的に年相応な弱さはあるものの、かなり図太くおおざっぱな性格。
なのだが、呼び出されたサーヴァントにかなり(半ば勝手に)振り回されている。
【聖杯への願い】
生存第一
【サーヴァントへの態度】
基本頼れるお姉さん。
投下終了です
滑り込みの時間も少し超えてしまって申し訳ありません
お待たせしております。
本日の21:00より、OPの投下を行います。
お付き合いいただければ幸いです。
お待たせしました。投下を開始します。
――そうして、種は間引かれた。
此処は少女のための楽園。
ひとりの願いによって回る叙事詩(ラグナロク)。
回る舞台は時計の針と同期している。運命という名の、時計の針と。
故に此度の戦に名を与えるならば、それはきっと〈針音聖杯戦争〉。
既に終わった物語が、子どもじみたわがままを唱えて罷り通ったあり得ざる"もう一周"。
それを望み、そして引き金を引いた少女は今、東京の町並みを一望できる摩天楼の縁に腰を下ろして足をぶらつかせていた。
「おもしろかったねえ」
そう言って、にへら、と笑う。
この聖杯戦争に調停役の人員は存在しない。
だが強いて言うなら、それは彼女なのだろう。
ゲームマスターにして主人公。
主人公にして、最大の脅威。
神寂祓葉。あまねく神話を否定しながら自分の神話を綴り上げる、人類最美の冒涜者。
彼女にとって、この聖杯戦争は遊戯である。
そして同時に、映画のようなものでもあった。
だからこそどこまでも邪気なく、予選の一月をこう締め括る。
本当に楽しかったし、面白かった。
つい介入して両手の指では収まらない数の演者を間引いてしまったほどには、祓葉にとってそれは愉快な娯楽であった。
物語は進み。
ゲーム盤は、じきにその真の姿を顕す。
あらゆる演者は今も、この聖杯戦争の真実を知らない。
この物語は実に公平。誰もが血で血を洗う骨肉の争いを越えて熾天の冠に辿り着く権利を有している。
故に彼らは端役(エキストラ)ではなく演者(アクター)なのだ。
思い思いの演技を魅せ、主役の座を勝ち取るべしと造物主は彼らへそれを望んでいる。
だからそう、ただひとつこのゲーム盤に陥穽のようなものがあるとすれば、それは。
最初から、〈主役〉の座が埋まってしまっていること。
誰も彼もに物語を求めながら、その生き様を皆が欲する主役の座から楽しげに笑覧する女がいる。
そして彼女に侍り、妄想の淵から這い出した理想の成就を掲げる男がいる。
この物語はとても公平。だがその実、呆れてしまうほどに"どうしようもない"。
だって、そう。
物語に主役がいるのが当然ならば。
それと同じくらいには――〈黒幕〉がいることだって当然だろう。
「時は満ちた。これから聖杯戦争を始め、そして速やかに終わらせる」
「もういいの?」
「ああ、もういい。慣らしは済んだし、好んで手を拱く趣味もない。
此処からは早急に事を進める。元よりこんなもの、ボクに言わせれば試作機を動かすまでの煩わしい準備段階に過ぎない」
非常に不快だった、と目を細める少年科学者。
名を、オルフィレウス。捨て去った名を、ヨハン・エルンスト・エリアス・ベアラー。
世界を救えたかもしれない、片田舎のちっぽけな天才である。
だが、今やその霊基。その存在。いずれも、芥に非ず。
彼は虚空に神を見た。調子に乗るので絶対に口には出さないが、確かに未知との遭遇はあったのだ。
溢れ出したインスピレーション。突破された到達限界。あまねく理論は眩い現実の前に淘汰され、今その指先は星に迫っている。
かつての戦争で、彼はまったくの役立たずだった。
死にゆく少女を〈主役〉に変えてしまったこと以外で、彼ができたことはほぼほぼ何もない。
されど今は違う。それが単なる意気込みの類でないことは、彼が痩身から放つ既存のどれとも類似しないまったく未知のエネルギー反応が証明していた。
「とはいえ基本方針は変わらずだ。
外付けの部品で性能を底上げしたとはいえ、ボク自身が何かの達人になったわけじゃない。
素人の付け焼き刃ほど容易いものはないからね。ボクは変わらず裏方に徹し、前線での野蛮な戦闘はきみに委ねる」
「うんうん、それがいいよ。ていうかそれなら私も安心。
ヨハンがすごい英霊達に囲まれて無双してる絵面とか、どうやっても想像できないもんね」
「……うるさい。きみの方こそ、好きにやるのはいいがボクの存在だけは忘れるなよ。実のところボクはそれを一番恐れてるんだからな」
「もう。ヨハンって私のこと、山猿か何かだと思ってない?」
「今更になってようやく気付いてくれたかい? だったらボクも常々通じない皮肉をがんばって言い続けてきた甲斐があるよ。ありがとう」
〈主役〉と〈黒幕〉が、肩を並べて言葉を交わし合っている。
まるで竹馬の友のように。真実、死線を共にした相棒同士のように。
そして彼らの向いている方角は、いつだとて常に同じなのだ。
その事実が、この物語において誰かが名乗りを上げる難易度を極悪なまでに高めていた。
〈主役〉たるは神寂祓葉。
光の剣を右手に握り、笑顔で戦場を駆け抜ける。
時に人を救い、時に人を殺し、時に人を狂わせる常世の光。
〈黒幕〉たるはオルフィレウス。
孤独ゆえに真理へ辿り着けなかった男の物語は既に終わっている。
肩を並べて戦う相棒を得た彼に隙はなく。その計画は、針音と共に廻り続けて久しい。
最弱は、最強に成った。
理論値を暴力的に破壊するかつてのダークホース、現在の勝ち馬筆頭。
彼らはゲームマスターであると同時に、プレイヤーでもある。
故に悪夢。自分達でお膳立てをし、自分達で役者を集め、自分達でゲームを閉じる清々しいまでのマッチポンプ。
そう、結末は最初から決まっているのだ。
勝利は主役の特権で、敗北すべき黒幕がそれと手を繋いでいるなら物語に破綻の二文字はあり得ない。
「まあ、冗談はさておき」
「本当に冗談かは疑わしいものがあると言わざるを得ないね。何度もボクはそれを見ている」
「安心したよ。ずっとボクと一緒に後ろに引っ込んでろー、とか言われなくてよかった。
まだ会えてない子も多いし、これから会いたい子も多いしね。
やっぱり一緒に遊ぶなら、顔を突き合わせて楽しまなくちゃ。そのために私は、王冠を被ったんだから」
神寂祓葉の人格は、聖人と言ってもそう差し支えないものだ。
困っている人がいれば手を差し伸べる。人を美醜や生まれで判断しない。
人間が当然に持ち合わせる感情の中から、"憎"が欠落していることを除けば、彼女はむしろ人間らしすぎるほどに人間らしい。
だからこそ、オルフィレウスほどの厭世家でも流石に理解させられてしまう。
この言葉にも、きっと嘘や含み、ましてや皮肉など微塵もないのだと。
この少女は本当に"みんなで楽しく遊びたくて"、だからこそこれから始まる第二次聖杯戦争に胸をときめかせているのだと。
それはさながら、行事の前日に何度も寝返りを打ちながら明日の楽しみを空想する子女のように。
「楽しみだなあ。ふふ、ふふふふふ!
どんな子がいるんだろ。どんな子とお話できるんだろ!
どんな子が、私をやっつけに来てくれるんだろ――ああ、もう! ない心臓がどきどきしちゃうよ〜!」
「……やっぱり、きみは化物だな」
「む。その台詞何回目? 私だって年頃の女の子なんだから、何回も言われると傷ついちゃうんだけど?」
「言葉の裏を読めないバカはこれだから困る。
……、まあ。きみがそういう人間じゃなかったら、ボクは早々にやる気を失って放り出していただろう、とだけ」
「?」
「………………"?"じゃなくて」
首を傾げる主役に。
黒幕は、気まずそうに目を逸らした。
それからややあって、ぱあっ!と、向日葵でも咲いたみたいに満面の笑み。
祓葉はぎょっとして逃げようとしたオルフィレウスの矮躯を、その歳の割には豊満な身体でぎゅむっと抱擁する。
「…………ヨハン〜〜〜〜!! かわいいこと言ってくれるじゃん、うんうん! お姉ちゃん嬉しいよ〜〜〜!!!」
「わぶっ……! ひっつくな熱い苦しい重い離れろバカ! ああもう、これだからきみと真面目に話すのは嫌なんだよっ」
「えへへへへへ〜〜〜……。もう、もう! ヨハンったら照れ屋さんなんだから〜〜〜〜!! ぎゅ〜〜〜!!!」
「はーなーせー! ……あっやばいマジで離して、この身体になっても痛いものは痛いんだってば離痛っいたたたたたた」
ぼきぼぎごぎごぎっ、という嫌な音を立てながら相棒をインスタント抱き枕に変える少女に、脅威の色は毛ほどもない。
それでも今日この日、この夜。選ばれし役者たちを乗せて、静かに針音の仮想都市は、とある男の巨大な歯車機械は動き始めたのだ。
第二次聖杯戦争が、ここに真の開幕を迎える。
忌まわしき幼年期を真に終わらせるべくして、いつか破れた誰かの夢が再起動され。そしてあまねく〈物語〉は、その存在意義を奪われる。
――星の降る、とても美しい夜に。
――その日誰もが、運命を開幕(はじ)めた。
◇◇
◇◇
未来なんて、どこにもありゃしないのにね。
◇◇
雨が降っている。
暦は既に五月の頭だ。
仄かに暖かな陽気の日が増え始めるこの頃に降る雨は、都心特有の熱気と合わさってじっとりとした湿気を生み出してくる。
"いつか"のことを、思い出していた。
いつものように顔を殴られて、でもその日は少し打ちどころが悪かったみたいで。
頭の中がぐわんぐわんと揺れているのが分かって、立てもしないまま湿った畳の上で外を見つめていた。
しとしとと雨の降る五月の空には鉛の雲が垂れ込めて、曰く自分達を見ているらしいお天道様は影も形もない。
ああ、と思った。自分はそういうものにさえも見て見ぬふりをされているのかと、子どもながらにそう感じた。
灰色の天井。
灰色の世界。
少女の原風景は、やはりそこにあって。
そして今、果てのないことだけが取り柄だったそれすら自分という中心を消し去るべく丸く崩れ落ち始めている。
医者という、この科学社会では巫覡にも等しい存在が告げた世界の終わり。箱庭の死。
それを告げられた日からさらにひと月。恐らくこの身体の残り時間は、もうすぐそこにまで迫っているのだろうと思いながら、華村悠灯は傘も差さないで青空でさえなくなった空を見上げていた。
「思ったより、なんとかなっちゃったな」
独りごちた言葉は本心だった。
聖杯戦争。魔人と怪物のひしめき合う人外魔境と聞いていたが、蓋を開けてみれば悠灯はここまで一滴の血も流さずにやって来れてしまった。
もっとも、取り残されているのは悠灯だけだ。
華村悠灯という演者がたまたま幸運だっただけで、この東京の街は既にひと月前と比べてだいぶその情勢を変化させている。
それも含めて、なんとかなってしまっているのだ。
災厄に出くわさず、寿命を早めるような凶事とも無縁のまま、経験した交戦は片手で数え切れる程度。その戦いも、キャスターに委ねていればどうにかなった。
安堵。そして、ちいさな焦燥。
今こうしている間も、この東京で大きな何かが蠢いているのではないか。
自分には想像もつかないような大きなことが、この踏みしめている大地という水面の下で静かに進行しているのではないか。
そんな何かが今にも、風前の灯火のようなこの生命を刈り取っていってしまうのではないか――
悪い想像が、うねうねと奇怪な芋虫のように頭の中でのたくって。
思わず顔を顰めそうになったその時、ぴう、という小さな笛の音が悠灯の耳朶を優しくくすぐった。
「……キャスター?」
「私の部族に伝わる指笛の音だ。術と呼べるほど大袈裟なものではないが、悪心を覚えた時にこれを吹く。
なんとも下らない子供だましだが、これが不思議とよく効くのだ」
言われてみれば確かに、なんだか少し心が落ち着いた気がした。
ただ単に突然の行動で面食らっただけと言えばそれまでだが、そう言い切りたくはない不思議な優しさが心を包んでいた。
「恐らく、君の想像は当たっている」
「え」
「凶兆が見える。造り物の都市に、巨大な影が幾つも射している。
君も知る〈厄災〉はその先触れに過ぎない。じき、遠からぬ内にこの東京は恐ろしい戦火に包まれるだろう」
「……、……」
唾を呑む。
自然と親しみ、精霊と語らい、そうして育ってきた男の言葉には単なる子女の希死念慮とはわけの違う含蓄があった。
そう――既に都市は冒され始めているのだ。悠灯はおろか、都市の誕生と同時に創造された無垢な人形たちでさえそれを認識している。
都市を喰らう〈厄災〉。黙示録の騎士が世界の終焉を告げに現れるが如く、悠灯が先ほど思い描いた通りの不穏がどこかでとぐろを巻いているのだとしたら。
「だが、君や私が変わる必要はない。
蛮勇は死を招き、焦燥は滅びを招く。勇敢な戦士よりも怠惰な怠け者が戦場で長く生き延びた例など、私はごまんと知っている」
「でも……、そんな悠長なこと言ってたら、その内手遅れになっちゃうんじゃないの」
「悠灯」
何か、しなくてはいけない。
滅びに対抗するための何かを。そう進言しようとした悠灯を遮って、シッティング・ブルはこう言った。
「君の願いは、何だ」
「……生きること。今度こそ、腐ったりしないで、ちゃんと――」
「そうだ。そして私の願いは、かつて救われなかったすべての同胞を救うことだ」
ならば滅びさえ、我々は風として乗りこなさなければならない。
そう告げるシッティング・ブルの鉄面皮はひどく頼もしく、そしてどうしようもないほどに哀愁を孕んでいた。
生きる。勝つ。
救う。今度こそ。
たとえ世界が、どう歪もうとも。
都市が、人が、どれほどの災いに呑まれようとも。
この戦の意義は守護(まも)ることに非ず。戦って、乗り越えて、勝つ。願いを叶える。
忘れかけた初心を思い出させられて、悠灯は自嘲気味に「はっ」と笑った。
「そうだね。あんたの言う通りだ」
言いながら、煙草を取り出す。
愛飲している銘柄ではない。たまたま切らしてしまって、知り合いから分けてもらった一本だ。
別にわざわざ受け取る必要もなかったのだけど。こんな日はどうしても、煙草が欲しかった。
一服でもしてないとやってられない日というのが人生には度々ある。そのことを、煙を嗜む人間は知っている。悠灯もそのひとりだった。
「……まっず。あの人、あんなナリでこんな甘いの吸ってんの?」
ウィンストン・キャスターの5ミリ。バニラの後味をむしろ鬱陶しく思いながら、脳にニコチンを供給する。
――生きている。今、私は、生きている。
――死にたくない。こんなところでなんて。
――だって私、まだぜんぜん幸せになってない。
そんなちっぽけな命の残り火だけが、華村悠灯の足を前へと進める活力だった。
◇◇
「おや。遅かったですね、何かありましたか?」
「特に何も。知り合いのガキを見かけて、それで遅くなっただけだ」
「ああ、"いつもの"ですね。そのナリで後輩思いとは、まったくお笑いですが」
「そんな高尚なもんじゃねえよ。若ぇ奴ってのは恩売っときゃ役に立つだろ? 半端にプライド肥やした年寄りよりよっぽど使えるぜ」
周鳳狩魔は、たまたま見かけた"一匹狼"の少女と別れて都内某所のマンションの一室を訪れていた。
不良という生き物は、基本的に群れたがるものだ。こればかりは老若関係なく、習性と言っていいものだと周鳳は思う。
孤高(ひとり)で最強を証明する、なんて手合いは今日びフィクションの世界にしか存在しない絶滅種だ。
孤高とはすなわち自暴自棄と同義。あの華村悠灯という少女もそうだ。満たされない、満ちることのない現実の中で哭いている。
ゴドフロワにはこう言ったが、実のところああいう人間を取り込むことにそれほど益はない。
うまくやれば忠臣に出来るだろうが此処ではいかんせん時間が足りないし、そうまでしたところでただの人間で果たせる役目には限りがある。
故に実のところ、悠灯を見かけてわざわざ声を掛けたのは周鳳のいつもの悪い癖だった。
自分も過去にそうして貰ったから、その記憶を素知らぬ顔でなぞっただけ。
そんなひどく不合理で、意味がなく、自慰と言われても反論のできないお節介。
思考を切り替える。有情から無情へ。温感から冷感へ。――正気から、狂気へ。
「それで?」
「殊の外強情で」
「そうか。部下に恵まれてるな、あの野郎」
部屋の中には、血の臭いが満ちていた。
だが問題はない。このマンションは元々、周鳳が首が回らなくなった債務者から奪い取った彼の所有物件だ。
どれだけ叫ぼうが、臭いが出ようが、余程でなければ外に漏れることはない。
そんな部屋の中で、天井から男が吊るされている。周鳳と同じくらいの年齢だろう彼には、既に手足がなかった。
「おい。今なら芋虫として生きるのを許してやるぞ」
「だ、れが……吐く、かよ。てめえらみたいな外道と、あの人は違う……!」
「何が違う? 狂犬にリード付けて仲間ごっこしてるだけだろうが、何も変わらねえよ。
よく聞けよ、お前には二つの選択肢がある。ボス犬野郎の居所と手の内を俺に教えて命だけは助かるか、それとも」
ゴドフロワに生きたまま手足を輪切りにされて、小便を漏らし下唇を噛み潰した程度で黙秘を保てていることは驚嘆に値する。
周鳳達が追っている"とある集団"の頭目は、さぞかし良い調教をしているらしい。
一蓮托生ってやつか――辟易しながら、周鳳は目の前の宙吊り達磨の顔を覗き込んで言った。
「此処で地獄を見るかだ。時間はやらねえ。さっさと決めろ」
言った瞬間。
ペッ、と、周鳳の頬に赤い唾が吐きかけられた。
「……『刀凶聯合』はてめえらとは違う! 俺達と、あの人が、天下を取る!
いいか、俺を殺すのはいい。ただすぐに皆がてめえを殺しに来るぜ。
『刀凶聯合』は仲間を絶ッ対ェに見捨てねえ……! てめえが膾切りにされるのを、地獄から見ててやるよ……周鳳ォ……!!」
「そっか。よく分かったよ」
つまらなそうに、嘆息して。
それから、懐から取り出した"道具"を達磨の臍に押し当てた。
「知ってるか? 一番キツい地獄には、"死"ってもんがねえんだと」
「ぁ゛……?」
「あっちで先にボスを待っててやれよ。心配すんな、すぐに悪国の野郎も送ってやっから」
独りぼっちは寂しいもんなぁ。
そう言った周鳳が人体と辛うじて判別のつく肉塊を前に奏でる旋律に、聖騎士は手土産のハンバーガーを頬張りながら肩を竦めた。
「やだやだ。生かさず殺さずやるのは苦手なんですよ。そりゃやれと言われたらできますが、野蛮人みたいじゃないですか」
勇ましい啖呵の余韻を掻き消すような絶叫をバックグラウンドに、ゴドフロワ・ド・ブイヨンは回想する。
『刀凶聯合』を名乗る半グレグループの存在に、周鳳狩魔は注目していた。
どのグループからも、ともすればヤクザからも持て余された血の気の多い狂犬ばかりを好んで飼い慣らすという新進気鋭の不良集団。
ひとたび敵対すれば死をも恐れず蛮行に及ぶ有り様はまさに狂犬だったが、重要なのはそこではない。
どうも此処最近――彼らが明らかに一介の半グレ集団には不似合いな、過剰と言っていい重武装を行っているらしい事実だった。
たかだかNPCの集団が、そんな全体の輪を乱すような動きを見せる筈がない。
確実にその背後には、ないし内側には、聖杯戦争の〈演者〉がいる。
であれば潰さない理由はない。ゴドフロワとしても大義を阻む神敵だ、ぜひとも聖罰を下さねばならない集団である。
そこで。ちょうど周鳳の部下の不良に手を出してきた聯合の数人を殺害。ひとりを生け捕りにし、現在こうして演奏会に興じている。
「あ。派手にやりすぎてこっちに血飛ばさないでくださいよ? せっかくのビッグマックセットを台無しにしたら本気で怒りますからね」
「キリスト教ってハンバーガー食っていいの?」
「あなたはクリスチャンを何だと思ってるんですか」
「お前らパンとワインがあればそれでいいと思ってたよ。ただまあ、それにしてもお前は俗に染まりすぎな気するけどな」
「大義の前には腹ごしらえが肝要です。主もお赦し下さることでしょう……いやあ、しかし旨いものですね。特にソースが良い」
狂気とは、無計画に振り翳すものではない。
綿密に計算して、理屈の上で抜くべき"武器"なのだ。
彼らはそのことを知っていた。狂気を愛し、狂気を扱う、人間ふたり。
真昼の演奏会は結局、三分弱に及んだ。
絆を語った口で命乞いをする哀れな狂犬はその遅すぎた選択により許されたが、いかんせん遅すぎたらしい。
演奏がやんだ数分後にはもう、白目を剥いて動かなくなっていた。
「お上手お上手。やっぱりこういう汚れ仕事はあなたの適任ですねぇ」
「押し付けてんじゃねえよ。疲れるし腹減んだわ、これ」
手を叩いてにこにこ笑うゴドフロワへ毒づきながら、自分の分のハンバーガーを大きめの一口で咀嚼する、周鳳なのだった。
◇◇
『刀凶聯合』のアジトの中でも、最も滞在することの多い場所。
それは、足立区の一角にある一軒の廃マンションだった。
廃マンション。公的には、そうなっている。だが此処は、悪国征蹂郎が流浪の果てに流れ着いたすべての始まりの地だ。
だからこそ今も時折征蹂郎は此処で過ごすし、彼の仲間も主の好むこの場所に溜まっていることが多かった。
「征蹂郎クン。それ、片付けねえの?」
プリンヘアーの青年が、部屋の隅に無造作に散らかった品々の山を指して言う。
破竹の半グレである悪国征蹂郎は、その一見するとゴミ山にしか見えない光景の前で胡座を掻いていた。
確かに、ゴミと形容しても問題のないような品々ばかりだ。
使い古されたジッポライター、電源の点かない携帯電話、ひび割れた腕時計、中身が申し訳程度に残っている湿気ったタバコの箱。
されど征蹂郎は、プリンヘアーの問いかけに首を振って応える。
それは、少なくとも彼にとってはこの"ゴミ山"がとてもではないが捨て去り難い価値のある光景だということを示していた。
「お前も知っているだろう。これは、俺達の歴史だ」
「……まあ、知ってるけどさ。でもよ、いつまでもそうやって残しといてもキリないんじゃ」
「そうだな。……だが、俺はそれでもいい。必ずしも"無駄なこと"が悪ではないと教えてくれたのもまた、こいつらだからな」
ゴミ山の正体。それは、死んでいった聯合メンバーの遺品であった。
半グレの世界で、"死"は必ずしも遠い世界の概念ではない。
軽率に人は死ぬ。ひどくあっけなく、死んでいく。
昨日まで隣で笑っていた仲間が、次の日にはドブ川に浮いているなんてことも日常茶飯事なのがこの世界だ。
この仮想都市たる東京にて経過したひと月の間にも、聯合の同胞達は度々命を散らしてきた。
それもその筈だ。彼らに武器を与え、真実を教え、刀凶聯合を対聖杯戦争用の兵隊に変えたのは他でもない悪国征蹂郎自身である。
彼らが戦力に加わってくれたおかげであげられた戦果もある。だが、失う命も生まれてしまうことはやはり避けられなかった。
これは、その喪失の山だ。時に笑いながら、時に泣きながら、時に感情を表に出す暇もなく――ただ死んでいった彼らの記録。
「俺は必ずこの戦いに勝利する。そして俺は……いずれ辿り着くその瞬間(とき)に、死んでいったこいつらも連れていきたい」
刀凶聯合の本質は依然として変わっていない。
敵を倒す。仲間が危害を加えられたなら、あらゆる手管を尽くして報復(カエシ)を行う。
狂犬の群れ。あぶれ者の群れ。居場所のない者達が集まって生まれた、"誰か"にとっての生きる場所。
それを征蹂郎は尊んでいた。誇張抜きに、この世の何よりも大切なものとして愛していた。
だからこそ、彼は死を記憶する。
失ったものを、背負い続ける。
たとえそれが、願いが叶えば消えてしまう泡の箱庭の人形達だったとしても。
自我なんてものが本当にあるのかどうかも疑わしい、針音の調べに従って歩く人造の獣達だったとしても。
その"無駄"を、悪国征蹂郎は黙し背負うのだ。
幸いにしてこの心は空っぽの洞(うろ)。物を詰め込むスペースなんて、有り余るほどある。
「……ハハ。征蹂郎クンらしいなぁ! クールガイって顔しといて、実は人一倍熱い男なんだうちのボスは!」
「からかうのはよせ。……俺は、そんな男ではない」
「俺らはあんたに地獄の底までついてくぜ。
うちにはあんたのために死ねる奴しか残ってねえんだからよ、いつでも征蹂郎クンの意思で"死ね"って命じてくれや」
「……、そうだな」
これから先、恐らく何度もそれを命じることになるだろう。
そうでなくとも、戦いが続く中で何人もの仲間が死んでいく。
このひと月で嫌というほど認識させられたことだ。聖杯戦争は、甘くない。
この都市で繰り広げられる戦いは、恐らく地球のどこの戦争よりも過酷で激しい殺し合いだ。
暗殺者として技を磨き続け、自己を極限まで練り上げてきた征蹂郎でさえ――ともすれば死に得る。
そういう状況が、容易に訪れる。それは明日かもしれないし、今この瞬間かもしれない。
そんな世界で"仲間"と共に戦うことの意味。守ることではなく殺すことばかりを極めてきた征蹂郎は、改めてそれを噛み締めていた。
「ォ、オ、オオオオオ……!」
血塗れの騎士が、哭いている。
血の赤。溶鋼の赤。炎の赤。激情の赤。
――世界の終わりを告げに現れる、滅びのさきがけ。
【戦争(レッドライダー)】の昂りは、日増しに強くなっていた。
本来は性別も、人格も、願望も、ましてや感情など持つことの決してない無我の厄災たるこれが。
どういうわけか、時折こうして癇癪を起こしたように哭き、吼えるのだ。
その理由に、征蹂郎は見当が付いている。というのも、これ自身がその口で教えてくれるからだ。
「クロ、クロ、クロ、クロ……! スベテヲ、ヌリツブス、シッコク……!
チヘイセンノハテヨリキタリテ、ヒト、カミ、ヒトシククライツクスモノヨ……!
オオ、オオ……! クロキ、カゼガ、ミエル……!」
「……、頭が痛いな」
――【黒】。
この【赤】が戦争を運ぶ騎士ならば、それが運ぶものは決まっている。
飢餓だ。世界を枯らし、万人の腹を空腹で膨らす黒き騎士。
黙示録の【黒(ブラックライダー)】。レッドライダーの同族が、終末の騎士がどこかに現界している。
また、心当たりもあった。近頃東京を襲い、各地に深刻な被害をもたらしている原因不明の〈蝗害〉。
本来日本に生息しない筈のバッタがどこからともなく無数に発生し、食糧という食糧を食い尽くしては死骸で道路を埋め尽くしているのだ。
現在、既に東京の食糧事情は危険域に突入して久しい。〈蝗害〉が到達した地域など、スラム街の様相を呈してさえいるという。
まさしく〈飢餓〉が起こっているというわけだ。ヨハネの黙示録の予言通りに、この狭い世界へ逃れ得ぬ終末の風が吹いている。
レッドライダーの昂りも、同族の気配を察知した故のものなのだろう。
今のところは制御できないほどの暴走を見せてはいないが、征蹂郎としては願わくば単なる昂りの範疇で収まってほしいと祈るばかりだった。
「……役に立つならばいいがな」
返事など期待してはいない。
だがそれでも、征蹂郎は猛る【赤】へ言わずにはいられなかった。
「その戦火が俺達まで蝕むというのなら……お前だろうと許さんぞ。"第二の騎士"」
「オオ、クロ……ソシテ、ケモノ、ノ――」
赤騎士は答えない。
答えぬまま、血のような雫を全身からどろどろと垂れ流し、うわ言と共に彼方の空を見据えるばかりであった。
◇◇
「キナ臭いことになってきたの」
陰陽師・吉備真備はアパートの窓から鉛色の空を見つめ、心底面倒臭そうに呟いた。
一見すると単なるどこにでもある若者の部屋といった様相だが、見る者が見ればすぐに分かる。
この部屋、並びにアパートの周囲一帯は魔術師(キャスター)の陣地にも決して劣らない強固な結界と化していた。
真備のマスターが構築し、そこに真備が多少の手を加えた結果、その完成度は現状ひと月前とは比にならない状態に高まっている。
『まだまだじゃのう、ほれココ。こんな分かりやすい陥穽、突っついてくれと言っとるようなもんじゃ』などと厭味ったらしく指摘された経験は、天禀で通ってきた青年にはそれなりに苛立ちを禁じ得ないものだったが……それはさておき。
「なんです、あの人形どもの襲撃がよほど堪えましたか? だったらこれに懲りて、もう少し素行を改めることですね」
「違うわ阿呆。あんな骨クズどもに臆するかよこの儂が。
"本体"が出てくるならいざ知らず、陰陽師相手に式神もどきを送るなんぞ笑える采配よ。
まあ、あの程度の襲撃で傾ぐような結界を作って得意げにしとった誰かさんには多少辟易したがのう」
「……、……」
平常心、平常心。
浮かびかけた青筋を理性で鎮めながら、香篤井希彦は「ははは」と乾いた笑いを返した。
この老人を相手にいちいち素直に反応していたら時間がいくらあっても足りない。
反論したとて減らない口で、(なまじ実績も実力もあるから言い返せない)痛烈な言葉が飛んでくるに決まっているのだ。
数日前のことである。
希彦の拠点(アパート)に、数体の"骨人形"が襲撃を仕掛けてきた。
いわゆる〈竜牙兵〉と呼ばれるものだろうとすぐに察しは付いたが、戦闘力が異常だった。
希彦をして冷や汗が背筋を伝うほどに勇猛。そして、まるで本当の戦士のように頭を使う。
まったく苦々しい経験だったが、尊大なる希彦にある種の危機感を根付かせるに足る一夜であったのは間違いない。
その翌日、希彦は結界の破損箇所の修復を行い――そこで、今までその手の備えは彼に丸投げしていた真備が急に口を出してきた。
だからこの鼻持ちならない老人も、実はあの襲撃を受けて結構肝を冷やしていたのでは、と希彦は思ったのだったが……
「……〈蝗害〉ですか?」
「ああ、アレは無理じゃ無理。伝え聞く限りでも分かる。
お前が"できてる""できてない"に関わらず無理。相手にするだけ無駄ってヤツじゃな。
よしんば儂が無い事全力出してあれこれしても、むしろ飛蝗どもに餌くれてやるだけよ。
来たら大人しく荷物纏めて夜逃げするしかないわな、うははははは」
まあ"奥の手"でも使えば話は別じゃが、と笑う真備に、希彦は何度目かも分からないため息をつく。
無責任というかなんというか。本当にこいつは勝つ気があるんだろうか、と思わずにはいられない。
――と。そこまで考えたところで、当然の疑問が降って湧いた。
「……じゃあ何を見てるんです、あなたは」
「数え切れん。最低でも六つほどだな」
「六つ……?」
「〈蝗害〉も含めれば七つ。……いや、八つか九つは居るかもしれんのう。
久々の浮世と浮足立っとったが、こりゃ本当に聖杯でも獲れんと割に合わん労働じゃな」
脳内にある聖杯戦争に対する知見と照らし合わせると、確かに今回の"これ"は異様な様式だった。
東京都というひとつの都市に数十を超える英霊を押し込めて、現状一ヶ月もの間戦争を続けさせている。
結果として都市に出た被害は現段階でも既に無視することのできないものだ。
挙句、誰かがそれに責任を取る気配もない。やりすぎた主従を罰する討伐令の発布なども行われていない。
まるでそれは、液体を濾過してより純度の高いものを抽出しようとしているかのよう。
そして今の真備の言葉を信じるならば、その試みは成功している、ということになるのだろうか。
……なるほど当然だ、と希彦は思う。
何しろこの自分が此処まで生き残っている。
選ばれし者が当然に選ばれ、そうでない役者は淘汰されていく。
それは実に分かりやすく、また希彦の自尊心を満たしてくれる趣向だった。
「希彦よ。お前さんもそろそろ、"遭う"頃やもしれんなあ」
「そいつらにですか? 上等ですよ。むしろ歯応えがなくて退屈してたところです」
「かーっ、予想と一言一句違わないバカを宣って来たわい。お前という奴はなんというか本当、……単純!」
「事実でしょう。僕は聖杯を獲得すること以上に、僕という人間の能力を証明することをこそ求めているんですよ。
ムカつくことに陰陽師の頂点に近いあなたでさえ認めた脅威を退けることができれば、それこそ箔が付くってものです」
そう、香篤井希彦は既に聖杯を手に入れたその先の未来を見据えている。
彼にとってこの戦いは、自分が望んだ未来を生きていくための通過点でしかないのだ。
敵が誰であろうが何であろうが、成し遂げられる成功の数をケチるつもりは毛頭ない。
確固たる自信を胸にそう答えた希彦に、今度は真備がため息をつく番だった。
「……ま、遭ってみればお前さんもちったぁ分かるじゃろ」
――そこで伸びるか折れるかが、運命の分かれ目って奴じゃな。
後半の部分を声には出さず内に秘めたのは、真備なりの後輩への親心というやつなのか、それとも単なるいつもの諧謔なのか。
そこのところを知る者は彼しかいない。希彦が察することも、少なくとも現状はない。
「真に恐ろしいのは人の業、なんて言葉は現実も知らん似非の常套句だがの。
実際に"力"と"業"を併せ持った手合いっちゅうのは、まあ面倒臭いもんじゃ。
チクタクと風情のない都だと思ってたが、いやはや全く、キナ臭くて堪らんわい」
吉備真備は世界を視る。
千里眼は持たずとも、その練り上げられた感覚は萬に通じている。
この都市にはいくつもの〈厄災〉が蠢いており、それらは演者の数が減ったことでとうとう互いを認識し始めていた。
こうなるともう、事態に収拾を付けるのはまず至難だ。
草の根残らず滅ぼされるのは確定で、後はその不毛の地で最後に立つのが誰かという話になってくる。
――儂もじきに仕事かの。
憂いを帯びた瞳で、陰陽爺は手元のグラビア雑誌(希彦にわがままを言って買ってこさせた)に目を落とすのだった。
◇◇
「……やはり一筋縄では行かんな、この局面にもなると」
老王が、青銅の玉座に片肘を付いて忌々しげに嘆息する。
王の名はカドモス。テーバイの都を創り上げた建国の父にして、幾多の英雄を生み出した偉大な男"だったもの"。
彼はこの聖杯戦争が始まってから今に至るまで、この玉座を一度も降りることなく戦果を挙げ続けてきた。
宝具『我が許に集え、竜牙の星よ(サーヴァント・オブ・カドモス)』。
かつて殺した泉の竜の牙を基に生み出した、精強なるスパルトイ。
スペックの高さに加えて戦士の戦術を駆使する彼らは、カドモス本人の出陣なくして数体の英霊と演者を討ち取ってきた。
だがその戦術にも限界が来ていることを、カドモスは既に悟っていた。
数日前の、スパルトイ三体を用いて行った魔術師の拠点襲撃が失敗に終わったのがいい例だ。
この段階まで生き残ってきたような手合いにもなると、もう小手先の格下狩りで取れる相手の方が少なくなってくる。
苦々しい話だったが、認めざるを得ない現実だった。戦略の組み立て直しが要る、と老王は考える。
「東洋に根付く独立した術理体系。陰陽術、であったか」
「はい。私も詳しいわけではありませんが、そのような印象を受けました」
「面倒だな。伝え聞く限り、単なる魔術師の方がまだ御し易い」
臣下のように膝を突いて答えたアルマナの言葉を受けて、カドモスはそう呟く。
まさに人外魔境。中華に伝わるところの蠱毒の壺である。
この東京は今、あらゆる神話と術理、文化のひしめく魔界と化している。
型に嵌った考えと戦略では、いずれ足元を掬われ突き崩されるだろう。
カドモスの戦士としての勘が、そう告げていた。
――あるいは、やはり自我を簡略化したのは失敗だったか。
一瞬浮かんだ考えを、すぐに切って捨てる。
スパルトイの自我を希薄に設定したのは他でもない自分自身だ。
その理由は、まったくもって合理性を欠く。
戦場では"感情"のような不定形で曖昧な観念が、しばしば状況を変える。手の届かない場所にある勝利を手繰り寄せる。
カドモスもそれを知っていた。知った上で、あえて奪ったのだ。この老いさらばえて耄碌した心を守るために、無駄を冒した。
であればその無駄も噛み含めて自軍と据えなければならない。
振り向いて後悔することほど無意味なことはない。
思考を、切り替える。後ろから前に。過去から未来に。感傷から、冷徹に。
――そんな主君のことを、従者はただ静かに見つめていた。
アルマナは、カドモスの考えていることなど知る由もない。
竜殺しの英雄。テーバイの父。偉大なる王。それでいいし、それ以上を考えることもない。
麻痺した心はただ淡々と戦争へ臨んでいる。彼が殺せと言えば殺すし、守れと言えば守る。アルマナにあるのはそれだけだ。
だから、自分を文字通り我が子のように愛してくれた養父母のことも彼の命令通り暗示で木偶に変えた。
今や彼らの愛情が原因で、王のもとに参じる失態を犯すことはない。
そのことに何かを思うことも、ない。
必要だからそうしただけ。必要なことをする上であれこれと考えを巡らせるのは、無駄なことだ。
仮に王が彼らを餌として捧げよ、と命じたとしても、アルマナは迷うことなく首を縦に振るだろう。
彼女はもう、そういう装置になってしまった。虐殺のあの日から、少女は機械的な針音の音色を絶えず聞き続けている。
「時に、アルマナよ」
「なんでしょうか」
「槍の英霊に会ったと言ったな」
「二日前に。そのことに関しては、既に詳細をお伝えしたと記憶していますが……」
「確認だ。もう一度話せ」
こくり、とアルマナは頷く。
遡ること二日前。陰陽師・香篤井希彦の拠点を襲撃した翌日。
損傷を回復したスパルトイ達は、あるひとりの槍兵と激戦を繰り広げていた。
「数多の槍と、盾を操る英霊でした。目算ですが、数は百を超えていたと思います。
秀でた技と勇猛さもさることながら、槍盾を組み合わせた攻防一体の戦略が一番の脅威でした。
決して押し切れぬ相手ではないと感じましたが、こちらの受ける損害も無視のできない領域に達すると判断。七分の交戦を経て撤退しました」
「……、……」
百を超える槍盾を駆使する槍の英霊、と聞けば珍妙だ。
だが、恐らくは生前に率いた軍の威容を宝具で再現でもしているのだろう。
となれば、カドモスの脳裏には浮かぶ名前がひとつあった。
更に言うならば。交戦を終えて帰還したスパルトイが纏っている懐かしいあの国の"匂い"が――彼にそれを確信させた。
「……やはり貴様か。スパルタの大軍を打ち破った、神聖隊の大将軍よ」
苦々しい、と形容するのが適当だろう渋面で老王は吐き捨てる。
カドモスは国父である。であれば当然、自分の国に生まれた英雄で存ぜぬ者はない。
ああ、また"匂い"がしてきた。悲劇の匂い。血と、断絶と、破滅の匂いだ。
何故にまろび出る。何故に、沸いて来る。よりにもよってこの都市に、針音響く悲劇の丘に。
――まだ儂に、見届けろと言うのか。
傅いた褐色の小鳥を見つめながら、カドモスは小さく拳を軋らせた。
偉大な王は、かつては確かにいたのかもしれない。
だが王は老いた。どこまでも老いてしまった。
もはやその萎びた身体に、泉の竜を討ち倒した時の若さなど、どこにも残ってはいないのだった。
◇◇
「にしても、思ってた以上に筋がいいな。もちろん俺に言わせりゃまだまだだが、とにかく飲み込みが早え。
いやはや、この歳にもなっていい弟子を持ったもんだぜ」
「歳も何も、貴方はもう死んでるだろう」
「わははは、細かいことは気にするな! それもまた武に生きる男の条件さ。
拳術であれ、槍術であれ、何であれ……迷い躊躇いは敵にすぐバレる。
考えるのも悩むのも生きてる人間の特権だが、正しく噛み分けてこその一流だ」
古代ギリシャにて、神聖の名を冠する勇壮なる男達を率いて奔った男。
名をエパメイノンダスという彼の課す鍛錬は、正直なところ高乃河二が思っていた以上に苛烈過酷だった。
流石にサーヴァント。英霊の座という"天"に買われる生き様を残して死んだ、人類史の影法師。
幼い頃から魔術と武術に親しみ、鍛え上げられてきた河二だが、それでもこれほど密度の高い修行に打ち込んだ試しはなかった。
豪快なようでいて、すべてに無駄がない。粗雑なようでいて、すべてが理に適っている。
亡き父も草葉の陰で嫉妬しているのではないかとそんな益体もないことを思ってしまうくらいには、将軍の指導は凄まじい勢いで実になっていた。
河二は此処まで、サーヴァント戦というものを一度も経験していない。
強いて言うならばあったのは二日前、〈竜牙兵〉に類するだろう数体の使い魔の襲撃を受けた程度だ。
率直に、なかなか肝の冷える戦いだった。エパメイノンダスは流石だったが、敵も単なる傀儡とは思えないほどに秀でていた。
事実、撃退したエパメイノンダスも『アレがただの尖兵とは、いやはや恐れ入るしかないな』と讃えていたほどだ。
――しかし、それも含めて有意な体験だったと思う。
魔術師の常識さえ彼方に吹き飛ばす人外魔境の片鱗に触れたことで、自己に対する慢心のたぐいは完膚なきまでに消し飛んだ。
もっと強くならねばならない。そうでなければ目的を遂げるどころか、この世界で生きていくことすら不可能だと察した。
そんな彼ら主従は今、なんてことのない散歩の帰り道だ。
「ランサー。毎度聞こうと思ってたんだが、飽きないのか?」
「何がだ?」
「こうして常々貴方は僕を散歩に連れ出すだろう。進んで敵を探しているわけでもなし、今ひとつ意味が見出だせないんだが」
「なんだそんなことか。固いことを言うな。
だがまあ、そうさな……これは確かに俺のワガママだ。ささやかながらお前に、授業料というものを要求しているのさ」
「……授業料?」
「おう。俺はな、このトーキョーという街に興味がある」
清々しそうな顔をして、エパメイノンダスは答えた。
この男は強く、そして豪快である。一見するとその有様は、脳筋気質の馬鹿にさえ見える。
彼の生涯を知ればそんな誤解は決して抱けなくなるだろうが、絵に描いたような豪放磊落な性分をしているのは本当だ。
要するにこのエパメイノンダスという男は、どこまでも気持ちのいい男なのである。
喩えるならば、快晴の日の青空のような。山の頂上から見下ろす景色のような。
そんな、曇りなき人柄を彼は自然体で体現し続けていた。
そんな男は、現代日本の中枢であり、世界有数の大都市でもある東京の街をこう評する。
「良い街だ。活気があり、建築は見事で、メシもうまい。歩く度に新たな発見がある。
いやはや、こればかりは英霊の座では味わえない娯楽だ。正直、俺は今とても満足している」
「……ピンキリだけどな。綺麗な部分もあれば汚い部分もある。そこは貴方の時代と、大して違いもないと思うぞ」
「それもまた良しだ。絶景ばかり見ていればいいというものでもない。俗には俗の良さがあるのさ」
なんともこの男らしい理由と物言いだと、河二は思った。
ただ、確かに遠い昔の時代を生きた者からすればこの街はさぞかし未知の巣窟だろう。
その技と身体で自分の背を押してくれる彼に払う授業料がこれだとすれば、確かに付き合ってやってもいいと思える。
と、そこで――エパメイノンダスが足を止めた。その視線を追うと、先には一軒の教会があった。
「ふむ。改宗した覚えはないが、一度立ち寄ってみてもいいかもしれんな。琴峯教会、か」
「……いや、日を改めた方がいいと思う。今日はずいぶん混んでるみたいだから」
琴峯教会。その敷地は、傍目に見ても分かるくらいには盛況だった。
今日はミサの曜日でもないだろうに、これほど賑わっているというのは驚きだが……頷ける話でもある。
神に祈りを捧げる場所が賑わっているということは即ち、藁にもすがる思いな人間がそれだけ多いということでもあるからだ。
それを不思議に思わない程度には、今の東京は荒れていた。
「……それもそうだな。確かに心穏やかにいられる情勢ではないか」
エパメイノンダスも、そう言って頷く。
日々版図を広げる〈蝗害〉に、街のあちこちに残されたこのひと月の――聖杯戦争の爪痕。
彼に付き合って散歩をする日課の中でも、それらしき場所を何度も見かけた。
流石に蝗害が現在進行形で幅を利かせている場所には足を向けていないが、それでも明らかに、このひと月で東京の様子は様変わりしたと感じる。
――平和が崩れる光景というのは、見ていて気分のいいものではない。
河二は、そう思う。覚えがあるからだ。"当たり前"だった日常が崩れ、変わり果てる様というものに。
(……許し難い、な)
今はもう、仏壇に飾られた写真の中でしか目にすることのできない父の笑顔が脳裏をよぎる。
他人の痛みに寄り添って、手を差し伸べてやるほどお人好しになったつもりはない。
だがそれでも、心を動かすものはあった。その感情を分類するならきっと、"怒り"という言葉になるのだろう。
(聖杯戦争。古びた懐中時計に誘われ、足を踏み入れたこの針音響く仮想都市。
……ただの偶然と片付けるのは簡単だが、もしも僕の手を引いたのが因果と呼ばれるものならば)
――この世界に、断片(ピース)が存在するのだろうか。
果たすと決めた目的。復讐。その足がかり、あるいは答えとなる何かが。
虚空に解を求める趣味はない。しかし此処は聖杯戦争。運命の交差する場所、針音の特異点。
すべての可能性は脳裏に入れておく必要がある。教会の喧騒を横目に通り過ぎながら、人として鬼に成らんとする少年は唇を噛んだ。
◇◇
しんどい。
本当にしんどい。
自他共に認めるストイック気質の琴峯ナシロ、両親亡き今教会をひとりで切り盛りする少女も流石に此処最近の忙しさには眉根が寄っていた。
(不謹慎だが、休校になってくれて助かった。これは流石に平日に捌ける範疇を超えている)
心の中ではともかく、口に出して愚痴を漏らすことはしない。
ナシロは自分の選んだ道、教会を継いだという事実に誇りを持っている。
迷える人を受け入れる教会の主がそれに不平を漏らすようになったら終わりだ。
だからすべての弱音は心の中に留める。その甲斐あってか、ナシロの教会はこの動乱の東京において小さなオアシスとなっていた。
〈蝗害〉の拡大と、各地で絶えず勃発する不可解な事故、殺人、失踪事件。
今、東京は現在進行形で震源もわからぬ揺れに曝され続けている。
ナシロの通う高校は、昨日付けで一週間の臨時休校が決定された。
全部ではないが、都内の結構な数の学校が同様の措置を講じているらしい。無理からぬことだと、ナシロも思う。
ナシロは世界の真実を知っているが、自分が人間ではないなどとは知る由もない市井の人々はそうではない。
世が傾けば神に縋る。仕方のないことだが、現状の琴峯教会の規模でそれと向き合うのはなかなかの重労働だった。
とにかく、教会を閉める選択肢はもちろんない。論外だ。
とはいえこのままでは、まず間違いなく自分の身体にガタが来る。
早い内に何か手を考えないと潰れて本末転倒になりかねないな、と思いつつ、表をシスターに任せて昼食に向かうことにした。
その道中でふと、不吉な考えがよぎる。このまま聖杯戦争が加速したなら――この仮初めの教会を守るなんてことは言ってられない、そんな状況が近々やってくるのではないか、と。
「…………う、ウワーーーーーーッ!!!!!!!!」
……そんなナシロの悪い考えを断ち切ってくれたのは、たいへん耳障りな甲高い叫び声だった。
もしこれがシスターやら来訪者の声だったなら足早に駆けつけるところだが、この声に限ってはそれに能わない。
何しろこの声の主こそ、ナシロの頭痛を加速させるもうひとつの要因。
聖杯戦争という非日常で相方に据えるにはあまりにも貧乏くじすぎる、ぽんこつ悪魔なのだから。
「うるさい騒ぐな耳に響く。……ってもう昼飯食べてるのか。コンロの使い方なんていつ覚えたんだ?」
「あっ、ナシロさん! ふふん、双翅目だって学習するんですよ。ナシロさんがやってるのを目で盗みました」
「人間の次に生まれた火を使う動物がハエか。チンパンジーやゴリラもさぞかし情けないだろうな」
ちゃぶ台の前にちょこんと座って、カップラーメン(シーフード)を啜る羽根つきの黒髪少女。
彼女こそ、琴峯ナシロのサーヴァント。真名をTachinidae/ヤドリバエという。一応自称はベルゼブブ。
ない胸を張ってえっへん! と自炊――カップ麺――を自慢する姿はとてもではないが自称・地獄の大君主とは思えなかった。
彼女がナシロの前に現れ、情けないぽんこつっぷりを存分に披露してから早一ヶ月。
ナシロは嫌がる彼女を引っ立てて、隙間時間で鍛えることを繰り返してきた。
その結果、最近はとりあえず動かない的には当てられるようになった。ナシロも思わず天を仰いで神に感謝するほどの進歩だった。
とはいえ今も彼女の戦闘能力は下の下と言っていい。まあ根が完全に悪寄りなので、劇的に強くなられても困るのだが――それはいいとして。
「って、それどころじゃないんですよナシロさん! これこれ! これ見てください!!
今、まさに! この東京で! 私の尊厳が脅かされているんですよみてみてこれみて!!」
「尊厳なんてあったのか? お前みたいな生き物に……」
あまりにも毎日暇だ暇だと喚くので、Tachinidaeにはタブレットを与えていた。
どうやら今日も今日とて動画サイトを巡回し、ナシロがいない間の暇を潰していたらしい。
こいつベルゼブブになるのやめたのかな、とか思いながら渋々画面を覗き込む。
自称悪魔の寄生虫少女のちいさな指が、動画の再生ボタンを押した。
『黙って聞いてれば、さっきからねちねちねちねちぐちぐちぐちぐち…………!!』
どうやらそれは、アイドルの公開オーディションを中継した動画らしい。
審査員のひとりに対して、憤懣やる方ない、といった様子で壇上の少女が青筋を立てている。
『あのねえ! 言いますけどね! 私達だってね! が、ん、ばっ、てん、』
ナシロにはこの手のジャンルは、今ひとつ興味のない世界だった。
いよいよ現代かぶれも此処まで来たか、と思いながら見つめていると。
『の――――――――――――!!!!!!!』
びっくりした。
目を疑った。
突然、今まで苛立ちを表明していた少女が"異形"になった。
それまでは普通だったはずの頭から、にょきっ、とツノが生えた。
衣装越しのお尻部分から、衣装を突き破るようにしてシッポが出てきた。
おまけに叫びに合わせて、ステージがどかーん!!と盛大に爆発した。
「…………、えぇ…………」
思わずそんな言葉が漏れる。
なんだこれは。なんの意図がある映像なんだ。
困惑するナシロに、Tachinidaeはわなわなと震えた。そして叫んだ。それこそ、動画の中の彼女ばりに。
「――悪魔! ですよ! これ!!! このわたしを差し置いて!! 悪魔をやってるふてえ奴がいるんです!!!
きーーーーーーっ!!! 許せない!!! 許せません!! ナシロさん!!! 今すぐこいつの事務所にカチコミですよ!!!
魔王ベルゼブブの存在なくしてすべての悪魔は成り立たないということを教えてやらないと!! さあ行きますよ!!! なにもたもたしてるんですか!?! ほらさっさと行きますよのろま!!!」
本当にそのへんにあったハンカチを噛みながら絶叫する自称悪魔と、動画の中の"彼女(あくま)"に囲まれて。
ナシロは、本当に気が遠くなる思いだった。なんだか自分だけ、物語のジャンルが違わないだろうか。
なんだって自分はこんなアホに、バカみたいな動画を見せられて対応を迫られているんだろうか。
大体これ、どう見てもトリック映像だし。そうでなかったとしてもやっぱりただのバカなのではないだろうか。
おお神よ、どうか私をお救いください。流石にそろそろナシロは疲れてきました。
らしくもなく祈りながらナシロは、とりあえずヒートアップしてる目の前のコバエにチョップを落とすことにしたのだった。
◇◇
ネットの力ってすごいや、と煌星満天は此処最近のアイドル生活の中でひしひしと実感していた。
忘れたい、思い出しただけで顔から火が出そうになる(今は、比喩じゃなく)あのオーディション大爆破の日から一ヶ月弱。
今まで頭角を現してもいなかったアイドルが突然、ド派手な特殊効果でオーディションをぶち壊した。
おまけに番組の名物兼、ファンからのヘイトタンク役でもあった審査員を感情任せに一喝した一連の流れも凄まじく拡散された。
そう、今も尚、である。
誰もがノーマークだった鳴かず飛ばずのへっぽこアイドルの起こした放送事故は、まさしくひとつの旋風を巻き起こしていた。
「す、すごい……しょうもない日常ツイートしただけで三桁返信つく……これが……ッ、これが天上人の景色……!!」
「分かっていると思いますが、くれぐれも出過ぎた発信はしないようにしてくださいね。
人気出始めの頃にもっともやってはいけないことが"調子に乗ること"です。
大衆は常に正直ですから、そういう気配を悟られると一気にブームが引いていくでしょう。まずは謙虚に、それでいて無難に」
「……分かってる。うん、そういうの何回も見てきたし。大丈夫」
そこで調子に乗れるタイプじゃない、ということに此処まで安心を覚えたのは初めてだった。
今だけは自分の引っ込み思案で臆病な性格に感謝だ。そうでなければきっと、さぞや調子に乗り倒していただろうことが容易に想像できる。
〈プロデューサー〉……兼、キャスターのサーヴァント。ゲオルク・ファウストの釘刺しに、満天はこくんと頷いた。
「とはいえあなたの場合はそれ以前の問題ですね、やはり」
「あうぅ……」
「せっかくの番組収録だったというのに、あれではいてもいなくてもそれほど変わりません。
道端の地蔵なり道祖神なりを引っ張ってきて置いておいた方がまだ目立っていた可能性さえあるでしょう。
アイドルとして芽が出ればユニットやコンビでの活動や、他所様との共演の機会もある。いつまでもコミュ障だからでは済みませんよ」
「悪かったねお地蔵さんで……でも一応ほら。"あの子"にずっと応援してましたってことは伝えられたし!」
「初めて握手会に来たファンと同じ程度の挙動不審具合でしたが」
「そこはもうしょうがないじゃん! 推しに会ったら誰でもそうなるの! ……いやそれにしても……話思いっきり遮っちゃったけど……MCの芸人さんにやんわり窘められちゃったケド……ケド……」
オーディションでの"暴走"で波に乗った満天だけれど、彼女個人の問題は何も解決していない。
即ちコミュ障。おどおど、挙動不審、話の切り出しのタイミングが終わり散らかしていること。役満である。
そんなこんなで、オーディション不合格の代償に引き寄せた番組出演は"想定通りの"失敗で終わった。
ただ、そこはプロデューサーの面目躍如。彼は独自に番組関係者のひとりに接触し、交友を持つことで満天を売り込んでくれた。
その結果、相手方も"ぜひともじっくり育てたい"と前向きな返事をしてくれ、なんと失敗したにも関わらず次が決まった。
いや、次どころじゃない。なんと現在、満天のスケジュール帳(ここ数年で使ったページ数をこの一ヶ月で追い越した)には五件もの予定がひしめいている。少ないと思うかもしれないが、どれも以前の満天ならば絶対ありつけなかったような大口の仕事ばかりだ。
そして何より――先の番組で、推しに会うことができた。
最強の仮想敵にして、最高の憧れ。
〈天使〉。いずれきっと、トップアイドルになるだろう少女(ライバル)。
ゲストで呼ばれていた彼女がいたからこそただの地蔵では終わらず、がむしゃらでも何でも自分から口を開けたと満天はそう思っている。
「しかし。念願叶ったにしては、あまり嬉しそうではありませんね」
「えっ。嬉しいよ、メッチャ嬉しい。ウン年分の承認欲求が一気に満たされて隙あらば表情筋ゆるゆるになってるよ」
「そっちはうんざりするほど見ていますので別に。私が言っているのは、〈天使〉の方ですよ」
「……あー……」
ファウストの指摘を受けて、満天は少し申し訳ないような、寂しいような、そんな顔になる。
そう。確かに会えたのは嬉しかった。不器用でも喋れてよかった。
それでも――こんな時じゃなければな、とどうしても思ってしまったことは否めない。
「うん。なんていうか、さ。ライブの動画なんかじゃ普通に見えてたけど――実際会ってみると、やっぱり結構参ってるんだろうなって」
無理もない。
収まる兆しを見せないネットの業火。その渦中にあって、自分と同じくらいの年頃の女の子が普通でいられるわけはないのだ。
むしろああして気丈に仕事をこなし、"アイドル"であり続けていることは嘘偽りなくすごいと思う。心から、尊敬する。
ただ、やはりどこか違った。満天の憧れてきた微笑みと、可憐さ。天使の魅力に一点、黒い染みが落とされているのを感じた。
「あの番組も番組だよ。いや、出して貰えた私が文句なんて言ったらバチが当たっちゃうかもしれないけど……
よりによってこんな時に呼ばなくたっていいじゃん、って思った。少しでも休ませてあげればいいのにって」
「その点ですが、少し奇妙ですね」
「うんうん。デリカシーないよね、ちょっと」
「いえ、そうではなく。
……これだけ炎上し続けているにも関わらず、何故"彼女"のメディアへの露出量には減少傾向が見られないのかが謎です。
先日私も敵情視察として彼女のグループのライブに足を運んできましたが、会場は過去の映像と変わらない大熱狂でした」
「えっ。そんなことしてたの? ひとりで? エンジェのライブに行ってサイリウム振ってきたの?」
「とてもではありませんが、炎上中のアイドルがセンターを張り続けているグループのライブとは思えませんでしたね。あれは少々異常です」
満天の発言を無視して語る、ファウスト。
その怜悧な眼光は、どこか訝しげに細められていた。
(インターネット上では未だに見るに堪えない風評と共に穢され、叩かれ続けている。
にも関わらず現実(リアル)では炎に包まれたまま〈天使〉であり続けている。不可解だな。注視しておく必要があるか?)
"キャスター・ファウスト"としてではなく。"プリテンダー・メフィストフェレス"として。
正真の悪魔は、思考する。煌星満天という契約者をよそに、悪魔としての思考を深めていく。
(育成計画(プロデュース)は未だに途上。にも関わらず舞台は、俺の想定を飛び越して加速し続けている。
それに――)
先日、それこそ〈天使〉のライブを偵察した帰り道。
路傍ですれ違った、白髪の少女。
率直に。――視界に収めた瞬間、戦慄した。
悪魔の中の悪魔が、愛すべからざる光が、その"光"に絶対的な否を抱いた。
(つくづく不味い仕事だ。俺もそろそろ、なりふり構っちゃいられねえな)
世界は狂っている。都市は終末の秒針を進め続けている。
であれば、悪魔は悪意さえ飛び越えた異形の摩天楼にて何を描くか?
その答えは未だ秘められたまま。詐称する光輝の嘘は、眩い舞台の隅で人知れず羽ばたく。
――時計の針を前に進める。シンデレラを創り出す時計を、悪魔の爪が動かした。
◇◇
「……にしても、すっごい子だったなあ。
ちょっと人見知りさんなのはあれだけど、私もうかうかしてられないや」
〈Angel March〉――通称エンジェのセンター。
愛称〈天使〉こと輪堂天梨は、先日共演した"悪魔系アイドル"の代名詞的な動画を見ながらそう振り返った。
この前代未聞な大暴走動画を初めて見た時は、さしもの天梨も思わず言葉を失ったものだ。
アイドル業界、いろんな子がいる。キャラ付けで売るアイドルなんて、今時珍しくもない。
だがいくらなんでも、会場を爆破して審査員に啖呵を切る子なんてのは見たことがなかった。
そりゃバズるのもわかる。業界が放っておかないのもわかる。実際に共演してみると動画の彼女とはだいぶギャップがあったが、それでも天梨の彼女に対する印象はかなり好意的だった。
あれは伸びる。育て方次第では、きっと大きく化ける。それを楽しみに思いつつ、ちょっぴり怖く思いつつ。
……はあ、とため息をついてアプリを落とした。
未来のことは、今はあまり考えたくない。
天梨は前向きな性格をしているが、それでも現実を見ずに突っ走れるほど無敵の精神はしていなかった。
――この先自分は、アイドルを続けていけるのだろうか。こんな有様で、いつまでステージに立てるのだろう。
(……ていうかまず、なんでまだ仕事が来るんだろう。
あっちの世界じゃ活動休止秒読みって感じだったのに。こっちだとそんな話ぜんぜん出てこないし、ライブも番組もオファー来続けてるし)
輪堂天梨は、自分の体質について自覚していない。
魔術回路の後天的獲得に伴って萌芽した異能。
無自覚な、自身の周囲に対する魅了魔術。オン・オフの利かない、天使の魅惑(チャーム)。
だからライブは盛り上がる。番組も然りだ。彼女と直接会った業界人は、誰もが〈天使〉に魅入られる。
けれど、顔の見えない相手には天使の光は届かない。だから、火は消えない。火だるまのまま、歌い続けることになる。
それが今の天梨の現状だった。頑張っていれば想いは届く、なんてご都合主義的な展開などあるわけもなく。
こうしている今も――SNSや匿名掲示板を中心に、天梨の悪評は拡散され続けている。虚偽一色の冒涜が、その尊厳を犯し続けている。
「……いいなあ」
ふと、呟いていた。
悪魔のあの子はきっと、これからぐんぐん伸びていくだろう。
たくさんのステージと、たくさんの祝福が彼女を待っている。少なくとも天梨は、そう思う。
いいなあ、と思った。羨ましい、と思った。楽しそうだなあ、と、思った。
――ああ、だめだ。
――また、黒くなっちゃう。
胸をきゅっと押さえる。
心の中に、どうしようもなく黒い、汚いものがあるのを天梨は自覚していた。
これが溢れ出してしまったら、自分は自分でなくなってしまう。
今まで作り上げてきたものが、全部終わってしまう。そんな確信があった。
それはきっと、普通の人間なら当たり前に持ち得る感情。
他者への悪意とか、妬みとか、不平とか不満とか。何も咎められる謂れはない、当然の"黒"。
……けれど。〈天使〉なら、持っていてはいけない感情。天使は、白くないといけないから。
「君も強情だねえ。嫌いな奴、憎らしい奴、妬ましい奴。
そいつらを一緒くたにまっさらにできる手段が目の前にあるのに、それでも倫理とやらを守るのかい?」
「……何回も言ってるよ。私は、そっちには行かない」
「どうだか。君も理解しただろう? この世界では"こっち"が普通だってコト。此処まで来ると善良とかじゃなくただの莫迦に見えるよ」
悪魔が、嗤っている。
彼はとても哀しい人。そして、天梨にとって決して頷いてはならない誘惑を囁きかける悪魔。
和人憎悪の復讐鬼が、人を超え神(カムイ)に至った怨念の火が、くつくつと天使の葛藤を嘲笑していた。
華々しい英雄ではなく、悍ましい災厄として定着してしまった殺戮者。シャクシャインにして、パコロカムイ。
――彼の言葉に、天梨は思い出したくもない記憶を否が応にも想起させられる。
天梨の前に現れた初めての"敵"。ひどく禍々しい炎と、寒空を裂く烈風の如き矢。
怖かった。初めて、骨の髄まで凍り付く恐怖というものを天梨は味わった。
もしも自分のサーヴァントが、果てしなく燃え上がる憎悪の毒火というひとつの"規格外"でなければ。
ぞっとするほど恐ろしく、悍ましく、そして哀しいこの〈悪魔〉でなければ――間違いなく、天梨はあの夜に死んでいただろう。
「輪堂天梨。いい機会だから白状するけどね、俺は君をそれなりに気に入ってるんだぜ」
ああ、悪魔が囁いてくる。
耳を塞ぎたい。でも、目を逸らすことはできなくて。
それは、それだけは――してはならないと分かっていて。
「君は和人には相応しくない器だ。感服するし、尊敬するよ。
だからその上で、俺は君と地獄に堕ちたい。
君が和人らしく染め上げられて、俺と同じ鬼畜に堕する姿が見たいんだ」
ニタニタと、ニヤニヤと、嗤うシャクシャインの顔がぐっと近付けられる。
端正な顔立ちの美男子の顔は、途方もない憎悪と悪意にひどく歪んでいた。
「早く堕天しなよ〈天使〉。地獄(こっち)で俺と手を繋ごう。
なぁに、血の池の水も慣れればひどく甘美なものさ。
楽しいぜ! 嫌いな奴らを話も聞かず、一方的にブチ殺して回るのは!!」
この悪夢は、いったいいつになったら覚めるのだろう。
夢が終わらない。朝が来ない。炎が灯ったあの日の夜から、自分だけがどこにも行けてない。
――助けて。誰か。私が、私でなくなる前に。
小さく身を丸めて震える〈天使〉の背中に翼はなく。やはりその姿は、年相応の少女のそれでしかなかった。
◇◇
巷を賑わせている、アイドルの動画を見ていた。
型落ちになって久しい旧式のスマートフォンは貧しさの証だ。
以前までは人並みにアプリゲームで暇を潰すこともあったが、今ではもはやどれもこれもがデバイス非対応にアップデートされてしまった。
よって使えるアプリは本当に基礎的なものばかり。恐らく世界で一番有名だろう動画サイトのアプリ版も、そのひとつだ。
以前推していたアイドルは、自分自身のせいで誰かの"好き"を汚してしまった日から足が遠のいた。
それから密かに好んで追っていたのが、今動画の中で暴れ散らかしている子だった。
ただ、なんというか。こういうノリになってしまったのか、と少し残念に感じる。
それが世では"解釈違い"という言葉で形容される感情であることを、覚明ゲンジは知らなかった。
この世界で過ごした時間も、今までの日々と何ら変わらない。
最初にボケた老人を殺してからは――ゲンジは、あれは自分が殺したようなものだと思っている――すべて同じだった。
〈好奇〉〈嫌悪〉〈嘲笑〉〈軽蔑〉など、似たり寄ったりの矢印を向けられるだけの日々。
虚しく、さびしく、ひとえに何の価値も見出すことのできない毎日だ。
プラスの感情を誰に渡すことも受け取ることもできない、それはまさに今の自分のことではないかと自嘲さえした。
サーヴァントという身の丈に合わない武器を手に入れても尚、そのことはゲンジの日常を何ら変えてはくれなかった。
とはいえ、この現状を変えるために行動を起こす度胸はゲンジにはなかった。
何故なら、ゲンジのサーヴァントは弱いからだ。
この針音の都市に喚ばれた様々なサーヴァントの中でも、間違いなく下から数えた方が早いと確信している。
ホモ・ネアンデルターレンシス――ネアンデルタール人。特定の誰かではなく種。故に凡庸。原人呼ばわりされてきた自分への皮肉か。
彼らを引き連れて聖杯戦争の常套策をやろうと思ったら、確実に返り討ちに遭って死ぬとゲンジは確信していた。
だから、彼は日常を変えることをしなかった。
それが彼の見出した、身の丈に合う生き方というものだった。
彼なりの、聖杯戦争に対する向き合い方。この苛烈な世界で生きていく、凡人なりの最善策。
時々。その生き方が、ふらりと揺らぎそうになる。
頭の中を離れない、いつかの日に見た白い少女。
悪意と、偏見と、嘲笑に溢れたこの世界には不似合いなほど。
数多の人間を狂わせ、己の運命に引き込み、それをひけらかすでもなく無邪気に微笑む巨大な渦。
覚明ゲンジは、そういうものを見た。見ると同時に、理解した。
彼女は、この世界の中心だ。針音響く都市にて玉座に座り、そしていずれ聖杯を戴くだろう絶対的な〈主役〉。
強い光は、網膜を焼く。日光を凝視し続ければ視力に異常を来たし、二度と戻ることはない。
ゲンジが彼女を見ていた時間は、ごくごくわずかだった。
それが功を奏したのだろう。
人の感情を矢印として視ることのできるゲンジは、他人の何倍も早く彼女に"染まる"ことができただろうから。
だから幸いにも、ただあり方が揺らぐ程度で済んでいる。
ふらりと、あらぬ方に歩きそうになる程度。時々、ふと忘我の境地に立たされてしまうくらい。
――ゲンジが今までにどんな生き方をしてきたのかを思えば、その時点でかつてない異常が生じているのは瞭然なのだったが。
一度だけ、彼女に向いていた巨大な矢印の主を見かけたことがある。
探ったわけではない。誓ってただの偶然だった。
少し体調を崩して都内の病院に足を運んだ時、たまたま見かけた……もとい、"遭って"しまった。
しかしゲンジは、それを見るなりすぐに踵を返して走り出していた。恐らくは、きっと、願わくば、相手に認識される前に。
それはきっと、生物としての本能。知性にも文化にも悖る原始人類が、理屈など分からないのに天変地異の兆しを感じ取って逃れるように。
――おれは、何をするべきなんだ?
ゲンジは思う。
ゲンジは考える。
ゲンジは、途方に暮れる。
バーサーカーの"力"については、既に把握していた。
夢を通じての意思共有。いくら顔が原人似だからって、さしものゲンジも本物と会話することはできない。
なのにそうまでして伝えてくれたということは、あいつらもあいつらなりに自分を仲間――とまでは行かずとも。
共生する相手くらいには思ってくれているのだろうか、とゲンジは思ったのだが、それはさておき。
ゲンジは、確信している。
恐らくバーサーカーの総力を使ったところで、"彼女"や"奴ら"には勝てない。
未来は絶望的に閉ざされている。いつもの通りに、ゲンジの進む先には光がない。
先の見えないトンネルのようなものだ。はじめの挫折の日から……いや、もしかするとこの世に産声をあげたその時からずっと。
ゲンジの目の前には暗闇だけが続いていて、今もなおその出口は見えないままだ。
勝てるのだろうか。
勝てないと思う。
じゃあ、おれは、どうすればいい。
おれはどうやって、この"さびしい"世界で生きていけばいい?
考えながら歩いていると。
ふと、肩を叩かれた。
ああ、と思う。やはり見た目が悪いと怪しく見られやすいのか、ゲンジは昼夜を問わず警官に職質されることが多かった。
ただ、今回は違ったらしい。振り向くとそこに立っていたのは、壮年の草臥れた男性だった。
「君。財布落としたぞ」
「あ……。ありがとう、ございます」
「いやいや。最近はこの辺も物騒だからな、気を付けろよ」
ふと思って、〈矢印〉を起動する。
誰も信用できないのがこの世界、針音の仮想都市だ。
とはいえ半分は、興味本位だった。自分の落とし物をわざわざ拾って、手渡してくれた人の〈矢印〉が見てみたくなった。
そうして、起動してみて――ぎょっとした。
立ち去るその背中から、空中に矢印が伸びていた。
矢印の先は、しかしどこにも向いていない。
あの"六人"にも迫る太さの矢が空中で捻じくれて、行き場を失っている。
だから自分への矢印を見ようとしたのに、自分宛てでないものが例外的に見えているのか。
まるでそれは、どこの誰とも分からない"何か"を、探しているようで。
蛇みたいだな、とゲンジは思った。
ちなみに、ゲンジ自身へ向いている矢印は〈心配〉だった。
所在無げに歩いている自分を慮ってくれたのだろう。優しい人なんだな、と思う。
じゃあ、この人は。一体どこの何に、こんな矢印を向けているのだろう。
少しだけ気になったが、追いかけて声をかける気には、何故かどうしてもなれないのだった。
◇◇
いつかと同じ喫茶店の、たぶんあの日と同じ席で。
雪村鉄志は、懐かしい知り合いと対面していた。
聖杯戦争絡みで作った協力者というわけではない。単に昔、世話になった人というだけ。
「……まあ、思ったよりは元気そうで安心したよ。昔から君はどこか危ういところがあったからなあ。
自分が正しいと思ったことに対しては絶対に止まらないっていうか、まさに粉骨砕身って言葉の似合う男だった」
「昔の話ですよ。あなたこそ、変わりないようでなんだかホッとしました」
"魔術師"や"神秘"絡みの犯罪に対するカウンターとして、それ専門の部署を設けろと訴え続けていた頃。
当然ながら、上層部は雪村の求めに簡単に頷いてはくれなかった。
あの手この手でのらりくらりと訴えを躱し、場合によっては雪村自身はもちろん、その周りの人間の進退さえチラつかせてくる始末だった。
巨大な岩盤のように雪村の前に立ちはだかった上層部。
そんな状況で、いち早く雪村の考えに賛同し――その上で賛同者を集め、力添えしてくれたのがまさに今目の前に座っている男である。
警視庁公安部捜査一課長。それほどの立場を持つ彼が背中を押してくれたことが、どれほど雪村の励みになったかは言うまでもない。
「……東京は、ずいぶんおかしな街になっちまったねえ。
こっちじゃ今更になって特務隊の必要性を訴える声がまた出てきてる始末だよ。何が起こってんだかさっぱりだ」
「……ええ、そうみたいですね。俺もゾッとしないですよ、まるで違う世界に来ちまったみたいだ」
自分で言って、ちくりと罪悪感が胸を刺す。
目の前にいる自分がまさに、東京を"おかしな街"にしてしまっている側の存在だということも。
そしてそれ以前に、この世界は単なる張りぼてのテクスチャを貼り付けただけの代物で。
自分の身を案じてくれているあなたもまた、そこに置かれた人形のひとつでしかないのだということも。雪村は、言えなかった。
「急に呼びつけて悪かったね。僕も最近はてんてこ舞いでさ、久しぶりに昔馴染みの顔が見たくなったんだ。生存確認がてらにね」
「くれぐれもお気をつけて。あなたに何かあったら、俺もまた一段と草臥れちまいますよ。……根室さん」
律儀にテーブルの上に一万円札を置いて、恩人は雪村の前から去っていった。
固辞したい気持ちはあったが、この男はそれをするとむしろ機嫌を損ねる厄介なところがあることを知っていた。
だから素直に受け取る。処世術として、かつて彼にあちこち連れて行ってもらった後輩として。
「……はあ……」
深いため息が出た。
分かっていても、どうしても気が重くなる。
すべてが造り物と分かっている街で生き、見知った誰かと関わるのは想像以上に心労だった。
この都市でも特務隊は同じ経緯で生まれ、同じ経緯で散ったらしい。だからこそ境遇も変わってないのか、と合点が行った。
一体どこの誰がこんなこと始めやがったんだ。心の中でそうぼやかずにはいられなかった。
机の上にノートパソコンを置き、スリープモードを解除する。
公安を退職する際に、捜査資料を無断で私物のUSBに取り込んだのはきっと未練だった。
単なる職務規定違反でしかなく、職を失った挙句法廷に立たされるリスクさえある自傷じみた悪あがき。
完全に"折れて"からは存在さえ忘却していた未練の塊が今になって、雪村の歩みを支える杖の役割を果たしてくれている。
何しろ道なき道を歩んでいるのだ。完全に白紙(ゼロ)から挑むのと、過去の続きから始め直すのとではハードルの高さがまったく違う。
もっとも、だとしても。目の前にあるハードルは雲の向こうまで天高く伸びる、未踏の絶嶺もかくやの無理難題であることは変わらない。
『――くえすちょん。進捗は、いかがです?』
「いかがもクソもねえ。砂漠で落とし物探してる気分だよ」
言ってから、はっとなる。
まずい、根を詰めすぎて念話と発話の区別が付かなくなっていた。
周りの奇異の目を誤魔化すようにごほん、と咳払いをしてコーヒーを口に含む。
落ち着くために閉じた瞼を開くと、先ほどまで恩人が座っていた席に――鋼の少女がどん、と座っていた。
ぶーッ、と思い切り含んだコーヒーを噴き出してしまう。もろにそれを浴びてべちゃべちゃのべとべとになった彼女が、アルターエゴの機巧少女が、こてんと首を傾げた。
「ばっ、おま……! 人前だぞ、人前……!!」
「? 念話ではなく発話での対話を望まれているのかと思ったのですが……何か当機は間違いをしたでしょうか。ますたー?」
「と、とにかく出るぞ。会計済ませるから、嬢ちゃんはなんとかコスプレイヤーって体で外に出ててくれッ」
「こすぷれいやー。ふむ。なるほど。わかりませんが、わかりました」
とてとて、と小さな歩幅で歩いて外に出ていくアルターエゴ。
ついさっきまで中年と初老が語らっていた席に、突然小柄で目を引くドレス姿の少女が出現したのだ。
周りの客はまるで(というか、まさに、なのだが)超常現象でも目撃したみたいな顔をしている。
それにぺこぺこと愛想笑いで頭を下げながら、逃げるように会計を済ませて雪村も外へ出た。
心地よく冷房の利いた店内だったはずなのに、皺のよれた私服は冷や汗でじっとり湿っていた。
店の前では雪村の気も知らず、ちょこんと、まるで飼い主を待つ愛犬のようにマキナが待機している。
その姿を見ると、焦らされたはずなのになんだか不思議と笑いがこみ上げてきた。
――今はもう記憶の中にしかない"彼女"との思い出が、目の前の少女の姿と重なって。少しだけ、また心が痛んだ。
「……せっかくだし、少しふたりで散歩でもしていくか」
「いいのですか? 先のますたーの反応を見るに、当機の装いは些か悪目立ちするようですが。
こ、こす……こすふれ……? こすぷれ……でしたか。えぇと……」
「"コスプレ"したいお年頃ってことで通すさ。嬢ちゃんも、いつも霊体で付いて回るだけじゃ飽きちまうだろ」
「……当機に"飽きる"という観念はございませんが……。ますたーがそう仰るのでしたら、お供いたします」
機械とは思えないほど、素直な子だと思う。
どこか抜けているし、そのくせ大願に向かうための向上心はきちんとある。
せめて重ねることだけはすまいと決めているのだったが、こうして四六時中一緒にいると度々それが揺らぎかける。
……小さな歩幅で一生懸命付いてこようとしているのを見て、歩く速度を抑える。これも、娘が消えて以来のことだった。
「なあ。嬢ちゃんはさ、神様になって――みんなを幸せにしたいんだったよな」
「はい。それが当機の意義にして、存在を懸けて挑む至上命題です。
〈機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)〉。悲劇の迎撃者たる、無謬の平和機構。
確かに当機はそこを最終到達点と見据えていますが、如何しましたか?」
「いや。まあ、大したことじゃあないんだけどな」
ふ、と笑って。
春風の吹く街路をふたりで歩きながら、雪村は小さく言った。
「――そりゃいいな、ってさ。思っただけだよ」
◇◇
警視庁公安部捜査一課長・『根室清』。
職務熱心で公明正大。年齢や性別で人を区別せず、有用なら若輩の意見にも進んで耳を傾ける。
その姿勢は公安の中でも課の枠組みを越えて多くの人望を集め、上層部でも無視のできない存在感を放っている。
かつて警視庁に対超常・神秘を生業とする特務隊が組織されるに至った際にも、発起人の訴えにいち早く賛同の姿勢を示し発足の一助を担った。
そんな男が、たおやかな微笑みを浮かべながら道を歩いている。
やがて人通りが途切れ、折よく防犯カメラの死角に入り。
科学的、魔術的、その他法則も含めすべての"目"が途切れたタイミングで――
白髪の混じった初老の男性という"よくある"その姿が、テクスチャを貼り替えるみたいに別人のそれへ切り替わった。
「うん。健在のようで何よりだったなあ、雪村くん。
彼のことは結構可愛がってあげたからねえ……僕も少しだけ、懐かしい気分になってしまったよ」
美しい、黒髪の女性の姿が現出する。
年の頃はおおよそ二十歳といったところだろうか。
どれだけ歳を重ねても衰えないだろう造形の良さと、まだ幼さの名残を残す、女性として理想的と言っていい顔立ちだった。
背丈は160に少し及ばないかといった程度。体格は細身で、スタイルはスレンダーだ。なのに貧相さを感じさせないのは、その美貌故か。
以上。これは、『雪村絵里』という既にこの世にはいない――もとい。
この〈蛇〉の腹の中にのみ残っている、当時十歳だった少女の成長した姿である。
「ああ、ああ、可哀想な僕の後輩。せっかく懇切丁寧に未練を取り除いてあげたのに、君は屑籠からまたそれを拾い上げてしまうのか。
荒れ果てた住まいでひとり孤独を慰め続けていたのなら、君はただ僕の肴になるだけで済んだというのに。
愚かなことだ。哀れなことだ。どうして人は……蛇が棲むかもしれないとわかった上で、藪の中を分け入ってしまうのだろう?」
変化の光景を見た者は、この都市にひとりとして存在しないが。
それでも、もしも目撃者があったならば――誰もが瞬時に理解したことだろう。
これは、人間ではない。人の形をした、ひどく悍ましくて冒涜的な"ナニカ"であると。
東京には、日本には、蛇が棲む。
蝮。赤楝蛇。青大将。これはそのどれでもない。
これを形容するには、それらの種では矮小(ちいさ)すぎる。
長大な体躯を深い藪の中に横たえて、とぐろを巻いて常に獲物を探し目を光らせる。
この世のものとは思えないほど美しく、そして悍ましい、一匹の蛇。
喩えるならそう――錦蛇。〈ニシキヘビ〉が、彼の素性だ。
かつては神寂縁。
そして今は、無数の貌と名を持つ異形の蛇。
骨の髄までヒトではなくなった、簒奪者の極みである。
「ずいぶんと楽しそうね。いいの? あの男は、あんたを探してるんでしょ」
「構わないよ。彼の仲間は見る価値もないから雑に散らしてきたが、僕と同じステージに立ったというなら話は別だ。
既に僕に〈支配〉されている、過去に呪われている彼は蹴落とすよりも愛玩したい。踊らせることも他の子達より容易だろう。
それはそうと、雪村くんの英霊を見そびれたのは残念だなあ。もし良い子だったら、ぜひ啜ってみたかったんだが……」
「相変わらずゴミクズの変態ね。死ねばいいのに」
この東京に、〈蛇〉は無数に存在している。
元を辿ればすべて同一の存在だが、彼はその事実を決して悟らせない。
今日も彼は誰かの恩人で。脅威と思われることもなく、たおやかに笑っているのだ。
日本の黒幕(フィクサー)。政治ではなく、陰謀でもなく、ただ己の欲望のためだけに君臨し続ける藪中の王。
「あらかた"それらしい"子は視野に入れることができた。
聖杯戦争の内情も、まあ、ある程度は見抜けた。
祓葉ちゃん。いつか会った時には単に可愛い娘というくらいの認識だったが、はてさて、何があってああも化けたのやら」
あの時食べておけばよかったかなあ。
くつくつと、他人の娘の"あったはずの"未来の顔で含み笑う怪物を、かつて神に祀り上げられた女は嫌悪を隠そうともせず見つめていた。
天津甕星。〈まつろわぬ神〉。土蜘蛛ならぬ、空から下りてきた凶星の化外。
人の世に何の希望も期待も抱いていない彼女でさえ、この〈蛇〉の醜悪さには思わず眉根が寄る。
なのに反目する気配を見せていないのは、ひとえに彼の力を買っているからだ。
この男はひどく醜悪で、残忍で、吐き気がするほどに不愉快な生命体であるが――しかし、強い。
恐らくこの世界で、英霊も含め、彼を正面打倒できる存在は相当に限られる。ともすれば、存在するかも疑わしい。堕ちた女はそう思っていた。
外道の誹りなど今更だ。
失う名誉も、この身には最初からない。
であれば、望む結末を叶えられるのならば。
あの日昇れなかった空に、今度は自分もヒトとして昇っていけるのならば――頼る相手は何でも構わない。
禍星の矢は恐るべき支配の蛇(ナーハーシュ)の悪意の指し示す方向へ恙なく放たれ、あまねく敵を射殺すだろう。
「しかし、しかしだ。あの子はいい舞台を設けたね。造物主としての素質があるようだ。
何しろ僕がかつて食べ損ねた、あるいはあえて食べずに取っておいた命を、よりによってこの僕と同じ舞台に立たせている。
狙ったのなら大した策士だし、偶然ならばまさしく神の如し。
――いいじゃないか、腹が空いてきた。仕方ない、今夜は数週ぶりに新しい女の子を迎えようか」
蛇の悪意は日本中に張り巡らされている。
いや、それどころか。
蛇が海を渡る機会があったなら、世界にさえその鱗は散りばめられている。
例えば、そう。
父親に守られて間一髪難を逃れた少年や少女だとか。
例えば、そう。
便利な手足兼"果樹園"として作った殺し屋集団を、新しい顔の実績作りのために自ら処分してみたりとか。
「うぅん、素晴らしいな。
今日も世界は僕に支配されている」
蛇が、蠢いている。
ずるずる、ぬるぬると。
悪意の鱗を、照り輝かせて。
――〈支配の蛇〉は、そこにいる。
◇◇
炎の夢を見た。
それは、かつて見ることのなかった赤色。
けれど、確かにあったのだろう赫色。
死の、色。大切なものを奪っていく、目には見えない焔の色彩。
目を覚ます――夢に見たのは久々だった。
レミュリン・ウェルブレイシス・スタールは、額の汗を拭って目を覚ます。
起床するには遅い時刻だが、ついつい寝すぎてしまったようだ。
無理もない。日々激化していく戦争のプレッシャーと、その他諸々の要因で最近は特に睡眠不足が続いているのだ。
だから夢見も悪かったのだろうと思いつつベッドを立ち上がり、冷蔵庫を開けてミネラルウォーターを取り出して喉に流し込む。
清らかな冷たさが魘されて乾いた喉を伝い落ちていく感覚に、思わず「ぷは……」と声が漏れた。
思い出と喪失の横たわる家。
そこで〈古びた懐中時計〉に触れたレミュリンは、この世界では祖国からの留学生というロールを与えられていた。
慣れない異国の学校にも最初はおっかなびっくり通っていたのだが、最近休校が決定されたので、日中からこうして家にいるというわけだ。
都内某所のマンションの一室。懇意にしているカトリック教会の神父、『アンドレイ・ダヴィドフ』を後見人とし、レミュリンはここでひとり暮らしをしている。
「……ねえ、ランサー」
「おう。起きたか、マスター。どうした?」
リビングのソファに座って新聞を読んでいるランサーの姿は、奇妙にこの仮初めの日常に馴染んでいる。
その外国人としても規格外に部類されるだろう背丈さえなければ、彼は日本で暮らす陽気な外国人にしか見えないだろう。
しかし、レミュリンは知っている。彼がケルト神話の英雄神で、偉大なる〈光の御子〉の生みの親であることを。
ルー・マク・エスリン。それが、レミュリンのサーヴァントの真名だった。
ルーの問いに、レミュリンは少し黙る。
言い淀んでいるのではない。どう表現したものかと、言葉を選んでいるのだ。
それからおずおずと、少女は神の座を離れた英雄に言う。
「もうすぐ、こうしてもいられなくなっちゃうのかな」
レミュリンは、魔術師と呼んでいいかも怪しい存在だ。
単に生まれと、受け継いだ回路があっただけ。〈古びた懐中時計〉に選ばれ、運命を手にしただけのちいさな演者。
そんな彼女にも、しかしやはり魔術師の血は流れていたのだろう。
朝起きた時、悪夢の残滓で沈んだ気分の中で漠然と思ったことがある。
いや。あるいは、気付いた、とでも言うべきか。
レミュリンの言葉は曖昧で漠然としたものだったが、ルーは新聞を閉じて目を閉じ頷いた。
それは、この嫌な予感がどうも当たっているらしいことを実に端的に示す所作だった。
「そうだな。じきに大きな戦乱がやって来るだろう。そうなれば俺も、君を守るために前へ出なきゃならん。
誓って負けはしないと断ずるが、……どうもこの箱庭は妙な気配が多くてな。
この先具体的に何が起こってどうなっていくのかは、正直なところ俺にも分からん」
やっぱり……と、レミュリンは唇を噛んだ。
最初は平和だった都市が、日を追う毎におかしくなっていく。
感覚の狂った時計のように、間違いが正されないまま次の間違いが生み出される。
その悪循環で、世界を覆う針音の鼓動は狂っていく。
そして今日。未熟者の自分にも分かるほど明確に、世界の色が変わったのを感じた。
とうとう、始まるのだ。
聖杯戦争――願いを叶えるための聖戦が。
レミュリンにとっても、生死どうこうを別としたって無関係な話とはとても言えない。
あらゆる願いを叶える願望器というその触れ込みが真実ならば、虚空に消えたあの日の真実を知ることだって可能かもしれない。
いや、それどころか……手を出すこともできず、ただ失うしかできなかった悔恨を濯ぐことだってできるかもしれないのだから。
……では実際に何を選び、何を求めるのか。
その命題の答えを、まだレミュリンは出せていないのだったが。
「怖いか?」
「……怖いに、決まってるよ。考えないようにしてたけど、正直怖い。
何かをなくすのも、何かと戦うのも――わたしはやっぱり、すごく怖い」
「生き方ってやつはいつの時代も千差万別だ。
戦場に立って勝つことを悦とする者もいれば、暖炉に当たりながら編み物をするのが好きなやつもいる。
どの生き方も、間違ってるってこたぁ決してないが。それでもな、やっぱり生涯に一回はどうしてもあるんだよ。
魂懸けて、何かと戦う――って局面がな。どう生きるも当人の自由だが、そいつから逃げちまうことだけは……俺は、薦められねえ」
ルーの言葉に、ますます気分が暗くなりかけるが。
そんなレミュリンの頭を、ぽん、と彼の大きな手が撫でた。
「だが嬢ちゃんは運がいい。なんでか分かるか?」
「……、ランサーがいるから?」
「大当たり」
ニカッ、と白い歯を見せて笑う顔は、悩んでいるのが馬鹿らしくなるほどまっすぐで。
レミュリンは思わず、「なにそれ」と小さく苦笑してしまっていた。
そう。レミュリンを待ち受ける運命はとても過酷で、恐ろしいものだが。
それでも彼女は、ひとりじゃない。もう、ひとりではないのだ。
「どんと構えときな。露払いは俺が請け負ってやる。嬢ちゃんはこの箱庭で、嬢ちゃんだけの戦いに挑めばいい」
断ずるその姿を見て、レミュリンは改めて思う。
ああ。やっぱり、この人は――英雄、なのだなと。
あまねく闇を払って立つ、寝物語の主役(ヒーロー)のような〈光〉なのだなと。
そう思って。気付いた時には、少しだけ心が楽になっていた。
(……ありがと、ランサー)
心の中でそうお礼を言って。
今度はちゃんと、前を向く。
これから何が起こるにせよ、自分なりにそれを見て、生きていこうと。
レミュリンは思って、それから、とりあえず寝不足なので顔を洗ってくることに決めたのだった。
◇◇
レミュリン・ウェルブレイシス・スタールの寝不足の原因は、過去と不安。
だが、それだけではなかった。もうひとつ、とても現実的な理由が彼女の安眠を妨げていた。
――隣の部屋が、とにかくうるさいのである。昼夜問わず大騒ぎ、どうもカップルか何かが住んでいるらしいのだが、まったく慎みというものが感じられない。
では彼女の隣には、いったいどんな非常識な隣人が住んでいるのかというと。
「う゛ぁぁあぁあ゛ぅ……。あったま、いたぁい……。吐きそう、っていうか吐く、うぷ……!」
中学生と見紛うほど背の小さい、されど立派……かどうかは別として、ひとりの成人女性だった。
今年で彼女は二十四歳になる。ただし職はない。この前職場は、晴れて大炎上し文字通り消し炭になってくれたからだ。
寝不足な隣人が来たる戦いを知覚していたその頃、天枷仁杜はトイレに駆け込んでマーライオンになっていた。
そんなことになっている理由は魔術の反動、サーヴァントの酷使による魔力消費、いずれも違う。
ストロングでゼロな安酒をついつい飲みすぎて、ふわふわとろとろ幸せな睡眠に就いたことの代償だった。
つまり。要するに、二日酔いである。
「う゛〜……。ぎもぢわるい……ロキくぅん、ロキくんの力でなんとかならない……?」
「あー、無理無理。俺暗示とかそういうのは専門外なんだよねー。
奇術師ではあっても催眠術師じゃあないっていうか。ていうかこの話前もしなかったっけ」
「した……。したけど、なんかもっかい聞いたら違ったりしないかなって……」
「しゃーないなーにーとちゃんは。お茶漬けでも作ったげるからちょっと待ちな〜?」
この世の終わりみたいな表情と顔色でソファにぐでんと横たわった主君に、奇術師の王はけらけらと笑っている。
遥か北欧の神話の片隅に列せられた、臓腑の裏まで黒々と腐りきった性悪巨人。
ウートガルズの王たるロキが、二日酔いのルームメイトのためにお茶漬けのもとを白米にかけ、湯を沸かしている光景はえらくシュールだ。
彼にとってもこうして誰かと気安く過ごすのは、この東京に来てからが初めてとなる。
時空も種族も立場も越えて巡り合った運命の相手。最高の親友にして最高の相棒、運命共同体。
ウートガルザ・ロキにとっての天枷仁杜は、ひとえにそういう存在だった。
冗談でも皮肉でもなく、何の含みもなく心から、ロキは〈にーとちゃん〉を親愛しているのだ。
「ほい、できたよ。今日はわさび入り」
「ありがと〜……。んむ……はむむ……」
ずじじ……と汁を伴った白米を口に含めば、わさびのツンとした爽香が頭痛と重さを訴える脳を突き抜ける。
はあ〜……と気の抜けた声が思わず口をついて出た。
二日酔いになるたびに二度と酒なんか飲むかと思うのだけど、この翌朝に啜るお茶漬けの味は他の何物にも代えがたいものがある。
相変わらず顔色が悪いが一口食べると食欲が湧いてくるもので、次々と口に米を運びながら、仁杜はふとロキへ問いかけた。
「そういえばロキくんさ〜。昨日ゲームした後、どっか出かけてなかった?」
「お。起こしちゃ悪いからそーっと出ていったんだけどな。よく気付いたね」
「えへへ。ニートはお部屋の変化には敏感なんだよ……!」
まったく誇れないことで胸を張る仁杜の対面に座って、ロキは炭酸飲料の缶を開ける。
喉を鳴らして甘い刺激を嚥下してから、さて何から話したもんか、と口元に指を当てた。
「ちょっと面白い気配があってね。割と近場で戦ってるみたいだったから、ちょっかい出しに行ってみたのさ」
「ふぅん……。で、どうだったの? おもしろかった?」
「超〜面白かった。いやあ凄いね聖杯戦争。俺も長々生きてきたが、あんなもんを見たのは初めてだよ」
基本、自分以外の全部を馬鹿にしているこの奇術王がそう言うのはとても珍しい。
きょとんとした顔をする仁杜に、ロキは上機嫌そうに続ける。
それはまるで、何かすごいものを見た子どもが家族に感動を話して聞かせるような調子だった。
「マスターがサーヴァントと戦ってんの。何でか自分の英霊は連れてなくてさ、ヘンな光の剣片手に大立ち回り」
「へー。世の中には強いマスターさんもいるんだねえ」
「まあ探せばそういう奴もいるだろうけどね、ありゃちょっと異常が過ぎた。
相手、アーチャーだぜ? それも趣味は狙撃です、みたいな性能したヤツ。つまり圧倒的不利なの。
なのにそいつが剣振るたび、なぜだか距離が縮んでく。どんどん相手の方が焦ってく。意味分かんなかったな、騙し絵見てるみたいだった」
んで、早速茶々を入れてみた。
ロキは言う。
そしたら、そいつどうしたと思う?
ロキは問う。
どうしたの? と聞く仁杜に、ロキは歯を見せて言った。
「――そいつさ、フェンリルを真っ二つにぶった斬りやがった。
幻とはいえ俺の創った"世界を騙す幻想"だ。そこに実在するのと変わらない、質量を持った蜃気楼さ。
それを一太刀で持っていって、返す刀で俺と弓野郎を同時に斬ろうとしやがったの」
ウートガルザ・ロキの大幻術は確かに万能ではない。
限りなく全能に近いが、その実いくつかの制約と弱点がある。
だがあの時成し遂げられた理解不能な奇跡は、冬の狼を両断した芸当は。
幻術の克服だとか、幻を跳ね除ける意思の発露だとか、そういう細かい理屈とはまったく無縁の"何か"に見えた。
「なんかあれだね、昔のゲームのバグ技みたい」
「あーそれ、だいぶ言い得て妙。うんうん確かにあれはバグだわ。
いや〜〜、面白いわ聖杯戦争。にーとちゃん、俺を呼んでくれてマジ感謝よホント」
「えへへへ〜。どういたしまして〜……わたしもロキくんといれて毎日楽しいよ〜……!」
まったくもって、実に面白い。
ああいうのがいるなら、ますますやり甲斐が出てくるというものだ。
目の肥えている観客こそまんまと騙して横転させたくなるのは奇術師の職業病。
最高の相棒を抱えて、最高の〈未知〉に挑む。なかなかどうして唆る趣向ではないか。
そして〈未知〉は、〈異常〉は目の前にもいる。
天枷仁杜。ひと月を共にして思ったことだが、彼女は間違いなく異常者だ。
性格ではない。純粋に、魔術師としての……いや、そうと表現していいのかも分からない才能が彼女にはある。
常々感じていた違和感と、言語化することのできなかった畏れ。
昨夜の出来事は、それに対する答えにもなってくれた。
――天枷仁杜は恐らく、あの白髪の少女にもっとも近しい存在だ。
あるいは、"あれ"とはまったく別種の極点に到達できる可能性を彼女は秘めている。
見たいと思う。共に歩みたいと思う。そこへ、到らせてあげたいと思う。
奇術王はかつてなく高揚していた。結局は彼もまた、退屈な現実や凝り固まった理屈の類を一切合切まとめて消し飛ばす……そんな劇的な大手品に憧れる、ひとりの観客なのだ。
◇◇
今度、久々にそっち行っていい?
そんなメッセージに対しての返信はおろか既読もないのを見て、高天小都音は仕方のないやつだ、とため息をついた。
〈にーとちゃん〉こと天枷仁杜は、腐れ縁の親友である小都音からしてもフォローのしようのない社会不適合者である。
なのでこうして連絡をしたのになかなか返ってこない、というのは彼女に言わせれば"よくあること"だった。
「あの子スマホ依存症だし、見てないってことはないな……いつもの悪い癖か、また二日酔いで潰れてるか。どっちにしろ相変わらずだこと」
曰く、彼女にとって連絡を返すという行為はたいへんに労力の要るものなのだという。
小都音にはまったく分からない理屈だったが、前に指摘した際にはこんこんとそのように語られた。
こんな堂々と自分のダメさを語れる人間ってこの世にいるんだ、としみじみ思ったものである。
とはいえ、"よくあること"なので別に気分を害したりすることはない。
むしろ仁杜に関して言えば、先日の大火事から難を逃れてくれていただけでも小都音は大概のことを許してあげたいくらいの気持ちなのだ。
彼女の会社が文字通りの意味で燃えたことを知った日は、業務をほっぽり出して鬼電をした。
それでもなかなか連絡がつかず、こうなったら家に直接乗り込んで安否確認を、と思ったところで『うちで寝てた!』というあんまりにも端的な返信(スタンプつき)が返ってきた時は思わず床にへたり込んでしまったものである。
「……ま、これでまた本当の意味での〈にーとちゃん〉に戻ったってことね」
悪運の強いやつだ、と思いつつ、小都音は口元に笑みを浮かべる。
そのさまを見て、彼女の相棒であるセイバーのサーヴァント……トバルカインは呆れたような顔で言った。
「お前さあ、よくそんな奴と付き合えるよな。私だったら途中で百回くらいぶち切れてると思う」
「だろうね。でもさ、結構いいとこあるんだよ。かわいいし、意外と律儀だったりするの」
「真っ先に出る擁護が"かわいい"って。コトネそういう趣味でもあんの?」
「下世話。ていうか現代じゃそういう勘繰りと決めつけはご法度だよ、有名人がしたらマジで炎上するやつだから」
とはいえ、かく言う小都音も今だけは仁杜のことをあまりとやかく言えない立場である。
というのも数日前、小都音は会社に退職届を提出してきたのだ。
理由はもちろん、聖杯戦争の被害がどんどん洒落にならない規模になってきているからだ。
自分でも結構な社畜気質だと自負しているが、さすがに会社、それも偽物の職場と心中覚悟で付き合ってやる気にはなれない。
そのため、今は小都音も親友の彼女と同じ"ニート"だった。
平日の真っ昼間から家でごろごろしてスマホを弄っていられるのも、そういう事情に起因している。
「……それにしても、よかったの? この間出くわしたあのなんとかって魔術師の男。
割と交渉とか、前向きに検討してくれそうな感じだったのに。あんたが全拒否して殺しにかかるからおじゃんになっちゃったけど」
「あんなキモいサーヴァント連れてるような奴と話すことなんて何もねぇだろ。
それに――」
しかし、まったく小都音たちが聖杯戦争に関わらずに過ごしているかというとそんなこともない。
むしろつい最近、小都音とトバルカインは共々一組の主従と邂逅、交戦していた。
マスターの方もやけに屈強な体格の外人だったが、その印象を彼方に吹き飛ばす程度には、その連れているサーヴァントは異質だった。
見た目が、ではない。見た目はむしろ、馬鹿みたいな美形だった。
前情報を入れずに顔だけ見たなら、百人中百人の女子が華麗だと称するような美青年。
個人の趣味を除いて論ずるのが前提だが、きっと"格好いい男"という概念の理想像に近いだろう英霊であった。
だが。
あまりにも、言動が常軌を逸していた。
脳みそが溶けているとしか思えない、酔っ払ったような言動の数々。
それだけでも小都音は彼の真名に行き当たることができたのだが、その上でもう一度驚いた。
まっとうな教育を受けて育った現代人なら誰でも知っているだろう"恋する男の代名詞"が、こうも過激に歪み果てているだなんて。と。
「むしろ、駄目なのはその魔術師(マスター)の方だ。
目を見りゃ分かる。ありゃちぐはぐなようで似た者同士だよ、イカレポンチ同士で引かれ合ってんだ」
「……ぜんぜん普通に見えたけどな。話も通じたし」
「それが一番怖ぇし、きめえだろうが。
話のできる狂人ってことは、傍から見たら区別が付かねえってことだ。
まだ分かりやすく涎垂らして電波受信してる方が信頼置けんね。だからぶった斬ろうとした。無理だったけど」
持ちかけられた対話に対し、小都音がまごまごしている間にトバルカインが動いていた。
『黙れ。まず死ね』『死んでから聞いてやるから首をよこせ』『とにかく死ね、話はそれからだ』という具合だ。
本来なら、彼女はそこで件の魔術師の首を落としてしまいたかったのだろう。
しかしそう上手くも行かなかった。――予想以上に、敵の狂える美男子が"強かった"からだ。
最終的に業を煮やしたトバルカインが隙を突いて、小都音を担いでそそくさ撤退。
家路を辿られないように東京中周る勢いであちこち走り回って、帰った時には空はすっかり白んでいた。
そのせいで翌朝、小都音は退職届を出すための通勤を盛大に寝過ごし、とても気まずい気持ちで遅刻からの退職をかましてくることになったのだが、それはさておき。
「とにかく、ありゃ私のミスだった。面目ない」
「えらく素直じゃん。ってことはやっぱり話聞いとけばよかったってこと?」
「違えよ。あの場で面倒がって逃げるんじゃなくて、きっちり首落としとけばよかったってことだ」
そう語るトバルカインの眼には、いつものだらけた自堕落な色はなかった。
そこにあるのは、原初の鍛冶師にして数多の屍を積み上げてきた戦士の瞳。
罪の継嗣、生き竈と称された女の放つ本気の殺意が介在していた。
「――ありゃ駄目だ。まずはうだうだと理屈で語ったが、それ以前に私の直感が告げてる。
あの男は、生かしといちゃいけないやつだった。もしも、もしもあんなのが他にも彷徨いてんなら……はー、面倒臭ぇナ」
やはり職人、ということなのだろうか。
こうなった時のトバルカインは、ひとりでブツブツ何事か呟いて自問自答するモードに入ってしまう。
なんだか物騒なことを言っているが、まあ、こんなのんきなことを思ってられる段階もそろそろ終わりなのは間違いない。
はあ、やだね。
平和が一番だよ、ほんと。
高天小都音はそう言って、せめて完全に崩れてしまう前にこの平穏を少しでも満喫しておこうと、大の字で畳に身を投げるのだった。
◇◇
アンジェリカ・アルロニカは窓辺に座り、曇天の空を見つめていた。
いや、空を見ているわけじゃない。何を見ているのか、見ようとしているのか、自分でも今ひとつ判然としていなかった。
太陽は今、雲に隠されている。
なのにアンジェリカの心には、瞼を閉じれば思い出せるほど鮮烈に太陽の如き輝きが蔓延っていた。
聖杯戦争。それは言わずもがなに〈魔術の世界〉。
求む安寧とは程遠い、ひねり潰したくなるほど憎たらしい非日常の箱庭。
あの日〈古びた懐中時計〉を手にし、この針音響く都市に迷い込んだ時からずっとそのことは承知していた。
だが、今。アンジェリカは慣れるどころか、この世界、ひいては"そういう世界"への嫌悪を遥かに強めている。
嫌悪。
いや。
これは、そんな単純な言葉で形容していい感情なのか。
それさえ、分からないのだ。
分かることはひとつだけ。
昨夜、愉快犯のように現れた金髪のサーヴァント。
突然、天を衝く巨体の白狼をけしかけてきた"横槍"の彼に。
自分はきっと、跪く勢いで感謝しなければならないということ。
もしもあの夜、彼の働く無粋がなかったならば。
自分は――こんなものでは済まなかっただろうという確信が、アンジェリカにはあった。
「……ねえ、あめひこ」
「なんだ。アンジェよ」
「ごめん。もう何回目か分かんないけどさ、聞かせて」
夜に、太陽に遭った。
アンジェリカの体験したことは、それがすべてだ。
間違いなく空は夜天の相を帯びていたし、時刻は深夜の三時を回っていたと記憶している。
なのにアンジェリカは確かに、太陽を見たのだ。
白い、白い――輝く恒星(ほし)を、地上に見た。
「……あれ、何だったの?」
白髪の少女だった。
光の剣を携えた、よく笑う女の子だった。
最初、アンジェリカは躊躇った。アーチャーの矢を彼女に向けることをだ。
それもその筈。少女は得物こそ持っていたが、サーヴァントを連れていなかった。
アーチャーの強さは知っている。その矢が当たれば、人体など軽く爆ぜ飛ぶことも聞いている。
だから、躊躇ったのだ。なのに最終的にアーチャーを制止しなかったのは、ひとえに――悪寒が走ったからだった。
遊ぼうと。
真昼のように微笑む、少女。
その姿に、怖気を覚えた。
魔術師として、望まないながらも相応の才覚を有していたアンジェリカにとって、それは初めての感情であった。
「分からぬ。だが、不確かな私見で発言して構わぬのならば」
「……、……」
「"神"の如き"人"だ。そうとしか言えぬ。私は、あの娘を形容する言葉を他に持ち合わせていない」
アーチャー。真名を、天若日子。
荒れ狂う悪神を撃ち、神の使者を撃ち抜いた高天原の神子。
誰よりも神を知り。そして地に下って愛を知った英霊が。
分からぬと言う。何を見たのか、判断が付かぬと顔を顰める。
――アンジェリカ・アルロニカが遭ったのは、ひとえにそういうものだった。
「……わたしはさ、魔術師になんてなりたくなかったけど。
でも、別にそういう生き方や世界を全部否定する気はなかったよ。
あくまで私がやろうとしてることは、私のわがままを通したいってだけのこと。それ以上でもそれ以下でもない、そこはちゃんと弁えてる」
でも、と。
アンジェリカは、弱音を零すようにちいさく足した。
「わたし――アレがいる世界は、怖いよ」
ああ、そうだ。
これはきっと、恐怖なのだ。
嫌悪ではなく、恐怖。理屈などない、きっとすごく原始的な感情。
「……ああもう。らしくないこと言っちゃったよね、忘れて。はー、かっこ悪……」
「恥じることはない。それは人として当然の感情だと、私は思うぞ」
「そうかな。いや、でもさ。
犠牲がどうとか、偉そうに啖呵切っといてこうやって窓辺で凹んでるって、なんかすっごい情けない気がして」
「なんだ。アンジェは意外と気にする性格なのか? 何を無粋な。私とアンジェの仲ではないか」
そう言って、弓兵は朗らかに笑った。
自分を元気付けようとしてくれているのが分かって、アンジェリカもなんとか微笑み返してやる。
目に見えて分かる空元気だったが、それでも、此処でそういう顔をしないのはひどく不誠実に思えた。
「じゃあ遠慮せずに言っちゃうけどさ。やっぱり怖いや、すっごく怖い。
……だけど呆れたもんでさ、あめひこに語った夢を諦めたいって気持ちはぜんぜんないの。これって、おかしい?」
「恐れを抱くことと夢を追うことは別腹の話だろうに。アンジェはアレだな、うむ、アレだ。もう少し肩の力を抜くべきだな!」
「他人事だと思って……」
恨みがましくじっと見つめるアンジェリカに、弓兵は「何を言うか!」と憤慨したように言う。
「他人事なものか。私は主のサーヴァントだぞ?
一蓮托生、生きるも死ぬも、進むも戻るも共にある。
アンジェが笑うなら私も笑おう。アンジェが曇るなら私が励まそう。
だからまあ、なんだ。――少しは頼れ! 聖杯戦争はひとりで戦うものではないのだぞ、まったく!」
あまりに直球でそう言われて、アンジェリカは今度こそ、空元気ではない自然な苦笑をこぼした。
そうか。そうだな。今はひとりじゃなくて、こいつもいるんだ。
加速など必要ない。"今""此処にある"ぶんの時間だけで、アンジェリカはこの小さな隣人の存在を思い出せた。
◇◇
名前を聞けば誰もが頷く、ある名門女学園。
そこでも、いや、そういう"身分の高い"家の子どもが多い学校だから尚更か。
東京を襲う〈蝗害〉を始めとした複数の惨禍を受けて、学校は休校措置が取られていた。
とはいえ、この学園は寮生活か自宅通いかを生徒の任意で選択することができる仕組みだった。
だから授業や諸々の活動自体は止まっているものの、学校自体は開いているし、用件があってもなくても自由に出入りできるのが実情だ。
無論、伊原薊美にそれをする理由はない。
授業に付いていけないなんて情けない事情はなかったし、学業以外に関しても薊美は常に並ぶ者なき先頭を歩んでいる。
走ってすらいない。ただ、普通に歩いている。
それなのに誰も、薊美の隣に立てない。
薊美の歩みに、付いて来れずに折れていく。
薊美はそれを、果実のように踏み潰す。
さながらこの学園は、薊美にとって果樹園のようなものだった。
赤々と実っているのならばいざ知らず。
地に落ちて腐り始めた林檎を踏み潰すことに躊躇いを覚える者など、そうそう居はしないだろう。
そんな薊美は今、体育館にいた。
無人の体育館だ。部活動も止まっているのだから当たり前だが、別に自主練習をしようと訪れたなんて殊勝な話ではない。
そのような月並みなことしなくたって、茨の王子はあるがままに無敵なのだ。
あるがままだからこそ、最強なのだ。最美なのだ。玉座をほしいままにする、女王なのだ。
……半月ほど前に。
この体育館で、とある余興が繰り広げられていた。
此処はお硬い校風の学園だが、それでもそんな学校なりに生徒の不安を和らげて息抜きをさせようと一計を案じたのだろう。
授業の日程を変更して、方々で名を馳せているという話題のマジシャンをひとり、呼んだ。
――"天才"。
――"王の再来"。
――"現代の脱出王"。
そんな仰々しい呼び名の付き纏う彼女の舞台は、まさしく奇術だった。
種が見えない。そもそもあるのかどうかさえ、疑いたくなってしまうほど。
すべてが華麗で、隙がなく、トリックの推測という無粋に介入の余地さえ与えない。
疑う以前に端から興味さえなかった薊美でさえそうだったのだ。
他の生徒たちの眼からはさぞかし、本物の魔法のように――魔術のように見えたに違いない。
『君――』
『ふふ。いいね、素晴らしい。喩えるならば花、かな。
ひどく美しいのに、鋭い棘のせいで誰も周りに近寄れない茨の王子さま』
『強くて、綺麗で、華々しい。誰もが憧れて、尊敬の眼差しを向ける。そんな王子さまで、女王さまだ』
舞台が終わり、満足げな顔の生徒たちが捌けていく中で。
それを見送るマジシャンは、薊美を呼び止めてこう言った。
当然だ、と思ったことは言うまでもない。
驕りではなく、事実として。自分はそういうものだと、薊美は理解していたから。
周りはきゃあきゃあ言っていたり、苦々しい顔をしていたり様々だったが。
そんな中でひとり。薊美だけが、言葉の続きを聞いていた。
『だけどいつまでもただ咲いてはいられないよ。
どんなに綺麗な花も、日照りが続けば枯れてしまう』
奇術師は、笑って。
『――備えなさい、茨の君。
美しく咲き続けたいのなら、あなたは"太陽"に勝たなきゃいけない』
そうとだけ言い残して、人混みに紛れた。
どういう意味、と問い質そうとしてもまったくの無駄。
まるで人混みの中という"檻"から、お得意の奇術で脱出してみせたみたいに――少女の姿は、次の瞬間には見えなくなっていた。
その事象だけを見てすごいすごいと騒げる周りの林檎たちを、薊美は見てすらいなかった。
そして今も。茨の王子は、言葉の意味を求めて……既に脱出が終わった後の棺桶/体育館に、こうして意味もなく足を踏み入れている。
「……馬鹿馬鹿しい」
思わず口をついて出た言葉は、果たして誰に対してのものだったのだろう。
幻影を追っている自分自身にか。それとも、あのいけ好かないマジシャンに対してか。
定かではないが、らしくもなく無駄を冒した自覚は薊美にもあった。
だからこれで無駄の時間は終わりだ。そう決めて歩き出し、そこで。
「――ライダー?」
自分の相棒である、あの"将軍"がやけに静かなことに気付いたのだ。
足を止めて、今も霊体化して近くに侍っているだろう彼を呼ぶ。
するとすぐさま、虚空に米国的(アメリカン)な伊達男の姿が具現化した。
「カスターは此処に。どうかなさいましたかな、我が令嬢(マスター)?」
「いや……今日はなんだか静かだな、と思って。何かあった?」
「――ああ。いえ、別に大したことではないのですよ!
憂いを与えてしまったのならお詫び致しましょう!
このカスターは依然として不変、貴方と共に覇を往く騎兵なれば!」
ただ、と。
薊美のサーヴァントである彼は、す、と微笑みを消して斜め上を見た。
そこには窓がある。体育館の窓は換気のためなのか開け放たれていて、曇り空が隙間からよく見える。
「ただ……少々、忌まわしい音が聞こえたような気がしましてな。
そう、何か――指笛のような。そんな音が」
そんなカスターの言葉の意味を、薊美は理解できない。
そして当の彼も、それをただの気のせいだとして片付けてしまったのだろう。
『万事滞りなく! 私の心配など一切不要ですぞ、はっはっは!!』と言い残し、反響もやまぬ内に霊体化してしまった。
薊美は少し鼻で息をして、一度止めた足を再び動かし始める。
太陽は空に昇っていない。太陽は、地上にある。
それは果たして、伊原薊美という美しき王子か。それとも――
◇◇
――。
時計の針を、少し廻す。
順ではなく半に。
逆さに、時が戻っていく。
演者の数は十七人。
だが、舞台には未だ語られぬ六人の役者が残っている。
彼らは、残骸。
彼らは、残響。
既に役目を終え、されど眠ることを許されなかった六つの遺骸。
魂までもを光に焼き焦がされた生ける焼死体(リビングデッド)。
かつては人間。
今は、何でもない存在。
――〈はじまりの六人〉。
時に取り残された、哀れな器たち。
◆◆
――かつて東京で開催されたその聖杯戦争は熾烈を極めた。
〈熾天の冠〉をめぐる争いは、神秘の秘匿や裏側の倫理といった大前提を加速度的に崩壊させていった。
恐らくそれを監督しようとしていた側さえ想定していなかった、魔術師たちの増長。
結果として東京は、まさしく針音の仮想都市さながらに日を追って地獄へ変じていく。
最終的に首都を壊滅させるにまで至るその戦いに列席した者は、七人。
楪依里朱――そのサーヴァント・セイバー。
蛇杖堂寂句――そのサーヴァント・アーチャー。
赤坂亜切――そのサーヴァント・ランサー。
〈脱出王〉――そのサーヴァント・ライダー。
神寂祓葉――そのサーヴァント・キャスター。
ノクト・サムスタンプ――そのサーヴァント・アサシン。
ホムンクルス16号――そのサーヴァント・バーサーカー。
陰謀、策謀、呉越同舟の温床。
野望と願望の竜戦虎争。
熾天を前にしての、悍ましき王位継承戦。
いずれすべてが特異点(バグ)に呑まれるなどとは露知らぬまま。
魔術師たちは、己のすべてを懸けて勇ましく戦った。
そうやって少しずつ、静かに、灼けていった。
◆◆
午前二時三十分。
板橋区の一角が、異界に変じていた。
〈異界〉。
その光景を表現するには、こう表現するしかなかった。
住宅街が丸ごとひとつ、凍土と化している。
霜が降り、吹雪が荒び、そこかしこに氷像と化した民間人の姿が見て取れる。
そんな光景なのに、あちこちでごうごう、ぱちぱち、めらめら、と、炎が燃えている。
真冬の大火事。それだけならば、まだ起こり得る事態かもしれない。今が五月で、此処が日本であることを除けばだが。
しかし――それに付随しているもうひとつの"異常"は、完全に常軌を逸していた。
砂嵐が吹いているのだ。まるで吹雪と世界の版図を争い合うように、茶色い砂塵が荒れ狂っている。
いや、砂ではない。よく見れば、砂に見える粒のひとつひとつが小刻みに動いているのが見て取れるだろう。
動いている。蠢いている。そして、鳴いている。音を立てて。キチキチ、と。
これは、砂嵐ではなく。
地平の果てから来たりてすべてを食い尽くす、〈蝗害〉であった。
即ちサバクトビバッタ。神代から現代まで世に蔓延り続ける、不滅の厄災なり。
触覚を動かし、羽を震わせ、キチキチと鳴く飛蝗の軍勢が数億数十億の群れを成して冬を食らっている。
間違いなく、此処までのひと月を総計しても最大の規模に達するだろう激戦。
その主たちは、異界の只中にありながら身を震わすこともなく対峙を続けていた。
片や、狂おしく微笑むダークスーツの青年。仕えるは、女性離れした長身の弓兵。
片や、総身で白黒色彩(ツートンカラー)を体現した少女。仕えるは、蝗害を背負って嗤う暴食の騎兵。
〈はじまりの六人〉。
〈はじまりの聖杯戦争〉を共にした、旧知同士の殺し合い。
しかし旧知と一口に言っても、その関係性は殺し合っていることから分かる通り決して穏便ではない。
「最悪。よりによってあんたみたいなキモい奴まで蘇ってるとはね、アギリ」
「非道い言い草じゃないか、イリス。一度は"彼女"共々共闘した仲だろう?」
蝗害の魔女――イリスは、毒虫でも見つけたように嫌悪を露わにし。
凍原の赫炎――亜切は、まさに旧い友人との再会を祝するように笑う。
イリスが、亜切の言葉に眉根を寄せた。
それと同時に爪先でこつん、と凍った地面を叩く。
瞬間、凍土と蝗害に侵された世界が二色に分割される。
一面の白。あるいは黒。楪の魔術師は〈色彩〉を操る。
自身にとって致命的な事象が到来しようとしていることを知りながらも、しかし亜切は不変だった。
その魔眼由来の炎を爆発的に放出させ、迫る魔女の魔技をもろともに焼き払う。
次いで、億の飛蝗が生み出す竜巻を巨人の剛矢が一撃のもとに吹き散らした。
刹那に到来する蝗害の主、飛蝗の魔人が繰り出す一振りを凶暴な笑みで受け止める。
共に歯を剥いて笑いながら、〈災い〉と〈神〉が殺し合う。
そんな神話もかくやの光景にすら、ふたつの骸は顔色ひとつ変えない。
「僕は君のことを、まあそれなりに気に入ってる。
"お姉ちゃん"としては論外だけど、"妹"としてはなかなかの素質だ。
成績優秀じゃないけど単位は取れるって感じだね。だからうん、そう、七十点くらいの――」
「死ね変態」
色彩の槍が、亜切を囲み。
炎の爆噴射が、イリスを呑む。
それなのに。互いに、無傷を保ち続けている。
「"あいつ"に何を見たのか知らないけど、そうまで堕ちたら大人しく死んだ方がマシでしょ。
生き恥って言葉知ってる? 少しは歳でも考えたらいいんじゃないの。ああ目が焼けてるから自分を客観視することもできない?」
「なかなか手痛い指摘だが、僕も君には言われたくないね。
お姉(妹)ちゃんにフラれたのを未練がましく引きずって、まさしく女の腐ったみたいじゃないか」
殺意の桁が、一段上がる。
ブロックノイズのように世界を喰む色彩が、異界の悍ましさに拍車をかけていた。
彼らは共に狂人。論理は破綻し、感情は狂気に変転し魂にまで焼け付いた。
だからこそ、そう、このように。表面上友好的に見えたとしても、決して芯から相容れることはできない。
彼らは、〈はじまりの六人〉は、根本的に互いの存在を認められないのだ。
同じ星に焦がれた恋敵など。死んでくれるに越したことはないのだから。
「――アガってきたところだが、そろそろ宴も酣だね」
「は? 逃げんの?」
「相変わらず子どもだなあ。そういうところが妹ポイント高いんだけど」
けらけらと笑いながら、最初に矛を収めたのは亜切だった。
イリスは口ではそれに敵愾心を示すが、彼女もそこで攻撃の手を止める。
イリスもまた、亜切と同じことに思い当たっているのは明白であった。
そう。このまま続ければ、自分達はどちらが死ぬまで止まらない。
それ自体は望むところだが、如何せんまだ時期が早い。
この刻限から総力戦をしてもぎ取る勝利の価値は、どちらにとってもそれほど高くない。
何せ今回の聖杯戦争は前回以上の異常形。"彼ら"にとっても、この先何が起こるかは未知だった。
無論負ける気は微塵もしないが、同時に彼/彼女を殺し切るとなれば無視できない損耗を被るのは必至。
であれば此処は狂気と同族へのみなぎる殺意をぐっと堪えて、痛み分けという形で手打ちにするのが利口と、双方共にそう判断したのだ。
色彩が剥がれ落ちる。
炎が、消える。
吹雪と蝗害だけが、世界に未だ残り続けている。
「さっきはああ言ったけどね。僕は実のところ、お姉(妹)ちゃんを巡って雌雄を決するなら君がいいと思ってるんだ。
他の奴らと来たらどいつもこいつもしみったれてるからね。斜に構えちゃって、まったく実にみっともない。
そんな奴らを最後の障害に据えてもこっちの気が削げる。せっかくの〈運命〉が台無しだ」
「……、……勝手に人の戦う理由を決めないでほしいんだけど?」
そうは言うがイリスとしても、後半に関しては同意見だった。
この狂人と共闘するつもりは毛頭ないが、逆に言えば分かりやすく壊れていない他の連中の方が薄気味悪さでは勝っている。
そちらの方が遥かに鬱陶しく、そして苛立たしい。
先刻亜切はイリスを"女の腐ったよう"と評したが、イリスに言われれば他の四人は"男の腐ったよう"な連中の集まりだった。
「……何か情報は取れてるの?」
「ジャックの奴は居所を隠そうともしてないね。あいつは面倒だからな、早めに潰したいと思ってるよ」
「もしやるなら教えて。あんたと共闘する気なんてさらさらないけど、あのヤブ医者は生かしとくとこっちも具合悪い。嫌なこと思い出す」
「強かったもんなあ、あの医者。思えばお互い、あいつのサーヴァントには手を焼いてたっけ」
昔話に花を咲かせているようにしか見えない光景。
だがその"昔話"が、そもそも途方もない量の血と戦火で構成されている。
好意は行き過ぎると敵意に変転するように。
敵意も、度を過ぎれば気安さに変転するのかもしれない。
「ミロクはどうせ引きこもりでしょ。ノクトはお得意の交渉とか契約に奔走中ってとこだろうし。となると、気持ち悪いのは――」
「同感。〈脱出王〉だね。ただ僕としても彼女はどうも苦手でなあ。君んとこの蝗害でどうにかならないかい、アレ」
「……どうだろ。まあ見つけたらやってみるけど、期待はしないで」
先に踵を返したのは、イリスの方だった。
これ以上話すことはない、と行動でそう示す。
それに対し亜切は苦笑して肩を竦めた。
相変わらずつれないねえ、と言わんばかりの態度だが、イリスは振り向こうともしない。
が、おもむろに足を止めた。
そして振り返らないままで、ふ、と小さく笑う。
「少なくとも妹としては合格なんだっけ? 私」
「まあね。悪くはないよ。それがどうかしたかい?」
「じゃあさ、わざわざ祓葉の尻なんて追っかけないで私にしといたら?
そしたら私も殺す障害がひとつ減って万々歳なんだけど」
「ははは」
イリスの言葉に、亜切も笑った。
そして。
「寝言は寝てから言えよ。焼き殺すぞ?」
「こっちの台詞。次は殺すからね、変態野郎」
――お互い笑顔で殺意を突き付け合って。
深夜の決戦、災禍吹き荒ぶ異界の邂逅は嘘みたいにあっさりと幕を閉じた。
……去っていくイリスの背中を見送り。
赤坂亜切は、ふうとため息をつく。
「思春期が悪化してるね。あれでよく僕のことをとやかく言えたもんだ」
とはいえ、先に言ったように亜切の中ではイリスこそが一番"マシ"な相手だった。戦力ではなく、心象の話である。
他の四人は亜切に言わせれば、どいつも性根が腐り果てている。
しみったれた負け犬どもめ、と亜切は彼らを隠そうともせず侮蔑していた。
故に焼き払う。運命が許すならば、愛しの姉/妹を奪取する前の最後の障害は彼女がいいものだと思う。
そんな亜切の横で、二メートルを超す長身の美女……凍土の弓兵、スカディが伸びをしていた。
「ん〜〜……。なかなかしんどい狩りだったねえ。
まあせっかくの大舞台なんだ。あのくらい骨があるくらいが丁度いいと言われりゃそうなんだが」
「しょうがないさ。見たところイリスのライダーは個じゃなくて群体だ。
特定の核を持たないから、君の"両眼"で射抜いたところで何にもならない。
冷気で総軍ごと凍て殺すのが一番手っ取り早いんだろうが……うん、次にやるならイリスを徹底的に狙った方が良さそうだ」
「にしてもずいぶんと剣呑な娘っ子じゃないか。他の四人もああなのかい?」
「彼女は分かりやすくて可愛い部類だよ。姉力は皆無だが妹力はなかなか高い。他は論外の玉無しどもだから、話す価値もないね」
それにしても、と亜切は言葉を区切る。
両手を広げ、天を仰いだ。
夜空の果て、星空の輝きさえあの日見た光に比べてなんとか細いことだろう。
「ああ……感じる。この空の下に君がいるのを、強く強く感じるよ」
また始まった、とスカディが面倒臭そうな顔をする。
だが、亜切の視界/世界に今や彼女は存在さえしていなかった。
彼が想うはただひとり。彼が視るのも、ただひとり。
あの日――あの炎の中で、赤坂亜切の運命は"固定"されてしまった。
それきりだ。
今もずっと、亜切は理想の家族を追っている。
いつか、魔術師の家族を殺したことを思い出した。
〈はじまりの聖杯戦争〉よりずっと前のことだ。仕事として、確かロンドンで働いた殺し。
魔術師でない末子はその場にいなかったのもあって対象から除外したのだったと記憶しているが、はてさて何処でどうしていることやら。
美しい家族愛の忘れ形見たる彼女も、今は自分のように失ったものを追い続けているのだろうか。
なんて思い出しはしたが、しかし感傷に浸らせてくれるほどの記憶ではない。端的に、どうでもいい思い出だった。
今の自分に必要なのは過去ではなく未来。果たすべき理想の未来が、今の赤坂亜切にはあるのだから。
届かぬ天の星のように、目映く尊い姉/妹を。
今度こそ掴んでみせるのだと、星空に手を伸ばす子どもは繰り返している。
「さあ、お姉(妹)ちゃん――――すぐに行くよ。捕まえてあげる。
そして僕と、幸せな家族(きょうだい)を始めよう」
◆◆
都内某所。
某、民間総合病院の一室にて。
蛇杖堂寂句は、少女と相対していた。
目の前の椅子に座った少女の手には、ぐったりとした一羽の雀の姿がある。
時折動くがどうにも弱々しく、何らかの異常が生じていることは明白だ。
ちなみにだが、この病院は動物病院ではなく。
そして寂句は、医師ではあるが獣医ではない。"人"を相手に技術を高めてきた人間だ。
つまり、何から何までお門違い。
なのだが、寂句が忌まわしげに眉を顰めてこめかみを指で叩いている理由はそこではなかった。
「分かっていたつもりだが、改めて目の当たりにすると辟易するな。貴様はどこまで阿呆なのだ?」
目の前の少女が、よりにもよって自分の前に座っている事実そのもの。
蛇杖堂の主の顔を顰めさせている要因は、ひとえにそれだ。
白髪の、起伏に富んだ肢体の少女だった。
頭の上からぴょんと跳ねたアホ毛はどうにも威厳というものを感じさせない。威厳に満ちた寂句とは正反対だ。
鉄火場だろうと天真爛漫に笑うその顔は落ち込んだようにしゅんとして、手の中の雀に視線を落としている。
どうやら彼女は本当に、この弱った小鳥が理由で寂句のもとを訪ねてきたらしい。
「うーん……だって、私の知ってる限りジャック先生がいちばん腕がよさそうだったし。
この子ったらお水飲ませようとしてもぜんぜん飲んでくれないし、私居ても立っても居られなくなっちゃって」
「……これが〈禍炎〉や〈魔女〉であれば瞬時に激昂しているだろうな。
自分が冒涜した相手の前にのこのこと現れて、お前など眼中にないと挑発しているようなものだ。貴様のやっていることは」
「そんなぁ……。私、そんな捻くれたこと考えるような子じゃないよ」
「物の喩えだ、間抜けめ。あの三流英霊も貴様のお守りにはさぞ苦労しているだろうな。初めて同情の念を覚えたぞ」
そう、寂句は知っている。
それくらい月並みな思考回路の相手であったらそもそも苦労はしないのだ。
この少女の恐ろしいところは、ふざけた言動も行動もすべてシラフでやっていること。
手を差し伸べ救った相手を、心を痛めながらされど迷わず殺せる精神性。
破滅的純真無垢。――この、神寂祓葉という娘が持つ〈異常〉を、魔術師である以前に医者である寂句が理解できない道理はない。
室内に沈黙が満ちる。
時間にして、数秒。
結局、それを破ったのは寂句の側だった。
「弱ってはいるが目立った出血は見られない。
恐らくドアなり窓ガラスなりに衝突し、その衝撃で脳震盪を起こしているのだろう」
「……治せそう?」
「それにすら及ばん。一時間程度休ませていれば自然に回復して飛び立っていく。診断は以上だ」
寂句の担当は人間相手の外科だが、彼ほどにもなると専門外の分野に関しても一通りの知識を蓄えている。
ましてや今目の前にいる"患者"の症状は獣医学の初歩の初歩だ。
もっとも本当に重病の容態だったとしても、この老人ならば何とかしてしまっただろうが。
それはさておき、寂句の診断を聞いた祓葉はほっと胸を撫で下ろした。そして、気が抜けたように言うのだ。
「よかったあ……」
「とんだマッチポンプだな。貴様が作り、やがては破綻させる手筈の世界に生きる畜生に慈悲を示すなど、まったく以って理解に苦しむ感性だ」
「まあ、それを言われたら弱いんだけどね。でもほら、本物だろうとそうじゃなかろうと、苦しそうにしてたら可哀想でしょ」
「そういう台詞を臆面もなく本心で吐けるところが、貴様が最悪の生物たる所以だ」
無能め、というお決まりの台詞は出なかった。
当然だ。天変地異を相手に才の有無を論じる高度/無駄な感性を寂句は持ち合わせていない。
安心したように手の中の雀へ顔を寄せる少女に、老人はため息混じりに問いを投げる。
これを相手に何を語りかけようが意味はないと分かっていたが、それでも何ら益なく振り回されるだけで終わるのは癪だった。
「会ったのは私が最初か?」
「うん。会いに行こうと思えば行けるけどね、我慢したよ」
その方が楽しいからね、と言って祓葉は笑う。
天使のように。女神のように。そして、少女のように。
太陽みたいな顔で、ひどく醜悪な言葉を吐く。
「貴様の魂胆はまるで理解できんが、喜べよ天地神明の冒涜者。事は貴様の想定通りに運んでいるぞ」
「あは。そうみたいだね」
「貴様という〈光〉に被曝した我々は、無様なまでに人間として破綻した。
この私もその例外ではない。我らはじまりの遺骸(レムナント)は、狂気のままに貴様を追い落とす」
貴様の望み通りにな、と寂句。
万感の殺意を込めて放ったその言葉も、特異点たる少女には暖簾に腕押しだ。
だが、それでも構わない。最初から、彼女に届くものがあるなどとは思っていない。
あるとすればそれは、自身の狂気の集大成たる天蠍の一刺しのみ。
「みんながみんなそうってわけじゃないかもよ?
私より先に、まずジャック先生みたいな厄介どころから片付けたがるかも。アギリとか、露骨にそういうタイプじゃない?」
「逆に問うが、その何が問題なのだ?
むしろ手間が省けて助かる。どの道、貴様の蒔いた種は摘み取るつもりだ。そうでなければ私の〈狂気〉は果たされない」
「うふふふ。先生は相変わらずだなあ」
ぱたぱたと、楽しそうに足をばたつかせる祓葉。
寂句はその姿を、既に焼き付いているその形を、改めて今一度凝視する。
それは自傷行為にも等しい。この恐ろしきものを、悍ましきモノを、改めて直視するなど。
神をも恐れぬ傲岸不遜な名医が、唯一心の胆から慄いた人の形をした恒星。
必ず遂げると、そう誓い直す。己の狂気に。そして世界すべての〈正常〉に。〈生〉に。忌まわしき、〈死〉にさえも。
「ありがとね、先生! ……あっ、お金はどうしよっか。ここ獣医さんじゃないし、誰にどう支払えば」
「要らん。用件が済んだなら疾く帰れ」
「ほんと!? よかったー、持つべきものは友達だね! ――それじゃ、またいつか!」
優しく雀を抱えながら、ぽてぽてと歩いていく祓葉。
すべての元凶。彗星の尾。太陽。もしくは、クラリオン。
寂句は、自分の腕に目をやった。老いを感じさせない張りのある肌は、ぶわりと粟立っている。
だがそれを情けないと自罰する気にさえなれない。
自尊心や矜持を持ってあれと相対することに意味はないと、知っているからだ。
神寂祓葉。誰も彼もが変わり果ててしまったこの第二次聖杯戦争で、彼女だけは、ぞっとするほどにあの時のままだった。
「……化け物め」
吐き捨てるように、呟く。
独り言でしかなかった声に、しかし返事があった。
「まったく同感だな。前以上に眩しく見える」
その男は実のところ、ずっと隣室にいた。
恐らく祓葉も気付いていたことだろう。
気付いた上で、あえて素知らぬフリをしていた、というところか。
その方が面白いから。だから、蛇杖堂の主が先刻まで交わしていた"悪だくみ"を見逃すことにした。
つくづく舐めた小娘だと思うが、やはり怒りは今更沸いてこない。
寂句の思考は冷たく冴え渡ったまま、恙なく"彼"との対話に意識を切り替わらせた。
「それで、どうだね蛇杖堂の暴君殿。あんたにとっても決して、悪い話じゃないと思うんだが……」
「若造が。私の足元を見たつもりか? 詐欺の手管はもう少し磨いておくべきだな」
屈強で大柄な、トレンチコートを着た男だった。
蛇杖堂寂句はこの男を知っている。無論相手も、寂句のことを知っていて此処を訪れている。
彼もまた、寂句と同じ〈はじまりの六人〉
最初の聖杯戦争で光に呑まれ、されど安らかに眠ることを許されなかった狂気の遺骸。
名を、ノクト・サムスタンプという。寂句の痛烈な指摘を受けて、ノクトは苦笑しながら頭を掻いた。
「相変わらず怖いお人だな、御老体。あんたの指摘となると肝に銘じないわけにもいかん」
「心にもないことを。詐欺師の謙遜ほど白々しいものもないな」
「ああ、そうさ。まああんたに通じるとは端から思っちゃいなかったが、"仲良くやる"のを前提にした部分の話は全部方便だ。
だが、全部まるっきり嘘ってわけでもない。あんたは"彼女"にああ言ったが、同時に理解もしてるだろう?」
「……、……」
寂句は不要な嘘は吐かない。
見栄を張り虚勢で自分を大きく見せるのはまさしく無能の所業だ。
だからこそ、先ほど祓葉へ言ってみせた台詞は本心から来るものである。
他の遺骸どもが自分を追い落とそうとするのなら、探し出して殺す手間が省ける。
そして自分は、この狂気は、他五つの屑星に劣るなどとは毛頭思わない。
故に彼の言葉は誓って本心。客観的に自己を見つめ、そこにあった事実を論じただけに過ぎない。
ただ。
勝利することはできたとしても、それを無傷で遂げられるとまで寂句は思い上がっていなかった。
「それに、敵は何も俺達だけってわけでもない。
俺もついこの間、刃物ぶん回すちびっ子に殺されかけてね。
どうやら祓葉の造ったゲーム盤は、必ずしも俺達を旧友として特別扱いしてくれるわけじゃないらしい」
「当然だな。依怙贔屓などする柄ではあるまい、あの娘が」
「だからこそ、俺も早めにある程度持ちつ持たれつやれる協力者ってのを持ちたいと思っててね。
一から探して落としてもいいんだが、やはり実力なら〈はじまりの聖杯戦争〉にいた連中は捨て難い。
ただ問題は人格だ。イリスや赤坂に"持ちつ持たれつ"なんてことができるとは思えないし、ホムンクルスと手品師はそもそも論外。
となると実力、頭脳、合理で物事を判断できる人格。全部備えてるのはあんただけだったってわけさ、御老体」
「ふん。相変わらず、跳梁することは得意のようだな。算盤弾きめ」
「耳が痛いよ。で、返答は如何に?」
壁に凭れたノクトの姿は、虎を思わせる彫りの深い容貌も相俟って西部劇のカウボーイのように見える。
そんな鼻持ちならない男に、ふん、と寂句は鼻を鳴らした。
回答は決まっている。わざわざ罠の箇所を指摘したのは、あくまで相手の無能を突き付ける身に染み付いた行動でしかなかった。
ノクト・サムスタンプが自分の元を訪ね、話を持ちかけてきた時点で――蛇杖堂寂句の返答は決まっていたのだ。
「私に切り捨てられるその時まで、せいぜい役に立つことだ」
「いいね、契約成立だ。――お互い様で行こうぜ、御老体よ」
〈蠍飼う暴君〉、蛇杖堂寂句。
〈盲目の数式〉、ノクト・サムスタンプ。
互いの生存を許せぬ者達による、いずれ裏切りで破綻することを前提にした協力関係。
すべては狂気の行く末に至るため。星は、今標的となる。
『――よかったのですか、マスター・ジャック』
『何がだ』
『先の邂逅は、我々にとって千載一遇の好機だったのでは?』
〈天蠍〉の問いかけを、寂句は一笑に伏した。
若輩が珍しく進言するとは、と思って聞いていれば何ということもない。
所詮は小娘だな、と老人は学ぶ魔獣、天の星座へと端的に回答する。
『貴様に思いつくような案でどうこうできる相手なら、この都市は誕生すらしていない』
神寂祓葉という少女の、特異な点を、敢えてひとつに絞ってあげつらうならば。
寂句は、これを挙げる。祓葉の前では、いつも理屈の天秤は狂うのだ。
絶対に勝てない。絶対に逃げられない。絶対に、免れない。
その理屈が、絶対の詰みが、なぜか、狂う。
一引く一は零という幼児でもわかる数式の答えが、なぜか万になる。それが、正解になる。
断ずる。
神寂祓葉は、天地神明、万物万象に対する冒涜者だ。
彼女の前で、理屈は妄言に変わる。
世界の法則が、彼女という存在のために辻褄を合わせる。
歪む。すべてが、歪んでいく。祓葉への忖度に走る。
まるで。彼女こそが、世界の絶対的な主役であるとでも言うように。
『今は時を待て。そして貴様も、奴を学習するのだ。
かつて我らがそうだったように。学び、しかして灼かれることなく好機を探れ。
求むはそれこそ"千載一遇"。その瞬間にこそ、すべてを賭する価値がある。その瞬間にしか、価値はない』
――首を洗って待っていろ、神寂祓葉。
私はこの〈畏怖〉で、必ずやすべての正常を救済する。
暴君の宣戦布告は音もなく。天蠍の尾はまだ、研磨の途上に留まった。
そして。
もうひとりの男も、当然にして思考する。
(やれやれ、狸め。まったく生きた心地がしない)
蛇杖堂寂句を古狸と呼ぶならば、ノクト・サムスタンプは狡猾な狐だ。
狐狸が手を取り合うことはない。常に腹の中では互いを化かすために必死。
ノクトは少なくとも契約がやっと結ばれたこの瞬間から、目の前の古狸を殺す術に思いを巡らせている。
心を開き懐柔するなんて正攻法の通用する御仁ではない。
手をこまねいていればいずれは彼の胃袋の中だ。
つくづく不味い仕事だと、そう思わずにはいられなかった。
その時。
彼の従僕が、美しき青年(ロミオ)が、打算の打鍵音を遮った。
『思ったよりも初心なんだね、キミは』
『いきなり何の話だ。こっちは今考え事の真っ最中なんだ、無駄話なら後にしてくれないか』
『無駄話? 何を言うんだ、とんでもない!
キミの恋路の話をしようというんだよ。これが無駄話である筈がないだろう!』
呆れ返るほどの恋愛脳。
文学史で最も有名な"恋の虜囚"は、嘆かわしいとばかりに声を荒げる。
頭が痛くなる一方で、心の中の古傷ともつかない何かがズキリと疼いた。
その意味を、まだ、ノクト・サムスタンプは、合理の狐は理解できない。
『あんなにも近くに、美しい想い人がいたのに。
ああ、なんてもったいない。火急の恋路において奥手はむしろ悪徳だよ、マスター』
……まさか"ロミオとジュリエット"の登場人物から恋路の如何を説かれるとはな。
ノクトは苦笑したが、そこには彼自身も意図せぬ、自嘲の色が混ざっていた。
そこでふと、思い立つ。
これほどまでに惚れっぽい男。
恋という胡乱な概念に、どうしようもなく縛られている狂戦士(バーサーカー)。
その口振りからするに、彼は祓葉を視たのだろう。
にもかかわらず――彼は、祓葉に対して発情を見せる気配がない。
『……なあ。それより、お前は彼女がお気に召さなかったのか?』
『まさか! 実に美しく、尊いお嬢さんだと思ったとも!
キミが惚れるのも頷ける。恋に落ちるのは実に道理だ!
あれこそまさに至高の美。天に瞬く星と呼んでも過言ではないだろう! ただ』
『ただ?』
ノクトの興味本位の質問に、ロミオは答えた。
事も無げに。何でもないことのように。
とても彼らしくないことを――言った。
『彼女はジュリエットではなかった。ただ、それだけさ』
ノクト・サムスタンプ。
〈数式〉。されど、盲目。
その心の視力は既に、恒久的に奪われている。
狂気という名の、病痾によって。
そんな彼はロミオの言葉に対して、それ以上何も応えなかった。
そしてロミオも、そんな彼に何か言葉を投げかけようとは、しなかった。
◆◆
「ああああ、待って待って!
違うんだよ、殺し合いに来たわけじゃないんだ!」
あるホムンクルスが潜む拠点に、足を踏み入れようとした少女がいた。
当然にして、その若い身体から命を奪い取るべく凶手が振るわれる。
振るったのは暗殺者のサーヴァント。暗殺教団の中興の祖、三代目のハサン・サッバーハ。
〈継代〉のハサン。その御業は言わずもがな人智を超えており、彼が命を奪うと決めたならあまねく命はただ散るより他にない。
だというのに、継代の刃は空を切った。
驚いたのは、打って変わって暗殺者の側だ。
あり得ない、と思う。
間違いなく、彼が殺そうとしたのはただの少女だったからだ。
その筈なのに、自分が初撃……気配遮断の生きている内の一撃でさえ仕留め損ねた。
「ここに知り合いがいるんだよ。あ、いや姿は変わっちゃってるんだけどさ。
誓って敵意はない。顔見知りと、ちょっと話をしに来ただけなんだ」
「……それを信じろって? おいおい、馬鹿げてるぜ。信じてほしかったらせめて、一撃目は受けるべきだったな」
「そんなことしたら死んじゃうでしょ。それに、脱出(これ)は職業病みたいなものなんだ。大目に見てもらえると嬉しい」
何か特異な魔術が行使されている形跡は見て取れない。
暗殺教団の三代目、偉大なるハサン・サッバーハは当然に慧眼だ。
なのに、仕損じた。その事実がますます警戒心を加速させる。
響く警鐘。何か分からないが、此処で狩れとハサンの暗殺者としての、そして〈山の翁〉の勘が告げている。
故にすべてを戯言と断じ、宝具の発動をさえ視野に含めて交戦の構えを取ったところで。
『――いい。通せ、アサシン』
『……通せ、って。なあ、マジで顔見知りなのか?』
『顔は違うが、言動からして〈はじまり〉の断片だろう。
となれば素性にも予想はつく。少なくとも今この場では、過剰な警戒には値しない』
〈主〉の声が響き、継代のハサンは静止する。
つくづく、分からない。
ひと月という期間を経て主たるホムンクルスについては相応に理解を深めたつもりだったが、それは〈はじまりの聖杯戦争〉にまつわる諸々の事柄を一切含めない場合の話だ。
先の大戦。そして死の淵から再生させられた、六人の魔術師。
極めつけに、神寂祓葉。賢明にして無欲なる主が、唯一理屈でない忠誠を示す何者か。
これらが関わってくると、途端に継代は自分の主が分からなくなる。
それこそ、時に不忠の案さえ脳裏によぎるくらいには――彼は困惑を重ねていた。
「……大将の許しが出た。通してやるから、怪しい真似は決してするな。
もしも少しでも不穏な素振りを見せれば、その瞬間に我が総力を尽くしてあんた達を殺す」
「オッケー、了解。それでいいから、"彼"のとこまで通してくれる?」
「……あいよ。じゃあ付いて来な」
継代が返答するや否や、少女の傍らに奇矯な容姿の少年が現出する。
恐らく彼が、彼女のサーヴァントなのであろう。
猫耳と猫の尻尾を生やした、どこか諦観を感じさせる少年だった。
マスターであろう少女に比べて脅威を見出だせないのは、あるいはその認識自体彼女たちの術中に嵌っているのか。
警戒心は微塵も崩すことなく、継代は歩き出す。
主は面会を望んでいる。であれば従者たるこの身は、それに従う以外にない。
〈はじまりの六人〉。奇妙にして奇怪な同胞関係にますます疑問を深めながら、彼は主命に従った。
――そして。
以降は何の波風も立たぬまま、旧知同士の再会が相成る。
「や。久しぶり、ホムンクルスくん。
いや――此処はあえて、ミロクと呼んだ方がいいかな?」
『呼称に執着する感性は持たない。
好きに呼べ、〈脱出王〉。相変わらず奇怪なあり方をしているようだが』
訪問者、〈脱出王〉。山越風夏。あるいは、ハリー・フーディーニ。
迎え入れるは、〈無垢〉。ホムンクルス36号。あるいは、ミロク。
苛烈にして際物揃いの狂気の輩(ともがら)ども。〈はじまりの六人〉。
その中でも際立って異質な、忠義と自由のレムナントが密やかに対峙していた。
『あいも変わらず戯言を弄し、童子のように踊り続けているのか。
つくづく理解に苦しむ。せめてもう少し"まとも"であったなら、おまえも彼女の希望に沿えただろうに』
「ちっちっち。分かってないなあ、祓葉は忖度されて喜ぶような子じゃないよ。
あなたは自然体で彼女の要望に沿えるだろうし、私もそれと同じさ。
あなたは彼女への〈忠誠〉で、私は彼女に〈再演〉を誓う。それだけで彼女は手を叩いて喜んでくれるよ」
ミロクは〈脱出王〉の、風夏の言を否定しなかった。
納得の行く言葉だったのだろう。だからこそ、沈黙という名の同意を返す。
ただ、その上で続く言葉を放つのもまたミロクであった。
釘を刺すように、あるいは否定を許さず糺するように、彼は瓶の中から厳かに言う。
『して、何をしに来た。よもや本当に旧交を温めるため、というわけではあるまいな』
「つれないなあ。半分は本当にそういう理由だから、そうまっすぐに睨まれると傷ついちゃうよ」
『……では、もう半分は?』
「うーん、そうだね。確認に来た、って感じかな。あの〈はじまり〉を経て、きみが得た狂気の色彩(いろ)を」
色彩を論ずるのはイリスの領分だけどね、と肩を竦める風夏。
ミロクはそれに対し、またしても沈黙で続きを促す。
そこにあるのは、同じ戦場を、同じ物語を共にした者への負の信頼だった。
〈はじまりの聖杯戦争〉。首都ひとつを地獄に変えた、制御不能の大戦。
その中で、ただひとり。すべての陣営を平等に翻弄し、祓葉以外の誰にも敗北せず。
その上で、ただの一度の勝利も得ることなく――奇術の披露に徹して生きた、〈脱出王〉への負の信頼。
「当ててあげようか。君の狂気は〈忠誠〉だ。それも、うんと盲目な」
『然り。それを悪徳と、私は思わない』
予想のできた指摘に、ミロクは即答する。
風夏は「変わらないねえ、ほんと」とけらけら笑った。
「まあ悪徳とは言わないさ。だけど、惜しいな、とは思うよ」
『惜しい、とは?』
「君がその型から〈脱出〉できたなら、それはまさしく彼女が望む"未知"だ。
私も職業柄、驚く顔を見るのは好きだからね。だから惜しいと思う」
『もう一度言おうか。理解に苦しむ』
奇術師の言葉に、ミロクは端的だった。
考えるまでもなくそれは当然のことだ。
〈はじまりの六人〉は狂人の集い。そう成り果てた先の大戦のレムナント。
彼らの狂気は並立を許容できず、故に他者の、ましてや同族の戯言など耳には入っても心には届かない。
『私は神に傾倒しない。だがそれが王であるなら話は別だ。
神寂祓葉に勝る優れたる者を私は知らない。存在するとも思わない。
であればそれに膝を突き、忠を尽くすことのどこに誤りがあるのか』
「うぅん。ミロクに限った話じゃないけどさ、きみらってどこかで頭が固いんだよね」
仕方のないやつ、とでも言うように奇術師は鼻を鳴らす。
確かに、その形容にはミロクも頷く部分がある。
ただそれは、この〈脱出王〉があらゆる意味で型に嵌まらなすぎるというのを前提とした話だ。
熾烈を極める聖杯戦争の只中にありながら、ひとり自分だけのマジックショーを演じ続けた怪人。
そしてその末に、星の輝きを見誤り地に伏した愚かな少年。
馬鹿は死んでも、とはよく言ったものだと、ミロクは思う。
どうやら万象を欺く奇術師の悪癖は、一度や二度死んだ程度で治るものではなかったらしい。
「君も、みんなも。あの子の何を見てきたんだか」
『では、おまえは何を見たという』
「笑顔、かな?」
『笑顔?』
「そ。あの子ってよく笑うでしょ。だけどあの子がいちばん楽しそうな顔をする時があるんだ。ミロクは分かるかい?」
『……、……』
無言を否定と看做して。
〈脱出王〉の少年改め少女は、にやりと笑った。
「――予想外のことに、振り回されてる時さ。
あの子は未知を愛している。だから僕にとって祓葉は最高の観客なんだ」
『成程。ふざけた理屈だが、言わんとすることは理解した』
確かに、"らしい"と思う。
その理屈には説得力があったし、忠誠に生きるホムンクルスには盲点の視点だった。
だが、そもそも〈はじまりの六人〉とは互いに決して相容れぬもの。
であればこそ、続くミロクの言葉には無機質ながら厳かな重みが宿っていた。
『おまえは、我らを凡庸だと嗤っているのか』
「言い方は悪いけどそうなるね。
職業柄、"ありきたりなもの"を見るともったいないなあって思ってしまうんだよ。
あなたたちほどの役者が揃っていながら、演じる台本がありきたりだなんてもったいないが過ぎる。
特にきみはそうだ、ミロク。過去の焼き直しなんてやめた方がいい。今のままでは、君の忠義が行き着く着地点は前と同じだろう」
『笑わせる。忠とは尽くすもの。
自己の結末の禍福に私は固執しない。それが彼女のためになるのなら、私は喜んで三流の台本に殉じよう』
「は〜〜〜、もう。そういうところがお固いって言ってるんだけどなあ」
心底呆れた、とばかりの態度を見せる〈脱出王〉。
とはいえこれ以上は平行線だと、彼女も分かったらしい。
「ま、今日会いに来たのはほんの親切心。
私としても舞台は華やかであるに越したことはないからね。
あなたがあっと驚く大確変を起こしてくれたら、それだけで〈脱出王(わたし)〉の得になる」
そう言って、連れ立ったサーヴァントに「帰ろう。袖にされちゃった」とへらり笑う。
人に偉そうなことを言っておきながら、彼女の方こそあり方はまったく変わっていない。
常に踊り、常に舞台上。あらゆる柩から自在に抜け出すマジシャン。
脅威としては程度が低い。〈はじまりの六人〉の中では、間違いなくもっとも警戒に値しない相手。
だが逆に。ある意味では最も、屠り去ることが困難な手合いでもある。
奇妙にして不可解。タネのない奇術のように、山越風夏は得体というものを悟らせない。
まさに彼女こそは〈脱出王〉。
敵も味方も、彼女には等しく観客でしかないのだろう。
それは、ミロクにはまったく理解不能の精神構造だった。
自分などより余程、彼女の方が生物として破綻している風に思う。
だからこそ。
『話は済んだ。殺せ、アサシン』
『あいよ、御意に』
此処で殺せるならそれに越したことはないので、ミロクは〈継代〉へ命じた。
刹那、これまで静観を保っていた髑髏面の黒影が疾風(はやて)と化す。
〈継代〉の魔技は英霊や、それとパスの繋がったマスターを直接害せない。
だが、それは彼の脅威度を何ら低下させるものではない。
魔技に頼らずともハサン・サッバーハは暗殺者の極み。
躍る凶刃はミロクの意向に従い魔術的設備を十重二十重に施したこの"工房"の中で最大の脅威として振るわれる。
走る銀閃、軌跡はいずれも急所狙い。
人を一瞬で九度殺す、生存を決して許さない殺人技巧。
であるにも、関わらず。
「すまないね。九生の果ては私にはまだ早く、彼にはもう間に合ってるんだ」
当然のように、その一言だけを残して。
刹那の後に、ふたりの〈脱出王〉はミロクの穴倉から消失を――いや、"脱出"を果たしていた。
沈黙する〈継代〉。ややあって、彼は主へ判断を仰ぐ。
「……追うか?」
『いい。恐らく徒労に終わる』
殺さぬ手はなかった。
だから命令したわけだが、やはりこうなったか、と心の中には納得があるのみだ。
〈継代〉のハサンの技と手管は見事であるが、如何に彼と言えども備えがなければ彼女の奇術には届かない。
やるのならば最低でも万全以上の準備を講じ、徹底的に脱出経路を押さえて策を弄しなければ不足であるのは見えていた。
『忌まわしい男(おんな)め。おまえは断じて〈主役〉などではない』
この舞台に〈主役〉は徹頭徹尾ただひとり。
神寂祓葉を除いて他にはない。
奇術師の出番などありはせず、その暗躍が未知とやらをもたらすこともない。
〈無垢〉は純真故に、〈脱出王〉のすべてを否定する。
その小さな姿を、暗殺者は黙して見つめていた。
――過去の焼き直しなんてやめた方がいい。今のままでは、きみの忠義が行き着く着地点は前と同じだろう。
ミロクが一蹴した山越風夏の言葉に、説得力を感じてしまったことは。
結局、言い出せないまま。
「どうだった?」
「特に何も。感想としては、キミが言ったのと変わらないかな」
九死に一生を得て尚、恐れ慄くでもなく変わらぬ笑顔で微笑む〈ハリー・フーディーニ〉に。
猫耳と尻尾を揺らして侍るもうひとりの〈ハリー・フーディーニ〉は、淡々とそう言った。
「舞台に必要なのは"変化"だ。そうでなければ、観客の真の驚きは引き出せない」
「うん、同感。だからこそ私もミロクにお節介を言ったんだけどね」
「……何のために、と問うのは愚問だね。僕もキミの考えは分かる。かつての僕ならそうしただろう」
舞台とは、最高のマジックショーとは、必ずしも奇術師の腕だけで成されるものではない。
会場の広さ。レイアウト。照明の強さ。観客の数。裏方の人数、経歴、発想。
一流ならば、すべてにこだわる。そして〈王〉ならば、零から創り出す。
「最高の舞台を目指すなら、役者が秀でているに越したことはない。そうでしょ?」
反論はない。
同時に、理解した。
山越風夏は――"いつか"のハリー・フーディーニは、舞台を育てている。
開演の時を待ちながら、神寂祓葉のための仕掛けを揃え続けているのだ。
あのホムンクルスへの接触と助言もその一環。〈脱出王〉は己の舞台を、決して妥協しない。
たとえ九生に至り、失望と諦観に染まった少年と成り果てたとしても、その一点だけは不変だった。
だからこそ、ハリー・フーディーニの舞台は当然として前回とは比にならないほどに研ぎ澄まされていく。
決して捕まらず、跳ね回り、踊り舞う〈脱出王〉。
猫のように、うさぎのように、子どものように。
あまたの仕掛けで、未知を欲しがる"誰か"を魅了する。
故に彼ら/彼女らはトリックスター。〈はじまりの六人〉の中でも最たる異質。
純粋な武力の桁と、狂気の程度では表現しきることのできない――異形異端のレムナント。
「さあ、始まるよ――私たちの〈そのあとの聖杯戦争〉。
第二次聖杯戦争が、始まる。此処からが、大舞台の幕開けだ」
楽しんでいこう。
私も、あなたも。
そして、みんなも。
そう言って山越風夏/ハリー・フーディーニは、夜空に語りかけた。
此処にいない見えざる観客さえ、見ているかのように。
◆◆
術式の飛躍的な伸びを感じる。
楪依里朱は、先の戦いを振り返ってそう思った。
〈色彩〉を操る魔術。
白黒の二色に神秘を見出す楪家の固有魔術は、本来決して抜きん出た強力さを持たない。
良くも悪くも複雑で、その割に叩き出せる結果は知れている。
要するに、無駄の多い魔術。自分達は特別だと悦に浸りたい非才の凡夫が、過剰な難易度と縛りを自分に課して自尊心を慰める惨めな力。
イリス自身、そう思っていた。現に事実として、かつてのイリスは他の魔術師を相手に正面戦闘できるほど強くはなかったのだ。
楪家の才媛として多少の心得はあったものの、それでも亜切や寂句のような本物の使い手には数段劣る。
その程度の実力だった。なのに先ほど、イリスは狂気に堕ちた亜切と互角の戦いを可能としていた。
これは。
彼女自身にとっても、想定外の事態であった。
「……ムカつく」
だが、心中は決して穏やかではない。
まるでこれでは、祓葉の手のひらの上だ。
あの女の期待に応えるために、自分が強くなっていくかのよう。
その皮肉が何とも腹に据えかねて、イリスは苦い顔でそう零した。
〈蝗害の魔女〉の目的は、生きてこの世界を出ることにある。
誰も好き好んで死にたいわけではない。
形はどうあれ拾った命、持ち帰りたいと思うのは当然だろう。
それと同時に、魔女は太陽を射落とさねばならぬと憎悪を燃やしてもいた。
人でなしの太陽。狂気の彗星、天地神明の冒涜者。
神寂祓葉を、倒す。そのためならば世界など、いくらでも飛蝗の餌に変えて構わない。
「――、」
そんな彼女の隣を、頭の後ろで腕を組んで歩いていた青年。
もとい、青年(ヒト)の姿を模倣した虫螻の集合体たる彼が。
おもむろに、何かに気付いたように表情を消した。
だがそれもつかの間、すぐにいつもの好戦的な笑みが戻ってくる。
笑みの理由を、彼はイリスに打ち明けない。
欺く形だが、悪意があってそうするわけではなかった。
単純明快な話。彼女に知られると、確実に"つまらないことになる"確信があったからだ。
「悪り。ちょっと先帰っててくれよ」
「……なんで? マスターをほっぽり出してどっか行かないでほしいんだけど」
「野暮用を思い出した。まあ、朝には帰るからよ。もし何かあったら令呪でも使って呼びな」
だから、この"気付き"は独り占めすることにした。
彼は虫螻の王。暴食者にして簒奪者。
極上の餌を前にした時、他人にそれを分けてやる気概など彼らにはない。
粗野だが端正な顔立ちの青年、という姿かたちが砂のように崩れて群れに変わる。
一瞬にして消失を果たした〈蝗害〉に、魔女はうんざりしたように嘆息した。
――彼女は知らない。
――彼女だから、シストセルカは教えなかった。
虫螻の王が察知した気配。
人間にしては大きすぎ、英霊にしても眩しすぎる光の兆しを。
東京中に存在を拡大/拡散している飛蝗は、決して見逃さなかった。
すべての役者が出揃い、後は銅鑼を鳴らすだけという局面に至って。
そんな段取りを塗り潰し、喰らい尽くすように――神代渡りの厄災が、出撃する。
◆◆
――神寂祓葉が、北北東の空から迫る"それ"を認識すると同時に。
暴食の砂嵐を切り裂いて、虫螻の王がバットを片手に飛び出した。
「!」
歓喜に染まる、祓葉の顔。
無邪気な笑顔を湛えて、彼女は右手に出現させた光剣を用い王の先制攻撃を受け止める。
気の利いた口上などあるわけもない、喰うか喰われるか以外に争点の存在しない殺し合い。
その幕開けは唐突で、そして悍ましいまでに劇的だった。
……この聖杯戦争には、祓葉と〈はじまりの六人〉を除いてもいくつかのイレギュラーが存在する。
それは通常なら、物語の席次を与えられるはずのない者達。
破綻。制御不能。そして規格外。祓葉の箱庭は自業自得として、それらを無秩序に招き寄せた。
例えばそれは、"もうひとつの特異点となる可能性を秘めた女"であり。
例えばそれは、"人類へ滅びを運ぶ赤き終末の騎士"であり。
例えばそれは、"すべての物語を恒久的に完成させる終末機構"であり。
例えばそれは、"千の貌を持つ少女喰いの支配蛇"であり。
そして――
「イリスが世話になったらしいな。ぜひぜひ俺とも遊んでくれや、神寂祓葉」
「いいよ。ふふっ、イリスったらすごいの引いたんだね。さすが私の一番の親友だあ」
――"人"と"神"、その双方を暴食する、黒き終末騎士の原型(アーキタイプ)である。
耳障りな音と共に、瞬く間に世界を満たす飛蝗の大群。
そこに核たりえる箇所および個体は存在しない。
彼らはレギオン。大勢にして個たる矛盾を体現した無限の軍勢。
一枚の葉と、一体の神を同一のルールで食い尽くす天地神明の暴食者。
砂漠の飢えたる風(シストセルカ・グレガリア)は止まらない。
祓葉に対し振るう一撃一撃が悪食家の飛蝗を万ほど内包しており、浴びればその傷から肉を忽ち喰われることになろう。
それほどの危険度を持った攻撃が、微塵の消耗もなく高速で連打されるのだ。
それもその筈、群体であるシストセルカは疲労という概念を事実上克服している。
動けなくなった個体は切り捨て次に補充し、そうして戦いながらも繁殖と生死のサイクルを無数に繰り返し新生する厄災。
故に出し惜しみ、ペース配分などという概念をこれは持ち合わせていない。常に全力全開、そしてそれが決して途切れない。
それこそが〈虫螻の王〉――都市喰いの大蝗害の、最も悍ましく絶望的な真実だった。
「っ……! く、ぅ……!」
当然として、打ち合い続ける戦い方にはすぐさま限界が来る。
曲がりなりにも人の身で"打ち合えていた"事実がまず驚嘆に値するが、そんなことはこの地獄の中では何の慰めにもならない。
構えた光剣が弾かれ、バットの先端が祓葉の腕を掠めて皮膚を肉ごと抉り取った。
その刹那、それ自体も無数の飛蝗で構成されているバットから新鮮な餌の気配に歓喜した"彼ら"が傷口に頭を突っ込み群がり始める。
少女の生肉を喰らい、生き血を啜り、英霊化した飛蝗が傷口から体内へと潜り込まんとし始めた。
「ふ、っ……! ああ、もう……! いったい、なあ……!!」
「ハッハッハッハッ! 存分に食えや同志ども! 旨えか旨えよなあ、何せ現人神の血肉だもんなあ!!
羨ましいぜ、ああ食いてえ! なあちょっと摘ませてくれよ、涎が溢れて止まらねえぜ!!」
哄笑と共に、シストセルカの一撃が祓葉を受け止めた光剣ごと数メートルも吹き飛ばした。
無様に転がれば、土埃と飛蝗の死骸でその天使のような身なりが汚される。
一瞬にしてぼろぼろの浮浪児めいた姿に成り果てた祓葉を、哀れな少女を喰らうべく虫螻の王が飛び掛かる。
大上段からの一撃、脳天をかち割って脳味噌を喰らうことを狙いにしたそれを、祓葉は片手持ちの剣身で止めた。
そしてそのまま、シストセルカが振り下ろした乾坤一擲を力任せに弾き飛ばすことに成功する。
ニィ、と。仕留め損ねて尚、笑みを深める飛蝗。
ほら、もう早速ひとつ不条理が起きた。
さっき、この少女は自分の猛攻を凌げず、まんまと腕を貪られたのではなかったか。
なのに何故、さっきより格段に不利な状況で、確殺狙いの一振りを当然みたいに防げるのか。
面白い。面白い。高揚は群れの全体にすぐさま伝播され、世界を覆う億超えの飛蝗達が一様にキチキチと音を奏で始める。
嗤っているのだ。もはや無我ではない虫螻どもが、尊く美しい目の前の"餌"の芳しい香りに歓喜している。
「やられっぱなしじゃ、かっこつかないからね……」
先ほど負わせた右腕の手傷が、時計の針を戻すように癒えていく。
体内へ潜り込んでいた筈の飛蝗どもが、ぶちぶちと肉の再生に巻き込まれて潰れていった。
再生が完了するのを待たずに、祓葉は身を起こすと全体重を乗せてシストセルカへ切り込む。
速度、重さ、いずれも先ほどまでとは確実に二段階は強化されているその反撃に、しかしシストセルカも譲らない。
祓葉の加速に対し、ならば俺も魅せてやるぞとギアを上げる。
最初から本気を出すのが前提の群体運用にも関わらず、やろうと思えばその上すら用立てられる。
これこそが数の強み。事実上無限の"個"を有し、運用できるからこそ彼にとって限界とはひどく低く儚いハードルでしかなかった。
時代を経るにつれ毒性の増す殺虫剤へ、わずかな世代交代(サイクル)で耐性を備えていくように。
"限界"へ適応し、種の全体として進化する。
神代から現代までを渡り歩く奈落の虫は、現人神と呼ばれる少女の"冒涜"さえ冒涜し返し涜すのだ。
「メスが一丁前に魅せてんじゃねえ――そいつは俺様(オス)の領分だ! 人間の常識ちったあ学べよ、化け物!!」
「やだね! ふふ、うふふふふ――私は楽しく遊ぶためなら、なんだってやっちゃうタイプなの!」
されども相手は神寂祓葉。
〈はじまりの聖杯戦争〉を制した美しき怪物。
破壊した限界が、瞬く間に圧し返される。
際限なく殖える軍勢が、弱肉強食の型へ押し嵌められていく。
光剣がバットを破砕させ。
次を用立てるまでの一瞬で、シストセルカの胴を袈裟懸けに斬り裂いた。
「……! ハッ、いいねえ!!」
瞬間味わう痛み。昆虫に痛痒の概念は存在しないが、英霊となった今なら別だ。
細胞を裂かれ生命を削られる痛みに、高揚のボルテージが跳ね上がる。
それを証明するように、シストセルカの身体から音に迫る速度で百匹ほどの飛蝗が飛び出した。
「――っ!」
祓葉は咄嗟に光剣をめちゃくちゃに振り回す。
あくまで反射的な、苦し紛れの防御行動だ。
故にそれはたかだか九割ほどを減らす結果しか生めず、彼女の身体を飛蝗の弾丸が撃ち抜いて主要臓器に風穴を空ける。
こぽり、と、少女の口から黒く濁った血液が溢れ出した。
「ぅ、う゛、ぁ、あぁぁあぁぁっ……!?!」
しかし、彼女を待ち受ける地獄はそれだけには留まらない。
体内へ入った飛蝗はせいぜい十匹前後。
にもかかわらず祓葉のか細い肢体が、純白の皮膚が、内側からぼこぼこと奇妙な爬行痕を浮き上がらせて内出血でドス黒く汚れていく。
「人間は慎ましいよなァ。俺らはその点、どいつもこいつも繁殖(こづくり)のハードルが低くてよ!
旨ぇ餌があって、そこにオスとメスが居合わせたなら……なりふり構わず殖えちまうのさ」
「は、ぐ……っ、ひ、ぁ……! げ、ぇえぇぇえぇぇっ……!!!」
それは、少女の身体で演じられる惨劇としては間違いなく最上の地獄であったに違いない。
筋肉、内臓、血管に押し入った飛蝗達が体内で"出会い"、その場で生殖活動を行う。
卵を孕み、卵が孵り、子が産まれて新鮮な餌を喰らい瞬く間に成長する。
いま、神寂祓葉はサバクトビバッタの苗床と化していた。
飛蝗どもの寝台(ベッド)にされ、そして餌にされて、栄養価に優れた葉として貪られながら文字通り削られていく。
よろよろとたたらを踏んで、光剣を取り落して膝を突く祓葉。
その姿はあまりに悲惨で哀れがましく、とても神と、星と、災いと称された存在とは思えない。
「……っ、あ……」
手を伸ばして、辛うじて光剣を拾い上げることには成功したものの。
シストセルカの追撃がない代わりに、祓葉はひとつの巨大な渦の中に捕らえられていた。
「お前にゃどうでもいい話かもしれないが、俺にも今は立場ってもんがあってよ。
こっそり独断でつまみ食いしに来て、食えもせずに追っ払われて帰ってきましたじゃ通らねえンだ」
万など優に超え、億に、ともすればそれ以上の単位にさえ届くだろう飛蝗の大群。
それが渦潮のように渦動し、中心に祓葉を置きながら徐々にそのサイズと密度を高め上げていく。
自然界のサバクトビバッタは肉を食わず、環境に生息数を左右され、叩けば潰れるか弱い昆虫でしかない。
ある程度強靭で数が多く、災いのような侵略と暴食を可能にするとはいえ、それでもその本質はただの虫螻の域を出ない。
しかし英霊の座からまろび出た、〈厄災〉としてのシストセルカ・グレガリアは違う。
彼らはすべてを喰らう。生態を無視して殖える。蝗害の実績と刻んだ歴史を笠に着て、あらゆる形で増長し続ける黙示の虫だ。
――蜂球、という生存戦略を持つハチがいる。
天敵であるスズメバチから巣を守るために、大勢の同胞で敵を包み込み、その体温で熱死させる驚異の戦技だ。
今飛蝗どもが行っている行動は、絵面とメカニズムだけ見ればそれに似ている。だが実情は、それに幾重も輪をかけて醜悪で凶悪だった。
彼らは、球ではなく渦を描いているのだ。囲み、包み、その上で妥協なく数を増やし続けながら廻り続ける。
それは、まさしく。昆虫の進出など到底不可能、それどころか人類でさえ未だ自由に泳げているとは言い難い空の果ての大海。
宇宙という黒き大海原に確かに存在するという天体現象――そう。
ブラックホールと呼ばれる現象(もの)に、酷似していた。
「イリスの失恋に捧げる、俺なりの手向けの花ってやつさ。
さあ、派手に死んでいけよ神寂祓葉! その肉、血潮、脂の一片まで残さず、蝗害(おれたち)に献上しな……!!!」
万、億、兆を超えてなお留まるところを知らない増殖と合流。
群れは拡大し続け、その一方で中心に向けて渦巻き続ける。
既に中心の熱量は天文学的な数値に達し始め、そうでなくても圧力と摩擦が祓葉の全身に生存の可能性を一切許さない。
神寂祓葉の異能は〈再生〉だ。
原理は知らないし興味もないが、とにかく彼女は人間として規格外の再生能力に守られている。
あの無謀なまでの愚直な戦闘スタイルも、ひとえに再生を前提としている故の恐れ知らずなのだろうと理解した。
であれば恐らく、祓葉を普通の手段で殺傷することは不可能。
シストセルカはそこで思考を停滞させず、かと言って婉曲な策略やら概念勝負に持ち込むこともせず。
ただ純粋に、それでいて最悪に――"殺す"ということを先鋭化させることを選んだ。
その結果が、このブラックホール。
熱、圧力、摩擦による物理的損傷。
三種の死を極限域で束ねることで、強引にでも再生を押し破る。
馬鹿、愚直、それでいて呆れ返るほどに合理的な捕食方法だった。
祓葉は、渦の中から抜け出せない。
これはもう、剣を振ってどうこうできる次元を数百段は超えている。
哀れなことに未だ死ねずにいるらしいが、それも時間の問題だろう。
神さえ貪る飛蝗の群れは、いずれ必ず永遠の否定に辿り着く。
そしてその瞬間こそが、神の不在証明が果たされる時。
神寂祓葉というひとつの〈神話〉が死に、世界が真の混沌に突入する瞬間だ。
かくして、結末は定まる。
〈虫螻の王〉は、〈太陽〉を喰い殺す。
針音の仮想都市の大前提を揺るがす番狂わせ。
太陽へ飛び立ったイカロスの翼が、見るも無残に溶け落ちるが如くに。
人として生まれながら、神のように生きた少女は――虫螻の渦の中に散っていった。
◆◆
問1。
あなたは、神寂祓葉をなんと形容するでしょうか。
楪依里朱。
「星」
蛇杖堂寂句。
「化け物」
赤坂亜切。
「太陽」
ハリー・フーディーニ。
「極点」
ノクト・サムスタンプ。
「夢」
ホムンクルス16号/ミロク。
「光」
問2。
あなたは、神寂祓葉をどう思いますか。
楪依里朱。
「最低のクズ」
蛇杖堂寂句。
「世界への脅威」
赤坂亜切。
「家族」
ハリー・フーディーニ。
「最高の観客」
ノクト・サムスタンプ。
「特異点」
ホムンクルス16号/ミロク。
「主君」
問3。
あなたは、神寂祓葉の何を恐ろしいと感じますか。
回答。全会一致。
.
◆◆
――彼女のために、世界が狂うこと。
◆◆
「……あ?」
響いたのは、少女の断末魔ではなかった。
常に嗤うべき虫螻の王、シストセルカ・グレガリア。
その口から漏れ出た、訝しむような声だった。
「……、……?」
眉間に皺が寄っている。
彼は今、不可解を覚えていた。
今も拡大と収束を続けている飛蝗の天体現象が。
史上最大であろう破滅的蝗害、その光景が。
彼の想定と、著しく異なる展開を見せ始めていたからだ。
キチキチキチキチキチ。
キチキチキチキチキチ。
飛蝗が鳴いている。
ブラックホールが鳴いている。
いや、違う。鳴いているのではない。
これは――泣いているのだ。
中心へ向けて縮むばかりの渦が、唐突にその向きを反転させた。
中心から外側へ。現象の理屈そのものが、シストセルカの総体意思を無視して変更される。
それはまるで、事象法則とかエネルギー理論とか、そういう諸々が目の前の"現実"の突飛さに耐えかねて逃げ出したかのようだった。
そしてその推測が的を射ていたことを証明するように。
次の瞬間、兆を超す個体数を用い描かれた疑似天体現象(ブラックホール)が、内側から轟いた光の軌跡に裂かれて崩壊した。
「―――――、―――――」
言葉を失う、という経験を。
この時、〈虫螻の王〉は初めて味わった。
何が起きた。
いや、何が起きている?
ひとつたりとも説明がつかない。
そんな彼のらしからぬ姿を、嘲笑うように。
三種の死に饗され、原子の一片も残さず暴食される筈だった少女は、そこに立っていた。
「おまえ――――"何"だ?」
……絶対に勝てない。絶対に逃げられない。絶対に、免れない。
その理屈が、絶対の詰みが、なぜか、狂う。
一引く一は零という幼児でもわかる数式の答えが、なぜか万になる。それが、正解になる。
故に。ある男は、こう言った。
――神寂祓葉は、天地神明、万物万象に対する冒涜者であると。
彼女の前で、理屈はただの妄言に変わる。
世界の法則が、彼女という存在のために辻褄を合わせる。
歪む。すべてが、歪んでいく。祓葉への忖度に走る。
まるで。彼女こそが、世界の絶対的な主役であるとでも言うように。
「私? 私はね――祓葉。神寂祓葉。神が寂しがって祓う葉っぱ、って書いて、祓葉」
微笑む白に、王は即決した。
死の予感。無限の軍勢を持つ者には決してあり得ない筈のそれが、今この瞬間に駆け巡ったのだ。
シストセルカ・グレガリアという"種"そのものが、此処での死を直感している。
だからこそ次に生み出した光景は、空を覆う飛蝗の大隕石(メテオ)という更なる殺戮手段であった。
空から、虫螻の集合体が落ちる。
単なる質量はもちろん、接地と同時にすべての個体が散弾と化して飛び散るきわめて広範囲に対する虐殺攻撃だ。
狩りそのものに悦楽を覚えるシストセルカにしては実にらしからぬ、無粋極まりない殺し方。
故に彼が自らのあり方を進んで崩したその事実は、この世の何よりも目の前の少女の脅威度を保証していた。
少女は、祓葉は。
微笑みと共に、光剣を掲げる。
〈光の剣〉。少女が握る、ただ一振りの得物。
魔術を扱えず、暗器の携帯もしていない彼女は、それでも勝ち続ける。
形を持たず、祓葉の意志だけを糧に顕現するこの〈一縷の光〉が。
〈主役〉を前にしてあがくあらゆる事象(アドリブ)を、一刀のもとに両断する。
疑似宝具、否。
"宝具類似現象(アストログラフ・ファンタズム)"、解放。
「遊んでくれてありがとう。
もしまた会えたら、次はもっと楽しくおもてなししてね」
奏でるは針音の調べ。
戯れる星の悪戯。
時計の針を廻せ。
「界統べたる、勝利の剣(クロノカリバー)――――――――!!!!」
光の剣、轟いて。
この夜、とある区に版図を拡げようと目論んだ〈蝗害〉は痕跡さえ残らずその姿を消した。
◆◆
「っは――……あー、死ぬかと思った。
なんだよアレ。バケモンか? いやバケモンだな、うん。それは知ってたけど」
結論から言えば、シストセルカ・グレガリアは絶滅の末路は免れた。
とはいえ負った損害は非常に重い。蝗害の侵食はこれまでよりも緩やかになり、当面は侵略や暴食よりも繁殖に力を入れねばならないだろう。
「イリスの奴、よりにもよって数いるメスからアレを選ぶかね。
俺ぁ断じてゴメンだな、うん。メスとしては魅力的だけどよ、喰い殺してくるタイプは勘弁だわ。カマキリじゃねえんだからさあ」
神寂祓葉は、期せずして英雄となった。
彼女の活躍により東京を食い尽くす蝗害は緩慢化する。
これぞまさに、〈はじまりの聖杯戦争〉で彼女が見せた奇蹟の体現だった。
何故か勝つ。何故か、彼女の行動で予定調和の歯車が狂う。
かくして、〈虫螻の王〉は針音の主、その片割れの脅威を知った。
群れる虫螻たる彼は、狂気に染まることこそないが。
それでも――あの"脅威"は、ひとつの"種"に永久に刻み込まれた。それだけは、確かであった。
「……さてと。イリスになんて言い訳したもんかね。
あのメンヘラ、ナチュラルに圧迫面接してくっからなあ……は〜〜、人間のメスは面倒臭くて敵わんね」
◆◆
『――かわいそうに。運がないんだね、きみは』
最初はただ、哀れだと思った。
誰の目にも分かる、明らかな致命傷を負って倒れ伏す少女。
己の運命に見放された彼女に残っていたなけなしの幸運も、ものの見事に空を切っていた。
男は、知っていたからだ。
自分という英霊が、いかに弱く脆いものであるかを。
世界を救いたいと、かつてそう思っていた。
世界を救えると、疑いもせずそう信じていた。
星空に手を伸ばして、いつかきっと届くだろうと。
曇りなく想う幼子のように、夢だけを見据えて走ってきた。
けれど、結果はどうだ。
理論は破綻していて。
成果物は、実用に値せず。
己の孤独を、失敗でもって突き付けられた。
世界を救う偉業の代わりに負ったのは詐欺師の汚名。
人類史に名を残す、大言壮語の大法螺吹き――永久機関など、机上の空論に過ぎないのだと。
誰もがそう言った。世界さえそう笑った。だからこそ、男はもう何にも期待などしていなかった。自分自身にさえも。
『……死神? にしては、ずいぶんかわいいけど。
もしかして天使さま? ふふ、だったら、嬉しいなあ……』
『生憎だけどどちらでもないよ、ボクは。
ボクはただの、つまらない詐欺師さ。何物にもなれない、なることもない、掃いて捨てるほどいる三流英霊さ』
男は厭世家だった。
人間が嫌い。他人を信じない。その無能さが理解できない。
自分はこうも優れているのに、何故誰ひとり自分と同じ視座に立てないのだと思って生きてきた。
劣っているなら導いてやらなければならない。せめて自分が救ってやらねば、こんな生き物たちには生まれてきた意味すらないだろうと。
ひとりで使命感さえ覚えて、すべて見下していた。
本当は、見下されるべきは自分だったのに。誰もが、自分のことを滑稽な夢想家と笑っていたのに。
夢醒めて見つめる現実はひどく無味乾燥として見えた。
だから目を閉じることにした。
そうして、詐欺師と謗られたまま英霊の座の片隅に召されて。
悠久の年月を超えて――今、科学者はここにいた。
『ふふ……そうかなぁ……。
私は、そうは思わないけど……』
『……なんで、そう思うんだい?』
『私ね、運がいいんだぁ……。昔から、なんかね、肝心なときだけはツイてるの。
だから、この今際の際であなたに会えたことも……何か、すごく幸運なことなんじゃないのかなあ、って。
やっぱり、あなたは……私の、天使さまなんじゃないかなあ。ふ、ふ。だったら、いいなあ……』
世界に対しても。
自分に対しても。
もう、なにも期待などしていない。
だから最初は、この少女を嘲笑いでもして座に還ろうと思っていた。
永久機関は存在しない。空の星に伸ばした手は、何にも触れることはない。
ならば、すべては無価値だろうと。
そう腐っていた心(むね)に――震える手が伸ばされて、そして、触れた。
『……ふふ。英霊さんも、ここはあったかいんだね』
この身にもまだ、人の感情というものが残っていたことを男は初めて知った。
だからこそ、だろうか。
気付けば、口を開いていた。そして慰めにもならない、恥の上塗りを口にしていたのだ。
『――自分は幸運だと、そう言ったね』
ならば、試してみるかと。
三流英霊が持つ、唯一無二の三流宝具。
可能性などない、慢心と掛け違えの賜物たる機構を取り出した。
『それ、は……?』
『夢の残骸さ。これを受け取れば最後、きみはどうあれヒトではなくなるよ』
それは、人類を救える筈だった発明。
星を手に掴み、ヒトの未来を永久に支える筈だった歯車。
『ボクを天使と呼ぶのなら。試してみるかい?』
その言葉は、ただの戯言。
残り少ない、なけなしの心を慰めるための情けない言葉。
けれど、少女は微笑みながら手を取った。
歯車を握る、その細い手を。
自分の胸元へ、そっと導いた。
――きみだって、あったかいじゃないか。そう思った。
そして、物語は破綻する。
〈主役〉は完成し、地上の星が生まれた。
それが、すべてのはじまり。
〈はじまりの聖杯戦争〉の、あるいはおしまいの瞬間。
――ある少女と、少年の、〈はじまり〉だった。
◆◆
「ただいま、ヨハン」
「おかえり。どこほっつき歩いてたの?」
「んー。バッタの王様と遊んできた感じ」
「きみは実に馬鹿だな。分かってたけどさ」
サーヴァントは、睡眠を必要としない。
それでも、今も時々夢に見ることがあった。
あの日の光景を。あの、〈はじまり〉を。
結論から言うと、祓葉の言葉に嘘は何もなかったのだ。
祓葉は、奇蹟を起こした。破綻した理論をねじ伏せて、呑み干した。
そして。少年の言う通りに――彼女は、人間ではなくなった。
「ジャック先生にも会ったよ。話はしなかったけど、ノクトもいたと思う。
ふふ、イリスもアギリも、ミロクもハリーも元気そうだし。
他の子達だって、とっても頑張って生きてくれてる。やっぱり素敵だね、聖杯戦争って」
「そう思うのはきみだけだろうね。イリスに聞かれたら殺されるんじゃない?」
少なからず濃い時間を過ごしてきた相棒としての贔屓目を抜きにしても、断言できる。
神寂祓葉は今、誰にも打倒することのできない存在となって久しい。
抑止力からの完全な解脱。世界の法則を、存在そのもので否定する生き物。
だからこそ、この針音の聖杯戦争が抑止力の手にかかり止まることもあり得ない。
祓葉は誰にも止められない。そう信じる。合理も、そして感情も、少年にそう告げていた。
「ねえ、ヨハン」
「なに?」
「ありがとね。連れてきてくれて」
「きみが勝手に、ボクの手を引いて駆け出しただけだろう。責任転嫁も甚だしいね」
いま、すべての役者は出揃った。
亡霊(レムナント)が六人。
演者(アクター)が十七人。
そして主役(ヒーロー)が一人。
合計二十四人、二十四組。
規模は単純計算で〈はじまりの聖杯戦争〉の四倍。
針音の仮想都市は、廻り続ける時計機構は文字盤の完成を迎えてとうとう大願へと向かい始める。
「救うの? 世界を」
「救う。それがボクの目指した夢だから」
「そんなに人間が嫌いなのに、人類が未完成なことは許せないんだ」
「……断っておくけど、ボクは人類が嫌いだが信じていないわけじゃないよ。
彼らはボクが何かしなくても、いずれこの幼年期を飛び出していくだろう。
何千年後か、何万年後か、あるいはそれ以上か。
分からないが、〈それ〉はいつか必ず訪れる結末だ。問題はただひとつ。そこまで辿り着くのに、あまりにも多くの歩数と犠牲を要すること」
〈はじまりの聖杯戦争〉は、結果はどうあれ最初から破綻していたわけではない。
ただ巡り合わせと、何より運が悪かっただけだ。
もしも祓葉の存在さえなければあの戦いは筋書き通り誰かの手で完遂され、冠は然るべき人間の手に渡っていただろう。
だが、この〈第二次聖杯戦争〉は違う。
最初から、舞台が誕生した瞬間から破綻している。
これはどだい戦争などではなく、あるひとりの男による巨大な実験だ。
今度こそ、天の星へと手を伸ばし。
人類を救う、そのための物語。
そのためだけの、物語。
「人類の完成に、耳触りのいい讃歌も世代を越えた技術の継承も必要ない。
ハッピーエンドが見たいのならば、本を最後の頁まで読み飛ばしてしまえばいい」
きみには理解できないだろうけどね。
そう言って、オルフィレウスは街を俯瞰した。
うん、ぜんぜんわかんない。
へにゃりと笑って、祓葉も彼の隣に立った。
並ぶと、その姿は体格差で姉弟か何かのように見える。
「ボクは、世界を救う。
人類文明を"完成"させ、すべての歩みを終わらせる。
誰もが足を止められる世界。理想の結末は、この手で紡ぐとも」
……オルフィレウスは人類の可能性と、その未来をこの世の誰よりも憂い追い求めている。
だからこそ彼は世界を救うことを目指す。
夢破れ、英霊の座の隅で燻っていた科学者は"答え"を得てしまった。
そう、オルフィレウスは世界を救うだろう。
人類という生物を、可能性の最果てへと飛び立たせるだろう。
それがたとえ、ヒトの歩む過程と尊いイマのすべてを薪木として燃やし尽くす所業だとしても。
物語の過程すべてを読み飛ばして、ラストページだけを読むような所業だったとしても。
オルフィレウスは必ず成し遂げる。彼の目的は、物語を終わらせることにある。
「行こう、祓葉。ボクの〈ヒーロー〉。
きみとボクで、物語の終わりを見に行くんだ」
「もちろん。一緒だよ、ヨハン。私の〈天使さま〉。
あなたの望むハッピーエンドを、どうか私に見せてみて?」
演目の名は〈幼年期の終わり〉。
これは、世界を、完成によって終わらせる物語。
◆◆
――マテリアルが更新されました。
【名前】
神寂祓葉/Kamusabi Futsuha
【性別】
女性
【年齢】
17
【属性】
混沌・善
【容姿・性格】
純白の長髪。頭のてっぺんには大きめのアホ毛がぴょんと立っている。
衣服は都内高校の制服。上は紺色のブレザーで下は緑と茶色のチェック模様のスカート。
底抜けに明るく、よく笑いよく泣く。喜怒哀楽がはっきりしている。
露悪的な振る舞いは好まず、敵を殺す時もいつもさっぱり。
【身長・体重】
160kg/45kg
【魔術回路・特性】
質:E 量:E
きわめて質が低い。
祓葉は魔術を必要としない。
【魔術・異能】
◇『神寂祓葉』/〈理の否定者〉
あらゆる能力値で普通の人間を逸脱している。
それは純粋な身体能力だけに留まらず、およそこの世の全才能に通ずる存在。
理屈ではなく理としてある人間。さながらそれは、世界そのものが彼女のためにあるようだと評される。
――その有様はさながら、〈世界の主役〉。
彼女が生まれ持った真の異能は、"抑止力へのきわめて高度な免疫"である。
『神寂祓葉』は、生まれながらに抑止力の介入を受け付けない突然変異種。
世界から取り残された、理としての神の視界に入らない存在。
だからこそ彼女には際限というものがなく、何に邪魔されることもなく奇跡を行使することができる。
とはいえ、祓葉自体はあくまでもただの人間に過ぎない。
生まれながらに、人より少しだけ"奇妙な幸運"を感じることが多いだけの普通の少女として祓葉は育った。
聖杯戦争さえなければ。
死に際の彼女と出会ったのが、星に手を伸ばした科学者でさえなければ。
神寂祓葉は自身の異常を自覚することも、誰かの人生を狂わせることもなく、普通に生きて死んでいたことだろう。
そんな彼女が、運命に出会ってしまったこと。それが、この世界にとっての一番の不幸。
◇万能型永久機関・『時計じかけの方舟機構(パーペチュアルモーションマシン)』
キャスター・オルフィレウスが死に際の彼女に埋め込んだ絵空事の科学技術。
すなわち永久機関。オルフィレウスが成し遂げられなかった偉業、人類救済の御業そのもの。
人間には決して扱えない、故に実用に値せぬとの烙印を押された歯車に、祓葉はその特異性故に適応を果たしてしまった。
機能は無制限の肉体再生と、同じく無制限のエネルギー供給。
死を超克した祓葉は唯一の弱点であった"人間であること"をも同時に克服してしまった。
あらゆる攻撃で死なず、再生しながら奇蹟を起こす。
ただの少女として生きられたはずの娘を完成させた、最後のピース。
◇『界統べたる勝利の剣(クロノカリバー)』
永久機関移植後、体得した異能。魔術とも似て非なる幻想。宝具類似現象(アストログラフ・ファンタズム)。
祓葉のその時"到っている"領域に合わせた出力を引き出す。
その斬撃は概念切断・事象破却の機能を帯びており、理(ルール)を――ないしそれに準ずる詰みを斬り伏せる。
【備考・設定】
特異点。彗星の尾。絵空。狂気の如きクラリオン。唯一神の否定者。そして無神論。
様々な名で呼ばれるが、絶対的に共通していることはひとつ。
彼女はきっと、生まれながらに主役となる星の元に生まれている。
世界が彼女のために道を空けても空けずとも、彼女はそれを力ずくでこじ開けて進んでしまう。
不可能が、彼女の前でだけは可能になる。
存在そのものが世界の剪定に繋がる、人類史のエラー。もしくは、人類種の最終到達点。
無数の勝利を重ね、無数の狂気を生み出しながら、ただ世界の果てを夢見る娘。
誰かにとっての救世主であり、誰かにとっての悪魔でもある存在。
〈はじまりの聖杯戦争〉にて、祓葉は他の六陣営すべてを屠り聖杯を手にしている。
聖杯は彼女とそのサーヴァントたる科学者の手に渡り、改造された上で使用された。
そうして生まれたのがこの物語の舞台となる仮想世界――針音仮想世界〈東京〉である。
祓葉はゲームマスター。しかし彼女は監督役の立場に留まらず、積極的に舞台へ介入する。
自分で仕掛けたゲームで、本気でもう一度玉座を目指すという矛盾し放題の出来レース。
それでも。
神寂祓葉は、すべての演者(ともだち)を愛している。
【聖杯への願い】
相棒であるヨハン(オルフィレウス)の願いを叶えること。
ただ、基本的には楽しく遊べればそれでよし。なのでやりたいようにする。
【サーヴァントへの態度】
自分に新しい世界を見せてくれた親友。
口は悪いけどかわいいところもあるんだよなあ、と思っている。
さあ、いつまでも夢を見ようね。
ヨハン。
私の、私だけの、天使さま。
【クラス】
キャスター
【真名】
オルフィレウス
【属性】
秩序・善
【ステータス】
筋力E+++ 耐久E+++ 敏捷E+++ 魔力D+++ 幸運D 宝具EX
【クラススキル】
道具作成:EX
魔力を帯びた器具を作り上げる。
魔術の心得は多少あるので、武装や霊薬なら低ランクだが作成可能。
一流の魔術師には到底及ばない精度だが、にも関わらず規格外のランクを持っている理由は〈永久機関〉の創造を可能とする点にある。
陣地作成:E
発明および研究のために必要なラボを作り上げる。
散らかってるし、他人のことを考えないので狭くて歩きづらい。
【保有スキル】
一意専心:B++
一つの物事に没頭し、超人的な集中力を見せる。
自身のモチベーションと合致する事柄に関しては特に先鋭化する。
星の開拓者:E-
最低ランク。人類史においてターニングポイントになる可能性があったというだけのなけなしのスキル。
彼は誇りではなく、一握りの天才ゆえにそのきざはしに手を掛けたし、そういう意味でも納得の低ランクである。
人類を救えるかもしれなかった、それだけの男。
ネガ・タイムスケール:C
人類の『歩み』と『過程』を否定する権能。
人類種からの"不完全性を有する"攻撃・干渉行動に耐性を持つ。
人類は生物として愚かだが、その文明は美しい。
きわめて傲慢で、故に余白のない最新最後の救世神話。
【宝具】
『時計じかけの方舟機構(パーペチュアルモーションマシン=Mk-Ⅱ)』
ランク:EX 種別:対人宝具 レンジ:- 最大捕捉:1人
Perpetuial motion Machine-Mark-Ⅱ。すなわち、永久機関の創造を可能とする。
人類にとって永遠の悲願であり、あらゆる技術的問題を恒久的に解決する可能性を秘めた夢の機械。
キャスターはかつてその創造のきざはしに手をかけ、ふたつの現実に阻まれて失意の中で表舞台を去った。
ひとつ目は彼の性格ゆえの問題。そしてふたつ目は、彼の開発した永久機関はそもそも人間に扱えるスペックをしていなかったということ。
エネルギー供給を必要とせずに永久動作を続けるという点は真実だったが、しかしその挙動はあらゆる面で常識を超えており、人間が下手に触れれば良くて肉体が爆散。最悪の場合、機関の運動に呑まれて肉体・意識・果てには存在性そのものが無形の永久運動エネルギー体に変貌。生死の境すら超えた"現象"とでも呼ぶべき存在に成り果ててしまう。
サーヴァント化した現在でも発明の欠点は据え置き。それどころか英霊にさえ扱える代物では到底なく、基本的にまったく実用に値しない。
筈だった。
しかし、神寂祓葉というモデルケースを得たことでオルフィレウスの理論は急激に加速。
〈はじまりの聖杯戦争〉で降臨した聖杯〈熾天の冠〉を機構の一部に取り込むことで、彼の永久機関は真の完成を迎えた。
誰であろうと装着でき、誰にであろうと無限の力を供給する人類の理想(ユメ)そのもの。
機能は無制限の肉体再生と、同じく無制限のエネルギー供給。生物を"完成"させる、熾天の時計。
『■■■■■■■■』
ランク:EX 種別:対文明宝具 レンジ:1〜12800000 最大捕捉:∞
――それは、幼年期の終わり。
――それは、大人になるということの意味。
――それは、物語の最後のページ。終端(オメガ)の戴冠。
【weapon】
永久機関搭載兵器
【人物背景】
本名、ヨハン・エルンスト・エリアス・ベスラー。
ドイツ南部の街で細々と研究を続けていた科学者兼発明家であり、永久機関の開発に成功したと豪語したことで一躍注目を浴びる。
間違いなく優秀な男だったが厭世家であり、おまけに傲慢。
彼には人の心というものがおよそ分からず、単なるシステムの脆弱性としか認識することができなかった。
だからこそオルフィレウスは数多の疑心と裏切りに遭い、信用がなかったから誰も彼の発明の瑕疵を指摘してもくれず、結果としてその生涯は詐欺師の汚名を被り続けることとなった。
しかし、彼の発明は確かに遠未来に至るまであらゆる人類を救う可能性を秘めていた。
彼に足りなかったのは理解者と、人類救済装置たる自動輪を"実用"できる人間の不在。
夢を阻んだふたつの現実は、彼にとってあまりにも大きな壁であった。
故に英霊の座へ招かれたオルフィレウスはすっかりふて腐れ、聖杯戦争に呼ばれた際にはあらん限りの悪態とやさぐれを披露した――のだが。
男は知ることになる。
人間の可能性を。
男は得ることになる。
はじめての理解者を。
男は、至ることになる。
人類の昇華。かつて掲げた古い理想を遂げる、理論の果ての到達点へ。
『ボクは今度こそ人類を救う。ヒトはどうしようもなく愚かだが、その文明には価値がある』
世界に失望し、人類に諦観を抱き、それでも世界を救わずにはいられなかった少年科学者。
ヒトの不完全を許せず、故に時計の針を廻す者。
針音の主。ヒトを愛さず、だが導き、やがて救う存在。
星の開拓者など偽りの名。
其は物語の頁を飛ばす者。
幼年期を終わらせて人類を最も完全に救う、終端(オメガ)の――
【容姿・性格】
薄い水色のボブヘアーに、だぼだぼのジャケットを纏い袖を余らせている。
言われなければ少年とも少女ともわからない、中性的な容貌の科学者。
性格は人嫌いで偏屈。おまけに毒舌。友達がいないのも頷ける人物。
その瞳には、実際に時刻を記録する時計の紋様が浮かんでいる。
【身長・体重】
150cm/40kg
【目的】
人類救済。
この美しく、そして愚かしい人類文明を今こそ巣立たせる。
【マスターへの態度】
理解不能な生物。マジで頭も身体もどうかしてると思う。
基本的に辛辣だが、およそ友達というものを得たことのない男なので実は結構ツンデレ気質。
やっていることは本当に心の底から馬鹿だと思っているが、その実『祓葉が負けることはあり得ない』ということは誰より信じている。
……行くよ、ボクの〈ヒーロー〉。
◇◇
Saber
高天小都音&セイバー(トバルカイン)
Archer
赤坂亜切&アーチャー(スカディ)
アンジェリカ・アルロニカ&アーチャー(天若日子)
神寂縁&アーチャー(天津甕星)
Lancer
レミュリン・ウェルブレイシス・スタール&ランサー(ルー・マク・エスリン)
アルマナ・ラフィー&ランサー(カドモス)
蛇杖堂寂句&ランサー(ギルタブリル/天蠍アンタレス)
高乃河二&ランサー(エパメイノンダス)
Rider
楪依里朱&ライダー(シストセルカ・グレガリア)
伊原薊美&ライダー(ジョージ・アームストロング・カスター)
山越風夏&ライダー(ハリー・フーディーニ)
悪国征蹂郎&ライダー(レッドライダー(戦争))
Caster
神寂祓葉&キャスター(オルフィレウス)
天枷仁杜&キャスター(ウートガルザ・ロキ)
香篤井希彦&キャスター(吉備真備)
華村悠灯&キャスター(シッティング・ブル)
Assasinn
琴峯ナシロ&アサシン(ベルゼブブ/Tachinidae)
ホムンクルス36号/ミロク&アサシン(継代のハサン)
Berserker
ノクト・サムスタンプ&バーサーカー(ロミオ)
周凰狩魔&バーサーカー(ゴドフロワ・ド・ブイヨン)
覚明ゲンジ&バーサーカー(ネアンデルタール人/ホモ・ネアンデルターレンシス)
EXTRA
輪堂天梨&アヴェンジャー(シャクシャイン)
煌星満天&プリテンダー(ゲオルク・ファウスト/メフィストフェレス)
雪村鉄志&アルターエゴ(デウス・エクス・マキナ)
◇◇
※投下にあたり、拙作のキャスター(オルフィレウス)のステータスを一部修正しました。
※〈はじまりの六人〉は全員が前回の記憶を取り戻しています。
※いくつかの区が蝗害で甚大な被害を受けています。
ライダー(シストセルカ・グレガリア)が回復を完了するまで、進行速度は遅めです。
◆◆
書き手向けルール
【基本ルール】
マスター資格のある人間が『古びた懐中時計』を手にすることで仮想世界の東京二十三区に転移します。区外の世界は存在しません。
この懐中時計には、"エネルギーを必要とせずに動く"こと以外に異常性はありません。
マスター達には聖杯によって仮想都市の社会ロールが与えられます。
サーヴァントを失ったマスターは三〜六時間後に消滅します。
制限時間は本人の容態や持った能力値によって左右されますが、マスター単独での六時間以上の生存は不可能です。
本編開始時の時間軸は「2024年5月3日」とします。
『神寂祓葉』およびそのサーヴァント・『オルフィレウス』は最終章まで必ず生存します。
【予約について】
予約はトリップを付けてこのスレッドで行ってください。
期限は延長なしの二週間とします。
予約の開始は2024/8/8(水)0:00とします。(このあとすぐではないのでご注意ください!)
過度な性的描写については、当企画では原則禁止とさせていただきます。
マップは後ほどwikiに載せておきますので、そちらをご確認ください。
執筆が間に合わなかった、または別な何らかの理由で予約を破棄した場合、その予約に含まれていたキャラクターを再度予約出来るまでには「5日間」のインターバルを設けるものとします。
投下されたお話に登場したキャラクターは投下完了後「24時間」でふたたび予約が可能になります。
※予約期限、および書き手参加の条件などについては今後本編の進行度合いに応じて変更される場合がございます。
その際には都度本スレでアナウンスいたしますので、ご確認ください。
【本編でのキャラ設定の追加などについて】
基本的に本編では設定追加を制限しませんが、やりすぎない程度に。かつ、前の話と矛盾することがないようにご注意くださいませ。
〈はじまりの六人〉に関しては、OP末尾にありますように、『本編では前回の聖杯戦争の記憶を取り戻しています』。
こちらも掘り下げる際にはくれぐれも矛盾や前提の破綻などにご注意ください。
【時間表記】
未明(0〜4時)/早朝(4〜8時)/午前(8〜12時)/午後(12〜16時)/夕方(16〜19時)/日没(19時〜20時)/夜間(20〜24時)
とします。本編開始時の時間帯は「午後12時」となります。
【状態表】
以下のものを使用してください。
【エリア名・施設名/○日目・時間帯】
【名前】
[状態]:
[令呪]:残り◯画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]
基本方針:
1:
2:
[備考]
【クラス(真名)】
[状態]:
[装備]:
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]
基本方針:
1:
2:
[備考]
以上でOP投下を終了します。
長い間お付き合いいただきありがとうございました。
予約に関してはルールにもある通り、「2024/8/8(木)0:00」からの解禁になります。
(ルールではなんか水曜日になってますがこっちが正しいです。ごめんね)
このあとすぐの解禁ではなく、木曜からの解禁になりますのでご注意ください!
それでは今後とも、当企画をよろしくお願いいたします。
お待たせしました、予約解禁とさせていただきます。
高天小都音&セイバー(トバルカイン)
天枷仁杜&キャスター(ウートガルザ・ロキ) 予約します。
伊原薊美&ライダー(ジョージ・アームストロング・カスター)
輪堂天梨&アヴェンジャー(シャクシャイン)
華村悠灯&キャスター(シッティング・ブル)
予約します。
高乃河二&ランサー(エパメイノンダス)
琴峯ナシロ&アサシン(ベルゼブブ/Tachinidae)
雪村鉄志&アルターエゴ(デウス・エクス・マキナ)
予約します
アルマナ・ラフィー
悪国征蹂郎&ライダー(レッドライダー(戦争))
周凰狩魔&バーサーカー(ゴドフロワ・ド・ブイヨン)
覚明ゲンジ&バーサーカー(ネアンデルタール人/ホモ・ネアンデルターレンシス)
予約します
蛇杖堂寂句&ランサー(ギルタブリル/天蠍アンタレス)
神寂縁&アーチャー(天津甕星)
予約します。
予約分を投下します。
そういえば、と思い出した記憶がある。
私こと、高天小都音が自分の凡人性を自覚するに至ったのは言わずもがな"彼女"の天才性を目の当たりにしたあの日だけれど。
いつか、こんなことがあった。
その日は確か、何百年に一度かの流星群が流れるという日。夏休みの、うんと暑い夜。
私達は、ある小さな山の頂上にいた。
時刻は深夜の一時。言わずもがな、大人に見つかったら一発で通報なり補導なりされてしまう年齢と時間。
ましてや山の天辺で流星を拝もうなんてみんな考えそうなものだけれど、その日、そこには私達ふたりだけだった。
理由は単純明快。その日の空は、一面の曇り空だったからだ。
『あのさー。やっぱ無理でしょ、これ。星どころか空のひと欠片も見えないよ。ていうか一時間後から大雨らしいし』
『うぅぅぅ……』
がっくりと肩を落として、悲しそうな顔をする小さな友人。
天枷仁杜。〈にーとちゃん〉。クラス一番のちびっ子で、クラス一番のコミュ障で、おまけに問題児。
なんで天枷さんなんかと仲良くしてるの、って他の子から聞かれた回数は片手の指じゃ数え切れない。
あの子の面倒見るのやめた方がいいよ、って忠告された回数になると両手の指でも間に合わない。
それでも私は、なんでかこいつが放っておけなくて。
いざ実際関わってみると、周りが言うよりいいところもあって。……まあ基本的には仰るとおりのダメ人間のぼんくらなんだけど。
そんな〈にーとちゃん〉が、今日の夕方になって突然やたらと興奮した様子で電話をしてきた。
夜中、ふたりで、星を見に行こう――。
普段このインドア星人からこんな誘いが飛んでこようものならひとしきり別人の成り代わりを疑った後で病院の受診に付き合うところなのだけど、そうしなかったのは直前に天気予報を見ていたから。
空はもうずっと曇天で、おまけに雨雲まで後に控えてる。
数十年に一度の流星群が、不幸にも見られない地域。私達の住んでるところは、まさにそこだった。
こいつ何も調べずにこんな連絡してきたのか、って頭を抱えたい気持ちが、らしくなすぎる言動への疑いをかき消した。
『この山ちっちゃいけど、さすがに天気崩れたら子どもふたりじゃ帰れないよ。
ましてやにーとちゃん、行きの道でさえ私におんぶってせがみ出してたじゃん』
『それは、そうだけど……』
『ていうか百歩譲って、ワンチャンに賭けて集まるにしてもだよ?
どっちかの家でよかったじゃん。わざわざ補導と事故のリスク抱えてまで、山になんて登ってこなくたって』
『だ、だって! どうせ見るんだったらいちばん眺めのいい場所で見たいじゃん……!
草っぱらの上に寝転んで、なんか未来のこととか話しながら星を見ないと……!』
私も説得した。だけどにーとちゃんは折れなかった。
こいつは基本とってもコミュ障だが、心を許した相手にはたまに本当に図々しくなるし強情だ。
だから私も結局は根負けして、この"ひと夏ひと夜の冒険"に付き合うことにしたのだ。
ないとは思うけど、万一ひとりで行ってくるなんて言い出したら大変だ。命に関わると断言できた。
『……ははあ。さてはまた流行りのアニメかなんかに影響されたな?』
『ひきゅっ!? そ、そそ、そんなことは……ないよ。うん。ことちゃんったら失礼だなあ』
『影響されたのね?』
『はい……』
そんなことだろうと思った。
私は肩を竦めて嘆息する。
まあ確かに、この無人の頂上で流星群なんて見れたらそれはさぞかし絶景だろう。
道中の苦労といろんなリスクを背負ってでも、目にする価値があるかもしれない。
けれど現実はアニメみたいにうまくはいかない。大抵のことは、うまくいかないのが人生(リアル)だ。
改めて、空を見上げる。
一面の曇り空には、夜空の断片さえ見えない。
流星群が流れる予想時刻までは、もう数分を切っている。
こうなると後はもう、雨が降ってくるまでにいかに山を降りるかの勝負になってくる。
『……ま、星は見れなかったけどさ』
言うまでもなく、夜の山は危険だ。
そこに雨なんて加わろうものなら一気に命の危険まで出る。
向こう見ずのバカみたいな誘いに乗ってしまった私には、その後始末をする責任がある。
だから。
『これでも十分、アニメみたいな経験でしょ。
夜に嘘ついて家抜け出して、山登って、頂上でふたりきり。ひと夏の思い出としては結構上等なんじゃない?』
そう言って、帰ろ?と手を差し出した。
けれどにーとちゃんはふるふる、と首を振る。
む、と眉間に皺が寄るのを自覚した。
『……やだ。帰んない』
『あのね、子どもじゃないんだから』
『帰らない! ことちゃんと星見に来たんだもん!』
『……なんかあったら私も巻き添えなんだっての。
そういう意味でも言ってるの。お願いだから駄々こねてないで、もうさっさと――』
率直に言って、流石にちょっとイラついてしまった。
忍耐なくしてこの子と付き合うのは無理だ。
そのことは心得ていたつもりだけど、非日常ってものは思いの外人間にストレスを溜まらせるらしい。
この期に及んでまだ駄々をこねるにーとちゃんの手を、私は無理やり引っ掴む。
帰るよ、と言って、強引にでも歩き出そうと思ったところで。
私は、ぐず、という小さな水音を聞いた。
『え、ちょっと……』
『っ、うぇ……だって、だってぇ……。
せっかぐ、っ、ことちゃんと、っ、お出かけ、してきたのに……。
星見るんだ〜って、ふたりで……、ここまできたのに、っ』
『い、いやいやいや……。そんな、泣くほどの冒険じゃなかったでしょ別に!
まだ私らが合流してから二時間ちょいしか経ってないんだよ……!?』
『う゛うぅうぅうぅ゛〜〜〜……。ええぇええ゛ぇ゛ん……!!』
にーとちゃんの特徴のひとつを紹介しよう。
こいつは、本当にすぐ泣く。
マジでちょっとしたことで泣く。
タンスの角に指ぶつけてガチ泣きできる女だ。
なのでいちいち真に受けてたらきりがないし、私も普段はそんな愚は犯さないのだけど。
それでも、なんとなくこのロケーションと時間帯、そしてにーとちゃんの言葉のチョイスが、私にまでヘンな刺さり方をしてしまった。
『……そんなに、楽しみにしてた?』
『ぐずっ……うん』
『私と、ここで星見るのを?』
『う゛ん……』
『……そっかぁ』
よく友達からは、あんた将来ダメな男に引っかかるよ、なんて言われる。
でも私だってバカじゃないのだ。好き好んでクズと付き合うつもりはないし、他人に対してそこまで寛容な質でもない。
じゃあなんで、このバカで、たぶん世間的にはクズの部類に入るであろう友人といっしょにい続けているのかというと。
ダメなところが多すぎていつも埋もれているけれど。
たぶん、そのゴミ山をかき分けてまで探し出すほどの価値なんてないささやかなものだろうけど。
こいつにも、根気強く付き合ってみると、けっこういいところがあるのだ。
いつも散々振り回されて、辟易して、もう付き合い考えようかと思うのに、それを見つけるたびになんでか逃げる足を止めてしまう。
この時も、そうだった。
『じゃあ、仕方ないね』
ぼふん、と草っぱらの上に腰を下ろした。
そんで、ずびずび鼻をすする彼女を手招きする。
『あと十分だけだよ。予想だとそのくらいの時刻には流れ出すみたいだし』
『こ、とちゃん……』
『それでもダメなら潔く帰る! それ以上駄々こねるならほんとに置いてくからね』
まあ、無理だと思うけど――。
照れ臭くなって付け足そうとした私の言葉は、小さな衝撃であっさり押し潰された。
『――ことちゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん!!!! だいすき〜〜〜〜〜……!!!!』
『わぶぅっ!? ちょ、やめろ胸に顔埋めんな! 私の服何着鼻水まみれにすれば気が済むんだおまえ――っ!!?』
ぐっちゃぐちゃの笑顔を浮かべて抱きついてくるバカに、私は何百度目かも分からないため息をつく。
でも不思議と顔はこっちも笑ってて、そりゃこんなんじゃ周りに心配されるよなあ、って思った。
空は相変わらずの曇り空。
雲が天井になってその先を隠す、どうしようもない現実(リアル)の一枚絵。
ふたりきりの山頂で、私達は虚構(フィクション)みたいなことを続けていた。
そんな夜のことを、なんでか今、ふと思い出した。
◆◆
「――は!? えっ、じゃあ最初の職場やめたっきり実家と一切連絡取ってないの!?」
時刻はちょうど、正午を迎えた頃のこと。
私は、にーとちゃんの部屋を訪れていた。
さすがにお互い社会人になってからは前ほどのペースでは会わないが、それでもこの小動物は放っておくと何をしでかすかわからない。
最悪のたれ死にしている可能性もあるので、定期的に彼女の部屋をこうして電撃訪問することにしていた。
この世界、今目の前にいる彼女が作り物の人形のようなものであることはもちろん私も知っているが、そういう問題ではないのだ。
それでも、やっぱり長年連れ添った相手と同じ姿と性格を有した存在が死なれたりするのは寝覚めが悪い。
そのことを先日、彼女の会社が全焼した事件の日に再確認した。
だからこそ、無駄とわかった上でもこうして訪問しているわけなのだったが。
テーブルを挟んで向かい合っている彼女に何気なく『お母さんたちも心配してたでしょ』と話を振ったら、『ん? 連絡取ってないし、わたしがあそこに務めてたことも知らないと思うよ!』と返事が返ってきたものだからびっくり仰天だ。
なんとこの女。新卒で入った職場を辞めてから、ついでに実家と連絡を取ることもやめてしまったというのである。
「う、うん……。だってその、なんか怒られそうだし……」
「いや、そりゃちょっとは小言言われるだろうけど……だからって実の肉親をぶっちするか普通」
「怒られるかなあ、明日折り返ししようかなあ、ってのを何ヶ月かしてたらかかってこなくなったよ!」
「本当にかわいそうだから今度絶対連絡しなさい。しなかったら私が勝手に連絡するよ」
「……ことちゃんがしてくれるんならそれがいちばんいいかも!」
「バカ。私はあんたのママでもお姉ちゃんでもありません」
「いだっ!?」
げんこつを削り気味に落としてやる。
本当になんというか、学生時代から何も変わってないやつだ。
見た目も性格もあの頃、出会った時のまんま。
そりゃこれで会社勤めは無理だよなあ、って納得すら覚えてしまう。
いや実際、ギャンブルにはなるけど社会に出るのは諦めた方がいろいろと彼女の場合はいいのではなかろうか。
「で。次はどうするか決めてんの? 流石にずっとニートじゃ無理でしょ。実家頼れないなら尚更」
「あー……えっと、それは、そのぅ。
私にも一応海より深く山より大きな事情があって、なんとかなりそうっていうか……」
「にーとちゃん絵うまいじゃん。イラストレーターでもやってみたら?
ああいうのなら自宅でも稼げるんじゃない。今なら個人でも依頼受けてお仕事できるサイトもあるみたいよ」
「んぅー……。締め切りあるお仕事は不安だなあ……ぶっちしちゃいそう」
「ああ言えばこう言う。いい加減ちょっとは大人になりなさい」
途中なんだかよくわからない台詞があったけど、まあいつもの見栄だろうとスルーする。
にしても、と私はふと部屋の中を見回した。
見慣れた間取り。家具。なのに、どこか違和感がある。そしてその正体は言うまでもなく、分かっていた。
……なんでこんな片付いてるんだ?
忘れられたら困るのでもう一回言うが、天枷仁杜はダメ人間である。
なので当然、部屋の掃除なんてまともっぽいことはまずできない。
食べた後のカップ麺やお菓子の袋が散らばっているのは当然で、ひどい時は本当に足の踏み場もないくらいだ。
そんな彼女の部屋が今は、ホコリひとつない……と言っては言い過ぎだが、とりあえず文句のつけようもない程度には片付いている。
いきなりの訪問だったし、それに事前に連絡したとしても来客が来るから掃除するなんて殊勝なことができるほどこの女はできてない。
「……にーとちゃんさー。最近なんかあった?」
「えっ。な、なななな何が?」
「あったのね。……なに。まさかとは思うけど――」
こいつに限って挙動不審はいつものこと。
でも今日のはなんだか違う気がする。
脳裏に思いついた可能性は、ひとつだった。
さっきはスルーしたけど、職なしの現状がどうにかなるかもしれないという"海より深く山より大きな事情"。
そしてこの、らしくもなく綺麗に片付いた部屋の中。
ふたつを束ねて浮かび上がる可能性。
それを口にするのは微妙に複雑なものがあったけれど。
「……彼氏でもできた?」
口にした、その時だった。
今までずっと沈黙を保ってた、私達以外にこの場にいる"もうひとり"。
今もきっと目にこそ見えないけどそのへんで、胡座でも掻いてつまらなそうに欠伸してるだろう筈のそいつが。
『おい。コトネ』
普段の無気力な声とは打って変わった、抜き身の剣身みたいな鋭い声で。
「――おまえ、とんでもないところに連れてきやがったな」
そう言い放って、私の指示も待たずに姿を見せて。
そのまま、何がなんだか分からない私を無視して。
突然のことに目を見開くにーとちゃんに。
いや、正しくは――その後ろに向けて。
なんの躊躇もなく、剣を振るった。
◆◆
私は、それを見た。
つい一瞬前までは、確かにそこには何もなかった。
いや、何も"いなかった"はずなのだ。
なのにそこに、誰かがいた。
誰かが、顕れた。
その出現に音はなかったが、もし音にするならきっとこうだ。
――ぬるり。
虚空から、雫がこぼれ落ちるように。
水飴のようにどろついた、錆色の雫が滴るように。
鏡の中の自分が、ひとりでに笑い出したみたいな、現実感の狂いそうな違和感を持って。
そいつは、私達の前に、そしてにーとちゃんの背後に顕れた。
金髪の男だった。例えるならホストみたいな、そんな綺羅びやかな魅力と。
本能に訴えかけるような嘘臭さを孕んだ、空寒い眩しさを湛えた男だった。
「にーとちゃんの顔立てて、黙って見てようと思ってたんだけどな」
「黙って見てられる野郎のツラかよ。入った瞬間から臭ぇ臭ぇ思ってたぜこっちは」
私のサーヴァント、セイバー。
原初の刀鍛冶たる彼女は、隠そうともせずに殺意を剥き出していた。
それはさながら、先日にあの狂戦士主従と邂逅した時のよう。
だがそんな、こと"ヒトを殺す"ということの頂点に近い女の殺意を受けて尚金髪の男は飄々と笑っている。
「傷つくね。これでも一応自分の美貌(ツラ)には自信持ってんだけど」
吐き気のする美しさ。
そう表現するのが、きっと正しい。
雄々しく佇むライオンの鬣が、よく見ると全部座頭虫の足でできているとか。
虱を何億匹と集めて拵えられた名画の写し絵だとか、そんなやたらとおぞましい文学的表現が脳裏に浮かぶ。
でもそれはきっと、相手が端から自分が"そう"であることを隠そうともしていないからこそ分かることで。
もしも街角でいきなりこれに話しかけられたなら、自分はむしろ好意的な印象をさえ抱いてしまうのではないかと思えた。
それほどまでに、よくできた男だったのだ。できすぎているくらいに。
「ろ、ロキくん……! 出てきちゃダメだって言ったのに……!!」
「そりゃちぃと無理な話でしょにーとちゃん。そこの物騒なちびっ子は、部屋入った瞬間から君の素性にも気付いてたみたいだよ?」
ロキ、と。
トバルカインを知ってるような人間なら当然知ってるようなとんでもない名前がしれっと呼ばれたのも驚きではあったが。
今の私にとって大事なのは、そこではなかった。
そうだ――聞かなくちゃいけないことは他にある。
おろおろと慌てた様子の親友に、私は恐る恐ると問いかけた。
「え……にーとちゃん"も"、もしかして、そうなの……?」
「わ、わたしが聞きたいくらいなんだけど……ことちゃん、"も"……?」
質問に質問で返すという、会話の悪例の見本みたいなやり取りだったが。
私の問いに対するにーとちゃんの言葉は、間違いなく答えそのものだった。
えらくだぼだぼの、いわゆる萌え袖のパーカー。その袖を、にーとちゃんがばっと捲る。
それに合わせて私も、自分の袖をたくし上げた。
らしくなく整えられた部屋の中で、ふたつの〈令呪〉が晒される。
このひと月ですっかり見慣れてしまった自分の刻印と。
今の今まで再現された人形だと思っていた親友の刻印。
その存在は、私達が互いに聖杯戦争の参加者で。
最後のひとつの椅子を奪い合うのを運命づけられた敵同士であることを、この上なく雄弁に物語っていた。
(――あ。やばい、なんか、くらくらしてきた)
事此処に至って、私はようやく自覚する。
たぶんこれは、私にとって一番起こってほしくないことだった。
友達はそれなりにいる。でも、本当の意味で胸襟開いて関わってきた相手はこいつだけだ。
にーとちゃん。腐れ縁で、きっと親友で。そして、私の人生への期待を劇的にぶっ壊してくれやがった女。
そんな彼女が私と同じで、ひとりのマスターとしてこの世界に存在している可能性。
こいつと、最後の椅子を奪い合わなければいけなくなってしまう可能性。
それを私は、こいつの存在を知った日からずっと無意識に恐れ続けていたのだと理解した。
こいつが、この何から何までぶっ飛んだ"天才"が。
私の知る世界の中で唯一、明確にフィクションの存在だった天枷仁杜が。
――私みたいなやつですら手にできる〈資格〉を持ってないだなんて、考えれば考えるほど妙な話なのに。
死にたくはない。
こんなわけのわからない世界に骨を埋めるなんて絶対ごめんだ。
だけど。
こいつを殺して、先に進むのは。
自分のために、この〈物語(フィクション)〉を終わらせるなんてのは。それは、もしかしたら、もっと……
「大丈夫かい」
視界が眩み、吐き気さえ覚えた。
貧血で意識が途切れそうになる。
そんな中、不意に軽薄な声が鼓膜に触れた。
そして私の世界が、にーとちゃんの部屋が、突如として一面の花々に埋め尽くされた。
「心配要らないよ。彼女にはオレが付いてる」
美しい、この世のものとは思えないほど綺麗な光景だった。
色とりどりの、私の知るどれとも違う花が咲き乱れたちいさな箱庭。
そう化した部屋の中で、にーとちゃんの後ろに佇んで男は笑っている。
その笑顔は親愛を示しているようで、でも決してそうではない。
そこにあるのは優越感。社交辞令の優しさを笠に着た、見せつけるような微笑み。
駄目だ、と思う。こいつに、にーとちゃんは渡せない。
恐怖などなかった。親友と最後の椅子を争わねばならない絶望の中で、私が思ったのはそんな感想。
そしてそれを汲み取ったかのように、花畑を切り裂いて躍るシルエットがひとつ。
「――おい、てめえ誰のモンに手ぇ出してやがる」
顔いっぱいに"不快"の二文字を貼り付けて。
赤銅色の錬鉄者が、すべての牧歌を切り捨てていた。
◆◆
「お前がどこの誰かは正直興味もない。ただ、お前が生きて空気を吸ってることが私は不快だ」
よって今此処で死ね。
判決は端的、それでいて理不尽。
理性よりも感情が優先された時代の価値観。
殺意という、最も分かりやすい三行半が銀の軌跡を描いた。
神代の花の首を飛ばし。
瞬きよりも速く、切り込む。
トバルカインは武芸者ではない。
よって、作法にも風情にも拘らない。
騎士道、武士道、そうした観念への造詣などある筈もない。
彼女が狙うのは常に急所、最も効率よく命を奪える要点だけだ。
轟いた朝採れの無銘剣が、一秒の内に七度。
嗤う悪童の喉笛、頸動脈、眉間、心臓、肺、大腸、頚椎へ向けて乱舞する。
疾く死ね、伝えるのはそれだけ。
お前が死んだ後のことはこっちで考えるから安心してこの世界から消えろと。
死をもってそう伝える七閃を前にしても、笑みは崩れず。
しかしてそれは、彼が迫る死を知覚することもできず呆けている盆暗であることを意味しない。
「カッコいいじゃん。ちっちゃいのに偉いね、飴ちゃんいるかい?」
七箇所七通りの死を、一振りの槍が止めていた。
荘厳を絵に描いたような、神話の槍だ。
宝槍、名槍、神槍と優れたる槍にも数がある。
だがこれは、その中でも間違いなく群を抜いた代物であるとひと目で解る。
直視するだけでも心が震え、足の竦む威容(フォルム)。
"最低でも"ひとつの神話体系の頂点に君臨する者が担ったであろうと理解させる強さを、それは言葉などないままに発していた。
大神宣言(グングニル)。
北欧の大神、オーディンの担う、外れずの槍。
トバルカインの贈る"死"を小揺るぎもせずにすべて受け止めた槍身は、傷のひとつもないままロキの手にあり続けている。
「ああ大丈夫、君の返事は聞いてない。
君がどう思おうが、何を答えようが、この槍だけは外れない。
そういう風になっているのさ、そして鯉口を切ったのは君の方だ」
死を凌いだ大神の槍が、ひとりでにその照準を定める。
殺人狂は死を数で用立てるが、神なら数など必要としない。
神の"死"は、ただひとつでいい。
個にて個を奪い去る、究極の一。
神槍の鼓動を聞きながら、その脅威性を過不足なく理解しながらもトバルカインは臆さなかった。
「やってみろよ。ペラペラ喋って自己暗示でもかけてんのか?」
「いいね。そうでなくっちゃ」
じゃあ死んでみろよ――嘲笑と共に解き放たれる、神の槍。
それはもはや、壮絶ですらないただの"線"だった。
飛翔、という過程を限りなく切り詰めて放たれる死という結果の具象化。
まさしくこれぞ外れずの槍、神の殺意は罪人の子を天の代わりに裁き奉る。
が。
トバルカインはその文字通りの死線を、極限にまで磨き上げられた動体視力で余さず視認していた。
速度は異次元。言うまでもないことだが、回避はほぼ不可能。
威力も頭抜けている。見かけ倒しではない、一撃必殺の概念をこの槍撃は体現している。
避けられず、耐えられぬ。そう判断したからこそ、取れる行動はひとつだった。
その行動に全神経を集中させ、抜き身の刃をか細い腕で躍らせる。
刹那。大神宣言と無銘の刀剣が、超音波と見紛うような甲高すぎる音を立てて接触した。
当然にして、砕けたのは剣の方。
破砕した銀(しろがね)の舞う中で、しかしトバルカインは密かに不可能を可能としていた。
大神宣言の軌道が、わずかながらに逸れたのだ。
それをいいことに、しかし誇るでもなく赤銅の凶剣は前へ踏み出る。
懐から抜いたのは、この国では短刀(ドス)と呼ばれるだろう小振りの刃だった。
しかし原初の鍛冶が鍛えた鉄ならば、その時点でそれは岩を裂き、百の命を摘み取る凶器として成立する。
小柄な体格を最大限に生かした速度。
歴戦の剣士、侍にさえ並ぶ身のこなしはすべてが敵を殺すため。
セイバークラスでありながら、アサシンクラス顔負けの速度と効率で敵を屠る殺人者。
彼女こそは生き竈のトバルカイン。究極の一たる刃物を鍛えるべく専心と試行錯誤を重ね続けた、はじまりの刀鍛冶である。
「心底気に入らないが見事だよ。有無を言わさず、何も許さず、一撃で殺す。その考えには私も理解を示せる」
だからこれで、お前に喝采を贈ってやる。
短刀一閃。今度は、無駄に数など用いない。
ただ一撃。しかし最も冴えた一撃。
命を刈り取る、ヒトを殺す。大神の神威に比べれば見窄らしく無粋なれど、死を与えるという一点においてはともすれば勝る。
そんな斬撃が、北欧の悪童王の首筋を一太刀のもとに切断した――
「いいね」
その筈だ。
なのに、トバルカインの斬撃はロキの指二本で阻まれていた。
眉間に皺が寄る。不可解が、彼女にそんな顔をさせていた。
(――どういうことだ? なんで今のが防がれる)
トバルカインは、人体の構造というものを完璧に理解している。
ヒトを殺す道具を造ろうとする上で、彼女が最初に極めたのがそれだったからだ。
どう握り、どう振るうのが最適か。どこを斬り、刺すのが最短か。
職人というのは恐ろしいもので、一線を退いていてもいざ剣を握ると昔の感覚が瞬時に戻ってくるものだ。
その上でトバルカインは断言する。自身の、目の前の男に対する分析にミスはないと。
故にこそ、不可解だった。理屈上、今放った一撃は彼にはどうやっても防ぐことのできない、反応することの叶わないものだった筈だから。
「……舐めてやがんナ。この私につまんねえ猿芝居かましやがって、八つ裂きじゃ済まさねえぞ」
「なんのことやら。とはいえ、そうだな。君はなかなか楽しめそうだし、オレももう少し本気ってものを見せてあげようか」
煌々、という二文字が脳裏に浮かぶ。
ロキの背後に、未知の魔力が揺らめき始める。
蜃気楼のように。真夏の陽炎のように。あるいは、うたた寝の際で垣間見る夢の前兆のように。
奇妙にして、奇怪。
北欧の悪童王の逸話は座を経由し知識としてインストールされている。
何が起きても、起きなくても不思議ではないかの神話きってのトリックスター。
だがこれほどまでに無茶苦茶か。これほどまでに、滅茶苦茶な真似ができるのか。
嫌悪と一抹の疑念を胸に、トバルカインはチッ、と小さく舌を鳴らした。
興を乗らせる前に殺しきれなかったのは間違いなく自分の手抜かりだ。
さて、何が来る。その上で、どう殺す。深まっていく意識、練り上げられていく色のない殺意。
それを愛玩するように見下ろしながら、ロキの道具袋から次なる荒唐無稽が飛び出そうとして――その時。
「す、すすす、すとーーーっぷ! ストップだよロキくん!! やりすぎ!! 気持ちは分かるけど一旦待って!?」
生きるか死ぬかの領域まで激化していく戦いに歯止めをかけたのは、どうどう、とロキの袖を引っ張ったちいさな女の耳触りな声だった。
◆◆
天枷仁杜は困惑していた。
というのも、彼女も彼女で想像すらしていなかったからだ。
自分の親友であり、頼れる相棒であるところの"ことちゃん"。
高天小都音というたぶん唯一の友達が、自分と同じく聖杯戦争のマスターとしてこの世界で生きていたなんて。
困惑したが、それはすぐに焦りに変わった。
仁杜はロキの強さを知っている。
彼の性格もだ。このままでは、ロキは本当に目の前のふたりを殺してしまうかもしれない。
「ことちゃんは殺しちゃダメ! なんかこう、いい感じにうまくやっていけるかもだし! ね! ね!」
「……そうは言ってもなあ。あちらさんは見ての通りやる気だよ?」
「う、うーん……! じゃあサーヴァントちゃんの方だけにしよ! わたしのただでさえ少ない友達がますますいなくなっちゃうよー……!」
なのでとにかく、がんばって止めることにした。
いや、聖杯戦争に居合わせちゃったんだから最終的にはどの道……なのかもしれないけれど。
少なくとも今この場で、さくっと殺しちゃうのはどうにも嫌だった。
するとロキはやれやれ、と困ったような顔をして目の前の凶剣(セイバー)を見やる。
だそうだが、君はどうする? と、暗にそう問いかける顔であった。
トバルカインはそれに対し、数秒沈黙する。
だが結局は、渋々といった様子で短刀を放り捨てた。
――彼女としても、この場で続けるのは旨くない。そう判断したらしい。
「……お前、コトネの友達なんだっけ?」
「ひゅっ。あ、えぇと……はい」
「お前みたいな奴を見てると私はちゃんと腹立つんだが、そういうことなら忠告しといてやる。
そのクソとはさっさと手ぇ切っとけ。ていうか切れ。私はそいつと同じテーブルを囲みたくない」
「ひぇっ……。ろ、ロキくんはそんなに悪い人じゃないよ〜……? 会社も燃やしてくれたし……」
「擁護で出てくるエピソードが最悪すぎんだろ頭溶けてんのかボケ女」
吐き捨てながら、どん、とその場に腰を下ろして胡座をかく。
トバルカインとしては、少なくともこの主従――いや、最低でもロキの方だけは始末しておきたかった。
何しろ見ての通りのろくでなしふたりだ。生かしておくことにメリットがない。自分には、それがまったく思いつかない。
だが、依頼人(クライアント)の意向がそれと相反するものであるなら無理を押してまで考えを貫くつもりはなかった。
職人として一番脂の乗っていた"全盛期"の彼女ならばそんなもの知ったことかと自分の判断を最優先にしていただろうが、既に心は折れ、やる気も失せた今のトバルカインにはそこまでの突出した熱がない。
小都音は感謝すべきだろう。トバルカインを敗北させ膝を折らせた"現実"という障害に。
「……はー。ごめん、ちょっと取り乱した」
らしくもないことをした。
呼吸を戻し、小都音は向こう側の仁杜へ向き直る。
思考の整理が必要だった。
だが、よくよく考えれば自分の行動指針はそもそも破綻しているのだ。
聖杯戦争とは最後の一組を占う戦儀。
願いを持たず、かと言って積極的に犠牲を払って生き残りたいとも思わない自分のような演者は存在からして異端、理に反していると言っていい。
であれば――、まだ此処で絶望するには早いと気付いた。
「……、にーとちゃんもマスターだったんだ。ぜんぜん気付かなかった」
「わたしもだよぅ……。……どうしよっか、これから」
「んー。まあ私の方は正直、にーとちゃんなんていつでも食べちゃえるから敵としては怖くないんだけど」
「ひどい!? ふ、ふふーん。でも今のわたしにはロキくんがいるよ。超絶スパダリなつよつよサーヴァントなんだから」
「虎の威を借る狐、ならぬロキの威を借るニートだね。今のうちに忠告しとくけど、絶対アサシン系の奴らには気配っときなよ。
どんなにその胡散臭い男が強くたって、にーとちゃんは見た感じ相変わらずぽんこつで貧弱な草食動物でしかないんだからね」
小都音は思考する。
その上でひとつ、明確なNGを打ち出した。
それは"天枷仁杜が死亡すること"だ。
小都音は友人の屍を踏み越えて進むことに耐えられるメンタリティをしていない。
生きて帰りたいのは未だ変わっていないが、それでも存在を知ってしまった以上、帰る時には隣に彼女がいることが前提条件になった。
無論、口で言うほど簡単なことでないのは百も承知だ。
仁杜ともども生き残るというのは、聖杯戦争そのものに"付き合わない"のと同義。
定められたゴールとはまた違う、中から外に逃れる出口としてのバックドアを用意するという目的に向けて足を進めることになる。
(セイバー。私さ、この子は絶対殺したくないし、死なせたくない)
(言うと思ったけど。……そこまでして守ってやるほどの女かね、コレ。
それに横に居る奴がちぃと厄(やば)過ぎんぞ。こいつを残しとけばそれだけで、お前の嫌う"無用な犠牲"とやらがごまんと出るんじゃねえの?)
(――それはそうなんだけど)
トバルカインの指摘はもっともだ。
実際、小都音もそう思う。
この男は、間違いなく"ろくでもない"。
いつか悪い男に引っかかりそうと常々心配はしていたが、まさかこんな最悪の状況でそれを引くかと頭を抱えたくなる。
ただ。
(それでも、逆に言うなら。
こいつが付いてるなら、にーとちゃんがあっさり死んじゃうなんてことはないよね)
(……、……)
(そこんとこ、セイバーはどう思う?)
存在としては間違いなくこの"ロキ"と呼ばれる男は最悪と言っていい。
トバルカインのような眼を持たない素人の小都音でもわかることだ。
ただ。認めたくないことではあったが、この世界においては自分よりも彼の方がよほど彼女を守る仕事ができる。それもまた、事実だった。
(……さっきの戦闘がもっと長く続いてたら分かんなかったけどな。
こいつが一番警戒してたのは、たぶん私に斬られることじゃねえ。ムカつくけど)
(――じゃあ、やっぱり?)
(ああ。少なくとも、今すぐに使い潰そうって魂胆じゃあねえのは事実だ。
というかむしろ、ぽっと出のお前にこそガチめの苛立ち向けてた感じだな。
それが良いことと私には思えねえが、多分このロキ野郎は仁杜のクズを気に入ってる)
トバルカインは、敵を視る。
見て、観て、診て、視るのだ。
その彼女が抱いた印象として、悪辣なるロキは天枷仁杜をすべての悪意の例外としている。
一体このぼんくらの何が彼の琴線に触れたのか分からないが、そういう意味では小都音の推測は当たっていると言えた。
(それでも私は反対だぞ、今お前が考えてることに対しては)
ふん、と鼻を鳴らして言うトバルカインに。
小都音は、同じく小さく息づいて応えた。
(ありがとね、心配してくれて)
(するか。うぬぼれんな)
(でも、私にもさ。優先順位ってものはあるみたい)
自分ひとりで生き延びるために、犠牲を出すことは気が引ける。
だがそこに、彼女の存在が追加されるのなら話は別だ。
顔も知らない"誰か"の命と、目の前の"親友"の命を、高天小都音は等価値とは考えられない。
彼女は凡人だから。善人ではあっても、決して聖人ではないから。
当然としてそこには、残酷な優先順位が顕出する。
「――にーとちゃん。私さ、あんたを殺すのはやっぱ嫌だわ」
さっき、仁杜はロキに小都音を殺さないように懇願してくれた。
天枷仁杜は、付き合いの長い小都音の目から見ても断じて褒められた人間ではない。
だが、いいところはあるのだ。それが、こういうところだった。
どんなに不義理でも、ダメなやつでも、こういうところがあるから嫌えない。
何度だって手を離す機会はあったのに、結局小都音はまんまと絆されて、握ったその手を離せなかった。
「……だからさ、手を組もうよ。
目指すゴールは私達がふたり、どっちも生きて帰れる未来。
もしダメそうだったら、それはその時考えよう」
口にしたその言葉に、仁杜はこくん、と小さく頷いた。
それを見て小都音は笑いつつ、決意を固める。
自覚はあった。自分が今、安直なことを言ったという自覚は。
聖杯戦争を抜け出せる、銀河鉄道の乗車券。
そんなものが実在したとして、券を何枚用意できるのか。
見知らぬ誰かも乗せられるなら万々歳。
けれど券の枚数が限られていたら? その時自分は、"生きたい"と願う人たちに何をするだろう。
いつまでも凡人のままではいられないのかもしれない。
今や自分の世界は、すべてが虚構(フィクション)になってしまった。
そんな悪夢みたいな世界で、こいつの手を取るのならば。
握り続けることを、選ぶのならば――。
「……ちょっと頭回してくる。また後でさ、ご飯でも食べに行こ。
そ、れ、と! 連絡は本当に、ほんっっっとうにこまめに返すこと!
この期に及んでいつもみたいに既読無視とかかましたらきびきび見捨てるからね!!」
そう言って。
小都音は、静かに座っていた場所を立ち上がった。
既に部屋の中から花は消え、それどころか交戦の痕跡すら欠片も残っていない。
それでも凡庸な女の心だけは、確かに数分前とは違うかたちへ変じつつあった。
◆◆
「うぅん、複雑……すっごい、複雑……。
ことちゃんがいてくれるのはすごい心強いんだけど、いてほしくなかったなぁ……」
天枷仁杜は、高天小都音の去った部屋の中でひとり頭を抱えていた。
仁杜はどこまでも俗な人間だ。ダメ人間ではあっても、親しい相手は軽んじられない。
むしろどっぷりと依存する。あれやこれやとその存在に甘え散らかす。
そして仁杜にとって、人生で唯一と言っていい"親しい相手"こそが小都音だった。
仁杜に、小都音は殺せない。
それだけは無理、と言ってもいい。
正直仁杜は、別に顔も知らない誰かがどれだけ死のうと二秒で忘れられる人間である。
テレビで大きな事故や災害のニュースを見れば「かわいそう」とは思うけど、別に心を痛めたりはしない。
ただ、身内であれば話は別だ。仁杜は小学生の頃、飼っていたハムスターが死んだことで半年間学校を休んだことがある。
そのくらい、仁杜は自分の"内"と"外"を区別してあたる。
そんな彼女に、十年来の友人を排除して勝ち残るということはできそうにもなかった。
「にーとちゃん友達いたんだ。声出してびっくりしたわ」
「いるよ〜……。ていうか話したことなかったっけ、ことちゃんのこと」
「聞いてないねぇ。んー……アレだな。にーとちゃんには釣り合わないねえ」
「ひっどーい……! ま、まあ確かにことちゃんはめちゃくちゃ真面目ないい子だけど。
勉強もわたしよりできるし、たぶんお仕事もすごいちゃんとしてるんだろうし……」
ロキ。
――否、ウートガルザ・ロキは笑みを絶やさない。
だがその実、彼の内心はある種の失望を孕んでいた。
仁杜に対するものではない。彼女はロキにとって、冗談抜きに恐らく最初で最後であろう対等に付き合える友人で、親友だ。
嗤う巨人が失望していたのは、仁杜の友人として現れた高天小都音の方。
連れているサーヴァントは悪くなかったが、従えている彼女の方は正直期待外れもいいところだった。
「んー」
何が悪いって、見どころが無すぎる。
あれは率直に、凡人という以外に形容のしようがない女だ。
月並み。そんな言葉が、真っ先に脳裏に浮かぶほど。
奇術師は細やかなモノに拘る。ロキにとって小都音は、自分と仁杜の舞台に不似合いな独活の大木であった。
「にーとちゃんはさ。オレがあの子ぶっ殺したりしたら怒る?」
軽薄に笑いながら、冗談めかして問いかける。
偽らないのは信頼と、そして親愛の証。
トバルカインの見立ては正しく、だがそれ以上にロキは仁杜に誠実だった。
似合わない話だが、彼はこの女に対してちゃんと"友達"をやっている。
この子にだけは何も偽らない。
共に歩み、共に笑い、共に勝って支配する。
それでこそ最高の奇術舞台。パートナーへの不実は、至高の舞台を汚すノイズになる。
その問いに、仁杜は困ったように笑った。
もう、ロキくんったら。
そんな台詞が口にする前から聞こえてきそうな、そんなへにゃりとした笑顔。
「怒るよ」
そこからいつも通りのトーンで吐かれた言葉に、ロキは"ぞく"と高揚する。
ロキは本物の神を知っている。オーディン、ロキ、トール。その他諸々。
あらゆる神を知り、しかして遜ることなく嘲笑ってきた霧煙る巨人王。
その彼が、震えた。骨の髄から、この一瞬確かに気圧された。
「冗談。やっぱりにーとちゃんは最高だね」
「えへへへ……。照れる〜〜〜」
――ああ、やはりあの小都音という娘は何も分かっていない。
月に魅せられた男と女は、正反対のままに同じ星に仕えるのだ。
◆◆
『信じらんない……』
私は、大はしゃぎする友人の隣でひたすら呆然としていた。
あのひと悶着から、ちょうど十分。
今、私達の見上げる空には、天井がない。
ひとかけらの空も見えなかったそこに、今度はひとかけらの雲もない。
天井の取り払われたそこには、本物の空が広がっている。
星空だ。
無数の流星が、光の軌跡を残しながら流れて消える真夏の星空。
流星群が流れ出したその時、私達の町から確かに雲が消えていた。
『こんなことあんのかよ、現実に……』
わからない。もしかすると上の方はすごい暴風で、飛行機も飛べない有様なのかもしれない。
確かなことはひとつ。あの時、この場に留まろうと言ったにーとちゃんは正しかったということだ。
十分で、すべての雲が消えた。十分で、流星群を最高の形で見上げるためのすべてが整った。
場所。人。そして天候。私達はふたりきりの山頂で、ふたりだけの流星群を見上げていた。
『ことちゃん!』
『あ、う、うん――』
わけがわからない。
夢でも見てるみたいだ。
そう思って呆ける私の手を、にーとちゃんが握った。
『見てよ、見えるよね、ほら!』
『うん、見えてる』
『星だよ、星! 流れ星! 流星群! わあああああ……!』
――なんでも。
この年の流星群は、過去のと比べても相当大規模な部類だったらしい。
実際、本当にすごい光景だった。
空の代わりに巨大なスクリーンを用意して、そこにCGで作った映像を流してるんじゃないかとか。
そんな益体もないことを考えてしまうくらいには凄まじい、まさに宇宙の神秘を感じる絶景だった。
だけど私は正直、あの日の星を今も鮮明に覚えてるかというと微妙だ。
記憶なんて誇張なり曖昧化なり入って然るべき不確かなものだから当然と言えばそうだけど、そういう理由ではなくて。
『ほんとに、きれい――』
隣で、目をきらきらと輝かせて。
比喩でなく、空の星を反射させて、瞳をきらきらに染めて。
とびきりのきらきらした顔でそう言う、友人の顔が。
――本当に、綺麗だったから。
天枷仁杜は、どうしようもない人間だ。
私が太鼓判を押す。たぶんあいつのことを親の次に見てきたのはこの私だから。
その私が、認める。断言する。あいつと関わるのにはとても強い覚悟と忍耐が必要。
見た目いいのが好きなら、犬とか猫を飼った方が遥かにハードルが低いしあっちも応えてくれる。
とにかく。私の腐れ縁、たぶん親友って呼んでもいいにーとちゃんは、そういう人間なのだ。
だけど。
あの日、あの夜。
あの夏の日のにーとちゃんは――
すべての星を押しのけて。
星空のセンターステージに立った、本当に綺麗な〈お月さま〉だった。
ちなみに。
その後山を降りる最中、当たり前みたいな顔をして雨が降ってきた。
すぐに本降りの土砂降りになって、ふたりして泥だらけになりながら死ぬ思いで下山して。
やっと降りきって幽霊みたいに歩いてるところを、通りがかった警察官にあっさり補導された。
親にも学校にも死ぬほど怒られるわ、内申の失点を取り返すために以前にもまして勉強に熱入れなくちゃいけないわで、あのひと夏の冒険は私のその後の生活にけっこうな爪痕を残してくれた。
でも当のあいつと来たら「怒られちゃったねぇ」なんてにへにへ笑っていたのでさすがに私もキレて、にーとちゃんと一週間(文面でのやり取りを会話に含むなら、いまだに抜かれていない最高記録だ)は口を利かなかった。
……そんなだから、こんなことになるまで思い出すこともなく記憶の抽斗の奥にしまわれていたのだと思う。
あれからだいぶ経って、私達もお互い、大人になった。
そして今。私達はまた、冒険のスタートラインに立っている。
私は凡人。
あの子は、月。
ならば私も、せめて――
【中野区・とあるマンション/一日目・正午】
【高天小都音】
[状態]:健康、動揺(持ち直してきた)
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:トバルカイン謹製のナイフ
[所持金]:数万円。口座の中身は年齢不相応に潤沢。がんばって働いたからね。
[思考・状況]
基本方針:生き残る。……にーとちゃんと二人で。
1:思考の整理。
2:ロキに対してはとても複雑。いつか悪い男に引っかかるかもとは思ってたけどさあ……
[備考]
【セイバー(トバルカイン)】
[状態]:健康
[装備]:トバルカイン謹製の刃物(総数不明)
[道具]:
[所持金]:数千円(おこづかい)
[思考・状況]
基本方針:まあ、適当に。
1:マジであいつらと組むのかよ……(げっそり)
2:ヤバそうな奴、気に入らん奴は雑に殺す。ロキ野郎はかなり警戒。
[備考]
【中野区・仁杜の部屋/一日目・正午】
【天枷仁杜】
[状態]:健康、ちょっと動揺
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:数万円。口座の中にはまだそれなりにある。
[思考・状況]
基本方針:優勝して一生涯不労所得! ……のつもりだったんだけど……。
1:ことちゃんには死んでほしくないなあ……
2:お酒飲みたいなあ……
[備考]
【キャスター(ウートガルザ・ロキ)】
[状態]:健康
[装備]:
[道具]:
[所持金]:なし(幻術を使えば、実質無限だから)
[思考・状況]
基本方針:享楽。にーとちゃんと好き勝手やろう
1:にーとちゃん最高! 運命の出会いにマジ感謝
2:小都音に対しては認識厳しめ。にーとちゃんのパートナーはオレみたいな超人じゃなきゃ釣り合わなくねー?
[備考]
※部屋の中でちょっとだけど戦闘し、ウートガルザ・ロキは幻術も使いました。
隣室にレミュリン組がいれば気付く可能性がありますが、ロキがその辺に対して手を講じているかどうかは後のお話に準拠します。
投下終了です。
神寂祓葉
香篤井希彦&キャスター(吉備真備) 予約します。
投下します。
◆◇◆◇
澄み切った空に、正午の日が昇る。
青々とした天井の下で、市街地が広がる。
鉄とコンクリートで覆われた世界に、遍く光が射す。
大都市、東京都――渋谷区近辺。
時刻は正午過ぎ、空は雲一つない快晴。
街の情景を見渡せる位置に建つ、一軒のビル。
その屋上に、鎮座する男が一人。
男は、静かなる威厳に満ちていた。
瞼を閉じ、皺を刻んだ顔で沈黙し。
神妙な面持ちで、“何か”を感じ取っている。
瞑想する僧のように、彼はその場に佇む。
まるで、“座する雄牛(シッティング・ブル)”のようだった。
その男は、祈祷師であり。大戦士であり。
かつて、広大なる“西部の荒野”を生きた英霊だった。
その男は、霊的な資質に長けていた。
“大いなる神秘”――“大自然”の精霊からの啓示を受け取る力を持っていた。
瞑想を行い、偉大な精霊達と接続することで、彼は幻視を得ることが出来る。
来たるべき運命。待ち受ける未来の予知。
――それは、必ずしも決まりきったものではない。
全てを見通す万能の力ではなく、あくまで“導線の一つ”を見出すのみ。
数々の神秘が跋扈するこの地においては、幾らでも不確定要素が存在する。
されど、彼はかつて預言してみせた男だ。
“第7騎兵連隊”の壊滅を、彼は見通したのだ。
この男もまた、一人の英傑なのである。
そうして、彼はゆっくりと、目を開く。
何かを悟ったように、空を見上げる。
そんな男の様子を、一人の少女が傍で見守っていた。
金色の髪を靡かせ、口には火を付けた煙草を咥えている。
微かな煙が昇る中で、男が口を開く。
「……天より遣われし、鷲が告げた」
男は授かった啓示を、言葉として紡ぐ。
「“宿縁”が、待ち受けている」
待ち受ける運命を、少女に語るように。
「それだけではない」
そして、彼は目を細めながら、視線を落とす。
「我々と同じ、“奪われし者”がいる」
まるで、そのことの意味を噛み締めるように。
そうして彼は淡々と、その場から立ち上がる。
「――往くぞ、悠灯よ」
◆◇◆◇
◆◇◆◇
栄誉を求めて。
救いを渇望して。
未来に焦がれて。
希望を探して。
人は、星を見上げる。
人は、星に手を伸ばす。
星を見失ったとき。
人は、堕天へと向かう。
◆◇◆◇
◆◇◆◇
この日は、久々に昼間から予定が空いていた。
通っている学校も、休校になって久しかった。
だから、こうして外に出ることにした。
目的なんてものは、特にありはしない。
ただ何となく、街中でもほっつき歩きたくなっただけだった。
家でゆっくりと過ごす気にはなれなかった。
どうせ、いつもの癖でスマートフォンでも眺めてしまうから。
普段の習慣でSNSをチェックして、また負の感情を見つめることになると思ったから。
姿形の見えない誰かが、“私”について噂をしている。
反論も弁明も無視して、“私”の根も葉もない話を垂れ流している。
実態のない“私”の罪を糾弾して、誹謗中傷に明け暮れている。
そんなものを目の当たりにし続けるくらいなら、外に出た方がましだと思った。
少なくとも顔の見えない誰かよりも、生身の人間の方がまだ優しい。
パパラッチの目も怖かったけれど、気晴らしを優先した。
背後を気にしていようが、気にしていまいが、どうせ勝手に何か書かれるからだ。
アイドル、輪堂天梨。
〈Angel March〉のセンター。
そして、聖杯戦争のマスター。
彼女はいま、憂鬱と葛藤のはざまにいる。
自らの従者であるアヴェンジャーは、傍にはいない。
何か気になることがあって、偵察しに行くとか。
そんなことを言っていたのは天梨も覚えている。
誰も殺さないように――彼はきっと、約束を守り続けるだろう。
例え自分が見張っていなくても、あの悪意の塊は“楽しみ”を最後まで持ち越すことを望む。
だから彼を野放しにしても、不用意な殺戮は行わないと。
天梨は、そう思うことにしていた。
そんな理屈をつけて、あの復讐者と距離を置く口実を作っていた。
彼が、あの哀しい悪魔がずっと傍にいたら。
きっと自分は、何もかも耐えられなくなる。
憎悪と怨嗟に引き摺り込まれて、真っ黒に染め上げられる。
だから、せめて今だけでも一人になりたい。
世間の悪意からも距離を置いて、一人で過ごしたい。
大衆の目線を集める偶像は、ほんの僅かな間だけ、孤独になった。
それは彼女にとって、ひとときの安らぎだった。
大規模な繁華街から離れた、静かな商店街を歩く。
都内屈指の大都市である渋谷区の中にも、こういった場所は幾つも存在する。
すれ違う人は疎らで、自分の顔を見ても素通りするだけ。
帽子やサングラスなんかを使っての“軽い変装”だったけれど。
“主役”として天性の素質を持つ天梨は、今だけ大衆に埋もれる“端役”に成り済ましていた。
先も述べたように、何かやる予定とか、目的地とか。
そういったものは、特にはなかった。
ただ適当に青い空でも見上げて、陽の光を浴びながら、ふらふらと歩く。
外の空気を吸って、気分転換をする。それだけで十分だった。
――アヴェンジャーによれば、今は例の“蝗害”も目に見えて沈静化しているらしい。
だから、突発的な襲来とかに見舞われる心配も薄い、と思う。
そんなふうに天梨は、可能な限りの希望的観測を行う。
とにかく今は、せめて今だけでも、しがらみを忘れて一人になりたかった。
街の雑踏に紛れて、ぽつぽつと歩いて。
苦悩を棚の奥底にしまって、束の間の自由を噛み締める。
スポットライトも、世間の目も、今だけは浴びることはない。
今だけは、天使でも、堕天使でもなく、ほんとうにただの人間。
何も考えずに、静かに過ごしたい。
だからこそ、こんな些細なミスをしてしまったのだろう。
天梨は、改めてそんなことを思った。
◆
「落としましたよ」
唐突に、背後からの呼び声。
透き通るような、きれいな声だった。
ぼんやりとしていた天梨は、思わずぎょっとしてしまう。
「――あれ」
背後の誰かが、何かに気づいたように呟く。
天梨が振り返ってみると、そこにいたのは“きれいな人”だった。
ボーイッシュな黒髪のショートヘアに、アイドル顔負けのルックス。
一瞬“男の人”と誤解しそうになり――その相手が、すぐに女性であることに気づく。
まるで王子様か何かのような美貌の持ち主だった。
「〈天使〉さん……ですよね?」
その秀麗な女性――伊原薊美は、天梨の顔を見つめながら呟いた。
彼女がその手から差し出していたのは、天使を模したキャラクターのキーホルダー。
天梨が鞄に付けていた飾りが、いつの間にか解けて落ちていたらしい。
それを偶々拾って、天梨を追いかけて、という形だった。
「え」
「私の後輩に〈Angel March〉が好きな娘がいて……」
薊美は、まじまじと天梨の顔を見つめながら言う。
天梨は思わず、呆気に取られてしまった。
ここまで誰にも気づかれなかった中で、思わぬ方向からの不意打ちだった。
「あ……どうもです」
――我ながら、素人みたいな返事をしてしまった。
ぼんやりとお礼を告げてから数秒後にはもう、天梨はそんなことを思っていた。
ファンや業界の人達からは、未だに持て囃されているけれど。
“見知らぬ人”から面と向かってこういうことを言ってもらえるのは、随分と久しぶりだった気がした。
最近はずっと――“画面の向こう側”の悪意にばかり触れていたから。
◆
その後輩はユニットの初期メンが推しで、例の炎上騒動で強いショックを受けていて。
そして、後から入ってきたのにユニットの顔役になっていた輪堂天梨に、言い知れぬ不快感を抱いていた。
ハッキリとは口に出さなくとも、その後輩も輪堂天梨こそが“不祥事の火元”であると信じている様子だった。
アイドルに疎い薊美だが、それに関しては妙に記憶に残っていた。
数多の才能を踏み潰してきた薊美にも、そのことを当の本人に伝えないだけの情けはあった。
それは優しさというより、単なる一般的な良識だった。
偶像の天使、輪堂天梨。
茨の王子、伊原薊美。
二人の少女は、互いに朧げな興味と好感を抱いていた。
“他者を魅了し、認識や思考を誘導する魔術”。
その方向性、その規模に差異はあれど。
少女達は奇しくも同じ系統の異能を備えていた。
天梨の場合は、常時における無意識の発動として。
薊美の場合は、それに触発された反射的な行使として。
彼女達は互いにごく小規模の“魅了”を使い、結果として警戒心を解き合うことになった。
この都市の片隅で、二人のマスターは邂逅を果たす。
それはほんのささやかで、何てことのない出会いだった。
◆◇◆◇
◆◇◆◇
そこは、巨大な灰色の空に覆われていた。
吊り屋根の天井によって遮られ、陽の光は届かず。
顔を上げても、澄んだ青色のひとつも見えやしない。
その場を照らすのは、無数の照明だった。
人の手で作られた光が、閉ざされた空間に明かりを齎していた。
周囲には、無数の座椅子が並ぶ。
広大な敷地をぐるりと囲うように、観客席が揃えられている。
一階と二階。二段式の座席。大規模収容が可能な会場である。
その中央には、広々とした競技用のアリーナ空間。
全国的なスポーツの競技会からアーティストのライブまで、様々な催しで使われる。
国立代々木競技場、第一体育館。
この大規模なアリーナも、今はもぬけの殻となっていた。
箱庭の東京で巻き起こっているのは、度重なる“蝗害”。
突如として現れた飛蝗の群れが各所を襲い、甚大な被害を与えているという事態。
それにより都内各所で多くの催事が縮小、または中止を余儀なくされている。
出処も原因も分からない“蝗害”は、社会に確かな混乱を齎し続けている。
その余波は当然、この国立競技場にも及んでいた。
都内屈指の大規模施設であるが故に、多くのイベントが予定されていた。
今となっては、大半の催しが再開の見通しが立たぬまま白紙となっている。
結果として残されたものは、伽藍堂となった競技場である。
無人となったアリーナの中央。
其処に、一人の青年が立ち尽くす。
橙色の長髪を、後ろ髪で一本に纏めて。
整った美貌に、すらりとした体躯を持ち。
その身を、北方の民族衣装で包み込んでいる。
それは――妖しげな色香を持つ、美青年だった。
その気になれば、異性を誑かすことも容易いであろう。
それほどに眉目秀麗な面持ちであるにも関わらず。
忽然と立つ姿からは、まるで陽炎の如く“熱”が揺らいでいた。
主人たる偶像の少女は、彼に“地獄”を見た。
おぞましく燃え滾る、憎悪の毒を感じ取った。
この麗しき青年は、怨嗟の亡霊だった。
その柔和な顔の裏側に、負の情動を孕んでいた。
彼は、怨恨に駆られた復讐者だった。
悪意によって非業の死を遂げ、呪いへと成り果てた。
その怒りは、恨みは、無尽蔵の毒素として溢れ出す。
――英傑ではなく、穢れし神として堕ちるほどに。
アヴェンジャーのサーヴァント。
その名を、シャクシャインと呼ぶ。
北の大地で反抗の戦いに臨んだ、偉大な戦士だった男。
卑劣な謀略によって陥れられ、怨霊へと堕落した怪物。
彼は、“気配”を追跡していた。
この辺りから漂う、魔力の匂いを辿っていた。
ただの使い魔か。あるいは、英霊か。
答えは明確ではないが――その“気配”が特に色濃くなった地点で、待ち構えていた。
この近くに存在する“何者か”を誘い出すべく。
シャクシャインは、その気配を追わざるを得なかった。
その匂いは、何よりも忌まわしく、煩わしかったから。
見過ごすには、余りにも悪臭に満ちていたから。
それが何なのか、何故鼻に付くのか、彼には分からない。
だからこそ、気配を辿ることを選ぶほか無かった。
気配は、近い。
匂いは、すぐ傍にある。
奇妙な感覚が、怨霊の思考を刺激する。
ああ、近い。近い、近い、近い。
やってくる。この匂いの主が。
すぐ其処に、やってくる――。
「いやはや――これは、匂うな!!」
何処からか、声が響いた。
威風堂々とした、勇ましき声だった。
「“気高き野生”の匂いだ!!」
――そうら、高らかなる登場だ。
――“西部の英雄(ジョン・ウェイン)”が、やってきたぞ。
そう言わんばかりに、声を張り上げて。
“騎兵の英霊”――ライダーが、客席から悠々と姿を現した。
「あの“口笛”の気配を辿って、この辺りを探っていたものだが――」
鍔広のハットが目を引く青色の軍服。
カールの掛かった金髪に、きっちりと整えられた口髭。
首元には赤いスカーフを巻き、軍服の各所に刺繍による装飾が施されている。
がっしりとした体格の、堂々たる白人男性だった。
騎兵隊のライダー。
米国軍人。星条旗の使徒。
その名を、ジョージ・A・カスター。
「懐かしい感覚だ!!黄色人種の国にも、このような者共が居たとは!!」
現れた英霊を、目を細めて睨むシャクシャイン。
訝しむような感情を、その瞳に宿している。
背筋を伸ばし、誇らしげに立ち、不敵に笑う騎兵。
そんな眼前の相手を、シャクシャインは不快感と共に見据える。
カスターはシャクシャインを前に、わざとらしく驚いた様子を見せる。
舞台俳優のように大袈裟な素振りと言動を取って、相対した英霊を見定める。
自信に満ちて、何処か傲岸にも見える、得意げな眼差しだった。
シャクシャインは、ぴくりと笑いもしない。
悪意と憎悪に満ちた笑みを、浮かべやしない。
無表情。真顔のまま、騎兵を見つめる。
その騎兵は、白い肌の異人――即ち、忌まわしき和人(シャモ)ではない。
憎むべき犬畜生どころか、ただの足元に転がる端役の石ころでしかない。
和人死滅。聖杯に託す願いの過程に立ちはだかる、煩わしい虫螻に過ぎない。
だというのに、この感情は何なのだ。
神経を掻き乱すような違和感の正体は、一体何なのか。
シャクシャインの胸中に、吐き気のような感覚が渦巻く。
喉奥から何かを吐き出しそうになる、そんな異物感を覚える。
「さて、そこの君!ひとつ断っておくが――」
その疑問は、すぐに晴れることになる。
騎兵の態度が、全ての答えを解き明かす。
「私は“狩り”には慣れているのだよ。
それも、君のような者を狩ることにはな」
騎兵は、飄々とした様子で語る。
分かり切ったような態度で、不敵に言葉を並べ立てる。
青き騎兵は、まるで“見知ったもの”を見るように復讐者を眺める。
君のような輩はよく知っているし、何度も見ている――そう言わんばかりだった。
騎兵は顎に手を当て、目を細めたり丸くしたりしながらシャクシャインを観察していた。
侮蔑のような、嘲りのような。
あるいは、警戒のような。
蔑みと慄きという、相反する感情。
それらの入り混じった視線が、シャクシャインへと向けられている。
――忌まわしい過去が、脳裏で何度も反響する。
――忌まわしい最期が、脳髄を幾度も刺激する。
かつても同じように、あんな眼差しを向けられた。
忌避と軽蔑を吐き捨てられ、欺かれたことがあった。
思い返すだけでも、腑が煮え繰り返るような衝動に駆られる。
血潮にも似た殺意の濁流が、理性に堰き止められている。
今か、今かと、その時を待ち侘びている。
未だだ。未だ、愉しみはこれからだ。
全てを塵芥の肉塊へと変えるのは、未だ先のことだ。
あの〈天使〉が堕ちる日に、馳走として味わうのだ。
「君、“先住民”だろう?その出で立ち、それに匂いで分かる」
――ああ、それでも。
澱んだ狂気は、微かにでも溢れ出している。
眼前の敵を前に、禍々しく迸っている。
シャクシャインの怨嗟に、火が燈されていく。
「私は君達のような人種を憐れむ。
されど、情けを掛ける気はない。
慈悲にはさして意味など無いからな」
かつて英雄だった、穢れし復讐者。
彼の口元に、次第に笑みが零れる。
したり顔で語る騎兵を前に、濁った嗤いが漏れ出す。
「人間は分かり合えたとしても、理念は決して相容れない。
ただ異なる大義が激突し、勝った側が最後に神の威光へと触れるのみだ。
それが“歴史”というもの。感傷とは実に麗しいが、文明が繰り返してきた営みに比べれば矮小と言っていい」
騎兵は語る。己の思う理念を。
人間が繰り返してきた業と摂理を。
――されど、そんなものは“穢れし神”には関係ない。
シャクシャインに、彼の理屈は届かない。
興味もなければ、共感もしない。
「……御託を並べて、満足したかい?」
若々しく、端正な顔が、けたけたと歪む。
シャクシャインの表情に、蔑むような嘲笑が張り付く。
「口八丁で虚勢を張り、勇んだ面構えの裏側では蔑みばかりを考え――」
シャクシャインは、よく見知っている。
「挙句の果てに、欺く為なら己の誇りさえも捨てられる」
そういった傲慢さを、よく覚えている。
「俺はそういう糞袋共をよく知っているんだ。
幾ら悟った口で語ろうが、畜生の腐臭は決して拭えない」
憎しみを抱き、殺意を研ぎ澄まし、自らを死毒で蝕むまでに。
彼という英霊は、怨讐によって雁字搦めになっている。
「君からも酷く匂うね。反吐が出そうな程だよ」
だからこそ、シャクシャインは吐き捨てる。
未だ碌に血肉を喰らわせていない“妖刀”を握り締めて。
眼前の騎兵を、確固たる“敵”として捉える。
そしてカスターもまた、相手の殺意を悟り。
高慢に胸を張りながら、腰の拳銃へと手を掛ける。
さあ、ダンスの始まりだ。舞踏会の時間だ。
「なぁ――“侵略者(ウェンペクル)”」
「“開拓者(パイオニア)”と呼び給え」
どちらも、同じように。
荒々しく踊ることには、慣れている。
特に、“狼との舞踏(ダンス・ウィズ・ウルブズ)”には。
◆◇◆◇
◆◇◆◇
古びた遊具が置かれた、小さな公園。
屋根代わりのような樹々の下には、小さなベンチが置かれており。
そこに二人の少女が、横並びに腰掛けていた。
近場にあった自販機の飲み物――薊美がカフェオレを買った流れで、天梨も流れでカフェオレを買った――を一緒に嗜みながら、談笑の一時を過ごす。
輪堂天梨。伊原薊美。
二人は、この街の片隅で語らう。
お話しませんか。そう提案したのは、天梨の方だった。
大した理由はなかった。ただ何となく、特に予定も目的もなかったから。
ふいに話し掛けてくれた相手に、ぼんやりと興味を抱いたから。
誘った動機は、さして深い意味のない、ちょっとした気まぐれだった。
そうして薊美はすんなりと、快く誘いを受け入れたのだ。
可愛らしいお嬢様からの誘いから、喜んで――そんな王子様みたいな台詞を吐きながら、天梨と一時を過ごすことを選んだ。
ファーストコンタクトでお互いへの朧げな好感を抱いていた二人は、それぞれ円滑に自己紹介を済ませてた。
アイドルになったきっかけ。演劇に目覚めたきっかけ。
当たり障りのない程度の身の上話。趣味の話、ささやかな世間話、エトセトラ――。
何気ない会話を交わし合い、二人は緩やかに打ち解けていった。
何となくだけれど。ちょっとした出会いから話が弾んで、気を許している部分があった。
「私が今けっこうアレなことって、知ってます?」
「うん。後輩の子も言ってた」
だから天梨は何気なく、そんな話を振ってみた。
薊美はなんてこともなしに、微笑みと共に応える。
――まあ、そりゃそうだよね。
天梨はそんなことを思う。
〈Angel March〉のファンなら最早知ってて当然だし、そんな後輩を持つ彼女なら把握してても不思議じゃない。
何とも言えぬ思いを抱きつつ、天梨は虚空を見つめる。
ほんの僅かな沈黙。
ほんの少しだけ、微妙な空気。
そんな僅かな合間の中で。
偶像の天使は、一息をつく。
「……私、アイドルが好きです」
そして、天梨はぽつりぽつりと呟き始める。
自らの胸の内の想いを、静かに吐き出す。
初対面の人に、こんな話をするのも変だと思ったけれど。
寧ろ自分と距離のある相手だからこそ、天梨は何処か気負わずに言葉を紡ぐことができた。
「みんなのために歌って踊るのって、すごく楽しくて」
輪堂天梨は、いつだって誰かに好かれていた。
人に優しくして、自然体に振る舞うだけで、彼女は周囲からの好意を得ていた。
「ファンの声援とか、サイリウムの光とか。
そういうのが返ってくると、気持ちが満たされて」
そんな彼女にとって――アイドルとの出会いは、運命に等しかった。
誰かのために舞台の上に立って、笑顔を振りまいて、優しい幸せを届けていく。
自分が頑張ることで、ファンの皆を幸せにすることができる。
そうしてファンもまた、自分の頑張りに暖かな声援で応えてくれる。
「なんていうか、こう、すっごく――キラキラしてるんです」
天梨は、この仕事が好きだった。
誰かを笑顔で繋ぐ、アイドルが好きだった。
だから彼女は束の間、目を輝かせて語る。
「ずっと頑張っていたいし、ずっと笑顔でステージに立ちたい。
私はそう思って、アイドルやってきました」
他人のために、歌い踊って。
他人のために、笑顔を見せて。
舞台の上で、偶像として立ち続ける。
その意味で、彼女は間違いなくアイドルだった。
「けれど……」
――それでも。
彼女は、万人に光を届けられる“星”ではなく。
全てを照らすような、眩い“天使”でもない。
故に、その瞳の輝きに、陰りが現れる。
周囲から、どれだけ持て囃されようと。
輪堂天梨は、ひとりの人間だった。
可憐さと才能を持ち合わせただけの、17歳の少女だった。
天梨は、それ以上は語らなかった。
胸の内に抱える葛藤は、言葉にしなかった。
――相手もきっと、既に分かっているから。
〈Angel March〉のスキャンダル。
メンバー複数名がファンの男性と個人的に交流し、その噂は天梨にまで飛び火した。
彗星の如く現れた天梨への嫉妬や嫌悪から、根も葉もない虚言が垂れ流された。
どれだけ否定しようと、どれだけ弁明しようと、風評は一人歩きしていく。
何一つ覚えのない白眼視が、天梨へと向けられる。
悪意の眼差しと、不信の追及が、少女をじわりじわりと苛んでいく。
そして――あの復讐者(アヴェンジャー)もまた、彼女を地獄へと手招きし続ける。
どうして、こんなことになってしまったんだろう。
天梨は、そう思い続ける。
どうして、取り返しがつかなくなってしまったんだろう。
天梨は、苦悩と葛藤を背負う。
ただ、アイドルでいたかっただけなのに。
その想いに応えてくれる者は、何処にもいなくて。
それが辛くて、苦しくて――。
「伊原さんは、こういうとき」
だからこそ、会話の流れで。
「どうするのかな――って」
そんなことを、ふいに問い掛けてしまったのだろう。
天梨は、誰かの“答え”が欲しかった。。
自分の苦悩に対する道標を、ささやかに打ち解けた少女に求めた。
薊美は、天梨の問い掛けに少しだけ考えた素振りを見せてから――微笑みと共に口を開く。
「私なら、みんな黙らせるかな」
「めっちゃ率直だ」
――思いのほか素直な意見に、思わず天梨はぼやいてしまった。
薊美は、相変わらず涼しげな顔を見せている。
「だって、ずっと足を引っ張られてたら――」
けれど、そんな表情から吐き出される言葉には。
確かな矜持のようなものと、闘志にも似た“自己”が垣間見えた。
「歩けないままだからね」
そうして薊美は、さらりと語り続ける。
「だから振り払うよ。それで、みんなプチっと潰す」
笑顔のままに――我を突き通す、暴君のような“答え”を。
そんな薊美の言葉に、思わず天梨は目を丸くする。
ぽかんとしたように。それでいて、思うところがあるように。
天梨は、薊美の整った顔を、まじまじと見つめる。
「ねえ、伊原さん」
「うん?」
「爽やかに見えて、けっこう武闘派?」
「いやいや、自分らしく生きているだけ」
どこか冗談めかしく言う薊美。
その一言に、天梨は何となく笑いが溢れてしまった。
自分らしく――色んな意味で率直な姿勢に、思わず笑ってしまう。
そんな天梨の笑みに釣られるように、薊美も軽く笑いを見せていた。
束の間の談笑。束の間の語らい。
お互いに、何だか不思議な気持ちだった。
見知ったばかりの相手と、こうして奇妙な一時を過ごしている。
そのことを改めて自覚したのか。
薊美もまた、笑みを見せた後に、自らの思いを呟き始めた。
「私は……誰かに、自分を枯らされたくない」
薊美は、ふいに空を見上げた。
「枯れる花で、終わりたくない」
此処ではない、何処か遠くを見つめるように。
「星になって、皆の心に焼き付けたい」
自らの意志の断片を、側にいる少女へと語る。
「目が眩むくらいの光を」
天梨が偶像であるように。
薊美もまた、舞台に立つ者だった。
だからこそ、“輝くこと”への想いを抱いていた。
その感情は――あの“脱出王”との出会いを経て、更に強くなっている。
「……届くかなぁ」
そんなふうに、ぽつりと呟いて。
薊美は空へと向かって、右手を伸ばした。
青い景色。その彼方――眩い太陽。
燦々と輝く光に目を細めながらも、まるで憧れを抱くように。
そして、いつか“それ”を掴むことを望むように。
彼女は、じっと遠い空の向こう側を見据えていた。
そんな薊美の横顔を、天梨は何も言わずに見つめていた。
空を見上げる眼差しは、まるで星空を眺めているかのように無垢なものに見えて。
そして、その瞳の奥に――静かな激情のようなものが、垣間見えた。
◆◇◆◇
◆◇◆◇
《Garry Owen, Garry Owen, Garry Owen――!!!》
――ラッパの旋律が木霊する。
《Garry Owen, Garry Owen, Garry Owen――!!!》
――けたたましい合唱が重なる。
《Garry Owen, Garry Owen, Garry Owen――!!!》
――青き騎兵たちが、荒れ狂う。
《Oh we can dare and we can do(我々は挑み、戦うことが出来る)!!!》
騎兵隊(ギャリーオーウェン)が、弾丸の如く行き交う。
逞しき軍馬(クォーターホース)達が、機敏に駆け回る。
彼らは歌う。自らの栄誉を華々しく称える。
《United men and brothers too(そう、団結した我々は)!!!》
蹄の音が、止め処なく地を揺らす。
騎馬達が大地を蹴り――壮烈なる突撃を、目まぐるしく繰り返す。
《Their gallant footsteps do pursue(勇敢なる軌跡を辿り)――》
響き渡る“歌”に鼓舞されながら、騎兵隊は“敵”へと次々に殺到していく。
《――And change our country's story(この国の歴史を変えていくのだ)!!!》
迫りくる騎兵隊を、“敵”は俊敏に躱す。
憎悪の怨霊(アヴェンジャー)――シャクシャインは跳躍して、空中ですれ違いざまに“妖刀”を振るう。
瞬時に間合いの伸びた刀身が、騎兵達の首を刈り取る。
血飛沫が宙を舞う。首が宙を舞う。穢神が宙を舞う。
《Garry Owen, Garry Owen, Garry Owen――!!!》
そのまま空中で回転。馬に乗ったままの亡骸を蹴って、更なる跳躍を繰り返しながら妖刀を縦横無尽に振るう。
踊るような斬撃が、他の騎兵達の首を斬り飛ばし――再び亡骸や馬を蹴って跳躍。
そして再び刃を振るって、次なる敵の首を撥ね、先程の動作を繰り返すように躍動。
《Garry Owen, Garry Owen, Garry Owen――!!!》
この騎兵どもは、ただの“幻霊”。サーヴァントの使い魔として呼び出された、実態なき駒に過ぎない。
“誰も殺してはならない”。天使の如しマスターの命令は、此処では当て嵌まらない。
彼らは所詮、亡霊ですらない木偶人形でしかないのだから。
そして古今東西の英霊同士の戦いにおいて、己に枷を嵌める暇などない。
故にシャクシャインは、眼前の敵に対して躊躇なく“殺し”を行う。
そうして穢神は、迷いなく跳ぶ。
斬撃。跳躍。斬撃。跳躍。斬撃。跳躍――その連続。
まるで黒き飛蝗のように、飛び続ける。
超人的な動作と共に首を狩り、舞い散る血潮の中で躍動する。
“復讐者”と化した英雄は、余りにも鋭敏に、余りにも機械的に、殺戮を遂行していく。
憎悪と怨嗟に囚われた英傑は、まさに妖刀と一つになっていた。
向けられる敵意――負の感情は、全てシャクシャインの力へと変わる。
アヴェンジャーとしてのクラススキルによって、その恩恵が得られる。
更には使用する武具の対人攻撃力を上昇させるスキルによって、その刃の切れ味は冴えを増している。
「くはッ」
そしてシャクシャインの操る妖刀『血啜喰牙(イペタム)』は、血の匂いに昂り、血を喰らう。
斬った血肉の分だけ所有者に力を与える、文字通りの怪物。
詰まるところ、殺戮を重ねれば重ねるほどに糧となるのだ。
「ははは――」
例え実態なき幻霊、仮初の幻想に過ぎなくとも、それが再現された存在である以上は血肉が通う。
故に襲い来る騎兵を切り裂くたびに、妖刀と穢神は徐々に力を取り込んでいく。
それまで殺人を抑え込まれていた刃は、ようやく有り付いた血の味に猛り狂う。
真紅に染まった人食い刀の凶気が、穢れし英傑の血潮に流れ込んでいく。
「っははははははは――!!!」
それはまさに、嵐の様相だった。
戦士を喰らい、血を喰らい、銀色の閃光と化す暴風だった。
“大地の蹂躙者たち”を飲み込み、捻り潰していく。
狂喜を浮かべる穢神は、血風を作り出していく。
堂々たる騎兵の軍勢を、塵芥の如く八つ裂きにしていく。
その姿は、阿修羅の如し。
並の戦士ならば、その舞踏を目の当たりにするだけでも恐れ慄くだろう。
シャクシャインは剣士ではない――狩人であり、殺戮者だ。
彼は血の旋風の中で、舞い踊る。
――だが。
《Garry Owen, Garry Owen, Garry Owen――!!!》
それでも、歌は鳴り止まない。
《Garry Owen, Garry Owen, Garry Owen――!!!》
それでも、騎兵隊は次々に出現する。
《Garry Owen, Garry Owen, Garry Owen――!!!》
蹄の音が轟く。熾烈な行進は続く。
《Garry Owen, Garry Owen, Garry Owen――!!!》
その脅威、実に単純明快。
兵が多ければ、それだけ攻撃が続く。
繰り返される突撃、その刹那。
跳躍の軌道を読む形で、雷撃の如く2発の銃弾がシャクシャイン目掛けて飛来。
シャクシャインは騎兵達を切り裂きながら、返す刃で刀を振り上げて銃弾を弾き飛ばす。
そのまま狩人は地面へと素早く着地し、妖刀を片手に敵の軍勢を見据える。
「はっはっはっはっは!!ふはははははは!!
ダンスが上手いなぁ山犬(コヨーテ)め!!
舞踏会に出て淑女達の前で披露してはどうかね!?」
撃ったのは、軍馬に跨るライダーのサーヴァント。
騎兵隊をけしかけ、その隙を縫うように六連装拳銃(リボルバー)での射撃を行ったのだ。
「ではッ、存分に踊らせてやろう!!喜ぶが良い!!」
そして――地面に降り立ったシャクシャインへと目掛け、再び騎兵隊が迫り来る。
束となった青き旋風が、熾烈に疾走していく。
「『駆けよ、壮烈なる騎兵隊(グロリアス・ギャリーオーウェン)』!!!
これが我が宝具!!我が象徴!!誉れ高き“我が部隊”である!!!」
歓喜する騎兵(ライダー)、カスター将軍。
幾ら復讐者が舞い踊ろうと、青き軍人(ソルジャー・ブルー)は高らかに部下達を進撃させる。
騎兵隊は異常な熱気に包まれて、将軍の指揮と共に戦闘を続行する――。
《Our hearts so stout have got us fame(我々の勇敢な魂が名声を齎した)!!!》
進撃する騎兵隊。高らかに歌われる軍歌。
将軍の名の下に突撃する、無数の群れ。
《For soon ’tis known from whence we came(我々が何者であるかをすぐに思い知るだろう)!!!》
――復讐者もまた、地を駆け抜ける。
疾風の如く“突撃”したシャクシャイン。
疾走する騎兵達とのすれ違いざまに、妖刀の形状を“変化”させる。
「邪魔だよ、虫螻ども」
刀身が鞭のように伸び、蛇のように唸り。
そして風のように、縦横無尽に暴れ狂う。
妖刀は、刀身の間合いと形状を自在に変化させる。
刹那の合間に地面が次々に抉られ、削られ。
騎兵達の四肢が、瞬きの間に切り刻まれていく。
血潮が舞い散り、肉の部位が弾け飛ぶ。
青き軍服は、淀んだ真紅へと染め上げられていく。
《Where’er we go they fear the name(我々が何処へ行こうと、彼らはこの名を畏れる)――》
崩れ落ちていく騎兵隊の後方から、矢継ぎ早に無数の銃弾が飛来する。
ライフルを構えた歩兵達が横一列に並び、シャクシャイン目掛けて一斉射撃を仕掛けたのだ。
先程突撃した複数の騎兵は初めから捨て石。彼らを壁にして視界を遮り、敵が切り抜けると同時に銃撃を行った。
鞭と化して唸る数度の斬撃が、迫る弾丸を次々に切り刻んだ。
切り落とされていく鉛玉。幾つかの銃撃が隙間を掻い潜り、シャクシャインの腕や脚へと命中する。
吹き出る血液――されど穢神は、決して怯まない。
滾る憎悪の炎を体現するスキルによって、彼のあらゆる痛覚は遮断されている。
数発の弾丸程度では、復讐に燃える荒神を止めることなどできない。
そのままシャクシャインは、歩兵達の背後で控えるカスターを視界に捉えた。
元の刀剣の形状へと戻った妖刀を構えて、視線の先の大将首へと斬り込むべく、勢いよく地を蹴る。
凄まじい瞬発力と共に、ライフルを構えた歩兵の列へと突撃していく――。
《――Of Garry Owen in glory(栄光の第7騎兵隊である)!!!》
その瞬間。駆け抜ける殺気が、復讐者の背後から唐突に姿を現す。
シャクシャインは瞬時に方向転換――疾走を維持したまま、回転して薙ぎ払うように後方へ妖刀を振るう。
疾走したシャクシャインを追い掛けるように、突如として死角から現れた四騎の騎兵達。
先鋒として迫った二騎をシャクシャインは馬ごと刃で断ち切り、横転させた。
《“我らが魂よ、勇ましく進め”――!!》
《“その時、軍馬の蹄が轟くのだ”――!!》
しかし魔力として霧散した彼らに続いて迫った残りの二騎が、挟み撃ちをする形でサーベルを振るった。
不意打ちからの波状攻撃。その動きの機敏さは、明らかに先程までの騎兵達を上回っている。
それでもシャクシャインは妖刀の刃を伸ばし、返す刀で両側からの二撃を弾く。
そしてサーベルを弾いた斬撃で、そのまま騎兵二騎の胴体も両断した。
「恐れることは無い!!神の御心は我らと共にあるぞ!!」
“第7騎兵連隊”――それは英霊・カスター将軍の象徴たる部隊。
彼という存在と一体化した、一種の概念的な軍勢である。
西部開拓神話に刻まれたカリスマ的英雄の指揮と鼓舞によって、騎兵隊はその士気を高めていく。
カスター将軍が英傑として堂々と立ち続ける限り、騎兵隊は能力を向上させていくのだ。
それが彼のスキルの恩恵。“誉れ高き勇士”としての、彼の能力。
《Garry Owen, Garry Owen, Garry Owen――!!!》
シャクシャインが再び前方へと方向転換しようとした矢先。
正面の歩兵隊が一斉にライフルの引き金を弾き、銃弾の嵐が殺到する。
迫る無数の弾丸。目を見開く復讐者。
将軍も、穢神も、口の両端を吊り上げる。
――シャクシャインは防御を捨て、構わず突撃を敢行。
致命傷を躱しつつも、その身に数多の銃弾の雨を浴びていく。
無論、足止めにはならない。痛みさえも感じない。
猪突猛進。姿勢を低くして、獣の如き俊敏さで歩兵隊の列へと肉薄。
そして――放たれる一閃。
次弾を放とうとした歩兵達を、横薙ぎの斬撃で真正面から突破。
血飛沫と共に隊列を切り拓き、突破し、その背後に控える大将へと迫る。
「ふははははは!!諸君のような敵は私も望むところだ!!
恐るべき敵ほど良い!!勇ましき敵ほど良い!!」
大将――カスターは高笑いと共に、装飾過多なサーベルを構える。
そして騎乗した馬へと合図を送り、猛進の突撃を行う。
「それこそが“英雄の敵”に相応しいのだから!!!」
瞬間。すれ違う二騎の英霊。
一対の閃光が、駆け抜けるように激突する。
掬うように振り上げられた妖刀。
袈裟を切るように薙ぎ払われたサーベル。
刃と刃が激突し、轟くような金属音が響き渡る。
「くはッ――ははは……」
交錯を経てからも疾走を続けるアヴェンジャーとライダー。
復讐者の口元からは、渇いた笑みが溢れる。
「随分とお喋り好きみたいだな、阿呆面(エパタイ)!!
そんなに口を開きたいのなら!!もっと愉しませてやるよ!!」
両者は振り返り、再び視線の先の敵へと突撃を行う。
風の如く走り抜ける、二人の英傑。
“奪われし復讐者”と“開拓神話の騎士”。
相容れぬ。決して歩み寄れぬ。
両者が背負う過去は、生き様は、平行線を辿る。
「その口先!!ざっくりと引き裂いてなァ!!二度と閉ざせないようにしてやる!!」
「やってみたまえ――私は手強いぞ!!はっはっはっは!!」
そして、二度目の剣戟が衝突する。
高速の残光が、尾を引くように迸る。
二人は駆け抜けて、再びすれ違う。
両者、未だ斬撃を負わず――否。
青き将軍が馬上から跳んで、地面へと転がるように受け身を取った。
間髪入れず、先程の交錯によって斬撃を叩き込まれたカスターの軍馬が横転。
魔力と化して霧散していく馬の亡骸をよそに、シャクシャインは即座に地を蹴る。
方向転換と共に躍動し、猛スピードでカスターへと接近。
カスターはすぐさま立ち上がり、態勢を整えていた。
そのまま即座にサーベルを縦に構え、シャクシャインが横一文字に振るった妖刀を防ぐ。
ほんの刹那、人喰らいの刃を受け止めるものの――膂力と勢いの差により、カスターの防御は弾かれる。
その隙を逃さずに、シャクシャインは返す刀で逆手に妖刀を振るう。
カスターは崩された体勢から咄嗟にサーベルを振るい、ギリギリで刃を凌ぐ。
火花が散る。剣閃が迸る。――そして、シャクシャインが猛攻を繰り返す。
暴れ狂う剣先が、青き騎兵を激しく攻め立てる。
カスターは握り締めたサーベルを必死に操り、これらの攻撃を何とか防いでいく。
剣戟が巻き起こり、銀色の閃光が幾度となく走り抜ける。
繰り広げられる打ち合いの中で、シャクシャインはすぐさま悟る。
――剣技も、体術も、そう大したものじゃない。
――この一ヶ月で交戦した英傑共に比べれば。
――明らかに一歩も二歩も劣っている。
余裕を気取っているが、実際は“こちらの剣戟を凌ぐことで限界”なのだと、シャクシャインは察知する。
ある程度は腕が立つ。決して素人などではない。しかし、この騎兵(ライダー)は結局それだけだ。
笑みを浮かべながら大物の如く振る舞っているが、白兵戦能力においては明確な差がある。
大口を叩いているが、蓋を開けてみれば“多少は剣技に長ける”程度の輩。
有象無象の雑兵よりは格上であっても、超人にはあまりにも程遠い。
凡百。凡夫。二流。所詮はその枠組を超えない、ただの人間だ。
これしきの手前で“伝説”や“英傑”を気取るなど――笑わせてくれる。
「その程度の技で“英雄”かよ、三下(チャナンペ)」
熾烈な打ち合いを、一筋の斬撃が切り開く。
妖刀は長剣へと姿を変え、刃の間合いが瞬時に変化。
その一撃によってカスターは防御を崩される。
それまでの剣戟とは異なる刀身のリーチと重みへの対処が間に合わなかったのだ。
妖刀の斬撃を防ぎきれなかったサーベルが、弾き飛ばされる。
カスターの手を離れ、刀剣は宙を舞い、そのまま地面へと落下。
吹き飛ばされた勢いのまま、サーベルは回転するように滑っていく。
最早カスターが即座に手を伸ばせる距離からは遠く離れている。魔力で新たなサーベルを形成しようとも、妖刀の斬撃が先に襲い来るだろう。
「声を張り上げて、したり顔で勇んで!!
そして“張りぼて”の幻影どもに囲まれて!!さぞ楽しいだろうなァ!!
そうでもしないと――お前は何者にもなれないってことだ!!」
悪しき穢神は、虚勢を張る騎兵を嘲る。
残忍な猟犬のように、けたけたと嗤う。
その右手に握られた妖刀を振り翳し、カスターの首を一太刀で刎ねんとする――。
「はっはっはっは!!痛いところを突くなぁ!!」
――カスター将軍、開き直る。
何の恥じらいもなく、堂々と。
咄嗟に腰から抜いた拳銃の銃身を盾にし、寸前で妖刀の斬撃を弾いた。
追い詰められているにも関わらず、その表情からは不敵な笑みが消えない。
「――だからこそッ、私は求めるのだ!!」
そして、次の瞬間。
カスターがまさにシャクシャインと至近距離の戦闘を繰り広げているにも関わらず。
《Garry Owen, Garry Owen, Garry Owen――!!!》
既に召喚されていた騎兵達が、周囲を縦横無尽に駆け回りながら――馬上から一斉にライフルを連射。
狙いは無論、シャクシャイン。されど、今はまさに将軍がその敵と白兵戦をしている最中だ。
下手をすればカスターにまで流れ弾が飛びかねない、無謀な一斉攻撃である。
「そう!!真なる栄光を!!聖杯という頂を!!」
しかし、騎兵達は構わない。カスターもまた、構いはしない。
何故ならば、自信に満ちたカスター将軍は“無敵”だからだ。
すなわち――“当たらない”のだ。
「“夢想家(スターゲイザー)”になど甘んじるものか!!」
四方八方より、銃弾が飛び交う。
張り巡らされる巣のように、無数の弾丸が硝煙の軌跡を作る。
それらはカスターを仕留めんとするシャクシャインへと次々に襲い掛かる。
シャクシャインは、すぐさま攻撃を中断。
その場から瞬時に跳躍せんとしたが、回避が遅れた。
騎兵隊は、カスターを同士討ちする可能性すら厭わずに射撃してきたのだ。
それ故に行動と思考が一瞬遅れ、跳ぶ寸前に数発の弾丸が復讐者の身体を抉る。
それでも構わず跳躍し、宙を回転するシャクシャイン――銃創から、鮮血が溢れ出す。
人は刃を防ぎ、避けねばならない。
ならば銃弾もまた、躱さねばならないのだ。
何故ならそれは、神秘を超越した暴力なのだから。
万人に“人殺しの術”を与えるという点において、この黒鉄の凶器に勝る道具は存在しない。
「私は“歴史の極星”でありたい!!!」
渦中に立つカスターは――流れ弾述べ十数発、その全てを回避。
彼は堂々たる姿で腕を組み、胸を張って立ち尽くしているだけだった。
被弾を避けるべく、瞬発力や敏捷性に安全を委ねたりなどしない。
ただ多少首を動かしたり、軽く屈んだりするのみ――されど、一発たりとも弾丸は当たらない。掠りもしないのだ。
無謀。無鉄砲。命知らず。若き日のカスターは南北戦争の最中、向こう見ずな作戦を繰り返した。
自らの手傷や自軍の損害を顧みない猛攻を繰り返し、その度に軍功を重ねていった。
それほどの無茶を繰り返しながら、カスターは負傷とはほぼ無縁の男だった。彼は類まれなる強運の持ち主だった。
サーヴァントとなった今、その強運はスキルへと昇華されている。
カスターはあらゆる被弾を回避し続け、致命傷からも高確率で逃れるという幸運に恵まれていた。
見栄っ張りで、自信過剰で、自惚れ屋。
この鼻持ちならない伊達男は、ほんの刹那の合間だけ、星(ヒーロー)と化すのだ。
軍勢を率い、威風堂々と佇む騎兵(カスター)。
傷を負いながら、宙を舞った復讐者(シャクシャイン)。
地上に立ち、見上げる者は傷を負わず。
虚空に跳び、見下ろす者が血を背負う。
されど、紅く穢れた英傑は獰猛に笑う。
その眼差しは、未だに漆黒の殺意を燃やし続ける。
その眼光は、最早地の底のみを睨み続ける。
見上げる必要などない。旭の昇る空など、最早要らない。
「“星”なんか、俺はとうに見失ってるよ」
復讐者に、星は捉えられない。
その双眸は、憎悪によって曇っている。
空の果てを見通すには、余りにも淀み過ぎていた。
輝きをその目に捉える必要すら、ありはしない。
夜は、要らない。
星は、要らない。
この眼は、殺意のみを映す。
和人への憎悪のみを宿す。
眩き栄光など、必要ない。
この醜い世界の何処に、光が在る。
「――俺は、奴らを呪う“穢れ”でいい」
瞬間――周囲を駆け回っていた騎兵達が、突如として斬り裂かれていく。
両腕を切り飛ばされる者。首を撥ねられる者。胴体を両断される者。全身を引き裂かれる者。
間髪入れず、次々に、騎兵達が血飛沫の雨の中へと沈んでいく。
復讐者(シャクシャイン)は、決して刀など振るっていない。
腕を動かしてもいないし、斬撃を放ってすらいない。
にも関わらず、間合いから離れていた筈の騎兵達が一斉に斬り倒されたのだ。
刃の伸縮によるものではない。攻撃の動作さえも存在しなかったのだから。
鎌鼬にも似た奇怪な現象を前に、カスターも目を見開く。
そしてシャクシャインはカスターと一定の距離を取りつつ、地面へと着地する。
右手に握られた妖刀からは、“刃”が失われていた。
『血啜喰牙(イペタム)』――人の血肉を喰らう妖刀は、まさしく悪食だった。
アイヌの伝承曰く、“その刃はひとりでに動き出す”。
所有者を介さずとも妖刀自体が自律行動し、空を飛んで人間を襲うのである。
一度抜けば血を見るまで決して収まらず、人間を次々に斬殺していく。
所有者が妖刀を川や山に捨て去ろうとしても、自らの意思で戻ってくる。
現地の伝説において、その剣は畏怖と悪名を背負っていた。
シャクシャインが跳躍し、滞空をした直後。
妖刀から切り離された刀身が、超高速で飛び回ったのだ。
そうして周囲に存在する騎兵隊を、飛来する刃が瞬く間に斬り裂いた。
やがてシャクシャインの手元へと戻った刃が柄と同化し、元の刀剣の形状へと変わる。
舞い上がった血煙。
噴き上がる真紅の幔幕。
騎兵隊の亡骸が、魔力と血風の中に沈む。
命なき死を迎えた無数の幻影が、やがて塵の如く消え失せる。
舞台に立つのは、再び英霊二騎のみとなる。
憎悪に飲まれし雪原の復讐者、アヴェンジャー。
星条旗の使徒である青き騎兵、ライダー。
両者は、一定の距離を保ったまま対峙する。
アヴェンジャー――シャクシャインの肉体には、幾つもの銃創が刻まれている。
魔力による急拵えの止血を行えども、血の滲む負傷の痕跡は残り続けている。
されど、シャクシャインはまるで動じない。
強靭な耐久力と痛覚の遮断によって、復讐者は平然と立ち続ける。
ライダー――ジョージ・A・カスターは、未だ傷を負っていない。
騎兵隊の波状攻撃と類まれなる強運によって、自身の負傷を回避し続けた。
しかし、それは彼がシャクシャインよりも優位に立っていることを意味する訳ではない。
寧ろ手傷を許容しながら戦う余地のあるシャクシャインに対し、基礎能力値で劣るカスターは一撃を受けるだけでも命取りとなる。
ましてやシャクシャインは、文明の悪意によって蹂躙された復讐者だ。
文明の尖兵として大地を踏み荒らしたカスターは、まさに“狩るべき獲物”に等しい。
同時にカスターにとっても、シャクシャインは“格好の餌食”だった。
開拓には慣れている――先住民への侵略と浄化には、誰よりも長けている。
“文明”の犠牲となり、怨嗟に囚われた者。
“文明”の化身となり、荒野を蹂躙した者。
この二人の英霊は、互いに互いを刺し合う存在だった。
両者は互いの武器を手に取り、対峙し合う。
カスターはピンと背筋を伸ばし、右手に握った六連装拳銃を前方の敵へと向ける。
シャクシャインは血肉を喰らった妖刀を右手に握り、獣のように低い姿勢で構える。
沈黙と静寂――無音の中で、睨み合いが続く。
騎兵と穢神。渦巻く意思は、決して相容れぬ。
されど戦場で相対する者として、二人の認識は重なり合っていた。
――此処が分岐点。此処が最後の引き際。
――このまま続けば、互いに死力を絞り出すことになる。
――そうなれば、どちらも無事では済まない。
伸るか、反るか。
さあ、選ぶべし。
英霊二人は、迫られる。
如何に出て、如何に動くか。
吹き抜ける数秒間の最中。
両者は、思考する――。
そして、その直後。
静かな風に運ばれるように。
笛の音色が、何処からか聞こえた。
先に気が付いたのは、青き騎兵だった。
忘れるはずのない、忌むべき調べだった。
◆
◆
“ねえ、ソルジャー・ブルー”。
“この国の鼓動はまだ始まったばかり”。
“それが解らないの?”。
“大地は私達の中に生きている”。
“私達を導くために此処にいると告げている”。
“ソルジャー・ブルー”。
“ソルジャー・ブルー”。
“この国を愛する方法は他にもある”。
“それが解らないの?”。
“ソルジャー・ブルー”。
“ソルジャー・ブルー”。
“この国を愛する方法は他にもある”。
“それが解らないの?”。
◆
◆
「気のせいかと疑ったが」
ぼそりと、言葉を零す。
何とも言えぬ表情で、カスターが呟く。
「やっぱり、いるなあ」
先程までの自信に満ちた笑みは無く。
そのまま物思いに耽るように、彼は真顔でぼやく。
切り揃えられた口元の髭を、もそもそと撫でていた。
「リベンジしたいのは山々だが」
“カスターズ・リベンジと呼ぶべきか”、“いやこの言葉は不吉で卑猥だな”――などと、彼はぼそぼそと呟いている。
ごく小さな声量のぼやきは、シャクシャインの耳には何を言っているのかが伝わらない。
「“リトルビッグホーン”の二の舞いは避けるとしよう」
されど、シャクシャインもまた察していた。
この戦場に――新たな“英霊”が迫っている。
遠い彼方からの笛の音色と共に、この場へと向かっている。
そして、その者は何処か。
“己と近い存在”であることを。
復讐者は、気配で感じ取っていた――。
「ようし帰るか!!!撤退だ!!!」
その矢先、カスターが高らかに宣言。
間もなくして、蹄鉄の音が激しく繰り返される。
騎兵隊、再び出現――そして一斉突撃。
「予備の軍馬を用意せよ!!!」
シャクシャインは迷わず地を蹴り、雷鳴の如く躍動。
眼前より迫りし騎兵隊を妖刀によって次々に斬り捨てていく。
その合間にカスターは後方へと跳躍。指示からコンマ数秒程度で姿を現した“予備の軍馬”へと華麗に跳び乗る。
「足止めは任せたぞ、親愛なる“紳士諸君(ソルジャー・ブルー)”!!!」
騎兵隊が猛攻を仕掛け、それらをシャクシャインが瞬く間に仕留めていく――。
所詮は闇雲な一斉突撃。されど、無数の兵士による波状攻撃は“足止め”としては問題なく機能する。
ほんの数秒。ほんの十数秒。それだけ稼げればカスターには十分なのだ。
「The Great Escape(これぞ英雄の逃走である)!!!
YeeeeeeeeeeHaaaaw!!!!!!」
軍馬を操って踵を返し、カスターは全力逃走。
シャクシャインは騎兵達を切り倒しながら、妖刀を分離させてカスターを追撃せんとしたが――青き将軍の姿はあっという間にいなくなり。
その場に残っていた騎兵隊も、役目を終えたと言わんばかりに魔力と化して霧散した。
――自軍に多数の損害を出しながらも、見事な生還を成し遂げる。
それが南北戦争における“少年将校”、カスターだったのである。
◆◇◆◇
◆◇◆◇
「伊原さん。お話してくれて、ありがとうございます」
「こちらこそ、楽しかったよ。輪堂さん」
「ちょっと、気分が晴れたっていうか……えへへ」
「それなら良かった。いつか曲、聴くね」
「ありがとうございます!」
「いえいえ。私の方こそ、話相手になってくれてありがとう」
「――それじゃ、お元気で!」
「――うん。さようなら」
◆◇◆◇
◆◇◆◇
青き騎兵は去り、シャクシャインは取り残される。
敵は消え失せ、その場は静寂に包まれる。
そうして彼は、忽然と立ち尽くす。
後方より現れた“気配”に、彼は既に気付いていた。
次なる英霊の存在を、感じ取っていた。
シャクシャインは警戒し、身構えようとして。
されど間も無く、その右手に握る妖刀を、だらりと下ろした。
大地の匂いがした。
風が運ぶ、自然の匂いだった。
ひどく、懐かしい感覚があった。
呆然として、復讐者は目を僅かに見開く。
奇妙な感傷が、胸の内に込み上げる。
登りゆく朝日のように、暖かで、寂しげな。
郷愁のような感情が、何処からか訪れる。
傲岸な笑みも失せたまま。
復讐者は、ゆっくりと振り返った。
己の後方に立つ“来訪者”を、視界に捉えた。
「……“あの男”は、去ったか」
――それは、野生の民だった。
――それは、朽ちし賢者だった。
――その男は、インディアンだった。
荒野のように厳めしく、皺を刻んだ顔立ち。
老いた樹木のように、枯れ果てた佇まい。
その姿からは、神秘的な風格と同時に。
何処か悲壮のような、見窄らしさのような。
哀愁にも似た雰囲気が、滲み出ていた。
キャスターのサーヴァント。
先住民のキャスター。赤き大地の祈祷師。
その真名、シッティング・ブル。
シャクシャインは、ただ沈黙する。
眼前の英霊を、じっと見つめる。
何処か呆気に取られたように。
茫然と、何かを悟ったかのように。
そしてシッティング・ブルもまた、シャクシャインを見据える。
その眼差しに、敵意や悪意は宿っていない。
ただ目の前の英霊に対する、同情と憐憫にも似た“共感”を湛えていた。
神妙な眼差しが、相対する復讐者を見つめ続ける。
何も告げることはなく、ただ静寂の中で佇む。
雪原の民(アイヌ)。
荒野の民(インディアン)。
大地と共に生きた、二騎の英霊。
彼らはこの和人の国で相対する。
刹那の静けさが、永劫の如く感じられる。
二騎の英霊は対峙し、ただ無音の中で視線を交錯させる。
戦火の後、風なき舞台の上で、大地の使徒達は向かい合う。
互いに、感じ取っていた。
互いに、悟っていた。
目の前に立つ英霊が、如何なる存在であるのかを。
直感や共鳴のような、奇妙な結び付きだった。
この二人の英霊は、眼前の敵を前にし、感傷を抱いていた。
“復讐者”の脳裏に、かつての情景が過ぎった。
ほんの微かで、朧げで。されど、酷く鮮明な記憶。
雪が降り頻る、白銀の大地。
暖かな茅葺の集落。神々の住まう大自然。
山へと赴き、日々の糧となる生命を授かる。
祭事の折には、儀式によって神秘を奉る。
過酷でありながらも、確固たる誇りと風習のある日々だった。
世界が“我々”と共にあった頃の、過ぎ去りし光景だった。
――されど、そんなものは既に喪われた。
そう。“我々”の世界は、蝕まれたのだ。
和人が支配へと向かい、踏み躙られた。
そして己が散った後の未来で、文明さえも奪われた。
同化によって、同胞達は和人へと飲み込まれた。
彼にとって、それが全てだった。
シャクシャインは、息を吐く。
感傷も、情緒も、塵芥へと変わっていく。
そんなもの――復讐には“必要ない”のだ。
故にそれらは遠い過去へと変わり、彼方へと消え失せていく。
遺されたものは、最早怨念のみだった。
「なあ、老いぼれ(エカシ)」
そして、“復讐者”は口を開く。
「哀れみは要らないさ」
シャクシャインは、淡々と言葉を紡ぐ。
「今の俺は、悪霊だ」
虚ろな瞳の奥底に、滾る炎が再び灯される。
「この和人の地を呪い、全てを蝕み滅ぼす厄災。
紅き旭を喰らい尽くす――“穢れたる神(パコロカムイ)”」
己が何者で在るのか。
己が何故ここに居るのか。
英霊“シャクシャイン”は、如何なる存在なのか。
復讐者は、自らの在り方を規定する。
「ただ、それでいい」
己自信に、業の烙印を刻むように――彼は再び嗤う。
憎悪と怨嗟。猛毒を喰らい、噛み締め、飲み下していく。
取り返しなど、付くものか。この意志を、忘れるものか。
この身を苛む業病の苦痛は、今もなお暴れ狂っている。
己が迎えた無念の最期は、未だ鮮明な情景として繰り返される。
故にシャクシャインは、落陽を齎す死毒で在り続けるのだ。
そうして彼は、自らの肉体を霊体化して。
その場から、忽然と姿を消した。
シッティング・ブルは、何も言わず。
ただ去っていく復讐者の姿を見届けていた。
復讐者を見つめていた眼差しは、複雑な想いを湛える。
遣る瀬無さを胸に抱きながら、大戦士は静かに瞼を閉ざした。
あの男が何を背負い、何を思い、この地に立っているのか。
鋭い慧眼と霊的資質を備えるシッティング・ブルには、それを察することが出来た。
ましてや、復讐者が宿す感情には“覚え”があったのだ。
忘れる筈もない。あれは、癒えることのない“怨嗟”だった。
かつて、何度も目の当たりにしてきた。
あの荒野での戦いの中で、幾度となく抱き続けた。
同胞たちも、そして己自身も――憤怒の篝火を、灯し続けた。
精霊の生きる土地を守るために、部族の文化を守るために。
白人が開拓へと向かう激動の中で、インディアンは戦い抜いていた。
忘れやしない。忘れる訳がない。
あの復讐者は、かつての“我々”と同じだった。
そのことに、シッティング・ブルは深い哀しみを抱く。
「……悠灯よ」
そして、大戦士は語り掛ける。
彼の背後――物陰から、少女が顔を覗かせる。
彼の依代としてこの場に付き添ったマスター。
華村 悠灯が、神妙な面持ちでキャスターを見つめる。
「よく覚えておけ」
朽ちた喉から、言葉が紡がれる。
過去を噛み締めるように、少女へと伝える。
「枯れゆくことが、“哀しみ”から始まるように」
シッティング・ブルは、知っている。
生き様を奪われた者は、知っている。
「燃え盛る焔もまた、時に“哀しみ”を宿すのだ」
踏み躙られし者達は、哀しみを背負う。
絶望と喪失の前に、怒りへと駆られる。
そして、其処から後戻りが出来なくなった者は。
絶え間ない呪いを振り撒く、“禍い”と化す。
「焔は……容易くは消えぬ」
シッティング・ブルは、それをよく知っている。
誰よりも、それを悟っている。
故に、だからこそ、憐憫の念に駆られるのだ。
彼の言葉を、悠灯は無言で聞き届ける。
何も答えず。何も言葉を返さず。
されどその眼差しには、悲哀のようなものを宿す。
虐げられし賢者が紡いだ言葉を、ただ静かに噛み締める。
そして悠灯は、思いを馳せた。
――哀しみに、目が眩んでしまえば。
――きっと、“星”すらも見失ってしまう。
――だから、孤独に彷徨うことしか出来ない。
――それは、何よりも救われないことで。
「……難しいよな」
真っ当に救われて、幸せになることは。
“私達”みたいな人間にとって、何よりも難しい。
だからこそ、焦がれてしまう。
奇跡という器の前で。
【渋谷区(中心地よりも外れ)/1日目・午後】
【伊原 薊美】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:騎兵隊の六連装拳銃
[所持金]:学生としてはかなりの余裕がある
[思考・状況]
基本方針:全てを踏み潰してでも、生き残る。
1:話せて良かった。
2:あの脱出王が告げた“太陽”の意味を、今も追い続けている。
[備考]
※マンションで一人暮らしをしています。裕福な実家からの仕送りもあり、金銭的には相応の余裕があります。
【ライダー(ジョージ・アームストロング・カスター)】
[状態]:疲労(小)
[装備]:華美な六連装拳銃
[道具]:派手なサーベル、ライフル、軍馬(呼べばすぐに来る)
[所持金]:マスターから幾らか貰っている(淑女に金銭面で依存するのは恥ずべきことだが、文化的生活のためには仕方のないことだと開き直っている)
[思考・状況]
基本方針:勝利の栄光を我が手に。
1:やはり、“奴ら”も居るなあ。
2:“先住民”か。この国にもいたとはな。
[備考]
※魔力さえあれば予備の武器や軍馬は呼び出せるようです。
※シッティング・ブルの存在を確信しました。
【輪堂 天梨】
[状態]:精神疲労(小)
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:たくさん(体質の恩恵でお仕事が順調)
[思考・状況]
基本方針:〈天使〉のままでいたい。
1:少しだけ、気が晴れた。
2:アヴェンジャーは恐ろしい。けど、哀しい。
[備考]
※午後以降に仕事が入っているかどうかは後のリレーにお任せします。
【アヴェンジャー(シャクシャイン)】
[状態]:疲労(小)、全身に被弾(行動に支障なし)
[装備]:「血啜喰牙」
[道具]:弓矢などの武装
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:死に絶えろ、“和人”ども。
1:憐れみは要らない。厄災として、全てを喰らい尽くす。
2:愉しもうぜ、輪堂天梨。堕ちていく時まで。
3:青き騎兵(カスター)もいずれ殺す。
[備考]
※マスターである天梨から殺人を禁じられています。
最後の“楽しみ”のために敢えて受け入れています。
【渋谷区・国立代々木競技場/1日目・午後】
【華村 悠灯】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:精霊の指輪(シッティング・ブルの呪術器具)
[道具]:なし
[所持金]:ささやか
[思考・状況]
基本方針:今度こそ、ちゃんと生きたい。
1:あたしは、星を見失いたくない。
[備考]
【キャスター(シッティング・ブル)】
[状態]:健康
[装備]:トマホーク
[道具]:弓矢、ライフル
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:救われなかった同胞達を救済する。
1:復讐者(シャクシャイン)への共感と、深い哀しみ。
2:いずれ、宿縁と対峙する時が来る。
[備考]
※ジョージ・アームストロング・カスターの存在を認識しました。
【共通備考】
カスター将軍が戦死した『リトルビッグホーンの戦い』において、シッティング・ブルはその顛末を予言しただけで直接参加していないとする説が有力です。
本企画においてもその解釈を採用していますが、少なくとも両者は互いの存在を生前から認識し合っています。
投下終了です。
投下します。
東京でも指折りの高級住宅地として知られる、元麻布――
その中でもひときわ広い敷地を持つ邸宅があった。
高い塀と立派な門に囲まれているが、その向こうはまるで森林公園の如き深い緑に包まれている。
古くからの邸宅が次々と高級マンションへと姿を変えていく今、まるで時間に取り残されたかのような佇まい。
母屋は平屋の日本家屋。そこに洋風の二階建ての建物や、石造りの倉が繋がっている。
異質なものを繋ぎ合わせた和洋折衷の建物だが、木々に囲まれたそれらは不思議な調和を保っていた。
小ぶりながらもセンスのいい日本庭園には、錦鯉がゆったりと泳ぐ池すらある。
そんな邸宅の一室。
広々とした畳敷きの部屋、どこかから微かに上品な香りの香の漂う室内で、向き合う人物がいた。
両者の傍には、ちょっとした荷物が山を成している。
「……というわけで、ご注文の品は一通り用意できたかと思いますねぇ」
どこかのんびりした口調で口を開いたのは、やや恰幅のいい中年女性。40代かそこらといった風情。
大雑把にスリーサイズが全て同じくらいの体型で、ふくよかな頬肉の上には鋭く縁が尖った眼鏡が乗る。
個人輸入代行業者、『サーベントトレード有限会社』社長。
水池 魅鳥(みずち・みどり)。
もっとも裏社会では、カネさえ惜しまなければ何でも仕入れてくる調達屋としてその名を知られていた。
魔術に関わる者たちにとっても、頼れる女商人である。
「カナダ産、海獣イッカクの角、3本。同じくカナダ産、セイウチの脂 100kg。
南アフリカ『シェンノンファーム』産のアロエベラ、100kg。
そして、インドネシア産の最高級沈香、天然の原木で26kgの大物ひとつ。なるほど、注文通りだ」
そんなやり手の女社長と向き合っていたのは、総白髪を長く伸ばして肩にかける老人。
といっても首から下は筋骨隆々で、まるで年齢の程が分からない。巨体を包むのは皺ひとつない灰色のスーツ。
この屋敷の主人にして、『蛇杖堂記念病院』の名誉院長。蛇杖堂寂句だった。
「ジャック先生にはいつも贔屓にしてもらってますのでねぇ。
ところで、言われるままに用意しましたが……差支えなければ、後学のためにも、これらの使い道をお聞きしても?」
「なんだ、商品の用途も知らずに仕入れていたのか、この無能め。
だが、無知を自覚し、教えを乞うことができている時点で、無能としては上等だ」
揉み手をしながら問う中年女に、老人は見下す視線も隠さずに、しかしわずかに微笑む。
誰に対しても傲岸不遜な態度を隠さぬ寂句にとって、それは口調とは裏腹に、最大限の誉め言葉でもあった。
「まずイッカクの角は分かりやすかろう。幻獣ユニコーンの角の代用品だ。
治癒術に関する用途であれば、まあ何にでも使えるな」
「代用品、ですか」
「むしろ『本物』は、効能が『強すぎる』ことがある。用途によってはイッカクの方が扱いやすい」
まるで『本物のユニコーンの角』を当たり前のように持っている前提で、老人は語る。
女は手帳にメモを取りながら頷く。
「セイウチの脂は、これは分からなくても仕方ない。
中世の指南書では獣脂であれば何でも構わないとされているが、私は試行錯誤の末にこれに辿り着いた。
この脂を改めて念入りに精製した上で、『武器軟膏』の材料とする」
「ぶきなんこう……ですか」
「傷口ではなく、その傷をつけた武器に塗ることで効果を発揮する治療薬だ。
現代医学では迷信だったとされる技術だが、魔術師が使うとなれば今でも現役よ。
受傷後に相手の武器に触れる必要があるのだが、その機会さえ得られるのであれば、私ならほぼ傷跡ひとつ残さず癒せる」
現代医学に『なることの出来なかった』治癒術の系譜。
当然のように、蛇杖堂の家の手札には入っている。
「アロエは、ちょっと『厄介な奴』とやりあう可能性があるのでな。余裕をもって仕入れておいた。
用途としては、民間療法でもよく使われるように、火傷の治療に向いている」
「それは聞いたことがありますねぇ。
火傷した所に果肉を押し当てるんでしたっけ」
「それではいささか使いづらいので、水薬(ポーション)にしておいて傷口にかけて用いる予定だ。
むしろ重要なのは『シェンノンファーム』製、という所でな。
中国系の専門の農場で、Shennong という名は隠す気もなく古代中国の医神『神農』の英語表記そのものだ。
最初から魔術の材料にするために育成してくれている所でな。
健康食品として食すのであれば市販品と何も変わらぬが、魔術的な治療薬の材料としては効能が桁違いだ」
いつになく饒舌に、懇切丁寧な講義をする寂句。聞き入る女商人。
そして寂句は、その大きな手を、木のままの形を残す見事な香木の上に乗せた。
「最後に香木は――
これも用途は多彩なのだが、ここ最近、多用を強いられていてな。
急ぎ補充する必要が出てきた。誰かさんのおかげでな」
「はあ」
「今も焚いている。この部屋の中に。貴様という存在に対抗するために」
★
瞬間、2人の間に静かな緊張が張りつめる。
女商人が入ってきた時から、微かに屋敷の中に漂っていた、どこか奥深いお香の匂い。
改めて鼻ひとつ鳴らすと、女は悪びれもせずに老人に問う。
「そのお香の効用をお聞きしても?」
「心配せずとも、積極的に悪さをするものではない。
むしろ逆だ。
解呪をもたらす香だよ。『認識阻害』の、解呪だ」
「……っ」
ある種の状態異常、精神操作に対する解呪、影響力の除去。
それもまた、治癒術を極めた蛇杖堂の技のひとつである。
気付くことができれば、そして準備を整える余地があれば、おおむね破れる。
「高浜総合病院院長、高浜公示」
「…………」
唐突に、寂句がとある人名を挙げる。
女商人は、沈黙する。
「静寂美容整形外科院長、静寂曉美」
「…………」
「警視庁公安部捜査一課長、根室清」
「…………」
「そして、サーペントトレード有限会社社長、水池魅鳥」
「…………」
「どうせこれ以外にも複数の身分を持っているのだろうが、私が掴めたのはここまでになるな」
「…………」
「3週間。
違和感を感じてから確信を得るまでに、この私ですら3週間もの時間を浪費させられた。
いずれも、やや無理をしてまで私の、蛇杖堂の家に探りを入れてきた者たち。
そして」
「…………」
「これら4名、同時にこの東京に存在していた瞬間がない。
誰かが明らかに居る時には、他の3名は人目につく場所に存在していない」
「…………いやあ、凄いですねぇ、ジャック先生。感服しましたよ。
切れ者だとは思っていましたが、想像以上だ」
老人の詰問に、女商人は沈黙を破って顔を上げる――否。
顔を上げた時には、性別すらも異なる、別の人物となっていた。
白衣に身を包んだ、真面目そうな、しかし口元にだけはいやらしい笑みを浮かべた男性。
高浜公示。
その名で知られ、同じく病院を経営する側にいる蛇杖堂寂句とも顔見知りの、同業者の姿だった。
「ずいぶんと久しぶりですねぇ、ここまで辿り着かれるのは。
それにひと月も掛からなかったというのは、僕の覚えてる限りじゃ、たぶん新記録じゃないかなぁ」
「小器用なものだな。
いや、意識して磨いた才でもないか。
そんな小賢しいものであれば、互いに院長として会っていた頃に既に見抜いておるわ」
「まあ、こちらもちょっと調べを急ぎましたからねぇ。雑になっちゃってたかな。
流石に蛇杖堂の暴君の目は誤魔化しきれなかったかぁ」
照れたように頭を掻く男の姿が、いつの間にかまた変わっている。
スーツ姿の公僕。根室清。
穏やかな雰囲気の中にも剣呑な目の光、そして、相も変らぬニヤニヤ笑い。
「良ければ後学のためにも、どうして気づいたか教えて頂けませんかねぇ」
「その図々しさはいっそ尊敬するぞ、無能な〈詐称者(プリテンダー)〉め。
まあいいだろう。
ひとつには貴様が言う通り、そちらが探りを焦ったからだろうな。攻撃の瞬間はいつでも無防備なものだ。
もうひとつは――『静寂曉美』。貴様が『本家』の命令を、のらりくらりと逃がれようとしたことだ」
「あらぁ。やっぱりあれはまずかったですかぁ」
「当たり前だろう」
仰々しく嘆いて見せる人物は、さらに姿を変えている。
おおよそ30歳前後の、鋭利な雰囲気をまとった黒髪の美人である。
美容整形を専門とする凄腕の形成外科医、静寂曉美。
ただ口元に浮かぶ笑みだけが、ここまですべての姿で一貫している。
「静寂家は元々、蛇杖堂の一族の分家筋のひとつ。
さらにその末席にしれっと紛れ込んでいたのが貴様だ。
貴様の擬態と認識阻害は大したものだったぞ、無能なりに誇ってもいい」
「はははっ、お墨付きを頂いてしまいましたねぇ」
「だが、私は一族全員に命令を出しておいたよな。
『東京から去れ』と。『速やかに他の拠点に移れ』と。
一週間程度の遅延であれば、引継ぎ等の都合として許した。
だが貴様だけだった。この期に及んでまだ東京に居残ろうとしたのは。
全て分かった後から見れば、貴様は退去したくても出来なかったという訳だ」
「バレちゃった後だからこそ、聞くんですけどねぇ。
あの命令、何で出したんです?
蛇杖堂の一族を『兵隊』として使った方が、そちらにとっても良かったのでは?」
「普通に考えればその通りだが、『以前』にそれで痛い目に遭ったことがあってな。
末端がうっかり〈詐欺師〉に持ち掛けられた『契約』に縛られて、最終的に全て乗っ取られたよ。
あれは面倒だった。同じ失敗を繰り返すくらいなら、無能な味方は遠ざけておくに限る」
どこか穏やかですらある口調で、互いに答え合わせを進める二人。
だが互いに目元は笑っていない。
そしてそれぞれの背後に、いつの間にか立っている人影がある。
蛇杖堂寂句の後ろには、赤い甲冑を身にまとった小柄な少女。手には赤い槍。
腰のあたりからは3対の、蜘蛛か昆虫を思わせる異質な長い脚が生えている。
刻々と姿を変える怪人の背後には、弓矢を手にした黒髪の少女。
和風とも言い難い独特の衣装の上に、無数の札が貼られて揺れる。
サーヴァント。
真名を探る間でもなく一目で分かるクラスは、それぞれランサーとアーチャー。
そんなものを身近に従えるのは、聖杯戦争のマスターくらいしかいない。
★
双方の英霊が油断なく身構える中。
再び肥満体の中年女性の姿に戻っていた人物が、のんびりと口を開いた。
「それで、ジャック先生。この私に何をやらせたいのですかな?」
複数の姿を使い分ける暗躍者の尻尾を掴んだにしては、悠長な構え。
殺すにせよ捕まえるにせよ、どう見ても本気の構えではない。
女社長は首を捻る。
「それを話す前に、まずは確認だ。
こちらも貴様を探る中で、だいたい見当がついているのだが……
貴様の動機は、『趣味』ということでいいのだな」
「趣味。
そう言われてしまえばそうですねぇ」
「世間一般にありがちな、カネ目当てではない。権力目当てでもない。
そんな陳腐な動機であれば、既に誰かが貴様を捕えていたことだろう。
結果としてカネも権力も手にしたようだが、貴様は殺しそのものを目的としている」
蛇杖堂寂句は淡々と語る。
そこに怒りはない。ありがちな嫌悪の情はない。
いったいどうやってそこまでの調査をしたものか。
目の前の、ヒトの姿をしているだけの怪物の所業をおおむね見抜いた上で、本当にただ確認をしている。
「見当はついているが、貴様の口から改めて聞きたい。
貴様のターゲットになりうる存在は、『子供』ということでいいのか」
「そうですねぇ。必要とあらば大人もやるけどねぇ。
あと、少年よりは少女の方が好みだなぁ」
「『17歳』は、貴様の守備範囲のうちか」
「んー、ギリギリかな。その子の性格にもよるな。実際に見てみないと断言はできないねぇ」
怪物の無邪気な答えを受けて、寂句は懐から取り出した封筒をひとつ、投げて渡す。
怪人は中身を確認する。
写真。住所。東京で通っている高校。それらの情報を含む簡潔なレポート。
いずれも過去のある時点での情報でしかなかったが、蛇にとっては相手に辿り着くのに十分過ぎるほどの糸口。
「楪依里朱(ゆずりは・いりす)。
九州の山奥から出てきた、魔術師の一族の若き当主だ。
一族の中での実権は持っていないようだが、本人の実力だけであれば本物と言っていいだろう」
「なんだい、結局、僕を分かりやすく厄介な相手にぶつけようって言うのかい」
「それもあるが。
『前回』を知る者のうちで、貴様が『喰える』相手がいるとしたら、おそらくその小娘だけだ」
「…………」
「知りたいのだろう、いったい何があったのかということを。
見通したいのだろう、この箱庭で何が起きているのかを。
ならば『権利』を強奪して、『我ら六人』と同じ高さまで上がってこい。
それが出来たのなら、改めて貴様に『殺意』を向けてやる」
「へぇ……。
『曾孫』の仇、というだけでは、『殺意』にすら値しないってことかい」
「曉美は頭も良く手先も器用で、医師としてなら大成しそうだったが、魔術の才はなかった。
我が跡を継ぐには足りなかった。
貴様が見せてくれた姿を見ても、母胎としての性能も期待できなかったようだしな。そう惜しくもない」
静寂曉美、失踪時には8歳。
姓は変わり分家に位置付けられていたが、蛇杖堂寂句の血を引く人物の一人だった。
蛇の後ろに立つアーチャーが、あまりにおぞましい会話に少しだけ眉を寄せる。
一方の赤いランサーは全く感情を感じさせない鉄面皮を崩さず、何の反応もしなかった。
★
「サーペントトレード社には代金を振り込んでおこう。今後もまた何か頼むかもしれん」
「ありがとうございます。今後とも御贔屓に」
「静寂曉美と蛇杖堂の家の連絡ルートは残しておく。もし万が一、何かあればそれを使え」
蛇杖堂邸の玄関口で。
邸宅の主は、女商人を見送りに来ていた。滅多にない破格の待遇である。
それぞれの英霊は霊体化して、今は姿もない。
出入りの商人が商品を持ってきて、当たり前のようにただ帰るという構図。
〈暴君〉と〈蛇〉の最初の会合は、こうして終わる。
ふと、老人が、去ろうとしていた中年女の背に声をかける。
「そうだ、〈詐称者〉よ。
今後貴様のことは何と呼べばいい? いくつも名前があるのは面倒でかなわん」
「ああ――そうですねぇ。
貴方になら、教えてしまってもいいかもしれませんねぇ」
にたり、と。
首だけで振り返った蛇は、これまでで最大にいやらしい笑みを浮かべて、そして言った。
あまりにもあっさりと、己の最大の秘密を開示した。
「神寂縁」
「……カムサビ…………エニシ……?!」
「はははっ、いい表情が見れましたねぇ。
いやあ胸がすくようだ。流石にこれは御老公にも予想外でしたかな。
では、またいつか…………」
数多の顔を持つ怪人は、振り返りもせずに屋敷を立ち去る。
その背を、〈はじまりの六人〉の一角は、声もなくいつまでも見つめていた。
★
「いやあ、生きた心地がしなかったねぇ。
猛獣のあぎとに頭を突っ込んだら、あんな気分なのかねぇ」
「良かったの? 隠しておくべき話だったんでしょう?」
元麻布の街には坂が多い。
長い下り坂をてくてくと歩く蛇に向けて、彼に従う英霊は少しだけ心配そうに問いかける。
天津甕星。
戦闘ともなれば絶大なる力を振るう彼女も、怪物同士の化かし合いにおいては、外見通りの少女でしかない。
こうして無事に屋敷を出れたこと自体が、蛇の振るう『支配』の技術、その一端であることに思い至れない。
「どうやらあの人は、誰かに言いふらしたりはしないタイプのようだからねぇ。
ならば今はこれでいい。
じっくりと、機会を伺わせてもらうとするよ」
「…………」
「僕もこういうのは初めてじゃないんだ。過去にも何度かあったんだ」
「その時は、どうしてきたの」
「全て殺したよ」
当たり前のように、蛇は過去形で語る。
彼の趣味には合致しない、大人殺し。
その多くはこういった必要に駆られてのものだった。
いつだって最低限で、そして、決して不足のないものだった。
あの暴君はいつか必ず始末する。
それは蛇にとって、既に確定した方針だった。
それがどれほど険しい道で、どれほど時間がかかろうとも、必ず行われると決まったことだった。
「あそこで命を狙われたとしても、その場を凌ぐ手はいくつか用意していたけどねぇ。
どうもこっちも向こうを殺しきれる気がしなかったんだよねぇ。
……そうだ、アーチャー。
君の見立てとして、あちらのランサーはどうだった?」
「悔しいけど近い感想ね。
戦ったとして、あの場で倒される気はなかったけれど、倒しきれる気もしなかったわ。
日本ではないようだけども、どこかの神に非常に近い存在。
こちらの矢はたぶん深く刺さる……
けど、その上で、向こうの底が知れない。それだけで倒しきれるなら苦労しない」
「なるほどねぇ」
古代日本の技術の粋を集めて祀り上げられた対神決戦兵器は、そこまで言ってちょっとした違和感に気付く。
相手のランサーは少女の姿をしていた。なのに。
「ところであんた、変態のくせに、珍しく発情してなかったわね、あの赤い兵隊に」
「うーん、たぶんアレは『違う』んだよなぁ。
たぶん君と違って『人間であった頃』を持ってない存在だ。カタチだけ少女を模した存在だ。
ああいうのって、そそられないんだよねぇ」
駅に向けて緩やかな下り坂を歩きながら、蛇はぼやく。
どうやらヒトであることを辞めた怪物にも、好き嫌いというものはあるらしい。
「それよりも、楪依里朱、イリスかぁ……。なんでまだ調べていなかったんだっけ?」
「もう忘れたの?
その住所は、例の〈蝗害〉に巻き込まれる恐れがあったから、後回しにしていた場所と相手でしょう?」
「ああ、そうだった、そうだった。
困ったねぇ、本格的に貧乏籤を押し付けられた格好かぁ。困ったねぇ。
それにしてもどんな子なんだろうねぇ……楽しみだなぁ……」
都内ののんびりとした昼下がり。
蛇はぬるりと、街の中に溶け込んでいく。
★
「ランサーよ。
貴様は向こうのアーチャーを、どう見た」
「ある種の技術の集大成の産物、と見ました。
すなわち、あれ以上の伸びしろはなく、槍を届かせ刺すことができれば倒せます。
ただ――足元をすくえるだけの、慢心がありませんでした」
「ほう」
「英霊の座にありながら、己の技にも、己の業績にも誇りを抱いていない存在。
まずありえないほどの自己評価の低さです。
今後対立するようであれば、何らかの策を御用意下さい」
「なるほどな、考えておこう」
同時刻。
屋敷の片隅、書斎に場を移した蛇杖堂寂句の主従もまた、相手陣営の評価をしていた。
何事にも動じないはずの英霊が、少しだけ声に不審を滲ませて首を捻る。
「それよりも、あちらのマスターは何なのでしょうか。
当機構が見た限り、既にヒトを超えた『なにか』のように見えましたが」
「たまにいるのだ、ああいう逸脱者が。
おそらくは起源覚醒者。
大抵は己の衝動ゆえにすぐに自滅するものだが、なかなかどうして、長々と生き延びてきたようだ」
寂句は嘆息する。
主従ともに、流石の寂句にとっても容易くはない相手。
そうと思えばこそ、確信が持てた後はすぐに手を打った。
相手の持つ姿のひとつを利用して、直接会える場を用意した。
四方から探られていた情報から逆算して、向こうがこの聖杯戦争の真相に興味津々であることは見て取れた。
細部はともかく、大まかな概要は掴めているのだろうとの推測もできた。
そうであるならば、方向性の誘導はできる。
あの大蛇が色彩の魔女に倒されるようならそれでも良し。
魔女すらも飲み込むというのなら、改めて対等の敵として叩き潰す。
寂句は、蛇に対して何一つ偽ることなく、己の本音のままにぶつかってみせた。
それがこの場は最善と判断した。
この剛腕を選択できる胆力こそ、寂句が暴君とまで呼ばれる理由のひとつであった。
「〈蛇使い座(アスクレピオス)〉の末裔としても、あれは扱いづらい〈蛇(サーペント)〉だな。
だが、まだ足りぬ。
『その名前』だけではまだ認めぬ。
自負があるなら、傀儡の枠を超えて、『ここ』まで上がってこい、支配者気取りめ。
そうすればその時に――改めて殺してやる」
暴君はまだ動かない。
今はまだ、屋敷に座して、駒を動かす。
必然として再来するはずの、大破壊の結末を知っているがゆえに。
★
【港区・麻布十番駅付近/一日目・午後】
【神寂縁】
[状態]:健康
[令呪]:残り3画
[装備]:様々(偽る身分による)
[道具]:様々(偽る身分による)
[所持金]:潤沢
[思考・状況]
基本方針:この聖杯戦争を堪能する。
1:楪依里朱に興味。調べて趣味に合致するようなら、飲み込む。
2:蛇杖堂寂句とは当面はゆるい協力体制をとりつつ、いつか必ず始末する。
[備考]
奪った身分を演じる際、無意識のうちに、認識阻害の魔術に近い能力を行使していることが確認されました。
とはいえ本来であれは察知も対策も困難です。
神寂縁の化けの皮として、個人輸入代行業者、サーペントトレード有限会社社長・水池魅鳥(みずち・みどり)が追加されました。
裏社会ではカネ次第で銃器や麻薬、魔術関連の品々などなんでも用意する調達屋として知られています。
楪依里朱について基本的な情報(名前、顔写真、高校名、住所等)を入手しました。
蛇杖堂寂句との間には、蛇杖堂一族に属する静寂曉美として、緊急連絡が可能なホットラインが結ばれています。
【アーチャー(天津甕星)】
[状態]:健康
[装備]:弓と矢
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:優勝を目指す。
1:当面は神寂縁に従う。
【港区元麻布・蛇杖堂邸/一日目・午後】
【蛇杖堂寂句】
[状態]:健康
[令呪]:残り3画
[装備]:灰色のスーツ
[道具]:各種の治療薬、治癒魔術のための触媒(潤沢)、「偽りの霊薬」1本。
[所持金]:潤沢
[思考・状況]
基本方針:他全ての参加者を蹴散らし、神寂祓葉と決着をつける。
1:神寂縁とは当面ゆるい協力体制を維持する。仮に彼が楪依里朱を倒した場合、本気で倒すべき脅威に格上げする。
2:当面は不適切な参加者を順次排除していく。
[備考]
神寂縁、高浜公示、静寂曉美、根室清、水池魅鳥が同一人物であることを知りました。
神寂縁との間に、蛇杖堂一族のホットラインが結ばれています。
蛇杖堂の一族(のNPC)は、本来であればちょっとした規模の兵隊として機能するだけの能力がありますが。
敵に悪用される可能性を嫌った寂句によって、ほぼ全て東京都内から(=この舞台から)退去させられています。
屋敷にいるのは事情を知らない一般人の使用人や警備担当者のみ。
病院にいるのは事情を知らない一般人の医療従事者のみです。
事実上、蛇杖堂の一族に連なるNPCは、今後この聖杯戦争に関与してきません。
【ランサー(ギルタブリル/天蠍アンタレス)】
[状態]:健康
[装備]:赤い槍
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:神寂祓葉を刺してヒトより上の段階に放逐する。
1:蛇杖堂寂句に従う。
2:ヒマがあれば人間社会についての好奇心を満たす。
投下終了です。
アンジェリカ・アルロニカ、アーチャー(天若日子)
ホムンクルス36号/ミロク、アサシン(継代のハサン)
予約します
キャスター(オルフィレウス) 追加で予約します
投下します。
◆ ◆ ◆
『復讐、それこそがこれからは光よりも、食べ物よりも大事なものだ』
――――メアリー・シェリー<フランケンシュタイン>
◆ ◆ ◆
今日は曇りで良かった――――雪村鉄志はそんなことを考えながら、冷たいアスファルトの上を歩く。
東京の五月は、暑い。……東京に限った話でも、五月に限った話でもないが。
ここ数年で跳ね上がった気温は、五月という春の季節であっても容赦なく猛暑で地上を焼きにかかる。
熱の籠るアスファルトの上ともなれば、もはや鉄板焼きの様相で人類を苛むようになって久しい。
それでも今日のように雲が太陽を阻んでしまえば、随分と過ごしやすくなるのは幸いなところか。
『――――くえすちょん。ますたー』
先ほどまで実体を伴って歩いていた少女は、霊体となって付き従いながら念話を送っている。
そう命じたのは、他ならぬ鉄志だ。
なにも意地悪でそう命じたわけではない。
気まぐれか気晴らしか、しばしの間実体化した彼女と散歩をしていたわけだが、冷静に考えて両手足が機械でできたギリシャ人の少女など、聖杯戦争に関わるものが見れば一発でサーヴァントかなにかだと判別できる。他の聖杯戦争参加者にサーヴァントの存在が露見するリスクが大きいのだから、あまり長時間彼女と連れ立って歩くべきではない。
それもある。
が、それ以上の理由として――――
『今は、どのような手掛かりを求めているのでしょうか? 例の、ええと……………………やまかがし!』
『…………惜しいな。ニシキヘビだ』
『………………そ、それです。はい。知ってました。いいまちがいです。……ほんとです』
鉄志は思わず、噴き出してしまいそうになる。
確かにニシキヘビもヤマカガシも同じ蛇だが、言い間違えるには音が違い過ぎるだろう。
けれどそれはあまりに少女――マキナに悪いだろうから、どうにか嚙み殺して。
『いや――――“奴”ならこんなわかりやすい手掛かりは残さねぇ。だから多分、これは別件だ』
表情を引き締め直して、そう答えた。
手掛かり……そう、手掛かりだ。
鉄志は今、街に残る魔力の痕跡を調査し、その主を追跡している。
だから、マキナには霊体化してもらったのだ。
気晴らしの散歩の時間が終わり、鉄志の“戦い”が始まったから、控えてもらったのだ。
現在鉄志が捜索を行っているのは、世田谷区。
より具体的に言うならば、二子玉川――――世田谷区南西部、多摩川沿いに位置するエリアである。
駅前を中心に広がる商業地と、都内としては緑の残る住宅地で構成されたこのエリアは、普段は中々の活気に満ち溢れ……しかしこのところは、鬱屈とした緊迫感に包まれていた。
世田谷区は都内としては自然が豊かで、田畑も多い。
それはつまり、数多の英霊集うこの仮想東京においては――――“蝗害”という前代未聞の大災害の被害を、色濃く被る地区ということに他ならない。
二子玉川周辺はまだ蝗の群れの被害を受けずに済んでいたが、その悍ましき災害はほんの目と鼻の先で繰り広げられており、決して他人事であってはくれなかった。
なにせ同区内の北西方面は、既に蝗の大群によって壊滅的打撃を受けているというのだ。
もしもかの蝗の軍勢が、多摩川を下ってこちらまでやってきたら?
その危惧は決して荒唐無稽なものではなく、確かな実感を伴う眼前の脅威として、住民たちの心を苛んでいた。
原因不明で正体不明。
けれどあまりに具体的な、終末の災害であった。
聖杯戦争の参加者である鉄志は、もちろんこの災害の正体に見当はついている。
なにをどう考えても間違いなく、サーヴァントによる侵略行為――――
あるいはこの空間が仮想であるのをよいことにリミッターを外した魔術師の大魔術かもしれないが、ともあれ聖杯戦争参加者の仕業には違いない。
聖杯とは別の目的を持つ鉄志であっても、生活基盤を揺るがす大規模な侵略攻撃を無視するわけには行かない。
スーパーの食料は高騰し、そのことについて、道行く主婦たちが不安そうに話しているのを聞いた。子供たちが、それを見上げていた。
……かつては警官であった頃、確かに存在したなけなしの正義感というやつが、まだ自分の中で燻っているのかと自嘲する。
ともあれ鉄志は、聖杯戦争を無視できないのだ。
本当の目的が、別にあるとしても。
鉄志の目的は、宿敵“ニシキヘビ”の正体を突き止め、辿り着くことである。
もちろん鉄志も、ニシキヘビがこの聖杯戦争に参加している……などと都合のいい想像をしているわけではない。
ただ、先ほど会った知人・根室清がそうであるように――――この仮想の東京には、仮想なりに忠実に、そこに住む人々が再現されている。
つまり、あるはずなのだ。
ニシキヘビの犯行と目される失踪事件は、全国各地で発生している。
しかし東京は、東京には、いるはずなのだ。あるはずなのだ。
東京に住む後輩・山里が独自に調査を行い、奴に“散らされた”以上は。
ニシキヘビの手掛かりは、この東京に存在しているはずなのだ。
この、仮想の東京であっても、確実に!
そして奴がこの東京にいるのなら、いたのなら、奴もまた聖杯戦争を無視できないはずだ。
必ず、なにがしかの影響を受けている。
鉄志の勘は、ニシキヘビからある種の傲慢さを嗅ぎ取っていた。
敵対者を嘲笑い、じわりじわりと絞め殺し、かと思えば時に興味を失くしたように雑に蹴散らしていく、玩具で遊ぶ子供のような君臨者。
そしてそれほどの傲慢さの持ち主が、己の“庭”の惨状を無視するとは思えない。
舌なめずりをして好機を待つことはできても、どこかで尻尾を出す可能性は高い。意識的にせよ、無意識的にせよだ。
故にこそ鉄志にとって、この“聖杯戦争”という変数を調べ上げることには意味があった。
その先に、己の宿敵の尻尾が見つかるかもしれないのだから。
――――そういうわけで、鉄志は二子玉川エリアで発見した魔力の痕跡の調査を行っている。
気になったのだ。
魔力の痕跡の濃さ……推定される術者の魔力量に対して、杜撰すぎる後処理の拙さが。
気になったからには、調べずにはいられないというのが鉄志の性分である。
『戦闘痕……ともまた違うな。場所もある程度決まっていて、定期的……恐らくはなんらかの訓練……戦闘訓練か? いや、多分もっと初歩的な……』
マキナに対する念話は、説明というよりは思考の整理に近しい。
そのマキナ自身、要領を得ない相槌を返すだけなのは都合がいいところだった。
……シンプルに話をよく理解できていないのだろう。理解させるつもりで話していないのだから仕方ないが、少々罪悪感が芽生えた。
状況を整理する意味でも、一度ちゃんと説明してやるのもいいか。
そう思いながらも、ひとまず――――
『……痕跡分布の中心部は、この付近』
鉄志が辿り着いたのは、ほとんどの遊具が撤去されて久しい広めの公園。
周辺は住宅街であり……目を引く施設と言えば、少し離れたところに教会があるぐらいだろうか。
日本人にとっては少々馴染みのないその建物には、信者と思しき人々で賑わっているのが見えた。
なにかのイベントでもあるのか、と一瞬思ったが……彼らの表情が一様に不安げなそれであることを確認して、状況は理解できた。
東京を襲う蝗害、聖杯戦争の余波、それらによる姿なき緊張感――――そういったものに襲われた市民たちが、救いを求めて神への祈りを捧げに集まっているのだろう。
下らない――――とは、思わなかった。
善良な神などこの世に存在しないと吐き捨てる鉄志だったが、神に救いを求める気持ち自体は、彼にもよくわかるからだ。
「……………祈ったって、助かるもんじゃねぇだろうけどな……」
その呟きは、ほとんど無意識に漏れたもの。
「いえす、のん。ますたー。彼らの崇める神は救済装置として普遍的な性能を持たず、縋る対象としては不適格な旧式と呼ぶべきでしょう」
……だから霊体化を解いて現れた機械四肢の少女に対し、しまったな……と頭を抱えることになる。
一瞬驚いて、それが“二回目”だから理由に思い至って、己の落ち度であることを遅れて把握したのである。
「故に、より完璧で完全な最新の救済装置――――即ち当機の完成が必要なのですよ、ますたー」
無表情に、しかし心なしか誇らしげにそう語る少女は……多分“わかる話題”が出て来たから喜んで飛びついたのだろうな、と予測できた。
あんな旧式の“神”よりも、自らが目指す“機械仕掛けの神”の方がずっとすごいんだぞ、と。
こういうところは実に、子供っぽい。
こういうところでなくとも、子供っぽい……子供らしいと、普段から思ってはいるのだけれど。
「……なぁ、嬢ちゃん」
「? はい、なんでしょう」
「俺が肉声で喋ったからって、別に肉声での会話を求めてるわけじゃない……いやまぁ、出て来るなって言いたいわけじゃないんだが……」
「?」
伝わっていない。
しかしこの悪意無き少女に、目立つとマズいから出て来るな……とそのまま伝えるのは、いくらか良心が咎めた。
結局のところそう伝えなくてはならないのだが、できるだけ彼女が傷付かない言葉を選ぶ必要がある。
頭ごなしに否定せず、彼女がわかりやすいように。
――――昔、娘を育てている時はどうしていたっけ……
ちくりと走った胸の痛みを、押し出すようにため息をひとつ。
それから、視線を公園の入り口に向けて――――――――
「――――――――ま、そういうわけだ。そろそろ出てきてもいいぞ、アンタら」
――――物陰からこちらを伺っていた“彼ら”に、声をかける。
「……流石に、気付いてはいたか」
「斥候じゃねぇしな、俺達。こんなもんだろ」
物陰から姿を現したのは、長い前髪を右に流した、半袖のワイシャツを着た少年――恐らくは高校生だろう――と、革ジャンを着た栗毛の伊達男。
伊達男の方は、サーヴァントだろうと鉄志は判断した。
彼が地中海系の人種である、というのも判断の一因ではあったが――――なによりも、その目だ。
自信に満ちた不敵な笑みを浮かべながらも、その瞳は油断なく鉄志を、マキナを、そして公園全体を観察している。
獲物を前にした肉食動物の如き、威圧を伴う静寂。
戦士の瞳だ。
それも、ただの戦士ではない。
幾度となく戦場を駆け、駆け抜けて、栄光を勝ち取って来た、将の瞳だ。
真っ当な現代人が、これほどに戦場に慣れることはまずありえない。
まず間違いなく、ひとかどの将として名を馳せた英霊――――多くの犯罪者との戦いを繰り広げて来た鉄志だからこそ、ひと目見ただけでそこまでを看破していた。
「! ま、ますたー、下がって……」
現れた“敵”を前に緊張感を滲ませるマキナを、鉄志は無言のまま手で制した。
マキナは、尾行者に気付いていなかったのだろう。
彼らの尾行はそこまでレベルの高いものではなかったが、最低限息をひそめる程度のことはできていた。
だがもちろん、鉄志は早い段階で彼らの存在に気付いている。
なにせ彼は、尾行に関してはまさしく本職なのだ。素人の尾行程度、気付けないはずがない。
気付いた上で、ここまで泳がせていたのは……
「――――それで? 俺達になんか用かい、お二人さん」
……その目的を探るため、だったのだが。
調査もひと段落し、見るからにサーヴァントであるマキナも出てきてしまった。潮時だろう。
問いを投げ、ポケットに手を突っ込みながらも……鉄志は油断なく尾行者を見据えている。なにか妙な動きをすれば、即座に“撃つ”つもりだった。
その殺気を、この二人は十分に感じ取っているのだろう。
自然体を装いつつも、特有の緊張感が場を包んでいく。
「別に」
と声を発したのは、伊達男の方だった。
場を包もうとする緊張感を、緩めるようなタイミングで発された言葉だった。
“間”を外された――――これ以上沈黙が続けば、沈黙を破ることそのものが口火となりかねない状況を、意図して回避したのだろう。
「用ってほどじゃねぇんだが、お前の目がな」
「…………目?」
「そ。目だよ、目。
ほとんど縋るみてーに、“何か”を探してる目だ。……ちょいと気になってな」
伊達男が、僅かに目を細める。
……警官として数多の犯罪者を見て来た鉄志とはまた異なる、観察眼。
恐らくは、将としてのそれ。
数多の兵を率い、数多の兵を相手取って来た者が持つ、人を見る能力。
「……ランサーの言葉に従って後を追ってみれば、魔力の痕跡……
それも貴方が残したものではなく、元々あった痕跡を貴方が追跡しているのだということはすぐにわかった。
用は何かと問うのなら、むしろ貴方にこそ目的を問うことが僕達の目的のひとつだ」
少年が言葉を引き継いだ。
やはりというか、少年の方がマスターであり、伊達男の方がサーヴァント――――クラスはランサーであるらしい。
「なるほどね……なら、悪いがそう面白いものじゃねぇよ。
街中で魔力の痕跡を見つけたから、気になって調査してる……それだけだ。大したことじゃない」
追跡調査の様子を他の参加者に見咎められ、接触を受ける。
これ自体は、十分に想定していたことだ。むしろ、ある程度望んでいたことでもある。
どうやら彼らもこの魔力の痕跡の主とは別口のようだが、それはそれとして交渉の目はあるか。
少しでも他の参加者から情報を引き出し、この戦争の全容を……と、鉄志が思考を回していたところで。
「そうか――――――――なら、もうひとつ」
少年が一歩、コンパスのように円を描きながら、足を引く。
深く腰を落とし、開いた両の掌を上下に、前へ。
その動きと同時に、公園一帯を魔力の“波”が打ち――――人払いの結界が張られたことを鉄志は理解する。
これでこの公園は、認識的に外界から隔絶される。
魔術の心得無き者が踏み入ることはできないし、少し遠くで教会に集っている人々は、ここで何が起ころうとも気付かない。
――――これ即ち、宣戦布告。
少年の視線が真っ直ぐに、鉄志を射竦めた。
その両腕、肘から先のテクスチャが溶けるように剝がれていき、中から神秘を伴う木製の義手が現れる。
傍らのランサーは革ジャンを脱ぎ捨て――――次の瞬間には、重装歩兵の鎧を真紅の外套で覆った、戦士の姿をしていた。
鉄志と並ぶマキナもまた、無言のままに鋼鉄の両碗を複雑に肥大化させ、展開したバイザーがその瞳を覆い隠す。
「貴方が魔術師か魔術使いか……そうである以上、問わねばならないことがある」
「……それが人にものを聞く態度かよ、坊主」
「そうだ。こうしなければ、問えないこともある」
交渉の目は、果たしてあったのだろうか。
いいや、これは聖杯戦争だ。
たったひとつの聖杯を求め、魔術師と英霊が殺し合う、神秘の戦争だ。
参加者同士が出会えば、優勝というひとつしかない椅子を巡って戦う運命にある。
……という、それ以上に。
鉄志は少年の瞳に宿るそれに、どこか覚えがあった。
カタチは違えど、本質として燃えるそれに、覚えがあった。
「……この身は高乃家次男、高乃河二」
交渉など、最初から不可能だったのだ。
彼は最初から、こうするつもりだったのだから。
「問おう、魔術師――――――――――――この技に、覚えはあるか」
少年は明確な覚悟と殺意を伴って、問いと共に大きく踏み込み――――
「――――――――点火(シュート)」
その“出がかり”を、鉄志は撃ち抜いた。
「っ!?」
ポケットに突っ込んでいた手の、早抜き。
中から現れた“杖”はボールペン。
爆竹が炸裂するかの如き轟音。瞳を焼く閃光。噴き出す硝煙。
魔力が巡る速度が異常に早い特殊な魔術回路と、歴戦の戦闘勘が実現した究極の“後の先”。
『速射回路』による必殺最速の早撃ちは、しかし咄嗟に危機を察した少年、河二の手首の返しで弾かれる。
覚えはあるかと問われるまでもなく、彼の流儀たる技術には予想がついた。中国拳法だ。
それも、宙を撫でるように構えたその手は、受けを得手とする太極拳のそれだろう。
大きく踏み込みつつも防御に備えたその構え故に、少年は鉄志の不可避の早撃ちを防いで見せた。中々の反応速度と言っていい。
高威力のガンドを難なく弾ける辺り、当然あの木製の義手は相応の性能を持つ魔術礼装と見るべきであろう。
だがいずれにせよ、彼の突進は出がかりを潰されて停止を余儀なくされた。
「――――――――嬢ちゃん」
「いえす、まい、ますたー。――――お覚悟を」
そしてそれは、絶好の隙であり――――ごう、と。
背部のスラスターから魔力を噴射させて急加速したマキナが、巨大な鉄拳を振りかざして突撃する。
躊躇なく接近戦を挑もうとした辺り、少年にもそれなり以上の心得と自信はあるのだろうが……それは決して、サーヴァントの膂力に抗しうるほどのものではあるまい。
機械仕掛けの剛腕が、少年の防御ごと押し潰さんと迫り――――――――
「させねぇなァ!!」
――――当然の権利とばかり、割って入ったランサーの盾が拳を防ぐ。
大気を揺るがし鳴り響く轟音。
遅れて吹きすさぶ衝撃波。
大地に刻まれるクレーター。
槍と盾で武装したランサーが、拳の重さを確かめるように、ニィと笑みを見せた。
「お前の相手はこの俺さ、お嬢ちゃん! 光栄に思ってくれてもいいんだぜ?」
「…………――――のん。押し切ります」
力と力の押し合い。
しっかと大地を踏み締めるランサーと、魔力を推力に変換するマキナに大きな差異は無い。……この瞬間だけは。
スラスター、出力上昇。
勢いを増した魔力の奔流が、瞬間的にマキナの腕力を引き上げる。
魔力放出。
そう、彼女の推力は、魔力を変換して発生している。
ならばつぎ込む魔力の量を増やせば、推力が上がるのは当然の帰結。
故に成される剛力一閃。
均衡が崩れる。
天秤が傾く。
大柄なランサーが、盾の防御ごと大きく吹き飛ばされる。
もちろんこれだけでランサーを撃破できたわけではないが、彼のマスターを守る者がいなくなった。
この隙に改めて追撃を、と視線を少年へとスライドさせて――――その視界の端から、槍の一撃が振るわれた。
「!?」
防御は間に合う。
マキナの体は鋼鉄であり、その装甲は極めて分厚い。
反射的に槍を払いのけ……遅れて気付く。
槍に担い手がいない。
それは宙に浮き、追撃を阻むように浮かぶ盾と共に、独立してマキナを狙っている。
「これは…………」
宝具、あるいはなんらかのスキル。
宙に浮かんで自立駆動する“子機”、ということか。
そしてそれが、気付けばマキナを囲むように、三対。
槍と盾がそれぞれをカバーし合うように、合わせて六つ浮かんでいる。
これでは、敵のマスターを狙いに行けない。
どうする。
どうする。
どうする。
マキナは高い性能(スペック)を持つサーヴァントである。
名のある英霊と切り結ぶことになっても、そのパワーとスピード、そして装甲を押し付けていくことで、十分戦いになるだろう。
だが、英霊デウス・エクス・マキナの依り代になっているのは、年端もいかないただの少女である。
デウス・エクス・マキナ自体、強制的に物語をハッピーエンドに導く“舞台装置”であり、戦士ではない。
彼女は、戦士では無いのだ。
故に、迷う。
判断が遅れる。
優れた躯体を十全に操作することはできても、適切な対処を咄嗟に考えるのは不得手な少女。
どうする。
どうする。
どうする。
思考が堂々巡りを起こし、暗闇に包まれかけ――――
「こっちは俺が片付けるッ!! 時間はかけねぇ、サーヴァントの方を頼むッ!!!」
――――その暗闇を切り裂いたのは、マスターたる鉄志の声。
見れば彼は既に、少年との間合いを詰めている。
マキナとランサーが交差する一瞬で、既に接近を行っていたのだろう。
時間はかけない――――自身が敵マスターを打破する、という宣言。
使い魔たるサーヴァントからしてみれば、屈辱すら感じてもいい宣言。
だがマキナはその宣言を、優秀な道具として素早く咀嚼した。
「――あい、こぴー」
だから改めて、それを見る。
前を見る。
受け身を取って、眼前へと復帰した、敵サーヴァントを見る。
ランサー。
槍兵のサーヴァント。
顔立ちや装備は、マキナにとって非常に馴染みの深いもの。
きっと、あの時代のギリシャを生きた英霊。
「どうやらお互いの陣形は決まったらしいな、お嬢ちゃん?」
「お嬢ちゃん、ではありません」
自己改造を開始する。
冷静になれば。
目的が決定されたのならば。
それに向けて、この機体のスペックを十全に振るえばいい。
道筋が定まれば、マキナの判断は早かった。
そういうものなのだ。
この、デウス・エクス・マキナという装置は。
「クラス:アルターエゴ。機体銘:機密につき隠匿。製造記号:機密につき隠匿。当機には通称として『マキナ』が設定されています」
「機械(マキナ)、ね……見ての通りってワケだ」
装甲はより分厚く、鉄腕はより力強く。
速度よりも、パワーとタフネスに特化した形態へと、自らを作り替えていく。
既にマスターたちのことは、思考の外へと追い出している。
そんな余分なことを考えながら戦えるほど、マキナは器用ではないからだ。
今この場で、マキナに出来ることは酷く単純だった。
「――――――――これより、撃滅を開始します」
宣言と共に、スラスター加速。
本人たちは露知らずとも、奇しくも同じ時代を生きた英霊が二騎。
懐かしき地中海の香りを、互いに肌で感じ取りつつ。
「おもしれェ――――――――遊んでやるよ、マキナちゃんッ!!」
英霊の戦いが、始まった。
◆ ◆ ◆
「盾構えェッ!!!!」
ランサー……エパメイノンダスの鋭い号令と同時に、宙に浮かぶ三枚の盾――――“神聖隊”が重なり合うように、エパメイノンダスの前に移動する。
例え兵としての血肉を失おうと、宝具へと昇華された“神聖隊”は生前と同じく将たるエパメイノンダスの指示に忠実に従う。
エパメイノンダス自身が構える盾と合わせて、四重の防壁。
これに対してマキナが切ったカードは、本当に本当に、あまりにシンプルなものだった。
「スラスター出力全開、噴射時間調整、入射角算出完了――――突撃(チャージ)っ!」
もはやマキナの背丈と遜色ないほどに巨大化したくろがねの右腕。
背部と、右腕部に設置されたスラスターから魔力の噴出炎を吹かして、機械仕掛けの神は突撃を実行する。
そう――――突撃だ。
拳を握って真っ直ぐ駆け出す、正面突破の突撃だ。
それは全身をひとつの砲弾として射出する、あまりに愚直なスペックの押し付け。
あまりにわかりやすいその攻撃は、しかし猛烈な勢いで巨大な弾丸と化す。
前述の通り、マキナは戦士ではない。
けれど、それで十分なのだ。
戦士としての嗅覚を持たずとも、戦士としての手練手管を知らずとも、問題は無いのだ。
凄まじい轟音と共に、鉄拳が四枚重ねの盾に着弾する。
宝具にまで昇華された、“精鋭”の概念を纏う盾だ。
並大抵の攻撃であれば、テーバイ市民の誇りと恋人への愛情を燃料に踏みとどまって防ぎきることができるはずのものだ。
その鉄壁の防御が――――押し込まれる。
弾き飛ばされる。
殴り抜かれる。
競り負ける。
悪夢のような破壊力。
冗談のような推進力。
巨人のような突破力。
結果だけで言えば、先ほどの再演。
エパメイノンダスは盾を構えて突進を受け止め、マキナは強烈な突進力を以てその防御を突破した。
違う点は、互いの戦力。
エパメイノンダスは四重の防御で突進に備えた。
そしてマキナは、突撃に特化したカタチに自らを造り変えて貫いた。
互いに改善を行い、マキナの改善がより上を行った。
エパメイノンダスが勢いよく弾き飛ばされるのと同時に、突進後の隙を突くように浮遊する三本の槍がマキナに襲い掛かる。
だがそれも、マキナは対策済みだった。
肥大化した右腕を乱雑に振り回し、槍を弾いていく。
単純に――――装甲が分厚すぎるのだ。
いかに精兵と言えど、その槍に鋼鉄を切り裂くほどの威力は無い。
精々装甲表面にかすり傷をつける程度で、こうして軽く振り払ってしまえる程度の存在でしかない。
とはいえ、放置すれば急所を狙われる可能性もある。
潰せる内に数を減らして置くべきか――――そう判断し、巨大な手刀を振りかざして槍を狙い、
がん、と。
マキナの側面に、円盾の体当たり(シールドバッシュ)が叩きつけられる。
「っ!?」
ダメージはさほどでもない。
だが、一瞬体勢を崩してしまう。
エパメイノンダスは?
まだ遠い。
盾だけだ。
盾だけが最速で、妨害に来たのだ。
エパメイノンダスの指示か?
違う。
気がする。
そうではない気がする。
早すぎる気がする。
宙に浮かぶ槍や盾の速度は、そこまで速いものではない。
突撃で殴り飛ばして、槍を払って、槍を狙うまでの時間は、そこまで猶予のあるものではなかった。
他の盾も来ている。
宙に浮かんだまま、それぞれが1本ずつ、槍を庇うように帰還している。
体当たりを仕掛けてきた盾を、鉄拳で砕こうとして――――今度は槍が割って入る。
まるで盾を守るように、マキナの右肩目掛けて飛んでくる。
再び装甲で弾いたものの、意識がそちらに持っていかれる。
盾は射程内に退避し、槍と共に浮遊している。
「――――…………これは……」
違和感がある。
恐らくは、エパメイノンダスの指示に従い、けれどある程度は自立駆動する子機の軍勢。
そういう性質の武装。
であろうはずなのに――――これらは、そう。
「お互いを、守っている……?」
まるで彼らは意志を持ち、お互いを慈しむように――――お互いを、守り合っている。
そういう動きを、“彼ら”はしている。
意志持たぬ槍と盾に過ぎぬというのに、そうしている。
戸惑いと分析。
分析と戸惑い。
マキナの攻撃の手が止まり、エパメイノンダスが再び、前線に合流する。
「麗しいもんだろ?」
負傷らしい負傷は、見受けられない。
うまく受けているのだろう。
大仰に吹き飛ばされているのも、衝撃を逃がした結果のそれなのかもしれない。
「こいつらは、“愛し合って”たのさ。
そーいう軍隊だったことを、肉体を失っても覚えてんだ」
テーバイの神聖隊。
三百人の恋人たちからなる、ギリシャ最強の歩兵集団。
その伝説は、その愛情は、エパメイノンダスの宝具となって血肉を失ってもなお、機能として残った。
ただの槍と盾となっても、彼らはお互いを愛し守り合うことを覚えている。
エパメイノンダスが心から信を置く、強く美しい軍勢のカタチ。
「今ので、お前の基本戦力はおおよそ把握した。……もうちょっと付き合ってもらうぜッ!!」
裂帛、エパメイノンダスが槍を突き出す。
彼は将にして、一流の戦士でもある。
その鋭い突きはしかし、当然と言わんばかりにマキナの鉄腕に阻まれた。
阻まれて、エパメイノンダスはすぐさま退いた。
槍の間合いを生かし、鉄腕の間合いの外から攻撃して離脱する。
好機だ。
愚策だ。
少なくとも機動力という点で、魔力放出によるスラスター機動を有するマキナはエパメイノンダスのそれを圧倒的に上回っている。
多少距離を取ったところで、マキナにとってそれは突進に必要な助走距離が確保されたことを意味する。
すぐさまスラスターで加速し、再び鉄拳を叩きつけてやろう、
マキナがそう判断したのと同時に、宙に浮かぶ神聖隊が素早く槍を突きこんでくる。
厄介なタイミング。
歯噛みしながら防御し、反撃――――しようとする頃には、その槍は盾に守られながら距離を取っている。
そしてまた別の方向から、槍が。
繰り返し、繰り返し、それが行われる。
三組の神聖隊とエパメイノンダスが、入れ替わり立ち替わりにヒット・アンド・アウェイで攻撃を仕掛けてくる。
反撃・追撃に移ろうとすれば、その瞬間に別の兵が妨害を差し込んでくる。
軍略と呼ぶにはシンプル過ぎる、しかし呆れるほどに有効な、統制の取れた連携。
数と間合いの優位を十全に生かした、集団によるヒット・アンド・アウェイ。
――――ならば。
マキナは、跳んだ。
正確には、飛んだ。
スラスターの出力を調整し、直上へと飛翔する。
マキナを囲んでいた兵隊たちも、こうなってしまえば全員が“下”の一方向。
宙を浮かぶ神聖隊たちは飛翔するマキナにも問題なく攻撃を加えるだろうが、それが一方向からのそれなのであれば問題はない。
「背部及び脚部スラスターを滞空モードに移行、関節部アタッチメント修正、腕部スラスター出力120%――――!!」
そして今度はいちいち、自ら下に飛び込むようなことはしない。
高所という地の利を、最大限に生かしたまま攻撃を行う。
エパメイノンダスが槍を逆手に構える。投槍の構え。
弓引くように引き絞られたそれはしかし、無意味だ。
これはもはや、そんなものでどうこうできるほどの質量ではない。
そしてもう、間に合わない。
それを察したのか、エパメイノンダスは槍を投げ捨て、神聖隊の盾を重ねて防壁を作る。
それももう、意味を成さない。
「――――――――――――――――発射(ファイア)ッ!!!」
掛け声と同時、マキナの鉄腕が魔力を噴出させる。
肘から先が分離し、スラスターで推力を得て力強く地上のエパメイノンダス目掛けていく。
例えるならば、鋼鉄の彗星。
これ即ち、ロケットパンチ。
高空からの大質量が、無慈悲にも地表へと着弾。
轟音、地鳴り、地揺れと共に、公園の地面に巨大なクレーターができあがり、猛烈な勢いで砂煙を噴き上げた。
例え攻撃目標が城門であったとしても、間違いなく破砕可能であるほどの威力。
帰還した鉄腕を腕部に再連結してからゆっくりと地上に降下したマキナは、勝利を確信し――――――――
「――――――――――――これで王手(チェック)だぜ、機械のお嬢ちゃん」
――――――――晴れた煙の中から現れたエパメイノンダスは、不敵な笑みを浮かべていた。
◆ ◆ ◆
高乃河二は、苦戦を強いられていた。
「どうした。そんなもんか?」
「ぐ……っ!!」
前蹴り。
掌打。
胸倉への掴み。
裏拳。
タックル。
足払い。
打突。
一切の淀みなく、怒涛の勢いで繰り出される攻撃――――これ全て、雪村鉄志のものである。
すさまじい連撃だ。
河二はそれらをどうにか受け流しながら、舌を巻いていた。
ひとつ受ければそのまま次が。
ひとつ流せばそのまま次が。
ひとつかわせばそのまま次が。
容赦も継ぎ目も猶予もなく、濁流の如き攻め手の数々が河二を追い詰めている。
「中々うまく受けるもんだが、守ってばっかじゃ勝てねぇぞ、坊主」
「よく言う……!!」
通常、攻撃の瞬間とは最も隙が生まれる瞬間でもある。
河二の扱う太極拳は受けを得意としており、敵の攻撃を受け流すと同時に反撃を入れることで敵を制圧することが基本となる戦術。
故にこそ、本来であれば防御と同時に反撃を入れるべきなのだが……
鉄志の異常なまでの攻性連撃は、河二から反撃の余地を全て奪い尽くしていた。
無いのだ。
反撃の余地となる瞬間が。
もしも河二が反撃を試みようとすれば、その瞬間に鉄志の必殺が河二の反撃ごと意識を刈り取るだろう。
徹底した先制攻撃が、何もさせてくれない。
これこそ、対魔逮捕術の神髄。
公安特務隊が開発した、魔術師を打倒するための格闘技術。
相手に反撃も対応も許さず、先の先を取り続けることで無力化する超攻撃的武術。
この攻撃の嵐を前に、河二はよく持ちこたえている方だと言っていい。
河二の戦闘力は、磨き上げた拳法の技術と、生態義肢礼装『胎息木腕』による高効率の自己強化に由来するものだ。
だがその特性すらも、今は発揮できていない。
呼吸を整える余裕が与えられていないのだ。
通常の三倍の効率で気を練り上げることを可能とする両腕は、しかし呼吸の隙そのものを与えられなければ意味を成さない。
息が詰まる。
怒涛の攻撃を前に、溺れてしまいそうだ。
あるいは敵の攻撃に合わせ、あえて吹き飛ぶように距離を取る手も考えはしたが……初手の速射回路による攻撃が、その選択肢を牽制していた。
今は防御だけに集中しているから、隙を晒すことなく耐えられている。
だが少しでも色気を出そうとすれば、その瞬間を鉄志は見逃さないだろう。
そのイメージを既に、河二は色濃く印象付けられている。
先の先による、反撃の封殺。
後の先による、反撃の棄却。
数多の犯罪者と交戦し、これを無力化してきた鉄志の研ぎ澄まされた戦闘嗅覚は、実戦経験に乏しい河二を完全に封じ込めていた。
強化の魔術を含めた戦闘魔術師としてのスぺック自体は、河二の方が上だろう。
十分に気を練り上げる猶予さえあれば、河二の身体スペックは鉄志のそれを容易に上回る。
しかし、そうはならない。
そうはさせない。
海千山千の魔術師を、その実力を発揮させることなく無力化してきた技なのだ。
しかし同時に――――鉄志もまた、焦っている。
思ったより、粘られている。
一ヵ月前の河二なら、既に鉄志の攻撃を防ぎきれずに倒されていたかもしれない。
だが歴戦の勇将エパメイノンダスとの修行や、予選期間中に経験した魔術師との戦いは、彼に急速な成長を促していた。
元より十分な才と技術を持っていた少年である。
それがこの聖杯戦争という特殊な空間で、短期間に経験を積み重ねているのだ。
例え百戦錬磨の鉄志のそれには遠く及ばずとも、耐えるだけなら可能な程度の実力を今の河二は備えている。
河二はよく持ちこたえている。
対魔逮捕術を前にして、防戦一方と言えどこれほど耐えられていることがまず脅威。
体力勝負となれば、若さと礼装による補助の分、河二の方が有利だろう。
そしてもうひとつの懸念が、サーヴァントである。
鉄志は知っている。
マキナは、恐ろしく燃費が悪い。
サーヴァントとして優秀なスペックを持つ彼女ではあるが、残念ながらそのスペックは短い稼働時間の引き換えに実現しているものなのだ。
長時間の戦闘を、彼女はすることができない。する方法を知らないのかもしれない。する気も無いのかもしれない。
現に今も、躊躇なくなけなしの魔力を吐き出して交戦していることが鉄志にはわかる。
なにせ魔力のパスで二人は繋がっていて、マキナの支払う魔力は鉄志から供給されたものなのだ。
このままでは遠からず、マキナは燃料切れを起こしてしまうだろう。
それを見越して速攻を仕掛けるつもりだったのだが、河二の粘りがそれを許さなかった。
時折捌ききれなかった拳が、河二の肩口を穿つ。
時折受けきれなかった蹴りが、河二のふくらはぎを叩く。
こうして少しずつ、鉄志の攻撃は河二の防御を掻い潜ることがある。
だが、それだけだ。
致命的なダメージに繋がるような攻撃は全て、紙一重のところで捌かれている。
いずれは鉄志の必殺が河二を捉えて勝利を収めるのだろうが、そのいずれが遠すぎる。
河二も必死だということはわかるが、鉄志もまた必死だ。
早急にこの少年の意識を刈り取り、戦闘を終わらせなくてはならないのだ。
「この技に覚えがあるか、と聞いたな坊主」
故に鉄志は、口を開く。
攻め手を緩めないままに、会話によって隙を伺わんとする。
一瞬でも河二が隙を見せれば、そこを突いて勝利を奪えるのだから。
「仮に覚えがあったとしたら、どうするんだ?」
鉤突き。回し受け。
肘打ち。ガード。
掴み。パリング。
攻防の中で、その問いを発した瞬間、河二の心が僅かに冷えたことを鉄志は感じた。
「――――――――父の仇を討つ」
短い返答は、あまりに雄弁だった。
隙には繋がらない。
その殺気は常に、彼の中で研ぎ澄まされているであろうもの。
それを少し鞘から覗かせたところで、隙となるほどのものではない。
むしろ動揺したのは、鉄志の方だった。
長年の実戦で鍛え上げられた戦闘論理は、多少の動揺で鈍らない程度には体に染みついている。
だがそれでも少し、言葉を失った。
父の仇。
殺されたのだろう。
誰かに。
父から受け継いだ武術を、僅かな手掛かりとしているのだろう。
彼の父を殺した者は、きっとその技を知っているはずだから。
やめておけ――――などと、言えるはずもなかった。
愛する家族を失う痛みは、鉄志にもわかった。
なによりたった今殺し合いをしている相手が、そんなことを言っても滑稽なだけだ。
そしてここまで来て、戦闘の手を止めるわけにも行かない。
格闘戦には慣性があり、これをピタリと止めることはとても難しいことなのだ。
故に鉄志はここで、わざと一瞬だけ攻め手を緩めた。
河二はその一瞬を見逃さなかった。
問答による動揺で、隙が出来たものだと判断した。
「――――悪いな」
そしてそれが罠であることに気付いた時には、河二の身体は既に宙を舞っていた。
河二の反撃。
それを掻い潜り、胸倉を掴んで繰り出されるは一本背負い。
美しく淀みない動きで投げられた河二が、勢いよく地面に叩き付けられる。
肺の中の空気が全て飛び出した。
声にならない悲鳴が上がる。
遠くで轟音。
サーヴァントたちの戦いも大詰めなのだろうか。
だがそれも、ここで終わる。
河二の意識を容赦なく刈り取るべく、地面に倒れる河二目掛けて拳が振り上げられて。
――――――――――――鋭い投槍が飛来し、河二と鉄志の間を切り裂いた。
「なっ!?」
鉄志が距離を取る。
取らざるを得ない。
槍は二人の間を通り抜けた後に減速し、宙に浮かんだままに河二の傍に移動した。
少し遅れて、こん棒の図像が描かれた円盾が河二に侍る。
それはさながら、主を守護する近衛のように。
鉄志は理解した。
これが敵サーヴァントの支援であるということ。
そして、まずいことになったということを。
◆ ◆ ◆
なんのことはない。
ここまで全て、エパメイノンダスが描いた絵図の通りである。
河二と鉄志は、条件と相性の問題で鉄志が優勢になると把握できていた。
しかしそれが決定的な差ではないことも、エパメイノンダスとマキナの戦いがある程度膠着することも理解できていた。
二つの戦場は互いに膠着し、勢いよく魔力を垂れ流すマキナの魔力が枯渇するのが先か、鉄志が河二を捉えて無力化するのが先か。
――――というのが、順当に戦う場合の決着になるだろうということを、エパメイノンダスは戦いながらに把握していたのだ。
将とは常に戦場を俯瞰して把握するもの。
不敗の将軍たるエパメイノンダスにとって、戦いながらに二つの戦場を観察するなど児戯にも等しいことである。
そして観察で得た演算結果を元に勝利を手繰り寄せるのが、軍略というものであった。
マキナのロケットパンチを受ける直前、エパメイノンダスが投げ捨てた槍は神聖隊であった。
投棄すると見せかけて河二を援護するよう命令され、そちらへと投げ込まれていたのだ。
河二と鉄志は鉄志が優勢だが、その差は決定的なほどではない。
ならば神聖隊という援護が加わったことで、一気に天秤は河二の方へと傾くだろう。
ちなみに撃ち下ろされるロケットパンチは、盾を重ねて衝撃を分散させ、回避していた。
正面から鉄拳を受けるのではなく、衝撃を分散させるように防御させ、勢いを削いでいたのだ。
あれだけの威力の攻撃、まともに受ければ盾ごと破壊されてしまっただろう。
それでも回避の暇を作る程度のことなら、神聖隊の盾を損なわずとも実行できた。
「これで王手(チェック)だ。お前のマスターは中々の戦士だが、助太刀を二人も加えれば流石にこっちが勝つからな」
「っ、ま、ますたー……!!」
「おっと、逃がしはしないぜ」
咄嗟に救援に向かおうとするマキナを、槍の一撃が阻む。
無防備に背中を晒せば、その背を貫くと言わんばかりに。
「――――――――切れよ、奥の手を」
そして――――不敗の将軍は、唆すのだ。
「…………!!」
「まだ王手(チェック)だ。詰み(チェックメイト)じゃねぇ。このままやるなら俺達の勝ちだが、お前たちにもまだ選択肢がある」
自信に満ちた、不敵な笑み。
己の勝利を微塵も疑っていないかのような、不遜な笑み。
例え何が立ちはだかろうと、問題なく対処してみせるという自負に満ちた笑み。
「あるんだろ、お前にも……伝承の核となるような、宝具がッ!!」
歌うように、高らかに。
古代ギリシャ世界において将とは市民であり、市民とは政治家であり、政治家とは弁論家であった。
故にエパメイノンダスは、心得ている。
言葉によって人を動かす技術と、その有用性を心得ている。
「さぁ、見せてみろよッ!!! じゃねぇとお前ら……ここで負けちまうぜ?」
「う、あ、あ、ま、ますた…………っ!!」
どうする。
どうする。
どうする。
切り札は――――ある。
当然ある。
英霊デウス・エクス・マキナの第二宝具。
マスターを鎧う漆黒の外骨格。
燃費問題を解決し、マスターに絶大な力を与える、神機融合モードへの移行。
間違いなくこの状況に適した、強力な宝具である。
だが――――――――いいのか。
それを今ここで切って、いいのか。
わからない。
マキナにはわからない。
視界の端では、鉄志が三対一の戦いを強いられている。
鉄志の攻撃は円盾に阻まれ、そこで生じた隙を槍と河二に突かれて攻撃を受けている。
反撃を許さない怒涛の攻撃も、相手に防御役がいるのであれば意味を成さない。
助けなければならない。
けれど、助けに行けない。
助けに行こうとすると、エパメイノンダスに襲われる。
どうする。
どうする。
どうする――――――――――――
マキナの思考がまた、混乱の渦に飲み込まれそうになったその時に。
「――――――――そこまでだ」
――――――――――――禍々しき二発の大きな魔力弾が、突如として飛来する。
「うおっ、新手か!?」
戦場の時が止まる。
鉄志を攻め立てていた河二も、マキナを責め立てていたエパメイノンダスも、なんとか攻撃を裁いていた鉄志も、判断に迷っていたマキナも。
それぞれの中間に飛来した魔力弾が地面を抉り、攻防の一時中断を余儀なくされる。
間違いなく、この場にいた四人による攻撃ではない。
ならばこの攻撃の主は何者かと、全員の視線が公園の入口へと向かう。
そこにいたのは、修道服に身を包んだ、黒髪の少女。
傍らにサーヴァントの姿はない。
けれど――――けれど。
ぞわ、と。
得体も知れぬ嫌悪と威圧が、空間に滲みだす。
ぶぶぶ、と音がする。
それはなんだか、蝿の羽音に似ているような気がした。
「君は………………」
戦いの手を止めた河二が、油断なく……否、余裕なく構えを取ったまま、少女を見据えている。
気圧されているのだ。
少女が伴う、悍ましい気配に。
体中から汗が噴き出し、体温が下がっていく感覚。
その感覚を、エパメイノンダスも、雪村鉄志も感じ取っている。
精神干渉を受け付けないマキナだけが、この場で唯一威圧を感じ取っていなかった。
「…………あんたら」
少女が口を開く。
それでわかった。
彼女ではない。
この醜悪な威圧感を振りまいているのは、この修道服の少女ではない。
彼女の声にはいくらかの怒気こそ含まれてはいたが、彼女の周囲に漂う激しい嫌悪を直接孕んではいなかったからだ。
ならば、この威圧感の正体は?
そんなこと、少し考えればわかる。
「人んちの前で派手にドンパチやるんじゃない。ここは神の家のお膝元だ……主に救いを求める子羊たちを導くための場所だ」
蝿の羽音が、大きくなる。
嫌悪と威圧が、比例するように膨らんでいく。
「これ以上ここで事を構えようって言うなら…………“アサシン”。次は当てていいぞ」
――――アサシン。
気配を断ち、彼女の傍らに潜んでいるのであろうサーヴァント。
この嫌悪感の主。
この威圧感の主。
この蝿の音の主。
あの魔力弾の主。
姿を見せぬままに、周囲を威圧するサーヴァントはどのようなものなのだろう。
過大評価はすべきではない。
実態以上に大きく敵を見積もってしまうのは、愚策を呼ぶ。
けれど過小評価は、もっとするべきではない。
実体以上に小さく敵を見積もってしまうのは、破滅を呼ぶからだ。
……真っ先に矛を納めたのは、雪村鉄志だった。
「――――やめとこう。元々吹っ掛けられた側だしな、こっちは」
両手を挙げて、無抵抗のポーズ。
油断なき瞳は河二や少女を見据えてこそいるが……それは不意打ちに対する当然の警戒であろう。
「退くぞ、嬢ちゃん」
「ま、ますたー。でも…………」
「でもじゃねぇ。……実際、一旦この辺が潮時だろ。これ以上は見せ過ぎだ」
「…………………………あい・こぴー。了解しました、ますたー」
己の従僕を説き伏せて、じりじりと慎重に合流する。
河二もエパメイノンダスも修道服の少女も、そこを狙うようなことはしなかった。
「……高乃っつったか。お前も、それでいいかい」
「…………………恐らく貴方は、高乃の技を知らない。
これが聖杯戦争である以上は本質的に敵だが、優先して戦うべき相手ではないだろう。
だがこのまま退くというのなら、貴方の名ぐらいは聞かせてもらいたいところだが、いかがか」
「……………雪村鉄志。しがねぇ私立探偵だよ」
「当機のことはマキナとお呼びください」
そう言い残して、一人と一機は素早くその場を去って行った。
やはり誰も、その背を撃つようなことはしなかった。
…………最もそんなことをしようものなら、鉄志から手痛いしっぺ返しを受けたのは間違いあるまい。
その程度の用心をしない人物とは、到底思えなかった。
そうして鉄志たちが去った後、残されたのは河二とエパメイノンダスと、修道服の少女と、威圧感の主。
少女と河二はしばらく視線を交わした。
相手の出方を伺うような、緊迫した視線。
どれほどそうしていたか、ゆっくりと……侍らせる威圧感を和らげながら、しかしやはり不機嫌そうに、少女の方が口を開いた。
「こんなところで会うとはな――――――――転校生」
「……僕も相応に驚いているよ、琴峯さん」
修道服の少女は、この公園の少し先に位置する琴峯教会の主、琴峯ナシロであり――――河二はこの少女のことを、知っていた。
◆ ◆ ◆
二人の関係を説明するのは、酷く簡単なことである。
いや、正確に言うならば、彼らの間に関係と呼べるほど深いものは存在しない。
ただ、転校生――――その情報が彼と彼女とを繋ぐ情報の全てであった。たった今までは。
高乃の家は本来、山梨県に居を構えている。
これは自然との合一を目指す高乃の魔術にとって、開発された都心部よりも自然の多い土地の方が適しているためである。
故にか、この時計仕掛けの偽りの東京において、河二に与えられた役割(ロール)は“上京してきた一人暮らしの転校生”であった。
四月の新学期という時期故に、このロールはさして違和感もなく周囲に受け入れられた。
そして河二が転校してきたクラスこそ、琴峯ナシロがいるクラスだった。
ただ、それだけのことだ。
二人はお互いが聖杯戦争の参加者などとは露ほども思っていなかったし、この一ヵ月で特に関わることも無かった。
河二はあまり人付き合いをするタイプではなかったし、ナシロは教会の仕事で多忙を極めていたためだ。会話らしい会話など一度もしていない。
その内に学校が聖杯戦争の余波で休校となり、とうとう完全に顔を合わせることもなくなった。
本当にただそれだけの、関係と呼べるほどのものでもない間柄だったのだが……
「で…………何があったんだよ、転校生。話してみろ」
「転校生、ではない」
「は?」
「僕の名前は高乃河二だ。
一族から受け継いだ大切な姓と、父から与えられた大切な名だからな。
そういった代名詞で呼ばれるのはあまり好きではない。できれば姓名のどちらかで呼んでほしい」
「…………なるほど。そりゃ確かに私が悪いな。すまん、高乃」
「ありがとう。構わない」
そんな前置きを挟んでから、河二は事の経緯をかいつまんで説明した。
鉄志が魔力の痕跡を追っていたこと。
自分たちはそれを追跡したこと。
ここで追跡がバレて交戦したこと……
「……ちなみにあの魔力の痕跡だが、琴峯さんに覚えはあるか?」
「…………………………………ある」
「そうか……なら気を付けた方がいい。痕跡を完璧に消すのは難しいが、程度問題というものがある」
「ああ……そうだな。次からは気を付けるよ」
魔力の痕跡、とは言ったが……実際のところそれは、大雑把に行使した魔術の破壊痕を、大雑把に形だけ修復したかのようなそれだ。
魔術を使って痕跡を隠すとなると、痕跡を隠す魔術の痕跡が残ってしまう……というような事情はあるが、それにしたって気を付けるに越したことはない。
私は魔力を使ってここを修復しましたよ、という事実を隠す気配もない痕跡は、少し注意深い者ならすぐに気付く。あの鉄志という私立探偵のように。
「で、それより――――――――どうするんだよ、高乃」
ナシロが纏う威圧感は、既に消え失せていた。
だがナシロの瞳は、油断なく河二を見据えていた。
それは十分に、相手を聖杯戦争参加者と認めた視線であった。
「どうする、とは?」
「吹っ掛けたのは、あんたからなんだろ。…………私にも、吹っ掛けるのか?」
――ならばそれは、いつ戦いになってもおかしくないということ。
ナシロは油断していない。
威圧感を消した彼女のアサシンは、今もどこかに潜んで主の命令を待っているのだろう。
ストレートなナシロの問いは有無を言わせぬものがあり、返答次第では今から殺し合いになるということを、十分に覚悟しているように感じられた。
…………とはいえ、河二の返答は決まっている。
「いや――――遠慮したいところだ」
「へぇ?」
「単純に連戦は避けたい。積極的に戦う理由も無い。……それに、君の言葉は正しい」
河二は両腕の義手に、偽装をかけ直した。
霊木から作られたそれが、リアルな生身のテクスチャを貼ってその正体を隠ぺいする。
偽装をかけたということはつまり、矛を収めるということだ。刀を鞘に入れる行為に近い。
「――――ここは、救いを求める人たちが集まる場所だ。万が一にも飛び火させるわけには行かないだろう」
結界によって、公園の内外を隔てているとはいえ。
激戦の余波が周囲に及ばない保証はどこにもないし、公園の中に“勘のいい”者が迷い込む可能性もゼロではない。
そして、そうあるべきではないと河二は思う。
河二は見ず知らずの他者に手を差し伸べるほどの善人ではないが、見ず知らずの他者が救いを求めることを尊重する程度には善良なのである。
ナシロはその答えにある程度の納得を得たようで、ふぅん、とやや意外そうに頷いていた。
「迷惑をかけたな、琴峯さん。後始末は僕がやっておこう」
「ん。いや、いいよ。流石にあんたにだけやらせるわけにも行かないだろ?」
「大丈夫だ。謝罪の意味もあるし……キミには教会の仕事があるだろう」
「う゛」
それを言われると、ナシロは弱い。
実際問題、昼休憩の延長で抜け出してきてはいるが、琴峯教会の人手は全くと言っていいほど足りていないのだ。
今すぐ戻って教会の仕事ができるのなら、どう考えてもその方がいい。
ナシロからすれば忙しい仕事でしかないそれらは、教会に集う信者たちからすれば耐えきれないほどの苦痛と祈りなのかもしれないのだから。
「…………わかった、任せる。悪いな高乃」
「構わない。気にしないでくれ」
それきり、踵を返して去っていくナシロの背中を、彼女が教会に入っていくまで見送ってから……今まで静かにしていたエパメイノンダスが、口を開いた。
「――――良かったのかよ、マスター?」
「何がだ?」
「あの子がマスターの親父さんの仇である可能性を切っちまって良かったのか、って話だよ」
エパメイノンダスはいつの間にか鎧を脱ぎ、シャツの上に革ジャンを羽織っている。
現世の街を歩きたいと言うエパメイノンダスが、河二に頼んで買ってもらったものだ。
ともあれその問いには、なんだそんなことかと言わんばかりに、多数の破壊痕の残る公園の修復を開始しながら、河二は答えた。
「構わない。……父さんの仇にしては、痕跡の隠し方が杜撰すぎる。彼女がもしそうなら、僕はもっと早く下手人に辿り着けていたはずだ」
色々と理由はあったが、決定的なところはそれ。
あの大雑把な痕跡の隠し方であれば、父の仇はすぐに見つかったことだろう。
そしてまだ見つかっていないのだから、彼女は父の仇では無い。
信者の安全を想い、学校でも真面目な人物として慕われていた彼女が父の仇とは思えない、という部分も無いではないが……
……人格は判断の際、あまり考慮しないことにしていた。
人は嘘をつき、装うことができるし、例えば教会の代行者などであれば、魔術師であった父と善良なままに敵対していた可能性も十分にあり得るからだ。
同様に年齢なども考慮しない。
魔術の世界では百年を生きる老人が若者を装うことも、十代の若者が恐るべき戦闘能力を持つことも無い話ではない。
故に河二は、太極拳の技で問い、確かめる。
命を賭した戦いの中で、経験にしらを切るのは難しい。
その点、あの鉄志という男は巧みに河二を封じ込めていたが……あれは単に、膨大な戦闘経験で類例的に対応しているだけのように思えた。
直接、高乃家の太極拳と組み合った経験があるようなそぶりではなかった。
手を合わせれば、感覚でそのぐらいのことはわかるのだ。
「……貴方こそ、良かったのか?」
「なにがだよ」
「戦闘自体は、貴方が盤面をコントロールして有利に立ち回っていたように思う。その有利を捨てた形になるが」
一方で、乱入者によって有利を手放す形になったことを、河二は少し気にしていた。
それは勝利を逃したことへの不満というより、エパメイノンダスの奮戦が無駄になってしまったことを残念に思っている、という風ではあったが。
けれどエパメイノンダスはいつものように、からからとそれを笑い飛ばした。
「わはははは!! なぁに、勝負の女神は移り気で、気まぐれに止まり木を変えるもの!
あのままやったって、勝てたとは限らねぇよ。ちょいと惜しくはあるがな!!」
惜しいとは言いつつも、特に惜しむほどの後悔も不満も無いというのは明らかである。
こういった大雑把さ、よく言えば豪快さは、この一ヵ月で慣れたものではあるが……
「…………貴方は生前、不敗だったことを誇っていたように思うのだが」
負けを知らずに死ねたことを喜び、彼は果てたはずだ。
英霊として召喚された今だって、不敗の将軍という栄光を自慢げに語っていたのだが。
けれどエパメイノンダスはやっぱり、それすらも豪快に笑い飛ばす。
「ありゃあ運が良かっただけだよ!!
もちろん俺だって負ける気はねぇが、頭のどっかでいい負け方を考えられねぇ将軍は出来損ないだぜ。
だいたい、小競り合いで退くぐらいのことは俺だってやったからな。勝つべきところで勝てばいいんだよ。
向こうはまだ宝具があったからなァ。そこまで見えれば、確実な勝ち筋を組み立てられたんだが……」
「ああ……それで、あのサーヴァントに宝具の使用を煽っていたのか」
「おうとも。敵の手札を見て、対策を立てて、追い詰める。それが軍略ってもんだろう。
だからマスターも、奥の手はちゃんと用意しとけよ。手札が全部割れた時が、そいつが負ける時だからな」
「………………その割には、あの竜牙兵と戦った時には躊躇なく宝具を切ったと記憶しているのだが……」
「あれはしょうがねぇ!! だって竜牙兵だから!!! しかもあれ……“本物”かもしれないんだぜ!?」
「それはもう何度も聞いたが……」
……そう。
先日、幼い少女が率いる数体の竜牙兵と交戦した時、エパメイノンダスはかなり高揚した様子を見せた。
何事にも執着しない彼にしては珍しい態度だ。
そのまま宝具の展開まで躊躇なく行ったのだから、相当だろう。
後で問い質してみれば、納得はできた。
竜牙兵(スパルトイ)――――神話においてテーバイ建国の王カドモスが創造した、竜の牙から生まれた兵士。
そして彼らスパルトイは子を産み、テーバイ人の祖先となったのだ。
つまりエパメイノンダスからすれば、神話に語られるご先祖様と対面した格好となる。
あれはスパルトイそのものがサーヴァントだったのか……あるいはテーバイ建国の王、カドモスが呼び出したものなのか。
遥けき父祖よ照覧あれと、エパメイノンダスは高揚のままに神聖隊を呼び出した。
果たして、伝わっただろうか。
宝具を開示するということは、その真名を開示するに等しい行為だ。
もしもこの戦争にカドモスがいるというのなら、会ってみたいと彼は思っている。
子供の頃からその神話を聞いて育った、親愛なるテーバイの、敬愛する英雄と会えるかもしれないなんて、なんと素敵なことだろうか。
……まぁそのために不要な犠牲を払うほどでもないと思っている辺り、やはりエパメイノンダスは何事にも執着しない人物ではあったのだが。
「ともあれ、あの感じなら一時的な同盟も視野に入れてもいいかもしれんな。テツジとマキナとは」
「……この出会い方でそれが可能なのかはやや疑問ではあるぞ」
「別に行けるだろ。俺達のスタンスは明確で、絶対に相容れないワケでもない。
昨日の敵が今日の友になるなんて、戦争じゃ珍しいことでもないぜ。それに、言ったろ?」
雑談とも作戦会議とも反省会ともつかぬ会話を交わしながら、公園の修復を進めて行く。
改めて、凄まじい破壊痕だ。
公園にはいくつもクレーターが発生し、戦いの余波でベンチが粉砕されている。
……多少は初歩的な魔術で修復することもできるが、流石に限度もありそうだ。
確かにそれほどの攻撃力を持つあのサーヴァントを一時的にでも味方にすることができれば、頼もしそうでもあるし……
「…………彼の話か」
「そう。お前にもわかったはずだぜ。
目を見りゃわかんだよ大体……多分あれなら、手を組む目はある」
「まぁ…………そうかもしれない。彼のあの瞳は――――――――」
◆ ◆ ◆
「……申し訳ありませんでした、ますたー」
あの公園から離れて、すぐに。
手足を元通り、少女の大きさに整えたマキナは、まずその言葉を口にした。
マスターへの謝罪。
……理由は言うまでもなく、己の不甲斐なさに対してだろう。
「いや……あれは相手が上手だった。俺も場数には自信があったが、流石に本職の将兵となると違うな」
それをフォローするように、鉄志は苦笑する。
悲しげに目を伏せるマキナの頭を……そっと撫でようとして、やめる。
手を伸ばした瞬間、娘の顔がフラッシュバックした。
けれど彼女は、娘ではない……鉄志が失った娘の代わりではないのだ。
行き場を失った手が、誤魔化すように自分の首を掻く。
「…………ま、例の第二宝具……アレを使っちまうハードルはもうちょっと下げてもいいかもしれん。
嬢ちゃん、今ので結構消耗しただろ。大丈夫か?」
「………………………のん、いえす。ごめんなさい……」
参った。
気を遣ったつもりだったが、かえって落ち込ませてしまっている気がする。
泣き出しこそしていないが、かなりショックを受けている様子でもあった。
自認として“道具”である彼女にとって、有用性を示せなかったという事実は相当重いものとしてのしかかるらしい――――役に立たなかったなどと、鉄志はまったく思っていないのだが。
だが、それをどう伝えたものか。
子供の相手は、難しい。
いなくなってしまった娘のことを、どうしても思い出してしまう。
あの頃娘に対しては、どう接していたっけか。
マキナが娘の代わりではないことを理解していても、どうしても、脳裏を過るものはある。
「しかし、収穫もあったな。
あの魔力痕の主は多分、乱入してきたシスターの嬢ちゃんだ。生憎サーヴァントの姿は見えなかったが……」
だから苦肉の策のように、鉄志は聖杯戦争の話題を振る。
この話題であれば、彼女を娘と重ね合わせることはない。
マキナも落ち込みながら、努めて冷静沈着であろうとして、どうにか態度としては平静を装い始めた。
「……くえすちょん。そうなのですか?」
「ああ、多分な。多分あれは……“試し撃ち”かなんかの痕だろう。
マスターの方は、ありゃ魔術師としては素人だ。雰囲気でわかる」
恐らくは、巻き込まれた一般人。
立ち回りに、神秘の世界を生きる者特有の“欠落”が感じられないのだ。
神秘の世界に生きる者には決まってどこか、非日常を受け入れて暮らすための“欠落”がある。
それはある種の適応であるとか、覚悟とか、場合によっては諦念と呼んでもいい部類のものだ。
その欠落も決して悪性のものであるとは限らないが……端的に言えば、“カタギっぽい”というのが鉄志の琴峯ナシロへの評価である。
「琴峯教会、ね……覚えておいた方がよさそうだな」
拠点となる建物の名前まで把握できていれば、いくらか経歴を追っていくこともできるだろう。
…………明らかに未成年の少女の経歴を追うことに抵抗を覚えないことも無かったが、最低限の備えということで許してほしい。誰が許すんだろう。自分かな。
「後は……あのランサーみたいに、嬢ちゃんに服を買っとくのもいいかもな……」
「? 人目を避けたいのなら、霊体化すれば問題ないと思いますが」
「………………いやそうなんだが……」
だって嬢ちゃん、急に出てくるだろ……とは言い出せない鉄志である。
手を覆うほどに長い袖で、裾の長いワンピースでも着せれば、鋼鉄の手足も誤魔化せるかもしれない。
……なおさらに娘を想起させそうで、そういう意味では気乗りしない話ではあったが、だからと言ってこういったものに制限をかけるのも何かが違うだろう。
あとは――――あとは、あの少年か。
少年。
高乃河二。
父の仇、と言っていた。
そのことに思うところが無いと言えば、嘘だろう。
そういったものに敏感だったからこそ、鉄志は警官という仕事をやっていたのではなかったか。
またどこかで会えば、戦うことになるのだろうか。
優先して戦う敵ではないと言っていたが、本質的に敵だとも言っていた。
ナシロとは逆に、魔術師として適格な“欠落”の持ち主であった。
敵と味方を切り分け、恨みが無くとも殺傷が可能な精神性――――カタギではない、ということだ。
それこそ年の頃は、ナシロとそう変わらないであろうに。
あるいはその欠落は、平常時よりも大きく広がったものなのかもしれないが。
なにせあの少年の、あの瞳は――――――――
◆ ◆ ◆
「どーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーですか!!!! どうですかナシロさん!!!!!
私、めちゃくちゃ魔王っぽくなかったですか今!!!!! 聖職者に憑りつく超すごい悪魔って感じバリバリじゃありませんでした!?!!?
これはもう蝿王様への変態も遠くない未来ですよ!!!!! でへへへへへ…………」
「変態なんだな。進化じゃなくて」
「えっ…………進化は世代を経た変容であって、同一個体が成長の過程で変容するのは変態って呼ぶんですよ?
もしかしてそんなことも知らなかったんですかナシロさん? 不勉強ですねぇ。ぷぷっ」
「調子に乗るな」
一旦自宅に帰還したナシロの最初の行動は、初陣の活躍で調子に乗りまくっているハエの頭をはたくことであった。
ぐえ、という蛙が潰れたような声を(ハエなのに)出して、ヤドリバエたる彼女は蹲った。
「うううううう〜〜〜〜〜〜〜〜……………なにするんですかナシロさん!!!!」
「……お前、今の状況わかってるのか?」
頭を抱えたいのはナシロの方である。
課題と問題は山積みで、そしてそれすらも労働の多忙に流されて行きかねない。
だが今回のこれは、命に係わる――――ナシロのそれだけではなく、教区内の信者たちの命にも。
例えそれが再現された仮想の命であったとしても、それを見捨てることはできない。見捨ててしまえば、もはやナシロは琴峯ナシロではなくなるだろう。
「とりあえず……特訓の場所は気を付けた方がいいな。そうか痕跡が残るのか……」
「ええ〜〜。もういいじゃないですか特訓とか〜〜〜」
「そういうことは動く的に攻撃を当てられるようになってから言え」
喫緊の問題として……琴峯ナシロは、魔術に関しては素人なのだ。
父が何かと戦っていた光景を、時折夢に見る――――今にして思えばあれは神秘にまつわるなにかだったのだろうが、ナシロに詳しいことはわからない。
ただその程度が、これまでの琴峯ナシロが知る神秘の世界の全て。
つまり、何も知らないということだ。
だから魔力の痕跡が残るという認識もまったくしていなかったし、それを追跡されるともまったく考えていなかった。
考えが甘い、と言うのはあまりに酷だろう。
彼女は聖杯戦争の仕組みによって戦闘力を与えただけの、平和を強く生きる一般人に過ぎないし――――
「というかお前、後始末は得意だから任せておけって言わなかったか?」
「ぎく」
……本来はサーヴァントであるこのハエが、その辺りのサポートをしてしかるべきなのだが。
実際、これまで特訓の痕跡はヤドリバエに始末させていた。
限定的ながらも理屈を無視して悪魔の力を振るえるヤドリバエにとって、ちょっとした破壊痕を無かったことにするなど児戯にも等しい。
ハエは食物連鎖における分解者、言わば掃除屋の役割を担う動物であり、その性質がうまくかみ合っていたというのもあるのだろう。
ヤドリバエが軽く手を振るだけで特訓の痕は全て消滅し、ナシロは便利なものだと感心していたのだが……
「だ、だだだ、だって仕方なくないですか!? 私ちゃんと元通りにしましたし!!!
魔力使ったから痕跡が残ります、とかズルですよズル!!! ていうかそれ追いかける方がキモいです!!!! ストーカーですよストーカー!!!!」
「虫がそれを言うのか? お前らだってフェロモンで追跡とかするだろ」
「うわっそれセクハラですよ。ナシロさんのえっち!!」
「これデリケートな話題なのか……」
どうもヤドリバエにとっても、痕跡がどうこうというのは考慮の外であったようだった。
……………まぁ、なにせハエである。
能力として悪魔の力を持ち、英霊の端くれとして神秘の知識を持っていても……それを運用するのは所詮、ハエである彼女なのだ。
神秘の隠匿という魔術世界の常識について無知であることを責めることはできまい。反省はしろと思う。
閑話休題。
「ともかく……実際今回は助かったよ。ありがとうな」
彼女の力で、ナシロと教会を守れたのは事実。
そのことについて、ナシロは正直に礼を言った。
昼休憩を終えて仕事に戻ろうかという瞬間に、教会の外で展開された人払いの結界。交戦の気配。
積極的に聖杯戦争に参加する気の無いナシロではあったが、これはいくらなんでも近すぎた。
戦闘の規模によっては、教会にも被害が及ぶだろう。
両親から受け継いだ教会と、そこに集う信者を守らなくてはならない。
故にナシロは即座に出陣を選んだ。
他の参加者を見るのはこれが初めてのことだったが、それは躊躇する理由にならなかった。
問題は、こちらの戦闘力。
聖杯戦争側のシステムで多少の戦闘能力を与えられた一般人のナシロと、スペックはともかく戦闘センスがドブのハエ。
これだけの戦力でまともな介入ができるかは相当怪しいところだったし、割って入ったところで真っ先に殺されてしまう可能性も高かった。
――――故にナシロは、“ハッタリ”を選んだ。
気配遮断スキルを持つヤドリバエを控えさせ、偽の魔王として放つ威圧感のみを振りまき、最初に見せためくら撃ちの魔力弾を印象づけて両者を牽制する。
まさか転校生……高乃河二がいるとは思わなかったが、作戦は概ねうまくいった。
彼らがどれだけハッタリに騙されてくれていたのかは不明だが、目論見通り戦いを終わらせることができたのだから、上々だろう。
そしてこの作戦は、全面的にヤドリバエの協力が必要なものであった。
彼女はナメた態度を取る怠惰でアホで調子に乗ったクソザココバエではあったが、ナシロの作戦に従って力を貸してくれたことには、素直に感謝している。
「今日の晩飯はいいもの食わせてやる。楽しみにしておきな」
「え……ど、どうしたんですかナシロさん!? なにか悪いものでも食べましたか!? もしかしてさっきのサーヴァントたちになにかされました!?
あの悪魔よりも悪魔な鬼軍曹のナシロさんが私にお礼を言って優しくするなんて……
いくら私が真の蝿王様への道を歩み始め覚醒したからといって考えられない異常事態です……!!
こ、こうなったら今すぐあのサーヴァントたちを追いかけて、この手で始末してやるしか……っ!!」
「……お前の中で私はどんなイメージになってるんだ?」
これまでも頼んだことをやってくれたら普通にお礼は言っていたはずなのだが。
……いや、そもそも頼んだことをまともにやり遂げている率がかなり低かったので、トータルで言えばお礼を言った回数はそこまで多くないかもしれない。
いずれにせよ礼を言うべき場面ではちゃんと礼を言うように心がけているので、この評価ははなはだ遺憾である。
「まぁいいや。ともかく私は教会に戻るから、お前は休んでていいぞ。というかここにいろ」
「あ、はい。わかりました」
なんにせよ、いい加減教会に戻らなくては。
休憩の間を任せているシスターに悪いし、信者たちにも悪いだろう。
そう思って改めて支度をして、教会に戻ろうとしたところで、ふと。
「でも、良かったんですか?」
「ん?」
「いや、あの男の子ですよ。お知り合いだったんでしょう? さっぱり別れちゃいましたけど、もうちょっとお話とかしなくても良かったんですか?」
「あー………」
まぁ確かに、あの別れはちょっとさっぱりし過ぎだったかもしれないが。
「いいんだよ。話したいことがあるなら向こうから来るだろうし、知り合いっていうほど関わりがあったわけじゃない」
クラスの、控えめで礼儀正しいが人付き合いの悪い転校生。
ナシロの知る高乃河二はそれで全てだったし、これを知り合いと呼ぶのもなんだか憚られる。
それにまぁ、なんというか。
わかる気がするのだ。
彼の行動原理というか……彼の戦う理由のようなものが。
そしてそれは足早に去って行った、雪村鉄志という中年にも同じことが言えた。
彼らの瞳を見れば、なんとなくわかった。
だってそれはナシロにも覚えのあるものだったから。
きっと彼らの、あの瞳は――――――――
◆ ◆ ◆
――――――――愛する家族を失って、その空白を悲しんでいる瞳をしていたから。
◆ ◆ ◆
【世田谷区・二子玉川エリア/一日目・正午】
【高乃河二】
[状態]:健康(多少の疲弊はあったが、調息によって回復した)
[令呪]:残り三画
[装備]:『胎息木腕』
[道具]:なし
[所持金]:それなり(故郷からの仕送りという形でそれなりの軍資金がある)
[思考・状況]
基本方針:父の仇を探す。
1:公園の破壊を修復する。余裕があるタイミングで改めて琴峯さんに謝罪を入れるべきだろうか。
2:雪村鉄志は強敵だった。精進しなくては。
[備考]
※ロールとして『山梨からやってきた転校生』を与えられており、少なくとも琴峯ナシロとは同級生のようです。
【ランサー(エパメイノンダス)】
[状態]:疲労(小)
[装備]:槍と盾
[道具]:革ジャン
[所持金]:なし(彼が好んだピタゴラス教団の教義では財産を私有せず共有する)
[思考・状況]
基本方針:マスターを導く。
1:マキナ、ね……中々強敵ではあったな。底を見たい。
2:これからの立ち回りも再検討しなくちゃな。一時的でも味方は大いに越したことはない。
3:カドモスと会ってみたいなぁ!
[備考]
※カドモスの存在をなんとなく察しているようです。
【雪村鉄志】
[状態]:疲労(小)
[令呪]:残り三画
[装備]:『杖』
[道具]:探偵として必要な各種小道具、ノートPC
[所持金]:社会人として考えるとあまり多くはない
[思考・状況]
基本方針:ニシキヘビを追い詰める。
1:戦闘方針を話し合うべきかもしれない。マキナは燃費が悪すぎるし、戦闘経験にも乏しいのを実感した。
2:マキナに服を買い与えるか悩んでいる。
[備考]
【アルターエゴ(デウス・エクス・マキナ)】
[状態]:疲労(中)
[装備]:スキルにより変動
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:マスターと共に聖杯戦争を戦う。
1:有用性を示せなかった。ふがいない、です……
[備考]
【琴峯ナシロ】
[状態]:精神疲労(小)
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:修道服
[所持金]:あまり余裕はない
[思考・状況]
基本方針:教会と信者と自分を守る。
1:仕事が忙しすぎる。
2:特訓についてはもう少し慎重になる必要がありそうだ。
3:とにかく仕事が忙しすぎる。
[備考]
※少なくとも高乃河二とは同級生のようです。
【アサシン(ベルゼブブ/Tachinidae)】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:聖杯を手に入れ本物の蝿王様になる!
1:かっこよく活躍出来て上機嫌。本物の蝿王様になれる日も近い!
2:ばんごはんたのしみだなぁ。
[備考]
【備考】
世田谷区北西方面は、『蝗害』の被害を大きく受けているようです。
以上、投下終了です。
ノクト・サムスタンプ&バーサーカー(ロミオ)
煌星満天&プリテンダー(ゲオルク・ファウスト/メフィストフェレス)
予約します。
投下します
◇
『お昼のニュースです。先月より都内で相次いでいる飛蝗の大量発生とその被害について、今日、未明、世田谷区に続いて板橋区への拡大が観測され――――』
◇
東京都、千代田区。
日本最大のオフィス街のある特別区は首都機能の集中した、まさに都心部である。
時刻は丁度、正午になる頃。時計の長い針と短い針が、天井を指して重なる時。
区の中心からは多少外れるものの、日中から多くの人々が行き交うその交差点に、アルマナ・ラフィーは佇んでいた。
頭上、ビルの壁に埋め込まれた大型のビジョンでは、連日都内を襲っていた蝗害に関するニュースが流されている。
道路の対岸では信号機が点滅し、もうすぐ赤色に変わろうとしている。
幾人かのサラリーマンが、アルマナの隣を焦った様子で走り抜けていった。
しかし少女が横断歩道に足を踏み出す気配はない。信号が赤に変わってしまうまで、歩道の縁石の上で足を揃えて立ち尽くしている。
今の彼女の行動目的は移動ではなく、観察することにある。
偵察、及び情報収集。日中の彼女に課せられた君命(オーダー)。
無感情な目でじっと周囲を俯瞰し、雑踏の中に敵の姿、あるいは痕跡を探る。
そして同時に張った単純な罠に、誰かが掛かるのをじっと待つ。
アルマナの見た目は率直に言って目立つ。
褐色の肌に白いワンピースを着た異国の少女という出で立ち。
加えて今の混沌深まる仮想都市東京の状況を鑑みれば、良識にせよ悪意にせよ、誰かしら声をかけてきてもおかしくない、寧ろそれが自然だろう。
しかし街を歩く誰もが、彼女に一瞥もくれずに通り過ぎていく。
そのカラクリはなんの捻りもない、極単純でありきたりな、隠形の魔術だった。
ほんの少し気配を薄め、周囲の環境に紛れ、見落とすように仕向けている。
それをこの国の殆どの人間が見破れない事実に、彼女は東京に来た当初、少しばかり驚いた。
アルマナにとって初歩の初歩と言える、たった三言の詠唱で済んでしまう拙い魔術。
故郷の集落ではまず大人には通じない、片手の指で数えられる年齢の子供がかくれんぼで使うような、文字通り児戯に等しい魔術だったから。
魔術という、アルマナにとっての常識が存在しない街。神秘の薄れきった鉄の社会。
それを少女はしかし、特に見下げることも、嫌悪することもなかった。
魔術が技術より優れているとも、尊ばれるべきとも思えない。
東京は未だ平穏を保っている。あくまで表向きであり、ギリギリのバランスではあるが、日常が回っている。
少女に気づかず通り過ぎていく誰もが、銃声から逃げるためでなく、自らの日常のために歩いている。
彼らが手放した神秘をもってしても結局あの集落は、アルマナの故郷は、自らの日常を守ることが出来なかった。
かと言って、羨望を感じることも、怒りを感じることも無かった。
正確には、少女は既にその機能を麻痺させて久しい。
心を動かすから傷つく。一時の衝動に動かされるから選択を誤る。
機械のように、人形のように、ただ無心に。王さまの命ずるままに。
殺し、守り、戦えばいい。無駄な事を考える前に、必要なことを、ただ実行すればいい。
耳元で今も鳴り続ける、規則正しき時計の針のように。
―――どうしてなのだろう。
そんな疑問も、だから数秒の後には思考から消し去って、少女は再び無感動な目を対岸の道路に向けた。
一定時間、観察を続けたものの、敵の姿も、痕跡も見えない。釣り餌に掛かる気配もない。
場所を変えるべきだろうか。
そう思って、ようやく足を動かそうとした時だった。
右肩に軽い衝撃。
次いで「あ、ごめんなさい」と女性の声が隣から上がった。
なんのことはない、親子連れに肩をぶつけられただけ。
目の前で、仲睦まじく手を繋いで、横断歩道を渡っていく4人家族。
恰幅のよい父親、妙齢の母親、アルマナと歳の変わらない程の背丈の女の子と、その弟と思しき小さな男の子。
「…………」
仮初の平和を享受する家族の姿。
暗雲立ち込める東京の情勢に不安を憶えていたとしても、彼らに直接的な戦火への怯えは見られない。
隣に居る大切な誰かが、突然降り注ぐ鉄の雨に引き裂かれるかもしれない。そんな心配、きっと彼らの思考には無いのだろう。
そんなものを見て、今更、何も感じない。
だけど、
―――どうしてなのだろう。
そんな疑問が時折、アルマナの思考に紛れ込む。
深く考えたことはない。
いつも、考える前に蓋をして、消し去ってしまう。それはなんてことない、ちっぽけな疑問だった。
―――どうして、私なのだろう。
あの集落で、あの優しい人たちの中で。
どうして少女だけが、気づいてしまったのだろう。
『――逃げて、アルマナ』
アルマナより強い大人なんて、幾らでもいたあの場所で。
『――逃げろ。生き延びるんだ』
どうしてたった一人、気がついてしまったのだろう。
防衛する、ではなく、攻撃する。
生かす、ではなく、殺す。
そして、逃げる、ではなく、
『――戦え』
戦う、という選択肢。
―――どうして、私だけが。
一瞬にして、いつものように思考に蓋をし、感情を停止させる。
それは意味のない思考だから、そして今は何より優先すべき君命があるから。
ふと感じた気配に、神経を研ぎ澄ます。
何かが、釣り餌に掛かった。
単純な罠が成果を上げた事を確信し、少女は再び目を凝らす。
視線を感じる。釣り餌とは、アルマナ自身の事だった。
単純な隠形すら見落とすほど神秘の薄れた社会の中で、アルマナを注視し続ける存在が居るとすれば、それは転じて敵のマスターである可能性が高い。
まずは敵の姿形を確認し、次いで戦力を分析し、王に情報を持ち帰る。
仮に戦闘に発展する可能性があったとしても、アルマナに臆する心はない。
今、王から彼女に寄託された竜牙兵(スパルトイ)は3体。
陣地攻略に十分とまでは言えないが、対等なフィールドで交戦する分には申し分ない戦力だ。
それほどまでに、王の竜牙兵は強い。個々がサーヴァント1体分の性能。つまり単純計算で、彼女はいま3体のサーヴァントを引き連れているに等しいのだ。
そう、王さまは、強いのだ。
現に彼の戦略と兵力によって、これまで多くの主従を倒す事が出来た。
だから、余計な事を考える必要はない。
臣下として歯車のように、規則正しき時計の針のように、自らの役割を遂行すればいい。
そうして、アルマナはもう一度、自身の感情を冷たく静止させ。
横断歩道の向こう、道路の対岸、波のような雑踏の隙間に、佇む敵の姿を見た。
◇
覚明ゲンジはその時、雑踏の中に宝石を見た気がした。
砂漠の砂に薔薇を見るように、大海の底に真珠を見るように。
ふと視界を過ぎた輝きに、思わず足を止めたのだった。
彼がその日、千代田区の路上を歩いていたことに理由はない。
数日前から続けていた当て所もない放浪の、一環に過ぎなかった。
ゲンジは未だ、自身が勝ち上がる目算も、策謀も、己の中に見出すことは出来ぬままだった。
この針音の街に招かれて一ヶ月、彼は敵を倒すことは愚か、十分な戦闘経験すら積めていない。
他の主従と協力関係を結ぶことも、まともな情報交換すら行えていない。
まして勝ち上がるための策など、思考に少しも浮かばなかった。
―――結局、おれは、なにもできなかったな。
それが、彼の自己評価だった。
彼に出来たことは、彼にとって至極単純な"備え"だけ。
知謀などとは到底言えぬ。
地味で、地道で、単純な準備作業のみ。
黙々と続けたそれすらも、やり尽くしてしまったのが数日前のことだ。
以降、彼はこうして東京の街を歩き、彷徨っている。まるで、何かを探すように。
それは勝つための方策か、戦う理由そのものか、あるいは死に場所か。
―――おれは、たぶん、長生きできないだろう。
生来の低い自己評価。
虐げられ、嘲笑され、諦めるばかりだった記憶の連なりに形成された人格。
己が他者より優れていると、幼少の頃からただの一度も思えなかった少年の心に、争いに勝つ展望など見えない。
それでも彼は、この戦争から降りることだけはしなかった。
―――おれは、なにを、欲しがっているのだろう。
目の前には雑踏。
都心、コンクリートジャングルの中心部。
ビル、車、電線。見渡す限りの人、ヒト、ひと。
霊長は文明を謳歌している。
そこから溢れた、哀れな出来損ないを置き去りにして。
ゲンジは、あの日みた輝きを思い出す。
人混みの隙間から除いたアホ毛、白い長髪、戦争の中心、歩く爆心地のような少女の姿。
極大の感情を一身に集める、本物のブラックホール。
―――ああ、ひょっとすると、おれは、また、あれを見たいのか。
また彼女に会いたいと思っているのだろうか。
あの時は、話しかけることすら出来なかったのに、極大なる脅威を感じ取ってなお、また彼女を見たいと。
だから、こうして、当て所もない放浪を続けているのだろうか。
―――おれは、やっぱり、少し、おかしくなっているのだろうか。
足を止め、軽くこめかみを指で擦る。
それでも彼の視線は、無意識に人混みへと向けられた。
正面の信号の赤色が、もうすぐ青に変わろうとしている。
信号が変わるまでの僅かな時間、多くのヒトが、車道を挟んで向き合っている。
ゲンジの周囲にも、対面にも、そこに―――
「…………?」
ひときわ目を引く、少女がいた。
それに気づいたのは、自身の固有魔術を起動したからだった。
視界内の人間の感情と、その方向を矢印で視覚化する。
横断歩道の向こう岸、これからすれ違うだろう対象に対する警戒のつもりだった。
予想通り殆どの人は何の矢印も出していないか、隣の人間に対する感情を短く伸ばす程度だった。
しかしその内、一人の少女が伸ばす矢印に問題があった。
<観察>と<警戒>、その二本のか細い矢印をこちら側の路上の人に次々と飛ばしては切り替えている。
ぼんやりと日常を生きる者の感情ではない。明らかに何かを探している。
なにより、こういう矢印を出している人間を仮想都市の内で見るのは、ゲンジにとって初めてではなかった。
周囲を警戒し、敵を探す。
聖杯戦争の参加者(まじゅつし)特有の矢印(かんじょう)。
普段のゲンジなら、それを見た時点ですぐに身を翻していただろう。
これまでも、そのスタンスが功を奏して生き延びているのだと考えている。
しかし、この時、彼はその矢印と発生源から目を離すことが出来なかった。
それは異国の少女だった。
褐色の肌に白いワンピースが眩しい。可愛らしい女の子。
矢印を起動するまで全く気づかなかった事が不思議なくらい、それは都心の雑踏のなかで異質な存在感を放っていた。
だが、ゲンジがそこから目を離せなくなった理由は、少女の容姿だけが理由ではなかった。
こちら側の歩道に向かって伸ばされる少女の矢印。
<観察>と<警戒>。それに混じってもう一本、細い、非常にか細い矢印が重なっているように思えたのだ。
しかし矢印本体があまりに細く、書かれた文字も比例して小さく、読み取ることが出来ない。
ここまで細いと、もしかすると本人すら、発していることに気づいていないのかもしれない。
―――なにやってる。はやくにげろ。気づかれる。
心の内側で叫ぶ自分の声を無視して。
目を細め、ゲンジはより集中し、その感情を読み取ろうとしていた。
自分でもなぜ、こんな危険を犯すのかわからない。
そして案の定、悪い事態が現れるまで、時間はかからなかった。
ゲンジと、少女の、目が合う。
その瞳はまるで凪いだ湖面のように無感情だったが、それでもすぐにわかった。
バレている。
今、少女の矢印は他でもないゲンジに向けられている。
<観察>と<警戒>。そして、もう一本も。
数秒と建たずに観察の矢印が消え、警戒の矢印が急速に太くなっていく。
―――どうする。どうなるんだ、ここから。おれは、こいつは。
多くの者がゲンジを見る時に含まれる<嫌悪>がそこに無いことに、彼が安堵する余裕はなかった。
初めてまともに"敵"と正対する緊張。
そしてようやく読むことが出来た3本目の矢印の記載に、彼の思考は乱れていた。
<観察>と<警戒>。
そして、重なるような、もう一本。
とても細く、消えそうなくらい小さな文字で、ただ一言。
"さびしい"、と。
―――こいつは、おれと、おなじなのか?
その拙い文字に、無感情な瞳に、纏う寂寥の気配に。
ゲンジは一瞬にして、泣きたくなる程の共感を得てしまった。
愛でもなく。恋でもなく。同情ですらない。
絶滅した筈の同族を見つけたかのような、ただ、狂おしいほどの共感(シンパシー)。
それはある意味では正鵠を射ており、ある意味では哀しいまでのすれ違いだった。
残酷な日常を生きた少年と、残酷な非日常に行き当たった少女。
日常によって摩耗した精神と、非日常によって麻痺した精神。
両者は確かに似通っており、しかし同時にどこまでも正反対の出自を辿って、今ここに向かい合っていた。
信号が青に変わる。
ゲンジの心中など関係なく。
時計の針は止まらない。少女が動く。
ゲンジは決めなければならなかった。
逃げるか、立ち向かうか、あるいはこの少女と―――
「――――!!」
そのすべての思考を、唐突に鳴り響いた銃声と爆音が断ち切った。
ゲンジも、少女も、思わず互いから視線を外し、その方角を見る。
「……なん、だ?」
突然の異常事態に、乾いた口から粘ついた息が漏れた。
北東、繁華街の方角から黒煙と火の手が上がっている。
少し遅れて、悲鳴、怒号、そして、こちらに向かって殺到してくる群衆が見えた。
「なんなんだよ、くそったれが……!」
正面の歩道に視線を向けると、既に少女の姿は消えている。
既に考える猶予も、選択肢もない。
恐慌状態の人波みが押し寄せる前に、ゲンジは身を翻し、ビルの隙間から路地裏に飛び込んだ。
◇
『―――板橋区ではこの他にも家屋の倒壊や火災など、様々な被害が出ており、政府は近隣住民の避難命令を――――』
◇
「まったく、派手に御礼してくれやがったもんだな」
ハイブランドのスニーカーが床に散乱したガラスと木片を踏み砕き、変わり果てた店内にポギリとくぐもった音を鳴らした。
繁華街の片隅にある薄汚れたテナントビル、2階にあったガールズバーの内側は数分前に発生した爆発によって、もはや原型を留めていない。
積み上がった瓦礫と、未だ舞い散る灰と火の粉をタトゥーの刻まれた太い腕で払い除け、周鳳狩魔はその場所に足を踏み入れた。
半グレグループ〈デュラハン〉。
周鳳がリーダーを務める組織の拠点の一つ。
この場所、『BAR Coshta』が白昼の襲撃を受けたのは、彼がここに来るたった数分前の出来事だった。
確認するまでもなく、店内にいたデュラハンのメンバーは皆殺しにされていた。
全員が身体を輪切りにされ、仕上げとばかりに外から投げ込まれた爆発物で吹き飛ばされた結果、焦げ付いた血肉が床と壁に飛散している。
周鳳がそこに居合わせなかったのは、運命の悪戯と呼ぶべき偶然にすぎない。
来る途中で後輩からの電話があり足を止めた。その会話がきっかけでタバコを切らしていた事を思い出した。
よってコンビニに寄って行った、そのたった数分が運命を分岐させたのだ。
もしも電話が鳴らなければ、タバコが切れていなければ、偶然近場にコンビニが無ければ。
彼は想定した時間通りにバーに来て、そして襲撃者と相対していただろう。
それは彼にとって幸運だったのか、あるいは不運だったのか、答えはもう誰にもわからない。
しかし、今からでも分かることがある。
「どうだ、ゴドー?」
焦げついた部屋のなかで、周鳳は己がサーヴァントに呼びかけた。
「ええ、あなたの考えている通りでしょうね。魔力の痕跡が顕著に残っています」
すると傍らに現れる金髪の青年。
ゴドフロワ・ド・ブイヨンは握る十字架を一振し、周囲の灰と残り火を吹き散らした。
「非常に濃く、冒涜的で剣呑な魔力だ。間違いなく、サーヴァントがいたに違いありません。
それも、マスターと揃って来たのでしょう。隠すつもりも無いようです」
「だろうな、こんなもんまで残してやがる」
周鳳は壁を顎でしゃくり、そこに大きく刻まれた血文字を眺めた。
―――"十二時間後、新宿"。
―――"刀凶聯合"。
次の襲撃予告であることは明らかだった。
新宿にはデュラハンの主要な拠点が存在しており、敵はそれを把握した上で、12時間後に狙うと言っている。
だが本質的な意図はおそらく―――
「悪国の野郎、誘ってやがるな」
「そのようですねえ」
今日この場所で、周鳳の部下を殺した敵―――半グレグループ〈刀凶聯合〉、その頭。
悪国征蹂郎の狙いは組織としてのデュラハンではなく、周鳳狩魔だと彼らは考えていた。
周鳳が悪国の部下を凄惨な拷問にかけ、悪国が聖杯戦争のマスターである確証を得たように。
悪国もまた周鳳をマスターと断定した上で、可能な限り早期の決着を狙った。
今日この場所にやってきたのは偶然ではなく、周鳳との直接対決を望んでいたのかもしれない。
仮想都市東京に根を張る2つの半グレ組織。
〈デュラハン〉と〈刀凶聯合〉。
過去数度の流血を伴う衝突を経て、もはや彼らは不倶戴天の宿敵と成っていた。
「しかし12時間後ですか、あなたはどう考えます?」
「ああ? まあ、そうだな……尻尾巻いて逃げる気もねえが。乗せられるのも気に入らねえ。
それまでに見つけてぶっ殺すのが当面の方針だろ。こりゃ逆も言える話だしな」
「逆、というと?」
「あっちもお利口さんに12時間待って仕掛けてくる保証なんざねえってコトだ。
予告自体が油断させる罠かもな。ま、あいつ自身はそういう性分じゃなさそうだが」
「あなたには悪国征蹂郎の思考が分かると?」
「……なんとなくだがな」
同じ裏社会の住人、闇の世界で人を纏めて生きる者としての、思考の追随(トレース)。
しかしそれは、間違っても共感などではあり得ない。
むしろ周鳳が悪国の思考を読めば読むほど、己との相違点が浮き彫りになるように思われた。
この襲撃などが正に良い例だ。
部下を殺された報復。間髪入れない、殆ど反射のような徹底した制裁。
腹が立つのは分かるし、殺してやりたくなるのも分かる。周鳳とて同じようにしてヤクザの事務所を血で染めた事は多々ある。
どちらも、やると決めたら徹底的だ。他者からは同じように、「イカれている」と評される。
ならば二人のやり方はどう違うのか。
「奴は多分だが、奴の基準だとマトモなんだろう」
端的に言って、周鳳のやり方には手順があり、情がない。悪国のやり方には情があり、手順がない。
相手がマスターであると分かっているなら、周鳳であれば同じような無鉄砲な戦い方はすまい。
仲間を殺された怒り心頭に、必ず殺してやると誓ったとしても。
勝つための最善手を理性によって組み立て、その後で、狂気によってどのような残虐な手段も実行に移すだろう。
対して悪国の、刀凶聯合の動きは、まるで反射で噛みつく狂犬のそれだ。
その狂犬はあり得ざる重武装に身を包み、恐れを知らぬように襲いかかってくる。
これまで拷問にかけた者の言葉を鑑みるに、悪国はおそらく己よりもずっと情に厚い人物であると周鳳は考えていた。
故の即報復。しかし、その生き方で今まで裏社会を生きてこれたとは、周鳳には信じがたい。
普通は寝首を掻かれるか、組織として体裁を保てずに自滅していく。誰もついて行けないからだ。
しかし、そうなってはいない。悪国の部下は皆一様に恐れを知らぬ。
悪国と同じように。まるで、彼の精神力が伝染していくように。
同じ「イカれている」が、まるで異なる。
狂気を自覚し、コントロールする周鳳のそれとは全く違う。
生まれつき外れている。外れていることを自覚すらしていない。
そんなものを、周鳳は狂気とは呼ばない。
周鳳にとって、狂気とは変化を伴うモノだ。
人として知り得、備えた当然の倫理観、精神の枷を外す行い。
ならば、ありのままで外れた者は、きっと狂ってすらいない、それは怪物でしかないだろう。
人間の社会にあってはならない。存在を認めてはならない。淘汰されるべき獣だ。
故にこそ、彼と我は決して相容れない。
未だ出会うことのない、二人のアウトロー。
宿敵。その相克は、既に決定的なまでに、運命づけられていた。
「では先日あなたが言っていた方針とやらも、継続ということですか」
「ああ、12時間で集め切んのは厳しいだろうが、動き自体は変わらねえよ。使えそうな奴は引き入れる。駄目そうな奴は潰す」
聖杯戦争を勝ち抜く上での〈デュラハン〉の拡大。
徒党を組んで戦う事を、組織を治める男は躊躇しない。
なにより、彼にはかねてから一つの懸念あった。
各地の拠点から送られてくる"蝗害"の情報。
そして、つい先程、板橋区に置いていた部下からの連絡と、送られてきた画像に、彼の懸念は確信に変わったのだ。
「何人か、面倒くせえのがいるみてえだわ。なあゴドー、お前、コイツらに勝てんの?」
周鳳の掲げたスマートフォンの画面には板橋区の一角、その変わり果てた町並みが映されていた。
蝗害に食い散らかされ穴まみれになって倒壊したビル、一面の凍原に覆い尽くされた車道、散らばる焼死体とツートンカラーの痕跡。
異常災害に異常気象、異常自体のオンパレード。
ここから十数キロしか離れていない場所で生じている事実を、写真を見た今でも信じがたい。
「君は本当に不敬不遜ですね。誰に向かって言っているのです?
勿論、負けるつもりはありません。が、まともに当たるのは避けたほうが良い相手ではありますね。全くもって業腹ながら」
決して怯むことのない狂戦士も、強敵であることは素直に認める規格外。
まさに厄災の権化。それが一つではない。
明らかに度外れた出力を誇る主従が、少なくとも二組以上は存在している。
これまでは意図的に、マスター同士での協力協定を行ってこなかったが。
特記戦力(バランスブレイカー)を確認した以上、そしてそれが複数である以上、迅速に対抗可能な組織を形成する必要に迫られている。
懸念があるとすれば、悪国はどちらなのか、ということだった。
明確に敵対したデュラハンを除いて、聯合が本格的に別の主従と事を構えた形跡はない。
故に未だに見えてこない実力、順当にいけば12時間以内に対決することになる悪国征蹂郎は、規格外の一人なのか。
もしも、そうなのだとしたら―――
「丁度いい予行演習になる」
仮にそうであったとしても、奴らを殺す練習台にするまで。
「そのうえで、とっとと聯合を潰して、残った戦力を吸収しちまえばいい」
どうせ殺す相手なのだから、同じことだ。
丁度、デュラハンは東京の西側に、刀凶聯合は東側に版図を広げている。
聯合を潰し、その勢力図を一色に塗り替えてしまえば、周鳳は組織戦における揺るぎなき地位を確立するだろう。
「狩魔、そろそろ動くべきです」
「だな。今にサツも寄ってくる」
「それもありますが、この場所に長く留まるのは勧めません。
鉄臭い精神汚染の痕跡があります。私には通じませんが、マスターが長く当てられた場合、保証は出来かねます」
「……なるほど、また一つ合点がいったよ」
さっきから気持ち悪りいわけだ、と朗らかに言い放って。
周鳳は一つ伸びをした後、悠然と歩き始めた。
しかし最後に、バーの入口付近で足を止め。
そこに転がっていた生首の、虚ろな瞳と目を合わせた。
弔う事も、拝むことも、周鳳はしない。
この場で足を止め続け、それを行うほど温みのある余分を、彼は持ち得ない。
代わりに、何も映さない虚に向かって、端的な言葉だけを置いていった。
「心配すんな。ちゃんと、ぶっ殺してやるからよ」
遠くに響くサイレンの音。
白昼轟いた惨劇に、外の恐慌が収まる気配もない。
「これからどうするのです、狩魔?」
「そりゃ追撃だろ。悪国の野郎、まだ近くにいるんだろ? 別に12時間もいらねえ。今すぐ殺してやるよ」
混沌深まるばかりの東京の街に、狂戦士たちは降りていく。
◇
『なお、本日、正午現在では飛蝗の群れの活動は落ち着いている、とのことです。……さて、次のニュースです。東京都内で発生している団―――』
◇
―――くそったれが!
薄暗い路地裏の片隅にて、ゲンジは己の失敗を自覚していた。
華やかな表通りから小道に入って3度も曲がれば、一転して汚らしく日の当たらない袋小路。
何らかの建造物を取り壊した跡なのだろうか、妙に空間こそ開けているものの、四方をビルの背面に囲まれたその路に先は無い。
曲がる通りを誤った、いやそもそも、彼は対応を誤ったのだ。
ここから逃げ出すには、来た道を引き返すしか無い。しかし、背後には―――
「よお……つれねえじゃねえか」
それは袋小路の入口から、ぬっと闇の中から抜け出るように現れた。
金髪のオールバックに黒のメッシュ。いかついタトゥーを刻んだ腕の先、右手には武骨な銃が握られている。
同じ男性でありながら、ゲンジとは似ても似つかぬ均整のとれた長身の体格。
明らかに市井の人ではない、暴力の気配を纏う男。
「ゆっくり落ち着いて、話をしようや、なあ」
殺到する人波から逃れるために路地裏に入った。そこまでは良かったのだ。
グズグズせずに遠くまで離れてしまえば、この男と行き合う事もなかったのに。
男と出会った時も、中途半端に身構えたりせずに、脇目も振らず逃げ出してしまえば。
「お前、悪国のお友達か?」
首を振って否定する。
そんな名前は聞いたことがない。
だけど、この問答に本質的に意味がないことは、ゲンジとて察している。
「どう思う、ゴドー」
「残念ながら、私に心を読む力はありませんよ。身体に聞くのが早いんじゃないですか」
男の傍らに立つ、金髪の聖騎士。
ゲンジは彼を見てしまった。そして、反応してしまった。身構えてしまった。
結果、気づかれてしまった。それが、最大の失敗。
「やっぱそうか、いい加減、一方的なのは飽きてきてんだが」
「別に、一方的にはならないんじゃないですか」
「……それもそうか」
話し合いを終えた主従が、揃ってゲンジを見る。
「お前、俺と同じだもんな」
敵として、マスターとして、ゲンジを見ている。
恐ろしい。彼らは対等な敵としてゲンジを見ているのだ。
対等に暴力を行使するに、不足のない相手だと認識している。
とんでもない。ありえない。勝てるわけがない。
こうして敵を目の前にして、初めて間近で相対して、それでもゲンジには勝てる展望など見えなかった。
「ほら、さっさと出せよ。従者(サーヴァント)、いるんだろ?」
恐ろしい。その大柄の体格でも、握られた拳銃でも、明らかにゲンジのそれとは違う理知的なサーヴァントでもなく。
男の、その精神性に、ゲンジは恐れを抱いていた。
「悪いが今はあんまり悠長に待てる気分じゃなくてな」
男の態度と裏腹に、その矢印は細すぎず、太すぎず、静かな軌道を描いている。
矢印は男と出会った時点で起動しているが、最初は機能不全が発生したのかと思った。
あまりにも、外(みため)と内(こころ)にギャップがあったのだ。
殺意と観察、慢心と警戒、疑義と僅かなる期待。
感情によって行動を決定するでなく、行動に合わせて感情の強弱を変えているかのような。
コントロールされた激情。粗暴に振る舞う男の内側は、見てくれに反して精密機器のように統制されている
その在り方を、ゲンジは恐ろしく、少し羨ましく、そしてほんの少し、美しいとさえ思った。
「残念、時間切れだ」
男の隣にいた聖騎士の姿が消える。
瞬きを一度する間に、彼はゲンジの目の前に立っていた。
殺される、と思った。あと1秒の合間に、振り上げた剣が降ろされ。
「――――ッ!」
そこに赤い毛むくじゃらの影が割り込んだ。
「ほう」
「へぇ」
弾き飛ばされた聖騎士は、しかし優雅な所作で数歩後ろに着地した。
その更に後方で、男は興味深そうに眉を動かす。
「原始人……か? おもしれえの連れてんな」
路地裏の中央。ゲンジを守るようにして立つ一騎のサーヴァント。
赤い体毛に覆われた寸胴の体躯に纏う毛皮の衣服、石器を木の枝先に括り付けた槍を握りしめる野性的な存在。
それがサーヴァントとしては異質な部類であることを、彼らもまた感じ取っている。
「一撃で首を落とすつもりだったのですが。三度斬っても深傷にならない。
硬い……わけではないですね。おそらくコレは、こちら側の劣化だ」
聖騎士は十字の剣を一振し、付着していた血液を払う。
赤い飛沫がゴミの散乱するアスファルトの地面に飛び散ったとき、ようやくゲンジはそれに気づき、目を見開いた。
斬られている。ゲンジのサーヴァント、ネアンデルタール人の首、胴、上腕にそれぞれ横薙ぎに赤い裂傷が生じている。
一体いつ、どのようにして行った斬撃なのか。タイミングは一つしかない。先程の交錯、その一瞬で、騎士は既に3度もの攻撃を行っていたのだ。
「刃を向けた瞬間に切れ味が消失しました。剣としては機能を殺されているに等しい。
これでは棒切で殴っているのと変わりませんね。ああ、なんと不敬な……」
「多分、当たりだな。俺の得物もこのザマだよ」
男が手に持っていた拳銃を騎士の足元に放り投げる。
地面を滑り、2騎のサーヴァントの間で静止した銃はスライドが引かれた状態のまま、恐らく弾詰まりを起こしているのだろう。
ネアンデルタール人のスキル、『霊長の成り損ない』。
滅びし者の文明否定。彼に向けられた文明の産物は、その劣化を免れない。
例えそれが、サーヴァントの振るう輝かしき宝具、尊き幻想であったとしても。
ゲンジの思考に、一筋の光明が差した。
スキルが通じた。幾つかの条件によっては無効化される不安定なスキルではあるが、彼らには問題なく作用することが分かった。
ならばまだ希望はある。この状況を切り抜けられる可能性がある。
相手のサーヴァントがいくら優れた存在であったとしても、切り札を封じ、原始の殴り合いを強制してしまえば、その条件は―――
「まあ、でも、関係ありませんけどね」
それが甘い幻想であったことに気付かされるまで、数秒も与えられなかった。
やおら踏み込んだ聖騎士は、腰だめに構えた十字剣を振り抜く。
先程の目にも止まらぬ斬撃とは違い、ゲンジの目にも鮮明に映る流麗な動作で、しかし比べ物にならないほどの暴力性を伴って。
「――――」
ぐしゃりと、肉と骨を潰す嫌な音が路地裏に轟いた。
言葉もなく、頭蓋を砕き散らされたネアンデルタール人は仰向けに倒れていく。
ゲンジもまた驚愕によって声を発することが出来ない。
三度の斬撃で浅い切り傷しか与えられなかった筈の騎士が何故、一撃でサーヴァントを下すことが出来るのか。
「おやおや、なにも驚くような事ではありませんよ。
手に握っている物が剣であれば、そのように。
鈍器であれば、そのように。
力の入れ方を加減するだけのことでしょう」
狂化と信仰。スキルによる、筋力ステータスの超強化。
武器がナマクラになったところで、肉体の最大出力まで下がるわけではない。
騎士の武器が弱くなったところで、ネアンデルタール人の優位が担保されるわけではない。
彼らの間には、素のスペックの時点で大きな開きがある。
つまり端的に言ってしまえばこういうコトだった。
ネアンデルタール人よりも、騎士のほうが、単純に強い。
残酷なまでの単体性能の格差、そしてそれは―――
「すげえな、これ分身か?」
一体が二体に増えたところで、覆るものですらない。
今、物陰から飛び出し、マスターに飛び掛かった"もう一体のネアンデルタール人"を、聖騎士はその場から一歩も動くこともなく迎撃してみせた。
身体を軽く捻り、力任せに十字剣をぶん投げ撃ち落とす。
例によって剣としての切れ味は皆無に等しかったが、サーヴァントの基準に照らしても尋常ではない筋力が生み出す運動エネルギーだけで、ネアンデルタール人の全身が弾き飛ばされた。
後に待っているのは蹂躙劇だけだ。地面に転がった毛むくじゃらの身体を、騎士は何ら躊躇なく上から殴打し、数度の打撃で頭蓋を踏み砕いてトドメを刺す。
「複製と言ったほうが近いのかもしれませんね。性能に差は無いように感じました」
仕事を終え、頬に血をつけたまま、狂える騎士は朗らかに笑む。
ネアンデルタール人の宝具『いちかけるご は いち(One over Five)』。
現生人類5人分の質量を捧げることで生成する、ネアンデルタール人のクローン。
ゲンジがこの聖杯戦争に参加した初日、住んでいた団地の独居老人を集めて作ったそれすらも今、あっさりと討ち倒され。
「なるほどな、多少は驚いたが……さて」
そして今、逃げ場のない袋小路の最奥。
薄汚れた路地裏の片隅でへたり込んだゲンジを、その男は見下ろしていた。
「おい。猿回しはもう品切れか?」
オールバックの金髪が路地裏に差し込んだ僅かな光を受けて、チラリと光る。
ゲンジは答えることが出来ない。
声が出せない。恐ろしい。男が恐ろしい。これから起こる暴力、流血、己の死が恐ろしい。
だが、それ以上に、なにか別の、ゾワゾワとした妙な感覚によって、彼は上手く言葉を返すことが出来なかった。
「まだなんかあんだろ? 見せてくれよ」
逆光によって表情を伺うことは出来ないが、いまもハッキリと男の矢印が見える。
腰を抜かしたように座り込んだゲンジを、上段から見下ろす長身。
彼から伸びる幾つもの矢印。先ほどとは強弱の差はあれど、内容については変わらない。
殺意と観察、慢心と警戒、疑義と、そして、そして―――
「どうします、狩魔。今ここで彼の身体にじっくり聞くか、早々に始末して悪国征蹂郎の追撃を再開するか」
「うーん、いや、なんていうか、そうだなあ」
「急に歯切れが悪いですね」
それみたことか。
心の何処かで誰かの声がする。
―――わかっていたことだ。おれのサーヴァントは弱い。勝てるはずがなかったんだ。
なけなしのスキルは運良く通じたにもかかわらず、正面からの殴り合いで圧倒された。
弱いサーヴァントを1騎から2騎に増やしたところで、さして違いなんてなかった。
勝てない。現にそうなっている。ゲンジの想像を遥かに上回るほどの差があった。
きっと、己は死ぬだろう。殺されてしまうのだろう。分かっていたことだ。辛い、苦しい、恐ろしい、なのに。
なのに、この、感情は、なんだ。
「いや、こいつさ……」
「もしやまた、"いつもの"ではないでしょうね」
「違えよ、こいつ……」
ゲンジは今日ほど、自分の矢印が見えなくて残念に思った日は無かった。
自分の矢印が見えたなら、この感じたことのない感情の名前を、知ることが出来たのに。
あの白い髪の少女、極大のブラックホールをなぜだか今、思い出す。
誰かのクソでかい感情を一身に集める彼女への思い。
それはきっと、憧れだったのだろう。
あんなふうに成りたかった。
あんなふうに成れなくても、せめて、あの感情の一端でも受け取ることが出来たなら、それはどんなに―――
「こいつ、笑ってんだよ、さっきからずっと」
金髪の男からゲンジに伸びる矢印のなかで、最も細く、最も小さく、だけど確かに、それがあった。
それは時間が立つにつれ、どんどん萎んで消えていく。
代わりに失望の二文字が太く成っていく。
それをゲンジは"さびしい"と思った。
だって、ゲンジの人生のなかで、そんな感情を向けられたことは、いまだかつて無かったことだから。
まだ、その矢印は伸びている。
ゲンジの胸の真中へと。
小さな文字で書かれている。
―――"期待"。
「―――――は」
応えたい、と思った。
「―――――は、は、ハ」
乾いた、不格好な、それは少年が生まれて初めて自発的に行った。
戦いに臨む為の、獰猛なる笑みだった。
「―――――みせて、やるよ、くそったれが」
◇
『次のニュースです。東京都内で発生している団地居住者の行方不明者数は、今月までに約■■■を超え――』
◇
周鳳も、ゴドフロワも、その光景には一瞬、言葉を失った。
突如として、周囲に赤い波が出現したのだ。
赤い毛むくじゃらが、路地裏を埋め尽くし、二人を取り囲んでいる。
薄汚れた袋小路、コンクリートジャングルの中心で、原始の群れが集結する。
サーヴァント、ネアンデルタール人。
宝具『いちかけるご は いち(One over Five)』。
ネアンデルタール人のクローン。彼らは複製であると同時に全員が本体であり優劣はない。
全て同様のスペック、個々が優れているとは言えないまでも、間違いなくサーヴァントとしての機能を備えた同位体。
それが今、50体以上、一度に現界を果たしているのだ。
地面に伏せ、飛びかかる機会を伺う者達。
ビル壁の窪みに取り付き、ぶら下がる者達。
更に上方、ビルの屋上からこちらを見下ろす者達。
上下左右、完全包囲の陣形で迫る、それはもはや軍勢であった。
周鳳は知る由もないが、宝具の詳細を知る者が見れば、その異常なる事実に気づいただろう。
1体につき、5人。現生人類の質量を捧げることで生成するクローン。
それが50体。霊体化したままストックしている個体を合わせれば更に増える。
つまり、覚明ゲンジは聖杯戦争開始から今日に至るまでの僅か1ヶ月で、既に250人以上の人間を殺害していることになる。
世間を騒がせる災厄、蝗害の影に隠れるように、彼は黙々とその備えだけを行ってきた。
都内の団地に住む独居老人達を中心に、社会から忘れられた孤独な存在達を人知れず殺し、捧げ続けてきた。
誰からもプラスの感情を向けられない孤独な存在を殺し、原始の群れというプラスに変換する。
それだけを、この1ヶ月間、彼は1日も休まず実行し続けたのだ。
来たるべき戦争のために。
ほんの少しでも、ましな戦いをするために。
誰かに、がっかりされないように。そのためだけに、彼は備え続けてきた。
小隊規模の人数で包囲を行っていながら、言語能力を喪失したバーサーカー達は一言も発しない。
肉の密集した異様な熱気と、不気味な静寂が周囲を支配している。
「"同胞よ―――"」
ゴドフロワが第二宝具を展開するべく、ゆっくりと魔力を回そうとしたその時、
「いや」
周鳳が軽く手で、それを制した。
「必要ねえよ」
バタバタと肉のぶつかる音が周囲に連鎖する。
包囲していたネアンデルタール人が、次々と倒れては霊体に戻っていく。
結局のところ、あっという間に、数十秒も待てば元の、つまり周鳳とゴドフロワ、そしてゲンジの3人だけの空間に戻ってしまっていた。
「……どうだ、気分は?」
ゲンジは既に立ち上がる体力もないのか、汚らしいコンクリートの地面に仰向けに倒れたままだ。
その現象は単純なる魔力切れ。
実戦経験のないゲンジは加減を知らなかった。
50体もの霊基を同時稼働させて、魔術師としてろくに修行も行っていない彼の魔力が、底を突かない筈はない。
「くそ……た……」
「そうか? けっこういい顔してるぜ」
ここに、盛大な自滅を果たした少年を、周鳳は改めて見下ろしていた。
「お前、名前なんていうんだよ」
ゲンジがいくら目を凝らしても、もう矢印を見ることが出来ない。
そのための魔力すら使い切ってしまった。
だけど、なんとなく、今のゲンジには彼の感情が分かる気がしたのだ。
「ゲンジ……覚明ゲンジ」
「そうか、ゲンジ」
金髪の男は朗らかに、口の端を歪めて笑った。
「お前、イカれてんな」
先程の蛮行、自らの魔術回路を焼き切る直前まで行使した無謀。
ほとんど自殺未遂のような暴走行為を、彼は面白いと笑っている。
その時ようやくゲンジは気付いた。先程から続いている、ゾクゾクとする不思議な胸の疼き。
ああもしかすると、これが"嬉しい"という感情なのだろうか。
期待されて、応えられて、嬉しい。ずっとずっと欲しかった感情。承認されたいという願望。
誰かに、楽しいと、面白いと、価値があると、思って欲しかった。だってそのために、ずっと準備をしてきたのだから。
―――ああ、よかった。備えてきて、よかった。たくさんころして、ほんとうによかった。
「悪国征蹂郎の関係者かどうか、確かめなくていいんですか?」
「こいつは違えよ。お前だってもう分かってんだろ。そもそも、仲間を殿に使うなんざ、奴のやり方じゃねえしな」
「やれやれ……だったら結局、"いつもの"じゃないですか」
呆れつつ笑いながら、霊体化していくゴドフロワ。
その光の粒子を背景にして、周鳳狩魔は手を差し伸べた。
そう、いつものように、そして、いつかのように。
彼自身がそうしてもらった日のように。
社会に居場所のない、はぐれ者のために。
周鳳狩魔は、そうするのだった。
「―――なあゲンジ、俺たちとつるまねえか?」
この日、僅かな光差す薄汚れた路地裏の片隅。
ゴミ溜めのソドムの中心にて。
狂する戦士達の行軍に、新たな戦奴が加わった。
◇
『今、速報が入りました。先ほど、千代田区の雑居ビルで爆発と火災が発生し――――』
◇
―――どうしてなのだろう。
そんな疑問が時折、アルマナの思考に紛れ込む。
深く考えたことはない。
いつも考える前に蓋をして、消し去ってしまう。なんてことない、ちっぽけな疑問だった。
薄暗い路地裏を一人で進みながら、少女はその違和感に気づいていた。
おかしい。今日はおかしい。何かが変だ。
どうしてこうも、余計なことばかり考えてしまうのだろう。
ヒビが入っている。麻痺させていた筈の感情に、凪いでいたはずの精神に。
さっきの表通り、車道を挟んだ対岸にいた、マスターの一人と見られる青年。
彼の虚ろな目を直視してしまったからか。直後の爆音と銃声を聞いてしまったからか。
いや違う、もっと前からおかしかった。それはきっと、この地区に来てから、ずっと。
―――どうして。
止めようとしているのに。
思考が、コントロール出来ない。
銃声、爆音、悲鳴、流血、その残響。
―――どうして、こんなこと、今更、思い出してしまうのだろう。
耳鳴りが、する。
―――どうして、私なのだろう。
あの集落で、あの優しい人たちの中で。
どうしてアルマナ・ラフィーだけが、気づいてしまったのだろう。
―――なにか、おかしい。
『逃げて、アルマナ』
それは母の最期の言葉。
アルマナより強い大人なんて、幾らでもいたあの場所で。
―――なにかが、いる。
『逃げろ。生き延びるんだ』
それは父の最期の願い。
どうしてたった一人、気がついてしまったのだろう。
―――薄暗い路地裏の前方、そこに。
防衛する、ではなく、攻撃する。
生かす、ではなく、殺す。
そして、逃げる、ではなく、
『――戦え』
―――その概念を体現する、あの男が立っている。
「……あ………ああ……!」
路地裏の壁に張り巡らされたダクトの下、まるで夜の森に潜む獣のように、その男は路地の影に留まっていた。
白コートを身に纏う大柄な体躯から立ち昇る凶の気配。
目元にかかる黒髪と、忘れもしない、その隙間から僅かに見える瞳の色。
あの日、見たのと、同じ色。
まっかな、たたかいの、いろ。
「――――――ッ!!」
フラッシュバックを掻き消すように。
瞬時に、3体のスパルトイを展開する。
戦え、戦え、戦え――――!
戦わなければ――――!
血を沸騰させるような指令が、全身を走り抜けていく。どくどくと脈動する。
アルマナが己の心臓の音を聞いたのは、多分あの日以来。
故郷の集落に銃声が轟き、何もかもが虐殺の波濤に飲み込まれたとき。
「キミは……」
少女の存在に気が付いた男は、ゆっくりと口を開く。
低く重い、陰鬱な響きを含む声。
アルマナが男の声を聞いたのは、今日このときが初めて。
だが、少女は彼を知っている。
そして会話ならば、言葉を介さずとも、過去に一度だけ交わしたことがある。
「……そうか……あのときの……」
今は遠い故郷の国、戦場と化したとある集落。
惨劇の渦中にて、アルマナはその男の姿を見た。
家族を惨殺され泣いていた少女は、虐殺者から向けられる銃口の更に向こう、偶然にも同じ戦場にいたその男と眼があった。
あってしまった、その時、男の瞳は如何なる言葉よりも明瞭に、真っ直ぐに、それを伝えていたのだ。
『――戦え』
恐らく特定の個人に向けて発せられたメッセージではない。
自分自身か、世界そのものか、彼の身体を中心に、"戦い"という概念が流転するようにうねり逆巻く。
アルマナ・ラフィーは確かにあの日、その在り方に触れていた。
どうして忘れていたのだろう。
どうして気づかないふりをしていたのだろう。
あのとき、家族と一緒に死ぬ筈だったアルマナの、全身を動かしたモノの正体こそ。
「―――ハァ――は―――あ」
息が整わない。
落ち着けと叫ぶ理性、戦えと謳う本能。
板挟みになった精神は、必死に自我を押し殺す。
感じるな、考えるな、歯車になれ、そうでなければまた、傷ついてしまうのに。
「オレの方は……今ここで……キミとやり合うつもりはない……」
臨戦態勢をとったまま、無意識にワンピースの胸元をつかみ、大量の汗に塗れた様子のアルマナ。
対する男は少女に背を向け、静かな足取りで歩き出した。
「そのうえで……キミが戦いたいなら…………好きにすればいい」
離れていく。男が去っていく。
アルマナはその背に、スパルトイを走らせようとして。
「ああ……それも構わない、別に……一緒に来たっていい……」
代わりに、自らの足が動いていたことに気付いた。
「交渉、情報交換……理由はそんな所でどうだ……?
…………オレも、他のマスターとは一度……話してみたかったから…………」
男は振り返らないまま、あいも変わらず重苦しく、低い声でぼそりと話す。
それが何故だか聞き取りやすく、はっきりとアルマナの耳の奥に染み込んでくる。
「オレは……悪国。
悪国征蹂郎…………キミが名乗るかは、キミの好きにしろ」
なぜ、今、自分は男の後を追っているのか。
「……アルマナ・ラフィー」
なぜ、今、自分は名乗り返していたのか。
未だに思考は纏まらない。
だけどこの行動き自体は、君命に反するものではない筈だった。
ようやく少しだけ戻ってきた冷静な思考で、アルマナは自分の行動に理由をつける。
まだ、夜までは時間がある。
王さまに情報を持ち帰ることが、今の少女の役割だ。
口ぶりから明らかに、この男はマスター。
いずれ、排除するべき敵。
だが敵対行動に移るのは、彼から情報を得て、夜に王さまの判断を仰いでからでも遅くはない。
そのはずだ。自分はまだ正常だ。
ほんの少し、一瞬だけ、昔のことを思い出して、不具合が生じてしまっただけ。
すぐにでもまた、もとの冷たい人形のような、時計じかけの機械のような思考に、戻れる筈だから。
そう、少女は自らに言い聞かせるように、男の背中を追っていく。
引き寄せられるように、闇の奥へと歩いていく。
薄暗い路地裏の、赤い道。
まっかな、まっかな、その足跡を辿るように。
◇
『火災のあったビル近辺の路上では、一部の市民が暴徒化しているとの情報もあり、警察が交通規制を―――』
◇
悪国征蹂郎は戦場を往く。
彼が戦場に赴くのではない、彼が歩いた跡が戦場と化すのだ。
―――思い通りには、いかないものだな……。
征蹂郎は細い路地裏を進みながら独りごちた。
部下を先に退かせ、自ら殿を務めたのは勿論、敵の追撃を期待していたからだ。
今日ここで、デュラハンのリーダーを排除することが理想だった。
早急に仲間の仇を討ち、抗争を終わらせたい、それが征蹂郎の偽らざる本心。
だが期待していた周鳳狩魔との邂逅は無く。
代わりに出会ったのが、背後を歩いている一人の少女。
―――オレにも……あったのか……因果と呼べるものが……。
いつかの戦場で出会った少女。
言葉を交わしたことはない、それは一瞬の邂逅に過ぎなかった。
かつて所属していた暗殺者養成施設における最終試験。
内戦状態の異国で繰り広げた、戦いの日々。
その集落の末路は何となく憶えている。征蹂郎が経験した中でも、特に凄惨な戦場の一つだった。
征蹂郎の標的がそこに逃げ込んだこと、間の悪いタイミングで政府軍が踏み込んできたこと、住民の一部が恐慌状態に陥ってしまったこと。
幾つもの不運が重なり、結果として地獄のような混戦地帯と化していった。
再会した少女に、特に思い入れが在ったわけではない。
だが、記憶に残る泣き濡れた少女の姿と、今の人形のような少女の姿が重なったとき。
そこにもう一人、日本に帰国した時の、帰る場所をなくして途方に暮れていた頃の己を、見てしまったような気がした。
居場所を奪われた同士。これは共感なのだろうか。
少なくとも、戦闘態勢を取った相手に暴力で応える気にならなかったのは、征蹂郎にとっては非常に珍しいことだった。
そう、つまり、これは非常に稀有な例外。
彼の暴力は本来、もっと直線的に振るわれる。
もちろん、今日、彼が標的と定めた男には、もはや一欠片の情けも与えるつもりはなかった。
周鳳狩魔は、悪国征蹂郎の仲間を殺した。
悪国征蹂郎の居場所を奪おうとしたのだ。
故にもはや、激突は避けられない。
―――デュラハン、周鳳狩魔…………容赦はしない。
刻限(タイマー)は、提示(セット)された。
これより十二時間後。
もう一度、時計の長い針と短い針が、天井を指して重なる時。
あるいはもっと早く、何れにせよ、もはやその相克を止める事は絶対にできない。
戦端は、必ずやこの東京で花開く。
何故なら悪国征蹂郎は戦場を往く。
彼が戦場に赴くのではない、彼が歩いた跡が戦場と化すのだ。
"戦い"。
それを体現する者の進軍が止まることはない。
男の影が妖しく蠢き、赤いあぶくを弾きながら、誰にも聞こえない周波数でがなりたてた。
地に紅き染みが残る。
かの足跡より滲みし朱は、世界を侵せし澱となる。
おお、来たれよ。
其は終末を呼び込む喇叭なり。
おお、往けよ。
其は停滞を切り裂く大火なり。
汝、喚きし無窮の獣。
眩き血潮の波濤にて、紅き一線を踏み越えよ。
【千代田区・路地裏(東)/一日目・午後】
【悪国征蹂郎】
[状態]:健康
[令呪]:残り3画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円程度。カード派。
[思考・状況]
基本方針:刀凶聯合という自分の居場所を守る。
1:デュラハンとの衝突に備える。
2:アルマナと交流し、情報を得る。
[備考]
※異国で行った暗殺者としての最終試験の際に、アルマナ・ラフィーと遭遇しています。
【ライダー(レッドライダー(戦争))】
[状態]:損耗なし
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:その役割の通り戦場を拡大する。
1:ブラックライダー(シストセルカ・グレガリア)への強い警戒反応。
[備考]
【アルマナ・ラフィー】
[状態]:健康、動揺
[令呪]:残り3画
[装備]:カドモスから寄託された3体のスパルトイ。
[道具]:なし
[所持金]:7千円程度(日本における両親からのお小遣い)。
[思考・状況]
基本方針:王さまの命令に従って戦う。
1:日中は情報収集。夜は王の命令に従って戦闘行動。
2:悪国征蹂郎から情報を引き出し……その後は……。
[備考]
※覚明ゲンジを目視、マスターとして認識。
※故郷を襲った内戦のさなかに、悪国征蹂郎と遭遇しています。
【千代田区・路地裏(西)/一日目・午後】
【周鳳狩魔】
[状態]:健康
[令呪]:残り3画
[装備]:拳銃(故障中)
[道具]:なし
[所持金]:20万程度。現金派。
[思考・状況]
基本方針:聖杯戦争を勝ち残る。
1:刀凶聯合との衝突に備える。
2:特に脅威となる主従に対抗するべく組織を形成する。
[備考]
【バーサーカー(ゴドフロワ・ド・ブイヨン)】
[状態]:健康
[装備]:『主よ、我が無道を赦し給え』
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:狩魔と共に聖杯戦争を勝ち残る。
1:レッドライダーの気配に対する警戒。
[備考]
【覚明ゲンジ】
[状態]:疲労(大)
[令呪]:残り3画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:3千円程度。
[思考・状況]
基本方針:できる限り、誰かのたくさんの期待に応えたい。
1:周鳳狩魔と行動を共にする。
2:今後も可能な限りネアンデルタール人を複製する。
[備考]
※アルマナ・ラフィーを目視、マスターとして認識。
【バーサーカー(ネアンデルタール人/ホモ・ネアンデルターレンシス)】
[状態]:健康(残り52体)
[装備]:石器武器
[道具]:
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:今のところは、ゲンジに従い聖杯を求める。
1:………………。
[備考]
[備考]
千代田区ではテナントビルの火災跡を中心にレッドライダーのスキル『喚戦』の影響が広がっています。
投下終了です
山越風夏(ハリー・フーディーニ)&ライダー(ハリー・フーディーニ)
レミュリン・ウェルブレイシス・スタール&ランサー(ルー・マク・エスリン)
予約します。
投下します。
香篤井希彦は、げんなりとした顔で晩春の陽気の中を歩いていた。
その右手にはコンビニのレジ袋。中には、いわゆるカップ系の安酒とつまみが入っている。
言わずもがな、希彦が飲み食いするために買ったわけではない。
希彦の生家である香篤井家は、端的に言って由緒正しき名門である。
幼少の頃から金銭に不自由した試しはない。
食べたい物や欲しい物を値段ではなく質で選ぶことができる、そういう人生を希彦は送ってきた。
希彦とて酒は呑める。
社交の場、女性と過ごす夜、少なくとも酔って恥を晒さない程度には肝臓も強い。
そんな希彦に言わせれば、つまみはともかくこの安酒は論外。
味も分からない貧乏人が糊口を凌ぐために啜る、この世で最も惨めな飲み物のひとつだと辛辣に評している。
なのに彼がなんだってその曰く惨めな飲み物を買って家路についているのかと言えば、それは言うまでもなく彼の相方のせいだった。
――僕は一体この大事な局面に何をやってるんだ……?
希彦が期待していたのは、悠久の歴史の彼方から顕れた英霊と肩を並べて戦う英雄譚だ。
一口に勝つと言っても、やはり勝ち方というものがある。
世界に愛された自分が勝ち残るのは当然の摂理であるが、それでもどうせなら後に誇れる勝ち方がしたい。
誉れは高く、自分の名を聞けば誰もが羨望に目を輝かせるような劇的な勝利を。
古今東西あらゆるサーガと比べても引けを取らない、まるでフィクションのような素晴らしき過程を。
望んでいたはずだったのだが、その肩を並べるべき相手のせいで今自分の聖杯戦争はなんとも妙ちくりんな方に転がり出している。
今日までざっとひと月ほどこの世界で暮らしたが、マスターらしい振る舞いよりも振り回されたり小間使いをさせられている記憶の方が遥かに多い。
それもこれもすべて、希彦が召喚したあのサーヴァント。
陰陽道の祖たる大術師、吉備真備――という名を名乗っている、だらしなくて品のない老人のせいだった。
希彦から真備への印象を一言で言うならば、"性格のねじ曲がったクソジジイ"である。
空前絶後の天才にして、成功することを運命づけられたこの自分をまるで未熟者の餓鬼のように扱い。
挙句この通り、小間使いまがいの用件を臆面もなく押し付けてくるなんとも腹立たしい相手だ。
正直なところ、本当にあれがあの吉備真備なのか、という根本的な疑問さえ希彦は何度も抱いている。
安倍晴明。蘆屋道満。鬼一法眼。そうした伝説的な先人に並ぶ、ともすれば凌駕さえし得るだろう日本陰陽道史屈指のビッグネーム。
術師としてのみならず軍略にも優れ、その生涯に渡ってあまたの逸話を残したまさに超一級の英霊。
真備を呼んだと知ったときはそれはもう舞い上がったものだ。
やはり自分は聖杯戦争に勝つべくしてこの地に舞い降りた天才なのだと、それはそれはご満悦だった。
その真備が、まさかあんな性根のねじくれた耄碌爺だとは。
本当にどんな人生を送ったらああも鼻持ちならない人物になれるのだろう。つくづく、希彦としては不服であった。
ついさっきだってそうである。
真昼だというのに、急に一杯やりたいなどと言い出した。
最初は聞き流していたが、巧みな言葉で希彦を挑発。
売り言葉に買い言葉で彼の持ちかけた"勝負"に応じ、そして案の定(本人はそう思っていないが)希彦が負けた。
その結果、こうして小僧まがいのおつかいに行かされているのだ。
不服も不服、大不服。取り柄の美顔にこれでもかと不機嫌の三文字を貼り付けて、希彦は拠点のアパートへ向けて歩いていた。
……やめよう。
過ぎたことは忘れるべきだし、もっと建設的な思考に時間を使うべきだ。
だいたい年長者の横暴にふて腐れるだなんて、それこそ子どものやることではないか。
不満たっぷりの思考をなんとか切り替えつつ、前を向いて。
そうだ、そういえば昨日真備の奴がなにか意味深長なことを言っていたな――と思い出したところで。
希彦は、それを見た。
"彼女"を、見つけた。
「――――――――ほう」
思わず漏れた声は、そんな音だった。
希彦は、大の女好きである。たらし、と言ってもいい。
女性経験は豊富も豊富。この世界でさえ、真備の邪魔が入ったとはいえ口説き落とす一歩手前まで行っていた。
その希彦が、ひと目見た瞬間に思わず感嘆の声を漏らした。
それほどまでに、美しい女……いや、少女がそこにいたからだ。
あどけない顔立ちは純真ながら、既に大人の色気の片鱗を宿しつつある。
スタイルも実に素晴らしい。胸が大きいのは、言わずもがないいことである。
頭頂部のアホ毛も、彼女ほどの美少女だとわざとらしくもあざとくも見えない。いやあざといのだが、それが素直に魅力になっている。
だがそんな外見的特徴を抜きにしても、自分は彼女に見惚れていただろうと断言する。
なんというか、すごく眩しいのだ。
希彦のアパートは決して今風の、小洒落た建築様式ではない。
"古い"と"新しい"の中間。どっちかというと、前者寄り。
そんな寂れた建物でさえ、彼女の近くにあるというそれだけで妙に華やかに見える。
仮に彼女の後ろに佇む背景が腐臭放ち蛆虫の涌くゴミ山であったとしても、同じだったに違いない。
まるで、世界をその眩い存在感で圧しているかのよう。
希彦は彼女を、こう思った。――太陽のような少女(ひと)であると。
これは、捨て置けない。
男として生まれたからには、断じて捨て置けない。
そうと決まれば善は急げだ。
希彦はさっきまでの苦虫を五匹噛み潰したみたいな顔から一変、いつもの甘いマスクに戻って少女の方へ早足で向かった。
ちなみに、希彦も美しければ誰でもいいというわけではない。
一応分別はある。中学生以下と還暦以上は相手にしない。
ただ、見たところ彼女は高校生くらいに見えた。
未成年ではあろうが、男と女が同じ空間に揃ったなら法律など無力である。
法より自分を上に置く希彦は少女へ歩み寄ると、さっそく口を開いた。
「お嬢さん。何か、お困りですか?」
その声に、少女が振り返る。
間近で見ると、ますます唆るものがあった。
まさかこのストレスフルな仮想都市でこんな逸材に出会えるとは。
僥倖僥倖、と思いながら微笑む希彦に。
少女はぱっと表情を明るくして、当たり前のように問いかけた。
「――あ、よかった。ここにマスターが住んでることは分かってたんだけど、よく考えるとどこの誰だかまでは知らなくて」
「……、……はい?」
「あなただよね、ここのマスター。かっこいいお兄さん!」
――今、この少女はなんと言った?
理解した瞬間、希彦のスイッチが切り替わる。
女を口説かんとするひとりの男から、聖杯戦争のマスターへ。
〈古びた懐中時計〉を手に、針音の仮想都市へ迷い込んだ演者の思考回路へと。
その瞬間、今まであんなにも美しく見えた少女の輝きがひどく恐ろしいものに見えた。
咄嗟に懐へ手を突っ込む。聖杯戦争とは常在戦場。希彦は常に、式神の召喚符とした札の数枚を懐へ忍ばせていた。
臨戦態勢。いや、ともすればこのまま仕掛けても不思議ではない勢いで。
相対する希彦へと――、少女は首をぶんぶん横に振って、続けた。
「わわわ、違う違う! そういうつもりで来たんじゃないよ〜!!」
「……じゃあ、何用です? できれば簡潔に答えて貰えると助かりますね」
「――えっとねぇ。私、友達がほしいんだ」
「…………今なんと?」
……彼女は今、なんと言った?
眉間に皺を寄せてしまう希彦のことなど一顧だにせず。
少女は、椅子に座って足をばたつかせる子どものように楽しげに語る。
「せっかくみんなで一緒に遊ぶんだもん。ずっとひとりで頑張るなんて、あんまりおもしろくないでしょ。それに寂しいよ」
「えぇ、……と。それはつまり、僕らの陣営と同盟を結びたくて来た、という認識で合ってましたか?」
「あ、うん! まあそんな感じかな。お兄さんたち、この間ここで結構派手に戦ってたでしょ?」
希彦の脳裏に蘇るのは、あの竜牙兵達の襲撃だった。
明らかに只の使い魔の域には留まらない戦力と猛威。
忘れられる筈もない。あれは、希彦にとっては屈辱の記憶だったからだ。
自分が築いた結界の陥穽を、敵の襲撃というこの上なく直球の形で突き付けられた。
挙句自分のサーヴァントに助けられ、なんとか難を逃れた忌まわしい夜の話。
そのことを振られて、見られていたのか――という驚きよりも矜持の問題で顔が曇ってしまう。
「驚いた。使い魔の気配には細心の注意を払っていたつもりなんですがね」
「ふふん。私のキャスターはすごいんだよ? この街のことならなんでも分かっちゃうんだから」
「……キャスタークラスを従えてるんですね。なるほど」
「あっ……。ご、ごめん! これオフレコで! 言っちゃダメって言われてたんだった……!」
わたわた、とコミカルにリアクションする少女をよそに希彦は思う。
同盟の申し出。そんなもの、優れたる己には無用である……と希彦の自尊心はそう言っていたが。
一方で希彦の理性の方は、悪くない話であると一考の価値を見出していた。
先ほどはああ言ったが、吉備真備の能力を信用していないわけではない。
彼の人柄には多分に、実に多分に言いたいことがあるが、悔しいが希彦は優秀故に分かっている。
あの陰陽師は、間違いなく自分が勝利を収めるにあたり有用な駒だ。
この現状には文句があるものの、事実上、自分の現在の戦力は盤石と言っていい。
ならばそこに、更に戦力が上乗せされたらどうなる?
答えるまでもない。ただでさえ決まりきっている勝利の道は、さぞや危なげのないものになるだろう。
自分がいて、――不本意だが――あの老人がいて、そして利害の一致する他者がいる。
であればますます負ける筈がない。ほぼ確定している勝利から万一の要素まで取り除けるかもしれない。
そういう意味で、悪い話ではないと希彦はそう思っていた。
(……前向きに検討する価値はある、か)
心のなかで頷いて、改めて希彦は少女へ向き直る。
その顔には、露出しかけた地金はもはや鳴りを潜めていた。
「――分かりました。では、中でもう少し踏み込んだ話をしましょうか」
しかし、だ。
改めて見ても、本当に可憐な少女だと思う。
まさしく太陽のような美貌と、存在感だ。
何しろ彼女の魂胆が割れた今でも、毛ほども警戒心や猜疑心のようなものを抱けない。
希彦は彼女が聖杯戦争のマスターであると知った時、驚くと同時にある種の納得を抱きもした。
ああ、それはそうだろう。
このヒトが、まさか吹けば飛ぶような造り物などである筈がない。
――恐らく自分は、この交渉の行く先がどこであれ生涯彼女を忘れはしないに違いない。
こんな、本当に美しく、可憐なヒトのことを。忘れられる筈が、ない、と。
故に惜しい。自分が勝利するからには、いつかこの美しいものを虚構世界の塵に変えねばならないことが。
……香篤井希彦は紛れもなく優秀。
麒麟児、神童と言っても何も間違いはない。
彼は神に愛されている。世界に望まれている。
勝つべくして生まれ、自らもその自負を抱く天禀。
だからこそ彼は、誰よりも早く彼女に出会えた。
地上の太陽。狂気の星。美しき女。そして、天地神明の冒涜者。
――希彦は、■■と出会った。
◇◇
すっかり見慣れた部屋の扉を押し開ける。
いつもと違うのは、後ろに白髪の少女がいること。
屈辱の安酒を入れた袋を揺らしながら部屋に入るなり、居間の老人が希彦をちらりと一瞥した。
「ほれ見たことか」
開口一番に、老人――吉備真備はそう言って肩を竦めた。
だから言っただろう、というような言葉と仕草。
その意味を希彦は知らぬまま、少女を奥へと誘う。
少女は靴を脱ぎ、行儀よく揃えて先導する彼の後に続いていった。
「キャスター。見ての通り客人です。女性の前です、僕の顔を潰すような真似だけは控えてくださいね」
「若僧が気取りおってからに。外面の体面を考えるなんぞ百年早いわ」
希彦が差し出すレジ袋を受け取って、真備はカップ酒だけを取り出した。
一緒に買ってきたつまみは取り出さず、そのまま蓋を開けて口をつける。
それからようやく、老陰陽師の瞳が希彦の連れてきた"客人"へと向けられた。
その瞳にいかなる感情が込められていたのかを、若き陰陽師は介さない。
ただ、真備の視線に少女は朗らかな微笑みを返した。
「お前さん、名前は」
「祓葉。神寂祓葉」
「フツハ、の。神寂れて祓う葉、ってとこか。後半は完全に皮肉じゃな、殊勝ぶりおって」
美しい名前だ、と希彦は思う。
風変わりだが、彼女の雰囲気によく合っていた。
神の字が入っているのも悪くない。
神寂。その美貌が、佇まいが放つ神秘的なものを端的に一言で言い表しているかのようだ。
とはいえ今回ばかりは、趣味嗜好で誑かしたわけではない。
彼女を此処へ連れ込んだのはれっきとした戦略的判断なのだと、そう伝えようと希彦が口を開こうとした時。
それを遮って、真備が少女――神寂祓葉へ変わらぬ声色で続けた。
「して、何をしに来たんじゃお前さんは。人んちに手土産もなく上がり込んで」
「希彦さんにもさっき説明したんだけどね。同盟とか組んだりできないかなーって。どうかな、おじいちゃん」
「同盟と来たかよ。よくもまあ、いけしゃあしゃあと宣えるもんじゃ。
まあ、儂は既に生涯を終えた身よ。願いも有るし進んでお前さんの毒牙に掛かってやる気もないが――決めるのはそこの希彦じゃ。
今更軍師の真似事をするのも骨が折れるんでの。儂なんぞ背景か何かと思って、その青い坊主に聞きゃあいいわい」
だが、まあ、と。
そう言って真備は、口元を濡らした酒を袖で拭う。
その顔には笑みが浮かんでいた。不敵な笑みだ。老いて益々壮んなる、暴力的なまでの生命力が滲んだ笑みだ。
希彦の見たことのない顔だった。この男はこんな顔をするのか、出来るのかという驚きが自分を無視して話を進められている事実に湧いた不服をかき消す。
「――魂胆が何であるにせよ、盟を結ぶとほざくなら地金を晒せよ。最低限の礼儀ってやつじゃろ、なあ?」
光景だけ見ればそれは、老人が孫を諭しているようにしか見えないだろう。
真備の言葉は詰問だったが、彼は決して怒気や恫喝の色合いなど見せていない。
だからこそ、言葉の内容とは裏腹にこうしてどこか牧歌的な光景にさえ見えるのだ。
そして。天下の吉備真備にそう臨まれて尚、欠片の萎縮も見せない少女もまた――異様。
「うぅん。私、あんまり難しい話ってわからないんだよね。
逆におじいちゃんは、私に何を言ってほしいの? 私は、何を打ち明けるべきだと思う?」
香篤井希彦は自惚れと自尊心の塊である。
そんな彼ならば、使い魔が自分を差し置いて敵方と掛け合っているという状況には本来噴飯して然るべきだ。
その彼が今大人しく口を噤んでいた理由は、目の前の光景のあまりの異様さである。
いつになく只ならぬ兆しを見せている真備もそうだが、それと相対する自分の連れてきた客人――神寂祓葉。
思えば最初からおかしかったのだ。希彦のアパートを守る術式の中には、霊体を検知して警報を鳴らす仕組みというものが含まれている。
故にたとえ霊体化させていようが、サーヴァントが敷地内に入れば直ちに警報が鳴り響き、その存在は希彦の知るところとなる。
だというのに今に至るまで、件の仕掛けは作動する気配さえ見せていない。
その意味するところは、ひとつであった。
この少女は、サーヴァントを同伴させることなく敵地に悠々とやってきて、同盟を申し入れている。
確かにいささか思慮に欠けた、無鉄砲じみた前向きさの付きまとう人物ではあったが、これは此処まで生存してきたマスターの行動としては明らかに異常な軽率さであろう。
「本当ならのう、儂もせめて正念場に入るまではもう少しのらりくらりと久しい現世を楽しみたかったんじゃ。
知識と一口に言っても質がある。人聞きで取り入れたもんと自分で経験して蓄えたもんとでは玉石の差が浮き上がってくるのよ。
じゃから未来の受肉の先取りがてらに、虚構とはいえ当代の都を見聞したかったんじゃが……」
吉備真備は、この世界に召喚されてすぐ"それ"に気付いていた。
針音の響く仮想都市。聖杯戦争を行うためだけに創造された、願いを培養する試験管。
その中に蠢く、いくつかの明確な脅威の気配。
そしてそれらすべてを凌駕して輝き脈動する、得体の知れない何か。
よって、すぐに真備は辟易へ至った。
理解したのだ。自分が引いたのは、どうやら貧乏くじの類であったようだと。
今この都市が置かれている状況に比べれば、どこぞの生臭坊主が連れてきた左府の悪霊なぞ小波に等しい。
都市を、世界を、喰らい滅ぼせる〈もの〉たちが無数に蠢く蠱毒の壺。
その壺を大事そうに両手で抱えて、愛おしそうに中を見つめる禍つの星。
これらを調伏しなければ願いだ何だという話のスタートラインにも立てないなど……これを貧乏くじと呼ばずして何と言えばいいのか。
「まさか地獄絵を描いた張本人がよ、素知らぬ顔で地獄を練り歩いてるとは思わなんだ」
「……は? ちょっと、キャスター。どういうことですか……?」
「どうもこうもあるかよ。儂はお前さんに言ったじゃろ、じきに"遭う"やもしれんと」
吉備真備は、皺の寄った手で白い少女を指差した。
希彦がそれを追って、再び視線を彼女へ向ける。
神寂祓葉。希彦が出会った敵にして、客人にして、未だかつて出会った覚えのない美しい女。
彼女を指して真備は言うのだ。宛らそれは、ひどく面倒な仕事でも押し付けられたみたいな顔で。
「――神寂祓葉。お前さんの連れてきたそいつが、この聖杯戦争の仕掛け人じゃ」
◇◇
一瞬、静寂が流れた。
住み慣れた、無数の護符と結界で覆った、この都市の何処より安心できる筈の空間が、今は見知らぬ場所のように冷たく張り詰めていた。
それでもなんとか口を動かして発した音は、希彦自身でもひどく不格好だと感じるような情けのない音だった。
「な――にを、馬鹿な」
聖杯戦争の仕掛け人?
この少女が? 神寂さんが?
馬鹿を言え。耄碌も此処まで極まったか。語るに落ちるぞ吉備真備。
美人に絆されて庇い立てようとしているのではない。
常識的に考えて、そんな馬鹿げた話はないだろうと言っているのだ。
「子どもでもおかしいと分かるでしょう、推測にしても飛躍しすぎている。
聖杯戦争を仕組んだ側の人間が、わざわざこうしてお忍びみたいに訪ねてくるわけがない。
仮に何か魂胆があったとしても、そうせざるを得ない理由があったとのだとしても、普通もう少し上手くやる筈だ」
そう、もしも彼女が本当に仕掛け人――もとい黒幕だとするならば、あまりに行動が軽率すぎる。
英霊を伴うことなくひとりで訪ねてきて、挙句その相手のサーヴァントに自分の素性を見透かされるなど、あまりにお笑いではないか。
だから希彦は躊躇なく真備の言葉を妄言と判断して、一笑に伏した。
そんな彼の体たらくに真備はやれやれとカップ酒をもう一口呷り、再び祓葉に口を開く。
「と、ウチの小坊主はこう言ってるが。実際のところはどうなんじゃ?」
「すごいね。できれば隠しておきたかったんだけど」
「――は?」
希彦の声が虚しく響く。
祓葉が返したのは否定でもなく、かと言って誤魔化そうとするでもなく、一も二もない肯定だった。
「ていうか、そんなに変だったかなあ……。うぅん、やっぱり嘘つくとかお芝居するとかは苦手だよ。反省」
「……え。いや、神寂さん? 何言ってるんです、あなたは」
「ごめんね、希彦さん。ヘンに警戒させて嫌われちゃっても嫌だから、しばらくは黙っておくつもりだったんだ」
分かりやすく本性を表し牙を剥きはしなかった。
むしろ祓葉は、最初から今まで変わらない姿を希彦に見せ続けている。
素直で、見て分かるほどに純朴で、後ろ暗いものとは無縁に見える。
世界の現実を知らないまま、無垢にひた走ってきたのだろうと勝手にバックボーンを想像してしまうような眩しさであり続けている。
だからこそ、彼女が彼女として紡ぐ"種明かし"の言葉は何か道理の通らない不協和音のように耳に響いた。
「でも、勘違いしないでほしいんだけどね。
確かにこの聖杯戦争(ゲーム)を始めたのは私たちだけど、別にみんなに嘘を吐いたりはしてないよ。
私たちもプレイヤーのひとりで、希彦さんたちとおんなじ条件で戦ってる。
何かすごいズルをしてるとか、勝っても聖杯は願いを叶えてくれないとか、そういう裏話はないから安心して?」
「……本気で、言ってるんですか? あなたは」
「うん。私が仕掛け人なのも本当だし、聖杯戦争があくまでフェアな仕組みだってのも本当。
せっかくみんなで遊ぶってのに自分だけズルをしたってつまらないしね。やっぱりゲームは、みんなで平等に楽しく遊ばなくちゃ」
臆面もなく、嘘偽りもなくそう語る祓葉の姿は相変わらず美しい。
可憐だ。微笑みは眩しく造形は清らかで、事此処に至ってさえ意識していなければ警戒心を忘れてしまいそうなほど。
しかし語っている内容は、希彦に言わせればとにかく意味不明だった。
なんというか、自分を含めた他すべての人間の認識とズレている。一人ひとりに聞き回ったわけではなくとも、そうだと断言できる。
「もちろん、希彦さんと同盟を結びたいっていうのも本当だよ。言ったでしょ、ずっとひとりで戦うのは寂しいからって」
すべての黒幕が、ゲームマスターが、誰より眩しい笑顔でプレイヤーたちに混ざって戦っている。
その上で、何も狡いことはしていないと言い放つ。
普通に考えれば信じるに値しない文言だが、祓葉という少女にはそれを本心だと聞く者に道理を無視して納得させる説得力があった。
出会ってまだ数分しか経っていない希彦でさえ、気付けばいつの間にかそういうものと認識してしまっている。
"神寂祓葉は嘘など吐かない"。彼女はそんなつまらない悪意手管に頼るほど、矮小(ちいさ)な人間ではない――と。
「そういうわけで、こんな私だけど……どうかな」
「いや……どうかな、って……」
「……あ。ちなみに私、結構強いよ! いざとなったら希彦さんのこと、ビシバシ助けるし! この剣でぶおーんって!!」
「――とりあえず人んちで物騒なものいきなり出すのはやめて貰えるとありがたいです。いや、本当。これ以上情報量増やさないで下さい、こっちは今咀嚼するだけでいっぱいいっぱいなので」
ぶおーん、のところで本当に右手から光の剣を出してみせる祓葉から目を背けて希彦は顔の前で手を二度三度と振った。
本当に訳が分からない。いや、懇切丁寧に説明はしてくれたのだが、理解するのとそれを呑み込めるかは別問題だ。
真備の自由過ぎる言動に振り回される日々も同盟者ができれば一段落か、とぬか喜びした数分前の自分がまるで馬鹿のようである。
そんな希彦をよそに、真備は今の一連のやり取りを既に"咀嚼"し終えていたようで。
ことり、とカップ酒を卓袱台の上に置き、酒臭い息を小さく吐いた。
「……どうやら、想像以上の阿呆みたいじゃの。
不幸中の幸い……とはならんか、まあ。要するに"これ"だから"こう"なったという訳じゃろうし、いよいよ面倒臭くて敵わんわい」
祓葉が先ほど出した"光の剣"。
アレも、真備の眼から見れば希彦が見るのとは色々と違ったことが見えてくる。
まず第一に魔術ではない。どちらかと言えば現象の類に等しく、だとしても構造があまりに異常だ。
近いものを挙げるとすれば神霊が行使する"権能"に近いと真備は認識したが、それともまたあり方のかたちが違うように映る。
要するに――分類不能の異形。吉備真備をして、下せる判断は結局そこに落ち着く他なかった。
むしろ彼だからこそ、今のわずか一瞬で此処まで分析を下すことができたのだ。
これまで彼女の前に散っていった者たちで、彼と同じ領域まで踏み入れた者がどれほどいたか。
古の規格外たる吉備真備が、現代の規格外たる神寂祓葉を観る。
その上で彼は、祓葉へもう一度言葉を投げかけた。
「儂にとっても聖杯の獲得は他人事じゃないがの。さっきも言ったが、あくまで決定権を持ってるのはそこの希彦よ。
よって儂は、希彦が決めたならそれに従うまでよ。後は若い二人でキャッキャウフフと洒落込んどりゃあいい」
希彦の抗議が入る前に、「じゃが」と続ける真備。
「これもまた、さっき言ったな。
"盟を結ぶとほざくなら地金を晒せ"。それが最低限の礼儀ってもんじゃと」
「……、……」
「喚ばんかい、お前のサーヴァントを。
儂は若い者が結論出すまでの間、そいつとでも喋ってることにするわ」
ニヤリ、と。
そんな擬音が目に浮かぶような笑みで、吉備真備はそう言った。
祓葉はそれに、少しだけ驚いたような顔をする。
まさかそういう申し入れが入るとは思っていなかったのか――そういうところまで含めて、つくづく交渉沙汰は苦手なのか。
ただ、すぐにちょっとだけ上を向きながら口元に指を当てた。
「……たぶん呼んでも来ないと思う。電話じゃダメ?」
小首を傾げて問い掛ける祓葉と、「もう何でもいいわい」と投げやりに答える真備。
そんな二人をよそに、希彦は自分の順風満帆な聖杯戦争の航路がまたしてもあらぬ方向に向かい出した事実にひどく顔を顰めているのだった。
◇◇
やいのやいのとやり取りしていたが、どうやら話がまとまったらしい。
白い少女、神寂祓葉に差し出されたスマートフォンを真備が受け取る。
現代文明の象徴と化して久しいその薄板を耳元に当てる姿は、遥かの昔を生きた老人とは思えないほど違和感なく様になっていた。
カップ酒の残りをわずかに口に含んで、喉を鳴らす。それから口を開く――ところで、通話越しの声が不機嫌に割り込んだ。
『なんだ。ボクは忙しい』
「おうおう、ご挨拶じゃの。一体どんな怪しげな男が出てくるかと思えば、なんじゃただの餓鬼かい」
少年の声だった。
真備はハッ、と笑う。
少年と、老爺。
ふたつの声が、彼らの生きた時代には存在しなかった通信技術を通じて交差する。
『ボクは、忙しいと、言ったぞ?』
分かりやすく不機嫌な声に老爺はくつくつと笑った。
正直なところ、彼の予測とは違うタイプの相手だった。
神寂祓葉は超人である。実際に彼女が戦うところを見ずとも、真備にはそれが分かった。
アレは忌み子であると同時に鬼子だ。
存在するだけで他人を、世界を狂わせ、いずれは破綻させるそういう生物だ。
ならばそんな彼女が従えている"魔術師"、聖杯戦争を真に仕組んだのであろう何者かは果たして如何なる超人魔人であるのかと。
魑魅魍魎、神魔天魔のたぐいを描いていたからこそ、虫の居所の悪い稚児のような声が返ってきたことに肩を透かされる。
『察するに、既におまえはすべてを知っているのだろう。
祓葉に真実を包み隠す器用さなんて期待しちゃいない。今更慌てふためいてフォローしようとも思わない』
「回りくどい奴じゃの。で? 何が言いたいんじゃ。通話料も時間もタダじゃない、結論は急いだ方が経済じゃぞ?」
『こちらの台詞だ。おまえは何のためにボクへ接触してきた』
自分から電話を掛けさせておいてこの物言い。
老獪なる軽口に掴みどころはなく、それでいてすべてに無駄がない。
文面だけで見れば単なる煽り、おちょくりの類に聞こえるやもしれないが、真備は会話を通じて相手の像と実体を測っている。
人物像。言葉の端々に滲む思考の指向性とその思想。
吉備真備は陰陽道の祖たる偉大な術師だが、それだけではない。
聖武天皇に寵愛された世渡りの才能と実務能力。
そして恵美押勝の反乱を鎮めた、本職顔負けの軍略。
術だけが取り柄の坊主と侮るなかれ。
生涯、いや死してなお鍛錬と蒐集を怠らぬ真備の能力はこの世の萬に通じる。
針音の都市世界を設計した神の如き魔術師に接触し、霧に包まれたその素性へ迫らせるならばこれ以上の逸材はいないと言ってもそう過言ではない。
『祓葉の考えは想像できる。彼女にとってはその行動のすべてが物見遊山だ。
今更首輪を付けようという気にもならない。よってボクの回答は"好きにしろ"で完結する』
「驕りも極まっとるのぉ。お前んところのおてんば娘以外はすべてが石塊だとでも言わんばかりじゃ」
『言わんばかり、ではなく、実際にそう言っている』
真備の魂胆を知ってか、それとも知らないでか。
いや、そもそも何がどうだろうが"どうでもいい"のか。
電話の向こうの少年は時間を淡々と、粛々と言葉を重ねた。
水面に波紋を立てるべく挟まれた真備の茶々に対しても、それは同様だった。
『おまえ達が誰であろうが、何をしようが、すべては些事だ。
端役が舞台端で如何な名演を魅せようと、それが物語の結末を変えることはない。
絶対的な主役の存在は、その他一切を霞ませる。
老人。おまえの不幸は、人よりも頭の良かったことだ』
測るならば好きにすればいい。
見透かすのなら、どうぞ自由にやればいい。
それでは何も変えられない。
誰ひとり、何ひとつ、この都市に響く針音を狂わすには値しないのだと。
少年は、持ち前の偏屈さだけでは明らかにない傲岸不遜な言葉で聖杯戦争のすべてを否定した。
自分で舞台を仕掛け、機構(システム)を組み上げ、時計を配って招き寄せたとは思えない物言いと態度。
『おまえは何も知らないまま、ただ要石と一緒に身の丈に合った"物語"を紡いでいる気になっていればよかった。
そうすればおまえ達好みの成長、昇華、飛翔……俗に言う劇的な展開とやらに浸ることもできた。
だがすべては終わっている。老人。おまえは、彼女を"視て"しまった』
なるほど、要するにこう言いたいのか。
何も知らないまま、神寂祓葉とつかの間の交流を経て物語を紡いでいけばよかった。
であればそこにはさぞかしドラマチックな成長と離別が待ち受けていただろう。
たとえこの先、当然の末路として死に果てるとしても、端役には見合わない最期を賜ることができたはずだ。
しかし吉備真備(おまえ)は優秀だから、ひと目見た瞬間に祓葉の配役が何であるかに気付けてしまった。
であればもう酔うことすら許されない。
身の丈は明確に示され、端役のまま、その立場を噛み締めながら舞台端で踊るしかないのだと。
こいつはそう言いたいのだな、と理解して、真備はされどその最大級の侮辱にさえ眉を寄せはしなかった。
むしろ逆だ。
ほうれ尻尾を出しおったわと、古狸めいた飄々とした性格に似合わない猛禽のような笑みを浮かべる。
「そうかそうか。よ〜く分かったわい」
分かったこと。
この魔術師(キャスター)は、能力はともあれ人格的にはおよそ成熟しているとは言い難い。
自分の機嫌の善し悪しがすぐ態度に出る。それを隠す能力というものを、おそらく持っていないか軽視している。
いわゆる厭世家という手の人種に多い性格だ。この手の人間はとにかくあちこちに敵を作るので、さぞ生前は苦労したろうと思う。
だからこそその投げかける言葉には嘘も容赦もなく、下手に社交的な者よりよほど分かりやすい。
その証拠に今しがたの冷淡な侮辱(せいろん)の中に、彼の思想の核、そうでなくとも相当量のウェイトを占めているのだろう文言が紛れていた。
「――そんなにも許せんか、キャスター。今を生きる人間の不完全が」
成長、昇華、飛翔。
人が何かを経て育つという過程。
そこに向けられた皮肉の刃先。
真備はそれに、憎悪にも似た嫌悪の念を見出した。
『ああ。許せないとも』
少年は、身も蓋もないほどあっさりと答える。
『ボクはそこの馬鹿とは違う。ボクはおまえ達の歩む過程、そのすべてを軽蔑する』
「阿呆め。お前さんとて母親の股から生まれ出て、乳を吸って育ったのだろうに」
『幼稚な返しだな。生物としての成育過程と、存在としての成育過程とでは話が違う』
虫が草木を食んで肥え太り、蛹になって空へ羽ばたいていく。
子が母親の乳を飲んですくすく育ち、いつか自分も誰かと子をなして種を存続させる。
これを生物としての成育過程と称するならば、では存在としての成育過程とは何事か。
決まっている。
弱い者が毎日欠かさず鍛錬を積み、長い年月を経て天下に名を轟かす英雄になる。
未熟な子が寝食を惜しんで知識を蓄え、前人未到の新理論に辿り着く。
それを指して存在の成育過程と称する。これは、そういうものを忌み嫌っている。
まるでそれが種の原罪、人類の悪徳の最たるものであるとでも言うように。
『とはいえ、ボクもまたそういう道を辿って此処まで来たことを否定はしない。
その上で、ボクはそれを否と断ずる。研鑽を積み、理論を造り、後世に継いで希望を託す……それは無能の言い訳というものだ。
ボク自身も含めて、この種は誰もがそういう失敗を繰り返してきた』
「神にでも憧れとるのか。そういうことを大真面目に考えるのは十代の内に卒業しておくべきじゃと、儂は思うがなあ」
『神なんて不確かな幻に懸想しようという発想自体、星に手が届かないから生まれたものだろう』
確信する。
この少年は、針音仮想都市の主は、断じて大人物などではない。
思想も理屈も破綻している。さながら思春期を引きずったまま大人になったかのようだ。
だが説き伏せることは不可能だろう。相手にそもそも議論する気というものがないのなら、釈迦の説法さえ無粋な宗教勧誘と変わらない。
なるほど。
実に厄介である。
決して聞く耳を持たない幼稚な全能者。
癇癪持ちの帝が世を統治しているようなものだ。
それが万の軍勢であるのなら、どうにでもなる。
だが今宵の愚帝は、星を連れている。
地平の何より眩しく輝き、奔放に暴れ回る光の星。
愚かな魔術師は――星に、愛されてしまっている。
「どこの誰かは知らんが、ずいぶんとまあ威張り腐った小僧なことじゃ。
まるで世のすべてをその眼で見てきたとでも言わんばかりの物言い、何とも餓鬼臭いわ」
さながら今、この都市は津波に攫われる間際の町。
しかし合点が行った。
自分が見てきた、感じていたいくつかの災厄の兆し。
ひとつの星が導いた、無数の〈厄〉。
その中点に位置する星こそが、これらだ。こいつらなのだ。
「ま、いつの世も極まった馬鹿につける薬はないもんじゃ。
お前さんのような輩は結局、首を刎ねられて宙を舞う最期の時まで懲りるってことが出来んのだろう。
話はできた。もう切ってもいいぞい、貴重な時間を邪魔して悪かったの」
『自覚してくれたなら何よりだ。まったくもって無駄な時間だった』
「ああ、悪い悪い。最後にもうひとつ」
吉備真備は聡明である。
だから分かる。
この都市はあまりにも歪んでいる。
正統な聖杯戦争ではないとか、そういう次元の話ですらもはやない。
すべてが舞台なのだ。
だから集められた者達が演者(アクター)などと呼ばれているのだと今理解した。
――風のすべてが彼女の歌。
――星のすべてが彼女の夢。
世界のすべてが、彼女のために存在している。
故にこそ舞台。
どこまでも結末を配役に縛られた茶番劇。
その中で自身の存在を誇示し、決まりきった脚本を覆すことの何と困難なことか。
言うまでもなく、絶望的だ。これに比べれば遣唐使の旅、仲麻呂めの反乱、いずれもどれほど容易い課題だったか分からない。
天を仰いだとしても、誰も真備を責めないだろう。
それでも、やはり。この期に及んでまだ、老人は笑っていた。
「あんまり舐めてんじゃねえぞ、ケツの青い小童が」
筋書き、配役、なるほど無体だ。
神の如き力、実に恐ろしい。
蠢く災厄ども、まったく難儀だ。
で、ならばどうする。決まっている。
――挑めばいい。
道を塞ぐものがあるならどければいい。
知恵を凝らし、力を絞り、政治をやって打ち破るが吉備真備の生き様なれば。
今此処で、神を騙る独裁者に戦線を布告することに毛ほどの迷いもなかった。
通話が切れ、ぽーん、ぽーん、という無機質な音だけが連続する。
真備はスマートフォンを握りながら、酒を先に呑みきってしまったことを惜しく思った。
ああ、今ならば。さっきまでよりよほど旨く、重たい酒が呑めたろうによ――と。
◇◇
希彦は迷っていた。
彼は、自他ともに認める尊大の化身である。
何故なら彼には、それだけの能力と生まれがあったから。
比喩でなく、人生のすべてを思い通りにしてきた成功者。
その彼が、迷っている。
希彦の前には、白い少女が座っている。
にこにこと、悩みなどひとつもなさそうな顔で微笑んでいる。
美しい。可憐だ。これ以上の花は、きっとこの都市のどこにも咲きはすまい。
これは異界の美だと、まだ希彦は理解できない。
彼は確かに優秀だが、しかしそれはあくまでも人間の枠組みの中での話。
井の中で無敵を誇った雄々しい蛙が、その外で最初に出会うべきもの。
勝利、挫折、あるいはそれ以外。
そうした本来あるべき過程をすべて踏み飛ばして、希彦は極点に出会ってしまった。
だから迷うのだ。迷うし、悩むのだ。
自分が今何に迷い悩んでいるのかも分からない、そのことも含めて彼は答えの出せない命題の前に座り続けている。
(――どうでした、キャスター?)
(おう。まあ、ぼちぼちじゃの)
(ぼちぼちって……他に何かないんですか、あなたは)
(何かもクソもないわ。得られたもんはあったが、今此処で伝えてもお前さんを無駄に悩ますだけじゃぞ。それでも今聞くか?)
真備の念話に、希彦は閉口せざるを得ない。
だが今度ばかりは苛立ちや呆れで黙ったわけではなかった。
(のう、希彦。儂は言ったな。お前さんもそろそろ"遭う"頃じゃと)
希彦は今、アーサー王の伝説を思い出していた。
これを引き抜いた者は王になる。
そう記された聖剣が突き刺さった台座を前にしたかの王と、今の自分の姿が重なる。
されど今回ばかりはナルシシズムによる陶酔ではない。
眩いばかりの輝きを放つ剣。それが、甘言を囁く悪魔のように思えた。
王になる。されどそしたら何か、とても大きなものを取り返しのつかない形で失ってしまう、ような……。
(覚悟ができとるにしろそうでないにしろ、こればかりは儂の出る幕でもないんでの。ちゅうわけで、まずはお前が選べ)
真備は言う。
少女は笑っている。
星が、目の前にいる。
(――最初の試練じゃ。主役気取るなら男見せてみい、香篤井希彦)
時間はもうない。
希彦の、らしくなく乾いた唇が、ぱり――と、音を立てた。
【中央区・希彦のアパート/一日目・午後】
【香篤井希彦】
[状態]:健康、動揺
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:式神、符、など戦闘可能な一通りの備え
[所持金]:現金で数十万円。潤沢。
[思考・状況]
基本方針:優勝する。自分らしく、いつものように。
1:神寂祓葉の申し出を――
2:この人は、いったい。
[備考]
【キャスター(吉備真備)】
[状態]:健康
[装備]:
[道具]:『真・刃辛内伝金烏玉兎集』
[所持金]:希彦に任せている。必要だったらお使いに出すか金をせびるのでOK。
[思考・状況]
基本方針:知識を蓄えつつ、優勝目指してのらりくらり。
1:さて、どうなることやら。
[備考]
【神寂祓葉】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画(永久機関の効果により、使っても令呪が消費されない)
[装備]:『時計じかけの方舟機構(パーペチュアルモーションマシン)』
[道具]:
[所持金]:一般的な女子高生の手持ち程度
[思考・状況]
基本方針:みんなで楽しく聖杯戦争!
1:どうなるかなー。いい返事が聞けるといいな。
2:ヨハン、お電話ちゃんとできたかな……。
[備考]
【???/一日目・午後】
【キャスター(オルフィレウス)】
[状態]:健康
[装備]:
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]
基本方針:本懐を遂げる。
1:下らないことに時間を使わせないでほしい(けっこう、怒ってる)
2:あのバカ(祓葉)のことは知らない。好きにすればいいと思う。言っても聞かないし。
[備考]
投下終了です。
天枷仁杜&キャスター(ウートガルザ・ロキ)
楪依里朱&ライダー(シストセルカ・グレガリア) 予約します
投下します
『──ホムンクルス36号? それがあなたの名前? うーん、呼びづらいなあ。
──そうだ、『ミロク』! うん、それがいい! 今日からあなたは、ミロク!』
その煌びやかな笑顔を、覚えている。
別にその笑顔に、見惚れた訳ではなく。思慕の情が芽生えた訳ではなく。
振り返り、通った道を精査してみれば。困惑の方が多かったかのように思える。
そのような笑顔を浮かべるほど、何が楽しいのか。そのような笑顔を浮かべるほど、何が嬉しいのか。
抵抗する術を持たず、身動きのできないホムンクルス。完成したホムンクルス、自然の触覚であるそれらとは比べるまでもない。サッカーボールのように瓶を放ってしまえば、数秒後には息絶える脆弱な命。
利用価値もなく。聖杯戦争の行く先を考えれば、その場で瓶に穴を開けるだけで、彼女は最大のリターンを得る。
理解不能。識別不能。彼の知る少ない感情の何れを当て嵌めてもわからない、彼女の在り方。
───しかし。
忠誠を捧げるには、十分だった。
その精神性。その人間性。外見や性別など関係ない、彼女を彼女たらしめるモノ。ソレに、忠誠を捧げた。
故に。
眩いばかりの笑顔を。二度目の生となっても、覚えている。
──予想外のことに、振り回されてる時さ。
あの子は未知を愛している。だから僕にとって祓葉は最高の観客なんだ。
言わんとしていることは理解できた。
彼女の想定の上を行く。
まあ、これくらいだろうな、と予測されたその上を軽く飛び越えるような、そんな偉業。
彼女が正にその"偉業"を目の前にしたとき、どのような表情をするのか。その偉業こそが未知であるならば、過程から導かれる結果もまた未知である。
彼女は。果たして、どれ程の喜びに満ちるのか。
それは。おそらく、かつて瓶の中で初めて出会った笑顔よりも眩く───
それを、叶えることが必要か?
否。忠義とは何が。忠誠とは何か。
主の為に全てを尽くし、剣となること。それ以外に他ならず、それ以外は必要ない。
剣がものを言うか? 主を思い一人でに歩き出すか?
それも否。主となる存在が"為せ"というならば、ただ"為す"のみ。
彼女は聖杯戦争を再演させた。告げられた言葉は、なかった。
ならば、為すべきことはただ一つ。聖杯戦争を続ける。ただ、それのみである。
"一度目"と変わらず。尽くすべきを尽くし、彼女の在り方のみに尽くす。
"一度目"の結末に悔いはない。為すべきことを、為した。
──過去の焼き直しなんてやめた方がいい。今のままでは、きみの忠義が行き着く着地点は前と同じだろう。
故に。これまでの我が選択に、迷いはない。
目の前に鎮座する、"二度目"の選択肢以外には。
○ ○ ○
瞳に星が輝いている。
いや、少し表現が違うかもしれない。なんというか、こう、キラキラしている。
───聖杯戦争。境界記録帯を使い魔とし、生と死が彩る大儀式。その中で。
キラキラしている。アーチャーが。わたしのサーヴァントが。
どこで拾ったのか、日本の夏祭りで売っているような、ヒーローものの、青いお面を頭の左に掛けながら。
「…何それ」
「お面だ!」
「いや、それは聞いてない。何でそれを被ってるのか、っていう話」
「拾った!」
「主語が足りない…」
瞳を輝かせながら、『よいだろう?』と自慢をしている。お面を様々な角度から見せたいのか、なんというか、気が抜ける。わたしが参戦していたのは聖杯夏祭りだっただろうか。英霊一の盛り上げ上手でも競うのだろうか。
アーチャーには拠点の工房化をするにあたり、魔力探知・索敵能力に長けるアーチャークラスの強みを利用し見張りを頼んでいた。魔術師にとって工房は自らの城のようなもの。出向くにしろ籠るにしろ、まず何よりも重要な場所となる。
サーヴァントに治療を施すための陣。迎撃魔術。トラップの数々に、部屋の一部には強固な結界を張り、寝室には一定範囲に魔力を感知すると自動的にわたしに報せが飛ぶように細工をした。
───わたしの加速思考は、咄嗟の対応に適している。加速され周囲の時間が鈍くなったかのような脳内は、1秒を遥か長く引き伸ばし、彼女の思考に猶予を与える。アトラスの分割思考には劣るものの、数秒の思考の遅れが命取りの魔術の決闘では、大きく役に立つ。
その基本性能家の基本的な工房化を済ませて、少し休憩しようとソファに横になったら、これだった。
レンガ作りの家。洋風で纏められた家具の中に、和の装いを纏ったアーチャーがお面で遊んでいる。
「…欲しいのか?」
「要らない。ていうか、ちゃんとお金払ったの」
「案ずるな。アンジェのもあるぞ! なんと桃色だ!」
「…わたしが召喚したのバーサーカーだっけ。話が通じないんだけど」
「銭なら気にしなくとも良い。気前のいい男から『夏祭りの売れ残り』と貰ったのだ。
なんと当世の子供に人気の面とやらは一年で変わるらしくてな。売れないからやる、とのことなのだ」
確か。日本ではヒーローが一年周期で変わるのだとか。
元々サブカルチャーには詳しくないのだが、それだけは何となく知っていた。
「ほれ、アンジェも頭に掛けるがいい。他マスターに会った時には身分隠しにも使えるぞ」
「マスターか変質者の二択になっちゃうなあ…」
「…こんなにも格好良いというのに。 …はっ、この青いのはやらぬぞ!」
「色の問題じゃないっつーの。 …まあ、いいか」
アーチャーの手から桃色の面を受け取り、頭の左に掛ける。よく考えれば、このような祭り事で子供が触るようなものも、人生で触れたことがない。
魔術師でなければ───なんて、あり得なかった想像を胸に仕舞い、面の向きを整える。
「…ど? 似合う?」
「うむ! ばっちりだ!」
「…ふっ。お面じゃ褒められてるのかどうか、わかんないね」
笑みが溢れた瞬間、アーチャーがさて、と足の筋肉を伸ばす。
アーチャーが体を伸ばし終えたあと、わたしも背骨と伸ばし、疲れた筋肉に喝を入れる。
覚悟は、決まった。
「…アンジェ、気づいているか?」
「うん。これは誘われてる」
「我を見よと言わんばかりに、魔力を消すこともなく垂れ流している。狙撃に徹することもできるが…如何とする?」
少し歩き。家のドアへと手をかける。
工房から出た上に、相手の場所へ向かうなど到底魔術師の行動とは思えない。隠れた上で、機を待つのが正しいのだろう。
だとしても。
「この後も同じことをする、とは限らないけどさ。引く時は工房にも籠るだろうし、外で戦うなら影からの方がいいんだろうけど。
───なんというか。もしかしたら、話し合いでなんとかなったりするかもしれないし」
魔術師ではない『人間』を目指すのならば。
『人間』らしい、行動をしたいのだ。
「…苦なる道を選ぶ。良い、それこそ私のマスターよ」
その答えに。笑顔で答えるサーヴァントと共に。
面をつけた二人は、闘争の地へと足を運んだ。
○ ○ ○
○ ○ ○
「───マジかよ。警戒心とかねえのか」
立ち並ぶ家屋の屋根の上。黒衣に白い面を纏う暗殺者が、双眼鏡で遠くを観察している。残念ながら、アサシンの魔力探知範囲は弓兵ほど大きくない。
ならば、己が目で確認するのが一番だ、とマスターの家から探し当てた双眼鏡を駆使している。
アサシンの生前の経験から、此方の方がやり易い。己が目で、耳で、鼻で。道や建物を確認し、目標への道を作り、狙いの首を攫う。
「…ンだけど、アレは…本気か?」
双眼鏡の先には、サーヴァントらしき和装の者が、屋台の男と会話している。数度の談笑のあと、子供のような瞳で眺めていた面を手渡されている。
見れば理解できる。アレは、サーヴァントだ。
エーテルの身体。魔力で編まれたその身体。何より、サーヴァントから感じる"圧"が、凡百の英霊ではないと感じさせる。
「生前、王座についたサーヴァントは霊体化を嫌うっていうがなあ…おっそろしい。ありゃただのサーヴァントじゃねえな」
そして。遠くから眺めていた───その、瞬間。
目線の先のサーヴァントが、此方を向いた。
しかし此処にいるのは暗殺者のサーヴァント。和装のサーヴァントが顔の角度を変えた瞬間、姿を翻し家屋の影に紛れた。程なくして、黒衣と影は同化し、アサシンの白い面が山に浮かぶ。
(…危ねえ危ねえ。殺気は出してねえ筈だが…勘がいいのか、運がいいのか。
ここは"引き"だな)
肉眼では豆粒ほどの大きさでしか視認できない距離。逆に言えば、相手が弓兵のクラスならば格好の餌だ。
しかし。相手がサーヴァントなら、此方もサーヴァントである。アサシンは生やした顎髭を撫でながら、影から影へと跳ねていく。
屋根から電柱へ。電柱から木陰へ。木陰から路地裏へ。小慣れた動きで気配を消しながら、影を駆けていく。
(こちとらアサシンだ。誰が相手でも見つかる気はないがね)
そうして移動を繰り返す内、アサシンは小さな町工場へと辿り着いた。強靭ではないが、魔術師の確かな腕前を感じさせる結界。町工場を囲うようにして作られたソレを、アサシンはするりと通り抜ける。
丸い魔法陣が描かれた周りには濡れた血の跡が出来ており、固まり切っていないソレが、この場での凶行からさほど時間が経っていないことが見てとれた。
アサシンは血痕を一瞥し、幾つかのドアと廊下を経由し、応接室へと移動する。閉鎖されて随分と経つのか、壁紙や机、ソファの優雅さは見る影もなく汚れている。
昔は稼働していたのだろう。機械たちの騒音から商談をを守るべく防音加工が施された部屋の中で、アサシンのマスターが机の上に顔を出した。
否。正確には、"置かれていた"。
『───収穫は』
「一人歩きしてたサーヴァントを一体。ありゃクラスはアーチャーかキャスターだな。勘が良いのか知らねえが、俺の監視に少しだけ反応しやがった」
『貴殿ともあろう者が、か。見つかってはいないのだろう?』
「無論よ。視線を感じるー、ぐらいは合ったかもしれねえが、確実に見つかってねえ」
『そうか。感謝する』
ごぽ、と音がする。応接室の机の上、瓶の中で逆様に揺れる赤子が、開いた目でアサシンを見つめている。
上下逆様に浮かんだその姿は、元から自律行動を求められていないのだろう。誰かの助けがなければ動くことすらままならない、か細い命がそこにあった。
─── ホムンクルス36号。またの名をミロク。アサシンのマスターである。
『このような場所で申し訳ない。ガーンドレッド家の用意した工房もあるのだが、私では上手く扱えない』
「気にするこたあないぜ大将。かしこまった屋敷より、砂と埃の臭いの方が落ち着くってもんさ」
ミロクは見ての通り、外界と接触することができない。マスターとして魔術を扱うことも難しく、自ら工房も作れない。
ガーンドレッド家の工房を利用する、という手もあったものの、結局は他者の魔術。勝手がわからぬ工房に引き篭もるよりは、アサシンの召喚時に使用された町工場───軽く結界を張られた場所を、そのまま拠点として利用した方が安全だと判断した。
アサシンは軽く報告を終えると、どさりとソファに身を預ける。進言はせず。マスターであるミロクの言葉を待つ。
『アサシンよ。…一つ尋ねたい』
「何なりと」
『もし貴殿が"山の翁"…いや、一人の男としてもう一度やり直せるとしたら。
貴殿は、同じ人生を歩むか? それとも別の道を往くのか?』
「………」
"──過去の焼き直しなんてやめた方がいい。今のままでは、きみの忠義が行き着く着地点は前と同じだろう。"
その言葉が、ミロクの脳裏にリフレインする。釣り針のように、脳に食い込んだまま、忘れられない。
ある種の説得力を感じてしまった。心を見透かされたような"何か"を感じてしまった。
"彼女"が想定以上の何かを求めているのなら。同じ末路でしかない二度目は、彼女にとって。
ミロクの思考に応えるように、アサシンはボロボロのソファに腰掛けたまま。
「"山の翁"は、ただの称号じゃない。砂と風の地に生まれ、その地を愛し、その地に生きた人々を愛した。
それが"山の翁"…全てのハサン・サッバーハの原初の掟。"ハサン"という仮面を被らねば召喚すらされない、英霊より怨霊に近い我らの在り方」
『……』
「故に。二度目のチャンスが与えられたとしても…まあ、俺はこの面を被っただろうよ。
聖杯に託す願いはあれど。"山の翁であったこと"に対しては、悔いはない」
まあ、やり方は変えるかもしれないがね、とアサシンは続け。その言葉に、ミロクは瓶の中で何かを思案する。
それは今後のことであり。これまでのことであり。彼女のことであり。己のこと。
忠義を果たすために、何が必要かということ。
忠義を果たすための、変化を。
『アサシンよ。貴殿の腕を見込んで、頼みがある』
「大将の言うことなら聞くぜ。仕事もきっちりとこなすさ」
『───出陣する。私を、前線に置いて欲しい』
仕事の準備と言わんばかりに懐のナイフを抜き、立ち上がり体のコンディションを整えるアサシンの身体が、止まった。
「…………本気か?」
『正気であり、本気だとも。私にも考えがある』
その言葉に、アサシンは僅かな嫌な予感を覚えながらも。
『アサシン。貴殿にも体を張って貰うことになる』
それが的中したことに、頭を抱えた。
「俺様、アサシンなんだけど。ご存知?」
○ ○ ○
「…本当に行くのか? アンジェ」
「行くよ。しっかりとこっちに向けて、わたしたちが感じ取れるように魔力を出してる。
ここで行かなくても後々危険を背負うだろうし…」
「一手目で攻撃ではなく誘い出しを選ぶ相手なら…対話の可能性がある、と」
「そ。話し合いができるなら、それに越したことはないよ」
無論。最後に残るのは一人なのだけれど───だからと言って、順風満帆に勝ち残ることができるとは思っていない。
叶うなら、同盟を組むことが一番だ。何より、わたしには聖杯戦争の知識が足りていない。
…こんなことなら現代魔術科にでも入っておくべきだった、と何度目かわからない後悔をしながら、歩みを進めていく。
住宅地なのだろうか、様々な家屋が立ち並ぶ先へと歩いていく。
緊張で汗ばむ掌を握り締め。逃げ出したくなる脚に気力を叩き込みながら。
魔力の放出点へ、辿り着く。
「いたぞ。アレがサーヴァント…」
比較的広い公園に出たと同時に、放出されていた魔力が消失する。タイミングを考えるに、やはりわたしたちの呼び出しが目的か。
目視できる範囲には、サーヴァントらしき姿は見当たらず。
恐らく中学生ほどの年齢の女生徒が一人、立ち尽くしていた。
「…では、ないな?」
アーチャーが両掌を筒のように丸く握り、眼に当てている。互いの距離はそれほど離れておらず。十秒もあれば、すぐに距離は零になる。
臆すことなく前へ。おそらく相手は二人。此方も二人。何を怯えることがある。
一歩ずつ前に脚を進めて行くと、女生徒が何らかの容器を持っていることに気がついた。その中身を、よく眺める。
「…瓶詰めの赤子か。趣味がいいとは言えないな」
「いや、ホムンクルス…かな。 ある魔術の家にはああいうものを作るとは聞いてたけど」
「どちらにしろ、悪趣味だ。あれでは外にも出られまい…道具としての生、酷なことをする」
アーチャーがその表情を歪ませる。理解できなくはない。人工的に生命を創り出し、使い潰す。それ以外に価値はなく、それ以外の行動は出来ない。
なんとも惨い話か。おそらくはマスターの道具として持ち出されたモノだろう。ホムンクルスが自分の意思で聖杯戦争に望むなんて、ありえない───と、ふと目を凝らす。
視界に入ったのは、赤子の体に刻まれている痣。ただでさえ悪趣味な光景だというのに、これ以上何を追加しようというのか。
そこまで思考を巡らせて、やっと、理解する。
「痣…違う、令呪…?」
「ということは、此奴がマスターだと…?」
『如何にも』
疑問を口にした瞬間、返答が訪れた。返答は鼓膜を震わせることはなく、直接脳内へ。
念話か、と理解した頃には赤子は次の言葉を続けていた。
『マスターとそのサーヴァントよ』
『余程名のあるサーヴァントとお見受けする。その上で、提案がしたい』
『其方のマスターと、一対一で話がしたい』
矢継ぎ早に送られてきた言葉。
赤子の言葉は止まることはなく。
『敵意はない。サーヴァントを見せろというなら、ここから少し西に離れた場所に待機させている。望むならば戦闘を仕掛けても構わない』
『私はこの通り、外界との接触能力はない。出来るのは、対話程度だ』
『良い返事を期待する』
一方的に脳裏に響く言葉を並べ立てた後。それっきり黙ってしまった。
対話を望むというのなら、それは願ったり叶ったりだ。赤子が話し終えた直後。西の方角から、再び魔力の放出をアーチャーが察知した。
「…嘘はついていないようだな。サーヴァントを移動させたか」
「行って、アーチャー」
「む。よいのか? 罠という可能性もあるぞ」
「危ない時は令呪で呼ぶよ。わたしの魔術なら、ピンチにも対応できるし」
「…わかった。くれぐれも無茶はなしだぞ!」
少なくとも。アーチャーの探知範囲には他にサーヴァントはおらず。わざわざアーチャーに場所を変えさせたのは、戦闘の余波を嫌ってのことだろう。
瓶に収まった赤子。その容器が余波で壊れてしまっては、元も子もない。
赤子の形態で成長が止まるのか、それとも成長途中なのかは知る由もないが。少なくとも"瓶に入れられている"ということは、入っていなければいけない理由があるということだ。
『承諾、感謝する』
「…それで。世間話するために呼んだわけじゃないでしょ」
『無論。本題に入ろうか』
互いのサーヴァントの交戦を待たずして。
マスター同士の交渉が、始まろうとしている。
『───私は、この聖杯戦争に参加するのは二度目だ。
よって、五人のマスターの情報を持っている』
○ ○ ○
アーチャーが魔力の放出点へ───公園の端に辿り着いた頃には、既にサーヴァントは居らず。右を向いても左を向いても人影すら存在しない。不気味な静けさだけがそこにあった。
またか、と不満気に頭を抱えたところで、声がした。
『その姿、魔力。サーヴァントとお見受けする』
姿は見えず。声だけが、響いている。
アーチャークラスの優れた探知能力を持ってしても、その居場所を見破ることは不可能だった。
「…なるほど。アサシンか。私の索敵を掻い潜ったのも納得がいった。
それで? このまま話がしたい訳ではなかろう?」
『勿論。 歓迎のパーティーの準備は十分さ」
楽し気に。砕けた言葉で話し始めたアサシンと同時に、アーチャーの索敵に多くの"敵"の存在が確認された。
それは。何の変哲もない、人間。
十や二十を超えるそれらは、まるで正気のない幽鬼のように、ゆらりゆらりとアーチャーを取り囲んだ。
───洗脳か、暗示か。それともアサシンのマスターの部下…いや、それはないな。
周囲を取り囲んだ人の群れ。それらを眺めながら、アーチャーの動きが止まる。
ああ───なんと、腹立たしい。
「アンジェはな。この聖杯戦争で私と出会ったとき。なんと言ったと思う?」
『…知らねえし、興味もねえな』
「"犠牲者は最低限"などと宣ったのだ。およそ聖杯を狙うものとは思えぬだろう?」
『…何が言いたい』
「しかし、あれほど真っ直ぐに答えられると叶えてやりたいと思うのがサーヴァントというもの。故にな」
『…?』
チラリ、とアーチャーが周囲を見渡す。周りには人、人、人。
幽鬼の如きその眼。バットを構える少年がいた。鋏に指を通す女性がいた。ペンを逆手に握る少女がいた。鞄を硬く持つ男性がいた。傘を向ける老婆がいた。杖を回す老爺がいた。
それは友と球技を楽しむものであり、色紙を美しく整えるものであり、勉学に耽るためのものであり、家族を養うためのものであり、日を遮るためのものであり、己の足で歩くためのものだった。どれもこれも、人の命を摘むためのものではない。
日用品は、見方を変えるだけで人を殺す。本来なら、血に濡れるなど言語道断。暖かい日々を作っていく、日常の象徴たち。
それが。こうも醜く、姿を変える。
「───暗殺者よ、貴様のやり方が気に食わぬ。
安心せよ、貴様は隠れたままでよい。人の影に潜み刃を差し向ける性根、そのまま撃ち抜いてやろう」
アーチャーが行った行動は簡単だった。己を取り囲む者たちが動き出す前に、引き絞った矢を───己の足元へと撃ち放った。
威力は弱く。余波ですら、幽鬼たちを動かすことは叶わない。アスファルトを破壊し立ち込める砂埃は、アサシンにとって視界を眩ませるものにはなり得ない。
砂と風の世界に生き、その土地に住む人々を愛した。山の翁の原点たる在り方は、経験は、即席の目眩しなど児戯に等しい。
故に。アサシンは動けずにいた。アサシンとは影に潜み、音もなくマスターの首を攫う者。自ら視界を潰すなど、殺してくださいと頭を差し出す行為と同義だ。
(何を考えている…? 聖杯戦争に呼ばれる英霊だ、無策って訳じゃ)
思考を走らせたその瞬間。アーチャーの矢が飛んだ。
身を隠しているアサシンに目掛けて、ではない。使役している多数の人間に向かって、ほぼ時間差なく。矢が飛んだ。
敵は皆殺しか。アサシンにとって、それが一番の天敵だった。目に映るモノ、端から殺される。化ける対象すら許さず、隠れる隙もない皆殺し。
しかし、アサシンの目論見は外れた。撃ち放たれた矢は、全てが───使役している人間たちの、頭蓋のすぐ横を通り抜けていく。
(外した…? いや、まさか)
まさか。その、まさかだった。
撃ち放たれた矢の轟音は、人間たちの耳朶を打つ。それは人間を軽く超える力で放たれた強弓であり、弾丸を超えるものだ。人間の耳元を掠めるほど間近を通れば───その衝撃は、脳にまで及ぶ。
宝具により幽鬼と化し、人形であった生命が人間に帰っていく。
アサシンの宝具『奇想誘惑』 は、筋力に補正かかれど。
耐久性には、何の効果も齎さない。
「出て来い、アサシン。手駒はこれで全てだろう。
…ああ、アサシンに出向けというのは酷か。出てこなくても構わんぞ。
───ここから其方のマスターを撃ち抜くまでよ」
それは、実質的な死刑宣告。
出て行かなければ此処からマスターを撃ち抜かれ。出ていけば、騙しとマスター殺ししか能のないアサシンは窮地に陥る。
(…呪うぜ、大将。出来れば、俺が死ぬまでに話つけてくれよ…!)
アサシンは影から身を乗り出す。髑髏の面を顔に被り、死地へと。
胸に去来するは、町工場を出る前の会話。
"アサシン。貴殿にも体を張って貰うことになる"
"全力で、相手のサーヴァントを引きつけろ"
"身の危機を察知すれば令呪で呼ぼう。これは、貴殿の働きによって成果が変わる"
(言ってくれるぜ、全く…暗殺者が正面から戦うなんて、どういう冗談だよ)
実際。アーチャー相手に、策を弄するなら考え得る手段はまだまだ存在した。しかし、時間が足りない。目的を果たすためには、それだけの"準備"が必要だ。
よって。時間のないアサシンは、マスターの命に従うには、小手先の人海戦術と正面切っての戦闘を選ぶしか無かったのだ。
───無言で死角から襲ったアサシンのナイフを、アーチャーが手に持った矢で受ける。
そのまま回転し、遠心力を加えた蹴りが、アサシンの腹を打つ。
此処からは、圧倒的な力の前に足掻く暗殺者の努力。自らの得手を捨てたその姿。
暗殺者の命運は。たった一人の、主人に託された。
○ ○ ○
『───私は、この聖杯戦争に参加するのは二度目だ。
よって、一度目に参加した五人のマスターの情報を持っている』
「…二度目…?」
『そうだ。"私ではない誰か"が聖杯を勝ち取り、二度目の聖杯戦争を始めたらしい』
それは。少なくとも、聖杯は死者の蘇生を可能とするという現実と。聖杯は本当に実在することの証明であった。
逸る気持ちを抑え、アンジェリカは静止する。
果たして、これを本当に信じていいものか。口から出たデマではないのか。
「…証拠がない。二度目っていう証拠が」
『故に情報だ。"一組はであっていないため知らないが"…残り五組の情報なら幾らか渡せるだろう』
赤子が喋り終えると同時に、瓶を抱えていた女生徒が服のポケットから五枚の紙を取り出す。
アンジェリカに投げ渡されたそれは、五人のマスターの外見、性別と少しの情報が綴られていた。
「…それで? わたし達に何を求めるの?」
『同盟だ。見ての通り、この瓶に包まれた体では移動すらままならん。
戦力の一つとして、互いに最後まで残るための協力、"一時休戦"としたい』
西の方角から、轟音が響いた。おそらく、アーチャーが戦闘を始めた音だろう。
赤子の提案は、アンジェリカが求めていたものに近い。結果、互いに損はなく、得しか生まれない提案であった。
しかし。だからこそ、疑問があった。
「わかった。組もう。
その代わり、条件がある」
『…条件とは?』
「あんた達が聖杯を求める理由を聞きたい。
その願いが、悪じゃないってことを確認したい」
それは、アンジェリカにとって最低限の線引きであった。
魔術から抜け出したいと願う人間が。平気で悪を行う人間と組んでは、意味がないだろうと。
真っ直ぐな眼差しで赤子を見つめ。その返答を待った。
『…私は忠節を誓った相手がいる。忠義を捧げるべき相手がいる。
しかし───"前回"と同じでは、忠義を果たせぬも事実』
「…」
『よって。私は私の忠節を示すため、動きを新たにする。
"彼女"に最も素晴らしいものを届けるため───私は、自らを再定義する』
それは。ホムンクルス36号…"ミロク"としての、決意。
忠節を、忠義を。捧げるためにやり方を変える。
それが、小さな瓶の中で見つけ出した、小さな道。
その答えを聞いたアンジェリカは───
○ ○ ○
「ぬう! 帰るとはなんだ帰るとは! アサシンの一匹や二匹、あそこで仕留められたものを!」
「同盟組んだのにサーヴァント倒しちゃ意味ないでしょ」
「だとしてもだ! 私はあのアサシンのやり口が気に食わぬ!」
「駄々をこねない。わたしも認めた訳じゃないけど、だからって参加者全員と戦う訳にはいかないの」
「ぬぅぅぅぅぅ…納得! できぬ!」
「しなくていいから帰るの。元はと言えばあめわかのお面のせいでわたしたち見つかったかもしれないんだからね」
「ぐぬぅ…それを言われては…」
同盟を組んだ、帰り道。戦闘を続けるアーチャーを引き留め、自らの工房へと帰っていく。
アーチャーは興が乗り始めた頃だったのか、膨れっ面でわたしの後をついてくる。余程相手が気に入らなかったのか、ハムスターの頬袋並みに頬が膨れている。
二人で揃いで色違いの面を掛け、家路につくその姿。
(側から見れば。姉弟みたいなのかなあ、これって)
と。憧れていた"普通"に思いを馳せながら。
「しかしこの私の方が強かったぞ! アンジェ!」
まだ少しの間収まりそうにないアーチャーの機嫌を、宥めるのであった。
【港区・自宅(工房)への帰り道/一日目・午後】
【アンジェリカ・アルロニカ】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:ヒーローのお面(ピンク)
[所持金]:家にはそれなりの金額があった。それなりの貯金もあるようだ。時計塔の魔術師だしね。
[思考・状況]
基本方針:勝ち残る。
1:まずは情報整理がしたい。
2:ロキに対してはとても複雑。いつか悪い男に引っかかるかもとは思ってたけどさあ……
[備考]
ミロクと同盟を組みました。
前回の聖杯戦争のマスターの情報(神寂祓葉を除く)を手に入れました。
外見、性別を知り、何をどこまで知ったかは後続に任せます。
【アーチャー(雨若日子)】
[状態]:健康
[装備]:弓矢
[道具]: ヒーローのお面
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:アンジェに付き従う。
1:アサシンが気に入らない。
2:それはそれとして、当世の面はよく出来ている。満足。
[備考]
「呪うぜ大将。危うく死ぬところだった」
『ああ、貴殿の働きに感謝する。私もどの程度までなら危険を犯せるかの線引きを知っておきたかった』
「…次は入念な準備をさせてくれよ。暗殺者に行き当たりばったりは悪手が過ぎるぜ」
『善処する。アーチャークラスを引き込めたのは幸先が良い』
「ああ、ちくしょうめ。勘が良いのかと思いきや眼がいいんだな、あのアーチャー」
アサシンに抱えられながら、町中を飛んでいく。
瓶の中で、驚くほど揺れぬその体幹・移動能力に感嘆を。僅かな振動が心地よい。
ミロクはゆっくりと目を閉じる。これまでの経験を反芻する。
───よって。私は私の忠節を示すため、動きを新たにする。
"彼女"に最も素晴らしいものを届けるため
───私は、自らを再定義する。
そう言った私に。あのアンジェリカという魔術師は、少し考えた後、言葉を加えた。
───あんたの言う忠義とか、よくわかんないけどさ。
───好きなんだね、その人のこと。
その場では聞き流した言葉だった。意味の無い言葉だと思ったから。
ホムンクルスに愛などない。友愛もない。ミロク自体、そのような言葉で言い表せるものではないと考えている。
しかし。
あの煌びやかな笑顔を、覚えている。
別にその笑顔に、見惚れた訳ではなく。思慕の情が芽生えた訳ではなく。
その在り方に、この身を捧げていいと思えるほどの、何かを感じたのだ。
ミロクはアサシンに運ばれながらも、思案する。
無垢な心に、不明な感情を抱いたまま。快か不快かもわからず。
彼の道は、未だ迷いに埋もれたまま。
【町工場への帰り道/一日目・午後】
【ホムンクルス36号/ミロク】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:なし。
[思考・状況]
基本方針:忠誠を示す。そのために動く。
1:一度目とは違う動きをする。全ては、神寂祓葉のために。
2:アサシンの特性を理解。次からは、もう少し戦場を整える。
[備考]
アンジェリカと同盟を組みました。
【アサシン(ハサン・サッバーハ )】
[状態]:ダメージ(小)
[装備]:ナイフ
[道具]:
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:マスターに従う
1:正面戦闘は懲り懲り。
2:戦闘にはプランと策が必要。それを理解してくれればそれでいい。
[備考]
投下終了です。
タイトルは
「無垢なる心に被せた面は」
でお願いします
指摘等ありましたら、お願いします
投下します。
この穏やかな日々はそう長くは続かない。
そう覚悟したレミュリン・ウェルブレイシス・スタールが、最初にやろうと決めたこと。
それは……
東京という土地を、もう少しばかり知ろうとすることだった。
「うわぁ……」
新宿駅の西口から出て、ちょっとした電気街の細い路地をかき分けるようにして抜けて。
途端に広がる、太い道路と天を衝くような高層ビル群。
そして、あまりにも豊富な街路樹と植え込みの緑。
レミュリンもロンドンっ子だ。高層ビルそのものには今さら驚きはしない。
西欧の都市としては緑地公園の類も比較的多い方だ。街路樹だって多く植えられている。
けれど、高層ビルの密度。
そして、その合間にこれでもかと盛られた緑の豊富さ。
既に東京という都市で散々見てきたものではあるが、改めて圧倒されてしまう。
新宿西口、東京副都心。
東京でも珍しいくらいに整備された道路の合間に、ひときわ巨大なビルが整然と並ぶ。
本日のレミュリンの目的地は、その中心。
東京都庁ツインタワーの45階、展望室である。
留学生のロールを与えられて一ヵ月あまり、レミュリンはまだまだ東京という街を知らない。
ほとんど住まいと学校の間を往復するだけの日々だった。
そう思い当たった彼女は、今すぐ自分にもできることとして、至極単純な解を思いついた。
――高いところから見てみよう。
上から見渡してみれば、位置関係だって理解しやすくなるだろう。いつかきっと何かの助けになるだろう。
そんなシンプルな思い付きで、それにふさわしい場所を探してみた。
そうして見つけた候補のひとつが、東京都庁。
東京スカイツリーという名の電波塔も有力候補だったが、いささか土地勘のないあたり。
その点、新宿駅であれば流石に分かる。
予約不要、料金無料というのも有難かった。
立場の割には恵まれている自覚はあったが、学生の一人暮らし、懐事情は決して余裕のあるものではないのだ。
(いやはや大したものだな、この時代の都市は)
霊体化して従うランサーも、素直な驚きの声を念話で伝えてくる。
彼もまた東京という街にはだいぶ慣れてきたはずだが、新宿副都心の光景には流石に感じるものがあるらしい。
かなりの距離を歩くことになるのは下調べの時点で理解していた。
レミュリンはてくてくと、都庁の方に向かって歩く。
大勢の人々が、あちらこちらに歩いていく。
(んっ……)
(どうしたの、ランサー)
(すまん、少し気になる気配を感じた。気のせいならいいんだが、少し離れる。
何かあったらすぐに呼んでくれ)
(わかった)
小さな念話のやりとりを残して、身近に控えていた大きな存在感がフッと消える。
いつものことだ、レミュリンにはもはや不安もない。
これまでの一ヵ月のうちにも、既に何度かあったやりとり。
最初のうちは、すわ他の主従に襲われるのか、と不安にもなったものだが。
その全てのケースで、彼は10分もせずに「気のせいだったようだ」と頭を掻きながら戻ってきていた。
どうにも心配性が過ぎるヒーローだが、そういう所もまた、素直に好感が持てる。
やがてレミュリンは見上げるばかりのツインタワーの近くに到着する。
駅から歩いてきたレミュリンにとっての手前側、背の低い建物は東京都議会の議事堂。
2本の廊下が都庁の第一本庁舎に繋がっており、高い所を走る道路とともに、広い空間を半円に区切っている。
都民広場、と名付けられた空間だ。
レミュリンはふと小さな違和感を感じてあたりを見回す。
ここに到着するまで、多くの人々が行きかっていた。
同じく都庁を目指しているのかな、と思えるような観光客も、何組も見た。
それなのにいつの間にか、あたりにほとんど人が居なくなっている。
広い都民広場も、閑散として。
その片隅では大道芸人が1人、何やら芸をしていたが、足を止める者もいない。
「この辺って人気がないのかな……?」
漢字の看板は読み飛ばして、英語の道案内表示だけ見ていたから皆と違う所に出たのだろうか。
首を捻りながらも、少女はなんとはなしに大道芸人に近づいてみる。
だぶだぶの衣装に身を包み、玉乗りをしながら、新体操などで使う棍棒でジャグリングをしている。
白塗りの顔に赤い付け鼻。年齢や性別ははっきりしない。
故郷ではたまに見たが、東京に来ては初めて見る。
好奇心のままに近づいたレミュリンに、そのピエロはパチンとウィンクをしてみせた。
◇ ◇ ◇
東京都庁のツインタワーを越えてさらに西側。
近くの新宿御苑や代々木公園には劣るものの、十分過ぎるほどに広い公園が広がっている。
まるで本物の森のような木々の中に、ぽっかりと開いた空間、大きな滝の作られた池。
新宿中央公園、その中心部、『水の広場』。
ルー・マク・エスリンは そこに降り立つと同時に霊体化を解く。
大柄という表現では収まらない、規格外の巨体が陽光の下に露わとなる。
人の目を気にするまでもなく、そこにはぽっかりと無人の空間が広がっている。
東京のど真ん中、いくら公園といえども、真っ昼間から不自然なほどの静寂。
人工の滝と川の水音だけがあたりに響く。
「人払いの結界……? 否、魔術じゃねぇな、魔力が全く感じられん。なんだこりゃ?」
キャスタークラスでの現界でこそなかったが、ランサーはまさに神代の時代の神そのものである。
だから分かる。
いや、だからこそ不可解を悟る。
神話の時代から使われ、様々に姿や名前を変えつつ伝えられてきた、人払いの魔術。
用のない人物が無意識のうちにその場所を避けるようになる、基本的な暗示の魔術。
まさにそれが使われたとしか思えない状況が出来上がっているのに……
本当にカケラひとつ、魔力の残り香が残されていない。
あまりにも不自然――
ゴウッ。
「ッ!!」
そして不意打ちに警戒していたはずのランサーは、それでも一呼吸、その攻撃への対処が遅れた。
虚空から降り注いできたのは鼻を衝く異臭を伴う複数の火球。
燃え盛る硫黄の雨だ。
慌てて初弾をかわし、2発目を火傷承知で左腕で払い、そうしてようやく己の武器を呼び出す余裕を得る。
「〈氷の大釜〉ッ!」
呼びかけに応じて右手の中に現れたのは、穂先に大きな氷を纏った槍。
敵味方見境なく広範囲に焼き溶かす恐るべき虐殺の槍アラドヴァルーーを、押さえ込むための、氷の「鞘」。
もちろん虐殺の槍もろともの召喚ではあったが、今回はその「鞘」の方に用があった。
本来の使い方ではないが、生半可な神話の炎程度なら、片手間で打ち払って余りある。
果たしてルーが2度、3度と槍を振り回せば、まき散らされた冷気が硫黄の雨を相殺し、薄い霧となって散る。
ランサーは油断なく周囲を見回す。
間違いなく他のサーヴァントからの遠距離攻撃。
だが、その攻撃を放ったはずのサーヴァントの姿も気配も感じられない。
「――へえ、煉獄(インフェルノ)の炎を払えてしまうんだ」
「……はッ!!」
声は背後から聞こえた。
ランサーは振り向きざまに氷の槍を手に飛び掛かる。
脊髄反射の行動の後に、やっと相手の存在を視認する。
猫の耳と尻尾を備えた少年の姿が一瞬だけ見えて……しかしそれはすぐに無機質な、殺意の塊へと入れ替わる。
少年が居たはずの場所に生えていたのは、葉っぱの代わりに鋭い刃がびっしりと生えた木々。
だからといって突撃の勢いはすぐには止まらない。
ランサーは自ら死の罠の中に飛び込むような格好になった。
「仏教、衆合地獄、刀葉林」
「むうんっ!」
ランサーは咄嗟に手にした槍を木の幹に突き立てる。槍の長さで眼前に迫った刃の葉をかろうじて止める。
振り返れば、猫耳の少年の姿のサーヴァントはまた別の位置に立っている。
氷の鞘に収まったままの虐殺の槍を手放して、ランサーは地面に降り立つ。今度は注意深く少年を観察する。
「だいぶ手荒いな。
この俺に何の用だ……と聞くのも野暮か」
「この程度では、あなたとっては試練にもならないだろう、古き時代のランサーよ。
この1ヵ月のうちに、あなたが振り払った火の粉はこんなものではなかったはずだ」
どこか覇気に欠ける少年の言葉に、長き腕のルーは軽く眉を寄せる。
こいつはどこまで知っているのか。
何を言わんとしているのか。
その目的は。
「あなたがこれまでに交戦した3体のサーヴァント……いずれの主従も、既に脱落したよ」
「……!」
「あなたとの交戦で負った傷が深かった者。
挽回しようと慌てて別の者を襲って、そこで返り討ちに逢った者。
すっかり反省して大人しく平和に過ごそうとしていたのに、運悪く〈蝗害〉に巻き込まれて擦り潰された人もいたな」
「……聖杯戦争の習いだ、何も恥じることはない」
「ぼくもそのこと自体を責める気はないよ。ただ」
分類されるクラスを推し量る要素も見えない、猫耳の少年は、そこで少しだけ、暗い笑みを浮かべた。
「ただ――きみはちょっと、過保護が過ぎるんじゃないか?」
「……ッ!!」
ルー・マク・エスリンの判断は、十分過ぎるほど早かったと言っていい。
たったそれだけの言葉で、相手が言わんとすること、示唆していることに思い至り、瞬時に身を翻そうとした。
少年に背中から襲われる危険も承知で、視線を切って振り返って跳び上がろうとして。
ジャララララッ。
それでもなお、一呼吸遅かった。
大地を蹴ったその瞬間に、彼の手足に鉄の鎖が絡みつく。大地に縫い留められる。
(さっきから、何なのだ、これは……!)
逃れよう、引き千切ろうともがきながら、長き腕のルーは不可解過ぎる敵の攻撃に混乱する。
硫黄の火の玉も、刃の生えた木も、いま手足を拘束する鎖も。
いずれも強い魔力を帯びている。
勝手知ったるケルト神話ではないようだが、いずれもどこかの神の気配を帯びている。
何らかの神話に名を残している品々なのだろう。
だが、攻撃の「起こり」そのものには、まったく魔力の気配がない。
神話の世界の住人であれば隠しきれず纏う微量の魔力、それが動いた気配が感じられない。
そういった気配も利用して対応するのが、長腕のルーが居た頃の戦闘の常識だった。
後の時代には英霊の纏う魔力も弱まっているとは聞いていたが、まさかここまで「なにもない」とは!
ルーにとっては何の殺気もなかった所から特大の攻撃が飛び出してくる恰好だ。
常に対応が一手遅れてしまう。
負わずに済んだはずの火傷を負い、避けられたはずの鎖を避けそびれている。
「離してくれッ!」
「すまないね、こちらも子供の使いではないのでね」
英霊の中でも規格外の怪力を誇るルーが全身の力を込めても、鎖は千切れる気配すらない。
何やら不思議な力で、霊体化しての脱出すらも封じられている。
猫耳の英霊は追撃する気もないようだが、それはつまり、最初っから時間稼ぎが目的ということでもあり。
聖杯戦争。
それは、マスターとサーヴァントの、二人三脚の闘争である……すべての主従にとって。
思わずランサーは叫ぶ。
「――嬢ちゃんっ!!」
◇ ◇ ◇
不安定な玉の上で、道化師は危なっかしい手つきで3本の棍棒を投げ上げている。
いつ玉から転がり落ちるか、いつ取り落とすか、無責任な観客の少女もハラハラしっぱなしだ。
「……あれ? いつの間に……」
道化師が玉の上でグラリと傾いた直後、何か違和感を感じた少女は、そして驚愕する。
いつの間にか投げ上げているモノが違う。
三本の白い筒状のものなのは変わりないのだが……それぞれ、細い花束に変わっている。
持ち替えたりするヒマはなかったはずだし、棍棒や花束を仕舞っておく場所などありそうに見えない。
やがて道化師は3本とも受け止めて大きく天に投げると、軽く宙返りひとつして地面に着地する。
天から降ってきた花束は、これもいつの間にやら、細いもの3本だったはずが、一抱えほどもあるひとつの花束に変わっている。
ぱちぱちぱち。
レミュリン・ウェルブレイシス・スタールは、思わず拍手をして……そして改めて気づく。
拍手をしているのは、自分ひとりきりだ。
他に広場に誰もいない。
自分が大道芸人に近づいた時には、まばらとはいえ、多少なりとも人が居たというのに。
こんな絶技を見せられて、無視してどこかに行ってしまうなんて、そんな馬鹿な。
スッ。
辺りを見回して人影を探していた彼女は、だから気づくのが一瞬遅れた。
いつの間にか間近にピエロが近づいていて、そしてレミュリンの鼻先に花束を差し出している。
白塗りの顔には満面の笑み。ちょっと怖い。
「う、受け取れ、っていうの……? い、いや、貰えないよ、こんなの……」
ぐいっ。
固辞するレミュリンの鼻先に、ピエロはさらに花束を押し付ける。
レミュリンは下がる。ピエロはさらに踏み込んで押し付ける。
レミュリンはさらに下がる。ピエロはさらに踏み込んで、レミュリンの顔面に花束を押し付けてくる。
「わぷっ……って、あれ??」
一瞬、視界が塞がれ息が止まり、思わず反射的に花束を受け取ってしまう。
そうして再び目を開いた時……
だぶだぶの衣装に白塗りのメイクをしていたピエロが居たはずの場所には、まったく異なる人物が立っていた。
レオタード風の、何かの舞台衣装のようなものをまとった美少女。
背丈だけならさっきのピエロに近いだろうか。
しかし素早く脱ぎ捨てたにしては、脱いだ衣装もなければ、衣装を仕舞う先も見当たらない。
白塗りのメイクに至っては、いったいどうやって拭い去ったのやら。
「初めましてレミュリン! 私は山越風夏!
それとも〈脱出王〉と名乗った方がいいかな?!
ずっと貴方を探していたんだよ!」
「ヤマゴエ……フーカ……?
わ、私を知ってるの……!?」
「本当は大道芸なんて余技じゃなくって、私の本当の技をもっと見せてあげたいんだけど……
大言壮語していた私の〈助手〉が、どうも上手くいってないみたいでさ。なので手短に済ませちゃうね!」
ハイテンションに、一方的にまくしたてるレオタード姿の少女に、しかしレミュリンは不思議と不快感を抱けない。
絶妙な言葉の抑揚、コロコロと変わる表情に引き込まれる。
初対面の人物に自分の名前を知られていることにも、そんな相手に待ち構えられていたことにも、違和感を抱けない。
「私はあなたの〈運命〉を加速させに来たんだ。
あなたには悪いんだけど、私たちはこれ以上、あなたたちののんびりした物語に付き合ってられなくって」
「私の……〈運命〉……?
加速……させる……?」
「レミュリン。あなたには3つの選択肢がある。
どれも簡単な道じゃない。どれも死ぬ気で頑張っても、それでも届かないかもしれない。
けれど、選ぶことが出来なければ、あなたはどこにも辿り着けないままに終わる」
〈脱出王〉を名乗る少女は指を1本立てる。
「ひとつめ。聖杯戦争も何もかも忘れて、ここから脱出する」
「え、脱出、できるの?!」
「出来ないよ。普通はね。だから言ったでしょ、簡単な道じゃないって」
思わぬ選択肢の提示に、食い気味に問うたレミュリンに、少女は残酷に首を振る。
聖杯戦争のことを持ち出されたことに驚いているヒマすら与えられない。
「でも、ここは〈作られた世界〉で、君は〈そこに招き入れられた〉んだからね。
原理から言って、壊して外に出ることは出来るはずなんだ!
まだ誰も見たことのないような能力が要るかもしれない。
あるいは、この世界を作った〈誰か〉から力を奪う必要があるかもしれない。
それでも、出ていくことを目指して頑張る。そういう選択を選ぶことはできる」
〈脱出王〉を名乗る少女は、そして2本目の指を立てる。
「ふたつめ。他の人を全部蹴散らして、聖杯戦争で優勝する」
「…………」
「これは分かりやすいよね。簡単じゃないのも分かると思うけど、勝てば万能の願望器が手に入る。
叶えたい願いがあるからこんな所にいるんでしょう? なら、これを選んでみてもいい」
「…………」
当たり前だが抵抗のある選択肢。
他の人を傷つける罪悪感、他の人の夢を踏みにじる罪悪感。
それらを見透かしたかのように、謎の少女はにんまりと笑う。レミュリンは目を伏せる。
「そしてみっつめ。
今までの選択肢全てを後回しにして諦めて――〈君自身の運命〉と対決する」
「えっ」
「さっき言ったよね。君には悪いけど、君の〈運命〉を加速させてもらう、って。
私は私の都合で、君にこれを告げる。
君がいずれ巡り合うかもしれなかった出会いも、君の迷いも何もかも踏みにじって、ここで君に告げてしまうよ」
嫌な予感がした。
ハッと顔を上げれば、そこには先ほどよりもさらに深い、どこか底意地の悪い笑み。
レミュリンは咄嗟に制止の声を上げる――が、それも、半呼吸ほど遅かった。
「待って――」
「君の御両親とお姉さんを焼き殺した犯人は、この聖杯戦争に、マスターとして参加している。
赤坂亜切。
対魔術師専門の暗殺者。
その目で見るだけで人を焼く、発火能力者(パイロキネシスト)。
ロンドンの魔術の名門スタール家の唯一の生き残りである君には、彼に報復する権利がある」
「…………ッ!!」
足元が崩れ去るような錯覚を覚えた。
まさしく、取り返しがつかない形で、〈運命〉を急加速させられた。
微かな予感はあって、ランサーともそういう話はしていて、いつかどこかで何かに出会うような気はしていて。
けれど、面と向かって、こうも明確に断言されてしまうと。
いくらなんでも、気持ちの方が追いつかない。
それでいて、相手の言葉を疑う気持ちは全く浮かばなかった。
意図も狙いもきっとあって、それでも、この言葉だけは全て真実なのだと、深く確信させられてしまっていた。
揺れる世界に、遠くから懐かしい声がする。
頼りになる声が、ジャラジャラと鳴る金属音とともに近づいてくる。
「……嬢ちゃんっ!! 無事かっ!!」
「もう時間のようだね。
覚えておいて、君はどれかを『選ばなければならない』。
あっちもこっちも、という欲張りは、通用しない。
そして私たちは……君が何を選ぼうとも、君の選択を尊重して、祝福するよ」
「…………」
「では、いつかまた、縁があったら再びお会いしましょう!
次の機会には私の本当の得意技を披露したいと思っております。
私たち〈脱出王〉の次の舞台を、お楽しみに……!」
全身に鎖を巻き付けたランサーが、それを引きずりながら歩いてくる光景を背景に。
レオタード姿の少女は、深く大きく一礼した。
途端にランサーが盛大にすっころび、そちらを見た一瞬の隙に、〈脱出王〉を名乗る少女はもう影も形もない。
ランサーに巻き付いていた鎖も、同時に消えている。
いや、鎖が消えたから、それを引きずっていたランサーも転んだのか。
レミュリン・ウェルブレイシス・スタールと、ルー・マク・エスリンは少しだけ安心して互いに視線を交わす。
明らかにふたりを狙って接触を図ってきた謎の主従は、既におらず。
どうやら互いに無事でこの遭遇を乗り切れたらしい。
少し慌ててランサーは霊体化し、すぐに周囲には人々の雑踏が戻ってくる。
東京の真ん中に相応しい人混みが戻ってくる。
混乱する少女と、混乱するランサーを残して、東京副都心は当たり前の日常を取り戻していた。
不自然な無人の空間は、もう、どこにも残されてはいなかった。
◇ ◇ ◇
――結局、そのまま都庁の展望台にまで登ってみることになった。
視界の限りに東京の街が広がっていて、絶景と呼ぶしかない眺めで。
それでも、こんな所からでは、東京の全景が把握できないのも明らかだった。
改めて東京という都市の広さを実感する。
あるいはその実感だけが、今日の外出の成果だったのかもしれない。
なんとなく捨てそびれた花束を抱え、ぼんやりと窓の外を眺めながら、少女は先ほどの出会いを反芻する。
レミュリンの持つ選択肢は3つ。
脱出を目指す。
優勝を目指す。
家族の仇を討つ。
選べるのは、ひとつきり。
どれを選んでも届かないかもしれないけれど、選べなければ、そのまま朽ちて終わるのだと言う。
どうやらランサーは山越風夏とのやりとりを聞く余裕がなかったらしい。
猫の耳を持つ少年の姿をした英霊と交戦し、足止めを食らっていたという。
頑丈な鎖にがちがちに拘束されたけれど、気合と根性で、そのまま相手ごと引きずって戻ってきたらしい。
おそらくあの大道芸人の少女のサーヴァントだろう。
敵対するとなれば厄介な相手なのだろうが、不思議とレミュリンには、敵意などは感じられなかった。
(なあ……嬢ちゃん……)
(どうしたの、ランサー)
(俺は……嬢ちゃんのことを、甘やかし過ぎなのかね……?)
(なあに、急に。うーん、よく分からないけど、頼りにしているよ?)
(…………)
霊体化して付き従うランサーからの、迷いの混じった念話に、レミュリンも少し迷いつつも答える。
どうやらサーヴァント同士の間でも、何か気になるやり取りがあったらしい。
突っ込んで聞いてみるべきなのだろうか。レミュリンなどにできる助言はあるのだろうか。
あるいはそれは、ランサー自身が意識して選ぶしかない問題なのかもしれない。
レミュリンの抱える三択を、ランサーが選ぶことができないように。
眼下に広がる、平和な東京の街。
緑と高層ビルが絶妙な調和を見せる街。
仇である〈アギリ・アカサカ〉も、きっとこの街のどこかにいるのだろう。
では、もし出会えたとして、いったいどう振舞えばいいのだろうか。
レミュリンの心は、未だ揺れ続けるまま、定まらない。
【新宿区・都庁展望室/一日目・午後】
【レミュリン・ウェルブレイシス・スタール 】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:大きな花束(山越風夏に渡されたもの)(なんとなく持ったままでいる)
[所持金]:6万円程度(5月分の生活費)
[思考・状況]
基本方針:どうしよう……
1:三つの選択肢のどれを選ぶのか決める。
2:赤坂亜切に興味。
[備考]
自分の両親と姉の仇が赤坂亜切であること、彼がマスターとして聖杯戦争に参加していることを知りました。
山越風夏のことを、大道芸人だと認識しています。
【ランサー(ルー・マク・エスリン)】
[状態]:健康。
(多少の疲労? 左腕の火傷? どれもほんの誤差だ! 次から記載に残すまでもないぞ!)
[装備]:常勝の四秘宝・槍、ゲイ・アッサル、アラドヴァル
[道具]:緑のマント、ヒーロー風スーツ
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:困ったことになったな……
1:レミュリンがこの先何を選択したとしても、ヒーローとしてそれを支える。
2:俺は過保護すぎるのか……?
[備考]
予選期間の一ヵ月の間に、3組の主従と交戦し、いずれも傷ひとつ負わずに圧勝し撃退しています。
レミュリンは交戦があった事実そのものを知らず、気づいていません。
ライダー(ハリー・フーディーニ)から、その3組がいずれも脱落したことを知らされました。
◇ ◇ ◇
一仕事終えて流石に疲れたので、そのまま二人は連れ立って手近な喫茶店でお茶にすることにした。
きわどいレオタード姿の少女と、猫耳と猫尻尾を揺らしたスーツ姿の少年。
遠くから「えっ、コスプレ?!」などと声が聞こえてくるが、二人は構わず店内に入って注文をする。
やがて二人の前に、それぞれコーヒーとケーキが運ばれてくる。
「流石にあの怪力は想定外だったよ。タルタロスの鎖ごと引きずって歩くだなんて」
「ほんとライダーのせいで、あの子、私のことを大道芸人だって思ったままなんだよ! どうしてくれるの!」
「半分は君の余興が過ぎたせいだろ。だいたい、あんなハンパな芸を人に見せて恥ずかしくないのか」
言い争いながらケーキをつつく二人は、しかし傍目には仲睦まじい若いカップルのようにしか見えない。
どちらも人々の視線を、意識を操作する、究極のプロフェッショナルである。
あまりに場違いな服装や容姿も、流石東京には奇人変人がいるもんだなぁ、程度で流させることだって出来てしまう。
人々の注目を浴びることも、浴びずに済ませることも。
人々を集めることも、人々を近寄らせないことも。
全てが自由自在。
それが究極のマジシャンたる、〈脱出王〉の誇る、魔術でも何でもない、ただのヒトの〈技術〉である。
「しかしそのアギリって奴、そんなに大変なのかい? 〈脱出〉や〈優勝〉と並べる程の?」
「簡単じゃないと思うよー。
よっぽど相性が良い能力でも持って無いと、あの〈禍炎〉で一発で焼かれて終わるんじゃないかな」
前の聖杯戦争を知らないライダーの当然の疑問に、前回を知る今生の〈脱出王〉はどこか得意げに語る。
「例えば、そうだね……
複雑な術式で、受けるはずだった火傷を相手に押し返しちゃう、色彩の魔女とか。
焼かれる端から魔術で治しながら肉薄してくる、肉弾派の高レベル治癒術師とか。
風の精霊との契約で多重の風の結界を展開して光を屈折させる、契約魔術師とか。
そもそも人前に出てこない陰湿なバーンドレッド家の魔術師や、その後継たるホムンクルスとか。
あるいは……視線の誘導に誰よりも長けた、世界最高峰のエンターテイマーだとか!
そういうのでもなければ、きっと勝負にもならない」
「ちょっと待って。
ぼくの聞き間違いでなければ、いま、前回の参加者全員が挙げられたように思うんだけど?
そのアギリって子は、得意技が徹底的に無効化されちゃった可哀想な子だったのかい?」
「逆だよ。
私たち全員、彼に対しては全力を尽くして備えて、なんとか一撃必殺で終わることだけは免れた。
それくらいの相手なんだ。それに」
「…………」
「それに、〈彼女〉だけは、そんなアギリの視線に対抗する手段を持っていなかった。本当に何一つ」
「…………」
「そうだなー、今の〈彼女〉なら、あの後に目覚めた再生能力でなんとかしちゃうのかもしれないけどねー」
どこか楽しげに思い返しながら、少女はコーヒーをすする。
少年は少しだけ不機嫌そうな顔を隠そうともしない――〈彼女〉の話題に対しては。
「ただ、アギリ本人は、言ってみれば攻撃力に全振りだからね。
そうと分かった上で挑めば、相打ち程度になら持っていける望みはあるんじゃないかな」
「それで〈優勝〉と〈仇討ち〉は同時には無理、って言ってた訳か。なるほどね」
優勝目的で全ての参加者を蹴散らすついでに、赤坂亜切を自らの手で排除する――というのは、なるほど虫のいい考えだ。
むしろ本気で優勝を目指したいのならば、意識して直接対決は避けて、他の参加者をぶつけるべき相手なのだ。
「まあ、結局あの子がどれを選ぶかは分からないんだけどねー」
「そもそもの話になるけど、なんであのレミュリンって子にそんなに手をかけるんだい?」
「決まってるじゃないか!
彼女だけなんだよ、まだ〈方向性〉を持っていないのは!」
「それは……魔術師として、ということかい?」
「そう。他の子は、素人だった子も含めて、固有の〈能力〉にもう目覚めている。
彼女だけが、まだそれを持っていない……どんな方向に目覚めてもおかしくない、貴重な〈原石〉なんだ!」
少女の熱弁に、少年は合点がいったとばかりにうなづく。
そう、この〈脱出王〉の主従は、どんな小さなものでもいい、未だ未知なる可能性の種を求めている。
それというのも。
「この1ヵ月、念入りにこの東京を調べ回ったけれど、ぼくたちの目指す〈脱出〉に役立つものは見つからなかった。
力押しでいいなら、ざっと1ダースはやり方が思いつくけれど。
ただどの方法も、さらに1ヵ月は時間が欲しいところだね。それも誰にも邪魔されない形で」
「えっ、すごい、そんなに思いついたの?!
私は半分も思いつけなかったよ!
それに私ならどれも3ヵ月はかかるかも!」
「単純に年季の差だよ。
とはいえ、ぼくだってそこまでが限界だ。
他に方法がなければ、巌窟王の真似事をするしかないだろうけどね。
どう考えても、トンネルを掘り切るだけの猶予は与えられそうにないや」
派手な舞台とは裏腹に、どちらの〈脱出王〉も地味な作業の積み重ねも、選択肢から捨ててはいない。
小さなスプーンひとつで岩盤を削るような真似が必要であれば、迷わず実行するだろう……
穴を掘り抜きさえすれば、あとは劇的な演出で飾り立ててやるだけのことだ。
ただ、どうも、その「コツコツと世界の脆弱性をつつき続ける」だけの時間が、残されている気がしない。
それは主従ともに意見の一致するところであった。
だから。
小手先の策で時間を稼ぐのではなく、むしろ、全てを加速させる。
皆の運命を人為的に加速させて、その大きな揺らぎの中に、まだ見ぬ可能性を期待する。
それがこのふたりが選んだ選択だった。
「残念ながら、種も仕掛けも足りてないんだ。〈現地調達〉するしかないだろう」
例えば、客席から呼んで舞台に上げた観客の、だらしなく開いたままの上着のポケットの中。
手の中のトランプを一時的に隠しておくにはうってつけだ。
そこにペンがあればちょっと拝借して文字を書くのにも使えるし、財布でもあればトランプの転送先にすることも出来る。
手札が足りないのなら、現場にあるものを目ざとく見つけ出して活用する。
それもまた、ふたりの〈脱出王〉の基本の思考法だった。
「それこそ、ジャック先生の所にいる〈増幅装置〉。
あれを上手く使えれば、〈彼女〉や〈彼女のキャスター〉の予想も超えられる気はするんだよねぇ」
「そんな小器用な調整が効くやつかい、あれって?
それにその場合、障害になるのは肝心のマスターの方だろう?」
「そうなんだけどさぁ。
でも、そこまで問題を持って来れたら、あとはきっと何とでもなるじゃん」
「確かに」
〈脱出王〉たちは笑う。〈脱出王〉たちは常人の発想の枠の外で策を練る。
全ては華麗な脱出劇のために。
とびきり異質なトリックスターは、聖杯戦争を加速させていく。
【新宿区・都庁近くの喫茶店/一日目・午後】
【山越風夏(ハリー・フーディーニ)】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:舞台衣装(レオタード)
[道具]:マジシャン道具
[所持金]:潤沢(使い切れない程のマジシャンとしての収入)
[思考・状況]
基本方針:聖杯戦争を楽しく盛り上げた上で〈脱出〉を成功させる
1:他の主従に接触して聖杯戦争を加速させる。
2:レミュリンの選択と能力の芽生えに期待。
[備考]
準備の時間さえあれば、人払いの結界と同等の効果を、魔力を一切使わずに発揮できます。
【ライダー(ハリー・フーディーニ)】
[状態]:健康
[装備]:九つの棺
[道具]:
[所持金]:潤沢(ハリーのものはハリーのもの、そうでしょう?)
[思考・状況]
基本方針:山越風夏の助手をしつつ、彼女の行先を観察する。
1:他の主従に接触して聖杯戦争を加速させる。
[備考]
準備の時間さえあれば、人払いの結界と同等の効果を、魔力を一切使わずに発揮できます。
投下終了です。
赤坂亜切&アーチャー(スカディ)
雪村鉄志&アルターエゴ(デウス・エクス・マキナ)
予約します
投下します。
NEETY GIRL:やっほー
Iris:おいす
NEETY GIRL:こんな時間からとか珍しくない? いーちゃんいっつも深夜帯inなのに
Iris:気分
Iris:学校休みだし今
NEETY GIRL:もしかして都住み?
Iris:黙秘
NEETY GIRL:絶対そうじゃ〜ん! あれでしょ、今大変だもんねー。バッタですごいことになってるんだっけ。
わたしの地域はまだ虫が来てないみたいだけど、わたし虫だいっきらいだから毎日めちゃくちゃびくびくしてるー。
Iris:うるさい
Iris:きいてない
NEETY GIRL:つめたくない?
NEETY GIRL:傷つきました。あーあ
NEETY GIRL:それで
NEETY GIRL:なんかクエストいく?
Iris:水晶山
NEETY GIRL:水晶山のなにw
NEETY GIRL:ほんと短文ガールなんだから キッズみたい
Iris:4ね
Iris:水晶山の竜王
Iris:忙しくてまだ火急クエやってない
NEETY GIRL:竜王か〜〜〜 あれむずいんだよね
NEETY GIRL:ガチ装備で行っていい?
NEETY GIRL:いつものドロ増装備だと私も三落ちするかも
Iris:なんでもいい
Iris:はやくいこ
NEETY GIRL:はいはい
NEETY GIRL:ていうか
NEETY GIRL:イリスちゃんさー
Iris:なに
NEETY GIRL:なんかあったでしょ?
Iris:なんで
NEETY GIRL:いつももっとこう
NEETY GIRL:毒にキレがある 本気で傷つくこと平気で言うじゃん
Iris:おまえ私のことなんだと思ってんの
NEETY GIRL:事実だもんw
NEETY GIRL:で、なんかあったの?
Iris:人のリアルを勘繰るのってマナー違反なんじゃなかったっけ
Iris:どうせ中身コミュ障ニートのクセに調子乗りやがって
Iris:殴るよ
Iris:人中とかを
NEETY GIRL:暴力だねぇ〜〜〜〜〜〜〜〜〜
Iris:いいからくえいこ
Iris:ニートに相談してもしゃあないもん
NEETY GIRL:まあいいけど
NEETY GIRL:私、このゲームやってくれるフレってイリスちゃんしかいないからさ
NEETY GIRL:ニートでよかったらいつでも話聞くよ、なんて
Iris:考えとく
Iris:クエ受注した
Iris:三落ちしたら*す
Iris:あ
Iris:NGワードキモすぎ 4ねばいいのに
NEETY GIRL:いまどき珍しいくらいキッズだね今日も
NEETY GIRL:じゃ、いこっか!
◇◇
時刻は、今から少しだけ遡る。
楪依里朱は表情のない顔で、目の前で正座するガラ悪げな見た目の男を見下ろしていた。
自由奔放、傍若無人を地で行くさしもの彼も今回のやらかしに関しては何も言い訳が思い付かないらしい。
そんな彼のらしからぬ殊勝な姿を見ても、当然ながら温情など微塵も沸いてこない。
当然だろう。今回のはただの命令無視や不遜とは訳が違う。
イリスにとっての最大の地雷、その真上でタップダンスを踊った挙句ずっこけて片足折って帰ってきたようなものだ。
一見すると平静に見えるが、その実今、イリスはかつてないほどに不機嫌の絶頂にあった。
「……で」
「ハイ」
「申し開きは」
「アリマセンデス、ゴメンナサイ」
事の経緯を説明するには、またまた時を遡る必要がある。
昨夜のことだ。あろうことかこのサーヴァント・ライダー……虫螻の王。
シストセルカ・グレガリアという群体は、この聖杯戦争における最強最悪の存在へ独断で接触を図ったのである。
すなわち、神寂祓葉。
〈はじまりの聖杯戦争〉の勝利者にして、針音の仮想都市を想像した主従の片割れ。
そして、楪依里朱という女がこの世で最も憎む宿敵。かつて一度は、友と呼んだ少女。
飛蝗どもはイリスに断ることなく、それへと挑んだ。
その上で、予定調和のように敗走して帰ってきた。
好奇心は猫を殺すというが、砂漠飛蝗は殺されなかった。
だがそれでも、無謀の代償は甚大だった。
「今、どんだけ力を出せるの」
「ま、まあ……六割くらい、カナーって」
「……はぁあぁあぁあぁあ……」
サバクトビバッタ――〈Schistocerca Gregaria〉は、原則として不滅の存在である。
神代から現代に至るまでを渡り、変わらぬ猛威で人を、文明を喰らい続ける天地神明の暴食者。
草を食うだけですら地平線を埋め尽くす軍勢を形成できる昆虫が英霊となり、際限(リミッター)を外されたなら。
あらゆるモノを食物として喰い貪れる飛蝗の群れは、もはや手の付けられる存在ではない。
無限に増え、無限に群れる。なんの比喩でも誇張でもなく、彼らはこの東京に無尽蔵に存在し、こうしている今も生殖を続けている。
だが瞬時の補充は不可能だ。不測の災害で失った四割の同族を埋め合わせるまでには、彼と言えども多少の時間を要する。
一応"裏技"はないでもなかった。
イリスが令呪を命令でなく彼への魔力源として供給すれば、瞬間的な大生殖を行うことも不可能ではないだろう。
ただまだ聖杯戦争は序盤も序盤。この段階から既に虎の子のひとつを失うのは出来れば避けたかった。
兵站的な意味でもそうだが、飛蝗男(こいつ)は見ての通り、一時のテンションに任せて何を仕出かすか分かったものではないからだ。
首輪なしでこの暴れ馬に跨るなど自殺行為である。少なくとも、イリスに博打打ちの趣味はない。
「補充しきるまでどのくらい」
「あー、そうだな……。日没くらいになれば、ほぼほぼ全快は出来ると思うぜ。
これでも一応ちょっと焦ってんだよ。蝗害の進行を一旦止めて、全力で盛り合わせてっから」
「……、」
想像するだけで気持ちの悪い光景だが、六時間程度であれば確かにまだ巻き返しは利く範疇だ。
その六時間で軍勢を補充して、元の規模を取り戻し次第"蝗害"の進行を再開する。
当座の方針はそんなところであろう。イリスとしては、本来の予定を向こう見ずの身勝手でねじ曲げられたことが甚だ不快であったが。
「……申し訳なさそうな顔しなくていいから。どうせ腹の中じゃ反省も何もしてないんだろうし」
「え。い、いやぁ。そんなことは――」
「ライダー」
「あ、はい。じゃあいい子ちゃんな俺はそのヘンに置いときます」
置いといて、とジェスチャーして、虫螻の王はしおらしい正座を崩して男(オス)らしく胡座を掻いた。
昆虫は学習こそするが反省はしない。イリスもそれは分かっているので、彼にそういう礼節の類は一切期待していなかった。
正直、あらん限りの悪態と罵詈雑言をぶつけてやりたい気分でいっぱいだ。
だが、それを差し置いてでもまずは聞かなければならないことがあった。
そう――聞かなければならない。これが、曲がりなりにも今は自分の相棒ということになっているこの男が。
彼女に、神寂祓葉に、"出遭った"というのならば。
楪依里朱は、彼に問わねばならない。理屈ではない、もっと見苦しく不合理でどろついた感情から。
「あいつに会ったんでしょ。で、戦った。こっぴどくやられてのこのこ帰ってきた」
「ああ。会った、戦った、負けた。認めたかねえが、今もう一回やっても同じ結果だろうな」
「――祓葉は、強かった?」
強くなければそもそも負けて帰ってなど来ないだろう、というのはイリスも承知の上で聞いている。
言っただろう、これは理屈ではないのだ。
きっとシストセルカ・グレガリアには理解のできない感情を羊水として浸かり生まれた惰弱なる無駄。
だからこそ譲れない、譲るという発想がそもそもない。
死に、甦り、未来の代わりに狂気を与えられた少女の根幹。
今も瞼の裏に焼き付いて離れないあの青い日々、"彼女"の残像にイリスは狂している。
「改まって言うまでもねえだろ。ありゃ強い、いや強いなんてもんじゃねえな。
〈怪物〉だ。理屈が通じない、常識が通じない。そもそもそういう話の中に存在していない。
疑似(ニセ)とはいえブラックホールを内側からぶった斬ってくる女なんざ、強がりでも弱いとは言えねえや」
シストセルカは、虫螻の王は、昨夜の出来事を余さず覚えている。
最初、あの戦いは何をどう転んでも己の勝利で幕を下ろす筈だった。
持てる戦力、火力、不滅性、いずれにおいても神寂祓葉は完全に己の後塵を拝していた。
だが戦う内に少しずつ、それが変化していった。
不可解な能力上昇。限界地点のゆらぎ。
今思えば、彼処まで派手な手に訴えたのは単なる高揚ではなく本能的な行動でもあったのだろう。
昆虫は理性ではなく本能で動く。だからこそ、無意識の内に神寂祓葉という存在を"総体の危機"と見做していた可能性がある。
故に出したのがあの特大の妙技、飛蝗を極限まで密集させて生み出す砂漠の大渦(ブラックホール)であった。
恐らく直撃すれば、この針音聖杯戦争に存在するどのサーヴァントでも耐えられないに違いない究極の殺傷手段。
――しかし祓葉は、それすら斬り伏せてみせたのだ。あの恐るべき、光の剣で。
「…………そ。やっぱ強いんだ、あいつ」
ちりちりと、脳のどこかが焦げ付くような錯覚を覚えた。
もしも"弱い"だなどと言われたなら瞬時に氷点下の怒りを剥き出しただろうに、望み通りの答えが返ってきても納得しない自分の面倒臭さに我ながら反吐が出そうになる。
最悪だと、クソ女だと、そう侮蔑しながらも気付けば考えるのはあいつのムカつくくらい能天気な笑顔ばかり。
この手を握って走るあいつの温度まで――思い出しそうに、なる。
「ライダー。あんたに挽回の機会をあげる」
「ほぉう。ま、俺も見下されっぱなしじゃ沽券に関わる。
いいぜ、言うこと聞いてやるよ。魔女のイリス様は、この虫螻風情に何をお望みだい?」
「害虫駆除」
祓葉は強い。
当たり前のことだ。
だからみんな、あの女にまんまと転がされた。
あの笑顔と、言葉と、立ち振る舞い。
その純粋と無垢が、この世の何よりも醜い無自覚な悪意と表裏一体だと誰も気付かなかった。
それが〈はじまり〉の失敗。
眩しすぎてこっちの視界が曇っていることをついぞ理解せぬまま、祓葉という怪物を見誤ってしまったこと。
「アギリの言う通りだった。あのクソジジイ、自分がどこにいるのか隠そうともしてない。
らしいなって思っちゃったよ。死ぬほどムカつくことにね」
イリスは決めている。
今回は絶対に同じ轍は踏まないと。
できる筈だ。なぜなら今回の自分は、誰より神寂祓葉を知っているから。
あいつがどんな顔で笑うのかも、どんな顔で泣くのかも、どんな顔で人を裏切るのかも。
他の五人など問題にもならない。自分だ。自分こそが、あの醜悪な女の真実に誰より迫っていると自負している。
祓葉を倒す。
アレを倒せば、この煩わしい焦躁も消えると信じて。
だがその前に、是が非でも滅ぼさなければならない五つの屑星があることもイリスは認識していた。
戦略的理由ではない。感情的理由だ。自分以外の五人、あの誰かが祓葉にとっての運命になる可能性を彼女は決して許せない。
祓葉を倒すのは、私だ。
世界の誰であろうと、そこの一点だけは決して譲らない。
ましてや祓葉の顔を何も知らない癖に、黄泉帰って訳知り顔をしているあの五人は論外だ。
必ず殺す。その第一歩としてイリスがまず標的に据えたのは、前回もっとも手を焼かされたある魔術師だった。
「市立鱗伽嶺総合病院。そこに私と同じ、前回の聖杯戦争に参加したマスターがいる」
「病院ねぇ。薬臭えだけで食いでがなさそうだなァおい。やるとは言ったけどよ、退屈なヤマは勘弁だぜ?」
「そこは問題ない。行けば――会えば分かるよ。あのヤブ医者、本当に芯から性根腐り切ったクソ外道だから」
その男は、〈はじまりの聖杯戦争〉における台風の目であった。
他人の陥穽をたちまちに見抜く洞察力と、それを裏打ちする年季故の知識と知見。
そして何よりも、魔術師としての類稀なる、老獪に逸出した実力。
英霊にさえ恵まれた老魔術師の君臨は、すべてのマスターにとって紛うことなき目の上の瘤。
神寂祓葉という存在が本格的に頭角を現し始めるまで、間違いなくかつての聖杯戦争は彼を中心に回っていたと言っていい。
『呆れたものだ――愚か者の一族から零れた胤は、やはり無能か』
『持って生まれた素養を幼稚なパーソナリティがすべて無に帰している。その齢になってまだそれとは』
『理想と現実の区別も付かん痴呆の家は、子を育てる才能も枯渇してしまったらしい』
忌まわしい老人の声が脳裏を木霊する。
今となってはそんなもの、すべてどうでもいいことだが――
それでも、投げかけられた嘲笑を返すいい機会なのは間違いないだろう。
たかだか今際の際に祓葉の超常を垣間見ただけの負け犬がよく吠えた。
「人間としては腐ってるけど、魔術師としては間違いなく優秀。
たぶん"こういう"事態に備えていろいろ企てを抱えてるんだろうし、最悪殺せなくてもいい」
「らしくねえな。"首取るまで帰ってくるな"とか無理難題押し付けるのがお前流だろ?」
「ただし、その代わり――完膚なきまでにあっちの備えと拠点、ブチ壊してきて。
病院も、備蓄も、全部全部全部。ありったけ、食えるだけ食ってきていいから」
「へぇ。そりゃ良いけどよ、だが何故?」
「決まってるでしょ。嫌がらせ」
遅くなったが、売られた喧嘩は今買ってやる。
存分に死ね、老害。
「――もう偉そうに語る資格はないね、蛇杖堂寂句。
あいつの温度も知らないあんたに、私の未練(ふつは)は渡さない」
◇◇
――そして、時刻は現在に戻る。
シストセルカは出撃させた。蛇杖堂寂句の討伐、もとい彼の備えに対する可能な限りの略奪が目的だ。
蛇杖堂の老蛇は放っておけば放っておいただけ力を増す、知恵を肥やす。だからこそ早めに削りをかけるのは必要条件だった。
ここで殺せるのが最善なのは言うまでもないが、そうでなくても敵の戦力をある程度削ぎ落とせれば後はアギリなり他の四人なりが攻め込むだろう。前回の聖杯戦争を経験している者で、蛇杖堂寂句の脅威を知らない者はいないのだから。
イリス自身も出撃する選択肢はあった。
昨夜のアギリ陣営との交戦で実感したことだが、自分の〈色間魔術〉は今飛躍的な伸びを見せている。
何せあの赤坂亜切とすら、真っ向切ってやり合えるレベルだ。もはや苦心しながら狡辛く魔術の行使に勤しんでいた頃とはわけが違う。
ただ、ここは結局控えることにした。蛇杖堂は老獪だ。力に溺れて下手を打てば、次の瞬間にはこちらが絡め取られる。
まずはシストセルカで削りつつ偵察をし、情報を集めてそれから改めて恨みを晴らすのでも遅くはない。
だからこその自宅待機。空いた時間を何に使うか考えた末、イリスは"暇潰し"に用いることにした。
何せ、聖杯戦争はここまで一ヶ月以上に及び続いているのだ。
常在戦場の気構えは常に維持しているが、それでもやはり手の空く時間はどうしても多くなる。
そんな中でイリスが暇潰しに手を伸ばしたのが、とあるアクションゲームだった。
ゲームとしては至ってオーソドックス。巨大なモンスターを武器を持ったプレイヤー達が囲んで力を合わせて狩猟する。
最初は舐めてかかっていたイリスだったが、いざ実際に臨んでみるとこれがなかなかどうして奥が深い。
端的に言うと、ハマってしまった。とはいえ無理もない。楪の本家があったのはドの付く田舎の村だったし、ましてや旧態依然を地で行く楪の家にはパソコンはおろかテレビさえなかった。イリスにとって娯楽とは、そんなごく限定的な環境の中で許されるごく退屈でつまらないものでしかなかったのだ。
そんな箱入りの田舎娘が最新のオンラインゲームに触れた。結果、見事にハマり散らかした。それ自体は責められることではないだろう。
とはいえイリスはこの通り、誰に対しても基本的に辛辣で容赦がない。
祓葉と友人になれたのはひとえにあちらの底抜けなフレンドリーさがあった故のこと。
ゲーム内チャットだろうと平気で不満を吐く彼女は、基本的にソロプレイで試行錯誤を繰り返すのが常だった。
――ある、奇特な人物がフレンド依頼を送ってくるまでは。
>NEETY GIRLさんからフレンド依頼が届いています
>さっきのめっちゃチャットで喧嘩してたひとだよね?
>私あの人たち身内ノリキモくてすっごい嫌いだったの! なんか胸がすっとしちゃった
>よかったらフレンドなろーよ! いっしょにゲームしよ(*^^*)
その日からというもの。
イリスは、惰性でゆるゆるとそれとゲームを続けている。
別に理由があるわけではない。〈NEETY GIRL〉は自分よりも装備が潤沢で、腕も立つ。だから都合のいい時に呼んで連れ回しているだけだ。別に通話や重たい関係性を求めてくるわけでもないので、兎にも角にも"都合がいい"。それだけで、それまでのこと。
〈NEETY GIRL〉はいつも饒舌だ。聞いてもいないことを、自分からべらべら語ってくる。
かと言ってこっちの話を蔑ろにすることもない。雑に扱っても、毒を吐いても、ひょいひょい返信を返してくる。
だから、やりやすい。気付けば暇な時は彼女と話の流れで交換したトークアプリで連絡を送り、呼び出してゲームに勤しむのが習慣になっていた。
朝でも昼でも夜でも深夜でも、大体いつでも返事が返ってくるので"そういう生き方"をしているんだろうと思っているが詳細は不明。性別だとか年齢だとか、そういうことは何も知らない。相手も、何も聞いてこない。
だからこその居心地のよさがなかったと言えば、きっとそれは嘘になる。
「……、……」
ずきり。
頭の中のどこかが、少し痛んだ。
長い眠りから覚めたみたいだと、そう思った。
◇◇
NEETY GIRL:おつ〜
NEETY GIRL:しんどかったね
Iris:おつ
NEETY GIRL:ていうかさあ
NEETY GIRL:なんでいーちゃんずっと装備それなの? その白黒のやつ下位装備だから、もっといいのにした方がいいと思うけど
NEETY GIRL:縛りプレイかなんかしてるの?
Iris:似たようなもん
NEETY GIRL:そっかぁ
NEETY GIRL:まあプレイスタイルは自由か
NEETY GIRL:わたしもうそろそろ落ちるけど、じゃあ今度はそれの強化素材探しに行こ
Iris:?
Iris:意味ある?
Iris:強化素材くらいならひとりで集めれるけど
NEETY GIRL:ふたりでやった方が効率いいじゃん!
NEETY GIRL:つきあうよ〜〜
Iris:まあ
Iris:いいけど
Iris:じゃあまたディスコで連絡する
NEETY GIRL:りょ!
NEETY GIRL:私だいたいいつでもいるから、ゲームでもなんでも気軽に声かけてね〜〜
Iris:気が向いたらね
NEETY GIRL:友達なんだし
NEETY GIRL:あれ
NEETY GIRL:いーちゃん?
Iris:友達じゃない
【Iris さんがログアウトしました。】
◇◇
――楪依里朱は田舎者である。
だから、初めて訪れる都会はすべてが新鮮であると同時に煩わしさの宝庫でもあった。
人が多く、車が多く、空気は汚く、ただ移動するというだけでも複雑な路線図を見て時間の計算をしなくてはならない。
物価は高いし、村では当たり前のものとして扱われていた自分のこの見た目も誰もが遠慮なく奇異の目線を向けてくる。
色間は極めて不便な魔術だ。
使い勝手が悪く、考えることが多い癖に術者に多くの要求を課してくる。
その最たるものが、色彩との親和だ。白と黒、この二色を肉体と密接にしておく必要がある。
故に髪も幼い頃からずっと二色(ツートン)に染めて過ごしてきたし、衣服もそうだ。
ゲームのキャラでさえ"いつもの色彩"にしないと落ち着かないほど、イリスは自分の世界を白黒に支配されていた。
生まれ故郷の村では楪家の伝統と誰もが知っていたが、都会ではもちろんそうではない。
転入した学校でもそれは変わらなかった。転入初日に絡んできたクラスの女子達はその日の内に痛め付けてやったので以後特に不便はなかったものの、それでもイリスにとって東京の町は煩雑で喧しく、耳障りで目障りなもので溢れかえっていた。
孤独は苦ではない。
喧しくされるよりはずっといい。
ましてや自分の目的は、この街で生きることなどではない。
聖杯戦争に勝ち、老人達の愚かしい悲願を現実にしてやること。
今も昔もこれからも、自分はあの家の妖怪どもの傀儡でしかないのだから。
環境の善いも悪いも気にするだけ無駄。そう折り合いを付けて、さあ終わるまで孤独に戦おうと――思っていた自分に、声を掛けた女がいた。
『こんにちは! ねえ、その髪――きれいだね。どうやって染めてるの?』
うるさいな、と思った。
また馬鹿が殴られに来たのか、と苛立ちを浮かべて振り向いた。
けれど、そこにあったのは今まで見たこともないような純真、混じり気の一切ない笑顔だった。
楪家の才媛でも、奇特で良い噂を聞かない変わり者でもなく。
〈楪依里朱〉というひとりの人間を見つめて、少女はそこにいた。
その日からだ。
少女は、イリスにぴょこぴょこ付きまとうようになった。
休み時間。体育の時間。放課後。休日にインターホンで起こされたかと思ったらスイカを持って立っていた時など、本気で殴ろうか迷った。
彼女がマスターであることを知ったのは早い内だった。それもその筈だ、令呪を隠していなかったから。
タトゥーシールということで押し通すつもりだったと言うが、もちろん無理がある。
イリスは迷った。良心からではない。あまりにも隙だらけすぎて、逆に殺していいのかどうか分からなかったのだ。
結局、本人が底抜けのアホなのをいいことに当分は殺さず連れ回すことにした。
彼女のサーヴァントは目を覆いたくなるような三流英霊だったが、それでもいざという時弾除けくらいにはなるだろうと考えた。
思えば、いろんなところに行った。いろんなことをした。
戦いよりも、益体もないことをして過ごした時間の方が遥かに長かったと記憶している。
意味もないのに泊まりに来たり、興味もない動物園や水族館、流行りのコーヒーショップに連れ出されたり。
聖杯戦争が終わったらふたりでどこか旅行に行こうよ、なんて言われた時はもう心底から呆れてしまったが。
別に必ずしもマスターまで殺さなくてもいいのだということに気付き、もしその時までこいつが生き残っていたのなら、利用したぶんの報酬代わりに付き合ってやってもいいかもな、なんて思った。
――その戦いは、少なくともイリスにとっては最も大きなものになった。
蛇杖堂の現蛇神との本格決戦。イリス、少女、そして赫眼の殺人鬼。
三陣営による同時攻撃にさえ、老獪なる怪物は対応してみせた。
舌戦に敗れ、魔術戦に敗れ、腹を貫かれたイリスは、死を覚悟していた。
別に、悔いなんてものがあるわけでもない。
むしろいつ死んだってよかった。
死ぬ方が望みだったと言っても、きっと嘘じゃない。
振り下ろされる医神の裁定を待ち、静かに目を閉じたその一瞬。
降るはずの死はいつまで経っても訪れず。
目を開けば――そこにあったのは、少女の背中だった。
光の剣を、片手に握って。
燃え盛る炎の中、独り立つ見慣れたシルエット。
気付けば口は、なんで、と問い掛けていた。
それに少女は顔だけで振り向いて、笑った。
『なんで、って。――――私たち、友達でしょ?』
友達のことは、助けないと。
その言葉は、予想だにしなかったもの。
今までイリスは、"それ"を得たことがなかったから。
いつからか望むことをやめ、無いものとして扱い続けていた概念。
或いは、見ないようにしていた言葉。
けれど、この時。
目の前に立つ強すぎる光、いつもそばにいた輝きの星を見て、イリスは――それを自覚してしまった。
こうして。楪依里朱は、神寂祓葉と、友達になったのだ。
◇◇
トークアプリの通知が一件だけ届いている。
それを見る気にはならなかった。
水を打ったように冷めた心で椅子を立ち、ベッドの上に身を横たえる。
「……馬鹿みたい」
なんと惨めで、不細工な話だろうと思う。
これではあの老人の言う通りだ。
幼稚。ああ、まさにその通りではないか。
結局自分は、こうもあの日々に縛られている。
時間にすればひと月にも満たなかったであろう、本物の東京で過ごした日々。
"彼女"に手を引かれ、共に戦い、未来を誓い合ったあの時間に。
楪依里朱に友達はいない。
もう、新たに作る気もなかった。
分かるからだ。誰とどう関わったって、自分はもうこの生き方を止められない。
友達と呼んだ相手の胸を貫いて、素知らぬ顔で蘇らせて玩具にできる女。
彼女のことをどれほど最悪と、屑と罵倒していても、気付けばこの足は走り去った青春の背中を追いかけ続けている。
なのに――、さっき。
画面越しの顔も名前も知らない相手に"友達"と呼ばれて、一瞬だけ、満更でもなかったのだ。
どこまでも未練がましい。
穢されてただの肥溜めに堕ちたあの青春が、こんなにも恋しいのか。
誰彼構わず、祓葉の影を見出してしまうほど。
そんな風に忘れようとしたって、余計に頭の中の光が強くなっていくだけだと分かっているだろうに。
「やっぱり、私も行けばよかったな」
思えば後悔してばっかりだ。
いつも終わってから、追いつけなくなってから後悔する。
――ああ。自分は、どうすればよかったのだろう。
何をしていれば、あいつに、追いつけていたのだろう。
考えても、答えは出ない。
戦場では魔女となる狂気の徒も、ひとりでいるならただの少女だった。
どこまでもちっぽけで、どこまでもありふれた、自分の思春期を飼い馴らせない不器用な子ども。
子どもはまだ、星を見ている。手を伸ばす。かつて誰かが、そうしたように。
【文京区・イリスの部屋/一日目・午後】
【楪依里朱】
[状態]:健康、自己嫌悪、未練
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:数十万円
[思考・状況]
基本方針:優勝する。そして……?
0:なんでこうなんだろ。
1:祓葉を殺す。
2:蛇杖堂を削りつつあわよくば殺す。
[備考]
※天枷仁杜(〈NEETY GIRL〉)とネットゲームを介して繋がっています。相手がマスターであるとは知りません。
必要があればトークアプリを通じて連絡を取ることが出来るでしょう。
【ライダー(シストセルカ・グレガリア)】
[状態]:戦力四割減(急速回復中。午後六時を目処に完全回復)
[装備]:バット(バッタ製)
[道具]:
[所持金]:百万円くらい。遊び人なので、結構持ってる。
[思考・状況]
基本方針:好き放題。金に食事に女に暴力!
1:病院を襲撃する。
2:祓葉にはいずれ借りを返したいが、まあ今は無理だわな。
[備考]
※イリスの命令により、蛇杖堂寂句が院長を務める市立病院へ襲撃に向かっています。
※〈蝗害〉を止めて繁殖にリソースを割くことで、祓葉戦で失った軍勢を急速に補充しています。
◇◇
「うあ〜〜〜〜……」
「なになに。どしたのよにーとちゃん」
「いやぁ、コミュミスったなぁって……はぁ、ちょっと凹むや」
高天小都音がセイバー共々席を外した後、天枷仁杜はしばらくパソコンに向かっていた。
働いていた頃に給金を惜しげもなく叩いて買った、ちょっと過剰なくらいスペックの良いゲーミングPCである。
当然、キーボードも本体も無駄に七色に輝いている。これはもう現代を生きるゲーマーにおいては風情であった。
仁杜はよく、同居人兼素敵なマブダチであるこのウートガルザ・ロキとゲームに興じる。
ただ、仁杜にもゲームの好き嫌いがあるように、ロキもまた合う合わないが結構あった。
例えば仁杜は格ゲーが苦手(反射神経が鈍いから)だし、ロキはアクションゲームをあまりやらない。
なので仁杜が最近ハマっているこの狩猟系オンラインゲームは、もっぱら彼女がひとりでプレイしていることが多かった。
とはいえ一応ひとりだけだがフレンドもいる。今日もそのフレンドとクエストに出かけていたのだった、が。
「コミュ障はいつものことじゃん。何を今更」
「ひどい!? ……って、私はチャットとかなら割と饒舌な方なんだよ。現実世界のにーとと一緒にしないでいただきたい」
「はいはい。それで?」
「んー……なんか悩みがありそうだったから、なんでも話してよ友達でしょ!って言ったら、怒らせちゃったっぽい」
「めんどくさ。絶対メンヘラだろ相手」
「そうなのかなぁ。ぅー、たったひとりのフレンドだったのに……」
また後で、ちょっと時間置いて連絡してみようかなあ。
そう言ってがっくりと項垂れる仁杜こと、〈NEETY GIRL〉はもちろん知らない。
画面越しの"友達(フレンド)"――〈Iris〉が、この世界の成り立ちにも関わる重大人物であることなど。
そしてこれからまさに、ひとつの災禍を生み出そうとしている厄災の操り手であることなど。
知る由もなく、コミュ障らしく自分のコミュニケーションミスにうじうじしているのだった。
【中野区・仁杜の部屋/一日目・午後】
【天枷仁杜】
[状態]:健康、落ち着いたけどちょっとブルーな気持ち
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:数万円。口座の中にはまだそれなりにある。
[思考・状況]
基本方針:優勝して一生涯不労所得! ……のつもりだったんだけど……。
0:あーーーーーうーーーーー(対人コミュニケーションをミスったよ、という意味のうめき声)
1:ことちゃんには死んでほしくないなあ……
2:お酒飲みたいなあ……
[備考]
※楪依里朱(〈Iris〉)とネットゲームを介して繋がっています。相手がマスターであるとは知りません。
必要があればトークアプリを通じて連絡を取ることが出来るでしょう。
【キャスター(ウートガルザ・ロキ)】
[状態]:健康
[装備]:
[道具]:
[所持金]:なし(幻術を使えば、実質無限だから)
[思考・状況]
基本方針:享楽。にーとちゃんと好き勝手やろう
1:にーとちゃん最高! 運命の出会いにマジ感謝
2:小都音に対しては認識厳しめ。にーとちゃんのパートナーはオレみたいな超人じゃなきゃ釣り合わなくねー?
[備考]
投下終了です。
投下します。
「……寝たくねぇ」
と、ノクト・サムスタンプがぼやけば。
「わかるとも」
と、ロミオが返し。
「そうじゃねぇよ」
とノクト・サムスタンプが吐き捨てた。
……これだけではいくらなんでも何が何やらであるから、少し時間を巻き戻しつつ解説をしていかねばなるまい。
場所は、台東区にあるホテルの一室。
ノクトはある程度の期間ごとに宿を変え、東京を転々と移動しながら暮らしていた。
そしてこの会話がかわされたのが、昼前のことである。
サムスタンプ家の魔術刻印に紐づく幻想種『夜の女王』との契約により、ノクトは夜間に眠ることが許されていない。
ならば夜間に眠れない人間がいつ眠るのかと言えば、当然日中になるわけで。
日にもよる話だが、ノクトは午前中に眠り始めて三〜六時間ほどは睡眠に充てることにしていた。
数日程度の徹夜ならパフォーマンスを維持することも難しくはないし、短めの睡眠でも活動できるように慣らしてはいるのだが……既にこの聖杯戦争も一ヵ月。これほどの長丁場でわざわざ睡眠時間を削るほど愚かなこともあるまい。
早寝早起きの老人を、きっかり昼夜逆転させたような生活――――それが、幼少期よりサムスタンプの魔術師に課せられたスケジュールである。
……といっても、ノクトもかれこれ四十四年間このスケジュールで暮らしている。
ノクトにとってこれは“当たり前”のことであるし、今更この生活をキツいとか嫌だとか思うことは無いのだが…………
「この戦場だと、他の連中と活動時間が合わせづらいのがなぁ……」
というのが、率直なぼやきであった。
通常、魔術師の戦いは夜間に行われる。
神秘隠匿のため、人目の多い昼間は避けて夜に人払いを行った上で戦うというのが魔術師の戦いのセオリーだ。
故にこれまでの“仕事”でことさらに困る、ということはあまり無かったのだが、この聖杯戦争という儀式は少々事情が異なっていた。特に、神寂祓葉の設定した針音響く二度目の聖杯戦争では。
まずもって、期間が長すぎる。
既にここまでで一ヵ月――――恐らく最後の優勝者が決まるまで戦い続ける、時間制限のないバトルロイヤル。
いつ終わるともしれないこの舞台で戦う以上、毎日の“生活”を軽視することはできない。
まるで「すぐに終わったらつまらないでしょ?」と無垢に笑う少女の顔が目に浮かぶようだ。かわいい顔しやがって。
人数も膨大だ。
ノクトが観測できた範囲に予測を加えて、どう考えても数十人はこの儀式に参加している。三桁に届いていたかもしれない。
流石に大分数も減ってはきたが、まだ二十人以上は盤面にいると見て間違いないだろう。
元々の聖杯戦争がたった七人で行われるものだったことを思えば、この人数はいくらなんでも多すぎる。
まるで「遊び相手は多い方が楽しいよ!」と無垢に笑う少女の顔が目に浮かぶようだ。花みたいな笑顔しやがって。
人選もよくない。
どうもこの聖杯戦争、それなりの数の素人が混ざっている。
神寂祓葉のような“例外”を除けば、基本的に魔術師が集まって魔術師のルールや暗黙の了解に従って魔術師として戦うのが、本来の聖杯戦争だ。
だというのに、神寂祓葉というこの世界の“神”は手当たり次第に人を集め、即席の力まで与えて素人を舞台に上げている。
まるで「色んな人がいた方が絶対面白いもん!」と無垢に笑う少女の顔が目に浮かぶようだ。妖精だってそんなに可憐じゃねぇぞ。
極めつけは舞台設定だ。
聖杯と祓葉とキャスターの力で作られたこの偽りの東京は、まさしく現実世界ではないというのが問題だ。
魔術師のルールというのも神秘の流出によって劣化がどうのこうの、社会に対する影響がどうのこうの、魔術師の家同士の関係がどうのこうの、そういう理由で設定されたものであって、全てが虚構、勝者がひとりというこの世界ではまったく意味を成していない。
なにせ全てが仮想空間、住民は祓葉が作った人形に過ぎず、どんな手段を取ろうがそれが外に漏れることは無いのである。
守る意味の無いルールなど、一体誰が守るのだろう。
あまり無法に動きすぎても盤面が混沌に飲まれるだろうが、事実としてイリスなどは蝗の群れを各地に放っているのだ。
通常なら忌避されるあの戦略も、この戦場の特異性を思えば肯定されてしかるもの。まぁ、本人がどこまで考えてやっているのかは不明だが。
ともあれこれだけの大舞台を、聖杯とサーヴァントの補助込みとはいえ作ってのけた祓葉の規格外に頭が痛くなる。
まるで「えっへん! がんばりました!」と無垢に笑う少女の顔が目に浮かぶようだ。その内かわいさで人が殺せるかもしれねぇな。
総じてそれがどういう影響を及ぼすのかと言うと――――やることが多いのである。
戦う時間が長い。
戦う敵が多い。
しかもそこにはあまりに多様な人種がごちゃ混ぜに放り込まれていて、魔術師の戦いのセオリーが通用しない。
つまり昼間でも平然と戦闘が発生するし、それがあちこちで発生するし、それがあまりに予測不能である、ということだ。
……ノクト・サムスタンプは計算高い合理主義者。
入念に情報を収集し、最も確実な作戦を立案し、契約の罠と的確な暴力の両輪で勝利を掴まんとする狩人である。
そのノクトにとって、あまりに掌握が困難なこの舞台は極めて“やりづらい”ものと言わざるを得ない。
彼が昼間のんきに眠っている間にも、他の参加者たちは戦い、交渉し、戦争を進めているのだ。
独自の情報網を作り上げることで多少のカバーはできているが……ノクトがこの聖杯戦争を勝ち抜くにあたって、必要な情報が集まっているとは言い難い。
率直に言って歯がゆい事この上無いが、サムスタンプの魔術師に生まれた以上、昼間に動けないのは仕方のないことでもある。
「…………ま、ぼやいてても仕方ねぇ。あるもんでどうにかしねぇとな」
結局は、それだ。
できないことやどうしようもないことにああだこうだ文句を垂れても仕方ない。
現実を受け入れて、その中で最善を尽くすしか無いのだ。
「それで、今後の方針はどうするんだい、マスター?」
ぼやきに反応を示したのは、サーヴァントのロミオである。
恋に狂える彼ではあるが、一応は聖杯を求めるサーヴァント。
それ以上に優先するものがあるというだけで、一応……本当に一応、とりあえず聖杯戦争については前向きな姿勢を示している。本当に一応だが。
「あの、屈強な医者の老人と協力して戦うんだろう?」
「……蛇杖堂の爺様と? ハッ!」
そしてノクトはその確認を、嘲笑うように笑い飛ばした。
「確かに持ちつ持たれつ、仲良くやろうとは言ったがね……」
協力関係を結んだし、今すぐ積極的な敵対はしないだろう。
要請があれば手を貸すつもりだし、情報交換にだって応じよう。方針のすり合わせだってしたっていい。
電話ひとつであの暴君を呼び出して戦力に数えられるかもしれないし、それはあちらにとっても同じこと。
ノクト・サムスタンプと蛇杖堂寂句の間で交わされた協力の取り決めは、おおよそそのような緩やかなものである。
客観的に言って自分は中々優秀な魔術使いだし、あの老人も恐るべき魔術師だ。
従えるサーヴァントもお互い真名や詳細までは開示していないが、十分に強力なサーヴァントを従えていると見ていいだろう。
……まぁロミオはいささか以上に扱いにくくはあるが、白兵戦における爆発力で言えば随一のものだ。恐ろしいことに。
ともあれそんな二陣営が協力関係にある、という事実はそれだけで他の陣営に圧力をかけられるものではあるが……
「――――少しでも甘えた動きを見せれば、あのジジイは即座に俺を殺すだろうよ」
決して、背中を預けることはできない。
それをお互いに了承した上で結んだ、薄氷の協力関係。
「……彼はそんなに恐ろしい人物なのかい?」
「怖いぜェ? 強くて傲慢で、査定も厳しいと来た。
やっこさんが協力に乗ったのも、“前回”で俺の有用性が証明できてるからってのが大きいだろうよ」
寂句の傲慢は本物だ。
なにが本物って、他者を見下す論拠たる実力が本物だ。
神寂祓葉を含めた七人の“前回”参加者たちの中で、魔術師としての総合力で言えば間違いなくあの老人こそが頂点に位置していたであろうとノクトは見ている。
戦闘力で言って赤坂亜切、謀略で言ってノクトが次点として追随するだろうが、逆に言ってこの二人の戦力を足してもあの化け物に届くかどうか。
引きこもって膨大な経験値を生かしきれないガーンドレッドの魔術師どもも、その後継たる不出来なホムンクルスも、扱いにくい魔術に苦心する楪依里朱も、真面目に勝ち抜く気の無い奇術師山越風夏も、それぞれ強力な一芸こそ持つものの総合力では明確に劣っていた。
もちろんそれが勝敗を決定付けるワケではない――事実として優勝したのは総合力としてみれば底辺の神寂祓葉だ――が、格上の対戦相手には違いない。
故に“前回”は彼の地盤から崩して引っ繰り返す策を取ったワケだが……あの戦術が取れる人物である、という点を寂句は評価したのだろう。
全てを見下す彼は根本的に他者に期待をかけていないのだろうが、使えるものを使わないほど怠惰では……彼の言葉を借りるなら、“無能”ではないということだ。
「ま、そこはお互い様だけどな……俺たちはお互いをいいように扱って、丁度いいタイミングで先に喉笛を掻っ切る算段を立てる。そういう“協定”なんだよ、あれは」
ちなみに、蛇杖堂の一族が全員既に東京から退去済みなのは確認してある。
当たり前だが、同じ轍は踏まないということらしい。
彼らをまた手駒にできれば、随分便利だったのだが。
「……並行して使える手札をもう一枚か二枚は増やしてぇな。
何人かのマスターのヤサは割れてるが、どいつとどう交渉するかが問題だ……」
目を瞑り、ノクトは己の使い魔に意識を向ける。
……ロミオのことではなく。
この“東京中に放たれた”、小動物や鳥のカタチをした無数の使い魔たちに、だ。
魔術師にとって、使い魔と契約を結んで使役するなど初歩も初歩。
凡百の魔術師でも十全に扱えるこの基本的な魔術を、契約の専門たるサムスタンプは遥かに高次に行使できる。
複数の使い魔の多角的同時使役。
ノクトが東京に形成した偵察網は、既に複数の陣営の拠点やおよその戦力を把握するに至っている。
使い魔だけではない。
このホテルの従業員を始めとしたそこそこの数の一般人に暗示をかけて契約を結び、無意識の協力者に仕立て上げている。
彼らは暗示によって契約の事実そのものを忘れているが、条件さえ満たせば強制的にノクトに奉仕する手駒へと変貌する。
この一ヵ月、ノクトはこういった“下準備”に手間をかけてきた。
これらの暗躍は、ノクトを知る“前回”の連中であれば即座に下手人を看破するであろうし、それでなくともいっぱしの魔術師であれば何者かの監視に察することもできようが……それが、どうしたというのだろう?
戦争なんだ。監視ぐらいされて当然だ。
使い魔を潰されようと、手駒を消されようと、ノクト自身はさして痛くも無い。
イリスとアギリの戦いのように、大規模すぎる戦いの余波で偵察用の使い魔が全滅してしまい詳細がまったくわからないこともあるが……だとしてもそれで、やはりノクト自身が何かを失うワケではない。
「イリスの“蝗害”でも、祓葉は殺せなかったらしい。
ざまぁみろとは思うが、俺達も最終的に聖杯を取る以上は祓葉をどうにかせにゃならん。
蛇杖堂の爺様をうまく使い潰しつつ、祓葉を倒す算段も立てねぇとなァ……」
契約を極めるということは、他者を操れるようになるということである。
交渉と契約によって動かせる手駒を増やし、確実な勝利を収める。
そういった、盤面を掌握せんとする地道な暗躍と、それに基づく戦略の形成こそがノクトの真骨頂であり――――
「……寝たくねぇ」
それ故にやはり、睡眠によって情報掌握が滞るのは望ましいことではなかった。
起きた後に使い魔から情報を受け取ることはできるが、リアルタイムで情報を整理して対応を取れないというのは実に歯がゆい。
寂句の裏をかくため、祓葉をこの手に掴むため、他の陣営を出し抜くため。
なにか決定的な、規格外になり得る鬼札が盤面から得られればいいのだが。
言っても仕方のないことだとわかりつつも、忌々しげにぼやきを零す。
するとここまでノクトの言葉を静かに聞いていたロミオは、神妙な顔で頷きつつ、
「わかるとも」
と返した。
ノクトにはわかる。
この男、確実に寝たくない理由を恋煩いかなにかだと思っている。
そりゃあ確かに祓葉のことを思えばどうしようもなく胸は高鳴り、自分が寝ている間に彼女が他の誰かと関わっているかもしれないと思うとはらわたが煮えくりかえるような想いだが、なにもノクトはそういう意図でぼやいたワケではない。
「そうじゃねぇよ」
と吐き捨てたものの、果たしてロミオに伝わったのかどうか。
多分伝わってはいないのだろう。
「フフ、相変わらず照れ隠しが多いね、キミは」
やっぱり伝わっていない。
まるでノクトが祓葉のことを恋しく思ってたまらないようではないか。馬鹿馬鹿しい。
狂戦士とはいえ、話が通じないサーヴァントとはなんともやりにくいものである。
前回の相棒であるアサシンが恋しかった。
あれは真面目なサーヴァントであった。
ロミオに比べれば大抵のサーヴァントは扱いやすいだろうが、それにしたってあれはノクトの気性に合っていた。能力的にも、人格的にも。
とはいえそれもやはり、言ってもしょうがないことだ。
結局のところ、人は配られたカードで戦うしかないのだから。
「…………じゃあ俺は寝るが、あんまどっか行くなよ」
「はははっ! 当然じゃないか! 僕がどこに行くって言うんだい?」
「………………………そうだな」
知っている。
このバーサーカーはそこそこの確率で“ジュリエット”を探して街へ繰り出す。
今この瞬間、本人は確かに心からどこにも行かないつもりなのだろうが、暴走する恋心は簡単に心変わりを引き起こすのだ。
これもノクトが眠りたくない理由の大きなひとつなのだが、これこそ本当に言ってもしょうがないことであろう。それがバーサーカーなのである。
幸いにして、真っ当な白兵戦でロミオに敵うサーヴァントはそう多くない。
睡眠中とはいえ大幅な魔力消費があれば咄嗟に起きる程度の気の張り方はできるし、永遠に起きているワケにもいかないのだからここは眠るしかない。
前回の相棒である、アサシンが恋しかった。
せめて夢に祓葉が出てきてくれねぇかなぁ、と思った。
◆ ◆ ◆
煌星満天は、コミュ障である。
臆病で、人見知りで、内向的で、アドリブに弱い。
ファンとの交流などまともにできた試しがないし、スタッフとの連携も、他のアイドルとの共演も、偉い人とのお話だって、どれもこれもロクなことにならない。
それでも、最近はちょっとだけマシになったと思う。
マネージャー兼トレーナー兼プロデューサー兼CEOであるファウストのレッスンと、炎上まがいのバズりによって獲得した承認欲求と、アイドルとして“推し”と会って話せた時間は、ほんの少しだけ満天に自信を与えていた。
まぁ元来のコミュ障は全然そのまんまではあるのだが、ちょっとずつ……ちょっとだけ、人の前で話すことに前向きになれてきている。気がする。
そう、マシになった。
マシになったのだ。
前よりは多分、きっと、絶対、ちょっとぐらいは他人とコミュニケーションが取れるようになったはずなのだ。
…………取れるようになったはずなのだけれど。
「おい」
「ハイ…」
「知ってるぞ、お前……キラボシマンテンとかいうアイドルだろ」
「ハイ、ソウデス……」
流石にこれはちょっと、無理である。
昼、事務所へ向かうために移動中だった満天は、街中で男性に呼び止められた。
ファウストには「注目されているのだから、変装を心掛けるように」と言われていたが……正直、甘く見ていた部分が無いと言えば嘘になろう。
だって今までロクな注目浴びてこなかったし。
だいたい何をすればいいのだ、変装って。
あんまり露骨に隠すと逆に目立つし、なんか自意識過剰っぽくて恥ずかしい感じもするし、丁度いい塩梅がよくわからない。
よくわからないまま適当な変装で妥協していたせいで、全然一般人にバレた。
……バレた、までならまだよかった。
へたくそなファンサを試みて、滑って、別れて、それでおしまいだっただろう。いや全然よくはないなこれ。
ともあれ、実際起こった事象はそれどころではなく。
「――――――――お前、バケモンだろ」
……………路地裏に連れ込まれて、詰問を受けている。
何故だ。
どうしてこうなった。
巡る思考に答えを求めても、まともな回答は出てこない。
詰める男性は、なんだか目が血走っている。
興奮状態……とはまた違うのだろうか。
まるで血に飢えているかのような、爛々とした瞳の輝きが嫌に印象的だった。
「見たぞ。お前。角と尻尾を隠してるだろ。
人間じゃねぇ。バケモンだ。そうだろ、お前」
「いや……あの……あれはその……特殊効果? みたいな……ハハ……」
「俺は騙されねぇぞッ!!!」
「ひっ」
バン、と男が壁を殴る。
ヤバい。
あまりにもヤバい。
何がヤバいのか説明するまでもなくこの状況は明らかにヤバすぎる。
「イナゴがよ……俺の親の家を全部食っちまったよ……親父もお袋も見つからねぇ……」
現在、東京を蝕む蝗害――――彼は、それによって家族を失ったのだという。
「近所じゃよ……最近メチャクチャ喧嘩が多いんだよ……昨日まで普通にしてた奴らが、急に殺し合いかってぐらいの喧嘩してんだ……」
現在、東京を脅かす暴徒の群れ――――彼は、その渦中で暮らすことを余儀なくされているのだという。
「意味わかんねぇよ……東京は、一体どうなっちまったんだ……?」
彼は“書き割り”である。
この偽りの東京で生成された、無数に存在する仮想の人形のひとつに過ぎない。
だがそれでも、神寂祓葉という絶対の神が仮想した命は本物とそう違わぬ心を有し――――
「お前みたいなバケモンがいるから、おかしくなっちまったんじゃねぇのか?」
――――聖杯戦争の余波によって衰弱し、僅かながらも“戦場”の狂気に当てられた彼の心はもう、壊れかけていた。
「ちっ、ちがっ、私は関係な――――」
……本当に?
確かに満天が聖杯戦争でやったことと言えば、ファウストと契約して事務所をやめてファウストが作った事務所に入ってレッスンしてオーディションしてステージ爆破してバズって推しに会った。それだけである。
だが、知っている。
今の東京で起きている異常が、多分他の参加者の仕業であることを。
知っているだけで関わってはいないが、同じ戦いに参加する“異常”の側の存在である。
悪魔の姿を全国区(といってもこの仮想世界は東京二十三区しか存在しないらしいが)で晒した満天が、本当に彼らの不安や憔悴と無関係であると、言えるだろうか?
言える――――――――と満天は思っている。
そんなこと自分に言われても困る、と思っている。
実際問題一介の底辺アイドルに過ぎない満天になにができるのかと言われたらなにもできないし、なんだったら満天も被害を受けている側である。最近野菜が高いのだ。
だが、彼の壊れた心は納得しないだろう。
満天はまさしく悪魔で、彼の日常を脅かす異物に過ぎないのだから。
どうする。
逃げることは……まぁ、できる。
ファウストとの契約で手に入れた力の一部。
『微笑む爆弾(キラキラ・ボシ)』と満天自らが名付けた、虚仮威しの爆弾もどき。
せいぜい目眩まし程度にしかならないこれも、正しく目眩ましとして使うのなら十分な結果が望めるだろう。
爆破で注意を逸らして、その隙に逃げる。
たぶん、それでこの窮地は脱することができる。
……できるが、気が引ける。
それは異常に押し潰されてしまった男性の心を想ってのこと……ではなく。
もっと単純に、それによる周囲への影響を鑑みての抵抗感である。
幻とはいえ爆弾は爆弾。
注意を逸らすに足る規模で使えば、相応の音も光も出る。
目立つ、ということだ。
それもかなり。
この男性に限らず、今の東京は大分ピリピリしている。
そんな街の中で堂々と爆弾の音を鳴らせば、周辺住民のパニックを引き起こしかねない。
そして満天が爆弾の主だと露見すれば、それはもう大変なことになるだろう。間違いない。
下手をすれば爆弾魔系アイドルとして牢屋の中である。そんな未来は流石に御免だった。
あるいはそうなっても、ファウストならうまくフォローしてくれるのかもしれないが……
……「あまり目立たないように」と言った当人に頼るのは、流石に。
ものすごく怒られると思う。
ちくちくと小言を言われまくると思う。
最悪、見捨てられるかもしれない。
あの悪魔のような悪魔契約者の甘言に乗って事務所を移籍した満天にとって、それはそのまま人生のゲームオーバーを意味している。
とはいえ、このまま手をこまねいていてはなにをされるかもわからない。
できるだけ出力を抑えて、目立たないようにして……いよいよ己に宿る悪魔の力に手をつけようと決心した、その瞬間。
「――――――――やめたまえよ、キミ」
男の肩を、掴む手があった。
「あぁ……ッ!?」
「やめたまえ、と言ったんだ……大の男がレディにすごんで、恥ずかしいと思わないのかい?」
現れたのは、美青年である。
輝きを宿す金髪、健康的ながらも妖艶に煌めく白い肌。
薔薇の刺繍を入れた仕立てのいいコートからは、まさしく薔薇の香りが漏れる。
信じられないほど長い睫毛の奥には、憂いを孕んだアンニュイな瞳が、しかし強い意思を覗かせていた。
物語の世界から出て来たかのような、絵に描いたような美青年――――それが今、満天への詰問を咎めている。
「っ、うるせぇっ!! でしゃばってんじゃねぇよ!!!」
当然、男性は美青年の手を振り払った。
そして怒りのまま、美青年へと拳を振りかぶる。
危ない、と満天が言葉を発するよりも早く。
「ぶげっ」
「……暴力も良くない。せっかく平和な時代なのだから……」
美青年の素早い拳が男性の顎を打ち抜き、一瞬で彼を昏倒させた。
目にも止まらぬアッパーカット。
そしてそれ以上に、明らかに喧嘩慣れした体捌き。
「すご……」
と、思わず感嘆の言葉が漏れる。
それに応じて、美青年の視線が満天へと向いた。
直接向き合うと、本当に信じられないほどの美形だ。
曲がりなりにも芸能界に属する人間として、それなりに“美形”を知識として入れてきたが、男性というくくりでこれ以上の美形はちょっと知識に無いかもしれない。
顔の造形そのものの美しさもさることながら、パーツの端々に宿るアンニュイな雰囲気がなんとも言えぬ妖しさを演出している。
恋愛などに現を抜かすつもりは毛頭無い満天にあってなお、それでも目を惹かれざるを得ない美形であった。
「あっ、あのっ、あ、ありがとうございましたっ!!」
とはいえ、いつまでも見惚れているワケにもいかない。
助けてくれた礼を伝え、頭を下げる。
まるで颯爽と現れた白馬の王子様。
恋愛ドラマならここから恋が始まるような場面だが、そんな都合のいい展開は転がっていないだろう。
先述の通り、アイドルたるもの恋愛に現を抜かすべからず……というか、そもそもそんなものにかまけている余裕が一切無い満天は、かなりフラットにこの美青年を受け入れられていた。
助けてくれたから、お礼を言う。
本当に純粋にただそれだけの、感謝の気持ちを込めて頭を下げた。
ちょっとどもってしまったけれど、ちゃんとお礼を言えたと思う。
そんな安堵を胸に、満天がゆっくりと頭を上げると――――
「――――――――ジュリエット……」
うん?
「嗚呼っ!! 冷たくはにかむ太陽、不動に揺らぐ草原、天高く輝く地上の花……」
うん????
「ジュリエット……キミの美しさを表すのに、言葉という絵の具のなんと役立たずなことだろうか……」
おかしい。
具体的に言うと様子がおかしい。
先ほどまで憂いを帯びつつも強固な意志を宿していた瞳は、今は興奮に潤んで爛々と輝いている。
詰問してきた男性の血走り方とか目じゃないぐらいに爛々と輝いている。
それでも美形故に絵にはなるのだが、率直に言ってちょっと怖い。
「ああ、愛しのジュリエット……またキミに遭えたこの幸福を、僕はなんと言い表せばいいのだろう?
掌の中のリスよりも愛らしく、窓の桟に佇む猫よりも優雅で、空を舞う鷹よりも気高く美しいキミ!
キミの前ではこの世の全てが色褪せて見えてしまうよ……」
ちょっと怖い、は嘘だ。
率直に言って大分怖い。
美青年は熱に浮かされたように口説き文句を……これは口説き文句でいいのだろうか?
まぁ多分口説き文句。それを口走りながら、歓喜に打ち震えつつ距離を詰めてきて待て近い近い近い近い。
「あっ、あのっ」
「ジュリエット!! どうかまた僕の手に口づけをおくれ!
そして僕の巡礼がキミの手を渡り、唇の門を訊ねることを許して欲しい!
愛の巡礼はキミという門をくぐり、永遠の幸せの中に包まれるんだ……」
「ひっ」
もはや美形がどうこうではない。
ヤバい男である。
どこからどう見ても狂人であり、多分性犯罪者である。
一難去ってまた一難。
再び窮地に立たされた満天は、ほとんど無意識に美青年から距離を取る。
「ひ――――――――――――人違いですっ!!!!!!!」
距離を取って、逃げた。
いくら顔が良くても、それで誤魔化せる限界と言うものがあった。
◆ ◆ ◆
「………………それで、煌星さん」
そして、事務所。
プロデューサーにしてCEOであるファウストは、優雅に足を組んで座ったままひとつ嘆息を零した。
満天は、バツの悪そうな顔で床のシミの数を数えている。
「そのまま彼を連れてきてしまったと」
「いやっ、連れて来たっていうか、ついて来ちゃったっていうか……」
「僕の居場所はジュリエット、いつでもキミの隣さ」
「ずっとこういう感じで……」
そして満天の隣には、様子のおかしい美青年がいた。
逃げたのだ。
もちろん頑張って逃げたのだ。
でも全然逃げきれなかったのだ。
途中お巡りさんに助けを求めたりもして、一瞬それでなんとかなった感もあったのだが、気付けばお巡りさんの追跡から逃れて隣にいるのだ。
本当に意味がわからない。かなり怖い。
「まったく…………いえ、ついてきてしまったものは仕方ありません。
注目度の上がった貴女をひとりで歩かせたのは私のミスでもあります」
「えっキャスターが珍しく優しい……」
「私はいつでも貴女に優しいですよ」
ややそう。
部分的にそう。
スパルタで毒舌ではあるが、ファウストは満天のために色々とやってくれている。
彼は基本的に満天に優しい、と言っていいだろう。
でもスパルタで毒舌である。
そんな思考も、ファウストは全て読み取っているのだろう。
これ見よがしに大きなため息をまたひとつ、深く吐き出した。
「ため息が多いね。キミも恋をしているのかな」
「いえ、残念ながら。…………ロミオさん、でよろしいですね?」
「えっ」
ロミオ、と呼ばれた美青年は――――にこりと微笑を浮かべると、少し誇らしげに頷いた。
「ジュリエットとの愛を引き裂こうとした呪わしき名だが、中々どうしてついて離れないものだ。
いかにも、僕はモンタギューのロミオ。知っていただけて光栄だよ」
「有名人ですからね、貴方は。貴方のことを知らない現代人はいませんよ」
「えっ、あっ、ああー、ああーーーーー!! そっかそっかそっか、ロミオ!!!」
「フフ……キミのロミオさ、ジュリエット。
この忌まわしき名前も、キミの口から放たれれば祝福に変わってしまうね!」
「……まさか今まで気付いていなかったんですか、煌星さん。
誰がどう見たってロミオ以外ありえないでしょう……いえ、これも他陣営との接触を避けた弊害ですか」
そう。
冷静に考えて人のことをジュリエット呼ばわりしてくる美青年、ロミオ以外にまずありえない。
いや普通ロミオは初対面の女性をジュリエット呼ばわりしないだろうとも思うのだが、とにかくそういうことらしい。
この偽りの東京に招かれてからこっち、サーヴァントという存在とはファウスト以外まったく接してこなかったし、そのファウストも過去の偉人というよりは敏腕プロデューサーという感じの態度と格好なので、全然ピンと来ていなかった満天である。
ファウストは絶対零度の視線を満天に向けたが、すぐに気を取り直して社交的な笑みを作る。
「申し遅れました。私はキャスター。
人の世を忍ぶ名としては、ヨハンと名乗っています」
ヨハン……ヨハン・ゲオルク・ファウストの、ゴリゴリに本名である。
本名であるのだが、世にヨハンというドイツ人が何人いるのかという話だ。
英語で言えばジョン、仏語で言えばジャン。
そのあまりに没個性な名前は、名乗ったところで真名に繋がる情報にはほとんどなり得ない……というのが、ファウストから満天になされた説明である。
あるいはもしかすると、彼以外にも一人ぐらいは“ヨハン”が聖杯戦争に参加しているかもしれないぐらいに、没個性的な名前なのだ。
「彼女のサーヴァントであり、プロデューサー……
貴方にもわかりやすく言い換えるなら、従者にしてお目付け役といったところでしょうか」
「ああ、なるほど!
ジュリエットが随分と頼りにしているようだから、何者なのかと思っていたけれど……よほど信頼されている従者なのだね」
「恐縮です」
貴族の子弟であるロミオにとって、従者という存在は飲み込みやすかったらしい。
すんなりと理解を受け入れたロミオを、ファウストは油断無く観察していた。
既に戦いは始まっているのだ。
敏腕アイドルプロデューサー、ファウストPの戦いは。
「さて、それでは……ジュリエットさんの話なのですが」
「? 彼女には“煌星満天”という名前があるのだろう?」
出鼻を挫かれた。
「………………ええ、失敬。ちょっとした比喩表現です」
「キラボシマンテン……宝石が転がるような煌めきに満ちた、美しい名前だねジュリエット」
「???????」
軌道修正。
狂人との会話は難しい。
基本的に彼らには独自の世界観があり、その世界観に基づいて行動している。
原則として狂人と会話を試みるべきではないが、もし会話の必要があるのなら、彼らの世界観に寄り添う必要がある。
満天は既に理解を放棄して背景に宇宙空間を描いているし、自衛としてはそれで正しいだろう。
しかしファウストは、踏み込むことを選んでいる。
見極め、しかし飲み込まれないように。
極めて繊細な、爆弾解体じみた工程。
「アイドル、というのですがね。彼女は歌姫を目指しているのですよ」
「歌姫! 確かに彼女の声は天使の調べも雑音に聞こえてしまうほどに美しいが……」
「ええ、まさしく」
一手ずつ、反応を確かめながら。
「彼女はその歌声と可憐さで、この街の人々を元気付ける仕事をしているのです。
貴方もご存じでしょう。この街が今、どれほど恐怖と不安に包まれているか……
彼らのために、彼女は自分なりの戦いをしているのですよ」
そして時には、巧みに言葉を繋げて踏み込む話術。
例え相手が精神に異常を来した狂人だとしても、悪魔の弁舌はパーフェクトコミュニケーションを探り当てる。
「ジュリエット……彼の言っていることは本当なのかい?」
「………………えっ? あ、いえ。歌姫っていうかアイドルで、そもそも昔からの夢っていうか……」
『否定から入らない。適当に肯定してください。難しいなら微笑んで頷く』
失言を飛ばしそうになった満天には、念話で指示を。
彼女はこの場に必要だが、彼女の言葉は必要ない。
なにやらぼうっとなにかを考えていたようだが、それも後回しだ。
「……そ、そうなんですよ!
昔からの夢だったんですけど、今しかないって思って!
やっぱりアイドルって……」
『続けないでください。ボロが出ます』
「…………そ、そんな感じです。はは……」
コミュ障の満天に会話を続けさせるのはリスキー過ぎる。
あくまで適当に、ほどほどの返答をさせる。
その“ほどほど”が難しいのは承知の上だから、適時指示を出す。
あまりおんぶにだっこであれこれと指示を出しても意味がない……彼女との契約である『このファウストに、再び"瞬間に留まることを願うほどの希望と充足"をもたらす』を満たせなくなるため、あくまでサポートに徹してきたファウストだが今回は話が別だ。
これはアイドルプロデュースとは別の、聖杯戦争の領分。
東京を侵食する規格外の破壊の嵐から満天を守るために、ファウストには弁舌を振るう義務がある。
「ああっ、ジュリエット……キミは心まで聖母のように美しいのだね……!
見ず知らずの人々の安寧のために、キミの美しさという良薬を配り歩こうと言うのか……!!」
かかった。
「ええ、ですが……うまくいくことばかりではなく……」
ファウストは内心でほくそ笑みつつ、悲しげな表情を作る。
あと少し。
決定的な引きを作るために、あと少し布石がいる。
「先ほど、貴方も見たでしょう……煌星さんは徐々に知名度を上げているのですが……その分、厄介なファンもついてしまいましてね」
「――――なんだって?」
ロミオの美しい瞳が細く、鋭く輝いた。
愛する女性を狙う不埒者の存在を認知したことによる、憤怒。
その感情の動きは当然、悪魔の掌の上だ。
「彼女を狙う者が、出てきたようなのです。
それでも彼女は人々のために歌いたいと……誰か、彼女を守る騎士がいればいいのですが」
「ならっ!!!」
その言葉を聞くのと、ロミオが言葉を発したのはほとんど同時。
いっそ食い気味に、恋に狂う美青年は高らかに宣言する。
「――――彼女の騎士はこの僕だッ!!
この世のありとあらゆる危険と悪意から、僕がこの手で彼女を守ってみせる!!
例え悪魔が彼女の魂を取り立てに来たって、決して渡してやるものか!!!」
……悪魔、という表現は、クリスチャンとして特に意識せずに出した慣用句であろうが。
皮肉なものだ。
悪魔が魂を取り立てようとしているのは、“彼女だけではない”というのに。
「素晴らしい……まさしく愛のなせる言葉だ、ロミオさん。では――――」
微笑みと共に、悪魔は一枚の紙を取り出した。
会話の裏で作成していた、“契約書”を。
「――――――――――――その言葉、誓えますね?」
――――契約を極めるということは、他者を操れるようになるということである。
◆ ◆ ◆
『……えっ待って待ってキャスター』
見事に丸め込まれ、契約書にサインするロミオの背中を、ああ、自分もこんな感じだったのかな……とちょっとだけ複雑な気持ちで眺めつつ、満天はファウストに念話を送った。
念話というか、厳密には内心で話しかけただけなのだが、この距離ならば満天の思考は彼に筒抜けのはずなので問題ない。
『はい、なんでしょう煌星さん』
ファウストは口頭で契約の詳細をロミオに説明しながら、念話に応じた。
器用なマルチタスク。敏腕プロデューサーである彼にとって、この程度の分割思考は児戯にも等しい。
『ちょっと状況が飲み込めなくて反応遅くなっちゃったんだけど……えっそれどういう契約?』
『彼を貴女の護衛として雇う契約です』
護衛として。
このロミオを。
“この”ロミオを、満天の護衛として?
………………………………たっぷり数秒、ちょっとシミュレートしてみた。
朝起きて、ごはん食べて、事務所に来て、レッスンして、たまに仕事をする(すごい!)満天。
そんな生活の隣に常にいる、“これ”。
『――――――――ヤダーーーーーーーーッ!!!!!』
これを言葉にせず内心に抑えられたのは、ものすごい快挙と言っていいと思う。
『ちょっ、キャスター正気!?
この変質者が私の護衛やるの!?
いくらイケメンって言っても限度があると思うんだけど!?』
ダメだと思う。
絶対色々ダメだと思う。
『ええ、ダメです。もうサインしてしまいましたから』
だがそんな満天の抗議を、ファウストは片手間に拒絶した。
確かに説明を受けたロミオが満足げに契約書にサインし、拇印まで押している。
『安心してください。貴女が夢を叶える時まで、一切の接触はしないということで合意が取れています。貴女が彼に襲われることはありませんよ』
『い、いやっ、でもでも、こんなの連れてたらスキャンダルとかさ!
“あの子”がそれで大変なことになってるの、キャスターも知ってるじゃん!
事実がどうあれ、世間は信じてくれないんだよ!?』
『その点もご安心を。人前では姿を隠す契約にしました。彼が気配遮断スキルを持っていたのは嬉しい誤算でしたね』
流石は敏腕プロデューサーである。ソツがない。
『……いいですか、煌星さん。
何度も言いましたが、聖杯戦争参加者としての私たちには致命的に足りないものがあります。それがなんだかわかりますか?』
『…………戦う力でしょ』
『そうです。現状、私たちの戦闘力は全陣営の中でも最下位でしょう。
そしてアイドルとして露出が増えるということは、それだけ他陣営にも目立つということです。
先ほどはただの暴漢で済みましたが、これが他の陣営であれば逃げることもままならずに貴女は殺されていたでしょう』
『それはわかるけど……』
確かに、今の満天たちは弱い。
先日のバズりで少しは力もついたが、まだまだまともに戦えるほどではない。
刻一刻と異変に見舞われるこの東京で、悠長にアイドル稼業に専念する時間がどれだけ残されているかというのは、正直かなり疑問だ。
『幸いにして、彼は貴女をジュリエットだと思い込んでいるようです。
契約を抜きにしても、勝手に貴女を守ろうとしてくれるでしょう』
『そこが問題だと思うよキャスター……!?』
『ははは』
『流された!?』
そう、そこが問題なのだ。
どういう理由なのかはわからないが、この美青年はなぜか満天を運命の恋人だと思い込んでいるようで。
そんなデカい矢印をこちらに向けてくる狂人を常に傍に置くなんて! 生理的嫌悪がものすごい。
だいたい、あくまで彼が恋をしているのは“ジュリエット”だろう。
満天に囁く愛は誤認に過ぎず、どこかで真実に気付いてしまう可能性もある。
あるいは満天が心から彼を魅了することができれば、その心配もなくなるのかもしれないが……
『………………ん、あれ。もしかして……』
『ああ、気付きましたか。そうですよ?』
そう。
そうなのだ。
煌星満天の勝利条件は、最高に輝くトップアイドルの座を掴むこと。
生存条件は、その可能性をファウストに示し続けること。
そして今、生存条件に追加されたのは――――ロミオの心を掴んで離さない、魅力的なアイドルであること。
『貴女の本気を疑いはしていませんが、いささか危機感に欠けるとは思っていましたからね。
渡りに船とはこのことです。少々リスキーなプランですが、貴女なら乗り越えてくれると期待していますよ、煌星さん』
『なっ……なな……』
それは落第点の見えぬ無限飛行。
今この瞬間から、煌星満天はアイドルとしてのレベルアップを命懸けで行わなければならない。
できなければ?
……どうなるのだろう。
この狂える美青年の期待を裏切った時、自分はどうなるのだろう?
「ジュリエット……キミの夢のためとはいえ、またキミと触れ合えなくなるのはとてもつらいよ。
でもキミがいつか夢を叶えた時、また二人で結婚式を挙げよう……そして僕らは幸せに暮らすんだ」
…………これを、魅了し続けろと言うのか?
「い…………」
「い?」
「―――――――――嫌ァァァァァーーーーーーーーーーーッ!!!!!」
流石に今度は我慢できずに、満天はちょっと泣いた。
◆ ◆ ◆
……さて。
実際のところ、ファウストは単純にこの護衛契約を持ちかけたワケではない。
無論、他の陣営の襲撃に備えて護衛を求めていたというのも事実。
理性無き美青年も、契約という枷に嵌めてしまえばある程度はコントロールできる。
彼という護衛を手に入れたことで、他陣営からの襲撃によって即敗退というリスクは大幅に低減された。
また危機感を与え続ける身近な監視者の存在は、満天の成長を促すことができるだろう。
加速を始めたこの聖杯戦争、少しリスキーな手段を取ってでも彼女をトップアイドルに仕立て上げなくてはならない。
ここまでは、彼が満天に説明した通り。この方針に嘘はない。
だがもうひとつ、この契約には重大な意味がある。
ロミオはサーヴァントである。
ということは、マスターがいる。
今は休んでいる、とはロミオの弁だが……自分のサーヴァントが他陣営のキャスターに“取られた”と認識したマスターが、慌てないはずもなく。
いずれ、向こうから接触があるだろう。
その時に、改めて――――そのマスターと、契約を結ぶのだ。
契約を極めるということは、他者を操れるようになるということである。
既に契約によって手中に収めたロミオの存在は、交渉において極めて強力なカードになるだろう。
労せずして、ファウストは陣営をひとつ契約によって束縛し、使役することができるというワケだ。
期せずしての幸運であった、と言わざるを得まい。
満天が暴漢に襲われたのも、そこを通りがかりの狂戦士に助けられたのも、完全に意図しない偶然であったのだから。
聖杯戦争は急加速し、混迷を極めていく。
なれば悪魔は、その混沌を嘲笑おう。
悪魔とは、混沌の中で巧みに人の魂を奪うものなのだから。
…………………ところで。
ここまで契約の話が続いたわけだが、もしかすると疑問に思った者もいるかもしれない。
即ち――――なぜノクト・サムスタンプは、お得意の契約魔術でロミオを制御しないのか?
現に今、彼はロミオの制御不能故に危機に陥っている。
お得意の契約魔術を用いれば、少なくとも寝ている間に外出しない程度の制限はかけられたはずだ。
もちろん理由がある。
己のサーヴァントとの関係は良好に保っておきたいとか、仮にも味方に対して制限をかけて咄嗟の対応に支障が出ることを避けたいとか、色々と理由がある。
中でも特に大きく、根本的な問題として――――
意味が無いのである。
…………意味が、無いのである。
何故か?
単純だ。
ロミオの宝具『恋は盲目(ブラインド・アローレイン)』は、愛する者のためであれば際限なくステータスの強化が行われるというシンプルな能力。
この、“際限なく”というのが曲者であり……“ステータスの強化”というのが問題であった。
具体的かつ端的に言うと、魔力と幸運のステータスも向上してしまうのだ。
向上するとどうなるか?
魔術に対しての抵抗力が高まる。
つまり、“契約”がロミオにとって恋の障害と認定されたが最後――――彼の恋心は契約違反のペナルティを跳ね除けて、自由に暴走を始めるのだ。
彼の暴走に際限はなく、限界も無い。
故に、契約で縛る意味が無い。
罰則の機能しない契約に、一体どれほどの意味があるというのだろうか?
そんなことをするだけ魔力の無駄であることを、ノクトは半ば感覚的に理解していて、だからロミオを放っておいているのだ。
――――契約を極めるということは、他者を操れるようになるということである。
――――――――しかし恋心は、誰にも止められない。
【台東区・ビジネスホテル/一日目・午後】
【ノクト・サムスタンプ】
[状態]:健康、恋
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:莫大。少なくとも生活に困ることはない
[思考・状況]
基本方針:聖杯を取り、祓葉を我が物とする
0:zzz……(睡眠中)
1:戦況を把握し、戦場を掌握し、勝利への算段を立てる。
2:当面の課題として蛇杖堂寂句をうまく利用しつつ、その背中を撃つ手段を模索する。
[備考]
・現在、睡眠中です。夕方までには起きます。
・東京中に使い魔を放っている他、一般人を契約魔術と暗示で無意識の協力者として独自の情報ネットワークを形成しています。
・これによって大きな戦いなどはおよそ把握できているようですが、把握漏れも多いようです。
【台東区・芸能事務所/一日目・午後】
【バーサーカー(ロミオ )】
[状態]:健康、恋
[装備]:無銘・レイピア
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:ジュリエット! 嗚呼、ジュリエット!!
1:ジュリエット!! また会えたねジュリエット!! もう離しはしないよジュリエット!!!
2:キミの夢は僕の夢さジュリエット!! 僕はキミの騎士となってキミを影から守ろうじゃないか!!!
[備考]
・現在、煌星満天を『ジュリエット』として認識しています。
・ファウストと契約を結びました。
内容としてはおよそ『煌星満天を陰から護衛する』『彼女が夢を叶えるまで手を出さない』といったもののようです。
・契約違反にはペナルティが課されますが、彼は宝具による自己強化でそれを跳ね除ける可能性があります。
【煌星満天】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:『微笑む爆弾』
[道具]:なし
[所持金]:数千円(貯金もカツカツ)
[思考・状況]
基本方針:トップアイドルになる
1:嫌アアアアアアアアアッ!!!
2:魅了するしかない。ファウストも、ロミオも、この世界の全員も。
3:この街の人たちのため、かぁ……
[備考]
【プリテンダー(ゲオルク・ファウスト/メフィストフェレス)】
[状態]:健康
[装備]:名刺
[道具]:眼鏡
[所持金]:莫大。運営資金は潤沢
[思考・状況]
基本方針:煌星満天をトップアイドルにする
1:ロミオとの契約を足掛かりに、そのマスターも従属させたい。
2:時間が無い。満天のプロデュース計画を早めなければならない。
[備考]
・ロミオと契約を結びました。
内容としてはおよそ『煌星満天を陰から護衛する』『彼女が夢を叶えるまで手を出さない』といったもののようです。
・ロミオの宝具には気付いていません。
・対外的には『ヨハン』と名乗っているようです。
以上、投下終了です。
また、wikiにおいて拙作『欠落と探求』の誤字修正を行いました。
本日投下した拙作で、病院名が既に出ていたのを失念してましたので収録の際に修正しておきます。
輪堂天梨&アヴェンジャー(シャクシャイン)
煌星満天&プリテンダー(ゲオルク・ファウスト/メフィストフェレス) 予約します。
神寂祓葉&キャスター(オルフィレウス)
香篤井希彦&キャスター(吉備真備)
予約します。
投下します。
「で――どうかな?」
決して広くもないアパートの一室、目の前で白い少女が可憐に微笑む。
ニヤニヤと、赤ら顔の老人が見守る。
唐突な『主催者』の来訪。
唐突な『同盟』の提案。
長考の果てに、天才たる香篤井希彦が出した答えは――
「……同盟、いいでしょう。ただし、それには条件があります」
「うん、うん。
そうだよね。
それが普通の反応だよね。条件くらいは出してくるよね。
同盟申し込んだのはこっちだもんね。言ってみて、大抵のことなら聞くから」
「そうですか。では改めて……」
そこで希彦は、少女に向かって深々と頭を下げた。
真摯に、きっちりと、頭を下げて、そして言った。
「同盟の条件として――神寂祓葉さん。
貴女と、結婚を前提としたお付き合いをさせて下さい!」
「…………」
「…………」
「……えーーーーーーーーっ!?」
「……ぶわっはっはっはっはっはっは!」
数秒の間をおいて、少女が素っ頓狂な叫びを上げるのと、老人が大爆笑するのとは、ほぼ同時だった。
★
「え、結婚って、えーー!」
「ひゃっふう、ここ一番という所で儂の予想を超えてきおったわ!
おい希彦、おぬし、どこまで本気だ?」
「男を見せろと言ったのは貴方でしょう。僕は本気も本気ですよ」
未だ衝撃冷めやらぬ様子の少女の前で、笑い過ぎて目の端に涙を浮かべた老人は問いかける。
青年はどこまでも真剣な表情のままだ。
「仮にその提案が受け入れられたとするじゃろ。
その場合、目の前のこの聖杯戦争はどうする」
「どうしましょうかね。
一応、マスターが全員死ななくても聖杯戦争は終了できるシステムなんですよね。
僕と彼女の2組が最後まで残るように立ち回るのは当然として、そうですね……
最後の仕上げに、そこのキャスターに令呪でも切って自害でもさせましょうか」
「おいこら小僧。
本人を前に言う企みじゃねぇだろ、それ」
「もし万が一のことがあったら、互いを聖杯の奇跡で蘇生させてもいいんですけどね……それは奇跡が勿体ないかな……。
彼女がこの催しの主だと言うなら裏技とかもあるんでしょうけど、ズルはしたくないって言ってましたしね。
僕も嫌がることはやらせたくないし、悩ましいですね。
まあその辺のことは、おいおい考えます。
いずれにせよ、2人揃って生き延びて、2人揃って幸せになります。
僕が貴女を幸せにします。これは確定した未来です」
「あの、えと、幸せにするって、その……えーーーーっ」
祓葉は顔を真っ赤にして叫ぶ。
老人はそれを見て笑いながら手の中のカップ酒を煽ろうとして、改めて空になっていることに気付く。
「あの、その、私、まだ17歳だし……」
「なので『結婚を前提として』です。法的な手続きとかは後回しでいいんですよ」
「ううっ、その、私たち、会ったばかりだし……」
「恋愛に時間なんて関係ありません。これは運命なんです。
何より僕に会いに来てくれたのは貴女の方だ」
「そ、そうだけど、別にそんなつもりじゃなかったというか……!」
「僕では貴女に相応しくありませんか?
そうではないはずだ。
最初に会った時に言ってくれましたよね、『かっこいいお兄さん』と。
僕はまだ貴女のことを多くは知りませんが、それでも断言できます。
貴女はああいう時に、心にもないことを吐けるような人物ではない」
「あ、あううう……」
希彦はグイグイと迫る。少女は少しだけ身を引く。
上目遣いで、目の前の整った顔の美青年を見上げる。
「その、えーっと、『お友達から』、ってのじゃ……ダメ?」
「もちろん僕も常識的に段階は踏みますよ。
何をするにも貴女の意思を無視して進めることはありません。
無理やりに、だとか、力づくで、だとかは僕の流儀ではない。
万が一にも不快を感じたのなら、そこで前言撤回して絶縁を告げて貰っても構いません。
男女の仲というのはそういうものですから。ただし」
希彦は一息つくと、キラリと眼鏡を光らせる。
「ただし、『お友達』などという、使い古された言葉で時間稼ぎができるとは思わないで頂きたい。
もし貴女がこの同盟条件を受け入れてくれるというのなら、僕は『お友達』で終わる気はないのでガンガン行きますよ。
全ての段階において貴女を満足させ納得させるだけの自信もあります」
「ううう……っ」
「攻めるのぉ。さっきまで縮こまって悩んでいた小僧とも思えんわぃ」
「腹を括りましたからね」
香篤井希彦は真顔で応える。
どこまでも真摯に言葉を重ねる。
「もしそれだけはダメだと言うのなら、仕方ありません。
同盟の話も、なかったということで。
貴女は魅力的なだけではなく、とてつもなく強い。それくらいのことは今の僕にも分かります。
そうと分かった上で、失恋の痛みを胸に、貴女と戦います。
貴女を永遠の思い出として僕の心に刻みます。
仮に力及ばず僕が貴女に倒されたとしても、僕の存在は貴女の心に残り続けるでしょう」
「ううう……っ!
それはそれでなんか怖いっ……!」
「なんにせよ、中途半端な関係での同盟だけはない、と思って頂きたい」
青年は少女を見つめる。少女は頭を抱えて悩む。
まるで立場が逆転した両者。
やがて少女は、嘆願するかのように、上目遣いで囁いた。
「……あの、ちょっと考える時間、貰ってもいい?」
「もちろんです。その場の勢いで不本意な決断をさせる気は、僕にもありません。
ただ、のらりくらりと回答を先延ばしにするのはなしですよ。今ここで期限を切って下さい」
「えーっと、じゃあ……明日の朝。
明日の朝、改めてここに来るから。
返事はその時でいい?」
「少し長い気もしますが、許容範囲でしょう。
いいでしょう、
明日の朝、改めて、お返事をお待ちしています」
★
「……おい。さっきの、どこまで本気じゃ色男」
「だから本気も本気だと言ってるじゃないですか」
白い少女が、赤く火照った頬を押さえながら、来た時と同じようにフラッと立ち去った後。
改めて新旧2人の陰陽師はアパートの一室で言葉を交わしていた。
もはや飲む酒も残っていない。
つい開けそびれていた雑多なつまみを乱雑にテーブルに広げる。
「たぶん僕は彼女と巡り合うために沢山の恋を経験してきたんです。
彼女をエスコートするために経験を積んできたんです」
「重症じゃの。
もし断られたらどうする」
「その時には頭を丸めて仏門にでも入りますかね。
もはや彼女以上の相手と会えることはないでしょうし。
それを悟るためにも、ここまでの女性たちとの出会いにも意味があった」
「重症じゃの。
ほとんど〈狂気〉じゃ。
さしずめ、〈恋慕〉の狂気とでも呼ぶべきかの」
「これが狂気であるというなら、もはやそれで構いません。
むしろ狂気が醒めぬことを願うでしょう」
「重症じゃ。完全に当てられおったわ」
どこまでも真顔な希彦の目には、どこか迫力のある力が籠っている。
そんな青年を前に、裂きイカの一片を咥えたまま、老人は獰猛な笑みを浮かべる。
「じゃがな。希彦よ、おぬしは見事に射止めたぞ。
あの小娘の、『まだかろうじてヒトであった部分』を、見事に打ち抜きおった。
どうもあのお嬢ちゃん、ああいうやり取りについては、まだおぼこ同然じゃ。
いや、比喩でなく、未通女(おぼこ)じゃろうな、おそらく」
「僕の想い人相手に下品な表現はやめてもらえますか?
ただまあ、半ば納得ですし、半ば驚きもするんですよね。
あれほどに魅力的な彼女が、どうも男性からの告白すらもロクに受けたことがない。
不可解です」
「そりゃあアレじゃな、アレがああも『化けた』のはつい最近、ってことなんじゃろうよ」
手持ち無沙汰になった希彦は、柿ピーの袋を手に取って封をあける。
キャスターのために買ってきたつまみだが、カネの出所は希彦の財布だ、遠慮はない。
ボリボリと音を立てて咀嚼する。
「向こうのキャスターの餓鬼は、違うと断じておったがの。
彼奴らの思惑を越えられるとしたら、まさしくここくらいしかなかろうよ」
「そういうもんですかね」
「ヒトであれば誰もが抱く、より良い相手との間に子を残したいという、原初の願い。
決して抑えきれぬ本能。
確か……今どきのハイカラな言葉じゃ、『エロス』とか言うんじゃったかの?」
「それはハイカラではなく、ただのギリシャ神話の神様の名前ですね」
「性と生の同根性。
命の始点に必ずあるモノ。
陰陽和合して次の命が生まれるという真理。
喜べ希彦、貴様の下心は、見事に陰陽道の真髄を体現し、かの巨星にしっかりとその爪を立てたぞ」
「それ褒めてないでしょう」
陰陽道の開祖からのお墨付きに、天才を自認する希彦はむしろ眉を寄せる。
希彦自身の認識としては、ただ必死だっただけだ。
必死に考えて、悩んで、そして結局、自らの衝動に素直に従っただけだった。
「まあ前途は多難じゃがの。
まずもってあの餓鬼なキャスターが邪魔になるじゃろう。頭の中身は幼稚じゃが、決して侮れぬ存在よ。
それに、どうせあの娘に惚れたのはお前だけじゃあるまい。競争相手はきっと多いぞ?
その中には、とんでもない災厄も混じっておろうて」
「そりゃ当然、彼女はモテるでしょうけどね。
そうは言っても告白もできないような腑抜け相手に負ける気はしませんよ。
あの様子だと過去には誰も…………………あっ!!!!」
そこで希彦は、とあることに思い至って、立ち上がって叫んだ。
「どうした?」
「しまった、大事なことを忘れていた!
僕はあの子に『好き』だと伝えてられていない!!
僕もちゃんと告白できていなかった!! うっかりしていた!」
「あーあ。
やらかしおったの。
そういや確かに、結婚がどうこうって話しかしておらんわな。焦り過ぎじゃ」
「畜生、明日の朝では遠すぎる。今からでも追いかけて……いやそれは逆効果か……?!」
恋する青年は悩む。
呵呵と笑いながら老人はサラミを口に運ぶ。
若き天才陰陽師は、特異点を直視した。
ならば元のままでいられないのが道理というもの。
恋多き極東のドンファンは、かくして一途な恋の使徒と化す。
芽生えた狂気は、〈恋慕〉。
それはまだ小さな芽に過ぎないが、確実に、青年の深い所に根を下ろした。
【中央区・希彦のアパート/一日目・午後】
【香篤井希彦】
[状態]:健康、〈恋慕〉
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:式神、符、など戦闘可能な一通りの備え
[所持金]:現金で数十万円。潤沢。
[思考・状況]
基本方針:神寂祓葉の選択を待って、それ次第で自分の優勝or神寂祓葉の優勝を目指す。
1:神寂祓葉の返答を待つ。返答を聞くまでは死ねない。
2:すっかり言い忘れてしまった。次に彼女に会ったら「好きです」と伝える。それまでは死ねない。
3:上手く行ったときのデートコースも考えておかないと。夜にはホテルに連れ込むことを目指すとして、そこから逆算で……!
[備考]
二日目の朝、神寂祓葉と再び会う約束をしました。
【キャスター(吉備真備)】
[状態]:健康
[装備]:
[道具]:『真・刃辛内伝金烏玉兎集』
[所持金]:希彦に任せている。必要だったらお使いに出すか金をせびるのでOK。
[思考・状況]
基本方針:知識を蓄えつつ、優勝目指してのらりくらり。
1:面白いことになってきたのぉ。
2:と、なると……とりあえずは明日の朝まで、何としても生き延びんとな。
[備考]
★
行政区分上では中央区となっていても、実はその中身は多彩だ。
東京駅の八重洲側や、天下に名高い銀座もあるが、下町の風情を残すエリアも含まれている。
築地市場だって中央区のうちだ。
探せば安アパートの一軒や二軒は残っている……普通は空き部屋なんて残っていないというだけで。
三階建て程度の小ぶりなビルや、二階建てくらいの民家が肩を寄せる細い路地を、少女は歩く。
「えーん、どうしよー、ヨハンー」
『知らん。ボクを煩わせるな。
きみが誰と乳繰り合おうと、誰と腰を振ろうと、ボクの知ったことじゃない』
ぽてぽて、と道を歩きながら、神寂祓葉は白いアホ毛を揺らして天を仰ぐ。
念話で応えるのは彼女のキャスター。
その声はどこまでも不機嫌で。
『すべてはきみの自業自得だ。
どうでもいい相手に変に気を持たせるからだ。せめて自分で解決しろ。ボクの所に厄介ごとを持ち込むな』
「じゃあヨハンは私が希彦さんと付き合っちゃってもいいって言うの?!」
『今さら君が戯れに旧人類の生殖行為を試してみたって、きみの愚かさは下限記録の更新すらされないよ。
それに』
「それに?」
遥か遠い場所で今も作業をしているのであろう、少年の姿をしたキャスターは、少しの間を置いて言った。
『それに――その程度のことでは、きみとボクの間の関係は揺らぎもしない。
誰と結婚しようが誰と離婚しようが、それこそ子供を産もうが、ボクの知ったことではないが。
その程度の下等な肉の交わり程度で、このボクとの縁が切れると思うな』
「…………ひょっとしてヨハン、やきもち焼いてる?」
『なんでそうなる』
念話越しにも伝わるクソデカ溜息。
『ともかく、この件でこれ以上ボクに意見を求めるな。それだけだ』
「あっ、ちょっと、待って、ヨハンってばー!
ヨハンーー!? 聞こえてるでしょーー!?」
それっきり、少年の声は少女に返答を返さない。
がっくりと肩を落として、少女はぽてぽてと歩く。
通りすがりのおばさんの、変な人を見るかのような視線が痛い。
「うーん、ヨハンがダメなら、誰に相談すればいいんだろー。
こういうの、ずっと縁がなかったから、よく分からないんだよね」
神寂祓葉に突き付けられた、突然のプロポーズ(とも言っていい申し出)。
逆に押し付けられた、難しい選択。
いくら考えても答えは出ない。
ならば自分ひとりではなく、誰かに相談すればいい。
そこまで思いついたのは良かったのだが、神寂祓葉という少女、実に交友関係に乏しい。
ある意味で誰よりも信頼するパートナーに突き放されてしまうと、途端に困ってしまう。
頑張って誰かを思い浮かべるとして……
自然とその相手は、例の6人の姿になる。
「分かんないことを聞くならミロクだけど……でも、たぶんこれは違うよねー」
造られた時点で膨大な知識を有するホムンクルスは、辞書の代わりに使うのならば優秀だ。
あるいは、計算問題の類であれば、超高速の計算能力で軽々と解決できる。
けれども、こういう人生相談においては何の役にも立たない。
特にミロクは文字通りの0歳児。いくら何でも、人生経験が無に過ぎる。
「契約とかの話ならノクトさん。弁護士じゃないけど、法律とかも良く知ってた。
けど……ううん、早すぎるよー。
ホントに結婚すると決めた後ならいいんだろうけどさー」
熟練の契約魔術師が通じているのは、魔術だけではない。
ヒトとヒトの間の取り決めについても、ヒトを動かす手札のひとつとして精通している。
けれど、そういった知識の出番はもっと後だ。
「ジャック先生は、産婦人科とかも詳しいんだろうけど……
だめだめ、これはもっと早い! 気が早すぎるよ!! えっち!! ばか!!」
本職は外科とはいえ、医学全般に通じる老医師。
出番が来るのなら頼れる相手だが、まだ相談するには早すぎる。あらゆる意味で。
「アギリさんは無口だけど信頼できる……
けど、だからこそ、何も言ってくれないだろうし……。
あの〈脱出王〉は、確か今は女の子なんだっけ?
いまなら男の子の気持ちも女の子の気持ちもわかりそう……
だけど、たぶん捕まらないし、捕まえてもはぐらかされるよねぇ……」
数少ない知り合いの存在が、次々と消去法で消えていく。
果たして、最後に残った候補は。
「……うん、そうだね。イリスに相談しよう。
恋バナって言ったら女の子だろうし!
こないだちょっとバッタさんを焼いちゃったけど、きっと流石にもう怒ってないよねー」
ぽてぽてぽてぽて。
少女は呑気に結論を出すと、呑気に火薬庫に向かって歩き出した。
特異点。世界の中心。主役として生まれたもの。
脇役の苦悩も煩悶も全て無視して、それは己の都合だけで歩を進める。
【中央区・希彦のアパート近傍/一日目・午後】
【神寂祓葉】
[状態]:健康、混乱
[令呪]:残り三画(永久機関の効果により、使っても令呪が消費されない)
[装備]:『時計じかけの方舟機構(パーペチュアルモーションマシン)』
[道具]:
[所持金]:一般的な女子高生の手持ち程度
[思考・状況]
基本方針:みんなで楽しく聖杯戦争!
1:どうしよう……悩むー!
2:よし、イリスに相談しよう。
[備考]
二日目の朝、香篤井希彦と再び会う約束をしました。
【???/一日目・午後】
【キャスター(オルフィレウス)】
[状態]:健康
[装備]:
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]
基本方針:本懐を遂げる。
1:本当に心底下らないことに時間を使わせないでほしい。
2:あのバカ(祓葉)のことは知らない。好きにすればいいと思う。言っても聞かないし。
[備考]
投下終了です。
周凰狩魔&バーサーカー(ゴドフロワ・ド・ブイヨン)
覚明ゲンジ&バーサーカー(ネアンデルタール人)
華村悠灯&キャスター(シッティング・ブル)
予約します。
投下します。
アヴェンジャーの、シャクシャインの気配が戻ってきた。
彼のことを、天梨は嫌ってはいない。そもそも天梨は人を嫌いになることがない。
天梨にとって彼はとても恐ろしい人で――そして、とても哀しい人だった。
裏切られたもの。失ったもの。魂を、踏み躙られたもの。後世の人は彼を英雄と呼んで讃えたけれど、そんなものは彼にとって何の慰めにもならないだろう。
自分が彼だったなら、どうだったろうかとたまに考える。
幸せに生きる権利のすべて。
自分が信じた、向き合ったもののすべて。
すべてを奪われ、嘲笑われる。
……同じだね、と言ったら彼は激昂するだろう。だから言わない。見えている地雷を踏むほど、天梨は怖いもの知らずではなかった。
とはいえ心のなかでは実は、そんな風にも思っている。
だから、自分のもとにやって来たのがあの悪意の塊であったことには納得している部分もあった。特に今は、それが強い。
私もいつかは、彼のようになってしまうのだろうか。
この心の中に秘めた、燻り続ける黒いもの。
〈天使〉には、〈アイドル〉には、〈輪堂天梨〉には決して似合わない黒点。
激情、殺意、憎悪……きっとそういう名を与えるべきであろう感情。
いつまでこれを抑えきれるのだろう。いつまで、私は私でいられるのだろう。
――怖い。怖いのだ。そう考えるとほんとうに、とても怖い。
そんな天梨に、彼はいつも囁く。地獄へ堕ちろと。共に、復讐の炎を燃え上がらそうではないかと。
まさしく、悪魔の囁きだ。穢れたる神(パコロカムイ)という悪魔は、契約を求めている。天使と呼ばれた少女との、冒涜的な契約を。
天梨は、他人の痛みが分かる少女だ。
だから、その選択肢は比較的すぐに思い浮かんだ。
理由は決して、それだけではなかったかもしれないけれど。
いずれ自分が"そう"なってしまうのなら、その前にすべてを終わりにしてもいいかもしれないと思った。
幸いにして、この手には令呪がある。
穢れたる神を終わらせ、自分の未来と引き換えに、地獄の顕現を防げる光の剣がある。
すべての犠牲と、すべての痛みと、この針の筵のような"今"を終わらせられる一手だと今でもそう思う。
なのに天梨は、まだこうやって生きている。
死ぬのは怖い。それは確かだ。
心のどこかで、なんで自分が死ななきゃならないのかと思っている。それもそうかもしれない。
でも天梨には、その理由は分かっていた。それは――……
「や。元気にやってるかい?」
「えっ――」
天梨の目の前に、当たり前のような顔をして"そいつ"は現れた。
後ろで一本に纏めた、明るい橙色の長髪。
若き英雄という呼称がこの上なく似合う精悍さと爽やかさを併せ持った、されどどこか焦げた水飴のようなどろつきを感じさせる青年だった。
彼こそがアヴェンジャー。裏切られ、踏み躙られた過去の凶影。
穢れたる神。シャクシャイン、である。
ただしその姿は、天梨が知るものとは少し違っていた。胴体に複数箇所、血が滲んでいたのだ。
銃創であると、すぐに分かった。何しろ彼はサーヴァント。この世界では、戦うことが仕事の暴力装置であるから。
「ど……どうしたの、それ」
「気付いてくれたか、話が早くて何よりだよ。俺も好んで和人と無駄話はしたくないからね」
――サーヴァントと交戦してきた。
――だから一応、君にも報告しようと思ってさ。
そう言って、シャクシャインは白い歯を覗かせて笑った。
彼は、悪意の化身である。英雄に備わっていた尊いものをすべて懇切丁寧に取り除かれた結果、汚濁の如き悪意だけが残った厄災である。
故にその言葉は、すべてが災厄の呼び水でしかない。今だってそうだ。
「戦力自体はそう大したことはないが、性質が厄介な奴だった。
戦上手っていうのかな、一番面倒臭い手合いだね。英霊は契約に抵触しないし殺すつもりだったけど、結局はまんまと逃げられてしまったよ。いやはや、恐ろしいねぇ聖杯戦争ってやつは」
悪魔と詐欺師のやり口は、得てして共通しているものである。
あらゆる手段で、あらゆる方面から不安を呷る。
心の弱い部分に付け込んで、善性だとか理性だとか、そういう均衡を崩しに掛かる。
シャクシャインのやっていることも同じだ。彼は今、天梨を恐怖で揺さぶっている。
この恐ろしいアヴェンジャーですら、傷を負う。
敵を殺せずに、血を流して帰ってくる。
聖杯戦争とは恐ろしいもの。ましてや時間の経過と共に強い者ばかり残った今ならば、ますますそれは顕著になる。
そんな世界で、日和ったことばかり抜かしていて本当にいいのか。
このままでは自分は、何もできないままこの地獄に食われてしまうのではないか。
怖い。嫌だ。死にたくない――やられる前にやらなければ。
そういう堕天でもシャクシャインは十分に面白い。愉快だ。喜んで共にダンスを踊ろう。
そんなシャクシャインの思惑を、無垢な少女が知る筈はない。
天使は何も知らぬまま、震える口を開いた。そして。
「大丈夫、アヴェンジャー……!?」
まるで。
傷ついた家族にそうするように、嗤う復讐鬼の身体に駆け寄っていた。
「どうしよう……! 何とかできない? 私の魔力を吸うとか、どうにかして……!」
「……、……」
「と、とりあえず血を止めないと……! っ――待ってて。すぐそこに薬局があったはずだから、そこでガーゼと消毒液を……!!」
――輪堂天梨は、不憫な少女である。
彼女はただ、あるがままに輝いていただけだ。
自分を求めてくれる誰かに、自分の最大の輝きでもって応えていただけ。
優しく、誠実で、裏表がなく、悪意がない。
なのに、その善性は踏み躙られた。輝くものを妬み、引きずり下ろそうとする無数の醜いものに汚された。
そうして辿り着いたのがこの針音の箱庭。願いを選別する、ひとつの生と無数の死が犇めく人外魔境。
天梨はあまりに不憫で、不幸だ。それは誰もが認める事実である。
そして同時に。
輪堂天梨は、間違いなく"異常"な少女でもある。
齢二十にも満たない、高校も卒業していない少女が、不特定多数の無数の悪意を浴び続けてまだ穢れていない。
彼女は今も応え続けている。ステージに立ち、歌って踊り、微笑んで誰かに元気を与えて続けている。
優しく、誠実で、裏表がなく、悪意がない。――今もなお。
それが一体どれほど困難で、どれほど異様なことであるのか。
シャクシャインだけはそれを知っていた。そうでなければ、彼の目論見は数日と要さずに叶っていた筈なのだ。
天梨はあまりに不憫で、不幸だ。それは誰もが認める事実である。
しかし同時に。
輪堂天梨は、間違いなく――〈天使〉だ。それもまた、誰もが認める真実である。
歴史の波から生まれ落ちて慟哭する、一切鏖殺の復讐鬼でさえも。
「……そう騒がなくても掠り傷だから問題ないよ。まったく可愛げのない奴だよね、君って」
「でも……!」
「人の心配するよりまず自分の心配をしたら? 聖杯戦争は間違いなく加速してる。予期せぬ出会いをしなかった?
日常に変化を感じなかったかい? 崩壊の時はすぐそこまで迫っているよ。君もそろそろ身の振り方を考えないとな」
〈天使〉は、〈悪魔〉を慮っている。
彼女は本気で、この堕ちた英雄を対等な存在と扱っているのだ。
事の善悪、倫理的な正しさと間違い。そこの分別は付けた上で、しかしすべての存在を根底から差別することなく手を差し伸べる光の翼。
もしも彼を喚んだのが彼女でなければ、もうとっくに穢れの炎は東京を焼き尽くす族滅の祟りとして煌々と燃え盛っていたに違いない。
――私なら、みんな黙らせるかな。
それでも。
天使は今、まごうことなく人の子でもあった。
心のなかに、茨の冠を戴いた王子の声が反響する。
嘘。罵倒。揶揄と的外れな説教。天使を蝕む泥汚れは、彼女の足を前に進ませない。
――だから振り払うよ。それで、みんなプチっと潰す。
そんな風に、自分のために生きることができたなら。
その時、この眼にはどんな景色が映るのだろう。
そう思わないと言ったら嘘になる。あまり、直視したい感情ではないけれど。それでも伊原薊美と出会って話せたことは天梨にとって久しぶりの良いガス抜きになった。
けども、それ以上になってはいけないのだと自分を律するきっかけでもあったのも事実だった。
自分は、アイドルだから。王子さまではなく、皆を平等に照らすヒロインだから。
天使の輪を、王冠にしてはいけない。天梨はそう胸に抱いて、激情を押し殺し、天使として歌を奏で続ける。
「あのさ、アヴェンジャー」
「珍しい。俺と話しても君に得はないぞ?」
「わかってるよ。アヴェンジャー、口を開けば堕ちろ、こっちに来い、こっちの水は甘いぞぅって言うだけだもんね。
でも、一応私はあなたのマスターだからさ。何もお話しないまま、理解できない誰かとして片付けたくはないんだよ」
「酔狂だね。で?」
輪堂天梨はまだ、それを選び続ける。
そしてきっとこれからも。
だけど、彼は――
「……あなたも、枯れる花で終わりたくはなかったの?」
彼は、彼女と同じなのかと。
目が眩むくらいの光になって、世界を見返したかったのかと、天梨は問うていた。
口にしてからやっぱりまずかったかな、と少し不安になる。
彼に対してそれを問うのは、正直竜の逆鱗をいたずらにつつくようなものだと天梨にも解っていた。
ともすれば怒らせてしまうかも、と思ったのもつかの間、シャクシャインは笑みを浮かべたまま即座に答えてくれた。
「当たり前だろ。大嫌いな奴らの都合で徒花にされたまま、それを受け入れて何やら神妙な顔で歴史の礎になれって?
そんなの俺は御免だね。俺は枯れない。たとえ枯れ落ちたとしても、すべての土を腐らせて俺のためだけの土壌に生まれ変わらせてやる」
星ではない、永遠の炎として。
侮辱され、切り捨てられた誓いに対する応報として。
日ノ本を滅ぼし、その遺骸までも永久に焼き尽くす地獄の炎華たれと。
シャクシャインは、己をそう定義している。天使の輪でも、茨の冠でもなく、枯れぬ憎悪の一輪花をこそ彼は目指しているのだ。
「そっか。そりゃそうだよね」
「そうさ。俺からしたら、君の方がよほど理解できない」
「奪われても罵られても、黙って受け止め続けてるから?」
「君は人間として他の和人より圧倒的に優れてる。なのに雑魚の妬み嫉みにしこたま殴られて、傷だらけの顔で不細工に微笑んでるんだ。
俺に言わせれば馬鹿の所業だよ。君が誰に会ったか知らないけど、そいつも俺と同じことを言うだろうし思うだろうさ。
――君には資格がある。屑ども、皆死ねと願う資格が。復讐鬼たる俺がそれを保証してやるよ」
「……優れてる、ってのはどうなんだろ。私はそうは思わないけどな。
みんな誰にでもいいところがあって、悪いところがある。
私なんて、ただ人より少し運がいいだけだよ。馬鹿ってのは、確かにあんまり否定できないけど」
人間は、誰だってみんな頑張っているのだ。
天梨はそう思っているし、信じている。
それが本気の台詞なのだと分かるから、シャクシャインは呆れ顔で嘆息した。
これだからこの女は鬱陶しい。救えない。和人の分際で、どこまでも高尚だ。
「ありがとね。久しぶりにちゃんとお話できた気がする」
「つまんない女。天使サマには皮肉を言う機能も搭載されてないのかい?」
「かもね」
空の星には手を伸ばしたくなるものだ。
なぜなら、とても眩しいから。
シャクシャインにとってもそれは同じこと。
ただし彼の場合、眩しいからこそ自分の手に収め、自分と同じ底の底まで堕としてやりたいという欲望がそう望ませる。
輪堂天梨は星だ。和人を呪い、族滅を誓う堕ちた神が唯一認める、許しがたき星。
和人にあるまじき光がそこにあるのなら、この星さえ堕としてしまえばその時点で和人という種族すべての否定が完了する。
だから、この悪魔は囁くのだ。手を引くのだ。
地獄のような苦痛と怨嗟、悠久の彷徨の末にようやく見つけた己の復讐――それこそが輪堂天梨。彼女が鍵で、始まりとなる。
さて、次は何をしようか。
何をして、この笑顔を穢そうか。
皆に微笑む天使の笑顔を、全てを見下ろす悪魔の笑顔へ歪めてやろうか。
甘美で苛立たしい思案に耽るシャクシャインと、未だ悪魔の手の中にいる天梨。
彼らふたりの耳へ同時に響いたのは、メッセージの着信を告げる無機質な電子音だった。
ガス抜きの外出とはいえ、やはり端末を持たずに出かけるのは気が引ける。
なので持っていたが、此処まで一度も触らずに済んでいた"それ"が音を鳴らした。
――ぴろん。
「……ん」
天梨がスマートフォンを開けば、そこには"マネージャー"の文字がある。
トークアプリの通知だ。何だろうと思って開くと、そこにはこんな文面が躍っていた。
『天梨さん、お疲れ様です。今大丈夫ですか?
対談のお仕事が入りましたので取り急ぎ概要を連絡させていただきます。
つきましては、先方のご希望で天梨さんにひとつお願いがあるのですが――』
◇◇
初めて見た時の感想は、きっと、"びっくりした"というのが正しい。
当時からそこそこ有名だったアイドルグループ。〈Angel March〉、通称エンジェ。
当時のエンジェは伸び悩みとマンネリ化が傍目にも分かる感じで、まあ、偉そうに言うと迷走してしまってた。
マンネリ脱却のために新しいことを試みては、元々あった魅力がどんどん失われていく悪循環。
純粋な応援よりも偉そうな後方腕組み説教が目立つファン界隈に嫌気が差して、私もエンジェから距離を置くようになってしまった。
だから――エンジェが加入して間もない新人をベテランそっちのけでいきなりセンターに抜擢する、というニュースを聞いた時は、正直だいぶ思うところがあった。
いやいや、テコ入れしたいのは分かるけどそれは駄目じゃん、とか。
此処まで頑張ってきたメンバー達がかわいそうじゃん、とか。
いろいろ思ったし、それは私に限らず他のファンも同じだったらしい。
だから、たぶん期待していた人の方が少なかったと思う。……というか此処だけの話、私もそのクチだ。
既存のメンバーを蔑ろにしてまでセンター預けた新人さんとやらをひと目見てやろう、みたいな姿勢で久しぶりにチケットを取り、会場に足を運んだ。
そして――びっくりした。
私だけじゃない。みんな、びっくりしていた。
断っておくと、私は元々エンジェが好きだった。
迷走でだいぶ心は離れてしまってたけど、それでもメンバーには思い入れがあったし、だからこそ新人のセンター起用にムッとした。
でも、そのステージを見た時、そんな疑問と疑念は全部吹き飛んでしまった。
納得させられたのだ。あの、圧倒的なまでの輝きに。
理解させられたのだ。あの、恋するような微笑みに。
〈天使〉が、そこにいた。
可愛くて、歌も上手で、ダンスも上手い。
一挙手一投足のすべてに、花が咲いて見える。
何をどうすれば自分を可愛く見てもらえるか、何をどうすれば見る人を笑顔にできるか、死ぬほど考えてるんだと分かるパフォーマンスのそのすべて。
アイドルとは何たるかを、見る人すべてを幸せにしながら示すような最高のステージ。
彼女を推すのに理由はいらなかった。ていうか推さない理由が見つからなかった。
――あの子みたいになりたいと、心の底からそう思った。
私は、闇を知っている。
闇の怖さを、きっと人より知っている。
追いつかれたら、私の負け。
勝つには、あの光に、追いつけばいい。
あの子になりたい。
あの子は、光だから。
闇の向こうに、〈天使〉はいる。
だから私の感情は、ただの"好き"では終わらなかった。
そこで終われないのが、私という人間のいいところで。
同時に、この人生を生きにくくしてる悪いところでもあるのだろうけど。
――待ってろ。
――絶対、私もそこに立ってやる。
そう思って努力した。
自分がオーディションに落ちまくっている最中もステージに立ち続け、ひとりでグループを背負う姿に何度も何度も嫉妬してハンカチを噛んだ。
走って、走って、すっ転んで、また立ち上がって。
あの子が燃えた時には腹が立った。
私の推し(ライバル)にケチつけやがって、とめちゃくちゃ不愉快な気持ちになった。あとショックも受けた。
それでも、私の目標はずっとあの子だった。
輪堂天梨。本物の〈天使〉。アイドルの中のアイドル。私の、永遠の憧れ。
……そう、だからこそ――
「あ、あわわわわわ、わわわわわわわわ…………」
着信音を響かせるスマホの画面に表示された〈輪堂天梨(てんし)〉の名前に、私はもう心臓が弾け飛びそうなほど動揺していた。
威勢のいいこと言ってた割にそのザマか? ライバルなんじゃないのか? うっさいうっさい知ったような口利くなバカ!
番組で共演しただけでも死ぬほど緊張してたのこっちは! それがマンツーマンで個通なんて夢かうつつかもうわかんない!
とはいえあんまり待たせてしまうわけにもいかない。私みたいな木っ端アイドルと違って〈天使〉は忙しいのだ。
すう、はあ、ひっひっ、ふー。
合ってるんだか間違ってるんだか分からない呼吸法で息を整えて、よし……と意を決して通話ボタンを押す。
前回は空回りするあまりまともに話せずコミュ障爆発してしまったけど、今日はウィットなジョークの一つくらい飛ばしてやろう。
よし、オッケー。覚悟完了。スマホを耳元に当てて、口を開く。
『――あ、もしもし。満天ちゃん?』
「ひゅっっっっっ」
あっ無理。
声可愛すぎる、普段からこれなの? 声優でもなんでもやれるんじゃないの。
ていうか今、名前! 名前呼ばれた、プライベートで……! いやあっちから電話してきたんだから当たり前なんだけど、それにしたってやばすぎる。
決めたはずの覚悟はあっさりどっかに吹っ飛んでいってしまった。
鏡があったらこの時、私はさぞかしひどい顔をしていたと思う。
「あ、ぇと、その、もすもす……?」
『あはは、昔ながらの言い方になっちゃってるよ。
大丈夫、そんなに緊張しないで? おんなじアイドルなんだから、ね?』
「ぁ、はい……えぇっと……こんにち、は……?」
『うん、こんにちは。今ってちょっと時間ある?』
「あっ、ある。あるます、あります」
『よかった! マネージャーさんから今連絡があってね、満天ちゃんに私から伝えてほしいってことだったから電話したの』
「うぇ……?」
輪堂天梨から、煌星満天(わたし)に、直接伝えること……?
まったくと言っていいほど心当たりがない。
まさかこの間の番組のズッコケに対する苦言だったりするのではないか。
だったらもう今後は石の下でうねうね動く足の多い虫として生きていくしかないのでサッと血の気が引いていく。
けどそんな私の気も知らず、〈天使〉は明るい声で信じられないことを言った。
『今度、私と満天ちゃんで対談企画をやるんだって。
"最強×最凶! 新旧アイドル対談バトル"……って、なんかこれ言葉に出すとすっごい恥ずかしいね。うへぇ……』
「――――たい、だん」
たいだん。
退団? そんなわけない文脈で分かれバカ。
となるとやっぱり、いやまさか。
まさか、あの、"対談"だとでも……?
えっ。
――本当に?
「え、えぇえぇえぇえ……!? わ、私と!? 輪堂さんが!? 〈天使〉が!? 対談!? 一対一!? で!?」
『うん、そうみたい。楽しそうだよねー。私も満天ちゃんとは一回ゆっくり話してみたいと思ってたから、ちょっとわくわくしてる』
「――〜〜〜〜……!!!」
声にならない声が、喉をついて溢れてくる。
どうしよう。いや、本当に。
私みたいな一回ラッキーで、それもほぼほぼ反則技でバズっただけの人間が、憧れでライバルな〈天使〉と対談。一対一。本当にえらいことだ。
「あっ、いや、でも……」
嬉しいか嬉しくないかなんて、わざわざ言葉にするまでもない。
嬉しくないわけがない、私だって一応此処までアイドルやって来てるのだ。
ただちょっと、必要な段階をいくつもすっ飛ばして夢みたいなイベントに辿り着いてしまったから感情がバグってるだけ。
そりゃ嬉しいよ、当たり前じゃん。此処が聖杯戦争のために作られた偽りの街だとか、そんなこと全部どうでもいいよ。
推しで、ライバルで、目標だったこの子と並んで話して、あまつさえそれが仕事になるなんて――私みたいなへっぽこには過ぎた幸運だ。
だけど私はどこまでもネガティブな人間だから、すぐに大混乱の有頂天から現実に引き戻されてしまう。
「私、えっと……」
大前提。
私こと煌星満天は、対人コミュニケーション能力にそこそこ重大な問題を抱えている。
そんな私が憧れの推しと一対一で、それも企画としてカメラなりレコーダーなりのある前で話すなんてできるわけがない。
良くて地蔵化。最悪、話は遮りまくるわ見当違いな返事ばっかりで顰蹙買うわの大失敗。企画自体お蔵入り、輪堂さんサイドには共演NGにされて一躍業界の鼻つまみ者になって、荷物まとめて普通の女の子に早戻り…………悪い想像がぐるぐるぐるぐる、脳裏を駆け巡る。
ああもう、今ほど自分が生きるの下手くそなことを呪った日はなかった。
と、そんな逡巡と自己嫌悪でてんてこ舞いの私に対し、電話の向こうから『あー……』と気まずそうな声。
『…………やっぱり、まずいよね? 今の私とそういう絡み方するのって』
「え」
『ごめんね。ほんと、ぜんぜん断ってくれて大丈夫だから。満天ちゃん今大事な時期だもんね、ちょっと配慮が足りなかったや』
「え、ちが……そ、そんなつもりじゃ、なくてっ」
冷水を浴びせかけられたように、一気に感情の昂りが冷えていく。
同時に私は、バカか、と思った。
彼女に対してではない。あの〈天使〉にこんなことを言わせてしまった自分に対してだ。
――何やってんだよ、バカ。
――お前だってアイドルなんだろ、煌星満天。
『マネージャーさんには私から言っとくね。うん、気にしないで』
「ち――」
今まで、私の中で彼女のいる世界はどこか絵空事のようだった。
目標にしてたのは事実だ。ライバルとして、今に見てろと闘志を燃やしてたのも誓って嘘じゃない。
それでも、私と彼女の間には大きな大きな差があったから。
画面の向こう、ステージと客席、天と地、理想と現実。人気者と日陰者。
だけど私は、形はどうあれ彼女と同じ空間に立つことができるようになった。
たとえそれが、話題の新人アイドルとトップアイドルの共演という話題性ありきの機会だとしても――以前までの私であれば、彼女と同じ場所に立って言葉を交わすなんてできる道理はなかったのだ。
文字通り、夢にまで見た日。
それなのに私は、今、何をやってる?
人と話すのが苦手。大舞台のプレッシャーが苦手。
要領悪い、どんくさい。アイドルとして落第生のぽんこつ女。
身に余るチャンスを前にしているのに、そんな欠点ばかり此処ぞとばかりに得意げにあげつらって、"こんな私じゃ"と負のスパイラルに陥って。
いや、いいよ。それはもういい。私、そういう人間だし。
でも、だけど、おい、煌星満天。
百歩譲ってそこまではいいとしても、だ。
――おまえ、今、誰になんてこと言わせてんだ!
「――――違うの!!!」
叫んだ自分でさえ、耳がきーんとしてくるような。
そんな、調子も音量も外れきった不細工な声で。
私は、電話の向こうの"彼女(てんし)"に叫んでいた。
今はただ、彼女に通話を切ってほしくなかったのだ。
私の憧れ。私の、ライバル。それ以前に、私の推し。
輪堂天梨は完璧な少女(アイドル)だ。
話してよし、歌ってよし、踊ってよし、欠点がない。
だから彼女は、"こんな状況"の中でも笑顔を絶やさないし、自分というアイドルの価値を一欠片たりとも落とさない。
私みたいな木っ端にはきっと本来見抜けないほど、そのお化粧と立ち振る舞いは完璧なのだろう。
でも、なんでだろうか。一応は私も、懐中時計に選ばれて運命とやらに放り込まれた演者のひとりだからだろうか。
通話の向こうで、相手の心を慮って訥々と言葉を並べる彼女の声が、この時はひどく――寂しそうに聞こえた。
◇◇
びっくりした。
満天の叫び声に、今も耳鳴りが甲高く耳の奥で反響している。
今まさに挨拶をして通話を切ろうとしていた指も、思わず止まってしまうくらいには――天梨はびっくりしていた。
『あ……その、本当に、違うの。
輪堂さんと共演するのがイヤとか、関わりたくないとかじゃなくて……私なんかにこんな夢みたいな話が来たことに、すごくびっくりしちゃっただけで』
天梨は自分が今世間からどう見られているかをちゃんと理解している。
だからこそ、満天が明らかに難色を示し出した時にもさほど驚きはなかった。
彼女を責める気持ちにももちろんならない。だってそれは、芸能界を生きていく者としてとても当たり前の懸念だからだ。
現在進行系で炎上している、黒い噂にまみれたアイドルとの共演なんてあまりにも大きなリスクだ。最悪、これをきっかけに飛び火が起こることだってあり得るだろう。
だからそれをケアしようとするのは当然の考えで、これに対して反感を抱くほど天梨は自分本意な考え方のできる人間ではない。
ただ、少し寂しい気持ちになるだけ。
でもそんなもの、天梨であれば簡単に無視できる。
気にしないし、引きずらない。相手に悪印象を抱くなどもってのほか。
これはそれで終わるだけの話だった筈なのだが、その"相手"が突然大声で叫び出したものだからさしもの天梨もきょとんとした顔になってしまった。
『……こ。こんな私でよかったら、ぜひやりたいです。その、企画……』
「――、」
『だ、だから……! えと、その! そんな悲しいこと、もう言わないでくれると嬉しい……です!!』
「……満天ちゃん」
輪堂天梨には、彼女自身も自覚していない異能がある。
それはほんの単純な魅了(チャーム)。
普通であれば、他者が自分に対してほんの少しいい感情を向けてくれる程度のごくごく弱い魔術だ。
〈古びた懐中時計〉が与えてくれたチャチなギフト。けれど天性のアイドルの振る舞いと合わさることで、魅了はその効果を何倍にも高めていた。
――顔の見える相手なら、誰でも笑顔にできる。
これが輪堂天梨の人気が不落であることの種仕掛け。とはいえ顔の見えない相手に対しては、この異能は効果を発揮しない。
そう、つまりだ――煌星満天には今この瞬間、〈天使〉の魅了が効いていない筈なのである。
とはいえ天梨は自分がそんな大それたものを無意識に遣っていることなど知る由もない。
顔の見える人よりも顔の見えない人の方が怖く、冷たく、意地悪なのは此処に来る前からそうだった。
なのに今、通話の向こう側にいる"顔の見えない人"の言葉は、こうなってから初めて受け取るような温かさに満ちていて。
『この際だからもう全部言っちゃいますけど、私、例の報道とか暴露とかぜんぜん信じてないですから! ほんと、今まで〈天使〉の何を見てきたんだって感じでむしろめちゃくちゃ腹立ってます! 輪堂さんの歌とステージ百万回聞き直して見直して来いって感じですよね、あと雑誌の取材記事とかも! そんなプロ意識もへったくれもないようなこと、エンジェの〈天使〉がやるわけないだろって、まったく――』
「……ふふ」
『………………………………、あ』
気付けば、思わず笑ってしまってた。
あることないこと好きに書かれて、メディアの玩具扱いされてる自分を肯定してくれたのが嬉しかったわけじゃない。少しはあったかもしれないけれど、それより嬉しかったことが別にある。
『ご、ごめんなさい……こう、私も推しを毎日ぼろくそ言われ続けて、結構溜まってて……』
「満天ちゃんって、ほんとにあのオーディションのまんまなんだね」
『ぁ、う。ひ、引きましたよね……? ワ、ワァ…………』
「ううん、そうじゃなくて」
この煌星満天というアイドルは、実際確かにコミュニケーション能力に問題を抱えているのだろうと思う。
でも彼女の場合、ただ鬱屈と溜め込んで抱え込んで、ひとりで潰れていくわけじゃない。
あくまで人と話したり関わることが苦手なだけで、その内面にはきっととても豊かな感情が溢れているのだ。
溜まって溜まって、それで限界になったら――彼女は、爆発する。まさにあのオーディション会場で辛口審査員に対しそうしたように、大爆発を引き起こす。
癇癪の一言で片付けるのは簡単だ。でも、天梨は彼女のこれを長所だと思う。
だって現に、満天はそれで世間に自分を示してみせた。
会場を爆発させて、皆が薄々意地悪な人だなあと思っていた大御所審査員に目に物見せた悪魔。アイドル界に現れた超新星。コミュ障でぶきっちょだけど、彼女は自分の心に嘘をつかないのだと思う。
それは、天梨にはできないことだ。
「ありがとね、すっごく嬉しいよ。満天ちゃんは、私なんかのために怒ってくれるんだ」
そんな彼女が、自分のために怒ってくれた。
偽るのが苦手な満天が、自分のために声を荒げてくれた。
そのことが嬉しい。嘘をつけない彼女の言葉は――理屈も表裏もなく、信じられるから。
アイドルは嘘をつくのがお仕事。
他人にも自分にも甘い嘘をついて、騙して、優しく騙して幸せにしてあげる。
でも、だからこそ。
――嘘をつかないアイドルっていうのはもしかすると、とっても強いのかもしれない。
「――ふふっ。私もね、あの審査員さんちょっとひどいなあって思ってたんだ」
『えっ』
「だからね、あのオーディションの動画見た時からずっと満天ちゃんのこと気になってたの。わーこの子いいなぁ、推せるなぁ、って」
『ひゅっ……』
だってそう、自分は今、彼女にまんまと笑顔にさせられてしまった。
その"嘘のなさ"に、笑いたい気分でもなかったのに、そういう顔にされてしまった。
嘘で弱さを覆い隠して、中に押し込んで、そうやって生きてる自分が、嘘のない笑顔を引き出された。
「私もますます楽しみになってきちゃった。うん、なんだかモチベ出てきたや」
――うん、やっぱりこの子はアイドルだ。
この子はきっと、すごいアイドルになる。
輪堂天梨は、エンジェの〈天使〉は、心からそう思って頷いた。
◇◇
もしかすると、私はこの後突然空から降っていた隕石とかにぷちっと潰されて死ぬのかもしれない。
私はしゃべるのが下手くそだ。
小粋なジョークは言えないし、持ちネタなんてものもない。あったとしてもそれを出力するためのべしゃりがない。
そんな私が誰かを慰めようとか励まそうとか、そんなのはっきり言って"出過ぎた真似"以外の何物でもないのは自分でも分かってる。
だから今のだって、私がただ言いたいこと、溜め込んできたこと、それをばーっとまくし立てただけに過ぎない。
その、まるでゴミ箱をひっくり返したみたいな雑多で平凡な言葉の洪水。
それを聞いた〈天使〉が私に言ってくれた言葉に、心臓が止まりそうになった。
――ずっと満天ちゃんのこと気になってたの。わーこの子いいなぁ、推せるなぁ、って。
推せる、と。
あの〈天使〉が、輪堂天梨が、そう言ってくれたのだ。
思えば一回も報われたことのない旅路だった。
夢を見ること、諦めないことだけ一丁前で、実力も結果も伴わない日陰の星。
満天の煌星なんて名前負けだよね、と、鼻でそう笑われたこともある。
怒鳴り返したいのは山々だったけど、でも結局、できはしなかった。
だってまさしく、図星だったからだ。とんだ名前負け、高望み。魔女に出会えないシンデレラ。
暗がりで銀河を見つめるだけの、弱くてちっぽけな星(わたし)に――今。信じられない言葉が、かけられた。
「…………ぅ、うー………」
あ。
やばい。
ちょっとマジで泣きそうになってきた。
此処はゴールじゃなくて通過点。いつかはこの〈天使〉に勝つのだと誓っておいて、ただ見てもらえただけで、評価してもらっただけでこのザマだなんて我ながらとてつもなく情けないけど。
でもそのくらい、嬉しかったのだ。救われたのだ。
この瞬間に巡り会えただけでも、私が今まで歩んできた夢の旅路は無駄じゃなかったのだと、そう思えた。
『満天ちゃん?』
「あっ、……、はい! えっと、私も輪堂さんに迷惑かけないように――いや。
輪堂さんに"負けないように"、精一杯頑張るので! 当日、ぜひ、よろしくお願いします……!!」
『天梨でいいよ。同い年だったよね、確か?』
「えっ。あ、でも、私みたいなのがそんな」
『私がそっちの方がいいなーって思ったんだけど……だめ?』
「だっ、だめじゃない! だめじゃないです!! あぁ、うぅ…………」
迷惑かけないように、とか。
推しの視界に入れる、とか。
そういうことを原動力に頑張るのは、きっと彼女に失礼だ。
このいつもいつでも一生懸命、"みんな"のために踊る彼女のためにも。
そして、いつかその輝きに勝つ完璧で究極のアイドルになるためにも――
この可憐な〈天使〉に負けないように。
そう頑張ろうと、私は情けない顔でそう誓った。
「…………よ。よろしく、ね。天梨ちゃん」
『うん。よろしく、満天ちゃん』
今ほど、世界が平和であってほしいと祈ったことはきっとない。
世界はもう既に、私の眼から見ても分かるくらい狂い始めてる。
さっきあった出来事からして、そうだ。
蝗害。たぶん聖杯戦争のせいなのだろう、事件事故。
そして私の前に現れて、"あいつ"が勝手にボディーガードに任命してしまった残念イケメンバーサーカー。
このつかの間の、壊れかけの平穏すら、もう長くは保たない風前の灯火なのかもしれない。
でも――
だとしても。
それでも、どうかこのまま。
夢のような、夢のための時間が続いてくれればと。
私は思ってしまい、そこで。
「上出来です」
「あっ」
そんな声と共に、スマホが横から伸びてきた手に掠め取られた。
「やればできるものだ。頓挫する可能性も踏まえて期待半分で講じた手でしたが、想像以上の結果を魅せてくれた」
「ちょ……! 今大事なとこだからスマホ返して、ていうか何言って――」
言いかけて、はっと気が付く。
そうだ――考えてみれば今までの会話、何かヘンじゃないか。
言わずと知れた最強天使と、昨今話題の最凶新人の対談を組む話が持ち上がった、それ自体はいい。自惚れかもだけど納得できる。
でも、だからと言ってなんで輪堂さん……天梨ちゃんが直接私にそれを電話してくる?
バイトのシフト変更を伝えるんじゃないんだから、普通仕事の連絡がアイドルに直接来ることなんてまずない。
基本、双方の事務所同士でそういう役割を任されている人間が連絡を取り合って、そこから担当アイドルに話が伝えられるのが普通だ。
なのにどうして、私は天梨ちゃん経由で直接それを知ることになったのだろう?
誰が、何のために、彼女に……彼女のマネージャーに、"そうしてほしい"と伝えたのだろう――?
「……、お………」
気付いた。
その瞬間私は、まだ通話が繋がっていることも忘れて叫んでいた。
「お前の仕業かっ、このバカプロデューサー――――!!!」
そんな私の声も無視して。
"そいつ"は、私を悪魔に変えた英霊(プロデューサー)は……あまりに不躾な質問を、オブラートなしの直球で私の〈天使〉に投げかけた。
「直接話すのは初めてですね、輪堂天梨さん。
率直にお伺いしますが、"聖杯戦争"という単語に覚えはありますか?」
◇◇
――ぇ、と、思わず声が出た。
それはきっと、責められることではなかったろう。
通話の向こうで突然交代した話の相手、かと思えば自己紹介もなしにいきなり投げ込まれた弩級の爆弾。
聖杯戦争。この通話で聞くことになるとは思わなかった単語に、声は漏れたし呼吸は止まった。
その反応は、相手に対して"輪堂天梨は知っている"と理解させるには十分すぎる動揺だった。
『……どうやらご存知のようですね。やはり、でしたか』
天梨の動揺をよそに、電話口の男は小さく息を吐いてみせる。
どうして。なんで? バレるようなこと、何もしてないのに。
混乱と疑問符が脳裏をぐるぐる、ぐるぐると回る。
そんな天梨に、男はなおも言葉を続けた。
『ご安心を。あなたに危害を加えようという算段ではありません。ただ少し、踏み込んだお話をさせていただければと思っているだけです』
「……、えっと……。あの、ぜんぜん、話が見えないんですけど」
『ふむ――まあ、確かに些か急な話であったことは否定できませんね。
ではまず、不躾のお詫びも兼ねてこちらからカードを明かしましょう」
信用していいのかどうかとか、そういう以前の話だ。
話が突然すぎてぜんぜん頭に入ってこない。
アイドル・輪堂天梨は誰もが認める天才だったが、人間として見るなら彼女はちょっとばかし善性に比重を置きすぎただけのただの少女でしかなかった。
話が輝かしいステージから血腥い戦争のそれに切り替わったなら、当然こうして置いて行かれもする。
だが事を仕組んだ"悪魔"は、こと人心に触れることにかけては非常に巧みだ。
だから当然。動揺する少女の心を速やかに話の軌道に乗せ、会話を成立させるカードの切り方も心得ていた。
『私のクラスはキャスター。そして同時に、今は"彼女"のプロデューサー業も兼任しています』
「……! え、それって――まさか……!」
『いかにもその通り。私はアイドル・煌星満天の求めに呼応し、この仮想都市東京へ召喚されました』
――ずん、と、心に重たい衝撃が轟くのを天梨は感じた。
今まで、天梨にとって聖杯戦争とはどこか遠い絵空事だった。
悪魔の如きアヴェンジャーの囁きで聞くだけの名前。
蝗害や不穏なニュースを見るたびにその進行を感じ取ってこそいたが、実感を伴ってその名がのしかかってきたのはこれが二度目だ。
一度目はついさっき。負傷して帰ってきたシャクシャインの姿を見た時。
そして二度目は今。絆を育んだ、心の靄に光を射し込ませてくれたアイドルの真実。
煌星満天は、マスターだった。自分と同じ、この聖杯戦争という舞台の演者だった。
これは天梨にとって、言うまでもなく衝撃的なことであった。
「……じゃあ、キャスターさんが私に満天ちゃんへ電話するように誘導したんですか?」
『その通りですが、誤解しないでいただきたいこともあります。
あなたへの接触を図る意図が第一だったことは事実。
ただ同時に、あれは満天を彼女の理想に、トップアイドルの座へ進めるための一手でもあった』
「へ?」
『そう不思議なことでもないでしょう。言った筈ですよ、私は彼女の"プロデューサー"でもあるのだと』
思えば確かに、満天へ電話するように頼まれたのは妙だった。
だがそれは、彼女に対するある種のサプライズというか、心意気のようなものだと思っていたのだ。
この間の共演の時に満天が自分のファンでいてくれたことは聞いていたし、その兼ね合いだとばかり思っていた。
聖杯戦争の戦略上の接触。そして、煌星満天というアイドルを育てるための一手。
『誓ってそこに嘘はない。仔細を語るつもりはまだありませんが、私と彼女の間に存在する契約はプロデュースそのものですのでね。
聖杯戦争を進めつつ、彼女の背中を蹴り飛ばす。一挙両得だったというわけです』
「……、なんとなくわかりました」
――彼の言葉には妙な説得力があって、天梨は少し安堵していた。
もしも満天が彼というサーヴァントの傀儡にされてしまっていたのなら、こんなひどい話はないと危惧していたからだ。
でも聞く感じ、彼はサーヴァントである以前に煌星満天の"プロデューサー"で、そこについては結構真摯な印象を受けた。
なので天梨としても警戒心を少しだけ緩め、落ち着くことができた。
とはいえ話はこれで終わりではなく、むしろ此処からである。
「それで……。あの、キャス……プロデューサーさんは私に何の用なんですか?」
『理解が早くて助かります、ウチのとは大違いだ』
自分から聖杯戦争の参加者であることを明かし、陣営の実態の一部を晒した。
その行動の理由がまさか、自分のアイドルと打ち解けてくれたお礼だなんて親切なものであるとは思えなかった。
天梨は元々利発な方である。動揺が薄れ、警戒心が解けたなら、その頭脳は正常に回転する。
『単刀直入に言いましょう。協力関係の締結を打診したい』
満天のプロデューサー/サーヴァントは、淀みなくそう言った。
協力関係。つまりは、同盟、ということだろう。
争いを望まない天梨にとって一番恐れていた未来は、この男が果たし合いまがいの申し入れをしてくる展開だった。
そうなると、非常に困る。受けても受けたくても先にあるのは地獄でしかない。
それに、天梨としても協力できる相手ができることはもちろん悪い話ではなかった。
それが満天であるのなら尚更、少しは気持ちを落ち着けることもできる。
『先程も言ったように、私の目的は満天というアイドルを育てることにある。
その観点で言えば、輪堂さん。あなたも例に漏れず乗り越えるべき"敵"です。
最終的にあなたは、煌星満天に打倒されなければならない。
最弱の悪魔が、最強の天使を越えて輝く〈主役(スター)〉になる……それが彼女が望み、私が叶える結末だ』
「……、……」
『ただ、その超越が殺し合いの顛末であっては意味がない。
アイドルが競い合うのなら、それは各々のステージの上でなくてはなりません』
「…………そうですね。うん、私もそう思います。
ていうことは、えぇと。満天ちゃんとプロデューサーさんにとっては、私がラスボス……ってことなんですか?」
『ええ、現状は』
「あはは。歯に衣着せぬ物言いってやつだ」
倒すべき相手に此処まで言っていいのかと思ったけれど、最後まで聞くと確かにこれは晒していいカードだ、と納得が行く。
とはいえ流石に驚いた。本気で、彼らはこの聖杯戦争でシンデレラストーリーをやるつもりでいるのだ。
素晴らしいことだと思う。とても、素敵なことだと思う。
――いいなあ、と、本当にそう思った。
「いいですよ。私も、正直身の振り方をどうするか悩んでたので」
『感謝します。満天も喜ぶでしょう。それに少なからず、あなたにとっても恩恵がある筈ですから』
「……そうかもしれないですね。私もひとりじゃないのは心強いです」
『ああ、いえ。それだけではなく』
「……?」
煌星満天のプロデューサー。
芸能界に溶け込み、既に多くの人脈を築き、そのすべてを主との契約のためにのみ注ぐ怜悧な男。
その辣腕は、天梨のアヴェンジャーとは違った意味で悪魔の如し。
いや。彼に関しては、"如し"だなんて言葉を使う時点で間違っている。
『――見たところ、厄介なモノに憑かれているようですから。そういう意味でも、お力になれるのではないかと思いましてね』
「…………っ!」
天梨は思わず、視線を"それ"の方へと向けた。
満天との会話に、彼女のサーヴァントとの交渉。
怒涛の展開のあまり、久方ぶりにこの時天梨は彼の存在を忘れていた。
美しく、そして何より悍ましく。
底知れぬ悪意を、哀愁のすべてを火に変えて猛り続ける"それ"を。
『落ち合う場所はすぐにこちらから送ります。
あなたの交わした契約が如何なるものであるにせよ、私との邂逅は無駄にはならない筈だ』
「あ、なた……一体……」
『申し上げた通りです。クラスはキャスター。煌星を満天の太陽にする任を遣ったモノ。そして、今は』
ふ、と。
小さな微笑を込めた声が、この通話を締める最後の言葉となった。
『ただの、しがないプロデューサーですよ』
ぷつん。
ぷーっ、ぷーっ、ぷーっ……。
…………、…………。
…………。
◇◇
「――きゃーーーーすーーーーーたぁぁぁぁーーーーーーーっっっ!!!!」
通話(しごと)を終えた"プロデューサー"……ゲオルク・ファウストは、すぐさま絶叫じみた抗議の声に眉根を寄せる羽目になった。
声の主は言わずもがな煌星満天、彼の召喚者にして契約者だ。
少し涙を浮かべて頬を紅潮させ、わなわなと身を震わせている。
「なんですか、騒々しい」
「何勝手なことしてんの!? えっ、ていうか私一言の相談も受けてないんですけど!?」
「するわけがないでしょう。台本通りの演技ができるほど利口な姿を私に見せてくれたことが一度でもありますか?」
「うぐぐ……っ、て、違う! それもそうだけど、私が言いたいことはもっと別にあるの!」
「ではそれを先に言うべきですね。話は端的であるほど良い」
「――あのね!」
〈天使〉――輪堂天梨との交渉は成った。
今後どうなるかは彼女の連れる、もとい彼女に"憑く"モノ次第なのは否めないが、それでも現状は上手く進んだと言っていいだろう。
満天にもそれは分かる。だがその上で文句があるので、こうして抗議しているのだ。
「私……本当に、嬉しかったんだよ」
「……、……」
「キャスターに考えがあってやったのは、まあ分かるよ。
私達みたいな弱っちい組が勝ち残っていくには仲間が多くいた方がいいってのも分かる。天梨ちゃんが私と"同じ"だって分かったなら声かける、それも分かる。あの子、見るからに危ないタイプじゃないしさ」
「続けてください」
「でも――それでも、一言くらいあってもよかったじゃん。
私、憧れの天使と一対一で共演なんて聞かされてひとりでぬか喜びしてたってことになるでしょ。
それは……流石に、悲しいよ。そこはちょっとデリカシー欲しかったって言ってるの」
「ふむ」
話していてなんだかやるせなくなってきたのか、満天の声は徐々にトーンダウンしていく。
それを聞き終えたファウストは、自分の顎に手を当てて小さく呟いた。
「どうやら、意図が正しく伝わっていないようですね」
「……?」
「確かに第一目標は輪堂天梨への接触でした。彼女の存在は戦力的な意味でも、あなたがアイドルとして輝くためにも大きな意味を持ちますから。
可能な限り自然な形で、自然体の彼女を引き出せるように状況をセッティングしました。それは事実です」
「だ、だから、それが――」
「ただ、対談の企画が実際に持ち上がっていることも事実です。このひと月で用意したコネを使い、私が仕組みましたから」
「――、えっ」
悪魔は、その奸計のために多くのものを利用する。
時に人心さえ弄び、手中で転がす狡猾さを彼らは共通して有している。
なればこそ、ファウスト……煌星を銀河に押し上げんとする辣腕の彼が、手前の契約者の心をこうも分かりやすく蔑ろにする筈はない。
それは三流の所業だからだ。満天すら知り得ない"一流"の顔を持つ彼は、悪魔は、当然その愚は犯さなかった。
「記録役は私が務めればいいので、やろうと思えばこの後すぐにでも可能ですよ。無論、しませんが」
「え、じゃあ……」
「あなたはもう少し私を信用するべきですね。我々は悪辣な存在ですが、同時に契約に強く縛られる不自由な生き物でもある。
功を急ぐ余り、育て上げるべき光を翳らせていては本末転倒でしょう」
「……、……。……ご、ごめんなさい。それなら――私が悪い」
何しろ一方的にノンデリ扱いして捲し立ててしまったものだから、満天は一転しゅんと小さく縮こまって謝罪する。
色んなことがありすぎて動揺していたのは否めないが、それにしたって今のは早合点が過ぎた。
いろいろと言いたいことはあるが、この"プロデューサー"が自分を此処まで――憧れの天使と語らえるところまで育ててくれたことは紛れもない事実なのだ。
だから満天は、素直に申し訳なくなってしまう。しかし一方、ファウストはまったく不変のまま「ただ」と続けた。
「"一言の相談も受けてない"と怒る権利は、確かにあなたにはあるでしょう。
何しろこれであなたは逃げられなくなった。もはや、進むしかありません」
「い、いや。最初から逃げるつもりなんてないよ、そこだけは。
私なんて諦めの悪さだけが取り柄みたいなもんだし、此処まで来て今更尻込みするとかそんなことは」
「輪堂天梨の説明を思い出してください。これはただの"対談"ではありませんよ」
言われて、満天は記憶をほじくり返す。
幸いにして天梨の声は、あの混乱の中でもしっかり脳裏に残ってくれていた。
推しと曲がりなりにも一対一で話せたのだ、個通したのだ。この記憶はきっと一生残り続けるとさえ思う。
あの時、天使は悪魔にこう言った。
――『"最強×最凶! 新旧アイドル対談バトル"……って、なんかこれ言葉に出すとすっごい恥ずかしいね。うへぇ……』
はっと気付いて、満天はキャスターの顔を見上げる。
「新旧アイドル……対談、"バトル"……!?」
「その通り。単に仲良しこよしで終わるのでは意味がない。
尤も、実際に形として優劣を決めるわけではありませんから。企画としてはただのキャッチーさ優先のタイトルに過ぎませんがね。
だが、あなたにとっては違う。"煌星満天(あなた)"にとってこの対談は、紛れもない戦いです」
どういうこと、と聞く必要はなかった。
此処まで来たら、満天にだって彼の言わんとすることが分かってしまう。
何せ、相手は最強のアイドル。アイドルになるべくして生まれてきた、〈天使〉なのだ。
……その隣に立ち、言葉を交わし、互いのアイドル性を表現して記録する対談の場。そこではきっと、両者の優劣がはっきりと浮かび上がる。どちらの方が輝いているか、魅力的か、それが残酷なまでに示される。
であれば確かに、これは戦いだった。
生半な覚悟と完成度で天使の隣に立てば――その時待っているのは、公開処刑にも等しい完膚なきまでの"敗北"だ。
煌星満天は輪堂天梨に明確に劣っているという当たり前の話が、されど逃げ隠れも誤魔化しも利かない"事実"として証明されてしまう。
「あなたはその時までに、彼女へ並ぶに足る輝きを得なければなりません」
「……っ!」
「輪堂天梨本人にも伝えたことですがね。彼女があなたと同じ演者であると分かった以上、あなたが越えるべき最大の敵は間違いなく彼女です。
故に対談の話が纏まった時点で、あなたがそれを受けた時点で、もうあなたは〈天使〉との戦いから逃げられない。
〈悪魔(あなた)〉は――〈天使(てんり)〉に、勝たなければならない」
悪魔が、悪魔へ断言する。
そして。
「それに、これは私の所感ですが」
……此処からは、ゲオルク・ファウストによる所感になるが。
彼の眼から見ても、輪堂天梨という少女は凄まじいと言う他なかった。
彼の正体はファウストを装った伝承悪魔。愛すべからざる光。
その悪魔をして、彼女を〈天使〉と呼ぶことは実に適当だと認識した。
アレは、こと"愛される"ということに関して限りなく頂点に近い。
魔性の女と呼ばれる人種が人間社会には度々登場するが、天梨はそうですらない。
そこにあるのは底のない善性。ヒトがヒトのまま体現できる善良さの最上位(ハイエンド)。
狂気、危うさ、善良である故の残酷。他人を狂気へ誘う、フェロモンめいた魅惑。
そうしたものが、天梨にはない。言うなれば地上から仰ぎ見る太陽の光、なのだ。
誰も焼くことなく、ただあたたかく照らすもの。
まさしく――アイドルになるべくして生まれてきた少女だと、そう思った。
満天には流石に伝えなかったことだが、正直に言うならば、面食らった。
よもや煌星満天と輪堂天梨の間に、これほど大きな差が存在するとは思わなかったからだ。
敵がこれほどまでに異様な、"愛されるべき光"であるとは想定していなかった。
だが。
これは、逆に好都合でもある。
逆に言えば、それほどまでの。
それほどまでの"トップアイドル"という解りやすいゴールが存在してくれるなら、プロデュースの方向性もより明確になるというものだから。
輪堂天梨こそが、煌星満天のラスボスなのだ。
聖杯戦争がどれほど荒れ模様を見せようが、少なくともファウスト/メフィストフェレスと彼の契約者にとってその一点だけは変わらない。
(問題は、アレの傍に居る"まがい物"だな。同族というよりは悪神に近いんだろうが、何にせよ厄介極まりない。
俺が言えたことじゃないが、ヒトの運命とやらは兎にも角にも悲劇が好きらしい)
彼は、悪魔である。
故に同族、それに近いモノの気配はすぐに分かる。
輪堂天梨との通話中ずっと、メフィストフェレスはそれを感じていた。
この世のすべてを呪い殺さんとする、剣呑極まりない悪意の兆し。
他者に害を成さない善性の天使を歪め得る、極めて厄介なアポトーシス。
そして何より難儀なのが、輪堂天梨の置かれている状況だ。
何も害さない天使を取り囲む悪意の渦。酒も飲めない歳の少女にけしかけるには明らかに過剰すぎる無数の無貌の"誰か"ども。
天使の変転は、筋書きを変えてしまう。
防がなければならない。だが、この分野においては自分では恐らく不適だろうともメフィストフェレスは認識していた。
人間の悪意に染められ、穢された少女の手を引くのが悪魔(じぶん)であっては前提条件が崩れ去る。
輪堂天梨は〈天使〉でなければならない。そうであってくれなければ困るのだ。
悪魔の手を取った時点で、結果がどうなるにしろ天使は変化してしまうのは見えている。
故に、そう、だからこそ――
「輪堂天梨を救える"人間"が居るとすれば、それはあなたが適任でしょう」
悪魔であり、そしてソレ以前に人であり、アイドルである。
そんな演者がこの針音響く仮想都市に存在しているのなら。
シンデレラストーリーの筋書きは、書き換えることなく維持できるかもしれない。
メフィストフェレスは考え、ゲオルク・ファウストはそれを伝えた。
役者は揃い始めている。
聖杯戦争、人類の未来を憂う陰謀と、蠢く狂気の器たちなどとはまったく無関係のサイドストーリー。
されど"彼女たち"にとっては、聖杯獲得以上の意味を持つ光と闇の大聖戦。
――天の使いを超えて輝け、煌めく地星。
空の彼方は未だ遠く。光は燦々と、悪魔を照らし続けている。
◇◇
「……止めないの?」
「何をだい?」
「私に仲間ができるのは、あなたにとって嫌なことだと思ったんだけど」
「どうぞご自由に。俺達の契約は単純なものだ。君は余計なことなんて、何ひとつ考えずに手前の悪性と向き合っていればいい」
通話を終えた天梨の問いに、シャクシャインはそう言って笑った。
契約内容はまさしく単純明快。
輪堂天梨がそれを望まぬ限り、シャクシャインは誰も殺さない。
自衛や已む無き事情があるならば話は別だが、少なくとも彼がその心魂に燃やす無限大の憎悪と衝動を解き放つことはない。
だからこそシャクシャインにとっては、天梨が何を選ぼうが、誰と組もうがどうでもよかった。
何がどうなろうと、結局最後に"それ"を決めるのは天梨なのだ。
高尚な善性を捨て、内に溜め込んだ黒い炎を解き放つ。殺意のままに、怒りのままに、あまねく命を虐殺する。
その時はいつか必ずやって来ると、シャクシャインはそう信じて疑わない。
「まあ、会談の席で飲み食いするなら注意することだ。何せ身を以て体験済みだからね、アレはなかなか苦しいよ」
「……コメントしづらいなぁ。ところで、なんだけど――ついてくるの?」
「当たり前だろ? 何処の馬の骨とも知らない和人のガキに愉しみを横取りされたんじゃ俺だって困る。裏切りは君らの得意技だからなぁ、警戒するのは許してくれよ」
「わかったよ。……でも、私にやるみたいに喋るのは絶対やめてね。満天ちゃんにも、キャスターさんにも」
「保証はできかねるね」
はあ、とため息をつく天梨。
その姿を見つめるのは―彼女と契約を結んだ悪魔、悪神、英雄。
そのどれでもあって、どれでもない男。シャクシャインは、輪堂天梨という少女に関して実のところ高い評価を下している。
和人には見合わない善性と精神性。誘惑への耐久力、まさに天の使いの如し。
それに驚けばこそ尚更、そんな彼女を穢し続ける和人どもの醜悪さが際立って見えた。
とはいえシャクシャインに言わせれば、和人が糞袋なのは今に始まったことではない。
殺すべきなのだ、この民族は。滅ぼすべきなのだ、この糞共は。
そして。その落日の引き金を引く権利が、この美しい和人にはある。
彼女だからこそ、日ノ本を落とす審判を下す資格があるのだ。
どうせ恨みを晴らすなら、それは劇的であるほどいい。
堕ちよ、天使。共に行こう、天梨。
同じ地獄で踊る舞踊はさぞかし甘美だ。
心躍る解放の時に、おまえは心根ひとつですぐにだってありつける。
そう、改めて。
祈るように、願うように、考えて――
は。と、シャクシャインは笑った。
彼らしくもない、自嘲するような笑みだった。
「……俺はやっぱり、あんたみたいにはなれないや。なあ、異国の老いぼれ(エカシ)よ」
己にできるのは、ただこうして燃え上がり続けることだけ。
何故ならそれしか知らないから。
"裏切られ"、"奪われる"ことは、己から他のすべてを失くしてしまったから。
だから今さら、憎むべき奴原の中に"例外"を見つけたとしても――在り方/生き方は、変えられない。
穢れた炎の燃える手で、その手を引いて地獄に誘うのがせいぜいだ。
だが、それでいい。それだけでいい。
己はもう、そういうモノなのだ。
〈天使〉は奪われ続けている。
今も、その輝きは汚泥の中を翔び続けている。
どこかの〈悪魔〉が乗り越えるべき、汚泥の空を翔ぶ光の天使。
十二時では解けない魔法を背負い、アイドル達は交わった。
【渋谷区(中心地よりも外れ)/一日目・午後】
【輪堂天梨】
[状態]:精神疲労(小)、ちょっとだけ高揚してる(無自覚)
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:たくさん(体質の恩恵でお仕事が順調)
[思考・状況]
基本方針:〈天使〉のままでいたい。
1:連絡を待つ。
2:アヴェンジャーは恐ろしい。けど、哀しい。
3:……満天ちゃん。いい子だなあ。
[備考]
※午後以降に仕事が入っているかどうかは後のリレーにお任せします。
【アヴェンジャー(シャクシャイン)】
[状態]:疲労(小)、全身に被弾(行動に支障なし)
[装備]:「血啜喰牙」
[道具]:弓矢などの武装
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:死に絶えろ、“和人”ども。
0:俺はやっぱりこういう風にしか生きらんねえなあ。
1:憐れみは要らない。厄災として、全てを喰らい尽くす。
2:愉しもうぜ、輪堂天梨。堕ちていく時まで。
3:青き騎兵(カスター)もいずれ殺す。
[備考]
※マスターである天梨から殺人を禁じられています。
最後の“楽しみ”のために敢えて受け入れています。
【台東区・芸能事務所/一日目・午後】
【煌星満天】
[状態]:健康、色々ありすぎて動揺したりふわふわしたりで心がとても忙しい
[令呪]:残り三画
[装備]:『微笑む爆弾』
[道具]:なし
[所持金]:数千円(貯金もカツカツ)
[思考・状況]
基本方針:トップアイドルになる
1:……超える、のか。あの子を。
2:魅了するしかない。ファウストも、ロミオも、この世界の全員も。
3:この街の人たちのため、かぁ……
[備考]
【プリテンダー(ゲオルク・ファウスト/メフィストフェレス)】
[状態]:健康
[装備]:名刺
[道具]:眼鏡
[所持金]:莫大。運営資金は潤沢
[思考・状況]
基本方針:煌星満天をトップアイドルにする
0:輪堂天梨と同盟を結びつつ、満天の"ラスボス"のままで居させたい。
1:ロミオとの契約を足掛かりに、そのマスターも従属させたい。
2:時間が無い。満天のプロデュース計画を早めなければならない。
3:天梨に纏わり付いている"まがい物"の気配は……面倒だな。
[備考]
・ロミオと契約を結びました。
内容としてはおよそ『煌星満天を陰から護衛する』『彼女が夢を叶えるまで手を出さない』といったもののようです。
・ロミオの宝具には気付いていません。
・対外的には『ヨハン』と名乗っているようです。
[全体備考]
※この話の直後、輪堂天梨のスマートフォンにファウストから会談場所を指定する連絡が入ります。
具体的な場所やその他内容に関してはおまかせします。
投下終了です。
また、スレの残量が微妙ですので新スレの方を用意しようと思います。
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